ぶんしょう

 

 一 帖

(1) 門徒弟子章

 或人あるひといはく、 *とうりゅうのこころは、 *もんをばかならずわが弟子でしとこころえおくべくそうろふやらん、 如来にょらいしょうにん (*親鸞)おん弟子でしもうすべくそうろふやらん、 その分別ふんべつぞんせずそうろふ。 また*在々ざいざい所々しょしょしょうもんをもちてそうろふをも、 *このあひだは*つぎ*ぼうにはあひかくしおきそうろふやうにしんちゅうをもちてそうろふ。 これもしかるべくもなきよし、 ひともうされそうろふあひだ、 おなじくこれもしん*千万せんばんそうろふ。 ねんごろにうけたまわりたくそうろふ。

在々所々 ここかしこ。 あちらこちら。
このあひだ このごろ。 近ごろ。 最近。
手次 教えを人々にとりつぐこと。 ここでは所属する寺をいう。

 こたへていはく、 このしん*もつとも肝要かんようとこそぞんそうらへ。 *かたのごとくみみにとどめおきそうろぶんもうしのぶべし。 きこしめされそうらへ。

 しょうにんおおせには、 「親鸞しんらん弟子でし一人いちにんももたず」 とこそおおせられそうらひつれ。 「そのゆゑは、 *如来にょらいきょうぼう*十方じっぽう*しゅじょうききかしむるときは、 ただ*如来にょらいおん代官だいかんもうしつるばかりなり。 さらに親鸞しんらんめづらしきほうをもひろめず、 如来にょらいきょうぼうをわれもしんじ、 ひとにもをしへきかしむるばかりなり。 そのほかは、 なにををしへて弟子でしといはんぞ」 とおおせられつるなり。

されば*ともどうぎょうなるべきものなり。 これによりて、 しょうにんは 「おん*同朋どうぼうおん*どうぎょう」 とこそ、 *かしづきておおせられけり。

さればちかごろは*だいぼうぶんひとも、 われは*いちりゅう*安心あんじんだいをもしらず、 たまたま弟子でしのなかに*信心しんじん沙汰さたする在所ざいしょへゆきてちょうもんそうろひとをば、 ことのほか*説諫せっかんをくはへそうらひて、 あるいはなかをたがひなんどせられそうろふあひだ、 ぼう*しかしかと信心しんじんいちをもちょうもんせず、 また弟子でしをばかやうに*あひささへそうろふあひだ、 われも信心しんじんけつじょうせず、 弟子でし信心しんじんけつじょうせずして、 いっしょうはむなしくすぎゆくやうにそうろふこと、 まことに*そんそんのとが、 のがれがたくそうろ*あさましあさまし。

如来の教法 ここでは阿弥陀如来の本願の教え。
如来の御代官 如来に代って教えを伝える者。
とも同行 同朋同行というのに同じ。
かしづきて 心から大切にして。 敬愛して。
信心の沙汰 信心しんじんについて話し合うこと。
切諫 説き伏せて、 強く誡め、 しかること。
しかしかと しっかりと。
あひささへ さまたげて。

 *古歌こかにいはく、
  うれしさをむかしはそでにつつみけり こよひはにもあまりぬるかな

 「うれしさをむかしはそでにつつむ」 といへるこころは、 むかしは*ぞうぎょう*しょうぎょう分別ふんべつもなく、 *念仏ねんぶつだにももうせば、 *おうじょうするとばかりおもひつるこころなり。

「こよひはにもあまる」 といへるは、 *しょうぞう分別ふんべつをききわけ、 *一向いっこう一心いっしんになりて、 信心しんじんけつじょうのうへに*仏恩ぶっとん報尽ほうじんのために念仏ねんぶつもうすこころは、 おほきに各別かくべつなり。 かるがゆゑにのおきどころもなく、 をどりあがるほどにおもふあひだ、 よろこびはにもうれしさがあまりぬるといへるこころなり。

*あなかしこ、 あなかしこ。

古歌にいはく… ¬かん朗詠ろうえいしゅう¼ 等にみえる歌。
正雑の分別をききわけ 他力の正行と自力のぞうぎょうをはっきりと聞きひらいて。 自力をすてて他力に帰すべき道理を聞きひらいて。

  *文明ぶんめい三年さんねん七月しちがつじゅうにち

文明三年 1471年。 蓮如上人五十七歳。

(2) 出家発心章

 ^とうりゅう親鸞しんらんしょうにんいちは、 *あながちに*しゅっ*発心ほっしんのかたちをほんとせず、 *しゃよくのすがたをひょうせず、 ただ*一念いちねん*みょう*りき信心しんじんけつじょうせしむるときは、 さらに男女なんにょろうしょうをえらばざるものなり。

^さればこのしんをえたるくらいを、 ¬きょう¼ (*大経・下) には 「即得そくとくおうじょうじゅ退転たいてん」 とき、 ¬しゃく¼ (*論註・上意) には 「*一念いちねんぽっにゅう正定しょうじょうじゅ」 ともいへり。 ^これすなはち*来迎らいこうだん*平生へいぜいごうじょうなり。

一念発起… 「一念発起すれば正定の聚に入る」 信心が初めておこった時、 浄土に往生することがまさしく定まり、 仏になることがけつじょうしている仲間となる。
不来迎の談 臨終の来迎をたのまないという法義。 →来迎らいこう

 ^¬さん¼ (*高僧和讃) にいはく、 「*弥陀みだ*ほうをねがふひと *外儀げぎのすがたはことなりと *本願ほんがん*みょうごう*信受しんじゅして *寤寐ごびにわするることなかれ」 といへり。

^外儀げぎのすがた」 といふは、 *ざいしゅっなん女人にょにんをえらばざるこころなり。

^つぎに 「本願ほんがんみょうごう信受しんじゅして寤寐ごびにわするることなかれ」 といふは、 かたちはいかやうなりといふとも、 また*つみ*じゅうあく*ぎゃく*謗法ほうぼう*闡提せんだいのともがらなれども、 *しん*さんして、 ふかく、 かかるあさましき*をすくひまします弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんなりとしんして、 *ふたごころなく如来にょらいをたのむこころの、 ねてもさめても*憶念おくねんしんつねにしてわすれざるを、 本願ほんがんたのむ*けつじょうしんをえたる信心しんじんぎょうにんとはいふなり。

^さてこのうへには、 たとひ*行住ぎょうじゅう坐臥ざが*称名しょうみょうすとも、 弥陀みだ如来にょらいおんほうじまうす念仏ねんぶつなりとおもふべきなり。 これを*真実しんじつ信心しんじんをえたるけつじょうおうじょうぎょうじゃとはもうすなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

寤寐に ねてもさめても。

  あつきにながるるあせはなみだかな かきおくふでのあとぞをかしき

  文明ぶんめい三年さんねん七月しちがつじゅう八日はちにち

(3) 猟すなどり章

 ^まづとうりゅう安心あんじんのおもむきは、 あながちにわがこころのわろきをも、 また*妄念もうねん*もうしゅうのこころのおこるをも、 とどめよといふにもあらず。

^ただあきなひをもし、 奉公ほうこうをもせよ、 りょう*すなどりをもせよ、 かかるあさましき*罪業ざいごうにのみ、 *ちょうせきまどひぬるわれらごときの*いたづらものを、 たすけんとちかひまします弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんにてましますぞとふかくしんじて、 一心いっしんにふたごころなく、 弥陀みだ一仏いちぶつ*がん*すがりて、 *たすけましませとおもふこころの一念いちねんしんまことなれば、 かならず如来にょらいおんたすけにあづかるものなり。

^このうへには、 なにとこころえて念仏ねんぶつもうすべきぞなれば、 おうじょうはいまの*信力しんりきによりておんたすけありつるかたじけなきおん報謝ほうしゃのために、 わがいのちあらんかぎりは、 報謝ほうしゃのためとおもひて念仏ねんぶつもうすべきなり。

^これをとうりゅう安心あんじんけつじょうしたる信心しんじんぎょうじゃとはもうすべきなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

すなどり 漁。 魚や貝類をとること。
朝夕 一日中。
悲願 大慈悲によっておこされたしゅじょう救済の誓願せいがん。 ここでは第十八願のこと。
すがりて たよりとして。 阿弥陀如来の本願にすべてをまかせること。
たすけましませ 「たすけたまへ」 に同じ。
信力 信心のどく力。 信心のすぐれたはたらき。

  文明ぶんめい三年さんねんじゅうがつじゅう八日はちにち

(4) 自問自答章

 そもそも、 親鸞しんらんしょうにんいちりゅうにおいては、 平生へいぜいごうじょうにして、 *来迎らいこうをも*しゅうせられそうらはぬよし、 うけたまわりおよびそうろふは、 いかがはんべるべきや。 その平生へいぜいごうじょうもうすことも、 来迎らいこうなんどのをも、 さらにぞんせず。 くはしくちょうもんつかまつりたくそうろふ。

執せられ候はぬ こだわらりなさらない。

 こたへていはく、 まことにこのしんもつとももつていちりゅう肝要かんようとおぼえそうろふ。 おほよそ*とうには、 *一念いちねんぽっ平生へいぜいごうじょうだんじて平生へいぜい弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんのわれらをたすけたまふことわりをききひらくことは、 *宿しゅくぜん開発かいほつによるがゆゑなりとこころえてのちは、 わがちからにてはなかりけり、 *ぶっりきのさづけによりて、 本願ほんがんらいぞんするものなりとこころうるが、 すなはち平生へいぜいごうじょうなり。

されば平生へいぜいごうじょうといふは、 いまのことわりをききひらきて、 おうじょう*じょうとおもひさだむるくらいを、 一念いちねんぽっじゅう*正定しょうじょうじゅとも、 平生へいぜいごうじょうとも、 *即得そくとくおうじょうじゅう*退転たいてんともいふなり。

当家 浄土真宗を指す。

 うていはく、 一念いちねんおうじょうほっ、 くはしくこころえられたり。 しかれども、 来迎らいこういまだ分別ふんべつせずそうろふ。 ねんごろにしめしうけたまはるべくそうろふ。

 こたへていはく、 来迎らいこうのことも、 一念いちねんぽっじゅう正定しょうじょうじゅ沙汰さたせられそうろふときは、 さらに来迎らいこう*そうろふべきこともなきなり。 そのゆゑは、 来迎らいこうするなんどもうすことは、 *しょぎょうにとりてのことなり。 真実しんじつ信心しんじんぎょうじゃは、 一念いちねんぽっするところにて、 *やがて*摂取せっしゅしゃ光益こうやくにあづかるときは、 来迎らいこうまでもなきなりとしらるるなり。

さればしょうにんおおせには、 「来迎らいこう*しょぎょうおうじょうにあり。 真実しんじつ信心しんじんぎょうにんは、 摂取せっしゅしゃのゆゑに正定しょうじょうじゅじゅうす。 正定しょうじょうじゅじゅうするがゆゑに、 かならず*めついたる。 かるがゆゑに*りんじゅうまつことなし、 来迎らいこうたのむことなし」 (*御消息・一意) といへり。 このおんことばをもつてこころうべきものなり。

期し 期待して。

 うていはく、 正定しょうじょうめつとは一益いちやくとこころうべきか、 また*やくとこころうべきや。

 こたへていはく、 一念いちねんぽっのかたは正定しょうじょうじゅなり。 これは*穢土えどやくなり。 つぎにめつ*じょうにてべきやくにてあるなりとこころうべきなり。 さればやくなりとおもふべきものなり。

 うていはく、 かくのごとくこころえそうろふときは、 おうじょうじょうぞんじおきそうろふに、 なにとてわづらはしく信心しんじんすべきなんど沙汰さたそうろふは、 いかがこころえはんべるべきや。 これもうけたまわりたくそうろふ。

 こたへていはく、 まことにもつて、 このたづねのむね肝要かんようなり。 さればいまのごとくにこころえそうろふすがたこそ、 すなはち信心しんじんけつじょうのこころにてそうろふなり。

 うていはく、 信心しんじんけつじょうするすがた、 すなはち平生へいぜいごうじょう来迎らいこう正定しょうじょうじゅとのどうにてそうろふよし、 *ぶんみょうちょうもんつかまつりそうらひをはりぬ。 しかりといへども、 信心しんじんじょうしてののちには、 しんおうじょう*極楽ごくらくのためとこころえて念仏ねんぶつもうそうろふべきか、 また仏恩ぶっとん報謝ほうしゃのためとこころうべきや、 いまだそのこころをそうろふ。

分明 明白。 明瞭。

 こたへていはく、 このしんまた肝要かんようとこそおぼえそうらへ。 そのゆゑは、 一念いちねん*信心しんじん発得ほっとく以後いご念仏ねんぶつをば、 しんおうじょうごうとはおもふべからず、 ただひとへに仏恩ぶっとん報謝ほうしゃのためとこころえらるべきものなり。 されば*善導ぜんどうしょうの 「じょうじん*いちぎょう下至げし一念いちねん(*礼讃・意)しゃくせり。 「下至げし一念いちねん」 といふは信心しんじんけつじょうのすがたなり、 「じょうじんいちぎょう」 は仏恩ぶっとん報尽ほうじん念仏ねんぶつなりと*きこえたり。 これをもつてよくよくこころえらるべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

信心発得 信心を得ること。
きこえたり うけたまわっている。

  *文明ぶんめいねんじゅう一月いちがつじゅう七日しちにち

文明四年 1472年。 蓮如上人五十八歳。

(5) 雪中章

 ^そもそも、 *当年とうねんより、 ことのほか、 *しゅう*能登のと*えっちゅうりょうさんこくのあひだより*道俗どうぞく男女なんにょ*くんじゅうをなして、 この*吉崎よしざきさんちゅう参詣さんけいせらるる面々めんめんしんちゅうのとほり、 いかがと*こころもとなくそうろふ。

^そのゆゑは、 まづとうりゅうのおもむきは、 このたび極楽ごくらくおうじょうすべきことわりは、 りき信心しんじんをえたるがゆゑなり。 しかれども、 このいちりゅうのうちにおいて、 しかしかとその信心しんじんのすがたをもえたるひとこれなし。 かくのごとくのやからは、 いかでかほうおうじょうをばたやすくとぐべきや。 いちだいといふはこれなり。

^さいわひに五里ごりじゅうえんをしのぎ、 このゆきのうちに参詣さんけいのこころざしは、 いかやうにこころえられたるしんちゅうぞや。 千万せんばんこころもとなきだいなり。

^所詮しょせんぜんはいかやうのしんちゅうにてありといふとも、 これよりのちはしんちゅうにこころえおかるべきだいをくはしくもうすべし。 よくよくみみをそばだててちょうもんあるべし。

^そのゆゑは、 りき信心しんじんといふことをしかとしんちゅうにたくはへられそうらひて、 そのうへには、 仏恩ぶっとん報謝ほうしゃのためには行住ぎょうじゅう坐臥ざが念仏ねんぶつもうさるべきばかりなり。 このこころえにてあるならば、 このたびのおうじょういちじょうなり。 このうれしさのあまりには、 *しょうぼう在所ざいしょへもあゆみをはこび、 *こころざしをもいたすべきものなり。

^これすなはちとうりゅうをよくこころえたる信心しんじんひととはもうすべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

当年 文明五年 (1473年) 蓮如上人五十九歳。
加州 加賀かが (現在の石川県南部) の別称。
能登 現在の石川県北部。
越中 現在の富山県。
群集 人々が群がり集まること。
心もとなく 気がかりで。 おぼつかなく。
師匠坊主 師にあたる僧侶。
こころざし こん

  *文明ぶんめいねんがつよう

文明五年 1473年。 蓮如上人五十九歳。

(6) 睡眠章

 ^そもそも、 当年とうねんなつこのごろは、 なにとやらんことのほか睡眠すいめんにをかされて、 ねむたくそうろふはいかんとあんそうらへば、 しんもなくおうじょう死期しごもちかづくかとおぼえそうろふ。 まことにもつて*あぢきなくごりをしくこそそうらへ。 さりながら、 今日こんにちまでも、 おうじょうもいまやきたらんとだんなくその*かまへはそうろふ。

^それにつけても、 この在所ざいしょにおいて、 *以後いごまでも信心しんじんけつじょうするひとの*退転たいてんなきやうにもそうらへかしと、 念願ねんがんのみちゅうだんにおもふばかりなり。

^*このぶんにてはおうじょうつかまつりそうろふとも、 いまは*さいなくそうろふべきに、 それにつけても、 面々めんめんしんちゅうもことのほかだんどもにてこそはそうらへ。 いのちのあらんかぎりは、 われらはいまのごとくにてあるべくそうろふ。 よろづにつけて、 みなみなのしんちゅうこそ*そくぞんそうらへ。

^みょうにちもしらぬいのちにてこそそうろふに、 なにごとをもうすもいのちをはりそうらはば、 *いたづらごとにてあるべくそうろふ。 いのちのうちにしんくはれられそうらはでは、 さだめて後悔こうかいのみにてそうらはんずるぞ、 おんこころえあるべくそうろふ。

^あなかしこ、 あなかしこ。

あぢきなく やるせなく。
かまへ 準備。 用意。 心がまえ。
以後までも 私 (蓮如) が亡きあとも。
退転 ここでは無くなること、 途絶えることの意。
この分にては 私 (蓮如) については。
子細なく さしつかえなく。 問題なく。
不足 不満足。

 ^このしょうのそなたの人々ひとびとのかたへまゐらせそうろふ。 のちのとしにとりしてらんそうらへ。

  文明ぶんめいねんづきじゅうにちこれをく。

(7) 弥生中半章

 さんぬる*文明ぶんめいだいれき*弥生やよい中半なかばのころかとおぼえはんべりしに、 *さもありぬらんとみえつるにょしょういちにんおとこなんどあひしたるひとびと、 このやまのことを沙汰さたしまうしけるは、 そもそもこのごろ吉崎よしざきさんじょう*いち坊舎ぼうしゃをたてられて、 *ごん道断どうだん*おもしろき在所ざいしょかなともうそうろふ。 なかにもことに、 加賀かがえっちゅう能登のと*えち*しな*出羽でわ*おうしゅうしちこくより、 かのもんちゅう、 この当山とうざん道俗どうぞく男女なんにょ参詣さんけいをいたし、 くんじゅうせしむるよし、 その*きこえかくれなし。 これ*末代まつだい思議しぎなり。 ただごとともおぼえはんべらず。

さりながら、 かのもん面々めんめんには、 さても念仏ねんぶつ法門ぼうもんをばなにとすすめられそうろふやらん。 とりわけ信心しんじんといふことをむねとをしへられそうろふよし、 ひとびともうそうろふなるは、 いかやうなることにてそうろふやらん。 くはしくききまゐらせて、 われらもこの罪業ざいごうじんじゅうのあさましき女人にょにんをもちてそうらへば、 その信心しんじんとやらんをききわけまゐらせて、 おうじょうをねがひたくそうろふよしを、 かの*さんちゅうのひとにたづねまうしてそうらへば、

しめしたまへるおもむきは、 「*なにのやうもなく、 ただわがじゅうあくぎゃく*しょうさんしょうのあさましきものぞとおもひて、 ふかく、 弥陀みだ如来にょらいはかかるをたすけましますおんすがたなりとこころえまゐらせて、 ふたごころなく弥陀みだをたのみたてまつりて、 *たすけたまへとおもふこころの一念いちねんおこるとき、 かたじけなくも如来にょらい八万はちまんせんこうみょうはなちて、 その*摂取せっしゅしたまふなり。 これを弥陀みだ如来にょらい念仏ねんぶつぎょうじゃ摂取せっしゅしたまふといへるはこのことなり。

摂取せっしゅしゃといふは、 をさめとりてすてたまはずといふこころなり。 このこころを信心しんじんをえたるひととはもうすなり。 さてこのうへには、 ねてもさめても*たつてもゐても、 *南無なも弥陀みだぶつもう念仏ねんぶつは、 弥陀みだ*はやたすけられまゐらせつるかたじけなさの、 弥陀みだおんを、 南無なも弥陀みだぶつととなへてほうじまうす念仏ねんぶつなりとこころうべきなり」 とねんごろにかたりたまひしかば、

この女人にょにんたち、 そのほかのひと、 もうされけるは、 「まことにわれらが*こんにかなひたる弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんにてましましそうろふをも、 いままでしんじまゐらせそうらはぬことのあさましさ、 もうすばかりもそうらはず。 いまよりのちは一向いっこう弥陀みだをたのみまゐらせて、 ふたごころなく一念いちねんにわがおうじょう如来にょらいのかたよりおんたすけありけりとしんじたてまつりて、 そののちの念仏ねんぶつは、 仏恩ぶっとん報謝ほうしゃ称名しょうみょうなりとこころえそうろふべきなり。 かかる思議しぎ*宿しゅくえんにあひまゐらせて、 *しゅしょうほうをききまゐらせそうろふことのありがたさたふとさ、 *なかなかもうすばかりもなくおぼえはんべるなり。 いまははやいとまもうなり」 とて、 なみだをうかめて、 みなみなかへりにけり。

あなかしこ、 あなかしこ。

文明第四の暦 文明四年 (1472)。 蓮如上人五十八歳。
弥生 陰暦三月の別称。
さもありぬらんとみえつる 身分が高いと見受けられた。
一宇の坊舎 一軒の僧坊。
おもしろき すばらしい。
越後 現在の新潟県。
信濃 現在の長野県。
出羽 現在の山形県、 秋田県。
奥州 現在の福島県、 宮城県、 岩手県、 青森県。
きこえかくれなし うわさが広く知れわたっている。
山中のひと 吉崎よしざきの僧侶のこと。
たつてもゐても 立ってもすわっても。
はや すでに。
殊勝の法 とくにすぐれた教え。 阿弥陀如来の本願をいう。
なかなか 容易には。 とても。

  文明ぶんめいねん八月はちがつじゅうにち

(8) 吉崎建立章

 ^*文明ぶんめい第三だいさん*しょ上旬じょうじゅんのころより、 *ごうしゅうがのこおりおお*三井みいでらのみなみ別所べっしょへんより、 なにとなく*ふとしのびいででて、 越前えちぜん加賀かが諸所しょしょ経回けいがいせしめをはりぬ。

^よつて当国とうごくほそぎのごうのうち吉崎よしざきといふこの在所ざいしょ、 すぐれておもしろきあひだ、 年来ねんらいろうのすみなれしこのさんちゅうをひきたひらげて、 七月しちがつじゅう七日しちにちよりかたのごとくいちこんりゅうして昨日きのう今日きょうぎゆくほどに、 はや三年さんねん春秋しゅんじゅうおくりけり。

^さるほどに道俗どうぞく男女なんにょくんじゅうせしむといへども、 *さらになにへんともなきていなるあひだ、 当年とうねんより諸人しょにん出入しゅつにゅうをとどむるこころは、 この在所ざいしょきょじゅうせしむる*根元こんげんはなにごとぞなれば、 そもそも*人界にんがいしょうをうけてあひがたき仏法ぶっぽうにすでにあへるが、 *いたづらにむなしく*らくしずまんは、 まことにもつて*あさましきことにはあらずや。

^しかるあひだ念仏ねんぶつ信心しんじんけつじょうして極楽ごくらくおうじょうをとげんとおもはざらん人々ひとびとは、 なにしにこの在所ざいしょらいじゅうせんこと、 かなふべからざるよしの*成敗せいばいをくはへをはりぬ。 これひとへに*みょうもん*ようほんとせず、 ただ*しょう*だいをこととするがゆゑなり。

^しかれば、 見聞けんもん諸人しょにん*へんじゅうをなすことなかれ。

^あなかしこ、 あなかしこ。

文明第三 1471年。 蓮如上人五十七歳。
江州志賀郡大津 現在の滋賀県大津市。
三井寺南別所辺 三井寺はおんじょうの通称。 南別所は同寺五別所の一つ近松寺のこと。 寛正6年 (1465)、 えんりゃくの衆徒によって大谷本願寺が破却された後、 蓮如上人はこの近松寺の傍に御坊 (後の顕証寺。 現在の近松ちかまつ別院べついんの起源) を建て親鸞聖人の御影を安置した。
ふと 急に。
さらになにへんともなき体 全く何のかいもないようす。
根元 理由。
捺落 梵語ナラカ (naraka) の音写。 ごくのこと。
あさましきこと なげかわしいこと。
成敗 処置すること。 裁定をくだすこと。 制法を執り行うこと。 ここでは諸人の出入りを止めたこと。
偏執 自分の考えに固執すること。

  文明ぶんめいねんがつ にち

(9) 物忌章

id="l1096-5" そもそも、 *とうしゅうを、 むかしよりひとこぞりて*をかしくきたなきしゅうもうすなり。 これまことにどうのさすところなり。

そのゆゑは、 とうりゅう人数にんじゅのなかにおいて、 あるいは*もんしゅうたいしてはばかりなくわがいえもうしあらはせるいはれなり。 これおほきなるあやまりなり。 それ、 とうりゅうおきてをまもるといふは、 わがりゅうつたふるところのをしかと内心ないしんにたくはへて、 そうにそのいろをあらはさぬを、 よくものにこころえたるひととはいふなり。

しかるに当世とうせいはわがしゅうのことを、 もんしゅうにむかひて、 その*しんしゃくもなく*りょう沙汰さたするによりて、 とうりゅうひと*あさまにおもふなり。 かやうにこころえのわろきひとのあるによりて、 とうりゅうをきたなくいまはしきしゅうひとおもへり。 さらにもつてこれはにんわろきにはあらず、 りゅうひとわろきによるなりとこころうべし。

つぎに*ぶっといふことは、 わがりゅうには仏法ぶっぽうについて*ものいまはぬといへることなり。 しゅうにも*ぼうにもたいしては、 などかものをいまざらんや。 しゅうもんにむかひてはもとよりいむべきこと勿論もちろんなり。 またよそのひとものいむといひてそしることあるべからず。

しかりといへども、 仏法ぶっぽうしゅぎょうせんひとは、 念仏ねんぶつしゃにかぎらず、 もの*さのみいむべからずと、 あきらかにしょきょうもんにもあまたみえたり。

まづ ¬*はんぎょう¼ (梵行品) にのたまはく、 「如来にょらいほうちゅう無有むうせんじゃく吉日きちにちりょうしん」 といへり。 このもんのこころは、 「如来にょらいほうのなかに*吉日きちにちりょうしんをえらぶことなし」 となり。

また ¬*般舟はんじゅきょう¼ にのたまはく、 「優婆うばもん三昧さんまいよくがくしゃ みょうぶつみょうほうみょう比丘びくそう↡ とくどうとくはいてんとくじんとくきちりょうにち↡」 といへり。 このもんのこころは、 「*優婆うばこの*三昧さんまいきてまなばんとほっせんものは、 みづからぶつみょうし、 ほうみょうせよ、 *比丘びくそうみょうせよ、 *どうつかふることをざれ、 てんはいすることをざれ、 *じんまつることをざれ、 きちりょうにちることをざれ」 といへり。

かくのごとくのきょうもんどもこれありといへども、 この*ぶんいだすなり。 ことに念仏ねんぶつぎょうじゃはかれらにつかふべからざるやうにみえたり。 よくよくこころうべし。

あなかしこ、 あなかしこ。

当宗 浄土真宗を指す。
をかしくきたなき宗 物忌ものいみをしない浄土真宗を非難していう。
他門他宗 浄土真宗以外をいう。 他門は浄土門内の西せいざん鎮西ちんぜい等の諸流、 他宗はしょうどうもん諸宗。
斟酌 さしひかえること。 はばかること。
あさまに 浅薄に。 あさはかに。
物忌 ものいみ。 死、 出産、 血などをけがれとしていみさけること。 特に祭事の前、 一定期間穢事とされることをさけて別火生活をすること。
ものいまはぬ 物忌ものいみをしない。
公方 幕府。
吉日良辰 よい日、 よい星回り。 事を行うのによい日、 よい時。
余道 仏教以外の教え。
 一部分。

  文明ぶんめいねんがつ にち

(10) 当山多屋内方章

 そもそも、 吉崎よしざき当山とうざんにおいて*多屋たやぼうたち*内方ないほうとならんひとは、 まことにせん宿しゅくえんあさからぬゆゑとおもひはんべるべきなり。 それもしょういちだいとおもひ、 信心しんじんけつじょうしたらんにとりてのうへのことなり。 しかれば、 内方ないほうとならんひとびとは、 *あひかまへて信心しんじんをよくよくとらるべし。

それ、 まづとうりゅう安心あんじんもうすことは、 おほよそ*じょういっのうちにおいて、 あひかはりてことにすぐれたるいはれあるがゆゑに、 りきだい信心しんじんもうすなり。 さればこの信心しんじんをえたるひとは、 じゅうにんじゅうにんながらひゃくにんひゃくにんながら、 こんおうじょういちじょうなりとこころうべきものなり。 その安心あんじんもうすは、 いかやうにこころうべきことやらん、 くはしくもしりはんべらざるなり。

浄土一家 浄土往生を説いた法然ほうねん上人の流れを汲む一門。

 こたへていはく、 まことにこのしん肝要かんようのことなり。 おほよそとうりゅう信心しんじんをとるべきおもむきは、 まづ*わが女人にょにんなれば、 つみふかきしょうさんしょうとてあさましきにて、 すでに十方じっぽう如来にょらい*さん諸仏しょぶつにもすてられたる女人にょにんなりけるを、 かたじけなくも弥陀みだ如来にょらいひとりかかるをすくはんとちかひたまひて、 すでに*じゅうはちがんをおこしたまへり。 そのうち*だいじゅうはちがんにおいて、 一切いっさい悪人あくにん女人にょにんをたすけたまへるうへに、 なほ女人にょにんつみふかくうたがいのこころふかきによりて、 またかさねて第三だいさんじゅうがんになほ*女人にょにんをたすけんといへるがんをおこしたまへるなり。 かかる弥陀みだ如来にょらいろうありつるおんのかたじけなさよと、 ふかくおもふべきなり。

わが身は女人なれば… →補註14

 うていはく、 さてかやうに弥陀みだ如来にょらいのわれらごときのものをすくはんと、 たびたびがんをおこしたまへることのありがたさを*こころえわけまゐらせそうらひぬるについて、 *なにとやうにをもちて、 弥陀みだをたのみまゐらせそうらはんずるやらん、 くはしくしめしたまふべきなり。

こころえわけ 「こころえわく」 は明確に理解すること。 了解してわきまえること。
なにとやうに機を… 救いの対象である人や人のきょうがいをどのように心得て。

 こたへていはく、 信心しんじんをとり弥陀みだをたのまんとおもひたまはば、 まづ*人間にんげんはただゆめまぼろしのあひだのことなり、 しょうこそまことに*ようしょうらっなりと*おもひとりて人間にんげんじゅうねんひゃくねんのうちのたのしみなり、 しょうこそいちだいなりとおもひて、 もろもろのぞうぎょうをこのむこころをすて、 あるいはまた、 もののいまはしくおもふこころをもすて、 *一心いっしん一向いっこう弥陀みだをたのみたてまつりて、 そのほかぶつさつ諸神しょじんとうにもこころをかけずして、 ただひとすぢに弥陀みだして、 このたびのおうじょうじょうなるべしとおもはば、 そのありがたさのあまり念仏ねんぶつもうして、 弥陀みだ如来にょらいのわれらをたすけたまふおんほうじたてまつるべきなり。

れを信心しんじんをえたる多屋たやぼうたち内方ないほうのすがたとはもうすべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

おもひとりて 十分に理解して。 心に思い定めて。

  文明ぶんめいねんがつじゅう一日いちにち

(11) 電光朝露章

 それおもんみれば、 人間にんげんはただ*電光でんこうちょうゆめまぼろしのあひだのたのしみぞかし。 たとひまたえい栄耀えいようにふけりて、 おもふさまのことなりといふとも、 それはただじゅうねんないひゃくねんのうちのことなり。 もしただいまもじょうかぜきたりてさそひなば、 いかなるびょうにあひてかむなしくなりなんや。 まことにせんときは、 かねて*たのみおきつるさい財宝ざいほうも、 わがにはひとつもあひそふことあるべからず。 されば死出しでやまのすゑ、 *さんたいをばただひとりこそゆきなんずれ。

これによりて、 ただふかくねがふべきはしょうなり、 またたのむべきは弥陀みだ如来にょらいなり、 信心しんじんけつじょうしてまゐるべきは*あんにょうじょうなりとおもふべきなり。 これについてちかごろは、 このほう念仏ねんぶつしゃぼうたち仏法ぶっぽうだいもつてのほかそうす。

そのゆゑは、 *もんのかたよりものをとるをよき弟子でしといひ、 これを信心しんじんのひとといへり。 これおほきなるあやまりなり。 また弟子でしぼうにものをだにもおほくまゐらせば、 わがちからかなはずとも、 ぼうのちからにてたすかるべきやうにおもへり。 これもあやまりなり。 かくのごとくぼうもんのあひだにおいて、 さらにとうりゅう信心しんじんのこころえのぶんはひとつもなし。 まことにあさましや。 弟子でしともに極楽ごくらくにはおうじょうせずして、 むなしくごくにおちんことはうたがいなし。 なげきてもなほあまりあり、 かなしみてもなほふかくかなしむべし。

しかれば、 今日こんにちよりのちは、 りきだい信心しんじんだいをよくぞんしたらんひとにあひたづねて、 信心しんじんけつじょうして、 その信心しんじんのおもむきを弟子でしにもをしへて、 もろともにこんいちだいおうじょうをよくよくとぐべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

たのみおきつる あてにしていた。
門徒のかたより… 物とり安心あんじんとかもつだのみといわれる異義を指す。

  文明ぶんめいねんがつ中旬ちゅうじゅん

(12) 年来超勝寺章

 *そもそも、 年来ねんらい*超勝ちょうしょうもんにおいて、 仏法ぶっぽうだいもつてのほかそうせり。

そのいはれは、 まづ*しゅとてこれあり。 いかにもその*じょうにあがりて、 さかづきなんどまでもひとよりさきにみ、 ちゅうのひとにもまたそのほかたれたれにも、 *いみじくおもはれんずるが、 まことに仏法ぶっぽう肝要かんようたるやうにしんちゅうにこころえおきたり。 これさらにおうじょう極楽ごくらくのためにあらず、 ただけんみょうもんたり。

しかるにとうりゅうにおいて*毎月まいがつ会合かいごうらいはなにのようぞなれば、 ざい無智むちをもつて、 いたづらにくらし、 いたづらにあかして、 *いちはむなしくぎて、 つひにさんしずまんが、 一月いちがついちなりとも、 せめて念仏ねんぶつしゅぎょう人数にんじゅばかり*どうじょうにあつまりて、 わが信心しんじんは、 ひとの信心しんじんは、 いかがあるらんといふ信心しんじん沙汰ざたをすべきよう会合かいごうなるを、 ちかごろはその信心しんじんといふことはかつて是非ぜひ沙汰さたにおよばざるあひだ、 ごんどうだんあさましきだいなり。

所詮しょせん*こん以後いごは、 かたく会合かいごうちゅうにおいて信心しんじん沙汰さたをすべきものなり。 これ真実しんじつおうじょう極楽ごくらくをとぐべきいはれなるがゆゑなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

そもそも 右傍に 「これは超勝寺にて」 と註記する異本がある。
座衆 座主 (講の中心人物) とする説、 講の中の特定の人々とする説などがある。
座上 上席。
いみじく 大変立派に。
毎月の会合 毎月、 定められた日に門徒が集まり、 こうと呼ばれる会合が開かれた。

  文明ぶんめいねんがつじゅん

(13) 此方十劫邪義章

 ^*そもそも、 ちかごろは、 このほう念仏ねんぶつしゃのなかにおいて、 *思議しぎみょうごんをつかひて、 これこそ信心しんじんをえたるすがたよといひて、 しかもわれはとうりゅう信心しんじんをよくがお*ていしんちゅうにこころえおきたり。

^そのことばにいはく、 「*十劫じっこうしょうがくのはじめより、 われらがおうじょうさだめたまへる弥陀みだおんをわすれぬが信心しんじん」 といへり。 これおほきなるあやまりなり。 *そも弥陀みだ如来にょらいしょうがくたまへるいはれをしりたりといふとも、 われらがおうじょうすべきりき信心しんじんといふいはれをしらずは、 いたづらごとなり。

^しかれば、 *きょうこうにおいては、 まづとうりゅう真実しんじつ信心しんじんといふことをよくよくぞんすべきなり。

その信心しんじんといふは、 ¬だいきょう¼ には*三信さんしんき、 ¬*かんぎょう¼ には*三心さんしんといひ、 ¬*弥陀みだきょう¼ には*一心いっしんとあらはせり。

^さんぎょうともにそのかはりたりといへども、 そのこころはただりき一心いっしんをあらはせるこころなり。

^されば信心しんじんといへるそのすがたはいかやうなることぞといへば、 まづもろもろのぞうぎょうをさしおきて、 一向いっこう弥陀みだ如来にょらいをたのみたてまつりて、 *自余じよ一切いっさい諸神しょじん諸仏しょぶつとうにもこころをかけず、 一心いっしんにもつぱら弥陀みだみょうせば、 如来にょらいこうみょうをもつてその摂取せっしゅしててたまふべからず。 これすなはちわれらが一念いちねん信心しんじんけつじょうしたるすがたなり。

^かくのごとくこころえてののちは、 弥陀みだ如来にょらいりき信心しんじんをわれらにあたへたまへるおんほうじたてまつる念仏ねんぶつなりとこころうべし。

^これをもつて信心しんじんけつじょうしたる念仏ねんぶつぎょうじゃとはもうすべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

そもそも 右傍に 「これも超勝寺にて」 と註記する異本がある。
不思議の名言 正しい根拠のないあやしげな言葉や文句。
 ようす。 ありさま。
十劫正覚の… 時宗等の影響を受けた十劫じっこう秘事ひじ (十劫安心あんじん) の異義に対する批判。 十劫のむかし阿弥陀仏が正覚成就し、 しゅじょうの往生を定めたと知ることを信であると主張するのは、 自力ぞうぎょうをすてて他力をたのむはいりゅうの信心が欠けていると批判する。
そも それにしても。 そもそも。

  文明ぶんめいだいがつじゅんのころこれを云々うんぬん

(14) 誡誹謗章

 *そもそも、 とうりゅう念仏ねんぶつしゃのなかにおいて、 *諸法しょほう*ほうすべからず。 まづえっちゅう加賀かがならば、 *立山たてやま*白山しらやまそのほかしょ山寺やまでらなり。 越前えちぜんならば、 *平泉へいせん*豊原とよはらとうなり。

されば ¬きょう¼ (大経) にも、 すでに 「ゆいじょぎゃくほうしょうぼう」 とこそこれをいましめられたり。 これによりて、 念仏ねんぶつしゃはことにしょしゅうほうずべからざるものなり。

またしょうどうしょしゅう学者がくしゃたちも、 あながちに念仏ねんぶつしゃをばほうずべからずとみえたり。 そのいはれは、 きょうしゃくともにそのもんこれおほしといへども、 まづ*はっしゅう祖師そしりゅうじゅさつの ¬ろん¼ (*大智度論) にふかくこれをいましめられたり。 そのもんにいはく、 「*ほう愛染あいぜん 毀呰きしにんぼう すいかいぎょうにん めんごく」 といへり。

かくのごとくの論判ろんぱんぶんみょうなるときは、 いづれも仏説ぶっせつなり。 あやまりてほうずることなかれ。 それ、 みないっしゅういっしゅうのことなれば、 わがたのまぬばかりにてこそあるべけれ。 ことさらとうりゅうのなかにおいて、 なにの分別ふんべつもなきもの、 しゅうをそしること*勿体もったいなきだいなり。 *あひかまへてあひかまへて、 *一所いっしょぼうぶんたるひとは、 この成敗せいばいをかたくいたすべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

諸法 諸宗の教え。
立山 富山県南部にある山で、 修験道の霊場。
白山 石川・岐阜両県境にある山で、 修験道の霊場。
平泉寺 福井県勝山市にあった天台てんだいしゅうの寺で、 白山の別当寺。
豊原寺 福井県坂井郡丸岡町にあった天台宗の寺で白山の別当寺。
八宗の祖師 龍樹菩薩の教学は広く諸宗の基礎となっているので、 このようにいう。 →はっしゅう
自法愛染故… 「みづからの法を愛染するがゆゑに他人の法を毀呰きしすれば、 戒行を持つ人なりといへども地獄の苦を免れず」
勿体なき もってのほか。
一所の坊主分 一つの道場寺院を支配する僧侶。

  文明ぶんめいねんがつじゅん

(15) 宗名章

 うていはく、 とうりゅうをみなけん流布るふして、 *一向いっこうしゅうとなづけそうろふは、 いかやうなるさいにてそうろふやらん、 しんにおぼえそうろふ。

 こたへていはく、 あながちにわがりゅう一向いっこうしゅうとなのることは、 *べっして祖師そし (親鸞)さだめられず。 おほよそ弥陀みだぶつ一向いっこうにたのむによりて、 みなひともうしなすゆゑなり。 しかりといへども、 きょうもん (大経・下) に 「一向いっこう専念せんねんりょう寿じゅぶつ」 ときたまふゆゑに、 一向いっこうりょう寿じゅぶつねんぜよといへるこころなるときは、 一向いっこうしゅうもうしたるもさいなし。

さりながら*開山かいさん (親鸞) はこのしゅうをば*じょうしんしゅうとこそさだめたまへり。 されば一向いっこうしゅうといふみょうごんは、 さらにほんしゅうよりもうさぬなりとしるべし。 されば*自余じよ*じょうしゅうはもろもろのぞうぎょうをゆるす。 わがしょうにん (親鸞)ぞうぎょうをえらびたまふ。 このゆゑに*真実しんじつほうおうじょうをとぐるなり。 このいはれあるがゆゑに、 べっしてしんれたまふなり。

別して 特別に。
自余の浄土宗 法然ほうねん上人の流れを汲む宗派のうち浄土真宗以外のもの。 西山せいざん流・鎮西ちんぜい流・ぼん流・ちょうらく流などを指す。

 またのたまはく、 とうしゅうをすでにじょうしんしゅうとなづけられそうろふことはぶんみょうにきこえぬ。 しかるにこの*しゅうていにてざいつみふかき*あくぎゃくなりといふとも、 弥陀みだ願力がんりきにすがりてたやすく極楽ごくらくおうじょうすべきやう、 くはしくうけたまわりはんべらんとおもふなり。

 こたへていはく、 とうりゅうのおもむきは、 信心しんじんけつじょうしぬればかならず真実しんじつほうおうじょうをとぐべきなり。 さればその信心しんじんといふはいかやうなることぞといへば、 なにの*わづらひもなく、 弥陀みだ如来にょらい一心いっしんにたのみたてまつりて、 そのぶつさつとうにもこころをかけずして、 一向いっこうにふたごころなく弥陀みだしんずるばかりなり。 これをもつて信心しんじんけつじょうとはもうすものなり。

信心しんじんといへる二字にじをば、 まことのこころとよめるなり。 まことのこころといふは、 ぎょうじゃのわろき*りきのこころにてはたすからず、 如来にょらいりきのよきこころにてたすかるがゆゑに、 まことのこころとはもうすなり。

またみょうごうをもつてなにのこころえもなくして、 ただとなへてはたすからざるなり。 されば ¬きょう¼ (大経・下) には、 「もんみょうごう 信心しんじんかん」 とけり。 「そのみょうごうく」 といへるは、 南無なも弥陀みだぶつろくみょうごう*みょうじつにきくにあらず。 *ぜんしきにあひてそのをしへをうけて、 この南無なも弥陀みだぶつみょうごう南無なもとたのめば、 かならず弥陀みだぶつのたすけたまふといふどうなり。 これを ¬きょう¼ に 「信心しんじんかん」 とかれたり。 これによりて、 南無なも弥陀みだぶつたいは、 われらをたすけたまへるすがたぞとこころうべきなり

かやうにこころえてのちは、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがくちにとなふる称名しょうみょうをば、 ただ弥陀みだにょらいのたすけましますおんほうじたてまつる念仏ねんぶつぞとこころうべし。 これをもつて信心しんじんけつじょうして極楽ごくらくおうじょうするりき念仏ねんぶつぎょうじゃとはもうすべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

無名無実に 実質のともなわないこと。 ここでは、 名号の実義を心にかけないこと。

 文明ぶんめいだいがつじゅんだいにち*みのこくいたりてしゅうやまなかとううちにこれをあつめをはりぬ。

巳剋 午前十時頃。

                          しゃく*しょうにょ(花押)

 

 二 帖

(1) 御さらへ章

 そもそも、 こん*いちしちにち*報恩ほうおんこうのあひだにおいて、 *多屋たや*内方ないほうもそのほかのひとも、 たいりゃく*信心しんじんけつじょうしたまへるよしきこえたり。 *めでたく本望ほんもうこれにすぐべからず。

さりながら、 そのままうちすてそうらへば、 信心しんじんもうせそうろふべし。 *細々さいさい信心しんじんみぞをさらへて、 *弥陀みだ法水ほうすいながといへることありげにそうろふ。

それについて、 *女人にょにん*十方じっぽう*さん*諸仏しょぶつにもすてられたるにてそうろふを、 *弥陀みだにょらいなればこそ、 かたじけなくもたすけましましそうらへ。

そのゆゑは、 女人にょにんはいかに*真実しんじつしんになりたりといふとも、 うたがいこころはふかくして、 またものなんどのいまはしくおもふこころはさらにせがたくおぼえそうろふ。 ことに*ざいは、 *せいにつけ、 またそんなんどのことに*よそへても、 ただこんじょうにのみふけりて、 これほどに、 はやにみえて*あだなる人間にんげんかい*ろうしょうじょうのさかひとしりながら、 ただいま*さん*八難はちなんしずまんことをば、 つゆちりほどもこころにかけずして、 いたづらにあかしくらすは、 これつねのひとのならひなり。 *あさましといふも*おろかなり。

これによりて、 *一心いっしん一向いっこう弥陀みだ一仏いちぶつ*がんして、 ふかくたのみたてまつりて、 もろもろの*ぞうぎょうしゅするこころをすて、 また諸神しょじん諸仏しょぶつついしょうもうこころをもみなうちすてて、 さて弥陀みだ如来にょらいもうすは、 かかるわれらごときのあさましき女人にょにんのためにおこしたまへる本願ほんがんなれば、 まことに*ぶっ思議しぎしんじて、 わがはわろき*いたづらものなりとおもひつめて、 ふかく如来にょらい*にゅうするこころをもつべし。

さてこのしんずるこころねんずるこころも、 弥陀みだ如来にょらい*方便ほうべんよりおこさしむるものなりとおもふべし。 かやうにこころうるを、 すなはち*りき信心しんじんをえたるひととはいふなり。 またこのくらいを、 あるいは*正定しょうじょうじゅじゅうすとも、 *めついたるとも、 *とうしょうがくいたるとも、 *ろくにひとしとももうすなり。 またこれを*一念いちねんぽっ*おうじょうさだまりたるひととももうすなり。

かくのごとくこころえてのうへの*称名しょうみょう念仏ねんぶつは、 弥陀みだ如来にょらいのわれらがおうじょうをやすくさだめたまへる、 そのおんうれしさのおんほうじたてまつる念仏ねんぶつなりとこころうべきものなり。

*あなかしこ、 あなかしこ。

一七箇日 満七昼夜。 報恩講の行われる期間。
めでたく 結構なことで。
細々に しばしば。 たびたび。
女人の身は… →補註14
諸仏にもすてられたる 諸仏の本願に女人成仏の願がないので、 このようにいう。 →補註14
世路 生計の道。
よそへても つけても。
帰入 みょうに同じ。

 これについて、 まづ*とうりゅうおきてをよくよくまもらせたまふべし。 そのいはれは、 *あひかまへていまのごとく信心しんじんのとほりをこころえたまはば、 しんちゅうにふかくをさめおきて、 しゅうにんたいしてそのふるまひをみせずして、 また信心しんじんのやうをもかたるべからず。 一切いっさい諸神しょじんなんどをもわがしんぜぬまでなり、 *おろかにすべからず。

かくのごとく信心しんじんのかたもそのふるまひもよきひとをば、 しょうにん (親鸞) も 「よくこころえたる信心しんじんぎょうじゃなり」 とおおせられたり。 ただふかくこころをば仏法ぶっぽうにとどむべきなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

おろかに 疎かに。 いいかげんに。

 *文明ぶんめいだいじゅうがつようかのひこれをきて*当山とうざん多屋たや内方ないほうへまゐらせそうろふ。 このほかなほなほしんのことそうらはば、 かさねてはせたまふべくそうろふ。

文明第五 1473年。
当山 吉崎よしざき御坊のこと。

                     *所送しょそう寒暑かんしょ *じゅうさい 御判

所送寒暑 寒暑 (冬と夏のことで、 一年の意) を送るところ。
五十九歳 底本に 「五十八歳」 とあるのを改めた。

  のちののしるしのためにかきおきし *のりのことのかたみともなれ

のりのことの葉 教えの言葉の意。

(2) 出立章

 そもそも、 *開山かいさんしょうにん (親鸞)*いちりゅうには、 それ*信心しんじんといふことをもつてさきとせられたり。

その信心しんじんといふはなにのようぞといふに、 *ぜん造悪ぞうあくのわれらがやうなるあさましき*ぼんが、 たやすく弥陀みだ*じょうへまゐりなんずるための*たちなり。 この信心しんじん*ぎゃくとくせずは*極楽ごくらくにはおうじょうせずして、 *けんごくざいすべきものなり。

これによりて、 その信心しんじんをとらんずるやうはいかんといふに、 それ弥陀みだ如来にょらい一仏いちぶつをふかくたのみたてまつりて、 *自余じよ*諸善しょぜんまんぎょうにこころをかけず、 また諸神しょじんしょさつにおいて、 *こんじょうのいのりをのみなせるこころをうしなひ、 またわろき*りきなんどいふ*ひがおもひをもなげすてて、 弥陀みだ一心いっしん一向いっこう*しんぎょうしてふたごころのなきひとを、 弥陀みだはかならず*へんじょうこうみょうをもつて、 そのひと*摂取せっしゅしててたまはざるものなり。

かやうにしんをとるうへには、 ねてもおきてもつねにもう念仏ねんぶつは、 かの弥陀みだのわれらをたすけたまふおんほうじたてまつる念仏ねんぶつなりとこころうべし。 かやうにこころえたるひとをこそ、 まことにとうりゅう信心しんじんをよくとりたるしょうとはいふべきものなり。 このほかになほ信心しんじんといふことのありといふひとこれあらば、 おほきなるあやまりなり。 すべて*しょういんすべからざるものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

無善造悪 ぜんぎょう善根ぜんごんがなく悪のみを行うという意。
出立 用意。 したく。
今生のいのり 利己的なげんやくがんすること。
ひがおもひ 誤った考え。 間違った思い。
承引 聞きいれること。 同意すること。

 いまこのふみにしるすところのおもむきは、 とうりゅう親鸞しんらんしょうにんすすめたまへる信心しんじんしょうなり。 このぶんをよくよくこころえたらん人々ひとびとは、 *あひかまへてしゅうにんたいしてこの信心しんじんのやうを沙汰さたすべからず。 また自余じよ一切いっさいぶつさつならびに諸神しょじんとうをもわがしんぜぬばかりなり。 *あながちにこれをかろしむべからず。 これまことに弥陀みだ一仏いちぶつどくのうちに、 みな一切いっさい諸神しょじんはこもれりとおもふべきものなり。 そうじて一切いっさい*諸法しょほうにおいてそしりをなすべからず。 これをもつてとうりゅうおきてをよくまもれるひととなづくべし。

さればしょうにんのいはく、 「たとひ*うし盗人ぬすびととはいはるとも、 もしは*後世ごせしゃ、 もしは善人ぜんにん、 もしは仏法ぶっぽうしゃとみゆるやうにふるまふべからず」 (*改邪鈔) とこそおおせられたり。 このむねをよくよくこころえて念仏ねんぶつをばしゅぎょうすべきものなり。

  文明ぶんめいだいじゅうがつじゅうにちのこれをく。

(3) 神明三ヶ条章

 それ、 とうりゅう開山かいさんしょうにん (親鸞) のひろめたまふところのいちりゅうのなかにおいて、 みな*かんをいたすにそのどうこれあるあひだ、 所詮しょせん*きょうこうは、 当山とうざん多屋たや*ぼう以下いげそのほか一巻いっかん*聖教しょうぎょうまんひとも、 またらいじゅう面々めんめんも、 各々かくかくとうもん*そのをかけんともがらまでも、 このさんじょう*篇目へんもくをもつてこれをぞんせしめて、 *こん以後いご、 その*成敗せいばいをいたすべきものなり。

その名をかけんともがら 門徒としてその名をつらねる人々。
篇目 一つ一つの箇条。 項目。 題目。

 一 諸法しょほうしょしゅうともにこれを*ほうすべからず。

 一 諸神しょじん諸仏しょぶつさつをかろしむべからず。

 一 信心しんじんをとらしめて*ほうおうじょうをとぐべきこと

 みぎこのさんじょうむねをまもりて、 ふかく心底しんていにたくはへて、 これをもつてほんとせざらん人々ひとびとにおいては、 この当山とうざん出入しゅつにゅうちょうすべきものなり。

そもそも、 *さんぬる*文明ぶんめい第三だいさんれき*ちゅうのころより*らくでて、 おなじきとし七月しちがつじゅんこう、 すでにこの当山とうざんふうあらき在所ざいしょ草庵そうあんをしめて、 この四箇しかねんのあひだきょじゅうせしむる*根元こんげんは、 べつさいにあらず。 このさんじょうのすがたをもつて、 かの北国ほっこくちゅうにおいて、 とうりゅう信心しんじんけつじょうのひとを、 おなじく*いち安心あんじんになさんがためのゆゑに、 今日こんにちこんまで*堪忍かんにんせしむるところなり。 よつてこのおもむきをもつてこれを信用しんようせば、 まことにこの年月としつき在国ざいこくほんたるべきものなり。

さんぬる さきの。 過ぎさった。
文明第三 1471年。 蓮如上人五十七歳。
根元 理由。
一味の安心 阿弥陀仏よりひとしくこうされた安心あんじんであるから、 人に応じてその内容が異なることなく同一であること。 他力の信心の平等であること。
堪忍 たえしのぶこと。

 一 *神明しんめいもうすは、 それ仏法ぶっぽうにおいてしんもなき*しゅじょうのむなしく*ごくにおちんことをかなしみおぼしめして、 これをなにとしてもすくはんがために、 かりかみとあらはれて、 いささかなるえんをもつて、 それをたよりとして、 つひに仏法ぶっぽうにすすめれしめんための方便ほうべんに、 かみとはあらはれたまふなり。

しかれば、 いまときしゅじょうにおいて、 弥陀みだをたのみ信心しんじんけつじょうして念仏ねんぶつもうし、 極楽ごくらくおうじょうすべきとなりなば、 一切いっさい神明しんめいは、 かへりてわが本懐ほんがいとおぼしめしてよろこびたまひて、 念仏ねんぶつぎょうじゃしゅしたまふべきあひだ、 *とりわきかみをあがめねども、 ただ弥陀みだ一仏いちぶつをたのむうちにみなこもれるがゆゑに、 べっしてたのまざれどもしんずるいはれのあるがゆゑなり。

とりわき 特別に。

 一 とうりゅうのなかにおいて、 諸法しょほうしょしゅうほうすることしかるべからず。 いづれもしゃ一代いちだいせっきょうなれば、 *如説にょせつしゅぎょうせばそのやくあるべし。 さりながら*末代まつだいわれらごときの*ざいじゅうは、 しょうどうしょしゅうきょうにおよばねば、 それをわがたのまず、 しんぜぬばかりなり。

如説に 説かれた通りに。

 一 諸仏しょぶつさつもうすことは、 それ弥陀みだ如来にょらい分身ぶんしんなれば、 十方じっぽう諸仏しょぶつのためには*ほん*本仏ほんぶつなるがゆゑに弥陀みだ一仏いちぶつしたてまつれば、 すなはち諸仏しょぶつさつするいはれあるがゆゑに、 弥陀みだ一体いったいのうちに諸仏しょぶつさつはみなことごとくこもれるなり。

 一 開山かいさん親鸞しんらんしょうにんのすすめましますところの弥陀みだ如来にょらいりき*真実しんじつ信心しんじんといふは、 もろもろのぞうぎょうをすてて*専修せんじゅ*専念せんねん*一向いっこう一心いっしん弥陀みだ*みょうするをもつて、 *本願ほんがんしんぎょうする*たいとす。 されば*先達せんだつよりうけたまわりつたへしがごとく、 弥陀みだ如来にょらい真実しんじつ信心しんじんをば、 いくたびもりきよりさづけらるるところのぶっ思議しぎなりとこころえて、 *一念いちねんをもつてはおうじょう*じょう*こくさだめて、 そのときのいのちのぶればねん*ねんにおよぶどうなり。

これによりて、 平生へいぜいのとき一念いちねんおうじょうじょうのうへの*仏恩ぶっとん報尽ほうじんねん*称名しょうみょう*ならふところなり。 しかれば、 祖師そししょうにん (親鸞) 相伝そうでんいちりゅう肝要かんようは、 ただこの信心しんじんひとつにかぎれり。 これをしらざるをもつて*もんとし、 これをしれるをもつて*しんしゅうのしるしとす。 そのほかかならずしもそうにおいてとうりゅう念仏ねんぶつしゃのすがたをにんたいしてあらはすべからず。 これをもつてしんしゅう信心しんじんをえたるぎょうじゃのふるまひの*しょうほんとなづくべきところ*くだんのごとし。

先達 その道の先輩。 第二代如信にょしん上人より第七代存如ぞんにょ上人までをいう。
時剋 とき。
他念 信心けつじょう以後の念々相続の念仏のこと。
ならふ そうじょうする。 うけたまわる。
他門 浄土門内の西山せいざん鎮西ちんぜい等の異流を指す。
正本 正しいよりどころ。
件のごとし 文書や書状などの末尾に記す慣用語。 前述の通りである。 右の通りである。

  *文明ぶんめい六年ろくねんきのえうましょうがつじゅう一日いちにちこれをく。

文明六年 1474年。 蓮如上人六十歳。

(4) 横截五悪趣章

 ^それ、 弥陀みだ如来にょらい*しょう本願ほんがんもうすは、 *末代まつだいじょく造悪ぞうあくぜんのわれらごときのぼんのためにおこしたまへるじょう誓願せいがんなるがゆゑなり。

^しかれば、 これをなにとやうにこころをももち、 なにとやうに弥陀みだしんじて、 かのじょうへはおうじょうすべきやらん、 さらにその分別ふんべつなし。 くはしくこれををしへたまふべし。

超世 諸仏の本願に超え優れていること。
末代濁世 末法まっぽうじょくの世。

 ^こたへていはく、 末代まつだいいまときしゅじょうは、 ただひとすぢに弥陀みだ如来にょらいをたのみたてまつりて、 ぶつさつとうをもならべてしんぜねども、 一心いっしん一向いっこう弥陀みだ一仏いちぶつみょうするしゅじょうをば、 いかに*つみふかくともぶつ*だいだいをもつてすくはんとちかひたまひて、 だいこうみょうはなちて、 そのこうみょうのうちにおさりましますゆゑに、 このこころを ¬きょう¼ (*観経) には、 「こうみょうへんじょう 十方じっぽうかい 念仏ねんぶつしゅじょう 摂取せっしゅしゃ」 ときたまへり。

^されば*どう*六道ろくどうといへる*悪趣あくしゅにすでにおもむくべきみちを、 弥陀みだ如来にょらい*願力がんりき思議しぎとしてこれをふさぎたまふなり。

^このいはれをまた ¬きょう¼ (*大経・下) には、 「横截おうぜつ悪趣あくしゅ悪趣あくしゅねんぺい」 とかれたり。

^かるがゆゑに、 如来にょらい*誓願せいがんしんじて一念いちねんしんなきときは、 いかにごくへおちんとおもふとも、 弥陀みだ如来にょらい摂取せっしゅこうみょうおさられまゐらせたらんは、 わがはからひにてごくへもおちずして極楽ごくらくにまゐるべきなるがゆゑなり。

^かやうのどうなるときは、 *ちゅうちょうは、 如来にょらいだいおん*雨山あめやまにかうぶりたるわれらなれば、 ただくちにつねに称名しょうみょうをとなへて、 かの仏恩ぶっとん報謝ほうしゃのために念仏ねんぶつもうすべきばかりなり

^これすなはち真実しんじつ信心しんじんをえたるすがたといへるはこれなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

大慈大悲 広大な慈悲じひ
昼夜朝暮 一日中。

  文明ぶんめいろくがつじゅうにちのひだいしょうそん (釈尊) *にゅうめつむかしをおもひいでて、 ともしびもとにおいて老眼ろうがんのごふでめをはりぬ。

入滅 釈尊の入滅は二月十五日と伝えられている。

                             満六十 御判

(5) 珠数章

 ^そもそも、 このさんねんのあひだにおいて、 当山とうざん念仏ねんぶつしゃ*ぜいをみおよぶに、 まことにもつてりき安心あんじんけつじょうせしめたるぶんなし。

^そのゆゑは、 *じゅ一連いちれんをももつひとなし。 さるほどにほとけをばづかみにこそせられたり。 しょうにん (親鸞)、 まつたく 「じゅをすててぶつおがめ」 とおおせられたることなし。 さりながらじゅをもたずとも、 おうじょうじょうのためにはただりき信心しんじんひとつばかりなり。 それにはさはりあるべからず。

^まづ*だいぼうぶんたるひとは、 *袈裟けさをもかけ、 じゅをもちてもさいなし。 これによりて真実しんじつ信心しんじんぎゃくとくしたるひとは、 かならずくちにもし、 また*いろにもそのすがたはみゆるなり。 しかれば、 *とうはさらに真実しんじつ信心しんじん*うつくしくえたるひと、 いたりてまれなりとおぼゆるなり。

^それはいかんぞなれば、 弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんのわれらがために相応そうおうしたるたふとさのほども、 にはおぼえざるがゆゑに、 いつも信心しんじんのひととほりをば、 われこころえがおのよしにて、 なにごとをちょうもんするにも、 そのこととばかりおもひて、 みみへも*しかしかともいらず、 ただひとまねばかりの*ていたらくなりとみえたり。

^このぶんにては、 しんおうじょう極楽ごくらくもいまはいかがとあやふくおぼゆるなり。 いはんや*もん*同朋どうぼうかんも、 なかなかこれあるべからず。 かくのごときのしんちゅうにてはこんほうおうじょう不可ふかなり。

^*あらあら*しょうや。 ただふかくこころをしづめてあんあるべし。 まことにもつて*人間にんげんづるいきるをまたぬならひなり。 あひかまへてだんなく仏法ぶっぽうをこころにいれて、 信心しんじんけつじょうすべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

珠数 数珠とも書く。
 ようす。
うつくしく 見事に。 立派に。 申し分なく。
しかしか しっかりと。
あらあら ああ。
勝事 人の耳目をひくようなこと。 尋常でないこと。 ここでは残念なこと、 悲しむべきことの意。

  文明ぶんめいろくがつじゅう六日ろくにちそうちょうににはかにふでめをはりぬのみ。

(6) 掟章

 そもそも、 とうりゅうりき信心しんじんのおもむきをよくちょうもんして、 けつじょうせしむるひとこれあらば、 その信心しんじんのとほりをもつて心底しんていにをさめおきて、 しゅうにんたいして沙汰さたすべからず。 また*路次ろし大道だいどうわれわれの在所ざいしょなんどにても、 あらはにひとをもはばからずこれを*讃嘆さんだんすべからず。 つぎには*しゅ*とうほうにむきても、 われは信心しんじんをえたりといひてりゃくなく、 いよいよ*公事くじをまつたくすべし。 また諸神しょじん諸仏しょぶつさつをもおろそかにすべからず。 これみな*南無なも弥陀みだぶつろくのうちにこもれるがゆゑなり。 ことにほかには*王法おうぼうをもつておもてとし、 内心ないしんにはりき信心しんじんをふかくたくはへて、 けん*じんをもつてほんとすべし。

これすなはちとうりゅうさだむるところのおきてのおもむきなりとこころうべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

路次 道筋。 道中。 道すがら。
讃嘆 ここでは法話、 法談の意。
公事 中世荘園制で年貢以外の負担の名称。

  文明ぶんめい六年ろくねんがつじゅう七日しちにちこれをく。

(7) 易往無人章

 ^しづかにおもんみれば、 それ人間にんげんかいしょうくることは、 まことに*かいをたもてる*りきによりてなり。 これおほきにまれなることぞかし。 ただし*人界にんがいしょうはわづかに*一旦いったん*しょうなり、 *しょう*ようしょうらっなり。

^たとひまたえいにほこり栄耀えいようにあまるといふとも、 *じょうしゃ必衰ひっすいしゃじょうのならひなれば、 ひさしくたもつべきにあらず。 ただじゅうねんひゃくねんのあひだのことなり。 それもろうしょうじょうときくときは、 まことにもつてたのみすくなし。

^これによりて、 いまときしゅじょうは、 りき信心しんじんをえてじょうおうじょうをとげんとおもふべきなり。

^そもそも、 その信心しんじんをとらんずるには、 さらに智慧ちえもいらず、 *才学さいかくもいらず、 富貴ふきびんもいらず、 善人ぜんにん悪人あくにんもいらず、 なん女人にょにんもいらず、 ただもろもろのぞうぎょうをすてて*正行しょうぎょうするをもつてほんとす。

^その正行しょうぎょうするといふは、 *なにのやうもなく弥陀みだ如来にょらい一心いっしん一向いっこうにたのみたてまつることわりばかりなり。

^かやうにしんずるしゅじょうをあまねくこうみょうのなかに摂取せっしゅしててたまはずして、 *いちいのちきぬればかならずじょうにおくりたまふなり。

この一念いちねん安心あんじん一つにてじょうおうじょうすることの、 あら、 やうもいらぬとりやすの安心あんじんや。 されば安心あんじんといふ二字にじをば、 「やすきこころ」 とよめるはこのこころなり。

^さらになにのぞうもなく、 一心いっしん一向いっこう如来にょらいをたのみまゐらする信心しんじんひとつにて、 極楽ごくらくおうじょうすべし。

^あら、 こころえやすの安心あんじんや、 また、 あら、 きやすのじょうや。

^これによりて ¬だいきょう¼ (下) には、 「おうにん」 とこれをかれたり。

^このもんのこころは、 「安心あんじんをとりて弥陀みだ一向いっこうにたのめば、 じょうへはまゐりやすけれども、 信心しんじんをとるひとまれなれば、 じょうへはきやすくしてひとなし」 といへるはこのきょうもんのこころなり。

^かくのごとくこころうるうへには、 ちゅうちょうにとなふるところ*みょうごうは、 だいぜいおんほうじたてまつるべきばかりなり。

^かへすがへす仏法ぶっぽうにこころをとどめて、 とりやすき信心しんじんのおもむきをぞんして、 かならずこんいちだいほうおうじょうをとぐべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

功力 どく力。 功徳のはたらき。
一旦 短い時間。 わずかの間。
浮生 定まりない人の世。 はかない人生。
永生の楽果 往生して無量寿の仏果 (仏のさとり) を得てながく楽しむこと。
盛者必衰… 勢いの盛んな者にも必ず衰える時があり、 出会った者には必ず離れる時がくるということ。

  文明ぶんめい六年ろくねん三月さんがつみっこれをせいしょす。

(8) 本師本仏章

id="l1120-6" それ、 *じゅうあく*ぎゃく罪人ざいにんも、 *しょうさんしょう女人にょにんも、 むなしくみな十方じっぽうさん諸仏しょぶつがんにもれて、 すてはてられたるわれらごときのぼんなり。 しかれば、 ここに弥陀みだ如来にょらいもうすは、 さん十方じっぽう諸仏しょぶつほん本仏ほんぶつなれば、 *おんじつじょうぶつとして、 いまのごときの諸仏しょぶつにすてられたる末代まつだいぜんぼんしょうさんしょう女人にょにんをば、 弥陀みだにかぎりてわれひとりたすけんといふしょう大願だいがんをおこして、 われら一切いっさいしゅじょうびょうどうにすくはんとちかひたまひて、 じょう誓願せいがんをおこして、 すでに*弥陀みだぶつとなりましましけり。

この如来にょらいをひとすぢにたのみたてまつらずは、 末代まつだいぼん極楽ごくらくおうじょうするみち、 ふたつもみつもあるべからざるものなり。 これによりて、 親鸞しんらんしょうにんのすすめましますところのりき信心しんじんといふことをよくぞんせしめんひとは、 かならずじゅうにんじゅうにんながら、 みなかじょうおうじょうすべし。 さればこの信心しんじんをとりてかの弥陀みだほうにまゐらんとおもふについて、 なにとやうにこころをももちて、 なにとやうにその信心しんじんとやらんをこころうべきや。 ねんごろにこれをきかんとおもふなり。

 こたへていはく、 それ、 とうりゅう親鸞しんらんしょうにんのをしへたまへるところのりき信心しんじんのおもむきといふは、 なにのやうもなく、 わがはあさましきつみふかきぞとおもひて、 弥陀みだ如来にょらい一心いっしん一向いっこうにたのみたてまつりて、 もろもろのぞうぎょうをすてて専修せんじゅ専念せんねんなれば、 かならずへんじょうこうみょうのなかにおさられまゐらするなり。 これまことにわれらがおうじょうけつじょうするすがたなり。

このうへになほこころうべきやうは、 一心いっしん一向いっこう弥陀みだみょうする一念いちねん信心しんじんによりて、 はやおうじょうじょうのうへには、 *行住ぎょうじゅう坐臥ざがくちもうさんところの称名しょうみょうは、 弥陀みだ如来にょらいのわれらがおうじょうをやすくさだめたまへるだいおん報尽ほうじん念仏ねんぶつなりとこころうべきなり。 これすなはちとうりゅう信心しんじんけつじょうしたるひとといふべきなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

  文明ぶんめい六年ろくねん三月さんがつ中旬ちゅうじゅん

(9) 忠臣貞女章

 そもそも、 弥陀みだ如来にょらいをたのみたてまつるについて、 自余じよ万善まんぜんまんぎょうをば、 すでにぞうぎょうとなづけてきらへるそのこころはいかんぞなれば、 それ弥陀みだぶつちかひましますやうは、 一心いっしん一向いっこうにわれをたのまんしゅじょうをば、 いかなるつみふかき*なりとも、 すくひたまはんといへる大願だいがんなり。

しかれば、 一心いっしん一向いっこうといふは、 弥陀みだぶつにおいて、 ぶつをならべざるこころなり。

このゆゑに人間にんげんにおいても、 まづしゅをばひとりならではたのまぬどうなり。 されば*てんのことばにいはく、 「ちゅうしんくんにつかへず、 貞女ていじょ二夫じふをならべず」 (*史記・意) といへり。 弥陀みだ如来にょらいさん諸仏しょぶつのためにはほんしょうなれば、 そのしょうぶつをたのまんには、 いかでか弟子でし諸仏しょぶつのこれをよろこびたまはざるべきや。 このいはれをもつてよくよくこころうべし。

さて南無なも弥陀みだぶつといへる*ぎょうたいには、 一切いっさい諸神しょじん諸仏しょぶつさつも、 そのほか万善まんぜんまんぎょうも、 ことごとくみなこもれるがゆゑに、 なにの*そくありてか、 *しょぎょう諸善しょぜんにこころをとどむべきや。 すでに南無なも弥陀みだぶつといへるみょうごうは、 万善まんぜんまんぎょう総体そうたいなれば、 いよいよたのもしきなり。

これによりて、 その弥陀みだ如来にょらいをばなにとたのみ、 なにとしんじて、 かの極楽ごくらくおうじょうをとぐべきぞなれば、 なにのやうもなく、 ただわが極悪ごくあくじんじゅうのあさましきものなれば、 ごくならではおもむくべきかたもなきなるを、 かたじけなくも弥陀みだ如来にょらいひとりたすけんといふ誓願せいがんをおこしたまへりとふかくしんじて、 *一念いちねんみょう信心しんじんをおこせば、 まことに*宿しゅくぜん開発かいほつにもよほされて、 ぶっよりりき信心しんじんをあたへたまふがゆゑに*仏心ぶっしん凡心ぼんしんとひとつになるところをさして、 信心しんじんぎゃくとくぎょうじゃとはいふなり。

このうへには、 ただねてもおきてもへだてなく念仏ねんぶつをとなへて、 だいぜいおんをふかく報謝ほうしゃすべきばかりなりとこころうべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

行体 行の当体。 しゅじょう往生の因となる行そのもののこと。
不足 不満足。
仏心と凡心 ぼん煩悩ぼんのうの心の全体に仏心がいたりとどいて、 煩悩具足の凡夫を仏に成るべき身とならしめることで、 信心のやくをいう。 これをまた仏凡一体という。

  文明ぶんめい六歳ろくさい三月さんがつじゅう七日しちにちこれをく。

(10) 仏心凡心一体章

 それ、 とうりゅう親鸞しんらんしょうにんのすすめましますところのいちのこころといふは、 まづりき信心しんじんをもつて肝要かんようとせられたり。 このりき信心しんじんといふことをくはしくしらずは、 こんいちだいおうじょう極楽ごくらくはまことにもつてかなふべからずと、 きょうしゃくともにあきらかにみえたり。 さればそのりき信心しんじんのすがたをぞんして、 *真実しんじつほうおうじょうをとげんとおもふについても、 いかやうにこころをももち、 またいかやうにをももちて、 かの極楽ごくらくおうじょうをばとぐべきやらん。 そのむねをくはしくしりはんべらず。 ねんごろにをしへたまふべし。 それをちょうもんしていよいよけん信心しんじんをとらんとおもふなり。

 こたへていはく、 そもそもとうりゅうりき信心しんじんのおもむきともうすは、 あながちにわがつみのふかきにもこころをかけず、 ただ弥陀みだ如来にょらい一心いっしん一向いっこうにたのみたてまつりて、 かかるじゅうあくぎゃく罪人ざいにんも、 しょうさんしょう女人にょにんまでも、 みなたすけたまへる思議しぎの誓願力がんりきぞとふかくしんじて、 さらに一念いちねん本願ほんがんうたがふこころなければ、 かたじけなくもそのこころ如来にょらいのよくしろしめして、 すでにぎょうじゃのわろきこころを如来にょらいのよきおんこころとおなじものになしたまふなり。

このいはれをもつて仏心ぶっしん凡心ぼんしん一体いったいになるといへるはこのこころなり。 これによりて、 弥陀みだ如来にょらいへんじょうこうみょうのなかにおさられまゐらせて、 いちのあひだはこのこうみょうのうちにすむなりとおもふべし。 さていのちもきぬれば、 すみやかに真実しんじつほうへおくりたまふなり。

しかれば、 このありがたさたふとさの弥陀みだだいおんをば、 いかがしてほうずべきぞなれば、 ちゅうちょうにはただ称名しょうみょう念仏ねんぶつばかりをとなへて、 かの弥陀みだ如来にょらいおんほうじたてまつるべきものなり。 このこころすなはち、 とうりゅうにたつるところの一念いちねんぽっ*平生へいぜいごうじょうといへるこれなりとこころうべし。

さればかやうに弥陀みだ一心いっしんにたのみたてまつるも、 なにのろうもいらず。 また信心しんじんをとるといふもやすければ、 ぶつ極楽ごくらくおうじょうすることもなほやすし。 あら、 たふとの弥陀みだ本願ほんがんや、 あら、 たふとのりき信心しんじんや。 さらにおうじょうにおいてそのうたがいなし。

しかるにこのうへにおいて、 なほのふるまひについてこのむねをよくこころうべきみちあり。 それ、 一切いっさいかみほとけもうすも、 いまこのうるところのりき信心しんじんひとつをとらしめんがための方便ほうべんに、 もろもろのかみ・もろもろのほとけとあらはれたまふいはれなればなり。 しかれば、 一切いっさいぶつさつも、 もとより弥陀みだ如来にょらい分身ぶんしんなれば、 みなことごとく、 一念いちねん南無なも弥陀みだぶつみょうしたてまつるうちにみなこもれるがゆゑに、 おろかにおもふべからざるものなり。

またこのほかになほこころうべきむねあり。 それ、 くににあらばしゅほう、 ところにあらばとうほうにおいて、 われは仏法ぶっぽうをあがめ信心しんじんをえたるなりといひて、 りゃく*ゆめゆめあるべからず。 いよいよ公事くじをもつぱらにすべきものなり。 かくのごとくこころえたるひとをさして、 *信心しんじん発得ほっとくしてしょうをねがふ念仏ねんぶつぎょうじゃのふるまひのほんとぞいふべし。

これすなはち仏法ぶっぽう王法おうぼうをむねとまもれるひととなづくべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

信心発得 信心を得ること。

  文明ぶんめい六年ろくねんがつじゅう三日さんにちこれをく。

(11) 五重義章

 ^それ、 とうりゅう親鸞しんらんしょうにんかんのおもむき、 近年きんねん諸国しょこくにおいて*種々しゅじゅどうなり。 これおほきにあさましきだいなり。

^そのゆゑは、 まづとうりゅうには、 りき信心しんじんをもつてぼんおうじょう*さきとせられたるところに、 その信心しんじんのかたをばおしのけて*沙汰さたせずして、 そのすすむることばにいはく、 「*十劫じっこうしょうがくのはじめよりわれらがおうじょう弥陀みだ如来にょらいさだめましましたまへることをわすれぬがすなはち信心しんじんのすがたなり」 といへり。 これさらに、 弥陀みだみょうしてりき信心しんじんをえたるぶんはなし。

^さればいかに*十劫じっこうしょうがくのはじめよりわれらがおうじょうさだめたまへることをしりたりといふとも、 われらがおうじょうすべきりき信心しんじんのいはれをよくしらずは、 極楽ごくらくにはおうじょうすべからざるなり。

^またあるひとのことばにいはく、 「たとひ弥陀みだみょうすといふとも*ぜんしきなくは*いたづらごとなり、 このゆゑにわれらにおいてはぜんしきばかりをたのむべし」 と云々うんぬん

^これもうつくしくとうりゅう信心しんじんをえざるひとなりときこえたり。

^そもそも、 ぜんしき*のうといふは、 一心いっしん一向いっこう弥陀みだみょうしたてまつるべしと、 ひとをすすむべきばかりなり。 これによりてじゅうをたてたり。 ひとつには*宿しゅくぜんふたつにはぜんしきつには*こうみょうつには信心しんじんいつつには*みょうごう このじゅうじょうじゅせずはおうじょうはかなふべからずとみえたり。

^さればぜんしきといふは、 弥陀みだぶつみょうせよといへるつかひなり。 宿しゅくぜん開発かいほつしてぜんしきにあはずは、 おうじょうはかなふべからざるなり。 しかれども、 するところの弥陀みだをすてて、 ただぜんしきばかりをほんとすべきこと、 おほきなるあやまりなりとこころうべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

種々不同 いろんな異義があること。 ここではぜんしきだのみ、 十劫じっこう秘事ひじなどを批判している。
 第一。
沙汰せずして 問題にしないで。 なおざりにするという意。
 役目。 はたらき。
名号 ここでは信心を得た後の称名のこと。

  文明ぶんめい六年ろくねんがつ二十はつ

(12) 人間五十年章

 それ、 人間にんげんじゅうねんをかんがへみるに、 *王天おうてんといへるてん一日いちにちいちにあひあたれり。 またこの天王てんのうじゅうねんをもつて、 *等活とうかつごく一日いちにちいちとするなり。

これによりて、 みなひとのごくにおちてけんことをばなにともおもはず、 またじょうへまゐりてじょうらくけんことをも分別ふんべつせずして、 いたづらにあかし、 むなしくつきおくりて、 さらにわが一心いっしんをもけつじょうするぶんもしかしかともなく、 また一巻いっかん聖教しょうぎょうをまなこにあててみることもなく、 いっ法門ほうもんをいひてもんかんするもなし。 ただちょうせきは、 ひまをねらひて、 まくらをともとしてねむせらんこと、 まことにもつてあさましきだいにあらずや。 しづかにあんをめぐらすべきものなり。

このゆゑに今日こんにちこんよりして、 *ほう*だいにあらんひとびとは、 いよいよ信心しんじんけつじょうして真実しんじつほうおうじょうをとげんとおもはんひとこそ、 まことにそのとくともなるべし。 これまた*ぎょう化他けたどうにかなへりとおもふべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

四王天 天王てんのうのいる天界。 ろく欲天よくてんの最下。
不法 仏法に背くこと。

 とき文明ぶんめい第六だいろく六月ろくがつ*なかふつかのひ、 あまりの炎天えんてんあつさに、 これをふでにまかせてきしるしをはりぬ。

中の二日 中旬の第二日。 十二日。

(13) 我宗名望章

 それ、 とうりゅうさだむるところのおきてをよくまもるといふは、 しゅうにもけんにもたいしては、 わがいっしゅうのすがたをあらはにひとにみえぬやうにふるまへるをもつてほんとするなり。

しかるにちかごろはとうりゅう念仏ねんぶつしゃのなかにおいて、 わざとひとにみえていちりゅうのすがたをあらはして、 これをもつてわがしゅう*名望めいぼうのやうにおもひて、 ことにしゅう*こなしおとしめんとおもへり。 これ*ごんどうだんだいなり。 *さらにしょうにん (親鸞)さだめましましたるぎょにふかくあひそむけり。

そのゆゑは、 「すでに*うしぬすみたるひととはいはるとも、 とうりゅうのすがたをみゆべからず」 (改邪鈔・意) とこそおおせられたり。 このおんことばをもつてよくよくこころうべし。

つぎにとうりゅう安心あんじんのおもむきをくはしくしらんとおもはんひとは、 あながちに智慧ちえ才学さいかくもいらず、 男女なんにょせんもいらず、 ただわがつみふかきあさましきものなりとおもひとりて、 かかるまでもたすけたまへるほとけは弥陀みだ如来にょらいばかりなりとしりて、 なにのやうもなく、 ひとすぢにこの弥陀みだほとけの御袖おんそで*ひしとすがりまゐらするおもひをなして、 しょう*たすけたまへとたのみまうせば、 この弥陀みだ如来にょらいはふかくよろこびましまして、 そのおんより八万はちまんせんのおほきなるこうみょうはなちて、 そのこうみょうのなかにそのひとをおされておきたまふべし。

さればこのこころを ¬きょう¼ (観経) には、 まさに 「こうみょうへんじょう 十方じっぽうかい 念仏ねんぶつしゅじょう 摂取せっしゅしゃ」 とはかれたりとこころうべし。

さてはわがのほとけにらんずることは、 なにの*わづらひもなし。 あら、 しゅしょうしょう本願ほんがんや、 ありがたの弥陀みだ如来にょらいこうみょうや。 このこうみょうえんにあひたてまつらずは、 *無始むしよりこのかたの*みょう*ごっしょうのおそろしきやまいのなほるといふことは、 さらにもつてあるべからざるものなり。

しかるにこのこうみょうえんにもよほされて、 宿しゅくぜんありて、 りき信心しんじんといふことをばいますでにえたり。 これ*しかしながら、 弥陀みだ如来にょらい御方おんかたよりさづけましましたる信心しんじんとはやがてあらはにしられたり。

かるがゆゑに、 ぎょうじゃのおこすところの信心しんじんにあらず、 弥陀みだ如来にょらいりきだい信心しんじんといふことは、 いまこそあきらかにしられたり。

これによりて、 かたじけなくもひとたびりき信心しんじんをえたらんひとは、 みな弥陀みだ如来にょらいおんのありがたきほどをよくよくおもひはかりて、 仏恩ぶっとん報謝ほうしゃのためにはつねに称名しょうみょう念仏ねんぶつもうしたてまつるべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

名望 名が聞え他人から仰ぎみられる意。 名誉。
こなしおとしめん けなしみくだしてやろう。

  文明ぶんめい六年ろくねん七月しちがつみっこれをく。

(14) 秘事法門章

 それ、 *越前えちぜんのくににひろまるところの*秘事ひじ法門ぼうもんといへることは、 さらに仏法ぶっぽうにてはなし、 あさましき*どうほうなり。 これをしんずるものはながくけんごくしずむべきごうにて、 いたづらごとなり。 この秘事ひじをなほもしゅうしんして肝要かんようとおもひて、 *ひとをへつらひたらさんものには、 あひかまへてあひかまへて*随逐ずいちくすべからず。 いそぎその秘事ひじをいはんひとをはなれて、 はやくさづくるところの秘事ひじをありのままに*さんして、 ひとにかたりあらはすべきものなり。

そもそも、 とうりゅうかんのおもむきをくはしくしりて、 極楽ごくらくおうじょうせんとおもはんひとは、 まづりき信心しんじんといふことをぞんすべきなり。 それ、 りき信心しんじんといふはなにのようぞといへば、 かかるあさましきわれらごときのぼんが、 たやすくじょうへまゐるべき*ようなり。 そのりき信心しんじんのすがたといふはいかなることぞといへば、 なにのやうもなく、 ただひとすぢに弥陀みだ如来にょらい一心いっしん一向いっこうにたのみたてまつりて、 たすけたまへとおもふこころの一念いちねんおこるとき、 かならず弥陀みだ如来にょらい摂取せっしゅこうみょうはなちて、 その*しゃにあらんほどは、 このこうみょうのなかにをさめおきましますなり。 これすなはちわれらがおうじょうさだまりたるすがたなり。

されば*南無なも弥陀みだぶつもうたいは、 われらがりき信心しんじんをえたるすがたなり。 この信心しんじんといふは、 この南無なも弥陀みだぶつのいはれをあらはせるすがたなりとこころうべきなり。 さればわれらがいまのりき信心しんじんひとつをとるによりて、 極楽ごくらくにやすくおうじょうすべきことの、 さらになにのうたがいもなし。 あら、 しゅしょう弥陀みだ如来にょらいりき本願ほんがんや。

このありがたさの弥陀みだおんをば、 いかがしてほうじたてまつるべきぞなれば、 ただねてもおきても南無なも弥陀みだぶつ南無なも弥陀みだぶつととなへて、 かの弥陀みだ如来にょらい仏恩ぶっとんほうずべきなり。 されば南無なも弥陀みだぶつととなふるこころはいかんぞなれば、 弥陀みだ如来にょらいおんたすけありつることのありがたさたふとさよとおもひて、 それをよろこびまうすこころなりとおもふべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

ひとを… 人に取り入ってだまそうとする者。
用意 前から準備しておくこと。 ここでは信心が往生の正因であることをいう。
南無阿弥陀仏と申す体は 南無阿弥陀仏というものは。

  文明ぶんめい六年ろくねん七月しちがついつ

(15) 九品長楽寺章

 そもそも、 日本にっぽんにおいて*じょうしゅう家々いえいえをたてて、 *西山せいざん*鎮西ちんぜい*ぼん*ちょうらくとて、 そのほかあまたにわかれたり。 これすなはち*法然ほうねんしょうにんのすすめたまふところのいちなりといへども、 あるいは*しょうどうもんにてありし人々ひとびとの、 しょうにん (源空) へまゐりてじょう法門ほうもんちょうもんしたまふに、 うつくしくそのことわりみみにとどまらざるによりて、 わがほんしゅうのこころをいまだすてやらずして、 かへりてそれをじょうしゅうにひきいれんとせしによりて、 そのどうこれあり。

しかりといへども、 あながちにこれをほうすることあるべからず。 肝要かんようは、 ただわがいっしゅう安心あんじんをよくたくはへて、 しんけつじょうひとをもかんすべきばかりなり。

それ、 とうりゅう安心あんじんのすがたはいかんぞなれば、 まづわがじゅうあくぎゃく*しょうさんしょうのいたづらものなりとふかくおもひつめて、 そのうへにおもふべきやうは、 かかるあさましきほんとたすけたまへる弥陀みだ如来にょらい思議しぎ*本願ほんがんりきなりとふかくしんじたてまつりて、 すこしもしんなければ、 かならず弥陀みだ摂取せっしゅしたまふべし。

このこころこそ、 すなはちりき真実しんじつ信心しんじんをえたるすがたとはいふべきなり。 かくのごときの信心しんじんを、 一念いちねんとらんずることはさらになにのやうもいらず。 あら、 こころえやすのりき信心しんじんや、 あら、 ぎょうじやすのみょうごうや。

しかれば、 この信心しんじんをとるといふもべつのことにはあらず、 南無なも弥陀みだぶつつのをこころえわけたるが、 すなはちりき信心しんじんたいなり。

また南無なも弥陀みだぶつといふはいかなるこころぞといへば、 「南無なも」 といふ二字にじは、 すなはち極楽ごくらくおうじょうせんとねがひて弥陀みだをふかくたのみたてまつるこころなり。 さて 「弥陀みだぶつ」 といふは、 かくのごとくたのみたてまつるしゅじょうをあはれみましまして、 無始むし*曠劫こうごうよりこのかたのおそろしきつみとがのなれども、 弥陀みだ如来にょらいこうみょうえんにあふによりて、 ことごとくみょうごっしょうのふかきつみとがたちまちにしょうめつするによりて、 すでに正定しょうじょうじゅかずじゅうす。 かるがゆゑに*凡身ぼんしんをすてて仏身ぶっしんしょうするといへるこころを、 すなはち弥陀みだ如来にょらいとはもうすなり。

されば 「弥陀みだ」 といふさんをば、 *をさめ・たすけ・すくふとよめるいはれあるがゆゑなり。

かやうに信心しんじんけつじょうしてのうへには、 ただ弥陀みだ如来にょらい仏恩ぶっとんのかたじけなきことをつねにおもひて称名しょうみょう念仏ねんぶつもうさば、 それこそまことに弥陀みだ如来にょらい仏恩ぶっとんほうじたてまつることわりにかなふべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

五障三従 →補註14
凡身 ぼんの身。
をさめたすけすくふ くう作と伝える ¬ろくでん¼ の語を依用したものといわれるが、 ここでの意は、 親鸞聖人の 「摂取せっしゅしてすてざれば阿弥陀となづけたてまつる」 (浄土和讃・82) という文などによっている。

  文明ぶんめいろく七月しちがつここぬこれをく。

                       しゃくしょうにょ(花押)

 

 三 帖

(1) 其名ばかり章

 そもそも、 *とうりゅうにおいて、 *そのばかりをかけんともがらも、 またもとより*もんたらんひとも、 *安心あんじんのとほりをよくこころえずは、 *あひかまへて、 今日こんにちよりして、 *りき*だい信心しんじんのおもむきをねんごろにひとにあひたづねて、 *ほう*おうじょうけつじょうせしむべきなり。

それ、 *いちりゅう安心あんじんをとるといふも、 *なにのやうもなく、 ただひとすぢに*弥陀みだ如来にょらいをふかくたのみたてまつるばかりなり。

しかれども、 この弥陀みだぶつもうすは、 いかやうなるほとけぞ、 またいかやうなる**しゅじょうをすくひたまふぞといふに、 *さん諸仏しょぶつにすてられたる*あさましきわれら*ぼん女人にょにんを、 われひとりすくはんといふ大願だいがんをおこしたまひて、 *こうがあひだこれをゆいし、 *永劫ようごうがあひだこれをしゅぎょうして、 それしゅじょう*つみにおいては、 いかなる*じゅうあく*ぎゃく*謗法ほうぼう*闡提せんだいのともがらなりといふとも、 すくはんとちかひましまして、 すでに諸仏しょぶつ*がんにこえすぐれたまひて、 そのがんじょうじゅして弥陀みだ如来にょらいとはならせたまへるを、 すなはち弥陀みだぶつとはもうすなり。

これによりて、 このほとけをばなにとたのみ、 なにとこころをももちてかたすけたまふべきぞといふに、 それわがつみのふかきことをばうちおきて、 ただかの弥陀みだぶつ*ふたごころなく一向いっこうにたのみまゐらせて、 一念いちねんうたがこころなくは、 かならずたすけたまふべし。 しかるに弥陀みだ如来にょらいには、 すでに*摂取せっしゅ*こうみょうといふふたつのことわりをもつて、 しゅじょうをば*さいしたまふなり。 まづこのこうみょう*宿しゅくぜんのありてらされぬれば、 つもるところの*ごっしょうつみみなえぬるなり。

さて摂取せっしゅといふはいかなるこころぞといへば、 このこうみょうえんにあひたてまつれば、 ざいしょうことごとくしょうめつするによりて、 *やがてしゅじょうをこのこうみょうのうちにおさめおかるるによりて、 摂取せっしゅとはもうすなり。 このゆゑに、 弥陀みだぶつには摂取せっしゅこうみょうとのふたつをもつて肝要かんようとせらるるなりときこえたり。 されば*一念いちねん*みょう*信心しんじんさだまるといふも、 この摂取せっしゅこうみょうにあひたてまつる*こくをさして、 信心しんじんさだまるとはもうすなり。

しかれば、 南無なも弥陀みだぶつといへるぎょうたいは、 すなはちわれらがじょうおうじょうすべきことわりを、 このろくにあらはしたまへるおんすがたなりと、 いまこそよくはしられて、 いよいよありがたくたふとくおぼえはんべれ。

さてこの信心しんじんけつじょうのうへには、 ただ弥陀みだ如来にょらいおん*雨山あめやまにかうぶりたることをのみよろこびおもひたてまつりて、 その報謝ほうしゃのためには、 ねてもさめても*念仏ねんぶつもうすべきばかりなり。 それこそまことに*仏恩ぶっとん報尽ほうじんのつとめなるべきものなり。

*あなかしこ、 あなかしこ。

その名ばかりをかけんともがら 他宗派から真宗門徒になり、 まだ法義をよく聞いていないもの。
三世…女人 →補註14
時剋 とき。

  *文明ぶんめいろく七月しちがつじゅうよっこれをく。

文明六 1474年。 蓮如上人60歳。

(2) 如説修行章

 それ、 しょしゅうのこころまちまちにして、 いづれもしゃ一代いちだいせっきょうなれば、 まことにこれしゅしょうほうなり。 *もつとも*如説にょせつにこれをしゅぎょうせんひとは、 *じょうぶつ*得道とくどうすべきこと、 さらにうたがいなし。 しかるに*末代まつだいこのごろのしゅじょうは、 *こん最劣さいれつにして如説にょせつしゅぎょうせんひとまれなるせつなり。

ここに弥陀みだ如来にょらいりき*本願ほんがんといふは、 いまにおいて、 かかるときしゅじょうをむねとたすけすくはんがために、 こうがあひだこれをゆいし、 永劫ようごうがあひだこれをしゅぎょうして、 「造悪ぞうあくぜんしゅじょうをほとけになさずは、 われもしょうがくらじ」 と、 *ちかごとをたてましまして、 そのがんすでにじょうじゅして弥陀みだとならせたまへるほとけなり。 末代まつだいいまときしゅじょうにおいては、 このほとけの本願ほんがんにすがりて弥陀みだをふかくたのみたてまつらずんば、 じょうぶつするといふことあるべからざるなり。

如説に 教法に説かれた通りに。
ちかごと 宣言。 誓い。

 そもそも、 弥陀みだ如来にょらいりき本願ほんがんをばなにとやうにしんじ、 またなにとやうにをもちてかたすかるべきぞなれば、 それ弥陀みだしんじたてまつるといふは、 なにのやうもなく、 りき信心しんじんといふいはれをよくしりたらんひとは、 *たとへばじゅうにんじゅうにんながら、 みなもつて*極楽ごくらくおうじょうすべし。

さてそのりき信心しんじんといふはいかやうなることぞといへば、 ただ*南無なも弥陀みだぶつなり。 この南無なも弥陀みだぶつつののこころをくはしくしりたるが、 すなはちりき信心しんじんのすがたなり。 されば、 南無なも弥陀みだぶつといふろくたいをよくよくこころうべし。

まづ 「南無なも」 といふ二字にじはいかなるこころぞといへば、 やうもなく弥陀みだ*一心いっしん一向いっこうにたのみたてまつりて、 *しょう*たすけたまへとふたごころなくしんじまゐらするこころを、 すなはち南無なもとはもうすなり。

つぎに 「弥陀みだぶつ」 といふ四字しじはいかなるこころぞといへば、 いまのごとくに弥陀みだ一心いっしんにたのみまゐらせて、 うたがいのこころのなきしゅじょうをば、 かならず弥陀みだおんよりこうみょうはなちてらしましまして、 そのひかりのうちにおさめおきたまひて、 さて*いちのいのちきぬれば、 かの極楽ごくらくじょうへおくりたまへるこころを、 すなはち弥陀みだぶつとはもうしたてまつるなり。

さればけん沙汰さたするところの念仏ねんぶつといふは、 ただくちにだにも南無なも弥陀みだぶつととなふれば、 たすかるやうにみなひとのおもへり。 それは*おぼつかなきことなり。

さりながら、 *じょういっにおいてさやうに沙汰さたするかたもあり、 是非ぜひすべからず。 これはわがいっしゅう*開山かいさん (親鸞) のすすめたまへるところのいちりゅう安心あんじんのとほりをもうすばかりなり。 *宿しゅくえんのあらんひとは、 これをききてすみやかにこん極楽ごくらくおうじょうをとぐべし。

かくのごとくこころえたらんひと、 *みょうごうをとなへて、 弥陀みだ如来にょらいのわれらをやすくたすけたまへるおん雨山あめやまにかうぶりたる、 その仏恩ぶっとん報尽ほうじんのためには、 *称名しょうみょう念仏ねんぶつすべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

たとへば 例をもうけて示せばという意。
おぼつかなき 確実でない。
浄土一家 浄土往生を説いた法然ほうねん上人の流れを汲む一門。

  文明ぶんめい六年ろくねん八月はちがついつこれをく。

(3) 性光門徒章

 このほう*河尻かわじり*しょうこうもん面々めんめんにおいて、 仏法ぶっぽう信心しんじんのこころえはいかやうなるらん。 まことにもつて*こころもとなし。 しかりといへども、 いまとうりゅういちのこころをくはしく沙汰さたすべし。 おのおのみみをそばだててこれをききて、 このおもむきをもつてほんとおもひて、 こん極楽ごくらくおうじょう*じょうすべきものなり。

それ、 弥陀みだ如来にょらい*念仏ねんぶつおうじょう本願ほんがん (第十八願)もうすは、 いかやうなることぞといふに、 *ざい無智むちのものも、 またじゅうあくぎゃくのやからにいたるまでも、 なにのやうもなくりき信心しんじんといふことをひとつけつじょうすれば、 みなことごとく極楽ごくらくおうじょうするなり。

さればその信心しんじんをとるといふは、 いかやうなるむつかしきことぞといふに、 なにの*わづらひもなく、 ただひとすぢに弥陀みだ如来にょらいをふたごころなくたのみたてまつりて、 へこころをらさざらんひとは、 たとへばじゅうにんあらばじゅうにんながら、 みなほとけにるべし。 このこころひとつをたもたんはやすきことなり。

ただこえして念仏ねんぶつばかりをとなふるひとは*おほやうなり、 それは極楽ごくらくにはおうじょうせず。 この念仏ねんぶつのいはれをよくしりたるひとこそほとけにはるべけれ。 なにのやうもなく、 弥陀みだをよくしんずるこころだにもひとつにさだまれば、 やすくじょうへはまゐるべきなり。

このほかには、 わづらはしき*秘事ひじといひて、 ほとけをもおがまぬものは*いたづらものなりとおもふべし。

これによりて、 弥陀みだ如来にょらいりき本願ほんがんもうすは、 すでに末代まつだいいまときつみふかきほんとしてすくひたまふがゆゑに、 *ざいじゅうのわれらごときのためには相応そうおうしたるりき本願ほんがんなり。 あら、 ありがたの弥陀みだ如来にょらい誓願せいがんや、 あら、 ありがたの*しゃ如来にょらい*金言きんげんあおぐべし、 しんずべし。

しかれば、 いふところのごとくこころえたらん人々ひとびとは、 これまことにとうりゅう信心しんじんけつじょうしたる念仏ねんぶつぎょうじゃのすがたなるべし。

さてこのうへにはいちのあひだもう念仏ねんぶつのこころは、 弥陀みだ如来にょらいのわれらをやすくたすけたまへるところの雨山あめやまおんほうじたてまつらんがための念仏ねんぶつなりとおもふべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

性光門徒 蓮如上人の弟子の性光坊の門徒。
こころもとなし 気がかりに思う。
おほやう 大まかな。 細かさがないこと。
秘事 秘事ひじ法門ぼうもん。 ここでは越前えちぜん (現在の福井県) にひろまっていた不拝おがまずの秘事ひじをいう。

  文明ぶんめい六年ろくねん八月はちがつむゆこれをく。

(4) 大聖世尊章

 ^それ、 *つらつら*人間にんげん*あだなるていあんずるに、 しょうあるものはかならずし、 さかんなるものはつひにおとろふるならひなり。 さればただ*いたづらにあかし、 いたづらにくらして、 年月ねんげつおくるばかりなり。 これまことになげきてもなほかなしむべし。

^このゆゑに、 かみだいしょうそん (*釈尊) よりはじめて、 しも*あくぎゃく*だいにいたるまで、 のがれがたきは*じょうなり。

^しかれば、 まれにもけがたきは人身にんじん、 あひがたきは仏法ぶっぽうなり。 たまたま仏法ぶっぽうにあふことをたりといふとも、 *りきしゅぎょうもんは、 *末代まつだいなれば、 いまとき*しゅつ*しょうのみちはかなひがたきあひだ、 弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんにあひたてまつらずはいたづらごとなり。

^しかるにいますでにわれら*がん一法いっぽうにあふことをたり。 このゆゑに、 ただねがふべきは極楽ごくらくじょう、 ただたのむべきは弥陀みだ如来にょらい、 これによりて信心しんじんけつじょうして念仏ねんぶつもうすべきなり。

^しかれば、 のなかにひとのあまねくこころえおきたるとほりは、 たこえして南無なも弥陀みだぶつとばかりとなふれば、 極楽ごくらくおうじょうすべきやうにおもひはんべり。 それはおほきにおぼつかなきことなり。

^されば南無なも弥陀みだぶつもうろくたいはいかなるこころぞといふに、 弥陀みだ如来にょらい一向いっこうにたのめば、 ほとけそのしゅじょうをよくしろしめして、 すくひたまへるおんすがたを、 この南無なも弥陀みだぶつろくにあらはしたまふなりとおもふべきなり。

^しかれば、 この弥陀みだ如来にょらいをばいかがしてしんじまゐらせて、 しょういちだいをばたすかるべきぞなれば、 なにのわづらひもなく、 もろもろの*ぞうぎょう*雑善ぞうぜんをなげすてて、 一心いっしん一向いっこう弥陀みだ如来にょらいをたのみまゐらせて、 ふたごころなくしんじたてまつれば、 そのたのむしゅじょうこうみょうはなちてそのひかりのなかにおされおきたまふなり。

^これをすなはち弥陀みだ如来にょらい*摂取せっしゅ光益こうやくにあづかるとはもうすなり。 または*しゃ誓益せいやくともこれをなづくるなり。

^かくのごとく弥陀みだ如来にょらいこうみょうのうちにおさめおかれまゐらせてのうへには、 いちのいのちきなばただちに*真実しんじつほうおうじょうすべきこと、 そのうたがいあるべからず。

^このほかにはべつぶつをもたのみ、 またどく善根ぜんごんしゅしてもなににかはせん。 あら、 たふとや、 あら、 ありがたの弥陀みだ如来にょらいや。 かやうの雨山あめやまおんをばいかがしてほうじたてまつるべきぞや。

^ただ南無なも弥陀みだぶつ南無なも弥陀みだぶつこえにとなへて、 その*恩徳おんどくをふかく報尽ほうじんもうすばかりなりとこころうべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

摂取の光益・不捨の誓益 摂取せっしゅしゃやくのこと。 阿弥陀仏のこうみょうによってめぐまれるものであるから光益といい、 阿弥陀仏の誓願せいがんにもとづくものであるから誓益という。 

  文明ぶんめい六年ろくねん八月はちがつじゅう八日はちにち

(5) 諸仏悲願章

 そもそも、 諸仏しょぶつがん弥陀みだ本願ほんがんのすぐれましましたる、 そのいはれをくはしくたづぬるに、 すでに*十方じっぽう諸仏しょぶつもうすは、 いたりてつみふかきしゅじょうと、 *しょうさんしょう女人にょにんをばたすけたまはざるなり。 このゆゑに諸仏しょぶつがん弥陀みだぶつ本願ほんがんはすぐれたりともうすなり。

さて弥陀みだ如来にょらい*しょう大願だいがんはいかなるしゅじょうをすくひましますぞともうせば、 じゅうあくぎゃく罪人ざいにんも、 しょうさんしょう女人にょにんにいたるまでも、 みなことごとくもらさずたすけたまへる大願だいがんなり。 されば一心いっしん一向いっこうにわれをたのまんしゅじょうをば、 かならずじゅうにんあらばじゅうにんながら、 極楽ごくらく*いんじょうせんとのたまへるりきだい誓願せいがんりきなり。

これによりて、 かの弥陀みだぶつ本願ほんがんをば、 われらごときのあさましきぼんは、 なにとやうにたのみ、 なにとやうにをもちて、 かの弥陀みだをばたのみまゐらすべきぞや。 そのいはれをくはしくしめしたまふべし。 そのをしへのごとく信心しんじんをとりて、 弥陀みだをもしんじ、 極楽ごくらくをもねがひ、 念仏ねんぶつをももうすべきなり。

超世 諸仏の本願に超えすぐれていること。

 こたへていはく、 まづけんにいま流布るふしてむねとすすむるところの念仏ねんぶつもうすは、 ただ*なにの分別ふんべつもなく南無なも弥陀みだぶつとばかりとなふれば、 みなたすかるべきやうにおもへり。 それはおほきにおぼつかなきことなり。 きょう田舎いなかのあひだにおいて、 *じょうしゅうりゅうまちまちにわかれたり。 しかれども、 それを是非ぜひするにはあらず、 ただわが開山かいさん (親鸞)*いちりゅう相伝そうでんのおもむきをもうしひらくべし。

それ、 *だつみみをすまして*渇仰かつごうのかうべをうなだれてこれをねんごろにききて、 *信心しんじんかんのおもひをなすべし。 それ、 ざいじゅうのやから*いっしょう造悪ぞうあくのものも、 ただわがつみのふかきにはをかけずして、 それ弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんもうすはかかるあさましきほんとすくひまします思議しぎ願力がんりきぞとふかくしんじて、 弥陀みだ一心いっしん一向いっこうにたのみたてまつりて、 りき信心しんじんといふことをひとつこころうべし。

さてりき信心しんじんといふたいはいかなるこころぞといふに、 この南無なも弥陀みだぶつろくみょうごうたいは、 弥陀みだぶつのわれらをたすけたまへるいはれを、 この南無なも弥陀みだぶつみょうごうにあらはしましましたるおんすがたぞとくはしくこころえわけたるをもつて、 りき信心しんじんをえたるひととはいふなり。

この 「南無なも」 といふ二字にじは、 しゅじょう弥陀みだぶつ一心いっしん一向いっこうにたのみたてまつりて、 たすけたまへとおもひて、 ねんなきこころをみょうとはいふなり。

つぎに 「弥陀みだぶつ」 といふつのは、 南無なもとたのむしゅじょうを、 弥陀みだぶつのもらさずすくひたまふこころなり。 このこころをすなはち*摂取せっしゅしゃとはもうすなり。

摂取せっしゅしゃ」 といふは、 念仏ねんぶつぎょうじゃ弥陀みだ如来にょらいこうみょうのなかにをさめとりてすてたまはずといへるこころなり。

さればこの南無なも弥陀みだぶつたいは、 われらを弥陀みだぶつのたすけたまへる*しょうのために、 御名みなをこの南無なも弥陀みだぶつろくにあらはしたまへるなりときこえたり。 かくのごとく*こころえわけぬれば、 われらが極楽ごくらくおうじょうじょうなり。

あら、 ありがたや、 たふとやとおもひて、 このうへには、 *はやひとたび弥陀みだ如来にょらいにたすけられまゐらせつるのちなれば、 おんたすけありつるおんうれしさの念仏ねんぶつなれば、 この念仏ねんぶつをば仏恩ぶっとん報謝ほうしゃ*称名しょうみょうともいひ、 またしんのうへの称名しょうみょうとももうしはんべるべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

なにの分別もなく 本願みょうごうのいわれを聞きひらくこともなく。
一流相伝のおもむき 浄土真宗に伝えられる法義。
支証 証拠。
こころえわけぬれば 「こころえわく」 は了解してわきまえること。
はや すでに。

  文明ぶんめい六年ろくねんがつむゆこれをく。

(6) 唯能常称章

 ^それ、 南無なも弥陀みだぶつもうすはいかなるこころぞなれば、 まづ 「南無なも」 といふ二字にじは、 *みょう*発願ほつがんこうとのふたつのこころなり。 また 「南無なも」 といふはがんなり、 「弥陀みだぶつ」 といふはぎょうなり。

^さればぞうぎょう雑善ぞうぜんをなげすてて*専修せんじゅ*専念せんねん弥陀みだ如来にょらいをたのみたてまつりて、 たすけたまへとおもふみょう一念いちねんおこるとき、 かたじけなくも*へんじょうこうみょうはなちてぎょうじゃ摂取せっしゅしたまふなり。 このこころすなはち弥陀みだぶつつののこころなり。 また発願ほつがんこうのこころなり。

^これによりて、 「南無なも弥陀みだぶつ」 といふろくは、 ひとへにわれらがおうじょうすべきりき信心しんじんのいはれをあらはしたまへる御名みななりとみえたり。

^このゆゑに、 がんじょうじゅもん (*大経・下) には、 「もんみょうごう信心しんじんかん」 とかれたり。 このもんのこころは、 「そのみょうごうをききて信心しんじんかんす」 といへり。

^「そのみょうごうをきく」 といふは、 ただおほやうにきくにあらず。 *ぜんしきにあひて、 南無なも弥陀みだぶつつののいはれをよくききひらきぬれば、 ほうおうじょうすべきりき信心しんじんどうなりとこころえられたり。 かるがゆゑに、 「信心しんじんかん」 といふは、 すなはち信心しんじんさだまりぬれば、 じょうおうじょううたがいなくおもうてよろこぶこころなり。

^このゆゑに弥陀みだ如来にょらい*こうちょうさい永劫ようごうろうあんずるにも、 われらをやすくたすけたまふことのありがたさ、 たふとさをおもへばなかなかもうすも*おろかなり。

^れば ¬さん¼ (正像末和讃) にいはく、 「南無なも弥陀みだぶつこうの 恩徳おんどく広大こうだい思議しぎにて *往相おうそうこうやくには *還相げんそうこうにゅうせり」 といへるはこのこころなり。

^また 「しょうしん」 にはすでに 「唯能ゆいのう常称じょうしょう如来にょらいごう 応報おうほうだいぜいおん」 とあれば、 ^いよいよ*行住ぎょうじゅう坐臥ざが*しょ諸縁しょえんをきらはず、 仏恩ぶっとん報尽ほうじんのためにただ称名しょうみょう念仏ねんぶつすべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

五劫兆載永劫 →こうゆいちょうさい永劫ようごう

  文明ぶんめい六年ろくねんじゅうがつ二十はつこれをく。

(7) 彼此三業章

 そもそも、 親鸞しんらんしょうにんのすすめたまふところのいちのこころは、 ひとへにこれ末代まつだい*じょくざい無智むちのともがらにおいて、 なにのわづらひもなく、 すみやかにじょうおうじょうすべきりき信心しんじんいちばかりをもつて*ほんとをしへたまへり。 しかれば、 それ弥陀みだ如来にょらいは、 すでにじゅうあくぎゃくにんしょうさんしょう女人にょにんにいたるまで、 ことごとくすくひましますといへることをば、 いかなるひともよくしりはんべりぬ。

しかるにいまわれらぼんは、 弥陀みだぶつをばいかやうにしんじ、 なにとやうにたのみまゐらせて、 かの極楽ごくらくかいへはおうじょうすべきぞといふに、 ただひとすぢに弥陀みだ如来にょらいしんじたてまつりて、 そのはなにごともうちすてて、 一向いっこう弥陀みだし、 一心いっしん本願ほんがんしんじて、 弥陀みだ如来にょらいにおいてふたごころなくは、 かならず極楽ごくらくおうじょうすべし。 このどうをもつて、 すなはちりき信心しんじんをえたるすがたとはいふなり。

そもそも、 信心しんじんといふは、 弥陀みだぶつ本願ほんがんのいはれをよく分別ふんべつして、 一心いっしん弥陀みだみょうするかたをもつて、 りき安心あんじんけつじょうすとはもうすなり。 されば南無なも弥陀みだぶつろくのいはれをよくこころえわけたるをもつて、 信心しんじんけつじょう*たいとす。

しかれば、 南無なも」 の二字にじは、 しゅじょう弥陀みだぶつ*しんずるなり。 つぎに 「弥陀みだぶつ」 といふつののいはれは、 弥陀みだ如来にょらいしゅじょう*たすけたまへるほうなり。 このゆゑに、 *ほう一体いったい南無なも弥陀みだぶつといへるはこのこころなり。

これによりて、 しゅじょう*三業さんごう弥陀みだ三業さんごう一体いったいになるところをさして、 *善導ぜんどうしょうは 「*彼此ひし三業さんごうそうしゃ(*定善義)しゃくしたまへるも、 このこころなり。

されば*一念いちねんみょう信心しんじんけつじょうせしめたらんひとは、 かならずみなほうおうじょうすべきこと、 さらにもつてそのうたがいあるべからず。 あひかまへてりき*しゅうしん*わろきのかたをばふりすてて、 ただ思議しぎ願力がんりきぞとふかくしんじて、 弥陀みだ一心いっしんにたのまんひとは、 たとへばじゅうにんじゅうにんながら、 みな*真実しんじつほうおうじょうをとぐべし。

このうへには、 ひたすら弥陀みだ如来にょらいおんのふかきことをのみおもひたてまつりて、 つねに報謝ほうしゃ念仏ねんぶつもうすべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

 根本。 肝要。
 当体。 そのもの。
信ずる機 ここでの機は、 救われるべきもの (機) の上に与えられている信心そのもののこと。
たすけたまへる法 衆生を救う道理 (法) をあらわしているから、 阿弥陀仏を法という。
わろき機 本願にそむく自力疑心のことをいう。

  *文明ぶんめい七年しちねんがつじゅう三日さんにち

文明七年 1475年。 蓮如上人六十一歳。

(8) 当国他国十劫邪義章

 そもそも、 このごろ当国とうごくこくのあひだにおいて、 とうりゅう安心あんじんのおもむき、 ことのほかそうして、 みなひとごとにわれはよくこころたりとおもひて、 さらにほうにそむくとほりをも*あながちにひとにあひたづねて、 *真実しんじつ信心しんじんをとらんとおもふひとすくなし。 これまことにあさましきしゅうしんなり。

すみやかにこのこころ*がい*さんして、 とうりゅう真実しんじつ信心しんじんじゅうして、 こんほうおうじょうけつじょうせずは、 まことにたからやまりて、 をむなしくしてかへらんにことならんものか。

このゆゑにその信心しんじんそうしたることばにいはく、 「それ、 弥陀みだ如来にょらいはすでに*十劫じっこうしょうがくのはじめよりわれらがおうじょうさだめたまへることを、 いまにわすれずうたがはざるがすなはち信心しんじんなり」 とばかりこころえて、 弥陀みだして信心しんじんけつじょうせしめたるぶんなくは、 ほうおうじょうすべからず。 されば*そばさまなるわろきこころえなり。

これによりて、 とうりゅう安心あんじんのそのすがたをあらはさば、 すなはち南無なも弥陀みだぶつたいをよくこころうるをもつて、 りき信心しんじんをえたるとはいふなり。

されば 「南無なも弥陀みだぶつ」 のろく善導ぜんどうしゃくしていはく、 「南無なもといふはみょう、 またこれ発願ほつがんこうなり」 (玄義分) といへり。 そのこころいかんぞなれば、 弥陀みだ如来にょらい*いんちゅうにおいて、 われらぼんおうじょうぎょうさだめたまふとき、 ぼんのなすところのこうりきなるがゆゑにじょうじゅしがたきによりて、 弥陀みだ如来にょらいぼんのために身労しんろうありて、 このこうをわれらにあたへんがためにこうじょうじゅしたまひて、 一念いちねん南無なもみょうするところにて、 このこうをわれらぼんにあたへましますなり。

かるがゆゑに、 ぼんかたよりなさぬこうなるがゆゑに、 これをもつて如来にょらいこうをばぎょうじゃのかたよりは*こうとはもうすなり。

このいはれあるがゆゑに、 「南無なも」 の二字にじみょうのこころなり、 また発願ほつがんこうのこころなり。 このいはれなるがゆゑに、 南無なもみょうするしゅじょうをかならず摂取せっしゅしててたまはざるがゆゑに、 南無なも弥陀みだぶつとはもうすなり。 これすなはち一念いちねんみょうりき信心しんじん*ぎゃくとくする*平生へいぜいごうじょう念仏ねんぶつぎょうじゃといへるはこのことなりとしるべし。

かくのごとくこころえたらん人々ひとびとは、 いよいよ弥陀みだ如来にょらい恩徳おんどく深遠じんじんなることをしんして、 行住ぎょうじゅう坐臥ざが称名しょうみょう念仏ねんぶつすべし。 これすなはち 「憶念おくねん弥陀みだぶつ本願ほんがん ねんそくにゅうひつじょう 唯能ゆいのう常称じょうしょう如来にょらいごう 応報おうほうだいぜいおん(正信偈) といへるもんのこころなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

そばさま そば (傍) さま。 真実に背き外れたこと。
因中 いんの時。 法蔵ほうぞう菩薩であった時。

  文明ぶんめいしちがつじゅうにち

(9) 御命日章

 そもそも、 今日こんにちらんしょうにん (親鸞)命日めいにちとして、 かならず報恩ほうおん謝徳しゃとくのこころざしをはこばざるひと、 これすくなし。 しかれども、 かの諸人しょにんのうへにおいて、 あひこころうべきおもむきは、 もし本願ほんがんりき真実しんじつ信心しんじんぎゃくとくせざらん安心あんじんのともがらは、 今日こんにちにかぎりてあながちに*しゅっをいたし、 このこうちゅうしきをふさぐをもつてしんしゅう肝要かんようとばかりおもはんひとは、 いかでかわがしょうにんぎょにはあひかなひがたし。

しかりといへども、 わが在所ざいしょにありて報謝ほうしゃのいとなみをもはこばざらんひとは、 *しょうにもしゅっをいたしてもよろしかるべきか。 されば毎月まいがつじゅう八日はちにちごとにかならずしゅっをいたさんとおもはんともがらにおいては、 あひかまへて、 ごろの信心しんじんのとほりけつじょうせざらん安心あんじんのひとも、 すみやかに本願ほんがん真実しんじつりき信心しんじんをとりて、 わがこんほうおうじょうけつじょうせしめんこそ、 まことにしょうにん報恩ほうおん謝徳しゃとく*こんにあひかなふべけれ。

またしん極楽ごくらくおうじょういちじょうしをはりぬべきどうなり。 これすなはちまことに 「しんきょうにんしん なんちゅうてんきょうなん だいでん普化ぷけ しんじょうほう仏恩ぶっとん(*礼讃) といふしゃくもんのこころにもごうせるものなり。

それ、 しょうにんにゅうめつはすでに*いっぴゃくさいといへども、 かたじけなくも目前もくぜんにおいて*真影しんねいはいしたてまつる。 また*徳音とくいんははるかにじょうかぜにへだつといへども、 まのあたり*じつ*そうじょう*けちみゃくしてあきらかにみみそこにのこして、 いちりゅうりき真実しんじつ信心しんじんいまにたえせざるものなり。

これによりて、 いまこのせつにいたりて、 本願ほんがん真実しんじつ信心しんじんぎゃくとくせしむるひとなくは、 まことに宿しゅくぜんのもよほしにあづからぬとおもふべし。 *もし*宿しゅくぜん開発かいほつにてもわれらなくは、 むなしくこんおうじょうじょうなるべきこと、 なげきてもなほかなしむべきはただこのいちなり。 しかるにいま本願ほんがん一道いちどうにあひがたくして、 まれにじょう本願ほんがんにあふことをたり。 まことによろこびのなかのよろこび、 なにごとかこれにしかん。 たふとむべし、 しんずべし。

これによりて、 年月としつきごろわがこころの*わろき迷心めいしんをひるがへして、 たちまちに本願ほんがん一実いちじつりき信心しんじんにもとづかんひとは、 真実しんじつしょうにんぎょにあひかなふべし。 これしかしながら、 今日こんにちしょうにん報恩ほうおん謝徳しゃとくおんこころざしにもあひそなはりつべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

出仕 ここでは仏前へ参詣すること。
不請にも 気に入らないけれど。 いやいやながら。
懇志 ねんごろなこころざし。
一百余歳を経 文明七年は1475年であるから、 親鸞聖人のじゃくよりすでに二百余歳を経ていることになる。
実語 真実の言葉。 親鸞聖人の言葉。
もし…なくは  「われらもし宿善開発の機にてもなくは」、 または 「もし宿善開発の機にてもなくはわれら」 の顚倒法。
わろき迷心 本願を疑ってしゅつの道に迷う自力の心。

  文明ぶんめい七年しちねんがつじゅう八日はちにちこれをく。

(10) 神明六ヶ条章

 そもそも、 とうりゅうもんちゅうにおいて、 このろくじょう*篇目へんもくのむねをよくぞんして、 仏法ぶっぽう内心ないしんにふかくしんじて、 そうにそのいろをみせぬやうにふるまふべし。 しかれば、 このごろとうりゅう念仏ねんぶつしゃにおいて、 わざといちりゅうのすがたをしゅうたいしてこれをあらはすこと、 もつてのほかのあやまりなり。 所詮しょせん*きょうこうこの題目だいもくだいをまもりて、 仏法ぶっぽうをばしゅぎょうすべし。 もしこのむねをそむかんともがらは、 ながくもんちゅう*一列いちれつたるべからざるものなり。

篇目 ひとつひとつの箇条。 項目。 題目。
一列 なかま。

 一 神社じんじゃをかろしむることあるべからず。

 一 諸仏しょぶつさつならびに諸堂しょどうをかろしむべからず。

 一 しょしゅう諸法しょほう*ほうすべからず。

 一 *しゅ*とうりゃくにすべからず。

 一 くに仏法ぶっぽうだい*非義ひぎたるあひだ、 *しょうにおもむくべきこと

 一 とうりゅうにたつるところのりき信心しんじんをば内心ないしんにふかくけつじょうすべし。

非義 宗義にそむいていること。

 ひとつには、 一切いっさい*神明しんめいもうすは、 ほんぶつさつへんにてましませども、 このかいしゅじょうをみるに、 ぶつさつにはすこしちかづきにくくおもふあひだ、 神明しんめい*方便ほうべんに、 かりかみとあらはれて、 しゅじょうえんむすびて、 そのちからをもつてたよりとして、 つひに仏法ぶっぽうにすすめいれんがためなり。

これすなはち 「*こう同塵どうじん*結縁けちえんのはじめ、 *八相はっそうじょうどうもつのをはり」 (*摩訶止観) といへるはこのこころなり。 さればいましゅじょう仏法ぶっぽうしん念仏ねんぶつをももうさんひとをば、 神明しんめい*あながちにわがほんとおぼしめすべし。 このゆゑに、 弥陀みだ一仏いちぶつがんすれば、 とりわけ神明しんめいをあがめずしんぜねども、 そのうちにおなじくしんずるこころはこもれるゆゑなり。

あながちに ひたすらに。 一途に。

 ふたつには、 諸仏しょぶつさつもうすは、 神明しんめい*ほんなれば、 いまときしゅじょう弥陀みだ如来にょらいしん念仏ねんぶつもうせば、 一切いっさい諸仏しょぶつさつは、 わが*ほん弥陀みだ如来にょらいしんずるに、 そのいはれあるによりて、 わが本懐ほんがいとおぼしめすがゆゑに、 べっして諸仏しょぶつ*とりわきしんぜねども、 弥陀みだぶつ一仏いちぶつしんじたてまつるうちに、 一切いっさい諸仏しょぶつさつもみなことごとくこもれるがゆゑに、 ただ弥陀みだ如来にょらい一心いっしん一向いっこうみょうすれば、 一切いっさい諸仏しょぶつ智慧ちえどくも、 弥陀みだ一体いったいせずといふことなきいはれなればなりとしるべし。

とりわき 特別に。

 つには、 しょしゅう諸法しょほうほうすることおほきなるあやまりなり。 そのいはれすでに*じょうさんきょうにみえたり。 またしょしゅう学者がくしゃも、 念仏ねんぶつしゃをばあながちにほうすべからず。 しゅうしゅうともにそのとがのがれがたきことどう必然ひつぜんせり。

 つには、 しゅとうにおいては、 かぎりあるねん*所当しょとうをねんごろに沙汰さたし、 そのほか*じんをもつてほんとすべし。

所当 官に上納する種々の物品。

 いつつには、 くに仏法ぶっぽうだいとうりゅうしょうにあらざるあひだ、 かつは邪見じゃけんにみえたり。 所詮しょせんこん以後いごにおいては、 とうりゅう真実しんじつしょうをききて、 ごろの悪心あくしんをひるがへして、 善心ぜんしんにおもむくべきものなり。

 つには、 とうりゅう真実しんじつ念仏ねんぶつしゃといふは、 開山かいさん (親鸞)さだめおきたまへるしょうをよくぞんして、 造悪ぞうあくぜんながら極楽ごくらくおうじょうをとぐるをもつてしゅうほんとすべし。

それいちりゅう安心あんじんしょうのおもむきといふは、 なにのやうもなく、 弥陀みだ如来にょらい一心いっしん一向いっこうにたのみたてまつりて、 われはあさましき*悪業あくごう*煩悩ぼんのうなれども、 かかるいたづらものをほんとたすけたまへる弥陀みだ願力がんりき*強縁ごうえんなりと*不可ふか思議しぎにおもひたてまつりて、 一念いちねんしんなく、 おもふこころだにもけんなれば、 かならず弥陀みだ*無礙むげこうみょうはなちてその摂取せっしゅしたまふなり。

かやうに信心しんじんけつじょうしたらんひとは、 じゅうにんじゅうにんながら、 みなことごとくほうおうじょうすべし。 このこころすなはちりき信心しんじんけつじょうしたるひとなりといふべし。

このうへになほこころうべきやうは、 まことにありがたき弥陀みだ如来にょらい広大こうだいおんなりとおもひて、 その仏恩ぶっとん報謝ほうしゃのためには、 ねてもおきてもただ南無なも弥陀みだぶつとばかりとなふべきなり。 さればこのほかには、 またしょうのためとては、 なにの*そくありてか、 相伝そうでんもなきしらぬ*えせ法門ぼうもんをいひて、 ひとをもまどはし、 *あまつさへほうりゅうをもけがさんこと、 まことにあさましきだいにあらずや。 よくよくおもひはからふべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

不足 不満足。
あまつさへ その上に。 そればかりか。

  文明ぶんめい七年しちねん七月しちがつじゅうにち

(11) 毎年不闕章

 そもそも、 今月こんがつじゅう八日はちにち開山かいさんしょうにん (親鸞) *しょうとして、 毎年まいねん*けつにかの*おん報徳ほうとくおん*ぶつにおいては、 あらゆる国郡こくぐんそのほかいかなるれつのともがらまでも、 そのおんをしらざるものはまことに木石ぼくせきにことならんものか。

これについて*ろう、 この四五しごねんのあひだは、 なにとなく*北陸ほくりく山海さんかいのかたほとりにきょじゅうすといへども、 はからざるにいまに存命ぞんめいせしめ、 *この当国とうごくにこえ、 はじめて今年こんねんしょうにんしょう*報恩ほうおんこうにあひたてまつるじょう、 まことにもつて不可ふか思議しぎ宿しゅくえん、 よろこびてもなほよろこぶべきものか。

しかれば、 こくこくよりらいじゅう諸人しょにんにおいて、 まづ開山かいさんしょうにんさだめおかれしおんおきてのむねをよくぞんすべし。

そのおんことばにいはく、 「たとひ*うし盗人ぬすびととはよばるとも、 仏法ぶっぽうしゃ*後世ごせしゃとみゆるやうにふるふべからず。 またほかには*じんれいしんをまもりて*王法おうぼうをもつてさきとし、 内心ないしんにはふかく本願ほんがんりき信心しんじんほんとすべき」 よしを、 ねんごろにおおさだめおかれしところに、

近代きんだいこのごろのひと仏法ぶっぽうがお*ていたらくをみおよぶに、 そうには仏法ぶっぽうしんずるよしをひとにみえて、 内心ないしんにはさらにもつてとうりゅう安心あんじんいちけつじょうせしめたるぶんなくして、 あまつさへ相伝そうでんもせざる聖教しょうぎょうをわが*ぢからをもつてこれをよみて、 しらぬえせ法門ぼうもんをいひて、 自他じたもんちゅう経回けいがいして虚言きょごんをかまへ、 *けっほんよりの成敗せいばいごうしてひとをたぶろかし、 ものをとりてとうりゅういちをけがすじょう真実しんじつ真実しんじつあさましきだいにあらずや。

これによりて、 今月こんがつじゅう八日はちにちしょう七日しちにち報恩ほうおんこうちゅうにおいて、 わろきしんちゅうのとほりをがいさんして、 おのおのしょうにおもむかずは、 たとひこの七日しちにち報恩ほうおんこうちゅうにおいて、 *あしをはこび、 ひとまねばかりに報恩ほうおん謝徳しゃとくのためとごうすとも、 さらにもつてなにの*所詮しょせんもあるべからざるものなり。

されば弥陀みだ願力がんりき信心しんじんぎゃくとくせしめたらんひとのうへにおいてこそ、 仏恩ぶっとん報尽ほうじんとも、 またとく報謝ほうしゃなんどとももうすことはあるべけれ。 このどうをよくよくこころえてあしをもはこび、 しょうにんをもおもんじたてまつらんひとこそ、 真実しんじつ*みょうりょにもあひかなひ、 またべっしては、 当月とうがつしょう報恩ほうおん謝徳しゃとくこんにもふかくあひそなはりつべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

不闕に 欠かさずに。
愚老 老人・僧などが自分をへりくだっていう語。 ここでは蓮如上人の自称。
北陸の山海のかたほとり 吉崎よしざきを指す。
この当国にこえ 蓮如上人はこの年八月に吉崎よしざきから河内かわちぐちに移った。
仁義礼智信 →じょう
字ちから ことばを理解する能力。
結句本寺よりの成敗… あげくのはてには、 本山よりの命令であるといって他人をだまして。
足手をはこび ここでは参詣するという意。
所詮もあるべからざる… かいもあるはずがない。 益もあるはずがない。
冥慮 仏祖のおぼしめし。 ここでは親鸞聖人のおぼしめし。

  文明ぶんめい七年しちねんじゅう一月いちがつじゅう一日いちにちこれをく。

(12) 宿善有無章

 そもそも、 いにしへ近年きんねんこのごろのあひだに、 諸国しょこく在々ざいざい所々しょしょにおいて、 随分ずいぶん仏法ぶっぽうしゃごうして法門ほうもん*讃嘆さんだん*かんをいたすともがらのなかにおいて、 さらに真実しんじつにわがこころとうりゅうしょうにもとづかずとおぼゆるなり。

そのゆゑをいかんといふに、 まづかのしんちゅうにおもふやうは、 われは仏法ぶっぽう*根源こんげんをよくがお*ていにて、 しかもたれに相伝そうでんしたるぶんもなくして、 あるいはえんはししょうそとにて、 ただねん*ききとり法門ぼうもん分斉ぶんざいをもつて、 真実しんじつ仏法ぶっぽうにそのこころざしはあさくして、 われよりほかは仏法ぶっぽうだいぞんしたるものなきやうにおもひはんべり。

これによりて、 たまたまもとうりゅうしょう*かたのごとく讃嘆さんだんせしむるひとをみては、 あながちにこれを*へんじゅうす。 すなはちわれひとりよくがお*ぜいは、 第一だいいち*きょうまんのこころにあらずや。

かくのごときのしんちゅうをもつて、 諸方しょほうもんちゅう経回けいがいして聖教しょうぎょうをよみ、 あまつさへわたくしのをもつてほんよりのつかひとごうして、 ひと*へつらひ、 虚言きょごんをかまへ、 ものをとるばかりなり。 これらのひとをば、 なにとしてよき仏法ぶっぽうしゃ、 また聖教しょうぎょうよみとはいふべきをや。 あさましあさまし。 なげきてもなほなげくべきはただこのいちなり。

これによりて、 まづとうりゅうをたて、 ひとをかんせんとおもはんともがらにおいては、 そのかんだいをよくぞんすべきものなり。

讃嘆 ここでは法話、 法談の意。
根源 おおもと。 根本。
 ようす。 ありさま。
ききとり法門 正式に教授されることなく、 自然に聞き覚えた法義。
偏執 自分の考えに固執すること。
へつらひ とり入り。

 それ、 とうりゅうりき信心しんじんのひととほりをすすめんとおもはんには、 まづ宿しゅくぜん宿しゅくぜん*沙汰さたすべし。 さればいかにむかしよりとうもんにそのをかけたるひとなりとも、 宿しゅくぜん信心しんじんをとりがたし。 まことに宿しゅくぜん開発かいほつはおのづからしんけつじょうすべし。 されば宿しゅくぜんのまへにおいては、 *しょうぞうぎょう沙汰さたをするときは、 かへりてほう*もとゐとなるべきなり。 この宿しゅくぜん宿しゅくぜんどう分別ふんべつせずして、 びろにけんのひとをもはばからずかんをいたすこと、 もつてのほかのとうりゅうおきてにあひそむけり。

されば ¬だいきょう¼ (下) にのたまはく、 「にゃくにん善本ぜんぽんとくもんきょう」 ともいひ、 「にゃくもんきょう しんぎょうじゅ なんちゅうなん 無過むかなん」 ともいへり。

また善導ぜんどうは 「過去かこぞう しゅじゅうほう 今得こんとくじゅうもん そくしょうかん(*定善義) ともしゃくせり。

いづれのきょうしゃくによるとも、 すでに宿しゅくぜんにかぎれりとみえたり。 しかれば、 宿しゅくぜんをまもりて、 とうりゅうほうをばあたふべしときこえたり。 このおもむきをくはしくぞんして、 ひとをばかんすべし。

ことにまづ王法おうぼうをもつてほんとし、 じんを先として、 *けんつうじゅんじて、 とうりゅう安心あんじんをば内心ないしんにふかくたくはへて、 そうほうりゅうのすがたをしゅう他家たけにみえぬやうにふるまふべし。 このこころをもつてとうりゅう真実しんじつしょうをよくぞんせしめたるひととはなづくべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

沙汰 ここでは考えわきまえる、 見定めるというほどの意。
もとゐ 原因。
世間通途の義 世間一般の風習。

  *文明ぶんめい八年はちねんしょうがつじゅう七日しちにち

文明八年 1476年。 蓮如上人六十二歳。

(13) 夫当流門徒中章

 それ、 とうりゅうもんちゅうにおいて、 すでに安心あんじんけつじょうせしめたらんひとのうへにも、 またけつじょうひと安心あんじんをとらんとおもはんひとも、 こころうべきだいは、 まづほかには王法おうぼうほんとし、 諸神しょじん諸仏しょぶつさつをかろしめず、 またしょしゅう諸法しょほうほうぜず、 くにところにあらばしゅとうにむきてはりゃくなく、 かぎりあるねん所当しょとう*つぶさに沙汰さたをいたし、 そのほかじんをもつてほんとし、 またしょうのためには内心ないしん弥陀みだ如来にょらい一心いっしん一向いっこうにたのみたてまつりて、 *自余じよぞうぎょう雑善ぞうぜんにこころをばとどめずして、 一念いちねんしんなくしんじまゐらせば、 かならず真実しんじつ極楽ごくらくじょうおうじょうすべし。

このこころえのとほりをもつて、 すなはち弥陀みだ如来にょらいりき信心しんじんをえたる念仏ねんぶつぎょうじゃのすがたとはいふべし。

かくのごとく念仏ねんぶつ信心しんじんをとりてのうへに、 なほおもふべきやうは、 さてもかかるわれらごときのあさましきいっしょう造悪ぞうあくつみふかきながら、 ひとたび一念いちねんみょう信心しんじんをおこせば、 ぶつ願力がんりきによりてたやすくたすけたまへる弥陀みだ如来にょらい思議しぎにましますちょう本願ほんがん強縁ごうえんのありがたさよと、 ふかくおもひたてまつりて、 そのおん報謝ほうしゃのためには、 ねてもさめてもただ念仏ねんぶつばかりをとなへて、 かの弥陀みだ如来にょらい仏恩ぶっとんほうじたてまつるべきばかりなり。

このうへにはしょうのためになにをしりても所用しょようなきところに、 ちかごろもつてのほか、 みなひとのなにのそくありてか、 相伝そうでんもなきしらぬ*くせ法門ぼうもんをいひてひとをもまどはし、 またじょうほうりゅうをもけがさんこと、 まことにもつてあさましきだいなり。 よくよくおもひはからふべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

つぶさに沙汰をいたし もれなく処置し。

  文明ぶんめい八年はちねん七月しちがつじゅう八日はちにち

                       しゃくしょうにょ(花押)

 

 四 帖

(1) 真宗念仏行者章

 それ、 *しんしゅう*念仏ねんぶつぎょうじゃのなかにおいて、 *ほうについてそのこころえなきだいこれおほし。

しかるあひだ、 大概たいがいそのおもむきをあらはしをはりぬ。 所詮しょせん*こん以後いごは、 同心どうしんぎょうじゃはこのことばをもつてほんとすべし。 これについてふたつのこころあり。 ひとつには、 しん*おうじょうすべき*安心あんじんをまづ*じょうすべし。 ふたつには、 ひとを*かんせんに*宿しゅくぜん宿しゅくぜんのふたつを分別ふんべつしてかんをいたすべし。 このどうしんちゅうけつじょうしてたもつべし。

しかれば、 わがおうじょう一段いちだんにおいては、 内心ないしんにふかく*一念いちねんぽっ*信心しんじんをたくはへて、 しかも*りき*仏恩ぶっとん*称名しょうみょう*しなみ、 そのうへにはなほ*王法おうぼうさきとし、 *じんほんとすべし。 また諸仏しょぶつさつとうりゃくにせず、 諸法しょほうしょしゅう*きょうせんせず、 ただ*けんつうじゅんじて、 そう*とうりゅうほうのすがたを*しゅうもんのひとにみせざるをもつて、 とうりゅうしょうにん (親鸞)おきてをまもるしんしゅう念仏ねんぶつぎょうじゃといひつべし。

ことにとうこのごろは、 *あながちに*へんじゅうすべきみみをそばだて、 *謗難ぼうなんのくちびるをめぐらすをもつてほんとするぶんたるあひだ、 かたくその用捨ようしゃあるべきものなり。

そもそも、 とうりゅうにたつるところのりき*三信さんしんといふは、 だいじゅうはちがんに 「しんしんぎょうよくしょうこく」 といへり。 これすなはち三信さんしんとはいへども、 ただ*弥陀みだをたのむところのぎょうじゃ*みょう*一心いっしんなり。

そのゆゑはいかんといふに、 *宿しゅくぜん開発かいほつぎょうじゃ*一念いちねん弥陀みだみょうせんとおもふこころの一念いちねんおこる*きざみ、 ぶつ*心光しんこう、 かの*一念いちねんみょうぎょうじゃ*摂取せっしゅしたまふ。 そのせつをさしてしんしんぎょうよくしょう三信さんしんともいひ、 またこのこころをがんじょうじゅもん (*大経・下) には 「*即得そくとくおうじょうじゅ*退転たいてん」 とけり。 あるいはこのくらいを、 すなはち*真実しんじつ信心しんじんぎょうにんとも、 宿しゅくいん深厚じんこうぎょうじゃとも、 *平生へいぜいごうじょうひとともいふべし。 されば弥陀みだみょうすといふも、 信心しんじん*ぎゃくとくすといふも、 宿しゅくぜんにあらずといふことなし。

しかれば、 念仏ねんぶつおうじょう*こんは、 *宿しゅくいんのもよほしにあらずは、 われらこん*ほうおうじょう不可ふかなりとみえたり。

このこころをしょうにんおんことばには 「ぎゃく信心しんじんおんきょう宿しゅくえん(*文類聚鈔)おおせられたり。 これによりて、 とうりゅうのこころは、 ひとかんせんとおもふとも、 宿しゅくぜん宿しゅくぜんのふたつを分別ふんべつせずは*いたづらごとなるべし。 このゆゑに、 宿しゅくぜん有無うむこんをあひはかりてひとをばかんすべし。

しかれば、 近代きんだいとうりゅう仏法ぶっぽうしゃ*ぜいは、 是非ぜひ分別ふんべつなくとうりゅう*こうりょう*讃嘆さんだんせしむるあひだ、 しんしゅうしょう、 このいはれによりてあひすたれたりときこえたり。 かくのごときらのだいさいぞんして、 とうりゅういちをば讃嘆さんだんすべきものなり。

*あなかしこ、 あなかしこ。

たしなみ つとめて。 こころがけて。
軽賎せず 軽くあつかったり、 いやしめたりしない。
世間通途の義 世間一般の風習。
他宗他門 真宗教団以外をいう。 他門とは浄土門内の西せいざん鎮西ちんぜい等の諸流、 他宗とはしょうどうもん諸宗を指す。
偏執 自分の考えに固執すること。
謗難のくちびるをめぐらす 非難すること。 そしるという意。
きざみ とき。

  *文明ぶんめいねんひのとのとりしょうがつよう

文明九年 1477年。 蓮如上人六十三歳。

(2) 定命章

 それ、 *人間にんげん寿じゅみょうをかぞふれば、 *いまとき*定命じょうみょうじゅうろくさいなり。 しかるに*とうにおいて、 としじゅうろくまでびたらんひとは、 まことにもつて*いかめしきことなるべし。

これによりて、 すでに*頽齢たいれいろくじゅうさんさいにせまれり。 *勘篇かんべんすればとしははや七年しちねんまでびぬ。 これにつけても、 前業ぜんごう所感しょかんなれば、 いかなるびょうげんをうけてかえんにのぞまんとおぼつかなし。 これさらにはからざだいなり。 ことにもつてとう*ていたらくをみおよぶに、 *じょうそうなきぶんなれば、 人間にんげんのかなしさはおもふやうにもなし。 あはれなばやとおもはば、 やがてなれなんにてもあらば、 などかいままでこのにすみはんべりなん。

ただいそぎてもうまれたきは*極楽ごくらくじょう、 ねがうてもねがひえんものは*無漏むろ仏体ぶったいなり。 しかれば、 一念いちねんみょうりき安心あんじん*ぶっよりぎゃくとくせしめんうえにおいては、 *ひつみょう為期いごまで仏恩ぶっとん報尽ほうじんのために称名しょうみょうをつとめんにいたりては、 あながちになにのそくありてか、 *せんしょうよりさだまれるところの死期しごをいそがんも、 かへりておろかにまどひぬるかともおもひはんべるなり。 このゆゑに*ろうしんじょうにあててかくのごとくおもへり。 たれのひとびともこのしんちゅうじゅうすべし。

ことにもつて、 このかいのならひは*ろうしょうじょうにして*電光でんこうちょう*あだなるなれば、 いまもじょうかぜきたらんことをばしらぬ*ていにてすぎゆきて、 *しょうをばかつてねがはず、 ただこんじょうをばいつまでもびんずるやうにこそおもひはんべれ。 *あさましといふもなほ*おろかなり。 いそぎ今日こんにちより弥陀みだ如来にょらいりき*本願ほんがんをたのみ、 一向いっこう*りょう寿じゅぶつみょうして、 *真実しんじつほうおうじょうをねがひ、 *称名しょうみょう念仏ねんぶつせしむべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

今の時の定命は… 釈尊のにゅうめつ時を起点として、 時代が百年を経過するごとに人寿が一歳減少するという説にもとづいたもの。 当時は釈尊の入滅後、 約二千四百年と考えられていたから、 釈尊の寿命八十歳より、 二十四歳を減じて、 定命を五十六歳と計算した。
いかめしきこと なみなみでないこと。
頽齢 高齢。 老齢。
勘篇 計算すること。
定相なき時分 秩序が乱れて定まりのない時代。
畢命為期  「畢命を期とす」 この世の命が終わるまで。
先生 過去世。 →補註5
 ようす。 ありさま。

 とき文明ぶんめいねんがつじゅう七日しちにちにはかにおもづるのあひだ、 *たつのこくぜん早々そうそうこれをしるしをはりぬ。

辰剋 午前八時頃。

                         *しんしょういんろくじゅうさんさい

  かきおくもふでにまかするふみなれば ことばのすゑぞをかしかりける

(3) 当時世上章

 それ、 *とうじょうていたらく、 いつのころにか*落居らっきょすべきともおぼえはんべらざるぜいなり。

しかるあひだ、 諸国しょこく往来おうらいつうにいたるまでも、 たやすからざるぶんなれば、 仏法ぶっぽうほうにつけても*千万せんばん迷惑めいわくのをりふしなり。 これによりて、 あるいは霊仏れいぶつ霊社れいしゃ参詣さんけい諸人しょにんもなし。 これにつけても、 人間にんげんろうしょうじょうときくときは、 いそぎいかなるどく*善根ぜんごんをもしゅし、 いかなる*だい*はんをもねがふべきことなり。

しかるにいま*末法まっぽうじょくらんとはいひながら、 ここに弥陀みだ如来にょらいりき本願ほんがんは、 いませつはいよいよ不可ふか思議しぎにさかりなり。 さればこの広大こうだい*がんにすがりて、 *ざいじゅうのともがらにおいては、 一念いちねん信心しんじんをとりて*ほっしょうじょうらくじょうせつおうじょうせずは、 まことにもつてたからやまに入りて、 をむなしくしてかへらんにたるものか。 よくよくこころをしづめてこれをあんずべし。

しかれば、 諸仏しょぶつ本願ほんがんをくはしくたづぬるに、 *しょう女人にょにん*ぎゃく悪人あくにんをばすくひたまふことかなはずときこえたり。 これにつけても弥陀みだ如来にょらいこそひとりじょうしゅしょうがんをおこして、 *あくぎゃく*ぼんしょう女質にょしつをば、 われたすくべきといふ大願だいがんをばおこしたまひけり。 ありがたしといふもなほ*おろかなり。

これによりて、 むかししゃくそん*りょうじゅせんにましまして、 *いちじょうほっみょうでんかれしとき、 *だい*じゃぎゃくがいをおこし、 しゃ*だいをして*あんにょうをねがはしめたまひしによりて、 かたじけなくもりょうぜんほっ*会座えざもっしておう降臨ごうりんして、 だいにんのためにじょうきょうをひろめましまししによりて、 弥陀みだ本願ほんがんこのときにあたりてさかんなり。

このゆゑに*ほっ念仏ねんぶつどうきょうといへることは、 このいはれなり。 これすなはち*末代まつだいぎゃく女人にょにんあんにょうおうじょうをねがはしめんがための*方便ほうべんに、 しゃだい調じょうだつ (提婆達多)じゃぎゃくをつくりて、 かかる*なれども、 思議しぎ本願ほんがんすれば、 かならずあんにょうおうじょうをとぐるものなりとしらせたまへりとしるべし。

あなかしこ、 あなかしこ。

当時世上の体たらく この頃、 土一揆、 いくさなどで世の中が騒乱状態であった。
落居 しずまること。 落ち着くこと。
法性常楽の浄刹 永遠のさとりのきょうがいである極楽浄土のこと。
五障 →補註14
一乗法華の妙典 一乗の理を明かす ¬法華ほけきょう¼ のこと。
会座を没して 説法を中止して。
法華と念仏と… 釈尊がりょうじゅせんでの ¬法華ほけきょう¼ の説法を一時中止して王宮において ¬観経¼ の念仏の教えを説かれたことをいう。 覚如かくにょ上人の ¬口伝鈔¼ (15) 等にみえる。

  文明ぶんめいさいがつじゅう七日しちにちこれをしるす。

(4) 三首詠歌章

 それ、 あきはるりて、 年月としつきおくること、 昨日きのう今日こんにちぐ。 いつのまにかは年老ねんろうのつもるらんともおぼえずしらざりき。

しかるにそのうちには、 さりとも、 あるいは*ちょう風月ふうげつのあそびにもまじはりつらん。 また歓楽かんらくつう悲喜ひきにもあひはんべりつらんなれども、 いまにそれともおもひいだすこととてはひとつもなし。 ただ*いたづらにあかし、 いたづらにくらして、 おいしらとなりはてぬるのありさまこそかなしけれ。 されども今日こんにちまではじょうのはげしきかぜにもさそはれずして、 *わがありがほのてい*つらつらあんずるに、 ただゆめのごとし、 まぼろしのごとし。 いまにおいては、 *しょう*しゅつ一道いちどうならでは、 ねがふべきかたとてはひとつもなく、 またふたつもなし。

これによりて、 ここに*らいあくのわれらごときの*しゅじょうをたやすくたすけたまふ弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんのましますときけば、 まことにたのもしく、 ありがたくもおもひはんべるなり。 この本願ほんがんをただ*一念いちねん無疑むぎしんみょうしたてまつれば、 *わづらひもなく、 *そのときりんじゅうせばおうじょうじょうすべし。 もしそのいのちのびなば、 *いちのあひだは仏恩ぶっとん報謝ほうしゃのために念仏ねんぶつしてひつみょうとすべし。 これすなはち*平生へいぜいごうじょうのこころなるべしと、 たしかにちょうもんせしむるあひだ、 そのけつじょう信心しんじんのとほり、 いまにみみそこ退転たいてんせしむることなし。 ありがたしといふもなほおろかなるものなり。

されば弥陀みだ如来にょらいりき本願ほんがんのたふとさありがたさのあまり、 かくのごとくくちにうかむにまかせてこのこころをえいにいはく、

花鳥風月のあそび 春は花鳥を、 秋は風月を楽しむこと。 風流な遊び。
わが身ありがほ いかにも自分は死とは無縁であるかのように思っていること。
未来悪世 釈尊が出現した時を基準にして、 現在のことを未来という。 現在が、 釈尊から遠く時代のくだった、 悪のはびこる時代であるということ。
一念無疑 阿弥陀如来の本願をふたごころ (疑い) なく信ずること。
そのとき臨終… 往生治定は、 往生することに定まること。 ここでは 「臨終せば」 とあり、 短命な臨終の機についていったもの。

   とたびもほとけをたのむこころこそ まことののりにかなふみちなれ

  つみふかく如来にょらいをたのむになれば のりのちからに西にしへこそゆけ

  のりをきくみちにこころのさだまれば 南無なも弥陀みだぶつととなへこそすれ と。

 わがながらも本願ほんがん一法いっぽうしゅしょうなるあまり、 かくもうしはんべりぬ。 この三首さんしゅうたのこころは、 はじめは、 一念いちねんみょう信心しんじんけつじょうのすがたをよみはんべり。 のちのうたは、 *にゅう正定しょうじょうじゅやく*ひっめつのこころをよみはんべりぬ。 つぎのこころは、 *きょう金剛こんごう信心しんじんのうへには、 *おん報徳ほうとくのこころをよみはんべりしなり。

さればりき信心しんじん発得ほっとくせしむるうへなれば、 せめてはかやうにくちずさみても、 仏恩ぶっとん報尽ほうじんのつとめにもやなりぬべきともおもひ、 またきくひとも宿しゅくえんあらば、 などやおなじこころにならざらんとおもひはんべりしなり。

しかるにすでに*しちしゅんのよはひにおよび、 ことにあんさいとして、 *片腹かたはらいたくもかくのごとく*しらぬえせ法門ぼうもんもうすこと、 かつは*しんしゃくをもかへりみず、 た本願ほんがんのひとすぢのたふとさばかりのあまり、 れつのこの*ことのふでにまかせてきしるしをはりぬ。 のちにみんひと、 そしりをなさざれ。 これまことに*さんぶつじょうえんてん法輪ぼうりんいんともなりはんべりぬべし。 *あひかまへてへんじゅうをなすこと*ゆめゆめなかれ。

あなかしこ、 あなかしこ。

入正定聚の益 現生十種益の第十益。 →正定しょうじょうじゅ
必至滅度 必ず仏のさとりを得ること。 第十一願によって与えられるやく
慶喜金剛の信心 第十八願の信心をあらわした語。
七旬のよはひにおよび 六十歳を過ぎて、 第七旬に入ったということ。 旬は十年の意。
片腹いたくも 見苦しくも。
しらぬえせ法門 ここでは自分でさとりきわめた法門ではなく、 教えられたとおりを、 口まねして説いている形ばかりの教えに過ぎないと卑謙した言葉。
斟酌 さしひかえること。 はばかること。
ことの葉 前掲の三首の詠歌を指す。

 とき*文明ぶんめいねんちゅうひのとのとり*とう仲旬ちゅうじゅんのころ、 へんにおいてざんにこれをしるすものなりと云々うんぬん

文明年中丁酉 文明九年。 1477年。 蓮如上人六十三歳。

 みぎこのしょは、 当所とうしょ*はりのはらへんより*けんざい*ぶっしょう所用しょようありて出行しゅつぎょうのとき、 路次ろしにてこのしょをひろひて*当坊とうぼうへもちきたれり。

はりの木原 地名。 現在の大阪府茨木市。
九間在家 地名。 現在の大阪府茨木市。
仏照寺 ぶっしょうの住持、 きょうこうを指すものか。
当坊 蓮如上人が吉崎よしざきより移ったぐちの坊をいう。 光善こうぜんがその跡を伝える。

 文明ぶんめいねんじゅうがつふつ

(5) 中古以来章

 それ、 *ちゅうらいとうにいたるまでも、 とうりゅうかんをいたすその人数にんじゅのなかにおいて、 さらに宿しゅくぜん有無うむといふことをしらずしてかんをなすなり。

所詮しょせんこん以後いごにおいては、 このいはれをぞんせしめて、 たとひ聖教しょうぎょうをもよみ、 またざん法門ほうもんをいはんときも、 このこころを*かくして*いちりゅうほうをば讃嘆さんだん、 あるいはまた仏法ぶっぽうちょうもんのためにとて人数にんじゅおほくあつまりたらんときも、 このにんじゅのなかにおいて、 もし宿しゅくぜんやあるらんとおもひて、 いちりゅう真実しんじつほう沙汰さたすべからざるところに、 近代きんだい人々ひとびとかんするていたらくをみおよぶに、 このかくはなく、 ただいづれのなりともよくかんせば、 などかとうりゅう安心あんじんにもとづかざらんやうにおもひはんべりき。 これあやまりとしるべし。 かくのごときのだいをねんごろにぞんして、 とうりゅうかんをばいたすべきものなり。

ちゅうこのごろにいたるまで、 さらにそのこころを*うつくしくかんするひとなし。 これらのおもむきをよくよくかくして、 *かたのごとくのかんをばいたすべきものなり。

そもそも、 今月こんがつじゅう八日はちにちは、 毎年まいねんとして、 *だいなく*開山かいさんしょうにん (親鸞)報恩ほうおん謝徳しゃとくのために念仏ねんぶつごんぎょうをいたさんとする人数にんじゅこれおほし。 まことにもつて*ながれんで本源ほんげんをたづぬるどうぞんせるがゆゑなり。 ひとへにこれしょうにんかんのあまねきがいたすところなり。

しかるあひだ、 近年きんねんことのほかとうりゅう讃嘆さんだんせざる*ひが法門ぼうもんをたてて、 諸人しょにんをまどはしめて、 あるいはそのところの*とうりょうしゅにもとがめられ、 わが悪見あくけんじゅうして、 とうりゅう真実しんじつなる安心あんじんのかたもただしからざるやうにみおよべり。 あさましきだいにあらずや。 かなしむべし、 おそるべし。

所詮しょせん今月こんがつ*報恩ほうおんこうしちちゅうのうちにおいて、 各々かくかく*がいこころをおこして、 わがのあやまれるところのしんちゅう心底しんていにのこさずして、 *とう*影前えいぜんにおいて、 *しん*さんして、 諸人しょにんみみにこれをきかしむるやうに毎日まいにちまいにかたるべし。

これすなはち 「*謗法ほうぼう*闡提せんだいしん皆往かいおう(*法事讃・上)おんしゃくにもあひかなひ、 また 「しんきょうにんしん(*礼讃)にも相応そうおうすべきものなり。 しからばまことにこころあらん人々ひとびとは、 このしんさんをききても、 げにもとおもひて、 おなじくごろの悪心あくしんをひるがへして善心ぜんしんになりかへるひともあるべし。 これぞまことに今月こんがつしょうにんぎょ本懐ほんがいにあひかなふべし。 これすなはち報恩ほうおん謝徳しゃとく*こんたるべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

中古 古 (むかし) を上古・中古・下古と三分したことによるが、 下古をいわない場合もある。 浄土真宗では親鸞聖人より第三代の覚如かくにょ上人までを上古、 それ以後を中古という。
うつくしく 見事に。 立派に。 申し分なく。
流を汲んで 親鸞聖人の恩徳に感謝すという意味。
当寺 山科やましな本願寺を指す。
御影前 親鸞聖人の像 (真影しんねい) の前。
懇志 ねんごろなこころざし。

  *文明ぶんめいじゅうねんじゅう一月いちがつじゅう一日いちにち

文明十四年 1482年。 蓮如上人六十八歳。

(6) 三ヶ条章

 そもそも、 当月とうがつ報恩ほうおんこうは、 開山かいさんしょうにん (親鸞)*せんしょうとして、 例年れいねんきゅうとす。

これによりて、 遠国えんごく近国きんごく*もんのたぐひ、 このせつにあひあたりて、 参詣さんけいのこころざしをはこび、 報謝ほうしゃのまことをいたさんとほっす。 しかるあひだ、 毎年まいねん*しちちゅうのあひだにおいて、 念仏ねんぶつごんぎょうをこらしはげます。 これすなはち真実しんじつ信心しんじんぎょうじゃはんじょうせしむるゆゑなり。 まことにもつて*念仏ねんぶつとくけんせつ到来とうらいといひつべきものか。

このゆゑに、 いちしちにちのあひだにおいて参詣さんけいをいたすともがらのなかにおいて、 まことにひとまねばかりに影前えいぜん*しゅっをいたすやからこれあるべし。 かの*仁体じんたいにおいて、 はやく影前えいぜんにひざまづいてしんさんのこころをおこして、 本願ほんがんしょう*にゅうして、 一念いちねんぽっ真実しんじつ信心しんじん*まうくべきものなり。

それ、 南無なも弥陀みだぶつといふは、 すなはちこれ念仏ねんぶつぎょうじゃ*安心あんじんたいなりとおもふべし。 そのゆゑは、 「南無なも」 といふはみょうなり。 「そくみょう」 といふは、 われらごときの*ぜん造悪ぞうあくぼんのうへにおいて、 弥陀みだぶつをたのみたてまつるこころなりとしるべし。 その*たのむこころといふは、 すなはちこれ、 弥陀みだぶつの、 しゅじょう八万はちまんせんだいこうみょうのなかに摂取せっしゅして、 *往還おうげんしゅこうしゅじょうにあたへましますこころなり。

されば信心しんじんといふもべつのこころにあらず。 みな南無なも弥陀みだぶつのうちにこもりたるものなり。

ちかごろは、 ひとべつのことのやうにおもへり。 これについて諸国しょこくにおいて、 とうりゅう門人もんにんのなかに、 おほく祖師そし (親鸞)さだめおかるるところの聖教しょうぎょう所判しょはんになき*くせ法門ぼうもん沙汰さたしてほうをみだすじょう、 もつてのほかのだいなり所詮しょせんかくのごときのやからにおいては、 *あひかまへて、 このいちしちにち報恩ほうおんこうのうちにありて、 そのあやまりをひるがへして*しょうにもとづくべきものなり。

七昼夜 満七昼夜。 報恩講の行われる期間。
念仏得堅固 念仏の教えが盛んになること。
出仕 ここでは仏前へ参詣すること。
仁体 人。
帰入 みょうに同じ。
まうく 得る。
安心の体 信心の本体。 信心そのもの。
無善造悪 ぜんぎょう善根ぜんごんがなく、 悪のみを行うという意。
往還二種の回向 往相おうそうこう還相げんそうこうのこと。

 一 *仏法ぶっぽうとうりょうし、 かたのごとく*ぼうぶんをもちたらんひとしんじょうにおいて、 いささかも*そうじょうもせざるしらぬ*えせ法門ぼうもんをもつてひとにかたり、 われものしりとおもはれんためにとて、 近代きんだい在々ざいざい所々しょしょはんじょうすと云々うんぬん。 これ*ごんどうだんだいなり。

仏法を棟梁し… 仏法興隆の上で中心的役割を果すべき人のこと。 棟梁は、 人を建物のむねはりに喩えたもの。

 一 *きょう本願ほんがんえい参詣さんけいもうなりといひて、 いかなるひとのなかともいはず、 大道だいどうおおにても、 また*せきわたりせんちゅうにても、 はばからず*仏法ぶっぽうがたのことをひとけんにかたること、 おほきなるあやまりなり。

京都本願寺 山科やましな本願ほんがんのこと。
関渡の船中 関は関所。 渡の船中は渡し船の中。
仏法方 法義の問題。

 一 ひとありていはく、 「わがはいかなる仏法ぶっぽうしんずるひとぞ」 とあひたづぬることありとも、 しかと 「とうりゅう念仏ねんぶつしゃなり」 とこたふべからず。 ただ 「なにしゅうともなき、 念仏ねんぶつばかりはたふときこととぞんじたるばかりなるものなり」 とこたふべし。 これすなはちとうりゅうしょうにん (親鸞) のをしへましますところの、 仏法ぶっぽうしゃとみえざるひとのすがたなるべし。

さればこれらのおもむきをよくよくぞんして、 そうにそのいろをみせざるをもつて、 とうりゅうしょうとおもふべきものなり。 これについて、 このりょう三年さんねんのあひだ報恩ほうおんこうちゅうにおいて、 *しゅちゅうとしてさだめおくところのひとつとしてへんあるべからず。 このしゅちゅうにおいて万一まんいちそうせしむるさいこれあらば、 ながき開山かいさんしょうにん (親鸞)もんたるべからざるものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

衆中として 報恩講に参詣した坊主衆や門徒衆の仲間として。

  *文明ぶんめいじゅうねんじゅう一月いちがつ にち

文明十五年 1483年。 蓮如上人六十九歳。

(7) 六ヶ条章

 そもそも、 今月こんがつ報恩ほうおんこうのこと、 例年れいねんきゅうとして七日しちにちごんぎょうをいたすところ、 いまにその退転たいてんなし。

しかるあひだ、 このせつにあひあたりて、 諸国しょこく*門葉もんようのたぐひ、 報恩ほうおん謝徳しゃとくこんをはこび、 称名しょうみょう念仏ねんぶつ*ほんぎょうつくす。 まことにこれ*専修せんじゅ*専念せんねんけつじょうおうじょうとくなり。 このゆゑに諸国しょこく参詣さんけいのともがらにおいて、 *いち安心あんじんじゅうするひとまれなるべしとみえたり。 そのゆゑは真実しんじつ仏法ぶっぽうにこころざしはなくして、 ただひとまねばかり、 あるいは*じんまでのぜいならば、 まことにもつてなげかしきだいなり。

そのいはれいかんといふに、 安心あんじんのともがらはしんだいをも沙汰さたせざるときは、 しんのいたりともおぼえはんべれ。 さればはるばるとばんえんをしのぎ、 また莫大ばくだいろうをいたしてじょうらくせしむるところ、 さらにもつてその*所詮しょせんなし。 かなしむべし、 かなしむべし。 ただし*宿しゅくぜんならばようといひつべきものか。

本行 根本のぎょうごうの意。 仏名を称することが、 報恩謝徳の根本行であるからこのようにいう。
一味の安心 阿弥陀仏よりひとしくこうされた安心であるから、 人に応じてその内容が異なることなく同一であること。 他力の信心の平等であること。
仁義 ここでは世間体をつくろうこと。
所詮なし かいがない。 益がない。
不宿善の機 宿しゅくぜんなきもの。

 一 近年きんねん仏法ぶっぽうはんじょうともみえたれども、 まことにもつてぼうぶんひとにかぎりて、 信心しんじんのすがた一向いっこう*沙汰さたなりときこえたり。 もつてのほかなげかしきだいなり。

無沙汰 なおざりにすること。

 一 *すゑずゑのもんのたぐひは、 りき信心しんじんのとほりちょうもんのともがらこれおほきところに、 ぼうよりこれを*ふくりゅうせしむるよしきこえはんべり。 ごんどうだんだいなり。

すゑずゑの 末端の。

 一 田舎いなかより参詣さんけい面々めんめんしんじょうにおいてこころうべきむねあり。 そのゆゑは、 にんのなかともいはず、 また大道だいどう路次ろしなんどにても、 *せきせんちゅうをもはばからず、 仏法ぶっぽうがた讃嘆さんだんをすること*勿体もったいなきだいなり。 かたくちょうすべきなり。

関屋 関所の番小屋。
勿体なき もってのほか。 ふとどきな。 不都合な。

 一 とうりゅう念仏ねんぶつしゃを、 あるいはひとありて、 「なにしゅうぞ」 とあひたづぬることたとひありとも、 しかと 「とうしゅう念仏ねんぶつしゃ」 とこたふべからず。 ただ 「なにしゅうともなき念仏ねんぶつしゃなり」 とこたふべし。 これすなはちわがしょうにん (親鸞)おおせおかるるところの、 *仏法ぶっぽうしゃしょくみえぬふるまひなるべし。 このおもむきをよくよくぞんして、 そうにそのいろをはたらくべからず。 まことにこれとうりゅう念仏ねんぶつしゃのふるまひのしょうたるべきものなり。

仏法者気色 仏法者らしい様子。

 一 仏法ぶっぽうらいを、 しょう・かきごしにちょうもんして、 内心ないしんにさぞとたとひりょうすといふとも、 かさねてひとにそのおもむきをよくよくあひたづねて、 信心しんじんのかたをばじょうすべし。 そのままわがこころにまかせば、 かならずかならずあやまりなるべし。 ちかごろこれらのさいとうさかんなりと云々うんぬん

 一 信心しんじんをえたるとほりをば、 いくたびもいくたびもひとにたづねてりき安心あんじんをばじょうすべし。 *一往いちおうちょうもんしてはかならずあやまりあるべきなり。

一往 一応。 とおり一ぺん。

 みぎこのろっじょうのおもむきよくよくぞんすべきものなり。 近年きんねん仏法ぶっぽうひとみなちょうもんすとはいへども、 一往いちおうをききて、 真実しんじつ信心しんじんけつじょうひとこれなきあひだ、 安心あんじん*うとうとしきがゆゑなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

うとうとしき 疎かである。

  *文明ぶんめいじゅう六年ろくねんじゅう一月いちがつじゅう一日いちにち

文明十六年 1484年。 蓮如上人七十歳。

(8) 八ヶ条章

 そもそも、 今月こんがつじゅう八日はちにち報恩ほうおんこう*しゃくねんよりの*れいたり。 これによりて、 近国きんごく遠国えんごく門葉もんよう報恩ほうおん謝徳しゃとくこんをはこぶところなり。 *ろくちゅう称名しょうみょう念仏ねんぶつこん退転たいてんなし。

これすなはち開山かいさんしょうにん (親鸞)ほうりゅう*一天いってんかいかんるいなきがいたすところなり。 このゆゑにしちちゅうせつにあひあたり、 ほうしんこんにおいては、 おうじょうじょう信心しんじんぎゃくとくせしむべきものなり。 これしかしながら、 今月こんがつしょうにん*しょう報恩ほうおんたるべし。 しからざらんともがらにおいては、 報恩ほうおん謝徳しゃとくのこころざしなきにたるものか。

これによりて、 このごろしんしゅう念仏ねんぶつしゃごうするなかに、 まことに心底しんていよりとうりゅう安心あんじんけつじょうなきあひだ、 あるいは*みょうもん、 あるいはひとなみに報謝ほうしゃをいたすよしのぜいこれあり。 もつてのほかしかるべからざるだいなり。

そのゆゑは、 すでにばんえんをしのぎ莫大ばくだい辛労しんろうをいたしてじょうらくのともがら、 いたづらにみょうもんひとなみのしんちゅうじゅうすることくちしきだいにあらずや。 すこぶる*そく所存しょぞんといひつべし。 ただし宿しゅくぜんにいたりてはちからおよばず。 しかりといへども、 *無二むにさんをいたし、 一心いっしんしょうねんにおもむかば、 いかでかしょうにんほんたっせざらんものをや。

昔年 むかし。
流例 しきたり。 ならわし。
二六時中 一昼夜。 一昼夜を十二の時に区分したことによる。
一天四海 一天下と四海。 全世界。
不足の所存 行き届かない考え。 考えが足りないこと。
無二の懴悔 徹底してあやまちを悔い改めること。 ここでは自力心をひるがえすこと。

 一 諸国しょこく参詣さんけいのともがらのなかにおいて、 在所ざいしょをきらはず、 いかなる大道だいどうおお、 またせきわたりせんちゅうにても、 さらにそのはばかりなく仏法ぶっぽうがただいけんひとにかたること、 しかるべからざること

 一 在々ざいざい所々しょしょにおいて、 とうりゅうにさらに沙汰さたせざる*めづらしき法門ほうもん讃嘆さんだんし、 おなじくしゅうになき*おもしろきみょうもくなんどをつかふひとこれおほし。 もつてのほかの*僻案へきあんなり。 こん以後いご、 かたくちょうすべきものなり。

めづらしき法門 変った教え。 浄土真宗の教義とは異なる教え。
おもしろき名目 そうじょうにないめずらしい変った言葉 (異義のこと)。
僻案 間違った考え。

 一 このしちにち報恩ほうおんこうちゅうにおいては、 一人いちにんものこらず信心しんじんじょうのともがらは、 しんちゅうをはばからずがいさんこころをおこして、 真実しんじつ信心しんじんぎゃくとくすべきものなり。

 一 もとよりわが安心あんじんのおもむきいまだけつじょうせしむるぶんもなきあひだ、 そのしんをいたすべきところに、 しんちゅうをつつみてありのままにかたらざるたぐひあるべし。 これをせめあひたづぬるところに、 ありのままにしんちゅうをかたらずして、 *とうをいひぬけんとするひとのみなり。 勿体もったいなきだいなり。 しんちゅうをのこさずかたりて、 真実しんじつ信心しんじんにもとづくべきものなり。

当場 その場。

 一 近年きんねん仏法ぶっぽうとうりょうたるぼうたち、 わが信心しんじんはきはめてそくにて、 *けっもん*同朋どうぼう信心しんじんけつじょうするあひだ、 ぼう信心しんじんそくのよしをもうせば、 もつてのほかふくりゅうせしむるじょうごんどうだんだいなり。 以後いごにおいては、 ていともにいち安心あんじんじゅうすべきこと

結句 かえって。

 一 ぼうぶんひと、 ちかごろはことのほか*じゅうはいのよし、 その*きこえあり。 ごんどうだんしかるべからざるだいなり。 あながちにさけひとちょうせよといふにはあらず。 仏法ぶっぽうにつけもんにつけ、 じゅうはいなれば、 かならずややもすればすいきょうのみしゅつらいせしむるあひだ、 しかるべからず。 *さあらんときは、 ぼうぶんちょうせられても、 まことに*こうりゅう仏法ぶっぽうともいひつべきか。 しからずは、 *一盞いっさんにてもしかるべきか。 これも仏法ぶっぽうにこころざしのうすきによりてのことなれば、 これをとどまらざるもどうか。 ふかくあんあるべきものなり。

重杯 大酒を飲むこと。
きこえ うわさ。 風評。 評判。
さあらんとき そうである時は。
興隆仏法 仏法を盛んにすること。
一盞 一杯の酒。

 一 信心しんじんけつじょうのひとも、 *細々さいさい*どうぎょう会合かいごうのときは、 あひたがひに*信心しんじん沙汰さたあらば、 これすなはちしんしゅうはんじょう根元こんげんなり。

細々に しばしば。
信心の沙汰 信心について話し合うこと。

 一 とうりゅう信心しんじんけつじょうすといふたいは、 すなはち南無なも弥陀みだぶつろくのすがたとこころうべきなり。 すでに善導ぜんどうしゃくしていはく、 「ごん南無なもしゃ そくみょう やく発願ほつがんこう ごん弥陀みだぶつしゃ そくぎょう(*玄義分) といへり。 「南無なも」 としゅじょう弥陀みだみょうすれば、 弥陀みだぶつのそのしゅじょうをよく*しろしめして、 万善まんぜんまんぎょう恒沙ごうじゃどくをさづけたまふなり。 このこころすなはち 「弥陀みだぶつそくぎょう」 といふこころなり。 このゆゑに、 南無なもみょうする弥陀みだぶつのたすけましますほうとが一体いったいなるところをさして、 *ほう一体いったい南無なも弥陀みだぶつとはもうすなり。

かるがゆゑに、 弥陀みだぶつの、 むかし*法蔵ほうぞう比丘びくたりしとき、 「しゅじょうぶつずはわれもしょうがくらじ」 とちかひましますとき、 そのしょうがくすでにじょうじたまひしすがたこそ、 いまの南無なも弥陀みだぶつなりとこころうべし。 これすなはちわれらがおうじょうさだまりたるしょうなり。 さればりき信心しんじんぎゃくとくすといふも、 ただこのろくのこころなりと*落居らっきょすべきものなり。

しろしめして 知っていらっしゃって。 ご存じであって。
落居 りょうすること。

 そもそも、 このはちじょうのおもむきかくのごとし。 しかるあひだ、 *とうこんりゅうはすでにねんにおよべり。 毎年まいねん報恩ほうおんこうちゅうにおいて、 面々めんめん各々かくかく随分ずいぶん信心しんじんけつじょうのよし*りょうのうありといへども、 昨日きのう今日きょうまでも、 その信心しんじんのおもむきどうなるあひだ、 所詮しょせんなきものか。 しかりといへども、 当年とうねん報恩ほうおんこうちゅうにかぎりて、 信心しんじんのともがら、 今月こんがつ報恩ほうおんこうのうちに早速さっそく真実しんじつ信心しんじんぎゃくとくなくは、 年々ねんねんといふとも*同篇どうへんたるべきやうにみえたり。

しかるあひだろう年齢ねんれいすでに*しちしゅんにあまりて、 来年らいねん報恩ほうおんこうをもしがたきなるあひだ、 各々かくかく真実しんじつけつじょうしんをえしめんひとあらば、 ひとつはしょうにん今月こんがつ報謝ほうしゃのため、 ひとつはろうがこの七八しちはっねんのあひだの本懐ほんがいともおもひはんべるべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

当寺建立はすでに九箇年 当寺は山科やましな本願寺を指す。 蓮如上人が山科の地に本願寺の造営を決定してから九箇年という意。
領納 領解すること。
同篇 同じであるさま。
七旬 旬は十年の意。

  *文明ぶんめいじゅう七年しちねんじゅう一月いちがつじゅう三日さんにち

文明十七年 1485年。 蓮如上人七十一歳。

(9) 疫癘章

 とうこのごろ、 ことのほかに*疫癘えきれいとてひときょす。 これさらに疫癘えきれいによりてはじめてするにはあらず。 うまれはじめしよりしてさだまれる*じょうごうなり。 *さのみふかくおどろくまじきことなり。

しかれども、 いまぶんにあたりてきょするときは、 *さもありぬべきやうにみなひとおもへり。 これまことにどうぞかし。

このゆゑに弥陀みだ如来にょらいおおせられけるやうは、 「末代まつだいぼん*罪業ざいごうのわれらたらんもの、 *つみはいかほどふかくとも、 われを一心いっしんにたのまんしゅじょうをば、 かならずすくふべし」 とおおせられたり。 かかるときはいよいよ弥陀みだぶつをふかくたのみまゐらせて、 極楽ごくらくおうじょうすべしとおもひとりて、 *一向いっこう一心いっしん弥陀みだをたふときこととうたがふこころつゆちりほどももつまじきことなり。

かくのごとくこころえのうへには、 ねてもさめても南無なも弥陀みだぶつ南無なも弥陀みだぶつもうすは、 かやうにやすくたすけましますおんありがたさおんうれしさをもう御礼おんれいのこころなり。 これをすなはち仏恩ぶっとん報謝ほうしゃ念仏ねんぶつとはもうすなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

疫癘 疫病。 伝染病。
定業 →補註2
さもありぬべきやうに (疫癘で死ぬ) かのようにという意。

  *延徳えんとくねん六月ろくがつ にち

延徳四年 1492年。 蓮如上人七十八歳。

(10) 今の世章

 ^いまにあらん女人にょにんは、 みなみなこころをひとつにして弥陀みだ如来にょらいをふかくたのみたてまつるべし。 そのほかには、 いづれのほうしんずといふとも、 しょうのたすかるといふことゆめゆめあるべからずとおもふべし。

^されば弥陀みだをばなにとやうにたのみ、 またしょうをばなにとねがふべきぞといふに、 なにのわづらひもなく、 ただ一心いっしん弥陀みだをたのみ、 しょうたすけたまへとふかくたのみまうさんひとをば、 かならずおんたすけあらんことは、 さらさらつゆほどもうたがいあるべからざるものなり。

^このうへには、 *はや、 *しかとおんたすけあるべきことのありがたさよとおもひて、 仏恩ぶっとん報謝ほうしゃのために念仏ねんぶつもうすべきばかりなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

はや すでに。
しかと たしかに。 必ず。

                         *はちじゅう三歳さんさい 御判

八十三歳 明応六年 (1497)。

(11) 機法一体章

 ^南無なも弥陀みだぶつもうすは、 いかなるこころにてそうろふや。 しかれば、 なにと弥陀みだをたのみてほうおうじょうをばとぐべくそうろふやらん。

^これをこころべきやうは、 まづ南無なも弥陀みだぶつろくのすがたをよくよくこころわけて、 弥陀みだをばたのむべし。

^そもそも、 南無なも弥陀みだぶつたいは、 すなはちわれらしゅじょうしょうたすけたまへとたのみまうすこころなり。 すなはちたのむしゅじょう弥陀みだ如来にょらいのよくしろしめして、 すでに*じょうだいどくをあたへましますなり。 これをしゅじょうこうしたまへるといへるはこのこころなり。

^されば弥陀みだをたのむ弥陀みだぶつのたすけたまふほうなるがゆゑに、 これをほう一体いったい南無なも弥陀みだぶつといへるはこのこころなり。 これすなはちわれらがおうじょうさだまりたるりき信心しんじんなりとはこころべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

  *明応めいおう六年ろくねんがつじゅうにちこれをきをはりぬ。       はちじゅう三歳さんさい

明応六年 1497年。

(12) 毎月両度章

 ^そもそも、 *毎月まいがつりょう寄合よりあいらいはなにのためぞといふに、 さらにのことにあらず。 しんおうじょう極楽ごくらく信心しんじんぎゃくとくのためなるがゆゑなり。

^しかれば、 *おうよりいまにいたるまでも、 毎月まいがつ寄合よりあいといふことは、 いづくにもこれありといへども、 さらに*信心しんじん沙汰さたとては、 かつてもつてこれなし。 ことに近年きんねんは、 いづくにも寄合よりあいのときは、 ただ*しゅはんちゃなんどばかりにてみなみな退散たいさんせり。 これは仏法ぶっぽうほんにはしかるべからざるだいなり。

^いかにもしん面々めんめんは、 *一段いちだんしんをもたてて、 信心しんじん有無うむ沙汰さたすべきところに、 なにの所詮しょせんもなく退散たいさんせしむるじょう、 しかるべからずおぼえはんべり。 よくよくあんをめぐらすべきことなり。

^所詮しょせんこん以後いごにおいては、 しん面々めんめんはあひたがひに信心しんじん讃嘆さんだんあるべきこと肝要かんようなり。

毎月両度の寄合 毎月、 親鸞聖人の命日の二十八日と法然ほうねん上人の命日の二十五日に会合をもった。
往古 遠い昔。
信心の沙汰 信心について話し合うこと。 続く 「信心の讃嘆」 も同意。
酒飯茶なんどばかり… 飲食だけで終ってしまうという意。
一段の 一つの。

 ^それ、 とうりゅう安心あんじんのおもむきといふは、 あながちにわがざいしょうのふかきによらず、 ただもろもろの*ぞうぎょうのこころをやめて、 一心いっしん弥陀みだ如来にょらいみょうして、 こんいちだいしょうたすけたまへとふかくたのまんしゅじょうをば、 ことごとくたすけたまふべきこと、 さらにうたがいあるべからず。 かくのごとくよくこころえたるひとは、 まことに*ひゃくそく百生ひゃくしょうなるべきなり。

^このうへには、 毎月まいがつ寄合よりあいをいたしても、 報恩ほうおん謝徳しゃとくのためとこころえなば、 これこそ真実しんじつ信心しんじん*そくせしめたるぎょうじゃともなづくべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

百即百生 ¬礼讃らいさん¼ にある言葉。 信心の人は一人ももれず往生できるという意。
具足 たしかにそなえていること。

  *明応めいおう七年しちねんがつじゅうにちこれをく。

明応七年 1498年。

                    毎月まいがつりょうこうしゅちゅうへ はちじゅうさい

(13) 孟夏仲旬章

 それ、 あきはるり、 すでに当年とうねん明応めいおう第七だいしち*もう仲旬ちゅうじゅんごろになりぬれば、 年齢ねんれいつもりてはちじゅうさいぞかし。 しかるに当年とうねんにかぎりて、 ことのほかびょうにをかさるるあひだ、 もく手足しゅそく身体しんたいこころやすからざるあひだ、 これしかしながら*ごうびょうのいたりなり。 またはおうじょう極楽ごくらく*先相せんそうなりとかくせしむるところなり。

これによりて、 法然ほうねんしょうにんおんことばにいはく、 「*じょうをねがふぎょうにんは、 びょうげんてひとへにこれをたのしむ」 とこそおおせられたり。 しかれども、 あながちにびょうげんをよろこぶこころ、 さらにもつておこらず。 あさましきなり。 はづべし、 かなしむべきものか。

さりながら安心あんじんいち一念いちねんぽっ平生へいぜいごうじょうしゅうにおいては、 いまいちじょうのあひだ仏恩ぶっとん報尽ほうじん称名しょうみょう*行住ぎょうじゅう坐臥ざがにわすれざること間断けんだんなし。

これについて、 ここにろう一身いっしんじゅっかいこれあり。 そのいはれは、 われらきょじゅう在所ざいしょ在所ざいしょもんのともがらにおいては、 おほよそしんちゅうをみおよぶに、 *とりつめて信心しんじんけつじょうのすがたこれなしとおもひはんべり。 おほきになげきおもふところなり。

そのゆゑは、 ろうすでに*はちしゅんよわいすぐるまでぞんめいせしむるしるしには、 信心しんじんけつじょうぎょうじゃはんじょうありてこそ、 いのちながきしるしともおもひはんべるべきに、 さらにしかしかともけつじょうせしむるすがたこれなしとみおよべり。 そのいはれをいかんといふに、 そもそも人間にんげんかいろうしょうじょうのことをおもふにつけても、 いかなるやまいをうけてかせんや。

かかるのなかのぜいなれば、 いかにも一日いちにち*へんもいそぎて信心しんじんけつじょうして、 こんおうじょう極楽ごくらくいちじょうして、 そののち人間にんげんのありさまにまかせて、 すごすべきことかんようなりとみなみなこころうべし。

このおもむきをしんちゅうにおもひいれて、 一念いちねん弥陀みだをたのむこころをふかくおこすべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

業病 ここでは老衰のことをいう。 →補註5
先相 先だってあらわれる相。 まえぶれ。
浄土をねがふ… しょうげいの ¬でんつうにゅうしょう¼ 巻四十三、 ぎょうの ¬せんちゃくしゅうしゅうしょう¼ 巻四にこの旨がみえる。
とりつめて たしかに。
八旬の齢 旬は十年の意。
片時 わずかな時間。

  明応めいおう七年しちねん*しょ*仲旬ちゅうじゅんだい一日いちにち

仲旬第一日 十一日。

                      はちじゅうさい*老衲ろうのうこれをく。

老衲 老僧。 ここでは蓮如上人の自称。

  弥陀みだをききうることのあるならば 南無なも弥陀みだぶつとたのめみなひと

(14) 一流安心章

 ^いちりゅう安心あんじん*たいといふこと

 ^南無なも弥陀みだぶつろくのすがたなりとしるべし。

^このろく善導ぜんどうだいしゃくしていはく、 「ごん南無なもしゃ そくみょう やく発願ほつがんこう ごん弥陀みだぶつしゃ そくぎょう  必得ひっとくおうじょう(玄義分) といへり。

^まづ 「南無なも」 といふ二字にじは、 すなはちみょうといふこころなり。 「みょう」 といふは、 しゅじょう弥陀みだぶつしょうたすけたまへとたのみたてまつるこころなり。

また 「発願ほつがんこう」 といふは、 たのむところのしゅじょう摂取せっしゅしてすくひたまふこころなり。 これすなはち*やがて 「弥陀みだぶつ」 の四字しじのこころなり。

^さればわれらごときの*愚痴ぐち闇鈍あんどんしゅじょうは、 なにとこころをもち、 また弥陀みだをばなにとたのむべきぞといふに、 もろもろのぞうぎょうをすてて一向いっこう一心いっしんしょうたすけたまへと弥陀みだをたのめば、 けつじょう極楽ごくらくおうじょうすべきこと、 さらにそのうたがいあるべからず。

^このゆゑに南無なも二字にじは、 しゅじょう弥陀みだをたのむのかたなり。 また弥陀みだぶつ四字しじは、 たのむしゅじょうをたすけたまふかたのほうなるがゆゑに、 これすなはちほう一体いったい南無なも弥陀みだぶつもうすこころなり。

^このどうあるがゆゑに、 われら一切いっさいしゅじょうおうじょうたい南無なも弥陀みだぶつときこえたり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

やがて そのまま。
愚痴闇鈍 真実の道理がわからず、 心が暗く愚かで、 仏法に対する反応が鈍いこと。

  明応めいおう七年しちねんがつ にち

(15) 大坂建立章

 ^そもそも、 当国とうごく*せっしゅう*ひがし成郡なりのこおり生玉いくたましょうない大坂おおざかといふ在所ざいしょは、 おうよりいかなる約束やくそくのありけるにや、 さんぬる*明応めいおうだいあきじゅんのころより、 *かりそめながらこの在所ざいしょをみそめしより、 すでにかたのごとく*いち坊舎ぼうしゃこんりゅうせしめ、 当年とうねんははやすでに三年さんねん星霜せいそうをへたりき。 これすなはち*おうじゃく宿しゅくえんあさからざる因縁いんねんなりとおぼえはんべりぬ。

^それについて、 この在所ざいしょきょじゅうせしむる*根元こんげんは、 あながちにいっしょうがいをこころやすくすごし、 えい栄耀えいようをこのみ、 またちょう風月ふうげつにもこころをよせず、 *あはれ*じょうだいのためには信心しんじんけつじょうぎょうじゃはんじょうせしめ、 念仏ねんぶつをももうさんともがらもしゅつらいせしむるやうにもあれかしと、 おもふ*一念いちねんのこころざしをはこぶばかりなり。 またいささかもけんひとなんどもへんじゅうのやからもあり、 *むつかしき題目だいもくなんどもしゅつらいあらんときは、 すみやかにこの在所ざいしょにおいて*しゅうしんのこころをやめて、 退たいしゅつすべきものなり。

^これによりて、 いよいよせん道俗どうぞくをえらばず、 金剛こんごうけん信心しんじんけつじょうせしめんこと、 まことに弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんにあひかなひ、 べっしてはしょうにん (親鸞)ほん*たりぬべきものか。

^それについて、 ろうすでに当年とうねんはちじゅうさいまで存命ぞんめいせしむるじょう思議しぎなり。 まことにとうりゅうほうにも*あひかなふかのあひだ、 本望ほんもうのいたりこれにすぐべからざるものか。

^しかれば、 ろう当年とうねんなつごろより*れいせしめて、 いまにおいて*本復ほんぷくのすがたこれなし。 つひには当年とうねんかんちゅうにはかならずおうじょう本懐ほんがいをとぐべきじょう*いちじょうとおもひはんべり。

^あはれ、 あはれ、 存命ぞんめいのうちにみなみな信心しんじんけつじょうあれかしと、 *ちょうせきおもひはんべり。 まことに宿しゅくぜんまかせとはいひながら、 じゅっかいのこころしばらくもやむことなし。

^またはこの在所ざいしょ三年さんねんきょじゅうをふるその甲斐かいともおもふべし。 あひかまへてあひかまへて、 このいちしちにち報恩ほうおんこうのうちにおいて、 信心しんじんけつじょうありて、 われひと一同いちどうおうじょう極楽ごくらくほんをとげたまふべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

摂州 せっ (現在の大阪府西北部および兵庫県南東部) の別称。
東成郡生玉の庄内大坂 現在の大阪城付近。 蓮如上人は明応五年 (1496)、 この地に坊舎を造営した。 後の大阪石山本願寺。
明応第五 1496年。 蓮如上人八十二歳。
かりそめ 一時的であること。 偶然であること。
一宇の坊舎 一軒の僧坊。
往昔 遠い昔。
根元 理由。
あはれ ああ。 何とかして、 是非ともという意を含む。
一念のこころざし 深く念願する心。
むつかしき題目 無理難題のことがら。
執心 執着心。 ここでは是非ともこの土地にとどまりたいという執着心。
たりぬべきものか 十分に添うことができるはずであろうか。
あひかなふかのあひだ かなうかと思うと。
違例 病気。
本復 病気が全快すること。
一定 確かに定まっていること。
朝夕 一日中。

  明応めいおう七年しちねんじゅう一月いちがつじゅう一日いちにちよりはじめて、 これをよみて人々ひとびとしんをとらすべきものなり。

                       しゃくしょうにょ(花押)

 

 五 帖

(1) 末代無智章

 ^*末代まつだい無智むち*ざいじゅう男女なんにょたらんともがらは、 こころをひとつにして*弥陀みだぶつをふかくたのみまゐらせて、 さらにのかたへこころをふらず、 *一心いっしん一向いっこうぶつたすけたまへともうさん*しゅじょうをば、 たとひ*罪業ざいごうじんじゅうなりとも、 かならず弥陀みだ如来にょらいはすくひましますべし。

^これすなはちだいじゅうはち*念仏ねんぶつおうじょう誓願せいがんのこころなり。

^かくのごとくけつじょうしてのうへには、 ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは、 *称名しょうみょう念仏ねんぶつすべきものなり。

^*あなかしこ、 あなかしこ。

(2) 八万法蔵章

 ^それ、 *八万はちまん法蔵ほうぞうをしるといふとも、 *後世ごせをしらざるひとしゃとす。 たとひ*一文いちもん不知ふち*あまにゅうどうなりといふとも後世ごせをしるをしゃとすといへり。

^しかれば、 *とうりゅうのこころは、 *あながちにもろもろの聖教しょうぎょうをよみ、 ものをしりたりといふとも、 *一念いちねん*信心しんじんのいはれをしらざるひとは、 *いたづらごとなりとしるべし。

^さればしょうにん (親鸞)おんことばにも、 「一切いっさい男女なんにょたらんは、 弥陀みだ*本願ほんがんしんぜずしては、 *ふつとたすかるといふことあるべからず」 とおおせられたり。

^このゆゑにいかなる女人にょにんなりといふとも、 もろもろの*ぞうぎょうをすてて、 一念いちねん弥陀みだ如来にょらいこん*しょう*たすけたまへとふかくたのみまうさんひとは、 じゅうにんひゃくにんもみなともに弥陀みだ*ほうおうじょうすべきこと、 さらさらうたがいあるべからざるものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

八万の法蔵 八万は多数の意。 仏の説いた教法全体のこと。
後世をしらざる人 しょうの一大事について関心のない者。
ふつと まったく。

(3) 在家尼入道章

 ^それ、 ざい*あまにょうぼうたらんは、 *なにのやうもなく、 一心いっしん一向いっこう弥陀みだぶつをふかくたのみまゐらせて、 しょうたすけたまへともうさんひとをば、 みなみなおんたすけあるべしとおもひとりて、 さらにうたがいのこころ*ゆめゆめあるべからず。

^これすなはち*弥陀みだ如来にょらいおんちかひの*りき本願ほんがんとはもうすなり。

^このうへには、 なほしょうのたすからんことのうれしさありがたさをおもはば、 ただ*南無なも弥陀みだぶつ南無なも弥陀みだぶつととなふべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

尼女房 仏門に帰した女性。 髪を肩のあたりで切りそろえている者が多かった。
弥陀如来の御ちかひ 第十八願のこと。 →本願ほんがん

(4) 抑男子女人章

 ^そもそも、 なん女人にょにん*つものふかからんともがらは、 諸仏しょぶつ*がんをたのみても、 いまぶん*末代まつだいあくなれば、 諸仏しょぶつおんちからにては、 なかなかかなはざるときなり。 これによりて、 弥陀みだ如来にょらいもうしたてまつるは、 諸仏しょぶつにすぐれて、 *じゅうあく*ぎゃく罪人ざいにんをわれたすけんといふ大願だいがんをおこしましまして、 弥陀みだぶつとなりたまへり。

^「このぶつをふかくたのみて、 一念いちねんおんたすけそうらへともうさんしゅじょうを、 われたすけずは*しょうがくらじ」 とちかひまします弥陀みだなれば、 われらが*極楽ごくらくおうじょうせんことはさらにうたがいなし。

^このゆゑに、 一心いっしん一向いっこう弥陀みだ如来にょらいたすけたまへとふかく心にうたがいなくしんじて、 わがつみのふかきことをばうちすて、 ぶつにまかせまゐらせて、 一念いちねん信心しんじんさだまらんともがらは、 じゅうにんじゅうにんながらひゃくにんひゃくにんながら、 みなじょうおうじょうすべきこと、 さらにうたがいなし。

^このうへには、 なほなほたふとくおもひたてまつらんこころのおこらんときは、 南無なも弥陀みだぶつ南無なも弥陀みだぶつと、 ときをもいはず、 ところをもきらはず、 念仏ねんぶつもうすべし。 これをすなはち*仏恩ぶっとん報謝ほうしゃ念仏ねんぶつもうすなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

末代悪世 末法まっぽうじょくの世。

(5) 信心獲得章

 ^信心しんじん*ぎゃくとくすといふは*だいじゅうはちがんをこころうるなり。 このがんをこころうるといふは、 南無なも弥陀みだぶつ*すがたをこころうるなり。 このゆゑに、 南無なも*みょうする一念いちねんところ*発願ほつがんこうのこころあるべし。 これすなはち弥陀みだ如来にょらい*ぼん*こうしましますこころなり。

^これを ¬*だいきょう¼ (上) には、 「りょうしょしゅじょうどくじょうじゅ」 とけり。 されば*無始むしらいつくりとつくる*悪業あくごう*煩悩ぼんのうを、 のこるところもなく*願力がんりき思議しぎをもつてしょうめつするいはれあるがゆゑに、 *正定しょうじょうじゅ*退たいくらいじゅうすとなり。

^これによりて、 「*煩悩ぼんのうだんぜずしてはんをう」 といへるはこのこころなり。 この*とうりゅういち所談しょだんなるものなり。 りゅうひとたいして、 かくのごとく沙汰さたあるべからざるところなり。 よくよくこころうべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

すがた いわれ。 おもむき。
煩悩を断ぜず… 「正信偈」 の 「不断煩悩得涅槃」 によっている。 煩悩を断ち切らないままで、 仏のさとりを得ることに定まるという意。
当流一途の所談 浄土真宗独自の特別な教え。

(6) 一念大利章

 ^一念いちねん弥陀みだをたのみたてまつるぎょうじゃには、 *じょうだいどくをあたへたまふこころを、 ¬さん¼ (*正像末和讃)しょうにん (親鸞) のいはく、 「*じょくあく*じょうの *せんじゃく本願ほんがんしんずれば *不可ふかしょう不可ふかせつ不可ふか思議しぎの どくぎょうじゃにみてり」。

^このさんこころは、 「じょくあくしゅじょう」 といふは一切いっさいわれら女人にょにん悪人あくにんのことなり。

^さればかかる*あさましき*いっしょう造悪ぞうあくぼんなれども、 弥陀みだ如来にょらい一心いっしん一向いっこうにたのみまゐらせて、 しょうたすけたまへともうさんものをば、 かならずすくひましますべきこと、 さらにうたがふべからず。

^かやうに弥陀みだをたのみまうすものには、 不可ふかしょう不可ふかせつ不可ふか思議しぎだいどくをあたへましますなり。 「不可ふかしょう不可ふかせつ不可ふか思議しぎどく」 といふことは、 かずかぎりもなきだいどくのことなり。

^このだいどくを、 一念いちねん弥陀みだをたのみまうすわれらしゅじょうこうしましますゆゑに、 過去かこらい現在げんざいさん*ごっしょういちつみえて、 正定しょうじょうじゅくらい、 また*とうしょうがくくらいなんどにさだまるものなり。

^このこころをまた ¬さん¼ (正像末和讃・意) にいはく、 「弥陀みだ本願ほんがんしんずべし 本願ほんがんしんずるひとはみな *摂取せっしゅしゃやくゆゑ とうしょうがくにいたるなり」 といへり。

^摂取せっしゅしゃ」 といふは、 これも、 一念いちねん弥陀みだをたのみたてまつるしゅじょうこうみょうのなかにをさめとりて、 しんずるこころだにもかはらねば、 すてたまはずといふこころなり。

^このほかにいろいろの法門ほうもんどもありといへども、 ただ一念いちねん弥陀みだをたのむしゅじょうはみなことごとく*ほうおうじょうすべきこと、 ゆめゆめうたがふこころあるべからざるものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

(7) 五障三従章

 それ、 女人にょにんは、 *しょうさんしょうとて、 おとこにまさりてかかるふかきつみのあるなり。 このゆゑに一切いっさい女人にょにんをば、 *十方じっぽうにまします諸仏しょぶつも、 わがちからにては女人にょにんをばほとけになしたまふこと、 さらになし。

しかるに弥陀みだ如来にょらいこそ、 女人にょにんをばわれひとりたすけんといふ大願だいがん (第三十五願) をおこしてすくひたまふなり。 このほとけをたのまずは、 女人にょにんのほとけにるといふことあるべからざるなり。

これによりて、 なにとこころをももち、 またなにと弥陀みだほとけをたのみまゐらせてほとけにるべきぞなれば、 なにのやうもいらず、 ただ*ふたごころなく一向いっこう弥陀みだぶつばかりをたのみまゐらせて、 しょうたすけたまへとおもふこころひとつにて、 やすくほとけにるべきなり。

このこころの*つゆちりほどもうたがいなければ、 かならずかならず極楽ごくらくへまゐりて、 *うつくしきほとけとはるべきなり。

さてこのうへにこころうべきやうは、 ときどき念仏ねんぶつもうして、 かかるあさましきわれらをやすくたすけまします弥陀みだ如来にょらいおんを、 おんうれしさありがたさをほうぜんために、 念仏ねんぶつもうすべきばかりなりとこころうべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

露ちりほども ほんの少しも。
うつくしき うるわしい。 あでやかな。 端正な。

(8) 五劫思惟章

 それ、 *こうゆい本願ほんがんといふも、 *ちょうさい永劫ようごうしゅぎょうといふも、 ただわれら一切いっさいしゅじょうをあながちにたすけたまはんがための*方便ほうべんに、 弥陀みだ如来にょらい身労しんろうありて、 南無なも弥陀みだぶつといふ本願ほんがん (第十八願) をたてましまして、 「まよひのしゅじょう一念いちねん弥陀みだぶつをたのみまゐらせて、 もろもろのぞうぎょうをすてて*一向いっこう一心いっしん弥陀みだをたのまんしゅじょうをたすけずんば、 われしょうがくらじ」 とちかひたまひて、 南無なも弥陀みだぶつとなりまします。 これすなはちわれらがやすく極楽ごくらくおうじょうすべきいはれなりとしるべし。

されば南無なも弥陀みだぶつろくのこころは、 一切いっさいしゅじょうほうおうじょうすべきすがたなり。 このゆゑに南無なもみょうすれば、 *やがて弥陀みだぶつのわれらをたすけたまへるこころなり。 このゆゑに 「南無なも」 の二字にじは、 しゅじょう弥陀みだ如来にょらいにむかひたてまつりてしょうたすけたまへともうすこころなるべし。 かやうに弥陀みだをたのむひとをもらさずすくひたまふこころこそ、 「弥陀みだぶつ」 の四字しじのこころにてありけりとおもふべきものなり。

これによりて、 いかなるじゅうあくぎゃくしょうさんしょう女人にょにんなりとも、 もろもろのぞうぎょうをすてて、 ひたすらしょうたすけたまへとたのまんひとをば、 *たとへばじゅうにんもあれひゃくにんもあれ、 みなことごとくもらさずたすけたまふべし。 このおもむきをうたがいなくしんぜんともがらは、 しんじつ弥陀みだじょうおうじょうすべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

たとへば 例をもうけて示せばという意。

(9) 一切聖教章

 ^とうりゅう*安心あんじんいちといふは、 ただ南無なも弥陀みだぶつろくのこころなり。

^たとへば南無なもみょうすれば、 *やがて弥陀みだぶつのたすけたまへるこころなるがゆゑに、 「南無なも」 の二字にじみょうのこころなり。

^みょう」 といふは、 しゅじょうの、 もろもろのぞうぎょうをすてて、 弥陀みだぶつしょうたすけたまへと一向いっこうにたのみたてまつるこころなるべし。

^このゆゑにしゅじょうをもらさず弥陀みだ如来にょらいのよくしろしめして、 たすけましますこころなり。 これによりて、 南無なもとたのむしゅじょう弥陀みだぶつのたすけましますどうなるがゆゑに、 南無なも弥陀みだぶつろくのすがたは、 すなはちわれら一切いっさいしゅじょうびょうどうにたすかりつるすがたなりとしらるるなり。

^さればりき信心しんじんをうるといふも、 これ*しかしながら南無なも弥陀みだぶつろくのこころなり。 このゆゑに一切いっさい聖教しょうぎょうといふも、 ただ南無なも弥陀みだぶつろくしんぜしめんがためなりといふこころなりとおもふべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

(10) 聖人一流章

 ^しょうにん (親鸞) *いちりゅう*かんのおもむきは、 *信心しんじんをもつて*ほんとせられそうろふ。のゆゑは、 もろもろのぞうぎょうをなげすてて、 一心いっしん弥陀みだみょうすれば、 *不可ふか思議しぎ願力がんりきとして、 ぶつのかたよりおうじょう*じょうせしめたまふ。

^そのくらいを 「*一念いちねんぽっにゅう正定しょうじょうじゅ(*論註・上意) ともしゃくし、 そのうへの称名しょうみょう念仏ねんぶつは、 如来にょらいわがおうじょうさだめたまひしおん報尽ほうじん念仏ねんぶつとこころうべきなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

 根本。 肝要。
一念発起… 「一念発起すれば正定の聚に入る」 信心が初めておこった時、 浄土に往生することが正しく定まり、 仏になることが決定している仲間となる。

(11) 御正忌章

 ^そもそも、 この*しょうのうちに参詣さんけいをいたし、 こころざしをはこび、 報恩ほうおん謝徳しゃとくをなさんとおもひて、 *しょうにんおんまへにまゐらんひとのなかにおいて、 信心しんじんぎゃくとくせしめたるひともあるべし、 また信心しんじんのともがらもあるべし。 *もつてのほかのだいなり。

^そのゆゑは、 信心しんじんけつじょうせずはこんほうおうじょうじょうなり。 さればしんのひともすみやかにけつじょうのこころをとるべし。

^*人間にんげんじょうのさかひなり。 *極楽ごくらく常住じょうじゅうくになり。 さればじょう人間にんげんにあらんよりも、 常住じょうじゅう極楽ごくらくをねがふべきものなり。 さればとうりゅうには信心しんじんのかたをもつてさきとせられたるそのゆゑをよくしらずは、 いたづらごとなり。 いそぎて安心あんじんけつじょうして、 じょうおうじょうをねがふべきなり。

^それ*人間にんげん流布るふしてみなひとのこころえたるとほりは、 *なにの分別ふんべつもなくくちにただ称名しょうみょうばかりをとなへたらば、 極楽ごくらくおうじょうすべきやうにおもへり。 それはおほきにおぼつかなきだいなり。

^りき信心しんじんをとるといふも、 べつのことにはあらず。 南無なも弥陀みだぶつつののこころをよくしりたるをもつて、 信心しんじんけつじょうすとはいふなり。

^そもそも、 信心しんじん*たいといふは、 ¬きょう¼ (大経・下) にいはく、 「もんみょうごう信心しんじんかん」 といへり。

^*善導ぜんどうのいはく、 「ª南無なもº といふはみょう、 またこれ発願ほつがんこうなり。 ª弥陀みだぶつº といふはすなはちそのぎょう(*玄義分) といへり。

^南無なも」 といふ二字にじのこころは、 もろもろのぞうぎょうをすてて、 うたがいなく一心いっしん一向いっこう弥陀みだぶつをたのみたてまつるこころなり。

^さて 「弥陀みだぶつ」 といふつののこころは、 一心いっしん弥陀みだみょうするしゅじょうを、 やうもなくたすけたまへるいはれが、 すなはち弥陀みだぶつつののこころなり。

^されば南無なも弥陀みだぶつたいをかくのごとく*こころえわけたるを、 信心しんじんをとるとはいふなり。 これすなはちりき信心しんじんをよくこころえたる念仏ねんぶつぎょうじゃとはもうすなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

聖人の御まへ 親鸞聖人の真影しんねいの前。
もつてのほかの大事 なによりも大事なこと。
人間は不定のさかひ 人間界は生滅変化する無常のきょうがいであるという意。
極楽は常住の国 極楽浄土は永遠に変らない真実の世界であるという意。
人間に流布して 世間にひろまって。 世間一般に。
なにの分別もなく 本願みょうごうのいわれを聞きひらくこともなく。
こころえわけたる 「こころえわく」 は了解してわきまえること。

(12) 御袖章

 ^とうりゅう安心あんじんのおもむきをくはしくしらんとおもはんひとは、 あながちに智慧ちえ*才学さいかくもいらず、 ただわがつみふかきあさましきものなりとおもひとりて、 かかる*までもたすけたまへるほとけは弥陀みだ如来にょらいばかりなりとしりて、 なにのやうもなく、 ひとすぢにこの弥陀みだほとけの御袖おんそで*ひしとすがりまゐらするおもひをなして、 しょうをたすけたまへとたのみまうせば、 この弥陀みだ如来にょらいはふかくよろこびましまして、 そのおんより八万はちまんせんのおほきなるこうみょうはなちて、 そのこうみょうのなかにそのひとおされておきたまふべし。

^さればこのこころを ¬きょう¼ (*観経) には、 「こうみょうへんじょう 十方じっぽうかい 念仏ねんぶつしゅじょう 摂取せっしゅしゃ」 とはかれたりとこころうべし。 さてはわがのほとけにらんずることは、 なにの*わづらひもなし。

^あら、 しゅしょう*ちょう本願ほんがんや、 ありがたの弥陀みだ如来にょらいこうみょうや。 このこうみょうえんにあひたてまつらずは、 無始むしよりこのかたの*みょうごっしょうのおそろしきやまいのなほるといふことは、 さらにもつてあるべからざるものなり。

^しかるにこのこうみょうえんにもよほされて、 宿しゅくぜんありて、 りき信心しんじんといふことをばいますでにえたり。 これしかしながら、 弥陀みだ如来にょらいおんかたよりさづけましましたる信心しんじんとは*やがてあらはにしられたり。

^かるがゆゑにぎょうじゃのおこすところの信心しんじんにあらず、 弥陀みだ如来にょらいりきだい信心しんじんといふことは、 いまこそあきらかにしられたり。

^これによりて、 かたじけなくもひとたびりき信心しんじんをえたらひとは、 みな弥陀みだ如来にょらいおんをおもひはかりて、 仏恩ぶっとん報謝ほうしゃのためにつねに称名しょうみょう念仏ねんぶつもうしたてまつるべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

超世 諸仏の本願に超えすぐれていること。

(13) 無上甚深章

 ^それ、 南無なも弥陀みだぶつもうもんは、 そのかずわづかにろくなれば、 *さのみのうのあるべきともおぼえざるに、 このろく*みょうごうのうちにはじょう甚深じんじんどくやく広大こうだいなること、 さらにそのきはまりなきものなり。

^されば信心しんじんをとるといふも、 このろくのうちにこもれりとしるべし。 さらにべつ信心しんじんとてろくのほかにはあるべからざるものなり。

 ^そもそも、 この 「南無なも弥陀みだぶつ」 のろく善導ぜんどうしゃくしていはく、 「ª南無なもº といふはみょうなり、 またこれ発願ほつがんこうなり。 ª弥陀みだぶつº といふはそのぎょうなり。 このをもつてのゆゑにかならずおうじょうすることを(玄義分) といへり。

^しかれば、 このしゃくのこころをなにとこころうべきぞといふに、 たとへばわれらごときの悪業あくごう煩悩ぼんのうなりといふとも、 一念いちねん弥陀みだぶつみょうせば、 かならずそのをしろしめしてたすけたまふべし。

^それみょうといふはすなはちたすけたまへともうすこころなり。 されば一念いちねん弥陀みだをたのむしゅじょうじょうだいどくをあたへたまふを、 発願ほつがんこうとはもうすなり。

^この発願ほつがんこう大善だいぜんだいどくをわれらしゅじょうにあたへましますゆゑに、 無始むし曠劫こうごうよりこのかたつくりおきたる悪業あくごう煩悩ぼんのうをばいちしょうめつしたまふゆゑに、 われらが煩悩ぼんのう悪業あくごうはことごとくみなえて、 すでに正定しょうじょうじゅ*退転たいてんなんどいふくらいじゅうすとはいふなり。

^このゆゑに、 南無なも弥陀みだぶつろくのすがたは、 われらが極楽ごくらくおうじょうすべきすがたをあらはせるなりと、 いよいよしられたるものなり。 されば安心あんじんといふも、 信心しんじんといふも、 このみょうごうろくのこころをよくよくこころうるものを、 りきだい信心しんじんをえたるひととはなづけたり。

^かかるしゅしょうどうあるがゆゑに、 ふかくしんじたてまつるべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

(14) 上臈下主章

 それ、 *一切いっさい女人にょにんは、 ひとしれずつみのふかきこと、 *じょうろうにも*下主げすにもよらぬあさましきなりとおもふべし。

それにつきては、 なにとやうに弥陀みだしんずべきぞといふに、 なにのわづらひもなく、 弥陀みだ如来にょらいをひしとたのみまゐらせて、 こんいちだいしょうたすけたまへともうさん女人にょにんをば、 *あやまたずたすけたまふべし。

さてわがつみのふかきことをば*うちすてて、 弥陀みだにまかせまゐらせて、 ただ一心いっしん弥陀みだ如来にょらいしょうたすけたまへとたのみまうさば、 そのをよくしろしめしてたすけたまふべきこと、 うたがいあるべからず。 たとへばじゅうにんありともひゃくにんありとも、 みなことごとく極楽ごくらくおうじょうすべきこと、 さらにそのうたがふこころつゆほどももつべからず。

かやうにしんぜん女人にょにんじょううまるべし。 かくのごとくやすきことを、 いままでしんじたてまつらざることのあさましさよとおもひて、 なほなほふかく弥陀みだ如来にょらいをたのみたてまつるべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

一切の女人の身は… →補註14
上臈 身分の高い人。
下主 身分の低い人。
あやまたず 間違いなく。
うちすてて 心配しないで。

(15) 弥陀如来本願章

 それ、 弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんもうすは、 なにたるしゅじょうをたすけたまふぞ。 またいかやうに弥陀みだをたのみ、 いかやうに心をもちてたすかるべきやらん。

まづをいへば、 じゅうあくぎゃく罪人ざいにんなりとも、 しょうさんしょう女人にょにんなりとも、 さらにその罪業ざいごうじんじゅう*こころをばかくべからず。 ただりきだい信心しんじんひとつにて、 真実しんじつ極楽ごくらくおうじょうをとぐべきものなり。

さればその信心しんじんといふは、 いかやうにこころをもちて、 弥陀みだをばなにとやうにたのむべきやらん。 それ、 信心しんじんをとるといふは、 やうもなく、 ただもろもろのぞうぎょう雑修ざっしゅ*りきなんどいふわろきこころをふりすてて、 一心いっしんにふかく弥陀みだするこころのうたがいなきを*真実しんじつ信心しんじんとはもうすなり。

かくのごとく一心いっしんにたのみ、 一向いっこうにたのむしゅじょうを、 かたじけなくも弥陀みだ如来にょらいはよくしろしめして、 このを、 こうみょうはなちてひかりのなかにおさめおきましまして、 極楽ごくらくおうじょうせしむべきなり。 これを念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしたまふといふことなり。

このうへには、 たとひ*いちのあひだもう念仏ねんぶつなりとも、 仏恩ぶっとん報謝ほうしゃ念仏ねんぶつとこころうべきなり。

これをとうりゅう信心しんじんをよくこころえたる念仏ねんぶつぎょうじゃといふべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

五障三従の女人 →補註14
こころをば… (罪の重さを) 気にしてはならない、 心配してはいけないという意。

(16) 白骨章

 ^それ、 *人間にんげん*しょうなるそう*つらつら*かんずるに、 おほよそはかなきものはこの*ちゅうじゅう、 まぼろしのごとくなるいちなり。 さればいまだ万歳まんざい人身にんじんけたりといふことをきかず、 いっしょうぎやすし。

^いまにいたりてたれか*ひゃくねんぎょうたいをたもつべきや。 われやさきひとさき今日こんにちともしらず、 みょうにちともしらず、 *おくれさきだつひと*もとのしづくすゑのつゆよりも*しげし*といへり。 されば*あしたには紅顔こうがんありてゆうべには白骨はっこつとなれるなり。

^すでにじょうかぜきたりぬれば、 すなはちふたつのまなこたちまちにぢ、 ひとつのいきながくたえぬれば、 紅顔こうがんむなしくへんじて*とうのよそほひをうしなひぬるときは、 *六親ろくしん*眷属けんぞくあつまりてなげきかなしめども、 さらにその甲斐かいあるべからず。

^*さてしもあるべきことならねばとて、 *がいにおくりて*夜半よわけむりとなしはてぬれば、 ただ白骨はっこつのみぞのこれり。 あはれといふもなかなか*おろかなり。

観ずるに 心をしずめて考えてみると。
始中終 始は少年期、 中は壮年期、 終は老年期のこと。 人の一生をいう。
百年の形体 百歳の身体。
おくれさきだつ人 人より後に生き残る人と、 人より先に死ぬ人。 生き残る人と死ぬ人。
もとのしづくすゑの露 草木の根もとにおちるしずく、 草の葉の末にやどる露のことで、 人の死の先後は予想できないことをあらわす。
しげし 数量が多い。
といへり 以上の文は ¬存覚ぞんかくほう¼ に引く鳥羽とば上皇の ¬じょう講式こうしき¼ からの引用であるため 「といへり」 という。
朝には… ¬かん朗詠ろうえいしゅう¼ (下) の義孝よしたか少将の詩に 「朝に紅顔ありて世路に誇れども、 暮に白骨となりて郊原に朽ちぬ」 とある。
桃李のよそほひ 桃や李 (スモモ) の花のように美しいすがた。
さてしも… いつまでもそうしてはいられないので。
野外におくりて 野辺の送りをして。 遺骸を火葬場に送ること。
夜半の煙 夜のけむり。 遺骸を火葬するようすをいう。

^されば人間にんげんのはかなきことは*ろうしょうじょう*さかひなればたれのひともはやくしょういちだいこころにかけて、 弥陀みだぶつをふかくたのみまゐらせて念仏ねんぶつもうすべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

さかひ きょうがい

(17) 一切女人章

 ^それ、 一切いっさい女人にょにんは、 しょうだいにおもひ、 仏法ぶっぽうをたふとくおもふこころあらば、 なにのやうもなく、 弥陀みだ如来にょらいをふかくたのみまゐらせて、 もろもろのぞうぎょうをふりすてて、 一心いっしんしょうおんたすけそうらへとひしとたのまん女人にょにんは、 かならず極楽ごくらくおうじょうすべきこと、 さらにうたがいあるべからず。

^かやうに*おもひとりてののちは、 ひたすら弥陀みだ如来にょらいのやすくおんたすけにあづかるべきことのありがたさ、 またたふとさよとふかくしんじて、 ねてもさめても南無なも弥陀みだぶつ南無なも弥陀みだぶつもうすべきばかりなり。 これを信心しんじんとりたる念仏ねんぶつしゃとはもうすものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

おもひとりてののちは 信心けつじょうしたうえは。

(18) 当流聖人章

 ^とうりゅうしょうにん (親鸞) のすすめまします安心あんじんといふは、 なにのやうもなく、 まづわがのあさましきつみのふかきことをばうちすてて、 もろもろのぞうぎょう雑修ざっしゅのこころを*さしおきて、 一心いっしん弥陀みだ如来にょらいしょうたすけたまへと、 一念いちねんにふかくたのみたてまつらんものをば、 たとへばじゅうにんじゅうにんひゃくにんひゃくにんながら、 みなもらさずたすけたまふべし。

^これさらにうたがふべからざるものなり。 かやうによくこころえたるひと信心しんじんぎょうじゃといふなり。

^さてこのうへには、 なほわがしょうのたすからんことのうれしさをおもひいださんときは、 ねてもさめても南無なも弥陀みだぶつ南無なも弥陀みだぶつととなふべきものなり。

^

あなかしこ、 あなかしこ。

さしおきて 捨て去って。

(19) 末代悪人章

 それ、 末代まつだい悪人あくにん女人にょにんたらんともがらは、 みなみなこころひとつにして弥陀みだぶつをふかくたのみたてまつるべし。 そのほかには、 いづれのほうしんずといふとも、 しょうのたすかるといふことゆめゆめあるべからず。 しかれば、 弥陀みだ如来にょらいをばなにとやうにたのみ、 しょうをばねがふべきぞといふに、 なにのわづらひもなく、 ただ一心いっしん弥陀みだ如来にょらいをひしとたのみ、 しょうたすけたまへとふかくたのみまうさんひとをば、 かならずおんたすけあるべきこと、 さらさらうたがいあるべからざるものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

(20) 女人成仏章

 それ、 一切いっさい女人にょにんたらんは、 弥陀みだ如来にょらいをひしとたのみ、 しょうたすけたまへともうさん女人にょにんをば、 かならずおんたすけあるべし。 さるほどに、 *諸仏しょぶつのすてたまへる女人にょにんを、 弥陀みだ如来にょらいひとり、 われたすけずんばまたいづれのぶつのたすけたまはんぞとおぼしめして、 じょう大願だいがんをおこして、 われ諸仏しょぶつにすぐれて女人にょにんをたすけんとて、 *こうがあひだゆいし、 *永劫ようごうがあひだしゅぎょうして、 *にこえたる大願だいがんをおこして、 女人にょにんじょうぶつといへるしゅしょうがん (第三十五願) をおこしまします弥陀みだなり。

このゆゑにふかく弥陀みだをたのみ、 しょうたすけたまへともうさん女人にょにんは、 みなみな極楽ごくらくおうじょうすべきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

諸仏のすてたまへる女人 諸仏の本願に女人成仏の願がないので、 このようにいう。 →補註14
五劫があひだ思惟 阿弥陀仏がいん法蔵ほうぞう菩薩の時、 一切しゅじょうを平等に救うために、 五劫という長い間思惟をめぐらしたこと。
永劫があひだ修行 阿弥陀仏が因位の法蔵菩薩の時、 本願を成就するために、 はかりしれない長い間、 無量の行を修めたこと。
世にこえたる くらべようのない。

(21) 経釈明文

 ^とうりゅう安心あんじんといふは、 なにのやうもなく、 もろもろのぞうぎょう雑修ざっしゅのこころをすてて、 わがはいかなる罪業ざいごうふかくとも、 それをばぶつにまかせまゐらせて、 ただ一心いっしん弥陀みだ如来にょらい一念いちねんにふかくたのみまゐらせて、 おんたすけそうらへともうさんしゅじょうをば、 じゅうにんじゅうにんひゃくにんひゃくにんながら、 ことごとくたすけたまふべし。 これさらにうたがふこころつゆほどもあるべからず。

^かやうにしんずる安心あんじんをよくけつじょうせしめたるひととはいふなり。 このこころをこそ*きょうしゃく明文めいもんには、 「*一念いちねんぽっじゅう正定しょうじょうじゅ」 とも 「*平生へいぜいごうじょうぎょうにん」 ともいふなり。

^さればただ弥陀みだぶつ一念いちねんにふかくたのみたてまつること肝要かんようなりとこころうべし。 このほかには、 弥陀みだ如来にょらいのわれらをやすくたすけましますおんのふかきことをおもひて、 *行住ぎょうじゅう坐臥ざがにつねに念仏ねんぶつもうすべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

経釈の明文 ¬大経¼ (下) の第十一願成就文、 第十八願成就文、 「易行品」 の 「即の時に必定に入る」、 ¬論註¼ (上) の 「すなはち大乗小乗の聚に入る」 などの文を指す。

(22) 当流勧化章

 ^そもそも、 とうりゅうかんのおもむきをくはしくしりて、 極楽ごくらくおうじょうせんとおもはんひとは、 まづりき信心しんじんといふことをぞんすべきなり。

^それ、 りき信心しんじんといふはなにのようぞといへば、 かかるあさましきわれらごときのぼんが、 たやすくじょうへまゐるべき*ようなり。

^そのりき信心しんじんのすがたといふはいかなることぞといへば、 なにのやうもなく、 ただひとすぢに弥陀みだ如来にょらい一心いっしん一向いっこうにたのみたてまつりて、 たすけたまへとおもふこころの一念いちねんおこるとき、 かならず弥陀みだ如来にょらい摂取せっしゅこうみょうはなちて、 そのしゃにあらんほどは、 このこうみょうのなかにおさめおきましますなり。 これすなはちわれらがおうじょうさだまりたるすがたなり。

^されば*南無なも弥陀みだぶつもうたいは、 われらがりき信心しんじんをえたるすがたなり。 この信心しんじんといふは、 この南無なも弥陀みだぶつのいはれをあらはせるすがたなりとこころうべきなり。 さればわれらがいまのりき信心しんじんひとつをとるによりて、 極楽ごくらくにやすくおうじょうすべきことの、 さらになにのうたがいもなし。

^あら、 しゅしょう弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんや。 このありがたさの弥陀みだおんをば、 いかがしてほうじたてまつるべきぞなれば、 ただねてもおきても南無なも弥陀みだぶつととなへて、 かの弥陀みだ如来にょらい仏恩ぶっとんほうずべきなり。

^されば南無なも弥陀みだぶつととなふるこころはいかんぞなれば、 弥陀みだ如来にょらいおんたすけありつるありがたさたふとさよとおもひて、 それをよろこびまうすこころなりとおもふべきものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

用意 前から準備しておくこと。 ここでは信心が往生の正因であることをいう。
南無阿弥陀仏と申す体は 南無阿弥陀仏というものは。

                       しゃく*しょうにょ(花押)