0917がい0299じゃしょう

 

(1)

一 *今案こんあん自義じぎをもつて名帳みょうちょうしょうして、 祖師そしいちりゅうを​みだること

 そう祖師そし*黒谷くろだにしょうにん製作せいさく ¬*せんじゃくしゅう¼ (意) に​のべ​らるる​が​ごとく、 「*だいしょうじょう*顕密けんみつしょしゅうに​おのおの*師資ししそうじょう*けちみゃくある​が​ごとく、 いま​またじょういっしゅうにおいて、 おなじく師資ししそうじょうけちみゃくある​べし」 と 云々うんぬん。 しかれば、 けちみゃくを​たつる肝要かんようは、 おうじょうじょうりきしんぎょうぎゃくとくするせつじょうせしめ​て、 かつは師資ししれいを​しら​しめ、 かつは仏恩ぶっとん報尽ほうじんせんがため​なり。

かのしんぎょうぎゃくとくせん​こと、 念仏ねんぶつおうじょうがん (第十八願) じょうじゅの 「信心しんじんかんない一念いちねん(*大経・下)もんをもつて*ひょうヨリタノムと​す。 この​ほか​いまだ​きか​ず。 「そう祖師そし *源空げんくう 祖師そし *親鸞しんらん りょう相伝そうでん*とうきょうにおいて、 名帳みょうちょうごうして​その人数にんじゅを​しるす​をもつておうじょうじょうなんとし、 仏法ぶっぽうでんしょうと​す」 といふ​こと​は、 これ​おそらく​は祖師そしいちりゅうしょうたる​をや。 ゆめゆめ​かのじゃをもつてほうりゅうしょうと​す​べ0918から​ざる​ものなり。

もし 「即得そくとくおうじょうじゅ退転たいてん(大経・下) とうきょうもんをもつて*平生へいぜいごうじょう0300りきしんぎょうぎゃくとくこくを​ききたがへ​て、 「名帳みょうちょう*勘録かんろくぶんにあたりておうじょうじょうしょうごうじょうする」 なんど*ばし、 ききあやまれ​る​にやあらん。 ただべつようありて人数にんじゅを​しるさ​ば*その​かぎり​あり。 しからずして、 念仏ねんぶつしゅぎょうするぎょうじゃみょう*しるさ​ん​からに、 この​ときおうじょうじょうくらい、 あにじょうす​べけんや。 このじょうごうする​ところ、 「黒谷くろだに (源空)本願ほんがん (親鸞) りょうそうじょういちりゅうなり」 と 云々うんぬん

*展転てんでんせつなれば、 もし​ひと​の​ききあやまれ​る​をや。 ほぼ信用しんようする​に​たら​ず​と​いへども、 ことじつならば*仏法ぶっぽうどうか。 祖師そし*あくみょうといひ​つ​べし。 もつともおどろきおもひ​たまふ​ところ​なり。

いかにぎょうじゃみょうを​しるしつけ​たり​といふとも、 願力がんりき思議しぎぶっさずくるぜんしきじつりょうせずんばおうじょう不可ふかなり。 たとひみょうを​しるさ​ず​といふとも、 宿しゅくぜん開発かいほつとしてりきおうじょうせつりょうのうせば、 平生へいぜいを​いは​ずりんじゅうろんぜ​ず、 じょうじゅくらいじゅうめついたる​べきじょう経釈きょうしゃくぶんみょうなり。 この​うへ​に​なに​によりて​か経釈きょうしゃくを​はなれ​て*自由じゆ妄説もうせつを​さき​として*わたくし​の自義じぎ*こっちょうせん​や。

おほよそ本願ほんがんしょうにん門弟もんていの​うち​においてじゅうはい流々りゅうりゅう学者がくしゃたち祖師そしでんに​あらざる​ところ​を禁制きんぜいし、 *0919もうちょうはいある​べき​もの​をや。 なかんづくに、 かの名帳みょうちょうごうするしょにおいて序題じょだいき、 *あまつさへ意解いげ0301を​のぶ​と 云々うんぬん。 かの作者さくしゃにおいて​たれ​の​ともがら​ぞや。 おほよそでんに​あらざるびゅうせつアヤマリヲトク​もつて祖師そしいちりゅうせつしょうするじょうみょうしゅしょうらんし、 しゃ謗難ぼうなんまねく​もの​か。 おそる​べし、 あやぶむ​べし。

(2)

一 *けいごうして、 おなじく自義じぎを​たつるじょういいなきこと

 それしょうどうじょうもんについてしょうしゅっようを​たくはふる​こと、 きょうろんしょうしょ明証みょうしょうあり​と​いへども、 けんすれば​かならず​あやまる​ところ​ある​によりて、 *でんごうをもつてさいと​す。 これ​によりて*ごうに​をさめ​て*しゅつようを​あきらむる​こと、 しょしゅうの​ならひ勿論もちろんなり。

いま​のしんしゅうにおいて​は、 もつぱらりきを​すて​てりきする​をもつてしゅうごくと​する​うへ​に、 三業さんごうの​なか​にはごうをもつてりきの​むね​を​のぶる​とき、 ごう憶念おくねんみょう一念いちねんおこれ​ば、 身業しんごう礼拝らいはいの​ため​に、 渇仰かつごうのあまり瞻仰さんごうの​ため​に、 ぞう木像もくぞう本尊ほんぞんを​あるいはちょうこくエリキザミし​あるいは画図がとカキウツス 。 しかのみならず、 仏法ぶっぽう*示誨じけ恩徳おんどくれんぎょうそうせんがため​に、 *三国さんごく伝来でんらい祖師そし先徳せんどく尊像そんぞう図絵ずえあんする​こと、 これ​また​つね​の​こと​なり。

その​ほ0920か​は祖師そししょうにん (親鸞)遺訓ゆいくんとして、 たとひ念仏ねんぶつしゅぎょうごうあり​といふとも、 「道俗どうぞく男女なんにょぎょうたい面々めんめん各々かくかく図絵ずえして0302しょせよ」 といふおんおきて、 いまだ​きか​ざる​ところ​なり。 しかるに​いま祖師そし先徳せんどくの​をしへ​に​あらざる自義じぎをもつて諸人しょにんぎょうたいあんじょう、 これ渇仰かつごうの​ため​か、 これれんの​ため​か、 しんなき​に​あらざる​ものなり。

本尊ほんぞんなほもつて ¬*かんぎょう¼ 所説しょせつじゅうさんじょうぜん第八だいはち像観ぞうかんよりで​たるじょうろくはっしゃくずいげんぎょうぞうをば、 祖師そしあながち*しょように​あらず。 *天親てんじん論主ろんじゅ*礼拝らいはいもん論文ろんもん、 すなはち 「みょうじん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらい」 をもつてしんしゅう本尊ほんぞんと​あがめ​ましまし​き。 いはんや​その*にんぎょうに​おいて、 あに​かき​あがめ​まします​べし​や。 末学まつがく自己じこすみやかに​これ​をちょうす​べし。

(3)

一 遁世とんせいの​かたち​を​こと​と​し、 ぎょうを​このみ、 *なしごろもちゃくし、 くろ袈裟げさを​もちゐる、 しかるべから​ざること

 それしゅっほうにおいて​はかいしょうし、 ほうにありて​はじょうと​なづくるじんれいしんを​まもり​て、 内心ないしんにはりき思議しぎを​たもつ​べき​よし、 師資ししそうじょうし​たてまつる​ところ​なり。

しかるに​いま風聞ふうぶんする​ところの*ようにおいて​は、 「0921けんほうをば​わすれ​て仏法ぶっぽうばかり​を​さき​と​す​べし」 と 云々うんぬん。 これ​によりて*ほうほう0303する​すがた​と​おぼしく​て、 なしごろもちゃくくろ袈裟げさを​もちゐる​か、 はなはだ​しかるべから​ず。

¬*末法まっぽうとうみょう¼ (意) でんぎょうだいいみな*さいちょう製作せいさく には、 「末法まっぽうには袈裟けさへんじ​てしろく​なる​べし」 と​みえ​たり。

しかれば、 *まつ相応そうおう袈裟けさびゃくしきなる​べし、 くろ袈裟げさにおいて​は​おほきに​これ​に​そむけ​り。 当世とうせい*都鄙とひ流布るふして遁世とんせいしゃごうする​は、 ぶん*一遍いっぺんぼう*弥陀みだぶつとう門人もんにんを​いふ​か。 かの​ともがら​は、 *むねと*後世ごせしゃしょくを​さき​と​し、 仏法ぶっぽうしゃと​みえ​て威儀いぎ*ひとすがた​あらはさ​ん​とさだめ、 ふるふ​か。 わがだいしょうにん (親鸞)ぎょは、 かれ​に*うしろあはせ​なり。

つね​のごんには、 「われ​は​これ賀古かこ*きょうしんしゃ このしゃの​やう、 禅林ぜんりん*永観ようかんの ¬*じゅういん¼ に​みえ​たり じょうなり」 と 云々うんぬん。 しかれば、 こと​を*専修せんじゅ念仏ねんぶつちょうはいの​とき​の*せんちょくせんに​よせ​ましまし​て、 *しょには禿とくを​のせ​らる。 これ​すなはちそうに​あらずぞくに​あらざるひょうし​て、 きょうしんしゃの​ごとくなる​べし​と 云々うんぬん

これ​によりて、 「たとひ*うし盗人ぬすびとと​は​いは​る​とも、 もしは善人ぜんにん、 もしは後世ごせしゃ、 もしは仏法ぶっぽうしゃと​みゆる​やう​にふるふ​べから​ず」 とおおせ​あり。 このじょう、 かのなしごろもくろ袈裟げさを​まなぶ​ともがら​の*ぎょう*雲泥うんでい懸隔けんかくなる​ものを​や。 顕密けんみつしょしゅうだいしょうじょう0922きょうぼうに​なほちょうせる弥陀みだりきしゅう心底しんていに​たくはへ​て、 そうには​そのとくを​かくし​まします。

だいしょうごん*救世くせ観音かんのん再誕さいたん本願ほんがん 親鸞しんらん門弟もんていごうし​な0304がら、 うしろあはせ​にふるひ​かへ​たる後世ごせしゃしょく威儀いぎを​まなぶじょう、 いかでか祖師そし (親鸞)*みょうりょに​あひかなは​ん​や。 かへすがへすちょうす​べき​ものなり。

(4)

一 弟子でししょうして、 どうぎょう等侶とうりょ*せんのあまり、 放言ほうげん悪口あくこうする​こと、 いはれ​なきこと

 *こうみょうだい (*善導)おんしゃく (*散善義・意) には、 「もし念仏ねんぶつする​ひと​は、 にんちゅう好人こうにんなり、 みょう好人こうにんなり、 さいしょうにんなり、 じょうにんなり、 上上じょうじょうにんなり」 と​のたまへ​り。

しかれば、 その​むね​に​まかせ​て、 祖師そし (親鸞)おおせ​にも、 「それがし​は​まつたく弟子でし一人いちにんも​もた​ず。 そのゆゑは、 弥陀みだ本願ほんがんを​たもた​しむる​ほか​は​なにごと​を​をしへ​て​か弟子でしごうせん。 弥陀みだ本願ほんがんぶっりきさずけ​たまふ​ところ​なり。 しかれば、 みな​とも​のどうぎょうなり。 わたくし​の弟子でしに​あらず」 と 云々うんぬん

これ​によりて​たがひに*ぎょうそうれいを​ただしく​し、 *昵近じっきん芳好ほうこうを​なす​べし​となり。 そのなく​して、 あまつさへ悪口あくこうをはくじょう、 ことごとく0923先徳せんどく遺訓ゆいくんを​そむく​に​あらず​や、 しる​べし。

(5)

一 どうぎょう*勘発かんぽつの​とき、 あるいは寒天かんてん冷水れいすいみかけ、 あるいは*炎旱えんかん*がいきゅう0305を​くはふる​ら​の​いはれ​なきこと

 むかし*えん優婆うばそく修験しゅげんみちを​もつぱらに​せ​し*山林さんりんそうぎょうじゅせきじょう坐臥ざが、 これ​みな*いち一縁いちえん方便ほうべん権者ごんじゃ権門ごんもんなんぎょうなり。 を​このもんるる​ともがら​こそ、 かくのごとき​のぎょうをば​もちゐげに​はんべれ。 *さらにしゅつように​あらず、 ひとへにかいえん*びゃくけんなり。

じょうしんしゅうにおいて​は、 ちょう希有けうしょうぼう諸仏しょぶつ証誠しょうじょうかいりき即得そくとく直道じきどうぼんおうにゅうぎょうなり。 しかるにまつ相応そうおうなんぎょうを​まじへ​て、 当今とうこん相応そうおうりきしゅうぎょうを​けがさ​ん​こと、 *そうじて​はさん諸仏しょぶつみょうおうに​そむき、 *べっして​はしゃ弥陀みだそん*矜哀こうあいオホキナルアハレミわすれ​たる​にたり。 おそる​べし、 づ​べし​ならく​のみ。

(6)

一 *だんかくる​と​なづけ​て、 どうぎょうしきじゅんの​とき、 あがむる​ところの*本尊ほんぞん聖教しょうぎょううばり​たてまつる、 いはれ​なきこと

 0924みぎ祖師そし 親鸞しんらん しょうにんざいの​むかし、 ある直弟じきてい示誨じけの​むね​をりょうし​たてまつら​ざる​あまり、 *忿結ふんけつしてぜんを​しりぞき​て​すなはち*東関とうかんこくの​とき、 あるじょうずい一人いちにん門弟もんてい、 「このじんさずけ​らるる​ところの聖教しょうぎょうだいしょうにんみょうを​の0306せ​られ​たる​あり、 すみやかに​めしかへさ​る​べき​をや」 と 云々うんぬん

ときに祖師そしおおせ​に​いはく、 「本尊ほんぞん聖教しょうぎょうしゅじょうやく方便ほうべんなり、 わたくし​にぼんせんす​べき​に​あらず。 いかでか​たやすくけん財宝ざいほうなんど​の​やう​に​せめかへし​たてまつる​べき​や。 しゃく親鸞しんらんといふみょうのり​たる​を、 ªほうにくけれ​ば袈裟けささへº のぜいに、 いかなるさんにも*すぐさぬ聖教しょうぎょうを​すて​たてまつる​べき​にや。 たとひ​しかり​といふとも親鸞しんらんまつたく​いたむ​ところ​に​あらず、 すべからく​よろこぶ​べき​に​たれ​り。 そのゆゑは​かの聖教しょうぎょうを​すて​たてまつる​ところのじょう蠢蠢しゅんしゅんたぐいに​いたる​まで、 かれ​に​すくは​れ​たてまつり​てかい沈没ちんもつを​まぬかる​べし。 ゆめゆめ​このある​べから​ざる​こと​なり」 とおおせごと​あり​けり。

その​うへ​は、 末学まつがくとして​いかでかしんこっちょうせん​や。 よろしくちょうす​べし。

(7)

一 本尊ほんぞんならびに聖教しょうぎょうだいの​した​に、 *願主がんしゅみょうを​さしおき​て、 しきごう0925る​やから​のみょうを​のせおく、 しかるべから​ざること

 このじょう、 おなじく前段ぜんだん*篇目へんもくに​あひおなじき​もの​か。 だいしょうにん (親鸞)ひつをもつて諸人しょにんあたへ​わたし​まします聖教しょうぎょうを​み​たてまつる​に、 みな願主がんしゅ*あそばさ0307れ​たり。 いま​のしんの​ごとく​ならば、 *もつともしょうにんみょうを​のせ​らる​べき​か。 しかるに​そのなき​うへは、 これ​また非義ひぎたる​べし。

これ​をあんずる​に、 しき所存しょぞんどうぎょうあひそむか​ん​とき、 「わがみょうを​のせ​たれば」 とて、 せめかへさ​ん*りょうの​はかりごと​か。 けん財宝ざいほう沙汰さたする​にたり。 もつともちょうす​べし。

(8)

一 わがどうぎょうひと​のどうぎょう*簡別けんべつして、 これ​を*相論そうろんする、 いはれ​なきこと

 そう祖師そし 源空げんくう しょうにんの 「*しちじょうしょうもん」 に​いはく、 「じょうろんの​ところ​には​もろもろ​の煩悩ぼんのうおこる。 しゃこれ​をおんする​ことひゃくじゅん、 いはんや一向いっこう念仏ねんぶつぎょうにんにおいて​をや」 と 云々うんぬん。 しかれば、 ただ是非ぜひきゅうめいじゃしょう問答もんどうする、 なほもつて​かくのごとく厳制げんせいに​およぶ。 いはんや*人倫じんりんをもつて、 もし*ざいるいする所存しょぞんありて相論そうろんせ​しむる​か。 いまだ​その​こころ​を​え​ず。

祖師そししょうにん (親0926鸞) ざいに、 ある直弟じきていの​なか​に​つね​に​この沙汰さたあり​けり。 その​ときおおせ​に​いはく、 「けんさい眷属けんぞくも​あひしたがふ​べき宿しゅくえんある​ほど​は、 べつせとすれ​どもしゃする​に​あたは​ず。 宿しゅくえんき​ぬる​とき​は*したひ​むつれ​んとすれ​ども​かなは​ず。 いはんやしゅっどうぎょう等侶とうりょにおいて​は、 ぼんちからをもつてしたしむ​べき​にも​あらず、 はなる​べき​にも​あらず0308。 あひともなへ​といふとも、 えんき​ぬれ​ばえんに​なる。 したしま​じ​と​すれ​ども、 えんき​ざる​ほど​は​あひともなふ​に​たれ​り。

これ​みな過去かこ因縁いんねんに​よる​こと​なれば、 こんじょういっの​こと​に​あらず。 かつは​また宿しゅくぜんの​あるしょうぼうをのぶるぜんしきしたしむ​べき​によりて、 まねか​ざれ​ども​ひと​をまよはす​まじき*法灯ほうとうには​かならず​むつぶ​べき​いはれ​なり。 宿しゅくぜんなきは、 まねか​ざれ​ども​おのづからあくしきに​ちかづき​てぜんしきには​とほざかる​べき​いはれ​なれば、 むつび​らるる​も​とほざかる​も、 かつはしき*きんも​あらはれ​しら​れ​ぬ​べし。 *しょうん宿しゅくぜん有無うむも、 もつとも*のうしょともにづ​べき​ものを​や」 。

しかるに​この​ことわり​に​くらき​が​いたす​ゆゑ​か、 *一旦いったんしゅうを​さき​として宿しゅくえん有無うむを​わすれ、 わがどうぎょうひと​のどうぎょう相論そうろんする​こと、 どんの​いたり、 ぶっしょうらんを​はばから​ざるじょうごくつたなき​もの​か、 いかん、 しる​べし。

(90927)

一 念仏ねんぶつするどうぎょうしきにあひしたがは​ずんば、 そのばつを​かうぶる​べき​よし​のしょうもんか​しめ​て、 数箇すかじょう篇目へんもくを​たて​て連署れんしょごうする、 いはれ​なきこと

 まづ数箇すかじょうの​うち、 しきを​はなる​べから​ざる​よし​のこと

祖師そししょうにん (親鸞) ざいの​むか0309し、 *よりより​かくのごとき​のを​いたす​ひと​あり​けり。 せいの​かぎり​に​あらざるじょう過去かこ宿しゅくえんに​まかせ​られ​て​その沙汰さたなき​よし、 先段せんだんに​のせ​をはり​ぬ。 またさい、 かのだんす​べから​ず。

 つぎ​に、 本尊ほんぞん聖教しょうぎょううばり​たてまつら​ん​とき、 しみ​たてまつる​べから​ざる​よし​のこと

また​もつて同前どうぜん、 さき​にす​べから​ず。

 つぎ​に、 どうつくら​ん​とき、 を​いふ​べから​ざる​よし​のこと

おほよそ造像ぞうぞうとうとうは、 弥陀みだ本願ほんがんに​あらざるしょぎょうなり。 これ​によりて一向いっこう専修せんじゅぎょうにん、 これ​をくわだつ​べき​に​あらず。

されば祖師そししょうにんざいの​むかし、 ねんごろに*いちりゅう*面授めんじゅけつし​たてまつる門弟もんていたち堂舎どうしゃ営作えいさくする​ひと​なかり​き。 ただどうじょうをば​すこし*人屋にんおく差別しゃべつあら​せ​てむねを​あげ​て​つくる​べき​よし​まで*諷諫ふうかんあり​けり。 ちゅうより​このかた、 遺訓ゆいくんに​とほざかる​ひとびと​のと​なり​てぞうぼくくわだて​に​およぶじょうおおせ​にする​いたり、 なげき​おもふ​ところ​なり。

しかれば、 ぞう0928の​とき、 を​いふ​べから​ざる​よし​の*たいじょう、 もとより​ある​べから​ざる題目だいもくたる​うへは、 これ​に​ちなんだる誓文せいもん、 ともに​もつて​しかるべから​ず。

 すべて​こと数箇すかじょうに​およぶ​と​いへども、 へんす​べから​ざるにおいてげんちょうしょうもんどうぎょうか​しむる​こと、 かつは祖師そし (親鸞)遺訓ゆいくんに​そむき、 かつは宿しゅくえん有無うむを​しら​ず、 ほう0310沙汰さたたり。 せんずるところ、 しょうにん (親鸞) 相伝そうでんしょうぞんぜ​ん​ともがら、 これら​の今案こんあんこんじ​て​みだりにじゃまよふ​べから​ず。 つつしむ​べし、 おそる​べし。

(10)

一 優婆うばそく優婆うばぎょうたいたり​ながらしゅっの​ごとく、 しひてほうみょうを​もちゐる、 いはれ​なきこと

 本願ほんがんもんに、 すでに 「十方じっぽうしゅじょう」 の​ことば​あり。 しゅう (善導)おんしゃく (*玄義分) に、 また 「道俗どうぞくしゅ」 とあり。 しゃくそん四部しぶ遺弟ゆいていに、 どうしゅ比丘びく比丘びくぞくしゅ優婆うばそく優婆うばなれば、 ぞくしゅぶつ弟子でしの​がは​にれるじょう勿論もちろんなり。

なかんづくに、 思議しぎぶっを​たもつ道俗どうぞくしゅ*つう凡体ぼんたいにおいて​は、 しばらく​さしおく。 ぶつ願力がんりき思議しぎをもつてぜん造悪ぞうあくぼん0929摂取せっしゅしゃし​たまふ​とき​は、 どうしゅは​いみじく、 ぞくしゅおうじょうくらいそくなる​べき​に​あらず。 その*進道しんどうかいを​いふ​とき、 ただ​おなじせきなり。

しかる​うへは、 かならずしもぞくしゅを​しりぞけ​て、 どうしゅを​すすま​しむ​べき​に​あらざる​ところ​に、 にょぎょうぞくぎょうたり​ながらほうみょうを​もちゐるじょう*ほんぎょうとして​は*おうじょうじょううつわもの​に​きらは​れ​たる​にたり。 ただ男女なんにょ善悪ぜんあくぼん*はたらかさ​ぬほんぎょうにて、 本願ほんがん思議しぎ0311をもつてうまる​べから​ざる​もの​をうまれ​させ​たれば​こそ、 ちょうがんとも​なづけ、 おうちょう直道じきどうとも​きこえ​はんべれ。

この一段いちだん、 ことにそう祖師そし 源空げんくう ならびに祖師そし 親鸞しんらん らい伝授でんじゅそうじょう眼目げんもくたり。 あへて*りょうしょす​べから​ざる​ものなり。

(11)

一 *二季にきがんをもつて念仏ねんぶつしゅぎょうせつさだむる、 いはれ​なきこと

 それじょう一門いちもんについて、 こうみょうしょう (善導)おんしゃく (*礼讃) を​うかがふ​に、 安心あんじんぎょうごうつ​あり​と​みえ​たり。 その​うちぎょうごうへんをば、 なほ方便ほうべんかたと​さしおい​て、 おうじょうじょうしょういん安心あんじんをもつてじょうとくす​べき​よし​を釈成しゃくじょうせ​らるるじょう顕然けんぜんなり。

しかるに​わがだいしょうにん (親鸞)、 この​ゆゑ​を​も0930つてりき安心あんじんを​さき​と​し​まします。 それ​についてさんぎょう安心あんじんあり。 その​なか​に ¬だいきょう¼ をもつて真実しんじつと​せ​らる。 ¬だいきょう¼ の​なか​にはだいじゅうはちがんをもつてほんと​す。 じゅうはちがんにとりて​は、 またがんじょうじゅをもつてごくと​す。 「信心しんじんかんない一念いちねん」 をもつてりき安心あんじんと​おぼしめさ​るる​ゆゑなり。 この一念いちねんりきより発得ほっとくし​ぬる​のち​は、 しょうかいを​うしろ​に​なし​てはんがんいたり​ぬるじょう勿論もちろんなり。

このの​うへ​は、 りき安心あんじんより​もよほさ​れ​て仏恩ぶっとん報謝ほうしゃぎょうごうは​せ​らる​べき​によりて、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがろんぜず、 じょう退たいとう0312がんいいあり。 この​うへは、 あながち*ちゅうよういんしゅしょうしゅじょう善悪ぜんあく決断けつだんするとうがんせつを​かぎり​て、 安心あんじんぎょうとうしょうごうを​はげます​べき​に​あらざる​か。

かのちゅうよういん断悪だんあく修善しゅぜん決断けつだんは、 仏法ぶっぽうえんしゅじょうさいせ​しめ​んがため​のしゅうなり。 いま​のりきぎょうじゃにおいて​は、 あと​をしゃに​とほざかり、 しんじょういきに​すま​しむる​うへは、 なに​によりて​か​この決判けっぱんサダムルに​およぶ​べき​や。

しかるに*二季にきしょうを​えりすぐり​て​その念仏ねんぶつおうじょうぶんさだめ​てぎょうを​はげます​ともがら、 祖師そし (親鸞)いちりゅうに​そむけ​り。 いかでかとうきょう*門葉もんようごうせん​や、 しる​べし。

(120931)

一 どうじょうごうし​て*のきを​ならべ*かきを​へだて​たる​ところ​にて、 各別かくべつ各別かくべつじょうを​しむること

 おほよそしんしゅう本尊ほんぞんは、 じん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらいなり。 かの本尊ほんぞんしょじょうは、 きょうにょくうなり。 ここをもつて祖師そし (親鸞) の ¬*教行きょうぎょうしょう¼ には、 「ぶつはこれ不可ふか思議しぎ光仏こうぶつは​またりょうこうみょうなり」 (真仏土巻) と​のたまへる、 これ​なり。 されば天親てんじん論主ろんじゅは、 「しょう三界さんがいどう(浄土論)はんじ​たまへり。

しかれどもしょうどうもん此土しど得道とくどうといふきょうそう*かはら​ん​ため​に、 他土たどおうじょうといふ*はいりゅうを​しばらくさだむる​ばかり​なり。 0313する​とき​は、 *此土しど他土たどいちぼんしょう不二ふになる​べし。 これ​によりて念仏ねんぶつしゅぎょうどうじょうとて、 あながち*きょくぶんす​べき​に​あらざる​か。

しかれども、 はいりゅう初門しょもんに​かへり​て、 いくたび​もぼんを​さき​として、 どうじょうと​なづけ​て​これ​を​かまへ、 本尊ほんぞんあんし​たてまつる​にて​こそあれ、 これ​はぎょうじゃしゅうの​ため​なり。 いちどうじょうらいじゅうせん​たぐひ、 遠近えんきんことなれ​ば、 *来臨らいりん便びんどうなら​ん​とき、 一所いっしょを​しめ​ても​こと​の​わづらひ​あり​ぬ​べから​ん​には、 あまた​ところ​にもどうじょうを​かまふ​べし。 しからざら​ん​において​は、 ちょうの​うち、 さかひ​の​あひだ​に、 面々めんめん各々かくかくに​これ​を​かまへ​て​なん​のようか​あら​ん。 あやまつて​ことしげく0932なり​なば、 そのしつあり​ぬ​べき​もの​か。

そのゆゑは、 「同一どういつ念仏ねんぶつ別道べつどう(*論註・下) なれば、 どうぎょうは​たがひに*かいの​うち​みなきょうだいの​むつび​を​なす​べき​に、 かくのごとく*簡別けんべつ隔略きゃくりゃくせば、 おのおのかくしゅうの​もとゐ、 *まん先相せんそうたる​べき​をや。 このだん祖師そし門弟もんていごうする​ともがら​の​なか​に、 *とうさかん​なり​と 云々うんぬん

祖師そししょうにんざいの​むかし、 かつて​かくのごとく​はなはだしき沙汰さたなし​と、 まのあたりうけたまわり​し​こと​なり。 ただ、 こと​に​より便びんに​したがひ​て​わづらひ​なき​を、 ほんと​す​べし。 いま*おうせつにおいて​は、 もつともちょうす​べし。

(13)0314

一 祖師そししょうにん (親鸞)門弟もんていごうする​ともがら​の​なか​に、 しゅっほうについて 「*得分とくぶんせよ」 といふみょうもく行住ぎょうじゅう坐臥ざがに​つかふ、 こころえがたきこと

 それ 「得分とくぶん」 といふ*じょうは、 ぞくより​おこれ​り。 しゅっほうの​なか​にきょうろんしょうしょを​みる​に、 いまだ​これ​なし。 しかれども、 をり​に​よりときに​したがひ​て​もの​を​いは​ん​とき​は、 この​ことばしゅつらいせ​ざる​べき​に​あらず。 おうの​ごとくんば、 「*ぞう顛沛てんぱい、 この​ことば​をもつて*規模きぼと​す」 と 云々うんぬん

しちじょうしょうもん (意) には、 「念仏ねんぶつしゅぎょう道俗どうぞく男女なんにょれつの​ことば​をもつて*なまじひに法門ほうもんを​のべ​ば0933しゃに​わらは​れ、 にんまよは​す​べし」 と 云々うんぬん

かの先言せんげんをもつて​いま​をあんずる​に、 すこぶる​この​たぐひ​か。 もつともしゃに​わらは​れ​ぬ​べし。 かくのごとき​の​ことば、 もつとも*がんなり。 *こうりょうにも​あたら​ぬじょうを​つかふ​べから​ず。 すべからく​これ​をちょうす​べし。

(14)

一 なまら​ざるおんじょうをもつて、 わざと*片国へんごくの​なまれ​るこえを​まなんで念仏ねんぶつする、 いはれ​なきこと

 それ*いん七声しちせいは、 人々にんにんしょうとくの​ひびき​なり。 弥陀みだじょうこくすいちょう樹林じゅりんの​さへずるおと0315、 みなきゅうしょうかくに​かたどれ​り。 これ​によりてそう祖師そししょうにん (源空) の​わがちょう*おうれ​ましまし​て、 しんしゅうこうの​はじめ、 こえぶつを​なす​いはれ​あれば​とて、 かのじょう*ほうの​しらべ​を​まなんで、 *りょうびんの​ごとくなる*のうしょうを​えらん​で念仏ねんぶつしゅせ​しめ​て、 万人ばんじん*きき​を​よろこば​しめ、 ずいせ​しめ​たまひ​けり。

それ​より​このかた、 わがちょう一念いちねんねん*声明しょうみょうあひわかれ​て、 いまに​かたのごとく*じんを​のこさ​る。

祖師そししょうにん (親鸞)御時おんときは、 さかりにねん声明しょうみょう法灯ほうとう*弥陀みだぶつりゅうじゅうまんの​ころ​にてぼうちゅう*禅襟ぜんきんだち少々しょうしょう0934れ​を​もてあそば​れ​けり。 祖師そしぎょうとして​は、 まつたく念仏ねんぶつ*こわびき、 いかやうに*ふしはかせ​をさだむ​べし​といふおおせ​なし。 ただ弥陀みだ願力がんりき思議しぎぼんおうじょうりきいちばかり​を、 *ぎょう化他けたおんつとめ​と​し​ましまし​き。 おんじょう沙汰さたさらに​これ​なし。

しかれども、 *ときふうねん声明しょうみょうをもつて、 ひと​おほく​これ​を​もてあそぶ​について、 ぼうちゅうの​ひとびと、 おんどう宿しゅくたちも​かの声明しょうみょうに​こころ​をする​について、 いささか​これ​をけいせ​らるる​ひとびと​あり​けり。 その​とき東国とうごくよりじょうらく道俗どうぞくとうぼうちゅうとうりゅうの​ほど、 みみに​ふれ​ける​か。 まつたくしょうにんおおせ​として、 おんぎょくさだめ​て称名しょうみょうせよ​といふおん沙汰さたなし。

さればふしはかせ​の沙汰さたなき​うへは、 なまれ​る​を0316まねび、 なまら​ざる​をも​まなぶ​べきおん沙汰さたに​およば​ざる​ものなり。 しかるに​いましょうとくに​なまら​ざるこえをもつて、 しょうとくに​なまれ​る*坂東ばんどうごえを​わざと​まねび​てしょうを​ゆがむるじょうおんぎょくをもつておうじょうとくさだめ​られ​たる​にたり。

せんずるところ、 ただ​おのれ​がこえしょうとくなる​に​まかせ​て、 田舎でんしゃこえちからなく​なまり​て念仏ねんぶつし、 *おうじょうこえは​なまら​ざる​おのれ​なり​のこえをもつて念仏ねんぶつす​べき​なり。 こえぶつを​なす​いはれ​も​かくのごとく​の*結縁けちえんぶんなり。 おんぎょくさらにほうおうじょう真因しんいんに​あらず。 ただりき一心いっしんをもつておう0935じょうせつさだめ​ましますじょうでんと​いひおんしゃくと​いひ顕然けんぜんなり、 しる​べし。

(15)

一 一向いっこう専修せんじゅみょうごんを​さき​として、 ぶっ思議しぎをもつてほうおうじょうぐる​いはれ​をば、 その沙汰さたに​およば​ざる、 いはれ​なきこと

 それ本願ほんがんさん信心しんじんといふは、 しんしんぎょうよくしょうこれ​なり。 まさしくがんじょうじゅし​たまふ​には、 「もんみょうごう 信心しんじんかん ない一念いちねん(大経・下)け​り。 このもんについて、 ぼんおうじょうとくない一念いちねんぽっぶんなり。 この​とき願力がんりきをもつておうじょう決得けっとくす​といふは、 すなはち摂取せっしゅしゃの​とき​なり。 もし ¬かんぎょう¼ (散善義・意) に​よら​ば 「安心あんじんじょうとく0317」 といへるおんしゃく、 これ​なり。 また ¬*小経しょうきょう¼ に​よら​ば 「一心いっしんらん」 とけ​る、 これ​なり。

しかれば、 祖師そししょうにん (親鸞) そうじょうずういちりゅう肝要かんよう、 これ​に​あり。 ここ​を​しら​ざる​をもつてもんと​し、 これ​を​しれ​る​をもつて門弟もんていの​しるし​と​す。 その​ほか、 かならずしもそうにおいて、 一向いっこう専修せんじゅぎょうじゃの​しるし​を​あらはす​べき​ゆゑ​なし。

しかるを​いま風聞ふうぶんせつの​ごとくんば、 「*さんぎょう一論いちろんについてもんしょうを​たづね​あきらむる​に​およば​ず、 ただ自由じゆもうを​たて​て信心しんじん沙汰さたを​さしおき​て、 ぎょうへんをもつて、 ªまづぞうぎょう0936を​さしおき​て正行しょうぎょうしゅす​べしº と​すすむ」 と 云々うんぬん。 これ​をもつていちりゅうようと​する​にや。

このじょうそうじて​はしんしゅうはいりゅうに​そむき、 べっして​は祖師そし遺訓ゆいくんせ​り。 正行しょうぎょうしゅの​うち​に、 だい称名しょうみょうをもつて正定しょうじょうごうと​すぐり​とり、 じゅをば助業じょごうといへり。 正定しょうじょうごうたる称名しょうみょう念仏ねんぶつをもつておうじょうじょうしょういん*はからひ​つのる​すら、 なほもつてぼんりきくわだて​なれば、 ほうおうじょうかなふ​べから​ず​と 云々うんぬん

そのゆゑは願力がんりき思議しぎを​しら​ざる​によりて​なり。 とうきょう肝要かんようぼんの​はからひ​を​やめ​て、 ただ摂取せっしゅしゃ大益だいやくあおぐ​ものなり。 ぎょうをもつて一向いっこう専修せんじゅみょうごんを​たつ​といふ​とも、 りき安心あんじん決得けっとくせ​ずんば、 祖師そし*しょう相続そうぞくする​に​あらざる​べし。 宿しゅくぜんもし開発かいほつならば、 いかなるれつの​ともがら​も願力がんりき信心しんじん0318を​たくはへ​つ​べし、 しる​べし。

(16)

一 *とうりゅう門人もんにんごうする​ともがら、 祖師そし (親鸞)先徳せんどく ˆのˇ 報恩ほうおん謝徳しゃとくしゅうの​みぎり​にありておうじょうじょう信心しんじんにおいて​は​その沙汰さたに​およば​ず、 もつ葬礼そうれいをもつてほんと​す​べき​やう​にしゅう評定ひょうじょうする、 いはれ​なきこと

 みぎしょうどうもんについてみっきょう所談しょだんの 「*父母ぶもしょしょうしんそくしょうだいかく(*菩提心論)いへ0937る​ほか​は、 *じょうせつ往詣おうげいする​もいきざいする​も、 しん一法いっぽうなり。 まつたくうんしょじょう肉身にくしんをもつて、 ぼん速疾そくしつじょうせつうてなに​のぼる​と​はだんぜ​ず。 しゅう*しょうぞうするしゅうはいりゅう、 これ​をもつて*とす。

しかるにおうじょう信心しんじん沙汰さたをばがけ​も​せず​して、 もつ葬礼そうれいじょじょう扶持ふじ一段いちだんとうりゅう肝要かんようと​する​やう​に談合だんごうする​によりて、 祖師そししょうも​あらはれ​ず、 道俗どうぞく男女なんにょおうじょうじょうの​みち​をも​しら​ず、 ただけん浅近せんごん*じょうこうとかや​の​やう​に諸人しょにんおもひなす​こと、 こころうき​こと​なり。

かつはほんしょうにんおおせ​に​いはく、 「それがし 親鸞しんらん 閉眼へいがんせば、 賀茂かもがわに​いれ​てうおに​あたふ​べし」 と 云々うんぬん。 これ​すなはち​この肉身にくしんかろんじ​て仏法ぶっぽう信心しんじんほんと​す​べき​よし​を​あらはし​まします​ゆゑなり。

これ​をもつて​おもふ​に、 いよいよ*喪葬そうそういちだいと​す0319べき​に​あらず。 もつともちょうす​べし。

(17)

一 おなじく祖師そし (親鸞)もんりゅうごうする​やから、 *いんはつといふ​こと​をごんと​する​こと、 いはれ​なきこと

 それさんぎょうの​なか​に​このみょうごんを​もとむる​に、 ¬かんぎょう¼ に 「深信じんしんいん」 のもんあり、 もし​これ​を​おもへ​る​か。

おほよそ祖師そししょうにんそうじょういちは、 さんぎょうともに差別しゃべつなし0938と​いへども、 ¬かんりょう寿じゅきょう¼ は*真実しんじつを​あらはし​て、 所説しょせつほうじょうさんを​おもて​と​せ​り真実しんじつといふは、 しょう女人にょにん悪人あくにんほんとして、 *だいたいと​し​たまへ​り。 ¬*だいりょう寿じゅきょう¼ はじん*ごんをもつて*同聞どうもんしゅとして、 所説しょせつほうぼんしゅつよう思議しぎを​あらはせ​り。 だいしょうにんそうじょうは​もつぱら ¬だいきょう¼ に​あり。 ¬かんぎょう¼ 所説しょせつの 「深信じんしんいん」 の​ことば​を​とら​ん​こと、 あながち*甘心かんしんす​べから​ず。

たとひ​かの ¬きょう¼ (観経)みょうもくを​とる​といふとも、 義理ぎり*しんせば​いよいよ​いはれ​なかる​べし。 そのゆゑは、 かの ¬きょう¼ (同)深信じんしんいんは、 三福さんぷくごう*随一ずいいちなり。 かの三福さんぷくごうは​また*人天にんでん有漏うろごうなり。 なかんづくに、 深信じんしんいんどうに​よら​ば、 あにぼんおうじょうのぞみ​を​とげ​ん​や。

まづじゅうあくにおいて、 「*じょうぼんぼんする​もの​はごくどうし、 ちゅうぼん0320ぼんする​もの​は餓鬼がきどうし、 ぼんぼんする​もの​はちくしょうどうに​おもむく」 といへり。 これだいじょうしょうぞうさだむる​ところ​なり。 もし​いま​のぼん所犯しょぼん現因げんいんによりて*当来とうらいかんず​べくんば、 さん悪道まくどうざいす​べし。 にんちゅうてんじょうほうなほもつてかいじゅうぜん*まつたから​ずは、 いかでかのぞみ​を​かけ​ん​や。 いかに​いはんや、 しゅっ三界さんがい無漏むろしょう報国ほうこくほううまるるどうある​べから​ず。

しかり​と​いへども、 弥陀みだちょう大願だいがんじゅうあくぎゃく0939じゅう謗法ほうぼうの​ため​なれば、 かの願力がんりきごうじょうなる​に、 よこさま​にちょうぜつせ​られ​たてまつり​て、 さんいんを​ながく​たち​てみょう洞燃どうねんごうを​とどめ​られ​たてまつる​こと、 おほきにいんどうに​そむけ​り。 もし深信じんしんいんたる​べくんば、 うる​ところの悪因あくいんの​ひか​ん​ところ​はあくなる​べけれ​ば、 たとひ弥陀みだ本願ほんがんしんず​といふとも、 その願力がんりき*いたづらごと​にて、 念仏ねんぶつしゅじょうさんざいす​べき​をや。

もし​しかり​と​いは​ば、 弥陀みだ*こうゆい本願ほんがんも、 しゃくそんもう*金言きんげんも、 諸仏しょぶつじょうたい証誠しょうじょうも、 いたづらごと​なる​べき​にや。 おほよそりき一門いちもんにおいて​は、 しゃくそん一代いちだいせっきょうに​いまだ​そのれいなき*つうしょうぞうを​はなれ​たる*ごんどうだん思議しぎなり​といふは、 ぼんほううまるる​といふ​をもつて​なり。 もしいんそうじゅんに​まかせ​ば、 しゃ弥陀みだ諸仏しょぶつおんほねをり​たる0321りき*べつむなしく​なり​ぬ​べし。

そのゆゑは、 たすけ​ましまさ​ん​と​する十方じっぽうしゅじょうたるぼんいんそうじゅんふうぜ​られ​て、 *別願べつがんしょじょうほうぼんうまる​べから​ざる​ゆゑなり。 いまほうとくしょうに​あたへ​ましますぶっ一念いちねんは、 すなはち仏因ぶついんなり。 かの仏因ぶついんに​ひか​れ​て​うる​ところのじょうじゅくらいめついたる​といふは、 すなはちぶっなり。 この仏因ぶついんぶっにおいて​は、 りきよりじょうずれ​ば、 さらにぼんの​ちから​にて​みだす​べき​に0940あらず、 またはつす​べき​に​あらず。 しかれば、 なに​によりて​か 「いんはつある​べし」 といふ​こと​を​いは​ん​や。

もつとも​このみょうごんりきしゅうを​もつぱらに​せ​らるるとうりゅうに​そむけ​り。 かつて​うかがひ​しら​ざる​ゆゑ​か。 はやくちょうす​べし。

(18)

一 本願ほんがんしょうにん (親鸞)門弟もんていごうする​ひとびと​の​なか​に、 しきを​あがむる​をもつて弥陀みだ如来にょらいし、 *しきしょ当体とうたいをもつて別願べつがん真実しんじつほうと​す​といふ、 いはれ​なきこと

 それしゅう*しょうきょうたるさんぎょう所説しょせつはいりゅうにおいて​は、 *ことしげき​によりて​しばらく​さしおく。

*はっしゅうこうと​あがめ​たてまつる*りゅうじゅさつ所造しょぞう *¬十住じゅうじゅう毘婆びばしゃろん¼ の0322ごときんば、 「さつ阿毘あびばっもとむる​に、 しゅどうあり。 ひとつ​にはなんぎょうどうふたつ​にはぎょうどうそのなんぎょうといふは多途たずあり。 ほぼさんを​あげ​ての​こころ​をしめさ​ん」 といへり。 「ぎょうどうといふは、 ただ信仏しんぶつ因縁いんねんをもつてじょううまれ​ん​とがんずれ​ば、 仏力ぶつりきじゅうして​すなはちだいじょう正定しょうじょうじゅれ​たまふ」 といへり。

そう祖師そし黒谷くろだに先徳せんどく (源空)、 これ​を​うけ​て 「なんぎょうどうといふはしょうどうもんなり、 ぎょうどうといふはじょうもんなり」 (選択集) と​のたまへ​り。 これ​すなはちしょうどう0941じょうもん混乱こんらんせず​して、 じょう一門いちもんりゅうせ​んがため​なり。 しかるにしょうどうもんの​なか​にだい小乗しょうじょう*権実ごんじつどうあり​と​いへども、 だいじょう所談しょだんごくと​おぼしき​には*しん弥陀みだ唯心ゆいしんじょうだんずる​か。

この所談しょだんにおいて​は、 *しょうのために​して*ぼんのために​あらず。 かるがゆゑにじょうきょうもんは​もつぱらぼんいんにゅうの​ため​なる​がゆゑに、 しん観法かんぽうも​およば​ず唯心ゆいしんせつも​かなは​ず、 ただとなりたからを​かぞふる​にたり。 これ​によりて、 すでにべっしてじょう一門いちもんて​て、 ぼんいんにゅうの​みち​をりゅうせ​り。 りゅうじゅさつ所判しょはんあに​あやまり​ある​べけんや。

しんしゅうもんにおいて​は​いくたび​もはいりゅうを​さき​と​せ​り。 「はい」 といふは、 しゃなり​としゃくす。 しょうどうもん此土しど*にっしょうとくしん弥陀みだ唯心ゆいしんじょうとうぼん*かんりき修道しゅどうてよ​となり。 「りゅう」 といふは、 すなはち、 弥陀みだりきしん0323もつてぼんしんと​し、 弥陀みだりきぎょうをもつてぼんぎょうと​し、 弥陀みだりきごうをもつてぼんほうおうじょうするしょうごうとして、 このかいて​て​かのじょうせつおうじょうせよ​と*しつらひ​たまふ​をもつてしんしゅうと​す。

しかるに風聞ふうぶんじゃの​ごとくんば、 はいりゅういちを​すて​て、 此土しど他土たどを​わけ​ずじょう分別ふんべつせず、 此土しどをもつてじょうしょうし、 ぼんぎょうしきをもつて​かたじけなくさんじゅうそう仏体ぶったいさだむ​らん​こと、 じょう一門いちもんにおいて​かかる所談しょだんある0942べし​とも​おぼえ​ず。 こんどん短慮たんりょおほよそ迷惑めいわくする​ところ​なり。 しん弥陀みだ唯心ゆいしんじょうだんずるしょうどうしゅう差別しゃべつせ​る​ところ​いづく​ぞや、 もつともこうりょうと​いひ​つ​べし。

ほのかに​きく、 かくのごとく​の所談しょだんごんを​まじふる​を*なか法門ほうもんごうす​と 云々うんぬん。 また​きく、 祖師そし (親鸞)しゃく ¬教行きょうぎょうしょう¼ に​のせ​らるる​ところのけんしょう隠密おんみつといふ​も、 隠密おんみつみょうごんは​すなはち​このいちけんに​す​べから​ざる​を隠密おんみつしゃくし​たまへ​り​と 云々うんぬん。 これ​もつてのほか​の*僻韻へきいんか。

かのけんしょう隠密おんみつみょうごんは、 わたくし​なきおんしゃくなり。 それ​は​かくのごとく*こばみ​たるじゃに​あらず。 さいじゅうあり。 ことしげき​によりて、 いま​の*ように​あらざる​あひだ、これ​をりゃくす。

ぜんしきにおいて、 本尊ほんぞんの​おもひ​を​なす​べきじょう渇仰かつごうの​いたり​において​は​そのしかるべし​と​いへども、 それ​はぶっだいそうじょうし​まします願力がんりき信心しんじんぶっ0324より​もよほさ​れ​てぶっぞくする​ところのいちなる​をぎょうそうぶんにて​こそ​あれ、 仏身ぶっしんぶっ本体ほんたいと​おか​ず​して、 ただちにぼんぎょうしきを​おさへ​て、 如来にょらい色相しきそう眼見げんけんせよ​と​すすむ​らん​こと、 聖教しょうぎょう*せつを​はなれ祖師そしでんに​そむけ​り。 本尊ほんぞんを​はなれ​て​いづく​の​ほど​よりしきしゅつげんせ​る​ぞや。 こうりょうなりほうなり。

ただじつつたへ​てじゅし、 ぶっを​あらはし​て決得けっとくせしむる恩徳おんどくは、 しょう0943じん如来にょらいにも​あひかはら​ず。 木像もくぞうものいは​ずきょうてんくちなけれ​ば、 つたへ​きか​しむる​ところの恩徳おんどくみみに​たくはへ​んぎょうじゃは、 謝徳しゃとくの​おもひ​を​もつぱらに​して、 *如来にょらい代官だいかんあおい​で​あがむ​べき​にて​こそ​あれ、 そのしきの​ほか​はべつぶつなし​といふ​こと、 しゃに​わらは​れしゃまよは​す​べきいいこれ​に​あり。 あさまし、 あさまし。

(19)

一 ぼんりきしんぎょうを​おさへ​てぶっしょうとくぎょうたいといふ、 いはれ​なきこと

 さんぎょうの​なか​に、 ¬かんぎょう¼ のじょう深心じんしんとう三心さんしんをば、 ぼんの​おこす​ところのりき三心さんしんぞ​とさだめ、 ¬だいきょう¼ 所説しょせつしんしんぎょうよくしょうとう三信さんしんをば、 りきより​さづけ​らるる​ところのぶっと​わけ​られ​たり。

しかるに、 「方便ほうべんより真実しんじつつたひ、 ぼんほっ三心さんしんより如来にょらい利他りた信心しんじんつうにゅうする​ぞ」 と​をしへ​おき​まします祖師そし 親鸞しんらん しょうにん0325おんしゃく拝見はいけんせざる​にや。 ちかごろ​この​むね​を​そむい​て自由じゆ妄説もうせつを​なし​て、 しかも祖師そし末弟まっていしょうする、 このじょうことに​もつておどろき​おぼゆる​ところ​なり。

まづ*のう*しょを​たて、 りきりき対判たいはんして、 りきを​すて​てりきし、 のうせつを​うけ​てしょ信心しんじんじょうとくする​こそ、 こん (親鸞) そうじょうでんには​あひかなひ​はんべれ

いま​きこゆるじゃの​ごとく​は、 「煩悩ぼんのうじょう0944じゅぼん妄心もうしんを​おさへ​て金剛こんごうしんと​いひ、 ぎょうじゃ三業さんごう所修しょしゅ念仏ねんぶつをもつて一向いっこう一心いっしんぎょうじゃと​す」 と 云々うんぬん。 このじょう*つやつやりきりきの​さかひ​を​しら​ず​して、 ひと​をもまよは​し、 われ​もまよふ​もの​か。

そのゆゑは​まづ、 「金剛こんごうしんじょうじゅ」 といふ、 金剛こんごうは​これ​たとへ​なり、 ぼん迷心めいしんにおいて金剛こんごう類同るいどうす​べきいいなし。 ぼんじょうは​きはめてじょうなり。 さればだい (善導)おんしゃく (*序分義) には、 「たとひしょうしんキヨキコヽロ おこす​と​いへども、 みずせる​が​ごとし」 と 云々うんぬんじょう、 これ​をもつて​しる​べし。

しかれば、 ぼんじょうめいじょうりょうしょしゅじょうぶっまんにゅうしてじょう迷心めいしんりきよりじょうじゅして、 がんにゅう弥陀みだかいおうじょうしょうごうじょうずる​とき​を、 「能発のうほつ一念いちねんあいしん(正信偈) とも、 「だん煩悩ぼんのうとくはん(同) とも、 「にゅうしょうじょうじゅじゅ」 とも、 「*じゅ退転たいてん」 とも、 しょうにんしゃくし​ましませ​り。 これ​すなはち 「即得そくとくおうじょう」 のぶんなり。

このしゃしょううんしょじょう肉身にくしんいまだ​やぶれ​ず​と​いへども、 しょうてん0326本源ほんげんを​つなぐりきめいじょうほつ金剛こんごうしん一念いちねんに​やぶれ​て、 しきでんぶつぞくする​を​こそ、 「りきを​すて​てりきする」 とも​なづけ、 また 「即得そくとくおうじょう」 とも​ならひ​はんべれ。 まつたく​わがしゅうをもつて*随分ずいぶん是非ぜひを​おもひ​かたむる​をりきす​と​は​ならは​ず。 これ​を金剛こんごうしんとも​いは​ざる​ところ0945なり。 さんぎょう一論いちろん*しゃく以下いげとうりゅう 親鸞しんらん しょうにんしょうを​あらはし​まします製作せいさく ¬教行きょうぎょうしんしょう¼ とうに​みえ​ざる​ところ​なり。

しかれば、 なに​をもつて​か​ほしいままに自由じゆ妄説もうせつを​のべ​て、 みだりに祖師そしいちりゅうでんしょうする​や。 しつ誤他ごたの​とが、 ぶっけんに​そむく​もの​か。 おそる​べし、 あやぶむ​べし。

(20)

一 ごく末弟まっていこんりゅう草堂そうどうしょうして本所ほんじょと​し、 諸国しょこくこぞりてそうきょうしょうにん (親鸞)ほんびょう本願ほんがんをば参詣さんけいす​べから​ず​と諸人しょにんしょうせ​しむる、 *みょうなきくわだて​のこと

 それ*慢心まんしんしょうどうしょきょうに​きらは​れ、 「仏道ぶつどうを​さまたぐる」 と、 これ​を​のべ​たり。

わがしんしゅうこうこうみょうだい (善導) しゃくし​て​のたまはく (礼讃)、 「きょうまんへいだいなんしんほう」 とて、 「きょうまんへいだいと​は、 もつて​このほうしんずる​こと​かたし」 と​みえ​たれ​ば、 きょうまんしんをもつてぶっ*はから​ん​とするかくどんとして​は、 さらにぶっじょうりき0327*ききべから​ざれ​ば、 祖師そし (親鸞)本所ほんじょをば*蔑如べつじょし、 こんりゅうの​わたくし​の在所ざいしょをば本所ほんじょしょうする​ほど​のみょうぞんぜ​ず、 やくを​おもは​ざる​やから、 だいきょうまん*もうじょうをもつて​は0946、 まことに​いかでかぶっじょうりきじゅせん​や。

なんしんほう」 のおんしゃく、 いよいよ​おもひあはせ​られ​てげんじゅうなる​もの​か、 しる​べし。

 *ほんにいはく

 みぎこのしょうは、 祖師そし本願ほんがんしょうにん 親鸞しんらん、 せん*大網おおあみ如信にょしんほっ面授めんじゅけつせ​る​のしょうほうとくしょう最要さいようなり。 壮年そうねん往日おうじつ、 かたじけなく​も三代さんだい 黒谷くろだに本願ほんがん大網おおあみ でんけちみゃくしたがけ​てこう、 とこしなへにたくわふる​ところのそん興説こうせつ*目足もくそくなり。 とお*宿しゅくじょうぐうはかり、 つらつら当来とうらいかいおもふ​に、 仏恩ぶっとん高大こうだいなる​こと​あたかも*めい八万はちまんいただきとく深広じんこうなる​こと​ほとんど*蒼瞑そうめい三千さんぜんそこぎ​たり。

ここ​にちかく​かつて祖師そし門葉もんようともがらごうする​なか​に、 でんに​あらざる​の今案こんあん自義じぎかまへ、 あやまり​てごんせいりゅうけがし、 ほしいままにとうきょうしょうし​て​みづからしっあやまら​す​と云々うんぬん。 はなはだ​しかるべから​ず。 *禁遏きんあつせざる​べから​ず。 ここ​によりて、 かの*邪幢じゃどうくだき​て​そのしょうとうかかげ​んがために​これ​をろくす。 名づけ​て ¬改邪がいじゃしょう¼ といふ​のみ。

 *けんひのとのうしだいれき*しょうじゅんじゅうにち*かんめ​をはり​ぬ。 はから​ざる​にそうしょうにん (源空) せん聖日せいじつに​あひあたれ​り。 ここ​にり​ぬ、 師資ししそうじょうじきたがは​ざる​こと​を。 とうとむ​べし、 よろこぶ​べし。

しゃく*そうしょうろくじゅうはち

 

底本は本派本願寺蔵伝蓮如上人書写本ˆ聖典全書と同じˇ。
今案の自義 自分勝手な説。
大小乗 だいじょう小乗しょうじょうのこと。
師資相承の血脈 師から弟子 (資) へ教えが代々伝えられることを、 身体の血管が切れ目なく続いていることに喩えたもの。
当教 *浄土真宗を指す。
勘録 (名前を) 記入すること。
そのかぎりあり (浄土真宗の信心にかかわるほどの) 大きな問題ではない。
しるさんからに 記すからといって。
展転の説 人伝えに聞いた説。
付仏法の外道 仏法を自称しながら、 実はどうであるような邪説。
悪名 名をけがすこと。
自由の妄説 勝手気ままな誤った説。
わたくしの自義 自分勝手な考え。
自由の妄義 勝手気ままな誤った説。
師伝口業 師の口から直接教えを伝授されること。
意業にをさめて (教えを) 心に受け入れて。
三国 インド・中国・日本。
礼拝門の論文 ¬じょうろん¼ の 「帰命尽十方無碍光如来」 の語を、 ¬ろんちゅう¼ では帰命は礼拝門、 尽十方無碍光如来は讃嘆さんだんもんと解釈する。
異様の儀 変ったみなり。 異様な風体。
世法を放呵する 世間の法 (五常) を放棄して守らない。
末世相応の袈裟は… ¬まっぽうとうみょう¼ の文は、 末法時の僧侶が出家者本来の染衣を着用せず、 在俗者と同じ白衣を着るようになると述べたもの。 覚如かくにょ上人は、 末法時にふさわしい袈裟は白色であるという意に解している。
他阿弥陀仏 (1237-1319) 時宗の一遍の門弟、 しんきょうのこと。 時宗の第二祖。
ひとすがた 外見。 見た目。
専修念仏停廃 じょうげんの法難 (*1207) を指す。
左遷 えち (現在の新潟県) へ流罪になったことをいう。
雲泥懸隔 非常にかけ離れていること。
自専のあまり 自分のほしいままに扱ったあげく。
昵近の芳好をなす 親しく交際する。
艾灸をくはふる 灸をすえる
役の優婆塞 えんのづぬ (生没年不詳)。 修験道の祖とされる。
山林斗薮 斗薮は梵語ドゥータ (dhūta) の音写。 山などにこもって修行すること。
一機一縁の方便 特定の限られた人のための、 特定の限られた手段、 方法。
談議かくる 師弟間で起請文のようなものなどを書いて、 話し合って決めたこと (談議奏約) に背くこと。 また、 意見にそむくこととも解される。
本尊聖教を… 門弟を破門する時、 与えていた本尊や聖教を取り上げること (「悔い返し」 という) は、 当時のひじりたちの社会では普通に行われていた。
すぐさぬ 「すぐさず」 か。 すぐさまの意。
したひむつれん 慕い睦まじくしよう。
所化の運否 教えを授ける弟子の運、 不運。
能所 能は能化で、 教え導く師、 所は所化で、 教えを受ける弟子。
面授口決 (親鸞聖人から) 直接教えを授けられること。
人屋に差別あらせて 一般の民家と区別をつけて。
通途の凡体 普通一般の愚かな人。
進道の階次 ここでは浄土に生れる階位次第。
本形 底本に 「本経」 とあるのを改めた。 本形は本来の姿という意。
往生浄土の器ものに… 浄土に生れる器ではないと嫌われているかのようであるという意。
はたらかさぬ本形 本来の姿のまま。
二季の彼岸 春秋のがんのこと。 彼岸中日の前後七日間に行われる仏事。
中陽院の衆聖… そつてんの側に中陽院という所があり、 春秋の彼岸会の時、 神々が集まって善人・悪人の名を記録するという。
二季の時正 春秋の彼岸会七日間のこと。
 ひさし。
 かきね。
教行証 ¬教行信証¼ のこと。
かはらんために 異なることを示すために。
廃立 二者の難易、 勝劣などを判別して、 一方を廃し、 一方を真実として立てること。 ここではしょうどうもんを廃して、 浄土門を立てること。
此土他土一異 仏の絶対的なさとりからすれば、 この世界とかの浄土の区別はなく一如いちにょ平等であるが、 ぼんの相対的な認識からすれば異である。
来臨の便宜不同 集会に便、 不便があること。
簡別隔略 別々に分け隔てること。
得分 本来は 「もうけ」 「利益」 の意であるが、 特殊な用い方をする門徒集団があったのであろう。
造次顛沛 ちょっとした間にも。 いつも。
五音七声 ここでは人の声調・声色の意。 →いん七声しちせい
応を垂れ 仏が人間の姿をあらわすことをいう。
能声 声のいい者。
倶阿弥陀仏 くう (1156-1228) のことか。
禅襟 禅僧の自称であるが、 ここでは親鸞聖人の門弟のこと。
坂東声 関東方言の音声、 アクセント。
結縁分 仏縁を結ぶ程度。 仏道に縁を結ぶ程度。
はからひつのるすら わがはからひをもって思いこむことさえ。
父母所生… 「父母所生の身にすみやかに大覚位を証す」
 規範。 のり。 おきて。
因果撥無 因果の道理を否定すること。
機の真実 しゅじょうの本来のすがた。
人天有漏の業 人間界や天上界に生まれる煩悩ぼんのうに束縛された行い。
上品に犯する… ¬だいじょうだつぞうしゅうろん¼ 等の説。
まつたからずは 完全でなかったなら。
別願 他力不思議をもってぼんほうに往生させようと誓った特別の誓願 (第十八願)。 →本願ほんがん
知識所居の当体 ぜんしきの住むところ。
正依経たる三経 まさしきよりどころとなる三部の教典。 じょうさんきょうのこと。
八宗の高祖 りゅうじゅ菩薩の教学は広く諸宗の基盤となっているので、 このようにいう。
十住毘婆沙論の… 引用は ¬論註¼ (上) 所引の ¬十住毘婆娑論¼ 取意の文。
聖・凡 しょうじゃぼんのこと。
不堪 (修することが) できない。
しつらひ ここでの 「しつらふ」 は定めるというほどの意。
夜中の法門 夜中に密かに奥義を授けるという教え。 後に盛んになった秘事ひじ法門ほうもんの先駆とみられる。
こばみたる 背いた。 たがえた。
荒涼なり髣髴なり 荒涼はいいかげんなこと、 でたらめなこと。 髣髴はまぎらわしいこと。
如来の代官 如来に代わって教えを伝える者。
能化所化 能化は教え導く師、 所化は教えを受ける弟子。
令諸衆生の仏智 衆生にどくを成就させようという仏の智慧ちえ
願入弥陀界 阿弥陀仏の浄土に往生したいと願うこと。
入正定聚… 「正定聚の数に入る」
住不退転 「不退転に住す」
共発金剛心 ともに金剛心を発すこと。
随分に 大いに。 よく。 分相応に。 あるいは、 気ままにという意か。
五祖 曇鸞どんらんだいどうしゃくぜん善導ぜんどう大師・源信げんしんしょう法然ほうねん上人を指す。
冥加なき企て 仏祖の加護を無視したたくらみ。
はからんと はかり知ろうと。
きき得べからざれば 聞き信じることができないので。
本にいはく 「本」 とは書写原本のこと。 原本にあった奥書をそのまま転写したことを示す。
蒼瞑三千の底 三千里ある大海の底。
邪幢 よこしまな説をはたぼこに喩えていう。
 筆。