0831たんしょう

 1053

 ^ひそかにあんめぐらし​て、 ほぼ*こんかんがふる​に、 せん (*親鸞)*でん真信しんしんことなる​こと​をなげ*後学こうがく相続そうぞくわくある​こと​をおもふ​にさいわひに*えんしきに​よら​ずは、 いかでか*ぎょう一門いちもんる​こと​をん​や。 *まつたく*けんかくをもつてりきしゅうみだ​こと​なかれ。

して↢愚案↡、ほぼふるに↢古今↡、歎↠異ることを↢先師口伝之真信↡、思ふに↠有ことを↢後学相続之疑惑↡、幸↠依↢有縁知識↡者、いかで↠入ことを↢易行一門。全↢自見之覚語↡、莫↠乱こと↢他力之宗旨↡。

^よつて、 *親鸞しんらんしょうにんおんものがたりおもむきみみそことどむる​ところ、 いささか​これ​をしるす。 ひとへに同心どうしんぎょうじゃしんさんぜ​んがため​なり​と云々うんぬん

、故親鸞聖人御物語之趣、所↠留むる↢耳↡、いさゝか↠之。偏ため↠散むが↢同心行者之不審↡也

 

(1)

一 ^弥陀みだ*誓願せいがん思議しぎに​たすけ​られ​まゐらせ​て、 おうじょうをば​とぐる​なり​としんじ​て念仏ねんぶつもうさ​ん​と​おもひたつ​こころ​の​おこる​とき、 *すなはち摂取せっしゅしゃやく*あづけ​しめたまふ​なり。

^弥陀みだ本願ほんがんには、 ろうしょう善悪ぜんあくの​ひと​を*えらば​れ​ず、 ただ信心しんじんようと​す​と​しる​べし。 そのゆゑは罪悪ざいあくじんじゅう煩悩ぼんのうじょうしゅじょうを​たすけ​ん0832が​ため​のがんに​まします。

^しかれば、 本願ほんがんしんぜ​ん​にはぜんように​あらず、 念仏ねんぶつに​まさる​べきぜんなき​ゆゑに。 あくをも​おそる​べから​ず、 弥陀みだ本願ほんがんを​さまたぐる​ほど​のあくなき​ゆゑに​と云々うんぬん

 

(21054)

一 ^*おのおの​のじゅうこくの​さかひ​を​こえ​て、 *しんみょうを​かへりみ​ず​して、 たづねきたら​しめたまふおんこころざし、 ひとへにおうじょう極楽ごくらくの​みち​をひ​きか​んがため​なり。 しかるに念仏ねんぶつより​ほか​におうじょうの​みち​をもぞんし、 また法文ほうもんとうをも​しり​たるらん​と、 *こころにくく​おぼしめし​て​おはしまし​て​はんべら​ん​は、 おほきなる​あやまり​なり。 もし​しからば、 *なん北嶺ほくれいにも*ゆゆしきがくしょうたち​おほくおわせ​られ​てそうろふ​なれば、 かの​ひと​にも​あひ​たてまつり​て、 おうじょうようよくよく​きか​る​べき​なり。

^親鸞しんらんにおきて​は、 ただ念仏ねんぶつして、 弥陀みだに​たすけ​られ​まゐらす​べし​と、 よき​ひと (*法然)おおせ​を*かぶり​て、 しんずる​ほか​に*べつさいなき​なり。

^念仏ねんぶつは、 まことにじょううまるる​たね​にて​や​はんべら​ん、 またごくに​おつ​べきごうにて​や​はんべる​らん、 *そうじて​もつてぞんせ​ざる​なり。 たとひ法然ほうねんしょうにん*すかさ​れ​まゐらせ​て、 念仏ねんぶつしてごくに​おち​たり​とも、 *さらに後悔こうかいす​べから​ずそうろふ。

^0833そのゆゑは*自余じよぎょうも​はげみ​て*ぶつる​べかり​けるが、 念仏ねんぶつもうし​てごくにも​おち​てそうらは​ばこそ、 すかさ​れ​たてまつり​て​といふ後悔こうかいそうらは​め。 いづれ​のぎょうも​およびがたきなれば、 *とてもごく*いちじょうすみか​ぞかし

^弥陀みだ本願ほんがんまこと​に​おはしまさ​ば、 しゃくそんせっきょう虚言きょごんなる1055べから​ず。 仏説ぶっせつまこと​に​おはしまさ​ば、 *善導ぜんどうおんしゃく虚言きょごんし​たまふ​べから​ず。 善導ぜんどうおんしゃくまこと​ならば、 法然ほうねんおおせ​そらごと​なら​ん​や。 法然ほうねんおおせ​まこと​ならば、 親鸞しんらんもうす​むね、 また​もつて​むなしかる​べから​ずそうろふ​か。

^せんずるところ、 しん信心しんじんにおきて​は​かくのごとし。 このうへは、 念仏ねんぶつを​とり​てしんじ​たてまつら​ん​とも、 また​すて​ん​とも、 *面々めんめんおんはからひ​なり​と云々うんぬん

 

(3)

一 ^善人ぜんにんなほもつておうじょうを​とぐ。 *いはんや悪人あくにんをや。

^しかるをの​ひと​つね​に​いはく、 「悪人あくにんなほおうじょうす。 いかに​いはんや善人ぜんにんをや」。 このじょう*一旦いったんその​いはれ​ある​にたれ​ども、 本願ほんがんりきしゅに​そむけ​り。 そのゆゑは*りきぜんの​ひと​は、 ひとへにりきを​たのむ​こころ*かけ​たる​あひだ、 弥陀みだ本願ほんがんに​あらず。 しかれども、 りきの​こころ​を​ひるがへし​て、 りきを​たのみ​たてまつれ​ば、 しん0834じつほうおうじょうを​とぐる​なり。

^*煩悩ぼんのうそくの​われら​は、 いづれのぎょうにてもしょうを​はなるる​こと​ある​べから​ざる​を、 あはれみ​たまひ​てがんを​おこし​たまふほん悪人あくにんじょうぶつの​ため​なれば、 りきを​たのみ​たてまつ悪人あくにんもつとも*おうじょうしょういんなり

^よつて善人ぜんにんだに​こそおうじょうすれ、 まして悪人あくにんは​と、 おおそうらひ​き

 

(41056)

一 ^慈悲じひしょうどうじょう*かはりめ​あり。

^しょうどう慈悲じひといふは、 *もの​を​あはれみ、 *かなしみ、 はぐくむ​なり。 しかれども、 おもふ​が​ごとく*たすけ​とぐる​こと、 きはめて​ありがたし。

^じょう慈悲じひといふは、 念仏ねんぶつして、 いそぎぶつり​て、 だいだいしんをもつて、 おもふ​が​ごとくしゅじょうやくする​を​いふ​べき​なり。

^こんじょうに、 いかに*いとほし便びんと​おもふ​とも、 *ぞんの​ごとく​たすけがたけれ​ば、 この慈悲じひ*じゅうなし。 しかれば、 念仏ねんぶつもうす​のみ​ぞ、 *すゑとほり​たるだい慈悲じひしんにてそうろふ​べき​と云々うんぬん

 

(5)

一 ^親鸞しんらん父母ぶも*きょうようの​ため​とて、 一返いっぺんにても念仏ねんぶつもうし​たる​こと、 いまだそうらは​ず。

^そのゆゑは、 一切いっさいじょうは​みな​もつて*世々せせ生々しょうじょう父母ぶもきょうだいなり。 いづ0835れ​も​いづれ​も、 この*じゅんしょうぶつり​て​たすけそうろふ​べき​なり。

^わが​ちから​にて​はげむぜんにてもそうらは​ばこそ、 念仏ねんぶつこうして父母ぶもをも​たすけそうらは​め。

^ただりきを​すて​て、 いそぎじょうの​さとり​を​ひらき​なば、 六道ろくどうしょうの​あひだ、 いづれのごっに​しづめ​り​とも*神通じんずう方便ほうべんをもつて、 まづ*えん*す​べき​なり​と云々うんぬん

 

(61057)

一 ^専修せんじゅ念仏ねんぶつの​ともがら​の、 わが弟子でし、 ひと​の弟子でしといふ*相論そうろんそうろふ​らん​こと、 *もつてのほか​のさいなり。

^親鸞しんらん弟子でし一人いちにんも​もた​ずそうろふ。 そのゆゑは、 わが​はからひ​にて、 ひと​に念仏ねんぶつもうさ​せそうらは​ばこそ、 弟子でしにてもそうらは​め。 弥陀みだおんもよほし​に​あづかつ​て念仏ねんぶつもうそうろふ​ひと​を、 わが弟子でしもうす​こと、 きはめ​たる*こうりょうの​こと​なり。

^つく​べきえんあれ​ば​ともなひ、 はなる​べきえんあれ​ば​はなるる​こと​の​ある​をも、 を​そむき​て、 ひと​に​つれ​て念仏ねんぶつすれ​ば、 おうじょうす​べから​ざる​ものなり​なんど​いふ​こと、 *不可ふかせつなり。 如来にょらいより​たまはり​たる信心しんじんを、 わがものがほ​に、 とりかへさ​ん​ともうす​にや。 *かへすがへす​も​ある​べから​ざる​こと​なり。

^ねんの​ことわり​に​あひ​かなは​ば、 仏恩ぶっとんをも​しり、 またおんをも​しる​べき​なり​と云々うんぬん

 

(7)0836

一 ^*念仏ねんぶつしゃ無礙むげ一道いちどうなり。 その​いはれ​いかん​と​ならば、 信心しんじんぎょうじゃには、 天神てんじん地祇じぎきょうぶくし、 かいどうしょうする​こと​なし。 罪悪ざいあく業報ごうほうかんずる​こと​あたは​ず、 諸善しょぜんも​およぶ​こと​なき​ゆゑなり​と云々うんぬん

 

(81058)

一 ^念仏ねんぶつ*ぎょうじゃのために、 ぎょうぜんなり。 わが​はからひ​にてぎょうずる​に​あらざれ​ば、 ぎょうといふ。 わが​はからひ​にて​つくるぜんにも​あらざれ​ば、 ぜんといふ。 ひとへにりきにして、 りきを​はなれ​たる​ゆゑに、 ぎょうじゃのために​は、 ぎょうぜんなり​と云々うんぬん

 

(9)

一 ^念仏ねんぶつもうそうらへ​ども、 *やくかんの​こころ​おろそかにそうろふ​こと、 また​いそぎじょうへ​まゐり​たき​こころ​のそうらは​ぬ​は、 いかに​とそうろふ​べき​こと​にてそうろふ​やらん​と、 *もうしいれ​てそうらひ​しかば、 ^親鸞しんらんも​このしんあり​つる​に、 *唯円ゆいえんぼうおなじ​こころ​にて​ありけり。

^よくよくあんじみれ​ば、 てんに​をどりに​をどる​ほどに​よろこぶ​べき​こと​を​よろこば​ぬ​にて、 いよいよおうじょういちじょう*おもひ​たまふふ​なり。 よろこぶ​べき​こころ​を​おさへ​て​よろこば​ざる​は、 煩悩ぼんのうしょなり。 しかるにぶつかねて​しろし0837めし​て、 煩悩ぼんのうそくぼんおおせ​られ​たる​こと​なれば、 りきがんは​かくのごとし、 われら​が​ため​なり​けり​と​しら​れ​て、 いよいよ​たのもしく​おぼゆる​なり。

^またじょうへ​いそぎ​まゐり​たき​こころ​の​なく​て、 いささか*所労しょろうの​こと​も​あ1059れ​ば、 な​んずる​やらん​と​こころぼそく​おぼゆる​こと​も、 煩悩ぼんのうしょなり。 おんごうより​いま​までてんせ​る*のうきゅうは​すてがたく、 いまだうまれ​ざるあんにょうじょうは​こひしから​ずそうろふ​こと、 まことに​よくよく煩悩ぼんのう*こうじょうそうろふ​にこそ。 なごりをしく​おもへ​ども、 しゃえんき​て、 ちからなく​して​をはる​とき​に、 かのへ​は​まゐる​べき​なり。 いそぎ​まゐり​たき​こころ​なき​もの​を、 ことに​あはれみ​たまふ​なり。 これ​につけて​こそ、 いよいよだい大願だいがんは​たのもしく、 おうじょうけつじょうぞんそうらへ。

^やくかんの​こころ​も​あり、 いそぎじょうへ​も​まゐり​たくそうらは​ん​には、 煩悩ぼんのうの​なき​やらん​と、 *あやしくそうらひ​なまし​云々うんぬん

 

(10)

一 ^念仏ねんぶつには*無義むぎをもつてと​す *不可ふかしょう不可ふかせつ不可ふか思議しぎの​ゆゑに​とおおそうらひ​き。

 ^*そもそも、 かのざいしょうの​むかし、 おなじく​こころざし​を​して*あゆみ​をりょうえん0838洛陽らくように​はげまし、 しんを​ひとつ​にして、 こころ*当来とうらいほうに​かけ​し​ともがら​は、 どう*しゅを​うけたまはり​しか​ども、 その​ひとびと​に​ともなひ​て念仏ねんぶつもうさ​るるろうにゃく、 その​かず​を​しら​ず​おはします​なか​に、 しょうにん (親鸞)おおせ​に​あらざる異義いぎども​を、 近来きんらいは​おほくおおせ​られ​あう​てそうろふ​よし、 つたへ​うけたまはる。 いはれ1060なき条々じょうじょうさいの​こと。

 

(11)

一 ^*一文いちもんつうの​ともがら​の念仏ねんぶつもうす​に*あう​て、 「*なんぢ​は誓願せいがん思議しぎしんじ​て念仏ねんぶつもうす​か、 またみょうごう思議しぎしんずる​か」 と​いひ​おどろかし​て、 ふたつ​の思議しぎさいをもぶんみょう*いひひらか​ず​して、 ひと​の​こころ​を​まどはす​こと。

^このじょう、 かへすがへす​も​こころ​を​とどめ​て、 *おもひわく​べき​こと​なり。

 ^誓願せいがん思議しぎによりて、 やすく​たもち、 となへやすきみょうごう*あんじいだし​たまひ​て、 このみょうを​となへ​ん​もの​を​むかへ​とら​ん​とおん約束やくそくある​こと​なれば、 まづ弥陀みだだい大願だいがん思議しぎに​たすけ​られ​まゐらせ​て、 しょうづ​べし​としんじ​て、 念仏ねんぶつもうさ​るる​も如来にょらいおんはからひ​なり​と​おもへ​ば、 すこし​も​みづから​の​はからひ​まじはら​ざる​がゆゑに、 本願ほんがん相応そうおうして、 じっぽうおうじょうする​なり。

^0839これ​は誓願せいがん思議しぎ*むねとしんじ​たてまつれ​ば、 みょうごう思議しぎそくし​て、 誓願せいがんみょうごう思議しぎひとつ​にして、 さらにことなる​こと​なき​なり。

^つぎ​に​みづから​の​はからひ​を​さしはさみ​て、 善悪ぜんあくの​ふたつ​につきて、 おうじょうの​たすけ・さはり、 二様ふたように​おもふ​は、 誓願せいがん思議しぎをば​たのま​ず​して、 *わが​こころ​におうじょうごうを​はげみ​てもうす​ところの念仏ねんぶつをも*ぎょうに​なす​なり。 こ1061の​ひと​は、 みょうごう思議しぎをも​またしんぜ​ざる​なり。 しんぜ​ざれ​ども、 へんまんじょうたいにもおうじょうして、 *すいがん (第二十願) の​ゆゑに、 つひにほうしょうずる​は、 みょうごう思議しぎの​ちから​なり。 これ​すなはち、 誓願せいがん思議しぎの​ゆゑ​なれば、 ただ​ひとつ​なる​べし。

 

(12)

一 ^経釈きょうしゃくを​よみがくせ​ざる​ともがら、 おうじょうじょうの​よし​の​こと。

^このじょう、 すこぶる*そくごんと​いひ​つ​べし

 ^りき真実しんじつの​むね​を​あかせ​る​もろもろ​の*正教しょうぎょう本願ほんがんしん念仏ねんぶつもうさ​ばぶつる。 その​ほか、 *なにの学問がくもんかはおうじょうようなる​べき​や。

^まことに、 この​ことわり​に*まよへ​らん​ひと​は、 いかにも​いかにも学問がくもんして、 本願ほんがんの​むね​を​しる​べき​なり 経釈きょうしゃくを​よみがくす​と​いへども、 聖教しょうぎょうほんを​こころえ​ざるじょう、 もつとも0840便びんの​こと​なり。

^一文いちもんつうにして、 経釈きょうしゃく*も​しら​ざらん​ひと​の、 となへやすから​ん​ため​のみょうごうに​おはします​ゆゑに、 ぎょうといふ。 学問がくもんを​むねと​する​はしょうどうもんなり、 なんぎょうと​なづく。 あやまつて学問がくもんしてみょうもんようの​おもひ​にじゅうする​ひと、 じゅんおうじょう、 いかが​あら​んずらん​といふしょうもんそうろふ​べき​や

^*とう専修せんじゅ念仏ねんぶつの​ひと​としょうどうもんの​ひと、 法論ほうろんを​くはだて​て、 「わがしゅうこそ​すぐれ​たれ、 ひと​のしゅうは​おとり​なり」 といふ​ほどに、 法敵ほうてきで​きた​り、 謗法ほうぼうも​おこる。 これ*しかしなが1062ら、 みづから​わがほうほうする​に​あらず​や。

^たとひ諸門しょもんこぞりて、 「念仏ねんぶつ*かひなき​ひと​の​ため​なり、 そのしゅうあさし、 いやし」 いふとも、 さらに​あらそは​ず​して、 「われら​が​ごとく*こんぼん一文いちもんつうの​もの​の、 しんずれ​ば​たすかる​よし、 うけたまはり​てしんそうらへ​ば、 さらに*じょうこんの​ひと​のために​は​いやしく​とも、 われら​がために​はさいじょうほうにて​まします。 たとひ*自余じよきょうぼうすぐれ​たり​とも、 みづから​がために​は*りょうおよば​ざれ​ば、 つとめがたし。 われ​も​ひと​も、 しょうを​はなれ​ん​こと​こそ、 諸仏しょぶつほんにて​おはしませ​ば、 おんさまたげ​ある​べから​ず」 とて、 *にくいせず​は、 たれ​の​ひと​か​ありて、 *あだ​を​なす​べき​や。

^かつはじょうろんの​ところ​には​もろもろ​の煩悩ぼんのうおこる、 しゃおん0841す​べき​よし​のしょうもんそうろふ​にこそ

^しょうにん (親鸞)おおせ​には、 「このほうをばしんずるしゅじょうも​あり、 そしるしゅじょうも​ある​べし​と、 ぶつきおか​せたまひ​たる​こと​なれば、 われ​は​すでにしんじ​たてまつる。 また​ひと​ありて​そしる​にて、 仏説ぶっせつまこと​なり​けり​と​しら​れそうろふ。 しかれば、 おうじょうは​いよいよいちじょうおもひ​たまふ​なり*あやまつて​そしる​ひと​のそうらは​ざら​ん​にこそ、 いかにしんずる​ひと​は​あれども、 そしる​ひと​の​なき​やらん​とも​おぼえそうらひ​ぬ​べけれ。

^かくもうせ​ば​とて、 かならず​ひと​に​そしら​れ​ん​と​には​あらず。 ぶつの、 かねて*信謗しんぼうともに​ある​べき1063むね​を​しろしめし​て、 ひと​のうたがいを​あらせじ​と、 きおか​せたまふ​こと​をもうす​なり」 と​こそそうらひ​しか。

^いまには、 学文がくもんして​ひと​の​そしり​を​やめ、 ひとへにろん問答もんどう*むねと​せん​と*かまへ​られそうろふ​にや。 学問がくもんせ​ば、 いよいよ如来にょらいほんを​しり、 がん広大こうだいの​むね​をもぞんして、 いやしから​んにておうじょうは​いかが​なんど​あやぶま​ん​ひと​にも、 本願ほんがんには善悪ぜんあくじょうなきおもむきをもき​きか​せ​られそうらは​ばこそ、 がくしょうの​かひ​にてもそうらは​め。 たまたま​なにごころ​も​なく、 本願ほんがん相応そうおうして念仏ねんぶつする​ひと​をも、 学文がくもんして​こそ​なんど​いひ​おどさ​るる​こと、 ほうしょうなり、 ぶつ怨敵おんてきなり。 みづからりき信心しんじんかくる​のみ​なら​ず、 あやまつてまよはさ​ん​と​す。

^0842つつしん​で​おそる​べし、 せん (親鸞)おんこころ​に​そむく​こと​を。 かねて​あはれむ​べし、 弥陀みだ本願ほんがんに​あらざる​こと​を。

 

(13)

一 ^弥陀みだ本願ほんがん思議しぎに​おはしませ​ば​とて、 あくを​おそれ​ざる​は、 また*本願ほんがんぼこり​とて、 おうじょうかなふ​べから​ず​といふ​こと。

^このじょう*本願ほんがんうたがふ、 善悪ぜんあく宿しゅくごうを​こころえ​ざる​なり。

 ^よき​こころ​の​おこる​も、 宿しゅくぜんの​もよほす​ゆゑなり。 あくの​おもは​れ​せ​らるる​も、 悪業あくごうの​はからふ​ゆゑなり。 しょうにん (親鸞)おおせ​には、 「*もう羊毛ようもう1064さき​に​ゐる​ちり​ばかり​も​つくるつみの、 宿しゅくごうに​あらず​といふ​こと​なし​と​しる​べし」 とそうらひ​き。

 ^また​ある​とき、 「唯円ゆいえんぼうは​わが​いふ​こと​をばしんずる​か」 と、 おおせ​のそうらひ​し​あひだ、 「*さんそうろふ」 と、 もうそうらひ​しかば、 「さらば、 *いは​ん​こと​たがふ​まじき​か」 と、 かさねておおせ​のそうらひ​し​あひだ、 つつしん​で*領状りょうじょうもうし​てそうらひ​しかば、 「*たとへば​ひと千人せんにん*ころし​てんや、 しからばおうじょういちじょうす​べし」 と、 おおそうらひ​し​とき、 「おおせ​にて​はそうらへ​ども、 一人いちにんも​このりょうにて​は、 *ころし​つ​べし​とも0843おぼえ​ずそうろふ」 と、 もうし​てそうらひ​しかば、 「さては​いかに親鸞しんらんが​いふ​こと​を​たがふ​まじき​と​は​いふ​ぞ」 と。

^「これ​にて​しる​べし。 なにごと​も*こころ​に​まかせ​たる​こと​ならば、 おうじょうの​ため​に千人せんにんころせ​と​いは​ん​に、 すなはち​ころす​べし。 しかれども、 一人いちにんにても*かなひ​ぬ​べき業縁ごうえんなき​によりて、 がいせ​ざる​なり。 わが​こころ​の​よく​て​ころさ​ぬ​には​あらず。 またがいせ​じ​と​おもふ​とも、 ひゃくにん千人せんにんを​ころす​こと​も​ある​べし」 と、 おおせ​のそうらひ​しかば、 われら​が​こころ​の​よき​をば​よし​と​おもひ、 しき​こと​をばし​と​おもひ​て、 がん思議しぎにて​たすけ​たまふ​といふ​こと​を​しら​ざる​こと​を、 おおせ​のそうらひ​し​なり。

^*そのかみ邪見じゃけんに​おち​たる​ひ1065と​あつ​て、 あくを​つくり​たる​もの​を​たすけ​ん​といふがんにて​ましませ​ば​とて、 わざと​このみ​てあくを​つくり​て、 おうじょうごうと​す​べき​よし​を​いひ​て、 *やうやう​に​あしざまなる​こと​の​きこえそうらひ​し​とき、 しょうそくに、 「くすりあれ​ば​とて、 どくを​このむ​べから​ず」 と、 *あそばさ​れ​てそうろふ​はかのじゃしゅうを​やめ​んが​ため​なり。 まつたく、 あくおうじょうの​さはり​たる​べし​と​には​あらず。

^*かいりつにて​のみ本願ほんがんしんず​べくは、 われら​いかでかしょうを​はなる​べき​や​と。 かかる​あさましきも、 本願ほんがんに​あひ​たてまつり​て​こそ、 *げに​ほこら​れそうらへ。 されば​とて、 *に​そなへ​ざら​ん悪業あくごう0844、 よも​つくら​れそうらは​じ​ものを。

^また、 「うみかわあみを​ひき、 つりを​して、 をわたる​もの​も、 やま*しし​を​かり、 とりを​とり​て、 *いのち​を​つぐ​ともがら​も、 あきなひ​を​し、 田畠でんばくを​つくり​てぐる​ひと​も、 ただ​おなじ​こと​なり」 と。 「さるべき業縁ごうえん*もよほさ​ばいかなる​ふるまひ​も​す​べし」 と​こそ、 しょうにん (親鸞)おおそうらひ​し​に、 ^とう*後世ごせしゃぶり​して、 よから​ん​もの​ばかり念仏ねんぶつもうす​べき​やう​に、 あるいはどうじょう*はりぶみ​を​して、 *なんなん​の​こと​し​たらん​もの​をば、 どうじょうる​べから​ず​なんど​といふ​こと、 ひとへに賢善けんぜんしょうじんそうほかに​しめし​て、 うちには虚仮こけを​いだけ​る​ものか。

^がんに​ほこり​て​つくら​んつみも、 宿しゅくごうの​もよほす​ゆゑなり。 1066ればき​こと​もしき​こと​も*業報ごうほうに​さしまかせ​て、 ひとへに本願ほんがんを​たのみ​まゐらすれ​ばこそ、 りきにて​はそうらへ。 ¬*唯信ゆいしんしょう¼ にも、 「弥陀みだいかばかり​の​ちから​まします​と​しり​て​か、 罪業ざいごうなれば​すくはれがたし​と​おもふ​べき」 とそうろふ​ぞかし。

^本願ほんがんに​ほこる​こころ​の​あら​ん​につけて​こそ、 りきを​たのむ信心しんじんけつじょうし​ぬ​べき​こと​にてそうらへ。

^おほよそ悪業あくごう煩悩ぼんのうだんつくし​て​のち、 本願ほんがんしんぜ​ん​のみ​ぞ、 がんに​ほこる​おもひ​も​なく​て​よかる​べき​に、 煩悩ぼんのうだんじ​なば、 すなはちぶつり、 ぶつのために​は、 *こうゆいがん、 その*せんなく​や​ましまさ​ん0845

^本願ほんがんぼこり​と​いましめ​らるる​ひとびと​も、 煩悩ぼんのうじょうそくせ​られ​て​こそそうろう​げ​なれ。 それ​はがんに​ほこら​るる​に​あらず​や。 いかなるあく本願ほんがんぼこり​といふ、 いかなるあくか​ほこら​ぬ​にてそうろふ​べき​ぞや。 *かへりて、 こころをさなき​こと​か。

 

(14)

一 ^*一念いちねんはちじゅう億劫おくこうじゅうざいめっす​としんず​べし​といふ​こと。

^このじょうは、 じゅうあくぎゃく罪人ざいにんごろ念仏ねんぶつもうさ​ず​して、 命終みょうじゅうの​とき、 はじめてぜんしきの​をしへ​にて、 一念いちねんもうせ​ばはちじゅう億劫おくこうつみめっし、 じゅうねんもうせ​ばはちじゅう億劫おくこうじゅうざいめっし​ておうじょうす​と​いへ​り。 これ​はじゅうあくぎゃく*きょうじゅうを​しら​せん​が​ため​に、 一念いちねんじゅうねんと​いへ​る1067か、 滅罪めつざいやくなり。 いまだ​われら​がしんずる​ところ​に​およば​ず。

^そのゆゑは弥陀みだこうみょうらさ​れ​まゐらする​ゆゑに一念いちねんぽっする​とき金剛こんごう信心しんじんたまはり​ぬれ​ば、 すでにじょうじゅくらいに​をさめ​しめたまひ​て、 命終みょうじゅうすれ​ば、 もろもろ​の煩悩ぼんのうあくしょうてんじ​て、 しょうにんさとら​しめたまふ​なり このがんましまさ​ずは、 かかる​あさましき罪人ざいにん、 いかでかしょうだつす​べき​と​おもひ​て、 いっしょうの​あひだもうす​ところの念仏ねんぶつは、 みな​ことごとく如来にょらいだいおんほうじ、 とくしゃす​と​おもふ​べき​なり。

^念仏ねんぶつもうさ​ん​ごと​に、 つみを​ほろぼさ​ん​としん0846ん​は、 すでに*われとつみし​て、 おうじょうせん​と​はげむ​にて​こそそうろふ​なれ。 もし​しからば、 いっしょうの​あひだ​おもひ​と​おもふ​こと、 みな*しょうの​きづな​に​あらざる​こと​なけれ​ば、 いのちき​ん​まで念仏ねんぶつ退転たいてんせず​しておうじょうす​べし。 ただし業報ごうほう*かぎり​ある​こと​なれば、 いかなる*思議しぎの​こと​にも​あひ、 また*びょうのうつうせめ​て、 *しょうねんじゅうせ​ず​して​をはら​ん。 念仏ねんぶつもうす​こと​かたし。 その​あひだ​のつみをば、 いかが​してめっす​べき​や。 つみえ​ざれ​ば、 おうじょうは​かなふ​べから​ざる​か。

^摂取せっしゅしゃがんを​たのみ​たてまつら​ば、 いかなる思議しぎありて、 罪業ざいごうを​をかし、 念仏ねんぶつもうさ​ず​して​をはる​とも、 すみやかにおうじょうを​とぐ​べし。 また*念仏ねんぶつもうさ​れ​ん​も、 ただいま​さとり​を​ひらか​んずるの​ち1068かづく​に​したがひ​ても、 いよいよ弥陀みだを​たのみ、 おんほうじ​たてまつる​にて​こそそうらは​め。

^つみめっせ​ん​と​おもは​ん​は、 りきの​こころ​にして、 りんじゅうしょうねんと​いのる​ひと​のほんなれば、 りき信心しんじんなき​にてそうろふ​なり。

 

(15)

一 ^煩悩ぼんのうそくをもつて、 *すでに​さとり​を​ひらく​といふ​こと。

^このじょう、 もつてのほか​の​こと​にそうろふ。

 ^0847即身そくしんじょうぶつ*真言しんごんきょうほん*三密さんみつぎょうごうしょうなり。 六根ろっこん清浄しょうじょうは​また*ほっいちじょう所説しょせつ*安楽あんらくぎょう*感徳かんとくなり。 これ​みななんぎょうじょうこんの​つとめ、 観念かんねんじょうじゅの​さとり​なり。 らいしょう開覚かいかくりきじょうしゅう信心しんじんけつじょう*つうなり。 これ​またぎょうこんの​つとめ、 *けん善悪ぜんあくほうなり。

^おほよそこんじょうにおいて​は、 煩悩ぼんのうあくしょうだんぜ​ん​こと、 きはめて​ありがたき​あひだ、 真言しんごんほっぎょうずる*じょうりょ、 なほもつてじゅんしょうの​さとり​を​いのる。 いかに​いはんや、 かいぎょう慧解えげともに​なし​と​いへども弥陀みだ願船がんせんじょうじ​て、 しょうかいを​わたり、 ほうきしに​つき​ぬる​もの​ならば、 煩悩ぼんのう黒雲こくうんはやくれ、 ほっしょう*覚月かくげつすみやかに​あらはれ​て、 じん十方じっぽう無礙むげこうみょういちにして、 一切いっさいしゅじょうやくせん​とき​にこそ、 さとり​にて​はそうらへ。

^このをもつて​さとり​を​ひらく​とそうろふ​なる​ひと​は、 しゃくそんの​ごとく、 種々しゅじゅおうをも1069げんじ、 さんじゅうそうはちじゅうずいぎょうこうをもそくして、 説法せっぽうやくそうろふ​にや。 これ​を​こそ、 こんじょうに​さとり​を​ひらくほんと​はもうそうらへ。 ¬さん¼ (*高僧和讃) に​いはく、 「金剛こんごうけん信心しんじんの さだまる​とき​を​まちえ​て​ぞ 弥陀みだ心光しんこうしょうして ながくしょうを​へだて​ける」 とそうろふ​は、 信心しんじんさだまる​とき​に、 ひとたび摂取せっしゅしてて​たまは​ざれ​ば、 六道ろくどうりんす​べから​ず。 しかれば、 ながくしょうをば0848へだてそうろふ​ぞかし。 かくのごとく​しる​を、 さとる​と​は​いひ​まぎらかす​べき​や。 あはれにそうろふ​をや。

^じょうしんしゅうには、 こんじょう本願ほんがんしんじ​て、 かのにして​さとり​をば​ひらく​と​ならひそうろふ​ぞ」 と​こそ、 しょうにん (親鸞)おおせ​にはそうらひ​し​か。

 

(16)

一 ^信心しんじんぎょうじゃねんに​はら​をも​たて、 あしざまなる​こと​をも​をかし、 *同朋どうぼう同侶どうりょにも​あひ​て口論こうろんをも​して​は、 かならず*しんす​べし​といふ​こと。

^このじょう*断悪だんあく修善しゅぜんの​ここち​か。

 ^一向いっこう専修せんじゅの​ひと​において​は、 しんといふ​こと、 ただ​ひとたび​ある​べし。 そのしんは、 ごろ本願ほんがんりきしんしゅうを​しら​ざる​ひと、 弥陀みだ智慧ちえを​たまはり​て、 ごろ​の​こころ​にて​はおうじょうかなふ​べから​ず​と​おもひ​て、 *もと​の​こころ​を​ひきかへ​て、 本願ほんがんを​たのみ​まゐらする​を​こそ、 しんと​はもうそうらへ。

^一切いっさいに、 あし1070た​ゆふべ​にしんして、 おうじょうを​とげそうろふ​べくは、 ひと​の​いのち​は、 づるいきる​ほど​を​また​ず​して​をはる​こと​なれば、 しんも​せず、 *にゅう忍辱にんにくの​おもひ​にもじゅうせ​ざらん​さき​に​いのちˆなˇ ば、 摂取せっしゅしゃ誓願せいがんは​むなしく​なら​せおはします​べき​にや。

^くちには願力がんりきを​たのみ​たてまつる​と​いひ​て、 こころ​には*さこそあく0849にんを​たすけ​ん​といふがん思議しぎに​まします​といふとも、 *さすが​よから​ん​もの​を​こそ​たすけ​たまは​んずれ​と*おもふ​ほどに、 願力がんりきうたがひ、 りきを​たのみ​まゐらする​こころ​かけ​て、 へんしょうを​うけ​ん​こと、 もつとも​なげき​おもひ​たまふ​べき​こと​なり。

^信心しんじんさだまり​なば、 おうじょう弥陀みだに​はからは​れ​まゐらせ​て​する​こと​なれば、 わが​はからひ​なる​べから​ず。 わろから​ん​につけて​も、 いよいよ願力がんりきあおぎ​まゐらせ​ば、 ねんの​ことわり​にて、 にゅう忍辱にんにくの​こころ​もで​く​べし。 すべて​よろづ​の​こと​につけて、 おうじょうには*かしこき​おもひ​をせ​ず​して、 ただ​ほれぼれと弥陀みだおんじんじゅうなる​こと、 つね​は​おもひいだし​まゐらす​べし。 しかれば、 念仏ねんぶつ*もうさ​れそうろふ。 これねんなり。 わが​はからは​ざる​を、 ねんもうす​なり。 これ​すなはちりきにて​まします。

^しかるを、 ねんといふ​こと​のべつに​ある​やう​に、 *われものしりがほ​に​いふ​ひと​のそうろふ​よし​うけたまはる、 あさましくそうろふ。

 

(171071)

一 ^へんおうじょうを​とぐる​ひと、 つひに​はごくに​おつ​べし​といふ​こと。

^このじょう、 なにのしょうもんに​みえそうろふ​ぞや。 *がくしょうだつる​ひと​の​なか​に、 いひいださ​るる​こと​にてそうろふ​なる​こそ、 あさましくそうらへ。 きょうろん正教しょうぎょうをば、 いかやうに​みなさ​れ​て0850そうろふ​らん。

 ^信心しんじんかけ​たるぎょうじゃは、 本願ほんがんうたがふ​によりて、 へんしょうじ​て、 うたがいつみを​つぐのひ​て​のち、 ほうの​さとり​を​ひらく​と​こそ、 うけたまはりそうらへ。

^信心しんじんぎょうじゃすくなき​ゆゑに、 化土けどに​おほく​すすめいれ​られそうろふ​を、 つひに*むなしく​なる​べし​とそうろふ​なる​こそ、 *如来にょらいもうもうしつけ​まゐらせ​られそうろふ​なれ

 

(18)

一 ^*仏法ぶっぽうかたに、 *にゅうもつしょうに​したがつ​てだいしょうぶつに​なる​べし​といふ​こと。

^このじょう不可ふかせつなり、 不可ふかせつなり。 *きょうの​こと​なり。

 ^まづ、 ぶつだいしょうぶんりょうさだめ​ん​こと、 ある​べから​ずそうろふ​か。 かのあんにょうじょうきょうしゅ (阿弥陀仏)*しんりょうか​れ​てそうろふ​も、 それ​は*方便ほうべん報身ほうじんの​かたち​なり。 ほっしょうの​さとり​を​ひらい​て、 ちょうたん方円ほうえんの​かたち​にも​あらず、 しょうおうしゃくびゃくこくの​いろ​をも​はなれ​なば、 なに​をもつて​かだい1072しょうさだむ​べき​や。

^念仏ねんぶつもうす​に、 ぶつを​み​たてまつる​といふ​こと​のそうろふ​なる​こそ、 「大念だいねんには大仏だいぶつしょうねんにはしょうぶつる」 (*大集経・意) と​いへ​る​が、 もし*この​ことわり​なんど​に​ばし、 ひきかけ​られそうろふ​やらん。

^かつは​また、 *だん波羅ばらみつぎょうとも​いひ​つ​べし。 い0851かにたからもの仏前ぶつぜんにも​なげ、 しょうにもほどこす​とも、 信心しんじんかけ​なば、 そのせんなし。 いっ半銭はんせん仏法ぶっぽうかたれ​ず​とも、 りきに​こころ​を​なげ​て信心しんじんふかく​は、 それ​こそがんほんにてそうらは​め。

^すべて仏法ぶっぽう*こと​を​よせ​て、 けん欲心よくしんも​ある​ゆゑに、 同朋どうぼうを​いひ​おどさ​るる​にや。

 

後序

 ^*みぎ条々じょうじょうは、 みな​もつて信心しんじんことなる​より​こと​おこりそうろふ​か。 しょうにん (親鸞)おんものがたりに、 法然ほうねんしょうにん御時おんときおん弟子でしその​かず​おはし​ける​なか​に、 おなじく信心しんじんの​ひと​も​すくなく​おはし​ける​に​こそ、 親鸞しんらんおん同朋どうぼう御中おんなかにして相論そうろんの​ことそうらひ​けり。

^そのゆゑは、 「善信ぜんしん (親鸞)信心しんじんも、 しょうにん (法然)信心しんじんひとつ​なり」 とおおせ​のそうらひ​けれ​ば、 *勢観せいかんぼう*念仏ねんぶつぼうなんどもうおん同朋どうぼうたち*もつてのほか​にあらそひ​たまひ​て、 「いかでかしょうにん信心しんじん善信ぜんしんぼう信心しんじんひとつ​には​ある​べき​ぞ」 とそうらひ​けれ​ば、 「しょうにんおん智慧ちえ*さいかくひろく​おはします​に、 ひとつ​なら​ん​ともうさ​ばこそ*ひがごと​なら​め。 おうじょう信心しんじんにおいて​は、 まつたくことなる​こと​なし、 ただひと1073つ​なり」 と返答へんとうありけれ​ども、 なほ 「いかでか​そのあら​ん」 といふなんありけれ​ば、 せんずるところ、 しょうにんおんまへ​にて0852*自他じた是非ぜひさだむ​べき​にて、

^このさいもうしあげ​けれ​ば、 法然ほうねんしょうにんおおせ​には、 「源空げんくう信心しんじんも、 如来にょらいより​たまはり​たる信心しんじんなり。 善信ぜんしんぼう信心しんじんも、 如来にょらいより​たまはら​せたまひ​たる信心しんじんなり。 されば​ただひとつ​なり。 べつ信心しんじんにて​おはしまさ​ん​ひと​は、 源空げんくう*まゐら​んずるじょうへ​は、 *よも​まゐら​せたまひそうらは​じ」 とおおそうらひ​しかば、 ^*とう一向いっこう専修せんじゅの​ひとびと​の​なか​にも親鸞しんらん信心しんじんひとつ​なら​ぬおんこと​もそうろふ​らん​と​おぼえそうろふ。

^いづれ​も​いづれ​も*ごとにてそうらへ​ども、 きつけそうろふ​なり。 *めいわづかに*そうに​かかり​てそうろふ​ほどに​こそ、 あひ​ともなは​しめたまふ​ひとびと〔の〕しんをも​うけたまはり、 しょうにん (親鸞)おおせ​のそうらひ​しおもむきをももうし​きか​せ​まゐらせそうらへ​ども、 *閉眼へいがんの​のち​は、 *さこそ*しどけなき​ことども​にてそうらは​んず​らめ​と、 なげぞんそうらひ​て、 *かくのごとく​のども、 おおせ​られ​あひそうろふ​ひとびと​にも、 いひ​まよはさ​れ​なんど​せ​らるる​こと​のそうらは​ん​とき​は、 しょうにん (親鸞)おんこころ​に​あひ​かなひ​ておんもちゐそうろ*おん聖教しょうぎょうども​を、 よくよくらんそうろふ​べし。

^おほよそ聖教しょうぎょうには、 真実しんじつごんともに​あひ​まじ1074はりそうろふ​なり。 ごんを​すて​てじつを​とり、 を​さしおき​てしんを​もちゐる​こそ、 しょうにん (親鸞)ほんにてそうらへ。 *かまへて​かまへて聖教しょうぎょうを​み、 み0853だら​せたまふ​まじくそうろふ。 *大切たいせつしょうもんども、 少々しょうしょうぬきいで​まゐらせそうろう​て、 *やす​にして、 このしょへ​まゐらせ​てそうろふ​なり

^しょうにん (親鸞) の​つね​のおおせ​には、 「弥陀みだこうゆいがんを​よくよくあんずれ​ば、 ひとへに親鸞しんらん一人いちにんが​ため​なり​けり。 されば*それ​ほど​のごうを​もち​けるにて​ありける​を、 たすけ​ん​と​おぼしめしたち​ける本願ほんがんの​かたじけなさ​よ」 とじゅっかいそうらひ​し​こと​を、 いま​またあんずる​に、 善導ぜんどうの 「しんは​これげん罪悪ざいあくしょうぼん曠劫こうごうより​このかた​つね​に​しづみ​つね​にてんし​て、 しゅつえんある​こと​なきと​しれ」 (*散善義) といふ金言きんげんに、 すこし​も​たがは​せおはしまさ​ず。 されば​かたじけなく、 わがおんに​ひきかけ​て、 われら​が罪悪ざいあくの​ふかき​ほど​をも​しら​ず、 如来にょらいおんの​たかき​こと​をも​しら​ず​してまよへ​る​を、 おもひしらせ​んがため​にてそうらひ​けり。

^まことに如来にょらいおんといふ​こと​をば沙汰さたなく​して、 われ​も​ひと​も、 よしあし​といふ​こと​を​のみもうしあへ​り。

^しょうにんおおせ​には、 「善悪ぜんあくの​ふたつ、 そうじて​もつてぞんせ​ざる​なり。 そのゆゑは、 如来にょらいおんこころ​にし​と​おぼしめす​ほどに​しりとほし​たら​ばこそ、 き​を​しり​たる​にても​あら​め、 如来にょらいし​と​お1075ぼしめす​ほどに​しりとほし​たら​ばこそ、 しさ​を​しり​たる​にても​あら​め​ど煩悩ぼんのうそくぼん0854たくじょうかいは、 よろづ​の​こと、 みな​もつて​そらごと​たはごと、 まこと​ある​こと​なき​に、 ただ念仏ねんぶつのみ​ぞ​まこと​にて​おはします」 と​こそおおせ​はそうらひ​し​か。

^まことに、 われ​も​ひと​も​そらごと​を​のみもうしあひそうろふ​なか​に、 ひとつ​いたましき​こと​のそうろふ​なり。 そのゆゑは、 念仏ねんぶつもうす​について、 信心しんじんおもむきをも​たがひに問答もんどうし、 ひと​にも​いひ​きかする​とき、 ひと​のくちを​ふさぎ、 相論そうろんを​たた​んがために、 まつたくおおせ​にて​なき​こと​をもおおせ​と​のみもうす​こと、 あさましくなげぞんそうろふ​なり。 この​むね​を​よくよく*おもひとき、 こころえ​らる​べき​こと​にそうろふ。

^これ​さらに*わたくし​の​ことば​に​あらず​と​いへども、 経釈きょうしゃくも​しら​ず、 法文ほうもん浅深せんじんを​こころえわけ​たる​こと​もそうらは​ねば、 さだめて​をかしき​こと​にて​こそそうらは​め​ども、 *親鸞しんらんおおせごとそうらひ​しおもむきひゃくぶんひとつ、 *かたはし​ばかり​をも​おもひいで​まゐらせ​て、 きつけそうろふ​なり。 かなしき​かな​や、 さいはひに念仏ねんぶつし​ながら、 じきほううまれ​ず​して、 へん宿やどを​とら​ん​こと。 *一室いっしつぎょうじゃの​なか​に、 信心しんじんことなる​こと​なから​ん​ため​に、 なく​なくふでめ​て​これ​を​しるす。 なづけ​て ¬たんしょう¼ といふ​べし。 ^*がい1076けんある​べから​ず。

 

流罪記録

 ^0855*後鳥ごとばのいん*ぎょ法然ほうねんしょうにんりき本願ほんがん念仏ねんぶつしゅうこうぎょうす。 ときに、 *興福こうぶく僧侶そうりょ*敵奏てきそううえおん弟子でしの​なか、 *狼籍ろうぜきさいある​よし、 *じつ風聞ふうぶんによりてざいしょせ​らるる人数にんじゅこと

一 ^法然ほうねんしょうにんならびにおん弟子でし七人しちにんざい。 またおん弟子でしにんざいに​おこなは​るる​なり。

^しょうにん (法然)*さのくに 幡多はた といふところざいざいみょうふじいの元彦もとひこおとこ云々うんぬんしょうねん*しちじゅう六歳ろくさいなり。

 ^親鸞しんらんえちごのくにざいみょうふじいの善信よしざね云々うんぬんしょうねんさんじゅうさいなり。

 ^*じょうもんぼう びんごのくに *ちょう西さい禅光ぜんこうぼう 伯耆ほうきのくに *こうかくぼう ずのくに *ぎょうくう法本ほうほんぼう どのくに

 ^*幸西こうさいじょうかくぼう*ぜんぼうにんおなじくおんさだまる。 しかるに*どう善題ぜんだいだいそうじょう、 これ​をもうしあづかる​と云々うんぬんおん人々ひとびとじょう八人はちにんなり​と云々うんぬん

 ^ざいおこなは​るる人々ひとびと

 一番いちばん 西さい*ぜんしゃくぼう

 ばん *しょうがんぼう

 三番さんばん *じゅうれんぼう

 1077ばん *安楽あんらくぼう

 0856*いの法印ほういんそんちょう沙汰さたなり。

 ^親鸞しんらんそうあらため​てぞくみょうたまふ。 よつてそうに​あらずぞくに​あらず、 しかるあひだ、 禿とくをもつてしょうと​なし​て、 奏聞そうもん​られ​をはん​ぬ。 かのおんもうじょう、 いまに*きのちょうおさまる​と云々うんぬん^ざい以後いご禿とく親鸞しんらんか​しめたまふ​なり。

親鸞、改↢僧儀↡賜↢俗名↡。仍↠僧↠俗、然間、以↢禿↡為して↠姓、被↠経↢奏聞↡了。彼御申状、于今外記庁に納と。 流罪以後、愚禿親鸞令↠書給也。

^みぎこの聖教しょうぎょうは、 *とうりゅうだい聖教しょうぎょうと​なす​なり。 *宿しゅくぜんにおいて​は、 *左右さうなく、 これ​をゆるす​べから​ざる​ものなり。

右斯聖教者、為当流大事聖教也。於無宿善機、無左右、不可許之者也。

しゃく*蓮如れんにょ (花押)

 

底本は本派本願寺蔵蓮如上人書写本ˆ聖典全書と同一ˇ。
古今 親鸞聖人在世の昔と滅後の今。
口伝の真信 口から直接に伝えられた真実の信心。
後学相続の疑惑 後の者が教えを受け継いでゆくについての疑いや惑い。
有縁の知識 深い因縁いんねんに結ばれた仏道の師。
易行の一門 ぎょうどうのこと。
自見の覚語 自分勝手な見解の意で、 口伝の真信に対し、 自己の見解をもって信心を定めることをいう。 「自見の覚悟」 とする異本もあるが、 意は同じ。
漢文部分のみ原文を出す。 底本は本派本願寺蔵蓮如上人書写本。
あづけしめたまふなり (摂取せっしゅしゃやくを) お与えくださる。
えらばれず わけへだてなさらない。
おのおの あなた方。 関東から京都の親鸞聖人のところへ信仰上の疑問をただしに来た人々。
身命をかへりみずして 命がけで。
こころにくく はっきりと知りたく。
ゆゆしき学生 すぐれた学僧。
別の子細 格別なわけ。
自余の行 念仏以外のぎょうごう
仏に成るべかりける身 仏になれたはずの身。
善導の御釈 ¬観経疏¼ 等を指す。
面々の御はからひ 各自のお考え。
いはんや悪人をや まして悪人 (が往生するの) はいうまでもない。 悪人とはどのような行によってもしょうを離れることのできないぼんのう具足のわれら。 →悪人正機補註3
自力作善のひと 自力で修めた善によって往生しようとする人。
かけたるあひだ 欠けているから。
煩悩具足 あらゆる煩悩を身にそなえているという意。
往生の正因 他力をたのむこころが往生の正因であるとする説、 他力をたのむ悪人が往生の正機であるとする説などがある。
たすけとぐること 完全に救いとること。
存知のごとく 思い通りに。
始終なし 終始一貫しない。 徹底しない。
すゑとほりたる 最後まで一貫した。 徹底した。
順次生 現在の命が終って、 次に受ける生。
神通方便 自由自在で不可思議なはたらき。
度す さいする。 迷いの世界 (此岸) のしゅじょうをさとりの世界 (彼岸) にわたすこと。
もつてのほかの子細 とんでもないこと。
荒涼 途方もないこと。 とんでもないこと。
不可説 とんでもないこと。
かへすがへすも 決して。
念仏者は… 念仏の行者は無礙の一道 (何ものにもさまたげられないひとすじの道) を歩む者という意。 「念仏者は」 の 「は」 を 「者」 に添えたみ仮名とみて、 「念仏は」 と読む説がある。 その場合、 念仏は無礙の一道であるという意になるが、 いずれにしても念仏の法が無礙道であるから、 念仏者は何ものにもさまたげられないことを明かしている。
行者のために 念仏を行ずる人にとって。
踊躍歓喜 おどりあがってよろこぶこと。
申しいれて ここではお尋ねしてという意。
おもひたまふなり ここでの 「たまふ」 は謙譲の補助動詞ともいわれるが、 その場合、 通常は 「おもひたまふるなり」 となる。 底本以外の多くの古写本には 「おもひたまふべきなり」 とある。 この場合の 「たまふ」 は尊敬の補助動詞である。
苦悩の旧里 苦悩にみちた故郷。 迷いの世界をいう。
あやしく候ひなまし 疑わしく思われるであろう。
そもそも… 第十条の後半は親鸞聖人の滅後に異義の生じたことを歎くものであり、 第十一条以下の序の体裁をとっている。 また、 底本以外のすべての古写本に改行がみられないので、 この箇所を含む第十条全体を第十一条以下の序説とみる説もある。
あゆみを…はげまし はるかに遠い京都まで足を運び。 遼遠ははるかに遠いこと。 洛陽は京都の別称。
当来 来世。 来生。
御意趣 (親鸞聖人の) お考え。
なんぢは…信ずるか 本来は一つである本願とみょうごうを別物のように分別して、 誓願せいがん不思議を信ずるものは往生できるが、 名号不思議を信じて念仏するものは往生できないと主張した誓名別信の異議。
いひひらかずして 説き明かさないで。
おもひわく 考え定める。
案じいだし 考えだす。 工夫してつくりだす。
わがこころに 自分のはからいでもって。
自行 阿弥陀如来より与えられた念仏を、 自分の力でなしている行とみなすこと。
果遂 はたしとげるという意。 親鸞聖人は、 一には方便化土けど往生を、 二には第十八願 (がん) への転入をはたしとげさせる意とするが、 ここでは方便化土から真実報土への転入をはたしとげさせる意となっている。
不足言の義 論じるまでもない誤った考え。
なにの学問かは… 浄土に往生するために、 どのような学問が必要であろうか、 (いや必要ではない)。
迷へらんひと 迷っている人。
往く路 筋道。
かひなきひと 能力のない人。
自余の教法 念仏以外の教え。
にくい気せずは 憎らしい様子 (態度・風情) をしなければ。
あだ ここではさまたげ。
あやまつて まかり間違って。
むねとせん 一番大切なこととしよう。 主目的にしよう。
かまへられ候ふにや 心がけておられるのであろうか。
本願を疑ふ善悪の… 本願を疑うことであり、 それはまた善悪の宿業を心得ていないことである。
卯毛羊毛の… きわめて微細なものの喩え。
さん候ふ さようでございます。 ここでは 「はい、 信じます」 という意。
いはんことたがふまじきか (私が) いうことに背かないか。
領状 承諾すること。 領掌、 領承とも書く。
たとへば まずもって。
ころしてんや 殺してくれないか。
ころしつべしとも… 殺すことなどできるとは思えません。
こころにまかせたる 思い通りになる。
かなひぬべき業縁 思い通りに (殺すことのできる) 縁。
あそばされて ここではお書きになってという意。
持戒持律 戒律を守って犯さないこと。
げにほこられ候へ 本当に (本願を) ほこり甘えることができるのである。
身にそなへざらん悪業… まさか自分に縁のない行いをすることなどできないであろう。
しし その肉を食用とする獣の総称。 猪、 鹿など。
いのちをつぐ 命をつなぐ。 生活する。
もよほさば  「もよほせば」 とする異本がある。
はりぶみ (禁制を記した) 張紙。
なんなん 何々。 これこれ。
五劫思惟の願 阿弥陀仏がいん法蔵ほうぞう菩薩の時、 一切しゅじょうを平等に救うために、 五劫という長い間思惟をめぐらし立てた誓願せいがん
詮なく かいがなく。 無意味で。
かへりて (本願ぼこりはよくないというのは) むしろ考えが幼いのではないか。
一念に… 一声の念仏で八十億劫という長い間、 しょうてんしなければならないほどの重罪を消すということ。 ¬観経¼ の下下品に 「十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。 仏名を称するがゆゑに、 念々のなかにおいて八十億劫の生死の罪を除く」 とある。
軽重 (罪の) 重さ。
われと 自分の力で。
生死のきづな 生死てんの迷いの世界につなぎとめる綱。
かぎり 制限された定まり。
不思議のこと 不慮のこと。 思いがけないこと。
病悩苦痛せめて 病気に悩まされ苦痛に責められて。
正念 臨終正念の意。 死に臨んで、 妄念を起すことなく、 正しく阿弥陀仏を念じていること。
念仏の申されんも (臨終の時) 念仏することができるとしても。
すでに この世ですでにという意。
真言秘教 みっきょうのこと。
三密行業 しん口意くい三密さんみつの実践法。
法華一乗 ¬法華経¼ に説く一仏乗の教え、 つまりてんだいの教えを指す。
四安楽の行 ¬法華経¼ 「安楽行品」 に説かれる四種の行法。 身安楽行・口安楽行・意安楽行・誓願せいがん安楽行の四をいう。 身口意のはたらきにおいてあやまちを離れ、 すべてのしゅじょうをさとりに導こうという慈悲の誓願をおこすこと。
感徳 「威徳」 とする異本がある。
通故 例外のない道理の意。 「道なるがゆゑ」 「通ずるゆゑ」 とする異本がある。
不簡善悪の法 善人と悪人とをわけへだてしない教法。
浄侶 清僧。 徳の高い僧。
覚月 ほっしょうのさとりを月に喩える。 前の 「煩悩の黒雲」 の対句。
同朋同侶 同じ教えを奉ずる仲間。 →補註13
回心 ここでは悪心を改悔する回心さんの意。
断悪修善のここち 悪を断ち切り、 善を修めて浄土に往生しようという考え。
もとのこころをひきかへて 自力のこころをひるがえして。
柔和忍辱のおもひ やすらかで、 落ち着いた思い。
さこそ…いふとも いくら…といっても。
おもふほどに 思うから。
かしこきおもひ こざかしい考え。
申され 自然に称えられる。
われ物しりがほにいふひと 自分だけがいかにも知っているかのようにふるまう人。
学生だつるひと 学者ぶった人。
むなしくなる いたずらごとになる。 むだになる。
如来に虚妄を… 釈尊が嘘いつわりをいわれたと取りざたするという意。
仏法の方 仏事関係、 あるいは寺院や道場のこと。
御身量 ¬観経¼ の真身観に 「仏身ぶっしんの高さ六十万億由他ゆたごうしゃじゅんなり」 とある。
方便報身 真実報身に対したもので方便の報身、 すなわち方便しんのこと。
このことわりなんどにばし この説などにでも。
檀波羅蜜 梵語ダーナ・パーラミター (dāna-pāramitā) の音写。 布施ふせ波羅密のこと。 →ろっ波羅ぱらみつ
ことをよせて かこつけて。
右条々 第十一条以下の各条を指す。
もつてのほかに 意外なことに。
自他の是非を定むべき 自分と他人とどちらの主張が正しいかを決めよう。
まゐらんずる 参るであろう。
さこそ さぞかし。 きっと。
しどけなきこと しまりがないこと。 ここでは異議がはびこるさまを指していう。
かくのごとくの義 先にあげたような異議。
御聖教ども ¬唯信鈔¼ ¬自力他力事¼ ¬後世物語¼ 等を指す。
かまへてかまへて よくよく注意して。
大切の証文 すでに散逸して存しないとする説、 第一条から第十条までの法語とする説、 すぐ後に出る 「弥陀の五劫思惟の願…」 と 「善悪のふたつ…」 の二文とする説、 末尾の流罪記録が散逸した証文の残欠であるとする説などがある。
目やす 箇条書きにした文書。 または標準の意。
それほどの 底本およびせんしょうぼん以外の多くの古写本では 「そくばくの」 とありる。 その場合は 「多くの」 の意。
わたくしのことば 自分ひとりの勝手なことば。
古親鸞 「いにしへ親鸞」 とする異本がある。
一室の行者 同じ念仏の教えをうけた同門の人々。
外見あるべからず 同門の人以外に見せないでほしい。
敵奏の上 仏敵として朝廷にそうじょうをもって訴え出た上に。
狼籍子細あるよし 道にはずれた行為に糾弾されるべき理由があるということ。
無実の風聞 事実無根の風評。
土佐国 現在の高知県。 ほうねん上人は実際には讃岐さぬき (現在の香川県) に留まった。
七十六歳 建永二年 (承元元年・1207) は法然上人七十五歳であった。
無動寺の善題大僧正 無動寺はえいざんの東塔にあった寺。 善題大僧正はえん (慈鎮) を指す。
二位法印尊長 正二位権中納言いちじょう能保よしやすの子。 法勝寺などの執行となった。 「法印」 は法印だいしょう位の略で、 僧位の最高位。
外記庁 詔勅しょうちょくの起草・上奏文の記録などをつかさどる役所。
無宿善の機 宿善のない者。 仏の教えを聞く機縁が熟していない者。
左右なく たやすく