0831◎歎たん異に抄しょう

 1053

○序

 ◎^ひそかに愚ぐ案あんを回めぐらし​て、 ほぼ*古こ今こんを勘かんがふる​に、 先せん師し (親鸞) の*口く伝でんの真信しんしんに異ことなる​こと​を歎なげき、 *後学こうがく相続そうぞくの疑ぎ惑わくある​こと​を思おもふ​に、 幸さいわひに*有う縁えんの知ち識しきに​よら​ずは、 いかでか*易い行ぎょうの一門いちもんに入いる​こと​を得えん​や。 まつたく*自じ見けんの覚かく語ごをもつて、 他た力りきの宗しゅう旨しを乱みだる​こと​なかれ。

◎窃に廻して↢愚案を↡、粗ほぼ勘ふるに↢古今を↡、歎き↠異ることを↢先師の口伝之真信に↡、思ふに↠有ることを↢後学相続之疑惑↡、幸に不は↠依ら↢有縁の知識に↡者、争いかでか得む↠入ることを↢易行の一門に↡哉や。全く以て↢自見之覚語を↡、莫れ↠乱ること↢他力之宗旨を↡。

^よつて、 故こ親鸞しんらん聖しょう人にんの御おん物もの語がたりの趣おもむき、 耳みみの底そこに留とどむる​ところ、 いささか​これ​を注しるす。 ひとへに同心どうしん行ぎょう者じゃの不ふ審しんを散さんぜ​んがため​なり​と云々うんぬん。

仍よて、故親鸞聖人の御物語之趣、所↠留むる↢耳の底に↡、聊いさゝか注す↠之を。偏に為ため↠散ぜんが↢同心行者之不審を↡也と。 云々

(1)

一 ^弥陀みだの▽誓願せいがん不ふ思議しぎに​たすけ​られ​まゐらせ​て、 往おう生じょうをば​とぐる​なり​と信しんじ​て念仏ねんぶつ申もうさ​ん​と​おもひたつ​こころ​の​おこる​とき、 すなはち摂取せっしゅ不ふ捨しゃの利り益やくに*あづけ​しめたまふ​なり。

^弥陀みだの本願ほんがんには、 老ろう少しょう・善悪ぜんあくの​ひと​を*えらば​れ​ず、 ただ信心しんじんを要ようと​す​と​しる​べし。 そのゆゑは、 罪悪ざいあく深じん重じゅう・煩悩ぼんのう熾し盛じょうの衆しゅ生じょうを​たすけ​ん0832が​ため​の願がんに​まします。

^▼しかれば、 本願ほんがんを信しんぜ​ん​には、 他たの善ぜんも要ように​あらず、 念仏ねんぶつに​まさる​べき善ぜんなき​ゆゑに。 悪あくをも​おそる​べから​ず、 弥陀みだの本願ほんがんを​さまたぐる​ほど​の悪あくなき​ゆゑに​と云々うんぬん。

(21054)

一 ^▽*おのおの​の十じゅう余よ箇か国こくの​さかひ​を​こえ​て、 *身しん命みょうを​かへりみ​ず​して、 たづねきたら​しめたまふ御おんこころざし、 ひとへに往おう生じょう極楽ごくらくの​みち​を問とひ​きか​んがため​なり。 しかるに念仏ねんぶつより​ほか​に往おう生じょうの​みち​をも存ぞん知じし、 また法文ほうもん等とうをも​しり​たるらん​と、 *こころにくく​おぼしめし​て​おはしまし​て​はんべら​ん​は、 おほきなる​あやまり​なり。 もし​しからば、 南なん都と北嶺ほくれいにも*ゆゆしき学がく生しょうたち​おほく座おわせ​られ​て候そうろふ​なれば、 かの​ひと​にも​あひ​たてまつり​て、 往おう生じょうの要ようよくよく​きか​る​べき​なり。

^親鸞しんらんにおきて​は、 ただ念仏ねんぶつして、 弥陀みだに​たすけ​られ​まゐらす​べし​と、 よき​ひと (法然) の仰おおせ​をかぶり​て、 信しんずる​ほか​に*別べつの子し細さいなき​なり。

^▼念仏ねんぶつは、 まことに浄じょう土どに生うまるる​たね​にて​や​はんべら​ん、 また地じ獄ごくに​おつ​べき業ごうにて​や​はんべる​らん、 総そうじて​もつて存ぞん知じせ​ざる​なり。 たとひ法然ほうねん聖しょう人にんに*すかさ​れ​まゐらせ​て、 念仏ねんぶつして地じ獄ごくに​おち​たり​とも、 さらに後悔こうかいす​べから​ず候そうろふ。

^0833そのゆゑは、 *自余じよの行ぎょうも​はげみ​て*仏ぶつに成なる​べかり​ける身みが、 念仏ねんぶつを申もうし​て地じ獄ごくにも​おち​て候そうらは​ばこそ、 すかさ​れ​たてまつり​て​といふ後悔こうかいも候そうらは​め。 いづれ​の行ぎょうも​およびがたき身みなれば、 とても地じ獄ごくは一いち定じょうすみか​ぞかし。

^弥陀みだの本願ほんがんまこと​に​おはしまさ​ば、 釈しゃく尊そんの説せっ教きょう虚言きょごんなる1055べから​ず。 仏説ぶっせつまこと​に​おはしまさ​ば、 *善導ぜんどうの御おん釈しゃく虚言きょごんし​たまふ​べから​ず。 善導ぜんどうの御おん釈しゃくまこと​ならば、 法然ほうねんの仰おおせ​そらごと​なら​ん​や。 法然ほうねんの仰おおせ​まこと​ならば、 親鸞しんらんが申もうす​むね、 また​もつて​むなしかる​べから​ず候そうろふ​か。

^詮せんずるところ、 愚ぐ身しんの信心しんじんにおきて​は​かくのごとし。 このうへは、 念仏ねんぶつを​とり​て信しんじ​たてまつら​ん​とも、 また​すて​ん​とも、 *面々めんめんの御おんはからひ​なり​と云々うんぬん。

▼(3)

一 ^▲善人ぜんにんなほもつて往おう生じょうを​とぐ。 *いはんや悪人あくにんをや。

^しかるを世よの​ひと​つね​に​いはく、 「悪人あくにんなほ往おう生じょうす。 いかに​いはんや善人ぜんにんをや」。 この条じょう、 一旦いったんその​いはれ​ある​に似にたれ​ども、 本願ほんがん他た力りきの意い趣しゅに​そむけ​り。 そのゆゑは、 *自じ力りき作さ善ぜんの​ひと​は、 ひとへに他た力りきを​たのむ​こころ*かけ​たる​あひだ、 弥陀みだの本願ほんがんに​あらず。 しかれども、 自じ力りきの​こころ​を​ひるがへし​て、 他た力りきを​たのみ​たてまつれ​ば、 真しん0834実じつ報ほう土どの往おう生じょうを​とぐる​なり。

^*煩悩ぼんのう具ぐ足そくの​われら​は、 いづれの行ぎょうにても生しょう死じを​はなるる​こと​ある​べから​ざる​を、 あはれみ​たまひ​て願がんを​おこし​たまふ本ほん意い、 悪人あくにん成じょう仏ぶつの​ため​なれば、 他た力りきを​たのみ​たてまつる悪人あくにん、 もつとも*往おう生じょうの正しょう因いんなり。

^よつて善人ぜんにんだに​こそ往おう生じょうすれ、 まして悪人あくにんは​と、 仰おおせ候そうらひ​き。

(41056)

一 ^慈悲じひに聖しょう道どう・浄じょう土どのかはりめ​あり。

^聖しょう道どうの慈悲じひといふは、 *もの​を​あはれみ、 *かなしみ、 はぐくむ​なり。 しかれども、 おもふ​が​ごとく*たすけ​とぐる​こと、 きはめて​ありがたし。

^浄じょう土どの慈悲じひといふは、 念仏ねんぶつして、 いそぎ仏ぶつに成なり​て、 大だい慈じ大だい悲ひ心しんをもつて、 おもふ​が​ごとく衆しゅ生じょうを利り益やくする​を​いふ​べき​なり。

^今こん生じょうに、 いかに*いとほし不ふ便びんと​おもふ​とも、 *存ぞん知じの​ごとく​たすけがたけれ​ば、 この慈悲じひ*始し終じゅうなし。 しかれば、 念仏ねんぶつ申もうす​のみ​ぞ、 *すゑとほり​たる大だい慈悲じひ心しんにて候そうろふ​べき​と云々うんぬん。

(5)

一 ^親鸞しんらんは父母ぶもの孝きょう養ようの​ため​とて、 一返いっぺんにても念仏ねんぶつ申もうし​たる​こと、 いまだ候そうらは​ず。

^そのゆゑは、 一切いっさいの有う情じょうは​みな​もつて世々せせ生々しょうじょうの父母ぶも・兄きょう弟だいなり。 いづ0835れ​も​いづれ​も、 この*順じゅん次じ生しょうに仏ぶつに成なり​て​たすけ候そうろふ​べき​なり。

^わが​ちから​にて​はげむ善ぜんにても候そうらは​ばこそ、 念仏ねんぶつを回え向こうして父母ぶもをも​たすけ候そうらは​め。

^ただ自じ力りきを​すて​て、 いそぎ浄じょう土どの​さとり​を​ひらき​なば、 六道ろくどう四し生しょうの​あひだ、 いづれの業ごっ苦くに​しづめ​り​とも、 *神通じんずう方便ほうべんをもつて、 まづ有う縁えんを*度どす​べき​なり​と云々うんぬん。

▼(61057)

一 ^専修せんじゅ念仏ねんぶつの​ともがら​の、 わが弟子でし、 ひと​の弟子でしといふ*相論そうろんの候そうろふ​らん​こと、 *もつてのほか​の子し細さいなり。

^親鸞しんらんは▼弟子でし一人いちにんも​もた​ず候そうろふ。 そのゆゑは、 わが​はからひ​にて、 ひと​に念仏ねんぶつを申もうさ​せ候そうらは​ばこそ、 弟子でしにても候そうらは​め。 弥陀みだの御おんもよほし​に​あづかつ​て念仏ねんぶつ申もうし候そうろふ​ひと​を、 わが弟子でしと申もうす​こと、 きはめ​たる*荒こう涼りょうの​こと​なり。

^つく​べき縁えんあれ​ば​ともなひ、 はなる​べき縁えんあれ​ば​はなるる​こと​の​ある​をも、 師しを​そむき​て、 ひと​に​つれ​て念仏ねんぶつすれ​ば、 往おう生じょうす​べから​ざる​ものなり​なんど​いふ​こと、 *不可ふか説せつなり。 如来にょらいより​たまはり​たる信心しんじんを、 わがものがほ​に、 とりかへさ​ん​と申もうす​にや。 *かへすがへす​も​ある​べから​ざる​こと​なり。

^自じ然ねんの​ことわり​に​あひ​かなは​ば、 仏恩ぶっとんをも​しり、 また師しの恩おんをも​しる​べき​なり​と云々うんぬん。

(7)0836

一 ^*念仏ねんぶつ者しゃは無礙むげの一道いちどうなり。 その​いはれ​いかん​と​ならば、 信心しんじんの行ぎょう者じゃには、 天神てんじん・地祇じぎも敬きょう伏ぶくし、 魔ま界かい・外げ道どうも障しょう礙げする​こと​なし。 罪悪ざいあくも業報ごうほうを感かんずる​こと​あたは​ず、 諸善しょぜんも​およぶ​こと​なき​ゆゑなり​と云々うんぬん。

▼(81058)

一 ^念仏ねんぶつは*行ぎょう者じゃのために、 非ひ行ぎょう・非ひ善ぜんなり。 わが​はからひ​にて行ぎょうずる​に​あらざれ​ば、 非ひ行ぎょうといふ。 わが​はからひ​にて​つくる善ぜんにも​あらざれ​ば、 非ひ善ぜんといふ。 ひとへに他た力りきにして、 自じ力りきを​はなれ​たる​ゆゑに、 行ぎょう者じゃのために​は、 非ひ行ぎょう・非ひ善ぜんなり​と云々うんぬん。

(9)

一 ^念仏ねんぶつ申もうし候そうらへ​ども、 *踊ゆ躍やく歓かん喜ぎの​こころ​おろそかに候そうろふ​こと、 また​いそぎ浄じょう土どへ​まゐり​たき​こころ​の候そうらは​ぬ​は、 いかに​と候そうろふ​べき​こと​にて候そうろふ​やらん​と、 *申もうしいれ​て候そうらひ​しかば、 ^親鸞しんらんも​この不ふ審しんあり​つる​に、 唯円ゆいえん房ぼうおなじ​こころ​にて​ありけり。

^よくよく案あんじみれ​ば、 天てんに​をどり地ちに​をどる​ほどに​よろこぶ​べき​こと​を​よろこば​ぬ​にて、 いよいよ往おう生じょうは一いち定じょうと*おもひ​たまふ​なり。 よろこぶ​べき​こころ​を​おさへ​て​よろこば​ざる​は、 煩悩ぼんのうの所しょ為いなり。 しかるに仏ぶつかねて​しろし0837めし​て、 煩悩ぼんのう具ぐ足そくの凡ぼん夫ぶと仰おおせ​られ​たる​こと​なれば、 他た力りきの悲ひ願がんは​かくのごとし、 われら​が​ため​なり​けり​と​しら​れ​て、 いよいよ​たのもしく​おぼゆる​なり。

^また浄じょう土どへ​いそぎ​まゐり​たき​こころ​の​なく​て、 いささか*所労しょろうの​こと​も​あ1059れ​ば、 死しな​んずる​やらん​と​こころぼそく​おぼゆる​こと​も、 煩悩ぼんのうの所しょ為いなり。 久く遠おん劫ごうより​いま​まで流る転てんせ​る*苦く悩のうの旧きゅう里りは​すてがたく、 いまだ生うまれ​ざる安あん養にょう浄じょう土どは​こひしから​ず候そうろふ​こと、 まことに​よくよく煩悩ぼんのうの興こう盛じょうに候そうろふ​にこそ。 なごりをしく​おもへ​ども、 娑しゃ婆ばの縁えん尽つき​て、 ちからなく​して​をはる​とき​に、 かの土どへ​は​まゐる​べき​なり。 いそぎ​まゐり​たき​こころ​なき​もの​を、 ことに​あはれみ​たまふ​なり。 これ​につけて​こそ、 いよいよ大だい悲ひ大願だいがんは​たのもしく、 往おう生じょうは決けつ定じょうと存ぞんじ候そうらへ。

^踊ゆ躍やく歓かん喜ぎの​こころ​も​あり、 いそぎ浄じょう土どへ​も​まゐり​たく候そうらは​ん​には、 煩悩ぼんのうの​なき​やらん​と、 *あやしく候そうらひ​なまし​と云々うんぬん。

(10)

一 ^念仏ねんぶつには無義むぎをもつて義ぎと​す。 不可ふか称しょう不可ふか説せつ不可ふか思議しぎの​ゆゑに​と仰おおせ候そうらひ​き。

 ^*そもそも、 かの御ご在ざい生しょうの​むかし、 おなじく​こころざし​を​して、 △*あゆみ​を遼りょう遠えん0838の洛陽らくように​はげまし、 信しんを​ひとつ​にして、 心こころを当来とうらいの報ほう土どに​かけ​し​ともがら​は、 同どう時じに*御ご意い趣しゅを​うけたまはり​しか​ども、 その​ひとびと​に​ともなひ​て念仏ねんぶつ申もうさ​るる老ろう若にゃく、 その​かず​を​しら​ず​おはします​なか​に、 上しょう人にん (親鸞) の仰おおせ​に​あらざる異義いぎども​を、 近来きんらいは​おほく仰おおせ​られ​あう​て候そうろふ​よし、 伝つたへ​うけたまはる。 いはれ1060なき条々じょうじょうの子し細さいの​こと。

▲(11)

一 ^一文いちもん不ふ通つうの​ともがら​の念仏ねんぶつ申もうす​に*あう​て、 「*なんぢ​は△誓願せいがん不ふ思議しぎを信しんじ​て念仏ねんぶつ申もうす​か、 また名みょう号ごう不ふ思議しぎを信しんずる​か」 と​いひ​おどろかし​て、 ふたつ​の不ふ思議しぎを子し細さいをも分ぶん明みょうに*いひひらか​ず​して、 ひと​の​こころ​を​まどはす​こと。

^この条じょう、 かへすがへす​も​こころ​を​とどめ​て、 *おもひわく​べき​こと​なり。

 ^誓願せいがんの不ふ思議しぎによりて、 やすく​たもち、 となへやすき名みょう号ごうを*案あんじいだし​たまひ​て、 この名みょう字じを​となへ​ん​もの​を​むかへ​とら​ん​と御おん約束やくそくある​こと​なれば、 まづ弥陀みだの大だい悲ひ大願だいがんの不ふ思議しぎに​たすけ​られ​まゐらせ​て、 生しょう死じを出いづ​べし​と信しんじ​て、 念仏ねんぶつの申もうさ​るる​も如来にょらいの御おんはからひ​なり​と​おもへ​ば、 すこし​も​みづから​の​はからひ​まじはら​ざる​がゆゑに、 本願ほんがんに相応そうおうして、 実じっ報ぽう土どに往おう生じょうする​なり。

^0839これ​は誓願せいがんの不ふ思議しぎを*むねと信しんじ​たてまつれ​ば、 名みょう号ごうの不ふ思議しぎも具ぐ足そくし​て、 誓願せいがん・名みょう号ごうの不ふ思議しぎひとつ​にして、 さらに異ことなる​こと​なき​なり。

^つぎ​に​みづから​の​はからひ​を​さしはさみ​て、 善悪ぜんあくの​ふたつ​につきて、 往おう生じょうの​たすけ・さはり、 二様ふたように​おもふ​は、 誓願せいがんの不ふ思議しぎをば​たのま​ず​して、 *わが​こころ​に往おう生じょうの業ごうを​はげみ​て申もうす​ところの念仏ねんぶつをも*自じ行ぎょうに​なす​なり。 こ1061の​ひと​は、 名みょう号ごうの不ふ思議しぎをも​また信しんぜ​ざる​なり。 信しんぜ​ざれ​ども、 辺へん地じ懈け慢まん・疑ぎ城じょう胎たい宮ぐにも往おう生じょうして、 *果か遂すいの願がん (第二十願) の​ゆゑに、 つひに報ほう土どに生しょうずる​は、 名みょう号ごう不ふ思議しぎの​ちから​なり。 これ​すなはち、 誓願せいがん不ふ思議しぎの​ゆゑ​なれば、 ただ​ひとつ​なる​べし。

(12)

一 ^経釈きょうしゃくを​よみ学がくせ​ざる​ともがら、 往おう生じょう不ふ定じょうの​よし​の​こと。

^この条じょう、 すこぶる*不ふ足そく言ごんの義ぎと​いひ​つ​べし。

 ^他た力りき真実しんじつの​むね​を​あかせ​る​もろもろ​の正教しょうぎょうは、 本願ほんがんを信しんじ念仏ねんぶつを申もうさ​ば仏ぶつに成なる。 その​ほか、 *なにの学問がくもんかは往おう生じょうの要ようなる​べき​や。

^まことに、 この​ことわり​に*迷まよへ​らん​ひと​は、 いかにも​いかにも学問がくもんして、 本願ほんがんの​むね​を​しる​べき​なり。 経釈きょうしゃくを​よみ学がくす​と​いへども、 聖教しょうぎょうの本ほん意いを​こころえ​ざる条じょう、 もつとも不ふ0840便びんの​こと​なり。

^一文いちもん不ふ通つうにして、 経釈きょうしゃくの*往ゆく路じも​しら​ざらん​ひと​の、 となへやすから​ん​ため​の名みょう号ごうに​おはします​ゆゑに、 易い行ぎょうといふ。 学問がくもんを​むねと​する​は聖しょう道どう門もんなり、 難なん行ぎょうと​なづく。 あやまつて学問がくもんして名みょう聞もん・利り養ようの​おもひ​に住じゅうする​ひと、 順じゅん次じの往おう生じょう、 いかが​あら​んずらん​といふ▲証しょう文もんも候そうろふ​べき​や。

^*当とう時じ、 専修せんじゅ念仏ねんぶつの​ひと​と聖しょう道どう門もんの​ひと、 法論ほうろんを​くはだて​て、 「わが宗しゅうこそ​すぐれ​たれ、 ひと​の宗しゅうは​おとり​なり」 といふ​ほどに、 法敵ほうてきも出いで​きた​り、 謗法ほうぼうも​おこる。 これしかしなが1062ら、 みづから​わが法ほうを破は謗ほうする​に​あらず​や。

^たとひ諸門しょもんこぞりて、 「念仏ねんぶつは*かひなき​ひと​の​ため​なり、 その宗しゅうあさし、 いやし」 といふとも、 さらに​あらそは​ず​して、 「われら​が​ごとく下げ根こんの凡ぼん夫ぶ、 一文いちもん不ふ通つうの​もの​の、 信しんずれ​ば​たすかる​よし、 うけたまはり​て信しんじ候そうらへ​ば、 さらに上じょう根こんの​ひと​のために​は​いやしく​とも、 われら​がために​は最さい上じょうの法ほうにて​まします。 たとひ*自余じよの教きょう法ぼうすぐれ​たり​とも、 みづから​がために​は器き量りょうおよば​ざれ​ば、 つとめがたし。 われ​も​ひと​も、 生しょう死じを​はなれ​ん​こと​こそ、 諸仏しょぶつの御ご本ほん意いにて​おはしませ​ば、 御おんさまたげ​ある​べから​ず」 とて、 *にくい気げせず​は、 たれ​の​ひと​か​ありて、 *あだ​を​なす​べき​や。

^かつは▼諍じょう論ろんの​ところ​には​もろもろ​の煩悩ぼんのうおこる、 智ち者しゃ遠おん離り0841す​べき​よし​の▲証しょう文もん候そうろふ​にこそ。

^故こ聖しょう人にん (親鸞) の仰おおせ​には、 「この法ほうをば信しんずる衆しゅ生じょうも​あり、 そしる衆しゅ生じょうも​ある​べし​と、 仏ぶつ説ときおか​せたまひ​たる​こと​なれば、 われ​は​すでに信しんじ​たてまつる。 また​ひと​ありて​そしる​にて、 仏説ぶっせつまこと​なり​けり​と​しら​れ候そうろふ。 しかれば、 往おう生じょうは​いよいよ一いち定じょうとおもひ​たまふ​なり。 *あやまつて​そしる​ひと​の候そうらは​ざら​ん​にこそ、 いかに信しんずる​ひと​は​あれども、 そしる​ひと​の​なき​やらん​とも​おぼえ候そうらひ​ぬ​べけれ。

^かく申もうせ​ば​とて、 かならず​ひと​に​そしら​れ​ん​と​には​あらず。 仏ぶつの、 かねて信謗しんぼうともに​ある​べき1063むね​を​しろしめし​て、 ひと​の疑うたがいを​あらせじ​と、 説ときおか​せたまふ​こと​を申もうす​なり」 と​こそ候そうらひ​しか。

^今いまの世よには、 学文がくもんして​ひと​の​そしり​を​やめ、 ひとへに論ろん義ぎ問答もんどう*むねと​せん​と*かまへ​られ候そうろふ​にや。 学問がくもんせ​ば、 いよいよ如来にょらいの御ご本ほん意いを​しり、 悲ひ願がんの広大こうだいの​むね​をも存ぞん知じして、 いやしから​ん身みにて往おう生じょうは​いかが​なんど​あやぶま​ん​ひと​にも、 本願ほんがんには善悪ぜんあく・浄じょう穢えなき趣おもむきをも説とき​きか​せ​られ候そうらは​ばこそ、 学がく生しょうの​かひ​にても候そうらは​め。 たまたま​なにごころ​も​なく、 本願ほんがんに相応そうおうして念仏ねんぶつする​ひと​をも、 学文がくもんして​こそ​なんど​いひ​おどさ​るる​こと、 法ほうの魔ま障しょうなり、 仏ぶつの怨敵おんてきなり。 みづから他た力りきの信心しんじんかくる​のみ​なら​ず、 あやまつて他たを迷まよはさ​ん​と​す。

^0842つつしん​で​おそる​べし、 先せん師し (親鸞) の御おんこころ​に​そむく​こと​を。 かねて​あはれむ​べし、 弥陀みだの本願ほんがんに​あらざる​こと​を。

(13)

一 ^弥陀みだの本願ほんがん不ふ思議しぎに​おはしませ​ば​とて、 悪あくを​おそれ​ざる​は、 また本願ほんがんぼこり​とて、 往おう生じょうかなふ​べから​ず​といふ​こと。

^この条じょう、 *本願ほんがんを疑うたがふ、 善悪ぜんあくの宿しゅく業ごうを​こころえ​ざる​なり。

 ^よき​こころ​の​おこる​も、 宿しゅく善ぜんの​もよほす​ゆゑなり。 悪あく事じの​おもは​れ​せ​らるる​も、 悪業あくごうの​はからふ​ゆゑなり。 故こ聖しょう人にん (親鸞) の仰おおせ​には、 「*卯う毛もう・羊毛ようもうの1064さき​に​ゐる​ちり​ばかり​も​つくる罪つみの、 宿しゅく業ごうに​あらず​といふ​こと​なし​と​しる​べし」 と候そうらひ​き。

 ^▼また​ある​とき、 「唯円ゆいえん房ぼうは​わが​いふ​こと​をば信しんずる​か」 と、 仰おおせ​の候そうらひ​し​あひだ、 「*さん候そうろふ」 と、 申もうし候そうらひ​しかば、 「さらば、 *いは​ん​こと​たがふ​まじき​か」 と、 かさねて仰おおせ​の候そうらひ​し​あひだ、 つつしん​で*領状りょうじょう申もうし​て候そうらひ​しかば、 「*たとへば​ひと千人せんにん*ころし​てんや、 しからば往おう生じょうは一いち定じょうす​べし」 と、 仰おおせ候そうらひ​し​とき、 「仰おおせ​にて​は候そうらへ​ども、 一人いちにんも​この身みの器き量りょうにて​は、 *ころし​つ​べし​とも0843おぼえ​ず候そうろふ」 と、 申もうし​て候そうらひ​しかば、 「さては​いかに親鸞しんらんが​いふ​こと​を​たがふ​まじき​と​は​いふ​ぞ」 と。

^「これ​にて​しる​べし。 なにごと​も*こころ​に​まかせ​たる​こと​ならば、 往おう生じょうの​ため​に千人せんにんころせ​と​いは​ん​に、 すなはち​ころす​べし。 しかれども、 一人いちにんにても*かなひ​ぬ​べき業縁ごうえんなき​によりて、 害がいせ​ざる​なり。 わが​こころ​の​よく​て​ころさ​ぬ​には​あらず。 また害がいせ​じ​と​おもふ​とも、 百ひゃく人にん・千人せんにんを​ころす​こと​も​ある​べし」 と、 仰おおせ​の候そうらひ​しかば、 われら​が​こころ​の​よき​をば​よし​と​おもひ、 悪あしき​こと​をば悪あし​と​おもひ​て、 願がんの不ふ思議しぎにて​たすけ​たまふ​といふ​こと​を​しら​ざる​こと​を、 仰おおせ​の候そうらひ​し​なり。

^そのかみ邪見じゃけんに​おち​たる​ひ1065と​あつ​て、 悪あくを​つくり​たる​もの​を​たすけ​ん​といふ願がんにて​ましませ​ば​とて、 わざと​このみ​て悪あくを​つくり​て、 往おう生じょうの業ごうと​す​べき​よし​を​いひ​て、 やうやうに​あしざまなる​こと​の​きこえ候そうらひ​し​とき、 御ご消しょう息そくに、 「▲薬くすりあれ​ば​とて、 毒どくを​このむ​べから​ず」 と、 *あそばさ​れ​て候そうろふ​は、 かの邪じゃ執しゅうを​やめ​んが​ため​なり。 まつたく、 悪あくは往おう生じょうの​さはり​たる​べし​と​には​あらず。

^*持じ戒かい持じ律りつにて​のみ本願ほんがんを信しんず​べくは、 われら​いかでか生しょう死じを​はなる​べき​や​と。 かかる​あさましき身みも、 本願ほんがんに​あひ​たてまつり​て​こそ、 *げに​ほこら​れ候そうらへ。 されば​とて、 *身みに​そなへ​ざら​ん悪業あくごうは0844、 よも​つくら​れ候そうらは​じ​ものを。

^また、 「海うみ・河かわに網あみを​ひき、 釣つりを​して、 世よをわたる​もの​も、 野の山やまに*しし​を​かり、 鳥とりを​とり​て、 *いのち​を​つぐ​ともがら​も、 商あきなひ​を​し、 田畠でんばくを​つくり​て過すぐる​ひと​も、 ただ​おなじ​こと​なり」 と。 「さるべき業縁ごうえんの*もよほさ​ば、 いかなる​ふるまひ​も​す​べし」 と​こそ、 聖しょう人にん (親鸞) は仰おおせ候そうらひ​し​に、 ^当とう時じは後世ごせ者しゃぶり​して、 よから​ん​もの​ばかり念仏ねんぶつ申もうす​べき​やう​に、 あるいは道どう場じょうに*はりぶみ​を​して、 *なんなん​の​こと​し​たらん​もの​をば、 道どう場じょうへ入いる​べから​ず​なんど​といふ​こと、 ひとへに賢善けんぜん精しょう進じんの相そうを外ほかに​しめし​て、 内うちには虚仮こけを​いだけ​る​ものか。

^願がんに​ほこり​て​つくら​ん罪つみも、 宿しゅく業ごうの​もよほす​ゆゑなり。 さ1066れば善よき​こと​も悪あしき​こと​も業報ごうほうに​さしまかせ​て、 ひとへに本願ほんがんを​たのみ​まゐらすれ​ばこそ、 他た力りきにて​は候そうらへ。 ¬唯信ゆいしん抄しょう¼ にも、 「▲弥陀みだいかばかり​の​ちから​まします​と​しり​て​か、 罪業ざいごうの身みなれば​すくはれがたし​と​おもふ​べき」 と候そうろふ​ぞかし。

^本願ほんがんに​ほこる​こころ​の​あら​ん​につけて​こそ、 他た力りきを​たのむ信心しんじんも決けつ定じょうし​ぬ​べき​こと​にて候そうらへ。

^おほよそ悪業あくごう・煩悩ぼんのうを断だんじ尽つくし​て​のち、 本願ほんがんを信しんぜ​ん​のみ​ぞ、 願がんに​ほこる​おもひ​も​なく​て​よかる​べき​に、 煩悩ぼんのうを断だんじ​なば、 すなはち仏ぶつに成なり、 仏ぶつのために​は、 *五ご劫こう思し惟ゆいの願がん、 その*詮せんなく​や​ましまさ​ん0845。

^本願ほんがんぼこり​と​いましめ​らるる​ひとびと​も、 煩悩ぼんのう・不ふ浄じょう具ぐ足そくせ​られ​て​こそ候そうろう​げ​なれ。 それ​は願がんに​ほこら​るる​に​あらず​や。 いかなる悪あくを本願ほんがんぼこり​といふ、 いかなる悪あくか​ほこら​ぬ​にて候そうろふ​べき​ぞや。 *かへりて、 こころをさなき​こと​か。

(14)

一 ^*一念いちねんに八はち十じゅう億劫おくこうの重じゅう罪ざいを滅めっす​と信しんず​べし​といふ​こと。

^この条じょうは、 十じゅう悪あく・五ご逆ぎゃくの罪人ざいにん、 日ひごろ念仏ねんぶつを申もうさ​ず​して、 命終みょうじゅうの​とき、 はじめて善ぜん知ぢ識しきの​をしへ​にて、 一念いちねん申もうせ​ば八はち十じゅう億劫おくこうの罪つみを滅めっし、 十じゅう念ねん申もうせ​ば十と八はち十じゅう億劫おくこうの重じゅう罪ざいを滅めっし​て往おう生じょうす​と​いへ​り。 これ​は十じゅう悪あく・五ご逆ぎゃくの*軽きょう重じゅうを​しら​せん​が​ため​に、 一念いちねん・十じゅう念ねんと​いへ​る1067か、 滅罪めつざいの利り益やくなり。 いまだ​われら​が信しんずる​ところ​に​およば​ず。

^そのゆゑは、 弥陀みだの光こう明みょうに照てらさ​れ​まゐらする​ゆゑに、 一念いちねん発ぽっ起きする​とき金剛こんごうの信心しんじんをたまはり​ぬれ​ば、 すでに定じょう聚じゅの位くらいに​をさめ​しめたまひ​て、 命終みょうじゅうすれ​ば、 もろもろ​の煩悩ぼんのう悪あく障しょうを転てんじ​て、 無む生しょう忍にんをさとら​しめたまふ​なり。 この悲ひ願がんましまさ​ずは、 かかる​あさましき罪人ざいにん、 いかでか生しょう死じを解げ脱だつす​べき​と​おもひ​て、 一いっ生しょうの​あひだ申もうす​ところの念仏ねんぶつは、 みな​ことごとく如来にょらい大だい悲ひの恩おんを報ほうじ、 徳とくを謝しゃす​と​おもふ​べき​なり。

^念仏ねんぶつ申もうさ​ん​ごと​に、 罪つみを​ほろぼさ​ん​と信しんぜ0846ん​は、 すでに*われと罪つみを消けし​て、 往おう生じょうせん​と​はげむ​にて​こそ候そうろふ​なれ。 もし​しからば、 一いっ生しょうの​あひだ​おもひ​と​おもふ​こと、 みな*生しょう死じの​きづな​に​あらざる​こと​なけれ​ば、 いのち尽つき​ん​まで念仏ねんぶつ退転たいてんせず​して往おう生じょうす​べし。 ただし業報ごうほう*かぎり​ある​こと​なれば、 いかなる*不ふ思議しぎの​こと​にも​あひ、 また*病びょう悩のう苦く痛つうせめ​て、 *正しょう念ねんに住じゅうせ​ず​して​をはら​ん。 念仏ねんぶつ申もうす​こと​かたし。 その​あひだ​の罪つみをば、 いかが​して滅めっす​べき​や。 罪つみ消きえ​ざれ​ば、 往おう生じょうは​かなふ​べから​ざる​か。

^摂取せっしゅ不ふ捨しゃの願がんを​たのみ​たてまつら​ば、 いかなる不ふ思議しぎありて、 罪業ざいごうを​をかし、 念仏ねんぶつ申もうさ​ず​して​をはる​とも、 すみやかに往おう生じょうを​とぐ​べし。 また*念仏ねんぶつの申もうさ​れ​ん​も、 ただいま​さとり​を​ひらか​んずる期ごの​ち1068かづく​に​したがひ​ても、 いよいよ弥陀みだを​たのみ、 御ご恩おんを報ほうじ​たてまつる​にて​こそ候そうらは​め。

^罪つみを滅めっせ​ん​と​おもは​ん​は、 自じ力りきの​こころ​にして、 臨りん終じゅう正しょう念ねんと​いのる​ひと​の本ほん意いなれば、 他た力りきの信心しんじんなき​にて候そうろふ​なり。

(15)

一 ^煩悩ぼんのう具ぐ足そくの身みをもつて、 *すでに​さとり​を​ひらく​といふ​こと。

^この条じょう、 もつてのほか​の​こと​に候そうろふ。

 ^0847即身そくしん成じょう仏ぶつは*真言しんごん秘ひ教きょうの本ほん意い、 *三密さんみつ行ぎょう業ごうの証しょう果かなり。 六根ろっこん清浄しょうじょうは​また*法ほっ華け一いち乗じょうの所説しょせつ、 *四し安楽あんらくの行ぎょうの*感徳かんとくなり。 これ​みな難なん行ぎょう上じょう根こんの​つとめ、 観念かんねん成じょう就じゅの​さとり​なり。 来らい生しょうの開覚かいかくは他た力りき浄じょう土どの宗しゅう旨し、 信心しんじん決けつ定じょうの*通つう故こなり。 これ​また易い行ぎょう下げ根こんの​つとめ、 *不ふ簡けん善悪ぜんあくの法ほうなり。

^おほよそ今こん生じょうにおいて​は、 煩悩ぼんのう悪あく障しょうを断だんぜ​ん​こと、 きはめて​ありがたき​あひだ、 真言しんごん・法ほっ華けを行ぎょうずる*浄じょう侶りょ、 なほもつて順じゅん次じ生しょうの​さとり​を​いのる。 いかに​いはんや、 戒かい行ぎょう・慧解えげともに​なし​と​いへども、 弥陀みだの願船がんせんに乗じょうじ​て、 生しょう死じの苦く海かいを​わたり、 報ほう土どの岸きしに​つき​ぬる​もの​ならば、 煩悩ぼんのうの黒雲こくうんはやく晴はれ、 法ほっ性しょうの*覚月かくげつすみやかに​あらはれ​て、 尽じん十方じっぽうの無礙むげの光こう明みょうに一いち味みにして、 一切いっさいの衆しゅ生じょうを利り益やくせん​とき​にこそ、 さとり​にて​は候そうらへ。

^この身みをもつて​さとり​を​ひらく​と候そうろふ​なる​ひと​は、 釈しゃく尊そんの​ごとく、 種々しゅじゅの応おう化げの身みをも1069現げんじ、 三さん十じゅう二に相そう・八はち十じゅう随ずい形ぎょう好こうをも具ぐ足そくして、 説法せっぽう利り益やく候そうろふ​にや。 これ​を​こそ、 今こん生じょうに​さとり​を​ひらく本ほんと​は申もうし候そうらへ。 ¬和わ讃さん¼ (高僧和讃) に​いはく、 「▲金剛こんごう堅けん固ごの信心しんじんの さだまる​とき​を​まちえ​て​ぞ 弥陀みだの心光しんこう摂しょう護ごして ながく生しょう死じを​へだて​ける」 と候そうろふ​は、 信心しんじんの定さだまる​とき​に、 ひとたび摂取せっしゅして捨すて​たまは​ざれ​ば、 六道ろくどうに輪りん廻ねす​べから​ず。 しかれば、 ながく生しょう死じをば0848へだて候そうろふ​ぞかし。 かくのごとく​しる​を、 さとる​と​は​いひ​まぎらかす​べき​や。 あはれに候そうろふ​をや。

^「浄じょう土ど真しん宗しゅうには、 今こん生じょうに本願ほんがんを信しんじ​て、 かの土どにして​さとり​をば​ひらく​と​ならひ候そうろふ​ぞ」 と​こそ、 故こ聖しょう人にん (親鸞) の仰おおせ​には候そうらひ​し​か。

(16)

一 ^信心しんじんの行ぎょう者じゃ、 自じ然ねんに​はら​をも​たて、 あしざまなる​こと​をも​をかし、 *同朋どうぼう同侶どうりょにも​あひ​て口論こうろんをも​して​は、 かならず*回え心しんす​べし​といふ​こと。

^この条じょう、 *断悪だんあく修善しゅぜんの​ここち​か。

 ^一向いっこう専修せんじゅの​ひと​において​は、 回え心しんといふ​こと、 ただ​ひとたび​ある​べし。 その回え心しんは、 日ひごろ本願ほんがん他た力りき真しん宗しゅうを​しら​ざる​ひと、 弥陀みだの智慧ちえを​たまはり​て、 日ひごろ​の​こころ​にて​は往おう生じょうかなふ​べから​ず​と​おもひ​て、 *もと​の​こころ​を​ひきかへ​て、 本願ほんがんを​たのみ​まゐらする​を​こそ、 回え心しんと​は申もうし候そうらへ。

^一切いっさいの事じに、 あし1070た​ゆふべ​に回え心しんして、 往おう生じょうを​とげ候そうろふ​べくは、 ひと​の​いのち​は、 出いづる息いき、 入いる​ほど​を​また​ず​して​をはる​こと​なれば、 回え心しんも​せず、 *柔にゅう和わ忍辱にんにくの​おもひ​にも住じゅうせ​ざらん​さき​に​いのち尽つき ˆなˇ ば、 摂取せっしゅ不ふ捨しゃの誓願せいがんは​むなしく​なら​せおはします​べき​にや。

^口くちには願力がんりきを​たのみ​たてまつる​と​いひ​て、 こころ​には*さこそ悪あく0849人にんを​たすけ​ん​といふ願がん、 不ふ思議しぎに​まします​といふとも、 さすが​よから​ん​もの​を​こそ​たすけ​たまは​んずれ​と*おもふ​ほどに、 願力がんりきを疑うたがひ、 他た力りきを​たのみ​まゐらする​こころ​かけ​て、 辺へん地じの生しょうを​うけ​ん​こと、 もつとも​なげき​おもひ​たまふ​べき​こと​なり。

^信心しんじん定さだまり​なば、 往おう生じょうは弥陀みだに​はからは​れ​まゐらせ​て​する​こと​なれば、 わが​はからひ​なる​べから​ず。 わろから​ん​につけて​も、 いよいよ願力がんりきを仰あおぎ​まゐらせ​ば、 自じ然ねんの​ことわり​にて、 柔にゅう和わ忍辱にんにくの​こころ​も出いで​く​べし。 すべて​よろづ​の​こと​につけて、 往おう生じょうには*かしこき​おもひ​を具ぐせ​ず​して、 ただ​ほれぼれと弥陀みだの御ご恩おんの深じん重じゅうなる​こと、 つね​は​おもひいだし​まゐらす​べし。 しかれば、 念仏ねんぶつも*申もうさ​れ候そうろふ。 これ自じ然ねんなり。 わが​はからは​ざる​を、 自じ然ねんと申もうす​なり。 これ​すなはち他た力りきにて​まします。

^しかるを、 自じ然ねんといふ​こと​の別べつに​ある​やう​に、 *われ物ものしりがほ​に​いふ​ひと​の候そうろふ​よし​うけたまはる、 あさましく候そうろふ。

(171071)

一 ^辺へん地じ往おう生じょうを​とぐる​ひと、 つひに​は地じ獄ごくに​おつ​べし​といふ​こと。

^この条じょう、 なにの証しょう文もんに​みえ候そうろふ​ぞや。 *学がく生しょうだつる​ひと​の​なか​に、 いひいださ​るる​こと​にて候そうろふ​なる​こそ、 あさましく候そうらへ。 経きょう論ろん・正教しょうぎょうをば、 いかやうに​みなさ​れ​て0850候そうろふ​らん。

 ^信心しんじんかけ​たる行ぎょう者じゃは、 本願ほんがんを疑うたがふ​によりて、 辺へん地じに生しょうじ​て、 疑うたがいの罪つみを​つぐのひ​て​のち、 報ほう土どの​さとり​を​ひらく​と​こそ、 うけたまはり候そうらへ。

^信心しんじんの行ぎょう者じゃすくなき​ゆゑに、 化土けどに​おほく​すすめいれ​られ候そうろふ​を、 つひに*むなしく​なる​べし​と候そうろふ​なる​こそ、 *如来にょらいに虚こ妄もうを申もうしつけ​まゐらせ​られ候そうろふ​なれ。

(18)

一 ^*仏法ぶっぽうの方かたに、 施せ入にゅう物もつの多た少しょうに​したがつ​て、 大だい小しょう仏ぶつに​なる​べし​といふ​こと。

^この条じょう、 不可ふか説せつなり、 不可ふか説せつなり。 比ひ興きょうの​こと​なり。

 ^まづ、 仏ぶつに大だい小しょうの分ぶん量りょうを定さだめ​ん​こと、 ある​べから​ず候そうろふ​か。 かの安あん養にょう浄じょう土どの教きょう主しゅ (阿弥陀仏) の*御ご身しん量りょうを説とか​れ​て候そうろふ​も、 それ​は*方便ほうべん報身ほうじんの​かたち​なり。 法ほっ性しょうの​さとり​を​ひらい​て、 長ちょう短たん・方円ほうえんの​かたち​にも​あらず、 青しょう・黄おう・赤しゃく・白びゃく・黒こくの​いろ​をも​はなれ​なば、 なに​をもつて​か大だい1072小しょうを定さだむ​べき​や。

^念仏ねんぶつ申もうす​に、 化け仏ぶつを​み​たてまつる​といふ​こと​の候そうろふ​なる​こそ、 「▲大念だいねんには大仏だいぶつを見み、 小しょう念ねんには小しょう仏ぶつを見みる」 (大集経・意) と​いへ​る​が、 もし*この​ことわり​なんど​に​ばし、 ひきかけ​られ候そうろふ​やらん。

^かつは​また、 檀だん波羅ばら蜜みつの行ぎょうとも​いひ​つ​べし。 い0851かに宝たから物ものを仏前ぶつぜんにも​なげ、 師し匠しょうにも施ほどこす​とも、 信心しんじんかけ​なば、 その詮せんなし。 一いっ紙し・半銭はんせんも仏法ぶっぽうの方かたに入いれ​ず​とも、 他た力りきに​こころ​を​なげ​て信心しんじんふかく​は、 それ​こそ願がんの本ほん意いにて候そうらは​め。

^すべて仏法ぶっぽうに*こと​を​よせ​て、 世せ間けんの欲心よくしんも​ある​ゆゑに、 同朋どうぼうを​いひ​おどさ​るる​にや。

 

○後序

 ^*右みぎ条々じょうじょうは、 みな​もつて信心しんじんの異ことなる​より​こと​おこり候そうろふ​か。 ▼故こ聖しょう人にん (親鸞) の御おん物もの語がたりに、 法然ほうねん聖しょう人にんの御時おんとき、 御おん弟子でしその​かず​おはし​ける​なか​に、 おなじく御ご信心しんじんの​ひと​も​すくなく​おはし​ける​に​こそ、 親鸞しんらん、 御おん同朋どうぼうの御中おんなかにして御ご相論そうろんの​こと候そうらひ​けり。

^そのゆゑは、 「▼善信ぜんしん (親鸞) が信心しんじんも、 聖しょう人にん (法然) の御ご信心しんじんも一ひとつ​なり」 と仰おおせ​の候そうらひ​けれ​ば、 勢観せいかん房ぼう・念仏ねんぶつ房ぼうなんど申もうす御おん同朋どうぼう達たち、 *もつてのほか​にあらそひ​たまひ​て、 「いかでか聖しょう人にんの御ご信心しんじんに善信ぜんしん房ぼうの信心しんじん、 一ひとつ​には​ある​べき​ぞ」 と候そうらひ​けれ​ば、 「聖しょう人にんの御おん智慧ちえ・才さい覚かくひろく​おはします​に、 一ひとつ​なら​ん​と申もうさ​ばこそひがごと​なら​め。 往おう生じょうの信心しんじんにおいて​は、 まつたく異ことなる​こと​なし、 ただ一ひと1073つ​なり」 と御ご返答へんとうありけれ​ども、 なほ 「いかでか​その義ぎあら​ん」 といふ疑ぎ難なんありけれ​ば、 詮せんずるところ、 聖しょう人にんの御おんまへ​にて0852*自他じたの是非ぜひを定さだむ​べき​にて、

^この子し細さいを申もうしあげ​けれ​ば、 法然ほうねん聖しょう人にんの仰おおせ​には、 「源空げんくうが信心しんじんも、 如来にょらいより​たまはり​たる信心しんじんなり。 善信ぜんしん房ぼうの信心しんじんも、 如来にょらいより​たまはら​せたまひ​たる信心しんじんなり。 されば​ただ一ひとつ​なり。 別べつの信心しんじんにて​おはしまさ​ん​ひと​は、 源空げんくうが*まゐら​んずる浄じょう土どへ​は、 よも​まゐら​せたまひ候そうらは​じ」 と仰おおせ候そうらひ​しかば、 ^当とう時じの一向いっこう専修せんじゅの​ひとびと​の​なか​にも、 親鸞しんらんの御ご信心しんじんに一ひとつ​なら​ぬ御おんこと​も候そうろふ​らん​と​おぼえ候そうろふ。

^いづれ​も​いづれ​も繰くり言ごとにて候そうらへ​ども、 書かきつけ候そうろふ​なり。 露ろ命めいわづかに枯こ草そうの身みに​かかり​て候そうろふほどに​こそ、 あひ​ともなは​しめたまふ​ひとびと〔の〕御ご不ふ審しんをも​うけたまはり、 聖しょう人にん (親鸞) の仰おおせ​の候そうらひ​し趣おもむきをも申もうし​きか​せ​まゐらせ候そうらへ​ども、 閉眼へいがんの​のち​は、 さこそ*しどけなき​ことども​にて候そうらは​んず​らめ​と、 歎なげき存ぞんじ候そうらひ​て、 *かくのごとく​の義ぎども、 仰おおせ​られ​あひ候そうろふ​ひとびと​にも、 いひ​まよはさ​れ​なんど​せ​らるる​こと​の候そうらは​ん​とき​は、 故こ聖しょう人にん (親鸞) の御おんこころ​に​あひ​かなひ​て御おんもちゐ候そうろふ*御おん聖教しょうぎょうども​を、 よくよく御ご覧らん候そうろふ​べし。

^おほよそ聖教しょうぎょうには、 真実しんじつ・権ごん仮けともに​あひ​まじ1074はり候そうろふ​なり。 権ごんを​すて​て実じつを​とり、 仮けを​さしおき​て真しんを​もちゐる​こそ、 聖しょう人にん (親鸞) の御ご本ほん意いにて候そうらへ。 *かまへて​かまへて、 聖教しょうぎょうを​み、 み0853だら​せたまふ​まじく候そうろふ。 *大切たいせつの証しょう文もんども、 少々しょうしょうぬきいで​まゐらせ候そうろう​て、 *目めやす​にして、 この書しょに添そへ​まゐらせ​て候そうろふ​なり。

^聖しょう人にん (親鸞) の​つね​の仰おおせ​には、 「▼弥陀みだの五ご劫こう思し惟ゆいの願がんを​よくよく案あんずれ​ば、 ひとへに親鸞しんらん一人いちにんが​ため​なり​けり。 されば*それ​ほど​の業ごうを​もち​ける身みにて​ありける​を、 たすけ​ん​と​おぼしめしたち​ける本願ほんがんの​かたじけなさ​よ」 と御ご述じゅっ懐かい候そうらひ​し​こと​を、 いま​また案あんずる​に、 善導ぜんどうの 「▲自じ身しんは​これ現げんに罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶ、 曠劫こうごうより​このかた​つね​に​しづみ​つね​に流る転てんし​て、 出しゅつ離りの縁えんある​こと​なき身みと​しれ」 (散善義) といふ金言きんげんに、 すこし​も​たがは​せおはしまさ​ず。 されば​かたじけなく、 わが御おん身みに​ひきかけ​て、 われら​が身みの罪悪ざいあくの​ふかき​ほど​をも​しら​ず、 如来にょらいの御ご恩おんの​たかき​こと​をも​しら​ず​して迷まよへ​る​を、 おもひしらせ​んがため​にて候そうらひ​けり。

^まことに如来にょらいの御ご恩おんといふ​こと​をば沙汰さたなく​して、 われ​も​ひと​も、 よしあし​といふ​こと​を​のみ申もうしあへ​り。

^聖しょう人にんの仰おおせ​には、 「善悪ぜんあくの​ふたつ、 総そうじて​もつて存ぞん知じせ​ざる​なり。 そのゆゑは、 如来にょらいの御おんこころ​に善よし​と​おぼしめす​ほどに​しりとほし​たら​ばこそ、 善よき​を​しり​たる​にても​あら​め、 如来にょらいの悪あし​と​お1075ぼしめす​ほどに​しりとほし​たら​ばこそ、 悪あしさ​を​しり​たる​にても​あら​め​ど、 煩悩ぼんのう具ぐ足そくの凡ぼん夫ぶ、 火か0854宅たく無む常じょうの世せ界かいは、 よろづ​の​こと、 みな​もつて​そらごと​たはごと、 まこと​ある​こと​なき​に、 ただ念仏ねんぶつのみ​ぞ​まこと​にて​おはします」 と​こそ仰おおせ​は候そうらひ​し​か。

^まことに、 われ​も​ひと​も​そらごと​を​のみ申もうしあひ候そうろふ​なか​に、 ひとつ​いたましき​こと​の候そうろふ​なり。 そのゆゑは、 念仏ねんぶつ申もうす​について、 信心しんじんの趣おもむきをも​たがひに問答もんどうし、 ひと​にも​いひ​きかする​とき、 ひと​の口くちを​ふさぎ、 相論そうろんを​たた​んがために、 まつたく仰おおせ​にて​なき​こと​をも仰おおせ​と​のみ申もうす​こと、 あさましく歎なげき存ぞんじ候そうろふ​なり。 この​むね​を​よくよく*おもひとき、 こころえ​らる​べき​こと​に候そうろふ。

^これ​さらに*わたくし​の​ことば​に​あらず​と​いへども、 経釈きょうしゃくの往ゆく路じも​しら​ず、 法文ほうもんの浅深せんじんを​こころえわけ​たる​こと​も候そうらは​ねば、 さだめて​をかしき​こと​にて​こそ候そうらは​め​ども、 *古こ親鸞しんらんの仰おおせごと候そうらひ​し趣おもむき、 百ひゃく分ぶんが一ひとつ、 xかたはしばかり​をも​おもひいで​まゐらせ​て、 書かきつけ候そうろふ​なり。 かなしき​かな​や、 さいはひに念仏ねんぶつし​ながら、 直じきに報ほう土どに生うまれ​ず​して、 辺へん地じに宿やどを​とら​ん​こと。 *一室いっしつの行ぎょう者じゃの​なか​に、 信心しんじん異ことなる​こと​なから​ん​ため​に、 なく​なく筆ふでを染そめ​て​これ​を​しるす。 なづけ​て ¬歎たん異に抄しょう¼ といふ​べし。 ^*外がい1076見けんある​べから​ず。

 

○流罪記録

 ^0855▲後鳥ごと羽ばの院いんの*御ぎょ宇う、 法然ほうねん聖しょう人にん、 他た力りき本願ほんがん念仏ねんぶつ宗しゅうを興こう行ぎょうす。 時ときに、 興福こうぶく寺じの僧侶そうりょ、 *敵奏てきそうの上うえ、 御おん弟子でしの​なか、 *狼籍ろうぜき子し細さいある​よし、 *無む実じつの風聞ふうぶんによりて罪ざい科かに処しょせ​らるる人数にんじゅの事こと。

一 ^法然ほうねん聖しょう人にんならびに御おん弟子でし七人しちにん、 流る罪ざい。 また御おん弟子でし四し人にん、 死し罪ざいに​おこなは​るる​なり。

^▼聖しょう人にん (法然) は*土と佐さの国くに 幡多はた といふ所ところへ流る罪ざい、 罪ざい名みょう藤ふじ井いの元彦もとひこ男おとこ云々うんぬん、 生しょう年ねん*七しち十じゅう六歳ろくさいなり。

 ^▼親鸞しんらんは越えち後ごの国くに、 罪ざい名みょう藤ふじ井いの善信よしざね云々うんぬん、 生しょう年ねん三さん十じゅう五ご歳さいなり。

 ^浄じょう聞もん房ぼう 備びん後ごの国くに 澄ちょう西さい禅光ぜんこう房ぼう 伯耆ほうきの国くに 好こう覚かく房ぼう 伊い豆ずの国くに 行ぎょう空くう法本ほうほん房ぼう 佐さ渡どの国くに

 ^幸西こうさい成じょう覚かく房ぼう・▼善ぜん恵え房ぼう二に人にん、 同おなじく遠おん流るに定さだまる。 しかるに*無む動どう寺じの善題ぜんだい大だい僧そう正じょう、 これ​を申もうしあづかる​と云々うんぬん。 遠おん流るの人々ひとびと、 以い上じょう八人はちにんなり​と云々うんぬん。

 ^死し罪ざいに行おこなは​るる人々ひとびと

 一番いちばん 西さい意い善ぜん綽しゃく房ぼう

 二に番ばん 性しょう願がん房ぼう

 三番さんばん 住じゅう蓮れん房ぼう

 四し1077番ばん 安楽あんらく房ぼう

 0856*二に位いの法印ほういん尊そん長ちょうの沙汰さたなり。

 ^親鸞しんらん、 僧そう儀ぎを改あらため​て俗ぞく名みょうを賜たまふ。 よつて僧そうに​あらず俗ぞくに​あらず、 しかるあひだ、 禿とくの字じをもつて姓しょうと​なし​て、 奏聞そうもんを経へ​られ​をはん​ぬ。 かの御おん申もうし状じょう、 いまに*外げ記きの庁ちょうに納おさまる​と云々うんぬん。 ^流る罪ざい以後いご、 愚ぐ禿とく親鸞しんらんと書かか​しめたまふ​なり。

親鸞、改めて↢僧儀を↡賜ふ↢俗名を↡。仍て非ず↠僧に非ず↠俗に、然る間、以て↢禿の字を↡為して↠姓と、被れ↠経↢奏聞を↡了ぬ。彼の御申し状、于今外記庁に納ると。 云々 流罪以後、愚禿親鸞令め↠書給也。

^右みぎこの聖教しょうぎょうは、 *当とう流りゅう大だい事じの聖教しょうぎょうと​なす​なり。 *無む宿しゅく善ぜんの機きにおいて​は、 *左右さうなく、 これ​を許ゆるす​べから​ざる​ものなり。

右斯聖教者、為当流大事聖教也。於無宿善機、無左右、不可許之者也。

釈しゃく蓮如れんにょ (花押)

 

底本は本派本願寺蔵蓮如上人書写本ˆ浄聖全と同一ˇ。
古今 親鸞聖人在世の昔と滅後の今。
口伝の真信 口から直接に伝えられた真実の信心。
後学相続の疑惑 後の者が教えを受け継いでゆくについての疑いや惑い。
有縁の知識 深い因縁いんねんに結ばれた仏道の師。
易行の一門 易い行ぎょう道どうのこと。
自見の覚語 自分勝手な見解の意で、 口伝の真信に対し、 自己の見解をもって信心を定めることをいう。 「自見の覚悟」 とする異本もあるが、 意は同じ。
漢文部分のみ原文を出す。
あづけしめたまふなり (摂取せっしゅ不ふ捨しゃの利り益やくを) お与えくださる。
えらばれず わけへだてなさらない。
おのおの あなた方。 関東から京都の親鸞聖人のところへ信仰上の疑問を質ただしに来た人々。
身命をかへりみずして 命がけで。
こころにくく はっきりと知りたく。
ゆゆしき学生 すぐれた学僧。
別の子細 格別なわけ。
自余の行 念仏以外の行ぎょう業ごう。
仏に成るべかりける身 仏になれたはずの身。
善導の御釈 ¬観経疏¼ 等を指す。
面々の御はからひ 各自のお考え。
いはんや悪人をや まして悪人 (が往生するの) はいうまでもない。 悪人とはどのような行によっても生しょう死じを離れることのできない煩ぼん悩のう具足のわれら。 →悪人正機、 補註3
自力作善のひと 自力で修めた善によって往生しようとする人。
かけたるあひだ 欠けているから。
煩悩具足 あらゆる煩悩を身にそなえているという意。
往生の正因 他力をたのむこころが往生の正因であるとする説、 他力をたのむ悪人が往生の正機であるとする説などがある。
たすけとぐること 完全に救いとること。
存知のごとく 思い通りに。
始終なし 終始一貫しない。 徹底しない。
すゑとほりたる 最後まで一貫した。 徹底した。
順次生 現在の命が終って、 次に受ける生。
神通方便 自由自在で不可思議なはたらき。
度す 済さい度どする。 迷いの世界 (此岸) の衆しゅ生じょうをさとりの世界 (彼岸) にわたすこと。
もつてのほかの子細 とんでもないこと。
荒涼 途方もないこと。 とんでもないこと。
不可説 とんでもないこと。
かへすがへすも 決して。
念仏者は… 念仏の行者は無礙の一道 (何ものにもさまたげられないひとすじの道) を歩む者という意。 「念仏者は」 の 「は」 を 「者」 に添えた訓よみ仮名とみて、 「念仏は」 と読む説がある。 その場合、 念仏は無礙の一道であるという意になるが、 いずれにしても念仏の法が無礙道であるから、 念仏者は何ものにもさまたげられないことを明かしている。
行者のために 念仏を行ずる人にとって。
踊躍歓喜 おどりあがってよろこぶこと。
申しいれて ここではお尋ねしてという意。
おもひたまふなり ここでの 「たまふ」 は謙譲の補助動詞ともいわれるが、 その場合、 通常は 「おもひたまふるなり」 となる。 底本以外の多くの古写本には 「おもひたまふべきなり」 とある。 この場合の 「たまふ」 は尊敬の補助動詞である。
苦悩の旧里 苦悩にみちた故郷。 迷いの世界をいう。
あやしく候ひなまし 疑わしく思われるであろう。
そもそも… 第十条の後半は親鸞聖人の滅後に異義の生じたことを歎くものであり、 第十一条以下の序の体裁をとっている。 また、 底本以外のすべての古写本に改行がみられないので、 この箇所を含む第十条全体を第十一条以下の序説とみる説もある。
あゆみを…はげまし はるかに遠い京都まで足を運び。 遼遠ははるかに遠いこと。 洛陽は京都の別称。
当来 来世。 来生。
御意趣 (親鸞聖人の) お考え。
なんぢは…信ずるか 本来は一つである本願と名みょう号ごうを別物のように分別して、 誓願せいがん不思議を信ずるものは往生できるが、 名号不思議を信じて念仏するものは往生できないと主張した誓名別信の異議。
いひひらかずして 説き明かさないで。
おもひわく 考え定める。
案じいだし 考えだす。 工夫してつくりだす。
わがこころに 自分のはからいでもって。
自行 阿弥陀如来より与えられた念仏を、 自分の力でなしている行とみなすこと。
果遂 はたしとげるという意。 親鸞聖人は、 一には方便化土けど往生を、 二には第十八願 (弘ぐ願がん) への転入をはたしとげさせる意とするが、 ここでは方便化土から真実報土への転入をはたしとげさせる意となっている。
不足言の義 論じるまでもない誤った考え。
なにの学問かは… 浄土に往生するために、 どのような学問が必要であろうか、 (いや必要ではない)。
迷へらんひと 迷っている人。
往く路 筋道。
かひなきひと 能力のない人。
自余の教法 念仏以外の教え。
にくい気せずは 憎らしい様子 (態度・風情) をしなければ。
あだ ここではさまたげ。
あやまつて まかり間違って。
むねとせん 一番大切なこととしよう。 主目的にしよう。
かまへられ候ふにや 心がけておられるのであろうか。
本願を疑ふ善悪の… 本願を疑うことであり、 それはまた善悪の宿業を心得ていないことである。
卯毛羊毛の… きわめて微細なものの喩え。
さん候ふ さようでございます。 ここでは 「はい、 信じます」 という意。
いはんことたがふまじきか (私が) いうことに背かないか。
領状 承諾すること。 領掌、 領承とも書く。
たとへば まずもって。
ころしてんや 殺してくれないか。
ころしつべしとも… 殺すことなどできるとは思えません。
こころにまかせたる 思い通りになる。
かなひぬべき業縁 思い通りに (殺すことのできる) 縁。
あそばされて ここではお書きになってという意。
持戒持律 戒律を守って犯さないこと。
げにほこられ候へ 本当に (本願を) ほこり甘えることができるのである。
身にそなへざらん悪業… まさか自分に縁のない行いをすることなどできないであろう。
しし その肉を食用とする獣の総称。 猪、 鹿など。
いのちをつぐ 命をつなぐ。 生活する。
もよほさば  「もよほせば」 とする異本がある。
はりぶみ (禁制を記した) 張紙。
なんなん 何々。 これこれ。
五劫思惟の願 阿弥陀仏が因いん位にの法蔵ほうぞう菩薩の時、 一切衆しゅ生じょうを平等に救うために、 五劫という長い間思惟をめぐらし立てた誓願せいがん。
詮なく かいがなく。 無意味で。
かへりて (本願ぼこりはよくないというのは) むしろ考えが幼いのではないか。
一念に… 一声の念仏で八十億劫という長い間、 生しょう死じを流る転てんしなければならないほどの重罪を消すということ。 ¬観経¼ の下下品に 「十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。 仏名を称するがゆゑに、 念々のなかにおいて八十億劫の生死の罪を除く」 とある。
軽重 (罪の) 重さ。
われと 自分の力で。
生死のきづな 生死流る転てんの迷いの世界につなぎとめる綱。
かぎり 制限された定まり。
不思議のこと 不慮のこと。 思いがけないこと。
病悩苦痛せめて 病気に悩まされ苦痛に責められて。
正念 臨終正念の意。 死に臨んで、 妄念を起すことなく、 正しく阿弥陀仏を念じていること。
念仏の申されんも (臨終の時) 念仏することができるとしても。
すでに この世ですでにという意。
真言秘教 密みっ教きょうのこと。
三密行業 身しん口意くいの三密さんみつ加か持じの実践法。
法華一乗 ¬法華経¼ に説く一仏乗の教え、 つまり天てん台だいの教えを指す。
四安楽の行 ¬法華経¼ 「安楽行品」 に説かれる四種の行法。 身安楽行・口安楽行・意安楽行・誓願せいがん安楽行の四をいう。 身口意のはたらきにおいてあやまちを離れ、 すべての衆しゅ生じょうをさとりに導こうという慈悲の誓願をおこすこと。
感徳 「威徳」 とする異本がある。
通故 例外のない道理の意。 「道なるがゆゑ」 「通ずるゆゑ」 とする異本がある。
不簡善悪の法 善人と悪人とをわけへだてしない教法。
浄侶 清僧。 徳の高い僧。
覚月 法ほっ性しょうのさとりを月に喩える。 前の 「煩悩の黒雲」 の対句。
同朋同侶 同じ教えを奉ずる仲間。 →補註13
回心 ここでは悪心を改悔する回心懴さん悔げの意。
断悪修善のここち 悪を断ち切り、 善を修めて浄土に往生しようという考え。
もとのこころをひきかへて 自力のこころをひるがえして。
柔和忍辱のおもひ やすらかで、 落ち着いた思い。
さこそ…いふとも いくら…といっても。
おもふほどに 思うから。
かしこきおもひ こざかしい考え。
申され 自然に称えられる。
われ物しりがほにいふひと 自分だけがいかにも知っているかのようにふるまう人。
学生だつるひと 学者ぶった人。
むなしくなる いたずらごとになる。 むだになる。
如来に虚妄を… 釈尊が嘘いつわりをいわれたと取りざたするという意。
仏法の方 仏事関係、 あるいは寺院や道場のこと。
御身量 ¬観経¼ の真身観に 「仏身ぶっしんの高さ六十万億那な由他ゆた恒ごう河が沙しゃ由ゆ旬じゅんなり」 とある。
方便報身 真実報身に対したもので方便の報身、 すなわち方便化け身しんのこと。
このことわりなんどにばし この説などにでも。
檀波羅蜜 梵語ダーナ・パーラミター (dāna-pāramitā) の音写。 布施ふせ波羅密のこと。 →六ろっ波羅ぱら蜜みつ
ことをよせて かこつけて。
右条々 第十一条以下の各条を指す。
もつてのほかに 意外なことに。
自他の是非を定むべき 自分と他人とどちらの主張が正しいかを決めよう。
まゐらんずる 参るであろう。
さこそ さぞかし。 きっと。
しどけなきこと しまりがないこと。 ここでは異議がはびこるさまを指していう。
かくのごとくの義 先にあげたような異議。
御聖教ども ¬唯信鈔¼ ¬自力他力事¼ ¬後世物語¼ 等を指す。
かまへてかまへて よくよく注意して。
大切の証文 すでに散逸して存しないとする説、 第一条から第十条までの法語とする説、 すぐ後に出る 「弥陀の五劫思惟の願…」 と 「善悪のふたつ…」 の二文とする説、 末尾の流罪記録が散逸した証文の残欠であるとする説などがある。
目やす 箇条書きにした文書。 または標準の意。
それほどの 底本および専せん精しょう寺じ本ぼん以外の多くの古写本では 「そくばくの」 とありる。 その場合は 「多くの」 の意。
わたくしのことば 自分ひとりの勝手なことば。
古親鸞 「いにしへ親鸞」 とする異本がある。
一室の行者 同じ念仏の教えをうけた同門の人々。
外見あるべからず 同門の人以外に見せないでほしい。
敵奏の上 仏敵として朝廷に奏そう状じょうをもって訴え出た上に。
狼籍子細あるよし 道にはずれた行為に糾弾されるべき理由があるということ。
無実の風聞 事実無根の風評。
土佐国 現在の高知県。 法ほう然ねん上人は実際には讃岐さぬき (現在の香川県) に留まった。
七十六歳 建永二年 (承元元年・1207) は法然上人七十五歳であった。
無動寺の善題大僧正 無動寺は比ひ叡えい山ざんの東塔にあった寺。 善題大僧正は慈じ円えん (慈鎮) を指す。
二位法印尊長 正二位権中納言一いち条じょう能保よしやすの子。 法勝寺などの執行となった。 「法印」 は法印大だい和か尚しょう位の略で、 僧位の最高位。
外記庁 詔勅しょうちょくの起草・上奏文の記録などをつかさどる役所。
無宿善の機 宿善のない者。 仏の教えを聞く機縁が熟していない者。
左右なく たやすく