08710245でんしょう

 

 本願ほんがんらんしょうにん (*親鸞)*如信にょしんしょうにんたいし​ましまし​て、 をりをり​のおんものがたり条々じょうじょう

(1)

一 ある​とき​のおおせ​に​のたまはく、 *くろだにのしょうにん *源空げんくう じょうしんしゅうこうぎょうさかりなり​し​とき、 *かみ一人いちじんより​はじめ​て*へんじゅうの​やから*一天いってんに​みて​り。

これ​によりて、 かのりっしゅうせ​られ​んがために、 *きんちゅうダイリナリ だいしん、 もし*つちかどのいん*ぎょか にして七日しちにちおん*ぎゃくしゅを​はじめ​おこなは​るる​ついで​に、 *あんいん法印ほういん*聖覚せいかく*しょうどうとしてしょうどうしょしゅうの​ほか​にべっし​てじょうしゅうある​べから​ざる​よし、 これ​を*もうしみだら​る​べき​よし、 勅請ちょくしょうあり。

しかり​と​いへども、 ちょくかんおうじ​ながら、 はんくうしょうにん (源空)本懐ほんがい*さへぎり​て*かくの​あひだ、 もうしみだら​るる​に​およば​ず、 あまつさへしょうどうの​ほか​にじょういっしゅうこうじ​て、 *ぼんじきにゅうスグニイル大益だいやくある​べき​よ0872し​を、 ついで​をもつて​ことにもうしたて​られ​けり。

 ここに*ていにして​その沙汰さたある​よし、 しょうにん 源空げんくう *きこしめす​について、 もし​この​ときもうしやぶら​れ​なば、 じょうしゅうなんぞりゅうせ​ん​や。 よりてあんいんぼう*おお0246せ​つかはさ​れ​ん​と​す。 たれびと​たる​べき​ぞや​の​よし、 そのじん内々ないないえらば​る。 ときにぜんしんの御房おんぼう (親鸞) そのじんたる​べき​よし、 しょうにんさしまうさ​る。 同朋どうぼうの​なか​に、 また​もつとも​しかるべき​よし、 *同心どうしんきょし​まうさ​れ​けり。

その​ときしょうにん 善信ぜんしん かたく退たい再三さいさんに​およぶ。 しかれども*めいのがれがたき​によりて、 使せつとしてしょうにん 善信ぜんしん あんいんぼうへ​むかは​しめたまは​ん​と​す。 ときにこともつともちょうオモキコトなり、 すべからくひとを​あひ​そへ​らる​べき​よし、 もうさ​しめたまふ。 もつとも​しかるべし​とて、 西さい*ぜんしゃくの御房おんぼうを​さしそへ​らる。

 りょうにんあんいんぼうに​いたり​て案内あんないせ​らる。 をりふし沐浴もくよくユアムルコト云々うんぬん。 「おん使つかひ、 たれびと​ぞや」 とは​る。 「ぜんしんの御房おんぼう入来じゅらいあり」 と云々うんぬん。 その​とき​おほきにおどろき​て、 「このひとおん使つかひ​たる​こと*邂逅かいこうタマサカなり。 *おぼろげ​の​こと​に​あら​じ」 とて、 いそぎ*温室うんしつよりで​て対面たいめん、 かみ​くだんのさいを​つぶさにしょうにん 源空げんくう おおせ​とて演説えんぜつ

法印ほういん (聖覚) もうさ​れ​て​いはく、 「*この​こと年来ねんらい宿しゅくでんたり。 せいかく0873いかでか*かんぞんぜ​ん。 たとひ勅定ちょくじょうたり​いふともはんめいを​やぶる​べから​ず。 よりておおせ​を​かうぶら​ざる​さき​に、 しょうどうじょうもん混乱こんらんせず、 あまつさへ、 じょうしゅうもうしたて​はんべり​き。 これ*しかしながら、 王命おうめいより​もシノきょうヲシヘを​おもくする​が​ゆゑなり。 おん*こころ​やすかる​べき​よし、 もうさ​しめたまふ​べし0247」 と云々うんぬん。 この​あひだ​のいち*きょく、 つぶさに​する​に​いとま​あらず。

 すなはちしょうにん 善信ぜんしん さんカヘリマイリありタマフ て、 ていいちしょうどうトナヘミチビクとして、 法印ほういんじゅうせつの​むね​をしょうにん 源空げんくう ぜんにて一言いちげんも​おとし​ましまさ​ず、 ぶんみょうワカチアキに​まラカナリいち宣説せんぜつし​まうさ​る。 その​とき​さしそへ​らるるぜんしゃくの御房おんぼうたいし​て、 「もし*びゅうアヤマリ あり​や」 と、 しょうにん 源空げんくう おおせ​らるる​ところ​に、 ぜんしゃくの御房おんぼうもうさ​れ​て​いはく、 「西さい説法せっぽうちょうもんつこうまつり​おはり​ぬ、 ごんの​およぶ​ところ​に​あらず」 と云々うんぬん

さんびゃくはちじゅうにん門侶もんりょの​なか​に、 そのじょうそくと​いひ、 その*ようと​いひ、 すでに精選せいせんにあたりて使せつを​つとめ​まします​ところ​に、 西さいまた証明しょうみょう発言はつげんに​およぶ。 おそらくは*ほう証明しょうみょうおうに​あひ​おなじき​ものを​や。 この​こと、 だいしょうにん (源空)御時おんとき随分ずいぶん面目めんぼくたり​き。

 *説導せつどう*涯分がいぶんいにしへ​に​はづ​べから​ず​と​いへども、 *にん*かいちょうす​べき​よし0874しょうにんぜんにして誓言せいごん発願ほつがんをはり​き。 これ​によりて*檀越だんおつを​へつらは​ず、 そのしょうおもむか​ず​と云々うんぬん

その​ころしちじょう源三げんぞうなかつかさのじょうそん*ろうにゅうどうじょうしんぼく大功たいこうを​をへ​ていちらんぞうりゅうし​て、 ようの​ため​にしょうどうおもむき​まします​べき​よし​を*くっしょうし​まうす​と​いへども、 しょうにん 善信ぜんしん つひに​もつて固辞こじし​おほせ​られ​て、 かみ​くだんの​おもむき​を​かたり​おほせ​らる。 その​ときしょうにん 善信ぜんしん *権者ごんじゃに​まします​と0248いへども、 じょくらんぼんどうじ​て、 *じょう説法せっぽうの​とが​おもき​こと​をしめし​まします​ものなり。

(2)

一 *こうみょうみょうごう因縁いんねんといふこと

 十方じっぽうしゅじょうの​なか​に、 じょうきょう信受しんじゅするあり、 信受しんじゅせ​ざるあり。 いかん​と​ならば、 ¬*だいきょう¼ の​なか​にく​が​ごとく、 過去かこ宿しゅくぜんあつき​もの​は、 こんじょうに​このきょうに​あう​て、 まさにしんぎょうす。 宿しゅくふくなき​もの​は、 このきょうに​あふ​と​いへども、 ねんせ​ざれ​ば​また​あは​ざる​が​ごとし。 「*よく過去かこいん」 のもんの​ごとく、 こんじょうの​ありさま​にて宿しゅくぜん有無うむあきらかに​しり​ぬ​べし。

 しかるに宿しゅくぜん開発かいほつするの​しるし​には、 ぜんしきに​あう​て*かいせ​らるる​とき、 *いち0875ねん ˆもˇ わくしょうぜ​ざる​なり。 そのわくしょうぜ​ざる​こと​は、 こうみょうえんに​あふ​ゆゑなり。 もしこうみょうえんもよほさ​ずは、 ほうおうじょう真因しんいんたるみょうごういんを​う​べから​ず。

 いふこころは、 十方じっぽうかいしょうようする無礙むげこうへんじょうみょうろうなる​にらさ​れ​て、 みょう沈没ちんもつ煩惑ぼんわく漸々ぜんぜん*とらけ​て、 はん真因しんいんたる信心しんじんこんわづかに​きざす​とき、 ほうとくしょうじょうじゅくらいじゅうす。 すなはち​このくらいを、 「こうみょうへんじょう 十方じっぽうかい 念仏ねんぶつしゅじょう 摂取せっしゅしゃ(*観経)け​り。 ま0249*こうみょう (善導)おんしゃく (*礼讃) には、 「こうみょうみょうごう せっ十方じっぽう たん使信心しんじんねん」 とも​のたまへ​り。

 しかれば、 おうじょう信心しんじんさだまる​こと​は​われら​が*ぶんに​あらず、 こうみょうえんに​もよほしそだて​られ​てみょうごうしんほういんを​う​と、 しる​べし​となり。 これ​をりきといふ​なり。

(3)

一 無礙むげ光曜こうようによりてみょうあんはるること

 本願ほんがんしょうにん 親鸞しんらん ある​とき門弟もんていしめし​て​のたまはく、 「つね​にひとの​しる​ところ、 夜明よあけ​て日輪にちりんづ​や、 日輪にちりんで​て夜明よあく​や、 *りょうへん*なんだち​いか0876んが​しる」 と云々うんぬん*うちまかせ​てひとみな​おもへらく、 「夜明よあけ​て​のちづ」 とこたへ​まうす。 しょうにんのたまはく、 「しから​ざる​なり」 と。 「で​て​まさに夜明よあくる​ものなり。 そのゆゑは、 日輪にちりんまさに*しゅ半腹はんぷく*ぎょうする​とき、 しゅうの​ひかり​ちかづく​について、 この*なんしゅうあきらかに​なれば、 で​てく​といふ​なり。 これ​は​これ、 たとへ​なり。

無礙むげこう日輪にちりんしょうそくテラシフルルナ​ざるリ   とき​は、 永々ようよう昏闇こんあんみょうけ​ず。 しかるに​いま宿しゅくぜんとき​いたり​て、 *だんなん日輪にちりん貪瞋とんじん半腹はんぷくぎょうする​とき、 みょうやうやくやみはれ​て、 信心しんじんたちまちに​あきらかなり。 しかり​と​いへども、 貪瞋とんじんくもきりかり​に0250おおふ​によりて、 *炎王えんのう清浄しょうじょうとう日光にっこうあらはれ​ず。 これ​によりて、 ª煩悩ぼんのうしょうげんすい能見のうけんº (*往生要集・中) ともしゃくし、 ªのうすいみょうあんº (正信偈)のたまへ​り。

日輪にちりんりきいたら​ざる​ほど​は、 われとみょうす​といふ​こと​ある​べから​ず。 みょうせ​ずは、 またしゅつそのある​べから​ず。 りきをもつてみょうする​がゆゑに、 で​て​のち夜明よあく​といふ​なり」。 これ​さき​のこうみょうみょうごうに​こころ​おなじ​と​いへども、 りきりき分別ふんべつせ​られ​ん​ため​に、 ほっミノリトタトがっヘトナリおおせごと​ありき​と云々うんぬん

(4)0877

一 善悪ぜんあくごうこと

 しょうにん 親鸞しんらん おおせ​に​のたまはく、 「それがしは​まつたくぜんも​ほしから​ず、 またあくも​おそれ​なし。 ぜんの​ほしから​ざる​ゆゑ​は、 弥陀みだ本願ほんがん信受しんじゅする​に​まされ​るぜんなき​がゆゑに。 あくの​おそれ​なき​といふは、 弥陀みだ本願ほんがんを​さまたぐるあくなき​がゆゑに。 しかるにひとみな​おもへらく、 善根ぜんごんそくせ​ずんば、 たとひ念仏ねんぶつす​いふともおうじょうす​べから​ず​と。 また​たとひ念仏ねんぶつす​いふとも悪業あくごうじんフカクじゅうオモシならばおうじょうす​べから​ず​と。

この​おもひ、 ともに​はなはだ​しかるべから​ず。 もし悪業あくごう*こころ​に​まかせ​て​とどめ、 善根ぜんごんを​おもひ​の​まま​に​そなへ​て、 しょうしゅつじょうおうじょうす​べくは、 *あなが0251ちに本願ほんがんしんせず​とも、 なにのそくか​あら​ん。 その​こと​いづれ​も​こころ​に​まかせ​ざる​によりて、 悪業あくごうをば​おそれ​ながら​すなはち​おこし、 善根ぜんごんをば*あらませ​ども​うる​こと​あたは​ざるぼんなり。 かかる​あさましき三毒さんどくそくあくとして、 われとしゅつに​みち​たえ​たる摂取せっしゅオサメトル たまは​ん​ため​の*こうゆい本願ほんがんなる​がゆゑに、 ただあおぎ​てぶっ信受しんじゅする​に​しかず。

しかるにぜん念仏ねんぶつする​をばけつじょうおうじょうと​おもひ、 悪人あくにん念仏ねんぶつする​をばおうじょうじょううたがふ。 本願ほんがん*規模きぼここ​にしっし、ウスルナリ しんあくたる​こと​を​しら​ざる​に​なる。

おほよそぼん0878いんじょう*えん慈悲じひをもつて、 *修因しゅいんかんし​たまへ​る*別願べつがんしょじょう報仏ほうぶつほうじょうひとしくる​こと​は、 諸仏しょぶついまだ​おこさ​ざるちょう思議しぎがんなれば、 たとひ読誦どくじゅだいじょう第一だいいちぜんたり​いふとも、 おのれ​が*しょうとくぜんばかり​をもつて​そのおうじょうする​こと​かなふ​べから​ず。 また悪業あくごうは​もとより​もろもろ​の仏法ぶっぽうに​すて​らるる​ところ​なれば、 あくまたあく*つのり​として​そのへ​のぞむ​べき​に​あらず。

 しかれば、 うまれつき​たる善悪ぜんあくの​ふたつ、 ほうおうじょうとくとも​なら​ずしつとも​なら​ざるじょう勿論もちろんなり。 されば​この善悪ぜんあくの​うへ​に​たもつ​ところの弥陀みだぶっを​つのり​と​せん​より​ほか​は、 ぼんいかでかおうじょう*得分とくぶんある​べき​や。 されば​こそ、 あくも​おそろしから​ず​とも​いひ0252ぜんも​ほしから​ず​と​は​いへ」。

 ここをもつてこうみょうだい (*善導)、 「ごんがんしゃ にょだいきょうせつ 一切いっさい善悪ぜんあく ぼんとくしょうしゃ まくかいじょう 弥陀みだぶつ 大願だいがん業力ごうりき ぞうじょうえん(*玄義分) と​のたまへ​り。 もんの​こころ​は、 「がんといふは、 ¬だいきょう¼ のせつの​ごとし。 一切いっさい善悪ぜんあくぼんうまるる​こと​をる​は、 みな弥陀みだぶつ大願だいがん業力ごうりきり​てぞうじょうえんと​せ​ざる​は​なし」 となり。

されば宿しゅくぜんあつき​ひと​は、 こんじょうぜんを​このみあくを​おそる0879宿しゅくあくおもき​もの​は、 こんじょうあくを​このみぜんに​うとし。 ただ善悪ぜんあくの​ふたつ​をば過去かこいんに​まかせ、 おうじょう大益だいやくをば如来にょらいりきに​まかせ​て、 *かつての​よき​あしき​にを​かけ​ておうじょうとくウルヤイナヤさだむ​べから​ず​となり。

 これ​によりて、 ある​とき​のおおせ​に​のたまはく、 「なんだち、 念仏ねんぶつする​より​なほおうじょうに​たやすき​みち​あり、 これ​をさずく​べし」 と。 「ひと千人せんにん殺害せつがいし​たら​ば​やすくおうじょうす​べし、 おのおの​この​をしへ​に​したがへ、 いかん」 と。

ときに​ある一人いちにんもうし​て​いはく、 「それがしにおいて​は千人せんにんまで​は​おもひよら​ず、 一人いちにんたり​いふとも殺害せつがいし​つ​べきここち​せず」 と云々うんぬん

しょうにんかさねて​のたまはく、 「なんぢ​わが​をしへ​をごろ​そむか​ざる​うへは、 いま​をしふる​ところ​において​さだめてうたがいを​なさ​ざる​か。 しかるに一人いちにんなり​とも殺害せつがいし​つ​べきここち​せ​ず​といふは、 *過去かこに​その​たね​なき​に​よりて​なり。 もし過去かこに​その​たね​あら0253ば、 たとひせっしょうざいおかす​べから​ず、 おかさ​ば​すなはちおうじょうを​とぐ​べから​ず​と​いましむ​いふとも、 たね​に​もよほさ​れ​て​かならず殺罪せつざいを​つくる​べき​なり。 善悪ぜんあくの​ふたつ、 宿しゅくいんの​はからひ​として*げんかんずる​ところ​なり。 しかれば​まつたく、 おうじょうにおいて​はぜんも​たすけ​と​なら​ず、 あくも​さはり​と​なら​ず​といふ​こと、 これ​をもつてじゅんナヅラヘシル べし」。

(5)0880

一 りき修善しゅぜんは​たくはへがたく、 りきぶっねんやくをもつて​たくはへ​らるること

 たとひまんぎょう諸善しょぜん法財ほうざいしゅし​たくはふ​いふとも*進道しんどうブチダウニスヽムコト也 りょうタスクルカテ なる​べから​ず。 ゆゑ​は*六賊ろくぞく六コンヲヌスビトニタトフ もんシリシキクして侵奪しんだつヲカシウバフする​がゆゑに。 念仏ねんぶつにおいて​は、 「すでにぎょうじゃぜんに​あらず、 ぎょうじゃぎょうに​あらず」 としゃくせ​らるれ​ば、 ぼんりきぜんに​あらず。 *まつたう弥陀みだぶっなる​がゆゑに、 諸仏しょぶつねんやくによりて六賊ろくぞくこれ​を​をかす​に​あたは​ざる​がゆゑにしゅつりょうタスクルカテ なり、 ほう*しょういんマサシキタネ なる​なり、 しる​べし。

(6)

一 弟子でしどうぎょうをあらそひ、 本尊ほんぞん聖教しょうぎょううばひとる​こと、 しかるべから​ざる​よ0254し​のこと

 *常陸ひたちのくににいづつみ*しんぎょうぼうしょうにん 親鸞しんらん ぜんオムマヘにて、 法文ほうもん義理ぎりゆゑに、 おおせ​を​もちゐ​まうさ​ざる​によりて、 *とっハナツクに​あづかり​て本国ほんごくモトノクニ こうクダリムカフきざみ、 おん弟子でし*れんぼうもうさ​れ​て​いはく、 「しんぎょうぼうの、 門弟もんていを​はなれ​てこくクニヘクダルうへは、 あづけわたさ​るる​ところの本尊ほんぞん聖教しょうぎょうを​めしかへさ​る​べく​やそうろふ​らん」 と。 「なか0881んづくに、 しゃくの親鸞しんらん*だいの​した​に*あそばさ​れ​たる聖教しょうぎょうおほし。 もんを​はなれ​たてまつる​うへは、 さだめて*ぎょうそうアフギアガム なから​ん​か」 と云々うんぬん

しょうにんおおせ​に​いはく、 「本尊ほんぞん聖教しょうぎょうを​とりかへす​こと、 はなはだ​しかるべから​ざる​こと​なり。 そのゆゑは親鸞しんらん弟子でし一人いちにんも​もた​ず、 なにごと​を​をしへ​て弟子でしといふ​べき​ぞや。 みな如来にょらいおん弟子でしなれば、 みな​ともにどうぎょうなり。 念仏ねんぶつおうじょう信心しんじんを​うる​こと​は、 しゃ弥陀みだそん方便ほうべんとしてほっす​と​みえ​たれば、 まつたく親鸞しんらんさずけ​たる​に​あらず。 当世とうせいたがひに*ぎゃくの​とき、 本尊ほんぞん聖教しょうぎょうを​とりかへし、 つくる​ところの*房号ぼうごうを​とりかへし、 信心しんじんを​とりかへす​なんど​いふ​こと、 こくちゅうクニノナカはんじょうシゲクサカムナリ云々うんぬん。 かへすがへす​しかるべから​ず。

本尊ほんぞん聖教しょうぎょうしゅじょうやく方便ほうべんなれば、 親鸞しんらん*むつび​を​すて​て門室もんしつる​といふとも、 わたくし​に*せんす​べから​ず。 如来にょらいきょうぼうそうじて*ずうもつなれ0255ば​なり。

しかるに親鸞しんらんみょうの​のり​たる​を、 ªほうにくけれ​ば袈裟けささへº のぜい*いとひおもふ​によりて、 たとひ​かの聖教しょうぎょうさんヤマに​すつ​いふともその​ところ​のじょう群類ぐんるい、 かの聖教しょうぎょうに​すくは​れ​て​ことごとく​そのやくを​う​べし。 しからばしゅじょうやく本懐ほんがい、 その​とき満足まんぞくす​べし。 ぼんしゅうする​ところの財宝ざいほうの​ごとくに、 とりかへす​といふある​べか0882ら​ざる​なり。 よくよく​こころう​べし」 とおおせ​ありき。

(7)

一 ぼんおうじょうこと

 おほよそ*ぼんほうる​こと​をば、 しょしゅうゆるさ​ざる​ところ​なり。 しかるにじょうしんしゅうにおいて善導ぜんどうおんこころ、 あんにょうじょうをば報仏ほうぶつほうさだめ、 る​ところのをば​さかりにぼんだんず。

 この​こと*しょうぞうみみおどろかす​こと​なり。 されば​かのしょうぞう*ふうぜ​られ​て、 ひと​の​こころ​おほくまよひ​て、 この*せいにおきてうたがいを​いだく。

そのうたがいの​きざす​ところ​は、 かならずしも弥陀みだちょうがんを、 さる​こと​あら​じ​とうたがひ​たてまつる​まで​は​なけれ​ども、 わがぶん卑下ひげして、 その​ことわり​を​わきまへ​しり​て、 しょうどうもんより​はぼんほうる​べから​ざるどうを​うかべ​て、 その*りょうをもつて​いま​のしんしゅううたがふ​まで​のひとは​まれ​なれども0256しょうどうしょうぞう流布るふする​を、 なにとなくみみに​ふれ​ならひ​たる​ゆゑ​か、 おほく​これ​に​ふせが​れ​てしんしゅう*べつりきうたがふ​こと、 かつはみょう*わくせ​られ​たる​ゆゑなり、 かつは*めいに​あは​ざる​が​いたす​ところ​なり。

 0883そのゆゑは、 「じょうしゅうの​こころ、 もとぼんの​ため​に​してしょうにんの​ため​に​あらず」 と云々うんぬん

しかれば、 貪欲とんよくも​ふかく、 しんも​たけく、 愚痴ぐちも​さかりなら​ん​につけて​も、 こん*じゅんおうじょうは、 ぶつもうなけれ​ば​いよいよ*ひつじょうと​おもふ​べし。 あやまつて​わが​こころ​の三毒さんどくも​いたくこうじょうなら​ず、 善心ぜんしんしきりに​おこら​ば、 おうじょうじょうの​おもひ​も​ある​べし。 そのゆゑは、 ぼんの​ため​のがん仏説ぶっせつぶんみょうなり。 しかるに​わが​こころぼんげ​も​なく​は、 さては​われぼんに​あら​ねば​このがんに​もれ​や​せん​と​おもふ​べき​によりて​なり。

しかるに、 われら​がこころすでに貪瞋とんじん三毒さんどくみな​おなじくそくす。 これ​が​ため​とて​おこさ​るるがんなれば、 おうじょうそのとしてひつじょうなる​べし​となり。

かく​こころえ​つれ​ば、 こころ​の​わろき​につけて​も、 れつなる​につけて​も、 おうじょうせず​は​ある​べから​ざるどう*もんしょう勿論もちろんなり。 いづかた​より​かぼんおうじょうもれ​て​むなしから​ん​や。 しかれば​すなはち、 「こうゆい*ちょうさいしゅぎょうも、 ただ親鸞しんらん一人いちにんが​ため​なり」 とおおせごと​ありき。

 わたくし​に​いはく、 これ​をもつて​かれ​をあんずる​に、 このじょう0257しょうにん (親鸞)おんこと​に​かぎる​べから​ず。 まつの​われら、 みなぼんたらん​うへは、 また​もつておうじょうおなじかる​べし​と​しる​べし。

(8)0884

一 *一切いっさいきょうきょうごうこと

 *さいみょう禅門ぜんもん*ちちしゅりのすけ時氏ときうじ政徳せいとくを​もつぱらに​せ​し​ころ、 一切いっさいきょう書写しょしゃせ​られ​き。 これ​をきょうごうの​ため​にしゃ*がくしょうたらんそうくっしょうある​べし​とて、 *とう左衛さえもんにゅうどう じつみょうらず ならびに*屋戸やどやのにゅうどう じつみょうらず りょうだいみょうおおせつけ​て​たづね*あなぐら​れ​ける​とき、 こと​のえんありてしょうにん (親鸞) を​たづねいだし​たてまつり​き。 もし常陸ひたちのくにかさまのこおり*稲田いなだのごう経回けいがいの​ころ​か しょうにんそのしょうおうじ​ましまし​て、 一切いっさいきょうきょうごうありき。

そのさいちゅう*ふくしょうぐん連々れんれん*昵近じっきんし​たてまつる​に、 ある​ときはいしゃくの​みぎり​にして種々しゅじゅサマザマ珍物ちんぶつメヅラシキモノととのへ​て、 しょだいモロモロみょうノ  面々めんめんこん沙汰さたに​およぶ。 しょうにんべっし​てゆうみょうしょうじんそう威儀いぎを​ただしく​し​まします​こと​なけれ​ば、 ただぞくにゅうどう俗人ぞくじんとうに​おなじきおん振舞ふるまいなり。 よつてぎょイヲちょうトリ にくとうをも​きこしめさ​るる​こと、 おんはばかり​なし。 ときになますぜんしんず、 これ​を​きこしめさ​るる​こと、 つね​の​ごとし。

袈裟けさちゃくようあり​ながら​まゐる​とき、 さいみょう禅門ぜんもん、 ときに開寿かいじゅ殿どのとてさい、 さしより​てしょうにん御耳おんみみ密談みつだん0258せ​られ​て​いはく、 「あのにゅうどうども面々めんめんぎょしょくの​とき​は袈裟けさぎ​て​これ​をじきす。 善信ぜんしん御房おんぼう (親鸞)、 いかなれば袈裟けさちゃくようあり​ながらしょく0885まします​ぞや、 これしん」 と云々うんぬん

しょうにんおおせ​られ​て​いはく、 「あのにゅうどうたちは​つね​に​これ​を​もちゐる​について、 これ​をしょくする​とき​は袈裟けさぐ​べき​こと​と*かくの​あひだ、 ぎ​て​これ​をしょくする​か。 善信ぜんしんは​かくのごとき​のしょくぶつ*邂逅かいこうタマサカなれば、 *おほけて​いそぎべ​ん​と​する​につきてぼうきゃくして​これ​をが​ず」 と云々うんぬん

開寿かいじゅ殿どの、 またもうさ​れ​て​いはく、 「このとうごんイツハリイフなり。 さだめて​ふかき所存しょぞんある​か。 開寿かいじゅようなれば​とて*蔑如べつじょに​こそ」 とて退き​ぬ。

 また​ある​とき、 さき​の​ごとくに袈裟けさちゃくぶくあり​ながらぎょしょくあり。 また開寿かいじゅ殿どの、 さき​の​ごとくに​たづね​まうさ​る。 しょうにんまたぼうきゃくこたへ​まします。 その​とき開寿かいじゅ殿どの、 「さのみ*廃忘はいもうある​べから​ず。 これ​しかしながら、 ようしょう愚意ぐいじんを​わきまへしる​べから​ざる​によりて、 所存しょぞんを​のべ​られ​ざる​ものなり。 まげて​ただじつ述成じゅつじょうある​べし」 と、 再三さいさんこざかしく​のぞみ​まうさ​れ​けり。

その​ときしょうにんのがれがたく​して、 幼童ようどうたいし​てしめし​ましまし​て​いはく、 「まれ​に人身にんじんを​うけ​て生命しょうみょうイケルモノヽイノチ ろぼしにくとんずるムサボル  こと、 はなはだ​しかるべから​ざる​こと​なり。 されば如来にょらい*制戒せいかいにも​この​こと​ことに​さかん​なり。 しかれども、 末法まっぽうじょく0259いまときしゅじょうかいの​とき​なれば、 たもつ​もの​も​なくする​もの0886も​なし。 これ​によりて剃髪たいはつぜんの​その​すがた、 ただぞく群類ぐんるいに​こころ​おなじき​が​ゆゑに、 これら​をしょくす。 *とてもしょくする​ほど​ならば、 かのしょうるいをしてだつせ​しむる​やう​に​こそ​あり​たくそうらへ。

しかるに​われみょう*しゃくに​かる​と​いへども、 こころ俗塵ぞくじんみ​ても​なくとくも​なし。 なに​によりて​か​かのじょうを​すくふ​べき​や。 これ​によりて袈裟けさは​これ、 さん諸仏しょぶつ ˆのˇ *だつ幢相どうそう霊服れいぶくなり。 これ​をちゃくようし​ながら​かれ​をしょくせ​ば、 袈裟けさ*徳用とくゆうをもつて*さいしょうもつ願念がんねんをや​はたす​とぞんじ​て、 これ​をちゃくし​ながら​かれ​をしょくする​ものなり。 *みょうしゅしょうらんあおぎ​て人倫じんりん所見しょけんを​はばから​ざる​こと、 かつは*ざん無愧むぎの​はなはだしき​にたり。 しかれども、 所存しょぞんかくのごとし」 と云々うんぬん

この​とき開寿かいじゅ殿どのようしょうとしてかんおもて​に​あらはれ、 ずいもつとも​ふかし。 「*一天いってんかいおさむ​べきとうりょう、 その*ようは​をさなき​より、 *やう​ある​ものなり」 とおおせごと​ありき。

  *康永こうえい三歳さんさいきのえさる*もう上旬じょうじゅんなぬ、 このかんこれ​を書写しょしゃし​をはり​ぬ。

                     桑門そうもん*そうしょうしちじゅう

0887(9) 0260

一 ある​ときらんしょうにん (親鸞)黒谷くろだにしょうにん (源空)禅房ぜんぼうさんオムマイリありける​に、 しゅぎょうじゃ一人いちにんおんとも​の*しも*案内あんないして​いはく、 「京中きょうちゅう*はっしゅう兼学けんがくめいまします智慧ちえ第一だいいちしょうにんぼうや​しら​せたまへ​る」 といふ。 この​やう​をおんとも​のしもおんくるまの​うち​へもうす。 らんしょうにんのたまはく、 「智慧ちえ第一だいいちしょうにん御房おんぼうと​たづぬる​は、 もし源空げんくうしょうにんおんこと​か、 しからば​われ​こそ​ただ​いま​かの御坊おんぼうさんずるにて​はんべれ、 いかん」。

しゅぎょうじゃもうし​て​いはく、 「その​こと​にそうろふ。 源空げんくうしょうにんおんこと​を​たづね​まうす​なり」 と。 らんしょうにんのたまはく、 「さらば*先達せんだつす​べし。 このくるまら​る​べし」 と。

しゅぎょうじゃおほきにし​まうし​て、 「*その​おそれ​あり。 *かなふ​べから​ず」 と云々うんぬんらんしょうにんのたまはく、 「ほうの​ため​ならば、 *あながちにきゃくしんある​べから​ず。 *しゃくもんの​むつび、 なにか​くるしかる​べき。 ただら​る​べし」 と。 再三さいさんフタヽビ退たいミタビ もうすといへども、 おんとも​の​もの​に、 「しゅぎょうじゃ*かくる​ところの*かごおいを​かく​べし」 と下知げちありて、 おんくるまに​ひきせ​らる。

 0261しかうして、 かの御坊おんぼうさんありてくうしょうにん (源空)ぜんにて、 らんしょうにん、 「*鎮西ちんぜいの​もの​ともうし​てしゅぎょうじゃ一人いちにんほうブチポフの​ためヲモトムルナリとて御房おんぼうを​たづね​まうし​て​はんべり​つる​を、 *路次ろしより​あひ​ともなひ​て​まゐり​てそうろふ。 さ​る​べき​をや」 と云々うんぬん0888くうしょうにん、 「こなた​へ*招請ちょうじょうある​べし」 とおおせ​あり。 よりてらんしょうにん、 かのしゅぎょうじゃ引導いんどうありてぜんさ​る。 その​ときくうしょうにん、 かのしゅぎょうじゃを​にらみ​まします​に、 しゅぎょうじゃまたしょうにん (源空) を​にらみかへし​たてまつる。 かくて​やや​ひさしく​たがひに言説ごんせつモノオホなしセラレヌ

しばらく​ありてくうしょうにんおおせ​られ​て​のたまはく、 「御坊おんぼうは​いづこ​の​ひと​ぞ、 また​なにのようありてきたれ​る​ぞや」 と。 しゅぎょうじゃもうし​て​いはく、 「われ​は​これ鎮西ちんぜいの​もの​なり。 ほうの​ため​に*らくに​のぼる。 よつて*推参すいさんつかまつる​ものなり」 と。

その​ときしょうにん、 「ほうと​は​いづれのほうもとむる​ぞや」 と。 しゅぎょうじゃもうし​て​いはく、 「念仏ねんぶつほうもとむ」 と。 しょうにんのたまはく、 「念仏ねんぶつとう (中国)念仏ねんぶつか、 日本にっぽん念仏ねんぶつか」 と。 しゅぎょうじゃしばらく停滞ていていす。トヾコホリトヾコホルしかれども、 きとあんじ​て、 「とう念仏ねんぶつもとむる​なり」 と云々うんぬん

しょうにんのたまはく、 「さては善導ぜんどうしょうおん弟子でしに​こそ​ある​なれ」 と。 その​ときしゅぎょうじゃ、 ふところ​より*つますずりを​とりいだし​て*二字にじき​て​ささぐ。 鎮西ちんぜい*しょうこうぼうこれ​なり。

 このしょうこうひじり、 鎮西ちんぜいにして​おもへらく、 「みやこ​にもつて智慧ちえ第一だいいちしょうするしょうにんおはす​なり0262*なにごと​かは​はんべる​べき。 われ​すみやかにじょうらくして​かのしょうにん問答もんどうす​べし。 その​とき、 もし智慧ちえすぐれ​て*われ​に​かさま​ば、 われ​ま0889さに弟子でしと​なる​べし。 また問答もんどうた​ば、 かれ​を弟子でしと​す​べし」 と。 しかるに​この慢心まんしんくうしょうにん権者ごんじゃとしてらんぜ​られ​けれ​ば、 いま​の​ごとくに問答もんどうありける​にや。 かの​ひじり​わが弟子でしと​す​べき​こと、 *はしたて​ても​およびがたかり​けり​と、 *慢幢まんどうたちまちに​くだけ​けれ​ば、 *師資ししれいを​なし​て、 たちどころに二字にじを​ささげ​けり。

 *りょう三年さんねんの​のち、 ある​とき​かごおいかきおい​てしょうこうぼうしょうにんぜんへ​まゐり​て、 「本国ほんごくれんの​こころざし​ある​によりて鎮西ちんぜいこうつかまつる​べし。 いとま​たまはる​べし」 ともうす。 すなはちぜんを​まかりたち​てしゅつもんす。 しょうにんのたまはく、 「あたら修学しゅがくしゃもとどりを​きら​で​ゆく​は​とよ」 と。 その御声おんこえはるかにみみり​ける​にや、 たちかへり​てもうし​て​いはく、 「しょうこうしゅっとくして​とし​ひさし、 しかるにもとどりを​きら​ぬ​よしおおせ​を​かうぶる、 もつともしん。 このおおせ、 みみに​とまる​によりて​みち​を​ゆく​に​あたは​ず。 こと​のだいうけたまはり​わきまへ​んがために​かへりまゐれ​り」 と云々うんぬん

 その​ときしょうにんのたまはく、 「ほうにはつのもとどりあり。 いはゆるしょうようみょうもんこれ​なり。 このさんねんの​あひだ源空げんくうが​のぶる​ところの法文ほうもんを​しるしあつめ​て0890*随身ずいしんす。 本国ほんごくに​くだ0263り​てひと*しへたげ​ん​と​す、 これしょうに​あらず​や。 それ​につけて​よきがくしょうと​いは​れん​と​おもふ、 これみょうもんを​ねがふ​ところ​なり。 これ​によりて檀越だんおつを​のぞむ​こと、 せんずるところようの​ため​なり。 このつ​のもとどりりすて​ずは、 ほうと​いひがたし。 よつて、 さもうし​つる​なり」 と云々うんぬん

 その​ときしょうこうぼう*がいいろを​あらはし​て、 *おいそこより​をさむる​ところの*しょうもつども​を​とりで​て、 みな*やきすて​て、 また​いとま​をもうし​てで​ぬ。 しかれども、 そのざんありける​にや、 つひにおおせ​を​さしおき​て、 *でんを​そむき​たるしょぎょうおうじょう*自義じぎ*こっちょうし​て*しょうしょうする​こと、 祖師そし (源空)遺訓ゆいくんを​わすれ、 諸天しょてん*みょうりょを​はばから​ざる​にや​と​おぼゆ。 かなしむ​べし、 おそる​べし。 しかれば、 かのしょうこうぼうは、 最初さいしょらんしょうにん引導いんどうによりて、 黒谷くろだにもんに​のぞめ​るひとなり。 *末学まつがくこれ​を​しる​べし。

(10)

一 じゅうはちがんに​つき​たるおんしゃくこと

 「ぶつこん現在げんざいじょうぶつ(礼讃) とう。 このおんしゃく*流布るふほんには 「ざい」 と​あり。 しかるに黒谷くろだに (源空)本願ほんがん (親鸞) りょうともに、 この 「」 のりゃく0891してか​れ​たり。

 わたくし​に​その​ゆゑ​をあんずる​に、 りゃくせ​らるるじょう*もつとも​その​ゆゑ​ある​か。

まづ ¬*だいじょうどうしょうきょう¼ (意)0264いはく、 「*じょうちゅうじょうぶつしつ報身ほうじん 穢土えどちゅうじょうぶつしつしん。 このもん*ひょうとして、 だい (善導)報身ほうじんほうじょうぜ​らるる​に、 この 「」 のを​おき​ては​すこぶる義理ぎり浅近せんごんアサクチなるカシ  べし​と​おぼしめさ​るる​か。 そのゆゑはじょうちゅうじょうぶつ弥陀みだ如来にょらいにつきて、 「いまに​ましまし​て」 と​このもんくんぜ​ば、 いま​すこし義理ぎりいは​れ​ざる​か。 極楽ごくらくかいともしゃくせ​らるる​うへは、 「」 のいかでか報身ほうじんほうに​のく​べき​と​おぼゆるへんも​あれども、 されば​それ​もしゅうにおきて浅近せんごんの​かた​をしゃくせ​らるる​とき​の*一往いちおうなり。

 おほよそしょしゅうにおきて、 おほく​は​この浅近せんごんの​とき​もちゐ​つけ​たり。

まづ ¬*しゃろん¼ のしょうぞう 「けんぼん」 に、 「*あんりゅうけんりんさい居下こげ」 とはんぜ​り。 けんこんりゅうする​とき​このを​もちゐるじょうぶんみょうなり。 しんさつ (*天親)所造しょぞうもつとも​ゆゑ​ある​べき​をや勿論もちろんなり。

しかるに​わがしんしゅうに​いたり​ては善導ぜんどうしょうおんこころ​に​よる​に、 すでに報身ほうじんほう*はいりゅうをもつて規模きぼと​す。 しかれば、 「かんかいそう しょう三界さんがいどう(*浄土論)論文ろんもんをもつて​おもふ​に、 三界さんがい0892どうしょうせるほうにしてしょうがくじょうずる弥陀みだ如来にょらいの​こと​を​いふ​とき、 けん浅近せんごんに​もちゐならひ​たる 「」 のをもつて、 いかでかじょうぜ​らる​べき​や。

 このどうによりて、 いま​のいちりゃくせ​らるる​か​と​みえ​たり。 されば 「ぶつこん現在げんざいじょうぶつ」 と​つづけ​て​これ​をくんずる​に、 「かのぶついま0265現在げんざいしてじょうぶつし​たまへり」 とくんずれ​ば、 はるかに​ききよき​なり。 義理ぎりと​いひ、 *文点もんてんと​いひ、 このいちもつとも​あまれ​る​か。

 このどうをもつて、 *りょう相伝そうでん推験すいげんして、 はっしゅう兼学けんがく*りょうねんしょうにん ことに三論さんろんしゅう に​いま​のりょうけんだんかいせ​し​に、 「じょうしんしゅうにおきて​このいち相伝そうでんなし​と​いへども、 このりょうけんもつともどうず​べし」 と云々うんぬん

(11)

一 助業じょごうを​なほ​かたはらにし​ましますこと

 らんしょうにん (親鸞) 東国とうごく経回けいがいの​とき、 *ふうとて三日さんにちさん*ひきかづき​て*すい漿しょうつうし​まします​こと​ありき。 つね​の​とき​の​ごとくおん腰膝こしひざを​うた​せ​らるる​こと​も​なし。 おん*せんじものなど​いふ​こと​も​なし。 かんびょうひとを​ちかく​よせ​らるる​こと​も​なし。 さんにちもうす​とき、 「ああ、 いま​は​さて​あら​ん」 とおおせごと​ありて、 0893きょオキヰマシマス*平復へいふくヨキ候コトもと​の​ごとし。

 その​とき*しんの御房おんぼう 男女なんにょ六人ろくにん君達きんだち母儀ぼぎ たづね​まうさ​れ​て​いはく、 「ふうとてりょう三日さんにち御寝ぎょしんの​ところ​に、 ªいま​は​さて​あら​んº とおおせごと​ある​こと、 なにごと​ぞや」 と。

しょうにんしめし​ましまし​て​のたまはく、 「われ​このさんねんの​あひだ、 じょうさんきょうを​よむ​こと​おこたら​ず。 おなじくはせんよま​ばや​と​おもひ​て​これ​を​はじむる​ところ​に、 また​おもふやう、 ªしんきょうにんしん なんちゅうてんきょうなんº (礼讃) と​みえ​たれば、 みづから​もしん0266ひとおしへ​てもしんぜ​しむる​ほか​は​なにの​つとめ​か​あら​ん​に、 このさんきょうしゅを​つむ​こと、 われ​ながら​こころえ​られ​ず​と​おもひ​なり​て、 この​こと​を​よくよくあんじ​さだめ​んりょうに、 その​あひだ​は​ひきかづき​てし​ぬ。 つね​のやまいに​あらざる​ほどに、 ªいま​は​さて​あら​んº と​いひ​つる​なり」 とおおせごと​ありき。

 わたくし​に​いはく、 つらつら​この​こと​をあんずる​に、 ひと​のそうげ​の​ごとく、 観音かんのんすいしゃくとして一向いっこう専念せんねんいちずうある​こと*掲焉けちえんイチジルシなり。

(12)

一 しょうにん (親鸞) ほん観音かんのんこと

 0894*下野しもつけのくにさぬき・・・といふ​ところ​にて、 しんの御房おんぼうユメそうに​いはく、 「どうようする​と​おぼしき​ところ​あり。 *がくゆゆしくげんちょうに​とりおこなへ​る​みぎり​なり。 ここ​にくう神社じんじゃとりの​やう​なる​すがた​にてを​よこたへ​たり。 それ​にぞう本尊ほんぞん*ふくかかり​たり。 一鋪いっぷく*ぎょうたいカタチスガタましまさ​ず、 ただ金色こんじきこうみょうのみ​なり。 いま一鋪いっぷくは​ただしく​その*そんぎょうあらはれ​まします。

そのぎょうたいカタチスガタましまさ​ざる本尊ほんぞんを、 ひとありて​またひとに、 ªあれ​は​なにぶつにて​まします​ぞやº とふ。 ひとこたへ​て​いはく、 ªあれ​こそ*だいせいさつにて​ましませ、 すなはち源空げんくうしょうにんおんこと​なり〉と云々うんぬん。 またう​て​いは0267く、 ªいま一鋪いっぷくそんぎょうタウトキカタチあらはれ​たまふ​を、 あれ​は​また​なにぶつぞやº と。 ひとこたへ​て​いはく、 ªあれ​はだい*かんおんさつにて​まします​なり。 あれ​こそぜんしんの御房おんぼう (親鸞) にて*わたらせたまへ〉ともうす​と​おぼえ​て、 ゆめさめ​をはり​ぬ」 と云々うんぬん

 この​こと​をしょうにんに​かたり​まうさ​るる​ところ​に、 「その​こと​なり。 だいせいさつ智慧ちえを​つかさどり​ましますさつなり。 すなはち智慧ちえこうみょうと​あらはるる​によりて、 ひかり​ばかり​にて​そのぎょうたいは​ましまさ​ざる​なり。 せん源空げんくうしょうにんせいさつしんに​まします​といふ​こと、 *もつてひとくちに​あり」 とおおせごと​ありき0895

らんしょうにん (親鸞)ほんの​やう​は、 おん*ぬし​にもうさ​ん​こと、 わがとして​は、 はばかり​あれ​ばもうしいだす​に​およば​ず。 かのそうの​のち​は、 しんちゅう*渇仰かつごうの​おもひ​ふかく​して年月としつきおくる​ばかり​なり。 すでにミヤコヘきょうカヘラありセタマフ也 にゅうめつの​よし​うけたまはる​について、 「わがちちは​かかる権者ごんじゃにて​ましまし​ける​と、 しり​たてまつら​れ​んがために​しるし​まうす​なり」 とて、 *えち国府こうより​とどめおき​まうさ​るる*しんの御房おんぼう御文おんふみ*こうちょう三年さんねんはるの​ころ、 おんむすめ*かくしんの御房おんぼうしんぜ​らる。

 わたくし​に​いはく、 源空げんくうしょうにんせいさつげんとして*ほん弥陀みだきょうもん*こくこうし​まします。 親鸞しんらんしょうにんかんおんさつすいしゃくとして、 ともに​おなじく無礙むげこう如来にょらい*智炬ちこ*ほんちょうに​かがやかさ​ん​ため​に、 ていと​なり​て*けつそうじょうし​まします​こと、 あき0268らかなり。 あおぐ​べし、 たふとむ​べし。

(13)

一 *れんぼう しょうにん (親鸞) じょうずい門弟もんていしんしゅう*けいがくしゃぞくしょうげんさんよりまさのきょうじゅんそん そう

 *けんちょう八歳はちさい ひのえたつ がつここぬ*とらのときしゃくのれんゆめ*しょうとくたいちょくめいを​かうぶる。 皇太こうたい尊容そんようげんして、 しゃくの親鸞しんらんほっに​むかは​しめ​ましまし​て、 もん0896じゅして親鸞しんらんしょうにんきょうらいし​まします。 そのごうみょうもんに​のたまはく、 「きょうらいだい弥陀みだぶつ 妙教みょうきょうずうらいしょうじゃ じょくあくあくかいちゅう けつじょう即得そくとくじょうかく

このもんの​こころ​は、 「だい弥陀みだぶつうやまらいし​たてまつる​なり。 たえなるのりずうヒロムル也 ため​にらいしょうキタリムマルせ​る​ものなり。 じょくあくあくかいの​なか​にして、 けつじょうサダメテトフ て​すなはち*じょうかくしめ​たる​なり」 と​いへり。 れん、 ことに皇太こうたいぎょうツヽシミウヤマフそんじゅうし​たてまつる​と​おぼえ​て、 ゆめさめ​て​すなはち​このもんき​をはり​ぬ。

 わたくし​に​いはく、 このそうを​ひらく​に、 祖師そししょうにん (親鸞)、 あるいは観音かんのんすいしゃくと​あらはれ、 あるいはほん弥陀みだ来現らいげんキタリアしめラハル し​まします​こと、 あきらかなり。 弥陀みだ観音かんのん*一体いったいみょう、 ともにそうある​べから​ず。 しかれば、 かのそうじょう、 そのじゅつけつばつりゅうに​ことなる​べきじょう*ぼうじゃくじんと​いひ​つ​べし。 しる​べし。

(14)0269

一 *体失たいしつ体失たいしつおうじょうこと

 しょうにん 親鸞しんらん のたまはく、 せんしょうにん 源空げんくう 御時おんとき*はかりなき法文ほうもんじょうろんの​こと​ありき。 善信ぜんしん (親鸞) は、 「念仏ねんぶつおうじょう体失たいしつせず​しておうじょうを​とぐ」 と0897いふ。 さかぜんぼう *しょうくう は、 「体失たいしつして​こそおうじょうは​とぐれ」 と云々うんぬん。 この相論そうろんなり。

 ここ​に同朋どうぼうの​なか​にしょうれつ分別ふんべつせんがために、 あまただいしょうにん 源空げんくう ぜんさんじ​てもうさ​れ​て​いはく、 「ぜんしんの御房おんぼうぜんえの御房おんぼう法文ほうもんじょうろんの​こと​はんべり」 とて、 かみ​くだんの​おもむき​を一々いちいちに​のべ​まうさ​るる​ところ​に、 だいしょうにん 源空げんくう おおせ​に​のたまはく、 善信ぜんしんぼう体失たいしつせず​しておうじょうす​と​たて​らるるじょうは、 *やがて 「さぞ」 と*しょうはんあり。 ぜんぼう体失たいしつして​こそおうじょうは​とぐれ​と​たて​らるる​も、 また​やがて 「さぞ」 とおおせ​あり。

 これ​によりてりょうほう是非ぜひわきまへがたき*あひだ、 その​むね​をしゅちゅうより​かさねて​たづね​まうす​ところ​に、 おおせ​に​のたまはく、 「ぜんぼう体失たいしつしておうじょうする​よし​のぶる​は、 しょぎょうおうじょうなれば​なり。 善信ぜんしんぼう体失たいしつせず​しておうじょうする​よしもうさ​るる​は、 念仏ねんぶつおうじょうなれば​なり。 ª如来にょらいきょうぼうがん無二むにº (*法事讃・下) なれども、 ªしょうしゅじょうどうº (同・下) なれば、 わがこんに​まかせ​てりょうするじょう宿しゅくぜんこうアツク はくウスシに​よる​なり。 念仏ねんぶつおう0270じょうぶつ本願ほんがんなり、 しょぎょうおうじょう本願ほんがんに​あらず。

念仏ねんぶつおうじょうにはりんじゅう善悪ぜんあく沙汰さたせず。 しんしんぎょうみょういっしん0898りきよりさだまる​とき、 即得そくとくおうじょうじゅう退たいてんどうを、 ぜんしきに​あう​て*もんする平生へいぜいの​きざみ​にじょうする​あひだ、 このたい亡失もうしつせず​と​いへども、 ごうじょうべんすれば体失たいしつせず​しておうじょうす​と​いは​るる​か。 本願ほんがんもんあきらかなり、 かれ​を​みる​べし。

つぎ​にしょぎょうおうじょうりんじゅう*し、 来迎らいこうを​まちえ​ず​して​はたいしょうへんまで​もうまる​べから​ず。 この​ゆゑに​このたい亡失もうしつする​とき​ならでは、 そのする​ところ​なき​によりて、 その​むね​を​のぶる​か。 だいじゅうがんに​みえ​たり。

しょうれつ一段いちだんにおきて​は、 念仏ねんぶつおうじょう本願ほんがんなる​について、 あまねく十方じっぽうしゅじょうに​わたる。 しょぎょうおうじょう本願ほんがんなる​によりて、 じょうさんに​かぎる。 本願ほんがん念仏ねんぶつ体失たいしつおうじょうと、 本願ほんがんしょぎょうおうじょう体失たいしつおうじょうと、 *殿最でんさい懸隔けんかくに​あらず​や。 いづれ​ももんしゃく*ことば​に​さきだち​て歴然れきぜんなり」。

  0271

(15)

一 しんしゅうしょりゅう報身ほうじん如来にょらいしょしゅう*つう三身さんしんかいしゅつすること

 弥陀みだ如来にょらい報身ほうじん如来にょらいさだむる​こと、 自他じたしゅうを​いは​ず、 らいせい*ことふり​ん​たり。 されば*荊渓けいけいは、 「*しょきょう所讃しょさんざい弥陀みだ(*止観輔行伝弘決) とも​のべ、 だんいん*覚運かくうんしょうは、 また 「*おんじつじょう弥陀みだぶつ ようしょきょう所説しょせつ(念仏宝号)しゃく0899らる。

しかのみならず、 わがちょう先哲せんてつは​しばらく​さしおく、 しゅう ちょう (中国) の善導ぜんどうだい おんしゃく (法事讃・上) に​のたまはく、 「じょうじゅ海徳かいとく初際しょさい如来にょらい ないこんしゃ諸仏しょぶつ かいじょうぜい 悲智ひちそうぎょう」 としゃくせ​らる。

しかれば、 海徳かいとくぶつよりほんしゃくそんに​いたる​まで*番々ばんばんしゅっ諸仏しょぶつ弥陀みだぜいじょうじ​て自利じり利他りたし​たまへる​むね顕然けんぜんなり。 覚運かくうんしょうしゃく、 「しゃくそん*おんしょうがく弥陀みだぞ」 と​あらはさ​るる​うへは、 いま​のしょう (善導)おんしゃくに​え​あはすれ​ば、 最初さいしょ海徳かいとく以来よりこのかた仏々ぶつぶつも​みなおんしょうがく弥陀みだしんたるじょうどうもんしょう必然ひつぜんなり。 「いち一言いちごんげんす​べから​ず。 ひとつきょうぼうの​ごとく​す​べし」 (*散善義・意) と​のべ​まします*こうみょう (善導)0272いま​のおんしゃくは、 もつぱらぶっきょうじゅんずる​うへは、 しゅうしょうきょうたる​べし。

ぼうきょうに、 また​あまた​のしょうせつあり。 ¬*りょうきょう¼ に​のたまはく、 「*十方じっぽうしょせつ しゅじょうさつちゅう しょほっ報身ぽうじん しんぎゅうへん 皆従かいじゅりょう寿じゅ 極楽ごくらくかいちゅうしゅつけ​り。 また ¬*般舟はんじゅきょう¼ (意) に​のたまはく、 「*さん諸仏しょぶつ ねん弥陀みだ三昧ざんまい じょうとうしょうがく」 ともけ​り。

 諸仏しょぶつ ˆのˇ 自利じり利他りたがんぎょう弥陀みだをもつてあるじとして、 *分身ぶんしんけん*しょう方便ほうべんを​めぐらす​こと掲焉いちじるし。 これ​によりておんじつじょう弥陀みだをもつて報身ほうじん如来にょらいほんたい0900さだめ​て、 これ​より*おうしゃくを​たるる諸仏しょぶつ*通総つうそう法報ほっぽうおうとう三身さんしんは、 みな弥陀みだ*ゆうたり​といふ​こと​を​しる​べき​ものなり。 しかれば、 報身ほうじんといふみょうごんは、 おんじつじょう弥陀みだぞくして*常住じょうじゅう法身ほっしんたいたる​べし。 通総つうそう三身さんしんは、 かれ​より​ひらきいだす​ところのせんアサごんクチカシに​おもむく​ところのゆうなり。

さればしょうどうなんぎょうに​たへ​ざるを、 如来にょらいしゅっほんに​あらざれ​ども、 ぎょうしゅなる​ところ​を​とりどころ​として、 いま​のじょうきょう念仏ねんぶつ三昧ざんまいをばしゅに​わたし​て​すすむる​ぞ​と、 みな​ひと​おもへ​る​か。

いま​の黒谷くろだにだいせいさつげんしょうにん (源空) より代々だいだい*けちみゃくそうじょうしょうにおきて​は、 しか​んは​あらず。 海徳かいとくぶつより​このかたしゃくそんまで​のせっきょうしゅっほんおんじつじょう弥陀みだ*たちど​より*法蔵ほうぞうしょうがくじょうきょうの​おこる​を​はじめ​として、 しゅじょうさいほう0273さだめ​て、 このじょうほうととのほら​ざる​ほど、 しばらく*ざいごんたいし​て、 方便ほうべんきょうとして五時ごじきょうき​たまへり​と、 しる​べし。 たとへばつきつ​ほど​のすさみ​のぜいなり。

 いはゆるさんぎょうせつを​いふ​に、 ¬*だいりょう寿じゅきょう¼ は、 ほう真実しんじつなる​ところ​をき​あらはし​て、 たいは​みな*ごんなり

¬*かんりょう寿じゅきょう¼ は、 *真実しんじつなる​ところ​を​あらはせ​り。 これ​すなはちじっなり。 いはゆるしょう女人にょにん*だいをもつてたい0901として、 とほくまつ女人にょにん悪人あくにんに​ひとしむる​なり。

¬*しょう弥陀みだきょう¼ は、 さき​のほう真実しんじつを​あらはすきょう合説がっせつして、不可ふかしょう善根ぜんごん 福徳ふくとく因縁いんねん とくしょうこく」 とけ​る。 じょうだいみょうがんを、 一日いちにち七日しちにちしゅうみょうごうむすび​とどめ​て、 ここ​を証誠しょうじょうする諸仏しょぶつじつ顕説けんぜつせ​り

これ​によりて 「そん説法せっぽうしょうりょう(法事讃・下)しゃく こうみょう (善導) し​まします。 一代いちだいせっきょう*むしろ​を​まき​し肝要かんよう、 いま​の弥陀みだみょうがんをもつてぞくずうほんとするじょうもんに​ありて​みつべし。 いま​のさんぎょうをもつてまつ造悪ぞうあくぼんききか​せ、 しょうどうしょきょうをもつて​は​その序分じょぶんと​する​こと、 こうみょう処々しょしょおんしゃく歴然れきぜんたり。

ここをもつて諸仏しょぶつしゅっほんと​し、 しゅじょう得脱とくだつ本源ほんげんと​するじょう、 あきらかなり。 いかに​いはんやしょしゅうしゅっ本懐ほんがいと​ゆるす ¬*ほっ¼ において、 いま​のじょうきょう*どうきょうなり。 *¬ほっ¼ のせつはっねんちゅうに、 *おうぎゃく発現ほつげんオコリアラハル0274ひだ、 この​とき​にあたりて*りょうじゅせん会座えざもっカクル ​ておう降臨ごうりんしてりきか​れ​し​ゆゑなり。 これら​みな海徳かいとくらいないしゃ一代いちだいしゅっがん弥陀みだいっきょうをもつてほんと​せ​らるる*たいなり

(16)0902

一 しんの​うへ​の称名しょうみょうこと

 しょうにん 親鸞しんらん おん弟子でしに、 たか*覚信かくしんぼう ろうにゅうどうごうす といふ​ひと​あり​き。 重病じゅうびょうを​うけ​て御坊おんぼうちゅうにして*獲麟かくりんに​のぞむ​とき、 しょうにん 親鸞しんらん 入御じゅぎょありてきゅうていらんぜ​らるる​ところ​に、 ツクイキきゅうヒクイキいきあらく​して*すでにえ​なん​と​する​に、 称名しょうみょうおこたら​ず​ひま​なし。

その​ときしょうにんたづね​おほせ​られ​て​のたまはく、 「その​くるしげさ​に念仏ねんぶつごうじょうじょう*まづしんびょうたり。 ただし*所存しょぞんしん、 いかん」 と。 覚信かくしんぼうこたへ​まうさ​れ​て​いはく、 「よろこび​すでにちかづけ​り。 ぞんぜ​ん​こといっヒトしゅんマジロギ せまる。 せつの​あひだ​たり​といふとも、 いきの​かよは​ん​ほど​はおうじょう大益だいやくたる仏恩ぶっとん報謝ほうしゃせ​ずんば​ある​べから​ず​とぞんずる​について、 かくのごとく報謝ほうしゃの​ため​に称名しょうみょうつかまつる​ものなり」 と云々うんぬん

この​ときしょうにん (親鸞)、 「年来ねんらいトシゴロじょうずいきゅうの​あひだ​の*提撕ていぜい、 その​しるし​あり​けり」 と、 *御感ぎょかんのあまりずい落涙らくるいナミダヲせんこうオトス まんこうなり。

 しかれば、 わたくし​に​これ​を0275もつて​これ​をあんずる​に、 しんしゅう肝要かんよう安心あんじん*よう、 これ​に​ある​ものか。

りき称名しょうみょうを​はげみ​て、 りんじゅうの​とき​はじめて*蓮台れんだいに​あなうら​をむすば​ん​とする​ともがら、 ぜん業因ごういんしりがたけれ​ば、 いかなる0903えんか​あら​ん。 に​やけ、 みずに​おぼれ、 とうカタナ けんツルギに​あたり、 ないじにまで​も、 みな​これ過去かこ宿しゅくいんに​あらず​といふ​こと​なし。 もし​かくのごとく​のえんに​そなへ​たら​ば、 *さらに​のがるる​こと​ある​べから​ず。

もし怨敵おんてきの​ため​にがいせ​られ​ば、 そのいっせつに、 ぼんとして​おもふ​ところ、 *怨結おんけつアダヲムスブ​ほか​なんぞねんあら​ん。 またじににおいて​は、 本心ほんしんいきゆる​きは​を​しら​ざる​うへは、 りんじゅうする*せん、 すでに​むなしく​なり​ぬ​べし。 いかん​して​か念仏ねんぶつせん。 また​さき​の殺害せつがい怨念おんねんの​ほか、 ある​べから​ざる​うへは、 念仏ねんぶつする​に​いとま​ある​べから​ず。 しゅうえんする*ぜん、 また​これ​も​むなし。

*りょうかくのごとき​ら​のえんに​あは​んごろ​の所存しょぞんせ​ば、 おうじょうす​べから​ず​と​みな​おもへ​り。 たとひ本願ほんがんしょうたり​といふとも、 これら​のしつ*なん不可ふかとくなり。 いはんや​もとよりりき称名しょうみょうは、 りんじゅうしょおもひ​の​ごとくなら​んじょうへんおうじょうなり。 いかに​いはんや過去かこ業縁ごうえんのがれがたき​によりて、 これら​のしょうなんに​あは​ん*涯分がいぶん所存しょぞんたっせ​ん​こと​かたき​が​なか​に​かたし。 その​うへは、 またまんへん0276おうじょうだに​も​かなふ​べから​ず。 これ​みな本願ほんがんに​そむく​が​ゆゑなり。

 ここをもつておんしゃく ¬じょう文類もんるい¼ (教行信証) に​のたまはく、 「憶念おくねん弥陀みだぶつほんがん0904 ねんそくにゅうひつじょう 唯能ゆいのう常称じょうしょう如来にょらいごう 応報おうほうだいぜいおん(正信偈) と​みえ​たり。 「ただ​よく如来にょらいみなしょうし​て、 だいぜいおんむくひ​たてまつる​べし」 と。

平生へいぜいぜんしきの​をしへ​を​うけ​て信心しんじん開発かいほつする​きざみ、 正定しょうじょうじゅくらいじゅうす​と​たのみ​なんは、 ふたたびりんじゅうぶんトキナリ*往益おうやくワウジヤウナリまつ​べき​に​あらず。 その​のち​の称名しょうみょうは、 仏恩ぶっとん報謝ほうしゃりき催促さいそくだいぎょうたる​べきじょうもんに​ありて顕然けんぜんなり。 これ​によりて、 かのおん弟子でしさいの​きざみ、 そうじょう眼目げんもくそうなき​について、 感涙かんるいウレシサニナミダながヲナガシるるマス  ものなり、 る​べし。

(17)

一 ぼんとしてまいコトゴトゆうみょうの​ふるまひ、 みな*虚仮こけたること

 あいべつに​あう​て、 父母ぶもさいべつを​かなしむ​とき、 「仏法ぶっぽうを​たもち念仏ねんぶつする、 いふ甲斐かいなく​なげき​かなしむ​こと、 しかるべから​ず」 とて、 かれ​を​はぢ​しめ*いさむる​こと、 ぶん*先達せんだつめき​たる​ともがら、 みな​かくのごとし。 このじょうしょうどうしょしゅう*ぎょうがくするの​おもひならはし​にて、 じょうしんしゅうきょうを​しら​ざる​ものなり。

 まづぼんは、 こと​において​つたなくおろかなり。 その*かんなるしょうじつなる​を*うづみ09050277賢善けんぜんなる​よし​を​もてなす​は、 みなじつ虚仮こけなり。 たとひらいしょうじょ弥陀みだほうと​おもひさだめ、 ともにじょう再会さいかいうたがいなしとす​とも、 *おくれさきだつ*一旦いったんの​かなしみ、 まどへ​るぼんとして、 なんぞ​これ​なから​ん。 なかんづくに、 曠劫こうごうてん世々せせ生々しょうじょう*芳契ほうけいこんじょうをもつて*輪転りんでんけっと​し、 あいしゅうあいじゃくの​かり​の​やど、 この人界にんがいたくしゅつきゅうフル サトたる​べき​あひだ、 しょうほうともに、 いかでか​なごりをしから​ざらん。

これ​を​おもは​ずんば、 *凡衆ぼんしゅしょうに​あらざる​べし。 *けなりげなら​ん​こそ、 あやまつてりきしょうどうたる​か、 いま​のじょうりきに​あらざる​か​ともうたがひ​つ​べけれ。 おろかに​つたなげに​して​なげき​かなしま​ん​こと、 りきおうじょう相応そうおうたる​べし。 *うちまかせ​て​のぼんの​ありさま​に​かはりめ​ある​べから​ず。

 おうじょういちだいをば如来にょらいに​まかせ​たてまつり、 こんじょうの​ふるまひ、 こころの​むけ​やう、 くちに​いふ​こと、 貪瞋とんじん三毒さんどくとして、 せっしょうとうじゅうあくしんの​あら​ん​ほど​は​たちがたくぶくしがたき​によりて、 これ​を​はなるる​こと​ある​べから​ざれ​ば、 なかなかおろかに​つたなげなる煩悩ぼんのうじょうじゅぼんにて、 *ただありに​かざる​ところ​なき​すがた​にて​はんべら​ん​こそ、 じょうしんしゅう本願ほんがんしょうたる​べけれ​と、 ま0906さしくおおせ​あり​き。

 されば​つね​の​ひと​は、 さい眷属けんぞくあいしゅうふかき​をば、 りんじゅう0278の​きは​には​ちかづけ​じ、 みせ​じ​と​ひきさくる​ならひ​なり。 それ​といふは、 *じゃくそうに​ひか​れ​て悪道あくどうオツトイフしめ​ざら​んがため​なり。 このじょうりきしょうどうの​つね​の​こころ​なり。 りきしんしゅうには​このある​べから​ず。

そのゆゑは、 いかにきょうがいぜつタチハナル といふとも、 たもつ​ところのりき仏法ぶっぽうなく​は、 なに​をもつて​かしょうしゅつイデハナルせん。 たとひ妄愛もうあい迷心めいしんじんじゅうなり​といふとも、 もとより​かかるを​むねと*しょうオサメタモツせん​と​いでたち​て、 これ​が​ため​に​まうけ​られ​たる本願ほんがんなる​によりて、 ごく大罪だいざいぎゃく謗法ほうぼうとう*けん業因ごういんを​おもし​と​し​ましまさ​ざれ​ば、 まして愛別あいべつ離苦りくワカレハナルに​たへヽクルシミ ざるたん*さへ​らる​べから​ず。

じょうおうじょう信心しんじんじょうじゅし​たらん​につけて​も、 この​たび​がりんしょうの​はて​なれば、 なげき​も​かなしみ​も​もつとも​ふかかる​べき​について、 *あとまくらに​ならび​ゐてたんカナシミナゲキえつナキムセブし、 ひだりみぎくんムラガリじゅうアツマルしてれんていきゅうす​とも、 さらに*それ​に​よる​べから​ず。 さ​なから​ん​こそぼんげ​も​なく​て、 ほとんどりきおうじょうには相応そうおうなる​かや​とも​きらは​れ​つ​べけれ。 されば*み​たから​んきょうがいをも​はばかる​べから​ず、 なげき​かなしま​ん​をも​いさむ​べから​ず​と云々うんぬん

(18)0907

一 べつとうに​あう​てたんせん​やから​をば、 仏法ぶっぽうくすりを​すすめ​て、 その​おも0279ひ​をきょうオシヘコシラフべきこと

 人間にんげんはっの​なか​に、 さき​に​いふ​ところの愛別あいべつ離苦りく、 これ​もつともせつなり。 まづしょうかい*すみはつ​べから​ざる​ことわり​を​のべ​て、 つぎ​にあんにょうかい常住じょうじゅうなる​ありさま​をき​て、 うれへ​なげく​ばかり​にて、 うれへ​なげか​ぬじょうを​ねがは​ずんば、 らいも​また​かかるたんカナシミナゲクあふ​べし。 *しかじ、 「ゆいもんしゅうたんしょう(*定善義)六道ろくどうに​わかれ​て、 「にゅうはんじょう(同)弥陀みだじょうに​まうで​ん​には​と、 *こしらへ​おもむけ​ば、 あんみょうヤミニマヨヒタル也 たんカナシミナゲクやうやくに​はれ​て、 摂取せっしゅオサメトリタマフ光益こうやくに​などかせ​ざらん。

つぎ​に​かかる​やから​には、 かなしみ​に​かなしみ​をふる​やう​には、 ゆめゆめ*とぶらふ​べから​ず。 もし​しからば、 とぶらひ​たる​には​あらで、 いよいよ*わびしめ​たる​にて​ある​べし。 さけは​これ*忘憂ぼうゆうウレヘヲワスルあり。 これ​を​すすめ​てわらふ​ほどに​なぐさめ​てる​べし。 さてこそ​とぶらひ​たる​にて​あれ​とおおせ​あり​き。 しる​べし。

(19)

一 如来にょらい本願ほんがんは、 もとぼんの​ため​にして、 しょうにんの​ため​に​あらざること

 本願ほんがんしょうにん (親鸞)黒谷くろだに先徳せんどく (源空) よりそうじょうとて、 如信にょしんしょうにんおおせ​られ0908て​いはく、 の​ひと​つね​に​おもへらく、 「悪人あくにんなほもつておうじょうす。 いはんや善人ぜんにんをや」 と。 このこと0280とほく​は弥陀みだ本願ほんがんに​そむき、 ちかく​はしゃくそんしゅっ*金言きんげんイセリ り。 そのゆゑはこうゆいろうろくまんぎょう堪忍かんにん*しかしながらぼん*しゅつようの​ため​なり、 まつたくしょうにんの​ため​に​あらず。 しかればぼん本願ほんがんじょうノル じ​てほうおうじょうす​べきしょうなり。

ぼんもしおうじょうかたかる​べくは、 がん*せつなるムナシクマウク べし、 りき*ぜんなる​べし。 しかるに願力がんりきあひクワワルて、 十方じっぽうしゅじょうの​ため​にだい*にょうやくじょうず。 これ​によりてしょうがくを​となへ​て*いまにじっこうなり。 これ​をしょうする恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつ証誠しょうじょう、 あにもうせつに​あらず​や。

しかれば、 おんしゃく (玄義分) にも、 ª一切いっさい善悪ぜんあくぼんとくしょうしゃº とのたまへ​り。 これ​もあくぼんほんとして、 ぜんぼんを​かたはら​に​かね​たり。 かるがゆゑにぼうたるぜんぼん、 なほおうじょうせば、 もつぱらしょうたるあくぼん、 いかでかおうじょうせざら​ん。 しかれば、 善人ぜんにんなほもつておうじょうす。 いかに​いはんや悪人あくにんをや​といふ​べし​とおおせごと​あり​き。

(20)

一 つみぎゃく謗法ほうぼううまる​と​しり​て、 しかもしょうざいチイサキツミ つくる​べから​ず​といふこと

 おなじきしょうにん (親鸞)おおせ​とて、 せんしんしょうにん (如信)おおせ​に​いはく、 0909ひとつね​に​おもへらく、 「しょうざいチイサキツミなり​ともつみを​おそれ​おもひ​て、 とどめ​ばや​と​おもは​ば、 こころ​に​まかせ​て​とどめ​られ、 善根ぜんごんしゅぎょうぜ​ん​と​おもは​ば、 たくはへ​られ​て、 これ​をもつて0281大益だいやくをもしゅつ方法ほうほうとも​なり​ぬ​べし」 と。

このじょうしんしゅう肝要かんように​そむき、 *先哲せんてつじゅせ​り。 まづぎゃくざいとうを​つくる​こと、 まつたくしょしゅうおきて仏法ぶっぽうほんに​あらず。 しかれども、 悪業あくごうぼん過去かこ業因ごういんに​ひか​れ​て​これら​のじゅうざいおかす。 これ​とどめがたくぶくしがたし。 またしょうざいなり​ともおかす​べから​ず​と​いへ​ば、 ぼんこころ​に​まかせ​て、 つみをば​とどめ​え​つ​べし​と​きこゆ。 しかれども、 もとより罪体ざいたいぼんだいしょうろんぜ​ず、 三業さんごうみなつみに​あらず​といふ​こと​なし。 しかるにしょうざいおかす​べから​ず​と​いへ​ば、 あやまつて​もおかさ​ばおうじょうす​べから​ざる​なり​と*落居らっきょする​か。

このじょう、 もつとも*ちゃくオモヒエラベ べし。 これ*もしおくもんの​こころ​か。 *おくしゃくそん方便ほうべんなり。 しんしゅう落居らっきょ弥陀みだ本願ほんがんに​きはまる。 しかれば、 しょうざい大罪だいざいも、 つみ沙汰さたを​したた​ば、 とどめ​て​こそ​その*せんは​あれ、 とどめ​え​つ​べく​も​なき*凡慮ぼんりょを​もち​ながら、 かくのごとく​いへ​ば、 弥陀みだ本願ほんがん*たくする、 いかでか​あら​ん。

謗法ほうぼうざいは​また仏法ぶっぽうしんずる​こころ​の​なき​より​おこる​もの​なれば、 もとより​その​うつはもの​に​あらず。 もし0910がいアラタメクユせば、 うまる​べき​ものなり。 しかれば、 「謗法ほうぼうホフヲソシル闡提せんだいブチノタネヲヤクモノモしんソノコヽロヲヒルガヘシテホングワムヲタノメバ皆往かいおうミナワウジヤウスルナリ(法事讃・上)しゃくせ​らるる、 この​ゆゑなり。

(21)0282

一 一念いちねんにて*たり​ぬ​と​しり​て、 ねんを​はげむ​べし​といふこと

 この​こと、 *ねん一念いちねんも​ともに本願ほんがんもんなり。 いはゆる、 「じょうじんいちぎょう下至げし一念いちねん(礼讃・意)しゃくせ​らる、 これ​そのもんなり。

しかれども、 「下至げし一念いちねん」 は本願ほんがんを​たもつおうじょうけつじょう*こくなり、 「じょうじんいちぎょう」 は*おうじょう即得そくとくの​うへ​の仏恩ぶっとん報謝ほうしゃの​つとめ​なり。 その​こころ、 経釈きょうしゃく顕然けんぜんなる​を、 一念いちねんねんも​ともにおうじょうの​ため​のしょういんたる​やう​に​こころえ​みだすじょう、 すこぶる経釈きょうしゃくタガフナリる​ものか。

されば​いくたび​も*先達せんだつより​うけたまはりつたへ​し​が​ごとくに、 りきしんをば一念いちねん即得そくとくおうじょうと​とりさだめ​て、 その​とき​いのち​をはら​ざらんは、 いのち​あら​ん​ほど​は念仏ねんぶつす​べし。 これ​すなはち 「じょうじんいちぎょう」 のしゃくに​かなへ​り。

 しかるにひとつね​に​おもへらく、 じょうじんいちぎょうねんしゅうほんと​おもひ​て、 それ​に​かなは​ざらん*すてがてらの一念いちねんと​こころうる​か。 これ​すでに弥陀みだ本願ほんがんし、 しゃくそん言説ごんせつに​そむけ​り。

そのゆゑは如来にょらいだいたんみょうこん*ほん0911と​し​たまへり。 もしねんをもつて本願ほんがんと​せば、 いのちいっせつに​つづまる*じょう迅速じんそくトクスミヤカナリ、 いかでか本願ほんがんじょうず​べき​や。 さればしんしゅう肝要かんよう一念いちねんおうじょうをもつて*淵源えんげんとす。

 そのゆゑはがん (第十八願) じょうじゅの文 (大経・下) には、 「*もんみょう0283ごう 信心しんじんかん ない一念いちねん がんしょうこく 即得そくとくおうじょう じゅ退たいてん」 とき、 おなじき ¬きょう¼ のずう (同・下) には、 「其有ごう得聞とくもん ぶつみょうごう かんやく ない一念いちねん とうにん とくだい そくそく じょうどく」 とも、 ろくぞくし​たまへり。

しかのみならず、 こうみょう (善導)おんしゃく (礼讃) には、 「爾時にじもん一念いちねん皆当かいとうとくしょう」 とみえ​たり。

これら​のもんしょうみなじょうこんほんと​する​ゆゑに、 一念いちねんをもつておうじょうじょうこくさだめ​て、 いのち​のぶれ​ば、 ぜん*ねんに​およぶどうを​あかせ​り。 されば平生へいぜいの​とき、 一念いちねんおうじょうじょうの​うへ​の仏恩ぶっとん報謝ほうしゃねん称名しょうみょう*ならふ​ところ、 もんしょうどう顕然けんぜんなり。

 もしねんをもつて本願ほんがんと​し​たまは​ば、 ねんの​きはまり、 いづれの​とき​とさだむ​べき​ぞや。 いのち​をはる​とき​なる​べくんば、 ぼんえんまちまちなり。 け​てもし、 みずに​ながれ​てもし、 ない刀剣とうけんに​あたり​てもし、 *ねぶり​の​う0912ち​にもせ​ん。 これ​みな*先業せんごう所感しょかん、 さらに​のがる​べから​ず。

しかるに​もし​かかるごうありて​をはら​んねんの​をはり​ぞ​とする​ところ、 たぢろか​ず​して、 その​とき​かさねてじゅうねんじょう来迎らいこういんじょうに​あづから​ん​こと、 として、 たとひ*かねて​あらます​といふとも、 がんとして​かならず*こうしょうあら​ん​こと​おほきにじょうなり。

 さればだいじゅう願文がんもんにも、 「げん人前にんぜんしゃ(大経・上) のうへに 「りょう不与ふよ」 とおか​れ​たり。 「りょう0284」 の二字にじをば​たとひ​と​よむ​べき​なり。 たとひ​といふは、 *あらまし​なり。 本願ほんがんたるしょぎょうしゅしておうじょう*係求けぐココロニするカケモトムぎょうにんをも、 ぶつだいだいらんじ​はなた​ず​して、 修諸しゅしょどくの​なか​の称名しょうみょうを、 よ ˆりˇ どころ​としてげんじ​つ​べく​は、 そのひとの​まへ​にげんぜ​ん​となり。 じょうの​あひだ、 「りょう」 の二字にじを​おか​る。 もし​さも​あり​ぬ​べく​は​と​いへる​こころ​なり。

まづじょうしつの​なかに、 *大段だいだんりきの​くはだて、 本願ほんがんに​そむきぶっタガフ也べし。 りきの​くはだて​といふは、 われと​はからふ​ところ​を​きらふ​なり。

つぎ​には​また、 さき​に​いふ​ところの​あまた​の業因ごういんに​そなへ​ん​こと、 かたかる​べから​ず。 りきぶっを​こそ 「しょじゃごうのうしゃ(定善義) と​みえ​たれ​ば、 さまたぐる​もの​も​なけれ。 われと​は0913からふおうじょうをば、 ぼんりき迷心めいしんマヨヘルココロなれば、 過去かこ業因ごういんに​そなへ​たら​ば、 あにりきおうじょうしょうせざら​ん​や。

 さればねんこうをもつて、 りんじゅう来迎らいこうを​たのむりきおうじょうの​くはだて​には、 かやう​の*不可ふかなんども​おほき​なり。

さればてん (白氏文集) の​ことば​にも、 「せんあししたより​おこり、 高山こうせんじんに​はじまる」 といへり。 一念いちねんねんの​はじめ​たり、 ねん一念いちねんの​つもり​たり。 ともに​もつて​あひ​はなれ​ず​といへども、 おもて​と​し​うら​と​なる​ところ​を、 ひとみな*まぎらかす​ものか。 いま​の​こころ​は、 一念いちねんじょうぶっをもつてぼんおうじょう*極促ごくそくキワマリと​し、ツヾムルナリいちぎょう憶念おくねん0285みょうがんをもつて仏恩ぶっとん報尽ほうじん*経営けいえいと​す​べし​とつたふる​ものなり。

 

 *元弘げんこう第一だいいちれき かのとのひつじ ちゅうとうじゅんこう祖師そししょうにん 本願ほんがん親鸞しんらん 報恩ほうおん謝徳しゃとく七日しちにちしちごんぎょうちゅうに​あひあたり​て、 せんしょうにん しゃく如信にょしん *面授めんじゅけつ専心せんしん専修せんじゅ別発べっぽつがん談話だんかいする​の​ついで​に、 でんし​たてまつる​ところの祖師そししょうにん*しょうそうじょうし​たてまつる​ところのりきしんしゅう肝要かんようひつをもつて​これ​をしるさ​しむ。

これおうじょうじょう*券契けんけいじょく末代まつだい*目足もくそくなり。 ゆゑに​ひろく*後昆こうこん湿しっし、 とほく衆類しゅるいせ​んがため​なり。 しかりといへども、 このしょにおいて​はまもり​て​これ​をゆるす​べく、 左右さうなくえつせ​しむ​べから​ざる​ものなり。 宿しゅくぜん0914開発かいほつに​あらずんば、 どんやから、 さだめてほうしんひるがえさ​ん​か。 しからば​おそらく*しょうかい沈没ちんもつせ​しむ​べき​の​ゆゑなり。 ふかく箱底そうていおさめ​て​たやすくしきみいだすことなからんのみ。

しゃく*そうしょう

 先年せんねんかくのごとく​これ​をちゅうし​をはり、 慮外りょがいに​いまに存命ぞんめいす。 よつて老筆ろうひつめ​て​これ​をうつす​ところ​なり。 しょういよいよ朦朧もうろうまた*羸劣るいれつ右筆ゆうひつへ​ず​といへども​このしょ*ゆいしゃくざんりゅうする​は、 もしけんする​のひとおうじょうじょう信心しんじん開発かいほつする​か​の​あひだ、 *きゅうくつかえりみ​ずとうにおいてふでせ​をはり​ぬ。

 0286*康永こうえい三歳さんさいきのえさるがつじゅうにち*ぼう尊霊そんれいおんがっに​あひあたる​がゆゑに、 写功しゃこうえ​をはり​ぬ。

しゃくそうしょうしちじゅう

 *同年どうねんじゅうがつじゅうろくにちのとうにおいて仮名かなし​をはり​ぬ。

 

底本は龍谷大学蔵康永三年覚如上人自筆本ˆ聖典全書も同じˇ。
偏執 (法然ほうねん上人の教えに対する) 偏見。
申しみだらる いいやぶり申し上げる。 論破し申し上げる。
さえぎりて 先だって。 前もって。 かねて。
凡夫直入 凡夫のままで真実ほうに往生せしめられること。
仰せつかはされんとす 使者を立てようとなさった。
同心に 心を同じくして。 同意して。
邂逅なり 邂逅はおもいがけない出会いのことで、 ここでは珍しいことだというほどの意。
おぼろげ 並たいてい。
このこと… 浄土宗の独立は法然ほうねん上人の前々からの御念願であったという意。
こころやすかる 安心する。
多宝証明の往事 釈尊が ¬法華ほけきょう¼ を説いた時、 宝塔が地中よりあらわれ、 塔中の多宝如来が釈尊の説法が真実であることを証明したという故事。 同経 「見宝塔品」 の説。
次郎入道浄信 伝未詳。 入道は在俗生活のまま剃髪して仏門に入った男性をいう。
光明・名号の因縁 光号因縁という。 →両重りょうじゅう因縁いんねん
欲知過去因 「過去の因を知らんと欲すれば」。 ¬法苑ほうおん珠林じゅりん¼ に 「経にのたまはく、 過去の因を知らんと欲すれば、 まさに現在の果を覩るべし。 未来の果を知らんと欲すれば、 まさに現在の因を覩るべし」 の文があるが、 経名は不明。
開悟 さとりを開くこと。 ここでは疑いを除かれおうじょうけつじょうの思いに住すること。
一念 少しの思い。
とらけて とけて。
以光明名… 「光明・名号をもつて十方を摂化したまふ。 ただ信心をして求念せしむ」 (行巻訓)
両篇 両辺。 二つの事柄。
うちまかせて 普通一般の考えに従って。
須弥の半腹 しゅせんの中腹。
不断難思 不断光・難思光のこと。 →じゅうこう
炎王清浄 炎王光・清浄光のこと。 →じゅうこう
こころにまかせて 心のままにという意。
あらませども あってほしいと思ってもという意。
別願 他力不思議をもってぼんほうに往生させようと誓った特別の誓願せいがん (第十八願)。 →本願ほんがん
生得の善 生まれつきの能力によって獲得した善の力。
つのり ここではたよりというほどの意。
かつて 決して。 断じて。
過去にそのたね… →補註5
現果を感ずる 現世に結果としてあらわれる。
進道の資糧 仏道を進むためのもとで。
まつたう 全く。
正因 真実のほうに生まれるための正当な因種 (たね)。
常陸国 現在の茨城県。
突鼻にあづかりて とがめを受けるという意。
あそばされたる ここではお書きになっているという意。
違逆 ここでは意見を異にすることという意。
いとひおもふ 疎ましく思う。 厭わしく思う。
凡夫の報土に… 報土に入ることができるのは無漏むろ (煩悩ぼんのうのない智慧ちえ) を得たしょ以上の菩薩であるとするのが通説であった。
封ぜられて とらわれて。
義勢 「おもむきといふこころなり」 (異本左訓)
痴惑 「おろかにまどはさるといふなり」 (異本左訓)
順次の往生 現世の命が終って、 次にただちに浄土に生れること。
必定 一定に同じ。 確かに定まっていること。
兆載の修行 ちょうさい永劫ようごうの修行。
一切経御校合 鎌倉幕府の執権ほうじょう泰時やすときは北条まさ十三回忌ようのための一切経書写を行っており、 一説ではこの時の校合事業に親鸞聖人が参加していたという。
最明寺の禅門 「最明寺」 は底本には 「西明寺」 とある。 ほうじょう時頼ときより (1227-1263) のこと。
父修理亮時氏 「祖父武蔵守泰時やすとき世をとりて」 とする異本がある。 時氏 (1203-1230) は北条泰時の子。 後続の本文には 「政徳をもつぱらに…」 とあるが、 時氏が実際に政権をとったことはなく、 史実に合わない。 異本の記述は史実に適合する。
武藤左衛門入道・屋戸やの入道 前者は武藤影頼、 後者は宿屋左衛門尉光則、 ともに実在の人物で幕府の御家人である。
あなぐられ 「あなぐる」 はさがし求めるの意。
副将軍 北条泰時 (1183-1242) のこと。
覚悟のあひだ 心がまえがあるので。 あらかじめ知っているので。
邂逅 たまにしかめぐりあわないこと。
おほけて 度を失って。
とても食するほどならば どうせ食べるぐらいなら。
解脱幢相の霊服 袈裟けさの異名。 袈裟は解脱の世界に至る標識であるという意味からいう。 幢相とは仏塔に掲げるはたぼこに似ているところからいったもの。
済生利物 生ある者を救済しやくすること。
やうあるものなり そのきざしがあらわれているものである。
八宗兼学 三論さんろんじょうじつほっそうしゃごんりつてんだい真言しんごんの八宗の教義を体得していること。
先達すべし ご案内しましょう。
そのおそれあり 恐れおおいことです。
かなふべからず お受けすることはできません。
あながちに隔心… 無理に遠慮する必要はありません。
釈門のむつび 仏弟子同士の親しい交わり。
かくる 背負う。
かご負 負いかご。
鎮西 九州の異称。
路次より 道中。 道すがら。
二字を書きてささぐ 二字は実名 (いみな) のこと。 名を捧げ、 弟子となること。
なにごとかははんべるべき どれほどのことがありましょうか。
われにかさまば わたしにまさるのなら。
橋たてても… 梯子を立ててでも届きがたい。 ここではどうしてもできないという意。
慢幢 慢心のはたぼこ。
両三年 二、 三年。
しへたげんとす ここでは屈服させようとする、 従わせようとするという意。
 負いかご。
やきすてて 「やりすてて」 (破りすてて) とする異本がある。
世流布の本 一般に流布している本。 通行本。
もつとも 本当に。 全く。
浄土中成仏… 「浄土のなかに成仏するは、 ことごとくこれ報身、 穢土のなかに成仏するは、 ことごとくこれ化身」
安立器世間… 「器世間を安立して風輪もっとも下に居す」
廃立 ここでは阿弥陀仏の身土を応身応土とする説を廃して、 法身ほうじんほうとする説を立てること。
両祖 法然ほうねん上人と親鸞聖人。
了然上人 ¬最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし¼ によれば、 光明寺の自性房了然。 京極中納言定家の嫡子家光の子。
ひきかづきて 「ひきかづく」 は衣服・夜具などを頭からかぶるの意。 ここでは床にすという意。
水漿不通 湯水ものどに通らないこと。
下野国さぬき 下野国は現在の栃木県。 「堂供養…」 の夢想があったのは ¬恵信尼消息¼ (1) では常陸ひたち下妻しもつまの郷 (現在の茨城県下妻市坂井) であったとする。
試楽 舞楽の予行演習のこと。 転じて宵祭りのことか。
二鋪 二幅に同じ。
わたらせたまへ おありになる。 いらっしゃる。
世もつて人の口にあり 世間の人々の評判になっている。
ぬし 夫。 親鸞聖人を指す。
越後の国府 現在の新潟県上越市付近。 「こう (こふ)」 は 「こくふ」 の転。
恵信御房の御文 弘長二年十一月二十八日の親鸞聖人のじゃくを、 娘の覚信かくしんこうしんこうに通知した消息に対する返信 (弘長三年二月十日付)。
口決相承 でんによって教えを受け継ぐこと。
一体異名 名が異なるだけで一体のものであること。
傍若無人 他に類がないこと。
体失不体失の往生の事 体失往生、 つまり、 身体が滅びて初めて往生する (りんじゅうごうじょう) のか、 不体失往生、 つまり、 身体が滅ばなくても信心ぎゃくとくの時、 浄土に生れることが確定する (平生へいぜい業成) のか、 という問題についての議論。
はかりなき法文諍論 思いもよらない教義上の論争。
期し 期待して。
殿最懸隔 すぐれた功績を最、 それほどでもない功績を殿、 また、 先頭を最、 しんがりを殿ということから、 殿最は優劣の意。 懸隔はへだたりがはなはだしいこと。
ことばにさきだちて 解説するまでもなく。
ことふりんたり 言いふるされている。
荊渓 →湛然たんねん
諸教所讃… 「諸教の讃ずるところ多く弥陀にあり」
久遠実成… 「久遠実成の弥陀仏、 永く諸経の所説に異なる」
久遠正覚の弥陀 久遠の過去にすでに成仏した本仏としての阿弥陀仏。 十劫じっこう正覚の弥陀に対する。 →おんじつじょう
十方諸刹土… 「十方諸刹土の衆生・菩薩中、 所有の法・報身、 化身および変化、 みな無量寿極楽界のなかより出づ」
三世諸仏… 「三世の諸仏、 念弥陀三昧によりて、 等正覚を成ず」
分身遣化 身を分けてしんを遣わすという意。
利生方便 しゅじょうやくするてだて。
化用 底本に 「けしん」 と振り仮名があるのを改めた。
常住法身の体 永遠の存在である法身の本体。
法蔵正覚 法蔵ほうぞうさつが仏のさとりをひらいたこと。
在世の権機 釈尊在世の当時にあって、 方便の教えを受けたごんの人々。
権機 ¬大経¼ のしゅがすべて浄土から来現した還相げんそうの菩薩であることをいう。 →じっ
機の真実 しゅじょうの本来のすがた。
むしろをまきし肝要 むしろを巻いたように、 一代仏教をたたみこんだこと。
同味 ¬法華ほけきょう¼ と同時に説かれた ¬観経¼ には、 同じだいである一乗えんぎょうが説かれているのでこのようにいう。
法華の説時八箇年 ¬法華経¼ は釈尊七十二歳の時から八箇年にわたって説かれたという伝承がある。
王宮に五逆発現のあひだ 王舎おうしゃじょうにおいてじゃおうが五逆の罪を犯すという事件が生じた時。 ¬観経¼ に説かれる。
獲麟 りんを捕獲すること。 ¬春秋しゅんじゅう¼ が 「麒麟」 の句で終っているところから、 絶筆、 物事の終り、 臨終などの意に用いられる
まづ神妙たり 何はともあれ殊勝なことだ。
所存不審 どういう思いで念仏しているのかという意。
蓮台にあなうらを… あなうらは足の裏。 浄土のれんの台座に坐ろう (浄土に往生しようの意) と期待する人たち。
仮令 「たとひ」 (異本左訓)
難治不可得 免れることができない。
いさむる いさめる。 制止する。
先達めきたるともがら 先輩ぶった人たち。 指導者ぶった人たち。
輪転の結句 しょうりんの終り。
凡衆の摂 ぼんの仲間。
けなりげ しっかりとして強いさま。 勇ましいさま。
うちまかせての 普通の。 ありふれた。
ただありに 全く。
無間の業因 無間地獄 (阿鼻地獄) にちる因となる行いで、 ぎゃく罪をいう。
さへらるべからず さまたげられるはずがない。 悲嘆などが往生のさまたげにならないという意。
後枕 足もとや枕もと。
それによるべからず (往生が) そのことに左右されることはない。
みたからん境界 逢いたいと思う妻子等のこと。
すみはつ (いつまでも) 住みつづける。
しかじ… 「弥陀の浄土にまうでんにはしかじ」 を倒置したもの。
こしらへ 「こしらふ」 は誘い導く、 勧め導くの意。
わびしめたる 悲しませた。
先哲の口授 歴代の祖師たちが口伝えに説いてきた教え。
もし あるいは。
抑止は釈尊の方便なり ¬大経¼ の第十八願とその成就文に、 五逆・謗法をおさとどめて、 「ただ五逆と誹謗正法を除く」 とあるのは、 釈尊が道徳的配慮から誡めた方便説であると、 覚如かくにょ上人はみている。
詮はあれ 意味はある。 かいはある。
たりぬ 十分である。
多念も一念も… ここでは一念を信、 多念を称名行とし、 信一行多の立場で釈している。
時剋 とき。
往生即得 即得そくとくおうじょうのこと。
先達 法然ほうねん上人、 親鸞聖人、 如信にょしん上人を指す。
すてがてらの ここではついでに説かれたというほどの意。
 主たる対象。 目的。 または本意。
無常迅速の機 ここでは死を目前にした人。
聞其名号… ここの引用では、 「至心回向」 の句が略されている。
多念 信心決定以後の念々相続の念仏のこと。
先業の所感 前世の業因ごういんによる報い。 前世の行為にひかれたもの。 →補註5
かねてあらます かねてから期待している。
あらまし こうありたいという願い。 心づもり。
不可の難 まぬがれることのできない誤り。
面授口決 (親鸞聖人から) 直接教えを授けられること。
遺跡 大谷本願寺。
窮屈 自由がきかず苦しいこと。
亡父 かくほっのこと。