○巻上

1043◎本ほん0075願がん寺じ聖しょう人にん親鸞しんらん伝でん絵ね 上じょう

 

一 出家学道

【1】 第一段

◗◎^それ聖しょう人にん (*親鸞) の▼俗ぞく姓しょうは藤原ふじわら氏うじ、 *天あまつ児屋こや根ねの尊みこと二に十じゅう一いっ世せの苗びょう裔えい、 大たい織しょっ冠かん *鎌かま子この内ない大臣だいじん の玄孫げんそん、 近この衛えの大たい将しょう右う大臣だいじん 贈ぞう左さ大臣だいじん 従じゅ一いち位い*内麿うちまろ公こう 後ご長なが岡おかの大臣だいじんと号ごうし、 あるいは閑かん院いんの大臣だいじんと号ごうす。 贈ぞう正しょう一いち位い太だい政じょう大臣だいじん*房前ふさざき公こうの孫まご、 大だい納な言ごん式しき部ぶ卿きょう*真ま楯たての息そくなり 六代ろくだいの後胤こういん、 弼ひつの宰さい相しょう*有あり国くにの卿きょう*五ご代だいの孫まご、 *皇こう太后たいごう宮ぐうの大進だいしん*有範ありのりの子こなり也  。

^しかあれば朝ちょう廷ていに仕つかへ​て*霜雪そうせつをも戴いただき、 *射や0076山さんにわし趨 りて栄えい華がをもひら発  く​べかり​し人ひとなれども、 興法こうぼうの因いんうち​にきざ萌  し、 *利り生しょうの縁えんほか​に催もよおし​し​によりて、 *九く歳さいの春はるのころ、 阿あ伯はく従じゅ三さん位み*範のり綱つなの卿きょう 時ときに従じゅ四位しい上じょう前さきの若狭わかさの守かみ、 *後ご白しら河かわの上じょう皇こうの近臣きんしんなり、 上しょう人にん (親鸞) の養よう父ふ 前さきの大だい僧そう正じょう *慈じ円えん慈じ鎮ちん和か尚しょうこれ​なり、 *法ほう性しょう寺じ殿どのの御ご息そく、 *月輪つきのわ殿どのの長ちょう兄けい の貴き坊ぼうへ​あひ具ぐし​たてまつり​て、 鬢髪びんぱつを剃除ていじょし​たまひ​き。 *範宴はんねん​少しょう納な言ごんの公きみと号ごうす。

^それよりこ自爾以来のかた、 しばしば*南岳なんがく・天台てんだいの玄風げんぷうを訪とぶらひて、 ひろく*三観さんがん仏ぶつ乗じょうの理りを達たっし、 とこしなへに*楞りょう厳ごん横よ川かわの余よ流りゅうを湛たた1044へ​て、 ふかく*四し教きょう円えん融にゅうの義ぎにあきら明  かなり。

二 吉水入室

【2】 第だい二に段だん

 ^**建仁けんにん第だい一いち三 の暦れき春はるの​ころ 上しょう人にん (親鸞) 二に十じゅう九く歳さい 隠遁いんとんの志こころざしに​ひか​れ​て、 *源空げんくう聖しょう人にんの*吉水よしみずの禅房ぜんぼうにたづ尋 ねまゐ参 りたまひ​き。

^これ是  すなは即  ち世よくだり、 人ひとつたなく​して、 難なん行ぎょうの小しょう路ろ迷まよひやすき​によりて、 易い行ぎょうの大だい道どうに​おもむか​ん​0077となり。 真しん宗しゅう紹隆しょうりゅうの大たい祖そ聖しょう人にん (源空)、 ことに宗しゅうの淵源えんげんを尽つくし、 教きょうの理致りちを​きはめ​て、 これ​を​のべたま給  ふ​に、 たちどころに他た力りき摂せっ生しょうの旨趣しいしゅを受得じゅとくし、 あく飽  まで*凡ぼん夫ぶ直じき入にゅうの真心しんしんを決けつ定じょうし​ましまし​けり。

三 六角夢想

【3】 第だい三さん段だん

 ^*建仁けんにん三年さんねん *癸みずのと亥のい 四し月がつ五いつ日かのひの夜よ*寅とらの時とき、 上しょう人にん (親鸞) 夢む想そうの告つげ​ましまし​き。

^*かの彼   ¬記き¼ に​いはく、 ^▲*六角ろっかく堂どうの*救世くせ菩ぼ薩さつ、 顔容げんよう端厳たんごんの聖しょう僧そうの形かたちを示じ現げんして、 *白びゃく衲のうの袈裟けさを着ちゃく服ぶくせ​しめ、 広大こうだいの白びゃく蓮れん華げに端たん坐ざして、 善信ぜんしん (親鸞) に告ごう命みょうし​て​のたまはく、 「▲*行ぎょう者じゃ宿しゅく報ほう設せつ女犯にょぼん 我が成じょう玉ぎょく女にょ身しん被ぴ犯ぼん 一いっ生しょう之し間けん能のう荘しょう厳ごん 臨りん終じゅう引導いんどう生しょう極楽ごくらく」 といへ文  り。 救世くせ菩ぼ薩さつ、 善ぜん0078信しんに​のたまはく、 「これ此 はこれ是  、 わが我  誓願せいがんなり也  。 善信ぜんしんこの誓願せいがんの旨趣しいしゅを宣説せんぜつして、 一切いっさい群ぐん生じょうに​きか​しむ​べし」 と云うん1045々ぬん。

^その​とき善信ぜんしん夢ゆめのうち​に​あり​ながら、 御み堂どうの正しょう面めんにして東方とうぼうを​みれ​ば、 *峨々ががたる岳山がくざんあり。 その高山こうざんに数す千万せんまん億おくの有う情じょう群くん集じゅうせ​り​と​みゆ。 その​とき告ごう命みょうの​ごとく、 この文もんの​こころ​を、 かの山やまに​あつまれ​る有う情じょうに対たいし​て説とき​きか​しめ​をはる​と​おぼえ​て、 夢ゆめさめ​をはり​ぬ​と云々うんぬん。

^つらつ倩  らこの此  記き録ろくを披ひらき​てかの彼  夢む想そうを案あんずる​に、 ひとへに真しん宗しゅう繁はん昌じょうの奇き瑞ずい、 念仏ねんぶつ弘ぐ興こうの表ひょう示じなり也  。 しかあ然者れば聖しょう人にん (親鸞)、 後のちの時とき仰おおせ​られ​て​のたまはく、 ^「仏ぶっ教きょうむかし西天さいてん (印度) よりおこ興 りて、 経きょう論ろんいま東とう土ど (日本) に伝つたはる。 これ是  ひと偏 へに上じょう宮ぐう太たい子し (*聖徳太子) の広徳こうとく、 山やまより​も​たかく海うみより​も​ふかし。 わが吾  朝ちょう欽明きんめい天皇てんのうの*御ぎょ宇うに、 これ​を​わたさ​れ​し​によりて、 すなはち浄じょう土どの正しょう依え経きょう論ろん等とうこの此  とき時  に来らい至しす。 儲君ちょくん (聖徳太子) もし厚恩こうおんを施ほどこし​たまは​ずは、 凡ぼん愚ぐいかでか0079弘ぐ誓ぜいに​あふ​こと​を得えん。 救世くせ菩ぼ薩さつは​すなはち儲君ちょくんの本ほん地じなれば、 *垂すい迹しゃく興法こうぼうの願がんを​あらはさ​んがために本ほん地じの尊容そんようを​しめす​ところ​なり。

^そもそ抑  も、 ▼また又  大だい師し聖しょう人にん 源空げんくう もし流る刑けいに処しょせ​られ​たまは​ずは、 われ​また又  配所はいしょにおも赴 むかん​や。 もし​われ配所はいしょに​おもむか​ずんば、 なに​によりて​か辺へん鄙ぴの群類ぐんるいを化けせん。 これなほ猶  師し教きょうの恩おん致ちなり。

^大だい師し聖しょう人にんすなはち*勢せい至しの化け身しん、 太たい子しまた*観音かんのんの垂すい迹しゃくなり。 この​ゆゑに​われ二に菩ぼ薩さつ1046の引導いんどうに順じゅんじ​て、 如来にょらいの本願ほんがんを​ひろむる​にあり。 真しん宗しゅうこれによ因茲 りて興こうじ、 念仏ねんぶつこれによ由斯 りてさか煽 んなり也  。

^これ是*しかしながら、 聖しょう者じゃの教きょう誨けに​より​て、 さらに*愚ぐ昧まいの今案こんあんを​かまへ​ず、 かの二に大だい士じの重じゅう願がん、 ただ0080*一いち仏ぶつ名みょうを専念せんねんする​に​たれ​り。 今いまの行ぎょう者じゃ、 錯あやまり​て*脇きょう士じに事つかふる​こと​なかれ、 ただちに本仏ほんぶつ (*阿弥陀仏) を仰あおぐ​べし」 と云々うんぬん。

^かるがゆゑに上しょう人にん親鸞しんらん、 傍かたわら​に皇太こうたい子し (聖徳太子) を崇あがめ​たまふ。 けだ蓋 しこれ斯  仏法ぶっぽう弘ぐ通ずうの​おほいなる恩おんを謝しゃせ​んがため​なり。

四 ▼蓮位夢想

【4】 第だい四し段だん

 ^*建けん長ちょう八年はちねん 丙ひのえ辰たつ 二に月がつ九ここぬ日かのひの夜よ寅とらの時とき、 釈しゃくの*蓮れん位い夢む想そうの告つげ​に​いはく、 聖しょう徳とく太たい子し、 親鸞しんらん上しょう人にんを礼らいし​たてまつり ましまして​のたまはく、 ^「▼敬きょう礼らい大だい慈じ阿あ弥陀みだ仏ぶつ 為い妙教みょうきょう流る通ずう来らい生しょう者じゃ 五ご濁じょく悪あく時じ悪あく世せ界かい中ちゅう 決けつ定じょう即得そくとく無む上じょう覚かく也や」 。

^しかれば、 祖師そし上しょう人にん (親鸞) は、 弥陀みだ如来にょらいの化け身しん現 にて​まします​といふ​こと​あきらかなり。

 

康永第二載 癸未応鐘仲旬比終画図篇訖

五0081 選択付属

【5】 第だい五ご段だん

 ^*黒谷くろだにの先徳せんどく 源空げんくう 在ざい世せの​むかし、 矜哀こうあいのあま余 り、 ある或  時ときは恩許おんきょを蒙こうぶり​て*製作せいさくを見写けんしゃし、 ある時ときは真筆しんぴつを下くだし​て名みょう字じを書かき​たまは​す。

^すなはち ¬顕けん浄じょう土ど方便ほうべん化け身しん土ど文類もんるい¼ の六ろくにのたまはく、 親鸞しんらん上しょう人にん撰せん述じゅつ 「^▲しかるに愚ぐ禿とく釈しゃくの鸞らん、 建けん1047仁にん辛かのと酉のとりの暦れき、 雑ぞう行ぎょうを棄すて​て本願ほんがんに帰きし、 元げん久きゅう乙きのと丑のうしの歳とし、 恩恕おんじょを蒙こうぶり​て ¬選せん択じゃく¼ (*選択集) を書かく。 おなじき年とし初しょ夏か中旬ちゅうしゅん第だい四し日にち、 ª選せん択じゃく本願ほんがん念仏ねんぶつ集しゅうº の内題ないだいの字じ、 ならびに ª南無なも阿あ0082弥陀みだ仏ぶつ 往おう生じょう之し業ごう 念仏ねんぶつ為い本ほんº と ª釈しゃくの綽しゃく空くうº と、 空くう (源空) の真筆しんぴつをもつて​これ​を書かか​しめたまひ、

すなはち「顕浄土方便化身土文類」六云、 親鸞聖人選述 「然愚禿釈親鸞、 建仁 辛酉 暦、 棄雑行兮帰本願。 元久 乙丑 歳、 蒙恩恕兮書¬選択¼。 同年初夏仲旬第四日、 選択本願念仏集内題字、 南无阿弥陀仏往生之業念仏為本与釈綽空、 以空真筆令書之。

^◆おなじき日ひ、 空くうの真影しんねい申もうし預あずかり、 図画ずがし​たてまつる。 おなじき二に年ねん閏うるう七月しちがつ下げ旬じゅん第だい九く日にち、 真影しんねいの銘めいは、 真筆しんぴつをもつて ª南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつº と ª若にゃく我が成じょう仏ぶつ 十方じっぽう衆しゅ生じょう 称しょう我が名みょう号ごう 下至げし十じっ声しょう 若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく 彼ひ仏ぶつ今こん現在げんざい成じょう仏ぶつ 当とう知ち本誓ほんぜい重じゅう願がん不虚ふこ 衆しゅ生じょう称しょう念ねん必得ひっとく往おう生じょうº (*礼賛) の真文しんもんと​を書かか​しめたまひ、

同日、 空之真影申預、 奉図画。 同二年閏七月下旬第九日、 真影銘以真筆令書南无阿弥陀仏与若我成仏十方衆生称我名号下至十声若不生者不取正覚彼仏今現在成仏当知本誓重願不虚衆生称念必得往生之真文。

^◆また夢ゆめの告つげ​に​より​て、 綽しゃく空くうの字じを改あらため​て、 おなじき日ひ、 御ご筆ひつをもつて名なの字じを書かか​しめたまひ​をはり​ぬ。 本ほん師し聖しょう人にん (源空) 今年こんねん七しち旬しゅん三さんの御歳おんとしなり。

又依夢告、 改綽空字、 同日以御筆令書名之字訖。 本師聖人今年七順三御歳也。

^◆¬選せん択じゃく本願ほんがん念仏ねんぶつ集しゅう¼ は、 禅ぜん定じょう博陸はくりく 月輪つきのわ殿どの兼実かねざね、 法ほう名みょう円えん照しょう の教命こうめいに​より​て選せん集じゅうせ​しめたまふ​ところ​なり。 真しん宗しゅうの簡要かんよう、 念仏ねんぶつの奥おう義ぎ、 これ​に摂しょう在ざいせ​り。 見みる​もの諭さとりやすし。 まことに​これ希有けう最さい勝しょうの華か文もん、 無む上じょう甚深じんじんの宝典ほうでんなり。

¬選択本願念仏集¼者、 依禅定博陸 月輪殿兼実法名円照  之教命所令選集也。 真宗之簡要、 念仏之奥義、 摂在于斯。 見者易諭。 誠是希有最勝之華文、 無上甚深之宝典也。

^◆年としを渉わたり日ひを渉わたり、 その教きょう誨けを蒙こうぶる​の人ひと、 千万せんまんなり​と​いへども、 親しんといひ疎そといひ、 この見写けんしゃを獲うる​の徒ともがら、 はなはだ​もつて​かたし。 しかるに​すでに製作せいさくを書写しょしゃし、 真影しんねいを図ず画が1048す。 これ専念せんねん正しょう業ごうの徳とくなり、 これ決けつ定じょう往おう生じょうの徴ちょうなり。

渉年渉日、 蒙共教誨之人雖千万、 云親云疎、 獲此見写之徒甚以難。 爾既書写制作、 図画真影。 是専念正業之徳也、 是決定往生之徴也。

^◆よつて悲喜ひきの涙なみだを抑おさへて由ゆ来らいの縁えんを註しるす」 と云々うんぬん。

仍抑悲喜之涙註由来之縁」 云々。

六0083 信行両座

【6】 第だい六ろく段だん

 ^おほよそ源空げんくう聖しょう人にん在ざい生しょうの​いにしへ、 他た力りき往おう生じょうの旨むねを​ひろめたま給 ひし​に、 世よあまねく​これ​に挙こぞり、 人ひとことごとく​これ​に帰きし​き。

^*紫し禁きん・青せい宮きゅうの政まつりごとを重おもくする砌みぎりにも、 まづ先  *黄金おうごん樹林じゅりんの萼はなぶさに​こころ​を​かけ、 *三槐さんかい・九棘きゅうきょくの道みちを​ただしく​する家いえにも、 ​ただちに四し十じゅう八願はちがんの月つきを​もてあそぶ。 しかのみならず*戎狄じゅてきの輩ともがら、 *黎民れいみんの類たぐい、 これ​を仰あおぎ、 これ​を貴とうとび​ず​といふ​こと​なし。 貴き賎せん、 *轅ながえを​めぐらし、 門前もんぜん、 *市いちを​なす。 常じょう随ずい*昵近じっきんの*緇徒しとその数かずあり、 すべて三さん百びゃく八はち十じゅう余よ人にんと云々うんぬん。 しかり​と​いへども、 親まのあたり​その*化けを​うけ、 ねんごろに0084その誨おしえを​まもる族やから、 はなはだ​まれなり。 わづかに五ご六りく輩はいに​だに​も​たら​ず。

^善信ぜんしん聖しょう人にん (親鸞)、 ある​とき申もうし​たまはく、 ^「予よ、 難なん行ぎょう道どうを閣さしおき​て易い行ぎょう道どうにうつ移  り、 聖しょう道どう門もんを遁のがれ​て浄じょう土ど門もんに入いり​し​より​このかた、 *芳命ほうめいを​かうぶる​に​あらず​より​は、 あに豈  出しゅつ離り解げ脱だつの良りょう因いんを蓄たくわへ​ん​や。 よろこ喜  びの​なか​のよろこ悦  び、 なにごと​かこれにし如之 かん。 しかるに同室どうしつの好よしみを結むすび​て、 ともに一いっ師しの誨おしえを仰あおぐ輩ともがら、 これ​おほし​と​いへども、 真実しんじつに報ほう1049土ど得とく生しょうの信心しんじんを成じょうじ​たら​ん​こと、 自他じたおなじく​しりがたし。 かるがゆゑに、 かつは*当来とうらいの親しん友ぬたる​ほど​をも​しり、 かつは*浮ふ生しょうの思おもい出いでとも​しはん侍 べら​んがために、 御おん弟子でし参さん集じゅうの砌みぎりにして、 *出しゅつ言ごんつかうまつり​て、 面々めんめんの意い趣しゅをも試こころみ​ん​と​おもふ所望しょもうあり」 と云々うんぬん。

^大だい師し聖しょう人にん (源空) のたまはく、 「この此  条じょうもつと尤  もしかる可然べし、 すなは即  ち明みょう日にち人々ひとびと来臨らいりんの​とき仰おおせ​られ出いだす​べし」 と。

^しかるに翌日よくじつ集しゅう会えの​ところ​に、 上しょう人にん 親鸞しんらん のたまはく、 「今日こんにち0085は*信しん不ふ退たい・*行ぎょう不ふ退たいの御座みざを両りょう方ほうに​わかた​る​べき​なり。 いづれの座ざに​つき​たまふ​べし​とも、 おのおの示しめしたま給  へ」 と。

^その時とき三さん百びゃく余よ人にんの門侶もんりょみなその其  意こころを得えざる気きあり。 とき于時に法印ほういん大だい和か尚しょう位い*聖覚せいかく、 ならび  に釈しゃくの*信空しんくう上しょう人にん法蓮ほうれん、 「信しん不ふ退たいの御座みざに着つくべ可著 し」 と云々うんぬん。

^つぎ​に沙しゃ弥み*法力ほうりき 熊谷くまがい直実なおざね入にゅう道どう 遅ち参さんして申もうし​て​いはく、 「善信ぜんしんの御房おんぼうの御ご執筆しゅひつなにご何事 とぞや」 と。 善信ぜんしん上しょう人にんのたまはく、 「信しん不ふ退たい・行ぎょう不ふ退たいの座ざを​わけ​らるるなり也  」 と。 法力ほうりき房ぼう申もうし​て​いはく、 「しから然者 ば法力ほうりきもる​べから​ず、 信しん不ふ退たいの座ざに​まゐる​べし」 と云々うんぬん。 よつて​これ​を0086書かき載のせ​たまふ。

^ここ​に数す百ひゃく人にんの門もん徒と群ぐん居こす​と​いへども、 さらに一言いちごんを​のぶる人ひとなし。 これ​おそらくは自じ力りきの迷心めいしんに拘かかはり​て、 金剛こんごうの真信しんしんに昏くらき​が​いたす​ところ​か。 人ひとみな無ぶ音いんの​あひだ1050、 執筆しゅひつ上しょう人にん 親鸞しんらん 自じ名みょうを載のせ​たまふ。

^やや​しばらく​あり​て大だい師し聖しょう人にん仰おおせら被仰れてのたまはく、 「源空げんくうも信しん不ふ退たいの座ざに​つらなりはん侍 べる​べし」 と。 その​とき*門葉もんよう、 あるい 或   は屈敬くっけいの気きを​あらはし、 あるい 或   は*鬱うっ悔けの色いろをふくめり。

七 ▲信心諍論

【7】 第だい七しち段だん

 ^上しょう人にん 親鸞しんらん のたまはく、 ^いにしへわが我  大だい師し聖しょう人にん 源空げんくう の御前おんまえに、 *正しょう信しん房ぼう・*勢観せいかん房ぼう・*念仏ねんぶつ房ぼう以下いげのひとび人々 とおほかり​しとき時  、 *はかりなき諍じょう論ろんを​しはん侍 べること事  あり​き。

^そのゆゑは、 「▲聖しょう人にんの御ご信心しんじんと善信ぜんしん (親鸞) が信心しんじんと、 いささか​も​かはる​ところ​ある​べから​ず、 ただひとつ 一   なり」 と申もうし​たり​し​に、 この​ひとびと​とがめ​て​いはく、 「善信ぜんしん房ぼうの0087、 聖しょう人にんの御ご信心しんじんと​わが信心しんじんと​ひとし​と申もうさ​るる​こと事  ​いはれ​なし。 いかでか​ひとしかる​べき」 と。

^善信ぜんしん申もうし​て​いはく、 「などか​ひとし​と申もうさ​ざる​べき​や。 そのゆゑは深じん智ち博覧はくらんに​ひとしから​ん​とも申もうさ​ば​こそ、 まことに*おほけなく​も​あら​め、 往おう生じょうの信心しんじんに​いたり​ては、 ひと一  たび他た力りき信心しんじんの​ことわり​を​うけたま給  はり​し​より​このかた、 まつたく​わたくし​なし。 しかれば、 聖しょう人にんの御ご信心しんじんも他た力りきより​たまはら​せたまふ、 善信ぜんしんが信心しんじんも他た力りきなり。 かるがゆゑに​ひとしく​して​かはる​ところ​なし​と申もうすなり也  」 と申もうし​はんべり1051し​ところ​に、

^大だい師し聖しょう人にんまさしく0088仰おおせら被仰 れて​のたまはく、 「信心しんじんの​かはる​と申もうす​は、 自じ力りきの信しんにとりて​のこと事  なり也  。 すなはち智慧ちえ各別かくべつなる◗がゆゑに信しんまた又  各別あくべつなり。 他た力りきの信心しんじんは、 善悪ぜんあくの凡ぼん夫ぶともに仏ぶつの​かた​より​たまはる信心しんじんなれば、 源空げんくうが信心しんじんも善信ぜんしん房ぼうの信心しんじんも、 *さら更  に​かはる​べから​ず、 ただ​ひとつ​なり。 わが​かしこく​て信しんずる​に​あらず。 信心しんじんの​かはりあう​て​おはしまさ​んひとび人々 とは、 わが​まゐら​ん浄じょう土どへ​は*よも​まゐり​たまは​じ。 よくよく​こころえ​らる​べきこと事  なり也  」 と云々うんぬん。

^ここ​に面々めんめん舌したを​まき、 口くちを閉とぢ​て​やみ​に​けり。

八 入西鑑察

【8】 第だい八はち段だん

 ^御おん弟子でし*入にゅう西さい房ぼう、 上しょう人にん 親鸞しんらん の真影しんねいを写うつし​たてまつら​ん​と​おもふ​こころざし​ありて、 *日ひごろ来  を​ふる​ところ​に、 上しょう人にんその​こころざし​ある​こと​を*かが鑑 みて仰おおせ​られ​て​のたまはく、 「*定じょう禅ぜん法ほっ橋きょう 七しち条じょう辺へんに居きょ住じゅう に写うつさ​しむ0089べし」 と。

^入にゅう西さい房ぼう、 鑑察かんさつの旨むねを随ずい喜きして、 すなはち​かの法ほっ橋きょうを召請ちょうしょうす。 定じょう禅ぜん*左右さうなく​まゐり​ぬ。 すなはち尊顔そんげんに向むかひ​たてまつり​て申もうし​て​いはく、 「去きょ夜や、 奇き特どくの霊れい夢むを​なん感かんずる​ところ​なり。 その夢ゆめのうち​に拝はいし​たてまつる​ところ​の聖しょう僧そうの面像めんぞう、 いま向むかひ​たてまつる容貌ようぼうに、 すこし​も​たがふ​ところ​なし」 と​いひ​て1052、 たちまちに随ずい喜き感歎かんたんの色いろふかく​して、 みづから​その夢ゆめを語かたる。

^貴き僧そう二に人にん来らい入じゅうす。 一人いちにんの僧そうのたまはく、 「この*化け僧そうの真影しんねいを写うつさ​しめ​ん​と​おもふ​こころざし​あり。 ねがはくは*禅ぜん下か筆ふでを​くだす​べし」 と。 定じょう禅ぜん問とひ​て​いはく、 「かの化け僧そうたれびと人  ぞや0090」 。 件くだんの僧そうのいはく、 「*善光ぜんこう寺じの本願ほんがんの御房おんぼうこれ​なり」 と。 ここ​に定じょう禅ぜん掌たなごころを合あわせ跪ひざまずきて、 夢ゆめの​うち​に​おもふやう様  、 さては生しょう身じんの弥陀みだ如来にょらいに​こそ​と、 身みの毛けよだち​て恭く敬ぎょう尊そん重じゅうを​いたす。 また、 「*御みぐし​ばかり​を写うつさ​れ​ん​に足たり​ぬ​べし」 と云々うんぬん。 かくのごとく問答もんどう往復おうふくして夢ゆめさめ​をはり​ぬ。

^しかるに​いま​この貴き坊ぼうに​まゐり​て​み​たてまつる尊容そんよう、 夢ゆめのうち​の聖しょう僧そうに​すこし​も​たがは​ず​とて、 ^随ずい喜きのあまり涙なみだを流ながす。 しかれば、 「夢ゆめに​まかす​べし」 とて、 いま​も御みぐし​ばかり​を写うつし​たてまつり​けり。 夢む想そうは*仁にん治じ三年さんねん九く月がつ二十はつ日かの夜よなり也  。

^つらつら​この奇き瑞ずいを​おもふ​に、 聖しょう人にん (親鸞)、 弥陀みだ如来にょらいの来現らいげんといふ​こと*炳焉へいえんなり。 しかれば​すなはち、 弘ぐ通ずうしたまふ教行きょうぎょう、 おそらくは弥陀みだの直説じきせつと​いひ​つ​べし。 あきらかに無漏むろの慧え灯とうを​かかげ​て、 とほく*濁じょく世せの迷闇めいあんを晴はらし0091、 あまねく甘かん露ろの法ほう雨うを​そそぎ​て、 はるかに枯こ渇かつの凡惑ぼんわくを潤うるおさ​んがたと めなり​と。 仰あおぐ​べし、 信しんず​べし。

 

康永二歳 癸未 十月仲旬比、 依発願終画図之功畢。 而間頽齢覃八旬算、 両眼朦朧。 雖然憖厥詞、 如形染紫毫之処、 如向闇夜不辨筆点。 仍散々無極、 後見招恥辱者也而已。

大和尚位宗昭 七十四
画工康楽寺沙弥円寂

 

○巻下

1053本ほん0092願がん寺じ聖しょう人にん親鸞しんらん伝でん絵ね 下げ

一 師資遷謫

【9】 第だい一いち段だん

 ^浄じょう土ど宗しゅう興こう行ぎょうに​より​て、 聖しょう道どう門もん廃退はいたいす。 これ是  空くう師し (源空) の所しょ為いなり​とて、 たちまちに罪ざい科かせ​らる​べき​よし、 *南北なんぼくの碩才せきさい憤いきどおり​まうし​けり。

^「顕けん化け身しん土ど文類もんるい」 の六ろくに​いはく、 ^「▲ひそかに​おもんみれ​ば、 聖しょう道どうの諸しょ教きょうは行証ぎょうしょうひさしく廃すたれ、 浄じょう土どの真しん宗しゅうは証しょう道どういま盛さかんなり。

「顕化身土文類」六云、 「窃以、 聖道の諸教行証久廃、 浄土の真宗証道今盛。

^◆しかるに諸しょ寺じの釈しゃく門もん、 教きょうに昏くらく​して真しん仮けの門もん戸こを知しら​ず、 洛らく都との儒林じゅりん、 行ぎょうに迷まどひ​て邪じゃ正しょうの道どう路ろを弁わきまふる​こと​なし。 ここ​をもつて、 興福こうぶく寺じの学がく徒と、 太だ上じょう天皇てんのう 諱いみな尊成たかひら、 *後ご鳥と羽ばの院いんと号ごうす 今きん上じょう 諱いみな為仁ためひと、 *土つち御み門かどの院いんと号ごうす 聖暦せいれき、 承じょう元げん丁ひのと卯のうの歳とし、 仲春ちゅうしゅん上旬じょうじゅんの候こうに奏達そうたつす。

然諸寺釈門、 昏教兮不知真仮門戸、 洛都儒林、 迷行兮無弁邪正道路。 斯以興福寺学徒、  奏達
太上天皇 諱尊成号後鳥羽院 今上 諱為仁号土御門院 聖暦承元 丁卯 歳、 仲春上旬之候。

^◆主しゅ上じょう臣しん下か、 法ほうに背そむき義ぎに違いし、 忿いかり​を​なし怨あだを結むすぶ。 これ​によりて、 真しん宗しゅう興こう隆りゅうの大たい祖そ源空げんくう法ほっ師しならびに門もん徒と数す輩はい、 罪ざい科かを考かんがへ​ず、 みだりがはしく死し罪ざいに坐つみす。 あるいは僧そうの儀ぎを改あらため姓名しょうみょうを賜たまひ​て遠おん流るに処しょす。 予よはその0093一ひとつ​なり。

主上臣下、 背法違義、 成忿結怨、 因茲真宗興隆大祖源空法師并門徒数輩、 不考罪科、 猥坐死罪。 或改僧儀賜姓名処遠流、 豫其一也。

^◆しか1054れば、 すでに僧そうに​あらず俗ぞくに​あらず。 この​ゆゑに禿とくの字じをもつて姓しょうと​す。 空くう師し (源空) ならびに弟子でし等とう、 諸方しょほうの辺へん州しゅうに坐つみし​て五ご年ねんの居諸きょしょを経へたり」 と云々うんぬん。

爾者已非僧非俗。 是故以禿字為姓。 空師并弟子等、 坐諸方辺州経五年之居諸」 云々。

^▲空くう聖しょう人にん罪ざい名みょう藤ふじ井いの元彦もとひこ、 配所はいしょ土と佐さの国くに 幡多はた 鸞らん聖しょう人にん (親鸞) 罪ざい名みょう藤ふじ井いの善信よしざね、 配所はいしょ越えち後ごの国くに 国こく府ぶ この​ほか門もん徒と、 死し罪ざい流る罪ざいみな​これ​を略りゃくす。

空聖人罪名藤井元彦、 配所土佐国 幡多 鸞聖人罪名藤井善信、 配所越後国 国府 此外の門徒、 死罪流罪みな略之。

^皇帝こうてい 諱いみな守成もりなり、 *佐さ渡どの院いんと号ごうす 聖代せいだい、 *建けん暦りゃく辛かのとの未ひつじの歳とし、 *子し月げつ中旬ちゅうじゅん第だい七日しちにち、 *岡おか崎ざきの中ちゅう納な言ごん範のり光みつの卿きょうをもつて勅ちょく免めん。 この此  とき時  聖しょう人にん右みぎの​ごとく禿とくの字じを書かき​て*奏聞そうもんしたま給  ふ​に、 陛へい下か*叡感えいかんを​くだし、 侍じ臣しんおほきに褒ほう美びす。 勅ちょく免めんあり​と​いへども、 *かしこ​に化けを施ほどこさ​んがために、 なほ​しばらく在国ざいこくしたま給 ひけり。

二0094 稲田興法

【10】第だい二に段だん

 ^聖しょう人にん (親鸞) 越えち後ごの国くにより常陸ひたちの国くにに越こえ​て、 笠かさ間まの郡こおり*稲いな田だの郷ごうといふ​ところ​に隠居いんきょし​たまふ。 *幽棲ゆうせいを占しむ​と​いへども道俗どうぞくあと跡  を​たづね、 *蓬ほう戸こを閉とづ​と​いへども貴き賎せんちま衢たに​あふる。 仏法ぶっぽう弘ぐ通ずうの本懐ほんがいここ​に成じょう就じゅし、 衆しゅ生じょう利り益やくの宿しゅく念でんたちまちに満足まんぞくす。 この此  時とき聖しょう人にん仰おおせら被仰れてのたま云 はく、 「△*救世くせ菩ぼ薩さつの告ごう命みょうを受うけ​しいにし往  への夢ゆめ、 すで既  に​いま◗と符ふ合ごうせ​り」 と。

三 弁円済度

【11】第だい三さん段だん

 ^1055聖しょう人にん (親鸞) 常陸ひたちの国くににして専修せんじゅ念仏ねんぶつの義ぎを​ひろめたま給  ふ​に、 おほよそ疑ぎ謗ほうの輩ともがらは少すくなく、 信しん順じゅんの族やからは​おほし。

^しかるに一人いちにんの僧そう *山臥やまぶしと云々うんぬん あり​て、 ややも動 すれば仏法ぶっぽうに*怨あだを​なし​つつ、 *結けっ句く害心がいしんをさしはさ挿で みて、 聖しょう人にんを*よりよ時々 りうかがひ​たてまつる。 聖しょう人にん*板敷いたじき山やまといふ深山しんざんをつね恒  に往反おうへんしたま給 ひける​に、 かの彼  山やまにして度々どどあひま相待 つと​いへども、 さらに0095*その其  節せつを​とげ​ず。 つらつ倩  らこと​の*参しん差しを案あんずる​に、 すこぶ頗  る奇き特どくの​おもひ​あり。 よつて聖しょう人にんに謁えっせ​ん​と​おもふここ心 ろつき​て、 *禅室ぜんしつにゆき行  て尋たずねまうす​に、 上しょう人にん左右さうなく出いであひ会  たまひ​けり。

^すなはち尊顔そんげんに​むかひ​たてまつる​に、 害心がいしんたちま忽  ちに消しょう滅めつして、 あまつ剰 さへ後悔こうかいの涙なみだ禁きんじがたし。 やや​しばらく​ありて、 あり有  のまま​に日ひごろの*宿しゅく鬱うつを述じゅつす​と​いへども、 聖しょう人にんまた又  おどろけ​る色いろなし。 たちどころに弓きゅう箭せんを​きり、 刀とう杖じょうをすて、 頭と巾きんを​とり、 *柿かきの衣ころもを​あらため​て、 仏ぶっ教きょうに帰きし​つつ、 つひに素そ懐かいを​とげ​き。 不ふ0096思議しぎなり​しこと事  なり也  。 すなはち*明みょう法ほう房ぼうこれ是  なり也 。 上しょう人にん (親鸞) これ​を​つけたま給 ひき。

 

康永二歳 癸未 十一月一日絵師染筆訖

沙門宗昭 七十四 

 

四0097 ▼箱根霊告

【12】第だい四し段だん

 ^聖しょう人にん (親鸞) 東関とうかんの堺さかいを出いで​て、 *華か城せいの路みちに​おもむき​ましまし​けり。

^ある或  日ひ*晩ばん1056陰いんに​およん​で箱はこ根ねの嶮けん阻そに​かかり​つつ、 はる遥 かに行客こうかくの蹤あとを送おくり​て、 やうや漸  く人屋じんおくの*枢とぼそに​ちかづく​に、 夜よも​すでに*暁ぎょう更こうに​およん​で、 月つきも​はや孤こ嶺れいに​かたぶき​ぬ。

^とき于時に聖しょう人にん歩あゆみ寄より​つつ*案内あんないし​たまふ​に、 まことに*齢よわい傾かたぶき​たる翁おきなの​うるはしく装しょう束ぞくし​たる​が、 いと*こと​と​なく出いであひ会  たてまつり​て​いふやう様  、 ^「*社しゃ廟びょう0098ちかき所ところの​ならひ、 *巫かんなぎども​の終夜よもすがらあそび​しはん侍 べる​に、 翁おきなも​まじはり​つる​が、 いま​なん​いささか仮より寝いはんべる​と​おもふ​ほどに、 夢ゆめにも​あらず、 うつつ​にも​あらで、 *権現ごんげん仰おおせら被仰れていは云 く、 ªただ只  いま今  われ尊そん敬きょうを​いたす​べき客きゃく人じん、 この此  路みちを過すぎたま給  ふ​べきこと事  あり、 かならず慇懃いんぎんの忠ちゅう節せつを抽ぬきんで、 こと殊  に丁寧ていねいの饗きょう応おうをまう儲 くべしº と云々うんぬん。

^示じ現げんいまだ覚さめ​をはら​ざる​に、 貴き僧そう*忽こつ爾じとして影向ようごうしたま給  へ​り。 なんぞ​ただ人びとに​ましまさ​ん。 神しん勅ちょくこれ是  炳焉へいえんなり也  。 感応かんのうもつと最  も恭く敬ぎょうすべし」 といひ​て、 ^尊そん重じゅう*屈くっ請しょうし​たてまつり​て、 さまざまに飯食ぼんじきを粧よそひ、 いろい色々 ろに珍ちん味みを調ととのへ​」けり。

五 熊野霊告

【13】第だい五ご段だん

 ^聖しょう人にん (親鸞) 故こ郷きょうに帰かえり​て往おう事じを​おもふ​に、 年々ねんねん歳々せいせい夢ゆめの​ごとし、 幻まぼろしの​ごとし。

^*長ちょう安あん・洛陽らくようの棲すみかも*跡あとを​とどむる​に懶ものうし​とて、 *扶ふ風ふう馮ふ翊よくところどころ​に移い住じゅう1057したまひ0099き。 五ご条じょう西にしの洞院とういん*わたり、 これ一ひとつ​の勝しょう地ちなり也  とて、 しばらく居きょを占しめ​たまふ。 このごろ、 いにしへ*口く決けつを伝つたへ、 面受めんじゅをとげ遂  し門もん徒と等ら、 おのおの好よしみを慕したひ、 路みちを尋たずね​て参さん集しゅうし​たまひ​けり。

^そのこ其比 ろ常陸ひたちの国くに那な荷かの西さいの郡こおり*大おお部ぶの郷ごうに、 *平へい太た郎ろうなにがし​といふ庶民しょみんあり。 聖しょう人にんの◗御訓おしえを信しんじ​て、 もつぱ専  らふたご貳 ころなかり​き。 しかる而  にある或  時とき、 件くだんの平へい太た郎ろう、 *所しょ務むに駈から​れ​て*熊くま野のに詣けいす​べし​とて、 こと事  の​よし​を尋たずね​まうさ​んがために、 聖しょう人にんへ​まゐり​たる​に、 仰おおせら被仰れてのたま云  はく、

^「▼それ夫  聖教しょうぎょう万差まんじゃなり也  、 いづれ​も機きに相応そうおうすれば巨こ益やくあり。 ただ但 し末まっ0100法ぽうの今いまの時とき、 聖しょう道どう門もんの修しゅ行ぎょうにおいて​は成じょうず​べから​ず。 すなはち ª▲我が末法まっぽう時じ中ちゅう億々おくおく衆しゅ生じょう 起き行ぎょう修しゅ道どう 未有みう一人いちにん得者とくしゃº (*安楽集・上) といひ、 ª▲唯ゆい有う浄じょう土ど一門いちもん可か通つう入にゅう路ろº (同・上) と云々うんぬん。 これ是  みな経釈きょうしゃくの明文めいもん、 如来にょらいの金言きんげんなり也  。 しかる而  にいま今  唯ゆい有う浄じょう土どの真説しんせつについて、 かたじけなくかの彼  *三国さんごくの祖師そし、 おのお各  のこの此  一いっ宗しゅうを興こう行ぎょうす。 この​ゆゑに、 愚ぐ禿とくすすむる​ところ、 さらに私わたくしなし。

^しかるに一向いっこう専念せんねんの義ぎは往おう生じょうの肝かん腑ぷ、 自じ宗しゅうの骨目こつぼくなり也  。 すなは即  ち三さん経ぎょうに隠顕おんけんあり​と​いへども、 文もんとい云文 ひ義ぎとい云義 ひ、 とも共  に​もつて​あきらかなるを哉  や。 ¬*大だい経きょう¼ の三輩さんぱいにも一向いっこうと​すすめ​て、 流る通ずうには​これ​を*弥み勒ろくに付ふ属ぞくし、 ¬*観かん経ぎょう1058¼ の九く品ぼんにも​しばらく三心さんしんと説とき​て、 これ​また*阿あ難なんに付ふ属ぞくす、 ¬*小経しょうきょう¼ の一心いっしんつひに諸仏しょぶつこれ​を証誠しょうじょうす。 これによ依之 りて論主ろんじゅ (*天親) 一心いっしんと判はんじ、 和か尚しょう (*善導) 一向いっこうと釈しゃくす。 しかれ然  ばすなは則  ち、 いづれの文もんに​よるとりても、 一向いっこう専念せんねん専修   の義ぎを立りゅうす​べから​ざる​ぞや。

^*証誠しょうじょう殿でんの本ほん地じすなはち​いま​の教きょう主しゅ (阿弥陀仏) なり。 かるが0101ゆゑに、 *とてもかくても衆しゅ生じょうに結縁けちえんの志こころざしふかき​に​より​て、 *和わ光こうの垂すい迹しゃくを留とどめ​たまふ。 垂すい迹しゃくを留とどむる本ほん意い、 ただ結縁けちえんの群類ぐんるいをして願海がんかいに引いん入にゅうせ​ん​と​なり。 しかあれば本ほん地じの誓願せいがんを信しんじ​て一向いっこう偏  に念仏ねんぶつを​こと​と​せん輩ともがら、 公務くむにも​したがひ、 領りょう主しゅにも駈仕くしして、 その其  霊れい地ちを​ふみ、 その社しゃ廟びょうに詣けいせ​ん​こと、 さらに自じ心しんの発ほっ起きする​ところ​に​あらず。 しかれば、 垂すい迹しゃくにおいて*内ない懐え虚仮こけの身みたり​ながら、 あながちに*賢善けんぜん精しょう進じんの威儀いぎを標ひょうす​べから​ず。 ただ唯  本ほん地じの誓約せいやくに​まかす​べし、 あなか穴賢しこ、 あなか穴賢しこ。 神じん威いを​かろしむる​に0102あらず、 ゆめゆ努力努力め*冥みょう眦しを​めぐらしたま給  ふ​べから​ず」 と云々うんぬん。

^これ​によりて平へい太た郎ろう熊くま野のに参詣さんけいす。 *道みちの作さ法ほう*とりわ別  き整ととのふる儀ぎなし。 ただ常じょう没もつの凡ぼん情じょうに​したがひ​て、 さら更  に*不ふ浄じょうをも刷かいつくろふこと事  なし。 行住ぎょうじゅう坐臥ざがに本願ほんがんを仰あおぎ、 *造ぞう次じ顛沛てんぱいに師し教きょうをまも憑 るに、 はたして*無為ぶいに参さん着ちゃくの夜よ、 件くだんの男おとこ夢ゆめに告つげて 夢告云 いはく、 証誠しょうじょう殿でんの扉とびらを排おしひらき​て、 衣い冠かん1059ただしき俗人ぞくじん仰おおせられて 被仰云 いはく、 「なんぢ​なんぞわれ我  を*忽緒こっしょして汚穢わえ不ふ浄じょうにして参詣さんけいする​や」 と。

^その爾  時ときかの俗人ぞくじんに対たい座ざして、 聖しょう人にん忽こつ爾じとしてまみえた見給 まふ。 その其  詞ことばにのたま云 はく、 「かれ彼  は善信ぜんしん (親鸞) が訓おしえに​より​て念仏ねんぶつするもの者  なり也  」 と云々うんぬん。 ここ爰 に俗人そくじん*笏しゃくをただしく​して、 ことに敬屈けいくつの礼れいを著あらわし​つつ、 かさねて述のぶる​ところ​なし​と​みる​ほどに、 夢ゆめさめ​をはり​ぬ。 おほよそ奇異きいの​おもひ​を​なす​こと、 いふ​べから​ず。

^下げ向こうの後のち、 貴き坊ぼうに​まゐり​て、 くはしくこの此  旨むねを申もうす​に、 聖しょう人にん 「そのこと 其事也 なり」 と​のたまふ。 これ此  また又  不ふ思議しぎの​こと​なり​かし。

六0103 洛陽遷化

【14】第だい六ろく段だん

 ^聖しょう人にん (親鸞) *弘こう長ちょう二に歳さい 壬みずのえ戌いぬ 仲ちゅう冬とう下げ旬じゅんの候こうより、 いささか*不ふ例れいの気きまします。

^それよりこ自爾以来のかた、 口くちに世せい事じを​まじへ​ず、 ただ仏恩ぶっとんの​ふかき​こと​を​のぶ。 声こえに余よ言ごんを​あらはさ​ず、 もつぱら称名しょうみょうたゆる​こと​なし。 しかうして*おなじき第だい八日はちにち *午うまの時とき *頭ず北ほく面西めんさい右う脇きょうに臥ふしたま給 ひて、 つひに念仏ねんぶつの息いきたえ ましましをはり​ぬ。 とき于時に頽齢たいれい*九旬きゅうしゅんにみち満  たまふ。

^*禅房ぜんぼうは長ちょう安あん馮ふ翊よくの辺ほとり 押おし小こう路じの南みなみ、 万里までの小こう路じより東ひんがし なれば、 はるかに河か東とうの路みちを歴へて、 洛陽らくよう東ひがし山やまの西にしの麓ふもと、 *鳥とり部野べのの南みなみの辺ほとり、 *延仁えんにん寺じに葬そうし​たてまつる。 遺い骨こつを拾ひろひ​て、 おなじき山やま0104の麓ふもと、 鳥とり部べ野の1060の北きたの辺ほとり、 *大谷おおたにに​これ​を​をさめ たてまつりをはり​ぬ。

^しかる而  に終しゅう焉えんにあふ門弟もんてい、 勧かん化けを​うけ​し老ろう若にゃく、 おのおの在ざい世せの​いにしへ​を​おもひ、 滅めつ後ごの​いま​を悲かなしみ​て、 恋れん慕ぼ涕てい泣きゅうせず​といふ​こと​なし。

七 廟堂創立

【15】第だい七しち段だん

 ^*文永ぶんえい九く年ねん冬ふゆのころ比  、 東ひがし山やま西にしの麓ふもと、 鳥とり部野べのの北きた、 大谷おおたにの墳ふん墓ぼを​あらため​て、 おなじき麓ふもとよりなほ猶  西にし、 吉水よしみずの北きたの辺ほとりに遺い骨こつを掘ほり渡わたし​て仏閣ぶっかくを立たて、 影像えいぞうを安あんず。

^この此  時ときに当あたり​て、 聖しょう人にん (親鸞) 相伝そうでんの宗しゅう義ぎいよいよ興こうじ、 遺訓ゆいくんますます盛さかりなる​こと、 すこぶ頗  る在ざい世せのむか昔 しに超こえ​たり。 すべて門葉もんよう国郡こくぐんに充じゅう満まんし、 末ばつ流りゅう処々しょしょに遍へん布ぷして、 幾いく千万せんまんといふ​こと​を​しら​ず。 その其  *稟ほん教ぎょうを​おもく​してかの彼  報謝ほうしゃを抽ぬきんづる輩ともがら、 *緇素しそ老ろう少しょう、 面々めんめんに歩あゆみ​を運はこん​で年々ねんねん廟びょう堂どうに詣けいす。

^おほよそ聖しょう人にん在ざい生しょうの​あひだ、 奇き特どくこれ​おほし​と​いへども、 *羅縷らるに遑いとまあらず。 しかしながら​これ​を略りゃくする​ところ​なり。

 ^奥書おくがきにいはく

 0105右みぎ縁えん起ぎ図画ずえの志こころざし、 ひとへに知ち恩おん報徳ほうとくの​ため​に​して戯け論ろん狂きょう言げんの​ため​に​せず。 あまつさへ​また*紫し毫ごうを染そめて*翰林かんりんを拾ひろふ。 その体ていもつとも拙つたなし、 その詞ことばこれ​いやし。 *冥みょうに付つけ*顕けんに1061付つけ、 痛いたみ​あり恥はじあり。 しかり​と​いへども、 ただ後見こうけん賢者けんじゃの取捨しゅしゃを憑たのみ​て、 当とう時じ愚ぐ案あんの*ひ謬びゅうを顧かえりみる​こと​なし​ならく​のみ。

時ときに*永仁えいにん第だい三さんの暦れき、 *応おう鐘しょう*中旬ちゅうじゅん第だい二に天てん、 *晡時ほじに至いたり​て草書そうしょの篇へんを終おへ​をはり​ぬ。

 画が工こう 法眼ほうげん*浄じょう賀が 号ごう*康楽こうらく寺じ

 ^*暦りゃく応おう二に歳さい己つちのと卯のう四し月がつ二に十じゅう四よっ日か、 ある本ほんをもつて​にはかに​これ​を書写しょしゃし​たてまつる。 先年せんねん愚ぐ筆ひつの後のち、 一本いっぽん所しょ持じの処ところ、 世せ上じょうに闘乱とうらん0106の​あひだ炎えん上じょうの刻きざみ、 焼しょう失しつし行方ゆくえ知しれ​ず。 しかるに​いま*慮おもんぱからず荒本こうほんを得えて記しるし、 これ​を留とどむる​ものなり。

*康永こうえい二に載さい癸みずのと未のひつじ十じゅう一月いちがつ二ふつ日か筆ふでを染そめ​をはり​ぬ。

*桑門そうもん 釈しゃく*宗そう昭しょう

 画が工こう 大だい法ほう師し宗そう舜しゅん 康楽こうらく寺じ弟子でし

 

右縁起画図之志、 偏為知恩報徳不為戯論狂言。 剰又染紫毫拾翰林。 其体尤拙、 厥詞是苟。 付冥付顕、 有痛有恥。 雖然只馮後見賢者之取捨、 無顧当時愚案之誹謬而已。

  執筆法印宗昭

于時永仁第三暦、 応鐘仲旬第二天、 至哺時終草書之篇訖。

画工法眼浄賀 号康楽寺

暦応二歳 己卯 四月廿四日、 以或本俄奉書写之。 先年愚草之後、 一本所持之処、 世上闘乱之間炎上之刻、 焼失不知行方。 而今不慮得荒本、 註留之者也耳。

  桑門宗昭

康永二載 癸未 十一月二日染筆訖 釈宗昭

画工大法師宗舜 康楽寺弟子

 

底本は◎本派本願寺蔵版本。 浄聖全上段の底本○真宗大谷派蔵本願寺聖人伝絵と対校し、 ○にない語句は青の点下線、 表現の異なる場合は赤の点下線(下に細字で○の本文)として示した。 また、 ○が漢文である箇所および◎にない文言が茶色で収録してある。
鎌子 藤ふじ原わらの鎌足かまたりのこと。
内麿公 →藤ふじ原わらの内麿うちまろ
房前公 →藤ふじ原わらの房前ふさざき
真楯 →藤ふじ原わらの真ま楯たて
有国 →日野ひの有国ありくに
五代の孫 有範は有国の六代の孫にあたる。 ここでは有範の父経伊つねただを省いた系図によったと考えられる。
霜雪をも戴き 頭髪が白くなるまで朝廷に仕えるという意。 また、 天皇の側近く仕えるという意。
射山にわしりて 射山は上皇の御所をいう。 上皇に仕えて。
法性寺殿 →藤ふじ原わらの忠道ただみち
南岳天台の玄風 南岳大師慧思えし・天台大師智顗ちぎによって説き示された奥深い教え。 天台宗のこと。
楞厳横川の余流 比ひ叡えい山ざん横よ川かわ (首しゅ楞りょう厳ごん院いんはその中堂の称) に伝えられている源げん信しん和か尚しょうの流れ。
四教円融の義 天台宗の根本的な教え。 蔵・通・別・円の四教を立てて釈尊一代の経説内容を判別し、 その究極である円教の内容を三さん諦たい円融の理で解説する。
建仁第 「建仁第三」とする異本がある。
凡夫直入 凡夫のままで真実しんじつ報ほう土どに往生せしめられること。
癸亥 「辛酉」 とする異本がある。 辛酉は建仁元年にあたる。
かの記 ¬親鸞しんらん夢記むき¼ を指すか。
行者宿報…  「行者、 宿報にてたとひ女犯すとも、 われ玉女の身となりて犯せられん。 一生のあひだ、 よく荘厳して、 臨終に引導して極楽に生ぜしめん」
垂迹興法の願 人間の姿を現して仏法を興隆させようとする願い。
愚昧の今案 愚かで道理に暗い自分の考え。
一仏名 南無阿弥陀仏の名みょう号ごうを指す。
製作 著作。 ¬選せん択じゃく集しゅう¼ を指す。
紫禁青宮の政 朝廷の行う政治。
黄金樹林の萼 浄土の七宝樹林の華。
三槐九棘の道 三槐は三公さんこう (大臣)、 九棘は九きゅう卿けい (公家) のこと。 ここでは朝廷の大臣と高官の行う政道の意。
轅をめぐらし 訪れるという意。
市をなす 人がたくさん集まるという意。
化 教きょう化け。
出言つかうまつりて 質問を申しあげて。
正信 底本には 「聖信」 とある。 正信房湛空たんくうのこと。
おほけなくもあらめ 身のほどをわきまえないということもあるだろうが。
さらにかはるべからず 少しも異なったところのあるはずがない。
日ごろをふるところに 日頃を過していたところ。
定禅法橋 伝未詳。 専せん阿弥あみ陀だ仏ぶつ (袴殿。 鏡かがみの御ご影えいの作者) と同一人物であるともいわれるが不明。
化僧 教化僧。 あるいは権ごん化けの僧の意を含むか。
禅下 定禅法橋のこと。
善光寺の本願の御房 善光ぜんこう寺じの勧進聖で、 阿弥陀仏の化け身しんとみなされていた。
御ぐし 御首、 御頭などと書く。 頭部。
炳焉なり 明らかなさま。
南北の碩才 奈良の興福こうぶく寺じや比ひ叡えい山ざん延えん暦りゃく寺じのすぐれた学者。
岡崎中納言範光卿 式部少輔従三位範兼のりかねの子息。 ただし、 承元元年 (1207) に出家しており、 当時の赦しゃ免めん官は藤原光親みつちかであった。
かしこ 越後 (の人々)。
幽棲を占む ひっそりとかくれ住む。
蓬戸を閉づ 幽棲の庵の戸を閉ざす。 人との交際を断つ。
その節をとげず その目的を果たせない。
禅室 ここでは親鸞聖人の住いのこと。
枢 扉。 戸。
齢傾きたる 年老いた。
こととなく すみやかに。
社廟 (箱根権現の) 社やしろ。
巫 神に仕える人。
権現 箱根権現のこと。 箱根神社 (神奈川県足柄下郡箱根町) の祭神。 当時、 流布していた本ほん地じ垂すい迹しゃく説せつ (日本の神を仏・菩薩の仮*の現れとする説) によって、 権現 (仮の現れという意の称号) と呼ばれた。
長安洛陽 いずれも中国の都。 ここでは転じて京都を指す。
跡をとどむるに懶し 跡を残すのは気が進まない。
扶風馮翊 中国の地名から転じて右京と左京をいう。
口決 (親鸞聖人から) 直接授けられた教え。
所務に駈られて… 領主の従者としての役務によって参詣するという意。 以下にも 「公務にもしたがひ、 領主にも駆使して」 とある。
熊野 本宮ほんぐう・新宮しんぐう・那智なちの熊野三山。 本宮の証誠しょうじょう殿でんはとくに尊崇された。
証誠殿 熊くま野の本宮ほんぐうの主殿しゅでんの称。 ここではその祭神を指す。
和光 和わ光こう同塵どうじんのこと。
内懐虚仮の身 内に虚仮 (うそいつわり) を懐く身。
冥眦 神が怒ってにらむこと。
道の作法 熊野詣の道中には独特の厳しい作法が定められていた。
不浄をも刷ふ 潔斎けっさい (心身をきよめること) する。
造次顛沛に ちょっとした間にも。 いつも。
無為に 何事もなく。
笏をただしくして 威儀を正して。 笏は礼服や朝服を着用の際、 右手に持つ細長い板。
弘長二歳壬戌仲冬 弘長二歳壬戌は1262年、 仲冬は陰暦十一月の別称。
午時 正午頃。 示じ寂じゃくの時刻を未時 (午後二時頃) とする史料もある。
九旬 旬は十年の意。
禅房 親鸞聖人の弟、 尋じん有う僧そう都ずの里房であった善法ぜんぽう坊ぼう。
冥・顕 冥は目にみえないもの。 顕は目にみえるもの。
中旬第二天 十二日。
晡時 午後四時頃。
慮らず 思いがけず。