0351◎最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし一

 

◎夫それ以おもんみれば、 一如いちにょ法界ほうかいの真しん理り、 凡ぼん聖しょうを兼かねて隔へだてなく、 万徳まんどく恒沙ごうじゃの寂じゃく用ゆう、 染ぜん浄じょうに亘わたりて変へんぜず。 しかりといへども、 妄雲もううんひとたび覆おおいて本覚ほんがくの月つきひかりをかくし、 心水しんすいしきりに動うごきて乱想らんそうの浪なみこゑをあげしよりこのかた、 業種ごうしゅを善悪ぜんあくに殖うえて報ほう果かを苦く楽らくにうく。 このゆへに、 生しょう死じ長じょう遠おんにして六道ろくどうの輪りん廻ねやむことなく、 恩愛おんない繋け縛ばくして三界さんがいの牢獄ろうごくいでがたし。 十方じっぽうの諸仏しょぶつこれを憐あわれみて済さい度どの方便ほうべんをめぐらし、 四依しえの大だい士じこれを悲かなしみて教きょう法ぼうの弘ぐ通ずうをいたす。

一代いちだい教きょう主しゅ釈しゃ迦か如来にょらい、 耆ぎ闍しゃ崛山くっせんにして ¬无む量りょう寿じゅ経きょう¼ をとき給たまいしとき、 当来とうらい導どう師し弥み勒ろく慈じ尊そんに対たいしてくはしく衆しゅ生じょうの此死しし生しょう彼ひのありさまをあかし、 ねんごろに諸趣しょしゅの修因しゅいん感かん果かの道どう理りをのべたまへり。 かの文もんをみるに、 或あるいは 「▲当 て↠行 に至↢趣 す苦楽 の之地 に↡。 身自みづから当うく↠之 を、 无 し↠有↢ こと代 る者もの。 善悪変化、 して 殃あう福異↠ ことなり処、 宿予あらかじめ厳 きびしく待 て当 に シ↢独趣入 す↡」 (大経巻下) といひ、 或あるいは 「▲独来 り独去 て、 无 し↢一  りも随 ふ者↡。 善悪・禍福追 て↠命 を所↠ なり生。 ずる 或 は在 り↢楽処 に↡、 或 は入 る↢苦毒 に↡。 然  して後 に乃 し悔  ゆとも当 に シ↢復何 ぞ及 ぶ↡」 (大経巻下) といへり。

-されば曠劫こうごう流る転てんのあひだ諸しょ有う経歴きょうりゃくの程ほど、 しづむ時ときはつねに地じ獄ごく・鬼き・畜ちくの間あいだをはなれず、 うかぶ時ときはわづかに人にん中ちゅう0426天てん上じょうのあひだにむまる。 しづむもうかぶも独どく生しょう独どく死しのみち、 きくに心こころぼそく、 むまるゝも死しするも自じ業ごう自じ得とくのことはり、 つくづくとおもへばかなし。

-殃悪おうあくをつくれば、 泥ない梨りの鉄てつ城じょうをかまへてこれをまち、 福善ふくぜんをたくはふれば、 上じょう界かいの天てん宮ぐをかざりてあひまうくるにこそ。 しかるに惑業わくごうはつくりやすければ悪道あくどうの果かは感かんじやすく、 福因ふくいんはうへがたければ善趣ぜんしゅの報ほうはまねきがたし。 たとひまた人天にんでんの快け楽らくをえたりとも、 それもさらに解げ脱だつの要よう路ろにはあらず。 光こう明みょう寺じの和か尚しょうは 「▲人天 の之楽 は猶 し如 し↢電光 の↡。 須臾 に即捨 つ、 還 て入 て↢三悪 に↡長時 に受 く↠苦 を」 (定善義) とのたまへり。 えてもなにかせん、 えんこともまたかたし。

-おほよそ末代まつだい悪あく世せの衆しゅ生じょう、 けふこのごろの凡ぼん夫ぶは劫こう濁じょく・命濁みょうじょくの不ふ善ぜん、 五いつながらますます増まし、 五ご戒かい・八戒はっかい等とうの律りつ儀ぎ、 一ひとつとしてまたからず。 楞りょう厳ごんの先徳せんどくの解げ釈しゃくに、 「▲善業 は今世 に所↠学、 する 雖↠  へども欣  ふと動やゝもすれば退 す。 妄業 は永劫 に所↠習 ふ、 雖↠厭  ふと猶起 る。 ▲野の鹿かせぎ難 く↠繋 つなぎ家 の狗自をのづから馴 なれたり」 (要集巻中意) といへる。 げにをろかなる身みにおもひしらるゝまゝに、 上じょう根こん利智りちの人ひとなりとも末まっ世せ澆ぎょう季きのならひはさまでかはらじとこそおぼゆれ。 かくのごときの輩ともがらは随縁ずいえん起き行ぎょうの功こうをもつみがたければ、 いかにしてか進道しんどうの資し糧りょうをもたくはへん。 たとひ随分ずいぶん精しょう勤ごんの法財ほうざいをえたりとも、 六賊ろくぞく知ち聞もんの侵奪しんだつをのがれがたかるべし。 悲かなしき哉かな悲かなしき哉かな、 何いかん為せん何いかん為せん。

し0427かるに、 弥陀みだの本願ほんがんは​あやにくにかゝる悪あく機きを摂せっし、 西方さいほうの浄じょう土どはもはらこの類たぐいをもきらはざれば、 当今とうこんの衆しゅ生じょうことに真しん宗しゅうの教きょう門もんに帰きし、 罪悪ざいあくの凡ぼん愚ぐひとへに極楽ごくらくの往おう生じょうを期ごすべし。 如来にょらい廻え向こうの威い徳とくなるがゆへに、 機きの利り鈍どんによらず、 他た力りき難なん思じの本誓ほんぜいなるがゆへに、 行ぎょうの多た少しょうを論ろんぜず。 馮たのみを懸かけてみなを称しょうすれば、 一念いちねんも十じっ声しょうもともにむまれ、 願がんに乗じょうじて誠まことをいたせば、 四し重じゅうも五ご逆ぎゃくももるゝことなし。 まことにこれ、 唯仏ゆいぶつ一道いちどう独どく清しょう閑げんの正しょう門もん、 究く竟きょう解げ脱だつ断だん根源こんげんの直じき路ろなり。

-月げっ氏しには龍りゅう樹じゅ・天親てんじん等とうの大だい士じこれを弘ぐ通ずうす、 ともに恵え蔵ぞうを製せいして定じょう判はんあり。 震旦しんたんには曇どん鸞らん・道どう綽しゃく等とうの五祖ごそこれを相そう承じょうす、 ことに善導ぜんどうをもて倚い頼らいとす。 しかうしてのち、 我わが朝ちょうに流布るふすること連々れんれんとしてたえず、 諸しょ師し数揚しゅようすること代々だいだいこれおほし。 慈じ覚かく・慈恵じえ等とうの大だい師しもこぞりて安あん養にょうの往おう生じょうをすゝめ、 楞りょう厳ごん・禅林ぜんりん等とうの先徳せんどくももはら弥陀みだの利り益やくを嘆たんぜり。 しかりといへども、 根こん機きやいまだ熟じゅくせざりけん、 帰奉きぶひろきにあらず、 時じ節せつやいまだいたらざりけん、 宗しゅう旨しなをあらはれず。

爰ここに黒谷くろだにの源空げんくう聖しょう人にん、 生しょうを本ほん朝ちょうに受うけて辺域へんいきの群類ぐんるいを開導かいどうし、 化けを濁じょく世せに施ほどこして西方さいほうの要よう行ぎょうを弘ぐ宣せんす。 初はじめの習学しゅがくは真言しんごん・止し観かんの教きょう門もんなり、 かねて諸しょ宗しゅうにわたり、 あまねく一代いちだいをうかゞふ。 後のちの依え行ぎょうは専修せんじゅ念仏ねんぶつの一門いちもんなり、 ひとへに弥陀みだをあふぎ、 た0428ゞ極楽ごくらくをすゝむ。 これすなはち、 そのかみ恵え心しんの ¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ を見み給たまいけるより厭えん穢ね欣ごん浄じょうのこゝろもやうやくすゝみ、 劣れっ機き得脱とくだつの益やくのむなしかるまじきことはりも信しんをもよほし給たまいけるか。

-彼かの ¬集しゅう¼ にひきもちゐるところ、 おほく導どう和か尚しょうの釈しゃくをもて規のりとせり。 これによりて、 ¬観かん経ぎょう義ぎ¼ を披ひ閲えつし給たまうこと数す遍へんののち、 忽たちまちに自じ力りきの局情きょくじょうを捨すてて新あらたに他た力りきの奥おう旨しを得えたまへり。 たゞしみづからの出しゅつ離りにをいてはすでに決けつ定じょうせり。 他たのためにこの法ほうをひろめんとおもふに、 わが詳しょう覈かくするところの義ぎ、 仏ぶつ意いにかなふやいなや。 大だい事じの因縁いんねんたるによりてなを心労しんろうの肝胆かんたんをくだき給たまいけるに、 夢ゆめの中なかに証しょうをえて慥たしかに仏ぶっ可かを蒙こうむり給たまいけり。

-いはゆる▲紫し雲うん靉靆あいたいとして太たい虚こにおほひ、 光こう明みょう赫奕かくやくとして世せ界かいをてらす。 また高山こうざんの険けん阻そなるあり、 彩雲さいうん峯みねの上うえにそびく。 長ちょう河がの浩汗こうかんたるあり、 霊れい鳥ちょう波なみの辺ほとりにかける。 更さらに穢土えどの境きょう界がいにあらず、 浄じょう刹せつの荘しょう厳ごんにことならず。 雲くもの中なかに一ひとりの僧そうあり、 上かみは墨染すみぞめの衣ころも、 下しもは金色こんじきの服ふくなり。 上しょう人にん誰たれとかせんと問とい給たまうに、 僧そうこたへてのたまはく、 我われはこれ善導ぜんどうなり、 汝なんじ専修せんじゅ念仏ねんぶつを弘ぐ通ずうせんと欲ほっするがゆへに、 証しょうをなさんがためにきたれるなりと云々うんぬん。

-しかれば、 聖しょう人にんみたて給たまうところの義ぎ、 和か尚しょうの御ぎょ意いにたがはざること知しりぬべし。 和か尚しょうは弥陀みだの応おう化げにてましませば、 和か尚しょうの許きょ可かはすなはち弥陀みだの印いん定じょうなり。 今こん時じの衆しゅ生じょう、 悪あく世せの0429群類ぐんるい、 かの化け導どうをあふぎ、 その示じ誨かいにしたがふべきものなり。

-聖しょう人にんの後のち、 業学ごうがく解げ林りんをなし、 門もん流りゅうみなまたをわかてる中なかに、 善信ぜんしん聖しょう人にん親鸞しんらんと申もうししは面授めんじゅ上じょう足そくの弟子でし、 内ない外げ通達つうだつの高徳こうとくなり。 ▲俗ぞく姓しょうは藤原ふじわら、 皇太こうたい后ごう宮ぐうの大進だいしん有範ありのりの息男そくなんなり。 幼よう稚ちにして父ちちに喪そうし給たまいけるを、 伯はく父ふ若狭わかさの三さん位み 範綱のりつな卿きょう 猶ゆう子しとして交きょう衆しゅをいたす、 扶持ふじの力ちからともなり、 文学もんがくをはげむ提撕ていぜいの訓おしえをも加くわえられけり。 また式しき部ぶの大たい輔ふ 宗業むねなり卿きょう もおなじく伯はく父ふにておはしけるが、 彼かの卿きょうに対たいし奉たてまつりて説せつをうけたてまつらるゝ事共ことどももありけるとなん。 かくて生しょう年ねん九く歳さいの時とき、 養よう和わ元年がんねん春はるの比ころ、 若狭わかさの三さん位み 于時ときに四し品ぼん 青しょう蓮れん院いん慈じ鎮ちん和か尚しょうの貴き房ぼうに伴参ばんさんして、 すなはち出しゅっ家けをとげしめ範宴はんねん少しょう納な言ごんの公きみと号ごうせられき。

-同おなじき年とし登檀とうだん受戒じゅかい、 それよりこのかた顕けんを学がくし密みつを行ぎょうずるつとめをこたらずして、 蛍ほたるをひろひ雪ゆきをあつむる功こうおほくつもる。 しかれども三さん止し三観さんがんの窓まどの前まえに百ひゃく界かい千如せんにょの月つきやゝもすればくもりやすく、 五ご相そう五ご輪りんの壇だんの上うえに六天ろくてん四し曼まんの花はなしきりにあざやかなる色いろをかくせり。 かゝりければ滅罪めつざい生しょう善ぜんのはかりごと、 事理じりにつけてとゝのほらず、 自じ行ぎょう化他けたの益やく、 彼此ひしともにそむけり。 されば仮け名みょうの修しゅ行ぎょうなにゝかはせん。 いかにしてか、 このたびまめやかに生しょう死じをまぬかるゝ道みちをえんと思おもい給たまいければ、 つねに住じゅう山ざんをくはだて、 とこしなへに練れん行ぎょうをいたして医い王おう・山王さんのうにもこの一いち事じをのみ0430祈き請しょうし、 大だい師し・祖師そしにも他たの悉しつ地じを申もうさるゝ事ことはなかりけるうへに、 娑しゃ婆ば世せ界かい施せ無畏むい者しゃの悲ひ願がんをたのみ日本にっぽん伝灯でんとう上じょう宮ぐう王おうの済さい度どを仰あおぎて、 山さん上じょうより西にし阪本さかもとにかゝり、 六角ろっかく堂どうへ百ひゃく日にちの参詣さんけいをいたし給たまいて、 ねがはくは有う縁えんの要法ようぼうをしめし真しんの知ち識しきにあふことをえしめたまへと、 丹誠たんせいを抽ぬきんで祈いのり給たまうに、 九く十じゅう九く日にちに満まんずる夜よの夢ゆめに、 末代まつだい出しゅつ離りの要よう路ろ念仏ねんぶつにはしかず。 法然ほうねん聖しょう人にんいま苦く海かいを度どす。 かの所ところに到いたりて要津ようしんを問とうべきよし慥たしかに示じ現げんあり。

-すなはち感涙かんるいをのごひ、 霊告れいこくに任まかせて吉水よしみずの禅室ぜんしつにのぞみ、 事ことの子し細さいを啓けいし給たまいければ、 発心ほっしんの強ごう盛じょうなることも有ありがたく、 聖しょう応おうの掲焉けちえんなることも他たに異ことなりとて、 聖しょう道どう・浄じょう土ど、 難なん易いの差別しゃべつ手てを取とりてさづけ、 安心あんじん起き行ぎょう、 肝要かんようの奥おう旨し、 舌したを吐はきて述のべ給たまいけるに、 日ひ来ごろの畜懐ちくかいこゝに満足まんぞくし、 今こん度どの往おう生じょう忽たちまちに決けつ定じょうしぬと悦よろこびたまふ。 于時ときに建仁けんにん元年がんねん 辛かのとの酉とり 聖しょう人にん廿にじゅう九く歳さい、 聖しょう道どうを捨すてて浄じょう土どに帰きし、 雑ぞう行ぎょうを閣さしおきて念仏ねんぶつを専もっぱらにし給たまいける始はじめなり。 すなはち所望しょもうによりて名みょう字じをあたへたまふ。 その時ときは綽しゃく空くうとつけ給たまいけるを、 後のちに夢む想そうの告つげありける程ほどに聖しょう人にんに申もうされて善信ぜんしんとあらため、 又また実じつ名みょうを親鸞しんらんと号ごうし給たまいき。

-しかありしよりのち、 或あるいは制作せいさくの ¬選せん択じゃく集しゅう¼ をさづけられ、 或あるいは真影しんねいの図画とがをゆるされて殊ことに慇懃おんごんの恩誨おんかいにあづかり、 あくまで巨こ細さいの指し授じゅをかうぶり給たまいけり。 されども身みに才さい智ちをたくはへながら、 ことさらに学がく解げを事こと0431とせらるゝすがたもなく、 こゝろを浄じょう域いきにすましむといへども、 あながちに世せ塵じんをとをざかる行ぎょう儀ぎをも表ひょうし給たまわざりけり。

-黒谷くろだにの大だい祖そ聖しょう人にん、 真しん宗しゅうの興こう行ぎょうによりて遠おん流るの罪責ざいせきに及およびし時とき、 門弟もんていの上じょう足そく同どう科かの沙汰さたありしに、 この上しょう人にんもその中なかとして越後えちごの国くに国こく府ぶにうつされて、 おほくの春秋しゅんじゅうを送おくりたまひけり。 明めい師し聖しょう人にん帰き京きょうの時とき、 おなじく勅ちょく免めんありけれども、 事ことの縁えんありて東国とうごくにこえ、 はじめ常陸ひたちの国くににして専修せんじゅ念仏ねんぶつをすゝめたまふ。 これひとへに辺へん鄙ぴ在ざい家けの輩ともがらをたすけて、 済さい度ど利り生しょうの本ほん意いをとげんとなり。

-おほよそ聖しょう道どうの諸しょ教きょうは根こん性じょう利とき者もののため、 弥陀みだの一いっ教きょうは鈍根どんこん無智むちにかうぶらしむ。 されども難なん行ぎょうの聖しょう道どうをすて易い修しゅの真門しんもんに入いりても、 行ぎょう学がくをはげむとはげまざると差別しゃべつなきにあらず。

-しかるゆへは、 まづ学がく路ろにあゆまんとする人ひとは、 ふかく三さん経ぎょう一論いちろんの玄げん旨しをわきまへ、 ひろく異い朝ちょう和わ国こくの典籍てんせきをうかゞひて、 法ほう命みょうをもつぎ、 人にん師しともなる。 まことに智ち水すいもしうるほさずは、 善ぜん苗びょうをそだてがたく、 恵え灯とうもしかゝげずは、 いかでか迷暗めいあんをてらすべきなれば、 その器うつわにたへたらん人ひともとも庶しょ幾きするにたれり。 しかりといへども、 まなぶものは牛ぎゅう毛もうのごとく、 なすものは麟角りんかくのごとくなるゆへに、 もし学がくの浅深せんじんによりて益やくの得とく否ふあるべくは、 天性てんせい至愚しぐの族やからはながくその望のぞみをたちぬべし。

-次つぎに行ぎょう門もんにおもむく人ひとは昼ちゅう夜や六ろく時じの策しゃく励れいをいたして、 転てん0432経ぎょう念仏ねんぶつの熏修くんじゅをつむ。 随したがいて欲塵よくじんの境きょう界がいをはなれ、 遁世とんせいの威儀いぎをむねとして厭えん離り穢土えどの素そ懐かいをあらはし、 道心どうしん純熟じゅんじゅくの形状ぎょうじょうをしめすなり。 当世とうせいの人ひとの欲ほっするところ、 おほくはこれにあり、 かくのごとくならざらん人ひとは、 ほとほと往おう生じょうしがたしとおもへり。 解げ行ぎょうの修しゅ習じゅうもともねがふべしといへども、 大だい悲ひの利り生しょうまたくこれにかぎるべからず。

-今いまの二途にとにもれてその一徳いっとくもなき田舎いなか卑ひ賤せんの下げ輩はい、 一文いちもん不ふ通つうの愚ぐ人にん、 仏法ぶっぽうの名みょう字じをもきかず、 因いん果がの道どう理りをもしらで、 解げ脱だつの術すべをうしなひ、 出しゅつ離りの道みちにまよへる没々もつもつの群ぐん生じょう、 闇々あんあんの衆類しゅるいに至いたるまで、 仏ぶつ意い豈あにすてたまはんや。 知ち識しきにあはずしてむなしく人身にんじんを失しっせんこと、 かなしむべし、 かなしむべし。

-謹つつしみて光こう明みょう寺じの和か尚しょうの解げ釈しゃくをひらくに、 「▲諸仏 の大悲 は於 す↢苦  ある者 に↡。 心偏 に愍↢念   したまふ常没 の衆生 を↡」 (玄義分) とのたまへり。 このゆへに、 下機げきの中なかになを下機げきをあはれみ、 悪人あくにんの中なかになを悪人あくにんをめぐみて、 無む縁えんの慈悲じひをほどこし救苦ぐくの方便ほうべんをめぐらし給たまうらん。 二に尊そんの仏ぶつ意いに順じゅんじてかれらを済さい度どせんと企くわだてたまへりし本懐ほんかいことに甚深じんじんなり。 これによりて、 在ざい世せの弘ぐ教きょうもいたりてあまねく、 滅めつ後ごの興法こうぼうも今いまにさかりなり。

本ほん廟びょうは京きょう都と白河しらかわ大谷おおたににあり、 知ち恩おん院いんの西にしの辺ほとり本願ほんがん寺じこれなり。 根本こんぽんの門弟もんていはもはら東国とうごくにみち、 枝し末まつの余よ塵じんはやうやく諸邦しょほうにをよぶ。 面授めんじゅの弟子でしおほかりし中なかに、 奥おう0433州しゅう東ひがし山やま如信にょしん上しょう人にんと申もうす人ひとおはしましき。 あながちに修学しゅがくをたしなまざれば、 ひろく経きょう典てんをうかゞはずといへども、 出しゅつ要ようをもとむるこゝろざしあさからざるゆへに、 一ひとすぢに聖しょう人にんの教きょう示じを信仰しんこうする外ほかに他事たじなし。

-これによりて、 幼年ようねんの昔むかしより長ちょう大だいの後のちにいたるまで、 禅ぜん牀しょうのあたりをはなれず。 学窓がくそうの中なかにちかづき給たまいければ、 自みずからの望のぞみにて開かい示じにあづかり給たまう事ことも時ときをえらばず。 他たのために設せっ化けし給たまうときも、 その座ざにもれ給たまうことなかりければ、 聞法もんぼうの功こうもおほくつもり、 能のう持じの徳とくも人ひとにこえ給たまいけり。 かの阿あ難なん尊者そんじゃの常つねに仏ぶつ後ごにしたがひ、 身み座下ざげに臨のぞみて多た聞もん広識こうしきの名なをほどこし、 伝説でんせつ流る通ずうの錯あやまりなかりけるも、 かくやとぞおぼゆる。

この上しょう人にんの弟子でしまたそのかずあり。 東国とうごくには数す輩はいにをよぶ。 処々しょしょの道どう場じょうをのをの化け益やくをいたす。 京きょう都とには一人いちにんの尊そん宿しゅくまします、 勘解かげ由ゆの小路こうじ中ちゅう納な言ごん法印ほういん坊ぼう 宗そう昭しょう これなり。 当とう流りゅう伝来でんらいの譜ふ系けいをば今こん師しよりうけ、 親鸞しんらん聖しょう人にんの遺跡ゆいせきをば先考せんこうよりつたへたまへり。 これ一いち流りゅうの法ほう将しょう、 当とう教きょうの名哲めいてつなり。 初はじめは南なん京きょうの綱こう維いをへて三み笠かさ山やまの春はるの花はなにおもひをそめ、 後のちには西さい土どの行ぎょう人にんとなりて九く品ぼん台だいの秋あきの月つきに心こころをぞすまされける。 さるまゝには大旨おおむねは篭居ろうきょの体ていなり。 しかどもとりわき外げ相そうに遁世とんせいの儀ぎを標ひょうせらるゝ事こともなし。 たゞ内心ないしんに後ご生しょうの得脱とくだつをねがひ給たまうばかりなり。

-さりながら念ねん0434仏門ぶつもんの衆しゅ中ちゅうにしては隠遁いんとんの名みょう字じをもなのり給たまいけり。 或あるいは覚如かくにょと称しょうせらるゝ時ときもあり、 一実いちじつ真如しんにょの極ごく理りを覚かく知ちする謂いいを存ぞんじ給たまうなるべし。 或あるいは毫ごう摂しょうと号ごうせらるゝおりもあり、 白びゃく毫ごう摂取せっしゅの光益こうやくを受じゅ得とくする思おもいをなさるゝなるべし。 しかれども人ひとはたゞ法印ほういんとのみ申もうししを、 自じ身しんにもしゐて辞じせらるゝ事こともなかりけり。 これすなはち外げ相そう賢善けんぜんの儀ぎを現げんぜず、 遁世とんせい捨しゃ家けのすがたもなかりしによりて、 もとより居こし給たまいし綱こう位いなれば、 喚よび習ならいたてまつりしにつきて、 よそにもあらためず、 我われとしてもいとはるゝ事こともなかりけり。

-本ほん寺じの交きょう衆しゅを止やめて浄じょう土どの行ぎょう人にんとなりし人ひとも、 このためしなきにあらず。 長ちょう楽らく寺じの隆りゅう寛かん律りっ師し、 生いく馬まの良りょう遍へん法印ほういん等とうこれなり。 「大隠だいいんは朝市あさいちにかくる」 といふ事こともあれば、 中々なかなかありのまゝなるは末代まつだい相応そうおうの作さ法ほうをふるまひ給たまいけるにやと、 様さまかはりてたうとくこそ。

こゝにかの尊老そんろうの開導かいどうを蒙こうむりて、 わが当来とうらいの資し貯ちょをになへるひとりの羊僧ようそうあり、 名なを乗じょう専せんといふ。 身みをろかに、 こゝろくらく、 智ちもなく、 行ぎょうもなし。 放逸ほういつにして悪業あくごうのおそるべきをもしらず、 懈け怠だいにして善種ぜんしゅのうふべきをももとめず。 現在げんざいの罪ざいけんむなしからずは、 未み来らいの悪あく果かいかでかのがれん。 而しかるに過去かこの微み縁えんやもよほしけん、 この門もん下かにのぞみてあらあら 「三さん部ぶ経きょう」 の文もん字じ読よみをもいたし、 聖しょう人にんの御ご己こ証しょうとて演説えんぜつ0435にあづかりしかば、 信仰しんこうのおもひ肝きもにそみ、 帰依きえのこゝろざし骨ほねにとほりておぼえ侍はべりし程ほどに、 曠劫こうごう多た生しょうの芳縁ほうえんもことにおもひしられ、 今こん生じょう昵近じっきんの忠ちゅう節せつもひとへに他たをわすれき。

-宗そう家けの解げ釈しゃくをうかがふに、 在ざい世せの声しょう聞もん衆しゅの仏辺ぶっぺんをはなれざる意こころをのべ給たまうとして、 「▲迦葉等 の意、 唯自み 曠劫 に久 く沈 て↢生死 に↡循↢還   すること六道 に↡、 苦不↠可↠言。 愚痴・悪見  にして封↢執 し邪風 に↡、 不↠ して値あ↢は明師 に↡永 く流 る↢於苦海 に↡。 但 し以 て↢宿縁 を↡有 り↢遇たまたま得↟ こと会↢  ことを慈尊 に↡。 法釈無↠ して私、 我 が曹ともがら受 く↠潤 を。 尋 ね↢思  ふに仏 の之恩徳 を↡、 砕 く↠身 を之極罔然。 たり 致 す↠使↧  ることを親  しく事↢ へて霊儀 に↡、 無な↞ から由↢暫  くも替↡ るに」 (序分義) とのたまへる。 凡ぼん聖しょうあひことなれども師しをたうとむべき志こころざしもこゝにあらはれ、 賢けん愚ぐおなじからざれども恩おんをおもふべきことはりもしりぬべし。

-聖しょう人にんの ¬教行きょうぎょう証しょうの文類もんるい¼ (化身土巻) にも、 或あるいは ¬涅ね槃はん経ぎょう¼ に、 「▲一切 の梵行 は因よ ハ↢る善知識 に↡ナリ。 一切 の梵行因雖↢  へども無量、  なりと説↢ くにケバ善知識 を↡則已 に摂尽  しぬ」 といへる文もんをひき、 或あるいは ¬華け厳ごん経ぎょう¼ に、 「▲汝念↢ ぜよ善知識 を↡。 生↠  ずること我 を如 く↢父母 の↡、 養↠ こと我 を如↢  くして乳母 の↡、 増↢長 す菩提分 を↡」 といへる説せつをのせて、 師し恩おんの報ほうじがたきことをのべ、 知ち識しきををもくすべきことをしるしたまへり。

-さればこゝろばかりは常じょう随ずい給きゅう仕じの功こうをつまんと思おもいしかども、 なを数す年ねんの病びょう患げんにさへられて不ふ慮りょの間断けんだんあることをかなしみ、 一ひとすぢに報恩ほうおん謝徳しゃとくの勤つとめをいたさんとはげみしかども、 まめやかに身しん命みょうをわするゝばかりの誠まこともなくてやみぬる0436ことのかなしさに、 かの生しょう涯がいの行状ぎょうじょうを筆墨ひつぼくにしるして数す廻かいの恩言おんごんを承たてまつりしになずらへ、 その記き録ろくの旨し趣しゅを丹青たんせいにあらはして、 平日へいにちの尊顔そんげんに向むかいたてまつりしに擬ぎせんとおもふ。

-たゞし一いち期ごの行ぎょう事じ、 八はち旬じゅんの挙動きょどう、 くはしくしりたてまつるにあたはず、 さだめて簡要かんようたるべき事ことのもるゝも侍はべるらん。 たゞ法門ほうもん宣説せんぜつの砌みぎりにして、 おりにふるゝ雑談ざつだんもありし次ついでに、 聖しょう道どう経歴きょうりゃくの古いにしえの事ことをもかたりいで、 真しん宗しゅう帰き入にゅうの昔むかしのゆへをもしめし給たまいしことのをのづから耳みみにとゞまり、 わづかにこゝろにうかぶをしるしはんべれば、 外げ人にんは後こう素そにあらはすばかりの奇き特どくは何事なにごとぞなど嘲あざけりをもくはへ、 後輩こうはいは編へん次じをなせることばの首しゅ尾びとゝのほらざるを見みて唇くちびるをかへしぬべし。

-これをかへりみざるにはあらずといへども、 これをいたみとするにはたらず。 しかるゆへは、 もとより外見がいけんをば禁きんぜんとおもふ。 他た人にんのみん時ときは謗そしりをばいたすとも、 信しんずべからざるがゆへに、 あながちに拙せつ詞しをばはぢず、 愚士ぐしの記きする所ところは美びをもとむといふとも、 優ゆうなるべからざるがゆへなり。 たゞわが尊崇そんすうの余あまりあるこゝろにまかせ、 ひとへにみづからの帰き敬きょうの貳になき思おもいにもよほさるゝばかりなり。 つねに真影しんねいの傍そばに安あんじて、 ながく後弟こうていにつたへんとなり。 いま篇へんをたつること二に十じゅう八段はちだん、 帙ちつをわかつこと一いち部ぶ七巻しちかん、 なづけて 「最須さいしゅ敬重きょうじゅうの絵え」 といふ。

▲抑そもそも0437大だい和か尚しょう位い尊老そんろうは、 まづ俗ぞく姓しょうは藤原ふじわら氏うじ、 日野ひのの後胤こういんなり。 白河しらかわ院いんより近衛このえ院いんにいたるまで五ご代だいの 聖せい朝ちょうに仕つかえたまひし兄けい弟てい二に人にんの賢臣けんしんおはしましけり。 家か兄けいは都と督とく納な言ごん 実光さねみつ卿きょう、 才幹さいかん世よにもちゐられ、 朝獎ちょうしょう他たにことなりき。 その遺い流りゅうはいまも累葉るいようの芳塵ほうじんたえずして、 一いっ家けの余よ光こう身みをてらし給たまうめり。 舎弟しゃていは式しき部ぶの大たい輔ふ宗光むねみつ朝臣あそん、 これも文学もんがくの嘉か名みょうともがらにはぢずして、 おなじく官学かんがくの両りょう道どうにあゆみ給たまいければ、 廷てい尉いの顕けん職しょくにもいたり、 尚しょう書しょの一台いちだいにもつらなられけり。

-その子し息そく経つね尹ただ朝臣あそん、 阿波あわの守かみにて翰林かんりんを兼けんし給たまいけるが、 年としわかく位くらいあさくて、 世よをはやうせられけり。

-▲その子こ勘解かげ由ゆの三さん位み 宗業むねなり卿きょう、 学校がくこう疑ぎ関かんのみち人ひとにすぐれ、 博覧はくらん懸けん河がの誉ほまれ世よにあまねし。 五ご更こうの間あいだに応おうじ、 四し英えいの一ひとりにかぞへられ給たまいき。

-しかるに承久じょうきゅう騒乱そうらんの時とき、 天てん下か転変てんぺんの刻きざみ、 家いえにあらざる弓きゅう箭せんにたづさはることなく、 業わざをうくる筆硯ひっけんにまつはるゝ外ほかにあやまつことなかりしかども、 「火炎も↢  ゆるときは崑岳 に↡、 礫石与↢琬琰 と↡倶梵や。く 厳霜夜零おつ、  るときは蕭蔥与↢芝蘭↡共 に尽 ぬ」 (文選) といへるゆへにや、 仙洞せんとう近習きんじゅの人々ひとびとおほく牢篭ろうろうし給たまいける随一ずいいちにて、 所帯しょたいの荘しょう園えんみな武ぶ勲くんの賞しょう賜しとなり、 拝趨はいすうの要よう路ろことごとく不ふ慮りょの収しゅう公こうに及およびしかば、 子し孫そん身みを全まったくすべき計はからいなく、 家か門もん塵ちりを継つぐべき道みちをたゝれけり。

-▲されども子し息そく上野こうずけの三さん位み 信綱のぶつな卿きょう、 その子こ左衛さえ門もん佐のすけ広綱ひろつなに至いたるまで形かたちのごとくなを朝ちょう廷ていにわ0438しり、 皇こう家かにつかふる身みにておはしけり。

-▲かの金きん吾ごに一人いちにんの息男そくなんあり。 いまだ首服しゅふくにおよばず、 童どう名みょう光寿こうじゅと申もうしけるが、 七歳しちさいの時とき父ちちにをくれてはやくみなしごとなられにけり。 身みに便たよりをうしなへること水みずを離はなれたる魚うおのごとく、 世よに馮たのみなきこと陸おかにふせる亀かめに似にたり。 仍よりていとけなきこゝろに世せい路ろの険難けんなんのあゆみがたきことをしり、 帝てい都との勁節けいせつのつきがたきことを顧かえりみて釈しゃく門もんにぞおもひたゝれける。 すなはち大蔵おおくら卿きょう三さん位み 光国みつくに卿きょう の引導いんどうとして青しょう蓮れん院いん二に品ぼん親王しんのう 尊助そんじょ の門もん下かに参さんじ、 出しゅっ家け得とく度どの本ほん意いをとげて密みっ教きょう修しゅ習じゅうの浄じょう侶りょとなられけり。

-▲やがて熾し盛じょう光こう院いんの有う職しきに補ほせられて、 中ちゅう納な言ごん阿あ闍じゃ梨り宗恵そうけいとぞ申もうしける。 かくて門跡もんぜきに侍はべりて次し第だいの受法じゅほうなどありけるが、 闍じゃ梨り思おもい給たまいけるは、 累代るいだい勤王きんのうの家いえを出いでぬるは、 人にん中ちゅう交きょう衆しゅの力ちからをうしなふが故ゆえなり。 いま僧そう家けに入いるといへども、 なを俗塵ぞくじんのまじはりにことならず。 竹園ちくえん貴き禅ぜんの門人もんじんに列つらなりて華け蔵ぞう上乗じょうじょうの教きょう法ぼうにたづさはることは、 真俗しんぞくに付つきて慶幸けいこうといひつべし。 されども高官こうかん重職じゅうしょくにのぼりたりとも、 浮ふ生しょうの栄名えいめいひさしくたもつべきにあらず。 受じゅ職しょく潅かん頂じょうをとげたりとも、 即身そくしんの証しょう悟ご我われにをいて成じょうじがたし。 真門しんもんにこゝろをすます身みとならんこそ心こころ安やすけれとて、 門主もんしゅに暇いとまを申もうし忽たちまちに黒こく衣えをぞ著ちゃくせられける。 すなはち房号ぼうごう覚かく恵えと称しょうす。

-かゝりけるも幼よう少しょうより聖しょう人にんの御膝おんひざの下もとにありて、 撫ぶ育いくの恩おんにもあ0439づかり、 教きょう訓くんの詞ことばをも蒙こうむり給たまいければ、 諸しょ教きょうの得道とくどうの下機げきに相応そうおうしがたき旨むねをもつねに耳みみにふれ、 弥陀みだの本願ほんがんの鈍根どんこんを引いん摂じょうする益やくをもおろおろ聞ききなれ給たまいけるゆへに、 かく思おもい入いれ給たまいけるなるべし。

-されども聖しょう人にんの芳言ほうごんをば承うけたまわり給たまいながら、 ひとへに信しん順じゅんの儀ぎまではなかりしかばとて、 これも如信にょしん上しょう人にんをもて師し承しょうとし、 親鸞しんらん聖しょう人にんをば祖師そしとあがめたてまつり給たまいけり。 すなはち廟びょう堂どうの寺務じむとして門もん流りゅうの正統せいとうなり。

-▲いまの大だい和か尚しょうはかの闍じゃ梨りの真弟しんていなり、 母ははは中原なかはら氏うじ、 周防すおうの守かみなにがしとかや申もうしける人ひとの女むすめなり。 人王にんのう八はち十じゅう九く代だい、 亀山かめやま院いんの御ぎょ宇う、 *文永ぶんえい七年しちねん 庚かのえの午うま 十じゅう二に月がつ廿にじゅう八日はちにちの夜よ三さん条じょう富とみ小路こうじの辺ほとりにて誕たん生じょうあり。 如来にょらい滅めつ後ご二に千せん二に百ひゃく十じゅう九く年ねん、 祖師そし鸞らん聖しょう人にんの遷せん化げにおくれたること八はちヶ年ねんなり。 かの聖しょう人にんの円えん寂じゃくは十じゅう一月いちがつ廿にじゅう八日はちにち、 この尊老そんろうの降誕ごうたんは十じゅう二に月がつ廿にじゅう八日はちにち、 かれは入にゅう滅めつ、 これは出しゅっ胎たい、 かれは仲ちゅう冬とう、 これは季き冬とう、 同おなじき日ひにしもあたれるは帰き敬きょうの信心しんじんのいとゞもよほす端はしともなりぬべく、 始し末まつの化け導どうのおなじかるべき義ぎもおもひあはせらるゝものなり。

*文ぶん和わ元歳がんさい 壬みずのえの辰たつ 十じゅう月がつ十じゅう九く日にち令りょう書写しょしゃ安あん置ち之し

隠倫おんりん乗じょう専せん

 

0440最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし二

  第だい二に段だん

代々だいだいの例れいにて童どう名みょうには光こうの字じをつけられければ、 これも光仙こうせんとぞ号ごうせられける。

-文永ぶんえい九く年ねん秋あきのころ、 母ぼ堂どう病やまいの牀とこにふして日ひをわたり給たまいけるに、 光仙こうせん殿そのその時ときは三歳さんさいなれば、 いまだ知母ちぼの齢よわいにもいたらず。 そのうへ乳母うばのふところにのみいだかれて、 さだかに生せい母ぼの恩愛おんないをわきまへ給たまうべきならぬに、 母ははの労いたずきたまふことを知しりて、 しきりにこゑをたてゝなき、 ともすれば顔かおをまもりて、 なげきの色いろをぞあらはされける。 さる程ほどに八月はちがつ廿日はつか無む常じょうの秋あきの風かぜにさそはれて、 有為ういの夕ゆうべの露つゆときえ給たまいにき。 この時ときにあたりてかなしみしたひ給たまうことかぎりなし。 その体ていたゞ成人せいじんのごとくにみえ給たまいけるは不ふ思議しぎの事ことなり。 おほよそおさなくてのありさま、 襁きょう褓ほうムツキ の中なかにありてもみだりに涕てい泣きゅうすることなく、 同どう稚ちの輩ともがらにまじはりても強あながちに遊戯ゆげすることなし。 言行げんこうともにとゝのほりてあまりに老おいずけたるまでにみえ給たまいけり。

-或時あるとき厳親げんしんのところに客きゃく人じんのきたれるあり。 かの人ひとひさしくまうでこざりけるが、 月つき日ひをへてきたりのぞみけるに、 日ひ来ごろの疎そ遠えんを謝しゃせんとやおもひけん。 父ちちにてはべる翁おきなの0441おもひの外ほかなる問号もんごうを負おいたる事ことの侍はべりて、 さやうの事ことはるけんとせし程ほどに暇いとまをえがたくて、 かくかきたえをとづれもまうさず侍はべりつると申もうしけるを、 その人ひとかへりて後のちに、 虚実きょじつをばしらず、 問号もんごうとは盗ぬすむといふ事こと歟か、 よからぬ名ななればこの事こと申もうさずともありなんと人々ひとびといひしろひけるに、 かたへはなにかくるしからん。 これはこゝろなほき人ひとなるゆへに、 身みのをこたりなき由よしをきこえんために、 ありのまゝに申もうすにこそといひけるをきゝ給たまいて、 この小しょう児に五ご、 六歳ろくさいの程ほどにやおはしけん。 さかしらし給たまいけるは、 正しょう直じきなるも事ことにこそよれ、 おやの恥はじをばいかゞあらはすべきと仰おおせられければ、 面々めんめんに舌したをふり、 あなおそろしのおほせられごとや、 道どう理りのをすところ、 げにもさらなりとぞ、 をのをの申もうしける。

-この事ことをおもふに、 まことに幼よう児にの浮ふ言げんといふべからず、 をのづから先せん聖しょうの美旨びしにかなへり。 むかし葉しょう公こうといふ人ひと、 孔こう子しに語かたりていはく、 「吾党わがとう躬みを直なおくする者ものあり、 その父ちち羊ひつじをぬすめり、 子ここれを証しょうす」 (論語) と。 孔こう子しこれを聞ききて、 「吾党わがとうのなほき者ものこれに異ことなり、 父ちちは子この為ためにかくし、 子こは父ちちの為ためにかくす、 直なおきことその中なかにあり」 (論語) とのたまひけり。 かのこゝろのなほきゆへに申もうすにこそと云いいける傍人ぼうじんの異い見けんは、 葉しょう公こうのおもへる直なおしにあたれり。 正しょう直じきなるも事ことにこそよれとおほせられける童どう形ぎょうの一言いちごんは、 孔こう子しののたまへる0442直なおしにかなひて侍はべるにや。

  第だい三段さんだん

厳親げんしん思おもい給たまいけるは、 我われこそいとけなくして父ちちに喪そうし、 徒いたずらに孤ひとりとなりしかば、 庭にわの訓おしえも跡あとなく、 家いえの風かぜもふきたえぬれば、 まづいかにも外げ書しょをまなばしめばやと思おもい給たまいけり。 されども累代るいだいの文書もんじょも失墜しっついしぬ、 訓説くんぜつの相伝そうでんも我わが身みはたどたどし、 一門いちもんの俗ぞく中ちゅうなどにあつらへつけたりとも、 幼学ようがくの扶持ふじいかにも大様おおようなるべければ、 いかゞせましと思おもい煩わずらい給たまいけるが、 とても釈しゃく門もんに入いるべき身みなれば、 あながちに当とう家け・他家たけの説せつをみがき、 紀き伝でん・明経みょうぎょうの点てんをいとはずとも、 たゞ仏ぶっ教きょう修学しゅがくのした目めのためなれば、 さまでその道みちの明哲めいてつならずともありなんとおぼされけり。

-▲爰ここに本もとは叡山えいざんの学侶がくりょにて侍じ従じゅう竪者りっしゃ貞てい舜しゅんといふ人ひとあり。 本山ほんざんの交きょう衆しゅをやめ、 浄じょう土どの行ぎょう人にんとなりて長ちょう楽らく寺じ一方ひとかたの正統せいとうといはれ、 慈じ信しん房ぼう澄ちょう海かいとぞ号ごうしける。 隆りゅう寛かん律りっ師しには孫弟そんてい敬日けいにち房ぼう円海えんかいの附ふ法ほうなり。 山さん上じょうに住じゅうしても随分ずいぶんの宏才こうさいにかぞへられ、 真門しんもんに入いりても超ちょう倫りんの名めい誉よあり。

-しかるにかの人ひと、 厳親げんしん大谷おおたにの幽栖ゆうせいに簷のきをならべて、 浄じょう土ど一いっ宗しゅうの芳好ほうこうに昵なじみをなされければ、 これに対たいして円えん宗しゅうの学問がくもんをも内々ないないとげしめんとおぼされけるに、 この大徳だいとくはたゞ聖しょう道どう・浄じょう土どの先達せんだつたるのみにあらず、 兼かねて周しゅう詩し・和語わごの才幹さいかんもくち0443おしからず。 文ぶん華か風月ふうげつの天骨てんこつも性しょうにうけて、 説道せつどうなども世よにもちゐられ、 何事なにごとにつけても人ひとにゆるされたりしかば、 まづこの老僧ろうそうにつけて内ない外げ典てんあひともに学がくせしめんとぞおもはれける。

-仍よりて文永ぶんえい十じゅう一年いちねん秋あきの比ころにや、 光仙こうせん御ご前ぜん五ご歳さいにて始はじめて ¬朗詠ろうえい集しゅう¼ をうけ給たまいけるよりいくばくの月つき日ひをへず、 四部しぶの読書どくしょの功こうををへ、 其その外ほかの小しょう文ぶんなどもよみ給たまいけり。

-長ちょう大だいの後のちは南なん家けの鴻儒こうじゅ藤とう三さん位み 明範あきのり卿きょう の子し息そく大内だいない記き業範なりのりといひし人ひとの出しゅっ家けのゝち細々さいさいに申もうし通つうぜられけるにぞ訪おとずれ給たまいける。

-▲さて読書どくしょ少々しょうしょうをはりければ、 釈しゃく典てんにとりむかはれけり。 はじめて ¬倶く舎しゃの頌疏じゅしょ¼ を学がくし、 兼かねて天臺てんだいの名みょう目もくをぞ沙汰さたありける。 ¬頌疏じゅしょ¼ はまづ 「世せ間けん品ぼん」 を談だんじけるに、 三界さんがい五ご趣しゅの因いん果が、 九く山せん八海はっかいの建こん立りゅう以下いげおぼつかなからず意こころを得えて、 ほとほと成人せいじんの同学どうがくよりも領りょう解げすゝむことおほかりけり。 ¬本頌ほんじゅ¼ 三十さんじっ巻かんは程ほどなく闇誦あんじゅしてくらきところなし。 かゝりければ法門ほうもんの棟とう梁りょうたらんことをあらまし、 禅林ぜんりんの錦きん繍しゅうたらんことをよろこび思おもいて、 厳親げんしんもいよいよ寵ちょう愛あいをくはへ、 能のう化けもしきりに感嘆かんたんをいたす。

-▲敬日けいにち大徳だいとくの作さくにて、 円えん宗しゅうの要文ようもんをあつめ、 簡要かんようの義理ぎりをしるして ¬初心しょしん集しゅう¼ と題だいしたる五ご帖じょうの秘ひ鈔しょうあり。 すなはちかの自じ筆ひつなるを慈じ信しん房ぼう相伝そうでんしてことに秘ひ蔵ぞうありけるを、 幼敏ようびんの随ずい喜きにたへず、 慇懃おんごんの奥書おくがきを載のせて附ふ属ぞくの芳ほう志しをあらはす。 かの奥書おくがきに云いわく、 「先師0444敬日上人為↢幼学之仁↡、 被↠集↢此要文等↡、 澄海伝↢受之↡。 建治三年仲秋十六日、 依↠為↢法器↡所↠奉↣付↢属光仙殿↡也。 以↠之表↢随分懇志↡而已、 愚老澄海」 と 云々うんぬん。

  第だい四し段だん

▲この小しょう児に、 天性てんせいの聡明そうめい器うつわにうけたるうへ、 苦く学がくの精しょう勤ごんも志こころざしにそみてみえ給たまいければ、 おなじくは本ほん寺じ本山ほんざんの学業がくごうをもとげ、 鳳闕ほうけつ仙洞せんとうの勅ちょく喚かんにもあづかる身みとなしたてまつらばやと厳親げんしんも思おもいたまひ、 傍人ぼうじんも勧すすめ申もうしければ、 弘安こうあん五ご年ねん夏なつの比ころ、 垂髪さげがみ十じゅう三歳さんさいにて、 山門さんもん天臺てんだいの名めい匠しょう宰さい相しょう法印ほういん宗そう澄ちょうときこえし人ひとの室いつへ入いり給たまいけり。 禅房ぜんぼうは法ほう勝しょう寺じの東ひがし下しも河が原わらの辺ほとり、 門もん流りゅうは宗源そうげん法印ほういんの弟子でしなり。 稽けい古こ功こうつもり、 公く請しょう労ろうたけて探題たんだいにのぼり、 証しょう義ぎにいたられければ、 朝奨ちょうしょう名なあらはれて、 ほまれ山洛さんらくに及およびけり。 かの法印ほういんに随したがいて讚仰さんごうありけるほどに、 一いちを聞ききて十じゅうをしる性しょう操そうを感かんじ、 義ぎをさとり文もんを諳あんずる聡敏そうびんをよろこばれけり。

  第だい五ご段だん

かくて年としもあらたまりければ、 弘安こうあんも六年ろくねんになりて、 春秋しゅんじゅう十じゅう四し歳さいなり。 たゞ学問がくもんの器き量りょうの倫りんにトモガラ抜ぬきたるのみにあらず、 容よう儀ぎ事ことがらも優ゆう美びなる体ていなり。 さるまゝには房ぼう中ちゅうの賞しょう翫がんもならぶ人ひとなく、 つたへきくあたりにも事々ことごとしき程ほどにぞいひあつかひけ0445る。

-▲その比ころ、 三井みいの上じょう綱こうにて南滝なんろう院いんの右う大臣だいじん僧そう正じょう坊ぼう 浄じょう珍ちん と申もうす人ひとおはしましけり。 法ほう流りゅうは円満えんまん院いんの二に品ぼん法ほっ親王しんのう 円助えんじょ の御おん弟子でしにて智ち勝しょう大だい師しの遺い流りゅうをつたへ、 俗ぞく性しょうは北きた小路こうじ右う相しょう府ふ 道経みちのり公こう の御ご息そく、 普ふ賢げん寺じ殿どのには御孫おんまごにて二位にいの中将ちゅうじょう 基輔もとすけ公こう と申もうしける英才えいさいの賢息けんそくなり。 真俗しんぞくにつけて時ときめき給たまいけるが、 その御ご房ぼうへまいりかよふ人ひとの宗そう澄ちょう法印ほういんの辺ほとりにもひとつなる事ことありければ、 下しも河が原わらの坊ぼうにかゝる垂髪さげがみの入室にっしつし侍はべるなるが、 かの小しょう僧房そうぼうにあたら児にを置おきたる事ことの目めざましさよ、 この御ご房ぼうへかどひとらせおはしませかしと申もうしいでたりけるを、 僧そう正じょう坊ぼうきゝ給たまいて、 かの縁者えんじゃはいかなるあたりにか尋たずね聞ききて談だんじこゝろみよかしと仰おおせられけるを、 さては院主いんじゅの御ぎょ意いにもさおぼしめしたるにこそとぞ面々めんめんに申もうしける。

-▲或時あるとき若じゃく輩はい等とう会合かいごうの事ことありける盃はい酌しゃくの砌みぎりにて、 此この事ことをかたりいだしけるが、 其その座ざに本ほん寺じの衆しゅ徒となど少々しょうしょうありけるを棟とう梁りょうとし、 酔よいのまぎれにかれこれ与よ同どうして、 わかき者共ものども上じょう下げ三さん十じゅう余よ人にん、 甲かっ冑ちゅうを帯たいし兵仗ひょうじょうをとゝのへて、 かの房ぼうに発向ほっこうしけるに、 おりふし房主ぼうしゅ法印ほういんは登山とうざんの程ほどにて、 留守るすの輩ともがらわづかに四し、 五ご人にんぞありける。 よき隙すきなりければ、 おし入いりて馬うまにいだきのせたてまつり、 軍ぐん兵ぴょう前ぜん後ごにかくみて帰かえりける程ほどに、 更さらに手てむかへにをよばず、 事ことゆへなくて率そつ爾じの入室にっしつありける、 慮外りょがいの事ことなり。

-僧そう正じょう坊ぼうは穏便おんびんならぬ事ことかなと仰おおせられな0446がら、 心しん中ちゅうには悦えつ喜きし給たまいけり。

  第だい六段ろくだん

下しも河が原わらの坊ぼうの留守るすよりいそぎ山さん上じょうへ告つげたりければ、 法印ほういんとる物ものも取とりあへず下げ山ざんせられけり。 こはいかにしつる事ことぞとて、 たゞ大息おおいきをつきあきれたる体ていにてぞおはしける。 これも房人ぼうにんの名なをかけ経廻けいかいする衆しゅ徒となどもありければ口惜くちおしき事ことなり。 奪うばい返かえすべきよし内談ないだんありけれども、 法印ほういん極信ごくしんの人ひとにて申もうされけるは、 所存しょぞんをとげんとせば、 さだめて戦闘せんとうにをよぶべし、 事こともしひろくならば、 たちまちに両りょう門もんの確執かくしつとしてほとほと九く洛らくの騒動そうどうにもなりなん。 留守るす無ぶ人にんの時ときなれば、 さまでの恥ち辱じょくにあらず、 法ほう器きこそおしけれども力ちからなき次し第だいなり。 たゞ自じ然ねんに離り房ぼうのよしにてこそあらめ、 あひかまへて披ひ露ろうにをよぶべからずと厳制げんせいを加くわえられければ、 無ぶ沙汰さたにてやみにけり。

  第だい七段しちだん

さて南滝なんろう院いんには寵ちょう異いことにはなはだしく、 愛玩あいがんきはまりなかりけり。 あまたの児に達たちの中なかにも所ところををかれて名みょう字じを慥たしかによばるゝ事こともなく、 おさなくて阿古あこ阿古あことなのられける、 そのかた名なをぞよばれ給たまいける。 未み来らいには院いん家げのうち一方ひとかたの管かん領りょうをゆる0447して、 本尊ほんぞん・聖教しょうぎょうの附ふ属ぞくもあるべきむねなどしめされければ、 厳親げんしんこの由よしを聞きき給たまいて、 両りょう門もん経歴きょうりゃくの条じょうも本ほん意いにそむき、 転変てんぺん率そつ爾じの儀ぎもおだやかならずおぼゆれども、 これ又また宿しゅく縁えんあるゆへにこそと、 心しん中ちゅうには不ふ思議しぎにぞ思おもい給たまいける。

-院主いんじゅかやうにもてなされければ、 院いん家げ被ひ官かんの門侶もんりょ老ろう若にゃくをいはず、 われおとらじとあつまり、 徒然つれづれをなぐさめたてまつらんとて、 日々にちにちに献けん酬しゅうの儀ぎをとゝのへ、 時々じじに遊宴ゆうえんの席せきをのぶ。 すこしまことしき事こととては歌うた連れん歌がなどぞ有ありける。 さならで長じょう時じのあそびには囲碁いご・双六すごろく・将しょう騎ぎ・乱らん碁ご・文字もじ鎖ぐさり、 なぞなぞせぬ態たいもなく、 いかにしてか興きょうにいらんとのみぞしける。 かゝる座ざ席せきにも、 さて黙もく止し事ことなく、 なにはの事ことにつけても、 人ひとをすさめぬ様ように振舞ふるまい給たまいければ、 房ぼう中ちゅうこぞりて称しょう美びすることかぎりなし。 されども学問がくもんといふ沙汰さたは内ない外げにつけてなかりければ、 本人ほんにんの意こころにはかくてはさは何なにの身みにかなるべきとこゝろとまらずぞ思おもい給たまいける。

文ぶん和わ元歳がんさい 壬みずのえの辰たつ 十じゅう月がつ十じゅう九く日にち令りょう書写しょしゃ安あん置ち之し

隠倫おんりん乗じょう専せん

 

0448最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし五

  第だい十じゅう七段しちだん

聖しょう人にん御ご勧かん化けの旧きゅう跡せきもゆかしく、 いまだ上じょう洛らくせぬ門弟もんてい達たちの向顔こうがんも大切たいせつにおぼされければ、 東国とうごくの巡じゅん見けん度々たびたびに及およびけり。

-▲まづ最初さいしょには、 *正しょう応おう三年さんねん三月さんがつの比ころ、 厳親げんしん桑門そうもん下げ向こうせさせ給たまいけるに同道どうどうし給たまい、 こゝかしこ御ご遊覧ゆうらんの処々しょしょに至いたりて、 往おう事じをしたふ涙なみだにむせび、 連々れんれん御ご隠居いんきょの国々くにぐにを見みて、 平日へいにちの化け導どうにもれたることをのみぞ今更いまさらかなしみ給たまいける。

-▲その下げ国こくの路みちにひたちの国くにとかや、 小お柿がきの山中やまなかと云いう所ところにて、 にはかにわづらひ給たまう事ことありけり。 世せ間けんに傷しょう寒かんと号ごうする事ことにや、 温うん気き身みにありて四し大だいやすからず、 苦く痛つうこゝろをなやまして五ご臓ぞうことごとくいたむ。 旅所りょしょの程ほどなれば、 医家いけの術じゅつを訪とぶらふにもをよばず、 生しょう涯がいの終おわりにこそとて、 たゞ仏刹ぶっせつの望のぞみをのみぞ専もっぱらにせられける。

-こゝに慈じ信しん大徳だいとくと申もうす人ひとおはしけり、 如信にょしん上しょう人にんには厳考げんこう、 本願ほんがん寺じ聖しょう人にんの御おん弟子でしなり。 初はじめは聖しょう人にんの御おん使つかいとして板東ばんどうへ下げ向こうし、 浄じょう土どの教きょう法ぼうをひろめて、 辺へん鄙ぴの知ち識しきにそなはり給たまいけるが、 後のちには法文ほうもんの義理ぎりをあらため、 あまさへ巫女みこの輩ともがらに交まじわりて、 仏法ぶっぽう修しゅ行ぎょうの儀ぎにはづれ、 外げ道どう尼に健けん子しの様ようにておはしければ、 聖しょう人にんも御ご余よ塵じんの一列いちれつに0449おぼしめさず、 所しょ化けにつらなりし人々ひとびともすてゝみな直じきに聖しょう人にんへぞまいりける。

-▲而しかるにかの大徳だいとくちかきあたりに遊止ゆじし給たまいけるほどに、 病牀びょうしょうをとぶらはんがために旅店りょてんにきたりのぞまれけるが、 の給たまいけるは、 われ符ふをもてよろづの災難さいなんを治じす、 或あるいは邪じゃ気き、 或あるいは病びょう悩のう、 乃ない至し呪じゅ詛そ、 怨おん家け等とうをしりぞくるにいたるまで、 効験こうけんいまだ地ちにおちず、 今いまの病びょう相そうは温うん病びょうとみえたり。 これを服ぶくせられば即そく時じに平へい愈ゆすべしとて、 すなはち符ふを書かきて与あたえらる。

-▲病びょう者しゃこゝろの中なかに領りょう納のうの思おもいなかりければ、 面おもての上うえに不ふ受じゅの色いろあらはれたり。 さりながら事ことを病びょう患げんの蒙昧もうまいに寄よせて、 しらぬ由よしにて取とりたまはず。 厳親げんしん枕まくらにそふて坐ざし給たまいけるが、 本人ほんにん辞じ遁とんの気けをば見み給たまいながら、 方腹かたはら痛いたしとや思おもい給たまいけん、 それそれと勧すすめらる。 信しん上しょう人にん、 又またそばにて取とり継つぎて、 やがて手てにわたし給たまいけるほどに、 さのみのがれがたくて、 のむよしにて手てのなかにかくし、 くちのうちへはいれたまはざりけり。 ▲いつはりのみ給たまうけしき、 かの大徳だいとくもみとがめ給たまいけるにや、 わが符ふ術じゅつをかろしめてもちゐられざるよし、 後ご日にちにつぶやき給たまいけるとぞ。

-さて大徳だいとくかへられてのちに、 かの符ふを受用じゅゆうなかりつる所存しょぞんはいかにと桑門そうもんたづね給たまいければ、 こたへ給たまいけるは、 名みょう号ごう不ふ思議しぎの功く能のうを案あんじ、 護ご念ねん増ぞう上じょう縁えんの勝しょう益やくを思おもうには、 まめやかに鬼魅きみのなす所ところの病やまいならば、 おほかたは念仏ねんぶつ者しゃのこれにをかされん事ことは本ほん0450意いならず。 これ行ぎょう者じゃの信心しんじんのいまだいたらざるゆへ歟か、 しからずは、 うくる所ところのやまひ瘴しょう煙えんのたぐひにあらざる歟か。 もし風寒ふうかんのなやますところならば良りょう薬やくをもて治じすべし、 もし疫神やくじんのなすところならば仏力ぶつりきをもて伏ぶくすべし。 いかでか無む上じょう大だい利りの名みょう号ごうをたもちながら、 つたなく遠近えんきん幻惑げんわくの呪じゅ術じゅつをもちゐんやとこたへ給たまいけり。

-そのゝちことに信力しんりきをぬきいで、 称名しょうみょうをこたり給たまわざりけるに、 病びょう累るい程ほどなく平復へいふくし、 心神しんじん本もとのごとく安泰あんたいにぞ成なり給たまいける。

-かの慈じ信しん大徳だいとくもかくのごとく仏法ぶっぽうの軌儀きぎをひるがへし、 巫覡かんなぎの振舞ふるまいにておはしけれども、 もし外げ相そうをわざとかやうにもてなされけるにや、 あやしくみえ給たまう事ことともありけり。

-▲そのゆへは大だい和か尚しょう位い同おなじく斗と藪そうの時とき、 鎌倉かまくらをすぎ給たまいけるに、 故こ最さい勝しょう園おん寺じ相そう州しゅう禅門ぜんもん 貞時ただとき朝臣あそん 政せい務むのはじめつかたなりけるに、 おりふし守殿しゅでんの御おん浜はま出いでとてひそめきさはぐを見み給たまいければ、 塔とうの辻つじより浜際はまぎわまで数多あまたの勢ぜいみちもよけやらずつゞきたり。 その為体ていたらく、 僧そう尼に子し女にょあひまじはり、 帔もすそをたれてみな騎馬きばなるが二に、 三さん百びゃく騎きもやあるらんとみえたり。 その中なかにかの大徳だいとくもくはゝられけるが、 聖しょう人にんよりたまはられける無むげ光こう如来にょらいの名みょう号ごうのいつも身みをはなたれぬを頚くびにかけ、 馬ば上じょうにても他事たじなく念仏ねんぶつせられけり。

-又また常陸ひたちの国くにをとほり給たまいけるにも、 その比ころ小田おだの惣そう領りょうときこえしは、 筑後ちくごの守かみ知ち領りょうの事ことにや、 かの人ひと鹿か嶋しまの社やしろへ参さん0451詣けいの時ときにも同道どうどうせられけるが、 そのときも本尊ほんぞんの随身ずいしんといひ羇き中ちゅうの称名しょうみょうといひ、 関東かんとうの行ぎょう儀ぎにすこしもたがはず、 両りょう度どともにとほりあひて御ご覧らんじ給たまいければ、 心しん中ちゅうの帰き法ほうは外儀げぎの軽きょう忽こつにはたがはれたるにやとぞの給たまいし。

-▲しかのみならず、 聖しょう人にん五ご条じょう西にしの洞院とういんの禅房ぜんぼうにわたらせ給たまいしとき、 かの大徳だいとくまいり給たまいたりけるに、 常つねの御おんすまゐへ請しょうじ申もうされ、 冬ふゆの事ことなれば炉ろ辺へんにて御ご対面たいめんあり。 聖しょう人にんと大徳だいとくと互たがいに御おん額ひたいを合あわせて、 ひそかに言ごん辞じを通つうじ給たまいけり。 高たか田だの顕けん智ち大徳だいとくと云いう人ひとは、 真ま壁かべの真仏しんぶつ聖ひじりの弟子でしにて、 聖しょう人にんには御ご孫弟そんていながら、 上じょう洛らくの時ときは禅容ぜんようのほとりにちかづき、 直じきに温言おんげんの端はしにも預あずかりし人ひとなるがゆへに、 おりふしふとまいりてこはづくろひありければ、 聖しょう人にんも言説ごんぜつをやめられ、 信しん大徳だいとくすなはち片方かたほうへ退しりぞき給たまいけり。 話語わごのむねしりがたし、 よも世せ間けんの塵じん事じにはあらじ、 定さだめて仏法ぶっぽうの密談みつだんなるべし、 いかさまにも子し細さいある御事おんことにやとぞ、 顕けん智ち房ぼうはのちにかたり申もうされける。

-▲おほよそ人ひとの権実ごんじつは凡見ぼんけんをもてさだめがたく、 外げ相そうをもてはかりがたし。 かの書写しょしゃ山さんの性しょう空くう上しょう人にんの生しょう身じんの普ふ賢げんを拝はいせんと願がんぜし摂せっ州しゅう神崎かんざきの遊女ゆうじょの長ちょう者じゃ、 白玉びゃくぎょく無漏むろの相そうを示しめしけり。 また元興がんこう寺じの頼光らいこう法ほっ師しの一いっ生しょう嬾らん堕だなりし、 人ひと出しゅつ離りをうたがひしかども、 心しん中ちゅうにひそかに修しゅするところありければ、 安あん養にょう順じゅん次じの往おう生じょうをとげき。

-さればこの慈じ信しん大徳だいとくも、 今いまのありさま0452は釈しゃく範はんに違いし、 その行状ぎょうじょうは幻げん術じゅつに同どうずれども、 しらず御子みこ巫かんなぎ等とうの党とうにまじはりて、 かれらをみちびかんとする大だい聖しょうの善ぜん巧ぎょうにもやありけん。 外儀げぎは西方さいほうの行ぎょう人にんにあらざれども内心ないしんは弥陀みだを持じ念ねんせられければ、 かの符ふ術じゅつも名みょう号ごう加持かじの力ちからをもとゝせられけるにや。 もちゐる人ひとはかならずその勝しょう利りむなしからざりけり。 しかりといへども、 当とう時じの体ていをみるに、 一いち流りゅうの行ぎょう儀ぎにあらざれば、 その時ときかの符ふをうけたまはざりける信心しんじんの堅けん強きょうなる程ほどもあらはれ、 師し訓くんを憶おく持じしたまふ至いたりもたうとくこそおぼゆれ。

  第だい十じゅう八段はちだん

▲大だい納な言ごん阿あ闍じゃ梨り弘雅ひろまさと云いう人ひとあり。 俗ぞく姓しょうは小野おのの宮みや少将しょうしょう入にゅう道どう具親ともちか朝臣あそんの子し息そくに、 始はじめは少将しょうしょう阿あ闍じゃ梨り 失しつ名みょう と申もうしける人ひとの世よを遁のがれて禅念ぜんねん房ぼうとなん号ごうせし人ひとの真弟しんていなり。 仁にん和な寺じ鳴滝なるたき相応そうおう院いん前さきの大だい僧そう正じょう坊ぼう 守助もりすけ の弟子でしにて、 御お室むろへも参さん仕じの号ごうを懸かけられけり。 むねとは広沢ひろざわの清流しょうりゅうを酌くみて真言しんごんの教きょう門もんをうかゞひ、 兼かねては修験しゅげんの一道いちどうに歩あゆみて山林せんりんの斗と藪そうをたしなまれけるが、 後のちにはこれも隠遁いんとんして河か和田わだの唯円ゆいえん大徳だいとくをもて師し範はんとし、 聖しょう人にんの門葉もんようと成なりて唯善ゆいぜん房ぼうとぞ号ごうせられける。 とりわき一いっ宗しゅうを習学しゅがくの事ことなどはなかりしかども、 真俗しんぞくに亘わたりてつたなからず、 万ばん事じにつけて才学さいがくを立たてられける人ひとなり。 覚かく恵え尊そん宿しゅくには一腹いっぷくの舎弟しゃていにて坐ましまし給たまいければ、 大だい和か尚しょう位いには叔しゅく姪てつの中なかにて、 居きょを南北なんぼく0453にならべ、 交まじわりを朝夕あさゆうにむすばれけるが、 常つねには法門ほうもんの談だん話わありけり。

-▲或時あるときはかりなき諍じょう論ろんあり。 尊老そんろう人ひとに対たいして法文ほうもんを演説えんぜつし給たまうことありける詞ことばに、 いま聞法もんぼう能のう行ぎょうの身みとなれるは善ぜん知ぢ識しきにあへる故ゆえなり。 知ち識しきにあふことは宿しゅく善ぜん開発かいほつのゆへなり。 されば聞ききて信しん行ぎょうせん人ひとは宿しゅく縁えんを悦よろこぶべしとのたまひければ、 唯善ゆいぜん大徳だいとく難なんぜられていはく、 念仏ねんぶつ往おう生じょうの義理ぎりまたく宿しゅく善ぜんの有無うむをいふべからず。 すでに所しょ被びの機きをいふに十方じっぽう衆しゅ生じょうなり、 その中なかに善悪ぜんあくの二機にきを摂せっす。 善人ぜんにんにはまことに過か現げんの善根ぜんごんもあるべし、 悪人あくにんには二世にせ一毫いちごうの善種ぜんしゅさらになき者ものもあるべし。 今いまの義ぎならば是これ等らの類たぐいは本願ほんがんにもれなんと申もうされけり。

-▲尊老そんろうの給たまいけるは、 頓とん教ぎょう一いち乗じょうの極談ごくだん、 凡悪ぼんあく済さい度どの宗しゅう旨しを立りっする時とき、 たゞをしへて念仏ねんぶつを行ぎょうぜしむるにあり。 その出しゅつ離りの機きをさだめんにをいて、 とをく宿しゅく善ぜんをたづぬべからざる事ことは然しかるなり。 他師たし下げ三品さんぼんの機きを判はんずとして、 始し学がく大だい乗じょうの人ひとなりといへるを、 宗そう家け破はして 「▲遇悪ぐうあくの凡ぼん夫ぶ」 (玄義分) と釈しゃくせらるゝは此この意こころなり。 されば ¬大だい経きょう¼ (巻下) の文もんに 「▲雖↢  へども一世 の勤苦 は須臾 の之間↡、 なりと 後 に生 ず↢無量壽仏 の国 に↡」 といへる、 一いっ世せの修しゅ行ぎょうに依よりて九く品ぼんの往おう生じょうをうることは其その義ぎ勿論もちろんなり、 あらそふ所ところにあらず。

-たゞし退しりぞきてこれをいふに、 往おう生じょうをうることは念仏ねんぶつの益やくなり、 教きょう法ぼうにあふことは宿しゅく善ぜんの功こうなり。 もし宿しゅく善ぜんにあらずして直じきに法ほうにあふといはゞ、 な0454んぞ諸仏しょぶつの神力じんりき一いち時じに衆しゅ生じょうをつくし、 如来にょらいの大だい悲ひ一念いちねんに菩ぼ提だいをえしめざる。 しかるに仏ぶっ教きょうにあふに遅ち速そくあり。 解げ脱だつをうるに前ぜん後ごあるは、 宿しゅく善ぜんの厚薄こうはくにこたへ修しゅ行ぎょうの強ごう弱にゃくによる。 このゆへに ¬経きょう¼ (大経巻下) には、 「▲若 し人無↢  しては善本↡不↠得↠聞↢  ことを此 の経 を↡」 とも、 「▲宿世 に見↢    たてまつるもの諸仏 を↡楽 て聴 く↢如 の↠是 の教 を↡」 ともとけり。 就中なかんずく、 和か尚しょう ▲¬清浄しょうじょう覚がく経きょう¼ の文もんを引ひきて、 信しん不ふの得失とくしつをあかしたまへり。 これすなはち不ふ信しんの者ものはこの説せつを聞ききて慚ざん愧ぎをいたし、 自じ心しんをはげまさんがため、 もとより信しん順じゅんのものはいよいよ堅けん持じして、 怯こう弱にゃくのこゝろをのぞかんがためなり。 仏説ぶっせつすでに炳焉へいえんなり、 いかでか宿しゅく善ぜんなしといはんと。

-▲唯公ゆいこう、 又またさては念仏ねんぶつ往おう生じょうにはあらで宿しゅく善ぜん往おう生じょうにこそと申もうされければ、 尊老そんろう、 又また宿しゅく善ぜんの当体とうたいをもて往おう生じょうすといふ事ことは、 始はじめより申もうさねば宿しゅく善ぜん往おう生じょうとかけりおほせらるゝにをよばず。 往おう生じょうの因いんとは宿しゅく世せの善ぜんもならず今こん生じょうの善ぜんもならず、 教きょう法ぼうにあふことは宿しゅく善ぜんの縁えんにこたえ、 往おう生じょうをうることは本願ほんがんの力ちからによる。 聖しょう人にんまさしく 「▲遇獲え↢ば行信 を↡遠 く慶 べ↢宿縁 を↡」 (総序) と釈しゃくし給たまううへは、 余よ流りゅうをくみながら相論そうろんにをよびがたき歟かと云々うんぬん。

-▲其その後のち両りょう方ほう問答もんどうをやめ、 たがひに言説ごんぜつなかりけり。

-▲五ご条じょう大だい納な言ごん 邦綱くにつな卿きょう の遺孫ゆいそんにて東海とうかいの州しゅう吏りをへたる一人いちにんの雲客うんかくあり。 北きた白川しらかわ院いんに侍はべりて仙院せんいんの事ことをよろづにつけて申もうし沙汰さたせられけるが、 出しゅっ家け発心ほっしんして伊勢いせ入にゅう道どう行ぎょう願がん房ぼうとぞ申もうしける。 俗ぞく0455体たいの時ときも才幹さいかん和わ漢かんにわたり、 管弦かんげんの道みちなども人ひとにしられたりしが、 隠遁いんとんの後のちは法談ほうだんの処々しょしょにちかづきのぞみて、 聖しょう道どう・浄じょう土どの法文ほうもんに聴ちょう聞もんの耳みみをそばだて、 諸しょ宗しゅう久く学がくの碩徳せきとくに難答なんとうの詞ことばをも通とおして、 博覧はくらん内ない外げ典てんをかね、 智ち辨べん随分ずいぶんの誉ほまれありし人ひとなり。 かの人ひと今いまの諍じょう論ろんを後のちに聞ききて、 上じょう綱こうの述じゅつ義ぎは仏ぶっ教きょうの正しょう旨しにかなひ、 学がく生しょうの智解ちげときこえたり。 荒こう涼りょうの狂きょう言げんなれども、 唯公ゆいこうの義ぎ勢せいは入にゅう道どう法門ほうもんなりとぞ申もうされける。 入にゅう道どう法門ほうもんとは、 いかなる事ことにか慥たしかに相伝そうでんの旨むねはなくて、 たゞ暗推あんすいの義ぎなる由よしを申もうされけるにや。

  第だい十じゅう九く段だん

一いち流りゅうの奥おう区くを伝つたえて自じ身しんの出しゅつ要ようをあきらめ給たまううへは、 広学こうがく多た聞もんもさのみはなにゝかはせんなれども、 諸しょ家けの所談しょだんもゆかしく、 錬れん磨まは学者がくしゃのあかぬ事ことなればとて、 便びん宜ぎの聞法もんぼうをばなをすてられず、 他た門もんの先達せんだつにも少々しょうしょう閲えっし給たまいけり。 これによりて、 安あん養にょう寺じの阿あ日にち房ぼう上しょう人にん彰しょう空くうに遇あいて、 西山せいざんの法門ほうもんをば聴ちょう受じゅし給たまう。 五部ごぶの講こう数しゅにもたびたびあひ、 そのほか ¬大だい経きょう¼・¬註ちゅう論ろん¼・¬念仏ねんぶつ鏡かがみ¼ などの談だんもありけり。 又また慈じ光こう寺じの勝しょう縁えん上しょう人にんに対たいして、 一念いちねんの流ながれをも習学しゅがくありけり。 これも ¬凡頓ぼんとん一いち乗じょう¼・¬略りゃく観かん経ぎょう義ぎ¼・¬略りゃく料りょう簡けん¼・¬措そ玄げん鈔しょう¼ などいふ幸西こうさい上しょう人にんの制作せいさくゆるされによりてかさとり給たまいけり。

  0456第だい二に十じゅう段だん

長ちょう楽らく寺じの門風もんふうをば昔むかし慈じ信しん上しょう人にんに受うけたまふべかりしかども、 其その時ときはいまだ幼よう稚ちの程ほどなれば、 たゞ天臺てんだいの名みょう目もく、 倶く舎しゃの沙汰さたなどにてやみにき。 その真弟しんてい禅日ぜんにち房ぼう了りょう海かいといひし人ひと、 智ち徳とくの跡あとをふむべき器き用ようにてもなかりければ、 累代るいだいの遺跡ゆいせきも我わが聖しょう人にん御ご廟びょうの敷しき地ちのうちとなりし時とき、 相伝そうでんの聖教しょうぎょうを尊老そんろうへ附ふ属ぞくしたてまつりけり。 敬日けいにち・慈じ信しん両りょう碩徳せきとくの鈔しょう物もつ・秘ひ書しょ等とうまことにその流ながれの重じゅう宝ほうとみえ、 みな後代こうだいの明めい鏡きょうといひつべし。

-これによりてかの流ながれの所しょ立りゅうも師し授じゅなしといへども、 おろおろ領りょう解げし給たまいけり。 いづれの義ぎ趣しゅを聞ききても、 かの教きょう旨しをもてあそばんとにはあらず、 たゞ所伝しょでんの珠しゅ玉ぎょくをみがかんがためなり。 あまたの宿しゅく才さいに閲えっし給たまうも、 他たの相そう承じょうをならべんとにはあらず、 ひとへにわが家いえの所伝しょでんに同どう異いをわきまへんがためなり。 されば彼かれをきゝ此これをきゝても、 いよいよ一いち流りゅうの気味きみをそへ義ぎにつけ文もんにつけても、 ますます当とう祖その師し承じょうをぞたうとみ給たまいける。

文ぶん和わ元歳がんさい 壬みずのえの辰たつ 十じゅう月がつ十じゅう九く日にち令りょう書写しょしゃ安あん置ち之し

隠倫おんりん乗じょう専せん

 

0457最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし六

  第だい廿にじゅう一段いちだん

又また清水きよみず坂ざか主典しゅてんの辻子ずし光こう明みょう寺じの自じ性しょう房ぼう上しょう人にん了りょう然ねんに遇あいて三論さんろん宗しゅうを学がくし給たまいけり。 厳親げんしん多た年ねんの知ち音いんにて便たよりをえられけるほどに、 鸞らん師しの釈しゃくなどにつきて、 かの宗しゅうの名みょう目もく等とう存ぞん知ち大切たいせつなるべき事ことどもあるによりて、 宗しゅうの梗概こうがいを伺うかがい給たまいけるなるべし。

-件くだんの上しょう人にん、 俗ぞく姓しょうは京きょう極ごく入にゅう道どう中ちゅう納な言ごん 定家さだいえ卿きょう の嫡ちゃく子しにて、 侍じ従じゅう光家みついえといふ人ひとおはしけり。 中ちゅう院いんの入にゅう道どう大だい納な言ごん 為家ためいえ卿きょう は次じ男なんにておはしけるが、 家か督とくにたてらるゝ時とき、 家いえをいで世よをそむかれけるその子し息そくなり。 事ことの縁えんありて、 十じゅう九く歳さいまで童どう形ぎょうにて弘ぐ誓ぜい院いんの大だい納な言ごん 教家のりいえ卿きょう 家けに随逐ずいちくしたてまつられければ、 有う職しきの事共ことどもをも訓説くんぜつをうけ、 入木じゅぼくの道みちなどをも扶持ふじをえたまひけるが、 その歳としにはかに東大とうだい寺じの別当べっとう僧そう正じょう 定親さだちか の室いつに入いりて出しゅっ家けをとげ、 伯はく父ふ戸部こぶ禅門ぜんもんの猶ゆう子しとして定じょう源げん民みん部ぶ卿きょう公こうとぞ申もうしける。

-それよりこのかた、 眼まなこを龍りゅう樹じゅ・天親てんじんの論文ろんもんにさらし、 こゝろを二に諦たい・八はっ不ぷの宗しゅう旨しにすまして、 ほどなく学がくなり功こうつもりしかば、 得業とくごうの請しょうをうけ公く請しょうの役やくにも随したがいて、 稽けい古この誉ほまれ自他じた門もんにたぐひすくなき程ほどなりけり。 しかるに道念どうねんひそかにきざし宿しゅく縁えんそらに0458もよほしけるにや、 忽たちまちに妙みょう理りの門もんを出いでて隠遁いんとんの身みとなられけり。 そのゝちは道どう隆りゅう禅ぜん師じの門もん下かにして直じき指し人心にんしんの宗しゅう風ふうをうかゞひ、 又また洛らく中ちゅう名めい誉よの能説のうせつとぞきこえられし。

-遂ついに徳とく治じの比ころ、 上じょう壽じゅ八はち十じゅう有ゆう余よにて辞じ世せいの頌じゅを制作せいさくして耳じ目ぼくをおどろかされけり。 かの座下ざげにして ¬法ほっ華け¼・¬浄名じょうみょう¼ 等とうの ¬遊ゆう意い¼ ならびに ¬肇じょう論ろん¼・¬三論さんろん玄げん¼ 等とうの師し授じゅを得え給たまいけり。

  第だい廿にじゅう二に段だん

如信にょしん上しょう人にんは奥おう州しゅう大網おおあみ東ひがし山やまといふ所ところに居きょをしめ給たまいけるに、 勧かん化けにしたがふ人ひと国郡こくぐんにみち、 徳とく行ぎょうをあふぐやから遠近えんきんにあまねし。

-爰ここにかの禅室ぜんしつをさること板東ばんどうのみち三さん十じゅう里り西にしの方かたによりて、 かねさはといふ所ところに乗じょう善ぜん房ぼうといふ人ひとあり。 本願ほんがんを信受しんじゅするこゝろ誠まことありて、 師し恩おんを慚謝ざんしゃするおもひことにねんごろなり。 これによりて、 正しょう安あん元年がんねん窮きゅう冬とう廿日はつかあまりの比ころ、 かの草庵そうあんに請しょうじたてまつりて昼ちゅう夜や聞法もんぼうの益やくにあづかり、 朝夕あさゆう給きゅう仕じの勤つとめをぞいたしける。

-かゝるほどに年光ねんこうはやくくれて、 陽よう春しゅんあらたに来きたりけり。 しかるに正しょう月がつ二日ふつかより心神しんじんいさゝか例れいならずとて、 うちふし給たまいけるが、 それより後のちはひとへに世事せじの囂塵ごうじんを抛ほう却きゃくして、 長じょう時じの称名しょうみょうをこたり給たまわざりけるに、 異い香こう室しつの中なかに薫くんじ、 音楽おんがく窓まどの外そとにきこゆること、 二日ふつか二ふた夜やのあひだ耳鼻じびにふ0459れて間断けんだんなし。 かくて*同おなじき四日よか巳みの時ときに正しょう知ち正しょう念ねんにして、 つゐに称名しょうみょうのいき止やみ給たまいにけり。 近隣きんりんの輩ともがらは瑞雲ずいうんに驚おどろきてのぞみまうで、 遠邦えんぽうの族やからは霊れい夢むを感かんじてはせあつまる人ひとおほかりけり。

-これは奥おう州しゅうにての事ことなれば、 尊老そんろうは知しりたまはず。 のちのその告こくを得え給たまいてこそ、 都鄙とひさかひのはるかなることもいまさらうらめしく、 死し生しょうみちのへだゝりぬることも悲かなしみの涙なみだしのびがたく思おもい給たまいけれ。 その年とし秋あきの比ころはじめて聞きき給たまいければ、 その時ときを入にゅう滅めつの忌き辰しんに擬ぎして、 五ご旬じゅんの徂そ景けいをかぞへ、 百ひゃく日にちの光陰こういんを勘かんがえて一一いちいちの追善ついぜんを修しゅし、 懇々こんこんの精誠せいせいを抽ぬきんで給たまいけり。

-一廻いっかい第だい三廻さんかいまでの恩業おんごうをば、 京きょう都とにてとりをこなひ給たまいけるが、 十じゅう三年さんねんは延えん慶きょう五ご年ねんに当あたりたまひけるに、 *四し年ねん冬ふゆの比ころ、 数す州しゅう重じゅう嶺れいの雪ゆきをしのぎ、 百州ひゃくしゅう万ばん里りの氷こおりをわたりて、 まづ終しゅう焉えんの霊れい地ちをしたひ、 かねさはの道どう場じょうにいたりて、 諸方しょほうの門弟もんていをもよほし、 追修ついしゅの仏ぶつ事じをいとなみ給たまいけり。 それより大網おおあみの遺跡ゆいせきにまうでゝ、 こゝにても一いち座ざの梵筵ぼんえんをぞのべられける。 慇懃おんごんのこゝろざし鄭てい重ちょうのいたりなり。

-光こう明みょう寺じの和か尚しょう、 ¬観かん経ぎょう¼ の 「奉持ぶじ師し長ちょう」 の文もんを釈しゃくしたまふをみれば、 「▲教↢示  して礼節 を↡学識成 じ↠徳 を、 因行無↠ して虧  こと乃至成仏、 する 此 れ猶師 の之善友 の力也、 此之大恩最 も須 くシ↢敬重 す↡」 (序分義) といへり。 初はじめの二句にくは世せ間けんの師し徳とくをあげ、 次つぎの二句にくは出しゅっ世せの師し恩おんをあかし、 次つぎの二句にくはならべて内ない外げの恩徳おんどくをのべ、 後のちの二句にくは総そうじて奉ぶ0460持じの本ほん意いを結けっす。

-又また律りっ宗しゅうの戒かい度どの釈しゃくには 「父母師長 は皆是 れ福田。 なり 如 く↢其 の次第 の↡生↢ じて己 が肉身 を↡、 養育恩重 く、 訓誨成↠ じて行 を、 終 に成 ず↢法身 を↡」 といへり。 まことに生しょう身じんを育いくするは父母ぶもなれば、 世せ間けんの福田ふくでんのこれにまされるはなく、 法身ほっしんを成じょうずるは師し長ちょうなれば、 出しゅっ世せの福田ふくでんのこれよりも大だいなるはなし。

-このゆへに我わが尊老そんろう、 父母ぶもにもことに孝行こうこうの志こころざしをもはらにし、 師し長ちょうにもふかく報恩ほうおんの誠まことをいたし給たまいけり。 されば無む量りょう劫こうに骨ほねを砕くだきても謝しゃしがたき厚徳こうとくなれば、 数す千せん里りに歩あゆみを運はこびて抽ぬきんで給たまいける精信せいしんをば、 如来にょらいもさだめて照しょう鑑かんし、 先せん師しもさこそ納受のうじゅし給たまいけめ。

  第だい廿にじゅう三段さんだん

厳親げんしん桑門そうもんは正しょう安あんのはじめつかた、 五ご十じゅう有ゆう余よの比ころより瘻ろうといふ病やまいにわづらひ給たまいけるが、 種々しゅじゅの療りょう養ようをくはへられけるも指さしたる験しるしなく、 又またうちたへて寝しん食しょくを忘わすれ給たまうまでの事ことはなし。 いつとなく心こころよからぬ事ことなりけるを、 発はつ病びょうよりこのかた臨りん終じゅうまで、 首しゅ尾び八はち、 九く年ねんの間あいだ上じょう綱こう治ち療りょうの術じゅつをきはめ、 看かん病びょうの忠まごころをつくして、 聊いささかも増ますことあるときは、 別べつ離りの期ごのちかづけるかとて愁しゅう嘆たんの涙なみだにむせび、 すこしも減へるかとみゆるおりは、 殊ことなる悦よろこびのきたれる様ように安あん堵どの思おもいをぞなされける。

-これすなはち親おやとして仁にん慈じの恩おん人ひとに超こえたまひしかば、 子ことして孝こう順じゅんの志こころざし余よにすぐれたまひけるうへ、 上じょう綱こうつ0461ねにの給たまいけるは、 六道ろくどう輪りん廻ねの程ほど曠劫こうごう流る転てんのあひだ、 生々しょうしょうの父母ぶもいづれも疎そならず、 世々せせの恩所おんじょたれかおとるべきなれども、 今こん生じょうの二ふた親おやはことに恩おんふかく徳とくあつし。 そのゆへは、 このたび希奇けきの法ほうに遇あいて、 ながく生しょう死じの源みなもとをたつべければ、 親おや子この契ちぎりもこれを限かぎりとおもふには、 凡ぼん情じょうの愛あい執しゅうそのなごりもおしく、 出しゅつ離りの因いんをこの生しょうにえぬれば、 撫ぶ育いくの恩徳おんどくいづれの世よよりもをもし。 ことに報謝ほうしゃの志こころざしをもいたし、 至し孝こうの誠まことをも抽ぬきんずべきなりとて、 まめやかに心力しんりきをはげまし、 更さらに他事たじなかりけり。

-爰ここに大谷おおたにの御ご廟びょうはしばらく邪じゃ魔まの障しょう難なんによりて、 不ふ慮りょの災さい禍かにをよびぬべかりしゆへに、 あからさまに留守るすの仁じんをゝき、 東ひがし山やまの本ほん廟びょうを退しりぞきて、 大おお炊い御ご門もん東ひがし朱す雀ざく衣え服ぶく寺じの辺ほとりに旅所りょしょをしめられけり。 上じょう綱こうもおなじく伴ともたてまつり給たまう。

-而しかるに同おなじき年とし四し月がつ上旬じょうじゅんのすゑざまより、 いさゝか風ふう気けおはしましければ、 心ここ地ち例れいにかはりたり。 終しゅう焉えんのちかづくにこそとぞ仰おおせられける。

-そのころ後ご宇多うた院いん御ご治じ天てんにて常磐ときわ井い殿どの仙洞せんとうなりけるに、 右う京きょう三品さんぼん禅門ぜんもん 親業ちかなり卿きょう 祗し候こうせられたりけるが、 累るい世せの知己ちき一門いちもんの元老げんろうにて、 内ない外げなく申もうし通つうぜられけるうへ、 咫し尺せきの間あいだなれば、 細々さいさいに音信いんしんありけり。

-十じゅう二に日にちの朝あした、 かの禅門ぜんもん狭少きょうしょう方ほう丈じょうの旅所りょしょに来きたりて、 浄名じょうみょう居士こじならぬ病びょう臥がをとぶらひたてまつられければ、 脇きょう息そくに扶たすけられて拾しゅう謁えつをとげらる。 自他じた余よ命めいの幾いくばくもあるまじきこ0462とをかたり、 我われも人ひとも再会さいかいは西さい土どの蓮台れんだいを期ごすべしなど丁寧ていねいの言談ごんだん、 時ときをうつしてのち禅門ぜんもんかへられければ、 長じょう坐ざ窮きゅう屈くつせりとて伏ふしたまふ。

-しばらくありて浄じょう恵えといふ一念いちねんの名僧めいそういたれりけるに、 うれしくきたれり。 一いち時じ ¬礼讃らいさん¼ の望のぞみありつるに、 助じょ音いんすべしとぞしめされける。 これは多た年ねん練れん習しゅうの旧執きゅうしゅうによりて、 最さい後ご聴ちょう聞もんの欣ごん楽ぎょうをもよほされけるなるべし。

-かの ¬首しゅ楞りょう厳ごん経ぎょう¼ (巻八) には、 「臨 て↢命終 の時 に↡未 だ↠ルニ捨↢煖触 を↡、 一切 の善悪倶時 に頓 に現 ず」 ととき、 ¬安楽あんらく集しゅう¼ (巻上) には 「▲若 し刀風一  たび至 て、 百苦湊あつま↠  るときは身 に、 懐念何 ぞ可 き↠弁 ふ」 といへるも、 げに思おもい合あわせられ侍はべるものかな。

-一念いちねん帰き命みょうの時とき、 平生へいぜい業ごう成じょうの益やくをうといふとも、 至し心しん信しん楽ぎょうの故ゆえにも、 いかでか長じょう時じ修しゅ習じゅうの提携ていけいをさしをかんや。 楞りょう厳ごんの先徳せんどくの釈しゃくに ¬大だい経きょう¼ (巻下) の流る通ずうの文もんをひき、 「歓喜信楽受持読誦如説奉行」 等とうの行ぎょうをあげてこれをすゝめらるゝに、 「▲行者於 て↢此 の諸事 に↡、 若 は多若 は少、 随 て↠楽 に憶念。 せよ 若 し不ず↠は能 は↢憶念 に↡、 須 くシ↧抜 き↠巻 を対↠ して文 に、 或 は決択 し、 或 は誦詠 し、 或 は恋慕 し、 或 は敬礼、 して 近  くは為 し↢勤心 の之方便 と↡、 遠  くは結 ぶ↦見仏 の之縁 を↥」 (要集巻中) といへり。 されば最さい後ごに ¬礼讃らいさん¼ の聴ちょう聞もんを欲ほっし給たまいしは平日へいにちに声明しょうみょうをもてあそび給たまいけるが、 誦詠じゅえいの一分いちぶんとして欣ごん求ぐの方便ほうべんとなりけるにや。 昔むかしこれにめで給たまいけるもかしこくとぞおぼゆる。

-その由ゆ来らいをたづぬれば、 五ご音いん七声しちせいをわきまへ、 呂津りょしん清濁せいだくに達たっすること、 天性てんせいのうくる所ところその骨ほねをえた0463まへりけるほどに、 門跡もんぜき参さん仕じのいにしへも随分ずいぶんに声明しょうみょうをたしなみ給たまいけるが、 隠遁いんとんの後のちは殊ことに意こころを浄じょう土どの曲調きょくちょうに入いれて、 名なを非ひ道どうの秀しゅう逸いつにえたまへり。 一念いちねんの音いん曲ぎょくに節ふし拍ひょう子しを定さだめけるは教きょう達たつなり。 かの弟子でしの中なかに楽心がくしんときこゆるは上じょう足そくなり。 そのかみ彼かれを召請しょうしょうして連々れんれんこれをぞならはれける。 器うつわにもたへ功こうをもつまれければ、 道みちにあらずして道みちに達たっし、 神じんをきはめ妙みょうをきはめられけり。

-されば亀山かめやま院いん脱だっ屣しののち、 このみちを叡えい賞しょうありけるに、 「上之所↠好、 下必従↠之」 といへるゆへにや、 上達かんだち部べ、 殿上てんじょう人びともおほくたしなみ給たまいけるに、 時ときの四し英えいといはれ給たまいし中なかに、 小野おのの宮みや中将ちゅうじょう入にゅう道どう師具もろとも朝臣あそんと申もうししは、 この桑門そうもんの指し授じゅにょりて芝砌しばのみぎりの清選せいせんにあづかられけるとぞ。 この朝臣あそんは上じょう綱こう一いち条じょう院いんへ参まいり給たまいし媒介ばいかいの人ひとなり。 上じょう綱こうもおなじく慇懃おんごんの庭訓ていきんをうけて涯分がいぶんの名望めいぼうをつき給たまいけり。 かやうに道みちにふけりこゝろをそめ給たまいけるゆへに、 いまはのきはにもこの一礼いちらいを望のぞみ給たまいけり。

-さて尊老そんろう調声ちょうしょうにて初しょ夜やの ¬礼讃らいさん¼ を始はじめられけるに、 病びょう者しゃはふしながら聴ちょう聞もんの耳みみをそばだて、 心しん中ちゅうに助音じょいんありとみえて、 唇くちびるをぞうごかし給たまいける。 時々ときどきは声こえにあらはれてもきこえけるが、 文々もんもん句々くくに義理ぎりをあぢはひて随ずい喜きの色いろあさからず。 しかるに枕まくらにかけたてまつられたる善導ぜんどう大だい師しの御ご影前えいぜんに当あたりて、 念仏ねんぶつの三重さんじゅうの程ほどに殊しゅ勝しょうの異い香こう薫くんじけるを、 廻え向こうの後のち、 尊老そんろうそばな0464る浄じょう恵えにこれはかぎ侍はべるやとの給たまいければ、 其事そのことなりとこたふ。 さるほどに座ざにつらなれる諸人しょにん、 みなこれをかぎて奇異きいの思おもいをぞなしける。

-さて病びょう者しゃ、 われをいだきあげよ、 おきんとの給たまいければ、 看かん病びょうの人々ひとびとよりておこしたてまつるに、 西にしに向むかいて端たん坐ざし念仏ねんぶつ百ひゃく余よ遍へんのどかに唱となえて、 その息いきにて終おわり給たまいにけり。 さるほどに法興ほうこう院いんの辺ほとりに紫し雲うんたなびけりとて、 仙洞せんとうの人々ひとびときほひみ、 上じょう下げ沙汰さたしのゝしりけり。 三品さんぼん禅門ぜんもんあやしくおもはれるほどに、 今こん朝ちょう向顔こうがんのゝち病びょう相そういかゞとをとづれありければ、 只今ただいま事こときれぬるよし返答へんとうあり。 さればこそこの紫し雲うんの霊瑞れいずいは、 かの往おう生じょうの先せん兆ちょうなりけりとたうとまれけり。 そのほか粟あわ田た口ぐちの三品さんぼん羽う林りん 嗣房つぐふさ卿きょう、 この勝しょう相そうをみるよし使たよりをもて申もうしをくられけり。

-もとより日ひごろの安心あんじん、 疑うたがいをなされざるうへ、 臨りん終じゅうの瑞相ずいそうも目めをおどろかしぬれば、 往おう生じょう浄じょう土どの益やくは生せい前ぜん第一だいいちの悦よろこびなれども、 恩愛おんない別べつ離りの悲かなしみ、 なをやるかたなく、 恋れん慕ぼ哀あい傷しょうの思おもい、 ほとほとたぐひなきがごとし。 尊そん儀ぎの先親せんしん金きん吾ご禅門ぜんもんの墓ぼ所しょ、 蓮台れんだい野の芝しば築つい地じと云いう所ところなりけるを、 亡者なきもの一いち期ごのあひだ毎月まいがつにまうで給たまいければ、 かの傍そばに葬そうして、 これも月々つきづきの忌き景けいにあたり、 各々おのおのの菩ぼ提だいをとぶらはんがために父祖ふその墓はかに参詣さんけいしたまふことをこたりなかりけり。

-頃年けいねんよりこのかた古ふるき墓はかのありさま荒廃こうはいきはまりなきゆへに、 大谷おおたにの本所ほんじょ安あん堵ど再興さいこう数す年ねんの0465後のち、 かの芳骨ほうこつを御ご廟びょうにうつし奉たてまつりて、 本願ほんがん寺じ聖しょう人にんの御ご骨こつとともに毎日まいにちの頂ちょう戴だいをいたされける。

  第だい廿にじゅう四し段だん

五ご旬じゅん・百ひゃく日にち・一いっ周しゅうの追孝ついこうをば瞑目めいもくの旧きゅう寝しんにして合がっ掌しょうの誠心せいしんをはこばれけるが、 第だい三年さんねんの時ときは、 これこそ大たい略りゃく作さ善ぜんの終おわりならんずらめ、 まめやかに他事たじをまじへずして一向いっこう称名しょうみょうの功こうをつまんとおもふに、 世せ縁えんにまぎれてはいかにも妨さまたげあるべし。 しづかに独どく住じゅうをいたして、 ことに精誠せいせいをはげまさんとて、 勧修かんじゅ寺じの奥おく、 松影まつかげといふ所ところにあやしの草庵そうあんをかりうけ、 誰たれともしられずして隠居いんきょし、 ひとり篤とく勤ごんのまことを抽ぬきんでられき。 正しょう忌きにさきだつこと三七さんしち日にち、 幽ゆう地ちをしめて念仏ねんぶつをつとめ、 *当日とうじつを迎むかえて第だい三廻さんかい本所ほんじょに帰かえりて報恩ほうおんをいとなみ給たまいけり。

-又また十じゅう三年さんねんの忌き辰しんは*元応げんおう元年がんねんなりしに、 大谷おおたにの住じゅう跡せきにて ¬法ほう事じ讃さん¼ の行ぎょう法ほうを勤修ごんしゅし給たまいけり。 今年こんねんは尊老そんろう知ち命めいの齢よわいにみちたまへるが、 いまゝで存ぞんじてこの光陰こういんをまちつけぬるは慮外りょがいの事ことなればとて、 これも観念かんねんのあまりにかねて三七さんしち日にちのあひだ東ひがし山やま真如しんにょ堂どうの霊れい場じょうにこもりて、 西さい土ど安楽あんらく国こくの妙みょう台だいをぞかざられける。

-廿にじゅう一日いちにちのうち、 終おわりの七日しちにちには念仏ねんぶつの外ほかは言ごん語ごを禁きんじて如法にょほうの無む言ごんをさへぞいたされける。 勇ゆう猛みょう精しょう進じんの行ぎょうは強あながちに心しん中ちゅうの己こ証しょうにあらねども、 た0466ゞ謝徳しゃとくの励修れいしゅに於おいて世せ間けんの戯言ざれごとをまじへじとなり。

-始はじめ二に七日しちにちのあひだ三月さんがつ尽じんの日ひにあたりたりけるに、 亡者なきものの病牀びょうしょうにのぞまれし三品さんぼん禅門ぜんもんの嫡ちゃく孫そん右う少しょう辨べん藤原ふじわら朝臣あそん有正ありまさ、 才幹さいかん世よにしられ学功がくこう 朝ちょうにゆるされしかども、 思おもいの外ほかに沈淪ちんりんし、 其比そのころ強きょう壮そうの程ほどにや、 甲こう州しゅうの前ぜん吏りにていとまある時ときなりければ、 且かつは霊れい寺じ累るい旬くの参篭さんろうを面謁めんえつに感かんじ、 且かつは残ざん春しゅん半日はんにちの余よ景けいをもろともにおしまんとて、 件くだんの日ひひそかに流りゅう水すいに脂あぶらして、 かの閑かん地ちにぞいたられける。 花はなをあはれみ鳥とりをしたふ興きょうのみにあらず。 仏ぶつに供ぐし僧そうに施せする儲もうけまでもねんごろなりければ、 長ちょう河がをしのぐ芳ほう志しもすてがたく、 詔しょう店てんをもてあそぶ時じ習しゅうにももよほされて、 をのをの詩しを賦ふし歌うたを詠えいじて、 おもひのほかにその日ひばかりぞ称名しょうみょうならぬ口く業ごうをまじへ給たまいける。

文ぶん和わ元歳がんさい 壬みずのえの辰たつ 十じゅう月がつ十じゅう九く日にち令りょう書写しょしゃ安あん置ち之し

隠倫おんりん乗じょう専せん

 

0467最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし七

  第だい二に十じゅう五ご段だん

おほよそ万ばん事じにつけて道みちをたしなむ志こころざしもふかく、 諸道しょどうにわたりて賢けんにひとしからんことをおもふこゝろあさあらずおはしましける中なかにも、 殊ことに世せ俗ぞくにとりてふかく執しゅうせられしは和歌わかのみちなり。

-年ねん少しょうの時ときよりよみきたり給たまいしかども、 とりわきこのみちの故こ実じつをば、 主典しゅてんの辻子ずしに住じゅうして三論さんろんの宗しゅう旨しを学がくし給たまいける次ついでに、 自じ性しょう上しょう人にんに対たいして六ろく義ぎの風体ふうていを習ならい給たまいけり。 かの上しょう人にんは累葉るいようの家か業ぎょうなるうへ、 秀しゅう逸いつも性しょうにうけ数寄すきも意こころに染そみて、 名めい誉よの歌か仙せんにておはせければ、 その諷諫ふうかんを受うけられけり。 京きょう極ごく大だい納な言ごん法印ほういん 定じょう為い も主席しゅせきの親昵しんじつにて、 常つねにかの寺てらに会合かいごうせられける時とき、 その訓説くんぜつをうけ給たまう事共ことどももありけり。

-▲さるは花はなをもてあそぶ春はるの朝あしたには、 ひらくるをまち、 ちるをおしむにつけて、 栄悴えいすいのうつりやすきことをしり、 月つきにめづる秋あきの夜よは、 くもるをいとひ、 はるゝをのぞむになぞらへて、 明みょう暗あんの品しなことなることを観かんじ給たまいけるにや。

-▲いにしへ ¬閑窓かんそう集しゅう¼ といふ打聞うちききをしるし給たまいしは伏見ふしみの院いんあめのしたしろしめしゝ時とき、 *正しょう和かの比ころなりしに、 思おもいの外ほかに上じょう聞ぶんに達たっし、 はか0468らざるに叡覧えいらんにおよびて、 さまざまに天感てんかんにあづかり、 人々ひとびと握翫あくがんせられけり。

-▲又また元応げんおう元年がんねん春はるの比ころ、 北きた野のの霊れい廟びょうにして詩歌しかの披ひ講こうをとげらるゝ事ことありけり。 これは囊のう祖そ勘解かげ由ゆの相しょう公こう 有国ありくに卿きょう 耽学たんがく好文こうぶんの志こころざしによりて、 当社とうしゃ尊崇そんそうの誠まことをいたされけるあまり、 「幼少ようせう児じ童どう皆みな聴ちやう取、 しゆせよ子し孫そん永 ながく作なし↢廟門 べうもんの塵↡ちりと」 といふ詩しを献けんぜられし後のち、 両りょう人にんの賢息けんそくをして桂林けいりんの一いっ枝しをおらしめ、 当とう家けの子し孫そんをして松しょう壖ぜんの余よ塵じんとなさしめ給たまいけることをおぼして、 出しゅっ家けの僧体そうたいなりといへども、 敬きょう神じんの祖意そいを慕したい給たまいけるなり。 四し韻いんの周しゅう詩し、 当世とうせいの鴻儒こうじゅ金きん章しょうをくはへられ、 三種さんしゅの和歌わか、 この道みちの英才えいさい瓊篇けいへんををくらる。 詩歌しかをのをの都と序じょありて、 和わ漢かんともに金きん玉ぎょくをみがゝれけり。

-抑そもそもやまとうたは世せ俗ぞく文もん字じの業わざとして、 狂きょう言げん綺き語ぎょの一ひとつなれども、 権ごん化けの大だい士じもみなこれにたづさはり、 上じょう古この先賢せんけんもまたすてず。 聖しょう徳とく太たい子しの片岡かたおか山やまの詠ながめを製せいし、 伝でん教ぎょう大だい師しの我立わがたつ杣そまのことばをのこされしをはじめとして、 仏道ぶつどうをもとむる人ひとおほくこれをもはらにせり。 されば黒谷くろだに聖しょう人にんもあながちにこゝろを花か月げつにかけ給たまうことはなかりけめども、 事ことにふれおりにしたがひて一吟いちぎん一詠いちえいの言ことばをのこし給たまう事ことも、 あまた侍はべるめり。

-その中なかに、

極楽ごくらくへ つとめてはやく 出いでたゝば みのをはりには まいりつきなん

と0469読よみたまへるも、 「▲願ぐわん我が今こむ生じやう強がう発ほち意い、 畢ひち命みやう往わう彼ひ聖しやう人にん叢そう」 (法事讃巻下) といへる文もんのことはりも意こころにうかびて、 欣心ごんしんをもよほすなかだちともなりぬべく、 懈け怠だいを治じするまことのこゝろもおこりぬべくこそおぼゆれ。

-おほよそ歌うたの体ていを案あんずるに、 迷妄めいもうの眼まなこをもてみる時ときは世せ間けん浅近せんごんの言ことばなりといへども、 覚かく悟ごの情じょうにおほせておもふ日ひは甚深じんじん実相じっそうの理りにかなへり。 まづ文もん字じを三さん十じゅう一いち字じにさだむるは、 如来にょらいの三さん十じゅう二に相そうの中なかに无む見けん頂ちょう相そうをのぞくに准じゅんず。 四し八はちの妙みょう相そうに取とりて、 かの一相いっそうは凡ぼん夫ぶの所見しょけんにあらざるが故ゆえなり。 次つぎの句く数かずを五句ごくにわかてるは如来にょらいの五智ごちを表ひょうし、 風体ふうていに六ろく義ぎをたつるは菩ぼ薩さつ六ろく度どにかたどる。 天竺てんじくには梵文ぼんもんをもて言ことを通つうじ、 震旦しんたんには漢かん語ごをもて思おもいをのべ、 我わが朝ちょうには和字わじをもてこゝろをあらはすなり。

-今いまの和歌わかはわづかに三さん十じゅう一いち字じのうちに百ひゃく千万せんまん端たんの志こころざしをのぶること、 かの梵ぼん語ごに多た含がんの徳とくありて、 一いち字じに无む尽じんの義ぎをこめ一いっ句くに无む辺へんの理りをつくすがごとし。 たゞ天てん地ちをうごかし鬼き神じんを感かんぜしむるたよりなるのみにあらず、 暗あんに仏界ぶっかいをおどろかし法門ほうもんをしめすしるべともなり侍はべるにや。 先賢せんけんのもちゐられけるもことはりなれば、 尊老そんろうもその旧蹤きゅうしょうをしたひて、 この習しゅう俗ぞくをもてあそび給たまいけるなるべし。

-¬観かん経ぎょう¼ の 「▲仏心ぶちしむ者しや大だい慈悲じひ是ぜ」 の文もんの意こころを読よみ給たまいける歌うた、

0470あはれみを 物ものにほどこす 心こころより ほかにほとけの すがたやはある

又また ¬円覚えんがく経きょう¼ の 「生しやう死じ涅槃ねちはん猶ゆ如によ昨さく夢む」 といへる文もんを、 浄じょう土ど門もんの意こころによせて詠えいぜられける。

かはらじな 弥陀みだの御み国くにに むまれなば きのふのゆめも けふのうつゝも

浄教じょうきょうの宗しゅう旨しは指し方ほう立相りっそうと談だんずればとて、 一向いっこう有う相そうの教きょうなりとこゝろうる人ひとは、 ひとへに浅近せんごんの思おもいをなす。 而しかるに自じ力りきをすてゝ他た力りきに帰きするといへるは、 しばらく生しょう仏ぶつ格別かくべつの義ぎ趣しゅに相そう順じゅんすれども、 穢土えどを去さりて浄じょう土どに生しょうずとおもへば忽たちまちに生しょう即そく无む生しょうの真しん理りに契当かいとうして、 極楽ごくらくの往おう生じょうをうれば法ほっ性しょうの常じょう楽らくを証しょうするなり。 この時ときは煩悩ぼんのうすなはち菩ぼ提だいと転てんじ、 生しょう死じすなはち涅ね槃はんとあらはる。

-一いっ家けの釈しゃくに、 「▲西方さいはう寂静じやくじやう无為むゐ楽らく、 畢ひち竟きやう逍遙せうえう離り有无うむ」 (定善義) ともいひ、 「▲一到いちたう弥陀みだ安養あんやう国こく、 元ぐわん来らい是我ぜが法王ほふわう家け」 (般舟讃) とも判はんずるはこの意こころなり。 今いまの佳か什じゅうは当とう教きょうの極ごく致ちを得えて 「始知しち衆しゅ生じやう本来ほんらい成じやう仏ぶち」 の証しょう悟ごも、 西方さいほうの浄じょう刹せつにして究く竟きょうすべき義ぎをよみたまへる、 ことに甚深じんじんにこそきこえはべれ。

-すべて処々しょしょの霊れい地ちにまうでゝもまづ諷吟ふうぎんをいたし、 国々くにぐにの名所めいしょをたづねてもかならず露詩ろしをあらはし給たまいしかども、 かずおほく事ことしげきうへ、 綜そう緝しゅうのおこりこの道みちのためにあらず。 画図がとのくはだてたゞ往行おうこうをしらんと0471欲ほっするばかりなるがゆへに、 くはしくのするにおよばず。 しかしながら略りゃくを存ぞんずる所ところなり。

  第だい二に十じゅう六段ろくだん

▲本願ほんがん寺じ聖しょう人にんの化け導どうの始し終じゅうを記きせられたる一巻いっかんの式文しきもんあり、 ¬報恩ほうおん講式こうしき¼ となづく。 本所ほんしょの例れい事じとして毎月まいがつの御ぎょ忌きに勤ごん行ぎょうせられ、 当とう流しゅうの聖しょう典てんに加くわえて諸国しょこくの道どう場じょうにこれを安あん置ちす。 又また同おなじき聖しょう人にん一いち期ごの行ぎょう儀ぎを録ろくせられたる二に巻かんの縁えん起ぎあり、 旨し趣しゅを言葉ごんようにしるし形状ぎょうじょうを後こう素そにあらはす。 これまた門もん下かに賞しょう翫がんして処々しょしょに流布るふせり。 かの両りょう箇かの述じゅつ作さくはこの尊老そんろうの賢草けんそうなり。

-▲此この外ほか聖しょう人にん在ざい生しょうの言行げんこうをしるされ、 因ちなんで法文ほうもんのはしばしを載のせられたる三巻さんかんの鈔しょうあり、 ¬口く伝でん鈔しょう¼ と号ごうす。 ▲又また末まつ流りゅう迷倒めいとうの邪じゃ路ろをふさがんがために条々じょうじょう◗の規き式しきを定さだめられたる一巻いっかんの書しょあり、 ¬改邪がいじゃ鈔しょう¼ といふ。 ともに和字わじなり。 この二部にぶは小しょう僧そう願主がんしゅとして望のぞみ申もうせしゆへに、 口く筆ひつによりて短毫たんごうをそめき。 これことに生しょう前ぜんの思おもい出でともなり、 遐か代だいの名鑑めいかんにも擬ぎするものなり。

-しかのみならず、 たまたま津しんを問といたてまつる者ものには西方さいほうの通津つうしんをしめし給たまうとき、 後ご日にちの廃忘はいもうをたすけんとてしるし給たまうべきよし申もうし請こいける輩ともがらには、 一いっ紙しのうち片へん時じの程ほどなどに、 いと思し案あんにもおよばず、 たゞ率そつ爾じに筆ふでをそめらるゝ事こと、 著ちょ述じゅつあまた0472あり。 後のちにその名なを題だいせられて ¬執しゅう持じ鈔しょう¼・¬願々がんがん鈔しょう¼・¬最要さいよう鈔しょう¼・¬本願ほんがん鈔しょう¼ など号ごうせらる。 これみな所しょ被びの輩ともがらのつたなきをさきとして、 漢かん字じの筆体ひっていのまよひやすきをさしをき、 所望しょもうの族やからのをろかなるを本ほんとして、 和字わじの制作せいさくのこゝろえやすきをもちゐらるゝ所ところなり。

-¬執しゅう持じ鈔しょう¼ にいはく、 「▲平生へいぜいの一念いちねんによりて往おう生じょうの得とく否ふはさだまるものなり。 平生へいぜいのとき不ふ定じょうのおもひに住じゅうせば、 かなふべからず。 平生へいぜいのとき善ぜん知ぢ識しきのことばのしたに帰き命みょうの一念いちねんを発得ほっとくせば、 その時ときをもて娑しゃ婆ばのをはり、 臨りん終じゅうとおもふべし。 ◆抑そもそも、 南无なもは帰き命みょう、 帰き命みょうのこゝろは往おう生じょうのためなれば、 またこれ発願ほつがんなり。 この心こころあまねく万まん行ぎょう万善まんぜんをして浄じょう土どの業因ごういんとなせば、 また廻え向こうの義ぎあり。 この能のう帰きの心しん、 所しょ帰きの仏ぶっ智ちに相応そうおうするとき、 かの仏ぶつの因いん位にの万まん行ぎょう・果地かじの万徳まんどく、 ことごとくに名みょう号ごうの中なかに摂しょう在ざいして、 十方じっぽう衆しゅ生じょうの往おう生じょうの行ぎょう体たいとなれば、 阿あ弥陀みだ仏ぶつ即そく是ぜ其ご行ぎょうと釈しゃくしたまへり。 ◆また殺せっ生しょう罪ざいをつくるとき、 地じ獄ごくの業因ごういんをむすぶも、 臨りん終じゅうにかさねてつくらざれども、 平生へいぜいの業ごうにひかれて地じ獄ごくにかならずおつべし。 念仏ねんぶつも又またかくのごとし。 本願ほんがんを信しんじ名みょう号ごうをとなふれば、 その時じ分ぶんにあたりてかならず往おう生じょうはさだむるなりとしるべし」 と 云々うんぬん取詮しゅせん。

-平生へいぜい業ごう成じょうの玄げん旨しこれにあり、 他た力りき往おう生じょうの深要じんようたふとむべし。

  0473第だい二に十じゅう七段しちだん

ちかごろは、 うちつゞき天てん下かおだやかならざるうへ、 ことに観応かんのう元年がんねん冬ふゆのはじめの比ころより、 京中きょうちゅうにとかくさゝやき沙汰さたする事ことのみきこへしが、 はてには摂津せっつの国くに・河内かわち、 堺さかいをならべてをのをの魚鱗ぎょりんの陣じんをかまへ、 八や幡はた・山崎やまざき、 河かわをへだてゝたがひに鶴翼かくよくの囲かこみをなせり。 なにとなりゆくべき世中よのなかやらんと、 上じょう下げやすきこゝろなし。 かくて日月にちがつをしうつり雌し雄ゆういまだ決けっせざれば、 四し海かいの波なみいよいよさはがしく、 八埏はちえんの塵ちりおさまりやらざるに、 きはまれるかげはやくくれて、 あらたまの年としあらたにたちかへりぬ。

-春はるをむかふるそらのけしきのどかなるに似にたれども、 都みやこのうちゆきゝの人ひとのしづかならぬ体ていなのめならずぞみえける。 禁きん裏り・仙洞せんとう、 万ばん事じの礼法れいほうおほくすたれ、 緇素しそ・貴き賤せん、 たゞ世せ間けんの擾にょう乱らんをなげくほか他たなし。 さるほどに正しょう月がつ十じゅう六日ろくにち、 山崎やまざきの軍ぐん兵ぴょうは陣じんを出いでて東ひがしにむかひ、 坂本さかもとの勇ゆう士しは轡くつばみを並ならべて南みなみにすゝむ。 両りょう方ほうはせあひ京きょう都とにして合戦ごうせんあり。 疵きずをかふむるもの数かずをしらず、 命いのちをうしなふ人ひともおほかりけり。 時ときをあぐるこゑ、 山やまをひゞかし、 鴨河かもがわの水みず、 血ちに変へんじてぞながれける。

-尊老そんろうこのありさまを聞きき給たまいてのたまひけるは、 今いますでに劫減こうげんの末すえにのぞむといへども、 いまだ小しょうの三災さんさいのいたるべきにはおよばざる0474に、 刀とう兵ひょうさかりにおこり、 飢き饉きんまたいのちをあやうくせんとす。 求不ぐふ得とく苦くをうれふる人ひと、 耳じ目ぼくにみち、 怨憎おんぞう会苦えくをのがれぬたぐひ、 東西とうざいにはせちがふ。 まことにかゝる時ときにこそ厭えん離り穢土えどのこゝろもおこり、 欣ごん求ぐ浄じょう土どの思おもいも切せつなるべきに、 駑馬どば鞭むちにおどろかぬ習ならいも今更いまさらおもひしられたり。

-▲あなうの娑しゃ婆ば世せ界かいや、 よしなきながいきしてかゝる災難さいなんにあへる事ことよ、 あはれとく往おう生じょうをとげばやと仰おおせられけるは、 たゞなべての事こととこそおもひたてまつりしに、 *十じゅう七日しちにちの夕ゆうべよりいさゝか嵐らんアラシ気きの身みにしみて、 こゝちの例れいならずおぼゆるとのたまひけれども、 かりそめの風ふう痺ひにこそと、 人ひとはいたくおどろきたてまつらぬに、 やがてうちふし給たまいて、 今こん度どは最さい後ごなり。

-命終みょうじゅうちかきにありとて、 口くちに余よ言ごんをまじへず、 たゞ仏号ぶつごうを称しょう念ねんし、 こゝろ他た念ねんにわたらず、 ひとへに仏恩ぶっとんを念報ねんぽうし給たまう。 かくてその夜よあけにければ、 看かん病びょうの人々ひとびと相談そうだんし、 医師いしを招まねきて病びょう相そうをみたてまつらしめ、 随分ずいぶんの療りょう養ようをもくはへたてまつらんと申もうし合あわせられけるを、 病びょう者しゃ聞きき給たまいて、 ゆめゆめその儀ぎあるべからず。 命いのちは定じょう業ごうかぎりあれば薬くすりをもて延のぶべからず。 たとひその術じゅつありともわがもとむる所ところにあらず、 岸がん上じょうのちかづくことをまつ。 病やまいは苦く痛つうの身みをせむるなければ、 何なにの療りょう治じをかとぶらはん。 たとひ又またそのくるしみありともいく程ほどかあらん、 刹せつ那なに0475すつべき穢土えどの業報ごうほうなりとて、 かたく制せいし給たまいければ、 ちからなくその沙汰さたをもやめられけり。

-▲称名しょうみょうのたえまに傍そばなる人ひとにしめして二に首しゅの歌うたをぞかゝせられける。

南无なも阿あ弥陀みだ 仏力ぶつりきならぬ のりぞなき たもつこゝろも われとおこらず
八十やそじあまり をくりむかへて この春はるの 花はなにさきだつ 身みぞあはれなる

一首いっしゅは朝夕あさゆうに思おもい付つけ給たまいし和語わごの風ふ情ぜいによせて、 日ひ来ごろ決得けっとくし給たまへる他た力りきの安心あんじんをあらはされたり。 三さん十じゅう一いち字じの藻そう詞したりといへども、 おそらくは四し十じゅう八願はちがんの簡要かんようともいひつべきものをや。 一首いっしゅは春はるの節せつをむかへても、 なを花はなの比ころまであるまじきあだなる身みのほどをおもひしりたまへることのはいとあはれにや、 又またやさしくもきこゆ。

-▲さてこよひもあけぬれば*十じゅう九く日にちなり。 さるにても病やまいの軽重きょうじゅうもいのちの延促えんそくも、 人々ひとびとおぼつかなくおもひたてまつられければ、 病びょう体ていにはかくとも申もうさで、 ひそかに医師いしを召請しょうしょうしてみたてまつらしめられけるが、 たのみなき御おん有様ありさまなり。 よもひさしき御事おんことはあらじと申もうして出いでにけり。 されどもくすしは何なにとか申もうしつるともたづねらるゝ事ことなし。 いきの下したにことばをいだしたまふ事こととては念仏ねんぶつばかりなり。

-▲其その日ひも程ほどなくくれ、 酉とりの剋こくにをよびて斜陽しゃようすでに山やまのはにかゝり、 晩風ばんふうかすかに庭にわの梢こずえにをとづるゝ程ほど、 とをくは大覚だいかく世せ尊そん入にゅう涅ね槃はんの儀ぎ式しきをまもり、 ちかく0476は両りょう祖そ聖しょう人にん入にゅう滅めつの作さ法ほうに順じゅんじて、 頭ず北ほく面西めんさい右う脇きょうにふし、 意い念ねん口く称しょうかはるがはるあひたすけて、 相続そうぞく称名しょうみょうの息いきひとたびとゞまり、 本尊ほんぞん瞻仰せんごうのまなこながく閉とじたまひにけり。

-寿算じゅさんをたもち給たまうことはすでに八はち十じゅう二に、 つゐにあるべき別わかれとは知しりながら、 病床びょうしょうにふし給たまうことはわづかに三さん箇が日にち、 時ときに臨のぞみては取敢とりあえぬ悲かなしみなり。 智ち灯とうながく消きえぬ。 誰たれに向むかいてか遺弟ゆいてい愚痴ぐちの昏迷こんめいをてらさん。 法水ほうすいたちまちにかはきぬ。 何なにをもてか末まっ世せ群萌ぐんもうの道どう芽げをうるほさん。 たゞ忍にん土ど永よう離りの涙なみだをおさへて、 ひとへに浄じょう刹せつ再会さいかいの縁えんを期ごするばかりなり。

  第だい二に十じゅう八段はちだん

▲*同おなじき廿にじゅう三日さんにち、 本願ほんがん寺じの門内もんないをいだしたてまつりて、 延仁えんにん寺じの原げん上じょうにをくりたてまつる。 高こう祖そ聖しょう人にんの遺跡ゆいせきとして知ち恩おん院いん近ちかきのあひだ、 由ゆ緒しょも他たにことに、 かたがた事ことの便たよりあるによりて、 かの長ちょう老ろう誓せい阿あ弥陀みだ仏ぶつに申もうし誂あつらえられければ、 僧そう徒と・尼に衆しゅ、 数す輩はいをたなびき、 燃灯ねんとう・焼しょう香こう、 軌き則そくを整ととのえて殯送ひんそうの儀ぎをかひつくろひ、 荼毘だびの庭にわにをもむきて一いち夜やの煙けぶりとなしたてまつりしかば、 三さん春しゅんの霞かすみにたぐひ給たまいけり。 上じょう下げ哀慟あいどうの肝きもをこがし、 男女なんにょ恋れん慕ぼの涙なみだにむせぶ。

-▲*同おなじき廿にじゅう四日よか、 人々ひとびとかの葬所そうしょに至いたりて遺い骨こつをひろひたてまつらるゝに、 或あるいは白びゃく珠じゅの色いろなるもあり、 或あるいは碧へき玉ぎょくの光ひかりなるも0477あり。 かたきこと金剛こんごうのごとくして、 さながら仏ぶっ舎しゃ利りにことならず。 眼前がんぜんの奇き特どく先哲せんてつの跡あとにもこえ、 不ふ思議しぎの霊れい威い滅めつ後ごになをひかりをかゞやかしたまへり。

-圭峯けいほう禅ぜん師じの伝でんに、 「灰はいの中なかに舎しゃ利りを得えたり」 といへるをば、 上じょう古こに智ち行ぎょうの人ひとおほかりし世よにもたふとみて美び談だんとし、 大漢だいかんに道どう解げの僧そうすくなからざるさかひにもこぞりて崇そう敬きょうをいたす。 いま仏心ぶっしん宗しゅうの人ひとにはかのたぐひ事ことしげゝれば、 めづらしからぬ事ことにや。 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃはいたくその瑞ずいをきかねば、 あながちにこの相そうをもとめず。 しかれども、 その勝しょう徳とくによりてこの異い瑞ずいあるべくは、 西方さいほうの行ぎょう人にんなんぞもてかたしとせん。

-しかるゆへは、 无む上じょう大だい利りの名みょう号ごうには万まん行ぎょうことごとくおさまり、 弥陀みだ无漏むろの果か徳とくは五智ごちをもて成じょうぜるがゆへに、 この行ぎょうをたもつものは无智むち无む行ぎょうなれども自じ力りき修しゅ習じゅうの智ち行ぎょうにはすぐれ、 この法ほうを信しんずるものは造悪ぞうあく不ふ善ぜんなれども必ひつ堕だ地じ獄ごくの苦く報ほうをまぬかる。 さればまさしく浄じょう土どに生しょうじて无為むいの法ほっ性しょうを証しょうし、 まのあたり仏前ぶつぜんにまうでゝ无む生しょうの深じん理りをさとりなんのち、 穢土えどの旧きゅう骨こつの仏ぶつの境きょう界がいに同どうぜしこと何なにの疑うたがいかあらん。

-▲又また真如しんにょ堂どうの尼あま衆しゅの中なかより申もうしをくりけるは、 十じゅう七日しちにちより十じゅう九く日にちまで首しゅ尾び三さん箇が日にちのあひだ、 祇ぎ園おんの社やしろのほとにあたり、 太たい子し堂どうの辺ほとりかとみえて、 紫し雲うん空そらにそびく。 いかなる人ひとの往おう生じょうをとぐる瑞相ずいそうやらんと、 諸人しょにんあつま0478りて拝見はいけんしき。 而しかるにこの御ご入にゅう滅めつをきくに、 不ふ例れいの始はじめより終しゅう時じの期ごまで日にち時じ符ふ合ごうせり、 渇仰かつごうきはまりなき由よしをぞ申もうしける。

-おほよそ先達せんだつの中なかに臨りん終じゅうの瑞ずいをあらはすもあり、 滅めつ後ごの霊れいをかくすもあり。 時宜じぎにより機き縁えんにしたがひて、 隠顕おんけんあひことに、 有无うむおなじからざるにこそ。 しかれば、 世よにかはる瑞相ずいそうのあるばかりをたふとみて、 目めにあらはるゝ奇き特どくのなきをあざけるも妄見もうけんなり。 また眼まなこのまへにあらたなる霊れい異いをみながら、 これも得脱とくだつはしりがたしなどいふは、 まして偏へん執じゅうにや。

-我わが尊老そんろうは日ひごろあながちに後世ごせ者しゃの行状ぎょうじょうをもあらはされず、 一ひとすぢに遁世とんせい門もんのふるまひをも事こととし給たまわざりしは、 末代まつだい濁じょく世せの衆しゅ生じょうのむまれつきなるすがたを表ひょうし、 煩悩ぼんのう具ぐ足そくの凡ぼん夫ぶのをのれなりなるかたちをしめし給たまうなるべし。 いま終しゅう焉えん彩雲さいうんの奇異きいといひ、 滅めつ後ご霊骨れいこつの勝しょう相そうといひ、 耳じ目ぼくにかくれなくひろく視し聴ちょうをおどろかし給たまいしかば、 もし疑ぎ謗ほうをくはへん異い学がくの人ひとは、 これを聞ききてたちまちに非理ひりの邪見じゃけんをあらため、 もし信仰しんこうをいたさん同どう聴ちょうの輩ともがらは、 これをみていよいよ敬重きょうじゅうの潤色じゅんしょくにもそなへつべし。

当とう時じの崇そう重じゅうの切せつなる思おもいをおよほすにつけても、 ことに将しょう来らいの弘ぐ教きょうの盛さかんならんことをよろこぶものなり。

 

底本は京都府常楽寺蔵室町時代末期書写本 (欠本の第七巻は真宗法要所収本)。 ただし訓(ルビ)は有国が補完し、 表記も現代仮名遣いにしているˆ漢文部分を除くˇ。