0371◎慕帰絵ぼきえ第だい一巻いっかん

 

  ◎第一だいいち段だん

夫それまよへるがゆへに、 かりに*真如しんにょの妙みょう理りをうしなひ、 さとれるが故ゆえに、 つゐに妄もう情じょうの一念いちねんもなし。 信哉まことなるかな、 *天臺てんだい大だい師しののたまはく、 「然ねん此し心しん性しょう諸法しょほう、 迷めい謂い内ない外げ、 悟ご唯ゆい一身いっしん」 (輔行巻五) と 云々うんぬん。 然者しかれば、 番々ばんばん出しゅっ世せの諸仏しょぶつも、 *流る転てんの凡ぼん愚ぐの*度ど脱だつの方法ほうほうなきことをばあはれみ、 億々おくおく無む量りょうの*衆しゅ生じょうも、 罪ざい障しょうの樊篭ぼんろうに苦く縛てんの*解げ脱だつしがたき事ことをばかなしむ。 されば*大だい聖しょう一代いちだいの設せっ化けなれども、 *八はっ宗しゅう・九く宗しゅう、 廃はい立りゅうあひ​わかれ、 *顕けん教ぎょう・*密みっ教きょう、 行ぎょう学がくことなり。

-此この中なかにすべて一代いちだいを簡別けんべつするに二に種しゅあり。 いはく、 *聖しょう道どう・*浄じょう土どの二に門もんなり。 聖しょう道どうの方かたをば*難なん行ぎょう道どうといひ、 浄じょう土どのかたをば*易い行ぎょう道どうと名なづく。 聖しょう道どうの諸門しょもんは智恵ちえもめでたき人ひとのさとりをきはめて出しゅつ離りせしめ、 浄じょう土どの一門いちもんは愚ぐ鈍どんにつたなきものゝ*往おう生じょうをとぐるにつきて難なん易いをわかてるにてしりぬべし。

-然しかるに ¬*楽邦らくほう文類もんるい¼ (巻四) には 「浄じょう土ど非ひ難なん易い、 難なん易い有う人にん、 難者なんじゃ疑ぎ情じょう咫し尺せき万ばん里り、 易い者しゃ信しん万ばん里り咫し尺せき」 といへる歟か。 くれぐれと*五ご劫こう思し惟ゆいの*本願ほんがんをおこし、 はるばる*兆ちょう載さい永劫ようごうの修しゅ行ぎょうにたへて御お骨ほねをおりければ、 併しかしながら*十方じっぽう衆しゅ生じょうを懸物かけものにして仏ぶつにならむと、 我われ等らの為ために*廻え0372向こうせしめ給たまへる四し十じゅう八はち願がん一々いちいちに成じょう就じゅして正しょう覚がくなり。 *阿あ弥陀みだといはれ給たまう事ことうたがひなきうへは、 たゞたのむばかりと先まず心こころ得うべし。

-さてこの廻え向こうにこたへて*信しん楽ぎょうの心しんおこれば、 やがて*欲よく生しょうの心しん発得ほっとくして、 次し第だいに転てん入にゅうすればこそ、 *三信さんしんとも*三心さんしんともいはれ、 つゐには又また一心いっしん一念いちねんにも洛居らっきょすなれ。 かゝればこそ、 釈しゃ迦かの慇懃おんごん付ふ属ぞくも、 諸仏しょぶつの*証誠しょうじょう*護ご念ねんも、 弥陀みだの功く徳どくをほめ、 本願ほんがんの*名みょう号ごうを信しんぜよとをしへ給たまへども、 機きにたへば尤もっとも*真言しんごん・*止し観かんの観道かんどうに趺あしをむすび、 持じ戒かい・坐ざ禅ぜんの禅菴ぜんあんに思おもいをこらすべきに、 おそらくは*末法まっぽうの時ときにいたれる今日きょう此比このごろ、 聖しょう道どうの修しゅ行ぎょうにをきては、 或あるいは五ご十じゅう二位にいの階かい級きゅうをふめる歴りゃっ劫こう迂廻うえの*漸ぜん教ぎょうもあり、 或あるいは自じ身しん即仏そくぶつの解げ了りょうを事こととする速疾そくしつ頓とん成じょうの所談しょだんもあれども、 すべからくをのをの涯分がいぶんをかへりみて、 時機じき相応そうおうの法門ほうもんに赴おもむきて、 たゞ*横おう超ちょう安楽あんらくの要よう路ろをねがふべし。

-唐とう土ど諸しょ宗しゅうの祖師そし達たちも、 *震旦しんたん名徳めいとくの儒じゅ士し等らまでも、 阿あ弥陀みだをほめたてまつり、 西方さいほう界かいをすゝめずといふ事ことなし。 ひろくは勘載かんさいに隙ひまなし。 中なかにも先まず、 心こころに浮うかぶにまかせて密みっ家け一いっ句くの要文ようもんを得えたり。 「金剛こんごう界かい広大こうだい儀軌ぎき品ぼん」 にいはく、 「十方じっぽう三さん世ぜ一切いっさい諸仏しょぶつ中ちゅう、 弥陀みだ勝しょう下げ劣れつ凡ぼん夫ぶ易い生しょう故こ、 十方じっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつ浄じょう土ど中ちゅう、 无む超ちょう安楽あんらく国こく土ど」 文。 又また ¬秘ひ密みつ神呪じんじゅ教きょう¼ には、 「三さん世ぜ諸仏しょぶつ出しゅっ世せ本懐ほんかい、 為い説せつ阿あ弥陀みだ仏ぶつ名みょう号ごう也や」 云々うんぬん。 或ある ¬経きょう¼ (弥陀秘密神呪経) には、 阿あ弥陀みだの三さん字じをばいみじくと0373きあらはさるゝに、 「阿字あじ十方じっぽう三さん世ぜ仏ぶつ、 弥字みじ一切いっさい諸しょ菩ぼ薩さつ、 陀字だじ八万はちまん諸しょ聖教しょうぎょう、 三さん字じ之し中ちゅう皆かい具ぐ足そく」 ともみえたり。 めのこたきとかやの風ふ情ぜいに心こころ得えやすき、 加か様ようの明文めいもんを少々しょうしょう思おもいいだすに随したがいて書載かきのせ侍はべり。

-幸さいわいに明めい師しにあへり。 もとは*法相ほっそう・*三論さんろんの宗しゅうを兼学けんがくせしかども、 後のちには清しょう閑げん一実いちじつの教きょうに帰き伏ぶくして更さらに貳になし。 されども遁世とんせいをさきとし教きょう導どうをむねとして、 檀主だんしゅをへつらひ諸人しょにんをほむる事ことはなくして、 半はん篭居ろうきょの体ていなれば、 世せ俗ぞくの*緇素しその一門いちもん他家たけのむつびもたがはず、 雲客うんかくも卿相きょうしょうも年来ねんらい日来にちらいのまじはりそむかざりけり。 さるうへに代々だいだい寺務じむ管領かんれいの号ごうあるに就つきて、 兼かねて自じ身しん往おう生じょう浄じょう土どのためばかりにさる止事やんごとなき法ほう流りゅうを酌くみ伝つたうるを、 縁えんにふれても聞きき及およぶ人ひとの由緒ゆいしょも心こころ悪あしさに蓬屋ほうおくに尋たずねのぞみて、 此このたび出しゅつ要ようの方ほう軌きを問といこゝろみ侍はべりし時とき、 物もの語がたりあるを聴ちょう聞もんせしかば、 *宿しゅく善ぜんの開発かいほつしけるにや、 理り窟くつ霧きりまけり、 一度ひとたび聞きくに歓かん喜ぎをなす。 金林こんりん月つきすめり、 おちおちあきらむるに疑ぎ情じょうある事ことなし。

-*孔子こうしの詞ことばには、 「朝ちょう聞道もんどう夕ゆう死し可矣かい」 (論語) といへり。 時ときの間あいだもきえやすき露つゆの命いのちをかへりみず、 無後むご心しんのおもひに住じゅうして、 こととくも先まずたづねけるは、 かしこくぞと思おもいぞあはせらるゝ。 又またこれは常つねに耳みみなれ、 目めにふるゝ様ようにて珍めずらしからぬ文もん証しょうなれども、 ¬*摩訶まか止し観かん¼ (巻一上) 曰いわく、 「一日いちにち三捨さんしゃ恒沙ごうじゃ身しん、 尚しょう不ふ能報のうほう一いっ句く力りき、 況きょう両りょう肩けん荷負かぶ、 百ひゃく千万せんまん劫ごう、 寧報ねいほう仏法ぶっぽう之し恩とく」 文。 斯し0374芩きん王おうの私訶しか提仏だいぶつに仕つかへ、 梵ぼん摩ま達だつが珍宝ちんぽう比丘びくに奉たてまつりて、 飲食おんじき・衣え服ぶく・臥具がぐ・医い薬やくの四事しじの供く養ようを述じゅつし、 是これみな念仏ねんぶつ三昧ざんまいの法ほうをきかむが為ためなり。 加之しかのみならず大王だいおうは法ほうを求もとめて給きゅう仕じを千載せんざいにいたし、 常じょう啼たいは般若はんにゃを聞ききて五ご百ひゃく由ゆ旬じゅんの城しろにいたるといへる歟か。 ¬大論だいろん¼ (*大智度論巻一発品意) には、 「若にゃく無む信心しんじん雖すい解げ文もん義ぎ空くう無む所しょ獲ぎゃく」 云々うんぬん。

-故ゆえにその厚恩こうおんを報ほう酬しゅうせむと欲ほっすれば、 泰山たいざんは猶なおひきく、 蒼海そうかいはなを浅あさし。 せめても平日へいいちの行状ぎょうじょうを丹青たんせいにあらはして、 高殿こうでんの名徳めいとくを晨昏しんこんにほめむが為ために、 二に十じゅう六段ろくだんの篇へん章しょうをたて巻かんを十じゅう軸じくに分わかつ事ことは、 *円えん宗しゅうには十乗じゅうじょう・十じっ境きょうの観門かんもんを明あかして十界じっかい・十じゅう如にょの因いん果がをさとり、 浄教じょうきょうには十じゅう願がん・十行じゅうぎょうの嘉か号ごうを持たもちて十即じっそく・十じっ生しょうの往益おうやくをうと談だんず。 聖しょう道どう・浄じょう土どの二に門もん、 おほく十じゅうをもて規矩きくとするがゆへなり。

-さて 「慕帰ぼき」 と題だいする心こころは、 彼かの帰き寂じゃくを恋こうるが故ゆえに、 此この*後こう素その名なとし侍はべり。 もとより身み才学さいがくなければ、 思おもいのごとく詞花しかを和わ唐とうにかざる事ことなく、 心こころ頑がん愚ぐなれば、 形かたちのごとく言こと葉のはを筆墨ひつぼくにあやつるばかり也なり。 たゞ志こころざす之の所ところ之これ偏ひとえに忘もう恥ち忘もう嘲ちょうたるにや。 于時ときに*観応かんおう二に歳さい 辛かのとの卯う 初冬しょとう十じゅう月がつさんじゅう日にち書しょ記きせり。

▼抑そもそも勘解由かげゆ小路こうじの中ちゅう納な言ごん*法印ほういん *宗そう昭しょう 者は、 亀山かめやま院いん御ぎょ宇う*文永ぶんえい七年しちねん十じゅう二に月がつ廿にじゅう八日はちにち、 三さん条じょう富とみ小こう路じ辺あたりに在ありて誕たん生じょう 云々うんぬん。 俗ぞく姓しょうは北ほっ家けにて氏祖しそ長岡ながおか◗の右う相しょう府ふ 内麿うちまろ公こう 七代しちだいの遺孫ゆいそん、 弼ひつの宰さい相しょう有国ありくに卿きょう六代そくだいの孫そん枝し、 嵯峨さが三さん位み宗業むねなり卿きょうの末葉まつよう、 中ちゅう納な言ごん法印ほういん宗そう恵けいの*真弟しんてい、 左衛さえ門佐もんのすけ広綱ひろつな◗の孫まご0375也なり。 ▼厳ごん師し上綱うえつなは父ちち世よを早そうして一門いちもん◗の長ちょう者じゃ日野ひの中ちゅう納な言ごん家光いえみつ卿きょうの子ことなりて、 大原おおはら二に品ぼん親王しんのう 尊助そんじょ の御おん弟子でしとして三さん部ぶ・四し曼まんの萼うてなをもてあそび、 *五ご音いん・七声しちせいの曲きょくに達たっしけるが、 ▼隠遁いんとんして*覚かく恵え房ぼうとよばれき。 母儀ぼぎは周防すおう権守ごんのかみ中原なかはらのなにがしとかや号ごうしける其その女むすめなり。

-▼倩つらつら往おう事じを思おもうに、 宗光むねみつ朝臣あそんは白河しらかわ・鳥羽とば院いん等とうの聖代せいだいに仕つかへり。 ▼宗業むねなり卿きょうは後ご鳥羽とば・土つち御み門かどの明めい時じにつかへて、 各おのおの文道ぶんどう抜群ばつぐんのほまれをほどこし、 儒門じゅもん絶倫ぜつりんの名なを揚あげて、 後ご鳥羽とば院いんには四し儒じゅ随一ずいいつたりしかば、 上じょう古こより当とう時じに至いたるまでも、 道どうにふけり学がくをたしなむ家いえと云事いうことを、 褒ほう美び讃嘆さんだんせぬはなかりけり。

-▼爰ここに曾そう祖父そふの三さん位み信綱のぶつな卿きょうは家か督とくの儀ぎとして祖そ業ぎょうをつぎしかば、 祖父そふ広綱ひろつなに至いたるまでは累代るいだい余よ慶きょうによりて、 三さん事じの顕要けんようにも浴よくすべけれども、 力ちからなく俗網ぞくもうを二に代だいに隔へだて、 梵ぼん篋きょうの満月まんげつを仰あおぐべき身みとなりしかば、 名めい誉よの一いち流りゅうながくたえぬるこそうたてけれ。 法印ほういん出しゅっ家けの後のちは、 兼仲かねなか献納けんのうの猶ゆう子したりし程ほどに、 彼かの卿きょうの号ごうをもて、 一門いちもんも他家たけもみな勘解由かげゆ小こう路じ◗の法印ほういんと称しょうしけるとぞ。

  第だい二に段だん

▼八はち、 九く歳さい両りょう年ねん之の間あいだは、 天臺てんだい宗しゅう学者がくしゃに侍じ従じゅう*竪者りっしゃ貞てい舜しゅんとして侍はべりしが、 遁世とんせいして慈じ信しん房ぼう澄ちょう海かいとぞ号ごうしける、 種しゅ姓しょうは猫間ねこまの中ちゅう納な言ごん光隆みつたか卿きょうの末まつ流りゅう也なり、 ▼彼かの仁じんに対たいして ¬倶く舎しゃ論ろん本頌ほんじゅ¼ 三十さんじっ巻かんをよみけるが、 大たい略りゃく暗誦あんじゅしてくらからず。 澄ちょう海かいいはく、 わづかに十歳じっさいの内うちの人ひと0376の習しゅう学がくこそありとも、 さすがに数す巻かんを暗誦あんじゅせる事ことは希き代たいの器き量りょうかなとて、 ▼称しょう美びのあまり天臺てんだいの秘ひ書しょ、 ¬初心しょしん抄しょう¼ 五ご帖じょうを付ふ属ぞくするとて、 此この書しょは先せん師し敬日けいにち房ぼう 円海えんかい 自じ筆ひつ本ぼん也なり。 随分ずいぶん秘ひ蔵ぞうすといへども、 法ほう器きの感かんあり、 将しょう来らいにはさだめて仏ぶっ家けの棟とう梁りょうともなり、 徳海とくかいの舟楫しゅうしゅうともいはれ給たまうべき人ひとなればとて、 奥書おくがきをしてぞわたしける。

  第三だいさん段だん

▼後ご宇多うだ院いん御ご在ざい位い弘安こうあん五ご年ねんと云いう十じゅう三歳さんさいの時とき、 はじめて松房まつぶさの深窓じんそうを出いで、 しばらく竹院ちくいんの一室いっしつに入いり侍はべるべき縁えんや有ありけむ。 山門さんもんの碩徳せきとくといはれし竹たけなかの宰さい相しょう法印ほういん宗そう澄ちょうを師しとして天臺てんだい宗しゅうを学がくせしめけり。

慕帰絵ぼきえ之の事こと、不可出当寺内之とうじないをいでざるべからざる処ところ、有不慮之儀ふりょのぎありて、数年為将軍家之御物すねんしょうぐんけのぎょぶつたり。雖然しかりといえども文明ぶんめい十じゅう三年さんねん十じゅう二に月がつ四日よっか、以もって飛鳥井あすかいの中ちゅう納な言ごん入にゅう道どう 宋世そうせい 依申入事之子細もうしいるることのしさいによりて、今度このたび所被返下也かえしくださるるところなり。但ただ此この内うち第一だいいち第七だいしち之の巻かん為紛失之間ふんしつのあいだのため、同おなじき十じゅう四し年ねん*仲ちゅう冬とう上旬じょうじゅん之の比ころ、令書加之者也これをかきくわえしむるものなり。尤もっとも希け代たい之の事こと歟か。可秘ひすべし可秘ひすべし。

詞ことば  黄門こうもん入にゅう道どう 宋世そうせい
画師えし 掃部助かにもりのすけ藤原ふじわら久信ひさのぶ

 

0377慕帰絵ぼきえ第だい二に巻かん

  第一だいいち段だん

彼かの法印ほういんに随逐ずいちくして、 垂髪さげがみながらやうやく四し教きょう・五時ごじの名みょう目もくをならひ、 一いっ家け大たい都との綱網こうもうを得えしかば、 師し範はんも法ほう器きに堪たえたることをよろこび、 童どう稚ちも提携ていけいに嬾ものうからずしてすぎ行ゆくほどに、 いつしか不ふ慮りょに転変てんぺん依違いいの事こと出いで来きたりて、 幾いくばくの月つき日ひをもをくらざるに、 離り房ぼうのきざみ心こころならず、 又また翌年よくねん十じゅう四しといふ春はるのころ、 ▼寺じ門もん南滝なんろう院いん右府うふ◗の僧そう正じょう 浄じょう珍ちん と申もうすは、 北きた小こう路じ◗の右う相しょう府ふ 道経みちつね公こう ◗の孫まご、 二位にい◗の中将ちゅうじょう基輔もとすけ卿きょう◗の息そくにや、 ▼或ある所ところにて彼かの貴き辺へんにたばかりとられけるぞ、 縡ことの楚そ忽こつなるもたのまれぬ気きして、 かつは鬼おにに神じんの風ふ情ぜいとは是これをいふにやと不ふ思議しぎにぞおぼえける。

  第だい二に段だん

さるほどに猶なお同年どうねんの事ことなりけるに、 一いち乗じょう院いん前さき◗の大だい僧そう正じょう房ぼう、 いかなる便たよりにかこの童どう形ぎょうのとしのほどにも似にず、 はしたなき懸針けんしん垂すい露ろの筆勢ひっせいを御ご覧らんぜられけるとて、 ゆかしく思おぼし召めしけるにや、 あまたの所縁しょえんにつきて頻しきりに気け装そうし仰おおせられけれども、 *厳親げんしん承しょう諾だくし申もうさぬ故ゆえは、 さのみ所々しょしょを経歴きょうりゃくもしかるべからざる歟か。

-其上そのうえ尋じん常じょうの法ほうには、 髪かみを0378さげて大おお童わらわにて久ひさしくある事ことは本ほん意いならず、 たゞとく出しゅっ家け得とく度どをもせさせてこそ心こころ安やすけれとて、 かたく子し細さいを申もうしけるに、 或時あるときは又また小野おのの宮みや◗の中将ちゅうじょう入にゅう道どう師具もろとも朝臣あそん 于時ときに侍じ従じゅう を連々れんれん御ご招しょう引いん、 知ち音いんなれば狂くるいて誘さそいてまいらせなむやと懇切こんせつに仰おおせられけるとて、 其旨そのむねを度々どど伝説でんせつしけれども、 なを心こころづよくぞ難なん渋じゅう申もうしける。 聞きき及およぶやからは、 人ひとにより事ことにこそよるに、 是程これほど時々じじの貴き命めいをいなみ申もうすはかへりて無む体たいにもあたり、 人倫じんりんの法ほうにも背そむくものをやなどいひあふもあり。 或ある輩ともがらは又またさる名めい家かの一族いちぞくなれば廉かどをたおさじと、 至いたりて古義こぎを存ぞんぜしむるもちからなき事こと歟か、 など申もうすも有ありけり。

-しかるに、 同おなじき七月しちがつ十じゅう二に日にちのことなりけるに、 黄昏たそがれの斜ななめなる景かげを見みすぐし、 桂月けいげつの明あきらかなる光ひかりを待まちえて、 四し方ほう輿ごしをかゝせ、 ひた物もの具ぐしたる大衆だいしゅを引率いんそつして、 既すでに奪うばい取とるべき御ご結構けっこうあるよしを仲人なかうどありてひそかに告つげ示しめす程ほどに、 本所ほんしょにも其その用よう意いを致いたす際さい、 其時そのときも御ご本ほん意いを遂とげられず、 さこそ遺い恨こんにも思おもい食はべりけめ。 さりながらなをなをもあやにくにや、 其後そののちもたゞひたすらに御ご懇心こんしんあさからざれば、 親おやの本懐ほんかいに任まかせてやがてこそ出しゅっ家けをも遂とげさせめなどこまかに御お約束やくそくの旨むねありければ、 此上このうえは固辞こじに拠よりどころなしとて、 初参しょざんあるべきにさだまりぬ。

-さりながら聊いささか日ひかずの経へけるとて、 いとゞ御おん心こころ元もとなき由よしを、 しき浪なみをうつが如ごとくに*祗し候こう人にんこれ彼かれをたちかへたちかへ差さし上あげられて責せめ仰おおせられけれ0379ば、 まづ西林さいりん院いん三さん位み法印ほういん行ぎょう寛かん附ふ弟ていのよしにて入室にっしつの儀ぎあり。 やがて件くだん◗の法印ほういん引導いんどうにて摂津せっつの国くに原殿はらどのの禅房ぜんぼうへはまいりけり。 其時そのときの門主もんしゅは前さき◗の大だい僧そう正じょう坊ぼう 信しん昭しょう 岡屋おかやの摂せっ政しょう殿どの◗の御ご息そく とぞ申もうしける。 しかるにあへなく十じゅう四し歳さいより侍はべりつる僧そう正じょう房ぼうにも、 すぎをくれたてまつりぬ。

-彼かの附ふ弟てい僧そう正じょう房ぼう 覚かく昭しょう と申もうすは、 近衛このえの関白かんぱく 基平もとひら公こう ◗の御ご息そく也なり。 先せん師しの旧きゅう好こうも他たに異ことなれば、 相続そうぞく給きゅう仕じあるべき由よし仰おおせ置おかれけるに付つきて、 今いまの門主もんしゅにも猶なお御ご気け色しき快然かいねんにて、 和わ州しゅう菅原すがわらの幽ゆう地ちを卜しめて、 常つねには閑げん適ちゃくをよみしましましけるにも、 光仙こうせん殿どのとてあまたの垂髪さげがみ共どもの外ほかに一いち両りょう人にん祗し候こうしける上じょう臘ろう児にの其一そのいちにて、 心操しんそうたち振舞ふるまいも幽玄ゆうげんに、 容顔ようげんことがらも神じん妙みょうにおぼしめしければ、 昼ひるは竟きょう日にちに、 夜よは夜よを専もっぱらにして御ご影えいのごとくにつき従したがいたてまつりて、 年月ねんげつを送おくりける。

-なかにもよろづにつけてあぢきなく、 さすがかたほなる心こころの底そこに、 おりおりは今こん生じょうの栄耀えいようもいつまでとのみ思おもはれ、 来らい生しょうの資し貯ちょはかりそめにも儲もうけがたく案あんぜられけるぞ、 末すえの世よに法ほう器きたるべき芳縁ほうえんのやうやく萌きざしけるにやとおぼえ侍はべる。

詞ことば  三さん条じょう亜あ相しょう 公忠きみただ卿きょう
画師えし 沙しゃ弥み如心にょしん 因幡いなばの守かみ藤原ふじわら隆章たかあき

 

0380慕帰絵ぼきえ第だい三巻さんかん

  第一だいいち段だん

弘安こうあん九く年ねん十じゅう月がつ廿日はつかの夜よ、 十じゅう七歳しちさいといふに、 彼かの*院いん家げにして出しゅっ家け、 やがてその夜よ受戒じゅかいありけり。 これは孝恩こうおん院いん三さん位み僧そう正じょう印覚いんかく 行ぎょう寛かん法印ほういん甥おい うけたまはりて、 とり沙汰ざたとぞきこえし。

  第だい二に段だん

素そ懐かいを遂とげぬるのちは、 行ぎょう寛かん法印ほういんに相あい従したがひ稽けい古この一いち途づにおもむき、 法相ほっそうを学がくせらるれば、 *無む著じゃく・*世せ親しん・*護ご法ほう論ろん師じの跡あとををはんと、 ほとんど寸陰すんいんを競きそいけり。 かくて讃仰さんごうやうやく世せ上じょうに秀ひいで、 名めい誉よしばしば天てん下かにきこゆべかりしかども、 蜀しょく都とちからなければ、 公こう請しょうにもしたがひがたく、 龍りゅう洞とうあゆみをうしなへば、 人望じんぼうありぬべしともおぼえねば、 いつしか*交きょう衆しゅもものうく、 されば苦く学がくも勇いさみなくぞおもひける。 さる程ほどに、 おりおりは門主もんしゅに身みのいとまを申もうしけれどもゆるされず、 不ふ諧かいの故ゆえに稽けい古このかたこそ退屈たいくつすとも、 離寺りじの条じょうはしばらく堪忍かんにんすべきよし頻しきりに宥ゆるしおほせられけるとなん。 これによりて、 遂業すいごうの沙汰さたなどにもをよばず、 直じきに律りっ師しに挙任きょにんせられ0381ければ、 別道べつどうの僧綱そうごうの儀ぎにてぞなを寓ぐう直ちょくしける。

  第三だいさん段だん

奈良ならより*偸閑とうかんに退たい出しゅつの事ことありしついでにおもふ様よう、 たとひ本ほん寺じの交きょう衆しゅは抛なげうちがたくとも、 出しゅつ離りの要道ようどうにをいて望のぞみを断たちぬ。 をのれが限げん量りょうあゆみをうしなへばなり。 西方さいほうの欣ごん求ぐはたのむにたれり、 底てい下げの凡ぼん夫ぶにいたるまで愚ぐをすてず。 ねがふらくは南無なもにたよりあればなり。 但ただわが法相ほっそう宗しゅうは五ご性しょう格別かくべつの義ぎをたて、 諸法しょほう*性しょう相ぞうの釈しゃくをむねとして決判けっぱんきびしき家いえをや。 おほかた名なを法相ほっそう宗しゅうにかけながら、 肩かたを浄じょう土ど門もんにいれんとす。

-交きょう衆しゅのため外聞がいぶん時宜じぎいかゞなどためらひおぼゆるに、 且かつはまづ例れい証しょうを外ほかにもとむべからず。 宗そう家けには千せん部ぶの論ろん師じといはれたまふ世せ親しん菩ぼ薩さつすら、 もはら無むげ光こうに帰き命みょうして*安楽あんらく国こくに願がん生しょうすとこそつたへうけたまはれ。 ましてやいはん、 我われ等ら凡ぼん夫ぶおもへば出しゅつ離りのはかりごとにはこれこそ所愛しょあいの法ほうなれ。 機き教きょう覆載ふくさいし、 函蓋かんがい相そう順じゅんして加か様ようにおもひ萌きざすもしかるべき宿しゅく縁えんか。 いまきく、 他た門もんにもあらで自じ宗しゅうにをいてまぢかきためしあるかな。 さしも明めい匠しょうといはれし三蔵さんぞう院いん範憲はんけん僧そう正じょうすら、 弥陀みだをたのみて昼ちゅう夜やに称名しょうみょうを専もっぱらにし、 朝ちょう夕せきに数しゅ遍へんを励はげみけりと 云々うんぬん。

-かしこかりけり、 所詮しょせん外げ相そうの進退しんたいによるべからず、 内心ないしんの工案こうあんこそあらまほしけれとて、 *弘安こうあん十じゅう0382年ねん春秋しゅんじゅう十じゅう八はちといふ十じゅう一いち月がつなかの九日ここのかの夜よ、 東ひがし山やまの*如信にょしん上しょう人にんと申もうしし賢哲けんてつにあひ​て釈しゃ迦か・弥陀みだの教行きょうぎょうを面授めんじゅし、 *他た力りき摂せっ生しょうの信しん証しょうを口く伝でんす。 所謂いわゆる血けち脈みゃくは叡山えいざん黒谷くろだに*源空げんくう聖しょう人にん、 本願ほんがん寺じ*親巒しんらん聖しょう人にん二に代だいの嫡ちゃく資しなり。 本願ほんがん寺じ祖師そし先徳せんどく、 俗ぞく姓しょうは*日野ひの◗の宮ぐう司じ啓令けいれい有範ありのりの息男そくなん、 真諦しんたいは山門さんもん*青しょう蓮れん院いん*慈じ鎮ちん和か尚しょうの御おん弟子でしなれば、 たゞ浄じょう土ど一いっ宗しゅうをきはめたまふのみにあらず、 本ほん宗しゅうは又また御ご師し範はん黒谷くろだにの先せん蹤しょうに相あい同おなじく一いっ家け天臺てんだいの源底げんていをうかゞひ、 上乗じょうじょう秘ひ密みつの門もん流りゅうをも酌くみたまひけり。 しかれば、 真しんにつけてもやむごとなく、 俗ぞくにつけてもいやしからざる事ことをや 委くわしく◗は見于彼別伝かのべつでんにみゆ

-将又はたまた、 *安心あんじんをとり侍はべるうへにも、 なを自他じた解げ了りょうの程ほどを決けっせんがために、 *正しょう応おう元年がんねん冬ふゆのころ、 常陸ひたちの国くに河和田かわだ◗の*唯円ゆいえん房ぼうと号ごうせし法侶ほうりょ上じょう洛らくしけるとき、 対面たいめんして日来にちらい不ふ審しんの法文ほうもんにをいて善悪ぜんあく二に業ごうを決けっし、 今度このたびあまたの問題もんだいをあげて、 自他じた数す遍へんの談だんにをよびけり。 かの唯円ゆいえん大徳だいとくは鸞らん聖しょう人にんの面授めんじゅなり。 *鴻才こうざい弁説べんぜつの名めい誉よありしかば、 これに対たいしてもますます当とう流りゅうの気味きびを添そえけるとぞ。

詞ことば  一いち条じょう前さき◗の黄門 実材じつざい卿きょう
画師えし 摂津せっつの守かみ藤原ふじわら隆昌たかあき

 

0383慕帰絵ぼきえ第だい四し巻かん

  第一だいいち段だん

▼*同おなじき三年さんねんには、 法印ほういんそのとき廿にじゅう一いちのことにや、 本願ほんがん寺じ先せん祖ぞ勧かん化けし給たまふ門もん下かゆかしくおぼゆるに、 さることのたよりあることをよろこびて、 しばらくいとまを*南なん都との御ご所しょへ申もうし賜たまいて、 東関とうかん巡じゅん見けんしけるに、 ▼国くにはもし相そう州しゅうにや、 余よ綾りょう山中やまなかといふ所ところにして、 *風ふう瘧ぎゃくをいたはる事こと侍はべるに、 ▼慈じ信しん房ぼう 元もと宮く内ない卿きょう公こう*善鸞ぜんらん 入じゅ来らいありて、 退たい治じのためにわが封ふなどぞ、 さだめて験しるしあらんと自じ称しょうしあたへんとせらる。 ▼真弟しんてい如信にょしんひじりも坐ざせられけるに、 法印ほういん申もうさば、 いまだ若じゃく齢れいぞかし。 其そのうへ病びょう屈くつの最さ中なかも堅けん固ごの所存しょぞんありければ、 おもひける様よう、 おとさばわれとこそおとさめ、 この封ふを受用じゅゆうせん事ことしかるべからず。

-ゆへは師し匠しょうのまさしき厳げん師しにて坐ざせらるれば、 もだしがたきには似にたれども、 この禅襟ぜんきんとしひさしく田舎いなか法ほう師しとなり侍はべれば、 あなづらはしくもおぼえ、 しかるべくもおもはぬうへ、 おほかた門もん流りゅうにをいて聖しょう人にんの御おん義ぎに順じゅんぜず。 あまさへ堅けん固ごあらぬさまに邪道じゃどうをことゝする御子みこになられて、 *別べつ解げ・別べつ行ぎょうの人ひとにてましますうへは、 今いまこれを許容きょようしがたく、 粛しゅく清せいの所存しょぞんありければ斟しん酌しゃくす。 まづ請こい取とりての0384む気け色しきにもてなして掌中しょうちゅうにをさめけり。 ▼それをさすがみとがめられけるにや、 後ご日にちに遺い恨こんありけるとなん。

-この慈じ信しん房ぼうは安心あんじんなどこそ師し範はんと一いち味みならぬとは申もうせども、 さる一道いちどうの先達せんだつとなられければ、 ▼今度このたび東関とうかん下げ向こうのとき、 法印ほういん常陸ひたちに村むら田たといふあたりを折節おりふしゆきすぎけるに、 たゞいま大殿おおとのの御おん浜はまいでとて、 男おとこ法ほう師し・尼あま女おんなたなびきて、 むしといふ物ものをたれて、 二に、 三さん百びゃく騎きにて鹿か嶋しまへまいらせたまふとて、 おびたゞしくのゝめく所ところをとおりあひ​けり。 大殿おおとのと号ごうしけるも、 辺へん土どながらかの堺さかいなれば、 先代せんだい守殿しゅでんをこそさも称しょうすべけれども、 すこぶる国こく中ちゅう帰き伏ぶくのいたりにやと不ふ思議しぎにぞあざみける。 かゝる時ときも他たの本尊ほんぞんをばもちゐず、 無礙むげ光こう如来にょらいの名みょう号ごうばかりをかけて、 一心いっしんに念仏ねんぶつせられけるとぞ。

-▼下野しもつけの国くに高たか田だの*顕けん智ち房ぼうと称しょうするは、 真ま壁かべの*真仏しんぶつひじりの口く決けつをえ、 鸞らん聖しょう人にんには孫弟そんていたりながら、 御ご在ざい世せにあひ​たてまつりて面授めんじゅし申もうすこともありけり。 或ある冬ふゆの事ことなりけるに、 炉ろ辺へんにして対面たいめんありて、 聖しょう人にんと慈じ信しん法ほう師しと、 御お顔かおと顔かおとさしあはせ、 御手みてと手てとゝりくみ、 御おん額ひたいを指さし合あわせて何事なにごとか物ものを密談みつだんあり。 其時そのときしも顕けん智ちふと参まいりたれば、 両りょう方ほうへのきたまひけり。 顕けん智ち大徳だいとく後ご日にちに法印ほういんに語かたり示しめしけるは、 かゝることをまさしくまいりあひ​てみたてまつりし。 それよりして何なにともあれ、 慈じ信しん御房おんぼうも子し細さいある御事おんことなりと 云々うんぬん。

-▼是これをおもふ0385に、 何様いかようにも内ない証しょう外げ用ゆうの徳とくを施ほどこして、 融通ゆうずうし給たまふむねありけるにやと符ふ合ごうし侍はべり。 天竺てんじくには*頻びん婆ば娑しゃ羅ら王おう・*韋い提だい夫ぶ人にん・*阿あ闍じゃ世せ太たい子し・*達だっ多た尊者そんじゃ・*耆婆ぎば大臣だいじん等とうの金輪こんりん婆羅ばら門もん種しゅ姓しょうまでも、 あひ猿楽さるがくをしてつゐには仏道ぶつどうに引いん入にゅうせしめ、 和わ朝ちょうには*上じょう宮ぐう皇おう子じ、 *守もり屋やの大おお連むらじを誅ちゅう伐ばつしたまひしも、 仏法ぶっぽうの怨敵おんてきたりし違い逆ぎゃくの族そくを退しりぞけむがために、 君臣くんしんの戦たたかいにおよびしにいたるまでも、 みな仏ぶつの変へん作さなれば、 巧ぎょう方便ほうべんをめぐらして、 かへりて邪見じゃけんの群ぐん衆しゅうを化度けどせんとしたまふ篇へんあれば、 彼かの慈じ信しん房ぼうおほよそは聖しょう人にんの使し節せつとして板東ばんどうへ差さし向むかいたてまつられけるに、 真俗しんぞくにつけて、 門もん流りゅうの義ぎにちがひてこそ振ふる舞まはれけれども、 神子かんなぎ・巫女みこの主しゅ領りょうとなりしかば、 かゝる業ごうふかきものにちかづきて、 かれらをたすけんとにや、 あやしみおもふものなり。

  第だい二に段だん

かくて板東ばんどう八はち箇か国こく、 奥おう州しゅう・羽う州しゅうの遠えん境きょうにいたるまで、 処々しょしょの露地ろじを巡じゅん見けんして、 聖しょう人にんの勧かん化けのひろくをよびけることをも、 いよいよ随ずい喜きし、 面々めんめんの後弟こうていに*拾しゅう謁えつして、 相そう承じょうの宗しゅう致ちの誤あやまりなきむねなどたがひに談だん話わしける程ほどに、 はからざるに、 両りょう三年さんねんの星霜せいそうをぞ送おくりける。

-さて*正しょう応おうすゑのとし、 *陽よう春しゅんなかばの比ころにや、 ふたゝび華か洛らくにかへりて、 まづこのよしを南なん都とに申もうしければ、 門主もんしゅよろこび仰おおせられて、 いそぎ帰寺きじをぞ0386すゝめたまひける。 しかるに行ぎょう寛かん法印ほういん入にゅう滅めつのよし、 かつがつしめされければ、 多た年ねん*提撕ていぜいの恩おんもわすれがたく、 *浮ふ生しょう変滅へんめつの悲かなしみもいまさら肝きもに銘めいじけるまゝに、 師し匠しょうの再会さいかい、 死し生しょうみちへだゝりぬれば、 院いん家げの帰き参さんもなにかせん。 さだめなき世よには、 いつまでかさすらふべきと案あんぜられつゝ、 たちまちに*南なん京きょう本ほん寺じの厳砌げんせいをのがれて、 いまよりはひたすらに、 東ひがし山やま大谷おおたにの禅室ぜんしつをのみぞ、 しめ侍はべりける。

 

詞ことば  一いち条じょう前黄門こうもん 実材じつざい卿きょう
画師えし 摂津せっつの守かみ藤原ふじわら隆昌たかあき

 

0387慕帰絵ぼきえ第だい五ご巻かん

  第一だいいち段だん

▼鎌倉かまくらの*唯善ゆいぜん房ぼうと号ごうせしは、 中ちゅう院いん少将しょうしょう具親ともちか朝臣あそん◗の孫まご、 *禅念ぜんねん房ぼう◗の真弟しんてい也なり。 幼年ようねんのときは少将しょうしょう輔時すけとき◗の猶ゆう子しとし、 成人せいじんの後のちは亜あ相しょう雅忠まさただ卿きょう◗の子この儀ぎたりき。 仁にん和な寺じ相応そうおう院いんの守助もりすけ僧そう正じょうの門弟もんていにて、 大だい納な言ごん阿あ闍じゃ梨り弘雅ひろまさとて、 しばらく山臥やまぶし道どうをぞうかゞひける。

-▼いにしへ法印ほういんと唯公ゆいこうとはかりなき法門ほうもん相論そうろんの事ことありけり。 法印ほういんは、 往おう生じょうは宿しゅく善ぜん開発かいほつの機きこそ*善ぜん知ぢ識しきに値あいてきけば、 即すなわち*信心しんじん歓かん喜ぎするゆへに*報ほう土ど得とく生しょうすれと 云々うんぬん。 善公ぜんこうは、 十方じっぽう衆しゅ生じょうとちかひ給たまへば更さらに宿しゅく善ぜんの有無うむを沙汰さたせず、 仏願ぶつがんにあへばかならず往おう生じょうをうるなり、 さてこそ不ふ思議しぎの大願だいがんにては侍はべれと。

-▼こゝに法印ほういん重かさねて示しめすやう、 ¬*大だい無む量りょう寿じゅ経きょう¼ (巻下) には 「▲若にゃく人にん無む善本ぜんぽん、 不ふ得聞とくもん此し経きょう、 清浄しょうじょう有う戒かい者しゃ、 乃ない獲ぎゃく聞もん正しょう法ぼう、 曽ぞう更きょう見けん世せ尊そん、 則そく能信のうしん此し法ほう、 謙けん敬きょう聞もん奉ぶ行ぎょう、 踊ゆ躍やく大だい歓かん喜ぎ、 憍きょう慢まん弊へい懈け怠だい、 難なん以い信しん此し法ほう、 宿しゅく世せ見けん諸仏しょぶつ、 楽聴ぎょうちょう如にょ是ぜ教きょう」 とゝかれたり。 宿しゅく福ふく深厚じんこうの機きはすなはちよくこの事ことを信しんじ、 無む宿しゅく善ぜんのものは*憍きょう慢まん・*弊へい・*懈け怠だいにして此法このほうを信しんじがたしといふことあきらけし。 随したがいて*光こう明みょう寺じ◗の和か尚しょうこの文もんをうけて 「▲若にゃく人にん無む善本ぜんぽん、 不ふ得聞とくもん仏ぶつ名みょう、 憍きょう慢まん弊へい懈け怠だい、 難なん以い信しん此し0388法ほう、 宿しゅく世せ見けん諸仏しょぶつ、 則そく能信のうしん此し事じ、 謙けん敬きょう聞もん奉ぶ行ぎょう、 踊ゆ躍やく大だい歓かん喜ぎ」 (礼讃) と釈しゃくせらる。 経釈きょうしゃく共ともに歴然れきねん、 いかでかこれらの明文めいもんを消けして宿しゅく善ぜんの有無うむを沙汰さたすべからずとはのたまふやと。

-▼其時そのとき又また唯公ゆいこう、 さては念仏ねんぶつ往おう生じょうにてはなくて宿しゅく善ぜん往おう生じょうと云いうべしや、 如何いかんと。 また法印ほういん、 宿しゅく善ぜんによて往おう生じょうするとも申もうさばこそ宿しゅく善ぜん往おう生じょうとは申もうされめ。 宿しゅく善ぜんの故ゆえに知ち識しきにあふゆへに、 聞もん其ご名みょう号ごう信心しんじん歓かん喜ぎ乃ない至し一念いちねんする時じ分ぶんに往おう生じょう決得けっとくし、 *定じょう聚じゅに住じゅうし*不ふ退転たいてんにいたるとは相伝そうでんし侍はべれ、 これをなんぞ宿しゅく善ぜん往おう生じょうとはいふべき哉やと。 ▼そのゝちは互たがいに言説ごんぜつをやめけり。

-▼伊勢いせ◗の入にゅう道どう行ぎょう願がんとて五ご条じょう大だい納な言ごん邦綱くにつな卿きょう◗の遺孫ゆいそんなりしは、 真俗しんぞく二に諦たいにつけ和わ漢かん両りょう道どうにむけてもさる*有う職しきの仁じんといはれしが、 後ご日にちに此事このことを伝つたえ聞ききて彼かの相論そうろんのむねを是非ぜひしけり。 伊勢いせ◗の入にゅう道どう◗の詞ことば◗に云いわく、 北殿きたどのの御ご法文ほうもんは経釈きょうしゃくをはなれず、 道どう理りのさすところ言ごん語ご絶ぜっし畢おわりぬ。 又また南みなみ殿どのの御ご義ぎ勢せいは入にゅう道どう法文ほうもん也なりとてあざわらひけりと 云々うんぬん。 昔むかしは大谷おおたにの一室いっしつに舅しゅうと・甥おい両りょう方ほうに居きょ住じゅうせしにつきて南北なんぼくの号ごうありければ、 行ぎょう願がんはかくいひけるにこそ。

  第だい二に段だん

▼*永仁えいにん三歳さんさいの冬ふゆ*応おう鐘しょう中旬ちゅうじゅんの候こうにや、 報恩ほうおん謝徳しゃとくのためにとて本願ほんがん寺じ聖しょう人にんの御ご一いち期ごの行状ぎょうじょうを草案そうあんし、 二に巻かんの縁えん起ぎを図画とがせしめしより以来このかた、 門もん流りゅうの輩ともがら、 遠邦えんぽうも近郭きんかくも崇たっとびて賞しょう0389翫がんし、 若じゃく齢れいも老者ろうしゃも書かかせて安あん置ちす。 将又はたまた往年おうねんにや、 ¬*報恩ほうおん講こう式しき¼ といへるを作さくせり。 是これも祖師そし聖しょう人にんを嘆徳たんどくし奉たてまつれば、 遷せん化げの日ひは月々つきづきの例れい事じとしていまもかならず一いち座ざを儲もうけて三段さんだんを演のぶるものなり。

  第三だいさん段だん

すでに人間にんげんの栄耀えいようをば耳みみの外そとにとをざかり、 林山りんせんの幽閑ゆうげんをのみ心こころの中なかにたのしみければ、 極楽ごくらくの往おう生じょうをねがひて念仏ねんぶつ転てん経ぎょうの営いとなみをもはらにすといへども、 先哲せんてつの往跡おうせきをしたひて煙えん霞か風月ふうげつの興きょうをもおりにふれては心こころにぞそめける。 凡およそ日野ひのは宦学かんがくの両りょう事じを以もって顕けん職しょくにも居こし温宦おんかんにも浴よくして身みを立たつる家いえ也なりといふ事こと、 ほゞさきに見みたれども、 兼かねては和わ漢かんの両りょう篇へんをも相あい並ならべてたしなみ公宴こうえんにもしたがふ条じょうは代々だいだいの*芳躅ほうたく勿論もちろんなり。

-▼しかりといへども、 三さん十じゅう一いち字じの和語わごには猶なお心こころをいたましめ、 幼よう稚ちのむかしの日ひより老体ろうたいのいまの年としにいたるまで、 春はるの曙あけぼの、 秋あきの夕ゆうべにつけても興きょうを催もよおし、 月つきの夜よ、 雪ゆきの朝あしたを待まちても宴うたげを設もうけ、 時じ境きょう節ふしをたがへぬ心こころづかひにて、 みづからもたちゐにつけて言ことばの数かずおほくつもり、 賓客ひんかくの来きたりて志こころざしを同おなじくするも、 したしきうとき、 その交まじわりたえずなむありける。

-▼かゝりければ、 *正しょう和わ四しのとし、 ¬閑窓かんそう集しゅう¼ といふ打聞うちききをするに、 思おもいのほかに彼かの撰せん歌か、 *仙洞せんとうにまいりて叡覧えいらんにをよびしより、 諸所しょしょにきこえ0390て美び談だんせらる。 上じょう下げ二に帖じょうにわけて千首せんじゅ廿にじっ巻かんとせり。 その集しゅうの奥書おくがきに書かき留とどむる畜懐ちっかいの歌うたにいはく、

かずならで 風かぜの情なさけも くらき身みに ひかりをゆるせ 玉たま津つ嶋しま姫ひめ
あつめをく 和歌わかの浦うらわの 玉たまゆへに なみのした草くさ あらはれやせむ

▼曩のう祖そ相しょう公こう 有国ありくに卿きょう、 「幼よう少しょう児に童どう皆かい聴ちょう取しゅ、 子し孫そん永よう作さ廟びょう門もん塵じん」 と詩しをつくりて北きた野のの聖せい廟びょうにたてまつりけるに、 朝ちょう廷ていにつかへけむ家いえをいでゝ仏道ぶつどうにおもむく身みとなりにたれば、 藤ふじの末葉まつようの片枝かたえだまでも、 いまはをよびがたく、 荊いばらの下露したつゆの一ひとしたゝりともいひがたきに、 さすがなを朽くちざる曩のう古このことの葉はをしたひて、 新あらたなる霊神れいじんによみてまいらせけるとて、

わすれじな きけとをしへし 二ふた葉ばより 十と代しろにかゝれる やどの藤浪ふじなみ 入 ¬閑窓集¼

詞ことば  六ろく条じょう前さき◗の黄門こうもん 有光ありみつ卿きょう
画師えし 沙しゃ弥み如心にょしん 因幡いなばの守かみ藤原ふじわら隆章たかあき

 

0391慕帰絵ぼきえ第だい六巻ろっかん

  第一だいいち段だん

元亨げんこう初年しょねん沽こ洗せん九日ここのか、 宿しゅく願がんによて法楽ほうらくの為ために詩歌しかを勧すすめてかの廟びょう門もんにたてまつりしには、 親王しんのう権女ごんじょより月卿げっけい・雲客うんかく・児に童どう・僧侶そうりょにいたるまで、 をのをの詩し伯はく十じゅう九く人にん、 歌か仙せん廿にじゅう二に人にん 云々うんぬん。 親しん疎そみな貴き重じゅうして庶しょ幾きし、 和わ漢かんともに相あい兼かねて結縁けちえんするもありけり。 歌うたは三首さんしゅを題だいし詩しは四し韻いんを賦ふす。 凡およそ数す輩はいの英傑えいけつをえらび両りょう篇へんに序者じょしゃを設もうけき。 ことさら披ひ講こうを遂とげむとては面々めんめん廟びょう壇だんに詣もうで、 当とう座ざにも歌うたをよみ詩しをつくり侍はべりしなり。 その時ときの詩歌しかにいはく、

 春しゅん日じつ陪ばい北きた野のの聖せい廟びょう同どう賦ふ春色しゅんしょく属松しょくしょう壖ぜん詩し一首いっしゅ 題だい中ちゅう取韻しゅいん

右う少しょう辨べん有正ありまさ 于時ときに前さき◗の甲斐かいの守すけ詩し序者じょしゃ

請看せいかん麗れい色しょく属しょく芳辰ほうしん 沙壖しゃぜん翠すい松しょう久きゅう視し春しゅん 累葉るいよう垂隣すいりん清せいりん志し 対たい花か禱運とううん散さん斑身はんしん
歳さい華か礼れい旧きゅう文ぶん章しょう主しゅ 天暦てんれき以い来らい鎮ちん坐ざ神しん 神鑑しんかん無私むし冥めい祐白ゆうはく 偏へん凝ぎょう明信めいしん備び繁はん蘋

刑ぎょう部ぶ卿きょう顕盛あきもり 于時ときに前さき◗の宮く内ない少しょう輔ふ

料りょう識しき霊壖れいぜん松色しょうしょく久きゅう 陰陽いんよう造ぞう化け属しょく多た春しゅん 廟びょう庭てい梅信ばいしん任にん嵐問らんもん 社樹しゃじゅ栄生えいせい逐ちく日新にっしん
0392倩算せいさん年ねん華か思し垂跡すいせき 始し従じゅう天暦てんれき則そく同塵どうじん 強ごう而に猶ゆう仕し散さん斑質はんしつ 可か愍みん運うん遅ち偏へん仰神ごうしん

法印ほういん宗そう昭しょう

宣せん矣い双そう松しょう蒼翠そうすい影えい 載陽さいよう春色しゅんしょく属しょく沙壖しゃぜん 巫ふ山さん景けい気き霞か篭夕ろうせき 伍ご廟びょう瞻望せんぼう花か発天はつてん
明徳めいとく月朧げつろう仙樹せんじゅ下か 霊れい威い風ふう暖だん瑞ずい籬り前ぜん 意い端たん願がん素そ神しん垂愍すいみん 祖そ跡せき末忘まつぼう陪ばい宴筵えんえん

法印ほういん光玄こうげん 于時ときに律りっ師し歌うた序者じょしゃ

韶春しょうしゅん景けい気き属しょく何が処しょ 松色しょうしょく添栄てんえい在ざい廟びょう壖ぜん *勁節けいせつ抽ちゅう誠せい凌りょう宿しゅく雪せつ 貞心ていしん運うん歩ぶ送そう芳年ほうねん
神林しんりん風ふう響きょう花か間かん脆ぜい 巫ふ嶺れい雲うん膚ふ霞か裏り連れん 憖しゅう綴てつ蕪ぶ詞し陪ばい宴席えんせき 憶おく其ご曩跡のうせき献けん詩し篇へん

法印ほういん慈じ俊しゅん 同前どうぜん

景けい色しょく属しょく何が春しゅん到とう処しょ 此時しじ興きょう趣しゅ在ざい松しょう壖ぜん 頌しょう祇ぎ堂どう杪しょう霞か中ちゅう妙みょう 巫ふ女じょ台林だいりん雪せつ後ご鮮せん
柳りゅう蔭いん瑞ずい籬り疑ぎ偃蓋えんがい 鴬おう歌か高こう廟びょう自じ和わ絃げん 尊崇そんそう曩跡のうせき存ぞん其志ごし 尤ゆう仰ぎょう神恩しんおん思し宿しゅく縁えん

 春しゅん日じつ陪ばい北きた野のの聖せい廟びょう同詠どうえい三首さんしゅ和歌わか

法印ほういん宗そう昭しょう

  山さん花か

身みはかくて 春はるのよそなる 山やまざくら なにと心こころの 花はなにそむらん

  帰き雁がん

0393おぼつかな あまとぶ雁かりの たまづさの かすみにきゆる 雲くものうはかき

  神じん祇ぎ

ふた代よこそ 跡あとはへだつれ 神かんがきや ちりとなりこし かずにもらすな

法印ほういん光玄こうげん

あらし吹ふき 山やままた山やまの をのづから はななきかたも 花はなのかぞする

たちまよふ 霞かすみのはては こしの海うみの なみもひとつに かへるかりがね

つかへけむ 跡あとこそたゆれ ゆふだすき かくるたのみは いまもかはらず

法印ほういん慈じ俊しゅん

うつろはむ のちのかたみの 峯みねの雲くも しばしも花はなに たちなはなれそ

あまつかり 雲くも地じはさすが たどるらむ はなにわかるゝ 心まよひに

かずならぬ 身みをうらむとも あはれみに もらさむ神かみの 名なこそをしけれ

 一門いちもん他家たけの緇素しそ、 自余じよの懐かい紙し等とう 并ならびに 社参しゃざんの時ときの当とう座ざの短冊たんざく詩歌しか、 繁はん多たの間あいだこれを載のするにあたはず。

  第だい二に段だん

昔むかしは蓬屋ほうおくに桟さ敷じきを構かまえ侍はべりしかば、 日野ひの◗の故こ亜あ相しょう、 ひんがしの山やまの花か林りん瞻望せんぼうのためとて、 法ほう0394印いん房ぼうに入じゅ来らいありてくるゝまで交遊こうゆう、 其時そのときしも向むかい寺でら速そく成じょう就じゅ院いんの鐘しょう楼ろうの下した、 花か林りんの間あいだより入いりあひの声こえのきこえ侍はべるを、 当とう座ざの景けい気き境きょうに叶かなへる事ことよとて、 衆人しゅにんみな感かん興きょう。 すなはち尊者そんじゃ納な言ごん、 出しゅつ題だいあれば、 続歌つぎうた面々めんめん同題どうだいにてよめる。

  花か間かん鐘しょう

入にゅう道どう前さき◗の大だい納な言ごん 俊光としみつ卿きょう于時ときに前さき◗の中ちゅう納な言ごん

くれかゝる 梢こずえの空そらに ひゞくなり はなよりいづる 入いりあひのかね

くれやらぬ ゆふ日ひのかげは 霞かすみこめて はなに木きたかき 入逢いりあいの鐘かね

法印ほういん頼宣らいせん

いとはしき かぜのよそなる 花はなざかり またをとたてゝ いりあひのかね

法印ほういん宗そう昭しょう

ながむとて 花はなにくらせる 程ほどしるく いりあひのかねを 木この間まにぞ聞きく

   此外このほかの人にん数ず略りゃくする所ところなり。

  第三だいさん段だん

いにしへ秋あきの比ころ、 あづまの方かたへ*斗と藪そうしけるに、 松まつしまにまうでゝのち、 年としへて又また事こと0395のたよりありて、 人ひとにともなひてみちのくにゝ下くだりけるに、 なをゆかしくてそのあたりにやどりて、 面々めんめん乗じょう船せんしつゝ夜よのふくるもしらず浦々うらうら島々しまじま漕こぎ渡わたりて立たち帰かえりけるに、

またもみつ いまはいつをか まつしまや 身みさへをしまに 月つきぞかたぶく

詞ことば  六ろく条じょう前さき◗の黄門こうもん 有光ありみつ卿きょう
画師えし 沙しゃ弥み如心にょしん 因幡いなばの守かみ藤原ふじわら隆章たかあき

 

0396慕帰絵ぼきえ第だい七巻しちかん

  第一だいいち段だん

何なにの年ねん記きといふ事ことはいとさだかならず、 数寄すきのあまりに催もよおされて、 かたへの人ひとなどにさそはれ伴ともにもおよばず、 たゞ一身いっしん都と邑ゆうを出いで、 駑ど駘たいに鞭むちうちて紀き州しゅう玉たま津つ嶋しま明みょう神じんにまいりて、 先まず法ほう施せをさゝげて後のちに詠吟えいぎんにをよびける独ひとり十首じっしゅの和語わごとてきゝ侍はべりし其中そのなかに、 吹上ふきあげ浜はまといふ題だいにて、

又またやみぬ わすれもやらぬ 浦風うらかぜの ふきあげのせとの 秋あきのおも影かげ

  和わ歌かの浦うら

わすれじな わかのうら波なみ 立たちかへり 心こころをよせし 玉たまつしま姫ひめ

  第だい二に段だん

貞じょう和わ二に年ねん 丙ひのえの戌いぬ 閏うるう九く月がつ朔日ついたちの事ことなりしに、 そのいにしへ和わ州しゅう菅原すがわら御ご所しょに陪そいてあそびしことも、 老おいの後のちはいとゞ忘わするる間あいだなく、 又また家いえをいでにし身みなれども、 祖そ神しんの瑞ずい籬り、 本ほん寺じの旧きゅう棲せいもゆかしく、 南なん都とに下げ向こう、 先まず寺々じじ社々しゃしゃ一々いちいちに巡じゅん礼れいせしに、 春日かすが社しゃの宝前ほうぜんにて、

0397春日かすが山やま 我われ一ひとかたの あとたえて 神かみわざしらぬ 身みをしこそとへ

これより彼かの御ご山さん庄しょうへまいりければ、 周しゅう甸でんに枝えだをまじふる紅葉もみじも葉はもろくなり、 秦郡しんぐんに叢くさむらを混こんずる黄こう花かもはなかしげ、 又また中なかにも御苑ぎょえんにつゞく数す宇うの渡わたり殿どのも軒のき端は廃すたれて四し壁へきなけれども柱はしらはたてり。 黒くろ木きをまする竹たけ屋やの泉いずみ殿どのも水すい路ろたえて、 奇き石せきあれども苔こけのみむして見みしにもあらねども、 むかしに似にたる風ふう流りゅういまにのこれる地ち形けい、 心こころをいたましめずといふことなし。 とかくして日ひも暮くれなんとす。 もとのやどへかへるべくもなくて、 猶なお貴き門もんのほとりある竹中たけなかの庵室あんしつの有あるにたち入いりて其その夜よをこめ侍はべり。 而しかるに黄径こうけいに歩あゆみをはこべば、 砌みぎりにあたれる双そう松しょうはいにしへをのこす風琴ふうきんの音おとを弾ひき、 藍渓らんけいに志こころざしをよすれば、 宿しゅくをへたる孤こ菴あんに夢ゆめをやぶる月杵つききねの怨あだをつたふ。 先まずひるの程ほど所々しょしょを瞻望せんぼうするに、 砌間せいかんをもみぢのちりうづみつゝをしはかりに猶なおこえて、 けしからぬ荒こう蕪ぶ荊けい棘きょくのありさまなるにつけても、 すゞろに哀あわれをそへつゝ、 すこぶるおなじこと葉ばがちなる様ようなれども、 思おもいつゞくるにまかせてよめりけるとおぼえ、 歌うたのかずも世よにこれおほけれども、 しるしをきけるをわざとはたらかさずして書かき載のせ侍はべる、

ふまで行いく かたみもやあると をしめども ちりてぞうづむ 庭にわの紅葉もみじ々ば

0398あれはてゝ 見みし世よにかはる 菅原すがわらや ふしみの夢ゆめに なるむかしかな

老おいはてゝ 八十やその坂さかに むかふまで いきて昔むかしの 跡あとをこそ見みれ

其夜そのよるのたび所しょにては、

夢ゆめさむる おいの枕まくらに きこえけり うちおどろかす あさのさ衣ごろも

なき人ひとの 面影おもかげのみは 身みにそへて なさけをかくる をとづれもなし

詞ことば  黄門こうもん入にゅう道どう 宋世そうせい
画師えし 掃部助かにもりのすけ藤原ふじわら久信ひさのぶ

 

0399慕帰絵ぼきえ第だい八巻はっかん

  第一だいいち段だん

当年とうねん神かん無な月づき中ちゅうの六日むいか、 迎講げいこう結縁けちえんのために大原おおはらの別業べつごうへ越こし侍はべりしに、 勝しょう林りん院いん五ご坊ぼうに尋たずねゆきてしばらく休く息そくしけり。 この五ご房ぼうといふは、 池ち上じょう闍じゃ梨りの御ご旧きゅう跡せき、 顕真けんしん座主ざすの発ほっ起きにて、 楞りょう厳ごん院いん安楽あんらくの谷たにをこゝにうつして新しん安楽あんらくとなづけられけるとぞ。 件くだんの坊ぼうは五ご名めい内ない第一だいいち番ばんの号ごうなれば、 性しょう智ち房ぼうとて今いまの一いち和か尚しょう円覚えんがく居きょ住じゅうし侍はべるにや、 それより立たち帰かえるときかの障しょう子じにかきつけをきける、

すまばやと こゝろとゞめて 山やまふかみ しぐれてかへる 空そらぞものうき

  第だい二に段だん

同おなじき歳とし朧月ろうげつ中旬ちゅうじゅんの候こう、 郭内かくないにをいて一室いっしつをかまへ竹ちく杖じょう菴あんとなづけて、 辺畔へんぱんの塵外じんがいに擬ぎして方ほう丈じょうの檐のき端はをさゝげつゝ常つねには間居かんきょせり。 そのいほりの障しょう子じに書かき貽のこし侍はべる詠えい歌か◗に云いわく、

ながらへて 世よのうきふしに たへもせじ 竹たけのいほりを なにむすぶらむ

  第三だいさん段だん

お0400なじき三年さんねんは丁ひのとの亥いにあたる、 八月はちがつ一日ついたち水すい精しょうの念珠ねんじゅを厳げん師しの法印ほういんにをくりつかはすとて、

法印ほういん慈じ俊しゅん

君きみのみぞ かぞへもしらむ 崑崙こんりんの 名なもしら玉たまの かずをつくして

  返かえしに

崑崙こんりんの たまのひかりも わがあとに のこらむ君きみが 身みをぞてららむ

さきの数じゅ珠ずのかへしに蔡さい紙しをつかはすとてそへける、

おいまじる よもぎが嶋しまの 白麻しらあさは 名なにおふ 不死ふしの君きみがくすりぞ

つぎのとしは貞じょう和わ箸ちゃく雍よう困敦こんとんの暦れきにや、 きさらぎ下しもの四日よっかの事こととぞ桜さくらを花か瓶びんにたてゝ部屋へやにおきつゝ、

伯耆ほうきの守かみ宗康そうこう 于時ときに大だい部ぶ童どう名みょう光養こうよう

ふく風かぜに しらせじとたてゝ をく花はなに ちらぬをひさに みむとおもへば

とよみて花枝はなえだにつけたるをみて、

法印ほういん

たをりをく 花はなのあるじの 行末ゆくすえは さかゆくべしと 春はるぞしるらむ

0401たのむぞよ 老おい木ぎの花はなは ちるとても さきつゞくべき 万よろず代よの春はる

詞ことば  少将しょうしょう為重ためしげ朝臣あそん
画師えし 沙しゃ弥み如心にょしん 因幡いなばの守かみ藤原ふじわら隆章たかあき

 

0402慕帰絵ぼきえ第だい九く巻かん

  第一だいいち段だん

貞じょう和わ四し年ねん卯う月づき初はじめの比ころ、 法印ほういん都みやこを出いでて聊いささか路次ろじに逗とう留りゅうのことありて、 おなじき中なかの四日よっか、 年来ねんらいゆかしくも見みまほしく思おもひわたり侍はべる丹たん後ごの海うみ、 橋立はしだてに赴おもむくに、 みちに雲原くもはらといふ深山しんざんの中なかにて郭公かっこうをきゝて、

はるばると 葉は山やまのすそに わけいれば 木きしげきかたに なく時鳥ほととぎす

同おなじき日ひかの国こく府ふに下げ著ちゃくしけるに、 人々ひとびとさそひ伴ともなうにもおよばず、 少々しょうしょうわかき僧そうなど相あい具ぐして心こころもとなさのあまりに、 まづ成なりあひの麓ふもと、 大おおたにの辺あたり巡じゅん見けんし侍はべれば、 寺じ僧そうに何なにの律りっ師しとやらむきゝしかども忘ぼう却きゃくし侍はべり、 僧そう形ぎょうふと来きたりて道みちをきり行ゆきむかひ、 三さん遅ち風ふ情ぜい儲もうけり。 けしかる便びん宜ぎの堂舎どうしゃの傍かたわらへ引ひき入いれて種々しゅじゅにもてなしければ、 事ことのほかになさけなさけしく覚おぼえて、 次つぎの早晨そうしんに藤花ふじばな書かきたる扇おうぎに張箱はりばこ体ていの物ものとり居いて、 いづこよりともなく遣のこし侍はべるとて、

散さん位い宗康そうこう 于時ときに童どう形ぎょう光養こうよう是これ也なり

きのふこそ おもひもかけね ふぢ波なみの この花はなさかば 後あともわすれじ

事こと0403々ごとしげに松しょう本ほん房びょう兵ひょう部ぶ律りっ師し尭ぎょう暹せんと位い署しょ名みょう字じ書かき載のせて返かえしに、

おもひきや 心こころにかけし ふぢなみの わすられがたき 花はなをみむとは

その日ひは雨あめにさはりて帰路きろにもおよばず、 又また見みるべき本ほん意いの成じょう相そう寺じにもいまだ臨のぞまず。 仍よりて次つぎの十じゅう六日ろくにちに彼寺かのてらへ詣もうで堂どうの正しょう面めんの舞ぶ台たいの様ようなる所ところの柱はしらに書かき付つけ侍はべりける法印ほういん詠えい歌か、

雲くものなみ いくへともなき すさきより ながめをとおす 天あまの橋はしだて

州しゅう県けん宗康そうこう

をとにのみ きゝわたりつる すゑ有ありて 浪なみまにみゆる あまのはし立だて

この寺てらの体ていたらく、 後のちに葱嶺そうれい峨々ががとして塵じん土ど間あいだをへだて、 前さきに蒼海そうかい漫々まんまんとして雲涛うんとう眼まなこにさへぎる。 万物ばんぶつこゝに生いきて繁栄はんえいをのづから備そなわれり。 別当べっとう坊ぼうは金剛こんごう薩さっ埵た院いんとなづけて厳麗げんれいを宗しゅうとし奇き妙みょうを先せんとす。 富ふ有ゆう潤じゅん沢たくにして独どっ歩ぽ世せ会かいせり。 堂舎どうしゃは飾かざりに珠しゅ玉ぎょく瓔珞ようらくをもてかゞやかし、 牀石ゆかいしは用もちいるに綾りょう羅ら錦繻きんしゅを装よそおいてことゝす。 こゝに垂髪さげがみを一いち両りょう人にん相あい伴ともない侍はべれば、 都みやこよりなどきゝて心悪こころあしくや思おもいけむ、 寺務じむなにがしの僧そう都ずといふ七しち十じゅう有ゆう余よに闌たけたるが、 まことに威い徳とくたうとく体法たいほうかしこき老者ろうしゃ出いで会あいて、 ひたすらやがて請しょうじいれ、 茶ちゃをけたみ八珍はっちんの肴さかなをまうけ三清さんせいの酒さけをすゝめつゝ、 同どう宿しゅく共どももその事こととなく房ぼう中ちゅうを走はしり回まわり、 すゞろに庭てい上じょうに倒たおれ伏ふしておかしきさまに貴き寵ちょうすれば、 そ0404ゞろはしさかぎりなし。

-山さん上じょうをとかく逃のがれ出いでて面白おもしろく遠望えんぼうしつる串くし戸どぞ、 当所とうしょ名めい誉よの骨目こつもく、 勝しょう地ち遊覧ゆうらんの肝心かんじんと思おもへば、 おなじくはまぢかくて見みまほしさにこゝろざして道みちをへ麓ふもとへくだる。 それまでは路次ろじ仮け令りょう四し、 五ご十じっ町ちょう許ばかりもや有あらむと申もうす、 そのあひに大谿おおたにといひてきこゆる迎講げいこうのところに到いたれり。 此この所ところも誠まことにゆゝしげにみえて仏閣ぶっかく梵ぼん字じ棟むねをならべ、 第宅ていたく松しょう門もん巷ちまたにあふる。 こゝを通とおりて島崎しまざきに程ほどなく行ゆきつき、 しばらく逍しょう遙ようして三さん酌しゃくに及および万年まんねんを延のぶるに、 後あとをはるばると願ねがえば、 過すぎつる大谷おおたにに当あたりてかすみたる江こう路じに船ふね一いち、 二に艘そうありとみるところに、 酒盛さかもりの砌みぎり、 串くし戸どに漕こぎ付つけり。

-誰たれなるらむと思おもへば、 昨日きのうの朝あした、 扇おうぎををくり遣やり侍はべりし尭ぎょう暹せん律りっ師しとぞみなしける。 同どう宿しゅく五ご、 六人ろくにん相あい伴ともないて玉樽たまだるを随身ずいしん、 銀ぎん觴しょうを懐かい中ちゅうするもあり。 或ある僧そうは山臥やまぶし筒づつをぬきいだし、 或ある族やからは田楽でんがく節ぶしをうたひかけつゝ垂髪さげがみを賞しょう翫がんしければ、 思おもいの外ほかなる当とう座ざの遊宴ゆうえんをそへて面白おもしろともいふばかりなし。 若じゃく輩はい共どもとりどりに歌か笛てきの芸げいを施ほどこし舞ぶ曲きょくの能のうを尽つくす。 境きょうに叶かなへる笛ふえのねゝたかく、 歌うたの声こえごゑすみ、 廻雪かいせつの杉すぎを翻ひるがえし、 易水えきすいの曲きょくを詠えいず。 この松しょう樹じゅの底そこ、 蘋蘩ひんぱんの湄みぎわなれば、 神かみに徹とおりきゝにめでゝ、 天人てんにんもや来らい下げすらむ。 若又もしまた冥みょう衆しゅなどもや影向ようこうし給たまふらむとまで覚おぼえて心しん辞じも覃およばれず、 肝かん腑ぷに銘めいぜしめけり。

-さる程ほどに既すでに日映にちえいもすぎ晡時ほじになりければ、 用よう意いし儲もうけたる二に艘そうの船ふね0405の迎むかえ者ものども、 あながちに相あい侍はべると聞きけば、 さしも避さけがたき座ざ席せきなれども、 こゝを立たちて今こん夜やのとまり宮みや津ずをさしてぞゆく。 ありつる僧そう等らしばしば汀なぎさに船ふねをとめて、 早そう暮ぼの興きょうをおしみ余波よはの袖そでをしぼりながら、 廻かい浦ほを凌しのぎ長ちょう流るを超こえつゝ、 さのみは争いかでかその面影おもかげものこるべき。 是これは彼かの津つへ行ゆく程ほどをそしと、 海かい路ろに舟ふねを呼よびけれども、 なを陸ろく地ちに馬うまを扣たたかさせて笙しょうの八音はっとんをふき歌うたの六ろく義ぎをのべ、 言ことばを形あらわし情なさけを動うごかすこと、 筆ふでにつくしがたく巻かんにしるしがたし。

-からくして日ひをかぎりに衝しょう黒こくに至いたりて宮みや津ずへは落おち付つき侍はべりにけり。

  第だい二に段だん

なを第六だいろく年ねん庚かのえの寅とらの*孟もう春しゅん廿にじゅう一日いちにち、 十じゅう三歳さんさいにして身みまかれし光こう長ちょう童どう子じ、 初しょ七日なのかにあたるあした、 雪ゆきのいたうふりけるにも、 おりにふれ事ことにふれつゝ人々ひとびと恋れん慕ぼしあふなかに、 隆りゅう存ぞん阿あ闍じゃ梨り一首いっしゅをよみて出いだしければ、 当とう座ざにをのをの和わ合ごうし侍はべりし。 次し第だい不ふ同どう

大だい法ほっ師し隆りゅう存ぞん

跡あとつけむ 人ひとは昨日きのうの わかれにて こゝろのまゝに つもるあわ雪ゆき

筑後ちくごの守かみ平たいらの胤清つぐきよ

とはるべき 人ひとはあとなく 成なりぬるに たれゆへかぶる けさのあわゆき

法印ほういんよめる

0406あけくれは 今いまや今いまやと おもふ身みを のこしをきても きゆるあわ雪ゆき

法印ほういん慈じ俊しゅん

淡あわゆきの きゆるより猶なお あだなるは あとをもとめぬ いのちなりけり

藤原ふじわら宗康むねやす

あはれやな あわ雪ゆきよりも 消きえやすき 人ひとの命いのちぞ 跡あとかたもなき

  第三だいさん段だん

かの寅とらの歳としの二に月がつ 日にち、 改元かいげんして観応かんおうと号ごうするに、 かよひどころ西山にしやじゃ久く遠おん寺じにまうでつゝ、 としごろ同どう宿しゅくの禅ぜん尼にの墓ぼ所しょにて心こころしづかに仏像ぶつぞうに向むかひ、 ねむごろに名みょう号ごうなど書かきて経きょう木ぎのうらに恋れん慕ぼのこゝろざしをしるしつけ侍はべりける。

こゝにのみ 心こころをとめし 跡あとぞとて きてすむわれも あはれいつまで

おりにふれ 事ことにつけつゝ きし方かたを 老おいのこゝろに 忘わすれかねぬる

     已下いげは画図えずを略りゃくす。

暦りゃく応おう元載がんさい杪秋びょうしゅう廿にじゅう二に日にち、 常じょう楽らく寺じ法印ほういん 光玄こうげん、 むろにて読よみ侍はべる当とう座ざ三さん十首じっしゅのなかに、

老法ろうほう

  原月げんげつ

あだなりな しめぢがはらの 秋あきかぜに させもみだれて 月つきぞこぼるゝ

  0407暮ぼ秋しゅう紅葉こうよう

秋あきはゝや くれなゐ深ふかく たつたひめ もみぢの錦にしき きてやゆくらむ

同おなじき二にのとし八月はちがつ十じゅう五ご日にち◗の夜よ良りょう辰しんに大谷おおたにのいへにて講こうじ侍はべる歌か中ちゅうに、

  閑庭かんてい月げつ

よもぎふの しげるを月つきの かごとにて 露つゆわけわふる 影かげのさびしさ

其その歳さい暮ぼに寄よせ木ぎ述じゅっ懐かいを題だいにてよめる、

七なな十地そじに 身みはみつしほの すゑの松まつ このとしなみも またやこえなむ

尚なお三さんの年とし庚かのえの辰たつの春はるやよひはじめつかたには、 いさゝかまぢかき城じょう外がいに思おもい立たち侍はべるに、 同おなじき九日ここのかの事ことなりけるとぞ、 国こく吏り宗康そうこう、 そのとし大だい夫ぶとて八歳はっさいになり侍はべるを都みやこにおもひをきければ、 おなじくともなひ下くだりける偕老かいろうの禅ぜん尼に、

ながき日ひを いかに忍しのびて くらせども 春はるしも人ひとの 恋こいしかるらむ

  返かえして

法印ほういん

こひしさは おとらぬ物ものを 長ながき日ひに おもひくらすと 人ひとのいふらん

件くだんの月つきの中旬ちゅうじゅんにたよりをえて末まつ寺じの照しょう光こう寺じへ越こえ侍はべる。 次ついでに彼かの寺じ僧そう、 障しょう子じの色しき紙し形かたちを所望しょもうし、 ことさら筆ふでを染そめてあたふべきよし申もうしければ、 ふるき詩歌しかなど書かき侍はべるに、 曩のう0408祖その御作ぎょさくに 「詞し林りん功こう少しょう難なん凝ぎょう露ろ 栄えい路ろ運うん遅ち被ひ咲しょう花か」 といふ詩しを和わして書かき侍はべる歌うたとて、

ことの葉はの 露つゆもろくなる くらゐ山やま のぼりかぬれば 花はなもはづかし

彼かの大歳おおとし大だい荒落こうらくの季夏きか九日ここのかといふに、 新しん熊くま野の滝後たきのちの中ちゅう納な言ごん禅ぜん師じ、 いまだ光徳こうとくと号ごうせし童どう形ぎょうにて備前びぜんの国くにに下げ向こうのあひだ、 季き札れいをのぼせ侍はべる返かえしにつかはしける、

老ろう法印ほういん

ながらへば 又またといひても なにかせむ 老おいの命いのちの たのみなければ

  返へん事じ 後時のちのとき送之これをおくる云々うんぬん

伝でん灯ちょう満まん位い房ぼう宋そう

いくたびか なをもあひ​みん ちよふべき 君きみがよはひの かぎりなければ

年来としごろ竹ちく馬ばの比ころより連れん枝しのごとく申もうしかよはす聖しょう衆じゅ、 来迎らいごう院いん長ちょう老ろう 空くう恵え上しょう人にん のもとより、 なやむこと侍はべるが心こころよからぬなどしめす鴈書がんしょのついてに二に首しゅを送おくりけるに、

けふまでは ともなひきつる 老おいのみち われさきだゝば あはれとやみぬ

なれきつる 人ひとのなごりの おほえ山やま にしにいく野のの みちまでもとへ

  返へん事じ

寺務じむ法印ほういん

むかしより ともにおいきて 別わかれちも たれかさきにと 涙なみだをちけり

うき事ことは さぞなこの世よに おほえ山やま こえていく野のの 西にしもかはらじ

一いち0409条じょう前さき◗の源みなもとの黄門こうもん 雅康まさやす卿きょう、 亭あずまやの七しち百ひゃく番ばんの歌うた合あわせに、

  落らっ花か

ちる花はなに たぐふなみだの もろさこそ おいぬる春はるの しるしなりけれ

又またすぎにし貞じょう和わ二に戌いぬの歳とし上じょう冬とう晦みそか、 日野ひの辨べん入にゅう道どう 房光ふさみつ朝臣あそん法ほう名みょう明寂みょうじゃく、 いへの月次つきなみ三首さんしゅ歌かの中なかに、

  冬月とうげつ

しぐれつる 雲くもものこらぬ たかねより あらしに出いずる 月つきぞさやけき

  初しょ逢恋ほうれん

さこそ又また おもひしづまめ 恋々こいごいて あひ​そめ河かわの ふちせかはらは

そのころ壬生みぶ宮く内ない卿きょう入にゅう道どう冬隆ふゆたか朝臣あそんもとへ歌うたの点てんのために文ふみをつかはし侍はべれば、 こぞの八月はちがつに卒そっしぬと答こたうとて、 むなしくもち帰かえりけるはかなさ、 今更いまさらあはれにかなしくて、 すなはち経きょうの料りょう紙しに用もちい侍はべらうとてかの消しょう息そくに書かき副そえける大だい和か尚しょう位い歌うた、

なき跡あとと しらでをくるも はかなきは ありしまゝかと たのむ玉たまづさ

おなじき三年さんねん二に月がつに身みまかれし入にゅう道どう黄門こうもん 雅康まさやす卿きょう 帰き泉せんの跡あとを訪とぶらはむとて、 前さき◗の源みなもとの相しょう公こう 雅顕まさあき卿きょう、 法印ほういんにすゝめし一品いちぼん経きょう歌かに、 ¬法華ほけ経きょう¼ 「法ほっ師し品ぼん」 (巻四) 「吾ご滅めつ後ご悪あく世せ、 能のう持じ是ぜ経きょう者しゃ」 のこゝろを、

0410にごる世よの のりのながれを むすぶ手ての しづくまでをも いかゞもらさむ

その年としの重ちょう陽ように頭とう左さ中ちゅう辨べん 時光ときみつ朝臣あそん于時ときに蔵人くろうど右衛うえ門もん権ごん左ざ もとより送おくりける、

しらぎくの 花はなもてはやす 君きみがやどよ さかへむ千代ちよの すゑぞ久ひさしき

  返へん事じ

法印ほういん昭しょう公こう

いとゞなを 君きみがさかへと きくの花はな かさねてちよの すゑひさしかれ

小お倉ぐら相しょう公こう羽はね林ばやし 実じつ名みょう卿きょう、 勧すすめ侍はべる ¬法ほっ花け¼ 「勧かん持じ品ぼん」 に、

身みはかくて あだしうき世よに さすらへど こゝろまことの みちにいりぬる

「心しん外げ無む別法べっぽう」 (華厳経意) を題だいして、

なにとたゞ はじめもはても なしときく 心こころひとつを おさめかぬらむ

「仏心ぶっしん者しゃ大だい慈悲じひ是ぜ」 (観経) のこゝろを、

あはれみを 物ものにほどこす 心こころより ほかに仏ほとけの すがたやはある

「生しょう死じ涅ね槃はん猶如ゆうにょ昨さく夢む」 をよめる、

かはらじな 弥陀みだの御お国くにに むまれなば 昨日きのうの夢ゆめも けふのうつゝも

法印ほういん往年おうねんむ月つきのはじめ、 賀が章しょうを送おくるついでに亜あ相しょう拝任はいにんあるべき華か祝しゅうをそへける家か督とくへの歌うた、

0411のぼるべき わが家いえきみの くらゐ山やま はるのひかりの 日野ひのぞかゞやく

  返へん事じに

入にゅう道どう前さき◗の大だい納な言ごん 俊光としみつ卿きょう于時ときに大だ宰ざい厳げん師し

この春はるの ひかりは日野ひのに あらはれて ゆかりの草くさも 時ときにあふらし

宗匠しゅうしょう二に条じょう入にゅう道どう前さき◗の亜あ相しょう 為ため世よ卿きょう、 ¬言葉ことのは集しゅう¼ を家いえに撰せんせしは、 勅ちょく撰せんに擬ぎして且かつはのぞまむ輩ともがらは向こう後ご作者さくしゃの下した地じたるべしなど、 御ご所しょさまも御ご沙汰さたあるよしきこえしかば、 その打聞うちききに法印ほういん加くわえり侍はべりける、

ふゆきぬと いふよりやがて 神かん無な月づき 老おいの涙なみだぞ まづしぐれける

ちかごろ ¬藤葉とうよう集しゅう¼ とて小お倉ぐら入にゅう道どう前さき◗の亜あ相しょう 実教じつのり卿きょう 撰せんする打聞うちききの雑ぞう春しゅん部ぶに入にゅう歌か、

山やまのはに ちかきよはひや くらべまじ くるゝやよひの けふの春日かすがに

是これも同おなじき ¬集しゅう¼ 雑ぞう下げに載のり侍はべる、

つたひくる かけひのすゑを せきためて 水みずに心こころを まかせてぞすむ

彼かの亜あ相しょうのもとへ、 法印ほういん、 或ある土産みやげを返かえし事ごと侍はべる返へん状じょうにそへて遣やりけるとて、

入にゅう道どう前さき◗の大だい納な言ごん 実教じつのり卿きょう

おもはずよ おいの命いのちの ながらへて いま又また人ひとの なさけみむとは

  返へん事じ

法印ほういん宗そう昭しょう

0412きえかゝる 露つゆのいのちの うちにまた このことの葉はを みるぞうれしき

ひとゝせ貞じょう和わ己つちのとの丑うしのとし、 みな月つき一日ついたち、 母儀ぼぎ中ちゅう陰いんに故こ入にゅう道どう中ちゅう納な言ごん 雅康まさやす卿きょう 後室こうしつもとより消しょう息そくして、 黄門こうもんにわかれてもはや三年さんねんになり、 高堂こうどうにをくれてもすでに七日なのかはすぎぬ。 つながぬ月つきひのうつりやすさ、 ことにおやの御おんなごりのみ、 すゞろに悲かなしくて、 かつは都護とご嫡ちゃく男なん頭辨とうべん 宗光むねみつ朝臣あそん に哭こくせしを、 青しょう蓮れん院いん二に品ぼん大王だいおう、 御おんなさけふかくも世よのためしをもて、 ねむごろに慰なぐさめつかはさるゝとき送おくり見みせしめ給たまふ慈じ鎮ちん和か尚しょう御ぎょ記きには、 建けん久きゅう五ご年ねん、 大だい理り兼光かねみつ卿きょう最愛さいあい無む双そうの子し息そく基長もとながをうしなひて、 なげきの涙なみだ川がわにをぼれ日野ひのの別べっ庄しょうにこもりゐ侍はべるかの卿きょうもとへ、 和か尚しょうたびたびの御ご音書いんしょありける先せん蹤しょうを御目おめにふるゝあひだ、 黙もく止しがたくてこれを遣つかわさると 云々うんぬん。

-その一巻いっかんに副そえらるゝ*竹園ちくえん御ぎょ歌か賜たまわりて日ひの尾お前さき◗の亜あ相しょう申もうしける御お返へん事じ、 むかしいまの御ご贈答ぞうとうまでもいみじくをよばぬ身みながら、 ふと心こころに浮うかぶなどゝてあまた歌うたを読よみて厳げん親老しんろう法印ほういんに送おくり侍はべりければ、 誠まことかの父子ふしの哀あい傷しょうもあひ同おなじく、 この母ぼ女じょの別べつ離りも異ことならざるにやと身みにもしられて、 いとゞ涕てい泣きゅうにたへぬ中なかにも、 家か門もん今こん古この勝しょう躅たくをおもふに宦学かんがく眉び目もくの美び談だんにあらずや。 彼かの後室こうしつ詠えい歌かのなかに、

さめやらぬ 三みとせの夢ゆめの うちに又また ゆめよりゆめを みるぞ悲かなしき

  0413法印ほういん返へん事じ

夢ゆめぞとは おもひなせども 別わかれにし つらさばかりは 猶なおうつゝかは

この詠篇えいへんを見みかの頭辨とうべんことを思おもひてそへ侍はべる、

法印ほういん慈じ俊しゅん

とをからぬ あはれにたえぬ みな月つきに うきわかれそふ 比ころぞかなしき

おなじき年としには法印ほういん満まん八はち十じゅうなりしに、 いさゝか病やまいのゆかに臥ふし侍はべる事ことありしとき、 おもひつゞけゝるとて、

かぞふれば 釈しゃ迦かと祖師そしとの よはひまで いける八十やその 身みさへたうとし

うごきなき 心こころをもとの あるじぞと しるこそやがて さとりなるらめ

この和歌わかどもはすこぶる狂きょう言げん綺語きごなれば、 しるし載のするにあたはざれども、 かつは讃仏さんぶつ乗じょうの因いん、 転てん法輪ぽうりんの縁えんともいへるうへ、 亡者もうじゃあさゆふ翫もてあそびしことゝおもふばかりを存ぞんじて、 あながちに年月としつき日にち時じの前ぜん後ごをまもらず、 自他じた僧俗そうぞくの官かん位いをたゞさず、 只ただ見み及およぶ分ぶんを以もって便びん宜ぎ能のうに随したがいてその段々だんだん翰かんにまかせこの処々しょしょ墨すみをつく。 書かきちらせれば定さだめてしどけなき事ことぞ多おおく侍はべらむ。

詞ことば  桓信かんしん阿あ闍じゃ梨り
画師えし 摂津せっつの守かみ藤原ふじわら隆昌たかあき

 

0414慕帰絵ぼきえ第だい十巻じっかん

  第一だいいち段だん

いにしへ元弘げんこう初はじめの暦れき冬とう中ちゅう下げ旬じゅんの事こと歟か、 大だい和か尚しょう六ろく十じゅう二ににて丹波たんばの国くにに一人いちにんの僧侶そうりょ*清範せいはん法眼ほうげんと号ごうするあり。 三さん宗しゅうのうち*教きょう外げ別伝べつでんの宗しゅう門もんに入はいり、 かねては ¬法ほっ華け¼ 読誦どくじゅの懇こん露ろを凝こらしめけり。 その性しょう岐疑きぎにして一代いちだい仏ぶっ教きょうの腑ふ蔵ぞうを捜さがし識しらばやと心こころにかけ、 無む量りょう内ない外げの典籍てんせきを博覧はくらんせんと志こころざしをはこびつゝ、 採用さいようするに智ち勇ゆう口く辨べんにして詞し林りんに花はなをさかせ、 清談せいだんするに讃さん義ぎ妙述みょうじゅつにして学海がっかいに潮うしおのたゝへたらむもかくやと、 かつは尾羽おはそろひたる鳥とりのそらを翔かけるにおそれなく、 肢し爪そうかたき馬うまの石いしを蹋ふめどもをそくれざる様ように、 たゞよろづに数寄すきほけ侍はべるあひだ、 尊像そんぞうの座下ざげに常じょう随ずい給きゅう仕じの往日おうじつ、 宿しゅく因いん純熟じゅんじゅくし善縁ぜんえん相応そうおうせるにや、 彼かの法眼ほうげん同心どうしんして頓とん教ぎょうのひとつ乗のりものにこそ伴ともないたてまつらめと、 *季き諾だくのあまり決けつ了りょうのうへは、 *三さん経ぎょう一論いちろんを伝受でんじゅし*五部ごぶ九く巻かんを提携ていけいす。

-▼其外そのほか本願ほんがん先徳せんどく集しゅう記きしたまふ ¬教行きょうぎょう証しょう¼ 六帙ろくちつの大綱たいこうをも請しょう益やくするのみにあらず、 をりをり所望しょもうしければ、 かの歳序さいじょに当あたりて口く筆ひつせしめて ¬*口く伝でん鈔しょう¼ と題だいする三さん帖じょうの文もんを制作せいさくす。 これは鸞らん聖しょう人にんより随分ずいぶんの稟ひん承じょう、 如信にょしん御房おんぼう受じゅ持じの法要ほうようたるに依よりて授じゅ与よ 云々うんぬん。

-▼而しかるに又また0415其後そののちかさねて申もうし羞はじ侍はべるとて、 *建けん武む四し年ねん九く月がつ 日にち春秋しゅんじゅう六ろく十じゅう八はちにして ¬*改邪がいじゃ鈔しょう¼ といふ一巻いっかん書しょをつくれるは、 末まつ寺じの名なをつり当とう流りゅうに号ごうをかる花夷かいのあひだ貴き賎せんのたぐひ、 大抵たいてい僻見へきけんに任まかして恣ほしいままに放逸ほういつ無む慚ざんの振舞ふるまいを致いたし、 邪法じゃほう張行ちょうぎょうの謳おう歌かに就つきて外聞がいぶん実じつ義ぎしかるべからず。 ことさら本ほん寺じとして禁遏きんあつ厳制ごんせいのむね、 条々じょうじょう篇目へんもくをたてゝ是これも口く筆ひつせらる。 且かつはもはら向こう後ご傍輩ぼうはいのために張文はりぶみに准じゅん擬ぎする所ところ也なり 云々うんぬん。

-さてこの法眼ほうげん章しょう創そうし侍はべる丹たん州しゅうの仏閣ぶっかくをも、 本願ほんがん寺じ寄附きふの儀ぎとして*毫ごう摂しょう寺じと題額だいがくの号ごうを申もうしなづけ、 おなじく筆生ひっせいの字じを書かきくだしけり。 就中なかんずく多た年ねんの懇念こんねんを謝しゃし将しょう来らいの素意そいを表ひょうせむがためにとて、 尊そん下げの存日そんじつより、 或あるいは画え像ぞうを丹青たんせいに顕あらわし或あるいは木像もくぞうを彫ちょう刻こくせしめて、 居所きょしょの洛らく中ちゅうにしても渇仰かつごうし、 管領かんれいの城じょう外がいにも安あん置ちす。 すなはちこの行状ぎょうじょう画図えずの発ほっ起きもかの法僧ほうそう張行ちょうぎょうの所しょ為いなり。 これによて、 随分ずいぶん連々れんれんの懇こん曲ぎょくもだしがたき所望しょもうなれば、 旨し趣しゅ段々だんだんの右筆ゆうひつかたのごとく注しるし付つけ訖おわりぬ。 本文ほんもんを料りょう見けんに、 「無む徳とく不ふ報ほう無む言ごん不ふ酬しゅう」 と云いへる歟か。

-世よには恩おんを戴いただきてかつて報ほうぜざる人ひとのみあり、 徳とくを荷にないてすべて酬むくいざる事ことのみおほきに、 加か様ように義ぎを正ただしくし信しんを守まもるにをいてはむべなれや。 過去かこに*五ご戒かいをよくたもちければこそ、 はたして今こん生じょうに*五ご常じょうをかしこくはしれゝとおぼゆ。 重かさねておもへらく、 「流りゅう長ちょう則そく難竭なんけつ、 根深こんじん則そく難なん朽きゅう」 とも見みえたり。 しかれば、 仰あおぐべきかの福田ふくでん0416の冥みょう応おうも因いん果がむなしからず、 嗜たしなむべきこの比丘びくが生計せいけいも自じ然ねんにともしからざる哉かななど申もうし伝つたえ侍はべれば、 ありがたく感嘆かんたんし随ずい喜きせらるゝ者もの也なり。

-亦また製草せいそうあり、 四し十じゅう八はち願がん簡要かんようの願々がんがんを選えらびてめのこたきに註釈ちゅうしゃくせり。 是これを製せいする年ねん紀きは*暦りゃく応おう三歳さんさい 支し干かん庚かのえの辰たつ 九く月がつ廿にじゅう四し日にち 云々うんぬん。 すなはち名みょう字じありて七しち十じゅう一いちと奥書おくがきあり。 願主がんしゅは江こう州しゅう伊香いかの別べっ庄しょうに崇光すうこう寺じ管領かんれいの成じょう信しんと号ごうする*苾芻びっしゅ、 望のぞみ申もうすに依よりて書かきたびけりとみえたり。 本ほんは無む名みょうのあひだ、 今いま ¬*願々がんがん鈔しょう¼ と題号だいごうし侍はべるは是これ也なり。

今いまは一ひとむかしにもおほく余あまれるらん、 *嘉か暦りゃくの初はじめ丙ひのえの寅とらの年とし、 其その*季き商しょうの節せつ上旬じょうじゅんの候ころ、 飛騨ひだの国くにに*願がん智ち房ぼう永えい承しょうといふ禅ぜん徒と申もうし請こいければ、 ¬*執しゅう持じ鈔しょう¼ となづけたる文ふみをつくりて与あたえけり。

-或あるいは ¬*最要さいよう鈔しょう¼ とて小帖しょうじょうあり、 先年せんねん法印ほういん風ふう痾あに侵おかされしとき目良めら寂じゃく円えん房ぼう道源どうげん 関東かんとう駿する河が法印ほういん栄海えいかい舎兄しゃけい、 訪たずね来きたれりし次ついでに臥ふしながらしめしゝ法ほう語ごを口く筆ひつす。 第だい十じゅう八はちの願がん意いを釈しゃくする文もんなり。 此この目良めらは多た年ねん先代せんだいの所属しょぞくとして沙汰さたかねといはれ、 右筆ゆうひつかたにも達者たっしゃの誉ほまれありけり。 そのうへ真諦しんたい門もんに臨のぞみて諸しょ宗しゅう通達つうだつ法愛ほうあい第一だいいちなるのみにあらず、 俗諦ぞくたい門もんに在ありても万ばん事じ*宏才こうさい*名望めいぼう無む双そうなり。 在洛ざいらくの後のちは大たい略りゃく弊房へいぼうに経廻けいかい、 数す年ねん同どう宿しゅくの作さ法ほうなれば、 共ともに老体ろうたいながら日来にちらい辛しん苦くの行ぎょう業ごうを閣はかりて往おう生じょう浄じょう土どの願念がんねんを畜たくわふ。 あはれなる事ことは我わが法ほう将しょうは其その太簇たいそうの春はる八はち十じゅう二ににして別わかれをつげ、 件くだんの老者ろうしゃは同おなじき大呂たいりょの冬ふゆ八はち十じゅう八はちに0417して滅めつにいる。 生しょう前ぜん芳契ほうけいも同心どうしん也なり、 最さい後ご終しゅう焉えんも同年どうねん也なり。 不ふ思議しぎといふべし、 果而はたして是これも今度このたび一いち大だい事じの本懐ほんかいを相そう違いなく遂とげ侍はべりけり。

-又また ¬*本願ほんがん鈔しょう¼ と名なづけて自じ筆ひつを染そむるは、 名みょう字じ各別かくべつなれども、 義理ぎり大たい旨しさきの ¬最要さいよう¼ に同おなじき物もの歟か。

-このほかに ¬法ほっ華け念仏ねんぶつ同体どうたい異い名みょう◗の事こと¼ といへる薄はく双そう紙し有之これあり。

-近ちかくはまた*貞じょう和わ三歳さんさい 丁ひのとの亥い 十じゅう二に月がつ廿にじゅう八日はちにち◗のことなりしに、 鸞らん聖しょう人にん作さくせしめ給たまふ ¬浄じょう土ど¼・¬高僧こうそう¼ 等とう三さん帖じょう和わ讃さん内ないの肝要かんようを選抜せんばつ◗し侍はべる一いち帖じょうを ¬尊そん師し和わ讃さん抄しょう¼ と号ごうするもあり。 事こと繁しげければさのみは存ぞん略りゃくするところなり。

ここに先段せんだんの中ちゅう間げんに於おいて、 年号ねんごう聊いささか以もって次し第だいを守まもるといへども、 是これ等らの終しゅう頭とうに至いたりて歳序さいじょ立たち還かえり、 又また錯乱さくらんに及およぶ。 しかれども聖教しょうぎょうの述じゅつ作さくをゝなじく一所いっしょによせて、 真俗しんぞくの混合こんごうをなを分別ふんべつせんがための故ゆえなり。

凡およそ又また聞法もんぼう血けち脈みゃくの名みょう字じを釣つる輩ともがらは、 有ゆう昭しょう・善ぜん教きょう・覚かく浄じょう・教きょう円えん・乗じょう智ち・成じょう信しん・行ぎょう如にょ・承しょう人にん・唯縁ゆいえん・道慶どうけい・寂定じゃくじょう等とうなり。 斯外このほか自余じよ修学しゅがくの門もん徒とたりといへども、 其その志こころざしありて遠国おんごくよりも上じょう洛らく随逐ずいちくして、 所しょ化けと成なりて稽けい古こを致いたし提撕ていせいに堪たえたるもあり、 所謂いわゆる如導にょどう・助信じょしん・善範ぜんはん・想賢そうけん・順教じゅんきょう・空くう性しょう・宗元そうげん・智ち専せんごときの類たぐいをや。 猶なおこれあれども委くわしくするにあたはず。

  第だい二に段だん

▼*観かん0418応おう二に戴さい辛かのとの卯う 正しょう月がつ十じゅう七日しちにちの晩くれより、 いさゝか不ふ例れいとて心神しんじんを労いたわしくし侍はべれば、 たゞ白はく地じにおもひなすうへ、 天てん下かの騒さわぎもいまだをちゐぬるほどなれば、 医い療りょうを訪たずぬべき時じ分ぶんもなきに、 十じゅう八日はちにちの朝あしたよりなをおもりたる景けい気きなるに、 世事せじはいまより口くちにものいはざれども、 念仏ねんぶつばかりはたえず息いきのしたにぞきこゆる。

-▼さりながら身みをはなれぬ僧そうのむかへるに、 この二に首しゅをかたりける。

南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつ 力ちからならぬ のりぞなき たもつ心こころも われとおこさず

八十やそ地じあまり をくりむかへて 此春このはるの 花はなにさきだつ 身みぞあはれなる

おもひつけたる数寄すきにて、 最さい後ごまでもよはよはしき心ここ地ちに一いち両りょう首しゅをつゞけらるよと、 安心あんじんのむねもいまさらたうとくおぼゆる中なかに、 花はなのなさけを猶なおわすれずやと誠まことに哀あわれにぞ覚おぼゆる。

▼おほよすこのたびは今こん生じょうのはてなるべし、 あへて療りょう医いの沙汰さたあるべからずと示しめせども、 さてしもあるべきならねば、 あくる*十じゅう九く日にちの払ふつ暁ぎょうに医師いしを招請しょうしょうするに、 脈みゃく道どうも存ぞんの外ほかにや指下しげにもあたりけむ。 なむるところの良りょう薬やくも験しるしなく侍はべれば、 面々めんめんたゞあきれはてゝ瞻まぼり仰あおぐよりほかの事ことぞなき。 ▼つゐに酉とりの刻こくのすゑほどに、 頭あたまを北きたにし面おもてを西にしにし、 眠ねむるがごとくして滅めつを唱となうるぞ心こころうき。

-つらつら頓卒とんそつの儀ぎをおもふ0419に、 縡ことの楚そ忽こつなる有う待だいのさかひとはいひながら、 今更いまさら不ふ定じょうのならひにまよひ侍はべれば、 常じょう随ずい給きゅう仕じの僧侶そうりょ、 別べつ離り悲ひ歎たんの男女なんにょ、 喩たとえをとるに物ものあらむや。 釈しゃ迦か如来にょらい涅ね槃はんの庭にわには、 禽きん獣じゅう虫ちゅう類るいまでも啼哭ていこくしたてまつりけり。 大だい和か尚しょう位い円えん帰きの砌みぎりには、 上下かみしも士し女じょまでも傷しょう嗟さすることかぎりなし。

-▼さても不ふ思議しぎを現げんぜしは、 発はつ病びょうの日ひより終しゅう焉えんの時ときに至いたるまで始し中終ちゅうじゅう三さんケ日にちがほど、 蒼天そうてんを望のぞむに紫し雲うんを拝はいするよし所々しょしょより告つげしめす。 そもそも三日みっか彩雲さいうんの旧蹤きゅうしょうを尋たずぬるに、 いにしへ高こう祖そ聖しょう人にんの芳躅ほうたくにかなひ、 いまは先せん師し霊魂れいこんの奇き特どくをあらはす是これなり。

-事切こときれぬれども、 つきせぬ名残なごりといひ、 かはらぬ姿すがたをもなを見みむとて、 両りょう三日さんにちは殯送ひんそうの儀ぎをもいそがねども、 かくてもあるべき歟かとて、 ▼*第だい五ごケ日にちの晩くれ、 知ち恩おん院いんの沙汰さたとして彼寺かのてらの長ちょう老ろう衆僧しゅそうをたなびき迎むかえとりて、 延仁えんにん寺じにしてむなしき煙けむりとなしけるはあはれなりし事ことの中なかにも、 ▼*廿にじゅう四し日にちは遺い骸がいを拾ひろへりしに、 葬そうするところの白骨はっこつ、 一々いちいちに玉たまと成なりて仏ぶっ舎しゃ利りのごとく五ご色しきに分ぶん衛えす。 これをみる人ひとは親しん疎そともに渇仰かつごうして信伏しんぶくし、 これを聞きく人ひとは都鄙とひみな乞こい取とりて安あん置ちす。 まのあたり此この神変じんぺんに逢あえるは歎なげきの中なかの悦よろこびともいひつべく、 迷まよいの前まえの益やくともいひつべし。

-宜むべなる哉かな、 弥陀みだの本願ほんがんをたのむ外ほかには、 純浄じゅんじょう勇ゆう猛みょうの修しゅ行ぎょうもなにゝかはせん。 極楽ごくらくの往おう生じょうをねがふまへには賢善けんぜん精しょう進じんの威儀いぎもいつはれるにや、 法印ほういん平生へいぜいの0420振舞ふるまいもたゞよのつねに順じゅんじて、 安心あんじんの治じ定じょうもそゝぐべきならねば、 まめやかに人ひとためならず念仏ねんぶつして一いち大だい事じの本ほん意いを遂とげぬるに、 としごろ偏へん執しゅうせし人ひともこのたび改かい悔げし、 日ひごろ悪お厭えんせし族やからもいまさら帰き敬きょうす。 もともありがたき事ことどもなるべし。

 

右みぎ十帙じっちつ之の篇目へんもく、 一いち部ぶ之の旨趣しいしゅ、 記先師之行迹せんしのぎょうしゃくをきし課当時之画匠とうじのがしょうにかす偏ひとえに依中懐之難黙ちゅうかいのもくしがたきにより、 不顧外見之所嘲者がいけんのあざけらるるものをかえりみざる也なり。 可慚はずべし可慚はずべし、 可憚はばかるべし可憚はばかるべし矣。

辺山へんざん老襟ろうきん大だい和か尚しょう位い慈じ俊しゅん記きす

詞ことば  前さき◗の左さ兵ひょう衛えの佐すけ伊兼これかね朝臣あそん
画師えし 摂津せっつの守かみ藤原ふじわら隆昌たかあき

 

底本は本派本願寺蔵南北朝時代書写本。 ただし訓(ルビ)は有国によるˆ表記は現代仮名遣いにしたˇ。