0957◎浄じょう0483土ど真要しんよう鈔しょう 本ほん

 

【1】 ◎それ一向いっこう専修せんじゅの念仏ねんぶつは、 決けつ定じょう往おう生じょうの*肝心かんじんなり。 これ​すなはち ¬*大だい経きょう¼ (上) の​なか​に弥陀みだ如来にょらいの四し十じゅう八はち願がんを説とく​なか​に、 第だい十じゅう八はちの願がんに念仏ねんぶつの信心しんじんを​すすめ​て諸しょ行ぎょうを説とか​ず、 「▲乃ない至し十じゅう念ねんの行ぎょう者じゃかならず往おう生じょうを得うべし」 と説とけ​る​ゆゑなり。 しかのみならず、 おなじき ¬経きょう¼ (下) の三輩さんぱい往おう生じょうの文もんに、 みな通つうじ​て 「▲一向いっこう専念せんねん無む量りょう寿じゅ仏ぶつ」 と説とき​て、 「一向いっこうに​もつぱら無む量りょう寿じゅ仏ぶつを念ねんぜよ」 といへり。 「一向いっこう」 といふは​ひとつ​に​むかふ​といふ、 ただ念仏ねんぶつの一いち行ぎょうに​むかへ​となり。 「専念せんねん」 といふは​もつぱら念ねんぜよ​といふ、 ひとへに弥陀みだ一仏いちぶつを念ねんじ​たてまつる​ほか​に二ふたつ​を​ならぶる​こと​なかれ​となり。

-これ​によりて、 唐とう土ど (中国) の高こう祖そ*善導ぜんどう和か尚しょうは、 正行しょうぎょうと雑ぞう行ぎょうと​を​たて​て、 雑ぞう行ぎょうを​すて​て正行しょうぎょうに帰きす​べき​ことわり​を​あかし、 正しょう業ごうと助業じょごうと​を​わかち​て、 助業じょごうを​さしおき​て正しょう業ごうを​もつぱらに​す​べき義ぎを判はんぜ​り。

-ここ​に​わが朝ちょうの善ぜん知ぢ識しき*黒谷くろだにの*源空げんくう聖しょう人にん、 *かたじ0958けなく如来にょらいの​つかひ​として末代まつだい*片へん州しゅうの衆しゅ生じょうを教きょう化けし​たまふ。 その​のぶる​ところ釈しゃく尊そんの*誠じょう説せつに​まかせ、 その​ひろむる​ところ​もつぱら高こう祖そ (善導) の解げ釈しゃくを0484まもる。 かの聖しょう人にん (源空) の​つくり​たまへる ¬*選せん択じゃく集しゅう¼ に​いはく、 「▲速欲そくよく離り生しょう死じ 二に種しゅ勝しょう法ぼう中ちゅう 且閣しゃかく聖しょう道どう門もん 選せん入にゅう浄じょう土ど門もん 欲よく入にゅう浄じょう土ど門もん 正しょう雑ぞう二に行ぎょう中ちゅう 且抛しゃほう諸しょ雑ぞう行ぎょう 選せん応おう帰き正行しょうぎょう 欲修よくしゅ於お正行しょうぎょう 正しょう助じょ二に業ごう中ちゅう 猶ゆ傍ぼう於お助業じょごう 選応せんおう専せん正定しょうじょう ◆正定しょうじょう之し業ごう者しゃ 即そく是ぜ称しょう仏ぶつ名みょう 称名しょうみょう必得ひっとく生しょう 依え仏ぶつ本願ほんがん故こ」 といへり。

-この文もんの​こころ​は、 「すみやかに生しょう死じを​はなれ​ん​と欲おもは​ば、 二に種しゅの勝しょう法ぼうの​なか​に、 しばらく聖しょう道どう門もんを閣さしおき​て、 選えらん​で浄じょう土ど門もんに入いれ。 浄じょう土ど門もんに入いら​ん​と欲おもは​ば、 正しょう雑ぞう二に行ぎょうの​なか​に、 しばらく​もろもろ​の雑ぞう行ぎょうを抛なげすて​て、 選えらん​で正行しょうぎょうに帰きす​べし。 正行しょうぎょうを修しゅせん​と欲おもは​ば、 正しょう助じょ二に業ごうの​なか​に、 なほ助業じょごうを​かたはらにし​て、 選えらん​で正定しょうじょうを​もつぱらに​す​べし。 正定しょうじょうの業ごうといふは​すなはち​これ仏ぶつ名みょうを称しょうする​なり。 名みなを称しょうすれば​かならず生うまるる​こと​を得う。 仏ぶつの本願ほんがんに​よる​がゆゑに」 となり。

-すでに南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつをもつて正定しょうじょうの業ごうと名なづく。 「正定しょうじょうの業ごう」 といふは、 まさしく定さだまる​たね​といふ​こころ​なり。 これ​すなはち往おう生じょうの​まさしく定さだまる​たね​は念仏ねんぶつの一いち行ぎょうなり​となり。 自余じよの一切いっさいの行ぎょう0959は往おう生じょうのために定さだまれ​る​たね​に​あらず​と​きこえ​たり。 しかれば、 決けつ定じょう往おう生じょうの​こころざし​あら​ん​ひと​は、 念仏ねんぶつの一いち行ぎょうを​もつぱらに​して、 専修せんじゅ専念せんねん・一向いっこう一心いっしんなる​べき​こと、 *祖師そしの解げ釈しゃくはなはだ​あきらかなる0485ものを​や。

-しかるに​このごろ浄じょう土どの一いっ宗しゅうにおいて、 面々めんめんに義ぎを​たて行ぎょうを論ろんずる*家々いえいえ、 みな​かの黒谷くろだに (源空) の流ながれに​あらず​といふ​こと​なし。 しかれども、 *解げ行ぎょうみな​おなじから​ず。 おのおの真しんマコトナル仮けをカリナルあらそひ、 たがひに邪じゃヒガメタル正しょうタヾシキを論ろんず。 まことに是非ぜひを​わきまへがたし​と​いへども、 *つらつら​その正しょう意いを​うかがふ​に、 もろもろ​の雑ぞう行ぎょうを​ゆるし諸しょ行ぎょうの往おう生じょうを談だんずる義ぎ、 とほく​は善導ぜんどう和か尚しょうの解げ釈しゃくに​そむき、 ちかく​は源空げんくう聖しょう人にんの本ほん意いに​かなひがたき​ものを​や。

-しかるに​わが親鸞しんらん聖しょう人にんの一いち義ぎは、凡ぼん夫ぶの*まめやかに生しょう死じを​はなる​べき​をしへ、 衆しゅ生じょうの​すみやかに往おう生じょうを​とぐ​べき​すすめ​なり。 そのゆゑは、 ひとへに​もろもろ​の雑ぞう行ぎょうを抛なげすて​て、 もつぱら一向いっこう専修せんじゅの一いち行ぎょうを​つとむる​ゆゑなり。 これ​すなはち余よの一切いっさいの行ぎょうは​みな​とりどりに*めでたけれ​ども、 弥陀みだの本願ほんがんに​あらず、 *釈しゃく尊そん付ふ属ぞくの教きょうに​あらず、 *諸仏しょぶつ証誠しょうじょうの法ほうに​あらず。 念仏ねんぶつの一いち行ぎょうは​これ弥陀みだ選せん択じゃくの本願ほんがんなり、 釈しゃく尊そん付ふ属ぞくの行ぎょうなり、 諸仏しょぶつ証誠しょうじょうの法ほうなれば​なり。

-釈しゃ迦か・弥陀みだおよび十方じっぽうの諸仏しょぶつの御おんこころ​に​したがひ​て念ねん0960仏ぶつを信しんぜ​ん​ひと、 かならず往おう生じょうの大益だいやくを得うべし​といふ​こと、 疑うたがいある​べから​ず。 かくのごとく一向いっこうに行ぎょうじ、 一心いっしんに修しゅする​こと、 わが流りゅうの​ごとく​なる​は​なし。 されば​この流りゅうに帰きし​て修しゅ行ぎょうせん​ひと、 ことごとく決けつ定じょう往おう生じょうの行ぎょう者じゃなる​べし0486。 しかるに​われら​さいはひに​その流ながれを​くみ​て、 もつぱら​かの​をしへ​を​まもる。 宿しゅくムカシノ因いんタネのもよほす​ところ、 よろこぶ​べし、 たふとむ​べし。 まことに恒沙ごうじゃの身しん命みょうを​すて​て​も、 かの恩徳おんどくを報ほうず​べき​ものなり。

-釈しゃく尊そん・善導ぜんどうこの法ほうを説とき​あらはし​たまふ​とも、 源空げんくう・親鸞しんらん出しゅっ世せし​たまは​ずは、 われら​いかでか浄じょう土どを​ねがは​ん。 たとひ​また源空げんくう・親鸞しんらん世よに出いで​たまふ​とも、 次し第だい相そう承じょうの▽善ぜん知ぢ識しきましまさ​ずは、 真実しんじつの信心しんじんを​つたへがたし。

-善導ぜんどう和か尚しょうの ¬*般舟はんじゅ讃さん¼ に​いはく、 「▲若にゃく非ひ本ほん師し知ち識しき勧かん 弥陀みだ浄じょう土ど云うん何が入にゅう」 といへり。 文もんの​こころ​は、 「もし本ほん師し知ち識しきの​すすめ​に​あらず​は、 弥陀みだの浄じょう土ど†に​いかん​して​か入いら​ん」 となり。 知ち識しきの​すすめ​なく​して​は、 浄じょう土どに生うまる​べから​ず​と​みえ​たり。

-また*法ほっ照しょう禅ぜん師じの ¬*五会ごえ法ほう事じ讃さん¼ に​いはく、 「*曠劫こうごう以い来らい流る浪ろう久く 随縁ずいえん六道ろくどう受じゅ輪りん廻ね 不ふ遇ぐう往おう生じょう善ぜん知ぢ識しき 誰能すいのう相勧そうかん得とく回帰えき」 といへり。 この文もんの​こころ​は、 「曠劫こうごうより​このかた流る浪ろうせし​こと久ひさし、 六道ろくどう生しょう死じに​めぐり​て​さまざま​の​輪りん廻ねの苦くるしみ​を受うけ​き。 往おう生じょうの善ぜん0961知ぢ識しきに遇あは​ずは、 たれ​か​よく​あひ​すすめ​て弥陀みだの浄じょう土どに生うまるる​こと​を得えん」 となり。

-しかれば、 かつは仏恩ぶっとんを報ほうぜ​んがため、 かつは師し徳とくを謝しゃせ​んがために、 この法ほうを十方じっぽうに​ひろめ​て、 一切いっさい衆しゅ生じょうをして西方さいほうの一いち土どに​すすめ入いれ​しむ​べき​なり。

-¬*往おう生じょう礼讃らいさん¼ に​いはく、 「▲自じ信しん教きょう人信にんしん 難なん中ちゅう転てん更きょう難なん0487 大だい悲ひ伝でん普化ぷけ 真しん成じょう報ほう仏恩ぶっとん」 といへり。 こころ​は、 「みづから​も​この法ほうを信しんじ、 ひと​をして​も信しんぜ​しむる​こと、 難かたき​が​なか​に*うたた​さらに難かたし。 弥陀みだの大だい悲ひを伝つたへ​て​あまねく衆しゅ生じょうを化けする、 これ​まことに仏恩ぶっとんを報ほうずる​つとめ​なり」 といふ​なり。

【2】 問とう​て​いはく、 *諸しょ流りゅうの異義いぎまちまちなる​なか​に、 往おう生じょうの一道いちどうにおいて、 あるいは平生へいぜい業ごう成じょうの義ぎを談だんじ、 あるいは臨りん終じゅう往おう生じょうの​のぞみ​を​かけ、 あるいは来迎らいこうの義ぎを執しゅうし、 あるいは不ふ来迎らいこうの​むね​を成じょうず。 いま​わが流りゅうに談だんずる​ところ、これら​の義ぎの​なか​には​いづれ​の義ぎぞや。

 答こたへ​て​いはく、 親鸞しんらん聖しょう人にんの一いち流りゅうにおいて​は、 平生へいぜい業ごう成じょうの義ぎにして臨りん終じゅう往おう生じょうの​のぞみ​を本ほんと​せず、 不ふ来迎らいこうの談だんにして来迎らいこうの義ぎを執しゅうせず。 ただし平生へいぜい業ごう成じょうといふは、 平生へいぜいに仏法ぶっぽうに​あふ機きにとりて​の​こと​なり。 もし臨りん終じゅうに法ほうに​あは​ば、 その機きは臨りん終じゅうに往おう生じょうす​べし。 平生へいぜいを​いは​ず、 臨りん終じゅうを​いは​ず、 ただ信心しんじんを​うる0962とき往おう生じょうすなはち定さだまる​となり。 これ​を即得そくとく往おう生じょうといふ。

-これ​によりて、 わが聖しょう人にん (親鸞) の​あつめ​たまへる ¬*教行きょうぎょう証しょうの文類もんるい¼ の第だい二 (*行巻)、 「*正しょう信しん偈げ」 の文もんに​いはく、 「▲能発のうほつ一念いちねん喜き愛あい心しん 不ふ断だん煩悩ぼんのう得とく涅ね槃はん 凡ぼん聖じょう逆ぎゃく謗ほう斉さい回え入にゅう 如にょ衆水しゅすい入にゅう海かい一いち味み」 といへり。 この文もんの​こころ​は、 「よく*一念いちねん歓かん喜ぎの信心しんじんを発おこせ​ば、 煩悩ぼんのうを断だんぜ​ざる†具ぐ縛ばくの凡ぼん夫ぶ0488ながら​すなはち涅ね槃はんの分ぶんを得う。 凡ぼん夫ぶも聖しょう人にんも五ご逆ぎゃくも謗法ほうぼうも​ひとしく生うまる。 たとへば​もろもろ​の水みずの海うみに入いり​ぬれ​ば、 ひとつ潮うしおの味あじはひ​と​なる​が​ごとく、 善悪ぜんあくさらに​へだて​なし」 といふ​こころ​なり。

-ただ一念いちねんの信心しんじん定さだまる​とき、 竪しゅに*貪とん・瞋しん・痴ち・*慢まんの煩悩ぼんのうを断だんぜ​ず​と​いへども、 横おうに三界さんがい六道ろくどう輪りん廻ねの果か報ほうを​とづる義ぎあり。 しかり​と​いへども、 いまだ凡身ぼんしんを​すて​ず、 なほ具ぐ縛ばくの穢え体たいなる​ほど​は、 摂取せっしゅの光こう明みょうの​わが身みを照てらし​たまふ​をも​しら​ず、 化け仏ぶつ・菩ぼ薩さつの​まなこ​の​まへ​に​まします​をも​み​たてまつら​ず。 しかるに一いち期ごの​いのち​すでに尽つき​て、 息いきたえ、 まなこ​とづる​とき、 かねて証しょう得とくし​つる往おう生じょうの​ことわり​ここ​に​あらはれ​て、 仏ぶつ・菩ぼ薩さつの相好そうごうをも拝はいし、 浄じょう土どの荘しょう厳ごんをも​みる​なり。

-これ​さらに臨りん終じゅうの​とき​はじめて得うる往おう生じょうには​あらず。 されば至し心しん信しん楽ぎょうの信心しんじんを​え​ながら、なほ往おう生じょうを​ほか​に​おき​て、 臨りん終じゅうの​とき​はじめて得えん​と0963は​おもふ​べから​ず。 したがひて*信心しんじん開発かいほつの​とき、 摂取せっしゅの光益こうやくの​なか​に​あり​て往おう生じょうを証しょう得とくし​つる​うへには、 いのち​をはる​とき、 ただ​その​さとり​の​あらはるる​ばかり​なり。 こと​あたらしく​はじめて*聖しょう衆じゅの来迎らいこうに​あづから​ん​こと​を期ごす​べから​ず​となり。

-されば​おなじき次下つぎしもの解げ釈しゃく (正信偈) に​いはく、 「▲摂取せっしゅ心光しんこう常じょう照しょう護ご 已い能のう雖すい破は無む明みょう闇あん 貪愛とんない瞋憎しんぞう之し雲うん霧む 常じょう覆ふ真実しんじつ信心しんじん天てん 譬ひ0489如にょ日光にっこう覆ふ雲うん霧む 雲うん霧む之し下げ明みょう無む闇あん」 といへり。 この文もんの​こころ​は、 「阿あ弥陀みだ如来にょらいの摂取せっしゅの心光しんこうは​つね​に行ぎょう者じゃを照てらし護まもり​て、 すでに​よく無む明みょうの闇やみを破はす​と​いへども、 貪欲とんよく・瞋しん恚に等とうの悪業あくごう、 雲くも・霧きりの​ごとく​して真実しんじつ信心しんじんの天てんを覆おおへ​り。 たとへば日ひの光ひかりの雲くも・霧きりに覆おおはれ​たれ​ども、 その​した​は​あきらかに​して​くらき​こと​なき​が​ごとし」 となり。

-されば信心しんじんを​うる​とき摂取せっしゅの益やくに​あづかる。 摂取せっしゅの益やくに​あづかる​がゆゑに正定しょうじょう聚じゅに住じゅうす。 しかれば、 三毒さんどくの煩悩ぼんのうは​しばしば​おこれ​ども、 まこと​の信心しんじんは​かれ​にも*さへ​られ​ず。 顛倒てんどうの妄念もうねんは​つね​に​たえ​ざれ​ども、 さらに未み来らいの悪報あくほうをば​まねか​ず。 かるがゆゑに、 もしは平生へいぜい、 もしは臨りん終じゅう、 ただ信心しんじんの​おこる​とき往おう生じょうは定さだまる​ぞ​となり。 これ​を 「正定しょうじょう聚じゅに住じゅうす」 とも​いひ、 「不ふ退たいの位くらいに入いる」 とも​なづくる​なり。

-この​ゆゑに聖しょう人にん (親鸞) また​のたまはく0964、 「▲来迎らいこうは諸しょ行ぎょう往おう生じょうに​あり、 自じ力りきの行ぎょう者じゃなる​がゆゑに。 臨りん終じゅうまつ​こと​と来迎らいこうたのむ​こと​は、 諸しょ行ぎょう往おう生じょうの​ひと​に​いふ​べし。 真実しんじつ信心しんじんの行ぎょう人にんは、 摂取せっしゅ不ふ捨しゃの​ゆゑに正定しょうじょう聚じゅに住じゅうす。 正定しょうじょう聚じゅに住じゅうする​がゆゑに​かならず滅めつ度どに至いたる。 滅めつ度どに至いたる​がゆゑに大だい涅ね槃はんを証しょうする​なり。 かるがゆゑに臨りん終じゅうまつ​こと​なし、 来迎らいこうたのむ​こと​なし」 (御消息・一意) といへり。

-これらの釈しゃくに​まかせ​ば、 真実しんじつ信心しんじんの​ひと、 一向いっこう専念せんねんの​ともがら、 臨りん終じゅうを​まつ​0490べから​ず、 来迎らいこうを期ごす​べから​ず​といふ​こと、 その​むね​あきらかなる​ものなり。

【3】 問とう​て​いはく、 聖しょう人にん (親鸞) の*料りょう簡けんは​まことに​たくみなり。 仰あおいで信しんず†べし。 ただし経きょう文もんに​かへり​て理りを​うかがふ​とき、 いづれ​の文もんに​より​て​か、 来迎らいこうを期ごせ​ず臨りん終じゅうを​まつ​まじき義ぎを​こころう​べき​や。 たしかなる文もん義ぎを​きき​て、 いよいよ堅けん固ごの信心しんじんを​とら​ん​と​おもふ。

 答こたへ​て​いはく、 凡ぼん夫ぶ、 智ちあさし。 いまだ経きょう釈しゃくの​おもむき​を​わきまへ​ず。 ▲*聖教しょうぎょう万差まんじゃなれば、 方便ほうべんの説せつあり、 真実しんじつの説せつあり。 機きに対たいすれば、 いづれ​も​その益やくあり。 一偏いっぺんに義ぎを​とりがたし。 ただ祖師そし (親鸞) の​をしへ​を​きき​て、 わが信心しんじんを​たくはふる​ばかり​なり。 しかるに世よの​なか​に​ひろまれ​る諸しょ流りゅう、 みな臨りん終じゅうを0965いのり来迎らいこうを期ごす。 これ​を期ごせ​ざる​は、 ひとり*わが家いえなり。 *しかるあひだ、 これ​を​きく​もの​は*ほとほと耳みみを​おどろかし、 これ​を​そねむ​もの​は​はなはだ​あざけり​を​なす。 しかれば、 たやすく​この義ぎを談だんず​べから​ず。 他た人にん謗法ほうぼうの罪つみを​まねか​ざら​んがため​なり。

-それ親鸞しんらん聖しょう人にんは、 深じん智ち*博覧はくらんにして内典ないてん・外げ典てんに​わたり、 *慧解えげ高遠こうおんにして聖しょう道どう・浄じょう土どを​かね​たり。 ことに浄じょう土ど門もんに入いり​たまひ​し​のち​は、 もつぱら一いっ宗しゅうの​ふかき​みなもと​を​きはめ、 あくまで明めい師し (源空) の​ねんごろなる​をしへ​を​うけ​たまへ​り。 あるいは​その​ゆるされ​を​かうぶり​て*製作せいさくを​あひ伝つたへ、 あるいは​かの​あはれみ​に​あづかり​て真影しんねい0491を​うつし​たまはら​しむ。 とし​を​わたり日ひを​わたり​て、 その​をしへ​を​うくる​ひと千万せんばんなり​と​いへども、 したしき​と​いひ、 うとき​と​いひ、 製作せいさくを​たまはり真影しんねいを​うつす​ひと​は​その数かずおほから​ず。

-したがひて、 *この門もん流りゅうの​ひろまれ​る​こと自じ宗しゅう・他た宗しゅうに​ならびなく、 その利り益やくの​さかりなる​こと田舎でんしゃヰナカ ・辺へんカタ鄙ぴホトにリノおよべイヤシキヒトり。 化け導どうの​とほく​あまねき​は、 智慧ちえの​ひろき​が​いたす​ところ​なり。 しかれば、 相そう承じょうの義ぎさだめて仏ぶつ意いに​そむく​べから​ず。 流ながれを​くむ​やから、 ただ仰あおい​で信しんを​とる​べし。 無智むちの末学まつがく*なまじひに経きょう釈しゃくについて義ぎを論ろんぜ​ば、 その​あやまり​を​のがれがたき​か。 よくよく​つつしむ​べし0966。

-ただし、 一分いちぶんなり​とも信しん受じゅする​ところの義ぎ、 一いち味み同どう行ぎょうの​なか​において​これ​を​はばかる​べき​に​あらず。 いま​こころみ​に料りょう簡けんする​に、 まづ浄じょう土どの一門いちもんを​たつる​こと​は*三さん部ぶ妙みょう典でんの説せつに出いで​たり。 その​なか​に弥陀みだ如来にょらい、 因いん位にの本願ほんがんを説とき​て凡ぼん夫ぶの往おう生じょうを決けっする​こと、 ¬大だい経きょう¼ の説せつこれ​なり。 その説せつといふは四し十じゅう八はち願がんなり。

-四し十じゅう八はち願がんの​なか​に、 念仏ねんぶつ往おう生じょうの一益いちやくを説とく​こと​は第だい十じゅう八はちの願がんに​あり。 しかるに第だい十じゅう八はちの願がんの​なか​に、 臨りん終じゅう・平生へいぜいの沙汰さたなし、 *聖しょう衆じゅ来現らいげんの儀ぎを​あかさ​ず。 かるがゆゑに、 十じゅう八はちの願がんに帰きし​て念仏ねんぶつを修しゅし往おう生じょうを​ねがふ​とき、 臨りん終じゅうを​また​ず来迎らいこうを期ごす​べから​ず​となり。

-すなはち第だい十じゅう八はちの願がんに​いはく、 「▲設せつ我が得とく0492仏ぶつ 十方じっぽう衆しゅ生じょう 至し心しん信しん楽ぎょう 欲よく生しょう我が国こく 乃ない至し▽十じゅう念ねん ▽若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 (大経・上) といへり。 この願がんの​こころ​は、 「たとひ​われ仏ぶつを得えたらん​に、 十方じっぽうの衆しゅ生じょう、 心しんを至いたし信しん楽ぎょうして​わが国くにに生うまれ​ん​と欲おもう​て、 乃ない至し十じゅう念ねんせん。 もし生うまれ​ずは、 正しょう覚がくを取とら​じ」 となり。

-この願文がんもんの​なか​に、 まつたく臨りん終じゅうと説とか​ず平生へいぜいと​いは​ず、 ただ至し心しん信しん楽ぎょうの機きにおいて十じゅう念ねんの往おう生じょうを​あかせ​り。 しかれば、 臨りん終じゅうに信しん楽ぎょうせば臨りん終じゅうに往おう生じょう治じ定じょうす​べし、 平生へいぜいに至し心しんせば平生へいぜいに往おう生じょう決得けっとくす​べし。 さらに平生へいぜいと臨りん終じゅうと​に​よる​べから​ず、 ただ仏法ぶっぽうに​あふ時じ節せつ0967の*分斉ぶんざいに​ある​べし。 しかるに​われら​は​すでに平生へいぜいに*▲聞もん名みょう欲よく往おう生じょうの義ぎあり。 ここ​に​しり​ぬ、 臨りん終じゅうの機きに​あらず平生へいぜいの機きなり​といふ​こと​を。 かるがゆゑに​ふたたび臨りん終じゅうに​こころ​を​かく​べから​ず​となり。

-しかのみならず、 おなじき第だい十じゅう八はちの願がん成じょう就じゅの文もん (大経・下) に​いはく、 「▲諸しょ有う衆しゅ生じょう 聞もん其ご名みょう号ごう 信心しんじん歓かん喜ぎ 乃ない至し▽一念いちねん 至し心しん回え向こう 願がん生しょう彼ひ国こく 即得そくとく往おう生じょう 住じゅ不ふ退転たいてん」 といへり。 この文もんの​こころ​は、 「あらゆる衆しゅ生じょう、 その名みょう号ごうを聞きき​て信心しんじん歓かん喜ぎし、 乃ない至し一念いちねんせん。 至し心しんに回え向こうし​たまへり。 かの国くにに生うまれ​ん​と願がんずれ​ば、 すなはち往おう生じょうを得え、 不ふ退転たいてんに住じゅうす」 となり。 こころ​は、 「一切いっさいの衆しゅ生じょう、 無礙むげ光こう如来にょらいの名みなを​きき得えて、 生しょう死じ出しゅつ離りの強縁ごうえんひとへに念仏ねんぶつ往おう生じょうの一道いちどうに​ある​べし​と、 よろこび0493おもふ​こころ​の一念いちねんおこる​とき往おう生じょうは定さだまる​なり。 これ​すなはち弥陀みだ如来にょらい、 因いん位にの​むかし、 至し心しんに回え向こうし​たまへり​し​ゆゑなり」 となり。

-この一念いちねんについて*隠顕おんけんの義ぎあり。 顕けんには、ウヘニアラハシテハ十じゅう念ねんに対たいする​とき一念いちねんといふは称名しょうみょうの一念いちねんなり。 隠おんにシタニカは、クシテハ真因しんいんを決けつ了りょうする安心あんじんの一念いちねんなり。 これ​すなはち相好そうごう・光こう明みょう等とうの功く徳どくを観想かんそうする念ねんに​あらず、 ただ​かの如来にょらいの名みょう号ごうを​きき得えて、 *機き教きょうの分限ぶんげんを​おもひ定さだむる位くらいを​さす​なり。 されば親鸞しんらん聖しょう人にんは​この一念いちねんを釈しゃくす​として、 「▲一念いちねんといふは信心しんじんを獲ぎゃく得とくする0968時じ節せつの極促ごくそくを顕あらわす」 (信巻・意) と判はんじ​たまへり。

-しかれば​すなはち、 いま​いふ​ところの往おう生じょうといふは、 あながちに命終みょうじゅうの​とき​に​あらず。 ▼無始むし以い来らい、 *輪転りんでん六道ろくどうの*妄業もうごう、 一念いちねん南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつと帰き命みょうする*仏ぶっ智ち無む生しょうの名みょう願力がんりきに​ほろぼさ​れ​て、 *涅ね槃はん畢ひっ竟きょうの真因しんいんはじめて​きざす​ところ​を​さす​なり。

-すなはち​これ​を 「即得そくとく往おう生じょう住じゅ不ふ退転たいてん」 と説とき​あらはさ​るる​なり。 「即得そくとく」 といふは、 すなはち​う​となり。 すなはち​う​といふは、 とき​を​へだて​ず日ひを​へだて​ず念ねんを​へだて​ざる義ぎなり。 されば一念いちねん帰き命みょうの解げ了りょうたつ​とき、 往おう生じょう*やがて定さだまる​となり。 ▽うる​といふは定さだまる​こころ​なり。 この一念いちねん帰き命みょうの信心しんじんは、 凡ぼん夫ぶ自じ力りきの迷心めいしんに​あらず、 如来にょらい清浄しょうじょう本願ほんがんの智ち心しんなり。

-しかれば、 二河にがの譬喩ひゆの​なか​にも、 中ちゅう間げんの白びゃく道どうをもつて、 一処いっしょには0494如来にょらいの願力がんりきに​たとへ、 一処いっしょには行ぎょう者じゃの信心しんじんに​たとへ​たり。 「如来にょらいの願力がんりきに​たとふ」 といふは、 「▲念々ねんねん無む遺ゆい乗じょう彼ひ願力がんりき之し道どう」 (*散善義) といへる​これ​なり。 こころ​は、 「貪瞋とんじんの煩悩ぼんのうに​かかはら​ず、 弥陀みだ如来にょらいの願力がんりきの白びゃく道どうに乗じょうぜよ」 となり。 「行ぎょう者じゃの信心しんじんに​たとふ」 といふは、 「▲衆しゅ生じょう貪瞋とんじん煩悩ぼんのう中ちゅう 能のう生しょう清浄しょうじょう願がん往おう生じょう心しん」 (散善義) といへる​これ​なり。 こころ​は、 「貪瞋とんじん煩悩ぼんのうの​なか​に​よく清浄しょうじょう願がん往おう生じょうの心しんを生しょうず」 となり。

-されば、 「水すいミヅ火かヒ の二河にが」 は0969衆しゅ生じょうの貪瞋とんじんなり。 これ不ふ清浄しょうじょうの心しんなり。 「中ちゅう間げんの白びゃく道どう」 は、 ある​とき​は行ぎょう者じゃの信心しんじんと​いは​れ、 ある​とき​は如来にょらいの願力がんりきの道どうと釈しゃくせ​らる。 これ​すなはち行ぎょう者じゃの​おこす​ところの信心しんじんと、 如来にょらいの願心がんしんと​ひとつ​なる​こと​を​あらはす​なり。 したがひて、 清浄しょうじょうの心しんと​いへ​る​も如来にょらいの智ち心しんなり​と​あらはす​こころ​なり。 もし凡ぼん夫ぶ我が執しゅうの心しんならば、 清浄しょうじょうの心しんと​は釈しゃくす​べから​ず。

-この​ゆゑに ¬経きょう¼ (大経・上) には、 「▲令しょう諸しょ衆しゅ生じょう功く徳どく成じょう就じゅ」 といへり。 こころ​は、 「弥陀みだ如来にょらい、 因いん位にの*むかし、 もろもろ​の衆しゅ生じょうをして功く徳どく成じょう就じゅせ​しめ​たまふ」 となり。 それ▲阿あ弥陀みだ如来にょらいは三さん世ぜの諸仏しょぶつに念ねんぜ​られ​たまふ*覚体かくたいなれば、 久く遠おん実じつ成じょうの古こ仏ぶつなれども、 十劫じっこう以い来らいの成じょう道どうを​となへ​たまひ​し​は*果後かごの方便ほうべんなり。 これ​すなはち 「衆しゅ生じょう往おう生じょうす​べくは​われ​も正しょう覚がくを取とら​ん」 と誓ちかひ​て、 衆しゅ生じょうの往おう生じょうを決けつ定じょうせんがため​なり。 しかるに衆しゅ生じょうの0495往おう生じょう定さだまり​しか​ば、 仏ぶつの正しょう覚がくも成なり​たまひ​き。

-その正しょう覚がくいまだ成なり​たまは​ざり​し​いにしへ、 *法蔵ほうぞう比丘びくとして難なん行ぎょう苦く行ぎょう・積しゃく功く累徳るいとくし​たまひ​し​とき、 未み来らいの衆しゅ生じょうの浄じょう土どに往おう生じょうす​べき​たね​をば​ことごとく成じょう就じゅし​たまひ​き。 その​ことわり​を​きき​て、 一念いちねん解げ了りょうの心しんおこれ​ば、 仏心ぶっしんと凡心ぼんしんと​まつたく​ひとつ​に​なる​なり。 この位くらいに無礙むげ光こう如来にょらいの光こう明みょう、 かの帰き命みょうの信心しんじんを摂取せっしゅし​て0970捨すて​たまは​ざる​なり。

-これ​を ¬*観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ には、 「▲光こう明みょう遍へん照じょう 十方じっぽう世せ界かい 念仏ねんぶつ衆しゅ生じょう 摂取せっしゅ不ふ捨しゃ」 と説とき、 ¬*阿あ弥陀みだ経きょう¼ には、 「▲皆得かいとく不ふ退転たいてん 於お阿あ耨のく多羅たら三さん藐みゃく三さん菩ぼ提だい」 と説とける​なり。 「摂取せっしゅ不ふ捨しゃ」 といふは、 弥陀みだ如来にょらいの光こう明みょうの​なか​に念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを摂おさめ取とり​て捨すて​たまは​ず​となり。 これ​すなはち​かならず浄じょう土どに生しょうず​べき​ことわり​なり。 「不ふ退転たいてんを得う」 といふは、 ながく三界さんがい六道ろくどうに​かへら​ず​して、 かならず*無む上じょう菩ぼ提だいを得うべき位くらいに定さだまる​なり。

 

浄じょう土ど真要しんよう鈔しょう 本ほん

本願寺住持存如(花押)

大谷本願寺上人之御流之聖教也

 

0971浄じょう0496土ど真要しんよう鈔しょう 末まつ

 

【4】 問とう​て​いはく、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃ、 一念いちねんの信心しんじん定さだまる​とき、 あるいは 「正定しょうじょう聚じゅに住じゅうす」 といひ、 あるいは 「不ふ退転たいてんを得う」 といふ​こと、 はなはだ​おもひがたし。 そのゆゑは、 正定しょうじょう聚じゅといふ​は、 かならず無む上じょうの仏ぶっ果かに​いたる​べき位くらいに定さだまる​なり。 不ふ退転たいてんといふ​は、 ながく生しょう死じに​かへら​ざる義ぎを​あらはす​ことば​なり。 その​ことば​ことなり​と​いへども、 その​こころ​おなじかる​べし。 これ​みな浄じょう土どに生うまれ​て得うる位くらいなり。 しかれば、 「▲即得そくとく往おう生じょう住じゅ不ふ退転たいてん」 (大経・下) といへる​も、 浄じょう土どにして得うべき益やくなり​と​みえ​たり。 いかでか穢土えどにして​たやすく​この位くらいに住じゅうす​といふ​べき​や。

 -答こたへ​て​いはく、 土どに​つき機きに​つき​て退たい・不ふ退たいを論ろんぜ​ん​とき​は、 まことに穢土えどの凡ぼん夫ぶ、 不ふ退たいに​かなふ​といふ​こと​ある​べから​ず。 浄じょう土どは不ふ退たいなり、 穢土えどは有う退たいなり。 菩ぼ薩さつの位くらいにおいて不ふ退たいを論ろんず、 凡ぼん夫ぶは​みな退たい位いなり。 しかるに*薄はく地じ底てい下げの0972凡ぼん夫ぶなれども、 弥陀みだの名みょう号ごうを​たもち​て金剛こんごうの信心しんじんを​おこせ​ば、 よこさま​に三界さんがい流る転てんの報ほうを​はなるる​ゆゑに、 その義ぎ、 不ふ退たいを得うる​に​あたれ​る​なり。 これ​すなはち菩ぼ薩さつ0497の位くらいにおいて論ろんずる​ところ​の位い行ぎょう念ねんの*三さん不ふ退たい等とうには​あらず。

-いま​いふ​ところの不ふ退たいといふ​は、 これ*心しん不ふ退たいなり。 されば善導ぜんどう和か尚しょうの ¬†往おう生じょう礼讃らいさん¼には、 「▲蒙む光触こうそく者しゃ心しん不ふ退たい」 と釈しゃくせ​り。 こころ​は、 「弥陀みだ如来にょらいの摂取せっしゅの光益こうやくに​あづかり​ぬれ​ば、 心しん不ふ退たいを得う」 となり。

-まさしく​かの ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ の文もんには、 「▲欲よく生しょう阿あ弥陀みだ仏国ぶっこく者しゃ 是ぜ諸人しょにん等とう 皆得かいとく不ふ退転たいてん 於お阿あ耨のく多羅たら三さん藐みゃく三さん菩ぼ提だい」 といへり。 「願がんを​おこし​て阿あ弥陀みだ仏ぶつの国くにに生うまれ​ん​と​おもへ​ば、 この​もろもろ​の​ひとら​みな不ふ退転たいてんを得う」 といへる、 現げん生しょうにおいて願がん生しょうの信心しんじんを​おこせ​ば、 すなはち不ふ退たいに​かなふ​といふ​こと、 その文もんはなはだ​あきらかなり。

-また​おなじき ¬経きょう¼の次上つぎかみの文もんに、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃの得うる​ところの益やくを説とく​として、 「▲是ぜ諸しょ善ぜん男なん子し 善ぜん女人にょにん 皆かい為い一切いっさい諸仏しょぶつ 共ぐ所しょ護ご念ねん 皆得かいとく不ふ退転たいてん 於お阿あ耨のく多羅たら三さん藐みゃく三さん菩ぼ提だい」 といへり。 †文もんの​こころ​は、 「この​もろもろ​の善ぜん男なん子し・善ぜん女人にょにん、 みな一切いっさい諸仏しょぶつの​ため​に​ともに護ご念ねんせ​られ​て、 みな*不ふ退転たいてんを阿あ耨のく多羅たら三さん藐みゃく三さん菩ぼ提だいに得う」 となり。

-しかれば、 阿あ弥陀みだ仏ぶつの国くにに生うまれ​ん​と​おもふ​まこと​なる信心しんじんの​おこる​とき、 弥陀みだ如にょ0973来らいは遍へん照じょうの光こう明みょうをもつて​これ​を摂おさめ取とり、 諸仏しょぶつは​こころ​を​ひとつ​にして​この信心しんじんを護ご念ねんし​たまふ​がゆゑに、 一切いっさいの悪業あくごう煩悩ぼんのうに​さへ​られ​ず、 この心しんすなはち不ふ退たいにして​かならず往おう生じょうを得うる​なり。

-これ​を 「△即得そくとく往おう生じょう住じゅ不ふ退転たいてん」 (大経・下) と説とく​なり。 「すなはち往おう生じょうを得う」 といへる​は、 やがて往おう生じょうを△得うといふ​なり。 ただし、 「即得そくとく往おう0498生じょう住じゅ不ふ退転たいてん」 といへる†は、 浄じょう土どに往おう生じょうして不ふ退たいを得うべき義ぎを遮しゃサヘせんギラントと​にはニハアラズトあイフらず。 まさしく往おう生じょうの​のち三さん不ふ退たいをも得え、 *処しょ不ふ退たいにも​かなは​ん​こと​は​しかなり。 処々しょしょの*経きょう釈しゃく、 その​こころ​なき​に​あらず、 *与よ奪だつの​こころ​ある​べき​なり。

-しかり​と​いへども、 いま 「即得そくとく往おう生じょう住じゅ不ふ退転たいてん」 といへる本ほん意いには、 証しょう得とく往おう生じょう現げん生しょう不ふ退たいの*密益みつやくを説とき​あらはす​なり。 これ​をもつて*わが流りゅうの極ごく致ちと​する​なり。

-かるがゆゑに聖しょう人にん (親鸞)、 ¬教行きょうぎょう証しょうの文類もんるい¼ の​なか​に、 処々しょしょに​この義ぎを​のべ​たまへり。 かの ¬文類もんるい¼ の第だい二 (行巻) に​いはく、 「▲憶念おくねん弥陀みだ仏ぶつ本願ほんがん 自じ然ねん即そく時じ入にゅう必ひつ定じょう 唯能ゆいのう常称じょうしょう如来にょらい号ごう 応報おうほう大だい悲ひ弘ぐ誓ぜい恩おん」 (正信偈) といへり。 こころ​は、 「弥陀みだ仏ぶつの本願ほんがんを憶念おくねんすれば、 自じ然ねんに​すなはち​の​とき必ひつ定じょうに入いる。 ただ​よく​つね​に如来にょらいの名みなを称しょうして、 大だい悲ひ弘ぐ誓ぜいの恩おんを報ほうず​べし」 となり。 「すなはち​の​とき」 といふは、 信心しんじんを​うる​とき​を​さす​なり。 「必ひつ定じょう0974に入いる」 といふは、 正定しょうじょう聚じゅに住じゅうし不ふ退たいに​かなふ​といふ​こころ​なり。 この凡ぼん夫ぶの身みながら、 かかる​めでたき益やくを得うる​こと​は、 *しかしながら弥陀みだ如来にょらいの大だい悲ひ願力がんりきの​ゆゑ​なれば、 「つね​に​その名みょう号ごうを​となへ​て​かの恩徳おんどくを報ほうず​べし」 と​すすめ​たまへり。

-また​いはく、 「▲十方じっぽう群ぐん生じょう海かい、 この行ぎょう信しんに帰き命みょうする​もの0499を摂取せっしゅして捨すて​ず。 かるがゆゑに阿あ弥陀みだ仏ぶつと名なづけ​たてまつる。 これ​を他た力りきといふ。 ◆ここをもつて龍りゅう樹じゅ大だい士じは ª即そく時じ入にゅう必ひつ定じょうº といひ、 曇鸞どんらん大だい師しは ª入にゅう正定しょうじょう之し聚じゅº といへり。 仰あおい​で​これ​を憑たのむ​べし。 もつぱら​これ​を行ぎょうず​べし」 (行巻) といへり。

-「龍りゅう樹じゅ大だい士じは即そく時じ入にゅう必ひつ定じょうといふ」 といふ​は、 ¬*十住じゅうじゅう毘婆びば沙しゃ論ろん¼ に 「▲人にん能念のうねん是ぜ仏ぶつ 無む量りょう力りき功く徳どく 即そく時じ入にゅう必ひつ定じょう 是故ぜこ我が常じょう念ねん」 といへる文もんこれ​なり。 この文もんの​こころ​は、 「ひと​よく​この仏ぶつの無む量りょう力りき功く徳どくを念ねんずれ​ば、 すなはち​の​とき必ひつ定じょうに入いる。 この​ゆゑに​われ​つね​に念ねんず」 となり。 「この仏ぶつ」 といへる​は阿あ弥陀みだ仏ぶつなり。 「われ」 といへる​は龍りゅう樹じゅ菩ぼ薩さつなり。 さき​に出いだす​ところの 「憶念おくねん弥陀みだ仏ぶつ本願ほんがん力りき」 の釈しゃくも、 これ龍りゅう樹じゅの論判ろんぱんに​より​て​のべ​たまへる​なり。

-「曇鸞どんらん大だい師しは入にゅう正定しょうじょう之し聚じゅといへり」 といふは、 ¬註ちゅう論ろん¼ (*論註) の上じょう巻かんに 「▲但たん以い信仏しんぶつ因縁いんねん 願がん生しょう浄じょう土ど 乗じょう仏ぶつ願力がんりき 便得べんとく往おう生じょう 彼ひ清しょう浄じょう土ど 仏力ぶつりき住じゅう持じ 即そく0975入にゅう大だい乗じょう正定しょうじょう之し聚じゅ」 といへる文もんこれ​なり。 文もんの​こころ​は、 「ただ仏ぶつを信しんずる因縁いんねんをもつて浄じょう土どに生うまれ​ん​と願ねがへ​ば、 仏ぶつの願力がんりきに乗じょうじ​て、 すなはち​かの清浄しょうじょうの土どに往おう生じょうする​こと​を得う。 仏力ぶつりき住じゅう持じして​すなはち大だい乗じょう正定しょうじょうの聚じゅに入いる」 となり。

-これ​も文もんの顕説けんぜつは、 浄じょう土どに生うまれ​て​のち正定しょうじょう聚じゅに住じゅうする義ぎを説とく​に似にたり​と​いへども、 そこ​には願がん生しょうの信しんを生しょうずる​とき不ふ退たいに​かなふ​こと​を​あらはす0500なり。 なに​をもつて​か​しる​と​ならば、 この ¬註ちゅう論ろん¼ (論註) の釈しゃくは、 かの ¬十住じゅうじゅう毘婆びば沙しゃ論ろん¼ の​こころ​をもつて釈しゃくする​がゆゑに、 本論ほんろんの​こころ現身げんしんの益やくなり​と​みゆる​うへは、 いま​の釈しゃくも​かれ​に​たがふ​べから​ず。 聖しょう人にん (親鸞) ふかく​この​こころ​を得えたまひ​て、 信心しんじんを​うる​とき正定しょうじょうの位くらいに住じゅうする義ぎを引ひき釈しゃくし​たまへり。 「すなはち」 といへる​は、 とき​を​うつさ​ず、 念ねんを​へだて​ざる義ぎなり。

-また​おなじき第三だいさん (信巻) に、 領りょう解げの心しん中ちゅうを​のべ​たまふ​として、 「▲愛欲あいよくの広海こうかいに沈没ちんもつし、 名みょう利りの太山たいせんに迷惑めいわくして、 定じょう聚じゅの数かずに入いる​こと​を喜よろこば​ず、 真しん証しょうの証しょうに​ちかづく​こと​を快たのしま​ず」 といへり。 これ​すなはち定じょう聚じゅの数かずに入いる​こと​をば現げん生しょうの益やくなり​と得えて、 これ​を​よろこば​ず​と、 わが​こころ​を​はぢ​しめ、 真しん証しょうの​さとり​をば生しょう後ごの果かなり​と得えて、 これ​に​ちかづく​こと​を​たのしま​ず​と、 かなしみ0976たまふ​なり。 「定じょう聚じゅ」 といへる​は​すなはち不ふ退たいの位くらい、 また必ひつ定じょうの義ぎなり。 「真しん証しょうの​さとり」 といへる​は​これ滅めつ度どなり。 また*常じょう楽らくとも​いふ、 法ほっ性しょうとも​いふ​なり。

-また​おなじき第だい四し (証巻) に、 第だい十じゅう一いちの願がんに​より​て真実しんじつの証しょうを​あらはす​に、 「▲煩悩ぼんのう成じょう就じゅの凡ぼん夫ぶ、 生しょう死じ罪ざい濁じょくの群萌ぐんもう、 往相おうそう回え向こうの心しん行ぎょうを獲うれ​ば、 すなはち​の​とき​に大だい乗じょう正定しょうじょう聚じゅの数かずに入いる。 正定しょうじょう聚じゅに住じゅうする​がゆゑに、 かならず滅めつ度どに至いたる。 ◆かならず滅めつ度どに至いたる​は​すなはち​これ常じょう楽らく0501なり。 常じょう楽らくは​すなはち​これ畢ひっ竟きょう寂じゃく滅めつなり。 寂じゃく滅めつは​すなはち​これ無む上じょう涅ね槃はんなり。 無む上じょう涅ね槃はんは​すなはち​これ無為むい法身ほっしんなり。 無為むい法身ほっしんは​すなはち​これ実相じっそうなり。 実相じっそうは​すなはち​これ†法ほっ性しょうなり。 法ほっ性しょうは​すなはち​これ真如しんにょなり。 真如しんにょは​すなはちこれ一如いちにょなり」 といへる、 すなはち​この​こころ​なり。

-聖しょう人にん (親鸞) の解げ了りょう、 *常じょう途ずの所談しょだんに​おなじから​ず。 甚深じんじんの教きょう義ぎ、 よく​これ​を​おもふ​べし。

【5】 問とう​て​いはく、 ¬観かん経ぎょう¼ の下げ輩はいの機きを​いふ​に、 みな臨りん終じゅうの一念いちねん・十じゅう念ねんに​より​て往おう生じょうを得うと​みえ​たり。 まつたく平生へいぜい往おう生じょうの義ぎを説とか​ず、 いかん。

 答こたへ​て​いはく、 ¬観かん経ぎょう¼ の下げ輩はいは、 みな​これ一いっ生しょう造悪ぞうあくの機きなる​がゆゑに、 生うまれ​て​より​このかた仏法ぶっぽうの名みょう字じを​きか​ず、 ただ悪業あくごうを造つくる​こと​を​のみ​しれ​り。 0977しかるに臨りん終じゅうの​とき​はじめて善ぜん知ぢ識しきに​あひ​て一念いちねん・十じゅう念ねんの往おう生じょうを​とぐ​といへり。 これ​すなはち罪つみふかく悪あくおもき機き、 行ぎょう業ごう*いたりて​すくなけれ​ども、 願力がんりきの不ふ思議しぎに​より​て刹せつ那なに往おう生じょうを​とぐ。 これ*あながちに臨りん終じゅうを賞しょうせん​と​には​あら​ず、 法ほうの不ふ思議しぎを​あらはす​なり。 もし​それ平生へいぜいに仏法ぶっぽうに​あは​ば、 平生へいぜいの念仏ねんぶつ、 その​ちから​むなしから​ず​して往おう生じょうを​とぐ​べき​なり。

【6】 問とうていはく、 十じゅう八はちの願がんについて、 因いん位にの願がんには 「△十じゅう念ねん」 と願がんじ、 願がん成じょう就じゅの文もんには0502 「△一念いちねん」 と説とけ​り。 二に文もんの相そう違いいかん†が​こころう​べき​や。

 答こたへ​て​いはく、 因いん†位にの願がんの​なか​に 「十じゅう念ねん」 といへる​は、 まづ三福さんぷく等とうの諸善しょぜんに対たいし​て十じゅう念ねんの往おう生じょうを説とけ​り。 これ易い行ぎょうを​あらはす​ことば​なり。 しかるに成じょう就じゅの文もんに 「一念いちねん」 といへる​は、 易い行ぎょうの​なか​に​なほ易い行ぎょうを​えらびとる​こころ​なり。

-そのゆゑは ¬観かん経ぎょう義ぎ¼ の第だい二に (*序分義) に、 十じゅう三さん定じょう善ぜんの​ほか​に三福さんぷくの諸善しょぜんを説とく​こと​を釈しゃくす​として、 「▲若にゃく依え定行じょうぎょう 即摂そくせつ生しょう不ふ尽じん 是以ぜい如来にょらい方便ほうべん 顕開けんかい三福さんぷく 以い応おう散動さんどう根こん機き」 といへり。 文もんの​こころ​は、 「もし定行じょうぎょうに​よれ​ば、 すなはち*生しょうを摂せっする​に尽つき​ず。 ここをもつて如来にょらい、 方便ほうべんして三福さんぷくを顕けんアラハシ開かいヒラしキテて散動さんどうの根こん機きに応おうず」 となり。 いふこころは、 「¬観かん経ぎょう¼ の​なか​に定じょう善ぜんばかり​を説とか​ば0978、 定じょう機きばかり​を摂せっす​べき​ゆゑに、 散さん機きの往おう生じょうを​すすめ​んがために散善さんぜんを説とく」 となり。

-これ​に*なずらへ​て​こころうる​に、 散さん機きの​なか​に二に種しゅの品しなあり。 ひとつ​には善人ぜんにん、 ふたつ​には悪人あくにんなり。 その善人ぜんにんは三福さんぷくを行ぎょうず​べし。 悪人あくにんは​これ​を行ぎょうず​べから​ざる​がゆゑに、 それ​が​ため​に十じゅう念ねんの往おう生じょうを説とく​と​こころえ​られ​たり。 しかるに​この悪人あくにんの​なか​に​また長命じょうみょう・短たん命みょうの二に類るいある​べし。 長命じょうみょうの​ため​には十じゅう念ねんを​あたふ。 至し極ごく短たん命みょうの機きの​ため​には一念いちねんの*利り生しょうを成じょう就じゅす​となり。 これ他た力りきの​なか​の他た力りき、 易い行ぎょうの​なか​の易い行ぎょうを​あらはす​なり。 一いち0503念ねんの信心しんじん定さだまる​とき往おう生じょうを証しょう得とくせん​こと、 これ​その証しょうなり。

【7】 問とう​て​いはく、 因願いんがんには 「十じゅう念ねん」 と説とき、 成じょう就じゅの文もんには 「一念いちねん」 と説とく​と​いへども、 処々しょしょの解げ釈しゃくおほく十じゅう念ねんをもつて本ほんと​す。 いはゆる ¬*法ほう事じ讃さん¼ (下) には 「▲上じょう尽じん一いち形ぎょう至し十じゅう念ねん」 といひ、 ¬*礼讃らいさん¼ には 「▲称しょう我が名みょう号ごう下至げし十じっ声しょう」 といへる釈しゃく等とうこれ​なり。 したがひて、 世よの常つねの念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃを​みる​に、 みな十じゅう念ねんをもつて行ぎょう要ようと​せ​り。 しかるに一念いちねんをもつて​なほ 「易い行ぎょうの​なか​の易い行ぎょうなり」 といふ​こと*おぼつかなし、 いかん。

 答こたへ​て​いはく、 処々しょしょの解げ釈しゃく、 「十じゅう念ねん」 と釈しゃくする​こと、 あるいは因願いんがんの​なか​に 「十じゅう0979念ねん」 と説とき​たれば、 その文もんに​よる​と​こころえ​ぬれ​ば相そう違いなし。 世よの常つねの行ぎょう者じゃの​もちゐる​ところ、 また​この義ぎなる​べし。 「一念いちねん」 といへる​も​また経きょう釈しゃくの明文めいもんなり。

-いはゆる経きょうには ¬大だい経きょう¼ (下) の成じょう就じゅの文もん、 おなじき下げ輩はいの文もん、 おなじき流る通ずうの文もん等とうこれ​なり。 成じょう就じゅの文もんは△さき​に出いだす​が​ごとし。 下げ輩はいの文もんといふは、 「▲乃ない至し一念いちねん念ねん於お彼ひ仏ぶつ」 といへる文もんこれ​なり。 流る通ずうの文もんといふは、 「▲其有ごう得聞とくもん 彼ひ仏ぶつ名みょう号ごう 歓かん喜ぎ踊ゆ躍やく 乃ない至し一念いちねん 当とう知ち此し人にん 為い得とく大だい利り 即そく是ぜ具ぐ足そく 無む上じょう功く徳どく」 といへる文もんこれ​なり。 この文もんの​こころ​は、 「それ​かの仏ぶつの名みょう号ごうを​きく​こと​を得えて、 歓かん喜ぎ踊ゆ躍やくして乃ない至し一念いちねんする​こと​あら​ん。 まさに知しる​べし、 この​ひと​は*大だい利りを得うと​す。 すなはち0504これ無む上じょうの功く徳どくを具ぐ足そくする​なり」 となり。

-釈しゃくには、 ¬礼讃らいさん¼ の​なか​に、 あるいは 「▲弥陀みだ本ほん弘ぐ誓ぜい願がん 及ぎゅう称名しょうみょう号ごう 下至げし十じっ声しょう一いっ声しょう等とう 定じょう得とく往おう生じょう 乃ない至し一念いちねん 無有むう疑ぎ心しん」 といひ、 あるいは 「▲歓かん喜ぎ至し一念いちねん皆当かいとう得とく生しょう彼ひ」 といへる釈しゃく等とうこれ​なり。 おほよそ 「乃ない至し」 の​ことば​を​おけ​る​ゆゑに、 十じゅう念ねんといへる​も十じゅう念ねんに​かぎる​べから​ず、 一念いちねんといへる​も一念いちねんに​とどまる​べから​ず。 一念いちねんの​つもれ​る​は十じゅう念ねん、 十じゅう念ねんの​つもれ​る​は一いち形ぎょう、 一いち形ぎょうを​つづむれ​ば十じゅう念ねん、 十じゅう念ねんを​つづむれ​ば一念いちねんなれば、 ただ​これ修しゅ行ぎょうの長ちょう短たんなり。 かならずしも0980十じゅう念ねんに​かぎる​べから​ず。

-しかれば ¬選せん択じゃく集しゅう¼ に諸しょ師しと善導ぜんどう和か尚しょうと、 第だい十じゅう八はちの願がんにおいて名なを​たて​たる​こと​の​かはり​たる様ようを釈しゃくする​とき、 この​こころ​あきらかなり。 その​ことば​に​いはく、 「▲諸しょ師しの別べっして十じゅう念ねん往おう生じょうの願がんといへる​は、 その​こころ​すなはち​あまねから​ず。 しかる​ゆゑ​は、 上かみ一いち形ぎょうを捨すて下しも一念いちねんを捨すつる​がゆゑなり。 善導ぜんどうの総そうじて念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がんといへる†は、 その​こころ​すなはち​あまねし。 しかる​ゆゑ​は、 上かみ一いち形ぎょうを取とり下しも一念いちねんを取とる​がゆゑなり」 となり。

-しかのみならず、 ¬教行きょうぎょう証しょう文類もんるい¼ の第だい二に (行巻) に ¬安楽あんらく集しゅう¼ (上) を引ひき​て​いはく、 「▲十じゅう念ねん相続そうぞくといふは、 これ聖しょう者じゃの​ひとつ​の数かず†の名なならく​のみ。 すなはち​よく念ねんを積つみ、 思おもいを凝こらし​て他事たじを縁えんぜ​ざれ​ば、 業道ごうどう成じょう弁べんせ​しめ​て​すなはち罷やみ0505ぬ。 また*いたはしく​これ​を頭ず数しゅを記しるさ​じ」 といへり。 「十じゅう念ねん」 といへる​は、 臨りん終じゅうに仏法ぶっぽうに​あへ​る機きについて​いへ​る​ことば​なり。

-されば経きょう文もんのあらはなる​について、 ひと​おほく​これ​を​もちゐる。 これ​すなはち臨りん終じゅうを​さき​と​する​ゆゑ​と​みえ​たり。 平生へいぜいに法ほうを​ききて*畢ひつ命みょうを期ごと​せん​ひと、 あながちに十じゅう念ねんを​こと​と​す​べから​ず。 されば​とて十じゅう念ねんを非ひする​には​あらず。 ただ​おほく​も​すくなく​も、 ちから​の堪たへ​ん​に​したがひ​て行ぎょうず​べし。 かならずしも数かずを定さだむ​べき​に0981あらず​となり。

-いはんや聖しょう人にん (親鸞) の釈しゃく義ぎの​ごとく​は、 一念いちねんといへる​について、 行ぎょうの一念いちねんと信しんの一念いちねんと​を​わけ​られ​たり。 いはゆる行ぎょうの一念いちねんをば真実しんじつ行ぎょうの​なか​に​あらはし​て、 「▲行ぎょうの一念いちねんといふ​は、 いはく、 称名しょうみょうの遍数へんじゅについて選せん択じゃく易い行ぎょうの至し極ごくを顕開けんかいす」 (行巻) といひ、 信しんの一念いちねんをば真実しんじつ信しんの​なか​に​あらはし​て、 「▲信しん楽ぎょうに一念いちねんあり。 一念いちねんといふ​は​これ信しん楽ぎょう開発かいほつの時じ剋こくの極促ごくそくを顕あらわし、 広大こうだい難なん思じの慶きょう心しんを彰あらわす」 (信巻) といへり。

-上かみに​いふ​ところの十じゅう念ねん・一念いちねんは、 みな行ぎょうについて論ろんずる​ところ​なり。 信心しんじんについて​いは​ん​とき​は、 ただ一念いちねん開発かいほつの信心しんじんを​はじめ​として、 一念いちねんの疑ぎ心しんを​まじへ​ず、 念々ねんねん相続そうぞくして​かの願力がんりきの道どうに乗じょうずる​がゆゑに、 名みょう号ごうをもつて​まつたく​わが行ぎょう体たいと定さだむ​べから​ざれ​ば、 十じゅう念ねんとも一念いちねんとも​いふ​べから​ず、 ただ他た力りきの不ふ思議しぎを仰あおぎ、 *法ほう0506爾に往おう生じょうの道どう理りに​まかす​べき​なり。

【8】 問とう​て​いはく、 来迎らいこうは念仏ねんぶつの益やくなる​べき​こと、 経きょう釈しゃくともに*歴然れきぜんアキラカナリなり。 したがひて、 諸しょ流りゅうみな​この義ぎを存そんせ​り。 しかるに来迎らいこうをもつて諸しょ行ぎょうの益やくと​せん​こと、 すこぶる浄じょう土ど宗しゅうの本ほん意いに​あらざる​をや。

 答こたへ​て​いはく、 あに​さき​に​いは​ず​や、 この義ぎは​これ​わが一いち流りゅうの所談しょだんなり​と​は。 他た流りゅうの義ぎをもつて*当とう流りゅうの義ぎを難なんず​べから​ず。 それ経きょう釈しゃくの文もんにおいて​は自じ他た0982ともに依え用ようす。 ただ料りょう簡けんの​まちまちなる​なり。 まづ来迎らいこうを説とく​こと​は、 第だい十じゅう九くの願がんに​あり。 かの願文がんもんを*あきらめ​て​こころう​べし。

-その願がんに​いはく、 「▲設せつ我が得仏とくぶつ 十方じっぽう衆しゅ生じょう 発ほつ菩ぼ提だい心しん ▽修しゅ諸しょ功く徳どく 至し心しん発願ほつがん 欲よく生しょう我が国こく 臨りん寿じゅ終じゅ時じ ▽仮け令りょう不与ふよ 大衆だいしゅ囲い繞にょう 現げん其ご人前にんぜん者しゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 (大経・上) といへり。 この願がんの​こころ​は、 「たとひ​われ仏ぶつを得えたら​ん​に、 十方じっぽうの衆しゅ生じょう、 菩ぼ提だい心しんを発おこし、 もろもろ​の功く徳どくを修しゅして、 心しんを至いたし願がんを発おこして​わが国くにに生うまれ​ん​と欲おもは​ん。 寿いのち終おわる​とき​に臨のぞみ​て、 たとひ大衆だいしゅと囲いカコミ繞にょうメグリテして​その人ひとの前まえに現げんぜ​ずは、 正しょう覚がくを取とら​じ」 となり。 「修諸しゅしょ功く徳どく」モロモロノクドクヲシといふユシテトイフは諸しょ行ぎょうなり。 「現げん其ご人前にんぜん」ソノヒトノマヘニゲンゼントイフといふは来迎らいこうなり。 諸しょ行ぎょうの修因しゅいんに​こたへ​て来迎らいこうに​あづかる​べし​といふ​こと、 その義ぎあきらかなり。

-されば得とく生しょうは十じゅう八はちの願がん0507の益やく、 来迎らいこうは十じゅう九くの願がんの益やくなり。 この両りょう願がんの​こころ​を得えなば、 経きょう文もんにも解げ釈しゃくにも来迎らいこうを​あかせ​る​は、 みな十じゅう九くの願がんの益やくなり​と​こころう​べき​なり。 ただし念仏ねんぶつの益やくに来迎らいこうある​べき​やう​に​みえ​たる文もん証しょう、 ひとすぢに​これ​なき​には​あらず。 しかれども、 聖教しょうぎょうにおいて、 方便ほうべんの説せつあり真実しんじつの説せつあり、 *一往いちおうの義ぎあり*再往さいおうの義ぎあり。 念仏ねんぶつにおいて来迎らいこうある​べし​と​みえ​たる​は、 みな*浅せん機きアサキキを引いんせ​んがため​の一往いちおう方便ほうべんの説せつなり。 深じん理りをフカキコトハリあらはす​とき​の再往さいおう真実しんじつの0983義ぎに​あらず​と​こころう​べし。 当とう流りゅうの料りょう簡けんかくのごとし。

-善導ぜんどう和か尚しょうの解げ釈しゃくに​いはく、 「▲道どう†里り雖すい遥よう去時こじ一念いちねん即到そくとう」 (序分義) といへり。 こころ​は、 「浄じょう土どと穢土えどと、 その​さかひ​はるかなる​に似にたり​と​いへども、 まさしく去さる​とき​は、 一念いちねんに​すなはち到いたる」 といふ​こころ​なり。 往おう生じょうの時じ分ぶん一念いちねんなれば、 その​あひだ​には​さらに来迎らいこうの儀ぎ式しきも​ある​べから​ず。 まどひ​を​ひるがへし​て​さとり​を​ひらか​ん​こと、 ただ*たなごころ​を​かへす​へだて​なる​べし。 かくのごとき​の義ぎ、 もろもろ​の有智うちの​ひと、 その​こころ​を得えつ​べし。

【9】 問とう​て​いはく、 経きょう文もんについて、 十じゅう八はち・十じゅう九くの両りょう願がんをもつて得とく生しょうと来迎らいこうと​に​わかち​あつる義ぎ、 一いち流りゅうの所談しょだんほぼ​きこえ​をはり​ぬ。 ただし解げ釈しゃくについて​なほ不ふ審しんあり。 諸しょ師しの釈しゃくは​しばらく​これ​を​さしおく。 まづ善導ぜんどう一いっ師しの釈しゃくにおいて処々しょしょに来迎らいこうを釈しゃくせ​られ0508たり。 これ​みな念仏ねんぶつの益やくなり​と​みえ​たり。 いかが​こころう​べき​や。

 答こたへ​て​いはく、 和か尚しょう (善導) の解げ釈しゃくに来迎らいこうを釈しゃくする​こと​は​しかなり。 ただし一往いちおうは念仏ねんぶつの益やくに似にたれ​ども、 これ​みな方便ほうべんなり。 実じつには諸しょ行ぎょうの益やくなる​べし。 そのゆゑは、 さき​に​のぶる​が​ごとく念仏ねんぶつ往おう生じょうの​みち​を説とく​こと​は第だい十じゅう八はちの願がんなり0984。 しかるに和か尚しょう (善導)、 処々しょしょに十じゅう八はちの願がんを引ひき釈しゃくせ​らるる​に、 まつたく来迎らいこうの義ぎを釈しゃくせ​られ​ず。 十じゅう九くの願がんに説とく​ところの来迎らいこう、 もし十じゅう八はちの願がんの念仏ねんぶつの益やくなる​べき​ならば、 *もつとも十じゅう八はちの願がんを引ひく​ところ​に来迎らいこうを釈しゃくせ​らる​べし。 しかるに​その文もんなし。 あきらかに​しり​ぬ、 来迎らいこうは念仏ねんぶつの益やくに​あらず​といふ​こと​を。 よくよく​これ​を​おもふ​べし。

【10】問とう​て​いはく、 第だい十じゅう八はちの願がんを引ひき釈しゃくせ​らるる処々しょしょの解げ釈しゃくといふは、 いづれ​ぞや。

 答こたへ​て​いはく、 まづ ¬観かん経ぎょう義ぎ¼ の 「玄げん義ぎ分ぶん」 に二に処しょあり。 いはゆる序題じょだい門もん・二に乗じょう門もんの釈しゃくこれ​なり。

まづ序題じょだい門もんの釈しゃくには、 「▲言ごん弘ぐ願がん者しゃ 如にょ大だい経きょう説せつ 一切いっさい善悪ぜんあく 凡ぼん夫ぶ得とく生しょう者しゃ 莫まく不ふ皆かい乗じょう 阿あ弥陀みだ仏ぶつ 大願だいがん業力ごうりき 為い増ぞう上じょう縁えん†也や」 といへり。 こころ​は、 「弘ぐ願がんといふは ¬大だい経きょう¼ に説とく​が​ごとし。 一切いっさい善悪ぜんあくの凡ぼん夫ぶ、 生うまるる​こと​を得うる​もの​は、 みな阿あ弥陀みだ仏ぶつの大願だいがん業力ごうりきに乗じょうじ​て増ぞう上じょう縁えんと​せず​といふ​こと​なし」 となり。 これ十じゅう八はちの願がんの​こころ​なり。

-つぎに二に乗じょう門もんの釈しゃくには、 「▲若にゃく我が得仏とくぶつ 十方じっぽう衆しゅ生じょう 称しょう我が名みょう0509号ごう 願がん生しょう我が国こく 下至げし十じゅう念ねん 若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 といへり。

-また ¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ には、 「▲若にゃく我が成じょう0985仏ぶつ 十方じっぽう衆しゅ生じょう 称しょう我が名みょう号ごう 下至げし十じっ声しょう 若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 といひ、 ¬*観念かんねん法門ぼうもん¼ には 「▲若にゃく我が成じょう仏ぶつ 十方じっぽう衆しゅ生じょう 願がん生しょう我が国こく 称しょう我が名みょう字じ 下至げし十じっ声しょう 乗じょう我が願力がんりき 若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 といへり。

-これら​の文もん、 その​ことば​すこしき加か減げんあり​と​いへども、 その​こころ​おほきに​おなじ。 文もんの​こころ​は、 「もし​われ成じょう仏ぶつせん​に、 十方じっぽうの衆しゅ生じょう、 わが国くにに生しょうぜ​ん​と願がんじ​て、 わが名みょう字じを称しょうする​こと、 下しも十じっ声しょうに至いたら​ん、 わが願力がんりきに乗じょうじ​て、 もし生うまれ​ずは、 正しょう覚がくを取とら​じ」 となり。 あるいは 「称しょう我が名みょう号ごう」ワガミヤウガウヲトナヘンといひ、 あるいは 「乗じょう我がワガグワン願力がんりき」リキニジヨウとジテいへる、 これら​の​ことば​は本ほん経ぎょう (大経) に​なけれ​ども、 義ぎとして​ある​べき​がゆゑに、 和か尚しょう (善導) この句くを​くはへ​られ​たり。

-しかれば、 来迎らいこうの益やくも、 もし​まことに念仏ねんぶつの益やくにして​この願がんの​なか​に​ある​べき​ならば、 もつとも​これら​の引文いんもんの​なか​に​これ​を​のせ​らる​べし。 しかるに​その文もんなき​がゆゑに、 来迎らいこうは念仏ねんぶつの益やくに​あらず​と​しら​るる​なり。 処々しょしょの解げ釈しゃくにおいて​は、 来迎らいこうを釈しゃくす​といふとも、 十じゅう八はちの願がんの益やくと釈しゃくせ​られ​ずは、 その義ぎ相そう違いある​べから​ず。

【11】問とう​て​いはく、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃは十じゅう八はちの願がんに帰きし​て往おう生じょうを得え、 諸しょ行ぎょうの行ぎょう人にんは十じゅう九くの願がんを0510たのみ​て来迎らいこうに​あづかる​といひ​て、 *各別かくべつに​こころうる​こと​しかる0986べから​ず。 そのゆゑは、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃの往おう生じょうを得う†る​といふは、 往おう生じょうより​さき​には来迎らいこうに​あづかる​べし。 諸しょ行ぎょうの行ぎょう人にんの来迎らいこうに​あづかる​といふは、 来迎らいこうの​のち​には往おう生じょうを得うべし。 なんぞ各別かくべつに​こころう​べき​や。

 答こたへ​て​いはく、 親鸞しんらん聖しょう人にんの御ぎょ意いを​うかがふ​に、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃの往おう生じょうを得うる​といふは、 化け仏ぶつの来迎らいこうに​あづから​ず。 もし​あづかる​といふは、 報仏ほうぶつの来迎らいこうなり。 これ摂取せっしゅ不ふ捨しゃの益やくなり。 諸しょ行ぎょうの行ぎょう人にんの来迎らいこうに​あづかる​といふは、 真実しんじつの往おう生じょうを​とげ​ず。 もし​とぐる​といふ​も、 これ胎たい生しょう辺へん地じの往おう生じょうなり。 念仏ねんぶつと諸しょ行ぎょうと​ひとつ​に​あらざれ​ば、 往おう生じょうと来迎らいこうと​また​おなじかる​べから​ず。 しかれば、 他た力りき真実しんじつの行ぎょう人にんは、 第だい十じゅう八はちの願がんの信心しんじんを​え​て、 第だい十じゅう一いちの必ひっ至し滅めつ度どの願がんの果カを得うる​なり。 これ​を念仏ねんぶつ往おう生じょうといふ。 これ真実しんじつ報ほう土どの往おう生じょうなり。 この往おう生じょうは一念いちねん帰き命みょうの​とき、 さだまり​て​かならず滅めつ度どに至いたる​べき位くらいを得うる​なり。

この​ゆゑに聖しょう人にん (親鸞) の ¬*浄じょう土ど文類もんるい聚じゅ鈔しょう¼ に​いはく、 「▲必ひっ至し無む上じょう浄じょう信しん暁ぎょう 三さん有ぬ生しょう死じ之し雲うん晴じょう 清浄しょうじょう無礙むげ光耀こうよう朗ろう 一如いちにょ法界ほうかい真身しんしん顕けん」 といへり。 †この文もんの​こころ​は、 「かならず無む上じょう浄じょう信しんの暁あかつきに至いたれ​ば、 三さん有ぬ生しょう死じの雲くも晴はる。 清浄しょうじょう無礙むげの光耀こうよう朗ほがらかに​して、 一如いちにょ法界ほうかいの真身しんしん顕あらわ0511る」 となり。

-「三さん有ぬ生しょう死じの雲くも晴はる」 といふは、 三界さんがい流る転てん0987の業用ごうゆうよこさま​に​たえ​ぬ​となり。

-「一如いちにょ法界ほうかいの真身しんしん顕あらわる」 といふは、 *寂じゃく滅めつ無為むいの一いち理りを*ひそかに証しょうす​となり。 しかれども煩悩ぼんのうに​おほは​れ*業縛ごうばくに​さへ​られ​て、 いまだ​その理りを​あらはさ​ず。

-しかるに​この一いっ†身しんを​すつる​とき、 この​ことわり†の​あらはるる​ところ​を​さして、 和か尚しょう (善導) は、 「▲この穢え身しんを捨すて​て​かの法ほっ性しょうの常じょう楽らくを証しょうす」 (玄義分) と釈しゃくし​たまへ​る​なり。 されば往おう生じょうといへる​も、 生しょう即そくシヤウスナ無む生しょうハチムシヤウナリの​ゆゑに、 実じつには不ふ生しょう不ふ滅めつシヤウゼズメチセズの義ぎなり。 これ​すなはち弥陀みだ如来にょらい清浄しょうじょう本願ほんがんの無む生しょうの生しょうなる​がゆゑに、 法ほっ性しょう清浄しょうじょう畢ひっ竟きょう無む生しょうなり。

-されば​とて、 この無む生しょうの道どう理りを​ここ​にして、 あながちに​さとら​ん​と​はげめ​と​には​あらず。 無智むちの凡ぼん夫ぶは法ほっ性しょう無む生しょうの​ことわり​を​しら​ず​と​いへども、 ただ仏ぶつの名みょう号ごうを​たもち往おう生じょうを​ねがひ​て浄じょう土どに生うまれ​ぬれ​ば、 かの土どは​これ無む生しょうの​さかひ​なる​がゆゑに、 見けん生しょうの​まどひ、 自じ然ねんに滅めっし​て無む生しょうの​さとり​に​かなふ​なり。

-この義ぎくはしく​は▲曇鸞どんらん和か尚しょうの ¬註ちゅう論ろん¼ (論註) に​みえ​たり。 しかれば、 ひとたび安あん養にょうに​いたり​ぬれ​ば、 ながく*生しょうシヤウズル滅めつメチスル去こサルト来らい等とうキタルトの​まどひ​を​はなる。 その​まどひ​を​ひるがへし​て​さとり​を​ひらか​ん一念いちねんの*きざみ​には、 実じつには来迎らいこうも​ある​べから​ず​となり。 来迎らいこうある​べし​といへる​は方便ほうべんの説せつなり。

-この​ゆゑに高こう祖そ善導ぜんどう和か尚しょうの解げ釈しゃくにも、 「弥陀みだ如にょ0512来らい0988は娑しゃ婆ばに来きたり​たまふ」 と​みえ​たる​ところ​も​あり、 また 「浄じょう土どを​うごき​たまは​ず」 と​みえ​たる釈しゃくも​あり。 しかれども当とう流りゅうの​こころ​にて​は、 「来きたる」 といへる​は​みな方便ほうべんなり​と​こころう​べし。

-¬法ほう事じ讃さん¼ (下) に​いはく、 「▲一いち坐ざ無移むい亦やく不ふ動どう 徹てつ窮く後ご際さい放ほう身光しんこう 霊れい儀ぎ相好そうごう真しん金色こんじき 巍々ぎぎ独どく坐ざ度ど衆しゅ生じょう」 といへり。 †文もんの​こころ​は、 「ひとたび坐ざして移うつる​こと​なく、 また動うごき​たまは​ず。 後ご際さいを徹てつ窮ぐして身光しんこうを放はなつ。 霊れい儀ぎの相好そうごう真しん金色こんじきなり。 巍々ぎぎとして独ひとり坐ざして衆しゅ生じょうを度どし​たまふ」 となり。

-この文もんの​ごとく​ならば、 ひとたび正しょう覚がくを成なり​たまひ​し​より​このかた、 まこと​の報身ほうじんは動うごき​たまふ​こと​なし。 ただ浄じょう土どに坐ざし​て​ひかり​を十方じっぽうに放はなち​て摂取せっしゅの益やくを​おこし​たまふ​と​みえ​たり。 おほよそ​しりぞい​て他た宗しゅうの​こころ​を​うかがふ​にも、 まことに来きたる​と執しゅうする​ならば、 大だい乗じょう甚深じんじんの義ぎには​かなひがたき​をや。

-されば真言しんごんの祖師そし*善ぜん無畏むい三蔵さんぞうの解げ釈しゃくにも、 「弥陀みだの真身しんしんの相そうを釈しゃくす」 として、 「*理智りち不二ふに 名みょう弥陀みだ身しん 不ふ従じゅう他た方ほう 来迎らいこう引いん接じょう」 といへり。 こころ​は 「法身ほっしんの*理り性しょうと報身ほうじんの*智ち品ぼんと、 この​ふたつ​きはまり​て​ひとつ​なる​ところ​を弥陀みだ仏ぶつと名なづく。 他た方ほうより来迎らいこう引いん接じょうせず」 となり。 真実しんじつ報身ほうじんの体たいは来迎らいこうの義ぎなし​と​みえ​たり。

-自じ力りき不ふ真実しんじつの行ぎょう人にんは、 第だい十じゅう九くの願がんに誓ちかひ​まします​ところの0989 「△修しゅ諸しょ功く徳どく 乃ない至し 現げん其ご人前にんぜん」 (大経・上) の文もんを​たのみ​て、 0513のぞみ​を極楽ごくらくに*かく。 しかれども​もとより諸善しょぜんは本願ほんがんに​あらず、 浄じょう土どの生しょう因いんに​あらざる​がゆゑに、 報ほう土どの往おう生じょうを​とげ​ず。 もし​とぐる​も、 これ胎たい生しょう辺へん地じの往おう生じょうなり。 この機きのために​は臨りん終じゅうを期ごし来迎らいこうを​たのむ​べし​と​みえ​たり。 これ​みな方便ほうべんなり。

-されば願文がんもんの 「△仮け令りょう」 の句くは、 *現げん其ご人前にんぜんも*一いち定じょうの益やくに​あらざる​こと​を説とき​あらはす​ことば​なり。 この機きは聖しょう衆じゅの来迎らいこうに​あづから​ず。 臨りん終じゅう正しょう念ねんならず​しては辺へん地じ胎たい生しょうの往おう生じょうも​なほ不ふ定じょうなる​べし。 しかれば、 本願ほんがんに​あらざる不ふ定じょうの辺へん地じの往おう生じょうを執しゅうせ​ん​より​は、 仏ぶつの本願ほんがんに順じゅんじ​て臨りん終じゅうを期ごせ​ず来迎らいこうを​たのま​ず​とも、 一念いちねんの信心しんじん定さだまれ​ば平生へいぜいに決けつ定じょう往おう生じょうの業ごうを成じょう就じゅする念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がんに帰きし​て、 如来にょらいの他た力りきを​たのみ、 かならず真実しんじつ報ほう土どの往おう生じょうを​とぐ​べき​なり。

【12】問とう​て​いはく、 諸しょ行ぎょうの往おう生じょうをもつて辺へん地じの往おう生じょうといふ​こと、 いづれの文もん証しょうに​より​て​こころう​べき​ぞや。

 答こたへ​て​いはく、 ¬大だい経きょう¼ (下) の​なか​に胎たい生しょう・化け生しょうの二に種しゅの往おう生じょうを説とく​とき、 「▲あきらかに仏ぶっ智ちを信しんずる​もの​は化け生しょうし、 ▲仏ぶっ智ちを疑ぎ惑わくして善本ぜんぽんを修しゅ習じゅうする​もの​は胎たい生しょうする」 義ぎを説とけ​り。 しかれば、 「あきらかに仏ぶっ智ちを信しんずる​もの」 といふ0990は第だい十じゅう八はちの願がんの機き、 これ至し心しん信しん楽ぎょうの行ぎょう者じゃなり。 その 「化け生しょう」 といふは​すなはち報ほう土どの往おう生じょう0514なり。

-つぎ​に 「仏ぶっ智ちを疑ぎ惑わくして善本ぜんぽんを修しゅ習じゅうする​もの」 といふは、 第だい十じゅう九くの願がんの機き、 修しゅ諸しょ功く徳どくの行ぎょう人にんなり。 その 「胎たい生しょう」 といへる​は​すなはち辺へん地じなり。 この文もんに​より​て​こころうる​に、 諸しょ行ぎょうの往おう生じょうは胎たい生しょうなる​べし​と​みえ​たり。

されば十じゅう八はちの願がんに帰きして念仏ねんぶつを行ぎょうじ仏ぶっ智ちを信しんずる​もの​は、 得とく生しょうの益やくに​あづかり​て報ほう土どに化け生しょうし、 十じゅう九くの願がんを​たのみ​て諸しょ行ぎょうを修しゅする​ひと​は、 来迎らいこうの益やくを得えて化土けどに胎たい生しょうす​べし。 「化土けど」 といふは​すなはち辺へん地じなり。

【13】問とう​て​いはく、 いかなる​を​か 「胎たい生しょう」 といひ、 いかなる​を​か 「化け生しょう」 と​なづくる​や。

 答こたへ​て​いはく、 おなじき ¬経きょう¼ (大経・下) に、 まづ胎たい生しょうの相そうを説とく​として​は、 「▲生しょう彼ひ宮く殿でん 寿じゅ五ご百ひゃく歳さい 常じょう不ふ見けん仏ぶつ 不ふ聞もん経きょう法ぼう 不ふ見けん菩ぼ薩さつ 声しょう聞もん聖しょう衆じゅ ◆是故ぜこ於お彼ひ国こく土ど 謂い之し胎たい生しょう」 といへり。 †文もんの​こころ​は、 「かの極楽ごくらくの宮く殿でんに生うまれ​て寿いのち五ご百ひゃく歳さいの​あひだ、 つね​に仏ぶつを見みたてまつら​ず、 経きょう法ぼうを聞きか​ず、 菩ぼ薩さつ・声しょう聞もん聖しょう衆じゅを見みず。 この​ゆゑに、 かの国こく土どにおいて​これ​を胎たい生しょうといふ」 †となり。 これ疑ぎ惑わくの​もの​の生しょうずる​ところ​なり。

-つぎ​に化け生しょうの相そうを説とく​として​は、 「▲於お七宝しっぽう華け中ちゅう 自じ然ねん0991化け生しょう 跏趺かふ而坐にざ 須しゅ臾ゆ之し頃きょう 身相しんそう光こう明みょう 智慧ちえ功く徳どく 如にょ諸しょ菩ぼ薩さつ 具ぐ足そく成じょう就じゅ」 といへり。 †文もんの​こころ​は、 「七宝しっぽうの華はなの​なか​において自じ然ねんに化け生しょうし、 跏趺かふして​しかも坐ざす。 須しゅ臾ゆの​あひだ​†に0515身相しんそう・光こう明みょう・智慧ちえ・功く徳どく、 もろもろ​の菩ぼ薩さつの​ごとくに†して具ぐ足そくし成じょう就じゅす」 となり。 これ仏ぶっ智ちを信しんずる​もの​の生しょうずる​ところ​なり。

【14】問とう​て​いはく、 なに​に​より​て​か​いま​いふ​ところの胎たい生しょうをもつて​すなはち辺へん地じと​こころう​べき​や。

 答こたへ​て​いはく、 「胎たい生しょう」 といひ 「辺へん地じ」 といへる、 その​ことば​ことなれども別べつに​あらず。 ¬略りゃく論ろん¼ (*略論安楽浄土義) の​なか​に、 いま引ひく​ところの ¬大だい経きょう¼ の文もんを出いだし​て、 これ​を結けっする​に 「▲謂い之し辺へん地じ亦曰やくわつ胎たい生しょう」 といへり。 「かくのごとく宮く殿でんの​なか​に処しょする​をもつて、 これ​を辺へん地じとも​いひ、 また​は胎たい生しょうとも​なづく」 となり。

-また​おなじき釈しゃくの​なか​に 「▲辺へん言ごん其ご難なん胎たい言ごん其ご闇あん」 といへり。 こころ​は、 「辺へんは​その難なんを​いひ、 胎たいは​その闇あんを​いふ」 となり。 これ​すなはち報ほう土どの​うち​に​あらず​して、 その*かたはら​なる義ぎをもつて​は辺へん地じといふ。 これ​その難なんを​あらはす​ことば​なり。 また仏ぶつを​み​たてまつら​ず法ほうを​きか​ざる義ぎについて​は胎たい生しょうといふ。 これ​その​くらき​こと​を​いへ​る名ななり​といふ​なり。

-されば辺へん地じに生うまるる​もの0992は、 五ご百ひゃく歳さいの​あひだ、 仏ぶつをも​み​たてまつら​ず、 法ほうをも​きか​ず、 諸仏しょぶつにも*歴りゃく事じ†供く養ようせず。 報ほう土どに生うまるる​もの​は、 一念いちねん須しゅ臾ゆの​あひだ​に​もろもろ​の功く徳どくを​そなへ​て如来にょらいの相好そうごうを​み​たてまつり、 甚深じんじんの法門ほうもんを​きき、 一切いっさいの0516諸仏しょぶつに歴りゃく事じ供く養ようして、 こころ​の​ごとく自じ在ざいを得うる​なり。 諸しょ行ぎょうと念仏ねんぶつと、 その因いんおなじから​ざれ​ば、 胎たい生しょうと化け生しょうと勝しょう劣れつはるかに​ことなる​べし。

-しかれば​すなはち、 その行ぎょう因いんを​いへ​ば、 諸しょ行ぎょうは難なん行ぎょうなり、 念仏ねんぶつは易い行ぎょうなり。 はやく難なん行ぎょうを​すて​て易い行ぎょうに帰きす​べし。 その益やくを論ろんずれ​ば、 来迎らいこうは方便ほうべんなり、 得とく生しょうは真実しんじつなり。 もつとも方便ほうべんに​とどまら​ず​して真実しんじつを​もとむ​べし。

-いかに​いはんや来迎らいこうは*不ふ定じょうの益やくなり、 「△仮け令りょう不与ふよ大衆だいしゅ囲い繞にょう」 (大経・上) と説とく​がゆゑに。 得とく生しょうは*決けつ定じょうの益やくなり、 「△若にゃく不ふ生しょう者じゃ不ふ取しゅ正しょう覚がく」 (同・上) と​いふ​がゆゑに。 その*果か処しょを​いへ​ば、 胎たい生しょうは化土けどの往おう生じょうなり、 化け生しょうは報ほう土どの往おう生じょうなり。 もつぱら化土けどの往おう生じょうを期ごせ​ず​して、 直じきに報ほう土どの無む生しょうを得うべき​ものなり。

-されば真実しんじつ報ほう土どの往おう生じょうを​とげ​ん​と​おもは​ば、 ひとへに弥陀みだ如来にょらいの不ふ思議しぎの仏ぶっ智ちを信しんじ​て、 もろもろ​の雑ぞう行ぎょうを​さしおき​て、 専修せんじゅ専念せんねん・一向いっこう一心いっしんなる​べし。 第だい十じゅう八はちの願がんには諸しょ行ぎょうを​まじへ​ず、 ひとへに念仏ねんぶつ往おう生じょうの一道いちどうを説とけ​る​ゆゑなり。

【099315】問とう​て​いはく、 一いち流りゅうの義ぎきこえ​をはり​ぬ。 それ​につきて、 信心しんじんを​おこし往おう生じょうを得えん​こと​は、 善ぜん知ぢ識しきの​をしへ​に​よる​べし​といふ​こと、 △上かみに​きこえ​き。 しからば善ぜん知ぢ識しきといへる体たいをば​いかが​こころう​べき​や。

 答こた0517へ​て​いはく、 総そうじて​いふ​とき​は、 真しんの善ぜん知ぢ識しきといふは諸仏しょぶつ・菩ぼ薩さつなり。 別べっして​いふ​とき​は、 われ†ら​に法ほうを​あたへ​たまへる​ひと​なり。

-いはゆる ¬*涅ね槃はん経ぎょう¼ (*徳王品) に​いはく、 「▲諸仏しょぶつ菩ぼ薩さつ名みょう知ち識しき ◆善ぜん男なん子し譬ひ如にょ船せん師し 善ぜん度ど人にん故こ 名みょう大だい船せん師し 諸仏しょぶつ菩ぼ薩さつ 亦やく復ぶ如にょ是ぜ 度ど諸しょ衆しゅ生じょう 生しょう死じ大海だいかい 以い是義ぜぎ故こ 名みょう善ぜん知ぢ識しき」 といへり。 この文もんの​こころ​は、 「もろもろ​の仏ぶつ・菩ぼ薩さつを善ぜん知ぢ識しきと名なづく。 善ぜん男なん子し、 たとへば船せん師しの​よく人ひとを度わたす​が​ごとし。 かるがゆゑに大だい船せん師しと名なづく。 もろもろ​の仏ぶつ・菩ぼ薩さつも​またまた​かくのごとし。 もろもろ​の衆しゅ生じょうをして生しょう死じの大海だいかいを度どす。 この義ぎをもつて​のゆゑに善ぜん知ぢ識しきと名なづく」 となり。

-されば真実しんじつの善ぜん知ぢ識しきは仏ぶつ・菩ぼ薩さつなる​べし​と​みえ​たり。 しからば仏ぶつ・菩ぼ薩さつの​ほか​には善ぜん知ぢ識しきは​あるまじき​か​と​おぼゆる​に、 それ​には​かぎる​べから​ず。

-すなはち ¬大だい経きょう¼ の下げ巻かんに、 仏法ぶっぽうの​あひ​がたき​こと​を説とく​として、 「▲如来にょらい興こう世せ 難なん値ち難なん見けん 諸仏しょぶつ経きょう道どう 難なん得とく難なん聞もん 菩ぼ薩さつ勝しょう法ぼう 諸しょ波羅はら蜜みつ 得聞とくもん亦やく難なん 遇ぐう善ぜん知ぢ識しき 聞法もんぼう能のう行ぎょう 此し亦やく為い難なん」 と0994いへり。 †この文もんの​こころ​は、 「如来にょらいの興こう世せ、 値あひがたく、 見みたて​まつりがたし。 諸仏しょぶつの経きょう道どう、 得えがたく聞ききがたし。 菩ぼ薩さつの勝しょう法ぼう、 諸しょ波羅はら蜜みつ、 聞きく​こと​を得うる​こと​また難かたし。 善ぜん知ぢ識しきに遇あひ​て、 法ほうを聞きき、 よく行ぎょうずる​こと、 これ​また難かたし​と​す」 となり。

-されば 「如来にょらいにも値あひ​たてまつりがたし0518」 といひ、 「菩ぼ薩さつの勝しょう法ぼうも聞ききがたし」 といひ​て、 「その​ほか​に善ぜん知ぢ識しきに遇あひ法ほうを聞きく​こと​も難かたし」 といへる​は、 仏ぶつ・菩ぼ薩さつの​ほか​にも衆しゅ生じょうの​ため​に法ほうを​きか​しめ​ん​ひと​をば、 善ぜん知ぢ識しきと​いふ​べし​と​きこえ​たり。 また​まさしく​みづから法ほうを説とき​て​きか​する​ひと​なら​ね​ども、 法ほうを​きか​する縁えんと​なる​ひと​をも善ぜん知ぢ識しきと​なづく。

-いはゆる 「*妙みょう荘しょう厳ごん王おうの雲雷うんらい音王おんのう仏ぶつに​あひ​たてまつり、 邪見じゃけんを​ひるがへし仏道ぶつどうを​なり、 二子にし夫ぶ人にんの*引導いんどうに​より​し​をば、 かの三人さんにんを​さし​て善ぜん知ぢ識しきと説とけ​り」 (*法華経・意)。

-また*法ほっ華け三昧ざんまいの行ぎょう人にんの*五ご縁えん具ぐ足そくの​なか​に得とく善ぜん知ぢ識しきといへる​も、 行ぎょう者じゃのために*依怙えこと​なる​ひと​を​さす​と​みえ​たり。

-されば善ぜん知ぢ識しきは諸仏しょぶつ・菩ぼ薩さつなり。 諸仏しょぶつ・菩ぼ薩さつの総体そうたいは阿あ弥陀みだ如来にょらいなり。 その智慧ちえを​つたへ、 その法ほうを​うけ​て、 直じきにも​あたへ、 また​しら​れ​ん​ひと​に​みちびき​て法ほうを​きか​しめ​ん​は、 みな善ぜん知ぢ識しきなる​べし。 しかれば、 仏法ぶっぽうを​きき​て生しょう死じを​はなる​べき​みなもと​は、 ただ善ぜん知ぢ識しきなり。

-このゆゑに0995 ¬教行きょうぎょう証しょう文類もんるい¼ の第だい六ろく (化身土巻) に諸しょ経きょうの文もんを引ひき​て善ぜん知ぢ識しきの徳とくを​あげ​られ​たり。 いはゆる ¬涅ね槃はん経ぎょう¼ (*迦葉品) には、 「▲一切いっさい梵ぼん行ぎょうの因いんは善ぜん知ぢ識しきなり。 一切いっさい梵ぼん行ぎょうの因いん無む量りょうなり​と​いへども、 善ぜん知ぢ識しきを説とけ​ば、 すなはち​すでに*摂しょう在ざいし​ぬ」 といひ、 ¬*華け厳ごん経ぎょう¼ には、 「▲なんぢ善ぜん知ぢ識しきを念ねんぜよ。 われ​を生しょうずる​こと父母ぶもの​ごとし、 われ​を​やしなふ​こと乳にゅう母もの0519ごとし、 菩ぼ†提だい分ぶんを増ぞう長じょうす」 といへり。 この​ゆゑに、 ひとたび​その​ひと​に​したがひ​て仏法ぶっぽうを行ぎょうぜ​ん​ひと​は、 ながく​その​ひと​を​まもり​て​かの​をしへ​を信しんず​べき​なり。

浄じょう土ど真要しんよう鈔しょう 広こうの末まつ

*永えい享きょう十じゅう年ねん戊つちのえ午うま八月はちがつ十じゅう五ご日にちこれ​を書写しょしゃし​たてまつり​をはり​ぬ。

永享十年 戊午 八月十五日奉書写之畢

*右筆ゆうひつ*蓮如れんにょ

右筆蓮如

*大谷おおたに本願ほんがん寺じ上しょう人にん (親鸞) の御ご流りゅうの聖教しょうぎょうなり。

大谷本願寺上人之御流之聖教也

本願ほんがん寺じ*住じゅう持じ*存ぞん如にょ (花押)

本願寺住持存如 (花押)

ˆ*註記ˇ *元亨げんこう四し歳さい甲きのえ子ね正しょう月がつ六むゆ日かこれ​を書かき​しるし​て釈しゃく*了りょう源げんに授じゅ与よし​をはり​ぬ。 そもそも、 この​ふみ​を​しるす​おこり​は、 日ひごろ ¬*浄じょう土ど文類もんるい集しゅう¼ といふ書しょあり。 これ当とう流りゅうの先達せんだつの0996書かき​のべ​られ​たる​ものなり。 平生へいぜい業ごう成じょうの義ぎ・不ふ来迎らいこうの​おもむき、 ほぼ​かの書しょに​みえ​たり。

-しかるに​その​ことば、 くはしから​ざる​あひだ、 初心しょしんのともがら、 こころ​を​えがたき​によりて、 なほ要文ようもんを添そへ、 かさねて料りょう簡けんを​くはへ​て、 しるし​あたふ​べき​よし、 了りょう源げん所望しょもうのあひだ、 浅才せんさいの身み、 しきりに固辞こじをいたす​と​いへども、 連々れんれん懇望こんもうの​むね、 黙もだしがたき​によりて、 いささか領りょう解げする​おもむき​を​しるし​をはり​ぬ。 かの書しょを*地じ体たいとして、 文言もんごんを​くはふる​ものなり。

-また​その名なを​あらたむる​ゆゑ​は、 聖しょう人にん(親鸞)の御ご作さくの​なか​に ¬*浄じょう土ど文類もんるい聚じゅ鈔しょう¼ といへる​ふみ​あり。 その題目だいもく、 あひ紛まがひ​ぬ​べし。 これ​さだめて作者さくしゃの題だいする名なに​あら​じ。 他た人にんのち​に​これ​を案あんずる歟かの​あひだ、 わたくし​に、 いま​これ​を ¬浄じょう土ど真要しんよう鈔しょう¼ と名なづくる​ものなり。

-おほよそ​いま​のぶる​ところ​の義ぎ趣しゅは、 当とう流りゅうの一いち義ぎなり。 しかれども常じょう途ずの義ぎ勢せいに​あらざる​がゆゑに、 一いち流りゅうの​なか​において​なほ​この​おもむき​を存ぞんぜ​ざる​ひと​あり。 いはんや他た人にんこれ​に同どうず​べから​ざれ​ば、 左右さうなく一いち義ぎを​のぶる条じょう、 *荒こう涼りょうに似にたり。

-かたがた、 その憚はばかり​あり​と​いへども、 願主がんしゅ (了源) の命めいの​さりがたき​によりて、 これ​を​しるす​ものなり。 文もん字じに​うとから​ん (一本いっぽんに​くらから​ん​に作つくる) 人ひとの​こころえやすから​ん​こと​を​さき​と​すべき​よし、 本主ほんしゅ (了源) の​のぞみ​なる​ゆゑに、 重々じゅうじゅうことば​を​やはらげ​て、 一々いちいちに訓くん釈しゃくを​もちゐる​あひだ、 ただ領りょう解げしやすから​ん​を​むね​と​して、 さらに文体ぶんたいの​いやしき​を​かへりみ​ず、 み​ん​ひと​いよいよ​あざけり​を​なす​べし。 かれ​に​つけ、 これ​に​つけ、 ゆめゆめ外見がいけんある​べから​ず。

あなかしこ、 あなかしこ。

釈しゃく存覚ぞんかく

 

底本は◎本派本願寺蔵永享十年蓮如上人書写本ˆ浄聖全と同一ˇ。 ただ表記はかなり標準化されているので、 底本で本来仮名表記である漢字は青の点下線で示した。 Ⓐ大谷大学蔵(浅野氏旧蔵)建武五年書写本、 Ⓑ石川県専光寺蔵存如上人・蓮如上人書写本、 Ⓒ「真宗法要」所収本と対校。
祖師の解釈 善導ぜんどう大師および法然ほうねん上人の解釈を指す。
家々 親鸞聖人の一流以外の浄土他流を指していう。
曠劫以来流浪久… 「曠劫以来、 流浪せしこと久し。 縁に随ひ六道に輪廻を受く。 往生の善知識に遇はずは、 たれかよくあひ勧めて回帰することを得ん」
諸流 親鸞聖人の一流以外の浄土他宗を指していう。
一念歓喜の信心 本願を聞いて二ふた心ごころなくよろこぶ信心のこと。 親鸞聖人は、 一念とは信心を得る時のきわまり、 歓は身を、 喜は心をよろこばせることであるという。
聖衆の来迎に… 聖衆の来迎をまちもうけ、 たのみにしてはならない。
聖教万差 さまざまな聖教にさまざまな法義が説かれていること。
わが家 親鸞聖人の一流を指す。
慧解高遠 智慧ちえをもって事理を領りょう解げすることがすぐれていること。
製作 著作。 ¬選せん択じゃく集しゅう¼ を指す。
この門流 親鸞上人の一流を指す。
三部妙典 浄じょう土ど三さん部ぶ経きょうのこと。
聖衆来現 聖衆来迎らいこうに同じ。
聞名欲往生の義 名みょう号ごうを聞信し、 浄土往生をまちもうけるという意趣。
隠顕の義 経の文の表にあらわれた意 (顕) と文の下にかくれた意 (隠)。 この場合の隠顕はともに真実の説意で、 「化身土巻」 でいうような真仮 (真実・方便) の義を分別する意味ではない。
仏智無生の名願力 さとるための智慧ちえをそなえた名みょう号ごう願力。
涅槃畢竟の真因 この上ないさとりを得るまことの因種 (たね)。
むかし 「ちかひ」 とする異本がある。
覚体 阿弥陀如来は完全に真理を体得されたかたであることをいう。
果後の方便 久遠の昔に成仏した阿弥陀仏が、 衆しゅ生じょうを救うためのてだてとして、 法蔵ほうぞう菩薩の発願ほつがん修行、 十劫じっこうの昔の成じょう道どうの相を示したことをいう。
不退転を… 通常は 「阿耨多羅三藐三菩提を退転せざることを得ん」 と読む。 本文での読みは、 不退転という位の名を明示しようとするもの。
処不退 浄土に生れて、 そこから退転しないこと。
与奪 他の教義をいったん承認した上で、 それを超える自宗の教義を打ちだし、 他の教義の本質的意義を奪いとること。
密益 行者の表面に明らかにあらわれない利り益やく。 信心の徳としての利益をいう。 顕益に対する語。
わが流 親鸞聖人の一流を指す。
常途 親鸞聖人の一流以外の一般的な浄土教の教義。
生を摂するに尽きず すべての衆しゅ生じょうをおさめとることはできない。
法爾往生 阿弥陀仏の願力にはからわれ往生すること。
たなごころをかへすへだて 手のひらをひっくりかえすほどのわずかな時間。
寂滅無為の一理 煩悩ぼんのうが消滅したところにあらわれる生しょう滅めつを超えた一如いちにょの理。
ひそかに証す 名みょう号ごうの徳として与えられていることをいう。
生滅去来等のまどひ 生滅去来は、 ¬中論¼ に説かれる八不の中の不生・不滅・不去・不来に対する言葉。 縁えん起ぎを否定し、 現象を分別によって捉えようとする迷い。
理智不二… 「理智不二なるを弥陀身と名づく、 他方より来迎引接せず」
現其人前 臨終にその人の前に仏が現れる。 来迎らいこうの意。
一定の益 たしかな利り益やく。
不定の益 ふたしかな利り益やく。
決定の益 たしかに定まった利益。
果処 往生する場所。
妙荘厳王 ¬法華ほけ経きょう¼ 「妙荘厳王本事品」 に出る国王。 婆羅門の教えを信受していたが、 浄じょう藏ぞう・浄じょう眼げんの二子、 浄じょう徳とく夫人の導きによって仏道に帰依きえし、 雲雷音宿王華智仏のもとを訪ねて出家したという。
法華三昧 天台てんだい法華宗で説く止し観かんの行法を指す。
五縁具足 止観の行法を修める行者がととのえるべき五種の常見。 持じ戒かい清浄しょうじょう、 衣食具足、 閑居静処 (静かな場所に閑居すること)、 息諸縁務 (縁務をしないこと)、 得善知識 (善い師友に近づくこと) の五をいう。
摂在 ¬涅ね槃はん経ぎょう¼ の原文には 「摂尽」 とある。 摂尽はおさめ尽すこと。
右筆 父、 存如上人に代わって書写したものであることを示す。
註記 以下は ¬真宗法要¼ 所収本の校異の跋文。
浄土文類集 一説によれば、 ¬取しゅ意い抄しょう出しゅつ¼ ではないかと推定される。 この書は (1) 浄土文類集曰、 (2) 相伝云、 (3) 般はん舟じゅ讃さん云、 (4) 龍りゅう樹じゅ偈げ云、 (5) 涅ね槃はん経ぎょう曰、 (6) 華け厳ごん経ぎょう曰という展開になっていて、 主として臨終来らい迎こうに対して、 平へい生ぜい業ごう成じょう、 不来迎の義が説き示されている。
地体 基礎。 おおもと。
荒涼 途方もないこと。 とんでもないこと。
に ◎無し。 Ⓐによる。
具 ◎「果」。 Ⓐによる。
べし ◎無し。 Ⓐによる。
往生礼讃 ◎Ⓐ「法事讃」。 ⒷⒸによる。
文の ◎無し。 Ⓐによる。
は ◎無し。 Ⓒによる。
法性なり。 法性はすなはちこれ ◎無し。 Ⓒによる。
が ◎無し。 Ⓐによる。
位の ◎無し。 Ⓐによる。
の名ならく ◎「まく」。 Ⓒによる。
里 ◎「理」。 ⒶⒸによる。
也 ◎無し。 Ⓐによる。
る ◎無し。 Ⓐによる。
と ◎無し。 ⒶⒷⒸによる。
この ◎無し。 ⒷⒸによる。
身 ◎「生」。 Ⓒによる。
に ◎「には」。 ⒶⒷⒸによる。
ら ◎無し。 Ⓒによる。
の ◎無し。 Ⓒによる。
供養 ◎無し。 Ⓐによる。
提 ◎「薩」。 Ⓒによる。