12210201ぞくしょう

 

【1】 ^それ祖師そししょうにん (*親鸞)ぞくしょうを​いへ​ば、 *藤氏ふじうじとして*ながおかの丞相しょうじょう 内麿うちまろこう末孫ばっそん*皇太こうたいごうぐうの大進だいしん*有範ありのりなり。

^またほんを​たづぬれ​ば、 弥陀みだ如来にょらいしんごうし、 あるいは曇鸞どんらんだい再誕さいたんとも​いへ​り。

^しかれば​すなはち、 しょうねん*さいはるの​ころ、 *ちんしょう門人もんにんに​つらなり、 しゅっとくして​その範宴はんねんしょうごんのきみごうす。 それ​より​このかた*りょうごんかわばつりゅうを​つたへ、 天台てんだいしゅう*碩学せきがくと​なり​たまひ​ぬ。

^その​のち*じゅうさいにして、 はじめて*源空げんくうしょうにん禅室ぜんしつに​まゐり、 *じょうそく弟子でしと​なり、 しんしゅういちりゅうみ、 専修せんじゅ専念せんねんて、 すみやかに*ぼんじきにゅう真心しんしんを​あらはし、 ざいじゅうにんを​をしへ​て、 ほうおうじょうを​すすめ​ましまし​けり。

【2】 ^そもそも、 *今月こんがつじゅう八日はちにちは、 祖師そししょうにん*せんしょうとして、 毎年まいねんを​いは​ず、 しんを​きらは​ず、 こんぎょうじゃ、 このしょうぞんせ​ざる​ともがら​ある1222べから​ず。 これ​によりて*とうりゅうに​そのを​かけ、 その信心しんじんぎゃくとくし​たらんぎょうじゃ、 このしょうをもつて報謝ほうしゃこころざしはこば​ざらんぎょうじゃにおいて​は、 まことに​もつて木石ぼくせきに​ひとしから​ん​もの​なり。

^しかるあひだ、 かの恩徳おんどくの​ふかき​ことは、 めい八万はちまんいただき蒼溟そうめい三千さんぜんそこに​こえ​すぎ​たり。 ほうぜ​ずは​ある​べから​ず、 しゃせ​ずは​ある​べから​ざる​ものか。

^この​ゆゑに毎年まいねん0202れいとして、 いちしちにちの​あひだ、 *かたのごとく報恩ほうおん謝徳しゃとくの​ため​に無二むにごんぎょうを​いたす​ところ​なり。 このいちしちにち報恩ほうおんこうみぎりに​あたり​て、 *門葉もんようの​たぐひ国郡こくぐんよりらいじゅう、 いま​において​その退転たいてんなし。

^しかりといへども安心あんじんぎょうじゃに​いたり​ては、 いかでか報恩ほうおん謝徳しゃとくこれ​あら​ん​や。 しか​の​ごとき​の​ともがら​は、 このみぎりにおいて仏法ぶっぽうしんしんを​あひ​たづね​て​これ​をちょうもんして​まこと​の信心しんじんけつじょうす​べくんば、 真実しんじつ真実しんじつしょうにん (親鸞) 報謝ほうしゃ*こんに​かなふ​べき​ものなり。

【3】 ^あはれなる​かな​や、 それしょうにんおうじょうねんとほく​へだたり​て、 すでに*いっぴゃくさい星霜せいそうおくる​と​いへども遺訓ゆいくんますます​さかんに​して、 教行きょうぎょうしんしょうみょう、 いまに眼前がんぜんに​さへぎり、 *人口じんこうに​のこれ​り。 たふとむ​べししんず​べし。

^これ​について*とうしんしゅうぎょうじゃの​なか​において、 真実しんじつ信心しんじんぎゃくとくせ​しむる​ひと1223、 これ​すくなし。 ただ*ひと*じんばかり​にみょうもんの​こころ​をもつて報謝ほうしゃごうせ​ば、 いかなるこころざしを​いたす​といふ​とも、 *一念いちねんみょう真実しんじつ信心しんじんけつじょうせ​ざらん​ひとびと​は、 その*所詮しょせんある​べから​ず。 まことに 「*みずりてあかおち​ず」 といへる​たぐひ​なる​べき​か。

^これ​によりて​このいちしちにち報恩ほうおんこうちゅうにおいて、 りき本願ほんがんの​ことわり​を​ねんごろに​ききひらき、 専修せんじゅ一向いっこう念仏ねんぶつぎょうじゃに​なら​ん​に​いたり​ては、 まことに今月こんがつしょうにん (親鸞)しょうにち素意そいに​あひ​かなふ​べし。 これ​しかしながら、 真実しんじつ真実しんじつ報恩ほうおん謝徳しゃとくおんぶつと​なり​ぬ​べき​ものなり。

^あなかしこ、 あなかしこ。

 0203^とき*文明ぶんめいねんじゅう一月いちがつはじの​ころ、 にはかに報恩ほうおん謝徳しゃとくの​ため​に*かんめ​これ​をしるす​ものなり

 

底本は本派本願寺蔵式務部依用本ˆ聖典全書の底本は新潟県本誓寺蔵実如上人証判本ˇ。
藤氏 藤原氏。
後長岡の丞相 藤原鎌足五代の孫、 藤原内麿のこと。
皇太后宮の大進 皇太后宮職の第三等官。
楞厳横川の末流 えいざんかわ (しゅりょうごんいんはその中堂) に伝えられているげんしんしょうの流れ。
今月 十一月。 親鸞聖人の命日は同月二十八日である。
懇志 ねんごろなこころざし。
一百余歳の星霜 星霜は歳月の意。¬御俗姓¼ が撰述された文明九年は1477年であるから、 親鸞聖人のじゃくよりすでに二百余歳を経ていることになる。
人目 世間体。
仁義 ここでは世間体をつくろうこと。
水入りて垢おちず したかいがないことの喩え。
 筆。