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南无阿弥陀仏と申すはいかなるこゝろにて候や、 又なに0439と弥陀をたのみて報土往生をばとぐべく候やらん。 これをこゝろうべきやうは、 まづ南无阿弥陀仏のすがたをよくよくこゝろえわけて、 弥陀をばたのむべし。 抑南无阿弥陀仏の体は、 すなはち我等衆生の後生たすけたまへとたのみたてまつるこゝろなり。 すなはちそのたのむ衆生を阿弥陀如来のよくしろしめして、 すでに无上大利の功徳をあたへましますなり。 これを衆生に廻向したまへるといへるはこのこゝろなり。 されば弥陀をたのむ機を阿弥陀仏のたすけたまふ法なるがゆへに、 これを機法一体の南无阿弥陀仏といへるはこのこゝろなり。 これすなはち我等が往生のさだまりたる他力の信心なりとはこゝろうべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

依所望書之 八十二歳 在御判