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抑今度一七ヶ日報恩講のあひだにおひて、 多屋内方もそのほかの人も、 大略信心決定し給へるよしきこへり。 めでたく本望これにすぐべからず。 さりながらそのまゝうちすて候へば、 信心もうせ候べし。 細々に信心のみぞをさらへて、 弥陀の法水をながせといへる事ありげに候。 よくよく心へらるべし。 されば女人の身は、 十方三世の諸仏にもすてられたる身にて候を、 阿弥陀如来なればこそかたじけなくもたすけましまし候へ。 そのゆへは女人の身はいかに真実信心になり給ふといふとも、 うたがひの心はふかくして、 物なんどのいまはしくおもふ心はさらにうせがたく候。 ことに在家の身は世路にほこりて、 あるひは子孫なんどの繁昌をおもひ、 なにとしても今生にのみふけりて、 これほどめに見えてあだなる人間界の老少不定のさかひとしりながら、 たゞいま三途・八難にしづまん事をば、 つゆちりほども心にかけずして、 いたづらにあかしくらすは、 これつねの人のならひなり。 まことにあさましといふもおろかなり。 これによりて一心一向に弥陀一仏の悲願に帰して、 ふかくたのみたてまつりて、 もろもろの雑行を修する心をすて、 又諸神・諸仏に追従申す心をもみなみなすてはてゝ、 弥陀如来と申はかゝる我らごときのあさましき女人のためにおこしたまへる本願なれば、 まことに仏智の不思議と信じて、 我身はわろきいたづらものなりとおもひつめて、 ふかく如来に帰入する心をもつべし。 さてこの信ずる心も念ずる心も、 弥陀如来の御方便よりおこさしむるものなりとおもふべ0282し。 かやうにこゝろうるをすなはち他力の信心をゑたる人とはいふなり。 又このくらひをあるひは正定聚に住すとも、 滅度にいたるとも、 等正覚にいたるとも、 弥勒にひとしとも申すなり。 又これを一念発起の往生さだまりたる人とも申なり。 かくのごとく心へてのうへの称名念仏は、 弥陀如来の我らが往生をやすくさだめ給へる、 その御うれしさの御恩を報じたてまつる念仏なりとこゝろうべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

これにつゐて、 まづ当流のおきてをよくよくまもらせたまふべし。 そのゆへはあいかまへていまのごとく信心をゑたまはゞ、 一心のうちにふかくおさめおきて、 他宗・他人に対してそのふるまひを見せず、 又信心のやうをもかたるべからず。 一切の諸神なんどをもわが信ぜぬまでなり、 さのみおろかにすべからず。 かくのごとく信心のかたもそのふるまひもよき人をば、 聖人もよく心へたる信心の行者なりとおほせられたり。 たゞふかく仏法に心をとゞむべきものなり。

文明第五 十二月八日、 これをかきしるして当山多屋内方へまいらせ候。 このほかなをなを不審の事候はゞ、 かさねてたづねとはせたまふべく候。

たのめたゞ 弥陀のちかひの ふかければ
いつゝのつみは ほとけとぞなる

のちの代の しるしのために かきおきし
のりのことの葉 かたみともなれ

五十八歳(花押)