0825◎存覚ぞんかく法ほう語ご

 

◎高こう祖そ聖しょう人にんの御ご撰せん述じゅつ ¬教行きょうぎょう証しょう文類もんるい¼ の序じょにいはく、 「▲↓難なん思じの弘ぐ誓ぜいは↓難なん度ど海かいを度どする大船だいせん、 ↓无むげの光こう明みょうは↓无む明みょうの闇あんを破はする慧え日にちなり」 と。 已上 弥陀みだ不共ふぐの利り生しょうこの一文いちもんにあらはれ、 凡ぼん夫ぶ出しゅつ離りの用心ようじんこの一いっ句くにたれりとす。

-いはゆる 「↑難なん思じの弘ぐ誓ぜい」 といふは如来にょらい別べっ意ちの弘ぐ願がん、 果か分ぶん不可ふか説せつの法門ほうもんなるがゆへに、 仏ぶっ智ちの建こん立りゅうするところ因いん位にの測しき量りょうのをよぶべきにあらず。 いはんや、 凡慮ぼんりょは分ぶんをへだてたることをあらはすことばなり。

-こゝをもて、 ¬大だい経きょう¼ (巻下) には 「▲如来にょらいの智慧ちえ海かいは、 深広じんこうにして涯がいキハ底たいなし。 二に乗じょうはかるところにあらず。 たゞ仏ぶつのみひとり明了みょうりょうなり」 といひ、 ¬小経しょうきょう¼ (意) には、 「▲六方ろっぽうの諸仏しょぶつ舌相ぜっそうをのべて証誠しょうじょうしたまふに、 不可ふか思議しぎの功く徳どくを称しょう讃さんす」 とときたまへり。

-たゞ智ち願がんの広海こうかいの不可ふか思議しぎなるのみにあらず、 また国こく土どの荘しょう厳ごんも不可ふか思議しぎなり。 これによりて、 論主ろんじゅは二に十じゅう九句くくの荘しょう厳ごんをあかして依え正しょうの功く徳どくをほむるとき、 「▲かの仏国ぶっこく土どの荘しょう厳ごんは不可ふか思議しぎ力りきを成じょう就じゅせり」 (浄土論) といひ、 宗しゅう師しは念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃ初しょ生しょうの相そうをいうとして、 「▲仏ぶつ、 生しょう人にんをしてゐて観看かんかんせしめたまふ、 いた0826るところはたゞこれ不ふ思議しぎなり」 (般舟讃) といへり。

-されば 「▲若にゃく不ふ生しょう者じゃ」 (大経巻上) のちかひむなしからずして成じょうじたまへる正しょう覚がくなるがゆへに、 正しょう報ぼうの功く徳どくの仏ぶっ果か、 无漏むろの万徳まんどくを円満えんまんしたまへるも、 しかしながらわれらが往おう生じょうの決けつ定じょうすることをあらはし、 依え報ほうの荘しょう厳ごんの第一だいいち義ぎ諦たい妙みょう境きょう界がいの相そうを成じょう就じゅしたまへるも、 ひとへに无む縁えんの大だい悲ひにむくはずといふことなし。

-しかるあひだ、 をこしたまふところの誓願せいがんも諸仏しょぶつに超ちょう絶ぜつして障重しょうじゅう根鈍こんどんの衆しゅ生じょうをたすけ、 まうけたまふところの浄じょう土ども三界さんがいに勝しょう過がして、 湛然たんねん寂静じゃくじょうの妙みょう相そうを感かん成じょうせり。

-安あん居ご院いんの大だい和か尚しょうの 「▲この極楽ごくらく世せ界かいは二に百ひゃく一いち十じゅう億おくの諸仏しょぶつの浄じょう土どのなかに、 悪あくをすてゝ善ぜんをとり麁そをすてゝ妙みょうをとりて、 さまざまにすぐりいだせることを嘆たんずるには、 ◆たとへばやなぎのえだにさくらのはなをさかせ、 ふたみのうらにきよみがせきをならべたらんがごとし」 (唯信鈔意) といへり。

-をろかなるこゝろになをあくところなくあらまほしきは、 かのたほやかなるえだにさきたらんはなの、 春秋しゅんじゅうをわかず、 ちることなくてひさしくにほひ、 その名なたかきうらうらの月つきのかげをならべたらんが、 よる・ひるのさかひなくて、 いつもてらさんをみばやとおぼゆるは、 この景けい色しょくによせてかの厳飾ごんじきをおもひやらんとなり。

「↑難なん度ど海かい」 といふは生しょう死じの大海たいかいなり。 凡ぼん地じと聖しょう道どうとのなかに、 この大海たいかいをへだてゝわ0827たることたやすからず。 これにつきて三さん乗じょうの法ほう舟しゅうあり。 声しょう聞もんは四し諦たいを観かんじてこれをわたり、 縁覚えんがくは十じゅう二に因縁いんねんを観かんじてこれをわたり、 菩ぼ薩さつは六ろっ波羅ぱら蜜みつを行ぎょうじてこれをわたる。 慳貪けんどん・破は戒かい・瞋しん恚に・懈け怠だい・散乱さんらん・愚痴ぐちの六弊ろくへいは所しょ度どの海うみなり、 布施ふせ・持じ戒かい・忍辱にんにく・精しょう進じん・禅ぜん定じょう・智慧ちえの六ろく度どは能のう度どの船ふねなり。 なをくはしくこれを論ろんぜば、 教きょうにより宗しゅうにしたがひてその修しゅ行ぎょうまちまちなるべし。 生しょう滅めつ・无む生しょう・无む量りょう・无作むさの四し諦たいを観かんじ、 五ご重じゅう唯識ゆいしき・八はっ不ぷ中ちゅう道どうの観門かんもん等とう、 みなこれ流る転てん生しょう死じの愛海あいかいをしのがんとする方便ほうべんの船ふねなり。

-しかるにこれらの行ぎょうをたづぬるに、 もしは根こん性じょう利り者しゃのなすところ、 もしは大根だいこん志し幹かんの修しゅするところなるがゆへに、 三さん乗じょうの修しゅ行ぎょういづれもたてがたきによりて、 たまたまその門もんにおもむくひとも、 退縁たいえんにあひぬれば不ふ退たいのくらゐにいたりがたし。 いかにいはんや、 とき末代まつだいにをよび人ひと下機げきになりぬ。 いづれの行ぎょうをつとめ、 いかなるふねをもとめてか、 この海うみをわたりてかのきしにいたるべき。 生しょう死じをはなれんこと、 たとひそのこゝろざしありとも、 そののぞみ達たっしがたし。

-こゝに弥陀みだの本願ほんがんは、 かの諦たい・縁えん・度どの法ほうをもこゝろにかけず、 戒かい定じょう恵えの三学さんがくをも身みに行ぎょうぜざるともがら、 法財ほうざいをば煩悩ぼんのうの賊ぞくにうばはれ、 仏ぶっ性しょうをば痴ち惑わくのやみにおほはれたれば、 たゞ六道ろくどうにのみめぐりて、 さらに出しゅつ離りの方法ほうほう0828をしらざるに、 如来にょらいかゝるたぐひをたすけんがために、 をこしたまへる大だい慈じ大だい悲ひの弘ぐ誓ぜい、 无む上じょう殊しゅ勝しょうの本願ほんがんなれば、 ひとたび帰き命みょうの誠じょう心しんをいたし、 わづかに六ろく字じの名みょう号ごうを称しょうするに、 たちどころに 「▲横おう超ちょう断だん四流しる」 (玄義分) の益やくをえて、 ひそかに三界さんがい沈没ちんもつの暴流ぼるをたち、 つゐに 「▲速そく証しょう无む生しょう身しん」 (玄義分) のくらゐにのぼりて、 すみやかに仏ぶっ性しょう常じょう楽らくのさとりをひらかんこと、 まことにこれ、 難なん度どの海うみをわたる大船だいせん、 難なん思じの弘ぐ誓ぜいのきはまりなり。 またく行ぎょう人にんの功こうにあらず、 ひとへに仏願ぶつがんのちからによれり。

「↑无むげの光こう明みょう」 といふは、 すなはち ¬大だい経きょう¼ にとくところの十じゅう二に光仏こうぶつのそのひとつなり。 二に六ろくの尊号そんごうのなかに、 その功く能のうことにすぐれたり。

-¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ には 「▲かの仏ぶつの光こう明みょう无む量りょうにして、 十方じっぽうの国くにをてらすに障しょうげするところなし」 といひ、 ¬観かん経ぎょう¼ には 「▲念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを摂取せっしゅしてすてたまはず」 とときたまへるを、 和か尚しょうこの両経りょうきょうのこゝろによりて、 かの仏ぶつの名みょう義ぎを釈しゃくしたまふに 「无む所しょ障しょうげ」 (小経) の文もんと、 「摂取せっしゅ不捨」 (観経) の文もんとを、 ひきまじへてのち、 「▲かるがゆへに阿あ弥陀みだとなづく」 (礼讃) と結けっしたまへり。 かの光こう明みょうの障しょうげするところなきは摂取せっしゅのためなり。 摂取せっしゅのゆへに阿あ弥陀みだの号ごうをえたまへば、 衆しゅ生じょうの往益おうやくはひとすぢにこの嘉か号ごうによるときこえたり。

-このゆへに、 天親てんじん菩ぼ薩さつも一心いっしん帰き命みょうのこゝろざしをのべたまふに、 あまたの徳号とくごうのなかに0829、 えらびて 「▲尽じん十方じっぽう无むげ光こう如来にょらい」 (浄土論) と礼らいしたまへり。

おほよそ弥陀みだ如来にょらいの利り生しょうに、 「▲无む能のうげ者しゃ」 (定善義) の徳とくあるも、 この名みょう号ごうの功く用ゆうなり。 そのゆへは、 衆しゅ生じょうもろもろの邪じゃ業ごっ繋けにつながれて三界さんがいの牢獄ろうごくにカタキヒトヤとらはれ、 よろづの果か縛ばくにかゝはりて生しょう死じを解げ脱だつすることあたはず。 業ごう愛あい痴ちの縄なわひとをしばりてをくれば、 われらいかでか獄卒ごくそつの呵か責しゃくをまぬかれん。 業風ごうふうのふくにしたがひて苦くのなかにおつれば、 罪人ざいにんなんぞ泥ない梨りの苦くにもれん。 あるひは 「▲悪あっ口く・両りょう舌ぜつ・貪とん・瞋しん・慢まん、 八万はちまんの地じ獄ごくにみな周しゅう遍へんす」 (般舟讃) ともいひ、 あるひは 「▲他た人にん三宝さんぼうのとがを論説ろんせつすれば、 死しして抜ばつ↠ルヽ舌ぜつ泥ない梨りのなかにいる」 (般舟讃) ともいへり。

-しかるにこれらの三業さんごうの罪ざいけんトガは、 多た生しょうのあひだにもことごとくこれをおかし、 かくのごときの一切いっさいの惑わく障しょうは、 今こん世ぜにもみなこれを具ぐせり。 染ぜん浄じょうの因いんにこたへて善悪ぜんあくの果かをうるならば、 「▲垢く障しょう覆ふ深じん」 (玄義分) の凡ぼん夫ぶなにゝよりてか輪りん廻ねの果か報ほうをまぬかるべき。 曠劫こうごうの流る転てんもこれによれり、 未み来らいの沈淪ちんりんもまたおなじかるべし。 しかりといへども、 他た力りきに帰きし仏願ぶつがんをたのみて信心しんじんを発得ほっとくし名みょう号ごうを称しょう念ねんすれば、 ながく生しょう死じの苦く域いきをサカヒ はなれて无為むいの浄じょう土どにいたることは、 しかしながら无むげ光仏こうぶつの利り益やくによりて、 「无む能のうげ者しゃ」 (定善義) の威い力りきをほどこしたまふゆへなり。

「↑无む明みょうの闇あんを破はする恵え日にち」 といふは、 世せ間けんの闇あん冥みょうを破はすることは日にち0830輪りんにこえたるはなく、 愚痴ぐちの昏迷こんめいをのぞくことは智慧ちえにすぎたるはなし。 かるがゆへにならべて法ほう喩ゆをあぐることばなり。

-その本説ほんせつをたづぬれば ¬大だい経きょう¼ (巻下) にいでたり。 他た方ほうの菩ぼ薩さつの安あん養にょうに往詣おうげいして教きょう主しゅを供く養ようしたてまつることばに 「▲恵え日にち世せ間けんをてらして、 生しょう死じの雲くもを消しょう除じょす」 といへる、 これなり。

-憬きょう興ごう師しこの文もんを釈しゃくしていはく、 「慧え日にちといふはたとへにしたがへたる名ななり。 惑わくと業ごうと苦くとの三みつは、 よく真空しんくうをよび智ちの日月にちがつをおほふにおなじ。 かるがゆへに生しょう死じ雲うんといふ。 仏ぶっ智ち真しんに達たっして、 よく自他じたの惑わく・業ごう・苦くのさはりをのぞく。 かるがゆへに恵え日にちといふ」 (述文賛巻下) と。 已上

-また宗しゅう師し ¬観かん経ぎょう¼ にとくところの 「仏日ぶつにち」 を解げする文もんには、 「▲たとへば日ひいでゝ衆闇しゅあんことごとくのぞこるがごとし。 仏ぶっ智ちひかりをかゞやかせば、 无む明みょうの夜よる、 日ひほがらかなり」 (序分義) とのたまへり。 弥陀みだ・釈しゃ迦か二に尊そんの利り益やくことなるににたれども、 慧え日にち・仏日ぶつにち・智ち光こうの功く用ゆう准じゅんじてしりぬべし。

-されば聖しょう道どう門もんのこゝろならば、 みづから智慧ちえのひかりをかゞやかして、 生しょう死じのやみをのぞくべし。 もし智慧ちえのひありなからんたぐひは、 その迷闇めいあんなにゝよりてかはるゝことをえん。 しかるに如来にょらい利他りたの慧え日にち、 衆しゅ生じょう黒業こくごうのやみをてらしたまふゆへに、 をのれがちからにて、 生しょう死じの罪業ざいごうをのぞくことあるまじけれども、 弥陀みだ无むげの光こう明みょう、 一切いっさいの悪業あくごうにさへら0831れず、 衆しゅ生じょうを摂取せっしゅしたまふにより、 愚ぐ惑わくの凡身ぼんしんをあらためずして、 かならず清浄しょうじょうの智土ちどに生しょうずるなり。

-略りゃくしてかの序じょのはじめのことばを解げすることかくのごとし。

そもそも弥陀みだ如来にょらいの、 深じん重じゅうの本願ほんがんをおこし殊しゅ妙みょうの国こく土どをまうけたまへるは、 衆しゅ生じょうをして三輪さんりんをはなれしめんがためなり。 その三輪さんりんといふは、 一ひとつには无む常じょう輪りん、 二ふたつには不ふ浄じょう輪りん、 三みつには苦く輪りんなり。 この義ぎ、 慈じ恩おん大だい師しの ¬阿あ弥陀みだ経きょうの通賛つうさん¼ にみえたり。 また恵え心しんの ¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ に十じゅう門もんをたつるなかの、 第一だいいちに厭えん離り穢土えどの相そうを判はんずとして、 人間にんげんのいとふべきことをあかすにもこの三みつをあげたり。 かの ¬集しゅう¼ (要集巻上意) には 「▲不ふ浄じょう・苦く・无む常じょう」 とつらねたり。

-一ひとつに无む常じょう輪りんといふは、 この世よのなかのさだめなくはかなきありさまなり。 ¬大だい経きょう¼ (巻下) にこのことはりをときて、 あるひは 「▲愛欲あいよく・栄えい花がつねにたもつべからず。 みなまさに別べつ離りすべし」 といひ、 あるひは 「▲処年しょねん寿じゅ命みょう、 よくいくばくもなし」 (大経巻下) といへり。

-つらつらおもんみれば、 輪王りんのう高こう貴きのくらゐ七宝しっぽうつゐに身みにしたがふことなく、 釈しゃく天てん宝象ほうぞうのあそび四し苑おんヨツノソなノ がくまなこにへだつる期ごあり。 あふひで六欲ろくよく・四し禅ぜんをおもふに、 三界さんがいのうちにうらやましかるべきところなし、 ふして三悪さんまく・四し趣しゅをうかゞふに、 六道ろくどうのあひださながらみなかなしみを0832まぬかるべきところにあらず。

-人間にんげん南なん浮ぶのわづかなるいのち、 粟散ぞくさん辺国へんこくのいやしき果か報ほう、 なんぞ著じゃく楽らくをなすべきや。 不死ふしのくすりをもとめし秦皇しんこう・漢かん武ぶもむなしくさりぬ。 たゞ悲ひ風ふうの驪り山ざん・杜と陵りょうのふもとにむせぶあり。 武ぶ勇ゆうのはかりごとに長ちょうぜし樊噲はんかい・張良ちょうりょうも名なをのみのこせり。 いまだ遷変せんぺんウツリカハル有為ういのあだをふせぐ弓きゅう箭せんあることをきかず。 綺羅きらの三千さんぜんもそらにおひたり、 漢かん李り・カンノリフジン唐楊とうようタウノヤのたほウキヒナリ やかなりしすがたも一聚いちじゅのちりとなりぬ。

-付ふ法蔵ほうぞうの賢げん聖じょうもことごとくかくれぬ、 有智うち高こう行ぎょうの聖しょう人にんにもかたさらぬは无む常じょうの殺せつ鬼きなり。 老ろう少しょう不ふ定じょうのさかひなれば、 さかりなるひともおほくゆく。 生しょう者じゃ必滅ひつめつのことはりなれば、 おいぬるひとはましてとゞまらず。 鳥とり部べ山やまのけぶり、 みねにものぼり、 ふもとにもたつ。 われもいつかそのかずにいらん。 あだし野ののつゆ、 あしたにもきえ、 ゆふべにもおつ。 たれとてもよそにやはおもふべき。

-後ご鳥羽とばの禅ぜん定じょう上じょう皇こうの遠島えんとうの行こう宮きゅうカリノミヤにして宸襟しんきんをいたましめ浮ふ生しょうを観かんじましましける御おんくちずさみにつくらせたまひける ¬无む常じょう講こうの式しき¼ こそ、 さしあたりたることはり、 みゝぢかにて世よのあはれにきこえ侍はんべるめれ。 その勅ちょく藻そうをみれば、 「あるひはきのふすでにうづんで、 なみだをつかのもとにのごふもの、 あるひはこよひをくらんとして、 わかれを棺かんのまへになく人ひとあり。 ▼おほよそはかなきものは0833ひとの始し中終ちゅうじゅう、 まぼろしのごとくなるは一いち期ごのすぐるほどなり。 三界さんがい无む常じょうなり、 いにしへよりいまだ万歳まんざいの人身にんじんあることをきかず、 一いっ生しょうすぎやすし。 ▼いまにありてたれか百ひゃく年ねんの行ぎょう体たいをたもつべき。 われやさきひとやさき、 けふとおしらずあすともしらず、 をくれさきだつ人ひと、 もとのしづくすゑのつゆよりもしげし」 といへり。

-またちかごろ、 智ち行ぎょう名なたかくきこゆる笠置かさぎの解げ脱だつ上しょう人にんのかゝれたることばも、 よにやさしく肝かんにハナリ そみておぼゆ。 そのことばには、 「風葉ふうようのカゼニオツル身みたもちがたく草そう露ろのいのちきえやすし。 乃至 南隣なんりんにも哭こくナクし北ほく里りにも哭こくナクす。 人ひとををくるなみだいまだつきず、 山さん下げにもそひ原げん上じょうにもそふ。 ほねをうづむつちかはくことなし。 いたましきかな、 まのあたりことばをまじへし芝し蘭らんのとも、 いきとゞまりぬればとをくをくり、 あはれなるかな、 まさしくちぎりをむすびし断金だんきんのむつび、 たましゐさりぬればひとりかなしむ」 (愚迷発心集意) といへり。

-かやうのことはりは、 目めのまへにみゆれば人ひとことにしりがほなれども、 欲塵よくじんに著じゃくし境きょう界がいにほださるゝならひは、 凡ぼん夫ぶとしておどろかざる、 まことにはかなかるべし。 しかれば、 ¬坐ざ禅ぜん三昧ざんまい経きょう¼ (巻上意) には、 「今日こんにちこのことをいとなみ明みょう日にちかのことをなさん。 楽らく著じゃくして苦くを観かんぜざれば、 死し賊ぞくのシヌルコトヲいたるこヌスビトニタトフとをルナリ さとらず。 悤々そうそうとして衆しゅ務むモロモロをいとノシワザナリなめば、 日にち夜やのさることをさ0834とらず」 といひ、 ¬大般だいはつ涅ね槃はん経ぎょう¼ (北本巻二寿命品 南本巻二純陀品) には、 「一切いっさいのもろもろの世せ間けんに生しょうあるものはみな死しに帰きす。 寿じゅ命みょう无む量りょうなりといへどもかならずをはりつくることあり。 それさかんなるものはかならずおとろふることあり、 あひあふものは別べつ離りすることあり」 とときたまへり。

-かゝる无む常じょうのかなしみは、 浄じょう土どにあらずはのがれがたく、 この有う待たいのすがたは、 生しょう死じをはなれずはいかでかあらためん。 三さん乗じょうの修しゅ行ぎょうみなこの无む常じょうの果か報ほうをまぬかれて、 かの常住じょうじゅうの極ごく位いにいたらんとすれども、 修因しゅいん成じょうぜざれば証しょう果かむなしきににたり。 しかるを弥陀みだの願力がんりきにすがりて安あん養にょうの往おう生じょうをとげぬれば、 かの土どは无為むい涅ね槃はんのさかひ、 无む衰すい湛然たんねんのところなるがゆへに、 みづからの功こう行ぎょうをからず、 仏力ぶつりきの加被かびによりて、 ながく生しょう死じの无む常じょう輪りんをのがれ、 真しん常じょうの宝所ほうしょにいたるなり。

二ふたつに不ふ浄じょう輪りんといふは、 この身みの汚穢わえにして浄じょう潔けつならざることをいふなり。 これにつきて三種さんしゅあり、 種しゅう子じ不ふ浄じょう、 自じ体たい不ふ浄じょう、 究く竟きょう不ふ浄じょうなり。

-種しゅう子じ不ふ浄じょうといふは、 この身みは栴檀せんだんのたねよりも生しょうぜず、 蓮れん華げのくきよりもいでず、 中ちゅう有うのかたちをすて業識ごっしきを胎内たいないにやどすはじめより、 その種しゅう子じまたくこれ不ふ浄じょうなり。

-自じ体たい不ふ浄じょうといふは、 三さん百びゃく六ろく十じゅうのほねあつまりて身しん形ぎょうを成じょうじ、 三万さんまん六千ろくせんのすぢながれて気け命みょうをたも0835つ、 五ご臓ぞう六ろっ腑ぷみなこれ不ふ浄じょうなり、 涕ていナミダ唾だ・ツバキ 便べんセウベン痢りひダイベンとつとしてきよからず。 たとひ海水かいすいをかたぶけてこれをあらふとも自じ体たいの不ふ浄じょうをばきよむべからず、 たとひ沈じん・檀だんをたきてこれに薫くんずとも、 本ほん性しょうの臭しゅう穢えをばあらたむべからず。 やなぎのまゆ、 みどりなりといへども、 その実体じったいを観かんずるに耽たん著じゃくツケル すべきにあらず。 はなのかほばせ、 こまやかなりといへども、 たゞこれ画がせエガケルるかめに糞ふん穢えをいれたるがごとし。

-智ち行ぎょう兼けん備びのやんごとなき聖しょう人にん達たちも、 かりのいろにめでゝ行ぎょう業ごうをむなしくすること、 三国さんごくにそのためしおほし。 肉身にくしんの不ふ浄じょうをば現げん量りょうにも識しき知ちし、 聖教しょうぎょうの明文めいもんにむかふときは、 一旦いったんその道どう理りを甘心かんしんすることなきにあらざれども、 无む明みょうのまよひによりてみづからの心こころを調じょう伏ぶくせざること、 欲界よくかい繋けの煩悩ぼんのうの所しょ為いちからなきことなり。 五ご欲よくを貪とん求ぐすること、 相続そうぞくしてこれつねなり。 「▲たとひ清しょう心しんををこせども、 なをし水みずにゑがくがごとし」 (序分義) といへる。 濁じょく世せの凡心ぼんしんは、 賢けん愚ぐともにをそらくはいたくかはらずもやはんべるらん。

-究く竟きょう不ふ浄じょうといふは、 ▼ふたつのまなこたちまちにとぢ、 ひとつのいきながくたえぬれば、 日ひかずをふるまゝにそのいろを変へんじ、 次し第だいにあひかはるに九く相そうあり。 しかれども、 すなはち▼野や外がいにをくりてよはのけぶりとなしぬるには、 九く相そうの転てん移いをメグリウツルみず。 たゞ白骨はっこつの相そうをのみみれば、 たしかにその0836ありさまをみぬによりて、 をろかなるこゝろにおどろかぬなるべし。 たまたま郊原こうげん ノハラ ・塚間ちょけんをすぐるに、 をのづからその相そうみるときは、 一念いちねんなれども、 しのびがたきものなり。 ▼紅顔こうがんそらに変へんじて桃とう李りのよそほひをうしなひぬれば、 たちまちに胮ふ張ちょうフクレ 爛らん壊えのタヾレヤブルすがたとなり。 玄鬢げんびん身みをはなれて荊棘けいこくのなかにまつはれぬれば、 烏からす・犬いぬ噉食だんじきのこゑのみあり。 あるひは爪髪そうはつ分散ぶんさんしてこゝかしこにみてるところもあり。 あるひは手て足あし腐ふ敗はいしクチヤブレ て東西とうざいにちれるところもあり。 まことにこれ、 不ふ浄じょうの究く竟きょうするところ、 そもそもまた有う待たいのしからしむるきはまりなり。 もし浄じょう刹せつにいたらずは、 いかでかこの不ふ浄じょうの性しょうをあらたむることあらんや。

三に苦く輪りんといふは、 三界さんがい・六道ろくどうみなこれ苦くなれども、 四苦しく・八はっ苦くはことに人間にんげんにあり。 貴き賎せんことなりといへども、 ことごとくこれをそなへ、 貧ひん富ぷおなじからざれども、 これになやまされずといふことなし。 四苦しくといふは、 生しょう・老ろう・病びょう・死しなり。 八はっ苦くといふは、 これに愛あい別べつ離り苦く・求ぐ不ふ得とく苦く・怨憎おんぞう会え苦く・五ご陰おん盛じょう苦くをくはふ。 もし壮年そうねんサカンナにル して世よをはやくすぐる人ひとは老ろう苦くをうけざるあり。 もし富有ふうにしてたからをもとむることなからんひとは、 貧ひん苦くをまぬかるゝありとも、 そのほかのともがらはこれらの苦くをのがるべからず。 これによりて、 光こう明みょう寺じの大だい師しは、 「▲この五ご濁じょく・五ご0837苦く・八はっ苦く等とうは六道ろくどうに通つうじてうく、 いまだなきものあらず。 つねにこれを逼悩ひつのうす。 もしこの苦くをうけざるものは、 すなはち凡数ぼんじゅの摂しょうにあらずj (序分義) とのたまへり。

-¬倶く舎しゃ論ろん¼ (玄奘訳巻二二賢聖品) のなかに凡ぼん夫ぶの苦くをうけながらみづからしらざる相そうを判はんじていへることあり、 「ひとつのまつげをもてたなごゝろにをけば、 ひとさとらず、 もし眼げんマナコ精しょうのうへにをけば、 損そんをなしをよびやすからず。 愚夫ぐふは手しゅ掌しょうのテノタナゴヽロごとし、 行ぎょう苦くのまつげをしらず、 智ち者しゃは眼げん精しょうのごとし、 縁えんじてきはめて厭えん怖ふを生しょうず」 といへり。

-たゞし人にん・天てんの両りょう趣しゅにはすこしきの楽らくなきにあらず、 すべて地居じこ・空くう居この勝しょう報ぼういづれもとりどりなれども、 ことに三さん十じゅう三天さんてんの快け楽らくなどはたぐひすくなくこそきこゆれ。 しかれども、 たゞたのしみにのみまつはれて、 さらに仏道ぶつどうを修しゅせず。 曠劫こうごう流る転てんよりこのかた、 六道ろくどう経歴きょうりゃくのあひだ、 われらもさだめてかれらの生しょうをうくる世よもありけん。 しかるに殊しゅ勝しょう池ちのみづ、 閼伽あかにむすばずしてむなしくすぎ、 歓かん喜ぎ苑おんのはなぶさ、 仏界ぶっかいに供くすることなくしていたづらにちりにしかば、 かへりて下げ界かいにおちていまだ輪りん廻ねをまぬかれぬこそ、 うたてくはづかしけれ。

-人間にんげんの果か報ほうにも金輪こんりん・銀輪ごんりん、 飛ひ行ぎょうの至し尊そんはまうすにをよばず、 異い朝ちょう・本ほん朝ちょう、 理世りせの聖しょう王おうもまうすにあたはず。 さならぬひとも、 豪ごう姓しょうのくらゐにうまれて身みを玉ぎょく楼ろう・金閣こんかくのうち0838にやすくし、 富貴ふきのいへにありてくらに珠しゅ玉ぎょく・錦きん繍しょうのたからをみてたる人ひと、 先せん世ぜの福因ふくいんもゆかしく当とう時じの栄耀えいようもうらやましかるべけれども、 それもたゞ今こん生じょうの豊ぶ楽らくにほこりて後世ごせの資し糧りょうをこゝろにかけずは、 松しょう樹じゅ千年せんねんのよはひもつゐにかぎりあらんとき、 火か車しゃ八獄はちごくハチダイのむかヂゴクナリ へ、 たちまちにきたらんをばいかゞふせぐべき。

-こゝろをたのしましむとも、 いくばくかあらん。 須しゅ臾ゆシバラクにすなトキノマニトはイフちすつるがゆへなり。 楽らくとおもふも妄想もうぞうなり。 実じつによれば苦く受じゅなるがゆへなり。 おほよそ 「三界さんがいやすきことなし、 なをし火か宅たくのごとし。 衆しゅ苦く充じゅう満まんしてはなはだ怖畏ふいすべし」 (法華経巻二譬喩品) と、 仏ぶつときたまへば、 いづれのさかひか煩悩ぼんのうの火か宅たくにあらざらん、 たれのともがらか生しょう死じの衆しゅ苦くをうけざるべき。 苦くをうけながらまよひて楽らくとおもひ、 さとらずいとはざるは愚夫ぐふのならひなれども、 一分いちぶんも因いん果がのことはりをわきまへ、 まして後世ごせをねがはんたぐひ、 この苦く因いんの制せいしがたきことをしり、 その苦果くかのまぬかるまじきことをおもひて、 自じ力りきにてはなるまじき生しょう死じの根源こんげんをたゝんことは、 ひとへに他た力りきをもてたすけたまふ如来にょらいの恩徳おんどくなりとあふぐべきなり。

无む常じょう輪りんをはなるゝことは、 无む量りょう寿じゅの仏徳ぶっとくによりて、 衆しゅ生じょうもおなじく常住じょうじゅうの寿じゅ命みょうをうればなり。 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ に、 「▲かの仏ぶつの寿じゅ命みょうおよびその人民にんみんも无む量りょう无む辺へん阿あ僧そう祇ぎ劫こうな0839り。 かるがゆへに阿あ弥陀みだとなづく」 といへる、 その義ぎことに甚深じんじんなり。 仏ぶつの正しょう覚がくは衆しゅ生じょうの往おう生じょうによりて成じょうじ、 衆しゅ生じょうの往おう生じょうは仏ぶつの正しょう覚がくによりて成じょうずるがゆへに、 機き法ほう一体いったいにして能所のうじょ不二ふになるいはれあれば、 仏ぶつの寿じゅ命みょうも衆しゅ生じょうの寿じゅ命みょうもあひおなじくして、 无む常じょうをのがれ常住じょうじゅうをうることもかはることなきなり。

-このゆへに、 ¬法ほう事じ讃さん¼ (巻下) には、 「▲一念いちねんに空くうに乗じょうじて仏ぶつ会えにいりぬれば、 身色しんじき・寿じゅ命みょうことごとくみなひとし」 とほめ、 ¬般舟讃¼ には、 「▲身みを常住じょうじゅうのところに安あんぜんとおもはゞ、 まづ要よう行ぎょうをもとめて真門しんもんにいれ」 とをしへ、 ¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ には、 あるひは 「▲无む生しょうの果かをえんとおもはゞ、 かの土どにかならずすべからくよるべし」 といひ、 あるひは 「▲浄じょう国こくは衰変すいへんなし、 ひとたび立りゅうして古こ今こんしかなり」 (礼讃) といへり。

-不ふ浄じょう輪りんをさることは、 阿あ弥陀みだ仏ぶつをば无む量りょう清浄しょうじょう仏ぶつとなづけたてまつり、 極楽ごくらくをば一いち乗じょう清浄しょうじょう无む量りょう寿じゅ世せ界かいと号ごうするゆへに、 身しん土ど清浄しょうじょうにして、 依え報ほうも正しょう報ぼうも有漏うろの垢穢くえをはなれ、 能のう化けも所しょ化けもみな无漏むろの浄じょう体たいなり。 こゝをもて、 ¬大だい経きょう¼ (巻下) の説せつをみるに、 諸仏しょぶつの衆しゅ会えの菩ぼ薩さつにつけて安あん養にょうの往覲おうごんをすゝめたまふことばには、 「▲法ほうをきゝてこのんで受じゅ行ぎょうして、 清浄しょうじょうのところをえよ」 とをしへ、 四し十じゅう八願はちがんのなかをみるにも、 あるひは 「▲一切いっさい万物まんもつ厳ごん浄じょう光麗こうらいならん」 (大経巻上) といひ、 あるひは 「▲国こく土ど清浄しょうじょうにして諸仏しょぶつの世せ界かいを照しょう見けんせん」 (大経巻上意) と0840かひたまへり。

-このゆへに、 往おう生じょうをうる人ひとは、 貪瞋とんじんの惑わくをはなれて自じ然ねん虚无こむの身みをうけ、 清白しょうびゃくの法ほうをきゝて離り蓋がい清浄しょうじょうの報ほうをうく。 これすなはち雑ざっ生しょうの世せ界かいには、 四し生しょうまちまちなりといへども、 をのをの惑業わくごうの感かんずるところ不ふ浄じょうの生しょう元げんなり。 かの安楽あんらく国こく土どは雑業ぞうごうの所しょ生しょうにあらずして、 同一どういつに念仏ねんぶつし、 ながく胞胎ほうたいをたちて如来にょらい正しょう覚がくのはなより化け生しょうするがゆへに、 生しょうずるものはことごとく清浄しょうじょうの体たいをうるなり。

-苦く輪りんをいづることは、 ことに大だい悲ひの本ほん意い、 これ済さい度どの極ごく致ちなり。 すでに国くにを極楽ごくらくとなづけ、 また安楽あんらくと号ごうす。 苦果くかをはなるゝこと、 そらにしんぬべし。 こゝをもて、 ¬大だい経きょう¼ (巻上) には 「▲三さん塗ず苦く難なんの名なあることなし、 たゞ自じ然ねん快け楽らくのこゑのみあり」 といひ、 ¬小経しょうきょう¼ には 「▲もろもろのくるしみあることなし、 たゞもろもろのたのしみをのみうく」 とときたまへり。

-しかのみならず、 ¬論ろん¼ (浄土論) には荘しょう厳ごん无む諸難しょなん功く徳どく成じょう就じゅをあかして、 「▲ながく身心しんしんの悩のうをナヤミ はなれて、 楽らくをうくることつねに无む間けんなり」 といひ、 ¬註ちゅう¼ (論註巻上) にこれを釈しゃくするには、 「▲身悩しんのうといふは飢き渇かつ・寒熱かんねつ・殺害せつがい等とうなり。 心悩しんのうといふは是非ぜひ・得失とくしつ・三毒さんどく等とうなり」 といへり。

-また大だい師し所々しょしょの解げ釈しゃくにも、 おほく受楽じゅらくの義ぎをあかして、 衆しゅ生じょうをして欣ごんネガヒ慕ぼせしめネガハシメタマフたまへり。 いはゆる ¬観かん経ぎょう義ぎ¼ (定善義) には宝ほう地じの讃さんをつくりて、 「▲西方さいほう寂静じゃくじょう无為むいの楽みやこは、 畢ひっ竟きょう逍しょう遙ようして0841有无うむをはなれたり」 といひ、 ¬般舟はんじゅ讃さん¼ には 「▲かくのごときの逍しょう遙よう快け楽らくのところに、 さらになんのことを貪とんじてか生しょうずることをもとめざらん」 とすゝめ、 ¬礼讃らいさん¼ には 「▲生しょうぜんと願がんずることなんのこゝろにか切せつなる、 まさしく楽らくの无む窮ぐうなるがためなり」 といへる解げ釈しゃく等とうこれなり。

-われら愚痴ぐちの身み、 罪悪ざいあく生しょう死じの機き、 苦く因いんを断だんぜざれば苦果くかをのがるべからず、 楽因らくいんをたくはへざれば楽らく果かをうべからず。 しかるに弥陀みだ如来にょらい、 凡ぼん夫ぶのためにかまへたまへる西方さいほうの浄じょう土どは、 よこさまに五ご悪趣あくしゅをきるがゆへに、 本願ほんがんの強縁ごうえんによりて極楽ごくらくの往おう生じょうをとげぬれば、 をのづから 「▲不ふズ ↠遭そうアハ↢苦く患げん↡」 (大経巻上) の理りをえて、 たゞ 「▲熙怡きいタノシミ快け楽らくヨロコブ」 (大経巻下) の益やくにあづかるなり。

-¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ (巻上) に十じゅう楽らくをたつるなかの第だい五ごに、 快け楽らく・不ふ退たい楽らくをあかして離苦りく得楽とくらくの相そうをのべたり。 その文もんにいはく、 「▲かの西方さいほう世せ界かいは楽らくをうくることつねにきはまりなし。 ◆人天にんでん交接きょうしょうタガヒニマジしてふハリミルナリたつながらあひみることをう。 慈悲じひ、 心こころに薫くんじて、 たがひに一いっ子しのごとし。 ともに瑠璃るりの地じのうへに経行きょうぎょうし、 おなじく栴檀せんだんのはやしのあひだに遊戯ゆげす。 宮く殿でんより宮く殿でんにいたり、 林りん池ちより林りん池ちにいたるに、 ◆もししづかならんとおもふときは、 風ふう・浪ろう・弦げん・ヒキモノ管かん、 フキモノをのづからみゝのもとにへだゝり。 もしみんとおもふときは、 山さん・川せん・渓けい・ミヅアルタニ谷こくなをミヅナキタニまなこのまへに現げんず。 香こう・味み・触そく・法ほう、 念ねんにしたがひてまた0842しかなり。

-◆あるひは飛ひトブ梯ていをカケハシわたりて伎ぎ楽がくをなし、 あるひは虚こ空くうにあがりて神通じんずうを現げんず。 あるひは他た方ほうの大だい士じにしたがひて迎送こうそうし、 あるひは天人てんにん聖しょう衆じゅにともなひて遊ゆ覧らんす。 ◆あるひは宝ほう池ちのもとにいたりて、 新しん生しょうの人ひとを慰い問もんす。 なんぢしるやいなや。 このところをば極楽ごくらく世せ界かいとなづく。 この界かいの主しゅをば弥陀みだ仏ぶつと号ごうしたてまつる。 いままさに帰依きえすべし。 ◆あるひはおなじく宝ほう池ちのうちにあり、 をのをの蓮台れんだいのうへに座ざして、 たがひに宿命しゅくみょうの事じをとく。 乃至

-◆あるひはともに十方じっぽうの諸仏しょぶつ利り生しょうの方便ほうべんをかたり、 あるひはともに三さん有ぬの衆しゅ生じょう抜ばっ苦くの因縁いんねんを議ぎすハカル 。 議ぎしをはりて縁えんををひてあひさり、 かたりをはりてねがひにしたがひてともにゆく。 ◆あるひはまた七宝しっぽうのやまにのぼり、 八はっ功くのいけに浴よくして、ミヅアムルナリ 寂じゃく然ねんシヅカニシテ宴黙えんもくし、モノイハヌナリ 読誦どくじゅ・アルヒハキヤウヲヨミ解げ説せつアルヒハす。コトハリヲトクナリ◆かくのごとく遊ゆ楽らくすること相続そうぞくしてひまなし。 ところはこれ不ふ退たいなれば、 ながく三さん塗ず八難はちなんのをそれをまぬかれ、 いのちはまた无む量りょうなれば、 つゐに生しょう・老ろう・病びょう・死しの苦くなし。 心しん事じ相応そうおうすれば愛あい別べつ離りの苦くなく、 慧え眼げんひとしくみれば怨憎おんぞう会えの苦くなし。 白びゃく業ごうの報ほうなれば求ぐ不ふ得とくの苦くなし。 金剛こんごうの身みなれば五ご陰おん盛じょうの苦くなし。 ◆ひとたび七宝しっぽう荘しょう厳ごんのうてなに託たくしぬれば、 ながく三界さんがい苦く輪りんの海うみをわたる」 と。 已上

-いまかすかに聖教しょうぎょうの所説しょせつをきゝてもなを渇仰かつごうのこゝろをもよほす。 たゞちにみづから无為むいの法楽ほうらくを0843うけん、 むしろ歓かん喜ぎのおもひにたえんや。

総そうじて三輪さんりんをはなるゝことは、 如来にょらいの 「▲荘しょう厳ごん清浄しょうじょう功く徳どく成じょう就じゅ」 (浄土論) のゆへなり。 その 「功く徳どく」 といふは、 ¬論ろん¼ (浄土論) に 「▲かの世せ界かいの相そうを観かんずるに、 三界さんがいの道どうに勝しょう過がせり」 といへる、 これなり。

-¬註ちゅう¼ (論註巻上) にこの文もんを解げするには、 「▲この清浄しょうじょうはこれ総相そうそうなり。 ◆仏ぶつもとこの荘しょう厳ごん功く徳どくををこしたまふゆへは、 三界さんがいをみるにこれ虚偽こぎムナシクの相そう、イツハレルカタチこれ輪転りんでんのメグルカタチ相そう、 これ无む↠窮ぐうの相そうなり。 これしゃっ蠖かくオヨギムシの循じゅんメグリ環かんメグすル るがごとく、 蚕繭さんけんのカイコノマユみづから縛ばくするがごとし。 あはれなるかな、 衆しゅ生じょうこの三界さんがいにむすぼゝれて、 不ふ浄じょうに顛倒てんどうせること。 ◆衆しゅ生じょうを不ふ虚偽こぎのところ、 不ふ輪転りんでんのところ、 不ふ无む窮ぐうのところにをきて、 ▽畢ひっ竟きょう安楽あんらく大だい清浄しょうじょう処しょをえしめんとおぼす。 このゆへに、 この清浄しょうじょう荘しょう厳ごん功く徳どくををこしたまへり。 ◆成じょう就じゅといふは、 いふこゝろはこれ清浄しょうじょうにして破壊はえすべからず、 汚わ染ぜんすべからず。 三界さんがいはこれ汚わ染ぜんの相そう、 これ破壊はえの相そうなるがごとくにはあらざるなり」 といへり。

-このなかに 「虚偽こぎ」 といふは顛倒てんどうの義ぎなり。 すなはち无む常じょうを常じょうとおもひ、 不ふ浄じょうを浄じょうと執しゅうし、 苦くを楽らくと計けいするこゝろなり。 これに无我むがを我がとおもへるこゝろをくはへて四し倒とうといふなり。

-「輪転りんでん」 といふは、 涅ね槃はんの常住じょうじゅうをえざれば六道ろくどうに経歴きょうりゃくするなり。

-「无む窮ぐう」 といふは、 その輪転りんでんの一いっ世せにあらず、 二世にせにあらず、 はじめもな0844くはてもなきことをあらはすなり。

-¬摩訶まか止し観かん¼ (巻一上) に 「善悪ぜんあく輪環りんかんす」 といへるを、 ¬弘ぐ決けつ¼ (輔行巻一) にこれを釈しゃくすとして、 「善ぜんは非ひ想そうに通つうじ悪あくは无む間けんにきはまる、 のぼりてまたしづむ、 かるがゆへになづけて輪りんとす。 はじめもなくきはもなし、 これをたとふるに環かんのごとし」 といへる、 これそのこゝろなり。

-三輪さんりんことなれども、 すべてこれをいふに大だい苦くにあらずといふことなし。 この大だい苦くを対たい治じして 「△畢ひっ竟きょう安楽あんらく大だい清浄しょうじょう処しょ」 (論註巻上) をえしめたまふなり。 世よすでに末まっ世せなり、 これを利り益やくするはことに弥陀みだの本願ほんがんなり。 機きまた下機げきなり、 これを引いん入にゅうするは浄じょう土どの一門いちもんなり。 時ときをはかりて行ぎょうじ、 分ぶんをかへりみて修しゅすべし。

なかんづくに、 女人にょにんの出しゅつ離りはことにこの教きょうの肝心かんじんなり。 もし无漏むろの智ち水すいをほどこさずは、 いかでか五ご障しょうの垢く塵じんをすゝぐことあらん。 もし名みょう号ごうの梵風ぼんぷうをあふがずは、 なんぞ三悪さんまくの猛みょう火かをけすべきや。

-第だい十じゅう八はちの願がんに 「▲十方じっぽう衆しゅ生じょう」 (大経巻上) といへる、 ひろく男女なんにょにわたるといへども、 別べっして女人にょにん往おう生じょうの願がんををこしたまへるは、 ことに諸仏しょぶつの済さい度どにもれたる重障じゅうしょうをあはれみ、 十方じっぽうの浄じょう土どにきらはれたる極悪ごくあくをたすけんとなり。

-これによりて、 ¬観かん経ぎょう¼ の発ほっ起きをたづぬるに、 韋い提だいの厭えん苦くよりいでゝ定じょう散さん随ずい他たの二に善ぜんをとくといへども、 つゐに弘ぐ願がん随ずい自じの一門いちもんをあらはししかば、 夫ぶ人にんたちまちに大たい悟ご无む生しょうの益やくをえ、 侍じ女にょおなじく阿あ耨のく菩ぼ提だいの心しんををこしゝよりこのかた、 三さん従しょうを具ぐせりといへども三さん明みょうを証しょうせんことかたからず。 女身にょしんをうけたりといへども仏身ぶっしんをえんことをしる。 もともそのあとををひてねがふべし。 たれかその益やくをきゝてもとめざらんや。

-ほのかにきく、 日本にっぽん正しょう治じ二に年ねん庚かのえ申さる四し月がつ十じゅう二に日にち、 大内たいだい羅ら城せい門もんのあとにして、 農のう夫ふナリワヒ田たのなスルオトコ かよりおほきなる石いしをほりいだすことありけり。 たかさ六ろく尺しゃく、 ひろさ四し尺しゃく、 うへに文もん字じあり。 奇異きいのことなるによりて東とう寺じより奏聞そうもんしければ、 勅ちょく使しをたてられ、 文ぶん士しをフミノミチヲえらばれシレルヒトナリ てこれをいせらるゝに、 その字じ古こ文ぶんなるが、 つちのそこにありてそこばくの年序ねんじょをへぬれば、 点画てんかくたしかならざるによりて、 たやすくよむひとなし。

-そのとき、 月輪つきのわの禅ぜん定じょう殿でん下かの勅ちょく命めいとして黒谷くろだにの聖しょう人にんかのところにむかひ、 その字じを覧らんぜられてこれをよみたまひけり。 その文もん字じには、

「前代ぜんだいに伝つたはるところは、 聖しょう道どう聖しょう人にんの教きょう、 わが朝ちょうにいまだ弘ひろまらざるはこの宗しゅう旨しなり。 大同だいどう二に年ねん仲春ちゅうしゅん十じゅう九く日にち執筆しっぴつ嵯峨さがの帝みかどの国こく母も」

「前代所↠伝者、 聖道聖人之教、 我朝未↠弘者此宗旨也。 大同二年仲春十九日執筆嵯峨帝国母」

といふ三さん十じゅう六ろく字じなり。

-聖しょう人にんのたまひけるは、 大同だいどうのころほひ浄教じょうきょういまだきたらず。 さきよりつたはれる聖しょう道どうの教きょうに対たいして 「この宗しゅう旨し」 といへるは浄じょう土どの法門ほうもんなり。 「国こく母も」 といへるは在ざい世せの韋い提だいの再誕さいたんなりと料りょう簡けんしたまひければ、 叡感えいかんことにはなはだしくて、 すなはち聖しょう人にんのうつされたる本ほんを平びょう等どう院いん0845の宝蔵ほうぞうにおさめられけるとなん。 聖しょう人にんの出しゅっ世せにあたりて権ごん化けの未み来らい記きをえたる、 時機じきの純熟じゅんじゅく、 宗しゅう旨しの恢弘かいこう、 ヒロマルもともたふとむべし。

-平城へいぜい天皇てんのうの御ぎょ宇う大同だいどう二に年ねん丁ひのとの亥いより、 土つち御み門かど院いんの御ぎょ宇う正しょう治じ二に年ねん庚かのえ申さるにいたるまで三さん百びゃく九く十じゅう四し年ねんををくり、 その翌年よくねんアクルトシ建仁けんにん元歳がんさい辛かのとの酉とりより、 いま今きん上じょう聖暦せいれき永よう和わ五ご年ねん己つちのとの未ひつじにいたるまで百ひゃく七しち十じゅう四し年ねんをへたり。 大同だいどうのむかしよりいままでは、 あはせて五ご百ひゃく七しち十じゅう四し年ねんにあたる。 年ねん紀き眇びょう焉えんのハルカナルナリすゑにあたりて利り物もつ偏増へんぞうのときにあへり。 宿しゅく縁えんのをふところ慶きょう喜きもともふかし。

-さてもかの聖しょう人にんの禅房ぜんぼうに、 ことのやうけだかくしかるべき貴き女にょとおぼしき人ひとののぞみたまひけるが、 乗じょう御ぎょノリモノ のよそほひもみえず来らい入にゅうの儀ぎもさだかならで、 のどかに対面たいめんをとげねんごろに法門ほうもんの沙汰さたありければ、 勢観せいかん上しょう人にんあやしくおもはれけるに、 かへりたまふときは乗じょう車しゃなりければ、 ひそかにあとををひてみらるゝに、 賀茂かもの河原かわらのほとりにてにはかにみうしなひたてまつられければ、 いとゞ奇き特どくのおもひをなし、 いぶかしさのあまりに、 ことの子し細さいを聖しょう人にんに啓けいせられけるに、 それこそ韋い提だい希け夫ぶ人にんよ、 かもの大だい明みょう神じんにてましますなりとこたへたまひけり。

-かの大だい明みょう神じんの御ご本ほん地じをば、 ひとたやすくしらず、 たとひしれる人ひとも左右さうなくまうさぬことにてはんべるとかや。 いま聖しょう人にんののたまふところも、 いづれの仏ぶつ・菩ぼ薩さつとは0846おほせられねば、 当社とうしゃの故こ実じつをばわすれたまふにはあらで、 しかも韋い提だいの垂すい迹しゃくとしり、 あまさへまのあたり神体じんたいを拝はいしたまひければ、 大権だいごんのいたりいよいよ信しん敬きょうするにたれり。

-しかれば、 夫ぶ人にんのあとをまもりて往おう生じょうをねがはん人ひと、 和わ光こうの冥みょう助じょにもあづかり、 聖しょう人にんのをしへをあふぎて安あん養にょうをもとめんともがら、 出しゅつ離りの直道じきどうにむかひて女人にょにんも悪人あくにんもともに救く済さいスクハレをかうタテマツル ぶり、 自じ証しょうも利他りたもすみやかに円満えんまんせん。 これしかしながら弥陀みだ招しょう喚かんマネキメスの願力がんりき、 釈しゃく尊そん発遣はっけんのハラヒヤル 大だい慈じ、 かねてはまた歴代れきだい明めい師しの遺恩ゆいおん、 烈れっ祖そ聖しょう人にんの余よ徳とくなり。 あふぐべし、 信しんずべし。

右みぎ浄教じょうきょうの大綱たいこうに就つきて、 法ほう語ごの一いっ句くを書かき与あたへなん由よし、 契縁けいえん禅ぜん尼にの請しょうを得うるによりてこれを書しょす。 本来ほんらい無智むちの上うえ、 近会きんかい廃学はいがくの間あいだ、 しばしば固辞こじせしむといへども、 ひとへに懇望こんもうを避さけがたかりし故ゆえなり。 深ふかく思おもふに及およばず、 再ふたたび案あんずるに能あたはず、 ただ心こころに浮うかぶに任まかせてすなはち記しるし、 いやしうも志こころざしを遂とぐるをもつて詮せんとす、 肝要かんようの文言もんごんと謂いひがたし。 また臂ひ折せつの書役しょやくを恥はず。 堅かたく外見がいけんを禁きんずべし。 旁かたがた後謗こうほうを顧かえりみるためらくのみ。
文ぶん和わ五ご歳さい 丙ひのえの申さる 三月さんがつ四し日にち

右就↢浄教大綱↡、 書↢与法語一句↡哉之由、 依↠得↢契縁禅尼之請↡書↠之。 本来無智之上、 近会廃学之間、 屢雖↠令↢固辞↡、 偏難↠避↢懇望↡之故也。 不↠及↢深思↡、 不↠能↢再案↡、 只任↠浮↠心即記、 苟以↠遂↠志為↠詮、 叵↠謂↢肝要之文言↡。 亦恥↢臂折之書役↡。 堅可↠禁↢外見↡。 旁為↠顧↢後謗↡而已。
*文和五歳 丙申 三月四日

釈存覚六十七歳

 

底本は和歌山県真光寺蔵永正十六年書写本。 ただし訓(ルビ)は有国が補完し、 表記は現代仮名遣いとしている。