0999◎持じ0557名みょう鈔しょう 本ほん

 

【1】 ◎ひそかに​おもんみれ​ば、 *人身にんじんうけがたく仏ぶっ教きょうあひ​がたし。 しかるに​いま、 *片へん州しゅうなれども人身にんじんを​うけ、 末代まつだいなれども仏ぶっ教きょうに​あへ​り。 生しょう死じを​はなれ​て*仏ぶっ果かに​いたら​ん​こと、 いま​まさしく​これ​とき​なり。 このたび​つとめ​ず​して、 もし三さん途ずに​かへり​なば、 まことに▼宝たからの山やまに入いり​て、 手てを​むなしく​して​かへら​ん​が​ごとし。 なかんづくに、 無む常じょうの​かなしみ​は​まなこ​の​まへ​に​みて​り、 ひとり​として​も​たれ​か​のがる​べき。 三悪さんまくのヂゴクガクヰチフシヤウノ火かヒノ坑きょうアナ は​あし​の​した​に​あり、 仏法ぶっぽうを行ぎょうぜ​ずは​いかでか​まぬかれ​ん。 みな​ひと​こころ​を​おなじく​して、 ねんごろに仏道ぶつどうを​もとむ​べし。

【2】 しかるに仏道ぶつどうにおいて​さまざま​の門もんあり。 いはゆる顕けん教ぎょう・密みっ教きょう、 大だい乗じょう・小乗しょうじょう、 権ごん教きょう・実じっ教きょう、 *経きょう家け・*論ろん家げ、 その部ぶ*八はっ宗しゅう・九く宗しゅうに​わかれ、 その義ぎ千差せんじゃ万別まんべつなり。 いづれ​も釈しゃ迦か一仏いちぶつの説せつなれば、 利り益やくみな甚深じんじんなり。 説せつの​ごとく行ぎょうぜ​ば​ともに生しょう死じを出いづ​べし、 教きょうの​ごとく修しゅせ​ば​ことごとく菩ぼ提だいを得うべし。

-ただし1000、 時とき末法あっぽうに​および、 機き*下げ根こんに​なり​て、 かの諸しょ行ぎょうにおいて​は、 その行ぎょう成じょう就じゅして仏ぶっ果かを​え​ん​こと​はなはだ0558難かたし。 いはゆる釈しゃく尊そんの滅めつ後ごにおいて、 正しょう像末ぞうまつの三さん時じあり。 その​うち​正しょう法ぼう千年せんねんの​あひだ​は教きょう・行ぎょう・証しょうの三みつ​ともに具ぐ足そくし​き、 像法ぞうぼう千年せんねんの​あひだ​は教行きょうぎょうあり​と​いへども証しょう果かの​ひと​なし、 末法あっぽう万年まんねんの​あひだ​は教きょうのみ​あり​て行証ぎょうしょうは​なし。

-今いまの世よは​すなはち末法まっぽうの​はじめ​なれば、 ただ諸しょ宗しゅうの教きょう門もんは​あれども、 まことに行ぎょうを​たて証しょうを​うる​ひと​は​まれなる​べし。 されば智慧ちえを​みがき​煩悩ぼんのうを断だんぜ​ん​こと​も​かなひがたく、 こころ​を​しづめ​て禅ぜん定じょうを修しゅせ​ん​こと​も​ありがたし。

【3】 ここ​に念仏ねんぶつ往おう生じょうの一門いちもんは末代まつだい相応そうおうの要法ようぼう、 決けつ定じょう往おう生じょうの正しょう因いんなり。 この門もんにとりて、 また専修せんじゅ・雑修ざっしゅの二に門もんあり。

-専修せんじゅといふは、 ただ弥陀みだ一仏いちぶつの悲ひ願がんに帰きし、 ひとすぢに称名しょうみょう念仏ねんぶつの一いち行ぎょうを​つとめ​て他事たじを​まじへ​ざる​なり。

-雑修ざっしゅといふは、 おなじく念仏ねんぶつを申もうせ​ども、 かねて他たの仏ぶつ・菩ぼ薩さつをも念ねんじ、 また余よの一切いっさいの行ぎょう業ごうをも​くはふる​なり。

-この​ふたつ​の​なか​には、 専修せんじゅをもつて決けつ定じょう往おう生じょうの業ごうと​す。 その​ゆゑは弥陀みだの本願ほんがんの行ぎょうなる​がゆゑに、 *釈しゃく尊そん付ふ属ぞくの法ほうなる​がゆゑに、 *諸仏しょぶつ証誠しょうじょうの行ぎょうなる​がゆゑなり。

-おほよそ阿あ弥陀みだ如来にょらいは三さん世ぜの諸仏しょぶつの*本ほん師し1001なれば、 久く遠おん実じつ成じょうの古こ仏ぶつにて​ましませ​ども、 衆しゅ生じょうの往おう生じょうを決けつ定じょうせ​んがために、 しばらく法蔵ほうぞう比丘びくと​なのり​て、 その正しょう覚がくを成じょうじ​たまへ​り。

-かの*五ご劫こう思し惟ゆいの​むかし、 凡ぼん夫ぶ往おう生じょうの​たね0559を​えらび定さだめ​られ​し​とき、 布施ふせ・持じ戒かい・忍辱にんにく・精しょう進じん等とうの​もろもろ​の​わづらはしき行ぎょうをば​えらび​すて​て、 称名しょうみょう念仏ねんぶつの一いち行ぎょうをもつて​その本願ほんがんと​し​たまひ​き。 「念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃもし往おう生じょうせずは、 われ​も正しょう覚がくを取とら​じ」 と誓ちかひ​たまひ​し​に、 その願がんすでに成じょう就じゅして、 成じょう仏ぶつより​このかた​いまに十劫じっこうなり。

-如来にょらいの正しょう覚がくすでに成じょうじ​たまへ​り、 衆しゅ生じょうの往おう生じょうなんぞ疑うたがは​ん​や。

-これ​によりて釈しゃく尊そんは​この法ほうを​えらび​て*阿あ難なんに付ふ属ぞくし、 諸仏しょぶつは舌したを​のべ​て​これ​を証誠しょうじょうし​たまへ​り。

-かるがゆゑに一向いっこうに名みょう号ごうを称しょうする​ひと​は、 二に尊そんの御おんこころ​に​かなひ、 諸仏しょぶつの本ほん意いに順じゅんずる​がゆゑに往おう生じょう決けつ定じょうなり。

-諸しょ行ぎょうは​しからず。 弥陀みだ選せん択じゃくの本願ほんがんに​あらず、 釈しゃく尊そん付ふ属ぞくの教きょうに​あらず、 諸仏しょぶつ証誠しょうじょうの法ほうに​あらざる​がゆゑなり。

【4】 されば*善導ぜんどう和か尚しょうの ¬*往おう生じょう礼讃らいさん¼ の​なか​に、 くはしく二に行ぎょうの得失とくしつを​あげ​られ​たり。

-まづ専修せんじゅの得とくを​ほめ​て​いはく、 「▲もし​よく上かみの​ごとく念々ねんねん相続そうぞくして、 畢ひつ命みょうをイノチオハルヲ期ごと​するカギリトスルモノハもの​は、 十じゅうは​すなはち十じゅうながら生うまれ、 百ひゃくは​すなはち百ひゃくながら生うまる。 なにをもつてのゆゑに。 外げの雑縁ぞうえんなく​して正しょう念ねんを得うる​がゆゑに1002、 仏ぶつの本願ほんがんに相応そうおうする​がゆゑに、 教きょうに違いせざる​がゆゑに、 仏ぶつ語ごに随ずい順じゅんする​がゆゑに」 といへり。

-「外げの雑縁ぞうえんなく​して正しょう念ねんを得うる​がゆゑに」 といふは、 雑ぞう行ぎょう雑善ぞうぜんを​くはへ​ざれ​ば、 その​こころ散乱さんらんせず​して一いっ0560心しんの正しょう念ねんに住じゅうす​となり。

-「仏ぶつの本願ほんがんと相応そうおうする​がゆゑに」 といふは、 弥陀みだの本願ほんがんに​かなふ​といふ。

-「教きょうに違いせざる​がゆゑに」 といふは、 釈しゃく尊そんの​をしへ​に違たがは​ず​となり。

-「仏ぶつ語ごに随ずい順じゅんする​がゆゑに」 といふは、 諸仏しょぶつの​みこと​に​したがふ​となり。

 -つぎ​に雑修ざっしゅの失しつを​あげ​て​いはく、 「▲もし専せんを捨すて​て雑業ぞうごうを修しゅせ​ん​と​する​もの​は、 百ひゃくの​とき​に​まれに一いち二にを得え、 千せんの​とき​に​まれに五ご三さんを得う。

-◆なにをもつてのゆゑに。 雑縁ぞうえん乱動らんどうして正しょう念ねんを失うしなふ​に​よる​がゆゑに、 仏ぶつの本願ほんがんと相応そうおうせざる​に​よる​がゆゑに、 教きょうと相そう違いする​がゆゑに、 仏ぶつ語ごに順じゅんぜ​ざる​がゆゑに、 係け念ねん相続そうぞくせざる​がゆゑに、 憶想おくそう間断けんだんする​がゆゑに、 回え願がん慇いん重じゅう真実しんじつならざる​がゆゑに、 貪とん・瞋しん・諸見しょけんの煩悩ぼんのうきたり​て間断けんだんする​がゆゑに、 慚ざん愧ぎして​とが​を​くゆる​こと​なき​がゆゑに、

-◆また相続そうぞくして仏恩ぶっとんを念報ねんぽうせざる​がゆゑに、 心しんに軽きょう慢まんを生しょうじ​て業ごう行ぎょうを​なす​と​いへども、 つね​に名みょう利りと相応そうおうする​がゆゑに、 人にん我がみづから覆おおひ​て同どう行ぎょう・善ぜん知ぢ識しきに親近しんごんせざる​がゆゑに、 楽ねがひ​て雑縁ぞうえんに​ちかづき​て、 往おう生じょうの正行しょうぎょうを自じ1003障しょう障しょう他たする​がゆゑに」 といへり。

-雑修ざっしゅの​ひと​は弥陀みだの本願ほんがんに​そむき、 釈しゃ迦かの所説しょせつに​たがひ、 諸仏しょぶつの証誠しょうじょうに​かなは​ず​と​きこえ​たり。

 -なほ​かさねて二に行ぎょうの得失とくしつを判はんじ​て​いはく、 「▲意こころを​もつぱらに​して​なす​もの​は、 十じゅうは​すなはち十じゅうながら生うまる。 雑ぞう0561を修しゅして心しんを至いたさ​ざる​もの​は、 千せんの​なか​に​ひとり​も​なし」 といへり。

-雑修ざっしゅの​ひと​の往おう生じょうしがたき​こと​を​いふ​に、 はじめ​には、 しばらく百ひゃくの​とき​に一いち二にを​ゆるし、 千せんの​とき​に五ご三さんを挙あぐ​と​いへども、 のち​には​つひに千人せんにんの​なか​に​ひとり​も​ゆか​ず​と定さだむ。 *三昧さんまい発得ほっとくの人にん師し、 ことば​を尽つくし​て釈しゃくし​たまへ​り。 もつとも​これ​を仰あおぐ​べし。

【5】 おほよそ 「▲一向いっこう専念せんねん無む量りょう寿じゅ仏ぶつ」 といへる​は、 ¬*大だい経きょう¼ の誠じょう説せつなり。 諸しょ行ぎょうを​まじふ​べから​ず​と​みえ​たり。

-「▲一向いっこう専せん称しょう弥陀みだ仏ぶつ名みょう」 (*散善義) と判はんずる​は、 和か尚しょう (善導) の解げ釈しゃくなり。 念仏ねんぶつを​つとむ​べし​と​きこえ​たり。

-この​ゆゑに*源空げんくう聖しょう人にんこの​むね​を​をしへ、 *親鸞しんらん聖しょう人にんその​おもむき​を​すすめ​たまふ。 *一いち流りゅうの宗しゅう義ぎさらに​わたくし​なし。 まことに​このたび往おう生じょうを​とげ​ん​と​おもは​ん​ひと​は、 かならず一向いっこう専修せんじゅの念仏ねんぶつを行ぎょうず​べき​なり。

 しかるに*うるはしく一向いっこう専修せんじゅに​なる​ひと​は​きはめて​まれなり。 「▲難かたき​が​なか​に1004難かたし」 といへる​は、 ¬経きょう¼ (大経・下) の文もんなれば、 まことに*ことわりなる​べし。

-その​ゆゑ​を案あんずる​に、 いづれの行ぎょうにても、 もとより​つとめ​きたれ​る行ぎょうを​すてがたく​おもひ、 日ひごろ功こうを​いれ​つる仏ぶつ・菩ぼ薩さつを​さしおきがたく​おもふ​なり。

-これ​すなはち、 念仏ねんぶつを行ぎょうずれ​ば諸善しょぜんは​その​なか​に​ある​こと​を​しら​ず、 弥陀みだに帰きすれ​ば諸仏しょぶつの御おん0562こころ​に​かなふ​と​いふ​こと​を信しんぜ​ず​して、 如来にょらいの功く徳どくを疑うたがひ、 念仏ねんぶつの​ちから​を​あやぶむ​がゆゑなり。

 -おほよそ持じ戒かい・坐ざ禅ぜんの​つとめ​も*転てん経ぎょう・*誦呪じゅじゅの善ぜんも、 その門もんに入いり​て行ぎょうぜ​ん​に、 いづれ​も利り益やくむなしかる​まじけれ​ども、 それ​は​みな聖しょう人にんの修しゅ行ぎょうなる​がゆゑに、 凡ぼん夫ぶの身みには成じょうじがたし。

-▲われら​も過去かこには三さん恒ごう河が沙しゃの諸仏しょぶつの​みもと​にして、 大だい菩ぼ提だい心しんを発おこし​て仏道ぶつどうを修しゅせ​しか​ども、 自じ力りきかなは​ず​して​いま​まで流る転てんの凡ぼん夫ぶと​なれ​り。 いま​この身みにて​その行ぎょうを修しゅせ​ば、 行ぎょう業ごう成じょうぜ​ず​して​さだめて生しょう死じを出いでがたし。

-されば善導ぜんどう和か尚しょうの釈しゃく (散善義) に、 「▲わが身み無む際さいより​このかた、 他たと​ともに同どう時じに願がんを発おこし​て悪あくを断だんじ、 菩ぼ薩さつの道どうを行ぎょうじ​き。 他たは​ことごとく身しん命みょうを惜おしま​ず。 道どうを行ぎょうじ位くらいに​すすみ​て、 因いんまどかに果か熟じゅくす。 聖しょうを証しょうせ​る​もの*大だい地じ微み塵じんに踰こえ​たり。 しかるに​われら凡ぼん夫ぶ、 乃ない至し今日こんにちまで、 虚こ然ねん1005として流る浪ろうす」 といへる​は​この​こころ​なり。

-しかれば、 仏道ぶつどう修しゅ行ぎょうは、 よくよく機きと教きょうと​の分限ぶんげんを​はかり​て​これ​を行ぎょうず​べき​なり。 すべからく末法まっぽう相応そうおうの易い行ぎょうに帰きし​て、 決けつ定じょう往おう生じょうの​のぞみ​を​とぐ​べし​となり。

【6】 そもそも、 この念仏ねんぶつは​たもちやすき​ばかり​にて功く徳どくは余よ行ぎょうより​も劣れつならば、 おなじく​つとめ​ながら​も​その*いさみ​なかる​べき​に、 行ぎょうじやすく​して功く徳どくは諸しょ行ぎょうに​すぐれ0563、 修しゅしやすく​して*勝しょう利りは余よ善ぜんに​すぐれ​たり。 弥陀みだは諸仏しょぶつの本ほん師し、 念仏ねんぶつは諸しょ教きょうの肝心かんじんなる​がゆゑなり。

-これ​によりて、 ¬大だい経きょう¼ には一念いちねんをもつて▲大だい利り無む上じょうの功く徳どくと説とき、 ¬*小経しょうきょう¼ には念仏ねんぶつをもつて▲多た善根ぜんごん福徳ふくとくの因縁いんねんと​する​むね​を説とき、 ¬*観かん経ぎょう¼ には念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃを​ほめ​て▲人にん中ちゅうの分ふん陀利だり華けに​たとへ、 ¬*般舟はんじゅ経きょう¼ には 「三さん世ぜの諸仏しょぶつみな*弥陀みだ三昧ざんまいに​より​て正しょう覚がくを​なる」 (意) と説とけり。

-この​ゆゑに善導ぜんどう和か尚しょうの釈しゃく (*定善義) に​いはく、 「▲自余じよ衆善しゅぜん 雖すい名みょう是ぜ善ぜん 若にゃく比ひ念仏ねんぶつ者しゃ 全ぜん非ひ比ひ校きょう也や」 といへり。 こころ​は、 「自余じよの​もろもろ​の善ぜんも、 これ善ぜんと名なづく​と​いへども、 もし念仏ねんぶつに​たくらぶれ​ば、 まつたく​ならべ​たくらぶ​べき​に​あらず」 となり。

また​いはく、 「▲念仏ねんぶつ三昧ざんまい 功く能のう超ちょう絶ぜつ 実じつ非ひ雑善ぞうぜん 得とく為い比ひ類るい」 (散善義) といへり。 こころ​は、 「念仏ねんぶつ三昧ざんまいの功く能のう、 余よ善ぜんに超こえ​すぐれ1006て、 まことに雑善ぞうぜんをもつて​たぐひ​と​する​こと​を得うる​に​あらず」 となり。

 -ただ浄じょう土どの一いっ宗しゅうのみ念仏ねんぶつの行ぎょうを​たふとむ​に​あらず。 他た宗しゅうの高こう祖そまた​おほく弥陀みだを​ほめ​たり。

-天台てんだい大だい師し (*智顗) の釈しゃく (*摩訶止観) に​いはく、 「若唱にゃくしょう弥陀みだ 即そく是ぜ唱しょう十方じっぽう仏ぶつ 功く徳どく正しょう等とう 但専たんせん以い弥陀みだ 為い法門ほうもん主しゅ」 といへり。 こころ​は、 「もし弥陀みだを唱となふれ​ば、 すなはち​これ十方じっぽうの仏ぶつを唱となふる​と功く徳どくまさに​ひとし。 ただ​もつぱら弥陀みだをもつて法門ほうもんの主あるじと​す」 となり。

-また*慈じ恩おん大だい師しの釈しゃく (*西方要決) に​いはく、 「▲諸仏しょぶつ願がん行ぎょう 成じょう此し果か名みょう 但能たんのう念号ねんごう 具ぐ包ほう衆徳しゅとく」 0564といへり。 こころ​は、 「諸仏しょぶつの願がん行ぎょう、 この果かの名なを成じょうず。 ただ​よく号みなを念ねんずれ​ば、 つぶさに​もろもろ​の徳とくを包かぬ」 となり。

-おほよそ諸しょ宗しゅうの人にん師し、 念仏ねんぶつを​ほめ西方さいほうを​すすむる​こと、 挙あげ​て​かぞふ​べから​ず。 しげき​がゆゑに​これ​を略りゃくす。 ゆめゆめ念仏ねんぶつの功く徳どくを​おとしめ​おもふ​こと​なかれ。

【7】 しかるに​ひと​つね​に​おもへらく、 つたなき​もの​の行ぎょうずる法ほうなれば念仏ねんぶつの功く徳どくは劣おとる​べし、 たふとき​ひと​の修しゅする教きょうなれば諸しょ教きょうは勝まさる​べし​と​おもへ​り。 その義ぎしからず。 下げ根こんの​もの​の​すくは​る​べき法ほうなる​がゆゑに、 ことに最さい上じょうの法ほうと​は​しら​るる​なり。

-ゆゑ​いかんとなれば、 薬くすりをもつて病やまいを治ちする​に、 かろき病やまい1007をば​かろき薬くすりをもつて​つくろひ、 おもき病やまいをば​おもき薬くすりをもつて​いやす。 病やまいを​しり​て薬くすりを​ほどこす、 これ​を良りょう医いヨキクスシと​なづく。 如来にょらいは​すなはち良りょう医いの​ごとし。 機きを*かがみ​て法ほうを与あたへ​たまふ。

-しかるに上じょう根こんの機きには諸しょ行ぎょうを授さずけ、 下げ根こんの機きには念仏ねんぶつを​すすむ。 これ​すなはち、 *戒かい行ぎょうも*まつたく、 智慧ちえも​あら​ん​ひと​は、 たとへば病やまいあさき​ひと​の​ごとし。 かからん​ひと​をば諸しょ行ぎょうの​ちから​にても​たすけ​つ​べし。 智慧ちえも​なく悪業あくごうふかき末まつ世せの凡ぼん夫ぶは、 たとへば病やまいおもき​もの​の​ごとし。 これ​をば弥陀みだの名みょう号ごうの​ちからに​あらず​して​は​すくふ​べき​に​あらず。 かるがゆゑに罪悪ざいあくの衆しゅ生じょうの​たすか0565る法ほうと​きく​に、 法ほうの​ちから​の​すぐれ​たる​ほど​は、 ことに​しら​るる​なり。

-されば ¬*選せん択じゃく集しゅう¼ の​なか​に、 「▲極悪ごくあく最さい下げの人ひとの​ため​に、 しかも極善ごくぜん最さい上じょうの法ほうを説とく。 ◆例れいせ​ば、 かの無む明みょう淵源えんげんの病やまいは中ちゅう道どう府ふ蔵ぞうの薬くすりに​あらざれ​ば​すなはち治ちする​こと​あたは​ざる​が​ごとし。 ◆いま​この五ご逆ぎゃくは重病じゅうびょうの淵源えんげんなり。 また​この念仏ねんぶつは霊薬れいやくのヨキクスリノ府ふ蔵ぞうキハマリナリなり。 この薬くすりに​あらず​は、 なんぞ​この病やまいを治ちせ​ん」 といへる​は、 この​こころ​なり。

 -そもそも、 弥陀みだ如来にょらいの利り益やくの​ことに​すぐれ​たまへる​こと​は、 煩悩ぼんのう具ぐ足そくの凡ぼん夫ぶの*界かい外げの報ほう土どに生うまるる​がゆゑなり。

-善導ぜんどう和か尚しょうの釈しゃく (*法事讃・下) に​いはく1008、 「▲一切いっさい仏ぶつ土ど皆かい厳ごん浄じょう 凡ぼん夫ぶ乱想らんそう恐く難なん生しょう 如来にょらい別べっ指し西方さいほう国こく 従じゅう是ぜ超ちょう過か十じゅう万億まんおく」 と​いへり。 こころ​は、 「一切いっさいの仏ぶつ土どは​みな*いつくしく​きよけれ​ども、 凡ぼん夫ぶの乱想らんそうおそらくは生うまれがたし。 如来にょらい別べっし​て西方さいほう国こくを​さし​たまふ。 これ​より十じゅう万まん億おくを超こえ過すぎ​たり」 となり。

-ことに*阿あ閦しゅく・*宝ほう生しょうの浄じょう土ども​たへに​して​すぐれ​たり。 *密厳みつごん・*華け蔵ぞうの宝刹ほうせつも​きよく​して​めでたけれ​ども、 乱想らんそうの凡ぼん夫ぶは​かげ​をも​ささ​ず、 具ぐ縛ばくの​われら​は​のぞみ​を​たて​り。

-しかるに阿あ弥陀みだ如来にょらいの本願ほんがんは、 十じゅう悪あくも五ご逆ぎゃくも​みな摂せっして、 きらは​るる​もの​も​なく、 すて​らるる​もの​も​なし。 安あん養にょうの浄じょう土どは謗法ほうぼうも闡提せんだいも​おなじく生うまれ​て、 もるる​ひと​も​なく、 のこる​ひと​も​なし。 諸仏しょぶつの浄じょう土どに​きらは​れ0566たる五ご障しょうの女人にょにんは、 かたじけなく*聞もん名みょう往おう生じょうの益やくに​あづかり、 無む間けんの炎ほのおに​まつは​る​べき五ご逆ぎゃくの罪人ざいにんは、 すでに滅罪めつざい得とく生しょうツミヲケシテムマルの証しょうヽコトヲウルを​あらはす。

-されば超ちょう世せの悲ひ願がんとも​なづけ、 *不共ふぐの利り生しょうとも号ごうす。 かかる殊しゅ勝しょうの法ほうなる​がゆゑに、 これ​を行ぎょうずれ​ば諸仏しょぶつ・菩ぼ薩さつの擁よう護ごに​あづかり、 これ​を修しゅすれ​ば諸天しょてん・善神ぜんじんの加護かごを​かうぶる。 ただ​ねがふ​べき​は西方さいほうの浄じょう土ど、 行ぎょうず​べき​は念仏ねんぶつの一いち行ぎょうなり。

 

持じ名みょう鈔しょう 本ほん

 

1009持じ名みょう0567鈔しょう 末まつ

 

【8】 問とう​て​いはく、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃ、 *神明しんめいに事つこうまつら​ん​こと、 いかが​はんべる​べき。

 答こたへ​て​いはく、 余よ流りゅうの所談しょだんは​しら​ず、 親鸞しんらん聖しょう人にんの勧かん化けの​ごとき​は、 これ​を​いましめ​られ​たり。

-いはゆる ¬*教行きょうぎょう証しょうの文類もんるい¼ の六ろく (化身土巻) に諸しょ経きょうの文もんを引ひき​て、 仏法ぶっぽうに帰きせ​ん​もの​は、 その余よの*天神てんじん・地祇じぎに事つこうまつる​べから​ざる旨むねを判はんぜ​られ​たり。 この義ぎの​ごとき​は念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃに​かぎら​ず、 総そうじて仏法ぶっぽうを行ぎょうじ仏ぶつ弟子でしに​つらなら​ん​ともがら​は、 これ​に事つこふ​べから​ず​と​みえ​たり。

-しかれども、 ひと​みな​しからず、 さだめて存ぞんずる​ところ​ある​か歟 。 それ​を是非ぜひする​には​あらず。 聖しょう人にん (親鸞) の一いち流りゅうにおきて​は、 もつとも​その所判しょはんを​まもる​べき​ものを​や。

-おほよそ神明しんめいにつきて*権社ごんしゃ・*実社じっしゃの不ふ同どうあり​と​いへども、 内ない証しょうは​しら​ず、 まづ示じ同どうボムブニの​おもてドウジタマフオモは​みなテハトイフ これ輪りん廻ねの果か報ほう、 なほ​また九く十じゅう五ご種しゅの外げ道どうの​うち​なり1010。 仏道ぶつどうを行ぎょうぜ​ん​もの、 これ​を事ことと​す​べから​ず。

-ただし​これ​に事つかへ​ず​とも、 もつぱら​かの神慮しんりょには​かなふ​べき​なり。 これすなはち和わ光こう同塵どうじんはヒカリヲヤハラゲテチリニマジハルハ結縁けちえんエンヲムのスブハジメはじめ、 八相はっそう成じょう道どうはツヰニブチダウヲナルハ利り物もつのシユジヤウヲをはりリヤクスルオなるハリナリトイフゆゑに、 垂すい迹しゃく0568の本ほん意いは、 *しかしながら衆しゅ生じょうに縁えんを結むすび​て​つひに仏道ぶつどうに入いら​しめ​ん​が​ため​なれば、 真実しんじつ念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃに​なり​て​このたび生しょう死じを​はなれ​ば、 神明しんめいことに​よろこび​を​いだき、 権現ごんげんさだめて笑えみ​を含ふくみ​たまふ​べし。 一切いっさいの*神じん祇ぎ・*冥みょう道どう、 念仏ねんぶつの​ひと​を擁よう護ごす​といへる​は​この​ゆゑなり。

【9】 問とう​て​いはく、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃは、 諸仏しょぶつ・菩ぼ薩さつの擁よう護ごにも​あづかり、 諸天しょてん・善神ぜんじんの加護かごをも​かうぶる​べし​といふは、 浄じょう土どに往おう生じょうせ​しめ​ん​が​ため​に​ただ信心しんじんを守しゅ護ごし​たまふ​か歟 、 また*今こん生じょうの穢え体たいをも​まもり​て​もろもろ​の所願しょがんをも成じょう就じゅせ​しめ​たまふ​か歟 。 あきらかに​これ​を​きか​ん​と​おもふ。

 答こたへ​て​いはく、 かの仏ぶつの心光しんこう、 この​ひと​を摂しょう護ごして捨すて​ず​とも​いひ、 六方ろっぽうの諸仏しょぶつ、 信心しんじんを護ご念ねんす​とも釈しゃくすれ​ば、 信心しんじんを​まもり​たまふ​こと​は仏ぶつの本ほん意いなれば申もうす​に​およば​ず。 しかれども、 まこと​の信心しんじんを​うる​ひと​は、 現げん世ぜにも​その益やくに​あづかる​なり。

-いはゆる善導ぜんどう和か尚しょうの ¬*観念かんねん法門ぼうもん¼ に、 ¬▲*観仏かんぶつ三昧ざんまい経きょう¼・¬▲*十じゅう往おう生じょう経きょう¼・¬▲*浄じょう土ど三昧さんまい経きょう¼・¬▲*般舟はんじゅ三昧ざんまい経きょう¼ 等とうの諸しょ経きょうを引ひき​て、 一心いっしんに弥陀みだに帰きし1011て往おう生じょうを​ねがふ​もの​には、 諸仏しょぶつ・菩ぼ薩さつかげ​の​ごとくに​したがひ、 諸天しょてん・善神ぜんじん昼ちゅう夜やに守しゅマモリ 護ごマモルし​て、 一切いっさいの 災さいワザハヒ障しょうサハリおのづから*のぞこり、 もろもろ​の​ねがひ​かならず​みつ​べき0569義ぎを釈しゃくし​たまへ​り。

 -されば阿あ弥陀みだ仏ぶつは、 現げん世ぜ・後ご生しょうの利り益やくともに​すぐれ​たまへる​を、 浄じょう土どの三さん部ぶ経きょうには後ご生しょうの利り益やくばかり​を説とけ​り、 余よ経きょうには​おほく現げん世ぜの益やくをも​あかせ​り。

かの ¬*金光こんこう明経みょうきょう¼ は*鎮ちん護ご国こっ家かの妙みょう典でんなり。 かるがゆゑに、 この経きょうより説ときいだす​ところの仏ぶつ・菩ぼ薩さつをば、 護ご国こくの仏ぶつ・菩ぼ薩さつと​す。 しかるに*正宗しょうしゅうの*四し品ほんの​うち、 「寿じゅ量りょう品ほん」 を説とき​たまへる​は、 すなはち西方さいほうの阿あ弥陀みだ如来にょらいなり。 これ​によりて阿あ弥陀みだ仏ぶつをば、 ことに*息災そくさい延命えんめい、 護ご国こくの仏ぶつと​す。

-▲*かの天竺てんじく (印度) に*毘び舎しゃ離り国こくといふ国くにあり。 その国くにに五ご種しゅの疫癘えきれいおこり​て、 ひと​ごと​に​のがるる​もの​なかり​し​に、 月蓋がつがい長ちょう者じゃ、 釈しゃ迦か如来にょらいに​まゐり​て、 「いかに​して​かこの病やまいを​まぬかる​べき」 と申もうし​しか​ば、 「西方さいほう極楽ごくらく世せ界かいの阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんじ​たてまつれ」 と仰おおせ​られ​けり。 さて家いえに​かへり​て、 をしへ​の​ごとく念ねんじ​たてまつり​けれ​ば、 弥陀みだ・観音かんのん・勢せい至しの三尊さんぞん、 長ちょう者じゃの家いえに来きたり​たまひ​し​とき、 五ご種しゅの疫神やくじんまのあたり​ひと​の目めに​みえ​て、 すなはち国こく土どを出いで​ぬ。 とき​に​あたり​て、 国くにの​うち​の病やまいことごとく​すみやかに1012やみ​にき。

-その​とき現げんじ​たまへ​り​し三尊さんぞんの形ぎょう像そうを、 月蓋がつがい長ちょう者じゃ、 閻えん浮ぶ檀だん金ごんをもつて*鋳いうつし​たてまつり​けり。 その像ぞうといふは、 いま​の*善光ぜんこう寺じの如来にょらいこれ​なり。 *霊験れいげんまことに厳げん重ちょうなり。

-また​わが朝ちょうには、 *嵯峨さがの天皇てんのうの御おん時とき0570、 天てん下かに日ひてり、 雨あめくだり、 病やまいおこり、 戦いくさいでき​て国こく土どおだやかなら​ざり​し​に、 いづれの行ぎょうの​ちから​にて​か​この難なんは​とどま​る​べき​と、 伝でん教ぎょう大だい師し (*最澄) に勅ちょく問もんあり​しか​ば、 「*七難しちなん消しょう滅めつの法ほうには南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつに​しかず」 とぞ申もうさ​れ​ける。

-おほよそ弥陀みだの*利り生しょうにて、 わざはひ​を​はらひ難なんを​のぞき​たる​ためし、 異い国こくにも*本ほん朝ちょうにも​その​あと​これ​おほし。 つぶさに​しるす​に​いとま​あらず。 されば国くにの災難さいなんを鎮しずめ、 身みの*不ふ祥しょうをヨカラヌコト ​はらは​ん​と​おもは​ん​にも、 名みょう号ごうの功く用ゆうには​しかざる​なり。

 -ただし、 これ​は​ただ念仏ねんぶつの利り益やくの*現当げんとうを​かね​たる​こと​を​あらはす​なり。 しかり​と​いへども、 *まめやかに浄じょう土どを​もとめ往おう生じょうを​ねがは​ん​ひと​は、 この念仏ねんぶつをもつて現げん世ぜの​いのりと​は​おもふ​べから​ず。 ただ​ひとすぢに出しゅつ離り生しょう死じの​ため​に念仏ねんぶつを行ぎょうずれ​ば、 はからざるに今こん生じょうの祈き祷とうとも​なる​なり。

-これ​によりて ¬*藁幹こうかん喩ゆ経きょう¼ といへる経きょうの​なか​に、 信心しんじんをもつて菩ぼ提だいを​もとむれ​ば現げん世ぜの*悉しつ地じも成じょう就じゅす​べき​こと​を​いふ​として、 ひとつ​の​たとへ​を説とけ​る​こと​あり。 「たとへば​ひと1013あり​て、 種たねを​まき​て稲いねを​もとめ​ん。 まつたく藁わらを​のぞま​ざれ​ども、 稲いねいでき​ぬれ​ば藁わらおのづから得うる​が​ごとし」 といへり。 稲いねを得うる​もの​は​かならず藁わらを得うる​が​ごとくに、 後世ごせを​ねがへ​ば現げん世ぜの​のぞみ​も​かなふ​なり。 藁わらを得うる​もの​は稲いねを得え0571ざる​が​ごとくに、 現げん世ぜの福報ふくほうを​いのる​もの​は​かならずしも後ご生しょうの善ぜん果かをば得えず​となり。

 -経釈きょうしゃくの​のぶ​る​ところ​かくのごとし。 ただし、 今こん生じょうを​まもり​たまふ​こと​は、 もとより仏ぶつの本ほん意いに​あらず。 かるがゆゑに、 *前業ぜんごうもし​つよく​は、 これ​を転てんぜ​ぬ​こと​も​おのづから​ある​べし。 後ご生しょうの善ぜん果かを得えしめ​ん​こと​は、 もつぱら如来にょらいの本懐ほんがいなり。 かるがゆゑに、 無む間けんに堕だす​べき業ごうなり​とも、 それ​をば​かならず転てんず​べし。

-しかれば、 たとひ​もし今こん生じょうの利り生しょうは​むなしき​に似にたる​こと​あり​とも、 ゆめゆめ往おう生じょうの大益だいやくをば疑うたがふ​べから​ず。 いはんや現げん世ぜにも​その利り益やくむなしかる​まじき​こと​は聖教しょうぎょうの説せつなれば、 仰あおい​で​これ​を信しんず​べし。 ただ​ふかく信心しんじんを​いたし​て一向いっこうに念仏ねんぶつを行ぎょうず​べき​なり。

【10】問とう​て​いはく、 真実しんじつの信心しんじんを​え​て​かならず往おう生じょうを得うべし​といふ​こと、 いまだ​その​こころ​を​え​ず。 南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつといふは、 弥陀みだの本願ほんがんなる​がゆゑに決けつ定じょう1014往おう生じょうの業因ごういんならば、 これ​を*口くちに​ふれ​ん​もの、 みな往おう生じょうす​べし、 なんぞ​わづらはしく信心しんじんを具ぐす​べし​といふ​や。 また信心しんじんといふは、 いかやうなる​こころ​を​いふ​ぞや。

 答こたへ​て​いはく、 南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつといへる*行ぎょう体たいは往おう生じょうの正しょう業ごうなり。 しかれども、 機きに信しんずる​と信しんぜ​ざる​と​の不ふ同どうある​がゆゑに、 往おう生じょうを得うる​と得えざる​と​の差別しゃべつあり0572。 かるがゆゑに、 ¬大だい経きょう¼ には三信さんしんと説とき、 ¬観かん経ぎょう¼ には三心さんしんと示しめし、 ¬小しょう経きょう¼ には一心いっしんと​あかせ​り。 これ​みな信心しんじんを​あらはす​ことば​なり。

-この​ゆゑに、 源空げんくう聖しょう人にんは、 「▲生しょう死じの家いえには疑うたがいをもつて所しょ止しと​し、 涅ね槃はんの​みやこ​には信しんをもつて能のう入にゅうと​す」 (選択集) と判はんじ、 親鸞しんらん聖しょう人にんは、 「▲よく一念いちねん喜き愛あいの心しんを発おこせ​ば、 煩悩ぼんのうを断だんぜ​ず​して涅ね槃はんを得う」 (正信偈) と釈しゃくし​たまへ​り。 他た力りきの信心しんじんを成じょう就じゅして報ほう土どの往おう生じょうを得うべし​といふ​こと、 すでに​あきらかなり。 その信心しんじんといふは、 疑うたがいなき​をもつて信しんと​す。 いはゆる仏ぶつ語ごに随ずい順じゅんして​これ​を疑うたがは​ず、 ただ師し教きょうを​まもり​て​これ​に違いせ​ざる​なり。

 -おほよそ*無始むしより​このかた生しょう死じに​めぐり​て六道ろくどう四し生しょうを​すみか​と​せ​し​に、 いま​ながき輪りん廻ねの​きづな​を​きり​て無為むいの浄じょう土どに生しょうぜ​ん​こと、 釈しゃ迦か・弥陀みだ二に世せ尊そんの大だい悲ひ1015に​よら​ず​といふ​こと​なく、 代々だいだい相そう承じょうの祖師そし・先徳せんどく・善ぜん知ぢ識しきの恩徳おんどくに​あらず​といふ​こと​なし。

-そのゆゑは、 われら​が​ありさま​を​おもふ​に、 地じ獄ごく・餓鬼がき・畜ちく生しょうの三悪さんまくを​まぬかれ​ん​こと、 道どう理りとして​は​あるまじき​こと​なり。 十じゅう悪あく・三毒さんどく身みに​まつはれ​て、 とこしなへに輪りん廻ね生しょう死じの因いんを​つみ、 *五ご塵じん・*六欲ろくよくこころ​に染しみ​て、 ほしいままに三さん有ぬ流る転てんの業ごうを​かさぬ。 *五ご篇ひん・七聚しちじゅの戒品かいほんひとつ​として​これ​を​たもつ​こと​なく、 六ろく度ど・四し摂しょうの功く徳どくひとつ​として​こころ​にも​かけ​ず。 朝あさな夕ゆう0573なに​おこす​ところ​は​みな妄念もうねん、 とにもかくにも​きざす​ところ​は​ことごとく悪業あくごうなり。 かかる罪ざい障しょうの凡ぼん夫ぶにて​は、 人にん中ちゅう・天てん上じょうの果か報ほうを得えん​こと​も​なほ​かたかる​べし。 いかに​いはんや出しゅっ過か三界さんがいの浄じょう土どに生うまれ​ん​こと​は、 おもひよら​ぬ​こと​なり。

 -ここ​に弥陀みだ如来にょらい、 *無む縁えんの慈悲じひに​もよほさ​れ、 深じん重じゅうの弘ぐ願がんを発おこし​て、 ことに罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶを​たすけ、 ねんごろに称名しょうみょう往おう生じょうの易い行ぎょうを授さずけ​たまへ​り。 これ​を行ぎょうじ​これ​を信しんずる​もの​は、 ながく六道ろくどう生しょう死じの苦く域いきクルシミを出いノサカヒで​て、 *あまつさへ無為むい無漏むろの報ほう土どに生うまれ​ん​こと​は、 不可ふか思議しぎの​さいはひなり。

-しかるに弥陀みだ如来にょらい超ちょう世せの本願ほんがんを発おこし​たまふ​とも、 釈しゃ迦か如来にょらいこれ​を説とき​のべ​たまは​ず​は、 娑しゃ婆ばの衆しゅ生じょういかでか出しゅつ離りの​みち​を​しら​ん。

-されば ¬法ほう事じ讃さん¼ (下) の釈しゃくに、 「▲不ふ1016因いん釈しゃ迦か仏ぶつ開かい悟ご 弥陀みだ名みょう願がん何時かじ聞もん」 といへり。 こころ​は、 「釈しゃ迦か仏ぶつの​をしへ​に​あらず​は、 弥陀みだの名よう願がんいづれの​とき​にか​きか​ん」 となり。

-たとひ​また、 釈しゃく尊そん西天さいてん (印度) に出いで​て*三さん部ぶの妙みょう典でんを説とき、 *五祖ごそ東漢とうかん (中国) に生うまれ​て西方さいほうの往おう生じょうを​をしへ​たまふ​とも、 源空げんくう・親鸞しんらんこれ​を​ひろめ​たまふ​こと​なく、 次し第だい相そう承じょうの善ぜん知ぢ識しきこれ​を授さずけ​たまは​ず​は、 われら​いかでか生しょう死じの根源こんげんを​たた​ん。 まことに*連劫れんごう累劫るいこうを​ふ​とも、 その恩徳おんどくを報むくひがたき​ものなり。

-これ​によりて善導ぜんどう和か尚しょうの解げ釈しゃく (観念法門・意) を​うかがふ​に、 「▲身みを粉こに​し骨ほねを0574砕くだき​ても、 仏法ぶっぽうの恩おんをば報ほうず​べし」 と​みえ​たり。 これ​すなはち、 仏法ぶっぽうの​ため​には身しん命みょうをも​すて財宝ざいほうをも惜おしむ​べから​ざる​こころ​なり。

-この​ゆゑに ¬摩訶まか止し観かん¼ (意) の​なか​には、 「一日いちにちに​みたび恒沙ごうじゃの身しん命みょうを捨すつ​とも、 なほ一いっ句くの力ちからを報ほうずる​こと​あたは​じ。 いはんや両りょう肩けんにフタツノカタ 荷かニナヒ 負ぶオフテして百ひゃく千万せんまん劫こうす​とも、 むしろ仏法ぶっぽうの恩おんを報ほうぜ​ん​や」 といへり。 恒沙ごうじゃの身しん命みょうを捨すて​ても、 なほ一いっ句くの法門ほうもんを​きけ​る報むくひ​には​およば​ず。 まして*順じゅん次じ往おう生じょうの教きょうを​うけ​て、 このたび生しょう死じを​はなる​べき身みと​なり​なば、 一いっ世せの身しん命みょうを捨すて​ん​は​もの​の数かずなる​べき​に​あらず。 身しん命みょうなほ惜おしむ​べから​ず。 いはんや財宝ざいほうをや。

-この​ゆゑに*斯し琴きん王おうの私訶しか提だい仏ぶつに仕つかへ、 梵ぼん摩ま達だつが1017珍宝ちんぽう比丘びくに仕つかへ​し ˆにˇ 飲食おんじき・衣え服ぶく・臥具がぐ・医い薬やくの四事しじの供く養ようを​のべ​き。 これ​みな念仏ねんぶつ三昧ざんまいの法ほうを​きか​ん​が​ため​なり。 おほよそ仏法ぶっぽうに​あふ​こと​は、 *おぼろげ​の縁えんにて​は​かなは​ず、 *おろかなる​こころざし​にて​は​とげがたき​こと​なり。

-*大王だいおうの妙みょう法ほうを​もとめ​し給きゅう仕じを千載せんざいに​いたし、 *常じょう啼たいの般若はんにゃを​きき​し五ご百ひゃく由ゆ旬じゅんの城しろに​いたる。 されば仏法ぶっぽうを行ぎょうずる​には、 家いえをも​すて欲よくをも​すて​て修しゅ行ぎょうす​べき​に、 世よをも​そむか​ず*名みょう利りにも*まつはれ​ながら、 *めでたき無む上じょうの仏法ぶっぽうを​きき​て、 ながく輪りん廻ねの故こ郷きょうを​はなれ​ん​こと​は、 ひとへに​はから​ざる​さいはひなり。 まことに​これ、 本ほん師し0575知ち識しきの恩徳おんどくに​あらず​といふ​こと​なし。 *ちから​の堪たへ​ん​に​したがひ​て、 いかでか報謝ほうしゃの​こころざし​を*ぬきいで​ざらん​や。

-¬*長じょう阿あ含ごん経きょう¼ の​なか​に、 師し長ちょうに仕つこうまつる​に五いつつ​の​こと​ある​こと​を説とけ​り。 「一ひとつ​には給きゅう仕じを​いたし、 二ふたつ​には礼らい敬きょう供く養ようす、 三みつ​には尊そん重じゅう頂ちょう戴だいす、 四よつ​には師し、 教勅きょうちょくあれば敬順きょうじゅんして​たがふ​こと​なし、 五いつつ​には師しに​したがひ​て法ほうを​きき、 よく​たもち​て​わすれ​ず」 といへり。

-しかれば、 きく​ところの法ほうを​よく​たもち、 その命めいを​すこしも​そむか​ず、 こころざし​を​ぬきいで​て給きゅう仕じ・供く養ようを​いたし、 まこと​を​はげまし​て尊そん重じゅう・礼らい敬きょうす​べき​なり。

 -1018これ​すなはち、 木像もくぞうもの​いは​ざれ​ば​みづから仏ぶっ教きょうを​のべ​ず、 経きょう典てんくち​なけれ​ば*てづから法門ほうもんを説とく​こと​なし。 この​ゆゑに仏法ぶっぽうを授さずくる師し範はんをもつて、 滅めつ後ごの如来にょらいと​たのむ​べき​がゆゑなり。 しかのみならず善導ぜんどう和か尚しょうは「▲同どう行ぎょう・善ぜん知ぢ識しきに親近しんごんせよ」 (礼讃) と​すすめ、 慈じ恩おん大だい師しは、 「同縁どうえんの​とも​を敬うやまへ」 (西方要決) とのべられたり。

-そのゆゑは、 善ぜん知ぢ識しきに​ちかづき​ては​つね​に仏法ぶっぽうを聴ちょう聞もんし、 同どう行ぎょうに​むつび​ては信心しんじんを​みがく​べし​といふ​こころ​なり。 わろから​ん​こと​をば​たがひに​いさめ、 ひがま​ん​こと​をば​もろともに​たすけ​て、 正しょう路ろにタヾシキミチ ​おもむか​しめ​ん​が​ため​なり。

-かるがゆゑに、 師しの​をしへ​を​たもつ​は​すなはち仏ぶっ教きょうを​たもつ​なり、 師しの恩おんを報ほうずる​は​すなはち仏恩ぶっとんを報ほう0576ずる​なり。 同どう行ぎょうの​ことば​を​もちゐ​ては、 すなはち諸仏しょぶつの​みこと​を信しんずる​おもひ​を​なす​べし。 他た力りきの大信心しんじんを​うる​ひと​は、 その内ない証しょう、 如来にょらいに​ひとしき​いはれ​ある​がゆゑなり。

 

持じ名みょう鈔しょう 末まつ

康正第三之天自孟夏初比令漸写訖是則為自要也

釈蓮如 四十三歳

 

底本は本派本願寺蔵康正三年蓮如上人書写本ˆ浄聖全と同一ˇ。 ただ表記はかなり標準化されているので、 底本で本来仮名表記である漢字は青の点下線で示した。
人身うけがたく 人間に生れることは極めてまれなことであり。
三昧発得の人師 善導ぜんどう大だい師しのこと。 善導大師は阿弥陀仏や浄土のありさまをまのあたり感見する三昧の境地を得た人であるから、 このようにいう。
一流の宗義… 浄土真宗の教義はこのような伝統によっていて、 私見は全く雑えていない。
般舟経 ¬般舟はんじゅ三昧ざんまい経きょう¼ のこと。
まつたく 完全であり。 欠けたところがなく。 ª「まつたし」の連用形º
界外の報土 三界さんがいを超出した浄土、 すなわち真実しんじつ報ほう土ど。
いつくしく おごそかで立派で。
阿閦 →阿あ閦しゅく鞞び仏ぶつ
宝生 金剛界五智如来の一。 南方の月輪に住して平等性智の徳をあらわす。
密厳 密厳国。 大日如来の浄土のこと。 ¬大だい乗じょう密厳みつごん経ぎょう¼ などに説く。
華蔵 蓮れん華げ蔵ぞう世せ界かいのこと。
不共の利生 諸仏の救いにもれた女人・悪人を往生させる阿弥陀仏の本願の特異なはたらき。
今生の穢体 身体を指す。
四品 「寿じゅ量りょう品ぼん」 「懴さん悔げ品」 「讃歎さんだん品」 「空くう品」 の四つの章。
かの天竺… 以下の因縁いんねんは ¬請しょう観音かんのん経ぎょう¼ の説にもとづいたもの。
毘舎離国 毘舎離は梵語ヴァイシャーリー (Vaiśālī) の音写。 ガンジス河の支流ガンダキ河の東岸にあるベーサールがその旧址といわれる。
鋳うつし (三尊の姿を) そのまま鋳造するという意。
嵯峨の天皇 (786-842。 在位809-823)。 書道にすぐれわが国三筆の一人。
七難… ¬七難しちなん消しょう滅めつ護ご国こく頌じゅ¼ に七難等の滅除に言及して、 「依正安穏にして念仏を修せん」 とある。
まめやかに 心から。 真剣に。
藁幹喩経 ¬蘇婆そば呼こ童どう子じ請しょう問もん経ぎょう¼ のこと。 ¬藁幹喩経¼ という名称は同経に説かれる譬喩にもとづくもの。
口にふれんものは 口に称える者は。
五篇七聚 比丘びく・比丘尼の戒の総称。 五篇は戒を罪の最も重いものから波羅はら夷い・僧残そうざん・波は逸提いつだい・提舎だいしゃ尼に・突吉とき羅らの五種に類別する称目。 またこれに偸ちゅう蘭遮らんじゃを加え (六聚)、 突吉羅を突吉羅 (悪作)・悪説に分類して七聚とする。
三部の妙典 浄じょう土ど三さん部ぶ経きょうのこと。
五祖 曇鸞どんらん大だい師し・道どう綽しゃく禅ぜん師じ・善導ぜんどう大師・法ほっ照しょう禅師・少しょう康こう法ほっ師しを指す。
連劫累劫をふとも 多数の劫を重ねても。
順次往生 現世の命が終って、 次にただちに浄土に生れること。
斯琴王の… ¬般舟はんじゅ三昧ざんまい経きょう¼ の所説による。
大王の妙法を… 釈尊が過去世において国王であった時、 妙法を聞くために阿あ私陀しだ仙人に千年の間仕えたことをいう。 ¬法華ほけ経きょう¼ 「提婆達多品」 の説。
常啼の般若を… 常啼菩薩が般若波羅蜜を求めて、 東方に五百由ゆ旬じゅんの距離を旅し、 衆香しゅこう城じょうの曇どん無む竭かつ菩薩から教えを受けたことをいう。
まつはれながら 心をひかれながら。
ちからの堪へんに… 力の及ぶ限り。