しじゅうはちがん 四十八願 阿弥陀仏が因位の法蔵菩薩の時におこした48種の誓願のこと。 ¬大経△¼ には、 法蔵菩薩が世自在王仏のもとで二百一十億の諸仏の国土の中より、 善妙なものを選び取り四十八の誓願を建立したと説かれている。 なお、 意訳の ¬大阿弥陀経¼ ¬平等覚経¼ では二十四願、 ¬荘厳経¼ では三十六願となっており願の数が異なっている。 また、 四十八願の内容について、 浄影寺慧遠は摂法身の願 (第十二・十三・十七)、 摂浄土の願 (第三十一・三十二)、 摂衆生の願 (残りの四十三願) に分類している。 特に摂衆生の願のうち、 第十八・十九・二十願は衆生の往生の因が誓われているので生因三願と呼ばれる。
曇鸞は、 ¬論註¼ 浄入願心章△において、 浄土の二十九種荘厳は四十八願が因となって成立したことを述べ、 利行満足章の覈求其本釈△では、 衆生が速やかに往生成仏することを第十八・十一・二十二願の三願を挙げて証明し (三願的証)、 これらの願が成就したことによる衆生救済のはたらきを本願力・他力と呼んだ。
善導は、 「玄義分」 において阿弥陀仏の仏身と仏土が報身・報土であることを明らかにする中で、 「また無量寿経にのたまはく、 法蔵比丘、 世饒王仏の所にましまして菩薩の道を行じたまひし時、 四十八願を発したまへり。 一々の願にのたまはく、 もしわれ仏を得たらんに、 十方の衆生、 わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、 下十念に至るまで、 もし生ぜずは、 正覚を取らじと。 いますでに成仏したまえり。 すなはちこれ就因の身なり」 と述べ、 ¬大経¼ の教説を取意して四十八願の一つ一つは念仏往生が誓われた第十八願の意に帰結するものと見ている。 すなはち仏身仏土の成就も衆生往生の因果も、 すべて第十八願の上で語るのが善導の四十八願観の特徴である。
源信は、 ¬往生要集¼ 念仏証拠門において、 「四十八願のなかに、 念仏門において別に一の願を発しておたまはく、 乃至十念せん。 もし生ぜずは、 正覚を取らじ」 と述べ、 四十八願のなかでも、 称名念仏を往生行として誓った第十八願を特別な願として重視している。
法然は、 善導の説を継承し、 ¬選択集¼ 本願章で四十八願を 「選択摂取」 という観点から論じ、 第十八願において諸行が選捨され称名念仏一行が選取されたとする選択本願の念仏を主張し、 またその第十八願を 「本願中の王」 とした。
親鸞は、 ¬教行信証¼ において、 第十七・十八・十一・十二・十三願 (真実五願) ならびに第二十二願にもとづいた二回向四法とその根源である真仏土、 第十九・二十願にもとづいた権化方便をあきらかにしている。 →本願、 五願開示。