ねんぶつ 念仏 を念ずること。 真如を念ずる実相の念仏、 仏のそうごうを心に思い観る観相の念仏、 仏像を観ずる観像の念仏、 仏の名号を称える称名念仏などがある。 聖道門では、 実相念仏を最勝とし、 称名念仏を最劣とみる。 これに対して、 浄土門では称名念仏を極善最勝の法とする。 法然は、 善導本願観を継承し、 称名念仏は阿弥陀仏第十八願において往生行として選び取った行であるとした。 ¬せんじゃくしゅう¼ には 「弥陀如来、 法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、 あまねく一切を摂せんがために、 造像起塔等の諸行をもつて往生の本願となしたまはず。 ただ称名念仏一行をもつてその本願となしたまへり」 とある。 親鸞は、 法然の説く称名念仏が真実信心にそなわった他力の念仏であり、 本願力回向の行であるとした。 ¬正像末和讃¼ には 「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる」 とある。 →大行不回向七補註5