せんじゃくほんがん 選択本願 阿弥陀仏の四十八願の根本である第十八願において、 衆生往生の行が選択されたという意。 また、 その第十八願を指して選択本願という。 法然は ¬選択集¼ 「本願章」 において、 称名念仏と諸行とを 「勝劣の義」 「難易の義」 によって論じ、 選択の意義を述べている。 そして、 衆生が修めるべき浄土往生の行について、 難劣である諸行が選び捨てられ、 勝易の二徳をそなえた行である称名念仏が選び取られたのが第十八願であるとする。 さらに 「弥陀如来、 法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、 あまねく一切を摂せんがために、 造像起塔等の諸行をもつて往生の本願としたまはず。 ただ称名念仏の一行をもつてその往生の本願となしたまへり」 と述べ、 いかなる者も修めることのできる称名念仏を浄土往生の行として誓う阿弥陀仏の選択の願心は、 一切衆生を平等に救おうとする大慈悲心にほかならないことを明らかにしている。 このように法然は念仏往生を誓った第十八願は平等の慈悲がまさしく具現したものであるとうけとめ、 これを 「本願中の王」 とも呼んでいる。 →補註17、 七補註12。