(863)、法然聖人御説法事

法然ほふねんしやうにん説法せちぽふこと

・仏身

きやうしようなかに、 ほとけどくをとけるにりやうしんあり。 あるいはそうじて一身ゐちしんをとき、 あるいはしんをとき、 あるいははん三身さんしんをとき、 ない ¬華厳くゑごむぎやう¼ には十身じふしんどくとけり。 いましばらく真身しんしん化身くゑしんしんをもて、 弥陀みだ如来によらいどく讃嘆さんだんしたてまつらむ。©この真化しんくゑしんをわかつこと、 ¬さう巻経くわんぎやう¼ の三輩さんぱいもんなかにみえたり。

・仏身 ・真身

まづ真身しんしんといふは、 真実しんじちしんなり。 弥陀みだ如来によらいいんのとき、 世自せじ在王ざいわうぶちのみもとにして十八じふはちぐわんをおこしてのち、 兆載てうさいゐやうごふのあひだ、 布施ふせかい忍辱にんにくしやうじんとうろくまんぎやうしゆして、 あらはしえたまへるところは、 修因しゆいん感果かむくわしんなり。

¬観経くわんぎやう¼ (意) にときていはく、 「そのしんりやう六十ろくじふ万億まんおく那由なゆごうしやじゆんなり。 けんびやくがうみぎにめぐりてしゆせんのごとしと。 そのゐちしゆせんのたかさ、 しゆつかいウミヨリイデ 入海にふかいウミニイおのレルコトおの八万はちまんせん那由なゆなり。 またしやうれん慈悲じひおむまなこは、 だい海水かいしゐのごとくして清白しやうびやくぶんみやう0864なり。 のもろもろのもうより光明くわうみやうをはなちたまふこと、 しゆせんのごとし。©うなじにめぐれるゑんくわうは、 ひやくおく三千さんぜん大千だいせんかいのごとし。©かくのごとくして八万はちまんせんさうまします。 一一ゐちゐちさうにおのおの八万はちまんせんかうあり、 一一ゐちゐちかうにまた八万はちまんせん光明くわうみやうまします。 その一一ゐちゐち光明くわうみやう、 あまねく十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしてすてたまはず。 オムしんのいろは、 夜摩やまてんえむだんごむのいろのごとし」 といへり。

これ弥陀みだ一仏ゐちぶちにかぎらず、 一切ゐちさい諸仏しよぶちはみな黄金わうごむのいろなり。 もろもろのいろのなかにはびやくしきをもてほんとすとまふせば、 ほとけおむいろもびやくしきなるべしといゑども、 そのいろなほそんずるいろなり。 たゞ黄金わうごむのみあてへんカワラヌのいろなり。 このゆへに、 十方じふぱうさん一切ゐちさい諸仏しよぶち、 みなじやうぢゆへんさうをあらわさむがために、 黄金わうごむのいろをげんじたまへるなり。 これ ¬くわんぶち三昧ざんまいきやう¼ のこゝろなり。

たゞし真言しんごんしゆなかしゆほふあり。 その本尊ほんぞん身色しんじきほふにしたがふて各別かくべちなり。 しかれどもさむシバラク方便はうべんノトキトイフくゑナリしんなり、 ほとけ本色ほんじきにはあらず。©このゆへに、 仏像ぶちざうをつくるにも、 びやくだん採色さいしきなれどもどくをえざるにあらずといへども、 金色こむじきにつくりつれば、 すなわち決定くゑちぢやうわうじやう業因ごふいんなり。©そくしやうどくりやくぞんずるにかくのごとし。 「そくしやうないさんスナワチワウジヤウスト しやう必得ひちとくわうじやうカナラズワウジヤウヲ」 といウルトナリ へり。 これ弥陀みだ如来によらい真身しんしんどくりやくぞんずるにかくのごと0865し。

・仏身 ・化身

つぎ化身くゑしんといふは、 无而むにくつくゑカタチモナクシテイヅヲヲイフ いふ。 すなわちにしたがふときにおうじてしんりやうげんずること、 大小だいせうどうなり。 ¬きやう¼ (観経) に、 「あるいは大身だいしんげんじて虚空こくにみつ、 あるいは小身せうしんげんじてじやうろくはちしやく」 といへり。 化身くゑしんにつきてしゆあり。

・仏身 ・化身 ・円光の化仏

まづゑんくわう化仏くゑぶち。 ¬きやう¼ (観経) にいはく、 「ゑんくわうのなかにおいて、 ひやく万億まんおく那由なゆごうしや化仏くゑぶちまします。 一一ゐちゐち化仏くゑぶちしゆしゆくゑさちをもて、 しやとせり」 といへり。

・仏身 ・化身 ・摂取不捨の化仏

つぎに摂取せふしゆしや化仏くゑぶち。 「光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや(観経) といふは、 この真仏しんぶち摂取せふしゆなり。 このほかに化仏くゑぶち摂取せふしゆあり。 さんじふろく万億まんおく化仏くゑぶち、 おのおの真仏しんぶちとともに十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしたまふといへり。

・仏身 ・化身 ・来迎引接の化仏

つぎ来迎らいかう引接いんぜふ化仏くゑぶちぼむ来迎らいかうにおのおの化仏くゑぶちまします。 ほむにしたがふてせうあり。 じやうぼむ上生じやうしやう来迎らいかうには、 真仏しんぶちのほかにしゆ化仏くゑぶちまします。 じやうぼむちうしやうには、 せん化仏くゑぶちまします。 じやうぼむしやうには、 ひやく化仏くゑぶちまします。 ないかくのごとくだいにおとりて、 ぼむ上生じやうしやうには、 真仏しんぶち来迎らいかうしたまはず、 たゞ化仏くゑぶちくゑくわんおむせいとをつかはす。 その化仏くゑぶちしんりやう、 あるいはじやうろく、 あるいははちしやくなり。 くゑさちしんりやうもそれにしたがふて、 ぼむちうしやうは、 「天華てんぐゑうへ化仏くゑぶちさちましまして、 来迎らいかうしたまふ0866(観経意) といへり。 ぼむしやうは、 「みやうじゆしてイノチオハルトナリのち、 こむ蓮華れんぐゑをみる。 によ日輪にちりんヒノゴトクシテ ぢゆソノヒトノ人前にんぜんマヘニア(観経)ラワルトナリ  といへり。

もんのごとくは、 化仏くゑぶち来迎らいかうもなきやうにみえたれども、 善導ぜんだうおむこゝろは、 ¬観経くわんぎやうしよ¼ (散善義)じふゐちもんによらば、 だいもんに 「みやうじゆのとき、 しやうじゆ迎接かうせふしたまふどう去時さるときオソキしちトキをあかす」 といへり。 また 「いまこのじふゐちもんは、 ぼむもん約対やくたいせり。 一一ゐちゐちほむのなかに、 みなこのじふゐちあり」 といへり。 しかれば、 ぼむしやうにも来迎らいかうあるべきなり。 しかるをぐゐやく罪人ざいにん、 そのつみおもきによりて、 まさしく化仏くゑぶちさちをみることあたはず、 たゞわがすべきところのこむ蓮華れんぐゑばかりをみるなり。 あるいはまたもん隠顕おむけんあるなり。

・仏身 ・化身 ・本尊のための化仏

つぎにまた十方じふぱうぎやうじや本尊ほんぞんのために、 小身せうしんげんじたまへる化仏くゑぶちあり。 天竺てんぢくけい頭摩づま五通ごつさち神足じんそくをして極楽ごくらくかいにまうでて、 ほとけにまふしてまうさく、 しやかいしゆじやうわうじやうぎやうしゆせむとするに、 その本尊ほんぞんなし。 ほとけ、 ねがわくは、 ために身相しんさうげんじたまへと。 ほとけ、 すなわちさちしやうにおもむきて、 うへ化仏くゑぶちじふたいげんじたまへり。 さち、 すなわちこれをうつして、 よにひろめたり。 けい頭摩づま五通ごつさちまん陀羅だらといへる、 すなわちこれなり。 またくわうまん陀羅だらとて、 けん流布るふしたる本尊ほんぞんあり。 その因縁いんねんひとつねにしりたることなり、 つぶさにまふすべ0867からず。 ¬日本にちぽんわうじやうでん¼ をみるべし。

・仏身 ・化身 ・教化説法の化仏

またしんしやうさち教化けうくゑし、 説法せちぽふせむがために、 くゑして小身せうしんげんじたまへることまします。 これはこれ、 弥陀みだ如来によらい化身くゑしんどく、 またりやくしてかくのごとし。

・来迎

いまこの造立ざうりふせられたまへるほとけは、 おんしやうじやをつたへてさんじやく立像りふざうをうつし、 さい終焉しうえんのゆふべをして来迎らいかう引接いんぜふにつくれり。 おほよそ仏像ぶちざうざうツクリカクナリるに種種しゆじゆさうあり。 あるいは説法せちぽふ講堂かうだうざうあり、 あるいはしゐ沐浴もくよくざうあり、 あるいはだいじゆじやうとうしやうがくざうあり、 あるいは光明くわうみやう遍照へんぜう摂取せふしゆしやざうあり。 かくのごときのぎやうざうを、 もしはつくり、 もしはカクナリたてまつる。 みなわうじやうごふなれども、 来迎らいかう引接いんぜふぎやうざうは、 なほその便びんをえたるなり。

かのじん虚空こくかいしやうごむをみ、 転妙てんめう法輪ほふりんおむじやうをきゝ、 七宝しちぽう講堂かうだうのみぎりにのぞみ、 はちどくのはまにあそび、 おほよそかくのごとく種種しゆじゆめうしやうほうをまのあたりミルちやう キク せむことは、 まづ終焉しうえんのゆふべにしやうじゆ来迎らいかうにあづかりて、 決定くゑちぢやうしてかのくににわうじやうしてのうえのことにさふらふ。 しかれば、 ふかくわうじやう極楽ごくらくのこゝろざしあらむひとは、 来迎らいかう引接いんぜふぎやうざうをつくりたてまつりて、 すなわち来迎らいかう引接いんぜふせいぐわんをあおぐべきものなり。

その来迎らいかう引接いんぜふぐわんといふは、 すなわちこの十八じふはちぐわんなかだいじふぐわんなり。 にんこれ0868しやくするに、 おほくのあり。

・来迎 ・臨終正念

まづ臨終りむじゆしやうねむのために来迎らいかうしたまへり。 おもはく、 びやふみをせめて、 まさしくシヌル むとするときには、 かならずきやうがいたいたうしやう三種さんしゆ愛心あいしむをおこすなり。 しかるに如来によらいだい光明くわうみやうをはなちてぎやうじやのまへにげんじたまふとき、 ぞうなるがゆへに、 くゐきやうしむのほかにねむなくして、 三種さんしゆ愛心あいしむをほろぼして、 さらにおこることなし。 かつはまたほとけぎやうじやにちかづきたまひて、 加持かぢねむしたまふがゆへなり。

¬しようさんじやうきやう¼ (意) に 「慈悲じひ加祐かゆして、 こゝろをしてみだらざらしむ。 すでにいのちをすておはりてすなわちわうじやうをえ、 退転たいてんぢゆす」 といへり。 ¬弥陀みだきやう¼ に 「弥陀みだぶち、 もろもろのしやうじゆとそのまへにげんぜむ。 このひとおわらむとき、 しむ顛倒てんだうせずして、 すなわち弥陀みだぶちこくわうじやうをえむ」 ととけり。 「りやうしむらん」 と 「しむ顛倒てんだう」 とは、 すなわちしやうねむぢゆせしむるなり。

しかれば、 臨終りむじゆしやうねむなるがゆへに来迎らいかうしたまふにはあらず、 来迎らいかうしたまふがゆへに臨終りむじゆしやうねむなりといふ、 あきらかなり。 ざいしやうのあひだわうじやうぎやうじやうじゆせむひとは、 臨終りむじゆにかならずしやうじゆ来迎らいかうをうべし。 来迎らいかうをうるとき、 たちまちにしやうねむぢゆすべしといふこゝろなり。

しかるにいまのときのぎやうじや、 おほくこのむねをわきまえずして、 ひとへにじむじやうぎやうにおいてはかうにやくヨワクヨワしやうじてキココヽロナリ、 は0869るかに臨終りむじゆのときをしてしやうねむをいのる、 もとも僻韻へきゐんなりヒガヰンノコヽロ ナリしかれば、 よくよくこのむねをこゝろえて、 じむじやうきやうごふにおいてかうにやくヨワクヨワキコヽロゝろをおこさずして、 臨終りむじゆしやうねむにおいて決定くゑちぢやうのおもひをなすべきなり。 これはこれ、 えうなり。 きかむひと、 こゝろをとゞむべし。 この臨終りむじゆしやうねむのために来迎らいかうすといふは、 じやうりよゐんじやうせう法橋ほふけうしやくなり。

・来迎 ・道の先達

つぎみち先達せんだちのために来迎らいかうしたまふといへり。 あるいは ¬わうじやうでん¼ (往生浄土伝巻中) に、 沙門しやもんほふ遺書ゆいしよにいはく、

「われしやうかいて、 さいわいにしやう船筏せんばちまうあへり。 われあらはすところのしんしやう卑穢ひゑしちらいかうせむ。

ざいしやうかいかうしやう船筏せんばちしよけんしんしやうらいかう卑穢ひゑしち

もしじやうごんせば、 かならずぎやうざうざうすべし。 臨終りむじゆにそのまへげんじて、だうしめさむ。 しむせふして

にやくごんじやうひちざうぎやうざう臨終りむじゆげんぜんだうせふしむ

念念ねむねむすればつみやうやくく。 ごふしたがふてぼむしやうぜむ。 それあらはすところのしやうじゆ、 さきだちてしんしやうともがらむ。

念念ねむねむざいぜむじんずいごふしやうぼむしよけんしやうじゆせんさんしんしやうはい

仏道ぶちだうらく増進ぞうしん

仏道ぶちだうらく増進ぞうしん

これすなわち、 このかいにしてざうするところのぎやうざう先達せんだちとなりてじやうにおくりたまふしようなり。 また ¬やくきやう¼ (玄奘訳) をみるに、 じやうをねがふともがら、 きやうごふいまださだまらずして、 わうじやうのみちにまどふことあり。 すなわちもんにいはく、 「よくじゆ すること八分はちぶん斉戒さいかいあらむ。 あるいは一年ゐちねんをへ、 あるいはまたさんぐわちじゆせむ0870。 まなぶところ、 この善根ぜんごんをもて西方さいはう極楽ごくらくかいりやう寿じゆぶちのみもとにむまれむとぐわんじて、 しやうぼふちやうもんすれども、 いまださだまらざるもの、 もしそんやく瑠璃るりくわう如来によらいみやうがうをきかむ。 みやうじゆのときにのぞみて、 はちさちあてじんじようじてきたりて、 そのだうをしめさむ。 すなわちかのかいにして、 種種しゆじゆ雑色ざふしき衆宝しゆぼうくゑなかねんくゑしやうす」 といへり。 もしかのはちさちそのだうヒロキミチセバをしキミチ めさずは、 ひとりわうじやうすることえがたきにや。

これをもておもふにも、 弥陀みだ如来によらいもろもろのしやうじゆとともにぎやうじやのまへにげんじてきたりて迎接かうせふしたまふも、 みちびきてだうをしめしたまはむがためなりといふ、 まことにいはれたることなり。 しやかいのならひも、 みちをゆくにはかならず先達せんだちといふものをすることなり。 これによてめうそうじやうは、 この来迎らいかうぐわんおば現前げんぜんだうしやうぐわんとなづけたまへり。

・来迎 ・対治魔事

つぎたい魔事まじのために来迎らいかうすといふあり。 だうさかりなれば、 さかりなりとまふして、 仏道ぶちだうしゆぎやうするには、 かならずしやうなんのあひそふなり。 真言しんごんしゆなかには、 「誓心せいしむ決定くゑちぢやうすれば、 魔宮まぐ振動しむどうす」 (発菩提心論) といへり。 天臺てんだい ¬くわん¼ (巻八下意)なかには、 「しゆ三昧ざんまいしゆぎやうするに、 十種じふしゆきやうがいおこるなか魔事まじきやうらいキタル といへり。 またさちさんひやくこふぎやうすでになりてしやうがくをとなふるときも、 だい六天ろくてんわうきたりて種種しゆじゆ0871しやうせり。

いかにいはむや、 ぼむばくぎやうじや、 たとひわうじやうきやうごふしゆすといふとも、 しやうなんたいせずは、 わうじやうくわいをとげむことかたし。 しかるに弥陀みだ如来によらいしゆ化仏くゑぶちさちしやうじゆねうせられて、 光明くわうみやう赫奕かくやくとしてぎやうじやのまへにげんじたまふときには、 わうもこゝにちかづき、 これをしやうすることあたはず。 しかればすなわち、 来迎らいかう引接いんぜふしやうたいせむがためなり。 来迎らいかうりやくぞんずるにかくのごとし。 これらのにつきておもひさふらふにも、 おなじく仏像ぶちざうをつくらむには、 来迎らいかうざうをつくるべきとおぼえさふらふなり。 ほとけどく大概たいがいかくのごとし。

・浄土三部経

つぎさんきやうは、 いまさんきやうとなづくることは、 はじめてまふすにあらず、 そのしようこれおほし。 いはく大日だいにちさんきやうは、 ¬大日だいにちきやう¼・¬金剛こむがうちやうきやう¼・¬しちきやう¼ とうこれなり。 ろくさんきやう、 ¬上生じやうしやうきやう¼・¬しやうきやう¼・¬じやうぶちきやう¼ とうこれなり。 ちんこくさんきやうは、 ¬法華ほふくゑきやう¼・¬仁王にんわうきやう¼・¬こむ光明くわうみやうきやう¼ とうこれなり。 法華ほふくゑさんきやう、 ¬りやうきやう¼・¬法華ほふくゑきやう¼・¬げんぎやう¼ とうこれなり。 これすなわち、 さんきやうとなづくるしようなり。

いまこの弥陀みださんきやうは、 あるにんのいはく、 「じやうけうさんあり。 いはく ¬さうくわんりやう寿じゆきやう¼・¬くわんりやう寿じゆきやう¼・¬弥陀みだきやう¼ とうこれなり」。 こ0872れによて、 いまじやうさんきやうとなづくるなり。 あるいはまた弥陀みださんきやうともなづく。 またあるのいはく、 「かのさんきやうに ¬おむじやうきやう¼ をくわえて四部しぶとなづく」 (慈恩小経疏意) といへり。

おほよそしよきやうなかに、 あるいはわうじやうじやうほふをとくあり、 あるいはとかぬきやうあり。 ¬華厳くゑごむぎやう¼ にはこれをとけり、 すなわち ¬じふ華厳くゑごむ¼ のなかげんじふぐわんこれなり。 ¬だい般若はんにやきやう¼ のなかにすべてこれをとかず。 ¬法華ほふくゑきやう¼ (巻六)なかにこれをとけり、 すなわち 「薬王やくわうぼむ」 の 「即往そくわう安楽あんらくかい」 のもんこれなり。 ¬涅槃ねちはんぎやう¼ にはこれをとかず。 また真言しんごんしゆなかには、 ¬大日だいにちきやう¼・¬金剛こむがうちやうきやう¼ に蓮華れんぐゑにこれとくといゑども、 大日だいにち分身ぶんしんなり。 わきてとけるにはあらず。 もろもろのせうじようきやうにはすべてじやうをとかず。 しかるにわうじやうじやうをとくことは、 このさんきやうにはしかず。 かるがゆへにじやう一宗ゐちしゆには、 このさんきやうをもてその所縁しよえんとせり。

・浄土宗名

またこのじやう法門ほふもんにおいてしゆをたつること、 はじめてまふすにあらず、 そのしようこれおほし。 少々せうせうこれをいださば、 ぐわんげうの ¬しむ安楽あんらくだう¼ に、

じやうしゆこゝろもとぼむのためなり、 かねてはしやうにんのためなり」

じやうしゆほんぼむ↡、 けむしやうにん

といへる、 そのしようなり。 かのぐわんげう華厳くゑごむしゆ祖師そしなり。 おんの ¬西方さいはうえうくゑち¼ に、 「依此えしコノシユゐちしゆニヨルト」 といえるなり、 またそのしようなり。 かのおん法相ほふさうしゆ祖師そしなり。 ざいの ¬じやうろん¼ (序) には、 「一宗ゐちしゆせちえうヒソカニたり」 といへ0873る、 またそのしようなり。 善導ぜんだう ¬観経くわんぎやうしよ¼ (散善義) に、 「真宗しんしゆカタシアヒ」 といへる、 またそのしようなり。 かのざい善導ぜんだうは、 ともにこのじやう一宗ゐちしゆをもはらにしんずるひとなり。 しゆしゆしやくすでにかくのごとし。

・師資相承

しかのみならず、 しゆをたつることは、 天臺てんだい法相ほふさうとう諸宗しよしゆ、 みな師資ししさうじようによる。 しかるにじやうしゆ師資ししタスクさうじよう血脈くゑちみやくだいあり。 いはくだい流支るし三蔵さんざうてうほふだうぢやうほふ曇鸞どむらんほふほふじやうほふだうしやくぜん善導ぜんだうぜんかむぜん小康せうかうほふとうなり。 だい流支るしよりほふじやうにいたるまでは、 だうしやく¬安楽あんらくしふ¼ にいだせり。 自他じたしゆにん、 すでにじやう一宗ゐちしゆとなづけたり。 じやうしゆ祖師そし、 まただいさうじようせり。 これによて、 いま相伝さうでんしてじやうしゆとなづくるものなり。

しかるを、 このむねをしらざるともがらは、 むかしよりいまだ八宗はちしゆのほかにじやうしゆといふことをきかずとなんすることもさふらへば、 いさゝかまふしひらきさふらふなり。 おほよそ諸宗しよしゆ法門ほふもんせんアサキじむフカキあり、 くわうヒロキけうセバキあり。 すなわち真言しんごん天臺てんだいとうしよだいじようしゆは、 ひろくしてふかし。 しやじやうじちとうせうじようしゆは、 ひろくしてあさし。 このじやうしゆは、 せばくしてあさし。 しかれば、 かの諸宗しよしゆは、 いまのときにおいてけう相応さうおうせず。 けうはふかしはあさし。 けうはひろくしてはせばきがゆへなり。 たとへばゐんたかくしては、 することすくなきがごとし。 また0874ちゐさきうつわものおほきなるものをいるゝがごとし。 たゞこのじやう一宗ゐちしゆのみ、 けう相応さうおうせる法門ほふもんなり。 かるがゆへにこれをしゆせば、 かならずじやうじゆすべきなり。 しかればすなわち、 かの相応さうおうけうにおいては、 いたはしくしんしむコヽロをついやすことなかれ。 たゞこの相応さうおうほふくゐして、 すみやかにしやうをいづべきなり。

・大経

今日こむにち講讃かうさんホムルナリられたまへるところは、 このさんなかの ¬さうくわんりやう寿じゆきやう¼ と ¬弥陀みだきやう¼ となり。

まづ ¬りやう寿じゆきやう¼ には、 はじめに弥陀みだ如来によらいいんほんぐわんをとく、 つぎにはかのほとけくわほうしやうごむをとけり。 しかれば、 この ¬きやう¼ には弥陀みだぶち修因しゆいん感果かむくわどくをとくなり。 一一ゐちゐち本誓ほんぜいぐわん一一ゐちゐちぐわんじやうじゆもんにあきらかなり。 つぶさにしやくするにいとまあらず。

そのなかしゆじやうわうじやう因果いんぐわをとくといふは、 すなわち念仏ねむぶちわうじやうぐわんじやうじゆの 「しよしゆじやうもんみやうがう(大経巻下)もん、 および三輩さんぱいもんこれなり。 もし善導ぜんだうおむこゝろによらば、 この三輩さんぱい業因ごふいんについてしやうざふぎやうをたてたまへり。 正行しやうぎやうについてまたふたつあり、 正定しやうぢやう助業じよごふなり。 三輩さんぱいともに 「一向ゐちかう専念せんねむ(大経巻下) といへる、 すなわち正定しやうぢやうごふなり、 かのほとけほんぐわんじゆんシタガずるフナリ がゆへに。 またそのほかに助業じよごふあり、 ざふぎやうあり。

おほよそこの三輩さんぱいなかにおのおのだいしむとうぜんをとくといゑども、 かみほんぐわんをのぞむには、 もはら弥陀みだみやうがうしようねむ0875せしむるにあり。 かるがゆへに 「一向ゐちかう専念せんねむ」 といへり。 かみほんぐわんといふは、 十八じふはちぐわんなかだい十八じふはち念仏ねむぶちわうじやうぐわんをさすなり。 一向ゐちかうのことば、 三向さんかうたいするなり。 もし念仏ねむぶちのほかにならべてぜんしゆせば、 一向ゐちかうにそむくべきなり。 わうじやうをもとめむひとは、 もはらこの ¬きやう¼ によて、 かならずこのむねをこゝろうべきなり。

・小経

つぎに ¬弥陀みだきやう¼ は、 はじめには極楽ごくらくかいしやうほうをとく、 つぎには一日ゐちにち七日しちにち念仏ねむぶちしゆしてわうじやうすることをとけり、 のちには六方ろくぱう諸仏しよぶち念仏ねむぶちゐちぎやうにおいて証誠しようじやうねむしたまふむねをとけり。 すなわちこの ¬きやう¼ にはぎやうをとかずして、 えらびて念仏ねむぶちゐちぎやうをとけり。

おほよそ念仏ねむぶちわうじやうは、 これ弥陀みだ如来によらいほんぐわんぎやうなり、 教主けうしゆしやくそん選要せんえうほふなり、 六方ろくぱう諸仏しよぶち証誠しようじやうせちなり。 ぎやうはしからず。 そのむね、 ¬きやう¼ のもんおよびしよしやくつぶさなり。

またきやうしやくするに、 ほとけどくもあらはれ、 ほとけさんずれば、 きやうどくもあらわるゝなり。 またしよきやうのこゝろをしやくしたるものなれば、 しよしやくせむに、 きやうのこゝろあらはるべし。 みなこれおなじものなり、 まちまちにしやくするにあたはず。

・観経

いまこの ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ にふたつのこゝろあり。 はじめにはぢやうさんぜんしゆしてわうじやう0876ることをあかし、 つぎにはみやうがうしようしてわうじやうすることをあかす。

¬清浄しやうじやうがくきやう¼ (第四巻)しんしん因縁いんねんもんをひけり。 このもんのこゝろは、 「じやう法門ほふもんをとくをきゝて、 信向しんかうしてみのけいよだつものは、 くわにもこの法門ほふもんをきゝて、 いまかさねてきくひとなり。 いましんずるがゆへに、 決定くゑちぢやうしてじやうわうじやうすべし。 またきけどもきかざるがごとくにて、 すべてしんぜぬものは、 はじめてさん悪道まくだうよりきたりて、 ざいしやういまだつきずして、 こゝろに信向しんかうなきなり。 いましんぜぬがゆへに、 またしやうをいづることあるべからず」 といへるなり。 せむずるところは、 わうじやうにんのこのほふおばしんさふらふなり。

天臺てんだいとうのこゝろは、 十三じふさんぐわんうへぼむ三輩さんぱいくわんをくわへて、 十六じふろくさうくわんとなづく。 このぢやうさんぜんをわかちて、 十三じふさんぐわんぢやうぜんとなづけ、 三福さんぷくぼむ散善さんぜんとなづくることは、 善導ぜんだうゐちおむこゝろなり。

そもそも近来きんらいそうを、 かいの僧、 かいといふべからず。 かいひとかいせいすることはしやうぼふ像法ざうぼふのときなり。 末法まちぽふにはかいみやう比丘びくなり。伝教でんげうだい ¬末法まちぽふとうみやう¼ いは末法まちぽふなかかいものありといはば、 これくゑなり、 いちとらあらむがごとし。 たれかこれをしんずべき」 といへり。 またいはく、 「末法まちぽふなかには、 たゞ言教ごんけう0877のみあて行証ぎやうしようなし。 もし戒法かいほふあらばかいあるべし。 すでに戒法かいほふなし、 いづれのかいおかせむによてかいあらむ。 かいなほなし、 いかにいはむやかいおや」 といへり。

まことに受戒じゆかいほふは、 中国ちうごくにはシムタンコクナリ かいそう十人じふにんしやうじてかいとす。 へんハクサイにはカウライトウにんヲヘンヂしやうトイフじてかいとして、 かいおばうくるなり。 しかるにこのごろは、 かいそう一人ゐちにんもとめいださむに、 えがたきなり。 しかれば、 うけてのうへにこそかいとことばもあれば、 末代まちだい近来きんらいかいなほなし、 たゞかい比丘びくなりとまふすなり。 この ¬きやう¼ にかいをとくことは、 しやうざうやくしてときたまへるなり。

・念仏往生

つぎみやうがうしようしてわうじやうすることをあかすといふは、 「ぶちなんにつげたまはく、 なんぢよくこのをたもて。 このたもてといふは、 すなわちこれりやう寿じゆぶちのみなをたもてとなり」 (観経) とのたまへり。 善導ぜんだうこれをしやくしていはく、 「仏告ぶちがうなんによかう是語ぜごといふより已下いげシモトイフ 、 まさしく弥陀みだみやうがうぞくして、 だいハルカナルヨマデすることをあかす。 かみよりこのかた、 ぢやうさんりやうもんやくをとくといゑども、 ぶちほんぐわんをのぞむには、 こゝろ、 しゆじやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだぶちのみなをしようするにあり」 (散善義) とのたまへり。

おほよそこの ¬きやう¼ のなかには、 ぢやうさんしよぎやうをとくといゑども、 そのぢやうさんをもてはぞくしたまはず、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうをもてなんぞくして、 らい0878流通るづするなり。

だい流通るづす」 といふは、 はるかに法滅ほふめちひやくさいまでをさす。 すなわち末法まちぽふ万年まんねんののち、 仏法ぶちぽふみなめちして三宝さんぽうみやうもきかざらむとき、 たゞこの念仏ねむぶちゐちぎやうのみとゞまりてひやくさいましますべしとなり。 しかれば、 しやうだうもん法文ほふもんもみなめちし、 十方じふぱうじやうわうじやうもまためちし、 上生じやうしやうそちもまたうせ、 しよぎやうわうじやうもみなうせたらむとき、 たゞこの念仏ねむぶちわうじやう一門ゐちもんのみとゞまりて、 そのときも一念ゐちねむにかならずわうじやうすべしといへり。 かるがゆへにこれをさして、 とおきとはいふなり。 これすなわち おん トホキをあげて、 ごんチカキせふオサムトナリなり。

ぶちほんぐわんをのぞむ」 といふは、 弥陀みだ如来によらい十八じふはちぐわんなかだい十八じふはちぐわんをおしふるなり。 いま教主けうしゆしやくそんぢやうさんぜんしよぎやうをすてゝ念仏ねむぶちゐちぎやうぞくしたまふことも、 弥陀みだほんぐわんぎやうなるがゆへなり。

一向ゐちかう専念せんねむ」 といふは、 ¬さう巻経くわんぎやう¼ にとくところの三輩さんぱいのもんのなか一向ゐちかう専念せんねむをおしふるなり。 一向ゐちかうのことは、 をすつることばなり。 この ¬きやう¼ には、 はじめにひろくぢやうさんをとくといゑども、 のちには一向ゐちかう念仏ねむぶちをゑらびてぞく流通るづしたまへるなり。 しかれば、 とおくは弥陀みだほんぐわんにしたがひ、 ちかくはしやくそんぞくをうけむとおもはゞ、 一向ゐちかう念仏ねむぶちゐちぎやうしゆしてわうじやうをもとむべきなり。

0879ほよそ念仏ねむぶちわうじやうしよぎやうわうじやうにすぐれたること、 おほくのあり。

ひとつには、 いんほんぐわんなり。 いはく弥陀みだ如来によらいいん法蔵ほふざうさちのとき、 十八じふはちせいぐわんをおこして、 じやうをまふけてほとけにならむとぐわんじたまひしとき、 しゆじやうわうじやうぎやうをたてゝえらびさだめたまひしに、 ぎやうおばえらびすてゝ、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうせんぢやうしてわうじやうぎやうにたてたまへり。 これをせんぢやくぐわんといふことは、 ¬だい弥陀みだきやう¼ のせちなり。

ふたつには、 光明くわうみやう摂取せふしゆなり。 これは弥陀みだぶちいんほんぐわんしようねむして、 相好さうがう光明くわうみやうをもて念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしてすてたまはずして、 わうじやうせさせたまふなり。 ぎやうじやおば摂取せふしゆしたまはず。

みつには、 弥陀みだみづからのたまはく、 「これはこればち陀和だわさち極楽ごくらくかいにまうでゝ、 いづれのぎやうしゆしてかこのくにゝわうじやうさふらふべきと、 弥陀みだぶちにとひたてまつりしかば、 ぶちこたえてのたまはく、 わがくににしやうぜむとおもはゞ、 わがねんじてそくヤムコトするこナカレトナリとなかれ、 すなわちわうじやうすることをえてむ」 (一巻本般舟経問事品意) とのたまへり。 ぎやうおばすゝめたまはず。

よつには、 しやぞくにいはく、 いまこの ¬きやう¼ に念仏ねむぶちぞく流通るづしたまへり。 ぎやうおばぞくせず。

いつつには、 諸仏しよぶち証誠しようじやう。 これは ¬弥陀みだきやう¼ にときたまへるところなり。 しやぶちえらびて念仏ねむぶちわうじやうのむねをときたまへば、 六方ろくぱう諸仏しよぶちおのおのおなじくほめ、 おなじくすゝめて0880広長くわうぢやうのみしたをのべて、 あまねく三千さんぜん大千だいせんかいにおほふて証誠しようじやうしたまへり。 これすなわち一切ゐちさいしゆじやうをして、 念仏ねむぶちしてわうじやうすることは決定くゑちぢやうしてうたがふべからずとしんぜしめむれうなり。 ぎやうおばかくのごとく証誠しようじやうしたまはず。

むつには、 法滅ほふめちわうじやう。 いはく、

万年まんねん三宝さんぽうめちせむに、 このきやうぢゆせむことひやくねんせむ。 そのとききゝ一念ゐちねむせば、 みなまさにかしこにしやうべし」 (礼讃)

万年まんねん三宝さんぽうめちきやうぢゆひやくねん爾時にじもん一念ゐちねむかいとうとくしやう

といふて、 末法まちぽふ万年まんねんののち、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうのみとゞまりて、 わうじやうすべしといへることなり。 ぎやうはしからず。

しかのみならず、 ぼむしやう十悪じふあく罪人ざいにん臨終りむじゆのときもんきやうしようぶちと、 ぜんをならべたりといゑども、 化仏くゑぶち来迎らいかうしてほめたまふに、

なんぢぶちみやうしようするゆへに諸罪しよざい消滅せうめちす。 われきたりてなんぢをむかふ」 (観経)

によしようぶちみやう諸罪しよざい消滅せうめち来迎らいかうによ

とほめて、 いまだもんきやうおばほめたまはず。

また ¬さう巻経くわんぎやう¼ に三輩さんぱいわうじやうごふをとくなかに、 だいしむおよびりふ塔像たうざうとうぎやうおもとくといゑども、 流通るづのところにいたりて、

それかのぶちみやうがうきくことをて、 くわんやくしてない一念ゐちねむあらむ。 まさにるべしこのひとだいとす。 すなわちこれじやうどくそくするなり」 (巻下)

其有ごうとくもんぶちみやうがう↡、 くわんやくない一念ゐちねむ↥。 たうにんとくだい↡。 そくそくじやうどく↡」

とほめて、 ぎやうをさしてじやうどくとはほめたまはず。 念仏ねむぶちわうじやうえうをとるに、 これにありと。

・名号功徳

またいは ほとけどくひやくせん万劫まんごふのあひだ、 ちうヒルヨルにとくともきわめつくすべからず。 これによて、 教主けうしゆしやくそん、 かの弥陀みだぶちどくしようやうしたまふにも、 えうなかえうをと0881りて、 りやくしてこのさん妙典めうでんをときたまへり。 ほとけすでにりやくしたまへり、 たうそういかゞくはしくするにたえむ。 たゞ善根ぜんごんじやうじゆのために、 かたのごとく讃嘆さんだんしたてまつるべし。 弥陀みだ如来によらいないしようぐゑどくりやうなりといゑども、 えうをとるにみやうがうどくにはしかず。 このゆへにかの弥陀みだぶちも、 ことにわがみやうがうをしてしゆじやうさいし、 またしやだいも、 おほくかのほとけのみやうがうをほめてらい流通るづしたまへり。

しかれば、 いまそのみやうがうについて讃嘆さんだんしたてまつらば、 弥陀みだといふは、 これ天竺てんぢくぼむなり。 こゝには翻訳ほむやくしてりやう寿じゆぶちといふ。 またりやうくわうといへり。 またはへんくわうぶちぐゑくわうぶちたいくわうぶち炎王えむわうくわうぶち清浄しやうじやうくわうぶちくわんくわうぶち智慧ちゑくわうぶちだんくわうぶちなんくわうぶちしようくわうぶちてうにちぐわちくわうぶちといへり。 こゝにしりぬ、 みやうがうなか光明くわうみやう寿じゆみやうとのふたつをそなえたりといふことを。 かのほとけどくなかには、 寿じゆみやうほんとし、 光明くわうみやうをすぐれたりとするゆへなり。 しかれば、 また光明くわうみやう寿じゆみやうふたつどくをほめたてまつるべし。

・光明功徳 ・无量光

まづ光明くわうみやうどくをあかさば、 はじめにりやうくわうは、 ¬きやう¼ (観経) にのたまはく、 「りやう寿じゆぶち八万はちまんせんさうあり。 一一ゐちゐちさうにおのおの八万はちまんせんずいぎやうかうあり。 一一ゐちゐち0882かうにまた八万はちまんせん光明くわうみやうあり。 一一ゐちゐち光明くわうみやうあまねく十方じふぱうかいをてらす。 念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆして、 すてたまはず」 といへり。 しむ、 これをかむがへていはく、 「一一ゐちゐちさうなかにおのおのしちひやくていろくぴやくまん光明くわうみやうせり。 ねん赫奕かくやくたりサカリニシテカヾヤクトナリ(要集巻中意) といへり。 一相ゐちさうよりいづるところの光明くわうみやうかくのごとし、 いはむや八万はちまんせんさうおや。 まことに算数さんじゆのおよぶところにあらず。 かるがゆへにりやうくわうといふ。

・光明功徳 ・无辺光

つぎにへんくわうといふは、 かのほとけ光明くわうみやう、 そのかずかくのごとし。 りやうのみにあらず、 てらすところもまた辺際へんざいあることなきがゆへにへんくわうといふ。

・光明功徳 ・无光

つぎにぐゑくわうは、 このかいにちぐわち灯燭とうそくとうのごときは、 ひとへなりといゑども、 ものをへだつれば、 そのひかりとほることなし。 もしかのほとけ光明くわうみやう、 ものにさえらるれば、 このかいしゆじやう、 たとひ念仏ねむぶちすといふとも、 そのくわうせふをかぶることをうべからず。

そのゆへは、 かの極楽ごくらくかいとこのしやかいとのあひだ、 じふ万億まんおく三千さんぜん大千だいせんかいをへだてたり。 その一一ゐちゐち三千さんぜん大千だいせんかいにおのおのぢうてちせんあり。 いはゆるまづゐちてんをめぐれるてちせんあり、 たかさしゆせんとひとし。 つぎにせう千界せんかいをめぐれるてちせんあり、 たかさだい六天ろくてんにいたる。 つぎにちう千界せんかいをめぐれるてちせんあり、 たかさ色界しきかい初禅しよぜんにいたる。 つぎ大千だいせんかいをめぐれるてちせんあり、 たかさ0883だいぜんにいたれり。 しかればすなわち、 もしぐゑくわうにあたらずはゐちかいをすらなほとほるべからず。 いかにいはむや、 じふ万億まんおくかいおや。

しかるにかのほとけ光明くわうみやう、 かれこれそこばくの大小だいせう諸山しよせんをとほりてらして、 このかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしたまふにしやうあることなし。 十方じふぱうかい照摂せうせふテラシオサムたまふことも、 またかくのごとし。 かるがゆへにぐゑくわうといふ。

・光明功徳 ・清浄光

つぎ清浄しやうじやうくわうは、 にんしやくしていはく、 「とむ善根ぜんごんよりしやうずるところのひかりなり」 (述文賛巻中意)

とむふたつあり、 淫貪いむとむ財貪ざいとむなり。 清浄しやうじやうといふは、 たゞ汚穢わゑじやうぢよきやくノゾクサグルトイフにはあらず、 そのふたつとむ断除だんぢよするなり。 とむじやうとなづくるゆへなり。 もしかいやくせば、 いむかい慳貪けむどむかいとにあたれり。 しかれば法蔵ほふざう比丘びく、 むかしいむ慳貪けむどむしよしやうひかりといふ。

このひかりにふるゝものは、 かならず貪欲とむよくのつみをめちす。 もしひとあて、 貪欲とむよくさかりにしていむ慳貪けむどむかいをたもつことえざれども、 こゝろをいたしてもはらこの弥陀みだぶちみやうがうしようねむすれば、 すなわちかのほとけとむ清浄しやうじやうひかりをはなちて照触せうそく摂取せふしゆしたまふゆへに、 のひかりじやうのぞこる。 かいかいざいけんめちして、 とむ善根ぜんごんとなりて、 かい清浄しやうじやうひととひとしきなり。

・光明功徳 ・歓喜光

つぎくわんくわうは、 これはこれしん善根ぜんごんしよしやうひかり。 ひさしくしんかいをたもちて、 このひかりをえたまへり。 かるがゆ0884へにしんしよしやうひかりといふ。 このひかりにふるゝものは、 しんのつみをめちす。 しかればぞうじやうソネムコヽロ ひとなりといふとも、 もはら念仏ねむぶちしゆすれば、 かのくわんくわうをもて摂取せふしゆしたまふゆへに、 しんのつみめちして、 忍辱にんにくのひととおなじ。 これまたさきの清浄しやうじやうくわう貪欲とむよくのつみめちするがごとし。

・光明功徳 ・智慧光

つぎ智慧ちゑくわうは、 これはこれ无痴むち善根ぜんごんしよしやうひかりなり。 ひさしく一切ゐちさい智慧ちゑをまなうで、 愚痴ぐち煩悩ぼむなうをたちつくして、 このひかりをえたまへるがゆへに、 无痴むちしよしやうひかりといふ。 このひかりはまた愚痴ぐちのつみをめちす。 しかれば、 无智むち念仏ねむぶちしやなりといふとも、 かの智慧ちゑひかりをしててらしおさめたまふがゆへに、 すなわち愚痴ぐちとがめちして、 智慧ちゑしようマサル れちオトルあることなし。 またこのひかりのごとくしりぬべし。

かくのごとくしてじふくわうましますといふとも、 えうをとるにこれにあり。

おほよそかのほとけ光明くわうみやうどくなかには、 かくのごときのをそなえたり。 くはしくあかさばしゆあるべし。 おほきにわかちてふたつあり。 ひとつには常光じやうくわうふたつにはじんくわうなり。

・光明功徳 ・常光

はじめに常光じやうくわうツネノヒカリといふは、 諸仏しよぶち常光じやうくわう、 おのおのげうにしオムコヽロニアリ たがふて、おんトオキごんチカキちやうナガキたんミジカキり。 あるいは常光じやうくわうおもて、 おのおのゐち尋相じむさうといへり。 しやぶち常光じやうくわうのごとき、 これなり。 あるいはしちしやくをてらし、 あるいはゐちをてらし、 あるいはゐちじゆん0885をてらし、 あるいはさんないひやくせんじゆんをてらし、 あるいはゐちてんをてらし、 あるいはゐちぶちかいをてらし、 あるいはぶちさんぶちないひやくせんぶちかいをてらせり。

この弥陀みだぶち常光じやうくわうは、 八方はちぱうじやう央数あうしゆ諸仏しよぶちこくにおいて、 てらさずといふところなし。 八方はちぱうじやうは、 極楽ごくらくについて方角はうがくカタスミトイフおしふるなり。 この常光じやうくわうについてせちあり。 すなわち ¬*びやうどうがくきやう¼ には、 べちしてくわうをおしえたり。 ¬観経くわんぎやう¼ にはすべてしんくわうといへり。 かくのごときせちあり、 ¬わうじやう要集えうしふ¼ にかむがへたり、 みるべし。 常光じやうくわうといふは、 ぢやうだんにてらすひかりなり。

・光明功徳 ・神通光

つぎじんくわうといふは、 ことにべちにてらすひかりなり。 しや如来によらいの ¬法華ほふくゑきやう¼ をとかむとしたまひしとき、 東方とうばうまん八千はちせんをてらしたまふしがごときは、 すなわちじんくわうなり。 弥陀みだぶちじんくわうは、 摂取せふしゆしや光明くわうみやうなり。 念仏ねむぶちしゆじやうあるときはてらし、 念仏ねむぶちしゆじやうなきときはてらすことなきがゆへなり。

善導ぜんだうくわしやう ¬観経くわんぎやうしよ¼ (定善義) にこの摂取せふしゆ光明くわうみやうしやくしたまへるしたに、 「くわうせう遠近おんごんをあかす」 といへり。 この念仏ねむぶちしゆじやうヰタしよルトコロおんトオキごんチカキについて、 摂取せふしゆ光明くわうみやう遠近おんごんあるべしといふなり。 たとひひとついゑのうちにぢゆしたりとも、 ひむがしによりてゐたらむひと念仏ねむぶちまふさむには、 摂取せふしゆ光明くわうみやうとおくてらし、 西にしによりてゐたらむひと念仏ねむぶちまふさむには、 光明くわうみやう0886ちかくてらすべし。 これをもてこゝろうれば、 ひとみやこのうち、 一国ゐちこくのうち、 ゐちえむだいのうち、 三千さんぜんかいうちないはう各別かくべちかいまで、 かくのごとしとしるべし。

しかれば、 念仏ねむぶちしゆじやうについてくわうせう遠近おんごんありとしやくしたまへる、 まことにいわれたることとこそおぼえさふらへ。 これすなわち弥陀みだぶちじんくわうなり。

諸仏しよぶちどくはいづれのどくもみな法界ほふかいへんすといゑども、 どくはそのさうあらわるゝことなし。 たゞ光明くわうみやうのみ、 まさしく法界ほふかいへんするさうをあらわせるどくなり。 かるがゆへに、 もろもろのどくなかには光明くわうみやうをもてさいしようなりとしやくしたるなり。

また諸仏しよぶち光明くわうみやうなかには弥陀みだ如来によらい光明くわうみやうなほまたすぐれたまへり。 このゆへに教主けうしゆしやくそんほめてのたまはく、

りやう寿じゆぶちじん光明くわうみやう最尊さいそん第一だいゐちにして、 諸仏しよぶち光明くわうみやうおよぶことあたはざるところなり」 (大経巻上)

りやう寿じゆぶちじん光明くわうみやう最尊さいそん第一だいゐち諸仏しよぶち光明くわうみやうしよのうぎふ

とのたまへり。 またいはく、

われりやう寿じゆぶち光明くわうみやうじん巍巍ぐゐぐゐ殊妙しゆめうなることをかむに、 ちう一劫ゐちこふすとも、 なほいまだつくすことあたはじ」 (大経巻上)

せちりやう寿じゆぶち光明くわうみやうじん巍巍ぎぎ殊妙しゆめう↡、 ちう一劫ゐちこふしやうのうじん

とのたまへり。 これはこれ、 かのほとけ光明くわうみやうほとけ光明くわうみやうとを相対さうたいしてそのしようれちけうりやうせむに、 弥陀みだぶちにおよばざるほとけをかずえむに、 よる・ひる一劫ゐちこふすとも、 そのかずをしりつくすべからずとのたまへるなり。

かくのごとくしゆしようひかりをえたまふことは、 すなわち願行ぐわんぎやうにこたへたり。 いはく、 かのほとけ法蔵ほふざう比丘びくのむかし、 世自せじ在王ざいわうぶちのみもとにして、 ひやく一十ゐちじふおく0887諸仏しよぶち光明くわうみやうをみたてまつりて、 せんぢやくゆいしてぐわんじていはく、

たとひわれぶちむに、 光明くわうみやうよくげんりやうあて、 しもひやくせんおく那由なゆしよぶちくにてらさざるにいたらば、 しやうがくらじ」 (大経巻上)

せちとくぶち光明くわうみやうのうげんりやう↡、 せうひやくせんおく那由なゆしよ仏国ぶちこくしやしゆしやうがく↡」

とのたまへり。 このぐわんをおこしてのち、 兆載てうさいゐやうごふのあひだしやく累徳るいとくして、 願行ぐわんぎやうともにあらわして、 このひかりをえたまへり。

ほとけざいとう比丘びくといふひとありき。 むまれしとき、 ゆびよりひかりをはなちてじふをてらすことありき。 のちにほとけ弟子でしとなりて、 しゆつしてかんをえたり。 ゆびよりひかりをはなつ因縁いんねんによりて、 なづけてとう比丘びくといへり。 くわじふゐちこふのむかし、 毘婆びばぶちのときに、 ふるき仏像ぶちざうゆびそんじたまひたるをしゆしたてまつりたりしどくによりて、 すなわちゆびよりひかりをはなつほうをうけたるなり。

またぼむ比丘びくといふひとありき。 よりひかりをはなちてゐちじゆんをてらせり。 これくわほとけとうみやうをたてまつりたりしがゆへなり。

またほとけ弟子でし阿那わなりちは、 ほとけ説法せちぽふ睡眠すいめんしたることありき。 ほとけ、 これを種種しゆじゆたんしたまふ。 阿那わなりち、 すなわち懺悔さむぐゑのこゝろをおこして睡眠すいめんだんず。 七日しちにちをへてのち、 そのひらきながら、 そのまなこみずなりぬ。 これを医師いしにとふに、 医師いしこたえていはく、 ひとじきをもていのちとす、 まなこはねぶりをもてじきとす。 もしひと七日しちにちじきせざらむに、 いのちあにつきざらむや。 しかればすなわち、 れうのおよぶところにあらず。 いのちつきぬ0888ひとれうよしなきがごとしといへり。 そのときほとけ、 これをあわれみて天眼てんげんほふをおしえたまふ。 すなわちこれをしゆして、 かへりて天眼てんげんをえたり。 すなわち天眼てんげん第一だいゐち阿那わなりちといへるこれなり。

くわほとけのものをぬすまむとおもふてたうなかにいたるに、 とうみやうすでにきえなむとするをみて、 ゆみのはずをもてこれをかきあぐ。 そのときに、 忽然こつねんとして改悔がいくゑのこゝろをおこして、 あまさへじやう道心だうしむをおこしたりき。 それよりこのかた、 生生しやうしやう世世せせりやうふくをえたり。 いましやしゆつのとき、 ついに得脱とくだちして、 またかくのごとく天眼てんげんをえたり。 これすなわち、 かのとうみやうをかゝげたりしどくによてなり。

・寿命功徳

つぎ寿じゆみやうどくといふは、 諸仏しよぶち寿じゆみやうげうにしたがふてちやうたんあり。 これによてしむそう四句しくをつくれり。 「あるいは能化のうくゑほとけいのちながく、 所化しよくゑしゆじやういのちみじかきあり。 くゑくわう如来によらいのごとし。 ほとけいのちじふ小劫せうこふしゆじやういのちはち小劫せうこふなり。 あるいは能化のうくゑほとけいのちみじかく、 所化しよくゑしゆじやういのちながきあり。 ぐゑちめん如来によらいのごとし。 ほとけいのち一日ゐちにちゐちしゆじやういのちじふさいなり。 あるいは能化のうくゑ所化しよくゑともにいのちみじかきあり。 しや如来によらいのごとし。 ほとけしゆじやうもともに八十はちじふさいなり。 あるいは能化のうくゑ所化しよくゑともにいのちながきあり。 弥陀みだ如来によらいのごとし。 ほとけしゆじやうもともにりやうさいなり」 (小0889経略記意)。 かるがゆへに ¬きやう¼ (大経巻上) にのたまはく、

ぶちなんげたまはく、 りやう寿じゆぶち寿じゆみやうぢやうにしてしようすべからず。 なんぢむしろるや、 たとひ十方じふぱうかいりやうしゆじやうみな人身にんじんて、 ことごとくしやうもん縁覚えんがくじやうじゆせしめて、 すべてともにすいさんしておもひをもはらにし一心ゐちしむにそのりきつくしてひやくせん万劫まんごふにおいて、 ことごとくともにその寿じゆみやうぢやうおんかずすいさんせむに、 じんしてその限極げんごくることあたはず。 しやうもんさち天人てんにんしゆ寿じゆみやうちやうたんまたかくのごとし。 算数さんじゆ譬喩ひゆのよくるところにあらざるなり」

仏告ぶちがうなん↡、 りやう寿じゆぶち寿じゆみやうぢやうしよう↡。 によにやう知乎ちこ仮使けし十方じふぱうかいりやうしゆじやう皆得かいとく人身にんじん↡、 しちりやうじやうじゆしやうもん縁覚えんがく↡、 都共とぐ推算すいさんぜん一心ゐちしむかちりきひやくせん万劫まんごふ↡、 しち推算すいさん寿じゆみやうぢやうおんしゆ↡、 のうじん限極げんごく↡。 しやうもんさち天人てんにんしゆ寿じゆみやうちやうたんやくによ算数さんじゆ譬喩ひゆしよのう

とのたまへり。

たゞもしじんだいさちとうのかずへたまはむには、 ゐちだい恒沙ごうじやこふなりと、 ¬大論だいろん¼ のこゝろをもて、 しむかむがへたり。 このかずじようぼむのかずへてしるべきかずにあらず。 かるがゆへにりやうとはいへるなり。

すべてほとけどくろんずるに、 のうしよふたつあり。 寿じゆみやうをもてのうといひ、 自余じよのもろもろのどくをばことごとくしよといふなり。 寿じゆみやうはよくもろもろのどくをたもつ。 一切ゐちさい万徳まんどく、 みなことごとく寿じゆみやうにたもたるゝがゆへなり。 これはたうだうがわたくしのなり。 すなわちかのほとけ相好さうがう光明くわうみやう説法せちぽふしやうとう一切ゐちさいどく、 およびこく一切ゐちさいしやうごむとうのもろもろの快楽くゑらくのことら、 たゞかのほとけいのちのながくましますがゆへのことなり。 もしいのちなくは、 かれらのどくしやうごむとうなにゝよりてかとゞまるべき。

しかれば、 十八じふはちぐわんなかにも、 寿じゆみやうりやうぐわん自余じよしよぐわんおばおさめたるなり。 たとひだい十八じふはち0890念仏ねむぶちわうじやうぐわん、 ひろくしよせふしてさいするににたりといゑども、 ほとけおむいのちもしみじかくは、 そのぐわんなほひろまらじ。 そのゆへは、 もしひやくさい千歳せんざい、 もしは一劫ゐちこふこふにてもましまさましかば、 いまのときのしゆじやうはことごとくそのぐわんにもれなまし。 かのほとけじやうぶちしてのち、 十劫じふこふをすぎたるがゆへなり。 これをもてこれをおもへば、 さいしやう方便はうべん寿じゆみやうぢやうおんなるにすぎたるはなく、 だいだいせいぐわん寿じゆみやうりやうなるにあらはるゝものなり。

これしやかいひとも、 いのちをもて第一だいゐちのたからとす。 七珍しちちん万宝まんぼうをくらのうちにみてたれども、 りよう綿繍きむしうをはこのそこにたくわへたるも、 いのちのいきたるほどぞわがたからにてもある、 まなことぢぬるのちはみなひとのものなり。

しかれば、 弥陀みだ如来によらい寿じゆみやうりやうぐわんをおこしたまひけむも、 おむのためちやう寿じゆ果報くわほうをもとめたまふにはあらず。 さいしやうのひさしかるべきために、 またしゆじやうをしてごんのこゝろをおこさしめんがためなり。 一切ゐちさいしゆじやうはみないのちながゝらむことをねがふがゆへなり。 おほよそかのほとけどくなかには、 寿じゆみやうりやうとくをそなへたまふにすぎたることはさふらはぬなり。

このゆへに ¬さう巻経くわんぎやう¼ のだいにも 「りやう寿じゆきやう」 といへども、 りやうくわうきやうとはいはず。 隋朝ずいてうよりさきのやくには、 みなきやうなかしゆムネト あることをえらびて、 せむをぬきりやくぞんじてその題目だいもくとす0891るなり。 すなわちこの ¬きやう¼ のせむには、 弥陀みだ如来によらいどくをとけるなり。 そのどくなかには、 光明くわうみやうりやう寿じゆみやうりやうふたつをそなへたり。 そのなかにはまた寿じゆみやうなをさいしようなるゆへに、 「りやう寿じゆきやう」 となづくるなり。

またしや如来によらいどくなかにも、 おんじちじやうむねをあらわせるをもてしゆしよう甚深じむじむのこととせり。 すなわち ¬法華ほふくゑきやう¼ に 「寿じゆりやうぼむ」 とてとかれたり。 廿にじふはちぼむなかには、 このほむをもてすぐれたりとす。 まさにしるべし、 諸仏しよぶちどくにも寿じゆみやうをもて第一だいゐちどくとし、 しゆじやうのたからにもいのちをもて第一だいゐちのたからとすといふことを。

そのいのちながき果報くわほうをうることは、 しゆじやう飲食おむじきをあたへ、 またものゝいのちをころさゞるを業因ごふいんとするなり。 いんくわ相応さうおうすることなれば、 じきはすなわちいのちをつぐがゆへに、 じきをあたふるはすなわちいのちをあたふるなり。 せちしやうかいをたもつもまたしゆじやういのちをたすくるなり。 かるがゆへに、 飲食おむじきをもてしゆじやう施与せよし、 慈悲じひぢゆしてせちしやうかいをたもてば、 かならず長命ぢやうみやう果報くわほうをえたり。

しかるにかの弥陀みだ如来によらいは、 すなわち願行ぐわんぎやうあひたすけて、 この寿じゆみやうりやうとくおばじやうじゆしたまへるなり。 ぐわんといふは、 十八じふはちぐわんなかだい十三じふさんぐわんにいはく、

たとひわれぶちむに、 寿じゆみやうよくげんりやうあて、 しもひやくせんおく那由なゆこふいたらば、 しやうがくらじ」 (大経巻上)

せちとくぶち寿じゆみやうのうげんりやう↡、 下至げしひやくせんおく那由なゆこふしやしゆしやうがく↡」

とのたまへり。 ぎやうといふは、 かのぐわんをたてたまふてのち0892央数あうしゆこふのあひだ、 またせちしやうかいをたもてり。 また一切ゐちさいぼむしやうにおひて、 飲食おむじきやくやう施与せよしたまへるなり。 これは弥陀みだ如来によらい寿じゆみやうどくなり。

・弥陀入滅

かのほとけ、 かくのごとく寿じゆみやうりやうなりといえども、 また涅槃ねちはん隠没おむもちまします。 これについて、 あわれなることこそさふらへ。 だうしやくぜん念仏ねむぶちしゆじやうにおひてじゆりやうやくありとしやくしたまへる。 その終益じゆやくをあかすに、 すなわち ¬くわんおむじゆきやう¼ (意) をひきていはく、 「弥陀みだぶちぢゆおむいのち兆載てうさいゐやうごふのゝちめちしたまひて、 たゞくわんおむせいしゆじやう接引せふいんしたまふことあるべし。 そのときに、 一向ゐちかうにもはら念仏ねむぶちしてわうじやうしたるしゆじやうのみ、 つねにほとけをみたてまつる、 めちしたまはぬがごとし。 ぎやうわうじやうしゆじやうは、 みたてまつることあらず」 といへり。 わうじやうをえてむうへに、 そのときまでのことはあまりごとぞ、 とてもかくてもありなむとおぼえぬべくさふらへども、 そのときにのぞみては、 かなしかるべきことにてこそさふらへ。

かのしや入滅にふめちのありさまにても、 おしはかられさふらふなり。 しようくわかんじむだいフカキクラヰトイフも、 めち現滅げんめちのことはりをしりながら、 たうべちのかなしみにたえず、 てんにあおぎにふし、 哀哭あいこくきふしき。 いはんやしようしゆじやうおや、 浅識せんしきぼむおや、 ない竜神りうじんはちじふるいも、 おほよそ涅槃ねちはんゐちたんのなみだをながさずといふことなし。 しかの0893みならず、 しやりむのこずゑ、 抜提ばちだいみづ、 すべて山川せんせんヤマカワけいタニこく草木さうもく樹林じゆりむも、 みなあいしやうのいろをあらはしき。

しかれば、 くわをきゝてらいをおもひ、 穢土ゑどになずらへてじやうをしるに、 かの弥陀みだぶち衆宝しゆぼうしやうごむこくをかくし、 涅槃ねちはんじやくめちだうぢやうにいりたまひてのち、 八万はちまんせん相好さうがうふたゝびげんずることなく、 りやうへん光明くわうみやうはながくてらすことなくは、 かのしやうじゆ人天にんでんとうあいのおもひ、 れんコヒシタのこフトナリゝろざし、 いかばかりかはさふらふべき。 七宝しちぽうねんのはやしなりとも、 はちによみづなりとも、 みやうくゑ軟草なんさうクサノナヽリ いろも、 がん鴛鴦ゑんあうのこえも、 いかゞそのときをしらざらむや。 じやうことなりといへども、 そんめちすでにことなることなし。 めいマドフサトルはこゝろかわるといゑども、 所化しよくゑれんなんぞかはることあらむや。

このしやかいぼむばくひとしむ事、 コヽロトコトヽ相応さうおうせず。 げう各別かくべちにて、 つねにタガフはいソムクし、 たがひにえむイトイあくニクムをするだにも、 あるいはさいのちぎりおもむすび、 あるいはぼうトモトナルナリことばおもなして、 しばらくもなづさひ、 またなれぬれば、 おんトオクごんチカクのさかひをへだて、 ぜんしやうをあらため、 かくのごとくしやうおもおもわかれをつぐるときには、 なごりをおしむこゝろたちまちにもよおし、 かなしみにたえず、 なみだおさへがたきことにてこそはさふらへ。

いかにいはむや、 かのほとけうちには慈悲じひ哀愍あいみんのこ0894ゝろをのみたくはへてましませば、 なれたてまつるにしたがふて、 いよいよむつまじく、 ほかには見者けんじやミタテマツルモノ えむとくイトフコトナシトナリ そなへてましませば、 みまいらするごとに、 いやめづらなるおや。 まことにりやうゐやうごふがあひだ、 あさゆふに万徳まんどく円満ゑんまんのみかほをおがみたてまつり、 ちうべん无窮むぐこえになれたてまつりて、 ぎやう瞻仰せむがうし、 随遂ずいちくきふして、 すぎたらむここちに、 ながくみたてまつらざらむことになりたらむばかり、 かなしかるべきことやさふらふべき。 无有むうしゆのさかひ、 しよ妄想まうざうのところなりといふとも、 このことゐちは、 さこそおぼへさふらふらめとぞおぼえさふらふ

それにもとのごとくみたてまつりて、 あらたまることなからむことは、 まことにあはれにありがたきこととこそおぼへさふらへ。 これすなわち、 念仏ねむぶちゐちぎやう、 かのほとけほんぐわんなるがゆへなり。 おなじくわうじやうをねがはむひとは、 専修せんじゆ念仏ねむぶち一門ゐちもんよりいるべきなり。

(895)・大経

つぎ¬さうくわんりやう寿じゆきやう¼。 「じやうさんきやう」 のなかには、 この ¬きやう¼ を根本こんぽんとするなり。 其故そのゆへは、 一切ゐちさい諸善しよぜんぐわん根本こんぽんとす。 しかるこの ¬きやう¼ には弥陀みだ如来によらいいんぐわんをときていはく、 乃往ないわうくわおんりやう央数あうしゆこふぶちましましき、 世自せじ在王ざいわうぶちとまふしき。 そのとき一人ゐちにん国王こくわうありき。 ぶち説法せちぽふをきゝて、 じやう道心だうしむをおこして、 くにをすてわうをすてゝ、 いゑをいでゝ沙門しやもんとなれり。 なづけて法蔵ほふざう比丘びくといふ。 すなわち世自せじ在王ざいわうぶちみもとまうでて、 みぎにめぐることさんざうして、 ちやうくゐがふしやうしてぶちをほめたてまつりてまうしてまうさく、 われじやうをまうけてしゆじやうせむとおもふ。 ねがわくは、 わがためにきやうぼふをときたまへと。

そのとき世自せじ在王ざいわうぶち法蔵ほふざう比丘びくのためにひやく一十ゐちじふおく諸仏しよぶちじやう人天にんでん善悪ぜんあくこくめうをとき、 またげんじてこれをあたへたまふ。 法蔵ほふざう比丘びくぶち所説しよせちをきゝ、 またごむじやうこくをことごとくみおはりてのち、 こふのあひだゆい取捨しゆしやして、 ひやく一十ゐちじふおくじやうなかよりえらびとりて、 十八じふはちせいぐわんをまうけたり。

このひやく一十ゐちじふおく諸仏しよぶちのくにのなかより、 善悪ぜんあくなかには0896あくをすてゝぜんをとり、 めうなかにはをすてゝめうをとる。 かくのごとく取捨しゆしやせんぢやくして、 この十八じふはちぐわんをおこせるがゆへに、 この ¬きやう¼ の同本どうほんやく¬だい弥陀みだきやう¼ には、 このぐわんせんぢやくぐわんととかれたり。

そのせんぢやくのやう、 おろおろまふしひらきさふらはむ。

・大経 ・无三悪趣の願

まづはじめのさん悪趣あくしゆぐわんは、 かの諸仏しよぶちこくうちに、 さん悪道まくだうあるおばえらびすてゝ、 さん悪道まくだうなきおばえらびとりてわがぐわんとせり。

・大経 ・不更悪趣の願

つぎきやう悪趣あくしゆぐわんは、 かの諸仏しよぶちのくにのうちに、 たとひさん悪道まくだうなしといゑども、 かのくにのしゆじやう、 またはうさん悪道まくだうにおつることあるくにおばえらびすてゝ、 すべてさん悪道まくだうにかへらざるくにをえらびとりてわがぐわんとせるなり。

・大経 ・悉皆金色の願、无有好醜の願、…

つぎ悉皆しちかい金色こむじきぐわんつぎ无有むう好醜かうしゆぐわん一一ゐちゐちぐわんみなかくのごとしとしるべし。

・大経 ・念仏往生の願

だい十八じふはち念仏ねむぶちわうじやうぐわんは、 かのひやく一十ゐちじふおく諸仏しよぶちこくうちに、 あるいは布施ふせをもてわうじやうぎやうとするくにあり、 あるいはかいおよびぜんぢやう智慧ちゑとうないほちだいしむきやうじゆとう孝養けうやう父母ぶも奉事ぶじちやうとう、 かくのごときの種種しゆじゆぎやうをもて、 おのおのわうじやうぎやうとするくにあり、 あるいはまた、 もはらそのくにの教主けうしゆみやうがうしようねむするをもて、 わうじやうぎやうとするくにもあり。 しかるにかの法蔵ほふざう比丘びくぎやうをもてわうじやうぎやうとするくにおばえらびすてゝ、 た0897みやうがうしようねむしてわうじやうぎやうとするくにをえらびとりて、 わがこくわうじやうぎやうも、 かくのごとくならむとたてたまへるなり。

・大経 ・来迎引接の願、繋念定生の願、…

つぎ来迎らいかう引接いんぜふぐわんつぎねむ定生ぢやうしやうぐわん、 みなかくのごとくえらびとりてぐわんじたまへり。 おほよそはじめさん悪趣あくしゆぐわんより、 おはり得三とくさん法忍ぼふにんぐわんにいたるまでゆいせんぢやくするあひだ、 こふおばおくりたるなり。 かくのごとくせんぢやく摂取せふしゆしてのちに、 ほとけのみもとにけいマウデして、 一一ゐちゐちにこれをとく。

その十八じふはちぐわんときおはりてのち、 またをもてまふさく、

われてうぐわんたてつ、 かならずじやうだういたらむ。 このぐわん満足まんぞくせずは、 ちかしやうがくらじと。
このぐわんもし剋果こくくわすべくは、 大千だいせん感動かむどうすべし。 虚空こくのもろもろの天人てんにん、 まさに珍妙ちんめうはなふるべし」 (大経巻上)

ごんてうぐわんひちじやうだうぐわん満足まんぞくせいじやうしやうがく
ぐわんにやく剋果こくくわ大千だいせんおう感動かむどう虚空こくしよ天人てんにんとう珍妙ちんめうくゑ

と。

かの比丘びく、 このをときおはるに、 ときにおうじてあまねく六種ろくしゆ震動しむどうし、 てんより妙華めうくゑそのうえにさんじて、 ねん音楽おむがくそらうちにきこへ、 またそらうちにほめていはく、 「決定くゑちぢやうしてかならずじやうしやうがくなるべし」 (大経巻上) と。

しかれば、 かの法蔵ほふざう比丘びく十八じふはちぐわんは、 一一ゐちゐちじやうじゆして決定くゑちぢやうしてほとけになるべしといふことは、 そのはじめほちぐわんのとき、 世自せじ在王ざいわうぶちまへにして、 しよ竜神りうじんはち一切ゐちさい大衆だいしゆなかにして、 かねてあらわれたることなり。

しかれば、 かの世自せじ在王ざいわうぶちほふなかには、 法蔵ほふざうさち十八じふはちぐわんきやうとてじゆ読誦どくじゆしき。 いましやほふなかなりといふとも、 かのほとけぐわんりきをあおぎて、 か0898のくにゝむまれむとねがふは、 この法蔵ほふざうさち十八じふはちぐわん法門ほふもんにいるなり。 すなわちだうしやくぜん善導ぜんだうくわしやうとうも、 この法蔵ほふざうさち十八じふはちぐわん法門ほふもんにいりたまへるなり。

かの華厳くゑごむしゆひとは ¬華厳くゑごむぎやう¼ をたもち、 あるいは三論さんろんしゆひとは ¬般若はんにやきやう¼ とうをたもち、 あるひは法相ほふさうしゆひとは ¬瑜伽ゆが¼・¬唯識ゆいしき¼ をたもち、 あるひは天臺てんだいしゆひとは ¬法華ほふくゑ¼ をたもち、 あるひはぜん无畏むゐは ¬大日だいにちきやう¼ をたもち、 金剛こむがうは ¬金剛こむがうちやうきやう¼ をたもつ。 かくのごとく、 おのおのしゆにしたがふて、 きやうろんをたもつなり。

いまじやうしゆしゆとせむひとは、 この ¬きやう¼ によて十八じふはちぐわん法門ほふもんをたもつべきなり。 この ¬きやう¼ をたもつといふは、 すなわち弥陀みだほんぐわんをたもつなり。 弥陀みだほんぐわんといふは、 法蔵ほふざうさち十八じふはちぐわん法門ほふもんなり。

その十八じふはちぐわんなかに、 だい十八じふはち念仏ねむぶちわうじやうぐわん本体ほんたいとするなり。 かるがゆへに善導ぜんだうのたまはく、

ぜいもんにして十八じふはちなり。 ひとへに念仏ねむぶちへうしてもともしんとす」 (法事讃巻上)

ぜいもん十八じふはちへんべう念仏ねむぶちさいしん

といへり。 念仏ねむぶちわうじやうといふことは、 みなもとこのほんぐわんよりおこれり。

しかれば、 ¬観経くわんぎやう¼・¬弥陀みだきやう¼ にとくところの念仏ねむぶちわうじやうのむねも、 ないきやうなかにとくところも、 みなこの ¬きやう¼ にとけるところのほんぐわん根本こんぽんとするなり。 なにをもてかこれをしるとならば、 ¬観経くわんぎやう¼ にとけるところの光明くわうみやう摂取せふしゆを、 善導ぜんだうしやくしたまふに、

ただ念仏ねむぶちのものあてくわうせふかぶる、 まさにるべしほんぐわんもともこわしとす」 (礼讃)

ゆい念仏ねむぶちくわうせふたうほんぐわんさいがう

とい0899へり。 このしやくのこゝろ、 ほんぐわんなるがゆへに光明くわうみやう摂取せふしゆすときこえたり。

またおなじ ¬きやう¼ に、 ぼむ上生じやうしやうもんきやうしようぶちとをならべてとくといゑども、 化仏くゑぶちきたりてほめたまふには、 たゞしようぶちこうをのみほめて、 もんきやうおばほめたまはずといへり。 善導ぜんだうしやくしていはく、

ぶちほんぐわんこゝろのぞまば、 ただしやうねむ称名しようみやうすゝむ。 わうじやうきこと雑散ざふさんごふおなじからず」 (散善義)

まうぶちほんぐわんしやゆいくわんしやうねむ称名しようみやう↡。 わうじやうしちどう雑散ざふさんごふ↡」

といへり。 これまたほんぐわんなるがゆへに、 しようぶちおばほめたまふときこへたり。

またおなじ ¬きやう¼ のぞくもんしやくしたまふにも、

ぶちほんぐわんこゝろのぞむには、 しゆじやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだぶちみなしようするにあり」 (散善義)

まうぶちほんぐわん↡、 ざいしゆじやう一向ゐちかうせんしよう弥陀みだぶちみやう↡」

といへり。 これまた弥陀みだほんぐわんなるがゆへに、 しやくそんぞく流通るづせしめたまふときこへたり。

また ¬弥陀みだきやう¼ にとけるところの一日ゐちにち七日しちにち念仏ねむぶち善導ぜんだうほめたまふに、

ぢき弥陀みだぜいかさなれるによて、 ぼむねむじてすなわちしやうぜしむることをいたす」 (法事讃巻下)

ぢき弥陀みだぜいぢう使ぼむねむそくしやう↡」

といへり。 これまた一日ゐちにち七日しちにち念仏ねむぶちも、 弥陀みだほんぐわんなるがゆへにわうじやうすときこえたり。

ない ¬さう巻経くわんぎやう¼ のなかにも、 三輩さんぱい已下いげ諸文しよもんはみなかみのほんぐわんによるなり。 おほよそこの 「さんきやう」 にかぎらず、 一切ゐちさいしよきやうなかにあかすところの念仏ねむぶちわうじやうは、 みなこの ¬きやう¼ のほんぐわんをのぞまむとてとけるなりと、 しるべし。

そもそも法蔵ほふざうさち、 いかなればぎやうをすてゝ、 たゞ称名しようみやう念仏ねむぶちゐちぎやうをもてほんぐわんにたて0900たまへるぞといふに、 これにふたつあり。 ひとつには念仏ねむぶちしゆしようどくなるがゆへに、 ふたつ念仏ねむぶちぎやうじやすきによてしよにあまねきがゆへに。

はじめにしゆしようどくなるがゆへにといふは、 かのほとけ因果いんぐわ総別そうべち一切ゐちさい万徳まんどく、 みなことごとくみやうがうにあらわるゝがゆへに、 ひとたびも南无なも弥陀みだぶちととなふるに、 だい善根ぜんごんをうるなり。 こゝをもて ¬西方さいはうえうくゑち¼ にいはく、

諸仏しよぶち願行ぐわんぎやうはこのくわじやうず、 たゞよくみなねむずるにつぶさに衆徳しゆとくぬ、 かるがゆへに大善だいぜんわうじやうはいせず」

諸仏しよぶち願行ぐわんぎやうじやうくわみやう↡、 たんのうねむがうはう衆徳しゆとく↡、 じやう大善だいぜんはいわうじやう↡」

といへり。 またこの ¬きやう¼ (大経巻下) に、 すなわち一念ゐちねむをさして 「じやうどく」 とほめたり。 しかれば、 しゆしようだい善根ぜんごんなるがゆへに、 えらびてほんぐわんとしたまへるなり。

ふたつにはしゆしやすきがゆへにといふは、 南无なも弥陀みだぶちとまふすことは、 いかなる愚痴ぐちのものも、 おさなきも、 おいたるも、 やすくまふさるゝがゆへに、 びやうどう慈悲じひおむこゝろをもて、 そのぎやうをたてたまへり。

もし布施ふせをもてほんぐわんとせば、 びん困乏こむぼうのともがら、 さだめてわうじやうののぞみをたゝむ。 もしかいをもてほんぐわんとせば、 かいかいのたぐひ、 またわうじやうののぞみをたつべし。 もしぜんぢやうをもてほんぐわんとせば、 散乱さんらんどうのともがら、 わうじやうすべからず。 もし智慧ちゑをもてほんぐわんとせば、 どん下智げちのもの、 わうじやうすべからず。 自余じよしよぎやうもこれになずらへてしるべし。 しかるに布施ふせかいとうしよぎやうにたえたるものは0901きわめてすくなく、 びんかい散乱さんらん愚痴ぐちのともがらははなはだおほし。 しかれば、 かみのしよぎやうをもてほんぐわんとしたまひたらましかば、 わうじやうをうるものはすくなく、 わうじやうせぬものはおほからまし。

これによて法蔵ほふざうさちびやうどう慈悲じひにもよおされて、 あまねく一切ゐちさいせふせむがために、 かのしよぎやうをもてはわうじやうほんぐわんとせず、 たゞ称名しようみやう念仏ねむぶちゐちぎやうをもてそのほんぐわんとしたまへるなり。

かるがゆへに法照ほふせうぜんのいはく、

らいあくしゆじやうにおいては、 西方さいはう弥陀みだみなしようねむせよ。
ぶちほんぐわんによてしやうづ。 直心ぢきしむをもてのゆへに極楽ごくらくしやうず」 と

らいあくしゆじやうしようねむ西方さいはう弥陀みだがう
ぶちほんぐわんしゆつしやう直心ぢきしむしやう極楽ごくらく↡」 と。

また (五会法事讃巻本) いは

かのぶち因中いんちうぜいてたまへり。 みなきゝてわれをねむぜばすべてむかかえらしむ。
びんとまさにくゐとをえらばず、 下智げち高才かうざいとをえらばず、
もんじやうかいたもてるをえらばず、 かい罪根ざいこんふかきとをえらばず。
ただしむしておほ念仏ねむぶちせしむれば、 よくぐわりやくをしてへんじてこがねさしむ」 と。

ぶち因中いんちうりふぜいもんみやうねむそう迎来かうらい
けんびんしやうくゐけん下智げち高才かうざい
けんもんじやうかいけんかい罪根ざいこんじむ
たん使しむ念仏ねむぶちのうりやうぐわりやくへんじやうこむ」。

かくのごとくせいぐわんをたてたりとも、 そのぐわんじやうじゆせずは、 まさにたのむべきにあら0902ず。 しかるにかの法蔵ほふざうさちぐわんは、 一一ゐちゐちじやうじゆしてすでにほとけになりたまへり。 そのなかに、 この念仏ねむぶちわうじやうぐわんじやうじゆもんにいはく、

あらゆるしゆじやう、 そのみやうがうきゝて、 信心しんじむくわんして、 ない一念ゐちねむせむ。 しんかうせしめたまへり。 かのくにむまれむとぐわんずれば、 すなわちわうじやう退転たいてんぢゆせむ」 (大経巻下) と

しよしゆじやうもんみやうがう↡、 信心しんじむくわんない一念ゐちねむしんかうがんしやうこく↡、 そくとくわうじやう↡、 ぢゆ退転たいてん↡」

つぎ三輩さんぱいわうじやうはみな、 「一向ゐちかう専念せんねむりやう寿じゆぶち(大経巻下) といへり。 このなかだいしむとう諸善しよぜんありといゑども、 かみのほんぐわんをのぞむには、 一向ゐちかうにもはらかのほとけみやうがうねむずるなり。 れいせばかの ¬観経くわんぎやうしよ¼ (散善義)しやくせるがごとし。 「かみよりこのかた、 ぢやうさんりやうもんやくをとくといゑども、 ほとけほんぐわんをのぞむには、 こゝろしゆじやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだぶちのみなをしようするにあり」 といへり。 「まうぶちほんぐわんホトケノホングワンヲ といふノゾムトイフは、 この三輩さんぱいなかの 「一向ゐちかう専念せんねむ」 をさすなり。

つぎ流通るづにいたて、 「其有ごう得聞とくもんぶちみやうがうくわんやくない一念ゐちねむたうにんとくだいそくそくじやうどく(大経巻下) といへり。 善導ぜんだうおむこゝろは、 「じやうじんゐちぎやう下至げし一念ゐちねむ(礼讃意)じやうどくなりと。 余師よしのこゝろによらば、 たゞせうをあげてをあらはすなりといへり。

つぎ

当来たうらいきやうだう滅尽めちじんせむに、 われ慈悲じひ哀愍あいみんをもて、 ことにこのきやうとゞめぢゆせむことひやくさいせむ。 それしゆじやうあてこのきやうまうあものは、 こゝろしよぐわんしたがひてみなとくすべし」 (大経巻下)

当来たうらい之世しせきやうだう滅尽めちじん慈悲じひ哀愍あいみん↡、 どくきやうぢゆひやくさい其有ごうしゆじやうきやうしやずいしよぐわんかいとく↡」

といへり。 この末法まちぽふ万年まんねんののち、 三宝さんぽう滅尽めちじんのときのわうじやうをおもふに、 一向ゐちかう専念せんねむわうじやうをあかすなり。

そのゆへは、 だいしむ0903をときたるしよきやうみなめちしなば、 なにゝよてかだいしむぎやうさうおもしらむ。 大小だいせうかいきやうみなうせなば、 なにゝよてかひやくじふかいおも、 じふはちかいおもたもたむ。 仏像ぶちざうあるまじければ、 造像ざうざうたう善根ぜんごんもあるべからず。 ないきやうじゆとうもまたかくのごとし。 そのときに、 なほ一念ゐちねむするにわうじやうすといへり。

すなわち善導ぜんだういはく、 「爾時にじもん一念ゐちねむ皆当かいたうとくしやう(礼讃) といへり。 かれをもていまをおもふに、 念仏ねむぶちぎやうじやはさらに善根ぜんごんにおひて一塵ゐちぢんせずとも、 決定くゑちぢやうしてわうじやうすべきなり。

しかれば、 だいしむをおこさずはいかでかわうじやうすべき、 かいをたもたずしてはいかゞわうじやうすべき、 智慧ちゑなくてはいかゞわうじやうすべき、 妄念まうねむをしづめずしてはいかゞわうじやうすべきなむど、 かくのごとくまふす人々ひとびとさふらふは、 この ¬きやう¼ をこゝろえぬにてさふらふなり。 かむぜんこのもんしやくせるに、 「説戒せちかい受戒じゆかいもみなじやうずべからず、 甚深じむじむだいじようもしるべからず。 さきだちておむカクもちカクル ぬれば、 たゞ念仏ねむぶちのみさとりやすくして、 浅識せんしきぼむなほよく修習しゆじふしてやくをうべし」 (群疑論巻三意) といへり。

まことに戒法かいほふめちしなば、 かいあるべからず。 だいじようみなめちしなば、 ほちだいしむ読誦どくじゆだいじようもあるべからずといふことあきらかなり。 浅識せんしきぼむといへり。 しるべし、 智慧ちゑにあらずといふことを。 かくのごときのともがらの、 たゞ称名しようみやう念仏ねむぶちゐちぎやうしゆして、 ゐちしやうまでわうじやう0904べしといへるなり。 これすなわち弥陀みだほんぐわんなるがゆへなり。 すなわち、 かのだいほんぐわんのとおく一切ゐちさいせふするなり。

・小経

つぎに ¬弥陀みだきやう¼ は、

せう善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんをもてかのくにしやうべからず。 しやほち、 もしぜんなむぜん女人によにんあて、 弥陀みだぶちとくきゝて、 みやうがうしふして、 もしは一日ゐちにちない七日しちにち

せう善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんとくしやうこく↡。 しやほちにやくぜんなむぜん女人によにん↡、 もんせち弥陀みだぶち↡、 しふみやうがう↡、 にやく一日ゐちにちない七日しちにち

といへり。

善導ぜんだうくわしやうしやくにいはく、

随縁ずいえん雑善ざふぜんおそらくはむまれがたし。 ゆへに如来によらい要法えうぼふえらばしむ」

随縁ずいえん雑善ざふぜんなんしやう使如来によらいせん要法えうぼふ↡」

といへり。

こゝにしりぬ、 雑善ざふぜんをもてはせう善根ぜんごんとなづけ、 念仏ねむぶちをもて善根ぜんごんといふことを。 この ¬きやう¼ はすなわち、 せう善根ぜんごんなる雑善ざふぜんをすてゝ、 もはら善根ぜんごん念仏ねむぶちをとけるなり。

ちかごろたうよりわたりたる ¬竜舒りうじよじやうもん¼ とまふすふみさふらふ。 それに ¬弥陀みだきやう¼ の脱文だちもんとまふして、 廿にじふゐちあるもんをいだせり。 「一心ゐちしむらん」 のしたに、

「もはらみやうがうたもちて、 称名しようみやうをもてのゆへに諸罪しよざい消滅せうめちす、 すなわちこれ善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんなり」 (巻一)

せんみやうがう↡、 称名しようみやう諸罪しよざい消滅せうめちそく善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねん

といへり。 すなわちかのふみにこのもんをいだしていはく、 「いまのよにつたわるところのほんに、 この廿にじふゐちだちヌケリ り」 (龍舒浄土文巻一) といへり。 この脱文だちもんなしといふとも、 たゞをもておもふに、 せうありといゑども、 まさしく念仏ねむぶちをさして善根ぜんごんといへるもん、 まことに大切たいせちなり。

つぎ六方ろくぱう如来によらい証誠しようじやうをとけり。 かの六方ろくぱう諸仏しよぶち証誠しようじやう、 たゞこの ¬きやう¼ をのみかぎりて証誠しようじやうしたまふににたれども、 じちをもてろんずれば、 この ¬きやう¼ のみにか0905ぎらず。 すべて念仏ねむぶちわうじやう証誠しようじやうするなり。

しかれども、 もし ¬さう巻経くわんぎやう¼ について証誠しようじやうせば、 かのきやうきやう念仏ねむぶちわうじやうほんぐわんをとくといゑども、 三輩さんぱいなかだいしむとうぎやうあるがゆへに、 念仏ねむぶちゐちぎやう証誠しようじやうするむねあらわるべからず。 もし ¬観経くわんぎやう¼ を証誠しようじやうせば、 かのきやうにえらむで念仏ねむぶちぞくすといゑども、 まづはぢやうさんしよぎやうをとくがゆへに、 また念仏ねむぶちゐちぎやうにかぎるとみゆべからず。 こゝをもて、 たゞ一向ゐちかうにもはら念仏ねむぶちをときたるこの ¬きやう¼ を証誠しようじやうしたまふなり。

たゞ証誠しようじやうのみことば、 この ¬きやう¼ にありといへども、 証誠しようじやうはかの ¬さうくわん¼・¬観経くわんぎやう¼ にもずべし。 ¬さうくわん¼・¬観経くわんぎやう¼ のみにあらず、 もし念仏ねむぶちわうじやうのむねをとかむきやうおば、 ことごとく六方ろくぱう如来によらい証誠しようじやうあるべしとこゝろうべきなり。

かるがゆへに天臺てんだいの ¬じふろん¼ にいはく、 「弥陀みだきやう¼・¬だいりやう寿じゆきやう¼・¬おむじやう陀羅だらきやう¼ とうにいはく、 しやぶちきやうをときたまふときに、

十方じふぱうかいにおのおのごうしや諸仏しよぶちましまして、 その舌相ぜちさう舒べて、 あまねく三千さんぜんかいおほふて、 一切ゐちさいしゆじやう弥陀みだぶちほんぐわんだいぐわんりきねんずるがゆへに、 決定くゑちぢやうして極楽ごくらくかいしやう証誠しようじやうしたまへり

十方じふぱうかいかくごうしや諸仏しよぶち↡、 じよ舌相ぜちさう↡、 へん三千さんぜんかい↡、 しようじやう一切ゐちさいしゆじやうねん弥陀みだぶちほんぐわんだいぐわんりき決定くゑちぢやうとくしやう極楽ごくらくかい↡」

といへり。

・浄土五祖

つぎわうじやうじやう祖師そしいつゝ影像えいざう図絵づゑしたまふに、 おほくこゝろあり。 まづ恩徳おんどくほうぜむがため、 つぎにはけんをみてはひとしからむことをおもふゆへなり。 天臺てんだいしゆ0906がくせむひとは、 南岳なむがく天臺てんだいたてまつりて、 ひとしからばやとおもひ、 真言しんごんをならはむひとは、 不空ふくぜん无畏むゐをみては、 ひとしからむとおもひ、 華厳くゑごむしゆひとは、 香象かうざうおんのごとくならむとおもひ、 法相ほふさうしゆひとは、 ぐゑんじやうおんのごとくならむとおもひ、 三論さんろん学者がくしやは、 じやうやうだいをもうらやみ、 りちぎやうじやは、 道宣だうせんりちおもとおからずおもふべきなり。

しかれば、 いまじやうをねがはむひと、 そのしゆ祖師そしをまなぶべきなり。 しかるにじやうしゆ師資ししさうじようふたつせちあり。 ¬安楽あんらくしふ¼ のごときは、 だい流支るしてうほふだうぢやうほふ曇鸞どむらんほふ斉朝せいてうほふじやうほふとうろくをいだせり。 いままた五祖ごそといふは、 曇鸞どむらんほふだうしやくぜん善導ぜんだうぜんかむぜん小康せうかうほふとうなり。

・浄土五祖 ・曇鸞法師

曇鸞どむらんほふは、 りやうぐゐりやうこくフタクニナリ さうがくナラビナシトナリ しやうなり はじめは寿いのちながくして仏道ぶちだうぎやうぜむがために、 たう隠居いむきよにあふてせんぎやうをならふて、 その仙方せんぽうによてしゆぎやうせんとしき。 のちにだい流支るし三蔵さんざうにあひたてまつりて、 仏法ぶちぽふなかちやうせい不死ふしほふの、 このせんぎやうにすぐれたるやさふらふととひたてまつりたまひければ、 三蔵さんざうつわきはきてこたえたまふやう、 とえることばをもていひならふべきにあらず。 このいづれのところにかちやうせいほうあらむ。 いのちながくしてしばらくしなぬやうなれども、 ついにかへて0907さんりんす。 たゞこのきやうによてしゆぎやうすべし。 すなわちちやうせい不死ふしところにいたるべしといふて、 ¬観経くわんぎやう¼ をさづけたまへり。

そのときたちまちに改悔がいくゑのこゝろをおこして、 せんぎやうやきて、 ぎやうくゑ一向ゐちかうわうじやうじやうほふをもはらにしき。 ¬わうじやうろんちゆ¼、 また ¬りやくろん安楽あんらく土義どぎ¼ とうふみつくれるなり 并州へいしうぐゑんちうさんびやくにんもんあり。 臨終りむじゆのとき、 そのもんさんびやくにんあつまりて、 みづからかうをとりて西にしむかふて、 弟子でしともにこゑひとしして、 かうしやう念仏ねむぶちしてみやうじゆしぬ。 そのとき道俗だうぞく、 おほくちう音楽おむがくきくといへり。

・浄土五祖 ・道綽禅師

だうしやくぜんは、 もと涅槃ねちはんがくしやうなり。 并州へいしうぐゑんちうにして曇鸞どむらんもんをみて、 発心ほちしむしていは 「かの曇鸞どむらんほふとく高遠かうおんなり。 なほ講説かうせちをすててじやうごふしゆして、 すでにわうじやうせり。 いはむやわがしよサトルトコロ しよシルトコロおほしとするにたらむや」 (迦才浄土論巻下意)いふて、 すなわち涅槃ねちはん講説かうせちをすてゝ、 一向ゐちかうにもはら念仏ねむぶちしゆして相続さうぞくしてひまなし。 つねに ¬観経くわんぎやう¼ をかうじて、 ひとすゝめたり。 并州へいしう晋陽しむやうたいぐゑん汶水ぼちしゐさんくゑん道俗だうぞく七歳しちさいじやうことごと念仏ねむぶちをさとりわうじやうをとげたり。 またひとすゝめて、 てい便べん西方さいはうむかはず、 ぎやうぢゆぐわ西方さいはうそむかず。

また ¬安楽あんらくしふ¼ くわんこれをつくれ おほよそわうじやうじやうけう弘通ぐづだうしやくおむちからなりわうじやうでんとうるにも、 おほだうしやくすゝめうけわうじやうをとげたり。 ぜん0908だうもこのだうしやく弟子でしなり。 しかれば、 終南しふなむざん道宣だうせんでんいは西方さいはう道教だうけうひろまる とは、 これよりおこ (続高僧伝巻二〇意)いへり。 また曇鸞どむらんほふ七宝しちぽうふねのりちうきたれる みる。 また化仏くゑぶちさちそらぢゆすること七日しちにち、 そのとき天華てんぐゑふりて、 きたあつま人々ひとびとそでにこれをうく。 かくのごとく不可ふか思議しぎ霊瑞れいずいおほし。 おわりのとき、 しろくも西方さいはうよりきたりて、 三道さんだうしろきひかりなり房中ばうちうてらす。 しきひかりちうげんず。 またはかうへうんたびげんずることあり。

・浄土五祖 ・善導和尚

善導ぜんだうくわしやう、 いまだ ¬観経くわんぎやう¼ をえざるさきに、 三昧さんまいをえたまひたりけるとおぼえさふらふ。 そのゆへは、 だうしやくぜんにあふて ¬観経くわんぎやう¼ をゑてのち、 このきやう所説しよせち、 わが所見しよけんにおなじとのたまへり。 だうくわしやう念仏ねむぶちしたまふには、 くちよりほとけいでたまふ。 どむしやうさんいは善導ぜんだう念仏ねむぶちぶちじゆしゆつ」 といへり。 おなじ念仏ねむぶちをまふすとも、 かまえて善導ぜんだうのごとくくちよりほとけいでたまふばかりまふすべきなり。 「欲如よくによ善導ぜんだう妙在めうざい純熟じゆんじゆく」 とまふして、 たれなりとも念仏ねむぶちをだにもまことにまふして、 そのこうじゆくしなば、 くちよりほとけいでたまふべきなり

だうしやくぜんなれども、 いまだ三昧さんまい発得ほちとくせず。 善導ぜんだう弟子でしなれども、 三昧さんまいをえたまひたりしかば、 だうしやく、 わがわうじやうゐちぢやうぢやうかとほとけにとひたてまつりたまへとのたまひければ、 善導ぜんだうぜんめいをうけてすなわちぢやういり弥陀みだぶちにと0909ひたてまつりしに、 ほとけのたまは だうしやくみつつみあり、 すみやかに懺悔さむぐゑすべし。 そのつみ懺悔さむぐゑして、 さだめわうじやうすべし。 ひとつには、 仏像ぶちざう経巻きやうくわんおばひさしにおきて、 わが房中ばうちうす。 ふたつには、 しゆつひとをつかふ。 みつには、 造作ざうさくのあひだむしいのちころす。 十方じふぱう仏前ぶちぜんにして、 第一だいゐちつみ懺悔さむぐゑすべし。 諸僧しよそうまへにして、 だいつみ懺悔さむぐゑすべし。 一切ゐちさいしゆじやうまへにして、 第三だいさんつみ懺悔さむぐゑすべしと。 善導ぜんだうすなわちぢやうよりいでて、 このむねをだうしやくにつげたまふに、 だうしやくいは しづかにむかしのとがをおもふに、 これみなむなしからずといふて、 こゝろをいたし懺悔さむぐゑすといへ しかれば、 まさりたるなり。

善導ぜんだうは、 ことに火急くわきうせうしやう念仏ねむぶちすゝめて、 かずをさだめたまへり。 一万ゐちまんまん三万さんまんまんない十万じふまんいへり。

・浄土五祖 ・懐感禅師

かむぜんは、 法相ほふさうしゆがくしやうなり ひろくきやうてんをさとりて、 念仏ねむぶちおばしんぜず、 善導ぜんだうとふいは 念仏ねむぶちしてほとけたてまつりてむやと。 だうくわしやうこたへいは ほとけじやうごんなむぞうたがはむや。 かむこのことについてたちまちさとりをひらき、 しんおこしだうぢやういりて、 かうしやう念仏ねむぶちしてたてまつらむとぐわんずるに、 さん七日しちにちまでにその霊瑞れいずいをみず。 そのときかむぜんみづからざいしやうふかくしてほとけをみたてまつらざることをうらみて、 しよくだんじてせんとす。 善導ぜんだうせいしてゆるさず。 のちに ¬ぐんろん¼ しちくわんつくる云々いへり かむはことにかうしやう0910念仏ねむぶちすゝめたまへり。

・浄土五祖 ・小康法師

小康せうかうほふは、 もときやうしやなり としじふさいにして ¬法華ほふくゑ¼・¬華厳くゑごむ¼ とうきやう五部ごぶよみおぼへたり。 これによて、 ¬高僧かうそうでん¼ には読誦どくじゆへんれたれども、 たゞきやうしやのみにあらず、 瑜伽ゆが唯識ゆいしきがくしやうなり

のちにはくまうで堂内だうないをみれば、 ひかりはなちたるものあり。 これをさぐりとりみれば、 善導ぜんだう西方さいはう化導くゑだうふみなり小康せうかうこれをみて、 こゝろたちまちくわんして、 ぐわんおこしいは われもしじやうえんあらば、 このふみふたゝびひかりはなてと。 かくのごとくちかひおはりみれば、 かさねひかりはな そのひかりなかに、 化仏くゑぶちさちまします。 くわんやめがたくして、 ついにまたちやうあん善導ぜんだうくわしやう影堂えいだうけいマウデヽ善導ぜんだう真像しんざうみれば、 くゑして仏身ぶちしんとなりて小康せうかうにのたまはく、 なんぢわがけうによてしゆじやうやくし、 おなじじやうしやうずべしと。 これをきゝて、 小康せうかうしよしようあるがごとし。

のちひとすゝめむ するに、 ひとその教化けうくゑにしたがはず。 しかるあひだ、 せんゼニをまうけて、 まづ小童せうどうとうすゝめて、 念仏ねむぶち一返ゐちぺんせんゼニ一文ゐちもんをあたふ。 のちに十遍じふぺん一文ゐちもん、 かくのごとくするあひだ、 小康せうかうあるく小童せうどうとうついておのおの念仏ねむぶちす。 また小童せうどうのみにあらず、 老少らうせう男女なむによをきらはず、 みなことごとく念仏ねむぶちす。

かくのごとくしてのち、 じやうだうつくりて、 ちうぎやうだうして念仏ねむぶちす。 所化しよくゑにしたがふてだうぢやうきたあつまともがら三千さんぜんにんなり また小康せうかうかうしやう念仏ねむぶち0911するをみれば、 くちよりほとけいでたまふこと、 善導ぜんだうのごとし。 このゆへに、 ときひと善導ぜんだうとなづけたり。 じやうだうとはたうのならひ、 弥陀みだぶちをすえたてまつりたるだうおば、 みなじやうだうとなづけたるなり

五祖ごそ御徳おむとくえうをとるにかくのごとしと。

・念仏往生

また ¬りやう寿じゆきやう¼ は、 如来によらいけうをまうけたまふこと、 みなさいしゆじやうのためなり。 かるがゆへに、 しゆじやうこんまちまちなるがゆへに、 ほとけきやうけうまたりやうなり。 しかるにいまの ¬きやう¼ は、 わうじやうじやうのためにしゆじやうわうじやうほふときたまふなり弥陀みだぶち修因しゆいん感果かむくわだい極楽ごくらくじやうほうしやうごむのありやうをくはしくときたまへるも、 しゆじやう信心しんじむすゝめごんのこゝろをおこさせむがためなり。 しかるにこの ¬きやう¼ のせむにては、 われらしゆじやうわうじやうすべきむねをときたまへるなり

たゞしこの ¬きやう¼ をしやくするに、 しよのこゝろどうなりいましばらく善導ぜんだうくわしやうおむこゝろをもてこゝろえさふらふに、 この ¬きやう¼ はひとへに専修せんじゆ念仏ねむぶちのむねをとくしゆじやうわうじやうごふとしたまへるなり。

なにをもてこれをしるといふに、 まづかのほとけいんほんぐわんとくなかに、 「せち得仏とくぶち十方じふぱうしゆじやうしん信楽しんげうよくしやうこくない十念じふねむにやくしやうじやしゆしやうがく(大経巻上)いへ

かのほとけいん法蔵ほふざう比丘びくのむかし、 世自せじ在王ざいわうぶちのみもとにして、 ひやく一十ゐちじふおく諸仏しよぶちめう0912なかよりえらびて十八じふはちせいぐわんおこして、 じやうをまふけてほとけになりて、 しゆじやうをしてわがくににむまれさすべききやうごふをえらびてぐわんじたまひしに、 またくぎやうおばたてずして、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうをたてたまへるなり

かるがゆへに ¬だい弥陀みだきやう¼ には、 すべてかのほとけぐわんおば、 せんぢやくしてたてたまふゆへなり。 ¬だい弥陀みだきやう¼、 このきやう同本どうほんやくきやうなり

しかるにわうじやうぎやうは、 われらがさかしくいまはじめてはからふべきことにあらず、 みなさだめおけることなり。 法蔵ほふざう比丘びく、 もしあくをえらびてたてたまはゞ、 世自せじ在王ざいわうぶち、 なほさでおはしますべきかは。 かのぐわんどもとかせてのち、 決定くゑちぢやうじやうしやうがくなるべしとじゆしたまはむ。 法蔵ほふざうさち、 かのぐわんたてたまひて、 兆載てうさいゐやうごふのあひだなんぎやうぎやうしやく累徳るいとくして、 すでにほとけになりたまひたれば、 むかしのせいぐわん一一ゐちゐちにうたがふべからず。

しかるに善導ぜんだうくわしやう、 このほんぐわんもんひきてのたまはく、

もしわれじやうぶちせむに、 十方じふぱうしゆじやう、 わがみやうがうしようせむことしもじふしやういたるまで、 もししやうぜずは、 しやうがくらじと。 かのぶちいまげんましましじやうぶちしたまへり。 まさにるべし本誓ほんぜいぢうぐわんむなしからず、 しゆじやうしようねむすればかならずわうじやう (礼讃)

にやくじやうぶち十方じふぱうしゆじやうしようみやうがう下至げしじふしやう↡、 にやくしやうじやしゆしやうがく↡。 ぶちこむ現在げんざいじやうぶちたう本誓ほんぜいぢうぐわんしゆじやうしようねむ必得ひちとくわうじやう↡」

いへ

まことにわれらしゆじやうりきばかりにてわうじやうをもとむるにとりてこそ、 このきやうごふほとけおむこゝろにかなひやすらむ。 またなにともしむにもおぼへ、 わうじやうぢやうにはさふらふべき。

念仏ねむぶちまふしてわうじやうねがはむひとは、 りき0913わうじやうすべきにはあらず、 たゞりきわうじやうなりもとよりほとけのさだめおきて、 わがみやうがうをとなふるものは、 ないじふしやうゐちしやうまでもむまれしめたまひたれば、 じふしやうゐちしやう念仏ねむぶちにてゐちぢやうわうじやうすべければこそ、 そのぐわんじやうじゆしてじやうぶちしたまふといふだうさふらへば、 たゞ一向ゐちかうほとけぐわんりきをあおぎてわうじやうおば決定くゑちぢやうすべきなり。 わがりきがうコワキにやくヨワキをさだめてぢやうにおもふべからず。

かのぐわんじやうじゆもん、 この ¬きやう¼ (大経)くわんにあり。 そのもんいはしよしゆじやうもんみやうがう信心しんじむくわんない一念ゐちねむしんかうがんしやうこくそくとくわうじやうぢゆ退転たいてん」 といへ おほよそ十八じふはちぐわんじやうしやうごむせり。 くゑ宝閣ほうかくぐわんりきにあらずといふことなし。 そのなかにひとり、 念仏ねむぶちわうじやうぐわんのみうたがふべからず。 極楽ごくらくじやうもしじやうならば、 念仏ねむぶちわうじやう決定くゑちぢやうわうじやうなり

つぎわうじやう業因ごふいん念仏ねむぶちゐちぎやうぢやういふとも、 ぎやうじやこんじやうにしたがふてじやうちうあり。 かるがゆへに三輩さんぱいわうじやうとけ すなわちじやうはいもんいはく、

それじやうはいは、 いゑよくてて沙門しやもんり、 だいしむおこし、 一向ゐちかうにもはらりやう寿じゆぶちねむず」 (大経巻下)

じやうはいしやしやよく沙門しやもん↡、 ほちだいしむ↡、 一向ゐちかう専念せんねむりやう寿じゆぶち↡」

いへり。 中輩ちうはいもんいはく、

ぎやうじて沙門しやもんりおほきにどくしゆするにあたはずといゑども、 まさにじやうだいしむおこし、 一向ゐちかうこゝろをもはらにして、 ない十念じふねむりやう寿じゆぶちねむずべし」 (大経巻下意)

すいのうぎやう沙門しやもんだいしゆどく↥、 たうほちじやうだいしむ↡、 一向ゐちかうせんない十念じふねむねむりやう寿じゆぶち↥」

へり。

たうだうわたくしひとつしやくをつくりさふらふ。 この三輩さんぱいもんなかに、 だいしむとうぎやうあぐといゑども、 かみほとけほんぐわんのぞむには、 こゝろ0914しゆじやうをして、 もはらりやう寿じゆぶちねむぜしむるにあり。 かるがゆへに 「一向ゐちかう」 といふ

また ¬くわんねむ法門ぼふもん¼ に善導ぜんだうしやくしていは

またこの ¬きやう¼ のくわんはじめいはく、 ぶつ一切ゐちさいしゆじやうこんじやうどうときたまふに、 じやうちうあり。 そのこんじやうしたがひて、 みなすゝめてもはらりやう寿じゆぶちみなねむぜしめたまへり。 そのひといのちおわらむとするときぶつしやうじゆとみづからきたり迎接かうせうして、 ことごとくわうじやうしむ」

¬きやう¼ くわんしようん仏説ぶちせち一切ゐちさいしゆじやうこんじやうどう↡、 じやうちう↡。 ずいこんじやう↡、 かいくわん専念せんねむりやう寿じゆぶちみやう↡。 にんみやうよくじゆぶちしやうじゆらい迎接かうせうじんとくわうじやう↡」

いへり。 このしやくのこゝろ、 三輩さんぱいともに念仏ねむぶちわうじやうなり。 まことに一向ゐちかうごんをすつることばなり。

れいせば、 かの天竺てんぢくみつてらのごとし。 ひとつには一向ゐちかうだいじようふたつには一向ゐちかうせうじようみつには大小だいせうけむぎやう。 かの一向ゐちかうだいじようなかには、 せうじようがくすることなし。 一向ゐちかうせうじようには、 だいじようがくするものなし。 大小だいせうけむぎやうなかには、 だいじようせうじようともに兼学けむがくするなり大小だいせうりやうはともに一向ゐちかうごんをおく、 ふたつかねたるてらには一向ゐちかうごんをおかず。

これをもてこゝろえさふらふに、 いまの ¬きやう¼ のなか一向ゐちかうごんもまたしかなり。 もし念仏ねむぶちほかぎやうをならぶれば、 すなわち一向ゐちかうにあらず。 かのてらになずらへば、 けむぎやういふべし。 すでに一向ゐちかういへり。 しるべし、 ぎやうをすつといふことを。

たゞこの三輩さんぱいもんなかぎやうとくについて、 みつこゝろあり。 ひとつには、 しよぎやうをすてゝ念仏ねむぶちくゐせしめむがためにならべてぎやうときて、 念仏ねむぶちにおひて一向ゐちかうごんをおく。 ふたつには、 念仏ねむぶちひとをたすけむがために諸善しよぜんとくみつには、 念仏ねむぶちしよぎやうとをならべて、 ともに三品さんぼむ差別しやべち0915しめさむがためにしよぎやうとく

このみつなかには、 たゞはじめのしやうとす。 のちのふたつばうなりカタワラゴトナリ

つぎにこの ¬きやう¼ (大経巻下)流通るづぶんなかときいはく、 「ぶちろく其有ごう得聞とくもんぶちみやうがうくわんやくない一念ゐちねむたうにんとくだいそくそくじやうどく 」 といへり。

かみ三輩さんぱいもんなかに、 念仏ねむぶちのほかにもろもろのどくとくといゑども、 ぜんおばほめず。 たゞ念仏ねむぶち一善ゐちぜんをあげて、 じやうどく讃嘆さんだんしてらい流通るづせり。 念仏ねむぶちどくは、 どくすぐれたることあきらかなり。

だい」 といふは、 せうたいすることばなり。 じやう」 といふは、 このどくうへするどくなしといふなり。 すでに一念ゐちねむさしだいいふまたじやういふ。 いはむや、 ねむ三念さんねむない十念じふねむおや。 いかにいはむや、 ひやくねむ千念せんねむない万念まんねむおや。 これすなわちせうあげくゑちするなり

このもんをもてぎやう念仏ねむぶち相対さうたいしてこゝろうるに、 念仏ねむぶちすなわちだいなりぜんはすなわちせうなり念仏ねむぶちじやうなりぎやうまたじやうなりすべてはわうじやうぐわんぜむひと、 なんぞじやうだい念仏ねむぶちをすてて、 じやうせうぜんしふせむや。

つぎにこの ¬きやう¼ (大経)くわんおくいは当来たうらい之世しせきやうだう滅尽めちじん慈悲じひ哀愍あいみんどくきやうぢゆひやくさい其有ごうしゆじやうきやうしやずいしよぐわんかいとく」 といへ

善導ぜんだうもんしやくして0916いはく、 「万年まんねん三宝さんぽうめちきやうぢゆひやくねん爾時にじもん一念ゐちねむ皆当かいたうとくしやう (礼讃) といへり。

しやくそん遺法ゆいほふさん差別しやべちあり、 しやうぼふ像法ざうぼふ末法まちぽふなり。 そのしやうぼふ一千ゐちせんねんのあひだ、 けう行証ぎやうしようみつともにそくせり、 けうのごとくぎやうずるにしたがふてしようえたり。 像法ざうぼふ一千ゐちせんねんのあひだは、 けうぎやうはあれどもしやうなし。 けうにしたがふてぎやうずといゑども、 しちをうることなし。 末法まちぽふ万年まんねんのあひだは、 けうのみあて行証ぎやうしようなし。 わづかに教門けうもんはのこりたれども、 けうのごとくぎやうずるものなし、 ぎやうずれどもまたしようをうるものなし。

その末法まちぽふ万年まんねんのみちなむのちは、 如来によらい遺教ゆいけうみなうせて、 ぢゆ三宝さんぽうことごとくめちして、 おほよそ仏像ぶちざうきやうてんもなく、 かしらそりころもそむそうもなし。 仏法ぶちぽふいふこと、 みやうをだにもきくべからず。 しかるに、 そのときまでたゞこの ¬さうくわんりやう寿じゆきやう¼ ゐちくわんばかりのこりとゞまりて、 ひやくねんまでぢゆしてしゆじやうさいしたまふこと、 まことにあはれにおぼえさふらふ

¬華厳くゑごむぎやう¼ も ¬般若はんにやきやう¼ も ¬法華ほふくゑきやう¼ も ¬涅槃ねちはんぎやう¼ も、 おほよそ大小だいせう権実ごんじち一切ゐちさいしよきやうない ¬大日だいにち¼・¬金剛こむがうちやう¼ とう真言しんごんみちしよきやうも、 みなことごとくめちしたらむとき、 たゞこの ¬きやう¼ ばかりとゞまりたまふことは、 なにごとにかとおぼえさふらふしやくそん慈悲じひをもて、 とゞめたまふことさだめてふかきこゝろさふらふらむ。 ぶちまことにはかりがたし。 たゞし弥陀みだぶちえん、 このかい0917しゆじやうにふかくましますゆへに、 しやだいもかのほとけほんぐわんをとゞめたまふなるべし。

このもんについてあんさふらふに、 よつのこゝろあり。

ひとつには、 しやうだうもん得脱とくだちえんあさく、 じやうもんわうじやうのみえんふかし。 かるがゆへにさんじようゐちじよう得脱とくだちをとけるしよきやうはさきだちてめちして、 たゞ一念ゐちねむ十念じふねむわうじやうをとけるこの ¬きやう¼ ばかりひとりとゞまるべし。

ふたつには、 わうじやうにつきて十方じふぱうじやうえんあさく、 西方さいはうじやうえんふかし。 かるがゆへに、 十方じふぱうじやうすゝめたるしよきやうはことごとくめちして、 たゞ西方さいはうわうじやうすゝめたるこの ¬きやう¼ ひとりとゞまるべし。

みつには、 そち上生じやうしやうえんあさく、 極楽ごくらくわうじやうえんふかきゆへに、 ¬上生じやうしやう¼・¬しむ¼ とうそちすゝめたるしよきやうはみなめちして、 極楽ごくらくすゝめたるこの ¬きやう¼ ひとりとゞまるべし。

よつには、 しよぎやうわうじやうえんあさく、 念仏ねむぶちわうじやうえんふかきゆへに、 しよぎやうとくしよきやうはみなめちして、 念仏ねむぶちとけるこの ¬きやう¼ のみひとりとゞまりたまふべし。

このよつなかに、 真実しんじちにはだい念仏ねむぶちわうじやうのみとゞまるべしといふしやうにてさふらふなり どくきやうぢゆひやくさい (大経下) ととかれたれば、 このぢくきやうてん、 ひとりのこるべきかときこえさふらへども、 まことには経巻きやうくわんはうせたまひたれども、 たゞ念仏ねむぶち一門ゐちもんばかりとゞまりて、 ひやくねん0918あるべきにやとおぼえさふらふ

かのしむくわうが、 しよやきじゆうづみしとき、 ¬もう¼ とまふふみばかりはのこりたりとまふすことさふらふ。 それもふみはやかれたれども、 はとゞまりてくちにありとまふして、 おば人々ひとびとそらにおぼへたりけるゆへに、 ¬もう¼ ばかりはのこりたりとまふすことさふらふをもてこゝろえさふらふに、 この ¬きやう¼ とゞまりてひやくねんあるべしといふも、 経巻きやうくわんはみな隠滅おんめちしたりとも、 南无なも弥陀みだぶちとまふすことは、 ひとくちにとゞまりてひやくねんまでもきゝつたへむずることとおぼへさふらふ

きやうといふは、 またとくところのほふまふすことなれば、 この ¬きやう¼ はひとへに念仏ねむぶち一法ゐちぽふとけり。 されば、 「爾時にじもん一念ゐちねむ皆当かいたうとくしやう(礼讃) とは善導ぜんだうしやくしたまへるなり。 これざうなり、 たやすくまふすべからず。

すべてこの ¬さうくわんりやう寿じゆきやう¼ に、 念仏ねむぶちわうじやうもん七所しちしよあり。 ひとつにはほんぐわんもんふたつにはぐわんじやうじゆもんみつにはじやうはいなか一向ゐちかう専念せんねむもんよつには中輩ちうはいなか一向ゐちかう専念せんねむもんいつゝにははいなか一向ゐちかうせんもんむつにはじやうどくもんなゝつにはどくきやうもんなり

この七所しちしよもんをまたがふしてみつとす。 ひとつにはほんぐわん、 これにふたつをせふす。 はじめのほちぐわんじやうじゆなりふたつには三輩さんぱい、 これにみつせふす。 じやうはい中輩ちうはいはいなり。 このはいについてるいあり。 みつには流通るづ、 これにふたつせふす。 じやうどくどくきやうなり。

ほん0919ぐわん弥陀みだにあり。 三輩さんぱい已下いげしやせちなり、 それも弥陀みだほんぐわんにしたがふてときたまへるなり三輩さんぱいもんなかに、 おのおの一向ゐちかう専念せんねむすゝめたまへるも、 流通るづなかじやうどく讃嘆さんだんしたまへるも、 どくきやうととゞめたまへるも、 みなもと弥陀みだほんぐわんずいじゆんしたまへるゆへなり。

しかれば、 念仏ねむぶちわうじやうとまふすことは、 ほんぐわん根本こんぽんとするなりせむずるところ、 この ¬きやう¼ ははじめよりおはりまで、 弥陀みだほんぐわんとくとこゝろうべきなり。 ¬さう巻経くわんぎやう¼ のたいりやくしてかくのごとし。

・観経

つぎに ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ は、 このたいをこゝろえむとおもはば、 かならず教相けうさうしるべきことなり教相けうさう沙汰さたせねば、 法門ほふもんせんアサキじむフカキ差別しやべちあきらかならざるなり

しかるに諸宗しよしゆにみな立教りふけうかいヒラキ シメスあり。 法相ほふさうしゆにはさんけうをたてゝ一代ゐちだい諸教しよけうせふオサムル三論さんろんしゆにはざうけうをたてゝ大小だいせう諸教しよけうおさセフス 華厳くゑごむしゆにはけうをたて、 天臺てんだいしゆにはけうをたつ。

いまわがじやうしゆには、 だうしやくぜん ¬安楽あんらくしふ¼ にしやうだうじやうけうをたてたり。 一代ゐちだいしやうげうせんぢく、 このもんおばいでず。

はじめにしやうだうもんは、 さんじようゐちじよう得道とくだうなり。 すなわちこのしやかいにして、 断惑だんわくかいするみちなり。 すべてわかてふたつあり。 いは だいじようしやうだうせうじようしやうだうなりべちしてろんずれば、 じようしやうだうあり。 いは しやうもんじよう縁覚えんがくじようさちじようぶちじようなり

じやう、 まづこのしやあくのさかひをいでゝ、 か0920安楽あんらく退たいのくににむまれて、 ねん増進ぞうしんして仏道ぶちだうしようとくせむともとむるみちなり

このもんをたつることは、 だうしやくゐちのみにあらず。 曇鸞どむらんほふ龍樹りうじゆさちの ¬十住じふぢゆ毘婆びばしやろん¼ をひきて、 なんぎやうぎやうだうをたてたまへり。 「なんぎやうだうろくよりぎやうするがごとし、 ぎやうだうしゐふねじようずるがごとし」 (論註巻上意) とたとへたり。

このだうたつこと曇鸞どむらんゐちにかぎらず。 天臺てんだいの ¬じふろん¼ にもおなじくひきしやくしたまへり。 またざいの ¬じやうろん¼ にもおなじくひけ かのなんぎやうだうすなわちしやうだうもんなりぎやうだうすなわちじやうもんなり

しかのみならず、 またおんだいいは

まのあたりしやうくゑあふしもの、 だうさんじようさとりき。 ふくうすいんおろそかなるものは、 すゝめじやうくゐせしむ」 (西方要決)

しんしやうくゑ↡、 だうさんじよう↡。 ふくはくいんくわんくゐじやう

いへり。 このなかさんじようといふすなわちしやうだうもんなりじやうすなわちじやうもんなり

なんぎやうぎやうさんじようじやうしやうだうじやう、 そのことばことなりといゑども、 そのこゝろみなおなじ。 おほよそ一代ゐちだい諸教しよけうこのもんをいでず。

きやうろんのみこのもんせふオサムルるにあらず。 ない諸宗しよしゆしやうしよみなこのもんおばいでざるなり

天臺てんだいしゆには、 まさしくぶちじようしやうだうをあかす、 かたわらにはわうじやうじやうをあかす。 「即往そくわう安楽あんらく (法華経巻六薬王品) といへり。

華厳くゑごむしゆにもまた天臺てんだいしゆのごとし。 しやうだうしゆしてえがたくは、 じやうしやうずべしとへり。

ねがはくはわれみやうじゆせむとするときのぞみてことごとく一切ゐちさいのもろもろのしやうのぞく、 おもてにかのぶち弥陀みだたてまつりてすなわち安楽あんらくこくわうじやう(般若訳華厳経巻四〇行願品)

ぐわんりむよくみやうじゆじんぢよ一切ゐちさいしよしやう↡、 めんけんぶち弥陀みだそくとくわうじやう安楽あんらくこく↡」

0921いへり。

しかるにいま、 この ¬きやう¼ はわうじやうじやうけうなり即身そくしんとんのむねをもあかさず、 りやくこふ迂廻うゑぎやうおもとかず。 しやのほかに極楽ごくらくあり、 わがのほかに弥陀みだぶちましますとときて、 このかいをいとひてかのくににしやうて、 しやうにんおもえむとぐわんずべきむねをあかなり善導ぜんだうしやくいはく、

ぢやうさんひとしかうして、 すみやかにしやうしんしようせよ」 (玄義分)

ぢやうさんとうかうそくしようしやうしん↡」

といへり。

おほよそこの ¬きやう¼ には、 あまねくわうじやうきやうごふとけり。 すなわちはじめにはぢやうさんぜんときて、 そうじて一切ゐちさいしよにあたへ、 つぎには念仏ねむぶちゐちぎやうえらび べちしてらいぐんじやう流通るづせり。 かるがゆへに ¬きやう¼ (観経) いはく、

ほとけなんつげたまはく、 なんぢよくこのたもて」

仏告ぶちがうなん↡、 によかう是語ぜご↡」

のたまへり 善導ぜんだうこれをしやくしいはく、

仏告ぶちがうなんによかう是語ぜごより已下いげ、 まさしく弥陀みだみやうがうぞくして、 だいすることをあかす」 (散善義)

じゆ仏告ぶちがうなんによかう是語ぜご已下いげしやうみやうぞく弥陀みだみやうがう↡、 だい↨」

いへり。 しかれば、 この ¬きやう¼ のこゝろによりて、 いましやうだうをすてゝじやう一門ゐちもんいるなり

そのわうじやうじやうにつきて、 またそのぎやうこれおほし。 これによて、 善導ぜんだうくわしやう専雑せんざふしゆたてしよぎやうしようれち得失とくしちはんじたまへり。 すなわちこのきやうの ¬しよ¼ (散善義) いはく、

ぎやうにつきてしんたつといふは、 ぎやうきてしゆあり。 ひとつには正行しやうぎやうふたつにはざふぎやう

じゆぎやうりふしんしやじゆぎやうしゆ↡。 ゐち正行しやうぎやうざふぎやう

いへり。 もはらかの正行しやうぎやうしゆするを専修せんじゆぎやうじやいふ正行しやうぎやうおばしゆせずしてざふぎやうしゆするを雑修ざふしゆものまふすなり

その専雑せんざふしゆ得失とくしちについて、 いまわたくし0922料簡れうけんするに、 いつゝあり。 ひとつにはしんたいふたつには近遠ごんおんたいみつにはけんけんたいよつにはかうかうたいいつゝにはじゆんざふたいなり

はじめにしんたい正行しやうぎやうしゆするは弥陀みだぶちしたし ざふぎやうしゆすればかのほとけ そ ウトシなり。 すなわち ¬しよ¼ (定善義)いはく、

しゆじやうぎやうおこすには、 くちにつねにぶつとなへよ、 ぶつすなわちこれをきこしめす。 につねにぶつらいきやうすれば、 ぶつすなわちこれをみそなはす。 こゝろにつねにぶつねむずれば、 ぶつすなわちこれをしろしめす。 しゆじやうぶつおくねむすれば、 ぶつまたしゆじやうおくねむしたまふ。 彼此ひし三業さんごふあひしやせず。 ゆへに親縁しんえんなづく」

しゆじやうぎやうじやうしようぶちぶちそくもんしんじやうらいきやうぶち↡、 ぶちそくけんしむじやうねむぶちぶちそくしゆじやうおくねむぶちしやぶちやくおくねむしゆじやう↡。 彼此ひし三業さんごふさふしや↡。 みやう親縁しんえん↡」

いへ

そのざふぎやうものは、 くちほとけしようせざれば、 ほとけすなわちきゝたまはず。 ほとけらいせざれば、 ほとけすなわちたまはず。 しむほとけねむぜざれば、 ほとけしろしめさず。 ほとけ憶念おくねむせざれば、 ほとけまた憶念おくねむしたまはず。 彼此ひし三業さんごふつねしやす、 かるがゆへにウトシとなづくるなり

つぎ近遠ごんおんたい正行しやうぎやうはかのほとけちかづ ざふぎやうはかのほとけとおざかるなり。 ¬しよ¼ (定善義) またいはく、

しゆじやうぶつむとほすれば、 ぶつすなわちねむおうじてげんめのまへまします。 ゆへに近縁ごんえんなづく」

しゆじやうよくけんぶちぶちそくおうねむげんざい目前もくぜん↡。 みやう近縁ごんえん↡」

いへり。 ざふぎやうほとけたてまつらむとねがはざれば、 ほとけすなわちねむおうじたまはず、 まへにもげんじたまはず。 かるがゆへにおんとなづくるなり。 たゞじやうには親近しんごんまふしつれば、 ひとつことのやうにこそはきこゆれども、 善導ぜんだうくわしやうは、 しんごんとのごとしと、 べちしてはしやくしたまへり。 これによて、 いままた親近しんごんわかちふたつとするなり。

つぎけんけんたいけん正行しやうぎやうしゆするには、 かのほとけおい0923憶念おくねむけんなるがゆへに、 もん憶念おくねむだんみやうけん(散善義)いへる、 これなり けんざふぎやうのものは、 弥陀みだぶちにこゝろをかくることひまおほし。 かるがゆへにもんに 「しむじやう間断けんだん(散善義)いふ、 これなり

つぎかうかうたい正行しやうぎやうかうをもちゐざれども、 ねんわうじやうごふとなる。 すなわち ¬しよ¼ 第一だいゐち (玄義分)いはく、

いま ¬観経くわんぎやう¼ のなかじふしやうしようぶちすれば、 すなわちじふぐわんじふぎやうあてそくす。 いかんぞそく 南无なもいふはすなわちこれくゐみやうなり、 またこれほちぐわんかうなり。 弥陀みだぶちいふはすなわちこれそのぎやうなり。 このをもてのゆへにかならずわうじやう」。

こむ ¬観経くわんぎやう¼ ちうじふしやうしようぶちそくじふぐわんじふぎやうそくうんそくごん南无なもしやそくくゐみやうやくほちぐわんかうごん弥陀みだぶちしやそくぎやう必得ひちとくわうじやう↡」。

かうといふ。

ざふぎやうは、 かならずかうをもちゐるとき、 わうじやうごふとなる。 もしかうせざれは、 わうじやうごふとならず。 かるがゆへにもん

かうしてしやうべしといゑども」

すいかうとくしやう

いへ これなり

つぎじゆんざふたい正行しやうぎやうじゆん極楽ごくらくぎやうなり人天にんでんおよびさんじようとうごふぜずカヨハヌナリまた十方じふぱうじやう業因ごふいんともならず。 かるがゆへにじゆんとなづく。 ざふぎやうじゆん極楽ごくらくぎやうにはあらず。 人天にんでん業因ごふいんにもじ、 さんじよう得果とくくわにもじ、 また十方じふぱうじやうわうじやう業因ごふいんともなるがゆへにざふと云なり

しかれば、 このいつゝ相対さうたいをもてぎやうはんずるに、 西方さいはうわうじやうをねがはむひとは、 ざふぎやうをすてゝ正行しやうぎやうしゆすべきなり

また善導ぜんだうくわしやう ¬わうじやう礼讃らいさん¼ (意)じよに、 この専雑せんざふ得失とくしちはんじたまへり。 「専修せんじゆもの十即じふそくじふしやうひやくそく百生ひやくしやう雑修ざふしゆものひやくゐちせんさん」 とへり。

「なにをもてのゆへ0924に。 専修せんじゆもの雑縁ざふえんなし、 しやうねむをえたるがゆへに、 また弥陀みだほんぐわん相応さうおうするがゆへに、 またしやけうにたがはざるがゆへに、 ぶちずいじゆんせるがゆへに」 とへり。 雑修ざふしゆもの雑縁ざふえん乱動らんどうす。 しやうねむしちウシナフるがゆへに、 またぶつほんぐわん相応さうおうせざるがゆへに、 またぶちにしたがはざるがゆへに、 しやけうするがゆへに、 またねむ相続さうぞくせざるがゆへに、 ぐわん慇重いんぢう真実しんじちならざるがゆへに、 ないみやう相応さうおうするがゆへに、 またみづからわうじやうさふるのみにあらず、 わうじやう正行しやうぎやうさふるがゆへに」 とへり。

しかのみならず、 やがてそのもんのつゞきに、 「ワレトイフこのごろ諸方しよはう道俗だうぞく見聞けんもんするに、 ぎやうどうにして専雑せんざふありコトナルコト。 しかるに専修せんじゆものじふじふながらしやうじ、 雑修ざふしゆものせんなかゐちもなし」 とのたまへり。

さきのをもてはんさふらふに、 せんなかさんとゆるしたまへりといゑども、 いましやうけんにはゐちもなしとのたまへるなり。 そのときのぎやうじやだにも、 ざふぎやうにてわうじやうするものなかりけるにこそさふらふなれ。 まして、 いよいよときもくだりたる当世たうせいぎやうじやざふぎやうわうじやういふことはおもひすつべきことなり

たとひまたわうじやうすべきにても、 ひやくなかゐちせんなかさんうちにてこそさふらはむずれ。 きわめてぢやうことなりひやくにんじふにんわうじやうして、 いま一人ゐちにんすまじときかむだにも、 もしその一人ゐちにんにあたるにてもやあるらむと、 しむぢやうにおぼえぬ0925べし。 いかにいはむや、 ひやくゐちうちゐちぢやういるべしとおもはむこと、 かたくぞさふらはむずる。

しかれば、 ひやくそく百生ひやくしやう専修せんじゆをすてゝ、 千中せんちうゐちざふぎやうしふすべからず。 たゞ一向ゐちかう念仏ねむぶちしゆして、 ざふぎやうをすつべきなり。 これすなわち、 この ¬きやう¼ のたいなり。 「まうぶちほんぐわんざいしゆじやう一向ゐちかうせんしよう弥陀みだぶちみやう (散善義) いへり。 かへすがへすほんぐわんをあおぎて、 念仏ねむぶちをすべきなりと。

 

平等覚経 ¬大阿弥陀経¼ の誤りか。