0116◎黒谷上人漢語灯録巻第七

  厭欣沙門 了恵 集録

◎漢かん語ご第一だいいちの七しち 当巻とうかんに半はん章しょうあり

◎漢語第一之七 当巻有半章

 

一一、逆修説法

逆げき修しゅう説法せっぽう第だい十じゅう一いち ▽初しょ七日しちにちより三さん七日しちにちに至いたる

 

・第一七日

△第一だいいち七日しちにち。 ▽三さん尺しゃく立りゅう像ぞうの阿あ弥陀みだ。 ▽¬双巻そうかん経ぎょう¼・▽¬阿あ弥陀みだ経きょう¼。

・第一七日 仏身

△経きょう論ろんのなかに、 仏ぶつの功く徳どくを説とくに無む量りょうの身しんあり。 あるいは総そうじて一身いっしんを説とき、 あるいは別べっして二に身しんを説とき、 あるいは三身さんしんを説とき、 あるいは四し身しんを説とく、 乃ない至し ¬華け厳ごん経ぎょう¼ には十身じっしんの功く徳どくを説とけり。 いましばらく真身しんしん・化け身しんの二に身しんをもつて、 弥陀みだの功く徳どくを讃嘆さんだんしたてまつる。 この真しん化け二に身しんを分わかつこと、 ¬双巻そうかん経ぎょう¼ の三輩さんぱいの文もんのなかに見みえたり。

○経論ノ之中ニ、説ニ↢仏ノ功徳ヲ↡有↢無量ノ身↡。或ハ総ジテ説キ↢一身ヲ↡、或ハ別シテ説キ↢二身ヲ↡、或ハ説↢三身ヲ↡、或ハ説ク↢四身ヲ↡、乃至¬華厳経ニハ¼説ケリ↢十身ノ功徳ヲ↡。今且ク以テ↢真身・化身ノ之二身ヲ↡、奉ル↣讃↢嘆シ弥陀ノ之功徳ヲ↡。分コト↢此ノ真化二身ヲ↡、見タリ↢于▲¬双巻経ノ¼三輩ノ文ノ中ニ↡。

・第一七日 仏身 真身

まづ真身しんしんとは、 真実しんじつの身しんなり。 弥陀みだ因いん位にの時とき、 世せ自じ在ざい王仏おうぶつの所みもとにして四し十じゅう八願はちがんを発おこしたまひて後のち、 兆ちょう載さい永劫ようごうの間あいだ、 布施ふせ・持じ戒かい・忍辱にんにく・精しょう進じん等とうの六ろく度ど万まん行ぎょうを修しゅして願がんじたまへるところの修因しゅいん感かん果かの身しんなり。

◇先ヅ真身トハ者、真実ノ之身ナリ也。弥陀因位ノ之時、於テ↢世自在王仏ノ所ニ↡発シタマヒテ↢四十八願ヲ↡之後、兆載永劫ノ之間、修シテ↢布施・持戒・忍辱・精進等ノ之六度万行ヲ↡而所ノ↠願0117タマヘル之修因感果ノ之身也。

¬観かん経ぎょう¼ に説ときていはく、 「その身しん▽六ろく十じゅう万億まんおく那な由他ゆた恒ごう河が沙しゃ由ゆ旬じゅんなり。 ▽眉み間けんの白びゃく毫ごう、 右みぎに旋めぐれり、 五ご須しゅ弥み山せんのごとし」 と。 文 その一いちの須しゅ弥み山せんの高たかさ、 海うみより出いでて海うみに入いるおのおの八万はちまん四し千せん由ゆ旬じゅんなり。 また 「青しょう蓮れん慈悲じひの眼まなこは四し大だい海水かいすいのごとくして青白しょうびゃく分ぶん明みょうなり。 身みのもろもろの毛もう孔くより光こう明みょうを放はなつこと、 須しゅ弥み山せんのごとし。 ▽頂いただきに旋めぐれる円光えんこうあり、 百ひゃく億おく三千さんぜん大千だいせん世せ界かいのごとし。 かくのごとくして八万はちまん四し千せんの相そうあり。 一々いちいちの相そうに、 おのおの▽八万はちまん四し千せんの好こうあり。 一々いちいちの好こうに、 おのおの八万はちまん四し千せんの光こう明みょうあり。 その一々いちいちの光こう明みょう、 あまねく十方じっぽう世せ界かいを照てらし念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを摂取せっしゅして捨すてたまはず。 ▽色身しきしんは夜摩やま天てんの閻えん浮ぶ檀金だんごんの色いろのごとし」 (観経意) と。 云々

◇¬観経ニ¼説テ云ク、「其ノ身六十万億那由他恒河沙由旬ナリ。眉間ノ白毫、右ニ旋レリ、如シ↢五須弥山↡。」文 其ノ一ノ須弥山ノ高サ、出↠海入↠海各オノ八万四千由旬ナリ也。又「青蓮慈悲ノ眼ハ如ニシテ↢四大海水ノ↡青白分明ナリ也。自リ↢身ノ諸ノ毛孔↡放コト↢光明ヲ↡、如シ↢須弥山ノ↡。頂ニ有↢旋レル円光↡、如シ↢百億三千大千世界ノ↡。如シテ↠是有↢八万四千ノ相↡。一一ノ相ニ、各有↢八万四千ノ好↡。一一ノ好ニ、各オノ有リ↢八万四千ノ光明↡。其ノ一一ノ光明、遍ク照↢十方世界ヲ↡念仏ノ衆生ヲ摂取シテ不↠捨タマハ。色身ハ如シ↢夜摩天ノ閻浮檀金ノ色ノ↡。」 云云

これ弥陀みだ一仏いちぶつに限かぎらず、 一切いっさい諸仏しょぶつみな黄金おうごんの色いろなり。 諸色しょしきのなかには白びゃく色しきをもつて本ほんとなす、 ゆゑに仏ぶつの色いろも白びゃく色しきなるべしといへども、 その色いろなほ損そんずる色いろなり。 ただ黄金おうごんのみありて不ふ変へんの色いろなり。 このゆゑに十方じっぽう三さん世ぜ一切いっさいの諸仏しょぶつ、 みな常住じょうじゅう不ふ変へんの相そうを顕あらわさんがために、 黄金おうごんの色いろを現げんじたまへるなり。 これ ¬観仏かんぶつ三昧ざんまい経きょう¼ の意こころなり。

◇是 レ不↠限↢弥陀一仏ニ↡、一切諸仏皆黄金ノ色ナリ也。諸色ノ中ニハ以テ↢白色ヲ↡為↠本ト、故ニ雖↠可ト↢仏ノ色モ白色ナル↡、其ノ色尚 ヲ損ズル色ナリ也。但有テ↢黄金ノミ↡不変ノ色ナリ也。是ノ故ニ十方三世一切ノ諸仏、皆為ニ↠顕ガ↢常住不変ノ相ヲ↡、現タマヘル↢黄金ノ色ヲ↡也。是 レ¬観仏三昧経ノ¼意ナリ也。

ただし真言しんごん宗しゅうのなかに五ご種しゅの法ほうあり。 その本尊ほんぞんの身色しんじき、 法ほうに随したがひて格別かくべつなり。 しかれども而時にじ暫ざん時じの方便ほうべんの化け色しきなり、 仏ぶつの本色ほんじきにはあらず。 このゆゑに仏像ぶつぞうを造つくりたるに、 白びゃく檀だんの綵色さいしきは功く徳どくを得えざるにあらずといへども、 金色こんじきに造つくるは、 すなはち決けつ定じょう往おう生じょうの業因ごういんなり。 「即そく生しょう乃ない至し三さん生しょうにかならず往おう生じょうを得う」 といへり。 これ弥陀みだ如来にょらい真身しんしんの功く徳どくなり、 略りゃくを存ぞんずることかくのごとし。

◇但シ真言宗ノ中ニ有↢五種ノ法↡。其ノ本尊ノ身色、随テ↠法ニ格別ナリ。然ドモ而時暫時方便ノ之化色也、非↢仏ノ本色ニハ↡矣。是ノ故ニ造タルニ↢仏像ヲ↡、雖↠非ズト↢白檀綵色ハ不ルニ↟得↢功徳ヲ↡、造ルハ↢金色ニ者、即決定往生ノ業因ナリ也。「即生乃至三生ニ必ズ得ト云ヘリ↢往生ヲ↡。」是弥陀如来真身之功徳ナリ、存ルコト↠略ヲ如シ↠斯ノ。

・第一七日 仏身 化身

次つぎに化け身しんとは、 無むにしてたちまち有うなるを化けといふなり、 すなはち機きに随したがひ時ときに応おうじて身しん量りょうを現げんずること、 大だい小しょう不ふ同どうなり。 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「あるいは大身だいしんを現げんじて虚こ空くうのなかに満みち、 あるいは小しょう身しんを現げんじて丈じょう六ろく八はっ尺しゃくなり」 と。 化け仏ぶつにつきて多た種しゅあり。

◇次ニ化身トハ者、無ニシテ而欻チ有ナルヲ云↠化ト者、則随ヒ↠機ニ応ジテ↠時ニ現ズルコト↢身量ヲ↡、大小不同ナリ。¬経ニ¼0118云、「或ハ現ジテ↢大身ヲ↡満チ↢虚空ノ中ニ↡、或ハ現ジテ↢小身ヲ↡丈六八尺ナリト」。就テ↢化仏ニ↡有リ↢多種↡。

・第一七日 仏身 化身 円光化仏

まづ円光えんこうの化け仏ぶつとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「円光えんこうのなかにおいて、 百ひゃく万億まんおく那な由他ゆた恒ごう河が沙しゃの化け仏ぶつあり。 一々いちいちの化け仏ぶつ、 衆しゅ多た無む数しゅの化け菩ぼ薩さつをもつて眷属けんぞくとなす」 と。 文

◇先ヅ円光ノ化仏トハ者、¬経ニ¼云、「於テ↢円光ノ中ニ↡、有リ↢百万億那由他恒河沙ノ化仏↡。一一ノ化仏、衆多無数ノ化菩薩ヲ以テ為↢眷属ト↡。」文

・第一七日 仏身 化身 摂取不捨化仏

次つぎに摂取せっしゅ不ふ捨しゃの化け仏ぶつとは、 「光こう明みょう遍へん照じょう、 十方じっぽう世せ界かい、 念仏ねんぶつ衆しゅ生じょう、 摂取せっしゅ不ふ捨しゃ」 (観経) とは、 これ真仏しんぶつの摂取せっしゅなり。 この外ほかに化け仏ぶつの摂取せっしゅあり。 三さん十じゅう六万ろくまん億おくの化け仏ぶつ、 おのおの真仏しんぶつとともに十方じっぽう世せ界かいの念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを摂取せっしゅしたまふ。

◇次ニ摂取不捨ノ化仏トハ者、「▲光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨トハ」者、是 レ真仏ノ摂取ナリ也。此ノ外ニ有↢化仏摂取↡也。三十六万億ノ化仏、各オノ与↢真仏↡共ニ摂↢取シタマフ十方世界ノ念仏ノ衆生ヲ↡也。

・第一七日 仏身 化身 来迎引摂化仏

次つぎに来迎らいこう引いん摂じょうの化け仏ぶつとは、 九く品ぼんの来迎らいこうにおのおの化け仏ぶつあり、 品ほんに随したがひて多た少しょうあり。 上じょう品ぼん上生じょうしょうの来迎らいこうには真仏しんぶつの外ほかに無む数しゅの化け仏ぶつあり。 上じょう品ぼん中生ちゅうしょうには千せんの化け仏ぶつあり。 上じょう品ぼん下げ生しょうには五ご百ひゃくの化け仏ぶつあり。 乃ない至しかくのごとく次し第だいに減げんじて、 下げ品ぼん上生じょうしょうには真仏しんぶつ来迎らいこうしたまはず、 ただ化け仏ぶつ・化け観かん世ぜ音おん・化け大勢だいせい至しを遣つかわす。 その化け仏ぶつの身しん量りょう、 あるいは丈じょう六ろく八はっ尺しゃくなり。 化け菩ぼ薩さつの身しん量りょうもそれに随したがふ。 下げ品ぼん中生ちゅうしょうには、 「天てん華げの上うえに化け仏ぶつ・菩ぼ薩さつありて、 来迎らいこうしたまふ」 (観経意) と。 下げ品ぼん下げ生しょうには、 命終みょうじゅうの時とき、 金こん蓮れん華げのなほし日輪にちりんのごとくなる、 その人ひとの前まえに住じゅうするを見みる」 (観経) と。

◇次ニ来迎引摂ノ化仏トハ者、九品ノ来迎ニ各有リ↢化仏↡、随テ↠品ニ有↢多少↡。上品上生ノ来迎ニハ▲真仏ノ之外ニ有リ↢無数ノ化仏↡。上品中生ニハ有リ↢▲千ノ化仏↡。上品下生ニハ有↢▲五百ノ化仏↡。乃至如ク↠是ノ次第ニ減ジテ、下品上生ニハ▲真仏不↢来迎シタマハ↡、但遣ス↢化仏・化観世音・化大勢至ヲ↡。其ノ化仏ノ身量、或ハ丈六八尺ナリ。化菩薩ノ身量モ随フ↠其 レニ。下品中生ニハ、「天華ノ上ニ有テ↢化仏・菩薩↡、来迎シタマフ。」下品下生、命終ノ之時、見↧金蓮華ノ猶シ如ナル↢日輪ノ↡、住スルヲ↦其人前ニ↥。」

文もんのごときは、 化け仏ぶつ来迎らいこうもなきやうに見みえたりといへども、 善導ぜんどうの御おん意こころは ¬観かん経ぎょう¼ の十じゅう一門いちもんの義ぎによらば、 第だい九く門もんに 「命終みょうじゅうの時とき聖しょう衆じゅ迎接らいこうしたまふ不ふ同どう、 去時こじの遅ち疾しつを明あかす」 (散善義) と。 また 「いまこの十じゅう一門いちもんの義ぎは、 九く品ぼんの文もんに約対やくたいするに、 一々いちいちの品ほんのなかにみなこの十じゅう一いちあり」 といへり。 しかれば下げ品ぼん下げ生しょうのなかにも来迎らいこうあるべきなり。 しかるを五ご逆ぎゃくの罪人ざいにん、 その罪つみ重おもきによりて、 まさしく化け仏ぶつ・菩ぼ薩さつを見みることあたはず、 ただわが坐ざすべきところの金蓮こんれん華げばかりを見みるなり。 また文もんに隠顕おんけんあればなり。

◇如キハ↠文者、雖↠見タリト↧無キ↢化仏来迎モ↡之様ニ↥、善導ノ御意ハ依ラバ↢¬観経ノ¼十一門ノ義ニ↡者、第九門ニ「明↢命終ノ之時聖衆迎接シタマフ不同、去時ノ遅疾ヲ↡。」又云ヘリ↧「今此ノ十一門義ハ、約↢対スルニ九品ノ文ニ↡、一一ノ品ノ中ニ皆有ト↦此十一↥。」然者下品下生ノ中ニモ可ナリ↠有ル↢来迎↡。而ヲ五逆ノ罪人、依テ↢其ノ罪重0119ニ↡、不↠能↢正ク見コト↢化仏・菩薩ヲ↡、但見ナリ↢我ガ所↠可キ↠坐ス之金蓮華許リヲ↡。又文ニ有レバナリ↢隠顕↡也。

・第一七日 仏身 化身 本尊のための化仏

次つぎにまた十方じっぽうの行ぎょう者じゃのために、 本尊ほんぞん、 小しょう身しんの化け仏ぶつを現げんじたまへることあり。 天竺てんじくの鶏けい頭摩ずま寺じの五ご通つう菩ぼ薩さつ、 神足じんそくをもつて極楽ごくらくに詣もうでて、 仏ぶつにまふしてまふさく、 娑しゃ婆ば世せ界かいの衆しゅ生じょう、 往おう生じょうの行ぎょうを修しゅせんと欲おもふに、 その本尊ほんぞんなし。 仏ぶつ、 願ねがはくはために身相しんそうを現げんじたまへと。 仏ぶつすなはち菩ぼ薩さつの請しょうに趣おもむきて、 樹じゅ上じょうに化け仏ぶつ五ご十体じったいを現げんじたまへり。 菩ぼ薩さつ、 すなはちこれを模もして世よに弘ひろむ。 鶏けい頭摩ずま寺じの五ご通つうの菩ぼ薩さつの曼まん蛇羅だらとは、 すなはちこれなり。 また智ち光こうの曼まん蛇羅だらとて、 世せ間けんに流布るふの本尊ほんぞんあり。 その因縁いんねん、 人ひとつねにこれを知しる、 つぶさに伸のぶべからず。 ¬日に本ほん往おう生じょう伝でん¼ を見みるべし。

◇次ニ又為ニ↢十方ノ行者ノ↡、本尊有リ↠現タマヘルコト↢小身化仏ヲ↡。天竺ノ鶏頭摩寺ノ五通菩薩、以テ↢神足ヲ↡詣テ↢極楽ニ↡、白シテ↠仏言ク、娑婆世界ノ衆生、欲ニ↠修ント↢往生ノ行ヲ↡、無シ↢其ノ本尊↡。仏、願クハ為ニ現ヘト↢身相ヲ↡。仏則趣テ↢菩薩ノ請ニ↡、樹上ニ現タマヘリ↢化仏五十体ヲ↡。菩薩、即模シテ↠之弘ム↠世ニ。鶏頭摩寺ノ五通菩薩ノ曼蛇羅トハ者、則是ナリ也。又智光ノ曼蛇羅トテ、有リ↢世間ニ流布ノ之本尊↡。其ノ因縁、人常ニ知ル↠之ヲ、不↠可↢具ニ伸ブ↡。可↠見↢¬日本往生伝ヲ¼↡。

・第一七日 仏身 化身 教化説法の化仏

また新しん生しょうの菩ぼ薩さつを教きょう化けして説法せっぽうせんがために、 化けして小しょう身しんを現げんず。 これはこれ弥陀みだ如来にょらい化け身しんの功く徳どくなり、 略りゃくすることまたかくのごとし。

◇又為ニ↧教↢化シテ新生ノ菩薩ヲ↡而説法センガ↥、化シテ現ズ↢小身ヲ↡。此ハ是 レ弥陀如来化身ノ功徳ナリ、略スルコト亦如シ↠是矣。

・第一七日 来迎

いまこの造ぞう立りゅうせられたまへる仏ぶつは、 祇ぎ園おん精しょう舎じゃの風ふうを伝つたへて三さん尺しゃくの立りゅう像ぞうを模もし、 最さい期ご終しゅう焉えんの暮ゆうべを期ごし来迎らいこう引いん接じょうの像ぞうを造つくれり。 およそ仏像ぶつぞうを造ぞう立りゅうするに種々しゅじゅの像ぞうあり。 あるいは説法せっぽう講堂こうどうの像ぞうあり、 あるいは池ち水すい沐浴もくよくの像ぞうあり、 あるいは菩ぼ提だい樹じゅ下げ成じょう等とう正しょう覚がくの像ぞうあり、 あるいは光こう明みょう遍へん照じょう摂取せっしゅ不ふ捨しゃの像ぞうあり。 かくのごときの形ぎょう像ぞうを、 もしは造つくりもしは画えしたてまつる。 みな往おう生じょうの業ごうなりといへども、 来迎らいこう引いん接じょうの形ぎょう像ぞうは、 なほその便びん宜ぎを獲えたるなり。

◇今此ノ被タマヘル↢造立セ↡仏ハ、伝テ↢祇園精舎ノ之風ヲ↡模シ↢三尺ノ立像ヲ↡、期↢最期終焉ノ之暮ヲ↡造レリ↢来迎引接ノ像ヲ↡。凡ソ造↢立スルニ仏像ヲ↡有↢種種ノ像↡。或ハ有↢説法講堂ノ之像↡、或ハ有↢池水沐浴ノ之像↡、或ハ有↢菩提樹下成等正覚ノ之像↡、或ハ有↢光明遍照摂取不捨ノ之像↡。如ノ↠是形像ヲ、若ハ造リ若ハ画タテマツル。皆 ナ雖↢往生ノ業ナリト↡、来迎引接ノ形像ハ、尚獲タル↢其ノ便宜ヲ↡也。

かの尽じん虚こ空くう界かいの荘しょう厳ごんを見み、 転てん妙みょう法輪ほうりんの音こえを聞きき、 七宝しっぽう講堂こうどうの砌みぎりに臨のぞみ、 八はっ功く徳どく池ちの浜はまに遊あそび、 およそかくのごときの種々しゅじゅの微み妙みょうの依え正しょう二に報ほうをまのあたり視し聴ちょうすることは、 まづ終しゅう焉えんのゆふべに聖しょう衆じゅの来迎らいこうに預あずかりて、 決けつ定じょうしてかの国くにに往おう生じょうしてのうへの事ことなり。 しかればすなはち深ふかく往おう生じょう極楽ごくらくの志こころざしあらん人ひとは、 来迎らいこう引いん接じょうの形ぎょう像ぞうを造つくりたてまつりて、 すなはち来迎らいこう引いん接じょうの誓願せいがんを仰あおぎたてまつるものなり。

◇彼ノ見↢尽虚空界ノ之荘厳ヲ↡、聞キヽ↢転妙法輪之音ヲ↡、臨↢七宝講堂ノ之砌 リニ↡、遊ビ↢八功徳池ノ之浜ニ↡、凡ソ如ノ↠是ノ種種ノ微妙ノ依正二報ヲ親リ視聴0120スルコトハ者、先ヅ終焉之夕ニ預テ↢聖衆ノ来迎ニ↡、決定シテ往↢生シテ彼ノ国ニ↡之上ノ事ナリ也。然則深ク有ン↢往生極楽ノ之志↡人ハ、奉テ↠造↢来迎引接ノ之形像ヲ↡、則可↠仰タテマツル↢来迎引接ノ之誓願ヲ↡者 ノナリ也。

その来迎らいこう引いん接じょうの願がんとは、 すなはちこの四し十じゅう八願はちがんのなかの第だい十じゅう九くの願がんなり。 人にん師しこれを釈しゃくするに多義たぎあり。

◇其来迎引接ノ願トハ者、即此ノ四十八願ノ中ノ第十九ノ願ナリ也。人師釈スルニ↠之ヲ有リ↢多義↡。

・第一七日 来迎 臨終正念

まづ臨りん終じゅう正しょう念ねんのために来迎らいこうしたまへり。 いはゆる疾しっ苦く身みを逼せめて、 まさに死しせんと欲ほっする時とき、 かならず境きょう界がい・自じ体たい・当とう生しょうの三種さんしゅの愛心あいしんを起おこすなり。 しかるに阿あ弥陀みだ如来にょらい大だい光こう明みょうを放はなちて行ぎょう者じゃの前まえに現げんじたまふ時とき、 未曾みぞ有うの事ことなるゆゑに、 帰き敬きょうの心しんの外ほかには他た念ねんなし。 しかれば三種さんしゅの愛心あいしんを亡ほろぼして、 さらに起おこることなし。 かつはまた仏ぶつ行ぎょう者じゃに近ちかづきたまひて、 加持かじ護ご念ねんしたまふがゆゑなり。

◇先為↢臨終正念ノ↡来迎ヘリ。所謂ル疾苦逼テ↠身ヲ、将欲↠死ント之時、必ズ起ナリ↢境界・自体・当生ノ三種ノ愛心↡也。而ニ阿弥陀如来放テ↢大光明ヲ↡現タマフ↢行者ノ前ニ↡時、未曾有ノ事ナル故ニ、帰敬ノ心ノ外ニハ無シ↢他念↡。而レバ亡シテ↢三種愛心ヲ↡、更ニ無シ↠起コト。且ハ又仏近タマヒテ↢行者ニ↡、加持護念タマフガ故ナリ也。

¬称しょう讃さん浄じょう土ど経きょう¼ には 「慈悲じひ加か祐ゆうして、 心こころをして乱みだれざらしめ、 すでに命いのちを捨すておはりて、 すなはち往おう生じょうを得えて、 不ふ退転たいてんに住じゅうす」 と説とき、 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ には 「阿あ弥陀みだ仏ぶつもろもろの聖しょう衆じゅと現げんにその前まえに在まします。 この人ひと終じゅう時じに、 心しん顛倒てんどうせずして、 すなはち阿あ弥陀みだ仏ぶつの極楽ごくらく国こく土どに往おう生じょうすることを得うと説とけり。 令りょう心しん不ふ乱らんと心しん不ぷ顛倒てんどうとは、 すなはち正しょう念ねんに住じゅうせしむるの義ぎなり。

◇¬称讃浄土経ニハ¼説キ↧「慈悲加祐シテ、令メ↢心ヲシテ不↟乱、既ニ捨テ↠命已テ、即得テ↢往生ヲ↡、住スト↦不退転ニ↥」、¬阿弥陀経ニハ¼説ケリ↫「阿弥陀仏与↢諸ノ聖衆↡現ニ在ス↢其前ニ↡。是ノ人終時、心不シテ↢顛倒↡、即得ト↪往↩生コトヲ阿弥陀仏ノ極楽国土ニ↨。」令心不乱ト与トハ↢心不顛倒↡、即令ルノ↠住↢正念ニ↡之義也。

しかれば臨りん終じゅう正しょう念ねんなるがゆゑに来迎らいこうしたまふにはあらず、 来迎らいこうしたまふがゆゑに臨りん終じゅう正しょう念ねんなりといふ義ぎあきらかなり。 往おう生じょうの間あいだに往おう生じょう行ぎょうの成じょう就じゅせん人ひとは、 臨りん終じゅうにかならず聖しょう衆じゅの来迎らいこうを得うべし。 来迎らいこうを得うる時とき、 たちまちに正しょう念ねんに住じゅうすべきなり。

◇然者非↢臨終正念ナルガ故ニ来迎シタマフニハ↡、来迎タマフガ故ニ臨終正念ナリト云之義明也。往生ノ之間ニ往生行ノ成就セン人ハ、臨終ニ必ズ可↠得↢聖衆ノ来迎↡。得↢来迎↡時、忽ニ可ナリ↠住↢正念↡也。

しかるにいまの時ときの行ぎょう者じゃ、 多おおくその旨むねを弁わきまへずして、 尋じん常じょうの行ぎょうを捨すてて怯こう弱にゃくを生しょうじて、 はるかに臨りん終じゅうの時ときを期ごして正しょう念ねんを祈いのる、 もつとも僻胤ひがいんなり。 しかればよくよくこの旨むねを意こころ得うるに、 尋じん常じょうの行ぎょう業ごうにおいて怯こう弱にゃくの心こころを起おこさず、 臨りん終じゅう正しょう念ねんに決けつ定じょうの思おもひを成なすべきなり。 これはこれ至し要ようの義ぎなり。 聞きかん人ひと心こころを留とどむべし。 この臨りん終じゅう正しょう念ねんのために来迎らいこうすといふ義ぎは、 静じょう慮りょ院いんの静照じょうしょう法ほっ橋きょうの釈しゃくなり。

◇然ニ今時ノ行者、多不シテ↠弁↢其ノ旨ヲ↡、捨テ↢尋常ノ行ヲ↡生ジテ↢怯弱ヲ↡、遥ニ期シテ↢臨終ノ時ヲ↡祈ル↢正念ヲ↡、最モ僻胤ヒガインナリ也。然バ者能ク能意↢得ニ此ノ旨ヲ↡、於テ↢尋常ノ行業ニ↡不↠起↢怯弱ノ心ヲ↡、於テハ↢臨終正念ニ↡可↠成ス↢決定0121ノ思ヲ↡也。此ハ是 レ至要ノ義ナリ。聞カン人可シ↠留ム↠心ヲ。此ノ為↢臨終正念ノ↡来迎スト云フ義ハ、静慮院ノ静照法橋ノ釈ナリ也。

・第一七日 来迎 道の先達

次つぎには道どうの先達せんだちのために来迎らいこうしたまふなり。 あるいは ¬往おう生じょう伝でん¼ (往生浄土伝巻中) に、 沙門しゃもん志し法ほうの遺書ゆいしょにいはく、

◇次ニハ為ニ↢道ノ先達ノ↡来迎タマフ也。或ハ¬往生伝ニ¼、沙門志法ノ遺書ニ曰ク、

「われ生しょう死じ海かいに在ありて幸さいわいに聖ひじりの船筏せんばつにまうあへり
わが顕あらわすところの真しん聖しょう卑穢ひえの質みを来迎らいこうしたまふ
もし浄じょう土どを欣ごん求ぐせんものはかならず形ぎょう像ぞうを造ぞう画えすべし
臨りん終じゅうにその前まえに現げんじて道どう路ろを示しめし心しんを摂せっしたまふ
念々ねんねんに罪つみやうやく尽つきて業ごうに随したがひて九く品ぼんに生しょうず
その顕あらわるるところの聖しょう衆じゅまづ新しん生しょうの輩ともがらを讚さんじたまふ
仏道ぶつどう増進ぞうしんを示しめす」 と
「我在テ↢生死海ニ↡幸ニ値ヘリ↢聖ノ船筏ニ↡
我ガ所ノ↠顕ス真聖来↢迎シタマフ卑穢ノ質ミヲ
若シ欣↢求センモノハ浄土ヲ↡必ズ造↢画グワスベシ形像ヲ
臨終ニ現ジテ↢其ノ前ニ↡示シ↢道路ヲ↡摂タマフ↠心ヲ
念念罪 ミ漸ク尽テ随テ↠業ニ生ズ↢九品ニ↡
其ノ所ノ↠顕聖衆先讚↢新生ノ輩ヲ↡
仏道示↢増進↡」

これすなはちこの界かいにおいて造ぞう画えするところの形ぎょう像ぞう、 先達せんだちと成なりて浄じょう土どに送おくりたまふ証しょう拠こなり。 また ¬薬やく師し経きょう¼ (玄奘訳) を見みるに、 浄じょう土どを欣ねがふ輩ともがらの、 行ぎょう業ごういまだ定さだまらず、 往おう生じょうの路みちに迷まよふあり。 すなはち文もんにいはく、 「よく八はち部ぶ斎戒さいかいを受じゅ持じするものあれば、 あるいは一年いちねんを経へ、 あるいはまた三さん月がつ学がく処しょを受じゅ持じす。 この善根ぜんごんをもつて西方さいほう極楽ごくらく世せ界かいの無む量りょう寿仏じゅぶつの所みもとに生しょうじて、 正しょう法ぼうを聴ちょう聞もんせんと願がんず。 しかるにいまだ定さだまらざるもの、 もし世せ尊そん薬やく師し瑠璃るり光こう如来にょらいの名みょう号ごうを聞きき、 命終みょうじゅうの時ときに臨のぞみて、 八はち菩ぼ薩さつありて神通じんずうに乗じょうじて来きたりて、 その道どう路ろを示しめす。 すなはちかの界かいの種々しゅじゅ雑色ざっしき衆宝しゅぼうの華け中ちゅうにおいて自じ然ねんに化け生しょうす」 と。 以上 もしかの八はち菩ぼ薩さつその道どう路ろを示しめさずんば、 独ひとり往おう生じょうすることを得えがたきか。

◇是則於↢此ノ界ニ↡所↢造画スル↡之形像、成テ↢先達ト↡送タマフ↢浄土ニ↡之証拠ナリ也。又見ニ↢¬薬師経ヲ¼↡、有リ↧欣フ↢浄土ヲ↡輩ノ、行業未ダ↠定、迷フ↦往生ノ路ニ↥。則文ニ云、「有バ↣能ク受↢持八部斎戒ヲ↡、或ハ経↢一年↡、或復 タ三月受↢持学処ヲ↡。以テ↢此ノ善根ヲ↡願ズ↧生ジテ↢西方極楽世界無量寿仏所ニ↡、聴↦聞セント正法ヲ↥。而ニ未ダ↠定者 ノ、若聞↢世尊薬師瑠璃光如来ノ名号ヲ↡、臨↢命終ノ時ニ↡、有↢八菩薩↡乗ジテ↢神通ニ↡来テ、示↢其ノ道路ヲ↡。即於テ↢彼ノ界ノ種種雑色衆宝ノ華中ニ↡自然ニ化生ス。」 已上 若彼ノ八菩薩不ンバ↠示サ↢其ノ道路↡者、難↠得↢独リ往生スルコトヲ乎。

これをもつて思おもふにも、 弥陀みだ如来にょらいもろもろの聖しょう衆じゅとともに行ぎょう者じゃの前まえに現げんじて来迎らいこう引いん接じょうしたまふも、 引ひきて道どう路ろを示しめしたまはんがための義ぎ、 まことにいはれたる事ことなり。 娑しゃ婆ば世せ界かいの習ならひも、 路みちを行いくにはかならず先達せんだちを具ぐする事ことなり。 これによりて御ご廟びょうの僧そう正じょう (九品往生義) は、 この来迎らいこうの願がんをば 「現前げんぜん導どう生しょうの願がん」 と名なづけたまへり。

◇以テ↠之而思ニモ、弥陀如来与↢諸ノ聖衆↡共ニ現ジテ↢行者ノ前ニ↡来迎引接タマフモ、為↣引テ示0122タマハンガ↢道路ヲ↡之義、誠ニ被↠云事ナリ也。娑婆世界ノ習モ、行ニハ↠路ヲ必具スル↢先達ヲ↡事也。依テ↠之御廟ノ僧正ハ、此ノ来迎ノ願ヲバ名タマヘリ↢「現前導生ノ願ト」↡。

・第一七日 来迎 対治魔事

次つぎに魔事まじを対たい治じせんがために来迎らいこうしたまふとは、 道どう盛さかりなれば魔ま盛さかんなりと申もうして、 仏道ぶつどう修しゅ行ぎょうするには、 かならず魔まの障しょう難なんあひ副そふなり。 真言しんごん宗しゅうのなか (発菩提心論) には 「誓心せいしん決けつ定じょうすれば、 魔ま宮ぐう振動しんどうす」 といへり。 天台てんだい ¬止し観かん¼ (巻八下) の四し種しゅ三昧ざんまいを修しゅ行ぎょうするに、 十種じっしゅの境きょう界がい廃すたるるなかに 「魔ま境きょう来きたる」 といへり。 また菩ぼ薩さつの三さん祇ぎ百ひゃく劫こうの行ぎょうすでに成じょうじて正しょう覚がくを唱となふる時とき、 魔ま王おう来きたりて種々しゅじゅに障しょう礙げせり。

◇次ニ為ニ↣対↢治ンガ魔事ヲ↡来迎シタマフトハ者、申シテ↢道盛リナレバ者魔盛ンナリト↡、仏道修行スルニハ、必相↢副魔ノ障難↡也。真言宗ノ中ニハ云ヘリ↢「誓心決定スレバ、魔宮振動スト」↡。修↢行スルニ天臺¬止観¼四種三昧ヲ↡十種ノ境界廃ル中ニ云ヘリ↢「魔境来ト」↡。又菩薩ノ三祇百劫ノ行既ニ成ジテ唱ル↢正覚ヲ↡時 キ、魔王来テ種種ニ障セリ。

いかにいはんや凡ぼん夫ぶ具ぐ縛ばくの行ぎょう者じゃ、 たとひ往おう生じょうの行ぎょう業ごうを修しゅすといへども、 魔まの障しょう難なんを対たい治じせずは、 往おう生じょうの素そ懐かいを遂とげんこと難かたからん。 しかるに阿あ弥陀みだ如来にょらい無む数しゅの化け仏ぶつ・菩ぼ薩さつ聖しょう衆じゅに囲い遶にょうせられ、 光こう明みょう赫奕かくやくとして行ぎょう者じゃの前まえに現げんじたまふ時ときには、 魔ま王こうこれに近ちかづきこれを障しょう礙げすることあたはず。 しかればすなはち来迎らいこう引いん接じょうは魔ま障しょうを対たい治じせんがためなり。

◇何ニ況ヤ凡夫具縛ノ行者、設ヒ雖↠修ト↢往生ノ行業ヲ↡、不ハ↣対↢治魔ノ障難ヲ↡者、遂ゲンコト↢往生ノ素懐ヲ↡難カラン。然ニ阿弥陀如来被↣囲↢遶無数ノ化仏・菩薩聖衆ニ↡、光明赫奕トシテ現タマフ↢行者ノ前ニ↡時ニハ、不↠能↣魔王近キ↠此障↢スルコト之↡。然則来迎引接ハ為↣対↢治センガ魔障ヲ↡也。

来迎らいこうの義ぎ、 略りゃくを存ぞんずるにかくのごとし。 これらの義ぎにつきて思おもふに、 同おなじくは仏像ぶつぞうを造つくらんには、 来迎らいこうの像ぞうを造つくるべきなり。 仏ぶつの功く徳どく、 大概たいがいかくのごとし。

◇来迎ノ義、存ズルニ↠略ヲ如↠斯ノ。就↢此等ノ義ニ↡思ニ、同ハ造ランニハ↢仏像ヲ↡、可キナリ↠造↢来迎ノ之像ヲ↡也。仏ノ功徳、大概如↠斯ノ。

・第一七日 浄土三部経

次つぎに三さん部ぶ経きょうとは、 いま三さん部ぶ経きょうと名なづくることは、 はじめて申もうすにあらず、 その証しょうこれ多おおし。 いはゆる大日だいにちの三さん部ぶ経きょう、 ¬大日だいにち経きょう¼・¬金剛こんごう頂経ちょうきょう¼・¬蘇そ悉しつ地じ経きょう¼ 等とうこれなり。 弥み勒ろくの三さん部ぶ経きょう、 ¬上生じょうしょう経きょう¼・¬下げ生しょう経きょう¼・¬成じょう仏ぶつ経きょう¼ 等とうこれなり。 鎮ちん護ご国こっ家かの三さん部ぶ経きょう、 ¬法華ほけ経きょう¼・¬仁王にんのう経きょう¼・¬金光こんこう明教みょうきょう¼ 等とうこれなり。 法ほっ華けの三さん部ぶ経きょう、 ¬無む量りょう義ぎ経きょう¼・¬普ふ賢げん経ぎょう¼・¬法華ほけ経きょう¼ 等とうこれなり。 これすなはち三さん部ぶ経きょうと名なづくる証しょう拠こなり。

◇次ニ▲三部経ト者、今名コト↢三部経ト↡者、非↢初テ申ニ↡、其ノ証斯 レ多シ。所謂ル大日ノ三部経、¬大日経¼・¬金剛頂経¼・¬蘇悉地経¼等是ナリ也。弥勒ノ三部経、¬上生経¼・¬下生経¼・¬成仏経¼等是也。鎮護国家三部経、¬法華経¼・¬仁王経¼・¬金光明教¼等是也。法華三部経、¬無量義経¼・¬普賢経¼・¬法華経¼等是也。是 レ則0123名クル↢三部経ト↡証拠也。

いまこの弥陀みだの三さん部ぶ経きょうも、 ある人にん師しのいはく、 「浄じょう土ど教きょうに三さん部ぶあり。 いはゆる ¬双巻そうかん無む量りょう寿じゅ経きょう¼・¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼・¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ 等とうこれなり」 と。 これによりていま浄じょう土どの三さん部ぶ経きょうと名なづくるなり。 あるいはまたは弥陀みだの三さん部ぶ経きょうと名なづく。 またある師し (慈恩小経義疏意) のいはく、 「かの三さん部ぶ経きょうに ¬鼓く音おん声じょう経きょう¼ を加くわへて四部しぶと名なづく」 と。 云々

◇今此ノ弥陀ノ三部経モ、有ル人師ノ云、「浄土教ニ有リ↢三部↡。所謂¬双巻無量寿経¼・¬観無量寿経¼・¬阿弥陀経¼等是也。」依↠之ニ今名クル↢浄土ノ三部経↡也。或ハ又ハ名ク↢弥陀ノ三部経↡。又或師ノ云、「彼三部経ニ加テ↢¬鼓音声経ヲ¼↡名クト↢四部↡」。云云

およそ諸しょ経きょうのなかに、 あるいは往おう生じょう浄じょう土どの法ほうを説とく経きょうあり、 あるいは説とかざる経きょうあり。 ¬華け厳ごん経ぎょう¼ にはこれを説とけり、 すなはち ¬四し十じゅう華け厳ごん¼ のなかの普ふ賢げんの十じゅう願がんこれなり。 ¬大だい般若はんにゃ経きょう¼ のなかに総そうじてこれを説とかず。 ¬法華ほけ経きょう¼ のなかにはこれを説とく、 すなはち 「薬王やくおう品ぼん」 の 「即往そくおう安楽あんらく世せ界かい」 の文もんこれなり。 ¬涅ね槃はん経ぎょう¼ のなかにはこれを説とかず。 また真言しんごん宗しゅうのなかには、 ¬大日だいにち経きょう¼・¬金剛こんごう頂経ちょうきょう¼ の蓮れん華げ部ぶにこれを説とくといへども、 大日だいにちの分身ぶんしんなり、 別べっして説とくにはあらず。 もろもろの小乗しょうじょう経きょうにはすべてこれを説とかず。 しかるに往おう生じょう浄じょう土どの法ほうを説とくことは、 この三さん部ぶ経きょうにはしかず。 ゆゑに浄じょう土どの一いっ宗しゅうには、 この三さん部ぶ経きょうをもつてその所しょ依えとなせり。

◇凡ソ諸経ノ中ニ、或ハ有リ↧説ク↢往生浄土ノ法ヲ↡経↥、或ハ有↢不ル↠説経↡。¬華厳経ニハ¼説ケリ↠之、則¬四十華厳ノ¼中ノ普賢ノ十願是也。¬大般若経ノ¼中ニ総ジテ不↠説カ↠之。¬法華経ノ¼中ニハ説ク↠之、即「薬王品ノ」「即往安楽世界ノ」文是ナリ也。¬涅槃経ノ¼中ニハ不↠説↠之。又真言宗ノ中ニハ、¬大日経¼・¬金剛頂経ノ¼蓮華部ニ雖↠説ト↠之、大日ノ分身ナリ也、非↢別シテ説ニハ↡。諸ノ小乗経ニハ都テ不↠説↠之。然ニ説コトハ↢往生浄土ノ法ヲ↡、不↠如カ↢此ノ三部経ニハ↡。故ニ浄土ノ一宗ニハ、以テ↢此ノ三部経ヲ↡為リ↢其ノ所依ト↡。

・第一七日 浄土宗名

またこの浄じょう土どの法門ほうもんにおいて宗しゅうの名なを立たつること、 はじめて申もうすにあらず、 その証しょう拠ここれ多おおし。 少々しょうしょうこれを出いだせば、 元がん暁ぎょうの ¬遊心ゆうしん安楽あんらく¼ に 「浄じょう土ど宗しゅうの意こころ、 もとは凡ぼん夫ぶのため、 兼かねては聖しょう人にんのため」 といへる、 その証しょうなり。 かの元がん暁ぎょうは華け厳ごん宗しゅうの祖師そしなり。 また慈じ恩おんの ¬西方さいほう要決ようけつ¼ にいはく、 「この一いっ宗しゅうによる」 と。 またその証しょうなり。 かの慈じ恩おんは法相ほっそう宗しゅうの祖師そしなり。 また迦か才ざいの ¬浄じょう土ど論ろん¼ (序) にいはく、 「この一いっ宗しゅうひそかに要よう路ろとなす」 と。 またその証しょうなり。 また善導ぜんどうの ¬観かん経ぎょうの疏しょ¼ (散善義) にいはく、 「真しん宗しゅう遇あひがたし」 と。 またその証しょうなり。 かの迦か才ざい・善導ぜんどうは、 ともにこの浄じょう土ど一いっ宗しゅうをもつぱらにする人ひとなり。 自じ宗しゅう・他た宗しゅうの釈しゃくすでにかくのごとし。

◇又於↢此ノ▲浄土ノ法門ニ↡立コト↢宗ノ名ヲ↡、非↢初テ申ニ↡、其ノ証拠多シ↠之。少々出バ↠之者、元暁¬遊心安楽ニ¼云ヘル↧「浄土宗ノ意、本為↢凡夫↡、兼為スト↦聖人↥」、其証也。彼ノ元暁ハ華厳宗ノ祖師也。又慈恩ノ¬西方要決¼云、「依ト↢此ノ一宗↡。」亦其ノ証也。彼ノ慈恩ハ法相宗ノ祖師也。又迦才ノ¬浄土論ニ¼云、「此ノ之一宗窃ニ為ト↢要路↡。」亦其ノ証也。又善導ノ¬観経ノ疏ニ¼云、「▲真宗叵ト↠遇。」亦其ノ証也。彼ノ迦才・善導ハ、倶ニ専0124スル↢此ノ浄土一宗ヲ↡之人也。自宗・他宗ノ釈既ニ如↠此。

・第一七日 師資相承

しかのみならず宗しゅうの名なを立たつることは、 天台てんだい・法相ほっそう等とうの諸しょ宗しゅう、 みな師資しし相そう承じょうによる。 しかるに浄じょう土ど宗しゅうにすでに師資しし相そう承じょうの血けち脈みゃくの次し第だいあり。 いはゆる菩ぼ提だい流支るし三蔵さんぞう・恵え寵ちょう法ほっ師し・道どう場じょう法ほっ師し・曇鸞どんらん法ほっ師し・法ほう上じょう法ほっ師し・道どう綽しゃく禅ぜん師じ・善導ぜんどう禅ぜん師じ・懐え感かん禅ぜん師じ・小しょう康こう法ほっ師し等とうなり。 菩ぼ提だい流支るしより法ほう上じょうに至いたるまでは、 道どう綽しゃくの ¬安楽あんらく集しゅう¼ に出いでたり。 自他じた宗しゅうの人にん師し、 すでに浄じょう土どの一いっ宗しゅうと名なづく。 浄じょう土ど宗しゅうの祖師そし、 また次し第だいに相そう承じょうす。 これによりていま相伝そうでんして浄じょう土ど宗しゅうと名なづくるなり。

◇加↠之立コト↢宗ノ名ヲ↡者、天臺・法相等ノ諸宗、皆由ル↢師資相承ニ↡。然ニ浄土宗ニ既ニ有↢師資相承ノ血脈ノ次第↡。▲所謂ル菩提流支三蔵・恵寵法師・道場法師・曇鸞法師・法上法師・道綽禅師・善導禅師・懐感禅師・小康法師等ナリ也。自リ↢菩提流支↡至マデハ↢法上↡者、出タリ↢道綽ノ▲¬安楽集ニ¼↡。自他宗ノ人師、既ニ名↢浄土ノ一宗ト↡。浄土宗ノ祖師、又次第ニ相承ス。依テ↠之ニ今相伝シテ名↢浄土宗ト↡也。

しかるにこの旨むねを知しらざる輩ともがら、 いまだかつて八はっ宗しゅうの外ほかに浄じょう土ど宗しゅうあることを聞きかず等とうと難なん破ぱする事ことのさうらへば、 いささか申もうし開ひらきさうらふなり。 およそ諸しょ宗しゅうの法門ほうもんに、 浅深せんじんあり広こう狭きょうあり。 すなはち真言しんごん・天台てんだい等とうの諸しょ大だい乗じょう宗しゅうは、 広ひろくして深ふかし。 倶く舎しゃ・成じょう実じつ等とうの小乗しょうじょう宗しゅうは、 広ひろくして浅あさし。 この浄じょう土ど宗しゅうは、 狭せまくして浅あさし。 しかればかの諸しょ宗しゅうは、 いまの時ときにおいて機きと教きょうと想応そうおうせず。 教きょう深ふかくして機き浅あさし、 教きょう広ひろくして機き狭せまきがゆゑなり。 たとへば▽韻いん高たかくして和わするもの少すくなきがごとし。 また小しょう器きに大おおきなる物ものを盛もるがごとし。 ただこの一いっ宗しゅうのみ、 機きと教きょうと相応そうおうせる法門ほうもんなり。 ゆゑにこれを修しゅせば、 かならず成じょう就じゅすべきなり。 しかればすなはちかの不ふ相応そうおうの教きょうにおいて、 労ろうして身心しんしんを費ついやすことなかれ。 ただこの相応そうおうの法門ほうもんに帰きして、 すみやかに生しょう死じを出いづべきなり。

◇然ニ不ル↠知↢此ノ旨ヲ↡之輩、未ダ↤曾テ聞↣八宗ノ外ニ有コトヲ↢浄土宗↡等ト難破スル事ノ候ヘバ者、聊申シ開候也。凡諸宗ノ法門ニ、有↢浅深↡有↢広狭↡。則真言・天臺等ノ諸大乗宗ハ者、広ニシテ而深シ。倶舎・成実等ノ小乗宗ハ者、広ニシテ而浅シ。此浄土宗ハ者、狭ニシテ而浅シ。然バ者彼ノ諸宗者、於テ↢今時ニ↡機与↠教不↢想応↡。教深シテ而機浅シ、教広シテ機狭ガ故ナリ也。譬バ如↢韻高シテ而和スルモノ少キガ。又如↣小器ニ盛ガ↢大物ヲ↡。唯此ノ一宗ノミ、機与↠教相応セル之法門也。故ニ修セバ↠之ヲ者、必ズ可↢成就↡也。然則於テ↢彼不相応ノ教ニ↡、莫↣労シテ費コト↢身心ヲ↡。唯帰シテ↢此ノ相応ノ法門ニ↡、速ニ可↠出↢生死ヲ↡也。

今日こんにち講讃こうさんせられたまへるところは、 この三さん部ぶのなかの ¬双巻そうかん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ と ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ となり。

◇今日所ノ被タマヘル↢講讃↡者、此三部ノ中ノ¬双巻無量寿経ト¼¬阿弥陀経トナリ¼也。

・第一七日 大経

△まづ ¬無む量りょう寿じゅ経きょう¼ に、 はじめに阿あ弥陀みだ如来にょらいの因いん位にの本願ほんがんを説ときて、 次つぎにかの仏ぶつの果位かいの二に報ほう荘しょう厳ごんを説とけり。 しかればこの ¬経きょう¼ には阿あ弥陀みだ仏ぶつの修因しゅいん感かん果かの功く徳どくを説とくなり。 すなはち上じょう巻かんのはじめに説とくところの四し十じゅう八願はちがん等とうは、 かの仏ぶつ因いん位にの発願ほつがんなり。 同巻どうかんの奥おくおよび下げ巻かんのはじめに説とくところの浄じょう土どの荘しょう厳ごんならびに衆しゅ生じょう往おう生じょうの因いん果がは、 かの仏ぶつの果位かいの願がん成じょう就じゅなり。 一々いちいちの本誓ほんぜい、 一々いちいちの願がん成じょう就じゅ、 経きょう文もんにあきらかなり。 つぶさに釈しゃくするに遑いとまあらず。

◇先ヅ¬無量寿経ニ¼、初ニ説↢阿弥陀如来ノ因位ノ本願ヲ↡、次ニ説ケリ↢彼ノ仏ノ果位ノ二報荘厳ヲ↡。然バ者0125此ノ¬経ニハ¼説↢阿弥陀仏ノ修因感果ノ功徳ヲ↡也。則上巻ノ初ニ所ノ↠説四十八願等ハ、彼仏因位ノ発願ナリ也。同巻ノ奥及ビ下巻ノ初ニ所ノ↠説浄土ノ荘厳并ニ衆生往生ノ因果ハ、彼ノ仏ノ果位ノ願成就也。一一ノ本誓、一一ノ願成就、経文ニ明ナリ也。不↠遑アラ↢具ニ釈スルニ↡。

そのなかに衆しゅ生じょう往おう生じょうの因いん果がを説とくは、 すなはち念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がん成じょう就じゅの 「諸しょ有う衆しゅ生じょう聞もん其ご名みょう号ごう」 (大経巻下) の文もん、 および三輩さんぱいの文もんこれなり。 もし善導ぜんどうの御おん意こころによらば、 この三輩さんぱいの業因ごういんにつきて正しょう雑ぞう二に行ぎょうを立たつべし。 正行しょうぎょうにつきてまた二にあり、 正定しょうじょうと助じょ業ごうとなり。 三輩さんぱいともに (大経巻下) 「一向いっこう専念せんねん」 といへるは、 すなはち正定しょうじょう業ごうなり、 かの仏ぶつの本願ほんがんに順じゅんずるがゆゑに。 またその外ほかに助業じょごうあり雑ぞう行ぎょうあり。

◇其中ニ説ハ↢衆生往生ノ因果ヲ↡者、則チ念仏往生ノ願成就ノ之「諸有衆生聞其名号ノ」文、及ビ三輩ノ文是也。若シ依バ↢善導ノ御意ニ↡者、就テ↢此三輩ノ業因ニ↡可↠立↢正雑二行ヲ↡。▲就テ↢正行ニ↡亦有↠二、正定ト助業トナリ也。三輩倶ニ云ヘルハ↢「▲一向専念ト」↡者、▲則正定業也、順ズルガ↢彼ノ仏ノ本願ニ↡故ニ。▲又其ノ外ニ有リ↢助業↡▲有リ↢雑行↡。

経きょうの文もんを開ひらくに ¬観かん経ぎょう疏しょ¼ の正しょう雑ぞう二に行ぎょうに当あたれり。 このなかに中ちゅう輩はいの文もん (大経巻下) に 「起き立りゅう塔像とうぞう」 の句くあり。 その像ぞうとは、 経きょう文もんにはいづれの仏像ぶつぞうといふこと見みへずといへども、 懐え感かん禅ぜん師じの ¬群ぐん疑ぎ論ろん¼ に都と率そつと西方さいほうと十じゅう五ごの同どうの義ぎを立たつるなかに、 造像ぞうぞう同どうといふ義ぎあり。 それを釈しゃくするに弥陀みだの形ぎょう像ぞうを造つくる証しょう拠こにこの中ちゅう輩はいの起き立りゅう塔像とうぞうの文もんを引ひけり。 ゆゑに知しりぬかの像ぞうとはこれ弥陀みだの形ぎょう像ぞう、 往おう生じょうの助業じょごうなりといふことを。

開クニ↢経ノ文ヲ↡当レリ¬観経疏ノ¼正雑二行ニ↡。此中ニ中輩ノ文ニ有↢「▲起立塔像ノ」句↡。其ノ像トハ者、経文ニハ雖↠不ト↠見ヘ↢何ノ仏像云コト↡、懐感禅師ノ¬群疑論ニ¼立ル↢都率ト西方ト十五ノ同ノ義ヲ↡中ニ、有リ↢造像同ト云之義↡。釈ルニ↠其 レヲ造ル↢弥陀ノ形像↡之証拠ニ引ケリ↢此ノ中輩ノ起立塔像ノ文ヲ↡。故ニ知ヌ彼ノ像トハ者是 レ弥陀ノ形像、往生ノ助業也ト云コトヲ。

およそこの三輩さんぱいのなかにおのおの菩ぼ提だい心しん等とうの余よ善ぜんを説とくといへども、 上かみの本願ほんがんに望のぞむるに、 もつぱら弥陀みだ名みょう号ごうを称しょう念ねんせしむるにあり。 ゆゑに 「一向いっこう専念せんねん」 といへり。 上かみの本願ほんがんとは、 四し十じゅう八願はちがんのなかの第だい十じゅう八願はちがんを指さす。 一向いっこうの言ことばは、 二に向こう・三向さんこうに対たいする義ぎなり。 もし念仏ねんぶつの外ほかにならびて余よ善ぜんを修しゅせば、 一向いっこうの義ぎに背そむくべきなり。 往おう生じょうを求もとめん人ひと、 もつぱらこの ¬経きょう¼ によりて、 かならずこの旨むねを意こころ得うべきなり。 ¬双巻そうかん経ぎょう¼ の大たい意い、 略りゃくしてかくのごとし。

○▲凡ソ此ノ三輩ノ中ニ各雖↠説ト↢菩提心等ノ余善ヲ↡、望↢上ノ本願ニ↡、専在↠令ムルニ↣称↢念弥陀名号ヲ↡。故ニ云ヘリ↢「一向専念ト↡。」上ノ本願ト者、指↢四十八願ノ中ノ第十八願ヲ↡也。▲一向ノ之言ハ、対スル↢二向・三向ニ↡之義ナリ也。若シ念仏ノ外ニ並テ修バ↢余善ヲ↡者、可キ背ク↢一向ノ義ニ↡也。求ン↢往生ヲ↡人、専ラ依テ↢此0126ノ¬経ニ¼↡、必ズ可↣意↢得此ノ旨ヲ↡也。¬双巻経ノ¼大意、略シテ如シ↠此。

・第一七日 小経

△次つぎに ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ は、 はじめに極楽ごくらく世せ界かいの依え正しょう二に報ほうを説とき、 次つぎに一日いちにち七日しちにちの念仏ねんぶつを修しゅして往おう生じょうすることを説とき、 後のちに六方ろっぽうの諸仏しょぶつ念仏ねんぶつの一いち行ぎょうにおいて証しょう拠こ護ご念ねんしたまふ旨むねを説とけり。 すなはちこの ¬経きょう¼ には余よ行ぎょうを説とかず選えらびて念仏ねんぶつの一いち行ぎょうを説とけり。

◇次ニ¬阿弥陀経¼者、初ニ説キ↢極楽世界ノ依正二報ヲ↡、次ニ説キ↧修シテ↢一日七日ノ念仏ヲ↡之往生スルコトヲ↥、後ニ説ケリ↧六方ノ諸仏於テ↢念仏ノ一行ニ↡証拠護念シタマフ之旨ヲ↥。則此ノ¬経ニハ¼不↠説↢余行↡而選テ説ケリ↢念仏ノ一行ヲ↡。

▽文もん (小経) にいはく、 「不可ふか以い少しょう善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねん得とく生しょう彼ひ国こく」 と説とき、 「阿あ弥陀みだ仏ぶつを説とくを聞ききて、 名みょう号ごうを執しゅう持じすること、 もしは一日いちにち乃ない至し七日しちにち、 一心いっしん不ふ乱らんなれば、 その人ひと命終みょうじゅうの時ときに臨のぞみて、 阿あ弥陀みだ仏ぶつもろもろの聖しょう衆じゅとともに現げんにその前まえに在まします。 この人ひと終おわる時とき、 心こころ顛倒てんどうせず、 すなはち往おう生じょうを得う」 と説とけり。

文ニ云ク、説キ↢「不可以少善根福徳因縁得生彼国」↡、説ケリ↧「聞テ↠説ヲ↢阿弥陀仏↡、執↢持スルコト名号↡、若ハ一日乃至七日、一心不乱ナレバ、其ノ人臨↢命終ノ時ニ↡、阿弥陀仏与↢諸ノ聖衆↡現ニ在ス↢其ノ前ニ↡。是ノ人終時、心不↢顛倒↡、即得ト↦往生↥。」

ここに知しりぬ余よ善ぜんは少しょう善根ぜんごんなり、 念仏ねんぶつは多た善根ぜんごんなり。 かの少しょう善根ぜんごんの余よ行ぎょうを修しゅして往おう生じょうすることを得うべからず、 この多た善根ぜんごん念仏ねんぶつを修しゅするはかならず往おう生じょうを得うべしといふことを。

爰ニ知ヌ余善ハ少善根也、念仏ハ多善根也。修シテ↢彼ノ少善根ノ余行ヲ↡不↠可↠得↢往生スルコトヲ↡、修スルハ↢此ノ多善根念仏↡必可ト云コトヲ↠得↢往生ヲ↡。

▽このゆゑに善導ぜんどう和か尚しょう (法事讃巻下) この文もんを釈しゃくしていはく、 「極楽ごくらく無為むい涅ね槃はん界がい、 随縁ずいえん雑善ぞうぜん恐く難なん生しょう、 故使こし如来にょらい選せん要法ようぼう、 教きょう念ねん弥陀みだ専せん復ぷ専せん」 と。 云々 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ の大たい意い、 略りゃくしてかくのごとし。

是ノ故ニ善導和尚釈シテ↢此ノ文ヲ↡云ク、「極楽無為涅槃界、随縁雑善恐難生、故使如来選要法、教念弥陀専復専。」 云云 ¬阿弥陀経ノ¼大意、略如シ↠斯ノ。

およそ念仏ねんぶつ往おう生じょうは、 これ弥陀みだ如来にょらいの本願ほんがんの行ぎょうなり、 教きょう主しゅ釈しゃく尊そんの選えらびたまへる要法ようぼうなり、 六方ろっぽう諸仏しょぶつの証誠しょうじょうしたまへる説せつなり。 余よ行ぎょうはしからず。 その旨むね経きょう文もんおよび諸しょ師しの釈しゃくに具つぶさなり。 仏ぶっ経きょうの功く徳どく、 略りゃくを存ぞんずるにかくのごとし。 仰あおぎ願ねがはくは 云々。

○凡ソ念仏往生ハ、是 レ弥陀如来ノ本願ノ行也、教主釈尊ノ選ビタマヘル要法也、六方諸仏ノ証誠シタマヘル説ナリ也。余行ハ不↠然。其ノ旨具ナリ↢経文及ビ諸師ノ釈ニ↡也。仏経ノ功徳、存ズルニ↠略ヲ如シ↠斯ノ。仰ギ願クハ 云云。

・第二七日

△第だい二に七日しちにち。 ▽弥陀みだ。 ▽¬観かん経ぎょう¼・¬同疏どうしょ¼ 一いち部ぶ。

・第二七日 阿弥陀仏

△この阿あ弥陀みだ仏ぶつとは、 これより西方さいほう十じゅう万億まんおくの三千さんぜん大千だいせん世せ界かいを過すぎ七宝しっぽう荘しょう厳ごんの地じあり、 名なづけて極楽ごくらく世せ界かいといふ、 これすなはちその土どの教きょう主しゅなり。 御おん身みの色いろは夜摩やま天てんの閻えん浮ぶ檀だん金ごんの色いろのごとく、 御おん身みの量りょうは六ろく十じゅう万億まんおく那由なゆ他た恒ごう河が沙じゃ由ゆ旬じゅんなり。 およそ仏ぶつの功く徳どくは言ことばをもつて演のべ尽つくすべからざれども、 伽陀かだを誦じゅして称しょう揚よう讃嘆さんだんしたてまつるに足たるべし。 すなはち 「面善めんぜん円えん浄じょう如にょ満月まんがつ」 (十二礼) と。 云云

此ノ阿弥陀仏トハ者、従リ↠是 レ西方過ギ↢十万億ノ三千大千世界ヲ↡有リ↢七宝荘厳ノ地0127↡、名テ曰↢極楽世界ト↡、是則其ノ土ノ教主ナリ也。御身ノ色ハ如ク↢夜摩天閻浮檀金ノ色ノ↡、御身量ハ六十万億那由他恒河沙由旬ナリ也。凡仏ノ功徳ハ不レドモ↣以↠言可↢演ベ尽ス↡、誦シテ↢伽陀ヲ↡奉ルニ↢称揚讃嘆↡可↠足也。則「▲面善円浄如満月」。 云云

また経きょうを釈しゃくするに仏ぶつの功く徳どくも顕あらわし、 仏ぶつを讃さんずれば経きょうの功く徳どくも顕あらわるるなり。 また疏しょは経きょうの意こころを釈しゃくすれば、 疏しょを釈しゃくせんには経きょうの意こころも顕あらわるべし。 みなこれ同おなじき物ものなり、 まちまちに釈しゃくすることあたはず。 しかれば経きょうに就つきて形かたちのごとく讃嘆さんだんしたてまつるべし。

○又釈スルニ↠経ヲ而仏ノ功徳モ顕シ、讃ズレバ↠仏ヲ者経ノ功徳モ顕ルヽ也。又疏ハ釈スレバ↢経ノ意ヲ↡者、釈センニハ↠疏ヲ経ノ意モ可シ↠顕ル。皆是同物也、不↠能↢区ク釈スルコト↡。然バ者就テ↠経ニ如↠形ノ可シ↠奉ル↢讃嘆シ↡。

・第二七日 観経

△振旦しんたんの人にん師し経きょうを釈しゃくするに、 大たい意い・釈名しゃくみょう・入にゅう文もん解げ釈しゃくの三さん意いあり、 いましばらくこれを略りゃくすべし。 ただ要ようを取とりてこれを釈しゃくせば、 いまこの ¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ に二にの意こころあり。 はじめには定じょう散さん二に善ぜんを修しゅして往おう生じょうすることを明あかし、 次つぎには名みょう号ごうを称しょうして往おう生じょうすることを明あかす。

振旦ノ人師釈スルニ↠経ヲ、有リ↢大意・釈名・入文解釈ノ三意↡、今且ク可シ↠略ス↠之ヲ。但取テ↠要ヲ釈バ↠之者、○今此ノ¬観無量寿経ニ¼有リ↢二ノ意↡。初ニハ明シ↧修シテ↢定散二善ヲ↡而往生スルコトヲ↥、次ニハ明ス↧称シテ↢名号ヲ↡而往生コトヲ↥。

・第二七日 観経 定散二善 定善

まづ定じょう散さんの義ぎを釈しゃくすとは、 仏ぶつ韋い提だい希け夫ぶ人にんの請しょうに趣おもむきて、 光台こうだいのなかに十方じっぽうの浄じょう土どを現げんじたまふ時とき、 韋い提だい希け (観経)、 「我が今こん楽生ぎょうしょう極楽ごくらく世せ界かい」 といひて、 われにかの国くにに生しょうずることを教おしへたまへと申もうししかば、 すなはちその請しょうに趣おもむきて、 はじめ日想にっそう観かんより雑想ざっそう観かんに至いたるまで、 十じゅう三観さんがんの想そうを説ときたまへるなり。 これを定じょう善ぜんと名なづく。 この定じょう善ぜんはすなはち現身げんしんに仏ぶつを見みたてまつるなり。

先ヅ釈ハ↢定散ノ義ヲ↡者、仏趣テ↢韋提希夫人ノ請ニ↡、光台ノ中ニ現タマフ↢十方ノ浄土ヲ↡之時、韋提希云テ↢、「▲我今楽生極楽世界ト」↡、我ニ而申シヽカバ↠教タマヘト↠生コトヲ↢彼ノ国ニ↡者、則趣テ↢其ノ請ニ↡、▲始メ自リ↢日想観↡至マデ↢雑想観ニ↡、説タマヘルナリ↢十三観ノ想ヲ↡也。是 レヲ名ク↢定善ト↡。此ノ定善ハ即現身ニ見タテマツル↠仏ヲ也。

・第二七日 観経 定散二善 定善 日想観

はじめ日想にっそう観かんには二に、 八月はちがつの彼ひ岸がんの日ひのまさに沈いらんとする時とき、 まづ日ひを見みて目めを塞ふさぎて、 その日ひの有様ありさまを想おもふ、 想おもひ失うしなはればまた目めを開ひらきて日ひを見みる。 はじめはかやうにして日ひを想おもひつくれば、 後のちには日ひもなき処ところにても心こころに想おもへば見みるがごとくなるを、 日想にっそう観かん成じょう就じゅと申もうすなり。 目めを閉とじて想おもふに日ひを見みるはなほ観かんの浅あさき時ときなり。 目めを閉とじても目めを開ひらきても、 同おなじく自じ在ざいに日ひを見みるを、 観かんの深ふかく成じょう就じゅすると申もうすなり。 この観かん成じょう就じゅする時ときは、 阿あ弥陀みだ仏ぶつ現げんじたまふありといふ事こと候そうらへども、 それはあり難がたき事ことなり。 この日想にっそう観かんをもつて十じゅう三観さんがんのはじめに置おくこと、 三さん義ぎあり。

初ハジメ日想観ニハ者二、八月ノ彼岸ノ日ノ将ニル↠沈イラント時 キ、先見テ↠日ヲ塞テ↠目ヲ、想フ↢其日ノ有様ヲ↡、想ヒ失レバ者又開テ↠目ヲ見ル↠日ヲ。初ハ加様ニシテ而想ヒ↢付レバ日ヲ↡、後ニハ無キ↠日モ処ニテモ心ニ想ヘ者如ナルヲ↠見ガ、申ス↢日想観成就ト↡也。閉テ↠目ヲ想ニ見↠日ヲ者尚 ヲ観ノ浅キ時ナリ也。閉テモ↠目開テモ↠目、同0128ク自在ニ見ヲ↠日ヲ、申スナリ↢観ノ之深ク成就スルト↡也。此ノ観成就スル時者、云フ↠有ト↢阿弥陀仏現ジタマフ↡事候ヘドモ、其 レハ難キ↠有事也。以テ↢此ノ日想観ヲ↡置クコト↢十三観ノ初ニ↡、有リ↢三義↡。

一いちには光こう明みょうに練れん習じゅうせしめんがためなり。 いはくかの極楽ごくらく世せ界かいは光こう明みょう赫奕かくやくとして凡ぼん夫ぶの眼めをもつてただちに見みることあるべからず。 このゆゑにまず光ひかりある物ものを観かん習じゅうして後のちにかの国くにをば観かんずべきなり。 しかるにこの界かいにおいて光ひかりあるもの日ひに越こえたる物ものなし、 ゆゑにまづこの観かんを用もちゐるなり。

一ニハ為↠令ンガ↣練↢習光明ニ也。謂ク彼ノ極楽世界ハ光明赫奕トシテ而不↠可↠有ル↧以テ↢凡夫ノ眼ヲ↡直ニ見コト↥。是ノ故ニ先ヅ観↢習シテ有ル↠光物ヲ↡之後ニ可↠観↢彼ノ国ヲバ↡也。而於テ↢此ノ界ニ↡有ルモノ↠光無シ↢越タル↠日ニ之物↡、故ニ先ヅ用↢此ノ観ヲ↡也。

二にに罪ざい障しょうの軽重きょうじゅうを知しらしめんがためなり。 いはくこの観かんを作なす時とき、 罪つみに随したがひて日ひを見みること不ふ同どうなり。 あるいは黒こく障しょう黒雲こくうんの日ひを障さふるがごとく、 あるいは黄おう障しょう黄雲おううんの日ひを障さふるがごとく、 あるいは白障びゃくしょう白びゃく雲うんの日ひを障さふるがごとく、 雲くもの日ひを覆おおふがごとし。 衆しゅ生じょうの業ごっ障しょうの所観しょかんの境きょうを障さふることもまたしかなり。 しかればこの相そうに随したがひて、 無始むし以い来らいの三業さんごうの罪ざい障しょうを懺さん悔げすべき料りょうなり。

二為↠令ンガ↠知↢罪障ノ軽重ヲ↡也。謂ク作ス↢此ノ観↡時、随テ↠罪ニ見コト↠日不同也。或ハ黒障如↢黒雲ノ障ガ↟日、或ハ黄障如↢黄雲ノ障ガ↟日、或ハ白障如↢白雲ノ障ガ↟日ヲ、如↢雲ノ覆ガ↟日。衆生ノ業障之障ルコトモ↢所観ノ境ヲ↡亦爾ナリ。然バ者随テ↢此ノ相ニ↡、可キ↣懺↢悔無始已来ノ三業ノ罪障ヲ之料也。

三さんには極楽ごくらくの方処ほうしょを知しらしめんがためなり。 いはくかの国くにはすなはち西方さいほうに在あり、 日没にちもつの方かたもまた西方さいほうなり。 かの国くには二季にきの彼ひ岸がんの日ひ入いる処ところに当あたれり。 これによりてはじめにはこの観かんを修しゅするに、 かならず二季にきの彼ひ岸がんの日ひのまさしく東ひがしに出いでてまさしく西にしに入いらん時ときに目めを開ひらき目めを閉とじて日ひを見みるべしといふなり。

三ニハ為↠令ンガ↠知↢極楽ノ方処ヲ↡也。謂ク彼ノ国ハ則在リ↢西方ニ↡、日没ノ方モ亦西方ナリ也。彼ノ国ハ当レリ↢二季ノ彼岸ノ日入ル処ニ↡。因↠之修スル↢初ニハ此ノ観ヲ↡、必ズ二季ノ彼岸之日ノ正ク東ニ出デヽ正ク西ニ入ラン時ニ開キ↠目ヲ閉テ↠目ヲ可↠見↠日ヲ云也。

・第二七日 観経 定散二善 定善 水想観

次つぎに水想すいそう観かんとは、 極楽ごくらく世せ界かいの瑠璃るりの地じを観みんとするに、 凡ぼん夫ぶ具ぐ縛ばくの衆しゅ生じょうは、 無始むしよりこのかたいまだ見みざる事ことなれば、 ただちに観みんと欲ほっすとも、 成じょう就じゅせん事こと難かたきがゆゑに、 まづ水みずを見み、 後のちに目めを閉とじて水みずを想おもふ。 これまた前さきの日想にっそう観かんのごとく、 観かんの浅深せんじんも前さきのごとし。 水想すいそう成じょう就じゅして水みずを見みること、 目めを閉とじ目めを開ひらき自じ在ざいを得えつれば、 水みずを変へんじて氷こおりの想そうを作なす。 氷こおりを観かんじ作なして後のちに氷こおりを変へんじてまた瑠璃るりの想そうを作なす、 氷こおりは瑠璃るりに似にたるがゆゑなり。 詮せんずるところは水想すいそうも瑠璃るりの地じを観かんじ顕あらわさん料りょうの方便ほうべんなり。

次ニ水想観トハ者、将ルニ↠観ント↢極楽世界ノ瑠璃ノ地ヲ↡、凡夫具縛ノ衆生ハ、従リ↢無始↡已来未ダ↠見事ナレバ者、欲ストモ↢直ニ観ト↡、成就セン事難キガ故ニ、先ヅ見↠水ヲ、後ニ閉テ↠目想フ↠水ヲ。是 レ亦如ク↢前ノ日想観ノ、観ノ浅深モ如↠前ノ。水想成就シテ見コト↠水ヲ、閉↠目開↠目得ツレバ↢自在ヲ↡者、変ジテ↠水ヲ作ス↢氷ノ想ヲ↡。観ジ↢作シテ氷↡後ニ変ジテ↠氷ヲ又作ス↢瑠璃ノ想ヲ↡、氷ハ似タルガ↢瑠璃ニ↡故也。所ハ↠詮ズル水想モ観ジ↢顕サン瑠璃0129ノ地ヲ↡之料ノ方便也。

・第二七日 観経 定散二善 定善 地想観

次つぎに地じ想観そうかんとはすなはち前さきの水想すいそう観かん次し第だいに成じょう就じゅしぬれば、 地じ想観そうかんも成じょう就じゅする事ことなり。 その瑠璃るり地じの下したに金剛こんごうの七宝しっぽうの金幢こんどうありて地じを擎ささげたり。 その擎ささげたる金幢こんどうをば、 善導ぜんどうの御おん意こころ (礼讃意) は 「無む量りょう無む数しゅなり」 といへり。 他師たしの意こころはただ一ひとつの金幢こんどうありて地じを擎ささげ、 その幢どう八方はっぽうにして八はち楞りょう具ぐ足そくすと見みゆ。 云々 八はち楞りょうとは八やつの傍そばといへり、 楞りょうはすなはち傍そばなり。

次ニ地想観トハ者則前ノ水想観次第ニ成就シヌレバ者、地想観モ成就スル事也。其瑠璃地ノ下ニ有テ↢金剛ノ七宝ノ金幢↡擎タリ↠地ヲ。其擎タル金幢ヲバ、善導ノ御意ハ云ヘリ↢「▲無量無数ナリト」↡。他師ノ意ハ見↧但有テ↢一ノ金幢↡擎↠地ヲ、其ノ幢八方ニシテ八楞具足スト↥。云云 八楞トハ者云ヘリ↢八之傍ソバト↡、楞ハ則傍ソバ也。

仏ぶつ ¬法華ほけ経きょう¼ を説ときたまふ時とき、 娑しゃ婆ばの地じ転てんじて瑠璃るり地じと成なれり。 この観かん成じょう就じゅの時ときもまたしかなり。 仏ぶつことに未み来らい世せの衆しゅ生じょうのためにこの観かん地じの法ほうを説とくとのたまひて、 この観想かんそうをばことに勧すすむるなり。

仏説タマフ↢¬法華経ヲ¼↡時 キ、娑婆ノ地転ジテ成レリ↢瑠璃地ト↡。此ノ観成就ノ時モ亦爾ナリ。仏言タマヒテ↧殊ニ為↢未来世ノ衆生ノ↡説ト↦此ノ観地ノ法ヲ↥、此ノ観想ヲバ殊ニ勧也。

¬観かん経ぎょうの疏しょ¼ の第三だいさんのはじめにこの観かんを釈しゃくする下しもに、 ¬清浄しょうじょう覚がく経きょう¼ (巻四意) の信しん不ふ信しんの因縁いんねんの文もんを引ひけり。 この文もんの意こころは、 「浄じょう土どの法ほうを説とくを聞ききて、 信向しんこうして身みの毛け竪いよだつものは、 過去かこにしてこの法門ほうもんを聞ききて、 いまかさねて聞きく人ひとなり。 いま信しんずるがゆゑに、 決けつ定じょうして浄じょう土どに往おう生じょうすべし。 また聞きくとも聞きかざるがごとく、 総そうじて信向しんこうせざるものは、 はじめて三さん悪道まくどうより来きたりて、 罪ざい障しょういまだ尽つきざれば、 心こころに信向しんこうなきなり。 いま信しんぜざるがゆゑに、 また生しょう死じを出いづることあるべからず」 等とういへるなり。 詮せんじては往おう生じょう人にんのこの法ほうをば信しんじ候そうろふなり。

¬観経ノ疏ノ¼第三ノ初ニ釈↢此観ヲ↡之下ニ、○引ケリ¬清浄覚経ノ¼信不信因縁ノ文ヲ↡。此ノ文意ハ、「聞テ↠説ヲ↢浄土ノ法ヲ↡、信向シテ身毛竪者 ノハ、過去ニシテ聞テ↢此法門ヲ↡、今重テ聞ク人也。今信ズルガ故ニ、決定シテ可↣往↢生ス浄土ニ↡。又聞トモ如ク↠不ルガ↠聞、総ジテ不ル↢信向↡者 ノハ、始テ自↢三悪道↡来テ、罪障未ダレバ↠尽、心ニ無↢信向↡也。今不↠信故ニ、又不↠可↠有↠出ルコト↢生死ヲ↡」等云ヘル也。詮ジテハ往生人之信ジ↢此法ヲバ↡候也。

・第二七日 観経 定散二善 定善 宝樹・宝池・宝楼観

次つぎに宝樹ほうじゅ観かん、 次つぎに宝ほう池ち観かん、 次つぎに宝楼ほうろう観かん。 これらはことごとく釈成しゃくじょうするにあたはず、 経きょう文もんおよびこの ¬疏しょ¼ に具つぶさなり。 かくのごとく依え報ほうを讃嘆さんだんするも、 すなはち阿あ弥陀みだ仏観ぶつかんを讃嘆さんだんしたてまつる 云々。

次ニ宝樹観、次宝池観、次宝楼観。此等不↠能↢悉ク釈成スルニ↡、経文及ビ此ノ¬疏ニ¼具ナリ也。如↠是ノ讃↢嘆スルモ依報ヲ↡、則奉ル↣讃↢嘆阿弥陀仏観ヲ↡ 云云。

・第二七日 観経 定散二善 定善 観音・勢至観

次つぎに観音かんのん観かん、 次つぎに勢せい至し観かん。 かの国くにに無む量りょうの聖しょう衆じゅありといへども、 要ようを取とるにこの左右さうの二に菩ぼ薩さつなり。 ゆゑにこの二に菩ぼ薩さつばかりを讃さんじて、 余よの菩ぼ薩さつをば略りゃくして出いださず。

次ニ観音観、次ニ勢至観。彼ノ国ニ雖↠有ト↢無量ノ聖衆↡、取ルニ↠要ヲ此ノ左右ノ二菩薩也。故ニ讃テ↢此ノ二菩薩許リヲ↡、余ノ菩薩ヲバ略シテ不↠出也。

・第二七日 観経 定散二善 定善 普観

次つぎに普ふ観想かんそうとは、 これみづからの往おう生じょうの観かんなり。 いまだ臨りん終じゅうの時ときにあらずといへども、 すでに往おう生じょうの想そうを作なすなり。

次ニ普観想トハ者、是 レ自ノ往生ノ之観也。雖↠未ダ↢臨終ノ時ニアラ↡、作ス↢已ニ往生ノ想↡也。

大安だいあん寺じに勝行しょうぎょう聖しょう人にんといふものありき、 これ五ご輪観りんかんを成じょう就じゅしたる人ひとなり。 件くだんの上しょう人にん毎日まいにち塗籠ぬりごめに立たち籠こもりて、 よく久ひさしくありて出いでたり。 弟子でしどもこれを怪あやしみて後うしろの墻かきの穴あなよりひそかにこれを望のぞむるに、 上しょう人にんは見みえずして半はん畳じょうの上うえにただ水みずの湛たたへたるのみあり。 僻へき事じか実じつ事じかを知しらんがために、 弟子でしら鬀てい砥とをその水みずのなかに投なげ入いれて見みれば、 まことに水みずなり。 不ふ思議しぎの思おもいを作なしておのおの去さりぬ。 しばらくありて師しの上しょう人にん塗籠ぬりごめより出いでて、 たちまちに腹ふく中ちゅうを痛いたみて、 弟子でしらに問とひていはく、 われ内うちに入いりたる時とき、 なんぢら見みつるか、 また何事なにごとかありつる等とうと。 弟子でし遁のがれがたくして実じつに任まかせて師しに申もうしつ。

有キ↢大安0130寺ニ勝行聖人ト云者↡、是 レ成↢就タル五輪観ヲ↡之人ナリ也。件ノ上人毎日立↢篭テ塗篭ヌリゴメニ↡、良久ク在テ出タリ。弟子共怪テ↠之ヲ後 ロノ墻ノ穴ヨリ窃ニ望ニ↠之、上人ハ不シテ↠見ヘ而半畳ノ上ニ只有リ↢水ノ湛タルノミ↡。為ニ↠知ガ↢僻事カ実事カヲ↡、弟子等投↢入テ鬀砥トヲ於其ノ水ノ中ニ↡而見レバ者、誠ニ水ナリ也。作↢不思議ノ思ヲ↡各去ヌ。暫ク在テ師ノ上人従↢塗篭↡出デヽ、忽ニ痛ミテ↢腹中ヲ↡、問テ↢弟子等↡云、我入タル↠内ニ時、汝等見ツル歟、又有ツル↢何事カ↡等ト。弟子難シテ↠遁レ而任テ↠実ニ申シツ↠師ニ。

その時とき師しのいはく、 われまた入いらん時とき件くだんの髪鬀はつてい砥とを取とるべしと。 弟子でしらこれを承うけて、 次つぎの日ひまた見みれば上しょう人にん見みえず、 半はん畳じょうの上うえにただ火か焔えんの燃もゆるのみあり。 その火か中ちゅうに砥とあり、 弟子でしらその砥とを取とり出いだす。 師し出いでて腹はらのなかの苦く痛つうたちまちに平びょう復ふくしぬ。

其ノ時師ノ云、我 レ亦入ラン時可ト↠取ル↢件髪鬀砥ヲ↡。弟子等承テ↠之、次ノ日又見レバ上人不↠見、半畳ノ上ニ只有リ↢火焔ノ之燃モユルノミ↡。其ノ火中ニ有リ↠砥、弟子等取↢出ス其ノ砥ヲ。師出デヽ腹ノ中ノ苦痛忽ニ平復シヌ。

また次つぎの日ひ見みれば、 半はん畳じょうの上うえに一茎ひとくきの蓮れん華げ生しょうぜり。 これらの相そうを見みて、 弟子でし怪あやしみて師しに問とふに、 答こたへていはく、 われ水輪すいりん三昧ざんまいに入いる時ときは水みずとなり、 火か輪りん三昧ざんまいに入いる時ときは火ひとなり、 蓮れん華げ三昧ざんまいに入いる時ときは化けして蓮れん華げとなるなり。 また現げんに極楽ごくらく世せ界かいに往おう生じょうするなりといひき 矣。

又次ノ日見レバ者、半畳ノ上ニ一茎ノ蓮華生ゼリ。見テ↢此等ノ相ヲ↡、弟子怪テ問ニ↠師ニ、答曰、我入↢水輪三昧ニ↡時ハ成↠水ト、入↢火輪三昧↡時ハ成↠火、入↢蓮華三昧↡時ハ化成↢蓮華ト↡也。又現ニ往↢生スルナリト極楽世界ニ↡也云キ 矣。

しかればまさしくこの ¬経きょう¼ の説せつのごとく、 あまねく往おう生じょうの観かんを修しゅ習じゅうせずといへども現身げんしんに極楽ごくらくに詣もうずることあり、 いかにいはんや平生へいぜいに往おう生じょう観かんを凝こらすをや。 かの上しょう人にんは真言しんごん宗しゅうの人ひとなり 云々。

然バ者正ク如ク↢此ノ¬経ノ¼説ノ↡、雖↠不ト↣遍ク修↢習セ往生ノ観ヲ↡而有リ↢現身詣ルコト↢極楽ニ↡、何況ヤ平生ニ凝ヲヤ↢往生観ヲ↡也。彼ノ上人ハ真言宗ノ人ナリ 云云。

また唐とう土どの明みょう胆たんといふ人ひとは、 十じゅう三観さんがんのなかに日想にっそうより普ふ往おう生じょう観かんに至いたるまで、 十じゅう二に観かん成じょう就じゅしたる人ひとなり。 われらがごとき観かんぜんと欲ほっせば、 かならず成じょう就じゅすべきなり。 すなはちこの ¬経¼ (観経) にいはく、 「無む量りょう寿仏じゅぶつ身しん量りょう無む辺へん、 非是ひぜ凡ぼん夫ぶ心力しんりき処しょ及ぎゅう。 然ねん彼ひ如来にょらい宿しゅく願力がんりき故こ、 有う憶想おくそう者しゃ必得ひっとく成じょう就じゅ」 と。 云々

又唐土ノ明胆ト云人ハ、十三観ノ中ニ自↢日想↡至マデ普往生観↡、十二観成就シタル人也。如キ↢我等↡欲バ↠観ント者、必可↢成就↡也。即此ノ¬経ニ¼云ク、「▲無量寿仏身量無辺、非是凡夫心力処及。然彼如来宿願力故、有憶想0131者必得成就。」 云云

・第二七日 観経 定散二善 定善 雑想観

次つぎに雑想ざっそう観かんとは、 かの仏ぶつの六ろく十じゅう万億まんおく那由他なゆた恒ごう河が沙しゃ由ゆ旬じゅんの大だい身しん量りょうを縮ちぢめて、 丈じょう六ろく八はっ尺しゃくの小しょう身しんの有様ありさまを観かんずるなり。 これはこれ十じゅう三さんの定じょう善ぜんなり。

次ニ雑想観トハ者、縮↢彼仏六十万億那由他恒河沙由旬ノ之大身量ヲ↡、観ズル↢丈六八尺之小身之有様↡也。此ハ是十三之定善ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善

次つぎに散善さんぜんとは、 三福さんぷく九く品ぼんなり。 ただし天台てんだい等とうの意こころは、 十じゅう三観さんがんの上うえに九く品ぼんの三輩さんぱい観かんを加くわへて、 十じゅう六ろく想観そうかんと名なづく。 いま定じょう散さん二に善ぜんを分わかちて十じゅう三さんを定じょう善ぜんと名なづけ、 三福さんぷく九く品ぼんを散善さんぜんと名なづくるは、 善導ぜんどう一いっ師しの御おん意こころなり。

次ニ散善ト者、三福九品也。○但シ天臺等ノ意ハ、十三観ノ上ニ加テ↢九品ノ之三輩観ヲ↡、名ク↢十六想観ト↡。今分テ↢定散二善ヲ↡而十三ヲ名ケ↢定善ト↡、三福九品ヲ名クルハ↢散善ト↡者、善導一師ノ御意ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 孝養父母

▽まづ三福さんぷくとは、 「一いちには孝きょう養よう父母ぶも」 (観経) とは、 世せ間けんの孝きょう養ようあり出しゅっ世せの孝きょう養ようあり。 世せ間けんの孝きょう養ようとは、 俗書ぞくしょ (孝経) にいはく、 「身みを立たてて道どうを行おこなひて、 名なを後世こうせいに揚あげて、 もつて父母ぶもを顕あらわすは、 孝こうの終おわりなり」 と申もうして、 世よにおいて名めい誉よあるに好よき者ひとかな、 これは某なにがしが子こぞといはるるをもつて、 孝きょう養ようの極きわまりとするなり。 出しゅっ世せの孝きょう養ようとは、 父母ぶもを勧すすめて菩ぼ提だいの道どうに入いる、 これ真実しんじつの孝きょう養ようなり。

先ヅ三福トハ者、「一ニハ孝養父母」者、有リ↢世間ノ孝養↡有リ↢出世ノ孝養。世間ノ孝養トハ者、俗書ニ云、「立テ↠身行テ↠道、揚テ↢名ヲ後世ニ↡、以顕ハ↢父母ヲ↡、孝ノ終リ也ト」申シテ、於↠世ニ有ニ↢名誉↡而以テ↢好ヨキ者ヒト哉カナ、是ハ某ガ子ゾト被ルヲ↠云ハ、為↢孝養ノ極ト↡也。出世孝養トハ者、勧テ↢父母ヲ↡入ル↢菩提ノ道ニ↡、是真実ノ孝養也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 奉事師長

▽次つぎに 「奉事ぶじ師し長ちょう」 とは、 (浄信誡観巻下) 「父母ぶもは七しち生しょう、 師し僧そうは累劫るいこう」 といひて師しの恩おんは父母ぶもの恩おんにも勝まさるなり。 しかれば雪山せっせん童どう子じの半はん偈げを聞ききし、 身みを投なげて羅ら刹せつの恩おんを報ほうじ、 常じょう啼たい菩ぼ薩さつの般若はんにゃを求もとめし、 身みを割さきて曇どん無む竭かつ菩ぼ薩さつに供く養ようしき。

次ニ「奉事師長トハ」者、云テ↢「父母ハ七生、師僧ハ累劫」↡而師ノ恩ハ勝ル↢父母ノ恩ニモ↡也。然者雪山童子ノ之聞シ↢半偈ヲ↡、投テ↠身ヲ而報ジ↢羅刹ノ恩ヲ↡、常啼菩薩ノ之求シ↢般若ヲ↡、割テ↠身ヲ供↢養シキ曇無竭菩薩ニ↡。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 慈心不殺修十善業

▽次つぎに 「慈じ心しん不ふ殺せつ修しゅ十じゅう善業ぜんごう」 (観経) とは 云々。

次ニ「慈心不殺修十善業トハ」者 云云。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 受持三帰

▽「二に者しゃ受じゅ持じ三さん帰き」 とは 云々。

「二者受持三帰トハ」者 云云。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 具足衆戒

▽次つぎに 「具ぐ足そく衆戒しゅかい」 とは、 これに大だい乗じょう戒かいあり小乗しょうじょう戒かいあり。 小乗しょうじょうは、 僧そうの戒かいは二に百ひゃく五ご十戒じっかいなり、 尼にの戒かいは五ご百ひゃく戒かいなり。 大だい乗じょうは、 七衆しちしゅ通つうじて十重じゅうじゅう・四し十じゅう八はち軽きょうの五ご十じゅう八戒はちかいを受うくるなり。

次ニ「具足衆戒トハ」者、此ニ有↢大乗戒↡有↢小乗戒↡。小乗者、僧ノ戒ハ二百五十戒也、尼ノ戒ハ者五百戒也。大乗者、七衆通ジテ受ル↢十重・四十八軽ノ之五十八戒ヲ↡也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 不犯威儀

▽次つぎに 「不ふ犯ぼん威儀いぎ」 とは、 戒かいにつきて軽きょうを威儀いぎと名なづけ、 重じゅうを戒かいと名なづく。 大だい乗じょうには八万はちまんの威儀いぎ、 小乗しょうじょうは三千さんぜんの威儀いぎなり。

次ニ「不犯0132威儀トハ」者、付テ↠戒ニ軽ヲ名ケ↢威儀↡、重ヲ名ク↠戒ト也。大乗ニハ八万威儀、小乗ハ三千ノ威儀ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 発菩提心

▽次つぎに 「発ほつ菩ぼ提心だいしん」 とは、 諸しょ宗しゅうの意こころ不ふ同どうなり。 いま浄じょう土ど宗しゅうの菩ぼ提心だいしんとは、 まづ浄じょう土どに往おう生じょうして、 一切いっさい衆しゅ生じょうを度どし、 一切いっさいの煩悩ぼんのうを断だんじ、 一切いっさいの法門ほうもんを悟さとり、 無む上じょう菩ぼ提だいを証しょうせんと欲ほっする心しんなり。

次ニ「発菩提心トハ」者、諸宗ノ意不同也。今浄土宗ノ菩提心ト者、先往↢生シテ浄土ニ↡、欲スル↧度シ↢一切衆生ヲ↡、断ジ↢一切ノ煩悩ヲ↡、悟リ↢一切ノ法門ヲ↡、証ント↦無上菩提ヲ↥之心ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 深信因果

▽次つぎに 「深信じんしん因いん果が」 とは、 世せ間けんの因いん果があり出しゅっ世せの因いん果があり。 世せ間けんの因いん果がとは、 すなはち六道ろくどうの因いん果がなり、 出しゅっ世せの因いん果がとは、 すなはち四し聖しょうの因いん果がなり。 一代いちだい聖教しょうぎょうの所説しょせつ、 この六道ろくどう四し聖しょうの因いん果がを出いでず。 このゆゑに一代いちだいの説せっ教きょう、 しかしながらこの一いっ句くに摂せっするなり。

次ニ「深信因果トハ」者、有リ↢世間ノ因果↡有リ↢出世ノ因果↡。世間ノ因果トハ者、即六道ノ因果也、出世ノ因果トハ者、即四聖ノ因果ナリ也。一代聖教ノ所説、不↠出↢此ノ六道四聖ノ因果ヲ↡。是ノ故ニ一代ノ説教、併ラ摂スル↢此一句ニ↡也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 読誦大乗

▽次つぎに 「読誦どくじゅ大だい乗じょう」 とは、 通つうじて一切いっさいの顕密けんみつの諸しょ大だい乗じょう経きょうを指さす、 別べっして一いち両りょうの経きょうを読誦どくじゅするにはあらず。 読誦どくじゅは、 五ご種しゅの法ほっ師しのなかには二にを挙あげ余よの三さんを顕あらわし、 十種じっしゅ法ほっ師しのなかには、 二に種しゅ法ほっ師しを出いだして余よの八種はっしゅの法ほう行ぎょうを明あかすなり。 しかれば顕密けんみつの一切いっさいの大だい乗じょうにおいて、 受じゅ持じ・読誦どくじゅ・解げ説せつ・書写しょしゃする等とう、 みなこれ往おう生じょうの業ごうなり。 小乗しょうじょうを読誦どくじゅするは、 往おう生じょうの業ごうにはあらず。 また ¬中ちゅう辺論へんろん¼ (意) にいはく、 「十種じっしゅ法ほう行ぎょうを施せすることは、 ただ大だい乗じょうに限かぎる」 と。 云々 この ¬経きょう¼ (観経) の意こころ、 またこの 「読誦どくじゅ大だい乗じょう」 の一いっ句くに諸しょ大だい乗じょう経きょうを摂せっするなり。

次ニ「読誦大乗トハ」者、通ジテ指ス↢一切ノ顕密ノ諸大乗経ヲ↡、非ズ↣別シテ読↢誦スルニハ一両ノ経ヲ↡。読誦ハ、五種ノ法師ノ中ニハ挙↠二ヲ顕シ↢余ノ三ヲ↡、十種法師ノ中ニハ、出シテ↢二種法師ヲ↡明ス↢余ノ八種ノ法行ヲ↡也。然バ者於テ↢顕密ノ一切ノ大乗ニ↡、受持・読誦・解説・書写スル等、皆是 レ往生ノ業ナリ也。読↢誦ハ小乗ヲ↡、非↢往生ノ業ニハ↡。又¬中辺論ニ¼云ク、「施コトハ↢十種法行ヲ↡者、但限ト↢大乗ニ↡。」 云云 此ノ¬経ノ¼意、又此ノ「読誦大乗ノ」一句ニ摂スルナリ↢諸大乗経ヲ↡也。

しかれば華け厳ごん・般若はんにゃ・方等ほうどうの諸しょ経きょう、 法ほっ華け・涅ね槃はんみなこの句くのなかに摂せっすべし。 ただ顕けんのみにあらず、 密みっ教きょうもまたしかなり。 ¬大日だいにち経きょう¼ も ¬金剛こんごう頂経ちゅきょう¼ も乃ない至し諸尊しょそんの別法べっぽうも、 みなことごとくこのなかに摂せっす。 ¬貞元ていげん入にゅう蔵ぞうの録ろく¼ に顕密けんみつつぶさに大だい乗じょうの目録もくろくに入いれたるなり。 恵え心しんの僧そう都ずの ¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ にも往おう生じょうの行ぎょうに二に門もんを立たつるに、 はじめには念仏ねんぶつ往おう生じょう、 次つぎには諸しょ行ぎょう往おう生じょうなり。 念仏ねんぶつ往おう生じょうをば五ご念ねんの行ぎょうをもつてこれを釈成しゃくじょうし、 諸しょ行ぎょう往おう生じょうの篇へんには十じゅう三さんの観かん行ぎょうを挙あげたり。 そのなかにすなはち 「読誦どくじゅ大だい乗じょう」 あり。

然バ者華厳・般若・方等ノ諸経、法華・涅槃皆可↠摂ス↢此ノ句ノ中ニ↡。非ズ↢啻顕ノミニ↡、密教モ又爾ナリ。¬大日経モ¼¬金剛頂経モ¼乃至諸尊ノ別法モ、皆悉ク摂ス↢此ノ中ニ↡。¬貞元入蔵ノ録ニ¼顕密倶ニ入タル↢大乗ノ目録ニ↡也。恵心ノ僧都ノ¬往生要集ニモ¼往生ノ行ニ立ニ↢二門ヲ↡、初ニハ念仏往生、次ニハ諸行往生ナリ。念仏往生ヲバ以↢五念0133ノ行ヲ↡釈↢成シ之↡、諸行往生ノ篇ニハ挙タリ↢十三ノ観行↡。其ノ中ニ即有↢「読誦大乗」↡。

また (要集巻下) 「往おう生じょうの行ぎょう業ごう、 総そうじてこれをいはば、 ¬梵網ぼんもう¼ の戒品かいぼんを出いでず」 といへり。 これに准じゅんじてこれを思おもふに、 往おう生じょうの行ぎょう業ごうこの ¬経きょう¼ の三福さんぷくの業ごうをば出いでず。 ¬梵網ぼんもう¼ の戒品かいぼんといふも、 すなはち具ぐ足そく衆戒しゅかいの一いっ句くなり。 そのなかになほ大だい乗じょう戒かいばかりなり。 この 「読誦どくじゅ大だい乗じょう」 の句くのなかに一切いっさいを摂せっするのみにあらず、 いふところの 「具ぐ足そく衆戒しゅかい」 の句くのなかにも、 「深信じんしん因いん果が」 の句くのなかにも、 「受じゅ持じ三さん帰き」 の句く、 「発ほつ菩ぼ提だい心しん」 の句く、 一々いちいちにみな一代いちだいの聖教しょうぎょうを摂せっし、 一切いっさいの万まん行ぎょうを摂せっしたり。

又云ヘリ↢「▲往生ノ行業、総ジテ而言バ↠之、不ト↟出デ¬梵網ノ¼戒品ヲ↡。」准ジテ↠之思ニ↠之、往生ノ行業不↠出↢此ノ¬経ノ¼三福ノ業ヲバ↡矣。云モ↢¬梵網¼戒品ト↡、則具足衆戒之ノ一句也。其ノ中ニ猶大乗戒許バカリ也。非↣此ノ「読誦大乗ノ」句ノ中ニ摂ノミニ↢一切ヲ↡、所ノ↠言「具足衆戒ノ」句ノ中ニモ、「深信因果ノ」句ノ中ニモ、「受持三帰ノ」句、「発菩提心ノ」句、一一ニ皆摂シ↢一代ノ聖教ヲ↡、摂タリ↢一切ノ万行ヲ↡。

この ¬経きょう¼ をもつて諸しょ経きょうを尋たずぬれば、 ¬華け厳ごん経ぎょう¼ は八はち十じゅう・六ろく十じゅうの華け厳ごんには往おう生じょう浄じょう土どを説とかず。 ¬四し十じゅう華け厳ごん¼ の普ふ賢げん十じゅう願がんのなかにこれを説とく。 ¬法華ほけ経きょう¼ には 「薬王やくおう品ぼん」 に 「即住そくおう安楽あんらく世せ界かい」 と説とけり。 これらは二に度ど往おう生じょうを説とくなり。 しかるゆゑは、 この ¬観かん経ぎょう¼ に総そうじて諸しょ大だい乗じょう経きょうを受じゅ持じ読誦どくじゅして往おう生じょうすといふ事ことを説とく時ときに、 ¬華け厳ごん¼・¬法ほっ華け¼ を受じゅ持じしても往おう生じょうすべしといふ事こと顕あらわれたるうへ、 別べっしておのおのの経きょうのなかに説とくはすなはち二度にど説とくなり。 ¬大だい般若はんにゃ¼ には往おう生じょうを説とかずといへども、 この ¬観かん経ぎょう¼ の説せつによりて、 かの ¬経きょう¼ を読誦どくじゅしても往おう生じょうするなり。 すなはち唐とう土どに常じょう敏びんといふ人ひとあり、 宣せん旨じを申もうして、 ¬大だい般若はんにゃ¼ を勧すすめて書写しょしゃして往おう生じょうを遂とぐといふ事ことの候そうろふなり。 余よのもろもろの大だい乗じょう経きょうをもこれに准じゅんじて知しるべし。

以↢此¬経ヲ¼↡尋レバ↢諸経ヲ↡者、¬華厳経ハ¼八十・六十ノ華厳ニハ不↠説↢往生浄土ヲ↡。¬四十華厳ノ¼普賢十願ノ中ニ説ク↠之ヲ。¬法華経ニハ¼「薬王品ニ」説ケリ↢「即住安楽世界ト」。此等ハ二度説ナリ↢往生ヲ↡也。然ル故ハ者、此¬観経ニ¼総ジテ説ク↧受↢持読↣誦シテ諸大乗経ヲ↡而往生スト云事ヲ↥時ニ、受↢持シテモ於¬華厳¼・¬法華ヲ¼↡可ト云コト↢往生↡事顕タル上、別シテ各各ノ経ノ中ニ説ハ則二度説クナリ也。¬大般若ニハ¼雖↠不ト↠説↢往生ヲ↡、依テ↢此ノ¬観経ノ¼説ニ↡、読↢誦シテモ彼ノ¬経ヲ¼↡往生スル也。即唐土ニ有↢常敏ビント云人↡、申シテ↢宣旨ヲ↡、勧テ↢¬大般若ヲ¼↡書写シテ遂グ↢往生ヲ↡云事ノ候也。余ノ諸ノ大乗経ヲモ准テ↠之ニ可↠知ル。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 勧進行者

▽次つぎに 「勧進かんじん行ぎょう者じゃ」 (観経) とは、 聖しょう道どう・浄じょう土ど二に門もんの勧進かんじんあり。 浄じょう土ど宗しゅうの意こころ、 一代いちだい諸しょ教きょう・諸しょ宗しゅうの法門ほうもん、 この聖しょう道どう・浄じょう土どの二に門もんを出いでず。 八はっ宗しゅう・九く宗しゅうはすなはち聖しょう道どう門もんなり、 いまわが往おう生じょう浄じょう土どの法門ほうもんはすなはち浄じょう土ど門もんなり。 しかればこの二に門もんにつきて、 おのおの行ぎょう者じゃあるべし。 いはく聖しょう道どうの行ぎょう者じゃ、 浄じょう土どの行ぎょう者じゃなり。 かれをもこれをも勧すすめんは、 みな勧進かんじん行ぎょう者じゃなり。 ただし小乗しょうじょう戒かいを勧進かんじんしては、 往おう生じょうを得えがたきか。 浄じょう土どを勧すすむれば、 いま少すこしき往おう生じょうの便たよりあるべきか。

次ニ「勧進行者トハ」者、有↢聖道・浄土二門ノ勧進↡。浄土宗ノ意、一代諸教・諸宗ノ法門、不↠出↢此ノ聖道・浄土ノ二門ヲ↡。八宗・九宗ハ則聖道門ナリ也、今我ガ往生浄土ノ法門ハ則浄土門ナリ也。然バ者就↢此ノ二門ニ↡、各可0134シ↠有ル↢行者↡。謂ク聖道ノ之行者、浄土ノ行者也。勧メンハ↢彼ヲモ此ヲモ↡、皆勧進行者也。但勧進シテハ↢小乗戒ヲ↡、難↠得↢往生ヲ↡歟。勧レバ↢浄土ヲ↡、今少キ可↠有ル↢往生ノ便リ↡歟。

房翥ぼうしょといふ人ひとありき、 一人いちにんを勧すすめて念仏ねんぶつを修しゅせしめ、 その人ひとその念仏ねんぶつの力ちからによりて往おう生じょうを遂とぐ。 しかるあひだ房翥ぼうしょ臨りん終じゅうして、 閻えん魔まの庁ちょうにおいて善悪ぜんあくを判はんぜられし刻ときに、 この勧進かんじんの功く徳どくによりてすなはち閻えん魔まの庭にわより往おう生じょうしたりといふ事こと候そうろふなり。 三福さんぷくの業ごう、 略りゃくを存ぞんずるにかくのごとし。

有リキ↢房翥ト云人↡、勧メテ↢一人ヲ↡令↠修↢念仏ヲ↡、其ノ人依テ↢其ノ念仏ノ力ニ↡遂↢往生ヲ↡矣。然ル間房翥臨終シテ、於↢閻魔ノ庁ニ↡被↠判↢善悪↡之刻トキニ、依テ↢此勧進ノ功徳ニ即自↢閻魔之庭↡往生シタリト云事候ナリ也。三福ノ業、存↠略如シ↠斯。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 上品上生

次つぎに九く品ぼんとは、 まづ上じょう品ぼん上生じょうしょうとは、 はじめに (観経) 「具ぐ三心さんしん者しゃ必ひっ生しょう彼ひ国こく」 と説とき、 次つぎ (観経) に 「又う三種さんしゅ衆しゅ生じょう当得とうとく往おう生じょう」 と説とけり。

次九品トハ者、先上品上生トハ者、初ニ説↢「▲具三心者必生彼国ト」↡、次ニ説ケリ↢「▲又三種衆生当得往生ト」↡。

三心さんしんとは、 善導ぜんどう和か尚しょうの御おん意こころ、 別べつの行ぎょう業ごうにあらず、 総そうじて往おう生じょうの法則ほうそくなり。 文もんは上上じょうじょうに在ありといへども、 義ぎは下下げげに通つうずべし。 ただし三心さんしんの浅深せんじんに随したがひて、 九く品ぼんの階かい位いあるべきなり。 しかれば始はじめ上上じょうじょう品ぼんより終おわり下下げげ品ぼんに至いたるまで、 三心さんしんを具ぐ足そくして、 かならず往おう生じょうすることを得う。 ゆゑに (礼讃) 「若少にゃくしょう一心いっしん即そく不ふ得とく生しょう」 といへり。 ただし天台てんだい等とうの諸しょ師しの意こころはしからず。

三心トハ者、善導和尚ノ御意、非↢別ノ行業ニ↡、総ジテ往生ノ法則ナリ也。文ハ雖↠在ト↢上上ニ↡、義ハ可シ↠通↢下下ニ↡。但随テ↢三心ノ浅深ニ↡、可↠有ル↢九品ノ階位↡也。然バ者始自リ↢上上品↡終リ至マデ↢下下品ニ↡、具↢足シテ三心ヲ↡、必得↢往生スルコトヲ↡。故ニ云ヘリ↢「▲若少一心即不得生ト」↡。但天臺等ノ諸師ノ意ハ不↠爾矣。

三種さんしゅの衆しゅ生じょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「一いちには慈じ心しんにして殺ころさず、 もろもろの戒かい行ぎょうを具ぐす。 二にには大だい乗じょう方等ほうどう経きょう典てんを読誦どくじゅす。 三さんには六念ろくねんを修しゅ行ぎょうす」 と。 云々

三種衆生トハ者、¬経ニ¼云ク、「▲一ニハ者慈心ニシテ不殺、具↢諸ノ戒行ヲ↡。二ニハ者読↢誦大乗方等経典ヲ↡。三ニハ者修↢行ス六念ヲ↡。」 云云

善導ぜんどう (玄義分意) これを釈しゃくしていはく、 「一いちはただよく戒かいを持たもち慈じを修しゅす。 二には戒かいを持じすること慈じを修しゅすることあたはざれども、 ただよく大だい乗じょうを読誦どくじゅするなり。 三さんは持じ戒かい・読どく経きょうにあたはざれども、 ただよく仏法ぶっぽう僧そうを念ねんずるなり。 この三人さんにんおのおのおのが業ごうをもつて心こころを励はげまして、 一日いちにち一いち夜や乃ない至し七日しちにち七しち夜や勇ゆう猛みょうに勤ごん行ぎょうすれば、 かならず上じょう品ぼん上生じょうしょうに生しょうず。 これ仏ぶつ滅めつ後ごの大だい乗じょう極善ごくぜんの上じょう品ぼん凡ぼん夫ぶなり。 日数にっしゅ少すくなしといへども、 修しゅ業ごうの時じ節せつ猛はげしきがゆゑなり。」 云々 かの三種さんしゅの業ごうは一人いちにんしてみな行ぎょうずべきにはあらず、 おのおの一ひとつ一ひとつ行ぎょうずべきなり。 その旨むねこの釈しゃくにあきらかなり。

善導釈シテ↠之ヲ言ク、「▲一ハ但能ク持チ↠戒ヲ修ス↠慈ヲ。二ハ不レドモ↠能↢持スルコト↠戒ヲ修コト↟慈ヲ、但能読↢誦スル也大乗ヲ↡。三ハ不レドモ能↢持戒・読経ニ↡、但能ク念↢仏法僧ヲ↡也。◆此ノ之三人各オノ以テ↢己ガ業ヲ↡励シテ↠心ヲ、一日一夜乃至七日七夜勇猛ニ勤行スレバ者、必生ズ↢上品上生ニ↡。▲是 レ仏滅後ノ大乗極善ノ上品凡夫ナリ。日0135数雖↠少ト、修業ノ時節猛ハゲシキガ故也。」 云云 彼ノ三種ノ業ハ非↢一人シテ皆可ニハ↟行、各一ツ一可↠行ズ也。其ノ旨此ノ釈ニ明ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 上品中生

次つぎに上じょう品ぼん中生ちゅうしょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) に「善ぜん解げ義ぎ趣しゅ、 於お第一だいいち義ぎ、 心しん不ぷ驚きょう動どう、 深信じんしん因いん果が、 不ふ謗ほう大だい乗じょう」 と説とく、 これすなはち理り観かんの往おう生じょうなり。 諸しょ宗しゅうの理り観かんその義ぎ不ふ同どうなり。 天台てんだい宗しゅうには一心いっしん三観さんがん、 真言しんごん宗しゅうには阿字あじ本ほん不ふ生しょう、 法相ほっそう宗しゅうには五ご重じゅう唯識ゆいしき、 三論さんろん宗しゅうには勝しょう義ぎ皆空かいくうなり。 しかればおのおの宗しゅうに随したがひて理り観かんを修しゅするもの、 往おう生じょうを遂とぐべきなり。

次ニ上品中生トハ者、¬経ニ¼説↢「▲善解義趣、於第一義、心不驚動、深信因果、不謗大乗ト」↡、是則理観ノ往生也。諸宗ノ理観其ノ義不同也。天臺宗ニハ一心三観、真言宗ニハ阿字本不生、法相宗五重唯識、三論宗ニハ勝義皆空也。然バ者各随テ↠宗ニ修ル↢理観ヲ↡者 ノ、可↠遂グ↢往生ヲ↡也。

いましばらく善導ぜんどうの御おん意こころによらば、 ただよく善ぜん解げしていまだその行ぎょうを論ろんぜず、 かならずしも観かんを修しゅすべしとは見みえず、 ただ大だい乗じょう空くうの義ぎをよく意こころ得えたるばかりなり。 すなはちその釈しゃく (散善義) にいはく、 「善よく大だい乗じょう空くうの義ぎを解げす。 あるいは諸法しょほうは一切いっさい皆空かいくうなり、 生しょう死じ無為むいもまた空くうなり、 凡ぼん聖しょう明みょう闇あんもまた空くうなり、 世せ間けんの六道ろくどう、 出しゅっ世せ間けんの三賢さんげん・十じっ聖しょう等とうも、 もしその体たい性しょうに望のぞむれば畢ひっ竟きょう不二ふになりと聴ちょう聞もんせんに、 この説せつを聞きくといへども、 その心こころ怛然こうねんとして疑ぎ滞たいを生しょうぜずとなり。」 云々 また (散善義) 「深ふかく世せ出しゅっ世せの苦く楽らく二に種しゅの因いん果がを信しんじ、 およびもろもろの道どう理りにおいて疑ぎ謗ほうを生しょうぜず」 といへり。 云々

今且ク依バ↢善導ノ御意ニ↡者、但能善解シテ未↠論ゼ↢其ノ行ヲ↡、不↠見ヘ↢必シモ可トハ↟修↠観ヲ、但大乗空ノ義ヲ能得タル↠意許リナリ也。即其ノ釈ニ云ク、「▲善ク解↢大乗空ノ義ヲ↡。或ハ聴↧聞ンニ諸法ハ一切皆空ナリ、生死無為モ亦空ナリ、凡聖明闇モ亦空ナリ、世間ノ六道、出世間ノ三賢・十聖等モ、若望レバ↢其体性ニ畢竟不二ナリト↥、雖↠聞ト↢此ノ説↡、其ノ心怛カウタン然トシテ不ト↠生↢疑滞ヲ↡也。」云云 又云ヘリ↧「▲深ク信ジ↢世出世ノ苦楽二種ノ因果↡、及ビ諸ノ道理ニヲイテ不ト↠生↢疑謗↡。」 云云

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 上品下生

次つぎに上じょう品ぼん下げ生しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) に 「但発たんほつ無む上じょう道心どうしん」 と説とけり、 これ菩ぼ提だい心しんの往おう生じょうなり。 菩ぼ提だい心しんにつきて、 諸しょ宗しゅうの所しょ立りゅうまた不ふ同どうなり。 天台てんだいには蔵ぞう・通つう・別べつ・円えんの四し教きょうの菩ぼ提だい心しんあり、 真言しんごんには行ぎょう願がん・勝しょう義ぎ・三さん摩地まじの三種さんしゅの菩ぼ提だい心しんあり、 三論さんろん・法相ほっそう・華け厳ごん・達だつ磨ま、 みなおのおの菩ぼ提だい心しんあり。

次ニ上品下生トハ者、¬経ニ¼説ケリ↢「▲但発無上道心ト」↡、是 レ菩提心ノ往生也。就テ↢菩提心ニ↡、諸宗ノ所立又不同也。天臺ニハ有↢蔵・通・別・円四教ノ菩提心↡、真言ニハ有↢行願・勝義・三摩地之三種ノ菩提心↡、三論・法相・華厳・達磨、皆各有↢菩提心↡。

善導ぜんどうの御おん意こころ (散善義意) は、 「まづ浄じょう土どに生しょうじて、 菩ぼ薩さつの大だい悲ひ願がん行ぎょうを満みてて後のち、 還かえりて生しょう死じに入いり、 あまねく衆しゅ生じょうを度どせんと欲ほっす。 この心しんを菩ぼ提だい心しんと各なづく」 と。云々

善導ノ御意ハ、「▲先生ジテ↢浄土ニ↡、満テ↢菩薩ノ大悲願行ヲ↡之後、還テ入リ↢生死ニ↡、欲ス↣遍0136ク度↢衆生ヲ↡。此ノ心ヲ各クト↢菩提心ト↡。」 云云

この上じょう品ぼんの三さん生しょうは大だい乗じょうの善人ぜんにんなり。 次つぎに中ちゅう品ぼんの三さん生しょうとは、 小乗しょうじょうの善人ぜんにんなり。

此ノ上品ノ三生ハ大乗ノ善人ナリ也。次ニ中品ノ三生トハ者、小乗ノ善人ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 中品上生

まづ中ちゅう品ぼん上生じょうしょうとは、 (観経) 「受じゅ持じ五ご戒かい、 持じ八戒はっかい・八斎はっさい戒かい、 修しゅ行ぎょう諸戒しょかい不ふ造ぞう五ご逆ぎゃく、 無む衆しゅ過か患げん」 と説とけり、 これ小乗しょうじょう持じ戒かいの人ひとなり。

先ヅ中品上生トハ者、説ケリ↢「▲受持五戒、持八戒・八斎戒、修行諸戒不造五逆、無衆過患ト」↡、是 レ小乗持戒ノ人也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 中品中生

次つぎに中ちゅう品ぼん中生ちゅうしょうとは、 (観経) 「若にゃく一日いちにち一いち夜や受じゅ持じ八戒はっかい斎さい、 若にゃく一日いちにち一いち夜や持じ沙しゃ弥み戒かい、 若にゃく一日いちにち一いち夜や持じ具ぐ足そく戒かい、 威儀いぎ無む欠けつ」 と説とけり、 これ一日いちにち一いち夜やの持じ戒かいなり。

次ニ中品中生トハ者、説ケリ↢「▲若一日一夜受持八戒斎、若一日一夜持沙弥戒、若一日一夜持具足戒、威儀無欠ト」↡、是 レ一日一夜持戒也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 中品下生

次つぎに中ちゅう品ぼん下げ生しょうとは、 (観経) 「孝きょう養よう父母ぶも行ぎょう世せ仁にん慈じ」 と説とけり、 これ世せ間けんの仁じん・儀ぎ・礼れい・智ち・信しんを行ぎょうずる人ひとなり。 在ざい生しょうの間あいだ仏法ぶっぽうに遇あはざる人ひと、 臨りん終じゅうの時とき善ぜん知ぢ識しきに遇あひて往おう生じょうするなり。

次ニ中品下生トハ者、説リ↢「▲孝養父母行世仁慈ト」↡、是 レ行ズル↢世間ノ仁・儀・礼・智・信ヲ↡人也。在生ノ之間未ル↠遇ハ↢仏法ニ↡人、臨終ノ時 キ遇テ↢善知識ニ↡往生スル也。

次つぎに下げ品ぼんの三さん生しょうとは、 悪人あくにんの往おう生じょうなり。

次ニ下品ノ三生トハ者、悪人ノ之往生ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 下品上生

まづ下げ品ぼん上生じょうしょうとは、 すなはち十じゅう悪あく軽きょう罪ざいの凡ぼん夫ぶなり。 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「或わく有う衆しゅ生じょう、 作さ衆しゅ悪業あくごう、 雖すい不ふ誹ひ謗ほう方等ほうどう経きょう典てん、 如にょ斯し愚ぐ人にん、 多た造ぞう衆悪しゅあく無有むう慚ざん愧ぎ、 命みょう欲よく終じゅう時じ、 遇ぐう善ぜん知ぢ識しき為い讃さん大だい乗じょう十じゅう二部にぶ経きょう首題しゅだい名みょう字じ。 以い聞もん如にょ是ぜ諸しょ経名きょうみょう故こ、 除じょ却きゃく千劫せんごう極ごく重じゅう悪業あくごう。 智ち者しゃ復ぶ教きょう合がっ掌しょう叉手しゃしゅ、 称しょう南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつ。 称しょう仏ぶつ名みょう故こ除じょ五ご十じゅう億劫おくこう生しょう死じ之し罪ざい」 と。 云々

先ヅ下品上生トハ者、即十悪軽罪ノ凡夫ナリ也。¬経ニ¼云、「▲或有衆生、作衆悪業、雖不誹謗方等経典、如斯愚人、多造衆悪無有慚愧、◆命欲終時、遇善知識為讃大乗十二部経首題名字。以聞如是諸経名故、除却千劫極重悪業。智者復教合掌叉手、称南無阿弥陀仏。称仏名故除五十億劫生死之罪。」 云云

衆悪しゅあくとは十じゅう悪あくを指さすなり。 無有むう慚ざん愧ぎとは、 天てんにも慚はじず、 人にんにも愧はじざるなり。 十じゅう二部にぶ経きょうとは大だい乗じょうに具ぐするなり。 小乗しょうじょうには九部くぶを結けっするなり。 首題しゅだい名みょう字じを讃さんずとは、 天台てんだいの義ぎにて意こころ得うれば、 名みょう・体たい・宗しゅう・用ゆう・教きょうの五ご重じゅう玄げん義ぎをもつて釈しゃくし聞きかするか。 これすなはち在ざい生しょうの間あいだ、 ひとへに十じゅう悪あくを造つくりていまだ仏法ぶっぽうに遇あはざる罪人ざいにんなり。 臨りん終じゅうの時ときはじめて善ぜん知ぢ識しきに遇あひて、 経きょうを聞きき仏ぶつを念ねんじて往おう生じょうするなり。

衆悪トハ者指ス↢十悪ヲ↡也。無有慚愧トハ者、不↠慚↠天ニモ、不ル↠愧↠人ニモ也。十二部経トハ者大乗ニ具也。小乗ニハ結スル↢九部ヲ↡也。讃トハ↢首題名字ヲ↡者、天臺ノ義ニテ得レバ↠意者、以テ↢名・体・宗・用・教之五重玄義ヲ↡釈シ聞キカスル歟。是 レ則在0137生ノ之間、偏ニ造テ↢十悪ヲ↡未ダ↠遇ハ↢仏法ニ↡罪人ナリ也。臨終ノ時始テ遇テ↢善知識ニ↡、聞キ↠経ヲ念ジテ↠仏而往生スル也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 下品中生

次つぎに下げ品ぼん中生ちゅうしょうとは、 すなはちこれ破は戒かい次じ罪ざいの凡ぼん夫ぶなり。 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「或わく有う衆しゅ生じょう、 毀き犯ぼん五ご戒かい・八戒はっかい及ぎゅう具ぐ足そく戒かい。 如にょ斯し愚ぐ人にん、 偸ちゅう僧そう祗ぎ物もつ、 盗とう現前げんぜん僧物そうもつ、 不ふ浄じょう説法せっぽう無有むう慚ざん愧ぎ、 以い諸しょ悪業あくごう而に自じ荘しょう厳ごん。 如にょ斯し罪人ざいにん、 以い悪業あくごう故こ応おう堕だ地じ獄ごく。 命みょう欲よく終じゅう時じ、 地じ獄ごく衆しゅ火か、 一いち時じ倶至くし、 遇ぐう善ぜん知ぢ識しき以い大だい慈悲じひ為い説せつ阿あ弥陀みだ仏ぶつ十じゅう力りき威い徳とく、 広説こうせつ彼ひ仏ぶつ光こう明みょう神力じんりき、 亦やく讃さん戒かい・定じょう・慧え・解げ脱だつ・解げ脱だつ知ち見けん。 此し人にん聞もん已い除じょ八はち十じゅう億劫おくこう生しょう死じ之し罪ざい。 地じ獄ごく猛みょう火か、 化為けい清涼しょうりょう風ふう、 吹すい諸しょ天てん華げ。 華け上じょう皆かい有う化け仏ぶつ・菩ぼ薩さつ、 迎こう摂しょう此し人にん」 と。 云々

次ニ下品中生トハ者、即是 レ破戒次罪ノ凡夫ナリ也。¬経¼云、「▲或有衆生、毀犯五戒・八戒及具足戒。如斯愚人、偸僧祗物、盗現前僧物、不浄説法無有慚愧、以諸悪業而自荘厳。如斯罪人、以悪業故応堕地獄。◆命欲終時、地獄衆火、一時倶至、遇善知識以大慈悲為説阿弥陀仏十力威徳、広説彼仏光明神力、亦讃戒・定・慧・解脱・解脱知見。此人聞已除八十億劫生死之罪。地獄猛火、化為清涼風、吹諸天華。華上皆有化仏・菩薩、迎摂此人。」 云云

そもそも近来きんらいの僧そう尼にをば、 破は戒かいの僧そう・破は戒かいの尼にといふべからず。 持じ戒かい・破は戒かいを制せいすることは正しょう法ぼう・像法ぞうぼうの時ときなり。 末法まっぽうには戒かいなし、 ただ名みょう字じの比丘びくなり。 伝でん教ぎょう大だい師しの ¬末法まっぽう灯とう明みょう記き¼ にいはく、 「末法まっぽうのなかに持じ戒かいのものありとは、 これ怪異けいなり、 市いちのなかに虎とらあらんがごとし。 たれかこれを信しんずべし」 と。 云々 またいはく、 「末法まっぽうのなかには、 ただ言ごん教きょうのみありて行証ぎょうしょうなし。 もし戒法かいほうあらんには破は戒かいあるべし。 すでに戒法かいほうなし、 いづれの戒かいをか破はし、 何なにによりてかなほ破は戒かいあらん。 破は戒かいすななほなし、 いかにいはんや持じ戒かいをや」 と。 云々

○抑近来ノ僧尼ヲバ、不↠可↠云↢破戒ノ僧・破戒ノ之尼ト↡。制スルコト↢持戒・破戒ヲ↡者正法・像法ノ之時ナリ也。末法ニハ無↠戒、只名字ノ比丘ナリ也。伝教大師ノ¬末法灯明記ニ¼云、「末法之中ニ有トハ↢持戒ノ者 ノ↡者、是怪異也、如↢市ノ中ニ有ランガ↠虎。誰カ可↠信↠之。」 云云 又云、「末法之中ニハ、但有テ↢言教ノミ↡無シ↢行証↡。若シ有ランニハ↢戒法↡可↠有ル↢破戒↡。既ニ無シ↢戒法↡、破シ↢何ノ戒ヲカ↡、何ニ因テカ尚有ン↢破戒↡。破戒スラ尚無シ、何ニ況ヤ持戒ヲヤ耶。」 云云

まことに受戒じゅかいの作さ法ほう、 中ちゅう国ごくには持じ戒かいの僧そう十じゅう人にんを請しょうじて戒かい師しとし、 辺へん地じには五ご人にんを請しょうじて戒かい師しとして、 戒かいを受うくるなり。 しかるに近来きんらいは、 持じ戒かいの僧そう一人いちにんを求もとめ出いださんにも得えがたし。 しかればこれを受うけてのうへにこそ破はといふ語ことばもあるべきものなれ、 末代まつだいの近来きんらいは破は戒かいすならほなし、 ただ無む戒かいの比丘びくなりと申もうすなり。 この ¬経きょう¼ に破は戒かいを説とくことは、 正しょう像ぞうに約やくして説ときたまへるなり。

◇実ニ受戒ノ作法、中国ニハ請ジテ↢持戒ノ僧十人ヲ↡為↢戒師ト↡、辺地ニハ請ジテ↢五人ヲ↡為↢戒師ト↡、受ル↠戒ヲ也。而近来ハ、求↢出サンニモ持戒ノ僧一人ヲ↡難↠得也。然バ受テノ↠之0138上ニコソ有ル↢破ト云之語モ↡者ナレ、末代ノ近来ハ破戒スラ尚無シ、唯無戒ノ之比丘也ト申ス也。此ノ¬経ニ¼説コト↢破戒ヲ↡者、約シテ↢正像ニ↡而説タマヘル也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 下品下生

次つぎに下げ品ぼん下げ生しょうとは、 すなはち五ご逆ぎゃく重じゅう罪ざいの凡ぼん夫ぶなり。 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「或わく有う衆しゅ生じょう、 作さ不ふ善業ぜんごう五ご逆ぎゃく・十じゅう悪あく、 具ぐ諸しょ不ふ善ぜん。 如にょ此し愚ぐ人にん、 以い悪業あくごう故こ応おう堕だ悪道あくどう、 逕歴きょうりゃく多た劫こう受じゅ苦く無む窮ぐう。 如にょ此し愚ぐ人にん臨りん命終みょうじゅう時じ、 遇ぐう善ぜん知ぢ識しき種々しゅじゅ安あん慰に為い説せつ妙みょう法ほう、 教令きょうりょう念仏ねんぶつ。 此し人にん苦く逼ひつ不ふ遑おう念仏ねんぶつ。 善ぜん友ぬ告言ごうごん、 汝にょ若にゃく不ふ能念のうねん者しゃ、 応おう称しょう無む量りょう寿仏じゅぶつ。 如にょ是ぜ至し心しん、 令声りょうしょう不ふ絶ぜつ、 具ぐ足そく十じゅう念ねん称しょう南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつ、 称しょう仏ぶつ名みょう故こ、 於お念々ねんねん中ちゅう除じょ八はち十じゅう億劫おくこう生しょう死じ之し罪ざい。 命終みょうじゅう之し時じ、 見けん金こん蓮れん華げ猶如ゆうにょ日輪にちりん住じゅう其ご人前にんぜん」 と。 云々

次ニ下品下生者、即五逆重罪ノ之凡夫也。¬経ニ¼云ク、「▲或有衆生、作不善業五逆・十悪、具諸不善。◆如此愚人、以悪業故応堕悪道、逕歴多劫受苦無窮。如此愚人臨命終時、遇善知識種種安慰為説妙法、教令念仏。此人苦逼不遑念仏。善友告言、汝若不能念者、応称無量寿仏。◆如是至心、令声不絶、具足十念称南無阿弥陀仏、称仏名故、於念念中除八十億劫生死之罪。◆命終之時、見金蓮華猶如日輪住其人前。」 云云

これすなはち散善さんぜんの義ぎなり。 三福さんぷくと九く品ぼんとは同おなじものなり。 三福さんぷくを九く品ぼんに支し配はいするなり。 定じょう散さん二に善ぜん、 略りゃくしてかくのごとし。

此 レ則散善義也。三福ト九品トハ同ジ物也。三福ヲ支↢配スル九品ニ↡也。定散二善、略シテ如シ↠此ノ。

・第二七日 観経 念仏往生

次つぎに名みょう号ごうを称しょうして往おう生じょうすることを明あかすとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「仏告ぶつごう阿あ難なん、 汝にょ、 好こう持じ是語ぜご。 持じ是語ぜご者しゃ、 即そく是ぜ持じ無む量りょう寿じゅ仏ぶつ名みょう」 と。 云々 ▲善導ぜんどう (散善義) これを釈しゃくしていはく、 「仏告ぶつごう阿あ難なん汝好にょこう持じ是語ぜごより以下いげは、 まさしく弥陀みだの名みょう号ごうを付ふ属ぞくして、 遐か代だいに流る通ずうすることを明あかす。 上じょう来らい定じょう散さん両りょう門もんの益やくを説とくといへども、 仏ぶつの本願ほんがんに望のぞむれば、 意こころ衆しゅ生じょうをして一向いっこうにもつぱら弥陀みだ仏ぶつの名みなを称しょうせしむるに在あり」 と。 云々

○次ニ明↧称シテ↢名号ヲ↡往生スルコトヲ↥者、¬経ニ¼云、「▲仏告阿難、汝、好持是語。持是語者、即是持無量寿仏名。」 云云 善導釈シテ↠之云、「従↢仏告阿難汝好持是語↡已下ハ、正ク明ス↧付↢属シテ弥陀ノ名号ヲ↡、流↦通スルコトヲ於遐代ニ↥。上来雖↠説↢定散両門ノ之益ヲ↡、望レバ↢仏本願ニ↡、意 ロ在リ↣衆生ヲシテ一向ニ専ラ称ムルニ↢弥陀仏ノ名↡。」 云云

およそこの ¬経きょう¼ のなかには定じょう散さんの諸しょ行ぎょうを説とくといへども、 その定じょう散さんをもつて付ふ属ぞくせず、 ただ念仏ねんぶつの一いち行ぎょうをもつて阿あ難なんに付ふ属ぞくして未み来らいに流る通ずうす。

◇凡ソ此ノ¬経ノ¼中ニハ雖↠説ト↢定散ノ諸行ヲ↡、不↧以テ↢其ノ定散ヲ↡付属↥、但以↢念仏ノ一行ヲ↡付↢属シテ阿難ニ↡流↢通ス未来ニ↡也。

遐か代だいに流る通ずうすとは、 法滅ほうめつ百ひゃく歳さいを遙はるかとす。 すなはち末法まっぽう万年まんねんの後のち、 仏法ぶっぽうみな滅めっして三宝さんぼうの名みょう字じをも聞きかざる時とき、 ただこの念仏ねんぶつの一いち行ぎょうのみ留とどまりて百ひゃく歳さい在あるべし。 しかれば聖しょう道どうの法文もうもんもみな滅めっし、 十方じっぽう浄じょう土どの往おう生じょうもまた滅めっし、 上生じょうしょう都と率そつもまた失しっし、 諸しょ行ぎょう往おう生じょうもまた失しっしたらん時とき、 ただこの念仏ねんぶつ往おう生じょうの一門いちもんのみ留とどまりて、 その時ときなりといへども一念いちねんにかならず往おう生じょうすべし。 ゆゑにこれを指さして遐か代だいとはいふなり。 これすなはち遠おんを挙あげて近ごんを摂せっするなり。

◇流0139↢通ストハ遐代↡者、遙トス↢法滅百歳ヲ↡。即末法万年ノ後、仏法皆滅シテ不ル↠聞↢三宝ノ名字ヲモ↡之時、唯此ノ念仏ノ一行ノミ留テ百歳可↠在。然バ者聖道ノ法文モ皆滅シ、十方浄土ノ往生モ亦滅シ、上生都率モ亦失シ、諸行往生モ亦失シタラン之時、唯此ノ念仏往生ノ一門ノミ留テ、雖モ↢其ノ時ナリト↡一念ニ必可シ↢往生↡。故ニ指シテ↠之云↢遐代トハ↡也。是 レ則挙テ↠遠ヲ摂スル↠近ヲ也。

望仏もうぶつ本願ほんがんとは、 弥陀みだ如来にょらいの四し十じゅう八願はちがんのなかの十じゅう八願はちがんを指さすなり。 いま教きょう主しゅ釈しゃく尊そん、 定じょう散さん二に善ぜんの諸しょ行ぎょうを捨すてて念仏ねんぶつ一いち行ぎょうを付ふ属ぞくしたまふ事ことも、 弥陀みだの本願ほんがんの行ぎょうなるゆゑなり。

◇望仏本願トハ者、指ス↢弥陀如来ノ四十八願ノ中ノ十八願ヲ↡也。今教主釈尊、捨テヽ↢定散二善ノ諸行ヲ↡付↢属シタマフ念仏一行ヲ↡事モ、弥陀ノ本願ノ行ナル故ナリ也。

一向いっこう専せん称しょうとは、 ¬双巻そうかん経ぎょう¼ (巻下) に説とくところの三輩さんぱいの文もんのなかの 「一向いっこう専念せんねん」 を指さすなり。 一向いっこうの言ことばは、 余よを捨すつる詞ことばなり。 この ¬経きょう¼ には、 はじめには広ひろく定じょう散さんを説とくといへども、 後のちには一向いっこうに念仏ねんぶつを択えらびて付ふ属ぞくし流る通ずうしたまへるなり。 しかれば遠とおくは弥陀みだの本願ほんがんに随したがひ、 近ちかくは釈しゃく尊そんの付ふ属ぞくを稟うけんと欲ほっするものは、 一向いっこうに念仏ねんぶつの行ぎょうを修しゅして往おう生じょうを求もとむべきなり。

◇一向専称トハ者、指ス↧¬双巻経ニ¼所ノ↠説三輩ノ文ノ中ノ「一向専念ヲ」↥也。一向之言ハ、捨ル↠余ヲ之詞也。此¬経ニハ¼、初ニハ広ク雖↠説↢定散ヲ↡、後ニハ一向ニ択テ↢念仏ヲ↡付属シ流通シ給ヘルナリ也。然バ欲↧遠クハ随ヒ↢弥陀ノ本願ニ↡、近クハ稟ウケント↦釈尊ノ付属ヲ↥者 ノハ、一向ニ修シテ↢念仏ノ行ヲ↡可↠求↢往生ヲ↡也。

およそ念仏ねんぶつ往おう生じょうの諸しょ行ぎょう往おう生じょうに勝すぐれたること、 多義たぎあり。

◇凡ソ念仏往生ノ之勝ルコト↢于諸行往生ニ↡、有↢多義↡。

一いちには因いん位にの本願ほんがん。 いはく弥陀みだ如来にょらいの因いん位に、 法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつの時とき、 四し十じゅう八願はちがんを発おこして浄じょう土どを設もうけて仏ぶつにならんと願がんじたまへる時とき、 衆しゅ生じょう往おう生じょうの行ぎょうを立たてんと撰せん定じょうしたまふ時とき、 余よ行ぎょうを撰捨せんしゃしてただ念仏ねんぶつ一いち行ぎょうを撰せん定じょうして往おう生じょうの行ぎょうに立たてたまへり。 この撰せん択じゃくの願がんは、 ¬大だい阿あ弥陀みだ経きょう¼ の説せつなり。

◇一ニハ者因位ノ本願。謂ク弥陀如来ノ因位、法蔵菩薩ノ時、願タマヘル↧発シテ↢四十八願ヲ↡設ケテ↢浄土ヲ↡成ント↞仏ニ之時、立ント↢衆生往生ノ行ヲ↡撰定タマフ時、撰↢捨余行ヲ↡撰↢定シテ唯念仏一行ヲ↡而立タマヘリ↢于往生ノ行ニ↡。此ノ撰択ノ願者、¬大阿弥陀経ノ¼説也。

二にには光こう明みょう摂取せっしゅなり。 これはこれ阿あ弥陀みだ仏ぶつ因いん位にの本願ほんがんを還念げんねんして、 相好そうごうの光こう明みょうをもつて念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを摂取せっしゅし捨すてたまはずして往おう生じょうせしめたまふなり。 余よ行ぎょうのものを摂取せっしゅしたまはず。

◇二者光明摂取ナリ。此ハ是阿弥陀仏還↢念シテ因位ノ本願↡、以テ↢相好ノ之光明↡摂↢取シ念仏ノ衆生ヲ↡而不シテ↠捨タマハ令タマフ↢往生↡也。不↣摂↢取余行0140ノ者ヲ↡矣。

三さんには弥陀みだみづから (一巻本般舟経問事品意) のたまはく、 「これはこれ跋ばつ陀和だわ菩ぼ薩さつ極楽ごくらく世せ界かいに詣もうでらんには、 いづれの行ぎょうを修しゅしてかの国くにに往おう生じょうすべきと、 阿あ弥陀みだ仏ぶつに問とひたてまつりしかば、 仏ぶつ答こたへてのたまはく、 わが国くにに来らい生しょうせんと欲おもはば、 まさにわが名なを念ねんじて休く息そくすることなかるべし、 すなはち往おう生じょうすることを得えん」 と。 云々 余よ行ぎょうを勧すすめたまはず。

◇三ニハ者弥陀自言ク、「此 レハ是 レ跋陀和菩薩詣ランニハ↢極楽世界ニ↡、修シテ↢何ノ行ヲ↡可キト↣往↢生彼ノ国ニ↡、奉シカ↠問↢阿弥陀仏ニ↡者、仏答言ハク、欲バ↣来↢生我国ニ↡者、当 ベ ニシ↧念ジテ↢我ガ名↡莫ル↦休息スルコト↥、即得ント↢往生コトヲ↡。」 云云 不↠勧タマハ↢余行ヲ↡。

四しには釈しゃ迦かの付ふ属ぞく。 いはくいまこの ¬経きょう¼ に説とくところ付ふ属ぞく流る通ずうなり。 余よ行ぎょうをば付ふ属ぞくせず。

◇四ニハ者釈迦ノ付属。謂ク今此ノ¬経ニ¼所↠説付属流通也。不↣付↢属余行ヲバ↡。

五ごには諸仏しょぶつの証誠しょうじょう。 これはこれ ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ に説とくところの、 釈しゃ迦か仏ぶつ撰えらびて念仏ねんぶつ往おう生じょうの旨むねを説ときたまへば、 六方ろっぽうの諸仏しょぶつおのおの同おなじく讃さんじて、 同おなじく勧すすめて、 広こう長じょうの舌したを舒のべて、 あまねく三千さんぜん大千だいせん世せ界かいに覆おおひて証誠しょうじょうしたまへり。 これすなはち一切いっさい衆しゅ生じょうをして念仏ねんぶつ往おう生じょうは決けつ定じょうして疑うたがいなかるべしと信しんぜしめんためなり。 余よ行ぎょうをばかくのごとく証誠しょうじょうしたまはず。

◇五ニハ者諸仏ノ証誠。此ハ是 レ¬阿弥陀経ニ¼所ノ↠説、釈迦仏撰テ説タマヘ↢念仏往生ノ旨ヲ↡者、六方ノ諸仏各同讃ジテ、同勧テ、舒テ↢広長ノ舌ヲ↡、遍覆テ↢三千大千世界ニ↡而証誠タマヘリ。是 レ則為↠令↣一切衆生ヲシテ信↢念仏往生ハ決定シテ可↟無↠疑也。余行ヲバ如↠是不↢証誠↡ 矣。

六ろくには法滅ほうめつ往おう生じょう。 (礼讃) いはく 「万年まんねん三宝さんぼう滅めつ、 此し ¬経きょう¼ 住じゅう百ひゃく年ねん、 爾時にじ聞もん一念いちねん、 皆当かいとう得とく生しょう彼ひ」 と。 云々 末法まっぽう万年まんねんの後のち、 ただ念仏ねんぶつの一いち行ぎょうのみ留とどまりて、 往おう生じょうすべしといへる事ことなり。 余よ行ぎょうはしからず。

◇六者法滅往生。謂ク「▲万年三宝滅、此¬経¼住百年、爾時聞一念、皆当得生彼ト。」 云云 末法万年ノ後、唯念仏ノ一行ノミ留テ、可↢往生↡云事也。余行ハ不↠爾。

しかのみならず下げ品ぼん上生じょうしょうの十じゅう悪あくの罪人ざいにん、 臨りん終じゅうの時とき聞もん経きょうと称しょう仏ぶつとの二に善ぜんをこれを並ならべたりといへども、 化け仏ぶつ来迎らいこうして讃さんじたまふには (観経) 「汝にょ称しょう仏ぶつ名みょう故こ諸罪しょざい消しょう滅めつ。 我が来迎らいこう汝にょ」 といひて、 いまだ聞もん経きょうの事ことをば讃さんじたまはず。

◇加↠之下品上生ノ十悪ノ罪人、臨終之時聞経ト与ノ↢称仏↡之二善ヲ雖↠並タリト↠之、化仏来迎シテ而讃タマフニハ云テ↢「▲汝称仏名故諸罪消滅。我来迎汝ト」↡、未ダ↠讃タマハ↢聞経ノ之事ヲバ↡。

また ¬双巻そうかん経ぎょう¼ に三輩さんぱい往おう生じょうの業ごうを説とくなかに、 菩ぼ提だい心しんおよび起き立りゅう塔像とうぞう等とうの余よ行ぎょうを説とくといへども、 流る通ずうの処ところに至いたりて、 (大経巻下) 「其有ごう得聞とくもん彼ひ仏ぶつ名みょう号ごう、 歓かん喜ぎ踊ゆ躍やく乃ない至し一念いちねん。 当とう知ち、 此し人にん為い得とく大だい利り。 則そく是ぜ具ぐ足そく無む上じょう功く徳どく」 と讃さんじて、 余よ行ぎょうを指さして無む上じょう功く徳どくとは讃さんじたまはず。 念仏ねんぶつ往おう生じょうの旨むね、 要ようを取とることここにあり。 仰あおぎ願ねがはくは 云々。

◇又¬双巻経ニ¼説ク↢三輩往生ノ業ヲ↡之中ニ、雖↠説ト↢菩提心及ビ起立塔像等ノ之余行ヲ↡、至テ↢流通ノ処ニ↡、讃テ↢「▲其有得聞彼仏名号、歓喜踊躍乃至一念。当知、此人為得大利。則是具足無上功徳ト」↡、不↧指テ↢余行ヲ↡讃タマハ↦無上功徳トハ↥。念仏往生ノ旨、取コト↠要在↠之。仰ギ願0141クハ 云云。

・第三七日

△第三だいさん七日しちにち。 ▽阿あ弥陀みだ仏ぶつ。 ▽¬双巻そうかん経ぎょう¼・▽¬阿あ弥陀みだ経きょう¼。

・第三七日 阿弥陀仏

△それ仏ぶつの功く徳どくは百ひゃく千せん万劫まんごうの間あいだ、 昼ちゅう夜やに説とくとも窮ぐ尽じんすべからず。 これによりて教きょう主しゅ釈しゃく尊そんこの阿あ弥陀みだ仏ぶつの功く徳どくを称しょう揚ようしたてまつりたまひしにも、 要ようがなかの要ようを取とりて、 略りゃくしてこの三さん部ぶの妙みょう典でんを説ときたまへり。 仏ぶつすでに略りゃくしたまへり、 愚ぐ僧そういかんが委くわしくするに足たらん。 ただ善根ぜんごん成じょう就じゅのために、 形かたちのごとく称しょう揚ようしたてまつるべし。 阿あ弥陀みだ仏ぶつの内ない証しょう外げ用ゆうの功く徳どく無む量りょうなりといへども、 要ようを取とるに名みょう号ごうの功く徳どくにはしかず。 このゆゑにすなはちかの阿あ弥陀みだ仏ぶつ、 ことにわが名みょう号ごうをもつて衆しゅ生じょうを済さい度どし、 釈しゃ迦か大だい師しも、 多おおくかの仏ぶつの名みょう号ごうを讃さんじて未み来らいに流る通ずうしたまへり。

○夫仏ノ功徳ハ百千万劫ノ之間、昼夜ニ説トモ不↠可↢窮尽ス↡。因テ↠茲教主釈尊奉タマヒシニモ↣称↢揚シ此ノ阿弥陀仏ノ功徳ヲ↡、取テ↢要ガ中ノ之要ヲ↡、略シテ説タマヘリ↢此ノ三部ノ妙典ヲ↡。仏既ニ略シ給ヘリ、愚僧何ンガ足↠委スルニ。但シ為ニ↢善根成就ノ↡、如ク↠形ノ可シ↠奉↢称揚シ↡。阿弥陀仏ノ内証外用ノ功徳雖↢無量也ト↡、取ニ↠要ヲ不↠如カ↢名号ノ功徳ニハ↡。是ノ故ニ即彼ノ阿弥陀仏、殊ニ以↢我ガ名号ヲ↡済↢度シ衆生ヲ↡、釈迦大師モ、多讃テ↢彼ノ仏ノ名号ヲ↡流↢通タマヘリ未来ニ↡。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳

しかればいまその名みょう号ごうにつきて讃嘆さんだんしたてまつれば、 阿あ弥陀みだとはこれ天竺てんじくの梵ぼん語ごなり。 ここには翻ほんじて無む量りょう寿仏じゅぶつといひ、 または無む量りょう光仏こうぶつともいひ、 また無む辺へん光仏こうぶつ・無礙むげ光仏こうぶつ・無む対たい光仏こうぶつ・炎王えんのう光仏こうぶつ・清浄しょうじょう光仏こうぶつ・歓かん喜ぎ光仏こうぶつ・智恵ちえ光仏こうぶつ・不ふ断だん光仏こうぶつ・難なん思じ光仏こうぶつ・無む称しょう光仏こうぶつ・超ちょう日月にちがっ光仏こうぶつともいふ。 ここに知しりぬ名みょう号ごうのなかに光こう明みょうと寿じゅ命みょうとの二ふたつの義ぎを備そなへたりといふ事ことを。 かの阿あ弥陀みだ仏ぶつの一切いっさいの徳とくのなかには、 寿じゅ命みょうを本ほんとし光こう明みょう勝すぐれたるがゆゑなり。 しかればまた光こう明みょう・寿じゅ命みょうの二に徳とくを讃さんじたてまつるべし。

◇然バ者今付テ↢其ノ名号ニ↡奉バ↢讃嘆シ↡者、阿弥陀トハ者是天竺梵語也。此ニハ翻ジテ曰↢無量寿仏ト↡、▲又ハ曰↢無量光仏トモ↡、又曰↢無辺光仏・無光仏・無対光仏・炎王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智恵光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏トモ↡。是ニ知ヌ名号ノ中ニ備タリト↧光明与ノ↢寿命↡之二ノ義ヲ↥云事ヲ。彼ノ阿弥陀仏ノ一切徳ノ中ニハ、寿命ヲ為↠本ト而光明勝タルガ故也。然バ者亦可シ↠奉ル↠讃↢光明・寿命ノ二徳ヲ↡。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 無量光

まづ光こう明みょうの功く徳どくを明あかさば、 はじめに無む量りょう光こうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「無む量りょう寿仏じゅぶつ有う八万はちまん四し千せん相そう。 一々いちいち相そう、 各かく有う八万はちまん四し千せん随ずい形ぎょう好こう。 復有ぶう八万はちまん四し千せん光こう明みょう。 一々いちいち光こう明みょう、 遍へん照じょう十方じっぽう世せ界かい念仏ねんぶつ衆しゅ生じょう、 摂取せしゅ不ふ捨しゃ」 と。 云々 恵え心しん (要集巻中) これを勘かんがへていはく、 「一々いちいちの相そうのなかにおのおの▽七しち百ひゃく五ご倶く胝てい六ろっ百ぴゃく万まんの光こう明みょうを具ぐして、 熾し燃ねん赫奕かくやくたり」 と。 云々 一相いっそうより出いだすところの光こう明みょうかくのごとし、 いはんや八万はちまん四し千せんの相そうをや。 まことに算数さんじゅの及およぶところにあらず。 ゆゑに無む量りょう光こうといふ。

◇先ヅ明バ↢光明ノ功徳ヲ↡者、初ニ無量光ト者、¬経ニ¼云、「無量寿仏有八万四千相0142。一一相、各有八万四千随形好。復有八万四千光明。一一光明、遍照十方世界念仏衆生、摂取不捨。」 云云 恵心勘テ↠之云、「一一ノ相ノ中各具シテ↢七百五倶胝テイ六百万ノ光明ヲ↡、熾燃赫奕タリト。」 云云 従↢一相↡所↠出ス光明如シ↠斯ノ、況ヤ八万四千ノ相ヲヤ乎。誠ニ非↢算数ノ所ニ↟及。故ニ云↢無量光ト↡。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 無辺光

次つぎに無む辺光へんこうとは、 かの仏ぶつの光こう明みょう、 その数かずかくのごとし。 ただ無む量りょうなるのみにあらず、 照てらすところもまた辺際へんざいあることなし。 ゆゑに無む辺光へんこうといふ。

◇次ニ無辺光トハ者、彼仏ノ光明、其ノ数如↠此。非↢啻無量ナルノミニ↡、所モ↠照亦無シ↠有コト↢辺際↡。故ニ云↢無辺光ト↡。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 無礙光

次つぎに無礙むげ光こうとは、 この界かいの日月にちがつ・灯とう燭そく等とうの光ひかりのごとくんば一ひと重えなりといへども、 物ものを隔へだつればその光ひかり徹とおることなし。 もしかの仏光ぶっこう物ものに礙さへらるれば、 この界かいの衆しゅ生じょう、 たとひ念仏ねんぶつすといへども、 その光こう摂しょうを蒙こうむることを得うべからず。

◇次無光トハ者、如ンバ↢此ノ界ノ日月・灯燭等ノ光↡者雖↢一ト重エナリト↡、隔ツレバ↠物ヲ者其ノ光無シ↠徹ルコト。若シ彼ノ仏光被バ↠↠物ニ者、此界ノ衆生、設ヒ雖↢念仏スト↡、不↠可↠得↠蒙↢其ノ光摂ヲ↡。

そのゆゑはかの極楽ごくらく世せ界かいとこの娑しゃ婆ば世せ界かいとの間あいだに、 十じゅう万億まんおくの三千さんぜん大世だいせん界かいを隔へだてたり。 その一々いちいちの三千さんぜん大千だいせん世せ界かいにおのおの四し重じゅうの鉄てっ囲ち山せんあり。 いはくまず一いち四し天てん下げを囲かこめる鉄てっ囲ち山せんあり、 高たかさ須しゅ弥み山せんに斉ひとし。 次つぎに小しょう千界せんかいを囲かこめる鉄てっ囲ち山せんあり、 高たかさ第六だいろく天てんに至いたる。 次つぎに中ちゅう千界せんかいを囲かこめる鉄てっ囲ち山せんあり、 高たかさ色界しきかいの初禅しょぜんに至いたれり。 次つぎに大だい千界せんかいを囲かこめる鉄てっ囲ち山せんあり、 高たかさ第だい二に禅ぜんに至いたれり。 しかればすなはちもし無礙むげ光こうにあらずんば一いち世せ界かいなほ徹とおるべからず、 いかにいはんや十じゅう万億まんおくの世せ界かいをや。

◇其ノ故ハ彼極楽世界ト与ノ↢此娑婆世界↡之間ニ、隔タリ↢十万億ノ三千大世界ヲ↡。其ノ一一ノ三千大千世界ニ各有リ↢四重ノ鉄囲山↡。謂ク先ヅ有↧囲メル↢一四天下ヲ↡之鉄囲山↥、高サ斉シ↢須弥山ニ↡。次ニ有↧囲メル↢小千界ヲ↡之鉄囲山↥、高サ至ル↢第六天ニ↡。次ニ有↧囲メル↢中千界ヲ↡之鉄囲山↥、高サ至レリ↢色界ノ初禅ニ。次ニ有リ↧囲メル↢大千界ヲ↡之鉄囲山↥、高サ至レリ↢第二禅ニ↡。然バ則若非ンバ↢無光ニ↡者一世界尚不↠可↠徹ル、何ニ況ヤ十万億ノ世界ヲヤ耶。

しかるにかの仏ぶつの光こう明みょう、 かれこれそこばくの大だい小しょうの諸山しょせんを徹てっ照しょうして、 この界かいの念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを摂取せっしゅしたまふに障しょう礙げあることなし。 余よの十方じっぽう世せ界かいを照摂しょうしょうしたまふ事ことも、 またかくのごとし。 ゆゑに無礙むげ光こうといふ。

◇然ニ彼仏ノ光明、徹↢照シテ彼 レ此 レ若干 クノ大小ノ諸山ヲ↡、摂↢取シタマフニ此界ノ念仏ノ衆生ヲ↡無↠有コト↢障↡。照↢摂シタマフ余ノ十方世界ヲ↡事モ、亦如是。故ニ云↢無光ト↡。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 清浄光

次つぎに清浄しょうじょう光こうとは、 人にん師し釈しゃくして (述文賛巻中意) いはく、 「無む貪とんの善根ぜんごん所しょ生しょうの光ひかりなり」 と。 云々

◇次ニ清浄光トハ者、人0143師釈シテ云、「無貪ノ善根所生ノ光ナリ也。」 云云

貪とんに二にあり、 婬貪いんとん・財貪ざいとんなり。 清浄しょうじょうとは、 ただ汚穢わえ不ふ浄じょうを除じょ却きゃくするのみにあらず、 その二ふたつの貪とんを断除だんじょするなり。 貪とんを不ふ浄じょうと名なづくるがゆゑなり。 もし戒かいに約やくせば、 不ふ婬戒いんかいと不ふ慳貪けんどん戒かいとに当あたれり。 しかれば法蔵ほうぞう比丘びくの昔むかしの不ふ婬いん・不ふ慳貪けんどん所しょ生しょうの光ひかりなり。

◇貪ニ有↠二、婬貪・財貪也。清浄トハ者、非↣但除↢却スルノミ汚穢不浄ヲ↡、断↢除スル其ノ二ノ貪ヲ↡也。貪ヲ名ガ↢不浄ト↡故ナリ也。若シ約バ↠戒ニ者、当レリ↢不婬戒ト不慳貪戒トニ↡。然バ者法蔵比丘ノ昔ノ不婬・不慳貪所生之光ナリ。

ゆゑにこの光ひかりに触ふるるものは、 貪欲とんよくの罪つみを滅めっす。 もし人ひとありて、 貪欲とんよく盛さかんにして不ふ婬いん・不ふ慳貪けんどんの戒かいを持たもつことを得えずといへども、 至し心しんにもつぱらこの阿あ弥陀みだ仏ぶつの名みょう号ごうを念ねんずれば、 すなはちかの仏ぶつ無む貪とんの清浄しょうじょうの光ひかりを放はなちて照しょう触そく摂取せっしゅしたまふゆゑに、 婬貪いんとん・財貪ざいとんの不ふ浄じょうを除のぞき、 無む戒かい・破は戒かいの罪ざいけんを滅めっして、 無む貪とん善根ぜんごんの身みとなりて、 持じ戒かい清浄しょうじょうの人ひとと均ひとしきなり。

◇故ニ触↢此ノ光ニ者 ノハ、滅ス↢貪欲ノ之罪ヲ。若シ有テ↠人、貪欲盛ニシテ雖↠不ト↠得↠持コトヲ↢不婬・不慳貪ノ戒ヲ↡、至心ニ専ラ念レバ↢此ノ阿弥陀仏ノ名号ヲ↡者、即彼仏放テ↢無貪ノ清浄ノ之光ヲ↡照触摂取タマフ故ニ、除キ↢婬貪・財貪ノ之不浄ヲ↡、滅シテ↢無戒・破戒ノ之罪ヲ↡、成テ↢無貪善根ノ身ト↡、均シキ↢持戒清浄ノ人ト↡也。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 歓喜光

次つぎに歓かん喜ぎ光こうとは、 これはこれ無む瞋しんの善根ぜんごん所しょ生しょうの光ひかりなり。 久ひさしく不ふ瞋しん恚にの戒かいを持たもちて、 この光ひかりを得えたまへるゆゑに、 無む瞋しん所しょ生しょうの光ひかりといふ。 この光ひかりに触ふるるものは、 瞋しん恚にの罪つみを滅めっす。 しかれば瞋しん増ぞう盛じょうなる人ひと、 もつぱら念仏ねんぶつを修しゅすれば、 かの歓かん喜ぎ光こうをもって摂取せっしゅしたまふがゆゑに、 瞋しん恚にの罪つみ滅めっして、 忍辱にんにくの人ひとに同おなじ。 これまた前さきの清浄しょうじょう光こうの貪欲とんよくの罪つみを滅めっするがごとし。

◇次歓喜光トハ者、此ハ是 レ無瞋ノ善根所生ノ光ナリ也。久持テ↢不瞋恚ノ戒↡、得タマヘル↢此ノ光↡故ニ、云↢無瞋所生ノ光ト↡。触ルヽ↢此ノ光ニ↡者 ノハ、滅ス↢瞋恚ノ罪ヲ↡。然バ者雖↢瞋増盛ナル人ヒト、専修スレバ↢念仏ヲ↡者、以テ↢彼ノ歓喜光↡摂取タマフガ故ニ、瞋恚ノ罪滅シテ、同ジ↢忍辱ノ人ニ↡。是 レ亦如↣前ノ清浄光ノ滅スルガ↢貪欲ノ罪ヲ↡矣。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 智恵光

次つぎに智恵ちえ光こうとは、 これはこれ無痴むちの善根ぜんごん所しょ生しょうの光ひかりなり。 久ひさしく一切いっさい智恵ちえを修しゅして、 愚痴ぐちの煩悩ぼんのうを断尽だんじんして、 この光ひかりを得えたまふゆゑに、 無痴むち所しょ生しょうの光ひかりといふ。 この光ひかりはまた愚痴ぐちの罪つみを滅めっす。 しかれば無智むちの念仏ねんぶつ者しゃなりといへども、 かの智恵ちえの光ひかりをもつて照てらして摂取せっしゅしたまふゆゑに、 すなはち愚痴ぐちのとがを滅めっして、 智ち者しゃと勝しょう劣れつあることなし。 またこの光ひかりのごとく知しるべし。

◇次ニ智恵光トハ者、此ハ是 レ無痴ノ善根所生ノ光也。久ク修シテ↢一切智恵ヲ↡、断↢尽シテ愚痴ノ之煩悩ヲ↡、得タマフ↢此ノ光ヲ↡故ニ、云↢無痴所生ノ光ト。此ノ光ハ亦滅↢愚痴之罪ヲ↡。然者雖↢無智ノ念仏者ナリト↡、照シテ↢彼ノ智恵ノ光ヲ以↡摂取シタマフ故ニ、即滅シテ↢愚痴ノヲ↡、与↢智者↡無↠有コト↢勝劣↡。又如ク↢此ノ光ノ↡可↠知。

かくのごとくして十じゅう二に光こうの名なましますといへども、 要ようを取とることこれにあり。

◇如シテ↠是而雖↠有マス↢十二光ノ名↡、取コト↠要ヲ在リ↠斯ニ。

大方おおかたかの仏ぶつの光こう明みょうの功く徳どくのなかには、 かくのごとくの義ぎを備そなふるなり。 こまかに明あかさば多た種しゅあるべし。 大おおきに分わかちて二にあり。 いはく一いちには常じょう光こう、 二にには神通じんずう光こうなり。

◇大0144方 タ彼仏ノ光明ノ之功徳ノ中ニハ、備ナリ↢如ノ↠是義ヲ↡。細カニ明バ者可↠有ル↢多種↡。大ニ分テ有↠二。謂ク一ニハ常光、二ニハ神通光ナリ也。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 常光

はじめに常じょう光こうとは、 諸仏しょぶつの常じょう光こう、 おのおの意い楽ぎょうに随したがひて、 遠近おんごん・長じょう短たんあり。 あるいは (金光明疏巻四本蓮華喩品) 「常じょう光こう、 面各めんかく一尋いちじん相そう」 といへり。 釈しゃ迦か仏ぶつの常じょう光こうのごとき、 これなり。 あるいは七しち尺しゃくを照てらし、 あるいは一いち里りを照てらし、 あるいは一いち由ゆ旬じゅんを照てらし、 あるいは二に・三さん・四し・五ご乃ない至し百ひゃく千せん由ゆ旬じゅんを照てらし、 あるいは一いち四し天てん下げを照てらし、 あるいは一仏いちぶつ世せ界かいを照てらし、 あるいは二に仏ぶつ・三仏さんぶつ乃ない至し百ひゃく千仏せんぶつの世せ界かいを照てらす。

◇初ニ常光トハ者、諸仏ノ常光、各オノ随テ↢意楽ニ↡、有↢遠近・長短↡。或ハ云ヘリ↢「常光、面各一尋相ト」↡。如キ↢釈迦仏ノ常光↡、是ナリ也。或照シ↢七尺ヲ↡、或ハ照シ↢一里ヲ↡、或照シ↢一由旬ヲ↡、或ハ照↢二・三・四・五乃至百千由旬ヲ↡、或ハ照↢一四天下↡、或照↢一仏世界ヲ↡、或ハ照↢二仏・三仏乃至百千仏ノ世界ヲ↡。

この阿あ弥陀みだ仏ぶつの常じょう光こうは、 八方はっぽう上じょう下げ無む央数おうしゅの諸仏しょぶつの国こく土どにおいて照てらさざるといふところなし。 八方はっぽう上じょう下げは極楽ごくらくにつきて方角ほうがくを指さすなり。 この常じょう光こうにつきて異い説せつあり。 すなはち ¬平びょう等覚どうがく経きょう¼ には別べっして頭ず光こうを指さす。 ¬観かん経ぎょう¼ には総そうじて 「身光しんこう」 といふ。 かくのごとく異い説せつ、 ¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ にこれを勘かんがへたり、 見みるべし。 常じょう光こうとは、 長照じょうしょう不ふ断だんに照てらす光ひかりなり。

◇此阿弥陀仏ノ常光ハ、於テ↢八方上下無央ワウ数ノ諸仏ノ国土ニ↡無↠所↠不ト云↠照。八方上下ハ付↢極楽ニ↡指ス↢方角↡也。就テ↢此ノ常光ニ↡有リ↢異説↡。則¬平等覚経ニハ¼別シテ指ス↢頭光↡。¬観経ニハ¼総ジテ云↢「身光ト」↡。如ク↠是異説、¬往生要集ニ¼勘タリ↠之、可↠見矣。常光トハ者、長照不断ニ照ス光也。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 神通光

次つぎに神通じんずう光こうとは、 これ別べつ時じに照てらす光ひかりなり。 釈しゃ迦か如来にょらいの ¬法華ほけ経きょう¼ を説とかんと欲ほっしたまひし時とき、 東方とうぼう万まん八千はっせんの土どを照てらせしがごときは、 すなはち神通じんずう光こうなり。 阿あ弥陀みだ仏ぶつの神通じんずう光こうは、 摂取せっしゅ不ふ捨しゃの光こう明みょうなり。 念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうある時ときは照てらし、 念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうなき時ときは照てらしたまふことなきがゆゑなり。

◇次ニ神通光トハ者、是 レ別時ニ照ス光也。如ハ↧釈迦如来ノ欲タマヒシ↠説ト↢¬法華経ヲ¼↡之時 キ、照シガ↦東方万八千土ヲ↡者、則神通光ナリ也。阿弥陀仏ノ神通光ハ者、摂取不捨ノ光明ナリ也。有ル↢念仏ノ衆生↡之時ハ照シ、無キ↢念仏ノ衆生↡之時ハ無ガ↠照タマフコト故也。

善導ぜんどう和か尚しょう ¬観かん経ぎょうの疏しょ¼ (定善義) にこの摂取せっしゅの光こう明みょうを釈しゃくしたまふ下したに、 「光こう照しょうの遠近おんごんを明あかす」 といへり。 これ念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうの所しょ居ごの遠近おんごんにつきて、 摂取せっしゅの光こう明みょうも遠近おんごんあるべしとの義ぎなり。 たとひ一房いちぼうのなかに住じゅうしたりとも、 東ひがしに寄よりて居いたらん人ひと念仏ねんぶつ申もうさんには、 摂取せっしゅの光こう明みょう遠とおく照てらし、 西にしに寄よりて居いたらん人ひとの念仏ねんぶつ申もうさんには光こう明みょう近ちかく照てらすべし。 これをもつて準じゅんじて意こころ得うれば、 一いち城じょうの内うち、 一国いっこくの内うち、 一いち閻えん浮ぶ提だいの内うち、 三千さんぜん世せ界かいの内うち、 乃ない至し他た方ほうの各別かくべつの世せ界かい、 かくのごとく知しるべし。

◇善導和尚¬観経ノ疏ニ¼釈タマフ↢此摂取ノ光明ヲ↡下ニ、云ヘリ↠「明ト↢光照ノ遠近ヲ↡。」是 レ付↢念仏衆生ノ所居ノ遠近ニ↡、摂取ノ光明モ可トノ↠有↢遠近↡之義也。設ヒ住タリトモ↢一房ノ中ニ↡、寄テ↠東ニ居タラン人念仏申ンニハ、摂取ノ光明遠照シ、寄テ↠西ニ居ラン人ノ念仏申ンニハ光明近ク可シ↠照。以↠此準テ意得ヘ0145バ、一城ノ内、一国ノ内、一閻浮提ノ内、三千世界ノ内、乃至他方ノ各別ノ世界、如ク↠是ノ可シ↠知ル。

しかれば念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうにつきて光こう明みょうの遠近おんごんありと釈しゃくしたまへる事こと、 ことにいはれたる事こととこそ覚おぼえ候そうらへ。 これすなはち阿あ弥陀みだ仏ぶつの神通じんずう光こうなり。

◇然バ者付テ↢念仏ノ衆生ニ↡釈タマヘル↠有ト↢光明ノ遠近↡事、殊ニ被タル↠云事トコソ覚エ候ヘ。是 レ則阿弥陀仏ノ神通光ナリ也。

諸仏しょぶつの功く徳どくはいづれの功く徳どくもみな法界ほっかいに遍へんすといへども、 余よの功く徳どくはその相そう顕あらわれたる事ことなし。 ただし光こう明みょうのみありて、 まさしく法界ほっかいに遍へんせる相そうを顕あらわせる功く徳どくなり。 ゆゑにもろもろの功く徳どくのなかに光こう明みょうをもつてもつとも勝すぐれたりと釈しゃくしたまふなり。

◇諸仏ノ功徳ハ何ノ功徳モ皆雖↠遍ト↢法界ニ↡、余ノ功徳ハ其ノ相無シ↢顕タル事↡。但シ有テ↢光明ノミ↡、正ク顕セル↧遍ル↢法界ニ↡之相ヲ↥功徳也。故ニ諸ノ功徳ノ中ニ以テ↢光明ヲ↡最モ勝タリト釈シ給フ也。

また諸仏しょぶつの光こう明みょうのなかには弥陀みだ如来にょらいの光こう明みょうなほ勝すぐれたまへり。 このゆゑに教きょう主しゅ釈しゃく尊そん讃さんじて (大経巻下) いはく、 「無む量りょう寿仏じゅぶつの威い神じん光こう明みょう、 最尊さいそん第一だいいちにして、 諸仏しょぶつの光こう明みょう及およぶことあたはざるところなり」 と。 云々 また (大経巻下) いはく、 「我が説せつ無む量りょう寿仏じゅぶつ光こう明みょう威い神じん巍々ぎぎ殊しゅ妙みょう、 昼ちゅう夜や一劫いっこう、 尚しょう未み能のう尽じん」 と。 云々 これはこれ、 かの仏ぶつの光こう明みょうと余よ仏ぶつの光こう明みょうとを相対そうたいしてその勝しょう劣れつを校量きょうりょうせんに、 かの仏ぶつに及およばざる仏ぶつを計かぞへんに、 昼ちゅう夜や一劫いっこうすともその数かずを知しり尽つくすべからずと宣のべたまふなり。

◇又諸仏ノ光明ノ中ニハ弥陀如来ノ光明猶 ヲ勝レ給ヘリ。是故ニ教主釈尊讃テ曰ク、「▲無量寿仏威神光明、最尊第一、諸仏光明所不↠能↠及コト。」 云云 又云、「▲我説無量寿仏光明威神巍巍殊妙、昼夜一劫、尚未能尽ジン。」 云云 此 レハ是 レ、彼ノ仏ノ光明ト与ヲ↢与仏ノ光明↡相対シテ校↢量センニ其勝劣ヲ↡、計エンニ↧不ル↠及バ↢彼ノ仏ニ↡之仏ヲ↥、昼夜一劫ストモ不↠可↣知↢尽ス其数ヲ↡宣ベ給也。

かくのごとき殊しゅ勝しょうの光ひかりを得えたまふ事ことは、 すなはち因いん位にの願がん行ぎょうに酬むくひたり。 いはくかの仏ぶつ、 法蔵ほうぞう比丘びくの昔むかし、 世せ自じ在ざい王仏おうぶつの所みもとにおいて、 二に百ひゃく一いち十じゅう億おくの諸仏しょぶつの光こう明みょうを見みたてまつりて、 撰せん択じゃく思し惟ゆいして願がんじて (大経巻上) のたまはく、 「もしわれ仏ぶつを得えんに、 光こう明みょうよく限げん量りょうありて、 下しも百ひゃく千億せんおく那な由他ゆたの諸しょ仏国ぶっこくを照てらさざるに至いたらば、 正しょう覚がくを取とらじ」 と。 云々 この願がんを発おこして後のち、 兆ちょう載さい永劫ようごうの間あいだ功こうを積つみ徳とくを累かさねて、 願がん行ぎょうともに顕あらわして、 この光ひかりを得えたまへり。

◇得タマフ↢如↠是ノ殊勝ノ光ヲ↡事ハ、則酬タリ↢因位ノ願行ニ↡。謂ク彼ノ仏、法蔵比丘ノ昔、於テ↢世自在王仏ノ所 トニ↡、奉テ↠見↢二百一十億ノ諸仏ノ光明ヲ↡、撰択思惟シテ願ジテ言ハク、「▲設シ我 レ得ンニ↠仏ヲ、光明有↢能ク限量↡、下至バ↠不ルニ↠照↢百千億那由他ノ諸仏国ヲ↡者、不↠取↢正覚ヲ↡。」 云云 発シテ↢此ノ願ヲ↡後、兆載永劫ノ之間積↠功累↠徳、願行倶ニ顕シテ、得タマヘリ↢此ノ光ヲ↡。

仏ぶつの在ざい世せに灯とう指し比丘びくといふ人ひとありき。 生うまれし時とき指ゆびより光ひかりを放はなちて十じゅう里りを照てらすことあり。 後のちに仏ぶつ弟子でしとなりて、 出しゅっ家けして羅ら漢かん果かを得えたり。 指ゆびより光ひかりを放はなつ因縁いんねんによりて、 名なづけて灯とう指し比丘びくといへり。 過去かこ九く十じゅう一劫いっこうの昔むかし、 毘び婆尸ばし仏ぶつの時ときに旧ふるき仏像ぶつぞうの指ゆびの損そんじたまへるを修しゅう理りしたてまつりし功く徳どくによりて、 すなはち指ゆびより光ひかりを放はなつ報ほうを得えたるなり。

◇仏在世ニ有キ↢灯指比丘ト云人↡。生シ時有リ↣従リ↠指放テ↠光照コト↢十里ヲ↡。後ニ成テ↢仏弟子↡、出家シテ得タリ↢羅漢果ヲ↡。依↢従リ↠指放↠光0146之因縁↡、名テ曰ヘリ↢灯指比丘↡。過去九十一劫ノ昔、毘婆尸仏ノ時ニ由テ↧奉シ↣修↢理シ旧キ仏像ノ指 ビノ損ジタマヘルヲ↡之功徳ニ↥、則得タル↢従↠指放ツ↠光ヲ之報ヲ↡也。

また梵ぼん摩ま比丘びくといふ人ひとあり。 身みより光ひかりを放はなちて一いち由ゆ旬じゅんを照てらせり。 これ過去かこに仏ぶつに灯とう明みょうを献たてまつりしゆゑなり。

◇又有↢梵摩比丘ト云人↡。従リ↠身放テ↠光ヲ照セリ↢一由旬ヲ↡。是過去ニ献リシ↢仏ニ於灯明ヲ↡故ナリ也。

また仏ぶつの御み弟子でしの阿那あな律りつは、 仏法ぶっぽうの座ざにおいて睡眠すいめんしたりし事ことありき。 仏ぶつこれを種々しゅじゅに弾たん呵かしたまふ。 阿那あな律りつ、 すなはち懺さん悔げの心しんを発おこして睡眠すいめんを断たつ。 七日しちにちを経へて後のち、 その目め開ひらけながらその眼まなこ見みえずなりぬ。 これを医師いしに問とふに、 医師いし答こたへていはく、 人ひとは食じきをもつて命いのちとす、 眼まなこは睡ねむりをもつて食じきとす。 もし人ひと七日しちにち食じきせざらんに、 命いのちあに尽つきざらんや。 しかればすなはち命いのちは医い療りょうの及およぶところにあらず。 命いのち尽つきぬる人ひとに医い療りょう由よしなきがごとしと 云々。 その時とき仏ぶつこれを哀あわれみて、 天眼てんげんの法ほうを教おしへたまふ。 すなはちこれを修しゅして還かえりて天眼てんげんを得えたり。 すなはち天眼てんげん第一だいいちの阿那あな律りつといへるこれなり。

◇又仏御弟子ノ阿那律ハ、於テ↢仏法ノ座ニ↡有キ↢睡眠シタリシ事↡。仏是ヲ種々ニ弾タン呵シ給フ。阿那律、即発シテ↢懺悔ノ心ヲ↡断ツ↢睡眠ヲ↡。経テ↢七日ヲ↡後、其ノ目乍ラ↠開ケ成リヌ↢其ノ眼不↟見エ。問ニ↢之ヲ医師ニ↡、医師答テ曰、人ハ以テ↠食ヲ為↠命ト、眼ハ以テ↠睡ヲ為↠食ト。若シ人七日不ンニ↠食、命豈ニ不ンヤ↠尽乎。然則命ハ非↢医療ノ之所ニ↟及。如シト↢命尽ヌル人ニ医療無ガ↟由 シ 云云。爾ノ時仏哀テ↠之、教タマフ↢天眼ノ之法ヲ↡。即修シテ↠之ヲ還テ得タリ↢天眼ヲ↡。則云ヘル↢天眼第一ノ阿那律ト↡是ナリ也。

過去かこに仏物ぶつもつを盗ぬすまんと欲ほっして塔とうのなかに入いりて、 灯とう明みょうすでに消きえなんと欲ほっするを見みて、 弓ゆみの機はずをもつてこれを挑かきあぐ。 その時ときに忽然こつねんとして改かい悔げの心しんを発おこして、 あまつさへ無む上じょう道心どうしんを発おこしたりき。 それよりこのかた、 生々しょうしょう世々せせに無む量りょうの福ふくを得えたり。 いま釈しゃ迦か出しゅっ世せの時とき、 つひに得脱とくだつして、 またかくのごとく天眼てんげんを得えたり。 これすなはちかの灯とう明みょうを挑かかげたりし功く徳どくによるなり。

◇過去ニ欲シテ↠盗ト↢仏物ヲ↡入テ↢于塔中ニ↡、見テ↢灯明既ニ欲スルヲ↟消ナント、以テ↢弓ノ機ハズヲ↡挑グ↠之ヲ。爾時ニ忽然トシテ発シテ↢改悔ノ心ヲ↡、剰ヘ発タリキ↢無上道心ヲ↡。従リ↠其 レ以来、生生世世ニ得タリ↢無量ノ福ヲ↡。今釈迦出世ノ時、遂ニ得脱シテ、亦如ク↠是ノ得タリ↢天眼ヲ↡。是 レ則由↧挑タリシ↢彼ノ灯明ヲ↡之功徳ニ↥也。

しかれば仏ぶつに灯とう明みょうを奉たてまつるは、 あるいは光こう明みょうの業ごうなり、 あるいは天眼てんげんの業ごうなり。 これらの因縁いんねんを思おもふにも、 阿あ弥陀みだ仏ぶつの光こう明みょうの功く徳どくに、 法蔵ほうぞう比丘びくの兆ちょう載さい永劫ようごうの修因しゅいん、 いかばかりか押おし計はかられ候そうらひけんと候そうろふなり。

然バ奉ルハ↢仏ニ於灯明ヲ↡、或ハ光明ノ之業也、或ハ天眼ノ之業也。思ニモ↢此等ノ因縁ヲ↡、阿弥陀仏ノ之光明ノ功徳ニ、法蔵比丘之兆載永劫ノ之修因、何 カ許リカ候ケント被↢押シ計↡候也。

いまこの大だい法ほっ主す禅門ぜんもん、 四し十じゅう八はちの灯とう明みょうを挑かかげて、 四し十じゅう八はちの願王がんおうに奉たてまつりたまへる、 すなはち光こう明みょうの業ごうなり、 また天眼てんげんの業ごうなり。 しかるに総そうじて念仏ねんぶつの業ごう成じょう就じゅして、 かの仏国ぶっこくに生しょうずることを得えつれば、 別べっして相好そうごう神通じんずう等とうの因いんを修しゅせずとも、 かの仏ぶつの願力がんりきによりて、 三さん十じゅう二に相そうを具ぐして五ご神通じんずうを得う。 その三さん十じゅう二に相そうのなかに光こう明みょうの相そうあり、 その神通じんずうのなかに天眼てんげん通つうあり。 しかればいたはしくその業ごうを修しゅせずといへども、 別べっしてまたかくのごとく灯とう明みょうをも供く養ようしたらん人ひとは、 いかでかその験しるしなからんや。 同おなじく具ぐ足そくする光こう明みょうなりとも勝しょう劣れつ候そうらひぬと覚おぼえ候そうろふ。 光こう明みょうの功く徳どく、 存ぞん略りゃくかくのごとし。

今此ノ大法主禅門、挑テ↢四十八ノ灯明ヲ↡、奉リ↢四十八ノ之願王ニ↡給ヘル、即光明ノ業也、亦天眼ノ業ナリ也。然ニ総ジテ念仏ノ業成0147就シテ、得ツレバ↠生コトヲ↢彼仏国ニ↡、別シテ不トモ↠修↢相好神通等ノ因ヲ↡、依テ↢彼ノ仏ノ願力ニ↡、具シテ↢三十二相ヲ↡得ウ↢五神通↡。其ノ三十二相ノ中ニ有↢光明相↡、其ノ神通ノ中ニ有↢天眼通↡。然バ雖↢労シク不ト↟修↢其業ヲ↡、別シテ又供↢養シタラン如ノ↠此灯明ヲモ↡之人ハ、争デカ無ンヤ其験 シ↡乎。同ク具足スル光明ナリトモ勝劣候イヌト覚ヘ候。光明ノ功徳、存略如シ↠此。

・第三七日 寿命功徳

次つぎに寿じゅ命みょうの功く徳どくは、 諸仏しょぶつの寿じゅ命みょう意い楽ぎょうに随したがひて長じょう短たんあり。 これによりて恵え心しん僧そう都ず (小経略記意) 四句しくを作つくりたまへり。 「あるいは仏ぶつの寿じゅ命みょうは長ながく、 所しょ化けの衆しゅ生じょうは命いのち短みじかきあり。 花け光こう如来にょらいのごとき、 仏ぶつの命いのちは十じゅう二に小しょう劫こう、 衆しゅ生じょうの命いのちは八はち小しょう劫こうよりなり。 あるいは能のう化けの仏ぶつは命いのち短みじかく、 所しょ化けの衆しゅ生じょうは命いのち長ながきあり。 月面がつめん如来にょらいのごとき、 仏ぶつの命いのちは一日いちにち一いち夜や、 衆しゅ生じょうの命いのちは五ご十歳じっさいなり。 あるいは能のう化け・所しょ化けともに命いのち短みじかきあり。 釈しゃ迦か如来にょらいのごとき、 仏ぶつも衆しゅ生じょうもともに八はち十歳じっさいなり。 あるいは能のう化け・所しょ化けともに命いのち長ながきあり。 阿あ弥陀みだ如来にょらいのごとき、 仏ぶつも衆しゅ生じょうもともに無む量りょう歳さいなり」 と。

○次ニ寿命ノ功徳ハ者、諸仏ノ寿命随テ↢意楽ニ↡有リ↢長短↡。依テ↠之恵心僧都作タマヘリ↢四句ヲ↡。「或ハ有リ↢仏ノ寿命ハ長ク、所化ノ衆生ハ命短↡。如キ↢花光如来ノ↡、仏ノ命ハ十二小劫、衆生ノ命ハ八小劫ヨリ也。或ハ有↢能化ノ仏ハ命短ク、所化ノ衆生ハ命長キ。如↢月面如来ノ↡、仏ノ命ハ一日一夜、衆生ノ命ハ五十歳也。或ハ有↢能化・所化倶ニ命短キ↡。如↢釈迦如来ノ↡、仏モ衆生モ倶ニ八十歳也。或ハ有↢能化・所化倶ニ命長↡。如↢阿弥陀如来ノ↡、仏モ衆生モ倶ニ無量歳ナリ也。」

ゆゑに ¬経きょう¼ (大経巻上) にいはく、 「仏告ぶつごう阿あ難なん、 無む量りょう寿仏じゅぶつ寿じゅ命みょう長じょう久く不可ふか勝しょう計げ。 汝寧にょねい知否ちひ。 仮使けし十方じっぽう世せ界かい無む量りょう衆しゅ生じょう、 皆得かいとく人身にんじん、 悉しつ令りょう成じょう就じゅ声しょう聞もん・縁覚えんがく、 都共とぐ推算すいさん計げ、 禅ぜん思し一心いっしん竭げつ其ご智ち力りき、 於お百ひゃく千せん億劫おくこう悉しつ共ぐ推算すいさん計げ其ご寿じゅ命みょう長じょう遠おん之し数しゅ、 不ふ能のう窮ぐ尽じん知其ちご限極げんごく。 声しょう聞もん・菩ぼ薩さつ・人天にんでん之し衆しゅ寿じゅ命みょう長じょう短たん亦やく復ぶ如にょ是ぜ。 非ひ算数さんじゅ・譬喩ひゆ所能しょのう知也ちや」 と。 云々

◇故ニ¬経ニ¼云、「▲仏告阿難、無量寿仏寿命長久不可勝計。汝寧知否。◆仮使十方世界無量衆生、皆得人身、悉令成就声聞・縁覚、都共推算計、禅思一心竭其智力、於百千億劫悉共推算計其寿命長遠之数、不能窮尽知其限極。◆声聞・菩薩・人天之衆寿命長短亦復如是。非算数・譬喩所能知也。」 云云

ただしもし神通じんずうの大だい菩ぼ薩さつ等とう計かぞへたまはんには、 一大いちだい恒沙ごうじゃ劫こうなり。 ¬大論だいろん¼ の意こころをもつて恵え心しんこれを勘かんがへたまへり。 この数かず二に乗じょう凡ぼん夫ぶの数かぞへ知しるべきところにあらず。 ゆゑに無む量りょうといふなり。

◇但シ若シ神通ノ之大菩薩0148等計ヘ給ハンニハ、一大恒沙劫也。以↢¬大論ノ¼意ヲ↡恵心勘タマヘリ↠之。此ノ数非ズ↢二乗凡夫ノ所↟可↢数知ル↡。故ニ云↢無量ト↡也。

総そうじて仏ぶつの功く徳どくを論ろんずるに、 能のう持じ・所しょ持じの二義にぎあり。 寿じゅ命みょうをもつて能のう持じといひ、 自余じよとしてもろもろの功く徳どくをことごとく所しょ持じといふなり。 寿じゅ命みょうはよくもろもろの功く徳どくを持じす。 一切いっさいの万徳まんどくは、 みなことごとく寿じゅ命みょうに持じせらるるゆゑなり。 これは当とう座ざの導どう師しが私義しぎなり。 すなはちかの仏ぶつの相好そうごう・光こう明みょう・説法せっぽう・利り生しょう等とうの一切いっさいの功く徳どく、 および国こく土どの一切いっさい荘しょう厳ごん等とうのもろもろの快け楽らくの事じ等とう、 ただかの仏ぶつの寿じゅ命みょうなくは、 かれらの功く徳どく・荘しょう厳ごん等とう何なにによりてか留とどまるべき。

◇総ジテ論ルニ↢仏ノ功徳ヲ↡、有リ↢能持・所持ノ二義↡。以テ↢寿命ヲ↡云↢能持ト↡、自余トシテ諸ノ功徳ヲ悉ク云↢所持ト↡也。寿命ハ能ク持↢諸ノ功徳↡。一切ノ万徳ハ、皆悉寿命ニ所ルヽ↠持セ故也。此ハ当座ノ導師ガ私義也。即彼ノ仏ノ相好・光明・説法・利生等ノ一切ノ功徳、及ビ国土ノ一切荘厳等ノ諸ノ快楽事等、只無クハ↢彼ノ仏寿命↡者、彼等ノ功徳・荘厳等依テカ↠何ニ可キ↠留ル。

しかれば四し十じゅう八願はちがんのなかにも、 寿じゅ命みょう無む量りょうの願がんに自余じよのもろもろの願がんをば納おさめたるなり。 たとひ第だい十じゅう八はちの念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がん広ひろく諸しょ機きを摂せっして済さい度どするに似にたりといへども、 仏寿ぶつじゅもし短みじかくは、 その願がんなほ広ひろからず。 そのゆゑは、 もしは百ひゃく歳さい千歳せんざい、 もしは一劫いっこう二に劫こうにして存ぞんじましまししかば、 いまの時ときの衆しゅ生じょうはことごとくその願がんに漏もるべし。 かの仏ぶつ成じょう仏ぶつの後のち、 十劫じっこうを過すぎたるがゆゑなり。 これをもつてこれを思おもへば、 済さい度ど利り生しょうの方便ほうべん寿じゅ命みょうの長じょう遠おんなるに過すぎたるはなく、 大だい慈じ大だい悲ひの誓願せいがんも寿じゅ命みょうの無む量りょうなるに顕あらわるるゆゑなり。

◇然者四十八願ノ中ニモ、寿命無量ノ願ニ納タル↢自余ノ諸ノ願ヲバ也。設ヒ雖↧第十八ノ念仏往生ノ願似ニタリト↦広摂シテ↢諸機↡而済度スルニ↥、仏寿若短者、其ノ願猶不↠広カラ。其ノ故ハ者、若ハ百歳千歳、若ハ一劫二劫ニシテ存ジ坐マシマシシカバ者、今時ノ衆生ハ悉ク可シ↠漏ル↢其願ニ↡。彼ノ仏成仏ノ之後、過タルガ↢十劫↡故也。以テ↠之ヲ思ヘバ↠之、済度利生ノ之方便無ク↠過タルハ↢寿命ノ長遠ナルニ↡、大慈大悲ノ之誓願モ顕ルヽ↢于寿命ノ無量ナルニ↡故也。

この娑しゃ婆ば世せ界かいの人ひとも、 寿いのちをもつて第一だいいちの宝たからとす。 七珍しっちん万宝まんぼうの倉くらの内うちに満みつるも、 綾りょう羅ら錦きん繍しゅうの箱はこの底そこに湛たたへたるも、 命いのちの生いきたる程ほどぞわが宝たからにてはあれ、 眼まなこ閉とじぬる後のちにはみな人ひとの物ものなり。

◇此娑婆世界ノ人モ、以↠寿ヲ為↢第一ノ宝ト↡。七珍万宝ノ之満モ↢倉ノ内ニ↡、綾羅錦繍ノ之湛タルモ↢箱ノ底ニ↡、命ノ生キタル程ゾ我ガ宝ニテハ在レ、眼閉ヌル之後ニハ皆人ノ物也。

しかれば玄げん奘じょう三蔵さんぞうの求ぐ法ほうのために天竺てんじくに度わたりたまひし時とき、 ある山さん中ちゅうにおいて盗人ぬすびとに遇あへり。 あらゆる財宝ざいほう身しん上じょうの衣い装しょうに至いたるまでことごとく奪うばひ取とられぬ、 弟子でしども散々ちりぢりに逃にげ去さりぬ。 三蔵さんぞうある家いえの内うちに逃のがれ入いりて蓮葉れんように隠かくれたまへり。 かくのごとくして盗人ぬすびと去さりて後のちに、 弟子でしども東ひがしのかた西にしのかたより来きたり集あつまりて泣なき合あひたり。 三蔵さんぞう池いけのなかより出いでたまひて、 さらに歎なげきたまはず、 あまつさへ悦よろこびたまへり。

◇然バ者玄奘三蔵ノ為↢求法↡度タマヒシ↢天竺ニ↡時 キ、於テ↢或ル山中ニ↡遇ヘリ↢盗人ニ↡。諸有ル財宝至マデ↢身上衣装ニ↡悉ク被レヌ↢奪取↡、弟子共散散ニ逃ゲ去リヌ。三蔵逃↢入テ或ル家ノ内ニ↡隠タマヘリ↢蓮葉ニ↡。如シテ↠是盗人去テ後ニ、弟0149子共自リ↢東タ西タ↡来リ集泣ナキ合タリ。三蔵自リ↢池ノ中↡出給テ、更ニ不↠歎タマ、剰アマツサヘ悦給ヘリ。

弟子でしら怪あやしみて問とひたてまつりて申もうすやうは、 これ浅あさざりき事ことに遇あひたまへり、 何事なにごとに悦よろこびたる気け色しきにてはましますぞと。 三蔵さんぞう答こたへていはく、 われ盗人ぬすびとのために第一だいいちの宝たからを取とられず、 なんぞ慶よろこばずんやと。 弟子でしらまた申もうすやうは、 すでに裸ら形ぎょうに及およぶまで剥はぎ取とられおはりぬ、 また何なんの残物ざんもつあるやと。 また答こたへたまふやうは、 この世よにおいて命いのちに過すぎたる宝たからなし、 命いのちもし活いきばまた他ほかの宝たからを得うべきがゆゑなり。 わが朝ちょうの俗書ぞくしょにも 「生せいを大宝だいほうとす」 といへり。 われいまかの盗人ぬすびとのためにこの命いのちを奪うばはれず、 これに過すぎたる悦よろこびやあるべきと答こたへたまへり。

弟子等怪ミテ奉テ↠問申様ハ、遇タマヘリ↢是 レ浅猿キ事ニ↡、何事ニ悦タル気色ニテハ坐ゾト乎。三蔵答曰、我 レ為ニ↢盗人ノ↡不↠被↠取↢第一ノ宝ヲ↡、何ゾ不ンヤト↠慶耶。弟子等又申様ハ、既ニ及マデ↢裸形ニ↡被↢剥ハギ取↡畢ヌ、亦有ルヤ↢何ノ残物↡乎。又答タマフ様ハ、於↢此ノ世ニ↡無シ↢過タル↠命ニ宝↡、命若活キバ者又可↠得↢他ノ之宝ヲ↡故也。我朝ノ俗書ニモ云ヘリ↣「生ヲ為ト↢大宝↡。」我今為ニ↢彼ノ盗人ノ↡不↠奪レ↢此ノ命ヲ↡、可キ↠有↢過タル↠之悦ヤ↡答給タマヘリ。

その後のち龍りゅう智ち阿あ闍じゃ梨りこの事じを聞ききて、 十方じっぽうの旦だん那なを勧すすめて種々しゅじゅの財宝ざいほうを集あつめて玄げん奘じょう三蔵さんぞうの許もとへ送おくり遣つかはす。 その宝たから前々まえまえに過すぎたること比ひ校きょうにあらず、 たちまちに三蔵さんぞうの言ことばに叶かなへり。 さほどの翻ほん経ぎょうの三蔵さんぞうあながちに身みの命いのちを惜おしむべきにあらずといへども、 世せ間けんの法ほうに随したがひてしかのごとく宣のべたまへけるにやとぞ覚おぼへ候そうろふ。

其ノ後龍智阿闍梨聞テ↢此ノ事ヲ↡、勧テ↢十方旦那ヲ↡集テ↢種種ノ財宝ヲ↡送リ↢遣ス玄奘三蔵ノ許 トヘ↡。其ノ宝過タルコト↢前前ニ↡非↢比校ニ↡、忽ニ叶ヘリ↢三蔵ノ言ニ↡。左程ノ翻経之三蔵強チニ雖↠非ト↠可キニ↠惜ム↢身ノ命ヲ↡、随テ↢世間ノ法ニ↡如ク↠然ノ宣給ケルニヤトゾ耶覚候。

弥陀みだ如来にょらいの寿じゅ命みょう無む量りょうの願がんを発おこしたまひけんも、 御おん身みのために長ちょう寿じゅの果か報ほうを求もとめたまふにはあらず。 済さい度ど利り生しょうの久ひさしかるべきため、 また衆しゅ生じょうをして欣ごん求ぐの心しんを発おこさしめんがためなり。 一切いっさい衆しゅ生じょうはみな寿いのちの長ながき事ことを願ねがふゆゑなり。 およそかの仏ぶつの功く徳どくのなかには、 ただ寿じゅ命みょう無む量りょうの徳とくを備そなへたまふに過すぎたる事ことは候そうらはず。

○弥陀如来ノ発シタマヒケンモ↢寿命無量ノ願ヲ↡、非↧為ニ↢御身ノ↡求タマフニハ↦長寿ノ之果報ヲ↥。為 メ↢済度利生ノ可キ↟久カル、又為ナリ↠令ンガ↣衆生ヲシテ発サ↢欣求ノ之心ヲ↡也。一切衆生ハ皆願フ↢寿ノ長事ヲ↡故ナリ也。凡彼ノ仏ノ功徳ノ中ニハ、只過タル↠備タマフニ↢寿命無量ノ徳ヲ↡事ハ不↠候也。

このゆゑに今日こんにち講讃こうさんせられたまへる ¬双巻そうかん経ぎょう¼ の題だいにも 「無む量りょう寿じゅ経きょう」 といへり。 同おなじくかの仏ぶつの名みょう号ごうなりとはいへども、 無む量りょう光こう経きょうとはいはず。 隋ずい朝ちょうより前さきの旧く訳やくには、 みな経きょうのなかに宗しゅうとある事ことを撰えらびて、 詮せんを抽ぬきて略りゃくを存ぞんじてその題目だいもくとなす。 すなはちこの ¬経きょう¼ の詮せんには阿あ弥陀みだ如来にょらいの功く徳どくを説とくなり、 その功く徳どくのなかには光こう明みょう無む量りょう・寿じゅ命みょう無む量りょうの二義にぎを備そなへたり。 そのなかにはまた寿じゅ命みょうなほ最さい勝しょうなり、 ゆゑに 「無む量りょう寿じゅ経きょう」 と名なづくるなり。

◇是ノ故ニ今日被タマヘル↢講讃セ↡¬双巻経ノ¼題ニモ云ヘリ↢「無量寿経ト」↡。同ク雖↢彼ノ仏ノ名号ナリトハ↡、不↠云ハ↢無量光経トハ↡。従リ↢隋朝↡前ノ旧訳ニハ、皆撰テ↢経ノ中ニ有↠宗ト事ヲ↡、抽テ↠詮ヲ存ジテ↠略ヲ為↢其ノ題目ト↡。則此ノ¬経ノ¼詮ニハ説ク↢阿弥陀如来ノ功徳ヲ↡也。其ノ功徳ノ之中ニハ備タリ↢光明無量・寿命無量ノ二義ヲ↡。其ノ中ニハ又寿命猶最勝ナリ也、故ニ名0150↢「無量寿経ト」↡也。

また釈しゃ迦か如来にょらいの功く徳どくのなかには、 久く遠おん実じつ成じょうの旨むねを顕あらわせるをもつて殊しゅ勝しょう甚深じんじんの事こととなせり。 すなはち ¬法華ほけ経きょう¼ に 「寿じゅ量りょう品ぼん」 とて説とかれたり。 二に十じゅう八品はちぼんのなかには、 この品ほんをもつて勝しょうとす。 まことに知しるべし、 諸仏しょぶつの功く徳どくにも寿じゅ命みょうをもつて第一だいいち功く徳どくとす、 衆しゅ生じょうの宝たからにも命いのちをもつて第一だいいちの宝たからとすといふことを。

◇又釈迦如来之功徳ノ中ニハ、以テ↠顕セルヲ↢久遠実成之旨ヲ↡而為セリ↢殊勝甚深ノ事ト↡。則¬法華経ニ¼被レタリ説↢「寿量品トテ」↡。二十八品ノ中ニハ、以テ↢此ノ品ヲ↡為↠勝ト。誠ニ知ベシ、諸仏ノ功徳ニモ以テ↢寿命ヲ↡為↢第一功徳ト↡、衆生ノ之宝ニモ以テ↠命ヲ為↢第一ノ宝ト↡云事ヲ。

それ寿いのち長ながき果か報ほうを得うることは、 衆しゅ生じょうに飲食おんじきを与あたへ、 また物ものの命いのちを殺ころさざるを業因ごういんとするなり。 因いんと果かとはみな相応そうおうする事ことなれば、 食じきしてすなはち命いのちを続つづくるがゆゑに、 食じきを与あたふるはすなはち命いのちを与あたふるなり。 不ふ殺せっ生しょう戒かいを持たもつもまた衆しゅ生じょうの命いのちを助たすくるなり。 ゆゑに飲食おんじきをもつて衆しゅ生じょうに施与せよし、 慈悲じひに住じゅうして不ふ殺せっ生しょう戒かいを持たもてば、 かならず長命じょうみょうの果か報ほうを得うるなり。

◇夫レ得コトハ↢寿長キ果報ヲ↡者、与ヘ↢衆生ニ飲食ヲ↡、又不ルヲ↠殺↢物ノ命ヲ↡為↢業因ト↡也。因ト与ハ↠果皆相応スル事ナレバ者、食シテ則続ガ↠命故ニ、与ルハ↠食ヲ則与↠命也。持モ↢不殺生戒ヲ↡亦助ル↢衆生ノ命ヲ↡也。故ニ以テ↢飲食ヲ↡施↢与シ衆生ニ↡、住シテ↢慈悲ニ↡持テ↢不殺生戒ヲ↡者、必得↢長命ノ果報ヲ↡也。

しかるにかの阿あ弥陀みだ如来にょらいは、 すなはち願がん行ぎょうあひ助たすけてこの寿じゅ命みょう無む量りょうの徳とくを成じょう就じゅしたまへるなり。 願がんとは、 四し十じゅう八願はちがんのなかの第だい十じゅう三さんの願がん (大経巻上) にいはく、 「もしわれ仏ぶつを得えんに、 寿じゅ命みょうよく限げん量りょうありて、 下しも百ひゃく千億せんおく那な由他ゆた劫こうに至いたらば、 正しょう覚がくを取とらじ」 と。 云々 行ぎょうとは、 かの願がんを立たてたまひて後のち無む央数おうしゅ劫こうの間あいだ、 また不ふ殺せっ生しょう戒かいを持たもてり。 また一切いっさい凡ぼん聖しょうにおいて、 飲食おんじき・医い薬やくを供く養ようし施与せよしたまへるなり。 これはこれ阿あ弥陀みだ如来にょらいの寿じゅ命みょうの功く徳どくなり。

◇然ニ彼阿弥陀如来ハ、則願行相助テ成↢就タマヘル此寿命無量ノ徳ヲ↡也。願トハ者、四十八願ノ中ノ第十三ノ願ニ云ク、「▲設シ我 レ得ンニ↠仏ヲ、寿命有テ↢能ク限量↡、下至バ↢百千億那由他劫ニ↡者、不↠取↢正覚ヲ↡。」 云云 行トハ者、立タマヒテ↢彼ノ願ヲ↡之後無央数劫ノ之間、又持↢不殺生戒ヲ↡。又於テ↢一切凡聖ニ↡、供↢養シ施↣与シ飲食・医薬ヲ↡給ヘル也。此 レハ是 レ阿弥陀如来ノ寿命ノ功徳也。

ゆゑに知しりぬこの逆げき修しゅう五ご十じっ箇か日にちの間あいだの供く仏ぶつ施せ僧そうの営いとなみには、 しかしながら寿じゅ命みょう長じょう遠おんの業ごうなり。 たとひその業因ごういんを修しゅせずともかの国くにに生しょうずることを得うるは、 ただ仏ぶつ願力がんりきによりて無む量りょうの命いのちを備そなふ。 いかにいはんやかくのごとくかさねて業因ごういんを修しゅしましまさんをや。 しかればすなはちすでに四し十じゅう八灯はっとうを挑かかげてまた四し十じゅう八種はっしゅを備そなふること、 自じ然ねん長じょう久くの寿いのちの上うえにかさねて無む量りょうの寿いのちを副そへ、 任運にんうん得とく生しょうの光ひかりの上うえになほ最さい勝しょうの光ひかりを増まさんとなり。

故ニ知ヌ此ノ逆修五十箇日ノ間ノ供仏施僧ノ之営ニハ、併ラ寿命長遠ノ業也。設ヒ不トモ↠修↢其ノ業因ヲ↡得ル↠生コトヲ↢彼国ニ↡者、唯由テ↢仏願力ニ↡備フ↢無量ノ命ヲ↡。何況ヤ如ク↠是重テ修シ↢業因ヲ↡坐ン乎ヲヤ。然レバ則既ニ挑ゲテ↢四十八灯ヲ↡亦備コト↢四十八種ヲ↡、自然長久ノ寿ノ上ニ重テ副ヘ↢無量ノ之寿ヲ↡、任運得生ノ光ノ上ニ猶増サント↢最勝ノ之光ヲ↡也0151。

弥陀みだ如来にょらいの光こう明みょう・寿じゅ命みょうの功く徳どく、 略りゃくを存ぞんずるにかくのごとし。

弥陀如来ノ光明・寿命ノ之功徳、存↠略如シ↠斯ノ。

・第三七日 弥陀入滅

かの仏ぶつかくのごとく寿じゅ命みょう無む量りょうなりといへども、 また涅ね槃はん隠没おんもつの期ごまします。 これにつきて哀あわれなる事こととこそ候そうらへ。 道どう綽しゃく禅ぜん師じ念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうにおいて始し終じゅうの両りょう益やくありと釈しゃくしたまへり。 その終じゅう益やくを明あかすに、 すなはち ¬観音かんのん授じゅ記き経きょう¼ (意) を引ひきていはく、 「阿あ弥陀みだ仏ぶつ、 住じゅう世せの寿じゅ命みょう、 兆ちょう載さい永劫ようごうの後のち滅めつ度どしたまひて、 ただ観音かんのん・勢せい至し衆しゅ生じょうを引いん摂じょうしたまふことあるべし。 その時ときに、 一向いっこうにもつぱら念仏ねんぶつして往おう生じょうしたる衆しゅ生じょうのみ、 つねに仏ぶつを見みたてまつること、 滅めっしたまはざるがごとし。 余よ行ぎょう往おう生じょうの衆しゅ生じょうは、 見みたてまつらず」 といへば、 往おう生じょうを得えてんうへには、 その時ときまでの事ことはあまりの事ことぞ、 とてもかくてもありなんと覚おぼえぬべく候そうらへども、 その時ときに臨のぞみては、 悲かなしかるべき事ことにてこそ候そうらへ。

○彼仏如↠是雖↢寿命無量ナリト↡、又有マス↢涅槃隠没ノ之期↡。付テ↠之ニ哀ナル事コソ候ヘ矣。道綽禅師釈シ↧於テ↢念仏衆生ニ↡有リト↦始終ノ之両益↥給ヘリ。明スニ↢其ノ終益ヲ↡、則引テ↢¬観音授記経ヲ¼云ク、「阿弥陀仏、住世ノ寿命、兆載永劫ノ後滅度シタマヒテ、可シ↠有ル↣但観音・勢至引↢摂シタマフコト衆生ヲ↡。爾時ニ、一向ニ専ラ念仏シテ往生シタル衆生ノミ、常ニ奉ルコト↠見↠仏ヲ、如シ↠不ルガ↠滅タマハ。余行往生ノ衆生ハ、不ト↠奉↠見」云ヘバ者、得テン↢往生ヲ↡之上ニハ者、其ノ時マデノ事ハ余リノ事ゾ、左右トテモカクテモ有ナント可ク↠覚ヌ候ヘドモ、臨テハ↢其ノ時ニ↡、可↠悲カル事ニテコソ候ヘ。

かの釈しゃく尊そん入にゅう滅めつの有様ありさまにても、 推おし量はからるべく候そうろふなり。 証しょう果かの羅ら漢かん・深じん位いの大だい士じも、 非ひ滅めつ・現滅げんめつの理りを知しりながら、 当とう時じ別べつ離りの悲かなしみに堪たへずして、 天てんに仰あおぎ地じに伏ふして、 哀哭あいこく悲ひ泣きゅうしき。 いはんや未み証しょうの衆しゅ生じょうをや、 浅識せんしきの凡ぼん愚ぐをや、 乃ない至し龍りゅう神じん八はち部ぶも五ご十じゅう二に類るいも、 およそ涅ね槃はんの一いち会え悲ひ歎たんの涙ないだを流ながさずといふことなし。 しかのみならず沙しゃ羅ら林りんの梢こずえ、 抜提ばつだい河がの水みず、 総すべて山せん河が・渓谷けいこく・草木そうもく・樹林じゅりんも、 みな哀あい傷しょうの色いろを顕あらわしき。

◇彼ノ釈尊入滅ノ有様ニテモ、可ク↢推シ量ラル↡候也。証果ノ羅漢・深位ノ大士モ、乍↠知リ↢非滅・現滅ノ之理ヲ↡、不シテ↠堪↢当時別離ノ悲ニ↡、仰ギ↠天ニ伏シテ↠地ニ、哀哭悲泣シキ。況ヤ未証ノ衆生ヲヤ乎、浅識ノ凡愚ヲヤ乎、乃至龍神八部モ五十二類モ、凡ソ涅槃ノ之一会無シ↠不ト云コト↠流↢悲歎ノ之涙ヲ↡。加之沙羅林ノ之梢 ヘ、抜提河ノ之水、総 ベテ山河・渓谷・草木・樹林モ、皆顕シキ↢哀傷ノ之色ヲ↡。

しかればすなはち過去かこを聞ききて未み来らいを思おもひ、 穢土えどに准なぞらへて浄じょう土どを知しるに、 かの阿あ弥陀みだ仏ぶつの衆宝しゅほう荘しょう厳ごんの国こく土どに隠かくれ、 涅ね槃はん寂じゃく滅めつの道どう場じょうに入いりたまひて後のち、 八万はちまん四し千せんの相好そうごうふたたび現げんずることなく、 無む量りょう無む辺へんの光こう明みょう永ながく照てらすことなからん時とき、 かの会えの衆しゅ生じょう人天にんでん等とう、 悲ひ哀あいの思おもい、 恋れん慕ぼの志こころざし、 いかばかりかは候そうろふべき。 七宝しっぽう自じ然ねんの林はやしなりとも、 八はっ功く如にょ意いの水みずなりとも、 名みょう花け・軟草なんそうの色いろも、 鳧ふ雁がん・鴛鴦えんおうの音こえも、 いかにかその時ときを知しらざらんや。 浄じょう穢えは土ど異ことなりといへども、 世せ尊そんの滅めつ度どすでに異ことなることなし。 迷めい悟ごは心こころ替かはれりといへども、 所しょ化けの悲ひ恋れんなんぞ易かわることあらんや。

◇然則聞テ↢過去ヲ↡思ヒ↢未来ヲ↡、准ナゾラヘテ↢穢土ヲニ知ルニ↢浄土ヲ↡、彼ノ阿弥陀仏ノ之隠レ↢衆宝荘厳ノ国土ニ↡、入タマヒテ↢涅槃寂滅ノ道場ニ↡之後、八万四千ノ之相好無ク↢再現コト↡、無量無辺ノ之光明無ラン↢永ク照コト↡之時 キ、彼ノ会ノ衆生人天等、悲哀ノ之思ヒ、恋慕ノ之志、何許カハ可キ↠候フ。七宝自然之林ナリトモ、八功如意ノ之水0152ナリトモ、名花・軟草ノ之色モ、鳧フ雁ガン・鴛鴦ノ之音モ、何ニカ不ラン↠知↢其時ヲ↡耶。浄穢ハ雖↢土異リト↡、世尊ノ滅度既ニ無シ↠異コト↡。迷悟ハ雖↢心替カハレリト↡、所化ノ悲恋何ゾ有ンヤ↠易ハルコト乎。

この娑しゃ婆ば世せ界かいの凡ぼん夫ぶ、 具ぐ縛ばくの人ひとの事ことと心こころと相応そうおうせず。 意い楽ぎょう格別かくべつにしてつねに違い背はいし、 たがひに厭えん悪おするにだにも、 あるいは父母ぶもとなりあるいは師し弟ていともなり、 あるいは夫ふ妻さいの契ちぎりをも結むすび、 あるいは朋ぼう友うの語ことばをも作なして、 しばらくも副そひ、 また馴なれぬれば、 遠近おんごんの境さかいを隔へだて、 前ぜん後ごの生しょうを改あらためて、 かくのごとく生いきても死ししても、 別わかれを告つぐる時ときには名残なごりを惜おしむ心こころたちまちに催もよおし、 悲かなしみに堪たへずして涙なみだ押おさへがたき事ことにてこそ候そうらへ。

◇此娑婆世界ノ凡夫、具縛ノ人ノ之事ト与↠心不↢相応↡。意楽格別ニシテ而常ニ違背シ、互ニ厭悪スルニダモ、或ハ成リ↢父母ト↡或ハ成↢師弟トモ↡、或ハ結ビ↢夫妻之契ヲモ↡、或ハ作ナシテ↢朋友之語ヒヲモ↡、暫モ副ヒ、亦馴ヌレバ者、隔↢遠近ノ之境ヲ↡、改テ↢前後ノ生ヲ↡、如↠是生キテモ矣死テモ矣、告グル↠別レヲ之時ニハ惜ム↢名残ヲ↡之心忽ニ催シ、不シテ↠堪ヘ↠悲ニ之涙難キ↠押ヘ事ニテコソ候エ。

いかにいはんやかの仏ぶつは、 内うちには慈悲じひ哀愍あいみんの心こころをのみ蓄たくわへてましませば、 馴なれたてまつるに随したがひていよいよ昵むつまじく、 外ほかには見者けんじゃ無む厭えんの徳とくを備そなへましませば、 見みたてまつるごとにいや珍めづらなるをや。 まことに無む量りょう永劫ようごうの間あいだ、 朝夕あさゆうに万徳まんどく円満えんまんの御み容かおを拝はいしたてまつり、 昼ちゅう夜やに四し弁べん無む窮ぐうの御み音こえに馴なれたてまつりて、 恭く敬ぎょう讚仰さんごうし、 随逐ずいちく給きゅう仕じして、 過すぎたらん心ここ地ちに永ながく見みたてまつらざらん事ことになりたらんばかり、 悲かなしかるべき事ことや候そうろふべき。 無有むう衆しゅ苦くの境さかひ、 離り諸しょ妄想もうぞうの所ところなりといへども、 一いち事じはさこそ覚おぼへ候そうろふらめ。

◇何ニ況ヤ彼ノ仏ハ、内ニハ蓄ヘテ↢慈悲哀愍ノ之心ヲノミ↡坐セバ者、随テ↠奉ルニ↠馴レ弥昵ジク、外備ヘ↢見者無厭之徳ヲ↡坐マシマセバ者、毎ニ↠奉↠見長珍哉イヤメヅラナルヲヤ。実ニ無量永劫ノ間、朝夕ニ奉↠拝シ↢万徳円満ノ之御ミ容カホ↡、昼夜ニ奉テ↠馴レ↢四弁無窮ノ之御音ニ↡、恭敬讚仰シ、随逐給仕シテ、過タラン之心地ニ成タラン↢永ク不↠奉↠見事ニ↡許バカリ、可キ↠悲カル事ヤ可キ↠候。雖↢無有衆苦ノ之境 ヒ、離諸妄想之所也ト↡、一事ハ左サコソ覚ヘ候ラメ矣。

それにもとのごとく見みたてまつりて改かはる事ことのなからん事ことは、 まことに哀あわれに有ありがたき事こととこそ覚おぼへ候そうらへ。 これすなはち念仏ねんぶつの一いち行ぎょうはかの仏ぶつの本願ほんがんなるがゆゑなり。 されば同おなじくは往おう生じょうを願ねがはん人ひと、 専修せんじゅ念仏ねんぶつの一門いちもんより入いるべきなり。

◇其レニ如ク↠本ノ奉テ↠見無ラン↢改ハル事ノ↡事ハ、実ニ哀ニ難↠有事トコソ覚候ヘ。是則念仏ノ一行ハ彼仏ノ本願ナルガ故ナリ也。爾者サレバ同クハ願ハン↢往生ヲ↡人、従↢専修念仏ノ一門↡可キ↠入也。

・第三七日 大経

△次つぎに ¬双巻そうかん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ は、 浄じょう土どの三さん部ぶ経きょうのなかにはなほこの ¬経きょう¼ を根本こんぽんとするなり。 そのゆゑは一切いっさいの諸善しょぜんは願がんを根本こんぽんとす。 しかるにこの ¬経きょう¼ には弥陀みだ如来にょらいの因いん位にの願がんを説とくにいはく、 乃往ないおう過去かこ久く遠おん無む量りょう無む数しゅ劫こうに仏ぶつましまして、 世せ自じ在ざい王仏おうぶつと申もうしき。 その時とき一人いちにんの国王こくおうありき。 仏ぶつの説法せっぽうを聞ききて、 無む上じょう道心どうしんを発おこして、 国くにを捨すて王おうを棄すてて、 出しゅっ家けして沙門しゃもんとなれり。 名なづけて法蔵ほうぞう比丘びくといひき。 すなはち世せ自じ在ざい王仏おうぶつの所みもとに詣もうでて、 右みぎに遶めぐること三帀さんぞうして、 長じょう跪き合がっ掌しょうして仏ぶつを讃さんじたてまつりてまうしてまうさく、 われ浄じょう土どを設もうけて衆しゅ生じょうを度どせんと欲おもふ。 願ねがはくはわがために経きょう法ぼうを説ときたまへと。

◇次ニ¬双巻無量寿経ハ¼者、浄土ノ三部経ノ中ニハ猶此ノ¬経ヲ¼為↢根本ト↡也。其ノ故ハ一切ノ諸善ハ願ヲ為↠根本ト↡。然ニ此¬経ニハ¼説ニ↢弥陀如来ノ因位ノ願ヲ↡謂ク、乃往過去久遠無0153量無数劫ニ有シテ↠仏、申シキ↢世自在王仏ト↡。其ノ時有リキ↢一人ノ国王↡。聞テ↢仏ノ説法ヲ↡、発シテ↢無上道心ヲ↡、捨テ↠国ヲ棄テヽ↠王ヲ、出家シテ成レリ↢沙門ト↡。名テ曰キ↢法蔵比丘ト↡。即詣デヽ↢世自在王仏ノ所 トニ↡、右ニ遶コト三帀シテ、長跪合掌シテ奉テ↠讃ジ↠仏白シテ言ク、我設テ↢浄土ヲ↡欲フ↠度ント↢衆生ヲ↡。願ハ為ニ↠我ガ説タマヘト↢経法ヲ↡。

その時ときに世せ自じ在ざい王仏おうぶつ、 法蔵ほうぞう比丘びくのために二に百ひゃく一いち十じゅう億おくの諸仏しょぶつの浄じょう土どの人天にんでんの善悪ぜんあく、 国こく土どの麁そ妙みょうを説とき、 またこれを現げんじて与あたへたまふ。 法蔵ほうぞう比丘びく仏ぶつの所説しょせつを聞きき、 また厳ごん浄じょうの国こく土どを見みおはりて後のち、 五ご劫こうの間あいだ思し惟ゆいし取捨しゅしゃして、 二に百ひゃく一いち十じゅう億おくの浄じょう土どのなかより摂取せっしゅして四し十じゅう八はちの誓願せいがんを設もうけたまへり。

◇爾ノ時ニ世自在王仏、為ニ↢法蔵比丘ノ↡説キ↢二百一十億ノ諸仏ノ浄土ノ人天ノ善悪、国土ノ麁妙ヲ↡、又現ジテ↠之与ヘ給フ。法蔵比丘聞キヽ↢仏ノ所説ヲ↡、又見↢厳浄ノ国土ヲ↡已テ後 チ、五劫ノ間思惟シ取捨シテ、従リ↢二百一十億ノ浄土ノ中↡摂取シテ而設ケ↢四十八ノ誓願ヲ↡給ヘリ。

二に百ひゃく一いち十じゅう億おくの国くにのなかより、 善悪ぜんあくのなかには悪あくを捨すてて善ぜんを取とり、 麁そ妙みょうのなかには麁そを捨すてて妙みょうを取とり、 かくのごとく取捨しゅしゃし撰せん択じゃくして、 この四し十じゅう八願はちがんを発おこしたまふがゆゑに、 この ¬経きょう¼ の同本どうほん異い訳やくの ¬大だい阿あ弥陀みだ経きょう¼ には、 この願がんをば撰せん択じゃくの願がんと説とかれたり。

◇従リ↢二百一十億ノ之国ノ中↡、善悪ノ之中ニハ捨テ↠悪ヲ取↠善ヲ、麁妙ノ之中ニハ捨テ↠麁ヲ取リ↠妙ヲ、如ク↠是取捨シ撰択シテ、発タマフガ↢此ノ四十八願ヲ↡故ニ、此¬経ノ¼同本異訳ノ▲¬大阿弥陀経ニハ¼、此願ヲバ被タリ↠説カ↢撰択ノ願ト↡。

その撰せん択じゃくのやう、 ほぼ申もうし開ひらき候そうらへば、 まづはじめの無む三さん悪趣まくしゅの願がんは、 かの諸仏しょぶつの国こく土どのなかに、 三さん悪道まくどうあらば撰捨せんしゃして、 三さん悪道まくどうなきを撰取せんしゅしてわが願がんとなせり。 次つぎに不ふ更きょう悪趣あくしゅの願がんとは、 かの諸しょ仏国ぶっこくのなかに、 たとひ国くにのなかには三さん悪道まくどうなしといへども、 かの国くにの衆しゅ生じょう、 他た方ほうの三さん悪道まくどうに更かえり堕だすることある国くにをば撰捨せんしゃして、 総そうじて三さん悪道まくどうに更かえらざる国くにを撰取せんしゅしてわが願がんとなせり。 次つぎに悉皆しっかい金色こんじきの願がん、 次つぎに無有むう好醜こうしゅの願がん、 およそ一々いちいちの願がんみなかくのごとく知しるべし。

◇其ノ撰択ノ之様、粗ホヾ申開候ヘ者、◇先初ノ▲無三悪趣願ハ者、彼ノ諸仏ノ国土ノ中ニ、撰↣捨シテ有ヲバ↢三悪道↡、撰↣取テ無ヲ↢三悪道↡而為↢我ガ願ト↡。◇次ニ▲不更悪趣ノ願トハ者、撰↧捨テ彼諸仏国ノ中ニ、設ヒ国ノ中ニハ雖↠無ト↢三悪道↡、彼ノ国ノ衆生、有↣更ヘリ↢堕ルコト他方ノ三悪道ニ↡之国ヲバ↥、撰↧取テ総ジテ不↠更↢三悪道ニ↡之国↥而為↢我ガ願ト↡也。◇次ニ▲悉皆金色ノ願、次ニ▲無有好醜ノ願、凡ソ一一ノ願皆如ク↠此ノ可シ↠知ル。

第だい十じゅう八はちの念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がんとは、 かの二に百ひゃく一いち十じゅう億おくの諸仏しょぶつの国こく土どのなかにあるいは布施ふせをもつて往おう生じょうの業ごうとする国くにあり、 あるいは持じ戒かいおよび禅ぜん定じょう・智恵ちえ等とう、 乃ない至し発ほつ菩ぼ提だい心しん、 持じ経きょう・持じ呪じゅ等とう、 孝きょう養よう父母ぶも・奉事ぶじ師し長ちょう、 かくのごとき種々しゅじゅの行ぎょうをもつて、 おのおの往おう生じょうの行ぎょうとする国くにあり、 あるいはまたもつぱらその国くにの教きょう主しゅの名みょう号ごうを称しょう念ねんするをもつて、 往おう生じょうの行ぎょうとする国くにあり。 しかるにかの法蔵ほうぞう比丘びく、 余よ行ぎょうをもつて往おう生じょうの行ぎょうとするの国くにを撰捨せんしゃして、 名みょう号ごうをもつて往おう生じょうの行ぎょうとするの国くにを撰取せんしゅして、 わが土どの往おう生じょうの行ぎょうもかくのごとくならんと立たてたまへるなり。

◇▲第十八念仏往生ノ願トハ者、彼ノ二百一十億ノ諸仏ノ国土ノ中ニ或ハ有↧以テ↢布施ヲ↡為ル↢往生0154ノ業ト↡之国↥、或ハ有↧持戒及ビ禅定・智恵等、乃至発菩提心、持経・持呪等、孝養父母・奉事師長、以↢如ノ↠是ノ種種ノ行ヲ↡、各為↢往生ノ行↡之国↥、或又有↧以↣専称↢念スルヲ其国ノ教主ノ名号↡、為↢往生ノ行ト↡之国↥。然ニ彼ノ法蔵比丘、撰↧捨テヽ以テ↢余行ヲ↡為ノ↢往生ノ行↡之国↥、撰↧取テ以↢名号↡為ノ↢往生ノ行ト↡之国↥、立タマヘル↢我土ノ往生ノ之行モ如也トナラント↟是也。

次つぎに来迎らいこう引いん摂じょうの願がん、 繋け念ねん往おう生じょうの願がん、 みなかくのごとく摂取せっしゅして願がんじたまへり。 およそ始はじめ無む三さん悪趣まくしゅの願がんより終おわり得とく三さん法忍ぼうにんに至いたるまで、 思し惟ゆい撰せん択じゃくするの間あいだに五ご劫こうを逕へたまへるなり。 かくのごとく撰せん択じゃくし摂取せっしゅして後のちに、 仏ぶつの所みもとに詣もうでて一々いちいちにこれを説ときたまふ。

◇次ニ来迎引摂ノ願、繋念往生ノ願、皆如↠此摂取シテ願ジ給ヘリ。凡ソ始メ自↢無三悪趣ノ願↡終リ至マデ↢得三法忍ニ↡、思惟撰択スルノ之間ニ逕タマヘル↢五劫ヲ↡也。如ク↠是撰択シ摂取シテ後ニ、詣デヽ↢仏所ニ↡一一ニ説キタマフ↠之。

その四し十じゅう八願はちがんを説ときおはりて後のち、 また偈げ (大経巻上) をもつてのたまはく、 「われ超ちょう世せの願がんを建たつ、 かならず無む上じょう道どうに至いたらん。 この願がん満足まんぞくせずんば、 誓ちかひて正しょう覚がくをならじ。 乃至 この願がんもし剋こっ果かせば、 大千だいせん感動かんどうすべし、 虚こ空くうの諸しょ天人てんにん、 まさに珍ちん妙みょうの華はなを雨あめふらすべし」 と。 云々

◇説キ↢其ノ四十八願ヲ↡已テ後、又以↠偈ヲ曰ハク、「▲我建↢超世ノ願ヲ↡、必ズ至ラン↢無上道ニ↡。此ノ願不ンバ↢満足↡、誓テ不↠成↢正覚ヲ↡。乃至 ▲斯ノ願若シ剋果セバ、大千応シ↢感動ス↡、虚空ノ諸天人、当ニ↠雨↢珍妙ノ華ヲ。」 云云

かの比丘びくこの偈げを説ときおはるに、 時ときに応おうじてあまねく地じ、 六種ろくしゅに震動しんどうし、 天てんより妙みょう華けを雨あめふらしてその上うえに散さんず、 自じ然ねんの音楽おんがく空くう中ちゅうに聞きこゆ。 また空くう中ちゅうに讃さんじて (大経巻上) いはく、 「決けつ定じょうしてかならず無む上じょう正しょう覚がくをなるべし」 と。

◇彼ノ比丘説キ↢此ノ偈ヲ↡竟ルニ、応ジテ↠時ニ普地、六種ニ震動シ、天ヨリ雨シテ↢妙華↡散ズ↢其ノ上ニ↡、自然ノ音楽聞ユ↢于空中ニ↡。又空中ニ讃ジテ曰、「決定シテ必成ベシ↢無上正覚↡。」

しかればかの法蔵ほうぞう比丘びくの四し十じゅう八願はちがんは一々いちいちに成じょう就じゅして決けつ定じょうして成じょう仏ぶつすべしといふことは、 その初発しょほつの願がんの時とき、 世自せじ在王ざいおう仏ぶつの御み前みまえにおいて、 諸しょ魔ま・龍りゅう神じん八はち部ぶ、 一切いっさい大衆だいしゅのなかにして、 かねて顕あらわれたる事ことなり。

◇然バ者言コトハ↣彼ノ法蔵比丘ノ四十八願ハ一一ニ成就シテ決定シテ可ト↢成仏↡者、其ノ初発ノ願ノ時 キ、於テ↢世自在王仏ノ御前ニ↡、諸魔・龍神八部、一切大衆中ニシテ、兼テ顕レタル事也。

しかればかの世自せじ在王ざいおう仏ぶつの法ほうのなかには、 法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつの四し十じゅう八願はちがん経きょうとてこれを受じゅ持じし読誦どくじゅし、 いま釈しゃ迦か法ほうのなかなりといへども、 かの仏ぶつの願力がんりきを仰あおぎて、 かの国くにに生しょうぜんと願ねがはんものは、 この法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつの四し十じゅう八願はちがんの法門ほうもんに入いるべきなり。 すなはち道どう綽しゃく禅ぜん師じ・善導ぜんどう和か尚しょう等とうもこの法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつの四し十じゅう八願はちがんの法門ほうもんに入いりたまふなり。

◇爾バ者彼ノ世自在王仏ノ之法ノ中ニハ、法蔵菩薩ノ四十八願経トテ受↢持シ読↣誦シ之ヲ↡、今雖↢釈迦法ノ中ナリト↡、仰テ↢彼ノ仏ノ願力ヲ↡、願ハン↠生ント↢彼ノ国ニ↡者 ノ0155ハ、入ルベキ也↢此ノ法蔵菩薩ノ四十八願ノ法門ニ↡也。即道綽禅師・善導和尚等モ入リ↢此法蔵菩薩四十八願ノ法門ニ↡給也。

かの華け厳ごん宗しゅうの人ひとは ¬華け厳ごん経ぎょう¼ を持たもち、 あるいは三論さんろん宗しゅうの人ひとは ¬般若はんにゃ¼ 等とうを持たもち、 あるいは法相ほっそう宗しゅうの人ひとは ¬瑜伽ゆが¼・¬唯識ゆいしき¼ を持たもち、 あるいは天台てんだい宗しゅうの人ひとは ¬法ほっ華け¼ を持たもち、 あるいは善ぜん無畏むいは ¬大日だいにち経きょう¼ を持たもち、 また金剛こんごう智ちは ¬金剛こんごう頂経ちょうきょう¼ を持たもつ。 かくのごとくおのおの宗しゅうに随したがひて依え経きょう・依え論ろんを持たもつなり。

◇彼華厳宗ノ人ハ持↢¬華厳経ヲ¼↡、或ハ三論宗ノ人ハ持↢¬般若¼等ヲ↡、或ハ法相宗ノ人ハ持↢¬瑜伽¼・¬唯識ヲ¼↡、或ハ天臺宗ノ人ハ持↢¬法華¼↡、或ハ善無畏ハ持↢¬大日経ヲ¼↡、又金剛智ハ持↢¬金剛頂経ヲ¼。↡如ク↠是ノ各随テ↠宗ニ持↢依経・依論ヲ↡也。

いま浄じょう土どを宗しゅうとせん人ひとはこの ¬経きょう¼ によりて四し十じゅう八願はちがんの法門ほうもんを持たもつべきなり。 この ¬経きょう¼ を持たもつとは、 すなはち弥陀みだの本願ほんがんを持たもつなり。 すなはち法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつの四し十じゅう八願はちがんの法門ほうもんなり。

◇今宗トセン↢浄土ヲ↡人ハ依テ↢此ノ¬経ニ¼↡可↠持↢四十八願ノ法門ヲ↡也。持トハ↢此¬経ヲ¼↡者、則持↢弥陀ノ本願ヲ↡者也。即法蔵菩薩ノ四十八願ノ法門也。

その四し十じゅう八願はちがんのなかに、 第だい十じゅう八はちの念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がんをもつて本体ほんたいとするなり。 ゆゑに善導ぜんどう (法事讃巻上) のいはく、 「弘ぐ誓ぜい多た門もん四し十じゅう八はち、 偏へん標ひょう念仏ねんぶつ最さい為い親しん」 と。 云々 念仏ねんぶつ往おう生じょうとは、 源みなもとこの本願ほんがんより起おこれり。

◇其ノ四十八願ノ中ニ、以テ↢第十八ノ念仏往生ノ願ヲ↡而為↢本体ト↡也。故ニ善導ノ曰ク、「▲弘誓多門四十八、偏標念仏最為親」。云云 念仏往生トハ者、源 ト従リ↢此ノ本願↡起レリ。

しかれば ¬観かん経ぎょう¼・¬弥陀みだ経きょう¼ に説とくところの念仏ねんぶつ往おう生じょうの旨むねも、 乃ない至し余よの諸しょ経きょうのなかに説とくところも、 みなこの ¬経きょう¼ に説とくところの本願ほんがんをもつて根本こんぽんとするなり。 なにをもつてかこれを知しるとならば、 ¬観かん経ぎょう¼ に説とくところの光こう明みょう摂取せっしゅを善導ぜんどう (礼讃) 釈しゃくしたまふに、 「唯ゆい有う念仏ねんぶつ蒙もう光こう照しょう、 当とう知ち本願ほんがん最さい以い強ごう」 と。 云々 この釈しゃくの意こころは、 本願ほんがんのゆゑに光こう明みょう摂取せっしゅすと聞きこへたり。

◇然バ者¬観経¼・¬弥陀経¼所ノ↠説念仏往生ノ旨モ、乃至余ノ諸経ノ中ニ所モ↠説、皆以テ↢此ノ¬経ニ¼所ノ↠説本願↡為↢根本ト↡也。何ヲ以テカ知ナラバ↠之者、¬観経ニ¼所ノ↠説ク光明摂取ヲ善導釈シ給ニ、「▲唯有念仏蒙光照、当知本願最以強。」 云云 此ノ釈ノ意ハ者、本願ノ故ニ光明摂取スト聞ヘタリ矣。

またこの ¬経きょう¼ の下げ品ぼん上生じょうしょうにならべて聞もん経きょうと称しょう仏ぶつとを説とくに、 称しょう仏ぶつの功こうのみを讃さんじて聞もん経きょうを讃さんじたまはざるところを善導ぜんどう釈しゃくして (散善義) いはく、 「望もう仏願ぶつがん意い者しゃ、 唯勧ゆいかん正しょう念ねん称名しょうみょう。 往おう生じょう義ぎ疾しつ雑散ぞうさんの業ごうと同おなじからず」 と。 云々 これまた本願ほんがんのゆゑに、 称しょう仏ぶつをば讃さんじたまふと聞きこえたり。

◇又此ノ¬経ノ¼下品上生ニ双ベテ説ニ↢聞経ト称仏トヲ↡、讃ジテ↢称仏ノ之功ノミヲ↡不↠讃タマハ↢聞経ヲ↡之所ヲ善導釈シテ云、「▲望仏願意者、唯勧正念称名。往生義疾不↠同↢雑散之業ト↡。」 云云 此 レ亦本願故、讃タマフト↢称仏ヲバ↡聞ヘタリ矣。

また (散善義) 同どう ¬経きょう¼ の付ふ属ぞくの文もんを釈しゃくしたまふにも、 「望もう仏ぶつ本願ほんがん、 意い在ざい衆しゅ生じょう一向いっこう専せん称しょう弥陀みだ仏ぶつ名みょう」 と。 云々 これまた弥陀みだの本願ほんがんなるがゆゑに、 釈しゃく尊そんも付ふ属ぞくし、 流る通ずうしたまふと聞きこえたり。

◇又釈シタマフニモ↢同¬経ノ¼付属ノ文ヲ↡、「▲望0156仏本願、意在衆生一向専称弥陀仏名。」 云云 此 レ亦弥陀ノ本願ナルガ故、釈尊モ付属シ、流通シ給ト聞ヘタリ矣。

また ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ に説とくところの一日いちにち七日しちにちの念仏ねんぶつを善導ぜんどう (法事讃巻下) 讃さんじ給たまふに、 「ただちに為い弥陀みだ弘ぐ誓ぜい重じゅう、 致使ちし凡ぼん夫ぶ念ねん即そく生しょう」 と。 云々 これまた一日いちにち七日しちにちの念仏ねんぶつも、 弥陀みだの本願ほんがんなるがゆゑに往おう生じょうすと聞きこえたり。

◇又¬阿弥陀経ニ¼所ノ↠説之一日七日ノ念仏ヲ善導讃ジ給ニ、「▲直ニ為弥陀弘誓重、致使凡夫念即生。」 云云 此 レ亦一日七日ノ念仏モ、弥陀ノ本願ガ故ニ往生スト聞タリ矣。

乃ない至し ¬双巻そうかん経ぎょう¼ のなかにも、 三輩さんぱい以下いげの説文せつもんはみな本願ほんがんによる。 およそこの 「三さん部ぶ経きょう」 の三みつに限かぎらず、 一切いっさい諸しょ経きょうのなかに説とくところの念仏ねんぶつ往おう生じょうは、 みなこの ¬経きょう¼ の本願ほんがんに望のぞみて説とくなり。 これに例れいして知しるべし。

◇乃至¬双巻経ノ¼中ニモ、三輩已下ノ説文ハ皆由ル↢本願ニ↡也。凡ソ不↠限ラ↢此ノ「三部経ノ」三ツニ↡、一切諸経ノ中ニ所ノ↠説之念仏往生ハ、皆望テ↢此ノ¬経ノ¼本願↡説ナリ也。例↠之ニ応シ↠知ル矣。

そもそも法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつ、 いかなれば余よ行ぎょうを捨すてて、 ただ称名しょうみょう念仏ねんぶつの一いち行ぎょうをもつて本願ほんがんと立たてたまへるぞといふに、 これに二義にぎあり。 一いちには念仏ねんぶつは殊しゅ勝しょうの功く徳どくなるがゆゑに、 二にには念仏ねんぶつは行ぎょうじやすきがゆゑに諸しょ機きにあまねきがゆゑに。

◇▲抑法蔵菩薩、何ナレバ者捨テヽ↢余行↡、唯以テ↢称名念仏ノ一行ヲ↡而立テ↢本願ト↡給ヘルゾト云ニ、此ニ有リ↢二義↡。一ニハ者念仏ハ殊勝ノ功徳ナルガ故、二ニハ者念仏ハ易ガ↠行ジ故ニ遍ガ↢于諸機↡故ニ。

はじめに殊しゅ勝しょうの功く徳どくのゆゑとは、 かの仏ぶつは因いん果が・総別そうべつの一切いっさいの万徳まんどく、 みなことごとく名みょう号ごうに顕あらわるるがゆゑに、 一度ひとたびも南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつと唱となふれば、 大だい善根ぜんごんを得うるなり。 これをもつて ¬西方さいほう要決ようけつ¼ にいはく、 「諸仏しょぶつの願がん行ぎょうはこの果か名みょうを成じょうず、 ただよく号みなを念ねんずるに衆徳しゅとくを具ぐ包ほうす、 ゆゑに大善だいぜんを成じょうじて往おう生じょうを廃はいせず」 と。 云云 またこの¬ 経きょう¼ (大経巻下) にすなはち一念いちねんを指さして 「無む上じょう功く徳どく」 と讃さんじたり。 しかれば殊しゅ勝しょうの大だい善根ぜんごんなりゅゑに、 これを撰えらびて本願ほんがんとしたまへるなり。

◇▲初ニ殊勝功徳故トハ者、彼ノ仏ハ因果・総別ノ一切ノ万徳、皆悉ク名号ニ顕ガ故ニ、一度モ唱レバ↢南無阿弥陀仏ト↡、得↢大善根ヲ↡也。是以¬西方要決ニ¼云、「▲諸仏願行成↢此果名↡、但能念↠号具↢包衆徳↡、故成大善不↠廃↢往生↡。」 云云 又此ノ¬経ニ¼即指シテ↢一念ヲ讃タリ↢「▲無上功徳ト」↡。然バ者殊勝ノ大善根ナル故ニ、撰テ↠之ヲ為↢本願↡給ヘル也。

二にに修しゅしやすきがゆゑにとは、 南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつと申もうすことは、 いかなる愚痴ぐちのものも少おさなきも老おいたるも、 やすく申もうさるるがゆゑに、 平びょう等どうの慈悲じひの御おん意こころをもつて、 その行ぎょうと立たてたまへり。

◇▲二ニ易修故者、申コトハ↢南無阿弥陀仏ト↡者、何ナル愚痴ノ者モ少キモ老タルモ、易ク被ガ↠申故ニ、以テ↢平等慈悲ノ御意ヲ↡、立↢其之行ト↡給ヘリ。

もし布施ふせをもつて本願ほんがんとしたまはば、 貧びん窮ぐ困乏こんもうの輩ともがらは往おう生じょうの望のぞみを断たつ。 もし持じ戒かいをもつて本願ほんがんとしたまはば、 破は戒かいのもの・無む戒かいの類たぐいはまた往おう生じょうの望のぞみを断たつべし。 もし禅ぜん定じょうをもつて本願ほんがんとしたまはば、 散乱さんらん麁そ動どうの輩ともがらは往おう生じょうすべからず。 もし智恵ちえをもつて本願ほんがんとしたまはば、 愚痴ぐち下智げちのものは往おう生じょうすべからず。 自余じよの諸しょ行ぎょうもこれに准じゅんじて知しるべし。 しかるに布施ふせ・持じ戒かい等とうの諸しょ行ぎょうに堪たへたるものはきはめて少すくなく、 貧びん窮ぐ・破は戒かい・散乱さんらん・愚痴ぐちの輩ともがらははなはだ多おおし。 しかれば上かみの諸しょ行ぎょうをもつて本願ほんがんとしたまはば、 往おう生じょうを得うるものは少すくなく、 往おう生じょうを得えざるものは多おおからまし。

◇若シ以テ↢布施ヲ↡為タマハヾ↢本願ト↡者、貧窮困乏ノ輩ハ断↢往生ノ望ヲ↡。若以0157テ↢持戒↡為タマハヾ↢本願ト↡、破戒ノ者 ノ・無戒ノ類ハ亦可↠断↢往生ノ望ヲ。若シ以テ↢禅定ヲ↡為バ↢本願↡者、散乱麁動ノ之輩ハ不↠可↢往生ス↡。若以テ↢智恵ヲ↡為バ↢本願ト↡者、愚痴下智ノ者ハ不↠可↢往生ス↡。自余ノ之諸行モ准ジテ↠之ニ応シ↠知ル。然ニ堪タリル ↢布施・持戒等ノ諸行ニ↡者 ノハ極テ少ク、貧窮・破戒・散乱・愚痴ノ輩ハ甚多シ。爾者以テ↢上ノ諸行ヲ↡為↢本願ト↡給ハヾ者、得↢往生↡者 ノ少ク、不ル↠得↢往生↡者 ノハ多カラマシ矣。

これによりて法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつ、 平びょう等どうの慈悲じひに催もよおされて、 あまねく一切いっさいを摂せっせんがために、 かの諸しょ行ぎょうをもつて往おう生じょうの本願ほんがんとせずして、 ただ称名しょうみょう念仏ねんぶつの一いち行ぎょうをもつてその本願ほんがんとしたまへるなり。

◇因テ↠茲ニ法蔵菩薩、被↠催↢平等ノ慈悲ニ↡、為↣遍ク摂ンガ↢一切ヲ↡、不シテ↧以テ↢彼ノ諸行ヲ↡為↦往生ノ本願ト↥、唯以テ↢称名念仏ノ一行ヲ↡為↢其ノ本願↡給ヘル也。

ゆゑに法ほっ照しょう禅ぜん師じのいはく、

「未み来らい世せの悪あく衆しゅ生じょうにおいては西方さいほう弥陀みだの号みなを称しょう念ねんせよ
仏ぶつの本願ほんがんによりて生しょう死じを出いで直心じきしんをもつてのゆゑに極楽ごくらくに生しょうず」 と

◇故法照禅師云、

「於↢未来世ノ悪衆生↡称↢念西方弥陀号↡
依↢仏本願↡出↢生死↡以↢直心↡故生↢極楽↡」

またいはく、

「かの仏ぶつの因いん中ちゅうに弘ぐ誓ぜいを立たてたまへり名なを聞ききてわれを念ねんぜばすべて来迎らいこうせん
貧びん窮ぐと富ふう貴きとを簡えらばず下智げちと高才こうざいとを簡えらばず
多た聞もんと持じ浄じょう戒かいとを簡えらばず破は戒かいと罪根ざいこん深ふかきとを簡えらばず
ただ回え心しんして多おおく念仏ねんぶつしむればよく瓦が礫りゃくをして変へんじて金こがねとならしむ」 と 云々

◇▲又云、

「▲彼仏因中立弘誓聞↠名念↠我総来迎
不↠簡↢貧窮将富貴↡不↠簡↢下智与高才↡
不↠簡↢多聞持浄戒↡不↠簡↢破戒罪根深↡
但使レバ↢廻心多念仏↡能令↢瓦礫ヲシテ変ジテ成↟金」 云云

かくのごとく誓願せいがんを立たてりといへども、 その願がん成じょう就じゅせずは、 まさしく憑たのむべきにあらず。 しかるにかの法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつの願がんは、 一々いちいちに成じょう就じゅしてすでに成じょう仏ぶつしたまへり。 そのなかにこの念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がん成じょう就じゅの文もん (大経巻下) にいはく、 「諸しょ有う衆しゅ生じょう、 聞もん其ご名みょう号ごう、 信心しんじん歓かん喜ぎ、 乃ない至し一念いちねん、 至し心しん回え向こう、 願がん生しょう彼ひ国こく、 即得そくとく往おう生じょう、 住じゅう不ふ退転たいてん」 と。 云々

◇▲雖0158↠立ト↢如↠此誓願ヲ↡、其ノ願不ハ↢成就↡者、非ズ↢正可キニ↟憑。然ニ彼ノ法蔵菩薩ノ願ハ、一一ニ成就シテ既ニ成仏シタマヘリ。其中ニ此ノ念仏往生ノ願成就ノ文ニ云、「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念、至心回向、願生彼国、即得往生、住不退転。」 云云

次つぎに三輩さんぱい往おう生じょうは、 みな 「一向いっこう専念せんねん無む量りょう寿仏じゅぶつ」 (大経巻下) と。 云々 このなかに菩ぼ提だい心等しんとうの諸善しょぜんありといへども、 上かみの本願ほんがんに望のぞむれば、 一向いっこうにもつぱらかの仏ぶつの名みょう号ごうを念ねんずるなり。 たとへばかの ¬観かん経ぎょうの疏しょ¼ (散善義) に釈しゃくしていふがごとし、 「上じょう来らい定じょう散さん両りょう門もんの益やくを説とくといへども、 仏ぶつの本願ほんがんに望のぞむれば、 意こころは衆しゅ生じょうをして一向いっこうにもつぱら弥陀みだ仏ぶつの名みなを称しょうせしむるにあり」 と。 云々 望仏もうぶつ本願ほんがんとは、 かの三輩さんぱいのなかの一向いっこう専念せんねんを指さすなり。

◇次ニ三輩往生ハ、皆「一向専念無量寿仏。」 云云 此中ニ雖↠有↢菩提心等ノ諸善↡、望ムレバ↢上ノ本願ニ↡者、一向ニ専ラ念↢彼仏ノ名号↡也。▲例バ如シ↢彼¬観経ノ疏ニ¼釈シテ云ガ↡、「上来雖↠説ト↢定散両門ノ之益ヲ↡、望↢仏ノ本願ニ↡、意 ロ在↣衆生ヲシテ一向ニ専ラ称ムルニ↢弥陀仏ノ名ヲ↡。」 云云 望仏本願トハ者、指↢此ノ三輩ノ中ノ一向専念ヲ↡也。

次つぎに流る通ずう (大経巻下) に至いたりて 「其有ごう得聞とくもん彼ひ仏ぶつ名みょう号ごう、 歓かん喜ぎ踊ゆ躍やく乃ない至し一念いちねん。 当とう知ち、 此し人にん為い得とく大だい利り。 即そく是ぜ具ぐ足そく無む上じょう功く徳どく」 といふ。 云云 善導ぜんどう (礼讃意) の御おん意こころは、 「上じょう尽じん一いち形ぎょう下至げし一念いちねん」 の無む上じょう功く徳どくなり。 余師よしの意こころによらば、 「ただ少しょうを挙あげて多たに況きょうするなり」 と。 云々

◇次ニ至テ↢流通ニ↡云↢「△其有得聞彼仏名号、歓喜踊躍乃至一念。当知、此人為得大利。即是具足無上功徳」↡ 云云。善導ノ御意ハ、「▲上尽一形下至一念」之無上功徳也。依バ↢余師ノ意ニ↡者、「但挙テ↠少ヲ而況スルナリ↠多ニ也。」 云云。

次つぎに 「当来とうらい之世しせ経きょう道どう滅尽めつじん、 我以がい慈悲じひ哀愍あいみん、 特どく留る此し経きょう止し住じゅう百ひゃく歳さい。 其有ごう衆しゅ生じょう値此ちし経きょう者しゃ、 随ずい意い所願しょがん皆かい可か得とく度ど」 と。 云々 この末法まっぽう万年まんねんの後のち三宝さんぼう滅尽めつじんの時ときの往おう生じょうをもつて思おもふに、 一向いっこう専念せんねんの往おう生じょうの義ぎを顕あらわすなり。

◇次ニ「▲当来之世経道滅尽、我以慈悲哀愍、特留此経止住百歳。其有衆生値此経者、随意所願皆可得度。」 云云 以テ↢此ノ末法万年後三宝滅尽ノ時ノ往生ヲ↡而思ニ、顕ス↢一向専念ノ往生ノ義ヲ↡也。

そのゆゑは菩ぼ提だい心しんを説とける経きょうみな滅めっしなば、 何なにによりてか菩ぼ提だいの心しんの行ぎょう相そうを知しらん。 大だい小しょうの戒かい経きょうみな失しっせなば、 何なにによりてか二に百ひゃく五ご十戒じっかいをも持たもたん。 仏像ぶつぞうにあるまじければ、 造像ぞうぞう起き塔とうの善根ぜんごんもあるべからず。 乃ない至し持じ経きょう・持じ呪じゅ等とうもまたかくのごとし。 その時ときなほ一念いちねんするに往おう生じょうすと。

◇其ノ故ハ説ル↢菩提心↡経皆 ナ滅ナバ者、依テカ↠何ニ知ラン↢菩提ノ心之行相ヲ↡。大小ノ戒経皆失ナバ、依テカ↠何ニ持タン↢二百五十戒ヲモ↡。不ジケレバ↠有ル↢仏像ニ↡者、造像起塔0159ノ善根モ不↠可↠有。乃至持経・持呪等モ亦如↠此。爾ノ時尚 ヲ一念スルニ往生スト。

すなはち善導ぜんどう (礼讃) いはく、 「爾時にじ聞もん一念いちねん、 皆当かいとう得とく生しょう彼ひ」 と。 云々 かれをもつていまを思おもふに、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃはさらに余よの善根ぜんごんにおいて一塵いちじんも具ぐせず、 決けつ定じょうして往おう生じょうすべきなり。

◇即善導云ク、「▲爾時聞一念、皆当得生彼。」 云云 以テ↠彼ヲ思ニ↠今ヲ、念仏ノ行者ハ更ニ於↢余ノ善根ニ↡不ズ↠具↢一塵モ↡、決定シテ可↢往生ス↡也。

しかれば菩ぼ提だい心しんを発おこさずしていかでか往おう生じょうすべき、 戒かいを持たもたずしてはいかが往生往おう生じょうすべき、 智恵ちえなくしてはいかが往おう生じょうすべき、 妄念もうねんを静しずめずしてはいかが往おう生じょうすべきと。 かくのごとく申もうす人々ひとびとの候そうろふは、 この ¬経きょう¼ を意こころ得えざるまでに候そうろふなり。 懐え感かん禅ぜん師じ (群疑論巻三意) この文もんを釈しゃくするに、 「説戒せっかい・受戒じゅかいもみな成じょうずべからず、 甚深じんじんの大だい乗じょうも知しるべからず。 ゆゑに先さきだちて隠没おんもつして世よに行おこなはれず。 ただ念仏ねんぶつのみ覚さとりやすし、 浅識せんしきの凡ぼん愚ぐなほよく修しゅ習じゅうして利り益やくを得うべし」 といへり。 云々

◇然バ者不シテ↠発↢菩提心↡争カ可キ↢往生ス↡、不シテハ↠持↠戒ヲ何可キ↢往生↡、無シテハ↢智恵↡者何可キ↢往生↡、不ズシテハ↠静↢妄念ヲ↡何可キト↢往生ス↡。如↠此ノ申ス人人ノ候者、不ルマデ↣意↢得此ノ¬経ヲ¼候也。懐感禅師釈ルニ↢此ノ文ヲ↡、云ヘリ↧「説戒・受戒モ皆不↠可↠成、甚深ノ大乗モ不↠可↠知。故ニ先ダテ隠没シテ不↢世ニ行ナハレ↡。但念仏ノミ易シ↠覚リ、浅識ノ凡愚尚 ヲ能ク修習シテ可ト↞得↢利益↡。」 云云

まことに戒法かいほう滅めっしなば持じ戒かいあるべからず、 大だい乗じょうみな滅めっしなば発ほつ菩ぼ提だい心しん・読誦どくじゅ大だい乗じょうもあるべからずといふ事こと明あきらかなり。 すでに浅識せんしきの凡ぼん愚ぐといふ、 まさに知しるべし智恵ちえにあらずといふ事ことを。 かくのごとき輩ともがらの、 ただ称名しょうみょう念仏ねんぶつの一いち行ぎょうを修しゅして、 一いっ声しょうに至いたるまで往おう生じょうすべしといふなり。 これまた弥陀みだの本願ほんがんのゆゑなり。 すなはちかの本願ほんがんの遠とおく一切いっさいを摂せっする義ぎなり。

◇実ニ戒法滅シナバ者不↠可↠有↢持戒↡、大乗皆滅ナバ不↠可↠有↢発菩提心・読誦大乗モ↡云事明カナリ也。既ニ云↢浅識凡愚ト↡、応ニ↠知ル非ト↢智恵ニ↡云事ヲ。如ノ↠此輩ノ、但修シテ↢称名念仏一行ヲ↡、至マデ↢一声ニ↡可ト↢往生↡云ナリ也。是 レ亦弥陀本願ノ故也。即彼ノ本願ノ之遠ク摂スル↢一切ヲ↡義ナリ也。

・第三七日 小経

△次つぎに ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ とは、 「少しょう善根ぜんごん福徳ふくとくの因縁いんねんをもつてかの国くにに生しょうずることを得うべからず。 舎しゃ利り弗ほつ、 もし善男ぜんなん子し・善ぜん女人にょにんありて、 阿あ弥陀みだ仏ぶつを説とくを聞ききて、 名みょう号ごうを執しゅう持じすること、 もしは一日いちにち乃ない至し七日しちにち」 と。 云々

◇次▲¬阿弥陀経トハ¼者、「▲不↠可↧以↢少善根福徳因縁↡得↞生コト↢彼国ニ↡。◆舎利弗、若有↢善男子・善女人↡、聞↠説ヲ↢阿弥陀仏↡、執↢持ルコト名号↡、若一日乃至七日」。云云

善導ぜんどう和か尚しょう釈しゃくして (法事讃巻下) いはく、 「随縁ずいえんの雑善ぞうぜんおそらくは生しょうじがたし。 ゆゑに如来にょらいをして要法ようぼうを選えらばしむ」 と。 云々

◇▲善導和尚釈云、「随縁ノ雑善恐ハ難↠生ジ。故ニ使↣如来ヲシテ選バ↢要法ヲ↡。」 云云

ここに知しりぬ雑善ぞうぜんをもつて少しょう善根ぜんごんと名なづけ、 念仏ねんぶつをもつて多た善根ぜんごんといふべきといふ事ことを。 この ¬経きょう¼ はすなはち少しょう善根ぜんごんなる雑善ぞうぜんを捨すてて、 もつぱら多た善根ぜんごんなる念仏ねんぶつを説とくなり。

◇爰ニ知ヌ以テ↢雑善ヲ↡名ケ↢少善根ト↡、以↢念仏ヲ↡可↠云↢多善根↡云事ヲ。此ノ¬経ハ¼則捨テヽ↢少善根ナル雑善ヲ↡、専0160ラ説↢多善根ナル念仏ヲ↡也。

近来きんらい度わたりたる唐書とうしょに ¬龍りゅう舒じょの浄じょう土ど文もん¼ と申もうす文もんの候そうろふ。 それに ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ の脱文だつもんと申もうして、 二に十じゅう一いち字じある文もんを出いだせり。 「一心いっしん不ふ乱らん」 の下しも (龍舒浄土文巻一) にいはく、 「専せん持じ名みょう号ごう、 以い称名しょうみょう故こ諸罪しょざい消しょう滅めつ、 即そく是ぜ多た善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねん」 と。 云々 すなはちかの文もんのみにこの文もん (龍舒浄土文巻一) を出いだしていはく、 「いまの世よに伝つたふるところの文もん、 この二に十じゅう一いち字じを脱だっせり」 と。 云々 この脱文だつもんなしといへども、 ただ義ぎをもつて思おもふに多た少しょうの義ぎありといへども、 まさしく念仏ねんぶつを指さして多た善根ぜんごんといふ文もん、 まことに大切たいせつなり。

◇近来度タル唐書ニ▲¬龍舒ノ浄土文ト¼申ス文ノ候。其 レニ申シテ↢¬阿弥陀経ノ¼脱文ト↡、出セリ↧有ル↢二十一字↡之文ヲ↥。「一心不乱ノ」下ニ云ク、「専持名号、以称名故諸罪消滅、即是多善根福徳因縁。」 云云 即彼ノ文ノミニ出シテ↢此ノ文ヲ↡云ク、「今ノ世ニ所ノ↠伝文、脱セリト↢此二十一字ヲ↡。」 云云 雖↠無ト↢此ノ脱文↡、只以テ↠義ヲ思ニ雖↠有ト↢多少ノ義↡、正ク指シテ↢念仏ヲ↡云フ↢多善根↡文、実ニ大切也。

次つぎに六方ろっぽう諸仏しょぶつの証誠しょうじょうの説せつ。 かの六方ろっぽうの諸仏しょぶつの証誠しょうじょう、 ただこの一いっ経きょうのみに限かぎりて証誠しょうじょうしたまふに似にたりといへども、 実じつをもつて案あんずれば、 この ¬経きょう¼ に限かぎらず。 総そうじて念仏ねんぶつ往おう生じょうを証誠しょうじょうす。

◇次六方諸仏ノ証誠ノ説。彼六方ノ諸仏ノ証誠、雖↠似ト↧但限テ↢此ノ一経ノミニ↡而証誠タマフニ↥、以テ↠実ヲ案ズレバ者、不↠限↢此ノ¬経ニ¼。総ジテ証↢誠ス念仏往生ヲ↡也。

しかれどももし ¬双巻そうかん経ぎょう¼ につきて証誠しょうじょうせば、 かの ¬経きょう¼ に念仏ねんぶつ往おう生じょうの本願ほんがんを説とくといへども、 三輩さんぱいのなか菩ぼ提だい心等しんとうの行ぎょうあるがゆゑに、 念仏ねんぶつの一いち行ぎょうを証誠しょうじょうする旨むね顕あらわるべからず。 もし ¬観かん経ぎょう¼ を証誠しょうじょうせば、 かの ¬経きょう¼ に後のちに念仏ねんぶつを説とくといへども、 またはじめに定じょう散さんの行ぎょうあり、 ゆゑに念仏ねんぶつを証誠しょうじょうする義ぎ顕あらわるべからず。 これをもつてただ一向いっこうに念仏ねんぶつを説ときたるこの ¬経きょう¼ を証誠しょうじょうしたまふなり。

◇然ドモ而若付テ↢¬双巻経ニ¼↡而証誠セバ者、彼¬経ニ¼雖↠説ト↢念仏往生ノ本願ヲ↡、三輩ノ之中有ガ↢菩提心等ノ行↡故、証↢誠スル念仏ノ一行ヲ↡旨不↠可↠顕ル。若シ証↢誠セバ¬観経ヲ¼↡者、彼ノ¬経ニ¼雖↣後ニ説ト↢念仏ヲ↡、亦初ニ有リ↢定散ノ行↡、故ニ証↢誠スル念仏ヲ↡義不↠可↠顕。爰以証↧誠唯一向ニ説タル↢念仏ヲ↡此ノ¬経ヲ¼↥給也。

ただし証誠しょうじょうの言ことばはこの ¬経きょう¼ にありといへども、 証誠しょうじょうの義ぎはかの ¬双巻そうかん¼・¬観かん経ぎょう¼ にも通つうずべし。 ただ ¬双巻そうかん¼・¬観かん経ぎょう¼ のみにあらず、 もし念仏ねんぶつ往おう生じょうの旨むねを説とかん経きょうをば、 ことごとく六方ろっぽうの如来にょらいの証誠しょうじょうあるべきと意こころ得うべきなり。

◇但証誠ノ之言ハ雖↠在ト↢此ノ¬経ニ¼↡、証誠ノ之義ハ可シ↠通ズ↢彼ノ¬双巻¼・¬観経ニモ¼。非ズ↢啻タヾ¬双巻¼・¬観経ノミニ¼、若シ説ン↢念仏往生ノ旨ヲ↡之経ヲバ、悉ク可ト↠有ル↢六方ノ如来ノ証誠↡可↠得↠意也。

▲ゆゑに天台てんだいの ¬十じゅう疑ぎ論ろん¼ にいはく、 「¬阿あ弥陀みだ経きょう¼・¬大だい無む量りょう寿じゅ経きょう¼・¬鼓く音おん声じょう陀羅尼だらに経きょう¼ 等とうにいはく、 釈しゃ迦か仏ぶつ経きょうを説ときたまふ時ときに、 十方じっぽう世せ界かいにましますおのおの恒ごう河が沙しゃの諸仏しょぶつ、 その舌相ぜっそうを舒のべてあまねく三千さんぜん世せ界かいに覆おおひ、 一切いっさい衆しゅ生じょうの阿あ弥陀みだ仏ぶつの大願だいがん大だい悲ひの願力がんりきを念ねんずるゆゑに、 決けつ定じょうして極楽ごくらく世せ界かいに生しょうずることを得うと証誠しょうじょうしたまへり」 と。 云々 仏ぶっ経きょうの功く徳どく、 大たい略りゃくかくのごとし。 仰あおぎ願ねがはくは 云々。

◇故ニ天臺ノ¬十疑論ニ¼云、「¬阿弥陀経¼・¬大無量寿経¼・¬鼓音声陀羅尼経¼等ニ云ク、釈迦仏説↢給フ経ヲ↡時ニ、有↢十方世界ニ↡各恒河沙ノ諸仏、舒↢其ノ舌相ヲ↡遍ク覆↢三千世界ニ↡、証0161↧誠シタマヘリト一切衆生ノ念ズル↢阿弥陀仏ノ大願大悲ノ願力ヲ↡故ニ、決定シテ得ト↞生コトヲ↢極楽世界ニ↡。」 云云 仏経ノ功徳、大略如シ↠此。仰ギ願クハ 云云。

黒谷上人語灯録巻第七

写本しゃほんは、 義ぎ山ざん公こうの三輪さんりんより一本いっぽんを借かり出いだし、 ふたたび二に尊院そんいんの蔵本ぞうほんをもつてこれを校きょうす。 いまかの校きょう本ほんをもつてこれを写うつしおはりぬ。 元禄げんろく十じゅう一年いちねん八月はちがつこの巻かんを写うつし校きょうす  恵え空くう

写本者、義山公自↢三輪↡借↢出一本↡、再ビ以↢二尊院之蔵本↡校↠之。今以↢彼校本↡写↠之畢。元禄十一年八月写此巻校  恵空

 

延書は底本の訓点に従って有国が行った。 なお、 訓(ルビ)の表記は現代仮名遣いにしている。
底本は大谷大学蔵江戸時代末期恵空本転写本。