0025しょうしんちゅう

 

しょうしんひゃくじっぎょうしゅろくじゅう。 これさんちょうこうしゃくによりて、 ほぼいっしゅう大綱たいこうようぶ。

0005正信偈百二十句、行数六十。 レ テ↢三朝高 ノ ニ↡、粗 ブ↢一宗大 ノ要義↡。

はじめより 「无過むかいたるまでじゅう四句しくじゅうぎょうは、 これ ¬だいきょう¼ のこころ

 リ ノ ノ句↡至↢ マデ「无過 ニ」↡四十四句二十二 ハ、是¬大 ノ¼意。

いん以下いげ四句しくぎょうは、 そうじてさんちょう祖師そしおなじくじょうきょうをあらわすこころひょうす。 しゃ以下いげいちじゅう二句にくろくぎょうもんは、 これりゅうじゅさん、 そのはじめ四句しくは、 ¬りょうきょう¼ による、 つぎはっは、 これ ¬十住じゅうじゅう毘婆びば娑論しゃろん¼ による。 つぎじゅう二句にくろくぎょうもんは、 これ天親てんじんさん、 ¬じょうろん¼ による。 つぎじゅう二句にくろくぎょうもんは、 これらんさん、 ¬ろんちゅう¼ による。 つぎはっぎょうもんは、 これしゃくこうさん、 ¬安楽あんらくしゅう¼ による。 つぎはっぎょうもんは、 これだいさんつぎはっぎょうもんは、 これしんさん、 ¬ようしゅう¼ による。 つぎはっぎょうもんは、 これ源空げんくうしょうにんさん、 ¬せんじゃくしゅう¼ による。 つぎ四句しくは、 これ総結そうけつなり。

「印度」以下四句二 ハ ジテ ス↧三朝祖師 ク顕↢浄 ノ ヲ ヲ↥。「釈迦」以下一十二句六行之 ハ、是龍 ノ讃、 ノ ノ ハ ル↢¬楞伽 ニ¼↡、次之八 ハ、是依↢¬十住毘婆娑 ニ¼↡。次十二句六行之文、是天 ノ讃、 ル↢¬浄土 ニ¼↡。 ノ十二句六行之文、是鸞 ノ讃、↢¬ ノ ニ¼↡。次之八句四行之0026文、是綽 ノ讃、 ル↢¬安楽 ニ¼↡。<次之八句四行之 ハ レ ノ讃。次之八句四行之 ハ レ ノ讃、 ル↢¬要 ニ¼↡。次之八句四行之文、 レ源空聖人讃、依↢¬選択 ニ¼↡。次之四句、  レ総結也。

ふ。 「しょうしん」 とは、 これなんのぞや。

問。「正信 ト」者、 レ ノ ゾヤ乎。

こたふ。 「しょう」 とはぼうたいじゃたいぞうたいす。 「しん」 とはたいす、 いまこれぎょうたいす。 しょぎょうほうにつきて能信のうしんぐ。

答。「 ト」者 シ↠傍↠ ニ邪対↠ ニ。「 ト」者 ス ニ、今 レ ス ニ テ↢所 ノ ニ グ↢能 ノ ヲ↡。

 

¬だいきょう¼ のこころなかに、

¬大 ノ¼ ノ ニ

 

帰命无量寿如来  南无不可思議光

このいちぎょう二句にくは、 まづ寿じゅみょうこうみょう尊号そんごうげてみょうたいとなす。

此一行二句者、 ヅ テ↢寿命・光 ノ ヲ↡為↢帰0027 ノ ト↡。

願文がんもん (大経巻上) にいはく、 「たとひわれぶつたらんに、 こうみょうよくげんりょうありて、 しもひゃく千億せんおう那由なゆ諸仏しょぶつくにてらさざるにいたらば、 しょうがくらじ」 と。

願文云、「設我得↠仏、光明有↢能限量↡、下至↠ ラバ不↠ザルニ サ百千億那由他諸 ノ ヲ↡者、不取↢正覚↡。」

たとひわれぶつたらんに、 寿じゅみょうよくげんりょうありて、 しもひゃく千億せんおく那由なゆこういたらば、 しょうがくらじ」 と。

「設我得仏、寿命 テ ク限量↡、下至↢ ラバ百千億那由他 ニ↡者、不↠取↢正覚↡。」 (大経巻上) 文

和讃-「超世无上ニ摂取シ
選択五劫思惟シテ
光明・寿命ノ誓願ヲ
大悲ノ本トシタマヘリ」

善導ぜんどう-「南无なもといふはすなはちこれみょうなり、 またこれ発願ほつがんこうなり。 弥陀みだぶつといふはすなはちこれそのぎょうなり。 このをもつてのゆゑにかならずおうじょう (玄義分) と。

善導-「言南无者即是帰命、亦是発願廻向之義。言阿弥陀仏者即是其行。以斯義故必得往生。」

 

0028蔵菩薩因位時  在世自在王仏所
 覩見諸仏浄土因  国土人天之善悪
 建立无上殊勝願  超発希有大弘誓
 五劫思惟之摂受

このさんぎょうはんは、 これ法蔵ほうぞう発心ほっしんけんゆいとうそうあかす。

此三行半者、是 ス↢法蔵発心・見土・思惟 ノ ヲ↡。

¬きょう¼ (大経巻上) にいはく、 「くにおうててぎょうじて沙門しゃもんり、 ごうして法蔵ほうぞうといふ。 高才こうざい勇哲ゆうてつにして、 ちょうせり。 在王ざいおう如来にょらいみもともうでて ここに在王ざいおうぶつ、 すなはちためにひろひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつせつ天人てんにん善悪ぜんまくこくみょうををきて、 その心願しんがんおうじてことごとくげんじてこれをあたへたまふ。 ときにかの比丘びくぶつ所説しょせつごんじょうこくきて、 みなことごとくけんしてじょうしゅしょうがんちょうほつす。 そのしん寂静じゃくじょうにしてこころざししょじゃくなし。 一切いっさいけんによくおよものなし。 こうそくして、 ゆいしょうごん仏国ぶっこく清浄しょうじょうぎょう摂取せっしゅす」 と。

¬経¼云、「 ヲ捐↠王 ジテ作↢沙 ト↡、 シテ曰↢法 ト↡。高才勇哲、  ニシテ与世超異。 セリ詣↢世自在王如 ノ所↡ トニ 於是世自在王仏、即為 ク テ↢二百一十 ノ ノ刹土天人之善悪、国土之麁 ヲ↡、応↢ ジテ其心 ニ↡悉 ジテ与↠  タマフ ヲ。時 ノ比丘聞↢ ノ所説、厳浄国 ヲ↡、皆悉覩 シテ超↢ ス无上殊勝之 ヲ↡。其心寂静  ニシテ シ↢所著↡。一切世 ニ无↢ ク ブ者↡。具↢ シテ ヲ↡、思惟摂↢ ス荘厳仏 ノ清浄之 ヲ。」

 

0029誓名声聞十方

このいっは、 三誓さんせいなかだいさんぎょうこころ、 すなはち 「われ仏道ぶつどうらんにいたるに、 名声みょうしょう十方じっぽうえて、 きょうしてきこゆるところなくは、 ちかひてしょうがくらじ」 (大経巻上)といへる いちぎょう、 すなはちこれだいじゅう七願しちがんじょうじゅこころなり。

此一句者、三誓 ノ ノ第三行意、即云↧ ヘル レ至↠成↢ ンニ ヲ↡、名声 テ↢十 ニ↡、究 シテクハ所↠聞、 テ不↞成↢正 ヲ↡」一行、即是第十七願成就意也。

 

普放无量无辺光  无无対光炎王
 清浄歓喜智慧光  不断難思无称光

 超日月光照塵刹  一切群生蒙光照

このさんぎょうろっは、 つぶさにじゅう光仏こうぶつげてそのやくたんず。

此三行六 ハ ニ テ↢十二光仏之 ヲ ズ↢其利 ヲ↡。

きょうごう (述文賛) しゃくしていはく、 「りょう光仏こうぶつ 算数さんじゅにあらざるがゆゑにへん光仏こうぶつ えんとしててらさざることなきがゆゑに无むげ光仏こうぶつ 人法にんぽうとしてよくふることあることなきがゆゑにたい光仏こうぶつ もろもろのさつおよぶところにあらざるがゆゑに炎王えんのう光仏こうぶつ こうみょうざいにしてさらにじょうとなることなきがゆゑに清浄しょうじょう光仏こうぶつ とん善根ぜんごんよりしてげんずるがゆゑに、 またしゅじょうとんじょくこころのぞくなり。 とんじょくこころなきがゆゑに清浄しょうじょうといふかん光仏こうぶつ しん善根ぜんごんよりしてしょうずるがゆゑに、 よくしゅじょうしんじょうしんのぞくがゆゑに智慧ちえ光仏こうぶつ 无痴むち善根ぜんごんしんよりおこる、 しゅじょうみょう品心ぼんしんのぞくがゆゑにだん光仏こうぶつ ぶつじょうこうつねにしょうやくをなすがゆゑになん光仏こうぶつ もろもろのじょう測度しきたくするところにあらざるがゆゑにしょう光仏こうぶつ またじょうとう堪説かんせつするところにあらざるがゆゑにちょう日月にちがっ光仏こうぶつ おうじてつねにてらすことあまねからずして、 しゃ一耀いちようひかりなるがゆゑに」 と。 一々いちいちしょうとくかくのごとし。

憬興師釈云、「无量光仏 非↢  ザルガ ニ ニ。无辺0030光仏 无↢ キガ縁  トシテ不↟  ザルコト ニ。无光仏 无↠ キガ有↢ コト ト而能障  ルコト ニ。无対光仏  ガ ノ菩薩之 ニ↟及 ニ。炎王光仏 光明自在  ニシテ ニ无↠為↠  ルコト ト ニ。清浄光仏 従↢无貪善根↡而 ルガ ニ、亦除↢衆生貪濁之心↡也。无↢貪濁之心↡ ニ云↢清 ト。歓喜光仏 従↢无瞋善根↡而 ガ故、 ク ク↢衆生瞋恚盛 ヲ ニ。智慧光仏 従↢无痴善 ノ心↡ ル ク↢衆生無明品 ヲ↡故。不断光仏 仏之常光 ニ為↢照 ヲ ニ。難思光仏 非↣ ノ ノ所↢測度↡ スル ニ。无称光仏非↣ ルガ余乗 ノ所↢堪説↡故。超日月光仏 日応恒 コト不↠ シテ周、 アマネカラ娑婆一耀之光  ナルガ ニ。」一々勝徳如↠此。

またこのなかに 「塵刹じんせつ」 といふは、 ¬きょう¼ (大経巻上) にいはく、 「いまし東方とうぼう恒沙ごうじゃ仏刹ぶっせつてらす。 南西なんざい北方ほっぽうゆいじょうもまたかくのごとし」 と。 すでに十方じっぽうじんせつなんぞゆいあらん。 これをもつていまのさんに 「しょう塵刹じんせつ」 といふ。

又此 ニ言↢「塵 ト」↡者、¬経¼云、「 シ ス↢東方恒沙仏 ヲ↡。南西北方・四維・上 モ亦復如↠是。」 既十方微塵刹土 ゾ有↢ユイ余↡。是以 ノ ニ云↢「照塵 ト」↡。

 

本願名号正定業

このいっは、 じゅう七願しちがんこころなり。 いはゆる 「たとひわれぶつたらんに、 十方じっぽうかいりょう諸仏しょぶつ、 ことごとくしゃして、 わがしょうせずは、 しょうがくらじ」 と。 (大経巻上)

此一句者、十七 ノ意。 ナリ所謂「設我得↠仏、十方世 ノ ノ諸仏、不↣ ク嗟、 シテ セ↢我 ヲ↡者、不0031↠取↢正覚↡。」

 

至心信楽願為因  成等覚証大涅槃
 必至滅度願成就

このさんは、 じゅう一願いちがんこころなり。 いはゆる 「たとひわれぶつたらんに、 こくちゅう人天にんでんじょうじゅじゅうし、 かならずめついたらずは、 しょうがくらじ」 と。 (大経巻上)

此三句者、十一願意。 ナリ所謂「設我得↠仏、国中人天、不↧住↢定 ニ↡、必至↦滅 ニ↥者、不↠取↢正覚↡。」

 

如来所以興出世  唯説弥陀本願海
 五濁悪時群生海  応信如来如実言

このぎょう四句しくは、 これ如来にょらいしゅっ本懐ほんかいしめして、 如来にょらいじつ信受しんじゅすべきことをすすむ。 いはゆる 「如来にょらいがいだいをもつて三界さんがい矜哀こうあいして、 しゅっこうしたまふゆゑは、 どうきょう光闡こうせんして群萌ぐんもうすくめぐむに真実しんじつをもつてせんとおぼしてなり」 (大経巻上) と。

此二行四句、是示↢如来出世本 ヲ↡、 ム応↣  コトヲ信↢ ス如来実 ヲ↡。所謂「如来以↢無蓋大 ヲ↡矜↢ シテ三界↡、所↣以ユヘハ出↢興  タマフ ニ↡、光↢ シテ ヲ欲↧ オボシテ ヒ↢群 ヲ ムニ以↦  セント真実之 ヲ↥。」

0032じゃく (大経義記巻上) のいはく、 「がいといふは、 なほしじょうのごとし。 さらにすでにうえがいすることなきがゆゑなり」 と

義寂云、「言↢無蓋↡者、 シ↢無 ノ↡。 ニ已無↣ ノ ノ覆↢蓋   スルコト上↡故」

このもんなかにまた光闡こうせん」 とは、 きょうぼうひとするをづけてどうきょうとなす。 しょうしてものやくするをもつて真実しんじつとなす 真実しんじつ」 とは これみょうごうす、 すなはちこれぶっなり

此文中亦 「光闡」者、教法利↠  スルヲ ヲ テ ス↢道教↡。証↠ シテ ヲ益↠  スルヲ ヲ テ ス↢真 ト「真実利」者 指此名号、即是仏智

 

能発一念愛心 不断煩悩得涅槃

凡聖逆謗斉廻入  如衆水入海一味

このぎょう四句しくは、 これ煩悩ぼんのうざいしょうぼん、 ただ一念いちねん真実しんじつ信心しんじんをもつて、 そのしょうやくることをあかす。

此二行四句者、是 ス↧煩悩罪障凡夫、唯以↢一念真実信 ヲ↡、得↦  コトヲ其証 ヲ↥。

能発のうほつ」 とらは、 信心しんじんそうあかす。 「」 はいはくかん、 「あい」 はいはくあいぎょう、 これすなはちしんぎょうなり。

「能発」等者、 ス↢信 ノ ヲ↡。「 ハ ク歓喜、「 ハ ク愛楽、是則信楽。 ナリ

だん」 とらは、 ¬ろんちゅう¼ のにいはく、 「しょうごん清浄しょうじょう功徳じょうじゅとは、 かのかいそうかんずるに、 三界さんがいどうしょうするがゆゑに。 これいかんが思議しぎなる。 ぼんにん煩悩ぼんのうじょうじゅせるありてまたかのじょうしょうずることを三界さんがいごうひっきょうじてかず。 すなはちこれ煩悩ぼんのうだんぜずしてはんぶんるなり」 と。

「不断」等者、¬論 ノ¼下云、「荘厳清浄功徳成就者、観↢彼世 ノ ヲ↡、勝↢過三 ノ ニ ニ。此云何不思議。有↢凡夫人煩悩成就↡ セル生↢  コトヲ彼浄 ニ↡、三界繋業、畢 ジテ不↠則是不↠断↢煩 ヲ得↢  ルナリ涅槃 ヲ↡。」

ふ。 いまの ¬ちゅう¼ のしゃくは 「はんぶん」 といふ、 いまぶんといはず、 いかん。

0033 ノ¬ ノ¼ ハ云↠「 ト↢涅 ノ ヲ↡」、今不↠云↠ ト如何イカン

こたふ。 ぶんしょしょうやくす、 きょうやくせばよろしくこのりゃくすべし、 あるいはまた七言しちごんしゅ調ととのへんがためにこれをのぞくにしつなし。

答。 ハ約↢初 ニ↡、約↢ セバ ニ ク ス ノ ヲ↡、或又為↠調↢七 ノ ヲ除↠ クニ ヲ無↠失。

ぼんしょう」 とらは、 これ善悪ぜんまくしょことなりといへども、 ひとしく仏願ぶつがんじょうじておなじくほうしょうじぬれば、 その差別しゃべつなきことをあらわす。

「凡聖」等者、是 ス↧善 ノ諸機雖↠ ドモ殊、  ナリト ク乗↢ ジテ ニ↡同生↢  ジヌレバ ニ↡、無↦ コト其差別↥。

¬ろんちゅう¼ のじょうに、 しょうごんしょうどくじょうじゅすと、 しょうしゃくす。 いはく、 「またしょうといふはこれ必然ひつねんがいなり。 かいしょういちにして、 しゅいりぬればかならずいちとなりて海水かいすいかれにしたがひてあらたまらざるがごとし」 と。

¬ ノ ノ¼ ニ解↢ スト荘厳性功徳成 ヲ↡、 ス ノ ヲ↡。云、「又言↠ ト是必 ノ義、不改義。 ナリ シ↧海 ノ味、  ニシテ衆流入  ヌレバ者必為↢一 ト↡海水不↦ ルガ随↠彼 ラ↥。」

 

摂取心光常照護  已能雖破無明闇
 貪愛瞋憎之雲霧  常覆真実信心天
 譬如日光覆雲霧  雲霧之下明無闇

このさんぎょうろっは、 これ弥陀みだこうしょうやくあかす。 貪瞋とんじんしょうへいこれをずといへども、 だいものうからずして、 しょうむことなし、 しん退たいてかならずおうじょう

此三行六句者、是明↢弥陀光摂之 ヲ↡。貪瞋0034障蔽雖↠不↠見↠之、大悲不↠倦、摂護無↠ シテ止、 コト テ↢心不退 ヲ↡必得↢往 ヲ↡。

ひていはく、 もし無むげこう如来にょらいこうみょうりょうにして、 十方じっぽうこくてらすにしょうするところなしといはば、 このけんしゅじょうなにをもつてかこうしょうこうむらざる。 ひかりてらさざるところあれば、 あにあるにあらざるや。

「問曰、若言↧無光如来光明無量、  ニシテ照↢ スニ ノ ヲ↡無↞所↢障↡ スル者、此間衆生何モテカ不↠ ザル蒙↢光照↡。 ニ有↠所↠不↠照、豈非↠有↠ ルニ耶。

こたへていはく、 しゅじょうぞくす、 ひかりにはあらざるなり。 たとへば日光にっこうてんあまねくしてしかも盲者もうじゃざるがごとし。 日光にっこうあまねからざるにはあらず」 と。

答曰、 ハ属↢衆 ニ↡、 ズ ノ↡ ニハ也。 ヘバ如↧日光周↢四天 ニ モ ハ不↞ ルガ見。非↢日 ノ不↟周。 カラ

がんじょうの ¬弥陀みだきょうしょ¼ にいはく、 「まさにるべし。 われら仏光ぶっこうなかしょしてすべてかくせず、 仏光ぶっこうはつねにせっして、 あきらむるにえんすることなし。 盲人もうにん日輪にちりんしたせるがごとし。 またこんちゅうねがひてしょるがごとし。 むねでてみづからむ、 じつつうすべし」 と。 三毒さんどくおおはれて仏光ぶっこうざること、 盲人もうにん日光にっこうを見ざるにおなじ。

元照¬弥陀 ノ ニ¼云、「当知。我輩処↢ シテ ノ ニ テ不↢智 セ↡、仏 ハ ニ摂、 シテアキラ ムルニ シ↢厭棄↡。  スルコト シ↣如盲 ノ居↢  セルガ ノ ニ↡。又如↣溷虫 コンチウノ テ在↢穢 ニ↡。 ヲ ヲ ラ ム ニ可↢悲 ス↡。」 ニ所↠覆不↠ コト見↢仏 ヲ↡、義 ジ↢盲人不↟ザルニ見↢日 ヲ↡。

 

獲信見敬大慶喜  即横超截五悪趣
 一0035切善悪凡夫人  聞信如来如実言

五種嘉誉「人中好人、人中妙好人、人中上々人、人中希有人、人中最勝人」(散善義)

 仏言広大勝解者  是人名分陀白蓮華 利華

このさんぎょうろっは、 これ念仏ねんぶつ真実しんじつぎょうじゃ信心しんじんしょうあらわす。 聞法もんぼうほん信心しんじんおこすにあり、 ゆゑに 「ぎゃくしん」 といふ。

此三行六句者、是顕↢念仏真 ノ行者信 ノ ヲ↡。聞 ノ ハ リ発↢ スニ信心↡、故 フ↢「獲 ト」↡。

即横そくおう」 とらは、 「必得ひっとくちょうぜつ (大経巻下) とうもんこころなり。

「必得超絶去 往生安楽国 横截五悪趣 悪趣自然閉(大経巻下)

「即横」等者、「必得超絶去」 ノ ノ意。 ナリ

悪趣あくしゅ」 とは、 これどうなり。 じょうよう (大経義疏巻下) のいはく、 「いまこれ弥陀みだじょうせつ約対やくたいして、 しゃどうをひとしく悪趣あくしゅづく。 ごくちくじゅんあく所向しょこうづけて悪趣あくしゅとする。 しゃ人天にんでん雑業ぞうごう所向しょこう、 また悪趣あくしゅづく。 もしこのほうしゅじゅう断除だんじょによらば、 まづ見惑けんわくだんじてさんいんはなれ、 さんめっす。 のち修惑しゅわくだんじて人天にんでんいんはなれ、 人天にんでんつ。 ぜん断除だんじょなれば、 横截おうぜつづけず。 もし弥陀みだじょうおうじょうすることをぬれば、 しゃどういちとんつ、 ゆゑに横截おうぜつづく」 と。 じゃく (大経義記巻下) いはく、 「もし穢土えどきては、 しもみつあくとなし人天にんでんぜんとなす。 いまじょうたいしてはいつつをみなあくづく。 ひとたびおうじょうすることをればどうとんつ、 ゆゑに横截おうぜつといふ」 と。

「五悪 ト」者、是五道也。浄影師云、「今此約↢ シテ ノ ニ↡、娑 ノ ヲ ク名↢悪 ト↡。地獄・鬼・ ハ ノ所向、名為↢悪 ト↡。娑 ノ ハ ノ所向、亦名↢悪 ト↡。若依↢ ラバ ノ ノ修習断 ニ↡、 ヅ断↢ ジテ ヲ レ↢三 ノ ヲ↡、 ス↢三 ノ ヲ↡。 ニ断↢ ジテ0036 ヲ レ↢人 ノ ヲ↡、 ツ↢人 ノ ヲ↡。漸 ノ除、  ナレバ不↠名↢横 ト↡。若得↣ レバ往↢生  コトヲ弥陀浄 ニ↡、娑 ノ五道一 ニ ニ ツ ニ名↢横 ト↡」。 義寂師云、「若就↢穢 ニ↡、 ノ ヲ為↠ ト ヲ為↠ ト。今対↢  シテハ ニ ヲ ク ト。一得↢  ヌレバ ヲ↡五道 ニ ツ ニ云↢横 ト↡。」

 

弥陀仏本願念仏  邪見軽慢悪衆生

「一代諸教ノ信ヨリモ」(浄土和讃)云々

信楽受持甚以難 難中之難無過斯

このぎょう四句しくは、 これ信受しんじゅ甚難じんなんなることをあかして、 遇法ぐうほう要益ようやくしきせしめんとほっす。

此二行四句者、是明↢ シテ信受甚難↡、 コトヲ ス令↣ ント識↢ セ ノ ヲ↡。

しんぎょう」 とは、 こうの ¬¼ (倶舎論記巻四) しゃくしていはく、 「しんしゅあり。 ひとつには忍許にんきょそう、 あるいはしんづく、 にしておなじ。 ふたつにはよくぎょうそう、 あるいはしんぎょうづけ、 あるいは信愛しんあいづく、 にしておなじ」 と。

「信0037楽」者、 ノ¬ ニ¼ シテ云、「 ニ リ↢二種↡。一忍 ノ相、 ハ ク↢信 ト↡、名異  ニシテ ジ。二欲 ノ相、 ハ ケ↢信 ト↡、或 ク↢信 ト↡、名異  ニシテ ジ。」

¬ひゃっ法論ぽうろんしょ¼ (巻下) にいはく、 「いかなるをかしんとする。 じつ徳能とくのうにおいて深忍じんにんぎょうよくしんじょうなるをしょうとなす。 しんたいしてぜんねがふをごうとなす」 と。

¬百法 ノ ニ¼ ク、「 ナ ルヲカ ト テ ノ ニ↡深忍楽 ノ浄  ナルヲ為↠ ト。対↢ シテ ヲ楽↠ フヲ ヲ ト。」

¬唯識ゆいしきろん¼ (成唯識論巻六) にいはく、 「にんはいはくしょう、 これすなはちしんいんなり。 ぎょうよくはいはくよく、 すなはちこれしんなり」 と。

¬唯識 ニ¼云、「 ハ ク勝解、此即 ノ因。楽 ハ謂欲、即是 ノ果。 ナリ

これらのもんして、 しん二義にぎあり。 いはゆる忍許にんきょあいぎょうとこれなり。 いま 「しんぎょう」 とはすなはちこの二意にいなり。

依↢ シテ ノ ニ↡、 ニ有↢二義↡。所謂忍 ト ト是也。今「信 ト」者則此二意。

じゅ」 といふは、 じゃく (大経義記巻下) のいはく、 「じゅとはしんりょうのうをなすがゆゑに、 とはわすれざるがゆゑに」 と。

言「受持」者、義寂師云、「 ト作↢ナスガ ノ ヲ↡故、 ト テ↠記不↠忘 ニ。」

なんちゅう」 とらは、 ¬きょう¼ (大経巻下) にいはく、 「もしこのきょうきてしんぎょうじゅすること、 なんなかなんなり、 このなんぐるなし」 と。

「難 ト」等者、¬経¼云、「若 テ↢斯 ヲ↡信楽受持、  スルコト ノ ノ難、 ナリ無↠過↢此難↡。」

じょうようのいはく、 「さきみつ約対やくたいしてこのきょうなか修学しゅがくもつともかたきことをあかす。 余義よぎほう処々しょしょによろしくくべし。 じょう開顕かいけんしてひとをしておうじょうせしむるはひとりこのいっきょうなり。 これをもつともかたしとなす」 と。 前三ぜんさん」 といふは、 諸仏しょぶつきょうどうさつしょうぼう聞法もんぼうのうぎょう、 これみなかたしとなす。 みつたいするにいまの ¬きょう¼ 第一だいいちかたし。

浄影師云0038、「約↢ シテ ノ ニ↡明↢ ノ ノ ノ修学 モ難↡。 コトヲ余義余 ハ ニ ク説。開↢顕浄土↡教人  ヲシテ セ↡独 ノ経。 ナリ ス ヲ モ難↡ シト。」 言「前 ト」者、諸 ノ経道、菩 ノ勝法、聞法能行、是皆為↠難。 シト対↠  スルニ ノ¬経¼第 ニ シ也。

ふ。 この ¬きょう¼ をたもひと善悪ぜんまく二機にきさらにえらぶところなし。 なんぞ 「邪見じゃけんきょうまんとうといふや。

問。持↢此¬ ヲ¼↡人、善 ノ二機 ニ シ↠所↠選。 ゾ云「邪見・憍慢」 ト↡耶。

こたふ。 念仏ねんぶつひろ善悪ぜんまくわたることきてろんぜず。 しかりといへどももつぱら障重しょうじゅう根鈍こんどんをもつてしょうとするがゆゑに、 まづ悪人あくにんやくす、 善人ぜんにんのぞくにはあらず。

答。念仏之機広亘↢ コト ニ↡置而不↠論。雖↠ ドモ ト専以↢障重根 ヲ↡為↢正 ト ニ ヅ ス↢悪 ニ↡、 ズ除↢ ニハ ヲ↡。

 

印度西天之論家  中夏日域之高僧

顕大聖興世正意  明如来本誓応機

このぎょう四句しくは、 そうじてさんちょう高僧こうそうきょうしょう本心ほんしんあかす。

此二行四句者、 ジテ ス↢三朝高僧弘教利 ノ ヲ↡。

顕大けんだい」 とらは、 これしゃくそん発遣はっけんしょうあらわす。

「顕0039大」 ト者、是 ス↢釈尊発 ノ ヲ↡。

みょうにょ」 とらは、 これ弥陀みださい仏願ぶつがんを示す。

「明如」等者、 レ ス↢弥陀済 ノ ヲ

 

「南天竺ニ比丘アラン」(高僧和讃)ト云々

釈迦如来楞伽山  為衆告命南天竺
 龍樹大師出於世  悉能摧破有無見

「本師龍樹菩薩ハ大乗無上」(高僧和讃)ト云々

 宣説大乗无上法  証歓喜地生安楽

このさんぎょうろっは、 これしゃくそんらいせつあかす。 ¬りょうきょう¼ (魏訳巻九総品意) にいはく、 「わがじょうないしょう妄覚もうがくきょうがいにあらず。 如来にょらいめつのち、 たれぞたもちてわがためにかん。 らいにまさにひとあるべし。 みなみ大国たいこくなかにおいて、 大徳だいとく比丘びくありてりゅうじゅさつづけん。 よく有无うむけんして、 ひとのためにわがじょうだいじょうじょうほうきて、 しょかんじゅうして安楽あんらくこくおうじょうせん」 と。 この ¬きょう¼ のもんこころ真言しんごんぎょうにんきょうやくすとおもへり。 しんしゅう学者がくしゃ念仏ねんぶつかうぶらしめんとす。

此三行六句者、是 ス↢釈尊未来 ノ ヲ↡。¬楞伽経¼云、「我乗内 ノ智妄覚 ズ↢境 ニ↡。如0040来滅 ノ後、誰持為↠我 ン。未 ニ ニ↠有↠人。 テ↢南大 ノ ニ↡、 テ↢大徳比丘↡名↢ ケン龍樹菩 ト↡。 ク破↢ シテ有无 ヲ↡、為↠ ノ テ ガ乗大乗無 ノ ヲ↡、住↢ シテ初歓喜 ニ↡往↢ セン安楽 ニ↡。」 此¬経¼ ノ意、真 ノ ハ謂↠ オモヘリ約↢ スト ニ↡。真 ノ ハ被↢ ント ニ↡。

ないしょう」 とは、 弥陀みだ五智ごちなり。

「内証 ト」者、弥 ノ五智。

妄覚もうがく」 とは、 しょうもんさつ如来にょらい智慧ちえかいはからざるなり。

「妄 ト」者、声聞・菩薩不↠測↢如 ノ智慧 ヲ↡也。

わがじょうだいじょうじょうほう」 とは、 念仏ねんぶつ三昧ざんまいなり。 りゅうじゅさんなかに、 おお弥陀みださんじて稽首けいしゅ礼拝らいはいす。 ゆゑに真門しんもんしてみづから 「わがじょう」 といふ。

「我乗大乗无上 ト」者、念仏三昧。 ナリ ノ ノ ニ、多 テ↢弥 ヲ↡稽首礼 ス ニ指↢ シテ ヲミ  フ↢「我 ト」↡。

いま 「だいじょうじょうほう」 といふは、 すなはちこれ念仏ねんぶつなり。 ぶつみょうごうをもつてをきてだいとなし、 またじょうどくといふがゆゑなり。 なかんづくすでに安楽あんらくおうじょうく。 このゆゑにしゃくそんらいもんりゅうじゅしゅっ、 もつぱら弥陀みだきょうずうせんがためなり。

今言↢「大乗無上 ト」↡者、即是念仏。 ナリ ノ テ↢名 ヲ↡説 シ↢大 ト↡、又言↢ フガ ノ ト↡故也。就↠中 ニ ク↢安 ノ ヲ↡。是 ニ釈尊未 ノ記文、龍 ノ出世、 ラ為↣弘↢通弥陀 ヲ↡也。

 

顕示難行陸路苦  信楽易行水道楽

このいちぎょう二句にくは、 はんじてなんどう得失とくしつしめす。 そのもん、 もと ¬十住じゅうじゅうしゃ¼ (巻五易行品意) いでたり。 いはゆる 「なんぎょうどうとは、 いはくじょくぶつときにおいて阿毘あびばっもとむるをなんとなす。 このなん多途たずあり。 いまこれをりゃくす。 たとへばろくぎょうはすなはちくるしきがごとし。 ぎょうどうとは、 いはくただ信仏しんぶつ因縁いんねんをもつてじょうしょうぜんとがんず、 仏願ぶつがんりきじょうじて、 すなはちかの清浄しょうじょうおうじょうすることを。 たとへばすいじょうせんはすなはちたのしきがごとし。」

0041一行二句者、 ジテ示↢難易二道得 ヲ↡。其文、源出↢ タリ¬十住婆 ニ¼↡。所謂「難行 ト者、 ク テ↢五濁之世無仏之 ニ求↢ ルヲ阿毘跋 ヲ ス ト ノ ニ リ↢多途↡。今略↠之。譬 シ↢陸 ノ ハ苦↡。 シキガ易行 ト者、謂但 テ↢信仏因 ヲ ズ生↢  ゼント ニ↡、乗↢ ノ ニ↡、便得↣往↢生彼清 ノ ニ↡。 バ シ↢水路之乗 ハ楽↡ キガ。」

 

憶念弥陀仏本願  自然即時入必定

このいちぎょう二句にくは、 「これよくこのぶつりょうりきどくねんずれば、 そくひつじょうる、 このゆゑにわれつねにねんじたてまつる」 (十住論巻五易行品) もんこころなり。

此一行二句者、「是能ビバサ論文念是仏、無量力功徳、即時入必定、是故我常念」文意也。

 

「弥陀大悲ノ恩ヲフカク信ン人」(正像末和讃)ト云々

唯能常称如来号  応報大悲弘誓恩

このいちぎょう二句にくは、 総結そうけつしゃくなり。 ぎょうほうひてしゅつこころにあり、 りき仏恩ぶっとん報謝ほうしゃすべきことをすすむ。

此一行二句者、総結釈也。 テ↢易行 ニ↡出離0042在↠ ニ ム応↣  コトヲ報↢ ス ノ ヲ↡。

 

「天親論主ハ一心ニ」(高僧和讃)ト云々

天親菩薩造論説  帰命无光如来

このいちぎょう二句にくは、 造論ぞうろんひょうしてみょうこころぶ。

此一行二句者、標↢ シテ ノ ヲ ↡述↢帰 ノ ヲ↡。

 

依修多羅顕真実  光闡横超大誓願

「論主ノ一心トトケルヲバ」(高僧和讃)ト云々

 広由本願力廻向  為度群生彰一心

このぎょう四句しくは、 これしょ真実しんじつあかし、 またおうちょうりきやくあらわす。 ¬ろん¼ のなかおうちょうことばなしといへども、 さんぎょう一論所説しょせつ法門ほうもんたいおなじきがゆゑに、 かの ¬きょう¼ (大経巻下) なかにあるいは 「おうちょう」 といひ、 あるいは 「横截おうぜつ」 といふによりて、 いま 「おうちょう」 といふ。 まただいしゃくにこのみょうもくあり、 ゆゑに 「おうちょうだい誓願せいがん」 といふなり。

此二行四句者、是明↢所依真実之 ヲ↡、又顕↢横超他力之 ヲ↡。¬ ノ¼中雖↠无↢横超之言↡、三経一論所説法門体 キガ ニ テ ノ¬経¼ ニ ハ↢「横 ト」↡、或 ニ↦「横 ト」↥、今 フ↢「横 ト」↡。又大 ノ ニ有↢此名目↡、 ニ フ↢「横超大 ト」↡願也。

しょう一心いっしん」 とは、 「一心いっしん」 をす、 論主ろんじゅ一心いっしんぎょうじゃ一心いっしん、 そのしんおなじかるべし。 このゆゑにしゃくして 「為度いどぐんじょうj といふ。

「彰0043 ト」者、 ス↢「我一 ヲ」↡、論 ノ一心、行 ノ一心、 ノ シ ル。是故 シテ フ↢「為度群 ト」↡。

 

帰入功徳大宝海  必獲入大会衆数

得至蓮花蔵世界 即証真如法性身

遊煩悩林現神通  入生死園示応化

このさんぎょうろっは、 ¬ろん¼ のいつつもんなかだいだいさんだいもんこころなり。

此三行六句者、¬ ノ¼ ノ ノ ノ第二・第三・第 ノ ノ意。 ナリ

¬ろんちゅう¼ のにいはく、 「にゅうだいもんとは、 弥陀みだぶつ讃嘆さんだんして、 みょうずいじゅんして如来にょらいみなしょうし、 如来にょらいこうみょうそうによりてしゅぎょうするをもつてのゆゑに、 だいしゅしゅることを。 これをだい とづく。 如来にょらいみょうによりて讃嘆さんだんす。 これだいどくそうなり。 にゅうだい三門さんもんとは、 一心いっしん専念せんねんしてかしこにしょうぜんとがんし、 しゃ摩他また寂静じゃくじょう三昧ざんまいぎょうしゅするをもつてのゆゑに、 れんぞうかいることを。 これをにゅうだい三門さんもんづく。 寂静じゃくじょうしゅせんがためのゆゑに、 一心いっしんにかのくにしょうぜんとがんず。 これ第三だいさんどくそうなり。 しゅつだいもんとは、 だい慈悲じひをもつて一切いっさいのうしゅじょう観察かんざつして、 おうしんしめす。 しょうその煩悩ぼんのうはやしなかにゅうして、 神通じんずう遊戯ゆげしてきょういたる。 本願ほんがんりきこうをもつてのゆゑに。 これをしゅつだいもんづく」 と。

¬ ノ ノ¼ ニ ク、「入第二 ト者、以↧ テノ讃↢ シテ阿弥陀 ヲ↡、随↢ シテ ニ シ↢如来 ヲ↡、 テ↢如 ノ光明智 ニ↡修行↥  スルヲ ニ入↢  コトヲ大会 ノ数↡。 ヲ ク↢第二 ト↡。 テ↢如 ノ ニ↡讃 ス。是第 ノ ノ相。 ナリ入第三 ト者、 ノ↧一心専 シテ作↢ シテ生↟  ゼント ニ0044修↦  スルヲ奢摩他寂静三 ノ ヲ↥故、入↢  コトヲ蓮花蔵世 ニ↡。是名↢入第三 ト↡。 ノ修↢  センガ寂静 ヲ ニ、一 ニ ズ生↢  ゼント ノ ニ↡。是第 ノ ノ相。 ナリ 出第五 ト者、 テ↢大慈 ヲ↡観↢ シテ一切苦 ノ ヲ↡、 ス↢応化 ヲ↡。廻↢ シテ ノ↡、煩 ノ ノ ニ↡、遊↢ シテ ニ ル↢教化 ニ↡。以↢ テノ本願 ノ ヲ ニ ヲ ク↢出第五 ト↡。」

ひつぎゃくにゅうだいしゅしゅ」 とは、 だいもんやく

「必獲入大会衆 ト」者、第二 ノ益。

とくれんぞうかい」 とは、 だい三門さんもんやく

「得至蓮華蔵世 ト」者、第三 ノ益。

ゆう煩悩ぼんのうりんげん神通じんずう」 とは、 だいもんやく。 いま第一だいいちだいりょうもんのぞく。

「遊煩悩林現神 ト」者、第五 ノ益。 今 ク↢第一・第 ノ ヲ↡。

ふ。 もんなかにこの三門さんもんぐるなんこころかあるや。

問。五門之 ニ ル↢此三 ヲ↡有↢ ノ カ↡耶。

こたふ。 だいもんとは、 これ讃嘆さんだんもんなり。 その讃嘆さんだんとは、 みょうずいじゅんして如来にょらいみなしょうする、 これ肝要かんようなるがゆゑに。 だい三門さんもんとは、 そのやくれんぞうかいなるがゆゑに、 しょうやくなるにつきていまことさらにこれをいだす。 にゅうもんなか最要さいようなるをもつてこのもんぐ。 だいもんとは、 これしゅつどく還相げんそうこうやくしゅじょうごくなるがゆゑに。 これらのによりてこの三門さんもんいだす。

答。第二 ト者、是讃嘆門。 ナリ其讃 ト者、随↢ シテ ニ称↢ スル ノ ヲ↡、是肝要  ナルガ ニ。第三 ト者、其益蓮花0045蔵世界  ナルガ ニ テ ニ↢勝益↡今 ニ出↠之。 ノ ノ ニ テ為↢ ルヲ最要↡ グ↢此二 ヲ。第五 ト者、是 ノ功徳、還 ノ廻向、利益衆生之至極  ナルガ ニ。依↢是 ノ ニ ス↢此三 ヲ

ふ。 「れんぞうかい」 とは、 これいづれのや。

問。「蓮華蔵世 ト」者、 レ ノ土哉。

こたふ。 こうの ¬しょ¼ (無量寿経論釈巻五) にいはく、 「しゃぶつれんぞうかいましますといふがごとし。 いまれんぞうかいといふは、 りょう寿じゅぶつしょじゅうしょ、 このかいじゅんずるにしたがひてとなす。 すなはちこれしゅぎょう安心あんじんたくなり」 と。 このもんのごときは、 極楽ごくらくぞうとこれいちなり。

答。智 ノ¬疏¼云、「如↠ ガ↣廬遮那仏坐↢ スト蓮華蔵世 ニ↡。今言↢蓮華蔵世 ト↡者、无量寿仏所 ノ住処、准↢  ズルニ此世 ニ テ ニ ス ト。即是しゅぎょう安心之宅。 ナリ 如↢此文↡者、極 ト ト是一土也。

ふ。 ぞうかいじゅんさつ極楽ごくらくこくじょうつうにゅうす。 なんぞいちならんや。

問。花蔵世 ハ純菩 ノ居、極楽国 ハ五乗通 ス ゾ土  ナラン哉。

こたふ。 わかちてりょうとすることはしばらくけんしたがふ。 そのじんたっすれば各別かくべつにあらず。 したがひてすなはち極楽ごくらくだいじょう善根ぜんごん清浄しょうじょうなるがゆゑに、 じつじょうさんじょうなし。 これによりて ¬ろん¼ (大智度論巻三八往生品) に 「いちじょう清浄しょうじょうりょう寿じゅぶつかい」 といひ、 いまの ¬ろん¼ にはをきて 「れんぞうかい」 といふ、 にしておなじきことそのんぬべし。

0046 テ為↢ スルコトハ ト ク フ↢機 ニ↡。達↢  スレバ ノ ニ ズ↢各 ノ ニ↡。随則極 ハ大乗善根清 ノ土  ナルガ ニ ニ无↢二乗・三乗之異↡。依↠之¬智論¼云↢「一乗清浄无量寿仏世 ト」↡、今¬論¼ ニハ テ云↢「蓮花蔵世 ト」↡、名異  ニシテ ジ キコト其理 ヌ

そくしょう」 とらは、 寂静じゃくじょう三昧ざんまいしょにゅうなるがゆゑに、 真如しんにょほっしょうさとりるなり。

「即 ト」等者、寂静三昧所入之土  ナルガ故、 ル↢真如法 ノ ヲ↡也。

 

本師曇鸞梁天子  常向鸞処菩薩礼

このいちぎょう二句にくは、 ちょうそうじゅうあかしてそのぎょうとくしめす。

此一行二句者、明↢ シテ ノ ヲ↡示↢其行 ヲ↡。

ざいの ¬じょうろん¼ (巻下) にいはく、 「沙門しゃもん曇鸞どんらんほっは、 へいしゅう汶水ぶんすいひとなり。 すえ高斉こうせいはじめに、 なほり。 じん高遠こうおんにして、 三国さんごくもんせらる、 ほがらかにしゅきょうさとりてひとにんいでたり。 りょうこくてん蕭王そうおう、 つねにきたむかひてらんさつらいす。 ¬おうじょうろん¼ をちゅうしてさいしてりょうかんをなす」 と。

迦才¬浄土論¼云、「沙門曇鸞法師者、州汶水人也。魏末高斉之 ニ ホ リ。神智高遠、  ニシテ ニ聞、  セラル カニ暁↢ サトリテ ヲ↡独出↢ タリ ニ↡。梁 ノ天子蕭王、 ニ テ↠北 ス↢鸞菩 ト↡。註↢ シテ¬往生 ヲ¼↡ テ ス↢両 ヲ↡。」

 

「本師0047曇鸞和尚ハ菩提流支ノヲシヘ」(高僧和讃)ト云々

三蔵流支授浄教  焚焼仙経帰楽邦

このいちぎょう二句にくは、 まづこんほうぎょうじょうあかす。

此一行二句者、先 ス↢今 ノ帰法行 ヲ↡。

¬しんしゅうおうじょうでん¼ (巻下) にいはく、 「はじめらんこのみてじゅつがくをなす。 とう隠居いんきょちょうせいほうたりときてせんにこれにく。 とうせんぎょう十巻じっかんをもつてらんざずく。 らん躍然やくねんとしてみづからたり。 神仙しんせんじゅつそれ必然ひつねんなりとおもへり。 のちらくかえりてだい留支るしふ。 こころすこぶるこれをたり。 ひていはく、 仏道ぶつどうちょうせいることありや、 つぶさによくおいしりぞけて不死ふしをなさんやと。 わらひてこたへていはく、 ちょうせい不死ふしはわが仏道ぶつどうなり。 したがへて ¬かんりょう寿じゅきょう¼ をもつてこれをさずけていはく、 なんぢこれをじゅすべし、 すなはち三界さんがいにまたしょうずることなし、 六道ろくどうほろくことなし。 これわがこん0048せんちょうせいなり。 らんそのことばけてしばしば深信じんしんおこす。 つひに所学しょがくせんぎょうきて ¬かんぎょう¼ をもつぱらにす」 と。

¬新修往生伝¼云、「初鸞 テナス↢述 ヲ↡。 テ↣陶隠居↢ タリト ノ ヲ↡千 ニ ク↠之。陶以↢仙経十 ヲ ク ニ。鸞躍然  トシテ ラ得。 タリ以↢為オモヘラクオモヘリ 神仙之術其必然↡  ナリト也。 ニ テ↢洛 ニ フ↢菩提留 ニ↡。意頻得↠ タリ之。 テ ニ曰、仏 ニ有↠得↢ コト ヲ↡乎、 ニ ク却↠  ゾケテ ヲ為↢不 ヲ↡乎。支 テ曰対曰、長生不 ハ ガ仏道也。従  ガヘテ テ↢¬観無量寿¼↡ テ ヲ ク、汝 シ ス ヲ、則三 ニ シ↢復生↡、  ズルコト シ ビ往↡ コト  レ ガ0048仙氏長生也。 テ↢其 ヲシバシバ ス↢深 ヲ↡。 ニ テ↢所 ノ仙経↡而専↢ ニズ¬観 ヲ¼↡。」

 

天親菩薩論註解  報土因果顕誓願
 往還廻向由他力  正定之因唯信心

惑染凡夫信心発  証知生死即涅槃

必至无量光明土  所有衆生皆普化

このぎょうはっは、 ¬ろんちゅう¼ のこころによりてほぼそのこころぶ。

此四行八句者、 テ↢¬ ノ ノ¼ ニ↡粗 ブ↢其 ヲ↡。

ろんちゅう」 とは、 かみくところのざいしゃくえたり。

「論註 ト」者、見↢ タリ ノ ク迦才 ノ ニ↡。

惑染わくぜん」 とらは、

「惑 ト」等者、

ふ。 しょうそくはんさとりは、 じんやくす。 惑染わくぜんぼん、 たとひ信心しんじんおこすとも、 いかでかそのさとりん、 したがひていまのきょうにはそうねんあかさず。 煩悩ぼんのうだい不二ふにさとり、 なにをもつてかこれをひらかん。

問。生死即涅 ノ証者、 ス↢深 ゴ ニ↡。惑 ノ凡夫、縦発↢  ストモ ヲ↡、 カ ヲ↡、随而 ノ ニハ不↠明↢无相離念之 ヲ↡。煩悩・菩提不二之悟、 ヲ テカ開↠ カン ヲ

こたふ。 ぼんただちにこのしょうするといふにはあらず、 しかるにいまのみょうごう万徳まんどくしょぶっどくなり。 能信のうしん信心しんじん、 またりきよりおこる、 さらにぼんりきしんぎょうにあらず。 このゆゑにしんおこしそのみょうごうしょうすれば、 だん煩悩ぼんのうあくなりといへども、 ほうのうによりてこのそなふるなり。

0049 ズ云↣ ニハ凡夫 ニ証↢ スト ノ ヲ↡、 ニ ノ ハ万徳所帰、仏 ノ功徳。能 ノ信心、又 ル↢他力↡ ヨリ ニ ズ↢凡夫自 ノ ニ↡。是故発↠信称↢  スレバ其名 ヲ↡、雖↠為↢不断煩 ノ悪機↡、 テ ノ ニ ル↢此 ヲ↡也。

ひっ」 とらは、 かのしょうじおはりぬれば、 ひろしゅじょうするにざいるなり。

「必 ト」等者、生↢彼 ニ已、  ヌレバ ク利↢  スルニ ヲ↡得↢自 ヲ↡也。

 

道綽決聖道難証  唯明浄土可通入

このいちぎょう二句にくは、 しゃくこうさん。 ¬安楽あんらくしゅう¼ によりてそのしゅぶ。

此一行二句者、綽 ノ讃。 テ↢¬安楽 ニ¼↡演↢其義 ヲ↡。

どうしゃく」 とらは、 かの ¬しゅう¼ のじょうかん第三だいさん大門だいもんばんあるなかの、 だい文段もんだんに ¬月蔵がつぞうきょう¼ をきてしょう道門どうもん末法まっぽうしゅぎょう得道とくどうじょうじがたきことをしょうするに、 けっして 「ゆいじょう一門いちもんつうにゅう」 といふ。

「道綽」等者、彼¬ ノ¼上巻第三大 ニ ル↢五番↡ ノ、第 ノ ニ テ↢¬月蔵 ヲ¼↡証↢  スルニ聖道門末 ノ修行得道難↟  コトヲ ジ シテ フ↢「唯有浄土一門可通0050 ト」↡。

¬月蔵がつぞうきょう¼ (大集経巻五五月蔵分閻浮提品意) にいはく、 「わが末法まっぽうときのうちに、 億々おくおくしゅじょうぎょうおこどうしゅすれども、 いまだ一人いちにんとしてるものあらず」 と。

¬月蔵経¼云、「我末法時中、億々衆生起行修道、未有一人得者。」

どうしゃくこのもんしゃくしていはく、 「当今とうこん末法まっぽうにして、 これじょくあくなり。 ただじょうのみありてつうにゅうすべきみちなり」 と。

道綽釈↢此文↡云、「当今末法、是五濁悪世。唯有浄土、可通入路。」

 

万善自力貶勤修

このいっは、 おなじきしゃく (安楽集巻上) なかに、 あるいは 「一切いっさいしゅじょうすべてみづからはからず」 といひ、 あるいは 「しかるにたもものははなはだまれなり」 といふ。 これりきしゅぎょうへんするなり。

此一句者、同 ノ ニ ハ ヒ↣「一切衆生スベテ ラ ラ↡」、 ハ フ↢「 ニ テ ル ノハ希」↡ ナリト。是貶↢ スル ノ ヲ↡義也。

 

円満徳号勧専称

このいっは、 これおなじきしゃく (安楽集巻上) なかに、 あるいは 「ここをもつて諸仏しょぶつだいすすめてじょうせしめたまふ」 といひ、 あるいは 「なんぞりょうせずしてすべてしんなきや」 といふ。 これせんしょう念仏ねんぶつすすむるなり。

此一句者、 モ ノ中、或 ヒ↣「是 テ ノ大悲 テ帰↢ セシ メタマフト ニ↡」、 ハ フ↧「 ゾ シテ セ テ キ↢去心↡ ト」↥。是勧↢ ムル專称念仏↡義也。

 

三不三信誨慇懃  像末法滅同悲引

このいちぎょう二句にくは、 かの ¬しゅう¼ の大門だいもんだいしょう三番さんばんあるなか第三だいさんひろ問答もんどうほどこしてじょうしゃくするもとしゃくなり。

此一行二句者、彼¬ ノ¼大門第二之 ニ有↢三0051番↡ ノ第三、 ク施↢ シテ ヲ↡釈↢ スル ヲ ノ釈。 ナリ

そのもんたいりゃく ¬ろんちゅう¼ とおなじ。 そのもん (論註巻下) にいはく、 「ひとつには信心しんじんあつからず、 にゃくぞんにゃくもうのゆゑに。 ふたつには信心しんじんいちならず、 けつじょうなきがゆゑに。 みつには信心しんじん相続そうぞくせず、 ねんへだつるがゆゑに。 このさん展転てんでんしてあひじょうず。 信心しんじんあつからざるをもつてのゆゑにけつじょうなし。 けつじょうなきがゆゑにねん相続そうぞくせず。 またねん相続そうぞくせざるがゆゑにけつじょうしんず、 ゆゑにしんあつからず。 これとそうするを如実にょじつしゅぎょう相応そうおうづく」 と。

其文大略与↢¬ ノ註¼↡ ジ。其文云、「一者信心 ズ淳、 カラ若存若亡故。二者信心不↠一、無↢決定↡故。三者信心不↢相続↡、余念間故。此三句展 シテ相成。 ノ↢信心不↟ ラ ニ無↢決定↡。无↢ キガ決定↡故念↢相 セ↡。亦念不↢相 セ ニ不↠得↢決定 ヲ↡、故心不↠ ラ。与↠此相違  セルヲ ク↢如実修行相 ト↡。」

 

一生造悪値弘誓  至安養界証妙果

このいちぎょう二句にくは、 かみ (安楽集巻上) に 「ゆいじょう」 とらいふおなじきしょうにいはく、 「たとひいっしょうあくつくれども、 ただよくこころけてせんしょうにつねによく念仏ねんぶつすれば、 一切いっさいしょしょうねんしょうじょして、 さだめておうじょう」 と。 このもんこころなり。

此一行二句者、是上 フ↢「唯有浄 ト」等↡之同 ニ云、「縦令一生造↠  レドモ ヲ、但能 テ ヲ ニ ニ ク仏、 レバ一切諸障自 ニ消除、定得0052↢往生↡。」 ノ意也。

 

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁  開入本願大智海

行者正受金剛心  慶喜一念相応後

与韋提等獲三忍 即証法性之常楽

このぎょうはっもんは、 だいさんなり。

此四行八句之文者、大 ノ讃。

善導ぜんどう」 とらは、 ¬せんじゃくしゅう¼ のこころしょおおしといへどもひとりこんによる。 けだしぶっしょうひてこんかいじょうし、 あきらかにべつがんしょうあらわすゆゑなり。 これによりてあるいは弥陀みだしんといひ、 あるいはきょうもんかんがへてただちにきょうしゅしゃくそん再誕さいたんといふ。 さらに余師よしじゅんずべからざるものなり。

「善 ト」等者、¬選択 ノ¼意、諸師雖↠ シト ル↢今 ニ↡。 シ テ↢仏 ヲ↡階↢ シ ソ↡、 ニ ス↢別意弘 ノ ヲ↡故也。依↠之或云↢弥陀化 ト↡、或 テ↢経 ヲ ニ云↢教主釈 ノ ト↡。更不↠可↠准↢余 ニ↡者也。

矜哀こうあい」 とらは、 しょあまねく善悪ぜんまくぬることをあかす。

「矜 ト」等者、 ニ↣所 ノ ク兼↢  コトヲ↡。

じょうさん」 といふは、 ただこれけんその受法じゅほうにあらず、 ゆゑにぞうぎゃく造悪ぞうあくしゅじょうたいして、 じょうさんとをげてもつてぜんとす。

言↢「定 ト」↡者、只是簡機 ズ ノ受法↡、故対↢ シテ造逆・造 ノ ニ↡、 テ↢定与散↡ トヲ テ↢善 ト↡。

こうみょう」 とは、 ¬礼讃らいさん¼ 前序ぜんじょしゃくこころなり。 いはゆる 「こうみょうみょうごうせっ十方じっぽうたん使信心しんじんねん」 と。

「光 ト」者0053、¬礼 ノ¼前序釈意也。所謂「光明・名号摂化十方。但使信心求念。」

ぎょうじゃ」 とらは、 さつ等覚とうがくしんさすすにあらず、 ただ一心いっしん念仏ねんぶつぎょうじゃ一念いちねんきょう金剛こんごう信心しんじんあかす。

「行 ト」等者、非↠ ニ↢菩薩等覚後 ヲ↡、只明↢一心念 ノ行者、一念慶喜金剛信 ヲ↡。

だい」 とは、 ¬教行きょうぎょうしょう¼ 三末さんまつ (信巻) にいはく、 「金剛こんごうしんれば、 すなはちだいひとしく、 すなはちしんにんぎゃくとくするべし。 これすなはち往相おうそうこう真心しんしん徹到てっとうするがゆゑに、 不可ふか思議しぎ本誓ほんぜいによるがゆゑなり。」

「与韋 ト」者、¬教行証¼三末云、「 ル↢金剛 ヲ者、 ノハ則与↢韋提↡等、 シク即可↣獲↢ ス喜・悟・信之 ヲ↡。是則往相廻向之真心徹到  スルガ ニ籍↢ヨルガ不可思議之本 ニ↡故也。」

三忍さんにん」 といふは、 にんにん信忍しんにんなり。 にんとは、 信心しんじんかんそうなり。 にんとは、 ぶっさとるがゆゑなり。 信忍しんにんとは、 信心しんじんじょうじゅそうなり。

言↢「三 ト」者、一 忍・二 忍・三 忍也。喜 ト者、信心歓喜之相。 ナリ ト者、悟↢ ルガ ヲ故。 ナリ ト者、信心成就之相。 ナリ

そくしょう」 とらは、 ¬礼讃らいさん¼ 前序ぜんじょ (玄義分) しゃくにいはく、 「このしんすてててすなはちかのほっしょうじょうらくしょうする」 こころなり。

「即 ト」等者、¬礼讃らいさん¼前 ノ ニ云、「 テ↢此穢 ヲ0054↡即証↢彼法性之常 ヲ↡」意也。

 

「夫往生極楽之教行、濁世末代之目足也。道俗貴賎、誰不帰」(要集巻上)

源信広開一代教  偏帰安養勧一切

このいちぎょう二句にくは、 りょうごんさんなり。 しょきょうなかえらびてあんにょうしひとへに西方さいほうすすむることをひょうす。

此一行二句者、楞 ノ讃。 ナリ ス↧諸 ノ ニ テ シ↢安 ニ ニ勧↦  コトヲ西 ヲ↥。

 

専雑執心判浅深  報化二土正辨立

極重悪人唯称仏  我亦在彼摂取中
 煩悩障眼雖不見  大悲无倦常照我

このさんぎょうろっは、 べっして ¬ようしゅう¼ によりてそのしゅべんず。

此三行六句者、 シテ テ↢¬要 ニ¼↡ ズ↢其義 ヲ↡。

専雑せんぞう」 とらは、 かの ¬しゅう¼ のまつに ¬ぐんろん¼ の問答もんどうなかに、 雑修ざっしゅひとしゅうしんろうにしてまんこくしょうじ、 せんぎょうひとしゅうしんろうにして極楽ごくらくこくしょうずることをあかす。 これ専雑せんぞうしゅ得失とくしつはんじ、 またほう二土にど得失とくしつべんりゅうするところのもんなり。

「専 ト」等者、彼¬ ノ¼ ノ ニ ク↢¬群疑 ノ¼問 ヲ↡之 ニ ス0055↧雑 ノ人執心不牢  ニシテ ジ↢悔慢 ニ↡、専 ノ ハ執心牢固  ニシテ生↦ ズル コトヲ極楽 ニ↥。是 ジ↢専雑二 ノ ヲ、又 ノ↣辨↢ スル報化二 ノ ヲ↡文也。

ごくじゅう」 とらは、 おなじき ¬しゅう¼ のほん大門だいもん第八だいはち念仏ねんぶつしょうもんなかじゅうもんいだうちよつに ¬かんぎょう¼ によりていだしゃくするところの 「ごくじゅう悪人あくにん方便ほうべんゆいしょう弥陀みだとくしょう極楽ごくらく」 の要文ようもんこころなり。

「極 ト」等者、 キ¬ ノ¼ ノ本、大門第八念仏証拠 ノ ニ ス↢十 ヲ↡内、 ニ依↢¬観 ニ¼↡ ノ シ釈↡ スル之「極重悪人無他方便、唯抄弥陀得生極 ノ」要文意也。

やく」 とらは、 おなじき ¬しゅう¼ (要集) じょうまつ大門だいもんだいしょうしゅ念仏ねんぶつしょうだんなかもんあるうちちゅうまつだい観察かんざつもんあかす、 なかにおいてみつあり、 ひとつには別相べっそうかんふたつには総相そうそうかんみつにはぞうりゃっかんなり。 そのぞうりゃっかんにかの ¬かんぎょう¼ の 「一々いちいちこうみょうへんじょうとうもんきて、 そのしもしゃくするところの 「やくざい摂取せっしゅちゅう煩悩ぼんのうしょうげんすい能見のうけんだいけん常照じょうしょうしん。」このもんこころなり。

「我 ト」等者、同¬ ノ¼ ノ末、大門第四正修念 ノ章段之 ニ有↢五門↡内、 ノ末第 ニ ス↢観察 ヲ↡、 テ ニ リ↢三、 ニハ別相観、 ニハ総相観、 ニハ雑略観。 ナリ其雑略 ニ テ↢彼¬観 ノ¼「一々光明遍照」 ノ ヲ↡、其下 ノ スル一 亦在彼二 取之0056中、三 悩障眼四 不能見、五 悲无倦六 照我身。」此文意也。

 

本師源空明仏経  憐愍善悪凡夫人

このいちぎょう二句にくは、 黒谷くろだにさんなり。 これはそうじてこれは智解ちげしんとくしょうす。

此一行二句者、黒谷讃。 ナリ ハ ジテ ハ ス↢智解悲 ノ ヲ↡。

 

真宗教証興片州  選択本願弘悪世

このいちぎょう二句にくは、 べっしてへんしゅうずうやくたんず。

此一行二句者、 シテ嘆↢片州弘 ノ ヲ↡。

 

還来生死輪転家  決以疑情為所止
 独入寂静无為楽  必以信心為能入

このぎょう四句しくは、 ¬せんじゃくしゅう¼ につきてしゃくようぐ、 いはゆる 「とうしょう之家しけ以疑いぎしょ信心しんじんじょうしんのうにゅう」 のもんこころなり。

0057二行四句者、就↢¬選択集¼↡挙↢釈 ノ ヲ↡、所謂「当知、生死之家以疑為所止、涅槃之城以信為能入」之文意也。

 

弘経大士宗師等  拯済無辺極濁悪
 道俗時衆共同心  唯可信斯高僧説

このぎょう四句しくは、 そうじてしょじょうさいとくけっして、 かれらのせつしんすべきことをすすむらくのみ。

此二行四句者、 ジテ結↢ シテ諸祖拯 ノ ヲ↡、勧↠  ムラク可↣  コトヲ依↢ ス ノ ヲノミ

 

⊂      ⊃
⊂  ⊃鍬シヨセウスキクワ之者↥
□商 アキナヒ ヲウル為↠ シテ ト有↧趨↢ワシル ニ↡之 ノ
四芸 ク為↠ シテ ト有↧ワタル世□ ノ

   三定 ト
一正定聚 必入涅槃也 ⊂   ⊃ 二邪定聚 必入悪道 造无間罪人
三不定聚 除□□ 余衆□□

   又当 ノ
□□□ ハ□□行者二邪定 ハ 自力有情諸悪人也
⊂   ⊃者也云々

 

底本は本派本願寺蔵蓮如上人自筆本。 ただし書き下しは有国により、 表記は現代仮名遣いとした。