0351最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし

 

それおもんみれば*一如いちにょ*法界ほうかいしん*ぼんしょうかねへだてなく、 万徳まんどく*恒沙ごうじゃじゃくゆうぜんじょうわたりへんぜず。 しかりといへども、 妄雲もううんひとたびおおい*本覚ほんがくつきひかりをかくし、 心水しんすいしきりにうごき乱想らんそうなみこゑをあげしよりこのかた、 業種ごうしゅ善悪ぜんあくうえほうらくにうく。 このゆへに、 しょうじょうおんにして*六道ろくどう*りんやむことなく、 恩愛おんないばくして*三界さんがい牢獄ろうごくいでがたし。 十方じっぽう諸仏しょぶつこれをあわれみ*さい*方便ほうべんをめぐらし、 *四依しえ*だいこれをかなしみきょうぼうずうをいたす。

一代いちだいきょうしゅ*しゃ如来にょらい*しゃ崛山くっせんにして ¬*りょう寿じゅきょう¼ をときたまいしとき、 当来とうらいどう*ろくそんたいしてくはしく*しゅじょう此死しししょうのありさまをあかし、 ねんごろに諸趣しょしゅ*修因しゅいんかんどうをのべたまへり。 かのもんをみるに、 あるいは 「 て に至↢ す の に↡。 身自みづからうく を し有↢ こと るもの。 善悪変化、 して あう異↠ ことなり処、 宿予あらかじめ厳 きびしく て に シ↢独趣 す (大経巻下) といひ、 あるいは 「 り て し りも ふ者↡。 善悪・禍福 て を所↠ なり生。 ずる  は り↢楽 に↡、  は る↢苦 に↡。  して に し悔  ゆとも に シ↢復 ぞ ぶ (大経巻下) といへり。

されば*曠劫こうごう*てんのあひだしょ経歴きょうりゃくほど、 しづむときはつねにごくちくあいだをはなれず、 うかぶときはわづかににんちゅう0426てんじょうのあひだにむまる。 しづむもうかぶもどくしょうどくのみち、 きくにこころぼそく、 むまるゝもするも*ごうとくのことはり、 つくづくとおもへばかなし。

殃悪おうあくをつくれば、 *ないてつじょうをかまへてこれをまち、 福善ふくぜんをたくはふれば、 じょうかいてんをかざりてあひまうくるにこそ。 しかるに惑業わくごうはつくりやすければ悪道あくどうかんじやすく、 福因ふくいんはうへがたければ善趣ぜんしゅほうはまねきがたし。 たとひまた人天にんでんらくをえたりとも、 それもさらに*だつようにはあらず。 *こうみょうじのしょうは 「 の は し し↢電 の↡。 須 に つ て て↢三 に↡長 に く を (*定善義) とのたまへり。 えてもなにかせん、 えんこともまたかたし。

おほよそ*末代まつだいあくしゅじょう、 けふこのごろの*ぼん*こうじょく*命濁みょうじょくぜんいつながらますますし、 *かい*八戒はっかいとうりつひとつとしてまたからず。 *りょうごん先徳せんどくしゃくに、 「 は に所↠学、 する 雖↠  へども ふとやゝもすれば退 す。 妄 は に所↠ ふ、 雖↠ ふと る鹿かせぎ くつなぎ のをのづから馴 なれたり (*要集巻中意) といへる。 げにをろかなるにおもひしらるゝまゝに、 じょうこん利智りちひとなりともまっ*ぎょうのならひはさまでかはらじとこそおぼゆれ。 かくのごときのともがら随縁ずいえん*ぎょうこうをもつみがたければ、 いかにしてか進道しんどうりょうをもたくはへん。 たとひ随分ずいぶんしょうごん法財ほうざいをえたりとも、 *六賊ろくぞくもん侵奪しんだつをのがれがたかるべし。 かなしきかなかなしきかないかんせんいかんせん

0427かるに、 *弥陀みだ*本願ほんがん*あやにくにかゝる*あくせっし、 *西方さいほうじょうはもはらこのたぐいをもきらはざれば、 当今とうこんしゅじょうことに*しんしゅうきょうもんし、 罪悪ざいあくぼんひとへに*極楽ごくらく*おうじょうすべし。 *如来にょらい*こうとくなるがゆへに、 *どんによらず、 *りきなん*本誓ほんぜいなるがゆへに、 ぎょうしょうろんぜず。 たのみかけてみなをしょうすれば、 一念いちねんじっしょうもともにむまれ、 がんじょうじてまことをいたせば、 *じゅう*ぎゃくももるゝことなし。 まことにこれ、 唯仏ゆいぶつ一道いちどうどくしょうげんしょうもんきょうだつだん根源こんげんじきなり。

*げっには*りゅうじゅ*天親てんじんとうだいこれを*ずうす、 ともにぞうせいしてじょうはんあり。 *震旦しんたんには*どんらん*どうしゃくとう*五祖ごそこれをそうじょうす、 ことに*善導ぜんどうをもてらいとす。 しかうしてのち、 わがちょう流布るふすること連々れんれんとしてたえず、 しょ数揚しゅようすること代々だいだいこれおほし。 *かく*慈恵じえとうだいもこぞりて*あんにょうおうじょうをすゝめ、 りょうごん*禅林ぜんりんとう先徳せんどくももはら弥陀みだやくたんぜり。 しかりといへども、 こんやいまだじゅくせざりけん、 帰奉きぶひろきにあらず、 せつやいまだいたらざりけん、 しゅうなをあらはれず。

ここ*黒谷くろだに*源空げんくうしょうにんしょうほんちょううけ辺域へんいき群類ぐんるい開導かいどうし、 じょくほどこし西方さいほうようぎょうせんす。 はじめ習学しゅがく真言しんごんかんきょうもんなり、 かねてしょしゅうにわたり、 あまねく一代いちだいをうかゞふ。 のちぎょう専修せんじゅ念仏ねんぶつ一門いちもんなり、 ひとへに弥陀みだをあふぎ、 た0428極楽ごくらくをすゝむ。 これすなはち、 そのかみ*しんの ¬*おうじょうようしゅう¼ をたまいけるより*えんごんじょうのこゝろもやうやくすゝみ、 れっ得脱とくだつやくのむなしかるまじきことはりもしんをもよほしたまいけるか。

かの ¬しゅう¼ にひきもちゐるところ、 おほくどうしょうしゃくをもてのりとせり。 これによりて、 ¬*かんぎょう¼ をえつたまうことへんののち、 たちまち*りき局情きょくじょうすてあらた*りきおうたまへり。 たゞしみづからの*しゅつにをいてはすでにけつじょうせり。 のためにこのほうをひろめんとおもふに、 わが*しょうかくするところのぶつにかなふやいなや。 だい因縁いんねんたるによりてなを心労しんろう肝胆かんたんをくだきたまいけるに、 ゆめなかしょうをえてたしかぶっこうむりたまいけり。

いはゆるうん*靉靆あいたいとしてたいにおほひ、 こうみょう*赫奕かくやくとしてかいをてらす。 また高山こうざんけんなるあり、 彩雲さいうんみねうえにそびく。 ちょう*浩汗こうかんたるあり、 れいちょうなみほとりにかける。 さら*穢土えどきょうがいにあらず、 *じょうせつしょうごんにことならず。 くもなかひとりそうあり、 かみ墨染すみぞめころもしも金色こんじきふくなり。 しょうにんたれとかせんとといたまうに、 そうこたへてのたまはく、 われはこれ善導ぜんどうなり、 なんじ専修せんじゅ念仏ねんぶつずうせんとほっするがゆへに、 しょうをなさんがためにきたれるなりと云々うんぬん

しかれば、 しょうにんみたてたまうところのしょうぎょにたがはざることしりぬべし。 しょう弥陀みだ*おうにてましませば、 しょうきょはすなはち弥陀みだいんじょうなり。 こんしゅじょうあく0429群類ぐんるい、 かのどうをあふぎ、 そのかいにしたがふべきものなり。

しょうにんのち業学ごうがくりんをなし、 もんりゅうみなまたをわかてるなかに、 善信ぜんしんしょうにん*親鸞しんらんもうししは面授めんじゅじょうそく弟子でしない通達つうだつ高徳こうとくなり。 ぞくしょう藤原ふじわら*皇太こうたいごうぐう大進だいしん*有範ありのり息男そくなんなり。 ようにしてちちそうたまいけるを、 はく若狭わかさのさん *範綱のりつなきょう ゆうとして*きょうしゅをいたす、 扶持ふじちからともなり、 文学もんがくをはげむ*提撕ていぜいおしえをもくわえられけり。 またしきぶのたい 宗業むねなりきょう もおなじくはくにておはしけるが、 かのきょうたいたてまつりせつをうけたてまつらるゝ事共ことどももありけるとなん。 かくてしょうねんさいときよう元年がんねんはるころ若狭わかさのさん 于時ときにぼん *しょうれんいん*ちんしょうぼう伴参ばんさんして、 すなはちしゅっをとげしめ範宴はんねんしょうごんのきみごうせられき。

おなじきとし登檀とうだん受戒じゅかい、 それよりこのかたけんがくみつぎょうずるつとめをこたらずして、 ほたるをひろひゆきをあつむるこうおほくつもる。 しかれどもさん三観さんがんまどまえひゃくかい千如せんにょつきやゝもすればくもりやすく、 そうりんだんうえ六天ろくてんまんはなしきりにあざやかなるいろをかくせり。 かゝりければ滅罪めつざいしょうぜんのはかりごと、 事理じりにつけてとゝのほらず、 *ぎょう化他けたやく彼此ひしともにそむけり。 さればみょうしゅぎょうなにゝかはせん。 いかにしてか、 このたびまめやかにしょうをまぬかるゝみちをえんとおもいたまいければ、 つねにじゅうざんをくはだて、 とこしなへにれんぎょうをいたして*おう*山王さんのうにもこのいちをのみ0430しょうし、 だい祖師そしにも*しつもうさるゝことはなかりけるうへに、 *しゃかい*無畏むいしゃがんをたのみ日本にっぽん伝灯でんとう*じょうぐうおうさいあおぎて、 さんじょうより西にし阪本さかもとにかゝり、 *六角ろっかくどうひゃくにち参詣さんけいをいたしたまいて、 ねがはくはえん要法ようぼうをしめししんしきにあふことをえしめたまへと、 丹誠たんせいぬきんいのりたまうに、 じゅうにちまんずるゆめに、 末代まつだいしゅつよう念仏ねんぶつにはしかず。 法然ほうねんしょうにんいまかいす。 かのところいたり要津ようしんとうべきよしたしかげんあり。

すなはち感涙かんるいをのごひ、 霊告れいこくまかせ*吉水よしみず禅室ぜんしつにのぞみ、 ことさいけいたまいければ、 発心ほっしんごうじょうなることもありがたく、 しょうおう*掲焉けちえんなることもことなりとて、 しょうどうじょうなん差別しゃべつとりてさづけ、 安心あんじんぎょう肝要かんようおうしたはきのべたまいけるに、 ごろ畜懐ちくかいこゝに満足まんぞくし、 こんおうじょうたちまちけつじょうしぬとよろこびたまふ。 于時ときに建仁けんにん元年がんねん かのとのとり しょうにん廿にじゅうさいしょうどうすてじょうし、 ぞうぎょうさしおき念仏ねんぶつもっぱらにしたまいけるはじめなり。 すなはち所望しょもうによりてみょうをあたへたまふ。 そのときしゃくくうとつけたまいけるを、 のちそうつげありけるほどしょうにんもうされて善信ぜんしんとあらため、 またじつみょう親鸞しんらんごうたまいき。

しかありしよりのち、 あるい制作せいさくの ¬*せんじゃくしゅう¼ をさづけられ、 あるい真影しんねい図画とがをゆるされてこと慇懃おんごん恩誨おんかいにあづかり、 あくまでさいじゅをかうぶりたまいけり。 されどもさいをたくはへながら、 ことさらにがくこと0431とせらるゝすがたもなく、 こゝろをじょういきにすましむといへども、 あながちにじんをとをざかるぎょうをもひょうたまわざりけり。

黒谷くろだにだいしょうにんしんしゅうこうぎょうによりておん罪責ざいせきおよびとき門弟もんていじょうそくどう沙汰さたありしに、 このしょうにんもそのなかとして越後えちごのくに*こくにうつされて、 おほくの春秋しゅんじゅうおくりたまひけり。 めいしょうにんきょうとき、 おなじくちょくめんありけれども、 ことえんありて東国とうごくにこえ、 はじめ常陸ひたちのくににして専修せんじゅ念仏ねんぶつをすゝめたまふ。 これひとへにへんざいともがらをたすけて、 さいしょうほんをとげんとなり。

おほよそしょうどうしょきょうこんじょうときもののため、 弥陀みだいっきょう鈍根どんこん無智むちにかうぶらしむ。 されどもなんぎょうしょうどうをすてしゅ真門しんもんいりても、 ぎょうがくをはげむとはげまざると差別しゃべつなきにあらず。

しかるゆへは、 まづがくにあゆまんとするひとは、 ふかく*さんぎょう一論いちろんげんをわきまへ、 ひろくちょうこく典籍てんせきをうかゞひて、 ほうみょうをもつぎ、 にんともなる。 まことにすいもしうるほさずは、 ぜんびょうをそだてがたく、 とうもしかゝげずは、 いかでか迷暗めいあんをてらすべきなれば、 そのうつわにたへたらんひともともしょするにたれり。 しかりといへども、 まなぶものは*ぎゅうもうのごとく、 なすものは*麟角りんかくのごとくなるゆへに、 もしがく浅深せんじんによりてやくとくあるべくは、 天性てんせい至愚しぐやからはながくそののぞみをたちぬべし。

つぎぎょうもんにおもむくひとちゅうろくしゃくれいをいたして、 てん0432ぎょう念仏ねんぶつ熏修くんじゅをつむ。 したがい欲塵よくじんきょうがいをはなれ、 遁世とんせい威儀いぎをむねとして*えん穢土えどかいをあらはし、 道心どうしん純熟じゅんじゅく形状ぎょうじょうをしめすなり。 当世とうせいひとほっするところ、 おほくはこれにあり、 かくのごとくならざらんひとは、 ほとほとおうじょうしがたしとおもへり。 ぎょうしゅじゅうもともねがふべしといへども、 だいしょうまたくこれにかぎるべからず。

いま二途にとにもれてその一徳いっとくもなき田舎いなかせんはい一文いちもんつうにん仏法ぶっぽうみょうをもきかず、 いんどうをもしらで、 だつすべをうしなひ、 しゅつみちにまよへる没々もつもつぐんじょう闇々あんあん衆類しゅるいいたるまで、 ぶつあにすてたまはんや。 しきにあはずしてむなしく人身にんじんしっせんこと、 かなしむべし、 かなしむべし。

つつしみこうみょうじのしょうしゃくをひらくに、 「 の は す ある に↡。 心 に愍↢念   したまふ の を (玄義分) とのたまへり。 このゆへに、 下機げきなかになを下機げきをあはれみ、 悪人あくにんなかになを悪人あくにんをめぐみて、 *えん慈悲じひをほどこし救苦ぐく方便ほうべんをめぐらしたまうらん。 そんぶつじゅんじてかれらをさいせんとくわだてたまへりし本懐ほんかいことに甚深じんじんなり。 これによりて、 ざいきょうもいたりてあまねく、 めつ興法こうぼういまにさかりなり。

ほんびょうきょう白河しらかわ大谷おおたににあり、 おんいん西にしほとり*本願ほんがんこれなり。 根本こんぽん門弟もんていはもはら東国とうごくにみち、 まつじんはやうやく諸邦しょほうにをよぶ。 面授めんじゅ弟子でしおほかりしなかに、 おう0433しゅうひがしやま*如信にょしんしょうにんもうすひとおはしましき。 あながちに修学しゅがくをたしなまざれば、 ひろくきょうてんをうかゞはずといへども、 しゅつようをもとむるこゝろざしあさからざるゆへに、 ひとすぢにしょうにんきょう信仰しんこうするほか他事たじなし。

これによりて、 幼年ようねんむかしよりちょうだいのちにいたるまで、 ぜんしょうのあたりをはなれず。 学窓がくそうなかにちかづきたまいければ、 みずからのぞみにてかいにあづかりたまうことときをえらばず。 のためにせったまうときも、 そのにもれたまうことなかりければ、 聞法もんぼうこうもおほくつもり、 のうとくひとにこえたまいけり。 かの*なん尊者そんじゃつねぶつにしたがひ、 座下ざげのぞみもん広識こうしきをほどこし、 伝説でんせつずうあやまりなかりけるも、 かくやとぞおぼゆる。

このしょうにん弟子でしまたそのかずあり。 東国とうごくにははいにをよぶ。 処々しょしょどうじょうをのをのやくをいたす。 きょうには一人いちにんそん宿しゅくまします、 勘解かげゆの小路こうじちゅうごん*法印ほういんぼう そうしょう これなり。 とうりゅう伝来でんらいけいをばこんよりうけ、 親鸞しんらんしょうにん遺跡ゆいせきをば*先考せんこうよりつたへたまへり。 これいちりゅうほうしょうとうきょう名哲めいてつなり。 はじめ*なんきょう*こうをへて*かさやまはるはなにおもひをそめ、 のちには西さいぎょうにんとなりてぼんだいあきつきこころをぞすまされける。 さるまゝには大旨おおむね篭居ろうきょていなり。 しかどもとりわきそう遁世とんせいひょうせらるゝこともなし。 たゞ内心ないしん*しょう得脱とくだつをねがひたまうばかりなり。

さりながらねん0434仏門ぶつもんしゅちゅうにしては隠遁いんとんみょうをもなのりたまいけり。 あるい*覚如かくにょしょうせらるゝときもあり、 一実いちじつ真如しんにょごくかくするいいぞんたまうなるべし。 あるいごうしょうごうせらるゝおりもあり、 *びゃくごう摂取せっしゅ光益こうやくじゅとくするおもいをなさるゝなるべし。 しかれどもひとはたゞ法印ほういんとのみもうししを、 しんにもしゐてせらるゝこともなかりけり。 これすなはちそう賢善けんぜんげんぜず、 遁世とんせいしゃのすがたもなかりしによりて、 もとよりたまいこうなれば、 よびならいたてまつりしにつきて、 よそにもあらためず、 われとしてもいとはるゝこともなかりけり。

ほんきょうしゅやめじょうぎょうにんとなりしひとも、 このためしなきにあらず。 ちょうらく*りゅうかんりっいく*りょうへん法印ほういんとうこれなり。 「大隠だいいん朝市あさいちにかくる」 といふこともあれば、 中々なかなかありのまゝなるは末代まつだい相応そうおうほうをふるまひたまいけるにやと、 さまかはりてたうとくこそ。

こゝにかの尊老そんろう開導かいどうこうむりて、 わが当来とうらいちょをになへるひとりの羊僧ようそうあり、 *じょうせんといふ。 をろかに、 こゝろくらく、 もなく、 ぎょうもなし。 放逸ほういつにして悪業あくごうのおそるべきをもしらず、 *だいにして善種ぜんしゅのうふべきをももとめず。 現在げんざい*罪ざいけんむなしからずは、 らいあくいかでかのがれん。 しかる過去かこえんやもよほしけん、 このもんにのぞみてあらあら 「*さんきょう」 のもんよみをもいたし、 しょうにん*しょうとて演説えんぜつ0435にあづかりしかば、 信仰しんこうのおもひきもにそみ、 帰依きえのこゝろざしほねにとほりておぼえはんべりほどに、 曠劫こうごう*しょう芳縁ほうえんもことにおもひしられ、 こんじょう昵近じっきんちゅうせつもひとへにをわすれき。

そうしゃくをうかがふに、 ざいしょうもんしゅ仏辺ぶっぺんをはなれざるこころをのべたまうとして、 「迦葉 の意、 唯み  に く て↢生 に↡循↢還   すること に↡、 苦不↠可↠言。 愚痴・悪見  にして封↢ し に↡、 不↠ して に く る↢於苦 に↡。  し て↢宿 を りたまたま得↟ こと会↢  ことを に↡。 法釈無↠ して私、  がともがら く を ね ふに の之恩 を↡、  く を之極罔然。 たり  す使↧  ることを しく事↢ へて に↡、 から由↢ くも替↡ るに (*序分義) とのたまへる。 ぼんしょうあひことなれどもをたうとむべきこころざしもこゝにあらはれ、 けんおなじからざれどもおんをおもふべきことはりもしりぬべし。

しょうにんの ¬*教行きょうぎょうしょう文類もんるい¼ (化身土巻) にも、 あるいは ¬はんぎょう¼ に、 「 の は ハ善知 にナリ。 一 の梵行因雖↢  へども量、  なりと説↢ くにケバ善知 を↡則 に しぬ」 といへるもんをひき、  は ¬ごんぎょう¼ に、 「念↢ ぜよ善知 を↡。 生↠  ずること を く↢父 の↡、 養↠ こと を如↢  くして の↡、 増↢ す菩提 を」 といへるせつをのせて、 おんほうじがたきことをのべ、 しきををもくすべきことをしるしたまへり。

さればこゝろばかりはじょうずいきゅうこうをつまんとおもいしかども、 なをねんびょうげんにさへられてりょ間断けんだんあることをかなしみ、 ひとすぢに報恩ほうおん謝徳しゃとくつとめをいたさんとはげみしかども、 まめやかにしんみょうをわするゝばかりのまこともなくてやみぬる0436ことのかなしさに、 かのしょうがい行状ぎょうじょう筆墨ひつぼくにしるしてかい恩言おんごんたてまつりしになずらへ、 そのろくしゅ丹青たんせいにあらはして、 平日へいにち尊顔そんげんむかいたてまつりしにせんとおもふ。

たゞしいちぎょうはちじゅん挙動きょどう、 くはしくしりたてまつるにあたはず、 さだめて簡要かんようたるべきことのもるゝもはんべるらん。 たゞ法門ほうもん宣説せんぜつみぎりにして、 おりにふるゝ雑談ざつだんもありしついでに、 しょうどう経歴きょうりゃくいにしえことをもかたりいで、 しんしゅうにゅうむかしのゆへをもしめしたまいしことのをのづからみみにとゞまり、 わづかにこゝろにうかぶをしるしはんべれば、 にん*こうにあらはすばかりのどく何事なにごとぞなどあざけりをもくはへ、 後輩こうはいへんをなせることばのしゅとゝのほらざるをくちびるをかへしぬべし。

これをかへりみざるにはあらずといへども、 これをいたみとするにはたらず。 しかるゆへは、 もとより外見がいけんをばきんぜんとおもふ。 にんのみんときそしりをばいたすとも、 しんずべからざるがゆへに、 あながちにせつをばはぢず、 愚士ぐしするところをもとむといふとも、 ゆうなるべからざるがゆへなり。 たゞわが尊崇そんそうあまりあるこゝろにまかせ、 ひとへにみづからのきょうなきおもいにもよほさるゝばかりなり。 つねに真影しんねいそばあんじて、 ながく後弟こうていにつたへんとなり。 いまへんをたつることじゅう八段はちだんちつをわかつこといち七巻しちかん、 なづけて 「最須さいしゅ敬重きょうじゅう」 といふ。

そもそも0437だいしょう尊老そんろうは、 まづぞくしょう藤原ふじわらうじ日野ひの後胤こういんなり。 白河しらかわいんより近衛このえいんにいたるまでだいの せいちょうつかえたまひしけいていにん賢臣けんしんおはしましけり。 けい*とくごん 実光さねみつきょう才幹さいかんにもちゐられ、 朝獎ちょうしょうにことなりき。 そのりゅうはいまも累葉るいよう芳塵ほうじんたえずして、 いっこうをてらしたまうめり。 舎弟しゃていしきぶのたい宗光むねみつ朝臣あそん、 これも文学もんがくみょうともがらにはぢずして、 おなじく官学かんがくりょうどうにあゆみたまいければ、 *ていけんしょくにもいたり、 *しょうしょ一台いちだいにもつらなられけり。

そのそくつねただ朝臣あそん阿波あわのかみにて*翰林かんりんけんたまいけるが、 としわかくくらいあさくて、 をはやうせられけり。

その勘解かげゆのさん 宗業むねなりきょう学校がくこうかんのみちひとにすぐれ、 博覧はくらんけんほまれにあまねし。 こうあいだおうじ、 えいひとりにかぞへられたまいき。

しかるに承久じょうきゅう騒乱そうらんときてん転変てんぺんきざみいえにあらざるきゅうせんにたづさはることなく、 わざをうくる筆硯ひっけんにまつはるゝほかにあやまつことなかりしかども、 「↢  ゆるときは に↡、 礫石与↢琬 と↡倶 厳霜夜おつ、  るときは蕭蔥与↢芝蘭↡ に ぬ (文選) といへるゆへにや、 *仙洞せんとう近習きんじゅ人々ひとびとおほく牢篭ろうろうたまいける随一ずいいちにて、 所帯しょたいしょうえんみなくんしょうとなり、 拝趨はいすうようことごとくりょしゅうこうおよびしかば、 そんまったくすべきはからいなく、 もんちりつぐべきみちをたゝれけり。

されどもそく上野こうずけのさん 信綱のぶつなきょう、 その左衛さえもんのすけ広綱ひろつないたるまでかたちのごとくなをちょうていにわ0438しり、 こうにつかふるにておはしけり。

かの*きん一人いちにん息男そくなんあり。 いまだ首服しゅふくにおよばず、 どうみょう光寿こうじゅもうしけるが、 七歳しちさいときちちにをくれてはやくみなしごとなられにけり。 便たよりをうしなへることみずはなれたるうおのごとく、 たのみなきことおかにふせるかめたり。 よりていとけなきこゝろにせい険難けんなんのあゆみがたきことをしり、 てい*勁節けいせつのつきがたきことをかえりみしゃくもんにぞおもひたゝれける。 すなはち大蔵おおくらきょうさん 光国みつくにきょう 引導いんどうとしてしょうれんいんぼん親王しんのう 尊助そんじょ もんさんじ、 しゅっとくほんをとげてみっきょうしゅじゅうじょうりょとなられけり。

やがてじょうこういん*しきせられて、 ちゅうごんじゃ宗恵そうけいとぞもうしける。 かくて*門跡もんぜきはんべりだい受法じゅほうなどありけるが、 じゃおもいたまいけるは、 累代るいだい勤王きんのういえいでぬるは、 にんちゅうきょうしゅちからをうしなふがゆえなり。 いまそういるといへども、 なを俗塵ぞくじんのまじはりにことならず。 *竹園ちくえんぜん門人もんじんつらなりぞう上乗じょうじょうきょうぼうにたづさはることは、 真俗しんぞくつき慶幸けいこうといひつべし。 されども高官こうかん重職じゅうしょくにのぼりたりとも、 *しょう栄名えいめいひさしくたもつべきにあらず。 じゅしょくかんじょうをとげたりとも、 即身そくしんしょうわれにをいてじょうじがたし。 真門しんもんにこゝろをすますとならんこそこころやすけれとて、 門主もんしゅいとまもうたちまちこくをぞちゃくせられける。 すなはち房号ぼうごう*かくしょうす。

かゝりけるもようしょうよりしょうにん御膝おんひざもとにありて、 いくおんにもあ0439づかり、 きょうくんことばをもこうむりたまいければ、 しょきょう得道とくどう下機げき相応そうおうしがたきむねをもつねにみみにふれ、 弥陀みだ本願ほんがん鈍根どんこんいんじょうするやくをもおろおろききなれたまいけるゆへに、 かくおもいいれたまいけるなるべし。

されどもしょうにん芳言ほうごんをばうけたまわりたまいながら、 ひとへにしんじゅんまではなかりしかばとて、 これも如信にょしんしょうにんをもてしょうとし、 親鸞しんらんしょうにんをば祖師そしとあがめたてまつりたまいけり。 すなはちびょうどう寺務じむとしてもんりゅう正統せいとうなり。

いまのだいしょうはかのじゃ*真弟しんていなり、 はは中原なかはらうじ周防すおうのかみなにがしとかやもうしけるひとむすめなり。 人王にんのうはちじゅうだい亀山かめやまいんぎょ*文永ぶんえい七年しちねん かのえのうま じゅうがつ廿にじゅう八日はちにちさんじょうとみ小路こうじほとりにてたんじょうあり。 如来にょらいめつせんひゃくじゅうねん祖師そしらんしょうにんせんにおくれたることはちねんなり。 かのしょうにんえんじゃくじゅう一月いちがつ廿にじゅう八日はちにち、 この尊老そんろう降誕ごうたんじゅうがつ廿にじゅう八日はちにち、 かれはにゅうめつ、 これはしゅったい、 かれは*ちゅうとう、 これは*とうおなじきにしもあたれるはきょう信心しんじんのいとゞもよほすはしともなりぬべく、 まつどうのおなじかるべきもおもひあはせらるゝものなり。

*ぶん元歳がんさい みずのえのたつ じゅうがつじゅうにちりょう書写しょしゃあん

隠倫おんりんじょうせん

 

0440最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし

  だいだん

代々だいだいれいにてどうみょうにはこうをつけられければ、 これも光仙こうせんとぞごうせられける。

文永ぶんえいねんあきのころ、 どうやまいとこにふしてをわたりたまいけるに、 光仙こうせん殿そのそのとき三歳さんさいなれば、 いまだ知母ちぼよわいにもいたらず。 そのうへ乳母うばのふところにのみいだかれて、 さだかにせい恩愛おんないをわきまへたまうべきならぬに、 ははいたずきたまふことをしりて、 しきりにこゑをたてゝなき、 ともすればかおをまもりて、 なげきのいろをぞあらはされける。 さるほど八月はちがつ廿日はつかじょうあきかぜにさそはれて、 有為ういゆうべつゆときえたまいにき。 このときにあたりてかなしみしたひたまうことかぎりなし。 そのていたゞ成人せいじんのごとくにみえたまいけるは思議しぎことなり。 おほよそおさなくてのありさま、 きょうほうムツキ なかにありてもみだりにていきゅうすることなく、 どうともがらにまじはりてもあながち遊戯ゆげすることなし。 言行げんこうともにとゝのほりてあまりにおいずけたるまでにみえたまいけり。

或時あるとき*厳親げんしんのところにきゃくじんのきたれるあり。 かのひとひさしくまうでこざりけるが、 つきをへてきたりのぞみけるに、 ごろえんしゃせんとやおもひけん。 ちちにてはんべるおきな0441おもひのほかなる問号もんごうおいたることはんべりて、 さやうのことはるけんとせしほどいとまをえがたくて、 かくかきたえをとづれもまうさずはんべりつるともうしけるを、 そのひとかへりてのちに、 虚実きょじつをばしらず、 問号もんごうとはぬすみといふこと、 よからぬなればこのこともうさずともありなんと人々ひとびといひしろひけるに、 かたへはなにかくるしからん。 これはこゝろなほきひとなるゆへに、 のをこたりなきよしをきこえんために、 ありのまゝにもうすにこそといひけるをきゝたまいて、 このしょう六歳ろくさいほどにやおはしけん。 さかしらしたまいけるは、 しょうじきなるもことにこそよれ、 おやのはじをばいかゞあらはすべきとおおせられければ、 面々めんめんしたをふり、 あなおそろしのおほせられごとや、 どうのをすところ、 げにもさらなりとぞ、 をのをのもうしける。

このことをおもふに、 まことにようげんといふべからず、 をのづからせんしょう美旨びしにかなへり。 むかし*しょうこうといふひとこうかたりていはく、 「吾党わがとうなおくするものあり、 そのちちひつじをぬすめり、 これをしょうす」 (論語) と。 こうこれをききて、 「吾党わがとうのなほきものこれにことなり、 ちちためにかくし、 ちちためにかくす、 なおきことそのなかにあり」 (論語) とのたまひけり。 かのこゝろのなほきゆへにもうすにこそといいける傍人ぼうじんけんは、 しょうこうのおもへるなおしにあたれり。 しょうじきなるもことにこそよれとおほせられけるどうぎょう一言いちごんは、 こうののたまへる0442なおしにかなひてはんべるにや。

  だい三段さんだん

厳親げんしんおもいたまいけるは、 われこそいとけなくしてちちそうし、 いたずらひとりとなりしかば、 *にわおしえあとなく、 いえふうもふきたえぬれば、 まづいかにもしょをまなばしめばやとおもいたまいけり。 されども累代るいだい文書もんじょ失墜しっついしぬ、 訓説くんぜつ相伝そうでんわがはたどたどし、 一門いちもんぞくちゅうなどにあつらへつけたりとも、 幼学ようがく扶持ふじいかにも大様おおようなるべければ、 いかゞせましとおもいわずらいたまいけるが、 とてもしゃくもんいるべきなれば、 あながちにとう他家たけせつをみがき、 でん明経みょうぎょうてんをいとはずとも、 たゞぶっきょう修学しゅがくのしたのためなれば、 さまでそのみち明哲めいてつならずともありなんとおぼされけり。

ここもと叡山えいざん学侶がくりょにてじゅう*竪者りっしゃていしゅんといふひとあり。 本山ほんざんきょうしゅをやめ、 じょうぎょうにんとなりてちょうらく一方ひとかた正統せいとうといはれ、 しんぼうちょうかいとぞごうしける。 りゅうかんりっには孫弟そんてい敬日けいにちぼう円海えんかいほうなり。 さんじょうじゅうしても随分ずいぶん*宏才こうさいにかぞへられ、 真門しんもんいりてもちょうりんめいあり。

しかるにかのひと厳親げんしん大谷おおたに幽栖ゆうせいのきをならべて、 じょういっしゅう芳好ほうこうなじみをなされければ、 これにたいして*えんしゅう学問がくもんをも内々ないないとげしめんとおぼされけるに、 この大徳だいとくはたゞしょうどうじょう先達せんだつたるのみにあらず、 かね*しゅう和語わご才幹さいかんもくち0443おしからず。 ぶん風月ふうげつ天骨てんこつしょうにうけて、 説道せつどうなどもにもちゐられ、 何事なにごとにつけてもひとにゆるされたりしかば、 まづこの老僧ろうそうにつけてないてんあひともにがくせしめんとぞおもはれける。

よりて文永ぶんえいじゅう一年いちねんあきころにや、 光仙こうせんぜんさいにてはじめて ¬*朗詠ろうえいしゅう¼ をうけたまいけるよりいくばくのつきをへず、 四部しぶ読書どくしょこうををへ、 そのほかしょうぶんなどもよみたまいけり。

ちょうだいのちなん*鴻儒こうじゅとうさん 明範あきのりきょう そく大内だいない業範なりのりといひしひとしゅっのゝち細々さいさいもうしつうぜられけるにぞおとずれたまいける。

さて読書どくしょ少々しょうしょうをはりければ、 しゃくてんにとりむかはれけり。 はじめて ¬しゃ頌疏じゅしょ¼ をがくし、 かね天臺てんだいみょうもくをぞ沙汰さたありける。 ¬頌疏じゅしょ¼ はまづ 「けんぼん」 をだんじけるに、 三界さんがいしゅいんせん八海はっかいこんりゅう以下いげおぼつかなからずこころて、 ほとほと成人せいじん同学どうがくよりもりょうすゝむことおほかりけり。 ¬本頌ほんじゅ¼ 三十さんじっかんほどなく闇誦あんじゅしてくらきところなし。 かゝりければ法門ほうもんとうりょうたらんことをあらまし、 禅林ぜんりんきんしゅうたらんことをよろこびおもいて、 厳親げんしんもいよいよちょうあいをくはへ、 のうもしきりに感嘆かんたんをいたす。

敬日けいにち大徳だいとくさくにて、 えんしゅう要文ようもんをあつめ、 簡要かんよう義理ぎりをしるして ¬初心しょしんしゅう¼ とだいしたるじょうしょうあり。 すなはちかのひつなるをしんぼう相伝そうでんしてことにぞうありけるを、 幼敏ようびんずいにたへず、 慇懃おんごん奥書おくがきのせぞくほうをあらはす。 かの奥書おくがきいわく、 「先師0444敬日上人為↢幼学之仁↡、 被↠集↢此要文等↡、 澄海伝↢受之↡。 建治三年仲秋十六日、 依↠為↢法器↡所↠奉↣付↢属光仙殿↡也。 以↠之表↢随分懇志↡而已、 愚老澄海」 と 云々うんぬん

  だいだん

このしょう天性てんせい聡明そうめいうつわにうけたるうへ、 がくしょうごんこころざしにそみてみえたまいければ、 おなじくはほん本山ほんざん学業がくごうをもとげ、 *鳳闕ほうけつ仙洞せんとうちょくかんにもあづかるとなしたてまつらばやと厳親げんしんおもいたまひ、 傍人ぼうじんすすめもうしければ、 弘安こうあんねんなつころ垂髪さげがみじゅう三歳さんさいにて、 山門さんもん天臺てんだいめいしょうさいしょう法印ほういんそうちょうときこえしひといついりたまいけり。 禅房ぜんぼうほうしょうひがししもわらほとりもんりゅう宗源そうげん法印ほういん弟子でしなり。 けいこうつもり、 *しょうろうたけて*探題たんだいにのぼり、 *しょうにいたられければ、 朝獎ちょうしょうあらはれて、 ほまれ山洛さんらくおよびけり。 かの法印ほういんしたがい讚仰さんごうありけるほどに、 いちききじゅうをしるしょうそうかんじ、 をさとりもんあんずる聡敏そうびんをよろこばれけり。

  だいだん

かくてとしもあらたまりければ、 弘安こうあん六年ろくねんになりて、 春秋しゅんじゅうじゅうさいなり。 たゞ学問がくもんりょうりんトモガラぬきたるのみにあらず、 ようことがらもゆうなるていなり。 さるまゝにはぼうちゅうしょうがんもならぶひとなく、 つたへきくあたりにも事々ことごとしきほどにぞいひあつかひけ0445る。

そのころ三井みい*じょうこうにて南滝なんろういん大臣だいじんそうじょうぼう じょうちん もうすひとおはしましけり。 ほうりゅう円満えんまんいんぼんほっ親王しんのう 円助えんじょ おん弟子でしにてしょうだいりゅうをつたへ、 ぞくしょうきた小路こうじしょう 道経みちのりこう そくげん殿どのには御孫おんまごにて二位にいの中将ちゅうじょう 基輔もとすけこう もうしける英才えいさい賢息けんそくなり。 真俗しんぞくにつけてときめきたまいけるが、 そのぼうへまいりかよふひとそうちょう法印ほういんほとりにもひとつなることありければ、 しもわらぼうにかゝる垂髪さげがみ入室にっしつはんべるなるが、 かのしょう僧房そうぼうにあたらおきたることざましさよ、 このぼうへかどひとらせおはしませかしともうしいでたりけるを、 そうじょうぼうきゝたまいて、 かの縁者えんじゃはいかなるあたりにかたずねききだんじこゝろみよかしとおおせられけるを、 さては院主いんじゅぎょにもさおぼしめしたるにこそとぞ面々めんめんもうしける。

或時あるときじゃくはいとう会合かいごうことありけるはいしゃくみぎりにて、 このことをかたりいだしけるが、 そのほんしゅなど少々しょうしょうありけるをとうりょうとし、 よいのまぎれにかれこれどうして、 わかき者共ものどもじょうさんじゅうにんかっちゅうたい兵仗ひょうじょうをとゝのへて、 かのぼう発向ほっこうしけるに、 おりふし房主ぼうしゅ法印ほういん登山とうざんほどにて、 留守るすともがらわづかににんぞありける。 よきすきなりければ、 おしいりうまにいだきのせたてまつり、 ぐんぴょうぜんにかくみてかえりけるほどに、 さらむかへにをよびず、 ことゆへなくてそつ入室にっしつありける、 慮外りょがいことなり。

そうじょうぼう穏便おんびんならぬことかなとおおせられな0446がら、 しんちゅうにはえつたまいけり。

  だい六段ろくだん

しもわらぼう留守るすよりいそぎさんじょうつげたりければ、 法印ほういんとるものとりあへずざんせられけり。 こはいかにしつることぞとて、 たゞ大息おおいきをつきあきれたるていにてぞおはしける。 これも房人ぼうにんをかけ経廻けいかいするしゅなどもありければ口惜くちおしことなり。 うばいかえすべきよし内談ないだんありけれども、 法印ほういん極信ごくしんひとにてもうされけるは、 所存しょぞんをとげんとせば、 さだめて戦闘せんとうにをよぶべし、 こともしひろくならば、 たちまちにりょうもん確執かくしつとしてほとほとらく騒動そうどうにもなりなん。 留守るすにんときなれば、 さまでのじょくにあらず、 ほうこそおしけれどもちからなきだいなり。 たゞねんぼうのよしにてこそあらめ、 あひかまへてろうにをよぶべからずと厳制げんせいくわえられければ、 沙汰さたにてやみにけり。

  だい七段しちだん

さて南滝なんろういんにはちょうことにはなはだしく、 愛玩あいがんきはまりなかりけり。 あまたのたちなかにもところををかれてみょうたしかによばるゝこともなく、 おさなくて阿古あこ阿古あことなのられける、 そのかたをぞよばれたまいける。 らいには*いんのうち一方ひとかたかんりょうをゆる0447して、 本尊ほんぞん聖教しょうぎょうぞくもあるべきむねなどしめされければ、 厳親げんしんこのよしききたまいて、 りょうもん経歴きょうりゃくじょうほんにそむき、 転変てんぺんそつもおだやかならずおぼゆれども、 これまた宿しゅくえんあるゆへにこそと、 しんちゅうには思議しぎにぞおもいたまいける。

院主いんじゅかやうにもてなされければ、 いんかん門侶もんりょろうにゃくをいはず、 われおとらじとあつまり、 徒然つれづれをなぐさめたてまつらんとて、 日々にちにちけんしゅうをとゝのへ、 時々じじ遊宴ゆうえんせきをのぶ。 すこしまことしきこととてはれんうたなどぞありける。 さならでじょうのあそびには囲碁いご双六すごろくしょうらん文字もじぐさり、 なぞなぞせぬたいもなく、 いかにしてかきょうにいらんとのみぞしける。 かゝるせきにも、 さてもくことなく、 なにはのことにつけても、 ひとをすさめぬよう振舞ふるまいたまいければ、 ぼうちゅうこぞりてしょうすることかぎりなし。 されども学問がくもんといふ沙汰さたないにつけてなかりければ、 本人ほんにんこころにはかくてはさはなににかなるべきとこゝろとまらずぞおもいたまいける。

ぶん元歳がんさい みずのえのたつ じゅうがつじゅうにちりょう書写しょしゃあん

隠倫おんりんじょうせん

 

0448最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし

  だいじゅう七段しちだん

しょうにんかんきゅうせきもゆかしく、 いまだじょうらくせぬ門弟もんていたち*向顔こうがん大切たいせつにおぼされければ、 東国とうごくじゅんけん度々たびたびおよびけり。

まづ最初さいしょには、 *しょうおう三年さんねん三月さんがつころ厳親げんしん*桑門そうもんこうせさせたまいけるに同道どうどうたまい、 こゝかしこ遊覧ゆうらん処々しょしょいたりて、 おうをしたふなみだにむせび、 連々れんれん隠居いんきょ国々くにぐにをみて、 平日へいにちどうにもれたることをのみぞ今更いまさらかなしみたまいける。

そのこくみちにひたちのくにとかや、 がき山中やまなかいうところにて、 にはかにわづらひたまうことありけり。 けん*しょうかんごうすることにや、 うんにありて*だいやすからず、 つうこゝろをなやまして*ぞうことごとくいたむ。 旅所りょしょほどなれば、 医家いけじゅつとぶらふにもをよばず、 しょうがいおわりにこそとて、 たゞ仏刹ぶっせつのぞみをのみぞもっぱらにせられける。

こゝに*しん大徳だいとくもうすひとおはしけり、 如信にょしんしょうにんには*厳考げんこう本願ほんがんしょうにんおん弟子でしなり。 はじめしょうにんおん使つかいとして板東ばんどうこうし、 じょうきょうぼうをひろめて、 へんしきにそなはりたまいけるが、 のちには法文ほうもん義理ぎりをあらため、 あまさへ巫女みこともがらまじわりて、 仏法ぶっぽうしゅぎょうにはづれ、 *どう*けんようにておはしければ、 しょうにんじん一列いちれつ0449おぼしめさず、 しょにつらなりし人々ひとびともすてゝみなじきしょうにんへぞまいりける。

しかるにかの大徳だいとくちかきあたりに*遊止ゆじたまいけるほどに、 病牀びょうしょうをとぶらはんがために旅店りょてんにきたりのぞまれけるが、 のたまいけるは、 われをもてよろづの災難さいなんす、 あるいじゃあるいびょうのうないじゅおんとうをしりぞくるにいたるまで、 効験こうけんいまだにおちず、 いまびょうそううんびょうとみえたり。 これをぶくせらればそくへいすべしとて、 すなはちかきあたえらる。

びょうしゃこゝろのなかりょうのうおもいなかりければ、 おもてうえじゅいろあらはれたり。 さりながらことびょうげん蒙昧もうまいよせて、 しらぬよしにてとりたまはず。 厳親げんしんまくらにそふてたまいけるが、 本人ほんにんとんをばたまいながら、 方腹かたはらいたしとやおもいたまいけん、 それそれとすすめらる。 しんしょうにんまたそばにてとりつぎて、 やがてにわたしたまいけるほどに、 さのみのがれがたくて、 のむよしにてのなかにかくし、 くちのうちへはいれたまはざりけり。 いつはりのみたまうけしき、 かの大徳だいとくもみとがめたまいけるにや、 わがじゅつをかろしめてもちゐられざるよし、 にちにつぶやきたまいけるとぞ。

さて大徳だいとくかへられてのちに、 かの受用じゅゆうなかりつる所存しょぞんはいかにと桑門そうもんたづねたまいければ、 こたへたまいけるは、 みょうごう思議しぎのうあんじ、 *ねんぞうじょうえんしょうやくおもうには、 まめやかに鬼魅きみのなすところやまいならば、 おほかたは念仏ねんぶつしゃのこれにをかされんことほん0450ならず。 これぎょうじゃ信心しんじんのいまだいたらざるゆへ、 しからずは、 うくるところのやまひ*しょうえんのたぐひにあらざる。 もし風寒ふうかんのなやますところならばりょうやくをもてすべし、 もし*疫神やくじんのなすところならば仏力ぶつりきをもてぶくすべし。 いかでかじょうだいみょうごうをたもちながら、 つたなく遠近えんきん幻惑げんわくじゅじゅつをもちゐんやとこたへたまいけり。

そのゝちことに信力しんりきをぬきいで、 称名しょうみょうをこたりたまわざりけるに、 びょうるいほどなく平復へいふくし、 心神しんじんもとのごとく安泰あんたいにぞなりたまいける。

かのしん大徳だいとくもかくのごとく仏法ぶっぽう軌儀きぎをひるがへし、 巫覡かんなぎ振舞ふるまいにておはしけれども、 もしそうをわざとかやうにもてなされけるにや、 あやしくみえたまうことともありけり。

そのゆへはだいしょうおなじく*そうとき鎌倉かまくらをすぎたまいけるに、 さいしょうおんそうしゅう禅門ぜんもん 貞時ただとき朝臣あそん せいのはじめつかたなりけるに、 おりふし守殿しゅでんおんはまいでとてひそめきさはぐをたまいければ、 とうつじより浜際はまぎわまで数多あまたぜいみちもよけやらずつゞきたり。 その為体ていたらくそうにょあひまじはり、 もすそをたれてみな騎馬きばなるがさんびゃくもやあるらんとみえたり。 そのなかにかの大徳だいとくもくはゝられけるが、 しょうにんよりたまはられける*無むげこう如来にょらいみょうごうのいつもをはなたれぬをくびにかけ、 じょうにても他事たじなく念仏ねんぶつせられけり。

また常陸ひたちのくにをとほりたまいけるにも、 そのころ小田おだそうりょうときこえしは、 筑後ちくごのかみりょうことにや、 かのひと鹿しまやしろさん0451けいときにも同道どうどうせられけるが、 そのときも本尊ほんぞん随身ずいしんといひちゅう称名しょうみょうといひ、 関東かんとうぎょうにすこしもたがはず、 りょうともにとほりあひてらんたまいければ、 しんちゅうほう外儀げぎきょうこつにはたがはれたるにやとぞのたまいし。

しかのみならず、 しょうにんじょう西にしの洞院とういん禅房ぜんぼうにわたらせたまいしとき、 かの大徳だいとくまいりたまいたりけるに、 つねおんすまゐへしょうもうされ、 ふゆことなればへんにて対面たいめんあり。 しょうにん大徳だいとくたがいおんひたいあわせて、 ひそかにごんつうたまいけり。 たか*けん大徳だいとくいうひとは、 かべ*真仏しんぶつひじり弟子でしにて、 しょうにんには孫弟そんていながら、 じょうらくとき禅容ぜんようのほとりにちかづき、 じき温言おんげんはしにもあずかりひとなるがゆへに、 おりふしふとまいりてこはづくろひありければ、 しょうにん言説ごんぜつをやめられ、 しん大徳だいとくすなはち片方かたほう退しりぞきたまいけり。 話語わごのむねしりがたし、 よもけんじんにはあらじ、 仏法ぶっぽう密談みつだんなるべし、 いかさまにもさいある御事おんことにやとぞ、 けんぼうはのちにかたりもうされける。

おほよそひと権実ごんじつ凡見ぼんけんをもてさだめがたく、 そうをもてはかりがたし。 かの書写しょしゃさん*しょうくうしょうにんしょうじん*げんはいせんとがんぜしせっしゅう神崎かんざき遊女ゆうじょちょうじゃ白玉びゃくぎょく無漏むろそうしめしけり。 また元興がんこう頼光らいこうほっいっしょうらんなりし、 ひとしゅつをうたがひしかども、 しんちゅうにひそかにしゅするところありければ、 あんにょうじゅんおうじょうをとげき。

さればこのしん大徳だいとくも、 いまのありさま0452しゃくはんし、 その行状ぎょうじょうげんじゅつどうずれども、 しらず御子みこかんなぎとうとうにまじはりて、 かれらをみちびかんとするだいしょうぜんぎょうにもやありけん。 外儀げぎ西方さいほうぎょうにんにあらざれども内心ないしん弥陀みだねんせられければ、 かのじゅつみょうごう加持かじちからをもとゝせられけるにや。 もちゐるひとはかならずそのしょうむなしからざりけり。 しかりといへども、 とうていをみるに、 いちりゅうぎょうにあらざれば、 そのときかのをうけたまはざりける信心しんじんけんきょうなるほどもあらはれ、 くんおくしたまふいたりもたうとくこそおぼゆれ。

  だいじゅう八段はちだん

だいごんじゃ弘雅ひろまさいうひとあり。 ぞくしょう小野おののみや少将しょうしょうにゅうどう具親ともちか朝臣あそんそくに、 はじめ少将しょうしょうじゃ しつみょう もうしけるひとのがれ*禅念ぜんねんぼうとなんごうせしひと真弟しんていなり。 にん鳴滝なるたき相応そうおういんさきのだいそうじょうぼう 守助もりすけ 弟子でしにて、 むろへもさんごうかけられけり。 むねとは*広沢ひろざわ清流しょうりゅうくみ真言しんごんきょうもんをうかゞひ、 かねては修験しゅげん一道いちどうあゆみ山林せんりんそうをたしなまれけるが、 のちにはこれも隠遁いんとんして和田わだ*唯円ゆいえん大徳だいとくをもてはんとし、 しょうにん門葉もんようなり*唯善ゆいぜんぼうとぞごうせられける。 とりわきいっしゅう習学しゅがくことなどはなかりしかども、 真俗しんぞくわたりてつたなからず、 ばんにつけて才学さいがくたてられけるひとなり。 かくそん宿しゅくには一腹いっぷく舎弟しゃていにてましまたまいければ、 だいしょうにはしゅくてつなかにて、 きょ南北なんぼく0453にならべ、 まじわり朝夕あさゆうにむすばれけるが、 つねには法門ほうもんだんありけり。

或時あるときはかりなきじょうろんあり。 尊老そんろうひとたいして法文ほうもん演説えんぜつたまうことありけることばに、 いま聞法もんぼうのうぎょうとなれるは*ぜんしきにあへるゆえなり。 しきにあふことは*宿しゅくえん開発かいほつのゆへなり。 さればききしんぎょうせんひと宿しゅくえんよろこぶべしとのたまひければ、 唯善ゆいぜん大徳だいとくなんぜられていはく、 *念仏ねんぶつおうじょう義理ぎりまたく宿しゅくえん有無うむをいふべからず。 すでにしょをいふに十方じっぽうしゅじょうなり、 そのなか善悪ぜんあく二機にきせっす。 善人ぜんにんにはまことにげん善根ぜんごんもあるべし、 悪人あくにんには二世にせ一毫いちごう善種ぜんしゅさらになきものもあるべし。 いまならばこれたぐい本願ほんがんにもれなんともうされけり。

尊老そんろうたまいけるは、 *とんぎょう*いちじょう極談ごくだん凡悪ぼんあくさいしゅうりっするとき、 たゞをしへて念仏ねんぶつぎょうぜしむるにあり。 そのしゅつをさだめんにをいて、 とをく宿しゅくぜんをたづぬべからざることしかるなり。 他師たし三品さんぼんはんずとして、 がくだいじょうひとなりといへるを、 そうして 「遇悪ぐうあくぼん (玄義分) しゃくせらるゝはこのこころなり。 されば ¬だいきょう¼ (巻下) もんに 「雖↢  へども の は の間↡、 なりと  に ず↢無量壽 の に」 といへる、 いっしゅぎょうよりぼんおうじょうをうることはその勿論もちろんなり、 あらそふところにあらず。

たゞし退しりぞきてこれをいふに、 おうじょうをうることは念仏ねんぶつやくなり、 きょうぼうにあふことは宿しゅくぜんこうなり。 もし宿しゅくぜんにあらずしてじきほうにあふといはゞ、 な0454んぞ諸仏しょぶつ神力じんりきいちしゅじょうをつくし、 如来にょらいだい一念いちねんだいをえしめざる。 しかるにぶっきょうにあふにそくあり。 だつをうるにぜんあるは、 宿しゅくぜん厚薄こうはくにこたへしゅぎょうごうにゃくによる。 このゆへに ¬きょう¼ (大経巻下) には、 「 し無↢  しては善本↡不↠得↠聞↢  ことを の を」 とも、 「宿 に見↢    たてまつるもの を て く の の を」 ともとけり。 就中なかんずくしょう ¬清浄しょうじょうがくきょう¼ のもんひきて、 しん得失とくしつをあかしたまへり。 これすなはちしんものはこのせつききざんをいたし、 しんをはげまさんがため、 もとよりしんじゅんのものはいよいよけんして、 こうにゃくのこゝろをのぞかんがためなり。 仏説ぶっせつすでに炳焉へいえんなり、 いかでか宿しゅくぜんなしといはんと。

唯公ゆいこうまたさては念仏ねんぶつおうじょうにはあらで宿しゅくぜんおうじょうにこそともうされければ、 尊老そんろうまた宿しゅくぜん当体とうたいをもておうじょうすといふことは、 はじめよりもうさねば宿しゅくぜんおうじょうとかけりおほせらるゝにをよばず。 おうじょういんとは宿しゅくぜんもならずこんじょうぜんもならず、 きょうぼうにあふことは宿しゅくぜんえんにこたえ、 おうじょうをうることは本願ほんがんちからによる。 しょうにんまさしく 「 を く べ↢宿 を (総序) しゃくたまううへは、 りゅうをくみながら相論そうろんにをよびがたき云々うんぬん

そののちりょうほう問答もんどうをやめ、 たがひに言説ごんぜつなかりけり。

じょうだいごん 邦綱くにつなきょう 遺孫ゆいそんにて東海とうかいしゅうをへたる一人いちにん雲客うんかくあり。 きた白川しらかわいんはんべり仙院せんいんことをよろづにつけてもうし沙汰さたせられけるが、 しゅっ発心ほっしんして伊勢いせにゅうどうぎょうがんぼうとぞもうしける。 ぞく0455たいとき才幹さいかんかんにわたり、 管弦かんげんみちなどもひとにしられたりしが、 隠遁いんとんのち法談ほうだん処々しょしょにちかづきのぞみて、 しょうどうじょう法文ほうもんちょうもんみみをそばだて、 しょしゅうがく碩徳せきとく難答なんとうことばをもとおして、 博覧はくらんないてんをかね、 べん随分ずいぶんほまれありしひとなり。 かのひといまじょうろんのちききて、 じょうこうじゅつぶっきょうしょうにかなひ、 がくしょう智解ちげときこえたり。 こうりょうきょうげんなれども、 唯公ゆいこうせいにゅうどう法門ほうもんなりとぞもうされける。 にゅうどう法門ほうもんとは、 いかなることにかたしか相伝そうでんむねはなくて、 たゞ暗推あんすいなるよしもうされけるにや。

  だいじゅうだん

いちりゅうおうつたえしんしゅつようをあきらめたまううへは、 広学こうがくもんもさのみはなにゝかはせんなれども、 しょ所談しょだんもゆかしく、 れん学者がくしゃのあかぬことなればとて、 便びん聞法もんぼうをばなをすてられず、 もん先達せんだつにも少々しょうしょうえったまいけり。 これによりて、 あんにょうにちぼうしょうにん*しょうくうあいて、 西山せいざん法門ほうもんをばちょうじゅたまう五部ごぶこうしゅにもたびたびあひ、 そのほか ¬だいきょう¼・¬ちゅうろん¼・¬念仏ねんぶつかがみ¼ などのだんもありけり。 またこうしょうえんしょうにんたいして、 一念いちねんながれをも習学しゅがくありけり。 これも ¬凡頓ぼんとんいちじょう¼・¬りゃくかんぎょう¼・¬りゃくりょうけん¼・¬げんしょう¼ などいふ*幸西こうさいしょうにん制作せいさくゆるされによりてかさとりたまいけり。

  0456だいじゅうだん

ちょうらく門風もんふうをばむかししんしょうにんうけたまふべかりしかども、 そのときはいまだようほどなれば、 たゞ天臺てんだいみょうもくしゃ沙汰さたなどにてやみにき。 その真弟しんてい禅日ぜんにちぼうりょうかいといひしひととくあとをふむべきようにてもなかりければ、 累代るいだい遺跡ゆいせきわがしょうにんびょうしきのうちとなりしとき相伝そうでん聖教しょうぎょう尊老そんろうぞくしたてまつりけり。 敬日けいにちしんりょう碩徳せきとくしょうもつしょとうまことにそのながれじゅうほうとみえ、 みな後代こうだいめいきょうといひつべし。

これによりてかのながれしょりゅうじゅなしといへども、 おろおろりょうたまいけり。 いづれのしゅききても、 かのきょうをもてあそばんとにはあらず、 たゞ所伝しょでんしゅぎょくをみがかんがためなり。 あまたの宿しゅくさいえったまうも、 そうじょうをならべんとにはあらず、 ひとへにわがいえ所伝しょでんどうをわきまへんがためなり。 さればかれをきゝこれをきゝても、 いよいよいちりゅう気味きみをそへにつけもんにつけても、 ますますとうじょうをぞたうとみたまいける。

ぶん元歳がんさい みずのえのたつ じゅうがつじゅうにちりょう書写しょしゃあん

隠倫おんりんじょうせん

 

0457最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし

  だい廿にじゅう一段いちだん

また清水きよみずざか主典しゅてんの辻子ずしこうみょうしょうぼうしょうにんりょうねんあい*三論さんろんしゅうがくたまいけり。 厳親げんしんねんいんにて便たよりをえられけるほどに、 らんしゃくなどにつきて、 かのしゅうみょうもくとうぞん大切たいせつなるべきことどもあるによりて、 しゅう*梗概こうがいうかがいたまいけるなるべし。

くだんしょうにんぞくしょうきょうごくにゅうどうちゅうごん 定家さだいえきょう ちゃくにて、 じゅう光家みついえといふひとおはしけり。 ちゅういんにゅうどうだいごん 為家ためいえきょう なんにておはしけるが、 とくにたてらるゝときいえをいでをそむかれけるそのそくなり。 ことえんありて、 じゅうさいまでどうぎょうにてぜいいんだいごん 教家のりいえきょう 随逐ずいちくしたてまつられければ、 しき事共ことどもをも訓説くんぜつをうけ、 *入木じゅぼくみちなどをも扶持ふじをえたまひけるが、 そのとしにはかに東大とうだい別当べっとうそうじょう 定親さだちか いついりしゅっをとげ、 はく戸部こぶ禅門ぜんもんゆうとしてじょうげんみんきょうこうとぞもうしける。

それよりこのかた、 まなこりゅうじゅ天親てんじん論文ろんもんにさらし、 こゝろをたいはっしゅうにすまして、 ほどなくがくなりこうつもりしかば、 *得業とくごうしょうをうけ*しょうやくにもしたがいて、 けいほまれ自他じたもんにたぐひすくなきほどなりけり。 しかるに道念どうねんひそかにきざし宿しゅくえんそらに0458もよほしけるにや、 たちまちみょうもんいで隠遁いんとんとなられけり。 そのゝちはどうりゅうぜんもんにして*じき人心にんしんしゅうふうをうかゞひ、 またらくちゅうめい能説のうせつとぞきこえられし。

ついとくころじょうじゅはちじゅうゆうにてせいじゅ制作せいさくしてぼくをおどろかされけり。 かの座下ざげにして ¬*ほっ¼・¬*浄名じょうみょう¼ とうの ¬ゆう¼ ならびに ¬じょうろん¼・¬三論さんろんげん¼ とうじゅたまいけり。

  だい廿にじゅうだん

如信にょしんしょうにんおうしゅう*大網おおあみひがしやまといふところきょをしめたまいけるに、 かんにしたがふひと国郡こくぐんにみち、 とくぎょうをあふぐやから遠近えんきんにあまねし。

ここにかの禅室ぜんしつをさること板東ばんどうのみちさんじゅう西にしかたによりて、 かねさはといふところじょうぜんぼうといふひとあり。 本願ほんがん信受しんじゅするこゝろまことありて、 おん慚謝ざんしゃするおもひことにねんごろなり。 これによりて、 しょうあん元年がんねん*きゅうとう廿日はつかあまりのころ、 かの草庵そうあんしょうじたてまつりてちゅう聞法もんぼうやくにあづかり、 朝夕あさゆうきゅうつとめをぞいたしける。

かゝるほどに*年光ねんこうはやくくれて、 *ようしゅんあらたにきたりけり。 しかるにしょうがつ二日ふつかより心神しんじんいさゝかれいならずとて、 うちふしたまいけるが、 それよりのちはひとへに世事せじ*囂塵ごうじんほうきゃくして、 じょう称名しょうみょうをこたりたまわざりけるに、 こうしつなかくんじ、 音楽おんがくまどそとにきこゆること、 二日ふつかふたのあひだ耳鼻じびにふ0459れて間断けんだんなし。 かくて*おなじき四日よかみのときしょうしょうねんにして、 つゐに称名しょうみょうのいきやみたまいにけり。 近隣きんりんともがら瑞雲ずいうんおどろきてのぞみまうで、 遠邦えんぽうやかられいかんじてはせあつまるひとおほかりけり。

これはおうしゅうにてのことなれば、 尊老そんろうしりたまはず。 のちのそのこくたまいてこそ、 都鄙とひさかひのはるかなることもいまさらうらめしく、 しょうみちのへだゝりぬることもかなしみなみだしのびがたくおもいたまいけれ。 そのとしあきころはじめてききたまいければ、 そのときにゅうめつしんして、 じゅんけいをかぞへ、 ひゃくにち光陰こういんかんがえ一一いちいち追善ついぜんしゅし、 懇々こんこん精誠せいせいぬきんでたまいけり。

一廻いっかいだい三廻さんかいまでの恩業おんごうをば、 きょうにてとりをこなひたまいけるが、 じゅう三年さんねんえんきょうねんあたりたまひけるに、 *ねんふゆころしゅうじゅうれいゆきをしのぎ、 百州ひゃくしゅうばんこおりをわたりて、 まづしゅうえんれいをしたひ、 かねさはのどうじょうにいたりて、 諸方しょほう門弟もんていをもよほし、 追修ついしゅぶつをいとなみたまいけり。 それより大網おおあみ遺跡ゆいせきにまうでゝ、 こゝにてもいち梵筵ぼんえんをぞのべられける。 慇懃おんごんのこゝろざしていちょうのいたりなり。

こうみょうじのしょう、 ¬*かんぎょう¼ の 「奉持ぶじちょう」 のもんしゃくしたまふをみれば、 「教↢ して を↡学識 じ を、 因行無↠ して こと乃至成仏、 する  れ の之善 の力也、 此之大恩 も く↢敬 す (序分義) といへり。 はじめ二句にくけんとくをあげ、 つぎ二句にくしゅっおんをあかし、 つぎ二句にくはならべてない恩徳おんどくをのべ、 のち二句にくそうじて0460ほんけっす。

またりっしゅう*かいしゃくには 「父母師 は れ田。 なり  く の の生↢ じて が を↡、 養育恩 く、 訓誨成↠ じて を に ず↢法 を」 といへり。 まことにしょうじんいくするは父母ぶもなれば、 けん*福田ふくでんのこれにまされるはなく、 法身ほっしんじょうずるはちょうなれば、 しゅっ福田ふくでんのこれよりもだいなるはなし。

このゆへにわが尊老そんろう父母ぶもにもことに孝行こうこうこころざしをもはらにし、 ちょうにもふかく報恩ほうおんまことをいたしたまいけり。 さればりょうこうほねくだきてもしゃしがたき厚徳こうとくなれば、 せんあゆみはこびぬきんでたまいける精信せいしんをば、 如来にょらいもさだめてしょうかんし、 せんもさこそ納受のうじゅたまいけめ。

  だい廿にじゅう三段さんだん

厳親げんしん桑門そうもんしょうあんのはじめつかた、 じゅうゆうころより*といふやまいにわづらひたまいけるが、 種々しゅじゅりょうようをくはへられけるもさしたるしるしなく、 またうちたへてしんしょくわすれたまうまでのことはなし。 いつとなくこころよからぬことなりけるを、 はつびょうよりこのかたりんじゅうまで、 しゅはちねんあいだじょうこうりょうじゅつをきはめ、 かんびょうまごころをつくして、 いささかますことあるときは、 べつのちかづけるかとてしゅうたんなみだにむせび、 すこしもへるかとみゆるおりは、 ことなるよろこびのきたれるようあんおもいをぞなされける。

これすなはちおやとしてにんおんひとこえたまひしかば、 としてこうじゅんこころざしにすぐれたまひけるうへ、 じょうこう0461ねにのたまいけるは、 六道ろくどうりんほど曠劫こうごうてんのあひだ、 生々しょうしょう父母ぶもいづれもならず、 世々せせ恩所おんじょたれかおとるべきなれども、 こんじょうふたおやはことにおんふかくとくあつし。 そのゆへは、 このたび希奇きけほうあいて、 ながくしょうみなもとをたつべければ、 おやちぎりもこれをかぎりとおもふには、 ぼんじょうあいしゅうそのなごりもおしく、 しゅついんをこのしょうにえぬれば、 いく恩徳おんどくいづれのよりもをもし。 ことに報謝ほうしゃこころざしをもいたし、 こうまことをもぬきんずべきなりとて、 まめやかに心力しんりきをはげまし、 さら他事たじなかりけり。

ここ大谷おおたにびょうはしばらくじゃしょうなんによりて、 りょさいにをよびぬべかりしゆへに、 あからさまに留守るすじんをゝき、 ひがしやまほんびょう退しりぞきて、 おおもんひがしざくぶくほとり旅所りょしょをしめられけり。 じょうこうもおなじくともたてまつりたまう

しかるおなじきとしがつ上旬じょうじゅんのすゑざまより、 いさゝかふうおはしましければ、 ここれいにかはりたり。 しゅうえんのちかづくにこそとぞおおせられける。

そのころ宇多うたいんてんにて常磐ときわ殿どの仙洞せんとうなりけるに、 きょう三品さんぼん禅門ぜんもん 親業ちかなりきょう *こうせられたりけるが、 るい知己ちき一門いちもん元老げんろうにて、 ないなくもうしつうぜられけるうへ、 *せきあいだなれば、 細々さいさい音信いんしんありけり。

じゅうにちあした、 かの禅門ぜんもん狭少きょうしょうほうじょう旅所りょしょきたりて、 浄名じょうみょう居士こじならぬびょうをとぶらひたてまつられければ、 きょうそくたすけられて*しゅうえつをとげらる。 自他じためいいくばくもあるまじきこ0462とをかたり、 われひと再会さいかい西さい蓮台れんだいすべしなど丁寧ていねい言談ごんだんときをうつしてのち禅門ぜんもんかへられければ、 じょうきゅうくつせりとてふしたまふ。

しばらくありてじょうといふ一念いちねん名僧めいそういたれりけるに、 うれしくきたれり。 いち ¬*礼讃らいさん¼ ののぞみありつるに、 じょいんすべしとぞしめされける。 これはねんれんしゅう旧執きゅうしゅうによりて、 さいちょうもんごんぎょうをもよほされけるなるべし。

かの ¬*しゅりょうごんぎょう¼ (巻八) には、 「 て↢命 の に だルニ捨↢煖 を↡、 一 の善悪倶 に に ず」 ととき、 ¬*安楽あんらくしゅう¼ (巻上) には 「 し刀風 たび て、 百苦あつま↠  るときは に、 懐念 ぞ き ふ」 といへるも、 げにおもいあわせられはんべるものかな。

一念いちねんみょうとき*平生へいぜいごうじょうやくをうといふとも、 しんしんぎょうゆえにも、 いかでかじょうしゅじゅう提携ていけいをさしをかんや。 りょうごん先徳せんどくしゃくに ¬だいきょう¼ (巻下) ずうもんをひき、 「歓喜信楽受持読誦如説奉行とうぎょうをあげてこれをすゝめらるゝに、 「行者 て の に↡、  は は少、  て に念。 せよ  し は↢憶 に↡、  く き を対↠ して に は し は し は し は礼、 して  くは し↢勤 の之方便 と↡、  くは ぶ↦見 の を (要集巻中) といへり。 さればさいに ¬礼讃らいさん¼ のちょうもんほったまいしは平日へいにち声明しょうみょうをもてあそびたまいけるが、 誦詠じゅえい一分いちぶんとしてごん方便ほうべんとなりけるにや。 むかしこれにめでたまいけるもかしこくとぞおぼゆる。

そのらいをたづぬれば、 *いん七声しちせいをわきまへ、 呂津りょしん清濁せいだくたっすること、 天性てんせいのうくるところそのほねをえた0463まへりけるほどに、 門跡もんぜきさんのいにしへも随分ずいぶん声明しょうみょうをたしなみたまいけるが、 隠遁いんとんのちことこころじょう曲調きょくちょういれて、 どうしゅういつにえたまへり。 一念いちねんいんぎょくふしひょうさだめけるはきょうたつなり。 かの弟子でしなか楽心がくしんときこゆるはじょうそくなり。 そのかみかれ召請しょうしょうして連々れんれんこれをぞならはれける。 うつわにもたへこうをもつまれければ、 みちにあらずしてみちたっし、 じんをきはめみょうをきはめられけり。

されば亀山かめやまいん*だっののち、 このみちをえいしょうありけるに、 「上之所↠好、 下必従↠之」 といへるゆへにや、 上達かんだち殿上てんじょうびともおほくたしなみたまいけるに、 ときえいといはれたまいなかに、 小野おののみや中将ちゅうじょうにゅうどう師具もろとも朝臣あそんもうししは、 この桑門そうもんじゅにょりて*芝砌しばのみぎり清選せいせんにあづかられけるとぞ。 この朝臣あそんじょうこういちじょういんまいりたまい媒介ばいかいひとなり。 じょうこうもおなじく慇懃おんごん庭訓ていきんをうけて涯分がいぶん*名望めいぼうをつきたまいけり。 かやうにみちにふけりこゝろをそめたまいけるゆへに、 いまはのきはにもこの一礼いちらいのぞみたまいけり。

さて尊老そんろう調声ちょうしょうにてしょの ¬礼讃らいさん¼ をはじめられけるに、 びょうしゃはふしながらちょうもんみみをそばだて、 しんちゅう助音じょいんありとみえて、 くちびるをぞうごかしたまいける。 時々ときどきこえにあらはれてもきこえけるが、 文々もんもん句々くく義理ぎりをあぢはひてずいいろあさからず。 しかるにまくらにかけたてまつられたる善導ぜんどうだい影前えいぜんあたりて、 念仏ねんぶつ三重さんじゅうほどしゅしょうこうくんじけるを、 こうのち尊老そんろうそばな0464じょうにこれはかぎはんべるやとのたまいければ、 其事そのことなりとこたふ。 さるほどににつらなれる諸人しょにん、 みなこれをかぎて奇異きいおもいをぞなしける。

さてびょうしゃ、 われをいだきあげよ、 おきんとのたまいければ、 かんびょう人々ひとびとよりておこしたてまつるに、 西にしむかいたん念仏ねんぶつひゃくへんのどかにとなえて、 そのいきにておわりたまいにけり。 さるほどに法興ほうこういんほとりうんたなびきけりとて、 仙洞せんとう人々ひとびときほひみ、 じょう沙汰さたしのゝしりけり。 三品さんぼん禅門ぜんもんあやしくおもはれるほどに、 こんちょう向顔こうがんのゝちびょうそういかゞとをとづれありければ、 只今ただいまこときれぬるよし返答へんとうあり。 さればこそこのうん霊瑞れいずいは、 かのおうじょうせんちょうなりけりとたうとまれけり。 そのほかあわぐち三品さんぼん*りん 嗣房つぐふさきょう、 このしょうそうをみるよし使たよりをもてもうしをくられけり。

もとよりごろの安心あんじんうたがいをなされざるうへ、 りんじゅう瑞相ずいそうをおどろかしぬれば、 おうじょうじょうやくしょうぜん第一だいいちよろこびなれども、 恩愛おんないべつかなしみ、 なをやるかたなく、 れんあいしょうおもい、 ほとほとたぐひなきがごとし。 そん先親せんしんきん禅門ぜんもんしょ蓮台れんだいしばついいうところなりけるを、 亡者なきものいちのあひだ毎月まいがつにまうでたまいければ、 かのそばそうして、 これも月々つきづきけいにあたり、 各々おのおのだいをとぶらはんがために父祖ふそはか参詣さんけいしたまふことをこたりなかりけり。

頃年けいねんよりこのかたふるきはかのありさま荒廃こうはいきはまりなきゆへに、 大谷おおたに本所ほんしょあん再興さいこうねん0465のち、 かの芳骨ほうこつびょうにうつしたてまつりて、 本願ほんがんしょうにんこつとともに毎日まいにちちょうだいをいたされける。

  だい廿にじゅうだん

じゅんひゃくにちいっしゅう追孝ついこうをば瞑目めいもくきゅうしんにしてがっしょう誠心せいしんをはこばれけるが、 だい三年さんねんときは、 これこそたいりゃくぜんおわりならんずらめ、 まめやかに他事たじをまじへずして一向いっこう称名しょうみょうこうをつまんとおもふに、 えんにまぎれてはいかにもさまたげあるべし。 しづかにどくじゅうをいたして、 ことに精誠せいせいをはげまさんとて、 勧修かんじゅおく松影まつかげといふところにあやしの草庵そうあんをかりうけ、 たれともしられずして隠居いんきょし、 ひとりとくごんのまことをぬきんでられき。 しょうにさきだつこと三七さんしちにちゆうをしめて念仏ねんぶつをつとめ、 *当日とうじつむかえだい三廻さんかい本所ほんしょかえり報恩ほうおんをいとなみたまいけり。

またじゅう三年さんねんしん*元応げんおう元年がんねんなりしに、 大谷おおたにじゅうせきにて ¬*ほうさん¼ のぎょうほう厳修ごんしゅたまいけり今年こんねん尊老そんろうめいよわいにみちたまへるが、 いまゝでぞんじてこの光陰こういんをまちつけぬるは慮外りょがいことなればとて、 これも観念かんねんのあまりにかねて三七さんしちにちのあひだひがしやま真如しんにょどうれいじょうにこもりて、 西さい安楽あんらくこくみょうだいをぞかざられける。

廿にじゅう一日いちにちのうち、 おわり七日しちにちには念仏ねんぶつほかごんきんじて如法にょほうごんをさへぞいたされける。 ゆうみょうしょうじんぎょうあながちしんちゅうしょうにあらねども、 た0466謝徳しゃとく励修れいしゅおいけん戯言ざれごとをまじへじとなり。

はじめ七日しちにちのあひだ*三月さんがつじんにあたりたりけるに、 亡者なきもの病牀びょうしょうにのぞまれし三品さんぼん禅門ぜんもんちゃくそんしょうべん藤原ふじわら朝臣あそん有正ありまさ才幹さいかんにしられ学功がくこう ちょうにゆるされしかども、 おもいほか沈淪ちんりんし、 其比そのころきょうそうほどにや、 こうしゅうぜんにていとまあるときなりければ、 かつれいるい参篭さんろう面謁めんえつかんじ、 かつざんしゅん半日はんにちけいをもろともにおしまんとて、 くだんのひそかに*りゅうすいあぶらして、 かのかんにぞいたられける。 はなをあはれみとりをしたふきょうのみにあらず。 ぶつそうするもうけまでもねんごろなりければ、 ちょうをしのぐほうもすてがたく、 しょうてんをもてあそぶしゅうにももよほされて、 をのをのうたえいじて、 おもひのほかにそのばかりぞ称名しょうみょうならぬごうをまじへたまいける。

ぶん元歳がんさい みずのえのたつ じゅうがつじゅうにちりょう書写しょしゃあん

隠倫おんりんじょうせん

 

0467最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし

  だいじゅうだん

おほよそばんにつけてみちをたしなむこころざしもふかく、 諸道しょどうにわたりてけんにひとしからんことをおもふこゝろあさあらずおはしましけるなかにも、 ことぞくにとりてふかくしゅうせられしは和歌わかのみちなり。

ねんしょうときよりよみきたりたまいしかども、 とりわきこのみちの故事こじをば、 主典しゅてん辻子ずしじゅうして三論さんろんしゅうがくたまいけるついでに、 しょうしょうにんたいしてろく風体ふうていならいたまいけり。 かのしょうにん累葉るいようぎょうなるうへ、 しゅういつしょうにうけ数寄すきこころそみて、 めいせんにておはせければ、 その諷諫ふうかんうけられけり。 きょうごくだいごん法印ほういん じょう 主席しゅせき親昵しんじつにて、 つねにかのてら会合かいごうせられけるとき、 その訓説くんぜつをうけたまう事共ことどももありけり。

さるははなをもてあそぶはるあしたには、 ひらくるをまち、 ちるをおしむにつけて、 栄悴えいすいのうつりやすきことをしり、 つきにめづるあきは、 くもるをいとひ、 はるゝをのぞむになぞらへて、 みょうあんしなことなることをかんたまいけるにや。

いにしへ ¬*閑窓かんそうしゅう¼ といふ打聞うちききをしるしたまいしは伏見ふしみのいんあめのしたしろしめしゝとき*しょうころなりしに、 おもいほかじょうぶんたっし、 はか0468らざるに叡覧えいらんにおよびて、 さまざまに天感てんかんにあづかり、 人々ひとびと握翫あくがんせられけり。

また元応げんおう元年がんねんはるころきたれいびょうにして詩歌しかこうをとげらるゝことありけり。 これはのう勘解かげゆのしょうこう 有国ありくにきょう 耽学たんがく好文こうぶんこころざしによりて、 当社とうしゃ尊崇そんそうまことをいたされけるあまり、 「幼少ようせうどうみなちやう取、 しゆせよそんながくなし廟門 べうもんの塵↡ちりと」 といふけんぜられしのちりょうにん賢息けんそくをして桂林けいりんいっをおらしめ、 とうそんをしてしょうぜんじんとなさしめたまいけることをおぼして、 しゅっ僧体そうたいなりといへども、 きょうじん祖意そいしたいたまいけるなり。 いんしゅう当世とうせい鴻儒こうじゅきんしょうをくはへられ、 三種さんしゅ和歌わか、 このみち英才えいさい瓊篇けいへんををくらる。 詩歌しかをのをのじょありて、 かんともにきんぎょうをみがゝれけり。

そもそもやまとうたはぞくもんわざとして、 きょうげんぎょひとつなれども、 ごんだいもみなこれにたづさはり、 じょう先賢せんけんもまたすてず。 *しょうとくたい片岡かたおかやまながめせいし、 *でんぎょうだい我立わがたつそまのことばをのこされしをはじめとして、 仏道ぶつどうをもとむるひとおほくこれをもはらにせり。 されば黒谷くろだにしょうにんもあながちにこゝろをげつにかけたまうことはなかりけめども、 ことにふれおりにしたがひて一吟いちぎん一詠いちえいことばをのこしたまうことも、 あまたはんべるめり。

そのなかに、

極楽ごくらくへ つとめてはやく いでたゝば そのをはりには まいりつきなん

0469よみたまへるも、 「ぐわんこむじやうがうほちひちみやうわうしやうにんそう (法事讃巻下) といへるもんのことはりもこころにうかびて、 欣心ごんしんをもよほすなかだちともなりぬべく、 だいするまことのこゝろもおこりぬべくこそおぼゆれ。

おほよそうたていあんずるに、 迷妄めいもうまなこをもてみるときけん浅近せんごんことばなりといへども、 かくじょうにおほせておもふ甚深じんじん実相じっそうにかなへり。 まづもんさんじゅういちにさだむるは、 如来にょらいさんじゅうそうなかけんちょうそうをのぞくにじゅんず。 はちみょうそうとりて、 かの一相いっそうぼん所見しょけんにあらざるがゆえなり。 つぎかず五句ごくにわかてるは如来にょらい五智ごちひょうし、 風体ふうていろくをたつるはさつろくにかたどる。 天竺てんじくには梵文ぼんもんをもてことつうじ、 震旦しんたんにはかんをもておもいをのべ、 わがちょうには和字わじをもてこゝろをあらはすなり。

いま和歌わかはわづかにさんじゅういちのうちにひゃく千万せんまんたんこころざしをのぶること、 かのぼんがんとくありて、 いちじんをこめいっへんをつくすがごとし。 たゞてんをうごかしじんかんぜしむるたよりなるのみにあらず、 あん仏界ぶっかいをおどろかし法門ほうもんをしめすしるべともなりはんべるにや。 先賢せんけんのもちゐられけるもことはりなれば、 尊老そんろうもその旧蹤きゅうしょうをしたひて、 このしゅうぞくをもてあそびたまいけるなるべし。

¬かんぎょう¼ の 「仏心ぶちしむしやだい慈悲じひ」 のもんこころよみたまいけるうた

0470あはれみを ものにほどこす こころより ほかにほとけの すがたやはある

また ¬円覚えんがくきょう¼ の 「しやう涅槃ねちはんによさく」 といへるもんを、 じょうもんこころによせてえいぜられける。

かはらじな 弥陀みだくにに むまれなば きのふのゆめも けふのうつゝも

浄教じょうきょうしゅう*ほう立相りっそうだんずればとて、 一向いっこうそうきょうなりとこゝろうるひとは、 ひとへに浅近せんごんおもいをなす。 しかるりきをすてゝりきするといへるは、 しばらくしょうぶつ格別かくべつしゅそうじゅんすれども、 穢土えどさりじょうしょうずとおもへばたちまちしょうそくしょうしん契当かいとうして、 極楽ごくらくおうじょうをうればほっしょうじょうらくしょうするなり。 このとき煩悩ぼんのうすなはちだいてんじ、 しょうすなはちはんとあらはる。

いっしゃくに、 「西方さいはう寂静じやくじやう无為むゐらくひちきやう逍遙せうえう有无うむ (定善義) ともいひ、 「一到いちたう弥陀みだ安養あんやうこくぐわんらい是我ぜが法王ほふわう (*般舟讃) しょうも、 西方さいほうじょうせつにしてきょうすべきをよみたまへる、 ことに甚深じんじんにこそきこえはんべれ。

すべて処々しょしょれいにまうでゝもまづ諷吟ふうぎんをいたし、 国々くにぐに名所めいしょをたづねてもかならず露詩ろしをあらはしたまいしかども、 かずおほくことしげきうへ、 そうしゅうのおこりこのみちのためにあらず。 画図がとのくはだてたゞ往行おうこうをしらんと0471ほっするばかりなるがゆへに、 くはしくのするにおよばず。 しかしながらりゃくぞんずるところなり。

  だいじゅう六段ろくだん

本願ほんがんしょうにんどうじゅうせられたる一巻いっかん式文しきもんあり、 ¬*報恩ほうおん講式こうしき¼ となづく。 本所ほんしょれいとして毎月まいがつぎょごんぎょうせられ、 とうしゅうしょうてんくわえ諸国しょこくどうじょうにこれをあんまたおなじきしょうにんいちぎょうろくせられたるかんえんあり、 しゅ言葉ごんようにしるし形状ぎょうじょうこうにあらはす。 これまたもんしょうがんして処々しょしょ流布るふせり。 かのりょうじゅつさくはこの尊老そんろう賢草けんそうなり。

このほかしょうにんざいしょう言行げんこうをしるされ、 ちなん法文ほうもんのはしばしをのせられたる三巻さんかんしょうあり、 ¬*でんしょう¼ とごうす。 またまつりゅう迷倒めいとうじゃをふさがんがために条々じょうじょうしきさだめられたる一巻いっかんしょあり、 ¬*改邪がいじゃしょう¼ といふ。 ともに和字わじなり。 この二部にぶしょうそう願主がんしゅとしてのぞみもうせしゆへに、 ひつによりて短毫たんごうをそめき。 これことにしょうぜんおもいともなり、 だい名鑑めいかんにもするものなり。

しかのみならず、 たまたましんといたてまつるものには西方さいほう通津つうしんをしめしたまうとき、 にち廃忘はいもうをたすけんとてしるしたまうべきよしもうしこいけるともがらには、 いっのうちへんほどなどに、 いとあんにもおよばず、 たゞそつふでをそめらるゝことちょじゅつあまた0472あり。 のちにそのだいせられて ¬*しゅうしょう¼・¬*願々がんがんしょう¼・¬*最要さいようしょう¼・¬*本願ほんがんしょう¼ などごうせらる。 これみなしょともがらのつたなきをさきとして、 かん筆体ひっていのまよひやすきをさしをき、 所望しょもうやからのをろかなるをほんとして、 和字わじ制作せいさくのこゝろえやすきをもちゐらるゝところなり。

¬しゅうしょう¼ にいはく、 「平生へいぜい一念いちねんによりておうじょうとくはさだまるものなり。 平生へいぜいのときじょうのおもひにじゅうせば、 かなふべからず。 平生へいぜいのときぜんしきのことばのしたにみょう一念いちねん発得ほっとくせば、 そのときをもてしゃのをはり、 りんじゅうとおもふべし。 そもそも南无なもみょうみょうのこゝろはおうじょうのためなれば、 またこれ発願ほつがんなり。 このこころあまねくまんぎょう万善まんぜんをしてじょう業因ごういんとなせば、 またこうあり。 こののうしんしょぶっこう相応そうおうするとき、 かのぶついんまんぎょう果地かじ万徳まんどく、 ことごとくにみょうごうなかしょうざいして、 十方じっぽうしゅじょうおうじょうぎょうたいとなれば、 弥陀みだぶつそくぎょうしゃくしたまへり。 またせっしょうざいをつくるとき、 ごく業因ごういんをむすぶも、 りんじゅうにかさねてつくらざれども、 平生へいぜいごうにひかれてごくにかならずおつべし。 念仏ねんぶつまたかくのごとし。 本願ほんがんしんみょうごうをとなふれば、 そのぶんにあたりてかならずおうじょうはさだむるなりとしるべし」 と 云々うんぬん取詮しゅせん

平生へいぜいごうじょうげんこれにあり、 りきおうじょう深要じんようたふとむべし

  0473だいじゅう七段しちだん

ちかごろは、 うちつゞきてんおだやかならざるうへ、 ことに観応かんのう元年がんねんふゆのはじめのころより、 京中きょうちゅうにとかくさゝやき沙汰さたすることのみきこへしが、 はてには摂津せっつのくに河内かわちさかいをならべてをのをの魚鱗ぎょりんじんをかまへ、 はた山崎やまざきかわをへだてゝたがひに鶴翼かくよくかこみをなせり。 なにとなりゆくべき世中よのなかやらんと、 じょうやすきこゝろなし。 かくて日月にちがつをしうつりゆういまだけっせざれば、 かいなみいよいよさはがしく、 *八埏はちえんちりおさまりやらざるに、 きはまれるかげはやくくれて、 あらたまのとしあらたにたちかへりぬ。

はるをむかふるそらのけしきのどかなるにたれども、 みやこのうちゆきゝのひとのしづかならぬていなのめならずぞみえける。 きん仙洞せんとうばん礼法れいほうおほくすたれ、 *緇素しそせん、 たゞけんにょうらんをなげくほかなし。 さるほどにしょうがつじゅう六日ろくにち山崎やまざきぐんぴょうじんいでひがしにむかひ、 坂本さかもとゆうくつばみならべみなみにすゝむ。 りょうほうはせあひきょうにして合戦ごうせんあり。 きずをかふむるものかずをしらず、 いのちをうしなふひともおほかりけり。 ときをあぐるこゑ、 やまをひゞかし、 鴨河かもがわみずへんじてぞながれける。

尊老そんろうこのありさまをききたまいてのたまひけるは、 いますでに劫減こうげんすえにのぞむといへども、 いまだしょう三災さんさいのいたるべきにはおよばざる0474に、 とうひょうさかりにおこり、 きんまたいのちをあやうくせんとす。 *求不ぐふとくをうれふるひとぼくにみち、 *怨憎おんぞう会苦えくをのがれぬたぐひ、 東西とうざいにはせちがふ。 まことにかゝるときにこそえん穢土えどのこゝろもおこり、 *ごんじょうおもいせつなるべきに、 駑馬どばむちにおどろかぬならい今更いまさらおもひしられたり。

あなうのしゃかいや、 よしなきながいきしてかゝる災難さいなんにあへることよ、 あはれとくおうじょうをとげばやとおおせられけるは、 たゞなべてのこととこそおもひたてまつりしに、 *じゅう七日しちにちゆうべよりいさゝからんアラシにしみて、 こゝちのれいならずおぼゆるとのたまひけれども、 かりそめのふうにこそと、 ひとはいたくおどろきたてまつらぬに、 やがてうちふしたまいて、 こんさいなり。

命終みょうじゅうちかきにありとて、 くちごんをまじへず、 たゞ仏号ぶつごうしょうねんし、 こゝろねんにわたらず、 ひとへに仏恩ぶっとん念報ねんぽうたまう。 かくてそのあけにければ、 かんびょう人々ひとびと相談そうだんし、 医師いしまねきびょうそうをみたてまつらしめ、 随分ずいぶんりょうようをもくはへたてまつらんともうしあわせられけるを、 びょうしゃききたまいて、 ゆめゆめそのあるべからず。 いのちじょうごうかぎりあればくすりをもてのぶべからず。 たとひそのじゅつありともわがもとむるところにあらず、 がんじょうのちかづくことをまつ。 やまいつうをせむるなければ、 なにりょうをかとぶらはん。 たとひまたそのくるしみありともいくほどかあらん、 せつ0475すつべき穢土えど業報ごうほうなりとて、 かたくせいたまいければ、 ちからなくその沙汰さたをもやめられけり。

称名しょうみょうのたえまにそばなるひとにしめしてしゅうたをぞかゝせられける。

南无なも弥陀みだ 仏力ぶつりきならぬ のりぞなき たもつこゝろも われとおこらず
八十やそじあまり をくりむかへて このはるの はなにさきだつ ぞあはれなる

一首いっしゅ朝夕あさゆうおもいつけたまい和語わごぜいによせて、 ごろ決得けっとくたまへるりき安心あんじんをあらはされたり。 さんじゅういちそうたりといへども、 おそらくはじゅう八願はちがん簡要かんようともいひつべきものをや。 一首いっしゅはるせつをむかへても、 なをはなころまであるまじきあだなるのほどをおおひしりたまへることのはいとあはれにや、 またやさしくもきこゆ。

さてこよひもあけぬれば*じゅうにちなり。 さるにてもやまい軽重きょうじゅうもいのちの延促えんそくも、 人々ひとびとおぼつかなくおもひたてまつられければ、 びょうていにはかくとももうさで、 ひそかに医師いし召請しょうしょうしてみたてまつらしめられけるが、 たのみなきおん有様ありさまなり。 よもひさしき御事おんことはあらじともうしいでにけり。 されどもくすしはなにとかもうしつるともたづねらるゝことなし。 いきのしたにことばをいだしたまふこととては念仏ねんぶつばかりなり。

そのほどなくくれ、 とりこくにをよびて斜陽しゃようすでにやまのはにかゝり、 晩風ばんふうかすかににわこずえにをとづるゝほど、 とをくは大覚だいかくそんにゅうはんしきをまもり、 ちかく0476りょうしょうにんにゅうめつほうじゅんじて、 *ほく面西めんさいきょうにふし、 ねんしょうかはるがはるあひたすけて、 相続そうぞく称名しょうみょういきひとたびとゞまり、 本尊ほんぞん瞻仰せんごうのまなこながくとじたまひにけり。

寿算じゅさんをたもちたまうことはすでにはちじゅう、 つゐにあるべきわかれとはしりながら、 病床びょうしょうにふしたまうことはわづかにさんにちときのぞみては取敢とりあえかなしみなり。 とうながくきえぬ。 たれむかいてか遺弟ゆいてい愚痴ぐち昏迷こんめいをてらさん。 法水ほうすいたちまちにかはきぬ。 なにをもてかまっ群萌ぐんもうどうをうるほさん。 たゞにんようなみだをおさへて、 ひとへにじょうせつ再会さいかいえんするばかりなり。

  だいじゅう八段はちだん

*おなじき廿にじゅう三日さんにち本願ほんがん門内もんないをいだしたてまつりて、 *延仁えんにんげんじょうにをくりたてまつる。 こうしょうにん遺跡ゆいせきとしておんいんちかきのあひだ、 しょにことに、 かたがたこと便たよりあるによりて、 かのちょうろうせい弥陀みだぶつもうあつらえられければ、 そうしゅはいをたなびき、 燃灯ねんとうしょうこうそくととのえ殯送ひんそうをかひつくろひ、 荼毘だびにわにをもむきていちけぶりとなしたてまつりしかば、 さんしゅんかすみにたぐひたまいけり。 じょう哀慟あいどうきもをこがし、 男女なんにょれんなみだにむせぶ。

*おなじき廿にじゅう四日よか人々ひとびとかの葬所そうしょいたりこつをひろひたてまつらるゝに、 あるいびゃくじゅいろなるもあり、 あるいへきぎょくひかりなるも0477あり。 かたきこと金剛こんごうのごとくして、 さながら*ぶっしゃにことならず。 眼前がんぜんどく先哲せんてつあとにもこえ、 思議しぎれいめつになをひかりをかゞやかしたまへり。

圭峯けいほうぜんでんに、 「はいなかしゃたり」 といへるをば、 じょうぎょうひとおほかりしにもたふとみてだんとし、 大漢だいかんどうそうすくなからざるさかひにもこぞりてそうきょうをいたす。 いま*仏心ぶっしんしゅうひとにはかのたぐひことしげゝれば、 めづらしからぬことにや。 念仏ねんぶつぎょうじゃはいたくそのずいをきかねば、 あながちにこのそうをもとめず。 しかれども、 そのしょうとくによりてこのずいあるべくは、 西方さいほうぎょうにんなんぞもてかたしとせん。

しかるゆへは、 じょうだいみょうごうにはまんぎょうことごとくおさまり、 弥陀みだ无漏むろとく五智ごちをもてじょうぜるがゆへに、 このぎょうをたもつものは无智むちぎょうなれどもりきしゅじゅうぎょうにはすぐれ、 このほうしんずるものは造悪ぞうあくぜんなれどもひつごくほうをまぬかる。 さればまさしくじょうしょうじて无為むいほっしょうしょうし、 まのあたり仏前ぶつぜんにまうでゝしょうじんをさとりなんのち、 穢土えどきゅうこつぶつきょうがいどうぜしことなにうたがいかあらん。

また真如しんにょどうしゅなかよりもうしをくりけるは、 じゅう七日しちにちよりじゅうにちまでしゅさんにちのあひだ、 おんやしろのほとにあたり、 たいどうほとりかとみえて、 うんそらにそびく。 いかなるひとおうじょうをとぐる瑞相ずいそうやらんと、 諸人しょにんあつま0478りて拝見はいけんしき。 しかるにこのにゅうめつをきくに、 れいはじめよりしゅうまでにちごうせり、 渇仰かつごうきはまりなきよしをぞもうしける。

おほよそ先達せんだつなかりんじゅうずいをあらはすもあり、 めつれいをかくすもあり。 時宜じぎによりえんにしたがひて、 隠顕おんけんあひことに、 有无うむおなじからざるにこそ。 しかれば、 にかはる瑞相ずいそうのあるばかりをたふとみて、 にあらはるゝどくのなきをあざけるも妄見もうけんなり。 またまなこのまへにあらたなるれいをみながら、 これも得脱とくだつはしりがたしなどいふは、 ましてへんじゅうにや。

わが尊老そんろうごろあながちに*後世ごせしゃ行状ぎょうじょうをもあらはされず、 ひとすぢに遁世とんせいもんのふるまひをもこととしたまわざりしは、 末代まつだいじょくしゅじょうのむまれつきなるすがたをひょうし、 煩悩ぼんのうそくぼんのをのれなりなるかたちをしめしたまうなるべし。 いましゅうえん彩雲さいうん奇異きいといひ、 めつ霊骨れいこつしょうそうといひ、 ぼくにかくれなくひろくちょうをおどろかしたまいしかば、 もしほうをくはへんがくひとは、 これをききてたちまちに非理ひり邪見じゃけんをあらため、 もし信仰しんこうをいたさんどうちょうともがらは、 これをみていよいよ敬重きょうじゅう潤色じゅんしょくにもそなへつべし。

とうそうじゅうせつなるおもいをおよほすにつけても、 ことにしょうらいきょうさかんならんことをよろこぶものなり。

 

底本は京都府常楽寺蔵室町時代末期書写本。 ただし訓(ルビ)は有国が補完し、 表記も現代仮名遣いにしているˆ漢文部分を除くˇ。