尊号真像銘文 本
【1】 ¬*大無量寿経¼言「▲*設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」 (上) 文
設我得仏… 「たとひわれ仏を得たらんに、 十方の衆生、 心を至し信楽してわが国に生れんと欲ひて、 乃至十念せん。 もし生れざれば、 正覚を取らじと。 ただ五逆と誹謗正法を除く」 (信巻訓)
「大無量寿経言」 といふは、 如来の四十八願を説きたまへる経なり。
「設我得仏」 といふは、 もしわれ仏を得たらんときといふ御ことばなり。
「十方衆生」 といふは、 十方のよろづの衆生といふなり。
「至心信楽」 といふは、 「至心」 は真実と申すなり、 真実と申すは如来の御ちかひの真実なるを至心と申すなり。 煩悩具足の衆生は、 もとより真実の心なし、 清浄の心なし、 *濁悪邪見のゆゑなり。 「信楽」 といふは、 如来の本願真実にましますを、 *ふたごころなくふかく信じて疑はざれば、 信楽と申すなり。 この 「至心信楽」 は、 すなはち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまへる御ちかひの至心信楽なり、 凡夫自力のこころにはあらず。
濁悪邪見 悪に汚れたよこしまな見方、 考え方。
ふたごころなく 一心に。 疑いなく。
「欲生我国」 といふは、 他力の至心信楽のこころをもつて、 安楽浄土に生れんとおもへとなり。
「乃至十念」 と申すは、 如来のちかひの名号をとなへんことをすすめたまふに、 遍数の定まりなきほどをあらはし、 時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼしめして、 乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。 如来より御ちかひをたまはりぬるには、 *尋常の時節をとりて*臨終の称念をまつべからず、 ただ如来の至心信楽をふかくたのむべしとなり。 この真実信心をえんとき、 *摂取不捨の*心光に入りぬれば、 *正定聚の位に定まるとみえたり。
尋常の時節 平生の時。
臨終の称念 命が終る時に称える念仏。
「若不生者不取正覚」 といふは、 「若不生者」 はもし生れずはといふみことなり。 「不取正覚」 は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。 このこころは、 すなはち至心信楽をえたるひと、 わが浄土にもし生れずは、 仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。 この本願の*やうは、 ¬唯信抄¼ によくよくみえたり。 「唯信」 と申すは、 すなはちこの真実信楽をひとすぢにとるこころを申すなり。
やう 子細。
「唯除五逆誹謗正法」 といふは、 「唯除」 といふはただ除くといふことばなり。 *五逆のつみびとをきらひ*誹謗のおもきとがをしらせんとなり。 このふたつの罪のおもきことをしめして、 十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。
【2】 又言「▲*其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転」 (大経・下) と。
其仏本願力… 「その仏の本願力、 名を聞きて往生せんと欲へば、 みなことごとくかの国に至りて、 おのづから不退転に至る」 (行巻訓)
「其仏本願力」 といふは、 弥陀の*本願力と申すなり。
「聞名欲往生」 といふは、 「聞」 といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり。 「欲往生」 といふは*安楽*浄刹に生れんとおもへとなり。
「皆悉到彼国」 といふは、 御ちかひのみなを信じて生れんとおもふ人は、 みなもれずかの浄土に到ると申す御ことなり。
「自致不退転」 といふは、 「自」 はおのづからといふ、 おのづからといふは衆生のはからひにあらず、 しからしめて不退の位にいたらしむとなり、 *自然といふことばなり。 「致」 といふは、 いたるといふ、 むねとすといふ、 如来の本願のみなを信ずる人は、 自然に不退の位にいたらしむるをむねとすべしとおもへとなり。 「不退」 といふは、 仏にかならず成るべき身と定まる位なり。 これすなはち*正定聚の位にいたるをむねとすべしと説きたまへる御のりなり。
【3】 又言「▲*必得超絶去 往生安養国 横截五悪趣 悪趣自然閉 昇道無窮極 易往而無人 其国不逆違 自然之所牽」 (大経・下) 抄出
必得超絶去… 「かならず超絶して去つることを得て、 安養国に往生して、 横に五悪趣を截り、 悪趣自然に閉ぢん。 道に昇るに窮極なし。 往き易くして人なし。 その国逆違せず、 自然の牽くところなり」 (信巻訓)
「必得超絶去往生安養国」 といふは、 「必」 はかならずといふ、 かならずといふは定まりぬといふこころなり、 また自然といふこころなり。 「得」 はえたりといふ。 「超」 はこえてといふ。 「絶」 はたちすてはなるといふ。 「去」 はすつといふ、 ゆくといふ、 さるといふなり。 *娑婆世界をたちすてて、 *流転生死をこえはなれてゆきさるといふなり。 安養浄土に往生をうべしとなり。 ▲「安養」 といふは、 弥陀をほめたてまつるみことと*みえたり、 すなはち安楽浄土なり。
流転生死 三界六道の迷いの世界を生れかわり死にかわりして流転すること。 →
輪廻
みえたり 「安養といふは…」 の意は ¬讃弥陀偈¼ 冒頭の 「讃めたてまつりてまた安養といふ」 という文にもとづいているので 「みえたり」 という。
「横截五悪趣悪趣自然閉」 といふは、 「*横」 はよこさまといふ、 よこさまといふは如来の願力を信ずるゆゑに行者のはからひにあらず、 *五悪趣を自然にたちすて*四生をはなるるを横といふ、 *他力と申すなり。 これを*横超といふなり。 横は*竪に対することばなり、 *超は迂に対することばなり。 竪は*たたさま、 迂はめぐるとなり。 竪と迂とは自力聖道のこころなり、 横超はすなはち他力真宗の本意なり。 「截」 といふはきるといふ、 *五悪趣のきづなをよこさまにきるなり。 「悪趣自然閉」 といふは、 願力に帰命すれば五道生死をとづるゆゑに自然閉といふ。 「閉」 はとづといふなり。 本願の業因にひかれて自然に生るるなり。
たたさま たて。
五悪趣のきづな 五種の迷いの世界につなぎとめる網。 →
五道
「昇道無窮極」 といふは、 「昇」 はのぼるといふ、 のぼるといふは*無上涅槃にいたる、 これを昇といふなり。 「道」 は大涅槃道なり。 「無窮極」 といふはきはまりなしとなり。
「易往而無人」 といふは、 「易往」 はゆきやすしとなり、 本願力に乗ずれば本願の*実報土に生るること疑なければ、 ゆきやすきなり。 「無人」 といふはひとなしといふ、 人なしといふは真実信心の人はありがたきゆゑに実報土に生るる人まれなりとなり。 しかれば、 源信和尚は、 「▲報土に生るる人はおほからず、 化土に生るる人はすくなからず」 (往生要集・下意) とのたまへり。
「其国不逆違自然之所牽」 といふは、 「其国」 はそのくにといふ、 すなはち安養浄刹なり。 「不逆違」 はさかさまならずといふ、 たがはずといふなり。 「逆」 はさかさまといふ、 「違」 はたがふといふなり。 真実信をえたる人は、 *大願業力のゆゑに、 自然に浄土の業因たがはずして、 かの業力にひかるるゆゑにゆきやすく、 無上大涅槃にのぼるにきはまりなしとのたまへるなり。 しかれば、 「自然之所牽」 と申すなり。 他力の至心信楽の業因の自然にひくなり、 これを 「牽」 といふなり。 「自然」 といふは、 行者のはからひにあらずとなり。
【4】 *大勢至菩薩御銘文
¬*首楞厳経¼言「*勢至獲↢念仏↡円通 大勢至法王子 与其同倫 五十二菩薩 即従座起 頂礼仏足 而白仏言 我憶往昔 恒河沙劫 有仏出世 名無量光 十二如来 相継一劫 其最後仏 名超日月光 彼仏教我 念仏三昧 乃至 若衆生心 憶仏 念仏 現前当来 必定見仏 去↠仏不↠遠 不↠仮↢方便↡ 自得心開 如染香人 身有香気 此則名曰 香光荘厳 我本因地 以念仏心 入無生忍 今於此界 摂念仏人 帰於浄土」 以上略出
勢至獲念仏円通… 「勢至念仏円通を獲たり。 大勢至法王子、 その同倫の五十二菩薩と、 すなはち座より起ち、 仏足を頂礼して仏にまうしてまうさく、 われ往昔の恒河沙劫を憶ふに、 仏ありて世に出でます。 無量光と名づく。 十二の如来、 一劫にあひ継ぎ、 その最後の仏を超日月光と名づく。 かの仏、 われに念仏三昧を教へたまふ。 (乃至) もし衆生、 心に仏を憶ひ仏を念ずれば、 現前・当来にかならずさだめて仏を見たてまつらん。 仏を去ること遠からず、 方便を仮らず、 おのづから心開かるることを得ん。 染香人の身に香気あるがごとし。 これすなはち名づけて香光荘厳といふ。 われもと因地にして、 念仏の心をもつて無生忍に入る。 いまこの界において、 念仏の人を摂して浄土に帰せしむ」
「勢至獲*念仏円通」 といふは、 勢至菩薩、 念仏を獲たまふと申すことなり。 *「獲」 といふはうるといふことばなり。 うるといふはすなはち*因位のときさとりをうるといふ。 念仏を勢至菩薩さとりうると申すなり。
獲といふは… 親鸞聖人は獲得の二字を釈して 「獲の字は、 因位のときうるを獲といふ。 得の字は、 果位のときにいたりてうることを得といふなり」 (¬正像末和讃¼ 末尾の 「自然法爾章」) という。
「大勢至*法王子与其同倫」 といふは、 *五十二菩薩と勢至とおなじきともと申す。 法王子とその菩薩とおなじきともと申すを 「与其同倫」 といふなり。
法王子 法王 (仏) の子の意で、 仏の教化をたすける最上位の菩薩を指していう。
五十二菩薩 折指菩薩とともに ¬首楞厳経¼ の会座に列なった菩薩たち。
「即従座起頂礼仏足而白仏言」 と申すは、 すなはち座よりたち、 仏の御足を礼して仏にまうしてまうさくとなり。
「我憶往昔」 といふは、 われむかし恒河沙劫の数のとしをおもふといふこころなり。
「有仏出世名無量光」 と申すは、 仏、 世に出でさせたまひしと申す御ことばなり。 世に出でさせたまひし仏は阿弥陀如来なりと申すなり。
*十二光仏、 十二度世に出でさせたまふを 「十二如来相継一劫」 と申すなり。 「十二如来」 と申すは、 すなはち阿弥陀如来の十二光の御名なり。 「相継一劫」 といふは、 十二光仏の十二度世に出でさせたまふをあひつぐといふなり。
「其最後仏名超日月光」 と申すは、 十二光仏の世に出でさせたまひしをはりの仏を 「超日月光仏」 と申すとなり。
「彼仏教我念仏三昧」 と申すは、 かの最後の超日月光仏の*念仏三昧を、 勢至には教へたまふとなり。
「若衆生心憶仏念仏」 といふは、 もし衆生、 心に仏を憶し仏を念ずれば ˆとなりˇ。
「現前当来必定見仏去仏不遠不仮方便自得心開」 といふは、 今生にも仏を見たてまつり、 *当来にもかならず仏を見たてまつるべしとなり。 仏もとほざからず、 方便をもからず、 自然に心にさとりを得べしとなり。
「如染香人身有香気」 といふは、 かうばしき気、 身にある人のごとく、 念仏のこころもてる人に、 勢至のこころをかうばしき人にたとへまうすなり。 このゆゑに 「此則名曰*香光荘厳」 と申すなり。 勢至菩薩の御こころのうちに念仏のこころをもてるを、 *染香人にたとへまうすなり。
香光荘厳 「念仏は智慧なり」 (左訓) 阿弥陀仏よりたまわった智慧の香りと光によって、 念仏者の人生が美しく飾られること。
染香人 「かうばしき香、 身に染めるがごとしといふ」 (左訓) 仏の智慧の香りに染まった人。 念仏の行者をいう。
かるがゆゑに勢至菩薩のたまはく、 「我本因地 以念仏心 入無生忍 今於此界 摂念仏人 帰於浄土」 といへり。 「我本因地」 といふは、 われもと*因地にしてといへり。 「以念仏心」 といふは、 念仏の心をもつてといふ。 「入無生忍」 といふは、 *無生忍に入るとなり。 「今於此界」 といふは、 いまこの娑婆界にしてといふなり。 「摂念仏人」 といふは、 念仏の人を摂取してといふ。 「帰於浄土」 といふは、 念仏の人 ˆをˇ 摂め取りて浄土に帰せしむとのたまへるなりと。
因地 ここでは勢至菩薩がまだ無生法忍の果を得ていない時の意。
無生忍 「不退の位なり」 (左訓)
【5】 *龍樹菩薩御銘文
¬*十住毘婆沙論¼曰「▲*人能念是仏 無量力功徳 即時入必定 是故我常念 ▲若人願作仏 心念阿弥陀 応時為現身 是故我帰命」 (易行品) 文
人能念是仏… 「易行品」 の原文では 「是故我帰命」 の後に 「彼仏本願力」 の句が続く。 「人よくこの仏の無量力功徳を念ずれば、 即の時に必定に入る。 このゆゑにわれつねに念じたてまつる。 もし人仏にならんと願じて、 心に阿弥陀を念じたてまつれば、 時に応じてために身を現じたまはん。 このゆゑにわれ、 かの仏の本願力に帰命す」 (行巻訓)
「人能念是仏無量力功徳」 といふは、 ひとよくこの仏の無量の功徳を念ずべしとなり。
「即時入必定」 といふは、 信ずれば*すなはちのとき*必定に入るとなり。 必定に入るといふは、 まことに念ずればかならず*正定聚の位に定まるとなり。
すなはちのとき ただちにそのとき。
「是故我常念」 といふは、 われつねに念ずるなり。
「若人願作仏」 といふは、 もし人仏にならんと願ぜば ˆとなりˇ。
「心念阿弥陀」 といふ ˆはˇ、 心に阿弥陀を念ずべしとなり。
念ずれば 「応時為現身」 とのたまへり。 「応時」 といふはときにかなふといふなり、 「為現身」 と申すは、 信者のために如来のあらはれたまふなり。
「是故我帰命」 といふは、 龍樹菩薩のつねに阿弥陀如来を帰命したてまつるとなり。
【6】 *婆藪般豆菩薩 ¬論¼ 曰 「▲*世尊我一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国 我依修多羅 真実功徳相 説願偈総持 与仏教相応 観彼世界相 勝過三界道 究竟如虚空 広大無辺際」 (浄土論) と。
世尊我一心… 「世尊、 われ一心に尽十方の無礙光如来に帰命したてまつりて、 安楽国に生ぜんと願ず。 われ修多羅真実功徳相によりて、 願偈総持を説きて仏教と相応せり。 かの世界の相を観ずるに、 三界の道に勝過せり。 究竟して虚空のごとし、 広大にして辺際なし」 (真仏土巻・行巻訓)
又曰 「▲*観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海」 (浄土論)。
観仏本願力… 「仏の本願力を観ずるに、 遇うて空しく過ぐるものなし。 よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ」 (行巻訓)
「婆藪般豆菩薩論曰」 といふは、 「婆藪般豆」 は天竺 (印度) のことばなり、 晨旦 (中国) には天親菩薩と申す。 またいまはいはく、 世親菩薩と申す。 *旧訳には天親、 *新訳には世親菩薩と申す。 「論曰」 は、 世親菩薩、 弥陀の本願を釈しあらはしたまへる御ことを 「論」 といふなり、 「曰」 はこころをあらはすことばなり。 この論をば ¬浄土論¼ といふ、 また ¬往生論¼ といふなり。
旧訳 玄奘 (600または602-664) 以前の翻訳。
新訳 玄奘以後の翻訳。
「世尊我一心」 といふは、 「*世尊」 は釈迦如来なり。 「我」 と申すは世親
「*帰き命みょう尽じん十方じっぽう無礙むげ光こう如来にょらい」 と申もうすは、 「帰き命みょう」 は南無なもなり、 また帰き命みょうと申もうすは如来にょらいの勅ちょく命めいにしたがふこころなり。 「尽じん十方じっぽう無礙むげ光こう如来にょらい」 と申もうすはすなはち阿あ弥陀みだ如来にょらいなり、 この如来にょらいは光こう明みょうなり。 「尽じん十方じっぽう」 といふは、 「尽じん」 はつくすといふ、 ことごとくといふ、 十方じっぽう世せ界かいをつくしてことごとくみちたまへるなり。 「無礙むげ」 といふは、 *さはることなしとなり。 さはることなしと申もうすは、 衆しゅ生じょうの煩悩ぼんのう悪業あくごうにさへられざるなり。 「*光こう如来にょらい」 と申もうすは阿あ弥陀みだ仏ぶつなり。 この如来にょらいはすなはち不可ふか思議しぎ光こう仏ぶつと申もうす。 この如来にょらいは智慧ちえのかたちなり、 十方じっぽう*微み塵じん刹せつ土どにみちたまへるなりとしるべしとなり。
さはる 障害となる。
光如来 「無礙光如来」 を通常ならば 「無礙光」 「如来」 と分節するのを親鸞聖人はあえて 「無礙」 「光如来」 と分節している。 「この如来は光明なり」 という旨を強調するためであろう。
微塵刹土 数限りない国土。
「願がん生しょう安楽あんらく国こく」 といふは、 世せ親しん菩ぼ薩さつ、 かの無礙むげ光こう仏ぶつを称しょう念ねんし信しんじて安楽あんらく国こくに生うまれんと願ねがひたまへるなり。
「我が依え修しゅ多羅たら真実しんじつ功く徳どく相そう」 といふは、 「我が」 は天親てんじん論主ろんじゅのわれとなのりたまへる御みことばなり。 「依え」 はよるといふ、 修しゅ多羅たらによるとなり。 「修しゅ多羅たら」 は天竺てんじく (印度) のことば、 仏ぶつの経きょう典てんを申もうすなり。 仏ぶっ教きょうに大だい乗じょうあり、 また小乗しょうじょうあり。 みな修しゅ多羅たらと申もうす。 いま修しゅ多羅たらと申もうすは大だい乗じょうなり、 小乗しょうじょうにはあらず。 いまの*三さん部ぶの経きょう典てんは大だい乗じょう修しゅ多羅たらなり、 この三さん部ぶ大だい乗じょうによるとなり。 「真実しんじつ功く徳どく相そう」 といふは、 「真実しんじつ功く徳どく」 は誓願せいがんの尊号そんごうなり、 「相そう」 はかたちといふことばなり。
三部の経典 ¬大経¼ ¬観経¼ ¬小経¼ の浄土三部経のこと。
「説せつ願がん偈げ総そう持じ」 といふは、 本願ほんがんのこころをあらはすことばを 「偈げ」 といふなり。 「総そう持じ」 といふは智慧ちえなり、 無礙むげ光こうの智慧ちえを総そう持じと申もうすなり。
「与よ仏ぶっ教きょう相応そうおう」 といふは、 この ¬浄じょう土ど論ろん¼ のこころは、 釈しゃく尊そんの教勅きょうちょく、 弥陀みだの誓願せいがんにあひかなへりとなり。
「観かん彼ぴ世せ界かい相そう勝しょう過が三界さんがい道どう」 といふは、 かの安楽あんらく世せ界かいを*みそなはすに、 ほとりきはなきこと虚こ空くうのごとし、 ひろくおほきなること虚こ空くうのごとしとたとへたるなり。
みそなはす (天親てんじん菩薩が) 御覧になる。
「観仏かんぶつ本願ほんがん力りき遇ぐう無む空過くか者しゃ」 といふは、 如来にょらいの本願ほんがん力りきをみそなはすに、 願力がんりきを信しんずるひとは、 むなしくここにとどまらずとなり。
「能のう令りょう速そく満足まんぞく功く徳どく大だい宝海ほうかい」 といふは、 「能のう」 はよしといふ、 「令りょう」 はせしむといふ、 「速そく」 はすみやかにとしといふ。 よく本願ほんがん力りきを信しん楽ぎょうする人ひとは、 すみやかに疾とく功く徳どくの大だい宝海ほうかいを信しんずる人ひとのその身みに満足まんぞくせしむるなり。 如来にょらいの功く徳どくのきはなくひろくおほきにへだてなきことを、 大海だいかいの水みずのへだてなくみちみてるがごとしとたとへたてまつるなり。
【7】 *斉せい朝ちょうの*曇鸞どんらん和か尚しょうの真しん像ぞうの銘文めいもん
斉朝曇鸞和尚真像銘文 迦か才ざい (七世紀中頃) の ¬浄土論¼ (下) の一節を抄出して、 少々文字を添削したもの。 本山蔵宗祖加点本『論註¼ 奥書にも同文のものが記されているが、 訓点はやや異なる。
「*釈しゃくの曇鸞どんらん法ほっ師し者は へい州しゅう汶水ぼっしい県けんの人ひと也なり 魏ぎの末すえ高斉こうせい之の初はじめ 猶なお在いましき 神じん智ち高遠こうえん にして 三さん国ごくに知ち聞もん す 洞あきらかに暁↢衆経↡しゅきょうをさとること 独ひとり出↢人外↡じんがいにいでたり 梁りょう国こくの天てん子し蕭王そうおう 恒つねに向↠北きたにむかって 礼↢鸞菩薩↡らんぼさつとらいす 註↢解往生論↡おうじょうろんをちゅうげして 裁↢成両巻↡りょうかんにことわりをなす *事こと出↢釈迦才三巻浄土論↡しゃくのかざいのさんかんのじょうどろんにいでたる也なり」 文
釈曇鸞… 本文に付してある訓点にしたがって、 その書き下しを振り仮名の体裁で示した。
事 事跡。
「釈しゃくの曇鸞どんらん法ほっ師しはへい州しゅうの*汶水ぼっしい県けんの人ひとなり」。 へい州しゅうはくにの名ななり、 汶水ぼっしい県けんはところの名ななり。
汶水 通常は 「ぶんすい」 と読む。
「魏ぎの末すえ高斉こうせい之の初はじめ猶なお在います」 といふは、 「魏ぎ末まつ」 といふは晨旦しんたん (中国) の世よの名ななり。 「末まつ」 はすゑといふなり、 *魏ぎの世よのすゑとなり。 「高斉こうせい之し初しょ」 は*斉せいといふ世よのはじめといふなり。 「猶ゆ在ざい」 は魏ぎと斉せいとの世よになほいましきといふなり。
魏 (386-534) 鮮卑族の拓たく跋珪ばつけい (道武帝) が平へい城じょう (現在の山西さんせい省大同だいどう) を都にして建てた国。 494年、 洛陽らくように遷都し、 534年、 内紛によって東魏、 西魏に分裂した。
斉 (550-577) 中国南北朝時代の北朝の一。 550年、 高洋こうよう (文宣帝) が東魏の孝静こうせい帝ていから帝位を奪って建てた。 577年、 北ほく周しゅうの武帝に滅ぼされた。 南朝の斉と区別して北斉といい、 また王室が高姓であるため高斉とも呼ばれる。
「神じん智ち高遠こうえん」 といふは、 和か尚しょう (曇鸞) の智慧ちえすぐれていましけりとなり。
「三国さんごく知ち聞もん」 といふは、 「三国さんごく」 は魏ぎと斉せいと*梁りょうと、 この三みつの世よにおはせしとなり。 「知ち聞もん」 といふは三みつの世よにしられきこえたまひきとなり。
梁 (502-557) 南朝の一で蕭しょう衍えん (武帝) が南斉なんせいの禅譲をうけて健康けんこう (現在の南京) を都にして建てた国。 557年、 陳ちんに滅ぼされた。
「洞どう暁ぎょう衆しゅ経きょう」 といふは、 あきらかによろづの経きょう典てんをさとりたまふとなり。
「独どく出しゅつ人外じんがい」 といふは、 よろづの人ひとにすぐれたりとなり。
「梁りょう国こくの天てん子し」 といふは、 梁りょうの世よの王おうといふなり、 *蕭王そうおうの名ななり。
蕭王 南朝梁りょうの武帝 (464-549) のこと。 名は蕭しょう衍えん。 502年、 南斉なんせいの和帝の禅譲によって帝位につき、 梁を興した。 仏教を深く信奉。 侯景こうけいの乱によって憂死した。 通常は 「しょうおう」 と読むが、 当派依用音によって 「そうおう」 と振る。
「恒つねに向↠北きたにむこうて礼らいしたてまつる」 といふは、 梁りょうの王おう、 つねに曇鸞どんらんの北きたのかたにましましけるを、 菩ぼ薩さつと礼らいしたてまつりたまひけるなり。
「註ちゅう解げ往おう生じょう論ろん」 といふは、 この ¬浄じょう土ど論ろん¼ をくはしう釈しゃくしたまふを、 ¬註ちゅう論ろん¼ (論註) と申もうす論ろんをつくりたまへるなり。
「裁さい成じょう両りょう巻かん」 といふは、 ¬註ちゅう論ろん¼ は二に巻かんになしたまふなり。
「釈しゃくの迦か才ざいの三巻さんかんの浄じょう土ど論ろん」 といふは、 「釈しゃくの迦か才ざい」 と申もうすは、 「釈しゃく」 といふは釈しゃく尊そんの御み弟子でしとあらはすことばなり。 「*迦か才ざい」 は、 浄じょう土ど宗しゅうの祖師そしなり、 智ち者しゃにておはせし人ひとなり。 かの聖しょう人にん (迦才) の三巻さんかんの ¬浄じょう土ど論ろん¼ をつくりたまへるに、 この曇鸞どんらんの御みことばあらはせりとなり。
【8】 *唐とう朝ちょう光こう明みょう寺じの善導ぜんどう和か尚しょうの真しん像ぞうの銘文めいもん
唐朝 (618-907) 唐国公の李り淵えん (高祖) が隋ずいの三世恭帝の禅譲を受けて建てた中国の統一王朝。 都は長安。
*智ち栄よう讃↢善導別徳↡ぜんどうのべっとくをほめたもうて云いわく 「善導ぜんどうは阿あ弥陀みだ仏ぶつの化け身しん なり 称↢仏六字↡ぶつのろくじをしょうせば 即すなわち嘆↠仏ぶつをたんずる なり即すなわち懺悔さんげをする なり 即すなわち発願ほつがん回え向こう なり 一切いっさい善根ぜんごん 荘↢厳浄土↡じょうどをしょうごんする なり」 文
智栄讃… 本文に付してある訓点にしたがって、 その書き下しを振り仮名の体裁で示した。
*智ち栄ようと申もうすは、 震旦しんたん (中国) の聖しょう人にんなり。
智栄 伝未詳。 ¬長ちょう西さい録ろく¼ (下) に 「専修浄業記一巻」 の著者として智栄の名が出るが、 同異不明。 法然ほうねん上人の 「無量寿経釈」 (¬漢かん語ご灯とう録ろく¼ 巻一所収) に善導ぜんどう大だい師しの義を補助するものとして七人を挙げる中の一人。
善導ぜんどうの*別徳べっとくをほめたまうていはく、 「善導ぜんどうは阿あ弥陀みだ仏ぶつの化け身しんなり」 とのたまへり。
別徳 特別の勝れた徳。
「称しょう仏ぶつ六ろく字じ」 といふは、 南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつの六ろく字じをとなふるとなり。
「即そく嘆仏たんぶつ」 といふは、 すなはち南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつをとなふるは、 *仏ぶつをほめたてまつるになるとなり。
仏をほめたてまつるになる 本願を信じて念仏すれば仏を讃嘆していることになる。 念仏は讃嘆の徳をもつ行ぎょう業ごうとして私たちに与えられているので、 「…になる」 という。 以下、 懺さん悔げ等について 「…になる」 というのも同様の意。
また 「即そく懺さん悔げ」 といふは、 南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつをとなふるは、 すなはち無始むしよりこのかたの罪業ざいごうを懺さん悔げするになると申もうすなり。
「即そく発願ほつがん回え向こう」 といふは、 南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつをとなふるは、 すなはち安楽あんらく浄じょう土どに往おう生じょうせんとおもふになるなり、 また一切いっさい衆しゅ生じょうにこの功く徳どくをあたふるになるとなり。
「一切いっさい善根ぜんごん荘しょう厳ごん浄じょう土ど」 といふは、 阿あ弥陀みだの三さん字じに一切いっさい善根ぜんごんををさめたまへるゆゑに、 名みょう号ごうをとなふるはすなはち浄じょう土どを荘しょう厳ごんするになるとしるべしとなりと。 智ち栄よう禅ぜん師じ、 善導ぜんどうをほめたまへるなり。
【9】 善導ぜんどう和か尚しょう の云いわく 「▲*言ごん南無なも者しゃ 即そく是ぜ帰き命みょう 亦やく是ぜ発願ほつがん回え向こう之義しぎ 言ごん阿あ弥陀みだ仏ぶつ者しゃ 即そく是ぜ其ご行ぎょう 以い斯義しぎ故こ 必得ひっとく往おう生じょう」 (玄義分) 文
言南無者… 「南無といふは、 すなはちこれ帰命なり、 またこれ発願回向の義なり。 阿弥陀仏といふは、 すなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得」 (行巻訓)
「言ごん南無なも者しゃ」 といふは、 すなはち帰き命みょうと申もうすみことばなり。 帰き命みょうは、 すなはち*釈しゃ迦か・弥陀みだの二に尊そんの勅ちょく命めいにしたがひて、 召めしにかなふと申もうすことばなり。 このゆゑに 「即そく是ぜ帰き命みょう」 とのたまへり。
釈迦弥陀の二尊の勅命 釈迦が衆しゅ生じょうに浄土往生をすすめ (発遣はっけん)、 阿弥陀仏が衆生を浄土へ来れと招きよぶこと (招しょう喚かん)。
「亦やく是ぜ発願ほつがん回え向こう之義しぎ」 といふは、 二に尊そんの召めしにしたがうて、 安楽あんらく浄じょう土どに生うまれんとねがふこころなりとのたまへるなり。
「言ごん阿あ弥陀みだ仏ぶつ者しゃ」 と申もうすは、 「即そく是ぜ其ご行ぎょう」 となり。 即そく是ぜ其ご行ぎょうは、 これすなはち*法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつの選せん択じゃく本願ほんがんなりとしるべしとなり。 安あん養にょう浄じょう土どの正定しょうじょうの業因ごういんなりとのたまへるこころなり。
「以い斯義しぎ故こ」 といふは、 正定しょうじょうの因いんなるこの義ぎをもつてのゆゑにといへる御おんこころなり。 「必ひつ」 はかならずといふ。 「得とく」 はえしむといふ。 「往おう生じょう」 といふは、 浄じょう土どに生うまるといふなり。 かならずといふは、 自じ然ねんに往おう生じょうをえしむとなり。 自じ然ねんといふは、 *はじめてはからはざるこころなり。
【10】又また曰いわく 「▲*言ごん摂せつ生しょう増ぞう上じょう縁えん者しゃ 如にょ無む量りょう寿じゅ経きょう 四し十じゅう八願はちがん中ちゅう説せつ 仏言ぶつごん若にゃく我が成じょう仏ぶつ 十方じっぽう衆しゅ生じょう 願がん生しょう我が国こく 称しょう我が名みょう字じ 下至げし十じっ声しょう 乗じょう我が願力がんりき 若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく 此し即そく是ぜ願がん往おう生じょう行ぎょう人にん 命みょう欲よく終じゅ時じ 願力がんりき摂しょう得とく往おう生じょう 故こ名みょう摂せつ生しょう増ぞう上じょう縁えん」 (観念法門) 文
言摂生… 「摂生増上縁といふは、 無量寿経の四十八願のなかに説くがごとし。 仏ののたまはく、 もしわれ成仏せんに、 十方の衆生、 わが国に生ぜんと願じて、 わが名字を称すること、 下十声に至るまで、 わが願力に乗じて、 もし生れずは、 正覚を取らじと。 これすなはちこれ往生を願ずる行人、 命終らんとするとき、 願力摂して往生を得しむ。 ゆゑに摂生増上縁と名づく」 (行巻訓)
「言ごん*摂せつ生しょう増ぞう上じょう縁えん者しゃ」 といふは、 「摂せつ生しょう」 は十方じっぽう衆しゅ生じょうを誓願せいがんにをさめとらせたまふと申もうすこころなり。
摂生増上縁 念仏の行者をおさめとって浄土に往生させるずぐれたはたらき。 ¬観念法門¼ に念仏の行者の得る利り益やくとして五種増上縁 (滅罪・護念・見仏・摂生・証生) を挙げる中の一。
「如にょ無む量りょう寿じゅ経きょう四し十じゅう八願はちがん中ちゅう説せつ」 といふは、 如来にょらいの本願ほんがんを説ときたまへる釈しゃ迦かの御みのりなりとしるべしとなり。
「若にゃく我が成じょう仏ぶつ」 と申もうすは、 法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつ誓ちかひたまはく、 もしわれ仏ぶつを得えたらんにと説ときたまふ。
「十方じっぽう衆しゅ生じょう」 といふは、 十方じっぽうのよろづの衆しゅ生じょうなり、 すなはちわれらなり。
「願がん生しょう我が国こく」 といふは、 安楽あんらく浄じょう刹せつに生うまれんと願ねがへとなり。
「称しょう我が名みょう字じ」 といふは、 われ仏ぶつを得えんにわがなをとなへられんとなり。
「下至げし十じっ声しょう」 といふは、 名みょう字じをとなへられんこと下しも十と声こえせんものとなり。 「下至げし」 といふは、 十じっ声しょうにあまれるものも聞もん名みょうのものをも、 往おう生じょうにもらさずきらはぬことをあらはししめすとなり。
「乗じょう我が願力がんりき」 といふは、 「乗じょう」 はのるべしといふ、 また智ちなり。 智ちといふは、 願力がんりきにのせたまふとしるべしとなり。 願力がんりきに乗じょうじて安楽あんらく浄じょう刹せつに生うまれんとしるなり。
「若にゃく不ふ生しょう者じゃ不ふ取しゅ正しょう覚がく」 といふは、 ちかひを信しんじたる人ひと、 もし本願ほんがんの*実じっ報ぽう土どに生うまれずは、 仏ぶつに成ならじと誓ちかひたまへるみのりなり。
「此し即そく是ぜ願がん往おう生じょう行ぎょう人にん」 といふは、 これすなはち往おう生じょうを願ねがふ人ひとといふ。
「命みょう欲よく終じゅ時じ」 といふは、 いのちをはらんとせんときといふ。
「願力がんりき摂しょう得とく往おう生じょう」 といふは、 *大願だいがん業力ごうりき摂取せっしゅして往おう生じょうを得えしむといへるこころなり。 すでに*尋じん常じょうのとき信しん楽ぎょうをえたる人ひとといふなり、 臨りん終じゅうのときはじめて信しん楽ぎょう決けつ定じょうして摂取せっしゅにあづかるものにはあらず。 ひごろ、 かの心光しんこうに*摂しょう護ごせられまゐらせたるゆゑに、 金剛こんごう心しんをえたる人ひとは正定しょうじょう聚じゅに住じゅうするゆゑに、 臨りん終じゅうのときにあらず。 かねて尋じん常じょうのときよりつねに摂しょう護ごして捨すてたまはざれば、 摂しょう得とく往おう生じょうと申もうすなり。
尋常 「つねのときなり」 (左訓)
このゆゑに 「摂せつ生しょう増ぞう上じょう縁えん」 となづくるなり。 またまことに尋じん常じょうのときより信しんなからん人ひとは、 ひごろの称しょう念ねんの功こうによりて、 最さい後ご臨りん終じゅうのときはじめて善ぜん知ぢ識しきのすすめにあうて信心しんじんをえんとき、 願力がんりき摂せっして往おう生じょうを得うるものもあるべしとなり。 臨りん終じゅうの来迎らいこうをまつものは、 いまだ信心しんじんをえぬものなれば、 臨りん終じゅうをこころにかけてなげくなり。
【11】又また曰いわく 「▲*言ごん護ご念ねん増ぞう上じょう縁えん者しゃ 乃至 ▲但たん有う専念せんねん阿あ弥陀みだ仏ぶつ衆しゅ生じょう 彼ひ仏ぶつ心光しんこう 常照じょうしょう是ぜ人にん 摂しょう護ご不ふ捨しゃ 総そう不ふ↠論ろん↣照しょう↢摂しょう 余よ雑業ぞうごう行ぎょう者じゃ↡ 此し亦やく是ぜ 現げん生しょう護ご念ねん増ぞう上じょう縁えん」 (観念法門) 文
言護念増上縁者… 「護念増上縁といふは、 (乃至) ただ阿弥陀仏を専念する衆生のみありて、 かの仏心の光、 つねにこの人を照らして摂護して捨てたまはず。 すべて余の雑業の行者を照らし摂むと論ぜず。 これまたこれ現生護念増上縁なり」 (信巻訓)
「言ごん護ご念ねん増ぞう上じょう縁えん者しゃ」 といふは、 まことの心しんをえたる人ひとを、 この世よにてつねにまもりたまふと申もうすことばなり。
「但たん有う専念せんねん阿あ弥陀みだ仏ぶつ衆しゅ生じょう」 といふは、 ひとすぢにふたごころなく弥陀みだ仏ぶつを念ねんじたてまつると申もうすなり。
「彼ひ仏ぶつ心光しんこう常照じょうしょう是ぜ人にん」 といふは、 「彼ひ」 はかのといふ。 「仏ぶつ心光しんこう」 は無礙むげ光こう仏ぶつの御おんこころと申もうすなり。 「常照じょうしょう」 はつねにてらすと申もうす。 つねにといふは、 ときをきらはず、 日ひをへだてず、 ところを*わかず、 まことの信心しんじんある人ひとをばつねにてらしたまふとなり。 てらすといふは、 かの仏心ぶっしんのをさめとりたまふとなり。 「仏ぶつ心光しんこう」 は、 すなはち阿あ弥陀みだ仏ぶつの御おんこころにをさめたまふとしるべし。 「是ぜ人にん」 は信心しんじんをえたる人ひとなり。 つねにまもりたまふと申もうすは、 *天てん魔ま波は旬じゅんにやぶられず、 *悪あく鬼き・悪神あくじんにみだられず、 摂しょう護ご不ふ捨しゃしたまふゆゑなり。
わかず 区別せず。
天魔波旬 欲界の最上位、 他化たけ自じ在ざい天てんに住する悪魔を波旬 (Pāpīyas パーピーヤス) という。 人の真実の智ち慧えを断ち、 悪業あくごうをなさしめる悪しき者の意。
悪鬼悪神 仏法修行をさまたげ、 衆しゅ生じょうを悩害する夜や叉しゃ・羅ら刹せつなどの鬼神。
「摂しょう護ご不ふ捨しゃ」 といふは、 をさめまもりてすてずとなり。
「総そう不ふ論ろん照しょう摂しょう余よ雑業ぞうごう行ぎょう者じゃ行ぎょう者じゃ」 といふは、 「総そう」 はすべてといふ、 みなといふ。 雑ぞう行ぎょう雑修ざっしゅの人ひとをばすべてみなてらしをさめまもりたまはずとなり。 てらしまもりたまはずと申もうすは、 摂取せっしゅ不ふ捨しゃの利り益やくにあづからずとなり。 本願ほんがんの行ぎょう者じゃにあらざるゆゑなりとしるべし。 しかれば、 摂しょう護ご不ふ捨しゃと釈しゃくしたまはず。
「現げん生しょう護ご念ねん増ぞう上じょう縁えん」 といふは、 この世よにてまことの信しんある人ひとをまもりたまふと申もうすみことなり。 「増ぞう上じょう縁えん」 はすぐれたる強縁ごうえんとなり。
【12】皇こう太たい子し聖しょう徳とくの御ご銘文めいもん
¬*御ご縁えん起ぎに¼ 曰いわく 「▼百済はくさい国こく聖明せいめい王おう太たい子し阿佐あさ礼らいして曰もうさく 敬きょう礼らい救世くせ 大だい慈じ観音かんのん菩ぼ薩さつ 妙教みょうきょう流る通づう 東方とうぼう日本にっぽん国こく 四し十じゅう九く歳さい 伝灯でんとう演説えんぜつ」 文
御縁起 阿佐あさ太子の礼讃らいさんの文は ¬聖しょう徳とく太たい子し伝でん暦りゃく¼ および ¬上じょう宮ぐう太たい子し御ぎょ記き¼ (¬三宝さんぼう絵え詞ことば¼ よりの抜書) にほぼ同文のものがある。 日にち羅らの礼讃の文は ¬聖徳太子伝暦¼ に同文のもの、 ¬上宮太子御記¼ にほぼ同文のものがある。 なお、 聖徳太子の作と伝えられるものに ¬四し天王てんのう寺じ御ご手印しゅいん縁えん起ぎ¼ があるが、 これには該当する文は見当らない。
「新しん羅ら国こくの聖しょう人にん日にち羅ら礼らいして曰もうさく 敬きょう礼らい救世くせ 観音かんのん大だい菩ぼ薩さつ 伝灯でんとう東方とうぼう 粟散ぞくさん王おう」 文
「御ご縁えん起ぎ曰わつ」 といふは、 *聖しょう徳とく太たい子しの御ご縁えん起ぎなり。
「*百済はくさい国こく」 といふは、 聖しょう徳とく太たい子し、 さきの世よに生うまれさせたまひたりける国くにの名ななり。
百済国 (4世紀中頃-660) クダラ国。 朝鮮半島の西南部に拠った国。
「*聖明せいめい王おう」 といふは、 百済はくさい国こくに太たい子し (聖徳太子) の*わたらせたまひたりけるときの、 その国くにの王おうの名ななり。
聖明王 (在位523-554) 百済くだら第二十六代の国王。 538年 (一説には552年)、 日本に仏教を伝えた。 後に新羅しらぎと戦って敗死した。
わたらせたまひ 「わたらせたまふ」 は、 おありになる、 いらっしゃるの意。
「太たい子し阿佐あさ礼曰らいわつ」 といふは、 聖明せいめい王おうの太たい子しの名ななり。 聖しょう徳とく太たい子しをこひしたひかなしみまゐらせて、 御おんかたちを金銅こんどうにて鋳いまゐらせたりけるを、 この*和わ国こくに聖しょう徳とく太たい子し生うまれてわたらせたまふとききまゐらせて、 聖明せいめい王おう、 わがこの*阿佐あさ太たい子しを勅ちょく使しとして、 金銅こんどうの救世くせ観音かんのんの像ぞうをおくりまゐらせしとき、 礼らいしまゐらすとして誦じゅせる文もんなり、 「敬きょう礼らい救世くせ大だい慈じ観音かんのん菩ぼ薩さつ」 と申もうしけり。
和国 日本。
阿佐太子 ¬日本書紀¼ 推すい古こ天皇五年 (597) 四月条にその名がみえる。
「妙教みょうきょう流る通づう東方とうぼう日本にっぽん国こく」 と申もうすは、 上じょう宮ぐう太たい子し (聖徳太子)、 仏法ぶっぽうをこの和わ国こくにつたへひろめおはしますとなり。
「四し十じゅう九く歳さい」 といふは、 上じょう宮ぐう太たい子しは四し十じゅう九く歳さいまでぞ、 この和わ国こくにわたらせたまはんずると阿佐あさ太たい子し申もうしけり。 おくられたまへる金銅こんどうの救世くせ菩ぼ薩さつは、 *天王てんのう寺じの金堂こんどうにわたらせたまふなり。
天王寺 四天王寺 (大阪市天王寺区) のこと。 6世紀末、 聖徳太子の創建と伝えられる。
「伝灯でんとう演説えんぜつ」 といふは、 「伝灯でんとう」 は仏法ぶっぽうをともしびにたとへたるなり。 「演説えんぜつ」 は、 上じょう宮ぐう太たい子し、 仏ぶっ教きょうを説ときひろめましますべしと阿佐あさ太たい子し申もうしけり。
また*新しん羅ら国こくより上じょう宮ぐう太たい子しをこひしたひまゐらせて、 *日にち羅らと申もうす聖しょう人にんきたりて、 聖しょう徳とく太たい子しを礼らいしたてまつりてまうさく、 「敬きょう礼らい救世くせ観音かんのん大だい菩ぼ薩さつ」 と申もうすは、 聖しょう徳とく太たい子しは*救世くせ観音かんのんにておはしますと礼らいしまゐらせけり。
新羅国 (4世紀-935) シラギ国。 朝鮮半島の古王国。 4世紀に辰韓しんかん諸国を統合して成立。 668年、 朝鮮全土を統一した。 935年、 五十六代で高麗こうらいに滅ぼされた。
日羅 (6世紀) ¬日本書紀¼ の記述では、 敏び達だつ天皇の養成で来朝した百済くだらの日系官人。
救世観音 観世音菩薩は世の人々の苦を救うのでこの名がある。 親鸞聖人在世当時は聖徳太子信仰が盛んで、 太子の本ほん地じは観世音菩薩であると一般に信じられていた。
「伝灯でんとう東方とうぼう」 と申もうすは、 仏法ぶっぽうをともしびにたとへて、 「東方とうぼう」 と申もうすはこの和わ国こくに仏ぶっ教きょうのともしびをつたへおはしますと日にち羅ら申もうしけり。
「粟散ぞくさん王おう」 と申もうすは、 この国くにはきはめて小しょう国こくなりといふ。 「粟散ぞくさん」 といふは、 あはつぶをちらせるがごとく小ちいさき国くにの王おうと聖しょう徳とく太たい子しのならせたまひたると申もうしけるなりと。
尊号そんごう真像しんぞう銘文めいもん 末まつ
【13】*首しゅ楞りょう厳ごん院いん*源信げんしん和か尚しょうの銘文めいもん
「▲*我が亦やく在ざい彼ひ 摂取せっしゅ之し中ちゅう 煩悩ぼんのう障しょう眼げん 雖すい不ふ能見のうけん 大だい悲ひ無む倦けん 常照じょうしょう我が身しん」 (往生要集・中) 文
我亦在彼… 「われまたかの摂取のなかにあれども、 煩悩、 眼まなこを障へて見たてまつるにあたはずといへども、 大悲、 倦ものうきことなくして、 つねにわが身を照らしたまふ」 (信巻訓)
「我が亦やく在ざい彼ひ摂取せっしゅ之し中ちゅう」 といふは、 われまたかの摂取せっしゅのなかにありとのたまへるなり。
「煩悩ぼんのう障しょう眼げん」 といふは、 われら煩悩ぼんのうにまなこ*さへらるとなり。
さへらる さえぎられる。
「雖すい不ふ能見のうけん」 といふは、 煩悩ぼんのうのまなこにて仏ぶつをみたてまつることあたはずといへどもといふなり。
「大だい悲ひ無む倦けん」 といふは、 大だい慈じ大だい悲ひの御おんめぐみ、 *ものうきことましまさずと申もうすなり。
ものうきことましまさず 飽きることがない。 ここでは見捨てたもうことなくの意。
「常照じょうしょう我が身しん」 といふは、 「常じょう」 はつねにといふ、 「照しょう」 はてらしたまふといふ。 無礙むげの光こう明みょう、 信心しんじんの人ひとをつねにてらしたまふとなり。 つねにてらすといふは、 つねにまもりたまふとなり。 「我が身しん」 は、 わが身みを大だい慈じ大だい悲ひものうきことなくして、 つねにまもりたまふとおもへとなり。 *摂取せっしゅ不ふ捨しゃの御おんめぐみのこころをあらはしたまふなり。 「▲*念仏ねんぶつ衆しゅ生じょう摂取せっしゅ不ふ捨しゃ」 (観経) のこころを釈しゃくしたまへるなりとしるべしとなり。
念仏衆生摂取不捨 「念仏の衆生を摂取して捨てたまはず」
【14】日本にっぽん*源空げんくう聖しょう人にんの真影しんねい
*四し明めい山ざん *権ごん律りっ師し 劉りゅう官かん (*隆寛) 讃さん 「*普ふ勧かん道俗どうぞく 念ねん弥陀みだ仏ぶつ 能念のうねん皆見かいけん 化け仏ぶつ菩ぼ薩さつ 明みょう知ち称名しょうみょう 往おう生じょう要よう術じゅつ 宜ぎ哉さい源空げんくう 慕ぼ道どう化け物もつ 信珠しんじゅ在心ざいしん 心しん照しょう迷めい境きょう 疑ぎ雲うん永よう晴じょう 仏光ぶっこう円えん頂ちょう *建けん暦りゃく壬申にんしん三月さんがつ一日ついたち」
四明山 比ひ叡えい山ざんの別名。
権律師 律師とは僧そう正じょう・僧そう都ずの下に位置し、 僧尼を統領する官職。 五位の殿てん上じょう人びとに相当する僧官。 権は副官という意。
普勧道俗… 「あまねく道俗を勧めて弥陀仏を念ぜしめたまふ。 よく念ずればみな化仏菩薩を見たてまつる。 あきらかに知りぬ、 称名は往生の要術なることを。 宜よきかな源空げんくう、 道を慕ひ、 物を化したまふ。 信珠心にあれば、 心迷境を照らし、 疑雲永く晴れ、 仏光頂いただきに円まどかなり。 建歴壬申三月一日」
建暦壬申… 建暦壬申は建歴二年 (1212)。 同年三月一日は法然ほうねん上人示じ寂じゃく後五七日 (三十五日) にあたるので、 「普勧…」 の文はその法要の表白文とみられる。
「普ふ勧かん道俗どうぞく念ねん弥陀みだ仏ぶつ」 といふは、 「普ふ勧かん」 はあまねくすすむとなり。 「道俗どうぞく」 は、 道どうにふたりあり俗ぞくにふたりあり。 道どうのふたりは、 一ひとつには*僧そう、 二ふたつには*比丘びく尼になり。 俗ぞくにふたり、 一ひとつには仏法ぶっぽうを信しんじ行ぎょうずる男おとこなり、 二ふたつには仏法ぶっぽうを信しんじ行ぎょうずる女おんななり。 「念ねん弥陀みだ仏ぶつ」 と申もうすは、 尊号そんごうを称しょう念ねんするとなり。
「能念のうねん皆見かいけん化け仏ぶつ菩ぼ薩さつ」 と申もうすは、 「能念のうねん」 はよく名みょう号ごうを念ねんずとなり、 よく念ねんずと申もうすはふかく信しんずるなり。 「皆見かいけん」 といふは、 化け仏ぶつ・菩ぼ薩さつをみんとおもふ人ひとはみなみたてまつるなり。 「化け仏ぶつ菩ぼ薩さつ」 と申もうすは、 弥陀みだの化け仏ぶつ、 観音かんのん・勢せい至し等とうの聖しょう衆じゅなり。
「明みょう知ち称名しょうみょう」 と申もうすは、 あきらかにしりぬ、 仏ぶつのみなをとなふれば 「往おう生じょう」 すといふことを 「要よう術じゅつ」 とすといふ。 往おう生じょうの要ようには如来にょらいのみなをとなふるにすぎたることはなしとなり。
「宜ぎ哉さい源空げんくう」 と申もうすは、 「宜ぎ哉さい」 はよしといふなり。 「源空げんくう」 は聖しょう人にんの御ご名みょうなり。
「慕ぼ道どう化け物もつ」 といふは、 「慕ぼ道どう」 は*無む上じょう道どうをねがひしたふべしとなり。 「化け物もつ」 といふは、 「物もつ」 といふは衆しゅ生じょうなり、 「化け」 はよろづのものを利り益やくすとなり。
「信珠しんじゅ在心ざいしん」 といふは、 金剛こんごうの信心しんじんをめでたき珠たまにたとへたまふ。 信心しんじんの珠たまをこころにえたる人ひとは、 生しょう死じの闇やみにまどはざるゆゑに、 「心しん照しょう迷めい境きょう」 といふなり。 信心しんじんの珠たまをもつて、 愚痴ぐちの闇やみをはらひ、 あきらかに照てらすとなり。
「疑ぎ雲うん永よう晴じょう」 といふは、 「疑ぎ雲うん」 は願力がんりきを疑うたがふこころを雲くもにたとへたるなり。 「永よう晴じょう」 といふは疑うたがふこころの雲くもをながく晴はらしぬれば安楽あんらく浄じょう土どへかならず生うまるるなり。 無礙むげ光こう仏ぶつの摂取せっしゅ不ふ捨しゃの*心光しんこうをもつて信心しんじんをえたる人ひとをつねに照てらしまもりたまふゆゑに、 「仏光ぶっこう円えん頂ちょう」 といへり。 仏光ぶっこう円えん頂ちょうといふは、 仏心ぶっしんをしてあきらかに信心しんじんの人ひとの頂いただきをつねに照てらしたまふとほめたまひたるなり、 これは摂取せっしゅしたまふゆゑなりとしるべし。
【15】比ひ叡えい山ざん延えん暦りゃく寺じ *宝幢ほうどう院いん黒谷くろだに*源空げんくう聖しょう人にんの真像しんぞう
宝幢院 ここでは西塔 (比ひ叡えい山ざん三塔の一) の総称。
¬*選せん択じゃく本願ほんがん念仏ねんぶつ集しゅう¼ 云にいわく 「▲南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつ *往おう生じょう之し業ごう 念仏ねんぶつ為い本ほん」 文
往生之業… 「往生の業は念仏を本とす」 (行巻訓)
又また曰いわく 「▲*夫ふ速そく欲よく離り生しょう死じ 二に種しゅ勝しょう法ぼう中ちゅう *且閣しゃかく聖しょう道どう門もん 選せん入にゅう浄じょう土ど門もん 欲よく入にゅう浄じょう土ど門もん 正しょう雑ぞう二に行ぎょう中ちゅう 且抛しゃほう諸しょ雑ぞう行ぎょう 選応せんおう帰き正行しょうぎょう 欲修よくしゅ於お正行しょうぎょう 正しょう助じょ二に業ごう中ちゅう 猶ゆ傍ぼう於お助業じょごう 選応せんおう専せん正定しょうじょう 正定しょうじょう之し業ごう者しゃ 即そく是ぜ称しょう仏ぶつ名みょう 称名しょうみょう必得ひっとく生しょう 依え仏ぶつ本願ほんがん故こ」 文
夫速欲離生死… 「それすみやかに生死を離れんと欲おもはば、 二種の勝法のなかに、 しばらく聖道門を閣さしおきて、 選んで淨土門に入れ。 淨土門に入らんと欲はば、 正雑二行のなかに、 しばらくもろもろの雑行を抛なげうちて、 選んで正定に帰すべし。 正行を修せんと欲はば、 正助二業のなかに、 なほ助業を傍かたわらにして、 選んで正定をもつぱらにすべし。 正定の業とはすなわちこれ仏の名みなを称するなり。 称名はかならず生ずることを得。 仏の本願によるがゆゑに」 (行巻訓) この文は ¬選せん択じゃく集しゅう¼ 十六章の内容を要約したもので、 「三選の文」 また 「略選択¼ などと呼ばれる。 なお、 三選とは、 浄土門を選びとる第一選、 正行を選びとる第二選、 正定業を選びとる第三選を指していう。
且 底本には 「且たん」 とある。 ¬真宗法要¼ 所収本 (建長本) によって 「且しゃ」 と読み改めた。 以下の 「且」 も同じ。
又また曰いわく 「▲*当とう知ち生しょう死じ之家しけ 以い疑ぎ為し所しょ止し 涅ね槃はん之し城じょう 以い信しん為い能のう入にゅう」 文
当知生死之家… 「まさに知るべし、 生死の家には疑をもつて所止となし、 涅槃の城には信をもつて能入となす」
¬*選せん択じゃく本願ほんがん念仏ねんぶつ集しゅう¼ といふは、 聖しょう人にん (源空) の御ご製作せいさくなり。
「南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつ往おう生じょう之し業ごう念仏ねんぶつ為い本ほん」 といふは、 *安あん養にょう浄じょう土どの往おう生じょうの正しょう因いんは念仏ねんぶつを本ほんとすと申もうす御みことなりとしるべし。 正しょう因いんといふは、 浄じょう土どに生うまれて仏ぶつにかならず成なるたねと申もうすなり。
またいはく、 「夫ふ速そく欲よく離り生しょう死じ」 といふは、 それすみやかにとく*生しょう死じをはなれんとおもへとなり。
「二に種しゅ勝しょう法ぼう中ちゅう且閣しゃかく聖しょう道どう門もん」 といふは、 「二に種しゅ勝しょう法ぼう」 は、 聖しょう道どう・浄じょう土どの二に門もんなり。 「且閣しゃかく聖しょう道どう門もん」 は、 「且閣しゃかく」 はしばらくさしおけとなり、 しばらく*聖しょう道どう門もんをさしおくべしとなり。
「選せん入にゅう浄じょう土ど門もん」 といふは、 「選せん入にゅう」 はえらびていれとなり、 よろづの善法ぜんぽうのなかに選えらびて*浄じょう土ど門もんに入いるべしとなり。
「欲よく入にゅう浄じょう土ど門もん」 といふは、 浄じょう土ど門もんに入いらんと欲おもはばといふなり。
「正しょう雑ぞう二に行ぎょう中ちゅう且抛しゃほう諸しょ雑ぞう行ぎょう」 といふは、 正しょう雑ぞう二に行ぎょう二ふたつのなかに、 しばらくもろもろの*雑ぞう行ぎょうをなげすてさしおくべしとなり。
「選応せんおう帰き正行しょうぎょう」 といふは、 選えらびて*正行しょうぎょうに帰きすべしとなり。
「欲修よくしゅ於お正行しょうぎょう正しょう助じょ二に業ごう中ちゅう猶ゆ傍ぼう於お助業じょごう」 といふは、 正行しょうぎょうを修しゅせんと欲おもはば、 正行しょうぎょう・助業じょごう二ふたつのなかに*助業じょごうをさしおくべしとなり。
「選応せんおう専せん正定しょうじょう」 といふは、 選えらびて*正定しょうじょうの業ごうをふたごころなく修しゅすべしとなり。
「正定しょうじょう之し業ごう者しゃ即そく是ぜ称しょう仏ぶつ名みょう」 といふは、 正定しょうじょうの業因ごういんはすなはちこれ仏ぶつ名みょうをとなふるなり。 正定しょうじょうの因いんといふは、 かならず*無む上じょう涅ね槃はんのさとりをひらくたねと申もうすなり。
「称名しょうみょう必得ひっとく生しょう依え仏ぶつ本願ほんがん故こ」 といふは、 御名みなを称しょうするはかならず安楽あんらく浄じょう土どに往おう生じょうを得うるなり、 仏ぶつの*本願ほんがんによるがゆゑなりとのたまへり。
またいはく、 「当とう知ち生しょう死じ之家しけ」 といふは、 「当とう知ち」 はまさにしるべしとなり、 「生しょう死じ之家しけ」 は生しょう死じの家いえといふなり。
「以い疑ぎ為し所しょ止し」 といふは、 *大願だいがん業力ごうりきの不ふ思議しぎを疑うたがふこころをもつて、 *六道ろくどう・*四し生しょう・*二に十じゅう五ご有う・*十じゅう二に類るい生しょう 類るい生しょうといふは一に卵らん生しょう 二に胎たい生しょう 三に湿しっ生しょう 四に化け生しょう 五に有う色しき生しょう 六に無む色しき生しょう 七に有う相そう生しょう 八に無む相そう生しょう 九に非ひ有う色しき生しょう 十に非ひ無む色しき生しょう 十一に非ひ有う相そう生しょう 十二に非ひ無む相そう生しょう にとどまるとなり。 いまにひさしく世よに迷まよふとしるべしとなり。
「涅ね槃はん之し城じょう」 と申もうすは、 安あん養にょう*浄じょう刹せつをいふなり、 これを涅ね槃はんのみやことは申もうすなり。
浄刹 浄土のこと。 刹は梵語クシェートラ (kşetra) の音写。 国土・世界の意。
「以い信しん為い能のう入にゅう」 といふは、 真実しんじつ信心しんじんをえたる人ひとの、 如来にょらいの本願ほんがんの*実じっ報ぽう土どによく入いるとしるべしとのたまへるみことなり。 信心しんじんは*菩ぼ提だいのたねなり、 無む上じょう涅ね槃はんをさとるたねなりとしるべしとなり。
【16】法印ほういん*聖覚せいかく和か尚しょうの銘文めいもん
「*夫ふ根こん有う利り鈍どん者しゃ 教きょう有う漸頓ぜんとん 機有きう奢促しゃそく者しゃ 行ぎょう有う難なん易い 当とう知ち 聖しょう道どう諸門しょもん 漸ぜん教ぎょう也や 又う難なん行ぎょう也や 浄じょう土ど一宗いっしゅ者しゃ 頓とん教ぎょう也や 又う易い行ぎょう也や 所しょ謂い真言しんごん止し観かん之し行ぎょう 獼み猴こう情じょう難学なんがく 三論さんろん法相ほっそう之し教きょう 牛ご羊よう眼げん易い迷めい 然ねん至し我が宗しゅ者しゃ 弥陀みだ本願ほんがん 定行じょうぎょう因いん於お十じゅう念ねん 善導ぜんどう料りょう簡けん 決けつ器き量りょう於お三心さんしん 雖すい非ひ利智りち精しょう進じん 専念せんねん実じつ易い勤ごん 雖すい非ひ多た聞もん広学こうがく 信力しんりき何が不備ふび 乃至 然ねん我が大だい師し聖しょう人にん 為い釈しゃく尊そん之し使し者しゃ 弘ぐ念仏ねんぶつ一門いちもん 為い善導ぜんどう之し再誕さいたん 勧かん称名しょうみょう一いち行ぎょう 専修せんじゅ専念せんねん之し行ぎょう 自此じし漸ぜん弘ぐ 無む間けん無余むよ之し勤ごん 在今ざいこん始知しち 然則ねんそく破は戒かい罪根ざいこん之し輩はい 加か肩けん入にゅう往おう生じょう之し道どう 下智げち浅才せんさい之し類るい 振しん臂ぴ赴ふ浄じょう土ど之し門もん 誠じょう知ち▲無む明みょう長じょう夜や之し大だい灯とう炬こ也や 何悲がひ智ち眼げん闇あん 生しょう死じ大海だいかい之し大だい船筏せんばつ也や 豈き煩ぼん業ごっ障しょう重じゅう」 略抄
夫根有利鈍者… 「それ根に利鈍あれば、 教に漸頓あり。 機に奢促あれば、 行に難易あり。 まさに知るべし、 聖道の諸門は漸教なり、 また雑行なり。 浄土の一宗は頓教なり、 また易行なり。 いはゆる真言・止観の行、 獼猴の情学びがたく、 三論・法相の教、 牛・羊の眼迷ひやすし。 しかるにわが宗に至りては、 弥陀の本願、 行因を十念に定め、 善導の料簡、 器量を三心に決す。 利智精進にあらずといへども、 専念まことに勤めやすし、 多聞広学にあらずといへども、 信力なんぞ備はらざらん。 (乃至) しかるにわが大師聖人、 釈尊の使者として念仏の一門を弘め、 善導の再誕として称名の一行を勧めたまへり。 専修専念の行、 これよりやうやく弘まり、 無間無余の勤め、 いまにありてはじめて知りぬ。 しかればすなはち、 破戒罪根の輩、 肩を加きしりて往生の道に入り、 下智浅才の類、 臂を振うて淨土の門に赴く。 まことに知りぬ、 無明長夜の大いなる灯炬なり、 なんぞ智眼の闇きことを悲しまん。 生死大海の大いなる船筏なり、 あに業障の重きことを煩はんや」 (高田派専修寺蔵宗祖真蹟 「聖覚せいかく法院ほういん表白ひょうびゃく文もん」 訓)
「夫ふ根こん有う利り鈍どん者しゃ」 といふは、 それ*衆しゅ生じょうの*根こん性じょうに利り鈍どんありとなり。 「利り」 といふはこころのとき人ひとなり、 「鈍どん」 といふはこころのにぶき人ひとなり。
「教きょう有う漸頓ぜんとん」 といふは、 衆しゅ生じょうの根こん性じょうにしたがうて仏ぶっ教きょうに*漸ぜん*頓とんありとなり。 「漸ぜん」 はやうやく仏道ぶつどうを修しゅして、 *三さん祇ぎ百ひゃく大劫だいこうをへて仏ぶつに成なるなり。 「頓とん」 はこの*娑しゃ婆ば世せ界かいにして、 この身みにてたちまちに仏ぶつに成なると申もうすなり。 これすなはち*仏心ぶっしん・*真言しんごん・*法ほっ華け・*華け厳ごん等とうのさとりをひらくなり。
「機有きう奢促しゃそく者しゃ」 といふは、 機きに奢促しゃそくあり。 「奢しゃ」 はおそきこころなるものあり、 「促そく」 はときこころなるものあり。
このゆゑに 「行ぎょう有う難なん易い」 といふは、 行ぎょうにつきて難なんあり、 易いありとなり。 「難なん」 は*聖しょう道どう門もん*自じ力りきの行ぎょうなり、 「易い」 は*浄じょう土ど門もん*他た力りきの行ぎょうなり。
「当とう知ち聖しょう道どう諸門しょもん漸ぜん教ぎょう也や」 といふは、 すなはち*難なん行ぎょうなり、 また*漸ぜん教ぎょうなりとしるべしとなり。
「浄じょう土ど一宗いっしゅ者しゃ」 といふは、 *頓とん教ぎょうなり、 また*易い行ぎょうなりとしるべしとなり。
「所しょ謂い真言しんごん止し観かん之し行ぎょう」 といふは、 「真言しんごん」 は*密みっ教きょうなり、 「*止し観かん」 は法ほっ華けなり。
「*獼み猴こう情じょう難学なんがく」 といふは、 この世よの人ひとのこころをさるのこころにたとへたるなり。 さるのこころのごとく定さだまらずとなり。 このゆゑに真言しんごん・法ほっ華けの行ぎょうは、 修しゅしがたく行ぎょうじがたしとなり。
獼猴 大きな猿。
「三論さんろん法相ほっそう之し教きょう牛ご羊よう眼げん易い迷めい」 といふは、 この世よの仏法ぶっぽう者しゃのまなこを牛うし・羊ひつじのまなこにたとへて、 *三論さんろん・*法相ほっそう宗しゅう等とうの聖しょう道どう自じ力りきの教きょうにはまどふべしとのたまへるなり。
「然ねん至し我が宗しゅ者しゃ」 といふは、 聖覚せいかく和か尚しょうののたまはく、 「わが*浄じょう土ど宗しゅうは、 弥陀みだの本願ほんがんの*実じっ報ぽう土どの正しょう因いんとして、 乃ない至し十じっ声しょう一いっ声しょう称しょう念ねんすれば、 *無む上じょう菩ぼ提だいにいたるとをしへたまふ。 *善導ぜんどう和か尚しょうの御おんをしへには、 *三心さんしんを具ぐすればかならず*安楽あんらくに生うまるとのたまへるなり」 (唯信鈔・意) と、 聖覚せいかく和か尚しょうののたまへるなり。
「雖すい非ひ利智りち精しょう進じん」 といふは、 智慧ちえもなく精しょう進じんの身みにもあらず、 鈍根どんこん懈け怠だいのものも、 専修せんじゅ専念せんねんの信心しんじんをえつれば往おう生じょうすとこころうべしとなり。
「然ねん我が大だい師し聖しょう人にん」 といふは、 聖覚せいかく和か尚しょうは、 聖しょう人にん (源空) をわが大だい師し聖しょう人にんと仰あおぎたのみたまふ御みことばなり。
「為い釈しゃく尊そん之し使し者しゃ弘ぐ念仏ねんぶつ一門いちもん」 といふは、 源空げんくう聖しょう人にんは釈しゃ迦か如来にょらいの御おんつかひとして念仏ねんぶつの一門いちもんを弘ひろめたまふとしるべしとなり。
「為い善導ぜんどう之し再誕さいたん 勧かん称名しょうみょう之し一いち行ぎょう」 といふは、 聖しょう人にんは*善導ぜんどう和か尚しょうの御ご身しんとして*称名しょうみょうの一いち行ぎょうを勧すすめたまふなりとしるべしとなり。
善導和尚の御身 善導ぜんどう大だい師しの後身。 生まれかわり。
「専修せんじゅ専念せんねん之し行ぎょう自此じし漸ぜん弘ぐ無む間けん無余むよ之し勤ごん」 といふは、 *一向いっこう専修せんじゅと申もうすことはこれより弘ひろまるとしるべしとなり。
「然則ねんそく破は戒かい罪根ざいこん之し輩はい加か肩けん入にゅう往おう生じょう之し道どう」 といふは、 「然則ねんそく」 はしからしめて、 この浄じょう土どのならひにて、 破は戒かい・無む戒かいの人ひと、 罪業ざいごうふかきもの、 みな往おう生じょうすとしるべしとなり。
「下智げち浅才せんさい之し類るい振しん臂ぴ赴ふ浄じょう土ど之し門もん」 といふは、 無智むち・無む才さいのものは浄じょう土ど門もんに赴おもむくべしとなり。
「誠じょう知ち無む明みょう長じょう夜や之し大だい灯とう炬こ也や何悲がひ智ち眼げん闇あん」 といふは、 「誠じょう知ち」 はまことにしりぬといふ、 弥陀みだの誓願せいがんは無む明みょう長じょう夜やのおほきなるともしびなり、 なんぞ智慧ちえのまなこ闇くらしと悲かなしまんやとおもへとなり。
「生しょう死じ大海だいかい之し大だい船筏せんばつ也や豈き煩ぼん業ごっ障しょう重じゅう」 といふは、 弥陀みだの願力がんりきは生しょう死じ大海だいかいのおほきなる船ふね・筏いかだなり。 極悪ごくあく深じん重じゅうの身みなりとなげくべからずとのたまへるなり。
「*倩つらつら思↢教授恩徳↡きょうじゅのおんどくをおもうに 実まことに等↢弥陀悲願↡者みだひがんにひとしきもの」 といふは、 師し主しゅのをしへをおもふに、 弥陀みだの悲ひ願がんに等ひとしとなり。 大だい師し聖しょう人にん (源空) の御おんをしへの恩おんおもくふかきことをおもひしるべしとなり。
倩思教授恩徳… 本文に付してある訓点にしたがって、 その書き下しを振り仮名の体裁で示した。
「粉骨ふんこつ可か報ほう之し摧身さいしん可か謝しゃ之し」 といふは、 大だい師し聖しょう人にんの御おんをしへの恩徳おんどくのおもきことをしりて、 骨ほねを粉こにしても報ほうずべしとなり、 身みを摧くだきても恩徳おんどくを報むくふべしとなり。 よくよくこの和か尚しょう (聖覚) のこのをしへを御ご覧らんじしるべしと。
【17】*和わ朝ちょう*愚ぐ禿とく釈しゃくの*親鸞しんらん が「正しょう信しん偈げの」 文もん
和朝 日本。
「▲*本願ほんがん名みょう号ごう正定しょうじょう業ごう 至し心しん信しん楽ぎょう願がん為い因いん 成じょう等覚とうがく証しょう大だい涅ね槃はん 必ひっ至し滅めつ度ど願がん成じょう就じゅ 如来にょらい所しょ以い興こう出しゅつ世せ 唯説ゆいせつ弥陀みだ本願ほんがん海かい 五ご濁じょく悪あく時じ群ぐん生じょう海かい 応信おうしん如来にょらい如実にょじつ言ごん 能発のうほつ一念いちねん喜き愛あい心しん 不ふ断だん煩悩ぼんのう得とく涅ね槃はん 凡ぼん聖じょう逆ぎゃく謗ほう斉さい回え入にゅう 如にょ衆水しゅすい入にゅう海かい一いち味み 摂取せっしゅ心光しんこう常じょう照しょう護ご 已い能のう雖すい破は無む明みょう闇あん 貪愛とんない瞋憎しんぞう之し雲うん霧む 常じょう覆ふ真実しんじつ信心しんじん天てん 譬ひ如にょ日光にっこう覆ふ雲うん霧む 雲うん霧む之し下げ明みょう無む闇あん *獲ぎゃく信しん見けん敬きょう得とく大だい慶きょう 即そく横おう超ちょう截ぜつ五ご悪趣あくしゅ」 文
本願名号… 「本願の名号は正定の業なり。 至心信楽の願を因とす。 等覚を成り大涅槃を証することは、 必死滅度の願成就なり。 如来、 世に興出したまふゆゑは、 ただ弥陀の本願海を説かんとなり。 五濁悪時の群生海、 如来如実の言みことを信ずべし。 よく一念喜愛の心を発すれば、 煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。 凡聖・逆謗斉ひとしく回入すれば、 衆水海に入りて一味なるがごとし。 摂取の心光、 つねに照護したまふ。 すでによく無明の闇を破すといへども、 貪愛・瞋憎の雲霧、 つねに真実信心の天に覆へり。 たとへば日光の雲霧に覆はるれども、 雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし。 信を獲て見て敬ひ大慶を得れば、 すなはち横おうに五悪趣を超截す」 底本には 「覆ふく」 とある。 ¬真宗法要¼ 所収本 (建長本) によって 「覆ふ」 と読み改めた。 以下の 「覆」 も同じ。
獲信見敬得大慶 この句は本山蔵および専修せんじゅ寺じ蔵の ¬教行信証¼ では 「獲信見敬大慶喜」 となっている。 また大谷派本願寺蔵本 (坂東本) では 「見敬得大慶喜人」 を抹消して 「獲信見敬大慶人」 と改めている。
▲「本願ほんがん名みょう号ごう正定しょうじょう業ごう」 といふは、 *選せん択じゃく本願ほんがんの行ぎょうといふなり。
▲「至し心しん信しん楽ぎょう願がん為い因いん」 といふは、 弥陀みだ如来にょらい回え向こうの*真実しんじつ信心しんじんなり、 この信心しんじんを*阿あ耨のく菩ぼ提だいの因いんとすべしとなり。
▲「成じょう等覚とうがく証しょう大だい涅ね槃はん」 といふは、 「成じょう等覚とうがく」 といふは*正定しょうじょう聚じゅの位くらいなり。 この位くらいを龍りゅう樹じゅ菩ぼ薩さつは 「▲即そく時じ入にゅう必ひつ定じょう」 (易行品) とのたまへり、 曇鸞どんらん和か尚しょうは 「▲入にゅう正定しょうじょう之し数じゅ」 (論註・上意) とをしへたまへり、 これはすなはち*弥み勒ろくの位くらいとひとしとなり。 「証しょう大だい涅ね槃はん」 と申もうすは、 ▲必ひっ至し滅めつ度どの願がん (第十一願) 成じょう就じゅのゆゑにかならず大だい般はつ涅ね槃はんをさとるとしるべし。 「滅めつ度ど」 と申もうすは、 大だい涅ね槃はんなり。
▲「如来にょらい所しょ以い興こう出しゅつ世せ」 といふは、 諸仏しょぶつの世よに出いでたまふゆゑはと申もうすみのりなり。
▲「唯説ゆいせつ弥陀みだ本願ほんがん海かい」 と申もうすは、 諸仏しょぶつの世よに出いでたまふ*本懐ほんがいは、 ひとへに弥陀みだの願海がんかい一いち乗じょうのみのりを説とかんとなり。 しかれば ¬大だい経きょう¼ (上) には、 「▲*如来にょらい所しょ以い 興こう出しゅつ於世おせ 欲よく拯じょう群萌ぐんもう 恵え以い真実しんじつ之利しり」 と説ときたまへり。 「如来にょらい所しょ以い興こう出しゅつ於世おせ」 は、 「*如来にょらい」 と申もうすは諸仏しょぶつと申もうすなり。 「所しょ以い」 といふはゆゑといふみことなり。 「興こう出しゅつ於世おせ」 といふは世よに仏ぶつ出いでたまふと申もうすみことなり。 「欲よく拯じょう群萌ぐんもう」 は、 「欲よく」 といふはおぼしめすとなり。 「拯じょう」 はすくはんとなり。 「群萌ぐんもう」 はよろづの衆しゅ生じょうをすくはんとおぼしめすとなり。 仏ぶつの世よに出いでたまふゆゑは、 弥陀みだの御おんちかひを説ときてよろづの衆しゅ生じょうをたすけすくはんとおぼしめすとしるべし。
本懐 本来の意図、 目的。
如来所以… 「如来、 世に興出したまふゆゑは群萌を拯すくひ、 恵むに真実の利をもつてせんと欲おぼしてなり」 ¬大経¼ の原文は 「如来、 無む蓋がいの大悲をもって三界さんがいを矜哀したまふ。 世に出興するゆゑは、 道教を光闡こうせんして、 群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり」 となっている。 「道教を光闡して」 の語を省略したのは、 道教を出世の本意ではない聖道教とみたためであろう。
如来と申すは… 阿弥陀仏の本願の救いを説くのは、 釈尊だけでなく、 すべての仏の出世の本意であるということを示す。
▲「五ご濁じょく悪あく時じ群ぐん生じょう海かい応信おうしん如来にょらい如実にょじつ言ごん」 といふは、 *五ご濁じょく悪あく世せのよろづの衆しゅ生じょう、 釈しゃ迦か如来にょらいのみことをふかく信受しんじゅすべしとなり。
▲「能発のうほつ一念いちねん喜き愛あい心しん」 といふは、 「能のう」 はよくといふ。 「発ほつ」 はおこすといふ、 ひらくといふ。 「*一念いちねん喜き愛あい心しん」 は*一念いちねん慶きょう喜きの*真実しんじつ信心しんじんよくひらけ、 かならず本願ほんがんの*実じっ報ぽう土どに生うまるとしるべし。 慶きょう喜きといふは、 信しんをえてのちよろこぶこころをいふなり。
一念喜愛心 一念の信心の内容をあらわす。 すなわち阿弥陀仏の救済を喜び愛めでる心。
一念 時剋の一念を指すとする説と信相の一念を指すとする説とがある。 →
一念いちねん❹
▲「不ふ断だん煩悩ぼんのう得とく涅ね槃はん」 といふは、 「不ふ断だん煩悩ぼんのう」 は煩悩ぼんのうをたちすてずしてといふ。 「得とく涅ね槃はん」 と申もうすは無む上じょう大だい涅ね槃はんをさとるをうるとしるべし。
▲「凡ぼん聖じょう逆ぎゃく謗ほう斉さい回え入にゅう」 といふは、 *小聖しょうしょう・*凡ぼん夫ぶ・*五ご逆ぎゃく・*謗法ほうぼう・無む戒かい・*闡提せんだい、 みな*回え心しんして真実しんじつ信心しんじん海かいに帰き入にゅうしぬれば、 衆水しゅすいの海かいに入いりてひとつ味あじはひとなるがごとしとたとへたるなり。 これを 「如にょ衆水しゅすい入にゅう海かい一いち味み」 といふなり。
小聖 仏を大聖というのに対して、 小乗のさとりを得た
聖しょう者じゃおよび大乗の
十じっ聖しょうの菩薩をいう。
▲「摂取せっしゅ心光しんこう常じょう照しょう護ご」 といふは、 信心しんじんをえたる人ひとをば、 *無礙むげ光こう仏ぶつの*心光しんこうつねに照てらし護まもりたまふゆゑに、 *無む明みょうの闇やみはれ、 *生しょう死じのながき夜よすでに暁あかつきになりぬとしるべしとなり。 「已い能のう雖すい破は無む明みょう闇あん」 といふは、 このこころなり。 信心しんじんをうれば暁になるがごとしとしるべし。
▲「貪愛とんない瞋憎しんぞう之し雲うん霧む常じょう覆ふ真実しんじつ信心しんじん天てん」 といふは、 われらが*貪愛とんない・*瞋憎しんぞうを雲くも・霧きりにたとへて、 つねに信心しんじんの天てんに覆おおへるなりとしるべし。
▲「譬ひ如にょ*日月にちがつ覆ふ雲うん霧む雲うん霧む之し下げ明みょう無む闇あん」 といふは、 日月にちがつの雲くも・霧きりに覆おおはるれども、 闇やみはれて雲くも・霧きりの下したあきらかなるがごとく、 貪愛とんない・瞋憎しんぞうの雲くも・霧きりに信心しんじんは覆おおはるれども、 往おう生じょうにさはりあるべからずとしるべしとなり。
日月 前掲の文では 「日光」 となっている。
▲「獲ぎゃく信しん見けん敬きょう得とく大だい慶きょう」 といふは、 この信心しんじんをえておほきによろこびうやまふ人ひとといふなり。 *「大だい慶きょう」 はおほきにうべきことをえてのちによろこぶといふなり。
大慶は… 親鸞聖人は慶 (慶喜・慶楽) をすでにわが身の上に実現していることがら (現生で
正定しょうじょう聚じゅの位に入ること) をよろこぶ意とし、 歓喜を必ず実現すると定まっていることがら (往生成仏の果) を待望してよろこぶ意とする。 ¬一多証文¼
684頁14行以下参照。
▲「即そく横おう超ちょう截ぜつ五ご悪趣あくしゅ」 といふは、 信心しんじんをえつればすなはち*横おうに*五ご悪趣あくしゅをきるなりとしるべしとなり。 「即そく横おう超ちょう」 は、 「即そく」 はすなはちといふ、 信しんをうる人ひとはときをへず日ひをへだてずして*正定しょうじょう聚じゅの位くらいに定さだまるを即そくといふなり。 「横おう」 はよこさまといふ、 如来にょらいの願力がんりきなり、 *他た力りきを申もうすなり。 「超ちょう」 はこえてといふ、 生しょう死じの大海だいかいをやすくよこさまに超こえて無む上じょう大だい涅ね槃はんのさとりをひらくなり。 信心しんじんを浄じょう土ど宗しゅうの正しょう意いとしるべきなり。 このこころをえつれば、 「他た力りきには*義ぎのなきをもつて義ぎとす」 と、 本ほん師し聖しょう人にん (源空) の仰おおせごとなり。 「義ぎ」 といふは行ぎょう者じゃのおのおののはからふこころなり。 このゆゑにおのおののはからふこころをもたるほどをば*自じ力りきといふなり。 よくよくこの自じ力りきのやうをこころうべしとなり。
*正しょう嘉か二に歳さい戊つちのえ午うま六月ろくがつ二に十じゅう八日はちにちこれを書かく。
正嘉二歳 1258年。
愚ぐ禿とく親鸞しんらん八はち十じゅう六歳ろくさい