0643そん0603ごう真像しんぞう銘文めいもん ほん

 

尊号銘文
  ¬大経¼
    第十八願文

【1】 ^¬*だいりょう寿じゅきょう¼にのたまわくせつ得仏とくぶつ 十方じっぽうしゅじょう しんしんぎょう よくしょうこく ないじゅうねん にゃくしょうじゃ しゅしょうがく 唯除ゆいじょぎゃく ほうしょうぼう(上) 文

 ^だいりょう寿じゅきょうごん」 といふは、 如来にょらいじゅう八願はちがんきたまへるきょうなり。

^せつ得仏とくぶつ」 といふは、 もしわれぶつ になり たらんときといふことばなり。

^十方じっぽうしゅじょう」 といふは、 十方じっぽうのよろづのしゅじょうといふなり。

^しんしんぎょう」 といふは、 「しん」 は真実しんじつもうすなり、 真実しんじつもうすは如来にょらいおんちかひの真実しんじつなるをしん0604もうすなり。 煩悩ぼんのうそくしゅじょうは、 もとより真実しんじつしんなし、 清浄しょうじょうしんなし、 じょくあく邪見じゃけんのゆゑなり。 「しんぎょう」 といふは、 如来にょらい本願ほんがん真実しんじつにましますを、 *ふたごころなくふかくしんじてうたがはざれば、 しんぎょうもうすなり。 この 「しんしんぎょう」 は、 すなはち十方じっぽうしゅじょうをしてわが真実しんじつなる誓願せいがんしんぎょうすべしとすすめたまへるおんちかひのしんしんぎょうなり、 ぼんりきのこころにはあらず。

^よくしょうこく」 といふは、 りき0644しんしんぎょうのこころをもつて、 安楽あんらくじょううまれんとおもへとなり。

^ないじゅうねん」 ともうすは、 如来にょらいのちかひの*みょうごうをとなへんことをすすめたまふに、 遍数へんじゅさだまりなきほどをあらはし、 せつさだめざることをしゅじょうにしらせんとおぼしめして、 ないのみことをじゅうねんのみなにそへてちかひたまへるなり。 如来にょらいよりおんちかひをたまはりぬる0605には、 じんじょうヨノツネトイフせつをとりてりんじゅうしょうねんをまつべからず、 ただ如来にょらいしんしんぎょうをふかくたのむべしとなりこの真実しんじつ信心しんじんをえんとき、 摂取せっしゅしゃ心光しんこうりぬれば、 正定しょうじょうじゅくらいさだまるとみえたり。

^にゃくしょうじゃしゅしょうがく」 といふは、 「にゃくしょうじゃ」 はもしうまれずはといふみことなり。 「しゅしょうがく」 はぶつらじとちかひたまへるみのりなり。 このこころは、 すなはちしんしんぎょうをえたるひと、 わがじょうにもしうまれずは、 ぶつらじとちかひたまへるのりなり。

^この本願ほんがん*やうは、 ¬*唯信ゆいしんしょう¼ によくよくみえたり。 唯信ゆいしん」 ともうすは、 すなはちこの真実しんじつしんぎょうをひとすぢにとるこころをもうすな0606り。

^唯除ゆいじょぎゃくほうしょうぼう」 といふは、 「唯除ゆいじょといふはただのぞくといふことばなり。 ぎゃくのつみびとをきらひほうのおもきとがをしらせんとなり。 このふたつのつみのおもきことをしめして、 十方じっぽう一切いっさいしゅじょうみなもれずおうじょうすべしとしらせんとなり。

一 Ⅰ 第十七願成就文

06452】 ^またのたまわくぶつ本願ほんがんりき もんみょうよくおうじょう 皆悉かいしつとうこく 自致じち退転たいてん(大経・下) と。

 ^ぶつ本願ほんがんりき」 といふは、 弥陀みだ本願ほんがんりきもうすなり。

^もんみょうよくおうじょう」 といふは、 「もん」 といふは如来にょらいのちかひのなをしんずともうすなり。 ^よくおうじょう」 といふは安楽あんらくじょうせつうまれんとおもへとなり。

^皆悉かいしつとうこく」 といふは、 おんちかひのみなをしんじてうまれんとおもふひとは、 みなもれずかのじょういたるともうことなり。

^自致じち退転たいてん」 といふは、 「0607」 はおのづからといふ、 おのづからといふはしゅじょうのはからひにあらず、 しからしめて退たいくらいにいたらしむとなり、 ねんといふことばなり。 ^」 といふは、 いたるといふ、 むねとすといふ、 如来にょらい本願ほんがんのみなをしんずるひとは、 ねん退たいくらいにいたらしむるをむねとすべしとおもへとなり。 ^退たい」 といふは、 ぶつにかならずるべきさだまるくらいなり。 これすなはち正定しょうじょうじゅくらいにいたるをむねとすべしきたまへるのりなり。

一 Ⅰ 第十一願成就文

【3】 ^またのたまわく必得ひっとくちょうぜつ おうじょうあんにょうこく 横截おうぜつ悪趣あくしゅ 悪趣あくしゅねんぺい しょうどうごく おうにん こくぎゃく ねん所牽しょけん(大経・下)

 ^必得ひっとくちょうぜつおうじょうあんにょうこく」 といふは、 「ひつ」 はかならずといふ、 かならずとい0646ふはさだまりぬといふこころなり、 またねんといふこころなり。 「とく」 はえたりといふ。 「ちょう」 はこえてといふ。 「ぜつ」 はたちすてはなるといふ。 「」 はすつといふ、 ゆくといふ、 さるといふなりしゃかいをたちすて*てんしょうをこえはなれてゆきさるといふなり。 あんにょうじょうおうじょうをうべしとなり。 あんにょう」 といふは、 弥陀みだをほめたてまつるみことと*みえたりすなはち安楽あんらくじょうなり。

^横截おうぜつ悪趣あくしゅ悪趣あくしゅねんぺい」 といふは、 「おう」 はよこさまといふ、 よこさまといふは如来にょらい願力がんりきしんずるゆゑにぎょうじゃのはからひにあらず、 悪趣あくしゅねんにたちすてしょうをはなるるをおうといふ、 りきもうすなり。 これをおうちょうといふなり。 おうヨコサマしゅタヽサマたい0609することばなり、 ちょうメグル たいすることばなり。 しゅはたたさま、 はめぐるとなり。 しゅとはりきしょうどうのこころなり、 おう ちょうはすなはちりきしんしゅうほんなり。 ^ぜつ」 といふはきるといふ、 *悪趣あくしゅのきづなをよこさまにきるなり。 「悪趣あくしゅねんぺい」 といふは、 願力がんりきみょうすればどうしょうをとづるゆゑにねんぺいといふ なり。 「へいトヅトイフはとづといふなり本願ほんがん業因ごういんにひかれてねん  安楽にうまるるなり。

^しょうどうごく」 といふは、 「しょう」 はのぼるといふ、 のぼるといふはじょうはんにいたる、 これをしょうといノボルトイフ ふなり。 「どう」 はだいはんどうなり。 「ごく」 といふはきはまりなしと0647なり。

^おうにん」 といふは、 おう」 はゆきやすしとなり、 ほん0610がんりきじょうずれば本願ほんがんじっぽううまるることうたがいなければ、 ゆきやすきなり。 「にん」 といふはひとなしといふ、 ひとなしといふは真実しんじつ信心しんじんひとはありがたきゆゑにじっぽううまるるひとまれなりとなり。 しかれば、 *源信げんしんしょうは、 「ほううまるるひとはおほからず、 化土けどうまるるひとはすくなからず(*往生要集・下意) とのたまへり。

^こくぎゃくねん所牽しょけん」 といふは、 「こく」 はそのくにといふ、 すなはちあんにょうじょうせつなり。 「ぎゃく」 はさかさまならずといふ、 たがはずといふなり。 「ぎゃく」 はさかさまといふ、 「」 はたがふといふなり。 真実しんじつしんをえたるひとは、 大願だいがん業力ごうりきのゆゑに、 ねんじょう業因ごういんたがはずして、 かの業力ごうりきにひかるるゆゑにゆきやすく、 じょうだいはんにのぼるにきはまりなしとのたまへるなり。 しかれば、 「ねん所牽しょけん」 ともうすなり。 0611りきしんしんぎょう業因ごういんねんにひくなり、 これを 「けん」 といふなり。 「ねん」 といふは、 ぎょうじゃのはからひにあらずとなり。

真像銘文
  勢至菩薩
    ¬首楞厳経¼文

【4】 ^*だいせいさつ銘文めいもん

 ^¬*しゅりょうごんぎょう¼にのたまわくせいぎゃく念仏ねんぶつ円通えんずう↡ だいせいほうおう 同倫どうりん じゅうさつ そくじゅう ちょうらい仏足ぶっそく びゃくぶつごん おく往昔おうじゃ ごうしゃこう ぶつしゅっ みょう0648りょうこう じゅう如来にょらい 相継そうけい一劫いっこう さいぶつ みょうちょう日月にちがつこう ぶつきょう 念仏ねんぶつ三昧ざんまい  にゃくしゅじょうしん 憶仏おくぶつ 念仏ねんぶつ 現前げんぜん当来とうらい ひつじょう見仏けんぶつ ぶつおん 方便ほうべん↡ とく心開しんかい にょ染香ぜんこうにん しんこう そくみょうわつ 香光こうこうしょうごん ほんいん 念仏ねんぶつしん にゅうしょうにん こんかい しょう念仏ねんぶつにん じょう以上略出

 *¬しゅりょうごんぎょう¼ にのたまわく、 「せい念仏ねんぶつ円通えんずうたり。 だいせい法王ほうおう、 その同倫どうりんじゅうさつと、 すなはちよりち、 仏足ぶっそくちょうらいしてぶつにまうしてまうさく、 われおうじゃくごうしゃこうおもふに、 ぶつありてでます。 りょうこうづく。 じゅう如来にょらい一劫いっこうにあひぎ、 そのさいぶつちょうにち月光がっこうづく。 かのぶつ、 われに念仏ねんぶつ三昧ざんまいおしへたまふ。 もししゅじょうしんぶつおもぶつねんずれば、 現前げんぜん当来とうらいにかならずさだめてぶつたてまつらん。 ぶつることとおからず、 方便ほうべんらず、 おのづからしんひらかるることをん。 染香ぜんこうにんしんこうあるがごとし。 これすなはちづけて香光こうこうしょうごんといふ。 われもといんにして、 念仏ねんぶつしんをもつてしょうにんる。 いまこのかいにおいて、 念仏ねんぶつひとせっしてじょうせしむ」 と。

 ^せいぎゃく*念仏ねんぶつ円通えんずう」 といふは、 せいさつ念仏ねんぶつたまふともうすことなり。 「ぎゃくエタリ」 といふはうるといふことばなり。 うるといふはすなはちいんのとき*さとりをうるといふ。 念仏ねんぶつせいさつさとりうるともうすなり。

^だいせい*ほうおう同倫どうりん」 といふは、 *じゅうさつせいとおなじきともともうす。 ほうおうとそのさつとおなじきともともうすを 「同倫どうりん」 といふなり。

^そくじゅうちょうらい仏足ぶっそくびゃくぶつごん」 ともうすは、 すなはちよりたち、 ぶつあしらいしてぶつにまうしてまうさくとなり。

^おく往昔おうじゃ」 といふは、 われむかしごうしゃこうかずのとしをおもふといふこころなり。

^ぶつしゅっみょうりょうこう」 ともうすは、 ぶつでさせたまひしともうことばなり。 でさせたまひしぶつ0613如来にょらいなりともうすなり。 *じゅうこうぶつじゅうでさせたまふを 「じゅう如来にょらい相継そうけいアヒツグ一劫いっこう」 ともうすなり。 「じゅう如来にょらい」 ともうすは、 すなはち弥陀みだ如来にょらいじゅうこう御名みななり。 「相継そうけい一劫いっこう」 と0649いふは、 じゅうこうぶつじゅうでさせたまふをあひつぐといふなり。

^さいぶつみょうちょう日月にちがつこう」 ともうすは、 じゅうこうぶつでさせたまひしをはりのぶつを 「ちょう日月にちがつこうぶつ」 ともうすとなり。

^ぶつきょう念仏ねんぶつ三昧ざんまい」 ともうすは、 かのさいちょう日月にちがつこうぶつ念仏ねんぶつ三昧ざんまいを、 せいにはおしへたまふとなり。

^にゃくしゅじょうしん憶仏おくぶつ念仏ねんぶつ」 といふは、 もししゅじょうしんぶつおくぶつねんずれば ˆとなりˇ。

^げんぜん当来とうらいひつじょう見仏けんぶつぶつおん方便ほうべん0614とく心開しんかい」 といふは、 こんじょうにもぶつたてまつり、 当来とうらいにもかならずぶつたてまつるべしとなり。 ぶつもとほざからず、 方便ほうべんをもからず、 ねんしんにさとりをべしとなり。

^にょ染香ぜんこうにんしんこう」 といふは、 かうばしきにあるひとのごとく、 念仏ねんぶつのこころもてるひとに、 せいのこころをかうばしきひとにたとへまうすなり。 このゆゑに 「そくみょうわつ*香光こうこうしょうごんネムブチハチヱナリ」 ともうすなり。 せいさつおんこころのうちに念仏ねんぶつのこころをもてるを、 *染香ぜんこうにんカウバシキカにたとミニソメルガへまうゴトシトイフすなり。

^かるがゆゑにせいさつのたまはく、 「ほんいん 念仏ねんぶつしん にゅうしょうにん こんかい しょう念仏ねんぶつにん じょう」 といへり。 「ほんいん」 といふは、 われもと*いんにしてといへり。 「念仏ねんぶつしん」 といふは、 念仏ねんぶつしんをもつてといふ。 「にゅうしょうにん」 といふは、 しょうにんフタイノクラヰナリるとなり。 「こんかい」 といふは0650、 い0615まこのしゃかいにしてといふなり。 しょう念仏ねんぶつにん」 といふは、 念仏ねんぶつひと摂取せっしゅしてといふ。 「帰於きおじょう」 といふは、 念仏ねんぶつひと ˆをˇ おさりてじょうせしむとのたまへるなりと。

龍樹菩薩
    ¬十住毘婆沙論¼文

【5】 ^*りゅうじゅさつ銘文めいもん

 ^¬*十住じゅうじゅう毘婆びばしゃろん¼にいわくにん能念のうねんぶつ りょうりきどく そくにゅうひつじょう 是故ぜこじょうねん にゃくにんがんぶつ 心念しんねん弥陀みだ おう現身げんしん 是故ぜこみょう(易行品) 文

 ^にん能念のうねんぶつりょうりきどく」 といふは、 ひとよくこのぶつりょうどくねんずべしとなり。

^そくにゅうひつじょう」 といふは、 しんずれば*すなはちのときひつじょうるとなり。 ひつじょうるといふは、 まことにねんずれ0616ばかならず正定しょうじょうじゅくらいさだまるとなり。

^是故ぜこじょうねん」 といふは、 われつねにねんずるなり。

^にゃくにんがんぶつ」 といふは、 もしひとぶつにならんとがんぜば ˆとなりˇ。 「心念しんねん弥陀みだ」 といふ ˆはˇ、 しん弥陀みだねんずべしとなり。 ねんずれば 「おう現身げんしん」 とのたまへり。 「おう」 といふはときにかなふといふなり、 「現身げんしん」 ともうすは、 信者しんじゃのために如来にょらいのあらはれたまふなり。

^是故ぜこみょう」 といふは、 りゅうじゅさつのつねに弥陀みだ如来にょらいみょうしたてまつるとなり。

天親菩薩
    ¬浄土論¼二文

06516】 ^*婆藪ばそばんさつ ¬ろん¼ わつそん一心いっしん みょうじん十方じっぽう 無礙むげこう如来にょらい がんしょう安楽あんらくこく しゅ多羅たら 真実しんじつどくそう せつがんそう ぶっきょう相応そうおう かんかいそう しょう三界さんがいどう きょうにょくう 広大こうだいへんざい(浄土論) と。

 ^またいわく観仏かんぶつ本願ほんがんりき ぐう空過くかしゃ のうりょうそく満足まんぞく どくだい宝海ほうかい(浄土論)

 ^婆藪ばそばんさつ論曰ろんわつ」 といふは、 「婆藪ばそばん」 は天竺てんじく (印度) のことばなり、 晨旦しんたん (中国) には*天親てんじんさつもうす。 またいまはいはく、 しんさつもうす。 *やくには天親てんじん*新訳しんやくにはしんさつもうす。 論曰ろんわつ」 は、 しんさつ弥陀みだ本願ほんがんしゃくあらはしたまへることを 「ろん」 といふなり、 「わつ」 はこころをあらはすことばなり。 このろんをば ¬*じょうろん¼ といふ、 また ¬おうじょうろん¼ といふなり。

^そん一心いっしん」 といふは、 「そん」 はしゃ如来にょらいなり。 「」 ともう いふ しんさつのわがとのたまへるなり。 一心いっしん」 といふは、 きょうしゅそんことのりふたごころなくうたがいなしとなり、 すなは0618ちこれまことの信心しんじんなり。

^みょうじん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらい」 ともうすは、 「みょう」 は南無なもなり、 またみょうもうすは如来にょらいちょくめいにしたが ひこころたてまつる なり。 「じん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらい」 ともうすはすなはち弥陀みだ如来にょらいなり、 この如来にょらいこうみょうなり。 じん十方じっぽう」 といふは、 「じん」 はつくすといふ、 ことごとくといふ0652十方じっぽうかいをつくしてことごとくみちたまへるなり。 「無礙むげ」 といふは、 *さはることなしとなり。 さはることなしともうすは、 しゅじょう煩悩ぼんのう悪業あくごうにさへられざるなり。 *こう如来にょらい」 ともうすは弥陀みだぶつなり。 この如来にょらいはすなはち不可ふか思議しぎこうぶつもうす。 この如来にょらい智慧ちえかたなり十方じっぽう*じんせつにみちたまへるなりとしるべしとなり。

^がんしょう安楽あんらくこく」 といふは、 しんさつ、 かの無礙むげこうぶつ  の願行しょうねんしんじて安楽あんらくこくうまれんとねがひたまへるなり。

^しゅ0619真実しんじつどくそう」 といふは、 「」 は天親てんじん論主ろんじゅのわれとなのりたまへることばなり。 「」 はよるといふ、 しゅ多羅たらによるとなり。 しゅ多羅たら」 は天竺てんじく (印度) のことば、 ぶつきょうてんもうすなり。 ぶっきょうだいじょうあり、 また小乗しょうじょうあり。 みなしゅ多羅たらもうす。 いましゅ多羅たらもうすはだいじょうなり、 小乗しょうじょうにはあらず。 いまの*さんきょうてんだいじょうしゅ多羅たらなりこのさんだいじょうによるとなり真実しんじつどくそう」 といふ真実しんじつどく」 は誓願せいがん尊号そんごうなり、 「そう」 はかたちといふことばなり

^せつがんそう」 といふは、 本願ほんがんのこころをあらはすことばを 「」 といふなり。 そう」 といふは智慧ちえなり、 無礙むげこうそうもうすなり。

^ぶっきょうそう0620おう」 といふは、 この ¬じょうろん¼ のこころは、 しゃくそん教勅きょうちょく弥陀みだ誓願せいがんにあひかなへりとなり。

^かんかいそうしょう0653三界さんがいどう」 といふは、 かの安楽あんらくかい*みそなはすに、 ほとりきはなきことくうのごとし、 ひろくおほきなることくうのごとしとたとへたるなり。

^観仏かんぶつ本願ほんがんりきぐう空過くかしゃ」 といふは、 如来にょらい本願ほんがんりきをみそなはすに、 願力がんりきしんずるひとは、 むなしくここにとどまらずとなり。

^のうりょうそく満足まんぞくどくだい宝海ほうかい」 といふは、 「のう」 はよしといふ、 「りょう」 はせしむといふ、 「そく」 はすみやかにとしといふ。 よく本願ほんがんりきしんぎょうするひとは、 すみやかにどくだい宝海ほうかいしんずるひとのその満足まんぞくせしむるなり。 如来にょらいどくのきはなくひろくおほきにへだて なる なきことを、 大海だいかいみずへだてなくみちみてるがごとし0621とたとへたてまつるなり。

曇鸞大師
    迦才¬浄土論¼文

【7】 ^*せいちょうのヨノナナリ *曇鸞どんらんしょうのしんぞうの銘文めいもん

 ^しゃく曇鸞どんらんほっしゃ へいしゅう汶水ぶんすいけんじん まつ高斉こうせいしょ ゆうざい じん高遠こうえん さんごくもん どうぎょうしゅきょう↡ どくしゅつ人外じんがい↡ りょうこくてん蕭王そうおう ごうこうほく らいらんさつ ちゅうおうじょうろん↡ さいじょうノセナセリ りょうかん↡ ^*しゅつしゃくざい三巻さんがんじょうろん

 *しゃく曇鸞どんらんほっは、 へいしゅう汶水ぼっしいけんひとなり。 すえ高斉こうせいはじめ、 なほいましき。 じん高遠こうえんにして、 三国さんごくもんす。 あきらかにしゅきょうさとること、 ひとり人外じんがいでたり。 りょうこくてん蕭王そうおう、 つねにきたむかひて、 らんさつらいす。 ¬おうじょうろん¼ をちゅうしてりょうかんことわじょうず。 しゃくざい三巻さんがんの ¬じょうろん¼ にでたるなり。」

 ^しゃく曇鸞どんらんほっへいしゅう*汶水ぼっしいけんひとなり」。 へいしゅうはくにのなり、 汶水ぼっしいけんはところのなり。

^ぎのすえヨノナナリ高斉こうせいヨノナナリ はじめなおいます」 といふは、 「まつ」 といふは晨旦しんたん (中国0654)なり。 「まつ」 はすゑといふなり、 *のすゑとなり。 「高斉こうせいしょ」 は*せいといふのはじめといふ0622なり。 「ざい」 はせいとのになほいましきといふなり。

^じん高遠こうえん」 といふは、 しょう (曇鸞)智慧ちえすぐれていましけりとなり。

^三国さんごくもん」 といふは、 「三国さんごく」 はせい*りょうと、 このつのにおはせしとなり。 「もん」 といふはつのにしられきこえたまひきとなり。

^どうぎょうしゅきょう」 といふは、 あきらかによろづのきょうてんをさとりたまふとなり。 「どくしゅつ人外じんがい」 といふは、 よろづのひとにすぐれたりとなり。

^りょうこくてん」 といふは、 りょうおうといふなり、 *蕭王そうおうなり。 「つねに向↠北きたにむこうてらいしたてまつる」 といふは、 りょうおう、 つねに曇鸞どんらんきたのかたにましましけるを、 さつらいしたてまつりたまひけるなり。

^ちゅうおうじょうろん」 といふは、 この ¬じょうろん¼ をくはしうしゃくしたまふを、 ¬ちゅうろん¼ (論註)もうろんをつくりたまへるなり。 「さいじょうりょうかん」 といふは、 ¬ちゅうろん¼ はかんになしたまふなり。

^しゃくのざい0623三巻さんかんじょうろん」 といふは、 「しゃくのざい」 ともうすは、 「しゃく」 といふはしゃくそん弟子でしとあらはすことばなり。 「*ざい」 は、 じょうしゅう祖師そしなり、 しゃにておはせしひとなり。 かのしょうにん (迦才)三巻さんかんの ¬*じょうろん¼ をつくりたまへるに、 この曇鸞どんらんことばあらはせりとなり。

善導大師
    智栄文

06558】 ^*とうちょう*こうみょうじの*善導ぜんどうしょうのしんぞうのめいもん にいはく

 ^ようさん善導ぜんどう別徳べっとくうん善導ぜんどう弥陀みだぶつしん しょうぶつろく↡ そくたんぶつそくさん そく発願ほつがんこう 一切いっさい善根ぜんごん しょうごんじょう↡」

 ^*よう善導ぜんどう別徳べっとくめたまふていはく、 「善導ぜんどう弥陀みだぶつしんなり。 ぶつろくしょうせば、 すなはちぶつたんずるなり。 すなはちさんするなり。 すなはち発願ほつがんこうなり。 一切いっさい善根ぜんごんじょうしょうごんするなり」 と。

 ^*ようもうすは、 震旦しんたん (中国)しょうにんなり。 善導ぜんどう*別徳べっとくをほめたまうていはく、 「善導ぜんどう弥陀みだぶつしん0624り」 とのたまへり。

^しょうぶつろく」 といふは、 南無なも弥陀みだぶつろくをとなふるとなり。

^そく嘆仏たんぶつ」 といふは、 すなはち南無なも弥陀みだぶつをとなふるは、 *ぶつほめたてまつる  ことばになるとなり。

^また そくさん」 といふは、 南無なも弥陀みだぶつをとなふるは、 すなはち無始むしよりこのかたの罪業ざいごうさんするになるともうすなり

^そく発願ほつがんこう」 といふは、 南無なも弥陀みだぶつをとなふるは、 すなはち安楽あんらくじょうおうじょうせんとおもふになるなり、 また一切いっさいしゅじょうにこのどくをあたふるになるとなり。

^一切いっさい善根ぜんごんしょうごんじょう」 といふは、 弥陀みださん一切いっさい善根ぜんごんををさめたまへるゆゑに、 みょうごうをとなふるはすな れば はちじょうしょうごんするになるとしるべしとなりようぜん善導ぜんどうをほめたまへるなり。

二 Ⅴ 「玄義分」文

【9】 ^善導ぜんどうしょう  いわく のたまはくごん南無なもしゃ そくみょう やく発願ほつがんこう之義しぎ ごん弥陀みだぶつしゃ そくぎょう 斯義しぎ 必得ひっとくおうじょう(*玄義分) 文

 ^0656ごん南無なもしゃ」 といふは、   「南无」は、 すなはちみょうもうみこと こと なり。 みょうは、 すなはち*しゃ弥陀みだそんちょくめいにしたがひしにかなふともうすことばなり。 このゆゑに 「そくみょう」 とのたまへり。

^やく発願ほつがんこう之義しぎ」 といふは、 そんしにしたがうて、 安楽あんらくじょううまれんとねがふこころなりとのたまへるなり。

^ごん弥陀みだぶつしゃ」 ともう いふ は、 「そくぎょう」 とのたまへり。 そくぎょうは、 これすなはち法蔵ほうぞうさつせんじゃく 本願ほんがんなりとしるべしとなりあんにょうじょう0626正定しょうじょう業因ごういんなりとのたまへるこころなり。

^斯義しぎ」 といふは、 正定しょうじょういんなるこのをもつてのゆゑにといへるおんこころなり。  「必得往生」 といふは、 かならず往生をえしむといふなり。^ひつ」 はかならずといふとく」 はえしむといふ。 「おうじょう」 といふは、 じょううまるといふなり。 かならずといふは、 ねんおうじょうをえのこゝろをあらはす、 しむとなり。 ねんといふは、 *はじめてはからはざるここず  と なり。

二 Ⅴ 「観念法門」文一

【10】^またいわくごんせつしょうぞうじょうえんしゃ にょりょう寿じゅきょう じゅう八願はちがんちゅうせつ 仏言ぶつごんにゃくじょうぶつ 十方じっぽうしゅじょう がんしょうこく しょうみょう 下至げしじっしょう じょう願力がんりき にゃくしょうじゃ しゅしょうがく そくがんおうじょうぎょうにん みょうよくじゅ 願力がんりきしょうとくおうじょう みょうせつしょうぞうじょうえん(*観念法門) 文

 ^ごん*せつしょうぞうじょうえんしゃ」 といふは、 「せつしょう」 は十方じっぽうしゅじょう誓願せいがんにをさめとらせ  り  0657まふともうすこころなり。

^にょりょう寿じゅきょうじゅう八願はちがんちゅうせつ」 といふは、 如来にょらい0627本願ほんがんきたまへるしゃのり  みこと  なりとしるべしとなり。

^にゃくじょうぶつ」 ともうすは、 法蔵ほうぞうさつちかひたまはく、 もしわれぶつ になり たらんにとときとなり。 きたまふ。

^十方じっぽうしゅじょう」 といふは、 十方じっぽうのよろづのしゅじょうなり、 すなはちわれらなり。

^がんしょうこく」 といふは、 あんらくじょうせつうまれんとねがへとなり。

^しょうみょう」 といふは、 われぶつになれらんにわがなをとなへられんとなり。

^下至げしじっしょう」 といふは、 みょうをとなへられんことしもこえせんものとなり。 「下至げし」 といふは、 じっしょうにあまれるもの も 、 一念二念もんみょうのものをおうじょうにもらさずきらはぬことをあらはししめすとなり。

^じょう願力がんりき」 といふは、 「じょう」 はのるべしとい0628ふ、 またなり。 といふは、 願力がんりきにのせたまふとしるべしとなり。 願力がんりきじょう の せ あんらくじょうせつうまんとししむるとなり。

^にゃくしょうじゃしゅしょうがく」 といふは、 ちかひをしんじたるひともの、 もし本願ほんがんじっぽううまれずは、 ぶつらじとちかひたまへるみのりなり。

^そくがんおうじょうぎょうにん」 といふは、 これすなはちおうじょうねがひとといふ なり

^みょうよくじゅ」 といふは、 いのちをはらんとせんときといふ。

^願力がんりきしょうとくおうじょう」 といふは、 大願だいがん業力ごうりき摂取せっしゅしておうじょうしむといへるこころなり。 すでにじんじょうツネノトキナリときしんぎょうをえたるひと0658いふなり、 りんじゅうのときはじめてしんぎょうけつじょうして摂取せっしゅにあづかるものにあらず。 ひごろ、 かの心光しんこう*しょうせらオサメマモリタマフれまゐらせたるゆゑに、 金剛こんごうしんをえたるひと なれば正定しょうじょうじゅじゅうするゆゑに、 りんじゅうのときにあらず。 かねてじんじょうのときよりつねにしょう0629しててたまはざれば、 しょうとくおうじょうもうすなり。 このゆゑに 「せつしょうぞうじょうえん」 となづくるなり。

^またまことにじんじょうのときよりしんなからんひとは、 ひごろのしょうねんこうによりて、 さいりんじゅうのときはじめてぜんしきのすすめにあうて信心しんじんをえんとき、 願力がんりきせっしておうじょうるものもあるべしとなり。 りんじゅう来迎らいこうをまつものは、 いまだ信心しんじんかくのごとくなるべしと。 えぬものなれば、 りんじゅうをこころにかけてなげくなり。

二 Ⅴ 「観念法門」文二

【11】^またいわくごんねんぞうじょうえんしゃ たん専念せんねん弥陀みだぶつしゅじょう ぶつ心光しんこう 常照じょうしょうにん しょうしゃ そうろんしょうしょう 雑業ぞうごうぎょうじゃ↡ やく げんしょうねんぞうじょうえん(観念法門) 文

 ^ごん0630*ねんぞうじょうえんしゃ」 といふは、 まことのしん信心をえたるひとを、 このにてつねにまもりたまふともうすことなり。

^たん専念せんねん弥陀みだぶつしゅじょう」 といふは、 ひとすぢにふたごころなく弥陀みだぶつねんじたてまつるともうすなり。

^ぶつ心光しんこう常照じょうしょうにん0659」 といふは、 「」 はかのといふ。 「ぶつ心光しんこう」 は無礙むげこうぶつおんこころともうすなり。 ^常照じょうしょう」 はつねにてらすともうす。 つねにといふは、 ときをきらはず、 をへだてず、 ところを*わかず、 まことの信心しんじんあるひとをばつねにてらしたまふとなり。 てらすといふは、 かの仏心ぶっしん光にをさめとりたまふとなり。 ^ぶつ心光しんこう」 は、 すなはち弥陀みだぶつおんこころにをさめたまふとしるべし。 ^にん」 は信心しんじんをえたるひとなり。 つねにまもりたまふともうすは、 てん*じゅんにやぶられず、 *あく悪神あくじんにみだられず、 しょうオサメマモリテしゃしたステタマハズまふゆゑなり。 「しょう0631しゃ」 といふは、 をさめまもりてすてずとなり。

^そうろんしょうしょう雑業ぞうごうぎょうじゃぎょうじゃ」 といふは、 「そう」 はすべてといふ、 みなといふ。  すべてぞうぎょう雑修ざっしゅひとをばすべてみなてらさず、をさめまもりたまはずとなり。 てらしまもりたまはずともうすは、 摂取せっしゅしゃやくにあづからずとなり。 本願ほんがんぎょうじゃにあらざるゆゑなりとしるべし。 しかれば、 しょうしゃしゃくしたまはず。

^げんしょうねんぞうじょうえん」 といふは、 このにてまことのしんあるひとまもりたまふともうすみことなり。 ぞうじょうえん」 はすぐれたる強縁ごうえん なりとなり。

聖徳太子

【12】^こうたいしょうとくの銘文めいもん

 ^¬*えんぎに¼ いわく百済はくさいこく聖明せいめいおうたい阿佐あさらいしてもうさく きょうらい救世くせ だい観音かんのんさつ みょうきょう0660づう 東方とうぼう日本にっぽんこく じゅうさい 伝灯でんとう演説えんぜつ

 ^しんこくのしょうにんにちらいしてもうさく きょうらい救世くせ 観音かんのんだいさつ 伝灯でんとう東方とうぼう 粟散ぞくさんおう

 ^えんわつ」 といふは、 *しょうとくたいえんなり。

^*百済はくさいこく」 といふは、 しょうとくたい、 さきのうまれさせたまひたりけるくになり。

^*聖明せいめいおう」 といふは、 百済はくさいこくたい (聖徳太子)*わたらせたまひたりけるときの、 そのくにおうなり。

^たい阿佐あさ礼曰らいわつ」 といふは、 聖明せいめいおうたいなり。 しょうとくたいをこひしたひかなしみまゐらせて、 おんかたちを金銅こんどうにてまゐらせたりけるを、 このこくしょうとくたいうまれてわたらせたまふとききまゐらせて、 聖明せいめいおう、 わがこの*阿佐あさたいちょく使として、 金銅こんどう救世くせ観音かんのんぞうをおくりまゐらせしとき、 らいしまゐらすとし0633じゅせるもんなり、 「きょうらい救世くせだい観音かんのんさつ」 ともうしけり。

^妙教みょうきょうづう東方とうぼう日本にっぽんこく」 ともうすは、 じょうぐうたい (聖徳太子)仏法ぶっぽうをこのこくにつたへひろめおはしますとなり。

^じゅうさい」 といふは、 じょうぐうたいじゅうさいまでぞ、 このこくにわたらせたまはんずると阿佐あさたいもうしけり。 おくられたまへる金銅こんどう救世くせさつは、 *天王てんのう金堂こんどうにわたらせたまふなり。

^伝灯でんとう演説えんぜつ」 といふは、 伝灯でんとう」 は仏法ぶっぽうをともしびにたとへたるなり。 「演説えんぜつ」 は、 じょうぐうたいぶっきょう0661ひろめましますべしと阿佐あさたいもうしけり。

 ^また*しんこくよりじょうぐうたいをこひしたひまゐらせて、 *にちもうしょうにんきたりて、 しょうとくたいらいしたて0634まつりてまうさく、 「きょうらい救世くせ観音かんのんだいさつ」 ともうすは、 しょうとくたい*救世くせ観音かんのんにておはしますとらいしまゐらせけり。

^伝灯でんとう東方とうぼう」 ともうすは、 仏法ぶっぽうをともしびにたとへて、 「東方とうぼう」 ともうすはこのこくぶっきょうのともしびをつたへおはしますとにちもうしけり。

^粟散ぞくさんおう」 ともうすは、 このくにはきはめてしょうこくなりといふ。 「粟散ぞくさん」 といふは、 あはつぶをちらせるがごとくちいさきくにおうしょうとくたいのならせたまひたるともうしけるなりと。

 

 

0662尊号そんごう0635真像しんぞう銘文めいもん まつ

 

源信和尚
    ¬往生要集¼文

【13】^*しゅりょうごんいん*源信げんしんしょう銘文めいもん のたまはく

 ^やくざい 摂取せっしゅちゅう 煩悩ぼんのうしょうげん すい能見のうけん だいけん 常照じょうしょうしん(往生要集・中) 文

 ^やくざい摂取せっしゅちゅう」 といふは、 われまたかの摂取せっしゅのなかにありとのたまへるなり。

^煩悩ぼんのうしょうげん」 といふは、 われら煩悩ぼんのうにまなこ*さへらるとなり。

^すい能見のうけん」 といふは、 煩悩ぼんのうのまなこにてぶつをみたてまつることあたはずといへどもといふなり。

^だいけん」 といふは、 だいだいおんめぐみ、 *ものうきこ0636とましまさずともうすなり。

^常照じょうしょうしん」 といふは、 「じょう」 はつねにといふ、 「しょう」 はてらしたまふといふ。 無礙むげこうみょう信心しんじんひとをつねにてらしたまふとなり。 つねにてらすといふは、 つねにまもりたまふとなり。 「しん」 は、 わがだいだいものうきことなくして、 つねにまもりたまふとおもへとなり。 摂取せっしゅしゃ0663おんめぐみのこころをあらはしたまふなり。 「念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしゃ(*観経)ここしゃくしたまへるなりとしるべしとなり

源空上人
    隆寛律師文

【14】^日本にっぽん*源空げんくうしょうにんの真影しんねい銘にいはく、

 ^めいざん *ごんりっ りゅうかん (*隆寛) さん 「かん道俗どうぞく ねん弥陀みだぶつ 能念のうねん皆見かいけん ぶつさつ みょう称名しょうみょう おうじょうようじゅつ さい源空げんくう どうもつ 信珠しんじゅ在心ざいしん しんしょうめいきょう うんようじょう 仏光ぶっこうえんちょう *けんりゃく壬申にんしん三月さんがつ一日ついたち

 *「あまねく道俗どうぞくすすめて弥陀みだぶつねんぜしめたまふ。 よくねんずればみなぶつさつたてまつる。 あきらかにりぬ、 しょうみょうおうじょうようじゅつなることを。 きかな源空げんくうどうしたひ、 ものしたまふ。 信珠しんじゅしんにあれば、 しんめいきょうらし、 うんながくれ、 仏光ぶっこういただきまどかなり。 けんりゃく壬申じんしん三月さんがつ一日ついたち

 ^かん道俗どうぞくねん弥陀みだぶつ」 といふは、 「かん」 はあまねく0637すすむとなり。 道俗どうぞく」 は、 どうにふたりありぞくにふたりあり。 どうのふたりは、 ひとつにはそうふたつには比丘びくなり。 ぞくにふたり ひとつにはぶっ ぽう のみのりしんぎょうずるおとこなり、 ふたつにはぶっ ぽう のみのりしんぎょうずるおんななり。ねん弥陀みだぶつ」 ともうすは、 尊号そんごうしょうねんするなり。

^能念のうねん皆見かいけんぶつさつ」 ともうすは、 「能念のうねん」 はよくみょうごうねんずとなり いふ 、 よくねんずともう いふ はふかくしんずるなり。 「皆見かいけん」 といふは、 ぶつさつをみんとおもふひとはみなみたてまつる なり。 「ぶつさつ」 ともうすは、 弥陀みだぶつ観音かんのんせいとうしょうじゅなり。

^みょう称名しょうみょう」 ともうすは、 あきらかにしりぬ、 ぶつのみなをとなふれば 「おうじょう」 すといふことを 「ようじゅつ」 とすといふ。 おうじょう0638ようには如来にょらいのみなをとなふるにす0664ぎたることはなしとなり。

^さい源空げんくう」 ともうすは、 「さい」 はよしといふなり。 「源空げんくう」 はしょうにんみょう  御な  なり。 「どうもつ」 といふは、 「どう」 はじょうどうをねがひしたふべしと  といふ  なり。 もつ」 といふは、 「もつ」 といふはしゅじょうなり、 「」 はよろづのものやくすと まふすなり。

^信珠しんじゅ在心ざいしん」 といふは、 金剛こんごう信心しんじんをめでたきたまにたとへたまふ。 信心しんじんたまをこころにえたるひとは、 しょうやみにまどはざるゆゑに、 「しんしょうめいきょう」 といふなり。  心照迷境といふは、信心しんじんたまをもつて、 愚痴ぐちやみをはらひ、 あきらかにらすとなり。

^うんようじょう」 といふは、 「うん」 は願力がんりきうたがふこころくもにたとへたるなり。 「ようナガクじょうハルヽナリといふはうたがふこころのくもをながくらしぬれば安楽あんらくじょうへかならずうまるるなり。 無礙むげこうぶつ摂取せっしゅしゃ*心光しんこうをもつて信心しんじんをえたるひと0639をつねにらしまもりたまふゆゑに、 「仏光ぶっこうえんちょう」 といへり。 仏光ぶっこうえんちょうといふは、 仏心ぶっしんをして のひかり あきらかに信心しんじんひといただきをつねにらしたまふとほめたまひたるなり、 これは摂取せっしゅしたまふゆゑなりとしるべし

二 Ⅷ ¬選択本願念仏集¼三文

【15】^えいざん*えんりゃく *宝幢ほうどういん黒谷くろだに 日本 源空げんくうしょうにんの真像しんぞうのたまはく、

 ^¬*せんじゃく本願ほんがん念仏ねんぶつしゅう¼ にいわく南無なも弥陀みだぶつ おうじょうごう 念仏ねんぶつほん

 ^0665またいわく*そくよくしょう しゅしょうぼうちゅう *且閣しゃかくしょうどうもん せんにゅうじょうもん よくにゅうじょうもん しょうぞうぎょうちゅう 且抛しゃほうしょぞうぎょう 選応せんおう正行しょうぎょう 欲修よくしゅ正行しょうぎょう しょうじょごうちゅう ぼう助業じょごう 選応せんおうせん正定しょうじょう 正定しょうじょうごうしゃ そくしょうぶつみょう 称名しょうみょう必得ひっとくしょう ぶつ本願ほんがん

 ^またいわくとうしょう之家しけ しょ はんじょう しんのうにゅう

 ^¬せんじゃく本願ほんがん念仏ねんぶつしゅう¼ といふは、 しょうにん (源空)製作せいさくなり。

^南無なも弥陀みだぶつおうじょうごう念仏ねんぶつほん」 といふは、 あんにょうじょうおうじょうしょういん念仏ねんぶつほんとすともうことなりとしるべししょういんといふは、 じょううまれてるゝ ぶつにかならずたねともうすなり。

 ^またいはく、 「そくよくしょう」 といふは、 それすみやかにとくしょうをはなれんとおもへと いふなり。

^しゅしょうぼうちゅう且閣しゃかくしょうどうもん」 といふは、 「しゅしょうぼう」 は、 しょうどうじょうもんなり。 「且閣しゃかくしょうどうもん」 は、 「且閣しゃかく」 はしばらくさしおけとなり、 しばらくしょうどうもんをさしおくべしとなり。

^せんにゅうじょうもん」 といふは、 「せんにゅう」 は0641えらびていれとなり、 よろづの善法ぜんぽうのなかにえらびてじょうもんるべしとなり。

^よくにゅうじょうもん」 といふは、 じょうもんらんとおもはばといふなり。

^しょうぞう0666ぎょうちゅう且抛しゃほうしょぞうぎょう」 といふは、 しょうぞうぎょうふたつのなかに、 しばらくもろもろのぞうぎょうをなげすてさしおくべしとなり。

^選応せんおう正行しょうぎょう」 といふは、 えらびて正行しょうぎょうすべしとなり。

^欲修よくしゅ正行しょうぎょうしょうじょごうちゅうぼう助業じょごう」 といふは、 正行しょうぎょうしゅせんとおもはば、 正行しょうぎょう助業じょごうふたつのなかに助業じょごうをさしおくべしとなり。

^選応せんおうせん正定しょうじょう」 といふは、 えらびて正定しょうじょうごうをふたごころなくしゅすべしとなり。

^正定しょうじょうごうしゃそくしょうぶつみょう」 といふは、 正定しょうじょう業因ごういん0642はすなはちこれぶつみょうとな称するなり。 正定しょうじょういんといふは、 かならずじょうはんのさとりをひらくたねともうすなり。

^称名しょうみょう必得ひっとくしょうぶつ本願ほんがん」 といふは、  仏の御名みなしょうするはかならずあんらくじょうおうじょうるなり、 ぶつ本願ほんがんによるがゆゑなりとのたまへり。

 ^またいはく、 「とうしょう之家しけ」 といふは、 「とう」 はまさにしるべしとなり、 「しょう之家しけ」 はしょういえといふなり。 「しょ」 といふは、 大願だいがん業力ごうりき思議しぎ うたがふこころをもつて、 六道ろくどうしょうじゅうじゅうるいしょう るいしょうといふは一にらんしょう 二にたいしょう 三に湿しっしょう 四にしょう 五にしきしょう 六にしきしょう 七にそうしょう 八にそうしょう 九にしきしょう 十にしきしょう 十一にそうしょう 十二にそうしょう にとどまるなり。 いまにひさしくまよふとしるべしとなり。

^はん0667じょう」 ともう いふ は、 あんにょうじょうせついふ まふす なり、 これをはんのみやことはもうすなり。しんのうにゅう」 といふは、 真実しんじつ しん0643じんをえたるひとのみ如来にょらい本願ほんがんじっぽうによくるとしるべしとのたまへるみことなり。 信心しんじんだいのたねなりじょうはんをさとるたねなりとしるべしとなり。

二 Ⅷ 聖覚法印文

【16】^法印ほういん*聖覚せいかくしょう銘文めいもんのたまはく、

 ^こんどんしゃ きょう漸頓ぜんとん 機有きう奢促しゃそくしゃ ぎょうなん とう しょうどう諸門しょもん ぜんぎょう なんぎょう じょう一宗いっしゅしゃ とんぎょう ぎょう しょ真言しんごんかんぎょう こうじょう難学なんがく 三論さんろん法相ほっそうきょう ようげんめい ねんしゅしゃ 弥陀みだ本願ほんがん 定行じょうぎょういんじゅうねん 善導ぜんどうりょうけん けつりょう三心さんしん すい利智りちしょうじん 専念せんねんじつごん すいもん広学こうがく 信力しんりき不備ふび  ねんだいしょうにん しゃくそん使しゃ 念仏ねんぶつ一門いちもん 善導ぜんどう再誕さいたん かん称名しょうみょういちぎょう 専修せんじゅ専念せんねんぎょう 自此じしぜん けん無余むよごん 在今ざいこん始知しち 然則ねんそくかい罪根ざいこんはい けんにゅうおうじょうどう 下智げち浅才せんさいるい しんじょうもん じょうみょうじょうだいとう 何悲がひげんあん しょう大海だいかいだい船筏せんばつ ぼんごっしょうじゅう

 「*それこんどんあれば、 きょう漸頓ぜんとんあり。 奢促しゃそくあれば、 ぎょうなんあり。 まさにるべし、 しょうどう諸門しょもんぜんぎょうなり、 またなんぎょうなり。 じょういっしゅうとんぎょうなり、 またぎょうなり。 いはゆる真言しんごんかんぎょうこうじょうまなびがたく、 三論さんろん法相ほっそうきょうようまよひやすし。 しかるにわがしゅういたりては、 弥陀みだ本願ほんがんぎょういんじゅうねんさだめ、 善導ぜんどうりょうけんりょう三心さんしんけっす。 利智りちしょうじんにあらずといへども、 専念せんねんまことにつとめやすし、 もん広学こうがくにあらずといへども、 信力しんりきなんぞそなわらざらん。 しかるにわがだいしょうにんしゃくそん使しゃとして念仏ねんぶつ一門いちもんひろめ、 善導ぜんどう再誕さいたんとして称名しょうみょういちぎょうすすめたり。 専修せんじゅ専念せんねんぎょう、 これよりやうやくひろまり、 けん無余むよつとめ、 いまにありてはじめてりぬ。 しかればすなはち、 かい罪根ざいこんともがらかたきしりておうじょうみちり、 下智げち浅才せんさいたぐいひじふるひてじょうもんおもむく。 まことにりぬ、 みょうじょうだいとうなり、 なんぞげんくらきことをかなしまん。 しょう大海だいかいだい船筏せんばつなり、 あにごっしょうおもきことをわずらはんや。」

 ^こんどんしゃ」 といふは、 それしゅじょうこんじょうどんありとなり。 「」 といふはこころのときひとなり、 「どん」 といふはこころのにぶきひとなり

^きょう漸頓ぜんとん」 と0668いふは、 しゅじょうこんじょうにしたがうてぶっきょうぜんとんありとなり。 ぜん」 はやうやく仏道ぶつどうしゅして、 *さんひゃく大劫だいこうをへてぶつるなり。 とん」 はこのしゃかいにして、 このにてたちまちにぶつるともうすなり。 これすなはち*仏心ぶっしん真言しんごん*ほっごんとうのさとりをひらくなり。

^機有きう奢促しゃそくしゃ」 といふは、 0645奢促しゃそくあり。 「しゃ」 はおそきこころなるものあり、 「そく」 はときこころなるものあり。 このゆゑに 「ぎょうなん」 といふは へり ぎょうにつきてなんあり、 ありとなり。 「なん」 はしょうどうもんりきぎょうなり、 「」 はじょうもんりきぎょうなり。

^とうしょうどう諸門しょもんぜんぎょう」 といふは、 すなはちなんぎょうなり、 またぜんぎょうなりとしるべしとなり。

^じょう一宗いっしゅしゃ」 といふは、 とんぎょうなり、 またぎょうなりとしるべしとなり。

^しょ真言しんごんかんぎょう」 といふは、 「真言しんごん」 はみっきょうなり、 「かん」 はほっなり。 *こうじょう難学なんがく」 といふは、 このわれらがひとこころをさるのこころにたとへたるなり。 さるのこころのごとくさだまらずとなり。 このゆゑに真言しんごんほっぎょうは、 しゅ0646しがたくぎょうじがたしとなり。

^三論さんろん法相ほっそうきょうようげんめい」 といふは、 このぶっわれらがぽうしゃまなこをうしひつじのまなこにたとへて、 *三論さんろん法相ほっそうしゅうとうしょうどうりききょうにはまどふべしとのたまへるなり。

^ねんしゅしゃ」 といふは、 聖覚せいかくしょうののたまはく、 「わがじょうしゅう0669は、 弥陀みだ本願ほんがんじっぽうしょういんとして、 ないじっしょういっしょうしょうねんすれば、 じょうだいにいたるとをしへたまふ。 善導ぜんどうしょうおんをしへには、 三心さんしんすればかならず安楽あんらくうまるとのたまへるなり」 (唯信鈔・意) と、 聖覚せいかくしょうののたまへるなり。

^すい利智りちしょうじん」 といふは、 智慧ちえもなくしょうじんにもあらず、 鈍根どんこんだいのものも、 専修せんじゅ専念せんねん信心しんじんをえつればおうじょうすとこころうべしとなり。

^ねんだいしょうにん」 といふは、 聖覚せいかくしょうは、 しょうにん (源空) をわがだいしょうにんあおぎたのみたまふことばなり。

^しゃくそん0647使しゃ念仏ねんぶつ一門いちもん」 といふは、 源空げんくうしょうにんしゃ如来にょらいおんつかひとして念仏ねんぶつ一門いちもんひろめたまふとしるべしとなり。

^善導ぜんどう再誕さいたん かん称名しょうみょういちぎょう」 といふは、 しょうにん*善導ぜんどうしょうしんとして称名しょうみょういちぎょうすすめたまふなりとしるべしとなり。

^専修せんじゅ専念せんねんぎょう自此じしぜんけん無余むよごん」 といふは、 一向いっこう専修せんじゅもうすことはこれよりひろまるとしるべしとなり。

^然則ねんそくかい罪根ざいこんはいけんにゅうおうじょうどう」 といふは、 然則ねんそく」 はしからしめて、 このじょうのならひにて、 かいかいひと罪業ざいごうふかきもの、 みなおうじょうすとしるべしとなり。

^下智げち浅才せんさいるいしんじょうもん」 といふは、 無智むちさいのものはじょうもん0648おもむくべしとなり。

^じょうみょうじょうだいとう何悲がひげんあん」 といふは、 じょう0670」 はまことにしりぬといふ。 弥陀みだ誓願せいがんみょうじょうのおほきなるともしびなり、 なんぞ智慧ちえのまなこくらしとかなしまんやとおもへとなり。

^しょう大海だいかいだい船筏せんばつぼんごっしょうじゅう」 といふは、 弥陀みだ願力がんりきしょう大海だいかいのおほきなるふねいかだなり。 極悪ごくあくじんじゅうなりとなげくべからずとのたまへるなり。

^しょうきょうじゅ恩徳おんどく↡ 実等じつとう弥陀みだがんしゃ (つらつらきょうじゅ恩徳おんどくおもふにまことに弥陀みだがんひとしきもの)」 といふは、 しゅのをしへをおもふに、 弥陀みだがんひとしとなり。 だいしょうにん (源空)おんをしへのおんおもくふかきことをおもひしるべしとなり。

^粉骨ふんこつほう摧身さいしんしゃ」 といふは、 だいしょうにんおんをしへの恩徳おんどくのおもきことをしりて、 ほねにしてもほうずべしとなり くだきてもおんどくむくふべしとなり。 よくよく0649このしょう (聖覚) のこのをしへをらんじしべしと。

二 Ⅷ 親鸞聖人文

【17】^ちょう禿とくしゃくの*親鸞しんらん *しょうしん もんにいはく、

 ^本願ほんがんみょうごう正定しょうじょうごう しんしんぎょうがんいん じょう等覚とうがくしょうだいはん ひっめつがんじょうじゅ 如来にょらいしょこうしゅつ 唯説ゆいせつ弥陀みだ本願ほんがんかい じょくあくぐんじょうかい 応信おうしん如来にょらい如実にょじつごん 能発のうほつ一念いちねんあいしん だん煩悩ぼんのうとくはん ぼんじょうぎゃくほうさいにゅう にょ衆水しゅすいにゅうかいいち 摂取せっしゅ心光しんこうじょうしょう のうすいみょうあん 貪愛とんない瞋憎しんぞううん じょう*真実しんじつ信心しんじんてん にょにっこう0671*うん うんみょうあん *ぎゃくしんけんきょうとくだいきょう そくおうちょうぜつ悪趣あくしゅ

 ^ほん0650がんみょうごう正定しょうじょうごう」 といふは、 せんじゃく本願ほんがんぎょうといふなり。

^しんしんぎょうがんいん」 といふは、 弥陀みだ如来にょらいこう真実しんじつ信心しんじんなり、 この信心しんじんのくだいいんとすべしとなり。

^じょう等覚とうがくしょうだいはん」 といふは、 「じょう等覚とうがく」 といふは正定しょうじょうじゅくらいなり。 このくらいりゅうじゅさつは 「そくにゅうひつじょう(易行品) とのたまへり、 曇鸞どんらんしょうは 「にゅう正定しょうじょうじゅ(論註・上意) とをしへたまへり。 これはすなはちろくくらいとひとしとなり。 ^しょうだいはん」 ともうすは、 ひっめつがん (第十一願) じょうじゅのゆゑにかならずだいはつはんをさとるとしるべし。めつ」 ともうすは、 だいはんなり。

^如来にょらいしょこうしゅつ」 といふは、 諸仏しょぶつでたまふゆゑもうすみのりなり。

^唯説ゆいせつ弥陀みだ本願ほんがんかい」 ともう いふ は、 諸仏しょぶつでたまふ *本懐ほんがいは、 ひとへに弥陀みだ願海がんかい*いちじょうみのかんとなり。 しかれば0651 ¬だいきょう¼ (上) には、 「*如来にょらいしょ こうしゅつ於世おせ よくじょう群萌ぐんもう 真実しんじつ之利しり」 ときたまへり。如来にょらいしょこうしゅつ於世おせ」 は、 ^*如来にょらい」 ともうすは諸仏しょぶつもうすなり。 「しょ」 といふはゆゑといふみことなり。 「こうしゅつ於世おせ」 といふはぶつでたまふともうすみことなり。 「よくじょう群萌ぐんもう」 は、 「よく」 といふはおぼしめすとなり。 「じょう」 はすくはんと0672なり。 「群萌ぐんもう」 はよろづのしゅじょうをすくはんとおぼしめすとなり。 ぶつでたまふゆゑは、 弥陀みだおんちかひをきてよろづのしゅじょうをたすけすくはんとおぼしめすとしるべし。

^じょくあくぐんじょうかい応信おうしん如来にょらい如実にょじつごん」 といふは、 じょくあくよろづのしゅじょうしゃ如来にょらい このみことをふか0652信受しんじゅすべしとなり。

^能発のうほつ一念いちねんあいしん」 といふは、のう」 はよくといふ。 「ほつ」 はおこすといふ、 ひらくといふ。 一念いちねんあいしん」 は*一念いちねんきょう真実しんじつしんじんよくひらけ 発すれば かならず本願ほんがんじっぽううまるとしるべし。 きょうといふは、 しんをえてのちよろこぶこころをいふなり。

^だん煩悩ぼんのうとくはん」 といふは、だん煩悩ぼんのう煩悩具足せるわれら、 煩悩ぼんのうをたちすてずしてといふ。 「とくはん」 ともうすはじょうだいはんをさとるをにいたるなりうるとしるべし。

^ぼんじょうぎゃくほうさいにゅう」 といふは、 *小聖しょうしょうぼんぎゃく謗法ほうぼうかい闡提せんだい、 みなしんして真実しんじつ信心しんじんかいにゅうしぬれば、 衆水しゅすいかいりてひとつあじはひとなるがごとしとたとへたるなり。 これを 「にょ衆水しゅすいにゅうかいいち」 といふなり。

^摂取せっしゅ心光しんこうじょうしょう」 といふは、 信心しんじんをえたるひとをば、 無礙むげこうぶつ心光しんこうつねにらしまもりたまふゆゑに、 0653みょうやみはれ、 しょうのながきすでにあかつきになりぬとしるべしとなり。 「のうすいみょうあん」 といふはこのこころなり。 信心しんじんをうればあかつきになるがごりぬとしとしるべし0673

^貪愛とんない瞋憎しんぞううんじょう真実しんじつ信心しんじんてん」 といふは、 われらが貪愛とんない瞋憎しんぞうくもきりにたとへて、 たり、 貪愛のくも瞋憎のきりつねに信心しんじんてんおおへるなりとしるべし。

^にょ*日月にちがつうんうんみょうあん」 といふは、 日月にちがつくもきりおおはるれども、 やみはれてくもきりしたあきらか あかき なるがごとく、 貪愛とんない瞋憎しんぞうくもきり信心しんじんおおはるれども、 おうじょうにさはりあるべからずとしるべしとなり。

^ぎゃくしんけんきょうとくだいきょう」 といふは、 この信心しんじん0654をえておほきによろこびうやまふひとといふなり。 *だいきょう」 はおほきにうべきことをえてのちによろこぶといふなり。

^そくおうちょうぜつ悪趣あくしゅ」 といふは、 信心しんじんえつ  う  ればすなはちおう悪趣あくしゅをきるなりとしるべしとなり。 ^そくおうちょう といふは、そく」 はすなはちといふ、 しんをうるひとはときをへずをへだてずして正定しょうじょうじゅくらいさだまるをそくといふなり。 おう」 はよこさまといふ、 如来にょらい願力がんりきなりりきもうすなり。 「ちょう」 はこえてといふ、 しょう大海だいかいをやすくよこさまにえてじょうだいはんさとりをひみやこにいるらくなり

^信心しんじんじょうしゅうしょうとしるべきなり。 このこころをえつれば、りき*なきをもつてとすほんしょうにん (源空)おおせごとなり。 「」 といふは、 ぎょうじゃおのおののはからふこころなり。 このゆゑにおのおののはからふこころをもたるほどをばりきといふ0655なり。 よくよ0674このりきのやうをこころうべしとなり

 

^*しょうさいつちのえうま六月ろくがつじゅう八日はちにちこれをく。

禿とく親鸞しんらんはちじゅう六歳ろくさい

*建長七歳乙卯六月二日

禿とく親鸞しんらんはちじゅう三歳ろくさい 書写之

 

底本は高田派専修寺蔵正嘉二年親鸞聖人真筆本ˆ聖典全書と同一ˇ。 なお、 黄色は「略本」(と重なる部分)を示す。
みえたり 「安養といふは…」 の意は ¬讃弥陀偈¼ にもとづいているので 「みえたり」 という。
五悪趣のきづな 五種の迷いの世界につなぎとめる網。 →悪趣あくしゅ
脚注を本文に展開した。 ルビは有国。
五十二菩薩 勢至菩薩とともに ¬しゅりょうごんぎょう¼ の会座えざに列なった菩薩たち。
因地 ここでは勢至菩薩がまだ無生法忍の果を得ていない時の意。
光如来 「無礙光如来」 を通常ならば 「無礙光」 「如来」 と分節するのを親鸞聖人はあえて 「無礙」 「光如来」 と分節している。 「この如来は光明なり」 という旨を強調するためであろう。
三部の経典 ¬大経¼ ¬観経¼ ¬小経¼ の浄土三部経のこと。
みそなはす (天親てんじん菩薩が) 御覧になる。
斉朝曇鸞和尚真像銘文 ざい (七世紀中頃) の ¬浄土論¼ (下) の一節を抄出して、 少々文字を添削したもの。 本山蔵宗祖加点本『論註¼ 奥書にも同文のものが記されているが、 訓点はやや異なる。
振り仮名の体裁で示されていた訓を、 別書きにした。
汶水 通常は 「ぶんすい」 と読む。
 (386-534) 鮮卑族のたく跋珪ばつけい (道武帝) がへいじょう (現在の山西さんせい大同だいどう) を都にして建てた国。 494年、 洛陽らくように遷都し、 534年、 内紛によって東魏、 西魏に分裂した。
 (550-577) 中国南北朝時代の北朝の一。 550年、 高洋こうよう (文宣帝) が東魏の孝静こうせいていから帝位を奪って建てた。 577年、 ほくしゅうの武帝に滅ぼされた。 南朝の斉と区別して北斉といい、 また王室が高姓であるため高斉とも呼ばれる。
 (502-557) 南朝の一でしょうえん (武帝) が南斉なんせいの禅譲をうけて健康けんこう (現在の南京) を都にして建てた国。 557年、 ちんに滅ぼされた。
唐朝 (618-907) 唐国公のえん (高祖) がずいの三世恭帝の禅譲を受けて建てた中国の統一王朝。 都は長安。
智栄 伝未詳。 ¬ちょう西さいろく¼ (下) に 「専修浄業記一巻」 の著者として智栄の名が出るが、 同異不明。 法然ほうねん上人の 「無量寿経釈」 (¬かんとうろく¼ 巻一所収) に善導ぜんどうだいの義を補助するものとして七人を挙げる中の一人。
仏をほめたてまつるになる 本願を信じて念仏すれば仏を讃嘆していることになる。 念仏は讃嘆の徳をもつぎょうごうとして私たちに与えられているので、 「…になる」 という。 以下、 さん等について 「…になる」 というのも同様の意。
釈迦弥陀の二尊の勅命 釈迦がしゅじょうに浄土往生をすすめ (発遣はっけん)、 阿弥陀仏が衆生を浄土へ来れと招きよぶこと (しょうかん)。
わかず 区別せず。
悪鬼悪神 仏法修行をさまたげ、 しゅじょうを悩害するしゃせつなどの鬼神。
御縁起 阿佐あさ太子の礼讃らいさんの文は ¬しょうとくたいでんりゃく¼ および ¬じょうぐうたいぎょ¼ (¬三宝さんぼうことば¼ よりの抜書) にほぼ同文のものがある。 にちの礼讃の文は ¬聖徳太子伝暦¼ に同文のもの、 ¬上宮太子御記¼ にほぼ同文のものがある。 なお、 聖徳太子の作と伝えられるものに ¬天王てんのう手印しゅいんえん¼ があるが、 これには該当する文は見当らない。
百済国 (4世紀中頃-660) クダラ国。 朝鮮半島の西南部に拠った国。
聖明王 (在位523-554) 百済くだら第二十六代の国王。 538年 (一説には552年)、 日本に仏教を伝えた。 後に新羅しらぎと戦って敗死した。
わたらせたまひ 「わたらせたまふ」 は、 おありになる、 いらっしゃるの意。
阿佐太子 ¬日本書紀¼ すい天皇五年 (597) 四月条にその名がみえる。
新羅国 (4世紀-935) シラギ国。 朝鮮半島の古王国。 4世紀に辰韓しんかん諸国を統合して成立。 668年、 朝鮮全土を統一した。 935年、 五十六代で高麗こうらいに滅ぼされた。
日羅 (6世紀) ¬日本書紀¼ の記述では、 だつ天皇の要請で来朝した百済くだらの日系官人。
さへらる さえぎられる。
ものうきことましまさず 飽きることがない。 ここでは見捨てたもうことなくの意。
四明山 えいざんの別名。
脚注を本文に展開した。 ルビは有国。
建暦壬申… 建暦壬申は建歴二年 (1212)。 同年三月一日は法然ほうねん上人じゃく後五七日 (三十五日) にあたるので、 「普勧…」 の文はその法要の表白文とみられる。
宝幢院 ここでは西塔 (えいざん三塔の一) の総称。
夫速欲離生死… この文は ¬せんじゃくしゅう¼ 十六章の内容を要約したもので、 「三選の文」 また 「略選択¼ などと呼ばれる。 なお、 三選とは、 浄土門を選びとる第一選、 正行を選びとる第二選、 正定業を選びとる第三選を指していう。
 底本には 「たん」 とある。 ¬真宗法要¼ 所収本 (建長本) によって 「しゃ」 と読み改めた。 以下の 「且」 も同じ。
脚注を本文に展開した。 高田派専修寺蔵宗祖真跡 「聖覚法印表白文」。 ルビは有国。
善導和尚の御身 善導ぜんどうだいの後身。 生まれかわり。
和朝 日本。
 底本には 「ふく」 とある。 ¬真宗法要¼ 所収本 (建長本) によって 「」 と読み改めた。
獲信見敬得大慶 この句は本山蔵および専修せんじゅ蔵の ¬教行信証¼ では 「獲信見敬大慶喜」 となっている。 また大谷派本願寺蔵本 (坂東本) では 「見敬得大慶喜人」 を抹消して 「獲信見敬大慶人」 と改めている。
如来所以… ¬大経¼ の原文は 「如来、 がいの大悲をもって三界さんがいを矜哀したまふ。 世に出興するゆゑは、 道教を光闡こうせんして、 群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり」 となっている。 「道教を光闡して」 の語を省略したのは、 道教を出世の本意ではない聖道教とみたためであろう。
如来と申すは… 阿弥陀仏の本願の救いを説くのは、 釈尊だけでなく、 すべての仏の出世の本意であるということを示す。
一念 時剋の一念を指すとする説と信相の一念を指すとする説とがある。 →しん一念いちねん
日月 前掲の文では 「日光」 となっている。
大慶は… 親鸞聖人は慶 (慶喜・慶楽) をすでにわが身の上に実現していることがら (現生で正定しょうじょうじゅの位に入ること) をよろこぶ意とし、 歓喜を必ず実現すると定まっていることがら (往生成仏の果) を待望してよろこぶ意とする。
義のなきをもつて義とす →なきをとす