0279◎無量寿経釈 まさしく善導によりかたはらに諸師ならびに愚懐を述ぶ
天臺黒谷沙門源空記
◎▲まさにこの ¬経¼ を釈せんとするに、 略して五意あり。 一には↓大意、 二は↓立教開宗、 三には↓浄教の不同、 四には↓釈名、 五には↓入文解釈なり。
◎将ニ↠釈セント↢此ノ¬経ヲ¼↡、略シテ有↢五意↡。一ニ者大意、二ハ立教開宗、三ニハ浄教ノ不同、四ニハ釈名、五ニハ入文解釈ナリ。
大意
一に↑大意とは、 釈迦無勝浄土を捨ててこの穢土に出でたまふ事は、 もと浄土の教を説きて衆生を勧進して浄土に生ぜしめんがためなり。 弥陀如来穢土を捨ててかの浄土に出でたまふ事は、 もと穢土の衆生を導きて浄土に生ぜしめんがためなり。 これすなはち諸仏の浄土に出でて穢土に出でまします御本意なり。 善導釈して (玄義分) いはく、 「釈迦はこの方より発遣す」 と。 云々 これすなはちこの ¬経¼ の大意なり。
一ニ大意ト者、釈迦捨テヽ↢無勝浄土ヲ↡出タマフ↢此ノ穢土ニ↡事ハ、本説テ↢浄土之教ヲ↡勧↢進シテ衆生ヲ↡為ナリ↠令ンガ↠生↢浄土ニ↡。弥陀如来捨テヽ↢穢土ヲ↡出↢彼ノ浄土ニ↡事ハ、本導テ↢穢土ノ衆生ヲ↡為ナリ↠令↠生↢浄土ニ↡。是則チ諸仏ノ出テ↢浄土ニ↡出マス↢穢土ニ↡御本意也。善導釈云、「▲釈迦ハ此方ヨリ発遣ス。」云云 是則チ此ノ¬経ノ¼大意也。
立教開宗
二に↑立教開宗とは、 また分ちて二となす。 一には↓諸宗の立教の不同、 二は↓まさしく二教を立つ。
二ニ立教開宗ト者、亦分テ為ス↠二ト。一ニハ諸宗ノ立教ノ不同、二ハ正ク立ツ↢二教ヲ↡。
立教開宗 諸宗立教不同
一に↑諸宗の立教の不同とは、 法相には三時 云々。 三論には二蔵 云々。 天台にはあるいは五味、 あるいは四教なり 云々。 花厳には五教、 あるいは十宗 云々。 真言にはあるいは二教、 あるいは十住心 云々。
一ニ諸宗ノ立教ノ不同ト者、法相ニハ三時 云云。三論ニハ二蔵 云云。天臺ニハ或ハ五味、或ハ四教ナリ 云云。花厳ニハ五教、或ハ十宗 云云。真言ニハ或二教、或ハ十住心 云云。
立教開宗 正立二教
二に↑まさしく二教を立つとは、 綽禅師の意、 略して二教を立ててもつて仏教を判ず。 一には聖道の教、 二には浄土の教なり。 一に聖道の教とは、 もしは小乗、 もしは大乗、 もしは顕教、 もしは密教のなか 云々。 二に浄土の教とは、 小乗のなかにはまつたく浄土の法門を説かず。 大乗のなかには多く往生浄土の法を説く、 これを名づけて浄土の教といふ。 いまこの ¬経¼ はまさしくこれ浄土の教に摂す↢ 云々。
二ニ正ク立↢二教↡者、綽0280禅師ノ意、略シテ立テ↢二教ヲ↡以テ判ズ↢仏教ヲ↡。一ニハ聖道ノ教、二ニハ浄土ノ教ナリ。一ニ聖道教ト者、若ハ小乗、若ハ大乗、若ハ顕教、若ハ密教ノ中 云云。二ニ浄土ノ教ト者、小乗ノ中ニハ全ク不↠説↢浄土ノ法門ヲ↡。大乗ノ中ニハ多ク説↢往生浄土ノ法ヲ↡、名テ↠之ヲ謂↢浄土教ト↡。今此ノ¬経ハ¼正是摂ス↢浄土ノ教ニ↡ 云云。
次に 「横截五悪趣」 (大経巻下) の文をもつて、 二門を分別するなり。 そもそも三乗・四乗の聖道は、 正像すでに過ぎて末法に至るより、 ただ教のみありて行証なし。 ゆゑに末法の近来は断惑証理なし。 断惑証理なきがゆゑに、 これをもつて生死を出づる輩なし。 往生浄土の法門は、 いまだ煩悩の迷を断ぜずといへども、 弥陀の願力によりて極楽に生ずるもの、 永く三界を離れて六道生死を出づ。 ゆゑに往生浄土の法、 これいまだ断惑せずして三界を出づる法なり 云々。
次ニ以テ↢「▲横截五悪趣ノ」文ヲ↡、分↢別スル二門ヲ↡也。抑モ三乗・四乗ノ聖道ハ、正像既ニ過テ至ヨリ↢末法ニ↡、但有テ↠教ノミ無シ↢行証↡。故ニ末法ノ近来ハ無↢断惑証理↡。無ガ↢断惑証理↡故ニ、以テ↠之ヲ無シ↧出ル↢生死ヲ↡之輩↥。往生浄土之法門ハ、雖↠未ダ↠断↢煩悩之迷ヲ↡、依テ↢弥陀ノ願力ニ↡生ズル↢極楽ニ↡者、永ク離テ↢三界ヲ↡出↢六道生死↡。故往生浄土之法、是未↢断惑↡出↢三界↡法 云云。
ゆゑに末代の出離生死・往生浄土、 さらにもつて階ふべからざる事なるがゆゑに、 心あらん人、 もし生死を出でんと欲せば、 かならず浄土の門に帰すべし。
故ニ末代ノ出離生死・往生浄土、更ニ以テ不↠可↠階事ナルガ故ニ、有ラン↠心之人、若欲↠出ント↢生死ヲ↡者、必ズ可↠帰ス↢浄土ノ門ニ↡。
ゆゑに道綽禅師 (安楽集巻下) この ¬経¼ の 「横截五悪趣」 の文を釈していはく、 「もしこの方の修治断除によらば、 まづ見惑を断じて三塗の因を離れ、 三塗の果を滅す。 後に修惑を断じて人天の果を離る。 これみな漸次の断除にして、 横截と名づけず。 もし弥陀の浄国に往生することを得れば、 娑婆の五道一時にたちまちに捨つ。 ゆゑに横截と名づく。 截は五悪趣のその果を截るなり」 と。
故ニ道綽禅師釈テ↢此ノ¬経ノ¼「横截五悪趣ノ」文ヲ↡云ク、「▲若依バ↢此ノ方ノ修治断除ニ↡、先ヅ断テ↢見惑ヲ↡離レ↢三塗ノ因ヲ↡、滅ス↢三塗果ヲ↡。後ニ断テ↢修惑ヲ↡離レ↢人天ノ果ヲ↡。此皆漸次ノ断除ニシテ、不↠名↢横截ト↡。◆若得レバ↣往↢生コトヲ弥陀ノ浄国ニ↡、娑婆ノ五道一時ニ頓ニ捨ツ。◆故ニ名↢横截ト↡。截ハ五悪趣ノ截ル↢其ノ果↡也。」
天台・真言みな頓教と名づくといへども、 惑を断ずるがゆゑになほこれ漸教なり。 いまだ惑を断ぜずして三界の長き迷を出過するがゆゑに、 この教をもつて▼頓中の頓とするなり。
天臺・真言皆雖↠名↢頓教↡、断ルガ↠惑ヲ故ニ猶是漸教也。未ダ↠断↠惑ヲ出↢過スルガ三界之長迷ヲ↡故ニ、以テ↢此ノ教ヲ↡為ル↢頓中ノ頓ト↡也。
浄教不同
三に↑浄教の不同とは、 往生教において根本あり、 また枝末あり。 たとへば真言のごとし 云々。 この ¬経¼ をもつて根本と名づけ、 余経をもつて枝末と名づく 云々。 またこの ¬経¼ をもつてまさしく往生の教と名づけ、 余経をもつてかたはらに往生の教と名づく 云々。 またこの ¬経¼ をもつて有所往生の教と名づけ、 他経をもつて無所往生の教と名づく 云々。 またこの ¬経¼ をば往生具足の教と名づけ、 他経をば不具足の教と名づく。
三0281ニ浄教ノ不同ト者、於↢往生教ニ↡有↢根本↡、亦有↢枝末↡。例バ如↢真言ノ↡ 云云。以テ↢此ノ¬経ヲ¼↡名ケ↢根本ト↡、以テ↢余経ヲ↡名ク↢枝末ト↡ 云云。亦以テ↢此ノ¬経ヲ¼名ケ↢正往生ノ教ト↡、以テ余経ヲ↡名ク↢傍往生ノ教↡ 云云。亦以テ↢此ノ¬経ヲ¼↡名↢有所往生ノ教ト↡、以テ↢他経ヲ↡名ク↢無所往生ノ教ト↡ 云云。亦此ノ¬経ヲバ¼名ケ↢往生具足ノ教ト↡、他経ヲバ名ク↢不具足ノ教ト↡。
釈名
四に↑釈名とは 云々。
四ニ釈名ト者 云云。
入文解釈
五に↑入文解釈とは、 この ¬経¼ 一部二巻、 分ちて三段となす。 はじめ 「我聞如是」 より 「願楽欲聞」 に至るまでは、 これ↓序分なり。 次に 「乃往過去久遠無量」 より下巻の 「略説之耳」 に至るまでは、 これ↓正宗なり。 次に 「其有得聞彼仏名号」 より 「靡不歓喜」 に至るまでは、 これ*流通なり。
五ニ入文解釈ト者、此ノ¬経¼一部二巻、分テ為ス↢三段ト↡。始メ自↢「▲我聞如是」↡至マデハ↢于「願楽欲聞ニ▲」↡、此序分也。次ニ自↢「▲乃往過去久遠無量」↡至デハ↢于下巻ノ「略説之耳ニ▲」↡、是正宗也。次ニ自リ↢「▲其有得聞彼仏名号」↡至デハ↢于「靡不歓喜ニ▲」↡、是流通也。
入文解釈 序
はじめに↑序につきて通あり別あり。 通とは 云々。 別とは 云々。
始付テ↠序ニ有↠通有↠別。通ト者 云云。別ト者 云云。
入文解釈 正宗分
次に↑正宗につきて、 略して四段あり。 一には↓四十八願の興意、 二には↓依願修行、 三には↓所得の依正、 四には↓往生の行業なり。
次ニ付テ↢正宗ニ↡、略有リ↢四段↡。一ニハ四十八願ノ興意、二ニハ依願修行、三ニハ所得ノ依正、四ニハ往生ノ行業ナリ。
入文解釈 正宗分 四十八願興意
一に↑四十八願の興意といふは、 ¬双巻経¼ (大経巻上意) にいはく、 「乃往過去久遠無量不可思議劫に、 仏世に出でたまふあり、 錠光如来と名づく 云々。 次の仏をば光遠と名づく。 乃至第五十三の仏をば処世如来と名づく 云々。
一ニ四十八願ノ興意トイハ、○¬双巻経¼云、「乃往過去久遠無量不可思議劫ニ、有リ↢仏出↟世、名ク↢錠光如来↡ 云云。次ノ仏ヲバ名ク↢光遠ト↡。乃至第五十三ノ仏ヲバ名ク↢処0282世如来ト↡ 云云。
その次に仏ましまして、 世自在王如来と名づく↢ 云々。
◇其ノ次ニ在シテ↠仏、名ク↢世自在王如来ト↡ 云云。
時に国王あり。 離垢浄王か、 無諍念王か、 所詮一体異名なり。 仏の所説を聞きて、 無上の道心を発す、 すなはち金輪の位を棄てて、 行じて沙門となり、 万乗の機を辞して、 無上道を求む。 高才勇哲にして、 世と超異せり。 号して法蔵といふ。 世自在王如来の所に詣でて、 乃至
◇時ニ有↢国王↡。離垢浄王歟、無諍念王歟、所詮一体異名也。聞↢仏ノ所説↡、発ス↢無上ノ道心ヲ↡、即棄テヽ↢金輪之位ヲ↡、行テ作↢沙門↡、辞↢万乗之機ヲ↡、求ム↢無上道ヲ↡。高才勇哲ニシテ、与↠世超異セリ。号テ曰↢法蔵ト↡。詣テ↢世自在王如来ノ所ニ↡、乃至
ここにおいて世自在王仏、 すなはちために広く二百一十億の諸仏の刹土の人天の善悪、 国土の麁妙を説きて、 その心願に応じてことごとく現じてこれを与ふ。
◇於是世自在王仏、即為ニ広ク説テ↢二百一十億諸仏ノ刹土ノ人天之善悪、国土之麁妙ヲ↡、応ジテ↢其ノ心願ニ↡悉ク現テ与フ↠之ヲ。
時にかの比丘仏の所説の厳浄の国土を聞きて、 みなことごとく覩見して無上殊勝の願を超発す。 その心寂静にして志所著なきこと、 一切の世間によく及ぶものなし。 五劫を具足し、 思惟して荘厳仏国の清浄の行を摂取す。
◇時ニ彼ノ比丘聞↢仏ノ所説ノ厳浄ノ国土ヲ↡、皆悉ク覩見シテ超↢発ス無上殊勝之願ヲ↡。其ノ心寂静ニシテ志無コト↢所著↡、一切ノ世間ニ無↢能ク及ブ者↡。具↢足シ五劫ヲ↡、思惟シテ摂↢取ス荘厳仏国ノ清浄之行ヲ↡。
阿難仏にまうさく、 かの仏の国土の寿量いくばくかと。 仏ののたまはく、 その仏の寿命四十二劫なりと。 時に法蔵比丘二百一十億の諸仏の妙土の清浄の行を摂取す。」 と。 以上
◇阿難白ク↠仏ニ、彼ノ仏ノ国土ノ寿量幾何ク。仏ノ言ク、其仏寿命四十二劫ナリ。時ニ法蔵比丘摂↢取ス二百一十億諸仏ノ妙土ノ清浄之行ヲ↡。」已上
また ¬大阿弥陀経¼ (巻上) にいはく、 「その仏すなはち二百一十億の仏の国土のなかの諸天・人民の善悪、 国土の好醜を選択して、 ために心中所欲の願を選択す。
◇又¬大阿弥陀経ニ¼云ク、「其ノ仏即選↢択シテ二百一十億ノ仏ノ国土ノ中ノ諸天・人民之善悪、国土之好醜ヲ↡、為ニ選↢択ス心中所欲ノ願↡。
楼夷亘羅仏 ここには世自在王仏といふ 経を説きおはりぬ。 曇摩迦 ここには法蔵といふ すなはちその心を一にして、 すなはち天眼を得て徹視し、 ことごとくみづから二百一十億の諸佛の国土のなかの、 諸天・人民の善悪、 国土の好醜を見、 すなはち心中の所願を選択して、 すなはちこの二十四願経を結び得たり。 ¬平等覚経¼ またこれに同じ
◇楼夷亘羅仏 此ニハ云↢世自在王仏ト↡ 説キ↠経ヲ畢ヌ。曇摩迦 此ニハ云↢法蔵↡ 便ニ一シテ↢其心ヲ↡、即得テ↢天眼ヲ↡徹視、悉ク自ラ見↢二百一十億ノ諸佛ノ国土ノ中ノ、諸天・人民之善悪、国土之好醜ヲ↡、即選↢択心中ノ所願ヲ↡、便チ結ビ↢得タリ是ノ二十四願経ヲ↡。¬平等覚経¼亦復同↠之
このなかに選択とは、 すなはちこれ取捨の義なり。 いはく二百一十億の諸佛の浄土のなかに、 人天の悪を捨てて人天の善を取り、 国土の醜を捨てて国土の好を取るなり。 ¬大阿弥陀経¼ の選択の義かくのごとし。 ¬双巻経¼ の意また選択の義ありといへり。 「二百一十億の諸仏の妙土の清浄の行を摂取す」 といふ、 これなり。
◇此ノ中ニ選択ト者、即是取捨ノ義也。謂ク於0283↢二百一十億ノ諸佛ノ浄土ノ中ニ↡、捨テ↢人天之悪ヲ↡取↢人天之善ヲ↡、捨テヽ↢国土ノ之醜ヲ↡取ル↢国土之好ヲ↡也。¬大阿弥陀経¼選択ノ義如シ↠是ノ。¬双巻経ノ¼意亦有↢選択ノ義↡謂リ。云↣「摂↢取スト二百一十億諸仏ノ妙土ノ清浄之行ヲ↡」、是也。
選択と摂取とその言異なりといへども、 その意これ同じ。 しかれば不清浄の行を捨てて、 清浄の行を取るなり。 上の天人の善悪、 国土の麁妙、 その義またしかなり。 これに准じて知るべし。
◇選択ト与↢摂取↡其ノ言雖モ↠異ナリト、其ノ意是同ジ。然バ者捨テ↢不清浄ノ行ヲ↡、取ル↢清浄行ヲ↡也。上ノ天人之善悪、国土之麁妙、其ノ義亦然ナリ。准ジテ↠之ニ応シ↠知ル。
それ四十八願に約して、 一往おのおの選択摂取の義を論ぜば、 第一に無三悪趣の願とは、 覩見するところの二百一十億の土のなかにおいて、 あるいは三悪趣ある国土あり。 あるいは三悪趣なき国土あり。 その三悪趣ある麁悪の国土を選び捨てて、 その三悪趣なき善妙の国土を選び取る。 ゆゑに選択といふなり。
◇夫約シテ↢四十八願ニ↡、一往各論↢選択摂取之義ヲ↡者、◇第一ニ無三悪趣ノ願ト者、於テ↧所↢覩見スル↡之二百一十億ノ土ノ中ニ↥、或ハ有↧有ル↢三悪趣↡之国土↥。或ハ有↧無キ↢三悪趣↡之国土↥。選ビ↧捨テヽ其ノ有ル↢三悪趣↡麁悪ノ国土ヲ↥、選ビ↧取ル其ノ無↢三悪趣↡善妙ノ国土ヲ↥。故ニ云↢選択ト↡也。
第二に不更悪趣の願とは、 かのもろもろの仏土のなかにおいて、 あるいはたとひ国中に三悪道なしといへども、 その国の人天寿終の後に、 その国土より去りてまた三悪趣に更る土あり。 あるいは悪道に更らざる土あり。 すなはちその悪道に更る麁悪の国土を選び捨てて、 その悪道に更らざる善妙の国土を選び取る。 ゆゑに選択といふなり。
◇第二ニ不更悪趣ノ願ト者、於↢彼ノ諸ノ仏土ノ中ニ↡、或ハ有↧縦ヒ雖↣国中ニ無ト↢三悪道↡、其ノ国ノ人天寿終之後ニ、従↢其ノ国土↡去テ復更ル↢三悪趣ニ↡之土↥。或ハ有↧不ル↠更ラ↢悪道ニ↡之土↥。即選ビ↧捨テヽ其ノ更ル↢悪道ニ↡麁悪ノ国土ヲ↥、選↧取ル其ノ不ル↠更ラ↢悪道ニ↡善妙ノ国土ヲ↥。故ニ云↢選択ト↡也。
第三に悉皆金色の願とは、 かの諸土のなかにおいて、 あるいは一つの土のなかに黄白二類の人天ある国土あり、 あるいは純黄金色の国土あり。 すなはち黄白二類の麁悪の国土を選び捨てて、 すなはち黄金一色の善妙の国土を選び取る。 ゆゑに選択といふなり。
◇第三ニ悉皆金色ノ願ト者、於↢彼ノ諸土ノ中ニ↡、或ハ有ニ↧一ノ土之中ニ有ル↢黄白二類人天↡之国土↥。或ハ有↢純黄金色之国土↡。即選↢捨テヽ黄白二類ノ麁悪ノ国土ヲ↡、即チ選ビ↢取ル黄金一色ノ善妙ノ国土ヲ↡。故ニ云↢選択ト↡也。
第四に無有好醜の願とは、 かの諸仏の土のなかにおいて、 あるいは人天の形色好醜不同の国土あり。 あるいは形色一類にして好醜あることなき国土あり。 すなはち好醜不同の麁悪の国土を選び捨てて、 無有好醜の善妙の国土を選び取る。 ゆゑに選択といふなり。
◇第四ニ無有好醜ノ願0284ト者、於↢彼ノ諸仏ノ土ノ中ニ、或ハ有↢人天形色好醜不同之国土↡。或ハ有↧形色一類ニシテ無キ↠有ルコト↢好醜↡之国土↥。即選↢捨テヽ好醜不同麁悪ノ国土ヲ↡、選ビ↢取ル無有好醜善妙国土ヲ↡。故ニ云↢選択ト↡也。
乃至第十八の念仏往生の願とは、 かの諸仏の土のなかにおいて、 あるいは布施をもつて往生の行とする土あり。 あるいは持戒をもつて往生の行とする土あり。 あるいは忍辱をもつて往生の行とする土あり。 あるいは精進をもつて往生の行とする土あり。 あるいは禅定をもつて往生の行とする土あり。 あるいは般若 第一義を信ずる等これなり をもつて往生の行とする土あり。
◇乃至第十八念仏往生ノ願ト者、於↢彼ノ諸仏ノ土ノ中ニ、或ハ有↧以テ↢布施ヲ↡為ル↢往生ノ行ト↡之土↥。或ハ有↧以テ↢持戒ヲ↡為ル↢往生ノ行ト↡之土↥。或ハ有↧以テ↢忍辱ヲ↡為ル↢往生ノ行ト↡之土↥。或ハ有↧以テ↢精進ヲ↡為ル↢往生ノ行ト↡之土↥。或ハ有↧以テ↢禅定ヲ↡為ル↢往生ノ行ト↡之土↥。或ハ有↧以テ↢般若ヲ↡ 信↢第一義ヲ↡等是也 為ル↢往生ノ行ト↡之土↥。
あるいは菩提心をもつて往生の行とする土あり。 あるいは六念をもつて往生の行とする土あり。 あるいは持経をもつて往生の行とする土あり。 あるいは持呪をもつて往生の行とする土あり。 あるいは起立塔像、 飯食沙門および孝養父母、 奉事師長等の種々の行をもつておのおの往生の行とする国土等のあり。 あるいはもつぱらその国の仏の名を称するを往生の行とする土あり。
◇或ハ有↧以テ↢菩提心ヲ↡為ル↢往生ノ行ト↡之土↥。或ハ有↧以テ↢六念ヲ↡為ル↢往生ノ行ト↡之土↥。或ハ有↧以テ↢持経ヲ↡為ル↢往生ノ行ト↡之土↥。或ハ有↧以テ↢持呪ヲ↡為ル↢往生ノ行ト↡之土↥。或ハ有↧以テ↢起立塔像、飯食沙門及以孝養父母、奉事師長等ノ種種之行ヲ↡各為ル↢往生ノ行ト↡之国土等ノ↥。或ハ有↧専ラ称スルヲ↢其ノ国ノ仏ノ名ヲ↡為ル↢往生ノ行ト↡之土↥。
かくのごとく一行をもつて一仏の土に配するは、 これしばらく一往の義なり。 再往これを論ぜば、 その義不定なり。 あるいは一の仏土のなかに、 多行をもつて往生の行とするの土あり。 あるいは多の仏土のなかに、 一行をもつて通じて往生の行とする土あり。 かくのごとく往生の行種々に不同なり。 つぶさに述ぶべからず。
◇如ク↠此ノ以テ↢一行ヲ↡配↢一仏ノ土ニ↡者、是且ク一往之義也。再往論ゼバ↠之ヲ、其ノ義不定ナリ。或ハ有↧一ノ仏土ノ中ニ、以テ↢多行ヲ↡為ルノ↢往生ノ行ト↡之土↥。或ハ有↧多ノ仏土ノ中ニ、以テ↢一行ヲ↡通テ為ル↢往生ノ行ト之土↥。如↠是ノ往生ノ行種種ニ不同ナリ。不↠可↢具ニ述↡也。
すなはちいま前の布施・持戒、 乃至孝養父母等の諸行を選び捨てて、 専称仏号を選び取る。 ゆゑに選択といふなり。 しばらく五つの願に約して略して選択を論ずること、 その義かくのごとし。 自余の諸願これに准じて知るべし。
◇即今選↢捨テヽ前ノ布施・持戒、乃至孝養父母等ノ諸行ヲ↡、選ビ↢取ル専称仏号ヲ↡。故ニ云↢選択ト↡也。且ク約シテ↢五ノ願ニ↡略シテ論コト↢選択ヲ↡、其ノ義如↠是0285ノ。◇自余ノ諸願准ジテ↠之ニ応シ↠知ル。
問ひていはく、 あまねく諸願に約して麁悪を選捨して善妙を選取することは、 その理しかるべし。 なんがゆゑぞ第十八願に、 一切諸行を選捨して、 ただひとへに念仏の一行を選取して往生の本願となしたまふや。
◇問曰ク、普ク約シテ↢諸願ニ↡選↢捨シテ麁悪ヲ↡選↢取コトハ善妙ヲ↡、其ノ理可↠然ル。何ガ故ゾ第十八願ニ、選↢捨テ一切諸行ヲ↡、唯偏ニ選↢取テ念仏ノ一行ヲ↡為シタマフ↢往生ノ本願ト↡乎。
答へていはく、 聖意測りがたし。 たやすく解するにあたはず。 しかりといへどもいま試みに二義をもつてこれを解せん。 一には勝劣の義、 二には難易の義なり。
◇答曰ク、聖意雖シ↠測リ。不↠能ハ↣輒ク解スルニ↡。雖↠然ト今試ミニ以↢二義ヲ↡解ン↠之ヲ。一ニ者勝劣ノ義、二ニ者難易ノ義ナリ。
はじめに勝劣とは、 念仏はこれ勝、 余行はこれ劣なり。
◇初ニ勝劣ト者、念仏ハ是勝、余行ハ是劣ナリ。
ゆゑはいかんとなれば、 名号はこれ万徳の所帰なり。 しかればすなはち弥陀一仏の所有の四智・三身・十力・四無畏等の一切の内証の功徳、 相好・光明・説法・利生等の一切の外用の功徳、 みなことごとく阿弥陀仏の名号のなかに摂在す。 ゆゑに名号の功徳もつとも勝とするなり。 余行はしからず。 おのおの一隅を守る。 これをもつて劣とするなり。
◇所以者何レバ、名号ハ者是万徳之所帰也。然バ則チ弥陀一仏ノ所有ノ四智・三身・十力・四無畏等ノ一切ノ内証ノ功徳、相好・光明・説法・利生等ノ一切ノ外用ノ功徳、皆悉ク摂↢在ス阿弥陀仏ノ名号之中ニ↡。故ニ名号ノ功徳最モ為ル↠勝ト也。余行ハ不↠然ラ。各守ル↢一隅ヲ↡。是ヲ以テ為ル↠劣ト也。
たとへば世間の屋舎のごとし。 その屋舎の名字のなかには棟・梁・椽・柱等の一切の家具を摂す、 棟・梁等の一々の名字のなかには一切を摂することあたはず。 これをもつて知るべし。 しからばすなはち仏の名号の功徳は余の一切の功徳に勝たり。 ゆゑに劣を捨てて勝を取りてもつて本願となしたまふか。
◇譬バ如シ↢世間ノ屋舎ノ↡。其屋舎ノ名字之中ニハ摂ス↢棟・梁・椽・柱等ノ一切ノ家具ヲ↡、棟・梁等ノ一一ノ名字ノ中ニハ不↠能ハ↠摂コト↢一切ヲ↡。以↠之ヲ応↠知ル。◇然バ則チ仏ノ名号ノ功徳ハ勝タリ↢余ノ一切ノ功徳ニ↡。故ニ捨テヽ↠劣ヲ取テ↠勝ヲ以テ為シタマフ↢本願ト↡歟。
次に難易の義とは、 念仏は修しやすく、 諸行は修しがたし。
◇次ニ難易ノ義ト者、念仏ハ易ク↠修シ、諸行ハ難シ↠修。
ゆゑに諸仏の心は、 慈悲を体とす。 この平等の慈悲をもつて、 あまねく一切を摂するなり。 仏の慈悲は一人をも漏らさず、 あまねく一切を利すべし。
故ニ諸仏ノ心者、慈悲ヲ為↠体ト。以↢此ノ平等ノ慈悲ヲ↡、普ク摂↢一切ヲ↡也。仏ノ慈悲ハ不↠漏↢一人ヲモ↡、普ク可シ↠利↢一切ヲ↡。
まづ宗に約してこれをいはば、 昔法蔵比丘、 真言宗の心によらば、 三密の章句をもつて往生の別願とすれば、 無畏・不空・恵果・法全は往生すべし、 自余の諸宗の人は生ずべからず。
先ヅ約シテ↠宗ニ言バ↠之ヲ者、昔法蔵比丘、由バ↢真言宗ノ心ニ↡、以テ↢三密ノ章句ヲ↡為バ↢往生ノ別願ト↡、無畏・不空・恵果・法全往生スベシ、自余ノ諸宗之人ハ不↠可↠生ズ。
次に仏心宗の意によりて、 見性成仏をもつて別願とすれば、 恵可・僧璨・弘忍・恵能は往生すべし、 自余の諸宗の人は生ずべからず。
次ニ由↢仏心宗ノ意ニ↡、以テ↢見性成仏ヲ↡為↢別願ト↡、恵可0286・僧璨・弘忍・恵能往生スベシ、自余諸宗之人不↠可↠生ズ。
次に法華宗の意によりて、 一乗実相をもつて別願とすれば、 章安・天台・妙楽・道邃は生ずべし、 諸宗の人は生ずべからず。
次ニ由↢法華宗ノ意ニ↡、以テ↢一乗実相ヲ↡為↢別願ト↡、章安・天臺・妙楽・道邃ハ可↠生、諸宗之人不↠可↠生ズ。
次に華厳法界の意によりて、 海印頓現をもつて別願とすれば、 賢首・清涼は生ずべし、 諸宗の人は生ずべからず。
次ニ由↢華厳法界ノ意ニ↡、以↢海印頓現↡為↢別願↡、賢首・清涼ハ生ベシ、諸宗之人ハ不↠可↠生。
次に無相宗の意によりて、 八不中道をもつて別願とすれば、 嘉祥・興皇は生ずべし、 諸宗の人は生ずべからず。
次ニ由↢無相宗ノ意↡、以テ↢八不中道ヲ↡為↢別願ト↡、嘉祥・興皇ハ生ベシ、諸宗之人ハ不↠可↠生ズ。
次に有相宗の意によりて、 唯識唯心をもつて別願とすれば、 玄奘・慈恩は生ずべし、 諸宗の人は生ずべからず。
次ニ由↢有相宗ノ意ニ↡、以テ↢唯識唯心ヲ↡為↢別願ト↡、玄奘・慈恩ハ生ベシ、諸宗之人ハ不↠可↠生ズ。
次に四分宗によりて、 二百五十戒をもつて別願とすれば、 南山・東西の律師は生ずべし、 諸宗の人は生ずべからず。
次ニ由↢四分宗ニ↡、以↢二百五十戒ヲ↡為↢別願ト↡、南山・東西之律師ハ生ベシ、諸宗之人ハ不↠可↠生ズ。
次に ¬梵網¼ の意によりて、 五十八戒をもつて別願とすれば、 恵威・明曠は生ずべし、 諸宗の人は生ずべからず。
次ニ由↢¬梵網ノ¼意↡、以↢五十八戒ヲ↡為バ↢別願ト↡、恵威・明曠ハ生ズベシ、諸宗之人ハ不↠可↠生ズ。
しかるに念仏往生の願は、 真言・止観の行人同じくこれを修し、 華厳・達磨の人またもつてこれを修するに妨げなし。 無相・有相の行人、 四分・五分の律師、 念仏妨げなくして、 往生憑みあり。 しかればすなはち真言等の八宗、 ともに往生慈悲の願網に漏れざるなり。
然ニ念仏往生ノ願ハ、真言・止観ノ行人同ク修シ↠之ヲ、華厳・達磨ノ人又以テ修スルニ↠之ヲ無シ↠妨ゲ。無相・有相之行人、四分・五分之律師、念仏無シテ↠妨、往生有リ↠憑。然バ則チ真言等八宗、共ニ不↠漏↢往生慈悲ノ願網ニ↡也。
しかのみならずもし布施をもつて別願とすれば、 戒日孤り往生すべし、 一切貧窮の人は生ずべからず。
加之若以テ↢布施ヲ↡為バ↢別願ト↡、戒日孤可↢往生ス↡、一切貧窮之人ハ不↠可↠生ズ。
もし起塔をもつて別願とすれば、 育王一り往生すべし、 一切困乏の倫は往生すべからず。
若シ以テ↢起塔ヲ↡為バ↢別願ト↡、育王一リ可↢往生ス↡、一切困乏之倫ハ不↠可↢往生↡。
もし稽古・讃仰をもつて別願とすれば、 訪・生・光・基の倫は生ずべし。
若シ以テ↢稽古・讃仰ヲ↡為バ↢別願ト↡、訪・生・光・基之倫ハ可↠生ズ。
もし多聞・広学をもつて別願とすれば、 生・肇・融・叡の類は生ずべし。
若以テ↢多聞・広学ヲ↡為バ↢別願ト↡、生・肇・融・叡之類ハ可↠生ズ。
もし棄家・捨欲をもつて別願とすれば、 出家の二衆は生ずべし、 在家の両輩は生ずべからず。
若以↢棄家・捨欲ヲ↡為バ↢別願ト↡、出家ノ二衆ハ生ベシ、在家ノ両輩ハ不↠可↠生ズ。
もし貴家・尊宿をもつて別願とすれば、 一人・三公は生ずべし、 九民・百黎は生ずべからず。
若0287シ以↢貴家・尊宿ヲ↡為バ↢別願ト↡、一人・三公ハ生ズベシ、九民・百黎ハ不↠可↠生ズ。
しかるにいまの念仏往生の願は、 有智・無智を選ばず、 持戒・破戒を嫌はず、 少聞・少見をいはず、 在家・在俗をいはず、 一切の有心のもの、 唱へやすく生じやすし。 一月の万水に浮かぶに水の浅深の無嫌のごとく、 太陽世界を照らして地の高低を選ばざるがごとし。
然ニ今ノ念仏往生ノ願ハ、不↠選↢有智・無智ヲ↡、不↠嫌ハ↢持戒・破戒ヲ↡、不↠云↢少聞・少見ヲ↡、不↠云↢在家・在俗ヲ↡、一切ノ有心之者、易ク↠唱ヘ易シ↠生。如ク↧一月ノ浮↢万水ニ↡無↦嫌水ノ浅深ノ↥、如シ↧太陽照テ↢世界ヲ↡不ガ↞選↢地ノ高低ヲ↡。
法照釈して (五会法事讃巻本) いはく、 「貧を簡ばず」 と。 云々 たとひ少聞・少見といへども、 名号を唱へばすなはち生ずべし。 たとひ多聞・多見とへども、 仏名を称せばすなはち生ず。 たとひ月卿・雲客といへども、 念仏するものはすなはち生ず。 たとひ田夫・野人といへども、 称念すればすなはち生ず 云々。 万機を一願に摂し、 千品を十念に納む。 この平等の慈悲をもつて、 あまねく一切を摂するなり この意釈すべし 云々
法照釈云ク、「不↠簡↠貧。」云云 設ヒ雖↢少聞・少見ト↡、唱ヘバ↢名号ヲ↡即生ズベシ。設ヒ雖↢多聞・多見↡、称バ↢仏名ヲ↡即生ズ。設雖↢月卿・雲客↡、念仏スル者ハ即生ズ。設ヒ雖↢田夫・野人↡、称念スレバ即生ズ 云云。万機ヲ摂シ↢一願ニ↡、千品ヲ納ム↢十念ニ↡。以テ↢此ノ平等ノ慈悲ヲ↡、普ク摂スル↢一切ヲ↡也 可↠釈↢此ノ意↡也 云云
問ひていはく、 一切の菩薩その願を立つといへども、 あるいはは已成就あり、 あるいは未成就あり。 いぶかし、 法蔵菩薩の四十八願はすでに成就すとやせん、 はた未成就とやせん。
○問曰ク、一切ノ菩薩雖ドモ↠立↢其ノ願ヲ↡、或ハ有↢已成就↡、或ハ有↢未成就↡。未審シ、法蔵菩薩ノ四十八願ハ已ニ為ン↢成就トヤ↡、将為ン↢未成就トヤ也。
答へていはく、 法蔵の誓願は、 一々に成就したまへり。 すべてもつて信受す、 あへて狐疑することなかれ。 なんとなれば、 極楽世界のなかにすでに三悪趣なし。 まさに知るべし、 これすなはち第一の無三悪趣の願を成就するなり。 なにをもつてか知ることを得るは、 すなはち無三悪趣の願成就の文 (大経巻上) に 「亦無地獄・餓鬼・畜生、 諸難之趣」 といふこれなり。
◇答曰ク、法蔵ノ誓願ハ、一一ニ成就シタマヘリ。僉テ式テ信受ス、敢テ莫↢狐疑スルコト↡。◇何者、極楽世界ノ中ニ既ニ無↢三悪趣↡。当ニ↠知ル、是即成就スル↢第一ノ無三悪趣之願ヲ↡也。何ヲ以カ得ハ↠知コトヲ、即チ無三悪趣ノ願成就ノ文ニ云↢「亦無地獄・餓鬼・畜生、諸難之趣」↡是也。
またかの国の人天すでにもつて一人も三十二相を具せずといふことあることなし。 まさ知るべし、 これすなはち第二十一の具三十二相の願を成就するなり。 なにをもつて知ることは得るは、 すなはち具三十二相の願成就の文 (大経巻下) に 「生彼国者、 皆悉具足三十二相」 といへるこれなり。
○又彼ノ国ノ人天既ニ以テ無シ↠有コト↢一人モ不↟具↢三十二相ヲ↡。当ニ↠知ル、是即成↢就スル第廿一ノ具三十二相ノ願ヲ↡也。以↠何ヲ得ハ↠知コトハ、即チ具三十二相ノ願成就ノ文ニ云ル↢「生彼国者、皆悉具足三十二相ト」↡是也。
かくのごとく初め無三悪趣の願より終り三法忍の願に至るまで、 一々の誓願みなもつて成就したまへり。 第十八の念仏往生の願、 あに孤りもつて成就せざらんや。 しからばすなはち念仏の人みなもつて往生すべし。 なにをもつて知ることを得るは、 すなはち念仏往生の願成就の文に (大経巻下) 「諸有衆生、 聞其名号、 信心歓喜、 乃至一念、 至心回向、 願生彼国、 即得往生、 住不退転」 といへるこれなり。 およそ四十八願荘厳の浄土、 華池・宝閣願力にあらざることなし。 なんぞそのなかにおいて独り念仏往生の願を疑惑すべきや。
◇如↠是初メ自リ↢無三悪趣0288ノ願↡終リ至デ↢三法忍ノ願ニ↡、一一ノ誓願皆以テ成就タマヘリ。第十八ノ念仏往生ノ願、豈孤リ以テ不↢成就↡乎。然バ則チ念仏之人皆以テ往生スベシ。◇以↠何ヲ得ハ↠知コトヲ、即チ念仏往生ノ願成就ノ文ニ云ル↢「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念、至心廻向、願生彼国、即得往生、住不退転ト」↡是也。◇凡ソ四十八願荘厳ノ浄土、華池・宝閣無↠非コト↢願力ニ↡。何ゾ於テ↢其ノ中ニ↡独リ可キ↣疑↢惑ス念仏往生ノ願ヲ↡乎。
しかのみならず一々の願の終りにみな 「若不爾者不取正覚」 といふ。 しかるに阿弥陀仏成仏以来於今十劫なり、 成仏の果もつて成就したまへり。 まさに知るべし、 一々の願虚く設くべからず。 ゆゑに上に引くところの ¬往生礼讃¼ にいはく、 「かの仏いま現に世にましまして成仏したまふ。 まさに知るべし、 本誓重願虚からず、 衆生称念すればかならず往生を得」 と。 以上 釈家願の旨を得たり、 すべからく仰信すべきのみ。
◇加之一一ノ願ノ終ニ皆云↢「若不爾者不取正覚ト」。而ニ阿弥陀仏成仏已来於今十劫ナリ、成仏之果以テ成就タマヘリ。当ニ↠知ル、一一ノ願不↠可ラ↢虚設ル↡。故ニ上ニ所ノ↠引¬往生礼讃¼云、「彼仏今現在↠世成仏。当↠知、本誓重願不↠虚、衆生称念必得↢往生↡。」已上 釈家得タリ↢願ノ旨ヲ↡、須ク可↢仰信ス↡耳。
問ひていはく、 ¬経¼ (大経巻上) には 「十念」 といひ、 釈には 「十声」 といふ。 念声の義、 一異いかん。
◇問曰ク、¬経ニハ¼云↢「十念ト」↡、釈ニハ云↢「十声ト」↡。念声之義、一異如何。
答へていはく、 念声これ一なり。 なにをもつてか知ることを得れば、 ¬観経¼ 下品下生にいはく、 「令声不絶、 具足十念称南無阿弥陀仏、 称仏名故、 於念々中除八十億劫生死之罪」 と。 以上 いまこの文によるに、 声すなはちこれ念、 念すなはちこれ声なること、 その意暁かなり。
◇答曰ク、念声是一ナリ。何ヲ以カ得レバ↠知コトヲ、¬観経ノ¼下品下生云ク、「令声不絶、具足十念称南無阿弥陀仏、称仏名故、於念念中除八十億劫生死之罪」。已上 今依ルニ↢此ノ文ニ↡、声即是念、念即是声ナルコト、其ノ意暁カナリ矣。
しかのみならず ¬大集月蔵経¼ (大集経巻四三日蔵分念仏三昧品意) にいはく、 「大念は大仏を見、 小念は小仏を見る」 と。 感禅師 (群疑論巻七) いはく、 「大念とは大声に念仏するなり、 小念とは小声に念仏するなり」 と。 またこの意によりて念声これ一なり。 まさに知るべし、 念はすなはちこれ唱の訓なり。
◇加之¬大集月蔵経ニ¼云ク、「大念ハ見↢大仏ヲ↡、小念ハ見↢小仏ヲ↡。」感禅師云ク、「大念ト者大声ニ念仏スルナリ、小念ト者小声ニ念仏スルナリ。」亦依↢此ノ意ニ↡念声0289是一ナリ。当ニ↠知ル、念ハ即是唱ノ訓也。
問ひていはく、 ¬経¼ (大経巻上) には 「乃至」 といひ、 釈には 「下至」 といふ。 乃下の義、 その意いかん。
◇問曰ク、¬経ニハ¼云↢「乃至ト」↡、釈ニハ云↢「下至ト」↡。乃下之義、其ノ意如何。
答ふ。 乃至と下至とその意これ一なり。 ¬経¼ に 「乃至」 といふは、 従多向少の言なり。 多とは上尽一形なり。 少とは下至十声・一声等なり。 釈に 「下至」 といふは、 下とは上に対する辞なり。 いふところの下とは、 下至十声・一声等なり。 対するところの上とは、 上尽一形なり。
◇答。乃至ト与↢下至↡其ノ意是一ナリ。¬経ニ¼云↢「乃至ト」↡者、従多向少之言也。多ト者上尽一形也。少者下至十声・一声等也。釈ニ云↢「下至ト」↡者、下ト者対スル↠上ニ之辞也。所ノ↠言下ト者、下至十声・一声等也。所ノ↠対スル上ト者、上尽一形也。
上下相対の文その例一にあらず。 しばらく宿命通の願 (大経巻上) にいふがごとし、 「たとひわれ仏を得んに、 国中の天・人宿命を識らず、 下百千億那由他の諸劫の事を知らざるに至らば、 正覚を取らじ」 と。 かくのごとく五神通および光明・寿命等の願のなかに、 一々にみな 「下至」 の言を置けり。 これすなはち多より少に至る、 下をもつて上に対する義なり。 まさに上の八種の願に准例するに、 いまこの願のなかの 「乃至」 とは、 すなはちこれ下至なり。 このゆゑにいま善導所引の解釈の 「下至」 の言は、 その意経旨に冥せり。
◇上下相対之文其ノ例非↠一ニ。且ク如↢宿命通ノ願ニ云ガ↡、「設我得↠仏ヲ、国中ノ天・人不↠識↢宿命↡、下至↠不↠知↢百千億那由他諸劫ノ事↡者、不↠取↢正覚↡。」◇如↠是ノ五神通及以光明・寿命等ノ願ノ中ニ、一一ニ皆置ケリ↢「下至」之言ヲ↡。是則従↠多至↠少ニ、以テ↠下ヲ対スル↠上ニ之義也。◇方ニ准↢例スルニ上之八種之願ニ↡、今此ノ願ノ中ノ「乃至ト」者、即是下至也。是ノ故ニ今善導所引ノ解釈ノ「下至」之言ハ、其ノ意冥セリ↢経旨ニ↡。
ただこの願を解すること、 善導諸師とその意不同なり。 諸師の釈は別して十念往生の願といふは、 もし十を満てずは、 すなはち生ずることを得ず。 善導の意は総じて念仏往生の願といふ。 員数を限らず、 称念すればみな生ず。 諸師別して十念往生の願といふは、 その意すなはち周からざるなり。 しかるゆゑは、 上は一形を捨て、 下は一念を捨つるゆゑなり。 善導は総じて念仏往生の願といふは、 その意広く周きなり。 しかるゆゑは、 上は一形を取り、 下一念を取るがゆゑなり。
◇但解コト↢此ノ願ヲ↡、善導与↢諸師↡其ノ意不同ナリ。諸師之釈ハ別シテ云↢十念往生ノ願ト↡者、若不バ↠満↠十ヲ、即不↠得↠生ルコトヲ。善導之意ハ総ジテ云↢念仏往生ノ願ト↡。不↠限↢員数ヲ↡、称念レバ皆生ズ。◇諸師別シテ云↢十念往生ノ願ト↡者、其ノ意即不ル↠周カラ也。所↢以然ル↡者、上ハ捨テ↢一形ヲ↡、下ハ捨ル↢一念ヲ↡之故也。善導ハ総ジテ言↢念仏往生ノ願↡者、其ノ意広ク周キ也。所↢以然ル↡者、上ハ取リ↢一形ヲ↡、下取ルガ↢一念ヲ↡之故也。
そもそもこの四十八の願は、 みな抜苦・与楽の義あり。 しかるゆゑは、 大悲は抜苦なり、 大慈は与楽なり。 第一の無三悪趣は、 大悲抜苦なり。 第二の不更悪趣は、 またこれ大悲抜苦なり。 第三の悉皆金色は、 これ与楽なり。 第四の無有好醜は、 またこれ与楽なり。
抑モ此ノ四十八ノ願ハ、皆有0290↢抜苦・与楽之義↡。爾ル故者、大悲者抜苦ナリ、大慈者与楽也。第一ノ無三悪趣ハ、大悲抜苦也。第二ノ不更悪趣ハ、亦是大悲抜苦也。第三ノ悉皆金色者、是与楽也。第四ノ無有好醜ハ、又是与楽也。
乃至十八の念仏往生の願に二つの意あり。 出離生死はこれ抜苦なり、 往生極楽はこれ与楽なり。 生死の衆苦一時によく離れて、 浄土の諸楽一念によく受く。 もし弥陀に念仏の願なく、 衆生この願力に乗ぜずんば、 五苦逼迫の衆生、 いかんが苦界を離るべし。 過去生々世々弥陀の誓願に値はざりければ、 今に三界皆苦の火宅にありて、 いまだに四徳常楽の宝城に至らず。 過去みなもつてかくのごとし。 未来またむなしく送るべし。
乃至十八ノ念仏往生ノ願ニ有リ↢二ノ意↡。出離生死ハ是抜苦也、往生極楽ハ是与楽也。生死衆苦一時ニ能ク離テ、浄土ノ諸楽一念ニ能ク受ク。若シ弥陀ニ無ク↢念仏ノ願↡、衆生不ン↠乗↢此ノ願力ニ↡者、五苦逼迫ノ衆生、云何ンガ可シ↠離ル↢苦界ヲ↡。過去生生世世不リケレバ↠値ハ↢弥陀ノ誓願ニ↡者、于↠今在テ↢三界皆苦ノ火宅ニ↡、未ニ↠至ラ↢四徳常楽之宝城ニ↡。過去皆以テ如シ↠此ノ。未来亦空ク可シ↠送ル。
今生いかなる福ありてかこの大願に値へる。 たとひ遇ふといへども、 もし信ぜざれば、 値はざるがごとし。 すでに深くこれを信ず、 いままさしくこれ値ふなり。 ただしたとひ心にこれを信ずといへども、 もしこれを行ぜずんば、 また信ぜざるがごとし。 すでにこれを行ず、 まさしくこれ信ずるなり。 願力むなしからず、 行業誠あり、 往生疑なし。 すでに生死を離れ、 衆苦を離るべし。 すなはちこれ大悲抜苦なり。
今生有テカ↢何ナル福↡値ル↢此ノ大願ニ↡。設ヒ雖↠遇ト、若シ不↠信ゼ者、如シ↠不ルガ↠値ハ。既ニ深ク信ズ↠之ヲ、今正ク是値ナリ。但設ヒ心ニ雖↠信ト↠之ヲ、若シ不ンバ↠行↠之ヲ、又如シ↠不↠信。既ニ行↠之ヲ、正ク是信ナリ。願力不↠空カラ、行業有リ↠誠、往生無↠疑ヒ。既ニ離↢生死ヲ↡、可↠離ル↢衆苦ヲ↡。即是大悲抜苦也。
次に極楽に往生の後、 身心もろもろの楽を受け、 眼に如来を拝見し、 聖衆を瞻仰せん、 見るごとに眼根の楽を増し、 耳に深妙の法を聞き、 聞くごとに耳根の楽を増さん。 鼻に功徳の法香を聞ぎ、 聞ぐごとに鼻根の楽を増す。 舌に法喜・禅悦の味を嘗む、 嘗むるごとに舌根の楽を増す。 身には弥陀の光明を蒙る、 触るるごとに身根の楽を増す。 意に楽の境を縁ず、 縁ずるごとに意根の楽を増す。
次ニ往↢生ノ極楽ニ↡之後、身心受ケ↢諸ノ楽ヲ↡、眼ニ拝↢見シ如来ヲ↡、瞻↢仰セン聖衆ヲ↡、毎↠見ル増シ↢眼根ノ楽ヲ↡、耳ニ聞↢深妙ノ法ヲ、毎↠聞増ン↢耳根ノ楽ヲ↡。鼻ニ聞↢功徳ノ法香ヲ↡、毎↠聞増ス↢鼻根ノ楽ヲ↡。舌ニ嘗ム↢法喜・禅悦ノ味ヲ↡、毎↠嘗増ス↢舌根ノ楽ヲ↡。身ニハ蒙ル↢弥陀ノ光明ヲ↡、毎ニ↠触ル増ス↢身根ノ楽ヲ↡。意ニ縁ズ↢楽之境ヲ↡、毎ニ↠縁増ス↢意根ノ楽ヲ↡。
極楽世界の一々の境界、 みな離苦得楽の計なり。 風の宝樹を吹くもこれ楽なり、 枝・条・華・菓常楽を韻ず。 かの金の岸を洗ふもこれ楽なり、 微瀾四徳を廻流す。 洲鶴囀くもこれ楽なり、 根力覚道の法門なるがゆゑに。 塞鴻の鳴くもこれ楽なり、 念仏法僧の妙法なるがゆゑに。 宝地を歩むもこれ楽なり、 天衣趺を受け宝宮に入るもこれ楽なり、 天の楽の耳に奏す。 これすなはち弥陀如来、 慈悲の御心念仏の誓願を発して、 われら衆生に苦を抜き楽を与ふる心なり。
極楽世界ノ一一境界、皆離0291苦得楽之計ゴト也。風ノ吹クモ↢宝樹ヲ↡是楽也、枝・条・華・菓韻ズ↢常楽ヲ↡。彼ノ洗フモ↢金ノ岸ヲ↡是楽也、微瀾廻↢流ス四徳ヲ↡。洲鶴囀モ是楽也、根力覚道ノ法門ナルガ故ニ。塞鴻ノ鳴モ是楽也、念仏法僧ノ妙法ナルガ故ニ。歩モ↢宝地ヲ↡是楽也、天衣受ケ↠趺ヲ入ルモ↢宝宮ニ↡是楽也、天ノ楽ノ奏ス↠耳ニ。是則チ弥陀如来、慈悲ノ御心発テ↢念仏之誓願ヲ↡、我等衆生ニ抜キ↠苦ヲ与ル↠楽ヲ心也。
次に別して女人に約して発願して (大経巻上意) いはく、 「たとひわれ仏を得んに、 それ女人ありて、 わが名字を聞き、 歓喜信楽して、 菩提心を発し、 女身を厭ふ、 寿終の後、 また女像とならば、 正覚を取らじ」 と。 矣 これにつきて疑あり。 上の念仏往生の願は男女を嫌はず、 来迎引接も男女に亘る。 繋念定生の願またしかなり。 いま別にこの願あり、 その心いかん。 つらつらこの事を案ずるに、 女人は障り重くしてあきらかに女人に約せずは、 すなはち疑心を生ぜん。 そのゆゑは、 女人は過多く障り深くして、 一切の処に嫌はれたり。 道宣 (浄心誡観巻上) 経を引きていはく、 「十方世界に女人ある処にはすなはち地獄あり」 と。 云々
次ニ別シテ約シテ↢女人ニ↡発願云ク、「▲設我得↠仏、其有↢女人↡、聞↢我名字↡、歓喜信楽、発↢菩提心↡、厭↢於女身↡、寿終之後、復為↢女像↡者、不↠取↢正覚↡。」矣 付↠此ニ有↠疑ヒ。上ノ念仏往生ノ願ハ不↠嫌↢男女ヲ↡、来迎引接モ亘ル↢男女ニ↡。繋念定生ノ願又然也。今別ニ有↢此ノ願↡、其ノ心云何ン。倩ラ案ルニ↢此ノ事ヲ↡、女人ハ障重シテ明ニ不↠約↢女人ニ↡者、即生ン↢疑心ヲ↡。其ノ由者、女人ハ過多ク障リ深シテ、一切ノ処ニ被タリ↠嫌。道宣引テ↠経ヲ云ク、「十方世界ニ有ル↢女人↡処ニハ即有↢地獄↡。」云云
しかのみならず内に五障あり、 外に三従あり。 五障とは、 「↓一者不得 云々。 ↓二者帝釈、 ↓三者魔王、 ↓四者転輪王、 ↓五者仏身」 (法華経巻四提婆品) と云々
加之内ニ有↢五障↡、外ニ有↢三従↡。五障ト者、「一者不得 云云。二者帝釈、三者魔王、四者転輪王、五者仏身。」云云
↑一者不得作梵天王とは、 色界初禅の王、 梵衆・梵輔の王なり。 かれはなほ消滅の境、 輪転の質なり。 無量の梵王、 かはるがはる居すとも、 まつたく女身をもつて高台の閤に登るものなく、 三朱の襟を刷からふものなし。 これなほかたし、 いかにいはんや往生をやと。 これを疑ふべきが故に、 別して女人往生の願を発す。
一者不得作梵天王ト者、色界初禅之王、梵衆・梵輔之王也。彼ハ尚消滅之境、輪転之質ナリ。無量ノ梵王、更居トモ、全ク以テ↢女身ヲ↡無ク↧登↢高台ノ閤ニ↡者↥、無シ↧刷ラウ↢三朱之襟↡者。此尚難シ、何ニ況ヤ往生ヲ哉ト。可↠疑↠之故0292ニ、別シテ発ス↢女人往生ノ願ヲ↡。
↑二者帝釈とは、 欲界第二の天、 須弥八万の頂、 三十三天の王、 殊勝殿の主なり。 かれまた五衰の形、 摩滅の境なり。 そこばくの帝釈替り移るといへども、 いまだ女身をもつて帝釈の宝座に登るものあらず。
二者帝釈ト者、欲界第二ノ天、須弥八万之頂、三十三天ノ王、殊勝殿ノ主也。彼又五衰之形、摩滅之境ナリ。若干帝釈替リ移ルト云ドモ、未ダ↧以テ↢女身ヲ↡登ル↢帝釈ノ宝座ニ↡者アラ。
↑三者魔王とは、 欲界の第六天、 他化自在の王なり。 なほ業報の質、 遷変の処。 百千の魔王移り居するといひ、 いまだ女身の魔王といふ事あらず。
三者魔王ト者、欲界ノ第六天、他化自在ノ王也。尚業報之質、遷変之処。百千ノ魔王移リ居ルト云ヒ、未ダ↠有ラ↢女身魔王ト云事↡。
↑四者転輪聖王とは、 東・西・南・北四洲の王、 金・銀・銅・鉄四輪の王なり。 そのなかにいまだ一人も女輪王といふものあらず。
四者転輪聖王ト者、東・西・南・北四洲之王、金・銀・銅・鉄四輪之王也。其ノ中ニ未ダ↣一人モ有ラ↢女輪王ト云モノ↡。
↑五者仏身とは、 仏になることは男子なほ難し、 いかにいはんや女人をや。 ▼大梵の高台の閤にも嫌はれ、 梵衆・梵輔の雲を望むことなく、 帝釈の柔軟の床にも下されて、 三十三天の華を翫ぶことなし。 六天魔王の位、 四種輪王の跡、 望み永く絶えて影だにも指さず。 天上・天下のなほ賎き生死有漏の果報、 無上消滅の拙き身にだにもならず。 いかにいはんや仏位をや。
五者仏身ト者、成コトハ↠仏ニ男子尚難シ、何ニ況ヤ女人之哉。大梵ノ高台閤ニモ被↠嫌ハ、無ク↠望ムコト↢梵衆・梵輔之雲ヲ↡、帝釈柔軟ノ床ニモ被テ↠下、無シ↠翫コト↢三十三天之華ヲ↡。六天魔王之位、四種輪王之跡、望ミ永ク絶テ影ダニモ不↠指。天上・天下ノ尚賎キ生死有漏ノ果報、無常消滅ノ拙キ身ニダニモ不↠成。何ニ況ヤ仏位ヲ哉。
申すに憚りあり、 思へば恐れあり。 三惑たちまちに尽き二死ながく除きて、 長夜ここに明けて覚月まさに円なり。 四智円明の春の苑に三十二相の華鮮かに発き、 三身即一の秋の虚八十種好の月清く澄めり。 位は妙覚高貴の位、 四海潅頂の法王なり。 形は仏果円満の形、 三点法性円融の聖容なり。
申ニ有↠憚リ、思ヘバ有リ↠恐レ。三惑頓ニ尽キ二死永ク除テ、長夜爰明テ覚月正ニ円ナリ也。四智円明之春ノ苑ニ三十二相之華鮮カニ発キ、三身即一之秋ノ虚八十種好之月清ク澄メリ。位ハ妙覚高貴之位、四海潅頂之法王也。形ハ仏果円満之形、三点法性円融之聖容也。
実には男子だにも善財大士の一百一十の城に求めんがごとく、 雪山童子の四句の半偈に身を投げんがごとく、 仏にはなるべしと申して候ふに、 緩く行ひ疎に求めては、 まつたく叶ふべからず候ふ。 されば 五千の上慢これ男子なれども、 成仏の座を去りてしかも起つ。 五闡提羅が沙門なる、 無間の業を結びてしかも落つ。 およそ仏道に嫌はれ、 仏家に棄てらるるもの、 勝計すべからず。
実ニハ男子ダニモ如↢善財大士ノ一百一十ノ城ニ求ンガ↡、如シテ↢雪山童子ノ四句ノ半偈ニ身ヲ投ンガ↡、仏ニハ可シト↠成申シテ候ニ、緩ク行ヒ疎ニ求テハ、全ク不↠可↠叶フ候。サレ0293バ 五千上慢是男子ナレドモ、去テ↢成仏ノ座ヲ↡而モ起ツ。五闡提羅ガ沙門ナル、結テ↢無間之業ヲ↡而モ落ツ。凡ソ仏道ニ被↠嫌、仏家ニ被↠棄テ者、不↠可↢勝計ス↡。
いかにいはんや女人の身は諸経論のなかに嫌はれ、 在々所々に頻出せられたり。 三塗八難にあらずは趣くべき方もなく、 六趣四生にあらずは、 受くべき形もなし。
何ニ況ヤ女人ノ身ハ諸経論ノ中ニ被↠嫌ハ、在在所所ニ被タリ↢頻出↡。非ハ↢三塗八難ニ↡無ク↢可キ↠趣ク方モ↡、非ハ↢六趣四生ニ↡、無シ↢可↠受形モ↡。
しかればすなはち富楼那尊者の成仏の国には (法華経巻四五百弟子授記品) 「無有諸女人、 亦無諸悪道」 等といへり。 三悪道に等めて永く女人の跡を削る。 天親菩薩の ¬往生論¼ のなかには、 「女人及根欠、 二乗種不生」 と、 根欠・敗種に同じくして、 遠く往生の望を絶つ 云々。 諸仏の浄土思ひ寄るべからず。
然バ則チ富楼那尊者ノ成仏ノ国ニハ云ヘリ↢「無有諸女人、亦無諸悪道」等ト↡。等メテ↢三悪道ニ↡永ク削ヅル↢女人ノ跡ヲ↡。天親菩薩ノ¬往生論ノ¼中ニハ、云テ↢「女人及根欠、二乗種不生ト」↡、同シテ↢根欠・敗種ニ↡、遠ク絶ツ↢往生之望ヲ↡ 云云。諸仏ノ浄土不↠可ラ↢思ヒ寄ル↡。
この日本国に、 さしも 貴くやむごとなき霊地・霊験の砌には、 みなことごとく嫌はれたり 云々。
此ノ日本国ニ、サシモ 貴ク無↠止霊地・霊験ノ砌ニハ、皆悉ク被タリ↠嫌ハ 云云。
まづ比叡山はこれ伝教大師の建立、 桓武天皇の御願なり。 大師みづから結界して谷を堺ひ、 峯を局りて女人の形を入れず。 一乗の峯高く立て、 五障の雲聳ゆることなく、 一味の谷深くして三従の水流すことなし。 薬師医王の霊像耳に聞きて眼に視ず、 大師結界の霊地遠く見て近く臨まず。
先ヅ比叡山ハ是伝教大師ノ建立、桓武天皇之御願也。大師自ラ結界シテ堺ヒ↠谷ヲ、局テ↠峯ヲ不↠入↢女人ノ形ヲ↡。一乗ノ峯高ク立テ、五障之雲無ク↠聳コト、一味之谷深クシテ三従之水無シ↠流コト。薬師医王ノ霊像聞テ↠耳ニ不↠視↠眼ニ、大師結界ノ霊地遠ク見テ近ク不↠臨。
高野山は弘法大師結界の峯、 真言上乗繁昌の地なり。 三密の月輪あまねく照らすといへども、 女人非器の闇をば照らさず。 五瓶の智水等く流るといへども、 女身垢穢の質には灑がず。 これらの所において、 なほその障あり。 いかにいはんや出過三界道の浄土においてをや。
高野山者弘法大師結界ノ峯、真言上乗繁昌之地ナリ。三密ノ之月輪雖ドモ↢普ク照スト↡、不↠照↢女人非器之闇ヲバ↡。五瓶之智水雖ドモ↢等ク流ルト↡、不↠灑ガ↢女身垢穢之質ニハ↡。於テ↢此等ノ所↡、尚有リ↢其ノ障↡。何ニ況ヤ於↢出過三界道之浄土ニ↡之哉。
しかのみならずまた聖武天王の御願、 十六丈金銅の遮那の前、 遥にこれを拝見すといへども、 なほ扉の内には入らず。 天智天王の建立五丈の石像、 弥勒の前高く抑ぎてこれを拝礼すといへども、 なほ壇上には障りあり。
加之又聖武天王ノ御願、十六丈金銅ノ遮那ノ前、遥ニ雖ドモ↣拝↢見スト之ヲ↡、尚不↠入↢扉ノ内ニハ↡。天智天王0294之建立五丈石像、弥勒ノ前高ク抑テ雖ドモ↣拝↢礼スト之ヲ↡、尚壇上ニハ有↠障。
乃至金峯の雲の上、 醍醐の霞のなか、 女人は影をせず。 悲しきかな、 両足を備ふといへども、 登らざる法の峯あり、 沓まざる仏の庭あり。 恥しきかな、 両眼はあきらかなりといへども、 見ざる霊地あり、 拝せざる霊像あり。 この穢土の瓦礫・荊棘の山、 泥木素像の仏にだにも障りあり。 いかにいはんや衆宝合成の浄土、 万徳究竟の仏をや。 これによりて往生その疑あるべきがゆゑに、 この理を鑑て別にこの願あり 云々。
乃至金峯ノ雲ノ上、醍醐ノ霞ノ中、女人ハ不↠影ヲセ。悲キ哉、雖ドモ↠備ト↢両足ヲ↡、有リ↢不ル↠登法ノ峯↡、有↢不ル↠沓マ仏ノ庭↡。恥哉、雖ドモ↢両眼ハ明ナリト↡、有リ↢不ル↠見霊地↡、有リ↢不ル↠拝霊像↡。此ノ穢土ノ瓦礫・荊棘之山、泥木素像ノ仏ニダニモ有↠障。何ニ況ヤ衆宝合成之浄土、万徳究竟之仏ヲ乎。因テ↠茲ニ往生可ガ↠有ル↢其ノ疑↡故ニ、鑑テ↢此ノ理ヲ↡別ニ有↢此ノ願↡ 云云。
善導 (観念法門) この願を釈していはく、 「すなはち弥陀の大願力によるがゆゑに、 女人仏の名号を称して、 まさしく命終る時にすなはち女身を転じて男子となることを得。 弥陀接手し、 菩薩身を扶けて宝華の上に坐して、 仏に随ひて往生し、 仏の大会に入りて無生を証悟す。 また一切の女人もし弥陀の名願力によらずは、 千劫・万劫・恒河沙等の劫にも、 つひに女身を転ずることを得べからず。 あるいは道俗ありていはく、 女人浄土に生ずることを得ずとは、 これはこれ妄説なり、 信ずべからず」 と。 云々 これすなはち女人の苦を抜きて女人の楽を与へる慈悲の御意の誓願利生なり。
善導釈シテ↢此ノ願ヲ↡云ク、「▲乃由ガ↢弥陀ノ大願力ニ↡故ニ、女人称テ↢仏ノ名号ヲ↡、正ク命終ル時ニ即転テ↢女身ヲ↡得↠成コトヲ↢男子ト↡。弥陀接手シ、菩薩扶テ↠身ヲ坐テ↢宝華ノ上ニ↡、随テ↠仏ニ往生シ、入テ↢仏ノ大会ニ↡証↢悟ス無生ヲ↡。◆又一切ノ女人若シ不↠因ラ↢弥陀ノ名願力ニ↡者、千劫・万劫・恒河沙等ノ劫ニモ、終ニ不↠可↠得↠転↢女身ヲ↡。或ハ有↢道俗↡云ク、女人不↠得↠生コトヲ↢浄土ニ↡者、此ハ是妄説ナリ、不↠可↠信也。」云云 是則チ抜テ↢女人ノ苦ヲ↡与ヘル↢女人ノ楽ヲ↡慈悲ノ御意ノ誓願利生也。
入文解釈 正宗分 依願修行
また↑その後不可思議兆載永劫に菩薩の無量の行願を積植して、 難行苦行して劫を積み徳を累ぬ。 ある人いはく、 その因行は多く↓六度を摂す。 その果徳とといふは多く三身を摂す。 ¬法華¼ (巻一序品巻六常不軽品) にいはく、 「声聞を求めんとするものには、 説応四諦法」 と。 云々
又其ノ後不可思議兆載永劫ニ積↢植テ菩薩ノ無量ノ行願ヲ↡、難行苦行シテ積ミ↠劫ヲ累ヌ↠徳ヲ。或人云、其ノ因行ハ者多ク摂ス↢六度ヲ↡。云↢其ノ果徳ト↡者多ク摂ス↢三身ヲ↡。¬法華ニ¼云ク、「為↠求↢声聞↡者、説応四諦法。」云云
↑六度とは、 一には檀、 二には戒、 三には忍、 四には進、 五には禅、 六には恵なり。 初めの檀につきて無量あり。 いはく国城・妻子・奴卑・僕従・聚落・田地・園林・象馬・車乗・珍宝・輦輿等、 もろもろの身外の一切財物、 よくこれを施与す。 乃至眼・耳・鼻・舌・身、 頭目・髄脳、 一切の身の上の諸根、 よくこれを捨与す。 しからばすなはち弥陀如来菩薩の道を行ずる時、 檀を修して劫海を送る。
六度ト者、一ニハ檀、二ニハ戒、三ニハ忍、四ニハ進、五ニハ禅、六ニハ恵也。付テ↢初ノ檀ニ↡有リ↢無量↡。謂ク国城・妻子・奴卑・僕従・聚落・田地0295・園林・象馬・車乗・珍宝・輦輿等、諸ノ身外ノ一切財物、能ク施↢与ス之ヲ↡。乃至眼・耳・鼻・舌・身、頭目・髄脳、一切ノ身ノ上ノ諸根、能ク捨↢与ス之ヲ↡。然バ則チ弥陀如来行↢菩薩ノ道↡之時、修シテ↠檀ヲ送ル↢劫海ヲ↡。
¬経¼ (悲華経巻九檀波羅蜜品意) にいはく、 「所施の目一恒河沙のごとく、 乞眼婆羅門のごとし。 飲血の衆生ありて身分の生血を乞へる、 施すところの生血は四大海の水のごとし。 噉完の衆生ありて身分の脂肉を乞ふ、 施すところの完は千の須弥山のごとし。 しかのみならず捨つるところの舌は、 大鉄囲山のごとし。 捨つるところの耳は、 純陀羅山のごとし。 捨つるところの鼻は、 毘布羅山のごとし。 捨つるところの歯は、 嗜闍崛山のごとし。 捨つるところの身皮は、 三千大千世界の諸有の地のごとし」 と。 云々
¬経ニ¼云、「所施ノ目如↢一恒河沙ノ↡、如シ↢乞眼婆羅門↡。有テ↢飲血ノ衆生↡乞ヘル↢身分ノ生血ヲ↡、所ノ↠施生血ハ如↢四大海ノ水ノ↡。有テ↢噉完ノ衆生↡乞↢身分ノ脂肉ヲ↡、所ノ↠施完ハ如シ↢千ノ須弥山ノ↡。加之所ノ↠捨ル舌ハ、如シ↢大鉄囲山ノ↡。所ノ↠捨ル耳ハ、如シ↢純陀羅山ノ↡。所ノ↠捨ル鼻ハ、如シ↢毘布羅山ノ↡。所ノ↠捨ル歯ハ、如シ↢嗜闍崛山ノ↡。所ノ↠捨ル身皮ハ、如シ↢三千大千世界ノ諸有ノ地ノ↡。」云云
しかのみならずある時には肉山となりて衆生に食噉せられ、 ある時には大魚となりて身分を衆生に与ふ。 菩薩の慈悲、 これをもつて知るべし 云々。 衆生の貪欲、 これをもつて知るべし 云々。 飲血・噉肉の衆生は情なし、 菩薩利生の膚を破り、 求食著味の凡夫は憚りなし、 薩埵慈悲の肉を食す。 かくのごとく一劫二劫にあらず、 兆載永劫の間、 四大海水の血を流し、 千須弥山の肉を竭す。 捨てがたきをよく捨て、 忍びがたきをよく忍びて檀度を満じ、 尸羅波羅蜜を満足す 云々。
加之或ル時ニハ成テ↢肉山ト↡被レ↣食↢噉セ衆生ニ↡、或ル時ニハ成テ↢大魚ト↡与↢身分ヲ衆生ニ↡。菩薩ノ慈悲、以テ↠之ヲ可シ↠知ル 云云。衆生ノ貪欲、以テ↠之ヲ可シ↠知 云云。飲血・噉肉之衆生ハ無シ↠情、破リ↢菩薩利生之膚ヲ↡、求食著味之凡夫ハ無↠憚、食ス↢薩埵慈悲之肉ヲ↡。如↠是ノ非↢一劫二劫ニ↡、兆載永劫之間、流↢四大海水之血↡、竭ス↢千須弥山之肉↡。難キヲ↠捨テ能ク捨テ、難ヲ↠忍能ク忍テ満↢檀度↡、満↢足ス尸羅波羅蜜ヲ↡ 云云。
忍辱・精進・禅定・智恵六度円満し、 万行具足す 云々。
忍辱・精進・禅定・智恵六度円満シ、万行具足ス 云云。
入文解釈 正宗分 所得依正
次に↑果位の三身 常のごとし。
次ニ果位ノ三身 如↠常ノ。
法身とは 常のごとし。
法身ト者 如↠常。
報身とは、 前因に報いて感得するところの身なり。 髪を布きて泥を掩へる功紺瑠璃頂を感じ、 血を流し肉を割きて勒め紫磨金の虎を得。 禽に代し慈むなしからずして、 早く鵝王の相を得。 獣に代し悲誠ありて、 はるかに鹿王の膞を感ず。 脳を破りて他の病を治せしがゆゑに、 いま医王・大医王となる。 肉を施して商人に与へんがゆゑに、 いま船師・大船師となる。 灯燭を施せるがゆゑに、 光明無量の仏となる。 殺生を断ずるがゆゑに、 寿命無量の聖となる。 宝をもつて人に与へしかば衆宝国土の主となる、 床をもつて人に施して大宝華王の座を得たり。
報身ト者、報テ↢前因ニ↡所ノ↢感得スル↡身也。布テ↠髪掩↠泥之0296功感ジ↢紺瑠璃頂ヲ↡、流シ↠血ヲ割↠肉ヲ之勒メ得↢紫磨金ノ虎ヲ↡。代シ↠禽ニ之慈不シテ↠空カラ、早ク得↢鵝王之相ヲ↡。代シ↠獣ニ之悲有テ↠誠、遥ニ感ズ↢鹿王之膞ヲ↡。破テ↠脳ヲ治シガ↢他ノ病ヲ↡故ニ、今成ル↢医王・大医王ト↡。施テ↠肉ヲ与ンガ↢商人ニ↡故ニ、今成ル↢船師・大船師ト↡。施ガ↢灯燭ヲ↡故ニ、成ル↢光明無量ノ仏ト↡。断ガ↢殺生ヲ↡故ニ、成ル↢寿命無量ノ聖ト↡。以テ↠宝ヲ与カバ↠人ニ成ル↢衆宝国土之主ト↡、以テ↠床ヲ施テ↠人ニ得タリ↢大宝華王之座ヲ↡。
布施を庫蔵となして百福荘厳の財を収め、 持戒を良田となして三菩提の種子を下す。 忍辱の鎧を著て固く魔王の十軍と戦ひ、 精進の駿馬に乗りて早く嶮難の六度を超ゆ。 静慮の利剣をもつて結使の首を裁り、 禅定の深水をもつて諸欲の垢を洗ひ、 智恵の船筏をもつて生死の大海を渡り、 般若の明灯を挑げて無明長夜を照らす。 およそ万行の因に答へて万徳の果を感ずること、 依因感果華の果を結ぶがごとし。 業に酬ひて報を招く、 響の声に随ふに似たり。 これすなはち法蔵比丘の実修の万行に酬ひて、 弥陀如来実証の万徳を得たまへる報身如来なり。
布施ヲ為シテ↢庫蔵ト↡収メ↢百福荘厳之財ヲ↡、持戒ヲ為シテ↢良田ト↡下ス↢三菩提之種子ヲ↡。著テ↢忍辱ノ鎧ヲ↡固ク戦ヒ↢魔王之十軍ト↡、乗テ↢精進ノ駿馬ニ↡早ク超↢嶮難之六度ヲ↡。以テ↢静慮ノ利剣ヲ裁リ↢結使ノ首ヲ↡、以テ↢禅定ノ深水ヲ↡洗ヒ↢諸欲ノ垢ヲ↡、以テ↢智恵ノ船筏ヲ↡渡リ↢生死ノ大海ヲ↡、挑テ↢般若ノ明灯ヲ↡照ス↢無明長夜ヲ↡。凡ソ答テ↢万行ノ因ニ↡感コト↢万徳ノ果ヲ↡、依因感果如シ↢華ノ結ガ↟果ヲ。酬テ↠業招ク↠報ヲ、似タリ↢響ノ随フニ↟声ニ。是則チ酬テ↢法蔵比丘ノ実修ノ万行ニ↡、弥陀如来得タマヘル↢実証ノ万徳ヲ↡報身如来也。
次に応身とは、 始終応同の身なり 云々。
次ニ応身ト者、始終応同ノ身也 云云。
次に仏の色身相好の功徳とは、 その身量をいへば、 六十万億 云々。 その身色をいへば、 百千万億 云々。 この身量の所得の依正は、 これすなはち別のものにあらず、 六度万行の修因に酬ひたり。 四十八願一々に相異なし。 本願のごとし。 名に顕れたる所得の依正は、 聴聞の人々申さずとも前にこれを知食せん。 もしこれを釈せば一々の依正、 四十八願によりて釈す。 別にこれあり、 これを読むべし。
次仏ノ色身相好ノ功徳ト者、云↢其ノ身量ヲ↡者、六十万億 云云。言↢其ノ身色ヲ↡者、百千万億 云云。此ノ身量之所得依正者、此則チ非↢別ノ者ニ↡、酬タリ↢六度万行之修因ニ↡。四十八願一一無↢相異↡。如↢本願ノ↡。顕タル↠名ニ所得ノ依正者、聴聞ノ人人不↠申前ニ知↢食ン之ヲ↡。若シ釈↠之ヲ一一ノ依正、依↢四十八願ニ↡釈ス。別ニ在0297↠之、可シ↠読ム↠之ヲ。
入文解釈 正宗分 往生行業
四に↑往生の行業とは、 来意云々 これに二あり。 一には↓二行を分ち、 二には↓文によりて別釈す。
四ニ往生ノ行業ト者、来意云云 此ニ有リ↠二。一ニハ分↢二行ヲ↡、二ニハ依テ↠文別釈ス。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行
一に↑二行を分つとは、 また分ちて三となす。 一には↓まさしく二行を分ち、 二には↓善導によりて得失を論ず、 三には↓感師等の義をもつて善導の義を助く。
一ニ分ト↢二行ヲ↡者、亦分テ為ス↠三ト。一ニハ正ク分↢二行ヲ↡、二ニハ依テ↢善導ニ↡論ズ↢得失ヲ↡、三ニハ以テ↢感師等ノ義ヲ↡助↢善導之義ヲ↡。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 正分二行
一に↑二行を分つとは、 また分ちて二とす。
一ニ分↢二行ヲ↡者、亦分テ為↠二ト。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 正分二行 分
一にはまさしく二行を分つ。 善導らによらば、 往生の行大きに分ちて二とす。 一には念仏の行、 二には余の諸行 云云。 余の諸師はいまだかならずしもかくのごとく分別せず 云々。 これによりて往生の正行、 凡夫たやすくもつて了るべきことかたし 云々。
一ニハ正ク分ツ↢二行ヲ↡。依ラバ↢善導等ニ↡、往生之行大ニ分テ為↠二ト。一ニハ念仏ノ行、二ニハ余ノ諸行 云云。余ノ諸師ハ未ダ↢必モ如↠此ノ分別↡ 云云。依テ↠之ニ往生ノ正行、凡夫輒ク以テ難シ↠可コト↠了 云云。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 正分二行 釈
二に略して相を釈せば、 これにまた二となす。 一には念仏を釈し、 二には余行を釈す。 一に念仏とは、 あるいは仏の相好を観じ、 あるいは光明を観ず、 あるいは帰命の想により、 あるいは引接の想によりて、 一心に弥陀仏の名を称念す、 これを名づけて念仏となす。 相好を観ずとは 云々。 光明とは 云々。 帰命の想とは 云々。 引接の想とは 云云。 たとひまた観念なきも、 ただ称名を信ずるもまた往生を得 云々。
二ニ略シテ釈↠相ヲ者、此ニ亦為ス↠二ト。一ニハ釈シ↢念仏ヲ↡、二ニハ釈ス↢余行ヲ↡。一ニ念仏ト者、或ハ観↢仏ノ相好ヲ↡、或ハ観↢光明ヲ↡、或ハ依↢帰命ノ想ニ↡、或ハ依テ↢引接想ニ↡、一心ニ称↢念弥陀仏ノ名ヲ↡、名テ↠之ヲ為ス↢念仏ト↡。観ズト↢相好ヲ↡者 云云。光明ト者 云云。帰命想ト者 云云。引接想ト者 云云。設ヒ亦無キモ↢観念↡、但信ズル↢称名ヲ↡亦得↢往生↡ 云云。
二に余の諸行を釈すとは、 極楽を求むは、 かならずしも念仏のみにあらず。 おのおの楽欲に随ひて種々の行を修す、 その行相広く経論にあり、 つぶさにこれを引くにあたはず。
二ニ釈スト↢余ノ諸行ヲ↡者、求ム↢極楽ヲ↡者ハ、必シモ不ズ↢念仏ノミ↡。各ノ随↢楽欲↡修↢種種ノ行ヲ↡、其ノ行相広ク在リ↢経論ニ↡、不↠能ハ↢具ニ引↟之ヲ。
諸経に説くところその業多しといへども、 その要を結するに三意を出でず。 ゆゑに ¬往生要集¼ (下巻) にいはく、 「諸経の行業、 総じてこれをいはば、 ¬梵網¼ の戒品を出でず。 別のしかもこれを論ぜば、 六度を出でず。 細くその相を明かすにその十三あり。 一には財・法等の施。 二には三帰・五戒・八戒・十戒等の多少の戒行。 三には忍辱。 四には精進。 五には禅定。 六には般若 第一義を信ずる等これなり。 七には発菩提心。 八には修行六念 仏と法と僧と戒と施と天と、 これを六念といふ、 九には読誦大乗。 十には守護仏法。 十一には孝順父母・奉事師長。 十二には不生憍慢。 十三には不染利養なり」 と。
諸経ニ所↠説ク雖ドモ↢其ノ業多シト↡、結ルニ↢其ノ要ヲ↡不↠出↢三意ヲ↡。故ニ¬往生要集ニ¼云ク、「▲諸経行業、総而言↠之ヲ、不↠出↢¬梵網ノ¼戒品ヲ↡。別ノ而モ論バ↠之ヲ、不↠出↢六度ヲ↡。細ク明スニ↢其ノ相ヲ↡有↢其ノ十三。◆一ニハ財・法等ノ施。二ニハ三帰・五戒・八戒・十戒等ノ多少0298ノ戒行。三ニハ忍辱。四ニハ精進。五ニハ禅定。六般若 信↢第一義↡等是也。七ニハ発菩提心。八ニハ修行六念 仏ト法ト僧ト戒ト施ト天ト、謂↢之ヲ六念ト↡、九ニハ読誦大乗。十ニハ守護仏法。十一ニハ孝順父母・奉事師長。十二ニハ不生憍慢。十三ニハ不染利養也。」
一には布施とは 云々。 九に読誦大乗とは 云々。 このなかに持教・持呪あり 云々。
一ニハ布施ト者 云云。九ニ読誦大乗ト者 云云。此ノ中ニ有↢持教・持呪↡ 云云。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依善導
次に↑善導によるに二あり。 一にはまづ↓二行を釈す、 二にはまさしく↓得失を論ず。
次ニ依ルニ↢善導ニ↡有リ↠二。一ニハ先ヅ釈ス↢二行ヲ↡、二ニハ正ク論ズ↢得失ヲ↡。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依善導 釈二行
一に↑二行とは、 一には正行、 二には雑行なり。 (散善義) 「正行といふは、 もつぱら往生経によりて行を行ずるもの、 これを正行と名づく。 何者かこれなるや。 一心にもつぱらこの ¬観経¼・¬弥陀経¼・¬無量寿経¼ 等を読誦し、 一心にかの国の二報の荘厳を専注し思想し観察し憶念す。 もし礼するにはすなはち一心にもつぱらかの仏を礼す、 もし口に称へんにはすなはち一心にもつぱらかの仏を称へ、 もし讃嘆供養せんにはすなはち一心にもつぱら讃嘆供養す、 これを名づけて正となす。
一ニ○二行ト者、一ニハ正行、二ニハ雑行也。「◇言↢正行ト↡者、専ラ依↢往生経ニ↡行ズル↠行ヲ者、是ヲ名ク↢正行ト↡。◇何者カ是ナルヤ也。一心ニ専ラ読↢誦シ此ノ¬観経¼・¬弥陀経¼・¬無量寿経¼等ヲ↡、一心ニ専↢注シ思↣想シ観↤察シ憶↯念ス彼ノ国ノ二報ノ荘厳ヲ↡。若礼ニハ即一心ニ専ラ礼↢彼ノ仏ヲ↡、若口ニ称ンニハ即一心ニ専ラ称↢彼ノ仏ヲ↡、若シ讃嘆供養ンニハ即一心ニ専ラ讃嘆供養ス、是ヲ名テ為ス↠正ト。
またこの正のなかにつきて、 また二種あり。 一には一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、 行住坐臥に時節の久近を問はず念々に捨てざるもの、 これを正定の業と名づく、 かの仏願に順ずるがゆゑに。 もし礼誦等によるをばすなはち名づけて助業となす。 この正助二行を除きて以外の自余の諸善をばことごとく雑行と名づく。 もし前の正助二行を修すには、 心つねに親近して憶念断ぜざれば、 名づけて無間とするなり。 もし後の雑行を行ずるには、 すなはち心つねに間断す、 回向して生ずることを得べしといへども、 すべて疎雑の行と名づく」 と。 云々
◇又就テ↢此ノ正ノ中ニ↡、復有リ↢二種↡。◇一ニ者一心ニ専ラ念↢弥陀ノ名号ヲ↡、行住坐臥ニ不↠問ハ↢時節ノ久近ヲ↡念念ニ不ル↠捨テ者、是ヲ名↢正定之業ト↡、順ルガ↢彼仏願ニ↡故ニ。◇若シ依ルヲバ↢礼誦等ニ↡即名テ為ス↢助業ト↡。◇除↢此ノ正助二行ヲ↡已外ノ自余ノ諸善ヲバ悉ク名ク↢雑行ト↡。◇若シ修ニハ↢前ノ正助二行ヲ↡、心常ニ親近シテ憶念不レバ↠断、名テ為ル↢無間ト↡也。若シ行ニハ↢後ノ雑行ヲ↡、即心常ニ間断ス、雖ドモ↢可ト↢廻向シテ得↟生コトヲ、衆テ名ク↢疎雑之行ト↡。」云云
わたくしにいはく、 この文につきて二つの意あり。 一には往生の行相を明かし、 二には二行の得失を判ず。
◇私ニ云ク、就テ↢此ノ文ニ↡有リ↢二ノ意↡。一ニハ明↢往生ノ行相ヲ↡、二ニハ判ズ↢二行0299ノ得失ヲ↡。
はじめに往生の行相を明かすとは、 善導和尚の意によるに、 往生の行多しといへども大きに分ちて二となす。 一には正行、 二には雑行なり。
◇初ニ明スト↢往生ノ行相ヲ↡者、依ルニ↢善導和尚ノ意ニ↡、往生ノ行雖ドモ↠多ト大ニ分テ為ス↠二ト。一ニハ正行、二ニハ雑行ナリ。
はじめに正行とは、 これにつきて開合の二義あり。 はじめには開して五種とし、 後には合して二種とす。
◇初ニ正行ト者、就↠此ニ有↢開合ノ二義↡。初ニハ開テ為↢五種ト↡、後ニハ合シテ為↢二種ト↡。
はじめに開して五種とすとは、 一には読誦正行、 二には観察正行、 三には礼拝正行、 四には称名正行、 五には讃嘆供養正行なり。
◇初ニ開テ為↢五種ト↡者、一ニハ読誦正行、二ニハ観察正行、三ニハ礼拝正行、四ニハ称名正行、五ニハ讃嘆供養正行也。
第一に読誦正行とは、 もつぱら ¬観経¼ 等を読誦するなり。 すなはち文に 「一心専読誦此 ¬観経¼・¬阿弥陀経¼・¬無量寿経¼ 等」 といへるこれなり。
◇第一ニ読誦正行ト者、専ラ読↢誦スル¬観経¼等ヲ↡也。即文ニ云ヘル↢「一心専読誦此¬観経¼・¬阿弥陀経¼・¬無量寿経¼等ト」↡是也。
いふところの等とは上の三経を指す。 いま余経諸典を等取するにはあらず、 たとへばかの ¬法華の記¼ の第五 (法華文句記巻六上) のなかに妙楽大師十力等功徳の文を釈するに 「所言等者、 非唯供仏兼浄土行」 といふがごとし。
所ノ↠言等ト者指ス↢上ノ三経ヲ↡。今非ズ↣等↢取ルニハ余経諸典ヲ↡、例バ如シ↧彼ノ¬法華ノ記ノ¼第五ノ中ニ妙楽大師釈ルニ↢十力等功徳ノ文ヲ↡云ガ↦「所言等者、非唯供仏兼浄土行ト」↥。
かくのごときらの例はなはだ多し。 繁きを恐れて出ださず。 学者さらに検へよ。 しかのみならず五種の正行みな弥陀一仏の功徳に限る。 ゆゑに観察・礼拝・称名・讃嘆四箇の正行、 すでにただかの弥陀の依正にあり。 あに読誦の行独り他経を兼ねんや。
如↠此ノ等ノ例甚ダ多也。恐テ↠繁ヲ不↠出サ。学者更ニ検ヘヨ。加之五種正行皆限ル↢弥陀一仏ノ功徳ニ↡。所以ニ観察・礼拝・称名・讃嘆四箇ノ正行、既ニ唯在↢彼ノ弥陀ノ依正ニ↡。豈ニ読誦ノ行独リ兼ンヤ↢他経ヲ↡。
第二に観察正行とは、 もつぱらかの国の依正二報を観察するなり。 すなはち文に 「一心専注思想観察憶念彼国二報荘厳」 といへるこれなり。
○第二ニ観察正行ト者、専ラ観↢察スル彼ノ国ノ依正二報ヲ↡也。即文ニ云ヘル↢「一心専注思想観察憶念彼国二報荘厳ト」↡是也。
第三に礼拝正行とは、 もつぱら弥陀を礼拝する等なり。 すなはち文に 「若礼即一心専礼彼仏」 といへるこれなり。
◇第三ニ礼拝正行ト者、専ラ礼↢拝スル弥陀ヲ↡等ナリ。即文ニ云ヘル↢「若礼即一心専礼彼仏ト」↡是也。
第四に称名正行とは、 もつぱら弥陀の名号を称するなり。 すなはち文に 「若口称即一心専称彼仏」 といへるこれなり。
◇第四ニ称名正行ト者、専ラ称スル↢弥陀ノ名号ヲ↡也。即文ニ云ヘル↢「若口称即一心専称彼仏ト」↡是也。
第五に讃嘆供養正行とは、 もつぱら弥陀を讃嘆し供養するなり。 すなはち文に 「若讃嘆供養即一心専讃嘆供養是名為正」 といへるこれなり。 もし讃嘆と供養とを開して二とすれば、 六種正行と名づくべきなり。 いまは合の義によるがゆゑに五種といふ。
◇第五ニ讃嘆供養正行ト者、専ラ讃↢嘆シ供↣養スル弥陀ヲ↡也。即文ニ云ヘル↢「若0300讃嘆供養即一心専讃嘆供養是名為正ト」↡是也。◇若シ開テ↣讃嘆ト与ヲ↢供養↡而為↠二ト者、可↠名ク↢六種正行ト↡也。◇今ハ依↢合ノ義ニ↡故ニ云↢五種ト↡。
次に合して二種とすとは、 一には正業、 二には助業なり。
◇次ニ合テ為↢二種ト↡者、一ニ者正業、二ニ者助業ナリ。
はじめに正業とは、 上の五種のなかの第四の称名をもつて正定の業とす。 すなはち文に 「一心専念弥陀名号、 行住坐臥不問時節久近念々不捨者、 是名正定之業。 順彼仏願故」 といへるこれなり。
◇初ニ正業ト者、以テ↢上ノ五種之中ノ第四ノ称名ヲ↡為↢正定之業ト↡。即文ニ云↢「一心専念弥陀名号、行住坐臥不問時節久近念念不捨者、是名正定之業。順彼仏願故ト」↡是也。
次に助業とは、 第四の口称を除きて外の、 読誦等の四種をもつてしかも助業となす。 すなはち文に 「若依礼誦等即名為助業」 といへるこれなり。
◇次ニ助業ト者、除↢第四ノ口称ヲ↡之外ノ、以↢読誦等ノ四種ヲ↡而モ為ス↢助業ト↡。即文ニ云↢「若依礼誦等即名為助業ト」↡是也。
問ひていはく、 なんがゆゑぞ五種のなかに独り称名念仏をもつて正定の業とするや。
◇問曰ク、何ガ故ゾ五種之中ニ独リ以テ↢称名念仏ヲ↡為ル↢正定ノ業ト↡乎。
答へていはく、 かの仏願に順ずるがゆゑに。 意のいはく、 称名念仏はこれかの仏の本願の行なり。 ゆゑにこれを修するもの、 かの仏の願に乗じてかならず往生することを得。 願虚しからざるによるがゆゑに、 念仏をもつて正定の業となす。 本願の義は下に至りて辨ずべし。
◇答曰ク、順ルガ↢彼ノ仏願ニ↡故ニ。意ノ云ク、称名念仏ハ是彼ノ仏ノ本願ノ行也。故ニ修スル↠之ヲ者、乗テ↢彼ノ仏ノ願ニ↡必ズ得↢往生スルコトヲ↡。由ルガ↢願不↟虚故ニ、以テ↢念仏ヲ↡為ス↢正定之業ト↡。本願ノ義ハ至テ↠下ニ応シ↠辨ズ。
ただし正定とは、 法蔵菩薩二百一十億の諸仏の誓願海のなかに、 念仏往生の願を撰定するがゆゑに定といふなり。 選択の義、 また前のごとし、 これらの意によるがゆゑに、 念仏をもつて名づけて正定の業とするものなり。 読誦等の行はすなはち本願選択の行にあらざるがゆゑに名づけて助となす。 念仏はまたこれ正中の正なり、 読誦等はこれ正中の助なり。 正助異なりといへども、 同じく弥陀にあるがゆゑに正となすといへども、 しかも勝劣の義なきにあらず。
但正定ト者、法蔵菩薩於テ↢二百一十億諸仏ノ誓願海ノ中ニ↡、撰↢定ス念仏往生之願ヲ↡故ニ云↠定ト也。選択之義、亦如↠前ノ。依ルガ↢此等ノ意ニ↡故ニ、以テ↢念仏ヲ↡名テ為ル↢正定之業ト↡者也。読誦等ノ行ハ即非ルガ↢本願選択之行ニ↡故ニ名テ為ス↠助ト。念仏ハ亦是正中之正ナリ、読誦等ハ是正中之助ナリ。正助雖↠異ナリト、同ク在ガ↢弥陀ニ↡故ニ雖↠為スト↠正ト、然モ非ズ↠無キ↢勝劣之義↡。
次に雑行とは、 すなはち文に 「除此正助二行以外自余諸善悉名雑行」 といへるこれなり。 意のいはく、 雑行無量なり、 つぶさに述ぶるに遑あらず。 いましばらく五種の正行に翻対してもつて五種の雑行を明かす。 一には読誦雑行、 二には観察雑行、 三には礼拝雑行、 四には称名雑行、 五には讃嘆供養雑行なり。
○次ニ雑行ト者、即文ニ云ヘル↢「除此正助二行已外自余0301諸善悉名雑行ト」↡是也。意ノ云ク、雑行無量ナリ、不↠遑アラ↢具ニ述ルニ↡。◇今且ク翻↢対シテ五種ノ正行ニ↡以テ明↢五種ノ雑行ヲ↡也。一ニハ読誦雑行、二ニハ観察雑行、三ニハ礼拝雑行、四ニハ称名雑行、五ニハ讃嘆供養雑行也。
第一に読誦雑行とは、 上の ¬観経¼ 等の往生浄土の経を除きて以外の大小乗顕密の諸経において受持し読誦するを、 ことごとく読誦雑行と名づく。
◇第一ニ読誦雑行ト者、除テ↢上ノ¬観経¼等ノ往生浄土ノ経ヲ↡已外ノ於↢大小乗顕密ノ諸経ニ↡受持シ読誦スルヲ、悉ク名↢読誦雑行ト↡。
第二に観察雑行とは、 上の極楽の依正を除きて以外の、 大小、 顕密、 事理の観行をみなことごとく観察雑行と名づく↢。
◇第二ニ観察雑行ト者、除テ↢上ノ極楽ノ依正ヲ↡已外ノ、大小、顕密、事理ノ観行ヲ皆悉ク名ク↢観察雑行ト↡。
第三に礼拝雑行とは、 上の礼拝弥陀を除きて以外の、 一切の諸余の仏・菩薩等およびもろもろの世天等において礼拝恭敬するをばことごとく礼拝雑行と名づく。
◇第三ニ礼拝雑行ト者、除テ↢上ノ礼拝弥陀ヲ↡已外ノ、於テ↢一切ノ諸余ノ仏・菩薩等及ビ諸ノ世天等ニ↡礼拝恭敬スルヲバ悉ク名ク↢礼拝雑行ト↡。
第四に称名雑行とは、 上の称弥陀名号を除きて以外の自余の一切の諸仏・菩薩等およびもろもろの世天等の名号を称するをば、 ことごとく称名雑行と名づく。
◇第四ニ称名雑行ト者、除テ↢上ノ称弥陀名号ヲ↡已外ノ称ヲバ↢自余ノ一切ノ諸仏・菩薩等及ビ諸ノ世天等ノ名号ヲ↡、悉ク名ク↢称名雑行ト↡。
第五に讃嘆供養雑行とは、 上の弥陀仏を除きて以外の一切の諸余の仏・菩薩等およびもろもろの世天等において讃嘆供養するをば、 ことごとく讃嘆供養雑行と名づく。
◇第五ニ讃嘆供養雑行ト者、除テ↢上ノ弥陀仏ヲ↡已外ノ於テ↢一切ノ諸余ノ仏・菩薩等及ビ諸世天等ニ↡讃嘆供養スルヲバ、悉ク名ク↢讃嘆供養雑行ト↡。
この外にまた布施・持戒等の無量の行あり、 みな雑行の言に摂尽すべし。
◇此ノ外ニ亦有↢布施・持戒等ノ無量之行↡、皆可シ↠摂↢尽ス雑行之言ニ↡。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依善導 論得失
次に↑二行の得失を判ずとは、 「もし前の正助二行を修するには、 心つねに親近して憶念断ぜざれば、 名づけて無間とするなり。 もし後の雑行を行ずるにはすなはち心つねに間断す。 回向して生ずることを得といへども、 すべて疎雑の行と名づく」 と、 そなはちその文なり。
◇次ニ判ト↢二行ノ得失ヲ↡者、「若シ修ニハ↢前ノ正助二行ヲ↡、心常ニ親近シテ憶念不レバ↠断、名テ為ル↢無間ト↡也。若シ行ニハ↢後ノ雑行ヲ↡、即心常ニ間断ス。雖ドモ↠可シト↢廻向シテ得↟生コトヲ、衆テ名クト↢疎雑之行ト↡」、即其ノ文也。
この文の意を案ずるに、 正雑二行につきて五番の相対あり。 一には親疎対、 二には近遠対、 三には無間有間対、 四には不回向回向対、 五には純雑対なり。
◇案ルニ↢此ノ文ノ意ヲ↡、就テ↢正雑二行ニ↡有リ↢五番相対↡。一ニハ親疎対、二ニハ近遠対、三ニハ無間有間0302対、四ニハ不廻向廻向対、五ニハ純雑対也。
第一に親疎対とは、 まづ親とは、 正助二行を修するものは、 阿弥陀仏においてはなはだもつて親昵を結ぶ。 ゆゑに ¬疏¼ の上の文 (定善義) にいはく、 「衆生行を起して、 口につねに仏を称すれば、 仏すなはちこれを聞きたまふ。 身につねに仏を礼敬すれば、 仏すなはちこれを見たまふ。 心につねに仏を念ずれば、 仏すなはちこれを知りたまふ。 衆生仏を憶念すれば、 仏また衆生を憶念したまふ。 彼此の三業あひ捨離せず。 ゆゑに親縁と名づくるなり」 と。
◇第一ニ親疎対ト者、先ヅ親ト者、修スル↢正助二行ヲ↡者ハ、於↢阿弥陀仏ニ↡甚ダ以テ結ブ↢親昵ヲ↡。故ニ¬疏ノ¼上ノ文ニ云、「衆生起シテ↠行ヲ、口ニ常称レバ↠仏ヲ、仏即聞タマフ↠之ヲ。身ニ常ニ礼↢敬レバ仏ヲ↡、仏即見↠之ヲ。心常ニ念レバ↠仏ヲ、仏即知↠之ヲ。衆生憶↢念レバ仏ヲ↡者、仏亦憶↢念タマフ衆生ヲ↡。彼此ノ三業不↢相捨離↡。故ニ名クル↢親縁ト↡也。」
次に疎とは、 雑行なり。 親を翻じてこれをいはば、 衆生仏を称せずは、 仏すなはちこれを聞こしめさず。 身に仏を礼せずは、 仏すなはちこれを見たまはず。 心に仏を念ぜずは、 仏すなはちこれを知ろしめさず。 衆生仏を憶念せずは、 仏衆生を憶念したまはず。 彼此の三業つねにあひ捨離するがゆゑに疎行と名づくるなり。
◇次ニ疎ト者、雑行也。翻テ↠親謂バ↠是ヲ者、衆生不ハ↠称↠仏ヲ、仏即不↠聞メサ↠之ヲ。身ニ不↠礼↠仏ヲ、仏即不↠見↠之ヲ。心ニ不↠念↠仏ヲ、仏即不↠知メサ↠之ヲ。衆生不↣憶↢念セ仏ヲ↡者、仏不↣憶↢念タマハ衆生ヲ↡。彼此ノ三業常ニ相捨離スルガ故ニ名↢疎行ト↡也。
第二に近遠対とは、 まづ近とは、 正助二行を修するものは、 阿弥陀仏においてはなはだもつて隣近とするなり。 ゆゑに ¬疏¼ の上の文 (定善義) にいはく、 「衆生仏を見んと願ぜば、 仏すなはち念に応じて、 現に目の前にまします。 ゆゑに近縁と名づくるなり」 と。
◇第二ニ近遠対ト者、先ヅ近ト者、修スル↢正助二行ヲ↡者ハ、於↢阿弥陀仏ニ↡甚ダ以テ為↢隣近↡也。故ニ¬疏ノ¼上ノ文ニ云、「衆生願↠見↠仏ヲ、仏即応ジテ↠念ニ、現ニ在ス↢目ノ前ニ↡。故ニ名クル↢近縁ト↡也。」
次に遠とは、 これ雑行なり。 近を翻じてこれをいはば、 衆生仏を見んと願ぜざれば、 仏すなはち念に応ぜず、 目の前に現じたまはず。 ゆゑに遠と名づくるなり。 ただし親近の義これ一に似たりといへども、 善導の意分ちてしかも二となす。 その旨 ¬疏¼ の文に見えたり。 ゆゑにいま引釈するところなり。
◇次ニ遠ト者、是雑行也。翻テ↠近ヲ謂↠是ヲ者、衆生不レバ↠願↠見ト↠仏ヲ、仏即不↠応↠念ニ、不↠現タマハ↢目ノ前ニ↡。故ニ名ル↠遠ト也。但シ親近ノ義是雖ドモ↠似タリ↠一ニ、善導之意分テ而モ為ス↠二ト。其ノ旨見タリ↢¬疏¼文ニ↡。故ニ今所↢引釈↡也。
第三に無間有間対とは、 まづ無間とは、 正助二行を修するものは阿弥陀仏において憶念間断せざるがゆゑに、 「名為無間」 といへるこれなり。
◇第三ニ無間有間対ト者、先ヅ無間ト者、修スル↢正助二行ヲ↡者ハ於↢阿弥陀仏ニ↡憶念不ルガ↢間断↡故ニ、云ヘル↢「名為無間ト」↡是也。
次に有間とは、 これ雑行なり。 無間を翻じてこれをいはば、 雑行を修するものは、 阿弥陀仏において憶念つねに間断す。 すなはち文に 「若行後雑行即心常間断」 といへるこれなり。
◇次ニ有間ト者、是雑行也。翻↢無間ヲ↡謂↠是ヲ者、修スル↢雑行ヲ↡者ハ、於↢阿弥陀仏ニ↡憶念常ニ間断ス。即文ニ云↢「若行後雑行即心常0303間断ト」↡是也。
第四に不回向回向対とは、 正助二行を修するものはたとひ別して回向を用ゐずといへども、 自然にしかも往生の業となる。 ゆゑに ¬疏¼ の上の文 (玄義分) にいはく、 「いまこの ¬観経¼ のなかの十声の称仏、 すなはち十願十行ありて具足す。 いかんが具足する。 南無といふはすなはち帰命、 またこれ発願回向の義なり。 阿弥陀仏といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得」 と。 以上
◇第四ニ不廻向廻向対ト者、修スル↢正助二行ヲ↡者ハ縦令ヒ別シテ雖↠不↠用↢廻向ヲ↡、自然ニ而モ成ル↢往生之業ト↡。故ニ¬疏ノ¼上ノ文ニ云ク、「今此ノ¬観経ノ¼中ノ十声ノ称仏、即有↢十願十行↡具足ス。云何ンガ具足スル。言↢南無ト↡者即帰命、亦是発願廻向之義ナリ。言↢阿弥陀仏↡者即是其ノ行ナリ。以テノ↢斯ノ義ヲ↡故ニ必得↢往生↡。」已上
次に回向とは、 これ雑行なり。 不回向を翻じてこれをいはば、 すなはち雑行を修するものは、 かならず回向を用ゐる時往生の因となる。 もし回向を用ゐざる時は往生の因とならず。 ゆゑに 「雖可回向得生」 といへるこれなり。
◇次ニ廻向ト者、是雑行也。翻↢不廻向ヲ↡謂↠是者、即修スル↢雑行↡者ハ、必ズ用ル↢廻向ヲ↡之時成ル↢往生之因ト↡。若シ不ル↠用↢廻向ヲ↡之時ハ不↠成↢往往之因ト↡。故ニ云↢「雖可廻向得生ト」↡是也。
第五に純雑対とは、 まづ純とは、 正助二行を修するものは、 純らこれ極楽の行なり。
◇第五ニ純雑対ト者、先ヅ純ト者、修ル↢正助二行ヲ↡者ハ、純ラ是極楽之行也。
次に雑とは、 これ雑行なり。 純を翻してこれをいはば、 雑行を修するものは、 これ純ら極楽の行にあらず。 人天および三乗に通じ、 また十方の浄土に通ず。 ゆゑに雑といふなり。 しかれば西方の行者すべからく雑行を捨てて正行を修すべきなり。
◇次ニ雑ト者、是雑行也。翻シテ↠純ヲ謂↠是ヲ者、修↢雑行↡者、是純ラ非ズ↢極楽之行ニ↡。通↢於人天及以ビ三乗ニ↡、亦通ズ↢於十方ノ浄土ニ↡。故ニ云↠雑ト也。◇然者西方行者須 ベ クキ↧捨テ↢雑行ヲ↡修ス↦正行ヲ↥也。
問ひていはく、 この純雑の義は、 経論中においてその証拠あるや。
◇問曰ク、此ノ純雑ノ義ハ、於テ↢経論中ニ↡有ル↢其証拠↡也。
答へていはく、 大小乗の経・律・論のなかにおいて純雑二門を立つること、 その例一にあらず。
◇答曰ク、於↢大小乗経・律・論之中ニ↡立ルコト↢純雑二門ヲ↡、其ノ例非ズ↠一ニ。
大乗にはすなはち八蔵のなかにしかも雑蔵を立つ。 八蔵とは、 安然和尚の ¬教時義¼ (巻四) のなかに ¬菩薩処胎経¼ を引きていはく、 「一には胎化蔵、 二には中陰蔵、 三には摩訶衍方等蔵、 四には戒律蔵、 五には十住蔵、 六には雑蔵、 七には金剛蔵、 八には仏蔵」 と。 まさに知るべし、 七蔵はこれ純なり、 一蔵はこれ雑なり。
◇大乗ニハ即於↢八蔵之中ニ↡而立↢雑蔵↡。八蔵ト者、安然和尚ノ¬教時義¼中引テ↢¬菩薩処胎経ヲ¼↡云ク、「一ニハ胎化蔵、二ニハ中陰蔵、三ニハ摩訶衍方等蔵、四ニハ戒律蔵、五ニハ十住蔵、六ニハ雑蔵、七ニハ金剛蔵、八ニハ仏蔵。」当ニ↠知ル、七蔵ハ是純ナリ、一蔵ハ是雑ナリ。
小乗にはすなはち四含のなかにしかも雑含を立てたり。 四含とは、 一には ¬増一阿含¼、 二には ¬長増一阿含¼、 三には ¬中増一阿含¼、 四には ¬雑増一阿含¼ なり。 まさに知るべし、 三含はこれ純なり、 一含はこれ雑なり。
◇小乗ニハ即於テ↢四含之中ニ↡而立0304タリ↢雑含ヲ↡。四含ト者、一ニハ¬増一阿含¼、二ニハ¬長阿含¼、三ニハ¬中阿含¼、四ニハ¬雑阿含ナリ¼。当ニ↠知ル、三含ハ是純ナリ、一含ハ是雑ナリ。
律にはすなはち二十犍度のなかにしかも雑犍度を立てたり。 二十犍度とは、 一には受戒犍度、 二には説戒犍度、 三には安居犍度、 四には自恣犍度、 五には皮革犍度、 六には衣犍度、 七には薬犍度、 八には迦絺那犍度、 九には鳩睒弥犍度、 十には瞻婆犍度、 十一には呵責犍度、 十二には人犍度、 十三には覆蔵犍度、 十四には遮犍度、 十五には破僧犍度、 十六には滅諍犍度、 十七には尼犍度、 十八には説法犍度、 十九には房犍度、 二十には雑犍度なり。 まさに知るべし、 前の十九はこれ純なり、 後の一は雑犍度なり。
◇律ニハ則チ於テ↢二十犍度之中ニ↡而モ立タリ↢雑犍度ヲ↡。二十犍度ト者、一ニハ受戒犍度、二ニ者説戒犍度、三ニ者安居犍度、四ニハ自恣犍度、五ニハ皮革犍度、六ニハ衣犍度、七ニハ薬犍度、八ニハ迦絺那犍度、九ニハ鳩睒弥犍度、十ニハ瞻婆犍度、十一ニハ呵責犍度、十二ニハ人犍度、十三ニハ覆蔵犍度、十四ニハ遮犍度、十五ニハ破僧犍度、十六ニハ滅諍犍度、十七ニハ尼犍度、十八ニハ説法犍度、十九ニハ房犍度、二十ニハ雑犍度ナリ。当ニ↠知ル、前ノ十九ハ是純ナリ、後ノ一ハ雑犍度也。
論にはすなはち八犍度のなかにしかも雑犍度を立てたり。 八犍度とは、 一には業、 二には使、 三には智、 四には定、 五には根、 六には大、 七には見、 八には雑なり。 まさに知るべし、 前の七はこれ純なり、 後の一はこれ雑犍度なり。
◇論ニハ則チ於テ↢八犍度之中ニ↡而モ立タリ↢雑犍度ヲ↡。八犍度ト者、一ニハ業、二ニハ使、三ニハ智、四ニハ定、五ニハ根、六ニハ大、七ニハ見、八ニハ雑ナリ。当ニ↠知ル、前ノ七ハ是純ナリ、後ノ一ハ是雑犍度也。
また小乗経量部に、 五蔵のなかにしかも雑蔵を立てたり。 五蔵とは、 一には修多羅蔵、 二には毘尼蔵、 三には阿毘曇蔵、 四には雑蔵、 五には呪蔵なり。 まさに知るべし、 四は純なり、 一は雑なり。
又小乗経量部ニ、於↢五蔵之中ニ↡而モ立タリ↢雑蔵ヲ↡。五蔵ト者、一ニハ修多羅蔵、二ニハ毘尼蔵、三ニハ阿毘曇蔵、四ニハ雑蔵、五ニハ呪蔵ナリ。当ニ↠知ル、四ハ純ナリ、一ハ雑ナリ。
また賢聖集のなかに、 唐宋両伝に十科のなかにしかも雑科を立てたり。 十科の法とは、 一には訳経、 二には義解、 三には習禅、 四には明律、 五には護法、 六には感通、 七には読誦、 八には遺身、 九には興福、 十には雑科なり。 まさに知るべし、 前の九はこれ純なり、 後の一はこれ雑科なり。
○又賢聖集ノ中ニ、唐宋両伝ニ於↢十科ノ之中ニ↡而モ立タリ↢雑科ヲ↡。十科法ト者、一ニハ訳経、二ニハ義解、三ニハ習禅、四ニハ明律、五ニハ護法、六ニハ感通、七ニハ読誦、八ニハ遺身、九ニハ興福、十ニハ雑科ナリ。当ニ↠知ル、前ノ九ハ是純ナリ、後ノ一ハ是雑科也。
乃至 ¬大乗義章¼ には五聚の法門を立てたり。 そのなかに雑聚あり。 五聚とは、 一には教聚、 二には義聚、 三には染聚、 四には浄聚、 五には雑聚なり。 まさに知るべし、 前の四聚はこれ純なり、 後の一はこれ雑なり。
◇乃至¬大乗義章ニハ¼立タリ↢五聚ノ法門ヲ↡。其ノ中ニ有↢雑聚↡。五聚ト者、一ニハ教聚0305、二ニハ義聚、三ニハ染聚、四ニハ浄聚、五ニハ雑聚ナリ。当ニ↠知ル、前ノ四聚ハ是純ナリ、後ノ一ハ是雑也。
また顕教のみにあらず、 密教のなかに純雑の法あり。 いはく山家の ¬仏法血脈の譜¼ (意) にいはく、 「一には胎蔵界曼荼羅血脈の譜一首、 二には金剛界の曼荼羅血脈の譜一首、 三には雑曼荼羅血脈の譜一首」 と。 前の二首はこれ純なり、 後の一はこれ雑なり。
◇亦非ズ↢顕教ノミニ↡、密教之中ニ有↢純雑ノ法↡。謂ク山家ノ¬仏法血脈ノ譜ニ¼云ク、「一ニハ胎蔵界曼荼羅血脈ノ譜一首、二ニハ金剛界ノ曼荼羅血脈ノ譜一首、三ニハ雑曼荼羅ノ血脈ノ譜一首。」前ノ二首ハ是純ナリ、後ノ一ハ是雑ナリ。
かくのごときの純雑の義多しといへども、 しましばらく略して少分を挙ぐのみ。 まさに知るべし、 純雑の義、 法に随ひて不定なり。 しかればすなはちいま善導和尚の意、 しばらく浄土の行においてしかも純雑を論ずるなり。
◇如↠斯ノ純雑之義雖ドモ↠多ト、今且ク略シテ挙グ↢少分ヲ↡而已。当ニ↠知ル、純雑之義、随テ↠法ニ而不定ナリ。然バ則チ今善導和尚ノ意、且ク於テ↢浄土ノ行ニ↡而モ論ル↢純雑ヲ↡也。
またこの純雑の義ただ内典のみに局らず、 外典のなかにその例はなはだ多し。 繁きを恐れて出ださず。 矣。
◇又此ノ純雑ノ義唯不↠局↢内典ノミ↡、外典ノ之中ニ其ノ例甚ダ多シ。恐テ↠繁ヲ不↠出サ。矣。
要を取りてこれをいはば、 正にはすなはち読誦・観察・礼拝・讃嘆等の五種の不同ありといへども、 称名を取りて正行となす。 雑にはすなはち疎遠・有間・回向・雑等の五義の不同ありといへども、 純雑の義を取りて名づけて雑行となす。
取↠要ヲ言バ↠之ヲ、正ニハ即雖ドモ↠有リト↢読誦・観察・礼拝・讃嘆等ノ五種ノ不同↡、取テ↢於称名ヲ↡為ス↢正行ト↡。雑ニハ即雖ドモ↠有リト↢疎遠・有間・廻向・雑等ノ五義ノ不同↡、取↢純雑ノ義ヲ↡名テ為ス↢雑行ト↡。
ただし往生の行においてかくのごとく二行を分つこと、 ただ独り善導の一師に限るにあらず。 道綽禅師の意によらば、 往生の行多しといへども束ねて二とす。 一にはいはく念仏往生、 二にはいはく万行往生なり。 念仏はこれ正なり、 万行はこれ雑なり。 もし懐感禅師の意によらば、 往生の行多しといへども束てしかも二となす。 一にはいはく念仏往生、 二にはいはく諸行往生なり 恵心これに同じ。 念仏は前のごとし、 諸行はこれ雑なり。 かくのごとく三師は、 言異にして意一なり。 おのおの二行を立てて往生の行を摂すること、 はなはだその旨を得たり。 もつとも帰依あるべし。 余師はしからず。 行者思択すべし。
○但於↢往生ノ行ニ↡如↠此ノ分コト↢二行ヲ↡、非ズ↣唯独リ限ルニ↢善導ノ一師ニ↡。◇依↢道綽禅師ノ意ニ↡者、往生行雖ドモ↠多ト束テ而為↠二ト。一ニハ謂ク念仏往生、二ニハ謂ク万行往生ナリ。念仏ハ是正ナリ、万行ハ是雑ナリ。◇若シ依↢懐感禅師ノ意ニ↡者、往生行雖ドモ↠多ト束テ而モ為ス↠二ト。一ニハ謂ク念仏往生、二ニハ謂ク諸行往生ナリ 恵心同↠之ニ。念仏ハ如シ↠前ノ、諸行ハ是雑ナリ。◇如↠是三師ハ、言異ニシテ意一ナリ。各ノ立テヽ↢二行ヲ↡摂コト↢往生ノ行ヲ↡、甚ダ得タリ↢其ノ旨ヲ↡。最モ可↢帰依有↡。◇余師ハ不↠然ラ。行者思択スベシ。
また善導和尚 ¬往生礼讃¼ (意) のなかに細く二行の得失を判ず。 謹んでかの文を案ずるにいはく、 「もしよく上のごとく念々相続して、 畢命を期とするものは、 十はすなはち十ながら生じ、 百はすなはち百ながら生ず。 なにをもつてのゆゑに。 外の雑縁なくして正念を得るがゆゑに。 仏の本願と相応するがゆゑに。 教に違せざるがゆゑに。 仏語に随順するがゆゑに。
◇又善導和尚¬往生礼讃ノ¼中ニ細ク判ズ↢二行0306ノ得失ヲ↡。謹デ案ルニ↢彼ノ文ヲ↡云、「若シ能ク如↠上ノ念念相続シテ、畢命ヲ為↠期ト者ハ、十ハ即十ナガラ生ジ、百即百ナガラ生ズ。何ヲ以ノ故ニ。無シテ↢外ノ雑縁↡得ルガ↢正念↡故ニ。与↢仏ノ本願↡相応スルガ故ニ。不ルガ↠違↠教ニ故ニ。随↢順スルガ仏語ニ↡故ニ。
もし専を捨てて雑業を修するものは、 百が時に希に一二を得、 千が時に希に五三を得。 なにをもつてのゆゑに。 雑縁乱動して正念を失するによるがゆゑに。 仏の本願と相応せざるがゆゑに。 教と相違するがゆゑに。 仏語に順ぜざるがゆゑに。 係念相続せざるがゆゑに。 憶想間断するがゆゑに。 回願慇重真実ならざるがゆゑに。 貪瞋諸見の煩悩来りて間断するがゆゑに。 慚愧悔過の心あることなきがゆゑに。 また相続して念じてかの仏の恩を報ぜざるがゆゑに。 心に軽慢を生じて、 業行をなすといへどもつねに名利と相応するがゆゑに。 人我みづから覆ひて同行善知識に親近せざるがゆゑに。 雑縁に楽み近づきてみづからも障へ他の往生の正行をも障ふるがゆゑなり。
◇若捨テヽ↠専ヲ修スル↢雑業ヲ↡者ハ、百ガ時ニ希ニ得↢一二ヲ↡、千ガ時ニ希ニ得↢五三ヲ↡。◇何ヲ以テノ故ニ。由↣雑縁乱動シテ失ルニ↢正念ヲ↡故ニ。与↢仏ノ本願↡不ルガ↢相応↡故ニ。与↠教相違ルガ故ニ。不↠順↢仏語ニ↡故ニ。係念不ルガ↢相続↡故ニ。憶想間断ルガ故ニ。廻願不ルガ↢慇重真実↡故ニ。貪瞋諸見ノ煩悩来テ間断ルガ故ニ。無キガ↠有ルコト↢慚愧悔過心↡故ニ。◇又不ルガ↣相続シテ念ジテ報↢彼ノ仏ノ恩ヲ↡故ニ。心ニ生ジテ↢軽慢ヲ↡、雖↠作スト↢業行ヲ↡常ニ与↢名利↡相応ルガ故ニ。人我自ラ覆テ不ルガ↣親↢近同行善知識↡故ニ。楽↢近テ雑縁ニ↡自モ障ヘ障ル↢他ノ往生ノ正行ヲモ↡故ナリ。
なにをもつてのゆゑに。 余このごろみづから諸方の道俗を見聞するに、 解行不同にして専雑異なるあり。 ただ意をもつぱらにしてなさしむるものは、 十はすなはち十ながら生ず。 雑を修して至心ならざるものは、 千がなかに一もなし。 この二行の得失、 前にすでに辨ずるがごとし。
◇何ヲ以テノ故ニ。餘比日自ラ見↢聞ルニ諸方ノ道俗ヲ↡、解行不同ニシテ専雑有↠異。但使ル↢専シテ↠意ヲ作サ↡者ハ、十ハ即十ナガラ生ズ。修シテ↠雑ヲ不↢至心↡者ハ、千ガ中ニ無シ↠一モ。此ノ二行得失、如↢前ニ已ニ辨ルガ↡。
仰ぎ願はくは一切の往生の人等よくみづから思量すべし。 すでによく今身にかの国に生ぜんと願ぜんものは、 行住坐臥にかならずずすべからく心を励ましおのれを克して昼夜に廃することなく畢命を期となすべし。 上一形にありて小苦に似たれども、 前念に命終して後念にはすなはちかの国に生じて、 長時永劫につねに無為の諸楽を受く。 乃至成仏してまた生死を逕ず。 あに快きにあらずや。 知るべし」 と。 以上
◇仰ギ願ハ一切ノ往生ノ人等善ク自ラ思量スベシ。已ニ能ク今身ニ願ン↠生↢彼ノ国ニ↡者ハ、行住坐臥ニ必ズ須 ベ クシ励シ↠心ヲ克テ↠己ヲ昼夜ニ莫↠廃畢命ヲ為↟期ト。上在テ↢一形ニ↡似↢如ドモ小苦ニ↡、前念ニ命終シテ後念ニハ即生テ↢彼ノ国ニ↡、長時永劫ニ常ニ受↢無為ノ諸楽ヲ↡。乃至成仏テ亦不↠逕↢生死ヲ↡。豈非↠快キニ哉。応↠知ル。」已上
わたくしにいはく、 およそこの文はこれ行者の至要なり。 専雑の訓・得失の誡、 はなはだもつてねんごろなり。 極楽を求む人、 なんぞ寸府に貯へざらんや。 もしそれ雑を抛ちて専を修するものは、 百はすなはち百ながら生ずべし。 迂を棄てて直に向ふがごとし、 あにもつて屆らざらん。 専を捨てて雑を修するものは、 千がなかに一もなし。 夷を捨てて嶮に趣くがごとし、 つひにもつて達せざらん 矣。
私ニ云ク、凡ソ此ノ文者是行者ノ至要也。専雑之訓・得失之誡、甚ダ以テ苦也。求0307ム↢極楽ヲ↡之人、盍ゾ↠貯↢寸府ニ↡哉。若シ夫レ抛テ↠雑ヲ修スル↠専ヲ者ハ、百ハ即百ナガラ生ベシ。如シ↢棄テ↠迂ヲ向ガ↟直ニ、豈以テ不ン↠屆ラ也。捨テ↠専ヲ修スル↠雑ヲ者ハ、千ガ中ニ無シ↠一モ。如シ↢捨テヽ↠夷ヲ趣クガ↟嶮ニ、遂ニ以テ弗ン↠達 矣。
¬往生要集¼ の下にいはく、 「問ふ。 もし凡下の輩また往生を得れば、 いかんが、 近代かの国土において求むるものは千万。 得るものは一二も無きや。 答ふ。 綽和尚のいはく、 信心深からず、 存ずるがごとく亡ずるがごときゆゑに。 信心一ならず、 決定せざるが故に。 信心相続せず、 余念間つるがゆゑに。 この三相応せざるがゆゑに往生することあたはず。 もし三心を具するもの往生せずは、 この処あることなし。 導和尚いはく、 もしつぶさによく上のごとく念々相続して畢命を期とするものは、 十即十生、 百即百生。 若欲捨専修雑業者、 百時希得一二。 千時希得三五」 と。 以上
¬往生要集ノ¼下ニ云、「▲問。若シ凡下ノ輩亦得バ↢往生↡、云何ガ、近代於↢彼ノ国土ニ↡求ムル者ハ千万。得ルモノハ無キヤ↢一二モ↡。◆答。綽和尚ノ云、信心不↠深、若ク↠存ルガ若キ↠亡ルガ故ニ。信心不↠一、不ルガ↢決定↡故ニ。信心不↢相続↡、余念間ルガ故ニ。此ノ三不ルガ↢相応↡故ニ不↠能ハ↢往生ルコト↡。若具↢三心↡者不↢往生↡者、無↠有ルコト↢是ノ処↡。◆導和尚云、若シ具ニ能ク如↠上ノ念念相続シテ畢命ヲ為↠期ト者ハ、十即十生、百即百生。若欲捨専修雑業者、百時希得一二。千時希得三五。」已上
この問答の意あきらかなり。 善導和尚の二修をもつて、 極楽に往生する行を決せんと欲するものなり。 意のいはく、 もし専修によりて行用するものは、 千万ことごとく生ず。 もし雑業によりて欣求するものは、 一二も生じがたし。 すでに恵心の意、 西方の行においては、 導和尚をもつてしかも指南となす。 その余の末学、 むしろ依馮せざらん。 すでに知りぬ、 恵心なほもつて叙用す、 いかにいはんやその余の世人においてをや。
此ノ問答ノ意明ナリ。以テ↢善導和尚ノ二修ヲ↡、欲スル↠決↧往↢生極楽ニ↡之行ヲ↥者也。意ノ云ク、若シ依↢専修ニ↡而行用スル者ハ、千万悉ク生ズ。若シ拠テ↢雑業ニ↡而欣求スル者ハ、一二モ叵シ↠生ジ。既ニ恵心ノ意、於テハ↢西方ノ行ニ↡、以テ↢導和尚ヲ↡而モ為ス↢指南ト↡。其ノ余ノ末学、寧ロ不ラン↢依馮セ↡。既ニ知ヌ、恵心尚以テ叙用ス、何ニ況ヤ於↢其ノ余ノ世人ニ↡乎。
なかんづく、 わが輩賢愚を隔つることは、 万々里なり。 人の情念々に下劣のゆゑに、 時代を去ることは二百回なり 矣。 仏法日々に澆薄するがゆゑに、 いかんぞ近代の浅識の徒、 愚に処して賢を誚り、 末に居して本を非せんや。 しからばすなはち決定してかの極楽国土に生ずることを得んと欲す。 この答の意によりて、 雑を捨てて専を修すべし。 これ先徳の意なり。 懈慢すべからず、 ゆめゆめ。
就↠中、我ガ輩隔ルコト↢賢愚ヲ↡者、万万里ナリ焉。人ノ情念念ニ下劣之故ニ、去ルコト↢時代ヲ↡者二百廻ナリ 矣。仏法日日ニ澆薄スルガ之故ニ、云何ゾ近代ノ浅識之徒、処テ↠愚ニ誚リ↠賢ヲ、居シテ↠末ニ非センヤ↠本ヲ。然バ則チ決定シテ欲↠得ト↠生↢彼ノ極楽国土ニ↡。由テ↢此ノ答ノ意ニ↡、捨テ↠雑ヲ修スベシ↠専ヲ。是先徳ノ意ナリ。不↠可↢懈慢0308↡、努力努力。
また綽禅師の三信三不、 またこれ専雑二修の義なり。 答のなかの二文は一意を成ぜんがためなり、 師資儡同して差ふことなきのみ。
又綽禅師三信三不、亦是専雑二修之義ナリ。答ノ中ノ二文ハ為ナリ↠成ンガ↢一意ヲ↡、師資儡同シテ無↠差コト而已。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義
次に↑感師・智栄等によりて善導の義を補助せば、 これに七あり。 一には智栄、 二には信仲、 三には感師、 四には天竺の覚親、 五には日本の源信、 六には禅林、 七には越州なり。
次ニ依テ↢感師・智栄等ニ↡補↢助セ善導之義↡者、是ニ有↠七。一ニハ智栄、二信仲、三ニハ感師、四ニハ天竺覚親、五ニハ日本源信、六ニハ禅林、七ニハ越州。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 感師
一に感師とは、 ¬群疑論¼ (巻四意) にいはく、 「問ひていはく、 前後に意を発す衆生阿弥陀仏国に生ぜんと欲するもの、 深く懈慢国土に染著して、 進みて阿弥陀仏の国土に生ずることあたはず。 千万の衆、 時に一人ありて、 阿弥陀の国に生ず。 この ¬経¼ をもつて准ふるに生ずることを得べきことかたし、 いかん。
一ニ感師ト者、¬群疑論ニ¼云、「問曰ク、前後ニ発ス↠意ヲ衆生欲↠生↢阿弥陀仏国ニ↡者、深ク染↢著シテ懈慢国土ニ↡、進テ不↠能ハ↠生ルコト↢阿弥陀仏国土ニ↡。千万衆、時ニ有↢一人↡、生ズ↢阿弥陀ノ国ニ↡。以テ↢此ノ¬経ヲ¼↡准ルニ難↠可↠得↠生ルコト、何ン。
答へていはく、 この ¬経¼ この言教あるによるがゆゑに、 善導禅師もろもろの衆生を勧めて、 もつぱら西方浄土の業を修すは、 四修墜することなく、 三業雑ることなくして、 余の一切のもろもろの願行を廃して、 西方の一行を唯願し唯行せしむ。 雑修のものは万に一も生ぜず。 専修の人は千に一も失なし。 すなはちこの ¬経¼ の下の文にのたまはく、 何をもつてのゆゑにみな懈慢にして執心牢固ならざるによる。 ここに知りぬ、 雑修のものは執心不牢の人とす。 ゆゑに懈慢に生ずるなり。 まさしく ¬処胎経¼ の文とあひ当れり。 もし雑修せず、 もつぱらこの業を行ずる、 これすなはち執心牢固にして、 さだめて極楽国に生ず」 と。 云々
答曰ク、由↣此ノ¬経ニ¼有↢斯ノ言教↡故ニ、善導禅師勧テ↢諸ノ衆生ヲ↡、専修↢西方浄土ノ業ヲ↡者、四修靡↠墜、三業無シテ↠雑、廃シテ↢余ノ一切ノ諸願行ヲ↡、唯↢願シ唯↣行セシム西方ノ一行ヲ↡。雑修之者ハ万ニ不↢一モ生↡。専修之人ハ千ニ無シ↢一モ失↡。即此ノ¬経ノ¼下ノ文ニ言ク、何ヲ以テノ故ニ皆由↣懈慢ニシテ執心不↢牢固↡。是ニ知ヌ、雑修之者ハ為↢執心不牢之人ト↡。故ニ生ズル↢懈慢ニ↡也。正ク与↢¬処胎経ノ¼文↡相当レリ。若シ不↢雑修↡、専行ズル↢此ノ業ヲ↡、此即執心牢固ニシテ、定テ生ズ↢極楽国ニ↡。」云云
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 智栄
二に智栄とは その文別紙にありこれを見つべし。
二ニ智栄ト者 其ノ文在↢別紙↡可↠見↠之ヲ。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 信仲
三に信仲 その文別にありこれを見つべし。
三ニ信仲 其ノ文在↠別可↠見↠之。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 覚親
四に天竺覚親 その文別にありこれを見つべし、 あるいは取意暗にこれを釈すべし。
四ニ天竺覚親 其ノ文在↠別可↠見↠之ヲ、或ハ取意暗可↠釈↠之。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 源信
五に日本の源信に二の意あり。 一には三重の問答、 二には専修等 十門を立つ。 もつぱら念仏往生を明かして、 諸行を捨つ 云々 そのなかに第八門に至りて、 念仏と諸行とを相対して、 三番の問答あり。 後日にこれを釈すべし。 これすなはち諸行を捨てて、 念仏を取る、 取捨の意なり。 次に第十門に至りて、 また十門の料簡あり。 いはく極楽の依正乃至第十の助道の人法なり。 そのなかに第二の往生の階位のなかに、 二の問答あり。 善導の専雑二修の義をもつて、 問答し決択す。 その問答、 別にこれを書す、 見るべし。 ゆゑに知りぬ、 恵心の意、 はじめには二行において取捨を論じ、 次には善導の得失の義を用いる 云々。
五ニ日本ノ源信ニ有↢二ノ意↡。一ニハ▲三重ノ問答、二ニハ専修等 立↢十門↡。専明↢念仏往生↡、捨↢諸行ヲ↡ 云云 其ノ中ニ至テ↢第八門ニ↡、相↢対シテ念仏ト諸行トヲ↡、有↢三番0309ノ問答↡。後日ニ可↠釈↠之。是則チ捨テヽ↢諸行ヲ↡、取ル↢念仏ヲ↡、取捨ノ意也。次ニ至↢第十門ニ↡、亦有↢十門ノ料簡↡。謂ク極楽ノ依正乃至第十ノ助道ノ人法也。其ノ中ニ第二ノ往生ノ階位ノ中ニ、有↢▲二ノ問答↡。以テ↢善導ノ専雑二修ノ義ヲ↡、問答シ決択ス。其ノ問答、別ニ書ス↠之ヲ、可シ↠見。故ニ知ヌ、恵心ノ意、始ニハ於テ↢二行ニ↡論ジ↢取捨ヲ↡、次ニハ用ル↢善導ノ得失ノ義ヲ↡ 云云。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 禅林
六に禅林とは、 すなはち当寺の権律師永観なり。 すなはち善導・道綽の意によりて、 ¬往生十因¼ を作りて永く諸行を廃して、 念仏の一門において十因を開す。 あに但念仏の行にあらずや。
六ニ禅林ト者、即チ当寺ノ権律師永観也。即依テ↢善導・道綽ノ意ニ↡、作テ↢¬往生十因ヲ¼↡永ク廃シテ↢諸行ヲ↡、於↢念仏ノ一門ニ↡開ス↢十因ヲ↡。豈非ズ↢但念仏ノ行ニ↡哉。
入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 越洲
七に越洲とは、 また同じく当寺の三論の碩徳、 越洲珍海なり。 これまた同じく ¬決定往生集¼ 一巻を作りて、 十門を立てて、 往生の法を明かす。 そのなかにまた善導の前の文による。 かたはらに諸行を述すといへども、 まさしくは念仏往生を用ゐる。 ここに知りぬ、 往生の行業において、 専雑の二修を論じて、 雑行を捨ててもつぱら正行を修する事は、 天竺・震旦・日域、 その伝来尚ししのみ 云々。
七ニ越洲ト者、亦同ク当寺ノ三論ノ碩徳、越洲珍海也。是亦同ク作テ↢¬決定往生集¼一巻ヲ↡、立テヽ↢十門ヲ↡、明ス↢往生ノ法ヲ↡。其ノ中ニ亦依↢善導ノ前ノ文ニ↡。傍ニ雖ドモ↠述ト↢諸行ヲ↡、正クハ用ル↢念仏往生ヲ↡。爰ニ知ヌ、於↢往生之行業ニ↡、論ジテ↢専雑ノ二修ヲ↡、捨テヽ↢雑行ヲ↡専ラ修↢正行ヲ↡事ハ、天竺・震旦・日域、其伝来尚シヽ矣 云云。
入文解釈 正宗分 往生行業 別釈
二には来意。 上には↑文によりて別に釈すとは、 経の文によりて別に釈すとは、 経文によりて念仏の行を釈するなり。 その文に七あり。 一には前の↓四十八願のなか 「乃至十念若不生者」 の文、 二には↓願成就の 「諸有衆生聞名号」 等の文、 三には↓三輩往生のなか上輩生を明かす 「一向専念」 の文、 四には同じく↓中輩生のなか 「一向専念」 の文、 五には同じく↓下輩のなか 「一向専念」 の文、 六には↓流通の初め 「其有得聞彼仏名号」 等の文、 七には同じく↓流通のなかの 「当来之」 等の文なり。 この七文みなもつぱら一向に念仏往生を明かす 云々。
二ニハ来意。上ニハ依↠文ニ別ニ釈スト者、依↢経ノ文ニ↡別ニ釈者、依↢経文ニ↡釈↢念仏ノ行ヲ↡也。其ノ文ニ有↠七。一ニ者前ノ四十八願ノ中「乃至十念若不生者ノ」文、二ニハ願成就ノ「諸有衆生聞名号」等ノ文、三ニハ明↢三輩往生ノ中上輩生↡「一向専念ノ」文、四ニハ同ク中輩生ノ中「一向専念ノ」文、五ニハ同ク下輩ノ中「一向専念ノ」文、六ニハ流通ノ初「其有得聞0310彼仏名号」等ノ文、七ニハ同ク流通ノ中ノ「当来之」等ノ文ナリ。此ノ七文皆専ラ一向明↢念仏往生ヲ↡ 云云。
入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 本願文
一に ↑「▲たとひわれ仏を得んに、 十方の衆生乃至十念して、 もし生ぜずは」 (大経巻上意)、 これ四十八願のなかの第十八念仏往生の願なり 云々。 四十八願等く微妙殊勝なりといへども、 中においてまた要あり不要あり。 第一の無三悪趣乃至第四十八の得三法忍、 いづれの願最要なり 云々。 愚僧いまだ知らず 云々。 祖師善導 (法事讃巻上) その要を出だしていはく、 「弘誓多門にして四十八、 ひとへに念仏を標してもつとも親とす。 人よく仏を念ずれば仏還りて念じたまふ。 専心に想仏すれば、 仏人を知ろしめす」 と。 云々 次に念仏門において独りこの願を発す、 諸行門に別にこの願由なし 云々。 願力往生の義これを釈すべし。
一ニ「設我得↠仏、十方衆生乃至十念、若不↠生者」、是四十八願ノ中ノ第十八念仏往生ノ願也 云云。四十八願等ク雖ドモ↢微妙殊勝ナリト↡、於テ↠中ニ亦有リ↠要有リ↢不要↡。第一ノ無三悪趣乃至第四十八ノ得三法忍、何ノ願最要ナリ 云云。愚僧未ダ↠知 云云。祖師善導出テ↢其ノ要ヲ↡云ク、「▲弘誓多門四十八、偏標↢念仏↡最為↠親。人能念↠仏仏還念。専心想仏、仏知↠人。」云云 次ニ於↢念仏門ニ↡独リ発↢此ノ願ヲ↡、於↢諸行門ニ↡別ニ無↢此ノ願由↡ 云云。願力往生ノ義可↠釈↠之。
入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 願成就文
二に↑願成就の 「▲もろもろの衆生ありてその名号を聞き、 信心歓喜して乃至一念せん」 (大経巻下) 等とは、 これに三あり。 一には来意、 二には一念・十念等の義諸師不同なり、 三には唯除五逆の義 云々。 一に来意とは 云々。 二に一念・十念の義諸師と不同とは 云々。 三に唯除五逆の義とは 云々。 この二文をもつてこれを案ずるに、 念仏往生の義、 事すでに切畢す、 何の疑かあらんや 云々。
二ニ願成就ノ「諸有↢衆生↡聞↢其名号↡、信心歓喜乃至一念」等ト者、此ニ有リ↠三。一ニハ来意、二ニハ一念・十念等ノ義諸師不同ナリ、三ニハ唯除五逆ノ義 云云。一ニ来意ト者 云云。二ニ一念・十念ノ義与↢諸師↡不同ト者 云云。三ニ唯除五逆ノ義ト者 云云。以↢此ノ二文ヲ↡案ルニ↠之ヲ、念仏往生ノ義事已ニ切畢、有ラン↢何ノ疑カ↡哉 云云。
入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 上輩文
三には↑三輩のなか、 上輩に 「▲一向専念無量寿」 (大経巻下) とは、 上に二文をもつて念仏往生の義を明かすといへども、 いまだその品秩を分たず。 ゆゑにいま一の念仏をもつて三品として、 もつてその品秩を分つ。 これに二の意あり。 一には念仏往生につきて三品あり、 中下を捨てて上品を欣はしめんとして、 品秩を分つ。 二には行者をしてみづから念仏の位の分斉を知らしめんとす。 一に中下を捨てて上品を欣ふとは 云々。 二に次位を知るとは 云々。
三ニハ三輩中、上輩「一向専念無量寿ト」者、上ニ以↢二文ヲ↡雖ドモ↠明ト↢念仏往生ノ義ヲ↡、未ダ↠分↢其ノ品秩ヲ↡。故ニ今開テ↢一ノ念仏ヲ↡為テ↢三品ト↡、以テ分ツ↢其ノ品秩ヲ↡。此ニ有リ↢二ノ意↡。一0311ニハ付↢念仏往生ニ↡有↢三品↡、捨テヽ↢中下ヲ↡為↠令↠欣↢上品ヲ↡、分↢品秩ヲ↡。二ニハ為↠使メ↣行者ヲ知↢自念仏ノ位ノ分斉ヲ↡。一ニ捨テヽ↢中下ヲ↡欣↢上品ヲ↡者 云云。二ニ知↢次位ヲ↡者 云云。
問ふ。 今の三輩の文を見るに、 念仏の外にもろもろの行業を説く。 なんぞただ念仏といふや。 ゆゑに上品のなかに、 念仏の外に出家・受戒・発心・修諸功徳を挙げたり。 中品のなかに、 念仏の外に菩提心および斎戒等の善を説く。 下品のなかに、 念仏の外に発菩提心を説く。 なんがゆゑぞただ念仏往生といふや。
問。見↢今三輩之文ヲ↡、念仏之外ニ説↢諸ノ行業ヲ↡。何ゾ唯謂↢念仏ト↡哉。所以ニ上品ノ中ニ、念仏ノ外ニ挙タリ↢出家・受戒・発心・修諸功徳ヲ↡。中品ノ中ニ、念仏ノ外ニ説ク↢菩提心及ビ斎戒等ノ善ヲ↡。下品ノ中ニ、念仏ノ外ニ説↢発菩提心↡。何ガ故ゾ唯云↢念仏往生ト↡乎。
答ふ。 この問もつともしかるべし。 仏意測りがたし、 凡下たやすく解しがたし。 しかるにいま善導等の意によりて、 今この文を案ずるに略して二の意あり。 一には但念仏往生、 二には助念仏往生。
答。此ノ問最モ可↠然ル。仏意難シ↠測リ、凡下輒ク難シ↠解シ。然ニ今依↢善導等ノ意ニ↡、今案ルニ↢此ノ文ヲ↡略シテ有↢二ノ意↡。一ニハ但念仏往生、二ニハ助念仏往生。
一に但念仏とは、 およそ三品の義を論ずる事は、 もと一法につきてこれを論ず、 九品の煩悩等のごとし。 いま往生の行も、 またしかるべし。 なんぞかならずしも行の多少につきて、 三品を論ぜん。 ゆゑにいま本願念仏の行につきて、 三品往生の旨を説くなり。 何をもつてこれを知る、 三品の文にともに念仏において一向の言を置けり。
一ニ但念仏ト者、凡ソ論ル↢三品之義ヲ↡事者、本付↢一法ニ↡論↠之ヲ、如↢九品ノ煩悩等ノ↡。今往生之行モ、亦可↠然ル。何ゾ必モ付テ↢行ノ多少ニ↡、論ン↢三品ヲ↡。故ニ今付テ↢本願念仏ノ行ニ↡、説ク↢三品往生之旨ヲ↡也。以↠何ヲ知↠之ヲ、三品ノ文ニ共ニ於テ↢念仏ニ↡置ケリ↢一向之言ヲ↡。
いはく上品 (大経巻下) に 「一向専念無量寿仏」 と説き、 乃至下品 (大経巻下) に 「一向専念無量寿仏」 と説く。 およそ余所に准ずるに、 一向といふは余行を嫌はざる意なり。 ゆゑにいま念仏につきて三品を立てて、 品秩を分別するなり 云々。
謂ク上品ニ説キ↢「一向専念無量寿仏ト」↡、乃至下品ニ説ク↢「一向専念無量寿仏ト」↡。凡ソ准ルニ↢余所ニ↡、云↢一向ト↡者不↠嫌↢余行ヲ↡意也。故ニ今付テ↢念仏ニ↡立テヽ↢三品ヲ↡、分↢別スル品秩ヲ↡也 云云。
これもまたわたくしの義にあらず。 ゆゑに善導の釈 (観念法門) にいはく、 「この ¬経¼ の下巻の初めにいはく、 仏、 一切衆生の根性の不同を説くに、 上・中・下あり。 その根性に随ひて、 仏みな勧めてもつぱら無量寿仏の名を念ぜしむ。 その人命終らんと欲する時に、 仏、 聖衆とみづから来迎したまふ」 と。 釈の意によりて、 三輩ともに念仏往生といふなり。
此モ亦非ズ↢私ノ義ニ↡。故ニ○善導ノ釈ニ云、「此ノ¬経ノ¼下巻ノ初ニ云、仏説クニ↢一切衆生ノ根性ノ不同ヲ↡、有リ↢上・中・下↡。随テ↢其ノ根性ニ↡、仏皆勧テ専ラ念シム↢無量寿仏ノ名ヲ↡。其ノ人命欲↠終ント時ニ、仏与↢聖0312衆↡自来迎タマフ。」◇依テ↢釈ノ意ニ↡、三輩共ニ云↢念仏往生ト↡也。
問ひていはく、 この釈いまだ前の難を遮せず、 なんぞ余行を棄ててただ念仏といふや。
◇問曰ク、此ノ釈未ダ↠遮↢前ノ難ヲ↡、何ゾ棄テ↢余行↡唯云↢念仏ト↡乎。
答へていはく、 これに三の意あり。 一には諸行を廃して念仏に帰せんがためにしかも諸行を説く。 二には念仏を助成せんがためにしかも諸行を説く。 三には念仏・諸行の二門に約して、 おのおの三品を立てんがためにしかも諸行を説く。
◇答云ク、此ニ有リ↢三ノ意。一ニハ為ニ↧廃シテ↢諸行ヲ↡帰ンガ↦於念仏ニ↥而モ説ク↢諸行ヲ↡也。二ニハ為↣助↢成ンガ念仏ヲ↡而モ説ク↢諸行ヲ↡也。三ニハ約↢念仏・諸行ノ二門ニ↡、各ノ為↠立↢三品ヲ↡而説ク↢諸行ヲ↡也。
一に諸行を廃して念仏に帰せしめんがためにしかも諸行を説くとは、 善導の ¬観経の疏¼ (散善義) のなかに 「上来雖説定散両門之益、 望仏本願、 意在衆生一向専称弥陀仏名」 といへる釈の意に准じて、 しばらくこれを解せば、 上輩のなかに菩提心等の余行を説くといへども、 上の本願の意に望めば、 ただ衆生をしてもつぱら弥陀の名を称せしむるにあり。 しかるに本願のなかにさらに余行なし。 三輩ともに上の本願によるがゆゑに、 (大経巻下) 「一向専念無量寿仏」 といふなり。
◇一ニ為ニ↧廃↢諸行ヲ↡帰↦於念仏ニ↥而説クト↢諸行ヲ↡者、◇准↧云ヘル↢善導ノ¬観経ノ疏ノ¼中ニ「上来雖説定散両門之益、望仏本願、意在衆生一向専称弥陀仏名ト」↡之釈ノ意ニ↥、且ク解↠之者、上輩之中ニ雖ドモ↠説ト↢菩提心等ノ余行ヲ↡、望メバ↢上ノ本願ノ意ニ↡、唯在リ↣衆生ヲシテ専ラ称ムルニ↢弥陀ノ名ヲ↡。◇而ニ本願ノ中ニ更ニ無シ↢余行↡。三輩共ニ依ルガ↢上ノ本願ニ↡故ニ、云↢「一向専念無量寿仏ト」↡也。
「一向」 とは二向等に対する言なり。 例せばかの五天竺に三の寺あり。 一には一向大乗寺、 この寺のなかには小乗を学することなし。 二には一向小乗寺、 この寺のなかには大乗を学することなし。 三には大小兼行寺、 この寺のなかには大小兼学す。 ゆゑに兼行寺といふ。 まさに知るべし、 大小の両寺には一向の言あり。 兼行の寺には一向の言なし。
◇「一向ト」者対スル↢二向等ニ↡之言也。◇例バ彼ノ五天竺ニ有リ↢三ノ寺↡。一ニ者一向大乗寺、此ノ寺ノ之中ニハ無↠学↢小乗ヲ↡。二ニ者一向小乗寺、此寺ノ中ニハ無↠学↢大乗ヲ↡。三ニ者大小兼行寺、此ノ寺之中ニハ大小兼学ス。故ニ云↢兼行寺ト↡。当ニ↠知ル、大小両寺ニハ有↢一向ノ言↡。兼行之寺ニハ無シ↢一向ノ言↡。
いまこの ¬経¼ のなかの一向もまたしかなり。 もし念仏の外にまた余行を加へば、 すなはち一向にあらず。 もし寺に准ぜば、 兼行といふべし。 すでに一向といふ、 余を兼ねざることを明かしぬ。 すでにまづ余行を説くといへども、 後に一向専念といふ。 あきらかに知りぬ、 諸行を廃して、 ただ念仏を用ゐるゆゑに一向といふ。 もししからずは一向の言もつとももつて消しがたきか。
◇今此ノ¬経ノ¼中ノ一向モ亦然ナリ。若シ念仏ノ外ニ亦加ヘバ↢余行ヲ↡、即非↢一向ニ↡。若シ准↠寺ニ者、可↠云↢兼行ト↡。◇既ニ云↢一向ト↡、不ルコト↠兼↠余ヲ明シ矣。既ニ先雖ドモ↠説ト↢余行ヲ↡、後ニ云↢一向専念ト↡。明ニ知ヌ、廃シテ↢諸行ヲ↡、唯用↢念仏ヲ↡故ニ云↢一向ト↡。若シ不↠爾ラ者一向之言最0313モ以テ叵キ↠消歟。
◇二には念仏を助成せんがためにこの諸行を説くとは、 これにまた二の意あり。 一には同類の善根をもつて念仏を助成す。 二には異類の善根をもつて念仏を助成す。
二ニハ為ニ↣助↢成ンガ念仏ヲ↡説クト↢此ノ諸行ヲ↡者、此ニ亦有↢二ノ意↡。一ニハ以↢同類ノ善根ヲ↡助↢成ス念仏ヲ↡。二ニハ以テ↢異類ノ善根ヲ↡助↢成ス念仏ヲ↡。
はじめに同類の助成とは、 前に善導の専修正行のなかの助念これなり。 前にくはしく申しおはりぬ 云々。
○初ニ同類助成ト者、前ニ善導ノ専修正行ノ中ノ助念是也。前ニ委ク申シ了ヌ 云云。
二に異類の善とは、 これ ¬往生要集¼ の意なり。 かの ¬集¼ のなかに、 十門を立てて念仏往生を釈す。 しばらくそのなかの第四は正修念仏、 第五は助念方法なり 云々。
○二ニ異類ノ善ト者、是¬往生要集ノ¼意也。彼ノ¬集ノ¼中ニ、立テ↢十門ヲ↡釈ス↢念仏往生ヲ↡。且ク其ノ中ノ第四ハ正修念仏、第五ハ助念方法ナリ 云云。
正修念仏とは、 これに五念門あり。 そのなかの第四観察門はまさしくこれ念仏門なり 云々。
正修念仏ト者、此ニ有↢五念門↡。其ノ中ノ第四観察門ハ正ク是念仏門也 云云。
助念方法に七あり。 その七とは 云々。 しばらく第七の総結要行 (要集巻中) に 「問ひていはく、 上の諸門のなかに」 等 云々。
助念方法ニ有↠七。其ノ七ト者 云云。且ク第七ノ総結要行ニ「▲問テ云ク、上諸門中」等 云云。
この義はすなはちいまの ¬経¼ の意に似たり。 これはすなはち異類の善根をもつて念仏を助成するなり。 かの ¬集¼ の意念仏を助くるをもつて、 決定往生の業となす 云々。 能助に随はば、 諸行往生といふべし。 いまはしばらく所助に随ひて、 これをもつてまた念仏門となす。
此ノ義ハ即似タリ↢今ノ¬経ノ¼意ニ↡。此ハ即以テ↢異類ノ善根ヲ↡助↢成スル念仏ヲ↡也。彼ノ¬集ノ¼意以↠助↢念仏ヲ↡、為↢決定往生ノ業ト↡ 云云。随↢能助ニ↡者、可↠謂↢諸行往生ト↡。今ハ且ク随テ↢所助ニ↡、以テ↠此ヲ亦為ス↢念仏門ト↡。
三に念仏と諸行とに約して、 おのおの三品を立つとは、 いまの文のなかに菩提心および造像等のもろもろの善根は余経に准ずれば、 おのおのこれ一の往生の業なり。 しかればすなはちこの文は菩提心のもろもろの善根に約して、 おのおの三品を立て、 往生を明かすなり。 いはゆるしばらく菩提心につきて、 上品あり、 中品あり、 下品あり。 上品の発心をもつて、 上品の業となす。 乃至下品の発心をもつて、 下品の業とす 云々。 菩提心すでにしかなり、 造像等またかくのごとし。
○三ニ約↢念仏ト諸行トニ↡、各立ト↢三品ヲ↡者、今ノ文ノ中ニ菩提心及ビ造像等之諸善根ハ准レバ↢余経ニ↡、各ノ是一ノ往生ノ業也。然バ則チ此ノ文ハ約テ↢菩提心ノ諸ノ善根ニ↡、各ノ立テ↢三品ヲ↡、明ス↢往生ヲ↡也。謂ル且ク付テ↢菩提心ニ↡、有↢上品↡、有↢中品↡、有↢下品↡。以↢上品発心ヲ↡、為ス↢上品業ト↡。乃至以↢下品発心ヲ↡、為↢下品ノ業ト 云云。菩提心已ニ然ナリ、造像等亦如↠是ノ。
ゆゑに知りぬ、 この文は諸行につきて三品を分つといふ事、 これまたわたくしの義にあらず。 ¬往生要集¼ のなかにこれらの文を引きて、 また諸行往生の証となす。 ゆゑにまたこの解を作る。 しかのみならず善導の ¬観経の疏¼ に 「復有三種衆生」 (観経) の文を釈するに、 ほぼこの義を見たり 云々。
故ニ知ヌ、此ノ文ハ付↢諸行ニ↡分ト↢三品↡云事、是亦非ズ↢私ノ義ニ↡。▲¬往生要集ノ¼中ニ引テ↢此等ノ文ヲ↡、亦為ス↢諸行往生ノ証ト↡。故ニ亦作ル↢此ノ解ヲ↡。加之善0314導¬観経ノ疏ニ¼釈↢「▲復有三種衆生ノ」文↡、粗見タリ↢此義↡ 云云。
念仏に約して、 三品を立つるは、 ¬往生要集¼ のなかにこの三品の文を引きて、 念仏往生の証拠となす。 その意これに同じ。 これすなはち但念仏往生の義なり。
約↢念仏ニ↡、立↢三品↡者、¬往生要集ノ¼中ニ引テ↢此ノ三品ノ文ヲ↡、為ス↢念仏往生ノ証拠ト↡。其ノ意同↠之ニ。是則チ但念仏往生ノ義也。
問ふ。 念仏の一法につきて、 いかんぞ三品を分つ。
問。付テ↢念仏ノ一法ニ、何分↢三品ヲ↡。
答ふ。 これにしばらく三義あり。 一には返数の多少に約す、 二には時節の長短に約す、 三には観念の浅深に約す。
答。此ニ且ク有↢三義↡。一ニハ約ス↢返数ノ多少ニ↡、二ニハ約ス↢時節ノ長短ニ↡、三ニハ約ス↢観念ノ浅深ニ↡。
一に返数に約して分つとは、 善導の釈 (観念法門意) にいはく、 「▲毎日三万返は上品の業」 と。 云々 これをもつてこれを案ずるに、 二万は中、 一万は下なり。 これすなはち返数の多少に約して三品を分つ義なり。 九品これに准ずべし。
一ニ約シテ↢返数ニ↡分ト者、善導ノ釈ニ云、「毎日三万返ハ上品ノ業。」云云 以テ↠之ヲ案ルニ↠之ヲ、二万ハ中、一万ハ下ナリ也。是則チ約↢返数多少ニ↡分↢三品ヲ↡義也。九品准ベシ↠之ニ。
二に時節に約すとは、 源信僧都 ¬弥陀経の記¼ のなかにかの ¬経¼ の七日の念仏をもつて上品とす。 かれによりてこれを准ぜば、 あるいは十日の念仏をもつて上々品とするべし。 これすなはち一往時節の久近に約して三品を分つなり。 九品これに准ず。
二ニ約ス↢時節↡者、源信僧都¬弥陀経ノ記ノ¼中ニ以↢彼ノ¬経ノ¼七日ノ念仏ヲ↡為↢上品ト↡。彼ニ因准↠之、或ハ以↢十日ノ念仏ヲ↡可↠為↢上々品ト↡。是即チ一往約シテ↢時節ノ久近ニ↡分↢三品ヲ↡也。九品准↠之ニ。
三に観念の浅深に約すとは 云々。
三ニ約ト↢観念ノ浅深ニ↡者 云云。
これをもつてこれを案ずるに、 いまの文も念仏につきて三品を立つるなり。 これによりてこれを案ずるに、 いま三輩の文に、 但念仏の義あり、 助念仏の義あり、 また諸行往生の義あり。 仏一音をもつて法を演説す、 衆生類に随ひておのおの解を得 云々。 仏意多含なり。 いましばらく三解を作る。 次にこの三義につきて、 傍正を論じ、 但念仏をもつて正とし、 余の二を傍とす。 なにをもつてのゆゑに。 仏の本願に准ずるがゆゑに。 前後の多文によるがゆゑに 云々。
以↠之ヲ案ルニ↠之ヲ、今ノ文モ付↢念仏ニ↡立↢三品ヲ↡也。依↠之ニ案↠之ヲ、今三輩ノ文ニ、有↢但念仏義↡、有↢助念仏ノ義、亦有↢諸行往生ノ義↡。仏以↢一音↡演↢説法↡、衆生随↠類各得↠解 云云。仏意多含也。今且ク作ル↢三解ヲ↡。次ニ付↢此ノ三義ニ↡、論↢傍正ヲ↡、以テ↢但念仏ヲ↡為↠正ト、余ノ二ヲ為↠傍ト。以ノ↠何ヲ故ニ。准↢仏ノ本願ニ↡故ニ。依ルガ↢前後ノ多文ニ↡故ニ 云云。
次に中輩の造像につきて、 道鏡ならびに志法縁をもつて釈すべし。 二に願生往生 云々。 中輩にまた諸行および助念ならびに但念あり 云々。
次ニ付テ↢中輩ノ造像ニ↡、以↢道鏡并ニ志法縁ヲ↡可↠釈ス。二ニ願生往生 云云。中輩ニ亦有↢諸行及ビ助念并但念↡ 云云。
入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 中輩文
四には↑中輩の 「一向専念無量寿仏」 (大経巻下) の文。 中輩にまた諸行往生・助念往生・但念仏往生の由あり 云々。
四0315ニハ中輩ノ「▲一向専念無量寿仏ノ」文。中輩亦有↢諸行往生・助念往生・但念仏往生之由↡ 云云。
入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 下輩文
五には↑下輩にまた三あり。 前のごとく下輩の 「一向専念」 (大経巻下) の文、 上輩に例して知るべし、 別にこれを釈せず 云々。 往生の業を修するに、 三の意あり。 一には但念仏、 二には助念、 三には但諸行なり。 聴聞の人々おのおの御心に任せて、 修行せしめたまふべし。 ただし導師の愚意は善導による 云々。 以上正宗おはりぬ。
五ニハ下輩亦有↠三。如↠前ノ下輩「▲一向専念ノ」文、例シテ↢上輩ニ↡可↠知ル、別ニ不↠釈↠之 云云。修↢往生ノ業ヲ↡、有↢三ノ意↡。一ニハ但念仏、二ニハ助念、三ニハ但諸行也。聴聞ノ人人各ノ任テ↢御心ニ↡、可↧令↢修行セ↡給↥。但導師ノ愚意ハ者依↢善導ニ↡ 云云。已上正宗了ヌ。
入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 無上功徳文
六に↑流通のはじめに、 「↓それかの名号を聞くことを得ることありて、 歓喜踊躍して乃至一念せん。 まさに知るべし、 この人はすなはちこれ無上功徳を具足す」 とは、 この文に四の意あり。 一には↓来意、 二には↓助念および諸行を廃して但念仏を明かす、 三には↓一念を挙げて十念等に況す、 四には↓信心不為誹謗を生ず。
六ニ流通ノ初ニ、「▲其有↠得↠聞↢彼名号↡、歓喜踊躍乃至一念。当↠知、此人則是具↢足無上功徳↡」ト者、此ノ文ニ有↢四ノ意↡。一ニハ来意、二ニハ廃シテ↢助念及ビ諸行ヲ↡明↢但念仏ヲ↡、三ニハ挙テ↢一念ヲ↡況ス↢十念等ニ↡、四ニハ生ズ↢信心不為誹謗ヲ↡。
一に↑来意とは、 上の正宗は、 まさしく時会の衆生のために念仏往生の法を説くなり。 いまの流通とは、 ただ当時大利益を獲るのみにあらず、 後五百歳また念仏往生の法を説くなり。 遠く妙道に沾す等 云々。
一ニ来意ト者、上ノ正宗ハ、正ク為↢時会ノ衆生ノ↡説ナリ↢念仏往生ノ法ヲ↡也。今ノ流通ト者、非ズ↣但当時獲ノミニ↢大利益ヲ↡、後五百歳亦説↢念仏往生ノ法ヲ↡也。遠沾↢妙道ニ↡等 云云。
二にはこれは上の↑助念および諸行を廃して但念仏を明かすゆゑとは、 上の本願の願成就の文に但念仏を明かすといへども、 上の来迎の願等のなかおよび次の三輩の文、 助念の往生・諸行の往生を明かす。 これによりてもろもろの往生の行者、 但念・助念・諸行において、 疑網を懐きていまだ決せず。 ゆゑに流通に至りて、 はじめには助念・諸行の二門を廃し、 但念仏の往生を明かず。
二ニハ此ハ廃シテ↢上ノ助念及ビ諸行ヲ↡明↢但念仏↡故ト者、上ノ本願ノ願成就ノ文ニ雖↠明↢但念仏ヲ↡、上ノ来迎ノ願等ノ中及ビ次ノ三輩ノ文明↢助念ノ往生・諸行ノ往生ヲ↡。依↠之ニ諸往生ノ行者、於↢但念・助念・諸行ニ↡、懐テ↢疑網ヲ↡未ダ↠決。故ニ至↢流通ニ↡、初ニハ廃シ↢助念・諸行ノ二門ヲ↡、明↢但念仏ノ往生ヲ↡。
いはく 「↑それかの仏の名号を聞くことを得ることありて」 と。 云々 善導釈 (礼讃) いはく、 「▲それかの弥陀仏の名号を聞くことを得ることありて、 歓喜して一念に至るものみなまさにかしこに得生すべし」 と。 云々
謂ク「其有↠得↠聞↢彼仏名号↡。」云云 善導釈云、「其有↠得↠聞↢彼弥陀仏名0316号↡、歓喜至↢一念↡皆当↠得↢生彼↡。」云云
この義またわたくしの意にあらず、 すなはち善導の御意なり。 この ¬経¼ の三輩のなかに助念および諸行を説き、 後に流通のなかでこれを廃してただ念仏を明かす。
此ノ義亦非ズ↢私ノ意ニ↡、即チ善導ノ御意也。此ノ¬経ノ¼三輩ノ中ニ説↢助念及ビ諸行ヲ↡、後ニ流通ノ中廃シテ↠之ヲ唯明↢念仏ヲ↡。
その次第 ¬観経¼ に似る。 ¬観経¼ のなかには、 まづ広く機縁に逗じ、 十三定善・三福九品の業を説きて諸行往生を明かす。 その次に仏この法をもつて、 付属したまふ文 (観経) にいはく、 「仏阿難に告げたまはく、 なんぢよくこの語を持て」 等と。 云々。
其ノ次第似↢¬観経¼↡。¬観経ノ¼中ニハ、先ヅ広ク逗↢機縁ニ↡、説テ↢十三定善・三福九品ノ之業ヲ↡明ス↢諸行往生ヲ↡。其ノ次ニ仏以↢此ノ法ヲ↡、付属シ給フ文ニ云ク、「▲仏告↢阿難↡、汝好持↢是語↡」等 云云。
善導釈 (散善義) していはく、 「仏告阿難より汝好持是語以下は、 まさしく弥陀名号を付属して、 遐代に流通することを明かす。 上来定散両門の益を説くといへども、 仏の本願に望むるに、 意衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり」 と。 以上
善導釈云ク、「▲従↢仏告阿難↡汝好持是語已下、正明↧付↢属弥陀名号↡、流↦通於遐代↥。上来雖↠説↢定散両門之益↡、望↢仏本願↡、意在↣衆生一向専称↢弥陀仏名↡。」已上
これすでにかくのごとく、 今の ¬経¼ まかくのごとし。 ▼上には機縁に逗じてしばらく助念仏往生および諸行往生の旨を説くといへども、 仏の本願に准ずるゆゑに、 流通の初めに至りて諸行を廃して但念仏に帰するなり。 助行なほこれを廃す、 いはんや但諸行をや 云々。
此已ニ如↠此ノ、今ノ¬経¼亦如↠此ノ。上ニハ逗ジテ↢機縁ニ↡且ク雖↠説ト↢助念仏往生及ビ諸行往生之旨ヲ↡、准↢仏ノ本願ニ↡故ニ、至テ↢于流通ノ初ニ↡廃シテ↢諸行ヲ↡帰スル↢但念仏ニ↡也。助行猶廃ス↠之ヲ、況ヤ但諸行ヲ哉 云云。
三に↑上に念仏往生を説くに、 意三品を説くに、 一念を挙ぐ、 いはんや十念等の文は、 ただ下品の一念往生を明かすのみにあらず、 一念を挙げて十念等に況し、 兼ねて上中二品の往生を明かす。 ゆゑに一念なほ往生す、 いはんや十念をや。 十念なほ往生す、 いはんや多念をや。 一日なほ往生す、 いはんや一月をや。 一月なほ往生す、 いはんや三月・一夏・九旬をや。 一夏なほ往生す、 いはんや一年をや。 一年なほ往生す、 いはんや一生をや 云々。
三上説ニ↢念仏往生ヲ↡、説↢意三品↡、挙↢一念↡、況十念等文者、只非↠明↢下品一念往生ヲ↡、挙↢一念↡況↢十念等↡、兼明↢上中二品往生↡。所以ニ一念猶往生ス、況ヤ十念ヲ哉。十念尚往生ス、況ヤ多念ヲ哉。一日猶往生ス、況ヤ一月ヲ哉。一月猶往生ス、況ヤ三月・一夏・九旬ヲ哉。一夏尚往生ス、況ヤ一年ヲ哉。一年尚往生ス、況ヤ一生ヲ哉 云云。
四に↑生信心不為誹謗といふは、 但念仏往生の文義かくのごとし。 たれの人かこれを聴きて踊躍歓喜せざらん。 しかるにある人これを聴きて誹謗をなす。 まさに知るべし、 この人は五劫のなかに大地獄に堕すべし。 ゆゑに ¬称揚諸仏功徳経¼ (巻下) にいはく、 「それ阿弥陀仏の名号功徳を讃嘆し称揚することを信ぜず、 しかも謗毀することあるものは、 五劫のなかにまさに地獄に堕してつぶさに衆苦を受くべし」 と。 云々
四ニ云↢生信心不為誹謗ト↡者、但念仏往生ノ文義如↠此ノ。誰人カ聴↠之ヲ不↢踊躍歓喜↡。然ニ有0317人聴↠之ヲ為↢誹謗ヲ↡。当ニ↠知ル、此ノ人ハ五劫ノ中ニ可↠堕↢大地獄ニ↡。故ニ¬称揚諸仏功徳経ニ¼云、「其有↧不↠信↤讃↢嘆シ称揚↣コトヲ阿弥陀仏名号功徳ヲ↡、而モ謗毀スルコト↥者、五劫之中ニ当ニ↧堕シテ↢地獄ニ↡具ニ受↦衆苦ヲ↥。」云云
いはく、 まさに地獄に堕すべしいまだいづれの地獄といはず、 つぶさに衆苦を受くといひていまだ何の苦とも説かず。 もしは等活地獄の砕刺し磨眷の苦か、 もしは衆合地獄の両山合来の苦か 云々。 御聴聞の人々、 有智・無智、 若男若女、 貴賎・上下、 願はくはおのおの信心を生じて誹謗をなさざることを 云々。
云、当ニ↠堕↢地獄↡未ダ↠謂↢何ノ地獄ト↡、具ニ受クト↢衆苦ヲ↡云テ未ダ↠説↢何ノ苦トモ↡。若ハ等活地獄砕刺シ磨眷ノ苦歟、若ハ衆合地獄ノ両山合来ノ苦歟 云云。御聴聞ノ人人、有智・無智、若男若女、貴賎・上下、願各各生↢信心ヲ↡不↠為↢誹謗ヲ↡ 云云。
しかればすなはち無量劫のなかにおいて、 たまたまにはじめてこれを聞くことを得、 聞かばすなはち踊躍歓喜すべし、 なんぞ軽易の思ひをなさん、 いかんしてまた誹謗せんや 云々。 設満大千火の義これを釈すべし。
然バ則チ於↢無量劫之中ニ↡、適ニ始テ得↠聞↠之、聞者即可↢踊躍歓喜↡、何為↢軽易之思↡、何シテ亦為ン↢誹謗↡哉 云云。設満大千火之義可↠釈↠之ヲ。
入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 特留此経文
七に ↑「当来の世に経道滅尽せんに、 ↓われ慈悲哀愍をもつて、 ことに此経を留め止住すること百歳せん」 (大経巻下) とは、 この文を釈するに多くの意あり。 一には↓来意、 二には↓まさしく諸行を廃し但念仏を明かす、 *三には↓聖道・浄土二教の滅尽の久近に約して往生を勧む、 四には↓十方浄土・往生極楽二教の滅尽の前後に約して往生を勧む、 五には↓上生と往生との二教の滅尽の久近に約してまた往生を勧む、 六には↓釈迦の慈悲・弥陀の本願に約して往生を勧む。
七ニ「▲当来之世経道滅尽、我以↢慈悲哀愍↡、特留↢此経↡止住百歳ト」者、釈↢此ノ文ヲ↡有↢多ノ意↡。一ニ者来意、二ニ者正廃↢諸行↡明↢但念仏↡、三ニ者約↢聖道・浄土二教滅尽久近ニ↡勧↢往生ヲ↡、四ニハ約↢十方浄土・往生極楽二教滅尽前後ニ↡勧ム↢往生ヲ↡、五ニハ約↢上生ト往生トノ二教ノ滅尽ノ久近ニ↡亦勧↢往生ヲ↡、六ニハ約↢釈迦ノ慈悲・弥陀ノ本願ニ↡勧ム↢往生ヲ↡。
一に↑来意とは、 上の正宗の五文ならびに流通の初めの文、 但念仏往生の義、 文理ともに顕れ了す。 しかるにいまこの文の意は、 諸行往生の義、 念仏往生の経論、 巻を重ね軸を並べてともに正法・末法の間に流布す、 誠に念仏と諸行との両行の是非傍正、 暗にもつて定めがたし。 あるいは諸行往生の経を見て諸行往生の旨を執す、 あるいは念仏往生の経を見て念仏往生の旨を執す。 いずれか是、 いづれか非、 仏にあらずは知りがたし。
一ニ来意ト者、上ノ正宗ノ五文并ニ流通ノ初ノ文、但念仏往生ノ義、文理共ニ顕レ了ス。然ニ今此ノ文ノ意ハ、諸行往生ノ義、念仏往生ノ経論0318、重↠巻ヲ並テ↠軸ヲ共ニ流↢布ス正法・末法之間ニ↡、誠ニ念仏ト諸行トノ両行ノ是非傍正、暗ニ以テ難↠定。或ハ見↢諸行往生之経ヲ↡執↢諸行往生之旨ヲ↡、或ハ見↢念仏往生之経ヲ↡執ス↢念仏往生之旨ヲ↡。何カ是、何カ非、非ズ↠仏ニ者難シ↠知リ。
しかるにいままた百年の時但念仏往生の意を挙げて、 今の時の但念仏往生を勧むるなり。 これまたわたくしの義にあらず、 浄影の ¬双巻経疏¼ (大経義疏意) にいはく、 「後をもつて今を勧む」 と。 ゆゑに上に次ぎてこの文来るなり。
然ニ今復挙テ↢百年之時但念仏往生ノ意↡、勧↢今時ノ但念仏往生ヲ↡也。此亦非↢私ノ義ニ↡、浄影¬双巻経疏¼云、「以↠後ヲ勧↠今ヲ。」故ニ上ニ次テ此ノ文来也。
二に↑くはしく重て諸行を廃し念仏を明かすとは、 諸行につきて略して十三あり、 前に申すがごとし。 一には布施乃至十三は不染利益なり。 要を取りてこれをいふに、 十三のなかにつきて、 持戒往生あり、 持経往生あり。
二ニ委重テ廃↢諸行ヲ↡明↢念仏ヲ↡者、付↢諸行ニ↡略有↢十三、如シ↢前ニ申↡。一ニハ布施乃至十三ハ不染利益也。取テ↠要ヲ言ニ↠之ヲ、付↢十三ノ中ニ↡、有↢持戒往生↡、有↢持経往生↡。
持戒といふは、 ¬四分¼・¬五分¼・¬十誦¼・¬僧祗¼・¬梵網¼・¬地持¼・¬纓絡¼ 等の大小の戒経、 三帰・五戒乃至声聞の具足戒、 菩薩の十重・四十八軽戒乃至三聚浄戒を持つなり。 しかるにかの百歳の時に経道滅尽す。 これらの戒経ことごとく滅尽しなば、 かの時にすでに戒経なし。 戒経なきがゆゑに受戒のものなし。 受戒のものなきがゆゑに持戒のものなし。 持戒のものなきがゆゑに破戒のものなし。 破戒のものなきがゆゑにただ無戒の衆生のみあり。
云↢持戒ト↡者、依↢¬四分¼・¬五分¼・¬十誦¼・¬僧祗¼・¬梵網¼・¬地持¼・¬纓絡¼等ノ大小戒経↡、持↢三帰・五戒乃至声聞具足戒、菩薩十重・四十八軽戒乃至三聚浄戒ヲ↡也。然ニ彼ノ百歳ノ時ニ経道滅尽ス。是等ノ戒経悉ク滅尽ナバ、彼ノ時ニ已ニ無↢戒経↡。無↢戒経↡故ニ無↢受戒ノ者↡。無↢受戒者↡故ニ無↢持戒ノ者↡。無↢持戒ノ者↡故ニ無↢破戒ノ者↡。無↢破戒ノ者↡故ニ有↢唯無戒衆生↡。
しかりといへどもただ至誠に弥陀の名を念ずれば、 つひに往生を得るなり。 この ¬経¼ に持戒の言ありといへども、 いまだ持戒の行相を説かず。 持戒の行相を説くは、 広く大小の戒律にあり。 かの戒律まづ滅しなば、 持戒の行何によりてかこれを修せん。 ゆゑに善導釈して (礼讃) いはく、 「▲万年三宝滅」 等と。 云々。
雖↠然ト唯至誠ニ念↢弥陀ノ名ヲ↡、遂ニ得↢往生↡也。此ノ¬経ニ¼雖↠有↢持戒之言↡、未↠説↢持戒之行相ヲ↡。説↢持戒行相ヲ↡者、広ク在↢大小ノ戒律ニ↡。彼ノ戒律先ヅ滅ナバ、持戒之行何ニ因テカ修ン↠之ヲ。故ニ善導釈云ク、「万年三宝滅」等 云云。
これをもつてこれを案ずるに、 たとひ今の時のわれら、 もつぱら戒行を持たずといへども、 もし一心に念仏せば、 何ぞ往生を遂げざらん。 いはんや今日随分に一戒・二戒を持たんをや。 ゆゑに知りぬ、 別に戒品を持たずといへども、 もしよく念仏せば、 往生極楽を遂ぐべしといふ事を。 このなかに聴聞に集来の人々、 あるいは戒品を持ち、 あるいは戒を持たず、 持戒も破戒も無戒も、 一心に念仏して往生を期すべし。
以テ↠之ヲ案0319ルニ↠之ヲ、設ヒ今時ノ我等、専雖↠不↠持↢戒行ヲ↡、若シ一心ニ念仏セバ、何ゾ不↠遂↢往生ヲ↡。況ヤ今日随分ニ持ム↢一戒・二戒ヲ↡哉。故ニ知ヌ、別ニ雖↠不↠持↢戒品ヲ↡、若シ能ク念仏セバ、遂ベシト↢往生極楽ヲ↡云事ヲ。此ノ中ニ聴聞集来ノ人人、或ハ持↢戒品ヲ↡、或ハ不↠持↠戒、持戒モ破戒モ無戒モ、一心ニ念仏シテ可↠期↢往生ヲ↡。
この ¬経¼ に菩提心の言ありといへども、 いまだ菩提心の行相を説かず。 しかるに菩提心の行相を説くは、 広く ¬菩提心経¼ 等にあり。 かの ¬経¼ まづ滅しなば、 菩提心の行何によりてこれを修してか往生したまはん。
此ノ¬経ニ¼雖↠有↢菩提心之言↡、未ダ↠説↢菩提心之行相ヲ↡。而ニ説↢菩提心之行相ヲ↡者、広ク在↢¬菩提心経¼等ニ↡。彼ノ¬経¼先ヅ滅ナバ、菩提心之行何ニ因テ修シテカ↠之ヲ往生シ給ハン。
また次に読誦往生あり。 読誦とは、 持経・持呪の往生なり。 持経につきて、 ¬華厳¼ あり、 ¬法華¼ ありおよび諸大乗経あり。 しかるにいまかの百歳の時の衆生はこれらの諸経滅尽するがゆゑに、 この ¬経¼ を持たずこの ¬経¼ 留まるがゆゑに、 ¬経¼ によりて念仏してすなはち往生を得べし。 ゆゑに善導釈して (礼讃) いはく、 「万年三宝滅」等と。 云々。
復次ニ有↢読誦往生↡。読誦ト者、持経・持呪ノ往生也。付テ↢持経ニ↡、有↢¬華厳¼、有↢¬法華¼↡及ビ有↢諸大乗経↡。然ニ今彼ノ百歳ノ時ノ衆生ハ此等ノ諸経滅尽ルガ故ニ、雖↠不↠持↢此ノ¬経¼↡此ノ¬経¼留ルガ故ニ、依テ↠¬経ニ¼念仏シテ即得ベシ↢往生ヲ↡。故ニ善導釈シテ云、「万年三宝滅」等 云云。
これをもつてこれを案ずるに、 今の時たとひ ¬華厳¼・¬法華¼ 等を持たずといへども、 ただよく念仏せばなんぞ往生を遂げざらん。 いま聴聞に集来の人々の御中に、 あるいは ¬華厳¼ の普賢の十願を持つ人あり、 あるいは持たざる人あり。 あるいは ¬法華¼ を持つ人あり、 あるいは持たざる人あり。 諸大乗経またかくのごとし。 持経・不持経を簡ばず、 転読・不転読を論ぜず、 往生の志御ましませばただよく弥陀の名号を念ずべし。
以テ↠之ヲ案ルニ↠之ヲ、今時設ヒ雖↠不↠持↢¬華厳¼・¬法華¼等ヲ↡、但能ク念仏セバ何ゾ不ン↠遂↢往生ヲ↡。今聴聞集来ノ人人ノ御中ニ、或ハ有↧持ツ↢¬華厳ノ¼普賢ノ十願ヲ↡人↥、或ハ有↢不ル↠持人↡。或ハ有↧持ツ↢¬法華ヲ¼↡人↥、或ハ有↢不↠持人↡。諸大乗経亦如↠此ノ。不↠簡↢持経・不持経ヲ↡、不↠論↢転読・不転読↡、往生ノ志御坐唯能ク可↠念↢弥陀ノ名号ヲ↡。
次に持呪につきて、 呪とはこれ諸陀羅尼なり。 陀羅尼につきて、 随求あり、 尊勝あり、 宝篋印あり、 光明真言あり、 およびもろもろの神呪あり。 持てばみな往生を得。 しかるにかの百歳の時には経道滅尽といひて、 これらの陀羅尼ことごとく滅尽すべし。 これによりてかの時の衆生、 一人も持呪のものあることなし。 もししかれば、 たとひ呪を持たずといへども、 みな弥陀の名号を念じてことごとく往生を得。 たとひ今の時のわれらも、 神呪を持たずといへども、 もしよく念仏せばなんぞ往生せざらん。
次ニ付テ↢持呪ニ↡、呪ト者此諸陀羅尼也。付テ↢陀羅尼ニ↡、有↢随求↡、有↢尊勝↡、有↢宝篋印↡、有リ↢光明真言↡、及ビ有↢諸ノ神呪↡。持者皆得↢往生↡。然ニ彼ノ百歳0320ノ時ニハ云テ↢経道滅尽↡、此等ノ陀羅尼悉ク滅尽スベシ。依↠之ニ彼ノ時ノ衆生、無シ↠有コト↢一人モ持呪ノ者↡。若シ然者、設ヒ雖↠不↠持↠呪、皆念↢弥陀ノ名号ヲ↡悉ク得↢往生↡。設ヒ今時ノ我等モ、雖↠不↠持↢神呪ヲ↡、若シ能ク念仏セバ何ゾ不ン↢往生セ↡。
これをもつてこれを知りぬ、 今の時の聴聞の諸衆、 あるいは尊勝を持つ人あり、 あるいは持たざる人あり。 あるいは宝篋印・光明真言を持つ人あり、 あるいは持たざる人あり。 持呪・不持呪を論ぜず。 もし往生の志あらば、 ただ仏名を念ずべし。
以テ↠之ヲ知ヌ↠之ヲ、今時ノ聴聞ノ諸衆、或ハ有↧持↢尊勝ヲ↡人↥、或ハ有↢不ル↠持人↡。或ハ有↧持↢宝篋印・光明真言ヲ↡人↥、或ハ有↢不ル↠持人↡。不↠論↢持呪・不持呪ヲ↡。若有バ↢往生ノ志↡、唯可↠念↢仏名ヲ↡。
ゆゑに善導の ¬往生礼讃¼ に釈していはく、 「万年に三宝滅せんに、 この ¬経¼ 住すること百年せん。 その時一念を聞かば、 みなまさにかしこに得生すべし」 と。
○故ニ善導ノ¬往生礼讃ニ¼釈シテ云、「万年三宝滅、此¬経¼住百年。爾時聞↢一念↡、皆当↠得↢生彼↡。」
この文を釈するに、 略して四の意あり。 一には聖道と浄土との二教住滅の前後、 二には十方と西方との二教住滅の前後、 三には都率と西方との二教の住滅の前後、 四には念仏と諸行との住滅の前後なり。
◇釈ルニ↢此ノ文ヲ↡、略シテ有↢四ノ意↡。一ニ者聖道ト浄土トノ二教住滅ノ前後、二ニ者十方ト西方トノ二教住滅ノ前後、三ニ者都率ト西方トノ二教ノ住滅ノ前後、四ニ者念仏ト諸行トノ住滅ノ前後也。
一に↑聖道と浄土との二教の住滅の前後とは、 いはく聖道門の諸経はまづ滅す、 ゆゑに 「経道滅尽」 といふ。 浄土門のこの ¬経¼ は特り留まるゆゑに 「止住百歳」 といふなり。 まさに知るべし、 聖道の機縁は浅薄にして、 浄土の機縁は深厚なり。
◇一ニ聖道ト浄土トノ二教ノ住滅ノ前後ト者、謂ク聖道門ノ諸経ハ先滅ス、故ニ云↢「経道滅尽ト」↡。浄土門ノ此ノ¬経ハ¼特リ留ル故ニ云↢「止住百歳ト」↡也。当ニ↠知ル、聖道機縁ハ浅薄ニシテ、浄土ノ機縁ハ深厚也。
二に↑十方と西方との二教の住滅の前後とは、 いはく十方浄土往生の諸教はまづ滅す、 ゆゑに 「経道滅尽」 といふ。 西方浄土往生のこの ¬経¼ は特り留まるゆゑに 「止住百歳」 といふなり。まさに知るべし、 十方浄土の機縁は浅薄にして、 西方浄土の機縁は深厚なり。
◇二ニ十方ト西方トノ二教住滅前後ト者、謂ク十方浄土往生ノ諸教ハ先ヅ滅ス、故ニ云↢「経道滅尽ト」↡。西方浄土往生ノ此¬経ハ¼特リ留ル故ニ云↢「止住百歳ト」↡也。当ニ↠知ル、十方浄土ノ機縁ハ浅薄ニシテ、西方浄土ノ機縁ハ深厚也。
三に↑都率と西方との二教の住滅の前後とは、 いはく ¬上生¼・¬心地¼ 等の上生都率の諸教はまづ滅す、 ゆゑに 「経道滅尽」 といふ。 往生西方のこの ¬経¼ は特り留まるゆゑに 「止住百歳」 といふなり。 まさに知るべし、 都率は近しといへども縁浅し、 極楽は遠しといへども縁深きなり。
◇三ニ都率ト西方トノ二教ノ住滅ノ前後ト者、謂ク¬上生¼・¬心地¼等ノ上生都率ノ諸教先0321ヅ滅ス、故ニ云↢「経道滅尽ト」↡。往生西方ノ此ノ¬経ハ¼特リ留ル故ニ云↢「止住百歳ト」↡也。当ニ↠知ル、都率ハ雖↠近ト縁浅シ、極楽ハ雖↠遠ト縁深キ也。
四に↑念仏と諸行との二行の住滅の前後とは、 諸行往生の諸教はまづ滅す、 ゆゑに 「経道滅尽」 といふ。 念仏往生のこの ¬経¼ は特り留まるゆゑに 「止住百歳」 といふなり。 まさに知るべし、 諸行往生の機縁はもつとも浅し、 念仏往生の機縁ははなはだ厚きなり。 しかのみならず諸行往生の縁は少く、 念仏往生の縁は多し。 また諸行の往生は近く末法万年の時に局れり、 念仏往生は遠く法滅百歳の代を霑すなり。
◇四ニ念仏ト諸行トノ二行ノ住滅ノ前後ト者、諸行往生ノ諸教ハ先滅ス、故ニ云↢「経道滅尽ト」↡。念仏往生ノ此ノ¬経ハ¼特リ留ル故ニ云↢「止住百歳ト」↡也。当ニ↠知ル、諸行往生ノ機縁ハ最モ浅シ、念仏往生ノ機縁ハ甚厚キ也。◇加之諸行往生ノ縁ハ少ク、念仏往生ノ縁ハ多シ。又諸行ノ往生ハ近ク局レリ↢末法万年之時ニ↡、念仏往生ハ遠ク霑ス↢法滅百歳之代ヲ↡也。
問ひていはく、 すでに 「↑我以慈悲哀愍、 特留此経止住百歳」 といふ。 もししかれば、 釈尊慈悲をもつてしかも経教を留めたまはば、 いづれの経いづれの教かしかも留めたまはざらんや。 しかもなんぞ余経を留めずただこの ¬経¼ を留めたまふや。
◇問曰ク、既ニ云↢「我以慈悲哀愍、特留此経止住百歳ト」↡。若シ而者、釈尊以↢慈悲ヲ↡而モ留タマハヾ↢経教ヲ↡、何ノ経何ノ教カ而モ不ン↠留タマハ也。而モ何ゾ不↠留メ↢余経ヲ↡唯留タマフ↢此¬経ヲ¼乎。
答へていはく、 たとひいづれの経を留むといへども、 別に一経を指さばまたこの難を避らじ。 ただし特りこの ¬経¼ を留めたまふはその深意あるか。 もし善導和尚の意によらば、 この ¬経¼ のなかにすでに弥陀如来の念仏往生の本願を説く。 釈迦の慈悲念仏を留めんがために、 殊にこの ¬経¼ を留めたまふ。 余経のなかには、 いまだ弥陀如来の念仏往生の本願を説かず、 ゆゑに釈尊の慈悲もつてしかもこれを留めたまはざるなり。
◇答曰ク、縦ヒ雖ドモ↠留ト↢何ノ経↡、別ニ指サ↢一経ヲ↡者亦不↠避ラ↢此ノ難ヲ↡。但特リ留タマフハ↢此ノ¬経ヲ¼↡有ル↢其ノ深意↡歟。◇若シ依↢善導和尚ノ意ニ↡者、此¬経¼之中ニ已ニ説↢弥陀如来ノ念仏往生ノ本願ヲ↡。釈迦慈悲為↠留ンガ↢念仏ヲ↡、殊ニ留↢此ノ¬経ヲ¼↡。余経之中ニハ、未ダ↠説↢弥陀如来念仏往生ノ本願ヲ↡、故ニ釈尊ノ慈悲以テ而モ不↠留↠之ヲ也。
およそ四十八願みな本願なりといへども、 殊に念仏をもつて往生の規とす。 ゆゑに善導釈して (法事讃巻上) いはく、 「弘誓多門にして四十八なれども、 ひとへに念仏を標してもつとも親とす。 人よく仏を念ずれば、 仏還りて念じたまふ。 専心に仏を想へば、 仏人を知りたまふ」 と。 以上 ゆゑに知りぬ、 四十八願のなかに、 すでに念仏往生の願をもつてしかも本願のなかのあるじとなすなり。 これをもつて釈迦の慈悲特にこの ¬経¼ をもつて止住すること百歳なり。
◇凡ソ四十八願皆雖↢本願ナリト↡、殊ニ以テ↢念仏ヲ↡為↢往生ノ規ト↡。故ニ善導釈シテ云ク、「弘誓多門ニシテ四十八ナレドモ、偏ニ標↢念仏ヲ↡最為↠親ト。人能ク念レバ↠仏ヲ、仏還テ念タマフ。専心ニ想ヘバ↠仏ヲ、仏知タマフ↠人。」已上 ◇故ニ知ヌ、四十八願之中ニ、既ニ以↢念仏往生之願0322ヲ↡而モ為ス↢本願之中ノ主ト↡也。◇是ヲ以テ釈迦ノ慈悲特ニ以テ↢此ノ¬経ヲ¼↡止住コト百歳也。
例せばかの ¬観無量寿経¼ のなかに、 定散の行を付属せず、 ただ孤り念仏の行を付属したまふがごとし。 これすなはちかの仏の願に順ずるがゆゑに、 念仏の一行を付属するなり。
◇例セバ如↧彼ノ¬観無量寿経ノ¼中ニ、不↣付↢属定散之行ヲ↡、唯孤リ付↦属タマフガ念仏之行ヲ↥。是即チ順ルガ↢彼ノ仏ノ願ニ↡之故ニ、付↢属スル念仏ノ一行ヲ↡也。
問ひていはく、 百歳の間念仏を留むべきこと、 その理しかるべし。 この念仏の行はただかの時の機に被らんとやせん、 はた正像末の機に通ずとやせん。
◇問曰ク、百歳之間可コト↠留↢念仏ヲ↡、其ノ理可↠然ル。此ノ念仏ノ行ハ唯為ン↠被ムトヤ↢彼ノ時ノ機ニ↡、将為ン↠通トヤ↢於正像末之機ニ↡也。
答へていはく、 広く正像末に通ずべし。
◇答曰ク、広ク可↠通↢於正像末ニ↡。
また次に諸宗諸家の甚深理観の行あり。 いはく法相宗の五重唯識・三性三無性の観、 三論宗の八不中道・勝義皆空の観、 華厳宗の十玄・六相・法界円融の観、 天台宗の一念三千・一心三諦の観、 達磨宗の即心是仏・一念不生の観、 真言宗の阿字本不生・三密同体の観。
復次ニ有リ↢諸宗諸家ノ甚深理観之行↡。云ク法相宗ノ五重唯識・三性三無性ノ観、三論宗ノ八不中道・勝義皆空ノ観、華厳宗ノ十玄・六相・法界円融ノ観、天臺宗ノ一念三千・一心三諦ノ観、達磨宗ノ即心是仏・一念不生ノ観、真言宗ノ阿字本不生・三密同体ノ観。
これらのもろもろの理観の法はみな経論によりてこれを建立す。 しかるにかの時にすでに所依の経ことごとく滅尽しなば、 能依の章疏みな塵埃となるべし。 八宗・九宗の章疏ことごとく滅尽しなば、 何によりてかの時の衆生理観を修せん。 しかりといへども独りこの ¬経¼ を留むるゆゑに、 この ¬経¼ によりて理観を修せずといへども、 弥陀の名を称し、 一心に乱れずは、 みな往生することを得べし。
此等ノ諸ノ理観ノ法ハ皆依テ↢経論ニ↡建↢立ス之ヲ↡。然ニ彼ノ時ニ已ニ所依ノ経悉ク滅尽ナバ、能依ノ章疏皆成ルベシ塵埃ト↡。八宗・九宗ノ章疏悉ク滅尽ナバ、依テカ↠何ニ彼ノ時ノ衆生修ン↢理観↡。雖ドモ↠然ト独リ留↢此¬経ヲ¼故ニ、依↢此ノ¬経ニ¼↡雖↠不↠修↢理観ヲ↡、称↢弥陀ノ名ヲ↡、一心ニ不ハ↠乱、皆得ベシ↢往生コトヲ↡。
これをもつてこれを思ふに、 今の時のわれら、 たとひ法相・三論の学徒なりといへども、 五重唯識・勝義皆空の観をも修せず。 たとひ華厳・天台の門人なりといへども、 法界円融・一念三千の観をも修せず。 たとひ禅門・三密の行者なりといへども、 即心是仏・阿字本空を観ぜずとも、 なんぞ一心に称名して往生せざらんや。
以↠之ヲ思↠之ヲ、今時ノ我等、設ヒ雖↠為↢法相・三論ノ学徒↡、不↠修↢五重唯識・勝義皆空ノ観ヲモ↡。設ヒ雖↠為↢華厳・天臺ノ門人↡、不↠修↢法界円融・一念三千ノ観ヲモ↡。設雖↠為↢禅門・三密ノ行者↡、不トモ↠観↢即心是仏・阿字本空ヲ↡、何ゾ一心ニ称名シテ不ン↢往生↡哉。
これをもつてこれを案ずるに、 いま聴聞の諸衆の御中に、 あるいは五重唯識・勝義皆空の観を修する人もあり、 あるいは修せざる人もあり。 あるいは華厳・天台の観門を修する人もあり、 修せざる人もあり。 あるいは禅門・三密の即心是仏・阿字本空を修する人もあり、 修えざる人もあり。 諸宗の理観において修習するものに、 往生極楽沙汰に及ばず。 たとひ理観を修せずといへども、 本願を馮みて一心に称念せば、 なんぞ往生を遂げざらん。
以↠之ヲ案ルニ↠之0323ヲ、今聴聞ノ諸衆ノ御中ニ、或ハ有↧修スル↢五重唯識・勝義皆空ノ観ヲ↡人モ↥、或ハ有↢不ル↠修人モ↡。或ハ有↧修スル↢華厳・天臺ノ観門ヲ↡人モ↥、有↢不ル↠修人モ↡。或ハ有↧修スル↢禅門・三密ノ即心是仏・阿字本空ヲ↡人モ↥、有↢不ル↠修人モ↡。於テ↢諸宗ノ理観ニ↡於↢修習スル者ニ↡、往生極楽不↠及↢沙汰↡。設ヒ雖↠不↠修↢理観ヲ↡、馮テ↢本願ヲ↡一心ニ称念セ者、何ゾ不ン↠遂↢往生ヲ↡。
次にただ名号を唱ふる事盛りなるがゆゑに、 善導釈して (礼讃) いはく、 「万年三宝滅」 と。 云々 ▼始皇五経の ¬毛詩¼ を焼くも誦失せず、 人口にあるがゆゑに。 弥陀の名号を称するもこれに例すべし ゆゑに知りぬ、 往生極楽の道はもつぱら弥陀の名号を念ずるに過ぎたるはなし 云々。
次ニ唯唱↢名号ヲ↡事盛ルガ故ニ、善導釈云ク、「万年三宝滅。」云云 始皇焼↢五経¬毛詩¼↡不↠失↠誦、在↢人口↡之故。称↢弥陀名号↡可↠例↠之 故ニ知ヌ、往生極楽ノ道ハ専無シ↠過↠念↢弥陀ノ名号ヲ↡ 云云。
次になんがゆゑぞ独り念仏の行昌りなるや。 いまこの ¬経¼ のなかにくはしくこれを尋ぬれば、 傍正においてこれを論ぜば、 念仏をもつて正となす、 諸行をもつて傍となす。 ゆゑに知りぬ、 往生の行は、 念仏をもつて正とし、 諸行をもつて傍とす。 しかればすなはち今の行人傍を捨てて正を行ふをなす 云々。 次に玄通の縁、 その文別にあり
次ニ何ガ故ゾ独念仏ノ行昌ナルヤ耶。今此ノ¬経ノ¼中ニ委ク尋↠之ヲ者、於↢傍正ニ↡論↠之ヲ者、以↢念仏↡為ス↠正ト、以テ↢諸行↡為ス↠傍ト。故ニ知ヌ、往生之行者、以テ↢念仏ヲ↡為↠正ト、以↢諸行ヲ↡為↠傍ト。然バ則今行人捨テ↠傍ヲ為↠行フヲ↠正ヲ 云云。 次玄通縁、其文有↠別
そもそも上には善導・道綽の御意を捜り、 下に ¬往生要集¼ 等の意によりて、 殊に愚意を抽でて、 両巻の経文において要を取り詮を抽きて、 ほぼ解釈しおはりぬ。 もし万が一も仏意に階ふ事あらば、 願はくは自他ともに浄土に帰し菩提においておのおの不退を得しめんとす。 ▲もし文理において謬りあらば、 願はくは大衆の御証誠を仰ぎよろしく三宝の照見を馮むべし、 仰ぎ乞ひねがはくは 云々。
抑上ニハ捜リ↢善導・道綽ノ御意ヲ↡、下ニ依テ↢¬往生要集¼等ノ意ニ↡、殊ニ抽デヽ↢愚意ヲ↡、於テ↢両巻ノ経文ニ↡取↠要ヲ抽テ↠詮ヲ、粗解釈シ了ヌ。若シ有バ↧万ガ一モ階コト↢仏意ニ↡事↥、願クハ為↧自他倶ニ帰↢浄土ニ↡於↢菩提ニ↡各ノ令↞得↢不退↡。若シ於↢文理ニ↡有ラ↠謬者、願ハ仰↢大衆ノ御証誠ヲ↡宜ク↠馮↢三宝照見ヲ↡、仰乞 云云。
無0324量寿経釈
延書は底本の訓点に従って有国が行った。 なお、 訓(ルビ)の表記は現代仮名遣いにしている。
流通 以下に該当する本文なし。
三・四・五・六 同内容の別項目に置き換わっている。