西方指南抄上本

(1) 法然聖人御説法事

法然ほふねん聖しやう人にん御ご説法せちぽうの事こと

 ・仏身

経きやう証しようの中なかに、 仏ほとけの功く徳どくをとけるに无む量りやうの身しんあり。 あるいは総そうじて一身ゐちしんをとき、 あるいは二に身しんをとき、 あるいは半はん三身さむしんをとき、 乃ない至し ¬華厳くゑごむ経ぎょう¼ には十身じふしんの功く徳どくとけり。 いま且しばらく真身しんしん・化身くゑしんの二に身しんをもて、 弥陀みだ如来によらいの功く徳どくを讃嘆さんだんしたてまつらむ。©この真化しんくゑ二に身しんをわかつこと、 ▲¬双そう巻経くわんぎやう¼ の三輩さむぱいの文もんの中なかにみえたり。

 ・仏身 ・真身

まづ真身しんしんといふは、 真実しんじちの身しんなり。 弥陀みだ如来によらいの因いん位ゐのとき、 世自せじ在王ざいわう仏ぶちのみもとにして四し十八じふはち願ぐわんをおこしてのち、 兆載てうさい永ゐやう劫ごふのあひだ、 布施ふせ・持ぢ戒かい・忍辱にんにく・精しやう進じん等とうの六ろく度ど万まん行ぎやうを修しゅして、 あらはしえたまへるところは、 修因しゅいん感果かむくわの身しんなり。©¬観経くわんぎやう¼ (意) にときていはく、 「▲その身しん量りやう、 六十ろくじふ万億まんおく那由なゆ他た恒ごう河が沙しや由ゆ旬じゅんなり。 ◆眉み間けんの自びやく毫がう、 右みぎにめぐりて五ご須しゅ弥み山せんのごとしと。 その一ゐち須しゅ弥み山せんのたかさ、 出しゆつ海かい・ウミヨリイデ 入海にふかいおのウミニイレルコト おの八万はちまん四し千せん那由なゆ他たなり。 また青しやう蓮れん慈悲じひの御おむまなこは、 四し大だい海水かいしゐのごとくして清白しやうびやく分ぶん明みやうなり。 身みのもろもろの毛もう孔くより光明くわうみやうをはなちたまふこと、 須しゅ弥み山せんのごとし。©◆うなじにめぐれる円ゑん光くわうは、 百ひやく億おくの三千さむぜん大千だいせん世せ界かいのごとし。©◆かくのごとくして八万はちまん四し千せんの相さうまします。 一一ゐちゐちの相さうにおのおの八万はちまん四し千せんの好かうあり、 一一ゐちゐちの好かうにまた八万はちまん四し千せんの光明くわうみやうまします。 その一一ゐちゐちの光明くわうみやう、 あまねく十方じふぱう世せ界かいの念仏ねむぶちの衆しゆ生じやうを摂取せふしゆしてすてたまはず。 ▲御ごオム身しん ミ のいろは、 夜摩やま天てんの閻えむ浮ぶ檀だん金ごんのいろのごとし」 といへり。©これ弥陀みだ一仏ゐちぶちにかぎらず、 一切ゐちさい諸仏しよぶちはみな黄金わうごむのいろなり。 もろもろのいろの中なかには白びやく色しきをもて本ほんとすとまふせば、 仏ほとけの御おむいろも白びやく色しきなるべしといゑども、 そのいろなほ損そんずるいろなり。 たゞ黄金わうごむのみあて不ふ変へんカワラヌのいろなり。 このゆへに、 十方じふぱう三さむ世ぜの一切ゐちさいの諸仏しよぶち、 みな常じやう住じゆ不ふ変へんの相さうをあらわさむがために、 黄金わうごむのいろを現げんじたまへるなり。 これ ¬観くわん仏ぶち三昧ざむまい経きやう¼ のこゝろなり。©たゞし真言しんごん宗しゆの中なかに五ご種しゆの法ほふあり。 その本尊ほんぞんの身色しんじき、 法ほふにしたがふて各別かくべちなり。 しかれども暫さむ時じシバラク方便はうべんのノトキナリ 化くゑ身しんなり、 仏ほとけの本色ほんじきにはあらず。©このゆへに、 仏像ぶちざうをつくるにも、 白びやく檀だんの採色さいしきなれども功く徳どくをえざるにあらずといへども、 金色こむじきにつくりつれば、 すなわち決定くゑちじやう往わう生じやうの業因ごふいんなり。©即そく生しやうの功く徳どく、 略りやくを存ぞんずるにかくのごとし。 「即そく生しやう乃ない至し三さむスナワチワウジヤウスト 生しやうに必得ひちとく往わう生じやうカナラズワウジヤウヲ」 といウルトナリ へり。 これ弥陀みだ如来によらいの真身しんしんの功く徳どく、 略りやくを存ぞんずるにかくのごとし。

 ・仏身 ・化身

次つぎに化身くゑしんといふは、 无而むに欻くつ有うを化くゑとカタチモナクシテイヅヲヲイフ いふ。 すなわち機きにしたがふときに応おうじて身しん量りやうを現げんずること、 大小だいせう不ふ同どうなり。 ¬経きやう¼ (観経) に、 「▲あるいは大身だいしんを現げんじて虚空こくにみつ、 あるいは小身せうしんを現げんじて丈じやう六ろく、 八はち尺しやく」 といへり。 化身くゑしんにつきて多た種しゆあり。

 ・仏身 ・化身 ・円光の化仏

まづ円ゑん光くわうの化仏くゑぶち。 ¬経きやう¼ (観経) にいはく、 「▲円ゑん光くわうのなかにおいて、 百ひやく万億まんおく那由なゆ他た恒ごう河が沙しやの化仏くゑぶちまします。 一一ゐちゐちの化仏くゑぶちに衆しゆ多た无む数しゆの化くゑ菩ぼ薩さちをもて、 侍じ者しやとせり」 といへり。

 ・仏身 ・化身 ・摂取不捨の化仏

つぎに摂取せふしゆ不ふ捨しやの化仏くゑぶち。 「▲光明くわうみやう遍照へんぜう、 十方じふぱう世せ界かい、 念仏ねむぶち衆しゆ生じやう、 摂取せふしゆ不ふ捨しや」 (観経) といふは、 この真仏しんぶちの摂取せふしゆなり。 このほかに化仏くゑぶちの摂取せふしゆあり。 卅さむじふ六ろく万億まんおくの化仏くゑぶち、 おのおの真仏しんぶちとともに十方じふぱう世せ界かいの念仏ねむぶち衆しゆ生じやうを摂取せふしゆしたまふといへり。

 ・仏身 ・化身 ・来迎引接の化仏

次つぎに来迎らいかう引接いんぜふの化仏くゑぶち。 九く品ぼむの来迎らいかうにおのおの化仏くゑぶちまします。 品ほむにしたがふて多た少せうあり。 上じやう品ぼむ上生じやうしやうの来迎らいかうには、 ▲真仏しんぶちのほかに无む数しゆの化仏くゑぶちまします。 上じやう品ぼむ中ちう生しやうには、 ▲千せんの化仏くゑぶちまします。 上じやう品ぼむ下げ生しやうには、 ▲五ご百ひやくの化仏くゑぶちまします。 乃ない至しかくのごとく次し第だいにおとりて、 下げ品ぼむ上生じやうしやうには、 ▲真仏しんぶちは来迎らいかうしたまはず、 たゞ化仏くゑぶちと化くゑ観くわん音おむ・勢せい至しとをつかはす。 その化仏くゑぶちの身しん量りやう、 あるいは丈じやう六ろく、 あるいは八はち尺しやくなり。 化くゑ菩ぼ薩さちの身しん量りやうもそれにしたがふて、 下げ品ぼむ中ちう生しやうは、 「▲天華てんぐゑの上うへに化仏くゑぶち・菩ぼ薩さちましまして、 来迎らいかうしたまふ」 (観経意) といへり。 下げ品ぼむ下げ生しやうは、 「▲命みやう終じゆしてイノチオハルトナリのち、 金こむ蓮華れんぐゑをみる。 猶ゆ如にょ日輪にちりんヒノゴトクシテ 住ぢゆ其ご人前にんぜん」 (観経)ソノヒトノマヘニアラワルトナリ   といへり。 文もんのごとくは、 化仏くゑぶちの来迎らいかうもなきやうにみえたれども、 善導ぜんだうの御おむ心こゝろは、 ¬観経くわんぎやうの疏しよ¼ (散善義) の十じふ一ゐち門もんの義ぎによらば、 第だい九く門もんに 「▲命みやう終じゆのとき、 聖しやう衆じゆの迎接かうせふしたまふ不ふ同どう、 去時さるときの遅ちオソキ疾しちトキをあかす」 といへり。 また 「▲いまこの十じふ一ゐち門もんの義ぎは、 九く品ぼむの文もんに約対やくたいせり。 一一ゐちゐちの品ほむのなかに、 みなこの十じふ一ゐちあり」 といへり。 しかれば、 下げ品ぼむ下げ生しやうにも来迎らいかうあるべきなり。 しかるを五ご逆ぐゐやくの罪人ざいにん、 そのつみおもきによりて、 まさしく化仏くゑぶち・菩ぼ薩さちをみることあたはず、 たゞわが座ざすべきところの金こむ蓮華れんぐゑばかりをみるなり。 あるいはまた文もんに隠顕おむけんあるなり。

 ・仏身 ・化身 ・本尊のための化仏

次つぎにまた十方じふぱうの行ぎやう者じやの本尊ほんぞんのために、 小身せうしんを現げんじたまへる化仏くゑぶちあり。 天竺てんぢくの鶏けい頭摩づま寺じの五通ごつの菩ぼ薩さち、 神足じんそく通つをして極楽ごくらく世せ界かいにまうでて、 仏ほとけにまふしてまうさく、 娑しや婆ば世せ界かいの衆しゆ生じやう、 往わう生じやうの行ぎやうを修しゆせむとするに、 その本尊ほんぞんなし。 仏ほとけ、 ねがわくは、 ために身相しんさうを現げんじたまへと。 仏ほとけ、 すなわち菩ぼ薩さちの請しやうにおもむきて、 樹きの上うへに化仏くゑぶち五ご十じふ体たいを現げんじたまへり。 菩ぼ薩さち、 すなわちこれをうつして、 よにひろめたり。 鶏けい頭摩づま寺じの五通ごつの菩ぼ薩さちの曼まん陀羅だらといへる、 すなわちこれなり。 また智ち光くわうの曼まん陀羅だらとて、 世せ間けんに流布るふしたる本尊ほんぞんあり。 その因縁いんねんは人ひとつねにしりたることなり、 つぶさにまふすべからず。 ¬日本にちぽん往わう生じやう伝でん¼ をみるべし。

 ・仏身 ・化身 ・教化説法の化仏

また新しん生しやうの菩ぼ薩さちを教化けうくゑし、 説法せちぽうせむがために、 化くゑして小身せうしんを現げんじたまへることまします。 これはこれ、 弥陀みだ如来によらいの化身くゑしんの功く徳どく、 また略りやくしてかくのごとし。

 ・来迎

いまこの造立ざうりふせられたまへる仏ほとけは、 祇ぎ薗おん精しやう舎じやの風ふをつたへて三さむ尺じやくの立像りふざうをうつし、 最さい後ご終焉しふえんのゆふべを期ごして来迎らいかう引接いんぜふにつくれり。 おほよそ仏像ぶちざうを造ざう画ゑすツクリカクナリるに種種しゆじゆの相さうあり。 あるいは説法せちぽう講堂かうだうの像ざうあり、 あるいは池ち水しゐ沐浴もくよくの像ざうあり、 あるいは菩ぼ提だい樹じゆ下げ成じやう等とう正しやう覚がくの像ざうあり、 あるいは光明くわうみやう遍照へんぜう摂取せふしゆ不ふ捨しやの像ざうあり。 かくのごときの形ぎやう像ざうを、 もしはつくり、 もしは画ゑしカクナリたてまつる。 みな往わう生じやうの業ごふなれども、 来迎らいかう引接いんぜふの形ぎやう像ざうは、 なほその便びん宜ぎをえたるなり。 かの尽じん虚空こく界かいの荘しやう厳ごむをみ、 転妙てんめう法輪ほふりんの音おん声じやうをきゝ、 七宝しちぽう講堂かうだうのみぎりにのぞみ、 八はち功く徳どく池ちのはまにあそび、 おほよそかくのごとく種種しゆじゆ微み妙めうの依え正しやう二に報ほうをまのあたり視しミル聴ちやう キク せむことは、 まづ終焉しふえんのゆふべに聖しやう衆じゆの来迎らいかうにあづかりて、 決定くゑちじやうしてかのくにに往わう生じやうしてのうえのことに候さふらふ。 しかれば、 ふかく往わう生じやう極楽ごくらくのこゝろざしあらむ人ひとは、 来迎らいかう引接いんぜふの形ぎやう像ざうをつくりたてまつりて、 すなわち来迎らいかう引接いんぜふの誓せい願ぐわんをあおぐべきものなり。 その来迎らいかう引接いんぜふの願ぐわんといふは、 すなわちこの四し十八じふはち願ぐわんの中なかの第だい十じふ九くの願ぐわんなり。 人にん師しこれを釈しやくするに、 おほくの義ぎあり。

 ・来迎 ・臨終正念

まづ臨終りむじゆ正しやう念ねむのために来迎らいかうしたまへり。 おもはく、 病びやふ苦くみをせめて、 まさしく死しせシヌル むとするときには、 かならず境きやう界がい・自じ体たい・当たう生しやうの三種さむしゆの愛心あいしむをおこすなり。 しかるに阿わ ア 弥み ミ 陀だ ダ 如来によらい、 大だい光明くわうみやうをはなちて行ぎやう者じやのまへに現げんじたまふとき、 未み曽ぞう有うの事じなるがゆへに、 帰くゐ敬きやうの心しむのほかに他た念ねむなくして、 三種さむしゆの愛心あいしむをほろぼして、 さらにおこることなし。 かつはまた仏ほとけ、 行ぎやう者じやにちかづきたまひて、 加持かぢ護ご念ねむしたまふがゆへなり。 ¬称しよう讃さん浄じやう土ど経きやう¼ に 「▲慈悲じひ加祐かゆして、 こゝろをして↓みだらざらしむ。 すでに命いのちをすておはりてすなわち往わう生じやうをえ、 不ふ退転たいてんに住じゆす」 といへり。 ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ に 「▲阿わ弥陀みだ仏ぶち、 もろもろの聖しやう衆じゆとそのまへに現げんぜむ。 この人ひとおわらむとき、 ↓心しむ顛倒てんだうせずして、 すなわち阿わ弥陀みだ仏ぶち国こく土どに往わう生じやうをえむ」 ととけり。 「↑令りやう心しむ不ふ乱らん」 と 「↑心しむ不ぷ顛倒てんだう」 とは、 すなわち正しやう念ねむに住じゆせしむる義ぎなり。 しかれば、 臨終りむじゆ正しやう念ねむなるがゆへに来迎らいかうしたまふにはあらず、 来迎らいかうしたまふがゆへに臨終りむじゆ正しやう念ねむなりといふ義ぎ、 あきらかなり。 在ざい生しやうのあひだ往わう生じやうの行ぎやう成じやう就じゆせむひとは、 臨終りむじゆにかならず聖しやう衆じゆ来迎らいかうをうべし。 来迎らいかうをうるとき、 たちまちに正しやう念ねむに住じゆすべしといふこゝろなり。 しかるにいまのときの行ぎやう者じや、 おほくこのむねをわきまえずして、 ひとへに尋じむ常じやうの行ぎやうにおいては怯かう弱にやく生しやうじヨワクヨワキコヽロナリて、 はるかに臨終りむじゆのときを期ごして正しやう念ねむをいのる、 もとも僻韻へきゐんなりヒガヰンノコヽロ。 ナリしかれば、 よくよくこのむねをこゝろえて、 尋じむ常じやうの行きやう業ごふにおいて怯かう弱にやくのこヨワクヨワキコヽロ ゝろをおこさずして、 臨終りむじゆ正しやう念ねむにおいて決定くゑちじやうのおもひをなすべきなり。 これはこれ、 至し要えうの義ぎなり。 きかむ人ひと、 こゝろをとゞむべし。 この臨終りむじゆ正しやう念ねむのために来迎らいかうすといふ義ぎは、 静じやう慮りよ院ゐんの静じやう照せう法橋ほふけうの釈しやくなり。

 ・来迎 ・道の先達

次つぎに道みちの先達せんだちのために来迎らいかうしたまふといへり。 あるいは ¬往わう生じやう伝でん¼ に、 沙門しやもん志し法ほふが遺書ゆいしよにいはく、

「われ生しやう死じ海かいに在あて、 さいわいに聖しやうの船筏せんばちに値まうあへり。 われ顕あらはすところの真しん聖しやう、 卑穢ひゑの質しちを来らい迎かうせむ。

「我が在ざい↢生しやう死じ海かい↡幸かう値ち↢聖しやう船筏せんばち↡我が所しよ↠顕けん真しん聖しやう来らい↢迎かう卑穢ひゑ質しち↡

もし浄じやう土どを忻ごん求ぐせば、 かならず形ぎやう像ざうを造ざう画ゑすべし。 臨終りむじゆにその前まへに現げんじて、道だう路ろを示しめさむ。 心しむを摂せふして

若にやく忻ごん↢求ぐ浄じやう土ど↡必ひち造ざう↢画ゑ形ぎやう像ざう↡臨終りむじゆ現げん↢其ご前ぜん↡示じ↢道だう路ろ↡摂せふ↠心しむ

念念ねむねむすれば罪つみやうやく尽つく。 業ごふに随したがふて九く品ぼむに生しやうぜむ。 それ顕あらはすところの聖しやう衆じゆ、 さきだちて新しん生しやうの輩ともがらを讃ほむ。

念念ねむねむ罪ざい漸ぜむ尽じん随ずい↠業ごふ生しやう↢九く品ぼむ↡其ご所しよ↠顕けん聖しやう衆じゆ先せん讃さん↢新しん生しやう輩はい↡

仏道ぶちだう楽らく増進ぞうしん」 云云

仏道ぶちだう楽らく増進ぞうしん」 云云

これすなわち、 この界かいにして造ざう画ゑするところの形ぎやう像ざう、 先達せんだちとなりて浄じやう土どにおくりたまふ証しよう拠こなり。 また ¬薬やく師し経きやう¼ (玄奘訳) をみるに、 浄じやう土どをねがふともがら、 行きやう業ごふいまださだまらずして、 往わう生じやうのみちにまどふことあり。 すなわち文もんにいはく、 「よく受じゆ↢持ぢすること八分はちぶん斉戒さいかいを↡あらむ。 あるいは一年ゐちねんをへ、 あるいはまた三さむ月ぐわち受じゆ持ぢせむ。 まなぶところ、 この善根ぜんごんをもて西方さいはう極楽ごくらく世せ界かい无む量りやう寿じゆ仏ぶちのみもとにむまれむと願ぐわんじて、 正しやう法ぼふを聴ちやう聞もんすれども、 いまださだまらざるもの、 もし世せ尊そん薬やく師し瑠璃るり光くわう如来によらいの名みやう号がうをきかむ。 命みやう終じゆのときにのぞみて、 八はち菩ぼ薩さちあて神じん通づに乗じようじてきたりて、 その道だう路ろをしめさむ。 すなわちかの界かいにして、 種種しゆじゆの雑色ざふしき衆宝しゆぼう華くゑの中なかに自じ然ねんに化くゑ生しやうす」 といへり。 もしかの八はち菩ぼ薩さちその道だうヒロキミチ路ろセバをしキミチ めさずは、 ひとり往わう生じやうすることえがたきにや。 これをもておもふにも、 弥陀みだ如来によらいもろもろの聖しやう衆じゆとともに行ぎやう者じやのまへに現げんじてきたりて迎接かうせふしたまふも、 みちびきて道だう路ろをしめしたまはむがためなりといふ義ぎ、 まことにいはれたることなり。 娑しや婆ば世せ界かいのならひも、 みちをゆくにはかならず先達せんだちといふものを具ぐする事ことなり。 これによて御み廟めうの僧そう正じやうは、 この来迎らいかうの願ぐわんおば現前げんぜん導だう生しやうの願ぐわんとなづけたまへり。

 ・来迎 ・対治魔事

次つぎに対たい治ぢ魔事まじのために来迎らいかうすといふ義ぎあり。 道だうさかりなれば、 魔まさかりなりとまふして、 仏道ぶちだう修しゆ行ぎやうするには、 かならず魔まの障しやう難なんのあひそふなり。 真言しんごん宗しゆの中なかには、 「誓心せいしむ決定くゑちじやうすれば、 魔宮まぐ振動しんどうす」 (発菩提心論) といへり。 天臺てんだい ¬止し観くわん¼ (巻八下意) の中なかには、 「四し種しゆ三昧ざむまいを修しゆ行ぎやうするに、 十種じふしゆの境きやう界がいおこる中なかに魔事まじ境きやう来らい」キタル といへり。 また菩ぼ薩さち、 三さむ祇ぎ百ひやく劫こふの行ぎやうすでになりて正しやう覚がくをとなふるときも、 第だい六天ろくてんの魔ま王わうきたりて種種しゆじゆに障しやうげせり。 いかにいはむや、 凡ぼむ夫ぶ具ぐ縛ばくの行ぎやう者じや、 たとひ往わう生じやうの行きやう業ごふを修しゆすといふとも、 魔まの障しやう難なんを対たい治ぢせずは、 往わう生じやうの素そ懐くわいをとげむことかたし。 しかるに阿わ弥陀みだ如来によらい、 无む数しゆの化仏くゑぶち・菩ぼ薩さち聖しやう衆じゆに囲ゐ繞ねうせられて、 光明くわうみやう赫奕かくやくとして行ぎやう者じやのまへに現げんじたまふときには、 魔ま王わうもこゝにちかづき、 これを障しやうげすることあたはず。 しかればすなわち、 来迎らいかう引接いんぜふは魔ま障しやうを対たい治ぢせむがためなり。 来迎らいかうの義ぎ、 略りやくを存ぞんずるにかくのごとし。 これらの義ぎにつきておもひ候さふらふにも、 おなじく仏像ぶちざうをつくらむには、 来迎らいかうの像ざうをつくるべきとおぼえ候さふらふなり。 仏ほとけの功く徳どく、 大概たいがいかくのごとし。

 ・浄土三部経

次つぎに三さむ部ぶ経きやうは、 ▲いま三さむ部ぶ経きやうとなづくることは、 はじめてまふすにあらず、 その証しようこれおほし。 いはく大日だいにちの三さむ部ぶ経きやうは、 ¬大日だいにちの経きやう¼・¬金剛こむがう頂ちやう経きやう¼・¬蘇そ悉しち地ぢ経きやう¼ 等とうこれなり。 弥み勒ろくの三さむ部ぶ経きやう、 ¬上生じやうしやう経きやう¼・¬下げ生しやう経きやう¼・¬成じやう仏ぶち経きやう¼ 等とうこれなり。 鎮ちん護ご国こく家けの三さむ部ぶ経きやうは、 ¬法華ほふくゑ経きやう¼・¬仁王にんわう経きやう¼・¬金こむ光明くわうみやう経きやう¼ 等とうこれなり。 法華ほふくゑの三さむ部ぶ経きやう、 ¬无む量りやう義ぎ経きやう¼・¬法華ほふくゑ経きやう¼・¬普ふ賢げん経ぎやう¼ 等とうこれなり。 これすなわち、 三さむ部ぶ経きやうとなづくる証しよう拠こなり。 いまこの弥陀みだの三さむ部ぶ経きやうは、 ある人にん師しのいはく、 「浄じやう土どの教けうに三さむ部ぶあり。 いはく ¬双さう巻くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼・¬観くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼・¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ 等とうこれなり」。 これによて、 いま浄じやう土どの三さむ部ぶ経きやうとなづくるなり。 あるいはまた弥陀みだの三さむ部ぶ経きやうともなづく。 またある師しのいはく、 「かの三さむ部ぶ経きやうに ¬鼓く音おん声じやう経きやう¼ をくわえて四部しぶとなづく」 (慈恩小経疏意) といへり。 おほよそ諸しよ経きやうの中なかに、 あるいは往わう生じやう浄じやう土どの法ほふをとくあり、 あるいはとかぬ経きやうあり。 ¬華厳くゑごむ経ぎょう¼ にはこれをとけり、 すなわち ¬四し十じふ華厳くゑごむ¼ の中なかの普ふ賢げんの十じふ願ぐわんこれなり。 ¬大だい般若はんにや経きやう¼ の中なかにすべてこれをとかず。 ¬法華ほふくゑ経きやう¼ (巻六) の中なかにこれをとけり、 すなわち 「薬王やくわう品ぼむ」 の 「即往そくわう安楽あんらく世せ界かい」 の文もんこれなり。 ¬涅槃ねちはん経ぎやう¼ にはこれをとかず。 また真言しんごん宗しゆの中なかには、 ¬大日だいにち経きやう¼・¬金剛こむがう頂ちやう経きやう¼ に蓮華れんぐゑ部ぶにこれとくといゑども、 大日だいにちの分身ぶんしんなり。 別わきてとけるにはあらず。 もろもろの小せう乗じよう経きやうにはすべて浄じやう土どをとかず。 しかるに往わう生じやう浄じやう土どをとくことは、 この三さむ部ぶ経きやうにはしかず。 かるがゆへに浄じやう土どの一宗いちしゆには、 この三さむ部ぶ経きやうをもてその所縁しよえんとせり。

 ・浄土宗名

また▲この浄じやう土どの法門ほふもんにおいて宗しゆの名なをたつること、 はじめてまふすにあらず、 その証しよう拠ここれおほし。 少々せうせうこれをいださば、 元ぐわん暁げうの ¬遊ゆ心しむ安楽あんらく道だう¼ に、

「浄じやう土ど宗しゆの意こゝろ、本もとは凡ぼむ夫ぶのためなり、 兼かねては聖しやう人にんのためなり」

「浄じやう土ど宗しゆ意い、 本ほん為ゐ↢凡ぼむ夫ぶ↡、 兼けむ為ゐ↢聖しやう人にん↡也や」

といへる、 その証しようなり。 かの元ぐわん暁げうは華厳くゑごむ宗しゆの祖師そしなり。 慈じ恩おんの ¬西方さいはう要えう決くゑち¼ に、 「依此えしコノシユ一いち宗しゆニヨルト」 といえるなり、 またその証しようなり。 かの慈じ恩おんは法相ほふさう宗しゆの祖師そしなり。 迦か才ざいの ¬浄じやう土ど論ろん¼ (序) には、 「此し一宗いちしゆ窃せち要えうヒソカニ路ろたり」 といへる、 またその証しようなり。 善導ぜんだう ¬観経くわんぎやうの疏しよ¼ (散善義) に、 「▲真宗しんしゆ叵は↠カタシ遇ぐアヒ」 といへる、 またその証しようなり。 かの迦か才ざい・善導ぜんだうは、 ともにこの浄じやう土ど一宗いちしゆをもはらに信しんずる人ひとなり。 自じ宗しゆ・他た宗しゆの釈しやくすでにかくのごとし。

 ・師資相承

しかのみならず、 宗しゆの名なをたつることは、 天臺てんだい・法相ほふさう等とうの諸宗しよしゆ、 みな師資ししタスク相さう承じようによる。 ▲しかるに浄じやう土ど宗しゆに師資しし相さう承じよう血脈くゑちみやく次し第だいあり。 いはく菩ぼ提だい流支るし三蔵さむざう・恵ゑ寵てう法ほふ師し・道だう場ぢやう法ほふ師し・曇鸞どむらん法ほふ師し・法ほふ上じやう法ほふ師し・道だう綽しやく禅ぜん師じ・善導ぜんだう禅ぜん師じ・懐ゑ感かむ禅ぜん師じ・小康せうかう法ほふ師し等とうなり。 菩ぼ提だい流支るしより法ほふ上じやうにいたるまでは、 道だう綽しやくの ▲¬安楽あんらく集しふ¼ にいだせり。 自他じた宗しゆの人にん師し、 すでに浄じやう土ど一宗いちしゆとなづけたり。 浄じやう土ど宗しゆの祖師そし、 また次し第だいに相さう承じようせり。 これによて、 いま相伝さうでんして浄じやう土ど宗しゆとなづくるものなり。 しかるを、 このむねをしらざるともがらは、 むかしよりいまだ八宗はちしゆのほかに浄じやう土ど宗しゆといふことをきかずと難なん破ぱすることも候さふらへば、 いさゝかまふしひらき候さふらふなり。 おほよそ諸宗しよしゆの法門ほふもん、 浅せんアサキ深じむフカキあり、 広くわうヒロキ狭けうセバキあり。 すなわち真言しんごん・天臺てんだい等とうの諸しよ大だい乗じよう宗しゆは、 ひろくしてふかし。 倶く舎しや・成じやう実じち等とうの小せう乗じよう宗しゆは、 ひろくしてあさし。 この浄じやう土ど宗しゆは、 せばくしてあさし。 しかれば、 かの諸宗しよしゆは、 いまのときにおいて機きと教けうと相応さうおうせず。 教けうはふかし機きはあさし。 教けうはひろくして機きはせばきがゆへなり。 たとへば韻ゐんたかくしては、 和わすることすくなきがごとし。 またちゐさき器うつわものに大おほきなるものをいるゝがごとし。 たゞこの浄じやう土どの一宗いちしゆのみ、 機きと教けうと相応さうおうせる法門ほふもんなり。 かるがゆへにこれを修しゆせばかならず成じやう就じゆすべきなり。 しかればすなわち、 かの不ふ相応さうおうの教けうにおいては、 いたはしく身しん ミ 心しむコヽロをついやすことなかれ。 たゞこの相応さうおうの法ほふに帰くゐして、 すみやかに生しやう死じをいづべきなり。

 ・大経

今日こむにち講讃かうさんせらホムルナリ れたまへるところは、 この三さむ部ぶの中なかの ¬双さう巻くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼ と ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ となり。 まづ ¬无む量りやう寿じゆ経きやう¼ には、 はじめに弥陀みだ如来によらいの因いん位ゐの本ほん願ぐわんをとく、 次つぎにはかの仏ほとけの果くわ位いの二に報ほう荘しやう厳ごむをとけり。 しかれば、 この ¬経きやう¼ には阿わ弥陀みだ仏ぶちの修因しゅいん感果かむくわの功く徳どくをとくなり。 乃至

一一ゐちゐちの本誓ほんぜい悲ひ願ぐわん、 一一ゐちゐちの願ぐわん成じやう就じゆの文もんにあきらかなり。 つぶさに釈しやくするにいとまあらず。 その中なかに衆しゆ生じやう往わう生じやうの因果いんぐわをとくといふは、 すなわち念仏ねむぶち往わう生じやうの願ぐわん成じやう就じゆの 「▲諸しよ有う衆しゆ生じやう聞もん其ご名みやう号がう」 (大経巻下) の文もん、 および三輩さむぱいの文もんこれなり。

もし▲善導ぜんだうの御おむこゝろによらば、 この三輩さむぱいの業因ごふいんについて正しやう雑ざふの二に行ぎやうをたてたまへり。 ▲正行しやうぎやうについてまた二ふたつあり、 正定しやうぢやう・助業じよごふなり。 ▽三輩さむぱいともに 「▲一向ゐちかう専念せんねむ」 (大経巻下) といへる、 ▲すなわち正定しやうぢやう業ごふなり、 かの仏ほとけの本ほん願ぐわんに順じゆんずるシタガフナリ がゆへに。 ▲またそのほかに助業じよごふあり、 雑ざふ行ぎやうあり。 乃至

▲おほよそこの三輩さむぱいの中なかにおのおの菩ぼ提だい心しむ等とうの余よ善ぜんをとくといゑども、 上かみの本ほん願ぐわんをのぞむには、 もはら弥陀みだの名みやう号がうを称しよう念ねむせしむるにあり。 かるがゆへに 「一向ゐちかう専念せんねむ」 といへり。 上かみの本ほん願ぐわんといふは、 四し十八じふはち願ぐわんの中なかの第だい十八じふはちの念仏ねむぶち往わう生じやうの願ぐわんをさすなり。 ▲一向ゐちかうのことば、 二に、 三向さむかうに対たいする義ぎなり。 もし念仏ねむぶちのほかにならべて余よ善ぜんを修しゆせば、 一向ゐちかうの義ぎにそむくべきなり。 往わう生じやうをもとめむ人ひとは、 もはらこの ¬経きやう¼ によて、 かならずこのむねをこゝろうべきなり。

 ・小経

次つぎに ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ は、 はじめには極楽ごくらく世せ界かいの依え正しやう二に報ほうをとく、 次つぎには一日ゐちにち七日しちにちの念仏ねむぶちを修しゆして往わう生じやうすることをとけり、 のちには六方ろくぱうの諸仏しよぶち念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうにおいて証誠しようじやう護ご念ねむしたまふむねをとけり。 すなわちこの ¬経きやう¼ には余よ行ぎやうをとかずして、 えらびて念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうをとけり。 乃至

おほよそ念仏ねむぶち往わう生じやうは、 これ弥陀みだ如来によらいの本ほん願ぐわんの行ぎやうなり、 教主けうしゆ釈しやく尊そん選要せんえうの法ほふなり、 六方ろくぱう諸仏しよぶち証誠しようじやうの説せちなり。 余よ行ぎやうはしからず。 そのむね、 ¬経きやう¼ の文もんおよび諸しよ師しの釈しやくつぶさなり。 乃至

また経きやうを釈しやくするに、 仏ほとけの功く徳どくもあらはれ、 仏ほとけを讃さんずれば経きやうの功く徳どくもあらわるゝなり。 また疏しよは経きやうのこゝろを釈しやくしたるものなれば、 疏しよを釈しやくせむに、 経きやうのこゝろあらはるべし。 みなこれおなじものなり、 まちまちに釈しやくするにあたはず。 乃至

 ・観経

いまこの ¬観くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼ に二ふたつのこゝろあり。 はじめには定ぢやう散さん二に善ぜんを修しゆして往わう生じやうすることをあかし、 つぎには名みやう号がうを称しようして往わう生じやうすることをあかす。 乃至

¬清浄しやうじやう覚がく経きやう¼ (第四巻) の信しん不ふ信しんの因縁いんねんの文もんをひけり。 この文もんのこゝろは、 「▲浄じやう土どの法門ほふもんをとくをきゝて、 信向しんかうしてみのけいよだつものは、 過くわ去こにもこの法門ほふもんをきゝて、 いまかさねてきく人ひとなり。 いま信しんずるがゆへに、 決定くゑちじやうして浄じやう土どに往わう生じやうすべし。 ◆またきけどもきかざるがごとくにて、 すべて信しんぜぬものは、 はじめて三さむ悪道まくだうよりきたりて、 罪ざい障しやういまだつきずして、 こゝろに信向しんかうなきなり。 いま信しんぜぬがゆへに、 また生しやう死じをいづることあるべからず」 といへるなり。 詮せむずるところは、 往わう生じやう人にんのこの法ほふおば信しんじ候さふらふなり。 乃至

天臺てんだい等とうのこゝろは、 十三じふさむ観ぐわんの上うへに九く品ぼむの三輩さむぱい観くわんをくわへて、 十六じふろく想さう観くわんとなづく。 この定ぢやう散さん二に善ぜんをわかちて、 十三じふさむ観ぐわんを定ぢやう善ぜんとなづけ、 三福さむぷく九く品ぼむを散善さんぜんとなづくることは、 善導ぜんだう一ゐち師しの御おむこゝろなり。 乃至

抑そもそも近来きんらいの僧そう尼にを、 破は戒かいの僧、 破は戒かい尼にといふべからず。 持ぢ戒かいの人ひと、 破は戒かいを制せいすることは正しやう法ぼふ・像法ざうぼふのときなり。 末法まちぽふには無む戒かい名みやう字じの比丘びくなり。◗伝教でんげう大だい師し ¬末法まちぽふ灯とう明みやう記きに¼ 云いはく、 「▼末法まちぽふの中なかに持ぢ戒かいの者ものありといはば、 これ怪くゑ異いなり、 市いちに虎とらあらむがごとし。 たれかこれを信しんずべき」 といへり。 またいはく、 「▼末法まちぽふの中なかには、 たゞ言教ごんけうのみあて行証ぎやうしようなし。 もし戒法かいほふあらば破は戒かいあるべし。 すでに戒法かいほふなし、 いづれの戒かいおか破はせむによて破は戒かいあらむ。 破は戒かいなほなし、 いかにいはむや持ぢ戒かいおや」 といへり。 まことに受戒じゆかいの作さ法ほふは、 中国ちうごくにはシムタンコクナリ 持ぢ戒かいの僧そう十人じふにんを請しやうじて戒かい師しとす。 辺へん地ぢハクサイには五ごカウライトウ人にんを請しやうヲヘンヂトイフじて戒かい師しとして、 戒かいおばうくるなり。 しかるにこのごろは、 持ぢ戒かいの僧そう一人ゐちにんもとめいださむに、 えがたきなり。 しかれば、 うけての上うへにこそ破は戒かいとことばもあれば、 末代まちだいの近来きんらいは破は戒かいなほなし、 たゞ无む戒かいの比丘びくなりとまふすなり。 この ¬経きやう¼ に破は戒かいをとくことは、 正しやう像ざうに約やくしてときたまへるなり。 乃至

 ・念仏往生

次つぎに▲名みやう号がうを称しようして往わう生じやうすることをあかすといふは、 「▲仏ほとけ、 阿わ難なんにつげたまはく、 なんぢよくこの語ごをたもて。 この語ごをたもてといふは、 すなわちこれ无む量りやう寿じゆ仏ぶちのみなをたもてとなり」 (観経) とのたまへり。 善導ぜんだうこれを釈しやくしていはく、 「▲仏告ぶちがう阿わ難なん汝によ好かう持じ是語ぜごといふより已下いげはシモトイフ 、 まさしく弥陀みだの名みやう号がうを付ふ属ぞくして、 ↓遐か代だいに流るハルカナルヨマデ通づすることをあかす。 かみよりこのかた、 定ぢやう散さん両りやう門もんの益やくをとくといゑども、 ↓仏ほとけの本ほん願ぐわんをのぞむには、 こゝろ、 衆しゆ生じやうをして↓一向ゐちかうにもはら弥陀みだ仏ぶちのみなを称しようするにあり」 (散善義) とのたまへり。 おほよそこの ¬経きやう¼ の中なかには、 定ぢやう散さんの諸しよ行ぎやうをとくといゑども、 その定ぢやう散さんをもては付ふ属ぞくしたまはず、 たゞ念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうをもて阿わ難なんに付ふ属ぞくして、 未み来らいに流通るづするなり。

「↑遐か代だいに流通るづす」 といふは、 はるかに法滅ほふめちの百ひやく歳さいまでをさす。 すなわち末法まちぽふ万年まんねんののち、 仏法ぶちぽふみな滅めちして三宝さむぽうの名みやう字じもきかざらむとき、 たゞこの念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうのみとゞまりて百ひやく歳さいましますべしとなり。 しかれば、 聖しやう道だう門もんの法文ほふもんもみな滅めちし、 十方じふぱう浄じやう土どの往わう生じやうもまた滅めちし、 上生じやうしやう都と率そちもまたうせ、 諸しよ行ぎやう往わう生じやうもみなうせたらむとき、 たゞこの念仏ねむぶち往わう生じやうの一門ゐちもんのみとゞまりて、 そのときも一念ゐちねむにかならず往わう生じやうすべしといへり。 かるがゆへにこれをさして、 とおき世よとはいふなり。 これすなわち遠おんトホキをあげて、 近ごんチカキを摂せふするオサムトナリ なり。

「↑仏ほとけの本ほん願ぐわんをのぞむ」 といふは、 弥陀みだ如来によらいの四し十八じふはち願ぐわんの中なかの第だい十八じふはちの願ぐわんをおしふるなり。 いま教主けうしゆ釈しやく尊そん、 定ぢやう散さん二に善ぜんの諸しよ行ぎやうをすてゝ念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうを付ふ属ぞくしたまふことも、 弥陀みだの本ほん願ぐわんの行ぎやうなるがゆへなり。

「↑一向ゐちかう専念せんねむ」 といふは、 ¬双そう巻経くわんぎやう¼ にとくところの三輩さむぱいのもんの中なかの一向ゐちかう専念せんねむをおしふるなり。 一向ゐちかうのことは、 余よをすつることばなり。 この ¬経きやう¼ には、 はじめにひろく定ぢやう散さんをとくといゑども、 のちには一向ゐちかうに念仏ねむぶちをゑらびて付ふ属ぞくし流通るづしたまへるなり。 しかれば、 とおくは弥陀みだの本ほん願ぐわんにしたがひ、 ちかくは釈しやく尊そんの付ふ属ぞくをうけむとおもはゞ、 一向ゐちかうに念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうを修しゆして往わう生じやうをもとむべきなり。

おほよそ念仏ねむぶち往わう生じやうは諸しよ行ぎやう往わう生じやうにすぐれたること、 おほくの義ぎあり。

一ひとつには、 ▲因いん位ゐの本ほん願ぐわんなり。 いはく弥陀みだ如来によらいの因いん位ゐ、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちのとき、 四し十八じふはちの誓せい願ぐわんをおこして、 浄じやう土どをまふけて仏ほとけにならむと願ぐわんじたまひしとき、 衆しゆ生じやう往わう生じやうの行ぎやうをたてゝえらびさだめたまひしに、 余よ行ぎやうおばえらびすてゝ、 たゞ念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうを選せん定ぢやうして往わう生じやうの行ぎやうにたてたまへり。 これを選せん択ぢやくの願ぐわんといふことは、 ▲¬大だい阿わ弥陀みだ経きやう¼ の説せちなり。

二ふたつには、 ▲光明くわうみやう摂取せふしゆなり。 これは阿わ弥陀みだ仏ぶち因いん位ゐの本ほん願ぐわんを称しよう念ねむして、 相好さうがうの光明くわうみやうをもて念仏ねむぶちの衆しゆ生じやうを摂取せふしゆしてすてたまはずして、 往わう生じやうせさせたまふなり。 余よの行ぎやう者じやおば摂取せふしゆしたまはず。

三には、 ▲弥陀みだみづからのたまはく、 「▲これはこれ跋ばち陀和だわ菩ぼ薩さち◆極楽ごくらく世せ界かいにまうでゝ、 いづれの行ぎやうを修しゆしてかこのくにゝ往わう生じやうし候さふらふべきと、 阿わ弥陀みだ仏ぶちにとひたてまつりしかば、 ◆仏ほとけこたえてのたまはく、 わがくにに生しやうぜむとおもはゞ、 わが名なを念ねんじて休く息そくするこヤムコトナカレトナリ となかれ、 すなわち往わう生じやうすることをえてむ」 (一巻本般舟経問事品意) とのたまへり。 余よ行ぎやうおばすゝめたまはず。

四には、 ▲釈しや迦かの付ふ属ぞくにいはく、 いまこの ¬経きやう¼ に念仏ねむぶちを付ふ属ぞく流通るづしたまへり。 余よ行ぎやうおば付ふ属ぞくせず。

五には、 ▲諸仏しよぶち証誠しようじやう。 これは ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ にときたまへるところなり。 釈しや迦か仏ぶちえらびて念仏ねむぶち往わう生じやうのむねをときたまへば、 六方ろくぱうの諸仏しよぶちおのおのおなじくほめ、 おなじくすゝめて、 広長くわうぢやうのみしたをのべて、 あまねく三千さむぜん大千だいせん世せ界かいにおほふて証誠しようじやうしたまへり。 これすなわち一切ゐちさい衆しゆ生じやうをして、 念仏ねむぶちして往わう生じやうすることは決定くゑちじやうしてうたがふべからずと信しんぜしめむ料れうなり。 余よ行ぎやうおばかくのごとく証誠しようじやうしたまはず。

六には、 ▲法滅ほふめちの往わう生じやう。 いはく、

「▲万年まんねんに三宝さむぽう滅めちせむに、 この経きやう住じゆせむこと百ひやく年ねんせむ。 その時とき聞きゝて一念ゐちねむせば、 皆みなまさにかしこに生しやうを得うべし」 (礼讃)

「万年まんねん三宝さむぽう滅めち斯し経きやう住じゆ百ひやく年ねん爾時にじ聞もん一念ゐちねむ皆かい当とう↠得とく↠生しやう↠彼ひ」

といふて、 末法まちぽふ万年まんねんののち、 たゞ念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうのみとゞまりて、 往わう生じやうすべしといへることなり。 余よ行ぎやうはしからず。

▲しかのみならず、 下げ品ぼむ下げ生しやうの十悪じふあくの罪人ざいにん、 臨終りむじゆのとき聞もん経きやうと称しよう仏ぶちと、 二に善ぜんをならべたりといゑども、 化仏くゑぶち来迎らいかうしてほめたまふに、

「▲なんぢ仏ぶち名みやうを称しようするゆへに諸罪しよざい消滅せうめちす。 われ来きたりてなんぢを迎むかふ」 (観経)

「汝によ称しよう↢仏ぶち名みやう↡故こ諸罪しよざい消滅せうめち。 我が来迎らいかう↠汝によ」

とほめて、 いまだ聞もん経きやうの事じおばほめたまはず。

▲また ¬双そう巻経くわんぎやう¼ に三輩さむぱい往わう生じやうの業ごふをとく中なかに、 菩ぼ提だい心しむおよび起き立りふ塔像たうざう等とうの余よの行ぎやうおもとくといゑども、 流通るづのところにいたりて、

「▲それかの仏ほとけの名みやう号がうを聞きくことを得えて、 歓くわん喜ぎ踊ゆ躍やくして乃ない至し一念ゐちねむあらむ。 まさに知しるべしこの人ひと大だい利りを得うとす。 すなわちこれ无む上じやうの功く徳どくを具ぐ足そくするなり」 (巻下)

「其有ごう↧得とく↠聞もん↢彼ひ仏ぶち名みやう号がう↡、 歓くわん喜ぎ踊ゆ躍やく乃ない至し一念ゐちねむ↥。 当たう↠知ち此し人にん為い↠得とく↢大だい利り↡。 則そく是ぜ具ぐ↢足そく无む上じやう功く徳どく↡」

とほめて、 余よ行ぎやうをさして无む上じやう功く徳どくとはほめたまはず。 念仏ねむぶち往わう生じやうの旨し要えうをとるに、 これにありと。

 ・名号功徳

又また云いはく、 仏ほとけの功く徳どくは百ひやく千せん万劫まんごふのあひだ、 昼ちうヒル夜やヨルにとくともきわめつくすべからず。 これによて、 教主けうしゆ釈しやく尊そん、 かの阿わ弥陀みだ仏ぶちの功く徳どくを称しよう揚やうしたまふにも、 要えうの中なかの要えうをとりて、 略りやくしてこの三さむ部ぶ妙典めうでんをときたまへり。 仏ほとけすでに略りやくしたまへり、 当たう座ざの愚ぐ僧そういかゞくはしくするにたえむ。 たゞ善根ぜんごん成じやう就じゆのために、 かたのごとく讃嘆さんだんしたてまつるべし。 阿わ弥陀みだ如来によらいの内ない証しよう外ぐゑ用ゆの功く徳どく无む量りやうなりといゑども、 要えうをとるに名みやう号がうの功く徳どくにはしかず。 このゆへにかの阿わ弥陀みだ仏ぶちも、 ことにわが名みやう号がうをして衆しゆ生じやうを済さい度どし、 また釈しや迦か大だい師しも、 おほくかのほとけの名みやう号がうをほめて未み来らいに流通るづしたまへり。

しかれば、 いまその名みやう号がうについて讃嘆さんだんしたてまつらば、 阿わ弥陀みだといふは、 これ天竺てんぢくの梵ぼむ語ごなり。 こゝには翻訳ほむやくして无む量りやう寿じゆ仏ぶちといふ。 ▲また↓无む量りやう光くわうといへり。 または↓无む辺へん光くわう仏ぶち・↓无むぐゑ光くわう仏ぶち・无む対たい光くわう仏ぶち・炎王えむわう光くわう仏ぶち・↓清浄しやうじやう光くわう仏ぶち・↓歓くわん喜ぎ光くわう仏ぶち・↓智慧ちゑ光くわう仏ぶち・不ふ断だん光くわう仏ぶち・難なん思じ光くわう仏ぶち・无む称しよう光くわう仏ぶち・超てう日にち月ぐわち光くわう仏ぶちといへり。 こゝにしりぬ、 名みやう号がうの中なかに光明くわうみやうと寿じゆ命みやうとの二ふたつの義ぎをそなえたりといふことを。 かの仏ほとけの功く徳どくの中なかには、 寿じゆ命みやうを本ほんとし、 光明くわうみやうをすぐれたりとするゆへなり。 しかれば、 また光明くわうみやう・寿じゆ命みやうの二ふたつの功く徳どくをほめたてまつるべし。

 ・光明功徳 ・无量光

まづ光明くわうみやうの功く徳どくをあかさば、 はじめに↑无む量りやう光くわうは、 ¬経きやう¼ (観経) にのたまはく、 「▲无む量りやう寿じゆ仏ぶちに八万はちまん四し千せんの相さうあり。 一一ゐちゐちの相さうにおのおの八万はちまん四し千せんの随ずい形ぎやう好かうあり。 一一ゐちゐちの好かうにまた八万はちまん四し千せんの光明くわうみやうあり。 一一ゐちゐちの光明くわうみやうあまねく十方じふぱう世せ界かいをてらす。 念仏ねむぶちの衆しゆ生じやうを摂取せふしゆして、 すてたまはず」 といへり。 恵ゑ心しむ、 これをかむがへていはく、 「▲一一ゐちゐちの相さうの中なかにおのおの七しち百ひやく五ご倶く胝てい六ろく百ぴやく万まんの光明くわうみやうを具ぐせり。 熾し然ねん赫奕かくやくたりサカリニシテカヾヤクトナリ」 (要集巻中) といへり。 一相ゐちさうよりいづるところの光明くわうみやうかくのごとし、 いはむや八万はちまん四し千せんの相さうおや。 まことに算数さんじゆのおよぶところにあらず。 かるがゆへに无む量りやう光くわうといふ。

 ・光明功徳 ・无辺光

つぎに↑无む辺へん光くわうといふは、 かの仏ほとけの光明くわうみやう、 そのかずかくのごとし。 无む量りやうのみにあらず、 てらすところもまた辺際へんざいあることなきがゆへに无む辺へん光くわうといふ。

 ・光明功徳 ・无光

つぎに↑无むぐゑ光くわうは、 この界かいの日にち月ぐわち灯燭とうそく等とうのごときは、 ひとへなりといゑども、 ものをへだつれば、 そのひかりとほることなし。 もしかの仏ほとけの光明くわうみやう、 ものにさえらるれば、 この界かいの衆しゆ生じやう、 たとひ念仏ねむぶちすといふとも、 その光くわう摂せふをかぶることをうべからず。 そのゆへは、 かの極楽ごくらく世せ界かいとこの娑しや婆ば世せ界かいとのあひだ、 十じふ万億まんおくの三千さむぜん大千だいせん世せ界かいをへだてたり。 その一一ゐちゐちの三千さむぜん大千だいせん世せ界かいにおのおの四し重ぢうの鉄てち囲ゐ山せんあり。 いはゆるまづ一ゐち四し天てん下げをめぐれる鉄てち囲ゐ山せんあり、 たかさ須しゅ弥み山せんとひとし。 つぎに少せう千界せんかいをめぐれる鉄てち囲ゐ山せんあり、 たかさ第だい六天ろくてんにいたる。 つぎに中ちう千界せんかいをめぐれる鉄てち囲ゐ山せんあり、 たかさ色界しきかいの初禅しよぜんにいたる。 次つぎに大千だいせん界かいをめぐれる鉄てち囲ゐ山せんあり、 たかさ第だい二に禅ぜんにいたれり。 しかればすなわち、 もし无むぐゑ光くわうにあたらずは一ゐち世せ界かいをすらなほとほるべからず。 いかにいはむや、 十じふ万億まんおくの世せ界かいおや。 しかるにかの仏ほとけの光明くわうみやう、 かれこれそこばくの大小だいせう諸山しよせんをとほりてらして、 この界かいの念仏ねむぶち衆しゆ生じやうを摂取せふしゆしたまふに障しやうげあることなし。 余よの十方じふぱう世せ界かいを照摂せうせふしテラシオサムたまふことも、 またかくのごとし。 かるがゆへに无むぐゑ光くわうといふ。

 ・光明功徳 ・清浄光

次つぎに↑清浄しやうじやう光くわうは、 人にん師し釈しやくしていはく、 「无む貪とむの善根ぜんごんより生しやうずるところのひかりなり」 (述文賛巻中意)。 貪とむに二ふたつあり、 淫貪いむとむ・財貪ざいとむなり。 清浄しやうじやうといふは、 たゞ汚穢わゑ不ふ浄じやうを除ぢよ却きやくすノゾクサグルトるイフにはあらず、 その二ふたつの貪とむを断除だんぢよするなり。 貪とむを不ふ浄じやうとなづくるゆへなり。 もし戒かいに約やくせば、 不ふ淫いむ戒かいと不ふ慳貪けむどむ戒かいとにあたれり。 しかれば法蔵ほふざう比丘びく、 むかし不ふ淫いむ・不ふ慳貪けむどむ所しよ生しやうの光ひかりといふ。 この光ひかりにふるゝものは、 かならず貪欲とむよくのつみを滅めちす。 もし人ひとあて、 貪欲とむよくさかりにして不ふ淫いむ・不ふ慳貪けむどむの戒かいをたもつことえざれども、 こゝろをいたしてもはらこの阿わ弥陀みだ仏ぶちの名みやう号がうを称しよう念ねむすれば、 すなわちかの仏ほとけ、 无む貪とむ清浄しやうじやうの光ひかりをはなちて照触せうそく摂取せふしゆしたまふゆへに、 の光ひかりの不ふ浄じやうのぞこる。 无む戒かい・破は戒かいの罪ざい愆けん滅めちして、 无む貪とむ善根ぜんごんの身みとなりて、 持ぢ戒かい清浄しやうじやうの人ひととひとしきなり。

 ・光明功徳 ・歓喜光

次つぎに↑歓くわん喜ぎ光くわうは、 これはこれ无む瞋しん善根ぜんごん所しよ生しやうの光ひかり。 ひさしく不ふ瞋しん恚い戒かいをたもちて、 この光ひかりをえたまへり。 かるがゆへに无む瞋しん所しよ生しやうの光ひかりといふ。 この光ひかりにふるゝものは、 瞋しん恚いのつみを滅めちす。 しかれば憎ぞう盛じやうのソネムコヽロ 人ひとなりといふとも、 もはら念仏ねむぶちを修しゆすれば、 かの歓くわん喜ぎ光くわうをもて摂取せふしゆしたまふゆへに、 瞋しん恚いのつみ滅めちして、 忍辱にんにくのひととおなじ。 これまたさきの清浄しやうじやう光くわうの貪欲とむよくのつみ滅めちするがごとし。

 ・光明功徳 ・智慧光

次つぎに↑智慧ちゑ光くわうは、 これはこれ无痴むちの善根ぜんごん所しよ生しやうの光ひかりなり。 ひさしく一切ゐちさい智慧ちゑをまなうで、 愚痴ぐちの煩悩ぼむなうをたちつくして、 この光ひかりをえたまへるがゆへに、 无痴むち所しよ生しやうの光ひかりといふ。 この光ひかりはまた愚痴ぐちのつみを滅めちす。 しかれば、 无智むちの念仏ねむぶち者しやなりといふとも、 かの智慧ちゑの光ひかりをしててらし摂おさめたまふがゆへに、 すなわち愚痴ぐちの愆とがを滅めちして、 智慧ちゑは勝しようマサル劣れちオトルあることなし。 またこの光ひかりのごとくしりぬべし。

かくのごとくして十じふ二に光くわうの名なましますといふとも、 要えうをとるにこれにあり。

凡おほよそかの仏ほとけの光明くわうみやう功く徳どくの中なかには、 かくのごときの義ぎをそなえたり。 くはしくあかさば多た種しゆあるべし。 おほきにわかちて二ふたつあり。 一ひとつには常光じやうくわう、 二ふたつには神じん通づ光くわうなり。

 ・光明功徳 ・常光

はじめに常光じやうくわうツネノヒカリといふは、 諸仏しよぶちの常光じやうくわう、 おのおの意い楽げうにしオムコヽロニアリ たがふて、遠おんトオキ近ごんチカキ・長ちやうナガキ短たんあミジカキり。 あるいは常光じやうくわうおもて、 おのおの一ゐち尋相じむさうといへり。 釈しや迦か仏ぶちの常光じやうくわうのごとき、 これなり。 あるいは七しち尺しやくをてらし、 あるいは一ゐち里りをてらし、 あるいは一ゐち由ゆ旬じゆんをてらし、 あるいは二に・三さむ・四し・五ご、 乃ない至し百ひやく千せん由ゆ旬じゆんをてらし、 あるいは一ゐち四し天てん下げをてらし、 あるいは一ゐち仏ぶち世せ界かいをてらし、 あるいは二に仏ぶち・三さむ仏ぶち、 乃ない至し百ひやく千せん仏ぶちの世せ界かいをてらせり。 この阿わ弥陀みだ仏ぶちの常光じやうくわうは、 八方はちぱう上じやう下げ无む央数あうしゆの諸仏しよぶちの国こく土どにおいて、 てらさずといふところなし。 八方はちぱう上じやう下げは、 極楽ごくらくについて方角はうがくをカタスミトイフおしふるなり。 この常光じやうくわうについて異い説せちあり。 すなわち ¬*平びやう等どう覚がく経きやう¼ には、 別べちして▲頭づ光くわうをおしえたり。 ¬観経くわんぎやう¼ にはすべて▲身しん光くわうといへり。 かくのごとき異い説せちあり、 ▲¬往わう生じやう要集えうしゆ¼ に堪かむがへたり、 みるべし。 常光じやうくわうといふは、 長ぢやう時じ不ふ断だんにてらす光ひかりなり。

 ・光明功徳 ・神通光

次つぎに神じん通づ光くわうといふは、 ことに別べち時じにてらす光ひかりなり。 釈しや迦か如来によらいの ¬法華ほふくゑ経きやう¼ をとかむとしたまひしとき、 東方とうばう万まん八千はちせんの土どをてらしたまふしがごときは、 すなわち神じん通づ光くわうなり。 阿わ弥陀みだ仏ぶちの神じん通づ光くわうは、 摂取せふしゆ不ふ捨しやの光明くわうみやうなり。 念仏ねむぶち衆しゆ生じやうあるときはてらし、 念仏ねむぶちの衆しゆ生じやうなきときはてらすことなきがゆへなり。 善導ぜんだう和くわ尚しやう ¬観経くわんぎやうの疏しよ¼ (定善義) にこの摂取せふしゆの光明くわうみやうを釈しやくしたまへるしたに、 「▲光くわう照せうの遠近おんごんをあかす」 といへり。 この念仏ねむぶち衆しゆ生じやうの居ごヰタ所しよのルトコロ遠おんトオキ近ごんチカキについて、 摂取せふしゆの光明くわうみやうも遠近おんごんあるべしといふ義ぎなり。 たとひ一ひとついゑのうちに住じゆしたりとも、 東ひむがしによりてゐたらむ人ひとの念仏ねむぶちまふさむには、 摂取せふしゆの光明くわうみやうとおくてらし、 西にしによりてゐたらむ人ひとの念仏ねむぶちまふさむには、 光明くわうみやうちかくてらすべし。 これをもてこゝろうれば、 一ひとつ城みやこのうち、 一国ゐちこくのうち、 一ゐち閻えむ浮ぶ提だいのうち、 三千さむぜん世せ界かいの内うち、 乃ない至し他た方はう各別かくべちの世せ界かいまで、 かくのごとしとしるべし。 しかれば、 念仏ねむぶち衆しゆ生じやうについて光くわう照せうの遠近おんごんありと釈しやくしたまへる、 まことにいわれたることとこそおぼえ候さふらへ。 これすなわち阿わ弥陀みだ仏ぶちの神じん通づ光くわうなり。 諸仏しよぶちの功く徳どくはいづれの功く徳どくもみな法界ほふかいに遍へんすといゑども、 余よの功く徳どくはその相さうあらわるゝことなし。 たゞ光明くわうみやうのみ、 まさしく法界ほふかいに遍へんする相さうをあらわせる功く徳どくなり。 かるがゆへに、 もろもろの功く徳どくの中なかには光明くわうみやうをもて最さい勝しようなりと釈しやくしたるなり。 また諸仏しよぶちの光明くわうみやうの中なかには弥陀みだ如来によらいの光明くわうみやうなほまたすぐれたまへり。 このゆへに教主けうしゆ釈しやく尊そんほめてのたまはく、

「▲无む量りやう寿じゆ仏ぶちの威ゐ神じん光明くわうみやう、 最尊さいそん第一だいゐちにして、 諸仏しよぶちの光明くわうみやうの及およぶことあたはざるところなり」 (大経巻上)

「无む量りやう寿じゆ仏ぶち威ゐ神じん光明くわうみやう、 最尊さいそん第一だいゐち、 諸仏しよぶち光明くわうみやう所しよ↠不ふ↠能のう↠及ぎふ」

とのたまへり。 またいはく、

「▲われ无む量りやう寿じゆ仏ぶちの光明くわうみやう威ゐ神じん巍巍ぎぎ殊妙しゆめうなることを説とかむに、 昼ちう夜や一劫ゐちこふすとも、 なほいまだ尽つくすことあたはじ」 (大経巻上)

「我が説せち↢无む量りやう寿じゆ仏ぶち光明くわうみやう威ゐ神じん巍巍ぎぎ殊妙しゆめう↡、 昼ちう夜や一劫ゐちこふ、 尚しやう未み↠能のう↠尽じん」

とのたまへり。 これはこれ、 かの仏ほとけの光明くわうみやうと余よの仏ほとけの光明くわうみやうとを相対さうたいしてその勝しよう劣れちを校けう量りやうせむに、 弥陀みだ仏ぶちにおよばざる仏ほとけをかずえむに、 よる・ひる一劫ゐちこふすとも、 そのかずをしりつくすべからずとのたまへるなり。 かくのごとく殊しゆ勝しようの光ひかりをえたまふことは、 すなわち願行ぐわんぎやうにこたへたり。 いはく、 かの仏ほとけ、 法蔵ほふざう比丘びくのむかし、 世自せじ在王ざいわう仏ぶちのみもとにして、 二に百ひやく一十ゐちじふ億おくの諸仏しよぶちの光明くわうみやうをみたてまつりて、 選せん択ぢやく思し惟ゆいして願ぐわんじていはく、

「▲たとひわれ仏ぶちを得えむに、 光明くわうみやうよく限げん量りやうあて、 下しも百ひやく千せん億おく那由なゆ他たの諸しよ仏ぶちの国くにを照てらさざるに至いたらば、 正しやう覚がくを取とらじ」 (大経巻上)

「設せち我が得とく↠仏ぶち、 光明くわうみやう有う↢能のう限げん量りやう↡、 下げ至し↠不ふ↠照せう↢百ひやく千せん億おく那由なゆ他た諸しよ仏国ぶちこく↡者しや、 不ふ↠取しゆ」正しやう覚がく↡」

とのたまへり。 この願ぐわんをおこしてのち、 兆載てうさい永ゐやう劫ごふのあひだ積しやく功く累徳るいとくして、 願行ぐわんぎやうともにあらわして、 この光ひかりをえたまへり。 仏ほとけの在ざい世せに灯とう指し比丘びくといふ人ひとありき。 生むまれしとき、 指ゆびより光ひかりをはなちて十じふ里りをてらすことありき。 のちに仏ほとけの御み弟子でしとなりて、 出しゆつ家けして羅ら漢かん果かをえたり。 指ゆびより光ひかりをはなつ因縁いんねんによりて、 なづけて灯とう指し比丘びくといへり。 過くわ去こ九く十じふ一ゐち劫こふのむかし、 毘婆びば尸し仏ぶつのときに、 ふるき仏像ぶちざうの指ゆびの損そんじたまひたるを修しゆ理りしたてまつりたりし功く徳どくによりて、 すなわち指ゆびより光ひかりをはなつ報ほうをうけたるなり。 また梵ぼむ摩ま比丘びくといふ人ひとありき。 身みより光ひかりをはなちて一ゐち由ゆ旬じゆんをてらせり。 これ過くわ去こに仏ほとけに灯とう明みやうをたてまつりたりしがゆへなり。 また仏ほとけの御み弟子でし阿那わな律りちは、 仏ほとけの説法せちぽうの座ざに睡眠すいめんしたることありき。 仏ほとけ、 これを種種しゆじゆに弾たん呵かしたまふ。 阿那わな律りち、 すなわち懺悔さむぐゑのこゝろをおこして睡眠すいめん断だんず。 七日しちにちをへてのち、 その目め開ひらきながらそのまなこみずなりぬ。 これを医師いしにとふに、 医師いしこたえていはく、 人ひとは食じきをもて命いのちとす、 眼まなこはねぶりをもて食じきとす。 もし人ひと七日しちにち食じきせざらむに、 命いのちあにつきざらむや。 しかればすなわち、 医い療れうのおよぶところにあらず。 命いのちつきぬる人ひとに医い療れうよしなきがごとしといへり。 そのとき仏ほとけ、 これをあわれみて天眼てんげんの法ほふをおしえたまふ。 すなわちこれを修しゆして、 かへりて天眼てんげん通つをえたり。 すなわち天眼てんげん第一だいゐち阿那わな律りちといへるこれなり。 過くわ去こに仏ほとけのものをぬすまむとおもふて塔たうの中なかにいたるに、 灯とう明みやうすでにきえなむとするをみて、 弓ゆみのはずをもてこれをかきあぐ。 そのときに、 忽然こつねんとして改悔がいくゑのこゝろをおこして、 あまさへ无む上じやう道心だうしむをおこしたりき。 それよりこのかた、 生生しやうしやう世世せせに无む量りやうの福ふくをえたり。 いま釈しや迦か出しゆつ世せのとき、 ついに得脱とくだちして、 またかくのごとく天眼てんげん通つをえたり。 これすなわち、 かの灯とう明みやうをかゝげたりし功く徳どくによてなり。 乃至

 ・寿命功徳

次つぎに寿じゆ命みやうの功く徳どくといふは、 諸仏しよぶち寿じゆ命みやう、 意い楽げうにしたがふて長ちやう短たんあり。 これによて恵ゑ心しむ僧そう都づ、 四句しくをつくれり。 「あるいは能化のうくゑの仏ほとけは命いのちながく、 所化しよくゑの衆しゆ生じやうは命いのちみじかきあり。 華くゑ光くわう如来によらいのごとし。 仏ほとけの命いのちは十じふ二に小劫せうこふ、 衆しゆ生じやうの命いのちは八はち小劫せうこふなり。 あるいは能化のうくゑの仏ほとけは命いのちみじかく、 所化しよくゑの衆しゆ生じやうは命いのちながきあり。 月ぐゑち面めん如来によらいのごとし。 仏ほとけの命いのち一日ゐちにち一ゐち夜や、 衆しゆ生じやうの命いのちは五ご十じふ歳さいなり。 あるいは能化のうくゑ・所化しよくゑともに命いのちみじかきあり。 釈しや迦か如来によらいのごとし。 仏ほとけも衆しゆ生じやうもともに八十はちじふ歳さいなり。 あるいは能化のうくゑ・所化しよくゑともに命いのちながきあり。 阿わ弥陀みだ如来によらいのごとし。 仏ほとけも衆しゆ生じやうもともに无む量りやう歳さいなり」 (小経略記意)。 かるがゆへに ¬経きやう¼ (大経巻上) にのたまはく、

「▲仏ほとけ阿わ難なんに告つげたまはく、 无む量りやう寿じゆ仏ぶち寿じゆ命みやう長ぢやう久くにして勝しよう計げすべからず。 なんぢむしろ知しるや、 ◆たとひ十方じふぱう世せ界かいの无む量りやうの衆しゆ生じやうみな人身にんじんを得えて、 ことごとく声しやう聞もん・縁覚えんがくを成じやう就じゆせしめて、 すべてともに推すいし算さん計げして思おもひをもはらにし一心ゐちしむにその智ち力りきを竭つくして百ひやく千せん万劫まんごふにおいて、 ことごとくともにその寿じゆ命みやうの長ぢやう遠おんの数かずを推すいし算さん計げせむに、 窮ぐ尽じんしてその限極げんごくを知しることあたはず。 ◆声しやう聞もん・菩ぼ薩さち・天人てんにん之し衆しゆの寿じゆ命みやうの長ちやう短たんまたかくのごとし。 算数さんじゆ譬喩ひゆのよく知しるところにあらざるなり」

「仏告ぶちがう↢阿わ難なん↡、 无む量りやう寿じゆ仏ぶち寿じゆ命みやう長ぢやう久く不ふ↠可か↢勝しよう計げ↡。 汝によ寧にやう知乎ちこ、 仮使けし十方じふぱう世せ界かい无む量りやう衆しゆ生じやう皆得かいとく↢人身にんじん↡、 悉しち令りやう↣成じやう↢就じゆ声しやう聞もん・縁覚えんがく↡、 都共とぐ推算すいさん計げ禅ぜん↠思し一心ゐちしむ竭かち↢其ご智ち力りき↡於お↢百ひやく千せん万劫まんごふ↡、 悉しち共ぐ推算すいさん↢計げ其ご寿じゆ命みやう長ぢやう遠おん之し数しゆ↡、 不ふ↠能のう↣窮ぐ尽じん知ち↢其ご限極げんごく↡。 声しやう聞もん・菩ぼ薩さち・天人てんにん之し衆しゆ寿じゆ命みやう長ちやう短たん亦やく復ぶ如によ↠是ぜ。 非ひ↣算数さんじゆ譬喩ひゆ所しよ↢能のう知ち↡也や」

とのたまへり。 たゞもし神じん通づの大だい菩ぼ薩さち等とうのかずへたまはむには、 一ゐち大だい恒沙ごうじや劫こふなりと、 ¬大論だいろん¼ のこゝろをもて、 恵ゑ心しむ勘かむがへたり。 この数かず、 二に乗じよう凡ぼむ夫ぶのかずへてしるべきかずにあらず。 かるがゆへに无む量りやうとはいへるなり。 すべて仏ほとけの功く徳どくを論ろんずるに、 能のう持ぢ・所しよ持ぢの二ふたつの義ぎあり。 寿じゆ命みやうをもて能のう持ぢといひ、 自余じよのもろもろの功く徳どくをばことごとく所しよ持ぢといふなり。 寿じゆ命みやうはよくもろもろの功く徳どくをたもつ。 一切ゐちさいの万徳まんどく、 みなことごとく寿じゆ命みやうにたもたるゝがゆへなり。 これは当たう座ざの道だう師しがわたくしの義ぎなり。 すなわちかの仏ほとけの相好さうがう・光明くわうみやう・説法せちぽう・利り生しやう等とうの一切ゐちさい功く徳どく、 および国こく土どの一切ゐちさい荘しやう厳ごむ等とうのもろもろの快楽くゑらくのことら、 たゞかの仏ほとけの命いのちのながくましますがゆへの事ことなり。 もし命いのちなくは、 かれらの功く徳どく・荘しやう厳ごむ等とうなにゝよりてかとゞまるべき。 しかれば、 四し十八じふはち願ぐわんの中なかにも、 寿じゆ命みやう无む量りやうの願ぐわんに自余じよの諸しよ願ぐわんをばおさめたるなり。 たとひ第だい十八じふはちの念仏ねむぶち往わう生じやうの願ぐわん、 ひろく諸しよ機きを摂せふして済さい度どするににたりといゑども、 仏ほとけの御おむ命いのちもしみじかくは、 その願ぐわんなほひろまらじ。 そのゆへは、 もし百ひやく歳さい千歳せんざい、 もしは一劫ゐちこふ二に劫こふにてもましまさましかば、 いまのときの衆しゆ生じやうはことごとくその願ぐわんにもれなまし。 かの仏ほとけ成じやう仏ぶちしてのち、 十劫じふこふをすぎたるがゆへなり。 これをもてこれをおもへば、 済さい度ど利り生しやうの方便はうべんは寿じゆ命みやうの長ぢやう遠おんなるにすぎたるはなく、 大だい慈じ大だい悲ひの誓せい願ぐわんも寿じゆ命みやうの无む量りやうなるにあらはるゝものなり。 これ娑しや婆ば世せ界かいの人ひとも、 命いのちをもて第一だいゐちのたからとす。 七珍しちちん万宝まんぼうをくらの内うちにみてたれども、 綾りよう羅ら綿繍きむしうをはこのそこにたくわへたるも、 命いのちのいきたるほどこそわが宝たからにてもある、 まなこ閉とぢぬるのちはみな人ひとのものなり。 しかれば、 乃至 弥陀みだ如来によらいの寿じゆ命みやう无む量りやうの願ぐわんをおこしたまひけむも、 御おむ身みのため長ちやう寿じゆの果報くわほうをもとめたまふにはあらず。 済さい度ど利り生しやうのひさしかるべきために、 また衆しゆ生じやうをして忻ごん求ぐのこゝろをおこさしめんがためなり。 一切ゐちさい衆しゆ生じやうはみな命いのちながゝらむことをねがふがゆへなり。 凡おほよそかの仏ほとけの功く徳どくの中なかには、 寿じゆ命みやう无む量りやうの徳とくをそなへたまふにすぎたることは候さふらはぬなり。 このゆへに ¬双そう巻経くわんぎやう¼ の題だいにも 「无む量りやう寿じゆ経きやう」 といへども、 无む量りやう光くわう経きやうとはいはず。 隋朝ずいてうよりさきの旧く訳やくには、 みな経きやうの中なかに宗しゆとムネト あることをえらびて、 詮せむをぬき略りやくを存ぞんじてその題目だいもくとするなり。 すなわちこの ¬経きやう¼ の詮せむには、 阿わ弥陀みだ如来によらいの功く徳どくをとけるなり。 その功く徳どくの中なかには、 光明くわうみやう无む量りやう・寿じゆ命みやう无む量りやうの二ふたつの義ぎをそなへたり。 その中なかにはまた寿じゆ命みやうなを最さい勝しようなるゆへに、 「无む量りやう寿じゆ経きやう」 となづくるなり。 また釈しや迦か如来によらいの功く徳どくの中なかにも、 久く遠おん実じち成じやうの宗むねをあらわせるをもて殊しゆ勝しよう甚深じむじむのこととせり。 すなわち ¬法華ほふくゑ経きやう¼ に 「寿じゆ量りやう品ぼむ」 とてとかれたり。 廿にじふ八はち品ぼむの中なかには、 この品ほむをもてすぐれたりとす。 まさにしるべし、 諸仏しよぶちの功く徳どくにも寿じゆ命みやうをもて第一だいゐちの功く徳どくとし、 衆しゆ生じやうのたからにも命いのちをもて第一だいゐちのたからとすといふことを。 その命いのちながき果報くわほうをうることは、 衆しゆ生じやうに飲食おむじきをあたへ、 またものゝ命いのちをころさゞるを業因ごふいんとするなり。 因いんと果くわと相応さうおうすることなれば、 食じきはすなわち命いのちをつぐがゆへに、 食じきをあたふるはすなわち命いのちをあたふるなり。 不ふ殺せち生しやう戒かいをたもつもまた衆しゆ生じやうの命いのちをたすくるなり。 かるがゆへに、 飲食おむじきをもて衆しゆ生じやうに施与せよし、 慈悲じひに住じゆして不ふ殺せち生しやう戒かいをたもてば、 かならず長命ぢやうみやうの果報くわほうをえたり。 しかるにかの阿わ弥陀みだ如来によらいは、 すなわち願行ぐわんぎやうあひたすけて、 この寿じゆ命みやう无む量りやうの徳とくおば成じやう就じゆしたまへるなり。 願ぐわんといふは、 四し十八じふはち願ぐわんの中なかの第だい十三じふさむの願ぐわんにいはく、

「▲たとひわれ仏ほとけを得えむに、 寿じゆ命みやうよく限げん量りやうあて、 下しも百ひやく千せん億おく那由なゆ他た劫こふに至いたらば、 正しやう覚がくを取とらじ」 (大経巻上)

「設せち我が得とく↠仏ぶち、 寿じゆ命みやう有う↢能のう限げん量りやう↡、 下至げし↢百ひやく千せん億おく那由なゆ他た劫こふ↡者しや、 不ふ↠取しゆ↢正しやう覚がく↡」

とのたまへり。 行ぎやうといふは、 かの願ぐわんをたてたまふてのち无む央数あうしゆ劫こふのあひだ、 また不ふ殺せち生しやう戒かいをたもてり。 また一切ゐちさいの凡ぼむ聖しやうにおひて、 飲食おむじき・医い薬やくを供く養やうし施与せよしたまへるなり。 これは阿わ弥陀みだ如来によらいの寿じゆ命みやうの功く徳どくなり。 乃至 かの仏ほとけ、 かくのごとく寿じゆ命みやう无む量りやうなりといえども、 また涅槃ねちはん隠没おむもちの期ごまします。 これについて、 あわれなることこそ候さふらへ。 道だう綽しやく禅ぜん師じ、 念仏ねむぶちの衆しゆ生じやうにおひて始し終じゆ両りやう益やくありと釈しやくしたまへる。 その終益じゆやくをあかすに、 すなわち ¬観くわん音おむ授じゆ記き経きやう¼ (意) をひきていはく、 「▲阿わ弥陀みだ仏ぶち、 住じゆ世せの命いのち、 兆載てうさい永ゐやう劫ごふのゝち滅めち度どしたまひて、 たゞ観くわん音おむ・勢せい至し、 衆しゆ生じやうを接引せふいんしたまふことあるべし。 そのときに、 一向ゐちかうにもはら念仏ねむぶちして往わう生じやうしたる衆しゆ生じやうのみ、 つねに仏ほとけをみたてまつる、 滅めちしたまはぬがごとし。 余よ行ぎやう往わう生じやうの衆しゆ生じやうは、 みたてまつることあらず」 といへり。 往わう生じやうをえてむ上うへに、 そのときまでのことはあまりごとぞ、 とてもかくてもありなむとおぼえぬべく候さふらへども、 そのときにのぞみては、 かなしかるべきことにてこそ候さふらへ。 かの釈しや迦か入滅にふめちのありさまにても、 おしはかられ候さふらふなり。 証しよう果くわの羅ら漢かん、 深じむ位ゐの大だいフカキクラヰトイフ士じも、 非ひ滅めち・現滅げんめちのことはりをしりながら、 当たう時じ別べち離りのかなしみにたえず、 天てんにあおぎ地ぢにふし、 哀哭あいこくし悲ひ泣きふしき。 いはんや未み証しようの衆しゆ生じやうをや、 浅識せんしきの凡ぼむ愚ぐをや、 乃ない至し竜神りうじん八はち部ぶも五ご十じふ二に類るいも、 凡おほよそ涅槃ねちはんの一ゐち会ゑ悲ひ歎たんのなみだをながさずといふことなし。 しかのみならず、 娑しや羅ら林りむのこずゑ、 抜提ばちだい河がの水みづ、 すべて山川せんせんヤマカワ・渓けいタニ谷こく・草木さうもく・樹林じゆりむも、 みな哀あい傷しやうのいろをあらはしき。 しかれば、 過くわ去こをきゝて未み来らいをおもひ、 穢土ゑどになずらへて浄じやう土どをしるに、 かの阿わ弥陀みだ仏ぶちの衆宝しゆぼう荘しやう厳ごむの国こく土どをかくし、 涅槃ねちはん寂じやく滅めちの道だう場ぢやうにいりたまひてのち、 八万はちまん四し千せんの相好さうがうふたゝび現げんずることなく、 无む量りやう无む辺へんの光明くわうみやうはながくてらすことなくは、 かの会ゑの聖しやう衆じゆ人天にんでん等とう、 悲ひ哀あいのおもひ、 恋れんコヒ慕ぼシタのこフトナリゝろざし、 いかばかりかは候さふらふべき。 七宝しちぽう自じ然ねんのはやしなりとも、 八はち功く如によ意いの水みづなりとも、 名みやう華くゑ・軟草なんさうのクサノナヽリ いろも、 鳧ふ雁がん・鴛鴦ゑんあうのこえも、 いかゞそのときをしらざらむや。 浄じやう穢ゑは土どことなりといへども、 世せ尊そんの滅めち度どすでにことなることなし。 迷めいマドフ悟ごサトルはこゝろかわるといゑども、 所化しよくゑの悲ひ恋れんなんぞかはることあらむや。 この娑しや婆ば世せ界かいの凡ぼむ夫ぶ、 具ぐ縛ばくの人ひとの心しむ事、 コヽロトコトヽ相応さうおうせず。 意い楽げう各別かくべちにて、 つねに違ゐタガフ背はいソムクし、 たがひに厭えむイトイ悪あくニクムをするだにも、 あるいは夫ふ妻さいのちぎりをもむすび、 あるいは朋ぼう友うのトモトナルナリことばをもなして、 しばらくもなづさひ、 また馴なれぬれば、 遠おんトオク近ごんチカクのさかひをへだて、 前ぜん後ごの生しやうをあらため、 かくのごとく生しやうおも死しおもわかれをつぐるときには、 なごりをおしむこゝろたちまちにもよおし、 かなしみにたえず、 なみだおさへがたきことにてこそは候さふらへ。 いかにいはむや、 かの仏ほとけ、 内うちには慈悲じひ哀愍あいみんのこゝろをのみたくはへてましませば、 なれたてまつるにしたがふて、 いよいよむつまじく、 外には見者けんじゃミタテマツルモノ无む厭えむの徳とくをイトフコトナシトナリ そなへてましませば、 みまいらするごとに、 いやめづらなるおや。 まことに无む量りやう永ゐやう劫ごふがあひだ、 あさゆふに万徳まんどく円満えんまんのみかほをおがみたてまつり、 昼ちう夜やに四し辨べん无窮むぐの御み音こえになれたてまつりて、 恭く敬ぎやう瞻仰せむがうし、 随遂ずいちく給きふ仕じして、 すぎたらむここちに、 ながくみたてまつらざらむことになりたらむばかり、 かなしかるべきことや候さふらふべき。 无有むう衆しゆ苦くのさかひ、 離り諸しよ妄想まうざうのところなりといふとも、 このこと一ゐち事じは、 さこそおぼへ候さふらふらめとぞおぼえ候さふらふ。 それにもとのごとくみたてまつりて、 あらたまることなからむことは、 まことにあはれにありがたきこととこそおぼへ候さふらへ。 これすなわち、 念仏ねむぶち一ゐち行ぎやう、 かの仏ほとけの本ほん願ぐわんなるがゆへなり。 おなじく往わう生じやうをねがはむ人ひとは、 専修せんじゆ念仏ねむぶちの一門ゐちもんよりいるべきなり。

康元二丁巳正月二日書之

愚禿親鸞 八十五歳

 

西方指南抄上末

 ・大経

次つぎに ¬双さう巻くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼。 「浄じやう土ど三さむ部ぶ経きやう」 の中なかには、 この ¬経きやう¼ を根本こんぽんとするなり。 其故そのゆへは、 一切ゐちさいの諸善しよぜんは願ぐわんを根本こんぽんとす。 而しかるに此この ¬経きやう¼ には弥陀みだ如来によらいの因いん位ゐの願ぐわんをときていはく、 ▲乃往ないわう過くわ去こ久く遠おん无む量りやう无む央数あうしゆ劫こふに仏ほとけましましき、 世自せじ在王ざいわう仏ぶちとまふしき。 ◆そのとき一人ゐちにんの国王こくわうありき。 仏ほとけの説法せちぽうをきゝて、 无む上じやう道心だうしむをおこして、 国くにをすて王わうをすてゝ、 家いゑをいでゝ沙門しやもんとなれり。 なづけて法蔵ほふざう比丘びくといふ。 ◆すなわち世自せじ在王ざいわう仏ぶちの所みもとに詣まうでて、 右みぎにめぐること三さむ帀ざうして、 頂ちやう跪くゐ合がふ掌しやうして仏ほとけをほめたてまつりてまうしてまうさく、 ◆われ浄じやう土どをまうけて衆しゆ生じやうを度どせむとおもふ。 ◆ねがわくは、 わがために経きやう法ぼふをときたまへと。 ◆そのとき世自せじ在王ざいわう仏ぶち、 法蔵ほふざう比丘びくのために二に百ひやく一十ゐちじふ億おくの諸仏しよぶちの浄じやう土どの人天にんでんの善悪ぜんあく、 国こく土どの麁そ妙めうをとき、 また現げんじてこれをあたへたまふ。 ◆法蔵ほふざう比丘びく、 仏ほとけの所説しよせちをきゝ、 また厳ごむ浄じやうの国こく土どをことごとくみおはりてのち、 ◆五ご劫こふのあひだ思し惟ゆいし取捨しゆしやして、 二に百ひやく一十ゐちじふ億おくの浄じやう土どの中なかよりえらびとりて、 四し十八じふはちの誓せい願ぐわんをまうけたり。

この二に百ひやく一十ゐちじふ億おくの諸仏しよぶちのくにの中なかより、 善悪ぜんあくの中なかには悪あくをすてゝ善ぜんをとり、 麁そ妙めうの中なかには麁そをすてゝ妙めうをとる。 かくのごとく取捨しゆしやし選せん択ぢやくして、 この四し十八じふはち願ぐわんをおこせるがゆへに、 この ¬経きやう¼ の同本どうほん異い訳やくの ▲¬大だい阿わ弥陀みだ経きやう¼ には、 この願ぐわんを選せん択ぢやくの願ぐわんととかれたり。 その選せん択ぢやくのやう、 おろおろまふしひらき候さふらはむ。

 ・大経 ・无三悪趣の願

まづはじめの▲无む三さむ悪趣あくしゅの願ぐわんは、 かの諸仏しよぶちの国こく土どの中なかに、 三さむ悪道まくだうあるおばえらびすてゝ、 三さむ悪道まくだうなきおばえらびとりてわが願ぐわんとせり。

 ・大経 ・不更悪趣の願

次つぎに▲不ふ更きやう悪趣あくしゅの願ぐわんは、 かの諸仏しよぶちのくにの中うちに、 たとひ三さむ悪道まくだうなしといゑども、 かのくにの衆しゆ生じやう、 また他た方はうの三さむ悪道まくだうにおつることあるくにおばえらびすてゝ、 すべて三さむ悪道まくだうにかへらざるくにをえらびとりてわが願ぐわんとせるなり。

 ・大経 ・悉皆金色の願、无有好醜の願、…

次つぎに▲悉皆しちかい金色こむじきの願ぐわん、 次つぎに▲无有むう好醜かうしゆの願ぐわん、 一一ゐちゐちの願ぐわんみなかくのごとしとしるべし。

 ・大経 ・念仏往生の願

第だい十八じふはちの▲念仏ねむぶち往わう生じやうの願ぐわんは、 かの二に百ひやく一十ゐちじふ億おくの諸仏しよぶちの国こく土どの中なかに、 あるいは布施ふせをもて往わう生じやうの行ぎやうとするくにあり、 あるいは持ぢ戒かいおよび禅ぜん定ぢやう・智慧ちゑ等とう、 乃ない至し発ほち菩ぼ提だい心しむ、 持ぢ経きやう・持ぢ呪じゆ等とう、 孝養けうやう父母ぶも・奉事ぶじ師し長ちやう等とう、 かくのごときの種種しゆじゆの行ぎやうをもて、 おのおの往わう生じやうの行ぎやうとするくにあり、 あるいはまた、 もはらそのくにの教主けうしゆの名みやう号がうを称しよう念ねむするをもて、 往わう生じやうの行ぎやうとするくにもあり。 しかるにかの法蔵ほふざう比丘びく、 余よ行ぎやうをもて往わう生じやうの行ぎやうとする国くにおばえらびすてゝ、 たゞ名みやう号がうを称しよう念ねむして往わう生じやうの行ぎやうとする国くにをえらびとりて、 わが国こく土どの往わう生じやうの行ぎやうも、 かくのごとくならむとたてたまへるなり。

 ・大経 ・来迎引接の願、繋念定生の願、…

次つぎに▲来迎らいかう引接いんぜふの願ぐわん、 次つぎに▲係け念ねむ定生ぢやうしやうの願ぐわん、 みなかくのごとくえらびとりて願ぐわんじたまへり。

凡おほよそはじめ无む三さむ悪趣あくしゅの願ぐわんより、 おはり得三とくさむ法忍ぼふにんの願ぐわんにいたるまで思し惟ゆいし選せん択ぢやくするあひだ、 五ご劫こふおばおくりたるなり。 かくのごとく選せん択ぢやくし摂取せふしゆしてのちに、 仏ほとけのみもとに詣けいマウデして、 一一ゐちゐちにこれをとく。 その四し十八じふはち願ぐわんときおはりてのち、 また偈げをもてまふさく、

「▲われ超てう世せの願ぐわんを建たつ、 かならず无む上じやう道だうに至いたらむ。 この願ぐわん満足まんぞくせずは、 誓ちかふ正しやう覚がくを成ならじと。 乃至
この願ぐわんもし剋果こくくわすべくは、 大千だいせん感動かむどうすべし。 虚空こくのもろもろの天人てんにん、 珍妙ちんめうの華はなを雨ふるべし」 (大経巻上)

「我が建ごん↢超てう世せ願ぐわん↡必ひち至し↢无む上じやう道だう↡斯し願ぐわん不ふ↢満足まんぞく↡誓せい不ふ↠成じやう↢正しやう覚がく↡ 乃至
斯し願ぐわん若にゃく剋果こくくわ大千だいせん応おう↢感動かむどう↡虚空こく諸しよ天人てんにん当とう↠雨う↢珍妙ちんめう華くゑ」

と。 かの比丘びく、 この偈げをときおはるに、 ▲ときに応おうじてあまねく地ぢ、 六種ろくしゆに震動しむどうし、 天てんより妙華めうくゑそのうえに散さんじて、 自じ然ねんの音楽おむがく、 空そらの中うちにきこへ、 また空そらの中うちにほめていはく、 「決定くゑちじやうしてかならず无む上じやう正しやう覚がくなるべし」 (大経巻上) と。

しかれば、 かの法蔵ほふざう比丘びくの四し十八じふはち願ぐわんは、 一一ゐちゐちに成じやう就じゆして決定くゑちじやうして仏ほとけになるべしといふことは、 そのはじめ発ほち願ぐわんのとき、 世自せじ在王ざいわう仏ぶちの御みまへにして、 諸しよ魔ま・竜神りうじん八はち部ぶ、 一切ゐちさい大衆だいしゆの中なかにして、 かねてあらわれたることなり。 しかれば、 かの世自せじ在王ざいわう仏ぶちの法ほふの中なかには、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの四し十八じふはち願ぐわん経きやうとて受じゆ持ぢ・読誦どくじゆしき。 いま釈しや迦かの法ほふの中なかなりといふとも、 かの仏ほとけの願ぐわん力りきをあおぎて、 かのくにゝむまれむとねがふは、 この法蔵ほふざう菩ぼ薩さち四し十八じふはち願ぐわんの法門ほふもんにいるなり。 すなわち道だう綽しやく禅ぜん師じ・善導ぜんだう和くわ尚しやう等とうも、 この法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの四し十八じふはち願ぐわん法門ほふもんにいりたまへるなり。

かの華厳くゑごむ宗しゆの人ひとは ¬華厳くゑごむ経ぎょう¼ をたもち、 あるいは三論さむろん宗しゆの人ひとは ¬般若はんにや経きやう¼ 等とうをたもち、 あるひは法相ほふさう宗しゆの人ひとは ¬瑜伽ゆが¼・¬唯識ゆいしき¼ をたもち、 あるひは天臺てんだい宗しゆの人ひとは ¬法華ほふくゑ¼ をたもち、 あるひは善ぜん无畏むゐは ¬大日だいにち経きやう¼ をたもち、 金剛こむがう智ちは ¬金剛こむがう頂ちやう経きやう¼ をたもつ。 かくのごとく、 おのおの宗しゆにしたがふて、 依え経きやう・依え論ろんをたもつなり。

いま浄じやう土ど宗しゆを宗しゆとせむ人ひとは、 この ¬経きやう¼ によて四し十八じふはち願ぐわん法門ほふもんをたもつべきなり。 この ¬経きやう¼ をたもつといふは、 すなわち弥陀みだの本ほん願ぐわんをたもつなり。 弥陀みだの本ほん願ぐわんといふは、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの四し十八じふはち願ぐわん法門ほふもんなり。

▲その四し十八じふはち願ぐわんの中なかに、 第だい十八じふはちの念仏ねむぶち往わう生じやうの願ぐわんを本体ほんたいとするなり。 かるがゆへに善導ぜんだうのたまはく、

「▲弘ぐ誓ぜい多た門もんにして四し十八じふはちなり。 ひとへに念仏ねむぶちを標へうしてもとも親しんとす」 (法事讃巻上)

「弘ぐ誓ぜい多た門もん四し十八じふはち偏へん標べう↢念仏ねむぶち↡最さい為ゐ↠親しん」

といへり。 念仏ねむぶち往わう生じやうといふことは、 みなもとこの本ほん願ぐわんよりおこれり。 しかれば、 ¬観経くわんぎやう¼・¬弥陀みだ経きやう¼ にとくところの念仏ねむぶち往わう生じやうのむねも、 乃ない至し余よの経きやうの中なかにとくところも、 みなこの ¬経きやう¼ にとけるところの本ほん願ぐわんを根本こんぽんとするなり。

なにをもてかこれをしるとならば、 ¬観経くわんぎやう¼ にとけるところの光明くわうみやう摂取せふしゆを、 善導ぜんだう釈しやくしたまふに、

「▲ただ念仏ねむぶちのものあて光くわう摂せふを蒙かぶる、 まさに知しるべし本ほん願ぐわんもとも強こわしとす」 (礼讃)

「唯ゆい有う↢念仏ねむぶち↡蒙む↢光くわう摂せふ↡当たう↠知ち本ほん願ぐわん最さい為ゐ↠強がう」

といへり。 この釈しやくのこゝろ、 本ほん願ぐわんなるがゆへに光明くわうみやうも摂取せふしゆすときこえたり。

またおなじ ¬経きやう¼ に、 下げ品ぼむ上生じやうしやうに聞もん経きやうと称しよう仏ぶちとをならべてとくといゑども、 ▲化仏くゑぶちきたりてほめたまふには、 たゞ称しよう仏ぶちの功こうをのみほめて、 聞もん経きやうおばほめたまはずといへり。 善導ぜんだう釈しやくしていはく、

「▲仏ほとけの本ほん願ぐわんの意こゝろを望のぞまば、 ただ正しやう念ねむ称名しようみやうを勧すゝむ。 往わう生じやうの義ぎ疾ときこと雑散ざふさんの業ごふに同おなじからず」 (散善義)

「望まう↢仏ぶち本ほん願ぐわん意い↡者しや、 唯ゆい勧くわん↢正しやう念ねむ称名しようみやう↡。 往わう生じやう義ぎ疾しち不ふ↠同どう↢雑散ざふさん之し業ごふ↡」

といへり。 これまた本ほん願ぐわんなるがゆへに、 称しよう仏ぶちおばほめたまふときこへたり。

またおなじ ¬経きやう¼ の付ふ属ぞくの文もんを釈しやくしたまふにも、

「▲仏ほとけの本ほん願ぐわんの意いを望のぞむには、 衆しゆ生じやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだ仏ぶちの名みなを称しようするにあり」 (散善義)

「望まう↢仏ぶち本ほん願ぐわん意い↡、 在ざい↣衆しゆ生じやう一向ゐちかう専せん称しよう↢弥陀みだ仏ぶち名みやう↡」

といへり。 これまた弥陀みだの本ほん願ぐわんなるがゆへに、 釈しやく尊そんも付ふ属ぞくし流通るづせしめたまふときこへたり。

また ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ にとけるところの一日ゐちにち七日しちにちの念仏ねむぶちを善導ぜんだうほめたまふに、

「▲ぢきに弥陀みだの弘ぐ誓ぜい重かさなれるによて、 凡ぼむ夫ぶ念ねむじてすなわち生しやうぜしむることを致いたす」 (法事讃巻下)

「直ぢき為ゐ↢弥陀みだ弘ぐ誓ぜい重ぢう↡致ち↠使し↢凡ぼむ夫ぶ念ねむ即そく生しやう↡」

といへり。 これまた一日ゐちにち七日しちにちの念仏ねむぶちも、 弥陀みだの本ほん願ぐわんなるがゆへに往わう生じやうすときこえたり。

乃ない至し ¬双そう巻経くわんぎやう¼ の中なかにも、 三輩さむぱい已下いげの諸文しよもんはみなかみの本ほん願ぐわんによるなり。 凡おほよそこの 「三さむ部ぶ経きやう」 にかぎらず、 一切ゐちさい諸しよ経きやうの中なかにあかすところの念仏ねむぶち往わう生じやうは、 みなこの ¬経きやう¼ の本ほん願ぐわんをのぞまむとてとけるなりと、 しるべし。

▲抑そもそも法蔵ほふざう菩ぼ薩さち、 いかなれば余よ行ぎやうをすてゝ、 たゞ称名しようみやう念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうをもて本ほん願ぐわんにたてたまへるぞといふに、 これに二ふたつの義ぎあり。 一ひとつには念仏ねむぶちは↓殊しゆ勝しようの功く徳どくなるがゆへに、 二ふたつは念仏ねむぶちは↓行ぎやうじやすきによて諸しよ機きにあまねきがゆへに。

はじめに▲↑殊しゆ勝しようの功く徳どくなるがゆへにといふは、 かの仏ほとけの因果いんぐわ、 総別そうべちの一切ゐちさいの万徳まんどく、 みなことごとく名みやう号がうにあらわるゝがゆへに、 一ひとたびも南无なも阿わ弥陀みだ仏ぶちととなふるに、 大だい善根ぜんごんをうるなり。 こゝをもて ¬西方さいはう要えう決くゑち¼ にいはく、

「▲諸仏しよぶちの願行ぐわんぎやうはこの果くわの名なを成じやうず、 たゞよく号みなを念ねむずるにつぶさに衆徳しゆとくを包かぬ、 かるがゆへに大善だいぜんと成なて往わう生じやうを廃はいせず」

「諸仏しよぶち願行ぐわんぎやう成じやう↢此し果くわ名みやう↡、 但たん能のう念ねむ↠号がう具ぐ包はう↢衆徳しゆとく↡、 故こ成じやう↢大善だいぜん↡不ふ↠廃はい↢往わう生じやう↡」

といへり。 またこの ¬経きやう¼ (大経巻下) に、 すなわち一念ゐちねむをさして 「▲无む上じやう功く徳どく」 とほめたり。 しかれば、 殊しゆ勝しようの大だい善根ぜんごんなるがゆへに、 えらびて本ほん願ぐわんとしたまへるなり。

二ふたつには▲↑修しゆしやすきがゆへにといふは、 南无なも阿わ弥陀みだ仏ぶちとまふすことは、 いかなる愚痴ぐちのものも、 おさなきも、 老おいたるも、 やすくまふさるゝがゆへに、 平びやう等どうの慈悲じひの御おむこゝろをもて、 その行ぎやうをたてたまへり。 もし布施ふせをもて本ほん願ぐわんとせば,貧びん窮ぐ困乏こむぼうのともがら、 さだめて往わう生じやうののぞみをたゝむ。 もし持ぢ戒かいをもて本ほん願ぐわんとせば、 破は戒かい・無む戒かいのたぐひ、 また往わう生じやうののぞみをたつべし。 もし禅ぜん定ぢやうをもて本ほん願ぐわんとせば、 散乱さんらん麁そ動どうのともがら、 往わう生じやうすべからず。 もし智慧ちゑをもて本ほん願ぐわんとせば、 愚ぐ鈍どん下智げちのもの、 往わう生じやうすべからず。 自余じよの諸しよ行ぎやうもこれになずらへてしるべし。 しかるに布施ふせ・持ぢ戒かい等とうの諸しよ行ぎやうにたえたるものはきわめてすくなく、 貧びん窮ぐ・破は戒かい・散乱さんらん・愚痴ぐちのともがらははなはだおほし。 しかれば、 かみの諸しよ行ぎやうをもて本ほん願ぐわんとしたまひたらましかば、 往わう生じやうをうるものはすくなく、 往わう生じやうせぬものはおほからまし。 これによて法蔵ほふざう菩ぼ薩さち、 平びやう等どうの慈悲じひにもよおされて、 あまねく一切ゐちさいを摂せふせむがために、 かの諸しよ行ぎやうをもては往わう生じやうの本ほん願ぐわんとせず、 たゞ称名しようみやう念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうをもてその本ほん願ぐわんとしたまへるなり。 かるがゆへに法照ほふせう禅ぜん師じのいはく、

「未み来らい世せの悪あくの衆しゆ生じやうにおいては、 西方さいはうの弥陀みだの号みなを称しよう念ねむせよ。
仏ぶちの本ほん願ぐわんによて生しやう死じを出いづ。 直心ぢきしむをもてのゆへに極楽ごくらくに生しやうず」

「於お↢未み来らい世せ悪あく衆しゆ生じやう↡称しよう↢念ねむ西方さいはう弥陀みだ号がう↡
依え↢仏ぶち本ほん願ぐわん↡出しゆつ↢生しやう死じ↡以い↢直心ぢきしむ↡故こ生しやう↢極楽ごくらく↡」 と 云。

又また (五会法事讃巻本) 云いはく、

「▲かの仏ほとけの因中いんちうに弘ぐ誓ぜいを立たてたまへり。 名みなを聞きゝてわれを念ねむぜばすべて迎むかへ来かえらしむ。
貧びん窮ぐとまさに富ふ貴くゐとを簡えらばず、 下智げちと高才かうざいとを簡えらばず、
多た聞もんと浄じやう戒かいを持たもてるを簡えらばず、 破は戒かいと罪根ざいこん深ふかきとを簡えらばず。
ただ廻ゑ心しむして多おほく念仏ねむぶちせしむれば、 よく瓦ぐわ礫りやくをして変へんじて金こがねと成なさしむ」

「彼ひ仏ぶち因中いんちう立りふ↢弘ぐ誓ぜい↡聞もん↠名みやう念ねむ↠我が総そう迎来かうらい
不ふ↠簡けん↣貧びん窮ぐ将しやう↢富ふ貴くゐ↡不ふ↠簡けん↣下智げち与よ↢高才かうざい↡
不ふ↠簡けん↣多た聞もん持ぢ↢浄じやう戒かい↡不ふ↠簡けん↢破は戒かい罪根ざいこん深じむ
但たん使し↢廻ゑ心しむ多た念仏ねむぶち↡能のう令りやう↢瓦ぐわ礫りやく変へん成じやう↟金こむ」 と。

▲かくのごとく誓せい願ぐわんをたてたりとも、 その願ぐわん成じやう就じゆせずは、 まさにたのむべきにあらす。 しかるにかの法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの願ぐわんは、 一一ゐちゐちに成じやう就じゆしてすでに仏ほとけになりたまへり。 その中なかに、 この念仏ねむぶち往わう生じやうの願ぐわん成じやう就じゆの文もんにいはく、

「▲あらゆる衆しゆ生じやう、 その名みやう号がうを聞きゝて、 信心しんじむ歓くわん喜ぎして、 乃ない至し一念ゐちねむせむ。 至し心しん廻ゑ向かうせしめたまへり。 かの国くにゝ生うまれむと願がんずれば、 すなわち往わう生じやうを得え、 不ふ退転たいてんに住じゆせむ」 (大経巻下)

「諸しよ有う衆しゆ生じやう、 聞もん↢其ご名みやう号がう↡、 信心しんじむ歓くわん喜ぎ、 乃ない至し一念ゐちねむ。 至し心しん廻ゑ向かう。 願がん↠生しやう↢彼ひ国こく↡、 即そく↢得とく往わう生じやう↡、 住じゆ↢不ふ退転たいてん↡」 と 云。

次つぎに▲三輩さむぱいの往わう生じやうはみな、 「一向ゐちかう専念せんねむ无む量りやう寿じゆ仏ぶち」 (大経巻下) といへり。 この中なかに菩ぼ提だい心しむ等とうの諸善しよぜんありといゑども、 かみの本ほん願ぐわんをのぞむには、 一向ゐちかうにもはらかの仏ほとけの名みやう号がうを念ねむずるなり。 例れいせばかの ¬観経くわんぎやうの疏しよ¼ (散善義) に釈しやくせるがごとし。 「▲かみよりこのかた、 定ぢやう散さん両りやう門もんの益やくをとくといゑども、 △仏ほとけの本ほん願ぐわんをのぞむには、 こゝろ衆しゆ生じやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだ仏ぶちのみなを称しようするにあり」 といへり。 「望まう仏ぶち本ほん願ぐわん」ホトケノホングワンヲ といふノゾムトイフは、 この三輩さむぱいの中なかの 「一向ゐちかう専念せんねむ」 をさすなり。

次つぎに流通るづにいたて、 「▲其有ごう得聞とくもん彼ひ仏ぶち名みやう号がう、 歓くわん喜ぎ踊ゆ躍やく乃ない至し一念ゐちねむ。 当たう知ち此し人にん為い得とく大だい利り。 則そく是ぜ具ぐ足そく无む上じやう功く徳どく」 (大経巻下) といへり。 ▲善導ぜんだうの御おむこゝろは、 「▲上じやう尽じん一ゐち形ぎやう下至げし一念ゐちねむ」 (礼讃意)、 无む上じやう功く徳どくなりと。 余師よしのこゝろによらば、 たゞ少せうをあげて多たをあらはすなりといへり。

次つぎに

「▲当来たうらいの世よに経きやう道だう滅尽めつじんせむに、 われ慈悲じひ哀愍あいみんをもて、 ことにこの経きやうを留とゞめて止し住じゆせむこと百ひやく歳さいせむ。 それ衆しゆ生じやうあてこの経きやうに値まうあふ者ものは、 意こゝろの所しよ願ぐわんに随したがひてみな得とく度どすべし」 (大経巻下)

「当来たうらい之世しせ経きやう道だう滅尽めつじん、 我が以い↢慈悲じひ哀愍あいみん↡、 特どく留る↢此し経きやう↡止し住じゆ百ひやく歳さい。 其有ごう↢衆しゆ生じやう↡値ち↢此し経きやう↡者しや、 随ずい↢意い所しよ願ぐわん↡皆かい可か↢得とく度ど↡」

といへり。 この末法まちぽふ万年まんねんののち、 三宝さむぽう滅尽めつじんのときの往わう生じやうをおもふに、 一向ゐちかう専念せんねむの往わう生じやうの義ぎをあかすなり。 そのゆへは、 菩ぼ提だい心しむをときたる諸しよ経きやうみな滅めちしなば、 なにゝよてか菩ぼ提だい心しむの行ぎやう相さうおもしらむ。 大小だいせうの戒かい経きやうみなうせなば、 なにゝよてか二に百ひやく五ご十じふ戒かいおも、 五ご十じふ八はち戒かいおもたもたむ。 仏像ぶちざうあるまじければ、 造像ざうざう起き塔たうの善根ぜんごんもあるべからず。 乃ない至し、 持ぢ経きやう・持ぢ呪じゆ等とうもまたかくのごとし。 そのときに、 なほ一念ゐちねむするに往わう生じやうすといへり。 すなわち善導ぜんだういはく、 「▲爾時にじ聞もん一念ゐちねむ、 皆当かいたう得とく生しやう彼ひ」 (礼讃) といへり。 かれをもていまをおもふに、 念仏ねむぶちの行ぎやう者じやはさらに余よの善根ぜんごんにおひて一塵ゐちぢんも具ぐせずとも、 決定くゑちじやうして往わう生じやうすべきなり。 しかれば、 菩ぼ提だい心しむをおこさずはいかでか往わう生じやうすべき、 戒かいをたもたずしてはいかゞ往わう生じやうすべき、 智慧ちゑなくてはいかゞ往わう生じやうすべき、 妄念まうねむをしづめずしてはいかゞ往わう生じやうすべきなむど、 かくのごとくまふす人々ひとびと候さふらふは、 この ¬経きやう¼ をこゝろえぬにて候さふらふなり。 懐ゑ感かむ禅ぜん師じこの文もんを釈しやくせるに、 「説戒せちかい・受戒じゆかいもみな成じやうべからず、 甚深じむじむの大だい乗じようもしるべからず。 さきだちて隠おむカク没もちカクルしぬれば、 たゞ念仏ねむぶちのみさとりやすくして、 浅識せんしきの凡ぼむ愚ぐなほよく修習しゆじふして利り益やくをうべし」 (群疑論巻三意) といへり。 まことに戒法かいほふ滅めちしなば、 持ぢ戒かいあるべからず。 大だい乗じようみな滅めちしなば、 発ほち菩ぼ提だい心しむ・読誦どくじゆ大だい乗じようもあるべからずといふことあきらかなり。 浅識せんしきの凡ぼむ愚ぐといへり。 しるべし、 智慧ちゑにあらずといふことを。 かくのごときのともがらの、 たゞ称名しようみやう念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうを修しゆして、 一ゐち声しやうまで往わう生じやうすべしといへるなり。 これすなわち弥陀みだの本ほん願ぐわんなるがゆへなり。 すなわち、 かの大だい悲ひ本ほん願ぐわんのとおく一切ゐちさいを摂せふする義ぎなり。

 ・小経

▲次つぎに ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ は、

「▲少せう善根ぜんごん福徳ふくとくの因縁いんねんをもてかの国くにに生しやうを得うべからず。 ◆舎しや利り弗ほち、 もし善ぜん男なむ子し・善ぜん女人によにんあて、 阿わ弥陀みだ仏ぶちを説とくを聞きゝて、 名みやう号がうを執しふ持ぢして、 もしは一日ゐちにち、 乃ない至し七日しちにち」

「不ふ↠可か↧以い↢少せう善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねん↡得とく↞生しやう↢彼ひ国こく↡。 舎しや利り弗ほち、 若にやく有う↢善ぜん男なむ子し・善ぜん女人によにん↡、 聞もん↠説せち↢阿わ弥陀みだ仏ぶち↡、 執しふ↢持ぢ名みやう号がう↡、 若にやく一日ゐちにち、 乃ない至し七日しちにち」

といへり。

善導ぜんだう和くわ尚しやう釈しやくにいはく、

「▲随縁ずいえんの雑善ざふぜんおそらくは生うまれがたし。 ゆへに如来にょらい要法えうぼふを選えらばしむ」

「随縁ずいえん雑善ざふぜん恐く難なん↠生しやう。 故こ使し↣如来にょらい選せん↢要法えうぼふ↡」

といへり。

こゝにしりぬ、 雑善ざふぜんをもては少せう善根ぜんごんとなづけ、 念仏ねむぶちをもて多た善根ぜんごんといふことを。 この ¬経きやう¼ はすなわち、 少せう善根ぜんごんなる雑善ざふぜんをすてゝ、 もはら多た善根ぜんごんの念仏ねむぶちをとけるなり。

ちかごろ唐たうよりわたりたる ▲¬竜舒りうじよ浄じやう土ど文もん¼ とまふす文ふみ候さふらふ。 それに ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ の脱文だちもんとまふして、 廿にじふ一ゐち字じある文もんをいだせり。 「一心ゐちしむ不ふ乱らん」 の下したに、

「もはら名みやう号がうを持たもちて、 称名しようみやうをもてのゆへに諸罪しよざい消滅せうめちす、 すなわちこれ多た善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんなり」 (巻一)

「専せん持じ↢名みやう号がう↡、 以い↢称名しようみやう↡故こ諸罪しよざい消滅せうめち、 則そく是ぜ多た善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねん」

といへり。 すなわちかの文ふみにこの文もんをいだしていはく、 「いまのよにつたわるところの本ほんに、 この廿にじふ一ゐち字じを脱だちせり」 (龍舒浄土文巻一) といへり。 この脱文だちもんなしといふとも、 たゞ義ぎをもておもふに、 多た少せうの義ぎありといゑども、 まさしく念仏ねむぶちをさして多た善根ぜんごんといへる文もん、 まことに大切たいせちなり。

▲次つぎに六方ろくぱう如来によらいの証誠しようじやうをとけり。 かの六方ろくぱう諸仏しよぶちの証誠しようじやう、 たゞこの ¬経きやう¼ をのみかぎりて証誠しようじやうしたまふににたれども、 実じちをもて論ろんずれば、 この ¬経きやう¼ のみにかぎらず。 すべて念仏ねむぶち往わう生じやうを証誠しようじやうするなり。 しかれども、 もし ¬双そう巻経くわんぎやう¼ について証誠しようじやうせば、 かの経きやう経きやうに念仏ねむぶち往わう生じやうの本ほん願ぐわんをとくといゑども、 三輩さむぱいの中なかに菩ぼ提だい心しむ等とうの行ぎやうあるがゆへに、 念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやう証誠しようじやうするむねあらわるべからず。 もし ¬観経くわんぎやう¼ を証誠しようじやうせば、 かの経きやうにえらむで念仏ねむぶちを付ふ属ぞくすといゑども、 まづは定ぢやう散さんの諸しよ行ぎやうをとくがゆへに、 また念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうにかぎるとみゆべからず。 こゝをもて、 たゞ一向ゐちかうにもはら念仏ねむぶちをときたるこの ¬経きやう¼ を証誠しようじやうしたまふなり。 たゞ証誠しようじやうのみことば、 この ¬経きやう¼ にありといへども、 証誠しようじやうの義ぎはかの ¬双さう巻くわん¼・¬観経くわんぎやう¼ にも通つずべし。 ¬双さう巻くわん¼・¬観経くわんぎやう¼ のみにあらず、 もし念仏ねむぶち往わう生じやうのむねをとかむ経きやうおば、 ことごとく六方ろくぱう如来によらいの証誠しようじやうあるべしとこゝろうべきなり。

かるがゆへに天臺てんだいの ¬十じふ疑ぎ論ろん¼ にいはく、 「▲阿わ弥陀みだ経きやう¼・¬大无む量りやう寿じゆ経きやう¼・¬鼓く音おん声じやう陀羅だら尼に経きやう¼ 等とうにいはく、 釈しや迦か仏ぶち、 経きやうをときたまふときに、

十方じふぱう世せ界かいにおのおの恒ごう河が沙しやの諸仏しよぶちましまして、 その舌相ぜちさうを舒べのて、 あまねく三千さむぜん世せ界かいに覆おほふて、 一切ゐちさい衆しゆ生じやう、 阿わ弥陀みだ仏ぶちの本ほん願ぐわん大だい悲ひ願ぐわん力りきを念ねんずるがゆへに、 決定くゑちじやうして極楽ごくらく世せ界かいに生しやうを得うと証誠しようじやうしたまへり

有う↢十方じふぱう世せ界かい各かく恒ごう河が沙しや諸仏しよぶち↡、 舒じょ↢其ご舌相ぜちさう↡、 遍へん覆ぷ↢三千さむぜん世せ界かい↡、 証しよう↧誠じやう一切ゐちさい衆しゆ生じやう、 念ねん↢阿わ弥陀みだ仏ぶち本ほん願ぐわん大だい悲ひ願ぐわん力りき↡故こ、 決定くゑちじやう得とく↞生しやう↢極楽ごくらく世せ界かい↡

」 といへり。 乃至

 ・浄土五祖

次つぎに往わう生じやう浄じやう土どの祖師そしの五いつゝの影像えいざうを図絵づゑしたまふに、 おほくこゝろあり。 まづ恩徳おんどくを報ほうぜむがため、 次つぎには賢けんをみてはひとしからむことをおもふゆへなり。 天臺てんだい宗しゆを学がくせむ人ひとは、 南岳なむがく・天臺てんだいを見みたてまつりて、 ひとしからばやとおもひ、 真言しんごんをならはむ人ひとは、 不空ふく・善ぜん无畏むゐをみては、 ひとしからむとおもひ、 華厳くゑごむ宗しゆの人ひとは、 香象かうざう・恵え遠おんのごとくならむとおもひ、 法相ほふさう宗しゆの人ひとは、 玄ぐゑん奘じやう・慈じ恩おんのごとくならむとおもひ、 三論さむろんの学者がくしやは、 浄じやう影やう大だい師しをもうらやみ、 持ぢ律りちの行ぎやう者じやは、 道宣だうせん律りち師しおもとおからずおもふべきなり。 しかれば、 いま浄じやう土どをねがはむ人ひと、 その宗しゆの祖師そしをまなぶべきなり。 しかるに浄じやう土ど宗しゆの師資しし相さう承じように二ふたつの説せちあり。 ¬安楽あんらく集しふ¼ のごときは、 菩ぼ提だい流支るし・恵ゑ寵てう法ほふ師し・道だう場ぢやう法ほふ師し・曇鸞どむらん法ほふ師し・斉朝さいてうの法ほふ上じやう法ほふ師し等とうの六ろく祖そをいだせり。 今いままた五祖ごそといふは、 曇鸞どむらん法ほふ師し・道だう綽しやく禅ぜん師じ・善導ぜんだう禅ぜん師じ・懐ゑ感かむ禅ぜん師じ・小康せうかう法ほふ師し等とうなり。

 ・浄土五祖 ・曇鸞法師

曇鸞どむらん法ほふ師しは、 梁りやう・魏ぐゐ両りやう国こくのフタクニナリ 无ぶ双さうの学がくナラビナシトナリ 生しやう也なり。 はじめは寿いのち長ながくして仏道ぶちだうを行ぎやうぜむがために、 陶たう隠居いむきよにあふて仙せん経ぎやうをならふて、 その仙方せんぽうによて修しゆ行ぎやうせんとしき。 のちに菩ぼ提だい流支るし三蔵さむざうにあひたてまつりて、 仏法ぶちぽふの中なかに長ちやう生せい不死ふしの法ほふの、 この土どの仙せん経ぎやうにすぐれたるや候さふらふととひたてまつりたまひければ、 三蔵さむざう唾つわきを吐はきてこたえたまふやう、 とえることばをもていひならふべきにあらず。 この土どいづれのところにか長ちやう生せいの方ほうあらむ。 命いのちながくしてしばらくしなぬやうなれども、 ついにかへて三さむ有うに輪りん廻ゑす。 たゞこの経きやうによて修しゆ行ぎやうすべし。 すなわち長ちやう生せい不死ふしの所ところにいたるべしといふて、 ¬観経くわんぎやう¼ を授さづけたまへり。 そのときたちまちに改悔がいくゑのこゝろをおこして、 仙せん経ぎやうを焼やきて、 自じ行ぎやう化くゑ他た、 一向ゐちかうに往わう生じやう浄じやう土どの法ほふをもはらにしき。 ¬往わう生じやう論ろんの註ちゆ¼、 また ¬略りやく論ろん安楽あんらく土義どぎ¼ 等とうの文ふみ造つくれる也なり。 并州へいしうの玄ぐゑん忠ちう寺じに三さむ百びやく余よ人にん門もん徒とあり。 臨終りむじゆのとき、 その門もん徒と三さむ百びやく余よ人にんあつまりて、 自みづからは香かう呂ろをとりて西にしに向むかふて、 弟子でしともに声こゑを等ひとしくして、 高かう声しやう念仏ねむぶちして命みやう終じゆしぬ。 そのとき道俗だうぞく、 おほく空く中ちうに音楽おむがくを聞きくといへり。

 ・浄土五祖 ・道綽禅師

道だう綽しやく禅ぜん師じは、 本もとは涅槃ねちはんの学がく生しやうなり。 并州へいしうの玄ぐゑん忠ちう寺じにして曇鸞どむらんの碑ひ文もんをみて、 発心ほちしむして云いはく、 「かの曇鸞どむらん法ほふ師し、 智ち徳とく高遠かうおんなり。 なほ講説かうせちをすてて浄じやう土どの業ごふを修しゆして、 すでに往わう生じやうせり。 いはむやわが所しよ解げ、サトルトコロ 所しよ知ちシルトコロおほしとするにたらむや」 (迦才浄土論巻下意) と云いふて、 すなわち涅槃ねちはんの講説かうせちをすてゝ、 一向ゐちかうにもはら念仏ねむぶちを修しゆして相続さうぞくしてひまなし。 つねに ¬観経くわんぎやう¼ を講かうじて、 人ひとを勧すゝめたり。 并州へいしうの晋陽しむやう・大たい原ぐゑん・汶水ぼちしゐの三さむ県くゑんの道俗だうぞく、 七歳しちさい已い上じやうは悉ことごとく念仏ねむぶちをさとり往わう生じやうをとげたり。 又また人ひとを勧すゝめて、 㖒てい唾だ便べん利り西方さいはうに向むかはず、 行ぎやう住じゆ坐ざ臥ぐわ西方さいはうを背そむかず。 又また ¬安楽あんらく集しふ¼ 二に巻くわんこれを造つくれり。 凡おほよそ往わう生じやう浄じやう土どの教けう弘通ぐづ、 道だう綽しやくの御おむ力ちから也なり。 往わう生じやう伝でん等とうを見みるにも、 多おほく道だう綽しやくの勧すゝめを受うけて往わう生じやうをとげたり。 善導ぜんだうもこの道だう綽しやくの弟子でし也なり。 しかれば、 終南しふなむ山ざんの道宣だうせんの伝でんに云いはく、 「西方さいはう道教だうけうの弘ひろまることは、 これより起おこる」 (続高僧伝巻二〇意) と云いへり。 又また曇鸞どむらん法ほふ師し、 七宝しちぽうの船ふねに乗のりて空く中ちうに来きたれるをみる。 又また化仏くゑぶち・菩ぼ薩さち空そらに住じゆする事こと七日しちにち、 そのとき天華てんぐゑ雨ふりて、 来きたり集あつまる人々ひとびと袖そでにこれをうく。 かくのごとく不可ふか思議しぎの霊瑞れいずい多おほし。 終おわりのとき、 白しろき雲くも西方さいはうより来きたりて、 三道さむだうの白しろき光ひかりと成なりて房中ばうちうを照てらす。 五ご色しきの光ひかり、 空く中ちうに現げんず。 又また墓はかの上うへに紫し雲うん三み度たび現げんずる事ことあり。

 ・浄土五祖 ・善導和尚

善導ぜんだう和くわ尚しやう、 いまだ ¬観経くわんぎやう¼ をえざるさきに、 三昧さむまいをえたまひたりけると覚おぼえ候さふらふ。 そのゆへは、 道だう綽しやく禅ぜん師じにあふて ¬観経くわんぎやう¼ をゑてのち、 この経きやうの所説しよせち、 わが所見しよけんにおなじとのたまへり。 導だう和くわ尚しやうの念仏ねむぶちしたまふには、 口くちより仏ほとけ出いでたまふ。 曇どむ省しやうの讃さんに云いはく、 「善導ぜんだう念仏ねむぶち仏ぶち従じゆ口く出しゆつ」 といへり。 同おなじく念仏ねむぶちをまふすとも、 かまえて善導ぜんだうのごとく口くちより仏ほとけ出いでたまふばかりまふすべきなり。 「欲如よくにょ善導ぜんだう妙在めうざい純熟じゆんじゆく」 とまふして、 誰たれなりとも念仏ねむぶちをだにもまことに申まふして、 その功こう熟じゆくしなば、 口くちより仏ほとけは出いでたまふべき也なり。 道だう綽しやく禅ぜん師じは師しなれども、 いまだ三昧さむまいを発得ほちとくせず。 善導ぜんだうは弟子でしなれども、 三昧さむまいをえたまひたりしかば、 道だう綽しやく、 わが往わう生じやうは一ゐち定ぢやうか不ふ定ぢやうかと仏ほとけにとひたてまつりたまへとのたまひければ、 善導ぜんだう禅ぜん師じ命めいをうけてすなわち定ぢやうに入いりて阿わ弥陀みだ仏ぶちにとひたてまつりしに、 仏ほとけ言のたまはく、 道だう綽しやくに三みつの罪つみあり、 すみやかに懺悔さむぐゑすべし。 その罪つみ懺悔さむぐゑして、 定さだめて往わう生じやうすべし。 一ひとつには、 仏像ぶちざう・経巻きやうくわんおばひさしに安おきて、 わが身みは房中ばうちうに居こす。 二ふたつには、 出しゆつ家けの人ひとをつかふ。 三みつには、 造作ざうさくのあひだ虫むしの命いのちを殺ころす。 十方じふぱうの仏前ぶちぜんにして、 第一だいゐちの罪つみを懺悔さむぐゑすべし。 諸僧しよそうの前まえにして、 第だい二にの罪つみを懺悔さむぐゑすべし。 一切ゐちさい衆しゆ生じやうの前まえにして、 第三だいさむの罪つみを懺悔さむぐゑすべしと。 善導ぜんだうすなわち定ぢやうより出いでて、 このむねを道だう綽しやくにつげたまふに、 道だう綽しやく云いはく、 しづかにむかしのとがをおもふに、 これみな空むなしからずと云いふて、 こゝろを至いたして懺悔さむぐゑすと云いへり。 しかれば、 師しに勝まさりたるなり。 善導ぜんだうは、 ことに火急くわきうの小せう声しやう念仏ねむぶちを勧すゝめて、 数かずをさだめたまへり。 一万ゐちまん・二に万まん・三万さむまん・五ご万まん、 乃ない至し十万じふまんと云いへり。

 ・浄土五祖 ・懐感禅師

懐ゑ感かむ禅ぜん師じは、 法相ほふさう宗しゆの学がく生しやう也なり。 広ひろく経きやう典てんをさとりて、 念仏ねむぶちおば信しんぜず、 善導ぜんだうに問とふて云いはく、 念仏ねむぶちして仏ほとけを見みたてまつりてむやと。 導だう和くわ尚しやう答こたへて云いはく、 仏ほとけの誠じやう言ごんなむぞうたがはむや。 懐ゑ感かむこの事ことについて忽たちまちに解さとりをひらき、 信しんを起おこして道だう場ぢやうに入いりて、 高かう声しやうに念仏ねむぶちして見みたてまつらむと願ぐわんずるに、 三さむ七日しちにちまでにその霊瑞れいずいをみず。 そのとき感かむ禅ぜん師じ、 自みづから罪ざい障しやうの深ふかくして仏ほとけをみたてまつらざることを恨うらみて、 食しよくを断だんじて死しせんとす。 善導ぜんだう、 制せいしてゆるさず。 のちに ¬群ぐん疑ぎ論ろん¼ 七しち巻くわんを造つくると 云々いへり。 感かむ師しはことに高かう声しやう念仏ねむぶちを勧すゝめたまへり。

 ・浄土五祖 ・小康法師

小康せうかう法ほふ師しは、 本もとは持ぢ経きやう者しや也なり。 年とし十じふ五ご歳さいにして ¬法華ほふくゑ¼・¬華厳くゑごむ¼ 等とうの経きやう五部ごぶを読よみ覚おぼへたり。 これによて、 ¬高僧かうそう伝でん¼ には読誦どくじゆの篇へんに入いれたれども、 たゞ持ぢ経きやう者しやのみにあらず、 瑜伽ゆが唯識ゆいしきの学がく生しやう也なり。 のちに白はく馬ば寺じに詣まうでて堂内だうないをみれば、 光ひかりはなちたる物ものあり。 これを探さぐり取とりて見みれば、 善導ぜんだうの西方さいはう化導くゑだうの文ふみ也なり。 小康せうかうこれをみて、 こゝろ忽たちまちに歓くわん喜ぎして、 願ぐわんを発おこして云いはく、 われもし浄じやう土どに縁えんあらば、 この文ふみ再ふたゝび光ひかりを放はなてと。 かくのごとく誓ちかひ了おはりて見みれば、 重かさねて光ひかりを放はなつ。 その光ひかりの中なかに、 化仏くゑぶち・菩ぼ薩さちまします。 歓くわん喜ぎやめがたくして、 ついに又また長ちやう安あんの善導ぜんだう和くわ尚しやうの影堂えいだうに詣けいして善導ぜんだうの真像しんざうを見みれば、 化くゑして仏身ぶちしんとなりて小康せうかうにのたまはく、 汝なんぢわが教けうによて衆しゆ生じやうを利り益やくし、 同おなじく浄じやう土どに生しやうずべしと。 これを聞きゝて、 小康せうかう、 所しよ証しようあるがごとし。 後のちに人ひとを勧すゝめむとするに、 人ひとその教化けうくゑにしたがはず。 しかるあひだ、 銭せんゼニをまうけて、 まづ小童せうどう等とうを勧すゝめて、 念仏ねむぶち一返ゐちぺんに銭せんゼニ一文ゐちもんをあたふ。 のちに十遍じふぺんに一文ゐちもん、 かくのごとくするあひだ、 小康せうかうの行ぎやうに小童せうどう等とうついておのおの念仏ねむぶちす。 又また小童せうどうのみにあらず、 老少らうせう男女なむによをきらはず、 みなことごとく念仏ねむぶちす。 かくのごとくしてのち、 浄じやう土ど堂だうを造つくりて、 昼ちう夜やに行ぎやう道だうして念仏ねむぶちす。 所化しよくゑにしたがふて道だう場ぢやうに来きたり集あつまる輩ともがら、 三千さむぜん余よ人にん也なり。 又また小康せうかう、 高かう声しやうに念仏ねむぶちするを見みれば、 口くちより仏ほとけ出いでたまふこと、 善導ぜんだうのごとし。 このゆへに、 時ときの人ひと、 後ご善導ぜんだうとなづけたり。 浄じやう土ど堂だうとは唐たうのならひ、 阿わ弥陀みだ仏ぶちをすえたてまつりたる堂だうおば、 みな浄じやう土ど堂だうとなづけたる也なり。

五祖ごその御徳おむとく、 要えうをとるにかくのごとしと。

 ・念仏往生

又また ¬无む量りやう寿じゆ経きやう¼ は、 如来によらいの教けうをまうけたまふこと、 みな済さい度ど衆しゆ生じやうのためなり。 かるがゆへに、 衆しゆ生じやうの機き根こんまちまちなるがゆへに、 仏ほとけの経きやう教けうも又また无む量りやうなり。 しかるに今いまの ¬経きやう¼ は、 往わう生じやう浄じやう土どのために衆しゆ生じやう往わう生じやうの法ほふを説ときたまふ也なり。 阿わ弥陀みだ仏ぶち、 修因しゅいん感果かむくわの次し第だい、 極楽ごくらく浄じやう土どの二に報ほう荘しやう厳ごむのありやうをくはしく説ときたまへるも、 衆しゆ生じやうの信心しんじむを勧すゝめて欣ごん求ぐのこゝろをおこさせむがため也なり。 しかるにこの ¬経きやう¼ の詮せむにては、 われら衆しゆ生じやうの往わう生じやうすべきむねを説ときたまへる也なり。

たゞしこの ¬経きやう¼ を釈しやくするに、 諸しよ師しのこゝろ不ふ同どう也なり。 今いましばらく善導ぜんだう和くわ尚しやうの御おむこゝろをもてこゝろえ候さふらふに、 この ¬経きやう¼ はひとへに専修せんじゆ念仏ねむぶちのむねを説とくを衆しゆ生じやう往わう生じやうの業ごふとしたまへるなり。 なにをもてこれをしるといふに、 まづかの仏ほとけの因いん位ゐの本ほん願ぐわんを説とく中なかに、 「▲設せち我が得仏とくぶち、 十方じふぱう衆しゆ生じやう、 至し心しん信楽しんげう、 欲よく生しやう我が国こく、 乃ない至し十念じふねむ。 若にやく不ふ生しやう者じや、 不ふ取しゆ正しやう覚がく」 (大経巻上) と云いへり。 かの仏ほとけの因いん位ゐ、 法蔵ほふざう比丘びくのむかし、 世自せじ在王ざいわう仏ぶちのみもとにして、 二に百ひやく一十ゐちじふ億おくの諸仏しよぶち妙めう土どの中なかよりえらびて四し十八じふはちの誓せい願ぐわんを起おこして、 浄じやう土どをまふけて仏ほとけになりて、 衆しゆ生じやうをしてわがくにに生うまれさすべき行きやう業ごふをえらびて願ぐわんじたまひしに、 またく行ぎやうおばたてずして、 たゞ念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうをたてたまへる也なり。

△かるがゆへに ¬大だい阿わ弥陀みだ経きやう¼ には、 すべてかの仏ほとけの願ぐわんおば、 選せん択ぢやくしてたてたまふゆへなり。 ¬大だい阿わ弥陀みだ経きやう¼、 この経きやうは同本どうほん異い訳やくの経きやう也なり。

しかるに往わう生じやうの行ぎやうは、 われらがさかしくいまはじめてはからふべきことにあらず、 みなさだめおけることなり。 法蔵ほふざう比丘びく、 もし悪あくをえらびてたてたまはゞ、 世自せじ在王ざいわう仏ぶち、 なほさでおはしますべきかは。 かの願ぐわんどもとかせてのち、 決定くゑちじやう无む上じやう正しやう覚がくなるべしと授じゆ記きしたまはむ。 法蔵ほふざう菩ぼ薩さち、 かの願ぐわんたてたまひて、 兆載てうさい永ゐやう劫ごふのあひだ難なん行ぎやう・苦く行ぎやう積しやく功く累徳るいとくして、 すでに仏ほとけになりたまひたれば、 むかしの誓せい願ぐわん一一ゐちゐちにうたがふべからず。

しかるに善導ぜんだう和くわ尚しやう、 この本ほん願ぐわんの文もんを引ひきてのたまはく、

「▲もしわれ成じやう仏ぶちせむに、 十方じふぱうの衆しゆ生じやう、 わが名みやう号がうを称しようせむこと下しも十じふ声しやうに至いたるまで、 もし生しやうぜずは、 正しやう覚がくを取とらじと。 かの仏ぶち今いま現げんに在ましまして成じやう仏ぶちしたまへり。 まさに知しるべし本誓ほんぜい重じう願ぐわん虚むなしからず、 衆しゆ生じやう称しよう念ねむすればかならず往わう生じやうを得う」

「若にやく我が成じやう仏ぶち、 十方じふぱう衆しゆ生じやう、 称しよう↢我が名みやう号がう↡下至げし↢十じふ声しやう↡、 若にやく不ふ↠生しやう者じや、 不ふ↠取しゆ↢正しやう覚がく↡。 彼ひ仏ぶち今こむ現在げんざい成じやう仏ぶち。 当たう↠知ち本誓ほんぜい重じう願ぐわん不ふ↠虚こ、 衆しゆ生じやう称しよう念ねむ必得ひちとく↢往わう生じやう↡」

と云いへり。 まことにわれら衆しゆ生じやう、 自じ力りきばかりにて往わう生じやうをもとむるにとりてこそ、 この行きやう業ごふは仏ほとけの御おむこゝろにかなひやすらむ。 またなにとも不ふ審しむにもおぼへ、 往わう生じやうも不ふ定ぢやうには候さふらふべき。 念仏ねむぶちを申まふして往わう生じやうを願ねがはむ人ひとは、 自じ力りきにて往わう生じやうすべきにはあらず、 たゞ他た力りきの往わう生じやう也なり。 本もとより仏ほとけのさだめおきて、 わが名みやう号がうをとなふるものは、 乃ない至し十じふ声しやう・一ゐち声しやうまでもむまれしめたまひたれば、 十じふ声しやう・一ゐち声しやう念仏ねむぶちにて一ゐち定ぢやう往わう生じやうすべければこそ、 その願ぐわん成じやう就じゆして成じやう仏ぶちしたまふと云いふ道だう理りの候さふらへば、 唯たゞ一向ゐちかうに仏ほとけの願ぐわん力りきをあおぎて往わう生じやうおば決定くゑちじやうすべきなり。 わが自じ力りきの強がうコワキ弱にやくヨワキをさだめて不ふ定ぢやうにおもふべからず。

かの願ぐわん成じやう就じゆの文もん、 この ¬経きやう¼ (大経) の下げ巻くわんにあり。 その文もんに云いはく、 「▲諸しよ有う衆しゆ生じやう、 聞もん其ご名みやう号がう、 信心しんじむ歓くわん喜ぎ、 乃ない至し一念ゐちねむ、 至し心しん廻ゑ向かう、 願がん生しやう彼ひ国こく、 即そく得とく往わう生じやう、 住じゆ不ふ退転たいてん」 と云いへり。 凡おほよそ四し十八じふはち願ぐわん、 浄じやう土どを荘しやう厳ごむせり。 華くゑ・池ち・宝閣ほうかく、 願ぐわん力りきにあらずと云いふことなし。 その中なかにひとり、 念仏ねむぶち往わう生じやうの願ぐわんのみうたがふべからず。 極楽ごくらく浄じやう土どもし浄じやう土どならば、 念仏ねむぶち往わう生じやうも決定くゑちぢやう往わう生じやう也なり。

▲次つぎに往わう生じやうの業因ごふいんは念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやう定ぢやうと云いふとも、 行ぎやう者じやの根こん性じやうにしたがふて上じやう・中ちう・下げあり。 かるがゆへに三輩さむぱいの往わう生じやうを説とけり。 すなわち上じやう輩はいの文もん云いはく、

「▲それ上じやう輩はいは、 家いゑを捨すて欲よくを棄すてて沙門しやもんと作なり、 菩ぼ提だい心しむを発おこし、 一向ゐちかうにもはら无む量りやう寿じゆ仏ぶちを念ねむず」 (大経巻下)

「其ご上じやう輩はい者しや、 捨しや↠家け棄き↠欲よく而に作さ↢沙門しやもん↡、 発ほち↢菩ぼ提だい心しむ↡、 一向ゐちかう専念せんねむ↢无む量りやう寿じゆ仏ぶち↡」

と云いへり。

中輩ちうはいの文もん云いはく、

「▲行ぎやうじて沙門しやもんと作なりおほきに功く徳どくを修しゆするにあたはずといゑども、 ◆まさに无む上じやう菩ぼ提だい心しむを発おこし、 一向ゐちかうに意こゝろをもはらにして、 乃ない至し十念じふねむ无む量りやう寿じゆ仏ぶちを念ねむずべし」 (大経巻下意)

「雖すい↠不ふ↠能のう↧行ぎやう作さ↢沙門しやもん↡大だい修しゆ↦功く徳どく↥、 当たう↧発ほち↢无む上じやう菩ぼ提だい心しむ↡、 一向ゐちかう専せん↠意い、 乃ない至し十念じふねむ念ねむ↦无む量りやう寿じゆ仏ぶち↥」

と云いへり。

当たう座ざの道だう師し、 私わたくしに一ひとつの釈しやくをつくり候さふらふ。 △この三輩さむぱいの文もんの中なかに、 菩ぼ提だい心しむ等とうの余よ行ぎやうあぐといゑども、 上かみの仏ほとけの本ほん願ぐわんを望のぞむには、 こゝろ衆しゆ生じやうをして、 もはら无む量りやう寿じゆ仏ぶちを念ねむぜしむるにあり。 かるがゆへに 「一向ゐちかう」 と云いふ。

又また ¬観くわん念ねむ法門ぼふもん¼ に善導ぜんだう釈しやくして云いはく、

「▲またこの ¬経きやう¼ の下げ巻くわんの初はじめに云いはく、 仏ほとけ一切ゐちさい衆しゆ生じやうの根こん性じやう不ふ同どうを説ときたまふに、 上じやう・中ちう・下げあり。 その根こん性じやうに随したがひて、 みな勧すゝめてもはら无む量りやう寿じゆ仏ぶちの名みなを念ねむぜしめたまへり。 その人ひと命いのち終おわらむとほする時とき、 仏ほとけ聖しやう衆じゆとみづから来きたりて迎接かうせうして、 ことごとく往わう生じやうを得えしむ」

「又う此し ¬経きやう¼ 下げ巻くわん初しよ云うん、 仏説ぶちせち↢一切ゐちさい衆しゆ生じやう根こん性じやう不ふ同どう↡、 有う↢上じやう・中ちう・下げ↡。 随ずい↢其ご根こん性じやう↡、 皆かい勧くわん専念せんねむ↢无む量りやう寿じゆ仏ぶち名みやう↡。 其ご人にん命みやう欲よく↠終じゅ時じ、 仏ぶち与よ↢聖しやう衆じゆ↡自じ来らい迎接かうせう、 尽じん得とく↢往わう生じやう↡」

と云いへり。 この釈しやくのこゝろ、 三輩さむぱいともに念仏ねむぶち往わう生じやう也なり。 まことに一向ゐちかうの言ごんは余よをすつる言ことばなり。

▲例れいせば、 かの五ご天竺てんぢくの三みつの寺てらのごとし。 一ひとつには一向ゐちかう大だい乗じよう寺じ、 二ふたつには一向ゐちかう小せう乗じよう寺じ、 三みつには大小だいせう兼けむ行ぎやう寺じ。 かの一向ゐちかう大だい乗じよう寺じの中なかには、 小せう乗じようを学がくすることなし。 一向ゐちかう小せう乗じよう寺じには、 大だい乗じようを学がくするものなし。 大小だいせう兼けむ行ぎやう寺じの中なかには、 大だい乗じよう・小せう乗じようともに兼学けむがくする也なり。 大小だいせうの両りやう寺じはともに一向ゐちかうの言ごんをおく、 二ふたつを兼かねたる寺てらには一向ゐちかうの言ごんをおかず。

これをもてこゝろえ候さふらふに、 今いまの ¬経きやう¼ の中なかに一向ゐちかうの言ごんもまたしかなり。 もし念仏ねむぶちの外ほかに余よ行ぎやうをならぶれば、 すなわち一向ゐちかうにあらず。 かの寺てらになずらへば、 兼けむ行ぎやうと云いふべし。 すでに一向ゐちかうと云いへり。 しるべし、 余よ行ぎやうをすつといふ事ことを。

たゞこの三輩さむぱいの文もんの中なかに余よ行ぎやうを説とくについて、 三みつの意こゝろあり。 ▲一ひとつには、 諸しよ行ぎやうをすてゝ念仏ねむぶちに帰くゐせしめむがためにならべて余よ行ぎやうを説ときて、 念仏ねむぶちにおひて一向ゐちかうの言ごんをおく。 ▲二ふたつには、 念仏ねむぶちの人ひとをたすけむがために諸善しよぜんを説とく。 ▲三みつには、 念仏ねむぶちと諸しよ行ぎやうとをならべて、 ともに三品さむぼむの差別しやべちをしめさむがために諸しよ行ぎやうを説とく。

▲この三みつの義ぎの中なかには、 たゞはじめの義ぎを正しやうとす。 のちの二ふたつは傍ばう義ぎ也なり。カタワラゴトナリ

▲次つぎにこの ¬経きやう¼ (大経巻下) の流通るづ分ぶんの中なかに説ときて云いはく、 「▲仏ぶち語ご弥み勒ろく、 其有ごう得聞とくもん彼ひ仏ぶち名みやう号がう、 歓くわん喜ぎ誦ゆ躍やく乃ない至し一念ゐちねむ。 当たう知ち此し人にん為い得とく大だい利り。 則そく是ぜ具ぐ足そく无む上じやう功く徳どく 」 と云いへり。

▲上かみの三輩さむぱいの文もんの中なかに、 念仏ねむぶちのほかにもろもろの功く徳どくを説とくといゑども、 余よ善ぜんおばほめず。 たゞ念仏ねむぶちの一善ゐちぜんをあげて、 无む上じやうの功く徳どくと讃嘆さんだんして未み来らいに流通るづせり。 念仏ねむぶちの功く徳どくは、 余よの功く徳どくに勝すぐれたることあきらかなり。

▲「大だい利り」 と云いふは、 小せう利りに対たいする言ことばなり。 ▲「无む上じやう」 と云いふは、 この功く徳どくの上うへする功く徳どくなしと云いふ義ぎ也なり。 すでに一念ゐちねむを指さして大だい利りと云いふ、 又また无む上じやうと云いふ。 いはむや、 二に念ねむ・三念さむねむ、 乃ない至し十念じふねむおや。 いかにいはむや、 百ひやく念ねむ・千念せんねむ、 乃ない至し万念まんねむおや。 これ則すなわち、 少せうを上あげて多たを決くゑちする也なり。

この文もんをもて余よ行ぎやうと念仏ねむぶちと相対さうたいしてこゝろうるに、 念仏ねむぶちすなわち大だい利り也なり、 余よ善ぜんはすなわち小せう利り也なり。 念仏ねむぶちは无む上じやう也なり、 余よ行ぎやうは又また有う上じやう也なり。 ▲すべては往わう生じやうを願ぐわんぜむ人ひと、 なんぞ无む上じやう大だい利りの念仏ねむぶちをすてて、 有う上じやう小せう利りの余よ善ぜんを執しふせむや。

▲次つぎにこの ¬経きやう¼ (大経) の下げ巻くわんの奥おくに云いはく、 「▲当来たうらい之世しせ経きやう道だう滅尽めつじん、 我が以い慈悲じひ哀愍あいみん、 ↓特どく留る此し経きやう止し住じゆ百ひやく歳さい。 其有ごう衆しゆ生じやう値ち此し経きやう者しや、 随ずい意い所しよ願ぐわん皆かい可か得とく度ど」 と云いへり。

善導ぜんだう此この文もんを釈しやくして云いはく、 「▲万年まんねん三宝さむぽう滅めち、 此し経きやう住じゆ百ひやく年ねん、 ↓爾時にじ聞もん一念ゐちねむ、 皆当かいたう得とく生しやう彼ひ」 といへり。

釈しやく尊そんの遺法ゆいほふに三さむ時じの差別しやべちあり、 正しやう法ぼふ・像法ざうぼふ・末法まちぽふ也なり。 その正しやう法ぼふ一千ゐちせん年ねんのあひだ、 教けう行証ぎやうしようの三みつともに具ぐ足そくせり、 教けうのごとく行ぎやうずるにしたがふて証しようえたり。 像法ざうぼふ一千ゐちせん年ねんのあひだは、 教けう行ぎやうはあれども証しやうなし。 教けうにしたがふて行ぎやうずといゑども、 悉しち地ぢをうることなし。 末法まちぽふ万年まんねんのあひだは、 教けうのみあて行証ぎやうしようなし。 わづかに教門けうもんはのこりたれども、 教けうのごとく行ぎやうずるものなし、 行ぎやうずれどもまた証しようをうるものなし。 その末法まちぽふ万年まんねんのみちなむのちは、 如来によらいの遺教ゆいけうみなうせて、 住じゆ持じの三宝さむぽうことごとく滅めちして、 おほよそ仏像ぶちざう・経きやう典てんもなく、 頭かしらを剃そり、 衣ころもを染そむる僧そうもなし。 仏法ぶちぽふと云いふこと、 名みやう字じをだにもきくべからず。 しかるに、 そのときまでたゞこの ¬双さう巻くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼ 一ゐち部ぶ二に巻くわんばかりのこりとゞまりて、 百ひやく年ねんまで住じゆして衆しゆ生じやうを済さい度どしたまふこと、 まことにあはれにおぼえ候さふらふ。

¬華厳くゑごむ経ぎょう¼ も ¬般若はんにや経きやう¼ も ¬法華ほふくゑ経きやう¼ も ¬涅槃ねちはん経ぎやう¼ も、 おほよそ大小だいせう権実ごんじちの一切ゐちさい諸しよ経きやう、 乃ない至し ¬大日だいにち¼・¬金剛こむがう頂ちやう¼ 等とう真言しんごん秘ひ密みちの諸しよ経きやうも、 みなことごとく滅めちしたらむとき、 たゞこの ¬経きやう¼ ばかりとゞまりたまふことは、 なに事ごとにかとおぼえ候さふらふ。 釈しやく尊そんの慈悲じひをもて、 とゞめたまふことさだめてふかきこゝろ候さふらふらむ。 仏ぶち智ちまことにはかりがたし。 たゞし阿わ弥陀みだ仏ぶちの機き縁えん、 この界かいの衆しゆ生じやうにふかくましますゆへに、 釈しや迦か大だい師しもかの仏ほとけの本ほん願ぐわんをとゞめたまふなるべし。

この文もんについて按あんじ候さふらふに、 四よつのこゝろあり。 一ひとつには、 聖しやう道だう門もんの得脱とくだちは機き縁えんあさく、 浄じやう土ど門もんの往わう生じやうのみ機き縁えんふかし。 かるがゆへに三さむ乗じよう・一ゐち乗じようの得脱とくだちをとける諸しよ経きやうはさきだちて滅めちして、 たゞ一念ゐちねむ・十念じふねむの往わう生じやうをとけるこの ¬経きやう¼ ばかりひとりとゞまるべし。 二ふたつには、 往わう生じやうにつきて十方じふぱう浄じやう土どは機き縁えんあさく、 西方さいはう浄じやう土どは機き縁えんふかし。 かるがゆへに、 十方じふぱう浄じやう土どを勧すゝめたる諸しよ経きやうはことごとく滅めちして、 たゞ西方さいはうの往わう生じやう勧すゝめたるこの ¬経きやう¼ ひとりとゞまるべし。 三みつには、 兜と率そちの上生じやうしやうは機き縁えんあさく、 極楽ごくらくの往わう生じやうは機き縁えんふかきゆへに、 ¬上生じやうしやう¼・¬心しむ地ぢ¼ 等とうの兜と率そちを勧すゝめたる諸しよ経きやうはみな滅めちして、 極楽ごくらくを勧すゝめたるこの ¬経きやう¼ ひとりとゞまるべし。 四よつには、 諸しよ行ぎやうの往わう生じやうは機き縁えんあさく、 念仏ねむぶちの往わう生じやうは機き縁えんふかきゆへに、 諸しよ行ぎやうを説とく諸しよ経きやうはみな滅めちして、 念仏ねむぶちを説とけるこの ¬経きやう¼ のみひとりとゞまりたまふべし。 この四よつの義ぎの中なかに、 真実しんじちには第だい四しの念仏ねむぶち往わう生じやうのみとゞまるべしと云いふ義ぎの正しやう義ぎにて候さふらふ也なり。

「↑特どく留る此し経きやう止し住じゆ百ひやく歳さい」 ととかれたれば、 この二に軸ぢくの経きやう典てん、 ひとりのこるべきかときこえ候さふらへども、 まことには経巻きやうくわんはうせたまひたれども、 たゞ念仏ねむぶちの一門ゐちもんばかりとゞまりて、 百ひやく年ねんあるべきにやとおぼえ候さふらふ。

かの秦しむの始し皇くわうが、 書しよを焼やき、 儒じゆを埋うづみしとき、 ¬毛もう詩し¼ と申まふす文ふみばかりはのこりたりと申まふすこと候さふらふ。 それも文ふみはやかれたれども、 詩しはとゞまりて口くちにありと申まふして、 詩しおば人々ひとびとそらにおぼへたりけるゆへに、 ¬毛もう詩し¼ ばかりはのこりたりと申まふすこと候さふらふをもてこゝろえ候さふらふに、 この ¬経きやう¼ とゞまりて百ひやく年ねんあるべしと云いふも、 経巻きやうくわんはみな隠滅おんめちしたりとも、 南无なも阿わ弥陀みだ仏ぶちとまふすことは、 人ひとの口くちにとゞまりて百ひやく年ねんまでもきゝつたへむずる事こととおぼへ候さふらふ。

経きやうといふは、 また説とくところの法ほふを申まふすことなれば、 この ¬経きやう¼ はひとへに念仏ねむぶちの一法ゐちぽふを説とけり。 されば、 「↑爾時にじ聞もん一念ゐちねむ、 皆当かいたう得とく生しやう彼ひ」 (礼讃) とは善導ぜんだうも釈しやくしたまへる也なり。 これ秘ひ蔵ざうの義ぎ也なり、 たやすく申まふすべからず。

すべてこの ¬双さう巻くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼ に、 念仏ねむぶち往わう生じやうの文もん七所しちしよあり。 一ひとつには△本ほん願ぐわんの文もん、 二ふたつには△願ぐわん成じやう就じゆの文もん、 三みつには上じやう輩はいの中なかに△一向ゐちかう専念せんねむの文もん、 四よつには中輩ちうはいの中なかの△一向ゐちかう専念せんねむの文もん、 五いつゝには下げ輩はいの中なかの▲一向ゐちかう専せん意いの文もん、 六むつには△无む上じやう功く徳どくの文もん、 七なゝつには△特どく留る此し経きやうの文もん也なり。 この七所しちしよの文もんをまた合がふして三みつとす。 一ひとつには本ほん願ぐわん、 これに二ふたつを摂せふす。 はじめの発ほち願ぐわん、 成じやう就じゆ也なり。 二ふたつには三輩さむぱい、 これに三みつを摂せふす。 上じやう輩はい・中輩ちうはい・下げ輩はいなり。 この下げ輩はいについて二に類るいあり。 三みつには流通るづ、 これに二ふたつを摂せふす。 无む上じやう功く徳どく、 特どく留る此し経きやうなり。 本ほん願ぐわんは弥陀みだにあり。 三輩さむぱい已下いげは釈しや迦かの自じ説せち也なり、 それも弥陀みだの本ほん願ぐわんにしたがふて説ときたまへる也なり。 三輩さむぱいの文もんの中なかに、 おのおの一向ゐちかう専念せんねむと勧すゝめたまへるも、 流通るづの中なかに无む上じやう功く徳どくと讃嘆さんだんしたまへるも、 特どく留る此し経きやうととゞめたまへるも、 みなもと弥陀みだの本ほん願ぐわんに随ずい順じゆんしたまへるゆへなり。 しかれば、 念仏ねむぶち往わう生じやうとまふすことは、 本ほん願ぐわんを根本こんぽんとする也なり。

詮せむずるところ、 この ¬経きやう¼ ははじめよりおはりまで、 弥陀みだの本ほん願ぐわんを説とくとこゝろうべき也なり。 ¬双そう巻経くわんぎやう¼ の大たい意い、 略りやくしてかくのごとし。

 ・観経

次つぎに ¬観くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼ は、 この大たい意いをこゝろえむとおもはば、 かならず教相けうさうを知しるべき事こと也なり。 教相けうさうを沙汰さたせねば、 法門ほふもんの浅せんアサキ深じむフカキ差別しやべちあきらかならざる也なり。

しかるに諸宗しよしゆにみな立教りふけう開かいヒラキ示じシメスあり。 ▲法相ほふさう宗しゆには三さむ時じ教けうをたてゝ一代ゐちだいの諸教しよけうを摂せふすオサムル。 ▲三論さむろん宗しゆには二に蔵ざう教けうをたてゝ大小だいせうの諸教しよけうを摂おさむセフス。 ▲華厳くゑごむ宗しゆには五ご教けうをたて、 ▲天臺てんだい宗しゆには四し教けうをたつ。

▲いまわが浄じやう土ど宗しゆには、 道だう綽しやく禅ぜん師じ ¬安楽あんらく集しふ¼ に聖しやう道だう・浄じやう土どの二に教けうをたてたり。 一代ゐちだい聖しやう教げう五ご千せん余よ軸ぢく、 この二に門もんおばいでず。

▲はじめに聖しやう道だう門もんは、 三さむ乗じよう・一ゐち乗じようの得道とくだう也なり。 すなわちこの娑しや婆ば世せ界かいにして、 断惑だんわく開かい悟ごする道みちなり。 すべて分わかてば二ふたつあり。 謂いはく、 大だい乗じようの聖しやう道だう、 小せう乗じようの聖しやう道だう也なり。 別べちして論ろんずれば、 四し乗じようの聖しやう道だうあり。 謂いはく、 声しやう聞もん乗じょう・縁覚えんがく乗じょう・菩ぼ薩さち乗じょう・仏ぶち乗じょう也なり。

▲浄じやう土ど者は、 まづこの娑しや婆ば穢ゑ悪あくのさかひをいでゝ、 かの安楽あんらく不ふ退たいのくににむまれて、 自じ然ねんに増進ぞうしんして仏道ぶちだうを証しよう得とくせむともとむる道みち也なり。

この二に門もんをたつる事ことは、 道だう綽しやく一ゐち師しのみにあらず。 曇鸞どむらん法ほふ師しも龍樹りうじゆ菩ぼ薩さちの ¬十住じふじゆ毘婆びば沙しや論ろん¼ を引ひきて、 難なん行ぎやう・易い行ぎやうの二に道だうをたてたまへり。 「▲難なん行ぎやう道だうは陸ろく路ろより歩ぶ行ぎやうするがごとし、 ▲易い行ぎやう道だうは水しゐ路ろを船ふねに乗じようずるがごとし」 (論註巻上意) とたとへたり。 この二に道だうを立たつる事こと、 曇鸞どむらん一ゐち師しにかぎらず。 天臺てんだいの ¬十じふ疑ぎ論ろん¼ にもおなじく引ひきて釈しやくしたまへり。 また迦か才ざいの ¬浄じやう土ど論ろん¼ にもおなじく引ひけり。 かの難なん行ぎやう道だう者はすなわち聖しやう道だう門もん也なり、 易い行ぎやう道だう者はすなわち浄じやう土ど門もん也なり。

しかのみならず、 また慈じ恩おん大だい師し云いはく、

「▲まのあたり聖しやう化くゑに逢あふしもの、 道だう三さむ乗じようを悟さとりき。 福ふく薄うすく因いん疎おろそかなるものは、 勧すゝめて浄じやう土どに帰くゐせしむ」 (西方要決)

「親しん逢ぶ↢聖しやう化くゑ↡、 道だう悟ご↢三さむ乗じよう↡。 福ふく薄はく因いん疎そ、 勧くわん帰くゐ↢浄じやう土ど」

と云いへり。 この中なかに三さむ乗じよう者はすなわち聖しやう道だう門もん也なり、 浄じやう土ど者はすなわち浄じやう土ど門もん也なり。

難なん行ぎやう・易い行ぎやう、 三さむ乗じよう・浄じやう土ど、 聖しやう道だう・浄じやう土ど、 その言ことばことなりといゑども、 そのこゝろみなおなじ。 凡おほよそ一代ゐちだいの諸教しよけうこの二に門もんをいでず。

経きやう論ろんのみこの二に門もんに摂せふすオサムルるにあらず。 乃ない至し諸宗しよしゆの章しやう疏しよみなこの二に門もんおばいでざる也なり。 天臺てんだい宗しゆには、 正まさしくは仏ぶち乗じようの聖しやう道だうをあかす、 傍かたわらには往わう生じやう浄じやう土どをあかす。 「即往そくわう安楽あんらく」 といへり。 華厳くゑごむ宗しゆにもまた天臺てんだい宗しゆのごとし。 聖しやう道だうを修しゆしてえがたくは、 浄じやう土どに生しやうずべしと云いへり。

「願ねがはくはわれ命みやう終じゆせむと欲ほする時ときに臨のぞみてことごとく一切ゐちさいのもろもろの障しやうげを除のぞく、 面おもてにかの仏ぶち阿わ弥陀みだを見みたてまつりてすなわち安楽あんらく国こくに往わう生じやうを得う」 (般若訳華厳経巻四〇行願品)

「願ぐわん我が臨りむ↧欲よく↢命みやう終じゆ↡時じ↥尽じん除ぢよ↢一切ゐちさい諸しよ障しやうげ↡、 面めん見けん↢彼ひ仏ぶち阿わ弥陀みだ↡即そく得とく↣往わう↢生じやう安楽あんらく国こく↡」

と云いへり。

しかるに今いま、 この ¬経きやう¼ は往わう生じやう浄じやう土どの教けう也なり。 即身そくしん頓とん悟ごのむねをもあかさず、 歴りやく劫こふ迂廻うゑの行ぎやうおもとかず。 娑しや婆ばのほかに極楽ごくらくあり、 わが身みのほかに阿わ弥陀みだ仏ぶちましますと説ときて、 この界かいをいとひてかのくにに生しやうじて、 无む生しやう忍にんおもえむと願ぐわんずべきむねを明あかす也なり。 善導ぜんだうの釈しやくに云いはく、

「▲定ぢやう散さん等ひとしく廻ゑ向かうして、 すみやかに无む生しやうの身しんを証しようせよ」 (玄義分)

「定ぢやう散さん等とう廻ゑ向かう、 速そく証しよう↢无む生しやう身しん↡」

といへり。

凡おほよそこの ¬経きやう¼ には、 あまねく往わう生じやうの行きやう業ごふを説とけり。 すなわちはじめには定ぢやう散さんの二に善ぜんを説ときて、 総そうじて一切ゐちさいの諸しよ機きにあたへ、 次つぎには念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうを選えらびて、 別べちして未み来らいの群ぐん生じやうに流通るづせり。 △かるがゆへに ¬経きやう¼ に云いはく、

「仏ほとけ阿わ難なんに告つげたまはく、 なんぢよくこの語ご持たもて」

「仏告ぶちがう↢阿わ難なん↡、 汝によ好かう持じ↢是語ぜご↡」

と等ら云のたまへりと。 善導ぜんだうこれを釈しやくして云いはく、

「仏告ぶちがう阿わ難なん汝によ好かう持じ是語ぜごより已下いげ、 まさしく弥陀みだの名みやう号がうを付ふ属ぞくして、 遐か代だいに流る通づすることを明あかす」 (散善義)

「従じゆ↢仏告ぶちがう阿わ難なん汝によ好かう持じ是語ぜご↡已下いげ、 正しやう明みやう↫付ふ↢属ぞく弥陀みだ名みやう号がう↡、 流る↪通づ於お↩遐か代だい↨」

と等ら云いへり。 しかれば、 この ¬経きやう¼ のこゝろによりて、 今いま聖しやう道だうをすてゝ浄じやう土どの一門ゐちもんに入いる也なり。

その往わう生じやう浄じやう土どにつきて、 又またその行ぎやうこれおほし。 これによて、 ▲善導ぜんだう和くわ尚しやう専雑せんざふ二に修しゆを立たて、 諸しよ行ぎやうの勝しよう劣れち得失とくしちを判はんじたまへり。 すなわちこの経きやうの ¬疏しよ¼ に云いはく、

「▲行ぎやうにつきて信しんを立たつといふは、 行ぎやうに就つきて二に種しゆあり。 一ひとつには正行しやうぎやう、 二ふたつには雑ざふ行ぎやう」

「就じゆ↠行ぎやう立りふ↠信しん者しや、 就じゆ↠行ぎやう有う↢二に種しゆ↡。 一ゐち正行しやうぎやう、 二に雑ざふ行ぎやう」

と云いへり。 もはらかの正行しやうぎやうを修しゆするを専修せんじゆの行ぎやう者じやと云いふ、 正行しやうぎやうおば修しゆせずして雑ざふ行ぎやうを修しゆするを雑修ざふしゆの者ものと申まふす也なり。

▲その専雑せんざふ二に種しゆの得失とくしちについて、 今いま私わたくしに料簡れうけんするに、 五いつゝの義ぎあり。 一ひとつには親しん疎そ対たい、 二ふたつには近遠ごんおん対たい、 三みつには有う間けん无む間けん対たい、 四よつには廻ゑ向かう不ふ廻ゑ向かう対たい、 五いつゝには純じゆん雑ざふ対たい也なり。

▲はじめに親しん疎そ対たい者は、 正行しやうぎやうを修しゆするは阿わ弥陀みだ仏ぶちに親したしく、 雑ざふ行ぎやうを修しゆすればかの仏ほとけに疎そウトシなり。 すなわち ¬疏しよ¼ (定善義) に云いはく、

「▲衆しゆ生じやう行ぎやうを起おこすには、 口くちにつねに仏ほとけを称となへよ、 仏ほとけすなわちこれを聞きこしめす。 身みにつねに仏ほとけを礼らい敬きやうすれば、 仏ほとけすなわちこれを見みそなはす。 心しむにつねに仏ほとけを念ねむずれば、 仏ほとけすなわちこれを知しろしめす。 衆しゆ生じやう仏ほとけを憶おく念ねむすれば、 仏ほとけまた衆しゆ生じやうを憶おく念ねむしたまふ。 彼此ひしの三業さむごふあひ捨しや離りせず。 ゆへに親縁しんえんと名なづく」

「衆しゆ生じやう起き↠行ぎやう、 口く常じやう称しよう↠仏ぶち、 仏ぶち即そく聞もん↠之し。 身しん常じやう礼らい↢敬きやう仏ぶち↡、 仏ぶち即そく見けん↠之し。 心しむ常じやう念ねむ↠仏ぶち、 仏ぶち即そく知ち↠之し。 衆しゆ生じやう憶おく↢念ねむ仏ぶち↡者しや、 仏ぶち亦やく憶おく↢念ねむ衆しゆ生じやう↡。 彼此ひし三業さむごふ不ふ↢相さふ捨しや離り↡。 故こ名みやう↢親縁しんえん↡」

と云いへり。 その雑ざふ行ぎやうの者ものは、 口くちに仏ほとけを称しようせざれば、 仏ほとけすなわち聞きゝたまはず。 身みに仏ほとけを礼らいせざれば、 仏ほとけすなわち見みたまはず。 心しむに仏ほとけを念ねむぜざれば、 仏ほとけしろしめさず。 仏ほとけを憶念おくねむせざれば、 仏ほとけ又また憶念おくねむしたまはず。 彼此ひし三業さむごふ常つねに捨しや離りす、 かるがゆへに疎そウトシとなづくる也なり。

▲次つぎに近遠ごんおん対たい者は、 正行しやうぎやうはかの仏ほとけに近ちかづく、 雑ざふ行ぎやうはかの仏ほとけに遠とおざかるなり。 ¬疏しよ¼ (定善義) に又また云いはく、

「▲衆しゆ生じやう仏ほとけを見みむと欲ほすれば、 仏ほとけすなわち念ねむに応おうじて現げんに目めの前まへに在まします。 ゆへに近縁ごんえんと名なづく」

「衆しゆ生じやう欲よく↠見けん↠仏ぶち、 仏ぶち即そく応おう↠念ねむ現げん在ざい↢目前もくぜん↡。 故こ名みやう↢近縁ごんえん↡」

と云いへり。 雑ざふ行ぎやう者は、 仏ほとけを見みたてまつらむとねがはざれば、 仏ほとけすなわち念ねむに応おうじたまはず、 目めの前まへにも現げんじたまはず。 かるがゆへに遠おんとなづくる也なり。 たゞ常じやうの義ぎには親近しんごんと申まふしつれば、 一ひとつ事ことのやうにこそは聞きこゆれども、 善導ぜんだう和くわ尚しやうは、 親しんと近ごんとのごとしと、 別べちしては釈しやくしたまへり。 これによて、 今いま又また親近しんごんを分わかちて二ふたつとするなり。

▲次つぎに有う間けん无む間けん対たい者は、 无む間けん者は、 正行しやうぎやうを修しゆするには、 かの仏ほとけおいて憶念おくねむ无む間けんなるがゆへに、 文もんに 「▲憶念おくねむ不ふ断だん名みやう為ゐ无む間けん」 (散善義) と云いへる、 これ也なり。 有う間けん者は、 雑ざふ行ぎやうのものは、 阿わ弥陀みだ仏ぶちにこゝろをかくる事こと間ひまおほし。 かるがゆへに文もんに 「▲心しむ常じやう間断けんだん」 (散善義) と云いふ、 これ也なり。

▲次つぎに廻ゑ向かう不ふ廻ゑ向かう対たい者は、 正行しやうぎやうは廻ゑ向かうをもちゐざれども、 自じ然ねんに往わう生じやうの業ごふとなる。 すなわち ¬疏しよ¼ の第一だいゐち (玄義分) に云いはく、

「▲今いま ¬観経くわんぎやう¼ の中なかに十じふ声しやう称しよう仏ぶちすれば、 すなわち十じふ願ぐわん・十じふ行ぎやうあて具ぐ足そくす。 いかんぞ具ぐ足そく。 南无なもと言いふはすなわちこれ帰くゐ命みやうなり、 またこれ発ほち願ぐわん廻ゑ向かうの義ぎなり。 阿わ弥陀みだ仏ぶちと言いふはすなわちこれその行ぎやうなり。 この義ぎをもてのゆへにかならず往わう生じやうを得う」。

「今こむ ¬観経くわんぎやう¼ 中ちう十じふ声しやう称しよう仏ぶち、 即そく有う↢十じふ願ぐわん・十じふ行ぎやう↡具ぐ足そく。 云うん何が具ぐ足そく。 言ごん↢南无なも↡者しや則そく是ぜ帰くゐ命みやう、 亦やく是ぜ発ほち願ぐわん廻ゑ向かう之し義ぎ也や。 言ごん↢阿わ弥陀みだ仏ぶち↡者しや則そく是ぜ其ご行ぎやう。 以い↢斯し義ぎ↡故こ必得ひちとく↢往わう生じやう↡」。

不ふ廻ゑ向かうといふ。 雑ざふ行ぎやうは、 かならず廻ゑ向かうをもちゐるとき、 往わう生じやうの業ごふとなる。 もし廻ゑ向かうせざれは、 往わう生じやうの業ごふとならず。 かるがゆへに文もんに

「▲廻ゑ向かうして生しやうを得うべしといゑども」

「雖すい↠可か↢廻ゑ向かう得とく↟生しやう」

と云いへる、 これ也なり。

▲次つぎに純じゆん雑ざふ対たい者は、 正行しやうぎやうは純じゆんに極楽ごくらくの行ぎやう也なり。 余よの人天にんでんおよび三さむ乗じよう等とうの業ごふに通つぜずカヨハヌナリ、 又また十方じふぱう浄じやう土どの業因ごふいんともならず。 かるがゆへに純じゆんとなづく。 雑ざふ行ぎやうは純じゆんに極楽ごくらくの行ぎやうにはあらず。 人天にんでんの業因ごふいんにも通つじ、 三さむ乗じようの得果とくくわにも通つじ、 又また十方じふぱう浄じやう土どの往わう生じやうの業因ごふいんともなるがゆへに雑ざふと云也なり。

しかれば、 この五いつゝの相対さうたいをもて二に行ぎやうを判はんずるに、 西方さいはうの往わう生じやうをねがはむ人ひとは、 雑ざふ行ぎやうをすてゝ正行しやうぎやうを修しゆすべき也なり。

又また善導ぜんだう和くわ尚しやう ¬往わう生じやう礼讃らいさん¼ (意) の序じよに、 この専雑せんざふの得失とくしちを判はんじたまへり。 「▲専修せんじゆの者ものは十即じふそく十じふ生しやう、 百ひやく即そく百生ひやくしやう。 ◆雑修ざふしゆの者ものは百ひやくに一ゐち二に、 千せんに五ご三さむ」 と云いへり。 「◆なにをもてのゆへに。 専修せんじゆの者ものは雑縁ざふえんなし、 正しやう念ねむをえたるがゆへに、 又また弥陀みだの本ほん願ぐわんに相応さうおうするがゆへに、 又また釈しや迦かの教けうにたがはざるがゆへに、 仏ぶち語ごに随ずい順じゆんせるがゆへに」 と云いへり。 「◆雑修ざふしゆの者ものは雑縁ざふえん乱動らんどうす。 正しやう念ねむを失しちすウシナフるがゆへに、 又また仏ほとけの本ほん願ぐわんと相応さうおうせざるがゆへに、 また仏ぶち語ごにしたがはざるがゆへに、 釈しや迦かの教けうに違ゐするがゆへに、 又また係け念ねむ相続さうぞくせざるがゆへに、 廻ゑ願ぐわん慇重いんぢう真実しんじちならざるがゆへに、 乃ない至し、 名みやう利りと相応さうおうするがゆへに、 又また自みづからの往わう生じやうを障さふるのみにあらず、 他たの往わう生じやうの正行しやうぎやうを障さふるがゆへに」 と云いへり。

しかのみならず、 やがてその文もんのつゞきに、 「▲餘よワレ、 このトイフ ごろ諸方しよはうの道俗だうぞくを見聞けんもんするに、 解げ行ぎやう不ふ同どうにして専雑せんざふ異いありコトナルコト。 しかるに専修せんじゆの者ものは十じふは十じふながら生しやうじ、 雑修ざふしゆの者ものは千せんが中なかに一ゐちもなし」 とのたまへり。

さきの義ぎをもて判はんじ候さふらふに、 千せんが中なかに五ご三さむとゆるしたまへりといゑども、 今いま正しやう見けんには一ゐちもなしとのたまへる也なり。 そのときの行ぎやう者じやだにも、 雑ざふ行ぎやうにて往わう生じやうする者ものなかりけるにこそ候さふらふなれ。 まして、 いよいよ時ときも機きもくだりたる当世たうせいの行ぎやう者じや、 雑ざふ行ぎやう往わう生じやうと云いふ事ことはおもひすつべき事こと也なり。 たとひまた往わう生じやうすべきにても、 百ひやくが中なかに一ゐち二に、 千せんが中なかに五ご三さむの内うちにてこそ候さふらはむずれ。 きわめて不ふ定ぢやうの事こと也なり。 百ひやく人にんに九く十じふ九く人にんは往わう生じやうして、 今いま一人ゐちにんすまじときかむだにも、 もしその一人ゐちにんにあたる身みにてもやあるらむと、 不ふ審しむに不ふ定ぢやうにおぼえぬべし。 いかにいはむや、 百ひやくが一ゐち二にの内うちに一ゐち定ぢやう入いるべしとおもはむ事こと、 かたくぞ候さふらはむずる。

しかれば、 ▲百ひやく即そく百生ひやくしやうの専修せんじゆをすてゝ、 千中せんちう无む一ゐちの雑ざふ行ぎやうを執しふすべからず。 唯たゞ一向ゐちかうに念仏ねむぶちを修しゆして、 雑ざふ行ぎやうをすつべきなり。 これすなわち、 この ¬経きやう¼ の大たい意い也なり。 「望まう↢仏ぶち本ほん願ぐわん、 意い在ざい衆しゆ生じやう、 一向ゐちかう専せん称しよう、 弥陀みだ仏ぶち名みやう」 と云いへり。 返かへすがへすも本ほん願ぐわんをあおぎて、 念仏ねむぶちをすべき也なりと。

(2) 建保四年公胤夢告

建保けんぽう四し年ねん四月廿六日、 薗おん城じやう寺じ長ちやう吏り、 公胤こういん僧そう正じやう之の夢ゆめに、 空そらの中なかに告つげて云いはく、

源ぐゑん空く本ほん地ぢの身しんは大だい勢せい至し菩ぼ薩さちなり、 衆しゆ生じやう教化けうくゑのゆへにこの界かいに来きたれること度度たびたび

源ぐゑん空く本ほん地ぢ身しん大だい勢せい至し菩ぼ薩さち、 衆しゆ生じやう教化けうくゑ故こ来らい↢此し界かい↡度度どど

と。

かの僧そう正じやうの弟子でし大進だいしんの公きみ実じつ名みやうをしらず 記之。

康元かうげん元ぐわん年ねん 丙辰 十月十三日

愚禿親鸞 八十四歳 書之

康元かうげん二に歳さい正月一日校之

 

西方指南抄中本

(3) 三昧発得記

聖しやう人にん御ご在ざい生しやう之の時とき記き↢註ちゆしたまへりシルシタマヘリ   之これを↡ 外ぐわい見けんにおよばざれ、 秘ひ蔵ざうすべしと。
 御生年おむとし六十有六 丑うしの年とし也なり。
建久けんきう九年正月一日記きす。シルスナリ

一日、 桜梅やまもゝの法橋ほふけう教慶けうけいのもとよりかへりたまひてのち、 未ひつじ申さるの時ときばかり、 恒例こうれい正月七日念仏ねむぶち始し行ぎやうせしめたまふ。 一日、 明みやう相さう少すこしこれを現げんじたまふ、 自じ然ねんにあきらかなりと 云云。 二日、 水想しゐさう観くわん自じ然ねんにこれを成じやう就じゆしたまふ 云云。 総そうじて念仏ねむぶち七しち箇か日にちの内うちに、 地ぢ想さう観くわんの中なかに瑠璃るりの相さう少分せうぶんこれをみたまふと。

二月四日の朝あした、 瑠璃るり地ぢ分ぶん明みやうに現げんじたまふと 云。 六日、 後夜ごやに瑠璃るりの宮く殿でんの相さうこれを現げんずと 云。 七日、 朝あしたにまたかさねてこれを現げんず。 すなわちこの宮く殿でんをもて、 その相さう影現やうげんしたまふ。 総そうじて水想しゐさう・地ぢ想さう・宝樹ほうじゆ・宝ほう池ち・宝殿ほうでんの五いつゝの観くわん、 始はじめ正月一日より二月七日にいたるまで、 三十さむじふ七しち箇か日にちのあひだ毎日まいにち七万しちまん念仏ねむぶち、 不ふ退たいにこれをつとめたまふ。 これによて、 これらの相さうを現げんずとのたまへり。

始はじめ二月廿五日より、 あかきところにして目めをひらく。 眼根げんこんより赤あかき袋ふくろ瑠璃るりの壷つぼを出生しゆつしやうす、 これをみる。 そのまへにして、 目めを閉とぢてこれをみる。 目めを開ひらけばすなわち失うすと云のたまへり。

二月廿八日、 病やまうによて念仏ねむぶちこれを退たいす。 一万ゐちまん返べんあるいは二に万まん、 右みぎの眼まなこにそのゝち光明くわうみやうあり、 はなだなり。 また光ひかりあり、 はしあかし。 また眼まなこに琉璃るりあり、 その形かたち瑠璃るりの壷つぼのごとし。 琉璃るりに赤あかき花はなあり、 宝ほう形ぎやうのごとし。 また日ひ入いりてのちいでゝみれば、 四し方はうみな方はうごとに赤あかく青あおき宝樹ほうじゆあり。 その高たかささだまりなし、 高かう下げこゝろにしたがふて、 あるいは四五しご丈ぢやう、 あるいは二に三十さむじふ丈ぢやうと 云。

八月一日、 本もとのごとく、 六万ろくまん返べんこれをはじむ。 九月廿二日の朝あしたに、 地ぢ想さう分ぶん明みやうに現げんず、 周しゆメグ囲ゐリ 七八しちはち段だんばかり。 そのゝち廿三日の後夜ごやならびに朝あしたにまた分ぶん明みやうにこれを現げんずと 云々。

正しやう治ぢ二年二月のころ、 地ぢ想さう等とうの五いつゝの観くわん、 行ぎやう住じゆ座ざ臥ぐわこゝろにしたがふて、 任運にむうんにこれを現げんずと 云々。

建仁けんにん元ぐわん年ねん二月八日の後夜ごやに、 鳥とりのこゑをきく、 またことのおとをきく、 ふゑのおとをきく。 そのゝち、 日ひにしたがふて自じ在ざいにこれをきく、 しやうのおとらこれをきく。 さまざまのおと。 正月五日、 三さむ度ど勢せい至し菩ぼ薩さちの御おむうしろに、 丈じやう六ろくばかりの勢せい至しの御ご面像めんざう現げんぜり。 これをもてこれを推すいする、 西にしの持ぢ仏ぶち堂だうにて勢せい至し菩ぼ薩さちの形ぎやう像ざうより丈じやう六ろくの面めんを出しゆつ現げんせり。 これすなわちこれを推すいするに、 この菩ぼ薩さちすでにもて、 念仏ねむびち法門ほふもんの所しよ証しようのためのゆへに、 いま念仏ねむぶち者しやのためにそのかたちを示じ現げんしたまへり、 これをうたがふべからず。 同おなじき六日、 はじめて座ざ処しよヰドコロより四し方はう一段ゐちだんばかり、 青しやうアオキ瑠璃るりの地ぢなりと 云々。 今いまにおいては、 経釈きやうしやくによて往わう生じやううたがひなしと。 地ぢ観くわんの文もんにこゝろうるに、 うたがひなしといへるがゆへにといへり。 これをおもふべし。

建仁けんにん二年十二月廿八日、 高たか畠はたけの小せう将しやうきたれり。 持ぢ仏ぶち堂だうにしてこれに謁えちす。 そのあひだ例れいのごとく念仏ねむぶちを修しゆしたまふ。 阿わ弥陀みだ仏ぶちをみまいらせてのち、 障しやう子じよりすきとほりて仏ほとけの面像めんざうを現げんじたまふ、 大おほきさ丈じやう六ろくのごとし。 仏面ぶちめんすなわちまた隠かくれたまひ了おわりぬ。 廿八日午時むまときの事こと也なり。

元ぐゑん久きう三年正月四日、 念仏ねむぶちのあひだ三尊さむぞん大身だいしんを現げんじたまふ。 また五日、 三尊さむぞん大身だいしんを現げんじたまふ。

聖しやう人にんのみづからの御ご記き文もんなり。

(4) 法然聖人御夢想記

法然ほふねん聖しやう人にん御ご夢む想さう記き 善導ぜんだう御事おむこと

或ある夜よ夢ゆめにみらく、 一ひとつの大山だいせんあり、 その峯みねきわめて高たかし、 南北なむぼくながくとおし、 西方さいはうにむかへり。 山やまの根ねに大たい河があり、 傍かたわらの山やまより出いでたり、 北きたに流ながれたり。 南みなみの河原かわら眇眇べうべうとしてその辺際へんざいをしらず、 林樹りむじゆ滋滋しげしげとしてそのかぎりをしらず。 こゝに源ぐゑん空く、 たちまちに山腹さんぷくにヤマノハラ 登のぼりてはるかに西方さいはうをみれば、 地ぢより已い上じやう五ご十じふ尺しやくばかり上かみに昇のぼりて、 空く中ちうにひとむらの紫し雲うんあり。 以為おもへらく、 何いづれの所ところに往わう生じやう人にんのあるぞ哉や。 こゝに紫し雲うんとびきたりて、 わがところにいたる。 希有けうのおもひをなすところに、 すなわち紫し雲うんの中なかより孔く雀じやく・鸚あう鵡む等とうの衆鳥しゆてうとびいでゝ、 河原かわらに遊戯ゆげす、アソビタワブル 沙いさごをほり浜はまに戯たわぶる。 これらの鳥とりをみれば、 凡鳥ぼむてうにあらず、 身みより光ひかりをはなちて、 照曜せうえうきはまりなし。 そののちとび昇のぼりて、 本もとのごとく紫し雲うんの中なかに入いり了おわりぬ。 こゝにこの紫し雲うん、 このところに住じゆせず、 このところをすぎて北きたにむかふて、 山さん河がにかくれ了おわりぬ。 また以為おもへらく、 山やまの東ひむがしに往わう生じやう人にんのあるに哉や。 かくのごとく思し惟ゆいするあひだ、 須しゆ臾ゆにかへりきたりてわがまへに住じゆす。 この紫し雲うんの中なかより、 くろくそめたる衣ころも著きたる僧そう一人ゐちにんとびくだりて、 わがたちたるところの下しもに住立じゆりふす。 われすなわち恭く敬ぎやうのためにあゆみおりて、 僧そうの足あしのしもにたちたり。 この僧そうを瞻仰せむがうすれば、 身しん上じやう半なかばは肉身にくしん、 すなわち僧そう形ぎやう也なり。 身みよりしも半なかばは金色こむじきなり、 仏身ぶちしんのごとく也なり。 こゝに源ぐゑん空く、 合がふ掌しやう低てい頭づして問とふてまふさく、 これ誰人たれびとの来きたりたまふぞ哉やと。 答こたえて曰いはく、 われはこれ善導ぜんだう也なりと。 また問とふてまふさく、 なにのゆへに来きたりたまふぞ哉や。 また答こたえて曰のたまはく、 餘よワレ不ふ肖せうなりといゑども、 よく専修せんじゆ念仏ねむぶちのことを言まふす。 はなはだもて貴たうとしとす。 ためのゆへにもて来きたれる也なり。 また問とふて言まふさく、 専修せんじゆ念仏ねむぶちの人ひと、 みなもて為なす↢往わう生じやうを↡哉やと。 いまだその答たうをうけたまはらざるあひだに、 忽然こつねんとして夢ゆめ覚さめ了おわりぬ。

(5) 十八条法語

一

或人あるひと念仏ねむぶち之の不ふ審しむを、 故こ聖しやう人にんに奉たてまつりて↠問とひ曰いはく、 第だい二に十じふ願ぐわんは大綱たいまうの願ぐわんなり。 「係け念ねむ」 (大経巻上) といふは、 三さむ生しやうの内うちにかならず果くわハタシ遂すいトグルすべし。 仮け令りやう通計つげするに、 百ひやく年ねんの内うちに往わう生じやうすべき也なり 云云。 これ九く品ぼむ往わう生じやうの義ぎ、 意いコヽロ釈しやくなり。 極大ごくだい遅ち者しやをもてキワメテオホキニオソキモノナリ三さむ生しやうに出いでざるこゝろ、 かくのごとく釈しやくせり。

又また ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ の 「▲已い発ほち願ぐわん」 等とうは、 これ三さむ生しやう之の証しよう也なりと。

二

又また云いはく、 ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ 等とうは浄じやう土ど門もんの出しゆつ世せの本ほん懐ぐわいなり、 ¬法華ほふくゑ経きやう¼ 者は聖しやう道だう門もんの出しゆつ世せの本ほん懐ぐわいなり 云云。 望のぞむところはことなり、 疑うたがふに足たらざる者もの也なり。

三

又また云いはく、 我わが安あん置ちするところの一切ゐちさい経きやう律りち論ろんは、 これ ¬観経くわんぎやう¼ 所摂しよせふのオサムルナリ法ほふ也なり。

四

又また云いはく、 地ぢ蔵ざう等とうの諸よろづの菩ぼ薩さちを蔑如べちじよすべからアナヅルコトナカレトナリず。 往わう生じやう以後いご、 伴侶はんりよたるべきがゆへなりと。

五

又また云いはく、 近代きんだいの行ぎやう人にん、 観くわん法ぼふをもちゐるにあたはず。 もし仏像ぶちざう等とうを観くわんぜむは、 運慶うんけい・康慶かうけいが所造しよざうにすぎじ。 もし宝樹ほうじゆ等とうを観くわんぜば、 桜梅やうばい・桃たう李り之の花くゑ菓くわ等とうにすぎじ。 しかるに 「▲彼ひ仏ぶち今こむ現在げんざい成じやう仏ぶち」 (礼讃) 等とうの釈しやくを信しんじて、 一向ゐちかうに名みやう号がうを称しようすべき也なりと云いへり。 たゞ名みやう号がうをとなふる、 三心さむしむおのづから具ぐ足そくする也なりと云いへり。

六

又また云いはく、 念仏ねむぶちはやうなきをもてなり。 名みやう号がうをとなふるほか、 一切ゐちさいやうなき事こと也なりと云いへり。

七

又また云いはく、 諸しよ経きやうの中なかにとくところの極楽ごくらくの荘しやう厳ごむ等とうは、 みなこれ四し十八じふはち願ぐわん成じやう就じゆの文もん也なり。 念仏ねむぶちを勧くわん進じんするところは、 第だい十八じふはちの願ぐわん成じやう就じゆの文もんなり。 ¬観経くわんぎやう¼ の 「▲三心さむしむ」、 ¬小せう経きやう¼ の 「▲一心ゐちしむ不ふ乱らん」、 ¬大だい経きやう¼ の願ぐわん成じやう就じゆの文もんの 「▲信心しんじむ歓くわん喜ぎ」 と、 同おなじき流通るづの 「▲歓くわん喜ぎ踊ゆ躍やく」 と、 みなこれ至し心しん信楽しんげう之の心しむ也なりと云いへり。 これらの心しむをもて、 念仏ねむぶちの三心さむしむを釈しやくしたまへる也なりと 云云。

八

又また云いはく、 「玄ぐゑん義ぎ」 (玄義分意) に云いはく、

「▲釈しや迦かの要門えうもんは定ぢやう散さん二に善ぜんなり。 定ぢやうは慮おもんぱかりを息やめて心しむを凝こらすなり、 散さんは悪あくを廃はいして善ぜんを修しゆすなりと。 ▲弘ぐ願ぐわんは ¬大だい経きやう¼ の説せちのごとし。 一切ゐちさい善悪ぜんあくの凡ぼむ夫ぶ生しやうを得う」

「釈迦要門定散二善。 定者息↠慮凝↠心なり、 散者廃↠悪修↠善なりと。 弘願者如↢¬大経¼ 説↡。 一切善悪凡夫得↠生」

といへり。 豫よがごときはさきの要門えうもんにたえず、 よてひとへに弘ぐ願ぐわんを憑たのむ也なりと云いへり。

九

又また云いはく、 導だう和くわ尚しやう、 深心じむしむを釈しやくせむがために余よの二に心しむを釈しやくしたまふ也なり。 ¬経きやう¼ の文もんの三心さむしむをみるに、 一切ゐちさい行ぎやうなし。 深心じむしむの釈しやくにいたりて、 はじめて念仏ねむぶちの行ぎやうをあかすところ也なり。

一〇

又また云いはく、 往わう生じやうの業ごふ成じやう就じゆ、 臨終りむじゆ・平生へいぜいにわたるべし。 本ほん願ぐわんの文もんに別べちにえらばざるがゆへにと云いへり。 恵ゑ心しむのこゝろ、 平生へいぜいの見けんにわたる也なりと云いへり。

一一

又また云いはく、 往わう生じやうの業ごふ成じやうは、 念ねむをもて本ほんとす。 名みやう号がうを称しようするは、 念ねむを成じやうぜむがため也なり。 もし声こゑをはなるゝとき、 念ねむすなわち懈け怠だいするがゆへに、 常じやう恒がうに称唱しようしやうすればすなわち念ねむ相続さうぞくす。 心念しむねむの業ごふ、 生しやうをひくがゆへ也なり。

一二

又また云いはく、 称名しようみやうの行ぎやう者じや、 常じやう途づ念仏ねむぶちのとき不ふ浄じやうをはゞかるべからず。 相続さうぞくを要えうとするがゆへに。 如によ意い輪りんの法ほふは、 不ふ浄じやうをはゞからず、 弥陀みだ・観くわん音おむ一体ゐちたい不二ふに也なり。 これをおもふに、 善導ぜんだうの別べち時じの行ぎやうには、 清浄しやうじやう潔斉けちせいをもちゐる、 尋じむ常じやうの行ぎやう、 これにことなるべき歟か。 恵ゑ心しむの 「▲不ふ↠論ろん↢時じ処しよ諸縁しよえん↡」 (要集巻下) 之の釈しやく、 永観ゐやうくわんの 「不ふ↠論ろん↢身しん浄じやう不ふ浄じやう↡」 (往生拾因) 之の釈しやく、 さだめて存ぞんずるところある歟かと 云。

一三

又また云いはく、 善導ぜんだうは第だい十八じふはちの願ぐわん、 一向ゐちかうに仏号ぶちがうを称しよう念ねむして往わう生じやうすと云いへり。 恵ゑ心しむのこゝろ、 観くわん念ねむ・称しよう念ねむ等とうみなこれを摂せふすと云いへり。 もし ¬要集えうしゆ¼ のこゝろによらば、 行ぎやう者じやにおいては、 この名なをあやまちてむ歟かと。

一四

又また云いはく、 第だい十じふ九くの願ぐわんは、 諸しよ行ぎやう之の人ひとを引入いんにふして、 念仏ねむぶち之の願ぐわんに帰くゐせしめむと也なり。

一五

又また云いはく、 真実しんじち心しむといふは、 行ぎやう者じや願ぐわん往わう生じやう之の心しむなり。 矯けう飾しよくなく、 表へう裏りなき相応さうおうの心しむ也なり。 雑毒さふどく虚仮こけ等とうは、 名みやう聞もん利り養やうの心しむ也なり。

¬大品だいぼむ経きやう¼ (巻一序品) に云いはく、 「利り養やう名みやう聞もんを捨すてよと。」 文

¬大品経¼ 云、 「捨↢利養名聞↡。」 文

¬大論だいろん¼ にこの文もんを述じゆつする下したに云いはく、 「まさに業ごふに雑毒さふどくを捨すつべしといふは、 一ゐち声しやう一念ゐちねむなほこれを具ぐせば、 実心じちしむのなき相さうなり。 内ないを翻ほむじて外ぐゑを矯かざるといふは、 仮け令りやう外相ぐゑさう不ふ法ほふなれども、 内心ないしむ真実しんじちにして往わう生じやうを願ぐわんずれば、 往わう生じやうを遂とぐべきなりと。」 云云

¬大論¼ 述↢此文↡之下云、 「当↣業捨↢雑毒↡者、 一声一念猶具↠之、 无↢実心之↡相也。 翻↠内矯↠外者、 仮令外相不法、 内心真実願↢往生↡者、 可↠遂↢往生↡也。」 云云

深心じむしむといふは、 疑ぎ慮りよなき心しむ也なり。 利他りた真実しんじちといふ者は、 得とく生しやう之の後のち利他りた門もん之の相さう也なり。 よてくはしく釈しやくせずと。

¬観くわん无む量りやう寿じゆ経きやうに¼、 「▲もし衆しゆ生じやうあてかの国くにに生むまれむと願がんぜむ者もの、 三種さむしゆの心しむを発おこせばすなわち往わう生じやうす。 ◆何なん等らか三みつとする。 一ひとつには至し誠じやう心しむ、 二ふたつには深心じむしむ、 三みつには廻ゑ向かう発ほち願ぐわん心しむなり。 三心さむしむを具ぐすればかならずかの国くにに生しやうず」 といへり。

¬観无量寿経¼、 「若有↢衆生↡願↠生↢彼国↡者、 発↢三種心↡即便往生す。 何等為↠三。 一者至誠心、 二者深心、 三者廻向発願心なり。 具↢三心↡者必生↢彼国↡」 いへり。

¬往わう生じやう礼讃らいさんに¼ 三心さむしむを釈しやくしおはるに云いはく、 「▲この三心さむしむを具ぐすればかならず往わう生じやうを得うるなり。 もし一心ゐちしむ少かけぬれば、 すなわち生しやうを得えずと。」

¬往生礼讃¼ 釈↢三心↡畢云、 「具↢此三心↡必得↢往生↡也。 若少↢一心↡、即不↠得↠生。」

しかればすなわちもとも三心さむしむを具ぐすべきなり。

然則尤可↠具↢三心↡也。

▲一ひとつに至し誠じやう心しむといふは、 真実しんじち心しむなり。 身みに礼拝らいはいを行ぎやうず、 口くちに名みやう号がうを唱となふ、 意こゝろに相好さうがうを想おもふ、 みな実心じちしむをもてせよとなり。 総そうじてこれを言いふに、 厭えむ離り穢土ゑど、 忻ごん求ぐ浄じやう土ど、 修しゆ諸しよ行きやう業ごふ、 みな真実しんじち心しむをもてこれを勤ごむ修しゆすべし。

一至誠心者、 真実心也。 身行↢礼拝↡、 口唱↢名号↡、 意想↢相好↡、 皆用↢実心↡。 総而言↠之、 厭離穢土、 忻求浄土、 修諸行業、 皆以↢真実心↡可↣勤↢修之↡。

外ほかに賢善けんぜん精しやう進じんの相さうを現げんじ、 内うちに愚ぐ悪あく懈け怠だいの心しむを懐いだけり。 所修しよしゆの行きやう業ごふ、 日にち夜や十じふ二に時じに間ひまなくこれを行ぎやうずれども、 往わう生じやうを得えず。 外ほかに愚ぐ悪あく懈け怠だいの形かたちを顕あらわし、 内うちに賢善けんぜん精しやう進じんの念ねむに住じゆして、 これを修しゆ行ぎやうせば、一ゐち時じ一念ゐちねむといゑども、 その行ぎやう虚むなしからず、 かならず往わう生じやうを得えむ。 これを至し誠じやう心しむと名なづく。

外現↢賢善精進之相↡、 内懐↢愚悪懈怠之心↡。 所修行業、 日夜十二時无↠間行↠之、 不↠得↢往生↡。 外顕↢愚悪懈怠之形↡、 内住↢賢善精進之念↡、 修↢行之↡者、 雖↢一時一念↡、 其行不↠虚、 必得↢往生↡。 是名↢至誠心↡。

二ふたつに深心じむしむといふは、 深信じむしんの心しむなり。 これについて二ふたつあり。

二深心者、 深信之心也。フカクシンズルコヽロナリ 付↠之有↠二。

一ひとつには我われはこれ罪悪ざいあく不ふ善ぜんの身みなり、 无始むしより已来このかた六道ろくだうに輪りん廻ゑして、 往わう生じやうの縁えんなしと信しんず。

一者信↧我是罪悪不善之身、 无始已来輪↢廻六道↡、 无↦往生縁↥。

二ふたつには罪人ざいにんといゑども、 仏ぶち願ぐわん力りきをもて強縁がうえんとすれば、 往わう生じやうを得うと信しんず。 疑うたがひなく慮おもむぱかりなかれとなり。

二信↧雖↢罪人↡、 以↢仏願力↡為↢強縁↡、 得↦往生↥。 无↠疑无↠慮。

これについてまた二ふたつあり。 一ひとつには人にんに就ついて信しんを立たつ、 二ふたつには行ぎやうに就ついて信しんを立たつ。

付↠此亦有↠二。 一就↠人立↠信、 二就↠行立↠信。

人にんに就ついて信しんを立たつといふは、 出しゆつ離り生しやう死じの道みち多おほしといゑども、 大おほきに分わかて二ふたつあり。 一ひとつには聖しやう道だう門もん、 二ふたつ浄じやう土ど門もんなり。

就↠人立↠信者、 出離生死道雖↠多、 大分有↠二。 一聖道門、 二浄土門。

聖しやう道だう門もんといふは、 この娑しや婆ば世せ界かいにして、 煩悩ぼむなうを断だんじ菩ぼ提だいを証しようする道だうなり。

聖道門者、 於↢此娑婆世界↡、 断↢煩悩↡証↢菩提↡道也。

浄じやう土ど門もんといふは、 この娑しや婆ば世せ界かいを厭いとうて、 極楽ごくらくを忻ねがうて善根ぜんごんを修しゆする門もんなり。

浄土門者、 厭↢此娑婆世界↡、 忻↢極楽↡修↢善根↡門也。

二に門もんありといゑども、 聖しやう道だう門もんを閣さしおきて浄じやう土ど門もんに帰くゐするなり。

雖↠有↢二門↡、 閣↢聖道門↡帰↢浄土門↡。

しかるにもし人ひとあて多おほく経きやう論ろんを引ひきて、 罪悪ざいあくの凡ぼむ夫ぶ往わう生じやうを得えずといはむ、 この語ことばを聞きくといゑども、 退心たいしむを生しやうぜず、 いよいよ信心しんじむを増ます。

然若有↠人多引↢経論↡、 罪悪凡夫不↠得↢往生↡、 雖↠聞↢此語↡、 不↠生↢退心↡、 弥増↢信心↡。

ゆへはいかんとなれば、 罪ざい障しやうの凡ぼむ夫ぶ浄じやう土どに往わう生じやうするは釈しやく尊そんの誠じやう言ごんなり、 凡ぼむ夫ぶの妄説まうせちにあらず。 我われすでに仏言ぶちごんを信しんじて、 深ふかく浄じやう土どを忻ごん求ぐす。 たとひ諸仏しよぶち・菩ぼ薩さち来きたりて、 罪ざい障しやうの凡ぼむ夫ぶ浄じやう土どに生むまれずと言のたまふとも、 これを信しんずべからず。

所以者何、 罪障凡夫往↢生浄土↡釈尊誠言なり、 非↢凡夫の妄説↡。 我已信↢仏言↡、 深忻↢求浄土↡。 設諸仏・菩薩来、 罪障凡夫言↠不↠生↢浄土↡、 不↠可↠信↠之。

何なにをもてのゆへに。 菩ぼ薩さちは仏ぶち弟子でしなり。 もし実まことにこれ菩ぼ薩さちならば、 仏説ぶちせちに乖そむくべからず。 しかるにすでに仏説ぶちせちに違ゐして、 往わう生じやうを得えじと言のたまふ。 知しりぬ真まことの菩ぼ薩さちにあらずといふことを。 このゆへに信しんずべからずと。

何以故。 菩薩仏弟子。 若実是菩薩者、 不↠可↠乖↢仏説↡。 然已違↢仏説↡、 言↠不↠得↢往生↡。 知非↢真菩薩↡。 是故不↠可↠信。

また仏ぶちはこれ同体どうたいの大だい悲ひなり。 実まことにこれ仏ぶちならば、 釈しや迦かの説せちに違たがふべからず。

また仏是同体大悲。 実是仏者、 不↠可↠違↢釈迦説↡。

しかればすなわち ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ (意) 説とかく、 「一日ゐちにち七日しちにち阿わ弥陀みだ仏ぶちの名みやう号がうを念ねむずれば、 かならず往わう生じやうを得う」 といへるは、 六方ろくぱう恒沙ごうじやの諸仏しよぶち、 釈しや迦か仏ぶちに同おなじく虚むなしからずとこれを証誠しようじやうしたまへり。

然則 ¬阿弥陀経¼ 説、 「一日七日念↢阿弥陀仏名号↡、 必得↢往生↡」 者、 六方恒沙諸仏、 同↢釈迦仏↡不↠虚証↢誠之↡。

しかるに今いま釈しや迦かの説せちに背そむきて、 往わう生じやうを得えじと云いふ。 かるがゆへに知しりぬ真まことの仏ぶちにあらずと。 これ天てん魔まの変化へんぐゑなり。 この義ぎをもてのゆへに、 依より信しんずべからず。 仏ぶち・菩ぼ薩さちの説せち、 なほもて信しんずべからず、 いかにいはむや余よの説せちおや。

然今背↢釈迦説↡、 云↠不↠得↢往生↡。 故知非↢真仏↡。 是天魔変化。 以↢是義↡故、 不↠可↢依信↡。 仏・菩薩説、 尚以不↠可↠信、 何況余説哉。

汝等なんだちが執しふするところ、 大小だいせう異ことなりといゑども同おなじく仏果ぶちくわを期ごす。 穢土ゑどの修しゆ行ぎやうは聖しやう道だうの意こゝろなり。 我われ等らが修しゆするところの正しやう雑ざふ同おなじからず、 ともに極楽ごくらくを忻ねがふ。 往わう生じやうの行きやう業ごふ、 浄じやう土ど門もんの意こゝろなり。 聖しやう道だうはこれ汝なんぢが有う縁えんの行ぎやうなり、 浄じやう土ど門もん者我が有う縁えんの行ぎやうなり。 これをもてかれを難なんずべからず、 かれをもてこれを難なんずべからず。

汝等所↠執、 雖↢大小異↡同期↢仏果↡。 穢土修行聖道意なり。 我等所↠修正雑不↠同、 共忻↢極楽↡。 往生行業、 浄土門意。 聖道者是汝有縁行なり、 浄土門者我有縁行なり。 不↠可↢以↠此難↟彼、 不↠可↢以↠彼難↟此。

かくのごとく信しんずる、 これを人にんに就ついて信しんを立たつと名なづく。

如↠是信ずる、 是名↢就↠人立↟信。

次つぎに行ぎやうに就ついて信しんを立たつといふは、 往わう生じやう極楽ごくらくの行ぎやう、 区まちまちなりといゑども二に種しゆを出いでず。 一ひとつには正行しやうぎやう、 二ふたつには雑ざふ行ぎやうなり。 正行しやうぎやうは阿わ弥陀みだ仏ぶちにおいての親しん行ぎやうなり、 雑ざふ行ぎやうは阿わ弥陀みだ仏ぶちにおいての疎そ行ぎやうなり。

次就↠行立↠信者、 往生極楽の行、 雖↠区不↠出↢二種↡。 一者正行、 二者雑行なり。 正行者於↢阿弥陀仏↡之親行也、 雑行者於↢阿弥陀仏↡之疎行也。

まづ正行しやうぎやうといふは、 これについて五いつゝあり。 一ひとつに謂いはく読誦どくじゆ、 謂いはく 「三さむ部ぶ経きやう」 を読よむなり。 二ふたつには謂いはく極楽ごくらく依え正しやうを観くわんずるなり。 三みつには礼拝らいはい、 謂いはく弥陀みだ仏ぶちを礼らいしたてまつるなり。 四よつには称名しようみやう、 謂いはく弥陀みだの名みやう号がうを称しようするなり。 五いつゝには讃嘆さんだん供く養やう、 謂いはく阿わ弥陀みだ仏ぶちを讃嘆さんだんし供く養やうしたてまつるなり。

先正行者、 付↠之有↠五。 一謂読誦、 謂読↢ 「三部経」↡ 也。 二謂観↢極楽依正↡也。 三礼拝、 謂礼↢弥陀仏↡也。 四称名、 謂称↢弥陀名号↡也。 五讃嘆供養、 謂讃↢嘆供↣養阿弥陀仏↡也。

この五いつゝをもて合がふして二ふたつとなす。

以↢此五↡合為↠二。

一ひとつには一心ゐちしむに専念せんねむ弥陀みだの名みやう号がうを専念せんねむして、 行ぎやう住じゆ座ざ臥ぐわ時じ節せち久く近ごんを問とはず念念ねむねむに捨すてざるは、 これを正定しやうぢやうの業ごふと名なづく、 かの仏ぶち願ぐわんに順じゆんずるがゆへに。

一者一心専↢念弥陀名号↡、 行住座臥不↠問↢時節久近↡念念不↠捨者、 是名↢正定之業↡、 順↢彼仏願↡故。

二ふたつには先さきの五いつゝの中なかに、 称名しようみやうを除のぞきて已い外ぐゑの礼拝らいはい・読誦どくじゆ等とうは、 みな助業じよごふと名なづく。

二者先五中、 除↢称名↡已外礼拝・読誦等、 皆名↢助業↡。

次つぎに雑ざふ行ぎやうといふは、 先さきの五ご種しゆの正しやう助じよ二に行ぎやうを除のぞきて已い外ぐゑのもろもろの読誦どくじゆ大だい乗じよう・発ほち菩ぼ提だい心しむ・持ぢ戒かい・勧くわん進じんの行ぎやう等とうの一切ゐちさい行ぎやうなり。

次雑行者、 除↢先五種正助二行↡已外諸読誦大乗発菩提心持戒勧進行等一切行也。

この正しやう雑ざふ二に行ぎやうについて、 五ご種しゆの得失とくしちあり。

付↢此正雑二行↡、 有↢五種得失↡。

一ひとつには親しん疎そ対たい、 謂いはく正行しやうぎやうは阿わ弥陀みだ仏ぶちに親しんなり、 雑ざふ行ぎやうは阿わ弥陀みだ仏ぶちに疎そなり。

一親疎対、 謂正行親↢シタシキ阿弥陀仏↡、 雑行疎↢ウトキ阿弥陀仏↡。

二ふたつには近遠ごんおん対たい、 謂いはく正行しやうぎやうは阿わ弥陀みだ仏ぶちに近ごんなり、 雑ざふ行ぎやうは阿わ弥陀みだ仏ぶちに遠おんなり。

二近遠対、 謂正行近↢チカシ阿弥陀仏↡、 雑行遠↢トオシ阿弥陀仏↡。

三みつには有う間けん无む間けん対たい、 謂いはく正行しやうぎやうは係け念ねむ間ひまなし、 雑ざふ行ぎやうは係け念ねむ間断けんだんす。

三有間无間対、 謂正行係念无↠間、 雑行係念間断。

四よつには廻ゑ向かう不ふ廻ゑ向かう対たい、 謂いはく正行しやうぎやうは廻ゑ向かうを用もちゐざるにおのづから往わう生じやうの業ごふとなる、 雑ざふ行ぎやうは廻ゑ向かうせざる時ときは往わう生じやうの業ごふとならず。

四廻向不廻向対、 謂正行不↠用↢廻向↡自為↢往生業、 雑行不↢廻向↡時不↠為↢往生業↡。

五いつゝには純じゆん雑ざふ対たい、 謂いはく正行しやうぎやうは純じゆんに往わう生じやう極楽ごくらくの業ごふなり、 雑ざふ行ぎやうはしからず、 十方じふぱう浄じやう土ど乃ない至し人天にんでんの業ごふに通つずるなり。

五純雑対、 謂正行純往生極楽業也、 雑行不↠爾、 通↢十方浄土乃至人天業↡也。

かくのごとく信しんずるは、 行ぎやうに就ついて信しんを立たつと名なづく、 これを深心じむしむと名なづく。

如↠此信者、 名↢就↠行立↟信、 是名↢深心↡。

三みつに廻ゑ向かう発ほち願ぐわん心しむといふは、 過くわ去こ及および今こむ生じやうの身しん口意くい業ごふに修しゆするところの一切ゐちさい善根ぜんごん、 真実しんじち心しむをもて極楽ごくらくに廻ゑ向かうして、 往わう生じやうを忻ごん求ぐするなり。

三廻向発願心者、 過去及今生身口意業所↠修一切善根、 以↢真実心↡廻↢向極楽↡、 忻↢求往生↡也。

一六

又また云いはく、 善導ぜんだうと与と↢恵ゑ心しむ↡相さう違ゐする義ぎの事こと。 善導ぜんだうは色相しきさう等とうの観くわん法ぼふおば観仏かむぶち三昧ざむまいと云いへり、 称名しようみやう念仏ねむぶちおば念仏ねむぶち三昧ざむまいと云いへり。 恵ゑ心しむは称名しようみやう・観くわん法ぼふ合がふして念仏ねむぶち三昧ざむまいと云いへり。

一七

又また云いはく、 余よ宗しゆの人ひと、 浄じやう土ど門もんにその志こゝろざしあらむには、 先まづ ¬往わう生じやう要集えうしゆ¼ をもてこれをおしふべし。 そのゆへは、 この書しよはものにこゝろえて、 難なんなきやうにその面おもてをみえて、 初心しよしむの人ひとのためによき也なり。 雖いゑども↠然しかりと真実しんじちの底そこの本ほん意いは、 称名しようみやう念仏ねむぶちをもて専修せんじゆ専念せんねむの勧くわん進じんしたまへり。 善導ぜんだうと一同ゐちどう也なり。

一八

又また云いはく、 余よ宗しゆの人ひと、 浄じやう土ど宗しゆにそのこゝろざしあらむものは、 かならず本宗ほんしゆの意こゝろを棄すつべき也なり。 そのゆへは、 聖しやう道だう・浄じやう土どの宗しゆ義ぎ各別かくべちなるゆへ也なりとのたまへり。

(6) 法然聖人臨終行儀

法然ほふねん聖しやう人にん臨終りむじゆの行ぎやう儀ぎ

建けん暦りやく元ぐわん年ねん十一月十七日、 藤とう中ちう納言なうごん光親みつちかの卿きやうの奉うけたまはりにて、 院宣ゐんぜんによりて、 十一月廿日戌いぬの時ときに聖しやう人にん宮みやこへかへり入いりたまひて、 東ひむがし山やま大谷おほたにといふところにすみ侍はべるに、 同おなじき二年正月二日より、 老らう病びやうの上うへにひごろの不ふ食しよく、 おほかたこの二に三年さむねんのほどおいぼれて、 よろづものわすれなどせられけるほどに、 ことしよりは耳みゝもきゝこゝろもあきらかにして、 としごろならひおきたまひけるところの法文ほふもんを、 時時ときどきおもひいだして、 弟子でしどもにむかひて談だん義ぎしたまひけり。 またこの十じふ余よ年ねんは、 耳みゝおぼろにして、 さゝやき事ごとおばきゝたまはず侍はべりけるも、 ことしよりは昔むかしのやうにきゝたまひて、 例れいの人ひとのごとし。 世せ間けんの事ことはわすれたまひけれども、 つねは往わう生じやうの事ことをかたりて念仏ねむぶちをしたまふ。 またあるいは高かう声しやうにとなふること一ゐち時じ、 あるいはまた夜よのほど、 おのづからねぶりたまひけるも、 舌した・口くちはうごきて仏ほとけの御名みなをとなえたまふこと、 小せう声しやう聞きこへ侍はべりけり。 ある時ときは舌した・口くちばかりうごきてその声こゑはきこえぬ事ことも、 つねに侍はべりけり。 されば口くちばかりうごきたまひけることおば、 よの人ひとみなしりて、 念仏ねむぶちを耳みゝにきゝける人ひと、 ことごとくきどくのおもひをなし侍はべりけり。

また同おなじき正月三日戌いぬの時ときばかりに、 聖しやう人にん看かむ病びやうの弟子でしどもにつげてのたまはく、 われはもと天竺てんぢくにありて声しやう聞もん僧そうにまじわりて頭陀づだを行ぎやうぜしみの、 この日本にちぽんにきたりて天臺てんだい宗しゆに入いりて、 またこの念仏ねむぶちの法門ほふもんにあえりとのたまひけり。 その時とき看かむ病びやうの人ひとの中なかにひとりの僧そうありて、 とひたてまつりて申まふすやう、 極楽ごくらくへは往わう生じやうしたまふべしやと申まふしければ、 答こたえてのたまはく、 われはもと極楽ごくらくにありしみなれば、 さこそはあらむずらめとのたまひけり。

又また同おなじき正月十一日辰たつの時ときばかりに、 聖しやう人にんおきゐて合がふ掌しやうして、 高かう声しやう念仏ねむぶちしたまひけるを、 聞人きくひとみななみだをながして、 これは臨終りむじゆの時ときかとあやしみけるに、 聖しやう人にん看かむ病びやうの人ひとにつげてのたまはく、 高かう声しやうに念仏ねむぶちすべしと侍はべりければ、 人々ひとびと同音どうおむに高かう声しやう念仏ねむぶちしけるに、 そのあひだ聖しやう人にんひとり唱となへてのたまはく、 阿わ弥陀みだ仏ぶちを恭く敬ぎやう供く養やうしたてまつり、 名みやう号がうをとなえむもの、 ひとりもむなしき事ことなしとのたまひて、 さまざまに阿わ弥陀みだ仏ぶちの功く徳どくをほめたてまつりたまひけるを、 人々ひとびと高かう声しやうをとゞめてきゝ侍はべりけるに、 なほその中なかに一人ゐちにんたかくとなへければ、 聖しやう人にんいましめてのたまふやう、 しばらく高かう声しやうをとゞむべし、 かやうのことは、 時ときおりにしたがふべきなりとのたまひて、 うるわしくゐて合がふ掌しやうして、 阿わ弥陀みだ仏ぶちのおはしますぞ、 この仏ほとけを供く養やうしたてまつれ、 たゞいまはおぼえず、 供く養やうの文もんやある、 えさせよと、 たびたびのたまひけり。 またある時とき、 弟子でしどもにかたりてのたまはく、 観くわん音おむ・勢せい至し菩ぼ薩さち、 聖しやう衆じゆまへに現げんじたまふおば、 なむだち、 おがみたてまつるやとのたまふに、 弟子でし等らえみたてまつらすと申まふしけり。 またそのゝち臨終りむじゆのれうにて、 三さむ尺じやくの弥陀みだの像ざうをすゑたてまつりて、 弟子でし等ら申まふすやう、 この御おむ仏ほとけをおがみまいらせたまふべしと申まふし侍はべりければ、 聖しやう人にんのたまはく、 この仏ほとけのほかにまた仏ほとけおはしますかとて、 ゆびをもてむなしきところをさしたまひけり。 按内あんないをしらぬ人は、 この事ことをこゝろえず侍はべり。 しかるあひだ、 いさゝか由ゆ緒しよをしるし侍はべるなり。

凡おほよそこの十じふ余よ年ねんより、 念仏ねむぶちの功こうつもりて極楽ごくらくのありさまをみたてまつり、 仏ぶち・菩ぼ薩さちの御おむすがたを、 つねにみまいらせたまひけり。 しかりといゑども、 御おむ意こゝろばかりにしりて、 人ひとにかたりたまはず侍はべるあひだ、 いきたまへるほどは、 よの人ひとゆめゆめしり侍はべらず。 おほかた真身しんしんの仏ほとけをみたてまつりたまひけること、 つねにぞ侍はべりける。 また御おむ弟子でしども、 臨終りむじゆのれうの仏ほとけの御手みてに五ご色しきのいとをかけて、 このよしを申まふし侍はべりければ、 聖しやう人にんこれはおほやうのことのいはれぞ、 かならずしもさるべからずとぞのたまひける。

又また同おなじき廿日巳みの時ときに、 大谷おほたにの房ばうの上うへにあたりて、 あやしき雲くも、 西にし東ひむがしへなおくたなびきて侍はべる中なかに、 ながさ五ご六ろく丈ぢやうばかりして、 その中なかにまろなるかたちありけり。 そのいろ五ご色しきにして、 まことにいろあざやかにして、 光ひかりありけり。 たとへば、 絵ゑ像ざうの仏ほとけの円ゑん光くわうのごとくに侍はべりけり。 みちをすぎゆく人々ひとびと、 あまたところにて、 みあやしみておがみ侍はべりけり。

又また同おなじき日ひ午むまの時ときばかりに、 ある御み弟子でし申まふしていふやう、 この上うへに紫し雲うんたなびけり、 聖しやう人にんの往わう生じやうの時ときちかづかせたまひて侍はべるかと申まふしければ、 聖しやう人にんのたまはく、 あはれなる事ことかなと、 たびたびのたまひて、 これは一切ゐちさい衆しゆ生じやうのためになどしめして、 すなわち誦じゆしてのたまはく、 「光明くわうみやう遍照へんぜう、 十方じふぱう世せ界かい、 念仏ねむぶち衆しゆ生じやう、 摂取せふしゆ不ふ捨しや」 (観経) と、 三返さむべんとなへたまひけり。 またそのひつじの時ときばかりに、 聖しやう人にんことに眼まなこをひらきて、 しばらくそらをみあげて、 すこしもめをまじろがず、 西方さいはうへみおくりたまふこと五ご六ろく度どしたまひけり。 ものをみおくるにぞにたりける。 人ひとみなあやしみて、 たゞ事ごとにはあらず、 これ証しよう相さうの現げんじて、 聖しやう衆じゆのきたりたまふかとあやしみけれども、 よの人ひとはなにともこゝろえず侍はべりけり。 おほよそ聖しやう人にんは、 老らう病びやう日ひかさなりて、 ものをくはずしてひさしうなりたまひけるあひだ、 いろかたちもおとろえて、 よはくなりたまふがゆへに、 めをほそめてひろくみたまはぬに、 たゞいまやゝひさしくあおぎて、 あながちにひらきみたまふことこそ、 あやしきことなりといひてのちほどなく、 かほのいろもにわかに変へんじて死し相さうたちまちに現げんじたまふ時とき、 御おむ弟子でしども、 これは臨終りむじゆかとうたがひて、 おどろきさわぐほどに、 れいのごとくなりたまひぬ。 あやしくも、 けふ紫し雲うんの瑞相ずいさうありつる上うへに、 かたがたかやうの事ことどもあるよと、 御おむ弟子でしたち申まふし侍はべりけり。

又また同おなじき廿三日にも紫し雲うんたなびて侍はべるよし、 ほのかにきこえけるに、 同おなじき廿五日むまの時ときに、 また紫し雲うんおほきにたなびきて、 西にしの山やまの水みづの尾おのみねにみえわたりけるを、 樵せう夫ふどもキコルモノトイフ十じふ余よ人にんばかりみたりけるが、 その中なかに一人ゐちにんまいりて、 このよしくわしく申まふしければ、 かのまさしき臨終りむじゆの午むまの時ときにぞあたりける。 またうづまさにまいりて下げ向かうしけるあまも、 この紫し雲うんおばおがみて、 いそぎまいりてつげ申まふし侍はべりける。 すべて聖しやう人にん念仏ねむぶちのつとめおこたらずおはしける上うへに、 正月廿三日より廿五日にいたるまで三さむ箇が日にちのあひだ、 ことにつねよりもつよく高かう声しやうの念仏ねむぶちを申まふしたまひける事こと、 或あるいは一ゐち時じ、 或あるいは半はん時じばかりなどしたまひけるあひだ、 人ひとみなおどろきさわぎ侍はべる。 かやうにて、 二に三さむ度どになりけり。

またおなじき廿四日の酉とりの時ときより、 廿五日の巳みの時ときまで、 聖しやう人にん高かう声しやうの念仏ねむぶちをひまなく申まふしたまひければ、 弟子でしども番番ばんばんにかわりて、 一いち時じに五ご六人ろくにんばかりこゑをたすけ申まふしけり。 すでに午むまの時ときにいたりて、 念仏ねむぶちしたまひけるこゑ、 すこしひきくなりにけり。 さりながら、 時時ときどきまた高かう声しやうの念仏ねむぶちまじわりてきこえ待はべりけり。 これをきゝて、 房ばうのにわのまへにあつまりきたりける結縁けちえんのともがら、 かずをしらず。 聖しやう人にんひごろつたへもちたまひたりける慈じ覚かく大だい師しの九く条でうの御おむ袈裟けさをかけて、 まくらをきたにし、 おもてを西にしにして、 ふしながら仏号ぶちがうをとなへて、 ねぶるがごとくして、 正月廿五日午むまの時ときのなからばかりに往わう生じやうしたまひけり。 そのゝち、 よろづの人々ひとびときおいあつまりて、 おがみ申まふすことかぎりなし。

(7) 聖人御事諸人夢記

一 聖しやう人にんの御事おむこと、 あまた人々ひとびと夢ゆめにみたてまつりける事こと。

中ちう宮ぐの大進だいしん兼高かねたかと申まふす人ひと、 ゆめにみたてまつるやう、 或人あるひともてのほかにおほきなるさうしをみるを、 いかなるふみぞとたちよりてみれば、 よろづの人ひとの臨終りむじゆをしるせる文ふみなり。 聖しやう人にんの事ことやあるとみるに、 おくに入いりて、 「光明くわうみやう遍照へんぜう、 十方じふぱう世せ界かい、 念仏ねむぶち衆しゆ生じやう、 摂取せふしゆ不ふ捨しや」 (観経) とかきて、 この聖しやう人にんは、 この文もんを誦じゆして往わう生じやうすべきなりとしるせりとみて、 ゆめさめぬ。 この事こと、 聖しやう人にんも御おむ弟子でしどももしらずしてすぐすところに、 この聖しやう人にんさまざまの不ふ思議しぎを現げんじたまふとき、 やまひにしづみて、 よろづ前ぜん後ごもしらずといゑども、 聖しやう人にんこの文もんを三遍さむべん誦じゆしたまひけり。 かの人ひとのむかしのゆめにおもひあわするに、 これ不ふ思議しぎといふべし。 かの人ひとふみをもちて、 かのゆめの事ことをつげ申まふしたりけるを、 御おむ弟子でしども、 のちにひらきみ侍はべりけり。 件くだんの文ふみ、 ことながきゆへに、 これにはかきいれず。

一 四し条でう京きやう極ごくにすみ侍はべりける薄はく師し、 字あざな太た郎らうまさいゑと申まふすもの、 ことしの正月十五日の夜よ、 ゆめにみるやう、 東ひむがし山やま大谷おほたにの聖しやう人にんの御房おむばうの御み堂だうの上うへより、 むらさき雲ぐもたちのぼりて侍はべり。 ある人ひとのいふやう、 あのくもおがみたまへ、 これは往わう生じやうの人ひとのくもなりといふに、 よろづの人々ひとびとあつまりておがむとおもひて、 ゆめさめぬ。 あくる日ひ、 そらはれて、 みのときばかりにかの堂だうの上うへにあたりて、 そらの中なかに五ご色しきのくもあり。 よろづの人々ひとびと、 ところどころにしてこれをみけり。

一 三条さむでう小こ川がわに、 陪従べいじゆ信賢のぶかたが後家ごけの尼あまのもとに、 おさなき女によ子しあり。 まことに信心しんじむありて、 念仏ねむぶちをまふし侍はべりけり。 同おなじき廿四日の夜よ、 ことにこゝろをすまして高かう声しやうに念仏ねむぶちしけるに、 乗願じようぐわん房ばうと申まふすひじり、 あからさまにたちやどりてこれをきゝけり。 夜よあけてかの小女せうによ、 この乗願じようぐわん房ばうにかたりていはく、 法然ほふねん聖しやう人にんは、 けう廿五日にかならず往わう生じやうしたまふべきなりと申まふしければ、 この人ひと申まふさく、 なに事ごとにてかやうにはしりたまへるぞとたづぬるに、 この小女せうによ申まふすやう、 こよひのゆめに、 聖しやう人にんの御おむもとにまいりて侍はべりつれは、 聖しやう人にんのおほせられつるやう、 われはあす往わう生じやうすべきなり、 もしこよひなむぢきたらざらましかば、 われをばみざらまし、 よくきたれりとのたまひつるなりと申まふしけり。 しかるにわがみにとりては、 いさゝかいたみおもふ事こと侍はべり。 そのゆへは、 われいかにしてか往わう生じやうし侍はべるべきと、 とひたてまつりしかば、 聖しやう人にんおしへたまふ事ことありき。 わがみにとりてたえがたく、 かないがたき事ことどもありき。 そのゆへは、 まづ出しゆつ家けして、 ながく世せ間けんの事ことをすてゝ、 しづかなるところにて、 一向ゐちかうに後世ごせのつとめをいたすべきよしなりと侍はべりき。 しかるにけふのむまの時ときに聖しやう人にん往わう生じやうしたまふべき事こと、 このゆめにすでにかなへりと申まふし侍はべりけり。

一 白河しらかわに准じゆん后ごうの宮みやの御ご辺へんに侍はべりける三み河かわと申まふす女房によばうのゆめにみるやう、 同おなじき廿四日の夜よ、 聖しやう人にんの御みもとにまいりておがみければ、 四し壁へきに錦にしきの帳ちやうをひけり。 色いろさまざまにあざやかにして、 ひかりある上うへにけぶりたちみてり。 よくよくこれをみれば、 けぶりにはあらず。 紫し雲うんといふなるものはこれをいふか、 いまだみざるものをみつるかなどおもひて、 不ふ思議しぎのおもひをなすところに、 聖しやう人にん往わう生じやうしたまへるかとおぼえて、 ゆめさめぬ。 夜よあけてあしたに、 僧そう順じゆん西せいといふものにこの事ことどもをかたりてのち、 けふのむまの時ときに聖しやう人にん往わう生じやうしたまひぬときゝけり。

一 かまくらのものにて、 来らい阿わ弥陀みだ仏ぶちと申まふすあまの、 信心しんじむことにふかくて、 仁にん和わ寺じにすみける。 同おなじき廿四日の夜よ、 ゆめにみるやう、 よにたうときひじりきたれり。 そのかたち、 ゑざうの善導ぜんだうの御おむすがたににたりけり。 それを善導ぜんだうかとおもふほどに、 つげてのたまふやう、 法然ほふねん聖しやう人にんはあす往わう生じやうしたまふべし、 はやくゆきておがみたてまつれとのたまふとみて、 ゆめさめぬ。 かのあま、 やがておきゐで、 あか月つきくゐものなどいとなみて、 わりごといふものもたせて、 いそぎいそぎいでたちて、 聖しやう人にんの御おむもとへまいるところに、 下げ人にんどもおのおの申まふすやう、 けうはさしたる大だい事じ侍はべり、 これをうちすてゝいづかたへありきたもふぞ。 はやくけうはとまりたまふべしといひけれども、 かゝるゆめをみつれば、 かの聖しやう人にんの往わう生じやうをおがみにまいらむとて、 よろづをふりすてゝいそぐなり。 さらにとゞまるべからずといひて、 仁にん和わ寺じよりほのぼのにいでゝ、 東ひむがし山やま大谷おほたにの房ばうにまいりてみたてまつれば、 げにもその日ひのむまの時ときに往わう生じやうしたまへり。 このゆめは、 聖しやう人にんいまだ往わう生じやうのさきにきゝおよべる人々ひとびと、 あまた侍はべりけり。 さらにうたがひなきことなり。 返かへすがへすこの事ことふしぎの事ことなり。 おほよそ廿五日に、 聖しやう人にんの往わう生じやうをおがみたてまつらむとてまいりあつまりたる人ひと、 さかりなる市いちのごとく侍はべりけり。 その中なかにある人ひとのいふやう、 廿三日の夜よのゆめにみるやう、 聖しやう人にんきたりて、 われは廿五日のむまの時ときに往わう生じやうすべきなりとのたまふとおもひて、 ゆめさめぬ。 このことのまことをあきらめむとて、 まいりたるよし申まふしけり。 これならず、 あるいはきのふの夜よ、 このつげありといふものもあり。 あつまりたる人々ひとびとの中なかに、 かやうのことどもいふ人ひとおほく待はべり。 くわしくしるし申まふし侍はべらず。

一 東ひむがし山やまの一切ゐちさい経きやうの谷たにに、 大進だいしんと申まふす僧そうの弟子でしに、 歳とし十六じふろくなる児ちごの 袈け裟さ といふゆめに、 同おなじき廿五日の夜よみるやう、 西にし東ひむがしへすぐにとおりたるおほぢあり、 いさごをちらして、 むしろをみちの中なかにしけり。 左右さうにものみる人ひととおぼしくて、 おほくあつまれり。 ゆゝしきことのあらむずるぞとおぼえて、 それもともにみ侍はべらむとて、 みちのかたわらにたちよりて侍はべるほどに、 天童てんどう二に人にんたまのはたをさして西にしへゆきたまへり。 そのうしろにまた法服ほふぶくきたる僧そうども千万せんまん人にんあつまりゆきて、 左ひだりの手てに香かう呂ろをもち、 右みぎのてにはけさのはしをとりて、 おなじく西にしへゆくを、 ゆめの中なかにとふやう、 これはいかなる人ひとのおはしますぞといふに、 ある人ひとこたへていふやう、 これは往わう生じやうの聖しやう人にんのおはしますなりといふを、 またとふやう、 聖しやう人にんとはたれ人びとぞととへば、 これはおほたにの聖しやう人にんなりとみて、 ゆめさめぬ。 この児ちごそのあか月つき、 師しの僧そうにかたり侍はべりけり。 この児ちご、 聖しやう人にんの事ことおもしらず、 また往わう生じやうのよしおもきゝおよばざりけるに、 そらにこのつげありけり。

一 建けん暦りやく二年二月十三日の夜よ、 故こ惟方これかたの別当べちたう入道にふだうの孫まご、 ゆめにみるやう、 聖しやう人にんを葬送さうそうしたてまつるをおがみければ、 聖しやう人にん清水きよみづのたうの中なかにいれたてまつるとみて、 のちまた二日ふつかばかりすぎて、 ゆめにみるやう、 となりの房ばうの人ひときたりていふやう、 聖しやう人にんの葬送さうそうにまいりあはぬことのゐこむに候さふらへども、 おなじことなり、 はかどころへまいりたまへと申まふすに、 よろこびてかのはかどころへあひ共ぐしてまいりぬとおもふほどに、 八幡はちまんの宮みやとおぼしき社やしろの、 みとあくるところをみれば、 御ご聖しやう体たいおはします。 その時ときはかどころへまいるに、 八や幡はたの御ご聖しやう体たいとはなにおか申まふすべきといふに、 かのとなりの人ひといふやう、 この聖しやう人にんの御房おむばうこそは御ご聖しやう体たいよといふあひだ、 身みの毛けいよだちて、 あせたりて、 ゆめさめぬ。

一 同おなじき正月廿五日辰たつの時ときに、 念ねん阿わ弥陀みだ仏ぶちと申まふすあまの、 ゆめうつゝともなくてみるやう、 はるかにうしとらのかたをみやれば、 聖しやう人にんすみぞめのころもをきて、 そらにゐたまへり。 そのかたはらにすこしさがりてしらさうぞくして、 唐人たうじんのごとくなる人ひとゐたり。 おほたににあたりて、 聖しやう人にんと俗人ぞくにんと、 南みなみにむかひてゐたまへるほどに、 俗ぞくのいふやう、 この聖しやう人にんは通事つじにておはすといふとおもふほどに、 ゆめさめぬ。

一 同おなじき廿三日卯うの時ときに、 念ねん阿わ弥陀みだ仏ぶち、 またゆめに、 そらはれて西にしのかたをみれば、 しろき光ひかりあり。 あふぎのごとくして、 すゑひろくもとせばくして、 やうやくおほきになりて虚空こくにみてり。 光ひかりの中なかに、 わらだばかりなる紫し雲うんあり。 光ひかりある雲くもとおなじく東ひむがし山やまの大谷おほたにのかたにあたりて、 参さむじたる人々ひとびとあまたこれをおがみけり。 いかなる光ひかりぞといふに、 ある人ひとのいふやう、 法然ほふねん聖しやう人にんの往わう生じやうしたまふよと申まふすによりて、 おがみたてまつれば、 人々ひとびとの中なかに、 よにかうばしきかなといふ人ひともありとおもふて、 これを信仰しんかうしておがむとおもへば、 ゆめさめぬ。

一 聖しやう人にん往わう生じやうしたまへる大谷おほたにの坊ばうの東ひむがしの岸きしの上うへに、 たいらかなるところあり。 その地ちを、 建けん暦りやく二年十二月のころ、 かの地ぢ主ぬし、 聖しやう人にんにまいらせたりければ、 その地ちを墓む所しよとさだめて葬送さうそうしたてまつり侍はべりけり。 その地ちのきたに、 また人ひとの坊ばうあり。 それにやどりゐたるあまの、 先年せんねんのころゆめにみるやう、 かのはかどころの地ちを、 天童てんどうありて行ぎやう道だうしたまふとみ侍はべりけり。 また同おなじき房主ばうしゆ、 去年きよねんコゾトイフ十一月十五日の夜よのゆめにみるやう、 この南みなみの地ちのはかどころに、 青しやう蓮華れんぐゑおいて開かい敷ふせり。 そのはなかぜにふかれて、 すこしづゝこの房ばうへちりかゝるとみて、 ゆめさめぬ。 またおなじ房ばうに女おむなの侍はべりけるも、 去年きよねんの十二月のころみるやう、 南みなみの地ちにいろいろさまざまの蓮華れんぐゑさきひらけてありとみおはりてのち、 ことしの正月十日、 かの地ちを墓む所しよとさだめて、 穴あなをほりまうくるとき、 この房ばう主ずはじめておどろきていふやう、 ひごろのゆめどもの三み度たびまでありしが、 たゞいまおもひあはするに、 あひたるよといひて、 ふしぎかりけり。

一 建けん暦りやく元ぐわん年ねんのころ、 聖しやう人にんつのくにの勝かち尾おといふところにおはしける時とき、 祇陀ぎだ林りむ寺じの一ゐち和わ尚じやうにて侍はべりける西さい成じやう坊ばうといふ僧そうの、 ゆめにみるやう、 祇陀ぎだ林りむ寺じの東ひむがしの山やまにあたりて金色こむじきの光ひかりをさしたりけるを、 あまた人ひとこれをみて、 あやしみとひたづねければ、 そばなる人ひとのいふやう、 これこそ法然ほふねん聖しやう人にんの往わう生じやうしたまふよといふとおもふほどに、 ゆめさめぬ。 そのゝち聖しやう人にん、 勝かち尾おより大谷おほたににうつりゐたまふて往わう生じやうしたまひぬときゝて、 この僧そう、 人々ひとびとにかゝりしゆめをこそみたりしかと申まふしけり。

一 華山くわざんの院ゐんの前さきの右う大臣だいじんの家いゑの侍さぶらひに、 江内かうないといふものゝしたしき女房によばう、 三日みつかがあひだ、 うちつゞき三さむ度どまでゆめにみるやう、 まづ正月廿三日の夜よのゆめに、 西山にしやまより東ひむがし山やまにいたるまで、 五ご色しきの雲くもの一ゐち町ちやうばかりになおくたなびきて侍はべりけり。 大谷おほたにの聖しやう人にんの御房おむばうにまいりておがみたてまつりければ、 すみぞめのころも・けさをきたまへるが、 袈裟けさのおほはむすびたれて、 如法によほふ経きやうのけさのおのやうにて、 請しやう用ようかとおぼえて、 聖しやう人にんいでたちたまふとみて、 ゆめさめぬ。 また同おなじき廿四日の夜よみるやう、 昨日きのふの夜よ、 五ご色しきの雲くもすこしもちらずして、 おほいかだのやうにおほまわりにまわりて、 東ひむがしがしらなるくも、 西にしがしらになりて、 なほくたなびけり。 聖しやう人にんもさきのごとくしておはしますとみて、 ゆめさめぬ。 又また同おなじき廿五日にみるやう、 件くだんの雲くも、 西にしへおもむきて、 聖しやう人にん七条しちでうの袈裟けさをかけて、 臨終りむじゆの作さ法ほふのやうにてかのくもにのりて、 とぶがごとくして西にしへゆきたまひぬとみて、 ゆめさめぬ。 むねさわぎておどろきたるに、 わがくちも、 ころもゝ、 あたりまでも、 よにかうばしく侍はべりける。 よのつねの香かにもにず、 よにめでたくぞ侍はべりける 。

一 ある人ひと、 二月二日の夜よのゆめにみるやう、 聖しやう人にん往わう生じやうしたまひてのち、 七日にあたりける夜よのゆめに、 ある僧そうきたりていふやう、 聖しやう人にんの御房おむばうは、 往わう生じやうの伝でん記きに入いらせたまひたるおば、 しるやいなやととひ侍はべりければ、 この人ひといふやう、 たれ人びとのいかなる伝でんに入いりたまへるにかと申まふし侍はべりければ、 ゆびをもちて、 まへなるふみをさして、 このふみに入いらせたまふなりとみて、 ゆめさめぬ。 そのゆびにてさしつる文ふみをみれは、 善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうの疏しよ¼ なりけり。 これは長ちやう楽らく寺じの律りち師し 隆りう寛くわん、 一ゐち昼ちう夜やの念仏ねむぶち申まふしける時ときのゆめなり。

一 先年せんねんのころ、 直ぢき聖しやう房ばうといふ人ひと、 熊くま野のへまいり侍はべりけるに、 聖しやう人にんいさゝかの事ことによりて、 さぬきへくだりたまふときゝて下げ向かうせむとするほどに、 ことにふれて、 はゞかりのみありて、 やまひがちに侍はべりければ、 この事こと権現ごんげんにいのり申まふし侍はべりけるに、 直ぢき聖しやう房ばうがゆめにみるやう、 なむぢいづべからず、 臨終りむじゆのときすでにちかしと侍はべりければ、 かの僧そう申まふすやう、 聖しやう人にんの事ことのきわめておぼつかなく候さふらふなり。 はやく下げ向かうし候さふらひて、 子し細さいをうけたまはり候さふらふばやとおもひたまふと申まふしければ、 権現ごんげんのしめしたまふやう、 かの聖しやう人にんは勢せい至し菩ぼ薩さちの化現くゑげんなり、 なむぢ不ふ審しむすべからずと。 みおわりてのち、 いくほどをへずしてかの僧そう往わう生じやうし侍はべりける事こと、 めをおどろかさずといふ事ことなし。 このありさま、 よの人々ひとびとみなしれり。

一 天王てんわう寺じの松殿まつどのゝ法印ほふいん御坊おむばう 静じやう尊そん、 高たか雄お寺でらにこもりゐて、 ひごろ法然ほふねん聖しやう人にんといふ人ひとありとばかりしりて、 いまだ対面たいめんにおよばず。 しかるに正月廿五日午むまの時ときばかりに、 ある貴所くゐしよより ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ をあつらえて、 かゝせらるゝ事ことありて、 出いだし文ふん机づくえにて書写しよしやのあひだに、 しばらく脇息けふそくによりかゝりて休く息そくするほどに、 ゆめにみるやう、 世せ間けんもてのほかに、 諸人しよにんのゝしるおとのするにおどろきて、 えむのはしにたちいでゝそらをみあげたれば、 普通ふつののりぐるまのわほどなる八はち輻輪ふくりんの八方はちぱうのさきごとに雑色ざふしきの幡はたをかけたるが、 東ひむがしより西にしへとびゆくに、 金色こむじきの光ひかりありて四し方はうをてらすに、 すべて余よのものみえずして、 金色こむじきの光ひかりのみ天てん地ちにみちみちて、 日にち光くわう弊覆へいふくせられたり。 これをあやしみて、 人ひとにこれをとふとおぼしきに、 かたわらの人ひとつげていはく、 法然ほふねん聖しやう人にん往わう生じやうの相さうなりといふ。 帰くゐ命みやう渇仰かちがうのおもひをなすほどに、 ゆめさめぬ。 そのゝち、 しらかわの御おむめのとのもとより、 同おなじき廿七日に御おむふみをおくらるゝついでに、 おととひ廿五日のむまの時ときにこそ、 法然ほふねん聖しやう人にん往わう生じやうせられて候さふらへと申まふされたる時とき、 夢む想さうすでに府ふ合がふして、 いよいよ随ずい喜きのおもひをなしおはりぬと云いへり。

一 丹たむ後ごの国くにしらふの庄しやうに、 別所べちしよの一ゐち和わ尚じやう僧そうありけり。 昔むかし天臺てんだい山さんの学がく徒と、 遁世とむせい之の後のち、 聖しやう人にんに帰くゐしたてまつりて弟子でしになりけるほどに、 丹たむ後ごよりのぼりて、 京きやうに五ご条でうの坊門ばうもん、 富とみの小こう路ぢなる所ところに住じゆしけり。 或ある日ひひるねしたるゆめに、 空そらに紫し雲うんそびきたる中なかに、 尼にアマ一人ゐちにんありて、 うちゑみて云いはく、 法然ほふねん聖しやう人にんの御おむおしえによりて極楽ごくらくに往わう生じやうし候さふらひぬるを、 仁にん和わ寺じに候さふらひつると告つげける。 そのゝち夢ゆめさめて、 聖しやう人にんの九く条でうにおはしましけるに、 やがてまいりて、 妄想まうざうにてや候さふらひつらむ、 かゝるゆめをみて候さふらふと申まふしければ、 聖しやう人にんうちあむじて、 さる人ひともあるらむとて、 人ひとを仁にん和わ寺じへつかはさむとしけるが、 日ひもくれければ、 次つぎの朝あしたにかの所ところへつかはして、 便びん宜ぎになに事ごとか候さふらふとたづぬべきよし、 使つかひにおほせられけるに、 件くだんの尼に公こうは昨日きのふの午むまの時ときに往わう生じやうせられ候さふらひぬと申まふしたりけるを、 聖しやう人にんまふされていはく、 かの尼に公こうは ¬法華ほふくゑ経きやう¼ 千せん部ぶ自じ読どくせむと願ぐわんをおこして候さふらふが、 七しち百ひやく部ぶばかりはよみて候さふらふが、 のこりをいかにしてはたしとぐべしともおぼへ候さふらはぬと申まふし候さふらひしを、 としよりたる御おむ身みに、 めでたくよませたまひて候さふらへども、 のこりおば一向ゐちかう念仏ねむぶちにならせたまへかしとて、 名みやう号がうの功く徳どくをときゝかせられけるより、 ¬経きやう¼ おばおきて一向ゐちかう専せん称しようして、 とし月つきをへて往わう生じやう極楽ごくらくの素そ懐くわいをとげけるにやとぞ、 おほせありけると。

康元かうげん二年丁巳正月二日

愚禿親鸞 八十五歳 校了

 

西方指南抄中末

(8) 七箇条起請文

一 あまねく予わが門人もんにん念仏ねむぶち上しやう人にん等とうに告つげたまはく。

一 普告↠于↢豫門人念仏上人等↡。

いまだ一ゐち句くの文もんを窺うかゞはず真言しんごん・止し観くわんを破はし、 余よ仏ぶち・菩ぼ薩さちを謗はうじ奉たてまつることを停ちやう止じすべき事こと。

可↱停↫止未↠窺↢一句文↡奉↪破↢真言・止観↡、 謗↩余仏・菩薩↨事。

右みぎ道だうを立りふ破はするに 至いたては、 学がく生しやうの経ふるところなり、 愚ぐ人にんの境きやう界がいにあらず。 しかのみならず、 誹ひ謗はう正しやう法ぼふ弥陀みだ願ぐわんに免除めんぢよせられたり。 その報ほうまさに那な落らくに堕だすべし。 あに痴ち闇あむの至いたりにあらずや。

右至↣立↢破道↡者、 学生之所↠経也、 非↢愚人之境界↡。 加之、 誹謗正法免↢除弥陀願↡。 其報当↠堕↢那落↡。 豈非↢痴闇之至↡哉。

一 无智むちの身みをもて有智うちの人ひとに対むかひ、 別べち行ぎやうの輩ともがらに遇あふてこのみて諍じやう論ろんを致いたすことを停ちやう止じすべき事こと。

一 可↫停↪止以↢无智身↡対↢有智人↡、 遇↢別行輩↡好致↩諍論↨事。

右みぎ論ろん義ぎは、 これ智ち者しやの有うなり、 さらに愚ぐ人にんの分ぶんにあらず。 また諍じやう論ろんの処とおろはもろもろの煩悩ぼむなう起おこる。 智ち者しやこれを遠おん離りすること百ひやく由ゆ句じゆんなり。 いはむや一向ゐちかう念仏ねむぶちの行ぎやう人にんにおいてをや。

右論義者、 是智者之有也、 更非↢愚人之分↡。 又諍論之処諸煩悩起。 智者遠↢離之↡百由句也。 況於↢一向念仏之行人↡乎。

一 別べち解げ・別べち行ぎやう人にんに対むかふて、 愚痴ぐち偏執へんじふの心こゝろをもてまさに本業ほんごふを棄置きちし、 しゐてこれを嫌けむ喧くわんすべしと傋いふことを停ちやう止じすべき事こと。

一 可↧停↦止対↢別解・別行人↡、 以↢愚痴偏執心↡傋↞当↧棄↢置本業↡、 強嫌↦キラヒ喧キラ之フ ↥事。

右みぎ修道しゆだうの習ならひ、 おのおの勤つとむるにあえて余よ行ぎやうを遮しやせず。 ¬西方さいはう要えう決くゑち¼ (意) に云いはく、 「別べち解げ・別べち行ぎやうはすべて敬きやう心しむを起おこせ。 もし慢まんを生しやうぜば、 罪つみを得えむこと窮きわまりなしと。」 云云 なんぞこの制せいを背そむかむや。

右修道之習、 各勤敢不↠遮↢余行↡。 ¬西方要決¼ 云、 「別解・別行者総起↢敬心↡。 若生↢軽慢↡、 得↠罪无↠窮。」 云云 何背↢此制↡哉。

一 念仏ねむぶち門もんにおいて、 戒かい行ぎやうなしと号がうしてもはら淫酒いむしゆ食しよく肉にくを勧すゝめ、 たまたま律りち儀ぎを守まもる者ものを雑ざふ行ぎやうと名なづく、 弥陀みだの本ほん願ぐわんを憑たのむ者もの、 説といて造悪ざうあくを恐おそるゝことなかれといふことを停ちやう止じすべき事こと。

一 可↧停↦止於↢念仏門↡、 号↠无↢戒行↡専勧↢淫酒食肉↡、 適守↢律儀↡者名↢雑行↡、 憑↢弥陀本願↡者、 説勿↞恐↢造悪↡事。

右みぎ戒かいはこれ仏法ぶちぽふの大だい地ぢなり、 衆しゆ行ぎやうまちまちなりといゑども同おなじくこれをもはらにす。 これをもて善導ぜんだう和くわ尚しやう、 目めを挙あげて女人によにんを見みず。 この行状ぎやうじやうの趣おもむき、 本律ほんりちの制せい浄じやう業ごふの類たぐひに過すぎたり。 これに順しゆんぜずは、 すべて如来によらいの遺教ゆいけうを失わすれたり、 別べちしては祖師そしの旧跡きうせきに背そむく。 かたがた拠よるところなき者ものか。

右戒是仏法大地也、 衆行雖↠区同専↠之。 是以善導和尚、 挙↠目不↠見↢女人↡。 此行状之趣、 過↢本律制浄業之類↡。 不↠順↠之者、 総失↢如来之遺教↡、 別背↢祖師之旧跡↡。 旁无↠拠者歟。

一 いまだ是非ぜひを辨わきまへず痴ち人にん、 聖しやう教げうを離はなれ師し説せちにあらず、 おそらくは私わたくしの義ぎを述じゆちしみだりに諍じやう論ろんを企くわだて、 智ち者しやに笑わらはる愚ぐ人にんを迷乱めいらんすることを停ちやう止じすべき事こと。

一 可↫停↪止未↠辨↢是非↡痴人、 離↢聖教↡非↢師説↡、 恐述↢私義↡妄企↢諍論↡、 被↠笑↢智者↡迷↩乱愚人↨事。

右みぎ无智むちの大天だいてん、 この朝てうに再誕さいたむしてみだりがわしく邪じや義ぎを述じゆちす。 すでに九く十じふ五ご種しゆの異い道だうに同どうじ、 もともこれを悲かなしむべし。

右无智大天、 此朝再誕猥述↢邪義↡。 既同↢九十五種異道↡、 尤可↠悲↠之。

一 痴ち鈍どんの身みをもてことに唱しやう導だうを好このみ、 正しやう法ぼふを知しらずして種種しゆじゆの邪法じやほふを説ときて、 无智むちの道俗だうぞくを教化けうくゑすることを停ちやう止じすべき事こと。

一 可↫停↪止以↢痴鈍身↡殊好↢唱導↡、 不↠知↢正法↡説↢種種邪法↡、 教↩化无智道俗↨事。

右みぎ解さとりなくして師しと作なるは、 これ ¬梵網ぼむまう¼ の制戒せいかいなり。 黒闇こくあむの類たぐひ己おのれが才さいを顕あらわさむと欲おもふて、 浄じやう土どの教けうをもて芸能げいのうとして、 名みやう利りを貪とむじ檀越だんおちを望のぞむ。 おそらくは自由じゆの妄説まうせちを成なして、 世せ間けんの人ひとを狂惑わうわくせむ。 誑法わうぼふの過とがことに重おもし。 この輩ともがらは国賊こくぞくにあらずや。

右無↠解作↠師、 是 ¬梵網¼ 之制戒也。 黒闇之類欲↠顕↢己才↡、 以↢浄土教↡為↢芸能↡、 貪↢名利↡望↢檀越↡。 恐成↢自由之妄説↡、 狂↢惑世間人↡。 誑法之過殊重。 是輩非↢国賊↡乎。クニノヌスビトヽイフ

一 みづから仏教ぶちけうにあらざる邪法じやほふを説ときて正しやう法ぼふとし、 偽いつわりて師し範はんの説せちと号がうすることを停ちやう止じすべき事こと。

一 可↫停↪止自説↧非↢仏教↡邪法↥為↢正法↡、 偽号↩師範説↨事。

右みぎおのおの一人ゐちにんなりといゑども、 積つめるところわが一身いちしんの為ためなりと説とく。 衆悪しゆあくをして弥陀みだの教文けうもんを汚けがす、 師し匠しやうの悪あく名みやうを揚あぐ、 不ふ善ぜんの甚はなはだしきことこれに過すぎたることなき者ものなり。

右各雖↢一人↡、 説↣所↠積為↢豫一身↡。 衆悪汚↢弥陀教文↡、 揚↢師匠之悪名k、 不善之甚无↠過↠之者也。

以い前ぜん七しち箇か条でう甄録けんろくかくのごとし。 一分ゐちぶん教文けうもんを学まなばむ弟子でし等らは、 すこぶる旨し趣しゆを知しりて年来ねんらいの間あひだ念仏ねむぶちを修しゆすといゑども、 聖しやう教げうに随ずい順じゆんしてあえて人心にんしむに逆たがはず、 世よの聴きこへを驚おどろかすことなかれ。 これによて今いまに三十さむじふ箇か年ねん无為ぶゐなり。 日にち月ぐゑちを渉わたりて近ちかき王わうに至いたるまでこの十じふ箇か年ねんより以後いご、 无智むち不ふ善ぜんの輩ともがら時時ときどき到来たうらいす。 たゞ弥陀みだの浄じやう業ごふを失しちするのみにあらず、 また釈しや迦かの遺法ゆいほふを汚穢わゑす。 なんぞ烱きやう誡かいを加くわへざらむや。 この七しち箇か条でうの内うち、 不ふ当たうの間あひだ巨こ細さいの事等じら多おほし。 つぶさに註ちゆ述じゆちしがたし。 すべてかくのごときらの無む方はう、 慎つゝしんで犯おかすべからず。 この上うへなほ制法せいほふを背そむく輩ともがらは、 これ予よが門人もんにんにあらず、 魔まの眷くゑん属ぞくなり。 さらに草庵さうあむに来きたるべからず。 自じ今こむ以後いご、 おのおの聞きゝ及およばむに随したがふて、 かならずこれを触ふれらるべし。 余よ人にんあひ伴ともなふことなかれ。 もししからずは、 これ同どう意いの人ひとなり。 かの過とが作なすごときの者ものは、 同法どうほふを瞋いかり師し匠しやうを恨うらむることあたはず、 自じ業ごふ自じ得とくの理ことわり、 ただ己おのれが身みに在ありならくのみ。 このゆへに今日こむにち四し方はうの行ぎやう人にんを催もよおして、 一室ゐちしちに集あつめて告がう命みやうすらく、 わずかに風ふ聞ぶんありといゑどもたしかにたれの人ひとの失とがと知しらず、 沙汰さたによて愁歎しうたんす。 年序ねんじよを遂おくる、 黙止もだすべきにあらず。 まづ力ちからの及およぶに随したがうて、 禁遏きむあちの計はかりごとを廻めぐらすなり。 よてその趣おもむきを録ろくして門葉もんえふ等らに示しめす状じやう、 件くだんのごとし。

以前七箇条甄録如↠斯。 一分学↢教文↡弟子等者、 頗知↢旨趣↡年来之間雖↠修↢念仏↡、 随↢順聖教↡敢不↠逆↢人心↡、 无↠驚↢世聴↡。 因↠茲于↠今三十箇年无為。 渉↢日月↡而至↢近王↡此十箇年以後、 无智不善輩時時到来。 非↣啻失↢弥陀浄業↡、 又汚↢穢釈迦遺法↡。 何不↠加↢烱誡↡乎。 此七箇条之内、 不当之間巨細事等多。 具難↢註述↡。 総如↠此等之無方、 慎不↠可↠犯。 此上猶背↢制法↡輩者、 是非↢豫門人↡、 魔眷属也。 更不↠可↠来↢草庵↡。 自今以後、 各随↢聞及↡、 必可↠被↠触↠之。 余人勿↢相伴↡。 若不↠然者、 是同意人也。 彼過如↠作者、 不↠能↧瞋↢同法↡恨↦師匠↥、 自業自得之理、 只在↢己身↡而已。 是故今日催↢四方行人↡、 集↢一室↡告命、 僅雖↠有↢風聞↡慥不↠知↢誰人失↡、 拠↠于↢沙汰↡愁歎。 遂↢年序↡、 非↠可↢黙止↡。 先随↢力及↡、 所↠廻↢禁遏之計↡也。 仍録↢其趣↡示↢門葉等↡之状、 如↠件。

 元ぐゑん久きう元ぐわん年ねん十一月七日 沙門しやもん源ぐゑん空く

信しん空く 感かむ聖しやう 尊西そんさい 証しよう空く 源ぐゑん智ち 行ぎやう西さい 聖しやう蓮れん 見仏けんぶち 道だう亘くわん 導西だうさい 寂じやく西せい 宗慶そうけい 西縁さいえん 親蓮しんれん 幸西かうせい 住蓮じゆれん 西さい意い 仏心ぶちしむ 源ぐゑん蓮れん 蓮生れんせい 善信ぜんしん 行ぎやう空く 已上 已い上じやう二に百ひやく余よ人にん、 連署れんしよ了おわりぬ。

(9) 起請没後二箇条事

起き請しやう 没もち後ご二に箇か条でうの事こと。

一 葬さう家け追善ついぜんの事こと。

右みぎ葬さう家けの次し第だい、 すこぶるその採さい旨しあり。 篭居ろうきよの志こゝろざしあらむ遺弟ゆいてい・同法どうほふ等ら、 またく一所ゐちしよに群ぐん会えすべからざるものなり。 そのゆへいかんとならば、 また和わ合がふするに似にたりといゑども、 集あつまればすなわち闘とう諍じやうを起おこす。 この言ことば誠まことなるかな、 はなはだ謹つゝしみ謹つゝしむべし。 もししからばわが同法どうほふ等ら、 わが没もち後ごにおいて各住かくじゆ各かく居こして会あはざるにはしかじ。 闘とう諍じやうの基もとゐなるゆへは、 集しふ会えのゆへなり。 羨ねがはくはわが弟子でし・同法どうほふ等ら、 おのおの閑しづかに本在ほんざいの草庵さうあむに住じゆし、 ねむごろにわが新しん生しやうの蓮台れんだいを祈いのるべし。 ゆめゆめ一所ゐちしよに群居ぐんきよすとも、 諍じやう論ろんを致いたし忿怨ふんゑんを起おこすことなかれ。 恩おん志しを知しることあらむ人ひとは、 毫末がうまちも違ゐすべからざるものなり。

右葬家之次第、 頗有↢其採旨↡。 有↢篭居之志↡遺弟・同法等、 全不↠可↣群↢会一所↡者也。 其故何者、 雖↣復似↢和合↡、 集則起↢闘諍↡。 此言誠哉、 甚可↢謹慎↡。 若然者我同法等、 於↢我没後↡各住各居不↠如↠不↠会。 闘諍之基由、 集会之故也。 羨我弟子・同法等、 各閑住↢本在之草庵↡、 苦可↠祈↢我新生之蓮台↡。 努々群↢居一所↡、 莫↧致↢諍論↡起↦忿怨↥。 有↠知↢恩志↡之人、 毫末不↠可↠違者也。

兼かねてはまた追善ついぜんの次し第だい、 また深ふかく存ぞんする旨むねあり。 図づ仏ぶち・写しや経きやう等とうの善ぜん、 浴室よくしち・檀だん施せ等とうの行ぎやう、 一向ゐちかうにこれを修しゆすべからず。 もし追善ついぜん報恩ほうおんの志こゝろざしあらむ人ひとは、 たゞ一向ゐちかうに念仏ねむぶちの行ぎやうを修しゆすべし。 平生へいぜいの時とき、 すでに自じ行ぎやう化くゑ他たについて、 たゞ念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうに局かぎる。 歿没ざんもちの後のち、 あに報恩ほうおん追修ついしゆの為ために、 むしろ自余じよの衆善しゆぜんを雑まじえむや。 たゞ念仏ねむぶちの行ぎやうにおいてなほ用心ようじむあるべし。 あるいは眼まなこ閉とぢての後のち、 一ゐち昼ちう夜や即そく時じよりこれを始はじめよ。 誠じやう至し心しんを標へうしておのおの念仏ねむぶちすべし。 中陰ちういむの間あひだ、 念仏ねむぶちを断たゝざれ。 やゝもすれば懈け惓くゑんを生しやうじて、 おのおの還かへりて勇ゆ進しんの行ぎやうを闕かゝむ。 おほよそ没もち後ごの次し第だい、 みな真実しんじち心しむをもて虚仮こけの行ぎやうを棄すつべし。 志こゝろざしあらむ倫ともがら、 遺言ゆいごんを乖そむくことなかれならくのみ。

兼又追善之次第、 亦深有↢存旨↡。 図仏・写経等善、 浴室・檀施等行、 一向不↠可↠修↠之。 若有↢追善報恩之志↡人は、 唯一向可↠修↢念仏之行↡。 平生之時、 既付↢自行化他↡、 唯局↢念仏之一行↡。 歿没之後、 豈為↢報恩追修↡、 寧雑↢自余之衆善↡哉。 但於↢念仏行↡尚可↠有↢用心↡。 或眼閉之後、 一昼夜自↢即時↡始↠之。 標↢誠至心↡各可↢念仏↡。 中陰之間、 不↠断↢念仏↡。 動生↢懈惓↡、 各還闕↢勇進之行↡。 凡没後之次第、 皆用↢真実心↡可↠棄↢虚仮行↡。 有↠志之倫、 勿↠乖↢遺言↡而已。

(10) 源空聖人私日記

源ぐゑん空く聖しやう人にん私し日にち記き

それおもひみれば、 俗ぞく姓しやうは美作みまさかの国くにの廳官ちやうくわん漆うるし間まの時国ときくにの息そく。 同おなじ国くにの久米くめの南条なむでう稲岡いなおかの庄しやうは誕たむ生じやうの地ちなり。 長承ちやうしよう二年 癸みづのとの丑うし 聖しやう人にんはじめて胎内たいない出いでたまふし時とき、 両ふたつの幡はた天てんよりして降くだる。 奇異きいの瑞相ずいさうなり。 権化ごんくゑの再誕さいたむなり。 見みる者もの掌たなごゝろを合あはせ、 聞きく者もの耳みゝを驚おどろかすと 云云。

夫以、 俗姓者美作国廳官漆間時国之息。 同国の久米南条稲岡庄誕生之地也。 長承二年 癸丑 聖人始出↢胎内↡之時、 両幡自↠天而降。 奇異之瑞相也。 権化之再誕也。 見者合↠掌、 聞者驚↠耳 云云。

保延ほうえん七年 辛かのとの酉とり 春はるの比ころ、 慈父じふ夜よ打うちの為ために殺害せちがいせられ畢おはりぬ。 聖しやう人にん生しやう年ねん九く歳さいにして、 破は矯けう小箭こやを凶くゐよう敵てきの目めの間あひだを射いる。 件くだんの疵きずをもてその敵かたきを知しる、 すなわちその庄しやうの預あづかり所しよ明石あかしの源ぐゑん内ない武む者しやなり。 これによて逃にげ隠かくれ畢おはりぬ。 その時とき聖しやう人にん、 同おなじき国くにの内うちの菩ぼ提だい寺じの院主ゐんじゆ観くわん覚がく得業とくごふの弟子でしと成なりたまふ。

保延七年 辛酉 春比、 慈父為↢夜打↡被↢殺害↡畢。 聖人生年九歳、 以↢破矯小箭↡射↢凶敵之目間↡。 以↢件疵↡知↢其敵↡、 即其庄預所明石源内武者也。 因↠茲逃隠畢。 其時聖人、 同国内菩提寺院主観覚得業之弟子成給。

天養てんやう二年 乙きのとの丑うし 初はじめて登山とうざんの時とき、 得業とくごふ観くわん覚がく状じやう云いはく、 大だい聖しやう文殊もんじゆの像ざう一体ゐちたいを進しん上じやうすと。 源ぐゑん覚がく西塔さいたうの北谷きただに持じ法ほふ房ばうの禅ぜん下か、 得業とくごふの消息せうそく見みたまふて奇あやしみたまふに小せう児に来きたれり、 聖しやう人にん十三じふさむの歳としなり。 しかふして後のち十七じふしち歳さいにて天台てんだいの六十ろくじふ巻くわんこれを読よみ始はじむ。

天養二年 乙丑 初登山之時、 得業観覚状云、 進↢上大聖文殊像一体↡。 源覚西塔北谷持法房禅下、 得業の消息見給奇給小児来、 聖人十三歳也。 然後十七歳天臺六十巻読↢始之↡。

久安きうあん六年 庚かのえ午むま 十八じふはち歳さいにはじめて師し匠しやう暇いとまを乞こち請しやうして遁世とむせいせむとす。 法華ほふくゑ修しゆ行ぎやうの時ときは普ふ賢げん菩ぼ薩さち眼前がんぜんに拝はいしたてまつる、 ¬華厳くゑごむ¼ 披ひ覧らんの時とき蛇じや出いで来きたる。 信しん空く上しやう人にんこれを見みて怖おそれ驚おどろきたまふ。 その夜よの夢ゆめにみらく、 われはこの聖しやう人にん夜よる経きやう論ろん見みたまふに、 灯とう明みやうなしといゑども室しちの内うちに光ひかりあて昼ひるのごとし。 信しん空く 法蓮ほふれん房ばうなり、 聖しやう人にんの同法どうほふ 同おなじくその光ひかりを見みる。 真言しんごん教けうを修しゆせむとして道だう場ぢやうに入いりて五ご相さう成じやう身しんの観くわんを観くわんず、 行ぎやうこれを顕あらはす。 上じやう西門せいもん院ゐんにして説戒せちかい七しち箇か日にちの間あひだ、 小蛇せうじや来きたりて聴ちやう聞もんす。 第だい七日しちにちに当あたりて唐垣からがきの上うへにしてその蛇じや死しゝ畢おはりぬ。 時ときに人人ひとびとあて見みるやう、 その頭かしら破われて中なかよりあるいは天人てんにんと登のぼるを見みる、 あるいは蝶てう出いづと見みる。 説戒せちかい聴ちやう聞もんのゆへに、 蛇道じやだうの報ほうを離はなれて直じきに天てん上じやうに生しやうずるか。

久安六年 庚午 十八歳始師匠乞↢請暇↡遁世。 法華修行之時普賢菩薩眼前奉↠拝、 ¬華厳¼ 披覧之時蛇出来。 信空上人見↠之怖驚給。 其夜夢、 我者此聖人夜経論見、 雖↠無↢灯明↡室内有↠光如↠昼。 信空 法蓮房也、 聖人之同法 同見↢其光↡。 修↢真言教↡入↢道場↡観↢五相成身之観↡、 行顕↠之。 於↢上西門院↡説戒七箇日之間、 小蛇来聴聞。 当↢第七日↡於↢唐垣上↡其蛇死畢。 于↠時有↢人人↡見様、 其頭破中或見↢天人登↡、 或見↢蝶出↡。 説戒聴聞之故、 離↢蛇道之報↡直生↢天上↡歟。

高倉たかくらの天皇てんわうの御ぎよ宇うに戒かいを得えたまひき。 その戒かいの相さう承じよう、 南岳なむがく大だい師しより伝つたふるところ今いまに絶たえず、 世せ間けん流布るふの戒かいこれなり。 聖しやう人にん所学しよがくの宗宗しゆしゆの師し匠しやう四し人にん、 還かへて弟子でしに成なり畢おはりぬ。 誠まことに大だい巻くわんの書しよなりといゑども三反さむべんこれを披ひ見けんする時とき、 文もんにおいては明明めいめいにして暗くらからず、 義ぎまた分ぶん明みやうなり。 しかりといゑども廿にじふ余よの功こうをもて、 一宗いちしゆの大綱たいかうを知しることあたはず。 しかふして後のち諸宗しよしゆの教けう相さうを窺うかゞふ、 顕密けんみちの奥あう旨しを悟さとる。 八宗はちしゆの外ほかに仏心ぶちしむ・達だる磨ま等とうの宗しゆの玄ぐゑん旨しに明あきらかなり。 こゝに醍だい醐ご寺じの三論さむろん宗しゆの先達せんだち、 聖しやう人にんその所ところに往ゆいて意い趣しゆを述じゆちす。 先達せんだち総そうじて言ものいはずして座ざを起たち、 内うちに入いりて文函ふんばこ十じふ余よ合がふを取とり出いだして云いはく、 わが法門ほふもんにおいては余よの念おもひなく、 永ながくなんぢに付ふ属ぞくせしむと 云云。 この上うへ称しよう美び讃嘆さんだんするに羅縷らるするに遑いとまあらず。 また蔵ざう俊しゆん僧そう都づに値あふて法相ほふさうの法門ほふもんを談だんぜし時とき、 蔵ざう俊しゆん云いはく、 なんぢまさに直人たゞびとにあらず、 権者ごんじやの化現くゑげんなり。 智慧ちゑ深遠じむおんなること形ぎやう相さう炳焉へいえんなり。 われ一ゐち期ごの間あひだ供く養やうを致いたすべき旨むね契約けいやくせりき。 よて毎年まいねんに供く養やう物もちを贈おくる、 懇こん志しを致いたす。 すでに本ほん意いを遂とげ了おはぬ。 宗しゆの長ちやう者じや、 教けうの先達せんだち、 随ずい喜き信伏しんぷくせざるはなし。

高倉天皇御宇得↠戒。 其戒之相承、 自↢南岳大師↡所↠伝于↠今不↠絶、 世間流布之戒是也。 聖人所学之宗宗師匠四人、 還成↢弟子↡畢。 誠雖↢大巻書↡三反披↢見之↡時、 於↠文者明明不↠暗、 義又分明也。 雖↠然以↢廿余之功↡、 不↠能↠知↢一宗之大綱↡。 然後窺↢諸宗之教相↡、 悟↢顕密之奥旨↡。 八宗之外明↢仏心・達磨等宗之玄旨↡。 爰醍醐寺三論宗之先達、 聖人往↠于↢其所↡述↢意趣↡。 先達総不↠言起↠座、 入↠内取↢出文函十余合↡云、 於↢我法門↡者無↢余念↡、 永令↣付↢属于↟汝 云云。 此上称美讃嘆不↠遑↢羅縷↡。 又値↢蔵俊僧都↡而談↢法相法門↡之時、 蔵俊云く、 汝方非↢直人↡、 権者之化現也。 智慧深遠形相炳焉也。 我一期之間可↠致↢供養↡之旨契約。 仍毎年贈↢供養物↡、 致↢懇志↡。 已遂↢本意↡了。 宗之長者、 教之先達、 無↠不↢随喜信伏↡。

すべて本朝ほんてうに渡わたるところの聖しやう教げう乃ない至し伝でん記き・目録もくろく、 みな一見ゐちけんを加くわへられ了おはぬ。 しかりといゑども出しゆつ離りの道みちに煩わづらいて身心しんしむ安やすからず。 そもそもはじめ曇鸞どむらん・道だう綽しやく・善導ぜんだう・懐ゑ感かむの御ご作さくより楞りよう厳ごむの先徳せんどくの ¬往わう生じやう要集えうしゆ¼ に至いたるまで、 奥あう旨しを窺うかゞふこと二に反へんすといゑども、 拝見はいけんせし時ときは往わう生じやうなほ易やすからず。 第だい三反さむべんの時とき、 乱想らんさうの凡ぼむ夫ぶ称名しようみやうの一ゐち行ぎやうにしかず、 これすなわち濁ぢよく世せの我われ等らが依怙えこなり。 末代まちだい衆しゆ生じやうの出しゆつ離り開かい悟ごせしめ訖おはぬ。 いはむや自じ身しんの得脱とくだちにおいてをや。 しかればすなわち世よの為ため人ひとの為ためこの行ぎやうを弘通ぐづせしめむと欲おもふといゑども、 時機じき量はかりがたし、 感応かむおう知しりがたし。 つらつらこの事ことを思おもひ、 しばらく伏ふして寝いぬる処ところに夢む想さうを示しめす。 紫し雲うん広ひろくおほきに聳たなびきて日本にちぽん国こくに覆おほへり。 雲くもの中なかより无む量りやうの光ひかりを出いだす、 光ひかりの中なかより百ひやく宝ぽう色しきの鳥とり飛とび散さんじて、 虚空こくに充満じゆまんせり。 時ときに高山かうざんに登のぼりてたちまちに生しやう身じんの善導ぜんだうを拝おがめば、 御腰おむこしより下しもは金色こむじきなり、 御腰おむこしより上かみは常つねのごとし。 高僧かうそうの云いはく、 なんぢ不ふ肖せうの身みなりといゑども、 念仏ねむぶち興こう行ぎやう一天ゐちてんに満みてり。 称名しようみやう専修せんじゆ衆しゆ生じやうに及およぼさむがゆへに、 われここに来きたれり。 善導ぜんだうすなわちわれなりと 云云。 これによてこの法ほふを弘ひろむ。 年年ねんねん次し第だいに繁はん昌じやうせむ、 流布るふせざる所ところなけむと。

総本朝所↠渡之聖教乃至伝記・目録、 皆被↠加↢一見↡了。 雖↠然煩↢出離之道↡身心不↠安。 抑始自↢曇鸞・道綽・善導・懐感御作↡至↠于↢楞厳先徳 ¬往生要集¼↡、 雖↧窺↢奥旨↡二反↥、 拝見之時者往生猶不↠易。 第三反之時、 乱想之凡夫不↠如↢称名之一行↡、 是則濁世我等依怙。 末代衆生之出離令↢開悟↡訖。 況於↢自身得脱↡乎。 然則為↠世為↠人雖↠欲↠令↣弘↢通此行↡、 時機難↠量、 感応難↠知。 倩思↢此事↡、 暫伏寝之処示↢夢想↡。 紫雲広大聳覆↢日本国↡。 自↢雲中↡出↢无量光↡、 自↢光中↡百宝色鳥飛散、 充↢満虚空↡。 于↠時登↢高山↡忽拝↢生身之善導↡、 自↢御腰↡下者金色也、 自↢御腰↡上者如↠常。 高僧云、 汝雖↠為↢不肖之身↡、 念仏興行満↠于↢一天↡。 称名専修及↠于↢衆生↡之故、 我来↠于↠此。 善導即我也 云云。 因↠茲弘↢此法↡。 年年次第繁昌、 無↧不↢流布↡之所↥。

聖しやう人にん云いはく、 わが師し肥後ひごの阿わ闍じや梨りの云いはく、 人ひと智慧ちゑ深遠じむおんなり。 しかるにつらつら自じ身しんの分際ぶんざいを計はかるに、 この度たび生しやう死じを出しゆつ離りすべからずと。 もし度度たびたび生しやうを替かへ生しやうを隔へだつ、 すなわち妄妄まうまうたるがゆへに定さだめて仏法ぶちぽふを妄まうぜるか。 長命ぢやうみやうの報ほうを受うけむにしかずは、 慈じ尊そんの出しゆつ世せに値まうあひたてまつらむと欲おもふ。 これに依よてわれまさに大蛇だいじやの身しんを受うけむと。 たゞし大海だいかいに住じゆせば、 中夭ちうえうあるべし。 かくのごとく思おもひ定さだめて、 遠江とおたうみの国くに笠原かさはらの庄しやうの内うちに桜さくら池いけといふ所ところを、 領りやう家けの放はなち文ぶみを取とて、 この池いけに住じゆせむと誓せい願ぐわんし了おはぬ。 その後のち死期しごの時ときに至いたて、 水みづを乞こふて掌たなごゝろの中うちに入いれて死しし了おはぬ。 しかるにかの池いけ、 風かぜ吹ふかざるに浪なみにわかに立たて、 池いけの中なかの塵ちりことごとく払はらひ上あぐ。 諸人しよにんこれを見みて、 すなわちこの由よしを注しるして領りやう家けに触ふれ申まふす。 その日にち時じを期ごす、 かの阿わ闍じや梨り逝去せいきよの日にに当あたれり。 このゆへに智慧ちゑあるがゆへに生しやう死じを出いでがたきことを知しる、 道心だうしむあるがゆへに仏ぶちの出しゆつ世せに値まうあはむと願ぐわんずるところなり。 しかりといゑどもいまだ浄じやう土ど法門ほふもんを知しらざるがゆへに、 かくのごとき悪あく願ぐわんを発おこす。 われその時とき、 もしこの法ほふ尋たづね得えたらば、 信しん不ふ信しんを顧かへりみずこの法門ほふもん申まふさまし。 しかるに聖しやう道だうの法ほふにおいては、 道心だうしむあらば遠おん生しやうの縁えんを期ごし、 道心だうしむなくはしかしながら名みやう利りに住じゆせむ。 自じ力りきをもてたやすく生しやう死じを厭いとふべき者ものは、 これ帰くゐ依えの証しようを得えざるなり 云云。

聖人云、 我師肥後阿闍梨云、 人智慧深遠也。 然倩計↢自身分際↡、 此度不↠可↣出↢離生死↡。 若度度替↠生隔↠生、 即妄妄故定妄↢仏法↡歟。 不↠如↠受↢長命之報↡、 欲↠奉↠値↢慈尊之出世↡。 依↠之我将↠受↢大蛇身↡。 但住↢大海↡者、 可↠有↢中夭↡。 如↠此思定、 遠江国笠原庄内桜池云所、 取↢領家之放文↡、 住↢此池↡誓願了。 其後至↠于↢死期時↡、 乞↠水入↢掌中↡死了。 而彼池、 風不↠吹浪俄立、 池中塵悉払上。 諸人見↠之、 即注↢此由↡触↢申領家↡。 期↢其日時↡、 彼阿闍梨当↢逝去日↡。 所以有↢智慧↡故知↠難↠出↢生死↡、 有↢道心↡之故値↢仏之出世↡所↠願也。 雖↠然未↠知↢浄土法門之↡故、 如↠此発↢悪願↡。 我其時、 若此法尋得、 不↠顧↢信不信↡此法門申。 而於↢聖道法↡者、 有↢道心↡者期↢遠生之縁↡、 無↢道心↡者併住↢名利↡。 以↢自力↡輒可↠厭↢生死↡之者、 是不↠得↢帰依之証↡也 云云。

また聖しやう人にん年来ねんらい経きやう論ろんを開ひらく時とき、 釈しや迦か如来によらい、 罪悪ざいあく生しやう死じの凡ぼむ夫ぶ弥陀みだ称名しようみやうの行ぎやうに依よて極楽ごくらくに往わう生じやうべしと弘ひろくこれを説ときたまふ。 教文けうもんを勘かむがへ得えて、 今いま念仏ねむぶち三昧ざむまいを修しゆし浄じやう土ど宗しゆを立たつ。 その時とき南なむ都と・北嶺ほくれいの碩学せきがく達たち、 ともに誹ひ謗はう嘲哢てうろうすること極きわまりなし。 しかる間あひだ文ぶん治ぢ二年の比ころ、 天台てんだい座ざ主しゆ中ちう納言なうごんの法印ほふいん顕真けんしん、 娑しや婆ばを厭いとひ極楽ごくらくを忻ねがふて、 大原おほはら山やまに篭居ろうきよして念仏ねむぶち門もんに入いれり。 その時ときの弟子でし相模さがみの公きみと申まふすが云いはく、 法然ほふねん聖しやう人にん浄じやう土どの宗しゆ義ぎを立りふす、 尋たづね聞きこしめすべしと。 顕真けんしん云いはく、 もともしかるべしと 云云。 たゞわれ一人ゐちにんのみ聴ちやう聞もんすべからず、 処処しよしよの智ち者しや請しやうじ集あつめ定さだめ了おはりてかの大原おおはらの龍禅りうぜん寺じに集しふ会ゑして以後いご、 法然ほふねん聖しやう人にんこれを請しやうず。 左右さうなく来臨らいりむし了おはぬ。 顕真けんしん喜き悦えち極きわまりなし。 集しふ会ゑの人々ひとびと、

又聖人年来開↢経論↡之時、 釈迦如来、 罪悪生死凡夫依↢弥陀称名之行↡可↣往↢生極楽↡弘説↢給之↡。 勘↢得教文↡、 今修↢念仏三昧↡立↢浄土宗↡。 其時南都・北嶺碩学達、 共誹謗嘲哢無↠極。 然間文治二年之比、 天臺座主中納言法印顕真、 厭↢娑婆↡忻↢極楽↡、 篭↢居大原山↡入↢念仏門↡。 其時弟子相模公申云、 法然聖人立↢浄土宗義↡、 可↢尋聞食↡。 顕真云、 尤可↠然 云云。 但我一人不↠可↢聴聞↡、 処処智者請集定了而彼大原龍禅寺集会以後、 法然聖人請↠之。 無↢左右↡来臨了。 顕真喜悦無↠極。 集会之人々、

光明くわうみやう山せんの僧そう都づ明みやう徧へん東大とうだい寺じ三輪さんろん宗しゆの長ちやう者じやなり
笠かさ置ぎ寺でらの解げ脱だち上しやう人にん侍じ従じゆの已い講かう貞じやう慶けい、 法相ほふさう宗しゆの人ひと也なり
大原おほはら山やまの本ほん成じやう坊ばう此この人人ひとびと問者もんじや也なり
東大とうだい寺じの勧くわん進じん上しやう人にん修しゆ乗じよう坊ばう重源ちようぐゑん
嵯峨さがの往わう生じやう院ゐん念仏ねむぶち坊ばう天臺てんだい宗しゆの人ひと也なり
大原おほはらの来迎らいかう院ゐん明定みやうぢやう坊ばう蓮慶れんけい天臺てんだい宗しゆの人ひと
菩ぼ提だい山せん長なが尾おの蓮れん光くわう坊ばう東大とうだい寺じの人ひと
法印ほふいん大だい僧そう都づ智ち海かい天臺てんだい山さん東塔とうだう西谷にしだに林泉しむせん坊ばう
法印ほふいん権大ごんだい僧そう都づ証しよう真しん天臺てんだい山さん東塔とうだう東ひむがし谷だに宝ほう地ち坊ばう
 聴ちやう衆しゆ凡おほよそ三さむ百びやく余よ人にん也なり。

その時とき聖しやう人にん浄じやう土どの宗しゆ義、 念仏ねむぶちの功く徳どく、 弥陀みだ本ほん願ぐわんの旨むね、 明明めいめいにこれを説ときたまふ。 その時とき云いはく、 口くちに定さだめらる本ほん成じやう坊ばう、 黙然もくねんとして信伏しんぷくし了おはぬ。 集しふ会ゑの人人ひとびとことごとく歓くわん喜ぎの涙なみだを流ながす、 ひとへに帰伏くゐぶくす。 その時ときよりかの聖しやう人にん念仏ねむぶち宗しゆ興こう盛じやうなり。 法蔵ほふざう比丘びくの昔むかしより弥陀みだ如来によらいの今いまに至いたるまで、 本ほん願ぐわんの趣おもむき、 往わう生じやうの子し細さい昧くらからず。 説ときたまふ時とき、 三さむ百びやく余よ人にん、 一人ゐちにんとして聖しやう道だう・浄じやう土どの教文けうもんを疑うたがふことなし。 玄ぐゑん旨しこれを説ときたまふし時とき、 人人ひとびとはじめて虚空こくに向むかうて言ごん語ごを出いだす人ひとなし。 集しふ会ゑの人人ひとびと云いはく、 形かたちを見みれば源ぐゑん空く聖しやう人にん、 実じちは弥陀みだ如来によらいの応おう跡しやくかを定さだめ了おはぬ。 よて集しふ会ゑの験しるしとて、 件くだんの寺てらにして三さむ昼ちう夜やの不ふ断だん念仏ねむぶち勤ごむ行ぎよう了おはぬ。 結けち願ぐわんの朝あした、 顕真けんしん ¬法華ほふくゑ経きやう¼ の文もん字じの員数ゐんじゆについて、 一人ゐちにん別べちに阿わ弥陀みだ仏ぶちの名なを付つけよと、 かの大仏だいぶちの上しやう人にんを教訓けうくんす。 その時ときより南无なも阿わ弥陀みだ仏ぶちの名な付つきたまへり了おはぬ。

其時聖人浄土宗義、 念仏功徳、 弥陀本願之旨、 明明説↠之。 其時云、 口被↠定本成坊、 黙然而信伏了。 集会人人悉流↢歓喜之涙↡、 偏帰伏。 自↢其時↡彼聖人念仏宗興盛也。 自↢法蔵比丘之昔↡至↢弥陀如来之今↡、 本願之趣、 往生之子細不↠昧。 説給之時、 三百余人、 一人無↠疑↢聖道・浄土教文↡。 玄旨説↠之時、 人人始向↢虚空↡無↧出↢言語↡之人↥。 集会人人云、 ↠見形者源空聖人、 実者弥陀如来応跡歟定了。 仍集会之験、 於↢件寺↡三昼夜不断念仏勤行了。 結願之朝、 顕真付↢ ¬法華経¼ 之文字員数↡、 一人別阿弥陀仏名付、 彼教↢訓大仏上人↡。 自↢其時↡南无阿弥陀仏之名付給了。

高倉たかくらの院ゐんの御ぎよ宇うに安あん元ぐゑん元ぐわん年ねん 乙きのとの未ひつじ 聖しやう人にんの齢よわい四し十じふ三さむよりはじめて浄じやう土ど門もんに入いりて閑しづかに浄じやう土どを観くわんじたまふに、 初しよ夜やに宝樹ほうじゆ現げんず、 次つぎの夜よ瑠璃るりの地ぢを示しめす、 後夜ごやは宮く殿でんこれを拝はいす。 阿わ弥陀みだの三尊さむぞん常つねに来らい至ししたまふなり。 また霊りやう山ぜん寺じにして三さむ七日しちにち不ふ断だん念仏ねむぶちの間あひだ、 灯とう明みやうなきに光明くわうみやうあり。 第だい五夜ごやに勢せい至し菩ぼ薩さち行ぎやう道だうし同烈どうれちして立たちたまふ。 ある人ひと夢ゆめのごとくにこれを拝はいしたてまつる。 聖しやう人にんの曰のたまはく、 さる事ことは侍はべるらむや。 余よ人にんさらに拝見はいけんにあたはず。

高倉院御宇安元元年 乙未 聖人齢自↢四十三↡始入↢浄土門↡閑観↢浄土↡給、 初夜宝樹現、 次夜示↢瑠璃地↡、 後夜者宮殿拝↠之。 阿弥陀三尊常来至也。 又霊山寺三七日不断念仏之間、 無↢灯明↡有↢光明↡。 第五夜勢至菩薩行道同烈立給。 或人如↠夢奉↠拝↠之。 聖人曰、 猿事侍覧。 余人更不↠能↢拝見↡。

月輪つきのわの禅ぜん定ぢやう殿でん下か 兼実けむじちカネザネ 御ご法ほふ名みやう円照えんせう、 帰くゐ依え甚深じむじむなり。 ある日ひ聖しやう人にん月輪つきのわ殿どのに参さむ上じやうしたまふ。 退たい出しゆつの時とき、 地ぢより上かみ高たかく蓮華れんぐゑを踏ふみて歩あゆみたまふ。 頭づ光くわう赫奕かくやく、 凡おほよそは勢せい至し菩ぼ薩さちの化身くゑしんなりと。

月輪禅定殿下 兼実 御法名円照、 帰依甚深也。 或日聖人参↢上月輪殿↡。 退出之時、 自↠地上高踏↢蓮華↡而歩。 頭光赫奕、 凡者勢至菩薩化身也。

かくのごときの善因ぜんいんしからしむるに業果ごふくわこれ新あらたなる処ところに、 南北なむぼくの碩徳せきとく、 顕密けんみちの法灯ほふとう、 あるいはわが宗しゆを謗はうずと号がうし、 あるいは聖しやう道だうを嫉そねむと称しようす。 事ことを左右さうに寄よせて、 咎とがを縦横じゆわうに求もとむ。 ややもすれば天聴てんていを驚おどろかし門もん徒とに諷ふ諌かんする間あひだ、 不ふ慮りよの外ほかにたちまちに勅ちよく勘かむを蒙かぶりて流る刑けいに行おこなはれ了おはぬ。

如↠此善因令↠然業果惟新之処、 南北之碩徳、 顕密之法灯、 或号↠謗↢我宗↡、 或称↠嫉↢聖道↡。 寄↣事於↢左右↡、 求↣咎於↢縦横↡。 動驚↢天聴↡諷↢諌門徒↡之間、 不慮之外忽蒙↢勅勘↡被↠行↢流刑↡了。

しかりといゑども程ほどなく帰洛くゐらく了おはぬ。 権中ごんちう納言なうごん藤原ふぢはらの朝臣あそん光親みつちか、 奉ぶ行ぎやうとして勅ちよく免めんの宣せん旨じを下くださる。 去いぬる建けん暦りやく元ぐわん年ねん十一月廿日、 帰洛くゐらくして居きよを東とう山ざん大谷おほたにの別業べちげふを卜しめて、 鎮とこしなへに西方さいはう浄じやう土どの迎接かうせふを待まつ。

雖↠然無↠程帰洛了。 権中納言藤原朝臣光親、 為↢奉行↡被↠下↢勅免之宣旨↡。 去建暦元年十一月廿日、 帰洛居卜↢東山大谷之別業↡、 鎮待↢西方浄土之迎接↡。

同おなじき三年正月三日、 老らう病びやう空そらに蒙昧もうまいの臻いたりを期ごす。 待まつところ憑たのむところまことに悦よろこばしきかな、 高かう声しやう念仏ねむぶち不ふ退たいなり。 ある時とき聖しやう人にん弟子でしにあひ語かたて云いはく、 われ昔むかし天竺てんぢくにあて、 声しやう聞もん僧そうに交まじわりて常つねに頭陀づだを行ぎやうじき。 本もとはこれ極楽ごくらく世せ界かいにあり、 今いま日本にちぽん国こくに来きたりて天台てんだい宗しゆを学まなぶ、 また念仏ねむぶちを勧すゝむ。 身心しんしむ苦痛くつなし、 蒙昧もうまいたちまちに分ぶん明みやうなり。

同三年正月三日、 老病空期↢蒙昧之臻↡。 所↠待所↠憑寔悦哉、 高声念仏不退也。 或時聖人相↢語弟子↡云、 我昔有↢天竺↡、 交↢声聞僧↡常行↢頭陀↡。 本者是有↢極楽世界↡、 今来↠于↢日本国↡学↢天臺宗↡、 又勧↢念仏↡。 身心無↢苦痛↡、 蒙昧忽分明。

十一日辰たつの時ときに、 端たん座ざし合がふ掌しやうして念仏ねむぶち絶たえず。 すなわち弟子でしに告つげて云いはく、 高かう声しやう念仏ねむぶちおのおの唱となふべしと。 観くわん音おむ・勢せい至し菩ぼ薩さち・聖しやう衆じゆ、 現げんじてこの前まへにいます、 ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ の所説しよせちのごとし。 随ずい喜きの涙なみだを雨ふる、 渇仰かちがう肝きもに融とほる。 尽じん虚空こく界かいの荘しやう厳ごむは眼まなこに遮さいぎり、 転妙てんめう法輪ほふりんの音おん声じやうは耳みゝに満みてり。

十一日辰時、 端座合掌念仏不↠絶。 即告↢弟子↡云、 高声念仏各可↠唱。 観音・勢至菩薩・聖衆、 現在↢此前↡、 如↢ ¬阿弥陀経¼ 所説↡。 随喜雨↠涙、 渇仰融↠肝。 尽虚空界之荘厳遮↠眼、 転妙法輪之音声満↠耳。

同おなじき廿日に至いたるまで、 紫し雲うん上じやう方はうに聳たなびき、 円円ゑんゑんの雲くもその中なかに鮮あざやかなり、 図絵づゑの仏像ぶちざうのごとし。 道俗だうぞく貴賎くゐせん、 遠近おんごん緇素しそ、 見みる者もの感涙かむるいを流ながす、 聞きく者もの奇異きいを成なす。

至↠于↢同廿日↡、 紫雲聳↢上方↡、 円円雲鮮↢其中↡、 如↢図絵仏像↡。 道俗貴賎、 遠近緇素、 見者流↢感涙↡、 聞者成↢奇異↡。

同おなじき日ひ未ひつじの時とき、 目めを挙あげ掌たなごゝろを合あはせて、 東方とうばうより西方さいはうを見みる事こと五ご六ろく度ど、 弟子でし奇あやしみて問とふて云いはく、 仏ほとけ来迎らいかうしたまふかと。 聖しやう人にん答こたえて云いはく、 しかなりと。

同日未時、 挙↠目合↠掌、 自↢東方↡見↢西方↡事五六度、 弟子奇而問云、 仏来迎たまふ歟。 聖人答云、 然也。

廿三、 四日紫し雲うん罷やまず、 いよいよ広ひろくおほきに聳たなびく。 西山にしやまの炭売すみうりの老翁らうおう、 薪たきゞを荷になふ樵せふ夫ふ、 大小だいせう老らう若にやくこれを見みる。

廿三、 四日紫雲不↠罷、 弥広大聳。 西山売↠炭老翁、 荷↠薪樵夫、 大小老若見↠之。

廿五日午むまの時とき許ばかり、 行ぎやう儀ぎ違たがはず、 念仏ねむぶちの声こゑやうやく弱よはし、 見仏けんぶちの眼まなこ眠ねぶるがごとし。 紫し雲うん空そらに聳たなびく、 遠近おんごんの人人ひとびと来きたり集あつまる、 異い香きやう室しちに薫くんず。 見聞けんもんの諸人しよにん仰あふで信しんず。 臨終りむじゆすでに到いたりて、 慈じ覚かく大だい師しの九く条でうの袈裟けさこれを懸かけて西方さいはうに向むかふて唱となへて云いはく、 「一一ゐちゐち光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱう世せ界かい、 念仏ねむぶち衆しゆ生じやう摂取せふしゆ不ふ捨しや」 (観経) と 云云。 停てい午ごの正しやう中ちうなり。

廿五日午時許、 行儀不↠違、 念仏之声漸弱、 見仏之眼如↠眠。 紫雲聳↠空、 遠近の人人来集、 異香薫↠室。 見聞之諸人仰信。 臨終已到、 慈覚大師之九条袈裟懸↠之向↢西方↡唱云、 「一一光明遍照十方世界、 念仏衆生摂取不捨」 云云。 停午之正中也。

三さむ春しゆんいづれの節ときぞや、 釈しやく尊そん滅めちを唱となへたまふ、 聖しやう人にん滅めちを唱となへたまふ。 かれは二月中ちう句じゆん五日なり、 これは正月下げ旬じゆん五日なり。 八はち旬じゆんいづれの歳としや、 釈しやく尊そん滅めちを唱となへたまふ、 聖しやう人にんも滅めちを唱となへたまふ。 かれも八はち旬じゆんなり、 これも八はち旬じゆんなり。

三春何節哉、 釈尊唱↠滅、 聖人唱↠滅。 彼者二月中句五日也、 此者正月下旬五日也。 八旬何歳哉、 釈尊唱↠滅、 聖人唱↠滅。 彼八旬也、 此八旬也。

園おん城じやう寺じの長ちやう吏り法ほふ務むの大だい僧そう正じやう公胤こういん、 法ほふ事じの為ためにこれを唱しやう導だうする時とき、 その夜よ夢ゆめに告つげて云いはく、

園城寺長吏法務大僧正公胤、 為法事唱導之時、 其夜告夢云、

源ぐゑん空く教益けうやくの為ために 公胤こういんよく法ほうを説とく 感かむすなわち尽つくべからず 臨終りむじゆにまづ迎摂かうせふせむと

源ぐゑん空くの本ほん地ぢの身しんは 大だい勢せい至し菩ぼ薩さちなり 衆しゆ生じやう教化けうくゑのゆへに この界かいに来きたること度度たびたび

源ぐゑん空く為ゐ↢教益けうやく↡公胤こういん能のう説せち↠法ほふ感即かむそく不ふ↠可か↠尽じん臨終りむじゆ先せん迎摂かうせふ
源ぐゑん空く本ほん地ぢ身しん大だい勢せい至し菩ぼ薩さち衆しゆ生じやう教化けうくゑ故こ来らい↢此し界かい↡度度どど

と。 このゆへに勢せい至しの来らいキタリ見けんをミヘタマフ大だい師し聖しやう人にんと名なづく。 このゆへに勢せい至しを讃ほめて言いはまく、 无む辺へん光くわう、 智慧ちゑ光くわうをもてあまねく一切ゐちさいを照てらすがゆへに。 聖しやう人にんを嘆たんじて智慧ちゑ第一だいゐちと称しようす、 碩徳せきとくの用ゆうをもて七道しちだうを潤うるほすがゆへなり。 弥陀みだ勢せい至しを動おごかして済さい度どの使つかひとしたまへり、 善導ぜんだう聖しやう人にんを遣つかわして順じゆん縁えんの機きを整とゝのへたまへり。 さだめて知しりぬ十方じふぱう三さむ世ぜ无む央数あうしゆ界かいの有う情じやう・无む情じやう、 和くわ尚しやうに遇あふて世よに興こうず、 初はじめて五ご乗じよう済入さいにふの道だうを悟さとる。 三界さむがい・虚空こく・四し禅ぜん・八はち定ぢやう・天王てんわう・天衆てんしゆ、 聖しやう人にんの誕たむ生じやうに依よて、 かたじけなく五ご衰すい退没たいもちの苦くを抜ぬく。 いかにいはむや末代まちだい悪あく世せの衆しゆ生じやう、 弥陀みだ称名しようみやうの一ゐち行ぎやうに依よてことごとく往わう生じやうの素そ懐くわいを遂とげむ、 源ぐゑん空く聖しやう人にん伝説でんせち興こう行ぎやうのゆへなり。 よてこゝに来きたれることはこれを弘通ぐづし勧すゝめむが為ためなりと。

と。 此故勢至来見名↢大師聖人↡。 所以讃↢勢至↡言、 无辺光、 以↢智慧光↡普照↢一切↡故。 嘆↢聖人↡称↢智慧第一↡、 以↢碩徳之用↡潤↢七道↡故也。 弥陀動↢勢至↡為↢済度之使↡、 善導遣↢聖人↡整↢順縁之機↡。 定知十方三世无央数界有情・无情、 遇↢和尚↡興↠世、 初悟↢五乗済入之道↡。 三界・虚空。 四禅。 八定。 天王・天衆、 依↢聖人誕生↡、 忝抜↢五衰退没之苦↡。 何況末代悪世之衆生、 依↢弥陀称名之一行↡悉遂↢往生素懐↡、 源空聖人伝説興行故也。 仍為↤来↠之弘↢通勧↣之↡。

南无なも釈しや迦か牟尼むに仏ぶち  南无なも阿わ弥陀みだ如来によらい
南无なも観くわん世ぜ音おむ菩ぼ薩さち 南无なも大だい勢せい至し菩ぼ薩さち
南无なも三さむ部ぶ一ゐち乗じよう妙典めうでん法界ほふかい衆しゆ生じやう平びやう等どう利り益やくせむと。

(11) 決成往生三機行相

和くわ尚しやうの御おむ釈しやくによるに、 決定くゑちじやう往わう生じやうの行ぎやう相さうに、 三みつの機きのすぢわかれたるべし。 第一だいゐちに信心しんじむ決定くゑちじやうせる、 第だい二にに信しん行ぎやうともにかねたる、 第三だいさむにたゞ行ぎやう相さうばかりなるべし。

第一だいゐちに信心しんじむ決定くゑちじやうせる機きといふは、 これにつきて又また二機にきあり。 一ひとつにはまづ精しやう進じんの機きといふ者は、 又またこれについて二機にきあり。 一ひとつには弥陀みだの本ほん願ぐわんを縁えんずるに、 一ゐち声しやうに決定くゑちじやうしぬと、 こゝろのそこより真実しんじちに、 うらうらと一念ゐちねむも疑ぎ心しむなくして、 決定くゑちじやう心しむをえてのうへに一ゐち声しやうに不ふ足そくなしとおもへども、 仏恩ぶちおんを報ほうぜむとおもひて、 精しやう進じんに念仏ねむぶちのせらるゝなり。 また信しんえての上うへには、 はげまざるに念仏ねむぶちはまふさるべき也なり。 この行ぎやう者じやの中なかには、 信心しんじむえたりとおもふて、 その上うへによろこぶ念仏ねむぶちとおもへども、 いまだ信心しんじむ決定くゑちじやうせぬ人ひともあるべし。 それおばわがこゝろに勘かむがへしられぬべき事こと也なり。 たとひ信心しんじむはとづかずとも、 念仏ねむぶちひまなきかたより往わう生じやうはすべし。 二ふたつには上かみにいふがごとく、 決定くゑちじやう心しむをえての上うへに本ほん願ぐわんによて往わう生じやうすべき道だう理りおばあおいでのち、 わがかたよりわが信心しんじむをさしゆるがして、 かく信心しんじむをえたりとおもひしらず、 われ凡ぼむ夫ぶなり、 仏ほとけの知ち見けんのまへにはとづかずもあるらむと、 こゝろかしこくおもふて、 なほ信心しんじむを決定くゑちじやうせむがために念仏ねむぶちをはげむなり。 決定くゑちじやう心しむをえふせての上うへにわがこゝろをうたがふは、 またく疑ぎ心しむとはなるべからざる也なり。 精しやう進じんの二に類るいの機き、 かくのごとし。 これおば第だい二にの信しん行ぎやうならべる行ぎやう相さうの機きとしるべし。

次つぎに懈け怠だいの機きといふは、 決定くゑちじやう心しむをえての上うへによろこびて、 仏恩ぶちおんを報ほうぜむがために常つねに念仏ねむぶちせむとおもへども、 あるいは世せ業ごふ衆しゆ務むにヨノイトナミもさえられ、 また地ぢ体たい懈け怠だいのものなるがゆへに、 おほかた念仏ねむぶちのせられぬ也なり。 この行ぎやう者じやは一向ゐちかう信心しんじむをはげむべき也なり。 はげむ機きにつきて、 また精しやう進じん・懈け怠だいのものあるべし。 精しやう進じんといふは、 常つねに本ほん願ぐわんの縁えんぜらるべき也なり。 縁えんずれば、 また自じ然ねんにいさぎよき念仏ねむぶちも申まふさるべし。 この念仏ねむぶちは最さい上じやうの念仏ねむぶち也なり。 これをあしくこゝろえて、 この念仏ねむぶちの最さい上じやうにおぼゆれば、 この念仏ねむぶちぞ往わう生じやうおもし、 また願ぐわんにも乗じようずらむとおもはむはわるし。 そのゆへは、 仏ほとけの御おむ約束やくそく、 一ひと声こゑもわが名なをとなえむものをむかえむといふ御おむちかひにてあれば、 最初さいしよの一念ゐちねむこそ願ぐわんには乗じようずることにてあるべけれ。 また常つねに本ほん願ぐわんの縁えんぜらるれば、 たのもしきこゝろもいでくべき也なり。 その時ときこのこゝろのよく相続さうぞくのアヒツグナリせらるればとて、 それをもて往わう生じやうすべしとおもふべからず。 かくのごとくおもはゞ、 疑ぎ惑わくになるべきなり。 こゝろのゆがむときは、 往わう生じやうの不ふ定ぢやうにおぼゆべきがゆへに、 たゞおもふべきやうは、 我わがかたより一分ゐちぶんの功く徳どくもなく、 本ほん願ぐわんの御おむ約束やくそくにそなえしところの念仏ねむぶちの功く徳どくも瞋しん恚いのほむらにやけぬれども、 かの願ぐわん力りきの不ふ取しゆ正しやう覚がくの本誓ほんぜいのあやまりなきかたよりすくわれまいらせて往わう生じやうはすべしと、 返々かへすがへすもおもふべき也なり。 懈け怠だいのものといふは、 衆しゆ務むにヨノイトナミさまたげられもせよ、 本ほん願ぐわんを縁えんずる事ことのまれにあるべきなり。 まれにはありといふとも、 いさゝかも一念ゐちねむにとるところの信心しんじむのゆるがずして、 その時ときは又また決定くゑちじやう心しむのおこるべきなり。 信心しんじむ決定くゑちじやうの中なかの二に類るいの機き、 かくのごとし。 これは第一だいゐちの信心しんじむ決定くゑちじやうせる機きとしるべし。

今いま上かみにあぐるところの四し人にん、 真実しんじちに決定くゑちじやう心しむをだにもえたらば、 精しやう進じんにてもあれ懈け怠だいの機きにてもあれ、 本ほん願ぐわんを縁えんずるこゝろねは、 たとへば黒雲こくうんのクロキクモ ひまより、 まれにてもつねにても、 いでむところの満まん月ぐわちの光ひかりをみむがごとくなるべし。 信心しんじむの得とく不ふ得とくをば、 おのおのわがこゝろにてしりぬべし。 事ことにふれて一念ゐちねむにとるところの信心しんじむゆるがずは、 仮令たとひよき信心しんじむとしるべし。 これもことわりばかりにて信心しんじむあり、 こゝろゆるぐべからずと、 まじなひつけむ事ことは要えうあるべからず。 散心さんしむにつけても、 いさゝかにてもゆるぐこゝろあらば、 信心しんじむよはしとしるべし。 信心しんじむよはしとおぼえば、 懈け怠だいの機きはなほ信しんをはげむで本ほん願ぐわんを縁えんずべき也なり。 それになほかなはずは、 かまへて行ぎやう相さうにおもむきてはげむべきなり。 精しやう進じんの機きは、 一向ゐちかう恒がう所造しよざうツネニツクルの行ぎやうトコロノ 相さうにおもむきてはげむべきなり。 行ぎやう相さうは正しやう助じよ二に行ぎやうを、 一向ゐちかう正行しやうぎやうにてもまた助業じよごふをならべむとも、 おのおの意い楽げうにまかすべきなり。

第三だいさむに行ぎやう相さうをはげむ機きといふは、 上かみにあぐるところの信しん精しやう進じん懈け怠だいの機きの、 我わが信心しんじむ決定くゑちじやうせるやうを、 こゝろによくよくあむじほどく時とき、 我われ信心しんじむ決定くゑちじやうせず。 やゝもすれば行きやう業ごふのおこるにつけ、 信心しんじむの間断けんだんするにつけて、 往わう生じやうの不ふ定ぢやうにおぼゆるまではなけれども、 また決定くゑちじやう往わう生じやうすべしともおぼえぬは、 信心しんじむの決定くゑちじやうせざるなりと勘かむがへえて、 一向ゐちかう行ぎやうにおもむきてはげむをいふなり。 この機きは懈け怠だいのいでき、 念仏ねむぶちのものうからむ時ときは、 おどろきて行ぎやうをはげむべきなり。 信心しんじむもよはく念仏ねむぶちもおろそかならば、 往わう生じやう不ふ定ぢやうのものなり。 この人ひとまたあしくこゝろえて行ぎやうをはげむは、 この行きやう業ごふをもて往わう生じやうすべしとおもはゞ疑ぎ惑わくになるべきなり。 今いま念仏ねむぶちの行ぎやうをはげむこゝろは、 つねに念仏ねむぶちあざやかに申まふせば、 念仏ねむぶちよりして信心しんじむのひかれていでくる也なり。 信心しんじむいできぬれば、 本ほん願ぐわんを縁えんずる也なり。 本ほん願ぐわんを縁えんずれば、 たのもしきこゝろのいでくる也なり。 このこゝろいできぬれば、 信心しんじむの守しゆ護ごせられて決定くゑちじやう往わう生じやうをとぐべしとこゝろうべし。

これにつきて、 人ひとうたがひていはく、 念仏ねむぶちをはげみて信心しんじむを守しゆ護ごして往わう生じやうをとぐべきならば、 はげむところの念仏ねむぶちは自じ力りき往わう生じやうとこそなるべけれ。 いかゞ他た力りき往わう生じやうといふべきや。 今いま自じ力りきといふは、 聖しやう道だう自じ力りきにすべからず、 いさゝかあたえていえるなるべし。 答こたえていはく、 念仏ねむぶちを相続さうぞくしアヒツグナリて、 相続さうぞくより往わう生じやうをするは、 またく自じ力りき往わう生じやうにはあらず。 そのゆへは、 もとより三心さむしむは本ほん願ぐわんにあらず、 これ自じ力りきなり。 三心さむしむは自じ力りきなりといふは、 本ほん願ぐわんのつなにおびかれて、 信心しんじむの手てをのべてとりつぐ分ぶんをさすなりとこゝろうべし。 今いま念仏ねむぶちを相続さうぞくして信心しんじむを守しゆ護ごせマモルナリ むとするに、 三心さむしむの中なかの深心じむしむをはげむ行ぎやう者じや也なり。 相続さうぞくの念仏ねむぶちの功く徳どくをもちて、 廻ゑ向かうして往わう生じやうを期ごせば、 まことに自じ力りき往わう生じやうをのぞむものといはるべきなり。 また念仏ねむぶちはすれども、 常つねに信心しんじむもおこらず、 願ぐわんを縁えんずる事ことのつねにもなければとて、 往わう生じやうを不ふ定ぢやうにおもふべからず。 そのこゝろなけれども、 たゞ自じ力りきを存ぞんぜず、 すべて疑ぎ惑わくのこゝろなくして常つねに念仏ねむぶちすれば、 我わがこゝろにはおぼえねども、 信心しんじむのいろのしたひかりて相続さうぞくするあひだ、 決定くゑちじやう往わう生じやうをうるなり。 しるべし、 そのこゝろは、 たとへば月つきのひかりのうすぐもにおほはれて、 満まん月ぐわちの体たいはまさしくみえずといゑども、 月つきのひかりによるがゆへに、 世せ間けんくらからざるがごとし。

行ぎやう相さうの三さむ機きのやう、 かくのごとし。 詮せむずるところ、 信心しんじむよはしとおもはゞ、 念仏ねむぶちをはげむべし。 決定くゑちじやう心しむえたりとおもふての上うへになほこゝろかしこからむ人ひとは、 よくよく念仏ねむぶちすべし。 また信心しんじむいさぎよくえたりとおもひてのちの念仏ねむぶちおば、 別進べちしん奉公ほうこうとおもはむにつけても、 別進べちしん奉公ほうこうはよくすべき道だう理りあれば、 念仏ねむぶちをはげむべし。 地ぢ体たいは我わがこゝろをよくよく按あんじほどいて、 行ぎやうにても信しんにても、 機きにしたがひてたえむにまかせてはげむべき也なり。 かくのごとくこゝろをえてはげまば、 往わう生じやうは決定くゑちじやうはづるべからざる也なり。

(12) 鎌倉二品比丘への御返事

かまくらの二に品ぼむ比丘びく尼に、 聖しやう人にんの御おむもとへ念仏ねむぶちの功く徳どくをたづね申まふされたりけるに御おむ返へん事じ。

御おむふみくはしくうけたまはり候さふらひぬ。 念仏ねむぶちの功く徳どくは仏ほとけもときつくしがたしとのたまへり。 また智慧ちゑ第一だいゐちの舎しや利り弗ほち、 多た聞もん第一だいゐちの阿わ難なんも、 念仏ねむぶちの功く徳どくはしりがたしとのたまひし広くわう大だいの善根ぜんごんにて候さふらへば、 まして源ぐゑん空くなどは申まふしつくすべくも候さふらはず。 源ぐゑん空く、 この朝てうにわたりて候さふらふ仏教ぶちけうを随分ずいぶんにひらきみ候さふらへども、 浄じやう土どの教文けうもん、 震旦しむたんよりとりわたして候さふらふ聖しやう教げうのこゝろをだにも、 一年ゐちねん二に年ねんなどにては申まふしつくすべくもおぼえ候さふらはず。 さりながら、 おほせたまはりたることなれば、 申まふしのべ候さふらふべし。 まづ念仏ねむぶちを信しんぜざる人々ひとびとの申まふし候さふらふなる事こと、 くまがへの入道にふだう・つのとの三郎さぶらうは無智むちのものなればこそ余よ行ぎやうをせさせず、 念仏ねむぶちばかりおば法然ほふねん房ばうはすゝめたれと申まふし候さふらふなる事こと、 きわめたるひがごとにて候さふらふ也なり。 そのゆへは、 念仏ねむぶちの行ぎやうは、 もとより有智うち・無智むちをえらばず。 弥陀みだのむかしのちかひたまひし大だい願ぐわんは、 あまねく一切ゐちさい衆しゆ生じやうのため也なり。 無智むちのためには念仏ねむぶちを願ぐわんとし、 有智うちのためには余よ行ぎやうを願ぐわんとしたまふ事ことなし。 十方じふぱう世せ界かいの衆しゆ生じやうのためなり、 有智うち・無智むち・善人ぜんにん・悪人あくにん・持ぢ戒かい・破は戒かい・貴賎くゐせん・男女なむによもへだてず。 もとは仏ほとけの在ざい世せの衆しゆ生じやう、 もしは仏ほとけの滅めち後ごの衆しゆ生じやう、 もしは釈しや迦か末法まちぽふ万年まんねんののちに三宝さむぽうみなうせてのゝちの衆しゆ生じやうまで、 たゞ念仏ねむぶちばかりこそ現当げんたうの祈き祷たうとはなイノリトナルトナリ り候さふらへ。 善導ぜんだう和くわ尚しやうは弥陀みだの化身くゑしんにて、 ことに一切ゐちさいの聖しやう教げうをかゞみて専修せんじゆの念仏ねむぶちをすゝめたまへるも、 ひろく一切ゐちさい衆しゆ生じやうのため也なり。 方便はうべん時じ節せち末法まちぽふにあたりたるいまの教けうこれなり。 されば無智むちの人ひとの身みにかぎらず、 ひろく弥陀みだの本ほん願ぐわんをたのみて、 あまねく善導ぜんだうの御おむこゝろにしたがひて、 念仏ねむぶちの一門ゐちもんをすゝめ候さふらはむに、 いかに无智むちの人ひとのみにかぎりて、 有智うちの人ひとおばへだてて往わう生じやうせさせじとはし候さふらはむや。 しからずは、 大だい願ぐわんにもそむき、 善導ぜんだうの御おむこゝろにもかなふべからず。 しかればすなわち、 この辺へんにまうできて往わう生じやうの道みちをとひたづね候さふらふにも、 有智うち・無智むちを論ろんぜず、 ひとへに専修せんじゆ念仏ねむぶちをすゝめ候さふらふ也なり。 かまえてさやうに専修せんじゆの念仏ねむぶちを申まふしとゞめむとつかまつる人ひとは、 さきの世よに念仏ねむぶち三昧ざんまいの得道とくだうの法門ほふもんをきかずして、 後世ごせにまたさだめて三悪さむまくにおつべきものゝ、 しかるべくしてさやうに申まふし候さふらふ也なり。 そのゆへは、 聖しやう教げうにひろくみへて候さふらふ。 しかればすなわち、 「修しゆ行ぎやうすることあるをみては毒心どくしむをおこし、 方便はうべんしてきおふて怨あだをなす。 かくのごとくの生しやう盲まう闡提せんだいのムマルヽヨリメシヒタリともがら、 頓教とんげうを毀滅くゐめちしてソシリホロボスながく沈淪ちむりむす。 大だい地ぢ微み塵じん劫ごふを超過てうくわすとも、 いまだ三さむ途づの身みをはなるゝことをえず」 (法事讃巻下) とときたまへり。

「修しゆ行ぎやうあるを見みては瞋毒しんどくを起おこし、 方便はうべんし破壊はゑして競きおいて怨あだを生しやうぜむ。

かくのごとき生しやう盲まう闡提せんだいの輩ともがら、 頓教とんげうを毀滅くゐめちして永ながく沈淪ちむりむせむ。

大だい地ぢ微み塵じん劫ごふを超過てうくわすとも、 いまだ三さむ途づの身しんを離はなるゝことを得うべからず。

大衆だいしゆ同心どうりむにみな所しよ有うの破は法ほふの罪つみの因縁いんねんを懺悔さむぐゑすべしと」 (法事讃巻下) 文

「見けん↠有う↢修しゆ行ぎやう↡起き↢瞋毒しんどく↡方便はうべん破壊はゑ競きやう生しやう↠怨おん
如によ↠此し生しやう盲まう闡提せんだい輩はい毀くゐ↢滅めち頓教とんげう↡永ゐやう沈淪ちむりむ
超てう↢過くわ大だい地ぢ微み塵じん劫ごふ↡未み↠可か↠得とく↠離り↢三さむ途づ身しん↡
大衆だいしゆ同心どうしん皆かい懺さむ↢悔ぐゑ所しよ有う破は法ほふ罪ざい因縁いんねん↡」 文

この文もんの心こゝろは、 浄じやう土どをねがひ念仏ねむぶちを行ぎやうずる人ひとをみては、 毒心どくしむをおこし、 ひがごとをたくみめぐらして、 やうやうの方便はうべんをなして専修せんじゆの念仏ねむぶちの行ぎやうをやぶり、 あだおなして申まふしとゞむるに候さふらふ也なり。 かくのごとくの人ひとは、 むまれてより仏ぶち性しやうのまなこしひて、 善ぜんのたねをうしなへる闡提せんだい人にんのともがらなり。 この弥陀みだの名みやう号がうをとなえて、 ながき生しやう死じをはなれて常じやう住じゆの極楽ごくらくに往わう生じやうすべけれども、 この教法けうぼふをそしりほろぼして、 この罪つみによりてながく三さむ悪道まくだうにしづむとき、 かくのごときの人ひとは、 大だい地ぢ微み塵じん劫ごふをすぐれども、 ながく三さむ途づの身みをはなれむことあるべからずといふ也なり。 しかればすなわち、 さやうにひがごと申まふし候さふらふらむ人ひとおば、 かへりてあはれみたまふべきもの也なり。 さほどの罪人ざいにんの申まふすによりて、 専修せんじゆ念仏ねむぶちに懈け怠だいをなし、 念仏ねむぶち往わう生じやうにうたがひをなし不ふ審しむをおこさむ人ひとは、 いふかひなきことにてこそ候さふらはめ。 凡おほよそ縁えんあさく往わう生じやうの時ときいたらぬものは、 きけども信しんぜず、 念仏ねむぶちのものをみればはらだち、 声こゑを聞きゝていかりをなし、 悪あく事じなれども経きやう論ろんにもみえぬことを申まふす也なり。 御おむこゝろえさせたまひて、 いかに申まふすとも御おむこゝろがはりは候さふらふべからず。 あながちに信しんぜざらむ人ひとおば御おむすゝめ候さふらふべからず。 かゝる不ふ信しんの衆しゆ生じやうをおもへば、 過くわ去この父母ぶもチヽハヽ・兄くゐやう アニ 弟ていオトヽ・親類しんるい也なりシタシキモノトとおもひ候さふらふにも、 慈悲じひをおこして、 念仏ねむぶちかゝで申まふして極楽ごくらくの上じやう品ぼむ上生じやうしやうにまいりてさとりをひらき、 生しやう死じにかへりて誹ひ謗はう不ふ信しんの人ひとおもむかへむと、 善根ぜんごんを修しゆしてはおぼしめすべき事ことにて候さふらふ也なり。 このよしを御おむこゝろえあるべきなり。

一 異解いげの人々ひとびとの余よの功く徳どくを修しゆするには、 財宝ざいほうあひ助じよ成じやうタスケテトしておぼしめすべきやうは、 我われはこの一向ゐちかう専修せんじゆにて決定くゑちじやうして往わう生じやうすべき身みなり、 他た人にんのとおき道みちをわがちかき道みちに結縁けちえんせさせむとおぼしめすべき也なり。 その上うへに専修せんじゆをさまたげ候さふらはねば、 結番けちばんせむにもとがなし。

一 人々ひとびとの堂だうをつくり、 仏ぶちをつくり、 経きやうをかき、 僧そうを供く養やうせむ事ことは、 こゝろみだれずして慈悲じひをおこして、 かくのごときの雑ざふ善根ぜんごんおば修しゆせさせたまへと御おむすゝめ候さふらふべし。

一 このよのいのりに、 念仏ねむぶちのこゝろをしらずして仏神ぶちしんにも申まふし、 経きやうおもかき、 堂だうおもつくらむと。 これもさきのごとく、 せめてはまた後世ごせのためにつかまつらばこそ候さふらはめ。 その用よう事じなしとおほせ候さふらふべからず。 専修せんじゆをさえぬ行ぎやうにてもあらざりけりとも、 おぼしめし候さふらふべし。

一 念仏ねむぶち申まふす事こと、 やうやうの義ぎは候さふらへども、 六ろく字じをとなふるに一切ゐちさいをおさめて候さふらふ也なり。 心こゝろには願ぐわんをたのみ、 口くちには名みやう号がうをとなえて、 かずをとるばかりなり。 常つねに心しむにかくるが、 きわめたる決定くゑちじやうの業ごふにて候さふらふ也なり。 念仏ねむぶちの行ぎやうは、 もとより行ぎやう住じゆ座ざ臥ぐわ・時じ処しよ諸縁しよえんをえらばず、 身しん口くの不ふ浄じやうおもきらはぬ行ぎやうにて候さふらへば、 楽らく行ぎやう往わう生じやうとは申まふしつたへて候さふらふ也なり。 たゞしこゝろをきよくして申まふすおば、 第一だいゐちの行ぎやうと申まふし候さふらふ也なり。 浄じやう土どをこゝろにかくれば、 心しむココロ浄じやうキヨキの行ぎやう法ほふにて候さふらふ也なり。 さやうに御おむすゝめ候さふらふべし。 つねに申まふしたまひ候さふらはむをば、 とかく申まふすべきやうも候さふらはず。 我わが身みながらもしかるべくて、 このたび往わう生じやうすべしとおぼしめして、 ゆめゆめこのこゝろつよくならせたまふべし。

一 念仏ねむぶちの行ぎやうを信しんぜぬ人ひとにあひて論ろんじ、 あらぬ行ぎやうの異計いけの人々ひとびとにむかひて執論しふろん候さふらふべからず。 あながちに異解いげ・異い学がくの人ひとをみては、 あなづりそしること候さふらふまじ。 いよいよ重罪ぢうざいの人ひとになし候さふらはむこと不ふ便びんに候さふらふ。 同心どうしんに極楽ごくらくをねがひ念仏ねむぶちを申まふす人ひとおば、 卑ひ賎せんの人ひとなりとも父母ぶもの慈悲じひにおとらずおぼしめし候さふらふべし。 今こむ生じやうの財宝ざいほうのともしからむにも、 力ちからをくわへたまふべし。 さりながらも、 すこしも念仏ねむぶちにこゝろをかけ候さふらはむおば、 すゝめたまふべし。 これ弥陀みだ如来によらいの御おむみやづかへとおぼしめすべく候さふらふ也なり。 如来によらい滅めち後ごよりこのかた、 小せう智ち小せう行ぎやうにまかりなりて候さふらふ也なり。 われもわれもと智慧ちゑありがほに申まふす人ひとは、 さとり候さふらふべし。 せめては録ろくの経きやう教けうおもきゝみず、 いかにいはむや、 録ろくのほかのみざる人ひとの智慧ちゑありがほに申まふすは、 井ゐのそこの蛙かへるににたり。 随分ずいぶんに震旦しむたん・日本にちぽんの聖しやう教げうをとりあつめて、 このあひだ勘かむがへて候さふらふ也なり。 念仏ねむぶち信しんぜぬ人ひとは、 前ぜん世せに重罪ぢうざいをつくりて地ぢ獄ごくにひさしくありて、 また地ぢ獄ごくにはやくかへるべき人ひとなり。 たとひ千仏せんぶち世よにいでゝ、 念仏ねむぶちよりほかにまた往わう生じやうの業ごふありとおしへたまふとも信しんずべからず。 これは釈しや迦か・弥陀みだよりはじめて、 恒沙ごうじやの仏ほとけの証誠しようじやうせしめたまへることなればとおぼしめして、 御おむこゝろざし金剛こむがうよりもかたくして、 一向ゐちかう専修せんじゆの御ご変改へんがいあるべからず。 もし論ろんじ申まふさむ人ひとおば、 これへつかはして、 たて申まふさむやうをきけと候さふらふべし。 やうやうの証しよう文もんかきしるしてまいらすべく候さふらへども、 たゞこゝろこれにすぎ候さふらふべからず。 また娑しや婆ば世せ界かいの人ひとは、 よの浄じやう土どをねがはむことは、 弓ゆみなくして空そらの鳥とりをとり、 足あしなくしてたかきこずゑの華はなをとらむがごとし。 かならず専修せんじゆの念仏ねむぶちは現当げんたうのいのりとなり候さふらふ也なり。 これ略りやくしてかくのごとし、 これも経きやうの説せちにて候さふらふ。 御み中うちの人々ひとびとには九く品ぼむの業ごふを、 人ひとのねがひにしたがひて、 はじめおはりたえぬべきほどに御おむすゝめ候さふらふべきなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

(13) 本願体用事(四箇条問答)

或人あるひと云いはく、 阿わ弥陀みだ仏ぶちの慈悲じひ・名みやう号がう余よ仏ぶちに勝すぐれ、 并ならびに本ほん願ぐわんの体用たいゆうの事こと。

「設せち我が得仏とくぶち、 十方じふぱう衆しゆ生じやう、 至し心しん信楽しんげう、 欲よく生しやう我が国、 乃ない至し十念じふねむ、 若にやく不ふ生しやう者じや、 不ふ取しゆ正しやう覚がくと。」 (大経巻上) 云云 「十方じふぱう衆しゆ生じやう」 と云いふは、 諸仏しよぶち教化けうくゑにもれたる常ぢやう没もちの衆しゆ生じやう也なり。 この衆しゆ生じやうをあわれみおぼしめすかたに、 諸仏しよぶちの御おむ慈悲じひも阿わ弥陀みだ仏ぶちの御おむ慈悲じひにおなじかるべし。 これは総そう願ぐわんに約やくす。 別べち願ぐわんに約やくする時ときは、 阿わ弥陀みだ仏ぶちの御おむ慈悲じひは余よ仏ぶちの慈悲じひにすぐれたまへり。 そのゆへは、 この常ぢやう没もちの衆しゆ生じやうを十じふ声しやう・一ゐち声しやうの称名しようみやうの功く力りきを以もて、 无漏むろの報ほう土どへ生しやうぜしめむと云いふ御ご願ぐわんによて也なり。 阿わ弥陀みだ仏ぶちの名みやう号がうの余よ仏ぶちの名みやう号がうにすぐれたまへると云いふも、 因いん位ゐの本ほん願ぐわんにたてたまへる名みやう号がうなるがゆへに勝すぐれたまへり。 しからずは、 報ほう土どの生しやう因いんとなるべからず、 余よ仏ぶちの名みやう号がうに同どうずオナジトべし。

抑そもそも阿わ弥陀みだ仏ぶちの本ほん願ぐわんと云いふはいかなる事ことぞと云いふに、 本ほん願ぐわんと云いふは総別そうべちの願ぐわんに通つずといゑども、 言総ごんそうコトバミナトイフテ意い別べちにて、 コヽロハコトナルナリ別べち願ぐわんをもて本ほん願ぐわんとはなづくる也なり。 本ほん願ぐわんと云いふことは、 もとのねがひと訓くんずるオシヘナリ 也なり。 もとのねがひと云いふは、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの昔むかし、 常ぢやう没もちの衆しゆ生じやうを、 一ゐち声しやうの称名しようみやうのちからをもて称しようしてむ衆しゆ生じやうを我わが国くにに生しやうぜしめむと云いふこと也なり。 かるがゆへに本ほん願ぐわんといふなり。

問とふ。 本ほん願ぐわんについて体用たいゆうあるべし、 その差別しやべちいかんぞ。

答こたふ。 本ほん願ぐわんと云いふは、 因いん位ゐに、 われ仏ほとけになりたらむときの名なをとなへむ衆しゆ生じやうを、 極楽ごくらくに生しやうぜしめむとねがひたまへるゆへに、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの御おむこゝろをもて本ほん願ぐわんの体たいとし、 名みやう号がうをもては本ほん願ぐわんの用ゆうとす。 これは十劫じふこふ正しやう覚がくのさき、 兆載てうさい永ゐやう劫ごふの修しゆ行ぎやうをはじめ、 願ぐわんをおこしたまへる時ときの法蔵ほふざう菩ぼ薩さちに約やくして体用たいゆうを論ろんずる也なり。 今いまは法蔵ほふざう菩ぼ薩さちは因いん位ゐの願ぐわん成じやう就じゆして、 果くわ位いの阿わ弥陀みだ仏ぶちとなりたまへるがゆへに、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちおはしまさゞれば、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちに約やくして本ほん願ぐわんの体用たいゆうを論ろんずべきにあらず。 たゞしあたえて云いへば、 本ほん願ぐわんの体用たいゆうあるべし。 体たいと云いふについて、 二ふたつのこゝろあるべし。 一ひとつには行ぎやう者じやをもて本ほん願ぐわんの体たいとし、 二ふたつには名みやう号がうをもて本ほん願ぐわんの体たいとす。 まづ行ぎやう者じやをもて本ほん願ぐわんの体たいとすと云いふは、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの本ほん願ぐわんに、 成じやう仏ぶちしたらむ時ときの名な、 一ゐち声しやうも称しようしてむ衆しゆ生じやうを極楽ごくらくに生しやうぜしめむと願ぐわんじたまへるがゆへに、 今いま信しんじて一ゐち声しやうも称しようしてむ衆しゆ生じやうはかならず往わう生じやうすべし。 この能のう称しようの行ぎやう者じやの往わう生じやうするところをさして、 行ぎやう者じやをもて本ほん願ぐわんの体たいとすとはこゝろうべきなり。

問とふ。 我われ仏ほとけに成なりたらむ時ときの名なを称しようせむものを生しやうぜしめむと本ほん願ぐわんには立たてたまへるがゆへに、 名みやう号がうを称しようする者ものをやがて本ほん願ぐわんの体たいともこゝろうべしや。

答こたふ。 これについて与よ奪だちの義ぎあるべし。 与あたえ ヨ て云いへば、 行ぎやう者じやの正まさしく蓮台れんだいにうつりて往わう生じやうするところをもて本ほん願ぐわんの体たいとし、 奪うばふ ダチ て云いへば、 往わう生じやうすべき行ぎやう者じやなるがゆへに、 当体たうたい能のう称しようの者ものをさして本ほん願ぐわんの体たいとすべし。 行ぎやう者じやについて本ほん願ぐわんの体たいと云時いふときは、 別べちに用ゆうの義ぎなし。 蓮台れんだいに詫たくして、 往わう生じやう已後いごの増進ぞうしん仏道ぶちだうをもて用ゆうとす。 これは極楽ごくらくにての事ことなり。 次つぎに名みやう号がうをもて本ほん願ぐわんの体たいとすと云いふは、 これも成じやう仏ぶちの時ときの名なを称しようせむ衆しゆ生じやうを生しやうぜしめむと願ぐわんじたまへるがゆへに、 信しんじて名なを唱となへてむ衆しゆ生じやうはかならず生しやうずべければ、 名みやう号がうをもて本ほん願ぐわんの体たいと云いふ也なり。 名みやう号がうを唱となへつる衆しゆ生じやうの往わう生じやうするは、 名みやう号がうの用ゆう也なり。 今いま名みやう号がうをもて本ほん願ぐわんの体たいとすと云いふは、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの御おむこゝろのそこをもて本ほん願ぐわんの体たいとすといひつる時ときは、 用ゆうといはれつる名みやう号がう也なり。 しかるを、 今いまはまさしく名みやう号がうをもては本ほん願ぐわんの体たいと云いふ也なり。

体用たいゆうの義ぎは事ことによりてかはるなり。 喩たとへばともしびのひかりをもてこゝろうべし。 ともしびのあかくもえあがりたるは火ひの体たいなり。 灯ともしびによりて闇あむヤミはれて、 明みやうなアカクナルるところの光ひかりは火ひの用ゆうなり。 この光ひかりの明みやうなるをもて体たいとする時ときは、 その明みやうの中なかに黒こく白びやく等とうの一切ゐちさいの色しき形ぎやうのみゆるは明みやうの用ゆうなり。 かくのごとく用ゆうをもて体たいとも云事いふこと、 常つねの事ことなり、 しるべし。 行ぎやう者じやの往わう生じやうするをもて本ほん願ぐわんの体たいと云いふことは、 実じちには名みやう号がうを称しようせずして往わう生じやうすべき道だう理りなし、 名みやう号がうによて往わう生じやうすべし。 しかりといゑども、 かくのごときの事ことは、 約束やくそくによりて云時いふときは、 行ぎやう者じやの往わう生じやうをもて本ほん願ぐわんの体たいともいはるべし。 名みやう号がうを本ほん願ぐわんの体たいと云時いふときは、 称しようする行ぎやう者じやの往わう生じやうするは名みやう号がうの用ゆうなり。 しかれば行ぎやう者じやは、 あるいは本ほん願ぐわんの体たい、 あるいは名みやう号がうの用ゆうにも決定くゑちじやうすべきなり。 この道だう理りによて、 本ほん願ぐわんの体たいに約やくしてこゝろうれば、 本ほん願ぐわんや行ぎやう者じや、 行ぎやう者じやや本ほん願ぐわん、 本ほん願ぐわんや名みやう号がう、 名みやう号がうや本ほん願ぐわんと、 たゞ一ひとつに混乱こんらんするなり。 用ゆうに約やくしてこゝろへつれば、 名みやう号がうや行ぎやう者じや、 行ぎやう者じやや名みやう号がうといはるべし。 詮せむずるところは、 体たいなくは用ゆうあるべからず、 用ゆうは体たいによるがゆへに。 本ほん願ぐわんと行ぎやう者じや、 たゞ一ひとつものにて、 一ひとつとしてはなれざるなり。

問とふ。 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの本ほん願ぐわんの約束やくそくは、 十じふ声しやう・一ゐち声しやうなり。 一ゐち称しようのゝちは、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの因いん位ゐの本誓ほんぜいに心しむをかけて、 名みやう号がうおば称しようすべからざるにや。

答こたふ。 無ぶ沙汰さたなる人ひとはかくのごとくおもひて、 因いん位ゐの願ぐわんを縁えんじて念仏ねむぶちおも申まふせば、 これをしえたるこゝちして、 願ぐわんを縁えんぜざる時ときの念仏ねむぶちおば、 ものならずおもふて念仏ねむぶちに善悪ぜんあくをあらするなり。 これは無ぶ按内あんないのことなり。 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの五ご劫こふの思し惟ゆいは、 衆しゆ生じやうの意い念ねむを本ほんとせば、 識しき揚やうアガリ神じんタマシヒ飛ぴトブのゆへ、 かなふべからずとおぼしめして、 名みやう号がうを本ほん願ぐわんと立たてたまへり。 この名みやう号がうは、 いかなる乱想らんさうの中なかにも称しようすべし。 称しようすれば、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちの昔むかしの願ぐわんに心しむをかけむとせざれども、 自じ然ねんにこれこそ本ほん願ぐわんよとおぼゆべきは、 この名みやう号がうなり。 しかれば、 別べちに因いん位ゐの本ほん願ぐわんを縁えんぜむとおもふべきにあらず。

問とふ。 本ほん願ぐわんと本誓ほんぜいと、 その差別しやべちいかんぞ。

答こたふ。 我われ成じやう仏ぶちの時ときの名なを称しようせむ衆しゆ生じやうを生しやうぜしめむと云いふは、 本ほん願ぐわん也なり。 もしむまるまじくは仏ほとけにならじと云いふは、 本誓ほんぜい也なり。 総そうじて四し十八じふはち願ぐわんは法蔵ほふざう菩ぼ薩さちのむかしの本ほん願ぐわん也なり。 この願ぐわんにこたへたまへる仏果ぶちくわ円満えんまんの今いまは、 第だい十じふ九くの来迎らいかうの願ぐわんにかぎりて化くゑ度ど衆しゆ生じやうの御ご方便はうべんはおはしますべきなりと云いふなり。 阿わ弥陀みだ仏ぶちの名みやう号がうは余よ仏ぶちの名みやう号がうに勝すぐれたまへり、 本ほん願ぐわんなるがゆへなり。 本ほん願ぐわんに立たてたまはずは、 名みやう号がうを称しようすとも无む明みやうを破はせざれば、 報ほう土どの生しやう因いんとなるべからず、 諸仏しよぶちの名みやう号がうにおなじかるべし。 しかるを阿わ弥陀みだ仏ぶちは 「乃ない至し十念じふねむ、 若にやく不ふ生しやう者じや、 不ふ取しゆ正しやう覚がく」 (大経巻上) とちかひて、 この願ぐわん成じやう就じゆせしめむがために兆載てうさい永ゐやう劫ごふの修しゆ行ぎやうをおくりて、 今いま已すでに成じやう仏ぶちしたまへり。 この大だい願ぐわん業力ごふりきのそひたるがゆへに諸仏しよぶちの名みやう号がうにもすぐれ、 となふればかの願ぐわん力りきによりて決定くゑちじやう往わう生じやうおもするなり。 かるがゆへに如来によらいの本誓ほんぜいをきくに、 うたがひなく往わう生じやうすべき道だう理りに住じゆして、 南无なも阿わ弥陀みだ仏ぶちと唱となへてむ上うえには、 決定くゑちじやう往わう生じやうとおもひをなすべきなり。 たとへば、 たきものゝにほひの薫くんぜる衣ころをを身みにきつれば、 みなもとはたきものゝにほひにてこそありと云いふとも、 衣ころものにほひ身みに薫くんずるがゆへに、 その人ひとのかうばしかりつると云いふがごとく、 本ほん願ぐわん薫力くんりきのたきものゝ匂にほひは、 名みやう号がうの衣ころもに薫くんじ、 またこの名みやう号がうの衣ころもを一ゐち度ど南无なも阿わ弥陀みだ仏ぶちとひきゝてむものは、 名みやう号がうの衣ころもの匂にほひ身みに薫くんずるがゆへに、 決定くゑちじやう往わう生じやうすべき人ひとなり。 大だい願ぐわん業力ごふりきの匂にほひと云いふは、 往わう生じやうの匂にほひなり。 大だい願ぐわん業力ごふりきの往わう生じやうの匂にほひ、 名みやう号がうの衣ころもよりつたわりて行ぎやう者じやの身みに薫くんずと云いふ道だう理りによりて、 ¬観経くわんぎやう¼ には

「もし念仏ねむぶちの者ひとは、 まさに知しるべし、 この人ひとはこれ人中にんちうの分ふん陀利だり華くゑなり」

「若にやく念仏ねむぶち者しや、 当たう↠知ち、 此し人にん是ぜ人中にんちう分ふん陀利だり華くゑ」

と説とけるなり。 念仏ねむぶちの行ぎやう者じやを蓮華れんぐゑに喩たとふることは、 蓮華れんぐゑは不ふ染ぜむの義ぎ、 モノニソマラズトナリ本ほん願ぐわんの清浄しやうじやうの名みやう号がうを称しようすれば、 十悪じふあく・五ご逆ぐゐやくの濁にごりにもそまらざるかたを喩たとへたるなり。 また

「観くわん世ぜ音おむ菩ぼ薩さち・大だい勢せい至し菩ぼ薩さち、 その勝しよう友うとす」 (観経)

「観くわん世ぜ音おむ菩ぼ薩さち・大だい勢せい至し菩ぼ薩さち、 為ゐ↢其ご勝しよう友う↡」スグレタルトモ

と云いへり。 文もんのこゝろは、 これも往わう生じやうの匂にほひ身みに薫くんぜる行ぎやう者じやは、 かならず往わう生じやうすべし。 これによて善導ぜんだう和くわ尚しやうも、 三心さむしむ具ぐ足そくの者ひとおば極楽ごくらくの聖しやう衆じゆに接せふしたまへり。 極楽ごくらくの聖しやう衆じゆと云いふは、 因中いんちう説果せちくわの義ぎなり。 聖しやう衆じゆとなる道だう理りあれば、 当たう時じよりして二に菩ぼ薩さちも肩かたをならべ、 膝ひざをまじえて勝しよう友うとなりたまふといふこゝろなり。 命みやう終じゆの已後いごは、 往わう生じやうして仏果ぶちくわ菩ぼ提だいを証しよう得とくすべきによて、

「まさに道だう場ぢやうに座ざし諸仏しよぶちの家いえに生しやうずべし」 (観経)

「当たう↧座ざ↢道だう場ぢやう↡生しやう↦諸仏しよぶち家け↥」

とときたまへり。 かるがゆへに、 一念ゐちねむに无む上じやうの信心しんじむをえてむ人ひとは、 往わう生じやうの匂にほひの薫くんぜる名みやう号がうの衣ころもをいくえともなくかさねきむとおもふて、 歓くわん喜ぎのこゝろに住じゆして、 いよいよ念仏ねむぶちすべしと云いへり。

西方指南抄中

康元かうげん元ぐわん年ねん 丙ひのえの辰たつ 十月十四日

愚禿親鸞 八十四歳 書写之

 

西方指南抄下本

(14) 上野大胡太郎実秀の妻への御返事

御おむふみこまかにうけたまはり候さふらひぬ。 はるかなるほどに、 念仏ねむぶちの事こときこしめさむがために、 わざとつかひをあげさせたまひて候さふらふ、 御おむ念仏ねむぶちの御おむこゝろざしのほど、 返々かへすがへすもあはれに候さふらふ。

さてはたづねおほせられて候さふらふ念仏ねむぶちの事ことは、 往わう生じやう極楽ごくらくのためには、 いづれの行ぎやうといふとも、 念仏ねむぶちにすぎたる事ことは候さふらはぬ也なり。 そのゆへは、 念仏ねむぶちはこれ弥陀みだの本ほん願ぐわんの行ぎやうなるがゆへなり。 本ほん願ぐわんといふは、 あみだ仏ぶちのいまだほとけにならせたまはざりしむかし、 法蔵ほふざう菩ぼ薩さちと申まふししいにしへ、 仏ほとけの国こく土どをきよめ、 衆しゆ生じやうを成じやう就じゆせむがために、 世せ自じ在ざい王わう如来によらいと申まふす仏ほとけの御おむまへにして、 四し十八じふはちの大だい願ぐわんをおこしたまひしその中なかに、 一切ゐちさい衆しゆ生じやうの往わう生じやうのために、 一ひとつの願ぐわんをおこしたまへり。 これを念仏ねむぶち往わう生じやうの本ほん願ぐわんと申まふす也なり。 すなわち ¬无む量りやう寿じゆ経きやう¼ の上うへ巻くわんにいはく、

「たとひわれ仏ぶちを得えたらむに、 十方じふぱうの衆しゆ生じやう、 心しんを至いたし信楽しんげうしてわが国くにに生むまれむと欲おもふて、 乃ない至し十念じふねむせむ。 もし生むまれずは、 正しやう覚がくを取とらじ」

「設せち我が得とく↠仏ぶち、 十方じふぱう衆しゆ生じやう、 至し↠心しん信楽しんげう欲よく↠生しやう↢我が国こく↡、 乃ない至し十念じふねむ。 若にやく不ふ↠生しやう者じや、 不ふ↠取しゆ↢正しやう覚がく↡」

と 云云。 善導ぜんだう和くわ尚しやうこの願ぐわんを釈しやくして云いはく、

「もしわれ成じやう仏ぶちせむに、 十方じふぱうの衆しゆ生じやう、 わが名みやう号がうを称しようせむこと下しも十じふ声しやうに至いたるまで、 もし生しやうぜずは正しやう覚がくを取とらじ。 かの仏ぶち今いま現げんに在ましまして成じやう仏ぶちしたまへり。 まさに知しるべし、 本誓ほんぜい重じう願ぐわん虚むなしからず、 衆しゆ生じやう称しよう念ねむすればかならず往わう生じやうを得う」 と (礼讃)。 已上

「若にやく我が成じやう仏ぶち、 十方じふぱう衆しゆ生じやう、 称しよう↢我が名みやう号がう↡下至げし↢十じふ声しやう↡、 若にやく不ふ↠生しやう者じや不ふ↠取しゆ↢正しやう覚がく↡。 彼ひ仏ぶち今こむ現在げんざい成じやう仏ぶち。 当たう↠知ち、 本誓ほんぜい重じう願ぐわん不ふ↠虚こ、 衆しゆ生じやう称しよう念ねむ必得ひちとく↢往わう生じやう↡。」 已上

念仏ねむぶちといふは、 仏ほとけの法身ほふしんを憶念おくねむするにもあらず、 仏ほとけの相好さうがうを観くわん念ねむするにもあらず、 たゞこゝろをひとつにして、 もはら阿わ弥陀みだ仏ぶちの名みやう号がうを称しよう念ねむする、 これを念仏ねむぶちとは申まふす也なり。 かるがゆへに 「称しよう我が名みやう号がう」 といふなり。 念仏ねむぶちのほかの一切ゐちさいの行ぎやうは、 これ弥陀みだの本ほん願ぐわんにあらさるがゆへに、 たとひめでたき行ぎやうなりといふとも、 念仏ねむぶちにはおよばず。 おほかたそのくににむまれむとおもはむものは、 その仏ほとけのちかひにしたがふべきなり。 されば弥陀みだの浄じやう土どにむまれむとおもはむものは、 弥陀みだの誓せい願ぐわんにしたがふべきなり。 本ほん願ぐわんの念仏ねむぶちと、 本ほん願ぐわんにあらざる余よ行ぎやうと、 さらにたくらぶべからず。 かるがゆへに往わう生じやう極楽ごくらくのためには、 念仏ねむぶちの行ぎやうにすぎたるは候さふらはずと申まふすなり。 往わう生じやうにあらざるみちには、 余よ行ぎやうまたつかさどるかたあり。 しかるに衆しゆ生じやうの生しやう死じをはなるゝみち、 仏ほとけのをしへやうやうにおほく候さふらへども、 このごろ人ひとの生しやう死じをはなれ三界さむがいをいづるみちは、 たゞ極楽ごくらくに往わう生じやうし候さふらふばかりなり。 このむね聖しやう教げうのおほきなることわりなり。

つぎに極楽ごくらくに往わう生じやうするに、 その行ぎやうやうやうにおほく候さふらへども、 われらが往わう生じやうせむこと、 念仏ねむぶちにあらずはかなひがたく候さふらふなり。 そのゆへは、 仏ほとけの本ほん願ぐわんなるがゆへに、 願ぐわん力りきにすがりて往わう生じやうすることはやすし。 さればせむずるところは、 極楽ごくらくにあらずは生しやう死じをはなるべからず、 念仏ねむぶちにあらずは極楽ごくらくへむまるべからざるものなり。 ふかくこのむねを信しんぜさせたまひて、 ひとすぢに極楽ごくらくをねがひ、 ひとすぢに念仏ねむぶちをして、 このたびかならず生しやう死じをはなれむとおぼすべきなり。 また一一ゐちゐちの願ぐわんのおはりに、 「もししからずは正しやう覚がくをとらじ」 とちかひたまへり。 しかるに阿わ弥陀みだ仏ぶち、 ほとけになりたまひてよりこのかた、 すでに十劫じふこふをへたまへり。 まさにしるべし、 誓せい願ぐわんむなしからず。 しかれば、 衆しゆ生じやうの称しよう念ねむするもの、 一人ゐちにんもむなしからず往わう生じやうする事ことをう。 もししからずは、 たれか仏ほとけになりたまへることを信しんずべき。 三宝さむぽう滅尽めつじんの時ときなりといゑども、 一念ゐちねむすればなほ往わう生じやうす。 五ご逆ぐゐやく深重じむぢうの人ひとなりといゑども、 十念じふねむすれば往わう生じやうす。 いかにいはむや、 三宝さむぽうの世よにむまれて五ご逆ぐゐやくをつくらざるわれら、 弥陀みだの名みやう号がうをとなえむに、 往わう生じやううたがふべからず。 いまこの願ぐわんにあえることは、 まことにこれおぼろげの縁えんにあらず。 よくよくよろこびおぼしめすべし。 たとひまたあふといゑども、 もし信しんぜざればあはざるがごとし。 いまふかくこの願ぐわんを信しんぜさせたまへり。 往わう生じやううたがひおぼしめすべからず。 かならずかならずふたごゝろなく、 よくよく御おむ念仏ねむぶち候さふらひて、 このたび生しやう死じをはなれ極楽ごくらくにむまれさせたまふべし。 また ¬観くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼ に云いはく、

「一一ゐちゐちの光明くわうみやうあまねく十方じふぱう世せ界かいを照てらす、 念仏ねむぶちの衆しゆ生じやうおば摂取せふしゆして捨すてたまはず」

「一一ゐちゐち光明くわうみやう遍照へんぜう↢十方じふぱう世せ界かい↡、 念仏ねむぶち衆しゆ生じやう摂取せふしゆ不ふ↠捨しや」

と。 已上 これは光明くわうみやうたゞ念仏ねむぶちの衆しゆ生じやうをてらして、 よの一切ゐちさいの行ぎやうおばてらさずといふなり。 たゞし、 よの行ぎやうをしても極楽ごくらくをねがはゞ、 仏ほとけのひかりてらして摂取せふしゆしたまふべし。 いかゞたゞ念仏ねむぶちのものばかりをえらびて、 てらしたまへるや。 善導ぜんだう和くわ尚しやう釈しやくしてのたまはく、

「弥陀みだの真色しんじき金山こむぜんのごとし。 相好さうがう光明くわうみやう十方じふぱうを照てらす。 たゞ念仏ねむぶちのものあて光くわう摂せふを蒙かぶる。 まさに知しるべし、 本ほん願ぐわんもとも強こわしとす。」 (礼讃) 已上

「弥陀みだ真色しんじき如によ↢金山こむぜん↡相好さうがう光明くわうみやう照せう↢十方じふぱう↡
唯ゆい有う↢念仏ねむぶち↡蒙む↢光くわう摂せふ↡当たう↠知ち、 本ほん願ぐわん最さい為ゐ↠強がう」 已上

念仏ねむぶちはこれ弥陀みだの本ほん願ぐわんの行ぎやうなるがゆへに、 成じやう仏ぶちの光明くわうみやうつよく本ほん地ぢの誓せい願ぐわんをてらしたまふなり。 余よ行ぎやうこれ本ほん願ぐわんにあらざるがゆへに、 弥陀みだの光明くわうみやうきらいててらしたまはざるなり。 いま極楽ごくらくをもとめむ人ひとは、 本ほん願ぐわんの念仏ねむぶちを行ぎやうじて、 摂取せふしゆのひかりにてらされむとおぼしめすべし。 これにつけても念仏ねむぶち大切たいせちに候さふらふ、 よくよく申まふさせたまふべし。 また釈しや迦か如来によらい、 この ¬経きやう¼ の中なかに定ぢやう散さんのもろもろの行ぎやうをときおはりてのちに、 まさしく阿わ難なんに付ふ属ぞくしたまふときには、 かみにとくところの散善さんぜんの三福さむぷく業ごふ、 定ぢやう善ぜんの十三じふさむ観ぐわんおば付ふ属ぞくせずして、 たゞ念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうを付ふ属ぞくしたまへり。 ¬経きやう¼ (観経) に云いはく、

「仏ほとけ阿わ難なんに告つげたまはく、 なんぢよくこの語ごを持たもて。 この語ごを持たもてといふは、 すなわちこの无む量りやう寿じゆ仏ぶちの名みなを持たもてとなり。」 已上

「仏告ぶちがう↢阿わ難なん↡、 汝によ好かう持じ↢是語ぜご↡。 持じ↢是語ぜご↡者しや、 則そく是ぜ持じ↢无む量りやう寿じゆ仏ぶち名みやう↡。」 已上

善導ぜんだう和くわ尚しやうこの文もんを釈しやくしてのたまはく、

「仏告ぶちがう阿わ難なん汝によ好かう持じ是語ぜごより已下いげ、 正まさしく弥陀みだ名みやう号がうを付ふ属ぞくして、 遐か代だいに流通るづすることを明あかす。 上かみよりこのかた定ぢやう散さん両りやう門もんの益やくを説とくといゑども、 仏ぶちの本ほん願ぐわんを望のぞむには、 意こゝろ衆しゆ生じやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだ仏ぶちの名みなを称しようするに在ありと。」 (散善義) 已上

「従じゆ↢仏告ぶちがう阿わ難なん汝によ好かう持じ是語ぜご↡已下いげ、 正明しやうみやう↫付ふ↢属ぞく弥陀みだ名みやう号がう↡、 流る↪通づ於お↩遐か代だい↨。 上じやう来らい雖すい↠説せつ↢定ぢやう散さん両りやう門もん之し益やく↡、 望まう↢仏ぶち本ほん願ぐわん↡、 意い在ざい↣衆しゆ生じやう一向ゐちかう専せん称しよう↢弥陀みだ仏ぶち名↡。」 已上

この定ぢやう散さんのもろもろの行ぎやうは、 弥陀みだの本ほん願ぐわんにあらず。 かるがゆへに釈しや迦か如来によらい、 往わう生じやうの行ぎやうを付ふ嘱ぞくしたまふに、 余よの定ぢやう善ぜん・散善さんぜんおば付ふ嘱ぞくせずして、 念仏ねむぶちはこれ弥陀みだの本ほん願ぐわんなるがゆへに、 まさしくえらびて本ほん願ぐわんの行ぎやうを付ふ属ぞくしたまへるなり。 いま釈しや迦かのおしえにしたがひて往わう生じやうをもとむるもの、 付ふ属ぞくの念仏ねむぶちを修しゆして、 釈しや迦かの御おむこゝろにかなふべし。 これにつけてもまたよくよく御おむ念仏ねむぶち候さふらひて、 仏ほとけの付ふ属ぞくにかなはせたまふべし。 また六方ろくぱう恒沙ごうじやの諸仏しよぶち、 御みしたをのべて、 三千さむぜん世せ界かいにおほいて、 もはらたゞ弥陀みだの名みやう号がうをとなへて往わう生じやうすといふは、 これ真実しんじち也なりと証誠しようじやうしたまふなり。 これまた念仏ねむぶちは弥陀みだの本ほん願ぐわんなるがゆへに、 六方ろくぱう恒沙ごうじやの諸仏しよぶち、 これを証誠しようじやうしたまふ。 余よの行ぎやうは本ほん願ぐわんにあらざるがゆへに、 六方ろくぱう恒沙ごうじやの諸仏しよぶち証誠しようじやうしたまはず。 これにつけてもよくよく御おむ念仏ねむぶち候さふらふべし。 弥陀みだの本ほん願ぐわん、 釈しや迦かの付ふ属ぞく、 六方ろくぱうの諸仏しよぶちの証誠しようじやう護ご念ねむを、 ふかくかうぶらせたまふべし。 弥陀みだの本ほん願ぐわん、 釈しやく尊そんの付ふ属ぞく、 六方ろくぱうの諸仏しよぶちの護ご念ねむ、 一一ゐちゐちにむなしからず。 このゆへに、 念仏ねむぶちの行ぎやうは諸しよ行ぎやうにすぐれたるなり。 また善導ぜんだう和くわ尚しやうは弥陀みだの化身くゑしんなり。 浄じやう土どの祖師そしおほしといへども、 たゞひとへに善導ぜんだうによる。 往わう生じやうの行ぎやうおほしといゑども、 おほきにわかちて二ふたつとしたまへり。 一ひとつには専修せんじゆ、 いはゆる念仏ねむぶちなり。 二ふたつには雑修ざふしゆなり、 いはゆる一切ゐちさいのもろもろの行ぎやうなり。 上かみにいふところの定ぢやう散さん等とうこれなり。 ¬往わう生じやう礼讃らいさん¼ に云いはく、

「もしよく上かみのごとく念念ねむねむ相続さうぞくして、 畢ひち命みやうを期ごとする者ものは、 十じふはすなわち十じふながら生しやうず、 百ひやくはすなわち百ひやくながら生しやうず」

「若にやく能のう如によ↠上じやう念念ねむねむ相続さうぞく、 畢ひち命みやう為ゐ↠期ご者しや、 十じふ即そく十じふ生しやう、 百ひやく即そく百ひやく生しやう」

と云いへり。 専修せんじゆと雑ざふ行ぎやうとの得失とくしちなり。 得とくといふは、 往わう生じやうする事ことをうるといふ。 いはく念仏ねむぶちするものは、 すなわち十じふは十人じふにんながら往わう生じやうし、 百ひやくはすなわち百ひやく人にんながら往わう生じやうすといふ、 これなり。 失しちといふは、 いはく往わう生じやうの益やくをうしなえるなり。 雑修ざふしゆのものは、 百ひやく人にんが中なかにまれに一ゐち二に人にん往わう生じやうする事ことをえてそのほかは生しやうぜず、 千人せんにんが中なかにまれに三さむ五ご人にんむまれてその余よはむまれず。 専修せんじゆのものはみなむまるゝことをうるは、 なにのゆへぞと。 阿わ弥陀みだ仏ぶちの本ほん願ぐわんに相応さうおうせるがゆへなり、 釈しや迦か如来によらいのおしえに随ずい順じゆんせるがゆへなり、 雑業ざふごふのものはむまるゝことのすくなきは、 なむのゆへぞと。 弥陀みだの本ほん願ぐわんにたがへるがゆへなり。 念仏ねむぶちして浄じやう土どをもとむるものは、 二に尊そんのミダシヤカノ御おむこゝろにふかくかなへり。 雑修ざふしゆをして浄じやう土どをもとむるものは、 二に仏ぶちの御おむこゝろにそむけり。 善導ぜんだう和くわ尚しやう、 二に行ぎやうの得失とくしちを判はんぜること、 これのみにあらず。 ¬観経くわんぎやうの疏しよ¼ と申まふすふみの中なかに、 おほく得失とくしちをあげたり。 しげきがゆへにいださず。 これをもてしるべし。

おほよそこの念仏ねむぶちは、 そしれるものは地ぢ獄ごくにおちて五ご劫こふ苦くをうくることきわまりなし。 信しんずるものは浄じやう土どにむまれて永ゐやう劫ごふたのしみをうくることきわまりなし。 なほなほいよいよ信心しんじむをふかくして、 ふたごゝろなく念仏ねむぶちせさせたまふべし。 くはしき事こと、 御おむふみにつくしがたく候さふらふ。 この御おむつかひ申まふし候さふらふべし。

(15) 上野大胡太郎実秀への御返事

上野かうづけのくにの住人じゆにんおほごの太た郎らうと申まふすもの、 京きやうへまかりのぼりたるついでに、 法然ほふねん聖しやう人にんにあひたてまつりて、 念仏ねむぶちのしさいとひたてまつりて、 本国ほんごくへくだりて念仏ねむぶちをつとむるに、 ある人ひと申まふしていはく、 いかなる罪つみをつくれども、 念仏ねむぶちを申まふせば往わう生じやうす、 一向ゐちかう専修せんじゆなるべしといふとも、 ときときは ¬法華ほふくゑ経きやう¼ おもよみたてまつり、 また念仏ねむぶち申まふさむもなにかはくるしからむと申まふしければ、 まことにさるかたもありとて、 法然ほふねん聖しやう人にんの御おむもとへ、 消息せうそくにてこのよしをいかゞと申まふしたりける御おむ返へん事じ、 かくのごとし。 件くだんの太た郎らうは、 このすゝめによりて、 めおとこ、 ともに往わう生じやうしてけり。

聖しやう人にんの御おむ返へん事じ。

さきの便びんにさしあふ事こと候さふらひて、 御おむふみをだにみとき候さふらはざりしかば、 御おむ返へん事じこまかに申まふさず、 さだめておぼつかなくおぼしめし候さふらふ覧らむと、 おそれおもふたまへ候さふらふ。 さてはたづねおほせられて候さふらふことゞもは、 御おむふみなどにて、 たやすく申まふしひらくべきことにても候さふらはず。 あはれまことに京きやうにひさしく御ごとうりう候さふらひし時とき、 よし水みづの坊ばうにて、 こまかに御ごさたありせばよく候さふらふなまし。 おほかたは念仏ねむぶちして往わう生じやうすと申まふすことばかりおば、 わづかにうけたまはりて、 わがこゝろひとつにふかく信しんじたるばかりにてこそ候さふらへども、 人ひとまでつばひらかに申まふしきかせなどするほどの身みにては候さふらはねば、 ましていりたちたることゞも、 不ふ審しむなど、 御おむふみに申まふしひらくべしともおぼえ候さふらはねども、 わづかにうけたまはりおよびて候さふらはむほどの事ことを、 はゞかりまいらせて、 すべてともかくも御おむ返へん事じを申まふさざらむことのくちおしく候さふらへば、 こゝろのおよび候さふらはむほどのことは、 かたのごとく申まふさむとおもひ候さふらふ也なり。

まづ三心さむしむ具ぐ足そくして往わう生じやうすと申まふす事ことは、 まことにその名みやう目もく ナトイフ ばかりをうちきくおりは、 いかなるこゝろを申まふすやらむと、 ことごとしくおぼえ候さふらひぬべけれども、 善導ぜんだうの御おむこゝろにては、 こゝろやすき事ことにて候さふらふなり。 もしならひさたせざらむ無智むちの人ひと、 さとりなからむ女人によにんなどは、 え具ぐせぬほどのこゝろばえにては候さふらはぬなり。 まめやかに往わう生じやうせむとおもひて念仏ねむぶち申まふさむ人ひとは、 自じ然ねんに具ぐ足そくしぬべきこゝろにて候さふらふものを。 そのゆへは、 三心さむしむと申まふすは、 ¬観くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼ にとかれて候さふらふやうは、 「もし衆しゆ生じやうあて、 かのくにゝむまれむとねがはむものは、 三種さむしゆの心しむをおこしてすなはち往わう生じやうすべし。 なにおか三みつとする。 一ひとつには至し誠じやう心しむ、 二ふたつには深心じむしむ、 三みつには廻ゑ向かう発ほち願ぐわん心しむなり。 三心さむしむを具ぐせるもの、 かならずかのくににむまる」 ととかれたり。 しかるに善導ぜんだう和くわ尚しやうの御おむこゝろによらば、 はじめの至し誠じやう心しむといふは真実しんじち心しむなり。 真実しんじちといふは、 うちにはむなしくして、 外ほかにはかざるこゝろなきを申まふす也なり。 すなわち、 ¬観くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼ を釈しやくしてのたまはく、 「外ほかに賢善けんぜん精しやう進じんの相さうを現げんじて、 内うちには虚仮こけをいだく事ことなかれ」 と。 この釈しやくのこゝろは、 内うちにはおろかにして、 外ほかにはかしこき人ひととおもはれむとふるまひ、 内うちには悪あくをつくりて、 外ほかには善人ぜんにんのよしをしめし、 内うちには懈け怠だいにして、 外ほかには精しやう進じんの相さうを現げんずるを、 実じちならぬこゝろとは申まふす也なり。 内うちにも外ほかにもたゞあるまゝにてかざるこゝろなきを、 至し誠じやう心しむとはなづけたるにこそ候さふらふめれ。 二ふたつには深心じむしむとは、 すなわちふかく信しんずるこゝろなり。 なに事ごとをふかく信しんずるぞといふに、 もろもろの煩悩ぼむなうを具ぐ足そくして、 おほくのつみをつくりて、 余よの善根ぜんごんなからむ凡ぼむ夫ぶ、 阿わ弥陀みだ仏ぶちの大だい悲ひの願ぐわんをあふぎて、 そのほとけの名みやう号がうをとなえて、 もしは百ひやく年ねんにても、 もしは四し、 五ご十じふ年ねんにても、 もしは十じふ、 廿にじふ年ねん乃ない至し一ゐち、 二に年ねん、 すべておもひはじめたらむより臨終りむじゆの時ときにいたるまで退たいせざらむ。 もしは七日しちにち・一日ゐちにち、 十じふ声しやう・一ゐち声しやうにても、 おほくもすくなくも、 称名しようみやう念仏ねむぶちの人ひとは決定くゑちじやうして往わう生じやうすと信しんじて、 乃ない至し一念ゐちねむもうたがふ事ことなきを、 深心じむしむと也なり。 しかるにもろもろの往わう生じやうをねがふ人ひとも、 本ほん願ぐわんの名みやう号がうおばたもちながら、 なほ内うちに妄念まうねむのおこるにもおそれ、 外ほかに余よ善ぜんのすくなきによりて、 ひとへにわがみをかろめて往わう生じやうを不ふ定ぢやうにおもふは、 すでに仏ほとけの本ほん願ぐわんをうたがふなり。 されば善導ぜんだうは、 はるかに未み来らいの行ぎやう者じやのこのうたがひをのこさむ事ことをかゞみて、 うたがひをのぞきて決定くゑちじやう心しむをすゝめむがために、 煩悩ぼむなうを具ぐしてつみをつくりて、 善根ぜんごんすくなくさとりなからむ凡ぼむ夫ぶ、 一ゐち声しやうまでの念仏ねむぶち、 決定くゑちじやうして往わう生じやうすべきことわりを、 こまかに釈しやくしてのたまへるなり。 「たとひおほくの仏ほとけ、 そらの中なかにみちみちて、 ひかりをはなち御みしたをのべて、 つみをつくれる凡ぼむ夫ぶ、 念仏ねむぶちして往わう生じやうすといふ事ことはひがごとなり、 信しんずべからずとのたまふとも、 それによりて一念ゐちねむもおどろきうたがふこゝろあるべからず。 そのゆへは、 阿わ弥陀みだ仏ぶちいまだ仏ほとけになりたまはざりしむかし、 もしわれ仏ほとけになりたらむに、 わが名みやう号がうをとなふる事こと、 十じふ声しやう・一ゐち声しやうまでせむもの、 わがくににむまれずは、 われ仏ほとけにならじとちかひたまひたりしその願ぐわんむなしからずして、 すでに仏ほとけになりたまへり。 しるべし、 その名みやう号がうをとなえむ人ひとは、 かならず往わう生じやうすべしといふことを。 また釈しや迦か仏ぶち、 この娑しや婆ば世せ界かいにいでゝ、 一切ゐちさい衆しゆ生じやうのために、 かの阿わ弥陀みだ仏ぶちの本ほん願ぐわんをとき、 念仏ねむぶち往わう生じやうをすゝめたまへり。 また六方ろくぱうの諸仏しよぶちは、 その説せちを証誠しようじやうしたまへり。 このほかにいづれの仏ほとけの、 またこれらの諸仏しよぶちにたがひて、 凡ぼむ夫ぶ往わう生じやうせずとはのたまふべきぞといふことわりをもて、 仏ほとけ現げんじてのたまふとも、 それにおどろきて、 信心しんじむをやぶりうたがひをいたす事ことあるべからず。 いはむや、 仏ほとけたちのゝたまはむおや。 いはむおや、 辟びやく支し仏ぶち等とうをや」 と、 こまごまと釈しやくしたまひて候さふらふ也なり。 いかにいはむや、 このごろの凡ぼむ夫ぶのいひさまたげむおや。 いかにめでたき人ひとと申まふすとも、 善導ぜんだう和くわ尚しやうにまさりて往わう生じやうのみちをしりたらむ事こともかたく候さふらふ。 善導ぜんだうまたゞたの凡ぼむ夫ぶにあらず、 すなわち阿わ弥陀みだ仏ぶちの化身くゑしんなり。 かの仏ほとけわが本ほん願ぐわんをひろめて、 ひろく衆しゆ生じやうに往わう生じやうせさせむれうに、 かりに人ひととむまれて善導ぜんだうとは申まふすなり。 そのおしえ申まふせば仏説ぶちせちにてこそ候さふらへ。 いかにいはむや、 垂すい跡しやくのかたにても現身げんしんに三昧さむまいをえて、 まのあたり浄じやう土どの荘しやう厳ごむおもみ、 仏ほとけにむかひたてまつりて、 たゞちに仏ほとけのおしへをうけたまはりてのたまへることばどもなり。 本ほん地ぢをおもふにも垂すい跡しやくをたづぬるにも、 かたがたあふぎて信しんずべきおしえなり。 しかれば、 たれだれも煩悩ぼむなうのうすくこきおもかへりみず、 罪ざい障しやうのかろきおもきおもさたせず、 たゞくちにて南无なも阿わ弥陀みだ仏ぶちととなえば、 こゑにつきて決定くゑちじやう往わう生じやうのおもひをなすべし。 決定くゑちじやう心しむをすなわち深心じむしむとなづく。 その信心しんじむを具ぐしぬれば、 決定くゑちじやうして往わう生じやうするなり。 詮せむずるところは、 たゞとにもかくにも、 念仏ねむぶちして往わう生じやうすといふ事ことをうたがはぬを、 深心じむしむとはなづけて候さふらふなり。 三みつには廻ゑ向かう発ほち願ぐわん心しむと申まふすは、 これ別べちのこゝろにては候さふらはず、 わが所修しよしゆの行ぎやうを、 一向ゐちかうに廻ゑ向かうして往わう生じやうをねがふこゝろなり。 「かくのごとく三心さむしむを具ぐ足そくしてかならず往わう生じやうす。 このこゝろひとへにかけぬれば往わう生じやうせず」 と、 善導ぜんだうは釈しやくしたまへるなり。 たとひまことのこゝろありて、 うへをかざらずとも、 仏ほとけの本ほん願ぐわんをうたがはゞ、 深心じむしむかけたるこフカクシンズルコヽロトイフナリゝろなり。 たとひうたがふこゝろなくとも、 うへをかざりて、 うちにまことにおもふこゝろなくは、 至し誠じやう心しむかけたるこゝろなるべし。 たとひまたこのふたつのこゝろを具ぐして、 かざりごゝろもなく、 うたがふこゝろもなくとも、 極楽ごくらくに往わう生じやうせむとねがふこゝろなくは、 廻ゑ向かう発ほち願ぐわん心しむすくなかるべし。 また三心さむしむとわかつおりは、 かくのごとく別別べちべちになるやうなれども、 詮せむずるところは、 真実しんじちのこゝろをおこして、 ふかく本ほん願ぐわんを信しんじて往わう生じやうをねがはむこゝろを、 三心さむしむ具ぐ足そくのこゝろとは申まふすべき也なり。 まことにこれほどのこゝろをだにも具ぐせずしては、 いかゞ往わう生じやうほどの大だい事じおばとげ候さふらふべき。 このこゝろを申まふせば、 またやすきことにて候さふらふぞかし。 これをかやうにこゝろえしらねばとて、 三心さむしむ具ぐせぬにては候さふらはぬなり。 そのなをだにもしらぬものも、 このこゝろおばそなえつべく、 またよくよくしりたらむ人ひとの中なかにも、 そのまゝに具ぐせぬも候さふらひぬべきこゝろにて候さふらふなり。 さればこそいふかひなき人ひとのなかよりも、 たゞひとへに念仏ねむぶち申まふすばかりにては往わう生じやうしたりといふことは、 むかしより申まふしつたえたることにて候さふらへ。 それはみなしらねども、 三心さむしむを具ぐしたる人ひとにてありけりと、 こゝろうる事ことにて候さふらふなり。

またとしごろ念仏ねむぶち申まふしたる人ひとの、 臨終りむじゆわるきことの候さふらふは、 さきに申まふしつるやうに、 うへばかりをかざりて、 たうとき念仏ねむぶち者しやなど人ひとにいはれむとのみおもひて、 したにはふかく本ほん願ぐわんおも信しんぜず、 まめやかに往わう生じやうおもねがわぬ人ひとにてこそは候さふらふらめとこそは、 こゝろえられ候さふらへ。 さればこの三心さむしむを具ぐせぬゆへに、 臨終りむじゆもわるく、 往わう生じやうもえせぬとは申まふし候さふらふ也なり。 かく申まふし候さふらへば、 さては往わう生じやうは大だい事じにこそあむなれと、 おぼしめす事ことゆめゆめ候さふらふまじ。 一ゐち定ぢやう往わう生じやうすべきぞとおもひとらぬこゝろを、 やがて深心じむしむかけて往わう生じやうせぬこゝろとは申まふし候さふらへば、 いよいよ一ゐち定ぢやうとこそおぼしめすべき事ことにて候さふらへ。 まめやかに往わう生じやうのこゝろざしありて、 弥陀みだの本ほん願ぐわんうたがはずして、 念仏ねむぶち申まふさむ人ひとは、 臨終りむじゆわるきことはおほかた候さふらふまじきなり。 そのゆへは、 仏ほとけの来迎らいかうしたまふ事ことは、 もとより行ぎやう者じやの臨終りむじゆ正しやう念ねむのためにて候さふらふなり。 それをこゝろえぬ人ひとは、 みなわが臨終りむじゆ正しやう念ねむにて念仏ねむぶち申まふしたらむおりに、 仏ほとけはむかへたまふべきとのみこゝろえて候さふらはば、 仏ほとけの願ぐわんおも信しんぜず、 経きやうの文もんおもこゝろえぬにて候さふらふなり。 ¬称しよう讃さん浄じやう土ど経きやう¼ には、 「慈悲じひをもてくわえたすけて、 こゝろをしてみだらしめたまはず」 ととかれて候さふらふ也なり。 たゞの時ときによくよく申まふしおきたる念仏ねむぶちによりて、 臨終りむじゆにかならず仏ほとけ来迎らいかうしキタリムカフたまふ。 仏ほとけのきたり現げんじたまへるをみたてまつりて、 正しやう念ねむには住じゆすと申まふしつたえて候さふらふなり。 しかるにさきの念仏ねむぶちおば、 むなしくおもひなして、 よしなき臨終りむじゆ正しやう念ねむおのみいのる人ひとなどの候さふらふは、 ゆゝしきひがゐむにいりたることにて候さふらふなり。 されば仏ほとけの願ぐわんを信しんぜむ人ひとは、 かねて臨終りむじゆうたがふこゝろあるべからずとこそはおぼへ候さふらへ。 たゞたうじより申まふさむ念仏ねむぶちおぞ、 いよいよもこゝろをいたして申まふし候さふらふべき。 いつかは仏ほとけの願ぐわんにも、 臨終りむじゆの時とき念仏ねむぶち申まふしたらむ人ひとおのみむかへむとはたてたまひて候さふらふ。 臨終りむじゆの念仏ねむぶちにて往わう生じやうをすと申まふすことは、 往わう生じやうおもねがはず、 念仏ねむぶちおも申まふさずして、 ひとへにつみをのみつくりたる悪人あくにんの、 すでにしなむとする時ときに、 はじめて善ぜん知ぢ識しきのすゝめにあひて、 念仏ねむぶちして往わう生じやうすとこそ、 ¬観経くわんぎやう¼ にもとかれて候さふらへ。 もとよりの行ぎやう者じや、 臨終りむじゆのさたはあながちにすべきやうも候さふらはぬなり。 仏ほとけの来迎らいかう一ゐち定ぢやうならば、 臨終りむじゆ正しやう念ねむはまた一ゐち定ぢやうとおぼしめすべきなり。 この御おむこゝろをえて、 よくよく御おむこゝろをとゞめて、 こゝろえさせたまふべきことにて候さふらふなり。

またつみをつくりたる人ひとだにも念仏ねむぶちして往わう生じやうす、 まして ¬法華ほふくゑ経きやう¼ などよみて、 また念仏ねむぶち申まふさむは、 などかはあしかるべきと人々ひとびとの申まふし候さふらふらむことは、 京きやうへむにもさやうに申まふし候さふらふ人々ひとびとおほく候さふらへば、 まことにさぞ候さふらふらむ。 これは余よの宗しゆのこゝろにてこそは候さふらはめ。 よしあしをさだめ申まふし候さふらふべきことに候さふらはず。 ひがごとゝ申まふし候さふらはゞ、 おそれあるかたもおほく候さふらふ。 たゞし浄じやう土ど宗しゆのこゝろ、 善導ぜんだうの御おむ釈しやくには、 往わう生じやうの行ぎやうをおほきにわかちて二ふたつとす。 一ひとつには正行しやうぎやう、 二ふたつには雑ざふ行ぎやう也なり。 はじめの正行しやうぎやうといふは、 それにまたあまたの行ぎやうあり。 はじめに読誦どくじゆの正行しやうぎやう、 これは ¬大だい无む量りやう寿じゆ経きやう¼・¬観くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼・¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ 等とうの 「三さむ部ぶ経きやう」 をよむなり。 つぎに観くわん察ざち正行しやうぎやう、 これは極楽ごくらくの依え正しやう二に報ほうのありさまを観くわんずるなり。 つぎに礼拝らいはい正行しやうぎやう、 これも阿わ弥陀みだ仏ぶちを礼拝らいはいするなり。 つぎに称名しようみやう正行しやうぎやう、 これは南无なも阿わ弥陀みだ仏ぶちととなふるなり。 つぎに讃嘆さんだん供く養やう正行しやうぎやう、 これは阿わ弥陀みだ仏ぶちを讃嘆さんだん供く養やうしたてまつるなり。 これをさして五ご種しゆの正行しやうぎやうとなづく。 讃嘆さんだんと供く養やうとを二ふたつにわかつには、 六種ろくしゆの正行しやうぎやうとも申まふすなり。 また 「この正行しやうぎやうにつきてふさねて二に種しゆとす。 一ひとつには一心ゐちしむにもはら弥陀みだの名みやう号がうをとなえて、 たちゐ・おきふし、 よるひる、 わするゝことなく、 念念ねむねむにすてざるを、 正定しやうぢやうの業ごふとなづく、 かの仏ほとけの願ぐわんによるがゆへに」 (散善義意) と申まふして、 念仏ねむぶちをもてまさしきさだめたる往わう生じやうの業ごふにたてて、 「もし礼誦らいじゆ等とうによるおばなづけて助業じよごふとす」 (散善義) と申まふして、 念仏ねむぶちのほかの礼拝らいはいや読誦どくじゆや観くわん察ざちや讃嘆さんだん供く養やうなどおば、 かの念仏ねむぶち者しやをたすくる業ごふと申まふし候さふらふなり。 さてこの正定しやうぢやうの業ごふと助業じよごふとをのぞきて、 そのほかの諸しよ行ぎやうおば、 布施ふせ・持ぢ戒かい・忍辱にんにく・精しやう進じん等とうの六ろく度ど万まん行ぎやうも、 ¬法華ほふくゑ経きやう¼ おもよみ、 真言しんごんおもおこなひ、 かくのごとくの諸しよ行ぎやうおば、 みなことごとく雑ざふ行ぎやうとなづく。 さきの正行しやうぎやうを修しゆするおば、 専修せんじゆの行ぎやう者じやといふ。 のちの雑ざふ行ぎやうを修しゆするを、 雑修ざふしゆの行ぎやう者じやと申まふす也なり。 この二に行ぎやうの得失とくしちを判はんずるに、 「さきの正行しやうぎやうを修しゆするには、 こゝろつねにかのくにに親近しんごんしてシタシクチカヅク憶念おくねむひまなし。 のちの雑ざふ行ぎやうを行ぎやうずるには、 こゝろつねに間断けんだんす、 ヘダテタフルナリ廻ゑ向かうしてむまるゝことをうべしといゑども、 雑ざふの行ぎやうとウトクマジワルト なづく」 (散善義意) といひて、 極楽ごくらくにはうとき行ぎやうとたてたり。 また 「専修せんじゆのものは、 十人じふにんは十人じふにんながらむまれ、 百ひやく人にんは百ひやく人にんながらむまる。 なにをもてのゆへに。 外ぐゑのホカナリ雑縁ざふえんなし、 正しやう念ねむをうるがゆへに、 弥陀みだの本ほん願ぐわんと相応さうおうするがゆへに、 釈しや迦かのおしえにしたがふがゆへに、 恒沙ごうじやの諸仏しよぶちのみことにしたがふがゆへに。 雑修ざふしゆのものは、 百ひやく人にんに一ゐち二に人にん、 千人せんにんに四五しご人にんむまる。 なにをもてのゆへに。 雑縁ざふえん乱動らんどうす、 ミダリオゴカスナリ正しやう念ねむをうしなふがゆへに、 弥陀みだの本ほん願ぐわんに相応さうおうせざるがゆへに、 釈しや迦かのおしへにしたがはざるがゆへに、 諸仏しよぶちのみことにたしがはざるがゆへに、 繋け念ねむ相続さうぞくせざるがゆへに、 憶想おくさう間断けんだんするがゆへに、 名みやう利りと相応さうおうするがゆへに、 自じ障しやうワガコヽロヲサヘ障しやう他たヒトヲサフルするがゆへに、 このみて雑縁ざふえんにちかづきて往わう生じやうの正行しやうぎやうをさふるがゆへに」 (礼讃意) と釈しやくせられて候さふらふめれば、 善導ぜんだう和くわ尚しやうをふかく信しんじて、 浄じやう土ど宗しゆにいらむ人ひとは、 一向ゐちかうに正行しやうぎやうを修しゆすべしと申まふす事ことにてこそ候さふらへ。 そのうへに善導ぜんだうのおしえをそむきて、 よの行ぎやうを修しゆせむとおもはむ人ひとは、 おのおのならひたるやうどもこそ候さふらふらめ。 それをよしあしとはいかゞ申まふし候さふらふべき。 善導ぜんだうの御おむこゝろにて、 すゝめたまへる行ぎやうどもをおきながら、 すゝめたまはざる行ぎやうをすこしにてもくはふべきやうなしと申まふすことにて候さふらふなり。 すゝめたまひつる正行しやうぎやうばかりをだにもなほものうきみに、 いまだすゝめたまはぬ雑ざふ行ぎやうをくはへん事ことは、 まことしからぬかたも候さふらふぞかし。

またつみをつくりたる人ひとだにも往わう生じやうすれば、 まして善ぜんなれば、 なにかくるしからむと申まふし候さふらふらむこそ、 むげにけきたなくおぼえ候さふらへ。 往わう生じやうおもたすけ候さふらはゞこそは、 いみじくも候さふらはめ。 さまたげになりならぬばかりを、 いみじき事ことにてくはえおこなはむこと、 なにかせむにて候さふらふべき。 悪あくをば、 されば仏ほとけの御おむこゝろに、 このつみつくれとやはすゝめさせたまふ。 かまえてとゞめよとこそはいましめたまへども、 凡ぼむ夫ぶのならひ、 当たう時じのまどひにひかれて、 悪あくをつくるちからおよばぬ事ことにてこそ候さふらへ。 まことに悪あくをつくる人ひとのやうに、 しかるべくて経きやうをよみたく、 余よの行ぎやうおもくはへたからむは、 ちからおよばず候さふらふ。 たゞし ¬法華ほふくゑ経きやう¼ などよまむことを、 一言ゐちごんもヒトコトバ 悪あくをつくらむことにいひくらべて、 それもくるしからねば、 ましてこれもなど申まふし候さふらはむこそ、 不ふ便びんのことにて候さふらへ。 ふかきみのりもあしくこゝろうる人ひとにあひぬれば、 かへりてものならずきこえ候さふらふこそ、 あさましく候さふらへ。 これをかやうに申まふし候さふらふおば、 余よ行ぎやうの人々ひとびとはらたつことにて候さふらふに、 御おむこゝろひとつにこゝろえて、 ひろくちらさせたまふまじく候さふらふ。 あらぬさとりの人々ひとびとのともかくも申まふし候さふらはむ事ことおば、 きゝいれさせたまはで、 たゞひとすぢに善導ぜんだうの御おむすゝめにしたがひて、 いますこしも一ゐち定ぢやう往わう生じやうする念仏ねむぶちのかずを申まふしあはむとおぼしめすべく候さふらふ。 たとひ往わう生じやうのさわりとこそならずとも、 不ふ定ぢやう往わう生じやうとはきこえて候さふらふめれば、 一ゐち定ぢやう往わう生じやうの行ぎやうを修しゆすべし。 いとまをいれて、 不ふ定ぢやう往わう生じやうの業ごふをくわえむ事ことは、 損そんにて候さふらはずや。 よくよくこゝろうべき事ことにて候さふらふなり。 たゞし、 かく申まふし候さふらへば、 雑ざふ行ぎやうをくわえむ人ひと、 ながく往わう生じやうすまじと申まふすにては候さふらはず。 いかさまにも余よの行ぎやう人にんなりとも、 すべて人ひとをくだし人ひとをそしる事ことは、 ゆゝしきとがおもきことにて候さふらふなり。 よくよく御おんつゝしみ候さふらひて、 雑ざふ行ぎやうの人ひとなればとて、 あなづる御おむこゝろ候さふらふまじ。 よかれあしかれ、 人ひとのうえの善悪ぜんあくをおもひいれぬがよきことにて候さふらふ也なり。 またもとよりこゝろざしこの門もんにありて、 すゝむべからむ人ひとおば、 こしらへ、 すゝめたまふべく候さふらふ。 さとりたがひ、 あらぬさまならむ人ひとなどに論ろんじあふ事ことは、 ゆめゆめあるまじき事ことにて候さふらふなり。 よくよくならひしりたまひたるひじりだにも、 さやうの事ことおばつゝしみておはしましあひて候さふらふぞ。 ましてとのばらなどの御おむ身みにては、 一ゐち定ぢやうひが事ごとにて候さふらはむずるに候さふらふ。 たゞ御おむ身みひとつに、 まづよくよく往わう生じやうをもねがひ、 念仏ねむぶちおもはげませたまひて、 くらゐたかく往わう生じやうして、 いそぎかへりきたりて、 人ひとおもみちびかむとおぼしめすべく候さふらふ。 かやうにこまかにかきつづけて申まふし候さふらへども、 返々かへすがへすはゞかりおもひて候さふらふなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

御おむひろうあるまじく候さふらふ。 御ごらむじこゝろえさせたまひてのちには、 とくとくひきやらせたまふべく候さふらふ。 あなかしこ、 あなかしこ。

三月十四日

源ぐゑん空く

(16) 正如房への御消息(光明房宛)

しやう如によばうの御事おむことこそ、 返々かへすがへすあさましく候さふらへ。 そのゝちは、 こゝろならずうときやうになりまいらせ候さふらひて、 念仏ねむぶちの御ご信しんもいかゞと、 ゆかしくはおもひまいらせ候さふらひつれども、 さしたる事こと候さふらはず。 また申まふすべきたよりも候さふらはぬやうにて、 おもひながら、 なにとなくて、 むなしくまかりすぎ候さふらひつるに、 たゞれいならぬ御事おむこと大だい事じになどばかりうけたまはり候さふらはむ。 いま一ゐちどはみまいらせたく、 おはりまでの御おむ念仏ねむぶちの事ことも、 おぼつかなくこそおもひまいらせ候さふらふべきに、 まして御おむこゝろにかけて、 つねに御おむたづね候さふらふらむこそ、 まことにあはれにもこゝろぐるしくも、 おもひまいらせ候さふらへ。 さうなくうけたまはり候さふらふまゝに、 まいり候さふらひてみまいらせたく候さふらへども、 おもひきりてしばしいでありき候さふらはで、 念仏ねむぶち申まふし候さふらはばやとおもひはじめたる事ことの候さふらふを、 やうにこそよる事ことにて候さふらへ。 これおば退たいしてもまいるべきにて候さふらふにまたおもひ候さふらへば、 せむじては、 このよの見参けんざむはとてもかくても候さふらふなむ。 かばねをしよするまどひにもなり候さふらひぬべし。 たれとてもとまりはつべきみちも候さふらはず、 われも人ひともたゞおくれさきだつかはりめばかりにてこそ候さふらへ。 そのたえまをおもひ候さふらふも、 またいつまでかとさだめなきうえに、 たとひひさしと申まふすとも、 ゆめまぼろしいくほどかは候さふらふべきなれば、 たゞかまへておなじ仏ほとけのくににまいりあひて、 はちすのうえにてこのよのいぶせさおもはるけ、 ともに過くわ去この因縁いんねんおもかたり、 たがひに未み来らいの化道くゑだうおもたすけむことこそ、 返々かへすがへすも詮せむにて候さふらふべきと、 はじめより申まふしおき候さふらひしが、 返々かへすがへすも本ほん願ぐわんをとりつめまいらせて、 一念ゐちねむもうたがふ御おむこゝろなく、 一ひとこゑも南无なも阿わ弥陀みだ仏ぶちと申まふせば、 わがみはたとひいかにつみふかくとも、 仏ほとけの願ぐわん力りきによりて一ゐち定ぢやう往わう生じやうするぞとおぼしめして、 よくよくひとすぢに御おむ念仏ねむぶちの候さふらふべきなり。 われらが往わう生じやうはゆめゆめわがみのよきあしきにはより候さふらふまじ。 ひとへに仏ほとけの御おむちからばかりにて候さふらふべきなり。 わがちからばかりにてはいかにめでたくたうとき人ひとと申まふすとも、 末法まちぽふのこのごろ、 たゞちに浄じやう土どにむまるゝほどの事ことはありがたくぞ候さふらふべき。 また仏ほとけの御おむちからにて候さふらはむに、 いかにつみふかくおろかにつたなきみなりとも、 それにはより候さふらふまじ。 たゞ仏ほとけの願ぐわん力りきを信しんじ信しんぜぬにぞより候さふらふべき。 されば ¬観くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼ にとかれて候さふらふ。 むまれてよりこのかた、 念仏ねむぶち一遍ゐちぺんも申まふさず、 それならぬ善根ぜんごんもつやつやとなくて、 あさゆふものをころしぬすみし、 かくのごときのもろもろのつみをのみつくりて、 とし月つきをゆけども、 一念ゐちねむも懺悔さむぐゑのこゝろもなくて、 あかしくらしたるものゝ、 おはりの時ときに善ぜん知ぢ識しきのすゝむるにあひて、 たゞひとこゑ南无なも阿わ弥陀みだ仏ぶちと申まふしたるによりて、 五ご十じふ億劫おくこふのあひだ生しやう死じにめぐるべきつみを滅めちして、 化仏くゑぶち・菩ぼ薩さち三尊さむぞんの来迎らいかうにあづかりて、 汝なんぢ仏ほとけのみなをとなふるがゆへにつみ滅めちせり、 われきたりてなむぢをむかふとほめられまいらせて、 すなわちかのくにに往わう生じやうすと候さふらふ。 また五ご逆ぐゐやく罪ざいと申まふし候さふらひて、 現身げんしんにちゝをころし、 はゝをころし、 悪心あくしむをもて仏ほとけをころしめ、 諸僧しよそうを破はし、 かくのごとくおもきつみをつくり、 一念ゐちねむ懺悔さむぐゑのこゝろもなからむ、 そのつみによりて无む間けん地ぢ獄ごくにおちて、 おほくの劫こふをおくりて苦くをうくべからむものゝ、 おわりの時ときに、 善ぜん知ぢ識しきのすゝめによりて、 南无なも阿わ弥陀みだ仏ぶちと十じふ声しやうとなふるに、 一ひとこゑごとにおのおの八十はちじふ億劫おくこふのあひだ生しやう死じにめぐるべきつみを滅めちして、 往わう生じやうすととかれて候さふらふめれ。 さほどの罪人ざいにんだにも十じふ声しやう・一ゐち声しやうの念仏ねむぶちにて往わう生じやうはし候さふらへば、 まことに仏ほとけの本ほん願ぐわんのちからならでは、 いかでかさること候さふらふべきとおぼへ候さふらひて、 本ほん願ぐわんむなしからずといふことは、 これにても信しんじつべくこそ候さふらへ。 これまさしき仏説ぶちせちにて候さふらふ。 仏ほとけののたまふみことばは、 一言ゐちごんもあやまたずと申まふし候さふらへば、 たゞあふぎて信しんずべきにて候さふらふ。 これをうたがはば、 仏ほとけの御おむそらごとゝ申まふすにもなりぬべく、 かへりてはまたそのつみ候さふらひぬべしとこそおぼえ候さふらへ。 ふかく信しんぜさせたまふべく候さふらふ。 さて往わう生じやうはせさせおはしますまじきやうにのみ申まふしきかせまいらする人々ひとびとの候さふらふらむこそ、 返々かへすがへすあさましくこゝろぐるしく候さふらへ。 いかなる智ち者しやめでたき人ひととおほせらるとも、 それになほおどろかされおはしまし候さふらふぞ。 おのおののみちにはめでたくたうとき人ひとなりとも、 さとりあらず行ぎやうことなる人ひとの申まふし候さふらふことは、 往わう生じやう浄じやう土どのためは、 中々なかなかゆゝしき退縁たいえん・シリゾキスツルエントナリ悪あく知ち識しきとも申まふし候さふらひぬべき事ことどもにて候さふらふ。 たゞ凡ぼむ夫ぶのはからひおばきゝいれさせおはしまさで、 ひとすぢに仏ほとけの御おむちかひをたのみまいらせさせたまふべく候さふらふ。

さとりことなる人ひとの往わう生じやういひさまたげむによりて、 一念ゐちねむもうたがふこころあるべからずといふことわりは、 善導ぜんだう和くわ尚しやうのよくよくこまかにおほせられおきたることにて候さふらふ也なり。 「たとひおほくの仏ほとけ、 そらの中なかにみちみちて、 ひかりをはなち御みしたをのべて、 悪あくをつくりたる凡ぼむ夫ぶなりとも、 一念ゐちねむしてかならず往わう生じやうすといふことはひが事ごとぞ、 信しんずべからずとのたまふとも、 それによりて一念ゐちねむもうたがふこゝろあるべからず。 そのゆへは、 阿わ弥陀みだ仏ぶちのいまだ仏ほとけになりたまはざりしむかし、 はじめて道心だうしむをおこしたまひし時とき、 われ仏ほとけになりたらむに、 わが名みやう号がうをとなふること十じふ声しやう・一ゐち声しやうまでせむもの、 わがくにゝむまれずは、 われ仏ほとけにならじとちかひたまひたりしその願ぐわんむなしからず、 すでに仏ほとけになりたまへり。 また釈しや迦か仏ぶち、 この娑しや婆ば世せ界かいにいでゝ、 一切ゐちさい衆しゆ生じやうのために、 かの本ほん願ぐわんをとき、 念仏ねむぶち往わう生じやうをすゝめたまへり。 また六方ろくぱう恒沙ごうじやの諸仏しよぶち、 この念仏ねむぶちして一ゐち定ぢやう往わう生じやうすと釈しや迦か仏ぶちのときたまへるは決定くゑちじやうなり、 もろもろの衆しゆ生じやう一念ゐちねむもうたがふべからず。 ことごとく一仏ゐちぶちものこらず、 あらゆる諸仏しよぶちみなことごとく証誠しようじやうしたまへり。 すでに阿わ弥陀みだ仏ぶちは願ぐわんにたて、 釈しや迦か仏ぶちその願ぐわんをとき、 六方ろくぱうの諸仏しよぶちその説せちを証誠しようじやうしたまへるうえに、 このほかにはなに仏ぶちの、 またこれらの諸仏しよぶちにたがひて、 凡ぼむ夫ぶ往わう生じやうせずとはのたまふべきぞといふことわりをもて、 仏ほとけ現げんじてのたまふとも、 それにおどろきて信心しんじむをやぶりうたがふこゝろあるべからず。 いはむや菩ぼ薩さち達たちののたまはむおや、 上じやう辟びやく支し仏ぶちおや」 と、 こまごまと善導ぜんだう釈しやくしたまひて候さふらふ也なり。 ましてこのごろの凡ぼむ夫ぶのいかにも申まふし候さふらはむによりて、 げにいかゞあらむずらむなど、 不ふ定ぢやうにおぼしめす御おむこゝろ、 ゆめゆめあるまじく候さふらふ。 よにめでたき人ひとと申まふすとも、 善導ぜんだう和くわ尚しやうにまさりて往わう生じやうのみちをしりたらむこともかたく候さふらふ。 善導ぜんだうまた凡ぼむ夫ぶにはあらず、 阿わ弥陀みだ仏ぶちの化身くゑしんなり。 阿わ弥陀みだ仏ぶちのわが本ほん願ぐわんひろく衆しゆ生じやうに往わう生じやうせさせむれうに、 かりに人ひとにむまれて善導ぜんだうとは申まふし候さふらふなり。 そのおしへ申まふせば仏説ぶちせちにてこそ候さふらへ。 あなかしこ、 あなかしこ。 うたがひおぼしめすまじく候さふらふ。 またはじめより仏ほとけの本ほん願ぐわんに信しんをおこさせおはしまして候さふらひし御おむこゝろのほど、 みまいらせ候さふらひしに、 なにしにかは往わう生じやうはうたがひおぼしめし候さふらふべき。 経きやうにとかれて候さふらふごとく、 いまだ往わう生じやうのみちもしらぬ人ひとにとりてのことに候さふらふ。 もとよりよくよくきこしめししたゝめて、 そのうへ御おむ念仏ねむぶち功こうつもりたることにて候さふらはむには、 かならずまた臨終りむじゆの善ぜん知ぢ識しきにあはせおはしまさずとも、 往わう生じやうは一ゐち定ぢやうせさせおはしますべきことにてこそ候さふらへ。 中々なかなかあらぬすぢなる人ひとは、 あしく候さふらふなむ。 たゞいかならむ人ひとにても、 あま女房によばうなりとも、 つねに御おむまへに候さふらはむ人ひとに、 念仏ねむぶちまうさせて、 きかせおはしまして、 御おむこゝろひとつをつよくおぼしめして、 たゞ中々なかなか一向ゐちかうに、 凡ぼむ夫ぶの善ぜん知ぢ識しきをおぼしめしすてゝ、 仏ほとけを善ぜん知ぢ識しきにたのみまいらせさせたまふべく候さふらふ。 もとより仏ほとけの来迎らいかうは、 臨終りむじゆ正しやう念ねむのためにて候さふらふ也なり。 それを人ひとの、 みなわが臨終りむじゆ正しやう念ねむにして念仏ねむぶち申まふしたるに、 仏ほとけはむかへたまふとのみこゝろえて候さふらふは、 仏ほとけの願ぐわんを信しんぜず、 経きやうの文もんを信しんぜぬにて候さふらふ也なり。 ¬称しよう讃さん浄じやう土ど経きやう¼ の文もんを信しんぜぬにて候さふらふ也なり。 ¬称しよう讃さん浄じやう土ど経きやう¼ には 「慈悲じひをもてくわへたすけて、 こゝろをしてみだらしめたまはず」 ととかれて候さふらふ也なり。 たゞのときによくよく申まふしおきたる念仏ねむぶちによりて、 仏ほとけは来迎らいかうしたキタリムカフト まふときに、 正しやう念ねむには住じゆすと申まふすべきにて候さふらふ也なり。 たれも仏ほとけをたのむこゝろははすくなくして、 よしなき凡ぼむ夫ぶの善ぜん知ぢ識しきをたのみて、 さきの念仏ねむぶちおばむなしくおもひなして、 臨終りむじゆ正しやう念ねむをのみいのることどもにてのみ候さふらふが、 ゆゝしきひがゐむのことにて候さふらふ也なり。 これをよくよく御おむこゝろえて、 つねに御おむめをふさぎ、 たなごゝろをあはせて、 御おむこゝろをしづめておぼしめすべく候さふらふ。 ねがわくは阿わ弥陀みだ仏ぶちの本ほん願ぐわんあやまたず、 臨終りむじゆの時ときかならずわがまへに現げんじて、 慈悲じひをくわえたすけて、 正しやう念ねむに住じゆせしめたまへと、 御おむこゝろにもおぼしめして、 くちにも念仏ねむぶち申まふさせたまふべく候さふらふ。 これにすぎたる事こと候さふらふまじ。 こゝろよわくおぼしめすことの、 ゆめゆめ候さふらふまじきなり。 かやうに念仏ねむぶちをかきこもりて申まふし候さふらはむなどおもひ候さふらふも、 ひとへにわがみ一ひとつのためとのみは、 もとよりおもひ候さふらはず。 おりしもこの御おむことをかくうけたまはり候さふらひぬれば、 いまよりは一念ゐちねむものこさす、 ことごとくその往わう生じやうの御おむたすけになさむと廻ゑ向かうしまいらせ候さふらはむずれば、 かまへてかまへておぼしめすさまにとげさせまいらせ候さふらはゞやとこそは、 ふかく念ねんじまいらせ候さふらへ。 もしこのこゝろざしまことならば、 いかでか御おむたすけにもならで候さふらふべき、 たのみおぼしめさるべきにて候さふらふ。 おほかたは申まふしいで候さふらひしひとことばに御おむこゝろをとゞめさせおはしますことも、 このよひとつのことにては候さふらはじと、 さきのよもゆかしくあはれにこそおもひしらるゝことにて候さふらへば、 うけたまはり候さふらふごとく、 このたびまことにさきだゝせおはしますにても、 またおもはずにさきだちまいらせ候さふらふ事ことになるさだめなさにて候さふらふとも、 ついに一仏ゐちぶち浄じやう土どにまいりあひまいらせ候さふらはむことは、 うたがひなくおぼえ候さふらふ。 ゆめまぼろしのこのよにて、 いま一ゐちどなどおもひ申まふし候さふらふ事ことは、 とてもかくても候さふらふなむ。 これおばひとすぢにおぼしめしすてゝ、 いよいよもふかくねがふ御おむこゝろおもまし、 御おむ念仏ねむぶちおもはげませおはしまして、 かしこにてまたむとおぼしめすべく候さふらふ。 返々かへすがへすもなほなほ往わう生じやうをうたがふ御おむこゝろ候さふらふまじきなり。 五ご逆ぐゐやく・十悪じふあくのおもきつみつくりたる悪人あくにん、 なを十じふ声しやう・一ゐち声しやうの念仏ねむぶちによりて、 往わう生じやうをし候さふらはむに、 ましてつみつくらせおはします御事おむことは、 なにごとにかは候さふらふべき。 たとひ候さふらふべきにても、 いくほどのことかは候さふらふべき。 この経きやうにとかれて候さふらふ罪人ざいにんには、 いひくらぶべくやは候さふらふ。 それにまづこゝろをおこし、 出しゆつ家けをとげさせおはしまして、 めでたきみのりにも縁えんをむすび、 ときにしたがひ日ひにそえて、 善根ぜんごんのみこそはつもらせおはしますことにて候さふらはめ。 そのうへふかく決定くゑちじやう往わう生じやうの法文ほふもんを信しんじて、 一向ゐちかう専修せんじゆの念仏ねむぶちにいりて、 ひとすぢに弥陀みだの本ほん願ぐわんをたのみて、 ひさしくならせおはしまして候さふらふ。 なに事ごとにかは、 ひとことも往わう生じやうをうたがひおぼしめし候さふらふべき。 「専修せんじゆの人ひとは百ひやく人にんは百ひやく人にんながら、 十人じふにんは十人じふにんながら往わう生じやうす」 (礼讃) と善導ぜんだうのたまひて候さふらへば、 ひとりそのかずにもれさせおはしますべきかはとこそはおぼえ候さふらへ。 善導ぜんだうおもかこち、 仏ほとけの本ほん願ぐわんおもせめまいらせさせたまふべく候さふらふ。 こゝろよはくは、 ゆめゆめおぼしめすまじく候さふらふ。 あなかしこ、 あなかしこ。

ことわりをや申まふしひらき候さふらふとおもひ候さふらふほどに、 よくおほくなり候さふらひぬる。 さやうのおりふし、 こちなくやとおぼえ候さふらへども、 もしさすがのびたる御おむことにてもまた候さふらふらむ。 えしり候さふらはねば、 このたび申まふし候さふらはでは、 いつおかはまち候さふらふべき。 もしのどかにきかせおはしまして、 一念ゐちねむも御おむこゝろをすゝむるたよりにやなり候さふらふと、 おもひ候さふらふばかりに、 とゞめえ候さふらはで、 これほどもこまかになり候さふらひぬ。 機きシユジヤウ嫌げんをキラフトしり候さふらはぬは、 はからひがたくてわびしくこそ候さふらへ。 もしむげによはくならせおはしましたる御事おむことにて候さふらはゞ、 これはことながく候さふらふべきなり。 要えうをとりてつたえまいらせさせおはしますべく候さふらふ。 うけたまはり候さふらふままに、 なにとなくあはれにおぼえ候さふらひて、 おしかへしまた申まふし候さふらふ也なり。

(17) 故聖人の御房の御消息

又また故こ聖しやう人にんの御坊おむばうの御おむ消息せうそく。

一念ゐちねむ往わう生じやうの義ぎ、 京きやう中ちうにも粗ほぼ流布るふするところなり。 おほよそ言ごん語ご道断だうだんのことなり、 まことにほとおど御ご問もんにおよぶべからざるなり。 詮せむずるところ、 ¬双そう巻経くわんぎやう¼ (大経) の下げに 「乃ない至し一念ゐちねむ信心しんじむ歓くわん喜ぎ」 といひ、 また善導ぜんだう和くわ尚しやうは

「上かみ一ゐち形ぎやうを尽つくし下しも十じふ声しやう一ゐち声しやう等とうに至いたるまで、 定さだめて往わう生じやうを得う、 乃ない至し一念ゐちねむ疑ぎ心しむあることなかれ」

「上じやう尽じん↢一ゐち形ぎやう↡下至げし↢十じふ声しやう一ゐち声しやう等とう↡、 定ぢやう得とく↢往わう生じやう↡、 乃ない至し一念ゐちねむ無む↠有う↢疑ぎ心しむ↡」

といえる。 これらの文もんをあしくぞみたるともがら、 大だい邪見じやけんに住じゆして申まふし候さふらふところなり。 乃ない至しといひ下至げしといえる、 みな上じやう尽じん一ゐち形ぎやうをかねたることばなり。 しかるをちかごろ愚痴ぐち・無智むちのともがらおほく、 ひとへに十念じふねむ・一念ゐちねむなりと執しふして上じやう尽じん一ゐち形ぎやうを廃はいするスツルナリ 条でう、 无む慚ざむハヂナシ・无む愧ぐゐのハジナシトナリことなり。 まことに十念じふねむ・一念ゐちねむまでも仏ほとけの大だい悲ひ本ほん願ぐわん、 なほかならず引接いんぜふしたまふ无む上じやうの功く徳どくなりと信しんじて、 一ゐち期ご不ふ退たいに行ぎやうずシリゾキステザレトナリべき也なり。 文もん証しようおほしといゑども、 これをいだすにおよばず、 いふにたらざる事ことなり。 こゝにかの邪見じやけんの人ひと、 この難なんをかぶりて、 こたえていはく、 わがいふところも、 信しんを一念ゐちねむにとりて念ねむずべきなり。 しかりとて、 また念ねむずべからずとはいはずといふ。 これまたことばは尋じむ常じやうなツネナルトイフるににたりといゑども、 こゝろは邪見じやけんをはなれず。 しかるゆへは、 決定くゑちじやうの信心しんじむをもて一念ゐちねむしてのちは、 また念ねむぜすといふとも、 十悪じふあく・五ご逆ぐゐやくなほさわりをなさず、 いはむや、 余よの少罪せうざいおやと信しんずべきなりといふ。 このおもひに住じゆせむものは、 たとひおほく念ねむずといはむ。 阿わ弥陀みだ仏ぶちの御おむこゝろにかなはむや、 いづれの経きやう論ろん・人にん師しの説せちぞや。 これひとへに懈け怠だい・無む道心だうしむ、 不ふ当たう・不ふ善ぜんのたぐひの、 ほしいまゝに悪あくをつくらむとおもひてまた念ねむぜずは、 その悪あくかの勝しよう因いんをさえて、 むしろ三さむ途づにおちざらむや。 かの一ゐち生しやう造悪ざうあくのものゝ臨終りむじゆに十念じふねむして往わう生じやうする、 これ懺悔さむぐゑ念仏ねむぶちのちからなり、 この悪あくの義ぎには混こむずべからずヒトゴトニナルヲイフナリ。 かれは懺悔さむぐゑの人ひとなり、 これは邪見じやけんの人ひとなり。 なほ不可ふか説せち不可ふか説せちの事こと也なり。 もし精しやう進じんのものありといふとも、 この義ぎをきかばすなわち懈け怠だいになりなむ。 まれに戒かいをたもつ人ひとありといふとも、 この説せちを信しんぜばすなわち無む慚ざむなり。 おほよそかくのごときの人ひとは、 附ふ仏法ぶちぽふの外道ぐゑだうなり、フブチポフトイフハブチポフニツキタルグヱダウナリ             師子ししのみの中うちの虫むしなり。 またうたがふらくは、 天てん魔ま波は旬じゆんのために、 精しやう進じんの気け キ をうばわるゝともがらの、 もろもろの往わう生じやうの人ひとをさまたげむとするなり。 あやしむべし、 ふかくおそるべきもの也なり。 毎まい事じコトゴトニ筆端ひちたんにつくしがフデニアラワシガタシトナリ たし。 謹つゝしみて言まふす。

これは越中ゑちうの国くにに光明くわうみやう房ばうと申まふしひじり、 成じやう覚かく房ばうが弟子でし等ら、 一念ゐちねむの義ぎをたてゝ念仏ねむぶちの数返しゆへんをとゞめむと申まふして、 消息せうそくをもてわざと申まふし候さふらふ。 御おむ返へん事じをとりて、 国くにの人々ひとびとにみせむとて申まふし候さふらふあひだ、 かたのごとくの御おむ返へん事じ候さふらひき。

(18) 基親取信信本願之様

基親もとちか取とて↠信しんを信しんずる↢本ほん願ぐわんを↡之様やう。

¬双さう巻くわん¼ (大経) 上じやうに云いはく、

「たとひわれ仏ぶちを得えたらむに、 十方じふぱうの衆しゆ生じやう、 心しんを至いたし信楽しんげうしてわが国くにに生むまれむと欲おもふて、 乃ない至し十念じふねむせむ。 もし生むまれずは、 正しやう覚がくを取とらじ」 と。

「設せち我が得とく↠仏ぶち、 十方じふぱう衆しゆ生じやう、 至し↠心しん信楽しんげう欲よく↠生しやう↢我が国こく↡、 乃ない至し十念じふねむ。 若にやく不ふ↠生しやう者じや、 不ふ↠取しゆ↢正しやう覚がく↡。」

同おなじ下げに云いはく、

「それ名みやう号がうを聞きゝて信心しんじむ歓くわん喜ぎして、 乃ない至し一念ゐちねむせむ。 心しんを至いたし廻ゑ向かうして、 かの国くにに生うまれむと願がんぜむ。 すなわち往わう生じやうを得え、 不ふ退転たいてんに住じゆせむと。」

「聞もん↢其ご名みやう号がう↡信心しんじむ歓くわん喜ぎ、 乃ない至し一念ゐちねむ。 至し↠心しん廻ゑ向かう、 願がん↠生しやう↢彼ひ国こく↡。 即そく得とく↢往わう生じやう↡、 住じゆ↢不ふ退転たいてん↡。」

¬往わう生じやう礼讃らいさんに¼ 云いはく、

「今いま信しん知ちす、 弥陀みだの本ほん弘ぐ誓ぜい願ぐわんは、 名みやう号がうを称しようすること下至げし十じふ声しやう一ゐち声しやう等とうに及およぶまで、 定さだめて往わう生じやうを得う、 乃ない至し一念ゐちねむ疑ぎ心しむあることなかれと。」

「今こむ信しん知ち、 弥陀みだ本ほん弘ぐ誓ぜい願ぐわん、 及ぎふ↧称しよう↢名みやう号がう↡下至げし十じふ声しやう一ゐち声しやう等とう↥、 定ぢやう得とく↢往わう生じやう↡、 乃ない至し一念ゐちねむ無む↠有う↢疑ぎ心しむ↡。」

¬観経くわんぎょうの疏しよに¼ (散善義) 云いはく、

「一ひとつには決定くゑちじやうして深ふかく自じ身しんは現げんにこれ罪悪ざいあく生しやう死じの凡ぼむ夫ぶ、 昿くわう劫ごふよりこのかた常つねに没しづみ常つねに流る転てんして、 出しゆつ離りの縁えんあることなしと信しんず。 二ふたつには決定くゑちじやうして深ふかくかの阿わ弥陀みだ仏ぶちの四し十八じふはち願ぐわんは衆しゆ生じやうを摂受せふじゆして、 疑うたがひなく慮おもんぱかりなくかの願ぐわん力りきに乗じようじて、 定さだめて往わう生じやうを得うと信しんず。」

「一者ゐちしや決定くゑちじやう深信じむしん↢自じ身しん現げん是ぜ罪悪ざいあく生しやう死じ凡ぼむ夫ぶ、 昿くわう劫ごふ已い来らい常ぢやう没もち常ぢやう流る転てん、 無む↟有う↢出しゆつ離り之し縁えん↡。 二に者しや決定くゑちじやう深信じむしん↧彼ひ阿わ弥陀みだ仏ぶち四し十八じふはち願ぐわん摂せふ↢受じゆ衆しゆ生じやう↡、 無む↠疑ぎ無む↠慮りよ乗じよう↢彼ひ願ぐわん力りき↡、 定ぢやう得とく↦往わう生じやう↥。」

これらの文もんを按あんじ候さふらひて、 基親もとちか罪悪ざいあく生しやう死じの凡ぼむ夫ぶなりといゑども、 一向ゐちかうに本ほん願ぐわんを信しんじて、 名みやう号がうをとなえ候さふらふ、 毎日まいにちに五ご万返まんべんなり。 決定くゑちじやう仏ほとけの本ほん願ぐわんに乗じようじて上じやう品ぼむに往わう生じやうすべきよし、 ふかく存ぞん知ぢし候さふらふ也なり。 このほか別べちの料間れうけんなく候さふらふ。 しかるに或人あるひと、 本ほん願ぐわんを信しんずる人ひとは一念ゐちねむなり、 しかれば、 五ご万返まんべん無む益やく也なり、 本ほん願ぐわんを信しんぜざるなりと申まふす。 基親もとちかこたえていはく、 念仏ねむぶち一ゐち声しやうのほかより、 百ひやく返ぺん乃ない至し万返まんべんは、 本ほん願ぐわんを信しんぜずといふ文もん候さふらふやと申まふす。 難者なんじや云いはく、 自じ力りきにて往わう生じやうはかなひがたし、 たゞ一念ゐちねむ信しんをなしてのちは、 念仏ねむぶちのかず無む益やくなりと申まふす。 基親もとちかまた申まふしていはく、 自じ力りき往わう生じやうとは、 他たの雑ざふ行ぎやう等とうをもて願ぐわんずと申まふさばこそは、 自じ力りきとは申まふし候さふらはめ。 したがひて善導ぜんだうの ¬疏しよ¼ (散善義) にいはく、

「上じやう尽じん百ひやく年ねん下至げし一日ゐちにち七日しちにち、 一心ゐちしむに弥陀みだの名みやう号がうを専念せんねむすれば、 定さだめて往わう生じやうを得う。 かならず疑うたがひなし」

「上じやう尽じん百ひやく年ねん下至げし一日ゐちにち七日しちにち、 一心ゐちしむ専せん↢念ねむ弥陀みだ名みやう号がう↡、 定ぢやう得とく↢往わう生じやう↡。 必ひち無む↠疑ぎ」

と候さふらふめるは、 百ひやく年ねん念仏ねむぶちすべしとこそは候さふらへ。 また聖しやう人にんの御房おむばう七しち万返まんべんをとなえしめまします。 基親もとちか御おむ弟子でしの一分ゐちぶんたり、 よてかずおほくとなえむと存ぞんじ候さふらふなり、 仏ほとけの恩おんを報ほうずる也なりと申まふす。 すなわち ¬礼讃らいさん¼ に

「相続さうぞくしてかの仏恩ぶちおんを念報ねむぽうせざるがゆへに、 心しむに軽きやう慢まんを生しやうず。 業ごふ行ぎやうを作なすといゑども、 常つねに名みやう利りと相応さうおうするがゆへに、 人にん我がおのづから覆おほふて同どう行ぎやう善ぜん知ぢ識しきに親近しんごんせざるがゆへに、 楽このみて雑縁ざふえんに近ちかづきて、 往わう生じやうの正行しやうぎやうを自じ障しやう障しやう他たするがゆへにと。」 云云

「不ふ↣相続さうぞく念ねむ↢報ぽう彼ひ仏ぶち恩おん↡故こ、 心しむ生しやう↢軽きやう慢まん↡。 雖すい↠作さ↢業ごふ行ぎやう↡、 常ぢやう与よ↢名みやう利り↡相応さうおう故こ、 人にん我が自じ覆ふく不ふ↣親しん↢近ごん同どう行ぎやう善ぜん知ぢ識しき↡故こ、 楽げう近ごん↢雑縁ざふえん↡、 自じ↢障しやう障しやう↣他た往わう生じやう正行しやうぎやう↡故こ。」 云云

基親もとちかいはく、 仏恩ぶちおんを報ほうずとも、 念仏ねむぶちの数返しゆへんおほく候さふらはむ。

(19) 基親上書・法然聖人御返事

兵ひやう部ぶ卿きやう三さむ位ゐのもとより、 聖しやう人にんの御房おむばうへまいらせらるゝ御文おむふみの按あん。 基親もとちかはたゞひらに本ほん願ぐわんを信しんじ候さふらひて、 念仏ねむぶちを申まふし候さふらふなり。 料間れうけんも候さふらはざるゆへなり。

そのゝち何事なにごと候さふらふ乎や。 抑そもそも念仏ねむぶちの数遍しゆへんならびに本ほん願ぐわんを信しんずるやう、 基親もとちかが愚ぐ按あんかくのごとく候さふらふ。 しかるに難者なんじや候さふらひて、 いわれなくおぼえ候さふらふ。 このおりがみに、 御ご存ぞん知ぢのむね、 御ご自じ筆ひちをもてかきたまはるべく候さふらふ、 難者なんじやにやぶらるべからざるゆへなり。 別べち解げ・別べち行ぎやうの人ひとにて候さふらはゞ、 みみにもきゝいるべからず候さふらふに、 御おむ弟子でし等らの説せちに候さふらへば、 不ふ審しむをなし候さふらふ也なり。 又また念仏ねむぶち者しや、 女犯によぼむはゞかるべからずと申まふしあひて候さふらふ、 在ざい家けは勿論もちろんなりロンナシトナリ 。 出しゆつ家けはこはく本ほん願ぐわんを信しんずとて、 出しゆつ家けの人ひとの女によにちかづき候さふらふ条でう、 いはれなく候さふらふ。 善導ぜんだうは 「目めをあげて女人によにんをみるべからず」 (龍舒浄土文巻五) とこそ候さふらふめれ。 このことあらあらおほせをかぶるべく候さふらふ。 恐々くゐようくゐよう謹つゝしみて言まふす。  基親もとちか

聖しやう人にんの御房おむばう之の御おむ返へん事じの案あん

おほせのむね、 つゝしむでうけたまはり候さふらひぬ。 御ご信心しんじむとらしめたまふやう、 おりがみつぶさにみ候さふらふに、 一分ゐちぶんも愚意ぐいに存ぞんじ候さふらふところにたがはず候さふらふ。 ふかく随ずい喜きしたてまつり候さふらふところなり。 しかるに近来きんらい一念ゐちねむのほかの数返しゆへん無む益やくなりと申まふす義ぎいできたり候さふらふよし、 ほぼつたへうけたまはり候さふらふ。 勿論もちろんろんなく不ふず ↠足そくたら↠言ごんのまふすに事ことか、 文もん義ぎをはなれて申まふす人ひとすでに証しようをえ候さふらふか、 いかむ。 もとも不ふ審しむに候さふらふ。 またふかく本ほん願ぐわんを信しんずるもの、 破は戒かいもかへりみるべからざるよしの事こと、 これまたとはせたまふにもおよぶべからざる事ことか。 附ふ仏法ぶちぽふの外道ぐゑだう、 ほかにもとむべからず候さふらふ。 おほよそは、 ちかごろ念仏ねむぶちの天てん魔まきおいきたりて、 かくのごときの狂言わうごんいでクルハスコトバナリきたり候さふらふか。 なほなほさらにあたはず候さふらふ、 あたはず候さふらふ。 恐々くゐようくゐよう謹つゝしみて言まふす。

八月十七日

(20) 或人念仏之不審聖人奉問次第(十一箇條問答)

或人あるひと念仏ねむぶち之の不ふ審しむ聖しやう人にんに奉たてまつる↠問とい次し第だい。

問とふ。 八宗はちしゆ・九く宗しゆのほかに浄じやう土ど宗しゆの名なをたつることは、 自由じゆにまかせてたつること、 余よ宗しゆの人ひとの申まふし候さふらふおばいかゞ申まふし候さふらふべき。

答こたふ。 宗しゆの名なをたつることは仏説ぶちせちにはあらず、 みづからこゝろざすところの経きやう教けうにつきて、 存ぞんじたる義ぎを学がくしきわめて、 宗しゆ義ぎを判はんずるコトワルナリ事こと也なり。 諸宗しよしゆのならひみなかくのごとし。 いま浄じやう土ど宗しゆの名なをたつる事ことは、 浄じやう土どの依え正しやう経きやうにつきて往わう生じやう極楽ごくらくの義ぎをさとりきわめたまへる先達せんだちの、 宗しゆの名なをたてたまへるなり。 宗しゆのおこりをしらざるものゝ、 さやうのことおば申まふす也なり。

問とふ。 法華ほふくゑ・真言しんごんおば雑ざふ行ぎやうにいるべからずと、 ある人ひと申まふし候さふらふおばいかむ。

答こたふ。 恵ゑ心しむの先徳せんどく、 一代ゐちだいの聖しやう教げうの要文えうもんをあつめて ¬往わう生じやう要集えうしゆ¼ をつくりたまへる中なかに十門じふもんをたてゝ、 第だい九くに往わう生じやうの諸しよ行ぎやうの門もんに、 法華ほふくゑ・真言しんごん等とうの諸しよ大だい乗じようをいれたまへり。 諸しよ行ぎやうと雑ざふ行ぎやうと、 ことばはことに、 こゝろはおなじ。 いまの難者なんじやは恵ゑ心しむの先徳せんどくにまさるべからざるなり 云云。

問とふ。 余よ仏ぶち・余よ経きやうにつきて善根ぜんごんを修しゆせむ人ひとに、 結縁けちえん助じよ成じやうし候さふらふことは雑ざふ行ぎやうにてや候さふらふべき。

答こたふ。 我わがこゝろ、 弥陀みだ仏ぶちの本ほん願ぐわんに乗じようじ、 決定くゑちじやう往わう生じやうの信しんをとるうえには、 他たの善根ぜんごんに結縁けちえんし助じよ成じやうせむ事こと、 またく雑ざふ行ぎやうとなるべからず、 わが往わう生じやうの助業じよごふとなるべき也なり。 他たの善根ぜんごんを随ずい喜き讃嘆さんだんせよと釈しやくしたまへるをもて、 こゝろうべきなり。

問とふ。 極楽ごくらくに九く品ぼむの差別しやべちの候さふらふ事ことは、 阿わ弥陀みだ仏ぶちのかまへたまへる事ことにて候さふらふやらむ。

答こたふ。 極楽ごくらくの九く品ぼむは弥陀みだの本ほん願ぐわんにあらず、 四し十八じふはち願ぐわんの中なかになし。 これは釈しやく尊そんの*巧言げうごんなり。 善人ぜんにん・悪人あくにん一処ゐちしよにむまるといはゞ、 悪業あくごふのものども慢心まんしんをおケウマンノコヽロこすべきがゆへに、 品ほむ位ゐ差別しやべちをあらせて、 善人ぜんにんは上じやう品ぼむにすゝみ、 悪人あくにんは下げ品ぼむにくだるなど、 ときたまふなり。 いそぎまかりてしるべし 云云。

問とふ。 持ぢ戒かいの行ぎやう者じやの念仏ねむぶちの数返しゆへんのすくなく候さふらはむと、 破は戒かいの行ぎやう人にんの念仏ねむぶちの数返しゆへんのおほく候さふらはむと、 往わう生じやうののちの浅深せんじむいづれかすゝみ候さふらふべき。

答こたふ。 ゐておはしますたゝみをさゝえてのたまはく、 このたゝみのあるにとりてこそ、 やぶれたるかやぶれざるかといふことはあれ。 つやつやとなからむたゝみおば、 なにとかは論ろんずべき。 「末法まちぽふの中なかには持ぢ戒かいもなく、 破は戒かいもなし、 無む戒かいもなし。 たゞ名みやう字じの比丘びくばかりあり」 と、 伝教でんげう大だい師しの ¬末法まちぽふ灯とう明みやう記き¼ にかきたまへるうへは、 なにと持ぢ戒かい・破は戒かいのさたはすべきぞ。 かゝるひら凡ぼむ夫ぶのためにおこしたまへる本ほん願ぐわんなればとて、 いそぎいそぎ名みやう号がうを称しようすべしと 云云。

問とふ。 念仏ねむぶちの行ぎやう者じや等ら、 日別にちべちの所しよ作さにおいて、 こゑをたてゝ申まふす人ひとも候さふらふ、 こゝろに念ねんじてかずをとる人ひとも候さふらふ、 いづれおかよく候さふらふべき。

答こたふ。 それは口くちにも名みやう号がうをとなへ、 こゝろにも名みやう号がうを念ねむずることなれば、 いづれも往わう生じやうの業ごふにはなるべし。 たゞし仏ほとけの本ほん願ぐわんの称名しようみやうの願ぐわんなるがゆへに、 こゑをあらわすべきなり。 かるがゆへに ¬経きやう¼ (観経意) には 「こゑをたえず、 十念じふねむせよ」 ととき、 釈しやくには 「称しよう我が名みやう号がう下至げし十じふ声しやう」 (礼讃) と釈しやくしたまへり。 わがみみにきこゆるほどおば、 高かう声しやう念仏ねむぶちにとるなり。 さればとて、 譏き嫌げんをしソシリキラフトナリらず、 高かう声しやうなるべきにはあらず、 地ぢ体たいはこゑをいださむとおもふべきなり。

問とふ。 日別にちべちの念仏ねむぶちの数返しゆへんは、 相続さうぞくにいるほどはいかゞはからひ候さふらふべき。

答こたふ。 善導ぜんだうの釈しやくによらば、 一万ゐちまん已い上じやうは相続さうぞくにてアヒツグトナリ あるべし。 たゞし一ゐち万返まんべんをいそぎ申まふして、 さてその日ひをすごさむ事ことはあるべからず。 一ゐち万返まんべんなりとも、 一日ゐちにち一ゐち夜やの所しよ作さとすべし。 総そうじては一食ゐちじきのあひだに三さむ度どばかりとなえむは、 よき相続さうぞくにてあるべし。 それは衆しゆ生じやうの根こん性じやう不ふ同どうなれば、 一ゐち准じゆんなナラヒト るべからず。 こゝろざしだにもふかければ、 自じ然ねんに相続さうぞくはせらるゝ事ことなり。

問とふ。 ¬礼讃らいさん¼ の深心じむしむの中なかには

「十じふ声しやう一ゐち声しやうかならず往わう生じやうを得う、 乃ない至し一念ゐちねむ疑うたがふ心こゝろあることなかれ」

「十じふ声しやう一ゐち声しやう必得ひちとく↢往わう生じやう↡、 乃ない至し一念ゐちねむ無む↠有う↢疑ぎ心しむ↡」

と釈しやくし、 また ¬疏しよ¼ (散善義) の中なかの深心じむしむには

「念念ねむねむに捨すてざるは、 これを正定しやうぢやう之の業ごふと名なづく」

「念念ねむねむ不ふ↠捨しや者しや、 是ぜ名みやう↢正定しやうぢやう之し業ごふ↡」

と釈しやくしたまへり。 いづれかわが分ぶんにはおもひさだめ候さふらふべき。

答こたふ。 十じふ声しやう・一ゐち声しやうの釈しやくは、 念仏ねむぶちを信しんずるやうなり。 かるがゆへに、 信しんおば一念ゐちねむに生むまるととり、 行ぎやうおば一ゐち形ぎやうをはげむべしとすゝめたまへる釈しやく也なり。 また大たい意いは、オホゴヽロナリ 一ゐち発心ほちしむ已後いごの釈しやくを本ほんとすべし。

問とふ。 本ほん願ぐわんの一念ゐちねむは、 尋じむ常じやうツネノトキの機き、 臨終りむじゆの機きに通つずべく候さふらふ歟か。

答こたふ。 一念ゐちねむの願ぐわんは、 二に念ねむにおよばざらむ機きのためなり。 尋じむ常じやうの機きに通つずべくは、 上じやう尽じん一ゐち形ぎやうの釈しやくあるべからず。 この釈しやくをもてこゝろうべし。 かならず一念ゐちねむを仏ほとけの本ほん願ぐわんといふべからず。 「念念ねむねむ不ふ捨しや者しや、 是ぜ名みやう正定しやうぢやう之し業ごふ、 順じゆん彼ぴ仏ぶち願ぐわん故こ」 の釈しやくは、 数返しゆへんつもらむおも本ほん願ぐわんとはきこえたるは、 たゞ本ほん願ぐわんにあふ機きの遅ちオソキ速そくトキ不ふ同どうなれば、 上じやう尽じん一ゐち形ぎやう下至げし一念ゐちねむとおこしたまへる本ほん願ぐわんなりとこゝろうべきなり。 かるがゆへに念仏ねむぶち往わう生じやうの願ぐわんとこそ、 善導ぜんだうは釈しやくしたまへと。

問とふ。 自じ力りき・他た力りきの事ことは、 いかゞこゝろうべく候さふらふらむ。

答こたうらくは、 源ぐゑん空くは殿でん上じやうへまいるべききりやうにてはなけれども、 上かみよりめせば二度にどまいりたりき。 これわがまいるべきしきにてはなけれども、 上かみの御おむちからなり。 まして阿わ弥陀みだ仏ぶちの仏力ぶちりきにて、 称名しようみやうの願ぐわんにこたえて来迎らいかうせさせたまはむ事ことおば、 なむの不ふ審しむかあるべき。 自じ身しんの罪つみのおもく无智むちなれば、 仏ほとけもいかにしてすくひましまさむとおもはむものは、 つやつや仏ほとけの願ぐわんをもしらざるものなり。 かゝる罪人ざいにんどもを、 やすやすとたすけすくはむれうに、 おこしたまへる本ほん願ぐわんの名みやう号がうをとなえながら、 ちりばかりも疑ぎ心しむあるまじきなり。 十方じふぱう衆しゆ生じやうの願ぐわんのうちに、 有智うち・無智むち、 有う罪ざい・無む罪ざい、 善人ぜんにん・悪人あくにん、 持ぢ戒かい・破は戒かい、 男なむ子し・女人によにん、 三宝さむぽう滅尽めつじんののち百ひやく歳さいまでの衆しゆ生じやう、 みなこもれるなり。 かの三宝さむぽう滅尽めつじんの時ときの念仏ねむぶち者しや、 当たう時じのわ御坊おむばうたちとくらぶれば、 わ御房おむばうたちは仏ほとけのごとし。 かの時ときは人寿にんじゆ十歳じふさいの時ときなり。 戒かい定ぢやう慧ゑの三学さむがく、 なをだにもきかず、 いふばかりなきものどもの来迎らいかうにあづかるべき道だう理りをしりながら、 わがみのすてられまいらすべきやうおば、 いかにしてかあむじいだすべき。 たゞし極楽ごくらくのねがはしくもなく、 念仏ねむぶちのまうされざらむ事ことこそ、 往わう生じやうのさわりにてはあるべけれ。 かるがゆへに他た力りきの本ほん願ぐわんともいひ、 超てう世せの悲ひ願ぐわんともいふなり 云云。

問とふ。 至し誠じやう等とうの三心さむしむを具ぐし候さふらふべきやうおば、 いかゞおもひさだめ候さふらふべき。

答こたふ。 三心さむしむを具ぐする事ことは、 たゞ別べちのやうなし。 阿わ弥陀みだ仏ぶちの本ほん願ぐわんに、 わが名みやう号がうを称しよう念ねむせよ、 かならず来迎らいかうせむとおほせられたれば、 決定くゑちじやうして引接いんぜふせられまいらせむずるとふかく信しんじて、 心念しむねむ口く称しようにものうからず、 すでに往わう生じやうしたるこゝちしてたゆまざるものは、 自じ然ねんに三心さむしむ具ぐ足そくするなり。 また在ざい家けのものどもはかほどにおもはざれども、 念仏ねむぶちを申まふすものは極楽ごくらくにうまるなればとて、 念仏ねむぶちをだにも申まふせば、 三心さむしむは具ぐ足そくするなり。 さればこそ、 いふにかひなきやからどもの中なかにも、 神妙しんべうなる往わう生じやうはする事ことにてあれと 云云。

(21) 浄土宗大意

また浄じやう土ど宗しゆの大たい意いとオホゴゝロ て、 おしえさせたまひしやうは、 三宝さむぽう滅尽めつじんの時ときなりといふとも、 十じふ念ねむすればまた往わう生じやうす。 いかにいはむや、 三宝さむぽう流る行ぎやうのよにむまれて、 五ご逆ぐゐやくおもつくらざるわれら、 弥陀みだの名みやう号がうを称しよう念ねむせむに、 往わう生じやううたがふべからず。 またいはく、 浄じやう土ど宗しゆのこゝろは、 聖しやう道だう・浄じやう土どの二に門もんをたてゝ、 一代ゐちだいの諸教しよけうをおさむ。 聖しやう道だう門もんといふは、 娑しや婆ばの*得道とくだうなり。 自じ力りき断惑だんわく出しゆつ離り生しやう死じの教けうなるがゆへに、 凡ぼむ夫ぶのために修しゆしがたし、 行ぎやうじがたし。 浄じやう土ど門もんといふは、 極楽ごくらくの*得道とくだうなり。 他た力りき断惑だんわく往わう生じやう浄じやう土ど門もんなるがゆへに、 凡ぼむ夫ぶのためには修しゆしやすく、 行ぎやうじやすし。 その行ぎやうといふは、 ひとへに凡ぼむ夫ぶのためにおしえたまふところの願行ぐわんぎやうなるがゆへなり。 総そうじてこれをいへば、 五ご説せちの中なかには仏説ぶちせち也なり、 *四土しどの中なかには報ほう土ど也なり、 三身さむしんの中なかには二に身しん也なり、 三宝さむぽうの中なかには仏宝ぶちぽう也なり、 *四し乗じようの中なかには仏ぶち乗じようなり、 二に教けうの中なかには頓教とんげう也なり、 *二に蔵ざうの中なかには菩ぼ薩さち蔵ざう也なり、 二に行ぎやうの中なかには正行しやうぎやうなり、 二に超てうの中なかには横超わうてう也なり、 二に縁えんの中なかには有う縁えんの行ぎやうなり、 *二に住じゆの中なかには止し住じゆ也なり、 *思し不思ふしの中なかには不ふ思議しぎなり。 またいはく、 聖しやう道だう門もんの修しゆ行ぎやうは、 智慧ちゑをきわめて生しやう死じをはなれ、 浄じやう土ど門もんの修しゆ行ぎやうは、 愚痴ぐちにかへりて極楽ごくらくにむまると 云云。

康元かうげん元丙辰十月卅日書之

愚禿親鸞 八十四歳

 

西方指南抄下末

(22) 四種往生事

四し種しゆ往わう生じやうの事こと。

一 正しやう念ねむ念仏ねむぶち往わう生じやう¬阿わ弥陀みだ経きやうの¼ 説せちなり
二 狂くゐやう乱らん念仏ねむぶち往わう生じやう¬観くわん无む量りやう寿じゆ経きやうの¼ 説せちなり
三 無記むき心しむ往わう生じやう¬群ぐん疑ぎ論ろんの¼ 説せちなり 懐ゑ感かむ作さく
四 意い念ねむ往わう生じやう¬法ほふ鼓く経きやうの¼ 説せちなり

¬法ほふ鼓く経きやうに¼ 言のたまはく、

「もし人ひと命みやう終じゆの時とき念ねむを作なすにあたはずは、 たゞかの方はうに仏ぶちましますと知しりて往わう生じやうの意こゝろを作なせば、 また往わう生じやうを得うるなり。」 云々

「若にやく人にん命みやう終じゆ之時しじ不ふ↠能のう↠作さ↠念ねむ、 但たん知ち↢彼ひ方はう有う↟仏ぶち作さ↢往わう生じやう意い↡、 亦やく得とく↢往わう生じやう↡。」 云々

(23) 法語(黒田聖への書)

末代まちだいの衆しゆ生じやうを往わう生じやう極楽ごくらくの機きにあてゝみるに、 行ぎやうすくなしとてうたがふべからず、 一念ゐちねむ・十念じふねむたりぬべし。 罪人ざいにんなりとてうたがふべからず、 罪根ざいこんふかきおもきらわずといへり。 時ときくだれりとてうたがふべからず、 法滅ほふめち已後いごの衆しゆ生じやうなほ往わう生じやうすべし、 いはむや近来きんらいおやコノゴロトイフ 。 わが身みわるしとてうたがふべからず、 自じ身しんはこれ煩悩ぼむなうを具ぐ足そくせる凡ぼむ夫ぶなりといへり。 十方じふぱうに浄じやう土どおほけれども、 西方さいはうをねがふ十悪じふあく・五ご逆ぐゐやくの衆しゆ生じやうむまるゝがゆへなり。 諸仏しよぶちの中なかに弥陀みだに帰くゐしたてまつるは、 三念さむねむ・五ご念ねむにいたるまで、 みづからきたりてむかへたまふがゆへに。 諸しよ行ぎやうの中なかに念仏ねむぶちをもちゐるは、 かの仏ほとけの本ほん願ぐわんなるがゆへに。 いま弥陀みだの本ほん願ぐわんに乗じようじて往わう生じやうしなむには、 願ぐわんとして成じやうぜずといふ事ことあるべからず。 本ほん願ぐわんに乗じようずる事ことは、 たゞ信心しんじむのふかきによるべし。 うけがたき人身にんじんをうけて、 あひがたき本ほん願ぐわんにまうあひ、 おこしがたき道心だうしむをおこして、 はなれがたき輪りん廻ゑの里さとをはなれ、 むまれがたき浄じやう土どに往わう生じやうせむことは、 よろこびの中なかのよろこびなり。 罪つみは十悪じふあく・五ご逆ぐゐやくのものむまると信しんじて、 少罪せうざいおもおかさじとおもふべし。 罪人ざいにんなほむまる、 いはむや善人ぜんにんおや。 行ぎやうは一念ゐちねむ・十念じふねむむなしからずと信しんじて、 无む間けんに修しゆすべし。 一念ゐちねむなほむまる、 いかにいはむや多た念ねむおや。 阿わ弥陀みだ仏ぶちは、 不ふ取しゆ正しやう覚がくの御みことば成じやう就じゆして現げんにかのくににましませば、 さだめて命みやう終じゆには来迎らいかうしたまはむずらむ。 釈しやく尊そんは、 よきかなや、 わがおしえにしたがひて、 生しやう死じをはなれむと知ち見けんしたまはむ。 六方ろくぱうの諸仏しよぶちは、 よろこばしきかな、 われらが証誠しようじやうを信しんじて、 不ふ退たいの浄じやう土どに生しやうぜむとよろこびたまふらむ。 天てんをあふぎ地ぢにふしてよろこぶべし。 このたび弥陀みだの本ほん願ぐわんにまうあえる事ことを、 行ぎやう住じゆ坐ざ臥ぐわにも報ほうずべし。 かの仏ほとけの恩徳おんどくを、 たのみてもなほたのむべきは乃ない至し十念じふねむの御み言ことば、 信しんじてもなほ信しんずべきは必得ひちとく往わう生じやうの文もんなり。  黒谷くろだに聖しやう人にん源ぐゑん空く

(24) 法語(念仏大意)

末代まちだい悪あく世せの衆しゆ生じやうの往わう生じやうのこゝろざしをいたさむにおきては、 また他たのつとめあるべからず、 たゞ善導ぜんだうの釈しやくにつきて一向ゐちかう専修せんじゆの念仏ねむぶち門もんにいるべきなり。 しかるを一向ゐちかうの信しんをいたして、 その門もんにいる人ひときわめてありがたし。 そのゆへは、 或あるいは他たの行ぎやうにこゝろをそめ、 或あるいは念仏ねむぶちの功く能のうをおもくせざるなるべし。 つらつらこれをおもふに、 まことしく往わう生じやう浄じやう土どのねがひふかきこゝろをもはらにする人ひと、 ありがたきゆへか。 まづこの道だう理りをよくよくこゝろうべきなり。 すべて天臺てんだい・法相ほふさうの経きやう論ろん・聖しやう教げうも、 そのつとめをいたさむに、 ひとつとしてあだなるべきにはあらず。 たゞし仏道ぶちだう修しゆ行ぎやうは、 よくよく身みをはかり、 時ときをはかるべきなり。 仏ほとけの滅めち後ご第だい四しの五ご百ひやく年ねんにだに、 智慧ちゑをみがきて煩悩ぼむなうを断だんずる事ことかたく、 こゝろをすまして禅ぜん定ぢやうをえむ事ことかたきゆへに、 人ひとおほく念仏ねむぶち門もんにいりけり。 すなわち道だう綽しやく・善導ぜんだう等とうの浄じやう土ど宗しゆの聖しやう人にん、 この時ときの人ひとなり。 いはむや、 このころは第だい五ごの五ご百ひやく年、 闘とう諍じやう堅けん固ごの時ときなり、 他たの行ぎやう法ほふさらに成じやう就じゆせむ事ことかたし。 しかのみならず、 念仏ねむぶちにおきては、 末法まちぽふののちなほ利り益やくあるべし。 いはむや、 いまのよは末法まちぽふ万年まんねんのはじめなり、 一念ゐちねむ弥陀みだを念ねむぜむに、 なむぞ往わう生じやうをとげざらむや。 たとひわれら、 そのうつわものにあらずといふとも、 末法まちぽふのすゑの衆しゆ生じやうには、 さらににるべからず。 かつはまた釈しやく尊そん在ざい世せの時ときすら、 即身そくしん成じやう仏ぶちにおきては、 竜女りうによのほか、 いとありがたし。 たとひまた即身そくしん成じやう仏ぶちまでにあらずとも、 この聖しやう道だう門もんをおこなひあひたまひけむ菩ぼ薩さち・声しやう聞もん達たち、 そのほかの権者ごんじや・ひじり達たち、 そのゝちの比丘びく・比丘びく尼に等とういまにいたるまでの経きやう論ろんの学者がくしや、 ¬法華ほふくゑ経きやう¼ の持じ者しや、 いくそばくぞや。 こゝにわれら、 なまじゐに聖しやう道だうをまなぶといふとも、 かの人々ひとびとにはさらにおよぶべからず。 かくのごときの末代まちだいの衆しゆ生じやうを、 阿わ弥陀みだ仏ぶちかねてさとりたまひて、 五ご劫こふがあひだ思し惟ゆいして四し十八じふはち願ぐわんをおこしたまへり。 その中なかの第だい十八じふはちの願ぐわんにいはく、 「十方じふぱうの衆しゆ生じやう、 こゝろをいたして信楽しんげうして、 わがくににむまれむとねがひて、 乃ない至し十念じふねむせむに、 もしむまれずといはゞ、 正しやう覚がくをとらじ」 (大経巻上) とちかひたまひて、 すでに正しやう覚がくなりたまへり。 これをまた釈しやく尊そんときたまへる経きやう、 すなわち ¬観くわん无む量りやう寿じゆ¼ 等とうの「三さむ部ぶ経きやう」 なり。 かの経きやうはたゞ念仏ねむぶち門もんなり。 たとひ悪業あくごふの衆しゆ生じやう等とう、 弥陀みだのちかひばかりに、 なほ信しんをいたすといふとも、 釈しや迦かこれを一一ゐちゐちにときたまへる 「三さむ部ぶ経きやう」、 あに一言ゐちごんもむなしからむや。 そのうへまた、 六方ろくぱう・十方じふぱうの諸仏しよぶちの証誠しようじやう、 この ¬経きやう¼ 等とうにみえたり。 他たの行ぎやうにおきては、 かくのごときの証誠しようじやうみえざるか。 しかれば、 ときもすぎ、 身みにもこたふまじからむ禅ぜん定ぢやう・智慧ちゑを修しゆせむよりは、 利り益やく現在げんざいにして、 しかもそこばくの仏ほとけたちの証誠しようじやうしたまへる弥陀みだの名みやう号がうを称しよう念ねむすべき也なり。 そもそも後世ごせ者しやの中なかに、 極楽ごくらくはあさく弥陀みだはくだれり。 期ごするところ密厳みちごむ・華蔵くゑざう等とうの世せ界かい也なりとこゝろをかくる人ひともはべるにや、 それはなはだおほけなし。 かの土どは、 断だん无む明みやうの菩ぼ薩さちのほかはいることなし。 また一向ゐちかう専修せんじゆの念仏ねむぶち門もんにいるなかにも、 日別にちべちに三さむ万返まんべん、 もしは五ご万まん乃ない至し十じふ万返まんべんといふとも、 これをつとめおはりなむのち、 年来ねんらい受じゆ持ぢ読誦どくじゆこうつもりたる諸しよ経きやうおもよみたてまつらむ事こと、 つみになるべきかと不ふ審しむをなして、 あざむくともがらもまじわれり。 それ罪つみになるべきにては、 いかでかははべるべき。 末代まちだいの衆しゆ生じやう、 その行ぎやう成じやう就じゆしがたきによりて、 まづ弥陀みだの願ぐわん力りきにのりて、 念仏ねむぶちの往わう生じやうをとげてのち、 浄じやう土どにて阿わ弥陀みだ如来によらい・観くわん音おむ・勢せい至しにあひたてまつりて、 もろもろの聖しやう教げうおも学がくし、 さとりおもひらくべきなり。 また末代まちだいの衆しゆ生じやう、 念仏ねむぶちをもはらにすべき事こと、 その釈しやくおほかる中なかに、 かつは十方じふぱう恒沙ごうじやの仏ほとけ証誠しようじやうしたまふ。 また ¬観経くわんぎやうの疏しよ¼ の第三だいさむ (定善義) に善導ぜんだう云いはく、

「自余じよの衆しゆ行ぎやうこれを善ぜんと名なづくといゑども、 もし念仏ねむぶちに比たくらぶるにはまたく比ひ校けうにあらざるなり。 このゆへに諸しよ経きやうの中なかに処処しよしよに広ひろく念仏ねむぶちの功く能のうを讃ほむ。 ¬无む量りやう寿じゆ経きやう¼ の四し十八じふはち願ぐわんの中なかのごとき、 たゞ弥陀みだの名みやう号がうを専念せんねむして生しやうを得うと明あかす。 また ¬弥陀みだ経きやう¼ の中なかのごとき、 一日ゐちにち七日しちにち弥陀みだの名みやう号がうを専念せんねむすれば生しやうを得うと。 また十方じふぱう恒沙ごうじやの諸仏しよぶちの証誠しようじやう虚むなしからず。 またこの ¬経きやう¼ の中なかに定ぢやう散さんの文もんの中なかに、 ただ名みやう号がうを専念せんねむすれば生しやうを得うと標へうす。 この例れい一ゐちにあらざるなり。 広ひろく念仏ねむぶち三昧ざんまいを顕あらはし竟おはりぬ」

「自余じよ衆しゆ行ぎやう雖すい↠名みやう↢是ぜ善ぜん↡、 若にやく比ひ↢念仏ねむぶち↡者しや全ぜむ非ひ↢比ひ校けう↡也や。 是故ぜこ諸しよ経きやう中ちう処処しよしよ広くわう讃さん↢念仏ねむぶち功く能のう↡。 如によ↢ ¬无む量りやう寿じゆ経きやう¼ 四し十八じふはち願ぐわん中ちう↡、 唯ゆい明みやう↧専せん↢念ねむ弥陀みだ名みやう号がう↡得とく↞生しやう。 又う如によ↢ ¬弥陀みだ経きやう¼ 中ちう↡、 一日ゐちにち七日しちにち専せん↢念ねむ弥陀みだ名みやう号がう↡得とく↠生しやう。 又う十方じふぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶち証誠しようじやう不ふ↠虚こ也や。 又此うし ¬経きやう¼ 中ちう定ぢやう散さん文中もんちう、 唯ゆい標へう↧専せん↢念ねむ名みやう号がう↡得とく↞生しやう。 此し例れい非ひ↠一ゐち也や。 広くわう顕けん↢念仏ねむぶち三昧ざんまい↡竟きやう」

とあり。 また善導ぜんだうの ¬往わう生じやう礼讃らいさん¼ (意) ならびに専修せんじゆ浄じやう業ごふの文もん等とうにも、 「雑修ざふしゆのものは往わう生じやうをとぐる事こと、 万まんが中なかに一ゐち二になほかたし。 専修せんじゆのものは、 百ひやくに百ひやくながらむまる」 といへり。 これらすなわち、 なに事ごともその門もんにいりなむには、 一向ゐちかうにもはら他たのこゝろあるべからざるゆへなり。 たとえば今こむ生じやうにも主君しゆくんにつかへ、 人ひとをあひたのむみち、 他た人にんにこゝろざしをわくると、 一向ゐちかうにあひたのむと、 ひとしからざる事こと也なり。 たゞし家いゑゆたかにして、 のりもの、 僮僕どうぼくもかツブネヤツコヲイフなひ、 面面めんめんにこゝろざしをいたすちからもたえたるともがらは、 かたがたにこゝろざしをわくといゑども、 その功こうむなしからず。 かくのごときのちからにたえざるものは、 所所しよしよをかぬるあひだ、 身みはつかるといゑども、 そのしるしをえがたし。 一向ゐちかうに人ひと一人ゐちにんをたのめば、 まづしきものも、 かならずそのあわれみをうるなり。 すなわち末代まちだい悪あく世せの無智むちの衆しゆ生じやうは、 かのまづしきもののごときなり。 むかしの権者ごんじやは、 いゑゆたかなる衆しゆ生じやうのごときなり。 しかれば、 無智むちのみをもちて智ち者しやの行ぎやうをまなばむにおきては、 貧者ひんじやの徳人とくにんをまなばむがごときなり。 またなほたとひをとらば、 たかき山やまの、 人ひとかよふべくもなからむがむせきを、 ちからたえざらむものゝ、 石いしのかど木きのねにとりすがりてのぼらむとはげまむは、 雑ざふ行ぎやうを修しゆして往わう生じやうをねがわむがごとき也なり。 かの山やまのみねより、 つよきつなをおろしたらむにすがりてのぼらむは、 弥陀みだの願ぐわん力りきをふかく信しんじて、 一向ゐちかうに念仏ねむぶちをつとめて、 往わう生じやうせむがごときなるべし。

また一向ゐちかう専修せんじゆには、 ことに三心さむしむを具ぐ足そくすべき也なり。 三心さむしむといふは、 一ひとつには至し誠じやう心しむ、 二ふたつには深心じむしむ、 三みつには廻ゑ向かう発ほち願ぐわん心しむ也なり。 至し誠じやう心しむといふは、 余よ仏ぶちを礼らいせず弥陀みだを礼らいし、 余よ行ぎやうを修しゆせず弥陀みだを念ねんじて、 もはらにしてもはらならしむる也なり。 深心じむしむといふは、 弥陀みだの本ほん願ぐわんをふかく信しんじて、 わがみは无始むしよりこのかた罪悪ざいあく生しやう死じの凡ぼむ夫ぶ、 一ゐち度どとして生しやう死じをまぬかるべきみちなきを、 弥陀みだの本ほん願ぐわん不ふ思議しぎなるによりて、 かの名みやう号がうを一向ゐちかうに称しよう念ねむして、 うたがひをなすこゝろなければ、 一念ゐちねむのあひだに八十はちじふ億劫おくこふの生しやう死じのつみを滅めちして、 最さい後ご臨終りむじゆの時とき、 かならず弥陀みだの来迎らいかうにあづかる也なり。 廻ゑ向かう発ほち願ぐわん心しむといふは、 自他じたの行ぎやうを真実しんじち心しむの中なかに廻ゑ向かう発ほち願ぐわんする也なり。 この三心さむしむひとつもかけぬれば、 往わう生じやうをとげがたし。 しかれば、 他たの行ぎやうをまじえむによりてつみにはなるべからずといふとも、 なほ念仏ねむぶち往わう生じやうを不ふ定ぢやうに存ぞんじていさゝかのうたがひをのこして、 他事たじをくわふるにて侍はべるべき也なり。 たゞしこの三心さむしむの中なかに、 至し誠じやう心しむをやうやうにこゝろえて、 ことにまことをいたすことを、 かたく申まふしなすともがらも侍はべるにや。 しからば、 弥陀みだの本ほん願ぐわんの本ほん意いにもたがひて、 信心しんじむはかけぬるにてあるべきなり。 いかに信力しんりきをいたすといふとも、 かゝる造悪ざうあくの凡ぼむ夫ぶのみの信力しんりきにて、 ねがひを成じやう就じゆせむほどの信力しんりきは、 いかでか侍はべるべき。 たゞ一向ゐちかうに往わう生じやうを決定くゑちじやうせむずればこそ、 本ほん願ぐわんの不ふ思議しぎにては侍はべるべけれ。 さやうに信力しんりきもふかく、 よからむ人ひとのためには、 かゝるあながちに不ふ思議しぎの本ほん願ぐわんおこしたまふべきにあらず、 この道だう理りおば存ぞんじながら、 まことしく専修せんじゆ念仏ねむぶちの一ゐち行ぎやうにいる人ひといみじくありがたきなり。 しかるを道だう綽しやく禅ぜん師じは決定くゑちじやう往わう生じやうの先達せんだち也なり、 智慧ちゑふかくして講説かうせちを修しゆしたまひき。 曇鸞どむらん法ほふ師しの三さむ世ぜ已下いげの弟子でし也なり。 「かの鸞らん師しは智慧ちゑ高かうタカク遠おんフカシなりといゑども、 四し論ろんの講説かうせちをすてゝ、 念仏ねむぶち門もんにいりたまはむや、 わがしるところさわるところ、 なむぞおほしとするにたらむや」 (迦才浄土論巻下) とおもひとりて、 涅槃ねちはんの講説かうせちをすてゝ、 ひとへに往わう生じやうの業ごふを修しゆして、 一向ゐちかうにもはら弥陀みだを念ねんじて、 相続さうぞく无む間けんにしてアヒツヾキテヒマナクシテトイフ、 現げんに往わう生じやうしたまへり。 かくのごとき道だう綽しやくは、 講説かうせちをやめて念仏ねむぶちを修しゆし、 善導ぜんだうは雑修ざふしゆをきらいて専修せんじゆをつとめたまひき。 また道だう綽しやく禅ぜん師じのすゝめによりて、 *并州へいしうの三さむ県くゑんの人ひと、 七歳しちさい以後いご一向ゐちかうに念仏ねむぶちを修しゆすといへり。 しかれば、 わが朝てうの末法まちぽふの衆しゆ生じやう、 なむぞあながちに雑修ざふしゆをこのまむや。 たゞすみやかに弥陀みだ如来によらいの願ぐわん、 釈しや迦か如来によらいの説せち、 道だう綽しやく・善導ぜんだうの釈しやくをまもるに、 雑ざふ行ぎやうを修しゆして極楽ごくらくの果くわを不ふ定ぢやうに存ぞんぜむよりは、 専修せんじゆの業ごふを行ぎやうじて、 往わう生じやうののぞみを決定くゑちじやうすべき也なり。 またかの道だう綽しやく・善導ぜんだう等とうの釈しやくは、 念仏ねむぶち門もんの人々ひとびとの事ことなれば、 左右さうにおよぶべからず。 法相ほふさう宗しゆにおきては、 専修せんじゆ念仏ねむぶち門もん、 ことに信向しんかうせざるかと存ぞんずるところに、 慈じ恩おん大だい師しの ¬西方さいはう要えう決くゑち¼ に云いはく、

「末法まちぽふ万年まんねんには余よ経きやうことごとく滅めちす。 弥陀みだの一教ゐちけう物ものを利りすることひとへに増まさらむ」

「末法まちぽふ万年まんねん余よ経きやう悉しち滅めち。 弥陀みだ一教ゐちけう利り↠物もち偏へん増ぞう」

と釈しやくしたまへり。 また同おなじき ¬書しよ¼ (西方要決意) にいはく、

「三さむ空く九く断だんの文もん、 十じふ地ぢ・五ご修しゆの訓おしへ、 生しやう期ご分役ぶんやく死し終じゆ非ひ運うん、 多た聞もんの広くわう学がくを暫ざむ息そくせむにはしかず、 念仏ねむぶちの単修たんしゆをもはらにせよ」

「三さむ空く九く断だん之し文もん、 十じふ地ぢ・五ご修しゆ之し訓くん、 生しやう期ご分役ぶんやく死し終じゆ非ひ運うん、 不ふ↠如によ↣暫ざむ↢息そくシバラクヤメニハ多た聞もん之し広くわう学がく↡、 専せん念仏ねむぶち之し単修たんしゆ↡」

といへり。 しかのみならず、 また ¬大だい聖しやう竹林ちくりむ寺じの記き¼ にいはく、 「五ご台だい山さん竹林ちくりむ寺じの大だい講堂かうだうの中うちにして、 普ふ賢げん・文殊もんじゆ東西とうざいに対たい座ざしてムカヒヰタマヘリ、 もろもろの衆しゆ生じやうのために妙法めうほふをときたまうとき、 法照ほふせう禅ぜん師じひざまづきて、 文殊もんじゆにとひたてまつりき。 未み来らい悪あく世せの凡ぼむ夫ぶ、 いづれの法ほふをおこないてか、 ながく三界さむがいをいでゝ浄じやう土どにむまるゝことをうべきと。 文殊もんじゆこたえてのたまはく、 往わう生じやう浄じやう土どのはかり事ごと、 弥陀みだの名みやう号がうにすぎたるはなく、 頓とん証しよう菩ぼ提だいの道だう、 たゞ称しよう念ねむの一門ゐちもんにあり。 これによりて、 釈しや迦か一代ゐちだいの聖しやう教げうにほむるところみな弥陀みだにあり。 いかにいはむや、 未み来らい悪あく世せの凡ぼむ夫ぶおやとこたへたまへり」。 かくのごときの要文えうもん等ら、 智ち者しやたちのおしへをみても、 なほ信心しんじむなくして、 ありがたき人界にんがいをうけて、 ゆきやすき浄じやう土どにいらざらむ事こと、 後こう悔くわいなにごとかこれにしかむや。 かつはまた、 かくのこときの専修せんじゆ念仏ねむぶちのともがらを、 当世たうせいにもはら難なんをくはへて、 あざけりをなすともがらおほくきこゆ。 これまたむかしの権者ごんじや達たち、 かねてみなさとりしりたまへること也なり。

善導ぜんだうの ¬法ほふ事じ讃さんに¼ (巻下) 云いはく、

「世せ尊そん法ほうを説ときたまふ時ときまさに了おはらむとす。 慇懃おんごんに弥陀みだの名みなを付ふ嘱ぞくしたまへり。

五ご濁じよく増まさらむ時ときは多おほく疑うたがひ謗そしらむ。 道俗だうぞくあひ嫌きらて聞きくことを用もちゐんじ。

「世せ尊そん説せち↠法ぽう時じ将しやう↠了れう慇懃おんごんネムゴロニ付ふ↢嘱ぞく弥陀みだ名みやう↡
五ご濁じよく増ぞう時じ多た疑ぎ謗ほう道俗だうぞく相嫌さうけむ不ふ↠用よう↠聞もん

修しゆ行ぎやうすることあるを見みては瞋毒しんどくを起おこさむ。 方便はうべんして破壊はゑし競きほひて怨あだを生しやうぜむ。

かくのごとき生しやう盲まう闡提せんだいの輩ともがら、 頓教とんげうを毀滅くゐめちしてながく沈淪ちむりむせむ。

見けん↠有う↢修しゆ行ぎやう↡起き↢瞋毒しんどく↡方便はうべん破壊はゑ競きやう生しやう↠怨おん
如によ↠此し生しやう盲まう闡提せんだい輩はいムマルヽヨリメシヒタルナリ毀くゐ↢滅めち頓教とんげうソシリホロボシテ  ↡永ゐやう沈淪ちむりむ

大だい地ぢ微み塵じん劫ごふを超過てうくわすとも、 いまだ三さむ途づの身みを離はなるゝことを得うべからず。

大衆だいしゆ同心どうしんにみな所しよ有うの破は法ほふの罪つみの因縁いんねんを懺悔さむぐゑせよ。」

超てう↢過くわ大だい地ぢ微み塵じん劫ごふ↡未み↠可か↠得とく↠離り↢三さむ途づ身しん
大衆だいしゆ同心どうしん皆かい懺さむ↢悔ぐゑ所しよ有う破は法ほふ罪ざい因縁いんねん↡」

また ¬平びやう等どう覚がく経きやう¼ (第四巻) にいはく、 「若もし善ぜん男なむ子し・善ぜん女人によにんありて、 かくのごときらの浄じやう土どの法文ほふもんをとくをきゝて、 悲ひカナシミ 喜きヨロコブをなして身みの毛けよだつことをなしてぬきいだすがごとくするは、 しるべし、 この人ひと過くわ去こにすでに仏道ぶちだうをなしてきたれる也なり。 もしまたこれをきくといふとも、 すべて信楽しんげうせざらむにおきては、 しるべし、 この人ひとはじめて三さむ悪道まくだうのなかよりきたれるなり」。 しかれば、 かくのごときの謗難ばうなんソシル のともがらは、 さうなき罪人ざいにんのよしをしりて、 論談ろんだんにあたふべからざる事こと也なり。 また十善じふぜんかたくたもたずして、 忉たう利り・都と率そちをねがはむ事こと、 きわめてかなひがたし。 極楽ごくらくは五ご逆ぐゐやくのもの念仏ねむぶちによりてむまる。 いはむや、 十悪じふあくにおきてはさわりとなるべからず。 また慈じ尊そんの出しゆつ世せを期ごせむにも、 五ご十じふ六億ろくおく七千しちせん万歳まんざい、 いとまちどおなり、 いまだしらず。 他た方はうの浄じやう土どそのところどころにはかくのごときの本ほん願ぐわんなし、 極楽ごくらくはもはら弥陀みだの願ぐわん力りきはなはだふかし、 なむぞほかをもとむべき。 またこのたび仏法ぶちぽふに縁えんをむすびて、 三さむ生しやう・四し生しやうに得脱とくだちせむとのぞみをかくるともがらあり、 このねがひきわめて不ふ定ぢやうなり。 大だい通つ結縁けちえんのホフクヱシユノコヽロ人ひと、 信楽しんげう慚愧ざむぐゐのころものうらに、 一ゐち乗じよう无価むげの玉たまをかけて、 隔生きやくしやう即亡そくまうして、 三千さむぜんの塵点ぢんでむがあひだ六趣ろくしゆに輪りん廻ゑせしにあらずや。 たとひまた、 三さむ生しやう・四し生しやうに縁えんをむすびて、 必ひち定ぢやう得脱とくだちすべきにても、 それをまちつけむ輪転りんでんのあひだのくるしみ、 いとたえがたかるべし。 いとまちどおなるべし。 またかの聖しやう道だう門もんにおいては、 三さむ乗じよう・五ご乗じようの得道とくだうなり、 この行ぎやうは多た百ひやく千せん劫ごふなり。 こゝにわれら、 このたびはじめて人界にんがいの生しやうをうけたるにてもあらず、 世世せせ生生しやうしやうをへて、 如来によらいの教化けうくゑにも、 菩ぼ薩さちの弘ぐ経きやうにも、 いくそばくかあひたてまつりたりけむ。 たゞ不ふ信しんにして教化けうくゑにもれきたるなるべし。 三さむ世ぜの諸仏しよぶち、 十方じふぱうの菩ぼ薩さち、 おもへばみなこれむかしのともなり。 釈しや迦かも五ご百ひやく塵点じんでむのさき、 弥陀みだも十劫じふこふのさきは、 かたじけなく父母ぶも・師し弟ていともたがひになりたまひけむ。 仏ほとけは前仏ぜんぶちの教けうをうけ、 善ぜん知ぢ識しきのおしえを信しんじて、 はやく発心ほちしむ修しゆ行ぎやうしたまひて、 成じやう仏ぶちしてひさしくなりたまひにけり。 われらは信心しんじむおろかなるがゆへに、 いまに生しやう死じにとまれるなるべし。 過くわ去この輪転りんでんをおもへば、 未み来らいもまたかくのごとし。 たとひ二に乗じようの心しむおばおこすといふとも、 菩ぼ提だい心しむおばおこしがたし。 如来によらいは勝しようスグレ方便はうべんにしておこないたまへり。 濁ぢよく世せの衆しゆ生じやう、 自じ力りきをはげまむには、 百ひやく千せん億劫おくこふ難なん行ぎやう苦く行ぎやうをいたすといふとも、 そのつとめおよぶところにあらず。 またかの聖しやう道だう門もんは、 よく清浄しやうじやうにして、 そのうつわものにたれらむ人ひとのつとむべき行ぎやうなり。 懈け怠だい不ふ信しんにしては、 中々なかなか行ぎやうぜしめむよりも、 罪業ざいごふの因いんとなるかたもありぬべし。 念仏ねむぶち門もんにおきては、 行ぎやう住じゆ座ざ臥ぐわねてもさめても持じ念ねむするに、 そのたよりとがなくして、 そのうつわものをきらはず、 ことごとく往わう生じやうの因とないんる事ことうたがひなし。

「かの仏ぶちの因中いんちうに弘ぐ誓ぜいを立たてたまへり。 名なを聞きゝて我われを念ねむぜばすべて迎むかへ来きたらしめむと。

貧びん窮ぐと富貴ふきとを簡えらばず。 下智げちと高才かうざいとを簡えらばず。

多た聞もんと浄じやう戒かいを持たもてるとを簡えらばず。 破は戒かいと罪根ざいこん深ふかきとを簡えらばず。

たゞ心しむを廻えして多おほく念仏ねむぶちせしむれば、 よく瓦ぐわ礫りやくを変へんじて金こがねと成なさしむと。」 (五会法事讃巻中)

「彼ひ仏ぶち因中いんちう立りふ↢弘ぐ誓ぜい↡聞もん↠名みやう念ねむ↠我が総そう迎来かうらい
不ふ↠簡けん↣貧びん窮ぐ将しやう↢富貴ふき↡不ふ↠簡けん↣下智げち与よ↢高才かうざい↡
不ふ↠簡けん↣多た聞もん持ぢ↢浄じやう戒かい↡不ふ↠簡けん↢破は戒かい罪根ざいこん深じん↡
但たん使し↢廻ゑ↠心しむ多た念仏ねむぶち↡能のう令りやう↢瓦ぐわ礫りやく変へん成じやう↟金こむ」

といへり。 またいみじき経きやう論ろん・聖しやう教げうの智ち者しやといゑども、 最さい後ご臨終りむじゆの時とき、 その文もんを暗誦あむじゆするにあたはず。 念仏ねむぶちにおきては、 いのちをきわむるにいたるまで、 称しよう念ねむするにそのわづらひなし。 また仏ほとけの誓せい願ぐわんのためしをひらかむにも、 薬やく師しの十じふ二にの誓せい願ぐわんには不ふ取しゆ正しやう覚がくの願ぐわんなく、 千手せんじゆの願ぐわん、 また不ふ取しゆ正しやう覚がくとちかひたまへるも、 いまだ正しやう覚がくなりたまはず。 弥陀みだは不ふ取しゆ正しやう覚がくの願ぐわんをおこして、 しかも正しやう覚がくなりて、 すでに十劫じふこふをへたまへり。 かくのごときの弥陀みだのちかひに信しんをいたさざらむ人ひとは、 また他たの法文ほふもんおも信仰しんかうアオグするにおよばず。 しかれば、 返々かへすがへすも一向ゐちかう専修せんじゆの念仏ねむぶちに信しんをいたして、 他たのこゝろなく、 日にち夜や朝てうアシタ暮ぼ、ユウベ 行ぎやう住じゆ座ざ臥ぐわに、 おこたる事ことなく称しよう念ねむすべき也なり。 専修せんじゆ念仏ねむぶちをいたすともがら、 当世たうせいにも往わう生じやうをとぐるきこえ、 そのかずおほし。 雑修ざふしゆの人ひとにおきて、 そのきこえきわめてありがたき也なり。 そもそもこれをみても、 なほよこさまのひがゐむにいりて、 もの難なんぜむとおもはむともがらは、 さだめていよいよいきどほりをなして、 しからば、 むかしより仏ほとけのときおきたまへる経きやう論ろん・聖しやう教げう、 みなもて無む益やくのいたづらものにて、 うせなむとするにこそなど、 あざけり申まふさむずらむ。 それは天臺てんだい・法相ほふさうの本ほん寺じ・本山ほんざんに修学しゆがくをいとなみて、 名みやう利りおも存ぞんじ、 おほやけにもつかへ、 官くわん位ゐおものぞまむとおもはむ人ひとにおきては、 左右さうにおよぶべからず。 また上じやう根こん利智りちの人ひとは、 そのかぎりにあらず。 このこゝろをえてよく了れうサトリ見けんミルする人ひとは、 あやまりて聖しやう道だう門もんをことにおもくするゆへと存ぞんずべき也なり。 しかるを、 なほ念仏ねむぶちにあひかねてつとめをいたさむ事ことは、 聖しやう道だう門もんをすでに念仏ねむぶちの助じよ行ぎやうにもちゐるべきか。 その条でうこそ、 かへりて聖しやう道だう門もんをうしなふにては侍はべりけれ。 たゞこの念仏ねむぶち門もんは、 返々かへすがへすもまた他た心しむなく後世ごせをおもはむともがらの、 よしなきひがゐむにおもむきて、 時ときおも身みおもはからず、 雑ざふ行ぎやうを修しゆして、 このたびたまたまありがたき人界にんがいにむまれて、 さばかりまうあひがたかるべき弥陀みだのちかひをすてゝ、 また三さむ途づの旧きう里りにフルキサト かへりて、 生しやう死じに輪転りんでんして、 多た百ひやく千せん劫ごふをへむかなしさをおもひしらむ人ひとの身しんのためを申まふすなり。 さらば、 諸宗しよしゆのいきどほりにはおよぶべからざる事こと也なり。

(25) 九条殿北政所への御返事

九く条でう殿どのゝ北きたの政所まどころの御おむ返かへり事ごと。

かしこまりて申まふし上あげ候さふらふ。 さては御おむ念仏ねむぶち申まふさせおはしまし候さふらふなるこそ、 よにうれしく候さふらへ。 まことに往わう生じやうの行ぎやうは、 念仏ねむぶちがめでたきことにて候さふらふ也なり。 そのゆへは、 念仏ねむぶちは弥陀みだの本ほん願ぐわんの行ぎやうなればなり。 余よの行ぎやうは、 それ真言しんごん・止し観くわんホフクヱシユのナリたかき行ぎやう法ほふなりといゑども、 弥陀みだの本ほん願ぐわんにあらず。 また念仏ねむぶちは、 釈しや迦かの付ふ属ぞくの行ぎやうなり。 余よ行ぎやうは、 まことに定ぢやう散さん両りやう門もんのめでたき行ぎやうなりといゑども、 釈しやく尊そんこれを付ふ嘱ぞくしたまはず。 また念仏ねむぶちは、 六方ろくぱうの諸仏しよぶちの証誠しようじやうの行ぎやう也なり。 余よの行ぎやうは、 たとひ顕密けんみち事理じりのやむごとなき行ぎやう也なりと申まふせども、 諸仏しよぶちこれを証誠しようじやうしたまはず。 このゆへに、 やうやうの行ぎやうおほく候さふらへども、 往わう生じやうのみちにはひとえに念仏ねむぶちすぐれたることにて候さふらふ也なり。 しかるに往わう生じやうのみちにうとき人ひとの申まふすやうは、 余よの真言しんごん・止し観くわんの行ぎやうにたへざる人ひとの、 やすきままのつとめにてこそ念仏ねむぶちはあれと申まふすは、 きわめたるひがごとに候さふらふ。 そのゆへは、 弥陀みだの本ほん願ぐわんにあらざる余よ行ぎやうをきらひすてゝ、 また釈しやく尊そんの付ふ属ぞくにあらざる行ぎやうおばえらびとゞめ、 また諸仏しよぶちの証誠しようじやうにあらざる行ぎやうおばやめおさめて、 いまはたゞ弥陀みだの本ほん願ぐわんにまかせ、 釈しやく尊そんの付ふ属ぞくにより、 諸仏しよぶちの証誠しようじやうにしたがひて、 おろかなるわたくしのはからひをやめて、 これらのゆへ、 つよき念仏ねむぶちの行ぎやうをつとめて、 往わう生じやうおばいのるべしと申まふすにて候さふらふ也なり。 これは恵ゑ心しむの僧そう都の ¬往わう生じやう要集えうしゆ¼ (巻中) に、 「往わう生じやうの業ごふ、 念仏ねむぶちを本ほんとす」 と申まふしたる、 このこゝろ也なり。 いまはたゞ余よ行ぎやうをとゞめて、 一向ゐちかうに念仏ねむぶちにならせたまふべし。 念仏ねむぶちにとりても、 一向ゐちかう専修せんじゆの念仏ねむぶち也なり。 そのむね三昧さむまい発得ほちとくの善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうの疏しよ¼ にみえたり。 また ¬双そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下) に、 「一向ゐちかう専念せんねむ无む量りやう寿じゆ仏ぶち」 といへり。 一向ゐちかうの言ごんは、 二に向かう・三向さむかうに対たいして、 ひとへに余よの行ぎやうをえらびて、 きらひのぞくこゝろなり。 御おむいのりのれうにも、 念仏ねむぶちがめでたく候さふらふ。 ¬往わう生じやう要集えうしゆ¼ にも、 余よ行ぎやうの中なかに念仏ねむぶちすぐれたるよしみえたり。 また伝教でんげう大だい師しの七難しちなん消滅せうめちの法ほふにも、 「念仏ねむぶちをつとむべし」 (七難消滅護国頌) とみえて候さふらふ。 おほよそ十方じふぱうの諸仏しよぶち、 三界さむがいの天衆てんしゆ、 妄まう語ごしたまはぬ行ぎやうにて候さふらへば、 現げん世ぜ・後ご生しやうの御おむつとめ、 なに事ごとかこれにすぎ候さふらふべきや。 いまたゞ一向ゐちかう専修せんじゆの但たん念仏ねむぶち者しやにならせおはしますべく候さふらふ。

(26) 熊谷入道への御返事

御おむふみくはしくうけたまはり候さふらひぬ。 かやうにまめやかに、 大だい事じにおぼしめし候さふらふ。 返々かへすがへすありがたく候さふらふ。 まことにこのたび、 かまへて往わう生じやうしなむと、 おぼしめしきるべく候さふらふ。 うけがたき人身にんじんすでにうけたり、 あひがたき念仏ねむぶち往わう生じやうの法門ほふもんにあひたり。 娑しや婆ばをいとふこゝろあり、 極楽ごくらくをねがふこゝろおこりたり。 弥陀みだの本ほん願ぐわんふかし。 往わう生じやうはたゞ御おむこゝろにあるたびなり。 ゆめゆめ御おむ念仏ねむぶちおこたらず、 決定くゑちじやう往わう生じやうのよしを存ぞんぜさせたまふべく候さふらふ。 なに事ごともとゞめ候さふらひぬ。

九月十六日

源ぐゑん空く

(27) 要義十三問答

まことにこの身みには、 道心だうしむのなき事ことと、 やまひとばかりや、 なげきにて候さふらふらむ。 世よをいとなむ事ことなければ、 四し方はうに馳ちハシル騁ちやうハシルせず、 衣え食じきともにかけたりといゑども、 身しん命みやうをおしむこゝろ切せちならぬは、 あながちにうれへとするにおよばぬ。 こゝろをやすくせむためにも、 すて候さふらふべきよにこそ候さふらふめれ。 いはむや、 无む常じやうのかなしみはめのまへにみてり、 いづれの月つき日ひおかおはりのときと期ごせむ。 さかへあるものもひさしからず、 いのちあるものもまたうれえあり。 すべていとふべきは六道ろくだう生しやう死じのさかひ、 ねがふべきは浄じやう土ど菩ぼ提だいなり。 天てん上じやうにむまれてたのしみにほこるといゑども、 五ご衰すい*退没たいもちのくるしみあり。 人間にんげんにむまれて国王こくわうの身しんをうけて、 一ゐち四し天てん下げおばしたがふといゑども、 生しやうウマル 老らうオイタル病びやうヤマウ死しシヌル・ 愛別あいべちワカレハナ離苦りくルヽクル・シミ 怨おんウラミ 憎ぞうソネム会苦えくクルシミの一ゐち事じもまぬかるゝ事ことなし。 これらの苦くなからむすら、 三さむ悪道まくだうにかへるおそれあり。 こゝろあらむ人ひとは、 いかゞいとはざるべき。 うけがたき人界にんがいの生しやうをうけて、 あひがたき仏教ぶちけうにあひ、 このたび出しゆつ離りをもとめさせたまへ。

一 問とふ。 おほかたは、 さこそはおもふことにて候さふらへども、 かやうにおほせらるゝことばにつきて、 さうなく出しゆつ家けをしたりとも、 こゝろに名みやう利りをはなれたる事こともなし。 持ぢ戒かい清浄しやうじやうなる事ことなく、 无む道心だうしむにて人ひとに謗はうをなされむ事こと、 いかゞとおぼえ候さふらふ。 それも在ざい家けにありておほくの輪りん廻ゑの業ごふをまさむよりは、 よき事ことにてや候さふらふべき。

答こたふ。 たわぶれに尼にアマのころもをき、 さけにゑいて出しゆつ家けをしたる人ひと、 みな仏道ぶちだうの因いんとなりにきと、 ふるきものにもかきつたえられて候さふらふ。 ¬往わう生じやうの十因じふいん¼ (意) と申まふすふみには、 「*勝しよう如によ聖しやう人にんの父母ぶもともに出しゆつ家けせし時とき、 男おとこはとし四し十じふ一ゐち、 妻さいオメは卅さむじふ三さむなり。 修しゆ行ぎやうの僧そうをもちて師しとしき。 師しほめていはく、 衰老すいらうにもいたらず、 病患びやうぐゑんウレエにものぞまず、 いま出しゆつ家けをもとむ。 これ最さい上じやうの善根ぜんごんなり」 とこそはいひけれ。 釈しや迦か如来によらい、 当来たうらい導だう師し弥み勒ろく慈じ尊そんに付ふ属ぞくしたまふにも、 「破は戒かい・重悪ぢうあくのともがらなりといふとも、 頭かしらをそり、 衣ころもをそめ、 袈裟けさをかけたらむものは、 みな汝なんぢにつく」 とこそはおほせられて候さふらへ。 されば破は戒かいなりといゑども、 三さむ会ゑ得脱とくだちなほたのみあり。 ある経きやうの文もんには、 「在ざい家けの持ぢ戒かいには、 出しゆつ家けの破は戒かいはすぐれたり」 とこそは申まふし候さふらへ。 まことに仏法ぶちぽふ流布るふの世よにむまれて、 出しゆつ離りの道みちをえて、 解げ脱だち幢相どうさうのころもを肩かたにかけ、 釈しやく子しにつらなりて、 仏法ぶちぽふ修しゆ行ぎやうせざらむ。 まことに宝たからの山やまにいりて、 手てをむなしくしてかへるためしなり。

二 問とふ。 まことに出しゆつ家けなどしては、 さすがに生しやう死じをはなれ、 菩ぼ提だいにいたらむ事ことをこそは、 いとなみにて候さふらふべけれ。 いかやうにかつとめ、 いかやうにかねがひ候さふらふべき。

¬安楽あんらく集しふ¼ (巻上意) に云いはく、 「大だい乗じようの聖しやう教げうによるに、 二に種しゆの勝しよう法ぼふあり。 一ひとつには聖しやう道だう、 二ふたつには往わう生じやう浄じやう土ど也なり」。 穢土ゑどの中なかにして、 やがて仏果ぶちくわをもとむるは、 みな聖しやう道だう門もんなり。 諸法しよほふの実相じちさうを観くわんじて証しようをえむと、 法華ほふくゑ三昧ざむまいを行ぎやうじて六根ろくこん清浄しやうじやうをもとめ、 三密さむみちの行ぎやう法ほふをこらして即身そくしんに成じやう仏ぶちせむとおもふ。 あるいは四し道だうの果くわをもとめ、 また三さむ明みやう六ろく通つをねがふ、 これみな難なん行ぎやう道だうなり。 往わう生じやう浄じやう土ど門もんといふは、 まづ浄じやう土どにむまれて、 かしこにてさとりをもひらき、 仏ほとけにもならむとおもふなり、 これは易い行ぎやう道だうといふ。 生しやう死じをはなるゝみちみちおほし、 いづれよりもいらせたまへ。

三 問とふ。 さればわれらがごときのおろかなるものは、 浄じやう土どをねがひ候さふらふべきか、 いかに。

答こたふ。 ¬安楽あんらく集しふ¼ (巻上意) に云いはく、 「聖しやう道だうの一種ゐちしゆは、 いまの時ときには証しようしがたし。 一ひとつには大だい聖しやうをされる事ことはるかにとおきによる。 二ふたつには理りはふかくして、 さとりはすくなきによる。 このゆへに ¬大集だいじふの月ぐわち蔵ざう経きやう¼ にいはく、 わが末法まちぽふのときの中なかの億億おくおくの衆しゆ生じやう、 行ぎやうをおこし道だうを修しゆするに、 一人ゐちにんもうるものはあらず。 まことにいま末法まちぽふ五ご濁じよく悪あく世せなり。 たゞ浄じやう土どの一門ゐちもんのみありて通つ入にふすべきなり。 こゝをもて諸仏しよぶちの大だい悲ひ、 浄じやう土どに帰くゐせよとすゝめたまふ。 一ゐち形ぎやう悪あくをつくれども、 たゞよくこゝろをかけて、 まことをもはらにして、 つねによく念仏ねむぶちせよ。 一切ゐちさいのもろもろのさはり、 自じ然ねんにのぞこりて、 さだめて往わう生じやうをう。 なむぞおもひはからずして、 さるこゝろなきや」 といふ。 永ゐやう観くわんののたまはく、 「真言しんごん・止し観くわんは、 理りふかくしてさとりがたく、 三論さむろん・法相ほふさうは、 みちかすかにしてまどひやすし」 (往生拾因) なむど候さふらふ。 まことに観くわん念ねむもたえず、 行ぎやう法ほふにもいたらざらむ人ひとは、 浄じやう土どの往わう生じやうをとげて、 一切ゐちさいの法門ほふもんおもやすくさとらせたまはむは、 よく候さふらふなむとおぼえ候さふらふ。

四 問とふ。 十方じふぱうに浄じやう土どおほし、 いづれおかねがひ候さふらふべき。 兜と率そちの上生じやうしやうをねがふ人ひともおほく候さふらふ、 いかゞおもひさだめ候さふらふべき。

答こたふ。 天臺てんだい大だい師しののたまはく、

「諸教しよけうに讃ほむるところ多おほく弥陀みだに在いますがゆへに、 西方さいはうをもて一ゐち順じゆんとす」 (輔行巻二)

「諸教しよけう所しよ↠讃さん多た在ざい↢弥陀みだ↡故こ、 以い↢西方さいはう↡而に為ゐ↢一ゐち順じゆん↡」

と。 また顕密けんみちの教法けうぼふの中なかに、 もはら極楽ごくらくをすゝむる事ことは、 称しよう計げすべからず。 恵ゑ心しむの ¬往わう生じやう要集えうしゆ¼ に、 十方じふぱうに対たいして西方さいはうをすゝめ、 兜と率そちに対たいしておほくの勝しよう劣れちをたて、 難なん易い相さう違ゐの証しよう拠こをひけり、 たづね御ご覧らんぜさせたまへ。 極楽ごくらくこの土どに縁えんふかし、 弥陀みだは有う縁えんの教主けうしゆなり、 宿因しういんのゆへ、 本ほん願ぐわんのゆへ。 たゞ西方さいはうをねがはせたまふべきとこそおぼえ候さふらへ。

五 問とふ。 まことにさては、 ひとすぢに極楽ごくらくをねがふべきにこそ候さふらふなれ、 極楽ごくらくをねがはむには、 いづれの行ぎやうかすぐれて候さふらふべき。

答こたふ。 善導ぜんだう釈しやくしてのたまはく、 「行ぎやうに二に種しゆあり。 一ひとつには正行しやうぎやう、 二ふたつには雑ざふ行ぎやうなり。 正しやうの中なかに五ご種しゆの正行しやうぎやうあり。 一ひとつには礼拝らいはいの正行しやうぎやう、 二ふたつには讃嘆さんだん供く養やうの正行しやうぎやう、 三みつには読誦どくじゆ正行しやうぎやう、 四よつには観くわん察ざち正行しやうぎやう、 五いつゝには称名しようみやうの正行しやうぎやうなり。 一ひとつに礼拝らいはいの正行しやうぎやうといふは、 礼らいせむには、 すなわちかの仏ほとけを礼らいして余よ礼らいをまじえざれ。 二ふたつに讃嘆さんだん供く養やうの正行しやうぎやうといふは、 弥陀みだを讃嘆さんだん供く養やうして余よの讃嘆さんだん供く養やうをまじえざれ。 三みつに読誦どくじゆの正行しやうぎやうといふは、 読誦どくじゆせむには、 ¬弥陀みだ経きやう¼ 等とうの三さむ部ぶ経きやうを読誦どくじゆして余よの読誦どくじゆをまじえざれ。 四よつに観くわんミソナハス 察ざちカヾミルの正しやう行ぎやうといふは、 憶念おくねむ観くわん察ざちせむには、 かの土どの二に報ほう荘しやう厳ごむ等とうを観くわん察ざちして余よの観くわん察ざちをまじえざれ。 五いつゝに称名しようみやうの正行しやうぎやうといふは、 称しようせむには、 すなわちかの仏ほとけを称しようして余よの称名しようみやうをまじえざれ。 この五ご種しゆを往わう生じやうの正行しやうぎやうとす。 この正行しやうぎやうの中なかにまた二ふたつあり。 一ひとつには正しやう、 二ふたつには助じよ。 称名しようみやうをもては正しやうとし、 礼誦らいじゆ等とうをもちては助業じよごふとなづく。 この正しやう助じよ二に行ぎやうをのぞきて、 自余じよの衆善しゆぜんはみな雑ざふ行ぎやうとなづく」 (散善義意)。 また釈しやくしていはく、 「自余じよの衆善しゆぜんは、 善ぜんとなづくといゑども、 念仏ねむぶちにくらぶれは、 またく比ひ校けうにナラブルト あらず」 とのたまへり。 浄じやう土どをねがはせたまはゞ、 一向ゐちかうに念仏ねむぶちをこそはまふさせたまはめ。

六 問とふ。 余よ行ぎやうを修しゆして往わう生じやうせむことは、 かなひ候さふらふまじや。 されども ¬法華ほふくゑ経きやう¼ (巻六薬王品) には 「即往そくわう安楽あんらく世せ界かい阿わ弥陀みだ仏ぶち」 といひ、 密教みちけうの中なかにも、 決定くゑちじやう往わう生じやうの真言しんごん、 滅罪めちざいの真言しんごんあり。 諸教しよけうの中なかに、 浄じやう土どに往わう生じやうすべき功く力りきをとけり、 また穢土ゑどの中なかにして仏果ぶちくわにいたるといふ。 かたき徳とくをだに具ぐせらむ教けうを修しゆ行ぎやうして、 やすき往わう生じやう極楽ごくらくに廻ゑ向かうせば、 仏果ぶちくわにかなうまでこそかたくとも、 往わう生じやうはやすくや候さふらふべきとこそおぼえ候さふらへ。 またおのづから聴ちやう聞もんなどにうけたまはるにも、 法華ほふくゑと念仏ねむぶちひとつものと釈しやくせられ候さふらふ。 ならべて修しゆせむに、 なにかくるしく候さふらふべき。

答こたふ。 ¬双そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下) に三輩さむぱい往わう生じやうの業ごふをときて、 ともに 「一向ゐちかう専念せんねむ无む量りやう寿じゆ仏ぶち」 とのたまへり。 ¬観くわん无む量りやう寿じゆ経きやう¼ に、 もろもろの往わう生じやうの行ぎやうをあつめてときたまふおはりに、 阿わ難なんに付ふ嘱ぞくしたまふところには、 「なむぢこのことばをたもて。 このことばをたもてといふは、 无む量りやう寿じゆ仏ぶちのみなをたもてとなり」 とときたまふ。 善導ぜんだう ¬観経くわんぎやう¼ を釈しやくしてのたまふに、 「定ぢやう散さん両りやう門もんの益やくをとくといゑども、 仏ぶちの本ほん願ぐわんをのぞむには、 一向ゐちかうにもはら弥陀みだの名みやう号がうを称しようせしむるにあり」 (散善義) といふ。 同おなじき ¬経きやう¼ (観経) の文もんに、 「一一ゐちゐちの光明くわうみやう、 十方じふぱう世せ界かいの念仏ねむぶちの衆しゆ生じやうをてらして、 摂取せふしゆしてすてたまはず」 ととけり。 善導ぜんだう釈しやくしてのたまふには、 「論ろんぜず、 余よの雑業ざふごふのものをてらし摂取せふしゆす」 (観念法門) といふことおばとかず候さふらふ。 余よ行ぎやうのものふつとむまれずとはいふにはあらず、 善導ぜんだうも 「廻ゑ向かうしてむまるべしといゑども、 もろもろの疎そ雑ざふの行ぎやうとなづく」 (散善義) とこそはおほせられたれ。 ¬往わう生じやう要集えうしゆ¼ (巻上) の序じよにも、 「顕密けんみちの教法けうぼふ、 その文もんひとつにあらず。 事理じりの業因ごふいん、 その行ぎやうこれおほし。 利智りち精しやう進じんの人ひとは、 いまだかたしとせず。 豫よがごときの頑ぐわんカタクナ嚕ろのもの、 たやすからむや。 このゆへに、 念仏ねむぶちの一門ゐちもんによりて、 経きやう論ろんの要文えうもんをあつむ。 これをひらき、 これを修しゆするに、 さとりやすく行ぎやうじやすし」 といふ。 これらの証しよう拠こあきらめつべし。 教けうをえらぶにはあらず、 機きをはからふなり。 わがちからにて生しやう死じをはなれむ事こと、 はげみがたくして、 ひとへに他た力りきの弥陀みだの本ほん願ぐわんをたのむ也なり。 先徳せんどくたちおもひはからひてこそは、 道だう綽しやくは聖しやう道だうをすてゝ浄じやう土どの門もんにいり、 善導ぜんだうは雑ざふ行ぎやうをとゞめて一向ゐちかうに念仏ねむぶちして三昧さむまいをえたまひき。 浄じやう土ど宗しゆの祖師そし、 次し第だいにあひつげり、 わづかに一ゐち両りやうをあぐ。 この朝てうにも恵ゑ心しむ・永ゐやう観くわんなどいふ、 自じ宗しゆ・他た宗しゆ、 ひとへに念仏ねむぶちの一門ゐちもんをすゝめたまへり。 専雑せんざふ二に修しゆの義ぎ、 はじめて申まふすにおよばず。 浄じやう土ど宗しゆのふみおほく候さふらふ、 こまかに御ご覧らん候さふらふべし。 また即身そくしん得道とくだうの行ぎやう、 往わう生じやう極楽ごくらくにおよはざらむやと候さふらふは、 まことにいわれたるやうに候さふらへども、 なかにも宗しゆと申まふすことの候さふらふぞかし。 善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうの疏しよ¼ (玄義分意) にいはく、 「般若はんにや経きやうのごときは、 空慧くゑをもて宗しゆとす、 ¬維ゆい摩ま経きやう¼ のごときは、 不ふ思議しぎ解げ脱だちをもちて宗しゆとす。 いまこの ¬観経くわんぎやう¼ は、 観くわん仏ぶち三昧ざむまいをもちて宗しゆとし、 念仏ねむぶち三昧ざんまいをもちて宗しゆとす」 といふがごとき。 ¬法華ほふくゑ¼ は、 真如しんによ実相じちさう平びやう等どうの妙めう理りを観くわんじて証しようをとり、 現身げんしんに五ご品ぼむ・六根ろくこんの位くらゐにもかなふ、 これをもちて宗しゆとす。 また真言しんごんには、 即身そくしん成じやう仏ぶちをもちて宗しゆとす。 ¬法華ほふくゑ¼ にもおほくの功く力りきをあげて経きやうをほむるついでに、 「即往そくわう安楽あんらく」 (法華経巻六薬王品) ともいひ、 また 「即往そくわう兜と率そち天てん上じやう」 (法華経巻七勤発品) ともいふ。 これは便びん宜ぎの説せちなり、 往わう生じやうを宗しゆとするにはあらず。 真言しんごんもまたかくのごとし。 法華ほふくゑ・念仏ねむぶちひとつなりといひて、 ならべて修しゆせよといはゞ、 善導ぜんだう和くわ尚しやうは ¬法華ほふくゑ¼・¬維ゆい摩ま¼ 等とうを読誦どくじゆしき。 浄じやう土どの一門ゐちもんにいりにしよりこのかた、 一向ゐちかうに念仏ねむぶちして、 あえて余よの行ぎやうをまじふる事ことなかりき。 しかのみならず、 浄じやう土ど宗しゆの祖師そしあひつぎて、 みな一向ゐちかうに名みやう号がうを称しようして余よ業ごふをまじへざれとすゝむ。 これらを按あんじて専修せんじゆの一ゐち行ぎやうにいらせたまへとは申まふすなり。

七 問とふ。 浄じやう土どの法門ほふもんに、 まづなになにをみてこゝろつき候さふらふなむ。

答こたふ。 経きやうには¬双さう巻くわん¼・¬観くわん无む量りやう寿じゆ¼・¬小阿わ弥陀みだ経きやう¼ 等とう、 これを浄じやう土どの三さむ部ぶ経きやうとなづく。 文ふみには善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうの疏しよ¼・¬六ろく時じ礼讃らいさん¼・¬観くわん念ねむ法門ぼふもん¼、 道だう綽しやくの ¬安楽あんらく集しふ¼、 慈じ恩おんの ¬西方さいはう要えう決くゑち¼、 懐ゑ感かむの ¬群ぐん疑ぎ論ろん¼、 天臺てんだいの ¬十じふ疑ぎ論ろん¼、 わが朝てうの人にん師し恵ゑ心しむの ¬往わう生じやう要集えうしゆ¼ なむどこそは、 つねに人ひとのみるものにて候さふらへ。 たゞなにを御ご覧らんずとも、 よく御おむこゝろえて念仏ねむぶち申まふさせたまはむに、 往わう生じやうなにかうたがひ候さふらふべき。

八 問とふ。 こゝろおば、 いかやうにかつかひ候さふらふべき。

答こたふ。 三心さむしむを具ぐ足そくせさせたまへ。 その三心さむしむと申まふすは、 一ひとつには至し誠じやう心しむ、 二ふたつには深心じむしむ、 三みつには廻ゑ向かう発ほち願ぐわん心しむなり。 一ひとつに至し誠じやう心しむといふは、 真実しんじちの心しむなり。 善導ぜんだう釈しやくしてのたまはく、 「至しといふは真しんの義ぎ、 誠じやうといふは実じちの義ぎ。 真実しんじちのこゝろの中なかに、 この自他じたの依え正しやう二に報ほうをいとひすてゝ、 三業さむごふに修しゆするところの行きやう業ごふに、 かならず真実しんじちをもちゐよ。 ほかに賢善けんぜん精しやう進じんの相さうを現げんじて、 うちに虚仮こけをいだくものは、 日にち夜や十じふ二に時じにつとめおこなふこと、 かうべの火ひをはらふがごとくにすれども、 往わう生じやうをえずといふ。 たゞ内外ないぐゑ明みやう闇あむおばえらばず、 真実しんじちをもちゐるゆへに、 至し誠じやう心しむとなづく。 二ふたつに深心じむしむといふは、 ふかき信しんなり。 決定くゑちじやうしてふかく信しんぜよ、 自じ身しんは現げんにこれ罪悪ざいあく生しやう死じの凡ぼむ夫ぶなり。 昿くわう劫ごふよりこのかた、 つねにしづみつねに流る転てんして、 出しゆつ離りの縁えんあることなし。 また決定くゑちじやうしてふかく信しんぜよ、 かの阿わ弥陀みだ仏ぶちの四し十八じふはち願ぐわんをもて、 衆しゆ生じやうをうけおさめて、 うたがひなくうらもひなく、 かの願ぐわん力りきにのりてさだめて往わう生じやうすと。 あふぎてねがはくは、 仏ほとけのみことおば信しんぜよ。 もし一切ゐちさいの智ち者しや百ひやく千せん万人まんにんきたりて、 経きやう論ろんの証しようをひきて、 一切ゐちさいの凡ぼむ夫ぶ念仏ねむぶちして往わう生じやうする事ことをえずといはむに、 一念ゐちねむの 疑ぎウタガフ 退たいシリゾクのこゝろをおこすべからず。 たゞこたえていふべし、 なむぢがひくところの経きやう論ろんを信しんぜざるにはあらず。 なむぢが信しんずるところの経きやう論ろんは、 なむぢが有う縁えんの教けう、 わが信しんずるところは、 わが有う縁えんの教けう、 いまひくところの経きやう論ろんは、 菩ぼ薩さち・人にん・天てん等とうに通つじてとけり。 この ¬観経くわんぎやう¼ 等とうの三さむ部ぶは、 濁ぢよく悪あく不ふ善ぜんの凡ぼむ夫ぶのためにときたまふ。 しかれば、 かの ¬経きやう¼ をときたまふ時ときには、 対たい機きも別べちに、 所ところも別べちに、 利り益やくも別べちなりき。 いまきみがうたがひをきくに、 いよいよ信心しんじむを増ぞう長ぢやうすマシマストナリ。 もしは羅ら漢かん・辟びやく支し仏ぶち、 初しよ地ぢ・十じふ地ぢの菩ぼ薩さち、 十方じふぱうにみちみち、 化仏くゑぶち・報仏ほうぶちひかりをかゞやかし、 虚空こくにみしたをはきて、 むまれずとのたまはゞ、 またこたえていふべし、 一仏ゐちぶちの説せちは一切ゐちさいの仏説ぶちせちにおなじ、 釈しや迦か如来によらいのときたまふ教けうをあらためば、 制せい止ししたまふところの殺せち生しやう十悪じふあく等とうの罪つみをあらためて、 またおかすべからむや。 さきの仏ほとけそらごとしたまはゞ、 のちの仏ほとけもまたそら事ごとしたまふべし。 おなじことならば、 たゞ信しんじそめたる法ほふおば、 あらためじといひて、 ながく退たいする事ことなかれ。 かるがゆへに深心じむしむなり。 三みつに廻ゑ向かう発ほち願ぐわん心しむといふは、 一切ゐちさいの善根ぜんごんをことごとくみな廻ゑ向かうして、 往わう生じやう極楽ごくらくのためとす。 決定くゑちじやう真実しんじちのこゝろの中なかに廻ゑ向かうして、 むまるゝおもひをなすなり。 このこゝろ深信じむしんなる事こと、 金剛こむがうのごとくにして、 一切ゐちさいの異い見けん・異い学がく・別べち解げ・別べち行ぎやうの人にん等とうに、 動乱どうらんし破壊はゑせられざれ。 いまさらに行ぎやう者じやのためにひとつのたとひをときて、 外邪ぐゑじや・異い見けんの難なんをふせがむ。 人ひとありて西にしにむかひて百ひやく里り・千せん里りをゆくに、 忽然こつねんとタチマチニ して中ちう路ろにふたつの河かわあり。 一ひとつにはこれ火ひの河かわ、 南みなみにあり。 二ふたつにはこれ水みづの河かわ、 北きたにあり。 各おのおのひろさ百ひやく歩ぶモヽアユミ、 ふかくしてそこなし、 南北なむぼくにほとりなし。 まさに水すい火くわの中間ちうげんに一ひとつの白びやく道だうあり、 ひろさ四五しご寸すんばかりなるべし。 この道みち東ひむがしの岸きしより西にしの岸きしにいたるに、 ながさ百ひやく歩ぶ、 その水みづの波は浪らうまじオナミコナミトイフわりすぎて道みちをうるおす、 火炎くわえむまたきたりて道みちをやく。 水火すいくわあひまじわりてつねにやむ事ことなし。 この人ひとすでに空くムナシク 昿くわうハルカナリのはるかなるところにいたるに、 人ひとなくして群賊ぐんぞく・悪獣あくじゆあり。 このひとひとりありくをみて、 きおいきたりてころさむとす。 この人ひと死しをおそれてたゞちにはしりて西にしにむかふ。 忽然こつねんとしてこの大たい河がをみるに、 すなわち念言ねむごんすらく、 南北なむぼくにほとりなし、 中間ちうげんに一ひとつの白びやく道だうをみる、 きわめて狭けちセバク少せうセバシなり。 ふたつの岸きしあいさる事ことちかしといゑども、 いかゞゆくべき。 今日こむにちさだめて死しせむ事ことうたがひなし。 まさしくかへらむとおもへば、 群賊ぐんぞく・悪獣あくじゆやうやくにきたりせむ。 南北なむぼくにさりはしらむとおもへば、 悪獣あくじゆ・毒虫どくちうきおひきたりてわれにむかふ。 まさに西にしにむかひてみちをたづねて、 しかもさらむとおもへば、 おそらくはこのふたつの河かわにおちぬべし。 この時ときおそるゝ事こといふべからず、 すなわち思し念ねむすらく、 かへるとも死しし、 またさるとも死ししなむ、 一種ゐちしゆとしても死しをまぬかれざるものなり。 われむしろこのみちをたづねて、 さきにむかひてしかもさらむ。 すでにこのみちあり、 かならずわたるべしと。 このおもひをなす時ときに、 東ひむがしの岸きしにたちまちに人ひとのすゝむるこゑをきく。 きみ決定くゑちじやうしてこのみちをたづねてゆけ、 かならず死しの難なんなけむ。 住じゆせば。 すなわち死ししなむ。 西にしの岸きしの上うへに人ひとありてよばひていはく、 なむぢ一心ゐちしむにまさしく念ねんじて、 身心しんしむいたりて、 みちをたづねて直ぢきにすゝみて、 疑ぎ怯かう退心たいしむをなさず。 あるいは一分ゐちぶん二に分ぶんゆくに、 群賊ぐんぞく等らよばいていはく、 きみかへりきたれ、 このみちはけあしくあしきみちなり、 すぐる事ことをうべからず、 死ししなむことうたがひなし、 われらが衆しゆあしきこゝろなし。 このひとあひむかふに、 よばふこゑをきくといゑどもかへりみず。 直ぢきにすゝみて道みちを念ねんじてしかもゆくに、 須しゆ臾ゆにすなわち西にしの岸きしにいたりて、 ながくもろもろの難なんをはなる。 善ぜん友うあひむかひてよろこびやむ事ことなし。 これはこれたとひなり。 次つぎに喩たとひを合がふすといふは、 東ひむがしの岸きしといふは、 すなわちこの娑しや婆ばの火宅くわたくにたとふるなり。 群賊ぐんぞく・悪獣あくじゆいつわりちかづくといふは、 すなわち衆しゆ生じやうの六根ろくこん・六識ろくしき・六塵ろくぢん・五ご陰おむ・四し大だいなり。 人ひとなき空く昿くわうの沢さわといふは、 すなわち悪あく友うにしたがひて、 まことの善ぜん知ぢ識しきにあはざるなり。 水火すいくわの二河にがといふは、 すなわち衆しゆ生じやうの貪愛とむあいは水みづのごとく、 瞋憎しんぞうは火ひのごとくなるにたとふるなり。 中間ちうげんの白びやく道だう四五しご寸すんといふは、 衆しゆ生じやうの貪瞋とむじん煩悩ぼむなうの中なかに、 よく清浄しやうじやうの願ぐわん往わう生じやうの心しむをなすなり。 貪瞋とむじんこはきによるがゆへに、 すなわち水火すいくわのごとしとたとふるなり。 水しゐ波はつねにみちをうるおすといふは、 愛心あいしむつねにおこりて善心ぜんしむを染ぜむ汚わするソメケガストナリ なり。 また火炎くわえんつねにみちをやくといふは、 すなわち瞋嫌しんけむのこゝろよく功く徳どくの法財ほふざいをノリノタカラ やくなり。 人ひとみちをのぼるに直ぢきに西にしにむかふといふは、 すなわちもろもろの行きやう業ごふをめぐらして、 直ぢきに西にしにむかふにたとふるなり。 東ひむがしの岸きしに人のこゑのすゝめやるをきゝて、 みちをたづねて直ぢきに西にしにすゝむといふは、 すなわち釈しや迦かはすでに滅めちしたまひてのち、 人ひとみたてまつらざれども、 なほ教法けうぼふありてすなわちたづぬべし。 これをこゑのごとしとたとふるなり。 あるいは一分ゐちぶん二に分ぶんするに群賊ぐんぞく等らよばひかへすといふは、 別べち解げ・別べち行ぎやう・悪見あくけん人にん等らみだりに見けん解げをときてあひ惑乱わくらんし、 およびみづから罪つみをつくりて退失たいしつするなり。 西にしの岸きしの上うへに人ひとありてよばふといふは、 すなわち弥陀みだの願ぐわんのこゝろにたとふるなり。 須しゆ臾ゆにすなわち西にしの岸きしにいたりて善ぜん友うあひみてよろこぶといふは、 すなわち衆しゆ生じやうのひさしく生しやう死じにしづみて、 昿くわう劫ごふより輪りん廻ゑし、 迷メイマドフ倒たうしタフルヽ、 身みづから迷まどふて解げ脱だちするによしなし。 あふぎて*発遣はちけんして、 西方さいはうにむかへしめたまふ。 弥陀みだの悲ひ心しむまねきよばひたまふに、 二に尊そんの心おむこゝろに信しん順じゆんして、 水火すいくわの二河にがをかへりみず、 念念ねむねむにわするゝ事ことなく、 かの願ぐわん力りきに乗じようじて、 このみちにいのちをすておはりてのち、 かのくににむまるゝ事ことをえて、 仏ほとけとあひみて、 慶きやう楽らくするヨロコビタノシマム事こときわまりなからむ。 行ぎやう者じや、 行ぎやう住じゆ座ざ臥ぐわの三業さむごふに修しゆするところ、 昼ちう夜や時じ節せちをとふことなく、 つねにこのさとりをなし、 このおもひをなすがゆへに廻ゑ向かう発ほち願ぐわん心しむといふ。 また廻ゑ向かうといふは、 かのくにゝむまれおはりて、 大だい悲ひをおこして生しやう死じにかへりいりて、 衆しゆ生じやうを教化けうくゑするを廻ゑ向かうとなづく。 三心さむしむすでに具ぐすれば、 行ぎやうの成じやうぜざることなし。 願行ぐわんぎやうすでに成じやうじて、 もしむまれずといはゞ、 このことわりある事ことなけむ」 (散善義意) と。 已い上じやう善導ぜんだうの釈しやくの文もんなり。

九 問とふ。 ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ の中なかに、 「一心ゐちしむ不ふ乱らん」 と候さふらふぞかしな。 これ阿わ弥陀みだ仏ぶちを申まふさむ時とき、 余事よじをすこしもおもひまぜ候さふらふまじきにや。 一ゐち声しやう念仏ねむぶち申まふさむほど、 ものをおもひまぜざらむ事ことはやすく候さふらへば、 一念ゐちねむ往わう生じやうにはもるゝ人ひと候さふらはじとおぼえ候さふらふ。 またいのちのおはるを期ごとして、 余よ念ねむなからむ事ことは、 凡ぼむ夫ぶの往わう生じやうすべき事ことにても候さふらはず。 この義ぎいかゞこゝろえ候さふらふべき。

答こたふ。 善導ぜんだうこの事ことを釈しやくしてのたまはく、 ひとたび三心さむしむを具ぐ足そくしてのち、 みだれやぶれざる事こと金剛こむがうのごときにて、 いのちのおはるを期ごとするを、 なづけて一心ゐちしむといふと候さふらふ。 阿わ弥陀みだ仏ぶちの本ほん願ぐわんの文もんに、

「たとひわれ仏ほとけを得えむに、 十方じふぱうの衆しゆ生じやう、 心しんを至いたし信楽しんげうして、 わが国くにに生むまれむと欲おもふて、 乃ない至し十念じふねむせむ。 もし生むまれずは、 正しやう覚がくを取とらじ」 (大経巻上)

「設我得↠仏、 十方衆生、 至↠心信楽、 欲↠生↢我国↡、 乃至十念。 若不↠生者、 不↠取↢正覚↡」

といふ。 この文もんに 「至し心しん」 といふは、 ¬観経くわんぎやう¼ にあかすところの三心さむしむの中なかの至し誠じやう心しむにあたれり。 「信楽しんげう」 といふは、 深心じむしむにあたれり。 これをふさねて、 いのちのおはるを期ごとして、 みだれぬものを一心ゐちしむとは申まふすなり。 このこゝろを具ぐせらむもの、 もしは一日ゐちにちもしは二に日にち、 乃ない至し一ゐち声しやう・十じふ声しやうに、 かならず往わう生じやうする事ことをうといふ。 いかでか凡ぼむ夫ぶのこゝろに、 散乱さんらんなき事こと候さふらふべき。 さればこそ易い行ぎやう道だうとは申まふすことにて候さふらへ。 ¬双そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下) の文もんには、

「横わうに五ご悪趣あくしゅを截きる、 悪趣あくしゅ自じ然ねんに閉とづ、 道だうに昇のぼるに窮ぐ極ごくなし。 往ゆきやすくして人ひとなし」

「横截↢五悪趣↡悪趣自然閉昇↠道無↢窮極↡易↠往而無↠人」

ととけり。 まことにゆきやすき事こと、 これにすぎたるや候さふらふべき。 劫こふをつみてむまるといはゞ、 いのちもみじかく、 みもたえざらむ人ひと、 いかゞとおもふべきに、 本ほん願ぐわんに 「乃ない至し十念じふねむ」 (大経巻上) といふ、 願ぐわん成じやう就じゆの文もんに 「乃ない至し一念ゐちねむもかの仏ほとけを念ねんじて、 こゝろをいたして廻ゑ向かうすれば、 すなわちかのくににむまるゝ事ことをう」 (大経巻下意) といふ。 造悪ざうあくのものむまれずといはゞ、 ¬観経くわんぎやう¼ の文もんに、 五ご逆ぐゐやくの罪人ざいにんむまるととく。 もしよもくだり、 人ひとのこゝろもおろかなる時ときは、 信心しんじむうすくしてむまれがたしといはゞ、 ¬双そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下) の文もんに、

「当来たうらいの世よに経きやう道だう滅尽めつじんせむに、 われ慈悲じひ哀愍あいみんをもて、 ことにこの経きやうを留とゞめて止し住じゆすること百ひやく歳さいせむ。 それ衆しゆ生じやうあてこの経きやうに値まうあはむ者もの、 意こゝろの所しよ願ぐわんに随したがてみな得とく度どしべし。」 云云

「当来たうらい之世しせ経きやう道だう滅尽めつじん、 我が以い↢慈悲じひ哀愍あいみん↡、 特どく留る↢此し経きやう↡止し住じゆ百ひやく歳さい。 其有ごう↢衆しゆ生じやう↡値ち↢此し経きやう↡者しや、 随ずい↢意い所しよ願ぐわん↡皆かい可か↢得とく度ど↡。」 云云

その時ときの衆しゆ生じやうは三宝さむぽうの名なをきく事ことなし、 もろもろの聖しやう教げうは竜りう宮ぐにかくれて一ゐち巻くわんもとゞまることなし。 たゞ悪邪あくじや无む信しんのさかりなる衆しゆ生じやうのみあり、 みな悪道あくだうにおちぬべし。 弥陀みだの本ほん願ぐわんをもちて、 釈しや迦かの大だい悲ひふかきゆへに、 この教けうをとゞめたまひつる事こと百ひやく年ねんなり。 いはむや、 このごろはこれ末法まちぽふのはじめなり。 万年まんねんのゝちの衆しゆ生じやうにおとらむや。 かるがゆへに 「易い往わう」 といふ。 しかりといゑども、 この教けうにあふものはかたく、 またおのづからきくといゑども、 信しんずる事ことかたきがゆへに、 しかれば、 「無む人にん」 といふ、 まことにことわりなるべし。 ¬阿わ弥陀みだ経きやう¼ (意) に、 「もしは一日ゐちにちもしは二に日にち、 乃ない至し七日しちにち、 名みやう号がうを執しふ持ぢして一心ゐちしむ不ふ乱らんなれば、 その人ひと命みやう終じゆの時ときに、 阿わ弥陀みだ仏ぶちもろもろの聖しやう衆じゆと現げんにその人ひとのまへにまします。 おはる時とき、 心しむ不ぷ顛倒てんだうして、タフレタフルヽコトナシトナリ 阿わ弥陀みだ仏ぶちの極楽ごくらく国こく土どに往わう生じやうする事ことをう」 といふ。 この事ことをときたまふ時ときに、 釈しや迦か一仏ゐちぶちの所説しよせちを信しんぜざらむ事ことをおそれて、 「六方ろくぱうの如来によらい、 同心どうしん同どう時じにおのおの広長くわうぢやうの舌相ぜちさうをいだして、 あまねく三千さむぜん大千だいせん世せ界かいにおほいて、 もしこの事ことそらごとならば、 わがいだすところの広長くわうぢやうの舌したやぶれたゞれて、 くちにかへりいる事ことあらじ」 (観念法門) とちかひたまひき。 経きやうの文もん、 釈しやくの文もんあらはに候さふらふ、 たゞよく御おむこゝろえ候さふらへ。 また大だい事じを成じやうじたまひしときは、 みな証明しようみやうありき。 法華ほふくゑをときたまひしときは、 多た宝ほう一仏ゐちぶち証明しようみやうし、 般若はんにやをときたまひし時ときは、 四し方はう四し仏ぶち証明しようみやうしたまふ。 しかりといゑども、 一日ゐちにち七日しちにちの念仏ねむぶちのごときに証誠しようじやうのさかりなる事ことはなし。 仏ほとけもこの事ことをことに大だい事じにおぼしめしたるにこそ候さふらふめれ。

十 問とふ。 信心しんじむのやうはうけたまはりぬ。 行ぎやうの次し第だいいかゞ候さふらふべき。

答こたふ。 四し修しゆをこそは本ほんとする事ことにて候さふらへ。 一ひとつには長ぢやう時じ修しゆ、 二ふたつには慇重いんぢう修しゆ、 また恭く敬ぎやう修しゆとなづく、 三みつには无む間けん修しゆ、 四よつには无余むよ修しゆなり。 一ひとつに長ぢやう時じ修しゆといふは、 慈じ恩おんの ¬西方さいはう要えう決くゑち¼ (意) にいはく、 「初しよ発心ほちしむよりこのかた、 つねに退転たいてんなきなり」。 善導ぜんだうは、 「いのちのおはるを期ごとして、 誓ちかふて中ちうにとゞまステズウシナハヌナリ らざれ」 といふ。 二ふたつに恭く敬ぎやう修しゆといふは、 極楽ごくらくの仏ぶち法ぽふ僧そう宝ぼうにおいて、 つねに憶念おくねむして尊重そんぢうをなすなり。 ¬往わう生じやう要集えうしゆ¼ にあり。 また ¬要えう決くゑち¼ (意) にいはく、 「恭く敬ぎやう修しゆ、 これにつきて五いつゝあり。 一ひとつには有う縁えんの聖しやう人にんをうやまふ、 二ふたつには有う縁えんの像ざうと教けうとをうやまふ、 三みつには有う縁えんの善ぜん知ぢ識しきをうやまふ、 四よつには同縁どうえんの伴ともをうやまふ、 五いつゝには三宝さむぽうをうやまふ。 一ひとつに有う縁えんの聖しやう人にんをうやまふといふは、 行ぎやう住じゆ座ざ臥ぐわ西方さいはうをそむかず、 涕ていツワキ唾だハキ便べん利りダイベン西方さいはうにむかはざれといふ。 二ふたつに有う縁えんの像ざうと教けうとをうやまふといふは、 弥陀みだの像ざうをあまねくつくりもかきもせよ。 ひろくする事ことあたはずは、 一仏ゐちぶち二に菩ぼ薩さちをつくれ。 また教けうをうやまふといふは、 ¬弥陀みだ経きやう¼ 等とうを五ご色しきの袋ふくろにいれて、 みづからもよみ他たをおしへてもよませよ。 像ざうと経きやうとを室しちのうちイヱノウチナリ に安あん置ちして、 六ろく時じに礼讃らいさんし、 香華かうぐゑ供く養やうすべし。 三みつに有う縁えんの善ぜん知ぢ識しきをうやまふといふは、 浄じやう土どの教けうをのべむものおば、 もしは千せん由ゆ旬じゆんよりこのかた、 ならびに敬きやう重ぢうし親近しんごんし供く養やうすべし。 別学べちがくのものおも総そうじてうやまふこゝろをおこすべし。 もし慢まんをなさば、 つみをうる事こときわまりなし。 すゝめても衆しゆ生じやうのために善ぜん知ぢ識しきとなりて、 かならず西方さいはうに帰くゐする事ことをもちゐよ。 この火宅くわたくに住じゆせば、 退たいシリゾキ没 もち シヅムありていでがたきがゆへなり。 火界くわかいの修道しゆだうはなはだかたきがゆへに、 すゝめて西方さいはうに帰くゐせしむ。 ひとたび往わう生じやうをえつれば、 三学さむがく自じ然ねんに勝しよう進しんしぬ。 万まん行ぎやうならびにそなわるがゆへに、 弥陀みだの浄じやう国こくは造悪ざうあくの地ちなし。 四よつに同縁どうえんの伴ともをうやまふといふは、 おなじく業ごふを修しゆするものなり。 みづからはさとりおもくして独ひとり業ごふは成じやうぜりといゑども、 かならずよきともによりて、 まさに行ぎやうをなす。 あやうきをたすけ、 あやうきをすくふ事こと、 同伴どうはんの善縁ぜんえんなり、 ふかくあひたのみておもくすべし。 五いつゝに木きのかたぶきたるが、 たうるゝには、 まがれるによるがごとし。 ことのさわりありて、 西にしにむかふにおよばずは、 たゞ西にむかふおもひをなすにはしかず」。 三みつに无む間けん修しゆといふは、 ¬要えう決くゑち¼ (意) に云いはく、 「つねに念仏ねむぶちして往わう生じやうのこゝろをなせ。 一切ゐちさいの時ときにおいて、 こゝろにつねにおもひたくむべし。 たとへばもし人ひと他たに抄せうトラレ掠りやうカスメせらラレテ れて、 身み下げ賎せんとなりて艱辛かむしむをカラキメヲミルうく。 たちまちに父母ぶもをおもひて、 本国ほんごくにはしりかへらむとおもふて、 ゆくべきはかりこと、 いまだわきまへずして他た郷きやうにあり、 日にち夜やに思し惟ゆいす。 苦くるしみたえしのぶべからず、 時ときとしても本国ほんごくをおもはずといふことなし。 計はかりごとをなすことえて、 すでにかへりて達たちすることをえて、 父母ぶもに親しんシタシミ 近ごんチカヅクしナリて、 ほしきまゝに歓くわん娯ご ヨロコブ するがごとし。 行ぎやう者じやまたしかなり。 往因わういんの煩悩ぼむなうに善心ぜんしむを壊ゑ乱らんせられヤブラレミダラルヽナリて、 福ふく智ちの珍財ちんざいならメヅラシキタカラびに散さんチラシ 失しちウシナフして、 ひさしく生しやう死じにしづみて、 六道ろくだうに駈馳くちしてカリツカワレハシル、 苦くるしみ身心しんしむをせむ。 いま善縁ぜんえんにあひて、 弥陀みだの慈父じふをきゝて、 まさに仏恩ぶちおんを念ねんじて、 報尽ほうじんを期ごムクヒツキテト として、 こゝろにつねにおもふべし。 こゝろにあひつぎて余よ業ごふをまじへざれ」。 四よつに无余むよ修しゆといふは、 ¬要えう決くゑち¼ にいはく、 「もはら極楽ごくらくをもとめて礼念らいねむするなり。 諸しよ余よの行きやう業ごふを雑ざふマジヘ起きオコせサズざれ。 所しよ作さの業ごふは日別にちべちに念仏ねむぶちすべし」。 善導ぜんだうののたまはく、 「専もはらかの仏ほとけの名みやう号がうを念ねんじ、 専もはら礼らいし、 もはらかの仏ほとけおよびかの土どの一切ゐちさいの聖しやう衆じゆ等とうをほめて、 余よ業ごふをまじえざれ。 専修せんじゆのものは百ひやくはすなわち百ひやくながらむまれ、 雑修ざふしゆのものは百ひやくが中なかにわづかに一ゐち二になり。 雑縁ざふえんにねがひつきぬれば、 みづからもさえ、 他たの往わう生じやうの正行しやうぎやうおもさうるなり。 なにをもてのゆへに。 われみづから諸方しよはうをみきくに、 道俗だうぞく解げ行ぎやう不ふ同どうにして、 専雑せんざふことなり。 たゞこゝろをもはらになさは、 十じふはすなわち十じふながらむまる。 雑修ざふしゆのものは、 一ゐちもえず」 (礼讃意) といふ。 また善導ぜんだう釈しやくしてのたまはく、 「西方さいはう浄じやう土どの業ごふを修しゆせむとおもはむものは、 四し修しゆおつる事ことなく、 三業さむごふまじわる事ことなくして、 一切ゐちさいの諸しよ願ぐわんを廃はいしステツ て、 たゞ西方さいはうの一ゐち行ぎやうと一ゐち願ぐわんとを修しゆせよ」 (群疑論巻四意) とこそ候さふらへ。

十一 問とふ。 一切ゐちさいの善根ぜんごんは魔ま王わうのためにさまたげらる。 これはいかゞして対たい治ぢしムカヘタスクル候さふらふべき。

答こたふ。 魔ま界かいといふものは、 衆しゆ生じやうをたぶろかすものなり。 一切ゐちさいの行きやう業ごふは、 自じ力りきをたのむがゆへ也なり。 念仏ねむぶちの行ぎやう者じやは、 みおば罪悪ざいあく生しやう死じの凡ぼむ夫ぶとおもへば、 自じ力りきをたのむ事ことなくして、 たゞ弥陀みだの願ぐわん力りきにのりて往わう生じやうせむとねがふに、 魔ま縁えんたよりをうる事ことなし。 観くわん慧ゑをこらす人ひとにも、 なほ空く界かいの魔事まじありといふ。 弥陀みだの一ゐち事じには、 もとより魔事まじなし、 観くわん人にん清浄しやうじやうなるがゆへにといへり。 仏ほとけをたぶろかす魔ま縁えんなければ、 念仏ねむぶちのものおばさまたぐべからず、 他た力りきをたのむによるがゆへに、 百ひやく丈ぢやうの石いしをふねにおきつれば、 万まん里りの大海だいかいをすぐといふがごとし。 または念仏ねむぶちの行ぎやう者じやのまへには、 弥陀みだ・観くわん音おむつねにきたりたまふ。 廿にじふ五ごの菩ぼ薩さち、 百ひやく重ぢう千重せんぢう護ご念ねむしたまふに、 たよりをうべからず。

十二 問とふ。 阿わ弥陀みだ仏ぶちを念ねむずるに、 いかばかりの罪つみおか滅めちし候さふらふ。

答こたふ。 「一念ゐちねむによく八十はちじふ億劫おくこふの生しやう死じの罪つみを滅めちす」 (観経意) といひ、 また 「但聞たんもん仏ぶち名みやう二に菩ぼ薩さち名みやう、 除じよ无む量りやう億劫おくこふ生しやう死じ之し罪ざい」 (観経) など申まふし候さふらふぞかし。

十三 問とふ。 念仏ねむぶちと申まふし候さふらふは、 仏ほとけの色相しきさう・光明くわうみやうを念ねむずるは、 観仏かむぶち三昧ざむまいなり。 報身ほうじんを念ねんじ同体どうたいの仏ぶち性しやうを観くわんずるは、 智ちあさくこゝろすくなきわれらが境きやう界がいにあらず。

答こたふ。 善導ぜんだうののたまはく、 「相を観くわんぜずして、 たゞ名みやう字じを称しようせよ。 衆しゆ生じやう障さわり重おもくして、 観くわん成じやうずる事ことかたし。 このゆへに大だい聖しやうあシヤカ仏ナリ はれみて、 称名しようみやうをもはらにすゝめたまへり。 こゝろはかすかにして、 たましひ十方じふぱうにとびちるがゆへなり」 (礼讃意) といふ。 本ほん願ぐわんの文もんを、 善導ぜんだう釈しやくしてのたまはく、

「もしわれ成じやう仏ぶちせむに、 十方じふぱうの衆しゆ生じやうわが国くにに生むまれむと願がんじて、 わが名みやう号がうを称しようすること、 下しも十じふ声しやうに至いたるまで、 わが願ぐわん力りきに乗じようじて、 もし生むまれずは、 正しやう覚がくを取とらじと。 かの仏ぶち今いま現げんに在ましまして成じやう仏ぶちしたまへり。 まさに知しるべし、 本誓ほんぜい重じう願ぐわん虚むなしからず、 衆しゆ生じやう称しよう念ねむせばかならず往わう生じやうを得えむ」 (礼讃)

「若にやく我が成じやう仏ぶち、 十方じふぱう衆しゆ生じやう願がん↠生しやう↢我が国こく↡、 称しよう↢我が名みやう号がう↡、 下至げし↢十じふ声しやう↡、 乗じよう↢我が願ぐわん力りき↡、 若にやく不ふ↠生しやう者じや、 不ふ↠取しゆ↢正しやう覚がく↡。 彼ひ仏ぶち今こむ現在げんざい成じやう仏ぶち。 当たう↠知ち、 本誓ほんぜい重じう願ぐわん不ふ↠虚こ、 衆しゆ生じやう称しよう念ねむ必得ひちとく↢往わう生じやう↡」

とおほせられて候さふらふ。 とくとく安楽あんらくの浄じやう土どに往わう生じやうせさせおはしまして、 弥陀みだ・観くわん音おむを師しとして、 法華ほふくゑの真如しんによ実相じちさう平びやう等どうの妙めう理り、 般若はんにやの第一だいゐち義空ぎく、 真言しんごんの即身そくしん成じやう仏ぶち、 一切ゐちさいの聖しやう教げう、 こゝろのまゝにさとらせおはしますべし。

(28) 武蔵津戸三郎への御返事

御おむふみくはしくうけたまはり候さふらひぬ。 たづねおほせたびて候さふらふ事ども、 おほやうしるし申まふし候さふらふ。 くまがやの入道にふだう・つのとの三郎さぶらうは、 無智むちのものなればこそ、 念仏ねむぶちおばすゝめたれ、 有智うちの人ひとにはかならずしも念仏ねむぶちにかぎるべからずと申まふすよしきこえて候さふらふ覧らむ、 きわめたるひが事ごとに候さふらふ。 そのゆへは、 念仏ねむぶちの行ぎやうは、 もとより有智うち・無智むちにかぎらず、 弥陀みだのむかしちかひたまひし本ほん願ぐわんも、 あまねく一切ゐちさい衆しゆ生じやうのため也なり。 無智むちのためには念仏ねむぶちを願ぐわんじ、 有智うちのためには余よのふかき行ぎやうを願ぐわんじたまへる事ことなし。 十方じふぱう衆しゆ生じやうのために、 ひろく有智うち・无智むち、 有う罪ざい・无む罪ざい、 善人ぜんにん・悪人あくにん、 持ぢ戒かい・破は戒かい、 たふときもいやしきも、 男おとこも女おむなも、 もしは仏ぶち在ざい世せ、 もしは仏滅ぶちめち後ごの近来きんらいの衆しゆ生じやう、 もしは釈しや迦かの末法まちぽふ万年まんねんののち三宝さむぽうみなうせての時ときの衆しゆ生じやうまで、 みなこもりたる也なり。 また善導ぜんだう和くわ尚しやうの、 弥陀みだの化身くゑしんとして専修せんじゆ念仏ねむぶちをすゝめたまへるも、 ひろく一切ゐちさい衆しゆ生じやうのためにすゝめて、 无智むちのものにかぎる事ことは候さふらはず。 ひろき弥陀みだの願ぐわんをたのみ、 あまねき善導ぜんだうのすゝめをひろめむもの、 いかでか無智むちの人ひとにかぎりて、 有智うちの人ひとをへだてむや。 もししからば、 弥陀みだの本ほん願ぐわんにもそむき、 善導ぜんだうの御おむこゝろにもかなふべからず。 さればこの辺へんにまうできて、 往わう生じやうのみちをとひたづね候さふらふ人ひとには、 有智うち・無智むちを論ろんぜず、 みな念仏ねむぶちの行ぎやうばかりを申まふし候さふらふ也なり。 しかるにそらごとをかまへて、 さやうに念仏ねむぶちを申まふしとゞめむとするものは、 このさきのよに、 念仏ねむぶち三昧ざんまい、 浄じやう土どの法門ほふもんをきかず、 後世ごせにまた三さむ悪道まくだうにかへるべきもの、 しかるべくして、 さやうの事ことおばたくみ申まふし候さふらふ事ことにて候さふらふなり。 そのよし聖しやう教げうにみえて候さふらふ也なり。

「修しゆ行ぎやうすることあるを見みては瞋毒しんどくを起おこし、 方便はうべんして破壊はゑし競きほふて怨あだを生なさむ。

かくのごとき生しやう盲まう闡提せんだいの輩ともがら、 頓教とんげうを毀滅くゐめちしてながく沈淪ちむりむせむ。

大だい地ぢ微み塵じん劫ごふを超過てうくわすとも、 いまだ三さむ途づの身みを離はなるゝことを得うべからず」 (法事讃巻下)

「見↠有↢修行↡起↢瞋毒↡方便破壊競生↠怨
如↠此生盲闡提輩ムマルヽヨリメシヒタルモノ毀↢滅頓教↡永沈シヅミ淪シヅム
超↢過大地微塵劫↡未↠可↠得↠離↢三途身」

と申まふしたる也なり。 この文もんのこゝろは、 浄じやう土どをねがひ念仏ねむぶちを行ぎやうずるものをみては、 瞋いかりをおこし毒心どくしむをふうみて、 はかり事ごとをめぐらし、 やうやうの方便はうべんをなして、 念仏ねむぶちの行ぎやうを破やぶりて、 あらそひて怨あだをなし、 これをとゞめむとするなり。 かくのごときの人ひとは、 むまれてよりこのかた、 仏法ぶちぽふのまなこしひて、 仏ほとけの種たねをうしなへる闡提せんだいの輩ともがらなり。 この弥陀みだの名みやう号がうをとなえて、 ながき生しやう死じをたちまちにきりて、 常じやう住じゆの極楽ごくらくに往わう生じやうすといふ頓教とんげうの法ほふをそしりほろぼして、 この罪つみによりて、 ながく三悪さむまくにしづむといえるなり。 かくのごときの人ひとは、 大だい地ぢ微み塵じん劫ごふをすぐとも、 むなしく三さむ悪道まくだうのみをはなるゝ事ことをうべからずといえるなり。 さればさやうに妄まう語ごをたくみて申まふし候さふらふ覧らむ人ひとは、 かへりてあはれむべきものなり。 さほどのものゝ申まふさむによりて、 念仏ねむぶちにうたがひをなし、 不ふ審しむをおこさむものは、 いふにたらざるほどの事ことにてこそ候さふらはめ。 おほかた弥陀みだに縁えんあさく、 往わう生じやうに時ときいたらぬものは、 きけども信しんぜず、 行ぎやうずるをみては腹はらをたて、 いかりを含ふうみて、 さまたげむとすることにて候さふらふ也なり。 そのこゝろをえて、 いかに人ひと申まふし候さふらふとも、 御おむこゝろばかりはゆるがせたまふべからず。 あながちに信しんぜざらむは、 仏ほとけなほちからおよびたまふまじ。 いかにいはむや、 凡ぼむ夫ぶちからおよぶまじき事こと也なり。 かゝる不ふ信しんの衆しゆ生じやうのために、 慈悲じひをおこして利り益やくせむとおもふにつけても、 とく極楽ごくらくへまいりてさとりひらきて、 生しやう死じにかへりて誹ひ謗はう不ふ信しんのものをわたして、 一切ゐちさい衆しゆ生じやうあまねく利り益やくせむとおもふべき事ことにて候さふらふ也なり。 このよしを御おむこゝろえておはしますべし。

一 一 一ゐち家けの人々ひとびとの善ぜん願ぐわんに結縁けちえん助じよ成じやうせむこと、 この条でう左右さうにおよび候さふらはず、 尤もともしかるべく候さふらふ。 念仏ねむぶちの行ぎやうをさまたぐる事ことをこそ、 専修せんじゆの行ぎやうに制せいしたる事ことにて候さふらへ。 人々ひとびとのあるいは堂だうおもつくり、 仏ほとけおもつくり、 経きやうおもかき、 僧そうおも供く養やうせむには、 ちからをくわへ縁えんをむすばむが、 念仏ねむぶちをさまたげ、 専修せんじゆをさふるほどの事ことは候さふらふまじ。

二 一 この世よのいのりに、 仏ほとけにも神かみにも申まふさむ事ことは、 そもくるしみ候さふらふまじ。 後世ごせの往わう生じやう、 念仏ねむぶちのほかにあらず、 行ぎやうをするこそ念仏ねむぶちをさまたぐれば、 あしき事ことにて候さふらへ。 この世よのためにする事ことは、 往わう生じやうのためにては候さふらはねば、 仏ぶち・神しんカミのいのり、 さらにくるしかるまじく候さふらふ也なり。

三 一 念仏ねむぶちを申まふさせたまはむには、 こゝろをつねにかけて、 口くちにわすれずとなふるが、 めでたきことにては候さふらふなり。 念仏ねむぶちの行ぎやうは、 もとより行ぎやう住じゆ座ざ臥ぐわ・時じ処しよ諸縁しよえんをきらわざる行ぎやうにて候さふらへば、 たとひみもきたなく、 口くちもきたなくとも、 こゝろをきよくして、 わすれず申まふさせたまはむ事こと、 返々かへすがへす神妙しんべうに候さふらふ。 ひまなくさやうに申まふさせたまはむこそ、 返々かへすがへすありがたくめでたく候さふらへ。 いかならむところ、 いかならむ時ときなりとも、 わすれず申まふさせたまはゞ、 往わう生じやうの業ごふにはかならずなり候さふらはむずる也なり。 そのよしを御おむこゝろえて、 おなじこゝろならむ人ひとには、 おしえさせたまふべし。 いかなる時ときにも申まふさざらむをこそ、 ねうじてまふさばやとおもひ候さふらふべきに、 申まふされむをねうじて申まふさせたまはぬ事ことは、 いかでか候さふらふべき、 ゆめゆめ候さふらふまじ。 たゞいかなるおりもきらはず申まふさせたまふべし。 あなかしこ、 あなかしこ。

四 一 御おむ仏ぶちおほせにしたがひて、 開眼かいげんしてくだしまいらせ候さふらふ。 阿わ弥陀みだの三尊さむぞんつくりまいらせさせたまひて候さふらふなる、 返々かへすがへす神妙しんべうに候さふらふ。 いかさまにも、 仏像ぶちざうをつくりまいらせたるは、 めでたき功く徳どくにて候さふらふ也なり。

五 一 いま一ひとついふべき事ことのあるとおほせられて候さふらふは、 なに事ごとにか候さふらふ覧らむ。 なむ条でうはゞかりか候さふらふべき。 おほせ候さふらふべし。

六 一 念仏ねむぶちの行ぎやうあながちに信しんぜざる人ひとに論ろんじあひ、 またあらぬ行ぎやうことさとりの人ひとにむかひて、 いたくしゐておほせらるゝ事こと候さふらふまじ。 異い学がく・異解いげの人ひとをえては、 これを恭く敬ぎやうしてかなしめ、 あなづる事ことなかれと申まふしたることにて候さふらふ也なり。 されば同心どうしんに極楽ごくらくをねがひ、 念仏ねむぶちを申まふさむ人ひとに、 たとひ塵刹ぢんせちヨノクニのほトイフ かの人ひとなりとも、 同どう行ぎやうのおもひをなして、 一仏ゐちぶち浄じやう土どにむまれむとおもふべきにて候さふらふなり。 阿わ弥陀みだ仏ぶちに縁えんなくて、 浄じやう土どにちぎりなく候さふらはむ人ひとの、 信しんもおこらす、 ねがはしくもなく候さふらはむには、 ちからおよばず。 たゞこゝろにまかせて、 いかなる行ぎやうおもして、 後ご生しやうたすかりて、 三さむ悪道まくだうをはなるゝ事ことを、 人ひとのこゝろにしたがひて、 すゝめ候さふらふべきなり。 またさわ候さふらへども、 ちりばかりもかなひ候さふらひぬべからむ人ひとには、 弥陀みだ仏ぶちをすゝめ、 極楽ごくらくをねがふべきにて候さふらふぞ。 いかに申まふし候さふらふとも、 このよの人ひとの極楽ごくらくにむまれぬ事ことは候さふらふまじき事ことにて候さふらふ也なり。 このあひだの事ことおば、 人ひとのこゝろにしたがひて、 はからふべく候さふらふなり。 いかさまにも人ひととあらそふことは、 ゆめゆめ候さふらふまじ。 もしはそしり、 もしは信しんぜざらむものをば、 ひさしく地ぢ獄ごくにありて、 また地ぢ獄ごくへかへるべきものなりとよくよくこゝろえて、 こわがらで、 こしらふべきにて候さふらふか。 またよもとはおもひまいらせ候さふらへども、 いかなる人ひと申まふし候さふらふとも、 念仏ねむぶちの御おむこゝろなむど、 たぢろぎおぼしめす事ことあるまじく候さふらふ。 たとひ千せんの仏ほとけ世よにいでゝ、 まのあたりおしえさせたまふとも、 これは釈しや迦か・弥陀みだよりはじめて、 恒沙ごうじやの仏ほとけの証誠しようじやうせさせたまふ事ことなればとおぼしめして、 こゝろざしを金剛こむがうよりもかたくして、 このたびかならず阿わ弥陀みだ仏ぶちの御おむまへにまいりてむとおぼしめすべく候さふらふ也なり。 かくのごときの事こと、 かたはし申まふさむに、 御おむこゝろえて、 わがため人ひとのためにおこなはせたまふべし。 あなかしこ、 あなかしこ。

九月十八日

源ぐゑん空く

つのとの三郎さぶらう殿どの御おむ返へん事じ

つのとの三郎さぶらうといふは、 武蔵むさしの国くにの住人じゆにん也なり。 おほご・しのや・つのと、 この三人さむにんは聖しやう人にん根本こんぽんの弟子でしなり。 つのとは生しやう年ねん八はち十じふ一ゐちにて自じ害がいして、 めでたく往わう生じやうをとげたりけり。 故こ聖しやう人にん往わう生じやうのとしとてしたりける。 もし正月廿五日などにてやありけむ、 こまかにたづね記きすべシルスベシ し。

康元かうげん元丙辰十一月八日

愚禿親鸞 八十四歳 書之

 

平等覚経 ¬大阿弥陀経¼ の誤りか。
巧言 左「カマヘタマフミコトナリ」
得道 左「ネチハンノサトリナリ」
得道 左「ネチハンノサトリヲジヤウドニシテヒラクナリ」
四土 左「ホフシンホウジンオウジンクヱノドナリ」
四乗 左「シヤウモンエンガクボサチブチジヨウナリ」
二蔵 左「シヤウモンザウボサチザウナリ」
二住 左「ヨゲウハカクレテコノホフハトゞマルトイフコヽロナ□」
思不思 左「カシギハホトケノホカノヨノモノヽコヽロナリ」
并州の三県 左「クニノナヽリ シンヤウタイグヱンミトコロナリ」
退没 左「シリゾキオツルナリ イルトモイフ」
勝如聖人 左「ツノクニカチヲデラノシヤウニンニテオハシマスナリ」
発遣 左「シヤカノスヽメツカハストナリ」