西方指南抄上

(1) 法然聖人御説法事

法然ほふねんしやうにん説法せちぽうこと

 ・仏身

きやうしようなかに、 ほとけどくをとけるにりやうしんあり。 あるいはそうじて一身ゐちしんをとき、 あるいはしんをとき、 あるいははん三身さむしんをとき、 ない ¬華厳くゑごむぎょう¼ には十身じふしんどくとけり。 いましばらく真身しんしん化身くゑしんしんをもて、 弥陀みだ如来によらいどく讃嘆さんだんしたてまつらむ。©この真化しんくゑしんをわかつこと、 ¬そう巻経くわんぎやう¼ の三輩さむぱいもんなかにみえたり。

 ・仏身 ・真身

まづ真身しんしんといふは、 真実しんじちしんなり。 弥陀みだ如来によらいいんのとき、 世自せじ在王ざいわうぶちのみもとにして十八じふはちぐわんをおこしてのち、 兆載てうさいゐやうごふのあひだ、 布施ふせかい忍辱にんにくしやうじんとうろくまんぎやうしゅして、 あらはしえたまへるところは、 修因しゅいん感果かむくわしんなり。©¬観経くわんぎやう¼ (意) にときていはく、 「そのしんりやう六十ろくじふ万億まんおく那由なゆごうしやじゅんなり。 けんびやくがうみぎにめぐりてしゅせんのごとしと。 そのゐちしゅせんのたかさ、 しゆつかいウミヨリイデ 入海にふかいおのウミニイレルコト おの八万はちまんせん那由なゆなり。 またしやうれん慈悲じひおむまなこは、 だい海水かいしゐのごとくして清白しやうびやくぶんみやうなり。 のもろもろのもうより光明くわうみやうをはなちたまふこと、 しゅせんのごとし。©うなじにめぐれるゑんくわうは、 ひやくおく三千さむぜん大千だいせんかいのごとし。©かくのごとくして八万はちまんせんさうまします。 一一ゐちゐちさうにおのおの八万はちまんせんかうあり、 一一ゐちゐちかうにまた八万はちまんせん光明くわうみやうまします。 その一一ゐちゐち光明くわうみやう、 あまねく十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしてすてたまはず。 オムしんのいろは、 夜摩やまてんえむだんごんのいろのごとし」 といへり。©これ弥陀みだ一仏ゐちぶちにかぎらず、 一切ゐちさい諸仏しよぶちはみな黄金わうごむのいろなり。 もろもろのいろのなかにはびやくしきをもてほんとすとまふせば、 ほとけおむいろもびやくしきなるべしといゑども、 そのいろなほそんずるいろなり。 たゞ黄金わうごむのみあてへんカワラヌのいろなり。 このゆへに、 十方じふぱうさむ一切ゐちさい諸仏しよぶち、 みなじやうじゆへんさうをあらわさむがために、 黄金わうごむのいろをげんじたまへるなり。 これ ¬くわんぶち三昧ざむまいきやう¼ のこゝろなり。©たゞし真言しんごんしゆなかしゆほふあり。 その本尊ほんぞん身色しんじきほふにしたがふて各別かくべちなり。 しかれどもさむシバラク方便はうべんノトキナリ くゑしんなり、 ほとけ本色ほんじきにはあらず。©このゆへに、 仏像ぶちざうをつくるにも、 びやくだん採色さいしきなれどもどくをえざるにあらずといへども、 金色こむじきにつくりつれば、 すなわち決定くゑちじやうわうじやう業因ごふいんなり。©そくしやうどくりやくぞんずるにかくのごとし。 「そくしやうないさむスナワチワウジヤウスト しやう必得ひちとくわうじやうカナラズワウジヤウヲ」 といウルトナリ へり。 これ弥陀みだ如来によらい真身しんしんどくりやくぞんずるにかくのごとし。

 ・仏身 ・化身

つぎ化身くゑしんといふは、 无而むにくつくゑカタチモナクシテイヅヲヲイフ いふ。 すなわちにしたがふときにおうじてしんりやうげんずること、 大小だいせうどうなり。 ¬きやう¼ (観経) に、 「あるいは大身だいしんげんじて虚空こくにみつ、 あるいは小身せうしんげんじてじやうろくはちしやく」 といへり。 化身くゑしんにつきてしゆあり。

 ・仏身 ・化身 ・円光の化仏

まづゑんくわう化仏くゑぶち。 ¬きやう¼ (観経) にいはく、 「ゑんくわうのなかにおいて、 ひやく万億まんおく那由なゆごうしや化仏くゑぶちまします。 一一ゐちゐち化仏くゑぶちしゆしゆくゑさちをもて、 しやとせり」 といへり。

 ・仏身 ・化身 ・摂取不捨の化仏

つぎに摂取せふしゆしや化仏くゑぶち。 「光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや(観経) といふは、 この真仏しんぶち摂取せふしゆなり。 このほかに化仏くゑぶち摂取せふしゆあり。 さむじふろく万億まんおく化仏くゑぶち、 おのおの真仏しんぶちとともに十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしたまふといへり。

 ・仏身 ・化身 ・来迎引接の化仏

つぎ来迎らいかう引接いんぜふ化仏くゑぶちぼむ来迎らいかうにおのおの化仏くゑぶちまします。 ほむにしたがふてせうあり。 じやうぼむ上生じやうしやう来迎らいかうには、 真仏しんぶちのほかにしゆ化仏くゑぶちまします。 じやうぼむちうしやうには、 せん化仏くゑぶちまします。 じやうぼむしやうには、 ひやく化仏くゑぶちまします。 ないかくのごとくだいにおとりて、 ぼむ上生じやうしやうには、 真仏しんぶち来迎らいかうしたまはず、 たゞ化仏くゑぶちくゑくわんおむせいとをつかはす。 その化仏くゑぶちしんりやう、 あるいはじやうろく、 あるいははちしやくなり。 くゑさちしんりやうもそれにしたがふて、 ぼむちうしやうは、 「天華てんぐゑうへ化仏くゑぶちさちましまして、 来迎らいかうしたまふ」 (観経意) といへり。 ぼむしやうは、 「みやうじゆしてイノチオハルトナリのち、 こむ蓮華れんぐゑをみる。 にょ日輪にちりんヒノゴトクシテ ぢゆ人前にんぜん(観経)ソノヒトノマヘニアラワルトナリ   といへり。 もんのごとくは、 化仏くゑぶち来迎らいかうもなきやうにみえたれども、 善導ぜんだうおむこゝろは、 ¬観経くわんぎやうしよ¼ (散善義)じふゐちもんによらば、 だいもんに 「みやうじゆのとき、 しやうじゆ迎接かうせふしたまふどう去時さるときオソキしちトキをあかす」 といへり。 また 「いまこのじふゐちもんは、 ぼむもん約対やくたいせり。 一一ゐちゐちほむのなかに、 みなこのじふゐちあり」 といへり。 しかれば、 ぼむしやうにも来迎らいかうあるべきなり。 しかるをぐゐやく罪人ざいにん、 そのつみおもきによりて、 まさしく化仏くゑぶちさちをみることあたはず、 たゞわがすべきところのこむ蓮華れんぐゑばかりをみるなり。 あるいはまたもん隠顕おむけんあるなり。

 ・仏身 ・化身 ・本尊のための化仏

つぎにまた十方じふぱうぎやうじや本尊ほんぞんのために、 小身せうしんげんじたまへる化仏くゑぶちあり。 天竺てんぢくけい頭摩づま五通ごつさち神足じんそくをして極楽ごくらくかいにまうでて、 ほとけにまふしてまうさく、 しやかいしゆじやうわうじやうぎやうしゆせむとするに、 その本尊ほんぞんなし。 ほとけ、 ねがわくは、 ために身相しんさうげんじたまへと。 ほとけ、 すなわちさちしやうにおもむきて、 うへ化仏くゑぶちじふたいげんじたまへり。 さち、 すなわちこれをうつして、 よにひろめたり。 けい頭摩づま五通ごつさちまん陀羅だらといへる、 すなわちこれなり。 またくわうまん陀羅だらとて、 けん流布るふしたる本尊ほんぞんあり。 その因縁いんねんひとつねにしりたることなり、 つぶさにまふすべからず。 ¬日本にちぽんわうじやうでん¼ をみるべし。

 ・仏身 ・化身 ・教化説法の化仏

またしんしやうさち教化けうくゑし、 説法せちぽうせむがために、 くゑして小身せうしんげんじたまへることまします。 これはこれ、 弥陀みだ如来によらい化身くゑしんどく、 またりやくしてかくのごとし。

 ・来迎

いまこの造立ざうりふせられたまへるほとけは、 おんしやうじやをつたへてさむじやく立像りふざうをうつし、 さい終焉しふえんのゆふべをして来迎らいかう引接いんぜふにつくれり。 おほよそ仏像ぶちざうざうツクリカクナリるに種種しゆじゆさうあり。 あるいは説法せちぽう講堂かうだうざうあり、 あるいはしゐ沐浴もくよくざうあり、 あるいはだいじゆじやうとうしやうがくざうあり、 あるいは光明くわうみやう遍照へんぜう摂取せふしゆしやざうあり。 かくのごときのぎやうざうを、 もしはつくり、 もしはカクナリたてまつる。 みなわうじやうごふなれども、 来迎らいかう引接いんぜふぎやうざうは、 なほその便びんをえたるなり。 かのじん虚空こくかいしやうごむをみ、 転妙てんめう法輪ほふりんおんじやうをきゝ、 七宝しちぽう講堂かうだうのみぎりにのぞみ、 はちどくのはまにあそび、 おほよそかくのごとく種種しゆじゆめうしやうほうをまのあたりミルちやう キク せむことは、 まづ終焉しふえんのゆふべにしやうじゆ来迎らいかうにあづかりて、 決定くゑちじやうしてかのくににわうじやうしてのうえのことにさふらふ。 しかれば、 ふかくわうじやう極楽ごくらくのこゝろざしあらむひとは、 来迎らいかう引接いんぜふぎやうざうをつくりたてまつりて、 すなわち来迎らいかう引接いんぜふせいぐわんをあおぐべきものなり。 その来迎らいかう引接いんぜふぐわんといふは、 すなわちこの十八じふはちぐわんなかだいじふぐわんなり。 にんこれをしやくするに、 おほくのあり。

 ・来迎 ・臨終正念

まづ臨終りむじゆしやうねむのために来迎らいかうしたまへり。 おもはく、 びやふみをせめて、 まさしくシヌル むとするときには、 かならずきやうがいたいたうしやう三種さむしゆ愛心あいしむをおこすなり。 しかるに如来によらいだい光明くわうみやうをはなちてぎやうじやのまへにげんじたまふとき、 ぞうなるがゆへに、 くゐきやうしむのほかにねむなくして、 三種さむしゆ愛心あいしむをほろぼして、 さらにおこることなし。 かつはまたほとけぎやうじやにちかづきたまひて、 加持かぢねむしたまふがゆへなり。 ¬しようさんじやうきやう¼ に 「慈悲じひ加祐かゆして、 こゝろをしてみだらざらしむ。 すでにいのちをすておはりてすなわちわうじやうをえ、 退転たいてんじゆす」 といへり。 ¬弥陀みだきやう¼ に 「弥陀みだぶち、 もろもろのしやうじゆとそのまへにげんぜむ。 このひとおわらむとき、 しむ顛倒てんだうせずして、 すなわち弥陀みだぶちこくわうじやうをえむ」 ととけり。 りやうしむらん」 と 「しむ顛倒てんだう」 とは、 すなわちしやうねむじゆせしむるなり。 しかれば、 臨終りむじゆしやうねむなるがゆへに来迎らいかうしたまふにはあらず、 来迎らいかうしたまふがゆへに臨終りむじゆしやうねむなりといふ、 あきらかなり。 ざいしやうのあひだわうじやうぎやうじやうじゆせむひとは、 臨終りむじゆにかならずしやうじゆ来迎らいかうをうべし。 来迎らいかうをうるとき、 たちまちにしやうねむじゆすべしといふこゝろなり。 しかるにいまのときのぎやうじや、 おほくこのむねをわきまえずして、 ひとへにじむじやうぎやうにおいてはかうにやくしやうヨワクヨワキコヽロナリて、 はるかに臨終りむじゆのときをしてしやうねむをいのる、 もとも僻韻へきゐんなりヒガヰンノコヽロ ナリしかれば、 よくよくこのむねをこゝろえて、 じむじやうきやうごふにおいてかうにやくのこヨワクヨワキコヽロ ゝろをおこさずして、 臨終りむじゆしやうねむにおいて決定くゑちじやうのおもひをなすべきなり。 これはこれ、 えうなり。 きかむひと、 こゝろをとゞむべし。 この臨終りむじゆしやうねむのために来迎らいかうすといふは、 じやうりよゐんじやうせう法橋ほふけうしやくなり。

 ・来迎 ・道の先達

つぎみち先達せんだちのために来迎らいかうしたまふといへり。 あるいは ¬わうじやうでん¼ に、 沙門しやもんほふ遺書ゆいしよにいはく、

「われしやうかいて、 さいわいにしやう船筏せんばちまうあへり。 われあらはすところのしんしやう卑穢ひゑしちらいかうせむ。

ざいしやうかいかうしやう船筏せんばちしよけんしんしやうらいかう卑穢ひゑしち

もしじやうごんせば、 かならずぎやうざうざうすべし。 臨終りむじゆにそのまへげんじて、だうしめさむ。 しむせふして

にやくごんじやうひちざうぎやうざう臨終りむじゆげんぜんだうせふしむ

念念ねむねむすればつみやうやくく。 ごふしたがふてぼむしやうぜむ。 それあらはすところのしやうじゆ、 さきだちてしんしやうともがらむ。

念念ねむねむざいぜむじんずいごふしやうぼむしよけんしやうじゆせんさんしんしやうはい

仏道ぶちだうらく増進ぞうしん

仏道ぶちだうらく増進ぞうしん

これすなわち、 このかいにしてざうするところのぎやうざう先達せんだちとなりてじやうにおくりたまふしようなり。 また ¬やくきやう¼ (玄奘訳) をみるに、 じやうをねがふともがら、 きやうごふいまださだまらずして、 わうじやうのみちにまどふことあり。 すなわちもんにいはく、 「よくじゆすること八分はちぶん斉戒さいかい↡あらむ。 あるいは一年ゐちねんをへ、 あるいはまたさむぐわちじゆせむ。 まなぶところ、 この善根ぜんごんをもて西方さいはう極楽ごくらくかいりやう寿じゆぶちのみもとにむまれむとぐわんじて、 しやうぼふちやうもんすれども、 いまださだまらざるもの、 もしそんやく瑠璃るりくわう如来によらいみやうがうをきかむ。 みやうじゆのときにのぞみて、 はちさちあてじんじようじてきたりて、 そのだうをしめさむ。 すなわちかのかいにして、 種種しゆじゆ雑色ざふしき衆宝しゆぼうくゑなかねんくゑしやうす」 といへり。 もしかのはちさちそのだうヒロキミチセバをしキミチ めさずは、 ひとりわうじやうすることえがたきにや。 これをもておもふにも、 弥陀みだ如来によらいもろもろのしやうじゆとともにぎやうじやのまへにげんじてきたりて迎接かうせふしたまふも、 みちびきてだうをしめしたまはむがためなりといふ、 まことにいはれたることなり。 しやかいのならひも、 みちをゆくにはかならず先達せんだちといふものをすることなり。 これによてめうそうじやうは、 この来迎らいかうぐわんおば現前げんぜんだうしやうぐわんとなづけたまへり。

 ・来迎 ・対治魔事

つぎたい魔事まじのために来迎らいかうすといふあり。 だうさかりなれば、 さかりなりとまふして、 仏道ぶちだうしゆぎやうするには、 かならずしやうなんのあひそふなり。 真言しんごんしゆなかには、 「誓心せいしむ決定くゑちじやうすれば、 魔宮まぐ振動しんどうす」 (発菩提心論) といへり。 天臺てんだい ¬くわん¼ (巻八下意)なかには、 「しゆ三昧ざむまいしゆぎやうするに、 十種じふしゆきやうがいおこるなか魔事まじきやうらいキタル といへり。 またさちさむひやくこふぎやうすでになりてしやうがくをとなふるときも、 だい六天ろくてんわうきたりて種種しゆじゆしやうせり。 いかにいはむや、 ぼむばくぎやうじや、 たとひわうじやうきやうごふしゆすといふとも、 しやうなんたいせずは、 わうじやうくわいをとげむことかたし。 しかるに弥陀みだ如来によらいしゆ化仏くゑぶちさちしやうじゆねうせられて、 光明くわうみやう赫奕かくやくとしてぎやうじやのまへにげんじたまふときには、 わうもこゝにちかづき、 これをしやうすることあたはず。 しかればすなわち、 来迎らいかう引接いんぜふしやうたいせむがためなり。 来迎らいかうりやくぞんずるにかくのごとし。 これらのにつきておもひさふらふにも、 おなじく仏像ぶちざうをつくらむには、 来迎らいかうざうをつくるべきとおぼえさふらふなり。 ほとけどく大概たいがいかくのごとし。

 ・浄土三部経

つぎさむきやうは、 いまさむきやうとなづくることは、 はじめてまふすにあらず、 そのしようこれおほし。 いはく大日だいにちさむきやうは、 ¬大日だいにちきやう¼・¬金剛こむがうちやうきやう¼・¬しちきやう¼ とうこれなり。 ろくさむきやう、 ¬上生じやうしやうきやう¼・¬しやうきやう¼・¬じやうぶちきやう¼ とうこれなり。 ちんこくさむきやうは、 ¬法華ほふくゑきやう¼・¬仁王にんわうきやう¼・¬こむ光明くわうみやうきやう¼ とうこれなり。 法華ほふくゑさむきやう、 ¬りやうきやう¼・¬法華ほふくゑきやう¼・¬げんぎやう¼ とうこれなり。 これすなわち、 さむきやうとなづくるしようなり。 いまこの弥陀みださむきやうは、 あるにんのいはく、 「じやうけうさむあり。 いはく ¬さうくわんりやう寿じゆきやう¼・¬くわんりやう寿じゆきやう¼・¬弥陀みだきやう¼ とうこれなり」。 これによて、 いまじやうさむきやうとなづくるなり。 あるいはまた弥陀みださむきやうともなづく。 またあるのいはく、 「かのさむきやうに ¬おんじやうきやう¼ をくわえて四部しぶとなづく」 (慈恩小経疏意) といへり。 おほよそしよきやうなかに、 あるいはわうじやうじやうほふをとくあり、 あるいはとかぬきやうあり。 ¬華厳くゑごむぎょう¼ にはこれをとけり、 すなわち ¬じふ華厳くゑごむ¼ のなかげんじふぐわんこれなり。 ¬だい般若はんにやきやう¼ のなかにすべてこれをとかず。 ¬法華ほふくゑきやう¼ (巻六)なかにこれをとけり、 すなわち 「薬王やくわうぼむ」 の 「即往そくわう安楽あんらくかい」 のもんこれなり。 ¬涅槃ねちはんぎやう¼ にはこれをとかず。 また真言しんごんしゆなかには、 ¬大日だいにちきやう¼・¬金剛こむがうちやうきやう¼ に蓮華れんぐゑにこれとくといゑども、 大日だいにち分身ぶんしんなり。 わきてとけるにはあらず。 もろもろのせうじようきやうにはすべてじやうをとかず。 しかるにわうじやうじやうをとくことは、 このさむきやうにはしかず。 かるがゆへにじやう一宗いちしゆには、 このさむきやうをもてその所縁しよえんとせり。

 ・浄土宗名

またこのじやう法門ほふもんにおいてしゆをたつること、 はじめてまふすにあらず、 そのしようこれおほし。 少々せうせうこれをいださば、 ぐわんげうの ¬しむ安楽あんらくだう¼ に、

じやうしゆこゝろもとぼむのためなり、 かねてはしやうにんのためなり」

じやうしゆほんぼむ↡、 けむしやうにん

といへる、 そのしようなり。 かのぐわんげう華厳くゑごむしゆ祖師そしなり。 おんの ¬西方さいはうえうくゑち¼ に、 「依此えしコノシユいちしゆニヨルト」 といえるなり、 またそのしようなり。 かのおん法相ほふさうしゆ祖師そしなり。 ざいの ¬じやうろん¼ (序) には、 「一宗いちしゆせちえうヒソカニたり」 といへる、 またそのしようなり。 善導ぜんだう ¬観経くわんぎやうしよ¼ (散善義) に、 「真宗しんしゆカタシアヒ」 といへる、 またそのしようなり。 かのざい善導ぜんだうは、 ともにこのじやう一宗いちしゆをもはらにしんずるひとなり。 しゆしゆしやくすでにかくのごとし。

 ・師資相承

しかのみならず、 しゆをたつることは、 天臺てんだい法相ほふさうとう諸宗しよしゆ、 みな師資ししタスクさうじようによる。 しかるにじやうしゆ師資ししさうじよう血脈くゑちみやくだいあり。 いはくだい流支るし三蔵さむざうてうほふだうぢやうほふ曇鸞どむらんほふほふじやうほふだうしやくぜん善導ぜんだうぜんかむぜん小康せうかうほふとうなり。 だい流支るしよりほふじやうにいたるまでは、 だうしやく¬安楽あんらくしふ¼ にいだせり。 自他じたしゆにん、 すでにじやう一宗いちしゆとなづけたり。 じやうしゆ祖師そし、 まただいさうじようせり。 これによて、 いま相伝さうでんしてじやうしゆとなづくるものなり。 しかるを、 このむねをしらざるともがらは、 むかしよりいまだ八宗はちしゆのほかにじやうしゆといふことをきかずとなんすることもさふらへば、 いさゝかまふしひらきさふらふなり。 おほよそ諸宗しよしゆ法門ほふもんせんアサキじむフカキあり、 くわうヒロキけうセバキあり。 すなわち真言しんごん天臺てんだいとうしよだいじようしゆは、 ひろくしてふかし。 しやじやうじちとうせうじようしゆは、 ひろくしてあさし。 このじやうしゆは、 せばくしてあさし。 しかれば、 かの諸宗しよしゆは、 いまのときにおいてけう相応さうおうせず。 けうはふかしはあさし。 けうはひろくしてはせばきがゆへなり。 たとへばゐんたかくしては、 することすくなきがごとし。 またちゐさきうつわものおほきなるものをいるゝがごとし。 たゞこのじやう一宗いちしゆのみ、 けう相応さうおうせる法門ほふもんなり。 かるがゆへにこれをしゆせばかならずじやうじゆすべきなり。 しかればすなわち、 かの相応さうおうけうにおいては、 いたはしくしんしむコヽロをついやすことなかれ。 たゞこの相応さうおうほふくゐして、 すみやかにしやうをいづべきなり。

 ・大経

今日こむにち講讃かうさんせらホムルナリ れたまへるところは、 このさむなかの ¬さうくわんりやう寿じゆきやう¼ と ¬弥陀みだきやう¼ となり。 まづ ¬りやう寿じゆきやう¼ には、 はじめに弥陀みだ如来によらいいんほんぐわんをとく、 つぎにはかのほとけくわほうしやうごむをとけり。 しかれば、 この ¬きやう¼ には弥陀みだぶち修因しゅいん感果かむくわどくをとくなり。

一一ゐちゐち本誓ほんぜいぐわん一一ゐちゐちぐわんじやうじゆもんにあきらかなり。 つぶさにしやくするにいとまあらず。 そのなかしゆじやうわうじやう因果いんぐわをとくといふは、 すなわち念仏ねむぶちわうじやうぐわんじやうじゆの 「しよしゆじやうもんみやうがう(大経巻下)もん、 および三輩さむぱいもんこれなり。

もし善導ぜんだうおむこゝろによらば、 この三輩さむぱい業因ごふいんについてしやうざふぎやうをたてたまへり。 正行しやうぎやうについてまたふたつあり、 正定しやうぢやう助業じよごふなり。 三輩さむぱいともに 「一向ゐちかう専念せんねむ(大経巻下) といへる、 すなわち正定しやうぢやうごふなり、 かのほとけほんぐわんじゆんずるシタガフナリ がゆへに。 またそのほかに助業じよごふあり、 ざふぎやうあり。

おほよそこの三輩さむぱいなかにおのおのだいしむとうぜんをとくといゑども、 かみほんぐわんをのぞむには、 もはら弥陀みだみやうがうしようねむせしむるにあり。 かるがゆへに 「一向ゐちかう専念せんねむ」 といへり。 かみほんぐわんといふは、 十八じふはちぐわんなかだい十八じふはち念仏ねむぶちわうじやうぐわんをさすなり。 一向ゐちかうのことば、 三向さむかうたいするなり。 もし念仏ねむぶちのほかにならべてぜんしゆせば、 一向ゐちかうにそむくべきなり。 わうじやうをもとめむひとは、 もはらこの ¬きやう¼ によて、 かならずこのむねをこゝろうべきなり。

 ・小経

つぎに ¬弥陀みだきやう¼ は、 はじめには極楽ごくらくかいしやうほうをとく、 つぎには一日ゐちにち七日しちにち念仏ねむぶちしゆしてわうじやうすることをとけり、 のちには六方ろくぱう諸仏しよぶち念仏ねむぶちゐちぎやうにおいて証誠しようじやうねむしたまふむねをとけり。 すなわちこの ¬きやう¼ にはぎやうをとかずして、 えらびて念仏ねむぶちゐちぎやうをとけり。

おほよそ念仏ねむぶちわうじやうは、 これ弥陀みだ如来によらいほんぐわんぎやうなり、 教主けうしゆしやくそん選要せんえうほふなり、 六方ろくぱう諸仏しよぶち証誠しようじやうせちなり。 ぎやうはしからず。 そのむね、 ¬きやう¼ のもんおよびしよしやくつぶさなり。

またきやうしやくするに、 ほとけどくもあらはれ、 ほとけさんずればきやうどくもあらわるゝなり。 またしよきやうのこゝろをしやくしたるものなれば、 しよしやくせむに、 きやうのこゝろあらはるべし。 みなこれおなじものなり、 まちまちにしやくするにあたはず。

 ・観経

いまこの ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ にふたつのこゝろあり。 はじめにはぢやうさんぜんしゆしてわうじやうすることをあかし、 つぎにはみやうがうしようしてわうじやうすることをあかす。

¬清浄しやうじやうがくきやう¼ (第四巻)しんしん因縁いんねんもんをひけり。 このもんのこゝろは、 「じやう法門ほふもんをとくをきゝて、 信向しんかうしてみのけいよだつものは、 くわにもこの法門ほふもんをきゝて、 いまかさねてきくひとなり。 いましんずるがゆへに、 決定くゑちじやうしてじやうわうじやうすべし。 またきけどもきかざるがごとくにて、 すべてしんぜぬものは、 はじめてさむ悪道まくだうよりきたりて、 ざいしやういまだつきずして、 こゝろに信向しんかうなきなり。 いましんぜぬがゆへに、 またしやうをいづることあるべからず」 といへるなり。 せむずるところは、 わうじやうにんのこのほふおばしんさふらふなり。

天臺てんだいとうのこゝろは、 十三じふさむぐわんうへぼむ三輩さむぱいくわんをくわへて、 十六じふろくさうくわんとなづく。 このぢやうさんぜんをわかちて、 十三じふさむぐわんぢやうぜんとなづけ、 三福さむぷくぼむ散善さんぜんとなづくることは、 善導ぜんだうゐちおむこゝろなり。

そもそも近来きんらいそうを、 かいの僧、 かいといふべからず。 かいひとかいせいすることはしやうぼふ像法ざうぼふのときなり。 末法まちぽふにはかいみやう比丘びくなり。伝教でんげうだい ¬末法まちぽふとうみやう¼ いは、 「末法まちぽふなかかいものありといはば、 これくゑなり、 いちとらあらむがごとし。 たれかこれをしんずべき」 といへり。 またいはく、 「末法まちぽふなかには、 たゞ言教ごんけうのみあて行証ぎやうしようなし。 もし戒法かいほふあらばかいあるべし。 すでに戒法かいほふなし、 いづれのかいおかせむによてかいあらむ。 かいなほなし、 いかにいはむやかいおや」 といへり。 まことに受戒じゆかいほふは、 中国ちうごくにはシムタンコクナリ かいそう十人じふにんしやうじてかいとす。 へんハクサイにはカウライトウにんしやうヲヘンヂトイフじてかいとして、 かいおばうくるなり。 しかるにこのごろは、 かいそう一人ゐちにんもとめいださむに、 えがたきなり。 しかれば、 うけてのうへにこそかいとことばもあれば、 末代まちだい近来きんらいかいなほなし、 たゞかい比丘びくなりとまふすなり。 この ¬きやう¼ にかいをとくことは、 しやうざうやくしてときたまへるなり。

 ・念仏往生

つぎみやうがうしようしてわうじやうすることをあかすといふは、 「ほとけなんにつげたまはく、 なんぢよくこのをたもて。 このたもてといふは、 すなわちこれりやう寿じゆぶちのみなをたもてとなり」 (観経) とのたまへり。 善導ぜんだうこれをしやくしていはく、 「仏告ぶちがうなんによかう是語ぜごといふより已下いげシモトイフ 、 まさしく弥陀みだみやうがうぞくして、 だいハルカナルヨマデすることをあかす。 かみよりこのかた、 ぢやうさんりやうもんやくをとくといゑども、 ほとけほんぐわんをのぞむには、 こゝろ、 しゆじやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだぶちのみなをしようするにあり」 (散善義) とのたまへり。 おほよそこの ¬きやう¼ のなかには、 ぢやうさんしよぎやうをとくといゑども、 そのぢやうさんをもてはぞくしたまはず、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうをもてなんぞくして、 らい流通るづするなり。

だい流通るづす」 といふは、 はるかに法滅ほふめちひやくさいまでをさす。 すなわち末法まちぽふ万年まんねんののち、 仏法ぶちぽふみなめちして三宝さむぽうみやうもきかざらむとき、 たゞこの念仏ねむぶちゐちぎやうのみとゞまりてひやくさいましますべしとなり。 しかれば、 しやうだうもん法文ほふもんもみなめちし、 十方じふぱうじやうわうじやうもまためちし、 上生じやうしやうそちもまたうせ、 しよぎやうわうじやうもみなうせたらむとき、 たゞこの念仏ねむぶちわうじやう一門ゐちもんのみとゞまりて、 そのときも一念ゐちねむにかならずわうじやうすべしといへり。 かるがゆへにこれをさして、 とおきとはいふなり。 これすなわちおんトホキをあげて、 ごんチカキせふするオサムトナリ なり。

ほとけほんぐわんをのぞむ」 といふは、 弥陀みだ如来によらい十八じふはちぐわんなかだい十八じふはちぐわんをおしふるなり。 いま教主けうしゆしやくそんぢやうさんぜんしよぎやうをすてゝ念仏ねむぶちゐちぎやうぞくしたまふことも、 弥陀みだほんぐわんぎやうなるがゆへなり。

一向ゐちかう専念せんねむ」 といふは、 ¬そう巻経くわんぎやう¼ にとくところの三輩さむぱいのもんのなか一向ゐちかう専念せんねむをおしふるなり。 一向ゐちかうのことは、 をすつることばなり。 この ¬きやう¼ には、 はじめにひろくぢやうさんをとくといゑども、 のちには一向ゐちかう念仏ねむぶちをゑらびてぞく流通るづしたまへるなり。 しかれば、 とおくは弥陀みだほんぐわんにしたがひ、 ちかくはしやくそんぞくをうけむとおもはゞ、 一向ゐちかう念仏ねむぶちゐちぎやうしゆしてわうじやうをもとむべきなり。

おほよそ念仏ねむぶちわうじやうしよぎやうわうじやうにすぐれたること、 おほくのあり。

ひとつには、 いんほんぐわんなり。 いはく弥陀みだ如来によらいいん法蔵ほふざうさちのとき、 十八じふはちせいぐわんをおこして、 じやうをまふけてほとけにならむとぐわんじたまひしとき、 しゆじやうわうじやうぎやうをたてゝえらびさだめたまひしに、 ぎやうおばえらびすてゝ、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうせんぢやうしてわうじやうぎやうにたてたまへり。 これをせんぢやくぐわんといふことは、 ¬だい弥陀みだきやう¼ のせちなり。

ふたつには、 光明くわうみやう摂取せふしゆなり。 これは弥陀みだぶちいんほんぐわんしようねむして、 相好さうがう光明くわうみやうをもて念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしてすてたまはずして、 わうじやうせさせたまふなり。 ぎやうじやおば摂取せふしゆしたまはず。

三には、 弥陀みだみづからのたまはく、 「これはこればち陀和だわさち極楽ごくらくかいにまうでゝ、 いづれのぎやうしゆしてかこのくにゝわうじやうさふらふべきと、 弥陀みだぶちにとひたてまつりしかば、 ほとけこたえてのたまはく、 わがくににしやうぜむとおもはゞ、 わがねんじてそくするこヤムコトナカレトナリ となかれ、 すなわちわうじやうすることをえてむ」 (一巻本般舟経問事品意) とのたまへり。 ぎやうおばすゝめたまはず。

四には、 しやぞくにいはく、 いまこの ¬きやう¼ に念仏ねむぶちぞく流通るづしたまへり。 ぎやうおばぞくせず。

五には、 諸仏しよぶち証誠しようじやう。 これは ¬弥陀みだきやう¼ にときたまへるところなり。 しやぶちえらびて念仏ねむぶちわうじやうのむねをときたまへば、 六方ろくぱう諸仏しよぶちおのおのおなじくほめ、 おなじくすゝめて、 広長くわうぢやうのみしたをのべて、 あまねく三千さむぜん大千だいせんかいにおほふて証誠しようじやうしたまへり。 これすなわち一切ゐちさいしゆじやうをして、 念仏ねむぶちしてわうじやうすることは決定くゑちじやうしてうたがふべからずとしんぜしめむれうなり。 ぎやうおばかくのごとく証誠しようじやうしたまはず。

六には、 法滅ほふめちわうじやう。 いはく、

万年まんねん三宝さむぽうめちせむに、 このきやうじゆせむことひやくねんせむ。 そのとききゝ一念ゐちねむせば、 みなまさにかしこにしやうべし」 (礼讃)

万年まんねん三宝さむぽうめちきやうじゆひやくねん爾時にじもん一念ゐちねむかいとうとくしやう

といふて、 末法まちぽふ万年まんねんののち、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうのみとゞまりて、 わうじやうすべしといへることなり。 ぎやうはしからず。

しかのみならず、 ぼむしやう十悪じふあく罪人ざいにん臨終りむじゆのときもんきやうしようぶちと、 ぜんをならべたりといゑども、 化仏くゑぶち来迎らいかうしてほめたまふに、

なんぢぶちみやうしようするゆへに諸罪しよざい消滅せうめちす。 われきたりてなんぢをむかふ」 (観経)

によしようぶちみやう諸罪しよざい消滅せうめち来迎らいかうによ

とほめて、 いまだもんきやうおばほめたまはず。

また ¬そう巻経くわんぎやう¼ に三輩さむぱいわうじやうごふをとくなかに、 だいしむおよびりふ塔像たうざうとうぎやうおもとくといゑども、 流通るづのところにいたりて、

それかのほとけみやうがうきくことをて、 くわんやくしてない一念ゐちねむあらむ。 まさにるべしこのひとだいとす。 すなわちこれじやうどくそくするなり」 (巻下)

其有ごうとくもんぶちみやうがう↡、 くわんやくない一念ゐちねむ↥。 たうにんとくだい↡。 そくそくじやうどく↡」

とほめて、 ぎやうをさしてじやうどくとはほめたまはず。 念仏ねむぶちわうじやうえうをとるに、 これにありと。

 ・名号功徳

またいはほとけどくひやくせん万劫まんごふのあひだ、 ちうヒルヨルにとくともきわめつくすべからず。 これによて、 教主けうしゆしやくそん、 かの弥陀みだぶちどくしようやうしたまふにも、 えうなかえうをとりて、 りやくしてこのさむ妙典めうでんをときたまへり。 ほとけすでにりやくしたまへり、 たうそういかゞくはしくするにたえむ。 たゞ善根ぜんごんじやうじゆのために、 かたのごとく讃嘆さんだんしたてまつるべし。 弥陀みだ如来によらいないしようぐゑどくりやうなりといゑども、 えうをとるにみやうがうどくにはしかず。 このゆへにかの弥陀みだぶちも、 ことにわがみやうがうをしてしゆじやうさいし、 またしやだいも、 おほくかのほとけのみやうがうをほめてらい流通るづしたまへり。

しかれば、 いまそのみやうがうについて讃嘆さんだんしたてまつらば、 弥陀みだといふは、 これ天竺てんぢくぼむなり。 こゝには翻訳ほむやくしてりやう寿じゆぶちといふ。 またりやうくわうといへり。 またはへんくわうぶちぐゑくわうぶちたいくわうぶち炎王えむわうくわうぶち清浄しやうじやうくわうぶちくわんくわうぶち智慧ちゑくわうぶちだんくわうぶちなんくわうぶちしようくわうぶちてうにちぐわちくわうぶちといへり。 こゝにしりぬ、 みやうがうなか光明くわうみやう寿じゆみやうとのふたつをそなえたりといふことを。 かのほとけどくなかには、 寿じゆみやうほんとし、 光明くわうみやうをすぐれたりとするゆへなり。 しかれば、 また光明くわうみやう寿じゆみやうふたつどくをほめたてまつるべし。

 ・光明功徳 ・无量光

まづ光明くわうみやうどくをあかさば、 はじめにりやうくわうは、 ¬きやう¼ (観経) にのたまはく、 「りやう寿じゆぶち八万はちまんせんさうあり。 一一ゐちゐちさうにおのおの八万はちまんせんずいぎやうかうあり。 一一ゐちゐちかうにまた八万はちまんせん光明くわうみやうあり。 一一ゐちゐち光明くわうみやうあまねく十方じふぱうかいをてらす。 念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆして、 すてたまはず」 といへり。 しむ、 これをかむがへていはく、 「一一ゐちゐちさうなかにおのおのしちひやくていろくぴやくまん光明くわうみやうせり。 ねん赫奕かくやくたりサカリニシテカヾヤクトナリ(要集巻中) といへり。 一相ゐちさうよりいづるところの光明くわうみやうかくのごとし、 いはむや八万はちまんせんさうおや。 まことに算数さんじゆのおよぶところにあらず。 かるがゆへにりやうくわうといふ。

 ・光明功徳 ・无辺光

つぎにへんくわうといふは、 かのほとけ光明くわうみやう、 そのかずかくのごとし。 りやうのみにあらず、 てらすところもまた辺際へんざいあることなきがゆへにへんくわうといふ。

 ・光明功徳 ・无光

つぎにぐゑくわうは、 このかいにちぐわち灯燭とうそくとうのごときは、 ひとへなりといゑども、 ものをへだつれば、 そのひかりとほることなし。 もしかのほとけ光明くわうみやう、 ものにさえらるれば、 このかいしゆじやう、 たとひ念仏ねむぶちすといふとも、 そのくわうせふをかぶることをうべからず。 そのゆへは、 かの極楽ごくらくかいとこのしやかいとのあひだ、 じふ万億まんおく三千さむぜん大千だいせんかいをへだてたり。 その一一ゐちゐち三千さむぜん大千だいせんかいにおのおのぢうてちせんあり。 いはゆるまづゐちてんをめぐれるてちせんあり、 たかさしゅせんとひとし。 つぎにせう千界せんかいをめぐれるてちせんあり、 たかさだい六天ろくてんにいたる。 つぎにちう千界せんかいをめぐれるてちせんあり、 たかさ色界しきかい初禅しよぜんにいたる。 つぎ大千だいせんかいをめぐれるてちせんあり、 たかさだいぜんにいたれり。 しかればすなわち、 もしぐゑくわうにあたらずはゐちかいをすらなほとほるべからず。 いかにいはむや、 じふ万億まんおくかいおや。 しかるにかのほとけ光明くわうみやう、 かれこれそこばくの大小だいせう諸山しよせんをとほりてらして、 このかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしたまふにしやうあることなし。 十方じふぱうかい照摂せうせふテラシオサムたまふことも、 またかくのごとし。 かるがゆへにぐゑくわうといふ。

 ・光明功徳 ・清浄光

つぎ清浄しやうじやうくわうは、 にんしやくしていはく、 「とむ善根ぜんごんよりしやうずるところのひかりなり」 (述文賛巻中意)とむふたつあり、 淫貪いむとむ財貪ざいとむなり。 清浄しやうじやうといふは、 たゞ汚穢わゑじやうぢよきやくノゾクサグルトイフにはあらず、 そのふたつとむ断除だんぢよするなり。 とむじやうとなづくるゆへなり。 もしかいやくせば、 いむかい慳貪けむどむかいとにあたれり。 しかれば法蔵ほふざう比丘びく、 むかしいむ慳貪けむどむしよしやうひかりといふ。 このひかりにふるゝものは、 かならず貪欲とむよくのつみをめちす。 もしひとあて、 貪欲とむよくさかりにしていむ慳貪けむどむかいをたもつことえざれども、 こゝろをいたしてもはらこの弥陀みだぶちみやうがうしようねむすれば、 すなわちかのほとけとむ清浄しやうじやうひかりをはなちて照触せうそく摂取せふしゆしたまふゆへに、 のひかりじやうのぞこる。 かいかいざいけんめちして、 とむ善根ぜんごんとなりて、 かい清浄しやうじやうひととひとしきなり。

 ・光明功徳 ・歓喜光

つぎくわんくわうは、 これはこれしん善根ぜんごんしよしやうひかり。 ひさしくしんかいをたもちて、 このひかりをえたまへり。 かるがゆへにしんしよしやうひかりといふ。 このひかりにふるゝものは、 しんのつみをめちす。 しかればぞうじやうソネムコヽロ ひとなりといふとも、 もはら念仏ねむぶちしゆすれば、 かのくわんくわうをもて摂取せふしゆしたまふゆへに、 しんのつみめちして、 忍辱にんにくのひととおなじ。 これまたさきの清浄しやうじやうくわう貪欲とむよくのつみめちするがごとし。

 ・光明功徳 ・智慧光

つぎ智慧ちゑくわうは、 これはこれ无痴むち善根ぜんごんしよしやうひかりなり。 ひさしく一切ゐちさい智慧ちゑをまなうで、 愚痴ぐち煩悩ぼむなうをたちつくして、 このひかりをえたまへるがゆへに、 无痴むちしよしやうひかりといふ。 このひかりはまた愚痴ぐちのつみをめちす。 しかれば、 无智むち念仏ねむぶちしやなりといふとも、 かの智慧ちゑひかりをしててらしおさめたまふがゆへに、 すなわち愚痴ぐちとがめちして、 智慧ちゑしようマサルれちオトルあることなし。 またこのひかりのごとくしりぬべし。

かくのごとくしてじふくわうましますといふとも、 えうをとるにこれにあり。

おほよそかのほとけ光明くわうみやうどくなかには、 かくのごときのをそなえたり。 くはしくあかさばしゆあるべし。 おほきにわかちてふたつあり。 ひとつには常光じやうくわうふたつにはじんくわうなり。

 ・光明功徳 ・常光

はじめに常光じやうくわうツネノヒカリといふは、 諸仏しよぶち常光じやうくわう、 おのおのげうにしオムコヽロニアリ たがふて、おんトオキごんチカキちやうナガキたんミジカキり。 あるいは常光じやうくわうおもて、 おのおのゐち尋相じむさうといへり。 しやぶち常光じやうくわうのごとき、 これなり。 あるいはしちしやくをてらし、 あるいはゐちをてらし、 あるいはゐちじゆんをてらし、 あるいはさむないひやくせんじゆんをてらし、 あるいはゐちてんをてらし、 あるいはゐちぶちかいをてらし、 あるいはぶちさむぶちないひやくせんぶちかいをてらせり。 この弥陀みだぶち常光じやうくわうは、 八方はちぱうじやう央数あうしゆ諸仏しよぶちこくにおいて、 てらさずといふところなし。 八方はちぱうじやうは、 極楽ごくらくについて方角はうがくカタスミトイフおしふるなり。 この常光じやうくわうについてせちあり。 すなわち ¬*びやうどうがくきやう¼ には、 べちしてくわうをおしえたり。 ¬観経くわんぎやう¼ にはすべてしんくわうといへり。 かくのごときせちあり、 ¬わうじやう要集えうしゆ¼ にかむがへたり、 みるべし。 常光じやうくわうといふは、 ぢやうだんにてらすひかりなり。

 ・光明功徳 ・神通光

つぎじんくわうといふは、 ことにべちにてらすひかりなり。 しや如来によらいの ¬法華ほふくゑきやう¼ をとかむとしたまひしとき、 東方とうばうまん八千はちせんをてらしたまふしがごときは、 すなわちじんくわうなり。 弥陀みだぶちじんくわうは、 摂取せふしゆしや光明くわうみやうなり。 念仏ねむぶちしゆじやうあるときはてらし、 念仏ねむぶちしゆじやうなきときはてらすことなきがゆへなり。 善導ぜんだうくわしやう ¬観経くわんぎやうしよ¼ (定善義) にこの摂取せふしゆ光明くわうみやうしやくしたまへるしたに、 「くわうせう遠近おんごんをあかす」 といへり。 この念仏ねむぶちしゆじやうヰタしよルトコロおんトオキごんチカキについて、 摂取せふしゆ光明くわうみやう遠近おんごんあるべしといふなり。 たとひひとついゑのうちにじゆしたりとも、 ひむがしによりてゐたらむひと念仏ねむぶちまふさむには、 摂取せふしゆ光明くわうみやうとおくてらし、 西にしによりてゐたらむひと念仏ねむぶちまふさむには、 光明くわうみやうちかくてらすべし。 これをもてこゝろうれば、 ひとみやこのうち、 一国ゐちこくのうち、 ゐちえむだいのうち、 三千さむぜんかいうちないはう各別かくべちかいまで、 かくのごとしとしるべし。 しかれば、 念仏ねむぶちしゆじやうについてくわうせう遠近おんごんありとしやくしたまへる、 まことにいわれたることとこそおぼえさふらへ。 これすなわち弥陀みだぶちじんくわうなり。 諸仏しよぶちどくはいづれのどくもみな法界ほふかいへんすといゑども、 どくはそのさうあらわるゝことなし。 たゞ光明くわうみやうのみ、 まさしく法界ほふかいへんするさうをあらわせるどくなり。 かるがゆへに、 もろもろのどくなかには光明くわうみやうをもてさいしようなりとしやくしたるなり。 また諸仏しよぶち光明くわうみやうなかには弥陀みだ如来によらい光明くわうみやうなほまたすぐれたまへり。 このゆへに教主けうしゆしやくそんほめてのたまはく、

りやう寿じゆぶちじん光明くわうみやう最尊さいそん第一だいゐちにして、 諸仏しよぶち光明くわうみやうおよぶことあたはざるところなり」 (大経巻上)

りやう寿じゆぶちじん光明くわうみやう最尊さいそん第一だいゐち諸仏しよぶち光明くわうみやうしよのうぎふ

とのたまへり。 またいはく、

われりやう寿じゆぶち光明くわうみやうじん巍巍ぎぎ殊妙しゆめうなることをかむに、 ちう一劫ゐちこふすとも、 なほいまだつくすことあたはじ」 (大経巻上)

せちりやう寿じゆぶち光明くわうみやうじん巍巍ぎぎ殊妙しゆめう↡、 ちう一劫ゐちこふしやうのうじん

とのたまへり。 これはこれ、 かのほとけ光明くわうみやうほとけ光明くわうみやうとを相対さうたいしてそのしようれちけうりやうせむに、 弥陀みだぶちにおよばざるほとけをかずえむに、 よる・ひる一劫ゐちこふすとも、 そのかずをしりつくすべからずとのたまへるなり。 かくのごとくしゆしようひかりをえたまふことは、 すなわち願行ぐわんぎやうにこたへたり。 いはく、 かのほとけ法蔵ほふざう比丘びくのむかし、 世自せじ在王ざいわうぶちのみもとにして、 ひやく一十ゐちじふおく諸仏しよぶち光明くわうみやうをみたてまつりて、 せんぢやくゆいしてぐわんじていはく、

たとひわれぶちむに、 光明くわうみやうよくげんりやうあて、 しもひやくせんおく那由なゆしよぶちくにてらさざるにいたらば、 しやうがくらじ」 (大経巻上)

せちとくぶち光明くわうみやうのうげんりやう↡、 せうひやくせんおく那由なゆしよ仏国ぶちこくしやしゆしやうがく↡」

とのたまへり。 このぐわんをおこしてのち、 兆載てうさいゐやうごふのあひだしやく累徳るいとくして、 願行ぐわんぎやうともにあらわして、 このひかりをえたまへり。 ほとけざいとう比丘びくといふひとありき。 むまれしとき、 ゆびよりひかりをはなちてじふをてらすことありき。 のちにほとけ弟子でしとなりて、 しゆつしてかんをえたり。 ゆびよりひかりをはなつ因縁いんねんによりて、 なづけてとう比丘びくといへり。 くわじふゐちこふのむかし、 毘婆びばぶつのときに、 ふるき仏像ぶちざうゆびそんじたまひたるをしゆしたてまつりたりしどくによりて、 すなわちゆびよりひかりをはなつほうをうけたるなり。 またぼむ比丘びくといふひとありき。 よりひかりをはなちてゐちじゆんをてらせり。 これくわほとけとうみやうをたてまつりたりしがゆへなり。 またほとけ弟子でし阿那わなりちは、 ほとけ説法せちぽう睡眠すいめんしたることありき。 ほとけ、 これを種種しゆじゆたんしたまふ。 阿那わなりち、 すなわち懺悔さむぐゑのこゝろをおこして睡眠すいめんだんず。 七日しちにちをへてのち、 そのひらきながらそのまなこみずなりぬ。 これを医師いしにとふに、 医師いしこたえていはく、 ひとじきをもていのちとす、 まなこはねぶりをもてじきとす。 もしひと七日しちにちじきせざらむに、 いのちあにつきざらむや。 しかればすなわち、 れうのおよぶところにあらず。 いのちつきぬるひとれうよしなきがごとしといへり。 そのときほとけ、 これをあわれみて天眼てんげんほふをおしえたまふ。 すなわちこれをしゆして、 かへりて天眼てんげんをえたり。 すなわち天眼てんげん第一だいゐち阿那わなりちといへるこれなり。 くわほとけのものをぬすまむとおもふてたうなかにいたるに、 とうみやうすでにきえなむとするをみて、 ゆみのはずをもてこれをかきあぐ。 そのときに、 忽然こつねんとして改悔がいくゑのこゝろをおこして、 あまさへじやう道心だうしむをおこしたりき。 それよりこのかた、 生生しやうしやう世世せせりやうふくをえたり。 いましやしゆつのとき、 ついに得脱とくだちして、 またかくのごとく天眼てんげんをえたり。 これすなわち、 かのとうみやうをかゝげたりしどくによてなり。

 ・寿命功徳

つぎ寿じゆみやうどくといふは、 諸仏しよぶち寿じゆみやうげうにしたがふてちやうたんあり。 これによてしむそう四句しくをつくれり。 「あるいは能化のうくゑほとけいのちながく、 所化しよくゑしゆじやういのちみじかきあり。 くゑくわう如来によらいのごとし。 ほとけいのちじふ小劫せうこふしゆじやういのちはち小劫せうこふなり。 あるいは能化のうくゑほとけいのちみじかく、 所化しよくゑしゆじやういのちながきあり。 ぐゑちめん如来によらいのごとし。 ほとけいのち一日ゐちにちゐちしゆじやういのちじふさいなり。 あるいは能化のうくゑ所化しよくゑともにいのちみじかきあり。 しや如来によらいのごとし。 ほとけしゆじやうもともに八十はちじふさいなり。 あるいは能化のうくゑ所化しよくゑともにいのちながきあり。 弥陀みだ如来によらいのごとし。 ほとけしゆじやうもともにりやうさいなり」 (小経略記意) かるがゆへに ¬きやう¼ (大経巻上) にのたまはく、

ほとけなんげたまはく、 りやう寿じゆぶち寿じゆみやうぢやうにしてしようすべからず。 なんぢむしろるや、 たとひ十方じふぱうかいりやうしゆじやうみな人身にんじんて、 ことごとくしやうもん縁覚えんがくじやうじゆせしめて、 すべてともにすいさんしておもひをもはらにし一心ゐちしむにそのりきつくしてひやくせん万劫まんごふにおいて、 ことごとくともにその寿じゆみやうぢやうおんかずすいさんせむに、 じんしてその限極げんごくることあたはず。 しやうもんさち天人てんにんしゆ寿じゆみやうちやうたんまたかくのごとし。 算数さんじゆ譬喩ひゆのよくるところにあらざるなり」

仏告ぶちがうなん↡、 りやう寿じゆぶち寿じゆみやうぢやうしよう↡。 によにやう知乎ちこ仮使けし十方じふぱうかいりやうしゆじやう皆得かいとく人身にんじん↡、 しちりやうじやうじゆしやうもん縁覚えんがく↡、 都共とぐ推算すいさんぜん一心ゐちしむかちりきひやくせん万劫まんごふ↡、 しち推算すいさん寿じゆみやうぢやうおんしゆ↡、 のうじん限極げんごく↡。 しやうもんさち天人てんにんしゆ寿じゆみやうちやうたんやくによ算数さんじゆ譬喩ひゆしよのう

とのたまへり。 たゞもしじんだいさちとうのかずへたまはむには、 ゐちだい恒沙ごうじやこふなりと、 ¬大論だいろん¼ のこゝろをもて、 しむかむがへたり。 このかずじようぼむのかずへてしるべきかずにあらず。 かるがゆへにりやうとはいへるなり。 すべてほとけどくろんずるに、 のうしよふたつあり。 寿じゆみやうをもてのうといひ、 自余じよのもろもろのどくをばことごとくしよといふなり。 寿じゆみやうはよくもろもろのどくをたもつ。 一切ゐちさい万徳まんどく、 みなことごとく寿じゆみやうにたもたるゝがゆへなり。 これはたうだうがわたくしのなり。 すなわちかのほとけ相好さうがう光明くわうみやう説法せちぽうしやうとう一切ゐちさいどく、 およびこく一切ゐちさいしやうごむとうのもろもろの快楽くゑらくのことら、 たゞかのほとけいのちのながくましますがゆへのことなり。 もしいのちなくは、 かれらのどくしやうごむとうなにゝよりてかとゞまるべき。 しかれば、 十八じふはちぐわんなかにも、 寿じゆみやうりやうぐわん自余じよしよぐわんをばおさめたるなり。 たとひだい十八じふはち念仏ねむぶちわうじやうぐわん、 ひろくしよせふしてさいするににたりといゑども、 ほとけおむいのちもしみじかくは、 そのぐわんなほひろまらじ。 そのゆへは、 もしひやくさい千歳せんざい、 もしは一劫ゐちこふこふにてもましまさましかば、 いまのときのしゆじやうはことごとくそのぐわんにもれなまし。 かのほとけじやうぶちしてのち、 十劫じふこふをすぎたるがゆへなり。 これをもてこれをおもへば、 さいしやう方便はうべん寿じゆみやうぢやうおんなるにすぎたるはなく、 だいだいせいぐわん寿じゆみやうりやうなるにあらはるゝものなり。 これしやかいひとも、 いのちをもて第一だいゐちのたからとす。 七珍しちちん万宝まんぼうをくらのうちにみてたれども、 りよう綿繍きむしうをはこのそこにたくわへたるも、 いのちのいきたるほどこそわがたからにてもある、 まなことぢぬるのちはみなひとのものなり。 しかれば、 弥陀みだ如来によらい寿じゆみやうりやうぐわんをおこしたまひけむも、 おむのためちやう寿じゆ果報くわほうをもとめたまふにはあらず。 さいしやうのひさしかるべきために、 またしゆじやうをしてごんのこゝろをおこさしめんがためなり。 一切ゐちさいしゆじやうはみないのちながゝらむことをねがふがゆへなり。 おほよそかのほとけどくなかには、 寿じゆみやうりやうとくをそなへたまふにすぎたることはさふらはぬなり。 このゆへに ¬そう巻経くわんぎやう¼ のだいにも 「りやう寿じゆきやう」 といへども、 りやうくわうきやうとはいはず。 隋朝ずいてうよりさきのやくには、 みなきやうなかしゆムネト あることをえらびて、 せむをぬきりやくぞんじてその題目だいもくとするなり。 すなわちこの ¬きやう¼ のせむには、 弥陀みだ如来によらいどくをとけるなり。 そのどくなかには、 光明くわうみやうりやう寿じゆみやうりやうふたつをそなへたり。 そのなかにはまた寿じゆみやうなをさいしようなるゆへに、 「りやう寿じゆきやう」 となづくるなり。 またしや如来によらいどくなかにも、 おんじちじやうむねをあらわせるをもてしゆしよう甚深じむじむのこととせり。 すなわち ¬法華ほふくゑきやう¼ に 「寿じゆりやうぼむ」 とてとかれたり。 廿にじふはちぼむなかには、 このほむをもてすぐれたりとす。 まさにしるべし、 諸仏しよぶちどくにも寿じゆみやうをもて第一だいゐちどくとし、 しゆじやうのたからにもいのちをもて第一だいゐちのたからとすといふことを。 そのいのちながき果報くわほうをうることは、 しゆじやう飲食おむじきをあたへ、 またものゝいのちをころさゞるを業因ごふいんとするなり。 いんくわ相応さうおうすることなれば、 じきはすなわちいのちをつぐがゆへに、 じきをあたふるはすなわちいのちをあたふるなり。 せちしやうかいをたもつもまたしゆじやういのちをたすくるなり。 かるがゆへに、 飲食おむじきをもてしゆじやう施与せよし、 慈悲じひじゆしてせちしやうかいをたもてば、 かならず長命ぢやうみやう果報くわほうをえたり。 しかるにかの弥陀みだ如来によらいは、 すなわち願行ぐわんぎやうあひたすけて、 この寿じゆみやうりやうとくおばじやうじゆしたまへるなり。 ぐわんといふは、 十八じふはちぐわんなかだい十三じふさむぐわんにいはく、

たとひわれほとけむに、 寿じゆみやうよくげんりやうあて、 しもひやくせんおく那由なゆこふいたらば、 しやうがくらじ」 (大経巻上)

せちとくぶち寿じゆみやうのうげんりやう↡、 下至げしひやくせんおく那由なゆこふしやしゆしやうがく↡」

とのたまへり。 ぎやうといふは、 かのぐわんをたてたまふてのち央数あうしゆこふのあひだ、 またせちしやうかいをたもてり。 また一切ゐちさいぼむしやうにおひて、 飲食おむじきやくやう施与せよしたまへるなり。 これは弥陀みだ如来によらい寿じゆみやうどくなり。 かのほとけ、 かくのごとく寿じゆみやうりやうなりといえども、 また涅槃ねちはん隠没おむもちまします。 これについて、 あわれなることこそさふらへ。 だうしやくぜん念仏ねむぶちしゆじやうにおひてじゆりやうやくありとしやくしたまへる。 その終益じゆやくをあかすに、 すなわち ¬くわんおむじゆきやう¼ (意) をひきていはく、 「弥陀みだぶちじゆいのち兆載てうさいゐやうごふのゝちめちしたまひて、 たゞくわんおむせいしゆじやう接引せふいんしたまふことあるべし。 そのときに、 一向ゐちかうにもはら念仏ねむぶちしてわうじやうしたるしゆじやうのみ、 つねにほとけをみたてまつる、 めちしたまはぬがごとし。 ぎやうわうじやうしゆじやうは、 みたてまつることあらず」 といへり。 わうじやうをえてむうへに、 そのときまでのことはあまりごとぞ、 とてもかくてもありなむとおぼえぬべくさふらへども、 そのときにのぞみては、 かなしかるべきことにてこそさふらへ。 かのしや入滅にふめちのありさまにても、 おしはかられさふらふなり。 しようくわかんじむだいフカキクラヰトイフも、 めち現滅げんめちのことはりをしりながら、 たうべちのかなしみにたえず、 てんにあおぎにふし、 哀哭あいこくきふしき。 いはんやしようしゆじやうをや、 浅識せんしきぼむをや、 ない竜神りうじんはちじふるいも、 おほよそ涅槃ねちはんゐちたんのなみだをながさずといふことなし。 しかのみならず、 しやりむのこずゑ、 抜提ばちだいみづ、 すべて山川せんせんヤマカワけいタニこく草木さうもく樹林じゆりむも、 みなあいしやうのいろをあらはしき。 しかれば、 くわをきゝてらいをおもひ、 穢土ゑどになずらへてじやうをしるに、 かの弥陀みだぶち衆宝しゆぼうしやうごむこくをかくし、 涅槃ねちはんじやくめちだうぢやうにいりたまひてのち、 八万はちまんせん相好さうがうふたゝびげんずることなく、 りやうへん光明くわうみやうはながくてらすことなくは、 かのしやうじゆ人天にんでんとうあいのおもひ、 れんコヒシタのこフトナリゝろざし、 いかばかりかはさふらふべき。 七宝しちぽうねんのはやしなりとも、 はちによみづなりとも、 みやうくゑ軟草なんさうクサノナヽリ いろも、 がん鴛鴦ゑんあうのこえも、 いかゞそのときをしらざらむや。 じやうことなりといへども、 そんめちすでにことなることなし。 めいマドフサトルはこゝろかわるといゑども、 所化しよくゑれんなんぞかはることあらむや。 このしやかいぼむばくひとしむ事、 コヽロトコトヽ相応さうおうせず。 げう各別かくべちにて、 つねにタガフはいソムクし、 たがひにえむイトイあくニクムをするだにも、 あるいはさいのちぎりをもむすび、 あるいはぼうトモトナルナリことばをもなして、 しばらくもなづさひ、 またなれぬれば、 おんトオクごんチカクのさかひをへだて、 ぜんしやうをあらため、 かくのごとくしやうおもおもわかれをつぐるときには、 なごりをおしむこゝろたちまちにもよおし、 かなしみにたえず、 なみだおさへがたきことにてこそはさふらへ。 いかにいはむや、 かのほとけうちには慈悲じひ哀愍あいみんのこゝろをのみたくはへてましませば、 なれたてまつるにしたがふて、 いよいよむつまじく、 外には見者けんじゃミタテマツルモノえむとくイトフコトナシトナリ そなへてましませば、 みまいらするごとに、 いやめづらなるおや。 まことにりやうゐやうごふがあひだ、 あさゆふに万徳まんどく円満えんまんのみかほをおがみたてまつり、 ちうべん无窮むぐこえになれたてまつりて、 ぎやう瞻仰せむがうし、 随遂ずいちくきふして、 すぎたらむここちに、 ながくみたてまつらざらむことになりたらむばかり、 かなしかるべきことやさふらふべき。 无有むうしゆのさかひ、 しよ妄想まうざうのところなりといふとも、 このことゐちは、 さこそおぼへさふらふらめとぞおぼえさふらふ それにもとのごとくみたてまつりて、 あらたまることなからむことは、 まことにあはれにありがたきこととこそおぼへさふらへ。 これすなわち、 念仏ねむぶちゐちぎやう、 かのほとけほんぐわんなるがゆへなり。 おなじくわうじやうをねがはむひとは、 専修せんじゆ念仏ねむぶち一門ゐちもんよりいるべきなり。

康元二丁巳正月二日書之

愚禿親鸞 八十五歳

 

西方指南抄上

 ・大経

つぎ ¬さうくわんりやう寿じゆきやう¼。 「じやうさむきやう」 のなかには、 この ¬きやう¼ を根本こんぽんとするなり。 其故そのゆへは、 一切ゐちさい諸善しよぜんぐわん根本こんぽんとす。 しかるこの ¬きやう¼ には弥陀みだ如来によらいいんぐわんをときていはく、 乃往ないわうくわおんりやう央数あうしゆこふほとけましましき、 世自せじ在王ざいわうぶちとまふしき。 そのとき一人ゐちにん国王こくわうありき。 ほとけ説法せちぽうをきゝて、 じやう道心だうしむをおこして、 くにをすてわうをすてゝ、 いゑをいでゝ沙門しやもんとなれり。 なづけて法蔵ほふざう比丘びくといふ。 すなわち世自せじ在王ざいわうぶちみもとまうでて、 みぎにめぐることさむざうして、 ちやうくゐがふしやうしてほとけをほめたてまつりてまうしてまうさく、 われじやうをまうけてしゆじやうせむとおもふ。 ねがわくは、 わがためにきやうぼふをときたまへと。 そのとき世自せじ在王ざいわうぶち法蔵ほふざう比丘びくのためにひやく一十ゐちじふおく諸仏しよぶちじやう人天にんでん善悪ぜんあくこくめうをとき、 またげんじてこれをあたへたまふ。 法蔵ほふざう比丘びくほとけ所説しよせちをきゝ、 またごむじやうこくをことごとくみおはりてのち、 こふのあひだゆい取捨しゆしやして、 ひやく一十ゐちじふおくじやうなかよりえらびとりて、 十八じふはちせいぐわんをまうけたり。

このひやく一十ゐちじふおく諸仏しよぶちのくにのなかより、 善悪ぜんあくなかにはあくをすてゝぜんをとり、 めうなかにはをすてゝめうをとる。 かくのごとく取捨しゆしやせんぢやくして、 この十八じふはちぐわんをおこせるがゆへに、 この ¬きやう¼ の同本どうほんやく¬だい弥陀みだきやう¼ には、 このぐわんせんぢやくぐわんととかれたり。 そのせんぢやくのやう、 おろおろまふしひらきさふらはむ。

 ・大経 ・无三悪趣の願

まづはじめのさむ悪趣あくしゅぐわんは、 かの諸仏しよぶちこくなかに、 さむ悪道まくだうあるおばえらびすてゝ、 さむ悪道まくだうなきおばえらびとりてわがぐわんとせり。

 ・大経 ・不更悪趣の願

つぎきやう悪趣あくしゅぐわんは、 かの諸仏しよぶちのくにのうちに、 たとひさむ悪道まくだうなしといゑども、 かのくにのしゆじやう、 またはうさむ悪道まくだうにおつることあるくにおばえらびすてゝ、 すべてさむ悪道まくだうにかへらざるくにをえらびとりてわがぐわんとせるなり。

 ・大経 ・悉皆金色の願、无有好醜の願、…

つぎ悉皆しちかい金色こむじきぐわんつぎ无有むう好醜かうしゆぐわん一一ゐちゐちぐわんみなかくのごとしとしるべし。

 ・大経 ・念仏往生の願

だい十八じふはち念仏ねむぶちわうじやうぐわんは、 かのひやく一十ゐちじふおく諸仏しよぶちこくなかに、 あるいは布施ふせをもてわうじやうぎやうとするくにあり、 あるいはかいおよびぜんぢやう智慧ちゑとうないほちだいしむきやうじゆとう孝養けうやう父母ぶも奉事ぶじちやうとう、 かくのごときの種種しゆじゆぎやうをもて、 おのおのわうじやうぎやうとするくにあり、 あるいはまた、 もはらそのくにの教主けうしゆみやうがうしようねむするをもて、 わうじやうぎやうとするくにもあり。 しかるにかの法蔵ほふざう比丘びくぎやうをもてわうじやうぎやうとするくにおばえらびすてゝ、 たゞみやうがうしようねむしてわうじやうぎやうとするくにをえらびとりて、 わがこくわうじやうぎやうも、 かくのごとくならむとたてたまへるなり。

 ・大経 ・来迎引接の願、繋念定生の願、…

つぎ来迎らいかう引接いんぜふぐわんつぎねむ定生ぢやうしやうぐわん、 みなかくのごとくえらびとりてぐわんじたまへり。

おほよそはじめさむ悪趣あくしゅぐわんより、 おはり得三とくさむ法忍ぼふにんぐわんにいたるまでゆいせんぢやくするあひだ、 こふおばおくりたるなり。 かくのごとくせんぢやく摂取せふしゆしてのちに、 ほとけのみもとにけいマウデして、 一一ゐちゐちにこれをとく。 その十八じふはちぐわんときおはりてのち、 またをもてまふさく、

われてうぐわんつ、 かならずじやうだういたらむ。 このぐわん満足まんぞくせずは、 ちかしやうがくらじと。
このぐわんもし剋果こくくわすべくは、 大千だいせん感動かむどうすべし。 虚空こくのもろもろの天人てんにん珍妙ちんめうはなふるべし」 (大経巻上)

ごんてうぐわんひちじやうだうぐわん満足まんぞくせいじやうしやうがく
ぐわんにゃく剋果こくくわ大千だいせんおう感動かむどう虚空こくしよ天人てんにんとう珍妙ちんめうくゑ

と。 かの比丘びく、 このをときおはるに、 ときにおうじてあまねく六種ろくしゆ震動しむどうし、 てんより妙華めうくゑそのうえにさんじて、 ねん音楽おむがくそらうちにきこへ、 またそらうちにほめていはく、 「決定くゑちじやうしてかならずじやうしやうがくなるべし」 (大経巻上) と。

しかれば、 かの法蔵ほふざう比丘びく十八じふはちぐわんは、 一一ゐちゐちじやうじゆして決定くゑちじやうしてほとけになるべしといふことは、 そのはじめほちぐわんのとき、 世自せじ在王ざいわうぶちまへにして、 しよ竜神りうじんはち一切ゐちさい大衆だいしゆなかにして、 かねてあらわれたることなり。 しかれば、 かの世自せじ在王ざいわうぶちほふなかには、 法蔵ほふざうさち十八じふはちぐわんきやうとてじゆ読誦どくじゆしき。 いましやほふなかなりといふとも、 かのほとけぐわんりきをあおぎて、 かのくにゝむまれむとねがふは、 この法蔵ほふざうさち十八じふはちぐわん法門ほふもんにいるなり。 すなわちだうしやくぜん善導ぜんだうくわしやうとうも、 この法蔵ほふざうさち十八じふはちぐわん法門ほふもんにいりたまへるなり。

かの華厳くゑごむしゆひとは ¬華厳くゑごむぎょう¼ をたもち、 あるいは三論さむろんしゆひとは ¬般若はんにやきやう¼ とうをたもち、 あるひは法相ほふさうしゆひとは ¬瑜伽ゆが¼・¬唯識ゆいしき¼ をたもち、 あるひは天臺てんだいしゆひとは ¬法華ほふくゑ¼ をたもち、 あるひはぜん无畏むゐは ¬大日だいにちきやう¼ をたもち、 金剛こむがうは ¬金剛こむがうちやうきやう¼ をたもつ。 かくのごとく、 おのおのしゆにしたがふて、 きやうろんをたもつなり。

いまじやうしゆしゆとせむひとは、 この ¬きやう¼ によて十八じふはちぐわん法門ほふもんをたもつべきなり。 この ¬きやう¼ をたもつといふは、 すなわち弥陀みだほんぐわんをたもつなり。 弥陀みだほんぐわんといふは、 法蔵ほふざうさち十八じふはちぐわん法門ほふもんなり。

その十八じふはちぐわんなかに、 だい十八じふはち念仏ねむぶちわうじやうぐわん本体ほんたいとするなり。 かるがゆへに善導ぜんだうのたまはく、

ぜいもんにして十八じふはちなり。 ひとへに念仏ねむぶちへうしてもともしんとす」 (法事讃巻上)

ぜいもん十八じふはちへんべう念仏ねむぶちさいしん

といへり。 念仏ねむぶちわうじやうといふことは、 みなもとこのほんぐわんよりおこれり。 しかれば、 ¬観経くわんぎやう¼・¬弥陀みだきやう¼ にとくところの念仏ねむぶちわうじやうのむねも、 ないきやうなかにとくところも、 みなこの ¬きやう¼ にとけるところのほんぐわん根本こんぽんとするなり。

なにをもてかこれをしるとならば、 ¬観経くわんぎやう¼ にとけるところの光明くわうみやう摂取せふしゆを、 善導ぜんだうしやくしたまふに、

ただ念仏ねむぶちのものあてくわうせふかぶる、 まさにるべしほんぐわんもともこわしとす」 (礼讃)

ゆい念仏ねむぶちくわうせふたうほんぐわんさいがう

といへり。 このしやくのこゝろ、 ほんぐわんなるがゆへに光明くわうみやう摂取せふしゆすときこえたり。

またおなじ ¬きやう¼ に、 ぼむ上生じやうしやうもんきやうしようぶちとをならべてとくといゑども、 化仏くゑぶちきたりてほめたまふには、 たゞしようぶちこうをのみほめて、 もんきやうおばほめたまはずといへり。 善導ぜんだうしやくしていはく、

ほとけほんぐわんこゝろのぞまば、 ただしやうねむ称名しようみやうすゝむ。 わうじやうきこと雑散ざふさんごふおなじからず」 (散善義)

まうぶちほんぐわんしやゆいくわんしやうねむ称名しようみやう↡。 わうじやうしちどう雑散ざふさんごふ↡」

といへり。 これまたほんぐわんなるがゆへに、 しようぶちおばほめたまふときこへたり。

またおなじ ¬きやう¼ のぞくもんしやくしたまふにも、

ほとけほんぐわんのぞむには、 しゆじやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだぶちみなしようするにあり」 (散善義)

まうぶちほんぐわん↡、 ざいしゆじやう一向ゐちかうせんしよう弥陀みだぶちみやう↡」

といへり。 これまた弥陀みだほんぐわんなるがゆへに、 しやくそんぞく流通るづせしめたまふときこへたり。

また ¬弥陀みだきやう¼ にとけるところの一日ゐちにち七日しちにち念仏ねむぶち善導ぜんだうほめたまふに、

ぢきに弥陀みだぜいかさなれるによて、 ぼむねむじてすなわちしやうぜしむることをいたす」 (法事讃巻下)

ぢき弥陀みだぜいぢう使ぼむねむそくしやう↡」

といへり。 これまた一日ゐちにち七日しちにち念仏ねむぶちも、 弥陀みだほんぐわんなるがゆへにわうじやうすときこえたり。

ない ¬そう巻経くわんぎやう¼ のなかにも、 三輩さむぱい已下いげ諸文しよもんはみなかみのほんぐわんによるなり。 おほよそこの 「さむきやう」 にかぎらず、 一切ゐちさいしよきやうなかにあかすところの念仏ねむぶちわうじやうは、 みなこの ¬きやう¼ のほんぐわんをのぞまむとてとけるなりと、 しるべし。

そもそも法蔵ほふざうさち、 いかなればぎやうをすてゝ、 たゞ称名しようみやう念仏ねむぶちゐちぎやうをもてほんぐわんにたてたまへるぞといふに、 これにふたつあり。 ひとつには念仏ねむぶちしゆしようどくなるがゆへに、 ふたつ念仏ねむぶちぎやうじやすきによてしよにあまねきがゆへに。

はじめにしゆしようどくなるがゆへにといふは、 かのほとけ因果いんぐわ総別そうべち一切ゐちさい万徳まんどく、 みなことごとくみやうがうにあらわるゝがゆへに、 ひとたびも南无なも弥陀みだぶちととなふるに、 だい善根ぜんごんをうるなり。 こゝをもて ¬西方さいはうえうくゑち¼ にいはく、

諸仏しよぶち願行ぐわんぎやうはこのくわじやうず、 たゞよくみなねむずるにつぶさに衆徳しゆとくぬ、 かるがゆへに大善だいぜんわうじやうはいせず」

諸仏しよぶち願行ぐわんぎやうじやうくわみやう↡、 たんのうねむがうはう衆徳しゆとく↡、 じやう大善だいぜんはいわうじやう↡」

といへり。 またこの ¬きやう¼ (大経巻下) に、 すなわち一念ゐちねむをさして 「じやうどく」 とほめたり。 しかれば、 しゆしようだい善根ぜんごんなるがゆへに、 えらびてほんぐわんとしたまへるなり。

ふたつにはしゆしやすきがゆへにといふは、 南无なも弥陀みだぶちとまふすことは、 いかなる愚痴ぐちのものも、 おさなきも、 おいたるも、 やすくまふさるゝがゆへに、 びやうどう慈悲じひおむこゝろをもて、 そのぎやうをたてたまへり。 もし布施ふせをもてほんぐわんとせば,びん困乏こむぼうのともがら、 さだめてわうじやうののぞみをたゝむ。 もしかいをもてほんぐわんとせば、 かいかいのたぐひ、 またわうじやうののぞみをたつべし。 もしぜんぢやうをもてほんぐわんとせば、 散乱さんらんどうのともがら、 わうじやうすべからず。 もし智慧ちゑをもてほんぐわんとせば、 どん下智げちのもの、 わうじやうすべからず。 自余じよしよぎやうもこれになずらへてしるべし。 しかるに布施ふせかいとうしよぎやうにたえたるものはきわめてすくなく、 びんかい散乱さんらん愚痴ぐちのともがらははなはだおほし。 しかれば、 かみのしよぎやうをもてほんぐわんとしたまひたらましかば、 わうじやうをうるものはすくなく、 わうじやうせぬものはおほからまし。 これによて法蔵ほふざうさちびやうどう慈悲じひにもよおされて、 あまねく一切ゐちさいせふせむがために、 かのしよぎやうをもてはわうじやうほんぐわんとせず、 たゞ称名しようみやう念仏ねむぶちゐちぎやうをもてそのほんぐわんとしたまへるなり。 かるがゆへに法照ほふせうぜんのいはく、

らいあくしゆじやうにおいては、 西方さいはう弥陀みだみなしようねむせよ。
ぶちほんぐわんによてしやうづ。 直心ぢきしむをもてのゆへに極楽ごくらくしやうず」

らいあくしゆじやうしようねむ西方さいはう弥陀みだがう
ぶちほんぐわんしゆつしやう直心ぢきしむしやう極楽ごくらく↡」 と

また (五会法事讃巻本) いは

かのほとけ因中いんちうぜいてたまへり。 みなきゝてわれをねむぜばすべてむかかえらしむ。
びんとまさにくゐとをえらばず、 下智げち高才かうざいとをえらばず、
もんじやうかいたもてるをえらばず、 かい罪根ざいこんふかきとをえらばず。
ただしむしておほ念仏ねむぶちせしむれば、 よくぐわりやくをしてへんじてこがねさしむ」

ぶち因中いんちうりふぜいもんみやうねむそう迎来かうらい
けんびんしやうくゐけん下智げち高才かうざい
けんもんじやうかいけんかい罪根ざいこんじむ
たん使しむ念仏ねむぶちのうりやうぐわりやくへんじやうこむ」 と。

かくのごとくせいぐわんをたてたりとも、 そのぐわんじやうじゆせずは、 まさにたのむべきにあらす。 しかるにかの法蔵ほふざうさちぐわんは、 一一ゐちゐちじやうじゆしてすでにほとけになりたまへり。 そのなかに、 この念仏ねむぶちわうじやうぐわんじやうじゆもんにいはく、

あらゆるしゆじやう、 そのみやうがうきゝて、 信心しんじむくわんして、 ない一念ゐちねむせむ。 しんかうせしめたまへり。 かのくにうまれむとがんずれば、 すなわちわうじやう退転たいてんじゆせむ」 (大経巻下)

しよしゆじやうもんみやうがう↡、 信心しんじむくわんない一念ゐちねむしんかうがんしやうこく↡、 そくとくわうじやう↡、 じゆ退転たいてん↡」 と

つぎ三輩さむぱいわうじやうはみな、 「一向ゐちかう専念せんねむりやう寿じゆぶち(大経巻下) といへり。 このなかだいしむとう諸善しよぜんありといゑども、 かみのほんぐわんをのぞむには、 一向ゐちかうにもはらかのほとけみやうがうねむずるなり。 れいせばかの ¬観経くわんぎやうしよ¼ (散善義)しやくせるがごとし。 「かみよりこのかた、 ぢやうさんりやうもんやくをとくといゑども、 ほとけほんぐわんをのぞむには、 こゝろしゆじやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだぶちのみなをしようするにあり」 といへり。 「まうぶちほんぐわんホトケノホングワンヲ といふノゾムトイフは、 この三輩さむぱいなかの 「一向ゐちかう専念せんねむ」 をさすなり。

つぎ流通るづにいたて、 「其有ごう得聞とくもんぶちみやうがうくわんやくない一念ゐちねむたうにんとくだいそくそくじやうどく(大経巻下) といへり。 善導ぜんだうおむこゝろは、 「じやうじんゐちぎやう下至げし一念ゐちねむ(礼讃意)じやうどくなりと。 余師よしのこゝろによらば、 たゞせうをあげてをあらはすなりといへり。

つぎ

当来たうらいきやうだう滅尽めつじんせむに、 われ慈悲じひ哀愍あいみんをもて、 ことにこのきやうとゞめじゆせむことひやくさいせむ。 それしゆじやうあてこのきやうまうあものは、 こゝろしよぐわんしたがひてみなとくすべし」 (大経巻下)

当来たうらい之世しせきやうだう滅尽めつじん慈悲じひ哀愍あいみん↡、 どくきやうじゆひやくさい其有ごうしゆじやうきやうしやずいしよぐわんかいとく↡」

といへり。 この末法まちぽふ万年まんねんののち、 三宝さむぽう滅尽めつじんのときのわうじやうをおもふに、 一向ゐちかう専念せんねむわうじやうをあかすなり。 そのゆへは、 だいしむをときたるしよきやうみなめちしなば、 なにゝよてかだいしむぎやうさうおもしらむ。 大小だいせうかいきやうみなうせなば、 なにゝよてかひやくじふかいおも、 じふはちかいおもたもたむ。 仏像ぶちざうあるまじければ、 造像ざうざうたう善根ぜんごんもあるべからず。 ないきやうじゆとうもまたかくのごとし。 そのときに、 なほ一念ゐちねむするにわうじやうすといへり。 すなわち善導ぜんだういはく、 「爾時にじもん一念ゐちねむ皆当かいたうとくしやう(礼讃) といへり。 かれをもていまをおもふに、 念仏ねむぶちぎやうじやはさらに善根ぜんごんにおひて一塵ゐちぢんせずとも、 決定くゑちじやうしてわうじやうすべきなり。 しかれば、 だいしむをおこさずはいかでかわうじやうすべき、 かいをたもたずしてはいかゞわうじやうすべき、 智慧ちゑなくてはいかゞわうじやうすべき、 妄念まうねむをしづめずしてはいかゞわうじやうすべきなむど、 かくのごとくまふす人々ひとびとさふらふは、 この ¬きやう¼ をこゝろえぬにてさふらふなり。 かむぜんこのもんしやくせるに、 「説戒せちかい受戒じゆかいもみなじやうべからず、 甚深じむじむだいじようもしるべからず。 さきだちておむカクもちカクルしぬれば、 たゞ念仏ねむぶちのみさとりやすくして、 浅識せんしきぼむなほよく修習しゆじふしてやくをうべし」 (群疑論巻三意) といへり。 まことに戒法かいほふめちしなば、 かいあるべからず。 だいじようみなめちしなば、 ほちだいしむ読誦どくじゆだいじようもあるべからずといふことあきらかなり。 浅識せんしきぼむといへり。 しるべし、 智慧ちゑにあらずといふことを。 かくのごときのともがらの、 たゞ称名しようみやう念仏ねむぶちゐちぎやうしゆして、 ゐちしやうまでわうじやうすべしといへるなり。 これすなわち弥陀みだほんぐわんなるがゆへなり。 すなわち、 かのだいほんぐわんのとおく一切ゐちさいせふするなり。

 ・小経

つぎに ¬弥陀みだきやう¼ は、

せう善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんをもてかのくにしやうべからず。 しやほち、 もしぜんなむぜん女人によにんあて、 弥陀みだぶちとくきゝて、 みやうがうしふして、 もしは一日ゐちにちない七日しちにち

せう善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんとくしやうこく↡。 しやほちにやくぜんなむぜん女人によにん↡、 もんせち弥陀みだぶち↡、 しふみやうがう↡、 にやく一日ゐちにちない七日しちにち

といへり。

善導ぜんだうくわしやうしやくにいはく、

随縁ずいえん雑善ざふぜんおそらくはうまれがたし。 ゆへに如来にょらい要法えうぼふえらばしむ」

随縁ずいえん雑善ざふぜんなんしやう使如来にょらいせん要法えうぼふ↡」

といへり。

こゝにしりぬ、 雑善ざふぜんをもてはせう善根ぜんごんとなづけ、 念仏ねむぶちをもて善根ぜんごんといふことを。 この ¬きやう¼ はすなわち、 せう善根ぜんごんなる雑善ざふぜんをすてゝ、 もはら善根ぜんごん念仏ねむぶちをとけるなり。

ちかごろたうよりわたりたる ¬竜舒りうじよじやうもん¼ とまふすふみさふらふ。 それに ¬弥陀みだきやう¼ の脱文だちもんとまふして、 廿にじふゐちあるもんをいだせり。 「一心ゐちしむらん」 のしたに、

「もはらみやうがうたもちて、 称名しようみやうをもてのゆへに諸罪しよざい消滅せうめちす、 すなわちこれ善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんなり」 (巻一)

せんみやうがう↡、 称名しようみやう諸罪しよざい消滅せうめちそく善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねん

といへり。 すなわちかのふみにこのもんをいだしていはく、 「いまのよにつたわるところのほんに、 この廿にじふゐちだちせり」 (龍舒浄土文巻一) といへり。 この脱文だちもんなしといふとも、 たゞをもておもふに、 せうありといゑども、 まさしく念仏ねむぶちをさして善根ぜんごんといへるもん、 まことに大切たいせちなり。

つぎ六方ろくぱう如来によらい証誠しようじやうをとけり。 かの六方ろくぱう諸仏しよぶち証誠しようじやう、 たゞこの ¬きやう¼ をのみかぎりて証誠しようじやうしたまふににたれども、 じちをもてろんずれば、 この ¬きやう¼ のみにかぎらず。 すべて念仏ねむぶちわうじやう証誠しようじやうするなり。 しかれども、 もし ¬そう巻経くわんぎやう¼ について証誠しようじやうせば、 かのきやうきやう念仏ねむぶちわうじやうほんぐわんをとくといゑども、 三輩さむぱいなかだいしむとうぎやうあるがゆへに、 念仏ねむぶちゐちぎやう証誠しようじやうするむねあらわるべからず。 もし ¬観経くわんぎやう¼ を証誠しようじやうせば、 かのきやうにえらむで念仏ねむぶちぞくすといゑども、 まづはぢやうさんしよぎやうをとくがゆへに、 また念仏ねむぶちゐちぎやうにかぎるとみゆべからず。 こゝをもて、 たゞ一向ゐちかうにもはら念仏ねむぶちをときたるこの ¬きやう¼ を証誠しようじやうしたまふなり。 たゞ証誠しようじやうのみことば、 この ¬きやう¼ にありといへども、 証誠しようじやうはかの ¬さうくわん¼・¬観経くわんぎやう¼ にもずべし。 ¬さうくわん¼・¬観経くわんぎやう¼ のみにあらず、 もし念仏ねむぶちわうじやうのむねをとかむきやうおば、 ことごとく六方ろくぱう如来によらい証誠しようじやうあるべしとこゝろうべきなり。

かるがゆへに天臺てんだいの ¬じふろん¼ にいはく、 「弥陀みだきやう¼・¬大りやう寿じゆきやう¼・¬おんじやう陀羅だらきやう¼ とうにいはく、 しやぶちきやうをときたまふときに、

十方じふぱうかいにおのおのごうしや諸仏しよぶちましまして、 その舌相ぜちさう舒べて、 あまねく三千さむぜんかいおほふて、 一切ゐちさいしゆじやう弥陀みだぶちほんぐわんだいぐわんりきねんずるがゆへに、 決定くゑちじやうして極楽ごくらくかいしやう証誠しようじやうしたまへり

十方じふぱうかいかくごうしや諸仏しよぶち↡、 じょ舌相ぜちさう↡、 へん三千さむぜんかい↡、 しようじやう一切ゐちさいしゆじやうねん弥陀みだぶちほんぐわんだいぐわんりき決定くゑちじやうとくしやう極楽ごくらくかい

」 といへり。

 ・浄土五祖

つぎわうじやうじやう祖師そしいつゝ影像えいざう図絵づゑしたまふに、 おほくこゝろあり。 まづ恩徳おんどくほうぜむがため、 つぎにはけんをみてはひとしからむことをおもふゆへなり。 天臺てんだいしゆがくせむひとは、 南岳なむがく天臺てんだいたてまつりて、 ひとしからばやとおもひ、 真言しんごんをならはむひとは、 不空ふくぜん无畏むゐをみては、 ひとしからむとおもひ、 華厳くゑごむしゆひとは、 香象かうざうおんのごとくならむとおもひ、 法相ほふさうしゆひとは、 ぐゑんじやうおんのごとくならむとおもひ、 三論さむろん学者がくしやは、 じやうやうだいをもうらやみ、 りちぎやうじやは、 道宣だうせんりちおもとおからずおもふべきなり。 しかれば、 いまじやうをねがはむひと、 そのしゆ祖師そしをまなぶべきなり。 しかるにじやうしゆ師資ししさうじようふたつせちあり。 ¬安楽あんらくしふ¼ のごときは、 だい流支るしてうほふだうぢやうほふ曇鸞どむらんほふ斉朝さいてうほふじやうほふとうろくをいだせり。 いままた五祖ごそといふは、 曇鸞どむらんほふだうしやくぜん善導ぜんだうぜんかむぜん小康せうかうほふとうなり。

 ・浄土五祖 ・曇鸞法師

曇鸞どむらんほふは、 りやうぐゐりやうこくフタクニナリ さうがくナラビナシトナリ しやうなり はじめは寿いのちながくして仏道ぶちだうぎやうぜむがために、 たう隠居いむきよにあふてせんぎやうをならふて、 その仙方せんぽうによてしゆぎやうせんとしき。 のちにだい流支るし三蔵さむざうにあひたてまつりて、 仏法ぶちぽふなかちやうせい不死ふしほふの、 このせんぎやうにすぐれたるやさふらふととひたてまつりたまひければ、 三蔵さむざうつわきはきてこたえたまふやう、 とえることばをもていひならふべきにあらず。 このいづれのところにかちやうせいほうあらむ。 いのちながくしてしばらくしなぬやうなれども、 ついにかへてさむりんす。 たゞこのきやうによてしゆぎやうすべし。 すなわちちやうせい不死ふしところにいたるべしといふて、 ¬観経くわんぎやう¼ をさづけたまへり。 そのときたちまちに改悔がいくゑのこゝろをおこして、 せんぎやうやきて、 ぎやうくゑ一向ゐちかうわうじやうじやうほふをもはらにしき。 ¬わうじやうろんちゆ¼、 また ¬りやくろん安楽あんらく土義どぎ¼ とうふみつくれるなり 并州へいしうぐゑんちうさむびやくにんもんあり。 臨終りむじゆのとき、 そのもんさむびやくにんあつまりて、 みづからかうをとりて西にしむかふて、 弟子でしともにこゑひとしして、 かうしやう念仏ねむぶちしてみやうじゆしぬ。 そのとき道俗だうぞく、 おほくちう音楽おむがくきくといへり。

 ・浄土五祖 ・道綽禅師

だうしやくぜんは、 もと涅槃ねちはんがくしやうなり。 并州へいしうぐゑんちうにして曇鸞どむらんもんをみて、 発心ほちしむしていは、 「かの曇鸞どむらんほふとく高遠かうおんなり。 なほ講説かうせちをすててじやうごふしゆして、 すでにわうじやうせり。 いはむやわがしよサトルトコロ しよシルトコロおほしとするにたらむや」 (迦才浄土論巻下意)いふて、 すなわち涅槃ねちはん講説かうせちをすてゝ、 一向ゐちかうにもはら念仏ねむぶちしゆして相続さうぞくしてひまなし。 つねに ¬観経くわんぎやう¼ をかうじて、 ひとすゝめたり。 并州へいしう晋陽しむやうたいぐゑん汶水ぼちしゐさむくゑん道俗だうぞく七歳しちさいじやうことごと念仏ねむぶちをさとりわうじやうをとげたり。 またひとすゝめて、 てい便べん西方さいはうむかはず、 ぎやうじゆぐわ西方さいはうそむず。 また ¬安楽あんらくしふ¼ くわんこれをつくれおほよそわうじやうじやうけう弘通ぐづだうしやくおむちからなりわうじやうでんとうるにも、 おほだうしやくすゝめうけわうじやうをとげたり。 善導ぜんだうもこのだうしやく弟子でしなり。 しかれば、 終南しふなむざん道宣だうせんでんいは、 「西方さいはう道教だうけうひろまことは、 これよりおこ(続高僧伝巻二〇意)いへり。 また曇鸞どむらんほふ七宝しちぽうふねのりちうきたれをみる。 また化仏くゑぶちさちそらじゆすること七日しちにち、 そのとき天華てんぐゑふりて、 きたあつま人々ひとびとそでにこれをうく。 かくのごとく不可ふか思議しぎ霊瑞れいずいおほし。 おわりのとき、 しろくも西方さいはうよりきたりて、 三道さむだうしろひかりなり房中ばうちうてらす。 しきひかりちうげんず。 またはかうへうんたびげんずることあり。

 ・浄土五祖 ・善導和尚

善導ぜんだうくわしやう、 いまだ ¬観経くわんぎやう¼ をえざるさきに、 三昧さむまいをえたまひたりけるとおぼさふらふ。 そのゆへは、 だうしやくぜんにあふて ¬観経くわんぎやう¼ をゑてのち、 このきやう所説しよせち、 わが所見しよけんにおなじとのたまへり。 だうくわしやう念仏ねむぶちしたまふには、 くちよりほとけいでたまふ。 どむしやうさんいは、 「善導ぜんだう念仏ねむぶちぶちじゆしゆつ」 といへり。 おなじ念仏ねむぶちをまふすとも、 かまえて善導ぜんだうのごとくくちよりほとけいでたまふばかりまふすべきなり。 「欲如よくにょ善導ぜんだう妙在めうざい純熟じゆんじゆく」 とまふして、 たれなりとも念仏ねむぶちをだにもまことにまふして、 そのこうじゆくしなば、 くちよりほとけいでたまふべきなり だうしやくぜんなれども、 いまだ三昧さむまい発得ほちとくせず。 善導ぜんだう弟子でしなれども、 三昧さむまいをえたまひたりしかば、 だうしやく、 わがわうじやうゐちぢやうぢやうかとほとけにとひたてまつりたまへとのたまひければ、 善導ぜんだうぜんめいをうけてすなわちぢやういり弥陀みだぶちにとひたてまつりしに、 ほとけのたまはだうしやくみつつみあり、 すみやかに懺悔さむぐゑすべし。 そのつみ懺悔さむぐゑして、 さだめわうじやうすべし。 ひとつには、 仏像ぶちざう経巻きやうくわんおばひさしにおきて、 わが房中ばうちうす。 ふたつには、 しゆつひとをつかふ。 みつには、 造作ざうさくのあひだむしいのちころす。 十方じふぱう仏前ぶちぜんにして、 第一だいゐちつみ懺悔さむぐゑすべし。 諸僧しよそうまえにして、 だいつみ懺悔さむぐゑすべし。 一切ゐちさいしゆじやうまえにして、 第三だいさむつみ懺悔さむぐゑすべしと。 善導ぜんだうすなわちぢやうよりいでて、 このむねをだうしやくにつげたまふに、 だうしやくいは、 しづかにむかしのとがをおもふに、 これみなむなしからずといふて、 こゝろをいたし懺悔さむぐゑすといへ。 しかれば、 まさりたるなり。 善導ぜんだうは、 ことに火急くわきうせうしやう念仏ねむぶちすゝめて、 かずをさだめたまへり。 一万ゐちまんまん三万さむまんまんない十万じふまんいへり。

 ・浄土五祖 ・懐感禅師

かむぜんは、 法相ほふさうしゆがくしやうなり ひろきやうてんをさとりて、 念仏ねむぶちおばしんぜず、 善導ぜんだうとふいは念仏ねむぶちしてほとけたてまつりてむやと。 だうくわしやうこたへいはほとけじやうごんなむぞうたがはむや。 かむこのことについてたちまちさとりをひらき、 しんおこしだうぢやういりて、 かうしやう念仏ねむぶちしてたてまつらむとぐわんずるに、 さむ七日しちにちまでにその霊瑞れいずいをみず。 そのときかむぜんみづからざいしやうふかくしてほとけをみたてまつらざることをうらみて、 しよくだんじてせんとす。 善導ぜんだうせいしてゆるさず。 のちに ¬ぐんろん¼ しちくわんつくる云々いへり かむはことにかうしやう念仏ねむぶちすゝめたまへり。

 ・浄土五祖 ・小康法師

小康せうかうほふは、 もときやうしやなり としじふさいにして ¬法華ほふくゑ¼・¬華厳くゑごむ¼ とうきやう五部ごぶよみおぼへたり。 これによて、 ¬高僧かうそうでん¼ には読誦どくじゆへんれたれども、 たゞきやうしやのみにあらず、 瑜伽ゆが唯識ゆいしきがくしやうなり のちにはくまうで堂内だうないをみれば、 ひかりはなちたるものあり。 これをさぐりとりみれば、 善導ぜんだう西方さいはう化導くゑだうふみなり小康せうかうこれをみて、 こゝろたちまちくわんして、 ぐわんおこしいは、 われもしじやうえんあらば、 このふみふたゝびひかりはなてと。 かくのごとくちかひおはりみれば、 かさねひかりはな そのひかりなかに、 化仏くゑぶちさちまします。 くわんやめがたくして、 ついにまたちやうあん善導ぜんだうくわしやう影堂えいだうけいして善導ぜんだう真像しんざうみれば、 くゑして仏身ぶちしんとなりて小康せうかうにのたまはく、 なんぢわがけうによてしゆじやうやくし、 おなじじやうしやうずべしと。 これをきゝて、 小康せうかうしよしようあるがごとし。 のちひとすゝめとするに、 ひとその教化けうくゑにしたがはず。 しかるあひだ、 せんゼニをまうけて、 まづ小童せうどうとうすゝめて、 念仏ねむぶち一返ゐちぺんせんゼニ一文ゐちもんをあたふ。 のちに十遍じふぺん一文ゐちもん、 かくのごとくするあひだ、 小康せうかうぎやう小童せうどうとうついておのおの念仏ねむぶちす。 また小童せうどうのみにあらず、 老少らうせう男女なむによをきらはず、 みなことごとく念仏ねむぶちす。 かくのごとくしてのち、 じやうだうつくりて、 ちうぎやうだうして念仏ねむぶちす。 所化しよくゑにしたがふてだうぢやうきたあつまともがら三千さむぜんにんなり また小康せうかうかうしやう念仏ねむぶちするをみれば、 くちよりほとけいでたまふこと、 善導ぜんだうのごとし。 このゆへに、 ときひと善導ぜんだうとなづけたり。 じやうだうとはたうのならひ、 弥陀みだぶちをすえたてまつりたるだうおば、 みなじやうだうとなづけたるなり

五祖ごそ御徳おむとくえうをとるにかくのごとしと。

 ・念仏往生

また ¬りやう寿じゆきやう¼ は、 如来によらいけうをまうけたまふこと、 みなさいしゆじやうのためなり。 かるがゆへに、 しゆじやうこんまちまちなるがゆへに、 ほとけきやうけうまたりやうなり。 しかるにいまの ¬きやう¼ は、 わうじやうじやうのためにしゆじやうわうじやうほふときたまふなり弥陀みだぶち修因しゅいん感果かむくわだい極楽ごくらくじやうほうしやうごむのありやうをくはしくときたまへるも、 しゆじやう信心しんじむすゝめごんのこゝろをおこさせむがためなり。 しかるにこの ¬きやう¼ のせむにては、 われらしゆじやうわうじやうすべきむねをときたまへるなり

たゞしこの ¬きやう¼ をしやくするに、 しよのこゝろどうなりいましばらく善導ぜんだうくわしやうおむこゝろをもてこゝろえさふらふに、 この ¬きやう¼ はひとへに専修せんじゆ念仏ねむぶちのむねをとくしゆじやうわうじやうごふとしたまへるなり。 なにをもてこれをしるといふに、 まづかのほとけいんほんぐわんとくなかに、 「せち得仏とくぶち十方じふぱうしゆじやうしん信楽しんげうよくしやうこくない十念じふねむにやくしやうじやしゆしやうがく(大経巻上)いへ かのほとけいん法蔵ほふざう比丘びくのむかし、 世自せじ在王ざいわうぶちのみもとにして、 ひやく一十ゐちじふおく諸仏しよぶちめうなかよりえらびて十八じふはちせいぐわんおこして、 じやうをまふけてほとけになりて、 しゆじやうをしてわがくににうまれさすべききやうごふをえらびてぐわんじたまひしに、 またくぎやうおばたてずして、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうをたてたまへるなり

かるがゆへに ¬だい弥陀みだきやう¼ には、 すべてかのほとけぐわんおば、 せんぢやくしてたてたまふゆへなり。 ¬だい弥陀みだきやう¼、 このきやう同本どうほんやくきやうなり

しかるにわうじやうぎやうは、 われらがさかしくいまはじめてはからふべきことにあらず、 みなさだめおけることなり。 法蔵ほふざう比丘びく、 もしあくをえらびてたてたまはゞ、 世自せじ在王ざいわうぶち、 なほさでおはしますべきかは。 かのぐわんどもとかせてのち、 決定くゑちじやうじやうしやうがくなるべしとじゆしたまはむ。 法蔵ほふざうさち、 かのぐわんたてたまひて、 兆載てうさいゐやうごふのあひだなんぎやうぎやうしやく累徳るいとくして、 すでにほとけになりたまひたれば、 むかしのせいぐわん一一ゐちゐちにうたがふべからず。

しかるに善導ぜんだうくわしやう、 このほんぐわんもんひきてのたまはく、

もしわれじやうぶちせむに、 十方じふぱうしゆじやう、 わがみやうがうしようせむことしもじふしやういたるまで、 もししやうぜずは、 しやうがくらじと。 かのぶちいまげんましましじやうぶちしたまへり。 まさにるべし本誓ほんぜいじうぐわんむなしからず、 しゆじやうしようねむすればかならずわうじやう

にやくじやうぶち十方じふぱうしゆじやうしようみやうがう下至げしじふしやう↡、 にやくしやうじやしゆしやうがく↡。 ぶちこむ現在げんざいじやうぶちたう本誓ほんぜいじうぐわんしゆじやうしようねむ必得ひちとくわうじやう↡」

いへ まことにわれらしゆじやうりきばかりにてわうじやうをもとむるにとりてこそ、 このきやうごふほとけおむこゝろにかなひやすらむ。 またなにともしむにもおぼへ、 わうじやうぢやうにはさふらふべき。 念仏ねむぶちまふしてわうじやうねがはむひとは、 りきにてわうじやうすべきにはあらず、 たゞりきわうじやうなりもとよりほとけのさだめおきて、 わがみやうがうをとなふるものは、 ないじふしやうゐちしやうまでもむまれしめたまひたれば、 じふしやうゐちしやう念仏ねむぶちにてゐちぢやうわうじやうすべければこそ、 そのぐわんじやうじゆしてじやうぶちしたまふといふだうさふらへば、 たゞ一向ゐちかうほとけぐわんりきをあおぎてわうじやうおば決定くゑちじやうすべきなり。 わがりきがうコワキにやくヨワキをさだめてぢやうにおもふべからず。

かのぐわんじやうじゆもん、 この ¬きやう¼ (大経)くわんにあり。 そのもんいは、 「しよしゆじやうもんみやうがう信心しんじむくわんない一念ゐちねむしんかうがんしやうこくそくとくわうじやうじゆ退転たいてん」 といへ おほよそ十八じふはちぐわんじやうしやうごむせり。 くゑ宝閣ほうかくぐわんりきにあらずといふことなし。 そのなかにひとり、 念仏ねむぶちわうじやうぐわんのみうたがふべからず。 極楽ごくらくじやうもしじやうならば、 念仏ねむぶちわうじやう決定くゑちぢやうわうじやうなり

つぎわうじやう業因ごふいん念仏ねむぶちゐちぎやうぢやういふとも、 ぎやうじやこんじやうにしたがふてじやうちうあり。 かるがゆへに三輩さむぱいわうじやうとけ すなわちじやうはいもんいはく、

それじやうはいは、 いゑよくてて沙門しやもんり、 だいしむおこし、 一向ゐちかうにもはらりやう寿じゆぶちねむず」 (大経巻下)

じやうはいしやしやよく沙門しやもん↡、 ほちだいしむ↡、 一向ゐちかう専念せんねむりやう寿じゆぶち↡」

いへり。

中輩ちうはいもんいはく、

ぎやうじて沙門しやもんりおほきにどくしゆするにあたはずといゑども、 まさにじやうだいしむおこし、 一向ゐちかうこゝろをもはらにして、 ない十念じふねむりやう寿じゆぶちねむずべし」 (大経巻下意)

すいのうぎやう沙門しやもんだいしゆどく↥、 たうほちじやうだいしむ↡、 一向ゐちかうせんない十念じふねむねむりやう寿じゆぶち↥」

へり。

たうだうわたくしひとつしやくをつくりさふらふこの三輩さむぱいもんなかに、 だいしむとうぎやうあぐといゑども、 かみほとけほんぐわんのぞむには、 こゝろしゆじやうをして、 もはらりやう寿じゆぶちねむぜしむるにあり。 かるがゆへに 「一向ゐちかう」 といふ

また ¬くわんねむ法門ぼふもん¼ に善導ぜんだうしやくしていは

またこの ¬きやう¼ のくわんはじめいはく、 ほとけ一切ゐちさいしゆじやうこんじやうどうときたまふに、 じやうちうあり。 そのこんじやうしたがひて、 みなすゝめてもはらりやう寿じゆぶちみなねむぜしめたまへり。 そのひといのちおわらむとほするときほとけしやうじゆとみづからきたり迎接かうせうして、 ことごとくわうじやうしむ」

¬きやう¼ くわんしようん仏説ぶちせち一切ゐちさいしゆじやうこんじやうどう↡、 じやうちう↡。 ずいこんじやう↡、 かいくわん専念せんねむりやう寿じゆぶちみやう↡。 にんみやうよくじゅぶちしやうじゆらい迎接かうせうじんとくわうじやう↡」

いへり。 このしやくのこゝろ、 三輩さむぱいともに念仏ねむぶちわうじやうなり。 まことに一向ゐちかうごんをすつることばなり。

れいせば、 かの天竺てんぢくみつてらのごとし。 ひとつには一向ゐちかうだいじようふたつには一向ゐちかうせうじようみつには大小だいせうけむぎやう。 かの一向ゐちかうだいじようなかには、 せうじようがくすることなし。 一向ゐちかうせうじようには、 だいじようがくするものなし。 大小だいせうけむぎやうなかには、 だいじようせうじようともに兼学けむがくするなり大小だいせうりやうはともに一向ゐちかうごんをおく、 ふたつかねたるてらには一向ゐちかうごんをおかず。

これをもてこゝろえさふらふに、 いまの ¬きやう¼ のなか一向ゐちかうごんもまたしかなり。 もし念仏ねむぶちほかぎやうをならぶれば、 すなわち一向ゐちかうにあらず。 かのてらになずらへば、 けむぎやういふべし。 すでに一向ゐちかういへり。 しるべし、 ぎやうをすつといふことを。

たゞこの三輩さむぱいもんなかぎやうとくについて、 みつこゝろあり。 ひとつには、 しよぎやうをすてゝ念仏ねむぶちくゐせしめむがためにならべてぎやうときて、 念仏ねむぶちにおひて一向ゐちかうごんをおく。 ふたつには、 念仏ねむぶちひとをたすけむがために諸善しよぜんとくみつには、 念仏ねむぶちしよぎやうとをならべて、 ともに三品さむぼむ差別しやべちをしめさむがためにしよぎやうとく

このみつなかには、 たゞはじめのしやうとす。 のちのふたつばうなりカタワラゴトナリ

つぎにこの ¬きやう¼ (大経巻下)流通るづぶんなかときいはく、 「ぶちろく其有ごう得聞とくもんぶちみやうがうくわんやくない一念ゐちねむたうにんとくだいそくそくじやうどく 」 といへり。

かみ三輩さむぱいもんなかに、 念仏ねむぶちのほかにもろもろのどくとくといゑども、 ぜんおばほめず。 たゞ念仏ねむぶち一善ゐちぜんをあげて、 じやうどく讃嘆さんだんしてらい流通るづせり。 念仏ねむぶちどくは、 どくすぐれたることあきらかなり。

だい」 といふは、 せうたいすることばなり。 じやう」 といふは、 このどくうへするどくなしといふなり。 すでに一念ゐちねむさしだいいふまたじやういふ。 いはむや、 ねむ三念さむねむない十念じふねむおや。 いかにいはむや、 ひやくねむ千念せんねむない万念まんねむおや。 これすなわちせうあげくゑちするなり

このもんをもてぎやう念仏ねむぶち相対さうたいしてこゝろうるに、 念仏ねむぶちすなわちだいなりぜんはすなわちせうなり念仏ねむぶちじやうなりぎやうまたじやうなりすべてはわうじやうぐわんぜむひと、 なんぞじやうだい念仏ねむぶちをすてて、 じやうせうぜんしふせむや。

つぎにこの ¬きやう¼ (大経)くわんおくいは、 「当来たうらい之世しせきやうだう滅尽めつじん慈悲じひ哀愍あいみんどくきやうじゆひやくさい其有ごうしゆじやうきやうしやずいしよぐわんかいとく」 といへ

善導ぜんだうもんしやくしていはく、 「万年まんねん三宝さむぽうめちきやうじゆひやくねん爾時にじもん一念ゐちねむ皆当かいたうとくしやう」 といへり。

しやくそん遺法ゆいほふさむ差別しやべちあり、 しやうぼふ像法ざうぼふ末法まちぽふなり。 そのしやうぼふ一千ゐちせんねんのあひだ、 けう行証ぎやうしようみつともにそくせり、 けうのごとくぎやうずるにしたがふてしようえたり。 像法ざうぼふ一千ゐちせんねんのあひだは、 けうぎやうはあれどもしやうなし。 けうにしたがふてぎやうずといゑども、 しちをうることなし。 末法まちぽふ万年まんねんのあひだは、 けうのみあて行証ぎやうしようなし。 わづかに教門けうもんはのこりたれども、 けうのごとくぎやうずるものなし、 ぎやうずれどもまたしようをうるものなし。 その末法まちぽふ万年まんねんのみちなむのちは、 如来によらい遺教ゆいけうみなうせて、 じゆ三宝さむぽうことごとくめちして、 おほよそ仏像ぶちざうきやうてんもなく、 かしらそりころもそむそうもなし。 仏法ぶちぽふいふこと、 みやうをだにもきくべからず。 しかるに、 そのときまでたゞこの ¬さうくわんりやう寿じゆきやう¼ ゐちくわんばかりのこりとゞまりて、 ひやくねんまでじゆしてしゆじやうさいしたまふこと、 まことにあはれにおぼえさふらふ

¬華厳くゑごむぎょう¼ も ¬般若はんにやきやう¼ も ¬法華ほふくゑきやう¼ も ¬涅槃ねちはんぎやう¼ も、 おほよそ大小だいせう権実ごんじち一切ゐちさいしよきやうない ¬大日だいにち¼・¬金剛こむがうちやう¼ とう真言しんごんみちしよきやうも、 みなことごとくめちしたらむとき、 たゞこの ¬きやう¼ ばかりとゞまりたまふことは、 なにごとにかとおぼえさふらふしやくそん慈悲じひをもて、 とゞめたまふことさだめてふかきこゝろさふらふらむ。 ぶちまことにはかりがたし。 たゞし弥陀みだぶちえん、 このかいしゆじやうにふかくましますゆへに、 しやだいもかのほとけほんぐわんをとゞめたまふなるべし。

このもんについてあんさふらふに、 よつのこゝろあり。 ひとつには、 しやうだうもん得脱とくだちえんあさく、 じやうもんわうじやうのみえんふかし。 かるがゆへにさむじようゐちじよう得脱とくだちをとけるしよきやうはさきだちてめちして、 たゞ一念ゐちねむ十念じふねむわうじやうをとけるこの ¬きやう¼ ばかりひとりとゞまるべし。 ふたつには、 わうじやうにつきて十方じふぱうじやうえんあさく、 西方さいはうじやうえんふかし。 かるがゆへに、 十方じふぱうじやうすゝめたるしよきやうはことごとくめちして、 たゞ西方さいはうわうじやうすゝめたるこの ¬きやう¼ ひとりとゞまるべし。 みつには、 そち上生じやうしやうえんあさく、 極楽ごくらくわうじやうえんふかきゆへに、 ¬上生じやうしやう¼・¬しむ¼ とうそちすゝめたるしよきやうはみなめちして、 極楽ごくらくすゝめたるこの ¬きやう¼ ひとりとゞまるべし。 よつには、 しよぎやうわうじやうえんあさく、 念仏ねむぶちわうじやうえんふかきゆへに、 しよぎやうとくしよきやうはみなめちして、 念仏ねむぶちとけるこの ¬きやう¼ のみひとりとゞまりたまふべし。 このよつなかに、 真実しんじちにはだい念仏ねむぶちわうじやうのみとゞまるべしといふしやうにてさふらふなり

どくきやうじゆひやくさい」 ととかれたれば、 このぢくきやうてん、 ひとりのこるべきかときこえさふらへども、 まことには経巻きやうくわんはうせたまひたれども、 たゞ念仏ねむぶち一門ゐちもんばかりとゞまりて、 ひやくねんあるべきにやとおぼえさふらふ

かのしむくわうが、 しよやきじゆうづみしとき、 ¬もう¼ とまふふみばかりはのこりたりとまふすことさふらふ。 それもふみはやかれたれども、 はとゞまりてくちにありとまふして、 おば人々ひとびとそらにおぼへたりけるゆへに、 ¬もう¼ ばかりはのこりたりとまふすことさふらふをもてこゝろえさふらふに、 この ¬きやう¼ とゞまりてひやくねんあるべしといふも、 経巻きやうくわんはみな隠滅おんめちしたりとも、 南无なも弥陀みだぶちとまふすことは、 ひとくちにとゞまりてひやくねんまでもきゝつたへむずることとおぼへさふらふ

きやうといふは、 またとくところのほふまふすことなれば、 この ¬きやう¼ はひとへに念仏ねむぶち一法ゐちぽふとけり。 されば、 「爾時にじもん一念ゐちねむ皆当かいたうとくしやう(礼讃) とは善導ぜんだうしやくしたまへるなり。 これざうなり、 たやすくまふすべからず。

すべてこの ¬さうくわんりやう寿じゆきやう¼ に、 念仏ねむぶちわうじやうもん七所しちしよあり。 ひとつにはほんぐわんもんふたつにはぐわんじやうじゆもんみつにはじやうはいなか一向ゐちかう専念せんねむもんよつには中輩ちうはいなか一向ゐちかう専念せんねむもんいつゝにははいなか一向ゐちかうせんもんむつにはじやうどくもんなゝつにはどくきやうもんなり この七所しちしよもんをまたがふしてみつとす。 ひとつにはほんぐわん、 これにふたつをせふす。 はじめのほちぐわんじやうじゆなりふたつには三輩さむぱい、 これにみつせふす。 じやうはい中輩ちうはいはいなり。 このはいについてるいあり。 みつには流通るづ、 これにふたつせふす。 じやうどくどくきやうなり。 ほんぐわん弥陀みだにあり。 三輩さむぱい已下いげしやせちなり、 それも弥陀みだほんぐわんにしたがふてときたまへるなり三輩さむぱいもんなかに、 おのおの一向ゐちかう専念せんねむすゝめたまへるも、 流通るづなかじやうどく讃嘆さんだんしたまへるも、 どくきやうととゞめたまへるも、 みなもと弥陀みだほんぐわんずいじゆんしたまへるゆへなり。 しかれば、 念仏ねむぶちわうじやうとまふすことは、 ほんぐわん根本こんぽんとするなり

せむずるところ、 この ¬きやう¼ ははじめよりおはりまで、 弥陀みだほんぐわんとくとこゝろうべきなり。 ¬そう巻経くわんぎやう¼ のたいりやくしてかくのごとし。

 ・観経

つぎに ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ は、 このたいをこゝろえむとおもはば、 かならず教相けうさうしるべきことなり教相けうさう沙汰さたせねば、 法門ほふもんせんアサキじむフカキ差別しやべちあきらかならざるなり

しかるに諸宗しよしゆにみな立教りふけうかいヒラキシメスあり。 法相ほふさうしゆにはさむけうをたてゝ一代ゐちだい諸教しよけうせふオサムル三論さむろんしゆにはざうけうをたてゝ大小だいせう諸教しよけうおさセフス華厳くゑごむしゆにはけうをたて、 天臺てんだいしゆにはけうをたつ。

いまわがじやうしゆには、 だうしやくぜん ¬安楽あんらくしふ¼ にしやうだうじやうけうをたてたり。 一代ゐちだいしやうげうせんぢく、 このもんおばいでず。

はじめにしやうだうもんは、 さむじようゐちじよう得道とくだうなり。 すなわちこのしやかいにして、 断惑だんわくかいするみちなり。 すべてわかてふたつあり。 いはだいじようしやうだうせうじようしやうだうなりべちしてろんずれば、 じようしやうだうあり。 いはしやうもんじょう縁覚えんがくじょうさちじょうぶちじょうなり

じやう、 まづこのしやあくのさかひをいでゝ、 かの安楽あんらく退たいのくににむまれて、 ねん増進ぞうしんして仏道ぶちだうしようとくせむともとむるみちなり

このもんをたつることは、 だうしやくゐちのみにあらず。 曇鸞どむらんほふ龍樹りうじゆさちの ¬十住じふじゆ毘婆びばしやろん¼ をひきて、 なんぎやうぎやうだうをたてたまへり。 「なんぎやうだうろくよりぎやうするがごとし、 ぎやうだうしゐふねじようずるがごとし」 (論註巻上意) とたとへたり。 このだうたつこと曇鸞どむらんゐちにかぎらず。 天臺てんだいの ¬じふろん¼ にもおなじくひきしやくしたまへり。 またざいの ¬じやうろん¼ にもおなじくひけ。 かのなんぎやうだうすなわちしやうだうもんなりぎやうだうすなわちじやうもんなり

しかのみならず、 またおんだいいは

まのあたりしやうくゑあふしもの、 だうさむじようさとりき。 ふくうすいんおろそかなるものは、 すゝめじやうくゐせしむ」 (西方要決)

しんしやうくゑ↡、 だうさむじよう↡。 ふくはくいんくわんくゐじやう

いへり。 このなかさむじようすなわちしやうだうもんなりじやうすなわちじやうもんなり

なんぎやうぎやうさむじようじやうしやうだうじやう、 そのことばことなりといゑども、 そのこゝろみなおなじ。 おほよそ一代ゐちだい諸教しよけうこのもんをいでず。

きやうろんのみこのもんせふオサムルるにあらず。 ない諸宗しよしゆしやうしよみなこのもんおばいでざるなり天臺てんだいしゆには、 まさしくぶちじようしやうだうをあかす、 かたわらにはわうじやうじやうをあかす。 「即往そくわう安楽あんらく」 といへり。 華厳くゑごむしゆにもまた天臺てんだいしゆのごとし。 しやうだうしゆしてえがたくは、 じやうしやうずべしとへり。

ねがはくはわれみやうじゆせむとほすときのぞみてことごとく一切ゐちさいのもろもろのしやうのぞく、 おもてにかのぶち弥陀みだたてまつりてすなわち安楽あんらくこくわうじやう(般若訳華厳経巻四〇行願品)

ぐわんりむよくみやうじゆじんぢよ一切ゐちさいしよしやう↡、 めんけんぶち弥陀みだそくとくわうじやう安楽あんらくこく↡」

いへり。

しかるにいま、 この ¬きやう¼ はわうじやうじやうけうなり即身そくしんとんのむねをもあかさず、 りやくこふ迂廻うゑぎやうおもとかず。 しやのほかに極楽ごくらくあり、 わがのほかに弥陀みだぶちましますとときて、 このかいをいとひてかのくににしやうて、 しやうにんおもえむとぐわんずべきむねをあかなり善導ぜんだうしやくいはく、

ぢやうさんひとしかうして、 すみやかにしやうしんしようせよ」 (玄義分)

ぢやうさんとうかうそくしようしやうしん↡」

といへり。

おほよそこの ¬きやう¼ には、 あまねくわうじやうきやうごふとけり。 すなわちはじめにはぢやうさんぜんときて、 そうじて一切ゐちさいしよにあたへ、 つぎには念仏ねむぶちゐちぎやうえらびべちしてらいぐんじやう流通るづせり。 かるがゆへに ¬きやう¼ いはく、

ほとけなんつげたまはく、 なんぢよくこのたもて」

仏告ぶちがうなん↡、 によかう是語ぜご↡」

のたまへり善導ぜんだうこれをしやくしいはく、

仏告ぶちがうなんによかう是語ぜごより已下いげ、 まさしく弥陀みだみやうがうぞくして、 だいすることをあかす」 (散善義)

じゆ仏告ぶちがうなんによかう是語ぜご已下いげしやうみやうぞく弥陀みだみやうがう↡、 だい↨」

いへり。 しかれば、 この ¬きやう¼ のこゝろによりて、 いましやうだうをすてゝじやう一門ゐちもんなり

そのわうじやうじやうにつきて、 またそのぎやうこれおほし。 これによて、 善導ぜんだうくわしやう専雑せんざふしゆしよぎやうしようれち得失とくしちはんじたまへり。 すなわちこのきやうの ¬しよ¼ にいはく、

ぎやうにつきてしんたつといふは、 ぎやうきてしゆあり。 ひとつには正行しやうぎやうふたつにはざふぎやう

じゆぎやうりふしんしやじゆぎやうしゆ↡。 ゐち正行しやうぎやうざふぎやう

いへり。 もはらかの正行しやうぎやうしゆするを専修せんじゆぎやうじやいふ正行しやうぎやうおばしゆせずしてざふぎやうしゆするを雑修ざふしゆものまふすなり

その専雑せんざふしゆ得失とくしちについて、 いまわたくし料簡れうけんするに、 いつゝあり。 ひとつにはしんたいふたつには近遠ごんおんたいみつにはけんけんたいよつにはかうかうたいいつゝにはじゆんざふたいなり

はじめにしんたい正行しやうぎやうしゆするは弥陀みだぶちしたしざふぎやうしゆすればかのほとけウトシなり。 すなわち ¬しよ¼ (定善義)いはく、

しゆじやうぎやうおこすには、 くちにつねにほとけとなへよ、 ほとけすなわちこれをきこしめす。 につねにほとけらいきやうすれば、 ほとけすなわちこれをみそなはす。 しむにつねにほとけねむずれば、 ほとけすなわちこれをしろしめす。 しゆじやうほとけおくねむすれば、 ほとけまたしゆじやうおくねむしたまふ。 彼此ひし三業さむごふあひしやせず。 ゆへに親縁しんえんなづく」

しゆじやうぎやうじやうしようぶちぶちそくもんしんじやうらいきやうぶち↡、 ぶちそくけんしむじやうねむぶちぶちそくしゆじやうおくねむぶちしやぶちやくおくねむしゆじやう↡。 彼此ひし三業さむごふさふしや↡。 みやう親縁しんえん↡」

いへ そのざふぎやうものは、 くちほとけしようせざれば、 ほとけすなわちきゝたまはず。 ほとけらいせざれば、 ほとけすなわちたまはず。 しむほとけねむぜざれば、 ほとけしろしめさず。 ほとけ憶念おくねむせざれば、 ほとけまた憶念おくねむしたまはず。 彼此ひし三業さむごふつねしやす、 かるがゆへにウトシとなづくるなり

つぎ近遠ごんおんたい正行しやうぎやうはかのほとけちかづざふぎやうはかのほとけとおざかるなり。 ¬しよ¼ (定善義) またいはく、

しゆじやうほとけむとほすれば、 ほとけすなわちねむおうじてげんまへまします。 ゆへに近縁ごんえんなづく」

しゆじやうよくけんぶちぶちそくおうねむげんざい目前もくぜん↡。 みやう近縁ごんえん↡」

いへり。 ざふぎやうほとけたてまつらむとねがはざれば、 ほとけすなわちねむおうじたまはず、 まへにもげんじたまはず。 かるがゆへにおんとなづくるなり。 たゞじやうには親近しんごんまふしつれば、 ひとつことのやうにこそはきこゆれども、 善導ぜんだうくわしやうは、 しんごんとのごとしと、 べちしてはしやくしたまへり。 これによて、 いままた親近しんごんわかちふたつとするなり。

つぎけんけんたいけん正行しやうぎやうしゆするには、 かのほとけおいて憶念おくねむけんなるがゆへに、 もん憶念おくねむだんみやうけん(散善義)いへる、 これなり けんざふぎやうのものは、 弥陀みだぶちにこゝろをかくることひまおほし。 かるがゆへにもんに 「しむじやう間断けんだん(散善義)いふ、 これなり

つぎかうかうたい正行しやうぎやうかうをもちゐざれども、 ねんわうじやうごふとなる。 すなわち ¬しよ¼ 第一だいゐち (玄義分)いはく、

いま ¬観経くわんぎやう¼ のなかじふしやうしようぶちすれば、 すなわちじふぐわんじふぎやうあてそくす。 いかんぞそく南无なもいふはすなわちこれくゐみやうなり、 またこれほちぐわんかうなり。 弥陀みだぶちいふはすなわちこれそのぎやうなり。 このをもてのゆへにかならずわうじやう」。

こむ ¬観経くわんぎやう¼ ちうじふしやうしようぶちそくじふぐわんじふぎやうそくうんそくごん南无なもしやそくくゐみやうやくほちぐわんかうごん弥陀みだぶちしやそくぎやう必得ひちとくわうじやう↡」。

かうといふ。 ざふぎやうは、 かならずかうをもちゐるとき、 わうじやうごふとなる。 もしかうせざれは、 わうじやうごふとならず。 かるがゆへにもん

かうしてしやうべしといゑども」

すいかうとくしやう

いへ、 これなり

つぎじゆんざふたい正行しやうぎやうじゆん極楽ごくらくぎやうなり人天にんでんおよびさむじようとうごふぜずカヨハヌナリまた十方じふぱうじやう業因ごふいんともならず。 かるがゆへにじゆんとなづく。 ざふぎやうじゆん極楽ごくらくぎやうにはあらず。 人天にんでん業因ごふいんにもじ、 さむじよう得果とくくわにもじ、 また十方じふぱうじやうわうじやう業因ごふいんともなるがゆへにざふと云なり

しかれば、 このいつゝ相対さうたいをもてぎやうはんずるに、 西方さいはうわうじやうをねがはむひとは、 ざふぎやうをすてゝ正行しやうぎやうしゆすべきなり

また善導ぜんだうくわしやう ¬わうじやう礼讃らいさん¼ (意)じよに、 この専雑せんざふ得失とくしちはんじたまへり。 「専修せんじゆもの十即じふそくじふしやうひやくそく百生ひやくしやう雑修ざふしゆものひやくゐちせんさむ」 とへり。 なにをもてのゆへに。 専修せんじゆもの雑縁ざふえんなし、 しやうねむをえたるがゆへに、 また弥陀みだほんぐわん相応さうおうするがゆへに、 またしやけうにたがはざるがゆへに、 ぶちずいじゆんせるがゆへに」 とへり。 雑修ざふしゆもの雑縁ざふえん乱動らんどうす。 しやうねむしちウシナフるがゆへに、 またほとけほんぐわん相応さうおうせざるがゆへに、 またぶちにしたがはざるがゆへに、 しやけうするがゆへに、 またねむ相続さうぞくせざるがゆへに、 ぐわん慇重いんぢう真実しんじちならざるがゆへに、 ないみやう相応さうおうするがゆへに、 またみづからわうじやうさふるのみにあらず、 わうじやう正行しやうぎやうさふるがゆへに」 とへり。

しかのみならず、 やがてそのもんのつゞきに、 「ワレ、 このトイフ ごろ諸方しよはう道俗だうぞく見聞けんもんするに、 ぎやうどうにして専雑せんざふありコトナルコト。 しかるに専修せんじゆものじふじふながらしやうじ、 雑修ざふしゆものせんなかゐちもなし」 とのたまへり。

さきのをもてはんさふらふに、 せんなかさむとゆるしたまへりといゑども、 いましやうけんにはゐちもなしとのたまへるなり。 そのときのぎやうじやだにも、 ざふぎやうにてわうじやうするものなかりけるにこそさふらふなれ。 まして、 いよいよときもくだりたる当世たうせいぎやうじやざふぎやうわうじやういふことはおもひすつべきことなり たとひまたわうじやうすべきにても、 ひやくなかゐちせんなかさむうちにてこそさふらはむずれ。 きわめてぢやうことなりひやくにんじふにんわうじやうして、 いま一人ゐちにんすまじときかむだにも、 もしその一人ゐちにんにあたるにてもやあるらむと、 しむぢやうにおぼえぬべし。 いかにいはむや、 ひやくゐちうちゐちぢやういるべしとおもはむこと、 かたくぞさふらはむずる。

しかれば、 ひやくそく百生ひやくしやう専修せんじゆをすてゝ、 千中せんちうゐちざふぎやうしふすべからず。 たゞ一向ゐちかう念仏ねむぶちしゆして、 ざふぎやうをすつべきなり。 これすなわち、 この ¬きやう¼ のたいなり。 「まうぶちほんぐわんざいしゆじやう一向ゐちかうせんしよう弥陀みだぶちみやう」 といへり。 かへすがへすほんぐわんをあおぎて、 念仏ねむぶちをすべきなりと。

(2) 建保四年公胤夢告

建保けんぽうねん四月廿六日、 おんじやうちやう公胤こういんそうじやうゆめに、 そらなかつげいは

ぐゑんほんしんだいせいさちなり、 しゆじやう教化けうくゑのゆへにこのかいきたれること度度たびたび

ぐゑんほんしんだいせいさちしゆじやう教化けうくゑらいかい度度どど

と。

かのそうじやう弟子でし大進だいしんきみじつみやうをしらず 記之。

康元かうげんぐわんねん 十月十三日

愚禿親鸞 八十四歳 書之

康元かうげんさい正月一日校之

 

西方指南抄中

(3) 三昧発得記

しやうにんざいしやうときちゆしたまへりシルシタマヘリ   これぐわいけんにおよばざれ、 ざうすべしと
 御生年おむとし六十有六 うしとしなり
建久けんきう九年正月一日シルスナリ

一日、 桜梅やまもゝ法橋ほふけう教慶けうけいのもとよりかへりたまひてのち、 ひつじさるときばかり、 恒例こうれい正月七日念仏ねむぶちぎやうせしめたまふ。 一日、 みやうさうすこしこれをげんじたまふ、 ねんにあきらかなりと 云云 二日、 水想しゐさうくわんねんにこれをじやうじゆしたまふ 云云 そうじて念仏ねむぶちしちにちうちに、 さうくわんなか瑠璃るりさう少分せうぶんこれをみたまふと。

二月四日のあした瑠璃るりぶんみやうげんじたまふと 六日、 後夜ごや瑠璃るり殿でんさうこれをげんずと 七日、 あしたにまたかさねてこれをげんず。 すなわちこの殿でんをもて、 そのさう影現やうげんしたまふ。 そうじて水想しゐさうさう宝樹ほうじゆほう宝殿ほうでんいつゝくわんはじめ正月一日より二月七日にいたるまで、 三十さむじふしちにちのあひだ毎日まいにち七万しちまん念仏ねむぶち退たいにこれをつとめたまふ。 これによて、 これらのさうげんずとのたまへり。

はじめ二月廿五日より、 あかきところにしてをひらく。 眼根げんこんよりあかふくろ瑠璃るりつぼ出生しゆつしやうす、 これをみる。 そのまへにして、 とぢてこれをみる。 ひらけすなわちのたまへり。

二月廿八日、 やまうによて念仏ねむぶちこれを退たいす。 一万ゐちまんべんあるいはまんみぎまなこにそのゝち光明くわうみやうあり、 はなだなり。 またひかりあり、 はしあかし。 またまなこ琉璃るりあり、 そのかたち瑠璃るりつぼのごとし。 琉璃るりあかはなあり、 ほうぎやうのごとし。 またいりてのちいでゝみれば、 はうみなはうごとにあかあお宝樹ほうじゆあり。 そのたかささだまりなし、 かうこゝろにしたがふて、 あるいは四五しごぢやう、 あるいは三十さむじふぢやう

八月一日、 もとのごとく、 六万ろくまんべんこれをはじむ。 九月廿二日のあしたに、 さうぶんみやうげんず、 しゆメグリ 七八しちはちだんばかり。 そのゝち廿三日の後夜ごやならびにあしたにまたぶんみやうにこれをげんずと 云々

しやう二年二月のころ、 さうとういつゝくわんぎやうじゆぐわこゝろにしたがふて、 任運にむうんにこれをげんずと 云々

建仁けんにんぐわんねん二月八日の後夜ごやに、 とりのこゑをきく、 またことのおとをきく、 ふゑのおとをきく。 そのゝち、 にしたがふてざいにこれをきく、 しやうのおとらこれをきく。 さまざまのおと。 正月五日、 さむせいさちおむうしろに、 じやうろくばかりのせい面像めんざうげんぜり。 これをもてこれをすいする、 西にしぶちだうにてせいさちぎやうざうよりじやうろくめんしゆつげんせり。 これすなわちこれをすいするに、 このさちすでにもて、 念仏ねむびち法門ほふもんしよしようのためのゆへに、 いま念仏ねむぶちしやのためにそのかたちをげんしたまへり、 これをうたがふべからず。 おなじ六日、 はじめてしよヰドコロよりはう一段ゐちだんばかり、 しやうアオキ瑠璃るりなりと 云々いまにおいては、 経釈きやうしやくによてわうじやううたがひなしと。 くわんもんにこゝろうるに、 うたがひなしといへるがゆへにといへり。 これをおもふべし。

建仁けんにん二年十二月廿八日、 たかはたけせうしやうきたれり。 ぶちだうにしてこれにえちす。 そのあひだれいのごとく念仏ねむぶちしゆしたまふ。 弥陀みだぶちをみまいらせてのち、 しやうよりすきとほりてほとけ面像めんざうげんじたまふ、 おほきさじやうろくのごとし。 仏面ぶちめんすなわちまたかくれたまひおわり。 廿八日午時むまときことなり

ぐゑんきう三年正月四日、 念仏ねむぶちのあひだ三尊さむぞん大身だいしんげんじたまふ。 また五日、 三尊さむぞん大身だいしんげんじたまふ。

しやうにんのみづからのもんなり。

(4) 法然聖人御夢想記

法然ほふねんしやうにんさう 善導ぜんだう御事おむこと

あるゆめにみらく、 ひとつ大山だいせんあり、 そのみねきわめてたか南北なむぼくながくとおし、 西方さいはうにむかへり。 やまたいあり、 かたわらやまよりいでたり、 きたながれたり。 みなみ河原かわら眇眇べうべうとしてその辺際へんざいをしらず、 林樹りむじゆ滋滋しげしげとしてそのかぎりをしらず。 こゝにぐゑん、 たちまちに山腹さんぷくヤマノハラ のぼりてはるかに西方さいはうをみれば、 よりじやうじふしやくばかりかみのぼりて、 ちうにひとむらのうんあり。 以為おもへらくいづれところわうじやうにんのあるぞ。 こゝにうんとびきたりて、 わがところにいたる。 希有けうのおもひをなすところに、 すなわちうんなかよりじやくあうとう衆鳥しゆてうとびいでゝ、 河原かわら遊戯ゆげす、アソビタワブル いさごをほりはまたわぶ。 これらのとりをみれば、 凡鳥ぼむてうにあらず、 よりひかりをはなちて、 照曜せうえうきはまりなし。 そののちとびのぼりて、 もとのごとくうんなかいりおわり こゝにこのうん、 このところにじゆせず、 このところをすぎてきたにむかふて、 さんにかくれおわり。 また以為おもへらくやまひむがしわうじやうにんのあるに。 かくのごとくゆいするあひだ、 しゆにかへりきたりてわがまへにじゆす。 このうんなかより、 くろくそめたるころもきたそう一人ゐちにんとびくだりて、 わがたちたるところのしも住立じゆりふす。 われすなわちぎやうのためにあゆみおりて、 そうあしのしもにたちたり。 このそう瞻仰せむがうすれば、 しんじやうなかば肉身にくしん、 すなわちそうぎやうなりよりしもなかば金色こむじきなり、 仏身ぶちしんのごとくなり こゝにぐゑんがふしやうていしてとふてまふさく、 これ誰人たれびときたりたまふぞと。 こたえいは、 われはこれ善導ぜんだうなりと。 またとふてまふさく、 なにのゆへにきたりたまふぞ。 またこたえのたまはワレせうなりといゑども、 よく専修せんじゆ念仏ねむぶちのことをまふ。 はなはだもてたうとしとす。 ためのゆへにもてきたれなり またとふまふさ専修せんじゆ念仏ねむぶちひと、 みなもてわうじやう。 いまだそのたうをうけたまはらざるあひだに、 忽然こつねんとしてゆめさめおわり

(5) 十八条法語

或人あるひと念仏ねむぶちしむを、 しやうにんたてまつりいはだいじふぐわん大綱たいまうぐわんなり。 「ねむ(大経巻上) といふは、 さむしやううちにかならずくわハタシすいトグルすべし。 りやう通計つげするに、 ひやくねんうちわうじやうすべきなり 云云。 これぼむわうじやうコヽロしやくなり。 極大ごくだいしやをもてキワメテオホキニオソキモノナリさむしやういでざるこゝろ、 かくのごとくしやくせり。

また ¬弥陀みだきやう¼ の 「ほちぐわんとうは、 これさむしやうしようなりと。

またいは、 ¬弥陀みだきやう¼ とうじやうもんしゆつほんぐわいなり、 ¬法華ほふくゑきやう¼ しやうだうもんしゆつほんぐわいなり 云云のぞむところはことなり、 うたがたらざるものなり

またいはあんするところの一切ゐちさいきやうりちろんは、 これ ¬観経くわんぎやう¼ 所摂しよせふオサムルナリほふなり

またいはざうとうよろづさち蔑如べちじよすべからアナヅルコトナカレトナリず。 わうじやう以後いご伴侶はんりよたるべきがゆへなりと。

またいは近代きんだいぎやうにんくわんぼふをもちゐるにあたはず。 もし仏像ぶちざうとうくわんぜむは、 運慶うんけい康慶かうけい所造しよざうにすぎじ。 もし宝樹ほうじゆとうくわんぜば、 桜梅やうばいたうくゑくわとうにすぎじ。 しかるに 「ぶちこむ現在げんざいじやうぶち(礼讃) とうしやくしんじて、 一向ゐちかうみやうがうしようすべきなりいへり。 たゞみやうがうをとなふる、 三心さむしむおのづからそくするなりいへり。

またいは念仏ねむぶちはやうなきをもてなり。 みやうがうをとなふるほか、 一切ゐちさいやうなきことなりいへり。

またいはしよきやうなかにとくところの極楽ごくらくしやうごむとうは、 みなこれ十八じふはちぐわんじやうじゆもんなり念仏ねむぶちくわんじんするところは、 だい十八じふはちぐわんじやうじゆもんなり。 ¬観経くわんぎやう¼ の 「三心さむしむ」、 ¬せうきやう¼ の 「一心ゐちしむらん」、 ¬だいきやう¼ のぐわんじやうじゆもんの 「信心しんじむくわん」 と、 おなじ流通るづの 「くわんやく」 と、 みなこれしん信楽しんげうしむなりいへり。 これらのしむをもて、 念仏ねむぶち三心さむしむしやくしたまへるなり云云

またいは、 「ぐゑん(玄義分意)いはく、

しや要門えうもんぢやうさんぜんなり。 ぢやうおもんぱかりやめしむこらすなり、 さんあくはいしてぜんしゆすなりと。 ぐわんは ¬だいきやう¼ のせちのごとし。 一切ゐちさい善悪ぜんあくぼむしやう

「釈迦要門定散二善。 定者息↠慮凝↠心なり、 散者廃↠悪修↠善なりと。 弘願者如↢¬大経¼ 説↡。 一切善悪凡夫得↠生」

といへり。 ごときはさきの要門えうもんにたえず、 よてひとへにぐわんたのなりいへり。

またいはだうくわしやう深心じむしむしやくせむがためにしむしやくしたまふなり。 ¬きやう¼ のもん三心さむしむをみるに、 一切ゐちさいぎやうなし。 深心じむしむしやくにいたりて、 はじめて念仏ねむぶちぎやうをあかすところなり

一〇

またいはわうじやうごふじやうじゆ臨終りむじゆ平生へいぜいにわたるべし。 ほんぐわんもんべちにえらばざるがゆへにといへり。 しむのこゝろ、 平生へいぜいけんにわたるなりへり。

一一

またいはわうじやうごふじやうは、 ねむをもてほんとす。 みやうがうしようするは、 ねむじやうぜむがためなり。 もしこゑはなるゝとき、 ねむすなわちだいするがゆへに、 じやうがう称唱しようしやうすればすなわちねむ相続さうぞくす。 心念しむねむごふしやうをひくがゆへなり

一二

またいは称名しようみやうぎやうじやじやう念仏ねむぶちのときじやうをはゞかるべからず。 相続さうぞくえうとするがゆへに。 によりんほふは、 じやうをはゞからず、 弥陀みだくわんおむ一体ゐちたい不二ふになり。 これをおもふに、 善導ぜんだうべちぎやうには、 清浄しやうじやう潔斉けちせいをもちゐる、 じむじやうぎやう、 これにことなるべきしむの 「ろんしよ諸縁しよえん↡」 (要集巻下) しやく永観ゐやうくわんの 「ろんしんじやうじやう↡」 (往生拾因) しやく、 さだめてぞんずるところある

一三

またいは善導ぜんだうだい十八じふはちぐわん一向ゐちかう仏号ぶちがうしようねむしてわうじやうすといへり。 しむのこゝろ、 くわんねむしようねむとうみなこれをせふすといへり。 もし ¬要集えうしゆ¼ のこゝろによらば、 ぎやうじやにおいては、 このをあやまちてむと。

一四

またいはだいじふぐわんは、 しよぎやうひと引入いんにふして、 念仏ねむぶちぐわんくゐせしめむとなり

一五

またいは真実しんじちしむといふは、 ぎやうじやぐわんわうじやうしむなり。 けうしよくなく、 へうなき相応さうおうしむなり雑毒さふどく虚仮こけとうは、 みやうもんやうしむなり

¬大品だいぼむきやう¼ (巻一序品)いはく、 「やうみやうもんすてよと。」

¬大品経¼ 云、 「捨↢利養名聞↡。」

¬大論だいろん¼ にこのもんじゆつするしたいはく、 「まさにごふ雑毒さふどくつべしといふは、 ゐちしやう一念ゐちねむなほこれをせば、 実心じちしむのなきさうなり。 ないほむじてぐゑかざるといふは、 りやう外相ぐゑさうほふなれども、 内心ないしむ真実しんじちにしてわうじやうぐわんずれば、 わうじやうぐべきなりと。」

¬大論¼ 述↢此文↡之下云、 「当↣業捨↢雑毒↡者、 一声一念猶具↠之、 无↢実心之↡相也。 翻↠内矯↠外者、 仮令外相不法、 内心真実願↢往生↡者、 可↠遂↢往生↡也。」

深心じむしむといふは、 りよなきしむなり利他りた真実しんじちといふとくしやうのち利他りたもんさうなり。 よてくはしくしやくせずと。

¬くわんりやう寿じゆきやうに¼、 「もししゆじやうあてかのくにむまれむとがんぜむもの三種さむしゆしむおこせばすなわちわうじやうす。 なんみつとする。 ひとつにはじやうしむふたつには深心じむしむみつにはかうほちぐわんしむなり。 三心さむしむすればかならずかのくにしやうず」 といへり。

¬観无量寿経¼、 「若有↢衆生↡願↠生↢彼国↡者、 発↢三種心↡即便往生。 何等為↠三。 一者至誠心、 二者深心、 三者廻向発願心なり。 具↢三心↡者必生↢彼国↡」 いへり

¬わうじやう礼讃らいさんに¼ 三心さむしむしやくしおはるにいはく、 「この三心さむしむすればかならずわうじやうるなり。 もし一心ゐちしむかけぬれば、 すなわちしやうずと。」

¬往生礼讃¼ 釈↢三心↡畢云、 「具↢此三心↡必得↢往生↡也。 若少↢一心↡、即不↠得↠生。」

しかればすなわちもとも三心さむしむすべきなり。

然則尤可↠具↢三心↡也。

ひとつじやうしむといふは、 真実しんじちしむなり。 礼拝らいはいぎやうず、 くちみやうがうとなふ、 こゝろ相好さうがうおもふ、 みな実心じちしむをもてせよとなり。 そうじてこれをいふに、 えむ穢土ゑどごんじやうしゆしよきやうごふ、 みな真実しんじちしむをもてこれをごむしゆすべし。

一至誠心者、 真実心也。 身行↢礼拝↡、 口唱↢名号↡、 意想↢相好↡、 皆用↢実心↡。 総而言↠之、 厭離穢土、 忻求浄土、 修諸行業、 皆以↢真実心↡可↣勤↢修之↡。

ほか賢善けんぜんしやうじんさうげんじ、 うちあくだいしむいだけり。 所修しよしゆきやうごふにちじふひまなくこれをぎやうずれども、 わうじやうず。 ほかあくだいかたちあらわし、 うち賢善けんぜんしやうじんねむじゆして、 これをしゆぎやうせば、ゐち一念ゐちねむといゑども、 そのぎやうむなしからず、 かならずわうじやうむ。 これをじやうしむなづく。

外現↢賢善精進之相↡、 内懐↢愚悪懈怠之心↡。 所修行業、 日夜十二時无↠間行↠之、 不↠得↢往生↡。 外顕↢愚悪懈怠之形↡、 内住↢賢善精進之念↡、 修↢行之↡者、 雖↢一時一念↡、 其行不↠虚、 必得↢往生↡。 是名↢至誠心↡。

ふたつ深心じむしむといふは、 深信じむしんしむなり。 これについてふたつあり。

二深心者、 深信之心也。フカクシンズルコヽロナリ 付↠之有↠二。

ひとつにはわれはこれ罪悪ざいあくぜんなり、 无始むしより已来このかた六道ろくだうりんして、 わうじやうえんなしとしんず。

一者信↧我是罪悪不善之身、 无始已来輪↢廻六道↡、 无↦往生縁↥。

ふたつには罪人ざいにんといゑども、 ぶちぐわんりきをもて強縁がうえんとすれば、 わうじやうしんず。 うたがひなくおもむぱかりなかれとなり。

二信↧雖↢罪人↡、 以↢仏願力↡為↢強縁↡、 得↦往生↥。 无↠疑无↠慮。

これについてまたふたつあり。 ひとつにはにんついしんつ、 ふたつにはぎやうついしんつ。

付↠此亦有↠二。 一就↠人立↠信、 二就↠行立↠信。

にんついしんつといふは、 しゆつしやうみちおほしといゑども、 おほきわかふたつあり。 ひとつにはしやうだうもんふたつじやうもんなり。

就↠人立↠信者、 出離生死道雖↠多、 大分有↠二。 一聖道門、 二浄土門。

しやうだうもんといふは、 このしやかいにして、 煩悩ぼむなうだんだいしようするだうなり。

聖道門者、 於↢此娑婆世界↡、 断↢煩悩↡証↢菩提↡道也。

じやうもんといふは、 このしやかいいとうて、 極楽ごくらくねがう善根ぜんごんしゆするもんなり。

浄土門者、 厭↢此娑婆世界↡、 忻↢極楽↡修↢善根↡門也。

もんありといゑども、 しやうだうもんさしおきじやうもんくゐするなり。

雖↠有↢二門↡、 閣↢聖道門↡帰↢浄土門↡。

しかるにもしひとあておほきやうろんひきて、 罪悪ざいあくぼむわうじやうずといはむ、 このことばくといゑども、 退心たいしむしやうぜず、 いよいよ信心しんじむす。

然若有↠人多引↢経論↡、 罪悪凡夫不↠得↢往生↡、 雖↠聞↢此語↡、 不↠生↢退心↡、 弥増↢信心↡。

ゆへはいかんとなれば、 ざいしやうぼむじやうわうじやうするはしやくそんじやうごんなり、 ぼむ妄説まうせちにあらず。 われすでに仏言ぶちごんしんじて、 ふかじやうごんす。 たとひ諸仏しよぶちさちきたりて、 ざいしやうぼむじやうむまれずとのたまふとも、 これをしんずべからず。

所以者何、 罪障凡夫往↢生浄土↡釈尊誠言なり、 非↢凡夫妄説↡。 我已信↢仏言↡、 深忻↢求浄土↡。 設諸仏・菩薩来、 罪障凡夫言↠不↠生↢浄土↡、 不↠可↠信↠之。

なにをもてのゆへに。 さちぶち弟子でしなり。 もしまことにこれさちならば、 仏説ぶちせちそむくべからず。 しかるにすでに仏説ぶちせちして、 わうじやうじとのたまふ。 しりまことさちにあらずといふことを。 このゆへにしんずべからずと。

何以故。 菩薩仏弟子。 若実是菩薩者、 不↠可↠乖↢仏説↡。 然已違↢仏説↡、 言↠不↠得↢往生↡。 知非↢真菩薩↡。 是故不↠可↠信。

またぶちはこれ同体どうたいだいなり。 まことにこれぶちならば、 しやせちたがふべからず。

また仏是同体大悲。 実是仏者、 不↠可↠違↢釈迦説↡。

しかればすなわち ¬弥陀みだきやう¼ (意) とかく、 「一日ゐちにち七日しちにち弥陀みだぶちみやうがうねむずれば、 かならずわうじやう」 といへるは、 六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶちしやぶちおなじむなしからずとこれを証誠しようじやうしたまへり。

然則 ¬阿弥陀経¼ 説、 「一日七日念↢阿弥陀仏名号↡、 必得↢往生↡」 者、 六方恒沙諸仏、 同↢釈迦仏↡不↠虚証↢誠之↡。

しかるにいましやせちそむきて、 わうじやうじとふ。 かるがゆへにしりまことぶちにあらずと。 これてん変化へんぐゑなり。 このをもてのゆへに、 しんずべからず。 ぶちさちせち、 なほもてしんずべからず、 いかにいはむやせちおや。

然今背↢釈迦説↡、 云↠不↠得↢往生↡。 故知非↢真仏↡。 是天魔変化。 以↢是義↡故、 不↠可↢依信↡。 仏・菩薩説、 尚以不↠可↠信、 何況余説哉。

汝等なんだちしふするところ、 大小だいせうことなりといゑどもおなじ仏果ぶちくわす。 穢土ゑどしゆぎやうしやうだうこゝろなり。 われしゆするところのしやうざふおなじからず、 ともに極楽ごくらくねがふ。 わうじやうきやうごふじやうもんこゝろなり。 しやうだうはこれなんぢえんぎやうなり、 じやうもんえんぎやうなり。 これをもてかれをなんずべからず、 かれをもてこれをなんずべからず。

汝等所↠執、 雖↢大小異↡同期↢仏果↡。 穢土修行聖道意なり。 我等所↠修正雑不↠同、 共忻↢極楽↡。 往生行業、 浄土門意。 聖道者是汝有縁行なり、 浄土門者我有縁行なり。 不↠可↢以↠此難↟彼、 不↠可↢以↠彼難↟此。

かくのごとくしんずる、 これをにんついしんつとなづく。

如↠是信ずる、 是名↢就↠人立↟信。

つぎぎやうついしんつといふは、 わうじやう極楽ごくらくぎやうまちまちなりといゑどもしゆいでず。 ひとつには正行しやうぎやうふたつにはざふぎやうなり。 正行しやうぎやう弥陀みだぶちにおいてのしんぎやうなり、 ざふぎやう弥陀みだぶちにおいてのぎやうなり。

次就↠行立↠信者、 往生極楽行、 雖↠区不↠出↢二種↡。 一者正行、 二者雑行なり。 正行者於↢阿弥陀仏↡之親行也、 雑行者於↢阿弥陀仏↡之疎行也。

まづ正行しやうぎやうといふは、 これについていつゝあり。 ひとついは読誦どくじゆいはく 「さむきやう」 をむなり。 ふたつにはいは極楽ごくらくしやうくわんずるなり。 みつには礼拝らいはいいは弥陀みだぶちらいしたてまつるなり。 よつには称名しようみやういは弥陀みだみやうがうしようするなり。 いつゝには讃嘆さんだんやういは弥陀みだぶち讃嘆さんだんやうしたてまつるなり。

先正行者、 付↠之有↠五。 一謂読誦、 謂読↢ 「三部経」↡ 也。 二謂観↢極楽依正↡也。 三礼拝、 謂礼↢弥陀仏↡也。 四称名、 謂称↢弥陀名号↡也。 五讃嘆供養、 謂讃↢嘆供↣養阿弥陀仏↡也。

このいつゝをもてがふしてふたつとなす。

以↢此五↡合為↠二。

ひとつには一心ゐちしむ専念せんねむ弥陀みだみやうがう専念せんねむして、 ぎやうじゆぐわせちごんとは念念ねむねむてざるは、 これを正定しやうぢやうごふなづく、 かのぶちぐわんじゆんずるがゆへに。

一者一心専↢念弥陀名号↡、 行住座臥不↠問↢時節久近↡念念不↠捨者、 是名↢正定之業↡、 順↢彼仏願↡故。

ふたつにはさきいつゝなかに、 称名しようみやうのぞきぐゑ礼拝らいはい読誦どくじゆとうは、 みな助業じよごふなづく。

二者先五中、 除↢称名↡已外礼拝・読誦等、 皆名↢助業↡。

つぎざふぎやうといふは、 さきしゆしやうじよぎやうのぞきぐゑのもろもろの読誦どくじゆだいじようほちだいしむかいくわんじんぎやうとう一切ゐちさいぎやうなり。

次雑行者、 除↢先五種正助二行↡已外諸読誦大乗発菩提心持戒勧進行等一切行也。

このしやうざふぎやうについて、 しゆ得失とくしちあり。

付↢此正雑二行↡、 有↢五種得失↡。

ひとつにはしんたいいは正行しやうぎやう弥陀みだぶちしんなり、 ざふぎやう弥陀みだぶちなり。

一親疎対、 謂正行親↢シタシキ阿弥陀仏↡、 雑行疎↢ウトキ阿弥陀仏↡。

ふたつには近遠ごんおんたいいは正行しやうぎやう弥陀みだぶちごんなり、 ざふぎやう弥陀みだぶちおんなり。

二近遠対、 謂正行近↢チカシ阿弥陀仏↡、 雑行遠↢トオシ阿弥陀仏↡。

みつにはけんけんたいいは正行しやうぎやうねむひまなし、 ざふぎやうねむ間断けんだんす。

三有間无間対、 謂正行係念无↠間、 雑行係念間断。

よつにはかうかうたいいは正行しやうぎやうかうもちゐざるにおのづからわうじやうごふとなる、 ざふぎやうかうせざるときわうじやうごふとならず。

四廻向不廻向対、 謂正行不↠用↢廻向↡自為↢往生業、 雑行不↢廻向↡時不↠為↢往生業↡。

いつゝにはじゆんざふたいいは正行しやうぎやうじゆんわうじやう極楽ごくらくごふなり、 ざふぎやうはしからず、 十方じふぱうじやうない人天にんでんごふずるなり。

五純雑対、 謂正行純往生極楽業也、 雑行不↠爾、 通↢十方浄土乃至人天業↡也。

かくのごとくしんずるは、 ぎやういてしんつとなづく、 これを深心じむしむなづく。

如↠此信者、 名↢就↠行立↟信、 是名↢深心↡。

みつかうほちぐわんしむといふは、 くわおよこむじやうしん口意くいごふしゆするところの一切ゐちさい善根ぜんごん真実しんじちしむをもて極楽ごくらくかうして、 わうじやうごんするなり。

三廻向発願心者、 過去及今生身口意業所↠修一切善根、 以↢真実心↡廻↢向極楽↡、 忻↢求往生↡也。

一六

またいは善導ぜんだうしむさうすること善導ぜんだう色相しきさうとうくわんぼふおば観仏かむぶち三昧ざむまいへり、 称名しようみやう念仏ねむぶちおば念仏ねむぶち三昧ざむまいへり。 しむ称名しようみやうくわんぼふがふして念仏ねむぶち三昧ざむまいへり。

一七

またいはしゆひとじやうもんにそのこゝろざしあらむには、 まづ ¬わうじやう要集えうしゆ¼ をもてこれをおしふべし。 そのゆへは、 このしよはものにこゝろえて、 なんなきやうにそのおもてをみえて、 初心しよしむひとのためによきなりいゑどもしかり真実しんじちそこほんは、 称名しようみやう念仏ねむぶちをもて専修せんじゆ専念せんねむくわんじんしたまへり。 善導ぜんだう一同ゐちどうなり

一八

またいはしゆひとじやうしゆにそのこゝろざしあらむものは、 かならず本宗ほんしゆこゝろすつべきなり。 そのゆへは、 しやうだうじやうしゆ各別かくべちなるゆへなりとのたまへり。

(6) 法然聖人臨終行儀

法然ほふねんしやうにん臨終りむじゆぎやう

けんりやくぐわんねん十一月十七日、 とうちう納言なうごん光親みつちかきやううけたまはりにて、 院宣ゐんぜんによりて、 十一月廿日いぬときしやうにんみやこへかへりいりたまひて、 ひむがしやま大谷おほたにといふところにすみはべるおなじ二年正月二日より、 らうびやううへにひごろのしよく、 おほかたこの三年さむねんのほどおいぼれて、 よろづものわすれなどせられけるほどに、 ことしよりはみゝもきゝこゝろもあきらかにして、 としごろならひおきたまひけるところの法文ほふもんを、 時時ときどきおもひいだして、 弟子でしどもにむかひてだんしたまひけり。 またこのじふねんは、 みゝおぼろにして、 さゝやきごとおばきゝたまはずはべりけるも、 ことしよりはむかしのやうにきゝたまひて、 れいひとのごとし。 けんことはわすれたまひけれども、 つねはわうじやうことをかたりて念仏ねむぶちをしたまふ。 またあるいはかうしやうにとなふることゐち、 あるいはまたのほど、 おのづからねぶりたまひけるも、 したくちはうごきてほとけ御名みなをとなえたまふこと、 せうしやうきこはべりけり。 あるときしたくちばかりうごきてそのこゑはきこえぬことも、 つねにはべりけり。 さればくちばかりうごきたまひけることおば、 よのひとみなしりて、 念仏ねむぶちみゝにきゝけるひと、 ことごとくきどくのおもひをなしはべりけり。

またおなじ正月三日いぬときばかりに、 しやうにんかむびやう弟子でしどもにつげてのたまはく、 われはもと天竺てんぢくにありてしやうもんそうにまじわりて頭陀づだぎやうぜしみの、 この日本にちぽんにきたりて天臺てんだいしゆいりて、 またこの念仏ねむぶち法門ほふもんにあえりとのたまひけり。 そのときかむびやうひとなかにひとりのそうありて、 とひたてまつりてまふすやう、 極楽ごくらくへはわうじやうしたまふべしやとまふしければ、 こたえのたまはく、 われはもと極楽ごくらくにありしみなれば、 さこそはあらむずらめとのたまひけり。

またおなじ正月十一日たつときばかりに、 しやうにんおきゐてがふしやうして、 かうしやう念仏ねむぶちしたまひけるを、 聞人きくひとみななみだをながして、 これは臨終りむじゆときかとあやしみけるに、 しやうにんかむびやうひとにつげてのたまはく、 かうしやう念仏ねむぶちすべしとはべりければ、 人々ひとびと同音どうおむかうしやう念仏ねむぶちしけるに、 そのあひだしやうにんひとりとなへてのたまはく、 弥陀みだぶちぎやうやうしたてまつり、 みやうがうをとなえむもの、 ひとりもむなしきことなしとのたまひて、 さまざまに弥陀みだぶちどくをほめたてまつりたまひけるを、 人々ひとびとかうしやうをとゞめてきゝはべりけるに、 なほそのなか一人ゐちにんたかくとなへければ、 しやうにんいましめてのたまふやう、 しばらくかうしやうをとゞむべし、 かやうのことは、 ときおりにしたがふべきなりとのたまひて、 うるわしくゐてがふしやうして、 弥陀みだぶちのおはしますぞ、 このほとけやうしたてまつれ、 たゞいまはおぼえず、 やうもんやある、 えさせよと、 たびたびのたまひけり。 またあるとき弟子でしどもにかたりてのたまはく、 くわんおむせいさちしやうじゆまへにげんじたまふおば、 なむだち、 おがみたてまつるやとのたまふに、 弟子でしえみたてまつらすとまふしけり。 またそのゝち臨終りむじゆのれうにて、 さむじやく弥陀みだざうをすゑたてまつりて、 弟子でしまふすやう、 このおむほとけをおがみまいらせたまふべしとまふしはべりければ、 しやうにんのたまはく、 このほとけのほかにまたほとけおはしますかとて、 ゆびをもてむなしきところをさしたまひけり。 按内あんないをしらぬ人は、 このことをこゝろえずはべり。 しかるあひだ、 いさゝかしよをしるしはべるなり。

おほよそこのじふねんより、 念仏ねむぶちこうつもりて極楽ごくらくのありさまをみたてまつり、 ぶちさちおむすがたを、 つねにみまいらせたまひけり。 しかりといゑども、 おむこゝろばかりにしりて、 ひとにかたりたまはずはべるあひだ、 いきたまへるほどは、 よのひとゆめゆめしりはべらず。 おほかた真身しんしんほとけをみたてまつりたまひけること、 つねにぞはべりける。 またおむ弟子でしども、 臨終りむじゆのれうのほとけ御手みてしきのいとをかけて、 このよしをまふしはべりければ、 しやうにんこれはおほやうのことのいはれぞ、 かならずしもさるべからずとぞのたまひける。

またおなじ廿日ときに、 大谷おほたにばううへにあたりて、 あやしきくも西にしひむがしへなおくたなびきてはべるなかに、 ながさろくぢやうばかりして、 そのなかにまろなるかたちありけり。 そのいろしきにして、 まことにいろあざやかにして、 ひかりありけり。 たとへば、 ざうほとけゑんくわうのごとくにはべりけり。 みちをすぎゆく人々ひとびと、 あまたところにて、 みあやしみておがみはべりけり。

またおなじむまときばかりに、 ある弟子でしまふしていふやう、 このうへうんたなびけり、 しやうにんわうじやうときちかづかせたまひてはべるかとまふしければ、 しやうにんのたまはく、 あはれなることかなと、 たびたびのたまひて、 これは一切ゐちさいしゆじやうのためになどしめして、 すなわちじゆしてのたまはく、 「光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや(観経) と、 三返さむべんとなへたまひけり。 またそのひつじのときばかりに、 しやうにんことにまなこをひらきて、 しばらくそらをみあげて、 すこしもめをまじろがず、 西方さいはうへみおくりたまふことろくしたまひけり。 ものをみおくるにぞにたりける。 ひとみなあやしみて、 たゞごとにはあらず、 これしようさうげんじて、 しやうじゆのきたりたまふかとあやしみけれども、 よのひとはなにともこゝろえずはべりけり。 おほよそしやうにんは、 らうびやうかさなりて、 ものをくはずしてひさしうなりたまひけるあひだ、 いろかたちもおとろえて、 よはくなりたまふがゆへに、 めをほそめてひろくみたまはぬに、 たゞいまやゝひさしくあおぎて、 あながちにひらきみたまふことこそ、 あやしきことなりといひてのちほどなく、 かほのいろもにわかにへんじてさうたちまちにげんじたまふときおむ弟子でしども、 これは臨終りむじゆかとうたがひて、 おどろきさわぐほどに、 れいのごとくなりたまひぬ。 あやしくも、 けふうん瑞相ずいさうありつるうへに、 かたがたかやうのことどもあるよと、 おむ弟子でしたちまふしはべりけり。

またおなじ廿三日にもうんたなびてはべるよし、 ほのかにきこえけるに、 おなじ廿五日むまのときに、 またうんおほきにたなびきて、 西にしやまみづのみねにみえわたりけるを、 せうどもキコルモノトイフじふにんばかりみたりけるが、 そのなか一人ゐちにんまいりて、 このよしくわしくまふしければ、 かのまさしき臨終りむじゆむまときにぞあたりける。 またうづまさにまいりてかうしけるあまも、 このうんおばおがみて、 いそぎまいりてつげまふしはべりける。 すべてしやうにん念仏ねむぶちのつとめおこたらずおはしけるうへに、 正月廿三日より廿五日にいたるまでさむにちのあひだ、 ことにつねよりもつよくかうしやう念仏ねむぶちまふしたまひけることあるいゐちあるいはんばかりなどしたまひけるあひだ、 ひとみなおどろきさわぎはべる。 かやうにて、 さむになりけり。

またおなじき廿四日のとりときより、 廿五日のときまで、 しやうにんかうしやう念仏ねむぶちをひまなくまふしたまひければ、 弟子でしども番番ばんばんにかわりて、 いち六人ろくにんばかりこゑをたすけまふしけり。 すでにむまときにいたりて、 念仏ねむぶちしたまひけるこゑ、 すこしひきくなりにけり。 さりながら、 時時ときどきまたかうしやう念仏ねむぶちまじわりてきこえはべりけり。 これをきゝて、 ばうのにわのまへにあつまりきたりける結縁けちえんのともがら、 かずをしらず。 しやうにんひごろつたへもちたまひたりけるかくだいでうおむ袈裟けさをかけて、 まくらをきたにし、 おもてを西にしして、 ふしながら仏号ぶちがうをとなへて、 ねぶるがごとくして、 正月廿五日むまときのなからばかりにわうじやうしたまひけり。 そのゝち、 よろづの人々ひとびときおいあつまりて、 おがみまふすことかぎりなし。

(7) 聖人御事諸人夢記

一 しやうにん御事おむこと、 あまた人々ひとびとゆめにみたてまつりけること

ちう大進だいしん兼高かねたかまふすひと、 ゆめにみたてまつるやう、 或人あるひともてのほかにおほきなるさうしをみるを、 いかなるふみぞとたちよりてみれば、 よろづのひと臨終りむじゆをしるせるふみなり。 しやうにんことやあるとみるに、 おくにいりて、 「光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや(観経) とかきて、 このしやうにんは、 このもんじゆしてわうじやうすべきなりとしるせりとみて、 ゆめさめぬ。 このことしやうにんおむ弟子でしどももしらずしてすぐすところに、 このしやうにんさまざまの思議しぎげんじたまふとき、 やまひにしづみて、 よろづぜんもしらずといゑども、 しやうにんこのもん三遍さむべんじゆしたまひけり。 かのひとのむかしのゆめにおもひあわするに、 これ思議しぎといふべし。 かのひとふみをもちて、 かのゆめのことをつげまふしたりけるを、 おむ弟子でしども、 のちにひらきみはべりけり。 くだんふみ、 ことながきゆへに、 これにはかきいれず。

一 でうきやうごくにすみはべりけるはくあざならうまさいゑとまふすもの、 ことしの正月十五日の、 ゆめにみるやう、 ひむがしやま大谷おほたにしやうにん御房おむばうだううへより、 むらさきぐもたちのぼりてはべり。 あるひとのいふやう、 あのくもおがみたまへ、 これはわうじやうひとのくもなりといふに、 よろづの人々ひとびとあつまりておがむとおもひて、 ゆめさめぬ。 あくる、 そらはれて、 みのときばかりにかのだううへにあたりて、 そらのなかしきのくもあり。 よろづの人々ひとびと、 ところどころにしてこれをみけり。

一 三条さむでうがわに、 陪従べいじゆ信賢のぶかた後家ごけあまのもとに、 おさなきによあり。 まことに信心しんじむありて、 念仏ねむぶちをまふしはべりけり。 おなじ廿四日の、 ことにこゝろをすましてかうしやう念仏ねむぶちしけるに、 乗願じようぐわんばうまふすひじり、 あからさまにたちやどりてこれをきゝけり。 あけてかの小女せうによ、 この乗願じようぐわんばうにかたりていはく、 法然ほふねんしやうにんは、 けう廿五日にかならずわうじやうしたまふべきなりとまふしければ、 このひとまふさく、 なにごとにてかやうにはしりたまへるぞとたづぬるに、 この小女せうによまふすやう、 こよひのゆめに、 しやうにんおむもとにまいりてはべりつれは、 しやうにんのおほせられつるやう、 われはあすわうじやうすべきなり、 もしこよひなむぢきたらざらましかば、 われをばみざらまし、 よくきたれりとのたまひつるなりとまふしけり。 しかるにわがみにとりては、 いさゝかいたみおもふことはべり。 そのゆへは、 われいかにしてかわうじやうはべるべきと、 とひたてまつりしかば、 しやうにんおしへたまふことありき。 わがみにとりてたえがたく、 かないがたきことどもありき。 そのゆへは、 まづしゆつして、 ながくけんことをすてゝ、 しづかなるところにて、 一向ゐちかう後世ごせのつとめをいたすべきよしなりとはべりき。 しかるにけふのむまのときしやうにんわうじやうしたまふべきこと、 このゆめにすでにかなへりとまふはべりけり。

一 白河しらかわじゆんごうみやへんはべりけるかわまふ女房によばうのゆめにみるやう、 おなじ廿四日のしやうにんもとにまいりておがみければ、 へきにしきちやうをひけり。 いろさまざまにあざやかにして、 ひかりあるうへにけぶりたちみてり。 よくよくこれをみれば、 けぶりにはあらず。 うんといふなるものはこれをいふか、 いまだみざるものをみつるかなどおもひて、 思議しぎのおもひをなすところに、 しやうにんわうじやうしたまへるかとおぼえて、 ゆめさめぬ。 あけてあしたに、 そうじゆん西せいといふものにこのことどもをかたりてのち、 けふのむまのときしやうにんわうじやうしたまひぬときゝけり。

一 かまくらのものにて、 らい弥陀みだぶちまふすあまの、 信心しんじむことにふかくて、 にんにすみける。 おなじ廿四日の、 ゆめにみるやう、 よにたうときひじりきたれり。 そのかたち、 ゑざうの善導ぜんだうおむすがたににたりけり。 それを善導ぜんだうかとおもふほどに、 つげてのたまふやう、 法然ほふねんしやうにんはあすわうじやうしたまふべし、 はやくゆきておがみたてまつれとのたまふとみて、 ゆめさめぬ。 かのあま、 やがておきゐで、 あかつきくゐものなどいとなみて、 わりごといふものもたせて、 いそぎいそぎいでたちて、 しやうにんおむもとへまいるところに、 にんどもおのおのまふすやう、 けうはさしたるだいはべり、 これをうちすてゝいづかたへありきたもふぞ。 はやくけうはとまりたまふべしといひけれども、 かゝるゆめをみつれば、 かのしやうにんわうじやうをおがみにまいらむとて、 よろづをふりすてゝいそぐなり。 さらにとゞまるべからずといひて、 にんよりほのぼのにいでゝ、 ひむがしやま大谷おほたにばうにまいりてみたてまつれば、 げにもそののむまのときわうじやうしたまへり。 このゆめは、 しやうにんいまだわうじやうのさきにきゝおよべる人々ひとびと、 あまたはべりけり。 さらにうたがひなきことなり。 かへすがへすこのことふしぎのことなり。 おほよそ廿五日に、 しやうにんわうじやうをおがみたてまつらむとてまいりあつまりたるひと、 さかりなるいちのごとくはべりけり。 そのなかにあるひとのいふやう、 廿三日ののゆめにみるやう、 しやうにんきたりて、 われは廿五日のむまのときわうじやうすべきなりとのたまふとおもひて、 ゆめさめぬ。 このことのまことをあきらめむとて、 まいりたるよしまふしけり。 これならず、 あるいはきのふの、 このつげありといふものもあり。 あつまりたる人々ひとびとなかに、 かやうのことどもいふひとおほくはべり。 くわしくしるしまふしはべらず。

一 ひむがしやま一切ゐちさいきやうたにに、 大進だいしんまふすそう弟子でしに、 とし十六じふろくなるちご といふゆめに、 おなじ廿五日のみるやう、 西にしひむがしへすぐにとおりたるおほぢあり、 いさごをちらして、 むしろをみちのなかにしけり。 左右さうにものみるひととおぼしくて、 おほくあつまれり。 ゆゝしきことのあらむずるぞとおぼえて、 それもともにみはべらむとて、 みちのかたわらにたちよりてはべるほどに、 天童てんどうにんたまのはたをさして西にしへゆきたまへり。 そのうしろにまた法服ほふぶくきたるそうども千万せんまんにんあつまりゆきて、 ひだりかうをもち、 みぎのてにはけさのはしをとりて、 おなじく西にしへゆくを、 ゆめのなかにとふやう、 これはいかなるひとのおはしますぞといふに、 あるひとこたへていふやう、 これはわうじやうしやうにんのおはしますなりといふを、 またとふやう、 しやうにんとはたれびとぞととへば、 これはおほたにのしやうにんなりとみて、 ゆめさめぬ。 このちごそのあかつきそうにかたりはべりけり。 このちごしやうにんことおもしらず、 またわうじやうのよしおもきゝおよばざりけるに、 そらにこのつげありけり。

一 けんりやく二年二月十三日の惟方これかた別当べちたう入道にふだうまご、 ゆめにみるやう、 しやうにん葬送さうそうしたてまつるをおがみければ、 しやうにん清水きよみづのたうのなかにいれたてまつるとみて、 のちまた二日ふつかばかりすぎて、 ゆめにみるやう、 となりのばうひときたりていふやう、 しやうにん葬送さうそうにまいりあはぬことのゐこむにさふらへども、 おなじことなり、 はかどころへまいりたまへとまふすに、 よろこびてかのはかどころへあひしてまいりぬとおもふほどに、 八幡はちまんみやとおぼしきやしろの、 みとあくるところをみれば、 しやうたいおはします。 そのときはかどころへまいるに、 はたしやうたいとはなにおかまふすべきといふに、 かのとなりのひといふやう、 このしやうにん御房おむばうこそはしやうたいよといふあひだ、 いよだちて、 あせたりて、 ゆめさめぬ。

一 おなじ正月廿五日たつときに、 ねん弥陀みだぶちまふすあまの、 ゆめうつゝともなくてみるやう、 はるかにうしとらのかたをみやれば、 しやうにんすみぞめのころもをきて、 そらにゐたまへり。 そのかたはらにすこしさがりてしらさうぞくして、 唐人たうじんのごとくなるひとゐたり。 おほたににあたりて、 しやうにん俗人ぞくにんと、 みなみにむかひてゐたまへるほどに、 ぞくのいふやう、 このしやうにん通事つじにておはすといふとおもふほどに、 ゆめさめぬ。

一 おなじ廿三日ときに、 ねん弥陀みだぶち、 またゆめに、 そらはれて西にしのかたをみれば、 しろきひかりあり。 あふぎのごとくして、 すゑひろくもとせばくして、 やうやくおほきになりて虚空こくにみてり。 ひかりなかに、 わらだばかりなるうんあり。 ひかりあるくもとおなじくひむがしやま大谷おほたにのかたにあたりて、 さむじたる人々ひとびとあまたこれをおがみけり。 いかなるひかりぞといふに、 あるひとのいふやう、 法然ほふねんしやうにんわうじやうしたまふよとまふすによりて、 おがみたてまつれば、 人々ひとびとなかに、 よにかうばしきかなといふひともありとおもふて、 これを信仰しんかうしておがむとおもへば、 ゆめさめぬ。

一 しやうにんわうじやうしたまへる大谷おほたにばうひむがしきしうへに、 たいらかなるところあり。 そのを、 けんりやく二年十二月のころ、 かのぬししやうにんにまいらせたりければ、 そのしよとさだめて葬送さうそうしたてまつりはべりけり。 そののきたに、 またひとばうあり。 それにやどりゐたるあまの、 先年せんねんのころゆめにみるやう、 かのはかどころのを、 天童てんどうありてぎやうだうしたまふとみはべりけり。 またおなじ房主ばうしゆ去年きよねんコゾトイフ十一月十五日ののゆめにみるやう、 このみなみのはかどころに、 しやう蓮華れんぐゑおいてかいせり。 そのはなかぜにふかれて、 すこしづゝこのばうへちりかゝるとみて、 ゆめさめぬ。 またおなじばうおむなはべりけるも、 去年きよねんの十二月のころみるやう、 みなみにいろいろさまざまの蓮華れんぐゑさきひらけてありとみおはりてのち、 ことしの正月十日、 かのしよとさだめて、 あなをほりまうくるとき、 このばうはじめておどろきていふやう、 ひごろのゆめどものたびまでありしが、 たゞいまおもひあはするに、 あひたるよといひて、 ふしぎかりけり。

一 けんりやくぐわんねんのころ、 しやうにんつのくにのかちといふところにおはしけるとき祇陀ぎだりむゐちじやうにてはべりける西さいじやうばうといふそうの、 ゆめにみるやう、 祇陀ぎだりむひむがしやまにあたりて金色こむじきひかりをさしたりけるを、 あまたひとこれをみて、 あやしみとひたづねければ、 そばなるひとのいふやう、 これこそ法然ほふねんしやうにんわうじやうしたまふよといふとおもふほどに、 ゆめさめぬ。 そのゝちしやうにんかちより大谷おほたににうつりゐたまふてわうじやうしたまひぬときゝて、 このそう人々ひとびとにかゝりしゆめをこそみたりしかとまふしけり。

一 華山くわざんゐんさき大臣だいじんいゑさぶらひに、 江内かうないといふものゝしたしき女房によばう三日みつかがあひだ、 うちつゞきさむまでゆめにみるやう、 まづ正月廿三日ののゆめに、 西山にしやまよりひむがしやまにいたるまで、 しきくもゐちちやうばかりになおくたなびきてはべりけり。 大谷おほたにしやうにん御房おむばうにまいりておがみたてまつりければ、 すみぞめのころも・けさをきたまへるが、 袈裟けさのおほはむすびたれて、 如法によほふきやうのけさのおのやうにて、 しやうようかとおぼえて、 しやうにんいでたちたまふとみて、 ゆめさめぬ。 またおなじ廿四日のみるやう、 昨日きのふしきくもすこしもちらずして、 おほいかだのやうにおほまわりにまわりて、 ひむがしがしらなるくも、 西にしがしらになりて、 なほくたなびけり。 しやうにんもさきのごとくしておはしますとみて、 ゆめさめぬ。 またおなじ廿五日にみるやう、 くだんくも西にしへおもむきて、 しやうにん七条しちでう袈裟けさをかけて、 臨終りむじゆほふのやうにてかのくもにのりて、 とぶがごとくして西にしへゆきたまひぬとみて、 ゆめさめぬ。 むねさわぎておどろきたるに、 わがくちも、 ころもゝ、 あたりまでも、 よにかうばしくはべりける。 よのつねのにもにず、 よにめでたくぞはべりける 。

一 あるひと、 二月二日ののゆめにみるやう、 しやうにんわうじやうしたまひてのち、 七日にあたりけるのゆめに、 あるそうきたりていふやう、 しやうにん御房おむばうは、 わうじやうでんいらせたまひたるおば、 しるやいなやととひはべりければ、 このひといふやう、 たれびとのいかなるでんいりたまへるにかとまふしはべりければ、 ゆびをもちて、 まへなるふみをさして、 このふみにいらせたまふなりとみて、 ゆめさめぬ。 そのゆびにてさしつるふみをみれは、 善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうしよ¼ なりけり。 これはちやうらくりち りうくわんゐちちう念仏ねむぶちまふしけるときのゆめなり。

一 先年せんねんのころ、 ぢきしやうばうといふひとくままいりはべりけるに、 しやうにんいさゝかのことによりて、 さぬきへくだりたまふときゝてかうせむとするほどに、 ことにふれて、 はゞかりのみありて、 やまひがちにはべりければ、 このこと権現ごんげんにいのりまふしはべりけるに、 ぢきしやうばうがゆめにみるやう、 なむぢいづべからず、 臨終りむじゆのときすでにちかしとはべりければ、 かのそうまふすやう、 しやうにんことのきわめておぼつかなくさふらふなり。 はやくかうさふらひて、 さいをうけたまはりさふらふばやとおもひたまふとまふしければ、 権現ごんげんのしめしたまふやう、 かのしやうにんせいさち化現くゑげんなり、 なむぢしむすべからずと。 みおわりてのち、 いくほどをへずしてかのそうわうじやうはべりけること、 めをおどろかさずといふことなし。 このありさま、 よの人々ひとびとみなしれり。

一 天王てんわう松殿まつどの法印ほふいん御坊おむばう じやうそんたかでらにこもりゐて、 ひごろ法然ほふねんしやうにんといふひとありとばかりしりて、 いまだ対面たいめんにおよばず。 しかるに正月廿五日むまときばかりに、 ある貴所くゐしよより ¬弥陀みだきやう¼ をあつらえて、 かゝせらるゝことありて、 いだしふんづくえにて書写しよしやのあひだに、 しばらく脇息けふそくによりかゝりてそくするほどに、 ゆめにみるやう、 けんもてのほかに、 諸人しよにんのゝしるおとのするにおどろきて、 えむのはしにたちいでゝそらをみあげたれば、 普通ふつののりぐるまのわほどなるはち輻輪ふくりん八方はちぱうのさきごとに雑色ざふしきはたをかけたるが、 ひむがしより西にしへとびゆくに、 金色こむじきひかりありてはうをてらすに、 すべてのものみえずして、 金色こむじきひかりのみてんにみちみちて、 にちくわう弊覆へいふくせられたり。 これをあやしみて、 ひとにこれをとふとおぼしきに、 かたわらのひとつげていはく、 法然ほふねんしやうにんわうじやうさうなりといふ。 くゐみやう渇仰かちがうのおもひをなすほどに、 ゆめさめぬ。 そのゝち、 しらかわのおむめのとのもとより、 おなじ廿七日におむふみをおくらるゝついでに、 おととひ廿五日のむまのときにこそ、 法然ほふねんしやうにんわうじやうせられてさふらへとまふされたるときさうすでにがふして、 いよいよずいのおもひをなしおはりぬといへり。

一 たむくにしらふのしやうに、 別所べちしよゐちじやうそうありけり。 むかし天臺てんだいさんがく遁世とむせいのちしやうにんくゐしたてまつりて弟子でしになりけるほどに、 たむよりのぼりて、 きやうでう坊門ばうもんとみのこうなるところじゆしけり。 あるひるねしたるゆめに、 そらうんそびきたるなかに、 アマ一人ゐちにんありて、 うちゑみていはく、 法然ほふねんしやうにんおむおしえによりて極楽ごくらくわうじやうさふらひぬるを、 にんさふらひつるとつげける。 そのゝちゆめさめて、 しやうにんでうにおはしましけるに、 やがてまいりて、 妄想まうざうにてやさふらひつらむ、 かゝるゆめをみてさふらふまふしければ、 しやうにんうちあむじて、 さるひともあるらむとて、 ひとにんへつかはさむとしけるが、 もくれければ、 つぎあしたにかのところへつかはして、 便びんになにごとさふらふとたづぬべきよし、 使つかひにおほせられけるに、 くだんこう昨日きのふむまときわうじやうせられさふらひぬとまふしたりけるを、 しやうにんまふされていはく、 かのこうは ¬法華ほふくゑきやう¼ せんどくせむとぐわんをおこしてさふらふが、 しちひやくばかりはよみてさふらふが、 のこりをいかにしてはたしとぐべしともおぼへさふらはぬとまふしさふらひしを、 としよりたるおむに、 めでたくよませたまひてさふらへども、 のこりおば一向ゐちかう念仏ねむぶちにならせたまへかしとて、 みやうがうどくをときゝかせられけるより、 ¬きやう¼ おばおきて一向ゐちかうせんしようして、 としつきをへてわうじやう極楽ごくらくくわいをとげけるにやとぞ、 おほせありけると。

康元かうげん二年丁巳正月二日

愚禿親鸞 八十五歳 校了

 

西方指南抄中

(8) 七箇条起請文

一 あまねく門人もんにん念仏ねむぶちしやうにんとうつげたまはく。

一 普告↠于↢豫門人念仏上人等↡。

いまだゐちもんうかゞはず真言しんごんくわんし、 ぶちさちはうたてまつることをちやうすべきこと

可↱停↫止未↠窺↢一句文↡奉↪破↢真言・止観↡、 謗↩余仏・菩薩↨事。

みぎだうりふするに いたては、 がくしやうるところなり、 にんきやうがいにあらず。 しかのみならず、 はうしやうぼふ弥陀みだぐわん免除めんぢよせられたり。 そのほうまさにらくすべし。 あにあむいたりにあらずや。

右至↣立↢破道↡者、 学生之所↠経也、 非↢愚人之境界↡。 加之、 誹謗正法免↢除弥陀願↡。 其報当↠堕↢那落↡。 豈非↢痴闇之至↡哉。

一 无智むちをもて有智うちひとむかひ、 べちぎやうともがらあふてこのみてじやうろんいたすことをちやうすべきこと

一 可↫停↪止以↢无智身↡対↢有智人↡、 遇↢別行輩↡好致↩諍論↨事。

みぎろんは、 これしやなり、 さらににんぶんにあらず。 またじやうろんとおろはもろもろの煩悩ぼむなうおこる。 しやこれをおんすることひやくじゆんなり。 いはむや一向ゐちかう念仏ねむぶちぎやうにんにおいてをや。

右論義者、 是智者之有也、 更非↢愚人之分↡。 又諍論之処諸煩悩起。 智者遠↢離之↡百由句也。 況於↢一向念仏之行人↡乎。

一 べちべちぎやうにんむかふて、 愚痴ぐち偏執へんじふこゝろをもてまさに本業ほんごふ棄置きちし、 しゐてこれをけむくわんすべしといふことをちやうすべきこと

一 可↧停↦止対↢別解・別行人↡、 以↢愚痴偏執心↡傋↞当↧棄↢置本業↡、 強嫌↦キラヒキラフ ↥事。

みぎ修道しゆだうならひ、 おのおのつとむるにあえてぎやうしやせず。 ¬西方さいはうえうくゑち¼ (意)いはく、 「べちべちぎやうはすべてきやうしむおこせ。 もしまんしやうぜば、 つみむこときわまりなしと。」 なんぞこのせいそむかむや。

右修道之習、 各勤敢不↠遮↢余行↡。 ¬西方要決¼ 云、 「別解・別行者総起↢敬心↡。 若生↢軽慢↡、 得↠罪无↠窮。」 何背↢此制↡哉。

一 念仏ねむぶちもんにおいて、 かいぎやうなしとがうしてもはら淫酒いむしゆしよくにくすゝめ、 たまたまりちまもものざふぎやうなづく、 弥陀みだほんぐわんたのものとい造悪ざうあくおそるゝことなかれといふことをちやうすべきこと

一 可↧停↦止於↢念仏門↡、 号↠无↢戒行↡専勧↢淫酒食肉↡、 適守↢律儀↡者名↢雑行↡、 憑↢弥陀本願↡者、 説勿↞恐↢造悪↡事。

みぎかいはこれ仏法ぶちぽふだいなり、 しゆぎやうまちまちなりといゑどもおなじくこれをもはらにす。 これをもて善導ぜんだうくわしやうあげ女人によにんず。 この行状ぎやうじやうおもむき本律ほんりちせいじやうごふたぐひすぎたり。 これにしゆんぜずは、 すべて如来によらい遺教ゆいけうわすれたり、 べちしては祖師そし旧跡きうせきそむく。 かたがたるところなきものか。

右戒是仏法大地也、 衆行雖↠区同専↠之。 是以善導和尚、 挙↠目不↠見↢女人↡。 此行状之趣、 過↢本律制浄業之類↡。 不↠順↠之者、 総失↢如来之遺教↡、 別背↢祖師之旧跡↡。 旁无↠拠者歟。

一 いまだ是非ぜひわきまへにんしやうげうはなせちにあらず、 おそらくはわたくしじゆちしみだりにじやうろんくわだて、 しやわらはにん迷乱めいらんすることをちやうすべきこと

一 可↫停↪止未↠辨↢是非↡痴人、 離↢聖教↡非↢師説↡、 恐述↢私義↡妄企↢諍論↡、 被↠笑↢智者↡迷↩乱愚人↨事。

みぎ无智むち大天だいてん、 このてう再誕さいたむしてみだりがわしくじやじゆちす。 すでにじふしゆだうどうじ、 もともこれをかなしむべし。

右无智大天、 此朝再誕猥述↢邪義↡。 既同↢九十五種異道↡、 尤可↠悲↠之。

一 どんをもてことにしやうだうこのみ、 しやうぼふしらずして種種しゆじゆ邪法じやほふときて、 无智むち道俗だうぞく教化けうくゑすることをちやうすべきこと

一 可↫停↪止以↢痴鈍身↡殊好↢唱導↡、 不↠知↢正法↡説↢種種邪法↡、 教↩化无智道俗↨事。

みぎさとりなくしてるは、 これ ¬梵網ぼむまう¼ の制戒せいかいなり。 黒闇こくあむたぐひおのれさいあらわさむとおもふて、 じやうけうをもて芸能げいのうとして、 みやうとむ檀越だんおちのぞむ。 おそらくは自由じゆ妄説まうせちなして、 けんひと狂惑わうわくせむ。 誑法わうぼふとがことにおもし。 このともがら国賊こくぞくにあらずや。

右無↠解作↠師、 是 ¬梵網¼ 之制戒也。 黒闇之類欲↠顕↢己才↡、 以↢浄土教↡為↢芸能↡、 貪↢名利↡望↢檀越↡。 恐成↢自由之妄説↡、 狂↢惑世間人↡。 誑法之過殊重。 是輩非↢国賊↡乎。クニノヌスビトヽイフ

一 みづから仏教ぶちけうにあらざる邪法じやほふときしやうぼふとし、 いつわりはんせちがうすることをちやうすべきこと

一 可↫停↪止自説↧非↢仏教↡邪法↥為↢正法↡、 偽号↩師範説↨事。

みぎおのおの一人ゐちにんなりといゑども、 つめるところわが一身いちしんためなりとく。 衆悪しゆあくをして弥陀みだ教文けうもんけがす、 しやうあくみやうぐ、 ぜんはなはだしきことこれにすぎたることなきものなり。

右各雖↢一人↡、 説↣所↠積為↢豫一身↡。 衆悪汚↢弥陀教文↡、 揚↢師匠之悪名k、 不善之甚无↠過↠之者也。

ぜんしちでう甄録けんろくかくのごとし。 一分ゐちぶん教文けうもんまなばむ弟子でしは、 すこぶるしゆしり年来ねんらいあひだ念仏ねむぶちしゆすといゑども、 しやうげうずいじゆんしてあえて人心にんしむたがはず、 きこへおどろかすことなかれ。 これによていま三十さむじふねん无為ぶゐなり。 にちぐゑちわたりちかわういたるまでこのじふねんより以後いご无智むちぜんともがら時時ときどき到来たうらいす。 たゞ弥陀みだじやうごふしちするのみにあらず、 またしや遺法ゆいほふ汚穢わゑす。 なんぞきやうかいくわへざらむや。 このしちでううちたうあひださい事等じらおほし。 つぶさにちゆじゆちしがたし。 すべてかくのごときらのはうつゝしんおかすべからず。 このうへなほ制法せいほふそむともがらは、 これ門人もんにんにあらず、 くゑんぞくなり。 さらに草庵さうあむきたるべからず。 こむ以後いご、 おのおのおよばむにしたがふて、 かならずこれをれらるべし。 にんあひともなふことなかれ。 もししからずは、 これどうひとなり。 かのとがすごときのものは、 同法どうほふいかしやううらむることあたはず、 ごふとくことわり、 ただおのれりならくのみ。 このゆへに今日こむにちはうぎやうにんもよおして、 一室ゐちしちあつめがうみやうすらく、 わずかにぶんありといゑどもたしかにたれのひととがしらず、 沙汰さたによて愁歎しうたんす。 年序ねんじよおくる、 黙止もだすべきにあらず。 まづちからおよぶしたがうて、 禁遏きむあちはかりごとめぐらすなり。 よてそのおもむきろくして門葉もんえふしめじやうくだんのごとし。

以前七箇条甄録如↠斯。 一分学↢教文↡弟子等者、 頗知↢旨趣↡年来之間雖↠修↢念仏↡、 随↢順聖教↡敢不↠逆↢人心↡、 无↠驚↢世聴↡。 因↠茲于↠今三十箇年无為。 渉↢日月↡而至↢近王↡此十箇年以後、 无智不善輩時時到来。 非↣啻失↢弥陀浄業↡、 又汚↢穢釈迦遺法↡。 何不↠加↢烱誡↡乎。 此七箇条之内、 不当之間巨細事等多。 具難↢註述↡。 総如↠此等之無方、 慎不↠可↠犯。 此上猶背↢制法↡輩者、 是非↢豫門人↡、 魔眷属也。 更不↠可↠来↢草庵↡。 自今以後、 各随↢聞及↡、 必可↠被↠触↠之。 余人勿↢相伴↡。 若不↠然者、 是同意人也。 彼過如↠作者、 不↠能↧瞋↢同法↡恨↦師匠↥、 自業自得之理、 只在↢己身↡而已。 是故今日催↢四方行人↡、 集↢一室↡告命、 僅雖↠有↢風聞↡慥不↠知↢誰人失↡、 拠↠于↢沙汰↡愁歎。 遂↢年序↡、 非↠可↢黙止↡。 先随↢力及↡、 所↠廻↢禁遏之計↡也。 仍録↢其趣↡示↢門葉等↡之状、 如↠件。

 ぐゑんきうぐわんねん十一月七日 沙門しやもんぐゑん

しん かむしやう 尊西そんさい しよう ぐゑん ぎやう西さい しやうれん 見仏けんぶち だうくわん 導西だうさい じやく西せい 宗慶そうけい 西縁さいえん 親蓮しんれん 幸西かうせい 住蓮じゆれん 西さい 仏心ぶちしむ ぐゑんれん 蓮生れんせい 善信ぜんしん ぎやう 已上 じやうひやくにん連署れんしよおわり

(9) 起請没後二箇条事

しやう もちでうこと

一 さう追善ついぜんこと

みぎさうだい、 すこぶるそのさいあり。 篭居ろうきよこゝろざしあらむ遺弟ゆいてい同法どうほふ、 またく一所ゐちしよぐんすべからざるものなり。 そのゆへいかんとならば、 またがふするにたりといゑども、 あつまればすなわちとうじやうおこす。 このことばまことなるかな、 はなはだつゝしつゝしむべし。 もししからばわが同法どうほふ、 わがもちにおいて各住かくじゆかくしてはざるにはしかじ。 とうじやうもとゐなるゆへは、 しふのゆへなり。 ねがはくはわが弟子でし同法どうほふ、 おのおのしづか本在ほんざい草庵さうあむじゆし、 ねむごろにわがしんしやう蓮台れんだいいのるべし。 ゆめゆめ一所ゐちしよ群居ぐんきよすとも、 じやうろんいた忿怨ふんゑんおこすことなかれ。 おんしることあらむひとは、 毫末がうまちすべからざるものなり。

右葬家之次第、 頗有↢其採旨↡。 有↢篭居之志↡遺弟・同法等、 全不↠可↣群↢会一所↡者也。 其故何者、 雖↣復似↢和合↡、 集則起↢闘諍↡。 此言誠哉、 甚可↢謹慎↡。 若然者我同法等、 於↢我没後↡各住各居不↠如↠不↠会。 闘諍之基由、 集会之故也。 羨我弟子・同法等、 各閑住↢本在之草庵↡、 苦可↠祈↢我新生之蓮台↡。 努々群↢居一所↡、 莫↧致↢諍論↡起↦忿怨↥。 有↠知↢恩志↡之人、 毫末不↠可↠違者也。

かねてはまた追善ついぜんだい、 またふかぞんするむねあり。 ぶちしやきやうとうぜん浴室よくしちだんとうぎやう一向ゐちかうにこれをしゆすべからず。 もし追善ついぜん報恩ほうおんこゝろざしあらむひとは、 たゞ一向ゐちかう念仏ねむぶちぎやうしゆすべし。 平生へいぜいとき、 すでにぎやうくゑについて、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうかぎる。 歿没ざんもちのち、 あに報恩ほうおん追修ついしゆために、 むしろ自余じよ衆善しゆぜんまじえむや。 たゞ念仏ねむぶちぎやうにおいてなほ用心ようじむあるべし。 あるいはまなことぢてののちゐちちうそくよりこれをはじめよ。 じやうしんへうしておのおの念仏ねむぶちすべし。 中陰ちういむあひだ念仏ねむぶちゝざれ。 やゝもすればくゑんしやうじて、 おのおのかへりしんぎやうゝむ。 おほよそもちだい、 みな真実しんじちしむをもて虚仮こけぎやうつべし。 こゝろざしあらむともがら遺言ゆいごんそむくことなかれならくのみ。

兼又追善之次第、 亦深有↢存旨↡。 図仏・写経等善、 浴室・檀施等行、 一向不↠可↠修↠之。 若有↢追善報恩之志↡人、 唯一向可↠修↢念仏之行↡。 平生之時、 既付↢自行化他↡、 唯局↢念仏之一行↡。 歿没之後、 豈為↢報恩追修↡、 寧雑↢自余之衆善↡哉。 但於↢念仏行↡尚可↠有↢用心↡。 或眼閉之後、 一昼夜自↢即時↡始↠之。 標↢誠至心↡各可↢念仏↡。 中陰之間、 不↠断↢念仏↡。 動生↢懈惓↡、 各還闕↢勇進之行↡。 凡没後之次第、 皆用↢真実心↡可↠棄↢虚仮行↡。 有↠志之倫、 勿↠乖↢遺言↡而已。

(10) 源空聖人私日記

ぐゑんしやうにんにち

それおもひみれば、 ぞくしやう美作みまさかくに廳官ちやうくわんうるし時国ときくにそくおなくに久米くめ南条なむでう稲岡いなおかしやうたむじやうなり。 長承ちやうしよう二年 みづのとうし しやうにんはじめて胎内たいないいでたまふしときふたつはたてんよりしてくだる。 奇異きい瑞相ずいさうなり。 権化ごんくゑ再誕さいたむなり。 ものたなごゝろあはせ、 ものみゝおどろかすと

夫以、 俗姓者美作国廳官漆間時国之息。 同国久米南条稲岡庄誕生之地也。 長承二年 癸丑 聖人始出↢胎内↡之時、 両幡自↠天而降。 奇異之瑞相也。 権化之再誕也。 見者合↠掌、 聞者驚↠耳

保延ほうえん七年 かのととり はるころ慈父じふうちため殺害せちがいせられおはりぬ。 しやうにんしやうねんさいにして、 けう小箭こやくゐようてきあひだる。 くだんきずをもてそのかたきる、 すなわちそのしやうあづかりしよ明石あかしぐゑんないしやなり。 これによてかくおはりぬ。 そのときしやうにんおなじくにうちだい院主ゐんじゆくわんがく得業とくごふ弟子でしりたまふ。

保延七年 辛酉 春比、 慈父為↢夜打↡被↢殺害↡畢。 聖人生年九歳、 以↢破矯小箭↡射↢凶敵之目間↡。 以↢件疵↡知↢其敵↡、 即其庄預所明石源内武者也。 因↠茲逃隠畢。 其時聖人、 同国内菩提寺院主観覚得業之弟子成給。

天養てんやう二年 きのとうし はじめ登山とうざんとき得業とくごふくわんがくじやういはく、 だいしやう文殊もんじゆざう一体ゐちたいしんじやうすと。 ぐゑんがく西塔さいたう北谷きただにほふばうぜん得業とくごふ消息せうそくたまふてあやしみたまふにせうきたれり、 しやうにん十三じふさむとしなり。 しかふしてのち十七じふしちさいにて天台てんだい六十ろくじふくわんこれをはじむ。

天養二年 乙丑 初登山之時、 得業観覚状云、 進↢上大聖文殊像一体↡。 源覚西塔北谷持法房禅下、 得業消息見給奇給小児来、 聖人十三歳也。 然後十七歳天臺六十巻読↢始之↡。

久安きうあん六年 かのえむま 十八じふはちさいにはじめてしやういとまこちしやうして遁世とむせいせむとす。 法華ほふくゑしゆぎやうときげんさち眼前がんぜんはいしたてまつる、 ¬華厳くゑごむ¼ らんときじやきたる。 しんしやうにんこれをおそおどろきたまふ。 そのゆめにみらく、 われはこのしやうにんよるきやうろんたまふに、 とうみやうなしといゑどもしちうちひかりあてひるのごとし。 しん 法蓮ほふれんばうなり、 しやうにん同法どうほふ おなじくそのひかりる。 真言しんごんけうしゆせむとしてだうぢやういりさうじやうしんくわんくわんず、 ぎやうこれをあらはす。 じやう西門せいもんゐんにして説戒せちかいしちにちあひだ小蛇せうじやきたりちやうもんす。 だい七日しちにちあたり唐垣からがきうへにしてそのじやおはりぬ。 とき人人ひとびとあてるやう、 そのかしらわれなかよりあるいは天人てんにんのぼるをる、 あるいはてうづとる。 説戒せちかいちやうもんのゆへに、 蛇道じやだうほうはなれじきてんじやうしやうずるか。

久安六年 庚午 十八歳始師匠乞↢請暇↡遁世。 法華修行之時普賢菩薩眼前奉↠拝、 ¬華厳¼ 披覧之時蛇出来。 信空上人見↠之怖驚給。 其夜夢、 我者此聖人夜経論見、 雖↠無↢灯明↡室内有↠光如↠昼。 信空 法蓮房也、 聖人之同法 同見↢其光↡。 修↢真言教↡入↢道場↡観↢五相成身之観↡、 行顕↠之。 於↢上西門院↡説戒七箇日之間、 小蛇来聴聞。 当↢第七日↡於↢唐垣上↡其蛇死畢。 于↠時有↢人人↡見様、 其頭破中或見↢天人登↡、 或見↢蝶出↡。 説戒聴聞之故、 離↢蛇道之報↡直生↢天上↡歟。

高倉たかくら天皇てんわうぎよかいたまひき。 そのかいさうじよう南岳なむがくだいよりつたふるところいまえず、 けん流布るふかいこれなり。 しやうにん所学しよがく宗宗しゆしゆしやうにんかへ弟子でしおはりぬ。 まことだいくわんしよなりといゑども三反さむべんこれをけんするときもんにおいては明明めいめいにしてくらからず、 またぶんみやうなり。 しかりといゑども廿にじふこうをもて、 一宗いちしゆ大綱たいかうしることあたはず。 しかふしてのち諸宗しよしゆけうさううかゞふ、 顕密けんみちあうさとる。 八宗はちしゆほか仏心ぶちしむだるとうしゆぐゑんあきらかなり。 こゝにだい三論さむろんしゆ先達せんだちしやうにんそのところゆいしゆじゆちす。 先達せんだちそうじものいはずしてち、 うちいり文函ふんばこじふがふいだしていはく、 わが法門ほふもんにおいてはおもひなく、 ながくなんぢにぞくせしむと 。 このうへしよう讃嘆さんだんするに羅縷らるするにいとまあらず。 またざうしゆんそうあふ法相ほふさう法門ほふもんだんぜしときざうしゆんいはく、 なんぢまさに直人たゞびとにあらず、 権者ごんじや化現くゑげんなり。 智慧ちゑ深遠じむおんなることぎやうさう炳焉へいえんなり。 われゐちあひだやういたすべきむね契約けいやくせりき。 よて毎年まいねんやうもちおくる、 こんいたす。 すでにほんおはぬ。 しゆちやうじやけう先達せんだちずい信伏しんぷくせざるはなし。

高倉天皇御宇得↠戒。 其戒之相承、 自↢南岳大師↡所↠伝于↠今不↠絶、 世間流布之戒是也。 聖人所学之宗宗師匠四人、 還成↢弟子↡畢。 誠雖↢大巻書↡三反披↢見之↡時、 於↠文者明明不↠暗、 義又分明也。 雖↠然以↢廿余之功↡、 不↠能↠知↢一宗之大綱↡。 然後窺↢諸宗之教相↡、 悟↢顕密之奥旨↡。 八宗之外明↢仏心・達磨等宗之玄旨↡。 爰醍醐寺三論宗之先達、 聖人往↠于↢其所↡述↢意趣↡。 先達総不↠言起↠座、 入↠内取↢出文函十余合↡云、 於↢我法門↡者無↢余念↡、 永令↣付↢属于↟汝 。 此上称美讃嘆不↠遑↢羅縷↡。 又値↢蔵俊僧都↡而談↢法相法門↡之時、 蔵俊云、 汝方非↢直人↡、 権者之化現也。 智慧深遠形相炳焉也。 我一期之間可↠致↢供養↡之旨契約。 仍毎年贈↢供養物↡、 致↢懇志↡。 已遂↢本意↡了。 宗之長者、 教之先達、 無↠不↢随喜信伏↡。

すべて本朝ほんてうわたるところのしやうげうないでん目録もくろく、 みな一見ゐちけんくわへられおはぬ。 しかりといゑどもしゆつみちわづらいて身心しんしむやすからず。 そもそもはじめ曇鸞どむらんだうしやく善導ぜんだうかむさくよりりようごむ先徳せんどくの ¬わうじやう要集えうしゆ¼ にいたるまで、 あううかゞふことへんすといゑども、 拝見はいけんせしときわうじやうなほやすからず。 だい三反さむべんとき乱想らんさうぼむ称名しようみやうゐちぎやうにしかず、 これすなわちぢよくわれ依怙えこなり。 末代まちだいしゆじやうしゆつかいせしめおはぬ。 いはむやしん得脱とくだちにおいてをや。 しかればすなわちためひとためこのぎやう弘通ぐづせしめむとおもふといゑども、 時機じきはかりがたし、 感応かむおうりがたし。 つらつらこのことおもひ、 しばらくふしいぬところさうしめす。 うんひろくおほきにたなびき日本にちぽんこくおほへり。 くもなかよりりやうひかりいだす、 ひかりなかよりひやくぽうしきとりさんじて、 虚空こく充満じゆまんせり。 とき高山かうざんのぼりてたちまちにしやうじん善導ぜんだうおがめば、 御腰おむこしよりしも金色こむじきなり、 御腰おむこしよりかみつねのごとし。 高僧かうそういはく、 なんぢせうなりといゑども、 念仏ねむぶちこうぎやう一天ゐちてんみてり。 称名しようみやう専修せんじゆしゆじやうおよぼさむがゆへに、 われここにきたれり。 善導ぜんだうすなわちわれなりと 。 これによてこのほふひろむ。 年年ねんねんだいはんじやうせむ、 流布るふせざるところなけむと。

総本朝所↠渡之聖教乃至伝記・目録、 皆被↠加↢一見↡了。 雖↠然煩↢出離之道↡身心不↠安。 抑始自↢曇鸞・道綽・善導・懐感御作↡至↠于↢楞厳先徳 ¬往生要集¼↡、 雖↧窺↢奥旨↡二反↥、 拝見之時者往生猶不↠易。 第三反之時、 乱想之凡夫不↠如↢称名之一行↡、 是則濁世我等依怙。 末代衆生之出離令↢開悟↡訖。 況於↢自身得脱↡乎。 然則為↠世為↠人雖↠欲↠令↣弘↢通此行↡、 時機難↠量、 感応難↠知。 倩思↢此事↡、 暫伏寝之処示↢夢想↡。 紫雲広大聳覆↢日本国↡。 自↢雲中↡出↢无量光↡、 自↢光中↡百宝色鳥飛散、 充↢満虚空↡。 于↠時登↢高山↡忽拝↢生身之善導↡、 自↢御腰↡下者金色也、 自↢御腰↡上者如↠常。 高僧云、 汝雖↠為↢不肖之身↡、 念仏興行満↠于↢一天↡。 称名専修及↠于↢衆生↡之故、 我来↠于↠此。 善導即我也 。 因↠茲弘↢此法↡。 年年次第繁昌、 無↧不↢流布↡之所↥。

しやうにんいはく、 わが肥後ひごじやいはく、 ひと智慧ちゑ深遠じむおんなり。 しかるにつらつらしん分際ぶんざいはかるに、 このたびしやうしゆつすべからずと。 もし度度たびたびしやうしやうへだつ、 すなわち妄妄まうまうたるがゆへにさだめ仏法ぶちぽふまうぜるか。 長命ぢやうみやうほううけむにしかずは、 そんしゆつまうあひたてまつらむとおもふ。 これにてわれまさに大蛇だいじやしんうけむと。 たゞし大海だいかいじゆせば、 中夭ちうえうあるべし。 かくのごとくおもさだめて、 遠江とおたうみくに笠原かさはらしやううちさくらいけといふところを、 りやうはなちぶみて、 このいけじゆせむとせいぐわんおはぬ。 そののち死期しごときいたて、 みづこふたなごゝろうちいれおはぬ。 しかるにかのいけかぜかざるになみにわかにて、 いけなかちりことごとくはらぐ。 諸人しよにんこれをて、 すなわちこのよししるしりやうまふす。 そのにちす、 かのじや逝去せいきよあたれり。 このゆへに智慧ちゑあるがゆへにしやうでがたきことをる、 道心だうしむあるがゆへにぶちしゆつまうあはむとぐわんずるところなり。 しかりといゑどもいまだじやう法門ほふもんしらざるがゆへに、 かくのごときあくぐわんおこす。 われそのとき、 もしこのほふたづたらば、 しんしんかへりみずこの法門ほふもんまふさまし。 しかるにしやうだうほふにおいては、 道心だうしむあらばおんしやうえんし、 道心だうしむなくはしかしながらみやうじゆせむ。 りきをもてたやすくしやういとふべきものは、 これくゐしようざるなり

聖人云、 我師肥後阿闍梨云、 人智慧深遠也。 然倩計↢自身分際↡、 此度不↠可↣出↢離生死↡。 若度度替↠生隔↠生、 即妄妄故定妄↢仏法↡歟。 不↠如↠受↢長命之報↡、 欲↠奉↠値↢慈尊之出世↡。 依↠之我将↠受↢大蛇身↡。 但住↢大海↡者、 可↠有↢中夭↡。 如↠此思定、 遠江国笠原庄内桜池云所、 取↢領家之放文↡、 住↢此池↡誓願了。 其後至↠于↢死期時↡、 乞↠水入↢掌中↡死了。 而彼池、 風不↠吹浪俄立、 池中塵悉払上。 諸人見↠之、 即注↢此由↡触↢申領家↡。 期↢其日時↡、 彼阿闍梨当↢逝去日↡。 所以有↢智慧↡故知↠難↠出↢生死↡、 有↢道心↡之故値↢仏之出世↡所↠願也。 雖↠然未↠知↢浄土法門之↡故、 如↠此発↢悪願↡。 我其時、 若此法尋得、 不↠顧↢信不信↡此法門申。 而於↢聖道法↡者、 有↢道心↡者期↢遠生之縁↡、 無↢道心↡者併住↢名利↡。 以↢自力↡輒可↠厭↢生死↡之者、 是不↠得↢帰依之証↡也

またしやうにん年来ねんらいきやうろんひらときしや如来によらい罪悪ざいあくしやうぼむ弥陀みだ称名しようみやうぎやう極楽ごくらくわうじやうべしとひろくこれをきたまふ。 教文けうもんかむがて、 いま念仏ねむぶち三昧ざむまいしゆじやうしゆつ。 そのときなむ北嶺ほくれい碩学せきがくたち、 ともにはう嘲哢てうろうすることきわまりなし。 しかるあひだぶん二年のころ天台てんだいしゆちう納言なうごん法印ほふいん顕真けんしんしやいと極楽ごくらくねがふて、 大原おほはらやま篭居ろうきよして念仏ねむぶちもんいれり。 そのとき弟子でし相模さがみきみまふすいはく、 法然ほふねんしやうにんじやうしゆりふす、 たづきこしめすべしと。 顕真けんしんいはく、 もともしかるべしと たゞわれ一人ゐちにんのみちやうもんすべからず、 処処しよしよしやしやうあつさだおはりてかの大原おおはら龍禅りうぜんしふして以後いご法然ほふねんしやうにんこれをしやうず。 左右さうなく来臨らいりむおはぬ。 顕真けんしんえちきわまりなし。 しふ人々ひとびと

又聖人年来開↢経論↡之時、 釈迦如来、 罪悪生死凡夫依↢弥陀称名之行↡可↣往↢生極楽↡弘説↢給之↡。 勘↢得教文↡、 今修↢念仏三昧↡立↢浄土宗↡。 其時南都・北嶺碩学達、 共誹謗嘲哢無↠極。 然間文治二年之比、 天臺座主中納言法印顕真、 厭↢娑婆↡忻↢極楽↡、 篭↢居大原山↡入↢念仏門↡。 其時弟子相模公申云、 法然聖人立↢浄土宗義↡、 可↢尋聞食↡。 顕真云、 尤可↠然 。 但我一人不↠可↢聴聞↡、 処処智者請集定了而彼大原龍禅寺集会以後、 法然聖人請↠之。 無↢左右↡来臨了。 顕真喜悦無↠極。 集会之人々、

光明くわうみやうせんそうみやうへん東大とうだい三輪さんろんしゆちやうじやなり
かさでらだちしやうにんじゆかうじやうけい法相ほふさうしゆひとなり
大原おほはらやまほんじやうばうこの人人ひとびと問者もんじやなり
東大とうだいくわんじんしやうにんしゆじようばう重源ちようぐゑん
嵯峨さがわうじやうゐん念仏ねむぶちばう天臺てんだいしゆひとなり
大原おほはら来迎らいかうゐん明定みやうぢやうばう蓮慶れんけい天臺てんだいしゆひと
だいせんながれんくわうばう東大とうだいひと
法印ほふいんだいそうかい天臺てんだいさん東塔とうだう西谷にしだに林泉しむせんばう
法印ほふいん権大ごんだいそうしようしん天臺てんだいさん東塔とうだうひむがしだにほうばう
 ちやうしゆおほよそさむびやくにんなり

そのときしやうにんじやうしゆ義、 念仏ねむぶちどく弥陀みだほんぐわんむね明明めいめいにこれをときたまふ。 そのときいはく、 くちさだめらるほんじやうばう黙然もくねんとして信伏しんぷくおはぬ。 しふ人人ひとびとことごとくくわんなみだながす、 ひとへに帰伏くゐぶくす。 そのときよりかのしやうにん念仏ねむぶちしゆこうじやうなり。 法蔵ほふざう比丘びくむかしより弥陀みだ如来によらいいまいたるまで、 ほんぐわんおもむきわうじやうさいくらからず。 ときたまふときさむびやくにん一人ゐちにんとしてしやうだうじやう教文けうもんうたがふことなし。 ぐゑんこれをときたまふしとき人人ひとびとはじめて虚空こくむかうごんいだひとなし。 しふ人人ひとびといはく、 かたちみれぐゑんしやうにんじち弥陀みだ如来によらいおうしやくさだめおはぬ。 よてしふしるしとて、 くだんてらにしてさむちうだん念仏ねむぶちごむぎようおはぬ。 けちぐわんあした顕真けんしん ¬法華ほふくゑきやう¼ のもん員数ゐんじゆについて、 一人ゐちにんべち弥陀みだぶちつけよと、 かの大仏だいぶちしやうにん教訓けうくんす。 そのときより南无なも弥陀みだぶちきたまへりおはぬ。

其時聖人浄土宗義、 念仏功徳、 弥陀本願之旨、 明明説↠之。 其時云、 口被↠定本成坊、 黙然而信伏了。 集会人人悉流↢歓喜之涙↡、 偏帰伏。 自↢其時↡彼聖人念仏宗興盛也。 自↢法蔵比丘之昔↡至↢弥陀如来之今↡、 本願之趣、 往生之子細不↠昧。 説給之時、 三百余人、 一人無↠疑↢聖道・浄土教文↡。 玄旨説↠之時、 人人始向↢虚空↡無↧出↢言語↡之人↥。 集会人人云、 ↠見形者源空聖人、 実者弥陀如来応跡歟定了。 仍集会之験、 於↢件寺↡三昼夜不断念仏勤行了。 結願之朝、 顕真付↢ ¬法華経¼ 之文字員数↡、 一人別阿弥陀仏名付、 彼教↢訓大仏上人↡。 自↢其時↡南无阿弥陀仏之名付給了。

高倉たかくらゐんぎよあんぐゑんぐわんねん きのとひつじ しやうにんよわいじふさむよりはじめてじやうもんいりしづかじやうくわんじたまふに、 しよ宝樹ほうじゆげんず、 つぎ瑠璃るりしめす、 後夜ごや殿でんこれをはいす。 弥陀みだ三尊さむぞんつねらいしたまふなり。 またりやうぜんにしてさむ七日しちにちだん念仏ねむぶちあひだとうみやうなきに光明くわうみやうあり。 だい五夜ごやせいさちぎやうだう同烈どうれちしてちたまふ。 あるひとゆめのごとくにこれをはいしたてまつる。 しやうにんのたまはく、 さることはべるらむや。 にんさらに拝見はいけんにあたはず。

高倉院御宇安元元年 乙未 聖人齢自↢四十三↡始入↢浄土門↡閑観↢浄土↡給、 初夜宝樹現、 次夜示↢瑠璃地↡、 後夜者宮殿拝↠之。 阿弥陀三尊常来至也。 又霊山寺三七日不断念仏之間、 無↢灯明↡有↢光明↡。 第五夜勢至菩薩行道同烈立給。 或人如↠夢奉↠拝↠之。 聖人曰、 猿事侍覧。 余人更不↠能↢拝見↡。

月輪つきのわぜんぢやう殿でん 兼実けむじちカネザネ ほふみやう円照えんせうくゐ甚深じむじむなり。 あるしやうにん月輪つきのわ殿どのさむじやうしたまふ。 退たいしゆつときよりかみたか蓮華れんぐゑふみあゆみたまふ。 くわう赫奕かくやくおほよそせいさち化身くゑしんなりと。

月輪禅定殿下 兼実 御法名円照、 帰依甚深也。 或日聖人参↢上月輪殿↡。 退出之時、 自↠地上高踏↢蓮華↡而歩。 頭光赫奕、 凡者勢至菩薩化身也。

かくのごときの善因ぜんいんしからしむるに業果ごふくわこれあらたなるところに、 南北なむぼく碩徳せきとく顕密けんみち法灯ほふとう、 あるいはわがしゆはうずとがうし、 あるいはしやうだうそねむとしようす。 こと左右さうよせて、 とが縦横じゆわうもとむ。 ややもすれば天聴てんていおどろかしもんかんするあひだりよほかにたちまちにちよくかむかぶりけいおこなはれおはぬ。

如↠此善因令↠然業果惟新之処、 南北之碩徳、 顕密之法灯、 或号↠謗↢我宗↡、 或称↠嫉↢聖道↡。 寄↣事於↢左右↡、 求↣咎於↢縦横↡。 動驚↢天聴↡諷↢諌門徒↡之間、 不慮之外忽蒙↢勅勘↡被↠行↢流刑↡了。

しかりといゑどもほどなく帰洛くゐらくおはぬ。 権中ごんちう納言なうごん藤原ふぢはら朝臣あそん光親みつちかぎやうとしてちよくめんせんくださる。 いぬけんりやくぐわんねん十一月廿日、 帰洛くゐらくしてきよとうざん大谷おほたに別業べちげふしめて、 とこしなへ西方さいはうじやう迎接かうせふつ。

雖↠然無↠程帰洛了。 権中納言藤原朝臣光親、 為↢奉行↡被↠下↢勅免之宣旨↡。 去建暦元年十一月廿日、 帰洛居卜↢東山大谷之別業↡、 鎮待↢西方浄土之迎接↡。

おなじき三年正月三日、 らうびやうそら蒙昧もうまいいたりす。 つところたのむところまことによろこばしきかな、 かうしやう念仏ねむぶち退たいなり。 あるときしやうにん弟子でしにあひかたいはく、 われむかし天竺てんぢくにあて、 しやうもんそうまじわりつね頭陀づだぎやうじき。 もとはこれ極楽ごくらくかいにあり、 いま日本にちぽんこくきたり天台てんだいしゆまなぶ、 また念仏ねむぶちすゝむ。 身心しんしむ苦痛くつなし、 蒙昧もうまいたちまちにぶんみやうなり。

同三年正月三日、 老病空期↢蒙昧之臻↡。 所↠待所↠憑寔悦哉、 高声念仏不退也。 或時聖人相↢語弟子↡云、 我昔有↢天竺↡、 交↢声聞僧↡常行↢頭陀↡。 本者是有↢極楽世界↡、 今来↠于↢日本国↡学↢天臺宗↡、 又勧↢念仏↡。 身心無↢苦痛↡、 蒙昧忽分明。

十一日たつときに、 たんがふしやうして念仏ねむぶちたえず。 すなわち弟子でしつげいはく、 かうしやう念仏ねむぶちおのおのとなふべしと。 くわんおむせいさちしやうじゆげんじてこのまへにいます、 ¬弥陀みだきやう¼ の所説しよせちのごとし。 ずいなみだる、 渇仰かちがうきもとほる。 じん虚空こくかいしやうごむまなこさいぎり、 転妙てんめう法輪ほふりんおんじやうみゝみてり。

十一日辰時、 端座合掌念仏不↠絶。 即告↢弟子↡云、 高声念仏各可↠唱。 観音・勢至菩薩・聖衆、 現在↢此前↡、 如↢ ¬阿弥陀経¼ 所説↡。 随喜雨↠涙、 渇仰融↠肝。 尽虚空界之荘厳遮↠眼、 転妙法輪之音声満↠耳。

おなじき廿日にいたるまで、 うんじやうはうたなびき、 円円ゑんゑんくもそのなかあざやかなり、 図絵づゑ仏像ぶちざうのごとし。 道俗だうぞく貴賎くゐせん遠近おんごん緇素しそもの感涙かむるいながす、 もの奇異きいす。

至↠于↢同廿日↡、 紫雲聳↢上方↡、 円円雲鮮↢其中↡、 如↢図絵仏像↡。 道俗貴賎、 遠近緇素、 見者流↢感涙↡、 聞者成↢奇異↡。

おなじひつじときたなごゝろあはせて、 東方とうばうより西方さいはうことろく弟子でしあやしみてとふいはく、 ほとけ来迎らいかうしたまふかと。 しやうにんこたえいはく、 しかなりと。

同日未時、 挙↠目合↠掌、 自↢東方↡見↢西方↡事五六度、 弟子奇而問云、 仏来迎たまふ歟。 聖人答云、 然也。

廿三、 四日うんやまず、 いよいよひろくおほきにたなびく。 西山にしやま炭売すみうり老翁らうおうたきゞになせふ大小だいせうらうにやくこれをる。

廿三、 四日紫雲不↠罷、 弥広大聳。 西山売↠炭老翁、 荷↠薪樵夫、 大小老若見↠之。

廿五日むまときばかりぎやうたがはず、 念仏ねむぶちこゑやうやくよはし、 見仏けんぶちまなこねぶるがごとし。 うんそらたなびく、 遠近おんごん人人ひとびときたあつまる、 きやうしちくんず。 見聞けんもん諸人しよにんあふしんず。 臨終りむじゆすでにいたりて、 かくだいでう袈裟けさこれをかけ西方さいはうむかふとなへいはく、 「一一ゐちゐち光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや(観経)ていしやうちうなり。

廿五日午時許、 行儀不↠違、 念仏之声漸弱、 見仏之眼如↠眠。 紫雲聳↠空、 遠近人人来集、 異香薫↠室。 見聞之諸人仰信。 臨終已到、 慈覚大師之九条袈裟懸↠之向↢西方↡唱云、 「一一光明遍照十方世界、 念仏衆生摂取不捨」 。 停午之正中也。

さむしゆんいづれのときぞや、 しやくそんめちとなへたまふ、 しやうにんめちとなへたまふ。 かれは二月ちうじゆん五日なり、 これは正月じゆん五日なり。 はちじゆんいづれのとしや、 しやくそんめちとなへたまふ、 しやうにんめちとなへたまふ。 かれもはちじゆんなり、 これもはちじゆんなり。

三春何節哉、 釈尊唱↠滅、 聖人唱↠滅。 彼者二月中句五日也、 此者正月下旬五日也。 八旬何歳哉、 釈尊唱↠滅、 聖人唱↠滅。 彼八旬也、 此八旬也。

おんじやうちやうほふだいそうじやう公胤こういんほふためにこれをしやうだうするとき、 そのゆめつげいはく、

園城寺長吏法務大僧正公胤、 為法事唱導之時、 其夜告夢云、

ぐゑん教益けうやくために 公胤こういんよくほうく かむすなわちつくべからず 臨終りむじゆにまづ迎摂かうせふせむと

ぐゑんほんしんは だいせいさちなり しゆじやう教化けうくゑのゆへに このかいきたること度度たびたび

ぐゑん教益けうやく公胤こういんのうせちほふ感即かむそくじん臨終りむじゆせん迎摂かうせふ
ぐゑんほんしんだいせいさちしゆじやう教化けうくゑらいかい度度どど

と。 このゆへにせいらいキタリけんミヘタマフだいしやうにんなづく。 このゆへにせいほめいはまく、 へんくわう智慧ちゑくわうをもてあまねく一切ゐちさいてらすがゆへに。 しやうにんたんじて智慧ちゑ第一だいゐちしようす、 碩徳せきとくゆうをもて七道しちだううるほすがゆへなり。 弥陀みだせいおごかしさい使つかひとしたまへり、 善導ぜんだうしやうにんつかわしじゆんえんとゝのへたまへり。 さだめてしり十方じふぱうさむ央数あうしゆかいじやうじやうくわしやうあふこうず、 はじめじよう済入さいにふだうさとる。 三界さむがい虚空こくぜんはちぢやう天王てんわう天衆てんしゆしやうにんたむじやうて、 かたじけなくすい退没たいもちく。 いかにいはむや末代まちだいあくしゆじやう弥陀みだ称名しようみやうゐちぎやうてことごとくわうじやうくわいとげむ、 ぐゑんしやうにん伝説でんせちこうぎやうのゆへなり。 よてこゝにきたれることはこれを弘通ぐづすゝめむがためなりと。

。 此故勢至来見名↢大師聖人↡。 所以讃↢勢至↡言、 无辺光、 以↢智慧光↡普照↢一切↡故。 嘆↢聖人↡称↢智慧第一↡、 以↢碩徳之用↡潤↢七道↡故也。 弥陀動↢勢至↡為↢済度之使↡、 善導遣↢聖人↡整↢順縁之機↡。 定知十方三世无央数界有情・无情、 遇↢和尚↡興↠世、 初悟↢五乗済入之道↡。 三界・虚空。 四禅。 八定。 天王・天衆、 依↢聖人誕生↡、 忝抜↢五衰退没之苦↡。 何況末代悪世之衆生、 依↢弥陀称名之一行↡悉遂↢往生素懐↡、 源空聖人伝説興行故也。 仍為↤来↠之弘↢通勧↣之↡。

南无なもしや牟尼むにぶち  南无なも弥陀みだ如来によらい
南无なもくわんおむさち 南无なもだいせいさち
南无なもさむゐちじよう妙典めうでん法界ほふかいしゆじやうびやうどうやくせむと。

(11) 決成往生三機行相

くわしやうおむしやくによるに、 決定くゑちじやうわうじやうぎやうさうに、 みつのすぢわかれたるべし。 第一だいゐち信心しんじむ決定くゑちじやうせる、 だいしんぎやうともにかねたる、 第三だいさむにたゞぎやうさうばかりなるべし。

第一だいゐち信心しんじむ決定くゑちじやうせるといふは、 これにつきてまた二機にきあり。 ひとつにはまづしやうじんといふまたこれについて二機にきあり。 ひとつには弥陀みだほんぐわんえんずるに、 ゐちしやう決定くゑちじやうしぬと、 こゝろのそこより真実しんじちに、 うらうらと一念ゐちねむしむなくして、 決定くゑちじやうしむをえてのうへにゐちしやうそくなしとおもへども、 仏恩ぶちおんほうぜむとおもひて、 しやうじん念仏ねむぶちのせらるゝなり。 またしんえてのうへには、 はげまざるに念仏ねむぶちはまふさるべきなり このぎやうじやなかには、 信心しんじむえたりとおもふて、 そのうへによろこぶ念仏ねむぶちとおもへども、 いまだ信心しんじむ決定くゑちじやうせぬひともあるべし。 それおばわがこゝろにかむがへしられぬべきことなり。 たとひ信心しんじむはとづかずとも、 念仏ねむぶちひまなきかたよりわうじやうはすべし。 ふたつにはかみにいふがごとく、 決定くゑちじやうしむをえてのうへほんぐわんによてわうじやうすべきだうおばあおいでのち、 わがかたよりわが信心しんじむをさしゆるがして、 かく信心しんじむをえたりとおもひしらず、 われぼむなり、 ほとけけんのまへにはとづかずもあるらむと、 こゝろかしこくおもふて、 なほ信心しんじむ決定くゑちじやうせむがために念仏ねむぶちをはげむなり。 決定くゑちじやうしむをえふせてのうへにわがこゝろをうたがふは、 またくしむとはなるべからざるなり しやうじんるい、 かくのごとし。 これおばだいしんぎやうならべるぎやうさうとしるべし。

つぎだいといふは、 決定くゑちじやうしむをえてのうへによろこびて、 仏恩ぶちおんほうぜむがためにつね念仏ねむぶちせむとおもへども、 あるいはごふしゆヨノイトナミもさえられ、 またたいだいのものなるがゆへに、 おほかた念仏ねむぶちのせられぬなり。 このぎやうじや一向ゐちかう信心しんじむをはげむべきなり はげむにつきて、 またしやうじんだいのものあるべし。 しやうじんといふは、 つねほんぐわんえんぜらるべきなりえんずれば、 またねんにいさぎよき念仏ねむぶちまふさるべし。 この念仏ねむぶちさいじやう念仏ねむぶちなり これをあしくこゝろえて、 この念仏ねむぶちさいじやうにおぼゆれば、 この念仏ねむぶちわうじやうおもし、 またぐわんにもじようずらむとおもはむはわるし。 そのゆへは、 ほとけおむ約束やくそくひとこゑもわがをとなえむものをむかえむといふおむちかひにてあれば、 最初さいしよ一念ゐちねむこそぐわんにはじようずることにてあるべけれ。 またつねほんぐわんえんぜらるれば、 たのもしきこゝろもいでくべきなり。 そのときこのこゝろのよく相続さうぞくアヒツグナリせらるればとて、 それをもてわうじやうすべしとおもふべからず。 かくのごとくおもはゞ、 わくになるべきなり。 こゝろのゆがむときは、 わうじやうぢやうにおぼゆべきがゆへに、 たゞおもふべきやうは、 わがかたより一分ゐちぶんどくもなく、 ほんぐわんおむ約束やくそくにそなえしところの念仏ねむぶちどくしんのほむらにやけぬれども、 かのぐわんりきしゆしやうがく本誓ほんぜいのあやまりなきかたよりすくわれまいらせてわうじやうはすべしと、 返々かへすがへすもおもふべきなり だいのものといふは、 しゆヨノイトナミさまたげられもせよ、 ほんぐわんえんずることのまれにあるべきなり。 まれにはありといふとも、 いさゝかも一念ゐちねむにとるところの信心しんじむのゆるがずして、 そのときまた決定くゑちじやうしむのおこるべきなり。 信心しんじむ決定くゑちじやうなかるい、 かくのごとし。 これは第一だいゐち信心しんじむ決定くゑちじやうせるとしるべし。

いまかみにあぐるところのにん真実しんじち決定くゑちじやうしむをだにもえたらば、 しやうじんにてもあれだいにてもあれ、 ほんぐわんえんずるこゝろねは、 たとへば黒雲こくうんクロキクモ ひまより、 まれにてもつねにても、 いでむところのまんぐわちひかりをみむがごとくなるべし。 信心しんじむとくとくをば、 おのおのわがこゝろにてしりぬべし。 ことにふれて一念ゐちねむにとるところの信心しんじむゆるがずは、 仮令たとひよき信心しんじむとしるべし。 これもことわりばかりにて信心しんじむあり、 こゝろゆるぐべからずと、 まじなひつけむことえうあるべからず。 散心さんしむにつけても、 いさゝかにてもゆるぐこゝろあらば、 信心しんじむよはしとしるべし。 信心しんじむよはしとおぼえば、 だいはなほしんをはげむでほんぐわんえんずべきなり。 それになほかなはずは、 かまへてぎやうさうにおもむきてはげむべきなり。 しやうじんは、 一向ゐちかうがう所造しよざうツネニツクルぎやうトコロノ さうにおもむきてはげむべきなり。 ぎやうさうしやうじよぎやうを、 一向ゐちかう正行しやうぎやうにてもまた助業じよごふをならべむとも、 おのおのげうにまかすべきなり。

第三だいさむぎやうさうをはげむといふは、 かみにあぐるところのしんしやうじんだいの、 わが信心しんじむ決定くゑちじやうせるやうを、 こゝろによくよくあむじほどくときわれ信心しんじむ決定くゑちじやうせず。 やゝもすればきやうごふのおこるにつけ、 信心しんじむ間断けんだんするにつけて、 わうじやうぢやうにおぼゆるまではなけれども、 また決定くゑちじやうわうじやうすべしともおぼえぬは、 信心しんじむ決定くゑちじやうせざるなりとかむがへえて、 一向ゐちかうぎやうにおもむきてはげむをいふなり。 このだいのいでき、 念仏ねむぶちのものうからむときは、 おどろきてぎやうをはげむべきなり。 信心しんじむもよはく念仏ねむぶちもおろそかならば、 わうじやうぢやうのものなり。 このひとまたあしくこゝろえてぎやうをはげむは、 このきやうごふをもてわうじやうすべしとおもはゞわくになるべきなり。 いま念仏ねむぶちぎやうをはげむこゝろは、 つねに念仏ねむぶちあざやかにまふせば、 念仏ねむぶちよりして信心しんじむのひかれていでくるなり信心しんじむいできぬれば、 ほんぐわんえんずるなりほんぐわんえんずれば、 たのもしきこゝろのいでくるなり。 このこゝろいできぬれば、 信心しんじむしゆせられて決定くゑちじやうわうじやうをとぐべしとこゝろうべし。

これにつきて、 ひとうたがひていはく、 念仏ねむぶちをはげみて信心しんじむしゆしてわうじやうをとぐべきならば、 はげむところの念仏ねむぶちりきわうじやうとこそなるべけれ。 いかゞりきわうじやうといふべきや。 いまりきといふは、 しやうだうりきにすべからず、 いさゝかあたえていえるなるべし。 こたえいはく、 念仏ねむぶち相続さうぞくアヒツグナリて、 相続さうぞくよりわうじやうをするは、 またくりきわうじやうにはあらず。 そのゆへは、 もとより三心さむしむほんぐわんにあらず、 これりきなり。 三心さむしむりきなりといふは、 ほんぐわんのつなにおびかれて、 信心しんじむをのべてとりつぐぶんをさすなりとこゝろうべし。 いま念仏ねむぶち相続さうぞくして信心しんじむしゆマモルナリ むとするに、 三心さむしむなか深心じむしむをはげむぎやうじやなり相続さうぞく念仏ねむぶちどくをもちて、 かうしてわうじやうせば、 まことにりきわうじやうをのぞむものといはるべきなり。 また念仏ねむぶちはすれども、 つね信心しんじむもおこらず、 ぐわんえんずることのつねにもなければとて、 わうじやうぢやうにおもふべからず。 そのこゝろなけれども、 たゞりきぞんぜず、 すべてわくのこゝろなくしてつね念仏ねむぶちすれば、 わがこゝろにはおぼえねども、 信心しんじむのいろのしたひかりて相続さうぞくするあひだ、 決定くゑちじやうわうじやうをうるなり。 しるべし、 そのこゝろは、 たとへばつきのひかりのうすぐもにおほはれて、 まんぐわちたいはまさしくみえずといゑども、 つきのひかりによるがゆへに、 けんくらからざるがごとし。

ぎやうさうさむのやう、 かくのごとし。 せむずるところ、 信心しんじむよはしとおもはゞ、 念仏ねむぶちをはげむべし。 決定くゑちじやうしむえたりとおもふてのうへになほこゝろかしこからむひとは、 よくよく念仏ねむぶちすべし。 また信心しんじむいさぎよくえたりとおもひてのちの念仏ねむぶちおば、 別進べちしん奉公ほうこうとおもはむにつけても、 別進べちしん奉公ほうこうはよくすべきだうあれば、 念仏ねむぶちをはげむべし。 たいわがこゝろをよくよくあんじほどいて、 ぎやうにてもしんにても、 にしたがひてたえむにまかせてはげむべきなり かくのごとくこゝろをえてはげまば、 わうじやう決定くゑちじやうはづるべからざるなり

(12) 鎌倉二品比丘への御返事

かまくらのぼむ比丘びくしやうにんおむもとへ念仏ねむぶちどくをたづねまふされたりけるにおむへん

おむふみくはしくうけたまはりさふらひぬ。 念仏ねむぶちどくほとけもときつくしがたしとのたまへり。 また智慧ちゑ第一だいゐちしやほちもん第一だいゐちなんも、 念仏ねむぶちどくはしりがたしとのたまひしくわうだい善根ぜんごんにてさふらへば、 ましてぐゑんなどはまふしつくすべくもさふらはず。 ぐゑん、 このてうにわたりてさふらふ仏教ぶちけう随分ずいぶんにひらきみさふらへども、 じやう教文けうもん震旦しむたんよりとりわたしてさふらふしやうげうのこゝろをだにも、 一年ゐちねんねんなどにてはまふしつくすべくもおぼえさふらはず。 さりながら、 おほせたまはりたることなれば、 まふしのべさふらふべし。 まづ念仏ねむぶちしんぜざる人々ひとびとまふしさふらふなること、 くまがへの入道にふだう・つのとの三郎さぶらう無智むちのものなればこそぎやうをせさせず、 念仏ねむぶちばかりおば法然ほふねんばうはすゝめたれとまふしさふらふなること、 きわめたるひがごとにてさふらふなり そのゆへは、 念仏ねむぶちぎやうは、 もとより有智うち無智むちをえらばず。 弥陀みだのむかしのちかひたまひしだいぐわんは、 あまねく一切ゐちさいしゆじやうのためなり無智むちのためには念仏ねむぶちぐわんとし、 有智うちのためにはぎやうぐわんとしたまふことなし。 十方じふぱうかいしゆじやうのためなり、 有智うち無智むち善人ぜんにん悪人あくにんかいかい貴賎くゐせん男女なむによもへだてず。 もとはほとけざいしゆじやう、 もしはほとけめちしゆじやう、 もしはしや末法まちぽふ万年まんねんののちに三宝さむぽうみなうせてのゝちのしゆじやうまで、 たゞ念仏ねむぶちばかりこそ現当げんたうたうとはなイノリトナルトナリ さふらへ。 善導ぜんだうくわしやう弥陀みだ化身くゑしんにて、 ことに一切ゐちさいしやうげうをかゞみて専修せんじゆ念仏ねむぶちをすゝめたまへるも、 ひろく一切ゐちさいしゆじやうのためなり方便はうべんせち末法まちぽふにあたりたるいまのけうこれなり。 されば無智むちひとにかぎらず、 ひろく弥陀みだほんぐわんをたのみて、 あまねく善導ぜんだうおむこゝろにしたがひて、 念仏ねむぶち一門ゐちもんをすゝめさふらはむに、 いかに无智むちひとのみにかぎりて、 有智うちひとおばへだててわうじやうせさせじとはしさふらはむや。 しからずは、 だいぐわんにもそむき、 善導ぜんだうおむこゝろにもかなふべからず。 しかればすなわち、 このへんにまうできてわうじやうみちをとひたづねさふらふにも、 有智うち無智むちろんぜず、 ひとへに専修せんじゆ念仏ねむぶちをすゝめさふらふなり かまえてさやうに専修せんじゆ念仏ねむぶちまふしとゞめむとつかまつるひとは、 さきの念仏ねむぶち三昧ざんまい得道とくだう法門ほふもんをきかずして、 後世ごせにまたさだめて三悪さむまくにおつべきものゝ、 しかるべくしてさやうにまふしさふらふなり。 そのゆへは、 しやうげうにひろくみへてさふらふ しかればすなわち、 「しゆぎやうすることあるをみては毒心どくしむをおこし、 方便はうべんしてきおふてあだなす。 かくのごとくのしやうまう闡提せんだいムマルヽヨリメシヒタリともがら、 頓教とんげう毀滅くゐめちしてソシリホロボスながく沈淪ちむりむす。 だいじんごふ超過てうくわすとも、 いまださむをはなるゝことをえず」 (法事讃巻下) とときたまへり。

しゆぎやうあるをては瞋毒しんどくおこし、 方便はうべん破壊はゑしてきおいあだしやうぜむ。

かくのごときしやうまう闡提せんだいともがら頓教とんげう毀滅くゐめちしてなが沈淪ちむりむせむ。

だいじんごふ超過てうくわすとも、 いまださむしんはなるゝことをべからず。

大衆だいしゆ同心どうりむにみなしよほふつみ因縁いんねん懺悔さむぐゑすべしと」 (法事讃巻下) 文

けんしゆぎやう瞋毒しんどく方便はうべん破壊はゑきやうしやうおん
によしやうまう闡提せんだいはいくゐめち頓教とんげうゐやう沈淪ちむりむ
てうくわだいじんごふとくさむしん
大衆だいしゆ同心どうしんかいさむぐゑしよほふざい因縁いんねん↡」

このもんこゝろは、 じやうをねがひ念仏ねむぶちぎやうずるひとをみては、 毒心どくしむをおこし、 ひがごとをたくみめぐらして、 やうやうの方便はうべんをなして専修せんじゆ念仏ねむぶちぎやうをやぶり、 あだおなしてまふしとゞむるにさふらふなり かくのごとくのひとは、 むまれてよりぶちしやうのまなこしひて、 ぜんのたねをうしなへる闡提せんだいにんのともがらなり。 この弥陀みだみやうがうをとなえて、 ながきしやうをはなれてじやうじゆ極楽ごくらくわうじやうすべけれども、 この教法けうぼふをそしりほろぼして、 このつみによりてながくさむ悪道まくだうにしづむとき、 かくのごときのひとは、 だいじんごふをすぐれども、 ながくさむをはなれむことあるべからずといふなり しかればすなわち、 さやうにひがごとまふしさふらふらむひとおば、 かへりてあはれみたまふべきものなり。 さほどの罪人ざいにんまふすによりて、 専修せんじゆ念仏ねむぶちだいをなし、 念仏ねむぶちわうじやうにうたがひをなししむをおこさむひとは、 いふかひなきことにてこそさふらはめ。 おほよそえんあさくわうじやうときいたらぬものは、 きけどもしんぜず、 念仏ねむぶちのものをみればはらだち、 こゑきゝていかりをなし、 あくなれどもきやうろんにもみえぬことをまふすなりおむこゝろえさせたまひて、 いかにまふすともおむこゝろがはりはさふらふべからず。 あながちにしんぜざらむひとおばおむすゝめさふらふべからず。 かゝるしんしゆじやうをおもへば、 くわ父母ぶもチヽハヽくゐやう アニ ていオトヽ親類しんるいなりシタシキモノトとおもひさふらふにも、 慈悲じひをおこして、 念仏ねむぶちかゝでまふし極楽ごくらくじやうぼむ上生じやうしやうにまいりてさとりをひらき、 しやうにかへりてはうしんひとおもむかへむと、 善根ぜんごんしゆしてはおぼしめすべきことにてさふらふなり。 このよしをおむこゝろえあるべきなり。

一 異解いげ人々ひとびとどくしゆするには、 財宝ざいほうあひじよじやうタスケテトしておぼしめすべきやうは、 われはこの一向ゐちかう専修せんじゆにて決定くゑちじやうしてわうじやうすべきなり、 にんのとおきみちをわがちかきみち結縁けちえんせさせむとおぼしめすべきなり。 そのうへ専修せんじゆをさまたげさふらはねば、 結番けちばんせむにもとがなし。

一 人々ひとびとだうをつくり、 ぶちをつくり、 きやうをかき、 そうやうせむことは、 こゝろみだれずして慈悲じひをおこして、 かくのごときのざふ善根ぜんごんおばしゆせさせたまへとおむすゝめさふらふべし。

一 このよのいのりに、 念仏ねむぶちのこゝろをしらずして仏神ぶちしんにもまふし、 きやうおもかき、 だうおもつくらむと。 これもさきのごとく、 せめてはまた後世ごせのためにつかまつらばこそさふらはめ。 そのようなしとおほせさふらふべからず。 専修せんじゆをさえぬぎやうにてもあらざりけりとも、 おぼしめしさふらふべし。

一 念仏ねむぶちまふすこと、 やうやうのさふらへども、 ろくをとなふるに一切ゐちさいをおさめてさふらふなりこゝろにはぐわんをたのみ、 くちにはみやうがうをとなえて、 かずをとるばかりなり。 つねしむにかくるが、 きわめたる決定くゑちじやうごふにてさふらふなり念仏ねむぶちぎやうは、 もとよりぎやうじゆぐわしよ諸縁しよえんをえらばず、 しんじやうおもきらはぬぎやうにてさふらへば、 らくぎやうわうじやうとはまふしつたへてさふらふなり たゞしこゝろをきよくしてまふすおば、 第一だいゐちぎやうまふしさふらふなりじやうをこゝろにかくれば、 しむココロじやうキヨキぎやうほふにてさふらふなり。 さやうにおむすゝめさふらふべし。 つねにまふしたまひさふらはむをば、 とかくまふすべきやうもさふらはず。 わがながらもしかるべくて、 このたびわうじやうすべしとおぼしめして、 ゆめゆめこのこゝろつよくならせたまふべし。

一 念仏ねむぶちぎやうしんぜぬひとにあひてろんじ、 あらぬぎやう異計いけ人々ひとびとにむかひて執論しふろんさふらふべからず。 あながちに異解いげがくひとをみては、 あなづりそしることさふらふまじ。 いよいよ重罪ぢうざいひとになしさふらはむこと便びんさふらふ同心どうしん極楽ごくらくをねがひ念仏ねむぶちまふすひとおば、 せんひとなりとも父母ぶも慈悲じひにおとらずおぼしめしさふらふべし。 こむじやう財宝ざいほうのともしからむにも、 ちからをくわへたまふべし。 さりながらも、 すこしも念仏ねむぶちにこゝろをかけさふらはむおば、 すゝめたまふべし。 これ弥陀みだ如来によらいおむみやづかへとおぼしめすべくさふらふなり 如来によらいめちよりこのかた、 せうせうぎやうにまかりなりてさふらふなり。 われもわれもと智慧ちゑありがほにまふすひとは、 さとりさふらふべし。 せめてはろくきやうけうおもきゝみず、 いかにいはむや、 ろくのほかのみざるひと智慧ちゑありがほにまふすは、 のそこのかへるににたり。 随分ずいぶん震旦しむたん日本にちぽんしやうげうをとりあつめて、 このあひだかむがへさふらふなり念仏ねむぶちしんぜぬひとは、 ぜん重罪ぢうざいをつくりてごくにひさしくありて、 またごくにはやくかへるべきひとなり。 たとひ千仏せんぶちにいでゝ、 念仏ねむぶちよりほかにまたわうじやうごふありとおしへたまふともしんずべからず。 これはしや弥陀みだよりはじめて、 恒沙ごうじやほとけ証誠しようじやうせしめたまへることなればとおぼしめして、 おむこゝろざし金剛こむがうよりもかたくして、 一向ゐちかう専修せんじゆ変改へんがいあるべからず。 もしろんまふさむひとおば、 これへつかはして、 たてまふさむやうをきけとさふらふべし。 やうやうのしようもんかきしるしてまいらすべくさふらへども、 たゞこゝろこれにすぎさふらふべからず。 またしやかいひとは、 よのじやうをねがはむことは、 ゆみなくしてそらとりをとり、 あしなくしてたかきこずゑのはなをとらむがごとし。 かならず専修せんじゆ念仏ねむぶち現当げんたうのいのりとなりさふらふなり。 これりやくしてかくのごとし、 これもきやうせちにてさふらふ うち人々ひとびとにはぼむごふを、 ひとのねがひにしたがひて、 はじめおはりたえぬべきほどにおむすゝめさふらふべきなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

(13) 本願体用事(四箇条問答)

或人あるひといは弥陀みだぶち慈悲じひみやうがうぶちすぐれならびほんぐわん体用たいゆうこと

せち得仏とくぶち十方じふぱうしゆじやうしん信楽しんげうよくしやう国、 ない十念じふねむにやくしやうじやしゆしやうがく。」 (大経巻上) 十方じふぱうしゆじやう」 といふは、 諸仏しよぶち教化けうくゑにもれたるぢやうもちしゆじやうなり。 このしゆじやうをあわれみおぼしめすかたに、 諸仏しよぶちおむ慈悲じひ弥陀みだぶちおむ慈悲じひにおなじかるべし。 これはそうぐわんやくす。 べちぐわんやくするときは、 弥陀みだぶちおむ慈悲じひぶち慈悲じひにすぐれたまへり。 そのゆへは、 このぢやうもちしゆじやうじふしやうゐちしやう称名しようみやうりきもて无漏むろほうしやうぜしめむといふぐわんによてなり弥陀みだぶちみやうがうぶちみやうがうにすぐれたまへるといふも、 いんほんぐわんにたてたまへるみやうがうなるがゆへにすぐれたまへり。 しからずは、 ほうしやういんとなるべからず、 ぶちみやうがうどうオナジトべし。

そもそも弥陀みだぶちほんぐわんいふはいかなることぞといふに、 ほんぐわんいふ総別そうべちぐわんずといゑども、 言総ごんそうコトバミナトイフテべちにて、 コヽロハコトナルナリべちぐわんをもてほんぐわんとはなづくるなりほんぐわんいふことは、 もとのねがひとくんずるオシヘナリ なり。 もとのねがひといふは、 法蔵ほふざうさちむかしぢやうもちしゆじやうを、 ゐちしやう称名しようみやうのちからをもてしようしてむしゆじやうわがくにしやうぜしめむといふことなり。 かるがゆへにほんぐわんといふなり。

ほんぐわんについて体用たいゆうあるべし、 その差別しやべちいかんぞ。

こたほんぐわんいふは、 いんに、 われほとけになりたらむときのをとなへむしゆじやうを、 極楽ごくらくしやうぜしめむとねがひたまへるゆへに、 法蔵ほふざうさちおむこゝろをもてほんぐわんたいとし、 みやうがうをもてはほんぐわんゆうとす。 これは十劫じふこふしやうがくのさき、 兆載てうさいゐやうごふしゆぎやうをはじめ、 ぐわんをおこしたまへるとき法蔵ほふざうさちやくして体用たいゆうろんずるなりいま法蔵ほふざうさちいんぐわんじやうじゆして、 くわ弥陀みだぶちとなりたまへるがゆへに、 法蔵ほふざうさちおはしまさゞれば、 法蔵ほふざうさちやくしてほんぐわん体用たいゆうろんずべきにあらず。 たゞしあたえてへば、 ほんぐわん体用たいゆうあるべし。 たいいふについて、 ふたつのこゝろあるべし。 ひとつにはぎやうじやをもてほんぐわんたいとし、 ふたつにはみやうがうをもてほんぐわんたいとす。 まづぎやうじやをもてほんぐわんたいとすといふは、 法蔵ほふざうさちほんぐわんに、 じやうぶちしたらむときゐちしやうしようしてむしゆじやう極楽ごくらくしやうぜしめむとぐわんじたまへるがゆへに、 いましんじてゐちしやうしようしてむしゆじやうはかならずわうじやうすべし。 こののうしようぎやうじやわうじやうするところをさして、 ぎやうじやをもてほんぐわんたいとすとはこゝろうべきなり。

われほとけなりたらむときしようせむものをしやうぜしめむとほんぐわんにはたてたまへるがゆへに、 みやうがうしようするものをやがてほんぐわんたいともこゝろうべしや。

こた。 これについてだちあるべし。 あたえ ヨ へば、 ぎやうじやまさし蓮台れんだいにうつりてわうじやうするところをもてほんぐわんたいとし、 うばふ ダチ へば、 わうじやうすべきぎやうじやなるがゆへに、 当体たうたいのうしようものをさしてほんぐわんたいとすべし。 ぎやうじやについてほんぐわんたい云時いふときは、 べちゆうなし。 蓮台れんだいたくして、 わうじやう已後いご増進ぞうしん仏道ぶちだうをもてゆうとす。 これは極楽ごくらくにてのことなり。 つぎみやうがうをもてほんぐわんたいとすといふは、 これもじやうぶちときしようせむしゆじやうしやうぜしめむとぐわんじたまへるがゆへに、 しんじてとなへてむしゆじやうはかならずしやうずべければ、 みやうがうをもてほんぐわんたいいふなりみやうがうとなへつるしゆじやうわうじやうするは、 みやうがうゆうなり いまみやうがうをもてほんぐわんたいとすといふは、 法蔵ほふざうさちおむこゝろのそこをもてほんぐわんたいとすといひつるときは、 ゆうといはれつるみやうがうなり。 しかるを、 いまはまさしくみやうがうをもてはほんぐわんたいいふなり

体用たいゆうことによりてかはるなり。 たとへばともしびのひかりをもてこゝろうべし。 ともしびのあかくもえあがりたるはたいなり。 ともしびによりてあむヤミはれて、 みやうアカクナルるところのひかりゆうなり。 このひかりみやうなるをもてたいとするときは、 そのみやうなかこくびやくとう一切ゐちさいしきぎやうのみゆるはみやうゆうなり。 かくのごとくゆうをもてたいとも云事いふことつねことなり、 しるべし。 ぎやうじやわうじやうするをもてほんぐわんたいいふことは、 じちにはみやうがうしようせずしてわうじやうすべきだうなし、 みやうがうによてわうじやうすべし。 しかりといゑども、 かくのごときのことは、 約束やくそくによりて云時いふときは、 ぎやうじやわうじやうをもてほんぐわんたいともいはるべし。 みやうがうほんぐわんたい云時いふときは、 しようするぎやうじやわうじやうするはみやうがうゆうなり。 しかればぎやうじやは、 あるいはほんぐわんたい、 あるいはみやうがうゆうにも決定くゑちじやうすべきなり。 このだうによて、 ほんぐわんたいやくしてこゝろうれば、 ほんぐわんぎやうじやぎやうじやほんぐわんほんぐわんみやうがうみやうがうほんぐわんと、 たゞひとつ混乱こんらんするなり。 ゆうやくしてこゝろへつれば、 みやうがうぎやうじやぎやうじやみやうがうといはるべし。 せむずるところは、 たいなくはゆうあるべからず、 ゆうたいによるがゆへに。 ほんぐわんぎやうじや、 たゞひとつものにて、 ひとつとしてはなれざるなり。

法蔵ほふざうさちほんぐわん約束やくそくは、 じふしやうゐちしやうなり。 ゐちしようのゝちは、 法蔵ほふざうさちいん本誓ほんぜいしむをかけて、 みやうがうおばしようすべからざるにや。

こた沙汰さたなるひとはかくのごとくおもひて、 いんぐわんえんじて念仏ねむぶちおもまふせば、 これをしえたるこゝちして、 ぐわんえんぜざるとき念仏ねむぶちおば、 ものならずおもふて念仏ねむぶち善悪ぜんあくをあらするなり。 これは按内あんないのことなり。 法蔵ほふざうさちこふゆいは、 しゆじやうねむほんとせば、 しきやうアガリじんタマシヒトブのゆへ、 かなふべからずとおぼしめして、 みやうがうほんぐわんたてたまへり。 このみやうがうは、 いかなる乱想らんさうなかにもしようすべし。 しようすれば、 法蔵ほふざうさちむかしぐわんしむをかけむとせざれども、 ねんにこれこそほんぐわんよとおぼゆべきは、 このみやうがうなり。 しかれば、 べちいんほんぐわんえんぜむとおもふべきにあらず。

ほんぐわん本誓ほんぜいと、 その差別しやべちいかんぞ。

こたわれじやうぶちときしようせむしゆじやうしやうぜしめむといふは、 ほんぐわんなり。 もしむまるまじくはほとけにならじといふは、 本誓ほんぜいなり そうじて十八じふはちぐわん法蔵ほふざうさちのむかしのほんぐわんなり。 このぐわんにこたへたまへる仏果ぶちくわ円満えんまんいまは、 だいじふ来迎らいかうぐわんにかぎりてくゑしゆじやう方便はうべんはおはしますべきなりといふなり。 弥陀みだぶちみやうがうぶちみやうがうすぐれたまへり、 ほんぐわんなるがゆへなり。 ほんぐわんたてたまはずは、 みやうがうしようすともみやうせざれば、 ほうしやういんとなるべからず、 諸仏しよぶちみやうがうにおなじかるべし。 しかるを弥陀みだぶちは 「ない十念じふねむにやくしやうじやしゆしやうがく(大経巻上) とちかひて、 このぐわんじやうじゆせしめむがために兆載てうさいゐやうごふしゆぎやうをおくりて、 いますでじやうぶちしたまへり。 このだいぐわん業力ごふりきのそひたるがゆへに諸仏しよぶちみやうがうにもすぐれ、 となふればかのぐわんりきによりて決定くゑちじやうわうじやうおもするなり。 かるがゆへに如来によらい本誓ほんぜいをきくに、 うたがひなくわうじやうすべきだうじゆして、 南无なも弥陀みだぶちとなへてむうえには、 決定くゑちじやうわうじやうとおもひをなすべきなり。 たとへば、 たきものゝにほひのくんぜるころをにきつれば、 みなもとはたきものゝにほひにてこそありといふとも、 ころものにほひくんずるがゆへに、 そのひとのかうばしかりつるといふがごとく、 ほんぐわん薫力くんりきのたきものゝにほひは、 みやうがうころもくんじ、 またこのみやうがうころもゐち南无なも弥陀みだぶちとひきゝてむものは、 みやうがうころもにほひくんずるがゆへに、 決定くゑちじやうわうじやうすべきひとなり。 だいぐわん業力ごふりきにほひいふは、 わうじやうにほひなり。 だいぐわん業力ごふりきわうじやうにほひみやうがうころもよりつたわりてぎやうじやくんずといふだうによりて、 ¬観経くわんぎやう¼ には

「もし念仏ねむぶちひとは、 まさにしるべし、 このひとはこれ人中にんちうふん陀利だりくゑなり」

にやく念仏ねむぶちしやたうにん人中にんちうふん陀利だりくゑ

とけなり。 念仏ねむぶちぎやうじや蓮華れんぐゑたとふことは、 蓮華れんぐゑぜむモノニソマラズトナリほんぐわん清浄しやうじやうみやうがうしようすれば、 十悪じふあくぐゐやくにごりにもそまらざるかたをたとへたるなり。 また

くわんおむさちだいせいさち、 そのしようとす」 (観経)

くわんおむさちだいせいさちしよう↡」スグレタルトモ

へり。 もんのこゝろは、 これもわうじやうにほひくんぜるぎやうじやは、 かならずわうじやうすべし。 これによて善導ぜんだうくわしやうも、 三心さむしむそくひとおば極楽ごくらくしやうじゆせふしたまへり。 極楽ごくらくしやうじゆいふは、 因中いんちう説果せちくわなり。 しやうじゆとなるだうあれば、 たうよりしてさちかたをならべ、 ひざをまじえてしようとなりたまふといふこゝろなり。 みやうじゆ已後いごは、 わうじやうして仏果ぶちくわだいしようとくすべきによて、

「まさにだうぢやう諸仏しよぶちいえしやうずべし」 (観経)

たうだうぢやうしやう諸仏しよぶち↥」

とときたまへり。 かるがゆへに、 一念ゐちねむじやう信心しんじむをえてむひとは、 わうじやうにほひくんぜるみやうがうころもをいくえともなくかさねきむとおもふて、 くわんのこゝろにじゆして、 いよいよ念仏ねむぶちすべしとへり。

西方指南抄中

康元かうげんぐわんねん ひのえたつ 十月十四日

愚禿親鸞 八十四歳 書写之

 

西方指南抄下

(14) 上野大胡太郎実秀の妻への御返事

おむふみこまかにうけたまはりさふらひぬ。 はるかなるほどに、 念仏ねむぶちこときこしめさむがために、 わざとつかひをあげさせたまひてさふらふおむ念仏ねむぶちおむこゝろざしのほど、 返々かへすがへすもあはれにさふらふ

さてはたづねおほせられてさふらふ念仏ねむぶちことは、 わうじやう極楽ごくらくのためには、 いづれのぎやうといふとも、 念仏ねむぶちにすぎたることさふらはぬなり。 そのゆへは、 念仏ねむぶちはこれ弥陀みだほんぐわんぎやうなるがゆへなり。 ほんぐわんといふは、 あみだぶちのいまだほとけにならせたまはざりしむかし、 法蔵ほふざうさちまふししいにしへ、 ほとけこくをきよめ、 しゆじやうじやうじゆせむがために、 ざいわう如来によらいまふすほとけおむまへにして、 十八じふはちだいぐわんをおこしたまひしそのなかに、 一切ゐちさいしゆじやうわうじやうのために、 ひとつぐわんをおこしたまへり。 これを念仏ねむぶちわうじやうほんぐわんまふすなり すなわち ¬りやう寿じゆきやう¼ のうへくわんにいはく、

「たとひわれぶちたらむに、 十方じふぱうしゆじやうしんいた信楽しんげうしてわがくにむまれむとおもふて、 ない十念じふねむせむ。 もしむまれずは、 しやうがくとらじ」

せちとくぶち十方じふぱうしゆじやうしん信楽しんげうよくしやうこく↡、 ない十念じふねむにやくしやうじやしゆしやうがく↡」

善導ぜんだうくわしやうこのぐわんしやくしていは

「もしわれじやうぶちせむに、 十方じふぱうしゆじやう、 わがみやうがうしようせむことしもじふしやういたるまで、 もししやうぜずはしやうがくとらじ。 かのぶちいまげんましましじやうぶちしたまへり。 まさにしるべし、 本誓ほんぜいじうぐわんむなしからず、 しゆじやうしようねむすればかならずわうじやう」 と (礼讃)

にやくじやうぶち十方じふぱうしゆじやうしようみやうがう下至げしじふしやう↡、 にやくしやうじやしゆしやうがく↡。 ぶちこむ現在げんざいじやうぶちたう本誓ほんぜいじうぐわんしゆじやうしようねむ必得ひちとくわうじやう↡。」

念仏ねむぶちといふは、 ほとけ法身ほふしん憶念おくねむするにもあらず、 ほとけ相好さうがうくわんねむするにもあらず、 たゞこゝろをひとつにして、 もはら弥陀みだぶちみやうがうしようねむする、 これを念仏ねむぶちとはまふすなり。 かるがゆへに 「しようみやうがう」 といふなり。 念仏ねむぶちのほかの一切ゐちさいぎやうは、 これ弥陀みだほんぐわんにあらさるがゆへに、 たとひめでたきぎやうなりといふとも、 念仏ねむぶちにはおよばず。 おほかたそのくににむまれむとおもはむものは、 そのほとけのちかひにしたがふべきなり。 されば弥陀みだじやうにむまれむとおもはむものは、 弥陀みだせいぐわんにしたがふべきなり。 ほんぐわん念仏ねむぶちと、 ほんぐわんにあらざるぎやうと、 さらにたくらぶべからず。 かるがゆへにわうじやう極楽ごくらくのためには、 念仏ねむぶちぎやうにすぎたるはさふらはずとまふすなり。 わうじやうにあらざるみちには、 ぎやうまたつかさどるかたあり。 しかるにしゆじやうしやうをはなるゝみち、 ほとけのをしへやうやうにおほくさふらへども、 このごろひとしやうをはなれ三界さむがいをいづるみちは、 たゞ極楽ごくらくわうじやうさふらふばかりなり。 このむねしやうげうのおほきなることわりなり。

つぎに極楽ごくらくわうじやうするに、 そのぎやうやうやうにおほくさふらへども、 われらがわうじやうせむこと、 念仏ねむぶちにあらずはかなひがたくさふらふなり。 そのゆへは、 ほとけほんぐわんなるがゆへに、 ぐわんりきにすがりてわうじやうすることはやすし。 さればせむずるところは、 極楽ごくらくにあらずはしやうをはなるべからず、 念仏ねむぶちにあらずは極楽ごくらくへむまるべからざるものなり。 ふかくこのむねをしんぜさせたまひて、 ひとすぢに極楽ごくらくをねがひ、 ひとすぢに念仏ねむぶちをして、 このたびかならずしやうをはなれむとおぼすべきなり。 また一一ゐちゐちぐわんのおはりに、 「もししからずはしやうがくをとらじ」 とちかひたまへり。 しかるに弥陀みだぶち、 ほとけになりたまひてよりこのかた、 すでに十劫じふこふをへたまへり。 まさにしるべし、 せいぐわんむなしからず。 しかれば、 しゆじやうしようねむするもの、 一人ゐちにんもむなしからずわうじやうすることをう。 もししからずは、 たれかほとけになりたまへることをしんずべき。 三宝さむぽう滅尽めつじんときなりといゑども、 一念ゐちねむすればなほわうじやうす。 ぐゐやく深重じむぢうひとなりといゑども、 十念じふねむすればわうじやうす。 いかにいはむや、 三宝さむぽうにむまれてぐゐやくをつくらざるわれら、 弥陀みだみやうがうをとなえむに、 わうじやううたがふべからず。 いまこのぐわんにあえることは、 まことにこれおぼろげのえんにあらず。 よくよくよろこびおぼしめすべし。 たとひまたあふといゑども、 もししんぜざればあはざるがごとし。 いまふかくこのぐわんしんぜさせたまへり。 わうじやううたがひおぼしめすべからず。 かならずかならずふたごゝろなく、 よくよくおむ念仏ねむぶちさふらひて、 このたびしやうをはなれ極楽ごくらくにむまれさせたまふべし。 また ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ にいはく、

一一ゐちゐち光明くわうみやうあまねく十方じふぱうかいてらす、 念仏ねむぶちしゆじやうおば摂取せふしゆしてすてたまはず」

一一ゐちゐち光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい↡、 念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや

と。 これは光明くわうみやうたゞ念仏ねむぶちしゆじやうをてらして、 よの一切ゐちさいぎやうおばてらさずといふなり。 たゞし、 よのぎやうをしても極楽ごくらくをねがはゞ、 ほとけのひかりてらして摂取せふしゆしたまふべし。 いかゞたゞ念仏ねむぶちのものばかりをえらびて、 てらしたまへるや。 善導ぜんだうくわしやうしやくしてのたまはく、

弥陀みだ真色しんじき金山こむぜんのごとし。 相好さうがう光明くわうみやう十方じふぱうてらす。 たゞ念仏ねむぶちのものあてくわうせふかぶる。 まさにしるべし、 ほんぐわんもともこわしとす。」 (礼讃)

弥陀みだ真色しんじきによ金山こむぜん相好さうがう光明くわうみやうせう十方じふぱう
ゆい念仏ねむぶちくわうせふたうほんぐわんさいがう

念仏ねむぶちはこれ弥陀みだほんぐわんぎやうなるがゆへに、 じやうぶち光明くわうみやうつよくほんせいぐわんをてらしたまふなり。 ぎやうこれほんぐわんにあらざるがゆへに、 弥陀みだ光明くわうみやうきらいててらしたまはざるなり。 いま極楽ごくらくをもとめむひとは、 ほんぐわん念仏ねむぶちぎやうじて、 摂取せふしゆのひかりにてらされむとおぼしめすべし。 これにつけても念仏ねむぶち大切たいせちさふらふ、 よくよくまふさせたまふべし。 またしや如来によらい、 この ¬きやう¼ のなかぢやうさんのもろもろのぎやうをときおはりてのちに、 まさしくなんぞくしたまふときには、 かみにとくところの散善さんぜん三福さむぷくごふぢやうぜん十三じふさむぐわんおばぞくせずして、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうぞくしたまへり。 ¬きやう¼ (観経)いはく、

ほとけなんつげたまはく、 なんぢよくこのたもて。 このたもてといふは、 すなわちこのりやう寿じゆぶちみなたもてとなり。」

仏告ぶちがうなん↡、 によかう是語ぜご↡。 是語ぜごしやそくりやう寿じゆぶちみやう↡。」

善導ぜんだうくわしやうこのもんしやくしてのたまはく、

仏告ぶちがうなんによかう是語ぜごより已下いげまさし弥陀みだみやうがうぞくして、 だい流通るづすることをあかす。 かみよりこのかたぢやうさんりやうもんやくとくといゑども、 ぶちほんぐわんのぞむには、 こゝろしゆじやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだぶちみなしようするにありと。」 (散善義)

じゆ仏告ぶちがうなんによかう是語ぜご已下いげ正明しやうみやうぞく弥陀みだみやうがう↡、 だい↨。 じやうらいすいせつぢやうさんりやうもんやく↡、 まうぶちほんぐわん↡、 ざいしゆじやう一向ゐちかうせんしよう弥陀みだぶち名↡。」

このぢやうさんのもろもろのぎやうは、 弥陀みだほんぐわんにあらず。 かるがゆへにしや如来によらいわうじやうぎやうぞくしたまふに、 ぢやうぜん散善さんぜんおばぞくせずして、 念仏ねむぶちはこれ弥陀みだほんぐわんなるがゆへに、 まさしくえらびてほんぐわんぎやうぞくしたまへるなり。 いましやのおしえにしたがひてわうじやうをもとむるもの、 ぞく念仏ねむぶちしゆして、 しやおむこゝろにかなふべし。 これにつけてもまたよくよくおむ念仏ねむぶちさふらひて、 ほとけぞくにかなはせたまふべし。 また六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶちしたをのべて、 三千さむぜんかいにおほいて、 もはらたゞ弥陀みだみやうがうをとなへてわうじやうすといふは、 これ真実しんじちなり証誠しようじやうしたまふなり。 これまた念仏ねむぶち弥陀みだほんぐわんなるがゆへに、 六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶち、 これを証誠しようじやうしたまふ。 ぎやうほんぐわんにあらざるがゆへに、 六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶち証誠しようじやうしたまはず。 これにつけてもよくよくおむ念仏ねむぶちさふらふべし。 弥陀みだほんぐわんしやぞく六方ろくぱう諸仏しよぶち証誠しようじやうねむを、 ふかくかうぶらせたまふべし。 弥陀みだほんぐわんしやくそんぞく六方ろくぱう諸仏しよぶちねむ一一ゐちゐちにむなしからず。 このゆへに、 念仏ねむぶちぎやうしよぎやうにすぐれたるなり。 また善導ぜんだうくわしやう弥陀みだ化身くゑしんなり。 じやう祖師そしおほしといへども、 たゞひとへに善導ぜんだうによる。 わうじやうぎやうおほしといゑども、 おほきにわかちてふたつとしたまへり。 ひとつには専修せんじゆ、 いはゆる念仏ねむぶちなり。 ふたつには雑修ざふしゆなり、 いはゆる一切ゐちさいのもろもろのぎやうなり。 かみにいふところのぢやうさんとうこれなり。 ¬わうじやう礼讃らいさん¼ にいは

「もしよくかみのごとく念念ねむねむ相続さうぞくして、 ひちみやうとするものは、 じふはすなわちじふながらしやうず、 ひやくはすなわちひやくながらしやうず」

にやくのうによじやう念念ねむねむ相続さうぞくひちみやうしやじふそくじふしやうひやくそくひやくしやう

いへり。 専修せんじゆざふぎやうとの得失とくしちなり。 とくといふは、 わうじやうすることをうるといふ。 いはく念仏ねむぶちするものは、 すなわちじふ十人じふにんながらわうじやうし、 ひやくはすなわちひやくにんながらわうじやうすといふ、 これなり。 しちといふは、 いはくわうじやうやくをうしなえるなり。 雑修ざふしゆのものは、 ひやくにんなかにまれにゐちにんわうじやうすることをえてそのほかはしやうぜず、 千人せんにんなかにまれにさむにんむまれてそのはむまれず。 専修せんじゆのものはみなむまるゝことをうるは、 なにのゆへぞと。 弥陀みだぶちほんぐわん相応さうおうせるがゆへなり、 しや如来によらいのおしえにずいじゆんせるがゆへなり、 雑業ざふごふのものはむまるゝことのすくなきは、 なむのゆへぞと。 弥陀みだほんぐわんにたがへるがゆへなり。 念仏ねむぶちしてじやうをもとむるものは、 そんミダシヤカノおむこゝろにふかくかなへり。 雑修ざふしゆをしてじやうをもとむるものは、 ぶちおむこゝろにそむけり。 善導ぜんだうくわしやうぎやう得失とくしちはんぜること、 これのみにあらず。 ¬観経くわんぎやうしよ¼ とまふすふみのなかに、 おほく得失とくしちをあげたり。 しげきがゆへにいださず。 これをもてしるべし。

おほよそこの念仏ねむぶちは、 そしれるものはごくにおちてこふをうくることきわまりなし。 しんずるものはじやうにむまれてゐやうごふたのしみをうくることきわまりなし。 なほなほいよいよ信心しんじむをふかくして、 ふたごゝろなく念仏ねむぶちせさせたまふべし。 くはしきことおむふみにつくしがたくさふらふ。 このおむつかひまふしさふらふべし。

(15) 上野大胡太郎実秀への御返事

上野かうづけのくにの住人じゆにんおほごのらうまふすもの、 きやうへまかりのぼりたるついでに、 法然ほふねんしやうにんにあひたてまつりて、 念仏ねむぶちのしさいとひたてまつりて、 本国ほんごくへくだりて念仏ねむぶちをつとむるに、 あるひとまふしていはく、 いかなるつみをつくれども、 念仏ねむぶちまふせばわうじやうす、 一向ゐちかう専修せんじゆなるべしといふとも、 ときときは ¬法華ほふくゑきやう¼ おもよみたてまつり、 また念仏ねむぶちまふさむもなにかはくるしからむとまふしければ、 まことにさるかたもありとて、 法然ほふねんしやうにんおむもとへ、 消息せうそくにてこのよしをいかゞとまふしたりけるおむへん、 かくのごとし。 くだんらうは、 このすゝめによりて、 めおとこ、 ともにわうじやうしてけり。

しやうにんおむへん

さきの便びんにさしあふことさふらひて、 おむふみをだにみときさふらはざりしかば、 おむへんこまかにまふさず、 さだめておぼつかなくおぼしめしさふらふらむと、 おそれおもふたまへさふらふ さてはたづねおほせられてさふらふことゞもは、 おむふみなどにて、 たやすくまふしひらくべきことにてもさふらはず。 あはれまことにきやうにひさしくとうりうさふらひとき、 よしみづばうにて、 こまかにさたありせばよくさふらふなまし。 おほかたは念仏ねむぶちしてわうじやうすとまふすことばかりおば、 わづかにうけたまはりて、 わがこゝろひとつにふかくしんじたるばかりにてこそさふらへども、 ひとまでつばひらかにまふしきかせなどするほどのにてはさふらはねば、 ましていりたちたることゞも、 しむなど、 おむふみにまふしひらくべしともおぼえさふらはねども、 わづかにうけたまはりおよびてさふらはむほどのことを、 はゞかりまいらせて、 すべてともかくもおむへんまふさざらむことのくちおしくさふらへば、 こゝろのおよびさふらはむほどのことは、 かたのごとくまふさむとおもひさふらふなり

まづ三心さむしむそくしてわうじやうすとまふすことは、 まことにそのみやうもく ナトイフ ばかりをうちきくおりは、 いかなるこゝろをまふすやらむと、 ことごとしくおぼえさふらひぬべけれども、 善導ぜんだうおむこゝろにては、 こゝろやすきことにてさふらふなり。 もしならひさたせざらむ無智むちひと、 さとりなからむ女人によにんなどは、 えせぬほどのこゝろばえにてはさふらはぬなり。 まめやかにわうじやうせむとおもひて念仏ねむぶちまふさむひとは、 ねんそくしぬべきこゝろにてさふらふものを。 そのゆへは、 三心さむしむまふすは、 ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ にとかれてさふらふやうは、 「もししゆじやうあて、 かのくにゝむまれむとねがはむものは、 三種さむしゆしむをおこしてすなはちわうじやうすべし。 なにおかみつとする。 ひとつにはじやうしむふたつには深心じむしむみつにはかうほちぐわんしむなり。 三心さむしむせるもの、 かならずかのくににむまる」 ととかれたり。 しかるに善導ぜんだうくわしやうおむこゝろによらば、 はじめのじやうしむといふは真実しんじちしむなり。 真実しんじちといふは、 うちにはむなしくして、 ほかにはかざるこゝろなきをまふすなり。 すなわち、 ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ をしやくしてのたまはく、 「ほか賢善けんぜんしやうじんさうげんじて、 うちには虚仮こけをいだくことなかれ」 と。 このしやくのこゝろは、 うちにはおろかにして、 ほかにはかしこきひととおもはれむとふるまひ、 うちにはあくをつくりて、 ほかには善人ぜんにんのよしをしめし、 うちにはだいにして、 ほかにはしやうじんさうげんずるを、 じちならぬこゝろとはまふすなりうちにもほかにもたゞあるまゝにてかざるこゝろなきを、 じやうしむとはなづけたるにこそさふらふめれ。 ふたつには深心じむしむとは、 すなわちふかくしんずるこゝろなり。 なにごとをふかくしんずるぞといふに、 もろもろの煩悩ぼむなうそくして、 おほくのつみをつくりて、 善根ぜんごんなからむぼむ弥陀みだぶちだいぐわんをあふぎて、 そのほとけのみやうがうをとなえて、 もしはひやくねんにても、 もしはじふねんにても、 もしはじふ廿にじふねんないゐちねん、 すべておもひはじめたらむより臨終りむじゆときにいたるまで退たいせざらむ。 もしは七日しちにち一日ゐちにちじふしやうゐちしやうにても、 おほくもすくなくも、 称名しようみやう念仏ねむぶちひと決定くゑちじやうしてわうじやうすとしんじて、 ない一念ゐちねむもうたがふことなきを、 深心じむしむなり しかるにもろもろのわうじやうをねがふひとも、 ほんぐわんみやうがうおばたもちながら、 なほうち妄念まうねむのおこるにもおそれ、 ほかぜんのすくなきによりて、 ひとへにわがみをかろめてわうじやうぢやうにおもふは、 すでにほとけほんぐわんをうたがふなり。 されば善導ぜんだうは、 はるかにらいぎやうじやのこのうたがひをのこさむことをかゞみて、 うたがひをのぞきて決定くゑちじやうしむをすゝめむがために、 煩悩ぼむなうしてつみをつくりて、 善根ぜんごんすくなくさとりなからむぼむゐちしやうまでの念仏ねむぶち決定くゑちじやうしてわうじやうすべきことわりを、 こまかにしやくしてのたまへるなり。 「たとひおほくのほとけ、 そらのなかにみちみちて、 ひかりをはなちしたをのべて、 つみをつくれるぼむ念仏ねむぶちしてわうじやうすといふことはひがごとなり、 しんずべからずとのたまふとも、 それによりて一念ゐちねむもおどろきうたがふこゝろあるべからず。 そのゆへは、 弥陀みだぶちいまだほとけになりたまはざりしむかし、 もしわれほとけになりたらむに、 わがみやうがうをとなふることじふしやうゐちしやうまでせむもの、 わがくににむまれずは、 われほとけにならじとちかひたまひたりしそのぐわんむなしからずして、 すでにほとけになりたまへり。 しるべし、 そのみやうがうをとなえむひとは、 かならずわうじやうすべしといふことを。 またしやぶち、 このしやかいにいでゝ、 一切ゐちさいしゆじやうのために、 かの弥陀みだぶちほんぐわんをとき、 念仏ねむぶちわうじやうをすゝめたまへり。 また六方ろくぱう諸仏しよぶちは、 そのせち証誠しようじやうしたまへり。 このほかにいづれのほとけの、 またこれらの諸仏しよぶちにたがひて、 ぼむわうじやうせずとはのたまふべきぞといふことわりをもて、 ほとけげんじてのたまふとも、 それにおどろきて、 信心しんじむをやぶりうたがひをいたすことあるべからず。 いはむや、 ほとけたちのゝたまはむおや。 いはむおや、 びやくぶちとうをや」 と、 こまごまとしやくしたまひてさふらふなり いかにいはむや、 このごろのぼむのいひさまたげむおや。 いかにめでたきひとまふすとも、 善導ぜんだうくわしやうにまさりてわうじやうのみちをしりたらむこともかたくさふらふ 善導ぜんだうまたゞたのぼむにあらず、 すなわち弥陀みだぶち化身くゑしんなり。 かのほとけわがほんぐわんをひろめて、 ひろくしゆじやうわうじやうせさせむれうに、 かりにひととむまれて善導ぜんだうとはまふすなり。 そのおしえまふせば仏説ぶちせちにてこそさふらへ。 いかにいはむや、 すいしやくのかたにても現身げんしん三昧さむまいをえて、 まのあたりじやうしやうごむおもみ、 ほとけにむかひたてまつりて、 たゞちにほとけのおしへをうけたまはりてのたまへることばどもなり。 ほんをおもふにもすいしやくをたづぬるにも、 かたがたあふぎてしんずべきおしえなり。 しかれば、 たれだれも煩悩ぼむなうのうすくこきおもかへりみず、 ざいしやうのかろきおもきおもさたせず、 たゞくちにて南无なも弥陀みだぶちととなえば、 こゑにつきて決定くゑちじやうわうじやうのおもひをなすべし。 決定くゑちじやうしむをすなわち深心じむしむとなづく。 その信心しんじむしぬれば、 決定くゑちじやうしてわうじやうするなり。 せむずるところは、 たゞとにもかくにも、 念仏ねむぶちしてわうじやうすといふことをうたがはぬを、 深心じむしむとはなづけてさふらふなり。 みつにはかうほちぐわんしむまふすは、 これべちのこゝろにてはさふらはず、 わが所修しよしゆぎやうを、 一向ゐちかうかうしてわうじやうをねがふこゝろなり。 「かくのごとく三心さむしむそくしてかならずわうじやうす。 このこゝろひとへにかけぬればわうじやうせず」 と、 善導ぜんだうしやくしたまへるなり。 たとひまことのこゝろありて、 うへをかざらずとも、 ほとけほんぐわんをうたがはゞ、 深心じむしむかけたるこフカクシンズルコヽロトイフナリゝろなり。 たとひうたがふこゝろなくとも、 うへをかざりて、 うちにまことにおもふこゝろなくは、 じやうしむかけたるこゝろなるべし。 たとひまたこのふたつのこゝろをして、 かざりごゝろもなく、 うたがふこゝろもなくとも、 極楽ごくらくわうじやうせむとねがふこゝろなくは、 かうほちぐわんしむすくなかるべし。 また三心さむしむとわかつおりは、 かくのごとく別別べちべちになるやうなれども、 せむずるところは、 真実しんじちのこゝろをおこして、 ふかくほんぐわんしんじてわうじやうをねがはむこゝろを、 三心さむしむそくのこゝろとはまふすべきなり まことにこれほどのこゝろをだにもせずしては、 いかゞわうじやうほどのだいおばとげさふらふべき。 このこゝろをまふせば、 またやすきことにてさふらふぞかし。 これをかやうにこゝろえしらねばとて、 三心さむしむせぬにてはさふらはぬなり。 そのなをだにもしらぬものも、 このこゝろおばそなえつべく、 またよくよくしりたらむひとなかにも、 そのまゝにせぬもさふらひぬべきこゝろにてさふらふなり。 さればこそいふかひなきひとのなかよりも、 たゞひとへに念仏ねむぶちまふすばかりにてはわうじやうしたりといふことは、 むかしよりまふしつたえたることにてさふらへ。 それはみなしらねども、 三心さむしむしたるひとにてありけりと、 こゝろうることにてさふらふなり。

またとしごろ念仏ねむぶちまふしたるひとの、 臨終りむじゆわるきことのさふらふは、 さきにまふしつるやうに、 うへばかりをかざりて、 たうとき念仏ねむぶちしやなどひとにいはれむとのみおもひて、 したにはふかくほんぐわんおもしんぜず、 まめやかにわうじやうおもねがわぬひとにてこそはさふらふらめとこそは、 こゝろえられさふらへ。 さればこの三心さむしむせぬゆへに、 臨終りむじゆもわるく、 わうじやうもえせぬとはまふしさふらふなり。 かくまふしさふらへば、 さてはわうじやうだいにこそあむなれと、 おぼしめすことゆめゆめさふらふまじ。 ゐちぢやうわうじやうすべきぞとおもひとらぬこゝろを、 やがて深心じむしむかけてわうじやうせぬこゝろとはまふしさふらへば、 いよいよゐちぢやうとこそおぼしめすべきことにてさふらへ。 まめやかにわうじやうのこゝろざしありて、 弥陀みだほんぐわんうたがはずして、 念仏ねむぶちまふさむひとは、 臨終りむじゆわるきことはおほかたさふらふまじきなり。 そのゆへは、 ほとけ来迎らいかうしたまふことは、 もとよりぎやうじや臨終りむじゆしやうねむのためにてさふらふなり。 それをこゝろえぬひとは、 みなわが臨終りむじゆしやうねむにて念仏ねむぶちまふしたらむおりに、 ほとけはむかへたまふべきとのみこゝろえてさふらはば、 ほとけぐわんおもしんぜず、 きやうもんおもこゝろえぬにてさふらふなり。 ¬しようさんじやうきやう¼ には、 「慈悲じひをもてくわえたすけて、 こゝろをしてみだらしめたまはず」 ととかれてさふらふなり。 たゞのときによくよくまふしおきたる念仏ねむぶちによりて、 臨終りむじゆにかならずほとけ来迎らいかうキタリムカフたまふ。 ほとけのきたりげんじたまへるをみたてまつりて、 しやうねむにはじゆすとまふしつたえてさふらふなり。 しかるにさきの念仏ねむぶちおば、 むなしくおもひなして、 よしなき臨終りむじゆしやうねむおのみいのるひとなどのさふらふは、 ゆゝしきひがゐむにいりたることにてさふらふなり。 さればほとけぐわんしんぜむひとは、 かねて臨終りむじゆうたがふこゝろあるべからずとこそはおぼへさふらへ。 たゞたうじよりまふさむ念仏ねむぶちおぞ、 いよいよもこゝろをいたしてまふしさふらふべき。 いつかはほとけぐわんにも、 臨終りむじゆとき念仏ねむぶちまふしたらむひとおのみむかへむとはたてたまひてさふらふ 臨終りむじゆ念仏ねむぶちにてわうじやうをすとまふすことは、 わうじやうおもねがはず、 念仏ねむぶちおもまふさずして、 ひとへにつみをのみつくりたる悪人あくにんの、 すでにしなむとするときに、 はじめてぜんしきのすゝめにあひて、 念仏ねむぶちしてわうじやうすとこそ、 ¬観経くわんぎやう¼ にもとかれてさふらへ。 もとよりのぎやうじや臨終りむじゆのさたはあながちにすべきやうもさふらはぬなり。 ほとけ来迎らいかうゐちぢやうならば、 臨終りむじゆしやうねむはまたゐちぢやうとおぼしめすべきなり。 このおむこゝろをえて、 よくよくおむこゝろをとゞめて、 こゝろえさせたまふべきことにてさふらふなり。

またつみをつくりたるひとだにも念仏ねむぶちしてわうじやうす、 まして ¬法華ほふくゑきやう¼ などよみて、 また念仏ねむぶちまふさむは、 などかはあしかるべきと人々ひとびとまふしさふらふらむことは、 きやうへむにもさやうにまふしさふらふ人々ひとびとおほくさふらへば、 まことにさぞさふらふらむ。 これはしゆのこゝろにてこそはさふらはめ。 よしあしをさだめまふしさふらふべきことにさふらはず。 ひがごとゝまふしさふらはゞ、 おそれあるかたもおほくさふらふ たゞしじやうしゆのこゝろ、 善導ぜんだうおむしやくには、 わうじやうぎやうをおほきにわかちてふたつとす。 ひとつには正行しやうぎやうふたつにはざふぎやうなり はじめの正行しやうぎやうといふは、 それにまたあまたのぎやうあり。 はじめに読誦どくじゆ正行しやうぎやう、 これは ¬だいりやう寿じゆきやう¼・¬くわんりやう寿じゆきやう¼・¬弥陀みだきやう¼ とうの 「さむきやう」 をよむなり。 つぎにくわんざち正行しやうぎやう、 これは極楽ごくらくしやうほうのありさまをくわんずるなり。 つぎに礼拝らいはい正行しやうぎやう、 これも弥陀みだぶち礼拝らいはいするなり。 つぎに称名しようみやう正行しやうぎやう、 これは南无なも弥陀みだぶちととなふるなり。 つぎに讃嘆さんだんやう正行しやうぎやう、 これは弥陀みだぶち讃嘆さんだんやうしたてまつるなり。 これをさしてしゆ正行しやうぎやうとなづく。 讃嘆さんだんやうとをふたつにわかつには、 六種ろくしゆ正行しやうぎやうともまふすなり。 また 「この正行しやうぎやうにつきてふさねてしゆとす。 ひとつには一心ゐちしむにもはら弥陀みだみやうがうをとなえて、 たちゐ・おきふし、 よるひる、 わするゝことなく、 念念ねむねむにすてざるを、 正定しやうぢやうごふとなづく、 かのほとけぐわんによるがゆへに」 (散善義意)まふして、 念仏ねむぶちをもてまさしきさだめたるわうじやうごふにたてて、 「もし礼誦らいじゆとうによるおばなづけて助業じよごふとす」 (散善義)まふして、 念仏ねむぶちのほかの礼拝らいはい読誦どくじゆくわんざち讃嘆さんだんやうなどおば、 かの念仏ねむぶちしやをたすくるごふまふしさふらふなり。 さてこの正定しやうぢやうごふ助業じよごふとをのぞきて、 そのほかのしよぎやうおば、 布施ふせかい忍辱にんにくしやうじんとうろくまんぎやうも、 ¬法華ほふくゑきやう¼ おもよみ、 真言しんごんおもおこなひ、 かくのごとくのしよぎやうおば、 みなことごとくざふぎやうとなづく。 さきの正行しやうぎやうしゆするおば、 専修せんじゆぎやうじやといふ。 のちのざふぎやうしゆするを、 雑修ざふしゆぎやうじやまふすなり このぎやう得失とくしちはんずるに、 「さきの正行しやうぎやうしゆするには、 こゝろつねにかのくにに親近しんごんしてシタシクチカヅク憶念おくねむひまなし。 のちのざふぎやうぎやうずるには、 こゝろつねに間断けんだんす、 ヘダテタフルナリかうしてむまるゝことをうべしといゑども、 ざふぎやうウトクマジワルト なづく」 (散善義意) といひて、 極楽ごくらくにはうときぎやうとたてたり。 また 「専修せんじゆのものは、 十人じふにん十人じふにんながらむまれ、 ひやくにんひやくにんながらむまる。 なにをもてのゆへに。 ぐゑホカナリ雑縁ざふえんなし、 しやうねむをうるがゆへに、 弥陀みだほんぐわん相応さうおうするがゆへに、 しやのおしえにしたがふがゆへに、 恒沙ごうじや諸仏しよぶちのみことにしたがふがゆへに。 雑修ざふしゆのものは、 ひやくにんゐちにん千人せんにん四五しごにんむまる。 なにをもてのゆへに。 雑縁ざふえん乱動らんどうす、 ミダリオゴカスナリしやうねむをうしなふがゆへに、 弥陀みだほんぐわん相応さうおうせざるがゆへに、 しやのおしへにしたがはざるがゆへに、 諸仏しよぶちのみことにたしがはざるがゆへに、 ねむ相続さうぞくせざるがゆへに、 憶想おくさう間断けんだんするがゆへに、 みやう相応さうおうするがゆへに、 しやうワガコヽロヲサヘしやうヒトヲサフルするがゆへに、 このみて雑縁ざふえんにちかづきてわうじやう正行しやうぎやうをさふるがゆへに」 (礼讃意)しやくせられてさふらふめれば、 善導ぜんだうくわしやうをふかくしんじて、 じやうしゆにいらむひとは、 一向ゐちかう正行しやうぎやうしゆすべしとまふすことにてこそさふらへ。 そのうへに善導ぜんだうのおしえをそむきて、 よのぎやうしゆせむとおもはむひとは、 おのおのならひたるやうどもこそさふらふらめ。 それをよしあしとはいかゞまふしさふらふべき。 善導ぜんだうおむこゝろにて、 すゝめたまへるぎやうどもをおきながら、 すゝめたまはざるぎやうをすこしにてもくはふべきやうなしとまふすことにてさふらふなり。 すゝめたまひつる正行しやうぎやうばかりをだにもなほものうきみに、 いまだすゝめたまはぬざふぎやうをくはへんことは、 まことしからぬかたもさふらふぞかし。

またつみをつくりたるひとだにもわうじやうすれば、 ましてぜんなれば、 なにかくるしからむとまふしさふらふらむこそ、 むげにけきたなくおぼえさふらへ。 わうじやうおもたすけさふらはゞこそは、 いみじくもさふらはめ。 さまたげになりならぬばかりを、 いみじきことにてくはえおこなはむこと、 なにかせむにて