1383あん1111じんけつじょうしょう ほん

 

・総標

【1】 じょうしんしゅうぎょうじゃは、 まづ本願ほんがんの​おこり​をぞんす​べき​なり。

・十八願肝要

せいじゅうはちなれども、 だいじゅうはちがんほんと​す。 じゅうしちは、 このがんしんぜ​しめ​んがため​なり。

・¬礼讃¼

・願文を引く

【2】 このがんを ¬*礼讃らいさん¼ に釈し​たまふ​に、 「にゃくじょうぶつ 十方じっぽうしゅじょう しょうみょうごう 下至げしじっしょう にゃくしょうじゃ しゅしょうがく」 といへり。

・釈文和解

このもんの​こころ​は、 「十方じっぽうしゅじょうがんぎょうじょうじゅし​ておうじょうせば、 われ​もぶつら​ん。 しゅじょうおうじょうせず​は、 われしょうがくら​じ」 と​なり。 かるがゆゑに、 ぶつしょうがくは、 われら​がおうじょうする​と​せざる​と​に​よる​べき​なり。

・詰問

しかるに十方じっぽうしゅじょういまだおうじょうせざる​さき​に、 しょうがくじょうずる​こと​は、 こころえ​がたき​こと​なり。

・一念同時

しかれども、 ぶつしゅじょうに​かはり​てがんぎょうと​を円満えんまんし​て、 われら​がおうじょうを​すでに*したため​たまふ​なり。

十方じっぽうしゅじょうがんぎょう円満えんまんし​て、 おうじょうじょうじゅせ​し​とき、 *ほう一体いったい南無なも弥陀みだぶつしょうがく1384じょうじ​たまひ​し​なり。 かるがゆゑにぶつしょうがくの​ほか​はぼんおうじょうは​なき​なり。

十方じっぽうしゅじょうおうじょうじょうじゅせ​し​とき、 ぶつしょうがくる​ゆゑに、 ぶつしょうがくり​し​と​われら​がおうじょうじょうじゅせ​し​と​はどうなり。

・ただちに法義を明かす

ぶつかたより1112おうじょうじょうぜ​しかども、 しゅじょうが​この​ことわり​を​しる​ことどうなれば、 すでにおうじょうする​ひと​も​あり、 いまおうじょうする​ひと​も​あり、 *とうおうじょうす​べき​ひと​も​あり。 によりてさんどうなれども、 弥陀みだの​かはり​てじょうじゅせ​し*しょうがく一念いちねんの​ほか​は、 さらにより​いささか​もふる​こと​は​なき​なり。

・譬喩を示す

たとへばづれ​ばせつ十方じっぽうやみことごとくれ、 つきづれ​ば法界ほうかいみずどうかげを​うつす​が​ごとし。 つきで​てかげみずに​やどす、 で​てやみれ​ぬ​こと​ある​べから​ず。 かるがゆゑに、 で​たる​かで​ざる​か​を​おもふ​べし、 やみれ​ざる​かれ​たる​か​をうたがふ​べから​ず。 ぶつしょうがくり​たまへ​る​か​いまだり​たまは​ざる​か​を分別ふんべつす​べし、 ぼんおうじょうべき​かべから​ざる​か​をうたがふ​べから​ず。

・衆生に親疎あること

しゅじょうおうじょうせずはぶつら​じ」 (*大経・上意)ちかひ​たまひ​し*法蔵ほうぞう比丘びくの、 十劫じっこうに​すでにじょうぶつし​たまへ​り。 *仏体ぶったいより​は​すでにじょうじ​たまひ​たり​けるおうじょうを、 *つたなく今日こんにちまで​しら​ず​して​むなしくてんし​ける​なり。

・¬般舟讃¼ を引く

かるがゆゑに ¬*般舟はんじゅさん¼ には、 「おほきに​すべからく1385ざんす​べし。 しゃ如来にょらいは​まことに​これ慈悲じひ父母ぶもなり」 といへり。

・慚愧の二字を釈す

ざん」 の二字にじをば、 てんに​はぢひとに​はづ​ともしゃくし、 に​はぢに​はづ​ともしゃくせ​り。

・総じて二尊に約す

なにごと​を​おほきに​はづ​べし​といふ​ぞ​といふ​に、 弥陀みだ*ちょうさい永劫ようごうの​あひだぜんぼんに​かはり​てがんぎょう1113を​はげまし、 しゃくそん*ひゃく塵点じんでんごうの​むかし​より*八千はっせんべんまでで​て、 かかる思議しぎ誓願せいがんを​われら​に​しら​せ​ん​と​し​たまふ​を、 いま​まで​きか​ざる​こと​を​はづ​べし。

・別して弥陀に約す

よりじょうずる*だい小乗しょうじょうぎょうならば、 ほうたえなれども、 が​およば​ねば​ちから​なし​といふ​こと​も​あり​ぬ​べし。 いま​のりきがんぎょうは、 ぎょう仏体ぶったいに​はげみ​てこうぜんの​われら​に​ゆづり​て、 謗法ほうぼう闡提せんだい*法滅ほうめつひゃくさいまでじょうぜ​ず​といふ​こと​なきどくなり。 この​ことわり​を*慇懃おんごんげ​たまふ​こと​をしんぜ​ず、 しら​ざる​こと​を​おほきに​はづ​べし​といふ​なり。

・別して釈迦に約す

三千さんぜん大千だいせんかいに、 芥子けしばかり​もしゃくそんしんみょうを​すて​たまは​ぬ​ところ​は​なし」 (*法華経・意)。 みな​これりきしんぜ​ざる​われら​に信心しんじんを​おこさ​しめ​ん​と、 かはり​てなんぎょうぎょうし​てえんを​むすび、 *こうを​かさね​たまひ​し​なり。 この広大こうだいおんこころざし​を​しら​ざる​こと​を、 おほきに​はぢ​はづ​べし​といふ​なり。

・方便を明かす

この​こころ​を​あらはさ​ん​とて、 「種々しゅじゅ方便ほうべんをもつて、 われら​がじょう信心しんじんほっす」 (般舟讃)しゃくせ​り1386

・凡夫左右なきを明かす

じょう信心しんじんといふは、 りき三信さんしんなり。 つぎ​に 「種々しゅじゅ方便ほうべんく、 *きょうもんひとつ​に​あらず」 (般舟讃) といふ​は、 *しょきょうずい得益とくやくなり。 ぼん*左右さうなくりき信心しんじんぎゃくとくする​こと​かたし。 しかるにりきじょうじ​がたき​こと​を​きく​とき、 りきぎょうしんぜ​られ、 しょうどう信心しんじんを​きく​にじょうしゅし​やすき​こと1114しんぜ​らるる​なり。

・行信法体にかえること

おほよそぶつかたより​なにの​わづらひ​も​なくじょうじゅし​たまへ​るおうじょうを、 われら煩悩ぼんのうに​くるは​さ​れ​て、 ひさしくてんし​て思議しぎぶっ信受しんじゅせず。 かるがゆゑにさんしゅじょうみょうねん*しょうがく一念いちねんに​かへり、 十方じっぽうじょうしょうねんこころしょうがく一念いちねんに​かへる。 さらににおいていっしょう一念いちねんも​とどまる​こと​なし。

・名体不二の行体

【3】 みょうたい不二ふにがんぎょうなる​がゆゑに、 みょうごうすなはちしょうがく全体ぜんたいなり。 しょうがくたいなる​がゆゑに、 十方じっぽうしゅじょうおうじょうたいなり。 おうじょうたいなる​がゆゑに、 われら​ががんぎょうことごとくそくせず​といふ​こと​なし。

・¬玄義分¼ を引きたもうこと

かるがゆゑに 「げん(*玄義分) にいはく、 「いま​この ¬かんぎょう¼ の​なか​のじっしょうしょうぶつには、 すなはちじゅうがんありて十行じゅうぎょうそくせ​り。 いかんがそくせ​る。 ª南無なもº といふは​すなはち​これみょう、 また​これ発願ほつがんこうなり。 ª弥陀みだぶつº といふは​すなはち​これ​そのぎょうなり。 このをもつて​の​ゆゑに​かならずおうじょう」 といへり。

*ぼんしょう1387*失念しつねんしょうねんがんぎょうそくする​こと​は、 さらにがんぎょうに​あらず​と​しる​べし。 法蔵ほうぞうさつこうちょうさいがんぎょうの、 ぼんがんぎょうじょうずる​ゆゑなり。 弥陀みだぶつぼんがんぎょうじょうぜ​し​いはれ​をりょうする​を、 三心さんしんとも​いひ、 三信さんしんともき、 信心しんじんとも​いふ​なり。 弥陀みだぶつぼんがんぎょうじょう1115ぜ​し​ゆゑ​をごうに​あらはす​を、 南無なも弥陀みだぶつといふ。

・領解のこと

かるがゆゑにりょうには​とどまら​ず、 りょうすれば仏願ぶつがんたいに​かへる。 みょうごうには​とどまら​ず、 となふれ​ば*やがてがんに​かへる。

・第十八願をもって上を結ぶ

かるがゆゑにじょう法門ほうもんは、 だいじゅうはちがんを​よくよく​こころうる​ほか​には​なき​なり。

・¬定善義¼ を引いて、 名号本願、 一なるを示す

【4】 「にょりょう寿じゅきょう じゅうはちがんちゅう ゆいみょう専念せんねん 弥陀みだみょうごうとくしょう(*定善義) ともしゃくし、 「きょう じょうさんもんちゅう ゆいひょう専念せんねん *弥陀みだみょうごうとくしょう(定善義) ともしゃくし​て、 *さんぎょうともに​ただ​この本願ほんがんを​あらはす​なり。 だいじゅうはちがんを​こころうる​といふ​は、 みょうごうを​こころうる​なり。 みょうごうを​こころうる​といふ​は、 弥陀みだぶつしゅじょうに​かはり​てがんぎょうじょうじゅし​て、 ぼんおうじょうに​さきだち​てじょうじゅせ​し​きざみ、 十方じっぽうしゅじょうおうじょうしょうがくたいと​せ​し​こと​をりょうする​なり。

・信念相続のこと

かるがゆゑに念仏ねんぶつぎょうじゃみょうごうを​きか​ば、 「あは、 はや​わがおうじょうじょうじゅし​に​けり。 十方じっぽうしゅじょうおうじょうじょうじゅせずはしょうがくら​じ​とちかひ​たまひ​し法蔵ほうぞうさつしょうがく*みょうなる​がゆゑに1388」 と​おもふ​べし。

また弥陀みだぶつぎょうぞうを​をがみ​たてまつら​ば、 「あは、 はや​わがおうじょうじょうじゅし​に​けり。 十方じっぽうしゅじょうおうじょうじょうじゅせずはしょうがくら​じ​とちかひ​たまひ​し法蔵ほうぞう*さっじょうしょうがくおんすがた​なる​ゆゑに」 と​おもふ​べし。

また極楽ごくらくといふを​きか​ば、 「あは、 わがおうじょうす​べき​ところ​をじょうじゅし​たまひ​に​けり。 しゅじょうおうじょうせずはしょうがくら​じ1116ちかひ​たまひ​し法蔵ほうぞう比丘びくじょうじゅし​たまへ​る極楽ごくらくよ」 と​おもふ​べし。

を​いへ​ば、 仏法ぶっぽうぞくと​のしゅ善根ぜんごんなき*ゆいあくに、 仏体ぶったいより恒沙ごうじゃ塵数じんじゅどくじょうじゅする​ゆゑに、 われら​が​ごとく​なる愚痴ぐち悪見あくけんしゅじょうの​ため​のらくの​きはまり​なる​ゆゑに極楽ごくらくといふ​なり。

・自力の機執を捨つること

本願ほんがんしんみょうごうを​となふ​とも、 *よそなるぶつどくと​おもう​て*みょうごうこうを​いれ​なば、 などかおうじょうを​とげ​ざらん​なんど​おもは​ん​は、 かなしかる​べき​こと​なり。 *ひしと​われら​がおうじょうじょうじゅせ​し​すがた​を南無なも弥陀みだぶつと​は​いひ​ける​といふ信心しんじんおこり​ぬれ​ば、 *仏体ぶったいすなはち​われら​がおうじょうぎょうなる​がゆゑに、 いっしょうの​ところ​におうじょうけつじょうする​なり。

弥陀みだぶつといふみょうごうを​きか​ば、 やがて​わがおうじょうと​こころえ、 わがおうじょうは​すなはちぶつしょうがくなり​と​こころう​べし。 弥陀みだぶつしょうがくじょうじ​たまへ​る​か​いまだじょうじ​たまは​ざる​か​をばうたがふ​とも、 わがおうじょうじょうずる​かじょうぜ​ざる​か​をばうたが1389べから​ず。 いちしゅじょうの​うへ​にもおうじょうせ​ぬ​こと​あらば、 ゆめゆめぶつしょうがくり​たまふ​べから​ず。 ここ​を​こころうる​をだいじゅうはちがん*おもひわく​と​は​いふ​なり。

・超世不共

【5】 まことにおうじょうせん​と​おもは​ば、 しゅじょうこそがんをも​おこしぎょうをも​はげむ​べき​に、 がんぎょうさつの​ところ​に​はげみ​て、 *かんは​われら​が​ところ​にじょうず。 けんしゅっいん1117ことわり​にちょうせり。 しょう (善導) は​これ​を 「*べつがん(玄義分) と​ほめ​たまへ​り。

・本願名号不二のこと

しゅじょうに​かはり​てがんぎょうじょうずる​こと、 *じょうもつしゅじょう*さき​として善人ぜんにんに​およぶ​まで、 いちしゅじょうの​うへ​にも​およば​ざる​ところ​あらば、 だいがん満足まんぞくす​べから​ず。

面々めんめんしゅじょうごと​に、 がんぎょうじょうじゅせ​し​とき、 ぶつしょうがくじょうじ、 ぼんおうじょうせ​し​なり。

かかる思議しぎみょうごうもし​きこえ​ざる​ところ​あらばしょうがくら​じ​とちかひ​たまへ​り。

われら​すでに弥陀みだといふみょうごうを​きく。 しる​べし、 われら​がおうじょうすでにじょうぜ​り​といふ​ことを。 きく​といふは、 ただ*おほやうにみょうごうを​きく​に​あらず、 本願ほんがんりき思議しぎを​きき​てうたがは​ざる​を​きく​と​は​いふ​なり。 御名みなを​きく​も本願ほんがんよりじょうじ​て​きく。 一向いっこうりきなり。 たとひぼんおうじょうじょうじ​たまひ​たり​とも、 そのがんじょうじゅし​たまへ​る御名みなを​きか​ずは、 いかでか​そのがんじょうぜ​り​と​しる​べき。

かるがゆゑにみょうごうを​きき​てもぎょうぞうはいし​ても1390、 わがおうじょうじょうじ​たまへ​る御名みなと​きき、 「われら​を*わたさ​ずはぶつら​じ​とちかひ​たまひ​し法蔵ほうぞう誓願せいがんむなしから​ず​して、 しょうがくじょうじ​たまへ​るおんすがた​よ」 と​おもは​ざらん​は、 きく​とも​きか​ざる​が​ごとし、 みる​とも​み​ざる​が​ごとし。

・信後相続のこと

¬*びょうどうがくきょう¼ (四) に​のたまはく、 「じょう法門ほうもんく​をき​てかんやくし、 *いよたつ」 といふは、 *そぞろに​よろこぶ​に​あらず。 わが1118*しゅつぎょうを​はげま​んとすれ​ば、 *道心どうしんも​なく智慧ちえも​なし。 *もくぎょうそくかけ​たるなれば、 ただ三悪さんまく*きょうに​しづむ​べきなる​を、 がんぎょう仏体ぶったいよりじょうじ​て、 ほう一体いったいしょうがくじょうじ​たまひ​ける​こと​の​うれしさ​よ​と​おもふ​とき、 かんのあまり​をどりあがる​ほどに​うれしき​なり。

¬*だいきょう¼ に 「爾時にじもん一念いちねん」 とも、 「もんみょうかんさん」 とも​いふ​は、 この​こころ​なり。

*よそ​に​さしのけ​ては​なく​して、 やがて​わがおうじょうすでにじょうじ​たるみょうごう、 わがおうじょうし​たるおんすがた​と​みる​を、 みょうごうを​きく​ともぎょうぞうを​みる​とも​いふ​なり。 この​ことわり​を​こころうる​を本願ほんがんしんす​と​は​いふ​なり。

・任運の法徳

【6】 念仏ねんぶつ三昧ざんまいにおいて信心しんじんけつじょうせん​ひと​は、 南無なも弥陀みだぶつ、 こころ​も南無なも弥陀みだぶつなり​と​おもふ​べき​なり。

ひと​のをばすいふうだいよりあひ​てじょうず。 小乗しょうじょうには*ごくしょじょうといへり。 ごくに​くだき​て​みる​とも報仏ほうぶつ1391どくま​ぬ​ところ​は​ある​べから​ず。 さればほう一体いったい南無なも弥陀みだぶつなり。 こころ​は煩悩ぼんのう*ずい煩悩ぼんのうとうそくせ​り。 せつせつしょうめつす。 こころ​をせつ*ちわり​て​みる​とも、 弥陀みだがんぎょうへんせ​ぬ​ところ​なけれ​ば、 ほう一体いったいにして​こころ​も南無なも弥陀みだぶつなり。

弥陀みだだいの​むね​の​うち​に、 かのじょうもつしゅじょうみちみち​たる​ゆゑに、 ほう一体いったい1119にして南無なも弥陀みだぶつなり。

われら​が*迷倒めいとうの​こころ​の​そこ​には法界ほうかいしんぶつどくみちみち​たまへ​る​ゆゑに、 またほう一体いったいにして南無なも弥陀みだぶつなり。 じょうしょうほうも​しかなり。 ほうは、 宝樹ほうじゅひとつ​も極悪ごくあくの​われら​が​ため​なら​ぬ​こと​なけれ​ば、 ほう一体いったいにして南無なも弥陀みだぶつなり。 しょうぼうは、 けん*びゃくごうそうより*せん輻輪ぷくりんの​あなうら​に​いたる​まで、 じょうもつしゅじょうがんぎょう円満えんまんせ​るおんかたち​なる​ゆゑに、 またほう一体いったいにして南無なも弥陀みだぶつなり。

われら​が*道心どうしんほう三業さんごう威儀いぎ、 すべて報仏ほうぶつどくの​いたら​ぬ​ところ​なけれ​ば、 南無なも弥陀みだぶつへんも​はなるる​こと​なけれ​ば、 念々ねんねんみな南無なも弥陀みだぶつなり。 さればづるいきいきも、 ぶつどくを​はなるるぶんなけれ​ば、 みな南無なも弥陀みだぶつたいなり。

*曰羅ぎら冒地ぼじといひ​し​ひと​は、 じょう水観すいかんを​なし​しかば、 こころ​に​ひか​れ​ても​ひとつ​のいけと​なり​き。 そのほう*み​ぬれ​ば、 色心しきしん*しょうぼうそれ​に*なりかへる1392こと​なり。

【7】 念仏ねんぶつ三昧ざんまいりょうひらけ​なば、 も​こころ​も南無なも弥陀みだぶつ ˆにˇ なりかへり​て、 そのりょうことば​に​あらはるる​とき、 南無なも弥陀みだぶつもうす​が​うるはしきがん念仏ねんぶつにて​ある​なり。

念仏ねんぶつといふは、 かならずしもくち南無なも弥陀みだぶつと​となふる​のみ​に​あらず。 弥陀みだぶつどく、 われら​が南無なもにおいて十劫じっこうしょうがくせつより*じょうじいり​たまひ​ける​ものを、 といふ信心しんじん1120の​おこる​を念仏ねんぶつといふ​なり。

さて​このりょう*ことわり​あらはせ​ば、 南無なも弥陀みだぶつといふ​にて​ある​なり。 このぶつしんだい慈悲じひほんと​する​ゆゑに、 どんしゅじょうを​わたし​たまふ​を​さき​と​する​ゆゑに、 みょうたい不二ふにしょうがくを​となへ​まします​ゆゑに、 仏体ぶったいに​おもむき、 たいどくそくする​ゆゑに、 なにと*はかばかしく​しら​ねども、 *平信へいしんの​ひと​も​となふれ​ばおうじょうする​なり。 されども*こんぼんなる​ゆゑに、 そぞろに*ひらしんじ​も​かなふ​べから​ず。 その​ことわり​を​ききひらく​とき、 信心しんじんは​おこる​なり。

念仏ねんぶつもうす​ともおうじょうせ​ぬ​をば、 「みょう相応そうおうせざる​ゆゑ」 (*論註・下) と​こそ、 *曇鸞どんらんしゃくし​たまへ。 「*みょう相応そうおうす」 といふは、 弥陀みだぶつどくりきにて​われら​はおうじょうす​べし​と​おもう​て​となふる​なり。 りょう信心しんじんを​ことば​に​あらはす1393ゆゑに、 南無なも弥陀みだぶつろくを​よく​こころうる​を三心さんしんといふ​なり。 かるがゆゑにぶつどく、 ひしと​わがじょうじ​たり​と​おもひ​て、 くち南無なも弥陀みだぶつと​となふる​が、 三心さんしんそく念仏ねんぶつにて​ある​なり。

りきの​ひと​の念仏ねんぶつは、 ぶつをば​さしのけ​て西方さいほうに​おき、 わがをば*しらじら​と​あるぼんにて、 ときどき​こころ​にぶつりきを​おもひみょうごうを​となふる​ゆゑに、 ぶつしゅじょう*うとうとしく​して、 いささか道心どうしんおこり​たる​とき​は、 おうじょうも​ちかく​おぼえ、 念仏ねんぶつ*ものうく道心どうしんも​さめ​たる​とき​は、 おうじょう1121も​きはめてじょうなり。 ぼんの​こころ​として​は、 道心どうしんを​おこす​こと​も​まれなれ​ば、 つね​にはおうじょうじょうなり。 もしや​もしや​と​まて​ども、 おうじょうりんじゅうまで​おもひさだむる​こと​なき​ゆゑに、 くちに​ときどきみょうごうを​となふれ​ども、 *たのみがたきおうじょうなり。 たとへば​ときどき​ひと​に*見参けんざん*みやづかひ​する​にたり。

そのゆゑは、 いかに​してぶつおんこころ​に​かなは​んずる​と​おもひ、 ぶつ*ついしょうし​ておうじょうおんをも*かぶら​んずる​やう​に​おもふ​ほどに、 *安心あんじんぶつだいと​が​はなればなれ​にて、 つねにぶつに​うときなり。 このくらいにて​は​まことに​きはめておうじょうじょうなり。

念仏ねんぶつ三昧ざんまいといふは、 報仏ほうぶつ弥陀みだだいがんぎょうは、 もとよりまよひ​のしゅじょう心想しんそうの​うち​にり​たまへ​り、 しら​ず​して仏体ぶったいより1394ほう一体いったい南無なも弥陀みだぶつしょうがくじょうじ​たまふ​こと​なり​としんする​なり。 がんぎょうみな仏体ぶったいよりじょうずる​こと​なる​がゆゑに、 をがむ、 となふるくちしんずる​こころ、 みなりきなり​といふ​なり。

・衆生の心と仏の心と一なるのこと

【8】 かるがゆゑにほう一体いったい念仏ねんぶつ三昧ざんまいを​あらはし​て、 *第八だいはちかんには、 「諸仏しょぶつ如来にょらい 法界ほうかいしん にゅう一切いっさいしゅじょう 心想しんそうちゅう(*観経)く。

これ​をしゃくする​に、 「ª法界ほうかいº といふは*しょきょう、 すなはちしゅじょうかいなり」 (定善義) といへり。 じょうぜんしゅじょうとも​いは​ず、 道心どうしんしゅじょうともか​ず、 *法界ほうかいしゅじょうしょとす。 「ª法界ほうかいº といふは、 しょきょうしゅじょうかいなり」 と1122しゃくする、 これ​なり。 まさしく​は、 こころ​いたる​がゆゑにも​いたる​といへり。 弥陀みだ身心しんしんどく法界ほうかいしゅじょうの​うち、 こころ​の​そこ​につ​ゆゑに、 「にゅう一切いっさいしゅじょう心想しんそうちゅう」 とく​なり。 ここ​をしんずる​を念仏ねんぶつしゅじょうといふ​なり。

・三業の仏身と一なること

また*真身しんしんかんには、 「念仏ねんぶつしゅじょう三業さんごうと、 弥陀みだ如来にょらい三業さんごうと、 あひ​はなれ​ず」 (定善義・意)しゃくせ​り。

ぶつしょうがくしゅじょうおうじょうよりじょうじ、 しゅじょうおうじょうぶつしょうがくよりじょうずる​ゆゑに、 しゅじょう三業さんごうぶつ三業さんごうと​まつたく一体いったいなり。 ぶつしょうがくの​ほか​にしゅじょうおうじょうも​なく、 がんぎょうも​みな仏体ぶったいよりじょうじ​たまへ​り​と​しりきく​を念仏ねんぶつしゅじょうといひ、 このしんじん1395の​ことば​に​あらはるる​を南無なも弥陀みだぶつといふ。

かるがゆゑに念仏ねんぶつぎょうじゃに​なり​ぬれ​ば、 いかにぶつを​はなれ​ん​と​おもふ​とも、 じんの​へだて​も​なき​こと​なり。

ぶつかたよりほう一体いったい南無なも弥陀みだぶつしょうがくじょうじ​たまひ​たり​ける​ゆゑに、 なにと*はかばかしから​ぬ*下下げげぼん失念しつねんくらい称名しょうみょうおうじょうする​は、 となふる​とき​はじめておうじょうする​には​あらず、 極悪ごくあくの​ため​に​もとよりじょうじ​たまへ​るおうじょうを​となへ​あらはす​なり。

また ¬だいきょう¼ の三宝さんぼう滅尽めつじんしゅじょうの、 三宝さんぼうみょうを​だに​も​はかばかしく​きか​ぬ​ほど​のが、 一念いちねんとなへ​ておうじょうする​も、 となふる​とき​はじめておうじょうじょうずる​に​あらず。 仏体ぶったいよりじょうぜ​しがんぎょう*くんじゅが、 いっしょうしょうぶつの​ところ​に1123あらはれ​ておうじょういちだいじょうずる​なり。

【9】 かく​こころうれ​ば、 われら​は今日こんにちこんおうじょうす​とも、 わが​こころ​の​かしこく​て念仏ねんぶつをももうし、 りきをもしんずる​こころ​のこうに​あらず。 ゆうみょうせんしょうに​はげみ​たまひ​しぶつどく十劫じっこうしょうがくせつに​われら​においてじょうじ​たまひ​たり​ける​が、 *あらはれ​もてゆく​なり。

*覚体かくたいどくどう十方じっぽうしゅじょうの​うへ​にじょうぜ​しかども、 昨日きのうあらはす​ひと​も​あり、 今日こんにちあらはす​ひと​も​あり。 *今当こんとうさんおうじょうどうなれども、 がんしょういんの​あらはれ​もてゆく​ゆゑに、 ぶつがんぎょうの​ほか​には、 べつ1396信心しんじんひとつ​もぎょうひとつ​も​くはふる​こと​は​なき​なり。

念仏ねんぶつといふは​この​ことわり​をねんじ、 ぎょうといふは​この​うれしさ​を礼拝らいはいぎょうする​ゆゑに、 ぶつしょうがくしゅじょうぎょうと​が一体いったいにして​はなれ​ぬ​なり。 したし​といふ​も​なほ*おろかなり、 ちかし​といふ​も​なほ​とほし。 一体いったいの​うち​において*能念のうねん所念しょねんたいの​うち​にろんずる​なり​と​しる​べし。

安心あんじんけつじょうしょう ほん

 

1397安心あんじん1124けつじょうしょう まつ

・¬浄土論¼

・標示

【10】 ¬おうじょうろん¼ (*浄土論) に 「如来にょらいじょうしゅ しょうがくしょう」 といへり。

・浄華衆を釈す

りきだい信心しんじんを​え​たる​ひと​をじょうしゅと​は​いふ​なり。 これ​は​おなじくしょうがくはなよりしょうずる​なり。

・正釈

しょうがくといふは、 しゅじょうおうじょう*かけもの​にして、 「もししょうぜ​ず​は、 しょうがくら​じ」 とちかひ​たまひ​し法蔵ほうぞうさつ十方じっぽうしゅじょうがんぎょうじょうじゅせ​し​とき、 *ほう一体いったいしょうがくじょうじ​たまへ​る慈悲じひおんこころ​の​あらはれ​たまへ​る*しんれんを、 しょうがくと​は​いふ​なり。

・類文を引く

これ​を*第七だいしちかんには 「じょのうほう(観経)き、 下下げげぼんには 「ぎゃくしゅじょう来迎らいこうするれん(観経・意)く​なり。

・喩意を解す

仏心ぶっしんれんと​たとふる​こと​は、 ぼん煩悩ぼんのうでいじょくま​ざる​さとり​なる​ゆゑなり。

・生の字を釈す

なにとして仏心ぶっしんれんより​はしょうずる​ぞ​といふ​に、 曇鸞どんらんこのもんを、 「同一どういつ念仏ねんぶつし​てべつどうなき​がゆゑに」 (論註・下)しゃくし​たまへ​り。 「とほくつうずる​に、 かいみなきょうだいなり」 (論註・下)善悪ぜんあく*ことに、 ぼんくらいかはれ​ども、 ともにりき1398がんぎょうを​たのみ、 おなじくしょうがくたいする​こと​は​かはら​ざる​ゆゑに、 「同一どういつ念仏ねんぶつし​てべつどうなき​がゆゑに」 といへり。

また​さき​におうじょうする​ひと​もりき1125がんぎょうし​ておうじょうし、 のち​におうじょうする​ひと​もしょうがく一念いちねんし​ておうじょうす。 しんれんの​うち​に​いたる​ゆゑに、 「かいみなきょうだいなり」 といふ​なり。

・仏心顛倒を明かす

【11】 「仏身ぶっしんる​もの​は仏心ぶっしんたてまつる。 仏心ぶっしんといふはだい慈悲じひこれ​なり」 (観経)仏心ぶっしんは​われら​を愍念みんねんし​たまふ​こと、 骨髄こつずいに​とほり​てみつき​たまへ​り。 たとへば*すみに​おこりつき​たる​が​ごとし。 はなた​んとする​とも​はなる​べから​ず。 摂取せっしゅ*心光しんこうわれら​をらし​て、 よりずいに​とほる。 しん三毒さんどく煩悩ぼんのうしんまで​もぶつどくみつか​ぬ​ところ​は​なし。 ほうもとより一体いったいなる​ところ​を南無なも弥陀みだぶつといふ​なり。

・まさしく能所一体を明かす

この信心しんじんおこり​ぬる​うへは、 ごうには、 たとひ​ときどき念仏ねんぶつす​ともじょう念仏ねんぶつしゅじょうにて​ある​べき​なり。

*三縁さんえんの​なか​に、 「くちに​つね​に、 に​つね​に」 (定善義)しゃくする、 この​こころ​なり。 ぶつ三業さんごうどくしんずる​ゆゑに、 しゅじょう三業さんごう如来にょらいぶっ一体いったいにして、 ぶつ*じょうしゅどくしゅじょうしん口意くいに​あらはるる​ところ​なり。

・聖言

またとうちょう (中国)*だいとて、 ゆゆしくだいじょうをも​さとり、 *てんにもたっし​て​たふとき​ひと​おはし​き。 その​ことば​に1399いはく、 「あさあさぶつと​ともにき、 ゆうゆうぶつを​いだき​てす」 (傅大士録・意) といへり。

・合説

これ​は*しょうどうつう法門ほうもん*真如しんにょぶつを​さし​てぶつといふ​と​いへども、 *修得しゅとくかたより​おもへ​ば​すこし​も​たがふ​まじき​なり1126摂取せっしゅ心光しんこうしょうせ​られ​たてまつら​ば、 ぎょうじゃも​また​かくのごとし。 あさあさ報仏ほうぶつどくち​ながらき、 ゆうゆう弥陀みだぶっと​ともにす。

・自力執心を誡む

*うとから​んぶつどくは、 に​とほけれ​ば​いかが​は​せん。 真如しんにょほっしょうちかけれ​ども、 さとり​なきには​ちから​およば​ず。 わが​ちから​も​さとり​も​いら​ぬりきがんぎょうを​ひさしくに​たもち​ながら、 *よしなきりきしゅうしん*ほださ​れて、 むなしくてんきょうに​かへら​ん​こと、 かへすがへす​も​かなしかる​べき​こと​なり。

・二尊の悲歎を明かす

しゃくそんも​いかばかり​か*往来おうらいしゃ八千はっせんべん甲斐かいなき​こと​を​あはれみ弥陀みだも​いかばかり​か*なんのうの​しるし​なき​こと​を​かなしみ​たまふ​らん。 もし一人いちにんなり​とも​かかる思議しぎがんぎょうしんずる​こと​あらば、 まことに仏恩ぶっとんほうずる​なる​べし。

・文を引いて勧誡す

かるがゆゑに ¬*安楽あんらくしゅう¼ (上・意) には、 「すでにりきじょうず​べき​みち​あり。 *つたなくりきに​かかはり​て、 いたづらにたくに​あら​ん​こと​を​おもは​ざれ」 といへり。 この​こと​まこと​なる​かな。

りき*ひがおもひ​を​あらため​て、 りきしんずる​ところ​を、 「ゆめゆめ1400まよひ​を​ひるがへし​てほんかえれ」 (礼讃) とも​いひ、 「帰去来いざいなんきょうにはとどまる​べから​ず」 (定善義) ともしゃくする​なり。

・¬法事讃¼

・標挙

【12】また ¬*ほうさん¼ (下) に、 「極楽ごくらく無為むいはんがい 随縁ずいえん雑善ぞうぜんなんしょう 故使こし如来にょらいせん要法ようぼう きょうねん1127弥陀みだせんせん」 といへり。

・総釈

 このもんの​こころ​は、 「極楽ごくらく無為むい無漏むろの​さかひ​なれば、 有為うい有漏うろ雑善ぞうぜんにて​は、 おそらく​はうまれ​がたし。 無為むい無漏むろ念仏ねんぶつ三昧ざんまいし​て​ぞ、 無為むい常住じょうじゅうほうにはしょうず​べき」 といふ​なり。

・随縁雑善を釈す

まづ 「*随縁ずいえん雑善ぞうぜん」 といふは、 りきぎょうを​さす​なり。 真実しんじつ仏法ぶっぽうにつきて、 りょうも​あり、 信心しんじんも​おこる​こと​は​なく​して、 わが​したしき​もの​の*律僧りっそうにて​あれば、 かいに​たふとき​こと​なり​といひ、 あるいは、 こんじょうの​いのり​の​ため​にも、 *真言しんごんを​せ​さ​すれば*結縁けちえんも​むなしから​ず、 真言しんごんたふとし​など​いふていに、 便びんに​ひかれ​てえんに​したがひ​てしゅするぜんなる​がゆゑに、 随縁ずいえん雑善ぞうぜんと​きらは​るる​なり。 このくらいならば、 たとひ念仏ねんぶつぎょうなり​とも、 りき念仏ねんぶつ随縁ずいえん雑善ぞうぜんに​ひとしかる​べき​か。

・自力念仏に簡ぶ

【13】*うちまかせ​て​ひと​の​おもへ​る念仏ねんぶつは、 こころ​にはじょうしょうをも観念かんねんし、 くちにはみょうごうをも​となふる​とき​ばかり念仏ねんぶつは​あり、 ねんぜ​ず​となへ​ざる​とき​は1401念仏ねんぶつも​なし​と​おもへ​り。 このくらい念仏ねんぶつならば、 無為むい常住じょうじゅう念仏ねんぶつと​は​いひ​がたし。 となふる​とき​は、 となへ​ざる​とき​はせ​ば、 また​ことにじょう転変てんぺん念仏ねんぶつなり。

・無為の名義を釈す

無為むいと​は​なす​こと​なし​と​かけ​り。 小乗しょうじょうには*さん無為むいといへり。 その​なか​にくう無為むいといふは、 くうする​こと​も​なく、 はじめてる​こと​も​なし。 天然てんねんなる​ことわり​なり。 だいじょうには真如しんにょ1128ほっしょうとう常住じょうじゅうへん無為むいだんずる​なり。 *序題じょだいもんに、 「法身ほっしん常住じょうじゅうにゃくくう」 としゃくせ​らるる​も、 かの​くに​の常住じょうじゅうやくを​あらはす​なり。 かるがゆゑに極楽ごくらく*無為むいじゅうの​くに​といふは、 ぼんの​なす​によりて、 せ​も​し、 も​する​こと​の​なき​なり。

・無為に准例して念仏を示す

念仏ねんぶつ三昧ざんまいも​また​かくのごとし。 しゅじょうねんずれ​ば​とて、 はじめて、 わするれ​ば​とてするほうに​あらず。 よくよく​この​ことわり​を​こころう​べき​なり。

・念仏の名義を釈す

【14】おほよそ念仏ねんぶつといふはぶつねんず​と​なり。 ぶつねんず​といふは、 ぶつ大願だいがん業力ごうりきをもつてしゅじょう*しょうの​きづな​を​きり​て、 *退たいほうしょうず​べき​いはれ​をじょうじゅし​たまへ​るどく念仏ねんぶつし​て、 みょう本願ほんがんじょうじ​ぬれ​ば、 しゅじょう三業さんごう仏体ぶったいに​もた​れ​てぶっしょうがくに​のぼる。 かるがゆゑに​いま​いふ​ところの念仏ねんぶつ三昧ざんまいといふは、 われら​が*しょうらいねんすれ​どもぎょうには​あらず、 ただ​これ弥陀みだぶつぎょう1402ぎょうずる​なり​と​こころう​べし。

・まさしく念仏の法体を明かす

【15】本願ほんがんといふは*こうゆい本願ほんがん業力ごうりきといふは*ちょうさい永劫ようごうぎょうごうない*十劫じっこうしょうがくの​のち​のぶっ万徳まんどくなり。 このがんぎょうどくは、 ひとへにらいあく無智むちの​われら​が​ため​に、 かはり​て​はげみおこなひ​たまひ​て、 十方じっぽうしゅじょうの​うへ​ごと​に、 しょうの​きづな​きれ​はて​て、 退たいほうがんぎょう円満えんまんせ​し​とき、 ほう一体いったい1129しょうがくじょうじ​たまひ​き。

・機の法に帰することを明かす

このしょうがくたいねんずる​を念仏ねんぶつ三昧ざんまいといふ​ゆゑに、 さらに三業さんごうには​とどむ​べから​ず。

・信受の相を明かす

【16】うちまかせ​てはより​して​こそしょうの​きづな​を​きる​べきぎょうをも​はげみ、 ほうる​べきがんぎょうをもいとなむ​べき​に、 *修因しゅいんかんどうにこえたる*べつがんなる​ゆゑに、 ぶつ大願だいがん業力ごうりきをもつてぼんおうじょうは​したためじょうじ​たまひ​ける​こと​の​かたじけなさ​よ​とみょうすれば、

・よく所乗を明かす

しゅじょう三業さんごう*能業のうごうと​なり​て​うへ​に​のせ​られ、 弥陀みだ願力がんりき*所業しょごうと​なり​て​われら​が報仏ほうぶつほうしょうず​べき乗物のりものと​なり​たまふ​なり。 かるがゆゑにみょうしん本願ほんがんじょうじ​ぬれ​ば、 三業さんごうみな仏体ぶったい*もた​る​といふ​なり。

・他力を成ずることを釈す

ぶつがんぎょうは​さらにの​こと​に​あらず。 一向いっこうに​われら​がおうじょうがんぎょうたいなる​がゆゑに、 ぶっしょうがくの​ほか​におうじょうぎょうろんぜ​ざる​なり。

・自力執心を誡む

この​いはれ​を1403きき​ながら、 ぶつしょうがくをば、 *おほやけもの​なる​やう​にて​さておい​て、 いかが​して*道心どうしんをもおこしぎょうをも*いさぎよく​しておうじょうせ​んずる​と​おもは​ん​は、 かなしかる​べきしゅうしんなり。

・仏体即行を明かす

ぶつしょうがくすなはちしゅじょうおうじょうじょうぜるたいなれば、 仏体ぶったいすなはちおうじょうがんなり、 ぎょうなり。 このぎょうは、 しゅじょうねんねんによる​べきぎょうに​あらず。 かるがゆゑにぶっしょうがくの​ほか​におうじょうぎょうろんぜ​ず​といふ​なり。

・他力信心を明かす

このしょうがくしんりょうする​を三心さんしんとも信心しんじんとも​いふ。 このほう一体いったいしょう1130がくみょうたい不二ふになる​ゆゑに、 これ​をくちに​となふる​を南無なも弥陀みだぶつといふ。

・無為行体を明かす

かるがゆゑにしんしんずる​もしょうがく一念いちねんに​かへり、 くちに​となふる​もしょうがく一念いちねんに​かへる。 たとひせんしょうとなふ​とも、 しょうがく一念いちねんをばづ​べから​ず。

また*ものぐさくだいなら​ん​とき​は、 となへ​ずねんぜ​ず​してを​あかしを​くらす​とも、 りき信心しんじん本願ほんがんり​ゐ​なば、 仏体ぶったいすなはちじょうぎょうなれば、 さらに*ゆるむ​こと​なく間断けんだんなきぎょうたいなる​ゆゑに、 みょうごうすなはち無為むい常住じょうじゅうなり​と​こころうる​なり。 「弥陀みだぶつすなはち​これ​そのぎょう(玄義分) といへる、 この​こころ​なり。

・無為を成じ三業を約す

【17】また​いま​いふ​ところの念仏ねんぶつ三昧ざんまいは、 われら​がしょうらいねんすれ​どもぎょうには​あらず、 ただ​これ弥陀みだぶつぎょうぎょうずる​なり​といふは、 みょうしん本願ほんがん1404て、 三業さんごうみな仏体ぶったいの​うへ​にじょうじ​ぬれ​ば、 ぶつを​はなれ​たるに​あらず、 こころ​もぶつを​はなれ​たる​こころ​に​あらず、 くちねんずる​もほう一体いったいしょうがくの​かたじけなさ​をしょうし、 らいするもりき恩徳おんどくに​あまる​うれしさ​をらいする​ゆゑに、 われら​はしょうすれ​どもねんずれ​どもこう*つのる​に​あらず、 ただ​これ弥陀みだぶつぼんぎょうじょうぜ​し​ところ​をぎょうずる​なり​といふ​なり。

【18】仏体ぶったい無為むい無漏むろなり。 *しょう無為むい無漏むろなり。 さればみょうたい不二ふにの​ゆゑに、 みょうごうもまた無為むい無漏むろなり。

・重ねて専復専を釈す

かるがゆゑに念仏ねんぶつ三昧ざんまいに​なりかへり​て、 1131もつぱらに​して​また​もつぱらなれ​といふ​なり。 せんじゅうなり。 まづぞうぎょうを​すて​て正行しょうぎょうを​とる、 これいちじゅうせんなり。 その​うへ​に助業じょごうを​さしおき​て正定しょうじょうごうに​なりかへる、 またいちじゅうせんなり。 また​はじめ​のせんいちぎょうなり、 のち​のせん一心いっしんなり。 いちぎょう一心いっしんなる​を 「せんせん」 といふ​なり。

この正定しょうじょうごうたいは、 三業さんごうくらい念仏ねんぶつに​あらず、 せつごんは​ず、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがを​えらば​ず、 摂取せっしゅしゃ仏体ぶったいすなはちぼんおうじょう正定しょうじょうごうなる​ゆゑに、 みょうごうみょうたい不二ふにの​ゆゑに正定しょうじょうごうなり。 このほう一体いったい南無なも弥陀みだぶつに​なりかへる​を念仏ねんぶつ三昧ざんまいといふ。

かるがゆゑにねんねんに​よら​ず、 ぶつ*無礙むげよりほう一体いったいじょうずる​ゆゑに、 みょう1405ごうすなはち無為むい無漏むろなり。 この​こころ​を​あらはし​て極楽ごくらく無為むいといふ​なり。

・念仏三昧を総結す

【19】念仏ねんぶつ三昧ざんまいといふは、 ねんほんと​する​に​あらず、 ぶつだいしゅじょう摂取せっしゅし​たまへ​る​こと​をねんずる​なり。 ぶつどくも​もとよりしゅじょうの​ところ​にほう一体いったいじょうぜる​ゆゑに、 みょうしんの​おこる​といふ​も​はじめてする​に​あらず。 ほう一体いったいじょうぜ​しどくが、 しゅじょうごううかづる​なり。 南無なも弥陀みだぶつしょうする​も、 しょうし​て仏体ぶったいちかづく​に​あらず、 ほう一体いったいしょうがくどくしゅじょうごうに​あらはるる​なり。 しんずれ​ば仏体ぶったいに​かへり、 しょうすれ​ば仏体ぶったいに​かへる​なり。

・四事

・自力他力

113220】一 りきりき日輪にちりんこと

 りきにておうじょうせん​と​おもふ​は、 あんに​わが​まなこ​の​ちから​にて​もの​を​み​ん​と​おもは​ん​が​ごとし。 さらに​かなふ​べから​ず。 日輪にちりんの​ひかり​を​まなこ​に​うけとり​て*所縁しょえんきょうらし​みる、 これ*しかしながら日輪にちりんの​ちから​なり。 ただし、 らすいんあり​とも*しょうもうの​もの​は​みる​べから​ず、 また​まなこ​ひらき​たるえんあり​ともあんには​みる​べから​ず。 と​まなこ​と因縁いんねんごうし​て​もの​を​みる​が​ごとし。

みょうねん本願ほんがんどくを​うけとり​ておうじょうだいを​とぐ​べき​ものなり。 みょう1406しんは​まなこ​の​ごとし、 摂取せっしゅの​ひかり​はの​ごとし。 南無なもは​すなはちみょう、 これ​まなこ​なり。 弥陀みだぶつは​すなはちりきがん法体ほったい、 これ日輪にちりんなり。

よつて本願ほんがんどくを​うけとる​こと​は、 宿しゅくぜん南無なもみょうし​て弥陀みだぶつと​となふるろくの​うち​に、 まんぎょう万善まんぜん恒沙ごうじゃどく、 ただいっしょうじょうじゅする​なり。 かるがゆゑに​ほか​にどく善根ぜんごんもとむ​べから​ず。

・四種往生

【21】一 しゅおうじょうこと

 しゅおうじょうといふは、 ひとつ​にはしょうねんおうじょう、 ¬*弥陀みだきょう¼ に、 「しん顛倒てんどう即得そくとくおうじょう」 とく、 これ​なり。

ふたつ​にはきょうらんおうじょう、 ¬かんぎょう¼ (意)ぼんき​て​いはく、 「じゅうあく1133かいぎゃく、 はじめ​はりんじゅうきょうらんし​てくうを​にぎり、 よりしろあせを​ながし、 ごくみょうげんぜ​しかども、 ぜんしきに​あう​て、 もしはいっしょう、 もしは一念いちねん、 もしはじっしょうにておうじょうす」。

つ​には*無記むきおうじょう、 これ​は *¬ぐんろん¼ に​みえ​たり。 この​ひと、 いまだ無記むきならざり​し​とき、 摂取せっしゅこうみょうらさ​れ、 みょう信心しんじんおこり​たり​しかども、 しょうを​うけ​し​より、 しかるべき業因ごういんにて無記むきに​なり​たれ​ども、 おうじょうりきぶっに​ひか​れ​てうたがいなし。 たとへば1407睡眠すいめんし​たれ​ども、 つきの​ひかり​はらす​が​ごとし。 無記むきしんの​なか​にも摂取せっしゅの​ひかり​たえ​ざれ​ば、 ひかり​の​ちから​にて無記むきしんながらおうじょうする​なり。 いんを​しら​ざる​もの​は、 *なじにぶつおんちから​にて、 すこしき​ほど​の無記むきにも​なし​たまふ​ぞ​となんじ、 また無記むきなら​ん​ほど​にて​は​よもおうじょうせ​じ​なんど​おもふ​は、 それ​は​くはしく聖教しょうぎょうを​しら​ず、 いんどうに​まどひ、 ぶっ思議しぎうたがふ​ゆゑなり。

つ​にはねんおうじょう、 これ​は ¬ほっきょう¼ に​みえ​たり。 こえいだし​て​となへ​ず​とも、 こころ​にねんじ​ておうじょうする​なり。

このしゅおうじょうは、 *黒谷くろだにしょうにん (*法然)*りょうけんなり。 つねには​くはしく​この​こと​を​しら​ず​して、 りんじゅう念仏ねんぶつもうさ​ず、 また無記むきなら​ん​はおうじょうせ​ず​と​いひ、 みょうごうを​となへ​たらばおうじょうと​おもふ​は、 さる​こと​も​あら​んずれ​ども、 それ​は​なほ1134おほやうなり。

ひゃくちょうじゃは、 りんじゅうぶつみょうを​となへ​たり​しかどもおうじょうせざり​し​やう​に、 りんじゅうこえす​ともみょう信心しんじんおこら​ざらん​もの​はにんでんしょうず​べし​と、 *¬しゅ国界こっかいきょう¼ に​みえ​たり。 されば、 ただ​さき​のにんながらみょうしんおこり​たらば、 みなおうじょうし​ける​にて​ある​べし。

天親てんじんさつの ¬おうじょうろん¼ (浄土論) に、 「みょうじん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらい」 といへり。

ふかきほうも​あさき​たとへ​にて​こころえ​らる​べし。 たとへば1408観音かんのんなり。 その観音かんのんの​ひかり​をば、 *みどりより​まなこ​にたれ​ども、 *いとけなき​とき​は​しら​ず。 すこし​こざかしく​なり​て、 りきにて​わがの​ひかり​にて​こそ​あれ​と​おもひ​たらん​に、 よく日輪にちりんの​こころ​を​しり​たらん​ひと、 「おのがの​ひかり​ならば、 よるこそ​もの​を​みる​べけれ、 すみやかに​もと​の日光にっこうす​べし」 と​いは​ん​をしんじ​て、 日天にってんの​ひかり​にし​つる​もの​ならば、 わが​まなこ​の​ひかり*やがて観音かんのんの​ひかり​なる​が​ごとし。

みょうも​また​かくのごとし。 しら​ざる​とき​の​いのち​も弥陀みだおんいのち​なり​けれ​ども、 いとけなき​とき​は​しら​ず。 すこし​こざかしくりきに​なり​て、 わが​いのち​と​おもひ​たらん​をり、 ぜんしき、 もと​の弥陀みだの​いのち​へせよ​とおしふる​を​きき​て、 みょうりょう寿じゅかくし​つれ​ば、 わが​いのち​すなはちりょう寿じゅなり​としんずる​なり。 かくのごとくみょうする​を 「しょう1135ねん(礼賛) と​はしゃくする​なり。

すでにみょうし​てしょうねんたらん​もの​は、 たとひ*かせおもく​して、 このみょうの​のち無記むきに​なる​ともおうじょうす​べし。 すでに ¬ぐんろん¼ に、 「無記むきしんながらおうじょうす」 といふは、 「摂取せっしゅこうみょうらさ​れ​ぬれ​ば、 その無記むきしんは​やみ​てきょうしんにておうじょうす」 といへり。 また ¬かんぎょう¼ の*三品さんぼんは、 いまだみょうせざり​し​とき​はごくそうげんじ​てきょうらん1409せ​しかども、 しきすすめ​られ​てみょうせ​しかばおうじょうし​き。 また平生へいぜいみょうし​つる​ひと​は、 き​ながら摂取せっしゅやくに​あづかる​ゆゑに、 りんじゅうにもしん顛倒てんどうせず​しておうじょうす。 これ​をしょうねんおうじょうと​なづくる​なり。

またみょう信心しんじんおこり​ぬる​うへは、 「たとひこえいださ​ず​して​をはる​とも​なほおうじょうす​べし」 と ¬ほっきょう¼ に​みえ​たり。 これ​をねんおうじょうといふ​なり。

されば​とにもかくにもりき思議しぎ信心しんじんけつじょうし​ぬれ​ば、 おうじょううたがふ​べから​ざる​ものなり。

・時機相応

【22】一 *¬観仏かんぶつ三昧ざんまいきょう¼ に​のたまはく、 「ちょうじゃあり。 一人いちにんの​むすめ​あり。 さい*処分しょぶんえん檀金だんごんを​あたふ。 もつに​つつみ​てでいちゅうに​うづみ​て​おく。 国王こくおう群臣ぐんしんを​つかはし​てうばら​んとす。 このでいをばけ​ども​しら​ず​して​かへる。 その​のち​この女人にょにんりいだし​てあきなふ​に、 さき​より​も​なほ富貴ふきに​なる」。

これ​は​これ1136、 たとへ​なり。 「国王こくおう」 といふは​わが*心王しんのうに​たとふ。 「たから」 といふは諸善しょぜんに​たとふ。 「群臣ぐんしん」 といふは*六賊ろくぞくに​たとふ。 かの六賊ろくぞく諸善しょぜんうばら​れ​て、 *たつかたも​なき​をばしゅつえんなき​に​たとふ。 「でいちゅうより​こがね​をりいだし​て富貴ふきざいに​なる」 といふは、 念仏ねんぶつ三昧ざんまいに​より​て信心しんじんけつじょうし​ぬれ​ば、 しゅ1410安楽あんらくおうじょうる​に​たとふ。 「もつに​つつみ​てでいちゅうに​おく」 といふは、 じょくぼん*あく女人にょにんしょうと​する​に​たとふる​なり。

・薪火の喩

【23】一 たきぎ​はを​つけ​つれ​ば、 はなるる​こと​なし。 「たきぎ」 はぎょうじゃしんに​たとふ。 「」 は弥陀みだ摂取せっしゅしゃこうみょうに​たとふる​なり。 心光しんこうしょうせ​られ​たてまつり​ぬれ​ば、 わがしんを​はなれ​て仏心ぶっしんも​なく、 仏心ぶっしんを​はなれ​て​わがしんも​なき​ものなり。 これ​を南無なも弥陀みだぶつと​は​なづけ​たり。

安心あんじんけつじょうしょう まつ

 

底本は本派本願寺蔵蓮如上人書写本ˆ聖典全書と同一ˇ。
したためたまふ 整えてくださっている。
当に 将来において。
正覚の一念 阿弥陀仏が正覚を成就した最初の時をいう。
仏体よりは 仏の側では。 仏の立場からは。
つたなく 愚かにも。
五百塵点劫 釈尊が成仏してからすでにおんの時を経ていることを示す言葉。 ¬法華ほけきょう¼ 「如来寿量品」 の説。
八千遍まで… 釈尊はしゅじょう教化のために、 この世にすでに八千遍も来生しているという意。 ¬梵網ぼんもうきょう¼ の説。
大小乗 だいじょう小乗しょうじょうのこと。
法滅百歳の機 仏法が滅んだ後の百年間、 浄土の経典のみがこの世にとどまる時の衆生。
 「劫」 とする異本がある。
教文 ¬しんしゅう法要ほうよう¼ 所収本、 および ¬般舟はんじゅさん¼ の原文には 「教門」 とある。 教門は教えの意。
諸経随機の得益 教化の対象に適応して説かれた方便のさまざまな経典のやく
左右なく ためらいなく。
正覚の一念にかへり しゅじょうの信心も称名も、 正覚の一念に成就された南無阿弥陀仏のほかにないとりょうすることをいう。 ただし、 この表現は、 浄土真宗そうじょうの他の聖教には見られない。
失念 苦しみのために、 仏を憶念おくねんする力を失うこと。
弥陀 原文にはこの二字はない。
薩埵 ここでは菩提薩埵の略。 菩薩に同じ。
唯知作悪の機 ただ悪を作ることをのみ知るしゅじょう
よそなる仏の功徳… 衆生の往生とは無関係に阿弥陀仏の功徳があるように思って。
名号に功をいれなば 称名のどくを積んだならば。
仏体すなはち… 南無阿弥陀仏という仏体 (みょうごう) には、 衆生を往生させるはたらきがあるということ。
おもひわく 分別し判断する。 ここでは本願のいわれを正しくりょうすること。
別異の弘願 「玄義分」 の原文は 「別意の弘願」 となっている。 一般の因果の道理に超えすぐれた他力救済の本願をいう。
さきとして 第一として。
わたさずは 救済しなければ。
身の毛いよたつ 体中の毛が逆立つ。
智目行足 さとりをひらくために必要な智慧ちえの目と修行の足。
大経に… 以下の二句は、 ¬礼讃らいさん¼ に ¬大経¼ 要文として引く文。
よそにさしのけてはなくして よそ事とするのではなく、 わが身のことと受けとめてという意。
随煩悩 根本煩悩に附随する第二義的な煩悩。
ちわりて 千々ちぢに割って。
道心二法 ¬真宗法要¼ 所収本には 「色心二法」 とある。
縛曰羅冒地 金剛こんごうのこと。
染みぬれば なじんだなら。
正法 しょうぼうのことか。
成じいりたまひけるものを すっかり成就されたのであるなあ。
ことわりあらはせば すじ道をたてていいあらわすと。
平信のひと 深い道理も知らないまま、 教えられた通りにただ信じている普通の信者。
ひら信じ ひたすら信じること。
名義に相応す みょうごうのいわれにかなう。
しらじら はっきりしているさまを表す語。 「しれじれ」 の転とすれば、 きわめて愚かな、 いたって無知なという意。
かぶらんずるやうに 受けることができるように。
機の安心 しゅじょうの信心。
第八の観 ¬観経¼ に説くじょうぜん十三観の第八観。 像観のこと。
所化の境 教化をほどこす対象。
法界の衆生 全世界の生きとし生けるもの。
下下品 ぼんしょう
あらはれもてゆくなり だんだんとあらわれていくのである。
覚体の功徳 正覚を成就した仏体にそなわっている功徳。
能念所念 能念は信ずる心。 所念は信の対象である法。
機法一体の正覚 機はしゅじょうの往生、 法は阿弥陀仏の正覚を指し、 阿弥陀仏の正覚成就のままが衆生の往生成就であるように、 一体不二に成就された仏徳のことをいう。
心蓮華 如来の慈悲心を蓮華に喩えていう。
第七の観 ¬観経¼ に説くじょうぜん十三観の第七観。 華座けざかんのこと。
ことに 「ことに」 であろう。
火の炭におこりつきたる 火が炭からおこって、 炭と一体化している様子。
傅大士 名はきゅう (497-569)。 傅大士とも双林大士とも呼ばれる。 しょう (現在の浙江せっこう省烏傷) の人。 在俗の仏教信者で、 民衆教化につとめ、 ろくしょうと称された。 転輪藏 (回転式の書架) を発明したという。
聖道の通法門 しょうどうもんにおいて共通して語られる教え。
真如の理仏 永遠の理法としての法身ほっしんぶつ
修得の方 永劫ようごうの修行によって真如しんにょの理を体得し、 その徳を実現した報身ほうじんとしての阿弥陀仏の側。
うとからん仏 縁遠い仏、 すなわち諸仏のこと。
難化能化 教化し難いものを導いて教化すること。
律僧 戒律を厳守する僧。
真言 口に真言 (密教における呪句) を唱えるぎょうごう
うちまかせて 普通一般の考えに従って。
序題門 「法身…」 の文は実際には 「玄義分」 釈名門にある。
無為住 ¬真宗法要¼ 所収本には 「無為常住」 とある。
生死のきづな 生死てんの迷いの世界につなぎとめる綱。
不退の報土 往生すれば、 証果を得ることに定まり、 再び下位に退転しない報身ほうじんぶつの浄土。
称礼念 口業の称名、 身業の礼敬、 意業の憶念おくねん
別異の弘願 一般の因果の道理にこえすぐれた他力救済の本願をいう。
能業 ¬真宗法要¼ 所収本には 「能乗」 とある。
所業 ¬真宗法要¼ 所収本には 「所乗」 とある。
もたる 保持される。 抱かれる。
いさぎよくして しょうじんして。 つとめはげんで清浄しょうじょうになして。
弛む 途中でおこたる。
つのる たよりとする。
所縁の境 認識される対象。
生盲 →補註14
無記往生 無記は本来は善でも悪でもない行為をいうが、 ここでは善悪のけじめもつかないような心の状態のままで往生することをいう。
群疑論に… 「無記往生」 は ¬ぐんろん¼ 巻七の意によるものであろう。
守護国界経に… ¬往生要集¼ (下) 所引の ¬観仏かんぶつ三昧ざんまいきょう¼ 取意の文および ¬しゅ国界こっかいきょう¼ 巻十の文によるものであろう。
 人の自由を束縛するもの。 転じて往生のさまたげとなる罪のこと。
下三品 ぼんのうちの下品上生、 下品中生、 下品下生。
観仏三昧経に… ¬往生要集¼ (下) 所引の ¬観仏三昧経¼ 取意の文によっていう。
処分 財産を分け与えること。
たつ方もなき 生活していくことができない。
穢悪の女人 →補註14