1021しょうしんたい

 

【1】 0005そもそも、 この 「*しょうしん」 といふは、 *の​かずひゃくじゅうぎょうの​かずろくじゅうなり。 これ​は*さんちょうこうしゃくに​より​て、 ほぼいっしゅう大綱たいこうようを​のべ​ましまし​けり。 このの​はじめ みょう」 といふ​より 「無過むか といふ​に​いたる​まで​は、 じゅうじゅうぎょうなり。 これ​は ¬*だいきょう¼ の​こころ​なり。 いん以下いげ四句しくは、 そうじ​てさんちょう祖師そしじょうきょうを​あらはす​こころ​をひょうし​たまへ​り。 また しゃ」 といふ​よりの​をはる​まで​は、 これしちこうさんの​こころ​なり。

 う​て​いはく、 「しょうしん」 といふは、 これ​は​いづれのぞや。

 こたへ​て​いはく、 しょう」 といふは、 ぼうたいし、 じゃたいし、 ぞうたいする​ことば​なり。 「しん」 といふは、 たいし、 またぎょうたいする​ことば​なり。

【2】 「みょうりょう寿じゅ如来にょらい」 といふは、 寿じゅみょうりょうなるたいなり、 またとう (中国) の​ことば​なり。 弥陀みだ如来にょらい南無なもし​たてまつれ​といふ​こころ​なり。 「南無なも不可ふか1022こう」 といふは、 智慧ちえこうみょうの​そのとくすぐれ​たまへ​る​すがた​なり。 「みょうりょう寿じゅ如来にょらい」 といふは、 すなはち0006南無なも弥陀みだぶつたいなり​と​しら​せ、 この南無なも弥陀みだぶつもうす​は、 こころ​をもつて​も​はかる​べから​ず、 ことば​をもつて​もき​のぶ​べから​ず、 このふたつ​のどうきはまり​たる​ところ​を南無なも不可ふか思議しぎこうと​は​もうし​たてまつる​なり。 これ​を報身ほうじん如来にょらいもうす​なり、 これ​をじん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらいと​なづけ​たてまつる​なり。

この如来にょらいを、 方便ほうべん法身ほっしんと​はもうす​なり。 方便ほうべんもうす​は、 かたち​を​あらはし、 御名みなを​しめし​て、 しゅじょうに​しら​しめ​たまふ​をもうす​なり。 すなはち弥陀みだぶつなり。 この如来にょらいこうみょうなり。 こうみょう智慧ちえなり。 智慧ちえは​ひかり​の​かたち​なり。

智慧ちえまた​かたち​なけれ​ば不可ふか思議しぎこうぶつもうす​なり。 この如来にょらい十方じっぽうじんかいに​みちみち​たまへ​る​がゆゑに、 へんこうぶつもうす。 しかれば、 しんさつ (*天親) は、 「じん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらい(*浄土論) と​なづけ​たてまつり​たまへ​り。 されば​この如来にょらい南無なもみょうし​たてまつれ​ば、 摂取せっしゅしゃの​ゆゑに真実しんじつほうおうじょうを​とぐ​べき​ものなり。

【3】 「法蔵ほうぞうさついん ざいざいおうぶつしょ けん諸仏しょぶつじょういん こく人天にんでん善悪ぜんあく」 といふは、 「*ざいおうぶつ」 ともうす​は、 弥陀みだ如来にょらいの​むかし​のしょうおんこと​なり。 1023しかれば、 このぶつの​みもと​にして、 ひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつじょうの​なか​の善悪ぜんあくけんし​ましまし​て、 その​なか​に​わろき​をば​えらびすて、 よき​をば​えらびとり​たまひ​て、 わがじょう0007し​まします​といへる​こころ​にて​ある​なり。

 「こんりゅうじょうしゅしょうがん ちょうほつ希有けうだいぜい」 といふは、 諸仏しょぶつじょうを​えらびとり​て西方さいほう極楽ごくらくかいしゅしょうじょうこんりゅうし​たまふ​がゆゑに、 ちょう希有けう大願だいがんとも、 またおうちょうだい誓願せいがんとももうす​なり。

 「こうゆいしょうじゅ」 といふは、 まづいっこうといふは、 たかさじゅうひろさじゅういしを、 天人てんにんごろもをもつて、 その​おもさ、 ぜにひとつの*つのひとつ​のけ​てつのの​おもさ​なる​を​き​て、 三年さんねんいちくだり​て​このいしを​なでつくせ​る​を一劫いっこうといふ​なり。 これ​をいつつ​なでつくす​ほど、 弥陀みだぶつの、 むかし法蔵ほうぞう比丘びくもうせ​し​とき、 ゆいして​やすき​みのり​を​あらはし​て、 じゅうあくぎゃく罪人ざいにんしょうさんしょう女人にょにんをも、 もらさ​ず​みちびき​てじょうおうじょうせ​しめ​ん​とちかひ​ましまし​けり。

 「じゅうせい名声みょうしょうもん十方じっぽう」 といふは、 弥陀みだ如来にょらい仏道ぶつどうを​なり​ましまさ​ん​に、 *名声みょうしょう十方じっぽうきこえ​ざる​ところ​あらば、 しょうがくら​じ​とちかひ​まします​といへる​こころ​なり。

10244】 「ほうりょうへんこう」 といふ​より 「ちょう日月にちがつこう」 といふ​に​いたる​まで​は、 これじゅうこうぶつ0008一々いちいち御名みななり。

りょうこうぶつ」 といふは、 やくじょうおんなる​こと​を​あらはす。 *げんらいに​わたり​て​そのげんりょうなし、 かずとして​さらに​ひとしきかずなき​がゆゑなり。

へんこうぶつ」 といふは、 しょうゆう広大こうだいなるとくを​あらはす。 十方じっぽうかいつくし​て​さらに辺際へんざいなし、 えんとしてらさ​ず​といふ​こと​なき​がゆゑなり。

無礙むげこうぶつ」 といふは、 *神光じんこうしょうなきそうを​あらはす。 人法にんぼうとして​よく*さふる​こと​なき​がゆゑなり。 においてないしょうあり。 しょうといふは、 さんだいうんえんとうなり。 ないしょうといふは、 *とんしん*まんとうなり。光雲こううん無礙むげにょくう(*讃弥陀偈)とくあれば、 よろづ​のしょうに​さへ​られ​ず、 「しょじゃごうのうしゃ(*定善義) の​ちから​あれば、 もろもろ​のないしょうに​さへ​られ​ず。 かるがゆゑに天親てんじんさつは 「じん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらい(浄土論) と​ほめ​たまへ​り。

たいこうぶつ」 といふは、 ひかり​として​これ​に相対そうたいす​べき​もの​なし。 もろもろ​のさつの​およぶ​ところ​に​あらざる​がゆゑなり。

炎王えんのうこうぶつ」 といふは、 また​は光炎こうえんのうぶつごうす。 こうみょうざいにしてじょうなる​がゆゑなり。 ¬*だいきょう¼ (下) に 「猶如ゆうにょおう しょうめつ一切いっさい 煩悩ぼんのうしん」 とけ​る​は、 この​ひかり​のとくたんずる​なり。 1025をもつてたきぎく​に、 つくさ​ず​といふ​こと​なき​が​ごとく、 こうみょう*智火ちかをもつて煩悩ぼんのうたきぎく​に、 さらにめっせ​ず​といふ​こと​なし。 さん*黒闇こくあんしゅじょうこうしょう0009かうぶりだつる​は、 この​ひかり​のやくなり。

清浄しょうじょうこうぶつ」 といふは、 とん善根ぜんごんよりしょうず。 かるがゆゑに​この​ひかり​をもつてしゅじょう貪欲とんよくする​なり。

かんこうぶつ」 といふは、 しん善根ぜんごんよりしょうず。 かるがゆゑに​この​ひかり​をもつてしゅじょうしんめっする​なり。

智慧ちえこうぶつ」 といふは、 無痴むち善根ぜんごんよりしょうず。 かるがゆゑに​この​ひかり​をもつてみょうあんする​なり。

だんこうぶつ」 といふは、 一切いっさいの​とき​に、 とき​としてらさ​ず​といふ​こと​なし。 さんじょうごうにしてしょうやくを​なす​がゆゑなり。

なんこうぶつ」 といふは、 神光じんこうそうを​はなれ​て​なづく​べき​ところ​なし。 はるかにごんきょうがいに​こえ​たる​がゆゑなり。 こころ​をもつて​はかる​べから​ざれ​ば 「なんこうぶつ」 といひ、 ことば​をもつてく​べから​ざれ​ば しょうこうぶつ」 とごうす。 ¬*りょう寿じゅ如来にょらい¼ (上) には、 なんこうぶつをば 「不可ふか思議しぎこう」 と​なづけ、 しょうこうぶつをば 「不可ふか称量しょうりょうこう」 といへり。

ちょう日月にちがつこうぶつ」 といふは、 日月にちがつは​ただてんらし​て、 かみじょうてんに​およば​ず、 しもごくに​いたら​ず。 仏光ぶっこうは​あまねく八方はっぽうじょうらし​てしょうする​ところ​なし。 かるがゆゑに日月にちがつ1026え​たり。

されば​このじゅうこうはなち​て十方じっぽうじんかいらし​てしゅじょうやくし​たまふ​なり。

 「一切いっさいぐんじょうこうしょう」 といふは、 あらゆるしゅじょう宿しゅくぜんあれば​みなこうしょうやくに​あづかり0010たてまつる​といへる​こころ​なり。

 「本願ほんがんみょうごう正定しょうじょうごう」 といふは、 だいじゅうしちがんの​こころ​なり。 十方じっぽう諸仏しょぶつに​わがを​ほめ​られ​ん​とちかひ​ましまし​て、 すでに​そのがんじょうじゅし​たまへ​る​すがた​は、 すなはち​いま​の本願ほんがんみょうごうたいなり。 これ​すなはち​われら​がおうじょうを​とぐ​べき*ぎょうたいなり​と​しる​べし。

 「しんしんぎょうがんいん じょう等覚とうがくしょうだいはん ひっめつがんじょうじゅ」 といふは、 だいじゅうはち真実しんじつ信心しんじんを​うれ​ば​すなはち正定しょうじょうじゅじゅうす。 その​うへ​にとうしょうがくに​いたりだいはんしょうする​こと​は、 だいじゅういちがんひっめつがんじょうじゅし​たまふ​がゆゑなり。 これ​を平生へいぜいごうじょうと​はもうす​なり。 されば正定しょうじょうじゅといふは退たいくらいなり。 これ​は*このやくなり。

めつといふははんくらいなり、 これ​は*かのやくなり​と​しる​べし。 ¬さん¼ (*高僧和讃) にいはく、 「がんに​いたれ​ば​すみやかに じょうはんしょうし​て​ぞ すなはちだいを​おこす​なり これをこうと​なづけ​たり」 と1027いへり。 これ​をもつて​こころう​べし。

【5】 「如来にょらいしょこうしゅつ 唯説ゆいせつ弥陀みだ本願ほんがんかい じょくあくぐんしょうかい 応信おうしん如来にょらい如実にょじつごん」 といふは、 しゃくそんしゅっがんは、 ただ弥陀みだ本願ほんがんき​ましまさ​んがために0011たまへ​り。 じょくあくかいしゅじょう一向いっこう弥陀みだ本願ほんがんしんじ​たてまつれ​といへる​こころ​なり。

 「能発のうほつ一念いちねんあいしん」 といふは、 *一念いちねんかん信心しんじんの​こと​なり。

 「だん煩悩ぼんのうとくはん」 といふは、 願力がんりき思議しぎなる​がゆゑに、 わがには煩悩ぼんのうだんぜ​ざれ​ども、 ぶつの​かた​より​は​つひに*はんに​いたる​べきぶんさだまる​ものなり。

 「ぼんしょうぎゃくほうさいにゅう にょ衆水しゅすいにゅうかいいち」 といふは、 ぼんしょうにんぎゃく謗法ほうぼうも、 ひとしく本願ほんがんだいかいにゅうすれば、 もろもろ​のみずうみり​ていちなる​が​ごとし​といへる​こころ​なり。

 「摂取せっしゅ心光しんこうじょうしょう のうすいみょうあん 貪愛とんない瞋憎しんぞううん じょう真実しんじつ信心しんじんてん にょ日光にっこううん うんみょうあん」 といふは、 弥陀みだ如来にょらい念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅし​たまふ​ひかり​は​つね​にらし​たまひ​て、 すでに​よくみょうあんす​と​いへども、 貪欲とんよくしんと、 くもきりの​ごとく​して真実しんじつ信心しんじんてんおおへ​る​こと、 日光にっこうの​あき1028らかなる​を、 くもきりおおふ​によりて​かくす​と​いへども、 その​した​は​あきらかなる​が​ごとし​といへり。

 「ぎゃくしんけんきょうだいきょう」 といふは、 ほうを​きき​て​わすれ​ず、 おほきに​よろこぶ​ひと​をば、 しゃく0012そんは 「わが​よきしんなり」 (大経・下) と​のたまへ​り。

 「そくおうちょうぜつ悪趣あくしゅ」 といふは、 一念いちねんきょうしんおこれ​ば、 願力がんりき思議しぎの​ゆゑに、 すなはち​よこさま​にねんとしてごく餓鬼がきちくしょうしゅにんてんの​きづな​をる​といへる​こころ​なり。

 「一切いっさい善悪ぜんあくぼんにん 聞信もんしん如来にょらいぜいがん 仏言ぶつごん広大こうだいしょうしゃ にんみょうふん陀利だり」 といふは、 一切いっさい善人ぜんにん悪人あくにんも、 如来にょらい本願ほんがん聞信もんしんすれば、 しゃくそんは​この​ひと​を 「広大こうだいしょうの​ひと」 (如来会・下) なり​といひ、 また 「ふん陀利だり(*観経) に​たとへ、 あるいは 上上じょうじょうにん(*散善義) なり​とも、 「希有けうにん(同) なり​とも​ほめ​たまへ​り。

 「弥陀みだぶつ本願ほんがん念仏ねんぶつ 邪見じゃけんきょうまんあくしゅじょう しんぎょうじゅじんなん なんちゅうなん無過むか」 といふは、 弥陀みだ如来にょらい本願ほんがん念仏ねんぶつをば、 邪見じゃけんの​もの​ときょうまんの​もの​と悪人あくにんと​は、 真実しんじつしんじ​たてまつる​ことかたき​が​なか​にかたき​こと、 これ​にぎ​たる​は​なし​といへる1029こころ​なり。

【6】 「いん西天さいてんろん ちゅう日域じちいき高僧こうそう けんだいしょうこうしょう みょう如来にょらい本誓ほんぜいおう」 といふは、 いん西天さいてんといふは天竺てんじくなり、 ちゅうといふはとう (中国) なり、 日域じちいきといふは日本にっぽんの​こと​なり。 このさんごく祖師そしとう念仏ねんぶついちぎょうを​すすめ、 ことにしゃくそんしゅっ本懐ほんがいは、 ただ0013弥陀みだ本願ほんがんを​あまねくき​あらはし​て、 まつぼんおうじ​たる​こと​を​あかし​まします​といへる​こころ​なり。

【7】 「しゃ如来にょらいりょうせん しゅごうみょうなん天竺てんじく りゅうじゅだいしゅつ於世おせ 悉能しつのうざい有無うむけん 宣説せんぜつだいじょうじょうほう しょうかんしょう安楽あんらく」 といふは、 この*りゅうじゅさつ*はっしゅう祖師そしせんろんなり。 しゃくそんめつひゃくさいしゅっし​たまふ。 しゃくそんこれ​を​かねて​しろしめし​て、 ¬*りょうきょう¼ にき​たまはく、 「なん天竺てんじくこくりゅうじゅといふ比丘びくある​べし。 よく有無うむ邪見じゃけんして、 だいじょうじょうほうき​て、 かんしょうし​て安楽あんらくおうじょうす​べし」 とらいし​たまへ​り。

 「けんなんぎょうろく しんぎょうぎょう水道すいどうらく」 といふは、 かのりゅうじゅの ¬*十住じゅうじゅう毘婆びばしゃろん¼ に、 念仏ねんぶつを​ほめ​たまふ​にしゅどうを​たて​たまふ。 ひとつ​にはなんぎょうどうふたつ​にはぎょうどうなり。 そのなんぎょうどうしゅしがたき​こと​を​たとふる​に、 ろくの​みち​を1030あゆぶ​が​ごとし​といへり。 ぎょうどうしゅしやすき​こと​を​たとふる​に、 みずの​うへ​をふねり​て​ゆく​が​ごとし​といへり。

 「憶念おくねん弥陀みだぶつ本願ほんがん ねんそくにゅうひつじょう」 といふは、 本願ほんがんりき思議しぎ憶念おくねんする​ひと​は、 おのづから*ひつじょうる​べき​ものなり​といへる​こころ​なり。

 0014唯能ゆいのう常称じょうしょう如来にょらいごう 応報おうほうだいぜいおん」 といふは、 真実しんじつ信心しんじんぎゃくとくせん​ひと​は、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがみょうごうとなへ​て、 だいぜい恩徳おんどくほうじ​たてまつる​べし​といへる​こころ​なり。

【8】 「天親てんじんさつ造論ぞうろんせつ みょう無礙むげこう如来にょらい」 といふは、 この*天親てんじんさつりゅうじゅと​おなじくせんろんなり。 ぶつめつひゃくねんに​あたり​てしゅっし​たまふ。 ¬じょうろん¼ 一巻いっかんつくり​て、 あきらかに*さんぎょうたいを​のべ、 もつぱら無礙むげこう如来にょらいみょうし​たてまつり​たまへ​り。

 「しゅ多羅たらけん真実しんじつ 光闡こうせんおうちょうだい誓願せいがん こう本願ほんがんりきこう 為度いどぐんじょうしょう一心いっしん」 といふは、 このさつ*だいじょうきょうに​より​て真実しんじつあらわす。 その真実しんじつといふは念仏ねんぶつなり。 おうちょうだい誓願せいがんを​ひらき​て、 本願ほんがんこうに​より​てぐんじょうさいせ​んがために、 論主ろんじゅ (天親)一心いっしん無礙むげこうみょうし、 おなじくしゅじょう一心いっしんに​かの如来にょらいみょう1031せよ​と​すすめ​たまへ​り。

 「にゅうどくだい宝海ほうかい ひつぎゃくにゅうだいしゅしゅ」 といふは、 だい宝海ほうかいといふは、 よろづ​のしゅじょうを​きらは​ず、 さはり​なく、 へだて​ず、 みちびき​たまふ​を、 大海だいかいみずの​へだて​なき​に​たとへ​たり。 このどくだい宝海ほうかいにゅうすれば、 かならず弥陀みだ*だいかず0015といへる​こころ​なり。

 「とくれんぞうかい そくしょう真如しんにょほっしょうしん」 といふは、 れんぞうかいといふはあんにょうかいの​こと​なり。 かのに​いたり​なば、 すみやかに真如しんにょほっしょうを​う​べき​ものなり​といふ​こころ​なり。

 「煩悩ぼんのうりんげん神通じんずう にゅうしょうおんおう」 といふは、 これは還相げんそうこうの​こころ​なり。 弥陀みだじょうに​いたり​なば、 しゃにも​また​たちかへり、 神通じんずうざいをもつて、 こころ​に​まかせ​て、 しゅじょうをもやくせ​しむ​べき​ものなり。

【9】 「ほん曇鸞どんらんりょうてん じょうこう鸞処らんしょさつらい」 といふは、 *曇鸞どんらんだいは​もと​はろんしゅうの​ひと​なり。 ろんといふは、 三論さんろんに ¬*ろん¼ を​くはふる​なり。 三論さんろんといふは、 ひとつ​には ¬*ちゅうろん¼ 、 ふたつ​には ¬*ひゃくろん¼ 、 つ​には ¬*じゅうもんろん¼ なり。 しょう (曇鸞) は​このろん通達つうだつし​ましまし​けり。 さるほどに、 りょうこくてん*蕭王そうおう1032信仰しんこうあり​て、 おはせ​しかたに​つね​にかひ​て、 曇鸞どんらんさつとぞらいし​ましまし​けり。

 「三蔵さんぞう流支るしじゅ浄教じょうきょう ぼんじょうせんぎょう楽邦らくほう」 といふは、 かの曇鸞どんらんだい、 はじめ​はろんしゅうにて​おはせ​し​が、 仏法ぶっぽうの​そこ​を​ならひ​きはめ​たり​といふとも、 いのち​みじかく​は、 ひと​を​たすくる​こと​いくばく​ならん​とて、 *とういんきょといふ​ひと​に​あう​て、 まづちょうせい不死ふし0016ほうを​ならひ​ぬ。 すでに三年さんねんの​あひだ仙人せんにんの​ところ​にして​ならひ​え​て​かへり​たまふ。

その​みち​にて*だい流支るしもう*三蔵さんぞうに​ゆきあひ​て​のたまはく、 「仏法ぶっぽうの​なか​にちょうせい不死ふしほうは、 *このせんぎょうに​すぐれ​たるほうや​ある」 とひ​たまへ​ば、 三蔵さんぞうに​つばき​をき​て​いはく、 「このほうには​いづく​の​ところ​にかちょうせい不死ふしほうあら​ん。 たとひちょうねんて​しばらくせ​ず​といふとも、 つひにさんりんす​べし」 といひ​て、 すなはちじょう*¬かんりょう寿じゅきょう¼ をさずけ​て​いはく、 「これ​こそ​まこと​のちょうせい不死ふしほうなり。 これ​に​より​て念仏ねんぶつすれば、 はやくしょうを​のがれ​て、 はかり​なき​いのち​をべし」 と​のたまへ​ば、 曇鸞どんらんこれ​を​うけとり​て、 せんぎょうじっかんを​たちまちにきすて​て、 一向いっこうじょうし​たまひ​けり。

 「天親てんじんさつろんちゅう ほういんけん誓願せいがん」 といふは、 かのらん (曇鸞)天親てんじんさつ1033 ¬じょうろん¼ に ¬ちゅう¼ (*論註) といふ​ふみ​を​つくり​て、 くはしく極楽ごくらくいん一々いちいち誓願せいがんあらわし​たまへ​り。

 「往還おうげんこうりき 正定しょうじょういんゆい信心しんじん」 といふは、 往相おうそう還相げんそうしゅこうは、 ぼんとして​は*さらに​おこさ​ざる​ものなり、 ことごとく如来にょらいりきより​おこさ​しめ​られ​たり。 正定しょうじょういん信心しんじんを​おこさ​しむる​に​よれ​る​ものなり​となり。

 0017惑染わくぜんぼん信心しんじんほつ しょうしょうそくはん」 といふは、 一念いちねんしんおこり​ぬれ​ば、 いかなる*惑染わくぜんなり​といふとも、 不可ふか思議しぎほうなる​がゆゑに、 しょうすなはちはんなり​といへる​こころ​なり。

 「ひっりょうこうみょう しょしゅじょうかい普化ふけ」 といふは、 しょうにん (*親鸞)弥陀みだしんさだめ​たまふ​とき、 「ぶつは​これ不可ふか思議しぎこうは​またりょうこうみょうなり」 (*真仏土巻・意) といへり。 かのに​いたり​なば​また穢土えどに​たちかへり、 あらゆるじょうす​べし​となり。

【10】 「どうしゃくけつしょうどうなんしょう ゆいみょうじょうつうにゅう」 といふは、 この*どうしゃくは​もと​ははんしゅう学者がくしゃなり。 曇鸞どんらんしょう*面授めんじゅ弟子でしに​あらず。 そのだい*いっぴゃくさいを​へだて​たり。 しかれども*へいしゅうげんちゅうにして曇鸞どんらんもんを​みて、 じょう1034たまひ​し​ゆゑに、 かの弟子でしたり。 これ​また​つひに*はん広業こうごうを​さしおき​て、 ひとへに西方さいほうぎょうを​ひろめ​たまひ​き。 さればしょうどうなんぎょうなり、 じょうぎょうなる​がゆゑに、 ただ当今とうこんぼんじょう一門いちもんのみつうにゅうす​べき​みち​なり​と​をしへ​たまへ​り。

 「万善まんぜんりきへん勤修ごんしゅ 円満えんまん徳号とくごうかんせんしょう」 といふは、 万善まんぜんりきぎょうなる​がゆゑに、 末代まつだいしゅぎょうする​こと​かなひがたし​といへり。 円満えんまん徳号とくごうりきぎょうなる​がゆゑに、 末代まつだいには相応そうおうせ​り​といへる​こころ​なり。

 0018さん三信さんしん慇懃おんごん 像末ぞうまつ法滅ほうめつどういん」 といふは、 どうしゃくぜん、 「さん三信さんしん」 といふ​こと​をしゃくし​たまへ​り。 「ひとつ​には信心しんじんあつから​ず、 にゃくぞんにゃくもうする​ゆゑに。 ふたつ​には信心しんじんひとつ​ならず、 いはく、 けつじょうなき​がゆゑに。 つ​には信心しんじん相続そうぞくせず、 いはく、 ねんけんなる​がゆゑに」 (*安楽集・上) といへり。 かくのごとく​ねんごろに​をしへ​たまひ​て、 像法ぞうぼう末法まっぽうしゅじょうを​おなじく​あはれみ​ましまし​けり。

 「いっしょう造悪ぞうあくぜい あんにょうがいしょうみょう」 といふは、 弥陀みだぜいもうあひ​たてまつる​によりて、 いっしょう造悪ぞうあくあんにょうがいいたれ​ば、 すみやかにじょうみょうしょう1035す​べき​ものなり​といへる​こころ​なり。

【11】 「善導ぜんどうどくみょうぶつしょう 矜哀こうあいじょうさんぎゃくあく」 といふは、 じょうもん祖師そしそのかずこれ​おほし​と​いへども、 善導ぜんどうに​かぎりひと*ぶっしょうを​こう​て、 あやまり​なくぶつしょうかし​たまへ​り。 されば*じょうさんをもぎゃくをも、 もらさ​ず​あはれみ​たまひ​けり​といふ​こころ​なり。

 「こうみょうみょうごうけん因縁いんねん」 といふは、 弥陀みだ如来にょらいじゅうはちがんの​なか​にだいじゅうがんは、 「わが​ひかり​きは​なから​ん」 とちかひ​たまへ​り、 これ​すなはち念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅの​ため​なり。 かのがんすでにじょうじゅして​あまねく無礙むげの​ひかり​をもつて十方じっぽうじんかいらし​たまひ​て、 しゅじょう煩悩ぼんのう悪業あくごうじょう0019らし​まします。 されば​この​ひかり​のえんに​あふしゅじょう*やうやくみょう*昏闇こんあんうすく​なり​て宿しゅくぜんの​たね​きざす​とき、 まさしくほううまる​べきだいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょう*願因がんいんみょうごうを​きく​なり。 しかれば、 みょうごうしゅうする​こと​さらにりきに​あらず、 ひとへにこうみょうに​もよほさ​るる​によりて​なり。 この​ゆゑにこうみょうえんに​きざさ​れ​てみょうごういんあらわるる​といふ​こころ​なり。

 「かいにゅう本願ほんがんだいかい ぎょうじゃしょうじゅ金剛こんごうしん」 といふは、 本願ほんがんだいかいにゅうし​ぬれ1036ば、 真実しんじつ金剛こんごうしんけ​しむ​といふ​こころ​なり。

 「きょう一念いちねん相応そうおう だいとうぎゃく三忍さんにん そくしょうほっしょうじょうらく」 といふは、 一心いっしん念仏ねんぶつぎょうじゃ一念いちねんきょう信心しんじんさだまり​ぬれ​ば、 *だいにんと​ひとしく、 しん三忍さんにんべき​なり。 しん三忍さんにんといふ​は、 ひとつ​にはにんふたつ​にはにんつ​には信忍しんにんなり。 にんといふは、 これ信心しんじんかん得益とくやくを​あらはす​こころ​なり。 にんといふは、 ぶっを​さとる​こころ​なり。 信忍しんにんといふは、 すなはち​これ信心しんじんじょうじゅの​すがた​なり。

しかれば、 だいは​この三忍さんにんやくを​え​たまへ​る​なり。 これ​によりて真実しんじつ信心しんじんそくせ​ん​ひと​は、 だいにんに​ひとしく三忍さんにんを​え​て、 すなはちほっしょうじょうらくしょうす​べき​ものなり。

002012】 「源信げんしん広開こうかい一代いちだいきょう へんあんにょうかん一切いっさい」 といふは、 *りょうごんしょう (*源信) は、 ひろくしゃ一代いちだいきょうひらき​て、 もつぱら念仏ねんぶつを​えらん​で、 一切いっさいしゅじょうをして西方さいほうおうじょうを​すすめ​しめ​たまへ​り。

 「専雑せんぞうしゅうしんはん浅深せんじん ほう二土にどしょうべんりゅう」 といふは、 ぞうぎょう雑修ざっしゅを​すてやら​ぬ*しゅうしんある​ひと​は、 かならず化土けどまんこくしょうずる​なり。 また専修せんじゅ正行しょうぎょうに​なり​きはまる​かた​のしゅうしんある​ひと​は、 さだめてほう極楽ごくらくこくしょうず​べし​となり。 これ1037すなはち専雑せんぞうしゅ浅深せんじんはんじ​たまへ​る​こころ​なり。 ¬さん¼ (高僧和讃) に​いはく、 「ほうじょうおうじょうは おほから​ず​とぞ​あらはせ​る 化土けどうまるるしゅじょうをば すくなから​ず​と​をしへ​たり」 といへる​は​この​こころ​なり​と​しる​べし。

 「ごくじゅう悪人あくにんゆいしょうぶつ」 といふは、 ごくじゅう悪人あくにん方便ほうべんなし、 ただ弥陀みだしょうし​て極楽ごくらくしょうずる​こと​をよ​といへるもんの​こころ​なり。

 「やくざい摂取せっしゅちゅう 煩悩ぼんのうしょうげんすいけん だいけん常照じょうしょう」 といふは、 真実しんじつ信心しんじんを​え​たる​ひと​は、 しゃに​あれども​かの摂取せっしゅこうみょうの​なか​に​あり。 しかれども、 煩悩ぼんのうまなこ​を​さへ​て​をがみ​たてまつら​ず​と​いへども、 弥陀みだ如来にょらい*ものうき​こと​なく​して、 つね​に​わがらし​まします​といへる​こころ​なり。

002113】 「ほん源空げんくうみょうぶっきょう 憐愍れんみん善悪ぜんあくぼんにん」 といふは、 日本にっぽんには念仏ねんぶつ祖師そしそのかずこれ​おほし​と​いへども、 *法然ほうねんしょうにんの​ごとく*一天いってんに​あまねくあおが​れ​たまふ​ひと​は​なき​なり。 これ​すなはちぶっきょうに​あきらかなり​し​ゆゑなり。 されば弥陀みだしんといひ、 またせい来現らいげんといひ、 また善導ぜんどう再誕さいたんとも​いへり。 かかる*めいにて​まします​がゆゑに、 われら善悪ぜんあくぼんにんを​あはれみ​たまひ​てじょうに​すすめれ​しめ​たまひ​ける​ものなり。

 1038しんしゅう教証きょうしょうこうへんしゅう せんじゃく本願ほんがんあく」 といふは、 かのしょうにん (法然) わがちょうに​はじめてじょうしゅうを​たて​たまひ​て、 また ¬*せんじゃくしゅう¼ といふ​ふみ​を​つくり​ましまし​て、 あくに​あまねく​ひろめ​しめ​たまへ​り。

 「還来げんらいしょう輪転りんでん けつじょうしょ そくにゅう寂静じゃくじょう無為むいらく ひつ信心しんじんのうにゅう」 といふは、 しょう輪転りんでんいえといふは、 六道ろくどうりんの​こと​なり。 この​ふるさと​へかえる​こと​はじょうの​ある​によりて​なり。 また寂静じゃくじょう無為むいじょうへ​いたる​こと​は信心しんじんの​ある​によりて​なり。 されば ¬せんじゃくしゅう¼ に​いはく、 「しょういえにはうたがいをもつてしょと​し、 はんの​みやこ​にはしんをもつてのうにゅうと​す」 といへる、 この​こころ​なり。

【14】 「きょうだいしゅとう じょうさいへんごくじょくあく 道俗どうぞくしゅとう同心どうしん ゆいしん高僧こうそうせつ」 といふは、 きょうだいといふは0022天竺てんじく (印度)震旦しんたん (中国)・わがちょうさつ祖師そしとうの​こと​なり。 かのにんらいごくじょくあくの​われら​を​あはれみ​すくひ​たまは​ん​とて出生しゅっしょうし​たまへ​り。 しかれば道俗どうぞくとう、 みな​かの三国さんごくこうせつしんじ​たてまつる​べき​ものなり。 されば​われら​が真実しんじつほうおうじょうを​をしへ​たまふ​こと​は、 *しかしながら​この祖師そしとうおんに​あらず​といふ​こと​なし。 よくよく​その1039恩徳おんどく報謝ほうしゃし​たてまつる​べき​ものなり。

 

 おく がき

 みぎこの ¬しょうしんたい¼ は、 *金森かねがもり*道西どうさい一身いっしん才覚さいかくの​ため​に*連々れんれんその​のぞみ​これ​あり​と​いへども、 いささか​その*りょうけんなき​あひだ、 かたく*しんしゃくを​くはふる​ところ​に、 しきりに所望しょもうの​むね​さりがたき​によりて、 文言もんごんの​いやしき​を​かへりみ​ず、 また義理ぎりだいをも​いは​ず、 ただ*願主がんしゅめいに​まかせ​て、 ことば​を​やはらげ、 これ​を​しるし​あたふ。 その所望しょもうある​あひだ、 かくのごとく​しるす​ところ​なり。 あへて*外見がいけんある​べから​ざる​ものなり。

とき**ちょうろくだいてん*りんしょうの​ころ、 ふでめ​をはり​ぬ。

 

底本は真宗法要所収本ˆ聖典全書の対校本Ⓒ。 全書の底本は京都府西法寺蔵室町時代末期書写本ˇ。
句のかず百二十… 七言のじゅは二句を一行とするので、 百二十句の 「正信偈」 は六十行となる (四言、 五言の偈頌は四句を一行とする)。
三朝高祖 インド・中国・日本に現れた高僧。 →しち高僧こうそう
四つの字 貨幣に刻まれた四つの文字のこと。 「銭一つの…」とは、 銭一枚の四分の三の重さ、 軽いものの喩え。
無量寿如来会には… ¬如来会¼ では、 阿弥陀仏のこうみょうの徳を十五光の名称でたたえている。 →りょう寿じゅ如来にょらい
この土 しゃ世界。
かの土 阿弥陀仏の浄土。
一念歓喜の信心 本願を聞いてふたごころなくよろこぶ信心のこと。 親鸞聖人は、 一念とは信心をうる時のきわまり、 歓は身を、 喜は心をよろこばせることであるという。
涅槃にいたるべき分 涅槃に至ることに定まった位。 正定しょうじょうじゅのこと。
八宗の祖師 龍樹菩薩の教学は広く諸宗の基礎となっているので、 このようにいう。
大乗経 ここでは浄土三部経のこと。
大会の数 浄土で阿弥陀仏が説法する時の集会を広大会と名づけ、 それに参列し聞法もんぼうする大衆だいしゅを大会衆という。 ここでは信心の行者が、 現生 (この世) において正定しょうじょうじゅに入り、 阿弥陀仏の眷属けんぞくとなることをいう。
この土 ここでは中国のこと。
観無量寿経を授け… ¬ぞく高僧こうそうでん¼ 巻六では ¬観経¼ を授けたとするが、 諸説があって定かではない。
一百余歳 曇鸞どんらんだいの寂年 (542) とどうしゃくぜんの寂年 (645) の年のへだたりをいう。
并州玄中寺 ¬ぞく高僧こうそうでん¼ 巻六には 「ふんしゅう北山石壁せきへき玄中寺」 とある。
涅槃の広業 ¬はんぎょう¼ を講ずる広大な事業。
仏証 仏の認証。 善導ぜんどう大師の ¬観経疏¼ が仏の認証を得た書であることは、 同書の後跋に記されている。
定散の機… じょうぜん散善さんぜんを行う善人と、 ぎゃくざいをおかした悪人。
願因の名号 本願によって往生の因と選び定められた名号。
楞厳 しゅりょうごんいんのこと。
ものうきことなく 飽きることなく。 ここでは見捨てることなくという意。
料簡 考え。 思慮。
長禄第四 長禄二年とする異本もある。