0635けんみやうせう 

 

おほよそ三界さんがいやすきことなし、 六道ろくどうみななり。 無始むししやうのうち、 くわうごうてんのほど、 うけぬかたちもなく、 むまれぬところもなし。 しようねちけんげんにもしづみ、 鬼畜くゐちくしゆ罪報ざいほうをもえたりき。 あるひは欲界よくかい六天ろくてんのくものあひだにむまれて、 すい退没たいもちをかなしむときもありけん。 あるひはしき色界しきかいのかすみのうへにあそびて、 じやうてん快楽くゑらくにほこることもありけん。 これみなにをいて、 みづからへたるところなり。 しかれども、 といひらくといひ、 しやうをへだてぬれば、 すなはちわすれぬ。 たゞわづかにしやうげうせちをひらいて、 おもひやるばかりなり。

そのなかに、 人界にんがいしんこんじやうにゑたるすがた、 当体たうたいうけたるほうなれば、 くわのありさまのうへにおもひしらされ、 じやうのかなしみもまなこのまへにみえたり。 おもひいれずしてけんにのみぢやくし、 しやうをしらずしてむなしくすぎんことは、 くちをしかるべきことなり。 この人間にんげんにをいてぞうじやう煩悩ぼんなうあり、 三毒さんどくをもてほんとす。 なんなうあり、 四苦しくをもてさいとす。

まづ三毒さんどくといふは、 貪欲とんよくしん愚痴ぐち0636なり。 貪欲とんよくといふは、 いろにぢやくし、 たからにふけるこゝろなり。 しんといふは、 いかりをなし、 はらをたつるこゝろなり。 愚痴ぐちといふは、 みやうにおほはれしやうにまどひたるこゝろなり。 貪欲とんよくしやうじ、 しんをおこすことも、 そのみなもとをいへば、 愚痴ぐちよりいでたり。 八万はちまん塵労じんらうさまざまにわかれ、 一切いちさい煩悩ぼんなうそのかずおほけれども、 根本こんぽんをたづぬるに、 みな三毒さんどくよりしやうぜり。 もしひとどくをくひぬれば、 かならずするがごとく、 このみつ煩悩ぼんなうをおこせば、 かならずさんにおもむくがゆへに三毒さんどくとなづく。 またこれをなづけて三縛さんばくともいふ、 じやう結縛けちばくしてしやうをいださゞるがゆへなり。

つぎに四苦しくといふは、 しやうらうびやうなり。 しやうといふは、 むまるゝときのなり。 つきのあひださんびやくにち胎内たいないしよして五位ごゐをへ、 くゑちにくにまじはりてしよをうく。 つきみちいたりてのち、 はじめてむまるゝとき、 かうべをさかさまにし、 をつゞめていづ。 一切いちさい骨節ほねふしつゞまりてのぶることあたはず、 そのつうによりてぜんしやうことことごとくわする。 らうといふは、 じちぐゑちすみやかにゆきて、 さかんなるよはひはやくすぐ。 やまひはとしををひてくはゝり、 かたちはにしたがひておとろふ。 かゞみにうつるかげにむかへば、 しらぬおきなにあへるかとうたがひ、 けぬきにみてるしらがをかぞふれば、 けさはきのふよりも0637おほし。 ちからよはくしてはるやなぎににたり、 ねぐりはやくさめてなつをのこす。 老少らうせうともにぢやうなれども、 おひぬればにちかづくこと、 まことにこゝろぼそかるべし。 びやうといふは、 人身にんじんじやうずるはすいくわふうだいなり。 だいごとにひやくいちやまひあり、 あはすればひやくびやうなり。 いちびやうたちまちにおこれば、 たいことごとくいたむ。 やまひはこれのきはまりなり。 やまひはすなはちいんなり、 たゞ身心しんしん悩乱なうらんするのみにあらず、 また仏法ぶちぽふしゆぎやうをさまたぐ、 たれかこのをいとはざらん。 死苦しくといふは、 いちほうみやうながくつきて、 たうしやう果報くわほうにうつるいちせちなり。 すいくわふう三大さんだいをのをのさんし、 寿じゆだんしき三法さんぽふ、 みなしやするとき、 ひやくしよせちきりさくがごとし。 つゐにいきたえ、 まなことぢぬれば、 これをぐわいにをくる。 はなのかほばせのゑみをふくみし、 にはかにじやうかぜにさそはれ、 くもびんのなさけありし、 むなしくいちけむりとのぼりぬ。 たかきもいやしきも、 こののがるゝことなく、 かしこきもをろかなるも、 このかなしみまぬかるゝことなし。

しづかにおもへば、 たのしむべきところにあらず、 つらつらあんずれば、 ぢやくすべきしやうにあらず。 しかるにあけてもくれてもよくにまつはれて、 われひとしやうをおそるゝことなし。

よくといふは、 しきしやうかうそくきやうがいなり。 こ0638よくにをいて、 想念さうねんし、 趣向しゆかうし、 とんぢやくして、 悪業あくごう現在げんざいにたくはへ、 ほうらいにうくるなり。 まづよく想念さうねんすといふは、 ひとごとにこゝろをよくきやうにかけてをわたるはかりごとをめぐらし、 とおくゆいし、 さまざまに憶念をくねんするなり。 つぎによく趣向しゆかうすといふは、 ゆいしをはり、 あんじしたゝめてのち、 まさしくををろして、 そのごうをなすなり。 あしたにはしもをはらひてきみにつかへ、 ゆふべにはほしをいたゞきてわたくしにかへる。 これみなみやうもんのためにそうし、 やうのためにしんす。 あるひは江海かうかいにふねをうかべてしやうばいのうとし、 あるひはさんにひづめをかりてせちしやうをことゝす。 かくのごとくいとなみわしること、 たゞいちしんみやうをたすけんがためなり。 もしそのこゝろざしをとげざるときは、 身心しんしんをなやますこと、 どくのむねにあたるがごとし。 これよく趣向しゆかうするありさまなり。 つぎによくとんぢやくすといふは、 すでにそのきやうがいをえてのち、 これを受用じゆようしこれにあいぢやくするなり。 金銀こんごんのたからをまへにとりならべ、 こくのたくはへをくらにつみみてゝ、 これをもてさいをはぐゝみ、 これにをいて飽足はうそくすることなし。 かやうにとんするほどに、 いちしやうむなしくはせすぎて、 またさんきうにかへる。 じふ因縁いんゑんてんみやうよりらうにいたり、 じふ五有ごうしやうじやうかいよりまたかい0639おつ。 さん輪転りんでんしてへんもやむことなし。 たとへばくるまにはにめぐるがごとし、 またとりはやしにあそぶににたり。 かたちつねのぬしなし、 一所いちしよにとゞまらず。 たましゐつねのいへなし、 すてゝまたさりぬれば、 あるひは阿鼻あびたきゞとなりて洞燃どうねんみやうくわのほのほにこがれ、 あるひは鬼畜くゐちくほうをうけてこん残害ざんがいのかなしみをいだく。 これすなはちよくとんぢやくする罪業ざいごうのいたすところなり。 しかるにのならひひとのこゝろ、 かゝる罪報ざいほうをばかへりみず、 まづしきはまづしきにつけてまうのおもひたえず、 とめるはとめるにつけてぜんぢやくのこゝろつくることなし。 ねがふもぢやくするも、 ともに妄心まうしんなれば、 とめるもまづしきも、 みな悪道あくだうにおもむく。 なげきてもあまりあり、 これいかゞせん。

たゞしもとより欲界よくかいしゆじやうばくぼんなれば、 煩悩ぼんなうにそなへたることははなのむまれつきたるがごとし、 いとふともかなふべからず。 ひとへにばんをなげすて、 たちまちにさいをふりすてんことも、 末代まちだいにはかたかるべし。 さればたとひよくにまつはるといふとも、 たとひ三毒さんどくだんぜずといふとも、 ぼんのすみやかにしやうをはなれぬべきみちをもとむべきなり。 おほよそ六趣ろくしゆのなかには人身にんじんもともうけがたく、 しうのうちには南州なんしうことにねがふべし。

妙楽めうらくだいは 「ろん↢ ずればくわ0640ほうすなはち南州なんしう下々げげやく↠ すればふにぶちすなはち南州なんしう上々じやうじやう (輔行巻四) しやくして、 けん果報くわほうをいふときは、 いのちみじかくおほくして、 いづれのところにもおとりたれども、 ぶちにあひたてまつることをいふときは、 この南州なんしうをもてすぐれたりとす。 ぶちこのしうにいでたまふによりて、 しゆじやうこれよりしゆちすべきがゆへなり。 ぶちざいにむまれあひしは、 をのをのやくをえにあづかりしこと、 いふにをよばず、 めちしゆじやうなりといふとも、 教法けうぼふ流布るふにむまれて、 かたのごとくも因果いんぐわのことはりをわきまへ、 ましてぜんしきにあひ仏法ぶちぽふだうをもきくは、 ありがたき宿しゆくゑんなり。

仏法ぶちぽふ東漸とうぜんのゆへに、 しやうぼふには天竺てんぢく仏法ぶちぽふさかりにひろまり、 像法ざうぼふには震旦しんたんけうしやくことにおこり、 末法まちぽふには我朝わがてうやくひとへにあまねし。 かみのすゑつかたにあたりて、 しやくそん涅槃ねちはんにいりたまひしよりこのかたせんひやくねん末法まちぽふにいりていまださんびやくねんにみたず。 欽明きんめい天皇てんわうぎよ仏法ぶちぽふはじめてわたり、 しやうとくたいさかりにこれをひろめたまひしよりいまゝでしちひやくさいしやうげう伝来でんらいののちいまだ千年せんねんにたらず。 末法まちぽふ万年まんねん最初さいしよ仏法ぶちぽふはんじやう最中さいちうなり。 よくよくをもひいれてゑん教門けうもんにいり、 このたびしゆちをとぐべし。

0641ゝに仏教ぶちけうにをいてさまざまのだうあり。 あるひはいちじよう法華ほつくゑ妙典めうでんをたもちてぢきじやうぶちだうをたづね、 あるひは三密さんみち瑜伽ゆが観行くわんぎやうをつとめて即身そくしんとんしようをもとめ、 あるひはりうもんしゆをつたへて一念いちねんしやうのはじめをあきらめ、 あるいは三聚さんじゆ十重じふぢう戒品かいほんをうけてあく修善しゆぜんけうをまもる。 これみなしやうをはなるゝゑうぎやうだいにいたるしやうだうなり。 しかるにこれらのしゆぎやうをたづぬるに、 あるひは清浄しやうじやうにしてぎやうずべきもんもあり、 ぢやうにしてぎやうぜばしやうをえがたし。 あるひはしんをすましてうべきだうもあり、 心源しんげんもしひらけずはそのやくなきにたり。 このゆへに ¬大集だいじつきやう¼ (巻四〇日蔵分護持品意 巻五五月蔵分閻浮大梵意) もんには 「末法まちぽふちう億々をくをくしゆじやうおこぎやうしゆ↠ せんにだう いま一人いちにんもの↡」 といひ、 善導せんだうくわしやうしやくには 「たばしや  にしてしよう↢  することを法忍ぼふにん六道ろくどう  にして恒沙ごうじやこう にもいま あら」 といへり。

たゞ弥陀みだ一教いちけうじやう一門いちもんのみ、 ひとへに末代まちだい相応さうをうゑうぎやうぼんしゆち直道ぢきだうなり。 さればしやくそん安養あんやうをさしてわうじやうととき、 龍樹りうじゆ念仏ねんぶちをもてぎやうだうはんじたまへり。 とくしやういんをさだむとしては、 ほんぐわん一念いちねん十念じふねん称名しやうみやうにおこし、 だいのきはまりをあらはしては、 やくぢよく五苦ごくしゆじやうにほどこしたまふ。 きかずや、 だい幽閉ゆうへいのまどのうちに住立ぢうりうそんらいして、 しやうやくをえしこと0642を。 ぼんわうじやうこれよりおこる。 またきかずや、 ぐわちがいちやうじやもんのまへに影向やうかうのかたちをはいして、 悪鬼あくくゐなんをはらひしことを。 げんやくもむなしからざるものなり。 きやうかいぎやくせちするしようあり、 罪悪ざいあくかうにやくしてぶちをうたがふべからず。 しやく専修せんじゆ念仏ねんぶちをすゝむるもんあり、 一向いちかうにつとめてわうじやうをうべし。 一向いちかうにつとむるといふは、 ひとへに弥陀みだ一仏いちぶちしよう一切いちさいぎやうごうをまじへず、 もはらみやうがういちぎやうをたもちてひとすぢに極楽ごくらくをねがふなり。 これ弥陀みだほんぐわんなるがゆへに、 決定くゑちぢやうわうじやうしやうごうなり。

天親てんじんの ¬じやうろん¼ に無むげくわう如来によらいみやうがう讃嘆さんだんするに、 「しようして如来によらいみな、 如↢ くにし如来によらい光明くわうみやうさう、 如↢ くしてみやうをもふがごとじちしゆぎやう相応さうをう↡ せんとゆへ なり」 とはんぜり。 しかるに南无なむ弥陀みだぶちしようるは、 すなはち如実によじちしゆぎやうなるがゆへに、 いかなるゆへありとしらねども、 これをとなふるにわうじやうをとげ、 いかなるとくありとわきまへざれども、 これをしんずればぢやうじゆのかずにいる。

たとへば耆婆ぎばやくどうにむかへば、 をのづからまんびやうをのぞくがごとし。 さればみやうがうわうじやうしやういんなりとふかくしんじて、 一向いちかうしようするよりほかは、 またしるべきところもなし。

しかりといへども、 おなじくはかのみやうどくをきかば、 いよいよ信心しんじんをもよほす0643たよりなるべし。 そのみやうといふは、 ¬弥陀みだきやう¼ に弥陀みだぶちみやうをとくとして、 「ぶち光明くわうみやうりやう、 にしてすに十方じちぱう◗◗ところしやう↡。する ゆへがう して弥陀みだ」 ととき、 また 「ぶち寿じゆみやうおよ人民にんみん りやうへんそうこうみやう弥陀みだ」 ととけり。

さればあみだは天竺てんぢくのことばなり。 こゝにはほんじて、 あるひはりやうくわうといひ、 あるひはりやうじゆしよう。 これすなはち光明くわうみやうりやうなるは、 わう十方じちぱうやくのほとりなきことをあらはし、 寿じゆみやうりやうなるは、 しゆさん化導くゑだうのかぎりなきことをしめすなり。

しかれば、 南無なむ弥陀みだぶちといふは、 光明くわうみやうりやうとくくゐして摂取せちしゆしややくにあづかり、 寿じゆみやうりやうとくくゐしてやうしやうめちしんをえんとねがふこゝろなりとしるべし。 このしゆどくは、 じふ十三じふさんぐわんよりいでたり。

まづ光明くわうみやうりやうとくといふは、 第じふぐわんにいはく、 「せち得仏とくぶつ光明くわうみやうのうげんりやう下至げしせうひやく千億せんをく那由なゆしよ仏国ぶちこくしやしゆしやうがく」 ととけり。 おなじきぐわんじやうじゆもんには、 「仏告ぶちがうなん↡、 りやう寿じゆぶちじん光明くわうみやう最尊さいそん第一だいいち諸仏しよぶち光明くわうみやうしよのうぎう 是故ぜこりやう寿じゆぶちがうりやうくわうぶちへんくわうぶち無むげくわうぶちたいくわうぶち炎王えんわうくわうぶち清浄しやうじやうくわうぶちくわんくわうぶち智恵ちえくわうぶちだんくわうぶちなんくわうぶちしようくわうぶちてうにちぐわちくわうぶち↡。 其有ごうしゆじやう↡、 くわうしやさん消滅せうめちしん柔軟にうなんくわんやく善心ぜんしんしやうえんにやくざいさん0644ごんしよ↡、 けん光明くわうみやう↡、 皆得かいとくそくなう↡。 寿終じゆじゆ之後しごかいだち↡。 りやう寿じゆぶち光明くわうみやう顕赫けんかくせう耀えう十方じちぱうしよ仏国ぶちこく↡、 まくもんえん 仏言ぶちごんせちりやう寿じゆぶち光明くわうみやうじん巍々ぐゐぐゐしゆめう↡、 ちう一劫いちこうしやうのうじん (大経巻上) といへり。

おほよそ諸仏しよぶちどくのなかにも、 光明くわうみやうをもておほくやくをほどこし、 しやうじやどくげんずるときも、 光明くわうみやうをもてとくをあらはす、 光明くわうみやうはこれ智恵ちえなるがゆへなり。 だいしやうしや如来によらいしやうぜん法花ほちくゑのむしろにしては、 まづけん光明くわうみやうをはなちて東方とうばうまん八千はちせんをてらし、 ¬観経くわんぎやう¼ 設化せちくゑのみぎりにしては、 くわうだい諸仏しよぶちじやうげんじてだい西方さいはうをえらばしめたまふ。 くわんをんしんのひかりのうちにだうしゆじやう色相しきさうげんじてそのげんをすくひ、 せい頂上ちやうじやうてんぐわんにもろもろの光明くわうみやうをいれて種々しゆじゆやくをなしたまふ。 しやうとくたいたんじやうのとき光明くわうみやうありて殿内でんないをてらし、 にちしやうにんせんしやう善因ぜんいんによりてより光明くわうみやうをはなつ。 ほちしやう制底せいてい妙典めうでんをば ¬こん光明くわうみやうさいしようわうきやう¼ とだいし、 円頓ゑんどん一実いちじち妙戒めうかいをば 「一戒いちかい光明くわうみやう金剛こんがう宝戒ほふかい (梵網経巻下) となづく。 これみな光明くわうみやうについてしゆしようこうをそなへ、 希奇けきやくするがゆへなり。

しかるに弥陀みだ如来によらいは、 量光りやうくわうをもてとしたまへるがゆへに、 一切いちさい光明くわうみやうことごとく弥陀みだ光明くわうみやうよりいで、 諸仏しよぶち智恵ちえしかしながら弥陀みだ智恵ちえをはなれざるなり0645。 このゆへに十方じちぱう一切いちさい諸仏しよぶちも、 こぞりてこの光明くわうみやう讃嘆さんだんし、 しや無むげ弁才べんざいも、 かの光明くわうみやうどくをばときつくすべからずとのたまへり。 しかりといへども、 えうをとりてこれをいふとき、 じふくわうぶちをたてたり。

第一だいいちりやうくわうぶち」 といふは、 やくぢやうをんなることをあらはす。 過現くわげんらいにわたりてそのげんりやうなし、 かずとしてさらにひとしきかずなきがゆへなり。

だいへんくわうぶち」 といふは、 照用せうゆうくわうだいなるとくをあらはす。 十方じちぱうかいをつくしてさらに辺際へんざいなし、 えんとしててらさずといふことなきがゆへなり。

第三だいさん無むげくわうぶち」 といふは、 じんくわうしやうなきさうをあらはす。 人法にんぽふとしてよくさふることなきがゆへなり。 にをいてないしやうあり。 しやうといふは、 せんだいうんえんとうなり。 ないしやうといふは、 とんしん慢等まんとうなり。 「くわううん無むげによ虚空こく (讃弥陀偈) とくあれば、 よろづのしやうにさへられず、 「諸邪しよじやごちのうしや (定善義) のちからあれば、 もろもろのないしやうにさへられず。 かるがゆへに天親てんじんさちは 「じん十方じちぱう無むげくわう如来によらい (浄土論) さんじたまへり。

だいたいくわうぶち」 といふは、 ひかりとしてこれに相対さうたいすべきものなし、 もろもろのさちのをよぶところにあらざるがゆへなり。

だい炎王えんわうくわうぶち」 といふは、 またはくわう炎王えんわうぶちがうす、 光明くわうみやうざいにしてじやうなるがゆへなり。 ¬だいきやう¼ (巻下) に 「によくわ0646わう焼滅せうめち一切いちさい煩悩ぼんなうしん」 ととけるは、 このひかりのとくたんずるなり。 をもてたきゞをやくにつくさずといふことなきがごとく、 光明くわうみやうくわをもて煩悩ぼんなうたきゞをやくに、 さらにめちせずといふことなし。 さん黒闇こくあんしゆじやうも、 くわうせうをかうぶりてだちをうるはこのひかりのやくなり。

第六だいろく清浄しやうじやうくわうぶち」 といふは、 とん善根ぜんごんよりしやうず、 かるがゆへにこのひかりをもてしゆじやう貪欲とんよくするなり。

第七だいしちくわんくわうぶち」 といふは、 しん善根ぜんごんよりしやうず、 かるがゆへにこのひかりをもてしゆじやうしんめちするなり。

第八だいはち智恵ちえくわうぶち」 といふは、 無痴むち善根ぜんごんよりしやうず、 かるがゆへにこのひかりをもてみやうあんするなり。

だいだんくわうぶち」 といふは、 一切いちさいのときに、 ときとしててらさずといふことなし、 さんじやうがうにして照益せうやくをなすがゆへなり。

第十だいじふなんくわうぶち」 といふは、 ぶちをのぞきてよりほかは、 この光明くわうみやうとくをはかるべからざるがゆへなり。

だい十一じふいちしようくわうぶち」 といふは、 じんくわうさうをはなれてなづくべきところなし、 はるかにごんきやうがいにこえたるがゆへなり。 こゝろをもてはかるべからざればなんくわうぶちといひ、 ことばをもてとくべからざればしようくわうぶちがうす。 ¬りやう寿じゆ如来によらい¼ (巻上) には、 なんくわうぶちをば 「不可ふか思議しぎくわう」 となづけ、 しようくわうぶちをば 「不可ふか称量しようりやうくわう」 といへり。

だいじふてうにちぐわちくわうぶち」 といふは、 にち0647ぐわちはたゞてんをてらして、 かみじやうてんにをよばず、 しもごくにいたらず。 ぶちくわうはあまねく八方はちぱうじやうをてらして、 しやうするところなし、 かるがゆへににちぐわちにこえたり。 また日輪にちりん火珠くわしゆしよじやうとして能熱のうねち能照のうせうとくあり、 ぐわちりん水珠すいしゆしよじやうとしてのうりやう能照のうせうゆうあり。 しかるに弥陀みだ光明くわうみやうは、 清涼しやうりやう光明くわうみやうをはなちてしようねちだいしようねちのほのほをてらすこと、 ぐわちりんのすゞしきとくにこゑ、 うん光明くわうみやうをはなちてれんだいれんのこほりととくこと、 日輪にちりんのあたゝかなるひかりにすぐれたり。 またにちくわうくわんをん応化をうぐゑ月光ぐわちくわうせい権化ごんくゑなれば、 これ弥陀みだ如来によらい悲智ひちもんなり。 いんくわ、 そのくらゐ各別かくべちなるがゆへに弥陀みだどくにはをよぶべからず、 かるがゆへにてうにちぐわちくわうぶちといふなり。

このじふくわうぶちは、 一々いちいちとくにつきてそのをあげたり、 別体べちたいなるにはあらず。 そもそもこの光明くわうみやう徳用とくゆうの、 かやうに不可ふか思議しぎなることは、 しかしながらしゆじやうやくせんがためなり。 そのやくといふは、 念仏ねんぶちしゆじやう摂取せちしゆしてすてず、 かならずじやうしやうぜしむるなり。

こゝをもて ¬観経くわんぎやう¼ には 「光明くわうみやう遍照へんぜう十方じちぱうかい↡、 念仏ねんぶちしゆじやう摂取せちしゆしや」 ととけり。 善導せんだうくわしやうの ¬わうじやう礼讃らいさん¼ のなかに、 ¬観経くわんぎやう¼・¬弥陀みだきやう¼ のこゝろによりて弥陀みだみやうしやくしたまふとき、 「ゆいくわん念仏ねんぶちしゆじやう↡、 摂取せちしゆしやみやう0648弥陀みだ↡」 とはんぜり。 こゝにしりぬ、 たとひ光明くわうみやうあまねく十方じちぱうをてらすといふとも、 もし摂取せちしゆやくなくは、 ぶちをあみだぶちとなづけたてまつるべからず、 しゆじやうまたわうじやうをとぐべからず。

しかるにこの光明くわうみやうは、 念仏ねんぶちひと照摂せうせちして、 かならずわうじやうをとげしむるがゆへに、 ぎやうじやみやうがうしようしてぶちぐわんくゐすれば、 如来によらいはこれをくわんして、 摂取せちしゆやくをあたへたまふ。 これみやうがうだい念仏ねんぶちやくなり。

第一だいいちにんをもてらさず、 読誦どくじゆだいじようしやをもせちせず、 かいしゆをもすくはず、 孝養けうやう父母ぶもひとをもえらばす。 因果いんぐわをわきまへざるにんなれども、 仏号ぶちがうをとなふるものあれば、 これをもとめててらし、 だいしんをおこさゞるしやなれども、 念仏ねんぶちのこゑあるところには、 これをたづねて摂取せちしゆしたまふ。

されば善導せんだうくわしやう処々しよしよしやくをみるに、 あるひは 「ぶちしんくわうじやうせうにん↡、 せうしやそうろんせうせち雑業ざうごうぎやうじや↡」 といひ、 あるいは 「ゆい念仏ねんぶちくわうせう↡、 たうほんぐわんさいがう」 としやくし、 あるひは 「えんくわうせう↥、 ゆいみやく念仏ねんぶちわうじやうにん↡」 (般舟讃) はんじ、 あるひは 「まくろん弥陀みだせちせちざい専心せんしん (般舟讃) とのべたり。 これみなしよぎやうぎやうじやくわうせうをかうぶらざることをあかし、 念仏ねんぶちぎやうじやのみ摂取せちしゆにあづかることをあらはすなり。

弥陀みだ量光りやうくわう0649ほんずるにつきて、 いさゝか光明くわうみやうとくをのぶることかくのごとし。 みやうがうのなかにかゝる摂取せちしゆしややくあるがゆへに、 南无なむ弥陀みだぶちととなふれば、 決定くゑちぢやうしてわうじやうをとぐるなり。

けんみやうせう 

応永一年 甲辰 十二月廿二日終書写之微功、 則于性順授与之畢。
信州水内郡太田庄長沼浄興寺住侶
常盤台御真筆也、 仍不可他人相続殊可奉貴敬

 

 

0650けんみやうせう 

つぎに寿じゆみやうりやうとくといふは、 だい十三じふさんぐわんにいはく、 「せちとくぶつ寿じゆみやうのうげんりやう↡、 下至げしひやく千億せんをく那由なゆこうしやしゆしやうがく↡」 (大経巻上) といへり。 おなじきぐわんじやうじゆもんには、 「ぶちなん↡、 りやう寿じゆぶち寿じゆみやうぢやうしよう↡。 によにやう知乎ちこ仮使けし十方じちぱうかいりやうしゆじやう皆得かいとく人身にんじん↡、 しちりやうじやうじゆしやうもん縁覚ゑんがく↡、 都共とぐしゆぜんいちしんかちりき↡、 ひやく千万せんまんごうしち推算すいさん寿じゆみやうぢやうをんしゆ↡、 のう窮尽ぐうじん限極げんごく↡」 (大経巻上) といへり。

また教主けうしゆにかぎらず、 極楽ごくらくさちしやうじゆ寿じゆみやうりやうなることをときて 「しやうもんさちてんにんしゆ寿じゆみやうぢやうたんやくによ算数さんじゆ譬喩ひゆしよのう (大経巻上) といへり。 また ¬弥陀みだきやう¼ には、 「ぶち寿じゆみやうぎう人民にんみんりやうへんそうこうみやう弥陀みだ↡」 ととけり。

されば能化のうくゑぶち所化しよくゑしやうじゆも、 ともに寿じゆみやうりやうにして、 算数さんじゆ譬喩ひゆもをよぶところにあらず。 かくのごとく寿じゆみやうりやうなることは、 やくさんにわたりてしゆじやうくゑすること、 かぎりなからんがためなり。 諸仏しよぶち寿じゆみやうぢやうたんともににし0651たがひてそのやくありといへども、 寿じゆみやうのいたりていじかきはやくにもるゝしゆじやうおほし。

しやくそんじゆ八十はちじふねん化導くゑだうぶんはたゞじふねんなり。 そのあひだざいたうしゆ得益とくやくまことにしげかししかども、 めち凡惑ぼんわくはさとりをひらくものすくなし。 しやうざうまちさん、 そのしようをとることだいげんず。 これすなはちざいえんひさしからざるによりて、 だいしやうをさること遙遠えうをんなるがゆへなり。 いかにいはんや、 じゆじゆぶち寿じゆみやうはたゞ一日いちにちいち所説しよせち法門ほふもんはいくばくならず。 ぐわちめん如来によらい寿じゆみやうはわづかに一日いちにち、 あしたにしゆちしてゆうべに入滅にふめちす。

しかるに弥陀みだ如来によらいは、 くわをかぞふればじやうぶちののち劫数こうしゆすでにひさし。 ¬さうくわんぎやう¼ (巻上) ならびに ¬弥陀みだきやう¼ にはともに 「十劫じつこう」 ととき、 ¬だい弥陀みだきやう¼ (巻上) には 「じつ小劫せうこう」 ととけり。 また ¬法華ほちくゑきやう¼ のせちのごとくならば、 三千さんぜん塵点ぢんでんぶつなり。 ¬般舟はんじゆきやう¼ のせちによらば、 さん諸仏しよぶちほんなり。 くわかくのごとし、 らいまたげんりやうなし。 千劫せんごう万劫まんごう恒沙ごうじやこう兆載てうさい永劫やうごうにして、 また央数あうしゆこうなり。

しかれば、 たとひいち二世にせやくにもるとも、 如来によらいつねににましますゆへに、 つゐにそのさいにあづかるべし。 ¬弥陀みだきやう¼ (意) のなかに 「ほちぐわんこんほちぐわんたうほちぐわんのもの、 みなわうじやうすべし」 ととけるは、 このこゝろなり。 だいじふ果遂くわすいぐわん、 またそのなり。 しゆぎやうしん0652あれば、 わうじやうそくあるべきがゆへに、 あるひはじゆんにもわうじやうし、 あるひはしやうさんしやうにもわうじやうするもの、 相続さうぞくしてたゆべからず。

ねん弥陀みだみやうがうにかけ、 おもひを安養あんやうじやうせちにはこぶもの、 しや一国いちこくなをりやうなり、 はうかいもまたしゆなるべし。 くわ現在げんざいすでにりやうなり、 らいまたぐうなるべし。 もし如来によらい寿じゆみやう際限さいげんあらば、 やくにもるゝしゆじやうあるべきがゆへに、 十方じちぱうじやうをもらさず、 さん群類ぐんるいをのこさず、 みな極楽ごくらくじやうくゐせしめ、 りやうじゆぶち契当かいたうせしめんがために、 如来によらい寿じゆみやうはかぎりなきものなり。

これによりて ¬涅槃ねちはん経¼ (北本巻三寿じゆみやう品意 南本巻三寿じゆみやう品意) には 「耨達のくだちしゆちだい↡、 如来によらいやくしゆち一切いちさい寿じゆ↡。 一切いちさい人天にんでん寿じゆみやうだいにう如来によらい寿じゆみやう大海だいかい↡」 といへり。 しかれば、 弥陀みだ如来によらいおんじつじやう覚体かくたい無始むしほんごくなり。 めいぜんじやう一切いちさい万法まんぼうことごとく弥陀みださん摂在せうざいせずといふことなし。

しかるにしゆじやう一念いちねん迷妄めいまうによりて、 真如しんによのみやこをまよいで、 てんぼんとなりしよりこのかた、 ひさしく塵労じんらうにおほはれて、 ほんしやうをわすれたり。 しかるあひだ、 無作むさせいぐわんやむことなく、 えん慈悲じひにもよほされて、 かの群類ぐんるいし、 そのめいじやうをひるがへさしめんがために、 かりに法蔵ほふざう比丘びくとなり、 さらに十八じふはちだいぐわん超発てうほちしたまへり。 このゆへに、 十念じふねんわう0653じやうせいぐわんをおこし、 十劫じちこうじやうだう方便はうべんをしめして、 一心いちしん専念せんねんぎやうじやをば十八じふはちぐわんをもて摂受せうじゆし、 しゆしよどくぎやうにんをばじふぐわんにて引摂いんぜうし、 ないかりにもねんをかのくににかくるをばじふぐわんをもて果遂くわすいせしめたまふがゆへに、 発心ほちしんぜんあればわうじやうにも遠近をんごんあれども、 つゐには六道ろくどうしやうじやう寿じゆみやうせちして、 みな一実いちじち真如しんによほんりやう寿じゆぶちにうせしむべしとしるべきなり。

諸仏しよぶちのなかに、 ひとりりやう寿じゆぶちがうす。 寿じゆみやう一切いちさいこんぐゑんなれば、 諸仏しよぶち弥陀みだ智恵ちえよりしゆちし、 しゆじやうもまたかの寿じゆみやうよりいでゝ、 かへりてみな如来によらい寿じゆみやうにうすべきなり。

いま ¬涅槃ねちはんぎやう¼ (北本巻三寿命品意 南本巻三寿命品意) に 「如来によらい寿じゆみやう」 といへる、 すなはち弥陀みだ寿じゆみやうなるべし、 寿じゆみやうのなかにりやうじゆなるがゆへなり。 されば真言しんごんけうには、 りやう寿じゆぶちをもて大日だいにち法身ほちしんじやうぢう寿じゆみやうだんず。 法身ほちしん寿じゆみやうならば、 一切いちさい寿じゆみやうこれよりいづること、 うたがふべからず。 天臺てんだいには、 たゞ弥陀みだをもて法門ほふもんしゆとすといふ。 法門ほふもんしゆならば、 一切いちさい諸仏しよぶちまた弥陀みだをはなるべからずといふこと、 あきらかなり。

おほよそぶちりやうじゆとなづけ、 くに極楽ごくらくがうするは、 如来によらいをきゝて、 りやうじゆじやうぢうくわをえんとねがひ、 こくをきゝて、 涅槃ねちはんじやうらくのさとりをひらかんとねがふべきことはりあるがゆへなり。 そのゆへは、 しやうあるものは、 み0654をおそるゝがゆへに寿じゆをもてたからとし、 ごうをうくるものは、 ことごとくをにくむがゆへにらくをねがふこゝろあり。

¬観経くわんぎやうしよ¼ (序分義) に ¬涅槃ねちはん経¼ をひきていはく、 「一切いちさいしゆじやうあい寿じゆみやう↡。 もちせちもちぎやうぢやう」 といへり。 一切いちさいのいきとしいけるもの、 もしひとをみるとき、 おそれ・はしり・かくれ・にぐることは、 たゞ悪縁あくえんをさり寿じゆみやうをまもらんがためなり。 畜類ちくるいのものしらずをろかなる、 なをあいしいのちををしむことかくのごとし。 いはんや、 ひととしてしやうあいをにくまざらんや。 まことに七珍しちちん万宝まんぼうすればしたがふものなし。 栄華えいぐわ栄耀えいゑうもいのちのあるうへのことなり。 人間にんげんよりもてんじやう寿じゆはながく、 てんじやうにとりても六欲ろくよくてんぜんしきだいじやうてんのいのちのひさしきは、 果報くわほうのすぐれ修因しゆいんのまさりたるゆへなり。 されば果報くわほうのすぐれたるといふは、 いのちのながきをもてそのせんとす、 たれかいのちをねがはざらんや。

つぎによろづのじやう、 ことごとくをにくみらくをねがふこゝろありといふは、 ¬大論¼ (大智度論巻七初品) もんをみるに、 「一切いちさいしゆじやうかいぐわんとくらくぐわんなう↡」 とはんぜり。 これすなはちをにくみてしやうをもとめ、 ひんをいとひてふくあいする、 みなをにくむこゝろよりおこり、 らくをねがふおもひよりいでたり。 ないやまひをえてくすりをたづね、 うえ0655にのぞみてじきをもとめ、 あつきてんかぜをまち、 さむきときにをもとむるまでも、 をいとひらくをねがふこゝろにあらずといふことなし。

しかれば、 しゆじやうをにくみていのちをあいするがゆへに、 ぢやうをん寿じゆみやうをもとめんとするに、 北州ほくしふ千年せんねんもつくるあれば、 人間にんげん長命ぢやうみやうもねがふべきにあらず。 さう八万はちまんごうもそのをはりなきにあらざれば、 てんじやう寿じゆみやうももとむるにたらず。 まことにじやうしやうめちほうをはなれ、 じやうぢう無為むゐくわをえんとおもはゞ、 りやうじゆくににむまれんとおもふこゝろあるべし。

またしゆじやうは、 をにくみてらくをもとむるがゆへに、 退たい快楽くゑらくをえんとするに、 人天にんでんらくはなをしでんくわうのごとし、 しゆにすなはちすつ。 かへりて三悪さんあくいりぢやうをうくれば、 これまたぢやくすべきところなし。 このゆへに、 あさきよりふかきにいたりて、 だいをいとひらくをもとむるこゝろごくせば、 かならず極楽ごくらくじやうにむまれんとおもふべし。

こゝをもてさん諸仏しよぶちのなかにりやうじゆをえ、 十方じちぱうじやうのなかに極楽ごくらくとなづくることは、 一切いちさいしゆじやうことごとくこのみやうがうによりてかのじやうをねがひ、 みなりやうじゆ寿じゆみやう帰入くゐにうして、 ひとしく極楽ごくらく無為むゐ法楽ほふらくをうくべきゆへなり。 しかれば、 南無なむ弥陀みだぶちととなふることばのうちに、 量光りやうくわうくゐみやうするもあり、 りやうじゆ南无なむするこゝろもあるがゆへ0656に、 光明くわうみやうねんずるいはれあれば、 摂取せちしゆしややくにあづかり、 寿じゆみやうねんずることはりあれば、 如来によらい寿じゆみやうにうし、 涅槃ねちはんのさとりをひらくべきあるなり。

まことに如来によらいどくおほしといへども、 光明くわうみやう寿じゆみやうどくにはすぎず。 このしゆどくのなかに、 万徳まんどくことごとくそなはれり。 かの万徳まんどく、 しかしながらみやうがういちぎやうにこもれるなり。 かるがゆへにもろもろのざうぎやうをさしをきて、 このいちぎやうをつとめ、 種々しゆじゆ助業じよごうをかたはらにして、 その一心いちしんをもはらにせよとすゝむるなり。 これ経釈きやうしやくのをしふるところなり、 あふいでこれをしんずべし。

とふていはく、 らくといふはたいすることばなり。 はすなはちらくのよるところ、 らくはすなはちのふすところなり。 そのたいをたづぬるに実体じちたいなし。 さればにあらずらくにあらざるを捨受しやじゆとなづけて、 楽受らくじゆよりはまされりとす。 いはゆる色界しきかいぜんのうち、 三禅さんぜんまでは楽受らくじゆだいぜん捨受しやじゆなり。 すでに三界さんがい有漏うろ果報くわほうのうちに、 なを下地げぢ楽受らくじゆじやう捨受しやじゆなり。 しかるにいまじやう無為むゐのさかひにをいて、 なんぞらくをきはむといはんや。 もしらくをきはむといはゞ、 かへりて有漏うろ果報くわほうどうずべきをや。

こたへていはく、 曇鸞どんらんくわしやうの ¬注論ちうろん¼ (巻下) をみるに、 「らく三種さんしゆひとつにはらくいはく0657しきしよしやうらくふたつには内楽ないらくいはく初禅しよぜんぜん三禅さんぜんしきしよしやうらくみつには法楽ほふげうらくいはく智恵ちえしよしやうらくこの智恵ちえしよしやうらく あいするぶちどくをこ れり」 といへり。 このなかに、 らくといへるは欲界よくかいらくなり、 内楽ないらくといへるは色界しきかい三禅さんぜんらくなり。 だいぜん捨受しやじゆは、 三禅さんぜんらくよりはいさゝかすぐれたれども、 たゞ三界さんがいのうちのしようれちなるがゆへに、 じやうらくにはことなり。

されば善導せんだうくわしやう三界さんがいらくしやくせらるゝとき、 「そくさん八難はちなんとうらくそく人天にんでんよく放逸はういちばくとうらくすいごんらく↡、 ねんだいひちきやう一念いちねん真実しんじちらく (定善義) といへり。 三界さんがいのうちのらくは、 まことのらくにはあらざるなり。

法楽ほふらくといへるは、 念仏ねんぶちぎやうじやについていへば、 いまだ穢土えどにありて凡身ぼんしんをすてざるとも、 うち智恵ちえ相応さうをうして虚偽こぎならず顛倒てんだうならず、 いはんやじやうにしてうくるところのらくは、 ほちしやうずいじゆんせる真実しんじち無為むゐらくなり。

¬だいきやう¼ (巻上) には 「たんねん快楽くゑらくおん↡、 是故ぜここくみやうわち極楽ごくらく↡」 といひ、 ¬弥陀みだきやう¼ には 「但受たんじゆ 諸楽しよらく↡、 みやう極楽ごくらく↡」 ととき、 ¬ろん¼ (浄土論) には 「じゆらくじやうけん」 ともはんじ、 「触者そくしやしやうしようらく↡」 (浄土論) ともさんずるは、 みなこのらくなり。 これをしやくするには、 あるひは 「ほちしやうじやうらく (玄義分) ともいひ、 あるひは 「寂静じやくじやう無為むゐらく (定善義) ともいへり。

これすなはち ¬涅槃ねちはんぎやう¼ にいふところの涅槃ねちはん大楽だいらくなり0658。 かの ¬きやう¼ (北本巻二三徳王品 南本巻二一徳王品) には 「涅槃ねちはんしやうらく是故ぜこ涅槃ねちはんみやう大楽だいらく↡」 といへり。 涅槃ねちはんらくじやうらくとひとつなりとはなにをもてかしるといふに、 「弥陀みだの妙果をがうしてじやう涅槃ねちはんといふ」 (法事讃巻下) ともいひ、 「極楽ごくらく無為むゐ涅槃ねちはんかいなり」 (法事讃巻下) ともしやくするがゆへなり。

さきにいふがごとく、 しゆじやうらくをねがふこゝろあるがゆへに、 極楽ごくらくあれば、 かれをねがふこゝろあるべし。 「願生ぐわんしやう何意がゐせちしやうらくぐう (礼讃) といへるは、 このこゝろなり。 快楽くゑらくのためにきゝてねがひ、 ねがひてかのしやういんをたづね、 たづねて念仏ねんぶちくゐし、 くゐしてじやうしやうじ、 しやうじぬればしやうしようし、 涅槃ねちはんのさとりをひらくがゆへに、 かのさとりにかなひぬれば、 無苦むくらくのくらゐにいたる、 すなはちこれを大楽だいらくとなづくるなり。 大楽だいらく極楽ごくらくと、 そのこれおなじ。

とふていはく、 しゆじやうりやうじゆのなかよりいでゝ、 かへりてりやうじゆぶち帰入くゐにうすべしといひ、 三界さんがい六道ろくどうらくをはなれて、 涅槃ねちはん大楽だいらくをきはむべしといはゞ、 いふところのもんしやうだうもん所談しよだんににたり。 あんのともがら、 たやすくしりがたし。 しらずはわうじやうをとぐべからずといふべしや。

こたへていはく、 「一切いちさいしゆじやうしちぶちしやう↡」 (涅槃経) といひ、 「しんぶちぎうしゆじやうさん差別しやべち0659 (晋訳華厳経 巻一〇夜摩説偈品) といへる。 ともにきやうもんなり、 たれかこれをしんぜざらん。

されどもしやうだうは、 われとしんしやう源底げんていくわんだちして、 即身そくしんにこのをあきらめんとし、 じやうもんには 「たんしやうじん↡、 じやうたい顕照けんせう↡」 (玄義分) といひて、 みやう煩悩ぼんなうにひさしくおほはれたるしゆじやうは、 こゝにしてかのぶちしやうをあらはしがたきがゆへに、 そののためにまうけたまへる弥陀みだけうなれば、 かのぶちじようじて極楽ごくらくわうじやうし、 かしこにしてそのぶちしやうをあらはすべしとだんずるなり。

たゞ南无なむ弥陀みだぶちととなふるは、 わうじやうしやうごうなるがゆへに、 このみやうがうのなかに光明くわうみやう寿じゆみやうりやうなるとくをそなへて、 さまざまにやくをほどこし、 しゆじやうこれによりて涅槃ねちはんをうるとくのあることをしめすばかりなり。

さればとて、 こゝにしてぶちしやうじやうぢうめうをさとり、 即身そくしんしやうぶち一体いちたいくわんをなせとすゝむるにはあらず。 しるもしらぬもわうじやうのためにはさはりともならず、 たねともならず、 たゞぶち思議しぎしんりきみやうがうくゐして、 こゝろをけうしゆちにかけず、 いちぎやう一心いちしんにこれをしんぎやうすれば、 かのみやうがうえんとくがう法身ほちしん同体どうたいどくなるゆへに、 しらざるにほちしやう深奥じんあうくわんだちするありて、 すみやかに極楽ごくらくわうじやうをとげ、 無始むし迷妄めいまうをひるがへして、 弥陀みだほんにかへり、 しやうをさとるなり。 これすなはちりき思議しぎなり。

とふ0660ていはく、 しゆじやうぶちともとより一体いちたいなり。 さればしんをはなれて仏道ぶちだうをもとむべからず、 なんぞりきをかるべきや。 そもそもりきといふは、 いかやうにこゝろうべきことぞや。

こたへていはく、 仏法ぶちぽふしかしながらこゝろをはなれず、 しんもとよりぶちなることはしかなり。 されどもこの心法しんぽふにをいて、 さとれるのちをぶちといひ、 まよへるほどをしゆじやうといふ。 たましやうはおなじけれども、 みがくとみがゝざるとによりて、 たからともなりいしにもおなじきがごとし。 これによりて、 ぶちまんぎやう薫修くんじゆにこたへてよくぶちしやうのたまをみがきたまへり、 しゆじやうはひさしくしやうでいにしづみてかのたまをけがせり。 かるがゆへにしやうぶちあひへだゝりてめいさかひをわかてり。

しかるあひだ、 まどへるぼん、 われとさとりがたきゆへに、 さとりにかなへるぶちくゐすれば、 かのちからをもて、 もとよりほちしやうをはなれざりけるしんぶちしやうをあらはすなり。 弥陀みだほんぐわんのおこり、 りきわうじやうのみち、 そのこゝろこれにあり。

無始むしくわうごうよりこのかた、 こゝろに三毒さんどく煩悩ぼんなうをたくはへ、 六道ろくどうりんのあひだ、 十悪じふあく業因ごういんをつめり。 しかりといへども、 煩悩ぼんなうをもだんぜず、 ざいしやうをもめちせず、 にをいてじやうじやうろんぜず、 ねんにをいて善悪ぜんあくをいはず、 たゞぼん摂取せちしゆ仏力ぶちりきをたのて念仏ねんぶち0661いちぎやうしゆし、 ひとへにぶちぐわんなん強縁がうえんたくして西方さいはうわうじやうをとぐるなり。 これすなはちみやうがう思議しぎとくあるがゆへに、 このやくをえしむるなり。 その思議しぎといふは、 みやうよくあんし、 くうよくをふくみ、 よく載養さいやうし、 みづよくしやうじゆんし、 よくじやうするがごとし。 けん待対たいたいほふみなかくのごときの徳用とくゆうあり、 これほふだうなり。 いはんや、 仏法ぶちぽふ思議しぎのちから、 ぼんをしてわうじやうをとげしめんこと、 これをうたがふべからず。 滅罪めちざいとくあれば重罪ぢうざい悪人あくにんなれどもしやうをはなれ、 しやうぜんとくあればぜんぼんなれどもわうじやうをうるなり。 これをりきといふなり。

しやうげうのなかに、 念仏ねんぶちのうをあかし、 りき思議しぎをあらはすに、 おほくのたとへをいだせり。 いま少々せうせうこれをあぐべし。

ひとつには、 「千年せんねんのあひだたてこめてくらからんところに、 のひかりしばらくいたらば、 ひさしかりつるやみ、 すなはちさりてあきらかなることをうべし」 (論註巻上意)。 くらきことは千年せんねんなり、 のひかりはわづかなるときのほどなればとて、 そのやみさらざることあらんや。 念仏ねんぶちもまたかくのごとし。 しゆじやう無始むしよりこのかたみやうのやみにおほはれて、 ざいしやうにそなへたることは千年せんねんのやみのごとし。 しかれども、 いちしよう一念いちねんこうは、 かのへんのひかりのごとくにて、 しゆじやうあん0662のぞきわうじやうをえしむるなり。

ひとつには、 「ひとありてどくにいらるゝとき、 ふかくどくあつからんに、 もしひとたび滅除めちぢよやくつゞみのこえをきけば、 どくすなはちのぞこる」 (論註巻上意)。 「滅除めちぢよやくのつゞみ」 といふは、 いくさのじんにむかふとき、 どくをぬくくすりをもてつゞみにぬりてもつなり。 かのつゞみのこえをきくといふとも、 どくふかくいりたればとて、 ぬけじといふことあらんや。 「どく」 といふは、 しゆじやう罪悪ざいあくなり。 かのつゞみ弥陀みだみやうがうなり。 無始むし三毒さんどくふかくのうちにいりたりといへども、 みやうがう滅罪めちざいのつゞみをきけば罪毒ざいどくすなはちのぞこるなり。

ひとつには、 「めぐりじふあらんふときなはを千人せんにんとりつきてひききらんとせんに、 きるべからず。 しかるにおさなきもの一人いちにんつるぎをもてこれをきらば、 すなはちふたつにならんがごとし」 (略論意)煩悩ぼんなうごちのきづな、 つよくむるぼゝれてたやすくきれがたきがゆへに、 かのなはに千人せんにんとりつきたるがごとく、 諸善しよぜんしよぎやうをもてぜんしんのうへにぎやうずれば、 そのちからかなはざれども、 一念いちねんみやうがうけんをもてこれをきるに、 さらにきれずといふことなし。

ひとつには、 「あしなへたるものも、 ふねにのりつれば、 むねのちからにより、 かぜえん0663によりて、 一日いちにちせんのみちをすぐ」 (略論意)、 あしはやきひとの、 ちからをはげましてゆくにまされり。 ぎやうごうのあしおれたるものも、 智恵ちえのまなこしゐたるものも、 だいぐわんのふねにじようじぬれば、 とんしやう大海だいかいをわたりて、 りきのもろもろのぎやうごうをはげむひとよりもはやくだいきしにいたる。 かるがゆへに念仏ねんぶち頓教とんげうなり。

ひとつには、 「いやしきれちにのることだにもなければ、 をはなれてあゆむべきちからなけれども、 転輪てんりんわうのみゆきにしたがひぬれば、 虚空こくにかけりてざいなり」 (論註巻下意)じやうもちていぼん六道ろくどうしやうをはなれてほちしやう虚空こくにかけるべからずといへども、 弥陀みだ法王ほふわうのちからにひかれてじやうにいたるなり。 りきぎやうをもてしやうをはなるゝことかなはざれども、 りきえんによりてわうじやうをとぐること、 これらのたとへにてしりぬ。

また 「ちんといふどくてうみずにいりぬればそのなかの魚類ぎよるいことごとくす。 しかるに犀角さいかくをもてこれにふるれば、 するところのいろくづ、 みなよみがへることあり」 (論註巻上意)

また 「獅子ししのすぢをもて、 こととして、 ひとたびこれをひくに、 一切いちさいことごとくみなたゆることあり」 (安楽集巻上意)

けんほふにおいて、 なをかくのごときのことあり、 まして思議しぎのなかには、 仏法ぶちぽふ0664ことに思議しぎなり。 しゆじやう罪業ざいごうをもしといへども、 仏力ぶちりきこれをたいするのうあり。 ぼんのをろかなるこゝろをもてぶちしやうをうたがふべからず。

思議しぎといふは、 ひとつにはしゆじやうせう不可ふか思議しぎふたつには業力ごうりき不可ふか思議しぎみつには龍力りうりき不可ふか思議しぎよつにはぜんぢやうりき不可ふか思議しぎいつゝには仏法ぶちぽふりき不可ふか思議しぎなり。 すでに不可ふか思議しぎといふ、 なんぞ是非ぜひりやうをいたさんや。

たゞふたごゝろなくぶち思議しぎをたのみ、 ふかくしきのをしへをまことゝしんじて、 一分いちぶんもわがはからひをくはへず、 無疑むぎりよになりかへるをもてりきじようずるすがたとす。 これを決定くゑちぢやうわうじやうとす。

かやうに安心あんしんしなば、 こんじやうをば、 かりのやどゝおもひなして、 これがために、 しふぢやくをなすことなく、 後世ごせをばやうしやう楽果らくくわとおもひて、 それがためには身財しんざいをもおしむべからず。 ぶちぐわんしんずるこゝろまことあれば、 称名しやうみやうもをこたらず。 称名しやうみやうをこたらざれば、 信心しんじんもいよいよぞうじやうす。 ぎやうじやごんじやうぐわんあり、 称名しやうみやう念仏ねんぶちぎやうあり、 如来によらい摂取せちしゆしややくあり、 ぼんいんぜうぐわんあり。 願行ぐわんぎやうあひたすけかん相応さうをうして、 ひとたびくゐみやうするものは、 よこさまにしやうをこえ、 ふかくしんぎやうするものは、 すみやかにわうじやうをうるなり。

とふていはく、 仏道ぶちだうぎやうじてだいをもとむるは、 しやうをはなれんがためなり。 しかる0665わうじやうぐわんずるはなをしやうをもとむるにあらずや。 これ妄見まうけんなり、 如何いかん

こたへていはく、 龍樹りうじゆさちぎやうだうをすゝめて 「便得べんとくわうじやう清浄しやうじやう↡」 (十住論巻五易行品) といひ、 天親てんじんさち念門ねんもんぎやうをあかして、 「ぐわんしやう安楽あんらくこく↡」 (浄土論) はんぜり。 それより以下ゐげ三国さんごく祖師そし諸宗しよしゆ高僧かうそう、 みなわうじやうぐわんず。 もしじやうにゆくといふとも、 しやうをはなれざるあらば、 かくのごときじんだいかうぎやうとく、 なんぞわうじやうぐわんぜん。 末代まちだい無智むち道俗だうぞく、 たゞ如来によらいせちしんじ、 先賢せんけんのあとをしたひて、 ひとへに念仏ねんぶちしゆし、 もはらわうじやうぐわんずべし。 あへてはうにをよぶべからざるものなり。

たゞししゐてこのをあきらめんとおもはゞ、 らんの ¬注論ちうろん¼ をみるべし。 かのしやくにこのことをはんずるに、 あるひは 「にょぼんじちしゆじやうしやう↡」 (論註巻上) といひ、 あるひは 「じやう弥陀みだ如来によらい清浄しやうじやうほんぐわんしやうしやうによさんまうしやう何以がゐごんほちしやう清浄しやうじやうひちきやうしやうごんしやうしやとくしやうしやじやう (論註巻上) といへり。

さればわうじやうといふは、 ぼん情量じやうりやうにおほせて、 これをいふことばなり、 じちしやうにはあらざるなり。 りきほんぐわんじようじ、 しやうみやうがうしようて、 「いちじよう清浄しやうじやうわうじやうすれば、 かのはこれほちしやうしやうのさかひなるがゆへに、 ぼんじやうにはしやうずとおもへば、 ねんしやうにか0666なふなり。 これらの、 くはしくはかのしやくにみえたり。

けんみやうせう 

 

依明光大徳誂記之畢、 于時*建武四年 丁丑 八月 日也。 去春此令誂之間、 当年備州在国之間、 所染筆也。

此両帖雖為秘蔵之書、 且表信心之懇篤所令授与也。 于時応永二年 乙巳 正月十三日終書写之微功畢。

 

底本は◎新潟県浄興寺蔵応永三十一、 三十二年書写本。