0635◎顕けん名みやう鈔せう 本

 

◎おほよそ三界さんがいやすきことなし、 六道ろくどうみな苦くなり。 無始むし生しやう死じのうち、 曠くわう劫ごう流る転てんのほど、 うけぬかたちもなく、 むまれぬところもなし。 焦しよう熱ねち无む間けんの苦く患げんにもしづみ、 鬼畜くゐちく修しゆ羅らの罪報ざいほうをもえたりき。 あるひは欲界よくかい六天ろくてんのくものあひだにむまれて、 五ご衰すいの退没たいもちをかなしむときもありけん。 あるひは色しき・無む色界しきかいのかすみのうへにあそびて、 上じやう天てんの快楽くゑらくにほこることもありけん。 これみな身みにをいて、 みづからへたるところなり。 しかれども、 苦くといひ楽らくといひ、 生しやうをへだてぬれば、 すなはちわすれぬ。 たゞわづかに聖しやう教げうの説せちをひらいて、 おもひやるばかりなり。

そのなかに、 人界にんがいの依ゑ身しんは今こん生じやうにゑたるすがた、 当体たうたいに受うけたる報ほうなれば、 苦く果くわのありさま身みのうへにおもひしらされ、 無む常じやうのかなしみもまなこのまへにみえたり。 おもひいれずして世せ間けんにのみ著ぢやくし、 後ご生しやうをしらずしてむなしくすぎんことは、 くちをしかるべきことなり。 この人間にんげんにをいて増ぞう長じやうの煩悩ぼんなうあり、 三毒さんどくをもて本ほんとす。 難なん治ちの苦く悩なうあり、 四苦しくをもて最さいとす。

-まづ三毒さんどくといふは、 貪欲とんよく・瞋しん恚ゐ・愚痴ぐち0636なり。

-貪欲とんよくといふは、 いろに著ぢやくし、 たからにふけるこゝろなり。

-瞋しん恚ゐといふは、 いかりをなし、 はらをたつるこゝろなり。 愚痴ぐちといふは、 無む明みやうにおほはれ正しやう理りにまどひたるこゝろなり。 貪欲とんよくを生しやうじ、 瞋しん恚ゐをおこすことも、 そのみなもとをいへば、 愚痴ぐちよりいでたり。 八万はちまんの塵労じんらうさまざまにわかれ、 一切いちさいの煩悩ぼんなうそのかずおほけれども、 根本こんぽんをたづぬるに、 みな三毒さんどくより生しやうぜり。 もし人ひと毒どくをくひぬれば、 かならず死しするがごとく、 この三みつの煩悩ぼんなうをおこせば、 かならず三さん塗づにおもむくがゆへに三毒さんどくとなづく。 またこれをなづけて三縛さんばくともいふ、 有う情じやうを結縛けちばくして生しやう死じをいださゞるがゆへなり。

-つぎに四苦しくといふは、 生しやう・老らう・病びやう・死しなり。

-生しやう苦くといふは、 むまるゝときの苦くなり。 十と月つきのあひだ三さん百びやく余よ日にち胎内たいないに処しよして五位ごゐをへ、 血くゑち肉にくにまじはりて諸しよ苦くをうく。 月つきみち期ごいたりてのち、 はじめてむまるゝとき、 頭かうべをさかさまにし、 身みをつゞめていづ。 一切いちさいの骨節ほねふしつゞまりてのぶることあたはず、 その苦く痛つうによりて前ぜん生しやうの事ことことごとくわする。

-老らう苦くといふは、 日じち月ぐゑちすみやかにゆきて、 さかんなるよはひはやくすぐ。 やまひはとしををひてくはゝり、 かたちは日ひにしたがひておとろふ。 かゞみにうつるかげにむかへば、 しらぬおきなにあへるかとうたがひ、 けぬきにみてるしらがをかぞふれば、 けさはきのふよりも0637おほし。 ちからよはくして春はるの柳やなぎににたり、 ねぐりはやくさめて夏なつの夜よをのこす。 老少らうせうともに不ふ定ぢやうなれども、 おひぬれば死しにちかづくこと、 まことにこゝろぼそかるべし。

-病びやう苦くといふは、 人身にんじんを成じやうずるは地ぢ・水すい・火くわ・風ふうの四し大だいなり。 四し大だいごとに百ひやく一いちの病やまひあり、 あはすれば四し百ひやく四し病びやうなり。 一いち病びやうたちまちにおこれば、 五ご体たいことごとくいたむ。 病やまひはこれ苦くのきはまりなり。 病やまひはすなはち死しの因いんなり、 たゞ身心しんしんを悩乱なうらんするのみにあらず、 また仏法ぶちぽふの修しゆ行ぎやうをさまたぐ、 たれかこの苦くをいとはざらん。

-死苦しくといふは、 一いち期ごの報ほう命みやうながくつきて、 当たう生しやうの果報くわほうにうつる一いち刹せち那ななり。 水すい・火くわ・風ふうの三大さんだいをのをの散さん壊ゑし、 寿じゆ・煖だん・識しきの三法さんぽふ、 みな捨しや離りするとき、 百ひやく処しよ支し節せちきりさくがごとし。 つゐにいきたえ、 まなことぢぬれば、 これを野や外ぐわいにをくる。 花はなのかほばせのゑみをふくみし、 にはかに無む常じやうの風かぜにさそはれ、 雲くもの鬢びんのなさけありし、 むなしく一いち夜やの煙けむりとのぼりぬ。 たかきもいやしきも、 この苦くのがるゝことなく、 かしこきもをろかなるも、 このかなしみまぬかるゝことなし。

-しづかにおもへば、 たのしむべきところにあらず、 つらつら案あんずれば、 著ぢやくすべき生しやうにあらず。 しかるにあけてもくれても五ご欲よくにまつはれて、 我われも人ひとも生しやう死じをおそるゝことなし。

-五ご欲よくといふは、 色しき・声しやう・香かう・味み・触そくの境きやう界がいなり。 こ0638の五ご欲よくにをいて、 想念さうねんし、 趣向しゆかうし、 貪とん着ぢやくして、 悪業あくごうを現在げんざいにたくはへ、 苦く報ほうを来らい世せにうくるなり。

-まづ五ご欲よくを想念さうねんすといふは、 人ひとごとにこゝろを欲よく境きやうにかけて世よをわたるはかりごとをめぐらし、 とかく思し惟ゆいし、 さまざまに憶念をくねんするなり。

-つぎに五ご欲よくに趣向しゆかうすといふは、 思し惟ゆいしをはり、 案あんじしたゝめてのち、 まさしく手てををろして、 その業ごうをなすなり。 あしたには霜しもをはらひて君きみにつかへ、 ゆふべには星ほしをいたゞきてわたくしにかへる。 これみな名みやう聞もんのために馳ち走そうし、 利り養やうのために辛しん苦くす。 あるひは江海かうかいにふねをうかべて商しやう売ばいを能のうとし、 あるひは山さん野やにひづめをかりて殺せち生しやうをことゝす。 かくのごとくいとなみわしること、 たゞ一いち期ごの身しん命みやうをたすけんがためなり。 もしそのこゝろざしをとげざるときは、 身心しんしんをなやますこと、 毒どくの箭やのむねにあたるがごとし。 これ五ご欲よくに趣向しゆかうするありさまなり。

-つぎに五ご欲よくに貪とん着ぢやくすといふは、 すでにその境きやう界がいをえてのち、 これを受用じゆようしこれに愛あい著ぢやくするなり。 金銀こんごんのたからをまへにとりならべ、 五ご穀こくのたくはへをくらにつみみてゝ、 これをもて妻さい子しをはぐゝみ、 これにをいて飽足はうそくすることなし。 かやうに貪とん求ぐするほどに、 一いち生しやうむなしくはせすぎて、 また三さん途づの旧きう里りにかへる。 十じふ二に因縁いんゑんの流る転てん、 無む明みやうより老らう死しにいたり、 二に十じふ五有ごうの生しやう死じ、 上じやう界かいよりまた下げ界かいに0639おつ。 三さん世ぜに輪転りんでんして片へん時じもやむことなし。

-たとへば車くるまの庭にはにめぐるがごとし、 また鳥とりの林はやしにあそぶににたり。 かたちつねの主ぬしなし、 一所いちしよにとゞまらず。 たましゐつねの家いへなし、 すてゝまたさりぬれば、 あるひは阿鼻あびの薪たきゞとなりて洞燃どうねん猛みやう火くわのほのほにこがれ、 あるひは鬼畜くゐちくの報ほうをうけて飢け饉こん残害ざんがいのかなしみをいだく。 これすなはち五ご欲よくに貪とん着ぢやくする罪業ざいごうのいたすところなり。

-しかるに世よのならひ人ひとのこゝろ、 かゝる罪報ざいほうをばかへりみず、 まづしきはまづしきにつけて悕け望まうのおもひたえず、 とめるはとめるにつけて染ぜん著ぢやくのこゝろつくることなし。 ねがふも著ぢやくするも、 ともに妄心まうしんなれば、 とめるもまづしきも、 みな悪道あくだうにおもむく。 なげきてもあまりあり、 これいかゞせん。

たゞしもとより欲界よくかいの衆しゆ生じやう具ぐ縛ばくの凡ぼん夫ぶなれば、 煩悩ぼんなうを身みにそなへたることは目め鼻はなのむまれつきたるがごとし、 いとふともかなふべからず。 ひとへに万ばん事じをなげすて、 たちまちに妻さい子しをふりすてんことも、 末代まちだいの機きにはかたかるべし。 さればたとひ五ご欲よくにまつはるといふとも、 たとひ三毒さんどくを断だんぜずといふとも、 凡ぼん夫ぶのすみやかに生しやう死じをはなれぬべき道みちをもとむべきなり。 おほよそ六趣ろくしゆのなかには人身にんじんもともうけがたく、 四し州しうのうちには南州なんしうことにねがふべし。

-妙楽めうらく大だい師しは 「若も◗し論ろん↢ ずれば果くわ0640報ほう↡を、 即すなはち以も↢て南州なんしう↡を為す↢下々げげ↡と。 若も◗し約やく↠ すれば値あ↠ ふに仏ぶち、に即すなはち以も↢て南州なんしう↡を為す↢上々じやうじやう↡と」 (輔行巻四) と釈しやくして、 世せ間けんの果報くわほうをいふときは、 いのちみじかく苦くおほくして、 いづれのところにもおとりたれども、 仏ぶちにあひたてまつることをいふときは、 この南州なんしうをもてすぐれたりとす。 仏ぶちこの州しうにいでたまふによりて、 衆しゆ生じやうこれより出しゆち離りすべきがゆへなり。 仏ぶちの在ざい世せにむまれあひし機きは、 をのをの益やくをえ記きにあづかりしこと、 いふにをよばず、 滅めち後ごの衆しゆ生じやうなりといふとも、 教法けうぼふ流布るふの世よにむまれて、 かたのごとくも因果いんぐわのことはりをわきまへ、 まして善ぜん知ぢ識しきにあひ仏法ぶちぽふの道だう理りをもきくは、 ありがたき宿しゆく縁ゑんなり。

仏法ぶちぽふ東漸とうぜんのゆへに、 正しやう法ぼふには天竺てんぢくの仏法ぶちぽふさかりにひろまり、 像法ざうぼふには震旦しんたんの教けう迹しやくことにおこり、 末法まちぽふには我朝わがてうの利り益やくひとへにあまねし。 神かみの世よのすゑつかたにあたりて、 釈しやく尊そん涅槃ねちはんにいりたまひしよりこのかた二に千せん二に百ひやく余よ年ねん、 末法まちぽふにいりていまだ三さん百びやく年ねんにみたず。 欽明きんめい天皇てんわうの御ぎよ宇うに仏法ぶちぽふはじめてわたり、 聖しやう徳とく太たい子しさかりにこれをひろめたまひしよりいまゝで七しち百ひやく余よ歳さい、 聖しやう教げう伝来でんらいののちいまだ千年せんねんにたらず。 末法まちぽふ万年まんねんの最初さいしよ、 仏法ぶちぽふ繁はん昌じやうの最中さいちうなり。 よくよくをもひいれて有う縁ゑんの教門けうもんにいり、 このたび出しゆち離りをとぐべし。

こ0641ゝに仏教ぶちけうにをいてさまざまの道だうあり。 あるひは一いち乗じよう法華ほつくゑの妙典めうでんをたもちて直ぢき至し成じやう仏ぶちの道だうをたづね、 あるひは三密さんみち瑜伽ゆがの観行くわんぎやうをつとめて即身そくしん頓とん悟ごの証しようをもとめ、 あるひは不ふ立りう文もん字じの宗しゆ旨しをつたへて一念いちねん不ふ生しやうのはじめをあきらめ、 あるいは三聚さんじゆ・十重じふぢうの戒品かいほんをうけて止し悪あく修善しゆぜんの教けうをまもる。 これみな生しやう死じをはなるゝ要ゑう行ぎやう、 菩ぼ提だいにいたる正しやう道だうなり。 しかるにこれらの修しゆ行ぎやうをたづぬるに、 あるひは清浄しやうじやうにして行ぎやうずべき門もんもあり、 不ふ定ぢやうにして行ぎやうぜば勝しやう利りをえがたし。 あるひは心しん地ぢをすましてうべき道だうもあり、 心源しんげんもしひらけずはその益やくなきに似にたり。

このゆへに ¬大集だいじつ経きやう¼ (巻四〇日蔵分護持品意 巻五五月蔵分閻浮大梵意) の文もんには 「▲我が末法まちぽふ時じ中ちう、 億々をくをく◗の衆しゆ生じやう起おこ↠し行ぎやう◗を修しゆ↠ せんに道だう、を 未いま ズ ↠だ有あ↢ら一人いちにん得う◗る者もの↡」 といひ、 善導せんだう和くわ尚しやうの釈しやくには 「▲若も◗し待ま↣ たば娑しや婆ば  にして証しよう↢  することを法忍ぼふにん↡を、 六道ろくどう  にして恒沙ごうじや◗の劫こう にも未いま ズ ↠だ期ご あら」 (般舟讃) といへり。

たゞ弥陀みだの一教いちけう、 浄じやう土どの一門いちもんのみ、 ひとへに末代まちだい相応さうをうの要ゑう行ぎやう、 凡ぼん夫ぶ出しゆち離りの直道ぢきだうなり。 されば釈しやく尊そんは安養あんやうをさして易ゐ往わうの浄じやう土どととき、 龍樹りうじゆは念仏ねんぶちをもて易ゐ行ぎやうの道だうと判はんじたまへり。 得とく生しやうの因いんをさだむとしては、 本ほん願ぐわんを一念いちねん・十念じふねんの称名しやうみやうにおこし、 大だい悲ひのきはまりをあらはしては、 利り益やくを五ご濁ぢよく・五苦ごくの衆しゆ生じやうにほどこしたまふ。 きかずや、 韋ゐ提だい幽閉ゆうへいのまどのうちに住立ぢうりうの尊そんを礼らいして、 無む生しやうの益やくをえしこと0642を。 凡ぼん夫ぶの往わう生じやうこれよりおこる。 またきかずや、 月ぐわち蓋がい長ちやう者じやが門もんのまへに影向やうがうのかたちを拝はいして、 悪鬼あくくゐの難なんをはらひしことを。 現げん世ぜの巨こ益やくもむなしからざるものなり。

-経きやうに破は戒かい・五ご逆ぎやくを摂せちする証しようあり、 罪悪ざいあくに怯かう弱にやくして仏ぶち智ちをうたがふべからず。 釈しやくに専修せんじゆ念仏ねんぶちをすゝむる文もんあり、 一向いちかうにつとめて往わう生じやうをうべし。 一向いちかうにつとむるといふは、 ひとへに弥陀みだ一仏いちぶちを称しようして余よの一切いちさいの行ぎやう業ごうをまじへず、 もはら名みやう号がうの一いち行ぎやうをたもちてひとすぢに極楽ごくらくをねがふなり。 これ弥陀みだの本ほん願ぐわんなるがゆへに、 決定くゑちぢやう往わう生じやうの正しやう業ごうなり。

天親てんじんの ¬浄じやう土ど論ろん¼ に無むげ光くわう如来によらいの名みやう号がうを讃嘆さんだんするに、 「▲称しよう↢ して彼◗の如来によらい◗の名みな↡を、 如↢ くにし彼◗の如来によらい◗の光明くわうみやう智ち相さう↡の、 如↢ くして彼◗の名みやう義ぎ↡の欲をも↢ ふが如ごと↠く実じち◗の修しゆ行ぎやう◗し相応さうをう↡ せんと故ゆへ なり」 と判はんぜり。 しかるに南无なむ阿あ弥陀みだ仏ぶちと称しようするは、 すなはち如実によじちの修しゆ行ぎやうなるがゆへに、 いかなるゆへありとしらねども、 これをとなふるに往わう生じやうをとげ、 いかなる徳とくありとわきまへざれども、 これを信しんずれば定ぢやう聚じゆのかずにいる。

-たとへば耆婆ぎばが薬やく童どう子じにむかへば、 をのづから万まん病びやうをのぞくがごとし。 されば名みやう号がうを往わう生じやうの正しやう因いんなりとふかく信しんじて、 一向いちかうに称しようするよりほかは、 またしるべきところもなし。

しかりといへども、 おなじくはかの名みやう義ぎの功く徳どくをきかば、 いよいよ信心しんじんをもよほす0643たよりなるべし。 その名みやう義ぎといふは、 ¬阿あ弥陀みだ経きやう¼ に阿あ弥陀みだ仏ぶちの名みやう義ぎをとくとして、 「▲彼か◗の仏ぶち◗の光明くわうみやう無む量りやう、 にして照↢ すに十方じちぱう◗◗の国↡を无な↠し所ところ↢障しやうげ↡。する 是こ◗の故ゆへ◗に号がう して為す↢阿あ弥陀みだ↡と」 ととき、 また 「▲彼◗の仏ぶち◗の寿じゆ命みやう及およ◗び其そ◗の人民にんみん、も 無む量りやう無む辺へん阿あ僧そう祇ぎ劫こう。 故こ名みやう↢阿あ弥陀みだ↡」 ととけり。

-さればあみだは天竺てんぢくのことばなり。 こゝには翻ほんじて、 あるひは無む量りやう光くわうといひ、 あるひは無む量りやう壽じゆと称しようす。 これすなはち光明くわうみやうの無む量りやうなるは、 横わうに十方じちぱうの利り益やくのほとりなきことをあらはし、 寿じゆ命みやうの無む量りやうなるは、 竪しゆに三さん世ぜの化導くゑだうのかぎりなきことをしめすなり。

-しかれば、 南無なむ阿あ弥陀みだ仏ぶちといふは、 光明くわうみやう無む量りやうの徳とくに帰くゐして摂取せちしゆ不ふ捨しやの益やくにあづかり、 寿じゆ命みやう無む量りやうの徳とくに帰くゐして永やう無む生しやう滅めちの身しんをえんとねがふこゝろなりとしるべし。 この二に種しゆの功く徳どくは、 十じふ二に・十三じふさんの願ぐわんよりいでたり。

まづ光明くわうみやう無む量りやうの徳とくといふは、 第十じふ二にの願ぐわんにいはく、 「▲設せち我が得仏とくぶつ、 光明くわうみやう有う能のう限げん量りやう、 下至げし不ふ↠照せう↢百ひやく千億せんをく那由なゆ他た諸しよ仏国ぶちこく↡者しや、 不ふ取しゆ正しやう覚がく」 ととけり。

-おなじき願ぐわん成じやう就じゆの文もんには、 「▲仏告ぶちがう↢阿あ難なん↡、 無む量りやう寿じゆ仏ぶち威ゐ神じん光明くわうみやう、 最尊さいそん第一だいいち、 諸仏しよぶち光明くわうみやう所しよ↠不ふ↠能のう↠及ぎう。 乃至 ▲是故ぜこ無む量りやう寿じゆ仏ぶち、 号がう↢無む量りやう光くわう仏ぶち・無む辺へん光くわう仏ぶち・無むげ光くわう仏ぶち・無む対たい光くわう仏ぶち・炎王えんわう光くわう仏ぶち・清浄しやうじやう光くわう仏ぶち・歓くわん喜ぎ光くわう仏ぶち・智恵ちえ光くわう仏ぶち・不ふ断だん光くわう仏ぶち・難なん思じ光くわう仏ぶち・無む称しよう光くわう仏ぶち・超てう日にち月ぐわち光くわう仏ぶち↡。 ◆其有ごう↢衆しゆ生じやう↡、 遇ぐ↢斯し光くわう↡者しや、 三さん垢く消滅せうめち、 身しん意ゐ柔軟にうなん、 歓くわん喜ぎ踊ゆ躍やく善心ぜんしん生しやう焉えん。 若にやく在ざい↢三さん塗づ0644勤ごん苦く之し処しよ↡、 見けん↢此し光明くわうみやう↡、 皆得かいとく↢休く息そく↡無む↢復ぶ苦く悩なう↡。 寿終じゆじゆ之後しご、 皆かい蒙む↢解げ脱だち↡。 無む量りやう寿じゆ仏ぶち光明くわうみやう顕赫けんかく、 照せう↢耀えう十方じちぱう諸しよ仏国ぶちこく土ど↡、 莫まく↠不ふ↠聞もん焉えん。 乃至 ▲仏言ぶちごん、 我が説せち↢無む量りやう寿じゆ仏ぶち光明くわうみやう威ゐ神じん巍々ぐゐぐゐ殊しゆ妙めう↡、 昼ちう夜や一劫いちこう、 尚しやう未み↠能のう↠尽じん」 (大経巻上) といへり。

-おほよそ諸仏しよぶちの功く徳どくのなかにも、 光明くわうみやうをもておほく利り益やくをほどこし、 聖しやう者じやの奇き特どくを現げんずるときも、 光明くわうみやうをもて威ゐ徳とくをあらはす、 光明くわうみやうはこれ智恵ちえなるがゆへなり。 大だい聖しやう釈しや迦か如来によらい、 霊しやう山ぜん法花ほちくゑのむしろにしては、 まづ眉み間けんの光明くわうみやうをはなちて東方とうばう万まん八千はちせんの土どをてらし、 ¬観経くわんぎやう¼ 設化せちくゑのみぎりにしては、 光くわう台だいに諸仏しよぶちの浄じやう土どを現げんじて韋ゐ提だいに西方さいはうをえらばしめたまふ。 観くわん音をんは挙こ身しんのひかりのうちに五ご道だうの衆しゆ生じやうの色相しきさうを現げんじてその苦く患げんをすくひ、 勢せい至しは頂上ちやうじやうの天てん冠ぐわんにもろもろの光明くわうみやうをいれて種々しゆじゆの利り益やくをなしたまふ。 聖しやう徳とく太たい子しは誕たん生じやうのとき光明くわうみやうありて殿内でんないをてらし、 日にち羅ら聖しやう人にんは先せん生しやうの善因ぜんいんによりて身みより光明くわうみやうをはなつ。 法ほち性しやう制底せいていの妙典めうでんをば ¬金こん光明くわうみやう最さい勝しよう王わう経きやう¼ と題だいし、 円頓ゑんどん一実いちじちの妙戒めうかいをば 「一戒いちかい光明くわうみやう金剛こんがう宝戒ほふかい」 (梵網経巻下) となづく。 これみな光明くわうみやうについて殊しゆ勝しようの功こうをそなへ、 希奇けきの益やくを具ぐするがゆへなり。

-しかるに阿あ弥陀みだ如来によらいは、 無む量光りやうくわうをもて名なとしたまへるがゆへに、 一切いちさいの光明くわうみやうことごとく弥陀みだの光明くわうみやうよりいで、 諸仏しよぶちの智恵ちえしかしながら弥陀みだの智恵ちえをはなれざるなり0645。 このゆへに十方じちぱう一切いちさいの諸仏しよぶちも、 こぞりてこの光明くわうみやうを讃嘆さんだんし、 釈しや迦か無むげの弁才べんざいも、 かの光明くわうみやうの功く徳どくをばときつくすべからずとのたまへり。 しかりといへども、 要えうをとりてこれをいふとき、 十じふ二に光くわう仏ぶちの名なをたてたり。

-第一だいいちに ▼「無む量りやう光くわう仏ぶち」 といふは、 利り益やくの長ぢやう遠をんなることをあらはす。 過現くわげん・未み来らいにわたりてその限げん量りやうなし、 かずとしてさらにひとしきかずなきがゆへなり。

-第だい二にに ▼「無む辺へん光くわう仏ぶち」 といふは、 照用せうゆうの広くわう大だいなる徳とくをあらはす。 十方じちぱう世せ界かいをつくしてさらに辺際へんざいなし、 縁えんとしててらさずといふことなきがゆへなり。

-第三だいさんに ▼「無むげ光くわう仏ぶち」 といふは、 神じん光くわうの障しやうげなき相さうをあらはす。 人法にんぽふとしてよくさふることなきがゆへなり。 げにをいて内ない外げの二に障しやうあり。 外げ障しやうといふは、 山せん河が・大だい地ぢ・雲うん霧む・煙えん霞か等とうなり。 内ない障しやうといふは、 貪とん・瞋しん・痴ち・慢等まんとうなり。 「▲光くわう雲うん無むげ如によ虚空こく」 (讃弥陀偈) の徳とくあれば、 よろづの外げ障しやうにさへられず、 「▲諸邪しよじや業ごち繋け無む能のうげ者しや」 (定善義) のちからあれば、 もろもろの内ない障しやうにさへられず。 かるがゆへに天親てんじん菩ぼ薩さちは 「▲尽じん十方じちぱう無むげ光くわう如来によらい」 (浄土論) と讃さんじたまへり。

-第だい四しに ▼「無む対たい光くわう仏ぶち」 といふは、 光ひかりとしてこれに相対さうたいすべきものなし、 もろもろの菩ぼ薩さちのをよぶところにあらざるがゆへなり。

-第だい五ごに ▼「炎王えんわう光くわう仏ぶち」 といふは、 または光くわう炎王えんわう仏ぶちと号がうす、 光明くわうみやう自じ在ざいにして無む上じやうなるがゆへなり。 ¬大だい経きやう¼ (巻下) に 「▲猶ゆ如によ火くわ0646王わう、 焼滅せうめち一切いちさい煩悩ぼんなう薪しん故こ」 ととけるは、 このひかりの徳とくを嘆たんずるなり。 火ひをもてたきゞをやくにつくさずといふことなきがごとく、 光明くわうみやうの智ち火くわをもて煩悩ぼんなうの薪たきゞをやくに、 さらに滅めちせずといふことなし。 三さん塗づ黒闇こくあんの衆しゆ生じやうも、 光くわう照せうをかうぶりて解げ脱だちをうるはこのひかりの益やくなり。

-第六だいろくに ▼「清浄しやうじやう光くわう仏ぶち」 といふは、 無む貪とんの善根ぜんごんより生しやうず、 かるがゆへにこの光ひかりをもて衆しゆ生じやうの貪欲とんよくを治ちするなり。

-第七だいしちに ▼「歓くわん喜ぎ光くわう仏ぶち」 といふは、 無む瞋しんの善根ぜんごんより生しやうず、 かるがゆへにこの光ひかりをもて衆しゆ生じやうの瞋しん恚ゐを滅めちするなり。

-第八だいはちに ▼「智恵ちえ光くわう仏ぶち」 といふは、 無痴むちの善根ぜんごんより生しやうず、 かるがゆへにこの光ひかりをもて無む明みやうの闇あんを破はするなり。

-第だい九くに ▼「不ふ断だん光くわう仏ぶち」 といふは、 一切いちさいのときに、 ときとしててらさずといふことなし、 三さん世ぜ常じやう恒がうにして照益せうやくをなすがゆへなり。

-第十だいじふに ▼「難なん思じ光くわう仏ぶち」 といふは、 仏ぶちをのぞきてよりほかは、 この光明くわうみやうの徳とくをはかるべからざるがゆへなり。

-第だい十一じふいちに 「無む称しよう光くわう仏ぶち」 といふは、 ▼神じん光くわう相さうをはなれてなづくべきところなし、 はるかに言ごん語ごの境きやう界がいにこえたるがゆへなり。 こゝろをもてはかるべからざれば難なん思じ光くわう仏ぶちといひ、 ことばをもてとくべからざれば無む称しよう光くわう仏ぶちと号がうす。

-¬無む量りやう寿じゆ如来によらい会ゑ¼ (巻上) には、 難なん思じ光くわう仏ぶちをば 「▲不可ふか思議しぎ光くわう」 となづけ、 無む称しよう光くわう仏ぶちをば 「▲不可ふか称量しようりやう光くわう」 といへり。

-第だい十じふ二にに ▼「超てう日にち月ぐわち光くわう仏ぶち」 といふは、 日にち0647月ぐわちはたゞ四し天てん下げをてらして、 かみ上じやう天てんにをよばず、 しも地ぢ獄ごくにいたらず。 仏ぶち光くわうはあまねく八方はちぱう上じやう下げをてらして、 障しやうげするところなし、 かるがゆへに日にち月ぐわちにこえたり。 また日輪にちりんは火珠くわしゆの所しよ成じやうとして能熱のうねち・能照のうせうの徳とくあり、 月ぐわち輪りんは水珠すいしゆの所しよ成じやうとして能のう冷りやう・能照のうせうの用ゆうあり。 しかるに弥陀みだの光明くわうみやうは、 清涼しやうりやうの光明くわうみやうをはなちて焦しよう熱ねち・大だい焦しよう熱ねちのほのほをてらすこと、 月ぐわち輪りんのすゞしき徳とくにこゑ、 温うん和わの光明くわうみやうをはなちて紅ぐ蓮れん・大だい紅ぐ蓮れんのこほりととくこと、 日輪にちりんのあたゝかなるひかりにすぐれたり。 また日にち光くわうは観くわん音をんの応化をうぐゑ、 月光ぐわちくわうは勢せい至しの権化ごんくゑなれば、 これ弥陀みだ如来によらいの悲智ひちの二に門もんなり。 因いん位ゐ・果くわ位ゐ、 そのくらゐ各別かくべちなるがゆへに弥陀みだの功く徳どくにはをよぶべからず、 かるがゆへに超てう日にち月ぐわち光くわう仏ぶちといふなり。

-この十じふ二に光くわう仏ぶちは、 一々いちいちの徳とくにつきてその名なをあげたり、 別体べちたいなるにはあらず。 そもそもこの光明くわうみやうの徳用とくゆうの、 かやうに不可ふか思議しぎなることは、 しかしながら衆しゆ生じやうを利り益やくせんがためなり。 その利り益やくといふは、 念仏ねんぶちの衆しゆ生じやうを摂取せちしゆしてすてず、 かならず浄じやう土どに生しやうぜしむるなり。

-こゝをもて ¬観経くわんぎやう¼ には 「▲光明くわうみやう遍照へんぜう↢十方じちぱう世せ界かい↡、 念仏ねんぶち衆しゆ生じやう摂取せちしゆ不ふ↠捨しや」 ととけり。 善導せんだう和くわ尚しやうの ¬往わう生じやう礼讃らいさん¼ のなかに、 ¬観経くわんぎやう¼・¬阿あ弥陀みだ経きやう¼ のこゝろによりて阿あ弥陀みだの名みやう義ぎを釈しやくしたまふとき、 「▲唯ゆい観くわん↢念仏ねんぶち衆しゆ生じやう↡、 摂取せちしゆ不ふ↠捨しや、 故こ名みやう↢0648阿あ弥陀みだ↡」 と判はんぜり。 こゝにしりぬ、 たとひ光明くわうみやうあまねく十方じちぱうをてらすといふとも、 もし摂取せちしゆの利り益やくなくは、 仏ぶちをあみだ仏ぶちとなづけたてまつるべからず、 衆しゆ生じやうまた往わう生じやうをとぐべからず。

-しかるにこの光明くわうみやうは、 念仏ねんぶちの人ひとを照摂せうせちして、 かならず往わう生じやうをとげしむるがゆへに、 行ぎやう者じやは名みやう号がうを称しようして仏ぶち願ぐわんに帰くゐすれば、 如来によらいはこれを観くわん知ちして、 摂取せちしゆの益やくをあたへたまふ。 これ名みやう号がうの大だい利り、 念仏ねんぶちの巨こ益やくなり。

-解げ第一だいいち義ぎの智ち人にんをもてらさず、 読誦どくじゆ大だい乗じようの持ぢ者しやをも摂せちせず、 持ぢ戒かい修しゆ慈じの機きをもすくはず、 孝養けうやう父母ぶもの人ひとをもえらばす。 因果いんぐわの理りをわきまへざる痴ち人にんなれども、 仏号ぶちがうをとなふるものあれば、 これをもとめててらし、 菩ぼ提だい心しんをおこさゞる愚ぐ者しやなれども、 念仏ねんぶちのこゑあるところには、 これをたづねて摂取せちしゆしたまふ。

-されば善導せんだう和くわ尚しやう、 処々しよしよの解げ釈しやくをみるに、 あるひは 「▲彼ひ仏ぶち心しん光くわう常じやう照せう↢是ぜ人にん↡、 照せう護ご不ふ↠捨しや。 総そう不ふ↠論ろん照せう↢摂せち余よ雑業ざうごう行ぎやう者じや↡」 (観念法門) といひ、 あるいは 「▲唯ゆい有う↢念仏ねんぶち↡蒙む↢光くわう摂せう↡、 当たう↠知ち本ほん願ぐわん最さい為ゐ↠強がう」 (礼讃) と釈しやくし、 あるひは 「▲不ふ↧為ゐ↢余よ縁えん↡光くわう普ふ照せう↥、 唯ゆい覓みやく↢念仏ねんぶち往わう生じやう人にん↡」 (般舟讃) と判はんじ、 あるひは 「▲莫まく↠論ろん↢弥陀みだ摂せち不ふ↟摂せち、 意ゐ在ざい↢専心せんしん廻ゑ不ふ↟廻ゑ」 (般舟讃) とのべたり。 これみな諸しよ行ぎやうの行ぎやう者じやは光くわう照せうをかうぶらざることをあかし、 念仏ねんぶちの行ぎやう者じやのみ摂取せちしゆにあづかることをあらはすなり。

-阿あ弥陀みだを無む量光りやうくわう0649と翻ほんずるにつきて、 いさゝか光明くわうみやうの徳とくをのぶることかくのごとし。 名みやう号がうのなかにかゝる摂取せちしゆ不ふ捨しやの益やくあるがゆへに、 南无なむ阿あ弥陀みだ仏ぶちととなふれば、 決定くゑちぢやうして往わう生じやうをとぐるなり。

顕けん名みやう鈔せう 本

応永一年 甲辰 十二月廿二日終書写之微功、 則于性順授与之畢。
信州水内郡太田庄長沼浄興寺住侶
常楽台御真筆也、 仍不可他人相続殊可奉貴敬 云々

 

 

0650顕けん名みやう鈔せう 末

つぎに寿じゆ命みやう無む量りやうの徳とくといふは、 第だい十三じふさんの願ぐわんにいはく、 「▲設せち我が得とく↠仏ぶつ、 寿じゆ命みやう有う↢能のう限げん量りやう↡、 下至げし↢百ひやく千億せんをく那由なゆ他た劫こう↡者しや、 不ふ↠取しゆ↢正しやう覚がく↡」 (大経巻上) といへり。

-おなじき願ぐわん成じやう就じゆの文もんには、 「▲仏ぶち語ご↢阿あ難なん↡、 又う無む量りやう寿じゆ仏ぶち寿じゆ命みやう長ぢやう久く不ふ↠可か↢称しよう計げ↡。 汝によ寧にやう知乎ちこ。 ◆仮使けし十方じちぱう世せ界かい無む量りやう衆しゆ生じやう、 皆得かいとく↢人身にんじん↡、 悉しち令りやう↣成じやう↢就じゆ声しやう聞もん・縁覚ゑんがく↡、 都共とぐ集しゆ会ゑ、 禅ぜん↠思し一いち↠心しん。 竭かち↢其ご智ち力りき↡、 於お↢百ひやく千万せんまん劫ごう↡悉しち共ぐ推算すいさん計け↢其ご寿じゆ命みやう長ぢやう遠をん之し数しゆ↡、 不ふ↠能のう↣窮尽ぐうじん知ち↢其ご限極げんごく↡」 (大経巻上) といへり。

-また教主けうしゆにかぎらず、 極楽ごくらくの菩ぼ薩さち聖しやう衆じゆの寿じゆ命みやうも無む量りやうなることをときて 「▲声しやう聞もん・菩ぼ薩さち・天てん・人にん之し衆しゆ寿じゆ命みやう長ぢやう短たん亦やく復ぶ如によ↠是ぜ。 非ひ↣算数さんじゆ・譬喩ひゆ所しよ↢能のう知ち↡也や」 (大経巻上) といへり。 また ¬阿あ弥陀みだ経きやう¼ には、 「△彼ひ仏ぶち寿じゆ命みやう及ぎう其ご人民にんみん無む量りやう無む辺へん阿あ僧そう祇ぎ劫こう。 故こ名みやう↢阿あ弥陀みだ↡」 ととけり。

-されば能化のうくゑの仏ぶちも所化しよくゑの聖しやう衆じゆも、 ともに寿じゆ命みやう無む量りやうにして、 算数さんじゆ・譬喩ひゆもをよぶところにあらず。 かくのごとく寿じゆ命みやうの無む量りやうなることは、 利り益やく三さん世ぜにわたりて衆しゆ生じやうを化くゑ度どすること、 かぎりなからんがためなり。 諸仏しよぶちの寿じゆ命みやうは長ぢやう短たんともに機きにし0651たがひてその益やくありといへども、 寿じゆ命みやうのいたりていじかきは利り益やくにもるゝ衆しゆ生じやうおほし。

-釈しやく尊そんの住じゆ世せは八十はちじふ年ねん、 化導くゑだうの時じ分ぶんはたゞ五ご十じふ年ねんなり。 そのあひだ在ざい世せ当たう機きの衆しゆは得益とくやくまことにしげかししかども、 滅めち後ごの凡惑ぼんわくはさとりをひらくものすくなし。 正しやう・像ざう・末まちの三さん時じ、 その証しようをとること次し第だいに減げんず。 これすなはち在ざい世せの機き縁えんひさしからざるによりて、 大だい聖しやうをさること遙遠えうをんなるがゆへなり。 いかにいはんや、 住じゆ無む住じゆ仏ぶちの寿じゆ命みやうはたゞ一日いちにち一いち夜や、 所説しよせちの法門ほふもんいくばくならず。 月ぐわち面めん如来によらいの寿じゆ命みやうはわづかに一日いちにち、 あしたに出しゆち世せしてゆうべに入滅にふめちす。

-しかるに弥陀みだ如来によらいは、 過くわ去こをかぞふれば成じやう仏ぶちののち劫数こうしゆすでにひさし。 ¬双さう巻くわん経ぎやう¼ (巻上) ならびに ¬阿あ弥陀みだ経きやう¼ にはともに 「▲十劫じつこう」 ととき、 ¬大だい阿あ弥陀みだ経きやう¼ (巻上) には 「▲十じつ小劫せうこう」 ととけり。 また ¬法華ほちくゑ経きやう¼ の説せちのごとくならば、 三千さんぜん塵点ぢんでんの古こ仏ぶつなり。 ¬般舟はんじゆ経きやう¼ の説せちによらば、 三さん世ぜの諸仏しよぶちの本ほん師しなり。 過くわ去こかくのごとし、 未み来らいまた限げん量りやうなし。 千劫せんごう・万劫まんごう・恒沙ごうじや劫こう・兆載てうさい永劫やうごうにして、 また無む央数あうしゆ劫こうなり。

-しかれば、 たとひ一いち世せ二世にせに利り益やくにもるとも、 如来によらいつねに世よにましますゆへに、 つゐにその済さい度どにあづかるべし。 ¬阿あ弥陀みだ経きやう¼ (意) のなかに 「▲已ゐ発ほち願ぐわん・今こん発ほち願ぐわん・当たう発ほち願ぐわんのもの、 みな往わう生じやうすべし」 ととけるは、 このこゝろなり。 第だい二に十じふの果遂くわすいの願ぐわん、 またその義ぎなり。 修しゆ行ぎやうに真しん0652仮けあれば、 往わう生じやうに遅ち速そくあるべきがゆへに、 あるひは順じゆん次じにも往わう生じやうし、 あるひは二に生しやう三さん生しやうにも往わう生じやうするもの、 相続さうぞくしてたゆべからず。

-念ねんを弥陀みだの名みやう号がうにかけ、 おもひを安養あんやうの浄じやう刹せちにはこぶもの、 娑しや婆ばの一国いちこくなを無む量りやうなり、 他た方はう世せ界かいもまた無む数しゆなるべし。 過くわ去こ・現在げんざいすでに無む量りやうなり、 未み来らいまた無む窮ぐうなるべし。 もし如来によらいの寿じゆ命みやうに際限さいげんあらば、 利り益やくにもるゝ衆しゆ生じやうあるべきがゆへに、 十方じちぱうの有う情じやうをもらさず、 三さん世ぜの群類ぐんるいをのこさず、 みな極楽ごくらく浄じやう土どに帰くゐせしめ、 無む量りやう壽じゆの仏ぶち智ちに契当かいたうせしめんがために、 如来によらいの寿じゆ命みやうはかぎりなきものなり。

-これによりて ¬涅槃ねちはん経¼ (北本巻三寿じゆ命みやう品意 南本巻三寿じゆ命みやう品意) には 「阿あ耨達のくだち出しゆち↢四し大だい河が↡、 如来によらい亦やく而に、 出しゆち↢一切いちさい寿じゆ↡。 一切いちさい人天にんでん寿じゆ命みやう大だい河が、 流る↢入にう如来によらい寿じゆ命みやう大海だいかい↡」 といへり。 しかれば、 阿あ弥陀みだ如来によらいは久く遠おん実じつ成じやうの覚体かくたい、 無始むし本ほん有うの極ごく理りなり。 迷めい悟ご・染ぜん浄じやう、 一切いちさいの万法まんぼうことごとく阿あ弥陀みだの三さん字じに摂在せうざいせずといふことなし。

-しかるに衆しゆ生じやう、 一念いちねんの迷妄めいまうによりて、 真如しんによのみやこをまよひいで、 流る転てんの凡ぼん夫ぶとなりしよりこのかた、 ひさしく塵労じんらうにおほはれて、 本ほん有うの理り性しやうをわすれたり。 しかるあひだ、 無作むさの誓せい願ぐわんやむことなく、 無む縁えんの慈悲じひにもよほされて、 かの群類ぐんるいを度どし、 その迷めい情じやうをひるがへさしめんがために、 かりに法蔵ほふざう比丘びくとなり、 さらに四し十八じふはちの大だい願ぐわんを超発てうほちしたまへり。

-このゆへに、 十念じふねん往わう0653生じやうの誓せい願ぐわんをおこし、 十劫じちこう成じやう道だうの方便はうべんをしめして、 一心いちしん専念せんねんの行ぎやう者じやをば十八じふはちの願ぐわんをもて摂受せうじゆし、 修しゆ諸しよ功く徳どくの行ぎやう人にんをば十じふ九くの願ぐわんにて引摂いんぜうし、 乃ない至しかりにも念ねんをかの国くににかくる機きをば二に十じふの願ぐわんをもて果遂くわすいせしめたまふがゆへに、 発心ほちしんに前ぜん後ごあれば往わう生じやうにも遠近をんごんあれども、 つゐには六道ろくどう生しやう死じ、 無む常じやうの寿じゆ命みやうを摂せちして、 みな一実いちじち真如しんによ、 本ほん有う無む量りやう寿じゆの仏ぶち智ちに流る入にうせしむべしとしるべきなり。

-諸仏しよぶちのなかに、 ひとり無む量りやう寿じゆ仏ぶちと号がうす。 寿じゆ命みやうは一切いちさいの根こん元ぐゑんなれば、 諸仏しよぶちも弥陀みだの智恵ちえより流る出しゆちし、 衆しゆ生じやうもまたかの寿じゆ命みやうよりいでゝ、 かへりてみな如来によらいの寿じゆ命みやうに流る入にうすべきなり。

-いま ¬涅槃ねちはん経ぎやう¼ (北本巻三寿命品意 南本巻三寿命品意) に 「如来によらいの寿じゆ命みやう」 といへる、 すなはち弥陀みだの寿じゆ命みやうなるべし、 寿じゆ命みやうのなかに無む量りやう壽じゆなるがゆへなり。 されば真言しんごん教けうには、 無む量りやう寿じゆ仏ぶちをもて大日だいにち法身ほちしんの常じやう住ぢうの寿じゆ命みやうと談だんず。 法身ほちしんの寿じゆ命みやうならば、 一切いちさいの寿じゆ命みやうこれよりいづること、 うたがふべからず。 天臺てんだいには、 たゞ弥陀みだをもて法門ほふもんの主しゆヌシとすといふ。 法門ほふもんの主しゆヌシならば、 一切いちさいの諸仏しよぶちまた弥陀みだをはなるべからずといふこと、 あきらかなり。

-おほよそ仏ぶちを無む量りやう壽じゆとなづけ、 国くにを極楽ごくらくと号がうするは、 如来によらいの名なをきゝて、 無む量りやう壽じゆ常じやう住ぢうの果くわをえんとねがひ、 国こく土どの名なをきゝて、 涅槃ねちはん常じやう楽らくのさとりをひらかんとねがふべきことはりあるがゆへなり。 そのゆへは、 生しやうあるものは、 み0654な死しをおそるゝがゆへに寿いのちをもてたからとし、 業ごうをうくるものは、 ことごとく苦くをにくむがゆへに楽らくをねがふこゝろあり。

-¬観経くわんぎやうの疏しよ¼ (序分義) に ¬涅槃ねちはん経¼ をひきていはく、 「▲一切いちさい諸しよ衆しゆ生じやう無む↠不ふ↠愛あい↢寿じゆ命みやう↡。 勿もち↠殺せち、 勿もち↠行ぎやう↠杖ぢやう。 怒ぬ↠己こ可か↠為ゐ↠喩ゆ」 といへり。 一切いちさいのいきとしいけるもの、 もし人ひとをみるとき、 おそれ・はしり・かくれ・にぐることは、 たゞ悪縁あくえんをさり寿じゆ命みやうをまもらんがためなり。 畜類ちくるいのものしらずをろかなる、 なを身みを愛あいしいのちををしむことかくのごとし。 いはんや、 人ひととして生しやうを愛あいし死しをにくまざらんや。 まことに七珍しちちん万宝まんぼうも死しすればしたがふものなし。 栄華えいぐわ栄耀えいゑうもいのちのあるうへのことなり。 人間にんげんよりも天てん上じやうの寿いのちはながく、 天てん上じやうにとりても六欲ろくよく天てん・四し禅ぜん・四し无む色しき、 次し第だいに上じやう天てんのいのちのひさしきは、 果報くわほうのすぐれ修因しゆいんのまさりたるゆへなり。 されば果報くわほうのすぐれたるといふは、 いのちのながきをもてその詮せんとす、 たれかいのちをねがはざらんや。

-つぎによろづの有う情じやう、 ことごとく苦くをにくみ楽らくをねがふこゝろありといふは、 ¬大論¼ (大智度論巻七初品) の文もんをみるに、 「一切いちさい衆しゆ生じやう、 皆かい願ぐわん↠得とく↠楽らく無む↠願ぐわん↢苦く悩なう↡」 と判はんぜり。 これすなはち死しをにくみて生しやうをもとめ、 貧ひんをいとひて福ふくを愛あいする、 みな苦くをにくむこゝろよりおこり、 楽らくをねがふおもひよりいでたり。 乃ない至し病やまひをえて薬くすりをたづね、 飢うえ0655にのぞみて食じきをもとめ、 あつき天てんに風かぜをまち、 さむきときに火ひをもとむるまでも、 苦くをいとひ楽らくをねがふこゝろにあらずといふことなし。

-しかれば、 衆しゆ生じやうは死しをにくみていのちを愛あいするがゆへに、 長ぢやう遠をんの寿じゆ命みやうをもとめんとするに、 北州ほくしふの千年せんねんもつくる期ごあれば、 人間にんげんの長命ぢやうみやうもねがふべきにあらず。 非ひ想さうの八万はちまん劫ごうもそのをはりなきにあらざれば、 天てん上じやうの寿じゆ命みやうももとむるにたらず。 まことに无む常じやう生しやう滅めちの報ほうをはなれ、 常じやう住ぢう無為むゐの果くわをえんとおもはゞ、 無む量りやう壽じゆの国くににむまれんとおもふこゝろあるべし。

-また衆しゆ生じやうは、 苦くをにくみて楽らくをもとむるがゆへに、 不ふ退たいの快楽くゑらくをえんとするに、 人天にんでんの楽らくはなをし電でんイナ光くわうビカリのごとし、 須しゆ臾ゆにすなはちすつ。 かへりて三悪さんあくに入いりて長ぢやう時じに苦くをうくれば、 これまた著ぢやくすべきところなし。 このゆへに、 浅あさきより深ふかきにいたりて、 次し第だいに苦くをいとひ楽らくをもとむるこゝろ至し極ごくせば、 かならず極楽ごくらく浄じやう土どにむまれんとおもふべし。

-こゝをもて三さん世ぜの諸仏しよぶちのなかに無む量りやう壽じゆの名なをえ、 十方じちぱうの浄じやう土どのなかに極楽ごくらくとなづくることは、 一切いちさい衆しゆ生じやうことごとくこの名みやう号がうによりてかの浄じやう土どをねがひ、 みな無む量りやう壽じゆの寿じゆ命みやうに帰入くゐにうして、 ひとしく極楽ごくらく無為むゐの法楽ほふらくをうくべきゆへなり。 しかれば、 南無なむ阿あ弥陀みだ仏ぶちととなふることばのうちに、 無む量光りやうくわうに帰くゐ命みやうする義ぎもあり、 無む量りやう壽じゆに南无なむするこゝろもあるがゆへ0656に、 光明くわうみやうを念ねんずるいはれあれば、 摂取せちしゆ不ふ捨しやの益やくにあづかり、 寿じゆ命みやうを念ねんずることはりあれば、 如来によらいの寿じゆ命みやうに流る入にうし、 涅槃ねちはんのさとりをひらくべき義ぎあるなり。

-まことに如来によらいの功く徳どくおほしといへども、 光明くわうみやう・寿じゆ命みやうの功く徳どくにはすぎず。 この二に種しゆの功く徳どくのなかに、 万徳まんどくことごとくそなはれり。 かの万徳まんどく、 しかしながら名みやう号がうの一いち行ぎやうにこもれるなり。 かるがゆへにもろもろの雑ざう行ぎやうをさしをきて、 この一いち行ぎやうをつとめ、 種々しゆじゆの助業じよごうをかたはらにして、 その一心いちしんをもはらにせよとすゝむるなり。 これ経釈きやうしやくのをしふるところなり、 あふいでこれを信しんずべし。

-問とふていはく、 楽らくといふは苦くに対たいすることばなり。 苦くはすなはち楽らくのよるところ、 楽らくはすなはち苦くのふすところなり。 その体たいをたづぬるに実体じちたいなし。 されば苦くにあらず楽らくにあらざるを捨受しやじゆとなづけて、 楽受らくじゆよりはまされりとす。 いはゆる色界しきかい四し禅ぜんのうち、 三禅さんぜんまでは楽受らくじゆ、 第だい四し禅ぜんは捨受しやじゆなり。 すでに三界さんがい有漏うろの果報くわほうのうちに、 なを下地げぢは楽受らくじゆ、 上じやう地ぢは捨受しやじゆなり。 しかるにいま浄じやう土ど無為むゐのさかひにをいて、 なんぞ楽らくをきはむといはんや。 もし楽らくをきはむといはゞ、 かへりて有漏うろの果報くわほうに同どうずべきをや。

-こたへていはく、 曇鸞どんらん和くわ尚しやうの ¬注論ちうろん¼ (巻下) をみるに、 「▲楽らく◗に有あ↢り三種さんしゆ。 一ひとつ者には外げ楽らく、 謂いはく0657五ご識しき所しよ生しやう◗の楽らく。 二ふたつ者には内楽ないらく、 謂いはく初禅しよぜん・二に禅ぜん・三禅さんぜん◗の意い識しき所しよ生しやう◗の楽らく。 三みつ者には法楽ほふげう楽らく、 謂いはく智恵ちえ所しよ生しやう◗の楽らく。 ◆此この智恵ちえ所しよ◗の生しやう◗の楽らく、は 従よ↠り愛あい↢ する仏ぶち◗の功く徳どく↡を起をこ れり」 といへり。 このなかに、 外げ楽らくといへるは欲界よくかいの楽らくなり、 内楽ないらくといへるは色界しきかい三禅さんぜんの楽らくなり。 第だい四し禅ぜんの捨受しやじゆは、 三禅さんぜんの楽らくよりはいさゝかすぐれたれども、 たゞ三界さんがいのうちの勝しよう劣れちなるがゆへに、 浄じやう土どの楽らくにはことなり。

-されば善導せんだう和くわ尚しやう、 三界さんがいの苦く楽らくを釈しやくせらるゝとき、 「▲苦く則そく三さん塗づ・八難はちなん等とう、 楽らく則そく人天にんでん五ご欲よく・放逸はういち・繋け縛ばく等とう楽らく。 雖すい↠言ごん↢是ぜ楽らく↡、 然ねん是ぜ大だい苦く。 必ひち竟きやう無む↠有う↢一念いちねん真実しんじち楽らく↡也や」 (定善義) といへり。 三界さんがいのうちの楽らくは、 まことの楽らくにはあらざるなり。

-法楽ほふらくといへるは、 念仏ねんぶちの行ぎやう者じやについていへば、 いまだ穢土えどにありて凡身ぼんしんをすてざるとも、 内うちに智恵ちえと相応さうをうして虚偽こぎならず顛倒てんだうならず、 いはんや浄じやう土どにしてうくるところの楽らくは、 法ほち性しやうに随ずい順じゆんせる真実しんじち無為むゐの楽らくなり。

-¬大だい経きやう¼ (巻上) には 「▲但たん有う↢自じ然ねん快楽くゑらく之し音おん↡、 是故ぜこ其ご国こく名みやう曰わち↢安楽あんらく↡」 といひ、 ¬阿あ弥陀みだ経きやう¼ には 「▲但受たんじゆ↢諸楽しよらく↡、 故こ名みやう↢極楽ごくらく↡」 ととき、 ¬論ろん¼ (浄土論) には 「▲受じゆ↠楽らく常じやう無む間けん」 とも判はんじ、 「▲触者そくしや生しやう↢勝しよう楽らく↡」 (浄土論) とも讃さんずるは、 みなこの楽らくなり。 これを釈しやくするには、 あるひは 「▲法ほち性しやうの常じやう楽らく」 (玄義分) ともいひ、 あるひは 「▲寂静じやくじやう無為むゐの楽らく」 (定善義) ともいへり。

-これすなはち ¬涅槃ねちはん経ぎやう¼ にいふところの涅槃ねちはんの大楽だいらくなり0658。 かの ¬経きやう¼ (北本巻二三徳王品 南本巻二一徳王品) には 「涅槃ねちはん之し性しやう無む↠苦く無む↠楽らく、 是故ぜこ涅槃ねちはん名みやう為ゐ↢大楽だいらく↡」 といへり。 涅槃ねちはんの楽らくと浄じやう土どの楽らくとひとつなりとはなにをもてかしるといふに、 「▲弥陀みだの妙果を号がうして無む上じやう涅槃ねちはんといふ」 (法事讃巻下) ともいひ、 「▲極楽ごくらくは無為むゐ涅槃ねちはんの界かいなり」 (法事讃巻下) とも釈しやくするがゆへなり。

-さきにいふがごとく、 衆しゆ生じやうは楽らくをねがふこゝろあるがゆへに、 極楽ごくらくの名なあれば、 かれをねがふこゝろあるべし。 「▲願生ぐわんしやう何意がゐ切せち、 正しやう為ゐ↢楽らく無む↟窮ぐう」 (礼讃) といへるは、 このこゝろなり。 快楽くゑらくのためにきゝてねがひ、 ねがひてかの生しやう因いんをたづね、 たづねて念仏ねんぶちに帰くゐし、 帰くゐして浄じやう土どに生しやうじ、 生しやうじぬれば無む生しやうを証しようし、 涅槃ねちはんのさとりをひらくがゆへに、 かのさとりにかなひぬれば、 無苦むく・無む楽らくのくらゐにいたる、 すなはちこれを大楽だいらくとなづくるなり。 大楽だいらくと極楽ごくらくと、 その義ぎこれおなじ。

-問とふていはく、 衆しゆ生じやうも無む量りやう壽じゆのなかよりいでゝ、 かへりて無む量りやう壽じゆの仏ぶち智ちに帰入くゐにうすべしといひ、 三界さんがい六道ろくどうの苦く楽らくをはなれて、 涅槃ねちはん大楽だいらくの理りをきはむべしといはゞ、 いふところの義ぎ門もんは聖しやう道だう門もんの所談しよだんににたり。 愚ぐ暗あんのともがら、 たやすくしりがたし。 しらずは往わう生じやうをとぐべからずといふべしや。

-答こたへていはく、 「一切いちさい衆しゆ生じやう悉しち有う↢仏ぶち性しやう↡」 (涅槃経) といひ、 「心しん仏ぶち及ぎう衆しゆ生じやう是ぜ三さん無む↢差別しやべち↡0659」 (晋訳華厳経 巻一〇夜摩説偈品) といへる。 ともに経きやう文もんなり、 たれかこれを信しんぜざらん。

-されども聖しやう道だうは、 われと心しん性しやうの源底げんていを観くわん達だちして、 即身そくしんにこの理りをあきらめんとし、 浄じやう土ど門もんには 「▲但たん以ゐ↢垢く障しやう覆ふ深じん↡、 浄じやう体たい無む↠由ゆ↢顕照けんせう↡」 (玄義分) といひて、 無む明みやう煩悩ぼんなうにひさしくおほはれたる衆しゆ生じやうは、 こゝにしてかの仏ぶち性しやうをあらはしがたきがゆへに、 その機きのためにまうけたまへる弥陀みだの教けうなれば、 かの仏ぶち智ちに乗じようじて極楽ごくらくに往わう生じやうし、 かしこにしてその仏ぶち性しやうをあらはすべしと談だんずるなり。

-たゞ南无なむ阿あ弥陀みだ仏ぶちととなふるは、 往わう生じやうの正しやう業ごうなるがゆへに、 この名みやう号がうのなかに光明くわうみやう寿じゆ命みやうの無む量りやうなる徳とくをそなへて、 さまざまに利り益やくをほどこし、 衆しゆ生じやうこれによりて涅槃ねちはんをうる徳とくのあることをしめすばかりなり。

-さればとて、 こゝにして仏ぶち性しやう常じやう住ぢうの妙めう理りをさとり、 即身そくしんに生しやう仏ぶち一体いちたいの観くわん解げをなせとすゝむるにはあらず。 しるもしらぬも往わう生じやうのためにはさはりともならず、 たねともならず、 たゞ仏ぶち智ちの不ふ思議しぎを信しんじ他た力りきの名みやう号がうに帰くゐして、 こゝろを余よ教けうの出しゆち離りにかけず、 一いち行ぎやう一心いちしんにこれを信しん行ぎやうすれば、 かの名みやう号がうは円えん融ゆ至し徳とくの嘉か号がう、 法身ほちしん同体どうたいの功く徳どくなるゆへに、 しらざるに法ほち性しやうの深奥じんあうを観くわん達だちする義ぎありて、 すみやかに極楽ごくらくの往わう生じやうをとげ、 無始むしの迷妄めいまうをひるがへして、 弥陀みだの本ほん家けにかへり、 無む生しやうの理りをさとるなり。 これすなはち他た力りきの不ふ思議しぎなり。

問とふ0660ていはく、 衆しゆ生じやうと仏ぶちともとより一体いちたいなり。 されば自じ心しんをはなれて仏道ぶちだうをもとむべからず、 なんぞ他た力りきをかるべきや。 そもそも他た力りきといふは、 いかやうにこゝろうべきことぞや。

こたへていはく、 仏法ぶちぽふしかしながら心こゝろをはなれず、 心しんもとより仏ぶちなることはしかなり。 されどもこの心法しんぽふにをいて、 さとれるのちを仏ぶちといひ、 まよへるほどを衆しゆ生じやうといふ。 玉たまの性しやうはおなじけれども、 みがくとみがゝざるとによりて、 宝たからともなり石いしにもおなじきがごとし。 これによりて、 仏ぶちは万まん行ぎやうの薫修くんじゆにこたへてよく仏ぶち性しやうのたまをみがきたまへり、 衆しゆ生じやうはひさしく生しやう死じの泥でいにしづみてかのたまをけがせり。 かるがゆへに生しやう仏ぶちあひへだゝりて迷めい悟ごさかひをわかてり。

-しかるあひだ、 まどへる凡ぼん夫ぶ、 われとさとりがたきゆへに、 さとりにかなへる仏ぶち智ちに帰くゐすれば、 かの力ちからをもて、 もとより法ほち性しやうをはなれざりける自じ心しんの仏ぶち性しやうをあらはすなり。 弥陀みだの本ほん願ぐわんのおこり、 他た力りき往わう生じやうのみち、 そのこゝろこれにあり。

-無始むし曠くわう劫ごうよりこのかた、 こゝろに三毒さんどくの煩悩ぼんなうをたくはへ、 六道ろくどう輪りん廻ゑのあひだ、 身みに十悪じふあくの業因ごういんをつめり。 しかりといへども、 煩悩ぼんなうをも断だんぜず、 罪ざい障しやうをも滅めちせず、 身みにをいて浄じやう不ふ浄じやうを論ろんぜず、 念ねんにをいて善悪ぜんあくをいはず、 たゞ凡ぼん夫ぶ摂取せちしゆの仏力ぶちりきをたのて念仏ねんぶち0661の一いち行ぎやうを修しゆし、 ひとへに仏ぶち願ぐわん難なん思じの強縁がうえんに託たくして西方さいはうの往わう生じやうをとぐるなり。

-これすなはち名みやう号がうに不ふ思議しぎの徳とくあるがゆへに、 この益やくをえしむるなり。 その不ふ思議しぎといふは、 明みやうよく暗あんを破はし、 空くうよく有うをふくみ、 地ぢよく載養さいやうし、 水みづよく生しやう潤じゆんし、 火ひよく成じやう壊えするがごとし。 世せ間けん待対たいだいの法ほふみなかくのごときの徳用とくゆうあり、 これ法ほふ爾にの道だう理りなり。 いはんや、 仏法ぶちぽふ不ふ思議しぎのちから、 凡ぼん夫ぶをして往わう生じやうをとげしめんこと、 これをうたがふべからず。 滅罪めちざいの徳とくあれば重罪ぢうざいの悪人あくにんなれども生しやう死じをはなれ、 生しやう善ぜんの徳とくあれば無む善ぜんの凡ぼん夫ぶなれども往わう生じやうをうるなり。 これを他た力りきといふなり。

-聖しやう教げうのなかに、 念仏ねんぶちの功く能のうをあかし、 他た力りきの不ふ思議しぎをあらはすに、 おほくのたとへをいだせり。 いま少々せうせうこれをあぐべし。

一ひとつには、 「▲千年せんねんのあひだたてこめてくらからんところに、 日ひのひかりしばらくいたらば、 ひさしかりつるやみ、 すなはちさりてあきらかなることをうべし」 (論註巻上意)。 くらきことは千年せんねんなり、 日ひのひかりはわづかなるときのほどなればとて、 そのやみさらざることあらんや。 念仏ねんぶちもまたかくのごとし。 衆しゆ生じやう無始むしよりこのかた無む明みやうのやみにおほはれて、 罪ざい障しやうを身みにそなへたることは千年せんねんのやみのごとし。 しかれども、 一いち称しよう一念いちねんの功こうは、 かの片へん時じの日ひのひかりのごとくにて、 衆しゆ生じやうの痴ち闇あんを0662のぞき往わう生じやうをえしむるなり。

一ひとつには、 「▲人ひとありて毒どくの箭やにいらるゝとき、 箭やふかく毒どくあつからんに、 もしひとたび滅除めちぢよ薬やくの鼓つゞみのこえをきけば、 毒どくの箭やすなはちのぞこる」 (論註巻上意)。 「滅除めちぢよ薬やくのつゞみ」 といふは、 いくさの陣じんにむかふとき、 毒どくをぬく薬くすりをもて鼓つゞみにぬりてもつなり。 かのつゞみのこえをきくといふとも、 毒どくの箭やふかくいりたればとて、 ぬけじといふことあらんや。 「毒どくの箭や」 といふは、 衆しゆ生じやうの罪悪ざいあくなり。 かの鼓つゞみは弥陀みだの名みやう号がうなり。 無始むしの三毒さんどくの箭やふかく身みのうちにいりたりといへども、 名みやう号がう滅罪めちざいのつゞみをきけば罪毒ざいどくすなはちのぞこるなり。

一ひとつには、 「▲めぐり十じふ囲ゐあらんふときなはを千人せんにんとりつきてひききらんとせんに、 きるべからず。 しかるにおさなきもの一人いちにんつるぎをもてこれをきらば、 すなはちふたつにならんがごとし」 (略論意)。 煩悩ぼんなう業ごち繋けのきづな、 つよくむるぼゝれてたやすくきれがたきがゆへに、 かのなはに千人せんにんとりつきたるがごとく、 諸善しよぜん諸しよ行ぎやうをもて不ふ善ぜんの心しんのうへに行ぎやうずれば、 そのちからかなはざれども、 一念いちねん名みやう号がうの利り剣けんをもてこれをきるに、 さらにきれずといふことなし。

一ひとつには、 「▲あしなへたるものも、 ふねにのりつれば、 むねのちからにより、 風かぜの縁えん0663によりて、 一日いちにちに数す千せん里りのみちをすぐ」 (略論意)、 あしはやき人ひとの、 ちからをはげましてゆくにまされり。 行ぎやう業ごうのあしおれたるものも、 智恵ちえのまなこしゐたるものも、 大だい願ぐわんのふねに乗じようじぬれば、 頓とんに生しやう死じの大海だいかいをわたりて、 自じ力りきのもろもろの行ぎやう業ごうをはげむ人ひとよりもはやく菩ぼ提だいの岸きしにいたる。 かるがゆへに念仏ねんぶちは頓教とんげうなり。

一ひとつには、 「▲いやしき劣れち夫ぷの驢ろにのることだにもなければ、 地ぢをはなれてあゆむべきちからなけれども、 転輪てんりん王わうのみゆきにしたがひぬれば、 虚空こくにかけりて自じ在ざいなり」 (論註巻下意)。 常じやう没もち底てい下げの凡ぼん夫ぶ、 六道ろくどう四し生しやうの地ぢをはなれて法ほち性しやうの虚空こくにかけるべからずといへども、 弥陀みだ法王ほふわうのちからにひかれて浄じやう土どにいたるなり。 自じ力りきの行ぎやうをもて生しやう死じをはなるゝことかなはざれども、 他た力りきの縁えんによりて往わう生じやうをとぐること、 これらのたとへにてしりぬ。

-また 「▲鴆ちんといふ毒どく鳥てう、 水みずにいりぬればそのなかの魚類ぎよるいことごとく死しす。 しかるに犀角さいかくをもてこれにふるれば、 死しするところのいろくづ、 みなよみがへることあり」 (論註巻上意)。

また 「▲獅子ししのすぢをもて、 琴ことの絃をとして、 ひとたびこれをひくに、 余よの一切いちさいの絃をことごとくみなたゆることあり」 (安楽集巻上意)。

-世せ間けんの法ほふにおいて、 なをかくのごときの事ことあり、 まして五ご不ふ思議しぎのなかには、 仏法ぶちぽふ0664ことに不ふ思議しぎなり。 衆しゆ生じやうの罪業ざいごうをもしといへども、 仏力ぶちりきこれを対たい治ぢする能のうあり。 凡ぼん夫ぶのをろかなるこゝろをもて仏ぶちの利り生しやうをうたがふべからず。

-五ご不ふ思議しぎといふは、 一ひとつには衆しゆ生じやう多た少せう不可ふか思議しぎ、 二ふたつには業力ごうりき不可ふか思議しぎ、 三みつには龍力りうりき不可ふか思議しぎ、 四よつには禅ぜん定ぢやう力りき不可ふか思議しぎ、 五いつゝには仏法ぶちぽふ力りき不可ふか思議しぎなり。 すでに不可ふか思議しぎといふ、 なんぞ是非ぜひの思し量りやうをいたさんや。

-たゞふたごゝろなく仏ぶち智ちの不ふ思議しぎをたのみ、 ふかく知ち識しきのをしへをまことゝ信しんじて、 一分いちぶんもわがはからひをくはへず、 無疑むぎ無む慮りよになりかへるをもて他た力りきに乗じようずるすがたとす。 これを決定くゑちぢやう往わう生じやうの機きとす。

-かやうに安心あんしんしなば、 今こん生じやうをば、 かりのやどゝおもひなして、 これがために、 執しふ著ぢやくをなすことなく、 後世ごせをば永やう生しやうの楽果らくくわとおもひて、 それがためには身財しんざいをもおしむべからず。 仏ぶち願ぐわんを信しんずるこゝろまことあれば、 称名しやうみやうもをこたらず。 称名しやうみやうをこたらざれば、 信心しんじんもいよいよ増ぞう長じやうす。 行ぎやう者じやに欣ごん求ぐ浄じやう土どの願ぐわんあり、 称名しやうみやう念仏ねんぶちの行ぎやうあり、 如来によらいに摂取せちしゆ不ふ捨しやの益やくあり、 凡ぼん夫ぶ引いん接ぜうの願ぐわんあり。 願行ぐわんぎやうあひたすけ機き感かん相応さうをうして、 ひとたび帰くゐ命みやうするものは、 よこさまに生しやう死じをこえ、 ふかく信しん行ぎやうするものは、 すみやかに往わう生じやうをうるなり。

問とふていはく、 仏道ぶちだうを行ぎやうじて菩ぼ提だいをもとむるは、 生しやう死じをはなれんがためなり。 しかる0665に往わう生じやうを願ぐわんずるはなを生しやうをもとむるにあらずや。 これ妄見まうけんなり、 如何いかん。

答こたへていはく、 龍樹りうじゆ菩ぼ薩さちは易ゐ行ぎやうの道だうをすゝめて 「▲便得べんとく↣往わう↢生じやう彼ひ清浄しやうじやう土ど↡」 (十住論巻五易行品) といひ、 天親てんじん菩ぼ薩さちは五ご念門ねんもんの行ぎやうをあかして、 「▲願ぐわん↠生しやう↢安楽あんらく国こく↡」 (浄土論) と判はんぜり。 それより以下ゐげ三国さんごくの祖師そし、 諸宗しよしゆの高僧かうそう、 みな往わう生じやうを願ぐわんず。 もし浄じやう土どにゆくといふとも、 生しやう死じをはなれざる義ぎあらば、 かくのごとき深じん位ゐの大だい士じ、 高かう行ぎやうの智ち徳とく、 なんぞ往わう生じやうを願ぐわんぜん。 末代まちだい無智むちの道俗だうぞく、 たゞ如来によらいの説せちを信しんじ、 先賢せんけんのあとをしたひて、 ひとへに念仏ねんぶちを修しゆし、 もはら往わう生じやうを願ぐわんずべし。 あへて疑ぎ謗はうにをよぶべからざるものなり。

たゞししゐてこの義ぎをあきらめんとおもはゞ、 鸞らん師しの ¬注論ちうろん¼ をみるべし。 かの釈しやくにこのことを判はんずるに、 あるひは 「▲非ひ↠如にょ↢凡ぼん夫ぶ謂ゐ↟有う↢実じち衆しゆ生じやう実じち生しやう死じ↡」 (論註巻上) といひ、 あるひは 「▲彼ひ浄じやう土ど是ぜ阿あ弥陀みだ如来によらい清浄しやうじやう本ほん願ぐわん無む生しやう之し生しやう、 非ひ↠如によ↢三さん有う虚こ妄まう生しやう↡也や。 ◆何以がゐ言ごん↠之し、 夫ふ法ほち性しやう清浄しやうじやう畢ひち竟きやう無む生しやう。 言ごん↠生しやう者しや是ぜ得とく生しやう者しや之し情じやう耳に」 (論註巻下) といへり。

-されば往わう生じやうといふは、 凡ぼん夫ぶの情量じやうりやうにおほせて、 これをいふことばなり、 実じちの生しやう死じにはあらざるなり。 他た力りきの本ほん願ぐわんに乗じようじ、 無む生しやうの名みやう号がうを称しようて、 一いち乗じよう清浄しやうじやうの土どに往わう生じやうすれば、 かの土どはこれ法ほち性しやう無む生しやうのさかひなるがゆへに、 凡ぼん情じやうには生しやうずとおもへば、 自じ然ねんに無む生しやうの理りにか0666なふなり。 これらの義ぎ、 くはしくはかの釈しやくにみえたり。

顕けん名みやう鈔せう 末

 

本云
依明光大徳誂記之畢、 于時*建武四年 丁丑 八月 日也。 去春此令誂之間、 当年備州在国之間、 所染筆也
。

釈-存覚

此両帖雖為秘蔵之書、 性順頻致望之間、 且表信心之懇篤所令授与也。 于時応永二年 乙巳 正月十三日終書写之微功畢。

 

底本は新潟県浄興寺蔵応永三十一、 三十二年書写本。