0917◎改がい0299邪じゃ鈔しょう

 

(1)

◎一 *今案こんあんの自義じぎをもつて名帳みょうちょうと称しょうして、 祖師そしの一いち流りゅうを​みだる事こと。

 曽そう祖師そし*黒谷くろだにの聖しょう人にんの御ご製作せいさく ¬*選せん択じゃく集しゅう¼ (意) に​のべ​らるる​が​ごとく、 「▲*大だい小しょう乗じょうの*顕密けんみつの諸しょ宗しゅうに​おのおの*師資しし相そう承じょうの*血けち脈みゃくある​が​ごとく、 いま​また浄じょう土どの一いっ宗しゅうにおいて、 おなじく師資しし相そう承じょうの血けち脈みゃくある​べし」 と 云々うんぬん。 しかれば、 血けち脈みゃくを​たつる肝要かんようは、 往おう生じょう浄じょう土どの他た力りきの心しん行ぎょうを獲ぎゃく得とくする時じ節せつを治じ定じょうせしめ​て、 かつは師資ししの礼れいを​しら​しめ、 かつは仏恩ぶっとんを報尽ほうじんせんがため​なり。

-かの心しん行ぎょうを獲ぎゃく得とくせん​こと、 念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がん (第十八願) 成じょう就じゅの 「▲信心しんじん歓かん喜ぎ乃ない至し一念いちねん」 (*大経・下) と等らの文もんをもつて*依え憑ひょうヨリタノムと​す。 この​ほか​いまだ​きか​ず。 「曽そう祖師そし *源空げんくう 祖師そし *親鸞しんらん 両りょう師し御ご相伝そうでんの*当とう教きょうにおいて、 名帳みょうちょうと号ごうして​その人数にんじゅを​しるす​をもつて往おう生じょう浄じょう土どの指し南なんとし、 仏法ぶっぽう伝でん持じの支し証しょうと​す」 といふ​こと​は、 これ​おそらく​は祖師そし一いち流りゅうの魔ま障しょうたる​をや。 ゆめゆめ​かの邪じゃ義ぎをもつて法ほう流りゅうの正しょう義ぎと​す​べ0918から​ざる​ものなり。

-もし 「▲即得そくとく往おう生じょう住じゅ不ふ退転たいてん」 (大経・下) 等とうの経きょう文もんをもつて*平生へいぜい業ごう成じょう0300の他た力りきの心しん行ぎょう獲ぎゃく得とくの時じ剋こくを​ききたがへ​て、 「名帳みょうちょう*勘録かんろくの時じ分ぶんにあたりて往おう生じょう浄じょう土どの正しょう業ごう治じ定じょうする」 なんど*ばし、 ききあやまれ​る​にやあらん。 ただ別べつの要ようありて人数にんじゅを​しるさ​ば*その​かぎり​あり。 しからずして、 念仏ねんぶつ修しゅ行ぎょうする行ぎょう者じゃの名みょう字じを*しるさ​ん​からに、 この​とき往おう生じょう浄じょう土どの位くらい、 あに治じ定じょうす​べけんや。 この条じょう、 号ごうする​ところ、 「黒谷くろだに (源空)・本願ほんがん寺じ (親鸞) 両りょう師し御ご相そう承じょうの一いち流りゅうなり」 と 云々うんぬん。

-*展転てんでんの説せつなれば、 もし​ひと​の​ききあやまれ​る​をや。 ほぼ信用しんようする​に​たら​ず​と​いへども、 こと実じつならば*付ふ仏法ぶっぽうの外げ道どうか歟 。 祖師そしの御ご*悪あく名みょうといひ​つ​べし。 もつとも驚おどろきおもひ​たまふ​ところ​なり。

-いかに行ぎょう者じゃの名みょう字じを​しるしつけ​たり​といふとも、 願力がんりき不ふ思議しぎの仏ぶっ智ちを授さずくる善ぜん知ぢ識しきの実じつ語ごを領りょう解げせずんば往おう生じょう不可ふかなり。 たとひ名みょう字じを​しるさ​ず​といふとも、 宿しゅく善ぜん開発かいほつの機きとして他た力りき往おう生じょうの師し説せつ領りょう納のうせば、 平生へいぜいを​いは​ず臨りん終じゅうを論ろんぜ​ず、 定じょう聚じゅの位くらいに住じゅうし滅めつ度どに至いたる​べき条じょう、 経釈きょうしゃく分ぶん明みょうなり。 この​うへ​に​なに​によりて​か経釈きょうしゃくを​はなれ​て*自由じゆの妄説もうせつを​さき​として*わたくし​の自義じぎを*骨こっ張ちょうせん​や。

-おほよそ本願ほんがん寺じの聖しょう人にん御ご門弟もんていの​うち​において二に十じゅう余よ輩はいの流々りゅうりゅうの学者がくしゃ達たち、 祖師そしの御ご口く伝でんに​あらざる​ところ​を禁制きんぜいし、 *自じ0919由ゆの妄もう義ぎを停ちょう廃はいある​べき​もの​をや。 なかんづくに、 かの名帳みょうちょうと号ごうする書しょにおいて序題じょだいを書かき、 *あまつさへ意解いげ0301を​のぶ​と 云々うんぬん。 かの作者さくしゃにおいて​たれ​の​ともがら​ぞや。 おほよそ師し伝でんに​あらざる謬びゅう説せつをアヤマリヲトク​もつて祖師そし一いち流りゅうの説せつと称しょうする条じょう、 冥みょう衆しゅの照しょう覧らんに違いし、 智ち者しゃの謗難ぼうなんを招まねく​ものか歟 。 おそる​べし、 あやぶむ​べし。

(2)

一 *絵え系けい図ずと号ごうして、 おなじく自義じぎを​たつる条じょう、 謂いいなき事こと。

 それ聖しょう道どう・浄じょう土どの二に門もんについて生しょう死じ出しゅっ過かの要よう旨しを​たくはふる​こと、 経きょう論ろん章しょう疏しょの明証みょうしょうあり​と​いへども、 自じ見けんすれば​かならず​あやまる​ところ​ある​によりて、 *師し伝でん口く業ごうをもつて最さいと​す。 これ​によりて*意い業ごうに​をさめ​て*出しゅつ要ようを​あきらむる​こと、 諸しょ宗しゅうの​ならひ勿論もちろんなり。

-いま​の真しん宗しゅうにおいて​は、 もつぱら自じ力りきを​すて​て他た力りきに帰きする​をもつて宗しゅうの極ごく致ちと​する​うへ​に、 三業さんごうの​なか​には口く業ごうをもつて他た力りきの​むね​を​のぶる​とき、 意い業ごうの憶念おくねん帰き命みょうの一念いちねんおこれ​ば、 身業しんごう礼拝らいはいの​ため​に、 渇仰かつごうのあまり瞻仰さんごうの​ため​に、 絵え像ぞう・木像もくぞうの本尊ほんぞんを​あるいは彫ちょう刻こくエリキザミし​あるいは画図がとすカキウツス 。 しかのみならず、 仏法ぶっぽう*示誨じけの恩徳おんどくを恋れん慕ぼし仰ぎょう崇そうせんがため​に、 *三国さんごく伝来でんらいの祖師そし・先徳せんどくの尊像そんぞうを図絵ずえし安あん置ちする​こと、 これ​また​つね​の​こと​なり。

-その​ほ0920か​は祖師そし聖しょう人にん (親鸞) の御ご遺訓ゆいくんとして、 たとひ念仏ねんぶつ修しゅ行ぎょうの号ごうあり​といふとも、 「道俗どうぞく男女なんにょの形ぎょう体たいを面々めんめん各々かくかく図絵ずえして0302所しょ持じせよ」 といふ御おん掟おきて、 いまだ​きか​ざる​ところ​なり。 しかるに​いま祖師そし・先徳せんどくの​をしへ​に​あらざる自義じぎをもつて諸人しょにんの形ぎょう体たいを安あん置ちの条じょう、 これ渇仰かつごうの​ため​か歟 、 これ恋れん慕ぼの​ため​か歟 、 不ふ審しんなき​に​あらざる​ものなり。

-本尊ほんぞんなほもつて ¬*観かん経ぎょう¼ 所説しょせつの十じゅう三さん定じょう善ぜんの第八だいはちの▲像観ぞうかんより出いで​たる丈じょう六ろく八はっ尺しゃく随ずい機き現げんの形ぎょう像ぞうをば、 祖師そしあながち御ご*庶しょ幾き御ご依え用ように​あらず。 *天親てんじん論主ろんじゅの*礼拝らいはい門もんの論文ろんもん、 すなはち 「▲帰き命みょう尽じん十方じっぽう無礙むげ光こう如来にょらい」 をもつて真しん宗しゅうの御ご本尊ほんぞんと​あがめ​ましまし​き。 いはんや​その余よの*人にん形ぎょうに​おいて、 あに​かき​あがめ​まします​べし​や。 末学まつがく自己じこの義ぎすみやかに​これ​を停ちょう止じす​べし。

(3)

一 遁世とんせいの​かたち​を​こと​と​し、 異い形ぎょうを​このみ、 *裳も無なし衣ごろもを着ちゃくし、 黒くろ袈裟げさを​もちゐる、 しかるべから​ざる事こと。

 それ出しゅっ世せの法ほうにおいて​は五ご戒かいと称しょうし、 世せ法ほうにありて​は五ご常じょうと​なづくる仁じん・義ぎ・礼れい・智ち・信しんを​まもり​て、 内心ないしんには他た力りきの不ふ思議しぎを​たもつ​べき​よし、 師資しし相そう承じょうし​たてまつる​ところ​なり。

-しかるに​いま風聞ふうぶんする​ところの*異い様ようの儀ぎにおいて​は、 「世せ0921間けん法ほうをば​わすれ​て仏法ぶっぽうの義ぎばかり​を​さき​と​す​べし」 と 云々うんぬん。 これ​によりて*世せ法ほうを放ほう呵か0303する​すがた​と​おぼしく​て、 裳も無なし衣ごろもを着ちゃくし黒くろ袈裟げさを​もちゐる​か歟 、 はなはだ​しかるべから​ず。

-¬*末法まっぽう灯とう明みょう記き¼ (意) 伝でん教ぎょう大だい師し諱いみな*最さい澄ちょう製作せいさく には、 「▲末法まっぽうには袈裟けさ変へんじ​て白しろく​なる​べし」 と​みえ​たり。

-しかれば、 *末まつ世せ相応そうおうの袈裟けさは白びゃく色しきなる​べし、 黒くろ袈裟げさにおいて​は​おほきに​これ​に​そむけ​り。 当世とうせい*都鄙とひに流布るふして遁世とんせい者しゃと号ごうする​は、 多た分ぶん、 *一遍いっぺん房ぼう・*他た阿あ弥陀みだ仏ぶつ等とうの門人もんにんを​いふ​か歟 。 かの​ともがら​は、 *むねと*後世ごせ者しゃ気き色しょくを​さき​と​し、 仏法ぶっぽう者しゃと​みえ​て威儀いぎを*ひとすがた​あらはさ​ん​と定さだめ、 振ふる舞まふ​か歟 。 わが大だい師し聖しょう人にん (親鸞) の御ぎょ意いは、 かれ​に*うしろあはせ​なり。

-つね​の御ご持じ言ごんには、 「われ​は​これ賀古かこの*教きょう信しん沙しゃ弥み この沙しゃ弥みの​やう様  、 禅林ぜんりんの*永観ようかんの ¬*十じゅう因いん¼ に​みえ​たり の定じょうなり」 と 云々うんぬん。 しかれば、 こと縡  を*専修せんじゅ念仏ねんぶつ停ちょう廃はいの​とき​の*左さ遷せんの勅ちょく宣せんに​よせ​ましまし​て、 御ご*位い署しょには愚ぐ禿とくの字じを​のせ​らる。 これ​すなはち僧そうに​あらず俗ぞくに​あらざる儀ぎを表ひょうし​て、 教きょう信しん沙しゃ弥みの​ごとくなる​べし​と 云々うんぬん。

-これ​によりて、 「▼たとひ*牛うし盗人ぬすびとと​は​いは​る​とも、 もしは善人ぜんにん、 もしは後世ごせ者しゃ、 もしは仏法ぶっぽう者しゃと​みゆる​やう​に振ふる舞まふ​べから​ず」 と仰おおせ​あり。 この条じょう、 かの裳も無なし衣ごろも・黒くろ袈裟げさを​まなぶ​ともがら​の*意い巧ぎょうに*雲泥うんでい懸隔けんかくなる​ものを​や。 顕密けんみつの諸しょ宗しゅう・大だい小しょう乗じょう0922の教きょう法ぼうに​なほ超ちょう過かせる弥陀みだ他た力りきの宗しゅう旨しを心底しんていに​たくはへ​て、 外げ相そうには​その徳とくを​かくし​まします。

-大だい聖しょう権ごん化けの*救世くせ観音かんのんの再誕さいたん、 本願ほんがん寺じ 親鸞しんらん の御ご門弟もんていと号ごうし​な0304がら、 うしろあはせ​に振ふる舞まひ​かへ​たる後世ごせ者しゃ気き色しょくの威儀いぎを​まなぶ条じょう、 いかでか祖師そし (親鸞) の*冥みょう慮りょに​あひ​かなは​ん​や。 かへすがへす停ちょう止じす​べき​ものなり。

(4)

一 弟子でしと称しょうして、 同どう行ぎょう等侶とうりょを*自じ専せんのあまり、 放言ほうげん・悪口あくこうする​こと、 いはれ​なき事こと。

 *光こう明みょう寺じの大だい師し (*善導) の御おん釈しゃく (*散善義・意) には、 「▲もし念仏ねんぶつする​ひと​は、 人にん中ちゅうの好人こうにんなり、 妙みょう好人こうにんなり、 最さい勝しょう人にんなり、 上じょう人にんなり、 上上じょうじょう人にんなり」 と​のたまへ​り。

-しかれば、 その​むね​に​まかせ​て、 祖師そし (親鸞) の仰おおせ​にも、 「▲それがし​は​まつたく弟子でし一人いちにんも​もた​ず。 そのゆゑは、 弥陀みだの本願ほんがんを​たもた​しむる​ほか​は​なにごと​を​をしへ​て​か弟子でしと号ごうせん。 弥陀みだの本願ほんがんは仏ぶっ智ち他た力りきの授さずけ​たまふ​ところ​なり。 しかれば、 みな​とも​の同どう行ぎょうなり。 わたくし​の弟子でしに​あらず」 と 云々うんぬん。

-これ​によりて​たがひに*仰ぎょう崇そうの礼れい儀ぎを​ただしく​し、 *昵近じっきんの芳好ほうこうを​なす​べし​となり。 その義ぎなく​して、 あまつさへ悪口あくこうをはく条じょう、 ことごとく祖そ0923師し・先徳せんどくの御ご遺訓ゆいくんを​そむく​に​あらず​や、 しる​べし。

(5)

一 同どう行ぎょうを*勘発かんぽつの​とき、 あるいは寒天かんてんに冷水れいすいを汲くみかけ、 あるいは*炎旱えんかんに*艾がい灸きゅう0305を​くはふる​ら​の​いはれ​なき事こと。

 むかし*役えんの優婆うば塞そくの修験しゅげんの道みちを​もつぱらに​せ​し*山林さんりん斗と薮そうの苦く行ぎょう、 樹じゅ下げ石せき上じょうの坐臥ざが、 これ​みな*一いち機き一縁いちえんの方便ほうべん、 権者ごんじゃ権門ごんもんの難なん行ぎょうなり。 身みを​この門もんに入いるる​ともがら​こそ、 かくのごとき​の苦く行ぎょうをば​もちゐげに​はんべれ。 *さらに出しゅつ離りの要よう路ろに​あらず、 ひとへに魔ま界かい有う縁えんの*僻びゃく見けんなり。

-浄じょう土どの真しん宗しゅうにおいて​は、 超ちょう世せ希有けうの正しょう法ぼう、 諸仏しょぶつ証誠しょうじょうの秘ひ懐かい、 他た力りき即得そくとくの直道じきどう、 凡ぼん愚ぐ横おう入にゅうの易い行ぎょうなり。 しかるに末まつ世せ不ふ相応そうおうの難なん行ぎょうを​まじへ​て、 当今とうこん相応そうおうの他た力りき執しゅう持じの易い行ぎょうを​けがさ​ん​こと、 *総そうじて​は三さん世ぜ諸仏しょぶつの冥みょう応おうに​そむき、 *別べっして​は釈しゃ迦か・弥陀みだ二に尊そんの*矜哀こうあいをオホキナルアハレミわすれ​たる​に似にたり。 おそる​べし、 恥はづ​べし​ならく​のみ。

▲(6)

一 *談だん議ぎかくる​と​なづけ​て、 同どう行ぎょう、 知ち識しきに矛むホコ盾じゅんタテ の​とき、 あがむる​ところの*本尊ほんぞん・聖教しょうぎょうを奪うばひ取とり​たてまつる、 いはれ​なき事こと。

 0924右みぎ、 祖師そし 親鸞しんらん 聖しょう人にん御ご在ざい世せの​むかし、 ある御ご直弟じきてい御ご示誨じけの​むね​を領りょう解げし​たてまつら​ざる​あまり、 *忿結ふんけつして貴き前ぜんを​しりぞき​て​すなはち*東関とうかんに下げ国こくの​とき、 ある常じょう随ずいの一人いちにんの御ご門弟もんてい、 「この仁じんに授さずけ​らるる​ところの聖教しょうぎょうの外げ題だいに聖しょう人にんの御ご名みょうを​の0306せ​られ​たる​あり、 すみやかに​めしかへさ​る​べき​をや」 と 云々うんぬん。

-ときに祖師そしの仰おおせ​に​いはく、 「▽本尊ほんぞん・聖教しょうぎょうは衆しゅ生じょう利り益やくの方便ほうべんなり、 わたくし​に凡ぼん夫ぶ自じ専せんす​べき​に​あらず。 いかでか​たやすく世せ間けんの財宝ざいほうなんど​の​やう​に​せめかへし​たてまつる​べき​や。 釈しゃく親鸞しんらんといふ自じ名みょうのり​たる​を、 ª法ほう師しにくけれ​ば袈裟けささへº の風ふ情ぜいに、 いかなる山さん野やにも*すぐさぬ聖教しょうぎょうを​すて​たてまつる​べき​にや。 たとひ​しかり​といふとも親鸞しんらんまつたく​いたむ​ところ​に​あらず、 すべからく​よろこぶ​べき​に​たれ​り。 そのゆゑは​かの聖教しょうぎょうを​すて​たてまつる​ところの有う情じょう蠢蠢しゅんしゅんの類たぐいに​いたる​まで、 かれ​に​すくは​れ​たてまつり​て苦く海かいの沈没ちんもつを​まぬかる​べし。 ゆめゆめ​この義ぎある​べから​ざる​こと​なり」 と仰おおせごと​あり​けり。

-その​うへ​は、 末学まつがくとして​いかでか新しん義ぎを骨こっ張ちょうせん​や。 よろしく停ちょう止じす​べし。

(7)

一 本尊ほんぞんならびに聖教しょうぎょうの外げ題だいの​した​に、 *願主がんしゅの名みょう字じを​さしおき​て、 知ち識しきと号ごうす0925る​やから​の名みょう字じを​のせおく、 しかるべから​ざる事こと。

 この条じょう、 おなじく前段ぜんだんの*篇目へんもくに​あひ​おなじき​ものか歟 。 大だい師し聖しょう人にん (親鸞) の御ご自じ筆ひつをもつて諸人しょにんに書かき与あたへ​わたし​まします聖教しょうぎょうを​み​たてまつる​に、 みな願主がんしゅの名なを*あそばさ0307れ​たり。 いま​の新しん義ぎの​ごとく​ならば、 *もつとも聖しょう人にんの御ご名みょうを​のせ​らる​べき​か歟 。 しかるに​その義ぎなき​うへは、 これ​また非義ひぎたる​べし。

-これ​を案あんずる​に、 知ち識しきの所存しょぞんに同どう行ぎょうあひ​そむか​ん​とき、 「わが名みょう字じを​のせ​たれば」 とて、 せめかへさ​ん*料りょうの​はかりごと​か歟 。 世せ間けんの財宝ざいほうを沙汰さたする​に似にたり。 もつとも停ちょう止じす​べし。

(8)

一 わが同どう行ぎょうひと​の同どう行ぎょうと*簡別けんべつして、 これ​を*相論そうろんする、 いはれ​なき事こと。

 曽そう祖師そし 源空げんくう 聖しょう人にんの 「*七しち箇か条じょうの御ご起き請しょう文もん」 に​いはく、 「▲諍じょう論ろんの​ところ​には​もろもろ​の煩悩ぼんのうおこる。 智ち者しゃこれ​を遠おん離りする​こと百ひゃく由ゆ旬じゅん、 いはんや一向いっこう念仏ねんぶつの行ぎょう人にんにおいて​をや」 と 云々うんぬん。 しかれば、 ただ是非ぜひを糺きゅう明めいし邪じゃ正しょうを問答もんどうする、 なほもつて​かくのごとく厳制げんせいに​およぶ。 いはんや*人倫じんりんをもつて、 もし*世せ財ざいに類るいする所存しょぞんありて相論そうろんせ​しむる​か歟 。 いまだ​その​こころ​を​え​ず。

-祖師そし聖しょう人にん (親0926鸞) 御ご在ざい世せに、 ある御ご直弟じきていの​なか​に​つね​に​この沙汰さたあり​けり。 その​とき仰おおせ​に​いはく、 「▽世せ間けんの妻さい子し眷属けんぞくも​あひ​したがふ​べき宿しゅく縁えんある​ほど​は、 別べつ離りせとすれ​ども捨しゃ離りする​に​あたは​ず。 宿しゅく縁えん尽つき​ぬる​とき​は*したひ​むつれ​んとすれ​ども​かなは​ず。 いはんや出しゅっ世せの同どう行ぎょう等侶とうりょにおいて​は、 凡ぼん夫ぶの力ちからをもつて親したしむ​べき​にも​あらず、 はなる​べき​にも​あらず0308。 あひ​ともなへ​といふとも、 縁えん尽つき​ぬれ​ば疎そ遠えんに​なる。 親したしま​じ​と​すれ​ども、 縁えん尽つき​ざる​ほど​は​あひ​ともなふ​に​たれ​り。

-これ​みな過去かこの因縁いんねんに​よる​こと​なれば、 今こん生じょう一いっ世せの​こと​に​あらず。 かつは​また宿しゅく善ぜんの​ある機きは正しょう法ぼうをのぶる善ぜん知ぢ識しきに親したしむ​べき​によりて、 まねか​ざれ​ども​ひと​を迷まよはす​まじき*法灯ほうとうには​かならず​むつぶ​べき​いはれ​なり。 宿しゅく善ぜんなき機きは、 まねか​ざれ​ども​おのづから悪あく知ち識しきに​ちかづき​て善ぜん知ぢ識しきには​とほざかる​べき​いはれ​なれば、 むつび​らるる​も​とほざかる​も、 かつは知ち識しきの*瑕か瑾きんも​あらはれ​しら​れ​ぬ​べし。 *所しょ化けの運うん否ぷ、 宿しゅく善ぜんの有無うむも、 もつとも*能のう・所しょともに恥はづ​べき​ものを​や」 。

-しかるに​この​ことわり​に​くらき​が​いたす​ゆゑ​か歟 、 *一旦いったんの我が執しゅうを​さき​として宿しゅく縁えんの有無うむを​わすれ、 わが同どう行ぎょうひと​の同どう行ぎょうと相論そうろんする​こと、 愚ぐ鈍どんの​いたり、 仏ぶっ祖その照しょう覧らんを​はばから​ざる条じょう、 至し極ごくつたなき​ものか歟 、 いかん、 しる​べし。

(90927)

一 念仏ねんぶつする同どう行ぎょう、 知ち識しきにあひ​したがは​ずんば、 その罰ばつを​かうぶる​べき​よし​の起き請しょう文もんを書かか​しめ​て、 数箇すか条じょうの篇目へんもくを​たて​て連署れんしょと号ごうする、 いはれ​なき事こと。

 まづ数箇すか条じょうの​うち、 知ち識しきを​はなる​べから​ざる​よし​の事こと。

-祖師そし聖しょう人にん (親鸞) 御ご在ざい世せの​むか0309し、 *よりより​かくのごとき​の義ぎを​いたす​ひと​あり​けり。 御ご制せいの​かぎり​に​あらざる条じょう、 過去かこの宿しゅく縁えんに​まかせ​られ​て​その御ご沙汰さたなき​よし、 △先段せんだんに​のせ​をはり​ぬ。 また子し細さい、 かの段だんに違いす​べから​ず。

 -つぎ​に、 本尊ほんぞん・聖教しょうぎょうを奪うばひ取とり​たてまつら​ん​とき、 惜おしみ​たてまつる​べから​ざる​よし​の事こと。

-また​もつて△同前どうぜん、 さき​に違いす​べから​ず。

 -つぎ​に、 堂どうを造つくら​ん​とき、 義ぎを​いふ​べから​ざる​よし​の事こと。

-▲おほよそ造像ぞうぞう起き塔とう等とうは、 弥陀みだの本願ほんがんに​あらざる所しょ行ぎょうなり。 これ​によりて一向いっこう専修せんじゅの行ぎょう人にん、 これ​を企くわだつ​べき​に​あらず。

-されば祖師そし聖しょう人にん御ご在ざい世せの​むかし、 ねんごろに*一いち流りゅうを*面授めんじゅ口く決けつし​たてまつる御ご門弟もんてい達たち、 堂舎どうしゃを営作えいさくする​ひと​なかり​き。 ただ道どう場じょうをば​すこし*人屋にんおくに差別しゃべつあら​せ​て、 小こ棟むねを​あげ​て​つくる​べき​よし​まで御ご*諷諫ふうかんあり​けり。 中ちゅう古こより​このかた、 御ご遺訓ゆいくんに​とほざかる​ひとびと​の世よと​なり​て造ぞう寺じ土ど木ぼくの企くわだて​に​およぶ条じょう、 仰おおせ​に違いする​いたり、 なげき​おもふ​ところ​なり。

-しかれば、 造ぞう寺じ0928の​とき、 義ぎを​いふ​べから​ざる​よし​の*怠たい状じょう、 もとより​ある​べから​ざる題目だいもくたる​うへは、 これ​に​ちなんだる誓文せいもん、 ともに​もつて​しかるべから​ず。

 -すべて​こと数箇すか条じょうに​およぶ​と​いへども、 違い変へんす​べから​ざる儀ぎにおいて厳げん重ちょうの起き請しょう文もんを同どう行ぎょうに書かか​しむる​こと、 かつは祖師そし (親鸞) の遺訓ゆいくんに​そむき、 かつは宿しゅく縁えんの有無うむを​しら​ず、 無む法ほうの0310沙汰さたに似にたり。 詮せんずるところ、 聖しょう人にん (親鸞) 御ご相伝そうでんの正しょう義ぎを存ぞんぜ​ん​ともがら、 これら​の今案こんあんに混こんじ​て​みだりに邪じゃ義ぎに迷まよふ​べから​ず。 つつしむ​べし、 おそる​べし。

(10)

一 優婆うば塞そく・優婆うば夷いの形ぎょう体たいたり​ながら出しゅっ家けの​ごとく、 しひて法ほう名みょうを​もちゐる、 いはれ​なき事こと。

 本願ほんがんの文もんに、 すでに 「▲十方じっぽう衆しゅ生じょう」 の​ことば​あり。 宗しゅう家け (善導) の御おん釈しゃく (*玄義分) に、 また 「▲道俗どうぞく時じ衆しゅ」 と等らあり。 釈しゃく尊そん四部しぶの遺弟ゆいていに、 道どうの二に種しゅは比丘びく・比丘びく尼に、 俗ぞくの二に種しゅは優婆うば塞そく・優婆うば夷いなれば、 俗ぞくの二に種しゅも仏ぶつ弟子でしの​がは​に入いれる条じょう、 勿論もちろんなり。

-なかんづくに、 不ふ思議しぎの仏ぶっ智ちを​たもつ道俗どうぞくの四し種しゅ、 *通つう途ずの凡体ぼんたいにおいて​は、 しばらく​さしおく。 仏ぶつ願力がんりきの不ふ思議しぎをもつて無む善ぜん造悪ぞうあくの凡ぼん0929夫ぶを摂取せっしゅ不ふ捨しゃし​たまふ​とき​は、 道どうの二に種しゅは​いみじく、 俗ぞくの二に種しゅが往おう生じょうの位くらい不ふ足そくなる​べき​に​あらず。 その*進道しんどうの階かい次じを​いふ​とき、 ただ​おなじ座ざ席せきなり。

-しかる​うへは、 かならずしも俗ぞくの二に種しゅを​しりぞけ​て、 道どうの二に種しゅを​すすま​しむ​べき​に​あらざる​ところ​に、 女にょ形ぎょう・俗ぞく形ぎょうたり​ながら法ほう名みょうを​もちゐる条じょう、 *本ほん形ぎょうとして​は*往おう生じょう浄じょう土どの器うつわもの​に​きらは​れ​たる​に似にたり。 ただ男女なんにょ・善悪ぜんあくの凡ぼん夫ぶを*はたらかさ​ぬ本ほん形ぎょうにて、 本願ほんがんの不ふ思議しぎ0311をもつて生うまる​べから​ざる​もの​を生うまれ​させ​たれば​こそ、 超ちょう世せの願がんとも​なづけ、 横おう超ちょうの直道じきどうとも​きこえ​はんべれ。

-この一段いちだん、 ことに曽そう祖師そし 源空げんくう ならびに祖師そし 親鸞しんらん 以い来らい、 伝授でんじゅ相そう承じょうの眼目げんもくたり。 あへて*聊りょう爾じに処しょす​べから​ざる​ものなり。

(11)

一 *二季にきの彼ひ岸がんをもつて念仏ねんぶつ修しゅ行ぎょうの時じ節せつと定さだむる、 いはれ​なき事こと。

 それ浄じょう土どの一門いちもんについて、 光こう明みょう寺じの和か尚しょう (善導) の御おん釈しゃく (*礼讃) を​うかがふ​に、 ▲安心あんじん・起き行ぎょう・作さ業ごうの三みつ​あり​と​みえ​たり。 その​うち起き行ぎょう・作さ業ごうの篇へんをば、 なほ方便ほうべんの方かたと​さしおい​て、 往おう生じょう浄じょう土どの正しょう因いんは安心あんじんをもつて定じょう得とくす​べき​よし​を釈成しゃくじょうせ​らるる条じょう、 顕然けんぜんなり。

-しかるに​わが大だい師し聖しょう人にん (親鸞)、 この​ゆゑ​を​も0930つて他た力りきの安心あんじんを​さき​と​し​まします。 それ​について三さん経ぎょうの安心あんじんあり。 その​なか​に ¬大だい経きょう¼ をもつて真実しんじつと​せ​らる。 ¬大だい経きょう¼ の​なか​には第だい十じゅう八はちの願がんをもつて本ほんと​す。 十じゅう八はちの願がんにとりて​は、 また願がん成じょう就じゅをもつて至し極ごくと​す。 「▲信心しんじん歓かん喜ぎ乃ない至し一念いちねん」 をもつて他た力りきの安心あんじんと​おぼしめさ​るる​ゆゑなり。 この一念いちねんを他た力りきより発得ほっとくし​ぬる​のち​は、 生しょう死じの苦く海かいを​うしろ​に​なし​て涅ね槃はんの彼ひ岸がんに到いたり​ぬる条じょう、 勿論もちろんなり。

-この機きの​うへ​は、 他た力りきの安心あんじんより​もよほさ​れ​て仏恩ぶっとん報謝ほうしゃの起き行ぎょう・作さ業ごうは​せ​らる​べき​によりて、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがを論ろんぜず、 長じょう時じ不ふ退たいに到とう0312彼ひ岸がんの謂いいあり。 この​うへは、 あながち*中ちゅう陽よう院いんの衆しゅ聖しょう、 衆しゅ生じょうの善悪ぜんあくを決断けつだんする到とう彼ひ岸がんの時じ節せつを​かぎり​て、 安心あんじん・起き行ぎょう等とうの正しょう業ごうを​はげます​べき​に​あらざる​か歟 。

-かの中ちゅう陽よう院いんの断悪だんあく修善しゅぜんの決断けつだんは、 仏法ぶっぽう疎そ遠えんの衆しゅ生じょうを済さい度どせ​しめ​んがため​の集しゅう会えなり。 いま​の他た力りきの行ぎょう者じゃにおいて​は、 あと​を娑しゃ婆ばに​とほざかり、 心しんを浄じょう域いきに​すま​しむる​うへは、 なに​によりて​か​この決判けっぱんサダムルに​およぶ​べき​や。

-しかるに*二季にきの時じ正しょうを​えりすぐり​て​その念仏ねんぶつ往おう生じょうの時じ分ぶんと定さだめ​て起き行ぎょうを​はげます​ともがら、 祖師そし (親鸞) の御ご一いち流りゅうに​そむけ​り。 いかでか当とう教きょうの*門葉もんようと号ごうせん​や、 しる​べし。

(120931)

一 道どう場じょうと号ごうし​て*簷のきを​ならべ*墻かきを​へだて​たる​ところ​にて、 各別かくべつ各別かくべつに会え場じょうを​しむる事こと。

 おほよそ真しん宗しゅうの本尊ほんぞんは、 尽じん十方じっぽう無礙むげ光こう如来にょらいなり。 かの本尊ほんぞん所しょ居ごの浄じょう土どは、 ▲究く竟きょう如にょ虚こ空くうの土どなり。 ここをもつて祖師そし (親鸞) の ¬*教行きょうぎょう証しょう¼ には、 「▲仏ぶつはこれ不可ふか思議しぎ光仏こうぶつ、 土どは​また無む量りょう光こう明みょう土どなり」 (真仏土巻) と​のたまへる、 これ​なり。 されば天親てんじん論主ろんじゅは、 「▲勝しょう過が三界さんがい道どう」 (浄土論) と判はんじ​たまへり。

-しかれども聖しょう道どう門もんの此土しどの得道とくどうといふ教きょう相そうに*かはら​ん​ため​に、 他土たどの往おう生じょうといふ*廃はい立りゅうを​しばらく定さだむる​ばかり​なり。 和わ0313会えする​とき​は、 *此土しど・他土たど一いち異いに凡ぼん聖しょう不二ふになる​べし。 これ​によりて念仏ねんぶつ修しゅ行ぎょうの道どう場じょうとて、 あながち*局きょく分ぶんす​べき​に​あらざる​か歟 。

-しかれども、 廃はい立りゅうの初門しょもんに​かへり​て、 いくたび​も▲為い凡ぼんを​さき​として、 道どう場じょうと​なづけ​て​これ​を​かまへ、 本尊ほんぞんを安あん置ちし​たてまつる​にて​こそあれ、 これ​は行ぎょう者じゃ集しゅう会えの​ため​なり。 一いち道どう場じょうに来らい集じゅうせん​たぐひ、 遠近えんきんことなれ​ば、 *来臨らいりんの便びん宜ぎ不ふ同どうなら​ん​とき、 一所いっしょを​しめ​ても​こと​の​わづらひ​あり​ぬ​べから​ん​には、 あまた​ところ​にも道どう場じょうを​かまふ​べし。 しからざら​ん​において​は、 町ちょうの​うち、 さかひ​の​あひだ​に、 面々めんめん各々かくかくに​これ​を​かまへ​て​なん​の要ようか​あら​ん。 あやまつて​ことしげく0932なり​なば、 その失しつあり​ぬ​べき​ものか歟 。

-そのゆゑは、 「▲同一どういつ念仏ねんぶつ無む別道べつどう故こ」 (*論註・下) なれば、 同どう行ぎょうは​たがひに*四し海かいの​うち​みな兄きょう弟だいの​むつび​を​なす​べき​に、 かくのごとく*簡別けんべつ隔略きゃくりゃくせば、 おのおの確かく執しゅうの​もとゐ、 *我が慢まんの先相せんそうたる​べき​をや。 この段だん、 祖師そしの御ご門弟もんていと号ごうする​ともがら​の​なか​に、 *当とう時じさかん​なり​と 云々うんぬん。

-祖師そし聖しょう人にん御ご在ざい世せの​むかし、 かつて​かくのごとく​はなはだしき御ご沙汰さたなし​と、 まのあたり承うけたまわり​し​こと​なり。 ただ、 こと​に​より便びん宜ぎに​したがひ​て​わづらひ​なき​を、 本ほんと​す​べし。 いま*謳おう歌かの説せつにおいて​は、 もつとも停ちょう止じす​べし。

(13)0314

一 祖師そし聖しょう人にん (親鸞) の御ご門弟もんていと号ごうする​ともがら​の​なか​に、 世せ・出しゅっ世せの二に法ほうについて 「*得分とくぶんせよ」 といふ名みょう目もくを行住ぎょうじゅう坐臥ざがに​つかふ、 こころえがたき事こと。

 それ 「得分とくぶん」 といふ*畳じょう字じは、 世せ俗ぞくより​おこれ​り。 出しゅっ世せの法ほうの​なか​に経きょう論ろん章しょう疏しょを​みる​に、 いまだ​これ​なし。 しかれども、 をり​に​より時ときに​したがひ​て​もの​を​いは​ん​とき​は、 この​ことば出しゅつ来らいせ​ざる​べき​に​あらず。 謳おう歌かの​ごとくんば、 「*造ぞう次じ顛沛てんぱい、 この​ことば​をもつて*規模きぼと​す」 と 云々うんぬん。

-「七しち箇か条じょうの御ご起き請しょう文もん」 (意) には、 「▲念仏ねんぶつ修しゅ行ぎょうの道俗どうぞく男女なんにょ、 卑ひ劣れつの​ことば​をもつて*なまじひに法門ほうもんを​のべ​ば0933、 智ち者しゃに​わらは​れ、 愚ぐ人にんを迷まよは​す​べし」 と 云々うんぬん。

-かの先言せんげんをもつて​いま​を案あんずる​に、 すこぶる​この​たぐひ​か歟 。 もつとも智ち者しゃに​わらは​れ​ぬ​べし。 かくのごとき​の​ことば、 もつとも*頑がん魯ろなり。 *荒こう涼りょうに義ぎにも​あたら​ぬ畳じょう字じを​つかふ​べから​ず。 すべからく​これ​を停ちょう止じす​べし。

(14)

一 なまら​ざる音おん声じょうをもつて、 わざと*片国へんごくの​なまれ​る声こえを​まなんで念仏ねんぶつする、 いはれ​なき事こと。

 それ*五ご音いん七声しちせいは、 人々にんにん生しょう得とくの​ひびき​なり。 弥陀みだ浄じょう国こくの水すい・鳥ちょう・樹林じゅりんの​さへずる音おと0315、 みな宮きゅう・商しょう・角かく・徴ち・羽うに​かたどれ​り。 これ​によりて曽そう祖師そし聖しょう人にん (源空) の​わが朝ちょうに*応おうを垂たれ​ましまし​て、 真しん宗しゅうを弘ぐ興こうの​はじめ、 ▲声こえ、 仏ぶつ事じを​なす​いはれ​あれば​とて、 かの浄じょう土どの*依え報ほうの​しらべ​を​まなんで、 *迦か陵りょう頻びん伽がの​ごとくなる*能のう声しょうを​えらん​で念仏ねんぶつを修しゅせ​しめ​て、 万人ばんじんの*きき​を​よろこば​しめ、 随ずい喜きせ​しめ​たまひ​けり。

-それ​より​このかた、 わが朝ちょうに一念いちねん多た念ねんの*声明しょうみょうあひ​わかれ​て、 いまに​かたのごとく*余よ塵じんを​のこさ​る。

-祖師そし聖しょう人にん (親鸞) の御おん時ときは、 さかりに多た念ねん声明しょうみょうの法灯ほうとう、 *倶く阿あ弥陀みだ仏ぶつの余よ流りゅう充じゅう満まんの​ころ​にて、 御ご坊ぼう中ちゅうの*禅襟ぜんきん達だちも少々しょうしょうこ0934れ​を​もてあそば​れ​けり。 祖師そしの御ご意い巧ぎょうとして​は、 まつたく念仏ねんぶつの*こわびき、 いかやうに*節ふしはかせ​を定さだむ​べし​といふ仰おおせ​なし。 ただ弥陀みだ願力がんりきの不ふ思議しぎ、 凡ぼん夫ぶ往おう生じょうの他た力りきの一いち途ずばかり​を、 *自じ行ぎょう化他けたの御おんつとめ​と​し​ましまし​き。 音おん声じょうの御ご沙汰さたさらに​これ​なし。

-しかれども、 *とき世よの風ふう儀ぎ、 多た念ねんの声明しょうみょうをもつて、 ひと​おほく​これ​を​もてあそぶ​について、 御ご坊ぼう中ちゅうの​ひとびと、 御おん同どう宿しゅく達たちも​かの声明しょうみょうに​こころ​を寄よする​について、 いささか​これ​を稽けい古こせ​らるる​ひとびと​あり​けり。 その​とき東国とうごくより上じょう洛らくの道俗どうぞく等とう、 御ご坊ぼう中ちゅう逗とう留りゅうの​ほど、 耳みみに​ふれ​ける​か歟 。 まつたく聖しょう人にんの仰おおせ​として、 音おん曲ぎょくを定さだめ​て称名しょうみょうせよ​といふ御おん沙汰さたなし。

-されば節ふしはかせ​の御ご沙汰さたなき​うへは、 なまれ​る​を0316まねび、 なまら​ざる​をも​まなぶ​べき御おん沙汰さたに​およば​ざる​ものなり。 しかるに​いま生しょう得とくに​なまら​ざる声こえをもつて、 生しょう得とくに​なまれ​る*坂東ばんどう声ごえを​わざと​まねび​て字じ声しょうを​ゆがむる条じょう、 音おん曲ぎょくをもつて往おう生じょうの得とく否ふを定さだめ​られ​たる​に似にたり。

-詮せんずるところ、 ただ​おのれ​が声こえの生しょう得とくなる​に​まかせ​て、 田舎でんしゃの声こえは力ちからなく​なまり​て念仏ねんぶつし、 *王おう城じょうの声こえは​なまら​ざる​おのれ​なり​の声こえをもつて念仏ねんぶつす​べき​なり。 声こえ、 仏ぶつ事じを​なす​いはれ​も​かくのごとく​の*結縁けちえん分ぶんなり。 音おん曲ぎょくさらに報ほう土ど往おう生じょうの真因しんいんに​あらず。 ただ他た力りきの一心いっしんをもつて往おう0935生じょうの時じ節せつを定さだめ​まします条じょう、 口く伝でんと​いひ御おん釈しゃくと​いひ顕然けんぜんなり、 しる​べし。

(15)

一 一向いっこう専修せんじゅの名みょう言ごんを​さき​として、 仏ぶっ智ちの不ふ思議しぎをもつて報ほう土ど往おう生じょうを遂とぐる​いはれ​をば、 その沙汰さたに​およば​ざる、 いはれ​なき事こと。

 それ本願ほんがんの三さん信心しんじんといふは、 至し心しん・信しん楽ぎょう・欲よく生しょうこれ​なり。 まさしく願がん成じょう就じゅし​たまふ​には、 「▲聞もん其ご名みょう号ごう 信心しんじん歓かん喜ぎ 乃ない至し一念いちねん」 (大経・下) と等ら説とけ​り。 この文もんについて、 凡ぼん夫ぶ往おう生じょうの得とく否ふは乃ない至し一念いちねん発ぽっ起きの時じ分ぶんなり。 この​とき願力がんりきをもつて往おう生じょう決得けっとくす​といふは、 すなはち摂取せっしゅ不ふ捨しゃの​とき​なり。 もし ¬観かん経ぎょう義ぎ¼ (散善義・意) に​よら​ば 「▲安心あんじん定じょう得とく0317」 といへる御おん釈しゃく、 これ​なり。 また ¬*小経しょうきょう¼ に​よら​ば 「▲一心いっしん不ふ乱らん」 と説とけ​る、 これ​なり。

-しかれば、 祖師そし聖しょう人にん (親鸞) 御ご相そう承じょう弘ぐ通ずうの一いち流りゅうの肝要かんよう、 これ​に​あり。 ここ​を​しら​ざる​をもつて他た門もんと​し、 これ​を​しれ​る​をもつて御ご門弟もんていの​しるし​と​す。 その​ほか、 かならずしも外げ相そうにおいて、 一向いっこう専修せんじゅ行ぎょう者じゃの​しるし​を​あらはす​べき​ゆゑ​なし。

-しかるを​いま風聞ふうぶんの説せつの​ごとくんば、 「*三さん経ぎょう一論いちろんについて文もん証しょうを​たづね​あきらむる​に​およば​ず、 ただ自由じゆの妄もう義ぎを​たて​て信心しんじんの沙汰さたを​さしおき​て、 起き行ぎょうの篇へんをもつて、 ªまづ雑ぞう行ぎょう0936を​さしおき​て正行しょうぎょうを修しゅす​べしº と​すすむ」 と 云々うんぬん。 これ​をもつて一いち流りゅうの至し要ようと​する​にや。

-この条じょう、 総そうじて​は真しん宗しゅうの廃はい立りゅうに​そむき、 別べっして​は祖師そしの御ご遺訓ゆいくんに違いせ​り。 正行しょうぎょう五ご種しゅの​うち​に、 第だい四しの称名しょうみょうをもつて正定しょうじょう業ごうと​すぐり​とり、 余よの四し種じゅをば助業じょごうといへり。 正定しょうじょう業ごうたる称名しょうみょう念仏ねんぶつをもつて往おう生じょう浄じょう土どの正しょう因いんと*はからひ​つのる​すら、 なほもつて凡ぼん夫ぶ自じ力りきの企くわだて​なれば、 報ほう土ど往おう生じょうかなふ​べから​ず​と 云々うんぬん。

-そのゆゑは願力がんりきの不ふ思議しぎを​しら​ざる​によりて​なり。 当とう教きょうの肝要かんよう、 凡ぼん夫ぶの​はからひ​を​やめ​て、 ただ摂取せっしゅ不ふ捨しゃの大益だいやくを仰あおぐ​ものなり。 起き行ぎょうをもつて一向いっこう専修せんじゅの名みょう言ごんを​たつ​といふ​とも、 他た力りきの安心あんじん決得けっとくせ​ずんば、 祖師そしの御ご*己こ証しょうを相続そうぞくする​に​あらざる​べし。 宿しゅく善ぜんもし開発かいほつの機きならば、 いかなる卑ひ劣れつの​ともがら​も願力がんりきの信心しんじん0318を​たくはへ​つ​べし、 しる​べし。

(16)

一 *当とう流りゅうの門人もんにんと号ごうする​ともがら、 祖師そし (親鸞)・先徳せんどく ˆのˇ 報恩ほうおん謝徳しゃとくの集しゅう会えの​みぎり​にありて、 往おう生じょう浄じょう土どの信心しんじんにおいて​は​その沙汰さたに​およば​ず、 没もつ後ご葬礼そうれいをもつて本ほんと​す​べき​やう​に衆しゅう議ぎ評定ひょうじょうする、 いはれ​なき事こと。

 右みぎ、 聖しょう道どう門もんについて密みっ教きょう所談しょだんの 「*父母ぶも所しょ生しょう身しん速そく証しょう大だい覚かく位い」 (*菩提心論) と等らいへ0937る​ほか​は、 *浄じょう刹せつに往詣おうげいする​も苦く域いきに堕だ在ざいする​も、 心しんの一法いっぽうなり。 まつたく五ご蘊うん所しょ成じょうの肉身にくしんをもつて、 凡ぼん夫ぶ速疾そくしつに浄じょう刹せつの台うてなに​のぼる​と​は談だんぜ​ず。 他た宗しゅうの*性しょう相ぞうに異いする自じ宗しゅうの廃はい立りゅう、 これ​をもつて*規きとす。

-しかるに往おう生じょうの信心しんじんの沙汰さたをば手てがけ​も​せず​して、 没もつ後ご葬礼そうれいの助じょ成じょう扶持ふじの一段いちだんを当とう流りゅうの肝要かんようと​する​やう​に談合だんごうする​によりて、 祖師そしの御ご己こ証しょうも​あらはれ​ず、 道俗どうぞく男女なんにょ、 往おう生じょう浄じょう土どの​みち​をも​しら​ず、 ただ世せ間けん浅近せんごんの*無む常じょう講こうとかや​の​やう​に諸人しょにんおもひなす​こと、 こころうき​こと​なり。

-かつは本ほん師し聖しょう人にんの仰おおせ​に​いはく、 「某それがし 親鸞しんらん 閉眼へいがんせば、 賀茂かも河がわに​いれ​て魚うおに​あたふ​べし」 と 云々うんぬん。 これ​すなはち​この肉身にくしんを軽かろんじ​て仏法ぶっぽうの信心しんじんを本ほんと​す​べき​よし​を​あらはし​まします​ゆゑなり。

-これ​をもつて​おもふ​に、 いよいよ*喪葬そうそうを一いち大だい事じと​す0319べき​に​あらず。 もつとも停ちょう止じす​べし。

(17)

一 おなじく祖師そし (親鸞) の御ご門もん流りゅうと号ごうする​やから、 *因いん果が撥はつ無むといふ​こと​を持じ言ごんと​する​こと、 いはれ​なき事こと。

 それ三さん経ぎょうの​なか​に​この名みょう言ごんを​もとむる​に、 ¬観かん経ぎょう¼ に 「▲深信じんしん因いん果が」 の文もんあり、 もし​これ​を​おもへ​る​か歟 。

-おほよそ祖師そし聖しょう人にん御ご相そう承じょうの一いち義ぎは、 三さん経ぎょうともに差別しゃべつなし0938と​いへども、 ¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ は*機きの真実しんじつを​あらはし​て、 所説しょせつの法ほうは定じょう散さんを​おもて​と​せ​り。 機きの真実しんじつといふは、 五ご障しょうの女人にょにん・悪人あくにんを本ほんとして、 *韋い提だいを対たい機きと​し​たまへ​り。 ¬*大だい無む量りょう寿じゅ経きょう¼ は深じん位いの*権ごん機きをもつて*同聞どうもん衆しゅとして、 所説しょせつの法ほうは凡ぼん夫ぶ出しゅつ要ようの不ふ思議しぎを​あらはせ​り。 大だい師し聖しょう人にんの御ご相そう承じょうは​もつぱら ¬大だい経きょう¼ に​あり。 ¬観かん経ぎょう¼ 所説しょせつの 「深信じんしん因いん果が」 の​ことば​を​とら​ん​こと、 あながち*甘心かんしんす​べから​ず。

-たとひ​かの ¬経きょう¼ (観経) の名みょう目もくを​とる​といふとも、 義理ぎり*参しん差しせば​いよいよ​いはれ​なかる​べし。 そのゆゑは、 かの ¬経きょう¼ (同) の深信じんしん因いん果がは、 三福さんぷく業ごうの*随一ずいいちなり。 かの三福さんぷくの業ごうは​また*人天にんでん有漏うろの業ごうなり。 なかんづくに、 深信じんしん因いん果がの道どう理りに​よら​ば、 あに凡ぼん夫ぶ往おう生じょうの望のぞみ​を​とげ​ん​や。

-まづ十じゅう悪あくにおいて、 「*上じょう品ぼんに犯ぼんする​もの​は地じ獄ごく道どうに堕だし、 中ちゅう品ぼん0320に犯ぼんする​もの​は餓鬼がき道どうに堕だし、 下げ品ぼんに犯ぼんする​もの​は畜ちく生しょう道どうに​おもむく」 といへり。 これ大だい乗じょうの性しょう相ぞうの定さだむる​ところ​なり。 もし​いま​の凡ぼん夫ぶ所犯しょぼんの現因げんいんによりて*当来とうらいの果かを感かんず​べくんば、 三さん悪道まくどうに堕だ在ざいす​べし。 人にん中ちゅう・天てん上じょうの果か報ほうなほもつて五ご戒かい・十じゅう善ぜん*まつたから​ずは、 いかでか望のぞみ​を​かけ​ん​や。 いかに​いはんや、 出しゅっ過か三界さんがいの無漏むろ無む生しょうの報国ほうこく・報ほう土どに生うまるる道どう理りある​べから​ず。

-しかり​と​いへども、 弥陀みだ超ちょう世せの大願だいがん、 十じゅう悪あく・五ご逆ぎゃく・四し0939重じゅう・謗法ほうぼうの機きの​ため​なれば、 かの願力がんりきの強ごう盛じょうなる​に、 よこさま​に超ちょう截ぜつせ​られ​たてまつり​て、 三さん途ずの苦く因いんを​ながく​たち​て猛みょう火か洞燃どうねんの業ごう果かを​とどめ​られ​たてまつる​こと、 おほきに因いん果がの道どう理りに​そむけ​り。 もし深信じんしん因いん果がの機きたる​べくんば、 植ううる​ところの悪因あくいんの​ひか​ん​ところ​は悪あく果かなる​べけれ​ば、 たとひ弥陀みだの本願ほんがんを信しんず​といふとも、 その願力がんりきは*いたづらごと​にて、 念仏ねんぶつの衆しゅ生じょう、 三さん途ずに堕だ在ざいす​べき​をや。

-もし​しかり​と​いは​ば、 弥陀みだ*五ご劫こう思し惟ゆいの本願ほんがんも、 釈しゃく尊そん無む虚こ妄もうの*金言きんげんも、 諸仏しょぶつ誠じょう諦たいの証誠しょうじょうも、 いたづらごと​なる​べき​にや。 おほよそ他た力りきの一門いちもんにおいて​は、 釈しゃく尊そん一代いちだいの説せっ教きょうに​いまだ​その例れいなき*通つう途ずの性しょう相ぞうを​はなれ​たる*言ごん語ご道どう断だんの不ふ思議しぎなり​といふは、 凡ぼん夫ぶの報ほう土どに生うまるる​といふ​をもつて​なり。 もし因いん果が相そう順じゅんの理りに​まかせ​ば、 釈しゃ迦か・弥陀みだ・諸仏しょぶつの御おんほねをり​たる他た0321力りきの*別べつ途ずむなしく​なり​ぬ​べし。

-そのゆゑは、 たすけ​ましまさ​ん​と​する十方じっぽう衆しゅ生じょうたる凡ぼん夫ぶ、 因いん果が相そう順じゅんの理りに封ふうぜ​られ​て、 *別願べつがん所しょ成じょうの報ほう土どに凡ぼん夫ぶ生うまる​べから​ざる​ゆゑなり。 いま報ほう土ど得とく生しょうの機きに​あたへ​まします仏ぶっ智ちの一念いちねんは、 すなはち仏因ぶついんなり。 かの仏因ぶついんに​ひか​れ​て​うる​ところの定じょう聚じゅの位くらい、 滅めつ度どに至いたる​といふは、 すなはち仏ぶっ果かなり。 この仏因ぶついん仏ぶっ果かにおいて​は、 他た力りきより成じょうずれ​ば、 さらに凡ぼん夫ぶの​ちから​にて​みだす​べき​に0940あらず、 また撥はつ無むす​べき​に​あらず。 しかれば、 なに​によりて​か 「因いん果が撥はつ無むの機きある​べし」 といふ​こと​を​いは​ん​や。

-もつとも​この名みょう言ごん、 他た力りきの宗しゅう旨しを​もつぱらに​せ​らるる当とう流りゅうに​そむけ​り。 かつて​うかがひ​しら​ざる​ゆゑ​か。 はやく停ちょう止じす​べし。

(18)

一 本願ほんがん寺じの聖しょう人にん (親鸞) の御ご門弟もんていと号ごうする​ひとびと​の​なか​に、 知ち識しきを​あがむる​をもつて弥陀みだ如来にょらいに擬ぎし、 *知ち識しき所しょ居ごの当体とうたいをもつて別願べつがん真実しんじつの報ほう土どと​す​といふ、 いはれ​なき事こと。

 それ自じ宗しゅうの*正しょう依え経きょうたる三さん経ぎょう所説しょせつの廃はい立りゅうにおいて​は、 *ことしげき​によりて​しばらく​さしおく。

*-八はっ宗しゅうの高こう祖そと​あがめ​たてまつる*龍りゅう樹じゅ菩ぼ薩さつの所造しょぞう *¬十住じゅうじゅう毘婆びば沙しゃ論ろん¼ の0322ごときんば、 「▲菩ぼ薩さつ、 阿毘あび跋ばっ致ちを求もとむる​に、 二に種しゅの道どうあり。 一ひとつ​には難なん行ぎょう道どう、 二ふたつ​には易い行ぎょう道どう。 ◆その難なん行ぎょうといふは多途たずあり。 ほぼ五ご三さんを​あげ​て義ぎの​こころ​を示しめさ​ん」 といへり。 「▲易い行ぎょう道どうといふは、 ただ信仏しんぶつの因縁いんねんをもつて浄じょう土どに生うまれ​ん​と願がんずれ​ば、 仏力ぶつりき住じゅう持じして​すなはち大だい乗じょう正定しょうじょうの聚じゅに入いれ​たまふ」 といへり。

-曽そう祖師そし黒谷くろだにの先徳せんどく (源空)、 これ​を​うけ​て 「▲難なん行ぎょう道どうといふは聖しょう道どう門もんなり、 易い行ぎょう道どうといふは浄じょう土ど門もんなり」 (選択集) と​のたまへ​り。 これ​すなはち聖しょう道どう0941・浄じょう土どの二に門もんを混乱こんらんせず​して、 浄じょう土どの一門いちもんを立りゅうせ​んがため​なり。 しかるに聖しょう道どう門もんの​なか​に大だい小乗しょうじょう・*権実ごんじつの不ふ同どうあり​と​いへども、 大だい乗じょう所談しょだんの極ごく理りと​おぼしき​には*己こ身しんの弥陀みだ・唯心ゆいしんの浄じょう土どと談だんずる​か歟 。

-この所談しょだんにおいて​は、 *聖しょうのために​して*凡ぼんのために​あらず。 かるがゆゑに浄じょう土どの教きょう門もんは​もつぱら凡ぼん夫ぶ引いん入にゅうの​ため​なる​がゆゑに、 己こ身しんの観法かんぽうも​およば​ず唯心ゆいしんの自じ説せつも​かなは​ず、 ただ隣となりの宝たからを​かぞふる​に似にたり。 これ​によりて、 すでに別べっして浄じょう土どの一門いちもんを立たて​て、 凡ぼん夫ぶ引いん入にゅうの​みち​を立りゅうせ​り。 龍りゅう樹じゅ菩ぼ薩さつの所判しょはんあに​あやまり​ある​べけんや。

-真しん宗しゅうの門もんにおいて​は​いくたび​も廃はい立りゅうを​さき​と​せ​り。 「廃はい」 といふは、 捨しゃなり​と釈しゃくす。 聖しょう道どう門もんの此土しどの*入にっ聖しょう得とく果か・己こ身しんの弥陀みだ・唯心ゆいしんの浄じょう土ど等とうの凡ぼん夫ぶ*不ふ堪かんの自じ力りきの修道しゅどうを捨すてよ​となり。 「立りゅう」 といふは、 すなはち、 弥陀みだ他た力りきの信しんを0323もつて凡ぼん夫ぶの信しんと​し、 弥陀みだ他た力りきの行ぎょうをもつて凡ぼん夫ぶの行ぎょうと​し、 弥陀みだ他た力りきの作さ業ごうをもつて凡ぼん夫ぶ報ほう土どに往おう生じょうする正しょう業ごうとして、 この穢え界かいを捨すて​て​かの浄じょう刹せつに往おう生じょうせよ​と*しつらひ​たまふ​をもつて真しん宗しゅうと​す。

-しかるに風聞ふうぶんの邪じゃ義ぎの​ごとくんば、 廃はい立りゅうの一いち途ずを​すて​て、 此土しど・他土たどを​わけ​ず浄じょう・穢えを分別ふんべつせず、 此土しどをもつて浄じょう土どと称しょうし、 凡ぼん形ぎょうの知ち識しきをもつて​かたじけなく三さん十じゅう二に相そうの仏体ぶったいと定さだむ​らん​こと、 浄じょう土どの一門いちもんにおいて​かかる所談しょだんある0942べし​とも​おぼえ​ず。 下げ根こん・愚ぐ鈍どんの短慮たんりょおほよそ迷惑めいわくする​ところ​なり。 己こ身しんの弥陀みだ・唯心ゆいしんの浄じょう土どと談だんずる聖しょう道どうの宗しゅう義ぎに差別しゃべつせ​る​ところ​いづく​ぞや、 もつとも荒こう涼りょうと​いひ​つ​べし。

-ほのかに​きく、 かくのごとく​の所談しょだんの言ごん語ごを​まじふる​を*夜よ中なかの法門ほうもんと号ごうす​と 云々うんぬん。 また​きく、 祖師そし (親鸞) の御ご解げ釈しゃく ¬教行きょうぎょう証しょう¼ に​のせ​らるる​ところの顕けん彰しょう隠密おんみつの義ぎといふ​も、 隠密おんみつの名みょう言ごんは​すなはち​この一いち途ずを顕けん露ろに​す​べから​ざる​を隠密おんみつと釈しゃくし​たまへ​り​と 云々うんぬん。 これ​もつてのほか​の*僻韻へきいんか歟 。

-かの顕けん彰しょう隠密おんみつの名みょう言ごんは、 わたくし​なき御おん釈しゃくなり。 それ​は​かくのごとく*こばみ​たる邪じゃ義ぎに​あらず。 子し細さい多た重じゅうあり。 ことしげき​によりて、 いま​の*要よう須すに​あらざる​あひだ、これ​を略りゃくす。

-善ぜん知ぢ識しきにおいて、 本尊ほんぞんの​おもひ​を​なす​べき条じょう、 渇仰かつごうの​いたり​において​は​その理りしかるべし​と​いへども、 それ​は仏ぶっ智ちを次し第だい相そう承じょうし​まします願力がんりきの信心しんじん、 仏ぶっ0324智ちより​もよほさ​れ​て仏ぶっ智ちに帰き属ぞくする​ところの一いち味みなる​を仰ぎょう崇そうの分ぶんにて​こそ​あれ、 仏身ぶっしん・仏ぶっ智ちを本体ほんたいと​おか​ず​して、 ただちに凡ぼん形ぎょうの知ち識しきを​おさへ​て、 如来にょらいの色相しきそうと眼見げんけんせよ​と​すすむ​らん​こと、 聖教しょうぎょうの*施し設せつを​はなれ祖師そしの口く伝でんに​そむけ​り。 本尊ほんぞんを​はなれ​て​いづく​の​ほど​より知ち識しきは出しゅつ現げんせ​る​ぞや。 荒こう涼りょうなり髣ほう髴ひなり。

-ただ実じつ語ごを伝つたへ​て口く授じゅし、 仏ぶっ智ちを​あらはし​て決得けっとくせしむる恩徳おんどくは、 生しょう0943身じんの如来にょらいにも​あひ​かはら​ず。 木像もくぞうものいは​ず経きょう典てん口くちなけれ​ば、 伝つたへ​きか​しむる​ところの恩徳おんどくを耳みみに​たくはへ​ん行ぎょう者じゃは、 謝徳しゃとくの​おもひ​を​もつぱらに​して、 ▼*如来にょらいの代官だいかんと仰あおい​で​あがむ​べき​にて​こそ​あれ、 その知ち識しきの​ほか​は別べつの仏ぶつなし​といふ​こと、 智ち者しゃに​わらは​れ愚ぐ者しゃを迷まよは​す​べき謂いいこれ​に​あり。 あさまし、 あさまし。

(19)

一 凡ぼん夫ぶ自じ力りきの心しん行ぎょうを​おさへ​て仏ぶっ智ち証しょう得とくの行ぎょう体たいといふ、 いはれ​なき事こと。

 三さん経ぎょうの​なか​に、 ¬観かん経ぎょう¼ の至し誠じょう・深心じんしん等とうの三心さんしんをば、 凡ぼん夫ぶの​おこす​ところの自じ力りきの三心さんしんぞ​と定さだめ、 ¬大だい経きょう¼ 所説しょせつの至し心しん・信しん楽ぎょう・欲よく生しょう等とうの三信さんしんをば、 他た力りきより​さづけ​らるる​ところの仏ぶっ智ちと​わけ​られ​たり。

-しかるに、 「方便ほうべんより真実しんじつへ伝つたひ、 凡ぼん夫ぶ発ほっ起きの三心さんしんより如来にょらい利他りたの信心しんじんに通つう入にゅうする​ぞ」 と​をしへ​おき​まします祖師そし 親鸞しんらん 聖しょう人にん0325の御おん釈しゃくを拝見はいけんせざる​にや。 ちかごろ​この​むね​を​そむい​て自由じゆの妄説もうせつを​なし​て、 しかも祖師そしの御ご末弟まっていと称しょうする、 この条じょうことに​もつて驚おどろき​おぼゆる​ところ​なり。

-まづ*能のう化け・*所しょ化けを​たて、 自じ力りき・他た力りきを対判たいはんして、 自じ力りきを​すて​て他た力りきに帰きし、 能のう化けの説せつを​うけ​て所しょ化けは信心しんじんを定じょう得とくする​こそ、 今こん師し (親鸞) 御ご相そう承じょうの口く伝でんには​あひ​かなひ​はんべれ。

-いま​きこゆる邪じゃ義ぎの​ごとく​は、 「煩悩ぼんのう成じょう0944就じゅの凡ぼん夫ぶの妄心もうしんを​おさへ​て金剛こんごう心しんと​いひ、 行ぎょう者じゃの三業さんごう所修しょしゅの念仏ねんぶつをもつて一向いっこう一心いっしんの行ぎょう者じゃと​す」 と 云々うんぬん。 この条じょう、 *つやつや自じ力りき・他た力りきの​さかひ​を​しら​ず​して、 ひと​をも迷まよは​し、 われ​も迷まよふ​ものか歟 。

-そのゆゑは​まづ、 「金剛こんごう心しん成じょう就じゅ」 といふ、 金剛こんごうは​これ​たとへ​なり、 凡ぼん夫ぶの迷心めいしんにおいて金剛こんごうに類同るいどうす​べき謂いいなし。 凡ぼん情じょうは​きはめて不ふ成じょうなり。 されば大だい師し (善導) の御おん釈しゃく (*序分義) には、 「▲たとひ清しょう心しんをキヨキコヽロ 発おこす​と​いへども、 水みずに画えせる​が​ごとし」 と 云々うんぬん。 不ふ成じょうの義ぎ、 これ​をもつて​しる​べし。

-しかれば、 凡ぼん夫ぶ不ふ成じょうの迷めい情じょうに▲令りょう諸しょ衆しゅ生じょうの仏ぶっ智ち満まん入にゅうして不ふ成じょうの迷心めいしんを他た力りきより成じょう就じゅして、 ▲願がん入にゅう弥陀みだ界かいの往おう生じょうの正しょう業ごう成じょうずる​とき​を、 「▲能発のうほつ一念いちねん喜き愛あい心しん」 (正信偈) とも、 「▲不ふ断だん煩悩ぼんのう得とく涅ね槃はん」 (同) とも、 「▲入にゅう正しょう定じょう聚じゅ之し数じゅ」 とも、 「▲*住じゅ不ふ退転たいてん」 とも、 聖しょう人にん釈しゃくし​ましませ​り。 これ​すなはち 「▲即得そくとく往おう生じょう」 の時じ分ぶんなり。

-この娑しゃ婆ば生しょう死じの五ご蘊うん所しょ成じょうの肉身にくしんいまだ​やぶれ​ず​と​いへども、 生しょう死じ流る転てん0326の本源ほんげんを​つなぐ自じ力りきの迷めい情じょう、 ▲共ぐ発ほつ金剛こんごう心しんの一念いちねんに​やぶれ​て、 知ち識しき伝でん持じの仏ぶつ語ごに帰き属ぞくする​を​こそ、 「自じ力りきを​すて​て他た力りきに帰きする」 とも​なづけ、 また 「即得そくとく往おう生じょう」 とも​ならひ​はんべれ。 まつたく​わが我が執しゅうをもつて*随分ずいぶんに是非ぜひを​おもひ​かたむる​を他た力りきに帰きす​と​は​ならは​ず。 これ​を金剛こんごう心しんとも​いは​ざる​ところ0945なり。 三さん経ぎょう一論いちろん、 *五ご祖その釈しゃく以下いげ、 当とう流りゅう 親鸞しんらん 聖しょう人にん自じ証しょうを​あらはし​まします御ご製作せいさく ¬教行きょうぎょう信しん証しょう¼ 等とうに​みえ​ざる​ところ​なり。

-しかれば、 なに​をもつて​か​ほしいままに自由じゆの妄説もうせつを​のべ​て、 みだりに祖師そし一いち流りゅうの口く伝でんと称しょうする​や。 自じ失しつ誤他ごたの​とが、 仏ぶっ祖その知ち見けんに​そむく​ものか歟 。 おそる​べし、 あやぶむ​べし。

(20)

一 至し極ごく末弟まっていの建こん立りゅうの草堂そうどうを称しょうして本所ほんじょと​し、 諸国しょこくこぞりて崇そう敬きょうの聖しょう人にん (親鸞) の御ご本ほん廟びょう本願ほんがん寺じをば参詣さんけいす​べから​ず​と諸人しょにんに障しょう礙げせ​しむる、 *冥みょう加がなき企くわだて​の事こと。

 それ*慢心まんしんは聖しょう道どうの諸しょ教きょうに​きらは​れ、 「仏道ぶつどうを​さまたぐる魔ま」 と、 これ​を​のべ​たり。

-わが真しん宗しゅうの高こう祖そ光こう明みょう寺じの大だい師し (善導) 釈しゃくし​て​のたまはく (礼讃)、 「▲憍きょう慢まん弊へい懈け怠だい難なん以い信しん此し法ほう」 とて、 「憍きょう慢まんと弊へいと懈け怠だいと​は、 もつて​この法ほうを信しんずる​こと​かたし」 と​みえ​たれ​ば、 憍きょう慢まんの自じ心しんをもつて仏ぶっ智ちを*はから​ん​と擬ぎする不ふ覚かく鈍どん機きの器きとして​は、 さらに仏ぶっ智ち無む上じょうの他た力りき0327を*きき得うべから​ざれ​ば、 祖師そし (親鸞) の御ご本所ほんじょをば*蔑如べつじょし、 自じ建こん立りゅうの​わたくし​の在所ざいしょをば本所ほんじょと自じ称しょうする​ほど​の冥みょう加がを存ぞんぜ​ず、 利り益やくを​おもは​ざる​やから、 大だい憍きょう慢まんの*妄もう情じょうをもつて​は0946、 まことに​いかでか仏ぶっ智ち無む上じょうの他た力りきを受じゅ持じせん​や。

-「難なん以い信しん斯し法ほう」 の御おん釈しゃく、 いよいよ​おもひあはせ​られ​て厳げん重じゅうなる​ものか歟 、 しる​べし。

 *本ほんにいはく

本云

 右みぎこの抄しょうは、 祖師そし本願ほんがん寺じ聖しょう人にん 親鸞しんらん、 先せん師し*大網おおあみ如信にょしん法ほっ師しに面授めんじゅ口く決けつせ​る​の正しょう旨し、 報ほう土ど得とく生しょうの最要さいようなり。 余よ、 壮年そうねんの往日おうじつ、 かたじけなく​も三代さんだい 黒谷くろだに・本願ほんがん寺じ・大網おおあみ 伝でん持じの血けち脈みゃくを従したがひ受うけ​て以い降こう、 とこしなへに蓄たくわふる​ところの二に尊そん興説こうせつの*目足もくそくなり。 遠とおく*宿しゅく生じょうの値ち遇ぐうを測はかり、 つらつら当来とうらいの開かい悟ごを憶おもふ​に、 ▼仏恩ぶっとんの高大こうだいなる​こと​あたかも*迷めい盧ろ八万はちまんの巓いただきに超こえ、 師し徳とくの深広じんこうなる​こと​ほとんど*蒼瞑そうめい三千さんぜんの底そこに過すぎ​たり。

右此抄者、 祖師本願寺聖人 親鸞、 面授口決于先師大網如信法師之正旨、 報土得生之最要也。 余、 壮年之往日、 忝従受三代 黒谷 本願寺 大網 伝持之血脈以降、 鎮所蓄二尊興説之目足也。 遠測宿生之値遇、 倩憶当来之開悟、 仏恩之高大宛超于迷盧八之巓、 師徳之深広過于蒼瞑三千之底。

ここ​に近ちかく​かつて祖師そし御ご門葉もんようの輩ともがらと号ごうする​なか​に、 師し伝でんに​あらざる​の今案こんあんの自義じぎを構かまへ、 謬あやまり​て権ごん化けの清せい流りゅうを黷けがし、 ほしいままに当とう教きょうと称しょうし​て​みづから失しっし他たを誤あやまら​す​と云々うんぬん。 はなはだ​しかるべから​ず。 *禁遏きんあつせざる​べから​ず。 ここ​によりて、 かの*邪幢じゃどうを砕くだき​て​その正しょう灯とうを挑かかげ​んがために​これ​を録ろくす。 名づけ​て ¬改邪がいじゃ鈔しょう¼ といふ​のみ。

-爰近曽号祖師御門葉之輩中、構非師伝之今案自義、 謬黷権化之清流、 恣称当教自失誤他 云々。 太不可然。 不可不禁遏。 因茲、 為砕彼邪幢而挑厥正灯録之。 名曰改邪鈔而已。

 *建けん武む丁ひのと丑のうし第だい四しの暦れき、 *季き商しょう下げ旬じゅん二に十じゅう五ご日にち、 *翰かんを染そめ​をはり​ぬ。 図はから​ざる​に曽そう祖そ聖しょう人にん (源空) 遷せん化げの聖日せいじつに​あひ当あたれ​り。 ここ​に知しり​ぬ、 師資しし相そう承じょうの直じき語ごに違たがは​ざる​こと​を。 尊とうとむ​べし、 喜よろこぶ​べし。

建武丁丑第四暦、 季商下旬廿五日、 染翰訖。 不図相当曽祖聖人遷化之聖日。 是知、 不違師資相承之直語。 応尊、 可喜矣。

釈しゃく*宗そう昭しょう六ろく十じゅう八はち

釈宗昭 六十八 

 

底本は本派本願寺蔵伝蓮如上人書写本ˆ浄聖全と同一ˇ。 なお、 底本では本来仮名である漢字表記には青の点下線を付し、 逆に本来漢字表記の語は下に細字で元字を添えておいた。
今案の自義 自分勝手な説。
大小乗 大だい乗じょうと小乗しょうじょうのこと。
師資相承の血脈 師から弟子 (資) へ教えが代々伝えられることを、 身体の血管が切れ目なく続いていることに喩えたもの。
当教 *浄土真宗を指す。
勘録 (名前を) 記入すること。
そのかぎりあり (浄土真宗の信心にかかわるほどの) 大きな問題ではない。
しるさんからに 記すからといって。
展転の説 人伝えに聞いた説。
付仏法の外道 仏法を自称しながら、 実は外げ道どうであるような邪説。
悪名 名をけがすこと。
自由の妄説 勝手気ままな誤った説。
わたくしの自義 自分勝手な考え。
自由の妄義 勝手気ままな誤った説。
師伝口業 師の口から直接教えを伝授されること。
意業にをさめて (教えを) 心に受け入れて。
礼拝門の論文 ¬浄じょう土ど論ろん¼ の 「帰命尽十方無碍光如来」 の語を、 ¬論ろん註ちゅう¼ では帰命は礼拝門、 尽十方無碍光如来は讃嘆さんだん門もんと解釈する。
異様の儀 変ったみなり。 異様な風体。
世法を放呵する 世間の法 (五常) を放棄して守らない。
末世相応の袈裟は… ¬末まっ法ぽう灯とう明みょう記き¼ の文は、 末法時の僧侶が出家者本来の染衣を着用せず、 在俗者と同じ白衣を着るようになると述べたもの。 覚如かくにょ上人は、 末法時にふさわしい袈裟は白色であるという意に解している。
他阿弥陀仏 (1237-1319) 時宗の一遍の門弟、 真しん教きょうのこと。 時宗の第二祖。
ひとすがた 外見。 見た目。
専修念仏停廃 承じょう元げんの法難 (*1207) を指す。
左遷 越えち後ご (現在の新潟県) へ流罪になったことをいう。
雲泥懸隔 非常にかけ離れていること。
自専のあまり 自分のほしいままに扱ったあげく。
昵近の芳好をなす 親しく交際する。
艾灸をくはふる 灸をすえる
役の優婆塞 役えんの小お角づぬ (生没年不詳)。 修験道の祖とされる。
山林斗薮 斗薮は梵語ドゥータ (dhūta) の音写。 山などにこもって修行すること。
一機一縁の方便 特定の限られた人のための、 特定の限られた手段、 方法。
談議かくる 師弟間で起請文のようなものなどを書いて、 話し合って決めたこと (談議奏約) に背くこと。 また、 意見にそむくこととも解される。
本尊聖教を… 門弟を破門する時、 与えていた本尊や聖教を取り上げること (「悔い返し」 という) は、 当時の聖ひじりたちの社会では普通に行われていた。
すぐさぬ 「すぐさず」 か。 すぐさまの意。
したひむつれん 慕い睦まじくしよう。
所化の運否 教えを授ける弟子の運、 不運。
能所 能は能化で、 教え導く師、 所は所化で、 教えを受ける弟子。
面授口決 (親鸞聖人から) 直接教えを授けられること。
人屋に差別あらせて 一般の民家と区別をつけて。
通途の凡体 普通一般の愚かな人。
進道の階次 ここでは浄土に生れる階位次第。
本形 底本に 「本経」 とあるのを改めた。 本形は本来の姿という意。
往生浄土の器ものに… 浄土に生れる器ではないと嫌われているかのようであるという意。
はたらかさぬ本形 本来の姿のまま。
二季の彼岸 春秋の彼ひ岸がん会えのこと。 彼岸中日の前後七日間に行われる仏事。
中陽院の衆聖… 兜と率そつ天てんの側に中陽院という所があり、 春秋の彼岸会の時、 神々が集まって善人・悪人の名を記録するという。
二季の時正 春秋の彼岸会七日間のこと。
簷 ひさし。
墻 かきね。
教行証 ¬教行信証¼ のこと。
かはらんために 異なることを示すために。
廃立 二者の難易、 勝劣などを判別して、 一方を廃し、 一方を真実として立てること。 ここでは聖しょう道どう門もんを廃して、 浄土門を立てること。
此土他土一異 仏の絶対的なさとりからすれば、 この世界とかの浄土の区別はなく一如いちにょ平等であるが、 凡ぼん夫ぶの相対的な認識からすれば異である。
来臨の便宜不同 集会に便、 不便があること。
簡別隔略 別々に分け隔てること。
得分 本来は 「もうけ」 「利益」 の意であるが、 特殊な用い方をする門徒集団があったのであろう。
造次顛沛 ちょっとした間にも。 いつも。
五音七声 ここでは人の声調・声色の意。 →五ご音いん七声しちせい
応を垂れ 仏が人間の姿をあらわすことをいう。
能声 声のいい者。
倶阿弥陀仏 空くう阿あ (1156-1228) のことか。
禅襟 禅僧の自称であるが、 ここでは親鸞聖人の門弟のこと。
坂東声 関東方言の音声、 アクセント。
結縁分 仏縁を結ぶ程度。 仏道に縁を結ぶ程度。
はからひつのるすら わがはからひをもって思いこむことさえ。
父母所生… 「父母所生の身にすみやかに大覚位を証す」
規 規範。 のり。 おきて。
因果撥無 因果の道理を否定すること。
機の真実 衆しゅ生じょうの本来のすがた。
人天有漏の業 人間界や天上界に生まれる煩悩ぼんのうに束縛された行い。
上品に犯する… ¬大だい乗じょう阿あ毘び達だつ磨ま雑ぞう集しゅう論ろん¼ 等の説。
まつたからずは 完全でなかったなら。
別願 他力不思議をもって凡ぼん夫ぶを報ほう土どに往生させようと誓った特別の誓願 (第十八願)。 →本願ほんがん
知識所居の当体 善ぜん知ぢ識しきの住むところ。
正依経たる三経 正まさしきよりどころとなる三部の教典。 浄じょう土ど三さん部ぶ経きょうのこと。
八宗の高祖 龍りゅう樹じゅ菩薩の教学は広く諸宗の基盤となっているので、 このようにいう。
十住毘婆沙論の… 引用は ¬論註¼ (上) 所引の ¬十住毘婆娑論¼ 取意の文。
聖・凡 聖しょう者じゃと凡ぼん夫ぶのこと。
不堪 (修することが) できない。
しつらひ ここでの 「しつらふ」 は定めるというほどの意。
夜中の法門 夜中に密かに奥義を授けるという教え。 後に盛んになった秘事ひじ法門ほうもんの先駆とみられる。
こばみたる 背いた。 たがえた。
荒涼なり髣髴なり 荒涼はいいかげんなこと、 でたらめなこと。 髣髴はまぎらわしいこと。
如来の代官 如来に代わって教えを伝える者。
能化所化 能化は教え導く師、 所化は教えを受ける弟子。
令諸衆生の仏智 衆生に功く徳どくを成就させようという仏の智慧ちえ。
願入弥陀界 阿弥陀仏の浄土に往生したいと願うこと。
入正定聚… 「正定聚の数に入る」
住不退転 「不退転に住す」
共発金剛心 ともに金剛心を発すこと。
随分に 大いに。 よく。 分相応に。 あるいは、 気ままにという意か。
五祖 曇鸞どんらん大だい師し・道どう綽しゃく禅ぜん師じ・善導ぜんどう大師・源信げんしん和か尚しょう・法然ほうねん上人を指す。
冥加なき企て 仏祖の加護を無視したたくらみ。
はからんと はかり知ろうと。
きき得べからざれば 聞き信じることができないので。
本にいはく 「本」 とは書写原本のこと。 原本にあった奥書をそのまま転写したことを示す。
蒼瞑三千の底 三千里ある大海の底。
邪幢 よこしまな説をはたぼこに喩えていう。
翰 筆。