唯信ゆいしんしょうもん

 

【1】 「唯信ゆいしんしょう」 といふは、 「ゆい」 はただこのことひとつといふ、 ふたつ*ならぶことをきらふことばなり。 また 「ゆい」 はひとりといふこころなり。 「しん」 はうたがひなきこころなり、 すなはちこれ真実しんじつ信心しんじんなり、 虚仮こけはなれたるこころなり。 はむなしといふ、 はかりなるといふことなり。 じつならぬをいふ、 しんならぬをいふなり。 *本願ほんがん*りき*たのみて*りきをはなれたる、 これを 「唯信ゆいしん」 といふ。 「しょう」 はすぐれたることをぬきいだしあつむることばなり。 このゆゑに 「唯信ゆいしんしょう」 といふなり。 また 「唯信ゆいしん」 は、 これこのりき信心しんじんのほかにのこと*ならはずとなり。 すなはち*ほんぜいがんなるがゆゑなればなり。

ならぶ 「ならふ」 と読む説もある。
たのみて 信じ、 まかせて。 →たのむ
ならはず 「ならばず」 と読む説もある。

【2】 「如来にょらい尊号そんごうじんぶんみょう 十方じっぽうかいぎょう たん称名しょうみょうかい得往とくおう 観音かんのんせい来迎らいこう(*五会法事讃)

如来尊号… 「如来の尊号は、 はなはだ分明なり。 十方世界にあまねく流行せしむ。 ただ名を称するのみありて、 みな往くことを得。 観音・勢至おのづから来り迎えたまふ」 (行巻訓)

 「如来にょらい尊号そんごうじんぶんみょう」、 このこころは、 「如来にょらい」 ともうすは無礙むげこう如来にょらいなり。 「尊号そんごう」 ともうすは南無なも弥陀みだぶつなり。 「そん」 はたふとくすぐれたりとなり。 *ごう」 はぶつりたまうてのちのなをもうす、 みょうはいまだぶつりたまはぬときのなをもうすなり。 この如来にょらい尊号そんごうは、 *不可ふかしょう不可ふかせつ不可ふか思議しぎにましまして、 一切いっさいしゅじょうをしてじょうだいはつはんにいたらしめたまふだいだいのちかひのななり。 このぶつなは、 よろづの如来にょらいみょうごうにすぐれたまへり。 これすなはち*誓願せいがんなるがゆゑなり。 「じんぶんみょう」 といふは、 「じん」 ははなはだといふ、 すぐれたりといふこころなり。 「ぶん」 はわかつといふ、 よろづのしゅじょうごとにとわかつこころなり。 「みょう」 はあきらかなりといふ。 十方じっぽう一切いっさいしゅじょうをことごとくたすけみちびきたまふこと、 あきらかにわかちすぐれたまへりとなり。

号は… ¬正像末和讃¼ 末尾の 「自然法爾章」 621頁4行以下参照。

 「十方じっぽうかいぎょう」 といふは、 「」 はあまねく、 ひろく、 きはなしといふ。 「ぎょう」 は*十方じっぽうじんかいにあまねくひろまりて、 すすめ*ぎょうぜしめたまふなり。 しかれば、 *だいしょうしょうにん善悪ぜんあくぼん、 みなともにりき智慧ちえをもつてはだいはんにいたることなければ、 無礙むげこうぶつおんかたちは、 智慧ちえのひかりにてましますゆゑに、 このぶつ*願海がんかいにすすめれたまふなり。 一切いっさい諸仏しょぶつ智慧ちえをあつめたまへるおんかたちなり。 こうみょう智慧ちえなりとしるべしとなり。

 「おこなふとまうすなり」 (左訓)
大小の聖人 大乗のしょうじゃと小乗の聖者。
智願海 阿弥陀仏の智慧ちえから起った本願 (智願) の広大で深遠な徳を海に喩えていう。

 「たん称名しょうみょう*かい得往とくおう」 といふは、 「たん」 はひとへになをとなふるひとのみ、 みなおうじょうすとのたまへるなり。 かるがゆゑに 「称名しょうみょうかい得往とくおう」 といふなり。

皆得往 「みな生るることを得とまうすなり」 (左訓)

 「観音かんのんせい来迎らいこう」 といふは、 南無なも弥陀みだぶつ智慧ちえみょうごうなれば、 この不可ふか思議しぎこうぶつなを信受しんじゅして憶念おくねんすれば、 *観音かんのん*せいはかならずかげのかたちにそへるがごとくなり。 この無礙むげこうぶつ観音かんのんとあらはれ、 せいとしめす。 *あるきょうには、 観音かんのんほうおうしょうさつとなづけて*日天にってんとしめす。 これは*みょう*黒闇こくあんをはらはしむ。 せいほうきっしょうさつとなづけて*がつてんとあらはる。 *しょうじょうらして智慧ちえをひらかしめんとなり。 「来迎らいこう」 といふは、 「」 はみづからといふなり。 弥陀みだしゅぶつしゅ観音かんのんだいせいとうりょうしゅしょうじゅみづからつねに、 ときをきらはず、 ところをへだてず、 真実しんじつ信心しんじんをえたるひとにそひたまひてまもりたまふゆゑに、 みづからともうすなり。 また 「」 はおのづからといふ。 おのづからといふは*ねんといふ。 ねんといふはしからしむといふ。 しからしむといふは、 ぎょうじゃ*はじめて*ともかくもはからはざるに、 過去かここんじょうらい一切いっさいつみてんず。 てんずといふは、 *ぜんとかへなすをいふなり。 もとめざるに一切いっさいどく善根ぜんごんぶつのちかひをしんずるひとしむるがゆゑに、 しからしむといふ。 はじめてはからはざればねんといふなり。 誓願せいがん真実しんじつ信心しんじんをえたるひとは、 *摂取せっしゅしゃおんちかひにをさめとりてまもらせたまふによりてぎょうにんのはからひにあらず、 金剛こんごう信心しんじんをうるゆゑに憶念おくねんねんなるなり。 この信心しんじんのおこることも、 しゃ慈父じぶ弥陀みだ悲母ひも方便ほうべんによりておこるなり。 これねんやくなりとしるべしとなり。 「来迎らいこう」 といふは、 「らい」 はじょうへきたらしむといふ、 これすなはちにゃくしょうじゃのちかひをあらはすのりなり。 *穢土えどをすてて*真実しんじつほうにきたらしむとなり、 すなはち*りきをあらはすことなり。 また 「らい」 はかへるといふ。 かへるといふは、 願海がんかいりぬるによりてかならずだいはんにいたるを、 *ほっしょうのみやこへかへるともうすなり。 ほっしょうのみやこといふは、 *法身ほっしんもう如来にょらいのさとりをねんにひらくときを、 みやこへかへるといふなり。 これを、 *真如しんにょ*実相じっそうしょうすとももうす、 *無為むい法身ほっしんともいふ、 *めついたるともいふ、 ほっしょう*じょうらくしょうすとももうすなり。 このさとりをうれば、 すなはちだいだいきはまりて*しょうかいにかへりりてよろづの*じょうをたすくるを、 *げんとくせしむともうす。 このやくにおもむくを 「らい」 といふ。 これをほっしょうのみやこへかへるともうすなり。 「こう」 といふはむかへたまふといふ、 まつといふこころなり。 せんじゃく思議しぎ本願ほんがんじょう智慧ちえ尊号そんごうをききて、 一念いちねんうたがふこころなきを*真実しんじつ信心しんじんといふなり。 *金剛こんごうしんともなづく。 このしんぎょうをうるときかならず摂取せっしゅしててたまはざれば、 すなはち*正定しょうじょうじゅくらいさだまるなり。 このゆゑに信心しんじんやぶれず、 かたぶかず、 みだれぬこと金剛こんごうのごとくなるがゆゑに、 金剛こんごう信心しんじんとはもうすなり。 これを 「こう」 といふなり。 ¬だいきょう¼ (下) には、 「*がんしょうこく 即得そくとくおうじょう じゅ退転たいてん」 とのたまへり。 「がんしょうこく」 は、 かのくににうまれんとねがへとなり。 「即得そくとくおうじょう」 は、 信心しんじんをうればすなはちおうじょうすといふ。 すなはちおうじょうすといふは*退転たいてんじゅうするをいふ。 退転たいてんじゅうすといふはすなはち正定しょうじょうじゅくらいさだまるとのたまふのりなり。 これを 「即得そくとくおうじょう」 とはもうすなり。 「そく」 はすなはちといふ。 すなはちといふは、 ときをへず、 をへだてぬをいふなり。 おほよそ十方じっぽうかいにあまねくひろまることは、 *法蔵ほうぞうさつじゅうはち大願だいがんのなかに、 だいじゅうしちがんに、 「十方じっぽうりょう諸仏しょぶつにわがなをほめられん、 となへられん」 とちかひたまへる、 いちじょうだいかい誓願せいがんじょうじゅしたまへるによりてなり。 ¬弥陀みだきょう¼ の*証誠しょうじょうねんのありさまにてあきらかなり。 証誠しょうじょうねんおんこころは、 ¬だいきょう¼ にもあらはれたり。 また*称名しょうみょう本願ほんがんせんじゃくしょういんたること、 このがんにあらはれたり。 このもんのこころはおもふほどはもうさず。 これにておしはからせたまふべし。 このもんは、 善導ぜんどう*ほっしょうぜんもうしょうにんしゃくなり。 このしょうをば*法道ほうどうしょうと、 *かくだいはのたまへり。 また ¬*でん¼ には*ざん*弥陀みだしょうとももうす、 *じょうごうしょうとももうす。 *とうちょう*こうみょう*善導ぜんどうしょうしんなり、 このゆゑに善導ぜんどうもうすなり。

ある経 ¬安楽集¼ 所引の ¬しゅいききょう¼ を指すが、 この経は現存しない。
日天子 太陽を神格化したもの。
黒闇 「くらき闇のよなり」 (左訓)
月天子 月を神格化したもの。
ともかくも あれこれと。 何も。
善と…信ずる人に 「罪をけしうしなはずして、 善になすなり。 よろづの水、 大海に入れば、 すなはちうしほとなるがごとし。 弥陀の願力を信ずるがゆゑに、 如来の功徳を」 とする異本がある。
法性のみやこ 人間のもう分別ふんべつを超えた存在 (法) の真実なるありようを法性といい、 それは王者のいる 「みやこ」 のように仏のいます安穏なさとりの領域であるからこのようにいう。
生死海 生死りんが窮まりなく続く迷いの世界を辺際のない大海に喩えていう。
願生彼国… 「かの国に生ぜんと願ぜば、 すなはち往生を得、 不退転に住せん」 (信巻訓)
証誠護念 念仏の法が真実であることを証明し、 念仏の行者をまもること。
称名の本願は… 称名が本願 (第十八願) においてせんじゃくされた往生のまさしき業因ごういんであることは、 この悲願 (第十七願) にあらわれているという意。
法同和尚 天台てんだいしゅうの転籍には、 五会ごえ念仏ねんぶつの創始者、 ほっしょうの名を法道と伝えるものがある (安然 ¬金剛こんごうかい大法だいほうたいじゅ¼ 巻六など)。
 「高僧伝なり」 (左訓)
廬山 中国の江西省北部にある山の名。 4世紀末、 おんが東林寺でびゃくれんしゃを結んで、 阿弥陀仏信仰を勧めたため、 仏教の一大中心地となった。
弥陀和尚・浄業和尚 弥陀和尚は法照の師、 じょうおんの称。 浄業和尚は問答体の書 ¬りんじゅうしょうねんけつ¼(¬りゅうじょじょうもん¼ 巻十二・¬楽邦らくほう文類もんるい¼ 巻四所収) に答者として出る人物 (碑文資料によって、 ぜんどうだいの弟子と推測される浄業和尚との異同不明)。 これらを法照の異名とする説が親鸞聖人在世当時に流布していたか。
唐朝 (618-907) 唐国公のえん (高祖) がずいの三世恭帝の禅譲を受けて建てた中国の統一王朝。 都は長安。

【3】 「ぶついんちゅうりゅうぜい もんみょうねんそう迎来こうらい けんびんしょう富貴ふき けん下智げち高才こうざい けんもんじょうかい けんかい罪根ざいこんじん たん使しん念仏ねんぶつ のうりょうりゃくへんじょうこん(*五会法事讃)

 「ぶついんちゅうりゅうぜい」、 このこころは、 「」 はかのといふ。 「ぶつ」 は弥陀みだぶつなり。 「いんちゅう」 は*法蔵ほうぞうさつと申ししときなり。 「りゅうぜい」 は、 「りゅう」 はたつといふ、 なるといふ。 「」 はひろしといふ、 ひろまるといふ。 「せい」 はちかひといふなり。 法蔵ほうぞう比丘びくちょうじょうのちかひをおこして、 ひろくひろめたまふともうすなり。 ちょうは、 ぶつおんちかひにすぐれたまへりとなり。 ちょうはこえたりといふは、 うへなしともうすなり。 如来にょらいぜいをおこしたまへるやうは、 この ¬唯信ゆいしんしょう¼ にくはしくあらはれたり。

 「もんみょうねん」 といふは、 「もん」 はきくといふ、 信心しんじんをあらはすのりなり。 「みょう」 はなともうすなり、 如来にょらいのちかひのみょうごうなり。 「ねん」 ともうすは、 ちかひのなを憶念おくねんせよとなり。 諸仏しょぶつ称名しょうみょうがん (第十七願) にあらはせり。 憶念おくねんは、 信心しんじんをえたるひとはうたがいなきゆゑに本願ほんがんをつねにおもひいづるこころのたえぬをいふなり。 「そう迎来こうらい」 といふは、 「そう」 はふさねてといふ、 すべてみなといふこころなり。 「こう」 はむかふるといふ、 まつといふ、 りきをあらはすこころなり。 「らい」 はかへるといふ、 きたらしむといふ、 *ほっしょうのみやこへむかへてきたらしめかへらしむといふ。 ほっしょうのみやこより、 しゅじょうやくのためにこの*しゃかいにきたるゆゑに、 「らい」 をきたるといふなり。 ほっしょうのさとりをひらくゆゑに、 「らい」 をかへるといふなり。

 「けんびんしょう富貴ふき」 といふは、 「けん」 はえらばず、 きらはずといふ。 「びん」 はまづしく、 *たしなきものなり。 「しょう」 はまさにといふ、 もつてといふ、 *ゐてゆくといふ。 「富貴ふき」 はとめるひと、 よきひとといふ。 これらをまさにもつてえらばず、 きらはず、 じょうへゐてゆくとなり。

たしなきもの 苦しみ困っている者。
ゐてゆく 引き連れて行く。

 「けん下智げち高才こうざい」 といふは、 「下智げち」 は智慧ちえあさく、 せばく、 すくなきものとなり。 「高才こうざい」 は*才学さいかくひろきもの。 これらをえらばず、 きらはずとなり。

才学 学力。 学識。

 「けんもんじょうかい」 といふは、 「もん」 は聖教しょうぎょうをひろくおほくきき、 しんずるなり。 「」 はたもつといふ。 たもつといふは、 ならひまなぶこころをうしなはず、 ちらさぬなり。 「じょうかい」 はだいしょうじょうのもろもろの*かいぎょう*かい*八戒はっかい*じゅうぜんかいしょうじょう*そく衆戒しゅかい*三千さんぜん威儀いぎ*六万ろくまんさいぎょう*¬梵網ぼんもう¼ のじゅう八戒はっかい*だいじょう一心いっしん金剛こんごう法戒ほうかい*三聚さんじゅじょうかいだいじょうそくかいとう、 すべて道俗どうぞく戒品かいほん、 これらをたもつを 「」 といふ。 かやうのさまざまの戒品かいほんをたもてるいみじきひとびとも、 りき真実しんじつ信心しんじんをえてのちに真実しんじつほうにはおうじょうをとぐるなり。 みづからの、 おのおのの戒善かいぜん、 おのおののりきしんりきぜんにてはじっぽうにはうまれずとなり。

戒行 戒を持つこと。
具足衆戒 そくかいのこと。
三千の威儀 二百五十戒 (比丘びくの具足戒) を行住坐臥の威儀いぎに配列して一千とし、 さらにこれを過去、 未来、 現在の三世に繰り返して三千と数えたもの。
六万の斎行 戒を持つ数多くのぜんぎょう、 または上に列挙した五戒等を総称したものか。
梵網の五十八戒  ¬梵網ぼんもうきょう¼ に説く十重じゅうじゅう禁戒きんかいじゅうはちきょうかいを合せたもの。 大乗戒とされる。
大乗一心金剛法戒 天台てんだいしゅうに相伝する菩薩戒 (円頓えんどんかい)。 ¬梵網ぼんもうきょう¼ に説くじゅうじゅう禁戒きんかいじゅうはちきょうかいを内容とする。 その体徳は一心真如しんにょであり、 ひとたび得ればながく失うことがないので一心金剛法戒 (「法」 は 「宝」 とも書く) という。

 「けんかい罪根ざいこんじん」 といふは、 「かい」 はかみにあらはすところのよろづの道俗どうぞく戒品かいほんをうけてやぶりすてたるもの、 これらをきらはずとなり。 「罪根ざいこんじん」 といふは、 *十悪じゅうあく*ぎゃく悪人あくにん*謗法ほうぼう*闡提せんだい罪人ざいにん、 おほよそ善根ぜんごんすくなきもの、 悪業あくごうおほきもの、 善心ぜんしんあさきもの、 悪心あくしんふかきもの、 かやうのあさましきさまざまのつみふかきひとを 「じん」 といふ、 ふかしといふことばなり。 すべてよきひとあしきひと、 たふときひといやしきひとを、 無礙むげこうぶつおんちかひにはきらはずえらばれず、 これをみちびきたまふをさきとしむねとするなり。 真実しんじつ信心しんじんをうれば*じっぽううまるとをしへたまへるを、 じょうしんしゅうしょうとすとしるべしとなり。 「そう迎来らいこう」 は、 すべてみなじょうへむかへてかへらしむといへるなり。

 「たん使しん念仏ねんぶつ」 といふは、 「たん使しん」 はひとへにしんせしめよといふことばなり。 「しん」 といふはりきしんをひるがへし、 すつるをいふなり。 じっぽううまるるひとはかならず金剛こんごう信心しんじんのおこるを、 「*念仏ねんぶつ」 ともうすなり。 「」 はだいのこころなり、 しょうのこころなり、 ぞうじょうのこころなり。 だいはおほきなり。 しょうはすぐれたり、 よろづのぜんにまされるとなり。 ぞうじょうはよろづのことにすぐれたるなり。 これすなはちりき本願ほんがんじょうのゆゑなり。 りきのこころをすつといふは、 やうやうさまざまのだいしょうしょうにん善悪ぜんあくぼんの、 みづからがをよしとおもふこころをすて、 をたのまず、 あしきこころをかへりみず、 ひとすぢに*ばくぼん屠沽とこるい無礙むげこうぶつ不可ふか思議しぎ本願ほんがん広大こうだい智慧ちえみょうごうしんぎょうすれば、 煩悩ぼんのうそくしながらじょうだいはんにいたるなり。 ばくはよろづの煩悩ぼんのうにしばられたるわれらなり。 ぼんをわづらはす、 のうはこころをなやますといふ。 はよろづのいきたるものをころし、 *ほふるものなり、 これは*れふしといふものなり。 はよろづのものをうりかふものなり、 これはあきびとなり。 これらをるいといふなり。

多念仏 元来は 「多く念仏すれば」 の意。 ここでは念仏の徳の超勝性をあらわす語とする。
具縛の凡愚屠沽の下類 「信巻」 (本) に引かれたがんじょうの ¬弥陀みだきょうしょ¼ にある語。 かいの ¬もん¼ に、 この語を釈して、 「具縛の凡愚」 とは 「二惑の煩悩ぼんのうをすべて持っている者」、 「屠沽の下類者」 とは 「生きものを殺す者 (屠)」、 「酒を商う者 (沽)」 で悪人としている。 →補註4
ほふる 切りさばく。
れふし 猟師。 漁師。

 「のうりょうりゃくへんじょうこん」 といふは、 「のう」 はよくといふ。 「りょう」 はせしむといふ。 「」 はかはらといふ。 「りゃく」 は*つぶてといふ。 「へんじょうこん」 は、 「へんじょう」 はかへなすといふ。 「こん」 はこがねといふ。 かはら・つぶてをこがねにかへなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。 れふし・あきびと、 さまざまのものはみな、 いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。 如来にょらいおんちかひを*ふたごころなくしんぎょうすれば、 摂取せっしゅのひかりのなかにをさめとられまゐらせて、 かならずだいはんのさとりをひらかしめたまふは、 すなはちれふし、 あきびとなどは、 いし・かはら・つぶてなんどをよくこがねとなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。 摂取せっしゅのひかりともうすは、 弥陀みだぶつおんこころにをさめとりたまふゆゑなり。 もんのこころはおもふほどはもうしあらはしそうらはねども、 *あらあらもうすなり。 ふかきことはこれにておしはからせたまふべし。 このもんは、 *みん三蔵さんぞうもうしょうにんしゃくなり。 震旦しんたん (中国) にはにち三蔵さんぞうもうすなり。

つぶて 小石。
ふたごころなく 一心に。 疑いなく。
あらあら だいたい。 ざっと。

【4】 「*極楽ごくらく無為むいはんがい 随縁ずいえん雑善ぞうぜんなんしょう 故使こし如来にょらいせん要法ようぼう きょうねん弥陀みだせんせん(法事讃・下)

極楽無為… 「極楽は無為涅槃のかいなり。 随縁の雑善おそらくは生じがたし。 ゆゑに如来要法を選びて、 教へて弥陀を念ぜしめて、 もつぱらにしてまたもつぱらならしめたまへり」 (真仏土巻訓)

 「極楽ごくらく無為むいはんがい」 といふは、 「極楽ごくらく」 ともうすはかの安楽あんらくじょうなり、 よろづのたのしみつねにして、 くるしみまじはらざるなり。 かのくにをばあんにょうといへり。 曇鸞どんらんしょうは、 「ほめたてまつりてあんにょうもうす」 とこそのたまへり。 また ¬ろん¼ (浄土論) には、 「れんぞうかい」 ともいへり、 「無為むい」 ともいへり。 「はんがい」 といふはみょうのまどひをひるがへして、 じょうはんのさとりをひらくなり。 「かい」 はさかひといふ、 さとりをひらくさかひなり。 だいはんもうすに、 そのりょうなり、 くはしくもうすにあたはず、 *おろおろそのをあらはすべし。 「*はん」 をば*めつといふ、 *無為むいといふ、 *安楽あんらくといふ、 *じょうらくといふ、 *実相じっそうといふ、 *法身ほっしんといふ、 *ほっしょうといふ、 *真如しんにょといふ、 *一如いちにょといふ、 *ぶっしょうといふ。 ぶっしょうすなはち如来にょらいなり。 この如来にょらい*じんかいにみちみちたまへり、 すなはち一切いっさいぐんじょうかい*しんなり。 このしん誓願せいがんしんぎょうするがゆゑに、 この信心しんじんすなはちぶっしょうなり、 ぶっしょうすなはちほっしょうなり、 ほっしょうすなはち法身ほっしんなり。 法身ほっしんはいろもなし、 かたちもましまさず。 しかれば、 こころもおよばれず、 ことばもたえたり。 *この一如いちにょよりかたちをあらはして、 *方便ほうべん法身ほっしんもうおんすがたをしめして、 *法蔵ほうぞう比丘びくとなのりたまひて、 不可ふか思議しぎの大誓願せいがんをおこしてあらはれたまふおんかたちをば、 しんさつ (天親) は 「*じん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらい」 となづけたてまつりたまへり。 この如来にょらい*報身ほうじんもうす。 誓願せいがん業因ごういんむくひたまへるゆゑに報身ほうじん如来にょらいもうすなり。 ほうもうすは、 たねにむくひたるなり。 この報身ほうじんより*おうとうりょうしゅをあらはして、 じんかい無礙むげ智慧ちえこうはなたしめたまふゆゑにじん十方じっぽう無礙むげこうぶつもうすひかりにて、 かたちもましまさず、 いろもましまさず、 みょうやみをはらひ悪業あくごう*さへられず、 このゆゑに無礙むげこうもうすなり。 無礙むげはさはりなしともうす。 しかれば、 弥陀みだぶつこうみょうなり、 こうみょう智慧ちえのかたちなりとしるべし。

おろおろ 不十分ながら。 ざっと。
心なり 「心にみちたまへるなり。 草木国土ことごとく、 みな成仏すと説けり」 とする異本がある。
この一如より… →補註1
応化 応身おうじんしんのこと。

 「随縁ずいえん雑善ぞうぜんなんしょう」 といふは、 「随縁ずいえん」 はしゅじょうのおのおののえんにしたがひて、 おのおののこころにまかせて、 もろもろのぜんしゅするを極楽ごくらくこうするなり、 すなはち*八万はちまんせん法門ほうもんなり。 これはみなりき善根ぜんごんなるゆゑに*じっぽうにはうまれずと、 きらはるるゆゑに 「なんしょう」 といへり。 「」 はおそるといふ、 しんほう雑善ぞうぜんりきぜんうまるといふことをおそるるなり。 「なんしょう」 はうまれがたしとなり。

八万四千の法門 八万四千は多数の意。 仏の説いた教法全体のことであるが、 親鸞聖人は本願 (第十八願) の法以外の自力方便の教えの意とする。 「化身土巻」 394頁6行以下参照。

 「故使こし如来にょらいせん要法ようぼう」 といふは、 しゃ如来にょらい、 よろづのぜんのなかよりみょうごうをえらびとりて、 じょくあくあくかいあくしゅじょう邪見じゃけんしんのものにあたへたまへるなりとしるべしとなり。 これを 「せん」 といふ、 ひろくえらぶといふなり。 「よう」 はもつぱらといふ、 もとむといふ、 ちぎるといふなり。 「ほう」 はみょうごうなり。

 「きょうねん弥陀みだせんせん」 といふは、 「きょう」 はをしふといふ、 のりといふ、 しゃくそん教勅きょうちょくなり。 「ねん」 はしんにおもひさだめて、 *ともかくもはたらかぬこころなり。 すなはちせんじゃく本願ほんがんみょうごう*一向いっこう専修せんじゅなれとをしへたまふことなり。 「せんせん」 といふは、 はじめの 「せん」 はいちぎょうしゅすべしとなり。 「」 はまたといふ、 かさぬといふ。 しかれば、 また 「せん」 といふは一心いっしんなれとなり、 いちぎょう一心いっしんをもつぱらなれとなり。 「せん」 はいちといふことばなり。 もつぱらといふはふたごころなかれとなり。 ともかくもうつるこころなきを 「せん」 といふなり。 このいちぎょう一心いっしんなるひとを 「*摂取せっしゅしててたまはざれば弥陀みだとなづけたてまつる」 (礼讃) と、 こうみょうしょう (善導) はのたまへり。 この一心いっしん*おうちょう信心しんじんなり。 おうはよこさまといふ、 ちょうはこえてといふ。 よろづのほうにすぐれて、 すみやかに*しょうかいをこえて*ぶっにいたるがゆゑにちょうもうすなり。 これすなはちだい誓願せいがんりきなるがゆゑなり。 この信心しんじん摂取せっしゅのゆゑに金剛こんごうしんとなれり。 これは ¬だいきょう¼ の本願ほんがん*さん信心しんじんなり。 この真実しんじつ信心しんじんを、 しんさつ (天親) は「*がんぶつしん」 とのたまへり。 このしんぎょうぶつにならんとねがふともうすこころなり。 このがんぶつしんはすなはち*しゅじょうしんなり。 このしゅじょうしんもうすは、 すなはちしゅじょうをしてしょう大海だいかいをわたすこころなり。 このしんぎょうしゅじょうをして*じょうはんにいたらしむるしんなり。 このしんすなはちだいだいしんなり、 だいだいしんなり。 この信心しんじんすなはちぶっしょうなり、 すなはち如来にょらいなり。 この信心しんじんをうるをきょうといふなり。 きょうするひとは諸仏しょぶつとひとしきひととなづく。 *きょうはよろこぶといふ、 信心しんじんをえてのちによろこぶなり。 はこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ。 うべきことをえてのちに、 にもこころにもよろこぶこころなり。 信心しんじんをえたるひとをば、 「ふん陀利だり(観経) とのたまへり。 この信心しんじんをえがたきことを、 ¬きょう¼ (称讃浄土経) には、 「*ごく難信なんしんぼう」 とのたまへり。 しかれば、 ¬だいきょう¼ (下) には、 「にゃくもんきょう しんぎょうじゅ なんちゅうなん 無過むかなん」 とをしへたまへり。 このもんのこころは、 「もしこのきょうきてしんずること、 かたきがなかにかたし、 これにすぎてかたきことなし」 とのたまへるのりなり。 しゃ牟尼むに如来にょらいは、 じょくあくでてこの難信なんしんほうぎょうじてじょうはんにいたるときたまふ。 さてこの智慧ちえみょうごうじょくあくしゅじょうにあたへたまふとのたまへり。 十方じっぽう諸仏しょぶつ証誠しょうじょう恒沙ごうじゃ如来にょらいねん、 ひとへに真実しんじつ信心しんじんのひとのためなり。 しゃ慈父じぶ弥陀みだ悲母ひもなり。 われらがちち・はは、 種々しゅじゅ方便ほうべんをして*じょう信心しんじんをひらきおこしたまへるなりとしるべしとなり。 おほよそ過去かこおんに、 さんごうしゃ諸仏しょぶつでたまひしみもとにして、 りきだいしんをおこしき。 恒沙ごうじゃ善根ぜんごんしゅせしによりて、 いま願力がんりき*まうあふことをたり。 りきの三信心しんじんをえたらんひとは、 ゆめゆめ善根ぜんごんをそしり、 *ぶっしょう*いやしうすることなかれとなり。

摂取… 「おさめとりたまふとなり」 (左訓)
三信心 至心・信楽・欲生の三心さんしんのこと。
慶は… 親鸞聖人は慶 (慶喜・慶楽) をすでにわが身の上に実現していることがら (現生で正定しょうじょうじゅの位に入ること) をよろこぶ意とし、 歓喜を必ず実現すると定まっていることがら (往生成仏の果) を待望してよろこぶ意とする。 ¬一多証文¼ 684頁14行以下参照。
極難信法 きわめて信じ難い法。 自力の心では決して信じることができないという意。 本願救済の法は、 世間の常識的な道理を超越しているから、 自力にとらわれた心では信じ難い法であるということ。 そのことはまたこの法の尊高をあらわしている。
無上の信心 阿弥陀仏のこの上ない智慧ちえをたまわった信心。 他力の信心のこと。
まうあふ あいたてまつる。 ¬一多証文¼ に 「まうあふと申すは、 本願力を信ずるなり」 とある。
余の仏聖 阿弥陀仏以外の仏菩薩等のしょうじゃ
いやしうする さげすむ。

【5】 「三心さんしんしゃひっしょうこく(観経) といふは、 三心さんしんすればかならずかのくにうまるとなり。 しかれば善導ぜんどうは、 *三心さんしん 必得ひっとくおうじょう にゃくしょう一心いっしん そくとくしょう(礼讃) とのたまへり。 「三心さんしん」 といふは、 つのしんすべしとなり。 「必得ひっとくおうじょう」 といふは、 「ひつ」 はかならずといふ。 「とく」 はうるといふ、 うるといふはおうじょうをうるとなり。 「にゃくしょう一心いっしん」 といふは、 「にゃく」 はもしといふ、 ごとしといふ。 「しょう」 はかくるといふ、 すくなしといふ。 一心いっしんかけぬればうまれずといふなり。 一心いっしんかくるといふは信心しんじんのかくるなり、 信心しんじんかくといふは本願ほんがん真実しんじつさん信心しんじんのかくるなり。 ¬かんぎょう¼ の三心さんしんをえてのちに ¬だいきょう¼ のさん信心しんじんをうるを、 一心いっしんをうるとはもうすなり。 このゆゑに ¬だいきょう¼ のさん信心しんじんをえざるをば、 一心いっしんかくるともうすなり。 この一心いっしんかけぬれば、 しんほううまれずといふなり。 ¬かんぎょう¼ の三心さんしん*じょうさん二機にきしんなり。 *じょうさんぜん*して、 ¬だいきょう¼ の三信さんしんをえんとねがふ方便ほうべん深心じんしんじょうしんとしるべし。 真実しんじつさん信心しんじんをえざれば、 「そくとくしょう」 といふなり。 「そく」 はすなはちといふ、 「とくしょう」 といふはうまるることをえずといふなり。 三信さんしんかけぬるゆゑにすなはちほううまれずとなり。 ぞうぎょうざっしゅしてじょうさんひとりき信心しんじんかけたるゆゑに、 *しょう曠劫こうごうをへてりき一心いっしんをえてのちに真実しんじつほううまるべきゆゑに、 すなはちうまれずといふなり。 もしたいしょうへんうまれてもひゃくさいをへ、 あるいは億千おくせん万衆まんしゅのなかに、 ときにまれに一人いちにんしんほうにはすすむとみえたり。 三信さんしんをえんことをよくよくこころえねがふべきなり。

具此三心… 「この三心を具してかならず往生を得るなり。 もし一心けぬればすなわち生を得ず」
定散二機 定善の機、 散善の機のことで、 じょうぜん散善さんぜんを行う人。
定散二機を…ねがふ この一説でこう発願ほつがんしんを釈している ([回向」 = 「回して]、 [発願」 = 「ねがふ」) から、 下には深心じんしんじょうしんの二心のみをあげている。
回して ここでの 「回」 は回転、 回捨の意。 ひるがえし捨てて。
多生曠劫 多くの生を重ねる無限に長い時間。

【6】 「*とくげん賢善けんぜんしょうじんそう(散善義) といふは、 あらはに、 かしこきすがた、 善人ぜんにんのかたちをあらはすことなかれ、 しょうじんなるすがたをしめすことなかれとなり。 そのゆゑは 「ない虚仮こけ」 なればなり。 「ない」 はうちといふ。 こころのうちに煩悩ぼんのうせるゆゑになり、 なり。 「」 はむなしくしてじつならぬなり。 「」 はかりにしてしんならぬなり。 *このこころはかみにあらはせり。 この信心しんじんはまことのじょうのたねとなり、 みとなるべしと。 いつはらず、 へつらはず、 じっぽうのたねとなる信心しんじんなり。 しかれば、 われらは善人ぜんにんにもあらず、 賢人けんじんにもあらず。 賢人けんじんといふは、 かしこくよきひとなり。 しょうじんなるこころもなし、 だいのこころのみにして、 うちはむなしく、 いつはり、 かざり、 へつらふこころのみつねにして、 まことなるこころなきなりとしるべしとなり。 「しんしゃくすべし」 (唯信鈔) といふは、 ことのありさまにしたがうて、 はからふべしといふことばなり。

不得外現… 「散善義」 にはこの文に続いて 「内懐虚仮」 とある。 親鸞聖人は 「ほかに賢善精進の相を現ずることを得ざれ、 内に虚仮をいだいて」 (信巻訓) と読んでいる。
このこころは…信心なり [しかれば、 いまこの世を如来のみのりに末法悪世とさだめたまへるゆゑは、 一切じょうまことのこころをなくして、 師長を軽慢し、 父母に孝せず、 朋友に信なくして、 悪をのみこのむゆゑに、 世間・出世みな心口各異、 言念無実なりとをしへたまへり。 心口各異といふは、 こころとくちにいふこと、 みなおのおのことなり。 言念無実といふは、 ことばとこころのうちと実なしといふなり。 実はまことといふことばなり。 この世の人は無実のこころのみにして、 浄土をねがふ人はいつはり、 へつらひのこころのみなりときこえたり。 世をすつるも名のこころ、 利のこころをさきとするゆゑなり」 とする異本がある。

【7】 「けんかい罪根ざいこんじん(五会法事讃) といふは、 もろもろのかいをやぶり、 つみふかきひとをきらはずとなり。 このやうは、 はじめにあらはせり。 よくよくみるべし。

【8】 「*ないじゅうねん にゃくしょうじゃ しゅしょうがく(大経・上) といふは、 せんじゃく本願ほんがん (第十八願)もんなり。 このもんのこころは、 「ないじゅうねんなをとなへんもの、 もしわがくににうまれずは、 ぶつらじ」 とちかひたまへる本願ほんがんなり。 「ない」 は、 かみしもと、 おほきすくなき、 ちかきとほきひさしきをも、 みなをさむることばなり。 ねんにとどまるこころをやめ、 一念いちねんにとどまるこころをとどめんがために、 法蔵ほうぞうさつがんじましますおんちかひなり。

乃至十念… 「乃至十念せん。 もし生まれざれば、 正覚を取らじ」 (行巻訓)

【9】 「*ごんじつ(唯信鈔) といふは、 *ほっしゅうのをしへなり。 じょうしんしゅうのこころにあらず、 しょうどうのこころなり。 かのしゅうのひとにたづぬべし。

非権非実 「中道実相の教なり」 (左訓) 方便 (権) と真実 (実) を差別する立場を越えた絶対真実の教えで、 中道とも実相ともいう。

【10】「にょにゃくのうねん(観経) といふは、 ぎゃく十悪じゅうあく罪人ざいにん*じょう説法せっぽうのもの、 *やまふのくるしみにとぢられて、 こころに弥陀みだねんじたてまつらずは、 ただくち南無なも弥陀みだぶつととなへよとすすめたまへるのりなり。 これは称名しょうみょう本願ほんがんちかひたまへることをあらはさんとなり。 「おうしょうりょう寿じゅぶつ(観経) とのべたまへるは、 このこころなり。 「おうしょう」 はとなふべしとなり。

不浄説法 自己の名誉や利益のために教法を説くこと。
やまふ 病気。

【11】「*そくじゅうねん しょう南無なもりょう寿じゅぶつ しょうぶつみょう 念々ねんねんちゅう じょはちじゅう億劫おくこうしょうざい(観経) といふは、 ぎゃく罪人ざいにんはそのつみをもてること、 *はちじゅう億劫おくこうつみをもてるゆゑに、 じゅうねん南無なも弥陀みだぶつととなふべしとすすめたまへるのりなり。 一念いちねんはちじゅう億劫おくこうつみすまじきにはあらねども、 ぎゃくつみのおもきほどをしらせんがためなり。 「じゅうねん」 といふは、 ただくち十返じっぺんをとなふべしとなり。 しかれば、 せんじゃく本願ほんがん (第十八願) には、 「にゃくじょうぶつ 十方じっぽうしゅじょう しょうみょうごう 下至げしじっしょう にゃくしょうじゃ しゅしょうがく(礼讃)もうすは、 弥陀みだ本願ほんがんは、 とこゑまでのしゅじょうみなおうじょうすとしらせんとおぼしてじっしょうとのたまへるなり。 ねんしょうとはひとつこころなりとしるべしとなり。 ねんをはなれたるしょうなし、 しょうをはなれたるねんなしとなり。

具足十念… ¬観経¼ の原文では 「無量寿」 は 「阿弥陀」 となっている。
十八十億劫 八十億劫の十倍の意味。 一念で八十億劫の罪が除かれ、 十念で十八十億劫の罪が除かれる。

 このもんどものこころは、 おもふほどはもうさず、 *よからんひとにたづぬべし。 ふかきことは、 これにてもおしはかりたまふべし。

よからんひと 浄土の教えをよく知っている人。

 南無なも弥陀みだ

 *ゐなかのひとびとの、 もんのこころもしらず、 あさましき愚痴ぐちきはまりなきゆゑに、 やすくこころえさせんとて、 おなじことを、 たびたびとりかへしとりかへしきつけたり。 こころあらんひとは、 をかしくおもふべし、 あざけりをなすべし。 しかれども、 おほかたのそしりをかへりみず、 ひとすぢにおろかなるものを、 こころえやすからんとてしるせるなり。

ゐなかの… ¬一多証文¼ にも同様の跋文がある。

 

  *康元こうげんさいしょうがつじゅう七日しちにち 禿とく親鸞しんらんはちじゅうさいこれを書写しょしゃす。

康元二歳 1257年。