唯信鈔文意
【1】 「唯信抄」 といふは、 「唯」 はただこのことひとつといふ、 ふたつ*ならぶことをきらふことばなり。 また 「唯」 はひとりといふこころなり。 「信」 はうたがひなきこころなり、 すなはちこれ真実の信心なり、 虚仮はなれたるこころなり。 虚はむなしといふ、 仮はかりなるといふことなり。 虚は実ならぬをいふ、 仮は真ならぬをいふなり。 *本願*他力を*たのみて*自力をはなれたる、 これを 「唯信」 といふ。 「鈔」 はすぐれたることをぬきいだしあつむることばなり。 このゆゑに 「唯信鈔」 といふなり。 また 「唯信」 は、 これこの他力の信心のほかに余のこと*ならはずとなり。 すなはち*本弘誓願なるがゆゑなればなり。
ならぶ 「ならふ」 と読む説もある。
ならはず 「ならばず」 と読む説もある。
【2】 「▲如来尊号甚分明 十方世界普流行 但有称名皆得往 観音勢至自来迎」 (*五会法事讃)
如来尊号… 「如来の尊号は、 はなはだ分明なり。 十方世界にあまねく流行せしむ。 ただ名を称するのみありて、 みな往くことを得。 観音・勢至おのづから来り迎えたまふ」 (行巻訓)
「如来尊号甚分明」、 このこころは、 「如来」 と申すは無礙光如来なり。 「尊号」 と申すは南無阿弥陀仏なり。 「尊」 はたふとくすぐれたりとなり。 *「号」 は仏に成りたまうてのちの御なを申す、 名はいまだ仏に成りたまはぬときの御なを申すなり。 この如来の尊号は、 *不可称不可説不可思議にましまして、 一切衆生をして無上大般涅槃にいたらしめたまふ大慈大悲のちかひの御ななり。 この仏の御なは、 よろづの如来の名号にすぐれたまへり。 これすなはち*誓願なるがゆゑなり。 「甚分明」 といふは、 「甚」 ははなはだといふ、 すぐれたりといふこころなり。 「分」 はわかつといふ、 よろづの衆生ごとにとわかつこころなり。 「明」 はあきらかなりといふ。 十方一切衆生をことごとくたすけみちびきたまふこと、 あきらかにわかちすぐれたまへりとなり。
「十方世界普流行」 といふは、 「普」 はあまねく、 ひろく、 きはなしといふ。 「流行」 は*十方微塵世界にあまねくひろまりて、 すすめ*行ぜしめたまふなり。 しかれば、 *大小の聖人・善悪の凡夫、 みなともに自力の智慧をもつては大涅槃にいたることなければ、 無礙光仏の御かたちは、 智慧のひかりにてましますゆゑに、 この仏の*智願海にすすめ入れたまふなり。 一切諸仏の智慧をあつめたまへる御かたちなり。 光明は智慧なりとしるべしとなり。
行 「おこなふとまうすなり」 (左訓)
大小の聖人 大乗の聖者と小乗の聖者。
智願海 阿弥陀仏の智慧から起った本願 (智願) の広大で深遠な徳を海に喩えていう。
「但有称名*皆得往」 といふは、 「但有」 はひとへに御なをとなふる人のみ、 みな往生すとのたまへるなり。 かるがゆゑに 「称名皆得往」 といふなり。
皆得往 「みな生るることを得とまうすなり」 (左訓)
「観音勢至自来迎」 といふは、 南無阿弥陀仏は智慧の名号なれば、 この不可思議光仏の御なを信受して憶念すれば、 *観音・*勢至はかならずかげのかたちにそへるがごとくなり。 この無礙光仏は観音とあらはれ、 勢至としめす。 *ある経には、 観音を宝応声菩薩となづけて*日天子としめす。 これは*無明の*黒闇をはらはしむ。 勢至を宝吉祥菩薩となづけて*月天子とあらはる。 *生死の長夜を照らして智慧をひらかしめんとなり。 「自来迎」 といふは、 「自」 はみづからといふなり。 弥陀無数の化仏・無数の化観音・化大勢至等の無量無数の聖衆みづからつねに、 ときをきらはず、 ところをへだてず、 真実信心をえたるひとにそひたまひてまもりたまふゆゑに、 みづからと申すなり。 また 「自」 はおのづからといふ。 おのづからといふは*自然といふ。 自然といふはしからしむといふ。 しからしむといふは、 行者の*はじめて*ともかくもはからはざるに、 過去・今生・未来の一切の罪を転ず。 転ずといふは、 *善とかへなすをいふなり。 もとめざるに一切の功徳善根を仏のちかひを信ずる人に得しむるがゆゑに、 しからしむといふ。 はじめてはからはざれば自然といふなり。 誓願真実の信心をえたるひとは、 *摂取不捨の御ちかひにをさめとりてまもらせたまふによりて行人のはからひにあらず、 金剛の信心をうるゆゑに憶念自然なるなり。 この信心のおこることも、 釈迦の慈父・弥陀の悲母の方便によりておこるなり。 これ自然の利益なりとしるべしとなり。 「来迎」 といふは、 「来」 は浄土へきたらしむといふ、 これすなはち若不生者のちかひをあらはす御のりなり。 *穢土をすてて*真実報土にきたらしむとなり、 すなはち*他力をあらはす御ことなり。 また 「来」 はかへるといふ。 かへるといふは、 願海に入りぬるによりてかならず大涅槃にいたるを、 *法性のみやこへかへると申すなり。 法性のみやこといふは、 *法身と申す如来のさとりを自然にひらくときを、 みやこへかへるといふなり。 これを、 *真如*実相を証すとも申す、 *無為法身ともいふ、 *滅度に至るともいふ、 法性の*常楽を証すとも申すなり。 このさとりをうれば、 すなはち大慈大悲きはまりて*生死海にかへり入りてよろづの*有情をたすくるを、 *普賢の徳に帰せしむと申す。 この利益におもむくを 「来」 といふ。 これを法性のみやこへかへると申すなり。 「迎」 といふはむかへたまふといふ、 まつといふこころなり。 選択不思議の本願、 無上智慧の尊号をききて、 一念も疑ふこころなきを*真実信心といふなり。 *金剛心ともなづく。 この信楽をうるときかならず摂取して捨てたまはざれば、 すなはち*正定聚の位に定まるなり。 このゆゑに信心やぶれず、 かたぶかず、 みだれぬこと金剛のごとくなるがゆゑに、 金剛の信心とは申すなり。 これを 「迎」 といふなり。 ¬大経¼ (下) には、 「▲*願生彼国 即得往生 住不退転」 とのたまへり。 「願生彼国」 は、 かのくににうまれんとねがへとなり。 「即得往生」 は、 信心をうればすなはち往生すといふ。 すなはち往生すといふは*不退転に住するをいふ。 不退転に住すといふはすなはち正定聚の位に定まるとのたまふ御のりなり。 これを 「即得往生」 とは申すなり。 「即」 はすなはちといふ。 すなはちといふは、 ときをへず、 日をへだてぬをいふなり。 おほよそ十方世界にあまねくひろまることは、 *法蔵菩薩の四十八大願のなかに、 第十七の願に、 「十方無量の諸仏にわがなをほめられん、 となへられん」 と誓ひたまへる、 一乗大智海の誓願成就したまへるによりてなり。 ¬阿弥陀経¼ の*証誠護念のありさまにてあきらかなり。 証誠護念の御こころは、 ¬大経¼ にもあらはれたり。 また*称名の本願は選択の正因たること、 この悲願にあらはれたり。 この文のこころはおもふほどは申さず。 これにておしはからせたまふべし。 この文は、 後善導*法照禅師と申す聖人の御釈なり。 この和尚をば*法道和尚と、 *慈覚大師はのたまへり。 また ¬*伝¼ には*廬山の*弥陀和尚とも申す、 *浄業和尚とも申す。 *唐朝の*光明寺の*善導和尚の化身なり、 このゆゑに後善導と申すなり。
日天子 太陽を神格化したもの。
黒闇 「くらき闇のよなり」 (左訓)
月天子 月を神格化したもの。
ともかくも あれこれと。 何も。
善と…信ずる人に 「罪をけしうしなはずして、 善になすなり。 よろづの水、 大海に入れば、 すなはちうしほとなるがごとし。 弥陀の願力を信ずるがゆゑに、 如来の功徳を」 とする異本がある。
法性のみやこ 人間の虚妄分別を超えた存在 (法) の真実なるありようを法性といい、 それは王者のいる 「みやこ」 のように仏のいます安穏なさとりの領域であるからこのようにいう。
生死海 生死輪廻が窮まりなく続く迷いの世界を辺際のない大海に喩えていう。
願生彼国… 「かの国に生ぜんと願ぜば、 すなはち往生を得、 不退転に住せん」 (信巻訓)
証誠護念 念仏の法が真実であることを証明し、 念仏の行者をまもること。
称名の本願は… 称名が本願 (第十八願) において選択された往生の正しき業因であることは、 この悲願 (第十七願) にあらわれているという意。
法同和尚 天台宗の転籍には、 五会念仏の創始者、 法照の名を法道と伝えるものがある (安然 ¬金剛界大法対授記¼ 巻六など)。
伝 「高僧伝なり」 (左訓)
廬山 中国の江西省北部にある山の名。 4世紀末、 慧遠が東林寺で白蓮社を結んで、 阿弥陀仏信仰を勧めたため、 仏教の一大中心地となった。
弥陀和尚・浄業和尚 弥陀和尚は法照の師、 承遠の称。 浄業和尚は問答体の書 ¬臨終正念訣¼(¬龍舒浄土文¼ 巻十二・¬楽邦文類¼ 巻四所収) に答者として出る人物 (碑文資料によって、 善導大師の弟子と推測される浄業和尚との異同不明)。 これらを法照の異名とする説が親鸞聖人在世当時に流布していたか。
唐朝 (618-907) 唐国公の李淵 (高祖) が随の三世恭帝の禅譲を受けて建てた中国の統一王朝。 都は長安。
【3】 「▲彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来 不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才 不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深 但使回心多念仏 能令瓦礫変成金」 (*五会法事讃)
「彼仏因中立弘誓」、 このこころは、 「彼」 はかのといふ。 「仏」 は阿弥陀仏なり。 「因中」 は*法蔵菩薩と申ししときなり。 「立弘誓」 は、 「立」 はたつといふ、 なるといふ。 「弘」 はひろしといふ、 ひろまるといふ。 「誓」 はちかひといふなり。 法蔵比丘、 超世無上のちかひをおこして、 ひろくひろめたまふと申すなり。 超世は、 余の仏の御ちかひにすぐれたまへりとなり。 超はこえたりといふは、 うへなしと申すなり。 如来の弘誓をおこしたまへるやうは、 この ¬唯信鈔¼ にくはしくあらはれたり。
「聞名念我」 といふは、 「聞」 はきくといふ、 信心をあらはす御のりなり。 「名」 は御なと申すなり、 如来のちかひの名号なり。 「念我」 と申すは、 ちかひの御なを憶念せよとなり。 諸仏称名の悲願 (第十七願) にあらはせり。 憶念は、 信心をえたるひとは疑なきゆゑに本願をつねにおもひいづるこころのたえぬをいふなり。 「総迎来」 といふは、 「総」 はふさねてといふ、 すべてみなといふこころなり。 「迎」 はむかふるといふ、 まつといふ、 他力をあらはすこころなり。 「来」 はかへるといふ、 きたらしむといふ、 *法性のみやこへむかへ率てきたらしめかへらしむといふ。 法性のみやこより、 衆生利益のためにこの*娑婆界にきたるゆゑに、 「来」 をきたるといふなり。 法性のさとりをひらくゆゑに、 「来」 をかへるといふなり。
「不簡貧窮将富貴」 といふは、 「不簡」 はえらばず、 きらはずといふ。 「貧窮」 はまづしく、 *たしなきものなり。 「将」 はまさにといふ、 もつてといふ、 *ゐてゆくといふ。 「富貴」 はとめるひと、 よきひとといふ。 これらをまさにもつてえらばず、 きらはず、 浄土へゐてゆくとなり。
たしなきもの 苦しみ困っている者。
ゐてゆく 引き連れて行く。
「不簡下智与高才」 といふは、 「下智」 は智慧あさく、 せばく、 すくなきものとなり。 「高才」 は*才学ひろきもの。 これらをえらばず、 きらはずとなり。
才学 学力。 学識。
「不簡多聞持浄戒」 といふは、 「多聞」 は聖教をひろくおほくきき、 信ずるなり。 「持」 はたもつといふ。 たもつといふは、 ならひまなぶこころをうしなはず、 ちらさぬなり。 「浄戒」 は大小乗のもろもろの*戒行、 *五戒・*八戒・*十善戒、 小乗の*具足衆戒、 *三千の威儀、 *六万の斎行、 *¬梵網¼ の五十八戒、 *大乗一心金剛法戒、 *三聚浄戒、 大乗の具足戒等、 すべて道俗の戒品、 これらをたもつを 「持」 といふ。 かやうのさまざまの戒品をたもてるいみじきひとびとも、 他力真実の信心をえてのちに真実報土には往生をとぐるなり。 みづからの、 おのおのの戒善、 おのおのの自力の信、 自力の善にては実報土には生れずとなり。
戒行 戒を持つこと。
三千の威儀 二百五十戒 (比丘の具足戒) を行住坐臥の四威儀に配列して一千とし、 さらにこれを過去、 未来、 現在の三世に繰り返して三千と数えたもの。
六万の斎行 戒を持つ数多くの善行、 または上に列挙した五戒等を総称したものか。
梵網の五十八戒 ¬
梵網経¼ に説く
十重禁戒と
四十八軽戒を合せたもの。 大乗戒とされる。
大乗一心金剛法戒 天台宗に相伝する菩薩戒 (円頓戒)。 ¬梵網経¼ に説く十重禁戒・四十八軽戒を内容とする。 その体徳は一心真如であり、 ひとたび得ればながく失うことがないので一心金剛法戒 (「法」 は 「宝」 とも書く) という。
「不簡破戒罪根深」 といふは、 「破戒」 は上にあらはすところのよろづの道俗の戒品をうけてやぶりすてたるもの、 これらをきらはずとなり。 「罪根深」 といふは、 *十悪・*五逆の悪人、 *謗法・*闡提の罪人、 おほよそ善根すくなきもの、 悪業おほきもの、 善心あさきもの、 悪心ふかきもの、 かやうのあさましきさまざまの罪ふかきひとを 「深」 といふ、 ふかしといふことばなり。 すべてよきひとあしきひと、 たふときひといやしきひとを、 無礙光仏の御ちかひにはきらはずえらばれず、 これをみちびきたまふをさきとしむねとするなり。 真実信心をうれば*実報土に生るとをしへたまへるを、 浄土真宗の正意とすとしるべしとなり。 「総迎来」 は、 すべてみな浄土へむかへ率てかへらしむといへるなり。
「但使回心多念仏」 といふは、 「但使回心」 はひとへに回心せしめよといふことばなり。 「回心」 といふは自力の心をひるがへし、 すつるをいふなり。 実報土に生るるひとはかならず金剛の信心のおこるを、 「*多念仏」 と申すなり。 「多」 は大のこころなり、 勝のこころなり、 増上のこころなり。 大はおほきなり。 勝はすぐれたり、 よろづの善にまされるとなり。 増上はよろづのことにすぐれたるなり。 これすなはち他力本願無上のゆゑなり。 自力のこころをすつといふは、 やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、 みづからが身をよしとおもふこころをすて、 身をたのまず、 あしきこころをかへりみず、 ひとすぢに*具縛の凡愚・屠沽の下類、 無礙光仏の不可思議の本願、 広大智慧の名号を信楽すれば、 煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。 具縛はよろづの煩悩にしばられたるわれらなり。 煩は身をわづらはす、 悩はこころをなやますといふ。 屠はよろづのいきたるものをころし、 *ほふるものなり、 これは*れふしといふものなり。 沽はよろづのものをうりかふものなり、 これはあき人なり。 これらを下類といふなり。
多念仏 元来は 「多く念仏すれば」 の意。 ここでは念仏の徳の超勝性をあらわす語とする。
具縛の凡愚屠沽の下類 「信巻」 (本) に引かれた
元照の ¬
阿弥陀経義疏¼ にある語。
戒度の ¬
聞持記¼ に、 この語を釈して、 「具縛の凡愚」 とは 「二惑の
煩悩をすべて持っている者」、 「屠沽の下類者」 とは 「生きものを殺す者 (屠)」、 「酒を商う者 (沽)」 で悪人としている。 →
補註4
ほふる 切りさばく。
れふし 猟師。 漁師。
「能令瓦礫変成金」 といふは、 「能」 はよくといふ。 「令」 はせしむといふ。 「瓦」 はかはらといふ。 「礫」 は*つぶてといふ。 「変成金」 は、 「変成」 はかへなすといふ。 「金」 はこがねといふ。 かはら・つぶてをこがねにかへなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。 れふし・あき人、 さまざまのものはみな、 いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。 如来の御ちかひを*ふたごころなく信楽すれば、 摂取のひかりのなかにをさめとられまゐらせて、 かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまふは、 すなはちれふし、 あき人などは、 いし・かはら・つぶてなんどをよくこがねとなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。 摂取のひかりと申すは、 阿弥陀仏の御こころにをさめとりたまふゆゑなり。 文のこころはおもふほどは申しあらはし候はねども、 *あらあら申すなり。 ふかきことはこれにておしはからせたまふべし。 この文は、 *慈愍三蔵と申す聖人の御釈なり。 震旦 (中国) には恵日三蔵と申すなり。
つぶて 小石。
ふたごころなく 一心に。 疑いなく。
あらあら だいたい。 ざっと。
【4】 「▲*極楽無為涅槃界 随縁雑善恐難生 故使如来選要法 教念弥陀専復専」 (法事讃・下)
極楽無為… 「極楽は無為涅槃の界なり。 随縁の雑善おそらくは生じがたし。 ゆゑに如来要法を選びて、 教へて弥陀を念ぜしめて、 もつぱらにしてまたもつぱらならしめたまへり」 (真仏土巻訓)
「極楽無為涅槃界」 といふは、 「極楽」 と申すはかの安楽浄土なり、 よろづのたのしみつねにして、 くるしみまじはらざるなり。 かのくにをば安養といへり。 曇鸞和尚は、 「▲ほめたてまつりて安養と申す」 とこそのたまへり。 また ¬論¼ (浄土論) には、 「▲蓮華蔵世界」 ともいへり、 「無為」 ともいへり。 「涅槃界」 といふは無明のまどひをひるがへして、 無上涅槃のさとりをひらくなり。 「界」 はさかひといふ、 さとりをひらくさかひなり。 大涅槃と申すに、 その名無量なり、 くはしく申すにあたはず、 *おろおろその名をあらはすべし。 「*涅槃」 をば*滅度といふ、 *無為といふ、 *安楽といふ、 *常楽といふ、 *実相といふ、 *法身といふ、 *法性といふ、 *真如といふ、 *一如といふ、 *仏性といふ。 仏性すなはち如来なり。 この如来、 *微塵世界にみちみちたまへり、 すなはち一切群生海の*心なり。 この心に誓願を信楽するがゆゑに、 この信心すなはち仏性なり、 仏性すなはち法性なり、 法性すなはち法身なり。 法身はいろもなし、 かたちもましまさず。 しかれば、 こころもおよばれず、 ことばもたえたり。 *この一如よりかたちをあらはして、 *方便法身と申す御すがたをしめして、 *法蔵比丘となのりたまひて、 不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば、 世親
おろおろ 不十分ながら。 ざっと。
心なり 「心にみちたまへるなり。 草木国土ことごとく、 みな成仏すと説けり」 とする異本がある。
「随縁ずいえん雑善ぞうぜん恐く難なん生しょう」 といふは、 「随縁ずいえん」 は衆しゅ生じょうのおのおのの縁えんにしたがひて、 おのおののこころにまかせて、 もろもろの善ぜんを修しゅするを極楽ごくらくに回え向こうするなり、 すなはち*八万はちまん四し千せんの法門ほうもんなり。 これはみな自じ力りきの善根ぜんごんなるゆゑに*実じっ報ぽう土どには生うまれずと、 きらはるるゆゑに 「恐く難なん生しょう」 といへり。 「恐く」 はおそるといふ、 真しんの報ほう土どに雑善ぞうぜん・自じ力りきの善ぜん生うまるといふことをおそるるなり。 「難なん生しょう」 は生うまれがたしとなり。
八万四千の法門 八万四千は多数の意。 仏の説いた教法全体のことであるが、 親鸞聖人は本願 (第十八願) の法以外の自力方便の教えの意とする。 「化身土巻」
394頁6行以下参照。
「故使こし如来にょらい選せん要法ようぼう」 といふは、 釈しゃ迦か如来にょらい、 よろづの善ぜんのなかより名みょう号ごうをえらびとりて、 五ご濁じょく悪あく時じ・悪あく世せ界かい・悪あく衆しゅ生じょう・邪見じゃけん無む信しんのものにあたへたまへるなりとしるべしとなり。 これを 「選せん」 といふ、 ひろくえらぶといふなり。 「要よう」 はもつぱらといふ、 もとむといふ、 ちぎるといふなり。 「法ほう」 は名みょう号ごうなり。
「教きょう念ねん弥陀みだ専せん復ぶ専せん」 といふは、 「教きょう」 はをしふといふ、 のりといふ、 釈しゃく尊そんの教勅きょうちょくなり。 「念ねん」 は心しんにおもひさだめて、 *ともかくもはたらかぬこころなり。 すなはち選せん択じゃく本願ほんがんの名みょう号ごうを*一向いっこう専修せんじゅなれとをしへたまふ御みことなり。 「専せん復ぶ専せん」 といふは、 はじめの 「専せん」 は一いち行ぎょうを修しゅすべしとなり。 「復ぶ」 はまたといふ、 かさぬといふ。 しかれば、 また 「専せん」 といふは一心いっしんなれとなり、 一いち行ぎょう一心いっしんをもつぱらなれとなり。 「専せん」 は一いちといふことばなり。 もつぱらといふはふたごころなかれとなり。 ともかくもうつるこころなきを 「専せん」 といふなり。 この一いち行ぎょう一心いっしんなるひとを 「▲*摂取せっしゅして捨すてたまはざれば阿あ弥陀みだとなづけたてまつる」 (礼讃) と、 光こう明みょう寺じの和か尚しょう (善導) はのたまへり。 この一心いっしんは*横おう超ちょうの信心しんじんなり。 横おうはよこさまといふ、 超ちょうはこえてといふ。 よろづの法ほうにすぐれて、 すみやかに疾とく*生しょう死じ海かいをこえて*仏ぶっ果かにいたるがゆゑに超ちょうと申もうすなり。 これすなはち大だい悲ひ誓願せいがん力りきなるがゆゑなり。 この信心しんじんは摂取せっしゅのゆゑに金剛こんごう心しんとなれり。 これは ¬大だい経きょう¼ の本願ほんがんの*三さん信心しんじんなり。 この真実しんじつ信心しんじんを、 世せ親しん菩ぼ薩さつ (天親) は「*願がん作さ仏ぶつ心しん」 とのたまへり。 この信しん楽ぎょうは仏ぶつにならんとねがふと申もうすこころなり。 この願がん作さ仏ぶつ心しんはすなはち*度ど衆しゅ生じょう心しんなり。 この度ど衆しゅ生じょう心しんと申もうすは、 すなはち衆しゅ生じょうをして生しょう死じの大海だいかいをわたすこころなり。 この信しん楽ぎょうは衆しゅ生じょうをして*無む上じょう涅ね槃はんにいたらしむる心しんなり。 この心しんすなはち大だい菩ぼ提だい心しんなり、 大だい慈じ大だい悲ひ心しんなり。 この信心しんじんすなはち仏ぶっ性しょうなり、 すなはち如来にょらいなり。 この信心しんじんをうるを慶きょう喜きといふなり。 慶きょう喜きするひとは諸仏しょぶつとひとしきひととなづく。 *慶きょうはよろこぶといふ、 信心しんじんをえてのちによろこぶなり。 喜きはこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ。 うべきことをえてのちに、 身みにもこころにもよろこぶこころなり。 信心しんじんをえたるひとをば、 「分ふん陀利だり華け」 (観経) とのたまへり。 この信心しんじんをえがたきことを、 ¬経きょう¼ (称讃浄土経) には、 「*極ごく難信なんしん法ぼう」 とのたまへり。 しかれば、 ¬大だい経きょう¼ (下) には、 「▲若にゃく聞もん斯し経きょう 信しん楽ぎょう受じゅ持じ 難なん中ちゅう之し難なん 無過むか此し難なん」 とをしへたまへり。 この文もんのこころは、 「もしこの経きょうを聞ききて信しんずること、 難かたきがなかに難かたし、 これにすぎて難かたきことなし」 とのたまへる御みのりなり。 釈しゃ迦か牟尼むに如来にょらいは、 五ご濁じょく悪あく世せに出いでてこの難信なんしんの法ほうを行ぎょうじて無む上じょう涅ね槃はんにいたると説ときたまふ。 さてこの智慧ちえの名みょう号ごうを濁じょく悪あくの衆しゅ生じょうにあたへたまふとのたまへり。 十方じっぽう諸仏しょぶつの証誠しょうじょう、 恒沙ごうじゃ如来にょらいの護ご念ねん、 ひとへに真実しんじつ信心しんじんのひとのためなり。 釈しゃ迦かは慈父じぶ、 弥陀みだは悲母ひもなり。 われらがちち・はは、 種々しゅじゅの方便ほうべんをして*無む上じょうの信心しんじんをひらきおこしたまへるなりとしるべしとなり。 おほよそ過去かこ久く遠おんに、 ▲三さん恒ごう河が沙しゃの諸仏しょぶつの世よに出いでたまひしみもとにして、 自じ力りきの菩ぼ提だい心しんをおこしき。 恒沙ごうじゃの善根ぜんごんを修しゅせしによりて、 いま願力がんりきに*まうあふことを得えたり。 他た力りきの三信心しんじんをえたらんひとは、 ゆめゆめ余よの善根ぜんごんをそしり、 *余よの仏ぶっ聖しょうを*いやしうすることなかれとなり。
摂取… 「摂おさめとりたまふとなり」 (左訓)
慶は… 親鸞聖人は慶 (慶喜・慶楽) をすでにわが身の上に実現していることがら (現生で
正定しょうじょう聚じゅの位に入ること) をよろこぶ意とし、 歓喜を必ず実現すると定まっていることがら (往生成仏の果) を待望してよろこぶ意とする。 ¬一多証文¼
684頁14行以下参照。
極難信法 きわめて信じ難い法。 自力の心では決して信じることができないという意。 本願救済の法は、 世間の常識的な道理を超越しているから、 自力にとらわれた心では信じ難い法であるということ。 そのことはまたこの法の尊高をあらわしている。
無上の信心 阿弥陀仏のこの上ない智慧ちえをたまわった信心。 他力の信心のこと。
まうあふ あいたてまつる。 ¬一多証文¼ に 「まうあふと申すは、 本願力を信ずるなり」 とある。
余の仏聖 阿弥陀仏以外の仏菩薩等の聖しょう者じゃ。
いやしうする さげすむ。
【5】 「▲具ぐ三心さんしん者しゃ必ひっ生しょう彼ひ国こく」 (観経) といふは、 三心さんしんを具ぐすればかならずかの国くにに生うまるとなり。 しかれば善導ぜんどうは、 ▲「*具ぐ此し三心さんしん 必得ひっとく往おう生じょう也や 若にゃく少しょう一心いっしん 即そく不ふ得とく生しょう」 (礼讃) とのたまへり。 「具ぐ此し三心さんしん」 といふは、 三みつの心しんを具ぐすべしとなり。 「必得ひっとく往おう生じょう」 といふは、 「必ひつ」 はかならずといふ。 「得とく」 はうるといふ、 うるといふは往おう生じょうをうるとなり。 「若にゃく少しょう一心いっしん」 といふは、 「若にゃく」 はもしといふ、 ごとしといふ。 「少しょう」 はかくるといふ、 すくなしといふ。 一心いっしんかけぬれば生うまれずといふなり。 一心いっしんかくるといふは信心しんじんのかくるなり、 信心しんじんかくといふは本願ほんがん真実しんじつの三さん信心しんじんのかくるなり。 ¬観かん経ぎょう¼ の三心さんしんをえてのちに ¬大だい経きょう¼ の三さん信心しんじんをうるを、 一心いっしんをうるとは申もうすなり。 このゆゑに ¬大だい経きょう¼ の三さん信心しんじんをえざるをば、 一心いっしんかくると申もうすなり。 この一心いっしんかけぬれば、 真しんの報ほう土どに生うまれずといふなり。 ¬観かん経ぎょう¼ の三心さんしんは*定じょう散さん二機にきの心しんなり。 *定じょう散さん二に善ぜんを*回えして、 ¬大だい経きょう¼ の三信さんしんをえんとねがふ方便ほうべんの深心じんしんと至し誠じょう心しんとしるべし。 真実しんじつの三さん信心しんじんをえざれば、 「即そく不ふ得とく生しょう」 といふなり。 「即そく」 はすなはちといふ、 「不ふ得とく生しょう」 といふは生うまるることをえずといふなり。 三信さんしんかけぬるゆゑにすなはち報ほう土どに生うまれずとなり。 雑ぞう行ぎょう雑ざっ修しゅして定じょう機き・散さん機きの人ひと、 他た力りきの信心しんじんかけたるゆゑに、 *多た生しょう曠劫こうごうをへて他た力りきの一心いっしんをえてのちに真実しんじつ報ほう土どに生うまるべきゆゑに、 すなはち生うまれずといふなり。 もし胎たい生しょう辺へん地じに生うまれても五ご百ひゃく歳さいをへ、 あるいは億千おくせん万衆まんしゅのなかに、 ときにまれに一人いちにん、 真しんの報ほう土どにはすすむとみえたり。 三信さんしんをえんことをよくよくこころえねがふべきなり。
具此三心… 「この三心を具してかならず往生を得るなり。 もし一心少かけぬればすなわち生を得ず」
定散二機を…ねがふ この一説で回え向こう発願ほつがん心しんを釈している ([回向」 = 「回して]、 [発願」 = 「ねがふ」) から、 下には深心じんしんと至し誠じょう心しんの二心のみをあげている。
回して ここでの 「回」 は回転、 回捨の意。 ひるがえし捨てて。
多生曠劫 多くの生を重ねる無限に長い時間。
【6】 「▲*不ふ得とく外げ現げん賢善けんぜん精しょう進じん之し相そう」 (散善義) といふは、 あらはに、 かしこきすがた、 善人ぜんにんのかたちをあらはすことなかれ、 精しょう進じんなるすがたをしめすことなかれとなり。 そのゆゑは 「内ない懐え虚仮こけ」 なればなり。 「内ない」 はうちといふ。 こころのうちに煩悩ぼんのうを具ぐせるゆゑに虚こなり、 仮けなり。 「虚こ」 はむなしくして実じつならぬなり。 「仮け」 はかりにして真しんならぬなり。 *このこころは上かみにあらはせり。 この信心しんじんはまことの浄じょう土どのたねとなり、 みとなるべしと。 いつはらず、 へつらはず、 実じっ報ぽう土どのたねとなる信心しんじんなり。 しかれば、 われらは善人ぜんにんにもあらず、 賢人けんじんにもあらず。 賢人けんじんといふは、 かしこくよきひとなり。 精しょう進じんなるこころもなし、 懈け怠だいのこころのみにして、 うちはむなしく、 いつはり、 かざり、 へつらふこころのみつねにして、 まことなるこころなき身みなりとしるべしとなり。 「斟しん酌しゃくすべし」 (唯信鈔) といふは、 ことのありさまにしたがうて、 はからふべしといふことばなり。
不得外現… 「散善義」 にはこの文に続いて 「内懐虚仮」 とある。 親鸞聖人は 「外ほかに賢善精進の相を現ずることを得ざれ、 内に虚仮を懐いだいて」 (信巻訓) と読んでいる。
このこころは…信心なり [しかれば、 いまこの世を如来のみのりに末法悪世とさだめたまへるゆゑは、 一切有う情じょうまことのこころをなくして、 師長を軽慢し、 父母に孝せず、 朋友に信なくして、 悪をのみこのむゆゑに、 世間・出世みな心口各異、 言念無実なりとをしへたまへり。 心口各異といふは、 こころとくちにいふこと、 みなおのおのことなり。 言念無実といふは、 ことばとこころのうちと実なしといふなり。 実はまことといふことばなり。 この世の人は無実のこころのみにして、 浄土をねがふ人はいつはり、 へつらひのこころのみなりときこえたり。 世をすつるも名のこころ、 利のこころをさきとするゆゑなり」 とする異本がある。
【7】 「▲不ふ簡けん破は戒かい罪根ざいこん深じん」 (五会法事讃) といふは、 もろもろの戒かいをやぶり、 罪つみふかきひとをきらはずとなり。 このやうは、 はじめにあらはせり。 よくよくみるべし。
【8】 「▲*乃ない至し十じゅう念ねん 若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 (大経・上) といふは、 選せん択じゃく本願ほんがん (第十八願) の文もんなり。 この文もんのこころは、 「乃ない至し十じゅう念ねんの御みなをとなへんもの、 もしわがくにに生うまれずは、 仏ぶつに成ならじ」 とちかひたまへる本願ほんがんなり。 「乃ない至し」 は、 かみしもと、 おほきすくなき、 ちかきとほきひさしきをも、 みなをさむることばなり。 多た念ねんにとどまるこころをやめ、 一念いちねんにとどまるこころをとどめんがために、 法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつの願がんじまします御おんちかひなり。
乃至十念… 「乃至十念せん。 もし生まれざれば、 正覚を取らじ」 (行巻訓)
【9】 「▲*非ひ権ごん非ひ実じつ」 (唯信鈔) といふは、 *法ほっ華け宗しゅうのをしへなり。 浄じょう土ど真しん宗しゅうのこころにあらず、 聖しょう道どう家けのこころなり。 かの宗しゅうのひとにたづぬべし。
非権非実 「中道実相の教なり」 (左訓) 方便 (権) と真実 (実) を差別する立場を越えた絶対真実の教えで、 中道とも実相ともいう。
【10】「▲汝にょ若にゃく不ふ能のう念ねん」 (観経) といふは、 五ご逆ぎゃく・十悪じゅうあくの罪人ざいにん、 *不ふ浄じょう説法せっぽうのもの、 *やまふのくるしみにとぢられて、 こころに弥陀みだを念ねんじたてまつらずは、 ただ口くちに南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつととなへよとすすめたまへる御みのりなり。 これは称名しょうみょうを本願ほんがんと誓ちかひたまへることをあらはさんとなり。 「▲応おう称しょう無む量りょう寿じゅ仏ぶつ」 (観経) とのべたまへるは、 このこころなり。 「応おう称しょう」 はとなふべしとなり。
不浄説法 自己の名誉や利益のために教法を説くこと。
やまふ 病気。
【11】「▲*具ぐ足そく十じゅう念ねん 称しょう南無なも無む量りょう寿じゅ仏ぶつ 称しょう仏ぶつ名みょう故こ 於お念々ねんねん中ちゅう 除じょ八はち十じゅう億劫おくこう生しょう死じ之し罪ざい」 (観経) といふは、 五ご逆ぎゃくの罪人ざいにんはその身みに罪つみをもてること、 *十と八はち十じゅう億劫おくこうの罪つみをもてるゆゑに、 十じゅう念ねん南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつととなふべしとすすめたまへる御みのりなり。 一念いちねんに十と八はち十じゅう億劫おくこうの罪つみを消けすまじきにはあらねども、 五ご逆ぎゃくの罪つみのおもきほどをしらせんがためなり。 「十じゅう念ねん」 といふは、 ただ口くちに十返じっぺんをとなふべしとなり。 しかれば、 選せん択じゃく本願ほんがん (第十八願) には、 「▲若にゃく我が成じょう仏ぶつ 十方じっぽう衆しゅ生じょう 称しょう我が名みょう号ごう 下至げし十じっ声しょう 若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 (礼讃) と申もうすは、 弥陀みだの本願ほんがんは、 とこゑまでの衆しゅ生じょうみな往おう生じょうすとしらせんとおぼして十じっ声しょうとのたまへるなり。 念ねんと声しょうとはひとつこころなりとしるべしとなり。 念ねんをはなれたる声しょうなし、 声しょうをはなれたる念ねんなしとなり。
具足十念… ¬観経¼ の原文では 「無量寿」 は 「阿弥陀」 となっている。
十八十億劫 八十億劫の十倍の意味。 一念で八十億劫の罪が除かれ、 十念で十八十億劫の罪が除かれる。
この文もんどものこころは、 おもふほどは申もうさず、 *よからんひとにたづぬべし。 ふかきことは、 これにてもおしはかりたまふべし。
よからんひと 浄土の教えをよく知っている人。
南無なも阿あ弥陀みだ仏
*ゐなかのひとびとの、 文もん字じのこころもしらず、 あさましき愚痴ぐちきはまりなきゆゑに、 やすくこころえさせんとて、 おなじことを、 たびたびとりかへしとりかへし書かきつけたり。 こころあらんひとは、 をかしくおもふべし、 あざけりをなすべし。 しかれども、 おほかたのそしりをかへりみず、 ひとすぢに愚おろかなるものを、 こころえやすからんとてしるせるなり。
ゐなかの… ¬一多証文¼ にも同様の跋文がある。
*康元こうげん二に歳さい正しょう月がつ二に十じゅう七日しちにち 愚ぐ禿とく親鸞しんらん八はち十じゅう五ご歳さいこれを書写しょしゃす。
康元二歳 1257年。