唯信ゆいしんしょうもん

 

釈題号

【1】 ^ゆいしんしょう」 といふは、

「唯信抄」といふは、

^ゆい」 はただこのことひとつといふ、 ふたつ*ならぶことをきらふことばなり。 また 「ゆい」 はひとりといふこころなり。

「唯」はたゞこのことひとつといふ、 ふたつならぶことをきらふことばなり。 また「唯」はひとりといふこゝろなり。

^しん」 はうたがひなきこころなり、 すなはちこれ*真実しんじつ信心しんじんなり、 *虚仮こけはなれたるこころなり。 はむなしといふ、 はかりなるといふことなり。 じつならぬをいふ、 しんならぬをいふなり。 *本願ほんがん*りき*たのみて*りきをはなれたる、 これを 「*唯信ゆいしん」 といふ。

「信」はうたがひなきこゝろなり、 すなわちこれ真実の信心也、 虚仮はなれたるこゝろなり。 虚はむなしといふ、 仮はかりなるといふことなり。 虚は実ならぬをいふ、 仮は真ならぬをいふ也。 本願他力をたのみて自力をはなれたる、 これを唯信といふ。

^しょう」 はすぐれたることをぬきいだしあつむることばなり。 このゆゑに 「唯信ゆいしんしょう」 といふなり。

「鈔」はすぐれたることをぬきいだしあつむることば也。 このゆへに唯信鈔といふ也。

^また 唯信ゆいしん」 は、 これこのりき信心しんじんのほかにのこと*ならはずとなり。 すなはち*ほんぜいがんなるがゆゑなればなり。

また「唯信」は、 これこの他力の信心のほかによのことならはずとなり。 すなわち本弘誓願なるがゆへなればなり。

釈引文
  第一文
    本文

【2】 ^如来にょらい尊号そんごうじんぶんみょう 十方じっぽうかいぎょう たん称名しょうみょうかい得往とくおう 観音かんのんせい来迎らいこう(*五会法事讃)

「如来尊号甚分明 十方世界普流行 但有称名皆得往 観音勢至自来迎」

二 Ⅰ 釈文
      正釈
        釈第一句

 ^如来にょらい尊号そんごうじんぶんみょう」、 このこころは、

「如来尊号甚分明」、 このこゝろは、

^如来にょらい」 ともうすは*無礙むげこう如来にょらいなり。

「如来」とまふすは无光如来也。

^*そんごう」 ともうすは*南無なも弥陀みだぶつなり。 ^そん」 はたふとくすぐれたりとなり。 ^ごう」 はぶつりたまうてのちのなをもうす、 みょうはいまだぶつりたまはぬときのなをもうすなり。 この如来にょらい尊号そんごうは、 *不可ふかしょう不可ふかせつ不可ふか思議しぎにましまして一切いっさいしゅじょうをしてじょうだいはつはんにいたらしめたまふだいだいのちかひのななり。 このぶつなは、 よろづの如来にょらい*みょうごうにすぐれたまへり。 これすなはち*誓願せいがんなるがゆゑなり。

「尊号」とまふすは南无阿弥陀仏なり。 「尊」はたふとくすぐれたりと也。 「号」は仏になりたまふてのちの御なをまふす、 名はいまだ仏になりたまはぬときの御なをまふす也。 この如来の尊号は、 不可称不可説不可思議にましますゆへに、 一切衆生をして无上大般涅槃にいたらしめたまふ大慈大悲のちかひの御号なり。 この仏の御なは、 よろづの如来の名号にすぐれたまへり。 これすなわち誓願なるがゆへなり。

^じんぶんみょう」 といふは、 ^じん」 ははなはだといふ、 すぐれたりといふこころなり。 ^ぶん」 はわかつといふ、 よろづのしゅじょうごとにとわかつこころなり。 ^みょう」 はあきらかなりといふ。 十方じっぽう一切いっさいしゅじょうをことごとくたすけみちびきたまふこと、 あきらかにわかちすぐれたまへりとなり。

「甚分明」といふは、 「甚」ははなはだといふ、 すぐれたりといふこゝろ也。 「分」はわかつといふ、 よろづの衆生とわかつこゝろ也。「明」はあきらかなりといふ。 十方一切衆生をことごとくわかちたすけみちびきたまふことあきらかなり。 あわれみたまふことすぐれたまへりと也。

二 Ⅰ ⅱ a 釈第二句

 ^十方じっぽうかいぎょう」 といふは、 ^」 はあまねく、 ひろく、 きはなしといふ。 ^ぎょう」 は*十方じっぽうじんかいにあまねくひろまりて、 すすめ*ぎょうぜしめたまふなり。 しかれば、 *だいしょうしょうにん善悪ぜんあく*ぼん、 みなともにりき智慧ちえをもつてはだいはんにいたることなければ、 無礙むげこうぶつおんかたちは、 智慧ちえのひかりにてましますゆゑに、 このぶつ*願海がんかいにすすめれたまふなり。 一切いっさい諸仏しょぶつ智慧ちえをあつめたまへるおんかたちなり。 こうみょう智慧ちえなりとしるべしとなり。

「十方世界普流行」といふは、 「普」はあまねく、 ひろく、 きわなしといふ。 「流行」は十方微塵世界にあまねくひろまりて、 仏教をすゝめ行ぜしめたまふ也。 しかれば、 大乗の聖人・小乗の聖人、 善人・悪人・一切凡夫、 みなともに自力の智慧をもては大涅槃にいたることなければ、 无光仏の御かたちは、 智慧のひかりにてましますゆへに、 この如来の智願海にすゝめいれたまふ也。 一切諸仏の智慧をあつめたまへる御かたち也。 光明は智慧也としるべし。

二 Ⅰ ⅱ a 釈第三句

 ^たん称名しょうみょう*かい得往とくおう」 といふは、 ^たん」 はひとへになをとなふるひとのみ、 みな*おうじょうすとのたまへるなり。 かるがゆゑに 「称名しょうみょうかい得往とくおう」 といふなり。

「但有称名皆得往」といふは、 「但有」はひとへに御なをとなふるひとのみ、 みな極楽浄土に往生すとなり。 かるがゆへに称名皆得往とのたまへるなり。

二 Ⅰ ⅱ a 釈第四句

 ^観音かんのんせい来迎らいこう」 といふは、 ^南無なも弥陀みだぶつ智慧ちえみょうごうなれば、 この不可ふか思議しぎこうぶつなを*信受しんじゅして*憶念おくねんすれば、 *観音かんのん*せいはかならずかげのかたちにそへるがごとくなり。 この無礙むげこうぶつ観音かんのんとあらはれ、 せいとしめす。 *あるきょうには、 観音かんのん*ほうおうしょうさつとなづけて*日天にってんとしめす。 これは*みょう*黒闇こくあんをはらはしむ。 せい*ほうきっしょうさつとなづけて*がつてんとあらはる。 *しょう*じょうらして智慧ちえをひらかしめんとなり。

「観音勢至自来迎」といふは、 南无阿弥陀仏は智慧の名号なれば、 この不可思議の智慧光仏の御なを信受して憶念すれば、 観音・勢至はかならすかげのかたちにそえるがごとく也。 この无光仏は観音とあらわれ、 勢至としめす。 ある経には、 観音を宝応声菩薩となづけて日天子としめす。 これはよろづの衆生の无明の黒闇をはらわしむ。 勢至を宝吉祥菩薩となづけて月天子とあらわる。 生死の長夜をてらして智慧をひらかしむる也。

^来迎らいこう」 といふは、 「」 はみづからといふなり。 弥陀みだしゅぶつしゅ観音かんのんだいせいとうりょうしゅしょうじゅみづからつねに、 ときをきらはず、 ところをへだてず、 *真実しんじつ信心しんじんをえたるひとにそひたまひてまもりたまふゆゑに、 みづからともうすなり。

「自来迎」といふは、 「自」はみづからといふ。 弥陀无数の化仏・无数の化観音・化大勢至等の无量无数の聖衆みづからつねに、 ときをきらはず、 ところをへだてず、 真実信心をえたる人にそひたまひてまもりたまふゆへに、 みづからとまふす也。

^また 「」 はおのづからといふ。 おのづからといふは*ねんといふ。 ねんといふはしからしむといふ。 しからしむといふは、 ぎょうじゃ*はじめて*ともかくもはからはざるに、 過去かここんじょうらい一切いっさいつみてんず。 てんずといふは、 *ぜんとかへなすをいふなり。 もとめざるに一切いっさい*どく*善根ぜんごんぶつのちかひをしんずるひとしむるがゆゑに、 しからしむといふ。 はじめてはからはざればねんといふなり。

また「自」はおのづからといふ。 おのづからといふは自然といふ。 自然といふはしからしむといふ。 しからしむといふは、 行者のはじめてともかくもはからはざるに、 過去・今生・未来の一切のつみを善に転じかへなすといふなり。 転ずといふは、 つみをけしうしなはずして善になす也、 よろづの水大海にいればすなわちうしほとなるがごとし。 弥陀の願力を信ずるゆへに、 如来の功徳をえしむるがゆへに、 しからしむといふ。 はじめて功徳をえむとはからはざれば自然といふ也。

誓願せいがん真実しんじつ信心しんじんをえたるひとは、 *摂取せっしゅしゃおんちかひにをさめとりてまもらせたまふによりてぎょうにんのはからひにあらず、 金剛こんごう信心しんじんをうるゆゑに憶念おくねんねんなるなり。 この信心しんじんのおこることも、 しゃ慈父じぶ弥陀みだ悲母ひも方便ほうべんによりておこるなり。 これねんやくなりとしるべしとなり。

誓願真実の信心をえたる人は、 摂取不捨の御ちかひにおさめとりてまもらせたまふによりて行人のはからひにあらず、 金剛の信心となるゆへに正定聚のくらゐに住すといふ。 このこゝろになれば憶念の心自然におこるなり。 この信心のおこることも、 釈迦の慈父・弥陀の悲母の方便によりて无上の信心を発起せしめたまふとみえたり。 これ自然の利益也としるべし。

^*らいこう」 といふは、 らい」 はじょうへきたらしむといふ、 これすなはち*にゃくしょうじゃのちかひをあらはすのりなり。 *穢土えどをすてて*真実しんじつほうにきたらしむとなり、 すなはち*りきをあらはすことなり。

「来迎」といふは、 「来」は浄土へきたらしむといふ、 これすなわち若不生者のちかひをあらはす御のり也。 穢土をすてゝ真実の報土にきたらしむと也、 すなわち他力をあらはす御ことなり。

^また 「らい」 はかへるといふ。 かへるといふは、 願海がんかいりぬるによりてかならずだいはんにいたるを、 *ほっしょうのみやこへかへるともうすなり。 ほっしょうのみやこといふは、 *法身ほっしんもう如来にょらいのさとりをねんにひらくときを、 みやこへかへるといふなり。 これを、 *真如しんにょ*実相じっそうしょうすとももうす、 *無為むい法身ほっしんともいふ、 *めついたるともいふ、 ほっしょう*じょうらくしょうすとももうすなり。 このさとりをうれば、 すなはちだいだいきはまりて*しょうかいにかへりりてよろづの*じょうをたすくるを、 *げんとくせしむともうす。 このやくにおもむくを 「らい」 といふ。 これをほっしょうのみやこへかへるともうすなり。

また「来」はかへるといふ。 かへるといふは、 願海にいりぬるによりてかならず大涅槃にいたるを、 法性のみやこへかへるとまふす也。 法性のみやこといふは、 法身とまふす如来のさとりを自然にひらく也、 さとりひらくときを法性のみやこへかへるとまふす也。 これを、 真如実相を証すともいふ、 無為法身ともいふ、 滅度にいたるともいふ、 法性の常楽を証すともいふ、 无上覚にいたるともまふす也。 このさとりをうれば、 すなわち大慈大悲きわまりて生死海にかへりいりてよろづの有情をたすくるを、 普賢の徳に帰せしむといふ也。 この利益におもむくを来といふ。 これを法性のみやこへかへるといふなり。

^こう」 といふはむかへたまふといふ、 まつといふこころなり。

「迎」といふはむかへたまふといふ、 まつといふこゝろ也。

二 Ⅰ ⅱ 追演
        述皆得往義

^せんじゃく思議しぎ本願ほんがんじょう智慧ちえ尊号そんごうをききて、 一念いちねんうたがふこころなきを真実しんじつ信心しんじんといふなり。 *金剛こんごうしんともなづく。 この*しんぎょうをうるときかならず摂取せっしゅしててたまはざれば、 すなはち*正定しょうじょうじゅくらいさだまるなり。 このゆゑに信心しんじんやぶれず、 かたぶかず、 みだれぬこと金剛こんごうのごとくなるがゆゑに、 金剛こんごう信心しんじんとはもうすなり。 これを 「こう」 といふなり。

選択不思議の本願の尊号、 无上智慧の信心をきゝて、 一念もうたがふこゝろなければ真実信心といふ。 この信心をうれば、 等正覚にいたりて補処の弥勒におなじくして无上覚をなるべしといへり、 すなわち正定聚のくらゐにさだまるなり。 このゆへに信心やぶれず、 かたぶかず、 みだれぬこと金剛のことなりと。 しかれば金剛の信心といふ也。

^¬*だいきょう¼ (下) には、 「*がんしょうこく 即得そくとくおうじょう じゅ退転たいてん」 とのたまへり。 ^がんしょうこく」 は、 かのくににうまれんとねがへとなり。 ^即得そくとくおうじょう」 は、 信心しんじんをうればすなはちおうじょうすといふ。 すなはちおうじょうすといふは*退転たいてんじゅうするをいふ。 退転たいてんじゅうすといふはすなはち正定しょうじょうじゅくらいさだまるとのたまふのりなり。 これを 「即得そくとくおうじょう」 とはもうすなり。 ^そく」 はすなはちといふ。 すなはちといふは、 ときをへず、 をへだてぬをいふなり。

¬大経¼には、 「願生彼国、 即得往生、 住不退転」とのたまへり。 「願生彼国」は、 かのくにゝむまれむとねがへと也。 「即得往生」は、 信心をうればすなわち往生すといふ。 すなわち往生すといふは不退転に住するをいふ。 不退転に住すといふはすなわち正定聚のくらゐにさだまるなり、 成等正覚ともいへり。 これを即得往生といふ也。 「即」はすなわちといふ。 すなわちといふは、 ときをへず、 日をへだてぬをいふなり。

二 Ⅰ ⅱ b 述普流行義

^おほよそ十方じっぽうかいにあまねくひろまることは、 *法蔵ほうぞうさつ*じゅうはち大願だいがんのなかに、 だいじゅうしちがんに、 「十方じっぽうりょう諸仏しょぶつにわがなをほめられん、 となへられん」ちかひたまへるいちじょうだいかい誓願せいがんじょうじゅしたまへるによりてなり。 ¬*弥陀みだきょう¼ の*証誠しょうじょうねんのありさまにてあきらかなり。 証誠しょうじょうねんおんこころは、 ¬だいきょう¼ にもあらはれたり。 また*称名しょうみょう本願ほんがんせんじゃくしょういんたること、 こがんにあらはれたり。

おほよそ十方世界にあまねくひろまることは、 法蔵菩薩の四十八の大願の中に、 第十七の願に、 十方无量の諸仏にわがなをほめられ、 となえられむとちかひたまへる、 一乗大智海の誓願を成就したまへるによりて也。 ¬阿弥陀経¼の証誠護念のありさまにてあきらかなり。 証誠護念の御こゝろは、 ¬大経¼にもあらわれたり。 すでに称名の本願は選択の正因たること、 悲願にあらわれたり。

二 Ⅰ 叙謝

^このもんのこころはおもふほどはもうさず。 これにておしはからせたまふべし。

この文のこゝろはおもふほどはまふさず。 これにておしはからせたまふべし。

二 Ⅰ 作者

^このもんは、 善導ぜんどう*ほっしょうぜんもうしょうにんしゃくなり。 このしょうをば*法道ほうどうしょうと、 *かくだいはのたまへり。 また ¬*でん¼ には*ざん*弥陀みだしょうとももうす、 *じょうごうしょうとももうす。 *とうちょう*こうみょう*善導ぜんどうしょうしんなり、 このゆゑに善導ぜんどうもうすなり。

この文は、 後善導法照禅師とまふす聖人の御釈也。 この和尚おば法道和尚と、 慈覚大師はのたまへり。 また¬伝¼には廬山の弥陀和尚ともまふす、 浄業和尚ともまふす。 唐朝の光明寺の善導和尚の化身なり、 このゆへに後善導とまふすなり。

第二文
    本文

【3】 ^*ぶついんちゅうりゅうぜい もんみょうねんそう迎来こうらい けんびんしょう富貴ふき けん下智げち高才こうざい けんもんじょうかい けんかい罪根ざいこんじん たん使しん念仏ねんぶつ のうりょうりゃくへんじょうこん(五会法事讃)

「彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来 不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才 不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深 但使廻心多念仏 能令瓦礫変成金」

二 Ⅱ 釈文
      釈第一句

 ^ぶついんちゅうりゅうぜい」、 このこころは、 ^」 はかのといふ。 「ぶつ」 は*弥陀みだぶつなり。 ^いんちゅう」 は法蔵ほうぞうさつと申ししときなり。 ^りゅうぜい」 は、 「りゅう」 はたつといふ、 なるといふ。 「」 はひろしといふ、 ひろまるといふ。 「せい」 はちかひといふなり。 法蔵ほうぞう比丘びくちょうじょうのちかひをおこして、 ひろくひろめたまふともうすなり。 ちょうは、 ぶつおんちかひにすぐれたまへりとなり。 ちょうはこえたりといふは、 うへなしともうすなり。 如来にょらいぜいをおこしたまへるやうは、 この ¬ゆいしんしょう¼ にくはしくあらはれたり。

「彼仏因中立弘誓」、 このこゝろは、 「彼」はかのといふ。 「仏」は阿弥陀仏なり。 「因中」は法蔵菩薩とまふししとき也。 「立弘誓」は、 「立」はたつといふ、 なるといふ。 「弘」はひろしといふ、 ひろまるといふ。 「誓」はちかひといふ。 法蔵比丘、 超世无上のちかひをおこして、 ひろくひろめたまふと也。 超世は、 よの仏の御ちかひにすぐれたまへりと也。 超はこえたりといふ、 うえなしとなり。 如来の弘誓をおこしたまへるやうは、 この¬唯信鈔¼にくわしくあらわせり。

二 Ⅱ ⅱ 釈第二句

 ^もんみょうねん」 といふは、 ^*もん」 はきくといふ、 *信心しんじんをあらはすのりなり。 ^みょう」 はなともうすなり、 如来にょらいのちかひのみょうごうなり。 ^ねん」 ともうすは、 ちかひのなを憶念おくねんせよとなり。 諸仏しょぶつ称名しょうみょうがん (第十七願) にあらはせり。 憶念おくねんは、 信心しんじんをえたるひとはうたがいなきゆゑに本願ほんがんをつねにおもひいづるこころのたえぬをいふなり。

「聞名念我」といふは、 「聞」はきくといふ、 信心をあらわす御のり也。 「名」は如来のちかひの名号なり。 「念我」とまふすは、 このみなを憶念せよと也。 諸仏称名の悲願にあらわせり。 憶念といふは、 信心まことなる人は本願をつねにおもひいづるこゝろのたえずつねなるなり。

^そう迎来こうらい」 といふは、 「そう」 はふさねてといふ、 すべてみなといふこころなり。 「こう」 はむかふるといふ、 まつといふ、 りきをあらはすこころなり。 「らい」 はかへるといふ、 きたらしむといふ、 *ほっしょうのみやこへむかへてきたらしめかへらしむといふ。 ほっしょうのみやこより、 しゅじょうやくのためにこの*しゃかいにきたるゆゑに、 「らい」 をきたるといふなり。 ほっしょうのさとりをひらくゆゑに、 「らい」 をかへるといふなり。

「総迎来」といふは、 「総」はふさねてといふ、 すべてみなといふこゝろ也。 「迎」はむかふるといふ、 まつといふ、 他力をあらわすこゝろ也。 「来」はかへるといふ、 きたるといふ、 法性のみやこへむかへゐてかへらしむと也。 法性のみやこより、 衆生利益のために娑婆界にきたりたまふゆへに、 「来」をきたるといふ也。 ¬経¼には「従如来生」とのたまへり、 「従如」といふは真如よりとまふす、 「来生」といふはきたり生ずといふなり。

二 Ⅱ ⅱ 釈第三句

 ^けんびんしょう富貴ふき」 といふは、 ^けん」 はえらばず、 きらはずといふ。 ^びん」 はまづしく、 *たしなきものなり。 「しょう」 はまさにといふ、 もつてといふ、 *ゐてゆくといふ。 「富貴ふき」 はとめるひと、 よきひとといふ。 これらをまさにもつてえらばず、 きらはず、 じょうへゐてゆくとなり。

「不簡貧窮将富貴」といふは、 「不簡」はえらばずといふ、 きらはずといふこゝろ也。 「貧窮」はまづしく、 たしなき也。 「将」はまさにといふ、 もてといふ、 ゐてゆくといふ。 「富貴」はとめるといふ、 よきひとゝいふ。 これらをまさにもてえらばず、 浄土へゐてゆくと也。

二 Ⅱ ⅱ 釈第四句

 ^けん下智げち高才こうざい」 といふは、 ^下智げち」 は智慧ちえあさく、 せばく、 すくなきものとなり。 ^高才こうざい」 は*才学さいかくひろきもの。 これらをえらばず、 きらはずとなり。

「不簡下智与高才」といふは、 「下智」は智慧あさく、 せばく、 すくなきものなり。 「高才」は才学ひろきもの。 これらをえらばずと也。

二 Ⅱ ⅱ 釈第五句

 ^けんもんじょうかい」 といふは、 ^もん」 は聖教しょうぎょうをひろくおほくきき、 しんずるなり。 ^」 はたもつといふ。 たもつといふは、 ならひまなぶこころをうしなはず、 ちらさぬなり。 ^じょうかい」 はだいしょうじょうのもろもろの*かいぎょう*かい*八戒はっかい*じゅうぜんかいしょうじょう*そく衆戒しゅかい*三千さんぜん威儀いぎ*六万ろくまんさいぎょう*¬梵網ぼんもう¼ のじゅう八戒はっかい*だいじょう一心いっしん金剛こんごう法戒ほうかい*三聚さんじゅじょうかいだいじょうそくかいとう、 すべて道俗どうぞく戒品かいほん、 これらをたもつを 「」 といふ。

「不簡多聞持浄戒」といふは、 「多聞」は聖教をひろくおほくきゝ、 信ずる也。 「持」はたもつといふ。 たもつといふは、 ならいまなぶことをうしなわず、 ちらさぬ也。 「浄戒」は大乗小乗のもろもろの戒法、 五戒、 八戒、 十善戒、 小乗の具足戒、 三千の威儀、 六万の斎行、 大乗の一心金剛法戒、 三聚浄戒、 ¬梵網¼の五十八戒等、 すべて道俗の戒品、 これらをたもつを持といふ、 これらの戒品をやぶるを破といふ也。

かやうのさまざまの戒品かいほんをたもてるいみじきひとびとも、 りき真実しんじつ信心しんじんをえてのちに真実しんじつほうにはおうじょうをとぐるなり。 みづからの、 おのおのの戒善かいぜん、 おのおののりきしんりきぜんにてはじっぽうにはうまれずとなり。

かやうのさまざまの大小の戒品をたもてるいみじきひとびとも、 他力真実の信心をえてのちに真実の報土には往生をとぐる也。 みづからの、 おのおのの戒善、 おのおのの自力の信、 自力の善にては実の報の浄土にはむまれずとしるべし。

二 Ⅱ ⅱ 釈第六句

 ^けんかい罪根ざいこんじん」 といふは、 ^かい」 はかみにあらはすところのよろづの道俗どうぞく戒品かいほんをうけてやぶりすてたるもの、 これらをきらはずとなり。 ^罪根ざいこんじん」 といふは、 *十悪じゅうあく*ぎゃく悪人あくにん*謗法ほうぼう*闡提せんだい罪人ざいにん、 おほよそ善根ぜんごんすくなきもの、 *悪業あくごうおほきもの、 善心ぜんしんあさきもの、 悪心あくしんふかきもの、 かやうのあさましきさまざまのつみふかきひとを 「じん」 といふ、 ふかしといふことばなり。  べてよきひとあしきひと、 たふときひといやしきひとを、 無礙むげこうぶつおんちかひにはきらはずえらばれず、 これをみちびきたまふをさきとしむねとするなり。 真実しんじつ信心しんじんをうれば*じっぽううまるとをしへたまへるを、 じょうしんしゅうしょうとすとしるべしとなり。

「不簡破戒罪根深」といふは、 「破戒」はかみにあらわすところのよろづの道俗の戒品をうけてやぶりすてたるもの、 これらをきらはずと也。 「罪根深」といふは、 十悪・五逆の悪人、 謗法・闡提の罪人、 おほよそ善根すくなきもの、 悪業おほきもの、 善心あさきもの、 悪心ふかきもの、 かやうのあさましきさまざまのつみふかき人を深といふ、 ふかしといふことば也。 すべてよき人あしき人、 たふときひといやしきひとを、 无光仏の御ちかひにはえらばず、 これをみちびきたまふをさきとしむねとする也。 真実信心をうれば実報土にむまるとおしえたまへるを、 浄土真宗とすとしるべし。

^そう迎来らいこう」 は、 すべてみなじょうへむかへてかへらしむといへるなり。

「総迎来」といふは、 すべてみな真実信楽あるものを浄土へむかへゐてかへらしむとなり。

二 Ⅱ ⅱ 釈第七句

 ^たん使しん念仏ねんぶつ」 といふは、 ^たん使しん」 はひとへに*しんせしめよといふことばなり。 ^しん」 といふはりきしんをひるがへし、 すつるをいふなり。 じっぽううまるるひとはかならず金剛こんごう信心しんじんのおこるを、 「*念仏ねんぶつ」 ともうすなり。 ^」 はだいのこころなり、 しょうのこころなり、 ぞうじょうのこころなり。 だいはおほきなり。 しょうはすぐれたり、 よろづのぜんにまされるとなり。 ぞうじょうはよろづのことにすぐれたるなり。 これすなはちりき本願ほんがんじょうのゆゑなり。

「但使廻心多念仏」といふは、 「但使廻心」はひとへに廻心せしめよといふことば也。 「廻心」といふは自力の心をひるがへし、 すつるをいふ也。 実報土にむまるゝ人はかならす无光仏の心中におさめとりたまふゆへに金剛の信心となるなり。 このゆへに多念仏とまふす也。 「多」は大のこゝろ也、 勝のこゝろ也、 増上のこゝろ也。 大はおほき也。 勝はすぐれたり、 よろづの善にまされりとしるべし。 増上はよろづの善にすぐれたるなり。 これすなわち他力本願のゆへ也。

^りきのこころをすつといふは、 やうやうさまざまのだいしょうしょうにん善悪ぜんあくぼんの、 みづからがをよしとおもふこころをすて、 をたのまず、 あしきこころをかへりみず、 ひとすぢに*ばく*ぼん*屠沽とこるい無礙むげこうぶつ不可ふか思議しぎ本願ほんがん広大こうだい智慧ちえみょうごうしんぎょうすれば、 煩悩ぼんのうそくしながらじょうだいはんにいたるなり。 ばくはよろづの煩悩ぼんのうにしばられたるわれらなり。 ぼんをわづらはす、 のうはこころをなやますといふ。 はよろづのいきたるものをころし、 *ほふるものなり、 これは*れふしといふものなり。 はよろづのものをうりかふものなり、 これはあきびとなり。 これらをるいといふなり。

自力のこゝろをすつといふは、 やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、 みづからがみをよしとおもふこゝろをすて、 みをたのまず、 あしきこゝろをさかしくかへりみず、 またひとをあしよしとおもふこゝろをすてゝ、 ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、 无光仏の不可思議の誓願、 広大智慧の名号を信楽すれば、 煩悩を具足しながら无上大涅槃にいたるなり。 具縛といふははよろつづの煩悩にしばられたるわれらなり。 煩はみをわづらはす、 悩はこゝろをなやますといふ。 屠はよろづのいきたるものをころし、 ほふるもの、 これはれうしといふものなり。 沽はよろづのものをうりかうもの也、 これはあき人也。 これらを下類といふなり。 かやうのあき人・れうし、 さまざまのものはみな、 いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら也。

二 Ⅱ ⅱ 釈第八句

 ^のうりょうりゃくへんじょうこん」 といふは、 ^のう」 はよくといふ。 「りょう」 はせしむといふ。 「」 はかはらといふ。 「りゃく」 は*つぶてといふ。 「へんじょうこん」 は、 「へんじょう」 はかへなすといふ。 「こん」 はこがねといふ。 かはら・つぶてをこがねにかへなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。 れふし・あきびと、 さまざまのものはみな、 いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。 如来にょらいおんちかひを*ふたごころなくしんぎょうすれば、 摂取せっしゅのひかりのなかにをさめとられまゐらせて、 かならずだいはんのさとりをひらかしめたまふは、 すなはちれふし、 あきびとなどは、 いし・かはら・つぶてなんどをよくこがねとなさしめんがごとしとたとへたまへるなり摂取せっしゅのひかりともうすは、 弥陀みだぶつおんこころにをさめとりたまふゆゑなり。

「能令瓦礫変成金」といふは、 「能」はよくといふ。 「令」はせしむといふ。 「瓦」はかわらといふ。 「礫」はつぶてといふ。 「変成金」は、 「変成」はかへなすといふ。 「金」はこがねといふ。 如来の本願を信ずれば、 かわら・つぶてのごとくなるわれらを、 こがねにかえなさしむとたとへたまへる也。 あき人・れうしなどは、 いし・かわら・つぶてのごとくなるを、 如来の摂取のひかりにおさめとりたまふてすてたまはず、 これひとへにまことの信心のゆへなればなりとしるべし。

二 Ⅱ 叙謝

^もんのこころはおもふほどはもうしあらはしそうらはねども、 *あらあらもうすなり。 ふかきことはこれにておしはからせたまふべし。

文のこゝろはおもふほどはまふしあらはし候はねども、 あらあらまふす也。 ふかきことはよからむ人にもとはせたまふべし。

二 Ⅱ 作者

^このもんは、 *みん三蔵さんぞうもうしょうにんしゃくなり。 震旦しんたん (中国) にはにち三蔵さんぞうもうすなり。

この文は、 慈愍三蔵とまふす天竺の聖人の御釈也。 震旦には恵日三蔵とまふすなり。

第三文
    本文

【4】 ^*極楽ごくらく無為むいはんがい 随縁ずいえん雑善ぞうぜんなんしょう 故使こし如来にょらいせん要法ようぼう きょうねん弥陀みだせんせん(法事讃・下)

「極楽无為涅槃界 随縁雑善恐難生 故使如来選要法 教念弥陀専復専」

二 Ⅲ 釈文
      釈第一句

 ^極楽ごくらく無為むいはんがい」 といふは、 ^*極楽ごくらく」 ともうすはかの安楽あんらくじょうなり、 よろづのたのしみつねにして、 くるしみまじはらざるなり。 かのくにをばあんにょうといへり。 *曇鸞どんらんしょうは、 「ほめたてまつりてあんにょうもう」 とこそのたまへり。 また ¬ろん¼ (*浄土論) には、 「*れんぞうかい」 ともいへり、 「*無為むい」 ともいへり。 ^はんがい」 といふはみょうのまどひをひるがへして、 じょうはんのさとりをひらくなり。 「かい」 はさかひといふ、 さとりをひらくさかひなり。

「極楽无為涅槃界」といふは、 「極楽」とまふすはかの安楽浄土なり、 よろづのたのしみつねにして、 くるしみまじわらざる也。 かのくにおば安養といへり。 曇鸞和尚は、 ほめたてまつりて安養とまふすとのたまへり。 また¬論¼には、 「蓮華蔵世界」ともいへり。 「无為」ともいへり。 「涅槃界」といふは无明のまどひをひるがへして、 无上覚をさとるなり。 「界」はさかいといふ、 さとりをひらくさかいなりとしるべし。

^だいはんもうすに、 そのりょうなり、 くはしくもうすにあたはず、 *おろおろそのをあらはすべし。 *はん」 をば*めつといふ、 *無為むいといふ、 *安楽あんらくといふ、 *じょうらくといふ*実相じっそうといふ、 *法身ほっしんといふ、 *ほっしょうといふ、 *真如しんにょといふ、 *一如いちにょといふ、 *ぶっしょうといふ。 ぶっしょうすなはち如来にょらいなり。 この如来にょらい*じんかいにみちみちたまへり、 すなはち一切いっさいぐんじょうかい*しんなり。

涅槃とまふすに、 その名无量なり、 くはしくまふすにあたはず、 おろおろその名をあらはすへし。 「涅槃」おば滅度といふ、 无為といふ、 安楽といふ、 常楽といふ、 実相といふ、 法身といふ、 法性といふ、 真如といふ、 一如といふ、 仏性といふ。 仏性すなわち如来也。 この如来、 微塵世界にみちみちたまへり、 すなはち一切群生海の心にみちたまへる也。 草木国土ことごとくみな成仏すととけり

^このしん誓願せいがんしんぎょうするがゆゑに、 この信心しんじんすなはちぶっしょうなりぶっしょうすなはちほっしょうなり、 ほっしょうすなはち法身ほっしんなり。 法身ほっしんいろもなし、 かたちもましまさず。 しかれば、 こころもおよばれず、 ことばもたえたり。 *この一如いちにょよりかたちをあらはして、 *方便ほうべん法身ほっしんもうおんすがたをしめして、 ^*法蔵ほうぞう比丘びくとなのりたまひて不可ふか思議しぎだい誓願せいがんをおこしてあらはれたまふおんかたちをば、 しんさつ (*天親) は 「*じん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらい」 となづけたてまつりたまへり。 この如来にょらい*報身ほうじんもうす。 誓願せいがん*業因ごういんむくひたまへるゆゑに報身ほうじん如来にょらいもうすなり。

この一切有情の心に方便法身の誓願を信楽するがゆへに、 この信心すなわち仏性なり、 この仏性すなわち法性なり、 この法性すなわち法身なり。 しかれば仏について二種の身まします、 一には法性法身とまふす、 二には方便法身とまふす。 法性法身とまふすは、 いろもなし、 かたちもましまさず。 しかれば、 こゝろもおよばず、 ことばもたえたり。 この一如よりかたちをあらわして、 方便法身とまふすその御すがたに、 法蔵比丘となのりたまひて、 不可思議の四十八の大誓願をおこしあらわしたまふなり。 この誓願の中に、 光明无量の本願、 寿命无量の弘誓を本としてあらわれたまへる御かたちを、 世親菩薩は尽十方無礙光如来となづけたてまつりたまへり。 この如来すなわち誓願の業因にむくひたまひて報身如来とまふすなり、 すなわち阿弥陀如来とまふす也。

^ほうもうすは、 たねにむくひたるなり。 この報身ほうじんより*おうとうりょうしゅをあらはして、 じんかい無礙むげ智慧ちえこうはなたしめたまふゆゑにじん十方じっぽう無礙むげこうぶつもうすひかりにて、 かたちもましまさず、 いろもましまさず、 みょうやみをはらひ悪業あくごう*さへられず、 このゆゑに無礙むげこうもうすなり。 無礙むげはさはりなしともうす。 しかれば、 弥陀みだぶつこうみょうなり、 こうみょう智慧ちえのかたちなりとしるべし

報といふは、 たねにむくひたるゆへ也。 この報身より応・化等の无量无数の身をあらわして、 微塵世界に无の智慧光をはなたしめたまふゆへに尽十方無礙光仏とまふすひかりの御かたちにて、 いろもましまさず、 かたちもましまさず、 すなわち法性法身におなじくして、 无明のやみをはらひ悪業にさえられず、 このゆへに无光とまふす也。 无は有情の悪業煩悩にさえられずと也。 しかれば、 阿弥陀仏は光明なり、 光明は智慧のかたち也としるべし。

二 Ⅲ ⅱ 釈第二句

 ^随縁ずいえん雑善ぞうぜんなんしょう」 といふは、 ^随縁ずいえん」 はしゅじょうのおのおののえんにしたがひて、 おのおののこころにまかせて、 もろもろのぜんしゅするを極楽ごくらくこうするなり、 すなはち*八万はちまんせん法門ほうもんなり。 これはみなりき善根ぜんごんなるゆゑにじっぽうにはうまれずと、 きらはるるゆゑに 「なんしょう」 といへり。 ^」 はおそるといふ、 しんほう*雑善ぞうぜんりきぜんうまるといふことをおそるるなり。 ^なんしょう」 はうまれがたしとなり。

「随縁雑善恐難生」といふは、 「随縁」は衆生のおのおのの縁にしたがひて、 もろもろの善を修するを極楽に廻向するなり、 すなわち八万四千の法門也。 これはみな自力の善根なるゆへに実報土にはむまれずと、 きらわるゝゆへに恐難生といへり。 「恐」はおそるといふ、 実報土に雑善・自力の善むまるといふことをおそるゝ也。 「難生」はむまれがたしと也。

二 Ⅲ ⅱ 釈第三句

 ^故使こし如来にょらいせん要法ようぼう」 といふは、 ^しゃ如来にょらい、 よろづのぜんのなかよりみょうごうをえらびとりて、 *じょく*あく*あくかいあくしゅじょう*邪見じゃけんしんのものにあたへたまへるなりとしるべしとなり。 これを 「せん」 といふ、 ひろくえらぶといふなり。 ^よう」 はもつぱらといふ、 もとむといふ、 ちぎるといふなり。 ^ほう」 はみょうごうなり。

「故使如来選要法」といふは、 釈迦如来、 よろづの善のなかより名号をえらびとりて、 五濁悪時・悪世界・悪衆生・邪見無信のものにあたえたまへる也としるべし。 これを選といふ、 ひろくえらぶといふこゝろ也。 「要」はもはらといふ、 もとむといふ、 ちぎるといふ也。 「法」といふは名号なり。

二 Ⅲ ⅱ 釈第四句

 ^きょうねん弥陀みだせんせん」 といふは、 ^きょう」 はをしふといふ、 のりといふ、 しゃくそん教勅きょうちょくなり。 ^ねん」 はしんにおもひさだめて、 *ともかくもはたらかぬこころなり。 すなはち*せんじゃく本願ほんがんみょうごう*一向いっこう専修せんじゅなれとをしへたまふことなり。

「教念弥陀専復専」といふは、 「教」はおしふといふ、 のりといふ、 釈尊の教勅也。 「念」は心におもひさだめて、 ともかくもはたらかぬこゝろ也。 すなわち選択本願の名号を一向専修なれとおしえたまふ御こと也。

^せんせん」 といふは、 はじめの 「せん」 はいちぎょうしゅすべしとなり。 ^」 はまたといふ、 かさぬといふ。 しかれば、 また 「せん」 といふは一心いっしんなれとなり、 いちぎょう一心いっしんをもつぱらなれとなり。 「せん」 はいちといふことばなり。 もつぱらといふはふたごころなかれとなり。 ともかくもうつるこころなきを 「せん」 といふなり。 このいちぎょう一心いっしんなるひとを 「*摂取せっしゅしててたまはざれば弥陀みだとなづけたてまつる(*礼讃・意) と、 こうみょうしょう (善導) はのたまへり。

「専復専」といふは、 はじめの「専」は一行を修すべしと也。 「復」はまたといふ、 かさぬといふ。 しかれば、 また「専」といふは一心なれと也、 一行一心をもはらなれと也。 「専」は一といふことば也。 もはらといふはふたごゝろなかれと也。 ともかくもうつるこゝろなきを専といふ也。 この一行一心なるひとを「弥陀摂取してすてたまはざれば阿弥陀となづけたてまつる」と、 光明寺の和尚はのたまへり。

^この一心いっしん*おうちょう信心しんじんなり。 ^おうはよこさまといふ、 ちょうはこえてといふ。 よろづのほうにすぐれて、 すみやかにしょうかいをこえて*ぶっにいたるがゆゑにちょうもうすなり。 これすなはちだい誓願せいがんりきなるがゆゑなり。

この一心は横超の信心也。 横はよこさまといふ、 超はこえてといふ。 よろづの法にすぐれて、 すみやかにとく生死の大海をこえて无上覚にいたるゆへに超とまふす也。 これすなわち如来大悲の誓願力なるゆへ也。

^この信心しんじん摂取せっしゅのゆゑに金剛こんごうしんとなれり。 これは ¬だいきょう¼ の本願ほんがん*さん信心しんじんなり。 この真実しんじつ信心しんじんを、 しんさつ (天親) は「*がんぶつしん」 とのたまへり。 このしんぎょうぶつにならんとねがふともうすこころなり。 このがんぶつしんはすなはち*しゅじょうしんなり。 このしゅじょうしんもうすは、 すなはちしゅじょうをしてしょう大海だいかいをわたすこころなり。 このしんぎょうしゅじょうをして*じょうはんにいたらしむるしんなり。 このしんすなはちだいだいしんなり、 だいだいしんなり。 この信心しんじんすなはちぶっしょうなり、 すなはち如来にょらいなり。 この信心しんじんをうるを*きょうといふなり。 きょうするひとは諸仏しょぶつとひとしきひととなづく。

この信心は摂取のゆへに金剛心となる。 これは念仏往生の本願の三信心也、 ¬観経¼の三心にはあらず。 この真実信心を、 世親菩薩は願作仏心とのたまへり、 これ浄土の大菩提心なり。 しかればこの願作仏心はすなわち度衆生心なり。 この度衆生心とまふすは、 すなわち衆生をして生死の大海をわたすこゝろ也。 この信楽は衆生をして无上涅槃にいたらしむる心也。 この信心すなわち大慈大悲心也。 この信心すなわち仏性也、 すなわち如来也。 この信心をうるを慶喜といふ。 慶喜するひとは諸仏とひとしきひととなづく。

^*きょうはよろこぶといふ、 信心しんじんをえてのちによろこぶなり。 ^はこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ。 うべきことをえてのちに、 にもこころにもよろこぶこころなり。 ^信心しんじんをえたるひとをば、 「ふん陀利だり(*観経) とのたまへり。

慶はうべきことをえてのちによろこぶこゝろ也、 信心をえてのちによろこぶ也。 喜はこゝろのうちにつねによろこぶこゝろたえずして憶念つねなり。 踊躍するなり。 踊は天におどるといふ、 躍は地におどるといふ、 よろこぶこゝろのきわまりなきかたちをあらわす也。 信心をえたる人おば、 「芬陀利華」にたとえたまへり。

^この信心しんじんをえがたきことを、 ¬きょう¼ (*称讃浄土経) には、 「*ごく難信なんしんぼう」 とのたまへり。 しかれば、 ¬だいきょう¼ (下) には、 「にゃくもんきょう しんぎょうじゅ なんちゅうなん 無過むかなん」 とをしへたまへり。 このもんのこころは、 「もしこのきょうきてしんずること、 かたきがなかにかたし、 これにすぎてかたきことなし」 とのたまへるのりなり。 しゃ牟尼むに如来にょらいは、 じょくあくでてこの*難信なんしんほうぎょうじてじょうはんにいたるときたまふ。

この信心をえがたきことを、 ¬大経¼には、 「若聞斯経信楽受持、 難中之難无過此難」とおしへたまえり。 ¬小経¼には「極難信法」とみえたり。 この文のこゝろは、 この経をきゝて信ずること、 かたきが中にかたし、 これにすぎてかたきことなしと也。 釈迦牟尼如来は、 五濁悪世にいでゝこの難信の法を行じて无上涅槃にいたれりとゝきたまふ。

^さてこの智慧ちえみょうごうじょくあくしゅじょうにあたへたまふとのたまへり。 十方じっぽう諸仏しょぶつ証誠しょうじょう恒沙ごうじゃ如来にょらいねん、 ひとへに真実しんじつ信心しんじんのひとのためなり。 しゃ慈父じぶ弥陀みだ悲母ひもなり。 われらがちち・はは、 種々しゅじゅ方便ほうべんをして*じょう信心しんじんをひらきおこしたまへるなりとしるべしとなり。 ^おほよそ過去かこおんに、 さんごうしゃ諸仏しょぶつでたまひしみもとにして、 りきだいしんをおこしき。 恒沙ごうじゃ善根ぜんごんしゅせしによりて、 いま願力がんりき*まうあふことをたり。 りきさん信心しんじんをえたらんひとは、 ゆめゆめ善根ぜんごんをそしり、 *ぶっしょう*いやしうすることなかれとなり。

さてこの智慧の名号を濁悪の衆生にあたえたまへり。 十方諸仏の証誠、 恒沙如来の護念、 ひとえに真実信心のひとのため也。 釈迦は慈父、 弥陀は悲母、 われらがちゝ・はゝとして信心をおしえたまへりとしるべき也。 過去久遠に、 三恒河沙の諸仏のよにいでたまひしみもとにして、 自力の大菩提心をおこしき。 恒沙の善根を修せしめしによりて、 いま大願業力にまうあふことをえたり。 他力の三信心をえたらむ人は、 ゆめゆめ余の善根をそしり、 余の仏聖をいやしふすることなかれと也。

第四文(観経)

【5】 ^三心さんしんしゃひっしょうこく(観経) といふは、 *三心さんしんすればかならずかのくにうまるとなり。

「具三心者必生彼国」といふは、 三心を具すれはかならずかのくにゝむまると也。

^しかれば善導ぜんどうは、 「*三心さんしん 必得ひっとくおうじょう にゃくしょう一心いっしん そくとくしょう(礼讃) とのたまへり。

しかれば善導は、 「具此三心必得往生也、 若少一心即不得生」とのたまへり。

^三心さんしん」 といふは、 つのしんすべしとなり。

「具此三心」といふは、 みつの心を具すべしと也。

^必得ひっとくおうじょう」 といふは、 「ひつ」 はかならずといふ。 「とく」 はうるといふ、 うるといふはおうじょうをうるとなり。

「必得往生」といふは、 「必」はかならずといふ。 「得」はうるといふ、 うるといふは往生をうると也。

^にゃくしょう一心いっしん」 といふは、 「にゃく」 はもしといふ、 ごとしといふ。 「しょう」 はかくるといふ、 すくなしといふ。 一心いっしんかけぬればうまれずといふなり。 一心いっしんかくるといふは信心しんじんのかくるなり、 信心しんじんかくといふは本願ほんがん真実しんじつさん信心しんじんのかくるなり。 ¬かんぎょう¼ の三心さんしんをえてのちに ¬だいきょう¼ のさん信心しんじんをうるを、 一心いっしんをうるとはもうすなり。 このゆゑに ¬だいきょう¼ のさん信心しんじんをえざるをば、 一心いっしんかくるともうすなり。 この一心いっしんかけぬれば、 しんほううまれずといふなり。 ¬かんぎょう¼ の三心さんしん*じょうさん二機にきしんなり。 *じょうさんぜん*して、 ¬だいきょう¼ の*三信さんしんをえんとねがふ方便ほうべん深心じんしんじょうしんとしるべし。

「若少一心」といふは、 「若」はもしといふ、 ごとしといふ。 「少」はかくるといふ、 すくなしといふ。 一心かけぬれはむまるゝものなしと也。 一心かくるといふは信心のかくる也、 信心かくるといふは本願真実の三信のかくる也。 ¬観経¼の三心をえてのちに¬大経¼の三信心をうるを、 一心をうるとはいふ也。 このゆへに¬大経¼の三信をえざるおば、 一心かくるといふ也。 この一心かけぬれば、 実報土にむまれずと也。 ¬観経¼の三心は定機散機の自力心也。 定散の二善を廻して、 ¬大経¼の三信をえむとねがふ方便の深心と至誠心としるべし。

^真実しんじつさん信心しんじんをえざれば、 「そくとくしょう」 といふなり。 ^そく」 はすなはちといふ、 ^とくしょう」 といふはうまるることをえずといふなり。 三信さんしんかけぬるゆゑにすなはちほううまれずとなり。 *ぞうぎょう*ざっしゅしてじょうさんひとりき信心しんじんかけたるゆゑに、 *しょう曠劫こうごうをへてりき一心いっしんをえてのちに真実しんじつほううまるべきゆゑに、 すなはちうまれずといふなり。 もし*たいしょうへんうまれてもひゃくさいをへ、 あるいは億千おくせん万衆まんしゅのなかに、 ときにまれに一人いちにんしんほうにはすすむとみえたり。 三信さんしんをえんことをよくよくこころえねがふべきなり。

真実の三信心をえざれば真の報土にむまれざれば、 即不得生といふ也。 「即」はすなわちといふ、 「不得生」はむまるゝことをえずといふ也。 定機・散機の人、 雑行雑修して三信心かけたるゆへに、 多生曠劫をへて三信心をえてのちにむまるべきゆへに、 すなわちむまれずといふ也。 もし胎生辺地にむまれても五百歳をへ、 あるいは億千万衆のなかに、 ときにまれに一人、 まことの報土にはすゝむとみえたり。 三信をえむことをよくよくこゝろへてねがふべき也。

第五文(散善義)

【6】 ^*とくげん賢善けんぜんしょうじんそう(*散善義) といふは、 あらはに、 かしこきすがた、 善人ぜんにんのかたちをあらはすことなかれ、 しょうじんなるすがたをしめすことなかれとなり。 そのゆゑは 「ない虚仮こけ」 なればなり。 ^ない」 はうちといふ。 こころのうちに煩悩ぼんのうせるゆゑになり、 なり。 ^」 はむなしくしてじつならぬなり。 ^」 はかりにしてしんならぬなり。 ^*このこころはかみにあらはせり。 この信心しんじんはまことのじょうのたねとなり、 みとなるべしと。 いつはらず、 へつらはず、 じっぽうのたねとなる信心しんじんなり。

「不得外現賢善精進之相」といふは、 浄土をねがふひとは、 あらはに、 かしこきすがた、 善人のかたちをふるまはざれ、 精進なるすがたをしめすことなかれと也。 そのゆへは「内懐虚仮」なればなり。 「内」はうちといふ。 こゝろのうちに煩悩を具せるゆへに虚なり、 仮なり。 「虚」はむなしくして実ならず。 「仮」はかりにして真ならず。 しかれば、 いまこの世を如来の御のりに末法悪世とさだめたまへるゆへは、 一切有情まことのこゝろなくして、 師長を軽慢し、 父母に孝せず、 朋友に信なくして、 悪をのみこのむゆへに、 世間・出世みな「心口各異、 言念无実」なりとをしえたまへり。 「心口各異」といふは、 こゝろとくちにいふこと、 みなおのおのことなりと。 「言念無実」といふは、 ことばとこゝろのうちと実なしといふ也。 「実」はまことゝいふことばなり。 この世のひとは無実のこゝろのみにして、 浄土をねがふひとはいつわり、 へつらいのこゝろのみなりときこえたり。 世をすつるも名のこゝろ、 利のこゝろをさきとするゆへ也。

^しかれば、 われらは善人ぜんにんにもあらず、 賢人けんじんにもあらず。 賢人けんじんといふは、 かしこくよきひとなり。 *しょうじんなるこころもなし、 *だいのこころのみにして、 うちはむなしく、 いつはり、 かざり、 へつらふこころのみつねにして、 まことなるこころなきなりとしるべしとなり。

しかれば、 われらは善人にもあらず、 賢人にもあらず。 精進のこゝろもなし、 懈怠のこゝろのみにして、 うちはむなしく、 いつわり、 かざり、 へつらうこゝろのみつねにして、 まことなるこゝろなきみとしるべし。

第六文(唯信鈔)

^しんしゃくすべし」 (唯信鈔) といふは、 ことのありさまにしたがうて、 はからふべしといふことばなり。

「斟酌すべし」といふは、 ことのありさまにしたがふて、 はからふべしといふことばなり。

第七文(五会法事讃)

【7】 ^けんかい罪根ざいこんじん(五会法事讃) といふは、 もろもろのかいをやぶり、 つみふかきひとをきらはずとなり。 このやうは、 はじめにあらはせり。 よくよくみるべし。

「不簡破戒罪根深」といふは、 もろもろの戒をやぶり、 つみふかきひとをきらはずと也。 このやうは、 かみにくはしくあかせり。 よくみるべし。

第八文(大経)

【8】 ^*ないじゅうねん にゃくしょうじゃ しゅしょうがく(大経・上) といふは、 せんじゃく本願ほんがん (第十八願)もんなり。 このもんのこころは、 「ないじゅうねんなをとなへんもの、 もしわがくににうまれずは、 ぶつらじ」 とちかひたまへる本願ほんがんなり。 ^ない」 は、 かみしもと、 おほきすくなき、 ちかきとほきひさしきをも、 みなをさむることばなり。 *ねんにとどまるこころをやめ、 *一念いちねんにとどまるこころをとどめんがために、 法蔵ほうぞうさつがんじましますおんちかひなり。

「乃至十念若不生者不取正覚」といふは、 選択本願の文也。 この文のこゝろは、 乃至十念のちかひの名号をとなえむひと、 もしわがくにゝむまれずは、 仏にならじとちかひたまへる也。 「乃至」は、 かみしも、 おほきすくなき、 ちかきとおきひさしきおも、 みなおさむることば也。 多念にこゝろをとゞめ、 一念にとゞまるこゝろをやめむがために、 未来の衆生をあわれみて、 法蔵菩薩かねて願じまします御ちかひなり。 よくよくよろこぶべし、 慶楽すべき也。

第九文(唯信鈔)

【9】 ^*ごんじつ(唯信鈔) といふは、 *ほっしゅうのをしへなり。 *じょうしんしゅうのこころにあらず、 しょうどうのこころなり。 かのしゅうのひとにたづぬべし。

「非権非実」といふは、 法華宗のおしえなり。 浄土真宗のこゝろにあらず、 聖道家のこゝろ也、 易行道のこゝろにあらず。 かの宗の人にたづぬべし。

第十文(観経)

【10】^にょにゃくのうねん(観経) といふは、 ぎゃく十悪じゅうあく罪人ざいにん*じょう説法せっぽうのもの、 *やまふのくるしみにとぢられて、 こころに弥陀みだねんじたてまつらずは、 ただくち南無なも弥陀みだぶつととなへよとすすめたまへるのりなり。 これは称名しょうみょう本願ほんがんちかひたまへることをあらはさんとなり。 「おうしょうりょう寿じゅぶつ(観経) とのべたまへるは、 このこころなり。 「おうしょう」 はとなふべしとなり。

「汝若不能念」といふは、 五逆・十悪の罪人、 不浄説法のもの、 やまうのくるしみにとぢられて、 こゝろに弥陀を称念したてまつらずは、 たゞくちに南无阿弥陀仏ととなえよとすゝめたまへる御のりなり。 これは口称を本願とちかひたまへるをあらわさむとなり。 「応称无量寿仏」とのたまへるは、 このこゝろなり。 「応称」はとなふべしとなり。

【11】^*そくじゅうねん しょう南無なもりょう寿じゅぶつ しょうぶつみょう 念々ねんねんちゅう じょはちじゅう億劫おくこうしょうざい(観経) といふは、 ぎゃく罪人ざいにんはそのつみをもてること、 *はちじゅう億劫おくこうつみをもてるゆゑに、 じゅうねん南無なも弥陀みだぶつととなふべしとすすめたまへるのりなり。 一念いちねんはちじゅう億劫おくこうつみすまじきにはあらねども、 ぎゃくつみのおもきほどをしらせんがためなり^じゅうねん」 といふは、 ただくち十返じっぺんをとなふべしとなり。

「具足十念、 称南无無量寿仏、 称仏名故、 於念念中除八十億劫生死之罪」といふは、 五逆の罪人はそのみにつみをもてること、 と八十億劫のつみをもてるゆへに、 十念南无阿弥陀仏ととなふべしとすゝめたまへるなり。 一念にと八十億劫のつみをけすまじきにはあらねども、 五逆のつみのおもきほどをしらせむがためなり。 「十念」といふは、 たゞくちに十返をとなふべしと也。

第十一文(礼讃)

^しかれば、 せんじゃく本願ほんがん (第十八願) には、 「にゃくじょうぶつ 十方じっぽうしゅじょう しょうみょうごう 下至げしじっしょう にゃくしょうじゃ しゅしょうがく(礼讃)もうすは、 弥陀みだ本願ほんがんは、 とこゑまでのしゅじょうみなおうじょうすとしらせんとおぼして*じっしょうとのたまへるなり。 *ねんしょうとはひとつこころなりとしるべしとなり。 ねんをはなれたるしょうなし、 しょうをはなれたるねんなしとなり。

しかれば、 選択本願には、 「若我成仏、 十方衆生、 称我名号下至十声、 若不生者不取正覚」とまふすは、 弥陀の本願には、 「下至」といえるは、 「下」は上に対して、 とこゑまでの衆生かならず往生すとしらせたまへる也。 念と声とはひとつこゝろ也。 念をはなれたる声なし、 声をはなれたる念なしとしるべし。

叙謝

 ^このもんどものこころは、 おもふほどはもうさず、 *よからんひとにたづぬべし。 ふかきことは、 これにてもおしはかりたまふべし。

この文どものこゝろは、 おもふほどはまふさず、 よからむ人にたづぬべし。 ふかきことは、 これにてもおしはかりたまふべし。

帰敬

 南無なも弥陀みだ

 ^*ゐなかのひとびとの、 もんのこころもしらず、 あさましき*愚痴ぐちきはまりなきゆゑに、 やすくこころえさせんとて、 おなじことを、 たびたびとりかへしとりかへしきつけたり。 こころあらんひとは、 をかしくおもふべし、 あざけりをなすべし。 しかれども、 おほかたのそしりをかへりみず、 ひとすぢにおろかなるものを、 こころえやすからんとてしるせるなり。

 

撰号

*康元こうげんさいしょうがつじゅう七日しちにち *禿とく*親鸞しんらんはちじゅうさいこれを書写しょしゃす。

   本云正嘉元歳丁已八月十九日  愚禿親鸞 八十五歳 書之

 

対照の意味で、 ◎高田派専修寺蔵鎌倉時代写本(¬聖典全書¼下段)を収録。 (英訳はこちらも参照しているようである。)
ならぶ 「ならふ」 と読む説もある。
たのみて 信じ、 まかせて。 →たのむ
ならはず 「ならばず」 と読む説もある。
如来尊号… 「如来の尊号は、 はなはだ分明なり。 十方世界にあまねく流行せしむ。 ただ名を称するのみありて、 みな往くことを得。 観音・勢至おのづから来り迎えたまふ」 (行巻訓)
 「おこなふとまうすなり」 (左訓)
大小の聖人 大乗のしょうじゃと小乗の聖者。
智願海 阿弥陀仏の智慧ちえから起った本願 (智願) の広大で深遠な徳を海に喩えていう。
皆得往 「みな生るることを得とまうすなり」 (左訓)
ある経 ¬安楽集¼ 所引の ¬しゅいききょう¼ を指すが、 この経は現存しない。
日天子 太陽を神格化したもの。
黒闇 「くらき闇のよなり」 (左訓)
月天子 月を神格化したもの。
ともかくも あれこれと。 何も。
善と…信ずる人に 「罪をけしうしなはずして、 善になすなり。 よろづの水、 大海に入れば、 すなはちうしほとなるがごとし。 弥陀の願力を信ずるがゆゑに、 如来の功徳を」 とする異本がある。
法性のみやこ 人間のもう分別ふんべつを超えた存在 (法) の真実なるありようを法性といい、 それは王者のいる 「みやこ」 のように仏のいます安穏なさとりの領域であるからこのようにいう。
願生彼国… 「かの国に生ぜんと願ぜば、 すなはち往生を得、 不退転に住せん」 (信巻訓)
証誠護念 念仏の法が真実であることを証明し、 念仏の行者をまもること。
称名の本願は… 称名が本願 (第十八願) においてせんじゃくされた往生のまさしき業因ごういんであることは、 この悲願 (第十七願) にあらわれているという意。
法道和尚 天台てんだいしゅうの転籍には、 五会ごえ念仏ねんぶつの創始者、 ほっしょうの名を法道と伝えるものがある (安然 ¬金剛こんごうかい大法だいほうたいじゅ¼ 巻六など)。
 「高僧伝なり」 (左訓)
弥陀和尚・浄業和尚 弥陀和尚は法照の師、 じょうおんの称。 浄業和尚は問答体の書 ¬りんじゅうしょうねんけつ¼(¬りゅうじょじょうもん¼ 巻十二・¬楽邦らくほう文類もんるい¼ 巻四所収) に答者として出る人物 (碑文資料によって、 ぜんどうだいの弟子と推測される浄業和尚との異同不明)。 これらを法照の異名とする説が親鸞聖人在世当時に流布していたか。
唐朝 (618-907) 唐国公のえん (高祖) がずいの三世恭帝の禅譲を受けて建てた中国の統一王朝。 都は長安。
彼仏因中… 「かの仏の因中に弘誓を立てたまへり。 名を聞きてわれを念ぜばすべて迎へかえらしめん。 貧苦と富貴とをえらばず、 下智と高才とを簡ばず、 多聞と浄戒を持てるとを簡ばず。 破戒と罪根の深きとを簡ばず。 ただ回心して多く念仏せしむれば、 よく瓦礫をして変じて金と成さんがごとくせしむ」 (行巻訓)
たしなきもの 苦しみ困っている者。
ゐてゆく 引き連れて行く。
才学 学力。 学識。
具足衆戒 そくかいのこと。
三千の威儀 二百五十戒 (比丘びくの具足戒) を行住坐臥の威儀いぎに配列して一千とし、 さらにこれを過去、 未来、 現在の三世に繰り返して三千と数えたもの。
六万の斎行 戒を持つ数多くのぜんぎょう、 または上に列挙した五戒等を総称したものか。
梵網の五十八戒  ¬梵網ぼんもうきょう¼ に説く十重禁戒と四十八軽戒を合せたもの。 大乗戒とされる。 →十重じゅうじゅうじゅうはちきょうかい
大乗一心金剛法戒 天台てんだいしゅうに相伝する菩薩戒 (円頓えんどんかい)。 ¬梵網ぼんもうきょう¼ に説くじゅうじゅう禁戒きんかいじゅうはちきょうかいを内容とする。 その体徳は一心真如しんにょであり、 ひとたび得ればながく失うことがないので一心金剛法戒 (「法」 は 「宝」 とも書く) という。
多念仏 元来は 「多く念仏すれば」 の意。 ここでは念仏の徳の超勝性をあらわす語とする。
具縛の凡愚屠沽の下類 「信巻」 (本) に引かれたがんじょうの ¬弥陀みだきょうしょ¼ にある語。 かいの ¬もん¼ に、 この語を釈して、 「具縛の凡愚」 とは 「二惑の煩悩ぼんのうをすべて持っている者」、 「屠沽の下類者」 とは 「生きものを殺す者 (屠)」、 「酒を商う者 (沽)」 で悪人としている。 →補註4
ほふる 切りさばく。
れふし 猟師。 漁師。
つぶて 小石。
ふたごころなく 一心に。 疑いなく。
あらあら だいたい。 ざっと。
極楽無為… 「極楽は無為涅槃のかいなり。 随縁の雑善おそらくは生じがたし。 ゆゑに如来要法を選びて、 教へて弥陀を念ぜしめて、 もつぱらにしてまたもつぱらならしめたまへり」 (真仏土巻訓)
おろおろ 不十分ながら。 ざっと。
心なり 「心にみちたまへるなり。 草木国土ことごとく、 みな成仏すと説けり」 とする異本がある。
この一如より… →補註1
応化 応身おうじんしんのこと。
八万四千の法門 八万四千は多数の意。 仏の説いた教法全体のことであるが、 親鸞聖人は本願 (第十八願) の法以外の自力方便の教えの意とする。
摂取… 「おさめとりたまふとなり」 (左訓) →摂取せっしゅしゃ
三信心 至心・信楽・欲生の三心さんしんのこと。
慶は… 親鸞聖人は慶 (慶喜・慶楽) をすでにわが身の上に実現していることがら (現生で正定しょうじょうじゅの位に入ること) をよろこぶ意とし、 歓喜を必ず実現すると定まっていることがら (往生成仏の果) を待望してよろこぶ意とする。
無上の信心 阿弥陀仏のこの上ない智慧ちえをたまわった信心。 他力の信心のこと。
まうあふ あいたてまつる。 ¬一多証文¼ に 「まうあふと申すは、 本願力を信ずるなり」 とある。
余の仏聖 阿弥陀仏以外の仏菩薩等のしょうじゃ
いやしうする さげすむ。
具此三心… 「この三心を具してかならず往生を得るなり。 もし一心けぬればすなわち生を得ず」
定散二機 定善の機、 散善の機のことで、 じょうぜん散善さんぜんを行う人。
定散二機を…ねがふ この一節でこう発願ほつがんしんを釈している (「回向」=「回して」、 「発願」=「ねがふ」) から、 下には深心じんしんじょうしんの二心のみをあげている。
回して ここでの 「回」 は回転、 回捨の意。 ひるがえし捨てて。
多生曠劫 多くの生を重ねる無限に長い時間。
不得外現… 「散善義」 にはこの文に続いて 「内懐虚仮」 とある。 親鸞聖人は 「ほかに賢善精進の相を現ずることを得ざれ、 内に虚仮をいだいて」 (信巻訓) と読んでいる。
このこころは…信心なり 「しかれば、 いまこの世を如来のみのりに末法悪世とさだめたまへるゆゑは、 一切じょうまことのこころなくして、 師長を軽慢し、 父母に孝せず、 朋友に信なくして、 悪をのみこのむゆゑに、 世間・出世みな心口各異、 言念無実なりとをしへたまへり。 心口各異といふは、 こころとくちにいふこと、 みなおのおのことなり。 言念無実といふは、 ことばとこころのうちと実なしといふなり。 実はまことといふことばなり。 この世の人は無実のこころのみにして、 浄土をねがふ人はいつはり、 へつらひのこころのみなりときこえたり。 世をすつるも名のこころ、 利のこころをさきとするゆゑなり」 とする異本がある。
乃至十念… 「乃至十念せん。 もし生まれざれば、 正覚を取らじ」 (行巻訓)
多念・一念 →一念いちねんねん
非権非実 「中道実相の教なり」 (左訓) 方便 (権) と真実 (実) を差別する立場を越えた絶対真実の教えで、 中道とも実相ともいう。
やまふ 病気。
具足十念… ¬観経¼ の原文では 「無量寿」 は 「阿弥陀」 となっている。
十八十億劫 八十億劫の十倍の意味。 一念で八十億劫の罪が除かれ、 十念で十八十億劫の罪が除かれる。
念と… →ねんしょういち
よからんひと 浄土の教えをよく知っている人。
ゐなかの… ¬一多証文¼ にも同様の跋文がある。
康元二歳 1257年。