一念多念*文意
文意 「証文」 とする異本がある。
【1】 一念を*ひがこととおもふまじき事。
ひがこと 間違い。 誤り。
「▲恒願*一切臨終時 勝縁勝境悉現前」 (礼讃) といふは、
一切 「よろづのひとといふこころ」 (左訓)
「恒」 はつねにといふ、 「願」 はねがふといふなり。 いまつねにといふは、 たえぬこころなり、 をりにしたがうて、 ときどきもねがへといふなり。 いまつねにといふは、 常の義にはあらず。 常といふは、 つねなること、 ひまなかれといふこころなり。 ときとしてたえず、 ところとしてへだてずきらはぬを常といふなり。
「一切臨終時」 といふは、 極楽をねがふよろづの衆生、 *いのちをはらんときまでといふことばなり。
いのちをはらんときまで 「恒願…」 の句は元来、 臨終迎接を願った文であるが、 親鸞聖人は 「臨終時」 を 「いのちをはらんときまで」 と読むことによって、 平生・臨終を通して摂取不捨の利益の顕現を願う意とした。
「勝縁勝境」 といふは、 仏をもみたてまつり、 ひかりをもみ、 *異香をもかぎ、 *善知識のすすめにもあはんとおもへとなり。
異香 「めでたき香」 (左訓) 常にない妙なる香り。
「悉現前」 といふは、 さまざまのめでたきことども、 めのまへにあらはれたまへとねがへとなり。
【2】 ¬無量寿経¼ (下) のなかに、 あるいは 「▲*諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転」 と説きたまへり。
諸有衆生… 「あらゆる衆生、 その名号を聞きて信心歓喜せんこと、 乃至一念せん。 至心に回向せしめたまへり。 かの国に生ぜんと願ぜば、 すなわち往生を得、 不退転に住せん」 (信巻訓)
「諸有衆生」 といふは、 十方のよろづの衆生と申すこころなり。
「聞其名号」 といふは、 *本願の*名号をきくとのたまへるなり。 きくといふは、 本願をききて疑ふこころなきを 「聞」 といふなり。 またきくといふは、 信心をあらはす御のりなり。
「信心歓喜乃至一念」 といふは、 「信心」 は如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。 *「歓喜」 といふは、 「歓」 は身をよろこばしむるなり、 「喜」 はこころによろこばしむるなり、 うべきことを*えてんずとかねてさきよりよろこぶこころなり。 「乃至」 は、 おほきをもすくなきをも、 ひさしきをもちかきをも、 さきをものちをも、 みなかねをさむることばなり。 「*一念」 といふは信心をうるときのきはまりをあらはすことばなり。
歓喜といふは… 親鸞聖人は歓喜を必ず実現すると定まっていることがら (往生成仏の果) を待望してよろこぶ意とし、 慶 (慶喜・慶楽) をすでにわが身の上に実現していることがら (現生で正定聚の位に入ること) をよろこぶ意とする。 685頁2行以下参照。
えてんず きっと得るであろう。
「至心回向」 といふは、 「*至心」 は真実といふことばなり、 真実は阿弥陀如来の御こころなり。 「*回向」 は本願の名号をもつて十方の衆生にあたへたまふ御のりなり。
「願生彼国」 といふは、 「願生」 はよろづの衆生、 本願の*報土へ生れんとねがへとなり。 「彼国」 はかのくにといふ、 *安楽国ををしへたまへるなり。
「即得往生」 といふは、 「即」 はすなはちといふ、 ときをへず、 日をもへだてぬなり。 また 「即」 はつくといふ、 その位に定まりつくといふことばなり。 「得」 はうべきことをえたりといふ。 *真実信心をうれば、 すなはち*無礙光仏の御こころのうちに*摂取して捨てたまはざるなり。 摂はをさめたまふ、 取はむかへとると申すなり。 をさめとりたまふとき、 すなはち、 とき・日をもへだてず、 **正定聚の位につき定まるを 「往生を得」 とはのたまへるなり。
正定聚 「往生すべき身とさだまるなり」 (左訓)
【3】 しかれば、 必至滅度の誓願 (第十一願) を ¬大経¼ (上) に説きたまはく、 「▲設我得仏 国中人天 不住定聚 必至滅度者 不取正覚」 と願じたまへり。
また ¬経¼ (如来会・上) にのたまはく、 「▲若我成仏 国中有情 若不決定 成等正覚 証大涅槃者 不取菩提」 と誓ひたまへり。
この願成就を、 釈迦如来説きたまはく、 「▲其有衆生 生彼国者 皆悉住於 正定之聚 所以者何 彼仏国中 無諸邪聚 及不定聚」 (大経・下) とのたまへり。
これらの文のこころは、 「たとひわれ仏を得たらんに、 国のうちの人天、 定聚にも住して、 かならず滅度に至らずは、 仏に成らじ」 と誓ひたまへるこころなり。
またのたまはく、 「もしわれ仏に成らんに、 国のうちの有情、 もし決定して**等正覚を成りて*大涅槃を証せずは、 仏に成らじ」 と誓ひたまへるなり。
等正覚 「まことの仏になるべき身となれるなり」 (左訓)
大涅槃 「まことのほとけなり」 (左訓)
かくのごとく*法蔵菩薩誓ひたまへるを、 釈迦如来、 *五濁のわれらがために説きたまへる文のこころは、 「それ衆生あつて、 *かの国に生れんとするものは、 みなことごとく*正定の聚に住す。 ゆゑはいかんとなれば、 かの仏国のうちにはもろもろの*邪聚および**不定聚はなければなり」 とのたまへり。
かの国にうまれんと… 第十一願成就文の 「生彼国者」 は元来、 「かの国に生るれば」 と読まれるべきものであるが、 親鸞聖人はこれを 「かの国に生れんとするものは」 と読みかえて、 他力信心の行者が現生 (この世) で正定聚の位に入ることを示した。
正定の聚に住す 「かならず仏になるべき身となれるとなり」 (左訓)
不定聚 「自力の念仏者なり」 (左訓)
この二尊の御のりをみたてまつるに、 「すなはち往生す」 とのたまへるは、 正定聚の位に定まるを 「*不退転に住す」 とはのたまへるなり。 この位に定まりぬれば、 かならず無上大涅槃にいたるべき身となるがゆゑに、 「等正覚を成る」 とも説き、 「**阿毘跋致にいたる」 とも、 「*阿惟越致にいたる」 とも説きたまふ。 「▲*即時入必定」 とも申すなり。
不退転 「仏になるまでといふ」 (左訓)
阿毘跋致 「仏になるべき身となるとなり」 (左訓)
即時入必定 「即の時に必定に入る」
【4】 この真実信楽は*他力*横超の*金剛心なり。 しかれば、 念仏のひとをば ¬大経¼ (下) には 「▲*次如弥勒」 と説きたまへり。
次如弥勒 「念仏のひとは弥勒のごとく仏になるべしとなり」 (左訓)
弥勒は、 *竪の金剛心の菩薩なり。 竪と申すはたたさまと申すことばなり。 これは聖道自力の難行道の人なり。 横はよこさまにといふなり、 超はこえてといふなり。 これは、 仏の*大願業力の船に乗じぬれば、 *生死の大海をよこさまにこえて、 *真実報土の岸につくなり。 「*次如弥勒」 と申すは、 「次」 はちかしといふ、 つぎにといふ。 ちかしといふは、 弥勒は大涅槃にいたりたまふべきひとなり。 このゆゑに 「弥勒のごとし」 とのたまへり。 念仏信心の人も大涅槃にちかづくとなり。 つぎにといふは、 釈迦仏のつぎに、 *五十六億七千万歳をへて**妙覚の位にいたりたまふべしとなり。 「如」 はごとしといふ。 ごとしといふは、 他力信楽のひとは、 この世のうちにて不退の位にのぼりて、 かならず大般涅槃のさとりをひらかんこと、 弥勒のごとしとなり。
生死の大海 「六道にまどふを大海とたとふる。 大海はうみなり」 (左訓)
五十六億七千万歳 釈迦の入滅から弥勒菩薩が成仏するまでの年数 (¬菩薩処胎経¼ の説)。
妙覚 「まことの仏なり」 (左訓)
【5】 ¬浄土論¼ (論註・下) にいはく、 「▲*経言 ª若人但聞彼国土 清浄安楽 剋念願生 亦得往生 即入正定聚º 此是国土名字為仏事 安可思議」 とのたまへり。
経言 ¬大経¼ の第十八願文および ¬大阿弥陀経¼ ¬平等覚経¼ 等の文を取意して引く。
この文のこころは、 「ªもしひと、 ひとへにかの国の清浄安楽なるを聞きて、 *剋念して生れんと願ふひとと、 またすでに往生を得たるひとも、 すなはち正定聚に入るなりº。 これはこれ、 かの国の名字を聞くに、 さだめて仏事をなす。 いづくんぞ*思議すべきや」 とのたまへるなり。 安楽浄土の*不可称*不可説不可思議の徳を、 もとめず、 しらざるに、 信ずる人に得しむとしるべしとなり。
剋念して ¬論註¼ の当分では 「克念して生ぜんと願ずれば、 また往生を得て、 すなわち正定聚に入る」 と読む。 剋念願生する者が浄土に往生して正定聚に入る義であるが、 親鸞聖人は原文を読みかえて、 剋念願生する者 (此土) と浄土に往生した者 (彼土) との二類の正定聚があることを示した。 剋念は心を専注して一心になること。 ここでは信心の異名。
思議すべきや 「おもひはかるべからずといふ。 こころもおよばず、 ことばもおよばれずとしるべしとなり」 (左訓)
不可称 「ことばもおよばずとなり」 (左訓)
不可説 「ときつくすべからずとなり」 (左訓)
【6】 また*王日休のいはく (*龍舒浄土文)、 「*念仏衆生*便同弥勒」 (意) といへり。
念仏衆生… 「念仏の衆生はすなはち弥勒に同じ」 ¬龍舒浄土文¼ の原文は 「一念往生便同弥勒」 となっている。
「念仏衆生」 は、 金剛の信心をえたる人なり。 「便」 はすなはちといふ、 たよりといふ。 信心の方便によりて、 すなはち正定聚の位に住せしめたまふがゆゑにとなり。 「同」 はおなじきなりといふ。 念仏の人は無上涅槃にいたること、 弥勒におなじきひとと申すなり。
【7】 また ¬経¼ (観経) にのたまはく、 「▲*若念仏者 当知此人 是人中 分陀利華」 とのたまへり。
若念仏者… 「もし念仏するひとは、 まさに知るべし、 この人はこれ人中の分陀利華なり」 (信巻訓)
「若念仏者」 と申すは、 もし念仏せんひとと申すなり。
「当知此人是人中分陀利華」 といふは、 まさにこのひとはこれ、 人中の*分陀利華なりとしるべしとなり。 これは如来のみことに、 分陀利華を念仏のひとにたとへたまへるなり。 この華は、 人中の*上上華なり、 好華なり、 *妙好華なり、 *希有華なり、 *最勝華なりとほめたまへり。 *光明寺の和尚 (善導) の御釈 (散善義) には、 念仏の人をば、 ▲上上人・好人・妙好人・希有人・最勝人とほめたまへり。
上上華 「すぐれたるはな」 (左訓)
妙好華 「めでたくよきすぐれたるはななりと」 (左訓)
希有華 「まれにありがたきはなとなり」 (左訓)
最勝華 「よろづのはなにすぐれたりとなり」 (左訓)
光明寺 「善導和尚の御影堂の名なり」 (左訓)
【8】 また現生護念の利益ををしへたまふには、 「▲*但有専念 阿弥陀仏衆生 彼仏心光 常照是人 摂護不捨 総不論照摂 余雑業行者 此亦是 現生護念 増上縁」 (観念法門) とのたまへり。
但有専念… 「ただ阿弥陀仏を専念する衆生のみありて、 かの仏心の光、 つねにこの人を照らして摂護して捨てたまはず。 すべて余の雑業の行者を照らし摂むと論ぜず。 これまたこれ現生護念増上縁なり」 (信巻訓)
この文のこころは、 「但有専念阿弥陀仏衆生」 といふは、 ひとすぢに弥陀仏を信じたてまつると申す御ことなり。
「彼仏心光」 と申すは、 「彼」 はかれと申す。 「*仏心光」 と申すは、 無礙光仏の御こころと申すなり。
仏心光 大智大悲の仏心をもって念仏の衆生をおさめとる摂取の光明のこと。
「常照是人」 といふは、 「常」 はつねなること、 ひまなくたえずといふなり。 「照」 はてらすといふ。 ときをきらはず、 ところをへだてず、 ひまなく*真実信心のひとをばつねにてらしまもりたまふなり。 かの仏心につねにひまなくまもりたまへば、 弥陀仏をば不断光仏と申すなり。 「*是人」 といふは、 「是」 は非に対することばなり。 真実信楽のひとをば是人と申す。 *虚仮疑惑のものをば非人といふ。 非人といふは、 ひとにあらずときらひ、 わるきものといふなり。 是人はよきひとと申す。
是人 「是」 の字は ¬観念法門¼ の原文では単なる指示語であるが、 親鸞聖人はこれを 「非」 に対する語とみて、 真実信楽の人を 「是人」 と讃嘆した。
虚仮疑惑 「むなしく、 かりなり、 うたがひまどふといふ」 (左訓)
「摂護不捨」 と申すは、 「摂」 はをさめとるといふ。 「護」 はところをへだてず、 ときをわかず、 ひとをきらはず、 信心ある人をばひまなくまもりたまふとなり。 まもるといふは、 **異学・*異見のともがらにやぶられず、 **別解・*別行のものに*さへられず、 *天魔波旬にをかされず、 *悪鬼・悪神なやますことなしとなり。 「不捨」 といふは、 信心のひとを、 智慧光仏の御こころにをさめまもりて、 心光のうちに、 ときとして捨てたまはずとしらしめんと申す御のりなり。
異学意見 「ことごとをならひまなぶひとなり」 (左訓)
別解別行 「念仏をしながら自力の心なるものなり」 (左訓)
天魔波旬 欲界の最上位、 他化自在天に住する悪魔を波旬 (Pāpīyas パーピーヤス) という。 人の真実の智慧を断ち、 悪行をなさしめる悪しき者の意。
悪鬼悪神 仏法修行者をさまたげ、 衆生を悩害する夜叉・羅刹などの鬼神。
「総不論照摂余雑業行者」 といふは、 「総」 はみなといふなり。 「不論」 はいはずといふこころなり。 「照摂」 はてらしをさむと。 「余の雑業」 といふは、 もろもろの善業なり。 *雑行を修し、 *雑修をこのむものをば、 すべてみなてらしをさむといはずと、 まもらずとのたまへるなり。 これすなはち本願の行者にあらざるゆゑに、 摂取の利益にあづからざるなりとしるべしとなり。 この世にてまもらずとなり。
「此亦是現生護念」 といふは、 この世にてまもらせたまふとなり。 本願業力は、 信心のひとの強縁なるがゆゑに、 *増上縁と申すなり。 信心をうるをよろこぶ人をば、 ¬経¼ (華厳経・入法界品) には 「*諸仏とひとしきひと」 (意) と説きたまへり。
増上縁 「すぐれたる強縁となり」 (左訓)
【9】 *首楞厳院の*源信和尚のたまはく、 「▲我亦在彼 摂取之中 煩悩障眼 雖不能見 大悲無倦 常照我身」 (往生要集・中) と。
この文のこころは、 「われまたかの*摂取のなかにあれども、 煩悩まなこを*さへて、 みたてまつるにあたはずといへども、 大悲*ものうきことなくして、 つねにわが身を照らしたまふ」 とのたまへるなり。
摂取 「弥陀如来 (に) 摂めとられまゐらせたりとしるべし」 (左訓)
さへて さえぎって。
ものうきことなくして 飽きることがない。 ここでは見捨てたもうことなくという意
【▲*10】 「其有得聞彼仏名号」 (大経・下) といふは、 本願の名号を信ずべしと、 釈尊説きたまへる御のりなり。
10 【10】は ¬大経¼ 流通分の 「それかの仏の名号を聞くことを得て、 歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。 まさに知るべし、 この人は大利を得とす。 すなはちこれ無上の功徳を具足するなり」 (行巻訓) という文の釈。
「歓喜踊躍乃至一念」 といふは、 「*歓喜」 は、 うべきことをえてんずと、 さきだちてかねてよろこぶこころなり。 「踊」 は天にをどるといふ、 「躍」 は地にをどるといふ。 よろこぶこころのきはまりなきかたちなり。 慶楽するありさまをあらはすなり。 慶はうべきことをえてのちによろこぶこころなり、 楽はたのしむこころなり。 これは正定聚の位をうるかたちをあらはすなり。 「乃至」 は、 称名の遍数の定まりなきことをあらはす。 「*一念」 は功徳のきはまり、 一念に万徳ことごとくそなはる、 よろづの善みなをさまるなり。
歓喜 「身をよろこばしむ、 心をよろこばしむとなり」 (左訓)
一念 この一念について、 「行巻」 の釈 (187頁13行以下) と同じく
行の一念と解する説、 後文に 「一念信心をうるひとの…」 (685頁12行) とあることから、
信の一念と解する説とがある。
「当知此人」 といふは、 信心のひとをあらはす御のりなり。
「*為得大利」 といふは、 無上涅槃をさとるゆゑに、 「則是具足無上功徳」 とものたまへるなり。 「則」 といふは、 すなはちといふ、 のりと申すことばなり。 如来の本願を信じて一念するに、 かならずもとめざるに無上の功徳を得しめ、 しらざるに広大の利益を得るなり。 *自然にさまざまのさとりをすなはちひらく法則なり。 法則といふは、 *はじめて行者のはからひにあらず、 もとより不可思議の利益にあづかること、 自然のありさまと申すことをしらしむるを、 *法則とはいふなり。 一念信心をうるひとのありさまの自然なることをあらはすを、 法則とは申すなり。
為得大利 「仏になるべき利益をうるなりとしるべしとなり」 (左訓)
法則 「ことのさだまりたるありさまといふこころなり」 (左訓)
【11】 ¬経¼ (大経・下) に 「▲*無諸邪聚及不定聚」 といふは、 「無」 はなしといふ。 「諸」 はよろづのことといふことばなり。 「邪聚」 といふは、 雑行雑修・万善諸行のひと、 報土にはなければなりといふなり。 「及」 はおよぶといふ。 「不定聚」 は、 自力の念仏、 疑惑の念仏の人は、 報土になしといふなり。 正定聚の人のみ真実報土に生るればなり。
無諸邪聚… 「もろもろの邪聚および不定聚なし」
この文どもは、 これ一念の証文なり。 おもふほどはあらはしまうさず。 これにておしはからせたまふべきなり。
【12】多念をひがこととおもふまじき事。
*本願の文に、 「▲乃至十念」 と誓ひたまへり。 すでに十念と誓ひたまへるにてしるべし、 一念にかぎらずといふことを。 いはんや乃至と誓ひたまへり。 称名の遍数さだまらずといふことを。 この誓願は、 すなはち易往易行のみちをあらはし、 大慈大悲のきはまりなきことをしめしたまふなり。
本願の文 第十八願の文。
【13】 ¬阿弥陀経¼ (意) に、 「一日乃至七日、 名号をとなふべし」 と、 釈迦如来説きおきたまへる御のりなり。
この ¬経¼ は*無問自説経と申す。 この ¬経¼ を説きたまひしに、 如来に問ひたてまつる人もなし。 これすなはち釈尊*出世の本懐をあらはさんとおぼしめすゆゑに、 無問自説と申すなり。 弥陀選択の本願、 十方諸仏の*証誠、 諸仏*出世の素懐、 *恒沙如来の護念は、 諸仏*咨嗟の御ちかひ (第十七願) をあらはさんとなり。
無問自説経 問う者がいないのに、 仏がみずからすすんで説いた経典。 仏の本意の教説が示される。
出世の本懐 釈尊がこの世に出現した本意、 真の目的。
出世の素懐 「世に出でたまふとまうす。 もとのおんこころざしなり」 (左訓) 出世の本懐に同じ。
恒沙如来 「仏のおほくましますこと、 数きはまりなきことを恒河沙のいしにたとへまうすなり」 (左訓)
咨嗟 「ほめたてまつるとなり」 (左訓)
【14】諸仏称名の誓願 (第十七願)、 ¬大経¼ (上) にのたまはく、 「▲設我得仏 十方世界 無量諸仏 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚」 と願じたまへり。
この悲願のこころは、 「たとひわれ仏を得たらんに、 十方世界無量の諸仏、 ことごとく咨嗟して、 わが名を称せずは、 仏に成らじ」 と誓ひたまへるなり。 「咨嗟」 と申すは、 よろづの仏にほめられたてまつると申す御ことなり。
【▲*15】 「一心専念」 (散善義) といふは、 「一心」 は金剛の信心なり。 「専念」 は*一向専修なり。 一向は、 余の善にうつらず、 余の仏を念ぜず。 専修は、 本願のみなをふたごころなくもつぱら修するなり。 修は、 こころの定まらぬをつくろひなほし、 おこなふなり。 専はもつぱらといふ、 一といふなり。 もつぱらといふは、 余善・他仏にうつるこころなきをいふなり。
15 【15】は 「散善義」 の 「一心に弥陀の名号を専念して、 行住座臥、 時節の久近を問はず、 念々に捨てざるをば、 これを正定の業と名づく、 かの仏願に順ずるがゆゑに」 (信巻訓) という文の釈。
「行住座臥不問時節久近」 といふは、 「行」 はあるくなり、 「住」 は*たたるなり、 「座」 はゐるなり、 「臥」 はふすなり。 「不問」 はとはずといふなり。 「時」 はときなり、 *十二時なり。 「節」 はときなり、 十二月、 四季なり。 「久」 はひさしき、 「近」 はちかしとなり。 ときをえらばざれば不浄のときをへだてず、 よろづのことをきらはざれば不問といふなり。
たたる 立っている。
十二時 一昼夜を昼の卯・辰・巳・午・未・申と夜の酉・戌・亥・子・丑・寅の十二の時点の分割したもの。
「是名正定之業順彼仏願故」 といふは、 *弘誓を信ずるを、 *報土の業因と定まるを、 正定の業となづくといふ、 仏の願にしたがふがゆゑにと申す文なり。
弘誓を… 「散善義」 では称名念仏を正定業というが、 念仏往生の弘誓 (本願) を信授したとき、
報土往生の
業因が定まるので、 ここでは信心を
正定業という。
報土の業因 本願に報いて完成された浄土に生れるべきたね (因種)。
【16】一念多念のあらそひをなすひとをば、 **異学・*別解のひとと申すなり。 異学といふは、 聖道・*外道におもむきて、 余行を修し、 余仏を念ず、 吉日良辰をえらび、 *占相祭祀をこのむものなり。 これは外道なり、 これらはひとへに自力をたのむものなり。 別解は、 念仏をしながら他力をたのまぬなり。 別といふは、 ひとつなることをふたつにわかちなすことばなり。 解はさとるといふ、 とくといふことばなり。 念仏をしながら自力にさとりなすなり。 かるがゆゑに別解といふなり。 また助業をこのむもの、 これすなはち自力をはげむひとなり。 自力といふは、 わが身をたのみ、 わがこころをたのむ、 わが力をはげみ、 わがさまざまの善根をたのむひとなり。
異学別解 「ことごとをならひまなぶなり。 自力のひとなり」 (左訓)
占相祭祀 「うら・さう・まつり・はらへなり」 (左訓) 占いをし、 吉凶の相をみること、 除災招福の祭りや祓をすること。
【▲*17】 「上尽一形」 (法事讃・下) といふは、 「上」 はかみといふ、 すすむといふ、 のぼるといふ、 いのちをはらんまでといふ。 「尽」 はつくるまでといふ。 「形」 はかたちといふ、 あらはすといふ。 念仏せんこといのちをはらんまでとなり。
17・20 【17】【20】は ¬法事讃¼ (下) の 「上一形を尽し、 十念・三念・五念に至るまで、 仏来迎したまふ。 ただちに弥陀の弘誓重なれるをもつて、 凡夫念ずればすなはち生ぜしむることを致す」 (化身土巻訓) という文の釈。
「十念・三念・五念のものもむかへたまふ」 (意) といふは、 念仏の遍数によらざることをあらはすなり。
「直為弥陀弘誓重」 といふは、 「直」 はただしきなり、 如来の直説といふなり。 諸仏の世に出でたまふ本意と申すを直説といふなり。 「*為」 はなすといふ、 もちゐるといふ、 さだまるといふ、 かれといふ、 これといふ、 あふといふ。 あふといふは、 かたちといふこころなり。 「重」 はかさなるといふ、 おもしといふ、 あつしといふ。 誓願の名号、 これをもちゐさだめなしたまふことかさなれりとおもふべきことをしらせんとなり。
為 「信巻」 には 「為」 の字訓として 「定」 (さだまる) 「用」 (もちゐる) 「彼」 (かれ) 「作」 (なす) 「是」 (これ) 「相」 (あふ) が示されている。
【18】しかれば、 ¬大経¼ (上) には、 「▲*如来所以 興出於世 欲拯群萌 恵以真実之利」 とのたまへり。
如来所以 「如来、 世に興出したまふゆゑは群萌を拯ひ、 恵むに真実の利をもってせんと欲してなり」 ¬大教¼ の原文は 「如来、 無蓋の大悲をもって三界を矜哀したまふ。 世に出興するゆゑは、 道教を光闡して、 群萌を救ひ恵むに真実の利をもってせんと欲してなり」 となっている。 「道教を光闡して」 の語を省略したのは、 道教を出世の本意ではない聖道教とみたためであろう。
この文のこころは、 「如来」 と申すは諸仏を申すなり。 「所以」 はゆゑといふことばなり。 「興出於世」 といふは、 仏の世に出でたまふと申すなり。
「欲」 はおぼしめすと申すなり。 「拯」 はすくふといふ。 「群萌」 はよろづの衆生といふ。 「恵」 はめぐむと申す。 「真実之利」 と申すは弥陀の誓願を申すなり。 しかれば、 諸仏の世々に出でたまふゆゑは、 弥陀の願力を説きて、 よろづの衆生を恵み拯はんと欲しめすを、 本懐とせんとしたまふがゆゑに、 真実之利とは申すなり。 しかれば、 これを諸仏出世の直説と申すなり。 おほよそ*八万四千の法門は、 みなこれ浄土の方便の善なり。 これを*要門といふ、 これを**仮門となづけたり。
八万四千の法門 八万四千は多数の意。 仏の説いた教法全体のことであるが、 親鸞聖人は本願 (第十八願) の法以外の自力方便の教えの意とする。 「化身土巻」
394頁6行以下参照。
仮門 「かりなり、 まことならずとてなり」 (左訓)
この要門・仮門といふは、 すなはち ¬無量寿仏観経¼ 一部に説きたまへる*定善・*散善これなり。 定善は十三観なり、 散善は*三福*九品の*諸善なり。 これみな浄土方便の要門なり、 これを仮門ともいふ。 この要門・仮門より、 もろもろの衆生をすすめ*こしらへて、 本願一乗円融無礙真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、 よろづの自力の善業をば方便の門と申すなり。
諸善 「よろづの善といふなり」 (左訓)
こしらへて 誘引して。 誘い導いて。
いま一乗と申すは、 *本願なり。 円融と申すは、 よろづの功徳善根みちみちて、 かくることなし、 自在なるこころなり。 無礙と申すは、 煩悩悪業にさへられず、 やぶられぬをいふなり。 真実功徳と申すは名号なり。 *一実*真如の妙理、 円満せるがゆゑに、 大宝海にたとへたまふなり。 一実真如と申すは無上大涅槃なり。 涅槃すなはち法性なり、 法性すなはち如来なり。 宝海と申すは、 よろづの衆生をきらはず、 さはりなくへだてず、 みちびきたまふを、 大海の水のへだてなきにたとへたまへるなり。
*この一如宝海よりかたちをあらはして、 *法蔵菩薩となのりたまひて、 無礙のちかひをおこしたまふをたねとして、 阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、 *報身如来と申すなり。 これを*尽十方無礙光仏となづけたてまつれるなり。 この如来を南無不可思議光仏とも申すなり。 ▼この如来を、 *方便法身とは申すなり。 方便と申すは、 かたちをあらはし、 御なをしめして、 衆生にしらしめたまふを申すなり。 すなはち阿弥陀仏なり。 この如来は光明なり、 光明は智慧なり、 *智慧はひかりのかたちなり。 智慧またかたちなければ不可思議光仏と申すなり。 この如来、 *十方微塵世界にみちみちたまへるがゆゑに、 無辺光仏と申す。 しかれば、 世親
智慧はひかりのかたちなり 「ひかりは智慧のかたちなり」 の意か。
【19】 ¬浄じょう土ど論ろん¼ にいはく、 「▲観仏かんぶつ本願ほんがん力りき 遇ぐう無む空過くか者しゃ 能のう令りょう速そく満足まんぞく 功く徳どく大だい宝海ほうかい」 とのたまへり。
この文もんのこころは、 「仏ぶつの本願ほんがん力りきを*観かんずるに、 まうあうてむなしくすぐるひとなし。 よくすみやかに功く徳どくの大宝海ほうかいを満足まんぞくせしむ」 とのたまへり。 「観かん」 は願力がんりきをこころにうかべみると申もうす、 またしるといふこころなり。 「遇ぐう」 は*まうあふといふ、 まうあふと申もうすは本願ほんがん力りきを信しんずるなり。 「無む」 はなしといふ。 「空く」 はむなしくといふ。 「過か」 はすぐるといふ。 「者しゃ」 はひとといふ。 むなしくすぐるひとなしといふは、 信心しんじんあらんひと、 むなしく*生しょう死じにとどまることなしとなり。 「能のう」 はよくといふ。 「令りょう」 はせしむといふ、 よしといふ。 「速そく」 はすみやかにといふ、 ときことといふなり。 「満まん」 はみつといふ。 「足そく」 はたりぬといふ。 「功く徳どく」 と申もうすは名みょう号ごうなり。 「大だい宝海ほうかい」 はよろづの善根ぜんごん功く徳どく満みちきはまるを海かいにたとへたまふ。 この功く徳どくをよく信しんずるひとのこころのうちに、 すみやかに疾とく満みちたりぬとしらしめんとなり。 しかれば、 金剛こんごう心しんのひとは、 しらず、 もとめざるに、 功く徳どくの大宝だいほうその身みにみちみつがゆゑに、 大だい宝海ほうかいとたとへたるなり。
観ずる 「みるなり、 しるこころなり」 (左訓) ここでは観を本願力を信知することの意とする。
まうあふ あいたてまつる。
【▲*20】 「*致使ちし凡ぼん夫ぶ念即生」 (法事讃・下) といふは、
致使凡夫… 「凡夫をして念ずれば、 すなはち生ぜしむることを致す」
「致ち」 はむねとすといふ。 むねとすといふは、 これを本ほんとすといふことばなり。 いたるといふ。 いたるといふは、 *実じっ報ぽう土どにいたるとなり。 「使し」 はせしむといふ。 「凡ぼん夫ぶ」 はすなはちわれらなり。 本願ほんがん力りきを信しん楽ぎょうするをむねとすべしとなり。 「念ねん」 は如来にょらいの御おんちかひをふたごころなく信しんずるをいふなり。 「即そく」 はすなはちといふ、 ときをへず、 日ひをへだてず、 正定しょうじょう聚じゅの位くらいに定さだまるを 「*即そく生しょう」 といふなり。 「生しょう」 はうまるといふ。 これを 「念ねん即そく生しょう」 と申もうすなり。 また 「即そく」 はつくといふ。 つくといふは、 位くらいにかならずのぼるべき身みといふなり。 世せ俗ぞくのならひにも、 国くにの王おうの位くらいにのぼるをば即そく位いといふ。 位いといふはくらゐといふ。 これを*東宮とうぐうの位くらいにゐるひとはかならず王おうの位くらいにつくがごとく、 正定しょうじょう聚じゅの位くらいにつくは東宮とうぐうの位くらいのごとし。 王おうにのぼるは即そく位いといふ。 これはすなはち無む上じょう大だい涅ね槃はんにいたるを申もうすなり。 信心しんじんのひとは正定しょうじょう聚じゅにいたりて、 かならず滅めつ度どに至いたると誓ちかひたまへるなり。 これを 「致ちとす」 といふ。 むねとすと申もうすは、 涅ね槃はんのさとりをひらくをむねとすとなり。 「凡ぼん夫ぶ」 といふは、 無む明みょう煩悩ぼんのうわれらが身みにみちみちて、 欲よくもおほく、 いかり、 はらだち、 そねみ、 ねたむこころおほくひまなくして、 臨りん終じゅうの一念いちねんにいたるまで、 とどまらず、 きえず、 たえずと、 *水すい火か二河にがのたとへにあらはれたり。 かかるあさましきわれら、 *願力がんりきの白びゃく道どうを一分いちぶん二に分ぶんやうやうづつあゆみゆけば、 無礙むげ光こう仏ぶつのひかりの御おんこころにをさめとりたまふがゆゑに、 かならず安楽あんらく浄じょう土どへいたれば、 弥陀みだ如来にょらいとおなじく、 かの正しょう覚がくの華はなに化け生しょうして大だい般はつ涅ね槃はんのさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。 これを 「致使ちし凡ぼん夫ぶ念ねん即そく生しょう」 と申もうすなり。 二河にがのたとへに、 「一分いちぶん二に分ぶんゆく」 といふは、 一年いちねん二に年ねんすぎゆくにたとへたるなり。 諸仏しょぶつ出しゅっ世せの直説じきせつ、 如来にょらい成じょう道どうの素そ懐かいは、 凡ぼん夫ぶは弥陀みだの本願ほんがんを念ねんぜしめて即そく生しょうするをむねとすべしとなり。
即生 「すなはち生ると」 (左訓)
東宮 皇太子のこと。
水火二河のたとへ 善導ぜんどう大だい師しの 「散善義」 にある臂喩。 水の河は
貪欲とんよく、 火の河は
瞋しん恚にに喩える。 →
二河にがの臂喩ひゆ
願力の白道 水火二河の中間にある道で、
凡ぼん夫ぶの信心が如来よりたまわったものであることを喩える。 →
二河にがの臂喩ひゆ
【*21】「▲今こん信しん知ち弥陀みだ本ほん弘ぐ誓ぜい願がん 及ぎゅう称しょう名みょう号ごう」 (礼讃) といふは、
21 【21】は ¬礼讃らいさん¼ の 「いま弥陀の本ほん願ぐ弘ぜい誓がんは、 名みょう号ごうを称すること下十声・一声に至るに及ぶまで、 さだめて往生を得と信知して、 すなはち一念に至るまで疑心あることなし」 という文の釈。
如来にょらいのちかひを信しん知ちすと申もうすこころなり。 「信しん」 といふは金剛こんごう心しんなり。 「知ち」 といふはしるといふ、 煩悩ぼんのう悪業あくごうの衆しゅ生じょうをみちびきたまふとしるなり。 また 「知ち」 といふは観かんなり。 こころにうかべおもふを観かんといふ、 こころにうかべしるを 「知ち」 といふなり。 「及ぎゅう称しょう名みょう号ごう」 といふは、 「及ぎゅう」 はおよぶといふ。 およぶといふはかねたるこころなり。 「称しょう」 は御みなをとなふるとなり。 また称しょうははかりといふこころなり。 はかりといふはもののほどを定さだむることなり。 名みょう号ごうを称しょうすること、 十と声こえ・一声ひとこえ、 きくひと、 疑うたがふこころ一念いちねんもなければ、 *実じっ報ぽう土どへ生うまると申もうすこころなり。 また ¬阿あ弥陀みだ経¼ の 「七日しちにちもしは一日いちにち、 名みょう号ごうをとなふべし」 となり。
実報土 「安あん養にょう浄土なり」 (左訓)
【22】これは多た念ねんの証しょう文もんなり。 おもふやうには申もうしあらはさねども、 これにて、 一念いちねん多た念ねんのあらそひあるまじきことは、 おしはからせたまふべし。 浄じょう土ど真しん宗しゅうのならひには、 念仏ねんぶつ往おう生じょうと申もうすなり、 まつたく一念いちねん往おう生じょう・多た念ねん往おう生じょうと申もうすことなし、 これにてしらせたまふべし。
南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつ
*ゐなかのひとびとの、 文もん字じのこころもしらず、 あさましき愚痴ぐちきはまりなきゆゑに、 やすくこころえさせんとて、 おなじことを、 とりかへしとりかへし書かきつけたり。 こころあらんひとは、 をかしくおもふべし、 あざけりをなすべし。 しかれども、 ひとのそしりをかへりみず、 ひとすぢに愚おろかなるひとびとを、 こころえやすからんとてしるせるなり。
ゐなかの… ¬唯信鈔文意¼ にも同様の跋文がある。
*康元こうげん二に歳さい丁ひのと巳のみ二に月がつ十じゅう七日しちにち
康元二歳 1257年。
愚ぐ禿とく親鸞しんらん八はち十じゅう五ご歳さいこれを書かく。