0671けっしょう

 

ひろく一代いちだい半満はんまんきょうをたづぬるに、 しゅじょうしゅつもんにあらずといふことなし。 しょきょうのとくところまちまちなれども、 だいかくじょうずるをもてせんとし、 しょしゅうだんずるところさまざまなれども、 しんしょうみょうをあらはすをもてようとす。

¬ごんぎょう¼ (晋訳巻一〇夜摩説偈品) には 「 ト ト ビ ト ノ ツ シ↢差別↡」 ととき、 ¬はんぎょう¼ には 「一切衆生悉有↢仏性↡」 といへり。 さればわがこころすなはちぶつなり。 こころのほかにぶつをもとむべからずといへども、 一念いちねん迷妄めいもうによりてみょう煩悩ぼんのうにおほはれしよりこのかた、 ぶっしょうのまなこひさしくしゐて、 しょうのやみにまよへり。

¬唯識ゆいしきろん¼ (成唯識論巻七) しゅじょうあんそうをあかすとして、 「イマザレバ ノ ヲ↡、  ニ処↢ セリ ノ ニ↡。  ニ テ ス↢生 ノ ト」 といへり。 かゝるまよひのぼんは、 煩悩ぼんのうそくだいときけどもそのたっせざれば、 煩悩ぼんのうはもとの煩悩ぼんのうにて罪因ざいいんとなり、 だいはもとのだいにてまたくしょうけんにかなはず。 しょうそくはんかんぜんとすれどもそのさとりをえざれば、 しょうはもとのしょうにて六道ろくどうりんし、 はんはもとのはんにていまだぶっしょうをあらはさず。

こゝをもて ¬はんぎょう¼ (北本巻二七師子吼品 南本巻二五師子吼品) 0672は 「 テ↢無明オホ↡ ヘルヲアタ得↠ コト見  コトヲ」 といへり。 善導ぜんどうしょう、 かのきょうもんによりて 「 シ テ↢垢障覆深↡、 ナルヲ 浄体 シヨシ↢顯照↡  スルニ (玄義分) と判じたまへり。 さん諸仏しょぶつ、 このことをあはれみて番々ばんばんしゅっし、 一代いちだいきょうしゅしゃ如来にょらい、 かのぶっしょうをあらはさしめんがためにじょくにいでゝ八相はっそうじょうどうし、 だい小乗しょうじょうきょうをときたまへり。

そのきょうもんあまたにわかれたれども、 りゅうじゅさつ論判ろんぱんにまかするに、 なんぎょうぎょうどうあり。 どうしゃくぜんはこのどうをなづけてしょうどうじょうもんとす。 しょうどうもんは、 じきじょうぶつもんをしめして現身げんしんほっしょうをあらはせととき、 じょうもんは、 じゅんおうじょうみちをすゝめてあんにょうにしてしょうのさとりをうべしとをしへたり。

かのしょうどうもんにとりて、 ことにしゅじょう即仏そくぶつもんをあかし、 実相じっそう常住じょうじゅうをあかせるは、 ¬ごん¼・¬ほっ¼・¬はん¼ とうだいじょうきょうこれなり。 かのしょきょうじんをきくもの、 をのをのそのにしたがひてやくをうること、 ざいはいふにをよばず。 めつしゅじょうも、 じょうだいじょうこんのひとはせつのごとくしゅぎょうしてそのしょうをあらはす。 たとひまっなりといふとも、 利智りちひとありてきょうのごとくぎょうがくせば、 やくをうることなかるべきにはあらず。 しょしゅうあひわかれて、 たつるところ面々めんめんにかはれども、 みなこれりきしゅにゅうみちなるがゆへに、 そうじてこれをしょうどうもんといふ。

じょうもんといふは、 じょうさんきょうについて他土たどとくしょうす。 これひとへに0673みょうごうをとなへ、 りき本願ほんがんじょうじてじゅん極楽ごくらくにむまれ、 かしこにしてほっしょう真如しんにょをさとり、 じょうぶっのくらゐにいたらんとねがふなり。 一代いちだいみな一仏いちぶつ所説しょせつなれども、 ふたつもんをまうくることは、 ざいはみなもんきょうこうによりてとうやくをもえ、 らいじょうぶつべつにもあづかりしかども、 まっ造悪ぞうあくしゅじょう障重しょうじゅう根鈍こんどんぼんは、 現身げんしんにさとりをうることかたきがゆへに、 かのしょうどうもんしゅぎょうにたへざらんのために、 いまぎょう一道いちどうをまうけてりきおうじょうをしめすなり。

されば、 ¬かんぎょう¼ にこの念仏ねんぶつおうじょうをとくとして、 あるひは 「タメ未来 ノ一切衆 ノタメ煩悩 ノ↡之↠ レタル セ者↥ ノヽカン ノ ヲ」 といひ、 あるひは 「タメ未来 ノ一切大 ノオモハンマヌ↠  カレント ヲ者↡ ノヽ ノ ノ ヲ」 ととけり。 しょうだいたいとしてこれをとける、 ひろくめつじょうもつぼんをすくふことをあらはすなり。

そのめつにをいて、 しょう像末ぞうまつさんあり。 しょうぼう千年せんねんのあひだは教行きょうぎょうしょうみなそくせしかば、 きょうによりてぎょうしゅし、 ぎょうによりてしょうをうるひとおほくして仏法ぶっぽうしょうげんぜず、 ほとほとざいにかはることなし。 像法ぞうぼう千年せんねんのあひだに教行きょうぎょうはあれども、 そのしょうなし。 末法まっぽう万年まんねんのあひだはたゞきょうのみありて行証ぎょうしょうなし。 これすなはちじょくこうじょうにしてしゅじょう悪業あくごうはまさり、 心相しんそう類劣るいれつにして仏法ぶっぽうしゅぎょうはすゝまざるがゆへなり。

とうせつをおもふに、 もししょう0674ぼう千年せんねんせつによらば、 末法まっぽうにいりてひゃくねん、 もししょうぼうひゃくねんせつによらば、 末法まっぽうにいりてしちひゃくねんなり。 いづれのによるとも、 末法まっぽうにいたれることは勿論もちろんなり。 ¬大集だいじっきょう¼ にとくところの五箇ごこひゃくねんのうちだいひゃくねんなれば、 とうじょうけんぶんなり。 ¬かんぎょう¼ にいへる煩悩ぼんのう賊害ぞくがい、 まさしくいまにあたれり。 かるがゆへに時機じき相応そうおうきょうにつきて、 この念仏ねんぶつおうじょうもんをすゝむるなり。 これ如来にょらい真実しんじつ所説しょせつ諸仏しょぶつ証誠しょうじょうきょうぼうなるがゆへなり。

といていはく、 仏道ぶつどうしゅぎょうするは、 しょうをはなれんがためなり。 しかるに方便ほうべんごんきょうによりてしゅつをもとめば、 そのをうべからず。 真実しんじつきょうによりて真実しんじつぶっをばもとむべし。 その真実しんじつきょうといふは、 ほっ一法いっぽうなり。 一切いっさいきょう真実しんじつにあらず。

そのゆへは、 かの ¬法華ほけきょう¼ (巻一方便品) の文に、 あるひは 「十方仏 ノナカ タヾ ノ法↡ ノミ ク モマタ シ モノゾ ノ方便説↡」 といひ、 あるひは 「 ノ ヲ ニ、 諸仏イデ↢ タマフタヾ ノ一事実、 ナリ  ノ ハ ズ ニ」 といひ、 あるひは 「雖↠ ドモシメスト ノ ヲ↡、  ノ ハ為↢ ナリ ノ」 といひ、 あるひは 「タヾテノ一大 ノ ヲ ニ出↢ ス ニ」 とときて、 いちじょうみょうほうのほかはことごとく真実しんじつきょうにあらず、 みな方便ほうべんせつなり。 たゞこの一法いっぽうのみ諸仏しょぶつしゅっ本懐ほんかいしゅじょうじょうぶつ直道じきどうなりとあらはせり。

あるひは三説さんせつたいしてほっ0675第一だいいちなることをたんじ、 あるひはじゅうをときてまたこの ¬きょう¼ のさいしょうなることをのべ、 あるひは穿せんじゃく高原こうげんのたとへをもてほっぎょうずるひと仏道ぶつどうにちかきことをしめし、 あるひはおうちょう髻珠けいしゅのたとへをかりてみょうほうさいじょうなることをあかせり。

しかのみならず、 ぎゃく調じょうだつ天王てんのう如来にょらいべつにあづかり、 八歳はちさいりゅうにょ無苦むくかいじょうどうをとなふ。 これみな一代いちだいになきところ、 しょきょうのをよばざるところなり。

しかるにたまたまいちじょう流布るふにむまれながら、 これをじゅ読誦どくじゅすることなくして、 ひとへに方便ほうべんきょうしゅうして念仏ねんぶつおうじょうをねがはんこと、 これおほきなるあやまりにあらずや。

こたへていはく、 しょきょうのなかに ¬ほっ¼ のすぐれたることは、 もんにありてあきらかなり。 これすなはちほんじゃくもん説相せっそうぜんにこゑたるがゆへなり。 しゃくもんしょう実相じっそうをあらはすにあり、 本門ほんもんしょう如来にょらい遠寿おんじゅをあらはすにあり。

しばらくしゃくもんについていはゞ、 実相じっそうといふは ¬きょう¼ (法華経) に 「諸法しょほう実相じっそう」 ととく。 その 「実相じっそう」 といふは天臺てんだいによるに、 十界じっかいじゅうにょ三千さんぜんしょうそうしゅじょう一念いちねんして不可ふか思議しぎなるをいふ。 このゆへにぶつしゅじょうべつにして、 煩悩ぼんのうだい不二ふになり。 これを 「 ハモトコノカタツネミ ラ ノ ナリ (法華経巻一方便品) ともいひ、 「 ノカラシメ ノ相寂滅 (法華経巻一方便品) 0676もとけり。 これすなはちしゅじょうぶっしょうなり。 ぶつ、 このをあらはさんがためににいでたまへば、 しゅっ本懐ほんかいともいはれ、 さい第一だいいちせつともなづくるなり。

これぶっなり、 これいちじょうなり、 これ実相じっそうなり、 これじゃくめつなり。 このいちのほかには、 ほうとしてさらにそのたいなし。 かるがゆへに 「じょうほうもなくさんじょうほうもなし」 ともいひ、 「はみなしんにあらず」 といふなり。 敗種はいしゅじょうじょうぶつきょうしょうぜしも、 このゆへなり。 「一切いっさいしゅじょう仏道ぶつどうにいる」 (法華経巻一方便品意) といふも、 このゆへなり。 調じょうだつぶつも、 りゅうにょじょうぶつも、 みなこのぶっいちじょうみちによりてなり。

しかるにじょうしゅうよりこれをみれば、 うるところのやくさまざまなれども、 かれはもんのなかのしょうどうもんりきしゅにゅうみちなり。 さればしゃくもんには、 さんしゅうしょうもん諸法しょほう実相じっそうをさとりて八相はっそうじょうどうにあづかり、 本門ほんもんにはじんさつ仏寿ぶつじゅじょうおんせつをきゝて増道ぞうどうそんしょうやくをえたり。 めつこんしゅじょう幾分いくぶんをよびがたきによりて、 こゝにしてほっしょうじんをさとりがたければ、 仏願ぶつがん強縁ごうえんたく弥陀みだじょうしょうじて、 かしこにしてしょうのさとりをひらくべしとすゝむるなり。

ざい大旨おおむねこんなるがゆへに、 しょうをえやくにあづかること、 ことはりなり。 まっぼん鈍根どんこん無智むちなるがゆへに、 ほうしゅしょうなれどもせんのためにはじょうぎょうなれば、 なをしょうをまぬかれがたし。 か0677ゝるれっのためにしゅつ要道ようどうとなるは、 たゞ念仏ねんぶついちぎょうなり。 このまへには、 かの一代いちだいしょきょうみな念仏ねんぶつ一門いちもんして、 これまた念仏ねんぶついちじょうといはるゝなり。

¬かんぎょう¼ のほっじょ9のはじめに、 しょきょうぶつしょしゅをつらねてこれをとき、 善導ぜんどうしょうこのもんをもて 「前序ぜんじょ (序分義) しゃくせらるゝは、 このこゝろなり。 あるひは 「とんぎょういちじょうかい (玄義分) といひ、 あるひは 「とんぎょうだいぞう (散善義) しゃくする、 またこのなり。

せんずるところ、 一代いちだいもんあるうちに、 じきじょうぶつ即身そくしんとんみちをあらはすにとりて、 門々もんもんまたあひわかれたり。 たがひにしんをあらそへども、 まづ天臺てんだいのこゝろをもていはゞ、 ¬ほっ¼ をもてごくとす。 四味しみ調熟じょうじゅくをへて一円いちえんごくをあらはし、 さんじょう方便ほうべんかいして一仏いちぶつじょうするがゆへなり。 このときは、 一代いちだいみな ¬ほっ¼ にするいはれあり。

じゅんおうじょうぼんしゅつみちをしめすは、 念仏ねんぶつをもて最要さいようとす。 事理じりかんぎょうをすゝめず、 たゞ称名しょうみょうぎょうをもちゐるがゆへなり。 このときは、 しょきょうみな念仏ねんぶつするあり。 ¬般舟はんじゅさん¼ に 「キテ ノ便 ヲ↡教門非↠  コトハヒトツ  ダ為↢  メナリワレ ノ凡夫↡。  シ ク依↠ リテ ニ スル ハ チ ニ ヲ生↢  コトヲ ニ」 といへる、 このこゝろなり。

しかれば、 ¬ほっ¼ (巻六) 正宗しょうしゅうとう得益とくやくおはりて、 ずう薬王やくおうぼん」 に、 ときひゃくさいときをさし、 しょうさんしょう女人にょにんをいたして、 「即往↢安楽世界0678阿弥陀仏所↡」 ととく。 これすなはち ¬ほっ¼ のやくも、 めつ造悪ぞうあくのためにはじきじょうぶつやくも、 つゐにおうじょうじょうにゅうするすがたをあらはすなり。

といていはく、 ほっしょざいじょうこんなりといふこと、 しかるべからず。 ことに下機げきやくすること、 この ¬きょう¼ のしょうやくなり。 いはゆるだっりゅうにょじょうぶつ、 そのしょうなり。 なんぞこんにをよばずといふべきや。

こたへていはく、 じょうしゅうのこゝろをもてみるとき、 ざい得益とくやくはみなこんとしらるゝなり。 さればかのにん根鈍こんどんといふべからず。 そのゆへは、 調じょうだつ八万はちまん法蔵ほうぞうのうち六万ろくまんぞう闇誦あんじゅし、 さんじゅうそうのうちさん十相じっそうせり。 もともじょうこんといふべし。 りゅうにょはすなはち ¬きょう¼ (法華経巻四提婆品) に 「ねん八歳はちさい智恵ちえこん」 とときたれば、 鈍根どんこんといふべからず。

いはんやまたざいはおほく権者ごんじゃなりとみえたることあり。 もしそのによらば、 やくをうといへるも、 実益じつやくにはあらざるべし。 たゞめつこんあくしょうじんじゅうしゅじょうの、 まことにしょうをいづるほう真実しんじつほうとはいふべし、 これすなはち念仏ねんぶつなり。

といていはく、 ざいはおほく権者ごんじゃなるべしといふこと、 おもひがたし。 たとひ権者ごんじゃなりとも、 下機げき行状ぎょうじょうをしめすは、 きょうにそのやくあるべきがゆへなり。 なんぞ0679権者ごんじゃなりといひて、 きょうりきなきになすべきや。 いはんや権者ごんじゃなるべしといふこと、 信用しんようにたらず。 そのしょうありや。

こたへていはく、 もとよりひとすぢに権者ごんじゃをもていまのりっするにはあらず。 ざいじょうこんめつこんとこゝろうるにそうなし。 そのうへに、 ましてごんといふせつもあれば、 そのせつにてはじつにはやくなきもあるべしといふをのぶるなり。 されば権者ごんじゃ実者じっしゃ二義にぎをば、 ことによりてこゝろうべきなり。

つぎに権者ごんじゃ所見しょけんにいたりては、 ¬どうしょうきょう¼ (巻下意) のなかに、 「さんじょう自地じじぶつよりしょうず」 といへるをもてこゝろうれば、 しょうもんさつ断惑だんわくしゅにゅうみちはみなじつにあらずとみえたり。 したがひてみょうらくだいしゃくにも 「准↢¬ ズルニ不思議境界 ニ¼↡云、 舎利弗 ノ五百声 ハ ナ レ ノ極位菩薩 (釈籤巻二〇) といへり。 このしゃくのごとくならば、 「ひゃくしょうもん」 といへるは、 さんしゅうとくしょうもん、 みなごんなりときこへたり。 また天臺てんだいだいは 「調 ハ レ賓伽ビンギャ菩薩、 先世大善知 ナリ (法華玄義巻六下) といひ、 みょうらくこれをうけて 「調 ハ レ賓伽羅菩薩  ナリトカルガユヘニ¬大 ニ¼云、  シ提婆達多 ニ レ人  ニシテ堕↢  ストイハ ニ↡者、 ケン有↢ コト ノコトハリ (釈籤巻一三) といへり。 権者ごんじゃなること、 これらのもんにてしりぬべし。

といていはく、 ざいどん権実ごんじつをば、 しばらくこれをさしをく。 いまの ¬法華ほけきょう0680¼ はもはらめつにかうぶらしめたり。 すなはち 「宝塔ほうとうぼん (法華経巻四) には 「 ク テ↢来 ニドク セバ ノ ヲ↡、  レ ノ子。 ナリ ヂユジユン セリ ノ ニ」 といひ、 「神力じんきりぼん (法華経巻六) には 「 テ ガ ノ ニ↡、 受↢ ス ノ ヲ↡。  ノ テ↢仏 ニ↡決 シテ無↠有↠疑ウタガヒアルコト」 ととけるもん、 そのしょうなり。 されば天臺てんだいだいも 「ひゃくさい遠霑おんてんみょうどう (法華文句巻一上釈序品) しゃくしたまへば、 とうまさしくかのやくのさかりなるべきぶんなり。 なんぞこれをしゅしてそのぶっをえざらんや。

こたへていはく、 「けつじょう無有むう」 のもん、 「住淳じゅうじゅんぜん」 のせつ、 まことにたのみあり、 もともしんずべし。 たゞし能説のうせつひともくらゐにいたらずは、 たやすくとくべからず。 のうちょうひとも、 せんにしてはかなふべからず。

そのゆへは、 「譬喩ひゆぼん (法華経巻二) もんをみるに、 あるひは 「 ノ法華 ハ ニ↢深 ノ ケ。 浅 ハ テ ヲ シテ不↠サトラ」 といひ、 あるひは 「 ハ シテ ク著↢ セリ ニ↡、  テ不↠能↠解。 コト  タ レ ニ↡ クコト」 ととけり。 じんまではおもひよらず、 せんだにもなからん。 下機げきのためにこれをとかんこと、 仏説ぶっせつせいにたがへり。 とかんひととがをえ、 きくひとやくなかるべし。 かくのごとくせいせられたることは、 甚深じんじんごくほうなるがゆへに、 浅識せんしきのものきゝてはそしりをなすべし。 そしりをなさば、 悪趣あくしゅすべきがゆへなり。

これによりて、 その罪報ざいほうをあらはして、 あるひは 「 シ ト不↠ シテ ゼ毀↢謗  スルハ ノ ヲ↡、  チ ツ↢一切世 ノ ヲ (法華経巻二譬喩品) といひ、 あるいは 「見↠ テハ有↧ ルヲ讃↢ シ0681カキタモツ ヲ ノ↥、 軽賎憎 シテ モ懐↢ イダケバ ヲ↡、  ノ チ リテ ル↢阿鼻 ニ↡。 具↢ シテ ヲ↡劫尽 ツクレバサラニ ズ (法華経巻二譬喩品) ととき、 そのほかさまざまのほうをいだせり。 能説のうせつのうちょうひと、 みだりなるべからずときこえたり。

また 「ほうぼん (法華経巻四) には、 ¬ほっ¼ をとかんひとしつほうじゅうすべきことをあかせり。 「有↢アリテ善男子・善女人↡、 如 ノ ニ ハ ニ↢四 ノ↦ カント ノ法華 ヲ↥者、 云 ガ説。  ノ善男子・善女人、  リ↢如来 ニ↡、  シ↢如 ノ ヲ↡、 坐↢ シテ ノ ニ↡、 シカウシテ チ為↢四 ノ ク ク ノ ヲ↥。 如 ノ ト、 一切衆 ノナカノ大慈悲是。 コレナリ ノ トイフハ、 柔和忍 ノ是。 コレナリ ノ ト、 一切法空是。 ナリ 安↢ シテ ノ ニ↡、  カ ウシテノチ以↧ セ ヲ↥、  ニ ノ菩薩 ビ ノ↡、  ク ケ ノ法華 ヲ」 といへる、 そのもんなり。 さればこのほうじゅうせんことかたければ、 たやすくとくべからず。 とくべからざれば、 きゝてしんをおこし、 じゅ読誦どくじゅせんこともかたかるべし。

おほよそ¬ほっ¼ にをいて事理じりぎょうあり。 ぎょうといふは、 ふかく三諦さんたい相即そうそくのむねをしり、 諸法しょほう実相じっそうたっするなり。 ぎょうといふは、 じゅ読誦どくじゅせつ書写しょしゃようしゅぎょうなり。 理事りじぎょうともにとくこともかたく、 きくこともかたし。 まことに能説のうせつのくらゐにかなひたる慈悲じひ忍辱にんにくのひとありてこれをとき、 きゝてしんずべきじんひとありてかん相応そうおう如説にょせつしゅぎょうせば、 仏道ぶつどうをえんことうたがひあるべからず。 「にん0682仏道ぶつどうけつじょう無有むう」 ととける、 このなり。 しかれば、 即身そくしんとんやくぼんのうへにはじょうなるゆへに、 ¬ほっ¼ のやくもつゐには即往そくおう安楽あんらくこくするなり。 その、 さきにのべつるがごとし。

といていはく、 ほっぎょうじゃのなかに、 念仏ねんぶつけんごうなりといふひとあり。 いまのきょうのなかにても、 またきょうにても、 そのをときたるもんありや。

こたへていはく、 このといもとも迷惑めいわくせり。 祖師そし念仏ねんぶつぎょうにをいてしゅをたてたまへるなかにけんしゅあり。 そのことならば、 しかなり。 もしいまうたがふところは、 けんごくごうなりと。 いかなるぎょうさんごうとなるぎょうあるや、 いまだこれをしらず。 おほよそ一代いちだい八万はちまんきょう、 これについてきょうもん権実ごんじつをあらそひ、 得脱とくだつそくろんずる差別しゃべつあれども、 事理じりぎょうごうしかしながらぐんじょうとくもんなり。

なかにも念仏ねんぶつはこれじょうだいどくぼんおうじょうしょういんなり。 しょきょう所説しょせつ、 おなじくそのしょうをほむるもんおほく、 自他じたしゅう祖師そし、 ともに念仏ねんぶつやくたんぜり。 まことにこれだいじょうじょうしょうぼうぶっしょうみょうごうなり。 まさしくおうじょういんをもて、 なんぞかへりてけんごうといはんや。 せんずるところ、 念仏ねんぶつごくごうなりといはんひとは、 はやくそのもん0683をいだすべきなり。

といていはく、 このこと ¬法華ほけきょう¼ (巻一方便品) のなかにかんがふるもんあり。 あるひは 「 ノ ハ錯乱サクラン シテ ヲ レ知、シンヌ  ノ ハ ダカツテ セ↢善 ヲ↡、 カタク著↢ シテ於五 ニ↡、 痴 ノユヘニ ズ ヲ テ ノ ノ ヲツイ三悪 ニ」 といひ、 あるひは 「当来 ノ悪人、  テ↢仏 ノ ヲ↡、 迷 シテ ケ ヲ破↠ シテ ヲ堕↢ セン ニ」 ととき、 そのほか、 さきにいだされつる 「譬喩ひゆぼん」 のもんとう、 ¬ほっ¼ のやくしんぜざれば、 つみ謗法ほうぼうにあたるがゆへに、 さだめてけんごうをうべしとこゝろうるなり。 この如何いかん

こたへていはく、 これらのもんまたく念仏ねんぶつぎょうじゃのことをとかず。 念仏ねんぶつぎょうごくする業因ごういんなりとときたるもんあらば、 それをいださるべし。 しからずはつうにおよばざるものなり。 いまのもんはたゞ ¬ほっ¼ ほう罪報ざいほうをあげたり。 さればそのひとはたれなりとも、 ¬ほっ¼ をほうせんものゝことなり。 しかるに念仏ねんぶつぎょうじゃそうじてきょうほうずることなし。 なんぞべっして ¬ほっ¼ をほうせんや。

さきにのぶるがごとく、 しゃくそんしゅっ本懐ほんかい実相じっそうをとくにあること、 はじめていふべからず。 たゞし末代まつだい鈍根どんこんのわれらにはしゅぎょうじょうじゅしがたきゆへに、 ぎょう念仏ねんぶつしてしょうをい0684でんとをもふは、 わが幾分いくぶんをはかるなり。 これさらにきょうをかろしむるにあらず。 じょうもんをつとむるとき、 そのまへには一仏いちぶつみょうごうしょうするをもてぶつ本願ほんがんとするがゆへに、 かのしゅうをまもるばかりなり。

念仏ねんぶつほっぶっいちじょうしょうぼうなるがゆへに、 一法いっぽうなりとしんず。 しかれども、 しょうたいしてはほっとなづけて諸法しょほう実相じっそうみょうをあかし、 ぼんにたいしては念仏ねんぶつとなづけて捨身しゃしん他世たせおうじょうをすゝむ。 かるがゆへに一法いっぽうみょうなりとはしりて、 しかもぼんにあたふるかたをとりて念仏ねんぶつぎょうずるなり。

といていはく、 「薬王やくおうぼん (法華経第六) に 「即往そくおう安楽あんらく」 ととくによりて、 ¬ほっ¼ のやく念仏ねんぶつすといふこと、 しかるべからず。 そのゆへは、 かの 「品」 (法華経巻六薬王品) には 「にゃく女人にょにんもんきょうてん如説にょせつしゅぎょう」 ととくがゆへに、 ¬ほっ¼ のちからによりて即往そくおうやくをえたり。 念仏ねんぶつぎょうじておうじょうをうととかざるものなり。 したがひて、 みょうらくも 「 ノ中 ナカニハタヾ聞↢  コトヲ ノ¬ ヲ¼↡ ク ノ行  スルハ チ ノ因↥。 ナリト  ル須↣ スベカラクサラニ¬観経¼ ヲ (法華文句記巻一〇意) しゃくしたまへり。 されば ¬ほっ¼ のやく念仏ねんぶつすとはいふべからざるものをや。

こたへていはく、 ¬ほっ¼ はじょうぶつをあかし、 念仏ねんぶつおうじょうをすゝむ。 しかるにざいさんしゅうしょうもんにはじょうぶつをあたへ、 めつしょう女人にょにんにはおうじょうやくをしめすがゆへに、 ¬ほっ¼ のやくぼんのためには西方さいほうおうじょうすること、 そのあきらかなり。

0685ゞし、 そのしょういん念仏ねんぶつにあらずといふなんにいたりては、 じょうもんにをいてしょぎょうおうじょう念仏ねんぶつおうじょうもんあり。 いま ¬ほっ¼ のせつは、 そのなかにしょぎょうおうじょうもんをあらはすなり。 これすなはち ¬かんぎょう¼ にとくところの三福さんぷくのなかに、 読誦どくじゅだいじょうぎょうなり。 しかれば、 じょうさんがん三門さんもんのなかに、 じょうさん能顕のうけん方便ほうべん念仏ねんぶつ所顕しょけん真実しんじつなるがゆへに、 かの ¬ほっ¼ の読誦どくじゅだいじょうぎょうは、 ¬かんぎょう¼ にいりてつゐに念仏ねんぶつおうじょうすべきなり。

さればかの如説にょせつしゅぎょう女人にょにんも、 もし弥陀みだみょう願力がんりきによらずは、 千劫せんごう万劫まんごう恒沙ごうじゃとうこうにもつゐに女身にょしんてんずべからずとこゝろうれば、 けんには読誦どくじゅだいじょうおうじょうをとくといへども、 いつには念仏ねんぶつおうじょうをふくめり。 いはんや、 またほっ念仏ねんぶつ一法いっぽうなりとしるときは、 この ¬きょう¼ のやく即往そくおう安楽あんらくしけるは、 もともどうなりとこゝろえらるゝなり。

といていはく、 「薬王やくおうぼん」 にとくところの弥陀みだと、 念仏ねんぶつぎょうじゃみょうする弥陀みだ各別かくべつぶつなり。 そのゆへは、 ¬ほっ¼ 所説しょせつ弥陀みだは 「じょうぼん」 よりいでたり。 かのもんのごとくならば、 大通だいつうしょうぶつじゅうろくおうのうちとして、 すなはちかのぶつにあふてしゅっじょうどうせり。 ¬双巻そうかんぎょう¼ のせつのごときは、 世自せじ在王ざいおうぶつにあふて発心ほっしんし、 じゅう八願はちがんをおこせり。 また ¬ほっ¼ のせつ三千さんぜん塵点じんでんのさきなり。 じょうしゅうせつ十劫じっこうじょうどう0686ととけり。 もとも各別かくべつぶつなるべし。

これによりてみょうらくだい、 「薬王やくおうぼん」 のしんしゃくするに、 「タダチ観↢  ズルニ ノ ヲ↡、 四土具足。 セリ カルガユヘニ ノ仏身 チ三身ナリ (法華文句記巻一〇下 釈薬王品) はんじたまへり。 いかんが一仏いちぶつなりといふべきや。

こたへていはく、 じょうしゅう弥陀みだほっ弥陀みだとて、 さらに各別かくべつなるべからず。 じょうしゅうのこゝろは、 一仏いちぶつ一切いっさいぶつなるがゆへに、 諸仏しょぶつみな一体いったいなり。 「ミナ無量寿 ノ極楽 ノ ヅ (唐訳楞伽経巻六偈頌品) なるがゆへに、 諸仏しょぶつ弥陀みだよりいでたり。 さればしゃやく観音かんのんろくとう諸仏しょぶつさつ、 みな弥陀みだ一仏いちぶつなりとしる。 たとひしゅうのこゝろなりといふとも、 どうみょう一仏いちぶつにをいて、 なんぞしゐて別体べったいのおもひをなさんや。 かれも弥陀みだとなづけ、 これも弥陀みだとなづく。 かれも安楽あんらくといひ、 これも安楽あんらくといふ。 かれも西方さいほうととき、 これも西方さいほうととけり。 なんのによりてか、 べつぶつとこゝろうべきや。

しゅう祖師そし同体どうたいなりとえたまへり。 しょしゅう先徳せんどく各別かくべつぶつしゃくせられず。 まづ ¬ほっ¼ をしゅうとするみょうらくだい、 あるひは 「 ニホムル ク リ↢弥 ニ (輔行第二) しゃくし、 あるひは 「教説多 オホキガ ニ由↢ヨルガモノヽ ニ ニ レ摂↠  スルガ ヲ ニ令↢ シムルガ セ ニ、 宿縁厚 アツキガ ニ約↢  スルガ ニ ニ (法華文句記巻一〇下 釈薬王品) の、 むつの 「ゆえに」 をいだせり。 もしべつぶつとこゝろえば、 「ぶん弥陀みだ」 といひ 「きょうせつ多故たこ」 といへるしゃくみなやぶれなん。

ただ発心ほっしん各別かくべつ0687に、 じょうどうときそうせりといふにいたりては、 だいしょう化儀けぎ弥陀みだ一仏いちぶつにかぎらず。 しょきょう所説しょせつ異議いぎあること、 みなにしたがふゆへなり。 まづきょうしゅしゃくそんについてこれをいふに、 今日こんにち一代いちだい化儀けぎは、 じゅうじょうさんじゅうじょうどうはちじゅうにゅうめつぶつなれども、 ¬ほっ¼ のせつによらば、 しゃく三千さんぜん塵点じんでんのむかし、 じつじょうひゃく塵点じんでんのいにしへなり。 これみな三身さんしんゆうもん差別しゃべつとしりぬればそうなし。 いづれのしゅうよりも、 これをべつぶつとはこゝろえず、 弥陀みだ如来にょらいのまたこれにかはるべからず。 十劫じっこうじょうどうといひ三千さんぜん塵点じんでんといふ、 そのせつことなりといへども、 ともにこれしゃくなり。

本門ほんもんじつじょうのかたをば ¬般舟はんじゅきょう¼ にこれをとく。 かの ¬きょう¼ (一巻本般舟経勧助品意) に 「さん諸仏しょぶつ弥陀みだ三昧ざんまいによりてとうしょうがくをなる」 といへるせつこれなり。 つぎにみょうらくしゃくは、 天臺てんだいのこゝろをもてしゃくするがゆへに、 四土しど不二ふに三身さんしん相即そうそくじょうずること、 もともそのいひあり。 「アニ離↢ レテ ヲ ニモト↢ メンヤ ヲ↡、 非↣アラズ ノホカニ ニ有↢アルニ娑婆↡ (法華文句記巻九下 釈寿量品) といふがごとし。 じょうしゅうにはほう立相りっそうをもておもてとするがゆへに、 このしゃくせずといへども、 そこにそのあることをしゃすべからず。 つゐにはひとつになるべきなり。

といていはく、 しょりゅう重々じゅうじゅうなりといへども、 たゞこれ学者がくしゃりょうけんなり。 にんしゃくようことによるべし。 まさしくきょうきょうとをくらべんとき、 ¬りょうきょう¼ (説法品) には0688たしかに 「じゅうねんけん真実しんじつ」 とときぬるうへは、 じょうきょう、 ¬ほっ¼ ぜんきょうならば、 これ方便ほうべんなり。 されば天臺てんだいには五時ごじはんずるとき、 じょうさんきょう方等ほうどう判属はんぞくせり。 方便ほうべんきょうなること、 なんぞろんにをよぶべきや。

こたへていはく、 このことさきにくれぐれのべつるがごとし。 ¬ほっ¼ (巻一方便品) に 「除仏じょぶつ方便ほうべんせつ」 といひ、 「余二よにそくしん」 ととけるきょうもんと、 いまの ¬りょうきょう¼ のもんと、 そのりょうけんかはるべからず。 じきじょうぶつへんやくすれば、 一代いちだいみな諸法しょほう実相じっそう一仏いちぶつじょうするゆへに、 そのをもて 「けん真実しんじつ」 といふなり。 これはしょうしょうどうきょうにをいてとくところなり。

しかれども、 「根性 ナル ハ ル ヲ、 鈍根無 ハ シ↢開 シ (般舟讃) のゆへに、 ぼんのためには念仏ねんぶつもんのみ真実しんじつしゅつみちなり。 かるがゆへに ¬ほっ¼ のやくもつゐには安楽あんらくじょうにゅうするうへは、 念仏ねんぶつほうにをいては、 かのけん真実しんじつのことばのうちにこもるとはこゝろうべからず。

つぎにじょうさんきょう方等ほうどうきょうなれば方便ほうべんなるべしといふにいたりては、 このなんはなはだこうりょうなり。 そのゆへは、 五時ごじをたつることは天臺てんだいいっきょうそうなり。 しゅうこれをまもらず。 いはゆる真言しんごんきょうごんきょう三論さんろんぞう法相ほっそうさん、 をのをのそのしゅうによりてしょりゅうどうなり。 しかるにいまじょうしゅうには、 りゅうじゅ論判ろんぱんによりてなんぎょうぎょう0689どう分別ふんべつし、 どうしゃくぜんのこゝろにまかせてしょうどうじょうもんべんじょうし、 善導ぜんどうしょうしゃくについてしょうもんさつぞうをわかち、 ぜんとんきょうをたつるなり。 しかれば、 どうもんのときは、 なんぎょうぎょうじょうぶつじょうはいりゅうことなるによりて、 ほっ念仏ねんぶつとそのやく一往いちおう各別かくべつなり。 ぞうきょうのときは、 ともにさつぞうともにとんぎょうなり。 これすなはちしょうどうじょうことなれども、 おなじくだいじょう頓極とんごくきょうにして、 ともにぶっいちじょうたいなるがゆへなり。

 

応永六年 己亥 卯月十四日
以秘本而書写之畢

 

といていはく、 もし五時ごじだいをまもらずは、 たとひ方等ほうどうきょうといはずとも、 じょうさんぎょう、 もし ¬ほっ¼ とどうにてもまた以後にても、 ときたりといふ所見しょけんなくは、 けん真実しんじつきょうのうちをいづべからず。 また ¬ほっ¼ のごとくしゅっ本懐ほんかいとみえたるもんなくは、 真実しんじつきょうなりとはいひがたきや。

こたえ0690ていはく、 難勢なんぜい度々たびたびにをよぶといへども、 たゞ同体どうたいなり。 一代いちだいもんにわけてこゝろうるに、 しょうどうなんぎょうのときはじょうぶつほんとす。 これしょうのためにとくきょうなり。 このときはしょきょうみな ¬ほっ¼ にす。 「じゅうねんけん真実しんじつ (無量義経説法品) といひ、 「しゅっ本懐ほんかい (法華経巻一方便品) といへる、 このこゝろなり。 じょうぎょうのときはおうじょうほんとす。 これぼんのためにをしふるみちなり。 このときはしゅぎょうみな念仏ねんぶつす。 これまたしゅっ本懐ほんかいといはるゝあるべし。 じょうさんのなかにもきょうにも、 そのしょうあるなり。 さればもんあひわかれてはいりゅう各別かくべつなれば、 みだりがはしくかくしゅうすべからず。 たゞ 「随↠ ガフ ニ ハ チ蒙↢ ルニ ヲ (玄義分) やくをたのむべきなり。

このゆへにじょうしゅうのこゝろ、 またくせつぜんにはよるべからず。 いはんや、 ¬ほっ¼ のやく安楽あんらくおうじょうするゆへに、 かのきょうに 「しゅっ本懐ほんかい」 ととけるは、 この念仏ねんぶつおうじょうみちをときけりとしられたり。 なをまた再往さいおうこれをいふに、 ほっ念仏ねんぶつと、 もとより一法いっぽうみょうなりとみるときは、 しゅっ本懐ほんかいふたつなし、 しゅつ要道ようどうひとつなりとこゝろうるなり。 さればせつだいをばいはざるなり。 たゞしあるひはどう、 あるひは以後いごせつとみえたること、 所見しょけんなきにはあらざるなり。

といていはく、 しゅっ本懐ほんかいとみえたること、 いづれのもんぞや。 またせつのことも、 証0691拠あらばいださるべし。 そのもんをきかずは、 疑情なをのぞきがたし、 如何いかん

こたへていはく、 じょうしゅうにはせつをかけざれば、 そのようなきゆへにこれをいださずといへども、 しゐてたづねあるによりて少々しょうしょうこれをかんがふべし。 きょうろんにそのしょうあり。

まづせつをいはゞ、 ひとつには ¬せいきょう¼ のもんに 「 レ テ↢四十年以 ニ ク↢浄土法 ヲ↡。  レ韋提菩 ノ恩徳ナリ」 といへり。 じゅうねん以後いごねんをさゝず、 をしてはかるに ¬ほっ¼・¬かんぎょう¼ どうなるべし。 ひとつには、 ¬大論だいろん¼ に 「法華以後涅槃以前、 阿闍世禁↢ ス ヲ」 といへり。 このせつのごとくならば、 ¬かんぎょう¼ は ¬ほっ¼ 以後いごなりときこえたり。

つぎにしゅっ本懐ほんかいをあらはすもんといふは、 ¬だいきょう¼ (巻上) には 「如来 テ↢無 ノ ヲ↡矜↢哀三 ヲ↡。 所↣ ハ出↢興   シタマフ ニ↡、 光↢ シテ ヲオモ↧  ヒテナリ拯↢スクヒ ヲ恵 メグムニモテ↦ セント ノ ヲ」 といへり。 「光闡こうせんどうきょう」 といへるは、 一代いちだい半満はんまんしょきょうなり。 「恵以えい真実しんじつ之利しり」 といへるは、 いまのみょうごう念仏ねんぶつなり。 ¬かんぎょう¼ にはぜんじょをとける、 そのこゝろなり。 ¬弥陀みだきょう¼ には 「釈迦牟尼仏 ク ニ↢甚難希 ノ ノ↡、  ク娑婆国土五濁悪世、 劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命 ノ ニ↢  タリシカバ阿耨多羅三藐三菩 ヲ↡、  ニ ノ衆生↡ ク ノ一切世間難 ノ ヲ」 といへり。 しゅっがんなることあきらかなり。

また 「さんきょう」 のみならず、 きょうのなかにもそのもんしょうあり。 いはゆる ¬ろく神呪じんじゅきょう¼ に 「如来本意0692 ハ ズ ノ事。コトニ 出↢現   スルコト於五 ニ ニ クコト念仏往 ノ ナリ」 といへり。 ぶんみょうもんなり。

といていはく、 たとひぞうきょうきょうそうによるとも、 なんぞしょうれつ浅深せんじんなからんや。 ともにだいじょうならば、 さつぞうといふとも、 そのなかに権実ごんじつ偏円へんえんとう差別しゃべつなかるべきにあらざるものをや。

こたえていはく、 ぞうきょうのこゝろ、 しょうもんぞうさつぞうも、 一蔵いちぞうのなかにをいて浅深せんじんなし。 「しょだいじょうきょう見道けんどうべつ (大乗玄論巻四意) といひて、 かい一道いちどうにむけてみるとき、 またく差別しゃべつなきなり。 なを再往さいおういふときは、 「大小乗経↠ ルコト ヲ シ↠別 (大乗玄論巻五意) といひて、 小乗しょうじょうまでもみないちをあらはせば、 ひとつなりとだんずるなり。

かくのごとく差別しゃべつなくして、 しかもまたしょきょうにをいてたがひにとうしょうれつみつあり。 いまほっじょうきょうたいせんにも、 このみつあるべし。 しょうのために即身そくしんとんほんとするときは、 ほっしょうなり、 念仏ねんぶつれつなり。 ぼんのためにじゅんおうじょうほんとするときは、 念仏ねんぶつしょうなり、 ほっれつなり。 いづれもぶっいちじょうにして、 ともにしゅついんとなるかたは、 ほうまたく等同とうどうなり。

といていはく、 天臺てんだい五時ごじをばしゅうきょうそうなりとて、 これをまもるべからずといひながら、 しかもまた三論さんろんきょうそうたるぞうをへつらひて、 じょうきょうをこゝろうること0693、 その如何いかん

こたへていはく、 ぞうみょうもく三論さんろんしゅうひとりこれをりょうすべきにあらず。 そのゆへは、 みなもとりゅうじゅの ¬ろん¼ よりいでたるがゆへなり。 じょうもこれをもちゐ、 しょうもこれをもちゐたまふなり。

といていはく、 りゅうじゅ三論さんろんしゅう祖師そしなり。 ぞうみょうもく、 ¬ろん¼ よりいでたらば、 すなはちこれ三論さんろんきょうそうをもちゐるにあらずや。

こたへていはく、 りゅうじゅ三論さんろんにかぎらず、 そうじてはっしゅう祖師そしなり。 真言しんごんには第三だいさん祖師そし天臺てんだいにはだい祖師そしとせり。 じょうしゅうにをいてまた根本こんぽん祖師そしなり。 いはゆる弥陀みだについて、 べっして ¬じゅうらい¼ をつくり、 ¬十住じゅうじゅう毘婆びばしゃろん¼ になんどうをあかせり。 かるがゆへにりゅうじゅの ¬ろん¼ によるは、 しゅうみょうもくをへつらふにあらず、 わがしゅうこう論判ろんぱんをもちゐるなり。 たとひまたしゅうきょうそうなりといふとも、 しゅうにをいてたがふところなくは、 ようときによるべし。 いはんや、 いまのぞうきょうしゅうはんぎょうなるがゆへに、 これをようするなり。

といていはく、 ほっ念仏ねんぶつ一法いっぽうなりといふことしんなり。 そのゆへは、 ほっかいにゅうぶつけんみょうなり、 念仏ねんぶつ捨身しゃしん他世たせおうじょう極楽ごくらくきょうなり。 なんぞおなじか0694るべきや。

こたへていはく、 ほっ念仏ねんぶつとを相対そうたいするに、 分別ふんべつかいもんあるべし。 分別ふんべつもんのときはなり。 かれは実相じっそうこれは称名しょうみょうかれきょうこれきょうかれじょうぶつこれおうじょうかれしょうこれはぼん、 かれはなんぎょうこれはぎょう、 かれはりきこれはりききょう各別かくべつにして、 おうずるときたがひにしょうれつあり。

かいもんのときはどうなり。 ともに一実いちじつぶっなるがゆへなり。 実相じっそうみょうごうとあひはなれず、 おなじくぶっいちじょうなり。 理事りじつゐにべつならず、 理事りじ不二ふになり。 じょうぶつおうじょう一旦いったんやくなり。 こくするところはかいにあり。 しょうきょうぼんをすてず、 一切いっさいしゅじょうかいじょうぶつどう実説じっせつなるがゆへに。 ぼんきょうしょうにんをきらはず、 じょうさいにゅうぶっなるがゆへなり。

おほよそ如来にょらいきょうぼうはもとより無二むになり。 たゞいちじょうほうのみあり。 八万はちまんせん法門ほうもんをとけるは、 しゅじょうこんじょうにしたがへるなり。 されば実相じっそうえんにゅうほうほう立相りっそうきょうと、 しばらくことなるがゆへに、 もんにあらはれて一法いっぽうといはざれども、 じつにはぶっいちじょうのほかにさらにほうなし。 このまなこをもてみるときは、 ¬ほっ¼ の文々もんもん句々くくみな念仏ねんぶつなりとしらるゝなり。 少々しょうしょうもんをいだし、 おろおろりょうけんすべし。

ひとつには、 「薬王やくおうぼん (法華経巻六) に 「即往そくおう安楽あんらく」 のやくをとく、 これまづまさしきしょうなり。

ひとつには、 「方便ほうべん0695ぼん (法華経巻一) には 「 ノ ハ甚深無量。 ナリ  ノ智恵 ハ ク リ シ リ。 一 ノ声聞・辟支仏所↠ ナリ ル ハ コト」 といひ、 ¬だいきょう¼ (巻上) には 「如来智恵 ハ、 深広  ニシテ シ↢涯底↡、 二乗 ズ ニ測、ハカル  ダ ノミ リ ナリ」 といへる。 ぶっ甚深じんじんをのぶること、 両経りょうきょう説相せっそうまたくあひおなじきものなり。

ひとつには、 おなじき 「ほん (法華経巻一方便品) に 「 ハ メ↢大勢仏及 ビ ノ ヲ↡、  ク入↢ リテ諸邪見↡ テ ヲ ス↠捨↠苦」 といへり。 「大勢だいせいぶつ」 といへるは、 おん弥陀みだぶつをさすなるべし。 そのゆへは、 ¬かんぎょう¼ にせいさつやくをとくに、 「以↢智恵 ヲ ク照↢ スニ ヲ↡、 令↠シムル離↢三 ヲタリ無上 ヲ↡。  ノ ニ号↢ シテ ノ ヲ ク↢大勢 ト」 といへり。 「智恵ちえこう」 は弥陀みだいちみょうなり。 さればだいせい弥陀みだとは一体いったいなるがゆへに、 そのたがひにつうぜり。 このゆへに、 いまのもんには 「」 のりゃくして 「ぶつ」 のををける。 これ弥陀みだぶつなるべし。 したがひて 「だんほう」 といへるそのじょのうほうたいなり。 大勢だいせいぶつ弥陀みだだんほうじょのうほうなれば、 ほっ念仏ねんぶつとまさにひとつなり。

ひとつには、 天臺てんだいしゃくには 「観音かんのんすなはちみょうほうなり」 といへり。 しかるに観音かんのん弥陀みだ慈悲じひ一門いちもんなり。 観音かんのんみょうほうたいならば、 弥陀みだまたみょうほうたいなるべきこと、 その顕然けんぜんなり。

ひとつには、 「きょうぼん (法華経巻六) には 「 シ レ テ宿世ムカシノヨ↧  ラマシカバ受↢持読↣ シ ノ ヲ ニ ノ セ↥、 不↠能↣シチトク↢阿耨多羅三藐三菩提↡」 といひ、 ¬弥陀みだきょう¼ には 「当↠マサニ ベ シ ル レ五濁悪 ニ0696行↢ ジテ ノ ヲ↡、 タリ阿耨多羅三藐三菩 ヲ」 といへり。 おなじくしゃおんほんぎょうととくがゆへに、 かれこれ一法いっぽうなるべし。

ひとつには、 かの ¬きょう¼ を 「みょうほうれんきょう」 となづけて、 みょうほうたいれんなり、 天竺てんじくにはこれを 「さちだるふん陀利だり素怛そたらん」 といふ。 ¬かんぎょう¼ には念仏ねんぶつぎょうじゃをもて 「にんちゅうふん陀利だりなり」 といへり。 「ふん陀利だり」 はすなはちれんなり。 しかれば、 かれはしょぎょうほうにをいてとし、 これはのうぎょうにをいてしょうをたつ。 能所のうじょ不二ふににして人法にんぽう一体いったいなるがゆへに、 念仏ねんぶつほっともとより一法いっぽうなり。

ひとつには、 ほっほんじゃくもん肝心かんじん、 しかしながら弥陀みだをはなれず。 そのゆへは、 しゃくもんのこゝろは諸法しょほう実相じっそうをとくにあり。 その実相じっそうといふはくうちゅう三諦さんたいなり。 この三諦さんたいはすなはちついでのごとく弥陀みださんなり。 本門ほんもんのこゝろは如来にょらい遠寿おんじゅをとくにあり。 しかるに弥陀みだりょう寿じゅぶつなるがゆへに、 遠寿おんじゅごく弥陀みだなり。 かるがゆへにほんじゃくもんしょう、 たゞ弥陀みだどくひょうするなり。

さればりょうごん先徳せんどくしゃくには 「三世十方諸仏三身、 普門塵数無量法門、 仏衆法海円融万徳、  ソ無尽法海、 備 ソナヘテ在↢ ア リ弥陀一 ニ↡。 不↠縦 ジユナラ不↠ワウ、 亦非↢一 ニ↡非↠実非↠虚、 亦非↢有無↡、 本性清浄  ニシテ心言ミチ絶 タエタリ (要集巻中) といへり。 実相じっそうえんにゅうほんしょう清浄しょうじょう弥陀みだないしょうみょうごう一法いっぽうなることぶんみょうなり。 ほっ念仏ねんぶつともにぶっいちじょうとんぎょうとして一法いっぽうなるこ0697と、 大概たいがいりょうけんかくのごとし。

といていはく、 これみなすいなり、 きょうもんにたしかにときあらはさずは、 しんをとりがたきをや。

こたえていはく、 聖教しょうぎょうせつ隠顕おんけんあること、 法門ほうもんのつねのならひなり。 もとよりしょうどうじょうきょうそう、 そのもん各別かくべつなるがゆへに、 けんひとつなりととかば、 きょうもんしゃくらんすべし。 これによりて、 あらはれてひとつなりとはとかざれども、 じょうしゅうのこゝろをもてみるとき、 おんにこのせつありとこゝろうるなり。 いかにいはんや 「薬王やくおうぼん」 の説相せっそう隠説おんせつにあらず、 もんにありてあきらかなり。

れいせば、 真言しんごんきょうよりみょうほうたいは、 すなはち阿字あじほんしょうなりといふがごとし。 かのきょうのこゝろによりていふに、 いまの ¬法華ほけきょう¼ は、 しばらくこれをみれば五味ごみだいなりといへども、 ふたゝびこれをあんずるにりょうおうにあらずといふことなし。 しゅじょう心蓮しんれん大日だいにちしんをもて ¬みょうほうれんきょう¼ となづくといへり。 顕密けんみつきょう、 そのおもむきことなるがゆへに、 この ¬きょう¼ には一実いちじつえんにゅうみょうをあかして、 三密さんみつ加持かじゆうをとかずといへども、 かいにゅうしん如実にょじつしんしゅう、 そのこくするところひとつなるべきがゆへに、 かくのごとくこゝろうるなり。

じょうしゅうもまたかくのごとし。 しょしゅうりょう、 さらにな0698んとすべからず。 しかれば、 これをもてかれをおもふに、 ひろくこれをいはゞ、 ほっ諸法しょほう実相じっそう真言しんごん阿字あじしょうごん三界さんがい唯心ゆいしんはんしつぶっしょう般若はんにゃじんじょうゆうぜんしゅうまくりょう法相ほっそうじゅう唯識ゆいしき三論さんろんはっちゅうどう、 みな弥陀みだぶっ一法いっぽうみょうなるべし。 ¬ほうさん¼ (巻下) に 「門々不同  ニシテ タ ニ、 別 ノ之門 テ レ ジ」 といへる、 このこゝろなり。

といていはく、 ほっぎょうにんのいはく、 じょうしゅう小乗しょうじょうなり。 さればだいじょうにあらざる念仏ねんぶつをもて、 いかでか三界さんがいてんほうをはなるべきやといふ、 この如何いかん

こたへていはく、 このなんはなはだなり。 天臺てんだいしゅうきょうそう、 すでにじょうさんきょうをもて方便ほうべん判属はんぞくするうへは、 ほっ学者がくしゃ、 このなんをいたすべからず。 じょうじょうようしょ、 またはんずるところ一同いちどうなり。 自他じたしゅうさらにだいじょうをあらそはず。 おく謗難ぼうなん員外いんがいといふべきものなり。

といていはく、 天臺てんだいしゃくはしかりといふとも、 まさしくじょうしゅうにをいて、 しょきょうろんとうだいじょうとみえたるしょうありや。

こたへていはく、 天臺てんだいしゃくのみにあらず。 りゅうじゅの ¬十住じゅうじゅう毘婆びばしゃろん¼ (巻五易行品意) には、 ぎょうやくはんじて 「便 チレバ往↢ ヲ ノ ノ ニ↡、 仏力住持、 シテ  チ ル↢大乗正 ノ之聚↡」 といひ、 てん0699じん ¬じょうろん¼ には、 だいもんどくじょうじゅしょうして 「だいじょう善根ぜんごんかいとうげんみょう」 といへり。

曇鸞どんらんしょうこれをしゃくするに 「 ナリ者通↢大義↡之門。 ナリ 大義 ノ所以ユヘナリ シ造↠ イタルニ ニ↠ ツレバ ヲ チ ガ↥。  シ レ生↢  コトヲ ニ レ チ成↢ スル ノ之門↡也」 といへり。 しかのみならず、 おなじき ¬ろん¼ (浄土論) じょうさんぎょうをさして 「 ル↢修多 ノ真実功徳 ニ」 といへり。

曇鸞どんらんまたこのもんするに、 いはく、 「修多 ト、 十二部 ノナカノ ノモノヲ ク↢修多 ト↡。  ク四阿含・三蔵等。 ナリ ノホカノ ノ諸経 ク↢修多 ト↡。  ノ ニ↢  ルトイフハ修多 ニ レ ノ ノ ノ修多羅。 ナリ アラザ阿含 ノ経↡ ニハ也。 真実功徳 ト リ↢二 ノ功徳↡。  ツ リ↢有漏心↡ ジテ ゼ↢法 ニ↡。 所 ル凡夫人 ノ諸善、 人 ノ果報、 モシハ ハ果、  レ倒、 ナリ  レ偽。 ナリ  ノ ニ ク↢不 ノ功徳↡。  ツ リ↢菩 ノ智恵清 ノ業↡起 オコレル荘厳仏 ハ テ↢法 ニ入↢イレリ ノ ニ↡。  ノ↢顛倒↡ ナラ不↢虚偽↡ ナラ ケテ ノ功徳↡ (論註巻上) といへり。

これによりて、 善導ぜんどうしょうは ¬かんぎょう¼ をしゃくして 「さつぞうとんぎょういちじょう (玄義分) はんじたまへり。

といていはく、 だいじょうのことはきょうもんにこれなし。 いまひくところはみな論文ろんもん、 ならびににんしゃくなり。 されば左右さうなくゆるしがたきや。

こたえていはく、 きょうもんだいじょうことば、 そのようなくは、 ことあたらしくとくにをよばず。 もんにはふうぜらるべからず。 たゞ所説しょせつしゅについて、 だいしょう漸頓ぜんとんをばさだむると0700ころなり。 したがひて論文ろんもんあきらかなり。 りゅうじゅ天親てんじんはともにせんろんしょしゅうこうなり。 こぞりてこれをあふぐ。 きょうたいしてとくとき、 たとひ方便ほうべんたいすることあれども、 ろんほうにをいてじつじょうはんするがゆへに、 ことになんとす。 じょう大善だいぜんにをいて、 たれか小乗しょうじょう妄見もうけんをいたすべきや。

といていはく、 じょうきょうだいじょうしょうなることは論判ろんぱんなれば、 まことにあらそふべからず。 されば ¬かんぎょう¼ をさつぞうしょうすることは、 そのこれにおなじ。 しかるにとんぎょうといひいちじょうといふこと、 おほきにおもひがたし。 そのゆへは、 ¬かんぎょう¼ のなかにとんぎょうみょうごんもなし、 いちじょう説相せっそうもみえず。 すなはちきょうもんをひらきてぼん説相せっそうをたづぬるに、 じょうはいだいじょうやくをえ、 ちゅうはい小乗しょうじょうやくをえたり。 しかれば、 さんじょうきょうとなづくべし、 いちじょうきょうとはいふべからず。 すでにさんじょうきょうならば、 じょうはいだいじょう分斉ぶんざいぜんぎょうしょうなるべし。 いはんや、 ちゅうはいしょうにゅうだいだんず。 その得益とくやくまさしくぜんぎょうなり。 これによりて、 じょうちゅうりょうはい説相せっそうとんぎょうともいひがたくいちじょうともなづけがたし、 如何いかん

こたへていはく、 ぼん説相せっそうじょうさいにゅうのうにゅうをあかすなり。 しょにゅういちじょう清浄しょうじょうしょぎょうほういちじょうとんぎょうなり。 ¬だいきょう¼ (巻下) にかのやくをとくとして、 「0701きょういちじょう至于しうがん」 といひ、 ¬ろん¼ (大智度論巻三八往生品) には 「いちじょう清浄しょうじょうりょうじゅかい」 といへり。 しょにゅう、 すでにいちじょうなり。 のうにゅう念仏ねんぶつ、 むしろいちじょうにあらざらんや。 これまさしくぶっをもていちじょうとするがゆへなり。 さればいちじょうのことは、 そのもんなしとはいふべからず。

つぎとんぎょうといふは、 ¬かんぎょう¼ には 「当↧マサニ ベ シ坐↢ シテ道場↡ ズ↦諸 ノ家↥」 といひ、 ¬弥陀みだきょう¼ にはもんみょう退たいやくをとく。 これみな速疾そくしつやくをあかすがゆへにとんぎょうといふなり。 このゆへに ¬般舟はんじゅさん¼ には 「¬瓔珞 ノ¼ ニハ ク↢漸 ヲ、 万 ニ修↠ シテ ス↢不退 ヲ↡、 ¬観経¼・¬弥陀経¼ ノ ハ チ レ頓教菩提 ナリ」 といへり。 これとんぎょうしゃくするもんなり。

といていはく、 真言しんごん天臺てんだいごんとうだいじょうのこゝろは、 顕密けんみつだんずるところ、 いさゝかことなれども、 一念いちねんとんじょうをもてとんぎょうしゅうとす。 じょうようしゃくに 「 ノ リ↠小 ル目↠ ナヅケテ ヲ ス ト ノ ル ラ ニ テ ヲ ス ト (観経義疏巻本) といへる、 このこゝろなり。 しかるにいま ¬般舟はんじゅさん¼ のしゃくのごときは、 ¬瓔珞ようらくきょう¼ のじょうおんしゅぎょうたいして、 一日いちにち七日しちにち念仏ねんぶつをもてとんじょうず。 たゞこれは退たいにいたるそくやくして漸頓ぜんとんろんずるなり。 しかれば、 しゅぎょうせつ一念いちねんにあらず、 所得しょとくやくじょうぶつにおよばず。 これをとんぎょうごうすること、 かつはしょしゅうきょうそうにそむき、 かつは甚深じんじんにあらず、 いか0702

こたへていはく、 このなんじょうしゅうしょりゅうをしらざるがいたすところなり。 いまのしゃくのこゝろは、 此土しどにっしょうとくみちはたとひ一念いちねんとんじょうだんずとも、 下機げきにをいてはじょうじがたきがゆへに頓益とんやくをえず。 しかるにいまの弥陀みだぶっいちじょうとんぎょうは、 りきじゅうするところなるがゆへに、 ぶつみょうをきくときにをいてしん退たいやくにあづかり、 金剛こんごうのこゝろざしをおこせば、 おう四流しるちょうだんしてしょうぼんただち高砂たかさごほうにいる。 これしょきょうのいまだとかざるところ、 しょしゅうのいまだだんぜざるところなり。 このほうといふは、 弥陀みだとくはんなるがゆへに、 しょうずればしょう契当かいとうしてすみやかに無為むいほっしょうしょうす。 これすなはちとんぎょうごくなり。

かのほっじんたっするひと、 たれか南岳なんがく天臺てんだいにしかんや。 しかるに南岳なんがくそう内凡ないぼんのくらゐにのぼり、 天臺てんだいかんぎょうぼんのくらゐにいたるをもて奇異きいとす。 されば南岳なんがくは ¬ほっ懺法さんぽう¼ の発願ほつがんには 「 ハ テ終↡ ルニタマシヰ乱、ミダレ シテ往↢ シ安楽 ニ↡、 マノアタリ奉↢ツカウ マツリ弥陀↡値↢アフテ ニ↡、 修↢ シテ ヲ証↢ セン ヲ」 とがんじ、 天臺てんだいだいは 「 ノ妙法華本迹二門、  ノ理深 シテ ク リ シ リ ニ詣↢ デヽ西方↡、  テ ニ開↠ ヒラカン リヲ (知者大師別伝意) とちかひたまへり。 かのりょうだい、 なを即身そくしんにゅうをさしおきて、 あんにょう往詣おうげいをねがひたまへり。 以下いげのともがら、 い0703かでかかの智解ちげにこえてとんやくをえんや。

これをもておもふに、 りきしゅにゅうみちをはげまんひとよりも、 りきおうじょうもんにいらんひとは、 はやく退たいにかなひて、 すみやかにぶっにすゝむいはれあるがゆへに、 とんぎょうのなかのとんぎょう念仏ねんぶつごくするとこゝろうるなり。

といていはく、 じょうしゅう所談しょだんじょうぶつせず、 念仏ねんぶつやくおうじょうをすゝむ。 このもとも浅近せんごんなり。 しゅつをもとむるはなんのゆへぞ、 たゞしょうをまぬかるゝにあり。 しかるにおうじょうのことは、 なをしょうをはなれずときこへたり。 しからば、 ぶつのすゝむるところも方便ほうべんやくなり。 ぎょうじゃのねがふところもりんほうなり。 いかゞこゝろうべきや。

こたへていはく、 このこと、 おうじょうみょうごん仏説ぶっせつ歴然れきぜんなるうへは、 あふいでしんをとるべし。 もんのあらはなるについて一往いちおうなんをいたし、 甚深じんじんおうにをいてじゃしゅうわくをなす。 いまだ再往さいおうしゅたっせざるがゆへなり。 そのしゅといふは、 らんしょうそくしょうじょうじ、 しょうは 「じょうしょうやくべつ (法事讃巻下) しゃくする、 これなり。

おほよそ ¬だいきょう¼ (巻下意) には 「じゅう仏国ぶっこくさつぶっじょうじておうじょうす」 ととき、 ¬ごんぎょう¼ (般若訳巻四〇行願品意) には 「げんさつ安楽あんらくこくおうじょうせん」 とがんぜり。

しかのみならず、 りゅうじゅ0704さつしょにのぼりし、 あるひは 「生  シヌレバ退  ニシテ ル↢菩 ニ↡、  ニ レ頂↢礼弥陀 ヲ (十二礼) さんじ、 あるひは 「 ノ ル善根清浄  ナラン者、 モノヲバ廻↢施衆生↡生↢彼国↡ (十二礼) といひ、 天親てんじんさつ向満こうまんにいたりし、 あるひは 「世尊我一心、 帰↢命尽十方無礙光如 ニ↡、  ズ生↢  ゼント安楽 ニ (浄土論) と願じ、 あるひは 「故我こががんしょう弥陀みだ仏国ぶっこく (浄土論) らいせり。 おうじょうじょうやく、 もしりんほうをまぬかれずは、 これらのさつ、 これをがんずることあらんや。

そのほか曇鸞どんらんどうしゃく善導ぜんどうかん天臺てんだいじょうじょうようおんでんぎょうかくしんだんこう頼光らいこう永観ようかん珍海ちんかいしゅうしゅうこう震旦しんたん日域じちいき先徳せんどく、 をのをの西方さいほうおうじょうをもとめ、 おほくじょうしょうしょをつくれり。 かゝるとく西方さいほうにむまれんとねがへるをみながら、 おうじょうにをいていかでか浅近せんごんのおもひをなすべきや。

如来にょらい使しゃとしてぶっきょうをひろむるろんしゅじょう依怙えことしてしゅつをすゝむる祖師そし、 しかしながら西方さいほうおうじょうをねがへり。 けんをみてはひとしからんことをおもふがゆへに、 こゝろあらんひと、 たれか弥陀みだじょうしょうずることをもとめざらんや。 たゞ先哲せんてつのあとをしたひて一心いっしん念仏ねんぶつしゅすべし。 短慮たんりょのまどひをいだきて自他じた損失そんしつすべからず。

たゞし、 いまの難勢なんぜいをば、 さきにいふがごとく、 曇鸞どんらんみづからこのうたがひをあげておうじょうといへる、 すなはちしょうなる釈成しゃくじょうせら0705れたり。 かのしゃくをいだしてじょうをしりぞくべし。 いはゆる ¬ちゅうろん¼ のじょうにいはく、 「 テ ク、 大乗経 ノ ニ、 処 ニ ク↣衆 ハ畢竟無生  ニシテ如↢ シト ノ↡。 云何  カンシテ天親菩薩ノタマ願↠ フト生  レント耶。 答 ク ニ↣衆生無生  ニシテ如↢ シト ノ リ↢二種↡。 一 キ↢凡 ノ ノオモフ ノ ノ↡、 如↢ キハ ノ ノ ル ノ ノ↡、  ノ ノ事畢 ジテ↢ キコト所有↡ ク↢亀 ノ↡、  シ↢虚 ノ↡。 二謂諸 ハ因縁 ノ ニ チ レ生。 ナリ 無↢ コト所有↡ シ↢虚 ノ↡。 天親菩薩所↠ ル生  ゼント者、  レ ノ義。 ナリ 因縁 ノ ニ仮名生。 ナリ アラザル如↢ ニハ ノ ガ ト ノ衆生 ノ生死↡」 といへり。

またおなじきにいはく、 「 ヒテ ク ハ リ ノ本、 衆 ノモト↡。 棄↠ステヽ ヲ願↠ ゼバ ヲ、 生 ゾ キ ク ニ釈↢  センガ ノ疑↡ ヒヲ ノ ニ観↢  ズルニ ノ ノ荘厳功徳成 ヲ↡。  ス ノ ハ レ阿弥陀如 ノ清浄本願無 ノ生、  ニシテ非↟ ザル コトヲ如↢ クニ三有虚 ノ ノ↡也。 何以言之、  レ法性清浄  ニシテ畢竟無生。 ナリ 言↠生 レ得生 ノヽコヽロ ナラクノミ (論註巻下) といへり。

これらのしゃくのこゝろをもておもふに、 おうじょうはすなはちしょうしょうはすなはちほっしょうほっしょうはすなはちじゃくめつじゃくめつはすなはち実相じっそう実相じっそうはすなはち真如しんにょ真如しんにょはすなはちはんはんはすなはち法身ほっしん法身ほっしんはすなはち如来にょらいなり。 さればかん念仏ねんぶつももとより一法いっぽうにして、 おうじょうじょうぶつもおなじく一益いちやくになるなり。

かゝるどうあるによりて、 いみじきしゃたちじょうをもとめおうじょうがんじたまへり。 いはんや、 じょく末代まつだいしゅじょうざいどんぼん、 まめやかにしょうをはなれんとおもはゞ、 一心いっしん0706西方さいほうをねがひ、 一向いっこう念仏ねんぶつぎょうずべきものなり。

 

応永廿六年 己亥 卯月十四日
以秘本而書写之畢

 

底本は◎兵庫県毫摂寺蔵応永二十六年書写本。 ただし訓(ルビ)は有国により、 表記は現代仮名遣いとした。