1337◎唯ゆい1083信しん鈔しょう

安あん居ご院いん法印ほういん聖覚せいかく作さく

 (太字は ¬唯信鈔文意¼ で註釈されている文言。)

【1】 ◎^それ生しょう死じを​はなれ仏道ぶつどうを​なら​ん​と​おもは​ん​に、 二ふたつ​の​みち​ある​べし。 一ひとつ​には↓聖しょう道どう門もん、 二ふたつ​には↓浄じょう土ど門もんなり。

 ^↑聖しょう道どう門もんといふは、 この娑しゃ婆ば世せ界かいに​ありて、 行ぎょうを​たて功こうを​つみ​て、 今こん生じょうに証しょうサトリを​とらヲヒラクナリん​と​はげむ​なり。 いはゆる*真言しんごんを​おこなふ​ともがら​は、 即身そくしんに大覚だいかくダイニチの位くらいにニヨライトナルナリのぼら​ん​と​おもひ、 *法ほっ華けを​つとむる​たぐひ​は、 今こん生じょうに*六根ろっこんの証しょうを​え​ん​と​ねがふ​なり。 まことに教きょうの本ほん意いしる​べけれ​ども、 末法まっぽうに​いたり濁じょく世せに​および​ぬれ​ば、 現身げんしんに​さとり​を​うる​こと、 億々おくおくの人ひとの​なか​に一人いちにんも​ありがたし。

^これ​によりて、 今いまの世よに​この門もんを​つとむる人ひとは、 即身そくしんのコノミニテ 証しょうサトリにおいてヲヒラクナリ  は、 みづから退屈たいくつのシリゾキカヾマルこころ​を​おこし​て、 あるいは​はるかに慈じ尊そんミロク仏ナリ(弥勒) の下げ生しょうトソチヨリを期ごして、 チウテンヂクニクダリ*五ご十じゅうタマフナリ 六ろく億おく七千しちせん万歳まんざいタウドノニシニアルクニナリの​あかつき​の空そらを​のぞみ、 あるいは​とほく後ご仏ぶつの出しゅっ世せノチノチノホトケノヨニを​まちてイデタマフヲイフ、 多た生しょうオホクタビタビムマル 曠劫こうごう、ハルカナルヨヲキハマリナシ 流る転てん生しょう死じナガレウツリムマレシヌルナリの夜よるの雲くもに​まどへ​り。

^あるいは​わづかに*霊りょう山ぜん・リヤウジユセンハシヤカノマシマストコロナリ *補ふ陀だ落らくのクワンオムノジヤウドナリ霊れい地ち1338をスグレテヨキねがひトコロトイフ、 あるいは​ふたたび天てんカミ上じょうサムガ・イテンナリ 人間にんげんのヒトヽムマルヽヲイフ 小しょう報ほうをチヰサキクワホのぞむ1084。ウトイフコトナリ結縁けちえんまことに​たふとむ​べけれ​ども、 速そく証しょうトクサトリすでにヲヒラクトイフむなしき​に似にたり。 ねがふ​ところ​なほ​これ三界さんがいの​うち、 のぞむ​ところ​また輪りん廻ねのメグリメグル報ほうなり。 なにの​ゆゑ​か、 そこばく​の*行ぎょう業ごう・慧解えげサトリサをトルめぐらし​て​この小しょう報ほうを​のぞま​ん​や。 まことに​これ大だい聖しょうシヤカニヨライナリ(釈尊) を去さる​こと​とほき​に​より、 理りふかく、ホフモンハフカシトイさとりフコトナリ すくなき​が​いたす​ところ​か。

【2】 ^二ふたつ​に↑浄じょう土ど門もんといふは、 今こん生じょうの行ぎょう業ごうを回え向こうし​て、 順じゅん次じ生しょうコノツギニムマレにムトナリ浄じょう土どに生うまれ​て、 浄じょう土どにして菩ぼ薩さつの行ぎょうを具ぐ足そくし​て仏ぶつに成なら​ん​と願がんずる​なり。 この門もんは末代まつだいの機きに​かなへ​り。 まことに​たくみなり​と​す。 ただし、 この門もんに​また二ふたつ​の​すぢ​わかれ​たり。 一ひとつ​には↓諸しょ行ぎょう往おう生じょう、 二ふたつ​には↓念仏ねんぶつ往おう生じょうなり。

【3】 ^↑諸しょ行ぎょう往おう生じょうといふは、 あるいは父母ぶもに孝きょう養ようし、 あるいは師し長ちょうに奉事ぶじし、ツカヘタテマツルナリあるいは五ご戒かい・八戒はっかいを​たもち、 あるいは布施ふせ・ヒトニモノヲトラスルヲイフ 忍辱にんにくをシノビハヅル行ぎょうヲイフじ、 乃ない至しマダモノヲイハムトオモフトキイフコトバナリ 三密さんみつ・シンゴンナリ*一いち乗じょうの行ぎょうホフクヱキヤウナリ を​めぐらし​て、 浄じょう土どに往おう生じょうせん​と​ねがふ​なり。 これ​みな往おう生じょうを​とげ​ざる​に​あらず。 一切いっさいの行ぎょうは​みな​これ浄じょう土どの行ぎょうなる​がゆゑに。

^ただ​これ​は​みづから​の行ぎょうを​はげみ​て往おう生じょうを​ねがふ​がゆゑに、 自じ力りきの往おう生じょうと​なづく。 行ぎょう業ごうもし*おろそかなら​ば、 往おう生じょうとげ​がたし。 かの阿あ弥陀みだ仏ぶつの本願ほんがんに​あらず。 摂取せっしゅの光こう明みょうのワアミダニヨライ照てらさ1339ざる​ところ​なり。

【4】 ^二ふたつ​に↑念仏ねんぶつ往おう生じょうといふは、 阿あ弥陀みだの名みょう号ごうを​となへ​て往おう生じょうを​ねがふ​なり。 これ​は​かの仏ぶつの本願ほんがんに順じゅんシタガずるフトナリ1085がゆゑに、 正定しょうじょうの業ごうと​なづく。 ひとへに弥陀みだの願力がんりきに​ひかるる​がゆゑに、 他た力りきの往おう生じょうと​なづく。

^▼そもそも、 名みょう号ごうを​となふる​は、 なにの​ゆゑに​かの仏ぶつの本願ほんがんに​かなふ​と​は​いふ​ぞ​といふ​に、 その​こと​の​おこり​は、 阿あ弥陀みだ如来にょらいいまだ仏ぶつに成なり​たまは​ざり​し​むかし、 法蔵ほうぞう比丘びくと申もうし​き。 その​とき​に仏ぶつましまし​き。 世せ自じ在ざい王おう仏ぶつと申もうし​き。

^法蔵ほうぞう比丘びくすでに菩ぼ提だい心しんを​おこし​て、 *清浄しょうじょうの国こく土どを​しめ​て衆しゅ生じょうを利り益やくせん​と*おぼし​て、 仏ぶつの​みもと​へ​まゐり​て申もうし​たまはく、 「われ​すでに菩ぼ提だい心しんを​おこし​て清浄しょうじょうの仏国ぶっこくを​まうけ​ん​と​おもふ。 願ねがはくは仏ぶつ、 わが​ため​に​ひろく仏国ぶっこくを荘しょう厳ごんする無む量りょうの妙行みょうぎょうを​をしへ​たまへ」 と。 その​とき​に世せ自じ在ざい王おう仏ぶつ、 二に百ひゃく一いち十じゅう億おくの諸仏しょぶつの浄じょう土どの人天にんでんの善悪ぜんあく、 国こく土どの粗そアラシ妙みょうを​ことごとく​これ​を説とき、 ことごとく​これ​を現げんじ​たまひ​き。

 ^▼法蔵ほうぞう比丘びくこれ​を​きき、 これ​を​み​て、 悪あくを​えらび​て善ぜんを​とり、 粗そを​すてアラクワルキナリて妙みょうを​タエニヨキコトねがふ。 たとへば三さん悪道まくどうある国こく土どをば、 これ​を​えらび​て​とら​ず、 三さん悪道まくどうなき世せ界かいをば、 これ​を​ねがひ​て​すなはち​とる。 自余じよノコリノのグワ願がんもンヲエラこれ​にビトルコトカなずらへ​てクノゴトシトイフコトバナリこころ​を得う1340べし。 この​ゆゑに、 二に百ひゃく一いち十じゅう億おくの諸仏しょぶつの浄じょう土どの​なか​より、 すぐれ​たる​こと​を​えらび​とり​て極楽ごくらく世せ界かいを建こん立りゅうしツクリタツルトイフたまへ​り。

^◆たとへば柳やなぎの枝えだに桜さくらの​はな​を咲さか​せ、 *二ふた見みの浦うらに*清きよ見みが関せきを​ならべ​たらん​が​ごとし。 これ​を1086えらぶ​こと一いち期ごの*案あんに​あらず、 *五ご劫こうの​あひだ思し惟ゆいし​たまへ​り。

^かくのごとく微み妙みょう厳ごん浄じょうのヨクヨキカザリキヨキトナリ国こく土どを​まうけ​ん​と願がんじ​て、 かさねて思し惟ゆいし​たまはく、 国こく土どを​まうくる​こと​は衆しゅ生じょうを​みちびか​んがため​なり。 国こく土ど妙たえなり​といふ​とも、 衆しゅ生じょう生うまれ​がたく​は、 大だい悲ひ大願だいがんの意い趣しゅにコヽロノオモムキたがひ​な​んとす。

^これ​によりて往おう生じょう極楽ごくらくの別因べついんをベチノタネ 定さだめ​んとする​に、 一切いっさいの行ぎょうみな​たやすから​ず。 孝きょう養よう父母ぶもを​とら​んとすれ​ば、 不ふ孝きょうの​もの​は生うまる​べから​ず。 読誦どくじゅ大だい乗じょうキヤウヲヨムヲイフをナリもちゐ​んとすれ​ば、 文もん句くを​しら​ざる​もの​は​のぞみ​がたし。 布施ふせ・ヒトニモノヲトラセ持じ戒かいを因いんと定さだめ​んとすれ​ば、 慳けんヲシム貪どん・ムサボル破は戒かいの​ともがら​は​もれ​な​んとす。 忍辱にんにく・シノブルコヽロナリ 精しょう進じんモハラスヽをム 業ごうナリとワイせ​んとすれ​ば、 瞋しんオモノイカリ 恚に・コヽロノイカリ 懈け怠だいのオコタルコヽロナリたぐひ​は​すて​られ​ぬ​べし。 余よの一切いっさいの行ぎょう、 みな​また​かくのごとし。

 ^これ​によりて一切いっさいの善悪ぜんあくの凡ぼん夫ぶひとしく生うまれ、 ともに​ねがは​しめ​んがため​に、 ただ阿あ弥陀みだの三さん字じの名みょう号ごうを​となへ​ん​を往おう生じょう極楽ごくらくの別因べついんとベチノタネ せん​と、 ^五ご劫こうの​あひだ​ふかく​この​こと​を思し惟ゆいし​をはり​て、 まづ第だい十じゅう七しちに諸仏しょぶつに​わが名みょう字じを称しょう揚ようトナヘラレ1341せ​られ​んホメラレムトイフといふ願がんをおこし​たまへ​り。 この願がんふかく​これ​を​こころう​べし。 名みょう号ごうをもつて​あまねく衆しゅ生じょうを​みちびか​ん​と​おぼしめす​ゆゑに、 かつがつ名みょう号ごうを​ほめ​られ​ん​と誓ちかひ​たまへ​る​なり。 しからずは、 仏ぶつの御おんこころ​に名めい誉よをホメラルヽナリねがふ​べから​ず。 諸仏しょぶつに​ほめ​られ​て​なにの要ようか​あら​ん。

^1087「▲如来にょらい尊号そんごう甚じん分ぶん明みょう十方じっぽう世せ界かい普ふ流る行ぎょう
 但たん有う称名しょうみょう皆かい得往とくおう観音かんのん勢せい至し自じ来迎らいこう」 (五会法事讃)

といへる、 この​こころ​か。

 ^さて​つぎ​に、 第だい十じゅう八はちに念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がんを​おこし​て、 十じゅう念ねんの​もの​をも​みちびか​ん​と​のたまへ​り。 まことに​つらつら​これ​を​おもふ​に、 この願がんはなはだ弘ぐ深じんなり。ヒロクフカシトナリ名みょう号ごうは​わづかに三さん字じなれば、 *盤特はんどくがホトケノミデシともがらナリグチノヒトナリキなりとも​たもち​やすく、 これ​を​となふる​に、 行ぎょうアルク住じゅうタヽル座ざヰル臥がフスを​えらば​ず、 時じトキ処しょトコロ諸縁しょえんをヨロヅノコトナリきらは​ず、 在ざい家けオトコオムナ出しゅっソウ 家けアマ、 若にゃく男なんワカキオトコ若にゃく女にょ、ワカキオムナ 老ろうオイタル少しょう、オサナキ 善悪ぜんあくの人ひとをも​わか​ず、 なに人びとか​これ​に​もれ​ん。

^「▲彼ひ仏ぶつ因いん中ちゅう立りゅう弘ぐ誓ぜい聞もん名みょう念ねん我が総そう迎来こうらい
 不ふ簡けん貧びん窮ぐ将しょう富貴ふき不ふ簡けん下智げち与よ高才こうざい
 不ふ簡けん多た聞もん持じ浄じょう戒かい不ふ簡けん破は戒かい罪根ざいこん深じん
 1342但たん使し回え心しん多た念仏ねんぶつ能のう令りょう瓦が礫りゃく変へん成じょう金こん」 (五会法事讃)

この​こころ​か。 ^これ​を念仏ねんぶつ往おう生じょうと​す。

【5】 ^龍りゅう樹じゅ菩ぼ薩さつの ¬十住じゅうじゅう毘婆びば沙しゃ論ろん¼ の​なか​に、 「^▲仏道ぶつどうを行ぎょうずる​に難なん行ぎょう道どう・易い行ぎょう道どうあり。 ◆難なん行ぎょう道どうといふは、 陸ろく路ろを*かち​より​ゆか​ん​が​ごとし。 ◆易い行ぎょう道どうといふは、 海かい路ろに順じゅん風ぷうを得えたる​が​ごとし。 難なん行ぎょう道どうといふは、 五ご1088濁じょく世せに​ありて不ふ退たいの位くらいに​かなは​ん​と​おもふ​なり。 易い行ぎょう道どうといふは、 ただ仏ぶつを信しんずる因縁いんねん ˆをもつてˇ の​ゆゑに浄じょう土どに往おう生じょうする​なり」 といへり。 ^難なん行ぎょう道どうといふは聖しょう道どう門もんなり、 易い行ぎょう道どうといふは浄じょう土ど門もんなり。

^わたくし​に​いはく、 浄じょう土ど門もんに入いり​て諸しょ行ぎょう往おう生じょうを​つとむる人ひとは、 海かい路ろにウミノミチ ふね​に乗のり​ながら順じゅん風ぷうを得えず、 櫓ろを​おし、 ちから​を​いれ​て潮しお路じを​さかのぼり、 なみま​を​わくる​に​たとふ​べき​か。

【6】 ^つぎ​に念仏ねんぶつ往おう生じょうの門もんにつき​て、 ↓専修せんじゅ・↓雑修ざっしゅの二に行ぎょうわかれ​たり。

^↑専修せんじゅといふは、 極楽ごくらくを​ねがふ​こころ​を​おこし、 本願ほんがんを​たのむ信しんを​おこす​より、 ただ念仏ねんぶつの一いち行ぎょうを​つとめ​て​まつたく余よ行ぎょうを​まじへ​ざる​なり。 他たの経きょう・呪しゅをもダラニナリ たもた​ず、 余よの仏ぶつ・菩ぼ薩さつをも念ねんぜず、 ただ弥陀みだの名みょう号ごうを​となへ、 ひとへに弥陀みだ一仏いちぶつを念ねんずる、 これ​を専修せんじゅと​なづく。

^↑雑修ざっしゅといふは、 念仏ねんぶつを​むね​と​す​と​いへども、 また余よ1343の行ぎょうをもならべ、 ​他たの善ぜんをも​かね​たる​なり。

^この二ふたつ​の​なか​には、 専修せんじゅを​すぐれ​たり​と​す。 そのゆゑは、 すでに​ひとへに極楽ごくらくを​ねがふ。 かの土どの教きょう主しゅ (阿弥陀仏) を念ねんぜ​ん​ほか、 なにの​ゆゑか他事たじを​まじへ​ん。 電光でんこうイナビカリ朝ちょう露ろのアシタノツユ いのち、 芭ば蕉しょうクサノナヽリ泡沫ほうまつのミヅノアワ 身み、 わづかに一いっ世せの勤修ごんしゅを​もち​て、 たちまちに五ご趣しゅの古こ郷きょうフル サト を​はなれ​んとす。 あに​ゆるく諸しょ行ぎょうを​かね​ん​や。 諸仏しょぶつ・菩ぼ薩さつの結縁けちえんは、 ▲随心ずいしんコヽロニ供く仏ぶつシタガヒの​あしたテホトケハクヤウを期ごストイフす​べし、 *大だい小しょう経きょう典てんの義理ぎりは、ホフモンノサタヲスルヲイフ 百ひゃっ法ぽう明みょう門もんヨロヅノホフトイフ の​ゆふべ1089を​まつ​べし。 一いち土どをゴクラクナリねがひ一仏いちぶつをアミダホトケ念ねんナリずる​ほか​は、 その用ようある​べから​ず​といふ​なり。

^念仏ねんぶつの門もんに入いり​ながら、 なほ余よ行ぎょうを​かね​たる人ひとは、 その​こころ​を​たづぬる​に、 おのおの本業ほんごうをモトセシコト執しゅうしヲイフナリて​すて​がたく​おもふ​なり。 あるいは一いち乗じょうをホフクヱキヤウナリたもち三密さんみつをシンゴンシユ行ぎょうナリ ずる人ひと、 おのおの​その行ぎょうを回え向こうし​て浄じょう土どを​ねがは​ん​と​おもふ​こころ​を​あらため​ず、 念仏ねんぶつに​ならべ​て​これ​を​つとむる​に、 なにの*とが​か​あら​ん​と​おもふ​なり。 ただちに本願ほんがんに順じゅんシタガフぜる易い行ぎょうの念仏ねんぶつを​つとめ​ず​して、 なほ*本願ほんがんに​えらば​れ​し諸しょ行ぎょうを​ならべ​ん​こと​の​よし​なき​なり。

^これ​によりて善導ぜんどう和か尚しょうの​のたまはく (礼讃) 、 「▲専せんを捨すて​て雑ぞうに​おもむく​もの​は、 千せんの​なか​に一人いちにんも生うまれ​ず。 ▲もし専修せんじゅの​もの​は、 百ひゃくに百ひゃくながら生うまれ、 千せんに千せんながら生うまる」 (意) といへり。

^1344「▲極楽ごくらく無為むい涅ね槃はん界がい随縁ずいえん雑善ぞうぜん恐く難なん生しょう
 故使こし如来にょらい選せん要法ようぼう教きょう念ねん弥陀みだ専せん復ぶ専せん」 (法事讃・下)

といへり。 ^*随縁ずいえんの雑善ぞうぜんと​きらへる​は、 本業ほんごうを執しゅうする​こころ​なり。

^たとへば​みやづかへ​を​せん​に、 主君しゅくんに​ちかづき、 これ​を​たのみ​て​ひとすぢに忠ちゅう節せつを尽つくす​べき​に、 まさしき主君しゅくんに親したしみ​ながら、 かねて​また疎うとく​とほき人ひとに​こころざし​を尽つくし​て、 この人ひと、 主君しゅくんに​あひ​て​よき​さま​に​いは​ん​こと​を求もとめ​ん​が​ごとし。 ただちに1090つかへ​たら​ん​と、 勝しょうマサル劣れつオトルあらはに​しり​ぬ​べし。 二に心しんある​と一心いっしんなる​と、 天てん地ちはるかに​ことなる​べし。

【7】 ^これ​につきて人ひと疑うたがいを​なさ*く、 「たとへば人ひとありて、 念仏ねんぶつの行ぎょうを​たて​て毎日まいにちに一万いちまん遍べんを​となへ​て、 その​ほか​は終日ひめもすに​あそび​くらし、 よもすがら​ねぶり​をら​ん​と、 また​おなじく一万いちまんを申もうし​て、 その​のち経きょうをも​よみ余よ仏ぶつをも念ねんぜ​ん​と、 いづれ​か​すぐれ​たる​べき。 ¬*法ほっ華け¼ に ª即往そくおう↢安楽あんらく↡ºスナワチアンラクニユクト の文もんあり。 これ​を​よま​ん​に、 あそび​たはぶれ​に​おなじから​ん​や。 ¬*薬やく師し¼ には八はち菩ぼ薩さつの引導いんどうあり。 これ​を念ねんぜ​ん​は、 むなしく​ねぶら​ん​に似にる​べから​ず。 かれ​を専修せんじゅと​ほめ、 これ​を雑修ざっしゅと​きらは​ん​こと、 いまだ​その​こころ​を​え​ず」 と。

 ^1345いま​また​これ​を案あんずる​に、 なほ専修せんじゅを​すぐれ​たり​と​す。 そのゆゑは、 もとより濁じょく世せの凡ぼん夫ぶなり、 こと​に​ふれ​て​さはり​おほし。 弥陀みだこれ​をかがみて易い行ぎょうの道どうを​をしへ​たまへ​り。 終日ひめもすに​あそび​たはぶるる​は、 *散乱さんらん増ぞうコヽロノチリの​もの​ミダルトイフなり。 よもすがら​ねぶる​は、 *睡眠すいめん増ぞうネブルトイフの​もの​なり。 これ​みな煩悩ぼんのうの所しょ為いなり。 たち​がたく伏ぶくしシタガフルナリがたし。 あそび​やま​ば念仏ねんぶつを​となへ、 ねぶり​さめ​ば本願ほんがんを​おもひ​いづ​べし。 専修せんじゅの行ぎょうに​そむか​ず。

^一万いちまん遍べんを​となへ​て、 その​のち​に他た経きょう・コトヨノホトケ他た仏ぶつをコトホトケヲ持じ念ねんタモチオモフせん​は、 うちきく​ところ​たくみなれ​ども、 念仏ねんぶつたれ​か一万いちまん遍べんに​かぎれ​と定さだめ​し。 精しょう進じんのコノミスヽム 機きならば、 終日ひめもすに​となふ1091べし。 念珠ねんじゅズヾナリを​とら​ば、 弥陀みだの名みょう号ごうを​となふ​べし。 本尊ほんぞんに​むかは​ば、 弥陀みだの形ぎょう像ぞうに​むかふ​べし。 ただちに弥陀みだの来迎らいこうを​まつ​べし。 なにの​ゆゑか八はち菩ぼ薩さつの示路じろをミチシルベナリまた​ん。 もつぱら本願ほんがんの引導いんどうを​たのむ​べし。 わづらはしく*一いち乗じょうの功く能のうを*かる​べから​ず。

^行ぎょう者じゃの根こん性じょうに上じょう・中ちゅう・下げあり。 上じょう根こんの​もの​は、 よもすがら、 ひぐらし念仏ねんぶつを申もうす​べし。 なにの​いとま​にか余よ仏ぶつを念ねんぜ​ん。 ふかく​これ​を​おもふ​べし、 みだりがはしく疑うたがふべからず。

【8】 ^つぎ​に念仏ねんぶつを申もうさ​ん​には、 三心さんしんを具ぐす​べし。 ただ名みょう号ごうを​となふる​こと​は、 たれ​の人ひとか一念いちねん・十じゅう念ねんの功こうを​そなへ​ざる。 しかはあれども、 往おう生じょうする​もの1346は​きはめて​まれなり。 これ​すなはち三心さんしんを具ぐせ​ざる​によりて​なり。

^¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ にいはく、 「▲具ぐ三心さんしん者しゃミツノコヽロヲグスルモノ必ひっ生しょう彼ひ国こく」カナラズカノゴクラクといへり。ニムマルトイフナリ 善導ぜんどうの釈しゃく (礼讃) にいはく、 「▲具ぐ此しコノミツノコ三心さんしんヽロヲグスレバ 必得ひっとく往おう生じょう也やカナラズムマルヽナリ  若少にゃくしょう一心いっしんモシシンジムカケヌレバ 即そく不ふ得とく生しょう」スナワチムマレズトイフとナリいへり。 三心さんしんの​なか​に一心いっしんかけ​ぬれ​ば、 生うまるる​こと​を得えず​と​いふ。 世よの​なか​に弥陀みだの名みょう号ごうを​となふる人ひとおほけれ​ども、 往おう生じょうする人ひとの​かたき​は、 この三心さんしんを具ぐせ​ざる​ゆゑなり​と​こころう​べし。

【9】 ^その三心さんしんといふは、 一ひとつ​には至し誠じょう心しん、 これ​すなはち真実しんじつの​こころ​なり。 おほよそ仏道ぶつどうに入いる​には、 まづ​まことの​こころ​を​おこす​べし。 その​こころ​まこと​ならず​は、 その​みち​すすみ​がたし。 阿あ弥陀みだ仏ぶつの、 むかし菩ぼ薩さつの行ぎょうを​たて1092、 浄じょう土どを​まうけ​たまひ​し​も、 ひとへに​まこと​の​こころ​を​おこし​たまひ​き。 これ​によりて​かの国くにに生うまれ​ん​と​おもは​ん​も、 また​まこと​の​こころ​を​おこす​べし。

^その真実しんじつ心しんといふは、 不ふ真実しんじつの​こころ​を​すて、 真実しんじつの​こころ​を​あらはす​べし。 まことに​ふかく浄じょう土どを​ねがふ​こころ​なき​を、 人ひとに​あう​ては​ふかく​ねがふ​よし​を​いひ、 内心ないしんには​ふかく今こん生じょうの名みょう利りに着じゃくしクルワサルながら、 外げ相そうにはウエノフルマイ *世よを​いとふ​よし​を​もてなし、 外ほかには善心ぜんしんあり、 たふとき​よし​を​あらはし​て、 内うちには不ふ善ぜんの​こころ​も​あり1347、 放逸ほういつのホシキマヽニこころフルマウトイもフナリあるオモフなりサマナリ。 これ​を虚仮こけの​こころ​と​なづけ​て、 真実しんじつ心しんに​たがへる相そうと​す。 これ​を​ひるがへし​て真実しんじつ心しんをば​こころえ​つ​べし。

^この​こころ​を​あしく​こころえ​たる人ひとは、 よろづ​の​こと​ありのまま​ならず​は、 虚仮こけに​なり​なんず​とて、 身みにとりて​はばかる​べく、 *恥はじがましき​こと​をも人ひとに​あらはし​しら​せ​て、 かへりて放逸ほういつ無む慚ざんハヂナシの​とが​を​まねか​んとす。

^いま真実しんじつ心しんといふは、 浄じょう土どを​もとめ穢土えどを​いとひ、 仏ぶつの願がんを信しんずる​こと、 真実しんじつの​こころ​にて​ある​べし​となり。 かならずしも、 恥はじを​あらはに​し、 とが​を示しめせ​と​には​あらず。 こと​に​より、 をり​に​したがひ​て​ふかく▼斟しん酌しゃくすハカラフコヽロナリべし。 善導ぜんどうの釈しゃく (散善義) にいはく、 「▲不ふ↠得とく↣外げ現げん↢賢善けんぜん精しょう進じん之し相そう↡▼内ない懐え1093↢虚仮こけ↡」 といへり。

【10】^二ふたつ​に深心じんしんといふは、 信心しんじんなり。 まづ信心しんじんの相そうを​しる​べし。 信心しんじんといふは、 ふかく人ひとの​ことば​を​たのみ​て疑うたがは​ざる​なり。

^たとへば​わが​ため​に​いかにも​はらぐろかる​まじく、 ふかく​たのみ​たる人ひとの、 まのあたり​よくよく​み​たらん​ところ​を​をしへ​ん​に、 「その​ところ​には​やま​あり、 かしこ​には​かは​あり」 といひ​たらん​を​ふかく​たのみ​て、 その​ことば​を信しんじ​てん​のち、 また人ひとありて、 「それ​は​ひがごと​なり、 やま​なし​かは​なし」 といふ​とも、 いかにも​そらごと​す​まじき人ひと1348の​いひ​て​し​こと​なれば、 のち​に百ひゃく千せん人にんの​いは​ん​こと​をば​もちゐ​ず、 もと​きき​し​こと​を​ふかく​たのむ、 これ​を信心しんじんといふ​なり。 いま釈しゃ迦かの所説しょせつを信しんじ、 弥陀みだの誓願せいがんを信しんじ​て​ふたごころなき​こと、 また​かくのごとく​なる​べし。

 ^いま​この信心しんじんにつきて二ふたつ​あり。 ▲一ひとつ​には、 わが身みは罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶ、 曠劫こうごうより​このかた、 つね​に沈しずみ​つね​に流る転てんして、ロクダウニマドフヲイフ 出しゅつ離りの縁えんヱドヲイデハナルヽあるトイフ こと​なし​と信しんず。 ▲二ふたつ​には、 決けつ定じょうして​ふかく、 阿あ弥陀みだ仏ぶつの四し十じゅう八はち願がん、 衆しゅ生じょうを摂取せっしゅし​たまふ​こと​を疑うたがは​ざれ​ば、 かの願力がんりきに乗のりて、 さだめて往おう生じょうする​こと​を得うと信しんずる​なり。

^世よの人ひとつね​に​いはく、 「仏ぶつの願がんを信しんぜざる​には​あらざれ​ども、 わが身みの​ほど​を​はからふ​に、 罪ざい障しょうの​つもれる​こと​は​おほく、 善心ぜんしんの​おこる​こと​は​すくなし。 こころ​つね1094に散乱さんらんし​て一心いっしんを​うる​こと​かたし。 身み*とこしなへに懈け怠だいにして精しょう進じんなる​こと​なし。 仏ぶつの願がんふかし​といふ​とも、 いかでか​この身みを​むかへ​たまは​ん」 と。

^この​おもひ​まことに​かしこき​に似にたり、 憍きょう慢まんを​おこさ​ず高こう貢このオゴルコヽロナリこころ​なし。 しかはあれども、 仏ぶつの不ふ思議しぎ力りきを疑うたがふ​とが​あり。 ▼仏ぶついかばかり​の​ちから​まします​と​しり​て​か、 罪悪ざいあくの身みなれば​すくはれ​がたし​と​おもふ​べき。 五ご逆ぎゃくの罪人ざいにんすら、 なほ十じゅう念ねんの​ゆゑに​ふかく刹せつ那なの​あひだ​に往おう生じょうを​とぐ。 いはんや罪つみ五ご1349逆ぎゃくに​いたら​ず、 功こう十じゅう念ねんに​すぎ​たらん​をや。

^罪つみふかく​は​いよいよ極楽ごくらくを​ねがふ​べし。 「▲不ふ簡けん破は戒かいカイヲヤブリタルヒト罪根ざいこん深じん」ツミフカキヒト (五会法事ミナムマルトイフ讃) といへり。 善ぜんすくなく​は​ますます弥陀みだを念ねんず​べし。 「▲三念さんねん五ご念ねん仏ぶつ来迎らいこう」 (法事讃・下) と​のべ​たり。 むなしく身みを卑下ひげし、ワガミヲイヤシこころフオモフ  を怯こうヨハ弱にゃくクオモにフ して、 仏ぶっ智ち不ふ思議しぎを疑うたがふ​こと​なかれ。

 ^たとへば人ひとありて、 高たかき岸きしの下しもに​ありて​のぼる​こと​あたは​ざらん​に、 ちから強つよき人ひと、 岸きしの​うへ​にありて綱つなを​おろし​て、 この綱つなに​とりつか​せ​て、 「われ岸きしの​うへ​に​ひきのぼ​せ​ん」 と​いは​ん​に、 ひく人ひとの​ちから​を疑うたがひ、 綱つなの弱よわから​ん​こと​を​あやぶみ​て、 手てを​をさめ​て​これ​を​とら​ずは、 さらに岸きしの​うへ​に​のぼる​こと得うべから​ず。 ひとへに​その​ことば​に​したがう​て、 *たなごころ​を​のべ​て​これ​を​とら​ん​には、 すなはち​のぼる​こと​を得うべし。

^仏力ぶつりきを疑うたが1095ひ、 願力がんりきを​たのま​ざる人ひとは、 菩ぼ提だいの岸きしに​のぼる​こと​かたし。 ただ信心しんじんの手てを​のべ​て誓願せいがんの綱つなを​とる​べし。 ^▼仏力ぶつりき無む窮ぐうなり、 罪ざい障しょう深じん重じゅうの身みを​おもし​と​せず。 仏ぶっ智ち無む辺へんなり、 散乱さんらん放逸ほういつのホシキマヽ もの​をも​すつる​こと​なし。 信心しんじんを要ようと​す、 その​ほか​をば​かへりみ​ざる​なり。

^信心しんじん決けつ定じょうし​ぬれ​ば、 三心さんしんおのづから​そなはる。 本願ほんがんを信しんずる​こと​まこと​なれば、 虚仮こけのムナシクカザルナリこころ​なし。 浄じょう土どまつ​こと疑うたがいなけれ​ば、 回え向こうの​おもひ​あり。 この​ゆゑに三心さんしん1350ことなる​に似にたれ​ども、 みな信心しんじんに​そなはれ​る​なり。

【11】^三つ​には回え向こう発願ほつがん心しんといふは、 名なの​なか​に​その義ぎきこえ​たり。 くはしく​これ​を​のぶ​べから​ず。 過かスギ現げん三業さんごうタルカタニシの善根ぜんごんタルゼントイを​めぐらしマツトムルゼントイフてナリ、 極楽ごくらくに生うまれ​ん​と願がんずる​なり。

・乃至十念と一念随喜

【12】^つぎ​に本願ほんがんの文もんにいはく、 「▲乃ない至し十じゅう念ねん 若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 (大経・上) といへり。

^いま​この十じゅう念ねんと​いふ​につきて、 人ひと疑うたがいを​なし​て​いはく、 「¬法ほっ華け¼ の ª一念いちねん随ずい喜きº といふは、 ふかく▼*非ひ権ごん非ひ実じつの理りに達たっする​なり。 いま十じゅう念ねんといへる​も、 なにの​ゆゑか十返じっぺんの名みょう号ごうと​こころえ​ん」 と。

^この疑うたがいを釈しゃくせ​ば、 ¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ の下げ品ぼん下げ生しょうの人ひとの相そうを説とく​に​いはく、 「▲五ご逆ぎゃく・十じゅう悪あくを​つくり、 もろもろ​の不ふ善ぜんを具ぐせ​る​もの、 ▲臨りん終じゅうの​とき​に​いたり​て、 はじめて善ぜん知ぢ識しきの​すすめ​に​より​て、 ▲わづかに十返じっぺんの名みょう号ごうを​となへ​て、 ▲すなはち浄じょう土どに生うまる」 といへり。 これ​さらに1096しづかに観かんじ、 ふかく念ねんずる​に​あらず、 ただ口くちに名みょう号ごうを称しょうする​なり。

^「▲汝にょ若にゃく不ふ能のう念ねん」 (観経) といへり。 これ​ふかく​おもは​ざる​むね​を​あらはす​なり。

^「▲応おう称しょう無む量りょう寿じゅ仏ぶつ」 (観経) と説とけ​り。 ただ*あさく仏号ぶつごうを​となふ​べし​と​すすむる​なり。

^「▲具ぐ足そく十じゅう念ねん 称しょう南無なも無む量りょう寿じゅ仏ぶつ 称しょう仏ぶつ名みょう故こ 於お念々ねんねん中ちゅうネムネムノナカニ  除じょ八はち十じゅう億劫おくこうトハチジフハチコフノ  生しょう死じ之し罪ざい」ツミヲケストイフナリ (観経) といへり。

^十じゅう念ねんといへる​は、 ただ称名しょうみょうの十返じっぺんなり1351。 本願ほんがんの文もんこれ​に​なずらへ​て​しり​ぬ​べし。

^善導ぜんどう和か尚しょうは​ふかく​この​むね​を​さとり​て、 本願ほんがんの文もんを​のべ​たまふ​に、 「▲若にゃく我が成じょう仏ぶつ 十方じっぽう衆しゅ生じょう 称しょう我が名みょう号ごう 下至げし十じっ声しょう 若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 (礼讃) といへり。 十じっ声しょうといへる​は、 口く称しょうの義ぎを​あらはさ​ん​と​なり。

・臨終と尋常の念仏

【13】^一 つぎ​に​また人ひとの​いはく、 「臨りん終じゅうの念仏ねんぶつは功く徳どくはなはだ​ふかし。 十じゅう念ねんに五ご逆ぎゃくを滅めっする​は、 臨りん終じゅうの念仏ねんぶつの​ちから​なり。 尋じん常じょうのツネノトキナリ念仏ねんぶつは、 この​ちから​あり​がたし」 といへり。

 ^これ​を案あんずる​に、 臨りん終じゅうの念仏ねんぶつは功く徳どくことに​すぐれ​たり。 ただし​その​こころ​を得うべし。

^もし人ひといのち​をはら​んとする​とき​は、 百ひゃっ苦くヨロヅノク身みにルシミ あつまり、 正しょう念ねんみだれ​やすし。 かの​とき仏ぶつを念ねんぜ​ん​こと、 なにの​ゆゑ​か​すぐれ​たる功く徳どくある​べき​や。 これ​を​おもふ​に、 病やまいおもく、 いのち​せまり​て、 身みに​あやぶみ​ある​とき​には、 信心しんじんおのづから​おこり​やすき​なり。

^まのあたり世よの人ひとの​ならひ​を​みる​に、 その身み*おだしき1097とき​は、 医くす師しをも陰陽おんよう師じをも信しんずる​こと​なけれ​ども、 病やまいおもく​なり​ぬれ​ば、 これ​を信しんじ​て、 「この治じ方ほうを​せば病やまいいえ​なん」 と​いへ​ば、 まことに​いえ​なんずる​やう​に​おもひ​て、 口くちに​にがき味あじはひ​をも​なめ、 身みに​いたはしき療りょう1352治じをも​くはふ。 「もし​この​まつり​し​たらば、 いのち​は​のび​なん」 と​いへ​ば、 たから​をも惜おしま​ず、 ちから​を尽つくし​て、 これ​を​まつり​これ​を​いのる。

^これ​すなはち​いのち​を惜おしむ​こころ​ふかき​によりて、 これ​を​のべ​ん​と​いへ​ば、 ふかく信しんずる​こころ​あり。 臨りん終じゅうの念仏ねんぶつ、 これ​に​なずらへ​て​こころえ​つ​べし。

^いのち一いち刹せつ那なに​せまり​て存ぞんぜ​ん​こと​ある​べから​ず​と​おもふ​には、 後ご生しょうの​くるしみ​たちまちに​あらはれ、 あるいは火か車しゃ相そうヒノクルマノ現げんじ、カタチアラハルあるいは鬼き率そつオニゴクまなこソチナリ  に*さいぎる。 いかに​して​か、 この​くるしみ​を​まぬかれ、 おそれ​を​はなれ​ん​と​おもふ​に、 善ぜん知ぢ識しきのをしへ​に​より​て十じゅう念ねんの往おう生じょうを​きく​に、 深じん重じゅうのフカクオモキ 信心しんじんたちまちに​おこり、 これ​を疑うたがふ​こころ​なき​なり。

^これ​すなはち​くるしみ​を​いとふ​こころ​ふかく、 たのしみ​を​ねがふ​こころ切せつなる​がゆゑに、 極楽ごくらくに往おう生じょうす​べし​と​きく​に、 信心しんじんたちまちに発ほっする​なり。 いのち​のぶ​べし​と​いふ​を​きき​て、 医くす師し・陰陽おんよう師じを信しんずる​が​ごとし。

^もし​この​こころ​ならば、 最さい後ごの刹せつ那なに​いたら​ず​とも、 信心しんじん決けつ定じょうし​なば、 一いっ称しょう一念いちねんの功く徳どく、 みな臨りん終じゅうの念仏ねんぶつに​ひとしかる1098べし。

・弥陀願力と先世の罪業

【14】^二 また​つぎ​に世よのなか​の人ひとの​いはく、 「たとひ弥陀みだの願力がんりきを​たのみ​て極楽ごくらくに往おう生じょうせん​と​おもへ​ども、 先せん世ぜの罪業ざいごうしり​がたし、 いかでか​たやすく生うまる1353べき​や。 *業ごっ障しょうに​しなじな​あり。 順じゅん後ご業ごうといふは、 かならず​その業ごうを​つくり​たる生しょうなら​ねども、 *後後ごご生しょうノチノチノシヤにもウトイフ果か報ほうを​ひく​なり。 されば今こん生じょうに人界にんがいの生しょうを​うけ​たり​といふ​とも、 悪道あくどうの業ごうを身みに​そなへ​たらん​こと​を​しら​ず、 かの*業ごうが​つよく​して悪あく趣しゅの生しょうを​ひか​ば、 浄じょう土どに生うまるる​こと​かたから​ん​か」 と。

 ^この義ぎまことに​しかるべし​といふ​とも、 疑ぎ網もうウタガフたちコヽロヲがたくアミニタトフしてルナリ 、 みづから妄見もうけんミダリノをオモヒナリおこす​なり。 おほよそ▲業ごうは​はかり​の​ごとし、 おもき​もの​まづ牽ひく。 もし​わが身みに​そなへ​たらん悪趣あくしゅの業ごうちから​つよく​は、 人界にんがいの生しょうを​うけ​ず​して​まづ悪道あくどうに​おつ​べき​なり。 すでに人界にんがいの生しょうを​うけ​たる​にて​しり​ぬ、 たとひ悪趣あくしゅの業ごうを身みに​そなへ​たり​とも、 その業ごうは人界にんがいの生しょうを​うけ​し五ご戒かいより​は、 ちから​よわし​といふ​こと​を。

^もし​しからば、 *五ご戒かいを​だに​も​なほ​さへ​ず。 いはんや十じゅう念ねんの功く徳どくをや。 五ご戒かいは有漏うろの業ごうなり、 念仏ねんぶつは無漏むろの功く徳どくなり。 五ご戒かいは仏ぶつの願がんの​たすけ​なし、 念仏ねんぶつは弥陀みだの本願ほんがんの​みちびく​ところ​なり。 念仏ねんぶつの功く徳どくは​なほし十じゅう善ぜんにも​すぐれ、 すべて三界さんがいの一切いっさいの1099善根ぜんごんにも​まされ​り。 いはんや五ご戒かいの小しょう善ぜんをや。 五ご戒かいを​だに​も​さへ​ざる悪業あくごうなり、 往おう生じょうの​さはり​と​なる​こと​ある​べから​ず。

・五逆と宿善

【15】^三 つぎ​に​また人ひとの​いはく、 「五ご逆ぎゃくの罪人ざいにん、 十じゅう念ねんに​より​て往おう生じょうす​といふは1354、 宿しゅく善ぜんムカシノゼにントよるイフ  なり。 われら宿しゅく善ぜんを​そなへ​たらん​こと​かたし。 いかでか往おう生じょうする​こと​を得えん​や」 と。

 ^これ​また痴ち闇あんにグチノヤミニまどへマドヘルナリる​ゆゑに、 いたづらに​この疑うたがいを​なす。 そのゆゑは、 宿しゅく善ぜんの​あつき​もの​は、 今こん生じょうにも善根ぜんごんを修しゅし悪業あくごうを​おそる。 宿しゅく善ぜんすくなき​もの​は、 今こん生じょうに悪業あくごうを​このみ善根ぜんごんを​つくら​ず。 宿しゅく業ごうの善悪ぜんあくは、 今こん生じょうの​ありさま​にて​あきらかに​しり​ぬ​べし。 しかるに善心ぜんしんなし。 はかり​しり​ぬ、 宿しゅく善ぜんすくなし​といふ​こと​を。

^われら罪業ざいごうおもし​といふ​とも五ご逆ぎゃくをば​つくら​ず、 宿しゅく善ぜんすくなし​と​いへども​ふかく本願ほんがんを信しんぜ​り。 *逆ぎゃく者しゃの十じゅう念ねんすら宿しゅく善ぜんに​よる​なり。 いはんや尽じん形ぎょうイノチツクの称しょう念ねんルマデトイフ むしろ宿しゅく善ぜんに​よら​ざらん​や。 なにの​ゆゑに​か逆ぎゃく者しゃの十じゅう念ねんをば宿しゅく善ぜんと​おもひ、 われら​が一いっ生しょうの称しょう念ねんをば宿しゅく善ぜんあさし​と​おもふ​べき​や。 小しょう智ちはニジヨウノチヱ菩ぼ提だいトイフ の​さまたげ​といへる、 まことに​この​たぐひ​か。

・一念と多念

【16】^四 つぎ​に念仏ねんぶつを信しんずる人ひとの​いはく、 「往おう生じょう浄じょう土どの​みち​は、 信心しんじんを​さき​と​す。 信心しんじん1100決けつ定じょうし​ぬる​には、 あながちに称しょう念ねんを要ようと​せず。 ¬経きょう¼ (大経・下) に​すでに ª▲乃ない至し一念いちねんº と説とけ​り。 この​ゆゑに一念いちねんにて​たれ​り​と​す。 遍数へんじゅを​かさね​んとする​は、 かへりて仏ぶつの願がんを信しんぜざる​なり。 念仏ねんぶつを信しんぜざる人ひととて​おほきに1355あざけり​ふかく​そしる」 と。

 ^まづ専修せんじゅ念仏ねんぶつと​いう​て、 もろもろ​の大だい乗じょうの修しゅ行ぎょうを​すて​て、 つぎ​に一念いちねんの義ぎを​たて​て、 みづから念仏ねんぶつの行ぎょうを​やめ​つ。 まことに​これ魔ま界かいたより​を得えて、 末まつ世せの衆しゅ生じょうを​たぶろかす​なり。

^この説せつともに得失とくしつあり。 *往おう生じょうの業ごう、 一念いちねんに​たれ​り​といふは、 その理りまことに​しかるべし​といふ​とも、 遍数へんじゅを​かさぬる​は不ふ信しんなり​といふ、 すこぶる​その​ことば​すぎ​たり​と​す。

^一念いちねんを​すくなし​と​おもひ​て、 遍数へんじゅを​かさね​ずは往おう生じょうしがたし​と​おもは​ば、 まことに不ふ信しんなり​と​いふ​べし。 往おう生じょうの業ごうは一念いちねんに​たれ​り​と​いへども、 いたづらに​あかし、 いたづらに​くらす​に、 いよいよ功こうを​かさね​ん​こと要ように​あらず​や​と​おもう​て、 これ​を​となへ​ば、 終日ひめもすに​となへ、 よもすがら​となふ​とも、 いよいよ功く徳どくを​そへ、 ますます業因ごういん決けつ定じょうす​べし。

^善導ぜんどう和か尚しょうは、 「▲ちから​の尽つき​ざる​ほど​は​つね​に称しょう念ねんす」 といへり。 これ​を不ふ信しんの人ひとと​や​は​せん。 ひとへに​これ​を​あざける​も、 また​しかるべから​ず。

^一念いちねんといへる​は、 すでに ¬経きょう¼ (大経・下) の文もんなり。 これ​を信しんぜず​は、 仏ぶつ語ごを信しんぜざる​なり。

^この​ゆゑに、 一念いちねん決けつ定じょうし​ぬ​と1101信しんじ​て、 しかも一いっ生しょうおこたり​なく申もうす​べき​なり。 これ*正しょう義ぎと​す​べし。 ^念仏ねんぶつの要よう義ぎおほし​と​いへども、 略りゃくし​て​のぶる1356こと​かくのごとし。

【17】^これ​を​み​ん人ひと、 さだめて​あざけり​を​なさ​ん​か。 しかれども、 ▼信謗しんぼうともに因いんとして、 みな​まさに浄じょう土どに生うまる​べし。 今こん生じょうゆめ​の​うち​の​ちぎり​を​しるべ​として、 来らい世せさとり​の​まへ​の縁えんを​むすば​ん​と​なり。 われ​おくれ​ば人ひとに​みちびか​れ、 われ​さきだた​ば人ひとを​みちびか​ん。 生々しょうじょうに善ぜん友ぬとヨキトモトイフなり​て​たがひに仏道ぶつどうを修しゅせしめ、 世々せせに知ち識しきとして​ともに迷めい執しゅうをマドフコヽロナリたた​ん。

^*本ほん師し釈しゃ迦か尊そん悲母ひも弥陀みだ仏ぶつ
 左さ辺へん観かん世ぜ音おん右う辺へん大だい勢せい至し
 清浄しょうじょう大海だいかい衆しゅ法界ほうかい三宝さんぼう海かい
 証明しょうみょう一心いっしん念ねん哀愍あいみん共ぐ聴ちょう許こ

*草本そうほんに​いはく

 *承じょう久きゅう三歳さんさい仲秋ちゅうしゅう中旬ちゅうじゅん第だい四し日にち、 安あん居ご院いんの法印ほういん聖覚せいかくの作さく。

*寛かん喜ぎ二に歳さい仲ちゅう夏か下げ旬じゅん第だい五ご日にちかの草本そうほん真筆しんぴつをもつて愚ぐ禿とく釈しゃくの親鸞しんらんこれ​を書写しょしゃす。

 

底本は高田派専修寺蔵親鸞聖人真筆本(信証本)ˆ浄聖全と同一ˇ。
真言 ここでは真言しんごん宗しゅうの教えのこと。 真言宗では即身成仏を唱え、 父母より生れた肉体のままでただちに仏果 (仏のさとり) を証すると説く。
法華 ここでは天台てんだい法ほっ華け宗しゅうの教えのこと。 →天台てんだい宗しゅう
六根の証 眼げん・耳に・鼻び・舌ぜつ・身しん・意いの六の感覚器官が浄化された六根清浄しょうじょうの境地にいたること。
五十六億七千万歳 釈尊の入にゅう滅めつから弥み勒ろく菩薩が成仏するまでの年数 (¬菩ぼ薩さつ処胎しょたい経きょう¼ の説)。
霊山 霊りょう鷲じゅ山せん (耆ぎ闍しゃ崛くっ山せん) のこと。
補陀落 補陀落は梵語ポータラカ (Potalaka) の音写。 光こう明みょう山せん、 海かい鳥ちょう山せん、 小しょう花か樹じゅ山せんなどと漢訳する。 インドの南海岸にあるとされる観かん世ぜ音おん菩ぼ薩さつの住処。
行業慧解 修行することと、 智慧ちえによって仏法を領りょう解げすること。
一乗の行 ここでは天台てんだい宗しゅうの止し観かんの行をいう。
おろそかならば 不十分であるのなら。
清浄の国土をしめて 浄土を建立して。 ¬真しん宗しゅう仮名かな聖教しょうぎょう¼ 所収本には 「しめて」 は 「しめして」 とある。
おぼして お思いになって。
二見の浦 三重県度会わたらい郡二見町の夫婦岩のある海岸の名勝。
清見が関 平安時代、 駿する河が庵い原はら郡 (現在の静岡市清水興おき津つ清見寺町) の地にあった関のことで、 北に富士山、 南に三保の松原を望むことができる名勝。
案 思案、 考え。
五劫のあひだ思惟 →五ご劫こう思し惟ゆい
盤特 周しゅ利り槃はん陀伽だかのこと。
大小経典 大乗・小乗の経典。
本願にえらばれし ここでは本願においてえらびすてられたという意。
く 底本に 「て」 とあるのを改めた。
法華 ¬法華ほけ経きょう¼ のこと。
薬師 ¬本願ほんがん薬やく師し経きょう¼ のこと。
散乱増 心をかきみだす煩悩ぼんのうが強いこと。
睡眠増 意識がぼんやりして身心の反応がおこりにくい状態。 心の鈍重なこと。 煩悩の一。
一乗の功能 ここでは ¬法ほ華け経きょう¼ の功く徳どく、 すぐれたはたらき。
かるべからず たよってはならない。
世をいとふよしをもてなし この世を厭うようなふりをして。
放逸 「ほしきままにふるまふといふなり、 おもふさまなり」 (左訓)
恥がましきことをも 恥さらしなことまでも。
とこしなへに いつまでも変らず。
たなごころをのべて 手をのばして。
非権非実の理 方便 (権) と真実 (実) を差別する立場を超えた絶対真実の教えで、 中道とも実相じっそうともいう。
あさく ¬真宗法要¼ 所収本には 「ふかく」 とある。
おだしきとき 健康で安らかな時。
さいぎる さえぎる。 よぎる。
後後生 先世からみて、 後の後の生、 つまり来世のこと。
業が 底本は 「業力」 とも読める。 業力は果か報ほうを引き起す力。
五戒をだにもなほさへず 五戒をすら妨げえない。
逆者 五逆罪をおかした人。
往生の業 浄土へ往き生れるための因となる行為。
本師釈迦尊… 「本師釈迦尊、 悲母弥陀仏、 左辺の観世音、 右辺の大勢至、 清浄なる大海衆、 法界の三宝海、 一心の念を証明して、 哀愍してともに聴許したまへ」
草本にいはく 「草本」 とは書写原本のこと。 原本にあった奥書をそのまま転写したことを示す。