蓮如上人御一代記聞書 

(1)

 ^*じゅうむら道徳どうとくが、 *明応めいおう二年の元日、 *蓮如れんにょしょうにんのもとへ新年のご挨拶にうかがったところ、 上人は、 「道徳は今年でいくつになったのか。 道徳よ、 念仏申しなさい。 念仏といっても自力と他力とがある。 自力の念仏というのは、 念仏を数多く称えて仏に差しあげ、 その称えた功徳によって仏が救ってくださるように思って称えるのである。 他力というのは、 弥陀におまかせする信心がおこるそのとき、 ただちにお救いいただくのであり、 その上で申す他力の念仏は、 お救いいただいたことを、 ありがたいことだ、 ありがたいことだと喜んで、 南無阿弥陀仏、 南無阿弥陀仏と申すばかりなのである。 このようなわけで、 *他力というのは他の力、 如来の本願のはたらきという意味である。 この信心は臨終まで続き、 浄土に*おうじょうするのである」 と仰せになりました。

(2)

 ^朝の勤行で、 ¬*高僧こうそうさん¼ の 「いつつの不思議をとくなかに」 から 「尽十方の無礙光は 無明のやみをてらしつつ 一念歓喜するひとを かならず滅度にいたらしむ」 までの六首をおつとめになり、 その夜、 蓮如上人はこれらのご和讃のこころについてご法話をされたとき、 ¬*かんりょう寿じゅきょう¼ の 「*こうみょうはひろくすべての世界を照らす」 という文と、 *法然ほうねんしょうにんの、

月かげのいたらぬさとはなけれども

ながむるひとのこころにぞすむ

月の光の届かないところは一つとしてないが、 月はながめる人の心にこそやどる。

という歌とを引きあわせてお話しになりました。 そのありがたさはとても言葉に表すことができません。 蓮如上人が退出された後で、 *実如じつにょしょうにんは、 前夜のご法話と今夜のご法話とを重ねあわせてお味わいになり、 「まったくいいようのないありがたいご法話であった」 と仰せになり、 上人の目からはとめどなく涙があふれ出たのでした。

(3)

 ^勤行のとき蓮如上人が、 ご*さんをあげる番になったのを忘れておられたことがありました。 *南殿なんでんへお戻りになって、 「*親鸞しんらんしょうにんのご和讃のみ教えがあまりにもありがたいので、 自分があげる番になったのをつい忘れていた」 と仰せになり、 「これほどありがたい聖人のみ教えであるが、 それを信じて往生する人は少ない」 とお嘆きになりました。

(4)

 ^「ª*ねんしょういちº という言葉がありますが、 もともと念は心に思うことであり、 声は口に称えることですから、 これが同じであるというのは、 いったいどのような意味なのかわかりません」 という質問があったとき、 蓮如上人は、 「心の中の思いは、 おのずと表にあらわれると世間でもいわれている。 信心は南無阿弥陀仏が心に届いたすがたであるので、 口に称えるのも南無阿弥陀仏、 心の中も南無阿弥陀仏、 口も心もただ一つである」 と仰せになりました。

(5)

 ^蓮如上人は、 「ご本尊は破れるほど掛けなさい、 お聖教は破れるほど読みなさい」 と、 対句にして仰せになりました。

(6)

 ^南無というのは帰命のことであり、 帰命というのは弥陀を信じておまかせする心である。 また、 南無には発願回向の意味もある。 発願回向というのは、 弥陀を信じておまかせするものに、 ただちに弥陀の方からこの上なくすばらしい善根功徳をお与えくださることである。 それがすなわち南無阿弥陀仏である」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(7)

 ^加賀かが*がんしょう*覚善かくぜんまたろうとに対して、 蓮如上人は、 「信心というのは、 仰せのままにお救いくださいと弥陀におまかせしたそのときに、 ただちにお救いくださるすがたであり、 それを南無阿弥陀仏というのである。 どれほどわたしたちの罪があろうとも、 弥陀におまかせした信心の力によって消してくださるのである」 と仰せになり、 ¬*じょう真要しんようしょう¼ の 「はかり知れない昔から、 迷いの世界をめぐってつくり続けてきた罪は、 弥陀を信じて南無阿弥陀仏とおまかせしたそのときに、 さとりの*智慧ちえをそなえたすぐれた*本願ほんがんの力によって滅ぼされ、 この上ないさとりを得るまことの因がはじめて定まるのである」 という文を引かれてお話しになりました。 そして、 このこころを書き記して掛け軸にして、 願生にお与えになりました。

(8)

 ^*かわきょうけん*伊勢いせ空賢くうけんとに対して、 蓮如上人は、 「南無というのは帰命のことであり、 仰せのままにお救いくださいと、 弥陀を信じておまかせする心である。 この帰命の心のままが、 弥陀の発願回向のはたらきを感得する心である」 と仰せになりました。

(9)

 ^「¬*安心あんじんけつじょうしょう¼ に、 ª他力の救いを長い間わが身に受けながら、 役に立たない*りきに執着して、 むなしく迷いの世界をめぐり続けてきたのであるº とあるのがどうにもわかりません」 と申しあげたところ、 蓮如上人は、 「これは、 他力の救いを頭で理解しただけで、 信じることのできないものをいうのである」 と仰せになりました。

(10)

 ^「¬安心決定鈔¼ に、 ª弥陀の大悲が、 迷いの世界につねに沈んでいる*しゅじょうの胸のうちに満ちあふれているº とある言葉がどうも納得できません」 と、 *福田ふくでんそうしゅんが申しあげたところ、 蓮如上人は、 「仏の清らかな心を蓮の花とすれば、 その花は衆生の腹の中でというより胸で咲くといった方がぴったりするだろう。 同じ ¬安心決定鈔¼ には、 ª弥陀の身と心の功徳が、 あらゆる世界の衆生の身のうち、 心の底までいっぱいに入ってくださるº とも述べられている。 だから、 大悲の本願を疑いなく信じて受け取った衆生の心を指して、 胸といわれたのである」 と仰せになりました。 このお言葉を聞いて俊はじめ一同は、 ありがたいことだと喜んだのでありました。

(11)

 ^十月二十八日の*たいのときに、 蓮如上人は、 「ª*しょうしんさんº をおつとめして、 阿弥陀仏や親鸞聖人にその功徳を差しあげようと思っているのであれば嘆かわしいことである。 他宗では、 勤行などの功徳を回向するのである。 しかし浄土真宗では、 他力の信心を十分に心得るようにとお思いになって、 親鸞聖人のご和讃にそのこころをあらわされている。 特に、 懇切にお書きになった*しち高僧こうそうのお書物のこころを、 だれもが聞いて理解できるようにと、 ご和讃になさったのであり、 そのご恩を十分に承知して、 ああ尊いことだと念仏するのは、 仏恩の深いことを聖人の御前で喜ばせていただく心なのである」 と、 繰り返し繰り返し仰せになりました。

(12)

 ^「お聖教を十分に学び覚えたとしても、 *りき安心あんじん*けつじょうしなければ無意味なことである。 弥陀におまかせしたそのときに往生は間違いなく定まると信じ、 そのまま疑いの心なく臨終まで続く、 この安心を得たなら、 浄土に往生することができるのである」 と仰せになりました。

(13)

 ^*明応三年十一月、 *報恩ほうおんこう期間中の二十四日の夜明け前、 午前二時ごろのことでした。 わたくし*空善くうぜんは、 夜を通してご*開山かいさんしょうにんの御影像の前でお参りしていたのですが、 ついうとうとと眠ってしまい、 夢とも現実ともわからないうちに次のようなことを拝見しました。 聖人の御影像がおさまっているお厨子の後ろより、 綿を広げたようにかすみがかかった中から、 蓮如上人がお出ましになったと思って、 目を凝らしてよくよく拝見すると、 そのお顔は蓮如上人ではなくご開山聖人だったのです。 何と不思議なことかと思って、 すぐにお厨子の中をうかがうと、 聖人の御影像がありません。 さてはご開山聖人が蓮如上人となって現れ、 浄土真宗をご再興なさったのであるといおうとしたところ、 *きょうもんぼうが、 上人のみ教えについて、 「たとえば木も石も擦るという縁によって火が出るようなものであり、 瓦も石ころもやすりで磨くことによって美しい石となるようなものである」 という ¬*報恩ほうおんこう私記しき¼ の文を引き、 説法する声が聞えて夢から覚めました。 それからというもの、 蓮如上人はご開山聖人の生れ変りであると、 信じるようになりました。

(14)

 ^「人を教え導こうとするものは、 まず自分自身の信心を決定した上で、 お聖教を読んで、 そのこころを語り聞かせなさい。 そうすれば聞く人も信心を得るのである」 と仰せになりました。

(15)

 ^「弥陀におまかせして救われることがたしかに定まり、 そのお救いいただくことをありがたいことだと喜ぶ心があるから、 うれしさのあまりに念仏するばかりである。 すなわち仏恩報謝である」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(16)

 ^ご子息の*れんじゅんさまに対して、 蓮如上人は、 「自分自身の信心を決定した上で、 他の人々にも信心を得るよう勧めなさい」 と仰せになりました。

(17)

 ^十二月六日に、 蓮如上人が山科の*本願ほんがんより*せっとん教行きょうぎょうへ出向かれるというので、 その前日の五日の夜、 たくさんの人が上人のもとへやって来ました。 上人が、 「今夜はなぜこれほど多くの人が来ているのか」 とお尋ねになったところ、 *じゅんせいが、 「一つには、 先日の報恩講のときに、 ありがたいご法話を*ちょうもんさせていただいたことへのお礼のため、 もう一つは、 明日から富田へ出向かれますが、 今日のうちならお目にかかることができます。 それで、 年末のお礼を申しあげるために参ったのでしょう」 とお答えしました。 そのとき蓮如上人は、 「何とも無意味な年末の礼だな。 年末の礼をするのなら、 信心を得て礼にしなさい」 と仰せになりました。

(18)

 ^「ときとして、 おこたりなまけることがある。 これでは往生できないのではなかろうかと疑い嘆くものもあるであろう。 けれども、 すでに弥陀をひとたび信じておまかせし、 往生が定まった後であれば、 なまけることの多いのは恥しいことであるが、 このようになまけることの多いものであっても、 お救いいただくことは間違いない。 そのことをありがたいことだ、 ありがたいことだと喜ぶ心を、 弥陀の本願のはたらきにうながされておこる心というのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(19)

 ^「すでにお救いいただいた、 ありがたいことだと念仏するのがよいのでしょうか、 それとも、 間違いなくお救いいただく、 ありがたいことだと念仏するのがよいのでしょうか」 とお尋ねしたところ、 蓮如上人は、 「どちらもよい。 ただし、 仏になるべき身に定まったという正定聚の利益においては、 すでにお救いいただいたと喜ぶ心であり、 浄土に往生して必ず仏のさとりを開くという滅度の利益においては、 お救いいただくことに間違いはない、 ありがたいことだと喜ぶ心である。 どちらも仏になることを喜ぶ心であって、 ともによいのである」 と仰せになりました。

(20)

 ^*明応五年一月二十三日に、 蓮如上人は、 摂津富田の教行寺より京都山科の本願寺に戻られて、 「今年から、 信心のないものには会わないつもりである」 と、 きびしく仰せになりました。 そして、 *安心あんじんとはこういうものであると、 いっそう懇切にお話しになり、 また、 誓願寺の僧に能を演じさせ、 人々に念仏をお勧めになりました。 二月十七日には、 はやくもまた富田の教行寺へ出向かれ、 三月二十七日には、 堺の*しんしょういんより山科へ戻られました。 翌二十八日に蓮如上人は、 「ª*しんきょう人信にんしんº のこころを人々に説き聞かせるために、 こうして行き来しているのである。 行ったり来たりするのも骨の折れることではあるが、 出かけて行ったところでは、 信心を得て、 喜んでくれるので、 それがうれしくて、 こうしてまたやって来た」 と仰せになりました。

(21)

 ^四月九日に、 蓮如上人は、 「安心を得た上で、 ご法義を語るのならよい。 安心に関わりのないことを語るべきではない。 弥陀を信じておまかせする心を十分に人にも語り聞かせなさい」 と、 わたくし空善に対して仰せになりました。

(22)

 ^四月十二日に、 蓮如上人は堺の信証院へ出向かれました。

(23)

 ^七月二十日に、 蓮如上人は京都山科の本願寺に戻られ、 その日のうちに、 ¬高僧和讃¼ の、

五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて

ながく生死をすてはてて 自然の浄土にいたるなれ

さまざまな濁りに満ちた悪世に生きるわたしたちこそ、 決して壊れることのない他力の信心ただ一つで、 永久に迷いの世界を捨てて、 阿弥陀仏の浄土に往生するのである。

を引いてご法話をされ、 さらに次の、

金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ

弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける

決して壊れることのない他力の信心が定まるそのときに、 弥陀の光明はわたしたちを摂め取り、 永久に迷いの世界を離れさせてくださる。

の和讃についてもご法話をされました。 そして、 「この二首の和讃のこころを語り聞かせたいと思って、 京都に戻ってきた」 と仰せになり、 「ª自然の浄土にいたるなりº ªながく生死をへだてけるº とお示しくださっている。 何とまあ、 うれしく喜ばしいことではないか」 と、 繰り返し繰り返し仰せになりました。

(24)

 ^「ª南無º の ª無º の字を書くときには、 親鸞聖人の書き方を守って、 ª旡º の字を用いている」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 そして、 「南旡阿弥陀仏」 を*きんでいで写させて、 それをお座敷にお掛けになり、 「*不可ふか思議しぎ光仏こうぶつという名も、 *無礙むげ光仏こうぶつという名も、 ともにこの南無阿弥陀仏の徳をほめたたえた名である。 だから、 南無阿弥陀仏の*みょうごうを根本としなさい」 と仰せになりました。

(25)

 ^「¬*しょう像末ぞうまつさん¼ の、

十方無量の諸仏の 証誠護念のみことにて

自力の大菩提心の かなはぬほどはしりぬべし

すべての世界の数限りない仏がたは、 真実の言葉で本願他力の救いをお示しになり、 お護りくださる。 そのお言葉によって、 自力でさとりを求めてもさとりを開くことはできないと知られるのである。

という一首のこころを聴聞させていただきたいのです」 と、 順誓が申しあげたとき、 蓮如上人は、 「仏がたはみな弥陀に帰して、 本願他力の救いをお示しになるのを役目とされているのである」 と仰せになりました。

 また、 上人は仰せになりました。

世のなかにあまのこころをすてよかし

うしのつのはさもあらばあれ

この濁った世において、 出家して尼になりたいなどという心は捨てるがよい。 牝牛の角は曲がっているけれども、 それはそれでよいのである。

という歌がある。 これはご開山聖人のお詠みになった歌である。 このように外見の姿かたちはどうでもよいことであり、 ただ弥陀におまかせする信心が大切であると心得なさい。 世間にも ª頭は剃っていても心を剃っていないº という言葉がある」 と。

(26)

^鳥辺野をおもひやるこそあはれなれ

ゆかりの人のあととおもへば

*とり部野べのに思いを馳せるのはとりわけ悲しい。 縁のあった人たちを葬送したところだと思うから。

という歌がある。 これも親鸞聖人のお詠みになった歌である。

(27)

 ^明応五年九月二十日、 蓮如上人は、 ご開山聖人の御影像をわたくし空善に下され、 ご安置することをお許しになりました。 そのありがたさはとてもいい尽せないほどでした。

(28)

 ^同じ年の十一月、 報恩講期間中の二十五日に、 ご開山聖人の御影像の前で蓮如上人が ¬*でんしょう¼ を拝読されて、 いろいろとご法話をされました。 そのありがたさはとてもいい尽せないほどでした。

(29)

 ^*明応六年四月十六日、 蓮如上人は京都山科の本願寺に戻られました。 その日、 厚めの紙一枚に丁寧に包まれているご開山聖人の*影像えいぞうの原本を取り出されて、 上人ご自身の手でお広げになり、 「この御影像の上下にある*さんもんは、 ご開山聖人のご真筆である」 と仰せになって、 一同のものに拝ませてくださいました。 そして、 「この原本は、 よほど深いご縁がなくては拝見できるものではない」 と仰せになりました。

(30)

 ^「¬高僧和讃¼ に、

諸仏三業荘厳して 畢竟平等なることは

衆生虚誑の身口意を 治せんがためとのべたまふ

仏がたのすべての行いがまことで清らかであり、 まったく平等であるのは、 衆生の嘘やいつわりの行いを破ってお救いになるためであると、 *曇鸞どんらんだいは述べておられる。

というのは、 仏がたはみな弥陀一仏に帰して、 衆生をお救いになるということである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(31)

 ^「信心を得て、 その後信心が続くというのは、 決して別のことではない。 最初におこった信心がそのまま続いて尊く思われ、 その信心が生涯貫くのを、 ª憶念の心つねにº とも ª仏恩報謝º ともいうのである。 だから、 弥陀におまかせする信心をいただくことが何よりも大切なのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(32)

 ^朝夕に ª正信偈和讃º をおつとめして念仏するのは、 往生の因となると思うか、 それともならないと思うか」 と、 蓮如上人が僧たち一人一人にお尋ねになりました。 これに対して、 「往生の因となると思う」 というものもあり、 また、 「往生の因とはならないと思う」 というものもありましたが、 上人は、 「どちらの答えもよくない。 ª正信偈和讃º は、 衆生が弥陀如来を信じておまかせし、 この信心を因として、 このたび浄土に往生させていただくという道理をお示しくださったものである。 だから、 そのお示しをしっかりと聞いて信心を得て、 ありがたいことだ、 ありがたいことだと親鸞聖人の御影像の前で喜ぶのである」 と、 繰り返し繰り返し仰せになりました。

(33)

 ^「南無阿弥陀仏の六字は、 この上なくすばらしい善根功徳をそなえたものであるから、 他宗では、 この名号を称えて、 その功徳をさまざまな仏や菩薩や神々に差しあげ、 名号の功徳を自分のもののようにするのである。 けれども、 浄土真宗ではそうではない。 この六字の名号が自分のものであるなら、 これを称えてその功徳を仏や菩薩に差しあげることもできるだろうが、 名号はわたしたちが阿弥陀仏からいただいたものである。 だから、 わたしたちは、 ただ仰せのままに浄土に往生させてくださいと弥陀を信じておまかせすれば、 ただちにお救いいただくのであり、 そのことをありがたいことだ、 ありがたいことだと喜んで、 念仏するばかりである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(34)

 ^*かわの国よりあさ氏の先代の夫人が、 蓮如上人にこの世でのお別れのご挨拶をしようと、 山科の本願寺にやって来ました。 ちょうど富田の教行寺へ出向かれる日の朝のことでしたので、 上人は大変忙しくしておられましたが、 それでも夫人にお会いになって、 「念仏するのは、 名号をただ口に称えてその功徳を仏に差しあげようとするものでは決してない。 仰せのままにお救いくださいとたしかに弥陀を信じておまかせすれば、 ただちに仏にお救いいただくのであり、 それを南無阿弥陀仏というのである。 だから、 お救いいただいたことを、 ありがたいことだ、 ありがたいことだと心に喜ぶのをそのまま口に出して、 南無阿弥陀仏、 南無阿弥陀仏と申すのである。 これを仏恩を報じるというのである」 と仰せになりました。

(35)

 ^順誓が蓮如上人に、 「信心がおこったそのとき、 罪がすべて消えて往生成仏すべき身に定まると、 上人は*ぶんしょうにお示しになっておられます。 けれども、 ただいま上人は、 命のある限り罪はなくならないと仰せになりました。 御文章のお示しとは違うように聞えますが、 どのように受けとめたらよいのでしょうか」 と申しあげました。 すると上人は、 「信心がおこったそのとき、 罪がすべてみな消えるというのは、 信心の力によって、 往生が定まったときには罪があっても往生のさまたげとならないのであり、 だから、 罪はないのと同じだという意味である。 しかし、 この世に命のある限り、 罪は尽きない。 順誓は、 すでにさとりを開いて罪というものはないのか。 そんなことはないだろう。 こういうわけだから、 お聖教には、 ª信心がおこったそのとき、 罪が消えるº とあるのである」 とお答えになりました。 そして、 「罪があるかないかを論じるよりは、 信心を得ているか得ていないかを何度でも問題にするがよい。 罪が消えてお救いくださるのであろうとも、 罪が消えないままでお救いくださるのであろうとも、 それは弥陀のおはからいであって、 わたしたちが思いはからうべきことではない。 ただ信心をいただくことこそが大切なのである」 と、 繰り返し繰り返し仰せになりました。

(36)

 ^「¬正像末和讃¼ に、

真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば

不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる

真実信心の*称名しょうみょうは、 阿弥陀如来から衆生に回向された行であるから、 法然上人はそれを衆生の側からいえば*こうであると名づけられて、 自力の念仏を退けられた。

とある。 弥陀におまかせする信心も、 また、 尊いことだ、 ありがたいことだと喜んで念仏する心も、 すべて弥陀よりお与えくださるのであるから、 わたしたちが、 ああしようかこうしようかとはからって念仏するのは自力であり、 だから退けられるのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(37)

 ^無生の生とは、 極楽浄土に生れることをいうのである。 浄土に生れるのは、 迷いの世界を生れ変り死に変りし続けるというような意味ではなく、 生死を超えたさとりの世界に生れることである。 だから、 極楽浄土に生れることを無生の生というのである。

(38)

 ^「回向というのは、 弥陀如来が衆生をお救いくださるはたらきをいうのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(39)

 ^信心がおこるということは、 往生がたしかに定まるということである。 罪を消してお救いくださるのであろうとも、 罪を消さずにお救いくださるのであろうとも、 それは阿弥陀如来のおはからいである。 わたしたちが罪についてあれこれいうことは無意味なことである。 弥陀は、 信じておまかせする衆生をもとよりめあてとしてお救いくださるのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(40)

 ^身分や地位の違いを問わず、 このようにみなさんと同座するのは、 親鸞聖人も、 すべての世界の信心の人はみな兄弟であると仰せになっているので、 わたしもその通りにするのである。 また、 このように膝を交えて坐っているからには、 遠慮なく疑問に思うことを尋ねてほしい、 しっかりと信心を得てほしいと願うばかりである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(41)

 ^*しん文類もんるい」 の 「*愛欲あいよくの広い海に沈み*みょうの深い山に迷って、 必ず仏になる身と定まったことを喜びもせず、 真実のさとりに近づきつつあることを楽しいとも思わない」 というお言葉について、 お弟子たちが、 これをどう理解すればよいのか思い悩み、 「愛欲に沈み名利に迷う身で、 往生できるのであろうか」、 「往生できないのではないか」 などと、 お互いに論じあっていました。 これを蓮如上人はものを隔てたところからお聞きになって、 「愛欲も名利もみなわが身にそなわった*煩悩ぼんのうである。 わが身の上をあれこれ心配するのは、 自力の心が離れていないということである」 とお諭しになり、 「ただ弥陀を信じておまかせする他には何もいらない」 と仰せになりました。

(42)

 ^ある日の夕暮れどき、 多くの人が取り次ぎも頼まずにやって来ました。 慶聞坊がそれをとがめて、 「何ごとか、 すぐに退出しなさい」 と荒々しく叱りつけたところ、 蓮如上人がそれをお聞きになって、 「そのように叱るかわりに信心について語り聞かせて帰してやってほしいものだ」 と仰せになりました。 そして上人が、 「信心のことは東西に走り回ってでも話して聞かせたいことである」 と仰せになると、 慶聞坊は涙を流し、 「間違っておりました」 とお詫びして、 信心についてご法話をされました。 その場にいた人々はみな感動して、 とめどなく涙があふれ出たのでした。

(43)

 ^明応六年十一月、 この年蓮如上人は山科本願寺の報恩講においでにならないことになったので、 実如上人が*ほうきょうぼうを使いにやり、 「今年は大坂におられるとのことですが、 報恩講はどのようにいたしましょうか」 とお尋ねになりました。 すると蓮如上人は、 今年からは、 夕方六時より翌朝六時までの参詣をやめてみな立ち去るようにという御文章をおつくりになって、 「このようになさるがよい」 と仰せになりました。 また、 「御堂に泊ってお護りするものも、 その日の当番の人だけにしなさい」 とも仰せになりました。 一方で、 蓮如上人は七日間の報恩講のうち三日を富田の教行寺でおつとめになり、 二十四日には大坂の御坊に出向かれて、 おつとめになりました。

(44)

 ^*明応七年の*夏より、 蓮如上人はまたご病気になられたので、 五月七日、 「この世でお別れのご挨拶をするために親鸞聖人の御影前にお参りしたい」 と仰せになって、 京都山科の本願寺にお戻りになりました。 そしてすぐに、 「信心を得ていないものにはもう会わない。 信心を得たものには呼び寄せてでも会いたい、 ぜひとも会おう」 と仰せになりました。

(45)

 ^新しい時代の人は、 昔のことを学ばなければならない。 また、 古い時代の人は、 昔のことをよく伝えなければならない。 口で語ることはその場限りで消えてしまうが、 書き記したものはなくならないのである。

(46)

 ^*あかどうしゅうがいわれました。 「一日のたしなみとしては、 朝の勤行をおこたらないようにと心がけるべきである。 一月のたしなみとしては、 必ず一度は、 親鸞聖人の御影像が安置されている近くの寺へ参詣しようと心がけるべきである。 一年のたしなみとしては、 必ず一度は、 ご本山へ参詣しようと心がけるべきである」 と。 この言葉を*円如えんにょさまがお聞き及びになって、 「よくぞいった」 と仰せになりました。

(47)

 ^「自分の心のおもむくままにしておくのではなく、 心を引き締めなければならない。 そうすると仏法はきづまりなものかとも思うが、 そうではなく、 阿弥陀如来からいただいた信心によって、 心のなごむものである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(48)

 ^法敬坊は九十の年までご存命でありました。 その法敬坊が、 「この年になるまで仏法を聴聞させていただいたが、 もう十分聞いた、 これまでだと思ったことはない。 仏法を聴聞するのに飽きた、 足りたということはないのである」 といわれました。

(49)

 ^山科の本願寺で蓮如上人のご法話があったとき、 あまりにもありがたいお話であったので、 これを忘れるようなことがあってはならないと思い、 六人のものがお座敷を立って御堂に集まり、 ご法話の内容について話しあいをしたところ、 それぞれの受け取り方が異なっていました。 そのうちの四人は、 ご法話の趣旨とはまったく違っていました。 聞き方が大切だというのはこのことです。 聞き誤りということがあるのです。

(50)

 ^蓮如上人がおいでになったころ、 上人のもとに、 熱心に法を聞こうとする人々も大勢集まっていた中で、 「この中に、 信心を得たものが何人いるであろうか。 一人か二人か、 いるであろうか」 などと仰せになり、 集まっていた人々はだれもかれも驚いて、 「肝をつぶしました」 といったということです。

(51)

 ^法敬坊が、 「ご法話を聞くときには、 何もかも同じように聞くのではなく、 聴聞はかどを聞け」 といわれました。 これは、 肝心かなめのところをしっかりと聞けということです。

(52)

 ^¬報恩講私記¼ に 「憶念称名いさみありて」 とあるのは、 称名は喜びいさんでする念仏だということである。 信心をいただいた上は、 うれしさのあまりいさんで称える念仏なのである。

(53)

 ^御文章について、 蓮如上人は、 「お聖教というものは、 意味を取り違えることもあるし、 理解しにくいところもある。 だが、 この*ふみは意味を取り違えることもないだろう」 と仰せになりました。 わかりやすく書かれた御文章は、 お慈悲のきわまりです。 これを聞いていながら、 信じ受け取ることのできないものは、 仏法を聞く縁がまだ熟していない人なのです。

(54)

 ^「浄土真宗のみ教えを、 この年になるまで聴聞し続け、 蓮如上人のお言葉を承っているが、 ただ、 わたしの愚かな心が、 そのお言葉の通りにならない」 と、 法敬坊はいわれました。

(55)

 ^実如上人がたびたび仰せになりました。 「ª仏法のことは、 自分の心にまかせておくのではなく、 心がけて努めなければならないº と蓮如上人はお示しになった。 愚かな自分の心にまかせていては駄目である。 自分の心にまかせず、 心がけて努めるのは阿弥陀仏のはたらきによるのである」 と。

(56)

 ^浄土真宗のみ教えを聞き知っている人はいるけれども、 自分自身の救いとして聞くことができる人はほとんどいないという言葉がある。 これは、 信心を得るものがきわめて少ないという意味である。

(57)

 ^蓮如上人は、 「仏法のことを話しても、 それを世間のことに引き寄せて受け取る人ばかりである。 しかし、 それにうんざりしないで、 もう一度仏法のことに引き寄せて話をしなさい」 と仰せになりました。

(58)

 ^どのような人であっても、 自分は悪いとは思っていない。 そう思っているものは一人としていない。 しかしこれはまったく親鸞聖人からお叱りを受けた人のすがたである。 だから、 一人ずつでもよいから、 自分こそが正しいという思いをひるがえさなければならない。 そうでないと、 長い間、 *ごくに深く沈むことになるのである。 このようなこともどうしてかといえば、 本当に仏法の奥底を知らないからである。

(59)

 ^蓮淳さまが*さかい御坊おんぼうへ出向かれたとき、

皆ひとのまことの信はさらになし

ものしりがほの風情にてこそ

まことの信心を得た人はきわめて少ない。 それなのに、 だれもかれもがよくわかっているような顔をしている。

という蓮如上人の歌を、 紙に書いて長押なげしにはりつけておかれました。 そして、 「わたしがここを発った後で、 この歌の意味をよく考えてみなさい」 と仰せになりました。 蓮淳さまご自身がよくわからないということにして、 人々に問いかけられたのです。 この歌の 「ものしりがほ」 とは、 まことの信心をいただいていないのに、 自分はご法義をよく心得ていると思いこんでいるという意味です。

(60)

 ^法敬坊は、 *善導ぜんどうだい六字釈をいつも必ず引用し、 安心のことだけを語り聞かせる人でありました。 それでさえ蓮如上人は、 「もっと短くまとめて話なさい」 と仰せになるのでした。 これは、 言葉を少なくして安心のかなめを語り聞かせなさいとの仰せです。

(61)

 ^*ぜんしゅうが、 「懇志を蓮如上人に差しあげるとき、 自分のものを差しあげるような顔をして持ってくるのは恥しいことだ」 といわれました。 それを聞いた人が、 「どういうことでしょうか」 と尋ねたところ、 善宗は、 「これはみな、 阿弥陀如来のおはたらきによって恵まれたものであるのに、 それを自分のもののように思って持ってくる。 もとより蓮如上人へ恵まれたものをわたしがお取り次ぎするだけなのに、 それをまるで自分のものを差しあげるように思っているのが恥しいのである」 といわれました。

(62)

 ^*せっくにぐんむら*主計かずえという人がいました。 いつも絶えることなく念仏を称えていたので、 ひげを剃るとき顔のあちこちを切ってばかりいました。 ひげを剃っていることを忘れて念仏を称えるからです。 「世間の人は、 ことさらつとめて口を動かさなければ、 わずかの間も念仏を称えることができないのだろうか」 と、 何とも気がかりな様子でした。

(63)

 ^仏法に深く帰依した人がいました。 「仏法は、 若いうちに心がけて聞きなさい。 年を取ると、 歩いて法座に行くことも思い通りにならず、 法話を聞いていても眠くなってしまうものである。 だから、 若いうちに心がけて聞きなさい」 と。

(64)

 ^阿弥陀如来は、 衆生を調えてくださる。 調えるというのは、 衆生のあさましい心をそのままにしておいて、 そこへ真実の心をお与えになり、 立派になさることである。 人々のあさましい心を取り除き、 如来の智慧だけにして、 まったく別のものにしてしまうということではないのである。

(65)

 ^わが妻わが子ほどいとしいものはない。 この愛しい妻子を教え導かないのは、 まことに情けないことである。 ただそれも過去からのよい縁がなければ、 力の及ぶところではない。 しかし、 わが身一つを教え導かないでいてよいものであろうか。

(66)

 ^慶聞坊がいわれました。 「信心を得てもいないのに、 信心を得たような顔をしてごまかしていると、 日に日に地獄が近くなる。 うまくごまかしていたとしても、 その結果はあらわれるのであり、 それで地獄が近くなるのである。 ちょっと見ただけでは信心を得ているのかいないのかがわからないが、 いつまでも命があると思わずに、 今日を限りと思い、 み教えを聞いて信心を得なさいと、 仏法に深く帰依した昔の人はいわれたものである」 と。

(67)

 ^一度の心得違いが一生の心得違いとなり、 一度の心がけが一生の心がけとなる。 なぜなら、 一度心得違いをして、 そのまま命が尽きてしまえば、 ついに一生の誤りとなって、 取り返しがつかなくなるからである。

(68)

^今日ばかりおもうこころを忘るなよ

さなきはいとどのぞみおほきに

今日を限りの命だと思う心を忘れてはならないぞ。 そうでないと、 この世のことにますます欲が多くなるから。

*覚如かくにょしょうにんの詠まれた歌です。

(69)

 ^他流では、 名号よりも絵像、 絵像よりも木像という。 だが浄土真宗では、 木像よりも絵像、 絵像よりも名号というのである。

(70)

 ^山科本願寺の北殿ほくでんで、 蓮如上人は法敬坊に、 「わたしはどのようなことでも相手のことを考え、 十のものを一つにして、 たやすくすぐに道理が受け取れるように話をしている。 ところが人々は、 このことを少しも考えていない」 と仰せになりました。 御文章なども、 最近は、 言葉少なくお書きになっています。 「今はわたしも年老いて、 ものを聞いているうちにも嫌気がさし、 うっかり聞きもらすようになったので、 読むものにも肝心かなめのところをすぐに理解できるように、 言葉少なく書いているのである」 と仰せになりました。

(71)

 ^*れんさまが幼少のころ、 *加賀かが二俣ふたまた本泉ほんせんにおられたときのことです。 多くの人々が小型の名号をいただきたいと申し出たので、 それを蓮悟さまがお取り次ぎになったところ、 蓮如上人はその人々に対して、 「それぞれみな、 信心はあるか」 と仰せになりました。 「信心は名号をいただいたすがたである。 あのときの蓮如上人のお言葉が、 今にして思いあたる」 と、 後に蓮悟さまはお話しになりました。

(72)

 ^蓮如上人は、 「堺の日向ひゅうがは三十万貫もの財産を持っていたが、 仏法を信じることなく一生を終えたので、 仏にはなっていないであろう。 *大和やまと了妙りょうみょうは粗末な衣一つ着ることができないでいるが、 このたび仏となるに違いない」 と仰せになったということです。

(73)

 ^*きゅうほうむらほっしょうが蓮如上人に、 「ただ仰せのままに浄土に往生させてくださいと弥陀を信じておまかせするだけで、 往生はたしかに定まると思っておりますが、 これでよろしいでしょうか」 と、 お尋ね申しあげたところ、 ある人が側から、 「それはいつもお聞きしていることだ。 もっと別のこと、 わからないことなどをお尋ねしないでどうするのか」 と口をはさみました。 そのとき蓮如上人は、 「そのことだ、 わたしがいつもよくないといっているのは。 だれもかれも目新しいことを聞きたい、 知りたいとばかり思っている。 信心をいただいた上は、 何度でも心の中の思いをこの法性のように口に出すのがよいのである」 と仰せになりました。

(74)

 ^蓮如上人は、 「なかなか信心を得ることができないと口に出して正直にいう人はよい。 言葉では信心を語って、 口先は信心を得た人と同じようであり、 そのようにごまかしたまま死んでしまうような人を、 わたしは悲しく思うのである」 と仰せになりました。

(75)

 ^浄土真宗のみ教えは、 阿弥陀如来が説かれたものである。 だから、 御文章には、 「阿弥陀如来の仰せには」 とお書きになっている。

(76)

 ^蓮如上人が法敬坊に、 「今いった、 弥陀を信じてまかせよということを教えてくださった人を知っているか」 とお尋ねになりました。 法敬坊が、 「存じません」 とお答えしたところ、 上人は、 「では今から、 これを教えてくださった人をいおう。 だが、 鍛冶や建築などの技術を教わる際にも、 お礼の品を差し出すものである。 ましてこれはきわめて大切なことである。 何かお礼の品を差しあげなさい。 そうすればいってあげよう」 と仰せになりました。 そこで法敬坊が、 「もちろん、 どのようなものでも差しあげます」 と申しあげると、 上人は、 「このことを教えくださったお方は阿弥陀如来である。 阿弥陀如来が、 われを信じてまかせよと教えてくださったのである」 と仰せになりました。

(77)

 ^法敬坊が蓮如上人に、 「上人のお書きになった六字のお名号が、 火事にあって焼けたとき、 六体の仏となりました。 まことに不思議なことでございます」 と申しあげました。 すると上人は、 「それは不思議なことでもない。 六字の名号はもともと仏なのだから、 その仏が仏になられたからといって不思議なことではない。 それよりも、 罪深い*ぼんが、 弥陀におまかせする信心ただ一つで仏になるということこそ、 本当に不思議なことではないか」 と仰せになりました。

(78)

 ^「日々の食事は、 阿弥陀如来、 親鸞聖人のおはたらきによって恵まれたものである。 だから目には見えなくてもつねにはたらきかけてくださっていることをよくよく心得ておかなければならない」 と、 蓮如上人は折にふれて仰せになったということです。

(79)

 ^蓮如上人は、 「ª噛むとはしるとも、 呑むとしらすなº という言葉がある。 噛みしめ味わうことを教えても、 鵜呑みにすることを教えてはならないという意味である。 妻子を持ち、 魚や鳥の肉を食べ、 罪深い身であるからといって、 ただそれを鵜呑みにして、 思いのままの振舞いをするようなことがあってはならない」 と仰せになりました。

(80)

 ^「仏法では、 *無我むがが説かれている。 われこそはという思いが少しでもあってはならないのである。 ところが、 自分が悪いと思っている人はいない。 これは親鸞聖人からお叱りを受けた人のすがたである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 仏のお力によって信心を得させていただくのです。 われこそはという思いが決してあってはならないのです。 この無我ということについては、 実如上人もたびたび仰せになりました。

(81)

 ^「¬*じょう見聞けんもんしゅう¼ に、 ª日ごろからよく心得ていることでも、 よき師にあって尋ねると、 また得るところがあるº と示されている。 この ªよく心得ていることを尋ねると、 得るところがあるº というのが、 まことに尊いお言葉なのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 そして、 「自分の知らないことを尋ねてもの知りになったからといって、 どれほどすぐれたことがあろうか」 とも仰せになりました。

(82)

 ^「仏法を聴聞しても、 多くのものは、 自分自身のためのみ教えとは思っていない。 どうかすると、 教えの一つでも覚えておいて、 人に説いて聞かせ、 その見返りを得ようとすることがある」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(83)

 ^「疑いなく信じておまかせするもののことは、 阿弥陀如来がよくご存じである。 阿弥陀如来がすべてご存じであると心得て、 身をつつしまなければならない。 目には見えなくてもつねに如来がはたらきかけてくださっていることを恐れ多いことだと心得なければならない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(84)

 ^実如上人は、 「わたしが蓮如上人より承ったことに、 特別な教えがあるわけではない。 ただ阿弥陀如来におまかせする信心、 これ一つであって、 他に特別な教えはないのである。 この他に知っていることは何もない。 このことについては、 どのような誓いをたててもよい」 と仰せになりました。

(85)

 ^実如上人は、 「凡夫の往生は、 ただ阿弥陀如来におまかせする信心一つでたしかに定まる。 もし信心一つで仏になれないというのなら、 わたしはどのような誓いをたててもよい。 このことの証拠は、 南無阿弥陀仏の六字の名号である。 すべての世界の仏がたがその証人である」 と仰せになりました。

(86)

 ^蓮如上人は、 「仏法について語りあう場では、 すすんでものをいいなさい。 黙りこんで一言もいわないものは何を考えているのかわからず恐ろしい。 信心を得たものも得ていないものも、 ともかくものをいいなさい。 そうすれば、 心の奥で思っていることもよくわかるし、 また、 間違って受けとめたことも人に直してもらえる。 だから、 すすんでものをいいなさい」 と仰せになりました。

(87)

 ^蓮如上人は、 「おつとめの節も十分に知らないで、 自分では正しくおつとめをしていると思っているものがいる」 と、 おつとめの節回しが悪いことを指摘して、 慶聞坊をいつもお叱りになっていたそうです。 これにこと寄せて、 蓮如上人は、 「仏法をまったく知らないものについては、 ご法義を誤って受け取っているということすらいえない。 ただ悪いだけである。 だから、 悪いと叱ることもない。 けれども、 仏法に心を寄せ、 多少とも心得のあるものがご法義を誤って受け取るのは、 まことに大きなあやまちなのである」 と仰せになったとのことです。

(88)

 ^ある人が思っている通りをそのままに打ち明けて、 「わたしの心はまるで篭に水を入れるようなもので、 ご法話を聞くお座敷では、 ありがたい、 尊いと思うのですが、 その場を離れると、 たちまちもとの心に戻ってしまいます」 と申しあげたところ、 蓮如上人は、 「その篭を水の中につけなさい。 わが身を仏法の水の中にひたしておけばよいのだ」 と仰せになったということです。

 「何ごとも信心がないから悪いのである。 よき師が悪いことだといわれるのは、 他でもない。 信心がないことを大きな誤りだといわれるのである」 とも仰せになりました。

(89)

 ^お聖教を拝読しても、 ただぼんやりと字づらを追っているだけでは何の意味もありません。 蓮如上人は、 「ともかく繰り返し繰り返しお聖教を詠みなさい」 と仰せになりました。 世間でも、 書物は百遍、 繰り返して読めば、 その意味はおのずと理解できるというのだから、 このことはよく心にとどめておかなければなりません。 お聖教はその文面にあらわれている通りにいただくべきものです。 その上で、 師のお言葉をいただかなければならないのです。 自分勝手な解釈は、 決してしてはなりません。

(90)

 ^蓮如上人は、 「お聖教を拝読するときには、 その一言一言が*りきの信心の勧めであると受け取っていけば、 読み誤ることはない」 と仰せになりました。

(91)

 ^自分だけがと思いあがって、 自分一人のさとりで満足するような心でいるのは情ないことである。 信心を得て阿弥陀仏のお慈悲をいただいたからには、 自分だけがと思いあがる心などあるはずがない。 *弥陀みだぶつちかいには、 光明に触れたものの身も心もやわらげるとあるのだから、 信心を得たものは、 おのずとおだやかな心になるはずである。 *縁覚えんがくは自分一人のさとりに満足し、 他の人を顧みないから仏になれないのである。

(92)

 ^仏法について少しでも語るものは、 みな自分こそが正しいと思って話をしている。 けれども、 信心をいただいたからには、 自分は罪深いものであると思い、 仏恩報謝であると思って、 ありがたさのあまりに人に話をするものなのである。

(93)

 ^実如上人が順誓に、 「ª自分が信心を得てもいないのに、 人に信心を得なさいと勧めるのは、 自分は何もものを持たないでいて、 人にものを与えようとするようなものである。 これでは人が承知するはずがないº と、 蓮如上人はお示しになった」 と仰せになりました。 そして、 「¬*おうじょう礼讃らいさん¼ に ª自信教人信º とあるのだから、 まず自分自身の信心を決定して、 その上で他の人々に信心を勧めるのである。 これが仏恩報謝になるのである。 自分自身の信心を決定してから人に教えて信心を勧めるのは、 すなわち仏の大悲を人々にひろく伝える、 ªだいでんº ということなのである」 と、 続けて仰せになりました。

(94)

 ^蓮如上人は、 「聖教読みの聖教読まずがあり、 聖教読まずの聖教読みがある。 たとえ文字一つ知らなくても、 人に頼んで聖教を読んでもらい、 それを他の人々にも聴聞させて信心を得させるのは、 聖教読まずの聖教読みである。 どれほど聖教を読み聞かせることができても、 聖教の真意を読み取ることもなく、 ご法義を心得ることもないのは、 聖教読みの聖教読まずである」 と仰せになりました。

 「これは、 ªしんきょう人信にんしんº ということである」 と仰せになりました。

(95)

 ^「人前で聖教を読み聞かせるものが、 仏法の真意を説きひろめたというためしはない。 文字も知らない*あまにゅうどうなどが、 尊いことだ、 ありがたいことだと、 み教えを喜ぶのを聞いて、 人々は信心を得るのである」 と、 蓮如上人は仰せになったということです。 聖教について何一つ知らなくても、 仏がお力を加えてくださるから、 尼や入道などが喜ぶのを聞いて、 人々は信心を得るのです。 聖教を読み聞かせることができても、 名声を求めることばかりが先に立って、 心にご法義をいただいていないから、 人から信用されないのです。

(96)

 ^蓮如上人は、 「浄土真宗のみ教えを信じるものは、 どんなことでも、 世俗的な心持ちで行うのはよくない。 仏法にもとづいて、 何ごとも行わなければならないのである」 と仰せになりました。

(97)

 ^蓮如上人は、 「世間では、 何でもうまくこなしてそつがない人を立派な人だというが、 その人に信心がないならば、 気をつけなければならない。 そのような人は頼りにならないのである。 たとえ、 片方の目が見えず歩くのがままならないような人であっても、 信心を得ている人をこそ、 頼りに思うべきである」 と仰せになりました。

(98)

 ^「君を思うはわれを思うなり」 という言葉がある。 主君を大切に思ってしたがうものは、 おのずと出世するので、 自分自身を大切にしたことになるという意味である。 これと同じように、 よき師の仰せにしたがって信心を得れば、 自分自身が極楽へ往生させていただくことになるのである。

(99)

 ^阿弥陀仏は、 はかり知れない昔からすでに仏である。 本来、 仏であるにもかかわらず、 人々を救うためのてだてとして法蔵菩薩となって現れ、 四十八の*誓願せいがんをたてられたのである。

(100)

 ^蓮如上人は、 「弥陀を信じておまかせする人は、 南無阿弥陀仏にその身を包まれているのである」 と仰せになりました。 目に見えない仏のおはたらきをますますありがたく思わなければならないということです。

(101)

 ^*たん法眼ほうげん蓮応れんのうが正装して、 蓮如上人のもとへおうかがいしたとき、 上人は蓮応の衣の襟をたたいて、 「南無阿弥陀仏だぞ」 と仰せになりました。 また実如上人は、 座っておられる畳をたたいて、 「南無阿弥陀仏に支えられているのである」 と仰せになりました。 この二つの仰せは、 前条の 「南無阿弥陀仏にその身を包まれている」 と示されたお言葉と一致しています。

(102)

 ^蓮如上人は、 「仏法を聞く身となった上は、 凡夫のわたしがすることは一つ一つが恐ろしいことなのだと心得なければならない。 すべてのことについて油断することのないよう心がけなさい」 と、 折にふれて仰せになりました。 また、 「仏法においては、 明日ということがあってはならない。 仏法のことは、 急げ急げ」 とも仰せになりました。

(103)

 ^蓮如上人は、 「今日という日はないものと思いなさい」 と仰せになりました。 上人は、 どのようなことでも急いでおかたづけになり、 長々と時間をかけることをおきらいになりました。 そして、 仏法を聞く身となった上は、 明日のことも今日するように、 急ぐことをおほめになったのです。

(104)

 ^蓮如上人は、 「親鸞聖人の御影像をいただきたいと申し出るのはただごとではない。 昔は、 *道場にご本尊以外のものを安置することはなかったのである。 だから、 もし信心もなく御影像を安置するのであれば、 必ず聖人のお叱りを受けることになるであろう」 と仰せになりました。

(105)

 ^「時節到来という言葉がある。 あらかじめ用心していて、 その上で事がおこった場合に、 時節到来というのである。 何一つ用心もしないで事がおこった場合は、 時節到来とはいわないのである。 信心を得るということも同じであり、 あらかじめ仏法を聴聞することを心がけた上で、 信心を得るための縁がある身だとか、 ない身だとかいうのである。 とにもかくにも、 信心は聞くということに尽きるのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(106)

 ^蓮如上人が法敬坊に、 「まきたてということを知っているか」 とお尋ねになりました。 法敬坊が、 「まきたてというのは、 畑に一度種をまいただけで、 何一つ手を加えないことです」 とお答えしたところ、 上人は、 「それだ。 仏法でも、 そのまきたてが悪いのである。 一通りみ教えを聞いただけで、 もう十分と思い、 自分の受け取ったところを他の人に直されたくないと思うのが、 仏法についてのまきたてである。 心に思っていることを口に出して、 他の人に直してもらわなければ、 心得違いはいつまでたっても直らない。 まきたてのような心では信心を得ることはできないのである」 と仰せになりました。

(107)

 ^蓮如上人は、 「どのようにしてでも、 自分の心得違いを他の人から直してもらうように心がけなければならない。 そのためには、 心に思っていることを同じみ教えを信じる仲間に話しておくべきである。 自分より目下のものがいうことを聞き入れようとしないで、 決って原を立てるのは、 実に情ないことである。 だれからでも心得違いを直してもらうよう心がけることが大切なのである」 と仰せになりました。

(108)

 ^ある人が蓮如上人に、 「信心はたしかに定まりましたが、 どうかすると、 よき師のお言葉をおろそかに思ってしまいます」 と申しあげました。 それに対して聖人は、 「信心をいただいたからには、 当然よき師を崇め敬う心があるはずである。 だが、 凡夫のどうしようもない性分によって、 師をおろそかにする思いがおこったときは、 恐れ多いことだと反省し、 その思いを捨てなければならない」 と仰せになりました。

(109)

 ^蓮如上人は蓮悟さまに、 「たとえ木の皮を身にまとうような貧しい暮しであっても、 それを悲しく思ってはならない。 ただ弥陀におまかせする信心を得た身であることを、 ありがたく喜ぶべきである」 と仰せになりました。

(110)

 ^蓮如上人は、 「身分や年齢の違いにかかわらず、 どんな人も、 うかうかと油断した心でいると、 大切なこのたびの浄土往生ができなくなってしまうのである」 と仰せになりました。

(111)

 ^蓮如上人が歯の痛みで苦しんでおられたとき、 ときおり目を閉じ、 「ああ」 と声をお出しになりました。 みなが心配していると、 「人々に信心のないことを思うと、 この身が切り裂かれるように悲しい」 と仰せになったということです。

(112)

 ^蓮如上人は、 「わたしは相手のことをよく考え、 その人に応じて仏法を聞かせるようにしている」 と仰せになりました。 どんなことであれ、 相手が好むようなことを話題にし、 相手がうれしいと思ったところで、 また仏法についてお話しになりました。 いろいろと巧みな手だてを用いて、 人々にみ教えをお聞かせになったのです。

(113)

 ^蓮如上人は、 「人々は仏法を信じることで、 このわたしを喜ばせようと思っているようだが、 それはよくない。 信心を得れば、 その人自身がすぐれた功徳を得るのである。 けれども、 人々が信心を得てくれるのなら、 喜ぶばかりか恩にも着よう。 聞きたくない話であっても、 本当に信心を得てくれるのなら、 喜んで聞こう」 と仰せになりました。

(114)

 ^蓮如上人は、 「たとえただ一人でも、 本当に信心を得ることになるのなら、 わが身を犠牲にしてでもみ教えを勧めなさい。 それは決して無駄にはならないのである」 と仰せになりました。

(115)

 ^あるとき蓮如上人は、 ご門徒がみ教えの心得違いをあらためたということをお聞きになって、 大変お喜びになり、 「老いた顔の皺がのびた」 と仰せになりました。

(116)

 ^蓮如上人があるご門徒に、 「あなたの師がみ教えの心得違いをあらためたが、 そのことをうれしく思うか」 とお尋ねになったところ、 その人は、 「心得違いをすっかりあらためられ、 ご法義を大切にされるようになりました。 何よりもありがたくうれしく思います」 とお答えしました。 上人はそれをお聞きになって、 「わたしは、 あなたよりももっとうれしく思うぞ」 と仰せになりました。

(117)

 ^蓮如上人は、 能狂言のしぐさなどを演じさせて、 ご法話を聞くことに退屈しているものの心をくつろがせ、 疲れた気分をさっぱりとさせて、 また新たにみ教えをお説きになるのでした。 実に巧みな手だてであり、 本当にありがたいことです。

(118)

 ^*天王てんのう土塔つちとう祭礼さいれいを蓮如上人がご覧になり、 「あれほどの多くの人々が、 みな地獄へ堕ちていく。 それがあわれに思われる」 と仰せになり、 また、 「だが、 信心を得たご門徒は仏になるのである」 と仰せになりました。 これもまた、 ありがたいお言葉です。

蓮如上人御一代記聞書 

蓮如上人御一代記聞書 

(119)

 ^ご法話をされた後で蓮如上人は、 四、 五人のご子息たちに、 「法話を聞いた後で、 四、 五人ずつが集まって、 話しあいをしなさい。 五人いれば五人とも、 決って自分に都合のよいように聞くものであるから、 聞き誤りのないよう十分に話しあわなければならない」 と仰せになりました。

(120)

 ^たとえ事実でないことであっても、 人が注意してくれたときは、 とりあえず受け入れるのがよい。 その場で反論すると、 その人は二度と注意してくれなくなる。 人が注意してくれることは、 どんなことでも心に深くとどめるようにしなければならない。 このことについて、 こんな話がある。 二人のものが、 お互いに悪い点を注意しあおうと約束した。 そこで、 一人が相手の悪い行いを注意したところ、 相手のものは、 「わたしはそうは思わないが、 人が悪いというのだからそうなのでしょう」 といいわけをした。 こうした返答の仕方が悪いというのである。 事実でなくても、 とりあえず 「たしかにそうだ」 と返事をしておくのがよいのである。

(121)

 ^一宗の繁昌というのは、 人が多く集まり、 勢いが盛んなことではない。 たとえ一人であっても、 まことの信心を得ることが、 一宗の繁昌なのである。 だから、 ¬*報恩ほうおんこう私記しき¼ に、 「念仏のみ教えの繁昌は、 親鸞聖人のみ教えを受けた人々の信心の力によって成就する」 とお示しくださっているのである。

(122)

 ^蓮如上人は、 「仏法を*ちょうもんすることに熱心であろうとする人はいる。 しかし信心を得ようと思う人はいない。 極楽は楽しいところであるとだけ聞いて*おうじょうしたいと願う人はいる。 しかしその人は仏になれないのである。 ただ弥陀を信じておまかせする人が、 往生して仏になるのである」 と仰せになりました。

(123)

 ^すすんで聖教を求め、 持っている人の子孫には、 仏法に深く帰依する人が出てくるものである。 一度でも仏法に縁があった人は、 たとえふだんは大まかであったとしても、 何かの折にははっと気がつきやすく、 また仏法に心を寄せるようになるものである。

(124)

 ^蓮如上人の*ぶんしょうは、 阿弥陀如来の直接の御説法だと思うべきである。 その昔、 人々が法然上人について、 「姿を見れば法然、 言葉を聞けば弥陀の直接の説法」 といったのと同じである。

(125)

 ^ご病床にあった蓮如上人が、 *きょうもんぼうに 「何か読んで聞かせてくれ」 と仰せになったとき、 慶聞坊は、 「御文章をお読みいたしましょうか」 と申しあげました。 上人は、 「では読んでくれ」 と仰せになり、 三通を二度ずつ、 あわせて六度読ませられて、 「自分の書いたものではあるが、本当にありがたい」 と仰せになりました。

(126)

 ^順誓が、 「世間の人は、 自分の前では何もいわずに、 陰で悪口をいうといって腹を立てるものである。 だが、 わたしはそうは思わない。 面と向かっていいにくいのであれば、 わたしのいないところでもよいから、 わたしの悪いところをいってもらいたい。 それを伝え聞いて、 その悪いところを直したいのである」 といわれました。

(127)

 ^蓮如上人は、 「仏法のためと思えば、 どんな苦労も苦労とは思わない」 と仰せになりました。 上人はどんなことでも心をこめてなさったことです。

  

(128)

 ^仏法については、 大まかな受けとめ方をするのはよくない。 世間では、 あまり細かすぎるのはよくないというが、 仏法については、 細部に至るまで心を配り、 細やかに心をはたらかせなければならない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(129)

 ^遠いものがかえって近く、 近いものがかえって遠いという道理がある。 「灯台もと暗し」 というように、 いつでも仏法を聴聞することができる人は、 尊いご縁をいただきながら、 それをいつものことと思い、 ご法義をおろそかにしてしまう。 反対に、 遠く離れていてなかなか仏法を聴聞することができない人は、 仏法を聞きたいと思って、 真剣に求める心があるものである。 仏法は、 真剣に求める心で聞くものである。

(130)

 ^信心をいただいた上は、 同じみ教えを聴聞しても、 いつも目新しくはじめて耳にするかのように思うべきである。 人はとかく目新しいことを聞きたいと思うものであるが、 同じみ教えを何度聞いても、 いつも目新しくはじめて耳にするかのように受け取らなければならない。

(131)

 ^*どうしゅうは、 「同じお言葉をいつも聴聞しているが、 何度聞いても、 はじめて耳にするかのようにありがたく思われる」 といわれました。

(132)

 ^「念仏するにも、 よい評判を求めているかのように人が思うかもしれないので、 人前では念仏しないように気をつけているが、 これは実に骨の折れることである」 と、 ある人がいいました。 普通の人とは違った尊い心がけです。

(133)

 ^ともに念仏する仲間の目を気にして、 目には見えない仏の心を恐れないのは、 愚かなことである。 何よりも、 仏がすべてをお見通しになっていることを恐れ多く思わなければならない。

(134)

 ^「たとえ正しいみ教えであっても、 わずらわしく理屈を並べることはやめなければならない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 まして、 世間のことばかりを話し続けてやめないというのはよくありません。 ますます盛んに勧めなければならないのは、 信心のことなのです。

(135)

 ^蓮如上人は、 「仏法では、 功徳を仏に差しあげようとする心はよくない。 それは自分の力で功徳を積み、 仏のお心にかなおうとする自力の心である。 仏法では、 どんなことも、 仏恩報謝のいとなみと思わなければならないのである」 と仰せになりました。

(136)

 ^人間には、 眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚器官があって、 これらがちょうど六人の盗賊のように、 人間の善い心を奪い取ってしまうのである。 だがそれは、 自分の力でさまざまな行を修める場合のことである。 他力の念仏の場合はそうではない。 仏の*智慧ちえである信心を得るのであるから、 仏の力によってただちに貪り・怒り・愚かさの*煩悩ぼんのうもさわりのないものとしてくださる。 だから 「*散善さんぜん」 には、 「貪りや怒りの心の中に、 清らかな信心がおこる」 とあり、 「*しょうしん」 には、 「たとえば日光が雲や霧にさえぎられても、 その下は明るくて、 闇がないのと同じである」 と述べられているのである。

(137)

 ^わずか一言のみ教えであっても、 人はとかく自分に都合のよいように聴聞するものである。 だから、 ひたすらよく聞いて、 心に受けとめたままを念仏の仲間とともに話しあわなければならない。

(138)

 ^蓮如上人は、 「神に対しても仏に対しても、 馴れてくると手ですべきことを足でするようになる。 阿弥陀如来・親鸞聖人・よき師に対しても、 馴れ親しむにつれて気安く思うようになるのである。 だが、 馴れ親しめば親しむほど、 敬いの心を深くしなければならないのは当然のことである」 と仰せになりました。

(139)

 ^口に念仏し身に礼拝するのはまねをすることができても、 心の奥底はなかなかよくなるものではない。 だから、 力の及ぶ限り、 心をよくするよう努めなければならないのである。

(140)

 ^衣服などでも、 自分のものだと思って踏みつけ粗末にするのは、 情ないことです。 何もかもすべて親鸞聖人のおはたらきによって恵まれたものなのですから、 蓮如上人は、 着物などが足に触れたときには、 うやうやしくおしいただかれたとお聞きしています。

(141)

 ^蓮如上人は、 「表には王法を守り、 心の奥深くには仏法をたもちなさい」 と仰せになりました。 また、 「世間の倫理も正しく守りなさい」 と仰せになりました。

(142)

 ^蓮如上人は、 お若いころ大変苦労されました。 ただひとえに、 ご自身の生涯のうちに浄土真宗のみ教えをひろめようと願われた志一つで、 このように浄土真宗が栄えるようになったのです。 すべては上人のご苦労によるものです。

(143)

 ^ご病床にあった蓮如上人が、 「わが生涯のうちに浄土真宗をぜひとも再興しようと願った志一つで、 浄土真宗が栄えるようになって、 みんながこのように安らかに暮せるようになった。 これもわたしに、 目に見えない仏のおはたらきがあったからなのである」 と、 ご自身をほめて仰せになりました。

(144)

 ^蓮如上人は、 お若いころ粗末な綿入れの白衣を着ておられました。 白無地の小袖なども気軽に着られることはなかったそうです。 このようにいろいろと貧しい暮しをされたことを折にふれてお話しになり、 そのたびに 「今の人々はこういう話を聞いて、 目に見えない仏のおはたらきをありがたく思わなければならない」 と繰り返し仰せになりました。

(145)

 ^蓮如上人は、 お若いころ何ごとにも苦労ばかりで、 灯火の油を買うだけのお金もなく、 かろうじて安い薪を少しずつ取り寄せて、 その火の明りでお聖教をお読みになったそうです。 また、 ときには月の光でお聖教を書き写されることもありました。 足もたいていは冷たい水で洗われました。 また、 二、 三日もお食事を召しあがらなかったこともあったとお聞きしています。

(146)

 ^「若いころは思い通りに人を雇うこともできなかったので、 赤ん坊のおむつも、 わたしの手で洗ったものだ」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(147)

 ^蓮如上人は、 父上の*存如ぞんにょしょうにんの使用人をときおり雇って使われたそうです。 その当時、 存如上人は人を五人使っておられました。 ですから、 蓮如上人はご隠居なさった後も五人だけお使いになりました。 このごろでは、 用が多いからといって、 思いのままに人を使っていますが、 恐れ多く、 大変もったいないことだと思わなければなりません。

(148)

 ^蓮如上人は、 「昔、 仏前に参る人は、 襟や袖口だけを布でおおった紙の衣を着ていたものであるが、 今では白無地の小袖を着て、 おまけに着替えまで持ってくるようになった。 世の中が乱れていたころは、 宮中でも困窮して、 いろいろな品を質にお出しになり、 ご用立てされたほどである」 と例をあげて、 贅沢に走ることを注意されました。

(149)

 ^蓮如上人は、 「昔は貧しかったので、 京の町から古い綿を取り寄せて、 自分一人で広げ用いたこともあった。 また、 着物も肩の破れたのを着ていた。 白の小袖は美濃絹の粗末なものを求めて、 どうにか一着だけ着ることができた」 と仰せになりました。 このごろは、 上人のこうしたご苦労も知らないで、 だれもが豊かな暮しを当たり前のように思っていますが、 このようなことでは仏のご加護もなくなってしまうでしょう。 大変なことです。

(150)

 ^念仏の仲間やよき師には、 十分に親しみ近づかなければならない。 ª念仏者に親しみ近づかないのは、 *りきの人の過失の一つであるº と、 ¬*おうじょう礼讃らいさん¼ に示されている。 悪い人に親しみ近づいていると、 自分はそのようにはならないと思っていても、 折にふれて悪いことをするようになる。 だから、 ただひたすら、 深く仏法に帰依した人に親しみ近づかなければならない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 一般の書物にも、 「人の善悪は、 その人が近づき習うものによって決る」、 「その人を知ろうと思うなら、 その友を見よ」 という言葉があります。 また、 「たとえ善人の敵となることがあっても、 悪人を友とするな」 という言葉もあります。

(151)

 ^「ª*きればいよいよかたく、 仰げばいよいよたかしº という言葉がある。 実際に切りこんでみて、 はじめてそれが堅いとわかるのである。 これと同じように、 阿弥陀仏の*本願を信じて、 そのすばらしさもわかるのである。 信心をいただいたなら、 仏の本願がますます尊く、 ありがたく感じられ、 尊ぶ心もいっそう増すのである」 と仰せになりました。

(152)

 ^*ぼんの身でこのたび浄土に往生することは、 ただたやすいことだとばかり思っている。 これは大きな誤りである。 ¬*りょう寿じゅきょう¼ に 「難の中の難」 とあるように、 凡夫にはおこすことのできない信心であるが、 阿弥陀仏の智慧のはからいにより、 得やすいように成就して与えてくださったのである。 ¬*しゅうしょう¼ には、 ª往生というもっとも大切なことは、 凡夫がはからうことではないº と示されている」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 実如上人もまた、 「このたびの浄土往生をもっとも大切なことと思って、 仏のはからいにまかせる人と、 わたしはいつも同じ心である」 と仰せになりました。

(153)

 ^「念仏の教えを信じる人もいれば謗る人もいると、 *しゃくそんはお説きになっている。 もし信じる人だけがいて、 謗る人がいなかったなら、 釈尊のお説きになったことは本当なのかと疑問に思うであろう。 しかし、 やはり謗る人がいるのだから、 仏説の通り、 本願を信じる人は、 浄土に往生することがたしかに定まるのである」 と、 蓮如上人はお説きになりました。

(154)

 ^念仏の仲間がいる前でだけ、 ご法義を喜んでいる人がいるが、 これは世間の評判を気にしてのものである。 信心をいただいたなら、 ただ一人いるときも、 喜びの心が湧きおこってくるものである。

(155)

 ^「仏法は世間の用事を差しおいて聞きなさい。 世間の用事を終え、 ひまな時間をつくって仏法を聞こうと思うのは、 とんでもないことである。 仏法においては、 明日ということがあってはならない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 このことは ¬*じょうさん¼ にも、

たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて

仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり

たとえ世界中に火が満ちているとしても、 ひるまず進み、 仏の御名を聞き信じる人は、 往生成仏すべき身に定まるのである。

と示されています。

(156)

 ^*ほうきょうぼうが次のようにいわれました。 「何人かの人が集まって、 世間話をしている最中に、 中の一人が突然、 席を立った。 長老格の人が、 ªどうしたのかº とお尋ねになると、 ª大切な急ぎの要件がありますのでº といって、 立ち去ったのである。 後に ª先日はどうして急に席を立ったのですかº と尋ねたところ、 その人は、 ª仏法について話しあう約束があったので、 おるにおられず席を立ったのですº と答えた。 ご法義のことは、 このように心がけなければならないのである」 と。

(157)

 ^仏法を主とし、 世間のことを客人としなさい」 という言葉がある。 仏法を深く信じた上は、 世間のことはときに応じて行うべきものである。

(158)

 ^蓮悟さまが、 蓮如上人のおられる*南殿なんでんへおうかがいし、 *存覚ぞんかくしょうにんの著されたお聖教に少し疑問に思うところがあるのを書き出して、 「どういうことでしょうか」 と、 上人にお見せしました。 すると上人は、 「名人のお書きになったものは、 そのままにしておきなさい。 こちらの考えが及ばない深い思召しのあるところが、 名人の名人たるすぐれたところなのである」 と仰せになりました。

(159)

 ^蓮如上人に対して、 ある人がご*開山かいさんしょうにんご在世のころのことについて、 「これはどういうわけがあってのことでしょうか」 とお尋ねしたところ、 上人は、 「それはわたしも知らない。 どんなことであれ、 たとえ、 わけを知らないことであっても、 わたしはご開山聖人がなさった通りにするのである」 と仰せになりました。

(160)

 ^「概して人には、 他人に負けたくないと思う心がある。 世間では、 この心によって懸命に学び、 物事に熟達するのである。 だが、 仏法では*無我むがが説かれるからには、 われこそがという思いもなく、 人に負けて、 信心を得るものである。 正しい道理を心得て、 我執を退けるのは、 仏のお慈悲のはたらきである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(161)

 ^一心というのは、 凡夫が弥陀を信じておまかせするとき、 仏の不思議なお力によって、 凡夫の心を仏の心と一つにしてくださるから一心というのである。

(162)

 ^ある人が、 「井戸の水を飲むことも仏法のおはたらきによって恵まれたものだから、 一口の水でさえ、 阿弥陀如来・親鸞聖人のおかげだと思っている」 といいました。

(163)

 ^ご病床にあった蓮如上人が、 「わたしのことで思い立ったことは、 ただちに成しとげることができなくても、 ついに成就しなかったということはない。 だが、 人々が信心を得るということ、 このことばかりは、 わたしの思い通りにならず、 多くの人がまだ信心を得ていない。 そのことだけがつらく悲しく思われるのである」 と仰せになりました。

(164)

 ^蓮如上人は、 「わたしはどんなことも思った通りにしてきた。 浄土真宗を再興し、 京都山科に本堂・御影堂を建て、 本願寺住職の地位も譲り、 大坂に御堂を建てて、 隠居の身となった。 ¬*ろう¼ に ª仕事を成しとげ、 名をあげた後、 引退するのは天の道にかなっているº とあるが、 わたしはその通りにすることができた」 と仰せになりました。

(165)

 ^「夜、 敵陣にともされている火を見て、 あれは火でないと思うものはいない。 それと同じように、 どんな人が申したとしても、 蓮如上人のお言葉をその通りに話し、 上人の書かれたものをそのまま読んで聞かせるのであれば、 それは上人のお言葉であると仰ぎ、 承るべきである」 といわれました。

(166)

 ^蓮如上人は、 「ご法義のことは、 詳しく人に尋ねなさい。 わからないことは何でも人によく尋ねなさい」 と、 折にふれて仰せになりました。 「どういう人にお尋ねしたらよろしいのでしょうか」 とおうかがいしたところ、 「ご法義を心得ているものでありさえすれば、 だれかれの別なく尋ねなさい。 ご法義は、 知っていそうにもないものがかえってよく知っているのである」 と仰せになりました。

(167)

 ^蓮如上人は無地のものを着ることをおきらいになりました。 「紋のない無地のものを着るといかにも僧侶らしくありがたそうに見えてしまう」 という仰せでありました。 また、 墨染めの黒い衣を着ることもおきらいになりました。 墨染めの黒い衣を着て訪ねて来る人がいると、 「身なりの正しいありがたいお坊さまがおいでになった」 とからかって、 「いやいや、 わたしのようなものは、 全然ありがたくない。 ただ弥陀の本願だけがありがたいのである」 と仰せになりました。

(168)

 ^蓮如上人は、 小紋染めの小袖をつくらせて、 大坂御坊の居間の衣掛けに掛けておかれたそうです。

(169)

 ^蓮如上人は、 お食事を召しあがるときは、 まず合掌されて、 「阿弥陀如来と親鸞聖人のおはたらきにより、 着物を着させていただき、 食事をさせていただきます」 と仰せになりました。

(170)

 ^「人は上がることばかりに気を取られて、 落ちるところのあることを知らない。 ひたすら行いをつつしんで、 たえず、 恐れ多いことだと、 何ごとにつけても気をつけるようにしなければならない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(171)

 ^「往生は一人一人の身に成就する事柄である。 一人一人が仏法を信じてこのたび浄土に往生させていただくのである。 このことを人ごとのように思うのは、 同時に一方で自分自身を知らないということである」 と、 *円如えんにょさまは仰せになりました。

(172)

 ^大坂御坊で、 ある人が蓮如上人に、 「今朝、 まだ暗いうちから、 一人の老人が参詣しておられました。 まことに立派な心がけです」 と申しあげたところ、 上人はすぐさま、 「信心さえあれば、 どんなこともつらいとは思わないものである。 信心をいただいた上は、 すべてを仏恩報謝と心得るのであるから、 苦労とは思わないのである」 と仰せになりました。 その老人というのは、 *がみ了宗りょうしゅうであったということです。

(173)

 ^山科本願寺の南殿に人々が集まり、 ご法義をどのように心に受けとめるかあれこれと論じあっているところに、 蓮如上人がおいでになって、 「何をいっているのか。 あれこれ思いはからうことを捨てて、 疑いなく弥陀を信じおまかせするだけで、 往生は仏よりお定めくださるのである。 その証拠は南無阿弥陀仏の名号である。 この上、 いったい何を思いはからうというのか」 と仰せになりました。 このように蓮如上人は、 人々が疑問に思うことなどをお尋ねしたときも、 複雑なことをただ一言で、 さらりと解決してしまわれたのです。

(174)

 ^蓮如上人は、

おどろかすかひこそなけれ村雀

耳なれぬればなるこにぞのる

群がる雀を驚かして追いはらう鳴子の音も、 今では効き目がなくなった。 耳なれた雀たちは、 平気で鳴子に乗っている。

という歌をお引きになって、 「人はみな耳なれ雀になっている」 と折にふれて仰せになりました。

(175)

 ^「仏法を聞いて、 心の持ちようをあらためようと思う人はいるけれども、 信心を得ようと思う人はいない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(176)

 ^蓮如上人は、 「方便を悪いということはあってはならない。 方便によって真実が顕され、 真実が明らかになれば方便は廃されるのである。 方便は真実に導く手だてであることを十分に心得なければならない。 阿弥陀如来・釈尊・よき師の巧みな手だてによって、 わたしたちは真実の信心を得させていただくのである」 と仰せになりました。

(177)

 ^蓮如上人の御文章は、 凡夫が浄土に往生する道を明らかに映しだす鏡である。 この御文章の他に浄土真宗のみ教えがあるように思う人がいるが、 それは大きな誤りである。

(178)

 ^「信心をいただいた上は、 仏恩報謝の*称名しょうみょうをおこたることがあってはならない。 だが、 これについて、 心の底から尊くありがたく思って念仏するのを仏恩報謝であると考え、 何という思いもなくふと念仏するのを仏恩報謝ではないと考えるのは、 大きな誤りである。 自然に念仏が口に出ることは、 仏の智慧のうながしであり、 仏恩報謝の称名である」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(179)

 ^蓮如上人は、 「信心をいただいた上は、 尊く思って称える念仏も、 また、 ふと称える念仏も、 ともに仏恩報謝になるのである。 他宗では、 亡き親の*追善ついぜんようのため、 あるいはまた、 あれのためこれのためなどといって、 念仏をさまざまに使っている。 けれども、 親鸞聖人のみ教えにおいては、 弥陀を信じおまかせするのが念仏なのである。 弥陀を信じた上で称える念仏は、 どのようであれ、 すべて仏恩報謝になるのである」 と仰せになりました。

(180)

 ^「蓮如上人がご存命のころ、 山科本願寺の南殿であったでしょうか、 ある人が蜂を殺してしまって、 思わず念仏を称えました。 そのとき、 上人が、 ªあなたは今どんな思いで念仏を称えたのかº と、 お尋ねになったところ、 その人は、 ªかわいそうなことだと、 ただそれだけ思って称えましたº と答えました。 すると上人は、 ª信心をいただいた上は、 どのようであっても、 念仏を称えるのは仏恩報謝の意味であると思いなさい。 信心をいただいた上での念仏は、 すべて仏恩報謝になるのであるº と仰せになりました」 と、 このようなことを伝えた人がいました。

(181)

 ^山科本願寺の南殿で、 蓮如上人は、 暖簾のれんをあげて出てこられる際に、 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」 と称えて、 「法敬よ、 今わたしがどのような思いで念仏を称えていたかわかるか」 とお尋ねになりました。 法敬坊が、 「まったくわかりません」 とお答えすると、 上人は、 「今、 念仏を称えたのは、 阿弥陀仏がこのわたしをお救いくださることをうれしいことだ、 尊いことだと喜ぶ心なのだよ」 と仰せになりました。

(182)

 ^蓮如上人に対して、 西国から来たという人が、 *安心あんじんについて受けとめているところを申しあげたとき、 上人は、 「心の中が今いわれた通りであるのなら、 それがもっとも大切なことである」 と仰せになりました。

(183)

 ^蓮如上人は、 「ただいま、 どなたも口では、 安心について受けとめているところを同じように申された。 そのように言葉の上だけで同じようにしているから、 信心が定まった人とまぎれてしまい、 往生することができない。 わたしはそのことを悲しく思うのである」 と仰せになりました。

(184)

 ^「信心をいただいたからには、 それほど悪いことはしないはずである。 あるいは、 人にいわれたからといって、 悪いことをするようなことはないはずである。 このたび迷いの世界の絆を断ち切って、 浄土に往生しようと願う人が、 どうして悪いと思われるようなことをするであろうか」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(185)

 ^蓮如上人は、 「仏法は、 簡潔にわかりやすく説きなさい」 と仰せになりました。 また、 法敬坊に対して、 「信心・安心といっても、 聞く人の多くは文字も知らないし、 また、 信心・安心などというと別のもののように思ってしまう。 だから、 わたしたちのような凡夫が弥陀のお力で仏になるということだけを教えなさい。 仰せのままに浄土に往生させてくださいと弥陀を信じておまかせすることを勧めなさい。 そうすれば、 どんな人でもそれを聞いて信心を得るであろう。 浄土真宗には、 これ以外の教えはないのである」 と仰せになりました。 ¬*安心あんじんけつじょうしょう¼ には、 「浄土のみ教えは、 *だいじゅう八願はちがんをしっかりと心得る以外にはない」 とあります。 ですから、 上人は御文章に、 「仰せのままにお救いくださいと疑いなく仏におまかせするものを、 たとえ罪はどれほど深くても、 弥陀如来は必ずお救いくださるのである。 これが第十八の念仏往生の誓願のこころである」 とお示しくださっているのである。

(186)

 ^「信心を得ていないから悪いのである。 ともかくまず信心を得なさい」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 上人が悪いことだといわれたのは、 信心がないことを悪いといわれたのです。 このことについて、 次のような話があります。 上人がある人に向かって、 「おまえほど悪いものはいない。 言語道断だ」 と仰せになったところ、 その人は、 「何ごとも上人のお心にかなうようにと思っておりますが、 悪いところがあるのでしょうか」 とお答えしました。 すると上人は、 「まったく悪い。 信心がないのは悪くはないのか」 と仰せになったということです。

(187)

 ^蓮如上人が、 「どんなことを聞いても、 わたしの心は少しも満足しない。 一人でもよいから、 人が信心を得たということを聞きたいものだ」 と独り言をおっしゃいました。 「わたしは生涯を通して、 ただ人々に信心を得させたいと願ってきたのである」 と仰せになりました。

(188)

 ^「親鸞聖人のみ教えについては、 弥陀におまかせする信心がもっとも大切なのである。 だから、 弥陀におまかせするということを代々の上人がたがお示しになってこられたのであるが、 人々はどのようにおまかせするのかを詳しく知らなかった。 そこで、 蓮如上人は本願寺の住職になられると、 御文章をお書きになり、 ª念仏以外のさまざまな行を捨てて、 仰せのままに浄土に往生させてくださいと疑いなく弥陀におまかせしなさいº と明らかにお示しくださったのである。 だから、 蓮如上人は浄土真宗ご再興の上人といわれるのである」 と仰せになりました。

(189)

 ^「善いことをしてもそれが悪い場合があり、 悪いことをしてもそれが善い場合がある。 善いことをしても、 自分はご法義のために善いことをしたのだと思い、 自分こそがという我執の心があるなら、 それは悪いのである。 悪いことをしても、 その心をあらためて、 弥陀の本願を信じれば、 悪いことをしたのが、 善いことになるのである」 というお示しがあります。 そういうわけで、 蓮如上人は、 「善いことをしてその功徳を仏に差しあげようとする自力の心が悪い」 と仰せになったのです。

(190)

 ^蓮如上人は、 「思いもよらない人が過分の贈物を持ってきたときは、 何かわけがあるに違いないと思いなさい。 人からものを贈られると、 うれしく思うのが人の心だから、 何かを頼もうとするときは、 人はそのようなことをするものである」 と仰せになりました。

(191)

 ^蓮如上人は、 「行く先だけを見て、 自分の足元を見ないでいると、 つまずくに違いない。 他人のことだけを見て、 自分自身のことについて心がけないでいると、 大変なことになる」 と仰せになりました。

(192)

 ^よき師の仰せではあるが、 これはとうてい成就しそうにないなどと思うのは、 大変嘆かわしいことです。 成就しそうにないことであっても、 よき師の仰せならば、 成就すると思いなさい。 この凡夫の身が仏になるのだから、 そのようなことはあるはずがないと思うほどのことが他に何かあるでしょうか。 そういうわけで、 赤尾の道宗は、 「もし蓮如上人が、 ª道宗よ、 琵琶湖を一人で埋めなさいº と仰せになったとしても、 ªかしこまりましたº とお引受けするだろう。 よき師の仰せなら、 成就しないことがあろうか」 といわれたのです。

(193)

 ^「ªきわめて堅いものは石である。 きわめてやわらかいものは水である。 そのやわらかい水が堅い石に穴をあけるのである。 心の奥底まで徹すれば、 どうして仏のさとりを成就しないことがあろうかº という古い言葉がある。 信心を得ていないものであっても、 真剣にみ教えを聴聞すれば、 仏のお慈悲によって、 信心を得ることができるのである。 ただ仏法は聴聞するということに尽きるのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(194)

 ^蓮如上人は、 「信心がたしかに定まった人を見て、 自分もあのようにならなくてはと思う人は、 信心を得るのである。 あのようになろうとしても、 なれるはずがないとあきらめるのは嘆かわしいことである。 仏法においては、 命をかけて求める心があってこそ、 信心を得ることができる」 と仰せになりました。

(195)

 ^「他人の悪いところはよく目につくが、 自分の悪いところは気づかないものである。 もし自分で悪いと気づくようであれば、 それはよほど悪いからこそ自分でも気がついたのだと思って、 心をあらためなければならない。 人が注意をしてくれることに耳を傾け、 素直に受け入れなければならない。 自分自身の悪いところはなかなかわからないものである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(196)

 ^「世間のことを話しあっている場で、 かえって仏法の話が出ることがある。 そのようなときは、 われ先にものをいわないで人並みに振舞っておきなさい。 どのような考えの人がいるかわからないのだから、 注意をおこたってはならない。 けれども、 念仏の仲間が集まって、 お聖教の講釈を聞いて学ぶときや、 仏法について語りあったりするときに、 少しもものをいわないのは、 大きな誤りである。 仏法について語りあう場では、 心の中をすべて打ち明け、 互いに、 信心を得ているかいないかについて語らなければならない」 と仰せになりました。

(197)

 ^ある人が*金森かねがもりぜんじゅうに、 「このごろは、 あなたもさぞかし退屈でつまらないことでしょう」 といったところ、 善従は、 「わたしは八十を超えるこの年まで、 退屈と感じたことはありません。 というのも、 弥陀のご恩のありがたさを思い、 ご*さんやお聖教などを拝読していますので、 心は晴ればれと楽しく、 尊さでいっぱいです。 だから、 少しも退屈ということがないのです」 といったということです。

(198)

 ^実如上人が善従の逸話を紹介して、 「ある人が善従の住いを訪ねたとき、 まだ履物も脱がないうちから、 善従が仏法について話しはじめた。 側にいた人が、 ª履物さえまだ脱いでおられないのに、 どうしてそのように急いで話しはじめるのですかº というと、 善従は、 ª息を吐いて吸う間もないうちに命が尽きてしまう無常の世です。 もし履物を脱がないうちに、 命が尽きたらどうするのですかº と答えたのであった。 何をおいても、 仏法のことはこのように急がなければならないのである」 と仰せになりました。

(199)

 ^蓮如上人が善従のことについて、 「まだ*山科やましなむらに本願寺を建立するという話もなかったころ、 *かみもりというところを通って、 金森へ帰る途中で、 善従は輿から降り、 野村の方向を指して、 ªこの道すじで仏法が栄えるであろうº といった。 つきそっていた人々は、 ª年老いてしまったからこんなことをいうのだº などとささやいていたのだが、 ついにその地に本願寺が建ち、 仏法が栄えることとなった。 不思議なことである」 と仰せになりました。 また上人は、 「善従は法然上人の生れ変りであると、 世間の人々はいっている」 とも仰せになりました。 善従が往生したのは、 八月の*二十五日でした。

(200)

 ^東山の大谷本願寺が比叡山の法師たちによって打ち壊されたとき、 蓮如上人は避難されて、 どこにおいでになるのかだれも知らなかったのだが、 善従があちらこちら尋ね捜して、 あるところで上人にお会いすることができた。 そのとき、 上人はたいそうお困りの様子であったので、 ªこのありさまを見ると、 善従もきっと悲しむことであろうº とお思いになったのだが、 善従は上人にお目にかかるや、 ªああ、 ありがたい。 すぐにも仏法は栄えることでしょうº といった。 そしてついにこの言葉通りになったのである。 ª善従は不思議な人だº と蓮如上人も仰せになっていた」 と、 実如上人は仰せになりました。

(201)

 ^去る*大永だいえい三年、 蓮如上人の二十五回忌にあたる年の三月はじめごろ、 実如上人は夢をご覧になりました。 御堂の上壇、 南の方に、 蓮如上人がおいでになって、 紫色の小袖をお召しになっています。 そして、 実如上人に対して、 「仏法はみ教えを聞いて喜び語りあうということに尽きるのである。 だから、 十分に語りあわなければならない」 と仰せになったのです。 目が覚めてから、 実如上人は、 「これはまことに夢のお告げともいうべきことである」 と仰せになりました。 そういうわけで特にその年は、 「み教えを聞いて喜び語りあうことが大切である」 とお示しになったのです。 このことについてさらに、 「ただ一人いるときも、 喜びの心がおこってくるのが仏法である。 一人でいるときでさえ尊く思われるのだから、 二人が会って話しあえば、 どれほどありがたく感じられることであろうか。 ともかく仏法のことについて寄り集まって話しあいなさい」 と仰せになりました。

(202)

 ^今までの心をあらためようという人が、 「どんなことをまずあらためたらよろしいでしょうか」 とお尋ねしたところ、 「悪いことはすべてあらためなさい。 それも、 心の中をはっきりと表に出して、 あらためるということでなければならない。 どんなことであれ、 人が直すことができたということを聞いて、 自分もそのように直るはずだと思い、 自身の悪いところを打ち明けなかったなら、 直るものではない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(203)

 ^「仏法について話しあうとき、 ものをいわないのは、 信心がないからである。 そういう人は、 心の中でうまく考えていわなければならないように思っているのであろうが、 それはまるでどこかよそにあるものを探し出そうとしているかのようである。 心の中にうれしいという思いがあれば、 それはそのままあらわれるものである。 寒ければ寒い、 暑ければ暑いと、 心に感じた通りがそのまま口にでるものである。 仏法について話しあう場で、 ものをいわないのは、 うちに信心がないからである。 また、 油断ということも、 信心をいただいた上でいうことである。 しばしば念仏の仲間とともに集まり、 み教えを聞いて喜び語りあうなら、 油断するということはあるはずがないのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。

(204)

 ^蓮如上人は、 「信心がたしかに定まったのだから、 弥陀のお救いをすでに得たというのは、 現在のこの身でさとりを開いたように聞えるのでよくない。 弥陀を信じておまかせするとき、 お救いくださることは明らかであるけれども、 必ずお救いにあずかるというのがよいのである」 と仰せになりました。 また、 「信心をいただいたとき、 往生成仏すべき身となる。 これは必ず成仏するという利益であり、 表にはあらわれない利益であって、 仏のさとりに至ることに定まったということなのである」 とも仰せになりました。

(205)

 ^*徳大とくだい唯蓮ゆいれんぼうが、 「摂取せっしゅしゃ」 とはどういうことなのか知りたいと思って、 *うんの阿弥陀仏に祈願しました。 すると、 夢の中に阿弥陀仏が現れて、 唯蓮坊の衣の袖をしっかりととらえ、 逃げようとしても決してお放しにならなかったのだそうです。 この夢によって、 摂取というのは、 逃げるものをとらえて放さないようなことであると気づいたといいます。 蓮如上人はこのことをよく例に引いてお話しになりました。

(206)

 ^蓮如上人がご病床にあったとき、 ご子息の蓮淳さま、 蓮悟さまが上人のもとへおうかがいし、 「目に見えない仏のおはたらきにかなうというのは、 どのようなことでしょうか」 とお尋ねすると、 上人は、 「それは、 弥陀を信じておまかせするということである」 と仰せになりました。

(207)

 ^「人に仏法の話をして、 相手の人が喜んだときは、 自分はその相手の人よりも、 もっと喜んで尊いことだと思うべきである。 仏の智慧をお伝えするからこそ、 このように喜ぶのだと受けとめて、 仏の智慧のおはたらきをありがたく思いなさい」 と、 蓮如上人はお示しくださいました。

(208)

 ^「人前で御文章を読んで聴聞させるのも、 仏恩報謝であると思いなさい。 一句一言でも、 信心をいただいた上で読み聞かせるのなら、 人も信じて受け取るし、 また仏恩報謝にもなるのである」 と仰せになりました。

(209)

 ^蓮如上人は、 「弥陀の*こうみょうのはたらきは、 たとえていえば、 濡れたものを干すと、 表から乾いて、 裏まで乾くようなものである。 ぬれたものが乾くのは日光の力である。 罪深い凡夫にたしかな信心がおこるのは、 弥陀のおはたらきによるものである。 凡夫の罪はすべて弥陀の光明が消してくださるのである」 と仰せになりました。

(210)

 ^「信心がたしかに定まった人はどんな人であれ、 一目その人を見ただけで尊く思えるものである。 だが、 これはその人自身が尊いのではない。 弥陀の智慧をいただいているから尊いのである。 だから弥陀の智慧のはたらきのありがたさを思い知らなければならない」 と仰せになりました。

(211)

 ^ご病床にあった蓮如上人が、 「わたしは、 もはや何も思い残すことはない。 ただ、 子供たちの中にも、 その他の人々の中にも、 信心のないものがいることを悲しく思う。 世間では、 思い残すことがあると死出の旅路のさまたげになるなどというが、 わたしには今すぐ往生してもさまたげとなるような思いはない。 ただ信心のないものがいることだけを嘆かわしく思うのである」 と仰せになりました。

(212)

 ^蓮如上人は、 あるときには訪ねて来た人に酒を飲ませたり、 ものを与えたりして、 このようなもてなしをありがたいことだと喜ばせ、 近づきやすくさせて、 仏法の話をお聞かせになりました。 「このようにものを与えることも、 信心を得させるためであるから、 仏恩報謝であると思っている」 と仰せになりました。

(213)

 ^蓮如上人は、 「ご法義をよく心得ていると思っているものは、 実は何も心得ていないのである。 反対に、 何も心得ていないと思っているものは、 よく心得ているのである。 弥陀がお救いくださることを尊いことだとそのまま受け取るのが、 よく心得ているということなのである。 物知り顔をして、 自分はご法義をよく心得ているなどと思うことが少しもあってはならない」 と仰せになりました。 ですから、 ¬*でんしょう¼ には、 「わたしたちの上に届いている弥陀の智慧のはたらきにおまかせする以外、 凡夫がどうして往生という利益を得ることができようか」 と示されているのです。

(214)

 ^*加賀かがの国の菅生すごう*がんしょうが、 *れんのお聖教の読み方を聞いて、 「お聖教はありがたいのですが、 お読みになる方に信心がございませんので、 尊くも何ともありません」 といいました。 蓮如上人はこのことをお聞きになって、 蓮智をお呼び寄せになり、 ご自身の前で毎日お聖教を読ませ、 ご法義についてもお聞かせになりました。 そして、 「蓮智にお聖教を読み習わせ、 仏法についても話して聞かせた」 ということを願生にお伝えになり、 蓮智を郷里に帰されました。 その後は、 蓮智がお聖教を読むと、 願生も、 「今こそ本当にありがたい」 といって、 心から喜ぶようになったということです。

(215)

 ^蓮如上人は、 年少のものに対しては、 「ともかくまずお聖教を読みなさい」 と仰せになりました。 また、 その後は、 「どれほどたくさんのお聖教を読んだとしても、 繰り返し読まなければ、 その甲斐がない」 と仰せになりました。 そして、 成長して少し物事がわかるようになると、 「どれほどお聖教を読み、 漢字の音などをよく学んだとしても、 書かれている意味がわからなければ、 本当に読んだことにはならない」 と仰せになりました。 さらに、 その後は、 「お聖教の文やその解釈をどれほど覚えたとしても、 信心がなければ何の意味もない」 と仰せになりました。

(216)

 ^ある人が心に思っていることをそのまま法敬坊に打ち明けて、 「蓮如上人のお言葉の通りには心得ておりますが、 とかく気がゆるみ、 なまけ心が出て、 ただただ情ないことです」 といいました。 すると法敬坊は、 「それは上人のお言葉の通りではありません。 何ともふとどきないい方です。 お言葉には、 ª気をゆるめてはいけない。 なまけてはいけないº と、 示されているではありませんか」 といわれました。

(217)

 ^ある人が法敬坊に、 「これほど深くあなたは仏法を信じているのに、 あなたの母上に信心がないのは、 どういうことでしょうか」 と、 疑問に思っていることを尋ねたところ、 法敬坊は、 「その疑問はもっともなことですが、 朝夕、 どれほど御文章を読み聞かせても、 少しも心を動かさないのですから、 このわたしが教えたくらいのことで、 どうして聞いてくれるでしょうか」 といわれました。

(218)

 ^順誓が申されるには、 「人々にご法義の話をするのに、 蓮如上人がおられないところで話すときは、 何か間違ったことをいいはしないだろうかと気になって、 脇の下から冷や汗の出る思いがする。 反対に、 上人がお聞きになっているところで話すときは、 間違ったことをいっても、 すぐに直していただけると思うので、 安心して話すことができる」 ということでした。

(219)

 ^蓮如上人は、 「疑問に思うということと、 少しも知らないということとは、 別のことである。 まったく知らないことを疑問に思うというのは、 間違っている。 物事をだいたい心得ていて、 その上で、 あれは何であろうか、 これはどうであろうかというのが、 疑問に思うということである。 ところが、 人々はわけを少しも知らないで尋ねることを、 疑問に思うといってごまかしている」 と仰せになりました。

(220)

 ^蓮如上人は、 「山科の本願寺や大坂などの御坊のことは、 親鸞聖人がご在世の時と同じように考えている。 つまりこのわたしは、 しばらくの間、 上人の留守をお預かりしているだけなのである。 そういうことではあるが、 聖人のご恩をかたときも忘れたことはない」 と、 おときの折のご法話で仰せになりました。 そして、 「お斎をいただいている間も、 少しもご恩を忘れることはない」 と仰せになりました。

(221)

 ^*善如ぜんにょしょうにん*しゃくにょしょうにんの時代のことについて、 実如上人が次のように仰せになりました。 「このお二人の時代は、 外見をおごそかにすることを大事にされていた。 そのことは、 黄袈裟・黄衣をお召しになったお姿で描かれているお二人の御影像に今もあらわれている。 そこで、 蓮如上人の時代、 浄土真宗にそぐわない本尊など多くのものを、 仏具・仏像を洗う湯を沸かすたび、 上人は焼くようにお命じになった。 このお二人の御影像も焼かせようとして取り出されたところ、 どのように思われたのであろうか、 包んでいる紙に ª善い・悪いº とお書きになって、 御影像を残しておかれたのであった。 このことを今考えてみると、 ª歴代の宗主の中でさえ、 このように間違うことがある。 まして、 わたしたちのようなものは間違うことがありがちだから、 仏法のことは大切であると心得て、 十分気をつけなさいº というお諭しであったのである。 このときの上人のお心を、 わたしは今そのように受けとめている。 また、 ª善い・悪いº とお書きになったのは、 ª悪いº とだけ書けば、 本願寺の先代のことであるから、 恐れ多いと思われて、 どちらにも取れるようにされたのである」 と。 そしてまた、 実如上人は、 「蓮如上人の時代、 親しくお仕えしていた人々の多くがみ教えを間違って受けとめることがあった。 わたしたちは、 大切な仏法をますます深く心にとどめ、 人に何度も尋ねて、 み教えを正しく心得なければならないのである」 と仰せになりました。

(222)

 ^「仏法に深く帰依した人に、 わずかばかりの間違いがあるのを見つけたときは、 あの方でさえこのように間違いを犯すことがあると思って、 わが身を深くつつしまなければならない。 ところがそれを、 あの方でさえ間違いがあるのだ、 まして、 わたしたちのようなものが間違えないはずがないと思うのは、 大変嘆かわしいことである」 とのことです。

(223)

 ^「ª仏恩をたしなむº という仰せがあるが、 これは世間で普通にいう、 ものをたしなむなどというようなことではない。 信心をいただいた上は、 仏恩を尊く、 ありがたく思って喜ぶのであるが、 その喜びがふと途切れて、 念仏がなおざりになることがある。 そういうときに、 このような広大なご恩を忘れるのは嘆かわしいことだと恥入って、 仏の智慧のはたらきを思いおこし、 ありがたいことだ、 尊いことだと思うと、 仏のうながしによってまた念仏するのである。 ª仏恩をたしなむº というのはこういうことなのである」 と仰せになりました。

(224)

 ^「仏法について聞き足りたということがなければ、 それが仏法の不思議を信じることである」 というお言葉があります。 このことについて、 実如上人は、 「たとえば、 世間でも、 自分の好きなことは知っても知っても、 もっとよく知りたいと思うから、 人に問い尋ねる。 好きなことは何度聞いても、 もっとよく聞きたいと思うものである。 これと同じように、 仏法のことも、 何度聞いても聞き足りることはない。 知っても知っても、 もっとよく知りたいと思うものである。 だから、 ご法義のことは、 何度も何度も人に問い尋ねなければならないのである」 と仰せになりました。

(225)

 ^仏のおかげて与えられたものを世間のことに使うのは、 尊いお恵みを無駄にすることであると恐れ多く思わなければならない。 けれども、 仏法のためであれば、 どれほど使っても、 これで十分だということはないのである。 そしてまた、 仏法のために使うのは、 仏恩報謝にもなるのである。

(226)

 ^人が何の苦労もしないで徳を得る、 その最上のことは、 弥陀を信じておまかせするだけで仏になるということである。 これ以上のことはない」 と仰せになりました。

(227)

 ^「人はだれでもよいことをいったり、 行ったりすると、 仏法のことであれ世間のことであれ、 自分自身がすでに善人になったと思いこみ、 その思いから、 仏のご恩を忘れ、 自分の心を中心にしてしまう。 そのために、 仏のご加護から見放されてしまい、 世間のことにも仏法のことにも、 悪い心が必ず出てくるようになるのである。 これは本当に大変なことである」 と仰せになりました。

(228)

 ^*さかいぼうで、 ご子息の蓮悟さまが、 蓮如上人に御文章を書いていただきたいとお願いしました。 そのとき上人は、 「こんなに年を取ったのに、 難儀なことを願い出る。 困ったことをいうものだ」 と、 ひとたびは仰せになりましたが、 その後で、 「仏法を信じてくれさえすれば、 どれだけ書いてもよい」 と仰せになりました。

(229)

 ^同じく堺の御坊で、 蓮如上人は、 深夜、 蝋燭をともさせて、 お名号をお書きになりました。 そのとき、 「年老いたので、 手も震え、 目もかすんできたが、 お名号を求めているご門徒が、 明日、 *えっちゅうに帰るというので、 こうして書いているのである。 つらいけれども書くのである」 と仰せになりました。 このように上人はご門徒のために、 わが身を顧みず大変ご苦労されたのです。 「人々に苦労をさせずに、 ただ信心を得させたいと思っている」 と、 上人は仰せになりました。

(230)

 ^「珍しい食べ物を用意し、 料理してもてなしても、 客がそれを食べなければ無意味である。 念仏の仲間が集まって、 み教えについて語りあっても、 信心を得る人がいなければ、 せっかくのごちそうを食べないのと同じことである」 と仰せになりました。

(231)

 ^「物事に飽き足りるということはあるけれども、 わたしたち凡夫が仏になるということと、 弥陀のご恩を喜ぶことには、 もはや聞き足りた、 もう十分に喜んだということはない。 焼いてもなくならない貴重な宝は、 南無阿弥陀仏の名号である。 だから、 この宝をわたしたちにお与えくださる弥陀の広大なお慈悲はとりわけすぐれているのであり、 宝である名号をいただいた信心の人を見ただけでも尊く思われるのである。 本当にきわまりのないお慈悲である」 と仰せになりました。

(232)

 ^「たしかに信心が定まった人は、 仏法のことについては、 わが身を軽くして報謝に努めなければならない。 そして、 仏法のご恩を、 重く大切に敬わなければならないのである」 と仰せになりました。

(233)

 ^蓮如上人は、 「宿善がすばらしいというのはよくない。 宿善とは阿弥陀仏のお育てのことであるから、 浄土真宗では宿善がありがたいというのがよいのである」 と仰せになりました。

(234)

 ^他宗では、 仏法にあうことを宿縁によるという。 浄土真宗では、 信心を得ることを宿善が開けたという。 信心を得ることが何より大切なのである。 阿弥陀仏のみ教えは、 あらゆる人々をもらさず救うので、 弘教すなわち広大な教えともいうのである。

(235)

 ^「み教えについて語るときには、 浄土真宗のかなめである信心、 ただこのこと一つを説き聞かせることが大切である」 と仰せになりました。

(236)

 ^蓮如上人は、 「*仏法ぶっぽうしゃには、 仏法の力によってなるのである。 仏法のすぐれた力によらなければ、 仏法者になることはできない。 そうであるから、 仏法を学者や物知りが人々に述べ伝えて盛んにすることはないのである。 たとえ文字一つ知らなくても、 信心を得た人には仏の智慧が加わっているから、 仏のお力によって、 その人の話を聞く人々が信心を得るのである。 だから、 人前で聖教を読み聞かせるものであっても、 われこそはと思いあがった人が、 仏法を伝えたためしはないのである。 何一つ知らなくても、 たしかに信心を得た人は、 仏のお力で話すのだから、 人々が信心を得るのである」 と仰せになりました。

(237)

 ^「弥陀を信じておまかせすれば、 南無阿弥陀仏の主になるのである。 南無阿弥陀仏の主になるというのは、 信心を得るということである。 また、 浄土真宗において、 真実の宝というのは南無阿弥陀仏であり、 これが信心である」 と仰せになりました。

(238)

 ^「浄土真宗の中に身を置きながら、 み教えを謗り、 悪くいう人がいる。 考えてみると、 他宗からの非難であれば仕方がないが、 同じ浄土真宗の中に、 このような人がいるのである。 それであるのに、 わたしたちは尊いご縁があって、 このみ教えを信じる身となったのだから、 本当にありがたいことだと喜ばなければならない」 と仰せになりました。

(239)

 ^蓮如上人は、 どのような罪を犯したものであっても、 あわれみ不憫にお思いになりました。 重罪人だからといって、 その人を死刑にしたりすることがあると、 とりわけ悲しんで、 「命さえあれば、 心をあらためることもあるだろうに」 と仰せになるのでした。 ご自身で破門にされたものであっても、 心さえあらためれば、 すぐにお許しになったのです。

(240)

 ^*安芸あき蓮崇れんそうは、 加賀の国を転覆させ、 いろいろと間違ったことをしたので、 破門となりました。 その後、 蓮如上人がご病気になられたとき、 蓮崇は上人にお詫びを申しあげようと山科の本願寺へ参上したのですが、 上人に取り次いでくれる人はいませんでした。 ちょうどそのころ、 蓮如上人がふと、 「蓮崇を許してやろうと思うよ」 と仰せになりました。 上人のご子息がたをはじめ、 人々は、 「一度、 仏法に害を与えた人物でありますから、 お許しになるのはどうかと思います」 と申しあげたところ、 上人は、 「それがいけない。 何と嘆かわしいことをいうのだ。 心さえあらためるなら、 どんなものでももらさず救うというのが仏の本願ではないか」 と仰せになって、 蓮崇をお許しになりました。 蓮崇が上人のもとへ参り、 お目にかかったとき、 感動の涙で畳を濡らしたということです。 その後、 蓮如上人がお亡くなりになり、 そのご*ちゅういんの間に、 蓮崇も山科の本願寺で亡くなりました。

(241)

 ^*おうしゅうに、 浄土真宗のみ教えを乱すようなことを説いている人がいるということをお聞きになって、 蓮如上人はその人、 *じょうゆうを奥州から呼び寄せ、 お会いになりました。 上人はひどくお腹立ちで、 「さてもさても、 ご開山聖人のみ教えを乱すとは。 何と嘆かわしいことか。 何と腹立たしいことか」 とお叱りになり、 歯がみをしながら、 「切りきざんでも足りないくらいだ」 と仰せになりました。 ご法義を乱すもののことを 「とりわけ嘆かわしい」 と仰せになったのです。

(242)

 ^「思案のきわまりというべきは、 五*こうの間思いをめぐらしておたてになった阿弥陀如来の本願であり、 これを超えるものはない。 弥陀如来のこのご思案のおもむきを心に受け取れば、 どんな人でも必ず仏になるのである。 心に受け取るといっても他でもない。 ªわれにまかせよ、 必ず救うº という機法一体の名号のいわれを疑いなく信じることである」 と仰せになりました。

(243)

 ^蓮如上人は、 「わたしが生涯の間行ってきたことは、 すべて仏法のことであり、 いろいろな方法を用い、 手だてを尽して、 人々に信心を得させるためにしてきたことである」 と仰せになりました。

(244)

 ^同じくご病床にあった蓮如上人が、 「今、 わたしがいうことは、 仏のまことの言葉である。 しっかりと聞いてよく心得なさい」 と仰せになりました。 また、 ご自身がお詠みになった和歌についても、 「三十一文字の歌をつくったからといって、 風雅の思いを詠んだのではない。 すべてみ教えにほかならないのである」 と仰せになりました。

(245)

 ^「ª三人集まると、 よい知恵が浮かぶº という言葉があるように、 どんなことも集まって話しあえば、 はっとするようなよい考えが出てくるものだ」 と、 蓮如上人が実如上人に仰せになりました。 これもまた仏法の上では、 きわめて大切なお諭しです。

(246)

 ^蓮如上人が法敬坊順誓に、 「法敬とわたしとは兄弟である」 と仰せになりました。 法敬坊が、 「これはもったいない、 恐れ多いことでございます」 と申しあげると、 上人は、 「信心を得たなら、 先に浄土に生れるものは兄、 後に生れるものは弟である。 だから、 法敬とは兄弟である」 と仰せになりました。 これは、 ¬*おうじょうろんちゅう¼ の 「仏恩を等しくいただくのであるから、 同じ信心を得る。 その上は世界中のだれもがみな兄弟である」 というお示しのおこころです。

(247)

 ^蓮如上人は、 山科本願寺南殿の山水の庭園に面した縁側にお座りになって、 「あらかじめ思っていたことと、 実際とは違うものであるが、 その中でも大きく違うのは、 極楽へ往生したときのことであろう。 この世で極楽のありさまを想い浮べて、 ありがたいことだ、 尊いことだと思うのは、 大したことではない。 実際に極楽へ往生してからの喜びは、 とても言葉ではいい表すことができないであろう」 と仰せになりました。

(248)

 ^「人は、 嘘をつかないようにしようと努めることを大変よいことだと思っているが、 心に嘘いつわりのないようにしようと努める人はそれほど多くはいない。 また、 よいことは、 なかなかできるものではないとしても、 世間でいう善、 仏法で説く善、 ともに心がけて行いたいものである」 と仰せになりました。

(249)

 ^蓮如上人は、 「¬安心決定鈔¼ を四十年余りの間拝読してきたが、 読み飽きるということのないお聖教である」 と仰せになりました。 また、 「黄金を掘り出すようなお聖教である」 とも仰せになりました。

(250)

 ^大坂の御坊で、 蓮如上人は集まっていた人々に対し、 「先日、 わたしが話したことは ¬安心決定鈔¼ のほんの一部である。 浄土真宗のみ教えでは、 この ¬安心決定鈔¼ に説かれていることが、 きわめて大切なのである」 と仰せになりました。

(251)

 ^法敬坊が、 「ご法義を尊んでいる人よりも、 ご法義を尊いと喜ぶ人の方が尊く思われます」 と申しあげたところ、 蓮如上人は、 「おもしろいことをいうものだ。 ご法義を尊んでいるすがたをあらわにし、 ありがたそうに振舞う人は尊くもない。 ただありがたいと尊んで素直に喜ぶ人こそ、 本当に尊いのである。 おもしろいことをいうものだ。 法敬は道理にかなっていることをいった」 と仰せになりました。

(252)

 ^これは蓮悟さまの夢の記録です。

 *ぶん三年一月十五日の夜の夢である。 蓮如上人がわたしにいろいろと質問をなさった後で、 「毎日、 むなしく暮していることを情なく思う。 勉学の意味も兼ねて、 せめて一巻の経であっても、 一日に一度はみなが集まり、 読むようにしなさい」 と仰せになった。 わたしたちが毎日をあまりにむなしく過していることを悲しく思われて、 上人はこのように仰せになったのである。

(253)

 ^これも蓮悟さまの夢の記録です。

 文亀三年十二月二十八日の夜の夢である。 蓮如上人が法衣に袈裟というお姿で襖をあけてお出ましになったので、 ご法話をされるのだ、 聴聞しようと思っていたところ、 衝立に書かれている御文章のお言葉をわたしが読んでいるのをご覧になって、 「それは何か」 とお尋ねになった。 そこで、 「御文章でございます」 と申しあげると、 「それこそ大切である。 心してよく聞きなさい」 と仰せになったのである。

(254)

 ^これも蓮悟さまの夢の記録です。

 *えいしょう元年十二月二十九日の夜の夢である。 蓮如上人が、 「家を立派に建てた上は、 信心をたしかにいただいて念仏申しなさい」 と、 きびしく仰せになったのである。

(255)

 ^これも蓮悟さまの夢の記録です。

 大永三年一月一日の夜の夢である。 山科本願寺の南殿で、 蓮如上人がご法義についていろいろとお話しになった後で、 「地方にはまだ自力の心のものがいるが、 その心を捨てるようきびしく教え導きなさい」 と仰せになったのである。

(256)

 ^これも蓮悟さまの夢の記録です。

 *大永だいえい六年一月五日の夜の夢である。 蓮如上人が、 「このたびの浄土往生のことはもっとも大切である。 み教えにあうことのできる今こそがよい機会である。 このときを逃すと、 大変である」 と仰せになった。 そこで、 「承知しました」 とお答えしたところ、 上人は、 「ただ承知しましたといっているだけでは成しとげられない。 このたびの浄土往生は本当に大切なのである」 と仰せになったのである。

 次の夜の夢である。 兄、 *蓮誓れんせいが、 「わたしは吉崎で蓮如上人より浄土真宗のかなめを習い受けた。 浄土真宗で用いない書物などをひろく読んで、 み教えを間違って受けとめることがあるが、 幸いに、 ここにみ教えのかなめを抜き出したお聖教がある。 これが浄土真宗の大切な書であると、 *吉崎よしざきで上人から習い受けたのである」 と仰せになったのである。

 夢の数々を書き記したことについてのわたしの思いはこうである。 蓮如上人がこの世を去られたので、 今はその一言の仰せも大切であると思われる。 このように夢の中に現れて仰せになるお言葉も、 ご存命のときと同じ尊い仰せであり、 真実の仰せであると受けとめているので、 これを書き記したのである。 ここに記したことは本当に夢のお告げともいうべきものである。 夢というのは概して妄想であるが、 仏や菩薩の*しんであるお方は、 夢に姿をあらわして教え導くということがある。 だからなおさらのこと、 このような夢の中での尊いお言葉を書き記しておくのである。

(257)

 ^蓮如上人は、 「*仏恩ぶっとんが尊いなどというのは、 聞いた感じが悪く、 粗略ないい方である。 仏恩をありがたく思うといえば、 聞いた感じがとてもよいのである」 と仰せになりました。 同じように、 「*ぶんしょうが」 というのも粗略ないい方です。 御文章を聴聞して、 「御文章をありがたく承りました」 というのがよいのです。 「仏法に関することは、 どれほど尊び敬ってもよいのである」 と仰せになりました。

(258)

 ^蓮如上人は、 「仏法について語りあうとき、 念仏の仲間を ª方々º というのは不作法である。 ª御方々º というのがよい」 と仰せになりました。

(259)

 ^蓮如上人は、 「家をつくるにしても、 頭さえ雨に濡れなければ、 後はどのようにつくってもよい」 と仰せになりました。 何ごとにつけても、 度をこえたことをおきらいになり、 「衣服などに至るまでも、 よいものを着たいと思うのはあさましいことである。 目に見えない仏のおはたらきをありがたく思い、 仏法のことだけを心がけるようにしなさい」 と仰せになりました。

(260)

 ^蓮如上人は、 「どんな人であっても、 浄土真宗のご法義を喜ぶ家で働くことになったら、 昨日までは他宗の門徒であっても、 今日からは仏法のお仕事をさせていただくのだと心得なければならない。 商売などの仕事もすべて、 仏法のお仕事と心得なければならないのである」 と仰せになりました。

(261)

 ^蓮如上人は、 「雨の降る日や暑さのきびしいときは、 おつとめを長々としないで、 はやく終えるようにし、 参詣の人々を帰らせるのがよい」 と仰せになりました。 これも上人のお慈悲であり、 人々をいたわってくださったのです。 そのお心は、 仏の*だいだいの御あわれみそのものでした。 上人はいつも、 「わたしはその人その人に応じて、 み教えを勧めているのである」 と仰せになっていました。 ご門徒が上人のお心の通りにならないことは、 大変嘆かわしいといったくらいでは、 まだ言葉が足りないほどなのです。

(262)

 ^*しょうぐん足利あしかが義尚よしひさより、 *加賀かがの国で一揆をおこした人々を門徒から追放せよという命令があったので、 蓮如上人は、 加賀に居住していたご子息たちを山科本願寺に呼び寄せました。 そのとき上人は、 「加賀の人々を門徒から追放せよと命令されたことは、 わが身を切られるよりも悲しく思う。 一揆に関わりのない*あまにゅうどうたちのことまで思うと、 本当に困りはててしまう」 と仰せになりました。 ご門徒を破門なさるということは、 本願寺の宗主である上人にとって、 とりわけ悲しいことであったのです。

(263)

 ^蓮如上人は、 「ご門徒たちが納めてくれた初物を、 すぐに他宗へあげてしまうのはよくない。 一度でも二度でもこちらでいただいて、 それから他へもあげるのがよい」 と仰せになりました。 このようなお考えは、 他の人の思いもよらないことです。 ご門徒たちが納めてくださったものは、 すべて仏法のおかげであり、 仏のご恩であるから、 おろそかに思うことがあってはなりません。 本当にはっとさせられる仰せです。

(264)

 ^法敬坊が大坂の御坊へおうかがいしたとき、 蓮如上人は法敬坊に対して、 「わたしが往生しても、 あなたはその後十年は生きるであろう」 と仰せになりました。 法敬坊は不審に思って、 いろいろと申しあげたのですが、 上人は重ねて、 「十年は生きるであろう」 と仰せになりました。 上人が往生されて一年経った時、 なお健在であった法敬坊に、 ある人が、 「蓮如上人が仰せになっていた通りになりましたね。 というのも、 上人がご往生の後、 あなたが一年もご存命であったのは、 上人より命を与えていただいたからなのです」 といいました。 すると法敬坊は、 「本当にそのようでございます」 といって、 手をあわせ、 「ありがたいことだ」 と感謝しました。 このようなわけで、 法敬坊は蓮如上人が仰せになった通り、 十年命をながらえました。 本当に仏のご加護を賜った不思議な人です。

(265)

 ^蓮如上人は、 「どんなことであれ、 不必要なことをするのは、 仏のご加護を軽視する振舞いである」 と、 何かにつけていつも仰せになったということです。

(266)

 ^蓮如上人は、 「食事をいただくときにも、 阿弥陀如来・親鸞聖人のご恩によって恵まれたものであることを忘れたことはない」 と仰せになりました。 また、 「ただ一口食べても、 そのことが思いおこされてくるのである」 とも仰せになりました。

(267)

 ^蓮如上人はお食事のお膳をご覧になっても、 「普通はいただくことのできない、 仏より賜ったご飯を口にするのだとありがたく思う」 と仰せになりました。 それで、 食べ物をすぐに口にされることもなく、 「ただ仏のご恩の尊いことばかりを思う」 とも仰せになりました。

(268)

 ^これは蓮悟さまの夢の記録です。

 *きょうろく二年十二月十八日の夜の夢である。 蓮如上人がわたしに御文章を書いてくださった。 その御文章のお言葉に梅干しのたとえがあり、 「梅干しのことをいえば、 聞いている人はみな口の中が酸っぱくなる。 人によって異なることのない一味の安心はこれと同じである」 と記されていた。 これは、 ¬往生論註¼ の 「だれもが同じく念仏して往生するのであり、 別の道はない」 という文のこころをお示しになったように思われる。

(269)

 ^「人々は仏法を好まないから、 仏法に親しむように心がけないのです」 と、 *空善くうぜんが申しあげたところ、 蓮如上人は、 「好まないというのは、 それはきらっていることではないのか」 と仰せになりました。

(270)

 ^蓮如上人は、 「仏法を信じない人は、 仏法を病気のようにきらうものである。 ご法話を聞いていて、 ああ気づまりだ、 はやく終ればよいのにと思うのは、 仏法を病気のようにきらっているのではないか」 と仰せになりました。

(271)

 ^*大永五年一月二十四日、 ご病床にあった実如上人が、 「蓮如上人がはやくわたしのところに来いと左手で手招きをしておられる。 ああ、 ありがたい」 と、 繰り返し仰せになって、 お念仏を申されるので、 側にいた人々は、 病のためにお心が乱れて、 このようなことをも仰せになるのであろうと心配しました。 ところが、 そうではなくて、 「うとうとと眠ったときの夢で見たのだ」 と、 後で仰せになったので、 人々はみな安心しました。 これもまた尊い不思議なことです。

(272)

 ^大永五年一月二十五日、 実如上人が弟の蓮淳さま、 蓮悟さまに対して、 蓮如上人が本願寺の地位を譲られてからのことをいろいろお話しになりました。 そして、 ご自身の安心のことをお述べになり、 「弥陀を信じておまかせし、 往生はたしかに定まったと心得ている。 それは、 蓮如上人のご教化のおかげであり、 今日まで自分こそがと思う心を持たなかったことがうれしい」 と仰せになりました。 この仰せは本当にありがたく、 また、 深く驚かされるものです。 わたしも人々も、 このように心得てこそ、 *りきの信心がたしかに定まったということでありましょう。 これは間違いなく本当に大切なことなのです。

(273)

 ^「¬*嘆徳たんどくもん¼ に ª親鸞聖人º とあるのをそのまま朗読すると、 実名を口にすることになって恐れ多いから、 ª祖師聖人º と読むのである。 また、 ª開山聖人º と読むこともあるが、 これも同じく実名でお呼びするのが恐れ多いからである」 と仰せになりました。

(274)

 ^親鸞聖人のことをただ 「聖人」 とじかにお呼びすると、 粗略な感じがする。 「この聖人」 と指し示していうのも、 やはり粗略であろう。 「開山」 というのは略するときだけに用いてもよいであろう。 「開山聖人」 とお呼びするのがよいのである。

(275)

 ^¬嘆徳文¼ に 「以て弘誓に託す」 とあるのを、 その 「以て」 を抜いては読まないのである。

(276)

 ^蓮如上人が堺の御坊におられたとき、 ご子息の蓮淳さまが訪ねて来られました。 上人はそのとき御堂で、 机の上に御文章を置いて、 一人二人、 五人十人と、 参詣してきた人々に対して、 御文章を読み聞かせておられました。 その夜、 いろいろとお話しになったときに、 上人は、 「近ごろ、 おもしろいことを思いついた。 一人でもお参りの人がいるならば、 いつも御文章を読んで聞かせることにしよう。 そうすれば、 仏法に縁のある人は信心を得るであろう。 近ごろ、 こんなおもしろいことを考え出したのだ」 と、 繰り返し仰せになりました。 蓮淳さまはこのお言葉を聞いて、 「御文章が大切であることがますますわかった」 と仰せになりました。

(277)

 ^ある人が、 「この世のことに関心を持つのと同じくらい、 仏法のことに心を寄せたいものです」 といったところ、 蓮如上人は、 「仏法を世間のことと対等に並べていうのは、 粗雑である。 ただ仏法のことだけを深く喜びなさい」 と仰せになりました。 また、 ある人が、 「仏法は、 一日一日今日を限りと思って心がけるものです。 一生の間と思うから、 わずらわしく思うのです」 というと、 別の人が、 「わずらわしいと思うのは、 仏法を十分心得ていないからです。 人の命がどれほど長くても、 仏法は飽きることなく喜ぶべきものです」 といいました。

(278)

 ^「僧侶は他の人々までも教え導くことができるのに、 自分自身を教え導くことができないでいるのは、 情ないことである」 と仰せになりました。

(279)

 ^赤尾の道宗が、 蓮如上人に御文章を書いていただきたいとお願いしたところ、 上人は、 「御文章は落としてしまうこともあるから、 何よりまず信心を得なさい。 信心をいただきさえすれば、 それは落とすことがないのである」 と仰せになりました。 その上で、 上人は次の年に御文章をお書きになって、 道宗にお与えになったのでした。

(280)

 ^法敬坊が、 「仏法の話をするとき、 み教えを心から求めている人を前にして語ると、 力が入って話しやすい」 といわれました。

(281)

 ^「信心もない人が大切なお聖教を所有しているのは、 幼い子供が剣を持っているようなものだと思う。 どういうことかというと、 剣は役に立つものであるけれども、 幼い子供が持てば、 手を切ってけがをする。 十分、 心得のある人が持てば、 本当に役に立つものとなるのである」 と仰せになりました。

(282)

 ^蓮如上人は、 「今このときでも、 わたしが死ねと命じたならば、 死ぬものはいるだろう。 だが、 信心を得よといっても、 信心を得るものはいないだろう」 と仰せになりました。

(283)

 ^大坂の御坊で、 蓮如上人は参詣の人々に対し、 「信心一つで、 凡夫の往生が定まるというのは、 何よりも深遠な、 秘事秘伝のみ教えではないか」 と仰せになりました。

(284)

 ^蓮如上人が御堂を建立されたとき、 法敬坊が、 「何もかも不思議なほど立派で、 ながめなども見事でございます」 と申しあげたところ、 上人は、 「わたしはもっと不思議なことを知っている。 凡夫が仏になるという、 何より不思議なことを知っているのである」 と仰せになりました。

(285)

 ^蓮如上人が、 善従に掛軸にするためのご法語を書いてお与えになりました。 その後、 上人が善従に、 「以前、 書き与えたものをどのようにしているか」 とお尋ねになったので、 善従は、 「表装をいたしまして、 箱に入れ大切にしまってあります」 とお答えしました。 すると上人は、 「それはわけのわからないことをしたものだ。 いつも掛けておいて、 その言葉通りの心持ちになれよ、 ということであったのに」 と仰せになりました。

(286)

 ^蓮如上人は、 「わたしの側近くにいて仕え、 いつも仏法を聴聞しているものは、 お役目という思いを忘れて法話を聞いたなら、 浄土に往生して仏になるであろう」 と仰せになりました。 これは本当にありがたい仰せです。

(287)

 ^蓮如上人が僧侶たちに対して、 「僧侶というものは大罪人である」 と仰せになりました。 一同が戸惑っておりますと、 上人は続けて 「罪が重いからこそ、 阿弥陀仏はお救いくださるのである」 と仰せになりました。

(288)

 ^毎日御文章の尊いお言葉を聴聞させてくださることは、 そのつど宝をお与えになっているということなのです。

(289)

 ^親鸞聖人がご在世のころ、 高田の*けんが京都におられる聖人のもとを訪ね、 「このたびはもうお目にかかれないだろうと思っておりましたが、 不思議にもこうしてお目にかかることができました」 と申しあげました。 聖人が、 「どういうわけで、 そういうのか」 とお尋ねになると、 顕智は、 「船の旅で暴風にあい、 難儀しました」 とお答えしました。 すると聖人は、 「それならば、 船には乗らなければよいのに」 と仰せになりました。 その後、 顕智はこれも聖人の仰せになったことの一つであると受けとめて、 生涯の間船には乗らなかったのです。 また、 きのこの毒にあたって、 お目にかかるのが遅れたときも、 上人が同じように仰せになったので、 顕智は生涯、 きのこを食べることがなかったといいます。 蓮如上人はこの逸話について、 「顕智がこのように親鸞聖人の仰せを信じ、 決して背かないようにしようと思ったことは、 本当にありがたい、 すぐれた心がけである」 と仰せになりました。

(290)

 ^「体が暖かくなると眠くなる。 何とも情ないことである。 だから、 そのことをよく心得て、 体をすずしくたもち、 眠気をさますようにしなければならない。 体を思うがままにしていると、 仏法のことも世間のことも、 ともに怠惰になり、 ぞんざいで注意を欠くようになる。 これは心得ておくべき非常に大切なことである」 と仰せになりました。

(291)

 ^「信心を得たなら、 念仏の仲間に荒々しくものをいうこともなくなり、 心もおだやかになるはずである。 *弥陀みだぶつちかいには、 光明に触れたものの身も心もやわらげるとあるからである。 逆に、 信心がなければ、 自分中心の考え方になって、 言葉も荒くなり、 争いも必ずおこってくるものである。 実にあさましいことである。 よく心得ておかなければならない」 と仰せになりました。

(292)

 ^蓮如上人が北国のあるご門徒のことについて、 「どうして長い間京都にやって来ないのか」 とお尋ねになりました。 お側のものが、 「あるお方のきびしいお叱りがあったからです」 とお答え申しあげたところ、 上人はたいそうご機嫌が悪くなり、 「ご開山聖人のご門徒をそのように叱るものがあってはならない。 わたしはだれ一人としておろそかには思わないのに。 ªどのようなものが何をいおうとも、 はやく京都に来るようにº と伝えなさい」 と仰せになりました。

(293)

 ^蓮如上人は、 「ご門徒の方々を悪くいうことは、 決してあってはならない。 ご開山聖人は、 *おんどうぎょう*おん同朋どうぼうとお呼びになって心から大切にされたのに、 その方々をおろそかに思うのは間違ったことである」 と仰せになりました。

(294)

 ^蓮如上人は、 「ご開山聖人のもっとも大切なお客人というのは、 ご門徒の方々のことである」 と仰せになりました。

(295)

 ^ご門徒の方々が京都にやって来ると、 蓮如上人は、 寒いときには、 酒などをよく温めさせて、 「道中の寒さを忘れられるように」 と仰せになり、 また暑いときには、 「酒などを冷せ」 と仰せになりました。 このように上人自ら言葉を添えて指示されたのです。 また、 「ご門徒が京都までやって来られたのに、 取り次ぎがおそいのはけしからんことだ」 と仰せになり、 「ご門徒をいつまでも待たせて、 会うのがおそくなるのはよくない」 とも仰せになりました。

(296)

 ^「何ごとにおいても、 善いことを思いつくのは仏のおかげであり、 悪いことでも、 それを捨てることができたのは仏のおかげである。 悪いことを捨てるのも、 善いことを取るのも、 すべてみな仏のおかげである」 と仰せになりました。

(297)

 ^蓮如上人は、 ご門徒からの贈物を衣の下で手をあわせて拝まれるのでした。 また、 すべてを仏のお恵みと受けとめておられたので、 ご自身の着物までも、 足に触れるようなことがあると、 うやうやしくおしいただかれるのでした。 「ご門徒からの贈物は、 とりもなおさず親鸞聖人から恵まれたものであると思っている」 と仰せになりました。

(298)

 ^「仏法においては、 愛するものと別れる悲しみにも、 求めても得られない苦しみにも、 すべてどのようなことにつけても、 このたび必ず浄土に往生させていただくことを思うと、 喜びが多くなるものである。 それは仏のご恩である」 と仰せになりました。

(299)

 ^「仏法に深く帰依した人に親しみ近づいて、 損になることは一つもない。 その人がどれほどおかしいことをし、 ばかげたことをいっても、 心には必ず仏法があると思うので、 その人に親しんでいる自分に多くの徳が得られるのである」 と仰せになりました。

(300)

 ^蓮如上人が仏の化身であるということの証拠は数多くあります。 そのことは前にも記しておきました。 上人の詠まれた歌に、

かたみには六字の御名をのこしおく

なからんあとのかたみともなれ

わたしの亡き後にわたしを思い出す形見として、 南無阿弥陀仏の六字の名号を残しておく。

というのがあります。 この歌からも、 上人が弥陀の化身であるということが明らかに知られるのです。

(301)

 ^蓮如上人はお子さまたちにしばしばご自分の足をお見せになりました。 その足には、 草鞋わらじの緒のくいこんだ痕がはっきりと残っているのでした。 そして、 「このように、 京都と地方の間を草鞋の緒がくいこむほど自分の足で行き来して仏法を説きひろめたのである」 と仰せになりました。

(302)

 ^蓮如上人は、 「悪い人のまねをするより、 信心がたしかに定まった人のまねをしなさい」 と仰せになりました。

(303)

 ^蓮如上人は病をおして、 大坂の御坊より京都山科の本願寺へ出向かれました。 その途中、 *明応めいおう八年二月十八日、 *さんじょうけん*どうじょうで、 出迎えに来られていた実如上人に対して、 蓮如上人は、 「浄土真宗のかなめを御文章に詳しく書きとどめておいたので、 今ではみ教えを乱すものもいないであろう。 このことを十分心得て、 ご門徒たちへも御文章の通りに説き聞かせなさい」 とご遺言なさったということです。 こういうわけですから、 実如上人のご信心も御文章の通りであり、 同じように諸国のご門徒も御文章の通りに信心を得てほしいというお心の証として、 実如上人はご門徒にお与えになる御文章の末尾に花押を添えられたのでした。

(304)

 ^「存覚上人は*だいせいさつの化身といわれている。 ところが、 その上人のお書きになった ¬*六要ろくようしょう¼ には、 *三心さんしんくんやその他の箇所に、 ª知識の及ばないところがあるº とあり、 また、 ª親鸞聖人の博識を仰ぐべきであるº とある。 大勢至菩薩の化身であるけれども、 親鸞聖人の著作について、 このようにお書きになっているのである。 聖人のお心は本当にはかりがたいということを示されたものであり、 自力のはからいを捨てて、 他力を仰ぐという聖人の本意にもかなっているのである。 このようなことが存覚上人のすぐれたところなのである」 と仰せになりました。

(305)

 ^「存覚上人が ¬六要鈔¼ をお書きになったのは、 ご自身の学識を示すためではない。 親鸞聖人のお言葉をほめたたえるため、 崇め尊ぶためである」 と仰せになりました。

(306)

 ^存覚上人は次のような辞世の歌をお詠みになりました。

いまははや一夜の夢となりにけり

往来あまたのかりのやどやど

この迷いの世界を仮の宿として、 数えきれないくらい生と死を繰り返してきた。 だが、 今ではそれもただ一夜の夢となってしまった。

 この歌について、 蓮如上人は、 「存覚上人はやはり釈尊の化身なのである。 この世界に何度も何度も生れ変って、 人々をお救いになったというお心と同じである」 と仰せになり、 また、 「わたし自身に引き寄せてうかがうと、 この迷いの世界に数えきれないくらい生と死を繰り返してきた身が、 臨終のときを迎えた今、 浄土に往生して仏のさとりを開くことになるであろう、 というお心である」 と仰せになりました。

(307)

 ^蓮如上人は、 「万物を生み出す力に、 陽の気と陰の気とがある。 陽の気を受ける日向の花ははやく開き、 陰の気を受ける日陰の花はおそく咲くのである。 これと同じように、 *宿しゅくぜんが開けることについても、 おそいはやいがある。 だから、 すでに往生したもの、 今往生するもの、 これから往生するものという違いがある。 弥陀の光明に照らされて、 宿善がはやく開ける人もいれば、 おそく開ける人もいる。 いずれにせよ、 信心を得たものも、 得ていないものも、 ともに心から仏法を聴聞しなければならない」 と仰せになりました。 そして、 すでに往生した、 今往生する、 これから往生するという違いがあることについて、 上人は、 「昨日、 宿善が開けて信心を得た人もいれば、 今日、 宿善が開けて信心を得る人もいる。 また、 明日、 宿善が開けて信心を得る人もいる」 と仰せになりました。

(308)

 ^蓮如上人が廊下をお通りになっていたとき、 紙切れが落ちているのをご覧になって、 「阿弥陀仏より恵まれたものを粗末にするのか」 と仰せになり、 その紙切れを拾って、 両手でおしいただかれたのでした。 「蓮如上人は、 紙切れのようなものまですべて、 仏より恵まれたものと考えておられたので、 何一つとして粗末にされることはなかった」 と、 実如上人は仰せになりました。

(309)

 ^ご往生のときが近くなってきたころ、 蓮如上人は、 「わたしたこの病の床でいうことは、 すべて仏のまことの言葉である。 気をつけてしっかりと聞きなさい」 と仰せになりました。

(310)

 ^ご病床にあった蓮如上人は、 慶聞坊を呼び寄せて、 「わたしには不思議に思われることがある。 病のためにぼんやりしているが、 気を取り直して、 あなたに話そう」 と仰せになりました。

(311)

 ^蓮如上人は、 「世間のことについても、 仏法のことについても、 わが身を軽くして努めるのがよい」 と仰せになりました。 黙りこんでいるものをおきらいになり、 「仏法について語りあう場で、 ものをいわないのはよくない」 と仰せになり、 また小声でものをいうのも 「よくない」 と仰せになりました。

(312)

 ^蓮如上人は、 「仏法は心がけが肝心。 世間も心がけが肝心」 と、 対句にして仰せになりました。 また、 「み教えは言うほどに値うちが出る。 庭の松は*うほどに値うちが出る」 と、 これも対句にして仰せになりました。

(313)

 ^蓮如上人がご存命のころ、 蓮悟さまが堺で模様入りの麻布を買い求めたところ、 上人は、 「そのようなものはわたしのところにもあるのに、 無駄な買物をしたものだ」 と仰せになりました。 蓮悟さまが、 「これはわたしのお金で買い求めたものです」 とお答え申しあげると、 上人は、 「そのお金は自分のものか。 何もかも仏のものである。 阿弥陀如来・親鸞聖人のお恵みでないものは、 何一つとしてないのである」 と仰せになりました。

(314)

 ^蓮如上人が蓮悟さまに贈物をしたところ、 蓮悟さまは、 「わたしにはもったいないことです」 といって、 お受け取りになりませんでした。 すると上人は、 「与えられたものは素直に受け取りなさい。 そして、 信心もしっかりといただくようにしなさい。 信心がないから仏のお心にかなわないといって、 贈物を受け取らないようだけれども、 それはつまらないことである。 わたしが与えると思うのか。 そうではない。 すべてみな仏のお恵みである。 仏のお恵みでないものがあるだろうか」 と仰せになりました。

 

蓮如上人御一代記聞書 

 

南無というのは…ことである この条において、 「南無」 を 「帰命」 や 「発願回向」 の語で解釈されているのは、 善導大師の南無阿弥陀仏の解釈、 いわゆる 「ろくしゃく」 をうけられたものである。 蓮如上人は、 「発願回向」 とは阿弥陀仏がしゅじょうを済うために願をおこして、 往生の因となるすべての功徳を衆生に回向されることであると解釈され、 衆生の回向を用いないことを示されている。 これは、 親鸞聖人が 「ぎょう文類もんるい」 に示された 「発願回向」 の解釈をうけられたものである。
弥陀の大悲が…満ちあふれている 原文は、 「弥陀の大悲、 かの常没の衆生のむねのうちにみちみちたる」 であるが、 ¬安心決定鈔¼ には、 「弥陀大悲のむねのうちに、 かの常没の衆生みちみちたる (ゆゑに、 機法一体にして南無阿弥陀仏なり…)」 とあって、 主語が入れ替わり、 文意が異なっているように見える。 ¬だいはっおんものがたり空善くうぜん聞書ききがき¼ や ¬蓮如れんにょしょうにんいち期記ごき¼ には、 ¬安心決定鈔¼ の文言が忠実に引かれている。
その花は…ぴったりするだろう 原文は、 「むねにこそひらくべけれ、 はらにあるべきや」 であるが、 このなか、 「はら」 については、 「高原、 野原」 の意とする解釈もある。
と仰せになりました ¬蓮如上人御一代記聞書¼ は、 その名の示すとおり上人の言行を記したものであるが、 内容から考えると特に語録としての性格が強い。 すなわちほとんどの条は、 上人の言葉が示され、 「と仰せられ候ふ」 等と結ばれている。 しかしながら全三一四箇条のうちの数十条は、 「と仰せられ候ふ」 等と結ばれていないため、 その条全体が上人の言葉を記したものなのか、 筆録者の言葉なのか、 あるいはその他の人物の言葉であるのか、 確実には判断できない場合がある。 そのような条について、 本現代語訳においては、 括弧でくくる等の措置はとらず、 また丁寧語を使用して訳すこともしなかった。 ただし、 ¬蓮如上人御一代記聞書¼ では 「と仰せられ候ふ」 等と結ばれていなくても、 ¬蓮如上人御一代記聞書¼ に関係すると考えられている言行録諸本の該当する条においては、 「と仰せられ候ふ」 等の語がある場合がある。 例えば本条には 「と仰せられ候ふ」 等の語がないが、 ¬第八だいはっおんものがたり空善くうぜん聞書ききがき¼ の該当する条は 「仰せに」 という語で始まっており、 本条の内容が上人もしくはその他の人物の言葉を記したものであることが示されている。 このような条について本現代語訳では、 条の全体を括弧でくくり、 「と仰せになりました」 等と結んでおいた。
誓願寺の僧に能を演じさせ 原文は、 「誓願寺に能をさせられけり」 であるが、 このなか、 「誓願寺」 について、 寺院の名とする説や、 念仏を勧める内容の能狂言の名とする説などがある。 本現代語訳では、 近江おうみ北部の誓願寺の僧、 りょうゆうのこととする説に従って訳しておいた。
二首の和讃のこころ ご法話に引かれた二首のこころについて、 蓮如上人は、 「ª自然の浄土にいたるなりº ªながく生死をへだてけるº とお示しくださっている」 とお述べになり、 二首の和讃それぞれに、 念仏の行者が得るやくが示されていることを喜ばれている。 そのことについて、 この二首の和讃は念仏の行者が未来において得る利益 (当益とうやく) と現生において得る利益 (現益げんやく) とを示されたものであって、 すなわち、 最初の和讃に示されている 「自然の浄土にいたる」 という利益は念仏の行者が未来に得る利益であって、 ひっめつの益を示すものであり、 後の和讃に示されている 「ながく生死をへだつ」 という利益は、 念仏の行者が現生において得る利益であって、 にゅう正定しょうじょうじゅの益を示すものであり、 特にこの現当の二益が示されていることを蓮如上人は喜んでおられると見る解釈もある。
仏がたはみな…いるのである 原文は、 「諸仏の弥陀に帰せらるるを能としたまへり」 であるが、 これについて、 「諸仏は、 衆生に対して弥陀に帰するように勧めるのを役目としている」 とする解釈もある。
世のなかに…さもあらばあれ ここに示された和歌の 「妻うしのつの」 について、 いくつかの解釈がある。 一つには、 女性の髪がまげを結っていて、 その束ねたようすが牝牛の曲った角のようであることに譬えたものであり、 この歌は、 剃髪ていはつして尼にならなくても、 その髪のまま、 すなわち出家しようという心は持たなくてもよいという意味であるとする。 また一つには、 女性の心は男性よりも嫉妬深いとして、 そのことを曲った牝牛の角に譬えたもので、 そのような煩悩を具足した心のままで救われていくことを示した和歌であるという解釈もある。
 「牝牛の角」 は、 その形状が曲っていることから、 牝牛のように、 その角を振り立てて人や動物などを傷つけたり殺したりすることができず、 役に立たないものと考えられている。 この和歌に対する、 「外見の姿かたちはどうでもよいこと」 (原文は、 「かたちはいらぬこと」) という蓮如上人の解釈から考えるなら、 この条ではそのような役に立たない形をした角であっても、 それはそれでよく、 必要がないからといって取り除くことはないと示し、 このことを譬えとして、 出家しようなどという心を捨てて、 ただ本願に帰せよと勧めているものと解釈すべきであろう。 また、 「牝牛の角」 はあっても役に立たないものであるという意味から、 出家しようという心もまた役に立たないものであることを述べているとする解釈もある。
信心がおこるということ 原文は、 「一念発起の義」 であるが、 ¬第八だいはっおんものがたり空善くうぜん聞書ききがき¼ においては 「一念発起の機」、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ においては 「一念発起の儀」、 「しんしゅう仮名かな聖教しょうぎょう」 所収本においては 「一念発起の時」 と、 それぞれに表記が異なる。 本現代語訳では底本の表記に従って訳しておいた。
もとよりめあてとして 原文は、 「本と」 であるが、 ¬第八だいはっおんものがたり空善くうぜん聞書ききがき¼ や ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ では 「本に」 と表記する。 これを俗語とみて、 「本当に」 の意味とする解釈もある。
身分や地位の違いを…同座するのは 原文は 「身をすてておのおのと同座するをば」 であるが、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ には、 「身をすてて平座にてみなと同座するは」 とあり、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ には 「身をすてて平座にておのおのと同座するは」 とある。
 蓮如上人在世当時は、 古代より続いた貴族社会、 さらに武士社会のひずみが噴出した激動の時代であった。 民衆は、 領主による村落の支配を弱め、 おとな年寄としよりなどと呼ばれた指導者を中心にその自立化をおしすすめ、 また村落間の横の連携も強化されつつあった。 しかし尊卑・貴賎の考え方は、 政治的にも社会的にも複雑なありかたで人々の生活の上に差別を形づくっていたのである。 そのような中で、 上人は従来存していた上壇・下壇の区別を廃し、 平座にて親しく民衆に接し、 教化されていたことが伝えられている。 それは本条に、 「親鸞聖人も、 すべての世界の信心の人はみな兄弟であると仰せになっているので、 わたしもそのお言葉の通りにするのである」 と示されているように、 善悪・賢愚・貴賎をえらばず、 万人を平等に摂取したもう阿弥陀仏の本願こそ真実であると信知し、 人間がつくりあげた身分や、 職業の貴賎といった差別をもたらすさまざまな要因を見据え、 すべての人間の尊厳性と平等性を明確に主張していかれた親鸞しんらんしょうにんの教えを受け継がれ、 その同朋精神に基づいて民衆に臨まれていたからに他ならない。 このような伝道の姿勢からも、 阿弥陀仏の救いには、 社会的な身分の上下などの差別は一切関わりの無いことを主張していかれた蓮如上人のお心をうかがうことができる。
新しい…のである ¬蓮如上人御一代記聞書¼ において、 どの記録によっているかが明らかでない二五箇条、 すなわち本条より第68条までと第123条を抜き出して、 仮に ¬むかしものがたり¼ と名づけているが、 本条をその序分とする見方もある。 ¬蓮如上人御一代記聞書¼ では一つの条として収められているため、 蓮如上人の言葉として解釈される場合が多い。
六字釈 善導ぜんどうだいの ¬かんぎょうしょ¼ 「げんぶん」 に、

「南無」 といふはすなはちこれ帰命なり、 またこれ発願回向の義なり。 「阿弥陀仏」 といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。

と南無阿弥陀仏の六字のみょうごうについて解釈する。 これを 「六字釈」 といい、 しゅじょうの上にがんぎょうそくの南無阿弥陀仏がそなわることが説かれている。
 親鸞しんらんしょうにんは、 「ぎょう文類もんるい」 において、 六字全体の意味を 「帰命 (仏の勅命)」 と 「発願回向 (仏の発願回向)」 と 「そくぎょう (仏の行徳)」 の三義であらわし、 善導大師が衆生の上で説かれた南無阿弥陀仏の意味を、 すべて阿弥陀仏の上で解釈することによって、 名号の本質的な意義を明らかにされている。 また、 ¬尊号そんごう真像しんぞう銘文めいもん¼ では、 「帰命」 「発願回向」 を衆生の信心と解釈し、 善導大師をうけて衆生の上での解釈も示されている。 すなわち、 「行文類」 は他力回向の法としての名号の解釈であり、 ¬尊号真像銘文¼ は他力回向の名号が衆生の上ではたらいていることを解釈されたものであるといえる。
 蓮如上人は、 これらの解釈をうけて、 「帰命」 を衆生の信心とし、 また 「発願回向」 を阿弥陀仏の回向として解釈されている。 すなわち、 「発願回向」 については、 その 「回向」 に力点をおいて解釈して、 衆生の回向を用いないことを示されているのである。
思っているのが恥しいのである 原文は、 「存ずるか」 であるが、 このなか、 文末の 「か」 について、 濁音すなわち格助詞の 「が」 として表記するものも多く、 本現代語訳もそれに従って訳しておいた。 清音の場合には、 「思っているのか、 恥しいことである」 と、 疑問・反語の意味になる。
心得違い 原文は 「ちかひ」 であるが、 これを 「誓い (ちかひ)」 とする解釈と、 「違い (ちがひ)」 とする解釈とがある。 本現代語訳では、 「心がけ (たしなみ)」 に対比されるものと考え、 後者の解釈に従って訳しておいた。
それぞれみな、 信心はあるか 原文は、 「信心やある、 おのおの」 であるが、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ や ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ には、 「信心をやるぞやるぞ」 とある。
信心は名号をいただいたすがたである 原文は、 「信心は、 ˆそのˇ 体名号にて候ふ」 であるが、 この箇所を蓮如上人の言葉とみる解釈と、 れん師の言葉とみる解釈とがある。 ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ においては、 この箇所が、 「信心の体名号にて候ふよし仰せられはべりしなり」 となっており、 蓮如上人が仰せになったことを、 蓮悟師が思い出され、 前の 「それぞれみな、 信心はあるか」 (¬蓮如上人仰条々¼ では 「信心をやるぞやるぞ」) と仰せになったことと思い合わせて、 了解したという内容になっている。 本現代語訳では、 蓮悟師の言葉とみる解釈に従った。
噛むとはしるとも、 呑むとしらすな 本現代語訳では 「噛みしめ味わうことを教えても、 鵜呑みにすることを教えてはならない」 という意味を示しておいたが、 「噛む音が人に聞えても、 飲み込む音まで人に聞えさせてはならない」 という食事の作法を示す諺とする解釈もある。 その場合、 以下は、 「妻子を持ち、 魚や鳥の肉を食べ、 罪深い身であるからといって、 そのように何でも思いのままに振舞ってばかりいてよいというものではない」 という意味になる。
何ごとも信心がないから…仰せになりました ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ では、 この部分を別の条として収録する。 また、 ¬蓮如れんにょしょうにんおんものがたりだい¼ や ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ では、 これより前の部分が収録されていない。
このことはよく…なりません 関連する部分を含めて原文を抜き出すと、

聖教を拝見申すも、 うかうかと拝みまうすはその詮なし。 蓮如上人は、 ただ聖教をばくれくれと仰せられ候ふ。 また百遍これをみれば義理おのづから得ると申すこともあれば、 心をとどむべきことなり。

となっている。 このなか、 「心をとどむべきことなり」 について、 「聖教を拝見申すも、 うかうかと拝みまうすはその詮なし」 ということに対して、 あるいは蓮如上人の 「ただ聖教をばくれくれ」 という言葉に対して、 留意せよという意味とする解釈と、 「聖教を拝見す」 に当っては、 よくよく留意して拝見しなければならないという意味とする解釈とがある。
これは、 自信教人信と…仰せになりました… 原文は、 「自信教人信の道理なりと仰せられ候ふこと」 であるが、 この箇所を、 次条の標文とみる解釈もある。
たとえ、 片方の目が…頼りに思うべきである 身心の障害は差別されるべきことではない。 けれども、 そういう障害をもつものがこれまで差別されてきた事実がある。 蓮如上人の生きられた時代は、 度重なる戦乱のために、 数多くの人々が身にも心にも深い傷を負っていた。 そのような中で上人は、 真実にたよりに出来るか否かは、 障害をもつ身であるか否かによるのではなく、 信心の有無こそが問題であることを示されたのである。
 一切の平等を説く教えが仏教であり、 阿弥陀如来の本願は、 すべてのものを差別無く平等に救うと誓われている。 障害のあるものを特別な存在とみなして差別することも、 またそのような差別意識を助長することもとうてい是認されることではない。 障害をもつものを差別して非難やそしりの対象としたり、 譬喩に用いて傷つけ痛めつけたりすることは大きな誤りである。
昔は、 道場に…なかったのである 原文は、 「昔は御本尊よりほかは御座なきことなり」 であるが、 このなか、 「御本尊」 について、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ では 「御本寺」 となっている。 この場合は、 「(親鸞聖人の御影像については)」 ご本山以外には安置しなかった」 という意味になる。
自分より目下のもの 原文は、 「下としたる人」 であるが、 これを 「自分より劣っていると思うもの」 の意とする解釈もある。
だれからでも心得違いを直してもらうよう 原文は、 「ただ人に直さるるやうに」 であるが、 ¬蓮如れんにょしょうにんおんものがたりだい¼ ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ では 「ただ人にいはるるやう (に)」 となっている。 この場合、 「誰からでも心得違いをいってもらえるように」 という意味になる。
たとえ木の皮を…悲しく思ってはならない 原文は、 「たとひ木の皮をきるいろめなりとも、 なわびそ」 であるが、 これを 「木の皮で作った衣を着るようなことはもちろんのこと、 それを着たもののようにわびた振舞いをすることがあってはならない」 とする解釈もある。 しかしこの解釈では、 「たとひ…とも」 という逆説の仮定条件が十分に訳されていない。 また、 「たとひ…とも」 を逆説の条件であるとするなら、 「わぶ」 は、 「木の皮をきるいろめなり」 という条件の内容から、 当然引きおこされるはずの結果であり、 それについて 「な…そ」 と逆説に禁止するのであるから、 「わぶ」 が 「わびた振舞いをする」 の意にはならないように思われる。 以上のことから、 本現代語訳においては、 「たとえ木の皮を身にまとうような貧しい暮しであっても、 それを悲しく思ってはならない」 と訳しておいた。
身分や年齢の違いにかかわらず
  → 身分や地位の違いを…同座するのは
わが身を犠牲にしてでも 原文は、 「身を捨てよ」 であるが、 これについて、 しゃくしんみょうの意ではなく、 「高ぶった身を捨てよ」 「地位や名誉心を捨てよ」 の意とする解釈もある。
能狂言のしぐさ 原文は 「おかしき事態わざ」 であるが、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ や ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ では、 「をかしき事、 能」 となっている。 すなわち 「おもしろい能狂言」 の意であるが、 いずれにせよ蓮如上人が、 人々を教化する手だてとして能狂言などを演じさせておられたことがわかる。
わたしは…そうなのでしょう 原文は、 「われはさやうに存ぜざれども、 人の申すあひださやうに候ふ」 であるが、 ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ では、 「われはさやうに存じ候ひつれども、 人申すあひださやうに仕り候ふ」 となっていて、 この場合、 「わたしはそう思っているのですが、 人がそうしろというので、 そのようにしたのです」 という意味になる。
その昔、 人々が…いった 原文は、 「形をみれば法然、 詞を聞けば弥陀の直説といへり」 である。 ¬西方さいほうなんしょう¼ 所収の 「源空げんくうしょうにんにっ」 には、 大原おおはらだんの際に諸宗の大徳が法然上人を敬い、 「形をみれば源空上人、 実には弥陀の応現か」 と感嘆したとある。 また ¬しゅうとくでん¼ には、 「その形容にむかへば源空上人智恵高妙なり、 その述義をきけば弥陀如来応現したまふかとおぼゆ」 とある。 このような故事を承けたものとして本現代語訳では、 蓮如上人の御文章も、 人々が法然上人を讃えてそのようにいったのと同様に受け止めるべきであるという意味で訳しておいたが、 これを、 蓮如上人を直接讃えた言葉として、 「姿をみれば法然上人とそっくりであり、 言葉を聞けば阿弥陀仏の直接のご説法そのものである」 と解釈する見方もある。
仏法については…よくないというか 原文は、 「法にはあらめなるがわろし、 世間には微細なるといへども」 であるが、 この箇所を倒置表現とみて、 「世間のことには細やかな心を持ちながら、 仏法のことになると大まかな受けとめ方をするのはよくない」 と解釈する見方もある。
思うべきである 原文は、 「(信のうへには) あるべきなり」 であるが、 このなか、 「べき」 について、 可能または当然の助動詞とみる解釈もある。
王法 仏法に対する語で、 世間的な倫理を含む世俗の法を意味する。 蓮如上人はしばしば、 王法という世俗の法を守るべきことを強調されるが、 中心とすべきとされているのが仏法であることはいうまでもない。 例えば上人はその 「御遺言」 の中で、

一流の中において仏法をおもてとすべきこと勿論なり。 しかりといへども世間に準じて王法をまもることは、 仏法を立てられんがためなり。 しかるに仏法をば次にして王法を本意と心得ること、 当時これ多し。 もっともしかるべからざる次第なり。

と述べておられる。 これによれば、 戦乱の世にあって、 仏法を守り、 法義を相続するために王法を守れといわれているのであり、 あくまで仏法が中心なのであって、 王法を中心とすることは、 「もっともしかるべからざる次第」 と厳しく誡められているのである。 このように仏法を中心とすることについて、 第157条では、 仏法と王法にはっきりと主客を立て、 仏法を中心として世間のことを処理していくべき旨が示されている。
用が多いからといって 原文は、 「御用とて」 であるが、 「御用」 を 「如来・聖人のおはたらき」 の意として、 「如来・聖人のおはたらきのおかげで」 あるいは 「如来・聖人のおはたらきのおかげなのだから」 と解釈する見方もある。
世の中が乱れていたころ ひがしやま大谷おおたにの本願寺が叡山えいざんしゅによって破却されたころ、 世の中もまた戦乱の時代を迎えていた。 応仁おうにん元年 (1467)、 足利あしかが将軍家管領かんれいはたけやま斯波しば両家の家督争いが将軍義政よしまさの弟よしと実子義尚よしひさとの将軍けい争いと連動し、 これがきっかけとなって応仁の乱がおこる。 諸大名は細川ほそかわ勝元かつもと率いる東軍とやま持豊もちとよ (宗全そうぜん) 率いる西軍とに分れて京都の町を中心に対抗し、 以後十一年間にわたって、 京都は戦乱の巷となった。 幕府の権威は地に落ち、 世の中は大きな時代の画期を迎えていた。 そのような動乱の時代の中、 蓮如上人は本願寺の再興を進めていかれたのである。
長老格の人 原文は、 「上人」 である。 これについて蓮如上人を指すとみる解釈もある。 また、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ には、 「座の人」 とあり、 ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ には 「開山聖人」 とある。
仏法を主とし…客人としなさい
  → 王法
方便を悪いと…得させていただくのである この条について、 「方便によって真実が顕され、 真実が明らかになれば方便は廃立されるのである」 という部分は、 蓮如上人がごん方便について述べられたものであり、 「阿弥陀仏・釈尊・よき師の巧みな手だてによって、 わたしたちは真実の信心を得させていただくのである」 という部分は、 ぜんぎょう方便について述べられたものであるとする解釈もある。 しかしながら、 ¬蓮如上人御一代記聞書¼ のなかで、 明らかに権化方便と善巧方便とを上人が区別して用いられていると考えられる箇所が他にあまりないことから、 本現代語訳では、 この条について、 あえて権化方便と善巧方便という言葉を用いて解釈することはしなかった。
上人が悪いことだと…悪いといわれたのです 原文は、 「善知識のわろきと仰せられけるは、 信のなきことをわろきと仰せらるるなり」 であるが、 このなか、 「善知識」 について、 蓮如上人とする解釈の他、 しょうにょ上人とみる解釈や、 浄土真宗の善知識そのものを指すとみる解釈などがある。 また、 「善知識」 とは 「善知識だのみ」 のことであって、 この箇所を、 「特定の人物を善知識と仰ぐことがよくないといわれているのは、 その人には真実の信心がないことを悪いといわれたのである」 と解釈する見方もある。
心の奥底まで徹すれば 原文は、 「心源もし徹しなば」 であるが、 これを、 「自らに本来そなわっている清浄な心の本性に徹すること」 とする解釈もある。
東山の大谷本願寺が…打ち壊されたとき 蓮如上人が本願寺しゅうしゅを継職して以来、 叡山えいざん膝下の近江おうみでは信宗門徒化が急速に進み、 近江地方の荘園領主であった比叡山はその事態を憂慮し、 憤りを強めていた。 継職八年後のかんしょう六年 (1465) 正月と同三月の二回にわたり、 ついに太田日本願事は比叡山しゅの襲撃を受けて破壊されることになる。 その後、 比叡山衆徒と本願寺は和解するに至るが、 根本的な対立関係は解消せず、 近江の本願寺門徒と比叡山衆徒との争いは繰り返され、 その緊張は深まっていった。 比叡山衆徒の本願寺破却により、 御影堂に安置していた親鸞しんらんしょうにん影像えいぞうも京都の町中を転々と移され、 ついで近江の諸門徒の間を移座されることになるが、 繰り返される近江の諸門徒と比叡山衆徒との争いのなか、 御影像はおお外戸せと道覚どうかくの道場に移座された後、 三井みいでら境内南別所の近松ちかまつに営まれた房舎 (けんしょう) に安置されることになる。 そのころ京都は応仁おうにん文明ぶんめいの乱で騒然とし、 聖人もまた近江から越前えちぜん吉崎よしざきへと移住されることになるのである。
うちに信心がないからである 原文は、 「不信のゆゑなり」 であるが、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ では、 「不信のいろなり」 となっている。 この場合は、 「(仏法について話しあう場でものをいわないのは) うちに信心がないことの現れである」 という意味になる。
また、 油断ということも…でいうことである 原文は、 「また油断ということも信のうへのことなるべし」 であるが、 これを 「油断ということについても、 信心を得た上でなお油断することがないようにしなければならないのである」 と解釈する見方もある。 また、 ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ には 「又油断と云事も不信の事也」 とあり、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ には、 「油断は不信の心也」 とあって、 仏法のことを怠りなまけるのも、 信心を得ていないことからおこるという内容になっている。
あなたの母上 原文は、 「法敬坊の尼公」 であるが、 「公」 の字が用いられていることから、 おそらくは法敬坊の母すなわち実母もしくは姑と考えられる。 また、 法敬坊に関わる女性と解釈して、 母あるいは妻とする見方もある。
聖人のご恩 原文は、 「御恩」 であるが、 これを仏恩とみる解釈もある。
人が何の…仰せになりました この条の末尾は 「と仰せられ候ふと云々」 と結ばれているが、 その主語については明示されていない。 そのため、 蓮如上人を主語とする解釈と、 前後に実如じつにょ上人の法語が続くことから実如上人を主語とする解釈とがある。 本現代語訳では、 あえて主語を明示することをしなかった。
機法一体 ¬御文章¼ 三帖目七通にはは、

しかれば 「南無」 の二字は、 衆生の阿弥陀仏を信ずる機なり。 つぎに 「阿弥陀仏」 といふ四つの字のいはれは、 弥陀如来の衆生をたすけたまへる法なり。 このゆゑに、 機法一体の南無阿弥陀仏といへるはこのこころなり。

とある。 すなわち、 南無は阿弥陀仏をたのむ衆生の信心であり、 それを機といい、 阿弥陀仏は衆生を救う道理をあらわし、 それを法というのである。 その機と法とが南無阿弥陀仏という名号において一体に成就しているので、 機法一体の南無阿弥陀仏といわれるのである。
 このように蓮如上人が、 南無阿弥陀仏の六字を二字と四字に分けて解釈される以外に、 六字をすべて機、 またすべて法と解釈される場合もある。 すなわち、 ¬御文章¼ 三帖目二通には、 「その他力の信心といふはいかやうなることぞといへば、 ただ南無阿弥陀仏なり」 と、 六字のすべてが信心すなわち機であることを示され、 また ¬御文章¼ 一帖目十五通には、 「南無阿弥陀仏の体は、 われらをたすけたまへるすがたぞとこころうべきなり」 と、 六字のすべてが法であることを示されている。
 機すなわち信心は、 「必ず救う」 という摂取の法を領受することに他ならず、 また法は、 阿弥陀仏のはたらきを信じおまかせする機を救うのでなければ、 摂取の法とはいえない。 蓮如上人が 「機法一体の南無阿弥陀仏」 といわれるのは、 そのように機と法は別のものではなく、 衆生の信心も南無阿弥陀仏の名号によりおこさしめられることを示されているのである。
ご法義を尊んでいる人…尊く思われます 原文は、 「たふとむ人よりたふとがる人ぞたふとかりける」 であるが、 このなか 「たふとむ人」 を 「尊ぶ相手」 の意とし、 「尊い方であると又息まれる人」 と 「尊んでいる人」 とが対比されていると解釈する見方もある。 その場合、 原文に続いて示される 「たふとむ体、 殊勝ぶりする人」 は、 「尊ぶ相手すなわち殊勝そうに見せている人」 という意味になる。 本現代語訳では、 尊ぶ対象は仏法・法義であろうと考え、 「いかにもご法義を尊んでいるようにふるまっている人」 と 「ご法義をただありがたく喜んでいる人」 とが対比されていると解釈した。
ただ承知しました…成しとげられない 原文は、 「ただ畏まりたるといふにてはなく候ふまじく候ふ」 であるが、 このなか、 「なく候ふまじく候ふ」 は解釈が困難である。 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ や ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ には、 「な (成) り候ふまじく候ふ」 とあるから、 もとは 「なく」 ではなく 「なり」 であった可能性もある。 本現代語訳では、 ¬蓮如上人一語記¼ や ¬蓮如上人仰条々¼ の表記に従って解釈しておいた。
蓮如上人は、 仏恩が…仰せになりました この条の原文には、 全体にわたって法語の主語が明示されていない。 そのため、 全体を実如じつにょ上人の法語とする解釈などがある。 本現代語訳では、 仏法讃嘆さんだんについての蓮如上人のお言葉を引き、 その仏法が述べられている御文章の讃嘆のことを実如上人がお述べになっているという解釈に従った。
蓮如上人が…手招きをしておられる 原文は、 「前々住の早々われに来いと、 左の御手にて御まねき候ふ」 であるが、 このなか 「われに」 を、 「わたし (前々住蓮如上人) のところへ」 とする解釈と、 「わたし (実如上人) にむかって」 とする解釈とがある。 本現代語訳では前者に従って訳しておいた。
開山聖人と読むことも…恐れ多いからである 原文は、 「開山聖人とよみまうすも、 おそれある子細にて御入り候ふ」 であるが、 これについて、 「開山聖人とお読みするのも、 他宗の祖師に紛れる恐れがあるのである」 と解釈する見方もある。 本現代語訳では、 次条で 「開山聖人」 とお呼びすることをよしとしていることから、 「実名でお読みするのが恐れ多い」 の意で解釈した。
ある人が…といいました この条には四つの発言があり、 仏法の讃嘆談合における自由な話し合いの様子を伝えている。 このうち第二の発言について、 原文には 「と云々」 と示されているだけで、 主語が明示されていないが、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ に 「仰せには」 とあることから、 おそらくこの場に同座しておられた蓮如上人の発言と考えられる。 本現代語訳もその解釈に従ったが、 ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ に 「またある人いはく」 とあることにより、 蓮如上人の発言とみない解釈もある。 また、 第四の発言について、 原文には 「またいはく」 とあって敬語が用いられておらず、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ ¬蓮如上人仰条々¼ ¬蓮如上人御一期記¼ には 「また人いはく」 あるいは 「またある人いはく」 とあることから、 蓮如上人の発言ではなく、 その場に同座していた別の人の発言と解釈するのが一般であるが、 蓮如上人のお諭しとみる解釈もある。 また、 ¬蓮如上人御一期記¼ では第三の発言以降を別条とするため、 二人の同行が仏法について問答している内容になっている。
力が入って 原文は、 「力がありて」 であるが、 これを 「(人々が) わたしの力となってくれるので」 の意とする解釈もある。
秘事秘伝のみ教え 蓮如上人の時代、 秘事ひじ法門ぼうもんといわれる異義が盛んであった。 この秘事法門について、 ¬ぶんしょう¼ 二帖目十四通には、

それ、 越前の国にひろまるところの秘事法門といへることは、 さらに仏法にてはなし、 あさましき外道の法なり。 これを信ずるものはながく無間地獄に沈むべき業にて、 いたづらごとなり。 この秘事をなほも執心して肝要とおもひて、 ひとをへつらひたらさんものには、 あひかまへてあひかまへて随逐すべからず。 いそぎその秘事をいはん人の手をはなれて、 はやくさづくるところの秘事をありのままに懴悔して、 ひとにかたりあらはすべきものなり。

と厳しく批判され、 またそのような竪超をする人に従うことのないようにと誡められている。 秘事法門とは、 その教義が不思議ですぐれたものであるから、 秘密のうちに伝授するというものであり、 その伝授をことさら厳粛なものとして、 人の心を縛り、 無批判に受け入れさせる異端の信仰である。 教義が秘密の裡に伝授されること自体、 すでに経典や論釈、 また親鸞しんらんしょうにんの著述の内容と異なっていることを示しているが、 御文章に示されているように、 蓮如上人の時代には北陸を中心に盛んであった。 この条は、 その秘事法門という異安心に対する痛烈な批判であり、 秘事秘伝といわれるほどの不思議なことは、 煩悩を具足したぼんでありながら、 如来よりたまわる信心によって浄土に往生させていただくこと以外にはないと諭されたものである。 次条に 「凡夫が仏になるという、 何より不思議なこと」 と示されているのも々意趣である。
お役目という…仏になるであろう 原文は、 「とりはづしたら仏に成らんよ」 であるが、 これについて、 「浄土へ往く道をふみはずしたなら、 仏になるだろうよ」、 あるいは 「信心を取り落としたなら、 仏になるだろうよ」 と、 近くにいて仏法に耳慣れしてしまっているものに対して、 そのことを逆説的に誡められたものとする解釈や、 「(それでも聴聞を続けていれば) 何かの拍子に仏になることもある」 と、 仏法の聴聞を勧められたものとする解釈などもある。 また、 「成らんよ」 の 「ん」 を否定の助動詞とみて、 「仏に成ることができない」 の意とする見方もあるが、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ には 「仏にならうよ」 とあり、 ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ には 「仏になるべきぞ」 とあることからすれば、 「ん」 は推量の助動詞と考える方が穏当であろう。 ¬蓮如上人仰条々¼ には、 「聴聞常にせば取りはずしても仏に成らん事よ」 とあり、 「仏法を常に聴聞していれば、 万一浄土往生の道をふみまずすようなことがあっても、 聴聞を続けることにより信心を得て、 往生成仏できるだろう」 と、 不断の聴聞を勧めておられる内容になっている。
また、 明日…信心を得る人もいる 原文には、 「昨日あらはす人もあり、 今日あらはす人もありと仰せられし」 とあって、 これに該当する文言がないが、 ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ ¬蓮如れんにょしょうにんいち¼ には、 いずれも 「明日あらはす人もあり」 の一節がある。 直前の、 「すでに往生した、 今往生する、 これから往生するという違い」 (原文では 「已・今・当のこと」) に対応するように、 本現代語訳では、 「明日あらはす人もあり」 の一節を加えた形で訳しておいた。
不思議に思われること この 「不思議に思われること」 の内容について、 本文には明らかになっていないが、 一般には 「他力の信心をいただき、 凡夫が仏になるということ」 と解釈されている。 ただし ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ には、 続いて

三月十八日の事か、 善従存如上人 ˆ正月二十四日の事なりˇ 御夢に御覧せられて、 とくこひまゐれと仰せらるると御覧せられけるとぞ御夢想ありけるとぞ仰せられけると云々。

とあり、 病床にある蓮如上人の夢に存如上人が現れて、 「わたしのところへはやく来い」 と仰せになったことを指しているようにも考えられる。
勧修寺村の道徳 (-1500) 蓮如上人の門弟。 山城やましろ山科やましな勧修寺村 (現在の京都市山科区勧修寺東北出町) の西念寺の開基。
明応二年 1493年。 蓮如上人七十九歳。
他力というのは… 親鸞しんらんしょうにんは 「ぎょう文類もんるい」 に 「他力といふは如来の本願力なり」 といわれ、 他力とは本願のとおりに成就された阿弥陀仏の救済の力用りきゆうであり、 しゅじょうに信と行を与え、 浄土に往生せしめようというはたらきであることを示されている。
和讃 浄土真宗では 「正信偈」 に続いて聖人の三帖和讃から六首ずつ読誦する。
念声是一 法然ほうねん上人の ¬せんじゃくしゅう¼ にある言葉。
覚善又四郎 生没年未詳。 加賀国 (現在の石川県南部) たにの人。 蓮如上人の門弟。 法名は覚善、 俗名は又四郎。
三河の教賢 蓮如上人の門弟。 事跡不詳。
伊勢の空賢 蓮如上人の門弟か。
福田寺の俊 (-1481) 蓮如上人の門弟。 近江おうみ長沢ながさわ (現在の滋賀県坂田郡近江町長沢) の人。
逮夜 ここでは親鸞聖人のご命日 (二十八日) の前夜のこと。
他力の安心 阿弥陀仏から回向された信心。 本願を信じて疑いのないこと。
決定 蓮如上人は、 本願を疑いなく信受することを 「(信を) 決定す」 といわれた。
明応三年 1494年。 蓮如上人八十歳。
開山聖人 浄土真宗の開祖、 親鸞聖人のこと。
摂津富田の教行寺 現在の大阪府高槻市富田町。 後に蓮如上人の第二十子蓮芸れんげい師が住持した。
明応五年 1496年。 蓮如上人八十二歳。
信証院 文明八年 (1476)、 境のかた道場道顕どうけんのすすめによって、 蓮如上人が境きたのしょう山口に営まれた御坊。 現在の堺別院の起源。
自信教人信 阿弥陀仏の本願の救いを自分も信じ、 他人にも信を勧める。 善導ぜんどうだい以来、 念仏者の姿勢として示されたもの。 他人にも信を勧めるきょうが阿弥陀仏への報恩となる。 善導大師の ¬往生礼讃¼ の文に依る。
金泥 金粉をにかわ水にときまぜた絵の具。
鳥部野 京都東山の西南麓一帯の地名。 鳥部山ともいう。 平安時代から荼毘だび所および墓所であった。
明応六年 1497年。 蓮如上人八十三歳。
御影像 ここでは親鸞聖人の画像のこと。 「あんじょうのごえい」 のことか。
賛文 仏祖などをほめたたえるじゅをいう。
三河の国 現在の愛知県東部。
信文類 ¬けんじょう真実しんじつきょう行証ぎょうしょう文類もんるい¼ 第三巻。 阿弥陀如来よりしゅじょうに与えられた無疑の信心についての法義を明かしたもの。
愛欲 貪愛とんない貪欲とんよくのこと。
名利 名誉とやくみょうもんよう (名誉欲と財産欲) のこと。
明応七年 1498年。 蓮如上人八十四歳。
 陰暦では四月から六月にあたる。
 御文章のこと。
堺の御坊 文明ぶんめい八年 (1476)、 堺のかた木屋ぎや道場道顕どうけんのすすめによって、 蓮如上人が堺北庄きたのしょう山口に営まれた御坊。 信証院と称する。 現在の堺別院の起源。
善宗 下間しもつまこうしゅうのこと。 玄英げんえいの第三子。 善宗は法名。
摂津の国郡家村 現在の大阪府高槻市。
主計 妙円寺の開基。
加賀二俣 現在の石川県金沢市二俣町。
大和の了妙 現在の奈良県橿原市八木町にある金台寺の開基。 尼僧。
久宝寺村の法性 生没年末詳。 蓮如上人の門弟。 河内かわち渋川しぶかわ郡久宝寺村 (現在の大阪府八尾市久宝寺町) の人。
無我 ここでは、 自己に固執することをいましめる経説として無我が説かれている。
阿弥陀仏の誓い 触光そっこうにゅうなんの願 (第三十三願) のこと。
尼や入道 尼とは女性の出家者を指すが、 ここは在俗生活のまま髪をおろして仏門に入った女性をいう。 入道は在俗生活のまま剃髪して仏門に入った男性をいう。
丹後法眼蓮応 (-1536) 下間しもつま頼玄よりはるのこと。 蓮如上人の時代、 本願寺のどうしゅうとして活躍した。
四天王寺の土塔会の祭礼 四天王寺南大門の前に牛頭ごず天王てんのうをまつった社があり、 毎年四月十五日にその祭礼が行われた。
きれば… ¬ろん¼ かん篇に 「仰之弥高鑽之弥堅 (これを仰げばいよいよ高く、 これをればいよいよ堅し)」 とある。
老子 道家の思想書。 春秋時代の老子 (李耳りじ) の著と伝えられる。 儒教の教説に対しての反論を主とし、 太古の黄帝こうてい時代を離相として、 無畏自然の道を説く。
田上の了宗 せっ国 (現在の大阪府) がみに住んでいた人。 また、 加賀かがほく郡 (現在の石川県金沢市上田上、 下田上) 住んでいた人とする説もある。
第十八願 阿弥陀仏の四十八願中の第十八願。 本願のこと。
山科の野村 現在の京都市山科区西野。
神無森 現在の京都市山科区小山神無森町。
二十五日 法然上人のご命日は一月二十五日。 なお、 長享ちょうきょう二年 (1488)、 善従は享年九十歳で往生した。
大永三年 1523年。 蓮如上人没後二十四年。
徳大寺の唯蓮坊 徳大寺は京都の桂川の西にある地名。 ¬蓮如れんにょしょうにんおおせの条々じょうじょう¼ には 「雲居寺の瞻西せんさい上人」 とある。 瞻西は平安後期の天台てんだいしゅうの僧。
雲居寺 京都東山にあった天台宗の寺。 さか東院とういんともいい洛東の大仏として有名であった。 現在の京都市東山区下河原町に旧跡がある。
加賀の国の菅生 現在の石川県加賀市菅生。
蓮智 加賀国だいしょう荻生おぎゅう (現在の石川県加賀市大聖寺) の願成寺の住持。
越中 現在の富山県。
仏法者 自ら仏法を信じ、 他人をも教え導く人。
中陰 死後四十九日間。
奥州 奥羽地方 (東北地方) 全域をさす。
浄祐 蓮如上人の門弟。 出羽でわ国善証寺 (秋田県仙人北郡六郷町) の住持と伝えられる。
往生論註 曇鸞どんらんだいの著。 天親てんじんさつの ¬じょうろん¼ を注釈したもの。 浄土に往生し成仏する要因はすべて阿弥陀仏の本願力によることを解き明かしている。
文亀三年 1503年。 蓮如上人没後四年。
永正元年 1504年。 蓮如上人没後五年。
大永六年 1526年。 蓮如上人没後二十七年。
蓮誓 蓮悟師の兄。 蓮如上人の第七子。
仏恩が・御文章が 日本語には、 尊敬の対象を直指することを避ける傾向があり、 「仏恩が」 「御文章が」 と助詞 「が」 を用いて示すことも、 尊び敬うべき対象を直指することになるため、 粗略ないい方になる。
大慈大悲 仏のおこされる広大無辺の慈悲。
将軍足利義尚 (1465-1489) 足利九代将軍。
加賀の国… 長享ちょうきょう二年 (1488) 六月九日、 がし政親まさちかは一向一揆により富樫城に滅ぼされた。
享禄二年 1529年。 蓮如上人没後三十年。
大永五年 1525年。 蓮如上人没後二十六年。
阿弥陀仏の誓い 触光柔軟の願 (第三十三願) のこと。
御同行 共に念仏の教えを聞き行じる人々。 浄土真宗の信者は、 心を同じくして道を行じるものであるから同行という。
御同朋 同師同門のとも。 同じ専修せんじゅ念仏に生きる仲間。 すべての人間は仏の子であるという自覚にもとづき明らかにされた、 念仏者の平等性をあらわす言葉。
明応八年 1499年。 蓮如上人八十五歳。
三番の浄賢 三番は淀川のほとりの地名。 大坂定専坊の住職。
大勢至菩薩 大勢至は智慧ちえの勢いがあらゆるところに至るという意。 阿弥陀仏の右の脇士で、 阿弥陀仏の智恵の徳をあらわす菩薩。 左の脇士、 かんおん菩薩に対する。
三心の字訓 本願に示されるしんしんぎょうよくしょうの三心の文字の解釈。
結う 縄などで縛り、 形を整えること。 「言う」 に掛けたもの。