0986西方指南抄下

一四、上野大胡太郎実秀の妻への御返事

おむふみこまかにうけたまはりさふらひぬ。 はるかなるほどに、 念仏ねむぶちこときこしめさむがために、 わざとつかひをあげさせたまひてさふらふおむ念仏ねむぶちおむこゝろざしのほど、 返々かへすがへすもあはれにさふらふ

さてはたづねおほせられてさふらふ念仏ねむぶちことは、 わうじやう極楽ごくらくのためには、 いづれのぎやうといふとも、 念仏ねむぶちにすぎたることさふらはぬなり。 そのゆへは、 念仏ねむぶちはこれ弥陀みだほんぐわんぎやうなるがゆへなり。

ほんぐわんといふは、 あみだぶちのいまだほとけにならせたまはざりしむかし、 法蔵ほふざうさちまふししいにしへ、 ほとけこくをきよめ、 しゆじやうじやうじゆせむがために、 ざいわう如来によらいまふすほとけおむまへにして、 十八じふはちだいぐわんをおこしたまひしそのなかに、 一切ゐちさいしゆじやうわうじやうのために、 ひとつぐわんをおこしたまへり。 これを念仏ねむぶちわうじやうほんぐわんまふすなり

すなわち ¬りやう寿じゆきやう¼ のうへくわんにいはく、

「たとひわれぶちたらむに、 十方じふぱうしゆじやうしんいた信楽しんげうしてわがくにむまれむとおもふて、 ない十念じふねむせむ。 もしむまれずは、 しやうがくとらじ」

せちとくぶち十方じふぱうしゆじやうしん信楽しんげうよくしやうこく↡、 ない十念じふねむにやくしやうじやしゆしやうがく↡」

ぜん0987だうくわしやうこのぐわんしやくしていは

「もしわれじやうぶちせむに、 十方じふぱうしゆじやう、 わがみやうがうしようせむことしもじふしやういたるまで、 もししやうぜずはしやうがくとらじ。 かのぶちいまげんましましじやうぶちしたまへり。 まさにしるべし、 本誓ほんぜいじうぐわんむなしからず、 しゆじやうしようねむすればかならずわうじやう」 と (礼讃)

にやくじやうぶち十方じふぱうしゆじやうしようみやうがう下至げしじふしやう↡、 にやくしやうじやしゆしやうがく↡。 ぶちこむ現在げんざいじやうぶちたう本誓ほんぜいじうぐわんしゆじやうしようねむ必得ひちとくわうじやう↡。」

念仏ねむぶちといふは、 ほとけ法身ほふしん憶念おくねむするにもあらず、 ほとけ相好さうがうくわんねむするにもあらず、 たゞこゝろをひとつにして、 もはら弥陀みだぶちみやうがうしようねむする、 これを念仏ねむぶちとはまふすなり。 かるがゆへに 「しようみやうがう」 といふなり。

念仏ねむぶちのほかの一切ゐちさいぎやうは、 これ弥陀みだほんぐわんにあらさるがゆへに、 たとひめでたきぎやうなりといふとも、 念仏ねむぶちにはおよばず。 おほかたそのくににむまれむとおもはむものは、 そのほとけのちかひにしたがふべきなり。 されば弥陀みだじやうにむまれむとおもはむものは、 弥陀みだせいぐわんにしたがふべきなり。 ほんぐわん念仏ねむぶちと、 ほんぐわんにあらざるぎやうと、 さらにたくらぶべからず。 かるがゆへにわうじやう極楽ごくらくのためには、 念仏ねむぶちぎやうにすぎたるはさふらはずとまふすなり。

わうじやうにあらざるみちには、 ぎやうまたつかさどるかたあり。 しかるにしゆじやうしやうをはなるゝみち、 ほとけのをしへやうやうにおほくさふらへども、 このごろひとしやうをはなれ三界さむがいをいづるみちは、 たゞ極楽ごくらくわうじやうさふらふばかりなり。 このむねしやうげうのおほきなることわりなり。

つぎに極楽ごくらくわうじやうするに、 そのぎやうやうやうにおほくさふらへども、 われらがわうじやうせむこ0988と、 念仏ねむぶちにあらずはかなひがたくさふらふなり。 そのゆへは、 ほとけほんぐわんなるがゆへに、 ぐわんりきにすがりてわうじやうすることはやすし。

さればせむずるところは、 極楽ごくらくにあらずはしやうをはなるべからず、 念仏ねむぶちにあらずは極楽ごくらくへむまるべからざるものなり。 ふかくこのむねをしんぜさせたまひて、 ひとすぢに極楽ごくらくをねがひ、 ひとすぢに念仏ねむぶちをして、 このたびかならずしやうをはなれむとおぼすべきなり。

また一一ゐちゐちぐわんのおはりに、 「もししからずはしやうがくをとらじ」 とちかひたまへり。 しかるに弥陀みだぶち、 ほとけになりたまひてよりこのかた、 すでに十劫じふこふをへたまへり。 まさにしるべし、 せいぐわんむなしからず。 しかれば、 しゆじやうしようねむするもの、 一人ゐちにんもむなしからずわうじやうすることをう。 もししからずは、 たれかほとけになりたまへることをしんずべき。

三宝さむぽう滅尽めつじんときなりといゑども、 一念ゐちねむすればなほわうじやうす。 ぐゐやく深重じむぢうひとなりといゑども、 十念じふねむすればわうじやうす。 いかにいはむや、 三宝さむぽうにむまれてぐゐやくをつくらざるわれら、 弥陀みだみやうがうをとなえむに、 わうじやううたがふべからず。

いまこのぐわんにあえることは、 まことにこれおぼろげのえんにあらず。 よくよくよろこびおぼしめすべし。 たとひまたあふといゑども、 もししんぜざればあはざるがごとし。 いまふかくこのぐわんしんぜさせたまへり。 わうじやううたがひおぼしめすべからず。 かならずかならずふた0989ごゝろなく、 よくよくおむ念仏ねむぶちさふらひて、 このたびしやうをはなれ極楽ごくらくにむまれさせたまふべし。

また ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ にいはく、

一一ゐちゐち光明くわうみやうあまねく十方じふぱうかいてらす、 念仏ねむぶちしゆじやうおば摂取せふしゆしてすてたまはず」

一一ゐちゐち光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい↡、 念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや

と。 これは光明くわうみやうたゞ念仏ねむぶちしゆじやうをてらして、 よの一切ゐちさいぎやうおばてらさずといふなり。 たゞし、 よのぎやうをしても極楽ごくらくをねがはゞ、 ほとけのひかりてらして摂取せふしゆしたまふべし。 いかゞたゞ念仏ねむぶちのものばかりをえらびて、 てらしたまへるや。

善導ぜんだうくわしやうしやくしてのたまはく、

弥陀みだ真色しんじき金山こむぜんのごとし。 相好さうがう光明くわうみやう十方じふぱうてらす。 たゞ念仏ねむぶちのものあてくわうせふかぶる。 まさにしるべし、 ほんぐわんもともこわしとす。」 (礼讃)

弥陀みだ真色しんじきによ金山こむぜん相好さうがう光明くわうみやうせう十方じふぱう
ゆい念仏ねむぶちくわうせふたうほんぐわんさいがう

念仏ねむぶちはこれ弥陀みだほんぐわんぎやうなるがゆへに、 じやうぶち光明くわうみやうつよくほんせいぐわんをてらしたまふなり。 ぎやうこれほんぐわんにあらざるがゆへに、 弥陀みだ光明くわうみやうきらいててらしたまはざるなり。

いま極楽ごくらくをもとめむひとは、 ほんぐわん念仏ねむぶちぎやうじて、 摂取せふしゆのひかりにてらされむとおぼしめすべし。 これにつけても念仏ねむぶち大切たいせちさふらふ、 よくよくまふさせたまふべし。

またしや如来によらい、 この ¬きやう¼ のなかぢやうさんのもろもろのぎやうをときおはりてのちに、 まさしくなんぞくしたまふときには、 かみにとくところの散善さんぜん三福さむぷくごふぢやうぜん十三じふさむぐわんおばぞくせずして、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうぞくしたまへり。 ¬きやう¼ (観経)いはく、

ほとけなんつげたまはく、 なんぢよくこのたもて。 このたもてといふは、 すなわちこのりやう寿じゆぶちみなたもてとなり。」

仏告ぶちがうなん↡、 によかう是語ぜご↡。 是語ぜごしやそくりやう寿じゆぶちみやう↡。」

善導ぜんだうくわしやう0990もんしやくしてのたまはく、

仏告ぶちがうなんによかう是語ぜごより已下いげまさし弥陀みだみやうがうぞくして、 だい流通るづすることをあかす。 かみよりこのかたぢやうさんりやうもんやくとくといゑども、 ぶちほんぐわんのぞむには、 こゝろしゆじやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだぶちみなしようするにありと。」 (散善義)

じゆ仏告ぶちがうなんによかう是語ぜご已下いげ正明しやうみやうぞく弥陀みだみやうがう↡、 だい↨。 じやうらいすいせつぢやうさんりやうもんやく↡、 まうぶちほんぐわん↡、 ざいしゆじやう一向ゐちかうせんしよう弥陀みだぶち名↡。」

このぢやうさんのもろもろのぎやうは、 弥陀みだほんぐわんにあらず。 かるがゆへにしや如来によらいわうじやうぎやうぞくしたまふに、 ぢやうぜん散善さんぜんおばぞくせずして、 念仏ねむぶちはこれ弥陀みだほんぐわんなるがゆへに、 まさしくえらびてほんぐわんぎやうぞくしたまへるなり。

いましやのおしえにしたがひてわうじやうをもとむるもの、 ぞく念仏ねむぶちしゆして、 しやおむこゝろにかなふべし。 これにつけてもまたよくよくおむ念仏ねむぶちさふらひて、 ほとけぞくにかなはせたまふべし。

また六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶちしたをのべて、 三千さむぜんかいにおほいて、 もはらたゞ弥陀みだみやうがうをとなへてわうじやうすといふは、 これ真実しんじちなり証誠しようじやうしたまふなり。 これまた念仏ねむぶち弥陀みだほんぐわんなるがゆへに、 六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶち、 これを証誠しようじやうしたまふ。 ぎやうほんぐわんにあらざるがゆへに、 六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶち証誠しようじやうしたまはず。 これにつけてもよくよくおむ念仏ねむぶちさふらふべし。

弥陀みだほんぐわんしやぞく六方ろくぱう諸仏しよぶち証誠しようじやうねむを、 ふかくかうぶらせたまふべし。 弥陀みだほんぐわんしやくそんぞく六方ろくぱう諸仏しよぶちねむ一一ゐちゐちにむなしからず。 このゆへに、 念仏ねむぶちぎやうしよぎやうにすぐれたるなり。

また善導ぜんだうくわしやう弥陀みだ化身くゑしんなり。 じやう0991祖師そしおほしといへども、 たゞひとへに善導ぜんだうによる。 わうじやうぎやうおほしといゑども、 おほきにわかちてふたつとしたまへり。 ひとつには専修せんじゆ、 いはゆる念仏ねむぶちなり。 ふたつには雑修ざふしゆなり、 いはゆる一切ゐちさいのもろもろのぎやうなり。 かみにいふところのぢやうさんとうこれなり。

¬わうじやう礼讃らいさん¼ にいは

「もしよくかみのごとく念念ねむねむ相続さうぞくして、 ひちみやうとするものは、 じふはすなわちじふながらしやうず、 ひやくはすなわちひやくながらしやうず」

にやくのうによじやう念念ねむねむ相続さうぞくひちみやうしやじふそくじふしやうひやくそくひやくしやう

いへり。 専修せんじゆざふぎやうとの得失とくしちなり。

とくといふは、 わうじやうすることをうるといふ。 いはく念仏ねむぶちするものは、 すなわちじふ十人じふにんながらわうじやうし、 ひやくはすなわちひやくにんながらわうじやうすといふ、 これなり。 しちといふは、 いはくわうじやうやくをうしなえるなり。 雑修ざふしゆのものは、 ひやくにんなかにまれにゐちにんわうじやうすることをえてそのほかはしやうぜず、 千人せんにんなかにまれにさむにんむまれてそのはむまれず。 専修せんじゆのものはみなむまるゝことをうるは、 なにのゆへぞと。 弥陀みだぶちほんぐわん相応さうおうせるがゆへなり、 しや如来によらいのおしえにずいじゆんせるがゆへなり、 雑業ざふごふのものはむまるゝことのすくなきは、 なむのゆへぞと。 弥陀みだほんぐわんにたがへるがゆへなり。 念仏ねむぶちしてじやうをもとむるものは、 そんミダシヤカノおむこゝろにふかくかなへり。 雑修ざふしゆをしてじやうをもとむるものは、 ぶちおむこゝろにそむけり。

善導ぜんだうくわしやうぎやう得失とくしちはんぜること、 これのみにあらず。 ¬観経くわんぎやうしよ¼ とまふすふみのなかに、 おほく得失とくしちをあげたり。 しげきが0992ゆへにいださず。 これをもてしるべし。

おほよそこの念仏ねむぶちは、 そしれるものはごくにおちてこふをうくることきわまりなし。 しんずるものはじやうにむまれてゐやうごふたのしみをうくることきわまりなし。 なほなほいよいよ信心しんじむをふかくして、 ふたごゝろなく念仏ねむぶちせさせたまふべし。 くはしきことおむふみにつくしがたくさふらふ。 このおむつかひまふしさふらふべし。

一五、上野大胡太郎実秀への御返事

上野かうづけのくにの住人じゆにんおほごのらうまふすもの、 きやうへまかりのぼりたるついでに、 法然ほふねんしやうにんにあひたてまつりて、 念仏ねむぶちのしさいとひたてまつりて、 本国ほんごくへくだりて念仏ねむぶちをつとむるに、 あるひとまふしていはく、 いかなるつみをつくれども、 念仏ねむぶちまふせばわうじやうす、 一向ゐちかう専修せんじゆなるべしといふとも、 ときときは ¬法華ほふくゑきやう¼ おもよみたてまつり、 また念仏ねむぶちまふさむもなにかはくるしからむとまふしければ、 まことにさるかたもありとて、 法然ほふねんしやうにんおむもとへ、 消息せうそくにてこのよしをいかゞとまふしたりけるおむへん、 かくのごとし。 くだんらうは、 このすゝめによりて、 めおとこ、 ともにわうじやうしてけり。

しやう0993にんおむへん

さきの便びんにさしあふことさふらひて、 おむふみをだにみときさふらはざりしかば、 おむへんこまかにまふさず、 さだめておぼつかなくおぼしめしさふらふらむと、 おそれおもふたまへさふらふ

さてはたづねおほせられてさふらふことゞもは、 おむふみなどにて、 たやすくまふしひらくべきことにてもさふらはず。 あはれまことにきやうにひさしくとうりうさふらひとき、 よしみづばうにて、 こまかにさたありせばよくさふらふなまし。

おほかたは念仏ねむぶちしてわうじやうすとまふすことばかりおば、 わづかにうけたまはりて、 わがこゝろひとつにふかくしんじたるばかりにてこそさふらへども、 ひとまでつばひらかにまふしきかせなどするほどのにてはさふらはねば、 ましていりたちたることゞも、 しむなど、 おむふみにまふしひらくべしともおぼえさふらはねども、 わづかにうけたまはりおよびてさふらはむほどのことを、 はゞかりまいらせて、 すべてともかくもおむへんまふさざらむことのくちおしくさふらへば、 こゝろのおよびさふらはむほどのことは、 かたのごとくまふさむとおもひさふらふなり

まづ三心さむしむそくしてわうじやうすとまふすことは、 まことにそのみやうもく ナトイフ ばかりをうちきくおりは、 いかなるこゝろをまふすやらむと、 ことごとしくおぼえさふらひぬべけれども、 善導ぜんだうおむこゝろにては、 こゝろやすきことにてさふらふなり。 もしならひさたせざらむ無智むちひと0994、 さとりなからむ女人によにんなどは、 えせぬほどのこゝろばえにてはさふらはぬなり。 まめやかにわうじやうせむとおもひて念仏ねむぶちまふさむひとは、 ねんそくしぬべきこゝろにてさふらふものを。

そのゆへは、 三心さむしむまふすは、 ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ にとかれてさふらふやうは、 「もししゆじやうあて、 かのくにゝむまれむとねがはむものは、 三種さむしゆしむをおこしてすなはちわうじやうすべし。 なにおかみつとする。 ひとつにはじやうしむふたつには深心じむしむみつにはかうほちぐわんしむなり。 三心さむしむせるもの、 かならずかのくににむまる」 ととかれたり。

しかるに善導ぜんだうくわしやうおむこゝろによらば、 はじめのじやうしむといふは真実しんじちしむなり。 真実しんじちといふは、 うちにはむなしくして、 ほかにはかざるこゝろなきをまふすなり。 すなわち、 ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ をしやくしてのたまはく、 「ほか賢善けんぜんしやうじんさうげんじて、 うちには虚仮こけをいだくことなかれ」 と。

このしやくのこゝろは、 うちにはおろかにして、 ほかにはかしこきひととおもはれむとふるまひ、 うちにはあくをつくりて、 ほかには善人ぜんにんのよしをしめし、 うちにはだいにして、 ほかにはしやうじんさうげんずるを、 じちならぬこゝろとはまふすなりうちにもほかにもたゞあるまゝにてかざるこゝろなきを、 じやうしむとはなづけたるにこそさふらふめれ。

ふたつには深心じむしむとは、 すなわちふかくしんずるこゝろなり。 なにごとをふかくしんずるぞといふに、 もろもろの煩悩ぼむなうそくして、 おほくのつみをつくりて、 ぜん0995ごんなからむぼむ弥陀みだぶちだいぐわんをあふぎて、 そのほとけのみやうがうをとなえて、 もしはひやくねんにても、 もしはじふねんにても、 もしはじふ廿にじふねんないゐちねん、 すべておもひはじめたらむより臨終りむじゆときにいたるまで退たいせざらむ。 もしは七日しちにち一日ゐちにちじふしやうゐちしやうにても、 おほくもすくなくも、 称名しようみやう念仏ねむぶちひと決定くゑちじやうしてわうじやうすとしんじて、 ない一念ゐちねむもうたがふことなきを、 深心じむしむなり

しかるにもろもろのわうじやうをねがふひとも、 ほんぐわんみやうがうおばたもちながら、 なほうち妄念まうねむのおこるにもおそれ、 ほかぜんのすくなきによりて、 ひとへにわがみをかろめてわうじやうぢやうにおもふは、 すでにほとけほんぐわんをうたがふなり。

されば善導ぜんだうは、 はるかにらいぎやうじやのこのうたがひをのこさむことをかゞみて、 うたがひをのぞきて決定くゑちじやうしむをすゝめむがために、 煩悩ぼむなうしてつみをつくりて、 善根ぜんごんすくなくさとりなからむぼむゐちしやうまでの念仏ねむぶち決定くゑちじやうしてわうじやうすべきことわりを、 こまかにしやくしてのたまへるなり。

「たとひおほくのほとけ、 そらのなかにみちみちて、 ひかりをはなちしたをのべて、 つみをつくれるぼむ念仏ねむぶちしてわうじやうすといふことはひがごとなり、 しんずべからずとのたまふとも、 それによりて一念ゐちねむもおどろきうたがふこゝろあるべからず。

そのゆへは、 弥陀みだぶちいまだほとけになりたまはざりしむかし、 もしわれほとけになりたら0996むに、 わがみやうがうをとなふることじふしやうゐちしやうまでせむもの、 わがくににむまれずは、 われほとけにならじとちかひたまひたりしそのぐわんむなしからずして、 すでにほとけになりたまへり。 しるべし、 そのみやうがうをとなえむひとは、 かならずわうじやうすべしといふことを。

またしやぶち、 このしやかいにいでゝ、 一切ゐちさいしゆじやうのために、 かの弥陀みだぶちほんぐわんをとき、 念仏ねむぶちわうじやうをすゝめたまへり。 また六方ろくぱう諸仏しよぶちは、 そのせち証誠しようじやうしたまへり。

このほかにいづれのほとけの、 またこれらの諸仏しよぶちにたがひて、 ぼむわうじやうせずとはのたまふべきぞといふことわりをもて、 ほとけげんじてのたまふとも、 それにおどろきて、 信心しんじむをやぶりうたがひをいたすことあるべからず。 いはむや、 ほとけたちのゝたまはむおや。 いはむおや、 びやくぶちとうをや」 と、 こまごまとしやくしたまひてさふらふなり

いかにいはむや、 このごろのぼむのいひさまたげむおや。 いかにめでたきひとまふすとも、 善導ぜんだうくわしやうにまさりてわうじやうのみちをしりたらむこともかたくさふらふ

善導ぜんだうまたゞたのぼむにあらず、 すなわち弥陀みだぶち化身くゑしんなり。 かのほとけわがほんぐわんをひろめて、 ひろくしゆじやうわうじやうせさせむれうに、 かりにひととむまれて善導ぜんだうとはまふすなり。 そのおしえまふせば仏説ぶちせちにてこそさふらへ。

いかにいはむや、 すいしやくのかたにても現身げんしん三昧さむまいをえて、 まのあたりじやうしやうごむおもみ、 ほとけにむかひたてまつりて、 たゞちにほとけ0997のおしへをうけたまはりてのたまへることばどもなり。 ほんをおもふにもすいしやくをたづぬるにも、 かたがたあふぎてしんずべきおしえなり。

しかれば、 たれだれも煩悩ぼむなうのうすくこきおもかへりみず、 ざいしやうのかろきおもきおもさたせず、 たゞくちにて南无なも弥陀みだぶちととなえば、 こゑにつきて決定くゑちじやうわうじやうのおもひをなすべし。 決定くゑちじやうしむをすなわち深心じむしむとなづく。 その信心しんじむしぬれば、 決定くゑちじやうしてわうじやうするなり。

せむずるところは、 たゞとにもかくにも、 念仏ねむぶちしてわうじやうすといふことをうたがはぬを、 深心じむしむとはなづけてさふらふなり。

みつにはかうほちぐわんしむまふすは、 これべちのこゝろにてはさふらはず、 わが所修しよしゆぎやうを、 一向ゐちかうかうしてわうじやうをねがふこゝろなり。

「かくのごとく三心さむしむそくしてかならずわうじやうす。 このこゝろひとへにかけぬればわうじやうせず」 と、 善導ぜんだうしやくしたまへるなり。

たとひまことのこゝろありて、 うへをかざらずとも、 ほとけほんぐわんをうたがはゞ、 深心じむしむかけたるこフカクシンズルコヽロトイフナリゝろなり。 たとひうたがふこゝろなくとも、 うへをかざりて、 うちにまことにおもふこゝろなくは、 じやうしむかけたるこゝろなるべし。 たとひまたこのふたつのこゝろをして、 かざりごゝろもなく、 うたがふこゝろもなくとも、 極楽ごくらくわうじやうせむとねがふこゝろなくは、 かうほちぐわんしむすくなかるべし。

また三心さむしむとわかつおりは、 かくのごとく別別べちべちになる0998やうなれども、 せむずるところは、 真実しんじちのこゝろをおこして、 ふかくほんぐわんしんじてわうじやうをねがはむこゝろを、 三心さむしむそくのこゝろとはまふすべきなり。 まことにこれほどのこゝろをだにもせずしては、 いかゞわうじやうほどのだいおばとげさふらふべき。

このこゝろをまふせば、 またやすきことにてさふらふぞかし。 これをかやうにこゝろえしらねばとて、 三心さむしむせぬにてはさふらはぬなり。 そのなをだにもしらぬものも、 このこゝろおばそなえつべく、 またよくよくしりたらむひとなかにも、 そのまゝにせぬもさふらひぬべきこゝろにてさふらふなり。

さればこそいふかひなきひとのなかよりも、 たゞひとへに念仏ねむぶちまふすばかりにてはわうじやうしたりといふことは、 むかしよりまふしつたえたることにてさふらへ。 それはみなしらねども、 三心さむしむしたるひとにてありけりと、 こゝろうることにてさふらふなり。

またとしごろ念仏ねむぶちまふしたるひとの、 臨終りむじゆわるきことのさふらふは、 さきにまふしつるやうに、 うへばかりをかざりて、 たうとき念仏ねむぶちしやなどひとにいはれむとのみおもひて、 したにはふかくほんぐわんおもしんぜず、 まめやかにわうじやうおもねがわぬひとにてこそはさふらふらめとこそは、 こゝろえられさふらへ。

さればこの三心さむしむせぬゆへに、 臨終りむじゆもわるく、 わうじやうもえせぬとはまふしさふらふなり。 かくまふしさふらへば、 さてはわうじやうだいにこそあむなれと、 おぼ0999しめすことゆめゆめさふらふまじ。 ゐちぢやうわうじやうすべきぞとおもひとらぬこゝろを、 やがて深心じむしむかけてわうじやうせぬこゝろとはまふしさふらへば、 いよいよゐちぢやうとこそおぼしめすべきことにてさふらへ。

まめやかにわうじやうのこゝろざしありて、 弥陀みだほんぐわんうたがはずして、 念仏ねむぶちまふさむひとは、 臨終りむじゆわるきことはおほかたさふらふまじきなり。 そのゆへは、 ほとけ来迎らいかうしたまふことは、 もとよりぎやうじや臨終りむじゆしやうねむのためにてさふらふなり。 それをこゝろえぬひとは、 みなわが臨終りむじゆしやうねむにて念仏ねむぶちまふしたらむおりに、 ほとけはむかへたまふべきとのみこゝろえてさふらはば、 ほとけぐわんおもしんぜず、 きやうもんおもこゝろえぬにてさふらふなり。

¬しようさんじやうきやう¼ には、 「慈悲じひをもてくわえたすけて、 こゝろをしてみだらしめたまはず」 ととかれてさふらふなり。 たゞのときによくよくまふしおきたる念仏ねむぶちによりて、 臨終りむじゆにかならずほとけ来迎らいかうキタリムカフたまふ。 ほとけのきたりげんじたまへるをみたてまつりて、 しやうねむにはじゆすとまふしつたえてさふらふなり。

しかるにさきの念仏ねむぶちおば、 むなしくおもひなして、 よしなき臨終りむじゆしやうねむおのみいのるひとなどのさふらふは、 ゆゝしきひがゐむにいりたることにてさふらふなり。 さればほとけぐわんしんぜむひとは、 かねて臨終りむじゆうたがふこゝろあるべからずとこそはおぼへさふらへ。

たゞたうじよりまふさむ念仏ねむぶちおぞ、 いよいよもこゝろをいたしてまふしさふらふべき。 いつかはほとけぐわんにも、 臨終りむじゆとき念仏ねむぶちまふしたらむひとおのみむかへむとは1000たてたまひてさふらふ

臨終りむじゆ念仏ねむぶちにてわうじやうをすとまふすことは、 わうじやうおもねがはず、 念仏ねむぶちおもまふさずして、 ひとへにつみをのみつくりたる悪人あくにんの、 すでにしなむとするときに、 はじめてぜんしきのすゝめにあひて、 念仏ねむぶちしてわうじやうすとこそ、 ¬観経くわんぎやう¼ にもとかれてさふらへ。

もとよりのぎやうじや臨終りむじゆのさたはあながちにすべきやうもさふらはぬなり。 ほとけ来迎らいかうゐちぢやうならば、 臨終りむじゆしやうねむはまたゐちぢやうとおぼしめすべきなり。 このおむこゝろをえて、 よくよくおむこゝろをとゞめて、 こゝろえさせたまふべきことにてさふらふなり。

またつみをつくりたるひとだにも念仏ねむぶちしてわうじやうす、 まして ¬法華ほふくゑきやう¼ などよみて、 また念仏ねむぶちまふさむは、 などかはあしかるべきと人々ひとびとまふしさふらふらむことは、 きやうへむにもさやうにまふしさふらふ人々ひとびとおほくさふらへば、 まことにさぞさふらふらむ。 これはしゆのこゝろにてこそはさふらはめ。 よしあしをさだめまふしさふらふべきことにさふらはず。 ひがごとゝまふしさふらはゞ、 おそれあるかたもおほくさふらふ

たゞしじやうしゆのこゝろ、 善導ぜんだうおむしやくには、 わうじやうぎやうをおほきにわかちてふたつとす。 ひとつには正行しやうぎやうふたつにはざふぎやうなり

はじめの正行しやうぎやうといふは、 それにまたあまたのぎやうあり。 はじめに読誦どくじゆ正行しやうぎやう、 これは ¬だいりやう寿じゆきやう¼・¬くわんりやう寿じゆきやう¼・¬弥陀みだきやう¼ とうの 「さむきやう」 をよむなり。 つぎにくわんざち正行しやうぎやう、 こ1001れは極楽ごくらくしやうほうのありさまをくわんずるなり。 つぎに礼拝らいはい正行しやうぎやう、 これも弥陀みだぶち礼拝らいはいするなり。 つぎに称名しようみやう正行しやうぎやう、 これは南无なも弥陀みだぶちととなふるなり。 つぎに讃嘆さんだんやう正行しやうぎやう、 これは弥陀みだぶち讃嘆さんだんやうしたてまつるなり。 これをさしてしゆ正行しやうぎやうとなづく。 讃嘆さんだんやうとをふたつにわかつには、 六種ろくしゆ正行しやうぎやうともまふすなり。

また 「この正行しやうぎやうにつきてふさねてしゆとす。 ひとつには一心ゐちしむにもはら弥陀みだみやうがうをとなえて、 たちゐ・おきふし、 よるひる、 わするゝことなく、 念念ねむねむにすてざるを、 正定しやうぢやうごふとなづく、 かのほとけぐわんによるがゆへに」 (散善義意)まふして、 念仏ねむぶちをもてまさしきさだめたるわうじやうごふにたてて、 「もし礼誦らいじゆとうによるおばなづけて助業じよごふとす」 (散善義)まふして、 念仏ねむぶちのほかの礼拝らいはい読誦どくじゆくわんざち讃嘆さんだんやうなどおば、 かの念仏ねむぶちしやをたすくるごふまふしさふらふなり。

さてこの正定しやうぢやうごふ助業じよごふとをのぞきて、 そのほかのしよぎやうおば、 布施ふせかい忍辱にんにくしやうじんとうろくまんぎやうも、 ¬法華ほふくゑきやう¼ おもよみ、 真言しんごんおもおこなひ、 かくのごとくのしよぎやうおば、 みなことごとくざふぎやうとなづく。 さきの正行しやうぎやうしゆするおば、 専修せんじゆぎやうじやといふ。 のちのざふぎやうしゆするを、 雑修ざふしゆぎやうじやまふすなり

このぎやう得失とくしちはんずるに、 「さきの正行しやうぎやうしゆするには、 こゝろつねにかのくにに親近しんごんしてシタシクチカヅク憶念おくねむひまなし。 のちのざふぎやうぎやうずるには、 こゝろつ1002ねに間断けんだんす、 ヘダテタフルナリかうしてむまるゝことをうべしといゑども、 ざふウトぎやうクマジワルトとなづく」 (散善義意) といひて、 極楽ごくらくにはうときぎやうとたてたり。

また 「専修せんじゆのものは、 十人じふにん十人じふにんながらむまれ、 ひやくにんひやくにんながらむまる。 なにをもてのゆへに。 ぐゑホカナリ雑縁ざふえんなし、 しやうねむをうるがゆへに、 弥陀みだほんぐわん相応さうおうするがゆへに、 しやのおしえにしたがふがゆへに、 恒沙ごうじや諸仏しよぶちのみことにしたがふがゆへに。

雑修ざふしゆのものは、 ひやくにんゐちにん千人せんにん四五しごにんむまる。 なにをもてのゆへに。 雑縁ざふえん乱動らんどうす、 ミダリオゴカスナリしやうねむをうしなふがゆへに、 弥陀みだほんぐわん相応さうおうせざるがゆへに、 しやのおしへにしたがはざるがゆへに、 諸仏しよぶちのみことにたしがはざるがゆへに、 ねむ相続さうぞくせざるがゆへに、 憶想おくさう間断けんだんするがゆへに、 みやう相応さうおうするがゆへに、 しやうワガコヽロヲサヘしやうヒトヲサフルするがゆへに、 このみて雑縁ざふえんにちかづきてわうじやう正行しやうぎやうをさふるがゆへに」 (礼讃意)しやくせられてさふらふめれば、 善導ぜんだうくわしやうをふかくしんじて、 じやうしゆにいらむひとは、 一向ゐちかう正行しやうぎやうしゆすべしとまふすことにてこそさふらへ。

そのうへに善導ぜんだうのおしえをそむきて、 よのぎやうしゆせむとおもはむひとは、 おのおのならひたるやうどもこそさふらふらめ。 それをよしあしとはいかゞまふしさふらふべき。 善導ぜんだうおむこゝろにて、 すゝめたまへるぎやうどもをおきながら、 すゝめたまはざるぎやうをすこしにてもくはふべきやうなしとまふすことにてさふらふなり。 すゝめたまひつる1003正行しやうぎやうばかりをだにもなほものうきみに、 いまだすゝめたまはぬざふぎやうをくはへんことは、 まことしからぬかたもさふらふぞかし。

またつみをつくりたるひとだにもわうじやうすれば、 ましてぜんなれば、 なにかくるしからむとまふしさふらふらむこそ、 むげにけきたなくおぼえさふらへ。 わうじやうおもたすけさふらはゞこそは、 いみじくもさふらはめ。 さまたげになりならぬばかりを、 いみじきことにてくはえおこなはむこと、 なにかせむにてさふらふべき。

あくをば、 さればほとけおむこゝろに、 このつみつくれとやはすゝめさせたまふ。 かまえてとゞめよとこそはいましめたまへども、 ぼむのならひ、 たうのまどひにひかれて、 あくをつくるちからおよばぬことにてこそさふらへ。 まことにあくをつくるひとのやうに、 しかるべくてきやうをよみたく、 ぎやうおもくはへたからむは、 ちからおよばずさふらふ

たゞし ¬法華ほふくゑきやう¼ などよまむことを、 一言ゐちごんヒトコトバ あくをつくらむことにいひくらべて、 それもくるしからねば、 ましてこれもなどまふしさふらはむこそ、 便びんのことにてさふらへ。 ふかきみのりもあしくこゝろうるひとにあひぬれば、 かへりてものならずきこえさふらふこそ、 あさましくさふらへ。

これをかやうにまふしさふらふおば、 ぎやう人々ひとびとはらたつことにてさふらふに、 おむこゝろひとつにこゝろえて、 ひろくちらさせたまふまじくさふらふ あらぬさとりの人々ひとびとのともかくもまふしさふらはむことおば、 1004きゝいれさせたまはで、 たゞひとすぢに善導ぜんだうおむすゝめにしたがひて、 いますこしもゐちぢやうわうじやうする念仏ねむぶちのかずをまふしあはむとおぼしめすべくさふらふ

たとひわうじやうのさわりとこそならずとも、 ぢやうわうじやうとはきこえてさふらふめれば、 ゐちぢやうわうじやうぎやうしゆすべし。 いとまをいれて、 ぢやうわうじやうごふをくわえむことは、 そんにてさふらはずや。 よくよくこゝろうべきことにてさふらふなり。

たゞし、 かくまふしさふらへば、 ざふぎやうをくわえむひと、 ながくわうじやうすまじとまふすにてはさふらはず。 いかさまにもぎやうにんなりとも、 すべてひとをくだしひとをそしることは、 ゆゝしきとがおもきことにてさふらふなり。 よくよくおんつゝしみさふらひて、 ざふぎやうひとなればとて、 あなづるおむこゝろさふらふまじ。 よかれあしかれ、 ひとのうえの善悪ぜんあくをおもひいれぬがよきことにてさふらふなり

またもとよりこゝろざしこのもんにありて、 すゝむべからむひとおば、 こしらへ、 すゝめたまふべくさふらふ。 さとりたがひ、 あらぬさまならむひとなどにろんじあふことは、 ゆめゆめあるまじきことにてさふらふなり。

よくよくならひしりたまひたるひじりだにも、 さやうのことおばつゝしみておはしましあひてさふらふぞ。 ましてとのばらなどのおむにては、 ゐちぢやうひがごとにてさふらはむずるにさふらふ

たゞおむひとつに、 まづよくよくわうじやうをもねがひ、 念仏ねむぶちおもはげませたまひて、 くらゐたかくわうじやうして、 いそぎかへりきたりて、 ひとおもみちびか1005むとおぼしめすべくさふらふ。 かやうにこまかにかきつづけてまふしさふらへども、 返々かへすがへすはゞかりおもひてさふらふなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

おむひろうあるまじくさふらふらむじこゝろえさせたまひてのちには、 とくとくひきやらせたまふべくさふらふ あなかしこ、 あなかしこ。

三月十四日

ぐゑん

一六、正如房への御消息(光明房宛)

しやうによばうの御事おむことこそ、 返々かへすがへすあさましくさふらへ。 そのゝちは、 こゝろならずうときやうになりまいらせさふらひて、 念仏ねむぶちしんもいかゞと、 ゆかしくはおもひまいらせさふらひつれども、 さしたることさふらはず。

またまふすべきたよりもさふらはぬやうにて、 おもひながら、 なにとなくて、 むなしくまかりすぎさふらひつるに、 たゞれいならぬ御事おむことだいになどばかりうけたまはりさふらはむ。 いまゐちどはみまいらせたく、 おはりまでのおむ念仏ねむぶちことも、 おぼつかなくこそおもひまいらせさふらふべきに、 ましておむこゝろにかけて、 つねにおむたづねさふらふらむこそ、 まことにあはれにもこゝろぐるしくも、 おもひまいらせさふらへ。

さうなくうけたまはりさふらふまゝに、 まいりさふらひてみまいらせたくさふらへども、 お1006もひきりてしばしいでありきさふらはで、 念仏ねむぶちまふしさふらはばやとおもひはじめたることさふらふを、 やうにこそよることにてさふらへ。

これおば退たいしてもまいるべきにてさふらふにまたおもひさふらへば、 せむじては、 このよの見参けんざむはとてもかくてもさふらふなむ。 かばねをしよするまどひにもなりさふらひぬべし。 たれとてもとまりはつべきみちもさふらはず、 われもひともたゞおくれさきだつかはりめばかりにてこそさふらへ。

そのたえまをおもひさふらふも、 またいつまでかとさだめなきうえに、 たとひひさしとまふすとも、 ゆめまぼろしいくほどかはさふらふべきなれば、 たゞかまへておなじほとけのくににまいりあひて、 はちすのうえにてこのよのいぶせさおもはるけ、 ともにくわ因縁いんねんおもかたり、 たがひにらい化道くゑだうおもたすけむことこそ、 返々かへすがへすせむにてさふらふべきと、 はじめよりまふしおきさふらひしが、 返々かへすがへすほんぐわんをとりつめまいらせて、 一念ゐちねむもうたがふおむこゝろなく、 ひとこゑも南无なも弥陀みだぶちまふせば、 わがみはたとひいかにつみふかくとも、 ほとけぐわんりきによりてゐちぢやうわうじやうするぞとおぼしめして、 よくよくひとすぢにおむ念仏ねむぶちさふらふべきなり。

われらがわうじやうはゆめゆめわがみのよきあしきにはよりさふらふまじ。 ひとへにほとけおむちからばかりにてさふらふべきなり。 わがちからばかりにてはいかにめでたくたうときひとまふすとも、 末法まちぽふのこのごろ、 たゞちにじやうにむまるゝほどのことはありがたくぞさふらふ1007べき。

またほとけおむちからにてさふらはむに、 いかにつみふかくおろかにつたなきみなりとも、 それにはよりさふらふまじ。 たゞほとけぐわんりきしんしんぜぬにぞよりさふらふべき。

されば ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ にとかれてさふらふ。 むまれてよりこのかた、 念仏ねむぶち一遍ゐちぺんまふさず、 それならぬ善根ぜんごんもつやつやとなくて、 あさゆふものをころしぬすみし、 かくのごときのもろもろのつみをのみつくりて、 としつきをゆけども、 一念ゐちねむ懺悔さむぐゑのこゝろもなくて、 あかしくらしたるものゝ、 おはりのときぜんしきのすゝむるにあひて、 たゞひとこゑ南无なも弥陀みだぶちまふしたるによりて、 じふ億劫おくこふのあひだしやうにめぐるべきつみをめちして、 化仏くゑぶちさち三尊さむぞん来迎らいかうにあづかりて、 なんぢほとけのみなをとなふるがゆへにつみめちせり、 われきたりてなむぢをむかふとほめられまいらせて、 すなわちかのくににわうじやうすとさふらふ

またぐゐやくざいまふしさふらひて、 現身げんしんにちゝをころし、 はゝをころし、 悪心あくしむをもてほとけをころしめ、 諸僧しよそうし、 かくのごとくおもきつみをつくり、 一念ゐちねむ懺悔さむぐゑのこゝろもなからむ、 そのつみによりてけんごくにおちて、 おほくのこふをおくりてをうくべからむものゝ、 おわりのときに、 ぜんしきのすゝめによりて、 南无なも弥陀みだぶちじふしやうとなふるに、 ひとこゑごとにおのおの八十はちじふ億劫おくこふのあひだしやうにめぐるべきつみをめちして、 わうじやうすととかれてさふらふめれ。 さほどの罪人ざいにんだにも1008じふしやうゐちしやう念仏ねむぶちにてわうじやうはしさふらへば、 まことにほとけほんぐわんのちからならでは、 いかでかさることさふらふべきとおぼへさふらひて、 ほんぐわんむなしからずといふことは、 これにてもしんじつべくこそさふらへ。

これまさしき仏説ぶちせちにてさふらふほとけののたまふみことばは、 一言ゐちごんもあやまたずとまふしさふらへば、 たゞあふぎてしんずべきにてさふらふ これをうたがはば、 ほとけおむそらごとゝまふすにもなりぬべく、 かへりてはまたそのつみさふらひぬべしとこそおぼえさふらへ。 ふかくしんぜさせたまふべくさふらふ

さてわうじやうはせさせおはしますまじきやうにのみまふしきかせまいらする人々ひとびとさふらふらむこそ、 返々かへすがへすあさましくこゝろぐるしくさふらへ。 いかなるしやめでたきひととおほせらるとも、 それになほおどろかされおはしましさふらふぞ。 おのおののみちにはめでたくたうときひとなりとも、 さとりあらずぎやうことなるひとまふしさふらふことは、 わうじやうじやうのためは、 中々なかなかゆゝしき退縁たいえんシリゾキスツルエントナリあくしきともまふしさふらひぬべきことどもにてさふらふ

たゞぼむのはからひおばきゝいれさせおはしまさで、 ひとすぢにほとけおむちかひをたのみまいらせさせたまふべくさふらふ

さとりことなるひとわうじやういひさまたげむによりて、 一念ゐちねむもうたがふこころあるべからずといふことわりは、 善導ぜんだうくわしやうのよくよくこまかにおほせられおきたることにてさふらふなり

「たとひおほくのほとけ、 そらのなかにみちみちて、 ひかりをはなちした1009をのべて、 あくをつくりたるぼむなりとも、 一念ゐちねむしてかならずわうじやうすといふことはひがごとぞ、 しんずべからずとのたまふとも、 それによりて一念ゐちねむもうたがふこゝろあるべからず。

そのゆへは、 弥陀みだぶちのいまだほとけになりたまはざりしむかし、 はじめて道心だうしむをおこしたまひしとき、 われほとけになりたらむに、 わがみやうがうをとなふることじふしやうゐちしやうまでせむもの、 わがくにゝむまれずは、 われほとけにならじとちかひたまひたりしそのぐわんむなしからず、 すでにほとけになりたまへり。

またしやぶち、 このしやかいにいでゝ、 一切ゐちさいしゆじやうのために、 かのほんぐわんをとき、 念仏ねむぶちわうじやうをすゝめたまへり。

また六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶち、 この念仏ねむぶちしてゐちぢやうわうじやうすとしやぶちのときたまへるは決定くゑちじやうなり、 もろもろのしゆじやう一念ゐちねむもうたがふべからず。 ことごとく一仏ゐちぶちものこらず、 あらゆる諸仏しよぶちみなことごとく証誠しようじやうしたまへり。

すでに弥陀みだぶちぐわんにたて、 しやぶちそのぐわんをとき、 六方ろくぱう諸仏しよぶちそのせち証誠しようじやうしたまへるうえに、 このほかにはなにぶちの、 またこれらの諸仏しよぶちにたがひて、 ぼむわうじやうせずとはのたまふべきぞといふことわりをもて、 ほとけげんじてのたまふとも、 それにおどろきて信心しんじむをやぶりうたがふこゝろあるべからず。 いはむやさちたちののたまはむおや、 じやうびやくぶちおや」 と、 こまごまと善導ぜんだうしやくしたまひてさふらふなり

ましてこのごろのぼむのいかにも1010まふしさふらはむによりて、 げにいかゞあらむずらむなど、 ぢやうにおぼしめすおむこゝろ、 ゆめゆめあるまじくさふらふ。 よにめでたきひとまふすとも、 善導ぜんだうくわしやうにまさりてわうじやうのみちをしりたらむこともかたくさふらふ

善導ぜんだうまたぼむにはあらず、 弥陀みだぶち化身くゑしんなり。 弥陀みだぶちのわがほんぐわんひろくしゆじやうわうじやうせさせむれうに、 かりにひとにむまれて善導ぜんだうとはまふしさふらふなり。 そのおしへまふせば仏説ぶちせちにてこそさふらへ。 あなかしこ、 あなかしこ。 うたがひおぼしめすまじくさふらふ

またはじめよりほとけほんぐわんしんをおこさせおはしましてさふらひおむこゝろのほど、 みまいらせさふらひしに、 なにしにかはわうじやうはうたがひおぼしめしさふらふべき。 きやうにとかれてさふらふごとく、 いまだわうじやうのみちもしらぬひとにとりてのことにさふらふ もとよりよくよくきこしめししたゝめて、 そのうへおむ念仏ねむぶちこうつもりたることにてさふらはむには、 かならずまた臨終りむじゆぜんしきにあはせおはしまさずとも、 わうじやうゐちぢやうせさせおはしますべきことにてこそさふらへ。

中々なかなかあらぬすぢなるひとは、 あしくさふらふなむ。 たゞいかならむひとにても、 あま女房によばうなりとも、 つねにおむまへにさふらはむひとに、 念仏ねむぶちまうさせて、 きかせおはしまして、 おむこゝろひとつをつよくおぼしめして、 たゞ中々なかなか一向ゐちかうに、 ぼむぜんしきをおぼしめしすてゝ、 ほとけぜんしきにたのみまいらせさせたまふべくさふらふ

もとよりほとけ来迎らいかうは、 臨終りむじゆしやうねむのためにて1011さふらふなり。 それをひとの、 みなわが臨終りむじゆしやうねむにして念仏ねむぶちまふしたるに、 ほとけはむかへたまふとのみこゝろえてさふらふは、 ほとけぐわんしんぜず、 きやうもんしんぜぬにてさふらふなり。 ¬しようさんじやうきやう¼ のもんしんぜぬにてさふらふなり

¬しようさんじやうきやう¼ には 「慈悲じひをもてくわへたすけて、 こゝろをしてみだらしめたまはず」 ととかれてさふらふなり たゞのときによくよくまふしおきたる念仏ねむぶちによりて、 ほとけ来迎らいかうしたキタリムカフト まふときに、 しやうねむにはじゆすとまふすべきにてさふらふなり

たれもほとけをたのむこゝろははすくなくして、 よしなきぼむぜんしきをたのみて、 さきの念仏ねむぶちおばむなしくおもひなして、 臨終りむじゆしやうねむをのみいのることどもにてのみさふらふが、 ゆゝしきひがゐむのことにてさふらふなり

これをよくよくおむこゝろえて、 つねにおむめをふさぎ、 たなごゝろをあはせて、 おむこゝろをしづめておぼしめすべくさふらふ ねがわくは弥陀みだぶちほんぐわんあやまたず、 臨終りむじゆときかならずわがまへにげんじて、 慈悲じひをくわえたすけて、 しやうねむじゆせしめたまへと、 おむこゝろにもおぼしめして、 くちにも念仏ねむぶちまふさせたまふべくさふらふ。 これにすぎたることさふらふまじ。 こゝろよわくおぼしめすことの、 ゆめゆめさふらふまじきなり。

かやうに念仏ねむぶちをかきこもりてまふしさふらはむなどおもひさふらふも、 ひとへにわがみひとつのためとのみは、 もとよりおもひさふらはず。 おりしもこのおむことをかくうけたまはりさふらひぬれば、 いまよりは一念ゐちねむものこさす、 ことごと1012くそのわうじやうおむたすけになさむとかうしまいらせさふらはむずれば、 かまへてかまへておぼしめすさまにとげさせまいらせさふらはゞやとこそは、 ふかくねんじまいらせさふらへ。

もしこのこゝろざしまことならば、 いかでかおむたすけにもならでさふらふべき、 たのみおぼしめさるべきにてさふらふ

おほかたはまふしいでさふらひしひとことばにおむこゝろをとゞめさせおはしますことも、 このよひとつのことにてはさふらはじと、 さきのよもゆかしくあはれにこそおもひしらるゝことにてさふらへば、 うけたまはりさふらふごとく、 このたびまことにさきだゝせおはしますにても、 またおもはずにさきだちまいらせさふらふことになるさだめなさにてさふらふとも、 ついに一仏ゐちぶちじやうにまいりあひまいらせさふらはむことは、 うたがひなくおぼえさふらふ

ゆめまぼろしのこのよにて、 いまゐちどなどおもひまふしさふらふことは、 とてもかくてもさふらふなむ。 これおばひとすぢにおぼしめしすてゝ、 いよいよもふかくねがふおむこゝろおもまし、 おむ念仏ねむぶちおもはげませおはしまして、 かしこにてまたむとおぼしめすべくさふらふ

返々かへすがへすもなほなほわうじやうをうたがふおむこゝろさふらふまじきなり。 ぐゐやく十悪じふあくのおもきつみつくりたる悪人あくにん、 なをじふしやうゐちしやう念仏ねむぶちによりて、 わうじやうをしさふらはむに、 ましてつみつくらせおはします御事おむことは、 なにごとにかはさふらふべき。 たとひさふらふべきにても、 いくほどのことかはさふらふべき。 このきやう1013にとかれてさふらふ罪人ざいにんには、 いひくらぶべくやはさふらふ

それにまづこゝろをおこし、 しゆつをとげさせおはしまして、 めでたきみのりにもえんをむすび、 ときにしたがひにそえて、 善根ぜんごんのみこそはつもらせおはしますことにてさふらはめ。 そのうへふかく決定くゑちじやうわうじやう法文ほふもんしんじて、 一向ゐちかう専修せんじゆ念仏ねむぶちにいりて、 ひとすぢに弥陀みだほんぐわんをたのみて、 ひさしくならせおはしましてさふらふ。 なにごとにかは、 ひとこともわうじやうをうたがひおぼしめしさふらふべき。

専修せんじゆひとひやくにんひやくにんながら、 十人じふにん十人じふにんながらわうじやうす」 (礼讃)善導ぜんだうのたまひてさふらへば、 ひとりそのかずにもれさせおはしますべきかはとこそはおぼえさふらへ。 善導ぜんだうおもかこち、 ほとけほんぐわんおもせめまいらせさせたまふべくさふらふ。 こゝろよはくは、 ゆめゆめおぼしめすまじくさふらふ あなかしこ、 あなかしこ。

ことわりをやまふしひらきさふらふとおもひさふらふほどに、 よくおほくなりさふらひぬる。 さやうのおりふし、 こちなくやとおぼえさふらへども、 もしさすがのびたるおむことにてもまたさふらふらむ。 えしりさふらはねば、 このたびまふしさふらはでは、 いつおかはまちさふらふべき。 もしのどかにきかせおはしまして、 一念ゐちねむおむこゝろをすゝむるたよりにやなりさふらふと、 おもひさふらふばかりに、 とゞめえさふらはで、 これほどもこまかになりさふらひぬ。

シユジヤウげんキラフトしりさふら1014ぬは、 はからひがたくてわびしくこそさふらへ。 もしむげによはくならせおはしましたる御事おむことにてさふらはゞ、 これはことながくさふらふべきなり。 えうをとりてつたえまいらせさせおはしますべくさふらふ

うけたまはりさふらふままに、 なにとなくあはれにおぼえさふらひて、 おしかへしまたまふしさふらふなり

一七、故聖人の御房の御消息

またしやうにん御坊おむばうおむ消息せうそく

一念ゐちねむわうじやうきやうちうにもほぼ流布るふするところなり。 おほよそごん道断だうだんのことなり、 まことにほとおどもんにおよぶべからざるなり。

せむずるところ、 ¬そう巻経くわんぎやう¼ (大経)に 「ない一念ゐちねむ信心しんじむくわん」 といひ、 また善導ぜんだうくわしやう

かみゐちぎやうつくしもじふしやうゐちしやうとういたるまで、 さだめわうじやうない一念ゐちねむしむあることなかれ」

じやうじんゐちぎやう下至げしじふしやうゐちしやうとう↡、 ぢやうとくわうじやう↡、 ない一念ゐちねむしむ↡」

といえる。 これらのもんをあしくぞみたるともがら、 だい邪見じやけんじゆしてまふしさふらふところなり。

ないといひ下至げしといえる、 みなじやうじんゐちぎやうをかねたることばなり。 しかるをちかごろ愚痴ぐち無智むちのともがらおほく、 ひとへに十念じふねむ一念ゐちねむなりとしふしてじやうじんゐちぎやうはいするスツルナリ でうざむハヂナシぐゐハジナシトナリことなり。 まことに十念じふねむ一念ゐちねむまでもほとけだいほんぐわん、 なほかならず引接いんぜふしたまふ1015じやうどくなりとしんじて、 ゐち退たいぎやうシリゾキステザレトナリべきなり もんしようおほしといゑども、 これをいだすにおよばず、 いふにたらざることなり。

こゝにかの邪見じやけんひと、 このなんをかぶりて、 こたえていはく、 わがいふところも、 しん一念ゐちねむにとりてねむずべきなり。 しかりとて、 またねむずべからずとはいはずといふ。 これまたことばはじむじやうツネナルトイフるににたりといゑども、 こゝろは邪見じやけんをはなれず。 しかるゆへは、 決定くゑちじやう信心しんじむをもて一念ゐちねむしてのちは、 またねむぜすといふとも、 十悪じふあくぐゐやくなほさわりをなさず、 いはむや、 少罪せうざいおやとしんずべきなりといふ。

このおもひにじゆせむものは、 たとひおほくねむずといはむ。 弥陀みだぶちおむこゝろにかなはむや、 いづれのきやうろんにんせちぞや。 これひとへにだい道心だうしむたうぜんのたぐひの、 ほしいまゝにあくをつくらむとおもひてまたねむぜずは、 そのあくかのしよういんをさえて、 むしろさむにおちざらむや。

かのゐちしやう造悪ざうあくのものゝ臨終りむじゆ十念じふねむしてわうじやうする、 これ懺悔さむぐゑ念仏ねむぶちのちからなり、 このあくにはこむずべからずヒトゴトニナルヲイフナリ。 かれは懺悔さむぐゑひとなり、 これは邪見じやけんひとなり。 なほ不可ふかせち不可ふかせちことなり

もししやうじんのものありといふとも、 このをきかばすなわちだいになりなむ。 まれにかいをたもつひとありといふとも、 このせちしんぜばすなわちざむなり。 おほよそかくのごときのひとは、 仏法ぶちぽふ外道ぐゑだうなり、フブチポフトイフハブチポフニツキタル1016グヱダウナリみのうちむしなり。

またうたがふらくは、 てんじゆんのために、 しやうじんをうばわるゝともがらの、 もろもろのわうじやうひとをさまたげむとするなり。 あやしむべし、 ふかくおそるべきものなりまいコトゴトニ筆端ひちたんにつくしがフデニアラワシガタシトナリ たし。 つゝしみてまふす

これは越中 ゑちうのくに光明くわうみやうばうまふしひじり、 じやうかくばう弟子でし一念ゐちねむをたてゝ念仏ねむぶち数返しゆへんをとゞめむとまふして、 消息せうそくをもてわざとまふしさふらふおむへんをとりて、 くに人々ひとびとにみせむとてまふしさふらふあひだ、 かたのごとくのおむへんさふらひき。

一八、基親取信信本願之様

基親もとちかしんしんずるほんぐわんやう

¬さうくわん¼ (大経) じやういはく、

「たとひわれぶちたらむに、 十方じふぱうしゆじやうしんいた信楽しんげうしてわがくにむまれむとおもふて、 ない十念じふねむせむ。 もしむまれずは、 しやうがくとらじ」 と。

せちとくぶち十方じふぱうしゆじやうしん信楽しんげうよくしやうこく↡、 ない十念じふねむにやくしやうじやしゆしやうがく↡。」

おないは

「それみやうがうきゝ信心しんじむくわんして、 ない一念ゐちねむせむ。 しんいたかうして、 かのくにうまれむとがんぜむ。 すなわちわうじやう退転たいてんじゆせむと。」

もんみやうがう信心しんじむくわんない一念ゐちねむしんかうがんしやうこく↡。 そくとくわうじやう↡、 じゆ退転たいてん↡。」

¬わうじやう礼讃らいさん¼ いは

いましんす、 弥陀みだほんぜいぐわんは、 みやうがうしようすること下至げしじふしやうゐちしやうとうおよぶまで、 さだめ1017わうじやうない一念ゐちねむしむあることなかれと。」

こむしん弥陀みだほんぜいぐわんぎふしようみやうがう下至げしじふしやうゐちしやうとう↥、 ぢやうとくわうじやう↡、 ない一念ゐちねむしむ↡。」

¬観経くわんぎょうしよ¼ (散善義) いは

ひとつには決定くゑちじやうしてふかしんげんにこれ罪悪ざいあくしやうぼむくわうごふよりこのかたつねしづつねてんして、 しゆつえんあることなしとしんず。 ふたつには決定くゑちじやうしてふかくかの弥陀みだぶち十八じふはちぐわんしゆじやう摂受せふじゆして、 うたがひなくおもんぱかりなくかのぐわんりきじようじて、 さだめわうじやうしんず。」

一者ゐちしや決定くゑちじやう深信じむしんしんげん罪悪ざいあくしやうぼむくわうごふらいぢやうもちぢやうてんしゆつえん↡。 しや決定くゑちじやう深信じむしん弥陀みだぶち十八じふはちぐわんせふじゆしゆじやう↡、 りよじようぐわんりき↡、 ぢやうとくわうじやう↥。」

これらのもんあんさふらひて、 基親もとちか罪悪ざいあくしやうぼむなりといゑども、 一向ゐちかうほんぐわんしんじて、 みやうがうをとなえさふらふ毎日まいにち万返まんべんなり。 決定くゑちじやうほとけほんぐわんじようじてじやうぼむわうじやうすべきよし、 ふかくぞんさふらふなり。 このほかべち料間れうけんなくさふらふ

しかるに或人あるひとほんぐわんしんずるひと一念ゐちねむなり、 しかれば、 万返まんべんやくなりほんぐわんしんぜざるなりとまふす。 基親もとちかこたえていはく、 念仏ねむぶちゐちしやうのほかより、 ひやくぺんない万返まんべんは、 ほんぐわんしんぜずといふもんさふらふやとまふす。 難者なんじやいはく、 りきにてわうじやうはかなひがたし、 たゞ一念ゐちねむしんをなしてのちは、 念仏ねむぶちのかずやくなりとまふす。

基親もとちかまたまふしていはく、 りきわうじやうとは、 ざふぎやうとうをもてぐわんずとまふさばこそは、 りきとはまふしさふらはめ。 したがひて善導ぜんだうの ¬しよ¼ (散善義) にいはく、

じやうじんひやくねん下至げし一日ゐちにち七日しちにち一心ゐちしむ弥陀みだみやうがう専念せんねむすれば、 さだめわうじやう。 かならずうたがひなし」

じやうじんひやくねん下至げし一日ゐちにち七日しちにち一心ゐちしむせんねむ弥陀みだみやうがう↡、 ぢやうとくわうじやう↡。 ひち

さふらふめるは、 ひやくねん念仏ねむぶちすべしとこそはさふらへ。

またしやうにん御房おむばうしち万返まんべん1018となえしめまします。 基親もとちかおむ弟子でし一分ゐちぶんたり、 よてかずおほくとなえむとぞんさふらふなり、 ほとけおんほうずるなりまふす。 すなわち ¬礼讃らいさん¼ に

相続さうぞくしてかの仏恩ぶちおん念報ねむぽうせざるがゆへに、 しむきやうまんしやうず。 ごふぎやうすといゑども、 つねみやう相応さうおうするがゆへに、 にんおのづからおほふどうぎやうぜんしき親近しんごんせざるがゆへに、 このみ雑縁ざふえんちかづきて、 わうじやう正行しやうぎやうしやうしやうするがゆへにと。」

相続さうぞくねむぽうぶちおんしむしやうきやうまん↡。 すいごふぎやう↡、 ぢやうみやう相応さうおうにんふくしんごんどうぎやうぜんしきげうごん雑縁ざふえん↡、 しやうしやうわうじやう正行しやうぎやう。」

基親もとちかいはく、 仏恩ぶちおんほうずとも、 念仏ねむぶち数返しゆへんおほくさふらはむ。

一九、基親上書・法然聖人御返事

ひやうきやうさむのもとより、 しやうにん御房おむばうへまいらせらるゝ御文おむふみあん基親もとちかはたゞひらにほんぐわんしんさふらひて、 念仏ねむぶちまふしさふらふなり。 料間れうけんさふらはざるゆへなり。

そのゝち何事なにごとさふらふそもそも念仏ねむぶち数遍しゆへんならびにほんぐわんしんずるやう、 基親もとちかあんかくのごとくさふらふ。 しかるに難者なんじやさふらひて、 いわれなくおぼえさふらふ。 このおりがみに、 ぞんのむね、 ひちをもてかきたまはるべくさふらふ難者なんじやにやぶらるべからざるゆへなり。

べちべちぎやうひとにてさふらはゞ、 みみにもきゝいるべからずさふらふに、 おむ弟子でしせちさふらへば、 しむをなしさふらふなりまた念仏ねむぶちしや女犯によぼむはゞかるべからずとまふしあひてさふらふざい勿論もちろんなりロンナシトナリ しゆつはこはくほんぐわんしんずとて、 しゆつひとによにちかづきさふらふでう、 いはれな1019さふらふ 善導ぜんだうは 「をあげて女人によにんをみるべからず」 (龍舒浄土文巻五) とこそさふらふめれ。 このことあらあらおほせをかぶるべくさふらふ恐々くゐようくゐようつゝしみてまふす。  基親もとちか

しやうにん御房おむばうおむへんあん

おほせのむね、 つゝしむでうけたまはりさふらひぬ。 信心しんじむとらしめたまふやう、 おりがみつぶさにみさふらふに、 一分ゐちぶん愚意ぐいぞんさふらふところにたがはずさふらふ。 ふかくずいしたてまつりさふらふところなり。

しかるに近来きんらい一念ゐちねむのほかの数返しゆへんやくなりとまふすいできたりさふらふよし、 ほぼつたへうけたまはりさふらふ勿論もちろんろんなくそくたらごんまふすにことか、 もんをはなれてまふすひとすでにしようをえさふらふか、 いかむ。 もともしむさふらふ またふかくほんぐわんしんずるもの、 かいもかへりみるべからざるよしのこと、 これまたとはせたまふにもおよぶべからざることか。 仏法ぶちぽふ外道ぐゑだう、 ほかにもとむべからずさふらふ

おほよそは、 ちかごろ念仏ねむぶちてんきおいきたりて、 かくのごときの狂言わうごんいでクルハスコトバナリきたりさふらふか。 なほなほさらにあたはずさふらふ、 あたはずさふらふ恐々くゐようくゐようつゝしみてまふす

八月十七日

二〇1020、或人念仏之不審聖人奉問次第(十一箇條問答)

或人あるひと念仏ねむぶちしむしやうにんたてまつるといだい

八宗はちしゆしゆのほかにじやうしゆをたつることは、 自由じゆにまかせてたつること、 しゆひとまふしさふらふおばいかゞまふしさふらふべき。

こた しゆをたつることは仏説ぶちせちにはあらず、 みづからこゝろざすところのきやうけうにつきて、 ぞんじたるがくしきわめて、 しゆはんずるコトワルナリことなり諸宗しよしゆのならひみなかくのごとし。 いまじやうしゆをたつることは、 じやうしやうきやうにつきてわうじやう極楽ごくらくをさとりきわめたまへる先達せんだちの、 しゆをたてたまへるなり。 しゆのおこりをしらざるものゝ、 さやうのことおばまふすなり

法華ほふくゑ真言しんごんおばざふぎやうにいるべからずと、 あるひとまふしさふらふおばいかむ。

こた しむ先徳せんどく一代ゐちだいしやうげう要文えうもんをあつめて ¬わうじやう要集えうしゆ¼ をつくりたまへるなか十門じふもんをたてゝ、 だいわうじやうしよぎやうもんに、 法華ほふくゑ真言しんごんとうしよだいじようをいれたまへり。 しよぎやうざふぎやうと、 ことばはことに、 こゝろはおなじ。 いまの難者なんじやしむ先徳せんどくにまさるべからざるなり 云云

ぶちきやうにつきて善根ぜんごんしゆせむひとに、 結縁けちえんじよじやうさふらふことはざふぎやうにてや1021さふらふべき。

こた わがこゝろ、 弥陀みだぶちほんぐわんじようじ、 決定くゑちじやうわうじやうしんをとるうえには、 善根ぜんごん結縁けちえんじよじやうせむこと、 またくざふぎやうとなるべからず、 わがわうじやう助業じよごふとなるべきなり善根ぜんごんずい讃嘆さんだんせよとしやくしたまへるをもて、 こゝろうべきなり。

極楽ごくらくぼむ差別しやべちさふらふことは、 弥陀みだぶちのかまへたまへることにてさふらふやらむ。

こた 極楽ごくらくぼむ弥陀みだほんぐわんにあらず、 十八じふはちぐわんなかになし。 これはしやくそん*巧言げうごんなり。 善人ぜんにん悪人あくにん一処ゐちしよにむまるといはゞ、 悪業あくごふのものども慢心まんしんをおケウマンノコヽロこすべきがゆへに、 ほむ差別しやべちをあらせて、 善人ぜんにんじやうぼむにすゝみ、 悪人あくにんぼむにくだるなど、 ときたまふなり。 いそぎまかりてしるべし 云云

かいぎやうじや念仏ねむぶち数返しゆへんのすくなくさふらはむと、 かいぎやうにん念仏ねむぶち数返しゆへんのおほくさふらはむと、 わうじやうののちの浅深せんじむいづれかすゝみさふらふべき。

こた ゐておはしますたゝみをさゝえてのたまはく、 このたゝみのあるにとりてこそ、 やぶれたるかやぶれざるかといふことはあれ。 つやつやとなからむたゝみおば、 なにとかはろんずべき。

末法まちぽふなかにはかいもなく、 かいもなし、 かいもなし。 たゞみやう比丘びくばかりあり」 と、 伝教でんげうだいの ¬末法まちぽふとうみやう¼ にかきたまへるうへは、 なにとかい1022かいのさたはすべきぞ。 かゝるひらぼむのためにおこしたまへるほんぐわんなればとて、 いそぎいそぎみやうがうしようすべしと 云云

念仏ねむぶちぎやうじや日別にちべちしよにおいて、 こゑをたてゝまふすひとさふらふ、 こゝろにねんじてかずをとるひとさふらふ、 いづれおかよくさふらふべき。

こた それはくちにもみやうがうをとなへ、 こゝろにもみやうがうねむずることなれば、 いづれもわうじやうごふにはなるべし。 たゞしほとけほんぐわん称名しようみやうぐわんなるがゆへに、 こゑをあらわすべきなり。

かるがゆへに ¬きやう¼ (観経意) には 「こゑをたえず、 十念じふねむせよ」 ととき、 しやくには 「しようみやうがう下至げしじふしやう(礼讃)しやくしたまへり。 わがみみにきこゆるほどおば、 かうしやう念仏ねむぶちにとるなり。 さればとて、 げんをしソシリキラフトナリらず、 かうしやうなるべきにはあらず、 たいはこゑをいださむとおもふべきなり。

日別にちべち念仏ねむぶち数返しゆへんは、 相続さうぞくにいるほどはいかゞはからひさふらふべき。

こた 善導ぜんだうしやくによらば、 一万ゐちまんじやう相続さうぞくにてアヒツグトナリ あるべし。 たゞしゐち万返まんべんをいそぎまふして、 さてそのをすごさむことはあるべからず。 ゐち万返まんべんなりとも、 一日ゐちにちゐちしよとすべし。 そうじては一食ゐちじきのあひだにさむばかりとなえむは、 よき相続さうぞくにてあるべし。 それはしゆじやうこんじやうどうなれば、 ゐちじゆんナラヒト るべからず。 こゝろざしだにもふかければ、 1023ねん相続さうぞくはせらるゝことなり。

¬礼讃らいさん¼ の深心じむしむなかには

じふしやうゐちしやうかならずわうじやうない一念ゐちねむうたがこゝろあることなかれ」

じふしやうゐちしやう必得ひちとくわうじやう↡、 ない一念ゐちねむしむ↡」

しやくし、 また ¬しよ¼ (散善義)なか深心じむしむには

念念ねむねむすてざるは、 これを正定しやうぢやうごふなづく」

念念ねむねむしやしやみやう正定しやうぢやうごふ↡」

しやくしたまへり。 いづれかわがぶんにはおもひさだめさふらふべき。

こた じふしやうゐちしやうしやくは、 念仏ねむぶちしんずるやうなり。 かるがゆへに、 しんおば一念ゐちねむむまるととり、 ぎやうおばゐちぎやうをはげむべしとすゝめたまへるしやくなり。 またたいは、オホゴヽロナリ ゐち発心ほちしむ已後いごしやくほんとすべし。

ほんぐわん一念ゐちねむは、 じむじやうツネノトキ臨終りむじゆずべくさふらふ

こた 一念ゐちねむぐわんは、 ねむにおよばざらむのためなり。 じむじやうずべくは、 じやうじんゐちぎやうしやくあるべからず。 このしやくをもてこゝろうべし。 かならず一念ゐちねむほとけほんぐわんといふべからず。

念念ねむねむしやしやみやう正定しやうぢやうごふじゆんぶちぐわん」 のしやくは、 数返しゆへんつもらむおもほんぐわんとはきこえたるは、 たゞほんぐわんにあふオソキそくトキどうなれば、 じやうじんゐちぎやう下至げし一念ゐちねむとおこしたまへるほんぐわんなりとこゝろうべきなり。 かるがゆへに念仏ねむぶちわうじやうぐわんとこそ、 善導ぜんだうしやくしたまへと。

りきりきことは、 いかゞこゝろうべくさふらふらむ。

こたうらく ぐゑん殿でんじやうへまいるべききりやうにてはなけれども、 かみよりめせば二度にどまいりたりき。 これわがま1024いるべきしきにてはなけれども、 かみおむちからなり。 まして弥陀みだぶち仏力ぶちりきにて、 称名しようみやうぐわんにこたえて来迎らいかうせさせたまはむことおば、 なむのしむかあるべき。

しんつみのおもく无智むちなれば、 ほとけもいかにしてすくひましまさむとおもはむものは、 つやつやほとけぐわんをもしらざるものなり。 かゝる罪人ざいにんどもを、 やすやすとたすけすくはむれうに、 おこしたまへるほんぐわんみやうがうをとなえながら、 ちりばかりもしむあるまじきなり。 十方じふぱうしゆじやうぐわんのうちに、 有智うち無智むちざいざい善人ぜんにん悪人あくにんかいかいなむ女人によにん三宝さむぽう滅尽めつじんののちひやくさいまでのしゆじやう、 みなこもれるなり。

かの三宝さむぽう滅尽めつじんとき念仏ねむぶちしやたうのわ御坊おむばうたちとくらぶれば、 わ御房おむばうたちはほとけのごとし。 かのとき人寿にんじゆ十歳じふさいときなり。 かいぢやう三学さむがく、 なをだにもきかず、 いふばかりなきものどもの来迎らいかうにあづかるべきだうをしりながら、 わがみのすてられまいらすべきやうおば、 いかにしてかあむじいだすべき。

たゞし極楽ごくらくのねがはしくもなく、 念仏ねむぶちのまうされざらむことこそ、 わうじやうのさわりにてはあるべけれ。 かるがゆへにりきほんぐわんともいひ、 てうぐわんともいふなり 云云

じやうとう三心さむしむさふらふべきやうおば、 いかゞおもひさだめさふらふべき。

こた 三心さむしむすることは、 たゞべちのやうなし。 弥陀みだぶちほんぐわんに、 わがみやうがうしようねむせよ1025、 かならず来迎らいかうせむとおほせられたれば、 決定くゑちじやうして引接いんぜふせられまいらせむずるとふかくしんじて、 心念しむねむしようにものうからず、 すでにわうじやうしたるこゝちしてたゆまざるものは、 ねん三心さむしむそくするなり。

またざいのものどもはかほどにおもはざれども、 念仏ねむぶちまふすものは極楽ごくらくにうまるなればとて、 念仏ねむぶちをだにもまふせば、 三心さむしむそくするなり。 さればこそ、 いふにかひなきやからどものなかにも、 神妙しんべうなるわうじやうはすることにてあれと 云云

二一浄土宗大意

またじやうしゆたいオホゴゝロ て、 おしえさせたまひしやうは、 三宝さむぽう滅尽めつじんときなりといふとも、 じふねむすればまたわうじやうす。 いかにいはむや、 三宝さむぽうぎやうのよにむまれて、 ぐゐやくおもつくらざるわれら、 弥陀みだみやうがうしようねむせむに、 わうじやううたがふべからず。 またいはく、 じやうしゆのこゝろは、 しやうだうじやうもんをたてゝ、 一代ゐちだい諸教しよけうをおさむ。 しやうだうもんといふは、 しや*得道とくだうなり。 りき断惑だんわくしゆつしやうけうなるがゆへに、 ぼむのためにしゆしがたし、 ぎやうじがたし。 じやうもんといふは、 極楽ごくらく*得道とくだうなり。 りき断惑だんわくわうじやうじやうもんなるがゆへに、 ぼむのためにはしゆしやすく、 ぎやうじやすし。 そのぎやうとい1026ふは、 ひとへにぼむのためにおしえたまふところの願行ぐわんぎやうなるがゆへなり。

そうじてこれをいへば、 せちなかには仏説ぶちせちなり*四土しどなかにはほうなり三身さむしんなかにはしんなり三宝さむぽうなかには仏宝ぶちぽうなり*じようなかにはぶちじようなりけうなかには頓教とんげうなり*ざうなかにはさちざうなりぎやうなかには正行しやうぎやうなり、 てうなかには横超わうてうなりえんなかにはえんぎやうなり、 *じゆなかにはじゆなり*不思ふしなかには思議しぎなり。 またいはく、 しやうだうもんしゆぎやうは、 智慧ちゑをきわめてしやうをはなれ、 じやうもんしゆぎやうは、 愚痴ぐちにかへりて極楽ごくらくにむまると 云云

康元かうげん元丙辰十月卅日書之

愚禿親鸞 八十四歳

 

西1027方指南抄下

二二、四種往生事

しゆわうじやうこと

一 しやうねむ念仏ねむぶちわうじやう¬弥陀みだきやう¼ せち なり
二 くゐやうらん念仏ねむぶちわうじやう¬くわんりやう寿じゆきやう¼ せち なり
三 無記むきしむわうじやう¬ぐんろん¼ せち なりかむさく
四 ねむわうじやう¬ほふきやう¼ せち なり

¬ほふきやう¼ のたまは

「もしひとみやうじゆときねむなすにあたはずは、 たゞかのはうぶちましますとしりわうじやうこゝろなせば、 またわうじやううるなり。」

にやくにんみやうじゆ之時しじのうねむたんはうぶちわうじやう↡、 やくとくわうじやう↡。」

二三、法語(黒田聖への書)

末代まちだいしゆじやうわうじやう極楽ごくらくにあてゝみるに、 ぎやうすくなしとてうたがふべからず、 一念ゐちねむ十念じふねむたりぬべし。

罪人ざいにんなりとてうたがふべからず、 罪根ざいこんふかきおもきらわず1028といへり。

ときくだれりとてうたがふべからず、 法滅ほふめち已後いごしゆじやうなほわうじやうすべし、 いはむや近来きんらいおやコノゴロトイフ 

わがわるしとてうたがふべからず、 しんはこれ煩悩ぼむなうそくせるぼむなりといへり。

十方じふぱうじやうおほけれども、 西方さいはうをねがふ十悪じふあくぐゐやくしゆじやうむまるゝがゆへなり。

諸仏しよぶちなか弥陀みだくゐしたてまつるは、 三念さむねむねむにいたるまで、 みづからきたりてむかへたまふがゆへに。

しよぎやうなか念仏ねむぶちをもちゐるは、 かのほとけほんぐわんなるがゆへに。

いま弥陀みだほんぐわんじようじてわうじやうしなむには、 ぐわんとしてじやうぜずといふことあるべからず。 ほんぐわんじようずることは、 たゞ信心しんじむのふかきによるべし。

うけがたき人身にんじんをうけて、 あひがたきほんぐわんにまうあひ、 おこしがたき道心だうしむをおこして、 はなれがたきりんさとをはなれ、 むまれがたきじやうわうじやうせむことは、 よろこびのなかのよろこびなり。

つみ十悪じふあくぐゐやくのものむまるとしんじて、 少罪せうざいおもおかさじとおもふべし。 罪人ざいにんなほむまる、 いはむや善人ぜんにんおや。

ぎやう一念ゐちねむ十念じふねむむなしからずとしんじて、 けんしゆすべし。 一念ゐちねむなほむまる、 いかにいはむやねむおや。

弥陀みだぶちは、 しゆしやうがくことばじやうじゆしてげんにかのくににましませば、 さだめてみやうじゆには来迎らいかうしたまはむずらむ。 しやくそんは、 よきかなや、 わがおしえにしたがひて、 しやうをはなれむとけんしたまはむ。 六方ろくぱう諸仏しよぶちは、 よろこばしきかな、 わ1029れらが証誠しようじやうしんじて、 退たいじやうしやうぜむとよろこびたまふらむ。

てんをあふぎにふしてよろこぶべし。 このたび弥陀みだほんぐわんにまうあえることを、 ぎやうじゆぐわにもほうずべし。 かのほとけ恩徳おんどくを、 たのみてもなほたのむべきはない十念じふねむことばしんじてもなほしんずべきは必得ひちとくわうじやうもんなり。  黒谷くろだにしやうにんぐゑん

二四、法語(念仏大意)

末代まちだいあくしゆじやうわうじやうのこゝろざしをいたさむにおきては、 またのつとめあるべからず、 たゞ善導ぜんだうしやくにつきて一向ゐちかう専修せんじゆ念仏ねむぶちもんにいるべきなり。 しかるを一向ゐちかうしんをいたして、 そのもんにいるひときわめてありがたし。 そのゆへは、 あるいぎやうにこゝろをそめ、 あるい念仏ねむぶちのうをおもくせざるなるべし。 つらつらこれをおもふに、 まことしくわうじやうじやうのねがひふかきこゝろをもはらにするひと、 ありがたきゆへか。 まづこのだうをよくよくこゝろうべきなり。

すべて天臺てんだい法相ほふさうきやうろんしやうげうも、 そのつとめをいたさむに、 ひとつとしてあだなるべきにはあらず。 たゞし仏道ぶちだうしゆぎやうは、 よくよくをはかり、 ときをはかるべきなり。 ほとけめちだいひやくねんにだに、 智慧ちゑをみがきて煩悩ぼむなうだんずることかたく、 こゝろをすましてぜんぢやう1030をえむことかたきゆへに、 ひとおほく念仏ねむぶちもんにいりけり。 すなわちだうしやく善導ぜんだうとうじやうしゆしやうにん、 このときひとなり。 いはむや、 このころはだいひやく年、 とうじやうけんときなり、 ぎやうほふさらにじやうじゆせむことかたし。 しかのみならず、 念仏ねむぶちにおきては、 末法まちぽふののちなほやくあるべし。

いはむや、 いまのよは末法まちぽふ万年まんねんのはじめなり、 一念ゐちねむ弥陀みだねむぜむに、 なむぞわうじやうをとげざらむや。 たとひわれら、 そのうつわものにあらずといふとも、 末法まちぽふのすゑのしゆじやうには、 さらににるべからず。

かつはまたしやくそんざいときすら、 即身そくしんじやうぶちにおきては、 竜女りうによのほか、 いとありがたし。 たとひまた即身そくしんじやうぶちまでにあらずとも、 このしやうだうもんをおこなひあひたまひけむさちしやうもんたち、 そのほかの権者ごんじや・ひじりたち、 そのゝちの比丘びく比丘びくとういまにいたるまでのきやうろん学者がくしや、 ¬法華ほふくゑきやう¼ のしや、 いくそばくぞや。 こゝにわれら、 なまじゐにしやうだうをまなぶといふとも、 かの人々ひとびとにはさらにおよぶべからず。

かくのごときの末代まちだいしゆじやうを、 弥陀みだぶちかねてさとりたまひて、 こふがあひだゆいして十八じふはちぐわんをおこしたまへり。 そのなかだい十八じふはちぐわんにいはく、 「十方じふぱうしゆじやう、 こゝろをいたして信楽しんげうして、 わがくににむまれむとねがひて、 ない十念じふねむせむに、 もしむまれずといはゞ、 しやうがくをとらじ」 (大経巻上) とちかひたまひて、 すでにしやうがくなり1031たまへり。

これをまたしやくそんときたまへるきやう、 すなわち ¬くわんりやう寿じゆ¼ とうの「さむきやう」 なり。 かのきやうはたゞ念仏ねむぶちもんなり。 たとひ悪業あくごふしゆじやうとう弥陀みだのちかひばかりに、 なほしんをいたすといふとも、 しやこれを一一ゐちゐちにときたまへる 「さむきやう」、 あに一言ゐちごんもむなしからむや。 そのうへまた、 六方ろくぱう十方じふぱう諸仏しよぶち証誠しようじやう、 この ¬きやう¼ とうにみえたり。 ぎやうにおきては、 かくのごときの証誠しようじやうみえざるか。

しかれば、 ときもすぎ、 にもこたふまじからむぜんぢやう智慧ちゑしゆせむよりは、 やく現在げんざいにして、 しかもそこばくのほとけたちの証誠しようじやうしたまへる弥陀みだみやうがうしようねむすべきなり

そもそも後世ごせしやなかに、 極楽ごくらくはあさく弥陀みだはくだれり。 するところ密厳みちごむ華蔵くゑざうとうかいなりとこゝろをかくるひともはべるにや、 それはなはだおほけなし。 かのは、 だんみやうさちのほかはいることなし。 また一向ゐちかう専修せんじゆ念仏ねむぶちもんにいるなかにも、 日別にちべちさむ万返まんべん、 もしはまんないじふ万返まんべんといふとも、 これをつとめおはりなむのち、 年来ねんらいじゆ読誦どくじゆこうつもりたるしよきやうおもよみたてまつらむこと、 つみになるべきかとしむをなして、 あざむくともがらもまじわれり。 それつみになるべきにては、 いかでかははべるべき。

末代まちだいしゆじやう、 そのぎやうじやうじゆしがたきによりて、 まづ弥陀みだぐわんりきにのりて、 念仏ねむぶちわうじやうをとげてのち、 じやうにて弥陀みだ如来によらいくわんおむせいにあひ1032たてまつりて、 もろもろのしやうげうおもがくし、 さとりおもひらくべきなり。 また末代まちだいしゆじやう念仏ねむぶちをもはらにすべきこと、 そのしやくおほかるなかに、 かつは十方じふぱう恒沙ごうじやほとけ証誠しようじやうしたまふ。

また ¬観経くわんぎやうしよ¼ の第三だいさむ (定善義)善導ぜんだういは

自余じよしゆぎやうこれをぜんなづくといゑども、 もし念仏ねむぶちたくらぶるにはまたくけうにあらざるなり。 このゆへにしよきやうなか処処しよしよひろ念仏ねむぶちのうむ。 ¬りやう寿じゆきやう¼ の十八じふはちぐわんなかのごとき、 たゞ弥陀みだみやうがう専念せんねむしてしやうあかす。 また ¬弥陀みだきやう¼ のなかのごとき、 一日ゐちにち七日しちにち弥陀みだみやうがう専念せんねむすればしやうと。 また十方じふぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶち証誠しようじやうむなしからず。 またこの ¬きやう¼ のなかぢやうさんもんなかに、 ただみやうがう専念せんねむすればしやうへうす。 このれいゐちにあらざるなり。 ひろ念仏ねむぶち三昧ざんまいあらはおはりぬ」

自余じよしゆぎやうすいみやうぜん↡、 にやく念仏ねむぶちしやぜむけう是故ぜこしよきやうちう処処しよしよくわうさん念仏ねむぶちのう↡。 によ↢ ¬りやう寿じゆきやう¼ 十八じふはちぐわんちう↡、 ゆいみやうせんねむ弥陀みだみやうがうとくしやうによ↢ ¬弥陀みだきやう¼ ちう↡、 一日ゐちにち七日しちにちせんねむ弥陀みだみやうがうとくしやう十方じふぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶち証誠しようじやう又此うし ¬きやう¼ ちうぢやうさん文中もんちうゆいへうせんねむみやうがうとくしやうれいゐちくわうけん念仏ねむぶち三昧ざんまいきやう

とあり。

また善導ぜんだうの ¬わうじやう礼讃らいさん¼ (意) ならびに専修せんじゆじやうごふもんとうにも、 「雑修ざふしゆのものはわうじやうをとぐることまんなかゐちなほかたし。 専修せんじゆのものは、 ひやくひやくながらむまる」 といへり。 これらすなわち、 なにごともそのもんにいりなむには、 一向ゐちかうにもはらのこゝろあるべからざるゆへなり。

たとえばこむじやうにも主君しゆくんにつかへ、 ひとをあひたのむみち、 にんにこゝろざしをわくると、 一向ゐちかうにあひたのむと、 ひとしからざることなり たゞしいゑゆたかにして、 のりもの、 僮僕どうぼくもかツブネヤツコヲイフなひ、 面面めんめんにこゝろざしをいたすちからもたえたるともがらは、 かたがたにこゝろざしをわくといゑども、 そのこうむなしからず。 かくのごときのちからにたえざるものは、 所所しよしよをかぬるあひだ、 はつかる1033といゑども、 そのしるしをえがたし。 一向ゐちかうひと一人ゐちにんをたのめば、 まづしきものも、 かならずそのあわれみをうるなり。

すなわち末代まちだいあく無智むちしゆじやうは、 かのまづしきもののごときなり。 むかしの権者ごんじやは、 いゑゆたかなるしゆじやうのごときなり。 しかれば、 無智むちのみをもちてしやぎやうをまなばむにおきては、 貧者ひんじや徳人とくにんをまなばむがごときなり。

またなほたとひをとらば、 たかきやまの、 ひとかよふべくもなからむがむせきを、 ちからたえざらむものゝ、 いしのかどのねにとりすがりてのぼらむとはげまむは、 ざふぎやうしゆしてわうじやうをねがわむがごときなり。 かのやまのみねより、 つよきつなをおろしたらむにすがりてのぼらむは、 弥陀みだぐわんりきをふかくしんじて、 一向ゐちかう念仏ねむぶちをつとめて、 わうじやうせむがごときなるべし。

また一向ゐちかう専修せんじゆには、 ことに三心さむしむそくすべきなり三心さむしむといふは、 ひとつにはじやうしむふたつには深心じむしむみつにはかうほちぐわんしむなり

じやうしむといふは、 ぶちらいせず弥陀みだらいし、 ぎやうしゆせず弥陀みだねんじて、 もはらにしてもはらならしむるなり

深心じむしむといふは、 弥陀みだほんぐわんをふかくしんじて、 わがみは无始むしよりこのかた罪悪ざいあくしやうぼむゐちとしてしやうをまぬかるべきみちなきを、 弥陀みだほんぐわん思議しぎなるによりて、 かのみやうがう一向ゐちかうしようねむして、 うたがひをなすこゝろなければ、 一念ゐちねむのあひだに八十はちじふおく1034こふしやうのつみをめちして、 さい臨終りむじゆとき、 かならず弥陀みだ来迎らいかうにあづかるなり

かうほちぐわんしむといふは、 自他じたぎやう真実しんじちしむなかかうほちぐわんするなり

この三心さむしむひとつもかけぬれば、 わうじやうをとげがたし。 しかれば、 ぎやうをまじえむによりてつみにはなるべからずといふとも、 なほ念仏ねむぶちわうじやうぢやうぞんじていさゝかのうたがひをのこして、 他事たじをくわふるにてはべるべきなり

たゞしこの三心さむしむなかに、 じやうしむをやうやうにこゝろえて、 ことにまことをいたすことを、 かたくまふしなすともがらもはべるにや。 しからば、 弥陀みだほんぐわんほんにもたがひて、 信心しんじむはかけぬるにてあるべきなり。

いかに信力しんりきをいたすといふとも、 かゝる造悪ざうあくぼむのみの信力しんりきにて、 ねがひをじやうじゆせむほどの信力しんりきは、 いかでかはべるべき。 たゞ一向ゐちかうわうじやう決定くゑちじやうせむずればこそ、 ほんぐわん思議しぎにてははべるべけれ。

さやうに信力しんりきもふかく、 よからむひとのためには、 かゝるあながちに思議しぎほんぐわんおこしたまふべきにあらず、 このだうおばぞんじながら、 まことしく専修せんじゆ念仏ねむぶちゐちぎやうにいるひといみじくありがたきなり。

しかるをだうしやくぜん決定くゑちじやうわうじやう先達せんだちなり智慧ちゑふかくして講説かうせちしゆしたまひき。 曇鸞どむらんほふさむ已下いげ弟子でしなり。 「かのらん智慧ちゑかうタカクおんフカシなりといゑども、 ろん講説かうせちをすてゝ、 念仏ねむぶちもんにいりたまはむや、 わがしるところさわるところ、 なむぞおほ1035しとするにたらむや」 (迦才浄土論巻下) とおもひとりて、 涅槃ねちはん講説かうせちをすてゝ、 ひとへにわうじやうごふしゆして、 一向ゐちかうにもはら弥陀みだねんじて、 相続さうぞくけんにしてアヒツヾキテヒマナクシテトイフげんわうじやうしたまへり。

かくのごときだうしやくは、 講説かうせちをやめて念仏ねむぶちしゆし、 善導ぜんだう雑修ざふしゆをきらいて専修せんじゆをつとめたまひき。 まただうしやくぜんのすゝめによりて、 *并州へいしうさむくゑんひと七歳しちさい以後いご一向ゐちかう念仏ねむぶちしゆすといへり。

しかれば、 わがてう末法まちぽふしゆじやう、 なむぞあながちに雑修ざふしゆをこのまむや。 たゞすみやかに弥陀みだ如来によらいぐわんしや如来によらいせちだうしやく善導ぜんだうしやくをまもるに、 ざふぎやうしゆして極楽ごくらくくわぢやうぞんぜむよりは、 専修せんじゆごふぎやうじて、 わうじやうののぞみを決定くゑちじやうすべきなり

またかのだうしやく善導ぜんだうとうしやくは、 念仏ねむぶちもん人々ひとびとことなれば、 左右さうにおよぶべからず。

法相ほふさうしゆにおきては、 専修せんじゆ念仏ねむぶちもん、 ことに信向しんかうせざるかとぞんずるところに、 おんだいの ¬西方さいはうえうくゑち¼ にいはく、

末法まちぽふ万年まんねんにはきやうことごとくめちす。 弥陀みだ一教ゐちけうものすることひとへにまさらむ」

末法まちぽふ万年まんねんきやうしちめち弥陀みだ一教ゐちけうもちへんぞう

しやくしたまへり。 またおなじ¬しよ¼ (西方要決意) にいはく、

さむだんもんじふしゆおしへしやう分役ぶんやくじゆうんもんくわうがくざむそくせむにはしかず、 念仏ねむぶち単修たんしゆをもはらにせよ」

さむだんもんじふしゆくんしやう分役ぶんやくじゆうんによざむそくシバラクヤメニハもんくわうがく↡、 せん念仏ねむぶち単修たんしゆ↡」

といへり。

しかのみならず、 また ¬だいしやう竹林ちくりむ¼ にいはく、 「だいさん竹林ちくりむだい講堂かうだううちにして、 げん文殊もんじゆ東西とうざいたいしてムカヒヰタマヘリ、 もろもろのしゆじやうのために妙法めうほふをときたまうとき、 法照ほふせうぜんひざまづ1036きて、 文殊もんじゆにとひたてまつりき。 らいあくぼむ、 いづれのほふをおこないてか、 ながく三界さむがいをいでゝじやうにむまるゝことをうべきと。 文殊もんじゆこたえてのたまはく、 わうじやうじやうのはかりごと弥陀みだみやうがうにすぎたるはなく、 とんしようだいだう、 たゞしようねむ一門ゐちもんにあり。 これによりて、 しや一代ゐちだいしやうげうにほむるところみな弥陀みだにあり。 いかにいはむや、 らいあくぼむおやとこたへたまへり」。

かくのごときの要文えうもんしやたちのおしへをみても、 なほ信心しんじむなくして、 ありがたき人界にんがいをうけて、 ゆきやすきじやうにいらざらむことこうくわいなにごとかこれにしかむや。

かつはまた、 かくのこときの専修せんじゆ念仏ねむぶちのともがらを、 当世たうせいにもはらなんをくはへて、 あざけりをなすともがらおほくきこゆ。 これまたむかしの権者ごんじやたち、 かねてみなさとりしりたまへることなり

善導ぜんだう¬ほふさん¼ (巻下) いは

そんほうときたまふときまさにおはらむとす。 慇懃おんごん弥陀みだみなぞくしたまへり。

じよくまさらむときおほうたがそしらむ。 道俗だうぞくあひきらきくことをもちゐんじ。

そんせちぽうしやうれう慇懃おんごんネムゴロニぞく弥陀みだみやう
じよくぞうほう道俗だうぞく相嫌さうけむようもん

しゆぎやうすることあるをみて瞋毒しんどくおこさむ。 方便はうべんして破壊はゑきほひあだしやうぜむ。

かくのごときしやうまう闡提せんだいともがら頓教とんげう毀滅くゐめちしてながく沈淪ちむりむせむ。

けんしゆぎやう瞋毒しんどく方便はうべん破壊はゑきやうしやうおん
によしやうまう闡提せんだいはいムマルヽヨリメシヒタルナリくゐめち頓教とんげうソシリホロボシテ  ゐやう沈淪ちむりむ

1037だいじんごふ超過てうくわすとも、 いまださむはなるゝことをべからず。

大衆だいしゆ同心どうしんにみなしよほふつみ因縁いんねん懺悔さむぐゑせよ。」

てうくわだいじんごふとくさむしん
大衆だいしゆ同心どうしんかいさむぐゑしよほふざい因縁いんねん↡」

また ¬びやうどうがくきやう¼ (第四巻) にいはく、 「もしぜんなむぜん女人によにんありて、 かくのごときらのじやう法文ほふもんをとくをきゝて、 カナシミ ヨロコブをなしてよだつことをなしてぬきいだすがごとくするは、 しるべし、 このひとくわにすでに仏道ぶちだうをなしてきたれるなり。 もしまたこれをきくといふとも、 すべて信楽しんげうせざらむにおきては、 しるべし、 このひとはじめてさむ悪道まくだうのなかよりきたれるなり」。

しかれば、 かくのごときの謗難ばうなんソシル のともがらは、 さうなき罪人ざいにんのよしをしりて、 論談ろんだんにあたふべからざることなり

また十善じふぜんかたくたもたずして、 たうそちをねがはむこと、 きわめてかなひがたし。 極楽ごくらくぐゐやくのもの念仏ねむぶちによりてむまる。 いはむや、 十悪じふあくにおきてはさわりとなるべからず。 またそんしゆつせむにも、 じふ六億ろくおく七千しちせん万歳まんざい、 いとまちどおなり、 いまだしらず。 はうじやうそのところどころにはかくのごときのほんぐわんなし、 極楽ごくらくはもはら弥陀みだぐわんりきはなはだふかし、 なむぞほかをもとむべき。

またこのたび仏法ぶちぽふえんをむすびて、 さむしやうしやう得脱とくだちせむとのぞみをかくるともがらあり、 このねがひきわめてぢやうなり。 だい結縁けちえんホフクヱシユノコヽロひと信楽しんげう慚愧ざむぐゐのころものうらに、 ゐちじよう无価むげ1038たまをかけて、 隔生きやくしやう即亡そくまうして、 三千さむぜん塵点ぢんでむがあひだ六趣ろくしゆりんせしにあらずや。 たとひまた、 さむしやうしやうえんをむすびて、 ひちぢやう得脱とくだちすべきにても、 それをまちつけむ輪転りんでんのあひだのくるしみ、 いとたえがたかるべし。 いとまちどおなるべし。

またかのしやうだうもんにおいては、 さむじようじよう得道とくだうなり、 このぎやうひやくせんごふなり。 こゝにわれら、 このたびはじめて人界にんがいしやうをうけたるにてもあらず、 世世せせ生生しやうしやうをへて、 如来によらい教化けうくゑにも、 さちきやうにも、 いくそばくかあひたてまつりたりけむ。 たゞしんにして教化けうくゑにもれきたるなるべし。

さむ諸仏しよぶち十方じふぱうさち、 おもへばみなこれむかしのともなり。 しやひやく塵点じんでむのさき、 弥陀みだ十劫じふこふのさきは、 かたじけなく父母ぶもていともたがひになりたまひけむ。 ほとけ前仏ぜんぶちけうをうけ、 ぜんしきのおしえをしんじて、 はやく発心ほちしむしゆぎやうしたまひて、 じやうぶちしてひさしくなりたまひにけり。 われらは信心しんじむおろかなるがゆへに、 いまにしやうにとまれるなるべし。

くわ輪転りんでんをおもへば、 らいもまたかくのごとし。 たとひじようしむおばおこすといふとも、 だいしむおばおこしがたし。 如来によらいしようスグレ方便はうべんにしておこないたまへり。 ぢよくしゆじやうりきをはげまむには、 ひやくせん億劫おくこふなんぎやうぎやうをいたすといふとも、 そのつとめおよぶところにあらず。

またかのしやうだうもんは、 よく清浄しやうじやうにして、 そのうつ1039わものにたれらむひとのつとむべきぎやうなり。 だいしんにしては、 中々なかなかぎやうぜしめむよりも、 罪業ざいごふいんとなるかたもありぬべし。 念仏ねむぶちもんにおきては、 ぎやうじゆぐわねてもさめてもねむするに、 そのたよりとがなくして、 そのうつわものをきらはず、 ことごとくわうじやう因とないんことうたがひなし。

「かのぶち因中いんちうぜいたてたまへり。 きゝわれねむぜばすべてむかきたらしめむと。

びん富貴ふきとをえらばず。 下智げち高才かうざいとをえらばず。

もんじやうかいたもてるとをえらばず。 かい罪根ざいこんふかきとをえらばず。

たゞしむしておほ念仏ねむぶちせしむれば、 よくぐわりやくへんじてこがねさしむと。」 (五会法事讃巻中)

ぶち因中いんちうりふぜいもんみやうねむそう迎来かうらい
けんびんしやう富貴ふきけん下智げち高才かうざい
けんもんじやうかいけんかい罪根ざいこんじん
たん使しむ念仏ねむぶちのうりやうぐわりやくへんじやうこむ

といへり。

またいみじききやうろんしやうげうしやといゑども、 さい臨終りむじゆとき、 そのもん暗誦あむじゆするにあたはず。 念仏ねむぶちにおきては、 いのちをきわむるにいたるまで、 しようねむするにそのわづらひなし。

またほとけせいぐわんのためしをひらかむにも、 やくじふせいぐわんにはしゆしやうがくぐわんなく、 千手せんじゆぐわん、 またしゆしやうがくとちかひたまへるも、 いまだしやうがくなりたまはず。 弥陀みだしゆしやうがくぐわんをおこして、 しかもしやうがくなりて、 すでに十劫じふこふをへたまへり。 かくのごときの弥陀みだのちかひにしんをいたさざらむひとは、 また法文ほふもんおも信仰しんかうアオグするにおよばず。

しかれば、 返々かへすがへす一向ゐちかう専修せんじゆ念仏ねむぶちしんをい1040たして、 のこゝろなく、 にちてうアシタユウベ ぎやうじゆぐわに、 おこたることなくしようねむすべきなり 専修せんじゆ念仏ねむぶちをいたすともがら、 当世たうせいにもわうじやうをとぐるきこえ、 そのかずおほし。 雑修ざふしゆひとにおきて、 そのきこえきわめてありがたきなり

そもそもこれをみても、 なほよこさまのひがゐむにいりて、 ものなんぜむとおもはむともがらは、 さだめていよいよいきどほりをなして、 しからば、 むかしよりほとけのときおきたまへるきやうろんしやうげう、 みなもてやくのいたづらものにて、 うせなむとするにこそなど、 あざけりまふさむずらむ。

それは天臺てんだい法相ほふさうほん本山ほんざん修学しゆがくをいとなみて、 みやうおもぞんじ、 おほやけにもつかへ、 くわんおものぞまむとおもはむひとにおきては、 左右さうにおよぶべからず。 またじやうこん利智りちひとは、 そのかぎりにあらず。 このこゝろをえてよくれうサトリけんミルするひとは、 あやまりてしやうだうもんをことにおもくするゆへとぞんずべきなり

しかるを、 なほ念仏ねむぶちにあひかねてつとめをいたさむことは、 しやうだうもんをすでに念仏ねむぶちじよぎやうにもちゐるべきか。 そのでうこそ、 かへりてしやうだうもんをうしなふにてははべりけれ。

たゞこの念仏ねむぶちもんは、 返々かへすがへすもまたしむなく後世ごせをおもはむともがらの、 よしなきひがゐむにおもむきて、 ときおもおもはからず、 ざふぎやうしゆして、 このたびたまたまありがたき人界にんがいにむまれて、 さばかりまうあひがたかるべき弥陀みだのち1041かひをすてゝ、 またさむきうフルキサト かへりて、 しやう輪転りんでんして、 ひやくせんごふをへむかなしさをおもひしらむひとしんのためをまふすなり。

さらば、 諸宗しよしゆのいきどほりにはおよぶべからざることなり

二五、九条殿北政所への御返事

でう殿どのきた政所まどころおむかへりごと

かしこまりてまふしあげさふらふ。 さてはおむ念仏ねむぶちまふさせおはしましさふらふなるこそ、 よにうれしくさふらへ。

まことにわうじやうぎやうは、 念仏ねむぶちがめでたきことにてさふらふなり。 そのゆへは、 念仏ねむぶち弥陀みだほんぐわんぎやうなればなり。 ぎやうは、 それ真言しんごんくわんホフクヱシユナリたかきぎやうほふなりといゑども、 弥陀みだほんぐわんにあらず。

また念仏ねむぶちは、 しやぞくぎやうなり。 ぎやうは、 まことにぢやうさんりやうもんのめでたきぎやうなりといゑども、 しやくそんこれをぞくしたまはず。

また念仏ねむぶちは、 六方ろくぱう諸仏しよぶち証誠しようじやうぎやうなりぎやうは、 たとひ顕密けんみち事理じりのやむごとなきぎやうなりまふせども、 諸仏しよぶちこれを証誠しようじやうしたまはず。 このゆへに、 やうやうのぎやうおほくさふらへども、 わうじやうのみちにはひとえに念仏ねむぶちすぐれたることにてさふらふなり

しかるにわうじやうのみちにうときひとまふすやうは、 真言しんごんくわんぎやうにたへざるひとの、 やすきまま1042のつとめにてこそ念仏ねむぶちはあれとまふすは、 きわめたるひがごとにさふらふ

そのゆへは、 弥陀みだほんぐわんにあらざるぎやうをきらひすてゝ、 またしやくそんぞくにあらざるぎやうおばえらびとゞめ、 また諸仏しよぶち証誠しようじやうにあらざるぎやうおばやめおさめて、 いまはたゞ弥陀みだほんぐわんにまかせ、 しやくそんぞくにより、 諸仏しよぶち証誠しようじやうにしたがひて、 おろかなるわたくしのはからひをやめて、 これらのゆへ、 つよき念仏ねむぶちぎやうをつとめて、 わうじやうおばいのるべしとまふすにてさふらふなり

これはしむそう都の ¬わうじやう要集えうしゆ¼ (巻中) に、 「わうじやうごふ念仏ねむぶちほんとす」 とまふしたる、 このこゝろなり。 いまはたゞぎやうをとゞめて、 一向ゐちかう念仏ねむぶちにならせたまふべし。

念仏ねむぶちにとりても、 一向ゐちかう専修せんじゆ念仏ねむぶちなり。 そのむね三昧さむまい発得ほちとく善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうしよ¼ にみえたり。

また ¬そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下) に、 「一向ゐちかう専念せんねむりやう寿じゆぶち」 といへり。 一向ゐちかうごんは、 かう三向さむかうたいして、 ひとへにぎやうをえらびて、 きらひのぞくこゝろなり。

おむいのりのれうにも、 念仏ねむぶちがめでたくさふらふ。 ¬わうじやう要集えうしゆ¼ にも、 ぎやうなか念仏ねむぶちすぐれたるよしみえたり。

また伝教でんげうだい七難しちなん消滅せうめちほふにも、 「念仏ねむぶちをつとむべし」 (七難消滅護国頌) とみえてさふらふ。 おほよそ十方じふぱう諸仏しよぶち三界さむがい天衆てんしゆまうしたまはぬぎやうにてさふらへば、 げんしやうおむつとめ、 なにごとかこれにすぎさふらふべきや。

いまたゞ一向ゐちかう専修せんじゆたん念仏ねむぶちしやにならせおはしますべくさふらふ

二六1043、熊谷入道への御返事

おむふみくはしくうけたまはりさふらひぬ。 かやうにまめやかに、 だいにおぼしめしさふらふ返々かへすがへすありがたくさふらふ。 まことにこのたび、 かまへてわうじやうしなむと、 おぼしめしきるべくさふらふ

うけがたき人身にんじんすでにうけたり、 あひがたき念仏ねむぶちわうじやう法門ほふもんにあひたり。 しやをいとふこゝろあり、 極楽ごくらくをねがふこゝろおこりたり。 弥陀みだほんぐわんふかし。 わうじやうはたゞおむこゝろにあるたびなり。 ゆめゆめおむ念仏ねむぶちおこたらず、 決定くゑちじやうわうじやうのよしをぞんぜさせたまふべくさふらふ。 なにごともとゞめさふらひぬ。

九月十六日

ぐゑん

二七、要義十三問答

まことにこのには、 道心だうしむのなきことと、 やまひとばかりや、 なげきにてさふらふらむ。 をいとなむことなければ、 はうハシルちやうハシルせず、 じきともにかけたりといゑども、 しんみやうをおしむこゝろせちならぬは、 あながちにうれへとするにおよばぬ。 こゝろをやすくせむためにも、 すてさふらふべきよにこそさふらふめれ。

いはむや、 じやうのかなしみはめのまへにみてり、 いづれのつきおかおはりのときとせむ。 さかへあるものもひ1044さしからず、 いのちあるものもまたうれえあり。 すべていとふべきは六道ろくだうしやうのさかひ、 ねがふべきはじやうだいなり。

てんじやうにむまれてたのしみにほこるといゑども、 すい*退没たいもちのくるしみあり。 人間にんげんにむまれて国王こくわうしんをうけて、 ゐちてんおばしたがふといゑども、 しやうウマル らうオイタルびやうヤマウシヌル愛別あいべちワカレハナ離苦りくルヽクルシミ おんウラミ ぞうソネム会苦えくクルシミゐちもまぬかるゝことなし。 これらのなからむすら、 さむ悪道まくだうにかへるおそれあり。 こゝろあらむひとは、 いかゞいとはざるべき。

うけがたき人界にんがいしやうをうけて、 あひがたき仏教ぶちけうにあひ、 このたびしゆつをもとめさせたまへ。

おほかたは、 さこそはおもふことにてさふらへども、 かやうにおほせらるゝことばにつきて、 さうなくしゆつをしたりとも、 こゝろにみやうをはなれたることもなし。 かい清浄しやうじやうなることなく、 道心だうしむにてひとはうをなされむこと、 いかゞとおぼえさふらふ。 それもざいにありておほくのりんごふをまさむよりは、 よきことにてやさふらふべき。

こた たわぶれにアマのころもをき、 さけにゑいてしゆつをしたるひと、 みな仏道ぶちだういんとなりにきと、 ふるきものにもかきつたえられてさふらふ

¬わうじやう十因じふいん¼ (意)まふすふみには、 「*しようによしやうにん父母ぶもともにしゆつせしときおとこはとしじふゐちさいオメさむじふさむなり。 しゆぎやうそうをもちてとしき。 ほめていはく、 衰老すいらうにもいたらず、 病患びやうぐゑんウレエにものぞまず、 い1045しゆつをもとむ。 これさいじやう善根ぜんごんなり」 とこそはいひけれ。

しや如来によらい当来たうらいだうろくそんぞくしたまふにも、 「かい重悪ぢうあくのともがらなりといふとも、 かしらをそり、 ころもをそめ、 袈裟けさをかけたらむものは、 みななんぢにつく」 とこそはおほせられてさふらへ。

さればかいなりといゑども、 さむ得脱とくだちなほたのみあり。 あるきやうもんには、 「ざいかいには、 しゆつかいはすぐれたり」 とこそはまふしさふらへ。

まことに仏法ぶちぽふ流布るふにむまれて、 しゆつみちをえて、 だち幢相どうさうのころもをかたにかけ、 しやくにつらなりて、 仏法ぶちぽふしゆぎやうせざらむ。 まことにたからやまにいりて、 をむなしくしてかへるためしなり。

まことにしゆつなどしては、 さすがにしやうをはなれ、 だいにいたらむことをこそは、 いとなみにてさふらふべけれ。 いかやうにかつとめ、 いかやうにかねがひさふらふべき。

¬安楽あんらくしふ¼ (巻上意)いはく、 「だいじようしやうげうによるに、 しゆしようぼふあり。 ひとつにはしやうだうふたつにはわうじやうじやうなり」。

穢土ゑどなかにして、 やがて仏果ぶちくわをもとむるは、 みなしやうだうもんなり。 諸法しよほふ実相じちさうくわんじてしようをえむと、 法華ほふくゑ三昧ざむまいぎやうじて六根ろくこん清浄しやうじやうをもとめ、 三密さむみちぎやうほふをこらして即身そくしんじやうぶちせむとおもふ。 あるいはだうくわをもとめ、 またさむみやうろくをねがふ、 これみななんぎやうだうなり。

わうじやうじやうもんといふは、 まづじやう1046むまれて、 かしこにてさとりをもひらき、 ほとけにもならむとおもふなり、 これはぎやうだうといふ。 しやうをはなるゝみちみちおほし、 いづれよりもいらせたまへ。

さればわれらがごときのおろかなるものは、 じやうをねがひさふらふべきか、 いかに。

こた ¬安楽あんらくしふ¼ (巻上意)いはく、 「しやうだう一種ゐちしゆは、 いまのときにはしようしがたし。 ひとつにはだいしやうをされることはるかにとおきによる。 ふたつにははふかくして、 さとりはすくなきによる。 このゆへに ¬大集だいじふぐわちざうきやう¼ にいはく、 わが末法まちぽふのときのなか億億おくおくしゆじやうぎやうをおこしだうしゆするに、 一人ゐちにんもうるものはあらず。

まことにいま末法まちぽふじよくあくなり。 たゞじやう一門ゐちもんのみありてにふすべきなり。 こゝをもて諸仏しよぶちだいじやうくゐせよとすゝめたまふ。 ゐちぎやうあくをつくれども、 たゞよくこゝろをかけて、 まことをもはらにして、 つねによく念仏ねむぶちせよ。 一切ゐちさいのもろもろのさはり、 ねんにのぞこりて、 さだめてわうじやうをう。 なむぞおもひはからずして、 さるこゝろなきや」 といふ。

ゐやうくわんののたまはく、 「真言しんごんくわんは、 ふかくしてさとりがたく、 三論さむろん法相ほふさうは、 みちかすかにしてまどひやすし」 (往生拾因) なむどさふらふ

まことにくわんねむもたえず、 ぎやうほふにもいたらざらむひとは、 じやうわうじやうをとげて、 一切ゐちさい法門ほふもんおもやすくさとらせたまはむは、 よくさふらふなむとおぼえさふらふ

1047 十方じふぱうじやうおほし、 いづれおかねがひさふらふべき。 そち上生じやうしやうをねがふひともおほくさふらふ、 いかゞおもひさだめさふらふべき。

こた 天臺てんだいだいののたまはく、

諸教しよけうほむるところおほ弥陀みだいますがゆへに、 西方さいはうをもてゐちじゆんとす」 (輔行巻二)

諸教しよけうしよさんざい弥陀みだ西方さいはうゐちじゆん↡」

と。 また顕密けんみち教法けうぼふなかに、 もはら極楽ごくらくをすゝむることは、 しようすべからず。

しむの ¬わうじやう要集えうしゆ¼ に、 十方じふぱうたいして西方さいはうをすゝめ、 そちたいしておほくのしようれちをたて、 なんさうしようをひけり、 たづねらんぜさせたまへ。

極楽ごくらくこのえんふかし、 弥陀みだえん教主けうしゆなり、 宿因しういんのゆへ、 ほんぐわんのゆへ。 たゞ西方さいはうをねがはせたまふべきとこそおぼえさふらへ。

まことにさては、 ひとすぢに極楽ごくらくをねがふべきにこそさふらふなれ、 極楽ごくらくをねがはむには、 いづれのぎやうかすぐれてさふらふべき。

こた 善導ぜんだうしやくしてのたまはく、 「ぎやうしゆあり。 ひとつには正行しやうぎやうふたつにはざふぎやうなり。 しやうなかしゆ正行しやうぎやうあり。 ひとつには礼拝らいはい正行しやうぎやうふたつには讃嘆さんだんやう正行しやうぎやうみつには読誦どくじゆ正行しやうぎやうよつにはくわんざち正行しやうぎやういつゝには称名しようみやう正行しやうぎやうなり。

ひとつ礼拝らいはい正行しやうぎやうといふは、 らいせむには、 すなわちかのほとけらいしてらいをまじえざれ。

ふたつ讃嘆さんだんやう正行しやうぎやうといふは、 弥陀みだ讃嘆さんだんやうして讃嘆さんだんやうをまじえざれ。

みつ読誦どくじゆ正行しやうぎやうといふは、 読誦どくじゆせむには、 ¬弥陀みだきやう¼ とうさむきやう読誦どくじゆして読誦どくじゆをまじえざれ。

よつくわんミソナハス ざちカヾミルしやうぎやうといふは、 憶念おくねむくわんざちせむには、 か1048ほうしやうごむとうくわんざちしてくわんざちをまじえざれ。

いつゝ称名しようみやう正行しやうぎやうといふは、 しようせむには、 すなわちかのほとけしようして称名しようみやうをまじえざれ。

このしゆわうじやう正行しやうぎやうとす。 この正行しやうぎやうなかにまたふたつあり。 ひとつにはしやうふたつにはじよ称名しようみやうをもてはしやうとし、 礼誦らいじゆとうをもちては助業じよごふとなづく。 このしやうじよぎやうをのぞきて、 自余じよ衆善しゆぜんはみなざふぎやうとなづく」 (散善義意)

またしやくしていはく、 「自余じよ衆善しゆぜんは、 ぜんとなづくといゑども、 念仏ねむぶちにくらぶれは、 またくけうナラブルト あらず」 とのたまへり。

じやうをねがはせたまはゞ、 一向ゐちかう念仏ねむぶちをこそはまふさせたまはめ。

ぎやうしゆしてわうじやうせむことは、 かなひさふらふまじや。 されども ¬法華ほふくゑきやう¼ (巻六薬王品) には 「即往そくわう安楽あんらくかい弥陀みだぶち」 といひ、 密教みちけうなかにも、 決定くゑちじやうわうじやう真言しんごん滅罪めちざい真言しんごんあり。 諸教しよけうなかに、 じやうわうじやうすべきりきをとけり、 また穢土ゑどなかにして仏果ぶちくわにいたるといふ。

かたきとくをだにせらむけうしゆぎやうして、 やすきわうじやう極楽ごくらくかうせば、 仏果ぶちくわにかなうまでこそかたくとも、 わうじやうはやすくやさふらふべきとこそおぼえさふらへ。 またおのづからちやうもんなどにうけたまはるにも、 法華ほふくゑ念仏ねむぶちひとつものとしやくせられさふらふ。 ならべてしゆせむに、 なにかくるしくさふらふべき。

こた ¬そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下)三輩さむぱいわうじやうごふをときて、 ともに 「一向ゐちかう専念せんねむりやう寿じゆぶち」 とのたまへり。

¬くわんりやう寿じゆきやう1049¼ に、 もろもろのわうじやうぎやうをあつめてときたまふおはりに、 なんぞくしたまふところには、 「なむぢこのことばをたもて。 このことばをたもてといふは、 りやう寿じゆぶちのみなをたもてとなり」 とときたまふ。

善導ぜんだう ¬観経くわんぎやう¼ をしやくしてのたまふに、 「ぢやうさんりやうもんやくをとくといゑども、 ぶちほんぐわんをのぞむには、 一向ゐちかうにもはら弥陀みだみやうがうしようせしむるにあり」 (散善義) といふ。

おなじき ¬きやう¼ (観経)もんに、 「一一ゐちゐち光明くわうみやう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやうをてらして、 摂取せふしゆしてすてたまはず」 ととけり。

善導ぜんだうしやくしてのたまふには、 「ろんぜず、 雑業ざふごふのものをてらし摂取せふしゆす」 (観念法門) といふことおばとかずさふらふ

ぎやうのものふつとむまれずとはいふにはあらず、 善導ぜんだうも 「かうしてむまるべしといゑども、 もろもろのざふぎやうとなづく」 (散善義) とこそはおほせられたれ。

¬わうじやう要集えうしゆ¼ (巻上)じよにも、 「顕密けんみち教法けうぼふ、 そのもんひとつにあらず。 事理じり業因ごふいん、 そのぎやうこれおほし。 利智りちしやうじんひとは、 いまだかたしとせず。 がごときのぐわんカタクナのもの、 たやすからむや。 このゆへに、 念仏ねむぶち一門ゐちもんによりて、 きやうろん要文えうもんをあつむ。 これをひらき、 これをしゆするに、 さとりやすくぎやうじやすし」 といふ。

これらのしようあきらめつべし。 けうをえらぶにはあらず、 をはからふなり。 わがちからにてしやうをはなれむこと、 はげみがたくして、 ひとへにりき弥陀みだほんぐわんをた1050のむなり

先徳せんどくたちおもひはからひてこそは、 だうしやくしやうだうをすてゝじやうもんにいり、 善導ぜんだうざふぎやうをとゞめて一向ゐちかう念仏ねむぶちして三昧さむまいをえたまひき。 じやうしゆ祖師そしだいにあひつげり、 わづかにゐちりやうをあぐ。

このてうにもしむゐやうくわんなどいふ、 しゆしゆ、 ひとへに念仏ねむぶち一門ゐちもんをすゝめたまへり。

専雑せんざふしゆ、 はじめてまふすにおよばず。 じやうしゆのふみおほくさふらふ、 こまかにらんさふらふべし。

また即身そくしん得道とくだうぎやうわうじやう極楽ごくらくにおよはざらむやとさふらふは、 まことにいわれたるやうにさふらへども、 なかにもしゆまふすことのさふらふぞかし。

善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうしよ¼ (玄義分意) にいはく、 「般若はんにやきやうのごときは、 空慧くゑをもてしゆとす、 ¬ゆいきやう¼ のごときは、 思議しぎだちをもちてしゆとす。 いまこの ¬観経くわんぎやう¼ は、 くわんぶち三昧ざむまいをもちてしゆとし、 念仏ねむぶち三昧ざんまいをもちてしゆとす」 といふがごとき。

¬法華ほふくゑ¼ は、 真如しんによ実相じちさうびやうどうめうくわんじてしようをとり、 現身げんしんぼむ六根ろくこんくらゐにもかなふ、 これをもちてしゆとす。 また真言しんごんには、 即身そくしんじやうぶちをもちてしゆとす。

¬法華ほふくゑ¼ にもおほくのりきをあげてきやうをほむるついでに、 「即往そくわう安楽あんらく(法華経巻六薬王品) ともいひ、 また 「即往そくわうそちてんじやう(法華経巻七勤発品) ともいふ。 これは便びんせちなり、 わうじやうしゆとするにはあらず。 真言しんごんもまたかくのごとし。

法華ほふくゑ念仏ねむぶちひとつなりといひて、 ならべてしゆせよといはゞ、 善導ぜんだうくわしやうは ¬法華ほふくゑ¼・¬ゆい¼ とう読誦どくじゆしき。 じやう一門ゐちもん1051にいりにしよりこのかた、 一向ゐちかう念仏ねむぶちして、 あえてぎやうをまじふることなかりき。

しかのみならず、 じやうしゆ祖師そしあひつぎて、 みな一向ゐちかうみやうがうしようしてごふをまじへざれとすゝむ。 これらをあんじて専修せんじゆゐちぎやうにいらせたまへとはまふすなり。

じやう法門ほふもんに、 まづなになにをみてこゝろつきさふらふなむ。

こた きやうには¬さうくわん¼・¬くわんりやう寿じゆ¼・¬小弥陀みだきやう¼ とう、 これをじやうさむきやうとなづく。 ふみには善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうしよ¼・¬ろく礼讃らいさん¼・¬くわんねむ法門ぼふもん¼、 だうしやくの ¬安楽あんらくしふ¼、 おんの ¬西方さいはうえうくゑち¼、 かむの ¬ぐんろん¼、 天臺てんだいの ¬じふろん¼、 わがてうにんしむの ¬わうじやう要集えうしゆ¼ なむどこそは、 つねにひとのみるものにてさふらへ。

たゞなにをらんずとも、 よくおむこゝろえて念仏ねむぶちまふさせたまはむに、 わうじやうなにかうたがひさふらふべき。

こゝろおば、 いかやうにかつかひさふらふべき。

こた 三心さむしむそくせさせたまへ。 その三心さむしむまふすは、 ひとつにはじやうしむふたつには深心じむしむみつにはかうほちぐわんしむなり。

ひとつじやうしむといふは、 真実しんじちしむなり。 善導ぜんだうしやくしてのたまはく、 「といふはしんじやうといふはじち真実しんじちのこゝろのなかに、 この自他じたしやうほうをいとひすてゝ、 三業さむごふしゆするところのきやうごふに、 かならず真実しんじちをもちゐよ。 ほかに賢善けんぜんしやうじんさうげんじて、 うちに虚仮こけをいだくものは、 にちじふにつとめおこなふこと、 かうべの1052をはらふがごとくにすれども、 わうじやうをえずといふ。 たゞ内外ないぐゑみやうあむおばえらばず、 真実しんじちをもちゐるゆへに、 じやうしむとなづく。

ふたつ深心じむしむといふは、 ふかきしんなり。 決定くゑちじやうしてふかくしんぜよ、 しんげんにこれ罪悪ざいあくしやうぼむなり。 くわうごふよりこのかた、 つねにしづみつねにてんして、 しゆつえんあることなし。

また決定くゑちじやうしてふかくしんぜよ、 かの弥陀みだぶち十八じふはちぐわんをもて、 しゆじやうをうけおさめて、 うたがひなくうらもひなく、 かのぐわんりきにのりてさだめてわうじやうすと。

あふぎてねがはくは、 ほとけのみことおばしんぜよ。 もし一切ゐちさいしやひやくせん万人まんにんきたりて、 きやうろんしようをひきて、 一切ゐちさいぼむ念仏ねむぶちしてわうじやうすることをえずといはむに、 一念ゐちねむウタガフ 退たいシリゾクのこゝろをおこすべからず。 たゞこたえていふべし、 なむぢがひくところのきやうろんしんぜざるにはあらず。 なむぢがしんずるところのきやうろんは、 なむぢがえんけう、 わがしんずるところは、 わがえんけう、 いまひくところのきやうろんは、 さちにんてんとうじてとけり。

この ¬観経くわんぎやう¼ とうさむは、 ぢよくあくぜんぼむのためにときたまふ。 しかれば、 かの ¬きやう¼ をときたまふときには、 たいべちに、 ところべちに、 やくべちなりき。 いまきみがうたがひをきくに、 いよいよ信心しんじむぞうマシぢやうマストナリ

もしはかんびやくぶちしよじふさち十方じふぱうにみちみち、 化仏くゑぶち報仏ほうぶちひかりをかゞやかし、 虚空こくにみしたをはき1053て、 むまれずとのたまはゞ、 またこたえていふべし、 一仏ゐちぶちせち一切ゐちさい仏説ぶちせちにおなじ、 しや如来によらいのときたまふけうをあらためば、 せいしたまふところのせちしやう十悪じふあくとうつみをあらためて、 またおかすべからむや。

さきのほとけそらごとしたまはゞ、 のちのほとけもまたそらごとしたまふべし。 おなじことならば、 たゞしんじそめたるほふおば、 あらためじといひて、 ながく退たいすることなかれ。 かるがゆへに深心じむしむなり。

みつかうほちぐわんしむといふは、 一切ゐちさい善根ぜんごんをことごとくみなかうして、 わうじやう極楽ごくらくのためとす。 決定くゑちじやう真実しんじちのこゝろのなかかうして、 むまるゝおもひをなすなり。 このこゝろ深信じむしんなること金剛こむがうのごとくにして、 一切ゐちさいけんがくべちべちぎやうにんとうに、 動乱どうらん破壊はゑせられざれ。

いまさらにぎやうじやのためにひとつのたとひをときて、 外邪ぐゑじやけんなんをふせがむ。 ひとありて西にしにむかひてひやくせんをゆくに、 忽然こつねんタチマチニ してちうにふたつのかわあり。 ひとつにはこれかわみなみにあり。 ふたつにはこれみづかわきたにあり。 おのおのひろさひやくモヽアユミ、 ふかくしてそこなし、 南北なむぼくにほとりなし。

まさにすいくわ中間ちうげんひとつびやくだうあり、 ひろさ四五しごすんばかりなるべし。 このみちひむがしきしより西にしきしにいたるに、 ながさひやく、 そのみづらうまじオナミコナミトイフわりすぎてみちをうるおす、 火炎くわえむまたきたりてみちをやく。 水火すいくわあひまじわりてつねにやむことなし。

このひとすでにムナシク くわうハルカナリのはるかな1054るところにいたるに、 ひとなくして群賊ぐんぞく悪獣あくじゆあり。 このひとひとりありくをみて、 きおいきたりてころさむとす。 このひとをおそれてたゞちにはしりて西にしにむかふ。

忽然こつねんとしてこのたいをみるに、 すなわち念言ねむごんすらく、 南北なむぼくにほとりなし、 中間ちうげんひとつびやくだうをみる、 きわめてけちセバクせうセバシなり。 ふたつのきしあいさることちかしといゑども、 いかゞゆくべき。 今日こむにちさだめてせむことうたがひなし。

まさしくかへらむとおもへば、 群賊ぐんぞく悪獣あくじゆやうやくにきたりせむ。 南北なむぼくにさりはしらむとおもへば、 悪獣あくじゆ毒虫どくちうきおひきたりてわれにむかふ。 まさに西にしにむかひてみちをたづねて、 しかもさらむとおもへば、 おそらくはこのふたつのかわにおちぬべし。

このときおそるゝこといふべからず、 すなわちねむすらく、 かへるともし、 またさるともしなむ、 一種ゐちしゆとしてもをまぬかれざるものなり。 われむしろこのみちをたづねて、 さきにむかひてしかもさらむ。 すでにこのみちあり、 かならずわたるべしと。

このおもひをなすときに、 ひむがしきしにたちまちにひとのすゝむるこゑをきく。 きみ決定くゑちじやうしてこのみちをたづねてゆけ、 かならずなんなけむ。 じゆせば。 すなわちしなむ。 西にしきしうへひとありてよばひていはく、 なむぢ一心ゐちしむにまさしくねんじて、 身心しんしむいたりて、 みちをたづねてぢきにすゝみて、 かう退心たいしむをなさず。

あるいは一分ゐちぶんぶんゆくに1055群賊ぐんぞくよばいていはく、 きみかへりきたれ、 このみちはけあしくあしきみちなり、 すぐることをうべからず、 しなむことうたがひなし、 われらがしゆあしきこゝろなし。

このひとあひむかふに、 よばふこゑをきくといゑどもかへりみず。 ぢきにすゝみてみちねんじてしかもゆくに、 しゆにすなわち西にしきしにいたりて、 ながくもろもろのなんをはなる。 ぜんあひむかひてよろこびやむことなし。

これはこれたとひなり。 つぎたとひがふすといふは、 ひむがしきしといふは、 すなわちこのしや火宅くわたくにたとふるなり。

群賊ぐんぞく悪獣あくじゆいつわりちかづくといふは、 すなわちしゆじやう六根ろくこん六識ろくしき六塵ろくぢんおむだいなり。

ひとなきくわうさわといふは、 すなわちあくにしたがひて、 まことのぜんしきにあはざるなり。

水火すいくわ二河にがといふは、 すなわちしゆじやう貪愛とむあいみづのごとく、 瞋憎しんぞうのごとくなるにたとふるなり。

中間ちうげんびやくだう四五しごすんといふは、 しゆじやう貪瞋とむじん煩悩ぼむなうなかに、 よく清浄しやうじやうぐわんわうじやうしむをなすなり。 貪瞋とむじんこはきによるがゆへに、 すなわち水火すいくわのごとしとたとふるなり。

しゐつねにみちをうるおすといふは、 愛心あいしむつねにおこりて善心ぜんしむぜむするソメケガストナリ なり。 また火炎くわえんつねにみちをやくといふは、 すなわち瞋嫌しんけむのこゝろよくどく法財ほふざいノリノタカラ やくなり。

ひとみちをのぼるにぢき西にしにむかふといふは、 すなわちもろもろのきやうごふをめぐらして、 ぢき西にしにむ1056かふにたとふるなり。

ひむがしきしに人のこゑのすゝめやるをきゝて、 みちをたづねてぢき西にしにすゝむといふは、 すなわちしやはすでにめちしたまひてのち、 ひとみたてまつらざれども、 なほ教法けうぼふありてすなわちたづぬべし。 これをこゑのごとしとたとふるなり。

あるいは一分ゐちぶんぶんするに群賊ぐんぞくよばひかへすといふは、 べちべちぎやう悪見あくけんにんみだりにけんをときてあひ惑乱わくらんし、 およびみづからつみをつくりて退失たいしつするなり。

西にしきしうへひとありてよばふといふは、 すなわち弥陀みだぐわんのこゝろにたとふるなり。

しゆにすなわち西にしきしにいたりてぜんあひみてよろこぶといふは、 すなわちしゆじやうのひさしくしやうにしづみて、 くわうごふよりりんし、 メイマドフたうタフルヽづからまどふだちするによしなし。

あふぎて*発遣はちけんして、 西方さいはうにむかへしめたまふ。 弥陀みだしむまねきよばひたまふに、 そんおむこゝろしんじゆんして、 水火すいくわ二河にがをかへりみず、 念念ねむねむにわするゝことなく、 かのぐわんりきじようじて、 このみちにいのちをすておはりてのち、 かのくににむまるゝことをえて、 ほとけとあひみて、 きやうらくするヨロコビタノシマムこときわまりなからむ。

ぎやうじやぎやうじゆぐわ三業さむごふしゆするところ、 ちうせちをとふことなく、 つねにこのさとりをなし、 このおもひをなすがゆへにかうほちぐわんしむといふ。

またかうといふは、 かのくにゝむまれおはりて、 だいをおこしてしやうにかへりいりて、 しゆじやう1057教化けうくゑするをかうとなづく。

三心さむしむすでにすれば、 ぎやうじやうぜざることなし。 願行ぐわんぎやうすでにじやうじて、 もしむまれずといはゞ、 このことわりあることなけむ」 (散善義意) と。 じやう善導ぜんだうしやくもんなり。

¬弥陀みだきやう¼ のなかに、 「一心ゐちしむらん」 とさふらふぞかしな。 これ弥陀みだぶちまふさむとき余事よじをすこしもおもひまぜさふらふまじきにや。 ゐちしやう念仏ねむぶちまふさむほど、 ものをおもひまぜざらむことはやすくさふらへば、 一念ゐちねむわうじやうにはもるゝひとさふらはじとおぼえさふらふ。 またいのちのおはるをとして、 ねむなからむことは、 ぼむわうじやうすべきことにてもさふらはず。 このいかゞこゝろえさふらふべき。

こた 善導ぜんだうこのことしやくしてのたまはく、 ひとたび三心さむしむそくしてのち、 みだれやぶれざること金剛こむがうのごときにて、 いのちのおはるをとするを、 なづけて一心ゐちしむといふとさふらふ

弥陀みだぶちほんぐわんもんに、

「たとひわれほとけむに、 十方じふぱうしゆじやうしんいた信楽しんげうして、 わがくにむまれむとおもふて、 ない十念じふねむせむ。 もしむまれずは、 しやうがくとらじ」 (大経巻上)

「設我得↠仏、 十方衆生、 至↠心信楽、 欲↠生↢我国↡、 乃至十念。 若不↠生者、 不↠取↢正覚↡」

といふ。 このもんに 「しん」 といふは、 ¬観経くわんぎやう¼ にあかすところの三心さむしむなかじやうしむにあたれり。 「信楽しんげう」 といふは、 深心じむしむにあたれり。 これをふさねて、 いのちのおはるをとして、 みだれぬものを一心ゐちしむとはまふすなり。

このこゝろをせらむもの、 もしは一日ゐちにちもしはにちないゐちしやうじふしやうに、 かならずわうじやうすることをうといふ。 いかでかぼむ1058のこゝろに、 散乱さんらんなきことさふらふべき。 さればこそぎやうだうとはまふすことにてさふらへ。

¬そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下)もんには、

わう悪趣あくしゅる、 悪趣あくしゅねんづ、 だうのぼるごくなし。 きやすくしてひとなし」

「横截↢五悪趣↡悪趣自然閉昇↠道無↢窮極↡易↠往而無↠人」

ととけり。 まことにゆきやすきこと、 これにすぎたるやさふらふべき。

こふをつみてむまるといはゞ、 いのちもみじかく、 みもたえざらむひと、 いかゞとおもふべきに、 ほんぐわんに 「ない十念じふねむ(大経巻上) といふ、 ぐわんじやうじゆもんに 「ない一念ゐちねむもかのほとけねんじて、 こゝろをいたしてかうすれば、 すなわちかのくににむまるゝことをう」 (大経巻下意) といふ。

造悪ざうあくのものむまれずといはゞ、 ¬観経くわんぎやう¼ のもんに、 ぐゐやく罪人ざいにんむまるととく。

もしよもくだり、 ひとのこゝろもおろかなるときは、 信心しんじむうすくしてむまれがたしといはゞ、 ¬そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下)もんに、

当来たうらいきやうだう滅尽めつじんせむに、 われ慈悲じひ哀愍あいみんをもて、 ことにこのきやうとゞめじゆすることひやくさいせむ。 それしゆじやうあてこのきやうまうあはものこゝろしよぐわんしたがてみなとくしべし。」

当来たうらい之世しせきやうだう滅尽めつじん慈悲じひ哀愍あいみん↡、 どくきやうじゆひやくさい其有ごうしゆじやうきやうしやずいしよぐわんかいとく↡。」

そのときしゆじやう三宝さむぽうをきくことなし、 もろもろのしやうげうりうにかくれてゐちくわんもとゞまることなし。 たゞ悪邪あくじやしんのさかりなるしゆじやうのみあり、 みな悪道あくだうにおちぬべし。 弥陀みだほんぐわんをもちて、 しやだいふかきゆへに、 このけうをとゞめたまひつることひやくねんなり。 いはむや、 このごろはこれ末法まちぽふのはじめなり。 万年まんねんのゝちのしゆじやうにおとらむや。

かるがゆへに 「わう」 といふ。 しかりといゑども、 このけうにあふものはかたく、 また1059おのづからきくといゑども、 しんずることかたきがゆへに、 しかれば、 「にん」 といふ、 まことにことわりなるべし。

¬弥陀みだきやう¼ (意) に、 「もしは一日ゐちにちもしはにちない七日しちにちみやうがうしふして一心ゐちしむらんなれば、 そのひとみやうじゆときに、 弥陀みだぶちもろもろのしやうじゆげんにそのひとのまへにまします。 おはるときしむ顛倒てんだうして、タフレタフルヽコトナシトナリ 弥陀みだぶち極楽ごくらくこくわうじやうすることをう」 といふ。

このことをときたまふときに、 しや一仏ゐちぶち所説しよせちしんぜざらむことをおそれて、 「六方ろくぱう如来によらい同心どうしんどうにおのおの広長くわうぢやう舌相ぜちさうをいだして、 あまねく三千さむぜん大千だいせんかいにおほいて、 もしこのことそらごとならば、 わがいだすところの広長くわうぢやうしたやぶれたゞれて、 くちにかへりいることあらじ」 (観念法門) とちかひたまひき。

きやうもんしやくもんあらはにさふらふ、 たゞよくおむこゝろえさふらへ。 まただいじやうじたまひしときは、 みな証明しようみやうありき。 法華ほふくゑをときたまひしときは、 ほう一仏ゐちぶち証明しようみやうし、 般若はんにやをときたまひしときは、 はうぶち証明しようみやうしたまふ。 しかりといゑども、 一日ゐちにち七日しちにち念仏ねむぶちのごときに証誠しようじやうのさかりなることはなし。 ほとけもこのことをことにだいにおぼしめしたるにこそさふらふめれ。

信心しんじむのやうはうけたまはりぬ。 ぎやうだいいかゞさふらふべき。

こた しゆをこそはほんとすることにてさふらへ。 ひとつにはぢやうしゆふたつには慇重いんぢうしゆ、 またぎやうしゆとなづく、 みつ1060にはけんしゆよつには无余むよしゆなり。

ひとつぢやうしゆといふは、 おんの ¬西方さいはうえうくゑち¼ (意) にいはく、 「しよ発心ほちしむよりこのかた、 つねに退転たいてんなきなり」。 善導ぜんだうは、 「いのちのおはるをとして、 ちかふちうにとゞまステズウシナハヌナリ らざれ」 といふ。

ふたつぎやうしゆといふは、 極楽ごくらくぶちぽふそうぼうにおいて、 つねに憶念おくねむして尊重そんぢうをなすなり。 ¬わうじやう要集えうしゆ¼ にあり。

また ¬えうくゑち¼ (意) にいはく、 「ぎやうしゆ、 これにつきていつゝあり。 ひとつにはえんしやうにんをうやまふ、 ふたつにはえんざうけうとをうやまふ、 みつにはえんぜんしきをうやまふ、 よつには同縁どうえんともをうやまふ、 いつゝには三宝さむぽうをうやまふ。

ひとつえんしやうにんをうやまふといふは、 ぎやうじゆぐわ西方さいはうをそむかず、 ていツワキハキ便べんダイベン西方さいはうにむかはざれといふ。

ふたつえんざうけうとをうやまふといふは、 弥陀みだざうをあまねくつくりもかきもせよ。 ひろくすることあたはずは、 一仏ゐちぶちさちをつくれ。 またけうをうやまふといふは、 ¬弥陀みだきやう¼ とうしきふくろにいれて、 みづからもよみをおしへてもよませよ。 ざうきやうとをしちのうちイヱノウチナリ あんして、 ろく礼讃らいさんし、 香華かうぐゑやうすべし。

みつえんぜんしきをうやまふといふは、 じやうけうをのべむものおば、 もしはせんじゆんよりこのかた、 ならびにきやうぢう親近しんごんやうすべし。 別学べちがくのものおもそうじてうやまふこゝろをおこすべし。 もしまんをなさば、 つみをうることきわまりなし。 すゝめてもしゆじやうのために1061ぜんしきとなりて、 かならず西方さいはうくゐすることをもちゐよ。 この火宅くわたくじゆせば、 退たいシリゾキ もち シヅムありていでがたきがゆへなり。 火界くわかい修道しゆだうはなはだかたきがゆへに、 すゝめて西方さいはうくゐせしむ。 ひとたびわうじやうをえつれば、 三学さむがくねんしようしんしぬ。 まんぎやうならびにそなわるがゆへに、 弥陀みだじやうこく造悪ざうあくなし。

よつ同縁どうえんともをうやまふといふは、 おなじくごふしゆするものなり。 みづからはさとりおもくしてひとりごふじやうぜりといゑども、 かならずよきともによりて、 まさにぎやうをなす。 あやうきをたすけ、 あやうきをすくふこと同伴どうはん善縁ぜんえんなり、 ふかくあひたのみておもくすべし。

いつゝのかたぶきたるが、 たうるゝには、 まがれるによるがごとし。 ことのさわりありて、 西にしにむかふにおよばずは、 たゞ西にむかふおもひをなすにはしかず」。

みつけんしゆといふは、 ¬えうくゑち¼ (意)いは 「つねに念仏ねむぶちしてわうじやうのこゝろをなせ。 一切ゐちさいときにおいて、 こゝろにつねにおもひたくむべし。 たとへばもしひとせうトラレりやうカスメせらラレテ れて、 せんとなりて艱辛かむしむカラキメヲミルうく。 たちまちに父母ぶもをおもひて、 本国ほんごくにはしりかへらむとおもふて、 ゆくべきはかりこと、 いまだわきまへずしてきやうにあり、 にちゆいす。 くるしみたえしのぶべからず、 ときとしても本国ほんごくをおもはずといふことなし。 はかりごとをなすことえて、 すでにかへりてたちすることをえて、 父母ぶもしんシタシミ ごんチカヅクナリて、 ほ1062しきまゝにくわん ヨロコブ するがごとし。 ぎやうじやまたしかなり。 往因わういん煩悩ぼむなう善心ぜんしむらんせられヤブラレミダラルヽナリて、 ふく珍財ちんざいならメヅラシキタカラびにさんチラシ しちウシナフして、 ひさしくしやうにしづみて、 六道ろくだう駈馳くちしてカリツカワレハシルくるしみ身心しんしむをせむ。 いま善縁ぜんえんにあひて、 弥陀みだ慈父じふをきゝて、 まさに仏恩ぶちおんねんじて、 報尽ほうじんムクヒツキテト として、 こゝろにつねにおもふべし。 こゝろにあひつぎてごふをまじへざれ」。

よつ无余むよしゆといふは、 ¬えうくゑち¼ にいはく、 「もはら極楽ごくらくをもとめて礼念らいねむするなり。 しよきやうごふざふマジヘオコサズざれ。 しよごふ日別にちべち念仏ねむぶちすべし」。 善導ぜんだうののたまはく、 「もはらかのほとけみやうがうねんじ、 もはららいし、 もはらかのほとけおよびかの一切ゐちさいしやうじゆとうをほめて、 ごふをまじえざれ。 専修せんじゆのものはひやくはすなわちひやくながらむまれ、 雑修ざふしゆのものはひやくなかにわづかにゐちなり。 雑縁ざふえんにねがひつきぬれば、 みづからもさえ、 わうじやう正行しやうぎやうおもさうるなり。 なにをもてのゆへに。 われみづから諸方しよはうをみきくに、 道俗だうぞくぎやうどうにして、 専雑せんざふことなり。 たゞこゝろをもはらになさは、 じふはすなわちじふながらむまる。 雑修ざふしゆのものは、 ゐちもえず」 (礼讃意) といふ。

また善導ぜんだうしやくしてのたまはく、 「西方さいはうじやうごふしゆせむとおもはむものは、 しゆおつることなく、 三業さむごふまじわることなくして、 一切ゐちさいしよぐわんはいステツ て、 たゞ西方さいはうゐちぎやうゐちぐわんとをしゆせよ」 (群疑論巻四意) とこそさふらへ。

十一1063 一切ゐちさい善根ぜんごんわうのためにさまたげらる。 これはいかゞしてたいムカヘタスクルさふらふべき。

こた かいといふものは、 しゆじやうをたぶろかすものなり。 一切ゐちさいきやうごふは、 りきをたのむがゆへなり 念仏ねむぶちぎやうじやは、 みおば罪悪ざいあくしやうぼむとおもへば、 りきをたのむことなくして、 たゞ弥陀みだぐわんりきにのりてわうじやうせむとねがふに、 えんたよりをうることなし。

くわんをこらすひとにも、 なほかい魔事まじありといふ。 弥陀みだゐちには、 もとより魔事まじなし、 くわんにん清浄しやうじやうなるがゆへにといへり。 ほとけをたぶろかすえんなければ、 念仏ねむぶちのものおばさまたぐべからず、 りきをたのむによるがゆへに、 ひやくぢやういしをふねにおきつれば、 まん大海だいかいをすぐといふがごとし。

または念仏ねむぶちぎやうじやのまへには、 弥陀みだくわんおむつねにきたりたまふ。 廿にじふさちひやくぢう千重せんぢうねむしたまふに、 たよりをうべからず。

十二 弥陀みだぶちねむずるに、 いかばかりのつみおかめちさふらふ

こた一念ゐちねむによく八十はちじふ億劫おくこふしやうつみめちす」 (観経意) といひ、 また 「但聞たんもんぶちみやうさちみやうじよりやう億劫おくこふしやうざい(観経) などまふしさふらふぞかし。

十三 念仏ねむぶちまふしさふらふは、 ほとけ色相しきさう光明くわうみやうねむずるは、 観仏かむぶち三昧ざむまいなり。 報身ほうじんねん同体どうたいぶちしやうくわんずるは、 あさくこゝろすくなきわれらがきやうがいにあらず。

こた ぜん1064だうののたまはく、 「相をくわんぜずして、 たゞみやうしようせよ。 しゆじやうさわりおもくして、 くわんじやうずることかたし。 このゆへにだいしやうシヤカ仏ナリ はれみて、 称名しようみやうをもはらにすゝめたまへり。 こゝろはかすかにして、 たましひ十方じふぱうにとびちるがゆへなり」 (礼讃意) といふ。

ほんぐわんもんを、 善導ぜんだうしやくしてのたまはく、

「もしわれじやうぶちせむに、 十方じふぱうしゆじやうわがくにむまれむとがんじて、 わがみやうがうしようすること、 しもじふしやういたるまで、 わがぐわんりきじようじて、 もしむまれずは、 しやうがくとらじと。 かのぶちいまげんましましじやうぶちしたまへり。 まさにしるべし、 本誓ほんぜいじうぐわんむなしからず、 しゆじやうしようねむせばかならずわうじやうむ」 (礼讃)

にやくじやうぶち十方じふぱうしゆじやうがんしやうこく↡、 しようみやうがう↡、 下至げしじふしやう↡、 じようぐわんりき↡、 にやくしやうじやしゆしやうがく↡。 ぶちこむ現在げんざいじやうぶちたう本誓ほんぜいじうぐわんしゆじやうしようねむ必得ひちとくわうじやう↡」

とおほせられてさふらふ

とくとく安楽あんらくじやうわうじやうせさせおはしまして、 弥陀みだくわんおむとして、 法華ほふくゑ真如しんによ実相じちさうびやうどうめう般若はんにや第一だいゐち義空ぎく真言しんごん即身そくしんじやうぶち一切ゐちさいしやうげう、 こゝろのまゝにさとらせおはしますべし。

二八、武蔵津戸三郎への御返事

おむふみくはしくうけたまはりさふらひぬ。 たづねおほせたびてさふらふ事ども、 おほやうしるしまふしさふらふ

くまがやの入道にふだう・つのとの三郎さぶらうは、 無智むちのものなればこそ、 念仏ねむぶちおばすゝめたれ、 有智うちひとにはかならずしも念仏ねむぶちにかぎるべからずとまふすよしきこえてさふらふらむ、 きわめたるひがごとさふらふ

そのゆへは、 念仏ねむぶちぎやうは、 もとより有智うち無智むちにか1065ぎらず、 弥陀みだのむかしちかひたまひしほんぐわんも、 あまねく一切ゐちさいしゆじやうのためなり無智むちのためには念仏ねむぶちぐわんじ、 有智うちのためにはのふかきぎやうぐわんじたまへることなし。

十方じふぱうしゆじやうのために、 ひろく有智うち无智むちざいざい善人ぜんにん悪人あくにんかいかい、 たふときもいやしきも、 おとこおむなも、 もしはぶちざい、 もしは仏滅ぶちめち近来きんらいしゆじやう、 もしはしや末法まちぽふ万年まんねんののち三宝さむぽうみなうせてのときしゆじやうまで、 みなこもりたるなり

また善導ぜんだうくわしやうの、 弥陀みだ化身くゑしんとして専修せんじゆ念仏ねむぶちをすゝめたまへるも、 ひろく一切ゐちさいしゆじやうのためにすゝめて、 无智むちのものにかぎることさふらはず。 ひろき弥陀みだぐわんをたのみ、 あまねき善導ぜんだうのすゝめをひろめむもの、 いかでか無智むちひとにかぎりて、 有智うちひとをへだてむや。 もししからば、 弥陀みだほんぐわんにもそむき、 善導ぜんだうおむこゝろにもかなふべからず。

さればこのへんにまうできて、 わうじやうのみちをとひたづねさふらふひとには、 有智うち無智むちろんぜず、 みな念仏ねむぶちぎやうばかりをまふしさふらふなり しかるにそらごとをかまへて、 さやうに念仏ねむぶちまふしとゞめむとするものは、 このさきのよに、 念仏ねむぶち三昧ざんまいじやう法門ほふもんをきかず、 後世ごせにまたさむ悪道まくだうにかへるべきもの、 しかるべくして、 さやうのことおばたくみまふしさふらふことにてさふらふなり。 そのよししやうげうにみえてさふらふなり

しゆぎやうすることあるをみて瞋毒しんどくおこし、 方便はうべんして破壊はゑきほふあだなさむ。

1066かくのごときしやうまう闡提せんだいともがら頓教とんげう毀滅くゐめちしてながく沈淪ちむりむせむ。

だいじんごふ超過てうくわすとも、 いまださむはなるゝことをべからず」 (法事讃巻下)

「見↠有↢修行↡起↢瞋毒↡方便破壊競生↠怨
如↠此生盲闡提輩ムマルヽヨリメシヒタルモノ毀↢滅頓教↡永沈シヅミシヅム
超↢過大地微塵劫↡未↠可↠得↠離↢三途身」

まふしたるなり

このもんのこゝろは、 じやうをねがひ念仏ねむぶちぎやうずるものをみては、 いかりをおこし毒心どくしむをふうみて、 はかりごとをめぐらし、 やうやうの方便はうべんをなして、 念仏ねむぶちぎやうやぶりて、 あらそひてあだをなし、 これをとゞめむとするなり。

かくのごときのひとは、 むまれてよりこのかた、 仏法ぶちぽふのまなこしひて、 ほとけたねをうしなへる闡提せんだいともがらなり。 この弥陀みだみやうがうをとなえて、 ながきしやうをたちまちにきりて、 じやうじゆ極楽ごくらくわうじやうすといふ頓教とんげうほふをそしりほろぼして、 このつみによりて、 ながく三悪さむまくにしづむといえるなり。

かくのごときのひとは、 だいじんごふをすぐとも、 むなしくさむ悪道まくだうのみをはなるゝことをうべからずといえるなり。 さればさやうにまうをたくみてまふしさふらふらむひとは、 かへりてあはれむべきものなり。 さほどのものゝまふさむによりて、 念仏ねむぶちにうたがひをなし、 しむをおこさむものは、 いふにたらざるほどのことにてこそさふらはめ。

おほかた弥陀みだえんあさく、 わうじやうときいたらぬものは、 きけどもしんぜず、 ぎやうずるをみてははらをたて、 いかりをふうみて、 さまたげむとすることにてさふらふなり。 そのこゝろをえて、 いかにひとまふしさふらふとも、 おむこゝろばかりはゆるがせたまふべから1067ず。 あながちにしんぜざらむは、 ほとけなほちからおよびたまふまじ。 いかにいはむや、 ぼむちからおよぶまじきことなり

かゝるしんしゆじやうのために、 慈悲じひをおこしてやくせむとおもふにつけても、 とく極楽ごくらくへまいりてさとりひらきて、 しやうにかへりてはうしんのものをわたして、 一切ゐちさいしゆじやうあまねくやくせむとおもふべきことにてさふらふなり。 このよしをおむこゝろえておはしますべし。

 一 ゐち人々ひとびとぜんぐわん結縁けちえんじよじやうせむこと、 このでう左右さうにおよびさふらはず、 もともしかるべくさふらふ念仏ねむぶちぎやうをさまたぐることをこそ、 専修せんじゆぎやうせいしたることにてさふらへ。 人々ひとびとのあるいはだうおもつくり、 ほとけおもつくり、 きやうおもかき、 そうおもやうせむには、 ちからをくわへえんをむすばむが、 念仏ねむぶちをさまたげ、 専修せんじゆをさふるほどのことさふらふまじ。

 一 こののいのりに、 ほとけにもかみにもまふさむことは、 そもくるしみさふらふまじ。 後世ごせわうじやう念仏ねむぶちのほかにあらず、 ぎやうをするこそ念仏ねむぶちをさまたぐれば、 あしきことにてさふらへ。 こののためにすることは、 わうじやうのためにてはさふらはねば、 ぶちしんカミのいのり、 さらにくるしかるまじくさふらふなり

 一 念仏ねむぶちまふさせたまはむには、 こゝろをつねにかけて、 くちにわすれずとなふ1068るが、 めでたきことにてはさふらふなり。 念仏ねむぶちぎやうは、 もとよりぎやうじゆぐわしよ諸縁しよえんをきらわざるぎやうにてさふらへば、 たとひみもきたなく、 くちもきたなくとも、 こゝろをきよくして、 わすれずまふさせたまはむこと返々かへすがへす神妙しんべうさふらふ。 ひまなくさやうにまふさせたまはむこそ、 返々かへすがへすありがたくめでたくさふらへ。

いかならむところ、 いかならむときなりとも、 わすれずまふさせたまはゞ、 わうじやうごふにはかならずなりさふらはむずるなり。 そのよしをおむこゝろえて、 おなじこゝろならむひとには、 おしえさせたまふべし。 いかなるときにもまふさざらむをこそ、 ねうじてまふさばやとおもひさふらふべきに、 まふされむをねうじてまふさせたまはぬことは、 いかでかさふらふべき、 ゆめゆめさふらふまじ。 たゞいかなるおりもきらはずまふさせたまふべし。 あなかしこ、 あなかしこ。

 一 おむぶちおほせにしたがひて、 開眼かいげんしてくだしまいらせさふらふ弥陀みだ三尊さむぞんつくりまいらせさせたまひてさふらふなる、 返々かへすがへす神妙しんべうさふらふ。 いかさまにも、 仏像ぶちざうをつくりまいらせたるは、 めでたきどくにてさふらふなり

 一 いまひとついふべきことのあるとおほせられてさふらふは、 なにごとにかさふらふらむ。 なむでうはゞかりかさふらふべき。 おほせさふらふべし。

 一 念仏ねむぶちぎやうあながちにしんぜざるひとろんじあひ、 またあらぬぎやうことさとりのひと1069にむかひて、 いたくしゐておほせらるゝことさふらふまじ。 がく異解いげひとをえては、 これをぎやうしてかなしめ、 あなづることなかれとまふしたることにてさふらふなり

されば同心どうしん極楽ごくらくをねがひ、 念仏ねむぶちまふさむひとに、 たとひ塵刹ぢんせちヨノクニのほトイフ かのひとなりとも、 どうぎやうのおもひをなして、 一仏ゐちぶちじやうにむまれむとおもふべきにてさふらふなり。

弥陀みだぶちえんなくて、 じやうにちぎりなくさふらはむひとの、 しんもおこらす、 ねがはしくもなくさふらはむには、 ちからおよばず。 たゞこゝろにまかせて、 いかなるぎやうおもして、 しやうたすかりて、 さむ悪道まくだうをはなるゝことを、 ひとのこゝろにしたがひて、 すゝめさふらふべきなり。

またさわさふらへども、 ちりばかりもかなひさふらひぬべからむひとには、 弥陀みだぶちをすゝめ、 極楽ごくらくをねがふべきにてさふらふぞ。 いかにまふしさふらふとも、 このよのひと極楽ごくらくにむまれぬことさふらふまじきことにてさふらふなり。 このあひだのことおば、 ひとのこゝろにしたがひて、 はからふべくさふらふなり。

いかさまにもひととあらそふことは、 ゆめゆめさふらふまじ。 もしはそしり、 もしはしんぜざらむものをば、 ひさしくごくにありて、 またごくへかへるべきものなりとよくよくこゝろえて、 こわがらで、 こしらふべきにてさふらふか。

またよもとはおもひまいらせさふらへども、 いかなるひとまふしさふらふとも、 念仏ねむぶちおむこゝろなむど、 たぢろぎおぼしめすことあるまじくさふらふ たとひせんほとけにいでゝ、 まのあたりおしえさせたまふと1070も、 これはしや弥陀みだよりはじめて、 恒沙ごうじやほとけ証誠しようじやうせさせたまふことなればとおぼしめして、 こゝろざしを金剛こむがうよりもかたくして、 このたびかならず弥陀みだぶちおむまへにまいりてむとおぼしめすべくさふらふなり

かくのごときのこと、 かたはしまふさむに、 おむこゝろえて、 わがためひとのためにおこなはせたまふべし。 あなかしこ、 あなかしこ。

九月十八日

ぐゑん

つのとの三郎さぶらう殿どのおむへん

つのとの三郎さぶらうといふは、 武蔵むさしくに住人じゆにんなり。 おほご・しのや・つのと、 この三人さむにんしやうにん根本こんぽん弟子でしなり。 つのとはしやうねんはちじふゐちにてがいして、 めでたくわうじやうをとげたりけり。 しやうにんわうじやうのとしとてしたりける。 もし正月廿五日などにてやありけむ、 こまかにたづねすべシルスベシ し。

康元かうげん元丙辰十一月八日

愚禿親鸞 八十四歳 書之

底本は高田派専修寺蔵康元元年、 二年親鸞聖人真筆本。
巧言 左「カマヘタマフミコトナリ」
得道 左「ネチハンノサトリナリ」
得道 左「ネチハンノサトリヲジヤウドニシテヒラクナリ」
四土 左「ホフシンホウジンオウジンクヱノドナリ」
四乗 左「シヤウモンエンガクボサチブチジヨウナリ」
二蔵 左「シヤウモンザウボサチザウナリ」
二住 左「ヨゲウハカクレテコノホフハトゞマルトイフコヽロナ□」
思不思 左「カシギハホトケノホカノヨノモノヽコヽロナリ」
并州の三県 左「クニノナヽリ シンヤウタイグヱンミトコロナリ」
退没 左「シリゾキオツルナリ イルトモイフ」
勝如聖人 左「ツノクニカチヲデラノシヤウニンニテオハシマスナリ」
発遣 左「シヤカノスヽメツカハストナリ」