0581◎破は邪じや顕けん正しやう抄せう 上

 

・序説

◎*専修せんじゆ念仏ねむぶちの行ぎやう人にん某それがし等ら、 謹つつしんで言ごん上じやう。

はやく山さん寺じ聖しやう道だうの諸僧しよそうならびに山伏さんぐわヤマブシ・巫ふ女ぢよカンナギ・陰陽おんやう師じ等とうが無む実じち非ひ分ぶんの讒言ざんげん濫妨らんぼうを停ちやう止じせられて、 かつは帰仏くゐぶちブチニクヰシ信法しんぽふのホフヲシンズル懇こん志しにネンゴロナル優いうせらコヽロザシ れ、 かつは治ち国こくクニヲオサメ撫ぶ民みんのタミヲナヅル恩おん憐れんをたれられて、 もとのごとく本宅ほんたくモトイヘに還ぐゑんカヘリ住ぢゆスミしテ て念仏ねむぶちを勤ごん行ぎやうすべきよし、 裁許さいきよをかうぶらんとおもふ子し細さいの事こと。

右みぎ専修せんじゆ念仏ねむぶちの勝しよう業ごふは、 決定くゑちぢやう往わう生じやうの正しやう因いんなり。 *安楽あんらくの能仁のうにんはねんごろにきたれとをしへ、 *娑しや婆ばの*化主くゑしゆはしゐてゆけとすゝめたまへり。 しかのみならず、 六方ろくぱうの諸仏しよぶちはしたをのべて仏ぶち語ごを*証誠しようじやうし、 一切いちさいの菩ぼ薩さちはいたゞきをなでゝ行ぎやう者じやを護ご念ねむす。 これを行ぎやうずれば仏ぶち陀だも納受なうじゆをたれ、 これを修しゆすれば神明しんめいも擁おう護ごをいたす。

-これによりて当流たうりうの祖師そし親鸞しんらん聖しやう人にん、 明めい師し源ぐゑん空く聖しやう人にんのをしへをうけられしよりこのかた、 こゝろを弘ぐ誓ぜいの仏ぶち地ぢにたて、 念ねむを難なん思じの法海ほふかいにながす。 帰くゐ依えのこゝろ他事たじなく、 渇仰かちがうのおもひ余よ念ねむなし。

-このゆへにとをく末代まちだい罪ざい濁ぢよくの愚ぐ鈍どんをかゞみ、 こと0582に在ざい家け无智むちの群類ぐんるいをあはれみて、 をしふるに弥陀みだの一いち行ぎやうをもてし、 すゝむるに西方さいはうの一いち路ろをもてせり。

-しかるあひだ京きやう中ちう・ミヤコノウチ 洛らく外ぐわい、ミヤコノホカ 遠邦えんぱう・トヲキクニ 近国きんごく、チカキクニ かのながれをくみ、 そのをしへをつたふるひと、 済々さいさい焉えんオホシトイフたコヽり。ロナリ われらすなはちその随一ずいいちなり。

おほよそ当流たうりうの勧くわん化くゑにをいては、 あながちに捨しや家け・イエヲステ 棄き欲よくのヨクヲスツルすがたを標へうせず。 出しゆち家け発心ほちしんの儀ぎをことゝせざるあひだ、 農業のうげうタツクルをつワザナリとむるものは、 つとめながらこれを行ぎやうじ、 官くわん仕しミヤヅカヘをいたすものは、 いたしながらこれを信しんず。 しかれば、 つとむべき所役しよやくををこたらず、 かぎりある公務くむオホヤケをいるノコトナリ かせにすることなし。 くにゝをいてわづらひなく、 ところにをいてつゐえなし。

-たゞ愚痴ぐち闇鈍あむどんのあま入道にふだう等とう、 聖しやう道だう諸宗しよしゆの修しゆ行ぎやうにたへざるあひだ、 涯分がいぶん相応さうおうの易い行ぎやうを修しゆして、 順じゆん次じの往わう生じやうを期ごするばかりなり。 これすなはち時機じきをはかるがゆへなり。 仏法ぶちぽふにつけ、 世せ間けんにつけて、 さらにそのあやまつところなし。

-しかるに山さん寺じ聖しやう道だうの僧そう徒とをはじめとして、 別べち解げ・異い学がく・偏執へんじふ・邪見じやけんのともがら、 種々しゆじゆの无む実じちをたくみ、 条々でうでうの悪あく名みやうをかまへて、 みだりがはしく上じやう訴そにをよび、 あまさへ在所ざいしよを追つい出しゆちせらるゝ条でう、 愁吟しうぎん ウレヘ のいたりなにごとかこれにしかん。

-浄じやう土どの大たい祖そ善導ぜんだう和くわ尚しやうとをくこのことをかゞみて、 「▲見けん有う修しゆ行ぎやう起き瞋毒しんどく、 方便はうべん破壊はえ競きやう生しやう怨おん」 (法事讃巻下) と釈しやくしたまへり。 はじめておどろくべ0583きにあらず。

-末代まちだいの邪悪じやあくをかへりみて、 しりぞいて正しやう法ぼふの再興さいこふフタヽビをまつべヲコランコトヲ しといへども、 耳じミヽ目ぼくメ にふるゝところの无む実じち、 いかでか披ひ陳ちんせざらん。 ほゞ一端いちたんヒトハシをあげて、 たゞ万察ばんさちヨロヅヲをあをぐ。シハカルベシトナリ つぶさに高聞かうぶんカミヘキに達たちしコシメサレテて恩裁おんさいにトイフココロナリあづからんとおもふものなり。

・本論

(1)

一 一向いちかう専修せんじゆといふは仏法ぶちぽふにあらず、 外道ぐゑだうの法ほふなるによりてこれを停ちやう止じせらるべき事こと。

この条でう、 おそらくは経釈きやうしやくをうかゞはざるひとのことば歟か。

-そのゆへは、 一向いちかうといふはわたくしのことばにあらず、 *修しゆ多羅たらの直説ぢきせちなり。 ¬无む量りやう寿じゆ経きやう¼ (巻下) のなかに三輩さむぱいの往わう生じやうをとくとして、 一々いちいちにみな 「▲一向いちかう専念せんねむ無む量りやう寿じゆ仏ぶち」 といへり。

-みなもとこの誠じやう説せちよりいでゝ、 高かう祖そ善導ぜんだう和くわ尚しやうまたこの義ぎを判はんじたまへり。 いはゆる ¬観経くわんぎやう¼ の 「▲汝好によかう持じ是語ぜご」 の文もんを釈しやくするとき、 「▲*望仏まうぶち本ほん願ぐわん、 意い在ざい衆しゆ生じやう一向いちかう專せん称しよう弥陀みだ仏ぶち名みやう」 (散善義) といへる釈しやく、 これなり。

-こゝをもて源ぐゑん空く聖しやう人にんは、 ▲五ご竺じくの三種さむしゆのてらをひいて ¬双さう巻くわん¼ の一向いちかうの義ぎを成じやうぜり。

-かくのごとく、 かみ仏説ぶちせちよりおこりて、 しも先徳せんどくの解げ釈しやくにいたるまで、 その文もん証しよう炳焉へいえんアキラカなナリり。 たれかこれを見聞けんもんせざらん。 もし見聞けんもんせば、 いかんが一向いちかうの名みやう言ごんを謗説ほうせちせん。 もしまた見聞けんもんしながらこれを禁きん0584ぜしめば、 あに偏執へんじふにあらずや。

-おほよそ八万はちまん四し千せんの教門けうもんは、 衆しゆ生じやう入にふ聖しやうの要えう路ろなり。 ともに釈しや迦か一仏いちぶちの所説しよせちなれば、 いづれを是ぜし、 いづれを非ひすべきにあらず。 このゆへに善導ぜんだう和くわ尚しやう、 あるひは 「▲*随縁ずいえん者しや即皆そくかい蒙む解げ脱だち」 (玄義分) と釈しやくし、 あるひは 「▲*仏教ぶちけう多た門もん八万はちまん四し、 正しやう為い衆しゆ生じやう機き不ふ同どう」 (般舟讃) と判はんぜり。 機きにしたがひてこれを行ぎやうずればみな生しやう死じをいで、 縁えんにおもむいてこれを修しゆすればことごとく菩ぼ提だいにいたる。

-いま専修せんじゆの行ぎやう人にんは、 弥陀みだ有う縁えんの機きなるがゆへに念仏ねむぶちを行ぎやうじて往わう生じやうをねがふ。 かの聖しやう道だうの学者がくしやは、 諸教しよけう有う縁えんの機きなるがゆへに衆しゆ行ぎやうを修しゆして成じやう仏ぶちを期ごする歟か。 なんぞあながちに、 わが有う縁えんの要えう行ぎやうにあらざるをもて、 他た人にんの行ぎやう用えうをさまたぐるや。

-しかれば、 ¬本ほん願ぐわん薬やく師し経きやう¼ には 「*自是じぜ非他ひた、 嫌謗けんばう正しやう法ぼふ、 為魔いま伴党ばんたう」 ととき、 ¬智度ちど論ろん¼ (巻一初品) には 「*自じ法ほふ愛染あいぜん故こ、 毀呰きし他た人にん法ほふ、 雖すい持ぢ戒かい行ぎやう人にん、 不ふ脱だち地ぢ獄ごく苦く」 と判はんぜり。 なかんづくに、 誹ひ謗はう正しやう法ぼふのものは弥陀みだの本ほん願ぐわんに除ぢよ却きやくノゾキシリせり。 ゾケラレタリたれかこれをおそれざらんや。

-しかのみならず善導ぜんだう和くわ尚しやうは、 「▲他たの有う縁えんの教けう行ぎやうを軽きやう毀くゐカロシメソしてシリテ 、 自じの有う縁えんの要法えうぼふを讃さんずることをえざれ。 すなはちこれみづから諸仏しよぶちの法眼ほふげんをあひ破壊はえするなり。 法眼ほふげんすでに滅めちしなば、 菩ぼ提だいの正しやう道だうタヾシキミチ履り足そくアシヲフするによミイレズトナリ しなし。 浄じやう土どの門もん、 な0585んぞよくいることをえん」 (般舟讃) といましめられたり。

-これによりていまこの一向いちかう専念せんねむの行ぎやう者じやは、 これらの文もん理りをまもりてさらに余よ行ぎやうを謗はうぜず、 あへて諸宗しよしゆを非ひせず。 しかるにかの僧そう徒と等らは、 すがたは仏法ぶちぽふ修しゆ行ぎやうのうつはものににたりといへども、 こゝろは撥はち無ぶ因果いんぐわのたぐひにおなじ。

-そのゆへは、 在々ざいざい処々しよしよにをいて念仏ねむぶち者しやの堂舎だうしやを破壊はえし、 ことにふれおりにつけて、 浄じやう土ど門もんの行ぎやう者じやを阿あ党たうす。 弥陀みだの絵え像ざう・木像もくざうをば外道ぐゑだうの形ぎやう像ざうなりといひて、 あしをもてこれを蹂躙じうりんしフミニジル 、 真宗しんしゆの法門ほふもん聖しやう教げうをば外道ぐゑだうの所説しよせちなりと称しようして、 つばきをはいてこれを毀くゐ破はす。 あまさへ浄じやう土どの本書ほんじよ 「三さむ部ぶ経きやう」 以下いげ五祖ごその釈しやく等とう数す十帖じふでうをして、 これをうばひとらしめをはりぬ。 世せ間けんの財宝ざいほうにあらずといへども、 盗犯たうぼむヌスミ の罪責ざいせきそツミノセメ のとがおなじかるべき歟か。

-そのときくだんの諸僧しよそう等とう、 人勢にんぜい悪あく徒とを引率いんそちして念仏ねむぶちの行ぎやう者じやの住宅ぢゆたくに発向はちかうす。 行ぎやう者じやの所犯しよぼむなヲカストコロにごとぞや、 われらが臓物ざうもちなにものぞや。 そのとがといふは仏法ぶちぽふの修しゆ行ぎやう、 その臓物ざうもちといふは念仏ねむぶちの一いち行ぎやう歟か。 言ごん語ご道断だうだんの所しよ行ぎやうなり。 その体ていたらく、 解げ脱だち幢相どうさうのころものうへには、 かたじけなく放逸ほういちのよろひを帯たいし、 鬀除たいぢよ鬚髪しゆほちのいたゞきのあひだにはほしいまゝに邪見じやけんのかぶとを著ちやくせり。 弓きうユミ箭せんヤ をよこたへ刀たうカタナ剣けんをツルギ さゝげて、 よそほひ目めをおどろかし、 高天かうてんにタカキソラ さけび厚かうアツキ地ぢツチをたゝひて、 こえ0586みゝに徹てちすトホル 。 おほよそその勢力せいりき、 大だい千界せんかいをひゞかす。 ほとほと修しゆ羅らの軍衆ぐんしゆにイクサノシユすぎたり。

-しかりといへども、 われらほかには合戦がふせんの重犯ぢうぼんを眼前がんぜんにマナコノマヘおそれ、 うちには出しゆち離りの大だい事じを生しやう後ごにかなしむがゆへに、 一分いちぶんの遺ゐ恨こんをさしはさまず、 一言いちごんのヒトコトバ 返答へんたうにカヘリゴト をよばず。 すみやかに住所ぢゆしよをしりぞいておだやかに訴そ訟しようをふるところなり。 いまかの僧そう徒とにさいだちて穢土えどをいでんおもひをなして、 年来ねんらいの在所ざいしよをいづるわれらをば、 三さむ世ぜの諸仏しよぶちもさだめて随ずい喜きをくはへ、 十方じふぱうの薩さち埵たもあらたに納受なうじゆをたれたまふらん。

-しかるにとき末代まちだいにをよべりといへども、 日にち月ぐわちなを天てんにかゝれり。 世よ五ご濁じよくに属ぞくすといへども、 仏法ぶちぽふいまだ地ぢにおちず。 いまの所しよ行ぎやうすでに常じやう篇へんヨノツネニにたえたり。 コヘタリトイフコヽロナリ冥みやうの照覧せうらんはゞかりあり、 ひとの謗難ばうなんいくそばくぞや。 一向いちかう専念せんねむの行ぎやう者じや等とうにをいては、 身みのうへにきたれる災難さいなんワザハイなをかくのごとくこれをふせがず。 いはんや、 みづからそのわざはひをおこさず。

-このゆへにいにしへよりいまにいたるまで、 いまだ悪あく行ぎやうのくはだてにをよばざるものなり。 身みにをいてあやまりなき条でう、 これらをもて御ご迹きやうじやくあるべきもの歟か。

(2)

一 法華ほふくゑ・真言しんごん等とうの大だい乗じようをもて雑ざう行ぎやうと称しようする条でう、 しかるべからざるよしの事こと。

こ0587の条でう、 しづかに善導ぜんだう和くわ尚しやうの解げ釈しやくをひらいて、 つらつら浄じやう土ど一いち家けの廃立はいりうを案あんずるに、 弥陀みだ一仏いちぶちにをいて帰くゐするところの行ぎやう体たいをもて正行しやうぎやうと称しようし、 自余じよの仏ぶち経きやうにをいてなすところの行ぎやう業ごふをもて雑ざう行ぎやうと号がうす。

-たとひ法華ほふくゑ・真言しんごん等とうの甚深じんじんの教けうなりといふとも、 なんぞ雑ざう行ぎやうのことばにおさまらざらんや。 これ弥陀みだ如来の往わう生じやうの本ほん願ぐわんにあらざるがゆへなり。 けだし教けうの浅せんアサキ深じんをフカキ 論ろんずるにあらず、 行ぎやうの優うマサリ劣れちをオトリ比ひするナラブルニ にあらざるがゆへなり。

-此土しどコノド の得道とくだうをあかす教けうをもて聖しやう道だう門もんとし、 他土たどの得とく生しやうを期ごする門もんをもて浄じやう土ど宗しゆとす。 かのもろもろの大だい乗じようは、 もはら即身そくしん頓とん悟ごのむねををしふるがゆへに、 すでに聖しやう道だうの教門けうもんなり。 しかれば、 たとひこれを修しゆして西方さいはうに廻え向かうすれども、 弥陀みだ如来によらいの本ほん願ぐわんにあらざるがゆへに、 これを雑ざう行ぎやうとなづけて往わう生じやう不ふ定ぢやうなり。 浄じやう土どの正行しやうぎやうといふは、 もとより西方さいはうの入因にふいんたる行ぎやう体たいにをいて正行しやうぎやうの名なをたつるところなり。 一宗いちしゆの教相けうさう、 すでにみだるゝところなし。 二に行ぎやうの差別しやべち、 さらに*混こんずべからざるものなり。

-これによりて恵え心しむの先徳せんどくの ¬往わう生じやう要集えうしふ¼ に十門じふもんをたつるなかに、 第だい九くの往わう生じやう諸業しよごふ門もんにをいて、 法華ほふくゑ・真言しんごん等とうのもろもろの大だい乗じようの行ぎやうをいれたり。 諸業しよごふといひ雑ざう行ぎやうといへる、 そのことばことなりといへども、 その体たいこれおなじ。 善導ぜんだう和くわ尚しやうは弥陀みだの化身くゑしん、 釈しやく尊そんの*再誕さいたんフタヽビ、 源ぐゑん信しんムマレタマフ 僧そう都づは遠劫おんごふの0588古こ仏ぶち、 霊りやう山ぜんの聴ちやう衆しゆなり。 たれのひとか、 かの両りやう師しの解げ釈しやくを難なん破ぱすべきや。

(3)

一 念仏ねむぶちは天臺てんだい・法相ほふさう等とうの八宗はちしゆのうちにあらず、 浄じやう土ど宗しゆと号がうして宗しゆの名なをたつること自由じゆたるよしの事こと。

この条でう、 もとより宗しゆの名なをたつることは仏説ぶちせちにあらず。 滅めち後ごの人にん師し、 こゝろざすところの経きやう論ろんについてその名なをたつるところなり。 いま世せ間けんに流布るふするところの八宗はちしゆといふは、 真言しんごん・天臺てんだい・華厳くえごん・三論さむろん・律宗りちしゆ・倶く舎しや・成じやう実じちなり。 これすなはち聖しやう武む天皇てんわうの勅願ちよくぐわんとして東大とうだい寺じをたてられしとき、 このてらにはこの八宗はちしゆを兼学けんがくすべきよし、 さだめをかれしよりこのかた、 八宗はちしゆの号がうあり。 しかれば、 諸しよ寺じ・モロモロノテラ諸山しよざんモロモロにノヤこマ れを学がくし、 南なむ京きやうミナミンオミヤコハナラ・北ほく京きやうキタノミヤにこれをコハヤマミヰデラ行ぎやうじて朝用てうようにかなひ、 公く請しやうをつとむるについて八宗はちしゆといふものなり。 浄じやう土どの一宗いちしゆにをいては、 かのときいまだわが朝てうにわたらず、 桓くわん武む天皇てんわうの御をんとき、 智ち証しよう大だい師しおほくこれを請しやう来らいしたまへり。 そのゝちもこの宗しゆにいたては公く請しやうをのぞまず、 名みやう利りをもとめず、 たゞ无む上じやう菩ぼ提だいのために修しゆ行ぎやうする教けうなるがゆへに、 かの一烈いちれつにこれをいれず。

-しかりといひて、 この八宗はちしゆのほかに宗しゆなきにはあらず。 すなはちかの仏心ぶちしむ宗しゆもそのときわが朝てうにわた0589らざるゆへに八宗はちしゆにいらず。 これまた朝用てうようにあらざる宗しゆなれども、 請しやう来らいののちひとこれをよびくはふるとき九く宗しゆと称しようす。 浄じやう土ど宗しゆをくはへんとき十宗じふしゆと号がうせんこと、 またなにのさまたげかあらん。 おほよそ震旦しんたんにをいては、 この八宗はちしゆにかぎらず種々しゆじゆの宗しゆあり。 いはゆる四し論ろん宗しゆ・涅槃ねちはん宗しゆ・地ぢ論ろん宗しゆ・摂論せふろん宗しゆ等とうなり。 これみなその経きやうをもて所しよ依えとし、 その論ろんをもて本論ほんろんとして義ぎをたて行ぎやうを修しゆすれば、 すなはちその宗しゆとなづく。 なんぞ浄じやう土どの一門いちもんにかぎりて宗しゆの名なををさゑられんや。 しかれば、 善導ぜんだう一いち師しのみにあらず、 元ぐわん暁げう・迦か才ざい・慈じ恩おん等とうの諸しよ師しみな念仏ねむぶちの門もんにをいて諸しよ師しの名なをたてられたり。 はじめて難なん破ぱにをよぶべからざるものをや。

(4)

一 念仏ねむぶちは小せう乗じようの法ほふなるがゆへに、 真実しんじち出しゆち離りの行ぎやうにあらざるよしの事こと。

この条でう、 安養あんやうは大だい乗じよう善根ぜんごんの妙めう土ど、 念仏ねむぶちは大だい乗じよう无む上じやうの勝行しようぎやうなり。 なんぞ小せう乗じようの修しゆ行ぎやうをもてたやすく大だい乗じようの国こく土どにいらんや。

-なかんづくに、 ¬般舟はんじゆ経きやう¼ (一巻本勧助品意) の説せちのごときは 「三さむ世ぜの諸仏しよぶち、 念ねむ弥陀みだ三昧ざむまいによりて正しやう覚がくをなる」 とゝき、 ¬弥陀みだ経きやう¼ の説せちにまかせば、 釈しや迦か如来によらいこの念仏ねむぶち三昧ざむまいを行ぎやうじて阿あ耨のく菩ぼ提だいをうとゝけり。 諸仏しよぶち成じやう道だうの要法えうぼふ、 むしろ小せう乗じようの劣れち行ぎやうならんや。 釈しやく尊そん凡ぼん地ぢの本ほん行ぎやう、 あに半はん字じの小業せうごふな0590らんや。

-しかれば、 ¬双さう巻くわん¼ (大経巻下意) には 「▲无む上じやう大だい利りの功く徳どく」 ととき、 ¬浄じやう土ど論ろん¼ には 「▲真実しんじち功く徳どくの相さう」 と判はんぜり。 これ大だい乗じようの義ぎをあらはすものなり。 こゝをもて善導ぜんだう和くわ尚しやう、 一宗いちしゆの教相けうさうを判はんずるとき、 「▲菩ぼ薩さち蔵ざう頓教とんげう」 (玄義分) と釈しやくせり。 いかでか小せう乗じようの教けうたりといふべきや。

-いかにいはんや、 善導ぜんだう和くわ尚しやうの解げ釈しやくのみにあらず。 諸しよ師しの釈しやく、 その義ぎまた一いち致ちなり。 くはしくしるすにいとまあらずといへども、 略りやくして少々せうせうをあぐべし。

-いはゆる天臺てんだい大だい師しは ¬観経くわんぎやう¼ をもて方等はうどう大だい乗じようの部ぶに判はん属ぞくし、 三論さむろんの祖師そし嘉か祥じやう大だい師しはまたこの経きやうをもて和くわ尚しやうの料簡れうけんのごとく菩ぼ薩さち蔵ざうと釈成しやくじやうし、 法相ほふさうの祖師そし慈じ恩おん大だい師しは念仏ねむぶちをもて大善だいぜんと釈しやくし、 律宗りちしゆの祖師そし大だい智ち律りち師しは 「大だい乗じよう円頓えんどん成じやう仏ぶちの法ほふ」 (小経義疏) と釈しやくせり。 念仏ねむぶち三昧ざむまいの教けう行ぎやう、 大だい乗じよう大善だいぜんの要法えうぼふなる条でう、 文もん釈しやくほゞかくのごとし。

-そもそも、 また曇鸞どむらん法ほふ師しは四し論ろん宗しゆの賢哲けんてちなり、 その講説かうせちをすてゝ一向いちかうに浄じやう土どに帰くゐせり。 道だう綽しやく禅ぜん師じは涅槃ねちはん宗しゆの学がく生しやうなり、 かの広くわう業ごふをさしをいて、 ひとへに西方さいはうの行ぎやうをひろめき。 また恵え心しむの古こ徳とくは天臺てんだい宗しゆの碩才せきさいなりガクシヤウトイフ、 三諦さむたいコヽロナリ 相即さうそくのまどをいでゝ順じゆん次じ往わう生じやうののぞみをかく。 永観ゐやうくわん律りち師しは三論さむろん宗しゆの名めい匠しやうなり、 八はち不ぷ正観しやうくわんのゆかを辞じして西方さいはう往詣わうげいのこゝろざしをいたす。

-念仏ねむぶちの行ぎやうもし小せう乗じようならば、 これらの明徳めいとくあに大だい乗じようの修しゆ行ぎやうをすてゝ小せう乗じようの教門けうもんにいらんや。 謗難ばうなんのむねすこぶる不ふ0591足言そくげんのイフニタラザル いたりなり。 おほよそ自じ宗しゆ・他た宗しゆの高かう祖そといひ、 震旦しんたん・日域じちいきの人にん師しといひ、 念仏ねむぶちをもて小せう乗じように判はん属ぞくすること、 いまだその一文いちもんをみず。 もし難なん破ぱをいたさんとおもはんひとは、 すべからく誠証じやうしようをかんがへまふすべきものなり。

-しかるに経きやう論ろんの説文せちもんをいださず、 解げ釈しやくの証しよう拠こをひかず。 たゞ自由じゆの荒くわう言げんをアレタルコトバはいて、 あるひは外道ぐゑだうの法ほふにして仏教ぶちけうにあらざるよし、 これを謗はうじ、 あるひは浄じやう土ど宗しゆの名なをたつべからざるむねをこれを難なんじ、 あるひは小せう乗じようの教けうにして大だい乗じようの法ほふにあらざるよし、 これをまふす条でう、 不可ふか説せちの次し第だいなり。 誹ひ謗はうのおもむき、 そのむねいさゝかことなれども、 みなこれ謗法はうぼふの大罪たいざいなり。 その報ほう、 捺な落らくにあるべし。

-毀くゐ破はのともがら、 はやく日ひごろの先せん非ぴをあらためて、 当来たうらいの罪ざい苦くを懺さんずべクヰヨトナリきものなり。

(5)

一 念仏ねむぶちは世せ間けんのため不ふ吉きちの法ほふなるによりて停ちやう止じせらるべきよしの事こと。

この条でう、 また員いん外ぐわいの次し第だい歟か。

-念仏ねむぶちの行ぎやうはたとひ世せ間けんのため不ふ吉きちの法ほふなりといふとも、 往わう生じやうのため決定くゑちぢやうの業ごふならば、 これを制せい止しせらるべきにあらず。 生しやうあるものはかならず滅めちし、 さかんなるものはつゐにおとろふ。 世せ間けんは一旦いちたんの浮ふ生しやう、 出しゆち世せは永ゐやう劫ごふの楽果らくくわなるがゆへなり。 いかにいはんや、 念仏ねむぶちの行ぎやうは現当げんたうかねて利りし、 存ぞん0592イキタルモ没もちともシニタルモに益やくす。 弥陀みだは諸仏しよぶちの本ほん師し、 念仏ねむぶちは万善まんぜんの総体そうたいなるがゆへなり。

- しかるあひだ、 これを念ねむじこれを行ぎやうずれば、 たゞ浄じやう土どの往わう生じやうをうるのみにあらず。 また今こん生じやうの災難さいなんをはらふものなり。 これによりて、 ¬金こん光明くわうみやう経きやう¼ の 「寿じゆ量りやう品ぼん」 をば弥陀みだ如来によらい息災そくさい延命えんめいの教主けうしゆとしてこれをとき、 伝教でんげう大だい師しはこの六ろく字じの名みやう号がうをもて七難しちなん消滅せうめちの誦文じゆもんとしたまへり。

-なかんづくに、 ¬観くわん念ねむ法門ぼふもん¼ (意) に念仏ねむぶちの行ぎやう者じやにをいて五ご種しゆの増ぞう上じやう縁えんをたつるなかに、 護ご念ねむ増ぞう上じやう縁えんを釈しやくすとして諸しよ経きやうの文もんをひけり。 そのなかに ¬譬喩ひゆ経きやう¼・¬惟ゆい无む三昧ざむまい経きやう¼・¬浄じやう土ど三昧ざむまい経きやう¼ 等とうのこゝろによりて 「▲念仏ねむぶちの行ぎやう人にんは、 菩ぼ薩さち聖しやう衆じゆの護ご念ねむをかうぶりて、 としをのべいのちを転てんじて、 長命ぢやうみやうナガキイノチヲ安楽あんらくなるヤスクタノシムトこナリとをう」 と釈しやくせり。 すでに長命ぢやうみやうの業因ごふいんなり、 なんぞ不ふ吉きちの劣れち行ぎやうたらんや。

-謗難ばうなんのむね、 言ごん語ごのをよぶところにあらず。

破は邪じや顕けん正しやう抄せう 上

大谷本願寺親鸞上人之御流之正理也。

本願寺住持存如(花押)

 

0593破は邪じや顕けん正しやう抄せう 中

(6)

一 戒かい行ぎやうをたもつは仏法ぶちぽふの修しゆ行ぎやうにあらずといひて、 これを停ちやう止じすべきむね、 勧くわん化くゑせしむるよしの事こと。

この条でう、 持ぢ戒かい・持ぢ斎さいの行ぎやうをもて仏法ぶちぽふの修しゆ行ぎやうにあらざるよし、 宣説せんぜちのむねまふさしむる条でう、 不可ふか説せちの謀言ぼうげんなり。

-戒かいはこれ仏法ぶちぽふの大だい地ぢ、 修しゆ行ぎやうの根本こんぽんなり。 これを受じゆ持ぢせんは仏法ぶちぽふの威儀いぎなり、 たれかこれを非ひせんやソシランヤトナリ。 たゞし在ざい家け愚ぐ鈍どんの道俗だうぞくをこしらへて、 専修せんじゆ念仏ねむぶちの一法いちぽふを行ぎやうぜよとをしふるとき、 あながちに持ぢ戒かいをことゝすべきよし、 勧くわん化くゑをいたさざることはしかなり。

-そのゆへは、 ¬大集だいじふ経きやう¼ (巻五月蔵分閻浮提品意) のこゝろを案あんずるに、 「▲釈しやく尊そんの滅めち後ごにをいて五箇ごかの五ご百ひやく年ねんあり。 いはゆる第一だいいちの五ご百ひやく年ねんは、 解げ脱だちシヤウジヲハナルヽコト堅けん固ごなりサカリナルナリ 。 第だい二にの五ご百ひやく年ねんは、 禅ぜん定ぢやうザゼンノ 堅けん固ごなりサカリナルナリ 。 第三だいさむの五ご百ひやく年ねんは、 持ぢ戒かいカイヲタモツコトノ堅けん固ごなりサカリナルナリ 。 第だい四しの五ご百ひやく年ねんは、 多た聞もんシヤウゲウヲオホクキキタモツコトノ堅けん固ごなりサカリナルナリ 。 第だい五ごの五ご百ひやく年ねんは、 闘とう0594諍じやうタヽカヒアラソフコトノ堅けん固ごなりサカリナルナリ 」 といへり。 この経きやうのこゝろならば、 たとひ正しやう法ぼふ五ご百ひやく年ねんの義ぎによるとも、 たとひ正しやう法ぼふ千年せんねんの説せちによるとも、 ともに持ぢ戒かいの行ぎやうは像法ざうぼふのときにあたれり。

-また ¬像法ざうぼふ決くえち疑ぎ経きやう¼ の所説しよせちによらば、 正しやう法ぼふ五ご百ひやく年ねんは持ぢ戒かい堅けん固ごなり、 像法ざうぼふ一いち千年せんねんは坐ざ禅ぜん堅けん固ごなり、 末法まちぽふ万年まんねんは念仏ねむぶち堅けん固ごなりとみえたり。

-この二に経きやうの説せちをおもふに、 あるひは正しやう法ぼふのときの行ぎやうととき、 あるひは像法ざうぼふのときの法ほふとあかせり。 いまだ末法まちぽふにをいて持ぢ戒かい堅けん固ごの義ぎをとかず。

-これによりて、 伝教でんげう大だい師しの ¬末法まちぽふ灯とう明みやう記き¼ (意) には、 「▲正しやう法ぼふのときは持ぢ戒かいの僧そうをもてたからとし、 像法ざうぼふのときは破壊はえの僧そうをもてたからとし、 末法まちぽふのときは无む戒かい名みやう字じの比丘びくをもてたからとす。 もし末法まちぽふのなかに持ぢ戒かいのものあらば、 怪くゑ異いなり、 いちにとらのあらんがごとし」 といへり。

-これらの所説しよせちをうかゞふに、 たとい鬀髪たいほちカミヲソリ染ぜん衣えのすコロモヲソムル がたとなりて持ぢ戒かい・持ぢ律りちの儀ぎをかいつくろふといふとも、 真実しんじちにたもちうるひとはかたかるべし。 これ行ぎやう人にんのとがにあらず、 すでに末法まちぽふのしるしたり。 いかにいはんや、 在ざい家け止し住ぢゆのやからにいたりては、 たもちうべきひとなし。

-このゆへに、 末法まちぽふ相応さうおうの要法えうぼふたるにより、 下げ根こん易い行ぎやうの本ほん願ぐわんたるについて、 ひとへに安養あんやうの一いち土どをねがひ、 念仏ねむぶちの一いち行ぎやうをつとむべきよし、 みづからもふかくこれを信しんじ、 ひとををしえても行ぎやうぜ0595しむるものなり。 持ぢ戒かいの行ぎやうにをいては、 をのれが分ぶんにあらざるあひだ、 これを楽げう行ぎやうネガヒオコせずとナハズトナリいへども、 敬きやうウヤマヒ重ぢうのおオモクスル もひにをいては、 もともあさからず。 なにゝよりてか仏教ぶちけうにあらざるよし、 悪言あくごんをアシキコトバはくべきや。

-末まち世せのなかには名みやう字じの比丘びくなをくにのたからなり。 いはんや末代まちだいなりとも、 もし持ぢ得とくのひとあらば、 ことにこれをたうとむべし。 いかでか慢想まんさうをアナヅルオモヒ生しやうずべきや。 しかしながら上じやう察さちカミトシテをあふヲシハカリタぐところマフベシトナリ なり。

(7)

一 ¬阿あ弥陀みだ経きやう¼ ならびに ¬礼讃らいさん¼ をもて外道ぐゑだうの教けうとなづけて地ぢ獄ごくの業ごふと称しようし、 わが流りうにもちゐる和わ讃さんをば往わう生じやうの業ごふなりと号がうするよしの事こと。

この条でう、 不可ふか思議しぎの虚誕きよたんなり。

-¬四紙ししの小せう経きやう¼ は諸仏しよぶち証誠しようじやうの実じち語ご、 ¬六ろく時じの礼讃らいさん¼ は五部ごぶ九く巻くわんの随一ずいいちなり。 これをはなれては、 念仏ねむぶちの功く能のうをしるべからず。 これにあらずは、 往わう生じやうの行願ぎやうぐわんをたつべからず。 外道ぐゑだうの教けうなりといはゞ、 そのひとすなはち外道ぐゑだうなるべし。 地ぢ獄ごくの業ごふなりと称しようせば、 かのひとすなはち地ぢ獄ごくをまぬかれがたし。

-たゞしかの誦じゆ経きやう・礼讃らいさん等とうは善導ぜんだう和くわ尚しやうのこゝろによるに、 正行しやうぎやう・雑ざう行ぎやうと分別ふんべちするときは、 正行しやうぎやうにして雑ざう行ぎやうにあらず。 正しやう業ごふ・助業じよごふと選せん択じやくするときは、 助業じよごふにして正しやう業ごふにあらず。 そのゆへは、 浄じやう土どの行ぎやうにをいて五ご種しゆのしなあり。 一ひとつに0596は読誦どくじゆ、 二ふたつには観くわん察ざち、 三みつには礼拝らいはい、 四よつには称名しようみやう、 五いつゝには讃嘆さんだん供く養やうなり。 このなかに第だい四しの称名しようみやうをもて正定しやうぢやうの業ごふとし、 自余じよの四し種しゆをもて助業じよごふとなづく。

-かの ¬観経くわんぎやう義ぎ¼ の第だい四し (散善義) に 「▲*一心いちしむ専念せんねむ弥陀みだ名みやう号がう、 行ぎやう住ぢゆ座ざ臥ぐわ不ふ問もん時じ節せち久く近ごん念々ねむねむ不ふ捨者しやしや、 是ぜ名みやう正定しやうぢやう之し業ごふ、 順じゆん彼ぴ仏ぶち願ぐわん故こ、 若にやく依え礼誦らいじゆ等とう即そく名みやう為い助業じよごふ」 といへる釈しやく、 このこゝろすでに称名しようみやうをもて正定しやうぢやうの業ごふとなづくれば、 その余よは正定しやうぢやうの業ごふにあらずときこへたり。 念仏ねむぶちをもて仏ぶちの本ほん願ぐわんに順じゆんずと釈しやくすれば、 そのほかは本ほん願ぐわんに順じゆんぜずとしられたり。

-かるがゆへに読どく経きやうにもたへぬべく、 礼讃らいさんをも行ぎやうじつべからんひとは、 これを修しゆせんこと浄じやう土どの正行しやうぎやうにそむかず、 これもとも往わう生じやうの助業じよごふなり。 たとひまたこれを行ぎやうぜずといへども、 往わう生じやうの業ごふには念仏ねむぶちを本ほんとするがゆへに不ふ足そくあることなし。

-しかれども、 いたりてつたなき一文いちもん不ふ通つうのあま入道にふだう等とうは、 ¬阿あ弥陀みだ経きやう¼ を読誦どくじゆすることもはなはだかたく、 ¬六ろく時じ礼讃らいさん¼ を勤ごん行ぎやうすツトメヲコナフることもかなひがたし。 たとひまた、 いさゝか黒こくクロク白びやくシロシをわきまふるたぐひなれども、 あるひは主君しゆくんにつかへて奉公ほうこうをはげむもの、 あるひは商しやう売ばいアキナヒ をことゝして世せい路ろをわしるやから、 六ろく字じの名みやう号がうすらこれをとなふるになをものうく、 なをいとまなし。 いはんや長ちやう日じちに ¬阿あ弥陀みだ経きやう¼ を誦じゆせよとすゝめ、 六ろく時じに ¬礼讃らいさん¼ を行ぎやうぜよとをし0597へば、 浄じやう土どをねがふものはいとありがたかるべし。

-このゆへに祖師そし親鸞しんらん聖しやう人にん、 もとより下げ根こんの衆しゆ生じやうをさきとしておこしたまへる本ほん願ぐわんの意い趣しゆをしりて、 こゝろを四し種しゆの助業じよごふにかくべからず、 行ぎやうを第だい四しの正しやう業ごふにもはらにすべきよし、 これをすゝめらるゝところなり。 これ如来によらいの本誓ほんぜいにそむくべからず、 また和くわ尚しやうの釈しやく義ぎにたがふべからざるをや。

-つぎに和わ讃さんの事こと。 かみのごときの一文いちもん不知ふちモンジヒトツヲモのやから、シラザルヒトトイフナリ経きやう教けうの深じむ理りをもしらず、 釈しやく義ぎの奥あう旨しをフカキムネ もわきまへがたきがゆへに、 いさゝかかの経釈きやうしやくのこゝろをやはらげて无智むちのともがらにこゝろえしめんがために、 ときどき念仏ねむぶちにくはへてこれを誦じゆしもちゐるべきよし、 さづけあたへらるゝものなり。 これまた往わう生じやうの正しやう業ごふにあらず、 たゞ念仏ねむぶちの助業じよごふなり。 もし五ご種しゆの正行しやうぎやうに配はいせば、 第だい五ごの讃嘆さんだんに摂せふすべき歟か。

-またく誦じゆ経きやう等とうに対たいして差別しやべちを論ろんずるに、 全分ぜんぶん文盲もんまうのともがらにをいては、 かの誦じゆ経きやう等とうはなを成じやうじがたく、 この和わ讃さん等とうはまなびやすきがゆへに、 もし称名しようみやうにものうからんとき、 かつは音おん声じやうをやすめしめんがため、 かつは法ほふ味みをあぢはゝしめんがために、 これをしめしをかるゝばかりなり。 しかりといひてこれを誦じゆせざらんもの、 往わう生じやうをえざるべきにあらず。 往わう生じやうの正しやう業ごふは、 ただ南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶちの一いち行ぎやうなり。

0598(8)

一 神明しんめいをかろしめたてまつるよしの事こと。

この条でう、 あとかたなき虚誕きよたんなり。

-そのゆへは神明しんめいについて権実ごんじちの不ふ同どうありといへども、 おほくはこれ諸仏しよぶち・菩ぼ薩さちの変化へんぐゑなり。 衆しゆ生じやうを利り益やくせんがため、 群類ぐんるいを化くゑ度どせんがために、 かりに凡惑ぼんわくのちりにまじはりて、 しばらく分段ぶんだんのさかひに現げんじたまへり。 これすなはち仏法ぶちぽふにをいて、 さしたる善因ぜんいんをたくはへざる无む縁えん无怙むこのともがら、 信しんをいたしてわがまえにいたらば、 これをもて来縁らいえんとミライノエンして、 つゐに三界さむがいの火宅くわたくをいださしめて、 すみやかに一実いちじちの金刹こんせつにいたらしめんとなり。

-いま念仏ねむぶちの行ぎやう者じやは、 ふかくその垂すい迹しやくの本ほん意いをしり、 かの大だい悲ひの恩おん致ちをさとりて、 専心せんしむに往わう生じやうをもとめ一向いちかうに念仏ねむぶちを修しゆす。 さだめて釈しや迦か・弥陀みだならびに六方ろくぱう恒沙ごうじや仏ぶちをよび一切いちさいの菩ぼ薩さち等とうの本ほん懐ぐわいにかなふべし。 仏ぶち・菩ぼ薩さちの本ほん懐ぐわいにかなはゞ、 その垂すい迹しやくたらん神明しんめい、 したがひてまた随ずい喜きをいたしたまふべしといふこと、 その道だう理り必然ひちぜんなり。

-これによりて、 かみ梵天ぼんてん・帝たい釈しやく・四し大だい天王てんわうよりはじめて、 しも琰えん魔ま法王ほふわう・五ご道だう冥官みやうくわん、 乃ない至し六十ろくじふ余よ州しう普ふ天てん率そち土ど、 大小だいせう権実ごんじちの神じん祇ぎ冥みやう道だうにいたるまで、 ことごとく随逐ずいちくしシタガヒテ て行ぎやう者じやを影やう護ごしたまふ。 このゆへに神明しんめいは擁おう護ごを一向いちかう専修せんじゆの行ぎやう人にんにたれ、 行ぎやう人にんは尊そん敬きやうを一切いちさい諸神しよじん0599の明徳めいとくにぬきいづ。

-西方さいはう欣ごん求ぐの行ぎやう者じや、 なにゝよりてか神明しんめいを忽諸こちしよイルカセしたてニシタテマツまつらランヤトナリんや。 ひとたとひ讒言ざんげんをいたすといふとも、 神しんむしろ照鑑せうかんをたれたまはざらんや。

(9)

一 触しよく穢えをはゞからず日ひの吉きち凶くゐよう等とうをえらばざる条でう、 不ふ法ほふの至し極ごくたるよしの事こと。

この条でう、 仏法ぶちぽふのなかには生しやう死じ煩悩ぼんなうをもて穢えとし、 功く徳どく善根ぜんごんをもて浄じやうとす。 これすなはち仏ぶち陀だの教けうをたるゝおもむき、 菩ぼ薩さちの生しやうを利りするみちなり。 世せ間けんの儀ぎには死し生しやう等とうの禁きん忌きをもて穢えとし、 これをさるをもて浄じやうとす。 これすなはち神明しんめいのひとをいましむる法ほふ、 王法わうぼふの制せいをさだむる式しきなり。 かるがゆへに俗塵ぞくぢんをいでゝ山林さんりんにヤマハヤシ まじはり、 世せい務むをヨノイトナミすてゝ仏法ぶちぽふを行ぎやうぜんひとは、 たとひ死し生しやうの穢えにまじはるといふとも、 仏ぶち陀だまなじりをめぐらしたまふべからざる歟か。

-しかれども、 いま一向いちかう専修せんじゆの行ぎやう者じやにをきては、 さらに世せ俗ぞくをはなれず公く役やくをつとめながら、 しかも内心ないしむに仏道ぶちだうをねがふゆへに、 あるひは神しん職しよくにつかふるやからもあり、 あるひは奉公ほうこうをつとむるたぐひあり。 かくのごときのともがら、 たとひ仏法ぶちぽふのなかに死し生しやう・浄じやう穢え等とうの差別しやべちなきことをしるといふとも、 いかでか世せ間けんの風ふ俗ぞくをわすれて、 みだりがはしく触しよく穢えをはゞからざらんや。 不ふ法ほふをいたすよし、 かすめまふす条でう、 毛けをふいて0600きずをもとむるいひ、 まことにこのたぐひ歟か。

-つぎに日にち月ぐわちの吉きち凶くゐようの事こと。 ¬涅槃ねちはん経ぎやう¼ (北本巻二〇梵行品 南本巻一八梵行品) の説せちを案あんずるに、 「如来によらいの法ほふのなかには良りやう日にちヨキヒ ・吉辰きちしんヨキトキを選せん択ぢやくエラビエラするこブコトナシトとなし」 といへり。 このゆへに、 あるひは恒例ごうれい、 あるいは臨りん時じ、 念仏ねむぶちを勤ごん行ぎやうし追善ついぜんをいとなむとき、 さらに日ひの吉きち凶くゐようをえらばず。 これ公く方ばうにむけて不ふ忠ちうを存ぞんずるにあらず、 他た人にんに対たいして不ふ法ほふをいたすにあらず。 かの僧そう徒と等らなんぞこれをとがめまふすべきや。

-もし如来によらいの法ほふのなかに吉日きちにちをえらぶべきことはりなきむね信しん知ちせしむる条でう、 邪見じやけんのいたりにして仏神ぶちしんの照覧せうらんにそむかば、 神しんは非ひ礼れいをうけず。 仏ぶち質直しちじきをスナフナルコさきトナリ とするがゆへに、 その罰ばちすでに自じ身しんにあるべし。 そのわざはひ他た人にんにをよぶべからず。 しかれば、 かみとして禁遏きんあちイマシメせらるトドメラルベべきにカラズトナリあらず、 ひとゝしてまた説諌せちかんにあたはざる歟か。

-いかにいはんや、 もしは神しん事じにしたがひ公く役やくをつとむるとき、 ところの法ほふにまかせ、 つねの式しきについて、 日ひついでをまもること子し細さいにをよばず。 たゞあながちに吉きち凶くゐようををのれがこゝろにかけざるばかりなり。 あゑて普ふ通つうの儀ぎを遺ゐ失しちタガヒウせずうたシナハレズトナリへまふすむき、 かたがたよりどころなきものをや。

(10)

一 仏法ぶちぽふを破は滅めちし王法わうぼふを忽諸こちしよするよしの事こと。

こ0601の条でう、 仏法ぶちぽふ・王法わうぼふは一双いちさうの法ほふなり。 とりのふたつのつばさのごとし、 くるまのふたつの輪わのごとし、 ひとつもかけては不可ふかなり。 かるがゆへに仏法ぶちぽふをもて王法わうぼふをまもり、 王法わうぼふをもて仏法ぶちぽふをあがむ。 これによりて上じやう代だいといひ当たう時じといひ、 国こく土どをおさめまします明主めいしゆ、 みな仏法ぶちぽふ紹隆せうりうの御ご願ぐわんをもはらにせられ、 聖しやう道だうといひ浄じやう土どといひ、 仏教ぶちけうを学がくする諸僧しよそう、 かたじけなく天てん下か安穏あんおんの祈き請せいをいたしたてまつる。 一向いちかう専修せんじゆのともがら、 なんぞこのことはりをわすれんや。

-なかんづくに、 曠劫こうごふ流る転てんムカシヨリヨクダのあひだウニナガレメグル、アヒダ多た生しやうオホクノシヤウニ沈没ちんもちサンヅニのほど善ぜんシヅミツルホド 根ごん薄少はくせうにウスクスクナシして、 いまだ火宅くわたくをいでざるところに、 たまたま南なむ浮ぶの人身にんじんをうけて、 さいはひに西方さいはうの仏教ぶちけうにあへり。 このゆへに生々しやうじやうにうけし六道ろくだうの生しやうよりは、 このたびの人身にんじんはもともよろこばしく、 世々せゝにかうぶりし国王こくわうの恩おんよりは、 このところの皇くわう恩おんはオホヤノヲン ことにをもし。 世せ間けんにつけ出しゆち世せにつけ、 恩おんをあふぎ徳とくをあふぐ。 いかでか王法わうぼふを忽諸こちしよしたてまつるべきや。

-いかにいはんや専修せんじゆ念仏ねむぶちの行ぎやう者じや、 在々ざいざい所々しよしよにして一渧いちていをのみヒトシタヽリノサケ 、 一食いちじきをうくヒトカハラケクヒモノるにいたるまで、 総そうじては公家くげ・関くわん東とうの恩化おんくわなりと信しんじ、 別べちしては領りやう主しゆ・地ぢ頭とうの恩おん致ちなりとしる。 公こう私しにつけてさらに違い背はいの儀ぎなし。 たゞ自じ身しん得道とくだうのためにこれを修しゆするばかりなり。

-けだしこれ末法まちぽふにいたり濁ぢよく世せにをよびぬれば、 智ち目もく・行ぎやう足そくともにかけて出しゆち離りのみち0602にまどへる在ざい家け无智むちのやから、 後ご生しやうの悪果あくくわはおそるべしといへども、 自余じよの諸しよ行ぎやうは修しゆすることあたはざるがゆへに、 ひとへに易い行ぎやうの一道いちだうにおもむいて、 たゞ西方さいはうの往わう生じやうをねがふものなり。

-これなんぞ王法わうぼふをそむくならんや、 これむしろ仏法ぶちぽふを破はするならんや。 たちまちに国中こくちうを追つい出しゆちせらるゝ条でう、 不ふ便びんの次し第だいなり。

-そもそも、 王法わうぼふをいのり仏法ぶちぽふをあがむと称しようする山さん寺じ聖しやう道だうの僧そう徒と等ら、 所しよ行ぎやうのくはだてもとも穏便おんびんならず。 一天いちてん四し海かいの要えう器きとして公家くげ・武家ぶけの人民にんみんたるわれら、 後世ごせをねがひ仏法ぶちぽふを信しんずる、 さらになにのとがゝあらん。 しかるにこれをもて重ぢうヲモキ科くわトガと称しようし、 これをもて大たいオホキナル罪ざいツミと号がうして、 あるひは在所ざいしよに発向はちかうして追つい出しゆちをいたし、 あるひは住宅ぢゆたくを破は却きやくして愁嘆しうたんをくはふ。 濫吹らんすいのはなはだしきこと、 すこぶる是非ぜひにまどふものなり。

-しかのみならず、 あるひは念仏ねむぶちを行ぎやうずべからざるよし、 起き請しやう文もんをかゝしめて三さむ塗づの苦く患ぐゑんをうれへしめ、 あるひは国中こくちうを追放ついはうすヲイハナツ べきむね、 綸りん旨しありと称しようして自由じゆ虚誕きよたんをかまへ、 あるひは打擲ちやうちやく刃にん傷じやうをくはへて面々めんめんに恥ち辱じよくハヂ  をあたへ、 あるひは逃脱てうだち牢篭らうろうニゲノガレテマドにをよフコトナリ んで一々いちいちに山林さんりんにまじはらしむる条でう、 悪あく行ぎやうのいたりおほよそ常じやう篇へんにこえたり。

-すでに人民にんみんをわづらはすは王法わうぼふをかろしむるなり。 また念仏ねむぶちをさまたぐるは仏法ぶちぽふを滅めちするなり。 なにをもてか王法わうぼふをいのると称しようし、 なにゝよりてか仏法ぶちぽふをあ0603がむと号がうすべきや。 みづからのとがをもて他た人にんにゆづる条でう、 姧かんカダマシク曲きよくのマガレルコトノ至し極ごくなり。イタレルキハマリナリ

(11)

一 念仏ねむぶちの行ぎやう者じやはひとの死後しごにみちををしえざる条でう、 邪見じやけんのきはまりなるよしの事こと。

この条でうにをいては、 まことにしかなり。 一向いちかう専修せんじゆの行ぎやう者じや、 死し人にんにみちををしへざる条でう、 さらにあらがひまうすべからず。 たゞし、 をしへざるは邪見じやけんのよしまふさしむる条でう、 理り不ふ尽じんの申状まふしじやうなり。

-そのゆへは、 田舎でんしや等とうにみちををしふと称しようして、 もちゐるところの无む常じやう導だう師しの作さ法ほふは、 六道ろくだう方角はうがくををしへ、 極楽ごくらくの方所はうしよをしめす歟か。 しかれば、 念仏ねむぶちのひとにをいては、 これををしふべきにあらず、 六道ろくだうの幽いうカスカナル途とミチにまよふべからず。 西方さいはうの浄じやう刹せちにいたるべきがゆへなり。

-たとひまた往わう生じやうをとげざるひとなりといふとも、 これををしへて詮せんなし。 こゝにしてみちををしへんによりて、 かのひと浄じやう土どにむまるべからざるがゆへなり。 そのゆへは、 冥めい途どのありさまをとぶらひ、 出しゆち離りの方法はうほふをしめさんこと、 もとも仏説ぶちせちの誠じやう言ごんにまかせ聖しやう教げうの施し設せちによるべし。

-しかるに亡者まうじやの死後しごに六道ろくだうのちまたををしふべき条でう、 いまだ経きやう論ろん解げ釈しやくの正しやう説せちをきかず。 たゞのちのひとのをろかなるたくみをもて、 もちゐはじめたるところ歟か。 これをもちゐこれをもちゐざらんこと、 よろしくひと0604のこゝろにあるべし。 他た人にんのいふところにあらず。

-おほよそ没もち後ごの追善ついぜんにをいては、 たとひ讃仏さんぶち・講かう経きやう等とうの殊しゆ勝しようの功く徳どくを修しゆして廻え向かうすれども、 七分しちぶんがなかにをいて、 わづかにその一分いちぶんのみ冥めい途どに達たちすとみえたり。 いはんや、 仏教ぶちけうにあらざるわたくしの意いココロノ 巧げうタクミをもて六趣ろくしゆのつじをしめさん、 あにその利り益やくあらんや。 しかるあひだ、 念仏ねむぶちの行ぎやう者じやにをいては、 かの作さ法ほふをもちゐざるところなり。

-なかんづくに、 ¬観くわん仏ぶち三昧ざむまい経きやう¼ の説せちをうかゞふに、 念仏ねむぶち三昧ざむまいは失道しちだうのものゝ指し南なん シルベ なり。 黒こくクラキ闇あんヤミのものゝ灯燭とうそくトモシビなりとみえたり。 しからば、 六道ろくだうのくらきちまたにまよひ、 三さむ有うのかすかなるみちにやすらはんとき、 この念仏ねむぶちを修しゆして、 かの生しやう処じよをウマルヽトコロとぶらはゞ、 そのみちしるべとなり、 かのあきらかなるともしびとならんこと、 仏説ぶちせちすでにたなごゝろをさす。 感応かんおうなんぞくびすをめぐらさんや。

-かるがゆへに専修せんじゆの行ぎやう人にんは、 ふかく仏教ぶちけうの誠じやう言ごんをまもりて、 愚ぐ人にんの意い巧げうをもちゐざるものなり。

破は邪じや顕けん正しやう抄せう 中

大谷本願寺親鸞上人之御流之正理也。

本願寺住持存如(花押)

 

0605破は邪じや顕けん正しやう抄せう 下

(12)

一 仏前ぶちぜんにをいて、 山さん野やヤマ ノ ・江かうエ 河がカハもろもろの畜類ちくるいの不ふ浄じやうの*肉にくシヽムラノ味みをアジハヒそなふるよしの事こと。

この条でう、 ほとほと言ごん上じやうにをよばず。 虚誕きよたんのいたり、 しかしながら御ご推すい量りやうオンオシハカリにたりぬアルベシトナリ べきものをや。

-そのゆへは、 弥陀みだ如来によらいは安養あんやう浄じやう刹せちの能忍のうにん、 勝しよう過ぐわ三界さむがいの教主けうしゆなり。 しかれば、 色しき・声しやう・香かう・味みの境きやう界がいに著ぢやくせず、 みづから法ほふ喜き禅悦ぜんえちのあぢはひをなめたまふ。 三界さむがい穢土えどの供く養やうにをいては、 ひとつとして清浄しやうじやうなることなれば、 奉ぶ献こんすタテマツル るにあたはずといへども、 いま住ぢゆ持ぢの三宝さむぼうにむかひたてまつるとき、 散華さんぐゑ・ハナチラシ 焼香せうかう・カウヲタキ 燃灯ねんとう・トモシビヲトモシ懸幡けんばん等とうハタヲカク の供く養やうをもちゐるべきむねみえたり。 これすなはち凡ぼん夫ぶのために利り益やくをなしたまふ体たいなるがゆへに、 穢土えどの供く養やうをまうくるものなり。

-このほか仏前ぶちぜんの供具くぐ、 浄じやう土ど門もんにをいていまだこれをことゝせず。 なにゝよりてか山禽さんきん・ヤマノトリ 野や獣じうのノヽケダモノけがらはしき肉にく味みをそなふべきをや、 さらに御ご信用しんようにたらざるものな0606り。

-たゞし結くゑち衆しゆの同どう行ぎやう、 一いち味みの道俗だうぞく、 そのかずすでにもておほし、 たやすくたづねあなぐるにをよばず。 もし万まんが一いちかくのごときの非ひ法ほふをいたすひとあらば、 すみやかに交けう名みやうをさゝるべし。 こともし実じちならば、 すでに仏法ぶちぽふ破は滅めちのともがらなり。 これ放逸ほういち邪見じやけんのたぐひなり。 はやく門もん徒とを追放ついはうすべし。

-たゞ展転てんでんの浮ふウカベル言げんをコトバ 信しんじて偏執へんじふの上じやう訴そにをよばゞ、 かつは荒涼くわうりやうなり、 かつは姧かんカダマシキ謀ぼうなりハカリゴト 、 ことにあきらめ御ご沙汰さたあるべきものなり。

(13)

一 魚鳥ぎよてうウホトリに別べち名みやうをつけて、 念仏ねむぶち勤ごん行ぎやうの時じ中ちうに道だう場ぢやうにしてこれを受用じゆようせしむるよしの事こと。

この条でう、 さらに御ご承しよう引いんにをよぶべからず。

-いまこの専修せんじゆの行ぎやう者じやは、 おほくはこれ在ざい家け止し住ぢゆのともがらなり。 このゆへにあるいは妻さいメ 子しコ にともなひて愛欲あいよくにまつはれ、 あるいは主君しゆくんにつかへて弓きうユミ箭せんヤ を帯たいせり。 あるひはまた耕かうタガヘシ作さくをツクル ことゝして、 鋤鍬じよせうスキクワをひさぐるものもあり。 あるいは商しやうアキナヒ沽こウルを業げうとして朝夕てうせきのさゝへとするものもあり。

-しかるに弥陀みだ如来によらいは、 五ご劫こふ思し惟ゆいの本ほん願ぐわん深重じんじふ超絶てうぜちにして諸仏しよぶちにすぐれ、 兆載てうさい永ゐやう劫ごふの修しゆ行ぎやう不可ふか思議しぎにして群ぐん生じやうを利りしまします。 たとひ十悪じふあく・五ご逆ぎやく・四し重ぢう0607・謗法はうぼふ・闡提せんだい・破は戒かい・破は見けん等とうの罪人ざいにんなりといへども、 廻え心しむ念仏ねむぶちすれば、 これをもらさず。 至し心しむ信楽しんげうすれば、 かならずこれを度どしたまふ。 破は戒かい无む慚ざんのともがら、 在ざい家け無智むちのたぐひ、 もともこれを行ぎやうずべきむね、 知ち識しき勧くわん進じんのあひだ、 一心いちしむにかのをしへをたのみて、 一向いちかうにこの行ぎやうをつとむるばかりなり。

-もとより煩悩ぼんなうを断だんぜず山林さんりんにまじはらざる根こん機きなれば、 魚鳥ぎよてうウヲトリを食じきするをもてひとにはゞからず。 いはんや、 念仏ねむぶち勤修ごんしゆの日ひは一道いちだう場ぢやうの分ぶん、 大たい旨しは一いち月ぐわちに一いち度どなり。 しかれば、 長ぢやう時じにはゞかりをなさずして魚鳥ぎよてうを食用じきようするともがら、 いづれの篇へんによりてか、 かだましく別べち名みやうをつけて念仏ねむぶち勤ごん行ぎやうの片へん時じのあひだにこれをもちゐるべきや。

-さらに御ご信用しんようのかぎりにあらざるものなり。

(14)

一 念仏ねむぶち勤ごん行ぎやうのついでに、 仏前ぶちぜんにして親しん子しの儀ぎを存ぞんぜず、 自他じたの妻さいをいはず、 たがひにこれをゆるしもちゐるよしの事こと。

この条でう、 子し細さいまたさきにおなじかるべし。

すみかを在ざい家けにしめて昼ちう夜ヒルヨルやに妻さいメ 子しコ にまつはるゝ身み、 なにのかだましきこゝろありてか、 念仏ねむぶちのとき仏前ぶちぜんにしてかくのごときの邪じや行ぎやうをいたすべきや。 なかんづくに、 婬いん事じを行ぎやうずるは愛欲あいよくの所しよ為いなり。 欲よく0608をはなれずして婬いんを行ぎやうぜん機き、 いかでか嫉しち妬とをはなれて自じミヅカラ妻さいノメを他た人にんにゆるすべきや。 御ご迹きやうじやくにたりぬべし。

-いかにいはんや、 われら曠劫こうごふよりこのかた、 ひさしく六道ろくだう四し生しやうにめぐりて、 いたづらに十悪じふあく・三毒さむどくにまつはれたり。 このゆへにむなしく多た生しやうの親しん子し、 各々かくかく恩愛おんあいのかうばしきよしみをもわすれ、 三さむ世ぜの諸仏しよぶち、 番々ばんばん出しゆち世せの慈悲じひをもわきまへずして、 いまにいたるまで生しやう死じの長ぢやう夜やにさまよい、 三界さむがいの牢らうカタメタル獄ごくにヒトヤ とぢられたり。 これをなげき、 これをかなしむがゆへに、 穢土えどを厭えんイトヒ離りすハナルヽる身みとなり、 浄じやう土どを欣ごんネガヒ求ぐモトすムルるこゝろをおこせり。

-希有けうマレナルの仏法ぶちぽふにあひて今こん度どコノタビの出しゆち離りをねがふ身み、 なにゝよりてか山さん野やのとり・けだものに同どうじて、 しかのごときの不ふ調てうをいたさんや。

-もとも高察かうさちヲシハカあるべきもリアルベシトナリ のなり。

(15)

一 一向いちかう専修せんじゆの行ぎやう者じや、 灯とう明みやうとなづけて銭貨せんくわを師し範はんに沙汰さたする条でう、 邪法じやほふのいたすところなるよしの事こと。

この条でう、 仏教ぶちけうに帰くゐ依えするやから、 仏前ぶちぜんの灯とう明みやう料れうを沙汰さたせむ条でう、 道だう理りにそむくべからざる歟か。

-おほよそ仏法ぶちぽふ修しゆ行ぎやうの法ほふ、 供く仏ぶち施せ僧そうのいとなみをさきとし、 仏道ぶちだう欣ごんネガヒ求ぐのモトムならひ、 不ふ惜しやく身しん命みやうシンミヤウヲヲシマのズトナリ†おもいを本ほんとす。 身しん命みやうなをおしむべからず、 いはんや財宝ざいほうに0609をいてをや。

-これによりて一向いちかう専修せんじゆの行ぎやう人にん等とう、 かつは師し恩おんを報謝ほうしやせんがため、 かつは自じ身しんの冥みやう加がのため、 仏前ぶちぜんの灯とう明みやうに擬ぎし、 後ご生しやうの資し糧りやうタスケカテにあてゝ、 わたくしにもちゐるところの活くわち計けいイノチイクの上じやう分ぶんルハカリゴト をもて師し範はんのところにをくりあげん条でう、 これすでに信心しんじむのいたすところなり。 さらに他た人にんのいろふところにあらず。

-わたくしのちからをもちいて公事くじを減げんぜざれば、 かみとして禁きんぜらるべきにあらず。 わがこゝろざしをはげまして国こく土どをつゐやさゞれば、 ひとゝしてうたへをいたすべきにあらず。 なすところの功こうは少分せうぶんなりといへども、 うるところの益やくはさだめて莫大ばくだいならん歟か。

-なかんづくに、 ¬観くわん念ねむ法門ぼふもん¼ (意) に ¬般舟はんじゆ三昧ざむまい経きやう¼ の説せちをひいて、 「▲この念仏ねむぶち三昧ざむまいにをいて四事しじ供く養やうあり。 飲食をんじき・衣え服ぶく・臥ぐわ具ぐ・湯薬たうやくをもて、 それをたすけて歓くわん喜ぎす。 三さむ世ぜの諸仏しよぶちみな念ねむ阿あ弥陀みだ仏ぶち三昧ざむまい四事しじ助じよ歓くわん喜ぎをもて、 成じやう仏ぶちしたまへり」 といへり。 すなはち斯し笒きん王わうの私訶しか提仏だいぶちにあひ、 梵ぼん摩ま達だちが珍宝ちんぼう比丘びくにつかへし、 みな四事しじの供く養やうをのべ六ろく字じの名みやう号がうをきゝて、 つゐに得益とくやくせることをあかせり。

-この説せちのごとくならば、 念仏ねむぶちの行ぎやう者じや、 ちからのたえんにしたがひて供く養やうを師し長ちやうにいたし、 こゝろざしのひかんにまかせて財宝ざいほうを仏道ぶちだうになぐべしとみゑたり。 しかれども、 とき末代まちだいにをよび、 ひとおほく慳貪けんどんにして、 そのまことをぬきいづる0610ともがら、 はなはだもてかたし。

-たまたま随分ずいぶんのつとめをいたさんものをば、 これをみな随ずい喜きすべし、 なんぞかへりて毀き辱にくにをよばんや。

(16)

一 念仏ねむぶちもし往わう生じやうの業ごふならば、 みづからこれをとなへんに往わう生じやうをうべし。 あながちに知ち識しきをあふいで師資しし相さう承じようをたつべからざるよしの事こと。

この条でう、 総そうじて仏法ぶちぽふ修しゆ行ぎやうの法ほふをみるに、 みな師資しし相さう承じようあり。 なんぞ浄じやう土どの一いち家けにをいて血脈くゑちみやくなからんや。 なかんづくに、 弥陀みだの本ほん願ぐわんをきくによりてすでに往わう生じやうの信心しんじむをたくはふ。 きくことをうるは知ち識しきの恩おんなり、 なんぞ知ち識しきをあふがざらん。 これをあふがば、 むしろ血脈くゑちみやくなからんや。

-このゆへに ¬大だい経きやう¼ (巻下) のなかには、 「▲*遇ぐ善ぜん知ぢ識しき聞法もんぼふ能のう行ぎやう」 ととけり。 知ち識しきにあひて法ほふをきかば、 その義ぎ相さう承じようなり。 これによりて善導ぜんだう和くわ尚しやう処々しよしよの解げ釈しやくのなかに、 知ち識しきのをしへにあらずは、 往わう生じやうをえがたきむねを判はんぜり。 いましげきがゆへにこれを略りやくす。

-おほよそ仏教ぶちけうの門もんにいりて出しゆち離りのみちをしること、 あるひは経巻きやうくわんのをしへにより、 あるひは知ち識しきのすゝめによる。 しかるに一文いちもん不知ふちの愚ぐ鈍どんのともがらにいたりては、 経きやう教けうをひらいてみづから仏教ぶちけうのことはりをさとることなし。 たゞひとへに知ち識しきのちからによる0611がゆへに、 そのことばをたのみて仏ぶち語ごを信しんずるおもひをなし、 かのをしへをまもりて経きやう教けうに帰くゐするこゝろに住ぢゆす。 いかでか面授めんじゆの恩徳おんどくをわすれ、 いかでか口く決くえちの血脈くゑちみやくをあふがざらん。

-しかれば、 黒谷くろだにの源ぐゑん空く聖しやう人にん、 浄じやう土ど宗しゆにをいて師資しし相さう承じようの義ぎあるべきことを判はんじて、 五祖ごそ等とうの血脈くゑちみやくをひかれたり。 上じやう古こにをいてすでに血脈くゑちみやくあり、 末代まちだいにいたりなんぞ相さう承じようなからんや。

(17)

一 念仏ねむぶちを修しゆせば自じ行ぎやうのためにこれをつとめて往わう生じやうをねがふべし。 無智むちの身みをもてひとを教化けうくゑせしむる条でう、 しかるべからざるよしの事こと。

この条でう、 上じやう求ぐ菩ぼ提だい・下げ化くゑ衆しゆ生じやうは菩ぼ薩さちの行願ぎやうぐわんなり。 したがひて浄じやう土ど門もんの行ぎやう者じや、 このこゝろなきにあらず。 いはゆる願ぐわん作さ仏心ぶちしむ、 度ど衆しゆ生じやう心しむこれなり。

-しかれば、 善ぜん知ぢ識しきにあひてわが往わう生じやうの信心しんじむをうるゆへに、 踊ゆ躍やく歓くわん喜ぎのあまり、 在ざい家け无智むちのやからをあひかたらひて末代まちだい相応さうおうの易い行ぎやうを修しゆすべきよし、 縁えんにしたがひてこれをすゝめん条でう、 仏法ぶちぽふ修しゆ行ぎやうの大たい意いにそむくべからざる歟か。 无智むちの身みをもて有智うちのひとををしへば、 まことにおほけなきににたり。 无智むちの身みなりといへども、 無智むちのひとをこしらへて念仏ねむぶちせしめんこと、 なんぞ如来によらいの本ほん懐ぐわいにたがはんや。

-これによ0612りて善導ぜんだう和くわ尚しやうの解げ釈しやくをうかゞふに、 ¬観経くわんぎやう義ぎ¼ (定善義意) のなかには 「▲一人いちにんをしても生しやう死じをいづることをえしむるは、 真しんにマコトニ仏恩ぶちおんを報ほうずとなづく。 このゆへに今こん時じの有う縁えん、 あひすゝめてちかひて浄じやう土どに生しやうぜしむるは、 すなはち諸仏しよぶちの本ほん願ぐわんのこゝろにかなふなり」 といひ、 ¬往わう生じやう礼讃らいさん¼ には、 「▲みづからも信しんじ、 ひとをしても信しんぜしむる、 かたきがなかにうたゝさらにかたし、 大だい悲ひつたへてあまねく化くゑする、 真しんに仏恩ぶちおんを報ほうずるになる」 と釈しやくせり。

-ちからのをよばんにしたがひて親しんシタシキ疎そをウトキ こしらへ、 縁えんにふれて道俗だうぞくをすゝめんこと、 二に尊そんの本ほん意いにかなひ、 諸仏しよぶちの方便はうべんに順じゆんずべきをや。 難なん破ぱのむね、 もとも存ぞん知ぢしがたきものなり。

・結釈

以い前ぜん条々でうでう、 *風ふ聞ぶんの説せちホノカニキコユルについて子し細さいを*勒ろくして言ごん上じやうすることかくのごとし。

-おほよそ念仏ねむぶち三昧さむまいは、 弥陀みだ選せん択ぢやくの本ほん願ぐわん、 釈しやく尊そん付ふ属ぞくの勝行しようぎやう、 諸仏しよぶち証誠しようじやうの実じち語ご、 衆しゆ生じやう得脱とくだちの正しやう門もんなり。 八万はちまん四し千せんの行願ぎやうぐわんこの三昧さんまいより成じやう就じゆし、 十方じふぱう三さむ世ぜの諸仏しよぶちこの六ろく字じより出生しゆちしやうせり。 なかんづくに、 末代まちだいの行ぎやう者じや、 无智むちの道俗だうぞく、 この行ぎやうにあらずは生しやう死じをいでがたく、 この法ほふにあらずは菩ぼ提だいを生しやうじがたし。

-いはゆる如来によらいの滅めち後ごにをいて三さむ時じの不ふ同どうあり、 正しやう・像ざう・末法まちぽふこれなり。 衆しゆ生じやうの根こん性じやうについて三種さむしゆの差別しやべちあり、 上じやう・中ちう・下げ根こんこれなり。 このゆへに如来によらい、 ときをはかり機きをはかりて、 法ほふ0613をさづけたまふ。 衆しゆ生じやうまた、 ときをはかり機きをはかりて、 これを行ぎやうずべし。

-かの正しやう・像ざう二時にじのあひだには、 戒かい定ぢやう恵えの三学さむがくみな堅けん固ごにして得道とくだうのひとおほく、 末法まちぽふ濁ぢよく乱らんのいまは、 念仏ねむぶち三昧ざむまいの得道とくだうさかりなるべきむねををしへたまへり。 しかるにかの三さむ時じをもてその三根さむこんに配はいせば、 正しやう法ぼふは上じやう根こん、 像法ざうぼふは中根ちうこん、 末法まちぽふは下げ根こんにあたれり。

-しかれば、 正しやう・像ざう二時にじの上じやう・中ちうの根こん機きは、 聖しやう道だうの教けうを行ぎやうじても生しやう死じを解げ脱だちすべし。 末法まちぽふ万年まんねんの最さい下げの群類ぐんるいは、 浄じやう土どの行ぎやうにあらずは、 菩ぼ提だいを証しよう得とくしがたし。 かるがゆへに時機じき相応さうおうすれば、 修しゆ行ぎやう成じやう就じゆすることをえ、 機き教けうあひそむけば、 利り益やく速疾そくしちなることなし。

-このむねを存ぞんぜずして、 正しやう法ぼふのときの修しゆ行ぎやうをもて像法ざうぼふの機きにをしへ、 像法ざうぼふのときの修しゆ行ぎやうをもて末法まちぽふの機きにすゝめば、 ときと機きと相さう違ゐし、 機きと法ほふと相応さうおうせずして、 勝しよう利りはなはだすくなかるべし。

-またその根こん機きについて、 上じやう・中ちう・下げの別べちあるのみにあらず。 在ざい家け・出しゆち家けの二に衆しゆあひわかれたるがゆへに、 仏ぶち在ざい世せには住所ぢゆしよまた各別かくべちなり。

-まづ在ざい家けの衆しゆといふは、 五ご欲よくを貪とむ求ぐすること相続さうぞくしてこれつねなり。 たとひ清しやう心しむをおこせども、 なをしみづにゑがくがごとし。 この衆しゆは男なんオトコ女にょオンナ交けうマジハリ懐くわいイダク、 飲酒をんじゆサケヲノミ食肉じきにく等とうをシヽムラヲクラフいましむるにをよばず。

-つぎに出しゆち家けのものといふは、 身みを亡まうじホロボシいのちをすて、 欲よくを断だんじ真しんに帰くゐし、 こゝろ金剛こんがうのごと0614く円えん鏡きやうに等同とうどうなり。 仏ぶち地ぢを悕求けぐしネガヒモトムて自他じたを弘ぐ益やくす。 もし囂くゐよう塵ぢんをカマビスシクケガラハシキコトヲ絶ぜち離りすタチハナルヽるにあニアラズハトらずイフナリは、 この徳とく証しようすべきによしなし。 この衆しゆをば、 婬酒いんしゆ食肉じきにく等とうをいましめたまへり。

-こゝにしりぬ、 、 如来によらい大だい悲ひをもてひとにしたがひ、 ときによりて、 あるひはゆるし、 あるひは制せいしたまへり。

-しかれば、 伝教でんげう大だい師しの解げ釈しやくにも、 「▲正しやう法ぼふのときの制文せいもんをもて、 末法まちぽふの世よの名みやう字じの比丘びくを制せいせば、 人ひとと法ほふと合がちせず。 これによりて ¬律りち¼ のなかには、 非ひ制せいを制せいすれば、 三さむ明みやうを断だんず。 記き説せちするところつみあり」 (末法灯明記意) といましめたまへり。狩留家

-ゆへに、 その欲よくを断だんじ真しんに帰くゐせん出しゆち家け清浄しやうじやうのひとをば、 をいてこれを論ろんぜず。 かの聖しやう道だう門もんの学者がくしや等とうはこのたぐひ歟か。

-たゞし当今たうこん末法まちぽふのありさまをみるに、 鬀髪たいほちカミヲソリ染ぜん衣えのともコロモヲソムルナリ がらおほしといへども、 在ざい世せの出しゆち家けの作さ法ほふのごとく、 まことに身みを亡まうじいのちをすつるひと、 はなはだまれなり。 おほくはこれ住所ぢゆしよを在ざい家け・出しゆち家けにわかたず、 おなじく妄念まうねむを愛塵あいぢん・欲塵よくぢんにおこすものなり。 かうべをそるといへども、 俗ぞく家けにつかへて弓箭きうせんユミ ヤ を帯たいし剣けんツルギ戟げきホコをさゝぐるひともあり。 ころもをそむといへども、 妻さい子しにまつはれて田畠でんばくをたがやし屠とホフリ沽こウルをことゝするものもあり。

-出しゆち家けのひとのなかに、 なをかくのごときのたぐひあり。 けだしこれ末代まちだいのならひ、 法ほふのごとくなること、 もともかたきがゆへなり。

-いかに0615いわんや、 いまわれらがともがらは、 もとより在ざい家け止し住ぢゆのたぐひ、 愚痴ぐち無智むちのあま入道にふだう等とうなれば、 五ご欲よくを貪とむずるをもて朝夕てうせきのおもひとし、 三毒さむどくにまつはるゝをもて昼ちう夜やの能のうとせり。 かくのごときの機き、 この法ほふによらずは、 たやすく生しやう死じをいでがたきがゆへに、 一心いちしむに帰くゐ依えし一向いちかうに勤修ごんしゆするものなり。

-これすなはち弥陀みだの本ほん願ぐわんはもと凡ぼん夫ぶをすくひ、 如来によらいの大だい悲ひはことに罪人ざいにんにかうぶらしむるがゆへなり。 おほよそ仏法ぶちぽふ修しゆ行ぎやうのならひ、 をのをの自じ行ぎやうをつとめしむるに、 あへて余よ業ごふを遮しやせず。 縁えんにしたがひて行ぎやうをおこせば、 みな解げ脱だちをう。 一向いちかう専修せんじゆの行ぎやう人にんにかぎりて、 なんぞあながちに種々しゆじゆの無む実じちをかまへ、 条々でうでうの悪あく名みやうをあげて在所ざいしよを追放ついはうせしめ、 念仏ねむぶちを停ちやう止じせらるゝや。

-末弟まちていもしあやまつところあらば、 とがを制せいし非ひをあらたむべきよし、 示じシメシ誨くゑをヲシフルくわへられん条でう、 これ自他じた宗しゆの学者がくしやの本ほん意いなり。 しかるにことを左右さうによせ、 とがを竪じゆうタテサマ横わうにヨコサマもとめて、 仏道ぶちだうの修しゆ行ぎやうを障しやうげせらるゝ条でう、 言ごん語ご道断だうだんの所しよ行ぎやうなり。 まことにこれ悪あく世せのさだまれる法ほふ、 邪見じやけんの至し極ごくなり。 和くわ尚しやうの未み来らい記きみぎにのせて炳焉へいえんなアキラカナリり。 かなしむべし、 かなしむべし。 なげかずはあるべからず。 しかれば、 はやく御ご哀憐あいれんをたれられて、 山さん寺じ聖しやう道だうの諸僧しよそうならびに山伏さんぐわ・巫ふ女ぢよカンナギ・陰陽おんやう師じ等とうの念仏ねむぶち誹ひ謗はうのともがらと、 一向いちかう専修せんじゆの行ぎやう者じやと両りやう0616方はうをめし決くゑちせられて、 称名しようみやう念仏ねむぶちの勝行しようぎやう、 外道ぐゑだう邪見じやけんの法ほふにあらず。 西方さいはう往わう生じやうの要えう路ろ、 時機じき相応さうおうの教けうたる条でう、 理致りちの淵えんフカキ源ぐゑんをミナモト きわめられてのち、 もとのごとく本宅ほんたくモトノイヘに還ぐゑん住ぢゆしカヘリスミテ て専修せんじゆ念仏ねむぶちを勤ごん行ぎやうすべきよし、 御ご成敗せいばいをかうぶらば、 いよいよ憲政けんせいのカシコキマツリゴトノ無む偏へんをあヘンパナキコト ふいで、 まさに真宗しんしゆの*巨こ益やくをしらんとおもふ。 よてほゞ言ごん上じやう、 くだんのごとし。

破は邪じや顕けん正しやう抄せう 下

大谷本願寺親鸞聖人之御流之正理也。

本願寺住持存如(花押)

 

底本は龍谷大学蔵存如上人書写本。
望仏… ブチノホングワンニノゾムルニ コヽロシユジヤウヲシテヰチカウニモハラミダブチノミナヲシヨウセシムルニアリ(左訓)
随縁… エンニシタガフモノハ スナハチミナゲダチヲカウブル(異本左訓)
仏教… ブチケウノカドオホクシテハチマンシナルコトハ マサシクシユジヤウノキノオナジカラザルガタメナリ(異本左訓)
自是… ミヅカラヲゼシタヲヒシテ シヤウボフヲソシレバ マノトモガラトナル(左訓)
自法… ミヅカラノホフヲアイゼンスルガユヘニ タニンノホフヲソシレバ カイギヤウヲタモテルヒトナリトイヘドモ ヂゴクノクヲマヌカレズ(左訓)
一心… イチシンニモハラミダノミヤウガウヲネンジテ ギヤウヂユザグワニジセチノヒサシキチカキヲトハズネムネムニステザルヲバ コレヲシヤウヂヤウノゴフトナヅク カノブチノグワンニジユンズルガユヘニ モシライジユトウニヨルヲバスナハチナヅケテジヨゴフトス(左訓)
念阿… ワアミダブチサムマイヲネムジテシジヲモテタスケテヨロコブ(異本左訓)
遇善… ゼンヂシキニアヒテホフヲキヽテヨクギヤウズトナリ(左訓)
おもい 底本は「をもゐ」。 龍谷大学蔵存如上人書写本等による。