0825存覚ぞんかくほう

 

こうしょうにんせんじゅつ ¬教行きょうぎょうしょう文類もんるい¼ のじょにいはく、 「なんぜいなんかいする大船だいせん无むげこうみょうみょうあんするにちなり」 と。 弥陀みだ不共ふぐしょうこの一文いちもんにあらはれ、 ぼんしゅつ用心ようじんこのいっにたれりとす。

いはゆる 「なんぜい」 といふは、 如来にょらいべっがんぶん不可ふかせつ法門ほうもんなるがゆへに、 ぶっこんりゅうするところいんしきりょうのをよぶべきにあらず。 いはんや、 凡慮ぼんりょぶんをへだてたることをあらはすことばなり。 こゝをもて、 ¬だいきょう¼ (巻上) には 「如来にょらい智慧ちえかいは、 深広じんこうにして涯底がいていなし。 じょうはかるところにあらず。 たゞぶつのみひとり明了みょうりょうなり」 といひ、 ¬小経しょうきょう¼ (意) には、 「六方ろっぽう諸仏しょぶつ舌相ぜっそうをのべて証誠しょうじょうしたまふに、 不可ふか思議しぎどくしょうさんす」 とときたまへり。 たゞがん広海こうかい不可ふか思議しぎなるのみにあらず、 またこくしょうごん不可ふか思議しぎなり。 これによりて、 論主ろんじゅじゅう九句くくしょうごんをあかしてしょうどくをほむるとき、 「かの仏国ぶっこくしょうごん不可ふか思議しぎりきじょうじゅせり」 (浄土論) といひ、 しゅう念仏ねんぶつぎょうじゃしょしょうそうをいうとして、 「ぶつしょうにんをしてゐて観看かんかんせしめたまふ、 いた0826るところはたゞこれ思議しぎなり」 (般舟讃) といへり。 されば 「にゃくしょうじゃ (大経巻上) のちかひむなしからずしてじょうじたまへるしょうがくなるがゆへに、 しょうぼうどくぶっ无漏むろ万徳まんどく円満えんまんしたまへるも、 しかしながらわれらがおうじょうけつじょうすることをあらはし、 ほうしょうごん第一だいいちたいみょうきょうがいそうじょうじゅしたまへるも、 ひとへにえんだいにむくはずといふことなし。 しかるあひだ、 をこしたまふところの誓願せいがん諸仏しょぶつちょうぜつして障重しょうじゅう根鈍こんどんしゅじょうをたすけ、 まうけたまふところのじょう三界さんがいしょうして、 湛然たんねん寂静じゃくじょうみょうそうかんじょうせり。 あんいんだいしょうの 「この極楽ごくらくかいひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつじょうのなかに、 あくをすてゝぜんをとりをすてゝみょうをとりて、 さまざまにすぐりいだせることをたんずるには、 たとへばやなぎのえだにさくらのはなをさかせ、 ふたみのうらにきよみがせきをならべたらんがごとし」 (唯信鈔意) といへり。 をろかなるこゝろになをあくところなくあらまほしきは、 かのたほやかなるえだにさきたらんはなの、 春秋しゅんじゅうをわかず、 ちることなくてひさしくにほひ、 そのたかきうらうらのつきのかげをならべたらんが、 よる・ひるのさかひなくて、 いつもてらさんをみばやとおぼゆるは、 このけいしょくによせてかの厳飾ごんじきをおもひやらんとなり。

なんかい」 といふはしょう大海たいかいなり。 ぼんしょうどうとのなかに、 この大海たいかいをへだてゝわ0827たることたやすからず。 これにつきてさんじょうほうしゅうあり。 しょうもんたいかんじてこれをわたり、 縁覚えんがくじゅう因縁いんねんかんじてこれをわたり、 さつろっ波羅ぱらみつぎょうじてこれをわたる。 慳貪けんどんかいしんだい散乱さんらん愚痴ぐち六弊ろくへいしょうみなり、 布施ふせかい忍辱にんにくしょうじんぜんじょう智慧ちえろくのうふねなり。 なをくはしくこれをろんぜば、 きょうによりしゅうにしたがひてそのしゅぎょうまちまちなるべし。 しょうめつしょうりょう无作むさたいかんじ、 じゅう唯識ゆいしきはっちゅうどう観門かんもんとう、 みなこれてんしょう愛海あいかいをしのがんとする方便ほうべんふねなり。 しかるにこれらのぎょうをたづぬるに、 もしはこんじょうしゃのなすところ、 もしは大根だいこんかんしゅするところなるがゆへに、 さんじょうしゅぎょういづれもたてがたきによりて、 たまたまそのもんにおもむくひとも、 退縁たいえんにあひぬれば退たいのくらゐにいたりがたし。 いかにいはんや、 とき末代まつだいにをよびひと下機げきになりぬ。 いづれのぎょうをつとめ、 いかなるふねをもとめてか、 このうみをわたりてかのきしにいたるべき。 しょうをはなれんこと、 たとひそのこゝろざしありとも、 そののぞみたっしがたし。 こゝに弥陀みだ本願ほんがんは、 かのたいえんほうをもこゝろにかけず、 かいじょう三学さんがくをもぎょうぜざるともがら、 法財ほうざいをば煩悩ぼんのうぞくにうばはれ、 ぶっしょうをばわくのやみにおほはれたれば、 たゞ六道ろくどうにのみめぐりて、 さらにしゅつ方法ほうほう0828をしらざるに、 如来にょらいかゝるたぐひをたすけんがために、 をこしたまへるだいだいぜいじょうしゅしょう本願ほんがんなれば、 ひとたびみょうじょうしんをいたし、 わづかにろくみょうごうしょうするに、 たちどころに 「おうちょうだん四流しる (玄義分) やくをえて、 ひそかに三界さんがい沈没ちんもつ暴流ぼるをたち、 つゐに 「そくしょうしょうしん (玄義分) のくらゐにのぼりて、 すみやかにぶっしょうじょうらくのさとりをひらかんこと、 まことにこれ、 なんうみをわたる大船だいせんなんぜいのきはまりなり。 またくぎょうにんこうにあらず、 ひとへに仏願ぶつがんのちからによれり。

无むげこうみょう」 といふは、 すなはち ¬だいきょう¼ にとくところのじゅう光仏こうぶつのそのひとつなり。 ろく尊号そんごうのなかに、 そののうことにすぐれたり。 ¬弥陀みだきょう¼ には 「かのぶつこうみょうりょうにして、 十方じっぽうくにをてらすにしょうするところなし」 といひ、 ¬かんぎょう¼ には 「念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしてすてたまはず」 とときたまへるを、 しょうこの両経りょうきょうのこゝろによりて、 かのぶつみょうしゃくしたまふに 「しょしょう (小経) もんと、 「摂取せっしゅ不捨」 (観経) もんとを、 ひきまじへてのち、 「かるがゆへに弥陀みだとなづく」 (礼讃) けっしたまへり。 かのこうみょうしょうするところなきは摂取せっしゅのためなり。 摂取せっしゅのゆへに弥陀みだごうをえたまへば、 しゅじょう往益おうやくはひとすぢにこのごうによるときこえたり。 このゆへに、 天親てんじんさつ一心いっしんみょうのこゝろざしをのべたまふに、 あまたの徳号とくごうのなかに0829、 えらびて 「じん十方じっぽう无むげこう如来にょらい (浄土論) らいしたまへり。 おほよそ弥陀みだ如来にょらいしょうに、 「のうしゃ (定善義) とくあるも、 このみょうごうゆうなり。 そのゆへは、 しゅじょうもろもろのじゃごっにつながれて三界さんがい牢獄ろうごくにとらはれ、 よろづのばくにかゝはりてしょうだつすることあたはず。 ごうあいなわひとをしばりてをくれば、 われらいかでか獄卒ごくそつしゃくをまぬかれん。 業風ごうふうのふくにしたがひてのなかにおつれば、 罪人ざいにんなんぞないにもれん。 あるひは 「あっりょうぜつとんしんまん八万はちまんごくにみなしゅうへんす」 (般舟讃) ともいひ、 あるひは 「にん三宝さんぼうのとがを論説ろんせつすれば、 してばつぜつないのなかにいる」 (般舟讃) ともいへり。 しかるにこれらの三業さんごう罪ざいけんは、 しょうのあひだにもことごとくこれをおかし、 かくのごときの一切いっさいわくしょうは、 こんにもみなこれをせり。 ぜんじょういんにこたへて善悪ぜんあくをうるならば、 「しょうじん (玄義分) ぼんなにゝよりてかりんほうをまぬかるべき。 曠劫こうごうてんもこれにより、 らい沈淪ちんりんもまたおなじかるべし。 しかりといへども、 りき仏願ぶつがんをたのみて信心しんじん発得ほっとくみょうごうしょうねんすれば、 ながくしょういきをはなれて无為むいじょうにいたることは、 しかしながら无むげ光仏こうぶつやくによりて、 「のうしゃ (定善義) りきをほどこしたまふゆへなり。

みょうあんするにち」 といふは、 けんあんみょうすることはにち0830りんにこえたるはなく、 愚痴ぐち昏迷こんめいをのぞくことは智慧ちえにすぎたるはなし。 かるがゆへにならべてほうをあぐることばなり。 その本説ほんせつをたづぬれば ¬だいきょう¼ (巻下) にいでたり。 ほうさつあんにょう往詣おうげいしてきょうしゅようしたてまつることばに 「にちけんをてらして、 しょうくもしょうじょす」 といへる、 これなり。 きょうごうこのもんしゃくしていはく、 「にちといふはたとへにしたがへたるなり。 わくごうとのみつは、 よく真空しんくうをよび日月にちがつをおほふにおなじ。 かるがゆへにしょううんといふ。 ぶっしんたっして、 よく自他じたわくごうのさはりをのぞく。 かるがゆへににちといふ」 (述文賛巻下) と。 またしゅう ¬かんぎょう¼ にとくところの 「仏日ぶつにち」 をするもんには、 「たとへばいでゝ衆闇しゅあんことごとくのぞこるがごとし。 ぶっひかりをかゞやかせば、 みょうよるほがらかなり」 (序分義) とのたまへり。 弥陀みだしゃそんやくことなるににたれども、 にち仏日ぶつにちこうゆうじゅんじてしりぬべし。 さればしょうどうもんのこゝろならば、 みづから智慧ちえのひかりをかゞやかして、 しょうのやみをのぞくべし。 もし智慧ちえのひありなからんたぐひは、 その迷闇めいあんなにゝよりてかはるゝことをえん。 しかるに如来にょらい利他りたにちしゅじょう黒業こくごうのやみをてらしたまふゆへに、 をのれがちからにて、 しょう罪業ざいごうをのぞくことあるまじけれども、 弥陀みだ无むげこうみょう一切いっさい悪業あくごうにさへら0831れず、 しゅじょう摂取せっしゅしたまふにより、 わく凡身ぼんしんをあらためずして、 かならず清浄しょうじょう智土ちどしょうずるなり。

りゃくしてかのじょのはじめのことばをすることかくのごとし。

そもそも弥陀みだ如来にょらいの、 じんじゅう本願ほんがんをおこししゅみょうこくをまうけたまへるは、 しゅじょうをして三輪さんりんをはなれしめんがためなり。 その三輪さんりんといふは、 ひとつにはじょうりんふたつにはじょうりんみつにはりんなり。 このおんだいの ¬弥陀みだきょう通賛つうさん¼ にみえたり。 またしんの ¬おうじょうようしゅう¼ にじゅうもんをたつるなかの、 第一だいいちえん穢土えどそうはんずとして、 人間にんげんのいとふべきことをあかすにもこのみつをあげたり。 かの ¬しゅう¼ (要集巻上意) には 「じょうじょう」 とつらねたり。

ひとつじょうりんといふは、 こののなかのさだめなくはかなきありさまなり。 ¬だいきょう¼ (巻下) にこのことはりをときて、 あるひは 「愛欲あいよくえいつねにたもつべからず。 みなまさにべつすべし」 といひ、 あるひは 「処年しょねん寿じゅみょう、 よくいくばくもなし」 (大経巻下) といへり。 つらつらおもんみれば、 輪王りんのうこうのくらゐ七宝しっぽうつゐににしたがふことなく、 しゃくてん宝象ほうぞうのあそびおんながくまなこにへだつるあり。 あふひで六欲ろくよくぜんをおもふに、 三界さんがいのうちにうらやましかるべきところなし、 ふして三悪さんまくしゅをうかゞふに、 六道ろくどうのあひださながらみなかなしみを0832まぬかるべきところにあらず。 人間にんげんなんのわづかなるいのち、 粟散ぞくさん辺国へんこくのいやしきほう、 なんぞじゃくらくをなすべきや。 不死ふしのくすりをもとめし秦皇しんこうかんもむなしくさりぬ。 たゞふうざんりょうのふもとにむせぶあり。 ゆうのはかりごとにちょうぜし樊噲はんかい張良ちょうりょうをのみのこせり。 いまだ遷変せんぺん有為ういのあだをふせぐきゅうせんあることをきかず。 綺羅きら三千さんぜんもそらにおひたり、 かん唐楊とうようのたほやかなりしすがたも一聚いちじゅのちりとなりぬ。 法蔵ほうぞうげんじょうもことごとくかくれぬ、 有智うちこうぎょうしょうにんにもかたさらぬはじょうせつなり。 ろうしょうじょうのさかひなれば、 さかりなるひともおほくゆく。 しょうじゃ必滅ひつめつのことはりなれば、 おいぬるひとはましてとゞまらず。 とりやまのけぶり、 みねにものぼり、 ふもとにもたつ。 われもいつかそのかずにいらん。 あだしのつゆ、 あしたにもきえ、 ゆふべにもおつ。 たれとてもよそにやはおもふべき。

鳥羽とばぜんじょうじょうこう遠島えんとうこうきゅうにして宸襟しんきんをいたましめしょうかんじましましけるおんくちずさみにつくらせたまひける ¬じょうこうしき¼ こそ、 さしあたりたることはり、 みゝぢかにてのあはれにきこえはんべるめれ。 そのちょくそうをみれば、 「あるひはきのふすでにうづんで、 なみだをつかのもとにのごふもの、 あるひはこよひをくらんとして、 わかれをかんのまへになくひとあり。 おほよそはかなきものは0833ひとの中終ちゅうじゅう、 まぼろしのごとくなるはいちのすぐるほどなり。 三界さんがいじょうなり、 いにしへよりいまだ万歳まんざい人身にんじんあることをきかず、 いっしょうすぎやすし。 いまにありてたれかひゃくねんぎょうたいをたもつべき。 われやさきひとやさき、 けふとおしらずあすともしらず、 をくれさきだつひと、 もとのしづくすゑのつゆよりもしげし」 といへり。

またちかごろ、 ぎょうたかくきこゆる笠置かさぎだつしょうにんのかゝれたることばも、 よにやさしくかんにそみておぼゆ。 そのことばには、 「風葉ふうようたもちがたくそうのいのちきえやすし。 南隣なんりんにもこくほくにもこくす。 ひとををくるなみだいまだつきず、 さんにもそひげんじょうにもそふ。 ほねをうづむつちかはくことなし。 いたましきかな、 まのあたりことばをまじへしらんのとも、 いきとゞまりぬればとをくをくり、 あはれなるかな、 まさしくちぎりをむすびし断金だんきんのむつび、 たましゐさりぬればひとりかなしむ」 (愚迷発心集意) といへり。

かやうのことはりは、 のまへにみゆればひとことにしりがほなれども、 欲塵よくじんじゃくきょうがいにほださるゝならひは、 ぼんとしておどろかざる、 まことにはかなかるべし。 しかれば、 ¬ぜん三昧ざんまいきょう¼ (巻上意) には、 「今日こんにちこのことをいとなみみょうにちかのことをなさん。 らくじゃくしてかんぜざれば、 ぞくのいたることをさとらず。 悤々そうそうとしてしゅをいとなめば、 にちのさることをさ0834とらず」 といひ、 ¬大般だいはつはんぎょう¼ (北本巻二寿命品 南本巻二純陀品) には、 「一切いっさいのもろもろのけんしょうあるものはみなす。 寿じゅみょうりょうなりといへどもかならずをはりつくることあり。 それさかんなるものはかならずおとろふることあり、 あひあふものはべつすることあり」 とときたまへり。

かゝるじょうのかなしみは、 じょうにあらずはのがれがたく、 このたいのすがたは、 しょうをはなれずはいかでかあらためん。 さんじょうしゅぎょうみなこのじょうほうをまぬかれて、 かの常住じょうじゅうごくにいたらんとすれども、 修因しゅいんじょうぜざればしょうむなしきににたり。 しかるを弥陀みだ願力がんりきにすがりてあんにょうおうじょうをとげぬれば、 かの无為むいはんのさかひ、 すい湛然たんねんのところなるがゆへに、 みづからのこうぎょうをからず、 仏力ぶつりき加被かびによりて、 ながくしょうじょうりんをのがれ、 しんじょう宝所ほうしょにいたるなり。

ふたつじょうりんといふは、 この汚穢わえにしてじょうけつならざることをいふなり。 これにつきて三種さんしゅあり、 しゅうじょうたいじょうきょうじょうなり。

しゅうじょうといふは、 この栴檀せんだんのたねよりもしょうぜず、 れんのくきよりもいでず、 ちゅうのかたちをすて業識ごっしき胎内たいないにやどすはじめより、 そのしゅうまたくこれじょうなり。

たいじょうといふは、 さんびゃくろくじゅうのほねあつまりてしんぎょうじょうじ、 三万さんまん六千ろくせんのすぢながれてみょうをたも0835つ。 ぞうろっみなこれじょうなり、 てい便べんひとつとしてきよからず。 たとひ海水かいすいをかたぶけてこれをあらふともたいじょうをばきよむべからず、 たとひじんだんをたきてこれにくんずとも、 ほんしょうしゅうをばあらたむべからず。 やなぎのまゆ、 みどりなりといへども、 その実体じったいかんずるにたんじゃくすべきにあらず。 はなのかほばせ、 こまやかなりといへども、 たゞこれせるかめにふんをいれたるがごとし。 ぎょうけんのやんごとなきしょうにんたちも、 かりのいろにめでゝぎょうごうをむなしくすること、 三国さんごくにそのためしおほし。 肉身にくしんじょうをばげんりょうにもしきし、 聖教しょうぎょう明文めいもんにむかふときは、 一旦いったんそのどう甘心かんしんすることなきにあらざれども、 みょうのまよひによりてみづからのこころ調じょうぶくせざること、 欲界よくかい煩悩ぼんのうしょちからなきことなり。 よくとんすること、 相続そうぞくしてこれつねなり。 「たとひしょうしんををこせども、 なをしみずにゑがくがごとし」 (序分義) といへる。 じょく凡心ぼんしんは、 けんともにをそらくはいたくかはらずもやはんべるらん。

きょうじょうといふは、 ふたつのまなこたちまちにとぢ、 ひとつのいきながくたえぬれば、 かずをふるまゝにそのいろをへんじ、 だいにあひかはるにそうあり。 しかれども、 すなはちがいにをくりてよはのけぶりとなしぬるには、 そうてんをみず。 たゞ白骨はっこつそうをのみみれば、 たしかにその0836ありさまをみぬによりて、 をろかなるこゝろにおどろかぬなるべし。 たまたま郊原こうげん塚間ちょけんをすぐるに、 をのづからそのそうみるときは、 一念いちねんなれども、 しのびがたきものなり。 紅顔こうがんそらにへんじてとうのよそほひをうしなひぬれば、 たちまちにちょうらんのすがたとなり。 玄鬢げんびんをはなれて荊棘けいこくのなかにまつはれぬれば、 からすいぬ噉食だんじきのこゑのみあり。 あるひは爪髪そうはつ分散ぶんさんしてこゝかしこにみてるところもあり。 あるひはあしはいして東西とうざいにちれるところもあり。 まことにこれ、 じょうきょうするところ、 そもそもまたたいのしからしむるきはまりなり。 もしじょうせつにいたらずは、 いかでかこのじょうしょうをあらたむることあらんや。

三にりんといふは、 三界さんがい六道ろくどうみなこれなれども、 四苦しくはっはことに人間にんげんにあり。 せんことなりといへども、 ことごとくこれをそなへ、 ひんおなじからざれども、 これになやまされずといふことなし。 四苦しくといふは、 しょうろうびょうなり。 はっといふは、 これにあいべつとく怨憎おんぞうおんじょうをくはふ。 もし壮年そうねんにしてをはやくすぐるひとろうをうけざるあり。 もし富有ふうにしてたからをもとむることなからんひとは、 ひんをまぬかるゝありとも、 そのほかのともがらはこれらのをのがるべからず。 これによりて、 こうみょうだいは、 「このじょく0837はっとう六道ろくどうつうじてうく、 いまだなきものあらず。 つねにこれを逼悩ひつのうす。 もしこのをうけざるものは、 すなはち凡数ぼんしゅしょうにあらずj (序分義) とのたまへり。

¬しゃろん¼ (玄奘訳巻二二賢聖品) のなかにぼんをうけながらみづからしらざるそうはんじていへることあり、 「ひとつのまつげをおてたなごゝろにをけば、 ひとさとらず、 もしげんしょうのうへにをけば、 そんをなしをよびやすからず。 愚夫ぐふしゅしょうのごとし、 ぎょうのまつげをしらず、 しゃげんしょうのごとし、 えんじてきはめてえんしょうず」 といへり。

たゞしにんてんりょうしゅにはすこしきのらくなきにあらず、 すべて地居じこくうしょうぼういづれもとりどりなれども、 ことにさんじゅう三天さんてんらくなどはたぐひすくなくこそきこゆれ。 しかれども、 たゞたのしみにのみまつはれて、 さらに仏道ぶつどうしゅせず。 曠劫こうごうてんよりこのかた、 六道ろくどう経歴きょうりゃくのあひだ、 われらもさだめてかれらのしょうをうくるもありけん。 しかるにしゅしょうのみづ、 閼伽あかにむすばずしてむなしくすぎ、 かんおんのはなぶさ、 仏界ぶっかいすることなくしていたづらにちりにしかば、 かへりてかいにおちていまだりんをまぬかれぬこそ、 うたてくはづかしけれ。

人間にんげんほうにも金輪こんりん銀輪ごんりんぎょうそんはまうすにをよばず、 ちょうほんちょう理世りせしょうおうもまうすにあたはず。 さならぬひとも、 ごうしょうのくらゐにうまれてぎょくろう金閣こんかくのうち0838にやすくし、 富貴ふきのいへにありてくらにしゅぎょくきんしょうのたからをみてたるひとせん福因ふくいんもゆかしくとう栄耀えいようもうらやましかるべけれども、 それもたゞこんじょうらくにほこりて後世ごせりょうをこゝろにかけずは、 しょうじゅ千年せんねんのよはひもつゐにかぎりあらんとき、 しゃ八獄はちごくのむかへ、 たちまちにきたらんをばいかゞふせぐべき。 こゝろをたのしましむとも、 いくばくかあらん。 しゅにすなはちすつるがゆへなり。 らくとおもふも妄想もうぞうなり。 じつによればじゅなるがゆへなり。 おほよそ 「三界さんがいやすきことなし、 なをしたくのごとし。 しゅじゅうまんしてはなはだ怖畏ふいすべし」 (法華経巻二譬喩品) と、 ぶつときたまへば、 いづれのさかひか煩悩ぼんのうたくにあらざらん、 たれのともがらかしょうしゅをうけざるべき。 をうけながらまよひてらくとおもひ、 さとらずいとはざるは愚夫ぐふのならひなれども、 一分いちぶんいんのことはりをわきまへ、 まして後世ごせをねがはんたぐひ、 このいんせいしがたきことをしり、 その苦果くかのまぬかるまじきことをおもひて、 りきにてはなるまじきしょう根源こんげんをたゝんことは、 ひとへにりきをもてたすけたまふ如来にょらい恩徳おんどくなりとあふぐべきなり。

じょうりんをはなるゝことは、 りょう寿じゅ仏徳ぶっとくによりて、 しゅじょうもおなじく常住じょうじゅう寿じゅみょうをうればなり。 ¬弥陀みだきょう¼ に、 「かのぶつ寿じゅみょうおよびその人民にんみんりょうへんそうこう0839り。 かるがゆへに弥陀みだとなづく」 といへる、 そのことに甚深じんじんなり。 ぶつしょうがくしゅじょうおうじょうによりてじょうじ、 しゅじょうおうじょうぶつしょうがくによりてじょうずるがゆへに、 ほう一体いったいにして能所のうじょ不二ふになるいはれあれば、 ぶつ寿じゅみょうしゅじょう寿じゅみょうもあひおなじくして、 じょうをのがれ常住じょうじゅうをうることおかはることなきなり。 このゆへに、 ¬ほうさん¼ (巻下) には、 「一念いちねんくうじょうじてぶつにいりぬれば、 身色しんじき寿じゅみょうことごとくみなひとし」 とほめ、 ¬般舟讃¼ には、 「常住じょうじゅうのところにあんぜんとおもはゞ、 まづようぎょうをもとめて真門しんもんにいれ」 とをしへ、 ¬おうじょう礼讃らいさん¼ には、 あるひは 「しょうをえんとおもはゞ、 かのにかならずすべからくよるべし」 といひ、 あるひは 「じょうこく衰変すいへんなし、 ひとたびりゅうしてこんしかなり」 (礼讃) といへり。

じょうりんをさることは、 弥陀みだぶつをばりょう清浄しょうじょうぶつとなづけたてまつり、 極楽ごくらくをばいちじょう清浄しょうじょうりょう寿じゅかいごうするゆへに、 しん清浄しょうじょうにして、 ほうしょうぼう有漏うろ垢穢くえをはなれ、 のうしょもみな无漏むろじょうたいなり。 こゝをもて、 ¬だいきょう¼ (巻下) せつをみるに、 諸仏しょぶつしゅさつにつけてあんにょう往覲おうごんをすゝめたまふことばには、 「ほうをきゝてこのんでじゅぎょうして、 清浄しょうじょうのところをえよ」 とをしへ、 じゅう八願はちがんのなかをみるにも、 あるひは 「一切いっさい万物まんもつごんじょう光麗こうらいならん」 (大経巻上) といひ、 あるひは 「こく清浄しょうじょうにして諸仏しょぶつかいしょうけんせん」 (大経巻上意) 0840かひたまへり。 このゆへに、 おうじょうをうるひとは、 貪瞋とんじんわくをはなれてねん虚无こむをうけ、 清白しょうびゃくほうをきゝてがい清浄しょうじょうほうをうく。 これすなはちざっしょうかいには、 しょうまちまちなりといへども、 をのをの惑業わくごうかんずるところじょうしょうげんなり。 かの安楽あんらくこく雑業ぞうごうしょしょうにあらずして、 同一どういつ念仏ねんぶつし、 ながく胞胎ほうたいをたちて如来にょらいしょうがくのはなよりしょうするがゆへに、 しょうずるものはことごとく清浄しょうじょうたいをうるなり。

りんをいづることは、 ことにだいほん、 これさいごくなり。 すでにくに極楽ごくらくとなづけ、 また安楽あんらくごうす。 苦果くかをはなるゝこと、 そらにしんぬべし。 こゝをもて、 ¬だいきょう¼ (巻上) には 「さんなんあることなし、 たゞねんらくのこゑのみあり」 といひ、 ¬小経しょうきょう¼ には 「もろもろのくるしみあることなし、 たゞもろもろのたのしみをのみうく」 とときたまへり。 しかのみならず、 ¬ろん¼ (浄土論) にはしょうごん諸難しょなんどくじょうじゅをあかして、 「ながく身心しんしんのうをはなれて、 らくをうくることつねにけんなり」 といひ、 ¬ちゅう¼ (論註巻上) にこれをしゃくするには、 「身悩しんのうといふはかつ寒熱かんねつ殺害せつがいとうなり。 心悩しんのうといふは是非ぜひ得失とくしつ三毒さんどくとうなり」 といへり。 まただい所々しょしょしゃくにも、 おほく受楽じゅらくをあかして、 しゅじょうをしてごんせしめたまへり。 いはゆる ¬かんぎょう¼ (定善義) にはほうさんをつくりて、 「西方さいほう寂静じゃくじょう无為むいみやこは、 ひっきょうしょうようして0841有无うむをはなれたり」 といひ、 ¬般舟はんじゅさん¼ には 「かくのごときのしょうようらくのところに、 さらになんのことをとんじてかしょうずることをもとめざらん」 とすゝめ、 ¬礼讃らいさん¼ には 「しょうぜんとがんずることなんのこゝろにかせつなる、 まさしくらくぐうなるがためなり」 といへるしゃくとうこれなり。 われら愚痴ぐち罪悪ざいあくしょういんだんぜざれば苦果くかをのがるべからず、 楽因らくいんをたくはへざればらくをうべからず。 しかるに弥陀みだ如来にょらいぼんのためにかまへたまへる西方さいほうじょうは、 よこさまに悪趣あくしゅをきるがゆへに、 本願ほんがん強縁ごうえんによりて極楽ごくらくおうじょうをとげぬれば、 をのづから 「そうげん↡」 (大経巻上) をえて、 たゞ 「熙怡きいらく (大経巻下) やくにあづかるなり。 ¬おうじょうようしゅう¼ (巻上) じゅうらくをたつるなかのだいに、 らく退たいらくをあかして離苦りく得楽とくらくそうをのべたり。 そのもんにいはく、 「かの西方さいほうかいらくをうくることつねにきはまりなし。 人天にんでん交接きょうしょうしてふたつながらあひみることをう。 慈悲じひこころくんじて、 たがひにいっのごとし。 ともに瑠璃るりのうへに経行きょうぎょうし、 おなじく栴檀せんだんのはやしのあひだに遊戯ゆげす。 殿でんより殿でんにいたり、 りんよりりんにいたるに、 もししづかならんとおもふときは、 ふうろうげんかん、 をのづからみゝのもとにへだゝり。 もしみんとおもふときは、 さんせんけいこくなをまなこのまへにげんず。 こうそくほうねんにしたがひてまた0842しかなり。 あるひはていをわたりてがくをなし、 あるひはくうにあがりて神通じんずうげんず。 あるひはほうだいにしたがひて迎送こうそうし、 あるひは天人てんにんしょうじゅにともなひてらんす。 あるひはほうのもとにいたりて、 しんしょうひともんす。 なんぢしるやいなや。 このところをば極楽ごくらくかいとなづく。 このかいしゅをば弥陀みだぶつごうしたてまつる。 いままさに帰依きえすべし。 あるひはおなじくほうのうちにあり、 をのをの蓮台れんだいのうへにして、 たがひに宿命しゅくみょうをとく。 あるひはともに十方じっぽう諸仏しょぶつしょう方便ほうべんをかたり、 あるひはともにさんしゅじょうばっ因縁いんねんす。 しをはりてえんををひてあひさり、 かたりをはりてねがひにしたがひてともにゆく。 あるひはまた七宝しっぽうのやまにのぼり、 はっのいけによくして、 じゃくねん宴黙えんもくし、 読誦どくじゅせつす。 かくのごとくらくすること相続そうぞくしてひまなし。 ところはこれ退たいなれば、 ながくさん八難はちなんのをそれをまぬかれ、 いのちはまたりょうなれば、 つゐにしょうろうびょうなし。 しん相応そうおうすればあいべつなく、 げんひとしくみれば怨憎おんぞうなし。 びゃくごうほうなればとくなし。 金剛こんごうなればおんじょうなし。 ひとたび七宝しっぽうしょうごんのうてなにたくしぬれば、 ながく三界さんがいりんうみをわたる」 と。

いまかすかに聖教しょうぎょう所説しょせつをきゝてもなを渇仰かつごうのこゝろをもよほす。 たゞちにみづから无為むい法楽ほうらく0843うけん、 むしろかんのおもひにたえんや。

そうじて三輪さんりんをはなるゝことは、 如来にょらいの 「しょうごん清浄しょうじょうどくじょうじゅ (浄土論) のゆへなり。 その 「どく」 といふは、 ¬ろん¼ (浄土論) に 「かのかいそうかんずるに、 三界さんがいどうしょうせり」 といへる、 これなり。 ¬ちゅう¼ (論註巻上) にこのもんするには、 「この清浄しょうじょうはこれ総相そうそうなり。 ぶつもとこのしょうごんどくををこしたまふゆへは、 三界さんがいをみるにこれ虚偽こぎそう、 これ輪転りんでんそう、 これぐうそうなり。 これしゃっかくじゅんかんするがごとく、 蚕繭さんけんのみづからばくするがごとし。 あはれなるかな、 しゅじょうこの三界さんがいにむすぼゝれて、 じょう顛倒てんどうせること。 しゅじょう虚偽こぎのところ、 輪転りんでんのところ、 ぐうのところにをきて、 ひっきょう安楽あんらくだい清浄しょうじょうしょをえしめんとおぼす。 このゆへに、 この清浄しょうじょうしょうごんどくををこしたまへり。 じょうじゅといふは、 いふこゝろはこれ清浄しょうじょうにして破壊はえすべからず、 ぜんすべからず。 三界さんがいはこれぜんそう、 これ破壊はえそうなるがごとくにはあらざるなり」 といへり。 このなかに 「虚偽こぎ」 といふは顛倒てんどうなり。 すなはちじょうじょうとおもひ、 じょうじょうしゅうし、 らくけいするこゝろなり。 これに无我むがとおもへるこゝろをくはへてとうといふなり。 「輪転りんでん」 といふは、 はん常住じょうじゅうをえざれば六道ろくどう経歴きょうりゃくするなり。 「ぐう」 といふは、 その輪転りんでんいっにあらず、 二世にせにあらず、 はじめもな0844くはてもなきことをあらはすなり。 ¬摩訶まかかん¼ (巻一上) に 「善悪ぜんあく輪環りんかんす」 といへるを、 ¬けつ¼ (輔行巻一) にこれをしゃくすとして、 「ぜんそうつうあくけんにきはまる、 のぼりてまたしづむ、 かるがゆへになづけてりんとす。 はじめもなくきはもなし、 これをたとふるにかんのごとし」 といへる、 これそのこゝろなり。 三輪さんりんことなれども、 すべてこれをいふにだいにあらずといふことなし。 このだいたいして 「ひっきょう安楽あんらくだい清浄しょうじょうしょ (論註巻上) をえしめたまふなり。 すでにまっなり、 これをやくするはことに弥陀みだ本願ほんがんなり。 また下機げきなり、 これをいんにゅうするはじょう一門いちもんなり。 ときをはかりてぎょうじ、 ぶんをかへりみてしゅすべし。

なかんづくに、 女人にょにんしゅつはことにこのきょう肝心かんじんなり。 もし无漏むろすいをほどこさずは、 いかでかしょうじんをすゝぐことあらん。 もしみょうごう梵風ぼんぷうをあふがずは、 なんぞ三悪さんまくみょうをけすべきや。 だいじゅうはちがんに 「十方じっぽうしゅじょう (大経巻上) といへる、 ひろく男女なんにょにわたるといへども、 べっして女人にょにんおうじょうがんををこしたまへるは、 ことに諸仏しょぶつさいにもれたる重障じゅうしょうをあはれみ、 十方じっぽうじょうにきらはれたる極悪ごくあくをたすけんとなり。 これによりて、 ¬かんぎょう¼ のほっをたづぬるに、 だいえんよりいでゝじょうさんずいぜんをとくといへども、 つゐにがんずい一門いちもんをあらはししかば、 にんたちまちにたいしょうやくをえ、 にょおなじくのくだいしんををこしゝよりこのかた、 さんしょうせりといへどもさんみょうしょうせんことかたからず。 女身にょしんをうけたりといへども仏身ぶっしんをえんことをしる。 もともそのあとををひてねがふべし。 たれかそのやくをきゝてもとめざらんや。

ほのかにきく、 日本にっぽんしょうねんかのえさるがつじゅうにち大内たいだいせいもんのあとにして、 のうのなかよりおほきなるいしをほりいだすことありけり。 たかさろくしゃく、 ひろさしゃく、 うへにもんあり。 奇異きいのことなるによりてとうより奏聞そうもんしければ、 ちょく使をたてられ、 ぶんをえらばれてこれをいせらるゝに、 そのぶんなるが、 つちのそこにありてそこばくの年序ねんじょをへぬれば、 点画てんかくたしかならざるによりて、 たやすくよむひとなし。 そのとき、 月輪つきのわぜんじょう殿でんちょくめいとして黒谷くろだにしょうにんかのところにむかひ、 そのらんぜられてこれをよみたまひけり。 そのもんには、

前代ぜんだいつたはるところは、 しょうどうしょうにんきょう、 わがちょうにいまだひろまらざるはこのしゅうなり。 大同だいどうねん仲春ちゅうしゅんじゅうにち執筆しっぴつ嵯峨さがみかどこく

「前代所↠伝者、 聖道聖人之教、 我朝未↠弘者此宗旨也。 大同二年仲春十九日執筆嵯峨帝国母」

といふさんじゅうろくなり。 しょうにんのたまひけるは、 大同だいどうのころほひ浄教じょうきょういまだきたらず。 さきよりつたはれるしょうどうきょうたいして 「このしゅう」 といへるはじょう法門ほうもんなり。 「こく」 といへるはざいだい再誕さいたんなりとりょうけんしたまひければ、 叡感えいかんことにはなはだしくて、 すなはちしょうにんのうつされたるほんびょうどういん0845宝蔵ほうぞうにおさめられけるとなん。 しょうにんしゅっにあたりてごんらいをえたる、 時機じき純熟じゅんじゅくしゅう恢弘かいこう、 もともたふとむべし。 平城へいぜい天皇てんのうぎょ大同だいどうねんひのとのより、 つちかどいんぎょしょうねんかのえさるにいたるまでさんびゃくじゅうねんををくり、 その翌年よくねん建仁けんにん元歳がんさいかのとのとりより、 いまきんじょう聖暦せいれきようねんつちのとのひつじにいたるまでひゃくしちじゅうねんをへたり。 大同だいどうのむかしよりいままでは、 あはせてひゃくしちじゅうねんにあたる。 ねんびょうえんのすゑにあたりてもつ偏増へんぞうのときにあへり。 宿しゅくえんのをふところきょうもともふかし。

さてもかのしょうにん禅房ぜんぼうに、 ことのやうけだかくしかるべきにょとおぼしきひとののぞみたまひけるが、 じょうぎょのよそほひもみえずらいにゅうもさだかならで、 のどかに対面たいめんをとげねんごろに法門ほうもん沙汰さたありければ、 勢観せいかんしょうにんあやしくおもはれけるに、 かへりたまふときはじょうしゃなかりければ、 ひそかにあとををひてみらるゝに、 賀茂かも河原かわらのほとりにてにはかにみうしなひたてまつられければ、 いとゞどくのおもひをなし、 いぶかしさのあまりに、 ことのさいしょうにんけいせられけるに、 それこそだいにんよ、 かものだいみょうじんにてましますなりとこたへたまひけり。 かのだいみょうじんほんをば、 ひとたやすくしらず、 たとひしれるひと左右さうなくまうさぬことにてはんべるとかや。 いましょうにんののたまふところも、 いづれのぶつさつとは0846おほせられねば、 当社とうしゃじつをばわすれたあふにはあらで、 しかもだいすいしゃくとしり、 あまさへまのあたり神体じんたいはいしたまひければ、 大権だいごんのいたりいよいよしんきょうするにたれり。 しかれば、 にんのあとをまもりておうじょうをねがはんひとこうみょうじょにもあづかり、 しょうにんのをしへをあふぎてあんにょうをもとめんともがら、 しゅつ直道じきどうにむかひて女人にょにん悪人あくにんもともにさいをかうぶり、 しょう利他りたもすみやかに円満えんまんせん。 これしかしながら弥陀みだ招喚の願力がんりきしゃくそん発遣はっけんだい、 かねてはまた歴代れきだいめい遺恩ゆいおんれっしょうにんとくなり。 あふぐべし、 しんずべし。

みぎ浄教じょうきょう大綱たいこうきて、 ほういっあたへなんよし契縁けいえんぜんしょうるによりてこれをしょす。 本来ほんらい無智むちうえ近会きんかい廃学はいがくあいだ、 しばしば固辞こじせしむといへども、 ひとへに懇望こんもうけがたかりしゆえなり。 ふかおもふにおよばず、 ふたたあんずるにあたはず、 ただこころうかぶにまかせてすなはちしるし、 いやしうもこころざしぐるをもつてせんとす、 肝要かんよう文言もんごんひがたし。 またせつ書役しょやくず。 かた外見がいけんきんずべし。 かたがた後謗こうほうかえりみるためらくのみ。
ぶんさい ひのえのさる 三月さんがつにち

右就↢浄教大綱↡、 書↢与法語一句↡哉之由、 依↠得↢契縁禅尼之請↡書↠之。 本来無智之上、 近会廃学之間、 屢雖↠令↢固辞↡、 偏難↠避↢懇望↡之故也。 不↠及↢深思↡、 不↠能↢再案↡、 只任↠浮↠心即記、 苟以↠遂↠志為↠詮、 叵↠謂↢肝要之文言↡。 亦恥↢臂折之書役↡。 堅可↠禁↢外見↡。 旁為↠顧↢後謗↡而已。
文和五歳 丙申 三月四日

しゃく存覚ぞんかく 六十七歳

 

底本は◎和歌山県真光寺蔵永正十六年書写本。 ただし訓(ルビ)は有国が補完し、 表記は現代仮名遣いとしている。