0974選択註解鈔第五

  第十三 多善根章

一 このしょうより已下いげ四段は、 ¬弥陀みだきょう¼ によりて念仏ねんぶつとく讃嘆さんだんするなり。 かみしょうには、 念仏ねんぶついちぎょうしゃくそんぞくほうなることをあかしをはりぬ。 いましょうには、 その念仏ねんぶつ善根ぜんごんなるしゃくするなり。

一 所引ひくところきょうもんはそのこころやすし。 べつしゃくをまうくるにおよばず。 しょうしゃくは、 ¬ほうさん¼ の下巻のもんなり。

極楽ごくらく无為むいはんがい」 といふは、 「はん」 はほっしょうなり、 実相じっそうなり、 真如しんにょなり。 されば極楽ごくらく无為むい法身ほっしんしょうするなりといふなり。

随縁ずいえん雑善ぞうぜん」 といふは、 じょうさん八万はちまんしょぎょうなり。

要法ようぼう」 というは、 念仏ねんぶつをさすなり。 ¬かんぎょう¼ には 「ほうよう」 とゝき、 ¬しょ¼ (散善義) には 「じょうよう」 としゃくせるこれなり。

せんせん」 というは、 「せん」 はぞうたいすることばなり。 ゆえふたたび 「せん」 といへるは、 いちぎょう一心いっしんあらわすなり。

坐時ざじ即得そくとくしょうにん」 というは、 十信じっしんぼんくらいなり。

しょうとく退たいにゅう三賢さんげん」 というは、 「三賢さんげん」 は内凡ないぼん0975くらいなり。 三賢さんげんといふは、 十住じゅうじゅう十行じゅうぎょうじゅうこう三十さんじっしんをさすなり。

といいわく、 しょうにんじょうしょうなり、 なんぞ十信じっしんくらい可得意こころうべき

こたえていわく、 のちのやく三賢さんげんしゃくするがゆえに、 三賢さんげんのさきなれば十信じっしんこころるなり。 しょうにんはおなじけれども、 ぜんじょうにん、 その浅深せんじんあるなり。 「序分じょぶん」 に ¬きょう¼ (観経) の 「おう即得そくとくしょう法忍ぼうにん」 のもんしゃくするに、 「るが↡故、 即↢无生之忍↡。 ↢喜忍↡、 亦↢悟忍↡、 亦↢信忍↡。 くは十信ちうにんなり」 といへる、 これなり。

かさねといていはく、 じょうおうじょうそくしょうととく、 これじょうしょうなるべし。 おうじょうやくぼん内凡ないぼんならばこれせんなり。 念仏ねんぶつやくそのなきにたり、 いかん。

こたえいわ まことにはしかなり。 じょうじゅんいつほうなるがゆへに、 ねんしょうのさとりをうること、 もともじょうじんなるべし。 いまは一往いちおうぼんかいきゅうをたつるとき、 はい造悪ぞうあくやくしてしゃくするところなり。 ¬かんぎょう¼ にはい発心ほっしんをとくに、 かいのゝちじょう道心どうしんをおこすととくがゆへなり。 発心ほっしん十信じっしんのくらゐなるがゆえなり

一 わたくししゃくにひくところの、 りゅうじょの ¬じょうもん¼ のなかに、 「じょうよう」 といふは、 かんところなり。 「ずい」 といふは、 だいなり。 「陳仁ちんじんりょう」 といふは、 ひとなり、 能書のうしょひとなり。 「かく清婉せいえん」 といふは、 のかたちゆうにして、 いつくしきなり。

0976世に伝はる本にだつ↢此二十一字」 といふは、 このををとせりといふなり。 諸善しょぜんをさしてしょう善根ぜんごんとときぬれば、 念仏ねんぶつ善根ぜんごんなることとして勿論もちろんなるうへに、 かのじゅういちあるほんをもておもふに、 このいよいよぶんみょうなりと釈成しゃくじょうするなり。

  第十四 証誠章

一 かみしょうには、 念仏ねんぶつ善根ぜんごんなることをあかし、 またいまのしょうには、 その念仏ねんぶつ諸仏しょぶつ証誠しょうじょうすることをあらはすなり。

といいわく、 証誠しょうじょうをあかさば、 ただちにもとも ¬弥陀みだきょう¼ の現文げんもんをひくべきなり。 なんぞきょうもんをひかずしてしょうしゃくをひき、 しかもこのしゃくにのするところのきょうもんをひくや。

こたえていはく、 しょうしゃくにひかれたるを、 そのじょうにて、 ¬弥陀みだきょう¼ にいふがごとしとひくうへは、 ただちにひくとおなじことなり。

これすなはち ¬きょう¼ のごとくひきのするならば、 六方ろっぽうもんをつぶさにひくべきがゆへに、 そのもん広博こうはくなり。 いましょう所引ひくところは 「六方ましま↢恒河沙とう諸仏↡」 といふて、 もんをばせいりゃくして、 しかもそのつぶさにぞんずるがゆへに、 ことばのたくみなるをとりて、 ひきのせらるゝなり。

各々おのおのぶつみょうは、 いまそのせんなし。 段々だんだんじゅうせつは、 がっして一段いちだんにひくにそうなきがゆへなり。 そのうへ、 きょうのことばのりゃくせるところをさぐり、 ぶつけっして甚深じんじんをのべらるゝこと、 こんしゃくのな0977 らひなり。 これによりて、 かのしゃく所引ひくところにまかせて、 ひきのせらるゝなり。

一 所引ひくところの ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のもんに 「しは仏在世、 若仏滅後、 一切造罪凡夫」 といふは、 ¬きょう¼ にはざいめつのことばなけれども、 をもてこのことばをのせられたり。 いはゆるきょうもんに、 発願ほつがんこん発願ほつがんとう発願ほつがんみなおうじょうすべしとときたれば、 ざいめつもるべからざるなり。

¬きょう¼ (小経) に 「善男ぜんなん善女ぜんにょにん」 とときたるは、 造罪ぞうざいぼんなれども、 所信しょしんほうにつきて善男ぜんなん善女ぜんにょといふなり。 その悪人あくにんなりとしることは、 ずうじょくあくしゅじょうのために難信なんしんほうをとくといふがゆへに、 かのこゝろによりて 「造罪ぞうざいぼん」 といふなり。

じょうじんひゃくねんことばも ¬きょう¼ にはなけれども、 これもとしてあるべきゆへなり。 このゆへに、 いまのしゃくにも 「じょうじんひゃくねん」 といひ、 ¬ほうさん¼ (巻下) にも 「じょうぎょうばい皆然かいねん」 としゃくするなり。

じっしょうさnしょういっしょうとう」 もこのことばなしといへども、 本願ほんがんもんの 「ない (大経巻上) のことばによりて、 じょうじんいちぎょう下至げしじゅうねん一念いちねんとこゝろえつれば、 このかならずあるべきがゆへなり。

諸仏しょぶつ舒舌じょぜつしゃくするに、 「ひとたび↠口より已後のちしてへり↢入口↡、 自然壊爛せん」 といふは、 このことばも ¬きょう¼ にはみゑざれども、 証誠しょうじょうぶつけつりょうするしょうしゃく、 もとも甚深じんじんなり。

0978 ¬礼讃らいさん¼ の二もんならびに ¬しょ¼ のしゃく¬ほうさん¼ のもんとう、 そのこゝろみな ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のしゃくにおなじ。

¬五会ごえさん¼ のもんに 「まんぎょうちゅう」 といふは、 諸善しょぜんをさすことばなり。 「きゅうよう」 といふは、 念仏ねんぶつたんずることばなり。

ほんこんせつ」 といふは、 しゃくそんじょうたいせつなり。 「十方じっぽう諸仏しょぶつ」 といふは、 六方ろっぽう諸仏しょぶつなり。

六方ろっぽう十方じっぽうは、 開合かいごうなり。 かいするときは十方じっぽうとす、 ほうゆいじょうとなり。 がっするときは六方ろっぽうとす、 ゆいほうせっするなり。 ¬弥陀みだきょう¼ には 「六方ろっぽう」 ととき、 ¬だいきょう¼ (巻下意) には 「十方じっぽうかい諸仏しょぶつ如来にょらいかい讃嘆さんだん」 ととけり。 かるがゆへにしょう処々しょしょしゃくにあるひは十方じっぽうしゃくし、 あるひは六方ろっぽうはんず。 いづれもひとつなることをあらはすなり。

十方じっぽうしゃくするもんは、 とうしょうにひくところの 「散善さんぜん」 の深心じんしんのしたの就人じゅにん立信りっしんしゃく、 ならびにおなじきしゃくのかみに 「決定して深↣信¬弥陀¼、 十方恒沙諸仏証勧しようくわんしたまふと一切凡夫決成して↟生ずることを」 といへるしゃく、 また 「げん (玄義分) べつもんに 「十方をのをの如恒にょごう沙等諸仏しょぶつをのをのして↢広長舌相↢三千大千かい↡、 説たまふ↢誠実」 といへるしゃく、 また ¬ほうさん¼ のじょうかん召請しょうしょうさんに 「十方恒沙仏舒↠舌、 証したまふわれ凡夫ずることを↢安楽」 といへるこれなり。

六方ろっぽうといへるしゃくは、 かんしょうさんしゃく等これなり。

¬般舟はんじゅさん¼ のしゃくにも、 一処いっしょには 「六方如来慈悲極りて、 同心同勧してしむ↢西方」 といひ、 一処いっしょには 「十方如来舒べて↠舌0979して、 定↢判するに九品還帰かえりて」 とはんぜり。 いまひくところの ¬礼讃らいさん¼ のしゃく十方じっぽう六方ろっぽうほんどうなり。

せんずるところ、 六方ろっぽうといへばとてげんずるにあらず、 十方じっぽうといふによりてぞうすべきにあらず。 おなじことなるむねをしめさんがために、 処々しょしょしゃくいちじゅんならざるなり。 たゞ恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつ一仏いちぶつももれず証誠しょうじょうすとこゝろうべきなり。

  第十五 護念章

一 上のしょうには諸仏しょぶつ証誠しょうじょうをあかし、 このしょうには諸仏しょぶつねんをあかす。 証誠しょうじょうねん相続そうぞくして、 じょうだいじょうずるなり。 これすなはち ¬きょう¼ (小経) 六方ろっぽう証誠しょうじょうをとくとき、 一々いちいちに 「↠信↢是称讃する不可思議功徳↡、 一切諸仏るゝ↢護念↡経なり」 ととくによりて、 証誠しょうじょうねんとあひはなるべからざるがゆへなり。

一 所引ひくところもんは、 これも ¬弥陀みだきょう¼ のもんをひくに、 たゞちに ¬きょう¼ をばひかず。 「観念かんねん法門ぼうもんにいはく」 といふて、 かのしょにひきのせられたるじょうにそのもんをひきて、 ¬きょう¼ としゃくとのこころあらわすなり。 「みょうねんぎょう」 というまでは、 ¬きょう¼ をひくとみえたり。 「ねんしゃ」 というよりはしょうぶつをえてねんしゃくせらるゝなり。

つぎ所引ひくところの ¬礼讃らいさん¼ のもんも ¬弥陀みだきょう¼ によれるしゃくなり。 これにじゅうしゃくあり。

しょじゅうに 「証↢誠か へ0980↢護念経」 としゃくして、 だいじゅうに 「次下つぎしももんに云」 といふて、 いまのしゃくをまふけたり。 かるがゆへに、 しょじゅう六方ろっぽう証誠しょうじょうだんにあたれり。 だいじゅうはおくの 「↢一切諸仏↡共↢護念 (小経) もんにあたれり。 これいまの所引ひくところもんなり。

そのなかに、 「して↠仏往生する」 といへるは、 すなはち ¬きょう¼ の 「かん↢是諸仏所説みょうみょう↡者」 のこゝろなり。

↢六方恒沙等諸仏↡之所↢護念」 といふは、 「↢一切諸仏とも所↢護念」 のもんにあたれるなり。

一 といていはく、 わたくししゃくのなかに、 また ¬礼讃らいさん¼ と ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ とをひきて、 かのりょうにひくところのしょきょうもんをいだせり。 これさきにひくところのもんいちもんなり。 しかれば、 もとも ¬礼讃らいさん¼ のもんをばさきの ¬礼讃らいさん¼ のもんにひきくはへ、 ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のもんをばさきの ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のもんにひきすべし。 しかるにいちもんをひききりてわたくしのしゃくのなかにひくは、 いかなるゆへぞや。

こたえていはく、 いちもんなりといへども、 かみのもん六方ろっぽう諸仏しょぶつねんをあかすがゆへに、 六方ろっぽう諸仏しょぶつ証誠しょうじょうについてきたれるしょうなれば、 これをほんとしてひくなり。 わたくししゃくにひきするところのしゃくは、 たゞそうじてぶつさつない諸天しょてんとうねんをあかすがゆへに、 べっしてこれをひくなり。

0981 ¬礼讃らいさん¼ にひくところの ¬じゅうおうじょうきょう¼ のもんに 「彼仏即はして↢二十五菩薩↡、 擁↢護行者」 といへるは、 このさつ極楽ごくらくしょうじゅなり。 その一一いちいちみょう¬おうじょうようしゅう¼ にみえたり。 いまこれをりゃくす。

一 ¬かんぎょう¼ のもんは、 かんの 「无量寿仏化身无数なり↢観世音・大勢至↡つね来↢至行人之」 のもんのこゝろをとりてひくなり。

といていはく、 観音かんのんせいねんはしかなり。 じゅうさつねんは ¬かんぎょう¼ にそのもんなし。 なんぞ 「さき二十五菩薩等↡囲繞す」 といへるや。

こたえていはく、 じつ現文げんもんにはなけれども、 としてあるべきによりて、 かくのごとくひきのせらるゝなり。 そのゆへは、 観音かんのんせいじゅうさつじょうしゅなり。 かのさつあらば、 しょうじゅさだめてあるべし。 したがひて、 ¬じゅうおうじょうきょう¼ にねんやくをとくに、 かのじゅうさつをつらねたり。 しりぬ、 いまの ¬きょう¼ にももんりゃくせりといへども、 かならずあるべきがゆへに、 かくのごとくひくなり。

れいせば、 かみのしょう天臺てんだいの ¬じゅう¼ をひきて、 もんは ¬弥陀みだきょう¼ にありといへども、 きょうにもつうずるじょうずるがごとし。

一 ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ にひくところの ¬かんぎょう¼ のもんは、 ずうもんなり。 いはゆる 「かんおんさつだいせいさつ為其しごしょう」 のもんのこゝろなり。

0982 おなじき所引ひくところの ¬般舟はんじゅきょう¼ のもんのなかに、 「一切いっさい諸天しょてん」 といふは、 そうじて三界さんがい天衆てんしゅなり。

てん大王だいおう」 といふは、 もんこくぞうじょう広目こうもくなり。 ほう護持ごじだいしょうなるがゆへに、 ことにねんするなり。

はち」 といふは、 いまいふところの諸天しょてんと 「りゅうじん」 とに、 しゃ乾闥けんだつしゅ迦楼かるきん那羅なら摩睺まご羅伽らがをくはへて、 そうじてはちといふなり。

きて↠入↢三昧道場」 といふはじょうぜん入観のほかといふこゝろなり。 これ口称念仏ねんぶつやくをあらはさんがためなり。

  第十六 名号付属章

一 だいじゅうさん善根ぜんごんしょうよりとうしょうにいたるまでのだんは、 ¬弥陀みだきょう¼ をひくにとりて、 かみの三段さんだん正宗しょうしゅうもんなり。 いまはずうもんをひきて、 みょうごうぞくしゃくするなり。

一 標章ひょうしょうに 「付↢属したまふ舎利弗等↡之もん」 といへる 「とう」 のしゅのこゝろあり。

一には目連もくれんしょうしょだいしょうもん文殊もんじゅじょうしょうじんしょだいさつ等取とうしゅするなり。 これらのさつしょうもんは、 ともにいち同聞どうもんしゅとして、 みな仏法ぶっぽうだいほっしょうなるがゆへなり。

一にはらいしゅじょう等取とうしゅするなり。 ¬ほうさん¼ に ¬きょう¼ (小経) 正宗しょうしゅうの 「しゅじょうしょうじゃかい阿毘あびばっ」 といへるもんにあたりてごうみょうしゃくするに、 「釈迦如来告たまふは↢身子↡、 即0983告↢苦衆生 (法事讃巻下) といへば、 ずうもんもそのおなじかるべきがゆへなり。

このふたつの異義いぎにあらず、 ならべて可存之これをぞんずべきなり

一 といいわ いまの所引ひくところきょうもんはたゞいっきょうせつをはりて、 ざいしゅかん信受しんじゅして退散たいさんすることをとくばかりなり。 ぞくにおきては、 もんもなし、 こゝろもみえず、 いかんがこれをこゝろうべきや。

こたえていはく、 さんぎょうにをのをのぞくもんあり。 ¬だいきょう¼ には 「かたりたまはく↢弥勒↡、 其りてること↠聞ことを↢彼名号」 のもんなり。 ¬かんぎょう¼ には 「てと↢是↡者、 即てとなり↢无量寿仏みな」 のもんなり。 ¬弥陀みだきょう¼ には、 いまの所引ひくところもんこれなり。 このもんのなかにぞくがんせるなり。

そのゆへは、 かみに 「舎利弗、 なんぢ↣信↢受諸仏所説 (小経) ととき、 しゃ諸仏しょぶつ所説しょせつみょうごうなることをあらはし、 しもに 「↠知↢五濁悪世↡行じて↢此↡、 たりしかば↢阿耨多羅三藐三菩提↡、 ↢一切世間↡、 説↢此難信之法↡。 ↢甚難」 とときて、 しゃくそんぼんほんぎょうなることをあかし、 つぎに 「仏説ぶっせつきょう」 とときくだしたる説相せっそう、 もともぞくにかなへり。

したがひて、 しょうこのしゅしたまへるゆへに、 いまの ¬ほうさん¼ のもんにこのきょうもんしゃくするとき、 弥陀みだみょうごうぞくするしゃくせること、 はなはだ ¬きょう¼ のじんたまへるものなり。

0984 ¬ほうさん¼ のもんは、 いまのぶるところのぞくしゃくするなり。

世尊説法ときをはらんと」 といふは、 ¬弥陀みだきょう¼ のせつをはるといふばかりにはあらず。 ひろく一代いちだいしょきょうのをはりにこの ¬きょう¼ をときたまへりとあらはすこゝろなり。 かみもんに 「如来出↢現して於五濁↡、 随宜方便して↢群萌↡。 或ひは↢多聞にして而得度すと↡、 或ひは↣少解をもてすと↢三明↡、 或ひは↢福恵双べてくと、 或ひは↢禅念してして思量すと」 といへるは、 一代いちだいしょきょうせつをいだすときこえたり。 そのつぎに 「そん説法せっぽう将了しょうりょう」 といへる、 一代いちだいのをはりといふことぶんみょうなり。

かのをはりにしゃくそん凡地の本行なる念仏ねんぶつ一切いっさいけんのためにときて末法まっぽうずうするを 「慇懃付↢属弥陀みな」 といふなり。

一 「じょくぞうほう以下いげは、 末法まっぽうじょく念仏ねんぶつほうのともがらおほかるべきことをあげて、 かつは謗法ほうぼうほうをあらはし、 かつはさん方法ほうほうをしめすなり。

にょしょうもう闡提せんだい」 といふは、 念仏ねんぶつほうひとしょうもう闡提せんだいにたとへらるゝなり。 かの謗法ほうぼうひとをば眼人げんにん无耳むににんとなづくるがゆへなり。

めつとんぎょうよう沈淪ちんりん」 といふは、 まさしく謗法ほうぼうざいをあらはすなり。

とんぎょう」 といふはいまの念仏ねんぶつなり、 じょうもつぼんよりたゞちにほうしょうずるがゆへにとんぎょうしゃくするなり。 「げん (玄義分) には 「とんぎょういちじょうかい」 といひ、 ¬般舟はんじゅさん¼ には 「そくとんぎょうだいぞう」 といへるこれなり。

よう沈淪ちんりん」 とい0985ふは、 ほうじょうおんなることをあかすなり。 すなはちしもに 「超↢過すとも大地微塵劫↡、 未↠可↠↠離るゝことを↢三塗」 といへる、 そのなり。

大衆同心懺↢悔せよ所有あらゆる破法罪因縁」 といふは、 まさしくさんをすゝむることばなり。 「法罪ほうざい」 といふは、 すなはち謗法ほうぼうざいなり。

といていはく、 いますゝむるところのさんといふは、 いかやうにしゅすべきぞや。 また念仏ねんぶつぎょうじゃかならずさん方法ほうほうをもちゐるべしや。

こたえていはく、 ¬礼讃らいさん¼ に三品さんぼんさんをいだせり。 「毛孔なかよりも血流なかより血出↢上品懺悔↡。 中品懺悔、 遍身汗従↢毛孔↡出より血流るゝ↢中品懺悔↡。 下品懺悔者、 遍身りてより↢下品懺悔」 といへり。 ぎょうへんにてしゅせんときは、 その方法ほうほうをもちゐるべき。 すなはちいまの ¬礼讃らいさん¼ にいだすところのこうようりゃくさん、 また ¬ほうさん¼ にもちゐるところのじゅうあくさんとうこれなり。

たゞし ¬礼讃らいさん¼ にいふところの三品さんぼんさんをあげをはりて、 つぎしものしゃくに 「これ三雖ども↠有りとしや↡、 即しくえたる↢解脱分善根↡人なり。 致使むることを↧今生↠法、 重くして↠人↠惜↢身命↡、 ない小罪までも、 若すれば↠心↞髄↠此すれば者、 不↠問久近↡、 諸有重障頓滅尽。 若るものは↠如くなら↠此、 縦使日夜十二時急走すれどもべて↠益。 ごと↢不」 といへり。

たる↢解脱分善根↡人といふは、 だいじょう小乗しょうじょうともにぼんのくらゐなり。 このしゃく0986ごとくならば、 ぼんこのさんしゅせんことじょうずべからずとみえたり。

さればこのしゃくのつぎに 「ども↠不↠能↢流涙流血等↡、 但能真心徹到するものは者即」 といへり。 真心しんしん徹到てっとうといふは、 金剛こんごうしんなるがゆへに、 念仏ねんぶつ信心しんじんけんにして称名しょうみょうをつとむれば、 べっしてそのをもちゐざれども、 さんしゅするありといふなり。

¬般舟はんじゅさん¼ に 「念々称名するは懺悔するなりひと念仏ねんぶつすれば々還りてしたまふ」 といへるも、 このこゝろなり。

一 わたくししゃくには、 八種はっしゅせんじゃくをあげられたり。 一々いちいちみなもんにありてみつべし。 八種はっしゅ、 しかしながらしょぎょうをえあびすてゝ、 念仏ねんぶつをえらびとるになづけたり。 さればこのしょのこゝろは、 たゞ専修せんじゅをあらはすなり。

一 「計也はかりみれば」 といふ以下いげは、 総結そうけつしゃくなり。

せば↠離れんと↢生死↡、 二種勝法、 且らくきて↢聖道門↡選びて↢浄土門」 といふは、 第一だいいちきょうそうのこゝろなり。

はゞ↠入らんろ↢浄土門↡、 しょうぞうぎょう」 といふより 「すればみな↠生ずることを。 依るが↢仏本願」 といふにいたるまでは、 だいぎょうしょうのこゝろなり。

このぎょうのなかにせんじゃくするところの正宗しょうしゅう念仏ねんぶつをもて、 第三だいさん本願ほんがんしょう法体ほったいとし、 その一法いっぽうにをのをの種々しゅじゅやくにしたがへ、 一々いちいちどくにつきて、 しもの諸門しょもんをひらくなり。

0987 善導ぜんどうしょうとくたんずるに、 「ときことわざ、 仏法東行してより已来このかた、 未↢禅師さかんなるとくのごとくなる」 といふは、 しょうこうほっの ¬瑞応ずいおう刪伝さくでん¼ にしょうとくぎょうさんずることなり。

絶倫之誉」 といふは、 こんしょ師等しらのなかにこえたりといふなり。 そのゆへは、 じょうもつてん断惑だんわくぼん報仏ほうぶつじょうにいたるといふこと、 しょのいまだのべざるところ、 しょしゅうのいまだだんぜざるところなり。

これすなはち ¬だいきょう¼ (巻下) もんに 「声聞或ひは菩薩、 莫↣能むること↢聖心」 といひ、 「二乗↠測たゞのみかにさと」 とへるもんをもてあんずるに、 まさしくしょうすることかたきがゆへなり。 しかるにこんひとりぶつして、 しゅじょうのために依怙えこたり。 これごん再誕さいたんなるがゆへなり。 このゆへに、 かくのごとくたんずるなり。

一 ひくところの ¬しょ¼ の証定しょうじょうぶんもんに 「毎夜 とり僧↡而来りてじゅげんもん」 といふは、 ふたつの文点もんてんあり。

一には 「指↢授もん」 とよみては、 「げん七門しちもんもんをきづくるなり。 これはまさしくきょうもんにあたりて一々いちいちしゃくをまふくることはつねのことなり。 もんにさきだちて玄遠げんおんじんをのべらるゝこと、 こんしゃく肝要かんようなり。 まことに如来にょらいじゅにあらずは、 たやすくこのしがたし。 さればしょこの ¬きょう¼ についてしょをつくるひとおほしといへども、 いまだげんしゃく0988つくりたるなし。 しかるにいま、 ぶつじゅによりてこのげんをのぶとなり。

一には 「指↢授もん」 とよみては、 げんもんも、 かんともにじゅすといふこゝろなりもんといふはもんなるがゆへなり。

さきのは、 じょう義理ぎりならびに ¬礼讃らいさん¼ ・¬観念かんねん法門ぼうもん¼ しょまでも、 そのみな甚深じんじんなりといへども、 なをげんしゃく深遠じんおんなる気味きみをまさんとなり。 さればとて、 自余じよしゃくのおろそかなるべきにはあらず。

のちのは、 げんもんしゃく、 いづれもぶつじゅんず。 用捨ようしゃあるべからざれば、 ともにぶつじゅなりといはんとなり。 これまたげんしゃくのひでざるべきにはあらず。

しかれば、 りょうともにそうなきなり。

といていはく、 げんしゃくをつくることこんしゃくにかぎらず。 いはゆる天臺てんだいだい、 ¬ほっ¼ をしゃくするに ¬げん¼ 十巻じっかんをつくりたまへり。 またじょうだいしゃくに ¬だいじょうげん¼・¬三論さんろんげん¼ といふしょあり。 しからば、 めづらしきことにあらず。 なんぞしょうしゃくをひでたるとせんや。

こたえていはく、 他師たししゃくにをきて、 おほよすげんしゃくなしといふにはあらず、 すなはち天臺てんだいの ¬げん¼ はみょうたいしゅうゆうきょうじゅうげんをあかせり、 これも玄遠げんおんむねをのべたるなり。 じょうしゃくまた玄遠げんおんをあかすをもてげんたてたり。 こんしゃくもそのすべからざるなり。

たゞしげんしゃくをまうくることしょにひで0989たりといふは、 しょは ¬かんぎょう¼ をしゃくするにとりて、 げんしゃくなきことをいふなり。 しょうはこの ¬きょう¼ にをきてげんもんもんしゃくをつくりたまへること、 よくぶつけつりょうたまへりといふなり。

一 「三具磑輪がいりんみち」 といふは、 てん法輪ぼうりんそうひょうするなり。

一 「りて↢一人↡、 乗りて↢白↡来りてまへまみえて」 といふは、 「らく」 はうまなり、 びゃくじょうずることはひょうあり。

しゃくそんおうをいでゝ檀徳だんとくせんいりたまひしときは、 びゃくぶくし、 梵僧ぼんそうとう法蘭ほうらんぶっきょうかんにわたしゝときは、 きょうかんびゃくにおほせたりき。 しからば、 仏法ぶっぽうしゅぎょう経教きょうきょう伝来でんらいせんちょうなり。

一 「より諸有あらゆる霊相者、 本心、 にして↠為にせずヲノレガしん」 といふは、 ちゅう霊相れいそうしゅじょうしんをとらしめて、 みづからのしゃくをもて西方さいほうなんとせしめんがためなりといふ。 しょう弥陀みだげんなれば、 所釈しゃくするところぶつ相応そうおうすべきことはうたがひなし。 しかれども、 ことにしょういだして霊瑞れいずいかんずるは、 しゅじょうのためなりといふなり。 これすなわちごんあらわすなり

一 「しづかおもんみれば」 といふ已下いげは、 このしょじょなり。

はじめより 「本迹雖ども↠異なりと化導なり」 といふにいたるまでは、 まづこうしゃくたんじ、 かねてほんじゃくぎょうとくさん0990ず。

西方さいほうなん」 といふは、 なん先導せんどうなり。 いまだしらざるところにいたることは、 先導せんどうのちからなり。 もしこれをえざればちゅうにまよひ、 これをえつればせんたっするなり。 いまのしゃくをえてそのけつりょうしなば、 かならず西方さいほうにいたるべしとなり。

行者なり」 といふは、 しょのところにたることは目足もくそくなり。 さればいましゃくおうじょうじょう目足もくそくなりとたとふ。 これすなはち、 だい宝所ほうしょにいたることは、 もくぎょうそくせずしてはかなはざるに、 念仏ねんぶつぎょうじゃ目足もくそくとしてじょうしょうず。 いまのしゃく所詮しょせんは、 念仏ねんぶつなるがゆへにかくのごとくいふなり。

於是こゝに貧道」 といふより 「こゝに↢念仏」 といふにいたるまでは、 この ¬しょ¼ をらんせられしおうをあかして、 じょうしゅうにいりたまひしげんをのぶるなり。

已来このかた」 といふより 「↢昇降」 といふにいたるまでは、 ぎょう化他けたぎょうようをしめして、 時機じき相応そうおうきょうやくをあらはすなり。

浄土之教、 たゝきて↡而れり↢行運↡也」 といふは、 このきょう末法まっぽうのときにやくをほどこすべききょうなり。 末法まっぽうは、 このきょうによりてをうべきなり。 ときとあひかなひてやくあるべしといふなり。

念仏之行、 感じてしゐぐわつ↡而↢昇降↡也」 といふは、 みずのぼらずしてつきをうかべ、 つきくだらずしてみずにうかぶ。 のぼらずくだらずしてしかもしょうこうをえたる、 これ感応かんのう道交どうこうのゆへなり0991念仏ねんぶつおうじょうのみち、 また如来にょらい本願ほんがんぎょうじゃ信心しんじんと、 かん純熟じゅんじゅくしておうじょうやくをうべきこと、 またかくのごとしといふなり。

るに」 といふより已下いげまきのをはりにいたるまでは、 このしょせんしゅうげんをのべ、 かねてほうのつみをましめらるゝなり。

るにはかぶる↠仰せを」 といふは、 月輪つきのわぜんじょう殿でん教命こうめいによりて造進ぞうしんせられしことなり。

↢念仏要文ようもん」 といふは、 経釈きょうしゃくもんをひくをいふなり。 「↢念仏要義」 といふは、 わたくしりょうけんをくはへらるゝなり。

たゞみてめい↠顧りみ↢不びん」 といふは、 「めい」 は禅閤ぜんこうおおせなり、 「びん」 は卑下ひげことばなり。

らくはなり↠不↠令↣破法ひとをして↢於悪道↡也」 といふは、 かみの所引ひくところもんに、 念仏ねんぶつほうやからはそのつみじんじゅうにして、 だいじんごうちょうすとも、 さんをはなるゝことをうべからざることをあかすがゆへに、 ほうのつみをいましめらるゝなり。

いはゆるこのしょは、 経釈きょうしゃく肝要かんようをぬきて、 念仏ねんぶつの深をのべたり。 これをほうぜば、 謗法ほうぼうじゅうざいをまねきて、 ごくほうをうくべきがゆへに、 けんをはゞかりたまふなり。

これすなはち、 かみには 「↠顧↢不敏」 といひてけんのことばをのせらるといへども、 いまはほうのつみのをもきことをあらはして、 のぶるところのしゅぶつじゅんぜることをひょうするなり。 このしょには念仏ねんぶつの正をあかすがゆへに、 これをほうぜば、 ねん0992ぶつほうずるにあたるべきがゆへなり。

さればまことけんををさふるにはあらず。 ほうしょうぼうのつみをつゝしめんがためなり。 ふかくしんじゅんこころをぬきんでゝ、 しゅじゅうのつとめをいたさば、 ことにずう根本こんぽんとしてかの素意そいにかなふべきなり。

 

此一部五帖、 当寺開山存覚上人御述作なり。 雖為一流之秘本、 懇望之間書与釈賢意処なり

寛正四歳 八月晦日記之

釈明覚(花押)

 

底本は龍谷大学蔵室町時代初期書写本。 ただし訓(ルビ)は対校註を参考に有国が大幅に補完しているˆ表記は現代仮名遣いにしたˇ。