0974◎選せん択じゃく註ちゅう解げ鈔しょう第だい五ご

  ◎第十三 多善根章

(192)

一 この章しょうより已下いげ四段は、 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ によりて念仏ねんぶつの徳とくを讃嘆さんだんするなり。 上かみの章しょうには、 念仏ねんぶつの一いち行ぎょう、 釈しゃく尊そん付ふ属ぞくの法ほうなることをあかしをはりぬ。 ▲今いまの章しょうには、 その念仏ねんぶつの多た善根ぜんごんなる義ぎを釈しゃくするなり。

(193)

一 ▲所引しょいんの経きょう文もんはその心こころ見みやすし。 別べつの釈しゃくをまうくるに及およばず。 ▲和か尚しょうの解げ釈しゃくは、 ¬法ほう事じ讃さん¼ の下巻の文もんなり。

-「▲極楽无為涅槃界」 といふは、 「涅ね槃はん」 は法ほっ性しょうなり、 実相じっそうなり、 真如しんにょなり。 されば極楽ごくらくは无為むい法身ほっしんの理りを証しょうする土どなりといふなり。

-「▲随縁雑善」 といふは、 定じょう散さん八万はちまんの諸しょ行ぎょうなり。

-「▲要法」 と云いうは、 念仏ねんぶつをさすなり。 ¬観かん経ぎょう¼ には 「▲此法之要」 とゝき、 ¬疏しょ¼ (散善義) には 「▲浄土之要」 と釈しゃくせるこれなり。

-「▲専復専」 と云いうは、 「専せん」 は雑ぞうに対たいすることばなり。 故ゆえに二ふたたび 「専せん」 といへるは、 一いち行ぎょう一心いっしんを顕あらわす義ぎなり。

-「▲坐時即得无生忍」 と云いうは、 十信じっしん外げ凡ぼんの位くらいなり。

-「▲証得不退入三賢」 と云いうは、 「三賢」 は内凡ないぼんの0975位くらいなり。 三賢さんげんといふは、 十住じゅうじゅう・十行じゅうぎょう・十じゅう廻え向こうの三十さんじっ心しんをさすなり。

-問といて云いわく、 无む生しょう忍にんは地じ上じょうの証しょう悟ごなり、 なんぞ十信じっしんの位くらいと可得意こころうべき哉や。

-答こたえて云いわく、 のちの益やくを三賢さんげんと釈しゃくするが故ゆえに、 三賢さんげんのさきなれば十信じっしんと心こころ得うるなり。 无む生しょう忍にんの名なはおなじけれども、 地じ前ぜん・地じ上じょうの忍にん、 その浅深せんじんあるなり。 「序分じょぶん義ぎ」 に ¬経きょう¼ (観経) の 「▲応事即得無生法忍」 の文もんを釈しゃくするに、 「▲因よ るが茲◗の喜↡に故 へ、に 即◗ち得う↢无生之の忍↡を。 亦 た名↢け喜忍↡と、 亦 た◗は名↢く悟忍↡と、 亦 た◗は名↢く信忍↡と。 乃至 此 れ多 くは十信◗の中ちう忍にん也なり」 といへる、 これなり。

-重かさねて問といていはく、 浄じょう土どの往おう生じょうは即そく悟ご无む生しょうととく、 これ地じ上じょうの无む生しょうなるべし。 往おう生じょうの益やく、 外げ凡ぼん・内凡ないぼんならばこれ浅せん位いなり。 念仏ねんぶつの益やくその功こうなきに似にたり、 いかん。

-答こたえて云いわ、く 実まことにはしかなり。 浄じょう土どは純じゅん一いつの報ほう土どなるがゆへに、 自じ然ねんに无む生しょうのさとりをうること、 もとも地じ上じょうの深じん位いなるべし。 いまは一往いちおう九く品ぼんの階かい級きゅうをたつるとき、 下げ輩はい造悪ぞうあくの機きに約やくして釈しゃくするところなり。 ¬観かん経ぎょう¼ に下げ輩はいの発心ほっしんをとくに、 花け開かいのゝち无む上じょう道心どうしんをおこすととくがゆへなり。 発心ほっしんは十信じっしんのくらゐなるが故ゆえ也なり。

(194)

一 私わたくしの釈しゃくにひくところの、 龍りゅう舒じょの ¬浄じょう土どの文もん¼ のなかに、 「▲襄陽」 といふは、 漢かん土どの所ところの名ななり。 「随ずい」 といふは、 代だいの名ななり。 「陳仁ちんじん稜りょう」 といふは、 人ひとの名ななり、 能書のうしょの人ひとなり。 「字じ画くわく清婉せいえん」 といふは、 字じのかたち優ゆう美びにして、 いつくしきなり。

-「▲今 ま0976◗の世に伝 はる本に脱だつ↢す此◗の二十一字↡を」 といふは、 この字じををとせりといふなり。 諸善しょぜんをさして少しょう善根ぜんごんとときぬれば、 念仏ねんぶつは多た善根ぜんごんなること義ぎとして勿論もちろんなるうへに、 かの二に十じゅう一いち字じある本ほんをもておもふに、 この義ぎいよいよ分ぶん明みょうなりと釈成しゃくじょうするなり。

 

  第十四 証誠章

(195)

一 上かみの章しょうには、 念仏ねんぶつの多た善根ぜんごんなることをあかし、 また▲いまの章しょうには、 その念仏ねんぶつを諸仏しょぶつ証誠しょうじょうすることをあらはすなり。

-問といて云いわく、 証誠しょうじょうの義ぎをあかさば、 直ただちにもとも ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ の現文げんもんをひくべきなり。 なんぞ経きょう文もんをひかずして和か尚しょうの釈しゃくをひき、 しかもこの釈しゃくにのするところの経きょう文もんをひくや。

-答こたえていはく、 和か尚しょうの釈しゃくにひかれたるを、 その定じょうにて、 ▲¬弥陀みだ経きょう¼ にいふがごとしとひくうへは、 直ただちにひくとおなじことなり。

-これすなはち ¬経きょう¼ のごとくひきのするならば、 六方ろっぽうの文もんをつぶさにひくべきがゆへに、 その文もん広博こうはくなり。 いま和か尚しょうの所引しょいんは 「▲六方◗に各◗の有ましま↢す恒河沙等とう◗の諸仏↡」 といふて、 文もんをば省しょう略りゃくして、 しかもその義ぎつぶさに存ぞんずるがゆへに、 ことばのたくみなるをとりて、 ひきのせらるゝなり。

-各々おのおのの仏ぶつ名みょうは、 いまその詮せんなし。 段々だんだんの重じゅう説せつは、 合がっして一段いちだんにひくに相そう違いなきがゆへなり。 そのうへ、 経きょうのことばの略りゃくせるところをさぐり、 仏ぶつ意いを決けっして甚深じんじんの義ぎをのべらるゝこと、 今こん師しの釈しゃくのな0977らひなり。 これによりて、 かの釈しゃくの所引しょいんにまかせて、 ひきのせらるゝなり。

(196)

一 所引しょいんの ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ の文もんに 「▲若 しは仏在世、 若◗は仏滅後、 一切↓造罪◗の凡夫」 といふは、 ¬経きょう¼ には在ざい世せ・滅めつ後ごのことばなけれども、 義ぎをもてこのことばをのせられたり。 いはゆる経きょう文もんに、 ▲已い発願ほつがん・今こん発願ほつがん・当とう発願ほつがんの機きみな往おう生じょうすべしとときたれば、 在ざい世せ・滅めつ後ごの機きもるべからざるなり。

-¬経きょう¼ (小経) に 「▲善男子・善女人」 とときたるは、 機きは造罪ぞうざいの凡ぼん夫ぶなれども、 所信しょしんの法ほうにつきて善男ぜんなん・善女ぜんにょといふなり。 その機きは悪人あくにんなりとしることは、 流る通ずうに▲五ご濁じょく悪あく世せの衆しゅ生じょうのために難信なんしんの法ほうをとくといふがゆへに、 かのこゝろによりて 「↑造罪の凡夫」 といふなり。

-上じょう尽じん百ひゃく年ねんの言ことばも ¬経きょう¼ にはなけれども、 これも義ぎとしてあるべきゆへなり。 このゆへに、 いまの釈しゃくにも 「▲上尽百年」 といひ、 ¬法ほう事じ讃さん¼ (巻下) にも 「▲長じょう時じ起き行ぎょう倍ばい皆然かいねん」 と釈しゃくするなり。

-「▲十声三声一声等」 もこのことばなしといへども、 本願ほんがんの文もんの 「▲乃ない至し」 (大経巻上) のことばによりて、 上じょう尽じん一いち形ぎょう下至げし十じゅう念ねん一念いちねんとこゝろえつれば、 この義ぎかならずあるべきがゆへなり。

-諸仏しょぶつの舒舌じょぜつを釈しゃくするに、 「▲一ひとたび出↠て口 より已後のち終◗に不 して還↢ へり入◗ら口↡、 自然◗に壊爛 せん」 といふは、 この言ことばも ¬経きょう¼ にはみゑざれども、 証誠しょうじょうの仏ぶつ意いを決けつ了りょうする和か尚しょうの釈しゃく、 もとも甚深じんじんなり。

(197)

一0978 ▲¬礼讃らいさん¼ の二文もんならびに ▲¬疏しょ¼ の釈しゃく、 ▲¬法ほう事じ讃さん¼ の文もん等とう、 そのこゝろみな ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ の釈しゃくにおなじ。

-¬五会ごえ讃さん¼ の文もんに 「▲万行之中」 といふは、 諸善しょぜんをさす言ことばなり。 「▲為急要」 といふは、 念仏ねんぶつを嘆たんずる言ことばなり。

-「▲本師金口説」 といふは、 釈しゃく尊そん誠じょう諦たいの説せつなり。 「▲十方諸仏」 といふは、 六方ろっぽうの諸仏しょぶつなり。

-六方ろっぽう・十方じっぽうは、 開合かいごうの異いなり。 開かいするときは十方じっぽうとす、 四し方ほうと四し維ゆいと上じょう下げとなり。 合がっするときは六方ろっぽうとす、 四し維ゆいを四し方ほうに摂せっするなり。 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ には 「▲六方」 ととき、 ¬大だい経きょう¼ (巻下意) には 「▲十方じっぽう世界諸仏如来、 皆共讃嘆」 ととけり。 かるがゆへに和か尚しょう、 処々しょしょの解げ釈しゃくにあるひは十方じっぽうと釈しゃくし、 あるひは六方ろっぽうと判はんず。 いづれもひとつなることをあらはすなり。

-十方じっぽうと釈しゃくする文もんは、 当とう章しょうにひくところの 「散善さんぜん義ぎ」 の深心じんしんのしたの▲就人じゅにん立信りっしんの釈しゃく、 ならびにおなじき釈しゃくのかみに 「▲決定 して深↣信◗す¬弥陀◗の経◗の¼中 か◗の、 十方恒沙◗の諸仏証勧しようくわん したまふと一切凡夫決成 して得う↟と生 ずることを」 といへる釈しゃく、 また 「玄げん義ぎ」 (玄義分) の別べつ時じ門もんに 「▲十方◗の各をのをの◗に如恒にょごう河が沙等◗の諸仏、 各をのをの出↢ して広長◗の舌相◗を遍◗く覆↢ひ三千大千世界↡に、 説↢ たまふ誠実◗の言↡を」 といへる釈しゃく、 また ¬法ほう事じ讃さん¼ の上じょう巻かんの召請しょうしょうの讃さんに 「▲十方恒沙◗の仏舒↠て舌、を 証↣  したまふ我われ凡夫◗の生↢  ずることを安楽↡に」 といへる等らこれなり。

-六方ろっぽうといへる釈しゃくは、 下げ巻かんの▲唱しょう讃さんの釈しゃく等これなり。

-¬般舟はんじゅ讃さん¼ の釈しゃくにも、 一処いっしょには 「▲六方◗の如来慈悲極、 りて同心同勧 して往↢ しむ西方↡に」 といひ、 一処いっしょには 「▲十方如来舒↠ べて舌0979◗を証、 して定↢判 するに九品↡に得え◗て還帰 りて」 と判はんぜり。 いまひくところの ¬礼讃らいさん¼ の釈しゃくも十方じっぽう・六方ろっぽうは異い本ほんの不ふ同どうなり。

-詮せんずるところ、 六方ろっぽうといへばとて減げんずるにあらず、 十方じっぽうといふによりて増ぞうすべきにあらず。 おなじことなるむねをしめさんがために、 処々しょしょの釈しゃく一いち准じゅんならざるなり。 たゞ恒沙ごうじゃの諸仏しょぶつ、 一仏いちぶつももれず証誠しょうじょうすとこゝろうべきなり。

 

  第十五 護念章

(198)

一 上かみの章しょうには諸仏しょぶつの証誠しょうじょうをあかし、 ▲この章しょうには諸仏しょぶつの護ご念ねんをあかす。 証誠しょうじょう・護ご念ねん相続そうぞくして、 上じょう下げ次し第だいを成じょうずるなり。 これすなはち ¬経きょう¼ (小経) に六方ろっぽうの証誠しょうじょうをとくとき、 一々いちいちに 「▲当↠に ベ シ信↢ず是◗の称讃 する不可思議◗の功徳↡を、 一切諸仏◗に所↢ るゝ護念↡せ経 なり」 ととくによりて、 証誠しょうじょうと護ご念ねんとあひはなるべからざるがゆへなり。

(199)

一 所引しょいんの文もんは、 これも ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ の文もんをひくに、 たゞちに ¬経きょう¼ をばひかず。 「▲観念法門にいはく」 といふて、 かの書しょにひきのせられたる定じょうにその文もんをひきて、 ¬経きょう¼ と釈しゃくとの意こころを顕あらわすなり。 「故名護念経」 と云いうまでは、 ¬経きょう¼ を引ひくとみえたり。 「▲護念意者」 と云いうよりは和か尚しょう、 仏ぶつ意いをえて護ご念ねんの義ぎを釈しゃくせらるゝなり。

-次つぎに所引しょいんの ¬礼讃らいさん¼ の文もんも ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ によれる釈しゃくなり。 これに二に重じゅうの釈しゃくあり。

-初しょ重じゅうに 「▲証↢誠◗す此◗の事じ、を 故か ゆへ◗に名0980↢く護念経↡と」 と釈しゃくして、 第だい二に重じゅうに 「▲次下つぎしもの文もんに云いわく」 といふて、 いまの釈しゃくをまふけたり。 かるがゆへに、 初しょ重じゅうは六方ろっぽう証誠しょうじょうの段だんにあたれり。 第だい二に重じゅうはおくの 「▲↓皆 な為 め↢に一切諸仏↡の共 も◗に所↢る護念↡せ」 (小経) の文もんにあたれり。 これいまの所引しょいんの文もんなり。

そのなかに、 「▲若◗し称↠ して仏◗を往生 する者」 といへるは、 すなはち ¬経きょう¼ (小経) の 「▲聞↢ かん是◗の諸仏◗の所説名みょう及◗び経名みょう↡者」 のこゝろなり。

-「▲常◗に為 め↢に六方恒沙等◗の諸仏↡の之所↢る護念↡せ」 といふは、 「↑皆 な為↢に一切諸仏↡の共とも◗に所↢護念↡せ」 (小経) の文もんにあたれるなり。

(200)

一 問といていはく、 私わたくしの釈しゃくのなかに、 また ▲¬礼讃らいさん¼ と ▲¬観念かんねん法門ぼうもん¼ とをひきて、 かの両りょう部ぶにひくところの諸しょ経きょうの文もんをいだせり。 これさきにひくところの二に文もんの一いち具ぐの文もんなり。 しかれば、 もとも ¬礼讃らいさん¼ の文もんをばさきの ¬礼讃らいさん¼ の文もんにひきくはへ、 ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ の文もんをばさきの ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ の文もんにひき具ぐすべし。 しかるに一いち具ぐの文もんをひききりてわたくしの釈しゃくのなかにひくは、 いかなるゆへぞや。

-答こたえていはく、 一いち具ぐの文もんなりといへども、 かみの二に文もんは六方ろっぽう諸仏しょぶつの護ご念ねんをあかすがゆへに、 六方ろっぽう諸仏しょぶつの証誠しょうじょうについてきたれる章しょうなれば、 これを本ほんとしてひくなり。 私わたくしの釈しゃくにひき具ぐするところの釈しゃくは、 たゞ総そうじて仏ぶつ・菩ぼ薩さつ乃ない至し諸天しょてん等とうの護ご念ねんをあかすがゆへに、 別べっしてこれをひくなり。

(201)

一0981 ¬礼讃らいさん¼ にひくところの ¬十じゅう往おう生じょう経きょう¼ の文もんに 「▲彼仏即◗ち遣↢ はして二十五◗の菩薩↡を、 擁↢護◗す行者↡を」 といへるは、 この菩ぼ薩さつは極楽ごくらくの聖しょう衆じゅなり。 その一一いちいちの名みょう字じは ▲¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ にみえたり。 いまこれを略りゃくす。

(202)

一 ▲¬観かん経ぎょう¼ の文もんは、 普ふ観かんの 「▲无量寿仏化身无数。 なり与と↢観世音・大勢至↡常つね◗に来↢至◗す此◗の行人之の所 ろ↡に」 の文もんのこゝろをとりてひくなり。

-問といていはく、 観音かんのん・勢せい至しの護ご念ねんはしかなり。 二に十じゅう五ごの菩ぼ薩さつの護ご念ねんは ¬観かん経ぎょう¼ にその文もんなし。 なんぞ 「▲与と↢前さき◗の二十五◗の菩薩等↡囲繞す」 といへるや。

-答こたえていはく、 実じつに現文げんもんにはなけれども、 義ぎとしてあるべきによりて、 かくのごとくひきのせらるゝなり。 そのゆへは、 観音かんのん・勢せい至しは二に十じゅう五ご菩ぼ薩さつの上じょう首しゅなり。 かの二に菩ぼ薩さつあらば、 余よの聖しょう衆じゅも定さだめてあるべし。 したがひて、 ¬十じゅう往おう生じょう経きょう¼ に護ご念ねんの益やくをとくに、 かの二に十じゅう五ごの菩ぼ薩さつをつらねたり。 しりぬ、 今いまの ¬経きょう¼ にも文もんは略りゃくせりといへども、 かならずあるべきがゆへに、 かくのごとくひくなり。

-例れいせば、 かみの章しょうに▲天臺てんだいの ¬十じゅう疑ぎ¼ をひきて、 文もんは ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ にありといへども、 義ぎは他た経きょうにも通つうずる義ぎを成じょうずるがごとし。

(203)

一 ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ にひくところの ▲¬観かん経ぎょう¼ の文もんは、 流る通ずうの文もんなり。 いはゆる 「▲観世音菩薩・大勢至菩薩、 為其勝友」 の文もんのこゝろなり。

(204)

一0982 おなじき所引しょいんの ¬般舟はんじゅ経きょう¼ の文もんのなかに、 「▲一切諸天」 といふは、 総そうじて三界さんがいの天衆てんしゅなり。

-「▲四天大王」 といふは、 多た聞もん・持じ国こく・増ぞう長じょう・広目こうもくなり。 護ご法ほう護持ごじの大だい将しょうなるがゆへに、 ことに護ご念ねんするなり。

-「▲八部」 といふは、 いまいふところの諸天しょてんと 「竜りゅう神じん」 とに、 夜や叉しゃ・乾闥けんだつ婆ば・阿あ修しゅ羅ら・迦楼かる羅ら・緊きん那羅なら・摩睺まご羅伽らがをくはへて、 総そうじて八はち部ぶといふなり。

「▲除↠ きて入↢三昧道場↡に」 といふは定じょう善ぜん入にゅう観かんのほかといふこゝろなり。 これ口く称しょう念仏ねんぶつの益やくをあらはさんがためなり。

 

  第十六 名号付属章

(205)

一 第だい十じゅう三さん多た善根ぜんごんの章しょうより当とう章しょうにいたるまでの四し段だんは、 ¬弥陀みだ経きょう¼ をひくにとりて、 かみの三段さんだんは正宗しょうしゅうの文もんなり。 いまは流る通ずうの文もんをひきて、 ▲名みょう号ごう付ふ属ぞくの義ぎを釈しゃくするなり。

(206)

一 標章ひょうしょうに 「▲付↢属 したまふ舎利弗等↡に之文もん」 といへる 「等とう」 の字じに二に種しゅのこゝろあり。

-一には目連もくれん・迦か葉しょう等らの諸しょ大だい声しょう聞もん、 文殊もんじゅ・常じょう精しょう進じん等らの諸しょ大だい菩ぼ薩さつを等取とうしゅするなり。 これらの菩ぼ薩さつ・声しょう聞もんは、 ともに一いち会えの同聞どうもん衆しゅとして、 みな仏法ぶっぽう護ご持じの大だい法ほっ将しょうなるがゆへなり。

-一には未み来らいの衆しゅ生じょうを等取とうしゅするなり。 ¬法ほう事じ讃さん¼ に ¬経きょう¼ (小経) の正宗しょうしゅうの 「▲衆生々者皆是阿毘跋致」 といへる文もんにあたりて告ごう命みょうを釈しゃくするに、 「▲釈迦如来告↢  たまふは身子↡に、 即0983◗ち是 れ普◗く告↢苦◗の衆生↡に」 (法事讃巻下) といへば、 流る通ずうの文もんもその義ぎおなじかるべきがゆへなり。

-このふたつの義ぎは異義いぎにあらず、 并ならべて可存之これをぞんずべき也なり。

(207)

一 問といて云いわ、く いまの所引しょいんの経きょう文もんはたゞ一いっ経きょうの説せつ時じをはりて、 在ざい座ざの衆しゅの歓かん喜ぎ信受しんじゅして退散たいさんすることをとくばかりなり。 付ふ属ぞくの義ぎにおきては、 文もんもなし、 こゝろもみえず、 いかんがこれをこゝろうべきや。

-答こたえていはく、 三さん経ぎょうにをのをの付ふ属ぞくの文もんあり。 ¬大だい経きょう¼ には 「▲仏語かた↢  りたまはく弥勒↡に、 其◗れ有↠ りて得う↠ ること聞↢ こと彼◗の仏◗の名号↡を」 の文もんなり。 ¬観かん経ぎょう¼ には 「▲持↢ てと是◗の語 ば↡を者、 即◗ち是 れ持↢  てとなり无量寿仏名みな↡を」 の文もんなり。 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ には、 いまの所引しょいんの文もんこれなり。 この文もんのなかに付ふ属ぞくの義ぎを含がんせるなり。

-そのゆへは、 上かみに 「▲舎利弗、 汝なんぢ等ら皆 な当↣に ベ シ信↢受◗す我◗が語 ば及◗び諸仏◗の所説↡を」 (小経) ととき、 釈しゃ迦か・諸仏しょぶつの所説しょせつ名みょう号ごうなることをあらはし、 しもに 「▲当↠に ベ シ知、る 我 れ於↢て五濁悪世↡に行↢ じて此◗の難事じ↡を、 得え↢  たりしかば阿耨多羅三藐三菩提↡を、 為 め↢に一切世間↡の、 説↢く此◗の難信之の法↡を。 是 れ◗を為↢す甚難↡と」 (小経) とときて、 釈しゃく尊そん凡ぼん地じの本ほん行ぎょうなることをあかし、 つぎに 「▲仏説此経已」 とときくだしたる説相せっそう、 もとも付ふ属ぞくの義ぎにかなへり。

-したがひて、 和か尚しょうこの義ぎ趣しゅを解げしたまへるゆへに、 いまの ¬法ほう事じ讃さん¼ の文もんにこの経きょう文もんを釈しゃくするとき、 弥陀みだの名みょう号ごうを付ふ属ぞくする義ぎを釈しゃくせること、 はなはだ ¬経きょう¼ の深じん意いを得えたまへるものなり。

(208)

一0984 ▲¬法ほう事じ讃さん¼ の文もんは、 いまのぶるところの付ふ属ぞくの義ぎを釈しゃくするなり。

-「▲世尊説法◗の時とき将 さ ス ◗に了をは らんと」 といふは、 ¬弥陀みだ経きょう¼ の説せつ時じをはるといふばかりにはあらず。 ひろく一代いちだい諸しょ経きょうのをはりにこの ¬経きょう¼ をときたまへりとあらはすこゝろなり。 上かみの文もんに 「▲如来出↢現 して於五濁↡に、 随宜◗に方便 して化↢す群萌↡を。 或 ひ◗は説↢き多聞 にして而得度↡、すと 或 ひ◗は説↣き少解 をもて証↢ すと三明↡を、 或 ひ◗は教 し↢へ福恵双 べて除↟ くと障 り、を 或 ひ◗は教 し↢ふ禅念 して坐 して思量↡ すと」 といへるは、 一代いちだい諸しょ経きょうの説せつ時じをいだすときこえたり。 そのつぎに 「世尊説法時将了」 といへる、 一代いちだいのをはりといふこと分ぶん明みょうなり。

-かのをはりに釈しゃく尊そん凡ぼん地じの本ほん行ぎょうなる念仏ねんぶつを一切いっさい世せ間けんのためにときて末法まっぽうに流る通ずうするを 「▲慇懃◗に付↢属◗す弥陀◗の名みな↡を」 といふなり。

(209)

一 「▲五濁増時多疑謗」 以下いげは、 末法まっぽう五ご濁じょくの世よに念仏ねんぶつ誹ひ謗ほうのともがらおほかるべきことをあげて、 かつは謗法ほうぼうの果か報ほうをあらはし、 かつは懺さん悔げの方法ほうほうをしめすなり。

-「▲如此生盲闡提輩」 といふは、 念仏ねんぶつ誹ひ謗ほうの人ひとを生しょう盲もう闡提せんだいにたとへらるゝなり。 かの謗法ほうぼうの人ひとをば无む眼人げんにん・无耳むに人にんとなづくるがゆへなり。

-「▲毀滅↓頓教↓永沈淪」 といふは、 まさしく謗法ほうぼうの罪ざい苦くをあらはすなり。

-「↑頓教」 といふはいまの念仏ねんぶつなり、 常じょう没もつの凡ぼん位いよりたゞちに報ほう土どに生しょうずるがゆへに頓とん教ぎょうと釈しゃくするなり。 「玄げん義ぎ」 (玄義分) には 「▲頓教一乗海」 といひ、 ¬般舟はんじゅ讃さん¼ には 「▲即是頓教菩提蔵」 といへるこれなり。

-「↑永沈淪」 とい0985ふは、 苦く報ほうの長じょう遠おんなることをあかすなり。 すなはち下しもの句くに 「▲超↢過 すとも大地微塵劫↡を、 未 ズ ↠だ可↠得う↠離↢  るゝことを三塗◗の身↡を」 といへる、 その義ぎなり。

-「▲大衆同心、に 皆 な懺↢悔 せよ所有あらゆる破法◗の罪因縁↡を」 といふは、 まさしく懺さん悔げをすゝむることばなり。 「破は法罪ほうざい」 といふは、 すなはち謗法ほうぼう罪ざいなり。

-問といていはく、 いますゝむるところの懺さん悔げといふは、 いかやうに修しゅすべきぞや。 また念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃかならず懺さん悔げの方法ほうほうをもちゐるべしや。

-答こたえていはく、 ¬礼讃らいさん¼ に三品さんぼんの懺さん悔げをいだせり。 「▲身み◗の毛孔◗の中なか より血流、し 眼 こ◗の中なか より血出◗る者 の◗を名↢く上品◗の懺悔↡と。 ◆中品◗の懺悔◗と者は、 遍身◗に熱◗き汗従↢り毛孔↡出、で 眼 こ◗の中 か より血流 るゝ者 の◗を名↢く中品◗の懺悔↡と。 ◆下品◗の懺悔◗と者、 遍身◗に徹 りて熱、く 眼 こ◗の中 か より涙 だ出◗る者 の◗を名↢く下品◗の懺悔↡と」 といへり。 起き行ぎょうの辺へんにて修しゅせんときは、 その方法ほうほうをもちゐるべき。 すなはちいまの ¬礼讃らいさん¼ にいだすところの広こう・要よう・略りゃくの懺さん悔げ、 また ¬法ほう事じ讃さん¼ にもちゐるところの▲十じゅう悪あく懺さん悔げ等とうこれなり。

-たゞし ¬礼讃らいさん¼ にいふところの三品さんぼんの懺さん悔げをあげをはりて、 つぎしもの釈しゃくに 「▲此これ等ら◗の三雖 ど↠も有↢ りと差しや別 ち↡、 即是 れ久 しく↓種う↢ えたる解脱分◗の善根↡を人。 なり致↠す使し↧  むることを今生◗に敬 ま↠ひ法、を 重↠ くして人◗を不ず↠惜↢ま身命↡を、 乃ない至し小罪、 までも若◗し懺 すれば即◗ち能◗く徹↠り心◗に徹↞ら髄。に ◆能◗く如↠く此◗の懺 すれば者、 不↠問◗は久近↡を、 諸有◗の重障頓◗に皆 な滅尽。す 若◗し不ざ↠  るものは如↠ くなら此↠の、 縦使日夜十二時◗に急走 すれども衆 べ◗て是 れ無↠し益。 若ごと↢し不↠る作な◗さ者 の↡ゝ」 といへり。

-↑解げ脱だつ分ぶんの善根ぜんごんを種うえたる人ひとといふは、 大だい乗じょう・小乗しょうじょうともに下げ品ぼんのくらゐなり。 この釈しゃくの0986ごとくならば、 凡ぼん夫ぶこの懺さん悔げを修しゅせんこと成じょうずべからずとみえたり。

-さればこの釈しゃくのつぎに 「▲雖 ど↠も不↠と能↢は流涙流血等↡に、 但能◗く真心徹到 するものは者即◗ち与と↠上 み同 な◗じ」 (礼讃) といへり。 真心しんしん徹到てっとうといふは、 金剛こんごう心しんなるがゆへに、 念仏ねんぶつの信心しんじん堅けん固ごにして称名しょうみょうをつとむれば、 別べっしてその功こうをもちゐざれども、 懺さん悔げを修しゅする義ぎありといふなり。

-¬般舟はんじゅ讃さん¼ に 「▲念々称名 するは常◗に懺悔、  するなり人ひと能◗く念仏 すれば々還 りて憶 したまふ」 といへるも、 このこゝろなり。

(210)

一 私わたくしの釈しゃくには、 ▲八種はっしゅの選せん択じゃくをあげられたり。 一々いちいちの義ぎみな文もんにありてみつべし。 八種はっしゅの義ぎ、 しかしながら諸しょ行ぎょうをえらびすてゝ、 念仏ねんぶつをえらびとるになづけたり。 さればこの書しょのこゝろは、 たゞ専修せんじゅの義ぎをあらはすなり。

(211)

一 「▲計也はかりみ れば夫◗れ」 といふ以下いげは、 総結そうけつの釈しゃくなり。

-「▲速 か◗に欲↠ せば離↢ れんと生死↡を、 二種◗の勝法◗の中 か、に 且 らく閣 を↢ きて聖道門↡を選 びて入◗↢れ浄土門↡に」 といふは、 第一だいいちの教きょう相そうのこゝろなり。

-「▲欲 も↠ はゞ入↢ らんと浄土門↡に、 正雑二行◗の中 か◗に」 といふより 「称↠ すれば名みな◗を必◗ず得う↠生。  ずることを依↢ るが仏◗の本願↡に故 へ◗に▲」 といふにいたるまでは、 第だい二にの二に行ぎょうの章しょうのこゝろなり。

-この二に行ぎょうのなかに選せん択じゃくするところの正宗しょうしゅうの念仏ねんぶつをもて、 第三だいさんの本願ほんがんの章しょうの法体ほったいとし、 その一法いっぽうにをのをの種々しゅじゅの利り益やくにしたがへ、 一々いちいちの功く徳どくにつきて、 しもの諸門しょもんをひらくなり。

(212)

一0987 善導ぜんどう和か尚しょうの徳とくを嘆たんずるに、 「▲時とき◗の人 と◗の諺ことわざ◗に曰、く 仏法東行 してより已来このかた、 未 ズ ↠だ有あ↢ら禅師◗の盛さかん なる徳とく↡の ごとくなる」 といふは、 少しょう康こう法ほっ師しの ¬瑞応ずいおう刪伝さくでん¼ に和か尚しょうの徳とく行ぎょうを讃さんずることなり。

-「▲絶倫之の誉 れ」 といふは、 古こ今こんの諸しょ師等しらのなかにこえたりといふなり。 そのゆへは、 常じょう没もつ流る転てんの未み断惑だんわくの凡ぼん夫ぶ、 報仏ほうぶつの浄じょう土どにいたるといふこと、 諸しょ師しのいまだのべざるところ、 諸しょ宗しゅうのいまだ談だんぜざるところなり。

-これすなはち ¬大だい経きょう¼ (巻下) の文もんに 「▲声聞或 ひ◗は菩薩、 莫↣し能◗く究↢  むること聖心↡を」 といひ、 「▲二乗非 ら↠ず所 ろ↠に測、る 唯たゞ仏 のみ独◗り明 かに了さと◗る」 と云いへる文もんをもて案あんずるに、 まさしく正しょう意いを解げすることかたきがゆへなり。 しかるに今こん師しひとり仏ぶつ意いを解げして、 衆しゅ生じょうのために依怙えこたり。 これ権ごん化けの再誕さいたんなるがゆへなり。 このゆへに、 かくのごとく嘆たんずるなり。

(213)

一 ひくところの ¬疏しょ¼ の証定しょうじょう分ぶんの文もんに 「▲毎夜◗の夢 め◗の中 ち◗に常◗に有 り↢て一 とり◗の僧↡而来 りて指し↢授じゅ◗す玄げん義ぎ◗の科文もん↡を」 といふは、 ふたつの文点もんてんあり。

-一には 「指↢授◗す玄義ぎ◗の科文もん↡を」 とよみては、 「玄げん義ぎ」 七門しちもんの科か文もんをきづくるなり。 これはまさしく経きょう文もんにあたりて一々いちいちの義ぎ釈しゃくをまふくることはつねのことなり。 依え文もんにさきだちて玄遠げんおんの深じん義ぎをのべらるゝこと、 今こん家けの釈しゃくの肝要かんようなり。 まことに如来にょらいの指し授じゅにあらずは、 たやすくこの義ぎを解げしがたし。 されば諸しょ師しこの ¬経きょう¼ について疏しょをつくるひとおほしといへども、 いまだ玄げん義ぎの釈しゃくを0988つくりたる師しなし。 しかるにいま、 仏ぶつの指し授じゅによりてこの玄げん義ぎをのぶとなり。

-一には 「指↢授◗す玄義ぎ科文もん↡を」 とよみては、 玄げん義ぎも依え文もんも、 義ぎ四し巻かんともに指し授じゅすといふこゝろ也なり。 科か文もんといふは依え文もんの義ぎなるがゆへなり。

-さきの義ぎは、 四し帖じょうの義理ぎりならびに ¬礼讃らいさん¼ ・¬観念かんねん法門ぼうもん¼ 等らの具ぐ書しょまでも、 その義ぎみな甚深じんじんなりといへども、 なを玄げん義ぎの釈しゃくの深遠じんおんなる気味きみをまさんとなり。 さればとて、 自余じよの釈しゃくのおろそかなるべきにはあらず。

-のちの義ぎは、 玄げん義ぎ・依え文もんの釈しゃく、 いづれも仏ぶつ意いに順じゅんず。 用捨ようしゃあるべからざれば、 ともに仏ぶつの指し授じゅなりといはんとなり。 これまた玄げん義ぎの釈しゃくのひでざるべきにはあらず。

-然しかれば、 両りょう義ぎともに相そう違いなきなり。

-問といていはく、 玄げん義ぎの釈しゃくをつくること今こん家けの釈しゃくにかぎらず。 いはゆる天臺てんだい大だい師し、 ¬法ほっ華け¼ を釈しゃくするに ¬玄げん義ぎ¼ 十巻じっかんをつくりたまへり。 また嘉か祥じょう大だい師しの釈しゃくに ¬大だい乗じょう玄げん¼・¬三論さんろん玄げん¼ といふ書しょ等らあり。 しからば、 めづらしきことにあらず。 なんぞ和か尚しょうの釈しゃくをひでたる義ぎとせんや。

-答こたえていはく、 他師たしの釈しゃくにをきて、 おほよす玄げん義ぎの釈しゃくなしといふにはあらず、 すなはち天臺てんだいの ¬玄げん義ぎ¼ は名みょう・体たい・宗しゅう・用ゆう・教きょうの五ご重じゅう玄げん義ぎをあかせり、 これも玄遠げんおんの旨むねをのべたる義ぎなり。 嘉か祥じょうの釈しゃくまた玄遠げんおんの義ぎをあかすをもて玄げんの名なを立たてたり。 今こん師しの釈しゃくもその義ぎ違いすべからざるなり。

-たゞし玄げん義ぎの釈しゃくをまうくること諸しょ師しにひで0989たりといふは、 諸しょ師しは ¬観かん経ぎょう¼ を釈しゃくするにとりて、 玄げん義ぎの釈しゃくなきことをいふなり。 和か尚しょうはこの ¬経きょう¼ にをきて玄げん義ぎ・依え文もんの二に門もんの釈しゃくをつくり給たまへること、 よく仏ぶつ意いを決けつ了りょうし給たまへりといふなり。

(214)

一 「▲三具◗の磑輪がいりん道みち◗の辺 り◗に独 り転◗ず」 といふは、 転てん法輪ぼうりんの相そうを標ひょうするなり。

(215)

一 「▲忽 ち◗に有↢ りて一人↡、 乗↢ りて白◗き駱 く駝↡に来↠ りて前まへ、に 見まみ えて勧◗む」 といふは、 「駱駝」 は馬うまなり、 白びゃく馬めに乗じょうずることは表ひょう示じあり。

-釈しゃく尊そん、 王おう宮ぐをいでゝ檀徳だんとく山せんに入いりたまひしときは、 白びゃく馬めに服ぶく御ごし、 梵僧ぼんそう摩ま騰とう・法蘭ほうらん、 仏ぶっ教きょうを漢かん土どにわたしゝときは、 経きょう巻かんを白びゃく馬めにおほせたりき。 しからば、 仏法ぶっぽう修しゅ行ぎょう・経教きょうきょう伝来でんらいの先せん兆ちょうなり。

(216)

一 「▲上 み来より諸有あらゆる霊相◗は者、 本心、 為 め↠ にして物 の◗ゝ不ず↠為↢ にせ己こヲノレガ身しん ミ ↡の」 といふは、 夢む中ちゅうの霊相れいそうは衆しゅ生じょうに信しんをとらしめて、 みづからの釈しゃく義ぎをもて西方さいほうの指し南なんとせしめんがためなりといふ。 和か尚しょうは弥陀みだの化け現げんなれば、 所釈しゃくするところ仏ぶつ意いに相応そうおうすべきことはうたがひなし。 しかれども、 ことに祈き請しょうを出いだして霊瑞れいずいを感かんずるは、 衆しゅ生じょうのためなりといふなり。 是これ則すなわち権ごん化けの義ぎを顕あらわす也なり。

(217)

一 「▲静しづか◗に以おもんみ れば」 といふ已下いげは、 この書しょの後ご序じょなり。

-はじめより 「本迹雖 ど↠も異 なりと化導是 れ一◗つ也なり▲」 といふにいたるまでは、 まづ高こう祖その解げ釈しゃくを嘆たんじ、 かねて本ほん迹じゃくの行ぎょう徳とくを讃さん0990ず。

-「▲西方指南」 といふは、 指し南なんは先導せんどうの義ぎなり。 いまだしらざるところにいたることは、 先導せんどうのちからなり。 もしこれをえざれば中ちゅう途とにまよひ、 これをえつれば先せん途ずに達たっするなり。 いまの解げ釈しゃくをえてその義ぎを決けつ了りょうしなば、 かならず西方さいほうにいたるべしとなり。

-「▲行者◗の目足 く也なり」 といふは、 所しょ求ぐのところにたることは目足もくそくの功こうなり。 されば今いまの釈しゃくは往おう生じょう浄じょう土どの目足もくそくなりとたとふ。 これすなはち、 菩ぼ提だいの宝所ほうしょにいたることは、 智ち目もく行ぎょう足そくを具ぐせずしてはかなはざるに、 念仏ねんぶつは行ぎょう者じゃの目足もくそくとして浄じょう土どに生しょうず。 いまの解げ釈しゃくの所詮しょせんは、 念仏ねんぶつなるがゆへにかくのごとくいふなり。

-「▲於是こゝに貧道」 といふより 「云こゝ◗に帰↢す念仏↡に」 といふにいたるまでは、 この ¬疏しょ¼ を披ひ覧らんせられし往おう時じをあかして、 浄じょう土ど宗しゅうにいりたまひし元げん起きをのぶるなり。

-「▲自 り↠其 れ已来このかた」 といふより 「得↢る昇降↡を也 り▲」 といふにいたるまでは、 自じ行ぎょう化他けたの行ぎょう要ようをしめして、 時機じき相応そうおうの教きょう益やくをあらはすなり。

-「▲浄土之の教、 叩たゝ↢ きて時じ機↡を而◗も当↢ れり行運↡に也」 といふは、 この教きょうは末法まっぽうのときに益やくをほどこすべき教きょうなり。 末法まっぽうの機きは、 この教きょうによりて利りをうべき機きなり。 時ときと機きとあひかなひて巨こ益やくあるべしといふなり。

-「▲念仏之の行、 感↢ じて水しゐ月ぐわつ↡を而得う↢昇降↡を也」 といふは、 水みずのぼらずして月つきをうかべ、 月つきくだらずして水みずにうかぶ。 のぼらずくだらずしてしかも昇しょう降こうをえたる、 これ感応かんのう道交どうこうのゆへなり0991。 念仏ねんぶつ往おう生じょうのみち、 また如来にょらいの本願ほんがんと行ぎょう者じゃの信心しんじんと、 機き感かん純熟じゅんじゅくして往おう生じょうの益やくをうべきこと、 またかくのごとしといふなり。

-「▲而 るに今 ま」 といふより已下いげ、 巻まきのをはりにいたるまでは、 この書しょ選せん集しゅうの元げん由ゆをのべ、 かねて破は法ほうのつみをましめらるゝなり。

-「▲不↠ るに図はか◗ら蒙↠ ぶる仰 せ◗を」 といふは、 月輪つきのわの禅ぜん定じょう殿でん下かの教命こうめいによりて造進ぞうしんせられしことなり。

-「▲憖◗に集↢む念仏◗の要文↡を」 といふは、 経釈きょうしゃくの文もんをひくをいふなり。 「▲剰◗へ述↢ぶ念仏◗の要義↡を」 といふは、 私わたくしの料りょう簡けんをくはへらるゝ義ぎなり。

-「▲唯たゞ顧↢ みて命めい旨し↡を↓不ず↠顧↢ りみ不敏びん↡を」 といふは、 「命旨」 は禅閤ぜんこうの仰おおせなり、 「不敏」 は卑下ひげの言ことばなり。

-「▲恐 らくは為↠ なり不↠令↣め破法之の人ひと をして堕↢せ於悪道↡也」 といふは、 かみの所引しょいんの文もんに、 念仏ねんぶつ誹ひ謗ほうの輩やからはそのつみ深じん重じゅうにして、 大だい地じ微み塵じん劫ごうを超ちょう過かすとも、 三さん塗ずの身みをはなるゝことをうべからざることをあかすがゆへに、 破は法ほうのつみをいましめらるゝなり。

-いはゆるこの書しょは、 経釈きょうしゃくの肝要かんようをぬきて、 念仏ねんぶつの深じん義ぎをのべたり。 これを謗ほうぜば、 謗法ほうぼうの重じゅう罪ざいをまねきて、 地じ獄ごくの苦く報ほうをうくべきがゆへに、 後ご見けんをはゞかりたまふなり。

-これすなはち、 上かみには 「↑不ず↠顧◗み不ふ敏↡を」 といひて卑ひ嫌けんのことばをのせらるといへども、 いまは破は法ほうのつみのをもきことをあらはして、 のぶるところの義ぎ趣しゅの仏ぶつ意いに順じゅんぜることを標ひょうするなり。 この書しょには念仏ねんぶつの正しょう義ぎをあかすがゆへに、 これを謗ほうぜば、 念ねん0992仏ぶつを謗ほうずるにあたるべきがゆへなり。

-されば実まことに後ご見けんををさふるにはあらず。 誹ひ謗ほう正しょう法ぼうのつみをつゝしめんがためなり。 ふかく信しん順じゅんの心こころをぬきんでゝ、 修しゅ習じゅうのつとめをいたさば、 ことに弘ぐ通ずうの根本こんぽんとしてかの素意そいにかなふべきなり。

 

此一部五帖、 当寺開山存覚上人御述作也。 雖為一流之秘本、 懇望之間書与釈賢意処也。

*寛正四歳 癸未 八月晦日記之

釈明覚(花押)

 

底本は龍谷大学蔵室町時代初期書写本。 ただし訓(ルビ)は対校註を参考に有国が大幅に補完し、 表記は現代仮名遣いとした。