たりき 他力 自力に対する語。 阿弥陀仏本願のはたらきをいう。 他力の語を用いて浄土教の特色をあらわしたのは曇鸞で、 ¬論註¼ には、 自力の難をあげて 「ただこれ自力にして他力の持つなし」 (行巻引文)、 衆生自利利他成就できる理由を示して 「他力を増上縁となす」 等とある。 その他力の内容は覈求其本釈で示されるが、 そこでは浄土往生することも、 往生後におこすはたらきもすべて阿弥陀仏の本願力によるものとされ、 さらにその本願力を第十八・十一・二十二願文によって説明している (三願的証)。 これによって曇鸞における他力とは、 阿弥陀仏のいんの本願のとおりに完成された力であり、 それは衆生往生の因果を成就させる阿弥陀仏のすぐれた力用りきゆうの意であったことがわかる。 親鸞は、 曇鸞の他力義をさらに他力回向義へと展開し、 衆生の往生成仏の因果はすべて阿弥陀仏より回施された法であるとして、 阿弥陀仏から衆生への他力回向 (本願力回向) を述べている。 「行巻」 には他力の語を規定して 「他力といふは如来の本願力なり」 とある。 また、 ¬御消息¼ 第19通には 「義と申すことは、 自力のひとのはからひを申すなり。 他力には、 しかれば、 義なきを義とすと候ふなり」 等とあり、 他力の救いにおいては、 凡夫がはからい (義) なく本願力にまかせることを本義とすると示されている。 →義なきを義とす二種回向、 補註12七補註9