ふえこう 不回向 本来は、 浄土往生の行ではない雑行 (念仏以外の行) は、 回向しなければ往生行とならないが、 称名念仏 (選択本願の念仏) は阿弥陀仏が往生行として選定した行であるから、 回向する必要がないということ。 法然は ¬選択集¼ に 「第四に不回向回向対といふは、 正助二行を修するものは、 たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる」 と述べている。 親鸞は、 この説をうけて、 回向の主体を行者ではなく阿弥陀仏とする他力回向 (本願力回向) の教説を確立した。 「行巻」 には 「これ凡聖自力の行にあらず。 ゆゑに不回向の行と名づくるなり」 とある。 ¬正像末和讃¼ には 「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる」 とあり、 「国宝本」 左訓には 「行者の回向にあらずとしるべしとなり」 とある。 →大行、 五番の相対。