正 像 末 和 讃

 

◎^¬般はん0467舟じゆ三昧行道往生讃¼に曰◗く

^「▲敬うやま ふて白まふ ↢さく一切往生◗の知識等↡に。大おほき◗に須すべベ ↢かシ から暫愧ざむぐゐ↡す。釈迦如来◗は実◗に是 れ慈悲◗の父母。 なり種種◗の方便 をして発↢起 せしめたまふ我われ等ら◗が无上◗の信心↡を。」文

註釈版の底本は◎龍谷大学蔵文明五年蓮如上人開版本(文明本)ˆ浄聖全上段ˇ。 ○高田派専修寺蔵国宝本(国宝本)ˆ浄聖全中段ˇは欠けているものが多いため、 対照に●高田派専修寺蔵正応三年顕智上人書写本(顕智本)ˆ浄聖全下段ˇを収録した。 なお、 ○の左訓も適宜採録し、 緑で示している。

^康元二歳丁已二月九日◗の夜よ寅とら◗の時とき夢ゆめ◗の告つげ◗に云い はく

(10468)

弥陀の本願信ずべし

本願信ずるひとはみな

摂取不捨の利益にて

无上覚おばさとるなり

 

*この和讃を、 ゆめにおほせをかぶりて、 うれしさにかきつけまいらせたるなり。
*正しやう嘉か元ぐわん年ねん丁ひのと巳のみ閏うるう三月一日

愚禿親鸞 八十五歳 書之

国宝本より。

 

正0469像末法和讃

 

(2)

釈しやく尊そんかくれましまして

二千余よ年ねんになりたまふ

正しやう像ざうの二時にじはおわりにき

如来の遺弟ゆいてい悲ひ泣きふせよ

ミデシナリ

カナシミナクベシトナリ

(30470)

末法まちぽふ五ご濁ぢよくの有う情じやうの

イマコノヨハワルクナリタリトシルベシ

行証ぎやうしようかなわぬときなれば

釈しや迦かの遺法ゆいほふことごとく

ノコリノミノリヲユイホフトマフスナリ

竜りう宮ぐにいりたまひにき

ハチダイリウワウノミヤコナリ

(4)

正しやう像末ざうまちの三さむ時じには

ミトキ

シヤウボフザウボフマチポフ

弥陀みだの本ほん願ぐわんひろまれり

像ざう季き・末法まちぽふのこのよには

ザウボフノスヱ

諸善しよぜん竜りう宮ぐにいりたまふ

シヤクソンノミノリハミナリウグヘイリマシマストナリ

(50471)

¬大集じふ経きやう¼ にときたまふ

この世よは第五だいごの五百年

闘とう諍じやう堅けん固ごなるゆへに

タヽカイ

カタクサカリナリ

アラソイ

白びやく法ほふ隠滞おむたいしたまへり

ヨロヅノゼンゴンカクレトヾマリタマフ リウグヘイリタマフ也

ゼンゴンナリ

カクレトヾマルナリ

ヨロヅノゼンハリウグヘカクレイリタマフナリ

(6)

¬悲華経¼云

数万歳しゆまんざいの有う情じやうも

イノチナガクアリシシヤウボフモヤウヤクイノチミジカクナリクダルナリ

果報くわほうやうやくおとろえて

二万歳ざいにいたりては

ヒトノイノチニマンザイトイフヨリハ

五ご濁ぢよく悪あく世せのなをえたり

(70472)

劫こふ濁ぢよくのときうつるには

有う情じやうやうやく身小しんせうなり

ヒトノミチイサクナリ

五ご濁ぢよく悪邪あくじやまさるゆへ

アクゴフノマサルナリ

悪龍あくりう・毒蛇どくじやのごとくなり

ヒトノコヽロアクノマサルコトアクリウドクジヤノヤウニナルナリ

(8)

无む明みやう煩悩ぼむなうしげくして

塵数ぢんじゆのごとく遍満へんまんす

ボムナウアクゴフマサリテチリノゴトクヨニミチミツナリ

愛憎あいぞう違ゐ順じゆんすることは

ヨクノコヽロソネミネタムコヽロタガフコヽロマサルナリ

高かう峰ぶ岳山がくざんにことならず

タカキミネノゴトクオカヤマノゴトクボムナウアクノマサルナリ

(90473)

有う情じやうの邪見じやけん熾し盛じやうにて

サカリナリ

叢林そうりむ棘こく刺しのごとくなり

クサムラハヤシノゴトクムバラカラタチノゴトクボムナウアクマサルベシト也

念仏の信者しんじやを疑ぎ謗はうして

ウタガフ

ソシル

破懐はゑ瞋毒しんどくさかりなり

ヤブリホロボシイカリヲナスベシトナリ

(10)

命濁みやうぢよく中夭ちうえう刹せち那なにて

ヒトノイノチミジカクモロシ

依え正しやう二に報ほう滅亡めちまうす

ホロボシウシナウ

ヒトノイノチモモテルモノモホロビウスベシトナリ

背はい正しやう帰邪くゐじやをこのむゆへ

タヾシキコトヲソムキヒガゴトヲタノムコヽロナリ

横わうにあだおぞおこしける

ゴヂヨクノヨノアリサマナリ

ヨコサマナルコヽロノミアルベシトナリ

(110474)

末法まちぽふ第だい五ごの五ご百年

コノゴロハマチポフノハジメトシルベシ

この世よの一切ゐちさい有う情じやうの

如来によらいの悲ひ願ぐわんを信しんぜねば

出しゆつ離りその期ごもなかるべし

(12)

九十五ご種しゆ世よをけがす

グヱダウノカズノオホキナリ

コノホカニマタ六十二ケンノグヱダウアリトシルベシ

唯仏ゆいぶち一道ゐちだうきよくます

ブチダウノミヒトリキヨクメデタクマシマストシルベシ

菩ぼ提だいに出しゆつ到たうしてのみぞ

ホトケニナリテゾウジヤウタスクベキト

火宅くわたくの利り益やくは自じ然ねんなる

コノシヤバセカイナリ

(130475)

五ご濁ぢよくの時機じきいたりては

トキトウジヤウトナリ

道俗だうぞくともにあらそいて

念仏信しんずる人をみて

疑ぎ謗はう破は滅めちさかりなり

ウタガフ

ソシル

ヤブリホロボスナリ

(14)

菩ぼ提だいをうまじき人はみな

専修せんじゆ念仏にあだをなす

頓教とんげう毀滅くゐめちのしるしには

ソシリホロボスナリ

生しやう死じの大海だいかいきわもなし

(150476)

正しやう法ぼふの時機じきとおもへども

トキ

ウジヤウ

底てい下げの凡ぼん愚ぐとなれるみは

ボムナウノソコニシヅメルボムブトイフナリ

清浄しやうじやう真実しんじちのこゝろなし

シヤウジヤウノコヽロナシ シンジチノコヽロナシ

発ほち菩ぼ提だい心しむいかゞせん

(16)

自じ力りき聖しやう道だうの菩ぼ提だい心しむ

こゝろもことばもおよばれず

常じやう没もち流る転てんの凡ぼむ愚ぐは

ツネニシヤウジダイカイニシズムトナリ

二十五ウニマドヒアルクヲルテントハイフナリ

いかでか発ほち起きせしむべき

ヒラキオコシガタシトナリ

(170477)

三さむ恒ごう河が沙じやの諸仏しよぶちの

出しゆつ世せのみもとにありしとき

大菩ぼ提だい心しむおこせども

ヨロヅノシユジヤウヲホトケニナサムトオモフコヽロナリ

自力かなはで流る転てんせり

ロクダウシシヤウニマドヘリトナリ

ジリキノボダイシムニテケフマデカクテマドヘリトシルベシ

(18)

像末ざうまち五ご濁ぢよくの世よとなりて

ザフボフノヨマチポフノヨトナリニタリトシルベシトナリ

釈しや迦かの遺教ゆいけうかくれしむ

シヤカノノコリノミノリナリ

弥陀みだの悲ひ願ぐわんはひろまりて

念仏往わう生じやうさかりなり

(190478)

超てう世せ无む上じやうに摂取せふしゆし

選せん択ぢやく五ご劫こふ思し惟ゆいして

光明くわうみやう・寿じゆ命みやうの誓せい願ぐわんを

大悲ひの本ほんとしたまへり

(20)

浄じやう土どの大菩ぼ提だい心しむは

ヨロヅノシユジヤウヲホトケニナサムトオモフコヽロナリ

願ぐわん作さ仏心ぶちしむをすゝめしむ

ミダノホングワンナリ

タリキノボダイシムナリ ゴクラクニムマレテホトケニナラムトネガヘトスヽメタマヘルコヽロナリ

すなわち願ぐわん作さ仏心ぶちしむを

ミダノヒグワンヲフカクシンジテホトケニナラムトメガフコヽロヲボダイシムトマフスナリ

度ど衆しゆ生じやう心しむとなづけたり

コノコヽロハウジヤウヲホトケニナサムトスルコヽロナリ

ヨロヅノウジヤウヲホトケニナサムトオモフコヽロナリトシルベシ

(210479)

度ど衆しゆ生じやう心しむといふことは

ジヤウドノダイボダイシムナリ

タリキノボダシムトマフスナリ

弥陀みだ智ち願ぐわんの廻ゑ向かうなり

ミダニヨライノヒグワンヲマフスナリ

廻ゑ向かうの信楽しんげううるひとは

ミダノグワンリキヲフタゴヽロナクシンズルヲイフナリ

大般だいはち涅槃ねちはんをさとるなり

ミダニヨライトヒトシクサトリヲウルヲマフスナリ

(22)

如来の廻ゑ向かうに帰入くゐにふして

ミダノホングワンヲワレラニアタエタマヒタルヲヱカウトマフスナリ コレヲニヨライノヱカウトマフスナリ

願ぐわん作さ仏心ぶちしむをうる人は

ジヤウドノダイボダイシムナリ

自じ力りきの廻ゑ向かうをすてはてゝ

利り益やく有う情じやうはきわもなし

ヨロヅノシユジヤウヲウジヤウトハイフナリ

(230480)

弥陀みだの智ち願ぐわん海水かいしゐに

ホングワンヲダイカイノミヅニタトヘマフス也

他た力りきの信水しんしゐいりぬれば

マコトノシンジムヲミヅニタトエタルナリ

真実しんじち報ほう土どのならひには

ゴクラクヲホウドヽマフスナリ

煩悩ぼむなう・菩ぼ提だい一ゐち味みなり

アンラクジヤウドニムマレヌレバアクモゼンモヒトツアヂワイトナルナリ

(24)

如来によらい二に種しゆの廻ゑ向かうを

ミダニヨライノホングワンノヱカウニワウサウノヱカウグヱンサウノヱカウトマフシテフタツノヱカウノアルナリ

ふかく信しんずる人ひとはみな

等とう正しやう覚がくにいたるゆへ

シヤウヂヤウジユノクラヰナリ

憶念おくねむの心しむはたへぬなり

(250481)

弥陀みだ智ち願ぐわんの廻ゑ向かうの

信楽しんげうまことにうる人は

シンジチノシンジムヲウルヒトヽイフナリ

摂取せふしゆ不ふ捨しやの利り益やくゆへ

シンジムノヒトヲミダニヨライオサメトリタマフトマフスナリ

等とう正しやう覚がくにはいたるなり

シヤウヂヤウジユノクラヰナリ

(26)

五ご十六じふろく億おく七千万まん

弥み勒ろく菩ぼ薩さちはとしをへむ

まことの信心しんじむうる人は

このたびさとりをひらくべし

(270482)

念仏往わう生じやうの願ぐわんにより

等とう正しやう覚がくにいたる人

シヤウヂヤウジユノクライナリ

ミロクヲトウシヤウガクトマフスナリ

すなわち弥み勒ろくにおなじくて

大般だいはち涅槃ねちはんをさとるべし

(28)

真実しんじち信心しんじむをうるゆへに

すなわち定ぢやう聚じゆにいりぬれば

補ふ処しよの弥み勒ろくにおなじくて

無む上じやう覚かくをさとるなり

ダイハチネハンヲマフスナリ

(290483)

像法ざうぼふのときの智ち人にんも

自じ力りきの諸教しよけうをさしおきて

時機じき相応さうおうの法ほふなれば

トキトシユジヤウトアイカナヘルホフトイフナリ

念仏門もんにぞいりたまふ

(30)

弥陀みだの尊号そんがうとなへつゝ

信楽しんげうまことにうる人は

憶念おくねむの心つねにして

仏恩ぶちおん報ほうずるおもひあり

(310484)

五ご濁ぢよく悪あく世せの有う情じやうの

選せん択ぢやく本ほん願ぐわん信しんずれは

不可ふか称しよう不可ふか説せち不可思議ふかしぎの

功く徳どくは信しん者じゃぞたまわれる

(32)

无むげ光くわう仏ぶちのみことには

未み来らいの有う情じやう利りせむとて

大勢だいせい至し菩ぼ薩さちに

智慧ちゑの念仏さづけしむ

(330485)

濁ぢよく世せの有う情じやうをあはれみて

勢せい至し念仏すゝめしむ

信心しんじむの人ひとを摂取せふしゆして

オサメトリタマフトナリ

浄じやう土どに帰入くゐにふせしめけり

(34)

弥陀みだ・釈しや迦かの慈悲じひよりぞ

オムスヽメヨリマコトノシンジムヲタマ⊂⊃トシルベシ

願ぐわん作さ仏心ぶちしむはえしめたる

ジヤウドノダイボダイシムナリ

ホトケニナラムトチカヒヲシンズルコヽロナリ

信心しんじむの智慧ちゑにいりてこそ

ミダノチカヒハチヱニテマシマスユヘニシンズルコヽロノイデクルハチヱノオコルトシルベシ

仏恩ぶちおむ報ほうずるみとはなれ

(350486)

智慧ちゑの念仏ねむぶちうることは

ミダノチカヒヲモテホトケニナルユヘニチヱノネムブチトマフスナリ

法蔵ほふざう願ぐわん力りきのなせるなり

信心しんじむの智慧ちゑなかりせば

いかでか涅槃ねちはんをさとらまし

マコトノホトケニナルヲマフスナリ

(36)

无む明みやう長ぢやう夜やの灯とう炬こなり

ツネノトモシビ

オホキナルトモシビ

ミダノオムチカヒヲモシビニタトヘマフス也

ボムナウヲナガキヨニタトフ

智ti眼げんくらしとかなしむな

チヱノマナコナリ

生しやう死じ大海だいかいの船筏せむばちなり

ミダノグワンヲフネイカダニトトヘタルナリ

罪ざい障しやうおもしとなげかざれ

ツミ

サワリ

(370487)

願ぐわん力りき无窮むぐにましませば

ホトケノオムチカラキワマリナシトナリ

罪業ざいごふ深重じむぢうもおもからす

ツミ

フカクオモキ

ツミノサワリフカクオモシトオモフベカラズトナリ

仏ぶち智ち无む辺へんにましませば

ホトケノチヱキワナクヒロクマシマストシルベシトナリ

散乱さんらん放逸はういちもすてられず

コヽロノチリミダル

オモフサマナルモノトイフ

ワレラガコヽロノチリミダレテワルキヲキラハズジヤウドニマイルベシトシルベシトナリ

(38)

如来によらいの作さ願ぐわんをたづぬれば

ミダニヨライノヒグワンヲオコシタマヒシコトヲマフスナリ

苦く悩なうの衆しゆ生じやうをすてずして

廻ゑ向かうを首しゆとしたまひて

ジヒノハジメトシカシラトシテダイジダイヒシムヲエタマヘルナリトシルベシ

カシラトシハジメテ

大だい悲ひ心しむおば成じやう就じゆせり

ミダノダイジダイヒシムヲエタマヘリトシルベシトナリ

(390488)

真実しんじち信心しんじむの称名しやうみやうは

弥陀みだ廻ゑ向かうの法ほふなれば

不ふ廻ゑ向かうとなづけてぞ

ギヤウジヤノヱカウニアラズ カルガユヘニフヱカウトイフ ワウジヤウエウシフニアカセリ

ギヤウジヤノヱカウニアラズトシルベシトナリ

自じ力りきの称しよう念ねむきらはるゝ

(40)

弥陀みだ智ち願ぐわんの広くわう海かいに

凡ぼむ夫ぶ善悪ぜんあくの心水しむしゐも

ゼンアクノコヽロヲミヅニタトヘタルナリ

帰入くゐにふしぬればすなはちに

大だい悲ひ心しむとぞ転てんずなる

サマザマノミヅノウミニイリテスナワチシホトナルガゴトクゼンアクノコヽロノミヅミナダイヒノシムニナルナリ

(410489)

造悪ざうあくこのむわが弟子でしの

シヤクソンノミデシノワルクナリユクトナリ

邪見じやけん放逸はういちさかりにて

末まち世せにわが法ほふ破はすべしと

シヤクソンノミノリヲヤブルベシトミコトニアラワセリ

¬蓮華れんぐゑ面めん経ぎやう¼にときたまふ

(42)

念仏誹ひ謗はうの有う情じやうは

阿鼻あび地ぢ獄ごくに堕だ在ざいして

ムケンヂゴクナリ

オチヰルトナリ

八万はちまん劫ごふ中ちう大だい苦く悩なう

ひまなくうくとぞときたまふ

(430490)

真実しんじち報ほう土どの正しやう因いんを

二に尊そんの御みことにたまはりて

正定しやうぢやう聚じゆに住ぢゆすれば

かならず滅めち度どをさとるなり

ダイハチネハンナリ

(44)

十方じふぱう无む量りやうの諸仏しよぶちの

証誠しようじやう護ご念ねむの御みことにて

自じ力りきの大だい菩ぼ提だい心しむの

かなはぬほどはしりぬべし

(450491)

真実しんじち信心しんじむうることは

末法まちぽふ濁ぢよく世せにまれなりと

恒沙ごうじやの諸仏しよぶちの証誠しようじやうに

えがたきほどをあらはせり

(46)

往相わうさう・還ぐゑん相さうの廻ゑ向かうに

ミダノニシユノヱカウナリ

まうあはぬみとなりにせば

流る転てん輪りん廻ゑもきわもなし

ルテンシヤウジ

リンヱシヤウジ

苦く海かいの沈淪ちむりんいかゞせん

(470492)

仏ぶち智ち不思議ふしぎを信しんずれば

正定しやうぢやう聚じゆにこそ住ぢゆしけれ

化くゑ生しやうの人ひとは智慧ちゑすぐれ

无む上じやう覚かくおぞさとりける

(48)

不思議ふしぎの仏ぶち智ちを信しんずるを

報ほう土どの因いんとしたまへり

信心しんじむの正しやう因いんうることは

かたきがなかになほかたし

(490493)

无始むし流る転てんの苦くをすてゝ

无む上じやう涅槃ねちはんを期ごすること

如来によらい二に種しゆの廻ゑ向かうの

恩徳おむどくまことに謝しやしがたし

(50)

報ほう土どの信者しんじやはおほからず

化くゑ土どの行ぎやう者じやはかずおほし

自じ力りきの菩ぼ提だいかなはねば

久く遠劫おんごふより流る転てんせり

(510494)

南无なも阿弥陀あみだ仏ぶちの廻ゑ向かうの

恩徳おむどく広くわう大だい不思議ふしぎにて

往相わうさう廻ゑ向かうの利り益やくには

還ぐゑん相さう廻ゑ向かうに廻ゑ入にふせり

(52)

往相わうさう廻ゑ向かうの大だい慈じより

還ぐゑん相さう廻ゑ向かうの大だい悲ひをう

如来によらいの廻ゑ向かうなかりせば

浄じやう土どの菩ぼ提だいはいかゞせん

(530495)

弥陀みだ・観くわん音おむ・大勢だいせい至し

大だい願ぐわんの船ふねに乗じようじてぞ

生しやう死じの海うみにうかびつゝ

衆しゆ生じやうをよばふてのせたまふ

(54)

弥陀みだ大だい悲ひの誓せい願ぐわんを

ふかく信しんぜん人ひとはみな

ねてもさめてもへだてなく

南无なも阿弥陀あみだ仏ぶちととなふべし

(550496)

聖しやう道だう門もんの人ひとはみな

自じ力りきの心しむをむねとせり

他た力りき不思議ふしぎにいりぬれば

義ぎなきを義ぎとすと信しん知ちせり

(56)

釈しや迦かの遺ゆい法ほふましませど

修しゆすべき有う情じやうのなきゆへに

さとりうるもの末法まちぽふに

一人もあらじとときたまふ

(570497)

三朝さむてう浄じやう土どの大だい師し等とう

テンヂクシムタンコノクニヲサムテウトイフナリ

ジヤウドシユノソシヲマフスナリ

哀愍あいみん摂受せふじゆしたまひて

アワレミタマヘト

オサメウケタマヘトナリ

真実しんじち信心しむじんすゝめしめ

定ぢやう聚じゆのくらゐにいれしめよ

カナラズホトケニナルクラヰニスヽメイレタマヘトナリ

(58)

他た力りきの信心しんじむうる人を

うやまひおほきによろこめば

すなわちわが親しん友うぞと

教主けうしゆ世せ尊そんはほめたまふ

(590498)

如来によらい大だい悲ひの恩徳おむどくは

身みを粉こにしても報ほうずべし

師し主しゆ知ち識しきの恩徳おむどくも

骨ほねを砕くだきても謝しやすべし

已上正像末法和讃

  弥陀如来和讃 五十八首

 

 

愚禿述懐

(600499)

仏智疑惑罪過

不ふ了れう仏ぶち智ちのしるしには

如来によらいの諸しよ智ちを疑ぎ惑わくして

罪福ざいふく信しんじ善本ぜんぽんを

たのめば辺へん地ぢにとまるなり

(--)

(610500)

罪福ざいふく信しんずる行ぎやう者じやは

仏ぶち智ちの不思議ふしぎをうたがひて

疑ぎ城じやう胎たい宮ぐにとゞまれば

三宝さむぼうにはなれたてまつる

(62)

仏ぶち智ち疑ぎ惑わくの罪つみにより

懈け慢まん辺へん地ぢにとまるなり

疑ぎ惑わくの罪つみのふかきゆへ

年歳ねんさい劫数こふしゆをふるととく

(630501)

転輪皇てんりんわうの王子の

皇わうにつみをうるゆへに

金こむ鎖さをもちてつなぎつゝ

ワウノコナレバトテコガネノクサリニテツナガムトタトヘタリ

牢獄らうごくにいるがごとくにて

ジリキノネムブチシヤヲワウノコノツミフカクシテゴクニイマシムルニタトフルナリ

(64)

自じ力りき称名しようみやうの人はみな

如来によらいの本ほん願ぐわん信しんぜねば

うたがひのつみのふかきゆへ

七宝しちぽうの獄ごくにぞいましむる

(800502)

信心の人におとらじと

疑心自力の行者も

如来大悲の恩をしり

称名念仏はげむべし

(81)

自力諸善の人ひとはみな

仏智の不思議をうたがへば

自業自得の道理にて

七宝の獄にぞいりにける

(650503)

仏ぶち智ち不思議ふしぎをうたがひて

善本ぜんぽん徳本とくほんたのむ人

辺へん地ぢ懈け慢まんにむまるれは

大だい慈じ大だい悲ひはえざりけり

(66)

本ほん願ぐわん疑ぎ惑わくの行ぎやう者じやには

含花がむくゑ未み出しゆつの人もあり

ハナニフウマルヽナリ

或わく生しやう辺へん地ぢときらひつゝ

アルヒハヘンヂニムマルヽトイフ

或わく堕だ宮く胎たいとすてらるゝ

アルイハクタイニオツトイフ

(670504)

如来の諸しよ智ちを疑ぎ惑わくして

信しんぜずながらなほもまた

罪福ざいふくふかく信しんぜしめ

善本ぜんぽん修習しゆじふすぐれたり

(68)

仏ぶち智ちを疑ぎ惑わくするゆへに

胎たい生しやうのものは智慧ちゑもなし

胎たい宮ぐにかならずむまるゝを

牢獄らうごくにいるとたとへたり

(690505)

七宝しちぽうの宮く殿でんにむまれては

五百歳さいのとしをへて

三宝さむぼうを見聞けんもんせざるゆへ

有う情じやう利り益やくはさらになし

(70)

辺へん地ぢ七宝しちぽうの宮く殿でんに

五百歳さいまでいでずして

みづから過くわ咎ぐをなさしめて

トガツミ

もろもろの厄やくをうくるなり

モロクアヤウキナリ

(710506)

罪福ざいふくふかく信しんじつゝ

善本ぜんぽん修習しゆじふする人は

疑ぎ心しむの善人ぜんにんなるゆへに

方便はうべん化くゑ土どにとまるなり

(72)

弥陀みだの本ほん願ぐわん信しんぜねば

疑ぎ惑わくを帯たいしてむまれつゝ

華はなはすなわちひらけねば

胎たいに処しよするにたとえたり

(730507)

ときに慈氏じし菩薩の

ミロクナリ

世せ尊そんにまふしたまひけり

何が因いん何が縁えんいかなれば

胎たい生しやう・化生となづけたる

(74)

如来によらい慈氏じしにのたまはく

ミロクナリ

疑ぎ惑わくの心をもちながら

善本修するをたのみにて

胎たい生辺へん地ぢにとゞまれり

(750508)

仏ぶち智ち疑ぎ惑わくの罪つみゆへに

五百歳まて牢獄らうごくに

かたくいましめおはします

これを胎たい生とときたまふ

(76)

仏ぶち智ち不思議ふしぎをうたがひて

罪福ざいふく信しんずる有う情じやうは

宮く殿でんにかならずむまるれば

胎たい生しやうのものとときたまふ

(770509)

自じ力りきの心しむをむねとして

不思議ふしぎの仏ぶち智ちをたのまねば

胎たい宮ぐにむまれて五ご百ひやく歳さい

三宝さむぽうの慈悲じひにはなれたり

(78)

仏ぶち智ちの不思議ふしぎを疑ぎ惑わくして

罪福ざいふく信しんじ善本ぜんぽんを

修しゆして浄じやう土どをねがふおば

胎たい生しやうといふとときたまふ

(790510)

仏ぶち智ちうたがふつみふかし

この心しむおもひしるならば

くゆるこゝろをむねとして

仏ぶち智ちの不思議ふしぎをたのむべし

^已上疑ぎ惑わく罪過二十二首

仏ぶち智ちうたがふつみとがの、 ふかきことをあらはせり。 これをへんぢけまんたいしやうなんどゝいふなり。

愚禿親鸞作

 0511

(83)

(--0512)

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(--0513)

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(--0514)

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(--0515)

(39)

上宮太子方便し

和国の有情をあわれみて

如来によらいの悲願弘宣せり

ヒロメノベタマヘリ

慶喜奉讃せしむべし

ヨロコビテホメタテマツルベシトナリ

(--0516)

(--)

 

愚0517禿悲歎述懐

(82)

浄土真宗に帰すれども

真実の心はありがたし

虚仮こけ不ふ実じちのこのみにて

清浄の心もさらになし

(830518)

外ぐゑ儀ぎのすがたはひとごとに

賢善けんぜん精しやう進じん現げんぜしむ

貪瞋とむじん・邪偽じやぐゐおほきゆへ

奸かむ詐さもゝはし身みにみてり

(84)

悪あく性しやうさらにやめがたし

こゝろは蛇蝎じやかちのごとくなり

修善しゆぜんも雑毒ざふどくなるゆへに

虚仮こけの行ぎやうとぞなづけたる

(850519)

无む慙ざむ无む愧ぐゐのこのみにて

まことのこゝろはなけれども

弥陀の廻向の御名みななれば

功徳は十方にみちたまふ

(86)

小慈じ小悲ひもなきみにて

有う情じやう利り益やくはおもふべき

如来によらいの願船せむいまさずは

苦海をいかでかわたるべき

(870520)

蛇蝎じやかち奸かむ詐さのこゝろにて

自力の修善はかなふまじ

如来によらいの廻向をたのまでは

无慙无愧にてはてぞせん

(88)

愚禿悲嘆の述懐

五濁増のしるしには

このよの道俗ことごとく

外儀は仏教のすがたにて

内心外道を帰敬せり

(890521)

かなしきかなや道俗の

良りやう時じ・吉日きちにちえらばしめ

天神・地祇をあがめつゝ

卜占ぼくせい祭さい祀しをつとめとす

ウラ

マツリ

ハラエ

(90)

僧ぞ法師といふ御名は

たうときことゝきゝしかど

提婆五邪の法ににて

いやしきものになづけたり

(910522)

外道ぐゑだう・梵ぼむ士じ・尼に乾けん志しに

こゝろはかわらぬものとして

如来の法ほふ衣えをつねにきて

一切鬼神をあがむめり

(92)

かなしきかなやこのごろの

和国の道俗みなともに

仏教の威儀ゐぎをことゝして

天地の鬼神を尊敬す

(--0523)

(--)

(浄別尾50524)

罪業ざいごふもとより所しよ有うなし

妄想まうざう顛倒てんだうよりおこる

心しむ性しやうみなもときよければ

衆しゆ生じやうすなわち仏なり

(--)

(--0525)

   ^已上三十三首

  愚禿悲嘆述懐

 

(浄別尾4)0526

无明法性ことなれど

心しむはすなわち一ひとつなり

この心しむすなわち涅槃ねちはんなり

この心しむすなわち如来によらいなり

(38)

大日本国粟散王

仏法弘興の上宮ぐ王わう

ヒロメオコシタマフトナリ

恩徳ふかくひろくます

オハシマストナリ

奉讃たえずおもふべし

ホメタテマツルベシトナリ

(--0527)

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(--0529)

(自然法爾章)

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^0530

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(--0531)

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草0532本云

*正嘉二歳九月廿四日

        親鸞 八十六歳

 *正応三年 庚寅 九月廿五日令書写之畢

¬涅槃経¼ にのたまはく、

「面おもては浄じょう満月まんがつのごとし、 眼まなこは青しょう蓮れん花げのごとし。 仏法ぶっぽう大海だいかいの水みず、 阿あ難なんの心しんに流る入にゅうす。」

¬涅槃経¼言

「面 て◗は如↢し浄じやう満まん月↡の、眼 こ◗は若ごと↢し青蓮花↡の。仏法大海◗の水みづ、流る↢入にふ◗す阿難◗の心しむ↡に。」

¬観念法門¼ にいはく、

「また敬うやまひて一切いっさい往おう生じょう人等にんとうにまうさく、 もしこの語ことばを聞きかば、 すなはち声こえに応おうじて悲かなしみ涙なみだを雨ふるべし。 連劫れんごう累劫るいこうにも、 身みを粉こにし骨ほねを砕くだきて、 仏恩ぶっとんを報謝ほうしゃせよ。」文

¬観念法門¼云

「又敬◗て白まふ↢ さく一切往生人等にんとう↡に、若も◗し聞き↢ かば此◗の語ことば↡を、即◗ち応↠ じて声◗に悲 しみ雨ふ↠ るべし涙なみだ。を連劫れんごふ累劫るいこふ、 にも粉こ↠ にし身◗を砕くだ↠ きて骨ほね、を報↢謝 せよ仏恩↡を。」文