ほんじすいじゃく 本地垂迹 略して本迹ともいう。 本地は本体、 本源の意。 垂迹は迹を垂れるの意で仏・菩薩などが衆生救済のために仮のすがたを現わすことをいう。 日本では、 奈良・平安時代頃から仏と神道の神々との関係をあらわすために用いられた。 特に熊野本宮の証誠殿に祀られる祭神の本地は阿弥陀仏であると伝えられており、 ¬御伝鈔¼ 下巻5段にも 「証誠殿の本地すなはちいまの教主なり」 と記されている。 なお、 親鸞は法然について、 ¬浄土和讃¼ 「勢至讃」 では 「源空聖人御本地なり」 と述べ大勢至菩薩を、 ¬高僧和讃¼ では 「本師源空の本地をば 世俗のひとびとあひつたへ 綽和尚と称せしめ あるいは善導としめしけり」 と述べ、 道綽・善導をその本地と示している。 なお後世には、 神道の立場から仏・菩薩の本地を神とする説も説かれた。