三(416)、 往生大要抄

▲往おう生じょう大要たいよう抄しょう 第三だいさん

いまわが浄じょう土ど宗しゅうには、 二に門もんをたてゝ釈しゃ迦か一代いちだいの説せっ教きょうをおさむるなり。 いはゆる聖しょう道どう門もん・浄じょう土ど門もんなり。

はじめ花け厳ごん・阿あ含ごんより、 おはり法ほっ華け・涅ね槃はんにいたるまで、 大だい小乗しょうじょうの一切いっさいの諸しょ経きょうにとくところの、 この娑しゃ婆ば世せ界かいにありながら断迷だんめい開かい悟ごのみちを、 聖しょう道どう門もんとは申もうすなり。 これにつきて大だい乗じょうの聖しょう道どうあり、 小乗しょうじょうの聖しょう道どうあり。 大だい乗じょうにも二にあり、 すなはち仏ぶつ乗じょうと菩ぼ薩さつと也なり。 小乗しょうじょうに二にあり、 すなはち声しょう聞もんと縁覚えんがくとの二に乗じょうなり。 これをすべて四し乗じょうとなづく。

仏ぶつ乗じょうとは、 即身そくしん成じょう仏ぶつの教おしえなり。 真言しんごん・達だつ磨ま・天てん0417臺だい・花け厳ごん等とうの四し乗じょうにあかすところなり。

すなはち真言しんごん宗しゅうには、 「父母ぶも所しょ生しょう身しん、 速そく証しょう大覚だいかく位い」 (発菩提心論) と申もうして、 この身みながら、 大日だいにち如来にょらいのくらゐにのぼるとならふ也なり。

仏心ぶっしん宗しゅうには、 「前仏ぜんぶつ後ご仏ぶつ以い心しん伝心でんしん」 (達磨大師血脈論) とならひて、 たちまちに人ひとの心こころをさしてほとけと申もうすなり。 かるがゆえに即身そくしん是ぜ仏ぶつの法ほうとなづけて、 成じょう仏ぶつとは申もうさぬなり。 この法ほうは、 釈しゃく尊そん入にゅう滅めつの時とき、 ¬涅ね槃はん経ぎょう¼ をときおはりてのち、 たゞ一いち偈げをもちて迦か葉しょう尊者そんじゃに付ふ嘱ぞくし給たまへる法ほうなり。

天臺てんだい宗しゅうには、 煩悩ぼんのう即そく菩ぼ提だい生しょう死じ即そく涅ね槃はんと観かんじて、 観心かんしんにてほとけになるとならふ也なり。 八才はっさいの龍りゅう女にょが、 南方なんぽう无垢むく世せ界かいにしてたちまちに正しょう覚がくをなりし、 その証しょうなり。

華け厳ごん宗しゅうには、 「初しょ発心ほっしん時じ便べん成じょう正しょう覚がく」 (晋訳華厳経巻八梵行品) とて、 又また即身そくしん成じょう仏ぶつとならふなり。 これらの宗しゅうには、 みな即身そくしん頓とん証しょうのむねをのべて、 仏ぶつ乗じょうとなづくるなり。

つぎに菩ぼ薩さつ乗じょうといは、 歴りゃっ劫こう修しゅ行ぎょう成じょう仏ぶつの教おしえなり。 三論さんろん・法相ほっそうの二に宗しゅうにならふところなり。

すなはち三論さんろん宗しゅうには、 八はっ不ぷ中ちゅう道どうの无む相そうの観かんに住じゅうして、 しかも心こころには四弘しぐ誓願ぜいがんをおこし、 身みには六ろっ波羅ぱら蜜みつを行ぎょうじて、 三さん僧そう祗ぎに菩ぼ薩さつの行ぎょうを修しゅしてのち、 ほとけになると申もうす也なり。

法相ほっそう宗しゅうには、 五ご重じゅう唯識ゆいしきの観かんに住じゅうして、 しかも四弘しぐをおこし、 六ろく度どを行ぎょうじて三さん僧そう祗ぎをへて、 ほとけになると申もうすなり。 これらを菩ぼ薩さつ乗じょうとなづく。

つぎに縁覚えんがく乗じょうといは、 飛花ひけ落葉らくようを見みて、 ひとり諸法しょほうの无む常じょうをさ0418とり、 あるいは十じゅう二に因縁いんねんを観かんじて、 ときは四し生しょう、 おそきは百ひゃっ劫こうにさとりをひらくなり。

つぎに声しょう聞もん乗じょうといは、 はじめ不ふ浄じょう・数息しゅそくを観かんずるより、 おはり四し諦たいの観かんにいたるまで、 ときは三さん生しょう、 おそきは六ろく十劫じっこうに四し向こう三さん果かのくらゐをへて、 大だい羅ら漢かんの極ごく位いにいたる也なり。 この二に乗じょうの道どうは、 成じょう実じつ・倶く舎しゃの両宗りょうしゅうにならふところ也なり。

又また声しょう聞もんにつきて、 戒かい行ぎょうをそなふべし。 比丘びくは二に百ひゃく五ご十戒じっかいを受じゅ持じし、 比丘びく尼には五ご百ひゃっ戒かいを受じゅ持じするなり。 五ご篇へん・七聚しちじゅの戒かいとなづくる也なり。 又また沙しゃ弥み・沙しゃ弥み尼にの戒かい、 式しき沙しゃ摩尼まにの六法ろっぽう、 優婆うば塞そく・優婆うば夷いの五ご戒かい、 みなこれ律りっ宗しゅうのなかにあかすところ也なり。

およそ大だい小乗しょうじょうをえらばず、 この四し乗じょうの聖しょう道どうは、 われらが身みにたへ、 時ときにかなひたる事ことにてはなき也なり。 もし声しょう聞もんのみちにおもむくは、 二に百ひゃく五ご十戒じっかいたもちがたし、 苦く・集じゅう・滅めつ・道どうの観かん成じょうじがたし。 もし縁覚えんがくの観かんをもとむとも、 飛花ひけ落葉らくようのさとり、 十じゅう二に因縁いんねんの観かん、 ともに心こころもおよばぬ事ことなり。 三聚さんじゅ・十重じゅうじゅうの戒かい行ぎょう発得ほっとくしがたし、 四弘しぐ・六ろく度どの願がん行ぎょう成じょう就じゅしがたし。

身しん子しは六ろく十劫じっこうまで修しゅ行ぎょうして、 乞眼こつげんの悪縁あくえんにあひて、 たちまちに菩ぼ薩さつの広大こうだいの心こころをひるがへしき。 いはんや末法まっぽうのこのごろをや、 下げ根こんのわれらをや。

たとひ即身そくしん頓とん証しょうの理りを観かんずとも、 真言しんごんの入にゅう我が々が入にゅう・阿字あじ本ほん不ふ生しょうの観かん、 天臺てんだいの三観さんがん・六即ろくそく・中ちゅう道どう真相しんそうの観かん、 華け厳ごん宗しゅうの法界ほっかい唯心ゆいしんの観かん、 仏心ぶっしん宗しゅうの即身そくしん是ぜ仏ぶつの観かん0419、 理りはふかく解さとりは[あさ]し。

かるがゆえに末代まつだいの行ぎょう者じゃ、 その証しょうをうるに、 きはめてかたし。 このゆへに、 道どう綽しゃく禅ぜん師じは 「▲聖しょう道どうの一種いっしゅは、 今こん時じは証しょうしがたし」 (安楽集巻上) との給たまへり。 すなはち ¬大だい集じゅうの月蔵がつぞう経きょう¼ をひきて、 おのおの行ぎょうずべきありやうをあかせり。 こまかにのぶるにおよばず。

つぎに浄じょう土ど門もんは、 まづこの娑しゃ婆ば世せ界かいをいとひすてゝ、 いそぎてかの極楽ごくらく浄じょう土どにむまれて、 かのくにゝして仏道ぶつどうを行ぎょうずる也なり。 しかれば、 かつがつ浄じょう土どにいたるまでの願がん行ぎょうをたてゝ、 往おう生じょうをとぐべきなり。 しかるにかのくにゝむまるゝ事ことは、 すべて行ぎょう者じゃの善悪ぜんあくをゑらばず、 たゞほとけのちかひを信しんじ信しんぜざるによる。 五ご逆ぎゃく・十じゅう悪あくをつくれるものも、 たゞ一念いちねん・十じゅう念ねんに往おう生じょうするは、 すなはちこのことはり也なり。

このゆへに道どう綽しゃくは、 「▲たゞ浄じょう土どの一門いちもんの[み]ありて、 通つう入にゅうすべきみちなり」 (安楽集巻上) と釈しゃくし給たまへり。 「通つうじているべし」 といふにつきて、 わたくしに心こころうるに、 二ふたつの心こころあるべし。 一ひとつにはひろく通つうじ、 二ふたつにはとをく通つうず。

ひろく通つうずといは、 五ご逆ぎゃくの罪人ざいにんをあげてなを往おう生じょうの機きにおさむ、 いはんや余よの軽きょう罪ざいをや、 いかにいはんや善人ぜんにんをやと心こころえつれば、 往おう生じょうのうつはものにきらはるゝものなし。 かるがゆえにひろく通つうずといふ也なり。

とをく通つうずといは、 「▲末法まっぽう万年まんねんのゝち法滅ほうめつ百ひゃく歳さいまでこの教おしえと0420ゞまりて、 その時ときにきゝて一念いちねんする、 みな往おう生じょうす」 (大経巻下意) といへり。 いはんや末法まっぽうのなかをや、 いかにいはんや正しょう法ぼう・像法ぞうぼうをやと心こころえつれば、 往おう生じょうの時ときもるゝ世よなし。 かるがゆへにとをく通つうずといふなり。

しかれば、 このごろ生しょう死じをはなれんとおもはんものは、 難なん証しょうの聖しょう道どうをすてて、 易い往おうの浄じょう土どをねがふべき也なり。 又またこの聖しょう道どう・浄じょう土どをば、 難なん行ぎょう道どう・易い行ぎょう道どうとなづけたり。

たとへをとりてこれをいふには、 「▲難なん行ぎょう道どうとはさかしきみちをかちよりゆかんがごとし、 ▲易い行ぎょう道どうとは海かい路ろをふねよりゆくがごとし」 (十重論巻五易行品意) といへり。 しかるに目めしゐ、 あしなえたらんものは、 陸ろく地じにはむかふべからず。 たゞふねにのりてのみむかひのきしにはつくべき也なり。

しかるにこのごろ、 われらは智恵ちえのまなこしゐて、 行ぎょう法ほうのあしおれたるともがら也なり。 聖しょう道どう難なん行ぎょうのさかしきみちには、 すべてのぞみをたつべし。 たゞ弥陀みだの願がんのふねにのりてのみ、 生しょう死じのうみをわたりて極楽ごくらくのきしにはつくべきなり。 いまこのふねといは、 すなはち弥陀みだの本願ほんがんにたとふる也なり。 この本願ほんがんといは、 四し十じゅう八願はちがん也なり。

そのなかに、 第だい十じゅう八はちの願がんをもて、 衆しゅ生じょうの往おう生じょうの行ぎょうのさだめたる本願ほんがんとせり。 二に門もんの大たい旨し、 略りゃくしてかくのごとし。 聖しょう道どうの一門いちもんをさしおきて浄じょう土どの一門いちもんにいらんとおもはん人ひとは、 道どう綽しゃく・善導ぜんどうの釈しゃくをもて所しょ依えの 「三さん部ぶ経きょう」 を習ならふべきなり。 さきには聖しょう道どう0421・浄じょう土どの二に門もんを分別ふんべつして、 浄じょう土ど門もんにいるべきむねを申もうしひらきつ。 いまは浄じょう土どの一門いちもんにつきて、 修しゅ行ぎょうすべきやうを申もうすべし。

浄じょう土どに往おう生じょうせんとおもはば、 心しんと行ぎょうとの相応そうおうすべきなり。 かるがゆへに善導ぜんどうの釈しゃくにいはく、 「▲たゞしその行ぎょうのみあるは、 行ぎょうすなはちひとりにして、 又またいたるところなし。 たゞその願がんのみあるは、 願がんすなはちむなしくして、 又またいたるところなし。 かならず願がんと行ぎょうとをあひともにたすけて、 ためにみな克こくするところ也なり。 およそ往おう生じょうのみにかぎらず、 聖しょう道どう門もんの得道とくどうをもとめんにも、 心しんと行ぎょうとを具ぐすべし」 (玄義分意) といへり。 発心ほっしん修しゅ行ぎょうとなづくる、 これなり。

いまこの浄じょう土ど宗しゅうに、 善導ぜんどうのごとくは安心あんじん・起き行ぎょうとなづけたり。 まづその安心あんじんといは、 ¬観かん无む量りょう寿じゅ経きょう¼ にといていはく、 「▲もし衆しゅ生じょうありて、 かのくにゝむまれんとねがはんものは、 三種さんしゅの心しんをおこしてすなはち往おう生じょうすべし。 ◆なにをか三さんとする。 一いちには至し誠じょう心しん、 二にには深心じんしん、 三さんには廻え向こう発願ほつがん心しんなり。 三心さんしんを具ぐするものは、 かならずかのくにゝむまる」 といへり。 善導ぜんどう和か尚しょうの ¬観かん経ぎょうの疏しょ¼、 ならびに ¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ の序じょにこの三心さんしんを釈しゃくし給たまへり。

「一いちに至し誠じょう心しん」 といは、 まづ ¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ の文もんをいださば、 「▲一いちには至し誠じょう心しん。 いはゆる身業しんごうにかのほとけを礼拝らいはいせんにも、 口く業ごうにかのほとけを讃嘆さんだん称しょう揚ようせんにも、 意い業ごう0422にかのほとけを専念せんねん観察かんざつせんにも、 およそ三業さんごうをおこすには、 かならず真実しんじつをもちゐよ。 かるがゆへに至し誠じょう心しんとなづく」 といへり。

つぎに ¬観かん経ぎょうの疏しょ¼ (散善義意) の文もんをいださば、 「▲一いちには至し誠じょう心しんといは、 ◆至しとは真しんなり、 誠じょうといは実じつなり。 ◆一切いっさい衆しゅ生じょうの身しん口意くい業ごうの所修しょしゅの解げ行ぎょう、 かならず真実しんじつ心しんのなかになすべき事ことをあかさんとおもふ。 ◆ほかには賢善けんぜん精しょう進じんの相そうを現げんじて、 うちには虚仮こけをいだく事ことなかれ。 ▲善ぜんの三業さんごうをおこす事ことは、 かならず真実しんじつ心しんのなかになすべし。 ◆内ない外げ明みょう闇あんをゑらばず、 みな真実しんじつをもちゐよ」 といへり。

この二ふたつの釈しゃくをひいて、 わたくしに了りょう簡けんするに、 至し誠じょう心しんといは真実しんじつの心こころなり。 その真実しんじつといは、 内ない外げ相応そうおうの心こころなり。 身みにふるまひ、 口くちにいひ、 意こころにおもはん事こと、 みな人ひとめをかざる事ことなく、 ま事ことをあらはす也なり。 しかるを、 人ひとつねにこの至し誠じょう心しんを熾し盛じょう心しんと心こころえて、 勇ゆう猛みょう強ごう盛じょうの心こころをおこすを至し誠じょう心しんと申もうすは、 この釈しゃくの心こころにはたがふ也なり。 文もん字じもかはり、 心こころもかはりたるものを。

さればとて、 その猛みょう利りの心こころはすべて至し誠じょう心しんをそむくと申もうすにはあらず。 それは至し誠じょう心しんのうゑの熾し盛じょう心しんにてこそあれ。 真実しんじつの至し誠じょう心しんを地じにして、 熾し盛じょうなるはすぐれ、 熾し盛じょうならぬはおとるにてある也なり。 これにつきて、 九く品ぼんの差別しゃべつまでもこゝろうべき也なり。

されば善導ぜんどうの ¬観かん経ぎょうの疏しょ¼ (散善義) に0423、 九く品ぼんの文もんを釈しゃくするしたに、 一一いちいちの品ほんごとに 「▲辨べん定じょう三心さんしん以為いい正しょう因いん」 とさだめて、 「▲この三心さんしんは九く品ぼんに通つうずべし」 (散善義意) と釈しゃくし給たまへり。 恵え心しんもこれをひきて、 「▲禅ぜん師じの釈しゃくのごときは、 理り九く品ぼんに通つうずべし」 (要集巻中) とこそはしるされたれ。 この三心さんしんのなか、 かの至し誠じょう心しんなれば、 至し誠じょう心しんすなはち九く品ぼんに通つうずべき也なり。

又また至し誠じょう心しんは、 深心じんしんと廻え向こう発願ほつがん心しんとを体たいとす。 この二ふたつをはなれては、 なにゝよりてか至し誠じょう心しんをあらはすべき。 ひろくほかをたづぬべきにあらず、 深心じんしんも廻え向こう発願ほつがん心しんもまことなるを至し誠じょう心しんとはなづくる也なり。 三心さんしんすでに九く品ぼんに通つうずべしと心こころえてのうゑには、 その差別しゃべつのあるやうをこゝろうるに、 三心さんしんの浅深せんじん強ごう弱にゃくによるべき也なり。

かるがゆへに上じょう品ぼん上生じょうしょうには、 ¬経きょう¼ (観経) に 「▲精しょう進じん勇ゆう猛みょうなるがゆへに」 とゝき、 釈しゃくには 「▲日数にっしゅすくなしといへども、 作さ業ごうはげしきがゆへに」 (玄義分) といへり。 又また上じょう品ぼん中生ちゅうしょうをば、 「▲行ぎょう業ごうやゝよはくして」 と釈しゃくし、 上じょう品ぼん下げ生しょうをば、 「▲行ぎょう業ごうこわからず」 なんど釈しゃくせられたれば、 三心さんしんにつきて、 こわきもよわきもあるべしとこそこゝろえられたれ。

よわき三心さんしん具ぐ足そくしたらん人ひとは、 くらゐこそさがらんずれ、 なを往おう生じょうはうたがふべからざる也なり。 それは強ごう盛じょうの心こころをおこさずは至し誠じょう心しんかけて、 ながく往おう生じょうすべからずと心こころえて、 みだりに身みをもくだし、 あまさへ人ひとをもかろしむる人々ひとびとの不ふ便びんにおぼゆる也なり。 さらなり強ごう盛じょうの心こころの0424おこらんは、 めでたき事ことなり。

¬善導ぜんどうの十徳じっとく¼ のなかに、 はじめの至し誠じょう念仏ねんぶつの徳をいだすにも、 「▲一心いっしんに念仏ねんぶつして、 ちからのつくるにあらざればやまず、 乃ない至し寒かん冷りょうにも又またあせをながす、 この相そう状じょうをもて至し誠じょうをあらはす」 なんどあるなれば、 たれだれもさこそははげむべけれ。

たゞしこの定じょうなるをのみ至し誠じょう心しんと心こころえて、 これにたがはんをば至し誠じょう心しんかけたりといはんには、 善導ぜんどうのごとく至し誠じょう心しん至し極ごくして、 勇ゆう猛みょうならん人ひとばかりぞ往おう生じょうはとぐべき。 われらがごときの尩おう弱にゃくの心こころにては、 いかゞ往おう生じょうすべきと臆おくせられぬべき也なり。

かれは別べっして善導ぜんどう一人の徳とくをほむるにてこそあれ、 これは通つうじて一切いっさい衆しゅ生じょうの往おう生じょうを決けっするにてあれば、 たくらぶべくもなき事こと也なり。 所詮しょせんはたゞわれらがごときの凡ぼん夫ぶ、 をのをの分ぶんにつけて、 強ごう弱にゃく真実しんじつの心こころをおこすを、 至し誠じょう心しんとなづけたるとこそ、 善導ぜんどうの釈しゃくの心こころは見みえたれ。

文もんにつけてこまかに心こころうれば、 「△ほかには賢善けんぜん精しょう進じんの相そうを現げんじ、 うちには虚仮こけをいだく事ことなかれ」 といふは、 うちにはをろかにして、 ほかにはかしこき相そうを現げんじ、 うちには悪あくをのみつくりて、 ほかには善人ぜんにんの相そうを現げんじ、 うちには懈け怠だいにして、 ほかには精しょう進じんの相そうを現げんずるを、 虚仮こけとは申もうす也なり。 外げ相そうの善悪ぜんあくをばかへりみず、 世せ間けんの謗ほう誉よをばわきまえず、 内心ないしんに穢土えどをもいとひ、 浄じょう土どをもねがひ、 悪あくをもとゞめ、 善ぜん0425をも修しゅして、 まめやかに仏ぶつの意こころにかなはん事ことをおもふを、 真実しんじつとは申もうす也なり。

真実しんじつは虚仮こけに対たいすることば也なり。 真しんと仮けと対たいし、 虚こと実じつと対たいするゆへなり。

この真実しんじつ虚仮こけにつきてくはしく分別ふんべつするに、 四句しくの差別しゃべつあるべし。 一いちには、 ほかをかざりて、 うちにはむなしき人ひと。 二にには、 ほかをもかざらずうちもむなしき人ひと。 三さんには、 ほかはむなしく見みえて、 うちはま事ことある人ひと。 四しには、 ほかにもまことをあらはし、 うちにもまことある人ひと。

かくのごときの四し人にんのなかには、 さきの二に人にんをば、 ともに虚仮こけの行ぎょう者じゃといふべし。 のちの二に人にんをば、 ともに真実しんじつの行ぎょう者じゃといふべし。 しかれば、 たゞ外げ相そうの賢けん愚ぐ・善悪ぜんあくをばゑらばず、 内心ないしんの邪じゃ正しょう・迷めい悟ごによるべき也なり。

およそこの真実しんじつの心こころは、 人ひとことに具ぐしがたく、 事ことにふれてかけやすき心こころばへなり。 おろかにはかなしといましめられたるやうもあることはり也なり。

无始むしよりこのかた、 今身こんじんにいたるまで、 おもひならはしてさしもひさしく心こころをはなれぬ名みょう利りの煩悩ぼんのうなれば、 たたんとするにやすらかにはなれがたきなりけりと、 おもひゆるさるゝかたもあれども、 又またゆるしはんべるべき事ことならねば、 わが心こころをかへりみて、 いましめなをすべき事こと也なり。

しかるにわが心こころの程ほどもおもひしられ、 人ひとのうゑをも見みるに、 この人ひとめかざる心こころばへは、 いかにもいかにもおもひはなれぬこそ、 返々かえすがえす心こころくかな0426しくおぼゆれ。

この世よばかりをふかく執しゅうする人ひとは、 たゞまなこのまえのほめられ、 むなしき名なをもあげんとおもはんをば、 いふにたらぬ事ことにておきつ。 うき世よをそむきて、 まことのみちにおもむきたる人々ひとびとのなかにも、 返かえりてはかなくよしなき事ことかなとおぼゆる事こともある也なり。

むかしこの世よを執しゅうする心こころのふかゝりしなごりにて、 ほどほどにつけたる名みょう利りをふりすてたるばかりを、 ありがたくいみじき事ことにおもひて、 やがてそれをこの世よさまにも心こころのいろのうるせきに、 とりなしてさとりあさき世せ間けんの人ひとの心こころのそこをばしらず、 うゑにあらはるゝすがた事ことがらばかりを、 たとがりいみじがるをのみ本ほん意いにおもひて、 ふかき山やまぢをたづね、 かすかなるすみかをしむるまでも、 ひとすぢに心こころのしづまらんためとしもおもはで、 おのづからたづねきたらん人ひと、 もしはつたへきかん人ひとの、 おもはん事ことをのみさきだて[ゝ、] まがきのうち庭にわのこだち、 菴室あんしつのしつらひ、 道どう場じょうの荘しょう厳ごんなんど、 たとくめでたく、 心こころぼそく物ものあはれならん事ことがらをのみ、 ひきかえんと執しゅうするほどに、 罪つみの事ことも、 ほとけのおぼしめさん事ことをばかえりみず、 人ひとのそしりにならぬ様ようをのみおもひいとなむ事ことよりほかにはおもひまじふる事こともなくて、 ま事ことしく往おう生じょうをねがふべきかたをば思おもいもいれぬ事ことなんどのあるが、 やがて至し誠じょう心しんかけて往おう生じょうせぬ心こころば0427へにてある也なり。

又また世よをそむきたる人ひとこそ、 中々なかなかひじり名みょう聞もんもありてさやうにもあれ、 世よにありながら往おう生じょうをねがはん人ひとは、 この心こころはなにゆへにかあるべきと申もうす人のあるは、 なをこまやかに心こころえざる也なり。 世よのほまれをおもひ、 人ひとめをかざる心こころはなに事ことにもわた[る]事ことなれば、 ゆめまぼろしの栄えい花が重職じゅうしょくをおもふのみにはかぎらぬ事ことにてある也なり。

中々なかなか在ざい家けの男女なんにょの身みにて後世ごせをおもひたるをば、 心こころある事ことのいみじくありがたきとこそは人ひとも申もうす事ことなれば、 それにつけてほかをかざりて、 人ひとにいみじがられんとおもふ人ひとのあらんもかたかるべくもなし。 まして世よをすてたる人ひとなんどにむかひては、 さなからん心こころをも、 あはれをしり、 ほかにあひしらはんために、 後世ごせのおそろしさ、 この世よのいとはしさなんどは申もうすべきぞかし。

又またか様ように申もうせば、 ひとへにこの世よの人ひとめはいかにもありなんとて、 人ひとのそしりをもかへりみず、 ほかをかざらねばとて、 心こころのまゝにふるまふがよきと申もうすにてはなき也なり。 菩ぼ薩さつの譏き嫌げん戒かいとて、 人ひとのそしりになりぬべき事ことをばなせそとこそ、 いましめられたれ。 これははうにまかせてふるまえば、 放逸ほういつとてわろき事ことにてあるなり。

それに時ときにのぞみたる譏き嫌げん戒かいのためばかりに、 いさゝか人ひとめをつゝむかたは、 わざともさこそあるべき事ことを、 人ひと目めをのみ執しゅうしてま事ことのかたをもかへりみず、 往おう生じょう0428のさはりになるまでにひきなさるゝ事ことの、 返々かえすがえすもくちおしき也なり。

譏き嫌げん戒かいとなづけて、 やがて虚仮こけになる事こともありぬべし。 真実しんじつといひなして、 あまり放逸ほういつなる事こともありぬべし。 これをかまえてかまえてよくよく心こころえとくべし。 詞ことばなをたらぬ心ここちする也なり。

又またこの真実しんじつにつきて、 自利じりの真実しんじつ、 利他りたの真実しんじつあり。 又また三界さんがい六道ろくどうの自他じたの依え正しょうをいとひすてゝ、 かろしめしやし[めんに]も、 阿あ弥陀みだ仏ぶつ[の]依え正しょう二に報ほうを礼拝らいはい・讃嘆さんだん・憶念おくねんせんにも、 およそ厭えん離り穢土えど・欣ごん求ぐ浄じょう土どの三業さんごうにわたりてみな真実しんじつなるべきむね、 ¬疏しょ¼ の文もんにつぶさ也なり。 その文もんしげくして、 ことごとくいだすにあたはず。 至し誠じょう心しんのありさま、 略りゃくしてかくのごとし。

「二にに深心じんしん」 といは、 まづ ¬礼讃らいさん¼ の文もんにいはく、 「▲二に者しゃ深心じんしん。 すなはち真実しんじつの信心しんじんなり。 自じ身しんはこれ煩悩ぼんのうを具ぐ足そくせる凡ぼん夫ぶなり、 善根ぜんごん薄はく少しょうにして三界さんがいに流る転てんして火か宅たくをいでずと信しん知ちして、 いま弥陀みだの本ほん弘ぐ誓願ぜいがんの名みょう号ごうを称しょうする事ことしも十じっ声しょう・一いっ声しょうにいたるまで、 さだめて往おう生じょうする事ことをうと信しん知ちして、 乃ない至し一念いちねんもうたがふ心こころある事ことなかれ。 かるがゆえに深心じんしんとなづく」[とい]へり。

つぎに ¬観かん経ぎょう[の]疏しょ¼ (散善義意) の文もんにいはく、 「▲二にに深じん[心しんといは、] ◆すなはちこれ深信じんしんの心しんなり。 又また二に種しゅあり。 ◆一いちには決けつ定じょうしてふかく、 自じ身しんは現げんにこれ罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶなり、 広劫こうごうよりこのかた常じょう没もつ流る転てんし0429て、 出しゅつ離りの縁えんある事ことなしと信しんぜよ。

◆二にには決けつ定じょうしてふかく、 かの阿あ弥陀みだ仏ぶつの、 四し十じゅう八願はちがんをもて衆しゅ生じょうを摂しょう受じゅし給たまふ事こと、 うたがひなくおもんぱかりなくかの願力がんりきに乗じょうじてさだめて往おう生じょうする事ことをうと信しんじ、

◆又また決けつ定じょうしてふかく、 釈しゃ迦か仏ぶつ、 この ¬観かん経ぎょう¼ の三福さんぷく・九く品ぼん・定じょう散さん二に善ぜんをときて、 かのほとけの依え正しょう二に報ほうを証しょう讃さんして、 人ひとをして欣ごん慕ぼせしめ給たまふ事ことを信しんじ、

◆又また決けつ定じょうしてふかく、 ¬弥陀みだ経きょう¼ のなかに、 十方じっぽう恒沙ごうじゃの諸仏しょぶつの、 一切いっさいの凡ぼん夫ぶ決けつ定じょうしてむまるゝ事ことをうと証しょう勧かんし給たまへり。

◆ねがはくは一切いっさいの行ぎょう者じゃ、 一心いっしんにたゞ仏ぶつ語ごを信しんじて身しん命みょうをかへりみず、 決けつ定じょうしてより行ぎょうじて、 ほとけのすてしめ給たまはん事ことをばすなはちすて、 ほとけの行ぎょうぜしめ給たまはん事ことをばすなはち行ぎょうじ、 ほとけのさらしめ給たまはんところをばすなはちされ。 これを▽仏ぶっ教きょうに随ずい順じゅんし、 ▽仏ぶつ意いに随ずい順じゅん〔し、 ▽仏願ぶつがんに随順ずいじゅん〕すとなづく。 これを真しんの仏ぶつ弟子でしとなづく。

▲又また深心じんしんを深信じんしんといは、 決けつ定じょうして自じ心しんを建こん立りゅうして、 教おしえに順じゅんじて修しゅ行ぎょうして、 ながく疑ぎ錯しゃくをのぞきて、 一切いっさいの▽別べつ解げ・別べつ行ぎょう・異い学がく・異い見けん・異い執しゅうのために、 退失たいしつし傾きょう動どうせられざれといへり。

わたくしにこの二ふたつの釈しゃくを見みるに、 文もんに広こう略りゃくあり、 言ことばに同どう異いありといへども、 まづ二に種しゅの信心しんじんをたつる事ことは、 そのおもむきこれひとつなり。

すなはち二ふたつの信心しんじんといは、 はじめに 「わが身み[は]煩悩ぼんのう罪悪ざいあくの凡ぼん夫ぶなり、 火か宅たくをいでず、 出しゅつ離りの縁えんなし0430と信しんぜよ」 といひ、 つぎには 「決けつ定じょう往おう生じょうすべき身みなりと信しんじて一念いちねんもうたがふべからず、 人ひとにもいひさまたげらるべからず」 なんどいへる、 前ぜん後ごのことば相そう違いして心こころえがたきにゝたれども、 心こころをとゞめてこれを案あんずるに、 はじめにはわが身みのほどを信しんじ、 のちにはほとけの願がんを信しんずる也なり。 たゞしのちの信心しんじんを決けつ定じょうせしめんがために、 はじめの信心しんじんをばあぐる也なり。

そのゆへは、 もしはじめのわが身みを信しんずる様さまをあげずして、 たゞちにのちのほとけのちかひばかりを信しんずべきむねをいだしたらましかば、 もろもろの往おう生じょうをねがはん人ひと、 雑ぞう行ぎょうを修しゅして本願ほんがんをたのまざらんをばしばらくおく。

まさしく弥陀みだの本願ほんがんの念仏ねんぶつを修しゅしながらも、 なを心こころにもし貪欲とんよく・瞋しん恚にの煩悩ぼんのうをもおこし、 身みにおのづから十じゅう悪あく・破は戒かい等とうの罪業ざいごうをもおかす事ことあらば、 みだりに自じ身しんを怯こう弱にゃくして、 返かえりて本願ほんがんを疑ぎ惑わくしなまし。

まことにこの弥陀みだの本願ほんがんに、 十じっ声しょう・一いっ声しょうにいたるまで往おう生じょうすといふ事ことは、 おぼろげの人ひとにてはあらじ。 妄念もうねんをもおこさず、 つみをもつくらぬ人ひとの甚深じんじんのさとりをおこし、 強ごう盛じょうの心こころをもちて申もうしたる念仏ねんぶつにてぞあるらん。 われらごときのえせものどもの、 一念いちねん・十じっ声しょうにてはよもあらじとこそおぼえんもにくからぬ事こと也なり。

これは、 善導ぜんどう和か尚しょうは未み来らいの衆しゅ生じょうのこのうたがひをおこさん事ことをかへりみて、 この二に種しゅの信心しんじんをあげて0431、 われらがごとき煩悩ぼんのうをも断だんぜず、 罪悪ざいあくをもつくれる凡ぼん夫ぶなりとも、 ふかく弥陀みだの本願ほんがんを信しんじて念仏ねんぶつすれば、 十じっ声しょう・一いっ声しょうにいたるまで決けつ定じょうして往おう生じょうするむねをば釈しゃくし給たまへる也なり。

かくだに釈しゃくし給たまはざらましかば、 われらが往おう生じょうは不ふ定じょうにぞおぼへまし。 あやうくおぼゆるにつけても、 この釈しゃくの、 ことに心こころにそみておぼへはんべる也なり。 さればこの義ぎを心こころえわかぬ人ひとにこそあるめれ。

ほとけの本願ほんがんをばうたがはねども、 わが心こころのわろければ往おう生じょうはかなはじと申もうしあひたるが、 やがて本願ほんがんをうたがふにて侍はべる也なり。 さやうに申もうしたちなば、 いかほどまでかほとけの本願ほんがんにかなはず、 さほどの心こころこそ本願ほんがんにはかなひたれとはしり侍はべるべき。 それをわきまえざらんにとりては、 煩悩ぼんのうを断だんぜざらんほどは、 心こころのわろさはつきせぬ事ことにてこそあらんずれば、 いまは往おう生じょうしてんとおもひたつ世よはあるまじ。

又また煩悩ぼんのうを断だんじてぞ、 往おう生じょうはすべきと申もうすになりなば、 凡ぼん夫ぶの往おう生じょうといふ事ことはみなやぶれなんず。 すでに弥陀みだの本願ほんがん力りきといふとも、 煩悩ぼんのう罪悪ざいあくの凡ぼん夫ぶをば、 いかでかたすけ給たまふべき。 えむかへ給たまはじ物ものをなんど申もうすになるぞかし。 ほとけの御おんちからをば、 いかほどゝしるぞ。

それにすぎて、 ほとけの願がんをうたがふ事ことはいかゞあるべき、 又またほとけにたちあひまいらするとがありなんど申もうすべき事ことにてこそあれ。 すべてわが心こころの善悪ぜんあく0432をはからひて、 ほとけの願がんにかなひかなはざるを心こころえあはせん事ことは、 仏ぶっ智ちならではかなふまじき事こと也なり。

されば善導ぜんどうは、 ¬観かん経ぎょうの疏しょ¼ の一いちのまき (玄義分) に弘ぐ願がんを釈しゃくするに、 「▲一切いっさい善悪ぜんあくの凡ぼん夫ぶむまるゝ事ことをうる事ことは、 阿あ弥陀みだ仏ぶつの大願だいがん業力ごうりきに乗じょうじて増じょう上じょう縁えんとせずといふ事ことなし」 といひおきて、 「▲ほとけの密みつ意い弘ぐ深じんにして、 教きょう門もんさとりがたし。 三賢さんげん・十じっ聖しょうもはかりてうかゞふところにあらず。 いはんや、 われ信しん外げの軽きょう毛もうなり、 あえて旨趣しいしゅをしらんや」 とこそは釈しゃくし給たまひたれば、 善導ぜんどうだにも十信じっしんにだにもいたらぬ身みにて、 いかでかほとけの御おん心こころをしるべきとこそはおほせられたれば、 ましてわれらがさとりにてほとけの本願ほんがんはからひしる事ことは、 ゆめゆめおもひよるまじき事こと也なり。

たゞ心こころの善悪ぜんあくをもかへりみず、 罪つみの軽重きょうじゅうをもわきまへず、 心こころに往おう生じょうせんとおもひて、 口くちに南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつととなえば、 こゑについて決けつ定じょう往おう生じょうのおもひをなすべし。 その決けつ定じょうによりて、 すなはち往おう生じょうの業ごうはさだまる也なり。 かく心こころえつればやすき也なり。 往おう生じょうは不ふ定じょうにおもへばやがて不ふ定じょう也なり、 一いち定じょうとおもへばやがて一いち定じょうする事ことなり。

所詮しょせんは深信じんしんといは、 かのほとけの本願ほんがんはいかなる罪人ざいにんをもすてず、 たゞ名みょう号ごうをとなふる事こと一いっ声しょうまでに、 決けつ定じょうして往おう生じょうすとふかくたのみて、 すこしのうたがひもなきを申もうす也なり。

¬観かん経ぎょう¼ (意) の下げ品ぼん下げ生しょうを見みるに、 「▲十じゅう悪あく・五ご逆ぎゃくの罪ざい0433人にんも、 ▲一念いちねん・十じゅう念ねんに往おう生じょうす」 とゝかれたり。 「▲十じゅう悪あく・五ご逆ぎゃく等とう貪瞋とんじん、 四し重じゅう・偸ちゅう僧そう・謗ほう正しょう法ぼう、 未曽みぞ慚ざん愧ぎ前ぜんけん」 (礼讃) といへるは、 在ざい生しょうの時ときの悪業あくごうをあかす。 「▲忽遇こつぐう往おう生じょう善ぜん知ぢ識しき、 急きゅう勧かん専せん称しょう彼ひ仏ぶつ名みょう、 化け仏ぶつ・菩ぼ薩さつ尋じん声しょう到とう、 一念いちねん傾きょう心しん入にゅう宝蓮ほうれん」 (礼讃) といへるは、 臨りん終じゅうの時ときの行ぎょう相そうをあかす也なり。

又また ¬双巻そうかん経ぎょう¼ (大経巻下意) のおくに、 「△三宝さんぼう滅尽めつじんののちの衆しゅ生じょう、 乃ない至し一念いちねんに往おう生じょうす」 とゝかれたり。 善導ぜんどう釈しゃくしていはく、 「▲万年まんねん三宝さんぼう滅めつ、 此し経きょう住じゅう百ひゃく年ねん、 爾時にじ聞もん一念いちねん、 皆当かいとう得生彼ひ」 (礼讃) といへり。 この二ふたつの心こころをもて、 弥陀みだの本願ほんがんのひろく摂せっし、 とをくおよぶほどをばしるべき也なり。

おもきをあげてかろきをおさめ、 悪人あくにんをあげて善人ぜんにんをおさめ、 とをきをあげてちかきをおさめ、 のちをあげてさきをおさむるなるべし。 ま事ことに大だい悲ひ誓願せいがんの深広じんこうなる事こと、 たやすく詞ことばをもてのぶべからず、 心こころをとゞめておもふべきなり。

そもそもこのごろ末法まっぽうにいれりといへども、 いまだ百ひゃく年ねんにみたず。 われら罪業ざいごうおもしといへども、 いまだ五ご逆ぎゃくをつくらず。 しかれば、 はるかに百ひゃく年ねん法滅ほうめつのゝちをすくひ給たまへり、 いはんやこのごろをや。 ひろく五ご逆ぎゃく極ごく重じゅうのつみをすて給たまはず、 いはんやわれらをや。 たゞ三心さんしんを具ぐして、 もはら名みょう号ごうを称しょうすべし。 たとひ一念いちねんといふとも、 みだりに本願ほんがんをうたがふ事ことなかれ。

たゞし、 かやうのことはりを申もうしつれば、 つみをもすて給たまはねば、 心こころにまか0434せてつみをつくらんもくるしかるまじ。 又また一念いちねんにも一いち定じょう往おう生じょうすなれば、 念仏ねんぶつはおほく申もうさずともありなんと、 あしく心こころうる人ひとのいできて、 つみをばゆるし、 念仏ねんぶつをば制せいするやうに申もうしなすが、 返々かえすがえすもあさましく候そうろう也なり。

悪あくをすゝめ善ぜんをとゞむる仏法ぶっぽうは、 いかゞあるべき。 されば善導ぜんどうは、 「▲貪瞋とんじん煩悩ぼんのうをきたしまじへざれ」 (礼讃) といましめ、 又また 「▲念々ねんねん相続そうぞくして、 いのちおはらんを期ごとせよ」 (礼讃) とおしへ、 又また 「▲日にち所しょ作さは五ご万まん・六万ろくまん乃ない至し十じゅう万まん」 (観念法門意) なんどこそすゝめ給たまひたれ。 たゞこれは大だい悲ひ本願ほんがんの一切いっさいを摂せっする、 なを十じゅう悪あく・五ご逆ぎゃくをももらさず。 称名しょうみょう念仏ねんぶつの余よ行ぎょうにすぐれたる、 すでに一念いちねん・十じゅう念ねんにあらはれたるむねを信しんぜよと申もうすにてこそあれ。

[か]やうの事ことは、 あしく心こころうれば、 いづかたもひが事ことになる也なり。 つよく信しんずるかたをすゝむれば、 邪見じゃけんをおこし、 邪見じゃけんをおこさせじとこしらふれば、 信心しんじんつよからずなるが術すべなき事ことにて侍はべる也なり。 かやうの分別ふんべつは、 このついでに事ことながければ、 起き行ぎょうの下したにこまかに申もうしひらくべし。

又またひくところの ¬疏しょ¼ の文もんを見みるに、 のちの信心しんじんについて二ふたつの心こころあり。 すなはちほとけについてふかく信しんじ、 経きょうについてふかく信しんずべきむねを釈しゃくし給たまへるにやと心こころえらるゝ也なり。

まづはほとけについて信しんずといは、 一いちには弥陀みだの本願ほんがんを信しんじ、 二にには0435釈しゃ迦かの所説しょせつを信しんじ、 三さんには十方じっぽう恒沙ごうじゃの護ご勧かんを信しんずべき也なり。

経きょうについて信しんずといは、 一いちには ¬无む量りょう寿じゅ経きょう¼ を信しんじ、 二にには ¬観かん経ぎょう¼ を信しんじ、 三さんには ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ を信しんずる也なり。 すなはちはじめに 「△決けつ定じょうしてふかく阿あ弥陀みだ仏ぶつの四し十じゅう八願はちがん」 といへる文もんは、 弥陀みだを信しんじ、 又また ¬无む量りょう寿じゅ経きょう¼ を信しんずる也なり。 つぎに 「△決けつ定じょうしてふかく釈しゃ迦か仏ぶつの ¬観かん経ぎょう¼」 といえる文もんは、 釈しゃ迦かを信しんじ、 ¬観かん経ぎょう¼ を信しんずるなり。 つぎに 「△決けつ定じょうしてふかく ¬弥陀みだ経きょう¼ のなか」 といへる文もんは、 十方じっぽう諸仏しょぶつを信しんじ、 又また ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ を信しんずる也なり。

又またつぎの文もんに、 「▲ほとけのすてしめ給たまはんをばすてよ」 といふは、 雑ぞう行ぎょう雑修ざっしゅなり。 「▲ほとけの行ぎょうぜしめ給たまはん事ことをば行ぎょうぜ[よ」]といふは、 専修せんじゅ正行しょうぎょう也なり。 「▲ほとけのさらしめ給たまはん事ことをばされ」 といふは、 異い学がく・異解いげ、 雑縁ぞうえん乱動らんどうのところ也なり。 善導ぜんどうの 「▲みづからもさへ、 他たの往おう生じょうの正行しょうぎょうをもさふ」 (礼讃) と釈しゃくし給たまへる事こと、 まことにおそるべき物もの也なり。

「△仏ぶっ教きょうに随ずい順じゅんす」 といは、 釈しゃ迦かの御みおしへにしたがひ、 「△仏願ぶつがんに随ずい順じゅんす」 といは、 弥陀みだの願がんにしたがふ也なり。 「△仏ぶつ意いに随ずい順じゅんす」 といは、 二に尊そんの御おん心こころにかなふ也なり。 いまの文もんの心こころは、 さきの文もんに 「三さん部ぶ経きょうを信しんずべし」 といへるにたがはず。 詮せんじては、 たゞ雑修ざっしゅをすてゝ専修せんじゅを行ぎょうずるが、 ほとけの御おん心こころにかなふとこそはきこへたれ。

又またつぎの文もんに、 「△別べつ解げ・別べつ行ぎょうのためにやぶられざれ」 といふは、 さとりことに行 ぎょうことならん0436人ひとの難なんじやぶらんについて、 念仏ねんぶつをもすて往おう生じょうをもうたがふ事ことなかれと申もうす也なり。 さとりことなる人ひとと申もうすは、 天臺てんだい・法相ほっそう等とうの諸しょ宗しゅうの学がく生しょうこれなり。 行ぎょうことなる人ひとと申もうすは、 真言しんごん・止し観かん等とうの一切いっさいの行ぎょう者じゃこれなり。 これらはみな聖しょう道どう門もんの解げ行ぎょう也なり。 浄じょう土ど門もんの解げ行ぎょうにことなるがゆへに、 別べつ解げ・別べつ行ぎょうとはなづけたり。 かくのごときの人ひとに、 いひやぶらるまじきことはりは、 この文もんのつぎにこまかに釈しゃくし給たまへり。

すなはち人ひとにつきて信しんをたつ、 行ぎょうにつきて信しんをたつといふ、 二ふたつの信しんをあげたり。 はじめの人ひとにつきて信しんをたつといへる、 これなり。 この文もん広博こうはくにして、 つぶさにいだすにあたはず。

その義ぎ至し要ようにして、 さらにすてがたきによりて、 ことばを略りゃくし心こころをとりて、 そのをもむきをあかさば、 文もんの心こころ、 「▲解げ行ぎょう不ふ同どうの人ひとありて、 経きょう論ろんの証しょう拠こをひきて、 一切いっさいの凡ぼん夫ぶ往おう生じょうすることをえずといはば、 すなはちこたえていへ。 なんぢがひくところの経きょう論ろんを信しんぜざるにはあらず、 みなことごとくあふいで信しんずといへども、 さらになんぢが破はをばうけず。 そのゆへは、 なんぢがひくところの経きょう論ろんと、 わが信しんずるところの経きょう論ろんと、 すでに各別かくべつの法門ほうもんなり。 ほとけ、 この ¬観かん経ぎょう¼・¬弥陀みだ経きょう¼ 等とうをとき給たまふ事こと、 時ときも別べつにところも別べつに、 対たい機きも別べつに利り益やくも別べつなり。 ほとけの説せっ教きょうは、 機きにしたがひ、 時ときにしたがひて不ふ同どうなり。 かれには通つうじて人にん0437・天てん・菩ぼ薩さつの解げ行ぎょうをとく。 これは別べっして往おう生じょう浄じょう圏どの解げ行ぎょうをとく。 すなはち、 ほとけの滅めつ後ごの五ご濁じょく極増ごくぞうの一切いちさいの凡ぼん夫ぶ、 決けつ定じょうして往おう生じょうする事ことをうととき給たまへり。 われいま一心いっしんにこの仏ぶっ教きょうによりて、 決けつ定じょうして奉ぶ行ぎょうす。 たとひなんぢ百ひゃく千せん万億まんおくむまれずといふとも、 たゞわが往おう生じょうの信心しんじんを増ぞう長じょうし成じょう就じゅせんとこたへよ」 (散善義意) といへり。

「又また行ぎょう者じゃさらに難なん破ぱの人ひとにむかひてときていへ。 なんぢよくきけ、 われいまなんぢがためにさらに決けつ定じょうの信しんの相そうをとかん」 (散善義) といひて、 はじめは地じ前ぜん菩ぼ薩さつ・羅ら漢かん・辟びゃく支し仏ぶつより、 おはり化け仏ぶつ・報仏ほうぶつまでたてあげて、 「たとひ化け仏ぶつ・報仏ほうぶつ、 十方じっぽうにみちみちて、 おのおのひかりをかゞやかし、 したをいだして十方じっぽうにおほひて、 一切いっさいの凡ぼん夫ぶ念仏ねんぶつして一いち定じょう往おう生じょうすといふ事ことはひが事ことなり、 信しんずべからずとの給たまはんに、 われこれらの諸仏しょぶつの所説しょせつをきくとも、 一念いちねんも疑ぎ退たいの心こころをおこしてかのくにゝむらるゝ事ことをえざらん事ことをおそれじ。 なにをもてのゆへにとならば、 一仏いちぶつは一切いっさい仏ぶつ也なり、 大だい悲ひ等同とうどうにしてすこしきの差別しゃべつなし。 同体どうたいの大だい悲ひのゆえに、 一仏いちぶつの所説しょせつはすなはちこれ一切いっさい仏ぶつの化けなり。 こゝをもて、 まづ弥陀みだ如来にょらい、 称しょう我が名みょう号ごう、 下至げし十じっ声しょう、 若にゃく不ふ生しょう者じゃ、 不ふ取しゅ正しょう覚がくと願がんじて、 その願がん成じょう就じゅしてすでに仏ぶつになり給たまへり。 又また釈しゃ迦か如来にょらいは、 この五ご濁じょく悪あく世せにして、 悪あく衆しゅ生じょう、 悪見あくけん、 悪あく煩悩ぼんのう、 悪邪あくじゃ、 无む信しんさかりなる時とき、 弥み0438陀だの名みょう号ごうをほめ、 衆しゅ生じょうを勧励かんれいして、 称しょう念ねんすればかならず往おう生じょうする事ことをうとゝき給たまへり。 又また十方じっぽうの諸仏しょぶつは、 衆しゅ生じょうの釈しゃ迦か一仏いちぶつの所説しょせつを信しんぜざらん事ことをおそれて、 すなはちともに同心どうしん同どう時じにおのおの舌相ぜっそうをいだして、 あまねく三千さんぜん世せ界かいにおほひて、 誠じょう実じつのことばをとき給たまふ。 なんだち衆しゅ生じょう、 みな釈しゃ迦かの所説しょせつ・所讃しょさん・所しょ証しょうを信しんずべし。 一切いっさいの凡ぼん夫ぶ、 罪福ざいふくの多た少しょう・時じ節せつの久く近ごんをとはず、 たゞよく上かみは百ひゃく年ねんをつくし、 下しもは一日いちにち・七日しちにち、 十じっ声しょう・一いっ声しょうにいたるまで、 心こころをひとつにしてもはら弥陀みだの名みょう号ごうを念ねんずれば、 さだめて往おう生じょうする事ことをうといふ事ことを信しんずべし。 かならずうたがふことなかれと証誠しょうじょうし給たまへり。 かるがゆへに人ひとについて信しんをたつ」 (散善義意) といへり。

かくのごときの一切いっさい諸仏しょぶつの、 一仏いちぶつものこ[ら]ず同心どうしんに、 あるいは願がんをおこし、 あるいはその願がんをとき、 あるいはその説せつを証しょうして、 一切いっさいの凡ぼん夫ぶ、 念仏ねんぶつして決けつ定じょう往おう生じょうすべきむねをすゝめ給たまへるうゑには、 いかなるほとけの又またきたりて往おう生じょうすべからずとはの給たまふべきぞといふことはりをもて、 ほとけきたりての給たまふとも、 おどろくべからずとは信しんずる也なり。 ほとけなをしかり、 いはんや地じ前ぜん・地じ上じょうの菩ぼ薩さつをや、 いはんや小乗しょうじょうの羅ら漢かんをやと心こころえつれば、 まして凡ぼん夫ぶのとかく申もうさんによりて、 一念いちねんもうたがひおどろく心こころあるべからずとは申もうす也なり。

おほかたこの信心しんじんの様ようを、 人ひとの0439心こころえわかぬとおぼゆる也なり。 心こころのそみぞみと身みのけもいよだち、 なみだもおつるをのみ、 信しんのおこると申もうすはひが事ことにてある也なり。 それは歓かん喜ぎ・随ずい喜き・悲喜ひきと[ぞ]申もうすべき。 信しんといは、 うたがひに対たいする心こころ[にて、] うたがひをのぞくを信しんとは申もうすべき也なり。

見みる事ことにつけても、 きく事ことにつけても、 その事こと一いち定じょうさぞとおもひとりつる事ことは、 人ひといかに申もうせども、 不ふ定じょうにおもひなる事ことはなきぞかし。 これをこそ、 物ものを信しんずるとは申もうせ。 その信しんのうゑに、 歓かん喜ぎ・随ずい喜きなんどもおこらんは、 すぐれたるにてこそあるべけれ。

たとへば、 としごろ心こころのほどをもみとりて、 そら事ことせぬたしかならん人ひとぞとたのみたらん人ひとの、 さまざまにおそろしき誓言せいごんをたて、 なおざりならず、 ねんごろにちぎりをきたる事ことのあらんを、 ふかくたのみてわすれずたもちて、 心こころのそこにふかくたくわえたらんに、 いと心こころの程ほどもしらざらん人ひとの、 それなたのみそ、 そら事ことするぞと、 さまざまにいひさまたげんにつきて、 すこしもかはる心こころはあるまじきぞかし。

それがやうに、 弥陀みだの本願ほんがんをもふかく信しんじて、 いひやぶらるべからず。 いはんや一代いちだいの教きょう主しゅも付ふ嘱ぞくし給たまへるをや、 いはんや十方じっぽうの諸仏しょぶつも証誠しょうじょうし給たまへるをやと心こころうべきにや。 まことにことはりをきゝひらかざらんほどこそあらめ。 ひとたびもこれをきゝて信しんをおこしてんのちは、 いかなる人ひとと0440かくいふとも、 なじにかはみだるゝ心こころあるべきとこそはおぼへ候そうらへ。

つぎに行ぎょうについて信しんをたつといふは、 すなはち行ぎょうに二ふたつあり。 一いちには正行しょうぎょう、 二にには雑ぞう行ぎょうなりといへり。 この二に行ぎょうについて、 あるいは行ぎょう相そう、 あるいは得失とくしつ、 文もんひろく義ぎおほしといへども、 しばらく略りゃくを存ぞんず。 つぶさには、 下しもの起き行ぎょうのなかにあかすべし。 深信じんしんの大要たいようをとるにこれにあり。

この文もんに下げ巻かんあるべしとみゆるが、 いづくにかくれて侍はべるにか、 いまだたづねえず。 もしたづねうる人ひとあらばこれにつげ。