0397黒谷上人語灯録巻第十一 并序

厭欣沙門了慧集録

 

しづかにおもんみれば、 りょうのくすりはやまひのしなによてあらはれ、 如来にょらいのりはじゅくするにまかせてさかりなり。 日本にっぽんいっしゅうじょう純熟じゅんじゅくして、 ちょう遠近おんごんみなじょうし、 緇素しそせんことごとくおうじょうす。

そのらんしょうをたづぬれば、 天国てんこく排開はいかい広庭こうてい天皇てんのう 御世みよに、 百済くだらこくよりしゃ弥陀みだ霊像れいぞう、 はじめてこのくににわたりたまへり。 しゃ撥遣はっけんきょうしゅ弥陀みだ来迎らいこう本尊ほんぞんなれば、 そんこころをおなじくして、 おうじょうのみちをひろめんがためなるべし。

しかれば、 小墾田おわりだの天皇てんのう 御時おんときしょうとくたいぶつおんこころにしたがはせたまひて七日しちにち弥陀みだみょうごうしょうして、 おう おんほうじ、 御文おんふみ善光ぜんこう如来にょらいへたてまつりたまひしかば、 如来にょらいみづからおんへんありき。

たいしょうそくにいはく、

みょうごうしょうよう七日しちにち斯此ししほう広大こうだいおん
0398ぎょうがんほん弥陀みだそんじょさいじょうねん

如来にょらいおんへんにいはく、

一念いちねんしょうようおんきょう七日しちにちだいどく
たいしゅじょうしんけん汝能にょのうさいがい不護ふご

たいつゐにおうじょうきょうにあらはして、 やくほんちょうにしめしたまひき。

そのゝち大炊おおいの天皇てんのう御時おんとき弥陀みだ観音かんのんしきたりて、 極楽ごくらくまん荼羅だらをおりあらはして、 おうじょう本尊ほんぞんとさだめおきたまふ。

こゝにろくこうほゞあらはれて、 そんほんやうやくひろまりしかば、 ぎょうさつかくだいとうしょうにん、 みな極楽ごくらくをねがひてさりたまひき。

しんそうは、 りょうごんつきのまえにおうじょう要文ようもんをあつめ、 永観ようかんりっは、 禅林ぜんりんはなのもとに念仏ねんぶつじゅういんえいじて、 おのおのじょう教行きょうぎょうをひろめたまひしかども、 おうじょうどういまださかりならざりしに、 なかごろ黒谷くろだにしょうにんせいさつしんとして、 はじめて弥陀みだがんをあきらめ、 もはら称名しょうみょうぎょうをすゝめたまひしかば、 かん一天いってんにあまねく、 しょう万人ばんにんにおよぶ。 じょうしゅうといふことは、 このときよりひろまりけるなり。

しかれば、 おうじょうぎょうをまなぶひと、 みなしょうにんをもて祖師そしとす。 こゝにかのながれをくむひとおほきなかに、 おのおのをとることまちまちなり。 いはゆるぎょう本願ほんがん0399本願ほんがんにあらざるか、 おうじょうするやせずや、 三心さんしんのありさま、 しゅのすがた、 一念いちねんねんのあらそひなり。 まことにこんちゅうしりがたく、 じゃしょういかでかわきまふべきなれば、 きくものおほく、 みなもとをわすれてながれにしたがひ、 あたらしきをたっとびてふるきをしらず。 ¬しょうしょ¼ にいえることあり、 「じんきゅうしん」。

、 このもんにおどろきて、 いさゝかしょうにんのふるきあとをたづねて、 やゝ近代きんだいのあたらしきみちをすてんとおもふ。 よりて、 あるひはかのしょじょうをあつめ、 あるひは書籍しょせきにのするところのことばひろふ。

やまとことばはそのふみみやすく、 そのこころさとりやすし。 ねがはくは、 もろもろのおうじょうをもとめんひと、 これをもてともしびとして、 じょうのみちをてらせとなり。 もしおつるところのしょあらば、 後賢こうけんかならずこれにつづけ。

とき文永ぶんえいじゅうねんしょうがつ廿にじゅうにちしょうにんせん報恩ほうおんこころざしをもて、 いふことしかなり

 

和語わごだいいち 当巻とうかんにあり三篇さんぺん
 さんきょうしゃく第一だいいち
 せいごんのしょだい
 おうじょう大要たいようしょう第三だいさん

 

(440)谷上人語灯録巻第十一

 

底本は龍谷大学蔵元亨元年刊本。 ただし訓(ルビ)は有国によるˆ表記は現代仮名遣いにしたˇ。