(416)、 往生大要抄

おうじょう大要たいようしょう 第三だいさん

いまわがじょうしゅうには、 もんをたてゝしゃ一代いちだいせっきょうをおさむるなり。 いはゆるしょうどうもんじょうもんなり。

はじめごんごんより、 おはりほっはんにいたるまで、 だい小乗しょうじょう一切いっさいしょきょうにとくところの、 このしゃかいにありながら断迷だんめいかいのみちを、 しょうどうもんとはもうすなり。 これにつきてだいじょうしょうどうあり、 小乗しょうじょうしょうどうあり。 だいじょうにもあり、 すなはちぶつじょうさつなり小乗しょうじょうあり、 すなはちしょうもん縁覚えんがくとのじょうなり。 これをすべてじょうとなづく。

ぶつじょうとは、 即身そくしんじょうぶつおしえなり。 真言しんごんだつてん0417だいごんとうじょうにあかすところなり。

すなはち真言しんごんしゅうには、 「父母ぶもしょしょうしんそくしょう大覚だいかく (発菩提心論) もうして、 このながら、 大日だいにち如来にょらいのくらゐにのぼるとならふなり

仏心ぶっしんしゅうには、 「前仏ぜんぶつぶつしん伝心でんしん (達磨大師血脈論) とならひて、 たちまちにひとこころをさしてほとけともうすなり。 かるがゆえに即身そくしんぶつほうとなづけて、 じょうぶつとはもうさぬなり。 このほうは、 しゃくそんにゅうめつとき、 ¬はんぎょう¼ をときおはりてのち、 たゞいちをもちてしょう尊者そんじゃぞくたまへるほうなり。

天臺てんだいしゅうには、 煩悩ぼんのうそくだいしょうそくはんかんじて、 観心かんしんにてほとけになるとならふなり八才はっさいりゅうにょが、 南方なんぽう无垢むくかいにしてたちまちにしょうがくをなりし、 そのしょうなり。

ごんしゅうには、 「しょ発心ほっしん便べんじょうしょうがく (晋訳華厳経巻八梵行品) とて、 また即身そくしんじょうぶつとならふなり。 これらのしゅうには、 みな即身そくしんとんしょうのむねをのべて、 ぶつじょうとなづくるなり。

つぎにさつじょうといは、 りゃっこうしゅぎょうじょうぶつおしえなり。 三論さんろん法相ほっそうしゅうにならふところなり。

すなはち三論さんろんしゅうには、 はっちゅうどうそうかんじゅうして、 しかもこころには四弘しぐ誓願ぜいがんをおこし、 にはろっ波羅ぱらみつぎょうじて、 さんそうさつぎょうしゅしてのち、 ほとけになるともうなり

法相ほっそうしゅうには、 じゅう唯識ゆいしきかんじゅうして、 しかも四弘しぐをおこし、 ろくぎょうじてさんそうをへて、 ほとけになるともうすなり。 これらをさつじょうとなづく。

つぎに縁覚えんがくじょうといは、 飛花ひけ落葉らくようて、 ひとり諸法しょほうじょうをさ0418とり、 あるいはじゅう因縁いんねんかんじて、 ときはしょう、 おそきはひゃっこうにさとりをひらくなり。

つぎにしょうもんじょうといは、 はじめじょう数息しゅそくかんずるより、 おはりたいかんにいたるまで、 ときはさんしょう、 おそきはろく十劫じっこうこうさんのくらゐをへて、 だいかんごくにいたるなり。 このじょうどうは、 じょうじつしゃ両宗りょうしゅうにならふところなり

またしょうもんにつきて、 かいぎょうをそなふべし。 比丘びくひゃく十戒じっかいじゅし、 比丘びくひゃっかいじゅするなり。 へん七聚しちじゅかいとなづくるなりまたしゃしゃかいしきしゃ摩尼まに六法ろっぽう優婆うばそく優婆うばかい、 みなこれりっしゅうのなかにあかすところなり

およそだい小乗しょうじょうをえらばず、 このじょうしょうどうは、 われらがにたへ、 ときにかなひたることにてはなきなり。 もししょうもんのみちにおもむくは、 ひゃく十戒じっかいたもちがたし、 じゅうめつどうかんじょうじがたし。 もし縁覚えんがくかんをもとむとも、 飛花ひけ落葉らくようのさとり、 じゅう因縁いんねんかん、 ともにこころもおよばぬことなり。 三聚さんじゅ十重じゅうじゅうかいぎょう発得ほっとくしがたし、 四弘しぐろくがんぎょうじょうじゅしがたし。

しんろく十劫じっこうまでしゅぎょうして、 乞眼こつげん悪縁あくえんにあひて、 たちまちにさつ広大こうだいこころをひるがへしき。 いはんや末法まっぽうのこのごろをや、 こんのわれらをや。

たとひ即身そくしんとんしょうかんずとも、 真言しんごんにゅうにゅう阿字あじほんしょうかん天臺てんだい三観さんがん六即ろくそくちゅうどう真相しんそうかんごんしゅう法界ほっかい唯心ゆいしんかん仏心ぶっしんしゅう即身そくしんぶつかん0419はふかくさとりは[あさ]し。

かるがゆえに末代まつだいぎょうじゃ、 そのしょうをうるに、 きはめてかたし。 このゆへに、 どうしゃくぜんは 「しょうどう一種いっしゅは、 こんしょうしがたし」 (安楽集巻上) とのたまへり。 すなはち ¬だいじゅう月蔵がつぞうきょう¼ をひきて、 おのおのぎょうずべきありやうをあかせり。 こまかにのぶるにおよばず。

つぎにじょうもんは、 まづこのしゃかいをいとひすてゝ、 いそぎてかの極楽ごくらくじょうにむまれて、 かのくにゝして仏道ぶつどうぎょうずるなり。 しかれば、 かつがつじょうにいたるまでのがんぎょうをたてゝ、 おうじょうをとぐべきなり。 しかるにかのくにゝむまるゝことは、 すべてぎょうじゃ善悪ぜんあくをゑらばず、 たゞほとけのちかひをしんしんぜざるによる。 ぎゃくじゅうあくをつくれるものも、 たゞ一念いちねんじゅうねんおうじょうするは、 すなはちこのことはりなり

このゆへにどうしゃくは、 「たゞじょう一門いちもんの[み]ありて、 つうにゅうすべきみちなり」 (安楽集巻上) しゃくたまへり。 「つうじているべし」 といふにつきて、 わたくしにこころうるに、 ふたつのこころあるべし。 ひとつにはひろくつうじ、 ふたつにはとをくつうず。

ひろくつうずといは、 ぎゃく罪人ざいにんをあげてなをおうじょうにおさむ、 いはんやきょうざいをや、 いかにいはんや善人ぜんにんをやとこころえつれば、 おうじょうのうつはものにきらはるゝものなし。 かるがゆえにひろくつうずといふなり

とをくつうずといは、 「末法まっぽう万年まんねんのゝち法滅ほうめつひゃくさいまでこのおしえ0420ゞまりて、 そのときにきゝて一念いちねんする、 みなおうじょうす」 (大経巻下意) といへり。 いはんや末法まっぽうのなかをや、 いかにいはんやしょうぼう像法ぞうぼうをやとこころえつれば、 おうじょうときもるゝなし。 かるがゆへにとをくつうずといふなり。

しかれば、 このごろしょうをはなれんとおもはんものは、 なんしょうしょうどうをすてて、 おうじょうをねがふべきなりまたこのしょうどうじょうをば、 なんぎょうどうぎょうどうとなづけたり。

たとへをとりてこれをいふには、 「なんぎょうどうとはさかしきみちをかちよりゆかんがごとし、 ぎょうどうとはかいをふねよりゆくがごとし」 (十重論巻五易行品意) といへり。 しかるにしゐ、 あしなえたらんものは、 ろくにはむかふべからず。 たゞふねにのりてのみむかひのきしにはつくべきなり

しかるにこのごろ、 われらは智恵ちえのまなこしゐて、 ぎょうほうのあしおれたるともがらなりしょうどうなんぎょうのさかしきみちには、 すべてのぞみをたつべし。 たゞ弥陀みだがんのふねにのりてのみ、 しょうのうみをわたりて極楽ごくらくのきしにはつくべきなり。 いまこのふねといは、 すなはち弥陀みだ本願ほんがんにたとふるなり。 この本願ほんがんといは、 じゅう八願はちがんなり

そのなかに、 だいじゅうはちがんをもて、 しゅじょうおうじょうぎょうのさだめたる本願ほんがんとせり。 もんたいりゃくしてかくのごとし。 しょうどう一門いちもんをさしおきてじょう一門いちもんにいらんとおもはんひとは、 どうしゃく善導ぜんどうしゃくをもてしょの 「さんきょう」 をならふべきなり。 さきにはしょうどう0421じょうもん分別ふんべつして、 じょうもんにいるべきむねをもうしひらきつ。 いまはじょう一門いちもんにつきて、 しゅぎょうすべきやうをもうすべし。

じょうおうじょうせんとおもはば、 しんぎょうとの相応そうおうすべきなり。 かるがゆへに善導ぜんどうしゃくにいはく、 「たゞしそのぎょうのみあるは、 ぎょうすなはちひとりにして、 またいたるところなし。 たゞそのがんのみあるは、 がんすなはちむなしくして、 またいたるところなし。 かならずがんぎょうとをあひともにたすけて、 ためにみなこくするところなり。 およそおうじょうのみにかぎらず、 しょうどうもん得道とくどうをもとめんにも、 しんぎょうとをすべし」 (玄義分意) といへり。 発心ほっしんしゅぎょうとなづくる、 これなり。

いまこのじょうしゅうに、 善導ぜんどうのごとくは安心あんじんぎょうとなづけたり。 まづその安心あんじんといは、 ¬かんりょう寿じゅきょう¼ にといていはく、 「もししゅじょうありて、 かのくにゝむまれんとねがはんものは、 三種さんしゅしんをおこしてすなはちおうじょうすべし。 なにをかさんとする。 いちにはじょうしんには深心じんしんさんにはこう発願ほつがんしんなり。 三心さんしんするものは、 かならずかのくにゝむまる」 といへり。 善導ぜんどうしょうの ¬かんぎょうしょ¼、 ならびに ¬おうじょう礼讃らいさん¼ のじょにこの三心さんしんしゃくたまへり。

いちじょうしん」 といは、 まづ ¬おうじょう礼讃らいさん¼ のもんをいださば、 「いちにはじょうしん。 いはゆる身業しんごうにかのほとけを礼拝らいはいせんにも、 ごうにかのほとけを讃嘆さんだんしょうようせんにも、 ごう0422にかのほとけを専念せんねん観察かんざつせんにも、 およそ三業さんごうをおこすには、 かならず真実しんじつをもちゐよ。 かるがゆへにじょうしんとなづく」 といへり。

つぎに ¬かんぎょうしょ¼ (散善義意) もんをいださば、 「いちにはじょうしんといは、 とはしんなり、 じょうといはじつなり。 一切いっさいしゅじょうしん口意くいごう所修しょしゅぎょう、 かならず真実しんじつしんのなかになすべきことをあかさんとおもふ。 ほかには賢善けんぜんしょうじんそうげんじて、 うちには虚仮こけをいだくことなかれ。 ぜん三業さんごうをおこすことは、 かならず真実しんじつしんのなかになすべし。 ないみょうあんをゑらばず、 みな真実しんじつをもちゐよ」 といへり。

このふたつのしゃくをひいて、 わたくしにりょうけんするに、 じょうしんといは真実しんじつこころなり。 その真実しんじつといは、 ない相応そうおうこころなり。 にふるまひ、 くちにいひ、 こころにおもはんこと、 みなひとめをかざることなく、 まことをあらはすなり。 しかるを、 ひとつねにこのじょうしんじょうしんこころえて、 ゆうみょうごうじょうこころをおこすをじょうしんもうすは、 このしゃくこころにはたがふなりもんもかはり、 こころもかはりたるものを。

さればとて、 そのみょうこころはすべてじょうしんをそむくともうすにはあらず。 それはじょうしんのうゑのじょうしんにてこそあれ。 真実しんじつじょうしんにして、 じょうなるはすぐれ、 じょうならぬはおとるにてあるなり。 これにつきて、 ぼん差別しゃべつまでもこゝろうべきなり

されば善導ぜんどうの ¬かんぎょうしょ¼ (散善義) 0423ぼんもんしゃくするしたに、 一一いちいちほんごとに 「べんじょう三心さんしん以為いいしょういん」 とさだめて、 「この三心さんしんぼんつうずべし」 (散善義意) しゃくたまへり。 しんもこれをひきて、 「ぜんしゃくのごときは、 ぼんつうずべし」 (要集巻中) とこそはしるされたれ。 この三心さんしんのなか、 かのじょうしんなれば、 じょうしんすなはちぼんつうずべきなり

またじょうしんは、 深心じんしんこう発願ほつがんしんとをたいとす。 このふたつをはなれては、 なにゝよりてかじょうしんをあらはすべき。 ひろくほかをたづぬべきにあらず、 深心じんしんこう発願ほつがんしんもまことなるをじょうしんとはなづくるなり三心さんしんすでにぼんつうずべしとこころえてのうゑには、 その差別しゃべつのあるやうをこゝろうるに、 三心さんしん浅深せんじんごうにゃくによるべきなり

かるがゆへにじょうぼん上生じょうしょうには、 ¬きょう¼ (観経) に 「しょうじんゆうみょうなるがゆへに」 とゝき、 しゃくには 「日数にっしゅすくなしといへども、 ごうはげしきがゆへに」 (玄義分) といへり。 またじょうぼん中生ちゅうしょうをば、 「ぎょうごうやゝよはくして」 としゃくし、 じょうぼんしょうをば、 「ぎょうごうこわからず」 なんどしゃくせられたれば、 三心さんしんにつきて、 こわきもよわきもあるべしとこそこゝろえられたれ。

よわき三心さんしんそくしたらんひとは、 くらゐこそさがらんずれ、 なをおうじょうはうたがふべからざるなり。 それはごうじょうこころをおこさずはじょうしんかけて、 ながくおうじょうすべからずとこころえて、 みだりにをもくだし、 あまさへひとをもかろしむる人々ひとびと便びんにおぼゆるなり。 さらなりごうじょうこころ0424おこらんは、 めでたきことなり。

¬善導ぜんどう十徳じっとく¼ のなかに、 はじめのじょう念仏ねんぶつの徳をいだすにも、 「一心いっしん念仏ねんぶつして、 ちからのつくるにあらざればやまず、 ないかんりょうにもまたあせをながす、 このそうじょうをもてじょうをあらはす」 なんどあるなれば、 たれだれもさこそははげむべけれ。

たゞしこのじょうなるをのみじょうしんこころえて、 これにたがはんをばじょうしんかけたりといはんには、 善導ぜんどうのごとくじょうしんごくして、 ゆうみょうならんひとばかりぞおうじょうはとぐべき。 われらがごときのおうにゃくこころにては、 いかゞおうじょうすべきとおくせられぬべきなり

かれはべっして善導ぜんどう一人のとくをほむるにてこそあれ、 これはつうじて一切いっさいしゅじょうおうじょうけっするにてあれば、 たくらぶべくもなきことなり所詮しょせんはたゞわれらがごときのぼん、 をのをのぶんにつけて、 ごうにゃく真実しんじつこころをおこすを、 じょうしんとなづけたるとこそ、 善導ぜんどうしゃくこころえたれ。

もんにつけてこまかにこころうれば、 「ほかには賢善けんぜんしょうじんそうげんじ、 うちには虚仮こけをいだくことなかれ」 といふは、 うちにはをろかにして、 ほかにはかしこきそうげんじ、 うちにはあくをのみつくりて、 ほかには善人ぜんにんそうげんじ、 うちにはだいにして、 ほかにはしょうじんそうげんずるを、 虚仮こけとはもうなりそう善悪ぜんあくをばかへりみず、 けんほうをばわきまえず、 内心ないしん穢土えどをもいとひ、 じょうをもねがひ、 あくをもとゞめ、 ぜん0425をもしゅして、 まめやかにぶつこころにかなはんことをおもふを、 真実しんじつとはもうすなり

真実しんじつ虚仮こけたいすることばなりしんたいし、 じつたいするゆへなり。

この真実しんじつ虚仮こけにつきてくはしく分別ふんべつするに、 四句しく差別しゃべつあるべし。 いちには、 ほかをかざりて、 うちにはむなしきひとには、 ほかをもかざらずうちもむなしきひとさんには、 ほかはむなしくえて、 うちはまことあるひとには、 ほかにもまことをあらはし、 うちにもまことあるひと

かくのごときのにんのなかには、 さきのにんをば、 ともに虚仮こけぎょうじゃといふべし。 のちのにんをば、 ともに真実しんじつぎょうじゃといふべし。 しかれば、 たゞそうけん善悪ぜんあくをばゑらばず、 内心ないしんじゃしょうめいによるべきなり

およそこの真実しんじつこころは、 ひとことにしがたく、 ことにふれてかけやすきこころばへなり。 おろかにはかなしといましめられたるやうもあることはりなり

无始むしよりこのかた、 今身こんじんにいたるまで、 おもひならはしてさしもひさしくこころをはなれぬみょう煩悩ぼんのうなれば、 たたんとするにやすらかにはなれがたきなりけりと、 おもひゆるさるゝかたもあれども、 またゆるしはんべるべきことならねば、 わがこころをかへりみて、 いましめなをすべきことなり

しかるにわがこころほどもおもひしられ、 ひとのうゑをもるに、 このひとめかざるこころばへは、 いかにもいかにもおもひはなれぬこそ、 返々かえすがえすこころくかな0426しくおぼゆれ。

このばかりをふかくしゅうするひとは、 たゞまなこのまえのほめられ、 むなしきをもあげんとおもはんをば、 いふにたらぬことにておきつ。 うきをそむきて、 まことのみちにおもむきたる人々ひとびとのなかにも、 かえりてはかなくよしなきことかなとおぼゆることもあるなり

むかしこのしゅうするこころのふかゝりしなごりにて、 ほどほどにつけたるみょうをふりすてたるばかりを、 ありがたくいみじきことにおもひて、 やがてそれをこのさまにもこころのいろのうるせきに、 とりなしてさとりあさきけんひとこころのそこをばしらず、 うゑにあらはるゝすがたことがらばかりを、 たとがりいみじがるをのみほんにおもひて、 ふかきやまぢをたづね、 かすかなるすみかをしむるまでも、 ひとすぢにこころのしづまらんためとしもおもはで、 おのづからたづねきたらんひと、 もしはつたへきかんひとの、 おもはんことをのみさきだて[ゝ、] まがきのうちにわのこだち、 菴室あんしつのしつらひ、 どうじょうしょうごんなんど、 たとくめでたく、 こころぼそくものあはれならんことがらをのみ、 ひきかえんとしゅうするほどに、 つみことも、 ほとけのおぼしめさんことをばかえりみず、 ひとのそしりにならぬようをのみおもひいとなむことよりほかにはおもひまじふることもなくて、 まことしくおうじょうをねがふべきかたをばおもいもいれぬことなんどのあるが、 やがてじょうしんかけておうじょうせぬこころ0427へにてあるなり

またをそむきたるひとこそ、 中々なかなかひじりみょうもんもありてさやうにもあれ、 にありながらおうじょうをねがはんひとは、 このこころはなにゆへにかあるべきともうす人のあるは、 なをこまやかにこころえざるなりのほまれをおもひ、 ひとめをかざるこころはなにことにもわた[る]ことなれば、 ゆめまぼろしのえい重職じゅうしょくをおもふのみにはかぎらぬことにてあるなり

中々なかなかざい男女なんにょにて後世ごせをおもひたるをば、 こころあることのいみじくありがたきとこそはひともうことなれば、 それにつけてほかをかざりて、 ひとにいみじがられんとおもふひとのあらんもかたかるべくもなし。 ましてをすてたるひとなんどにむかひては、 さなからんこころをも、 あはれをしり、 ほかにあひしらはんために、 後世ごせのおそろしさ、 こののいとはしさなんどはもうすべきぞかし。

またようもうせば、 ひとへにこのひとめはいかにもありなんとて、 ひとのそしりをもかへりみず、 ほかをかざらねばとて、 こころのまゝにふるまふがよきともうすにてはなきなりさつげんかいとて、 ひとのそしりになりぬべきことをばなせそとこそ、 いましめられたれ。 これははうにまかせてふるまえば、 放逸ほういつとてわろきことにてあるなり。

それにときにのぞみたるげんかいのためばかりに、 いさゝかひとめをつゝむかたは、 わざともさこそあるべきことを、 ひとをのみしゅうしてまことのかたをもかへりみず、 おうじょう0428のさはりになるまでにひきなさるゝことの、 返々かえすがえすもくちおしきなり

げんかいとなづけて、 やがて虚仮こけになることもありぬべし。 真実しんじつといひなして、 あまり放逸ほういつなることもありぬべし。 これをかまえてかまえてよくよくこころえとくべし。 ことばなをたらぬここちするなり

またこの真実しんじつにつきて、 自利じり真実しんじつ利他りた真実しんじつあり。 また三界さんがい六道ろくどう自他じたしょうをいとひすてゝ、 かろしめしやし[めんに]も、 弥陀みだぶつ[の]しょうほう礼拝らいはい讃嘆さんだん憶念おくねんせんにも、 およそえん穢土えどごんじょう三業さんごうにわたりてみな真実しんじつなるべきむね、 ¬しょ¼ のもんにつぶさなり。 そのもんしげくして、 ことごとくいだすにあたはず。 じょうしんのありさま、 りゃくしてかくのごとし。

深心じんしん」 といは、 まづ ¬礼讃らいさん¼ のもんにいはく、 「しゃ深心じんしん。 すなはち真実しんじつ信心しんじんなり。 しんはこれ煩悩ぼんのうそくせるぼんなり、 善根ぜんごんはくしょうにして三界さんがいてんしてたくをいでずとしんして、 いま弥陀みだほん誓願ぜいがんみょうごうしょうすることしもじっしょういっしょうにいたるまで、 さだめておうじょうすることをうとしんして、 ない一念いちねんもうたがふこころあることなかれ。 かるがゆえに深心じんしんとなづく」[とい]へり。

つぎに ¬かんぎょう[の]しょ¼ (散善義意) もんにいはく、 「じん[しんといは、] すなはちこれ深信じんしんしんなり。 またしゅあり。 いちにはけつじょうしてふかく、 しんげんにこれ罪悪ざいあくしょうぼんなり、 広劫こうごうよりこのかたじょうもつてん0429て、 しゅつえんあることなしとしんぜよ。

にはけつじょうしてふかく、 かの弥陀みだぶつの、 じゅう八願はちがんをもてしゅじょうしょうじゅたまこと、 うたがひなくおもんぱかりなくかの願力がんりきじょうじてさだめておうじょうすることをうとしんじ、

またけつじょうしてふかく、 しゃぶつ、 この ¬かんぎょう¼ の三福さんぷくぼんじょうさんぜんをときて、 かのほとけのしょうほうしょうさんして、 ひとをしてごんせしめたまことしんじ、

またけつじょうしてふかく、 ¬弥陀みだきょう¼ のなかに、 十方じっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつの、 一切いっさいぼんけつじょうしてむまるゝことをうとしょうかんたまへり。

ねがはくは一切いっさいぎょうじゃ一心いっしんにたゞぶつしんじてしんみょうをかへりみず、 けつじょうしてよりぎょうじて、 ほとけのすてしめたまはんことをばすなはちすて、 ほとけのぎょうぜしめたまはんことをばすなはちぎょうじ、 ほとけのさらしめたまはんところをばすなはちされ。 これをぶっきょうずいじゅんし、 ぶつずいじゅん〔し、 仏願ぶつがん随順ずいじゅん〕すとなづく。 これをしんぶつ弟子でしとなづく。

また深心じんしん深信じんしんといは、 けつじょうしてしんこんりゅうして、 おしえじゅんじてしゅぎょうして、 ながくしゃくをのぞきて、 一切いっさいべつべつぎょうがくけんしゅうのために、 退失たいしつきょうどうせられざれといへり。

わたくしにこのふたつのしゃくるに、 もんこうりゃくあり、 ことばにどうありといへども、 まづしゅ信心しんじんをたつることは、 そのおもむきこれひとつなり。

すなはちふたつ信心しんじんといは、 はじめに 「わが[は]煩悩ぼんのう罪悪ざいあくぼんなり、 たくをいでず、 しゅつえんなし0430しんぜよ」 といひ、 つぎには 「けつじょうおうじょうすべきなりとしんじて一念いちねんもうたがふべからず、 ひとにもいひさまたげらるべからず」 なんどいへる、 ぜんのことばそうしてこころえがたきにゝたれども、 こころをとゞめてこれをあんずるに、 はじめにはわがのほどをしんじ、 のちにはほとけのがんしんずるなり。 たゞしのちの信心しんじんけつじょうせしめんがために、 はじめの信心しんじんをばあぐるなり

そのゆへは、 もしはじめのわがしんずるさまをあげずして、 たゞちにのちのほとけのちかひばかりをしんずべきむねをいだしたらましかば、 もろもろのおうじょうをねがはんひとぞうぎょうしゅして本願ほんがんをたのまざらんをばしばらくおく。

まさしく弥陀みだ本願ほんがん念仏ねんぶつしゅしながらも、 なをこころにもし貪欲とんよくしん煩悩ぼんのうをもおこし、 におのづからじゅうあくかいとう罪業ざいごうをもおかすことあらば、 みだりにしんこうにゃくして、 かえりて本願ほんがんわくしなまし。

まことにこの弥陀みだ本願ほんがんに、 じっしょういっしょうにいたるまでおうじょうすといふことは、 おぼろげのひとにてはあらじ。 妄念もうねんをもおこさず、 つみをもつくらぬひと甚深じんじんのさとりをおこし、 ごうじょうこころをもちてもうしたる念仏ねんぶつにてぞあるらん。 われらごときのえせものどもの、 一念いちねんじっしょうにてはよもあらじとこそおぼえんもにくからぬことなり

これは、 善導ぜんどうしょうらいしゅじょうのこのうたがひをおこさんことをかへりみて、 このしゅ信心しんじんをあげて0431、 われらがごとき煩悩ぼんのうをもだんぜず、 罪悪ざいあくをもつくれるぼんなりとも、 ふかく弥陀みだ本願ほんがんしんじて念仏ねんぶつすれば、 じっしょういっしょうにいたるまでけつじょうしておうじょうするむねをばしゃくたまへるなり

かくだにしゃくたまはざらましかば、 われらがおうじょうじょうにぞおぼへまし。 あやうくおぼゆるにつけても、 このしゃくの、 ことにこころにそみておぼへはんべるなり。 さればこのこころえわかぬひとにこそあるめれ。

ほとけの本願ほんがんをばうたがはねども、 わがこころのわろければおうじょうはかなはじともうしあひたるが、 やがて本願ほんがんをうたがふにてはべなり。 さやうにもうしたちなば、 いかほどまでかほとけの本願ほんがんにかなはず、 さほどのこころこそ本願ほんがんにはかなひたれとはしりはべるべき。 それをわきまえざらんにとりては、 煩悩ぼんのうだんぜざらんほどは、 こころのわろさはつきせぬことにてこそあらんずれば、 いまはおうじょうしてんとおもひたつはあるまじ。

また煩悩ぼんのうだんじてぞ、 おうじょうはすべきともうすになりなば、 ぼんおうじょうといふことはみなやぶれなんず。 すでに弥陀みだ本願ほんがんりきといふとも、 煩悩ぼんのう罪悪ざいあくぼんをば、 いかでかたすけたまふべき。 えむかへたまはじものをなんどもうすになるぞかし。 ほとけのおんちからをば、 いかほどゝしるぞ。

それにすぎて、 ほとけのがんをうたがふことはいかゞあるべき、 またほとけにたちあひまいらするとがありなんどもうすべきことにてこそあれ。 すべてわがこころ善悪ぜんあく0432をはからひて、 ほとけのがんにかなひかなはざるをこころえあはせんことは、 ぶっならではかなふまじきことなり

されば善導ぜんどうは、 ¬かんぎょうしょ¼ のいちのまき (玄義分) がんしゃくするに、 「一切いっさい善悪ぜんあくぼんむまるゝことをうることは、 弥陀みだぶつ大願だいがん業力ごうりきじょうじてじょうじょうえんとせずといふことなし」 といひおきて、 「ほとけのみつじんにして、 きょうもんさとりがたし。 三賢さんげんじっしょうもはかりてうかゞふところにあらず。 いはんや、 われしんきょうもうなり、 あえて旨趣しいしゅをしらんや」 とこそはしゃくたまひたれば、 善導ぜんどうだにも十信じっしんにだにもいたらぬにて、 いかでかほとけのおんこころをしるべきとこそはおほせられたれば、 ましてわれらがさとりにてほとけの本願ほんがんはからひしることは、 ゆめゆめおもひよるまじきことなり

たゞこころ善悪ぜんあくをもかへりみず、 つみ軽重きょうじゅうをもわきまへず、 こころおうじょうせんとおもひて、 くち南無なも弥陀みだぶつととなえば、 こゑについてけつじょうおうじょうのおもひをなすべし。 そのけつじょうによりて、 すなはちおうじょうごうはさだまるなり。 かくこころえつればやすきなりおうじょうじょうにおもへばやがてじょうなりいちじょうとおもへばやがていちじょうすることなり。

所詮しょせん深信じんしんといは、 かのほとけの本願ほんがんはいかなる罪人ざいにんをもすてず、 たゞみょうごうをとなふることいっしょうまでに、 けつじょうしておうじょうすとふかくたのみて、 すこしのうたがひもなきをもうなり

¬かんぎょう¼ (意) ぼんしょうるに、 「じゅうあくぎゃくざい0433にんも、 一念いちねんじゅうねんおうじょうす」 とゝかれたり。 「じゅうあくぎゃくとう貪瞋とんじんじゅうちゅうそうほうしょうぼう未曽みぞざん前ぜんけん (礼讃) といへるは、 ざいしょうとき悪業あくごうをあかす。 「忽遇こつぐうおうじょうぜんしききゅうかんせんしょうぶつみょうぶつさつじんしょうとう一念いちねんきょうしんにゅう宝蓮ほうれん (礼讃) といへるは、 りんじゅうときぎょうそうをあかすなり

また ¬双巻そうかんぎょう¼ (大経巻下意) のおくに、 「三宝さんぼう滅尽めつじんののちのしゅじょうない一念いちねんおうじょうす」 とゝかれたり。 善導ぜんどうしゃくしていはく、 「万年まんねん三宝さんぼうめつきょうじゅうひゃくねん爾時にじもん一念いちねん皆当かいとう得生 (礼讃) といへり。 このふたつのこころをもて、 弥陀みだ本願ほんがんのひろくせっし、 とをくおよぶほどをばしるべきなり

おもきをあげてかろきをおさめ、 悪人あくにんをあげて善人ぜんにんをおさめ、 とをきをあげてちかきをおさめ、 のちをあげてさきをおさむるなるべし。 まことだい誓願せいがん深広じんこうなること、 たやすくことばをもてのぶべからず、 こころをとゞめておもふべきなり。

そもそもこのごろ末法まっぽうにいれりといへども、 いまだひゃくねんにみたず。 われら罪業ざいごうおもしといへども、 いまだぎゃくをつくらず。 しかれば、 はるかにひゃくねん法滅ほうめつのゝちをすくひたまへり、 いはんやこのごろをや。 ひろくぎゃくごくじゅうのつみをすてたまはず、 いはんやわれらをや。 たゞ三心さんしんして、 もはらみょうごうしょうすべし。 たとひ一念いちねんといふとも、 みだりに本願ほんがんをうたがふことなかれ。

たゞし、 かやうのことはりをもうしつれば、 つみをもすてたまはねば、 こころにまか0434せてつみをつくらんもくるしかるまじ。 また一念いちねんにもいちじょうおうじょうすなれば、 念仏ねんぶつはおほくもうさずともありなんと、 あしくこころうるひとのいできて、 つみをばゆるし、 念仏ねんぶつをばせいするやうにもうしなすが、 返々かえすがえすもあさましくそうろうなり

あくをすゝめぜんをとゞむる仏法ぶっぽうは、 いかゞあるべき。 されば善導ぜんどうは、 「貪瞋とんじん煩悩ぼんのうをきたしまじへざれ」 (礼讃) といましめ、 また念々ねんねん相続そうぞくして、 いのちおはらんをとせよ」 (礼讃) とおしへ、 またにちしょまん六万ろくまんないじゅうまん (観念法門意) なんどこそすゝめたまひたれ。 たゞこれはだい本願ほんがん一切いっさいせっする、 なをじゅうあくぎゃくをももらさず。 称名しょうみょう念仏ねんぶつぎょうにすぐれたる、 すでに一念いちねんじゅうねんにあらはれたるむねをしんぜよともうすにてこそあれ。

[か]やうのことは、 あしくこころうれば、 いづかたもひがことになるなり。 つよくしんずるかたをすゝむれば、 邪見じゃけんをおこし、 邪見じゃけんをおこさせじとこしらふれば、 信心しんじんつよからずなるがすべなきことにてはべなり。 かやうの分別ふんべつは、 このついでにことながければ、 ぎょうたにこまかにもうしひらくべし。

またひくところの ¬しょ¼ のもんるに、 のちの信心しんじんについてふたつのこころあり。 すなはちほとけについてふかくしんじ、 きょうについてふかくしんずべきむねをしゃくたまへるにやとこころえらるゝなり

まづはほとけについてしんずといは、 いちには弥陀みだ本願ほんがんしんじ、 には0435しゃ所説しょせつしんじ、 さんには十方じっぽう恒沙ごうじゃかんしんずべきなり

きょうについてしんずといは、 いちには ¬りょう寿じゅきょう¼ をしんじ、 には ¬かんぎょう¼ をしんじ、 さんには ¬弥陀みだきょう¼ をしんずるなり。 すなはちはじめに 「けつじょうしてふかく弥陀みだぶつじゅう八願はちがん」 といへるもんは、 弥陀みだしんじ、 また ¬りょう寿じゅきょう¼ をしんずるなり。 つぎに 「けつじょうしてふかくしゃぶつの ¬かんぎょう¼」 といえるもんは、 しゃしんじ、 ¬かんぎょう¼ をしんずるなり。 つぎに 「けつじょうしてふかく ¬弥陀みだきょう¼ のなか」 といへるもんは、 十方じっぽう諸仏しょぶつしんじ、 また ¬弥陀みだきょう¼ をしんずるなり

またつぎのもんに、 「ほとけのすてしめたまはんをばすてよ」 といふは、 ぞうぎょう雑修ざっしゅなり。 「ほとけのぎょうぜしめたまはんことをばぎょうぜ[よ」]といふは、 専修せんじゅ正行しょうぎょうなり。 「ほとけのさらしめたまはんことをばされ」 といふは、 がく異解いげ雑縁ぞうえん乱動らんどうのところなり善導ぜんどうの 「みづからもさへ、 おうじょう正行しょうぎょうをもさふ」 (礼讃) しゃくたまへること、 まことにおそるべきものなり

ぶっきょうずいじゅんす」 といは、 しゃおしへにしたがひ、 「仏願ぶつがんずいじゅんす」 といは、 弥陀みだがんにしたがふなり。 「ぶつずいじゅんす」 といは、 そんおんこころにかなふなり。 いまのもんこころは、 さきのもんに 「さんきょうしんずべし」 といへるにたがはず。 せんじては、 たゞ雑修ざっしゅをすてゝ専修せんじゅぎょうずるが、 ほとけのおんこころにかなふとこそはきこへたれ。

またつぎのもんに、 「べつべつぎょうのためにやぶられざれ」 といふは、 さとりことに ぎょうことならん0436ひとなんじやぶらんについて、 念仏ねんぶつをもすておうじょうをもうたがふことなかれともうなり。 さとりことなるひともうすは、 天臺てんだい法相ほっそうとうしょしゅうがくしょうこれなり。 ぎょうことなるひともうすは、 真言しんごんかんとう一切いっさいぎょうじゃこれなり。 これらはみなしょうどうもんぎょうなりじょうもんぎょうにことなるがゆへに、 べつべつぎょうとはなづけたり。 かくのごときのひとに、 いひやぶらるまじきことはりは、 このもんのつぎにこまかにしゃくたまへり。

すなはちひとにつきてしんをたつ、 ぎょうにつきてしんをたつといふ、 ふたつしんをあげたり。 はじめのひとにつきてしんをたつといへる、 これなり。 このもん広博こうはくにして、 つぶさにいだすにあたはず。

そのようにして、 さらにすてがたきによりて、 ことばをりゃくこころをとりて、 そのをもむきをあかさば、 もんこころ、 「ぎょうどうひとありて、 きょうろんしょうをひきて、 一切いっさいぼんおうじょうすることをえずといはば、 すなはちこたえていへ。 なんぢがひくところのきょうろんしんぜざるにはあらず、 みなことごとくあふいでしんずといへども、 さらになんぢがをばうけず。 そのゆへは、 なんぢがひくところのきょうろんと、 わがしんずるところのきょうろんと、 すでに各別かくべつ法門ほうもんなり。 ほとけ、 この ¬かんぎょう¼・¬弥陀みだきょう¼ とうをときたまことときべつにところもべつに、 たいべつやくべつなり。 ほとけのせっきょうは、 にしたがひ、 ときにしたがひてどうなり。 かれにはつうじてにん0437てんさつぎょうをとく。 これはべっしておうじょうじょうぎょうをとく。 すなはち、 ほとけのめつじょく極増ごくぞう一切いっさいぼんけつじょうしておうじょうすることをうとときたまへり。 われいま一心いっしんにこのぶっきょうによりて、 けつじょうしてぎょうす。 たとひなんぢひゃくせん万億まんおくむまれずといふとも、 たゞわがおうじょう信心しんじんぞうじょうじょうじゅせんとこたへよ」 (散善義意) といへり。

またぎょうじゃさらになんひとにむかひてときていへ。 なんぢよくきけ、 われいまなんぢがためにさらにけつじょうしんそうをとかん」 (散善義) といひて、 はじめはぜんさつかんびゃくぶつより、 おはりぶつ報仏ほうぶつまでたてあげて、 「たとひぶつ報仏ほうぶつ十方じっぽうにみちみちて、 おのおのひかりをかゞやかし、 したをいだして十方じっぽうにおほひて、 一切いっさいぼん念仏ねんぶつしていちじょうおうじょうすといふことはひがことなり、 しんずべからずとのたまはんに、 われこれらの諸仏しょぶつ所説しょせつをきくとも、 一念いちねん退たいこころをおこしてかのくにゝむらるゝことをえざらんことをおそれじ。 なにをもてのゆへにとならば、 一仏いちぶつ一切いっさいぶつなりだい等同とうどうにしてすこしきの差別しゃべつなし。 同体どうたいだいのゆえに、 一仏いちぶつ所説しょせつはすなはちこれ一切いっさいぶつなり。 こゝをもて、 まづ弥陀みだ如来にょらいしょうみょうごう下至げしじっしょうにゃくしょうじゃしゅしょうがくがんじて、 そのがんじょうじゅしてすでにぶつになりたまへり。 またしゃ如来にょらいは、 このじょくあくにして、 あくしゅじょう悪見あくけんあく煩悩ぼんのう悪邪あくじゃしんさかりなるとき0438みょうごうをほめ、 しゅじょう勧励かんれいして、 しょうねんすればかならずおうじょうすることをうとゝきたまへり。 また十方じっぽう諸仏しょぶつは、 しゅじょうしゃ一仏いちぶつ所説しょせつしんぜざらんことをおそれて、 すなはちともに同心どうしんどうにおのおの舌相ぜっそうをいだして、 あまねく三千さんぜんかいにおほひて、 じょうじつのことばをときたまふ。 なんだちしゅじょう、 みなしゃ所説しょせつ所讃しょさんしょしょうしんずべし。 一切いっさいぼん罪福ざいふくしょうせつごんをとはず、 たゞよくみはひゃくねんをつくし、 もは一日いちにち七日しちにちじっしょういっしょうにいたるまで、 こころをひとつにしてもはら弥陀みだみょうごうねんずれば、 さだめておうじょうすることをうといふことしんずべし。 かならずうたがふことなかれと証誠しょうじょうたまへり。 かるがゆへにひとについてしんをたつ」 (散善義意) といへり。

かくのごときの一切いっさい諸仏しょぶつの、 一仏いちぶつものこ[ら]ず同心どうしんに、 あるいはがんをおこし、 あるいはそのがんをとき、 あるいはそのせつしょうして、 一切いっさいぼん念仏ねんぶつしてけつじょうおうじょうすべきむねをすゝめたまへるうゑには、 いかなるほとけのまたきたりておうじょうすべからずとはのたまふべきぞといふことはりをもて、 ほとけきたりてのたまふとも、 おどろくべからずとはしんずるなり。 ほとけなをしかり、 いはんやぜんじょうさつをや、 いはんや小乗しょうじょうかんをやとこころえつれば、 ましてぼんのとかくもうさんによりて、 一念いちねんもうたがひおどろくこころあるべからずとはもうなり

おほかたこの信心しんじんようを、 ひと0439こころえわかぬとおぼゆるなりこころのそみぞみとのけもいよだち、 なみだもおつるをのみ、 しんのおこるともうすはひがことにてあるなり。 それはかんずい悲喜ひきと[ぞ]もうすべき。 しんといは、 うたがひにたいするこころ[にて、] うたがひをのぞくをしんとはもうすべきなり

ことにつけても、 きくことにつけても、 そのこといちじょうさぞとおもひとりつることは、 ひといかにもうせども、 じょうにおもひなることはなきぞかし。 これをこそ、 ものしんずるとはもうせ。 そのしんのうゑに、 かんずいなんどもおこらんは、 すぐれたるにてこそあるべけれ。

たとへば、 としごろこころのほどをもみとりて、 そらことせぬたしかならんひとぞとたのみたらんひとの、 さまざまにおそろしき誓言せいごんをたて、 なおざりならず、 ねんごろにちぎりをきたることのあらんを、 ふかくたのみてわすれずたもちて、 こころのそこにふかくたくわえたらんに、 いとこころほどもしらざらんひとの、 それなたのみそ、 そらことするぞと、 さまざまにいひさまたげんにつきて、 すこしもかはるこころはあるまじきぞかし。

それがやうに、 弥陀みだ本願ほんがんをもふかくしんじて、 いひやぶらるべからず。 いはんや一代いちだいきょうしゅぞくたまへるをや、 いはんや十方じっぽう諸仏しょぶつ証誠しょうじょうたまへるをやとこころうべきにや。 まことにことはりをきゝひらかざらんほどこそあらめ。 ひとたびもこれをきゝてしんをおこしてんのちは、 いかなるひと0440かくいふとも、 なじにかはみだるゝこころあるべきとこそはおぼへそうらへ。

つぎにぎょうについてしんをたつといふは、 すなはちぎょうふたつあり。 いちには正行しょうぎょうにはぞうぎょうなりといへり。 このぎょうについて、 あるいはぎょうそう、 あるいは得失とくしつもんひろくおほしといへども、 しばらくりゃくぞんず。 つぶさには、 ものぎょうのなかにあかすべし。 深信じんしん大要たいようをとるにこれにあり。

このもんかんあるべしとみゆるが、 いづくにかくれてはべるにか、 いまだたづねえず。 もしたづねうるひとあらばこれにつげ。