一0400、 三部経釈

▲三さん部ぶ経きょう釈しゃく 第一だいいち  黒谷くろだに作さく

○¬双巻そうかん経ぎょう¼・¬観かん経ぎょう¼・¬阿あ弥陀みだ経きょう¼、 これを浄じょう土ど三さん部ぶ経きょうといふ。

・双巻経

◇¬双巻そうかん経ぎょう¼ には、 まづあみだほとけの四し十じゅう八願はちがんをとく、 のちに願がん成じょう就じゅをあかせり。

-◇その四し十じゅう八願はちがんといふは、 法蔵ほうぞう比丘びく、 世せ自じ在ざい王仏おうぶつの御おんまえにして菩ぼ提だい心しんをおこして、 浄じょう仏ぶつ国こく土ど・成じょう就じゅ衆しゅ生じょうの願がんをたて給たまふ。 およそその四し十じゅう八願はちがんに、 あるいは无む三さん悪趣まくしゅともたて、 あるいは不ふ更きょう悪趣あくしゅともとき、 あるいは悉皆しっかい金色こんじきともいふは、 みな第だい十じゅう八はちの願がんのためなり。

-◇「設せつ我が得仏とくぶつ、 十方じっぽう衆しゅ生じょう、 至し心しん信しん楽ぎょう、 欲よく生しょう我が国こく、 乃ない至し十じゅう念ねん、 若にゃく不ふ生しょう者じゃ、 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 (大経巻上) といへるは、 四し十じゅう八願はちがんのなかに、 この願がんことにすぐれたりとす。 そのゆえは、 かのくにゝもしむまるゝ衆しゅ生じょうなくは、 悉皆しっかい金色こんじき・无有むう好醜こうしゅ等とうの願がんも、 なにゝよてか成じょう就じゅせん。 往おう生じょうする衆しゅ生じょうのあるにつきてこそ、 身みのいろも金色こんじきに、 好醜こうしゅある事こともなく、 五ご通つうをも具ぐし、 宿命しゅくみょうをもさとるべけれ。

-◇これによて、 善導ぜんどう釈しゃくしての給たまはく、 「法蔵ほうぞう比丘びく四し十じゅう八願はちがんをたて給たまひて、 願々がんがんにみな、 若にゃく我が得仏とくぶつ、 十方じっぽう衆しゅ生じょう、 称しょう我が名みょう号ごう、 願がん生しょう我が国こく、 下至げし十じゅう念ねん、 若にゃく不ふ生しょう者じゃ、 不ふ取しゅ正しょう覚がく 云云。 四し十じゅう八願はちがんに一一いちいちにみなこの心こころあり」 (玄義分意) と釈しゃくし給たまへり。

-◇およそ諸仏しょぶつの願がんといふは、 上じょう0401求ぐ菩ぼ提だい・下化げけ衆しゅ生じょうの心こころなり。 大だい乗じょう経きょうにいはく、 「菩ぼ薩さつ願がん有う二に種しゅ、 一いち上じょう求ぐ菩ぼ提だい、 二に下化げけ衆しゅ生じょう心しん也や。 其ご上じょう求ぐ菩ぼ提だい本ほん意い、 為い易やく済さい度ど衆しゅ生じょう」。 云云 しかれば、 たゞ本ほん意いは下化げけ衆しゅ生じょうの願がんにあり。

-◇いま弥陀みだ如来にょらいの国こく土どを成じょう就じゅし給たまふも、 衆しゅ生じょうを引いん接じょうせんがためなり。 総そうじていづれのほとけも、 成じょう仏ぶつ已後いごは内ない証しょう外げ用ゆうの功く徳どく、 済さい度ど衆しゅ生じょうの誓願せいがん、 いづれもいづれもみなふかくして、 勝しょう劣れつある事ことなけれども、 菩ぼ薩さつの道どうを行ぎょうじ給たまひし時ときの善ぜん巧ぎょう方便ほうべんのちかひ、 みなこれまちまちなる事こと也なり。

-◇弥陀みだ如来にょらいは因いん位にの時とき、 もはらわが名みょう号ごうを念ねんぜんものをむかえんとちかひ給たまひて、 兆ちょう載さい永劫ようごうの修しゅ行ぎょうを衆しゅ生じょうに廻え向こうし給たまふ。 濁じょく世せのわれらが依怙えこ、 末代まつだいの衆しゅ生じょうの出しゅつ離り、 これにあらずは、 なにをか期ごせんや。

-◇これによて、 かのほとけも、 「我が建ごん超ちょう世せ願がん」 (大経巻上) となのり給たまへり。 三さん世ぜの諸仏しょぶつも、 いまだかくのごとくの願がんをばおこし給たまはず。 十方じっぽうの薩さっ埵たも、 いまだこれらの願がんはましまさず。「志し願がん若にゃく剋こっ果か、 大千だいせん応おう感動かんどう、 虚こ空くう諸しょ天人てんにん、 当とう雨う珍ちん妙みょう花け」 (大経巻上) とちかひ給たまひしかば、 大だい地ち六種ろくしゅに震動しんどうし、 天てんより花はなふりて、 なんぢまさに正しょう覚がくをなり給たまふべしとつげたりき。

-◇法蔵ほうぞう比丘びくいまだ成じょう仏ぶつし給たまはずとも、 この願がんうたがふべからず。 いかにいはんや、 成じょう仏ぶつ已後いご十劫じっこうになり給たまへり、 信しんぜずはあるべからず。 「彼ひ仏ぶつ今こん現在げんざい世せ成じょう仏ぶつ、 当とう知ち本誓ほんぜい重じゅう願がん不虚ふこ、 衆しゅ生じょう称しょう念ねん必得ひっとく往おう生じょう」 (礼讃) と釈しゃくし0402給たまへるはこれなり。

-◇「諸しょ有う衆しゅ生じょう、 聞もん其ご名みょう号ごう、 信心しんじん歓かん喜ぎ、 乃ない至し一念いちねん、 至し心しん廻え向こう、 願がん生しょう彼ひ国こく、 即得そくとく往おう生じょう、 住じゅう不ふ退転たいてん、 唯除ゆいじょ五ご逆ぎゃく、 誹ひ謗ほう正しょう法ぼう。」 (大経巻下) 文 これは第だい十じゅう八はちの願がん成じょう就じゅの文もんなり。 願がんには 「乃ない至し十じゅう念ねん」 (大経巻上) とゝくといへども、 まさしく願がん成じょう就じゅのなかには一念いちねんにありとあかせり。

-◇つぎに三輩さんぱい往おう生じょうの文もんあり。 これは第だい十じゅう九くの臨りん終じゅう現前げんぜんの願がん成じょう就じゅの文もんなり。 発ほつ菩ぼ提だい心しん等とうの業ごうをもて三輩さんぱいをわかつといえども、 往おう生じょうの業ごうは通つうじてみな 「一向いっこう専念せんねん无む量りょう寿仏じゅぶつ」 (大経巻下) といえり。 これすなはちかのほとけの本願ほんがんなるがゆえなり。

-◇「其ご仏ぶつ本願ほんがん力りき、 聞もん名みょう欲よく往おう生じょう、 皆悉かいしつ到とう彼ひ国こく、 自致じち不ふ退転たいてん」 (大経巻下) といふ文もんあり。

-◇漢かん朝ちょうに玄通げんつう律りっ師しといふ[も]のありき、 小しょう戒かいをたもてるものなり。 遠えん行こうして野寺やじに宿しゅくしたりけるに、 隣房りんぼうに人ひとありてこの文もんを誦じゅす。 玄通げんつうこれをきゝて、 一いち両りょう遍へん誦じゅしてのち、 おもひいだす事こともなくてわすれにけり。 そのゝちこの玄通げんつう律りっ師し、 戒かいをやぶれり。 そのつみによて閻えん魔まの庁ちょうにいたる時とき、 ◇閻えん魔ま法王ほうおうの給たまはく、 なんぢ仏法ぶっぽう流布るふのところにむまれたりき。 所学しょがくの法ほうあらば、 すみやかにとくべしとて、 高こう座ざにのぼせ給たまひき。 その時とき玄通げんつう、 高こう座ざにのぼりておもひめぐらすに、 すべて心こころにおぼゆる事ことなし。 野寺やじに宿しゅくしてきゝし文もんあり、 これを誦じゅせんとおもひいでゝ、 「其ご仏ぶつ本願ほんがん力りき」 といふ文もんを誦じゅしたりしかば、 閻えん魔ま法王ほうおう、 たまのかぶり0403をかたぶけて、 これはこれ、 西方さいほう極楽ごくらくの弥陀みだ如来にょらいの功く徳どくをとく文もんなりといひて、 礼拝らいはいし給たまひき。

-◇願力がんりき不ふ思議しぎなる事こと、 この文もんに見みえたり。

-◇「仏ぶつ語ご弥み勒ろく、 其有ごう得聞とくもん彼ひ仏ぶつ名みょう号ごう、 信心しんじん歓かん喜ぎ乃ない至し一念いちねん、 当とう知ち此し人にん為い得とく大だい利り、 即そく是ぜ具ぐ足そく无む上じょう功く徳どく。」 (大経巻下意) 文 弥み勒ろく菩ぼ薩さつ、 この ¬経きょう¼ を付ふ属ぞくし給たまふには、 乃ない至し一念いちねんするをもて大だい利り无む上じょうの功く徳どくとの給たまへり。 ¬経きょう¼ の大たい意い、 これらの文もんにあきらかなるものなり。

・観経

-◇次つぎに ¬観かん経ぎょう¼ には、 定じょう善ぜん・散善さんぜんをときて、 念仏ねんぶつをもて阿あ難なんに付ふ属ぞくし給たまふ。 「汝好にょこう持じ是語ぜご」 (観経) といえるはこれなり。

-◇第だい九くの真身しんしん観かんに、 「光こう明みょう徧へん照じょう、 十方じっぽう世せ界かい、 念仏ねんぶつ衆しゅ生じょう、 摂取せっしゅ不ふ捨しゃ」 (観経) といふ文もんあり。 済さい度ど衆しゅ生じょうの願がんは平びょう等どうにして差別しゃべつある事ことなけれども、 无む縁えんの衆しゅ生じょうは利り益やくをかうぶる事ことあたはず。 このゆえに、 弥陀みだ善逝ぜんぜい、 平びょう等どうの慈悲じひにもよほされて、 十方じっぽう世せ界かいにあまねく光こう明みょうをてらして、 一切いっさい衆しゅ生じょうにことごとく縁えんをむすばしめんがために、 光こう明みょう无む量りょうの願がんをたて給たまへり。 第だい十じゅう二にの願がんこれなり。

-◇名みょう号ごうをもて因いんとして、 衆しゅ生じょうを引いん接じょうし給たまふ事ことを、 一切いっさい衆しゅ生じょうにあまねくきかしめんがために、 第だい十じゅう七しちの願がんに 「十方じっぽう世せ界かいの无む量りょうの諸仏しょぶつ、 ことごとく咨し嗟しゃして、 わが名なを称しょうせずといはゞ、 正しょう覚がくをとらじ」 (大経巻上) といふ願がんをたて給たまひて、 次つぎに十じゅう八はちの願がんに 「乃ない至し十じゅう念ねん、 若にゃく不ふ生しょう者じゃ、 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 (大経巻上) とたて給たまへり。

-◇これによて、 釈しゃ迦か如来にょらいこの0404土どにしてとき給たまふがごとく、 十方じっぽうにもおのおの恒ごう河が沙しゃのほとけましまして、 おなじくこれをしめし給たまへるなり。

-◇しかれば、 光こう明みょうの縁えんはあまねく十方じっぽう世せ界かいをてらしてもらす事ことなく、 又また十方じっぽう无む量りょうの諸仏しょぶつみな名みょう号ごうを称しょう讃さんし給たまへば、 きこえずといふところなし。 「我が至し成じょう仏道ぶつどう、 名声みょうしょう超ちょう十方じっぽう、 究く竟きょう靡み所聞しょもん、 誓せい不ふ成じょう正しょう覚がく」 (大経巻上) とちかひ給たまひしは、 このゆえなり。

-◇しかれば、 光こう明みょうの縁えんと名みょう号ごうの因いんと和わ合ごうせば、 摂取せっしゅ不ふ捨しゃの益やくをかうぶらん事ことうたがふべからず。

-◇このゆえに、 ¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ の序じょにいはく、 「諸仏しょぶつ所しょ証しょう平びょう等どう是ぜ一いち、 若にゃく以い願がん行ぎょう来らい収しゅう非ひ无む因縁いんねん。 然ねん弥陀みだ世せ尊そん、 本発ほんほつ深じん重じゅう誓願せいがん、 以い光こう明みょう・名みょう号ごう摂せっ化け十方じっぽう」 といへり。

-◇又またこの願がんひさしく衆しゅ生じょうを済さい度どせんがために、 寿じゅ命みょう无む量りょうの願がんをたて給たまへり。 第だい十じゅう三さんの願がんこれなり。 総そうじては、 光こう明みょう无む量りょうの願がんは、 横おうに一切いっさい衆しゅ生じょうをひろく摂取せっしゅせんがためなり。 寿じゅ命みょう无む量りょうの願がんは、 竪しゅに十方じっぽう世せ界かいをひさしく利り益やくせんがためなり。

-◇かくのごとくの因縁いんねん和わ合ごうすれば、 摂取せっしゅの光こう明みょうのなかに又また化け仏ぶつ・菩ぼ薩さつましまして、 この人ひとを摂しょう護ごして百重ひゃくじゅう千せん重じゅう囲い遶にょうし給たまふに、 信心しんじんいよいよ増ぞう長じょうし、 衆しゅ苦くことごとく消しょう滅めつす。

-◇臨りん終じゅうの時とき、 ほとけみづから来迎らいこうし給たまふに、 もろもろの邪じゃ業ごっ繋けよくさふるものなし。 これは衆しゅ生じょうのいのちおはる時ときにのぞみて、 百ひゃっ苦くきたりせめて身心しんしんやすき事ことなく、 悪縁あくえんほかにひき、 妄念もうねんうちにもよをして、 境きょう界がい0405・自じ体たい・当とう生しょうの三種さんしゅの愛心あいしんきおひおこる。 第六だいろく天てんの魔ま王おう、 この時ときにあたりて威い勢せいをおこして、 もてさまたげをなす。

-◇かくのごときの種々しゅじゅのさはりをのぞかんがために、 かならず臨りん終じゅうの時ときにはみづから菩ぼ薩さつ聖しょう衆じゅに囲い繞にょうせられて、 その人ひとのまえに現げんぜんとちかひ給たまへり。 第だい十じゅう九くの願がんこれ也なり。

-◇これによて、 臨りん終じゅうの時ときいたれば、 ほとけ来迎らいこうし給たまふ。 行ぎょう者じゃこれを見みたてまつりて、 心こころに歓かん喜ぎをなして、 禅ぜん定じょうにいるがごとくして、 たちまちに観音かんのんの蓮台れんだいに乗じょうじて、 安あん養にょうの宝ほう池ちにいたる也なり。 これらの益やくあるがゆえに、 「念仏ねんぶつ衆しゅ生じょう摂取せっしゅ不ふ捨しゃ」 (観経) といふなり。

-◇又またこの ¬経¼ (観経) に 「具ぐ三心さんしん者しゃ必ひっ生しょう彼ひ国こく」 ととけり。 「三心さんしん」 といは、 一には至し誠じょう心しん、 二には深心じんしん、 三には廻え向こう発願ほつがん心しんなり。 三心さんしんはまちまちにわかれたりといへども、 要ようをとり詮せんをえらんでこれをいえば、 深心じんしんにおさめたり。

-◇善導ぜんどう和か尚しょう釈しゃくし給たまはく、 「至しといは真しんなり、 誠じょうといは実じつなり。 一切いっさい衆しゅ生じょうの身しん口意くい業ごうに修しゅするところの解げ行ぎょう、 かならず真実しんじつ心しんのなかになすべき事ことをあかさんとす。 ほかに賢善けんぜん精しょう進じんの相そうを現げんじて、 うちに虚仮こけをいだく事ことをえざれ」 (散善義) といえり。

-◇その 「解げ行ぎょう」 といは、 罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶ、 弥陀みだの本願ほんがんによて、 十じっ声しょう・一いっ声しょう決けつ定じょうしてむまると、 真実しんじつにさとりて行ぎょうずる、 これなり。 ほかには本願ほんがんを信しんずる相そうを現げんじ、 うちには疑ぎ心しんをいだく、 これは0406不ふ真実しんじつの心こころなり。

-○「深心じんしんはふかく信しんずる心こころなり。 決けつ定じょうしてふかく自じ身しんは現げんにこれ罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶなり、 広劫こうごうよりこのかたつねに流る転てんして、 出しゅつ離りの縁えんなしと信しんじ、 決けつ定じょうしてふかくこの阿あ弥陀みだ如来にょらいは四し十じゅう八願はちがんをもて衆しゅ生じょうを摂取せっしゅし給たまふ事こと、 うたがひなくおもんぱかりなければ、 かの願力がんりきに乗じょうじてさだめて往おう生じょうする事ことをうと信しんずべし」 (散善義) といへり。

-◇はじめに、 まづ 「罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶ、 広劫こうごうよりこのかた出しゅつ離りの縁えんある事ことなしと信しんぜよ」 といへるは、 これすなはち断善だんぜん闡提せんだいのごとくなるもの也なり。 かゝる衆しゅ生じょうの一念いちねん・十じゅう念ねんすれば、 无始むしよりこのかた、 いまだいでざる生しょう死じの輪りん廻ねをいでゝ、 かの極楽ごくらく世せ界かいの不ふ退たいの国こく土どにむまるといふによりて、 信心しんじんはおこるべきなり。

-◇およそほとけの別願べつがんの不ふ思議しぎは、 たゞ心こころのはかるところにあらず、 仏ぶつと仏ぶつとのみよくしり給たまへり。 阿あ弥陀みだ仏ぶつの名みょう号ごうをとなふるによて、 五ご逆ぎゃく・十じゅう悪あくことごとくむまるといふ別願べつがんの不ふ思議しぎのちからまします、 たれかこれをうたがふべき。

-◇善導ぜんどうの ¬疏しょ¼ (散善義) にいはく、 「あるいは人ひとありて、 なんぢ衆しゅ生じょう、 広劫こうごうよりこのかたおよび今こん生じょうの身しん口意くい業ごうに、 一切いっさいの凡ぼん聖しょうの身みのうゑにおいて、 つぶさに十じゅう悪あく・五ご逆ぎゃく・四し重じゅう・謗法ほうぼう・闡提せんだい・破は戒かい・破は見けん等とうのつみをつくりて、 いまだのぞきつくす事ことあたはず。 しか0407も、 これらのつみは三界さんがい悪道あくどうに繋け属ぞくす。 いかんぞ、 一いっ生しょうの修福しゅふく念仏ねんぶつをもてすなはちかの无漏むろ无む生しょうのくにゝいりて、 ながく不ふ退たいのくらゐを証しょう悟ごする事ことをえんやといはば、

-◇いふべし。 諸仏しょぶつの教行きょうぎょうは、 かず塵沙じんじゃにこへたり。 稟識ほんしきの機き縁えん、 随ずい情じょうひとつにあらず。 たとへば世せ間けんの人ひとのまなこに見みつべく信しんじつべきがごときは、 明みょうよく暗あんを破はし、 空くうよく有うをふくむ、 地じよく載養さいようし、 みづよく生しょう潤にんし、 火ひよく成じょう壊えするがごとし。 かくのごときらの事こと、 ことごとく待対たいたいの法ほうとなづく。 すなはちみづから見みるべし、 千差せんしゃ万別まんべつなり。 いかにいはんや、 仏法ぶっぽう不ふ思議しぎのちから、 あに種々しゅじゅの益やくなからんや」 といへり。

-◇極楽ごくらく世せ界かいに水すい鳥ちょう・樹林じゅりんの微み妙みょうの法ほうをさやづるは不ふ思議しぎなれども、 これらはほとけの願力がんりきなればと信しんじて、 なんぞたゞ第だい十じゅう八はちの 「乃ない至し十じゅう念ねん」 (大経巻上) といふ願がんをのみうたがふべきや。

-◇総そうじて仏説ぶっせつを信しんぜば、 これも仏説ぶっせつなり。 花け厳ごんの三さん无む差別しゃべつ、 般若はんにゃの尽じん浄じょう虚こ融ゆう、 法ほっ花けの実相じっそう真如しんにょ、 涅ね槃はんの悉しつ有う仏ぶっ性しょう、 たれか信しんぜざらんや。 これも仏説ぶっせつなり、 かれも仏説ぶっせつなり。 いづれをか信しんじ、 いづれをか信しんぜざらんや。

-◇それ三さん字じの名みょう号ごうはすくなしといへども、 如来にょらい所しょ有うの内ない証しょう外げ用ゆうの功く徳どく、 万億まんおく恒沙ごうじゃの甚深じんじんの法門ほうもんを、 このうちにおさめたり。 たれかこれをはかるべきや。

-◇¬疏しょ¼ の 「玄げん義ぎ分ぶん」 (意) にこの名みょう号ごうを釈しゃくしていはく、 「阿あ弥陀みだ仏ぶつといは、 これ天竺てんじく0408の正しょう音おん。 こゝには翻ほんじて无む量りょう寿覚じゅかくといふ。 无む量りょう寿じゅといはこれ法ほう、 覚かくといはこれ人にん。 人法にんぽうならべてあらはす。 かるがゆえに阿あ弥陀みだ仏ぶつといふ。 人法にんぽうといは所観しょかんの境きょう也なり。 これについて依え報ほうあり、 正しょう報ぼうあり」 といへり。

-◇しかれば、 はじめ弥陀みだ如来にょらい・観音かんのん・勢せい至し・普ふ賢げん・文もん殊じゅ・地じ蔵ぞう・龍りゅう樹じゅより、 乃ない至しかの土どの菩ぼ薩さつ・声しょう聞もん等とうにいたるまでそなへ給たまへるところの事理じりの観かん行ぎょう、 定じょう恵えの功く力りき、 内ない証しょうの智恵ちえ、 外げ用ゆうの功く徳どく、 総そうじて万徳まんどく无漏むろの所しょ証しょうの法門ほうもん、 みなことごとく三さん字じのなかにおさまれり。 総そうじて極楽ごくらく界かいにいづれの法門ほうもんかもれたるところあらん。

-◇しかるを、 この三さん字じの名みょう号ごうをば、 諸しょ宗しゅうおのおのわが宗しゅうに釈しゃくしいれたり。 真言しんごんには阿字あじ本ほん不ふ生しょうの義ぎ、 四し十じゅう二字にじを出生しゅっしょうせり。 一切いっさいの法ほうは阿字あじをはなれたる事ことなきがゆえに、 功く徳どく甚深じんじんの名みょう号ごうといえり。 天臺てんだい宗しゅうには空くう・仮け・中ちゅうの三諦さんたい、 正しょう・了りょう・縁えんの三さん義ぎ、 法ほう・報ほう・応おうの三身さんしん、 如来にょらい所しょ有うの功く徳どくこれをいでざるがゆえに、 功く徳どく莫大ばくだいなりといへり。 かくのごとく諸しょ宗しゅうにおのおのわが存ぞんずるところの法ほうについて、 阿あ弥陀みだの三さん字じを釈しゃくせり。

-◇いまこの宗しゅうの心こころは、 真言しんごんの阿字あじ本ほん不ふ生しょうの義ぎも、 天臺てんだいの三諦さんたい一いち理りの法ほうも、 三論さんろんの八はっ不ぷ中ちゅう道どうのむねも、 法相ほっそうの五ご重じゅう唯心ゆいしんの心こころも、 総そうじて森しん羅らの万法ばんぽうひろくこれを摂せっすとならふ。 極楽ごくらく世せ界かいにもれたる法門ほうもんなきがゆえに。 たゞしいま弥陀みだの願がんの心こころは、 かくのごとくさとるに0409はあらず。 たゞふかく信心しんじんをいたしてとなふるものをむかえんとなり。

-◇耆婆ぎば・扁へん鵲じゃくが万まん病びょうをいやすくすりは、 もろもろの草くさ・よろづのくすりをもて合薬ごうやくせりといえども、 病びょう者じゃこれをさとりて、 その薬種やくしゅ何分なんぶん、 その薬草やくそう何なん両りょう和わ合ごうせりとしらず。 しかれども、 これを服ぶくするに万まん病びょうことごとくいゆるがごとし。 たゞしうらむらくは、 このくすりを信しんぜずして、 わがやまひはきはめておもし、 いかゞこのくすりにてはいゆる事ことあらんとうたがひて服ぶくせずんば、 耆婆ぎばが医い術じゅつも、 扁へん鵲じゃくが秘ひ方ほうも、 むなしくしてその益やくあるべからざるがごとく、 弥陀みだの名みょう号ごうもかくのごとし。

-◇それ煩悩ぼんのう悪業あくごうのやまひ、 きわめておもし、 いかゞこの名みょう号ごうをとなえてむまるゝ事ことあらんとうたがひてこれを信しんぜずは、 弥陀みだの誓願せいがん・釈しゃく尊そんの所説しょせつ、 むなしくてそのしるしあるべからず。 たゞあふいで信しんずべし、 良りょう薬やくをえて服ぶくせずして死しする事ことなかれ。 崑崙こんりんのやまにゆきてたまをとらずしてかえり、 栴檀せんだんのはやしにいりて枝えだをよぢずしていでなば、 後悔こうかいいかゞせん、 みづからよく思し量りょうすべし。

-◇そもそもわれら広劫こうごうよりこのかた、 仏ぶつの出しゅっ世せにもあひけん、 菩ぼ薩さつの化け導どうにもあひけん。 過去かこの諸仏しょぶつも、 現在げんざいの如来にょらいも、 みなこれ宿しゅく世せの父母ぶもなり、 多た生しょうの朋ぼう友うなり。 かれはいかにして菩ぼ提だいを証しょうし給たまへるぞ、 われはなにゝよて生しょう死じにはとゞまるぞ、 は0410づべしはづべし、 かなしむべしかなしむべし。

-◇本ほん師し釈しゃ迦か如来にょらいの、 大罪だいざいのやまにいりて、 邪見じゃけんのはやしにかくれて、 三業さんごう放逸ほういつに六ろく情じょう全まったからざらん衆しゅ生じょうを、 わが国こく土どにはとりおきて教きょう化け度ど脱だつせしめんとちかひ給たまひたりしは、 そもそもいかにしてかゝる衆しゅ生じょうをば度ど脱だつせしめんとちかひ給たまふぞとたづぬれば、 阿あ弥陀みだ如来にょらい因いん位にの時とき、 无む上じょう念王ねんおうと申もうして菩ぼ提だい心しんをおこし、 生しょう死じを過度かどせしめむとちかひ給たまひしに、 釈しゃ迦か如来にょらいは宝海ほうかい梵ぼん志じと申もうして、 无む上じょう念王ねんおう、 くにのくらゐをすてゝ菩ぼ提だい心しんをおこし、 摂取せっしゅ不ふ捨しゃの願がんをおこし給たまひし時ときに、 この宝海ほうかい梵ぼん志じも願がんをおこして、 「われかならず穢土えどにして正しょう覚がくをなりて、 罪業ざいごうの衆しゅ生じょうを引導いんどうせん」 (悲華経巻三本授記品意) とちかひ給たまひて、 この願がんをおこし給たまふ也なり。

-◇広劫こうごうよりこのかた、 諸仏しょぶつ出しゅっ世せして、 縁えんにしたがひ、 機きをはかりて、 おのおの衆しゅ生じょうを化度けどし給たまふ事こと、 かず塵沙じんじゃにすぎたり。 あるいは大だい乗じょうをとき小乗しょうじょうをとき、 あるいは実じっ教きょうをひろめ権ごん教きょうをひろむ。 有う縁えんの機きは、 みなことごとくその益やくをう。

-◇こゝに釈しゃく尊そん、 八相はっそう成じょう道どうを五ご濁じょく悪あく世せにとなえて、 放逸ほういつ邪見じゃけんの衆しゅ生じょうの出しゅつ離り、 その期ごなきをあはれみて、 「これよりにしに極楽ごくらく世せ界かいあり、 仏ぶつまします、 阿あ弥陀みだとなづけたてまつる」 (小経意)。 このほとけは 「乃ない至し十じゅう念ねん、 若にゃく不ふ生しょう者じゃ、 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 (大経巻上) とちかひ給たまひて、 仏ぶつになり給たまへり。 すみやかに念ねんぜよ。 出しゅつ離り生しょう死じのみちお0411ほしといえども、 悪業あくごう煩悩ぼんのうの衆しゅ生じょうの、 とく生しょう死じをはなるゝ事こと、 この門もんにすぎたるはなしとおしえて、 ゆめゆめうたがふ事ことなかれ。

-◇「六方ろっぽう恒沙ごうじゃの諸仏しょぶつも証誠しょうじょうし給たまふなり」 (小経意) と、 ねんごろにおしへ給たまひて、 「われもしひさしく穢土えどにあらば、 邪見じゃけん・放逸ほういつの衆しゅ生じょう、 われをそしりわれをそむきて、 かへりて悪道あくどうにおちなん」 (法華経巻五寿量品意)。

-◇濁じょく世せにいでたる事ことは、 本ほん意いたゞこの事ことを衆しゅ生じょうにきかしめんがためなりとて、 阿あ難なん尊者そんじゃに、 「なんぢよくこの事ことを遐か代だいに流る通ずうせよ」 (散善義意) と、 ねんごろに約束やくそくしおきて、 跋提ばつだい河がのほとり、 沙しゃ羅ら林りんのもとにして、 八はち十じゅうの春はるの天てん、 二に月がつ十じゅう五ごの夜や半はんに、 頭ず北ほく面西めんさいにして滅めつ度どに入いり給たまひき。 その時ときに、 日月にちがつひかりをうしなひ、 草木そうもくいろを変へんじ、 龍りゅう神じん八はち部ぶ、 禽きん獣じゅう・鳥ちょう類るいにいたるまで、 天てんにあふぎてなき、 地ちにふしてさけぶ。

-◇阿あ難なん・目連もくれん等とうのもろもろの大だい弟子でし等とう、 悲ひ泣きゅうのなみだをおさへて、 あひ議ぎしていはく、 釈しゃく尊そんの恩おんになれたてまつりて八はち十じゅうの春秋しゅんじゅうをおくりき。 化け縁えんこゝにつきて、 黄おう金ごんのはだえ、 たちまちにへだゝり給たまひぬ。 あるいはわれら世せ尊そんに問といたてまつるに、 答こたへ給たまへる事こともありき、 あるいは釈しゃく尊そんみづから告つげ給たまふ事こともありき。 済さい度ど利り生しょうの方便ほうべん、 いまはたれにむかひてか問といたてまつるべき。

-◇すべからく如来にょらいの御みことばをしるしおきて、 未み来らいにもつたへ、 御おんかたみともせんといひて、 多羅たら葉ようを0412ひろいてことごとくこれをしるしおきしを、 三蔵さんぞうたちこれを訳やくして唐とう土どへわたし、 本ほん朝ちょうへつたへ給たまふ。 諸しょ宗しゅうにつかさどるところの一代いちだい聖教しょうぎょうこれ也なり。

-◇しかるに阿あ弥陀みだ如来にょらい、 善導ぜんどう和か尚しょうとなのりて、 唐とう土どにいでゝ、 「如来にょらい出しゅつ現げん於お五ご濁じょく、 随ずい機き方便ほうべん化け群萌ぐんもう、 或説わくせつ多た聞もん而に得とく度ど、 或説わくせつ小しょう解げ証しょう三さん明みょう、 或わく教きょう福ふく恵え双除そうじょ障しょう、 或わく教きょう禅念ぜんねん坐ざ思し量りょう、 種種しゅじゅ法門ほうもん皆かい解げ脱だつ、 无過むか念仏ねんぶつ往おう西方さいほう、 上じょう尽じん一いち形ぎょう至し十じゅう念ねん、 三念さんねん五ご念ねん仏ぶつ来迎らいこう、 直じき為い弥陀みだ弘ぐ誓ぜい重じゅう、 教きょう使し凡ぼん夫ぶ念ねん即そく生しょう」 (法事讃巻下) との給たまへり。 釈しゃく尊そん出しゅっ世せ本懐ほんかい、 たゞこの事ことにありといふべし。

-◇「自じ信しん教きょう人信にんしん、 難なん中ちゅう転てん更きょう難なん、 大だい悲ひ伝でん普化ふけ、 真しん成じょう報ほう仏恩ぶっとん」 (礼讃) といへば、 釈しゃく尊そんの恩おんを報ほうずるは、 これたれがためぞや、 ひとえにわれらがためにあらずや。 このたびむなしくてすぎなば、 出しゅつ離りいづれの時ときをか期ごせんとする。 すみやかに信心しんじんをおこして生しょう死じを過度かどすべし。

-◇次つぎに廻え向こう発願ほつがん心しんといは、 人ひとことに具ぐしつべき事ことなり。 国こく土どの快け楽らくをきゝて、 たれかねがはざらんや。 そもそも、 かの国こく土どに九く品ぼんの差別しゃべつあり、 われらいづれの品ほんをか期ごすべき。 善導ぜんどう和か尚しょうの御おん心こころは、 「極楽ごくらく弥陀みだは報仏ほうぶつ・報ほう土ど也なり。 未み断惑だんわくの凡ぼん夫ぶ、 すべてむまるべからずといへども、 弥陀みだの別願べつがん不ふ思議しぎにて、 罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶ、 一念いちねん・十じゅう念ねんしてむまる」 (玄義分意) と釈しゃくし給たまへり。

-◇しかるを上じょう古こよりこのかた、 「おほく下げ0413品ぼんといふとも足たりぬべし」 (和漢朗詠集) といひて、 上じょう品ぼんをねがはず。 これは悪業あくごうのおもきをおそれて心こころを上じょう品ぼんにかけざる也なり。 もしそれ悪業あくごうによらば、 総そうじて往おう生じょうすべからず。 願力がんりきによてむまれば、 なんぞ上じょう品ぼんにすゝまん事ことをかたしとせん。

-◇総そうじては弥陀みだ浄じょう土どをまうけ給たまう事ことは、 願力がんりきの成じょう就じゅするゆえなり。 しかれば、 又また念仏ねんぶつ衆しゅ生じょうのむまるべきくになり。 「乃ない至し十じゅう念ねん、 若にゃく不ふ生しょう者じゃ、 不ふ取しゅ正しょう覚がく」 (大経巻上) とたて給たまひて、 この願がんによて感得かんとくし給たまふところなるがゆえなり。

-◇いま又また ¬観かん経ぎょう¼ の九く品ぼんの業ごうをいはば、 下げ品ぼんは五ご逆ぎゃく・十じゅう悪あくの罪人ざいにん、 臨りん終じゅうの時とき、 はじめて善ぜん知ぢ識しきのすゝめによて、 あるいは十じっ声しょう、 あるいは一いっ声しょう称しょう念ねんして、 むまるゝ事ことをえたり。 われら罪業ざいごうおもしといへども、 五ご逆ぎゃくをばつくらず。 行ぎょう業ごうおろそかなりといへども、 一いっ声しょう・十じっ声しょうにすぎたり。 臨りん終じゅうよりさきに弥陀みだの誓願せいがんを聞きき得えて、 随分ずいぶんに信心しんじんをいたす。 しかれば、 下げ品ぼんまでくだるべからず。

-◇中ちゅう品ぼんは小乗しょうじょうの持じ戒かいの行ぎょう者じゃ、 孝きょう養よう、 仁じん・義ぎ・礼れい・智ち・信しん等とうの行ぎょう人にんなり。 この品ほんには中々なかなかにむまれがたし。 小乗しょうじょうの行ぎょう人にんにもあらず、 たもちたる戒かいもなければ、 われらが分ぶんにあらず。

-◇上じょう品ぼんは大だい乗じょうの凡ぼん夫ぶ、 菩ぼ提だい心しん等とうの行ぎょうなり。 菩ぼ提だい心しんは諸しょ宗しゅうおのおの心こころえたりといふ。 浄じょう土ど宗しゅうの心こころは、 浄じょう土どにむまれんとねがふを菩ぼ提だい心しんといふ。 念仏ねんぶつこれ大だい乗じょうの行ぎょうなり、 无む上じょう功く徳どくなり。 しかれば、 上じょう品ぼん往おう生じょうは手てをひく0414べからず。

-◇又また本願ほんがんに 「乃ない至し十じゅう念ねん」 (大経巻上) とたて給たまひて、 臨りん終じゅう現前げんぜんの願がんに 「大衆だいしゅと囲い繞にょうせられてその人ひとのまえに現げんぜん」 (大経巻上) とたて給たまへり。 中ちゅう品ぼんは声しょう聞もん衆しゅの来迎らいこう、 下げ品ぼんは化け仏ぶつの三尊さんぞん、 あるいは金こん蓮れん花げ等とうの来迎らいこうなり。 しかるを大衆だいしゅと囲い繞にょうして現げんぜんとたて給たまへる本願ほんがんの意い趣しゅは、 上じょう品ぼんの来迎らいこうをまうけ給たまへり。 なんぞあながちにあひすまはんや。

-◇又また善導ぜんどう和か尚しょう、 「三万さんまん已い上じょうは上じょう品ぼん上生じょうしょうの業ごう」 (観念法門意) との給たまへり。 数遍しゅへんによて上じょう品ぼんにむまるべし。 又また三心さんしんについて九く品ぼんあるべし。 信心しんじんによて上じょう品ぼんにむまるべしとみえたり。 上じょう品ぼんをねがふ事ことは、 わが身みのためにはあらず。 かのくにゝむまれおはりて、 かえりてとく衆しゅ生じょうを化けせんがためなり。 これあにほとけの御おん心こころにかなはざらんや。

・阿弥陀経

-◇次つぎに ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ は、 まづ極楽ごくらくの依え正しょうの功く徳どくをとく。 これ衆しゅ生じょうの願がん楽ぎょうの心こころをすゝめんがためなり。

-◇のちに往おう生じょうの行ぎょうをあかすに、 「少しょう善根ぜんごんをもてはむまるゝ事ことをうべからず。 阿あ弥陀みだ仏ぶつの名みょう号ごうを執しゅう持じして、 一日いちにち七日しちにちすれば往おう生じょうする事ことをう」 (小経意) とあかせり。

-◇衆しゅ生じょうこれを信しんぜざらん事ことをおそれて、 六方ろっぽうにおのおの恒ごう河が沙しゃの諸仏しょぶつましまして、 大千だいせんの舌相ぜっそうをのべて証誠しょうじょうし給たまへり。 善導ぜんどう釈しゃくしていはく、 「この証しょうによてむまるゝ事ことをえずは、 六方ろっぽう如来にょらいのゝべ給たまへるした、 ひとたびくちよりいでをはりて0415、 ながくくちに返かえりいらずして、 自じ然ねんに壊え爛らんせん」 (観念法門) との給たまへり。

-◇しかれば、 これをうたがはんものは、 弥陀みだの本願ほんがんをうたがふのみにあらず、 釈しゃく尊そんの所説しょせつをうたがふなり。 釈しゃく尊そんの所説しょせつをうたがふは、 六方ろっぽう恒沙ごうじゃの諸仏しょぶつの所説しょせつをうたがふなり。 すなはちこれ大千だいせんにのべ給たまへる舌相ぜっそうを壊え爛らんする也なり。

-◇もし又またこれを信しんぜば、 たゞ弥陀みだの本願ほんがんを信しんずるのみにあらず、 釈しゃく尊そんの所説しょせつを信しんずるなり。 釈しゃく尊そんの所説しょせつを信しんずるは、 六方ろっぽう恒沙ごうじゃの諸仏しょぶつの所説しょせつを信しんずる也なり。 一切いっさいの諸仏しょぶつを信しんずるは、 一切いっさいの法ほうを信しんずるになる。 一切いっさいの法ほうを信しんずるは、 一切いっさいの菩ぼ薩さつを信しんずるになる。

-◇この信しんひろくして広大こうだいの信心しんじんなり。 ○善導ぜんどう和か尚しょうのいはく、 「為い断だん凡ぼん夫ぶ疑ぎ見けん執しゅう、 皆舒かいじょ舌相ぜっそう覆ふ三千さんぜん、 共ぐ証しょう七日しちにち称しょう名みょう号ごう、 又う表ひょう釈しゃ迦か言説ごんせつ真しん」 (法事讃巻下)。 「六方ろっぽう如来にょらい舒舌じょぜつ証しょう、 専せん称しょう名みょう号ごう至し西方さいほう、 到とう彼ひ花け開かい聞もん妙みょう法ほう、 十じゅう地じ願がん行ぎょう自じ然ねん彰しょう」 (礼讃)。 「心々しんしん念仏ねんぶつ莫まく生しょう疑ぎ、 六方ろっぽう如来にょらい証しょう不虚ふこ、 三業さんごう専心せんしん无む雑乱ぞうらん、 百ひゃっ宝ぽう蓮れん花げ応おう時じ現げん。」 (法事讃巻二) 文 ▽

 

◇…同内容…:三部経大意 Ⅲ1075-7