三部経大意

 

¬さうくわんぎやう¼・¬くわんりやう寿じゆきやう¼・¬わあ弥陀みだきやう¼、 これを浄土の三経といふなり。

・大経

¬さうくわんぎやう¼ には、 まづ阿弥陀仏の四十八願をとき、 つぎに願のじやうじゆをあかせり。

その四十八願といふは、 法蔵ほふぞう比丘びく、 世ざいわう仏のみまへにして菩提心をおこして、 浄仏国土・成就衆生の願をたてたまへり。 おほよそその四十八願は、 あるいは悪趣あくしゆともたて、 きやう悪道あくだうともとき、 あるいしちかい金色こむじきともいひ、 無有むう好醜かうしゆともちかふ。 みなこれかのくにしやうごむ、 往生ののちの果報くわほうなり。 この中に衆生の彼国かのくににむまるべき行をたてたまへる願を、 第十八の願とするなり。 「せち得仏とくぶち、 十方衆生、 しむ信楽しんげうよくしやうこくないじふ念、 にやくしやうじやしゆしやうがく唯除ゆいじよぐゐやくはうしやうぼふ(大経巻上)云々 おほよそ四十八願の中に、 この願ことにすぐれたりとす。 そのゆえは、 かのくにむまるゝ衆生なくは、 悉皆しちかい金色こむじきの願も、 無有むう好醜かうしゆぐわんも、 なにゝよりてじやうじゆせむ。 往生する衆生のあるにつけてこそ、 のいろも金色こむじきに、 好醜かうしゆあることもなく、 五通ごつおもえ、 三十二相おも具すべけれ。 これによりて、 善導ぜんだうしやくしてのたまはく、 「法蔵比丘四十八願をたてたまひて、 一一の願にみな、 にやく得仏とくぶち、 十方しゆじやうしようみやうがう下至げししやうにやくしやうじやしゆしやうがく(玄義分意)云々 おほよそ諸仏の願といふは、 じやうだいくゑしゆじやうのこゝろなり。 ある大じようきやうにいはく、 「さちぐわんに二しゆあり、 一にはじやうだい、 二にはくゑ衆生なり。 その上だいほんは、 衆生をさいしやすからむがためなり」 と 云々 しかれば、 たゞほんくゑ衆生のこゝろにあり。 いま弥陀如来の浄土をしやうごむしたまひしも、 衆生を引摂いんぜふしやすからむがためなり。 すべからくいづれの仏も、 成仏ののちはないしよう外用ぐゑゆうどくさいしやうせいぐわん、 いづれもふかくして、 しようれちあることなけれども、 ぎやう菩薩だうとき善巧ぜんげう方便はうべんのちかひ、 みなこれまちまちなり。 弥陀如来はいんのとき、 もはらわがをとなえむ衆生をむかへむとちかひたまひて、 兆載てうさいゐやうごふしゆぎやうを衆生にかうしたまふ。 ぢよくわれ依怙ゑこしやうしゆつこれにあらずは、 なにおかせむ。 これによりて、 かの仏はわれよにこえたる願をたつとなのりたまへり。 三世の諸仏も、 いまだかくのごときの願おばおこしたまはず。 十方のさちも、 いまだかゝるちかひはましまさず。 「この願もし剋果こくくわすべくは大千感動かむどうすべし、 虚空こくの諸天まさに珍妙ちんめうはなをふらすべし」 (大経巻上) とちかひしかば、 大しゆ振動しむどうし、 天よりはなふりて、 なむぢまさにしやうがくをなるべしとつげき。 法蔵比丘いまだ仏になりたまはずとも、 この願うたがふべからず。 いかにいはむや、 成仏ののち十劫になりたまへり、 信ぜずはあるべからず。 「ぶちこむ現在げんざい成仏、 たうぜいぢうぐわん不虚ふこしゆじやうしようねむ必得ひちとくわうじやう(礼讃)しやくしたまへる、 これなり。

しよ衆生もんみやうがう信心しんじむくわんない一念しむかうぐわんしやうこく即得そくとく往生、 ぢゆ退転たいてん唯除ゆいぢよぐゐやくはうしやうぼふ(大経巻下) といへり。 これは第十八の願成就の文なり。 願には 「乃至十念」 (大経巻上) ととくといへども、 まさしくは願の成就することは一念にありとあかせり。

つぎに三ぱい往生の文あり。 これは第十九の臨終りむじゆ現前げんぜんの願成就の文なり。 ほちだいしむとうごふをもて三ぱいをわかつといへども、 往生のごふじてみな 「一向せんりやう寿じゆぶち(大経巻下) といへり。 これすなはちこの仏の本願なるがゆへなり。

ぶちほんぐわんりきもんみやうよく往生、 皆悉かいしちたうこく自致じち退転たいてん(大経巻下) といふ文あり。 漢朝かんてうぐゑんりちといふものありき、 せうじようかいをたもつものなり。 ゑんかうして宿しゆくしたりけるに、 隣房りんばうトナリノバウ人ありてこの文をじゆしき。 ぐゑんこれをきゝて、 「一りやう返誦へんじゆしてのちに、 おもひいづることもなくしてわすれにき。 そのゝちぐゑんりちかいをやぶりて、 そのつみによりてえむちやうにいたる。 そのときにえむ法王ほふわうののたまはく、 なむぢ仏法ぶちぽふ流布るふのところにむまれたりき。 所学しよがくほふあらば、 すみやかにとくべしと、 かうにおいのぼせられしときに、 ぐゑんかうにのぼりておもひまわすに、 すべてこゝろにおぼゆることなし。 むかし宿じゆくにてきゝし文ありき、 これをじゆしてむとおもひいでゝ、 「其仏本願力」 といふ文をじゆしたりしかば、 えん王、 たまのかぶりをかたぶけて、 これはこれ西方さいはう極楽ごくらくの弥陀如来のどくをとく文なりといひて、 礼拝らいはいしたまふと 云々 ぐわんりき思議しぎなること、 この文にみえたり。

ぶちろく其有ごう得聞とくもんぶちみやうがうくわんやくない一念、 たうにんとくそくそくじやうどく(大経巻下) といへり。 ろくさちにこの ¬きやう¼ をぞくしたまふには、 乃至一念するをもちて大无上のどくとのたまへり。 ¬きやう¼ の大、 この文にあきらかなるものか。

・観経

つぎに ¬くわんぎやう¼ にはぢやうぜん散善さんぜんをとくといへども、 念仏をもちてなん尊者そんじやぞくしたまふ。 「によかう是語ぜご(観経) といへる、 これなり。

だい真身しんしんくわんに 「光明くわうみやう遍照へんぜう、 十方かい念仏衆生、 摂取せふしゆしや(観経) といふ文あり。 さいしゆじやうぐわんびやうどうにしてあることなれども、 ゑんなき衆生はやくをかぶる事あたはず。 このゆへに、 弥陀善逝ぜんぜいびやうどう慈悲じひにもよをされて、 十方世界にあまねく光明くわうみやうをてらして、 うたゝ一切衆生にことごとくゑんをむすばしめむがために、 光明くわうみやうりやうぐわんをたてたまへり。 だい十二の願これなり。 つぎにみやうがうをもていんとして、 衆生を引摂いんぜうせんがために、 念仏往生の願をたてたまへり。 第十八の願これなり。 そのみなを往生の因としたまへることを、 一切衆生にあまねくきかしめむがために、 諸仏しようやうぐわんをたてたまへり。 第十七の願これなり。 このゆへに、 しや如来によらいのこのにしてときたまふがごとく、 十方におのおのごうしやの仏ましまして、 おなじくこれをしめしたまへるなり。 しかれば、 光明くわうみやうゑんあまねく十方かいをてらしてもらすことなく、 名号のいんは十方諸仏しようさんしたまひてきこえずといふことなし。 「我至がしじやう仏道ぶちだう名声みやうしやうてう十方、 きやう所聞しよもんせいじやうしやうがく(大経巻上) とちかひたまひし、 このゆへなり。 しかればすなはち、 光明くわうみやうゑんと名号のいんがうせば、 摂取せふしゆしややくをかぶらむことうたがふべからず。 そのゆへに ¬往生礼讃らいさん¼ のじよにいはく、 「諸仏のしよしようびやうどうにしてこれひとつなれども、 もし願行ぐわんぎやうをもてきたしおさむれば、 因縁いんえんなきにあらず。 しかも弥陀世尊、 もと深重じむぢうせいぐわんをおこして、 光明・名号をもて十方を摂取せふしゆしたまふ」 といへり。 又このぐわんひさしくして衆生をさいせむがために、 寿しゆいやうりやうぐわんをたてたまへり。 第十三の願これなり。 しかれば、 光明くわうみやうりやうぐわんわうに一さい衆生をひろく摂取せふしゆせむがためなり。 寿じゆみやうりやうの願は、 たゝさまに十方世界をひさしくやくせむがためなり。 かくのごとく因縁いんえんがうすれば、 摂取せふしゆしや光明くわうみやうつねにてらしてすてたまはず。 この光明くわうみやうにまた化仏・さちましまして、 この人をせふして百ぢふ・千ぢふねうしたまふに、 信心いよいよぞうぢやうし、 しゆことごとく消滅せうめちす。 臨終りむじゆときには、 仏みづからきたりてむかへたまふに、 もろもろの邪業じやごふよくさうるものなし。 これは衆生いのちおはる時にのぞみて、 百きたりせめて身心しんしむやすきことなく、 悪縁あくゑんほかにひき、 まう念うちにもよをして、 きやうがいたいたうしやうの三しゆあい心きおいおこりて、 だい六天のわうも、 この時にあたりてせいをおこしてさまたげをなす。 かくのごときの種種しゆじゆのさはりをのぞかむがために、 しかも臨終りむじゆときにはみづからさちしやうじゆねうして、 その人のまへにげんぜむといふぐわんをたてたまへり。 だい十九の願これなり。 これによりて、 臨終りむじゆのときにいたりぬれば、 仏来迎らいかうしたまふ。 ぎやうじやこれをみて、 こゝろにくわんをなしてぜんぢやうにいるがごとくして、 たちまちにくわんおむ蓮台れんだいにのりて、 安養あんやう宝刹ほうせちにいたるなり。 これらのやくあるがゆへに、 「念仏しゆじやう摂取せふしゆしや(観経) といへり。

・観経 ・三心

そもそもこの ¬経¼ (観経) に 「三心しやひちしやうこく」 ととけり。 一にはじやうしむ、 二には深心じむしむ、 三にはかう発願ほちがんしむなり。 三心まちまちにわかれたりといゑども、 えうをとりせむをえらびてこれをいへば、 深心じむしむひとつにおさまれり。

・観経 ・三心 ・至誠心

善導ぜんだうしやうしやくしてのたまはく、 「といふはしんなり、 じやうといふはじちなり。 さいしゆじやうしん口意くいごふしゆするところのぎやう、 かならず真実しんじちしむなかになすべきことをあかさむとす。 ほかには賢善けんぜんしやうじんさうげんじ、 うちには虚仮こけをいだくことをえざれ」 (散善義) といへる。 その 「ぎやう」 といふは、 罪悪ざいあくしやうの凡夫、 弥陀の本願によりて、 十しやう・一しやうけちぢやうしてむまると、 真実しんじちにさとりて行ずる、 これなり。 ほかにはほんぐわんしんずるさうげんじて、 うちにはしむをいだく、 これは真実しんじちのさとりなり。 ほかにはしやうじんさうげんじて、 うちにはだいなる、 これは真実しんじちの行なり、 虚仮こけの行なり。 「貪瞋とむじん邪偽じやぐゐかんひやくたんにして、 あくしやうやめがたし、 蛇蝎じやかちにおなじ。 三ごふをおこすといゑどもなづけて雑毒ざふどくぜんとす、 また虚仮こけぎやうとなづく。 真実しんじちごふとなづけず。 もしかくのごとく安心あんじむぎやうをなすものは、 たとひ身心しんしむれいネムゴロニハて、 にちゲムトイフ 十二きふそういふして、 ねんをはらふがごとくするものは、 おほく雑毒ざふどくぜんとなづく。 この雑毒ざふどくぜんをめぐらしてかのぶちじやうにむまれむともとめむものは、 これかならず不可ふかなり。 なにをもてのゆへに。 かのわあ弥陀みだぶち因中いんちふさちぎやうを行じたまひしときない一念一せちも、 三ごふしゆするところ、 みなこれ真実しんじち心のなかになす。 おほよそ施為せゐしゆするところ、 またみな真実なるによる。 又真実に二種あり。 一には自利じりの真実、 二には利他りたの真実なり。 真実に、 自他じたの諸悪および国等こくとう制捨せいしやして、 一切さちとおなじく諸悪しよあくをすて諸善しよぜんしゆし、 真実のなかになすべし」 (散善義意) といへり。 このほかおほくのしやくあり、 すこぶるわれらが分にこえたり。

たゞしこのじやうしむは、 ひろくぢやうぜん散善さんぜんぐわんの三もんにわたりてしゃくせり。 これにつきて総別そうべちあるべし。 そうといふは、 りきをもてぢやうさんとうしゆして往生をねがふ至誠心なり。 別といふは、 他力にじようじて往生をねがふ至誠心なり。 そのゆへは、 ¬しよ¼ の 「ぐゑんぶん」 の序題じよだいしたにいはく、 「ぢやうはすなわちおもひをとゞめてこゝろをこらし、 さんはすなわちあくをとゞめてぜんしゆす。 この二ぜんをめぐらして往生をもとむるなり。 ぐわんといふは ¬大経¼ にとくがごとし。 一切善悪ぜんあくぼむむまるゝことをうるは、 みな阿弥陀仏の大ぐわん業力ごふりきじようじてぞうじやうゑんとせずといふことなし」 といへり。 自力をめぐらして他力に乗ずることあきらかなるものか。 しかれば、 はじめに 「一切衆生のしん口意くいごふしゆするところのぎやう、 かならず真実心の中になすべし。 ほか賢善けんぜんしやうじんさうげんずることをえざれ、 うちに虚仮こけをいだけばなり」 (散善義) その 「ぎやう」 といふは、 罪悪ざいあくしやうぼむ、 弥陀のほんぐわんじようじて十声・一声決定してむまるべしと、 真実心に信ずべしとなり。 ほかには本願を信ずる相をげんじて、 うちには心をいだ、 これは不真実の心なり。 次に 「貪瞋とむじんじやぐゐかんひゃくたんにして、 あくしやうやめがたし、 蛇蝎じやかちにおなじ。 三ごふをおこすといへどもなづけて雑毒ざふどくぜんとす、 また虚仮こけの行となづく。 真実しんじちぜんとなづけず」 (散善義) といふなり。 自他じた諸悪しよあくをすて三がい六道ろくどう毀厭くゐえむして、 みなもはら真実しんじちなるべし。 かるがゆへにじやう心となづくといふ。 これらはこれそうなり。 ゆへはいかむとなれば、 深心じむしむしたに 「罪悪ざいあくしやうぼむくわうごうよりこのかたしゆつえんあることなしと信ずべし」 (散善義) といへり。 もしかのしやくのごとく、 一切の菩薩とおなじく、 諸悪しよあくをすてぎやうじゆぐわに真実をもちゐるは悪人にあらず、 煩悩ぼむなうをはなれたるものなるべし。 かの分段ぶんだんしやうをはなれしよくわしようしたるしやうじや、 なほ貪瞋とむじんとうの三どくをおこす。 いかにいはむや、 一ぶんあくおもだんぜざらむ罪悪ざいあくしやうぼむ、 いかにしてかこの真実心を具すべきや。 このゆへに、 りきにてしよぎやうしゆしてじやうしむせむとするものは、 もはらかたし。 千が中に一人もなしといへる、 これなり。 すべてこの三心、 念仏ねむびちおよびしよぎやうにわたりてしやくせり。 もんぜんによりてこゝろえわかつべし。 れいせば、 四しゆなか間修けんしゆしやくしていはく、 「相続さうぞくしてぎやう礼拝らいはい称名しようみやう讃嘆さんだんおくくわんざちかうほちぐわんして、 心心相続さうぞくしてごふをもてきたしへだてず。 かるがゆへに間修けんしゆとなづく。 貪瞋とむじん煩悩ぼむなうをもてきたしへだてず。 したがぼむせばしたがふてさむして、 念をへだて、 ときをへだて、 月をへだてず、 つねに清浄しやうじやうならしむ、 又間修けんしゆとなづく」 (礼讃) といへり。 これも念仏とぎやうとわかてしやくせり。 はじめのしやく貪瞋とむじんとうおばいはず、 余行をもてきたしへだてざる間修けんしゆなり。 のちしやくぎやうしやうざふおばいはず、 貪瞋とむじんとう煩悩ぼむなうをもてきたしへだてざる間修けんしゆなり。 しかのみならず、 ¬往生礼讃らいさん¼ (意) の二行の得失とくしちはんじて、 「かみのごとく念念相続さうぞくして、 いのちおわるをとするものは、 十は十ながらむまる。 なにをもてのゆへに。 仏の本願と相応さうおうするがゆへに、 慚愧ざむぐゐ懺悔さむぐゑの心あることあるがゆへに」 といへり。 この中に 「貪瞋とむじん諸見しよけん煩悩ぼむなうきたり間断けんだんするがゆへに」 (礼讃) といへるは、 ひとりざふぎやうの失をいだせり。 こゝしりぬ、 ぎやうにおいては貪瞋とむじん等の煩悩をおこさずして行ずべしといふことを。 これにじゆんじてこれをおもふに、 貪瞋とむじんとうをきらふじやうしむぎやうにありとみえたり。 いかにいはむや、 かうほちぐわんしやく水火しゐくわ二河にがのたとひをひきて、 愛欲あいよくしんつねにやき、 つねにうるほしてとゞまことなけれども、 深信じむしんびやくだうたゆることなければ、 むまるゝことをうといへり。

・観経 ・三心 ・深心

つぎに 「深信じむしんは深信の心なり。 くゑちぢやうしてふかくしんはこれ罪悪ざいあくしやうぼむなり、 くわうごうより已来このかたつねにてんして、 しゆつゑんあることなしと信じ、 決定してふかくかの阿弥陀仏の四十八願をもて衆生を摂受せふじゆしたまふに、 うたがひなくうらもゐなく、 かの願力に乗じてさだめて往生することをうと信ずべし」 (散善義意) といへり。 はじめに、 まづ 「罪悪生死の凡夫、 曠劫よりこのかた出離の縁あることなしと信ぜよ」 といへる、 これすなわち断善だんぜん闡提せんだいのごときのものなり。 かゝる衆生の一念・十念すれば、 无始むしより已来このかたりんをいでゝ、 極楽ごくらくかい退たいの国土に生ずといふによりて、 信心はおこるべきなり。 仏のべちぐわん思議しぎは、 たゞ心のはかるところにあらず、 たゞ仏と仏とのみよくしりたまへり。 阿弥陀仏の名号をとなふるによりて、 五ぐゐやく・十あくことごとくむまるといふべちぐわん思議しぎりきのまします、 たれかこれをうたがふべきや。 善導ぜんだうの ¬しよ¼ (散善義) にいはく、 「ある人、 なむだち衆生、 くわうごふよりこのかたおよびこむじやうしん口意くいごふに、 一さいぼむしやうのうえにおきて、 つぶさに十あくぐゐやくぢう謗法はうぼふ闡提せんだいかいけんとうのつみをつくりて、 いまだ除尽じよじんすることあたはず。 しかもこれらのつみは三界の三まくぞくす。 いかむぞ、 一しやう修福しゆふくの念仏をもちてすなわち无漏むろ无生のくにゝいりて、 ながく退たいくらゐしようする事をえむやといはゞ、 こたえていふべし。 諸仏のけうぎやうは、 かず塵沙ぢんじやにこえ、 稟識ほむじきえんこゝろにしたがひてひとつにあらず。 世間の人のまなこにみつべし、 信じつべきがごときは、 みやうのよくあんし、 のよくをふうみ、 のよく載養さいやうし、 みづのよくしやうにむし、 のよくじやうするがごとし。 かくのごときのことはことごとく待対たいたいの法となづく。 すなわちにみつべし、 千差せんじや万別まんべちなり。 いかにいはむや、 仏法ぶちぽふ思議しぎのちからをや、 あに種種しゆじゆやくなからむや」 といへり。 極楽ごくらくかい水鳥しゐてう樹林じゆりんめうほふをさえづるも思議しぎなれども、 これおば仏のぐわんりきなればとしんじて、 なむぞたゞだい十八の 「乃至十念」 (大経巻上) といふ願をのみうたがふべきや。 すべて仏説ぶちせつしんぜば、 これも仏せちなり。 華厳くゑごんの三差別しやべち般若はんにやじんじやう虚融こゆ法華ほふくゑ実相じちさう皆如かいによ涅槃ねちはんしちぶちしやう、 たれかしんぜざらむ。 これも仏せちなり、 かれも仏せちなり。 いづれおか信じ、 いづれおか信ぜざらむや。 これ三みやうがうはすくなしといへども、 如来によらいしよないしよう外用ぐゑゆうどく万徳まんどく恒沙ごうじや甚深じむじむ法門ほふもんを、 この名号の中におさめたる。 たれかこれをはかるべき。 ¬しよ¼ の 「ぐゑんぶん(意) にこのみやうがうしやくしていはく、 「阿弥陀仏といふは、 これ天竺てんぢくしやうおむ。 こゝにはほむじてりやう寿覚じゆかくといふ。 りやう寿じゆといふはこれほふなり、 かくといふはこれ人なり。 人法にんぽふならびにあらはす。 かるがゆへにわあ弥陀みだぶちといふ。 人法といふはしよくわんさかいなり。 これにつきてほうあり、 しやうぼうあり」 といへり。 しかれば、 弥陀みだ如来によらいくわんおむせいげん文殊もんじゆざう龍樹りうじゆよりはじめて、 ないかのさちしやうもんとうのそなへたまへるところの事理じり観行くわんぎやうぢやうりきないしようじち外用ぐゑゆうどく、 すべて万徳まんどく无漏むろしよしようの法門、 みなことごとくさむなかにおさまれり。 すべて極楽ごくらくかいにいづれの法門かもれたるところあらむ。 しかるを、 この三みやうがうおば、 諸宗しよしゆおのおの我宗わがしゆしやくしいれたり。 真言しんごんにはわあほんしやう、 八まんせん法門ほふもんわあより出生しゆつしやうせり。 一切の法は阿字をはなれたることなし。 かるがゆへにどく甚深じむじむみやうがうなりといへり。 天臺てんだいにはちうの三たいしやうえんれうの三法ほふほうおうの三しん如来によらいなり。 しよどくばく大なりといふ。 かくのごとくしよし おのおのわがぞんずるところのほふにつきて、 阿弥陀のさむしやくせり。 いまこのしゆのこゝろは、 真言しんごん阿字わじほんしやうおも、 天臺てんだいの三たいの法も、 三ろんの八中道ちうだうのむねも、 法相ほふさうぢう唯識ゆいしきのこゝろも、 すべて一切の万法まんぼふひろくこれにおさむとならふ。 極楽ごくらくかいにもれたる法門ほふもんなきがゆへなり。 たゞしいたく弥陀みだの願のこゝろは、 かくのごとくさとれとにはあらず。 たゞふかく信心をいたしてとなふるものをむかへむと也。 耆婆ぎばへんじやくが万病をいやすくすりは、 万草まんさう諸薬しよやくをもて合薬がふやくせりといへども、 その薬草やくさうなむぷんがうせりとしらねども、 これをぶくするにまんびやうことごとくいゆるがごとし。 たゞしうらむらくは、 このやくしんぜずして、 わがやまうはきわめておもし、 いかゞこのくすりにていゆることあらむとうたがひてぶくせずは、 耆婆ぎばじゆつも、 へんじやくほうも、 むなしくてそのやくあるべからざることを。 弥陀みだみやうごうもかくのごとし。 わが煩悩ぼむなう悪業あくごふのやまう、 きわめえておもし、 いかゞこの名号をとなへてむまるゝことあらむとうたがひてこれを信ぜずは、 弥陀のせいぐわんしやくそん所説しよせちも、 むなしくてげむあるべからざるものか。 たゞあふいでしんずべし、 良薬らうやくをもてぶくせずしてするシヌトイフ ことなかれ。 崑崙こんろんやまにゆきてたまをとらずしてかへり、 栴檀せんだんはやしいりえだをおらずしていでなむ、 こうくわいいかゞせむ。 みづからよくりやうすべし。

そもそもわれくわうごふよりこのかた、 ぶちしゆつにもあひけむ、 さち化導くゑだうにもあひけむ。 くわ諸仏しよぶちも、 現在げんざい如来によらいも、 みなこれ宿しう父母ぶもなり、 しやうほうなり。 これにいかにしてかだいしようしたまへるぞ、 われらはなにゝよりてしやうにとゞまれるぞ、 はづべし、 はづべし。 しかるにほんしや如来によらい大罪だいざいやまにいり、 邪見じやけんはやしにかくれて、 三ごふ放逸はふいちろくじやうまたからざらむ衆生を、 わがくにゝとりおきて教化けうくゑだちせしめむとちかひたまひたりしかば、 そもそもいかにしてかゝる諸仏しよぶちのこしらへかねたまへる衆生おばだちせしめむとはちかひたまへるぞとたづぬれば、 阿弥陀如来のいんときじやう念王とまふしゝよに、 だいしむをおこしてしやうくわせしめむとちかひたまひしに、 しや如来によらい宝海ほうかいぼんとまふしき。 じやう念王、 だいしむをおこし、 摂取せふしゆしゆじやうの願をたてゝ、 われ仏になれらむとき、 十方三世の諸仏もこしらへかねたまひたらむ悪業あくごふ深重じむぢふしゆじやうなりとも、 わがをとなへばみなことごとくむかへむとちかひたまひしを、 宝海ほうかいぼんきゝおはりて、 われかならずあくこくにしてしやうがくをとなへて、 悪業あくごふ深重じむぢう輪転りんでんさいしゆじやうとうにこのことをしめさむ。 衆生これをきゝてとなへば、 しやうだちせむことはなはだやすかるべしとおぼしめして、 この願をおこしたまへり。 くわうごふよりこのかた、 諸仏よにいでゝ、 えんにしたがひ、 をはかりて、 おのおの群萌ぐんまうを化したまふこと、 かず塵沙ぢんじやにすぎたり。 あるいは大じようをとき小乗をとき、 あるい実教じちけうをひろめ権教ごんけうをひろむ。 えん純熟じゆんじゆくすればみなことごとくそのやくをう。 こゝにしやくそん、 八さうじやうだうぢよくにとなへて、 放逸はういち邪見じやけんの衆生のしゆつ、 そのなきことをあはれみて、 これより西方さいはう極楽ごくらくかいあり、 仏まします、 弥陀みだとなづけたてまつる。 かの仏 「ない十念、 にやくしやうじやしゆしやうがく(大経巻上) とちかひて、 すでに仏になりたまへり。 すみやかにこれを念ぜよ。 しゆつしやうみちおほしといゑども、 悪業あくごふ煩悩ぼむなうの衆生の、 とく生死をだちすべきこと、 これにすぎたることなしとおしへたまひて、 ゆめゆめこれをうたがふことなかれ。 六法恒沙の諸仏も、 みなおなじく証誠しようじやうしたまへるなりと、 ねむごろにおしへたまひて、 われもひさしく穢土ゑどにあらば、 邪見じやけん放逸はふいちの衆生、 われをそしりわれをそむきて、 かへりて悪趣あくしゆにおちなむ。 われよにいづることは、 ほんたゞこのことをしゆじやうにきかしめむがためなりとて、 なん尊者そんじやにむかひて、 なむぢよくこのことをとおきよに流通るづせよと、 ねむごろにやくそくしおきて、 抜提ばちだいのほとり、 しやりんのもとにて、 八十のはるてん、 二月じふはんに、 ほく面西めんさいにして涅槃ねちはんにいりたまひにき。 そのときに、 日月ひかりをうしなゐ、 草木さうもくいろへんじ、 龍神りうじん禽獣きむじゆ鳥類てうるいにいたるまで、 てんにあふぎてなき、 にふしてさけぶ。 なん目連もくれんとう諸大しよだい弟子でしるいのなみだをおさへてあひしてしはく、 われらしやくそんおんになれたてまつりて八十ねんしゆんじうをおくり、 化縁くゑゑんこゝにつきて、 黄金わうごむのはだえ、 たちまちにかくれたまひぬ。 あるいはわれしやくそんにとひたてまつるに、 こたえたまふこともありき、 あるいはしやくそんみづからつげたまふこともありき。 さいしやう方便はうべん、 いまはたれにむかひてかとひたてまつるべき。 すべからく如来によらいことばをしるしおきて、 らいにもつたへ、 おむかたみにもせむといひて、 多羅たらえふをひろいてことごとくこれをしるしおきて、 三蔵さむざうたちこれをやくシルス 振旦しむたんにわたし、 本朝ほんてうにつたへ、 諸宗しよしゆにつかさどるところの一代ゐちだいしやうげうこれなり。 しかるを弥陀みだ如来によらい善導ぜんだうくわしやうとなのりて、 たうにいでゝのたまはく、

如来によらいしゆつげんぢよくずい方便はうべんくゑ群萌ぐんまう
或説わくせちもんとく或説わくせちせうしようさむみやう
或教わくけうふくさうぢよしよう或教わくけうぜんりやう
種種しゆじゆ法門ほふもんかいだちくわ念仏わう西方さいはう
じやうじんぎやう十念ねむねむぶち来迎らいかう
ぢき弥陀みだぜいぢう致使ちしぼむねむそくしやう(法事讃巻下)

しやくそんしゆつほんぐわい、 たゞこのことにありといふべし。 しんけう人信にんしん難中なんちうてんきやうなん、 大でんくゑしんじやうほう仏恩ぶちおん(礼讃) といへり。 しやおんほうずる、 これたれがためぞや、 ひとへにわれがためにあらずや。 このたびむなしくすぎなば、 しゆついづれのときをかせむとする。 すみやかに信心をおこしてしやうくわすべし。

・観経 ・三心 ・廻向発願心

つぎかうほちぐわんしむは人ことにしやすきことなり。 こく快楽くゑらくをきゝて、 たれかねがはざらむや。 そも、 かのくにゝぼん差別しやべちあり、 われらいづれのほむおかすべき。 善導ぜんだうくわしやうの御こゝろに、 「極楽ごくらくの弥陀は報仏ほうぶちほうなり。 断惑だんわくぼむはすべてむまるべからずといへども、 弥陀のべちぐわん思議しぎにて、 罪悪ざいあくしやうの凡夫の、 一念・十念してむまる」 (玄義分意)しやくしたまへり。 しかるをじやうカミトイフよりこのかた、 おほくはぼむといふともたぬむべしなむどいひて、 上品をねがはず。 これは悪業あくごふのおもきにおそれて心を上品にかけざるなり。 もしそれ悪業あくごふによらば、 すべて往生すべからず。 ぐわんりきによりてむまれば、 なむぞ上品にすゝまむことをのぞみがたしとせむや。 すべて弥陀の浄土をまうけたまふことは、 願力のじやうじゆするゆへなり。 しからば、 また念仏の衆生のまさしくむまるべきこくなり。 「乃至十念、 若不生者、 不取正覚」 (大経巻上) とたてたまへり。 この願によりて感得かむとくしたまへるところのこくなるがゆへなり。 いままた ¬くわんぎやう¼ のぼむごふをいはゞ、 ぼむは五ぐゐやく・十あく罪人ざいにんみやうじゆときにのぞみて、 はじめてぜんしきのすゝめによりて、 あるい十声、 あるいは一しやうしようして、 むまるゝことをえたり。 われら罪業ざいごふおもしといゑども、 ぐゐやくをつくらず。 ぎやうごふおろかなりといゑども、 一しやう・十しやうにすぎたり。 臨終りむじゆよりさきに弥陀のせいぐわんをきゝえて、 随分ずいぶんに信心をいたす。 しかれば、 ぼむまではくだるべからず。 中品は小じようかいぎやうじや孝養けうやうにんジンれい信等しんとうの行人なり。 これ中々なかなかむまれがたし。 小じようの行人にあらず、 たもちたるかいもなし、 われらが分にあらず。 上品は大じようぼむだいしむとうの行者なり。 だいしむ諸宗しよしゆおのおのふかくこゝろえたりといへども、 じやうしゆのこゝろは、 浄土にうまれむとぐわんずるをだいしむといへり。 念仏はこれ大じようの行なり、 じやうどく也。 しかれば、 上品の往生、 てをひくべからず。 またほんぐわんに 「ない十念」 (大経巻上) とたてたまひて、 臨終りむじゆ現前げんぜんぐわんに 「しゆねうしてその人のまへにげんぜむ」 (大経巻上) とたてたまへり。 下品は化仏の三ぞん、 あるいはこむ蓮華れんぐゑとう来迎らいかうすといへり。 しかるを大衆とねうしてげんぜむとたてたまへり。 大願のしゆ、 上品の来迎らいかうをまうけたまへり。 なむぞあながちにすまはむや。 また善導和尚、 「三万已上は上品のごふ(観念法門意) とのたまへり。 へんによりて上品にむまるべし。 また三心につきて九品あり。 信心によりても上品に生ずべきか。 上品をねがふこと、 わがみのためにあらず。 かのくにゝむまれおはりて、 とく衆生をくゑせむがためなり。 これ仏のおむこゝろにかなはざらむや。

・小経

つぎに ¬阿弥陀経¼ は、 まづ極楽ごくらくしやうほうどくをとく。 衆生のぐわんげうの心をすゝめむがためなり。 のちに往生の行をあかす。 「善根ぜんごんをもてはかのくにゝむまるゝことをうべからず。 阿弥陀仏のみやうがうしふして、 一日七日すれば往生す」 (小経意) とあかせり。 しゆじやうのこれを信ぜざらむことをおそれて、 六方におのおの恒沙ごうじやしよ仏ましまして、 大千に舌相ぜちさうをのべて証誠しようじやうしたまへり。 善導ぜんだうしやくしてのたまはく、 「この証によりてむまるゝことをえずは、 六ぱう如来によらいののべたまへるみした、 ひとたびくちよりいでゝ、 かへりいらずして、 ねんにやぶれたゞれしめむ」 (観念法門) とのたまへり。 しかるを、 これをうたがふものは、 たゞ弥陀みだほんぐわんをうたがふのみにあらず、 しやくそん所説しよせちをうたがふなり。 しやくそん所説しよせちをうたがふは、 六法恒沙ごうじやの諸仏の所説しよせちをうたがふなり。 これ大千にのべたまへる舌相ぜちさうをやぶりたゞらかすなり。 もしまたこれをしんずれば、 たゞ弥陀のほんぐわんしんずるのみにあらず、 しや所説しよせちしんずるなり。 しや所説しよせちしんずるは、 六法恒沙ごうじやの諸仏のしよ説を信ずるなり。 一切諸仏を信ずれば、 一さいさちを信ずるになり。 この信ひろくしてくわいだい信心しんじむ也。

 南无阿弥陀仏