歎異抄

 ^わたしなりにつたない思いをめぐらして、 *親鸞しんらんしょうにんがおいでになったころと今とをくらべてみますと、 このごろは、 聖人から直接お聞きした真実の信心とは異なることが説かれていて、 歎かわしいことです。 これでは、 後のものが教えを受け継いでいくにあたり、 さまざまな疑いや迷いがおきるのではないかと思われます。 幸いにも縁あって、 まことの教えを示してくださる方に出会うことがなかったなら、 どうしてこの*ぎょうみちに入ることができるでしょうか。 決して、 自分勝手な考えにとらわれて、 *本願ほんがん*りきの教えのかなめを思い誤ることがあってはなりません。

 ^そこで、 今は亡き親鸞聖人がお聞かせくださったお言葉のうち、 耳の底に残って忘れられないものを、 少しばかり書き記すことにします。 これはただ、 同じ念仏の道を歩まれる人々の疑問を取り除きたいからです。

(1)

 ^阿弥陀仏の*誓願せいがんの不可思議なはたらきにお救いいただいて、 必ず浄土に*おうじょうするのであると信じて、 念仏を称えようという思いがおこるとき、 ただちに阿弥陀仏は、 その*こうみょうの中に摂め取って決して捨てないという利益をお与えくださるのです。

 ^阿弥陀仏の本願は老いも若きも善人も悪人もわけへだてなさいません。 ただ、 その本願を聞きひらく信心がかなめであると心得なければなりません。 なぜなら、 深く重い罪を持ち、 激しい*煩悩ぼんのうをかかえて生きるものを救おうとしておこされた願いだからです。

 ^ですから、 本願を信じるものには、 念仏以外のどんな善もいりません。 念仏よりもすぐれた善はないからです。 また、 どんな悪も恐れることはありません。 阿弥陀仏の本願をさまたげるほどの悪はないからです。

 このように聖人は仰せになりました。

(2)

 ^あなたがたがはるばる十余りものくにざかいをこえて、 命がけでわたしを訪ねてこられたのは、 ただひとえに極楽浄土に往生する道を問いただしたいという一心からです。 けれども、 このわたしが念仏の他に浄土に往生する道を知っているとか、 またその教えが説かれたものなどを知っているだろうとかお考えになっているのなら、 それは大変な誤りです。 そういうことであれば、 奈良や比叡山にもすぐれた学僧たちがいくらでもおいでになりますから、 その人たちにお会いになって、 浄土往生のかなめを詳しくお尋ねになるとよいのです。

 ^この親鸞においては、 「ただ念仏して、 阿弥陀仏に救われ往生させていただくのである」 という*法然ほうねんしょうにんのお言葉をいただき、 それを信じているだけで、 他に何かがあるわけではありません。

 ^念仏は本当に浄土に生れる因なのか、 逆に*ごくに堕ちる行いなのか、 まったくわたしの知るところではありません。 たとえ法然上人にだまされて、 念仏したために地獄へ堕ちたとしても、 決して後悔はいたしません。

 ^なぜなら、 他の行に励むことで仏になれたはずのわたしが、 それをしないで念仏したために地獄へ堕ちたというのなら、 だまされたという後悔もあるでしょうが、 どのような行も満足に修めることのできないわたしには、 どうしても地獄以外に住み家ははないからです。

 ^阿弥陀仏の本願が真実であるなら、 それを説き示してくださった*しゃくそんの教えがいつわりであるはずはありません。 釈尊の教えが真実であるなら、 その本願念仏のこころをあらわされた*善導ぜんどうだいの解釈にいつわりのあるはずがありません。 善導大師の解釈が真実であるなら、 それによって念仏往生の道を明らかにしてくださった法然上人のお言葉がどうして嘘いつわりでありましょうか。 法然上人のお言葉が真実であるなら、 この親鸞が申すこともまた無意味なことではないといえるのではないでしょうか。

 ^つきつめていえば、 愚かなわたしの信心はこの通りです。 この上は、 念仏して往生させていただくと信じようとも、 念仏を捨てようとも、 それぞれのお考えしだいです。

 このように聖人は仰せになりました。

(3)

 ^善人でさえ浄土に往生することができるのです。 まして悪人はいうまでもありません。

 ^ところが世間の人は普通、 「悪人でさえ往生するのだから、 まして善人はいうまでもない」 といいます。 これは一応もっともなようですが、 本願他力の救いのおこころに反しています。 なぜなら、 *自力で修めた善によって往生しようとする人は、 ひとすじに本願のはたらきを信じる心が欠けているから、 阿弥陀仏の本願にかなっていないのです。 しかしそのような人でも、 自力にとらわれた心をあらためて、 本願のはたらきにおまかせするなら、 真実の浄土に往生することができるのです。

 ^あらゆる煩悩を身にそなえているわたしどもは、 どのような修行によっても迷いの世界をのがれることはできません。 阿弥陀仏は、 それをあわれに思われて本願をおこされたのであり、 そのおこころはわたしどものような悪人を救いとって仏にするためなのです。 ですから、 この本願のはたらきにおまかせする悪人こそ、 まさに浄土に往生させていただく因を持つものなのです。

 ^それで、 善人でさえも往生するのだから、 まして悪人はいうまでもないと、 聖人は仰せになりました。

(4)

 ^慈悲について、 *しょうどうもん*じょうもんとでは違いがあります。

 ^聖道門の慈悲とは、 すべてのものをあわれみ、 いとおしみ、 はぐくむことですが、 しかし思いのままに救いとげることは、 きわめて難しいことです。

 ^一方、 浄土門の慈悲とは、 念仏して速やかに仏となり、 その大いなる慈悲の心で、 思いのままにすべてのものを救うことをいうのです。

 ^この世に生きている間は、 どれほどかわいそうだ、 気の毒だと思っても、 思いのままに救うことはできないのだから、 このような慈悲は完全なものではありません。 ですから、 ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです。

 このように聖人は仰せになりました。

(5)

 ^親鸞は亡き父母の*追善ついぜんようのために念仏したことは、 かつて一度もありません。

 ^というのは、 命のあるものはすべてみな、 これまで何度となく生れ変り死に変りしてきた中で、 父母であり兄弟・姉妹であったのです。 この世の命を終え、 浄土に往生してただちに仏となり、 どの人をもみな救わなければならないのです。

 ^念仏が自分の力で努める善でありますなら、 その功徳によって亡き父母を救いもしましょうが、 念仏はそのようなものではありません。

 ^自力にとらわれた心を捨て、 速やかに浄土に往生してさとりを開いたなら、 迷いの世界にさまざまな生を受け、 どのような苦しみの中にあろうとも、 自由自在で不可思議なはたらきにより、 何よりもまず縁のある人々を救うことができるのです。

 このように聖人は仰せになりました。

(6)

 ^同じ念仏の道を歩む人々の中で、 自分の弟子だ、 他の人の弟子だという言い争いがあるようですが、 それはもってのほかのことです。

 ^この親鸞は、 一人の弟子も持っていません。 なぜなら、 わたしのはからいで他の人に念仏させるのなら、 その人はわたしの弟子ともいえるでしょうが、 阿弥陀仏のはたらきにうながされて念仏する人を、 わたしの弟子などというのは、 まことに途方もないことだからです。

 ^つくべき縁があれば一緒になり、 離れるべき縁があれば離れていくものなのに、 師に背き他の人にしたがって念仏するものは往生できないなどというのは、 とんでもないことです。 如来からいただいた信心を、 まるで自分が与えたものであるかのように、 取り返そうとでもいうのでしょうか。 そのようなことは、 決してあってはならないことです。

 ^本願のはたらきにかなうなら、 おのずから仏のご恩もわかり、 また師の恩もわかるはずです。

 このように聖人は仰せになりました。

(7)

 ^念仏者は、 何ものにもさまたげられないただひとすじの道を歩むものです。 それはなぜかというと、 本願を信じて念仏する人には、 あらゆる神々が敬ってひれ伏し、 悪魔も、 よこしまな教えを信じるものも、 その歩みをさまたげることはなく、 また、 どのような罪悪もその報いをもたらすことはできず、 どのような善も本願の念仏には及ばないからです。

 このように聖人は仰せになりました。

(8)

 ^念仏は、 それを称えるものにとって、 行でもなく善でもありません。 念仏は、 自分のはからいによって行うのではないから、 行ではないというのです。 また、 自分のはからいによって努める善ではないから、 善ではないというのです。 念仏は、 ただ阿弥陀仏の本願のはたらきなのであって、 自力を離れているから、 それを称えるものにとっては、 行でもなく善でもないのです。

 このように聖人は仰せになりました。

(9)

 ^念仏しておりましても、 おどりあがるような喜びの心がそれほど湧いてきませんし、 また少しでもはやく浄土に往生したいという心もおこってこないのは、 どのように考えたらよいのでしょうかとお尋ねしたところ、 次のように仰せになりました。

 ^この親鸞もなぜだろうかと思っていたのですが、 唯円房よ、 あなたも同じ心持ちだったのですね。 ^よくよく考えてみますと、 おどりあがるほど大喜びするはずのことが喜べないから、 ますます往生は間違いないと思うのです。 喜ぶはずの心が抑えられて喜べないのは、 煩悩のしわざなのです。 そうしたわたしどもであることを、 阿弥陀仏ははじめから知っておられて、 あらゆる煩悩を身にそなえた*ぼんであると仰せになっているのですから、 本願はこのようなわたしどものために、 大いなる慈悲の心でおこされたのだなあと気づかされ、 ますますたのもしく思われるのです。

 ^また、 浄土にはやく往生したいという心がおこらず、 少しでも病気にかかると、 死ぬのではないだろうかと心細く思われるのも、 煩悩のしわざです。 果てしなく遠い昔からこれまで生れ変り死に変りし続けてきた、 苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨てがたく、 まだ生れたことのない安らかなさとりの世界に心ひかれないのは、 まことに煩悩が盛んだからなのです。 どれほど名残惜しいと思っても、 この世の縁が尽き、 どうすることもできないで命を終えるとき、 浄土に往生させていただくのです。 はやく往生したいという心のないわたしどものようなものを、 阿弥陀仏はことのほかあわれに思ってくださるのです。 このようなわけであるからこそ、 大いなる慈悲の心でおこされた本願はますますたのもしく、 往生は間違いないと思います。

 ^おどりあがるような喜びの心が湧きおこり、 また少しでもはやく浄土に往生したいというのでしたら、 煩悩がないのだろうかと、 きっと疑わしく思われることでしょう。

 このように聖人は仰せになりました。

(10)

 ^本願他力の念仏においては、 自力のはからいがまじらないことを根本の法義とします。 なぜなら、 念仏ははからいを超えており、 たたえ尽すことも、 説き尽すことも、 心で思いはかることもできないからですと、 聖人は仰せになりました。

 ^思えばかつて、 親鸞聖人がおいでになったころ、 同じ志をもってはるかに遠い京の都まで足を運び、 同じ信心をもってやがて往生する浄土に思いをよせた人々は、 ともに親鸞聖人のおこころを聞かせていただきました。 けれども、 その人々にしたがって念仏しておられる方々が、 老いも若きも数え切れないほどたくさんおいでになる中で、 近ごろは、 聖人が仰せになった教えとは異なることをさまざまにいいあっておられるということを、 人づてに聞いています。 それら正しくない考えの一つ一つについて、 以下に詳しく述べていきましょう。

(11)

 ^文字の一つも知らずに念仏している人に向かって、 「おまえは阿弥陀仏の誓願の不可思議なはたらきを信じて念仏しているのか、 それとも、 *みょうごうの不可思議なはたらきを信じて念仏しているのか」 といって相手をおどかし、 この二つの不可思議について、 その詳しい内容をはっきりと説き明かすこともなく、 相手の心を迷わせるということについて。

 ^このことは、 よくよく気をつけて考えなければなりません。

 ^阿弥陀仏は、 誓願の不可思議なはたらきにより、 たもちやすく称えやすい南無阿弥陀仏の名号を考え出してくださり、 この名号を称えるものを浄土に迎えとろうと約束されているのです。 だから、 まず一つには、 大いなる慈悲の心でおこされた誓願の不可思議なはたらきにお救いいただいて、 この迷いの世界を離れることができると信じ、 念仏を称えるのも阿弥陀仏のおはからいであることを思うと、 そこにはまったく自分のはからいがまじらないのですから、 そのまま本願にかなって、 *真実しんじつじょうに往生するのです。

 ^これは、 誓願の不可思議なはたらきをひとすじに信じれば、 名号の不可思議なはたらきもそこにそなわっているのであり、 誓願と名号の不可思議なはたらきは一つであって、 決して異なったものではないということです。

 ^次に、 自分の勝手なはからいから、 善と悪とについて、 善が往生の助けとなり、 悪が往生のさまたげとなると区別して考えるのは、 誓願の不可思議なはたらきを信じないで、 自分のはからいで浄土に往生しようと努め、 称える念仏をも自分の力でする行とみなしてしまうことです。 このような人は、 名号の不可思議なはたらきも信じていないのです。 しかし、 信じてはいないけれども、 念仏すれば*へん*まんがい*じょうたいなどといわれる*方便ほうべんじょうに往生して、 *すいがんにより、 ついには真実の浄土に生れることができます。 それは名号の不可思議なはたらきなのです。 このことはそのまま誓願の不可思議なはたらきによるのですから、 この二つはまったく一つのものなのです。

(12)

 ^教典や祖師方の書かれたものを読んだり学んだりすることのない人々は、 浄土に往生できるかどうかわからないということについて。

 ^このことは、 論じるまでもない誤った考えといわなければなりません。

 ^本願他力の真実の教えを説き明かされている聖教にはすべて、 本願を信じて念仏すれば必ず仏になるということが示されています。 浄土に往生するために、 この他にどのような学問が必要だというのでしょうか。

 ^本当に、 このことがわからないで迷っている人は、 どのようにしてでも学問をして、 本願のおこころを知るべきです。 教典や祖師方の書かれたものを読んで学ぶにしても、 その聖教の本意がわからないのでは、 何とも気の毒なことです。

 ^文字の一つも知らず、 教典などの筋道もわからない人々が、 容易に称えることができるように成就された名号ですから、 念仏を易行というのです。 学問を主とするのは聖道門であり、 難行といいます。 学問をしても、 それによって名誉や利益を得ようという誤った思いをいだく人は、 この世の命を終えて浄土に往生することができるかどうか疑わしいということの*証拠となる文もあるはずです。

 ^このごろは、 念仏の道を歩む人々と聖道門の人々とが、 お互いの教義についてことさらに議論し、 「わたしの信じる教えこそがすぐれていて、 他の人が信じている教えは劣っている」 などというために、 仏の教えに敵対する人も出てくるし、 それを謗るというようなこともおこるのです。 このようなことはそのまま、 自分の信じる仏の教えを謗り、 滅ぼすことになってしまうのではないでしょうか。

 ^たとえ他のさまざまな宗派の人々が口をそろえて、 「念仏は力のない人のためのものであり、 その教えは浅くてつまらない」 といっても、 少しもいい争うことなく、 「わたしどものように自らさとる力もなく愚かであり、 文字の一つも知らないものでも、 本願を信じるだけで救われるということを、 お聞かせいただいて信じておりますので、 能力のすぐれている人々にはまったくつまらないものであっても、 わたしどもにとってはこの上ない教えなのです。 たとえ他の教えがすぐれていても、 わたしにとっては力が及ばないので修行することができません。 だれもがみな迷いの世界を離れることこそ、 仏がたのおこころでありますから、 わたしが念仏するのをさまたげないでください」 といって、 気にさわる態度をとらなければ、 いったいだれが念仏のさまたげなどするでしょう。 ^さらにまた、 いい争いをすれば、 そこにはさまざまな煩悩がおこるものであり、 智慧ある人はそのような場から遠く離れるべきであるということの*証拠となる文もあるのです。

 ^今は亡き親鸞聖人は、 「この念仏の教えを信じる人もいれば、 謗る人もいるだろうと、 すでに釈尊がお説きになっています。 わたしは現に信じておりますし、 一方、 他の人が謗ることもありますので、 釈尊のお言葉はまことであったと知られます。 だからこそ、 往生はますます間違いないと思うのです。 もしも念仏の教えを謗る人がいなかったなら、 信じる人はいるのに、 どうして謗る人はいないのだろうかと思ってしまうに違いありません。 ^しかし、 このように申したからといって、 必ず人に謗られようというのではありません。 釈尊は、 信じる人と謗る人がどちらもいるはずだとあらかじめ知っておいでになり、 信じる人が疑いを持たないようにとお考えになって、 すでにそれをお説きになっているということを申しているのです」 と仰せになりました。

 ^このごろは、 学問をして他の人が謗るのをやめさせ、 議論し問答することこそ大切だと心がけておられるのでしょうか。 学問をするのであれば、 ますます深く如来のおこころを知り、 本願の広大な慈悲のおこころを知って、 自分のようなつまらないものは往生できないのではないかと心配している人にも、 本願においては、 善人か悪人か、 心が清らかであるかないかといったわけへだてがないということを説き聞かせてこそ、 学問をするものとしての値打ちもあるでしょう。 それなのに、 たまたま何のはからいもなく本願のおこころにかなって念仏する人に、 教典などを学んでこそ往生することができるなどといっておどすのは、 教えをさまたげる悪魔や、 仏に敵対するもののすることです。 自分自身に他力の信心が欠けているだけでなく、 誤って他の人をも迷わそうとしているのです。

 ^つつしんで恐れるべきです、 親鸞聖人のおこころに背くことを。 あわせて悲しむべきです、 阿弥陀仏の本願のおこころにかなっていないことを。

(13)

 ^阿弥陀仏の本願のはたらきが不可思議であるからといって、 自分の犯す悪を恐れないのは、 すなわち 「*本願ほんがんぼこり」 であって、 これもまた浄土に往生することができないということについて。

 ^このことは、 本願を疑うことであり、 また、 この世における善も悪もすべて過去の世における行いによると心得ていないことなのです。

 ^善い心がおこるのも、 過去の世の善い行いがそうさせるからです。 悪いことを考え、 それをしてしまうのも、 過去の世の悪い行いがはたらきかけるからです。 今は亡き親鸞聖人は、 「うさぎや羊の毛の先についた塵ほどの小さな罪であっても、 過去の世における行いによらないものはないと知るべきである」 と仰せになりました。

 ^またあるとき聖人が、 「唯円房はわたしのいうことを信じるか」 と仰せになりました。 そこで、 「はい、 信じます」 と申しあげると、 「それでは、 わたしがいうことに背かないか」 と、 重ねて仰せになったので、 つつしんでお受けすることを申しあげました。 すると聖人は、 「まず、 人を千人殺してくれないか。 そうすれば往生はたしかなものになるだろう」 と仰せになったのです。 そのとき、 聖人の仰せではありますが、 わたしのようなものには一人として殺すことなどできるとは思えません」 と申しあげたところ、 「それでは、 どうしてこの親鸞のいうことに背かないなどといったのか」 と仰せになりました。

 ^続けて、 「これでわかるであろう。 どんなことでも自分の思い通りになるのなら、 浄土に往生するために千人の人を殺せとわたしがいったときには、 すぐに殺すことができるはずだ。 けれども、 思い通りに殺すことのできる縁がないから、 一人も殺さないだけなのである。 自分の心が善いから殺さないわけではない。 また、 殺すつもりがなくても、 百人あるいは千人の人を殺すこともあるだろう」 と仰せになったのです。 このことはわたしどもが、 自分の心が善いのは往生のためによいことであり、 自分の心が悪いのは往生のために悪いことであると勝手に考え、 本願の不思議なはたらきによってお救いいただくということを知らないでいることについて、 仰せになったのであります。

 ^かつて誤った考えにとらわれた人がいて、 悪を犯したものをお救いくださるという本願であるからと、 わざわざ悪を犯し、 それを往生のための行いとしなくてはならないなどといい、 しだいにそのよくないうわさが聞えてきました。 そのとき聖人がお手紙に、 「いくら薬があるからといって、 好きこのんで毒を飲むものではない」 とお書きになられましたのは、 そのような誤った考えにとらわれているのをやめさせるためなのです。 決して悪を犯すことが往生のさまたげになるというのではありません。

 ^*戒律かいりつを守って悪い行いをしない人だけが本願を信じることができるのなら、 わたしどもはどうして迷いの世界を離れることができるだろうか」 と、 聖人は仰せになっています。 このようなつまらないものであっても、 阿弥陀仏の本願に出会わせていただいてこそ、 本当にその本願をほこり甘えることができるのです。 だからといって、 まさか自分に縁のない悪い行いをすることなどできないでしょう。

 ^また聖人は、 「海や河で網を引き、 釣りをして暮しを立てる人も、 野や山で獣を狩り、 鳥を捕らえて生活する人も、 商売をし、 田畑を耕して日々を送る人も、 すべての人はみな同じことだ」 と仰せになり、 そして 「人はだれでも、 しかるべき縁がはたらけば、 どのような行いもするものである」 と仰せになったのです。

 ^それなのにこのごろは、 いかにも来世の往生を願うもののように殊勝に振舞って、 善人だけが念仏することができるかのように思い、 あるときは念仏の*どうじょうに張紙をして、 これこれのことをしたものを道場に入れてはならないなどという人がいますが、 それこそ、 外にはただ賢そうに善い行いに励む姿を見せ、 内には嘘いつわりの心をいだいていることなのではないでしょうか。

 ^阿弥陀仏の本願をほこり、 それに甘えてつくる罪も、 過去の世の行いが縁となってはたらくことによるのです。 だから、 善い行いも悪い行いもすべて過去の世からの縁にまかせ、 ただ本願のはたらきに身をゆだねるからこそ、 他力なのであります。 ¬*唯信ゆいしんしょう」¼ にも、 「阿弥陀仏にどれほどの力がおありになると知った上で、 自分は罪深い身であるから、 とても救われないなどと思うのであろうか」 と示されています。

 ^本願をほこる心があるからこそ、 他力に身をゆだねる自分の信心もまさに定まっていると思われます。

 ^自分の罪悪や煩悩を滅し尽した後に本願を信じるというのであれば、 本願をほこる思いもなくてよいでしょう。 しかし、 煩悩を滅したならそのまま仏になるのであり、 そのようにすでに仏になったものには、 五*こうという長い間思いをめぐらしてたてられた阿弥陀仏の本願も、 もはや意味のないものでありましょう。

 ^本願ぼこりはよくないといましめる方々も、 煩悩を身にそなえ、 清らかでないように見受けられます。 それは本願をほこり甘えておられることにはならないのでしょうか。 どのような悪を本願ぼこりであるといい、 どのような悪を本願ぼこりではないというのでしょうか。 本願ぼこりはよくないというのは、 むしろ考えがおさないのではないでしょうか。

(14)

 ^一回念仏することで八十億劫もの間迷いの世界で苦しみ続けるほどの重い罪が消えると信じなければならないということについて。

 ^このことは、 *じゅうあく*ぎゃくなどの重い罪を犯し、 日ごろは念仏したことがない人であっても、 まさに命を終えようとするときに、 はじめて*ぜんしきの教えを受け、 一回念仏すれば八十億劫もの間苦しみ続けるほどの重い罪が消え、 十回念仏すればその十倍もの重い罪が消え去って、 浄土に往生することができるといっているのです。 これは、 十悪や五逆の罪がどれほど重いものであるかを知らせるために、 一回の念仏や十回の念仏といっていると思われますが、 要するに念仏することによって罪を消し去る利益が得られるというのです。 しかしそれは、 わたしどもが信じるところには遠く及びません。

 ^それは次のようなことによるのです。 わたしどもは阿弥陀仏の光明に照らされて、 本願を信じる心がはじめておこるときに決してこわれることのない信心をいただくのですから、 そのときすでに阿弥陀仏はこの身を*正定しょうじょうじゅの位につかせてくださるのであり、 この世の命を終えれば、 さまざまな煩悩や罪悪を転じて真実のさとりを開かせてくださるのです。 もし、 この大いなる慈悲の心からおこしてくださった本願がなかったなら、 わたしどものようなあきれるほど罪深いものがどうして迷いの世界を離れることができるだろうかと考えて、 一生のうちに称える念仏では、 すべてみな如来の大いなる慈悲の心に対し、 そのご恩に報い、 そのお徳に感謝するものであると思わねばなりません。

 ^念仏するたびに自分の罪が消え去ると信じるのは、 それこそ自分の力で罪を消し去って浄土に往生しようと努めることに他なりません。 もしそうだとすれば、 一生の間に心に思うことは、 すべてみな自分を迷いの世界につなぎとめるものでしかないのですから、 命の尽きるまでおこたることなく念仏し続けて、 はじめて浄土に往生できることになります。 ただし過去の世の行いの縁により、 思い通りに生きられるものではないのですから、 どのような思いがけない出来事にあうかもしれないし、 また病気に悩まされ苦痛に責められて、 心安らかになれまいまま命を終えることもあるでしょう。 そのときには念仏することができません。 その間につくる罪はどのようにして消し去ることができるのでしょうか。 罪は消え去らないのだから浄土に往生することはできないというのでしょうか。

 ^すべての衆生を光明の中に摂め取って決して捨てないという阿弥陀仏の本願を信じておまかせすれば、 どのような思いがけないことがあって、 罪深い行いをし、 念仏することなく命が終ろうとも、 速やかに浄土に往生することができるのです。 また命が終ろうとするときに念仏することができるとしても、 それはさとりをひらくまさにその時が近づくにつれて、 いよいよ阿弥陀仏にすべてをおまかせし、 そのご恩に報いる念仏なのでありましょう。

 ^念仏して罪を消し去ろうと思うのは、 自力にとらわれた心であり、 命が終ろうとするときに阿弥陀仏を念じて心が乱れることなく往生しようと願う人の本意なのですから、 それは本願他力の信心がないということなのです。

(15)

 ^あらゆる煩悩をそなえた身でありながら、 この世でさとりを開くということについて。

 ^このことは、 もってのほかのことです。

 ^この身のままこの世で仏になるというのは*真言しんごんみっきょうの根本の教えであり、 *三密さんみつぎょうを修めて得られるさとりです。 また身心のすべてが清らかになるというのは*ほっいちじょうの教えであり、 *安楽あんらくぎょうを修めて得られる功徳です。 これらはすべて、 能力のすぐれた人が修める*なんぎょうの道であり、 *観念かんねんを成就して得られるさとりなのです。 これに対して、 次の世でさとりを開くというのが他力浄土門の教えであり、 信心が定まったときに間違いなく与えられる本願のはたらきなのです。 これは、 能力の劣った人に開かれた易行の道であり、 善人も悪人もわけへだてなく救われていく教えです。

 ^この世で煩悩を断ち罪悪を滅することなど、 とてもできることではないので、 真言密教や法華一乗の行を修める徳の高い僧であっても、 やはり次の世でさとりを開くことを祈るのです。 まして、 戒律を守って行を修めることもなく、 教えを理解する力もないわたしどもが、 この世でさとりを開くことなどできるはずもありあせん。 しかしそのようなわたしどもであっても、 阿弥陀仏の本願の船に乗って、 苦しみに満ちた迷いの海を渡り、 浄土の岸に至りついたなら、 煩悩の雲がたちまちに晴れ、 さとりの月が速やかに現れて、 何ものにもさまたげられることなくあらゆる世界を照らす阿弥陀仏の光明と一つになり、 すべての人々を救うことができるのです。 そのときにはじめてさとりを開いたというのです。

 ^この世でさとりを開くといっている人は、 釈尊のように、 人々を救うためにさまざまな姿となって現れ、 *さんじゅうそうはちじゅうずいぎょうこうをそなえ、 教えを説いて人々を救うのでしょうか。 このようなことができてこそ、 この世でさとりを開いたといえるのです。 ¬*高僧こうそうさん¼ に、

金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ

弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける

決して壊れることのない信心が定まるまさにそのとき、 阿弥陀仏の慈悲の光明に摂め取られ、 つねに護られて、 もはや迷いの世界に戻ることがない。

とあるように、 信心が定まるそのときに、 阿弥陀仏はわたしどもを摂め取って決してお捨てにならないのですから、 迷いの世界に生れ変り死に変りするはずがありません。 だから、 もはや迷いの世界に戻ることがないのです。 しかしこのように知らせていただくことを、 さとりだなどとごまかしていってよいものでしょうか。 大変悲しいことです。

 ^「往生浄土の真実の教えでは、 この世において阿弥陀仏の本願を信じ、 浄土に往生してさとりを開くのであると法然上人から教えていただきました」 と、 今は亡き親鸞聖人のお言葉にはございました。

(16)

 ^本願を信じて念仏する人は、 おのずと、 ふとしたことで腹を立てたり、 悪いことをしたり、 同じ念仏の仲間と口論したりしたなら、 必ずそのたびに悪い心をあらためなければならないということについて。

 ^このことは、 悪を断ち切り、 善を修めて浄土に往生しようという考えなのでしょうか。

 ^本願を信じてひとすじに念仏する人にとって、 心をあらためるということは、 ただ一度だけあるものです。 それは、 つねひごろ本願他力の真実の教えを知らないで過ごしている人が、 阿弥陀仏の*智慧ちえをいただき、 これまでのような心のままでは浄土に往生することはできないと知って、 その自力の心を捨てて本願のはたらきにおまかせすることであり、 これを 「心をあらためる」 というのです。

 ^あらゆることにつけて朝夕に悪い心をあらためてこそ往生することができるというのであれば、 人の命は息を吐いてふたたび吸う間もないうちに終るものですから、 心をあらためることもなく、 安らかで落ちついた思いになる前に命が終ってしまったなら、 すべての人々を摂め取って決して捨てないという阿弥陀仏の誓願は意味のないことになるのでしょうか。

 ^口では本願のはたらきにおまかせいたしますといいながら、 心の中では、 悪人を救おうという本願がどれほど不可思議なものであるといっても、 やはり善人だけをお救いになるのだろうと思うから、 本願のはたらきを疑い、 他力におまかせする心が欠けて、 辺地といわれる方便の浄土に往生することになってしまうのです。 これこそ、 もっとも悲しくお思いになるべきことです。

 ^信心が定まったなら、 浄土には阿弥陀仏のおはからいによって往生させていただくのですから、 わたしのはからいによるはずがないのです。 自分がどれほど悪くても、 かえってますます本願のはたらきの尊さを思わせていただくなら、 その本願のはたらきを受けておのずと、 安らかで落ちついた心もおこるでしょう。 浄土への往生については、 何ごともこざかしい考えをはさまずに、 ただほれぼれと、 阿弥陀仏のご恩が深く重いことをいつも思わせていただくのがよいでしょう。 そうすれば念仏も口をついて出てまいります。 これが、 「おのずとそうなる」 ということです。 自分のはからいをまじえないことを、 「おのずとそうなる」 というのです。 これはすなわち阿弥陀仏の本願のはたらきなのです。

 ^それなのに、 おのずとそうなるということが、 この本願のはたらきの他にもあるかのように、 物知り顔をしていう人がいるように聞いておりますが、 実に歎かわしいことです。

(17)

 ^辺地といわれる方便の浄土に往生する人は、 結局は地獄に堕ちることになるということについて。

 ^このことは、 どこにその証拠となる文があるのでしょうか。 これは学者ぶった人の中からいいだされたと聞きますが、 あきれた話です。 このような人は教典や祖師方の書かれたものをどのように読まれているのでしょうか。

 ^信心の欠けた念仏者は、 阿弥陀仏の本願を疑うことにより、 方便の浄土に往生し、 その疑いの罪をつぐなった後、 真実の浄土においてさとりを開くとうかがっております。

 ^本願を信じて念仏するものが少ないので、 仮に方便の浄土に多くのものを往生させておられるのです。 それが結局意味のないことであるようにいうのは、 それこそ浄土の教えをお説きくださった釈尊が嘘いつわりをいわれたと申しあげておられることになるのです。

(18)

 ^寺や僧侶などに布施として寄進する金品が多いか少ないかにより、 大きな仏ともなり、 あるいは小さな仏ともなるということについて。

 ^このことは、 言語道断、 とんでもないことであり、 筋の通らない話です。

 ^まず、 仏のお体に対して、 大きいとか小さいとかを決めることなど、 あってはならないことでしょう。 *教典に阿弥陀仏のお体の大きさが説かれてはいますが、 それは*方便ほうべんとして示された仮のすがたです。 真実のさとりを開いて、 長いとか短いとか、 四角いとか円いとかの形を超え、 また青・黄・赤・白・黒などの色を離れた仏の身となるのなら、 どうして大きいとか小さいとかを決めることができるでしょうか。

 ^念仏すると、 仏のすがたを見させていただくことがあるそうです。 そのことは*教典に、 「大きな声で念仏すれば大きな仏を見、 小さな声で念仏すれば小さな仏を見る」 とあるのですが、 あるいはこの説などにこじつけて、 大きな仏や小さな仏になるなどというのでしょうか。

 ^一方、 その寄進は、 仏になるための布施の行ともいえるのですが、 どれほど財宝を仏前にささげ、 師に施したとしても、 本願を信じる心が欠けていたなら、 何の意味もありません。 寺や僧侶に対して、 たとえ一枚の紙やほんのわずかな金銭を寄進することすらなくても、 本願のはたらきにすべておまかせして、 深い信心をいただくなら、 それこそ本願のおこころにかなうことでありましょう。

 ^結局、 世俗的な欲望もあるために、 仏の教えにかこつけてこのようなことをいい、 同じ念仏の仲間をおどされるのでしょうか。

 ^これまで述べてきた誤った考えは、 どれもみな真実の信心と異なっていることから生じたものかと思われます。 今は亡き親鸞聖人からこのようなお話をうかがったことがあります。 法然上人がおいでになったころ、 そのお弟子は大勢おいでになりましたが、 法然上人と同じく真実の信心をいただかれている方は少ししかおられなかったのでしょう。 あるとき、 親鸞聖人と同門のお弟子方との間で、 信心をめぐって論じあわれたことがありました。

 ^といいますのは、 親鸞聖人が、 「この*善信ぜんしんの信心も、 法然上人のご信心も同じである」 と仰せになりましたところ、 *勢観せいかんぼう*念仏ねんぶつぼうなどの同門の方々が、 意外なほどに反対なさって、 「どうして法然上人のご信心と善信房の信心とが同じであるはずがあろうか」 といわれたのです。 そこで、 「法然上人は智慧も学識も広くすぐれておられるから、 それについてわたしが同じであると申すのなら、 たしかに間違いであろう。 しかし、 浄土に往生させていただく信心については、 少しも異なることはない。 まったく同じである」 とお答えになったのですが、 それでもはやり、 「どうしてそのようなわけがあろうか」 と納得せずに非難されますので、 結局、 法然上人に直接お聞きして、 どちらの主張が正しいか決めようということになりました。

 ^そこで法然上人に、 詳しい事情をお話ししたところ、 「この*源空げんくうの信心も如来からいただいた信心です。 善信房の信心も如来よりいただかれた信心です。 だからまったく同じ信心なのです。 別の信心をいただいておられる人は、 この源空が往生する浄土には、 まさか往生なさることはありますまい」 と法然上人が仰せになったということでありました。

 ^ですから今でも、 同じ念仏の道を歩む人々の間で、 親鸞聖人のご信心と異なっておられることもあるのだろうと思います。

 ^どれもみな同じことの繰り返しではありますが、 ここに書きつけておきました。 枯れ草のように老い衰えたこの身に、 露のようにはかない命がまだわずかに残っているうちは、 念仏の道を歩まれる人々の疑問もうかがい、 親鸞聖人が仰せになった教えのこともお話ししてお聞かせいたしますが、 わたしが命を終えた後は、 さぞかし多くの誤った考えが入り乱れることになるのではないかと、 今から歎かわしく思われてなりません。 ここに述べたような誤った考えをいいあっておられる人々の言葉に惑わされそうになったときには、 今は亡き親鸞聖人がそのおこころにかなって*用いておられたお聖教をよくよくご覧になるのがよいでしょう。 ^聖教というものには、 真実の教えと方便の教えとがまざりあっているのです。 方便の教えは捨てて用いず、 真実の教えをいただくことこそが、 親鸞聖人のおこころなのです。 くれぐれも注意して、 決して聖教を読み誤ることがあってはなりません。 そこで、 大切な証拠の文となる親鸞聖人のお言葉を、 少しではありますが抜き出して、 箇条書きにしてこの書に添えさせていただいたのです。

 ^親鸞聖人がつねづね仰せになっていたことですが、 「阿弥陀仏が五劫もの間思いをめぐらしてたてられた本願をよくよく考えてみると、 それはただ、 この親鸞一人をお救いくださるためであった。 思えば、 このわたしはそれほどに重い罪を背負う身であったのに、 救おうと思い立ってくださった阿弥陀仏の本願の、 何ともったいないことであろうか」 と、 しみじみとお話になっておられました。 そのことを今またあらためて考えてみますと、 善導大師の、 「自分は現に、 深く重い罪悪をかかえて迷いの世界にさまよい続けている凡夫であり、 果てしない過去の世から今に至るまで、 いつもこの迷いの世界に沈み、 つねに生れ変り死に変りし続けてきたのであって、 そこから抜け出る縁などない身であると知れ」 という尊いお言葉と、 少しも違ってはおりません。 そうしてみると、 もったいないことに、 親鸞聖人がご自身のこととしてお話になったのは、 わたしどもが、 自分の罪悪がどれほど深く重いのかも知らず、 如来のご恩がどれほど高く尊いものかも知らずに、 迷いの世界に沈んでいるのを気づかせるためであったのです。

 ^本当にわたしどもは、 如来のご恩がどれほど尊いかを問うこともなく、 いつもお互いに善いとか悪いとか、 そればかりをいいあっております。 ^親鸞聖人は、 「何が善であり何が悪であるのか、 そのどちらもわたしはまったく知らない。 なぜなら、 如来がそのおこころで善とお思いになるほどに善を知り尽くしたのであれば、 善を知ったといえるであろうし、 また如来が悪とお思いになるほどに悪を知り尽くしたのであれば、 悪を知ったといえるからである。 しかしながら、 わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、 この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変る世界であって、 すべてはむなしくいつわりで、 真実といえるものは何一つない。 その中にあって、 ただ念仏だけが真実なのである」 と仰せになりました。 ^本当に、 わたしも他の人もみなむなしいことばかりをいいあっておりますが、 とりわけ心の痛むことが一つあります。 それは、 念仏することについて、 お互いに信心のあり方を論じあい、 また他の人に説き聞かせるとき、 相手にものをいわせず、 議論をやめさせるために、 親鸞聖人がまったく仰せになっていないことまで聖人の仰せであるといい張ることです。 まことに情けなく、 やりきれない思いです。 これまで述べてきたことを十分にわきまえ、 心得ていただきたいことと思います。

 ^これらは決してわたし一人の勝手な言葉ではありませんが、 教典や祖師方の書かれたものに説かれた道理も知らず、 仏の教えの深い意味を十分に心得ているわけでもありませんから、 きっとおかしなものになっていることでしょう。 けれども、 今は亡き親鸞聖人が仰せになっておられたことの百分の一ほど、 ほんのわずかばかりを思い出して、 ここに書き記したのです。 幸いにも念仏する身となりながら、 ただちに真実の報土へ往生しないで、 方便の浄土にとどまるのは、 何と悲しいことでしょう。 同じ念仏の行者の中で、 信心の異なることがないように、 涙にくれながら筆をとり、 これを書いたのです。 「歎異抄」 と名づけておきます。

 ^同じ教えを受けた人以外には見せないでください。

 ^*後鳥羽ごとばじょうこうの御治世のころ、 法然上人は、 他力本願念仏の一宗を興し、 世にひろめられた。 そのとき、 *興福こうふくの僧たちが、 それは仏の教えに背くものであるとして朝廷に訴えた。 そして、 法然上人のお弟子のなかに無法な振舞いがあったという根も葉もないうわさによって、 処罰された人々は次の通りである。

 ^法然上人、 およびそのお弟子の七人は流罪となり、 また、 お弟子の四人は死罪に処せられた。

 ^法然上人は、 *土佐とさの国の幡多はたというところに流罪となり、 罪人の名としてはふじ元彦もとひこ、 男性などとあり、 年齢は*七十六歳であった。

 ^親鸞は、 *えちの国に流罪となり、 罪人の名としてはふじ善信よしざねなどとあり、 年齢は三十五歳であった。

 ^じょうもんぼう*びんの国に、 禅光ぜんこうぼうちょう西さい*伯耆ほうきの国に、 みょうかくぼう*伊豆いずの国に、 法本ほうほんぼうぎょうくう*佐渡さどの国に流罪となった。

 ^じょうかくぼう幸西こうさいぜんぼうの二人は、 同じく流罪と決ったが、 *どう*ちんしょうが願い出て二人の身柄を引き受けたという。 流罪に処せられた人々は、 以上の八人であったという。

 ^死罪に処せられた人々は、 一、 ぜんしゃくぼう西さい、 二、 しょうがんぼう、 三、 じゅうれんぼう、 四、 安楽あんらくぼうであった。

 これらの刑は、 *二位の法印そんちょうの裁定である。

 ^親鸞は、 流罪になったとき、 僧籍を取り上げられて俗名を与えられた。 そこで、 僧侶でもなく俗人でもない身となったのである。 これにより、 禿の字を自分の姓として、 朝廷に申し出て認められた。 その書状が今も*外記げきちょうに収められているという。

 ^このようなわけで流罪の後は、 自分の名前を*禿とく親鸞とお書きになるのである。

 

^この ¬歎異抄¼ は、 わが浄土真宗にとって大切な聖教である。 仏の教えを聞く機縁が熟していないものには、 安易にこの書を見せてはならない。

*蓮如れんにょ

 

後のものが教え…と思われます 原文は、 「後学相続の疑惑あることを思ふに」 であるが、 疑惑するのは誰かという点について、 後学のものが疑惑するという見方と、 著者自身が疑惑するという見方とがある。 本現代語訳は、 前者に従ったが、 後者の見方に立てば、 「後のものが教えを正しく受け継いでいけるかどうか疑わしい」 という意味になる。
自分勝手な考えにとらわれて 原文には、 「自見の覚語をもって」 となっているが、 このなか、 「覚語」 という言葉が、 諸本には 「覚悟」 となっているものがある。 どちらの場合も 「自分一人の勝手な見解により」 という意味であり、 「口伝の真信に対し、 自己の見解をもって信心を定めること」 をいうのであるが、 「覚語」 については 「さとったような言葉」 の意味とする見方もある。 その場合は 「自分勝手な見方から、 覚ったような言葉を用いて」 という意味になる。
思い誤る 原文は、 「乱る」 であるが、 これを 「乱す、 混乱させる」 の意味であるとする解釈もある。
なぜなら…願いだからです 関連する部分を含めて原文を抜き出すと、

そのゆゑは、 罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。 しかれば本願を信ぜんには、 他の善も要にあらず、 念仏にまさる善なきゆゑに。 悪をもおそるべからず、 弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと云々。

となっている。 このなか、 冒頭の 「そのゆゑは」 がどこまでかかるかについて、 「…ための願にまします」 までとする見方と、 「…ほどの悪なきゆゑに」 までとする見方とがある。 本現代語訳においては、 「しかれば」 以後は、 「そのゆゑは、 罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします」 という文を受けて述べられたものと考え、 「そのゆゑは」 がかかるのは、 「衆生をたすけんがための願にますます」 までとする見方に従って訳しておいた。
本願を信じるものには 原文には、 「本願を信ぜんには」 となっているが、 この意味を 「本願を信じているなら」 とするか、 「本願を信じるためには」 とするかで、 解釈が分れている。
あなたがたが 原文は、 「おのおのの」 であるが、 末尾の 「の」 について、 もとは無かったという見方がある。 すなわち、 ¬歎異抄¼ の原型においては 「各 (オノオノ)」 とだけ表記されていて、 これを 「おのおの」 と読ませるために 「ノ」 という仮名が添えられていたのであるが、 それが後に誤って写し取られ 「おのおのの」 と表記されるに至ったという説である。 「おのおの」 はそれ自体で主語として用いられることが多く、 主語であることを示す助詞の 「の」 は不要であると考えられるためであろう。 また、 「の」 が体言を修飾する助詞であるならば、 「御こころざし」 にかかるものとも考えられる。 本現代語訳においては、 「おのおのの」 を文全体の主語として、 「あなたがたが」 と訳しておいた。
まったくわたしの知るところではありません 関連する部分を含めて原文を抜き出すと、

念仏は、 まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、 また地獄におつべき業にてやはんべるらん。 総じてもつて存知せざるなり。

となっている。 ここを、 「念仏が、 浄土に生れるたねなのか、 地獄に堕ちる業なのか、 まったく知らない」 と解釈する見方と、 「念仏が、 浄土に生れるたねなのかどうか、 地獄に堕ちる業なのかどうか、 その両方とも知らない」 と解釈する見方とがある。
なぜなら…ないからです 前文の 「決して後悔はいたしません」 の理由として、 原文には、

そのゆゑは、 自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、 念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、 すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。 いづれの行もおよびがたき身なれば、 とても地獄は一定すみかぞかし。

と続く。 このなか、 「そのゆゑは」 がどこまでかかるかについて、 「…後悔も候はめ」 までとする解釈と、 「…一定すみかぞかし」 までとする解釈とがある。
善人でさえ…仰せになりました ¬歎異抄¼ の前半の九条は、 親鸞聖人の法語が述べられた後、 「と云々」 と結ばれているのが普通であるが、 この条の末尾は、 「…まして悪人はと、 仰せ候ひき」 で終わり、 他と異なっている。 また、 諸本には、 この条も 「…仰せ候ひきと云々」 となっているものもある。 そこで、 どこまでが親鸞聖人の言葉なのか、 また、 著者や法然上人の言葉も含まれているか、 などについてさまざまな説がある。
悪人 関連する部分を含めて原文を抜き出すと、 「善人なほもつて往生をとぐ、 いはんや悪人をや」 であるが、 これは悪人正機を示すものとして有名である。 そのため、 この一説だけをとりあげて、 悪を勧める不道徳な思想とする誤解もあった。
 この条は、 どこまでが親鸞聖人のお言葉であるのかなどの問題を含むが、 しかし、 第三条の全体を見るなら、 少なくとも ¬歎異抄¼ の著者は、 「善人」 とは、 「自力作善のひと」 であり、 「他力をたのむこころかけたる」 人であって、 「悪人」 とは、 「他力をたのみたてまつ」 り、 「いづれの行にても生死をはなるることあるべからざる」 「煩悩具足のわれら」 と理解していることは明らかである。 すなわち自己自身が、 いかなる善をも真実にはなしえない 「悪人」 であって、 阿弥陀仏の本願は、 まさにそのようなものを光明の中に摂め取って決してお捨てになることはなく、 必ず往生させてくださるのであるという、 二種深信の立場を述べたものである。
 なお悪人正機説については、 身分や職業の上に善悪の帰順を置き、 自己が善人であり他者が悪人であるとする人々に対し、 宗教的・社会的な批判が述べられていると解釈する見方もある。
なぜなら…かなっていないのです 関連する部分を含めて原文を抜き出すと、

…本願他力の意趣にそむけり。 そのゆゑは、 自力作善のひとは、 ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、 弥陀の本願にあらず。 …他力をたのみたてまつる悪人、 もつとも往生の正因なり。

となっている。 このなか、 「そのゆゑは」 が、 どこまでかかるかについて、 「…弥陀の本願にあらず」 までとする説や、 「…もつとも往生の正因なり」 までとする説などがある。 「そのゆゑは」 の 「その」 は前文の 「本願他力の意趣にそむけり」 をさすが、 それは、 続く文の 「弥陀の本願にあらず」 と内容的に重複しており、 その直前に 「あひだ」 という原因理由を示す語があることを考えると、 「本願他力の意趣にそむけり」 ならびに 「弥陀の本願にあらず」 に対する理由として、 「自力作善の人は、 ひとへに他力をたのむこころかけたる」 ことが挙げられているのだと考えられる。
この本願のはたらき…ものなのです 原文は、 「他力をたのみたてまつる悪人、 もつとも往生の正因なり」 である。 この 「往生の正因」 という語句について、 他力をたのむこころが往生の正因であるとする解釈や、 他力をたのむ悪人が往生の正機であるとする解釈などがある。
違い 原文は、 「かはりめ」 であるが、 これを聖道門の慈悲から浄土門の慈悲への転換点を示す語とする解釈もある。
救うことができるのです 原文は、 「度すべきなり」 であるが、 このなか、 「べき」 について、 当然の意味とする見方もある。 本現代語訳においては、 可能の意味で訳しておいた。
念仏者は…歩むものです 原文には、 「念仏者は無礙の一道なり」 となっている。 このなか、 「念仏者は」 の 「は」 を 「者」 に添えたみ仮名とみて、 「念仏は」 と読む説がある。 その場合、 「念仏は無碍の一道である」 という意味になるが、 いずれにしても念仏の法が無礙道であるから、 念仏者は何ものにもさまたげられないことを明している。
唯円房 現在では、 この唯円ゆいえんぼうを ¬歎異抄¼ の著者と見る説が有力である。 ¬歎異抄¼ の著者については、 第三代しゅうしゅ覚如かくにょしょうにんの ¬改邪がいじゃしょう¼ や、 覚如上人が第二代宗主如信にょしん上人から伝え聞いた法語を集めたといわれる ¬でんしょう¼ に、 ¬歎異抄¼ と同じ内容が示されていることから、 如信上人や覚如上人と見る説などもあった。 しかし ¬歎異抄¼ の本文から考えるなら、 著者は親鸞しんらんしょうにんの面授の弟子であり、 また、 親鸞聖人をたずねて、 遠く京の都まで旅をした人物であると考えるのが妥当であり、 第九条と第十三条において聖人と問答をしている唯円房を ¬歎異抄¼ の著者と考えるべきであろう。
 唯円房については、 おそらく常陸ひたち河和田かわだ報仏ほうぶつの開基である河和田の唯円房 (-1288、 一説に1222-1289) であろうと推測されている。 他にじゅうはいの一人である鳥喰とりばみの唯円房という説もあるが、 この鳥喰の唯円房については古い記録がなく、 また河和田の唯円房と同一人物であるという説もあり、 確定できない。
 河和田の唯円房についてもあまり正確な記録は残っていない。 唯円房の墓がある奈良県よしりゅうこうの伝承によれば、 唯円房はしょうおう二年 (1289) に往生を遂げたとあり、 また、 報仏寺の本尊の台座の墨書銘には、 唯円房の忌日が 「正応元年戊子 (1288) 八月日」 と記されている。 ただし、 じゅうかく上人 (覚如上人の二男) の ¬慕帰ぼき絵詞えし¼ によれば、 覚如上人が正応元年の冬に (おそらくは ¬歎異抄¼ の著者である) 唯円房と会われたとあり、 報仏寺の墨書銘は、 これと矛盾している。
 なお、 ¬慕帰絵詞¼ によれば、 覚如上人は唯円房と会われた際に、 日ごろ不審に思っていた問題をたずねて真宗の教義についての理解を深められ、 唯円房を 「らんしょうにんの面授なり、 鴻才こうざい弁舌べんぜつめいあり」 と敬っておられたことがわかる。 また、 覚如上人の叔父であり、 後に上人と争うことになる唯善ゆいぜんも、 唯円房のもとで学んだといわれる。
思うのです 原文は、 「おもひたまふなり(第九条)(第十二条)」 であるが、 この 「たまふ」 について、 いくつかの解釈がある。 まず、 諸本の多くには 「おもひたまふべきなり」 とあり、 それに従って親鸞聖人の唯円房に対する敬意を示す尊敬の補助動詞とする見方である。 すなわち 「おもふ」 の主語は唯円房である。 次に、 謙譲の補助動詞とする見方である。 すなわち 「おもふ」 の主語は親鸞聖人であるが、 「たまふ」 が謙譲の補助動詞である場合、 普通は 「おもひたまふるなり」 となるべきである。 またこの場合、 親鸞聖人の誰に対する敬意を示す補助動詞であるのかが明らかではない。 さらに、 筆者の親鸞聖人に対する敬意が 「たまふ」 という尊敬の補助動詞となって紛れ込んだという見方もある。 すなわち 「おもふ」 の主語は親鸞聖人である。 本現代語訳においては、 「たまふ」 が尊敬か謙譲かの判断はさておき、 前後の内容から親鸞聖人をこの文の主語として考え、 「思うのです」 と結んでおいた。
本願はこのような…と気づかされ 原文は、 「他力の悲願はかくのごとし、 われらがためなりけりとしられて」 である。 このなか、 「他力の悲願はかくのごとし」 の意味が把握しにくい。 諸本には 「他力の悲願はかくのごとき」 となっているものもあり、 この場合は、 「われら」 にかかる語句であると考えられる。 本現代語訳においても、 「かくのごとし」 を 「われら」 にかかる語句として訳しておいた。
きっと疑わしく思われることでしょう 原文には、 「あやしく候ひなまし」 となっているが、 諸本には 「あしく候ひなまし」 となっているものもある。 その場合には、 「きっと困惑するでしょう」 あるいは 「悪く思ってしまうでしょう」 という意味になる。
自力のはからいが…根本の法義とします 原文には、 「無義をもって義となす」 となっている。 このことについて、 親鸞聖人は御消息に、

義ということは、 はからふことばなり。 行者のはからひは自力なれば義といふなり

義と申すことは自力のひとのはからひを申すなり

行者のはからひのなきゆゑに、 義なきを義とすと他力をば申すなり

等と示されており、 「無義」 の意味が 「行者のはからいがないこと」 であるのは明らかである。
 次に 「義とす」 の 「義」 については、 同じく御消息に、

他力と申すは、 仏智不思議にて候ふなるときに…仏と仏のみ御はからひなり、 さらに行者のはからひにあらず候ふ

他力と申すことは、 義なきを義とすと申すなり…如来の誓願は不可思議にましますゆゑに、 仏と仏との御はからひなり、 凡夫のはからひにあらず

等と示されることから、 「仏の御はからひ」 の意味とする見方がある。 しかし一方では、 「義とす」 の 「義」 は、 ¬歎異抄¼ に、 「この条、 すこぶる不足言の義といひつべし」、 「いかでかその義あらん」 などと用いられている 「義」 と同意であり、 本義・道理という意味であるとする見方もある。
 本現代語訳においては、 「無義」 の 「義」 も、 「義とす」 の 「義」 も、 本来同じ意味を持つものとして用いられており、 「無義をもつて義とす」 の全体は、 「他力の救いにおいては、 凡夫がはからうこと、 すなわち、 こうあらねばならないと捉えるような法義は無く、 すべて阿弥陀仏の御はからいにより救われていく、 これを法義とするのである」 という意味であろうと考え、 「自力のはからいがまじらないことを根本の法義とします」 と訳しておいた。
たたえ尽すことも 原文は、 「不可称」 であるが、 このなか、 「称」 の字については、 従来より、 「称讃 (たたえる)」 「称量 (はかる)」 のいずれかの意味で解釈されてきた。 どちらの意味で解釈しても、 全体として、 衆生のはからいを超えていることを示している。
思えばかつて…述べていきましょう 第十条の後半は、 親鸞聖人の滅後に異義いぎの生じたことを歎くものであり、 第十一条以下の序の体裁をとっている。 また、 すべての古写本に改行がみられないので、 この箇所を含む第十条全体を第十一条以下の序説とみる説もある。
同じ志をもって 原文には、 「おなじくこころざしをして」 となっているが、 この 「こころざし (=目的)」 について、 「京都まで行こうという目的」 とする見方や、 「教義についてたずねようという目的」 とする見方など、 さまざまな解釈がある。
それとも 原文は、 「また」 であるが、 これを、 「さらにまたその上に」 の意味であり、 二者択一の 「または」 の意味ではないとする見方もある。
おどかし 原文は、 「おどろかして」 であるが、 これを、 「おどして」 の意味であるとする見方もある。
離れることができる 原文は、 「出づべし」 であるが、 このなか、 「べし」 について、 未来、 推量の意味とする見方もある。 本現代語訳においては、 可能の意味で訳しておいた。
念仏を称える 原文は、 「念仏の申さるる」 であるが、 このなか、 「るる」 を可能の意味とする解釈と自発の意味とする解釈とがある。
ひとすじに 原文は、 「むねと」 であるが、 「むね」 を 「第一義、 中心」 の意味とする解釈もある。 本現代語訳においては、 「むねと」 を 「ひとすじに、 もっぱら」 の意味を示す副詞として訳しておいた。
聖教 原文は、 「正教」 であり、 普通は 「聖教」 と同じ意味の語とするが、 「正教」 を文字どおり、 「正しい理にかなう教え」 の意味とする解釈もある。
本当に、 このことがわからないで迷っている 関連する部分を含めて原文を抜き出すと、

まことに、 このことわりに迷へらんひとは、 いかにもいかにも学問して、 本願のむねをしるべきなり。

となっている。 このなか、 「まことに」 が 「迷へらん」 にかかるとする解釈と、 「本願のむねをしるべきなり」 にかかるとする解釈とがある。
あるはずです 原文には、 「候べきや」 となっている。 このなか、 文末の 「や」 について、 「べき」 という連体形の語に接続する特殊な形であるために、 解釈が分れている。 まず、 文末に用いられた疑問の助詞とする解釈がある。 しかしながら、 文の前後から考えると、 疑問では文意が通じにくい。 次に、 諸本には、 「候ふべきか」 あるいは 「候ふぞかし」 となっているものもあることから、 「や」 がそれらと同じように、 感動や詠嘆、 あるいは念を押すなどの意味を示しているという解釈がある。 また、 もともとは、 「ヘキ也」 とあったものを誤って 「ヘキヤ」 と書き写したものとする解釈もある。
 一方、 この条のなかには、 「証拠となる文がある」 ということを述べる箇所が、 これ以外にもある。 その原文は、 「智者遠離すべきよしの証文候ふにこそ」 であり、 「こそ」 という助詞で終って文に余韻を持たせている。 このことから考えると、 「や」 もまた、 疑問など、 その内容を変化させるような意味を持つ助詞ではないと考えられる。
 以上のことから、 本現代語訳においては、 「や」 が文に何かの意味を付加しているとは考えずに、 「あるはずです」 と訳しておいた。
気にさわる態度 原文には、 「にくい気」 となっており、 普通は 「にくき気」 の音便化であって、 「憎らしい様子 (態度・風情)」 の意味とするが、 「にくむ気」 が転じたものであって、 「さからう気配、 非難がましい様子」 の意味とする解釈もある。
如来のおこころを知り この箇所の 「如来」 については、 阿弥陀仏とする解釈と、 釈尊とする解釈とがある。
阿弥陀仏の本願の…ないでしょうか ¬歎異抄¼ 第十三条の宿業説は、 悪をつつしみ、 善人に救われないと主張する異義を破るために、 機の深信の立場に立って、 煩悩具足の凡夫という存在をあらわそうとされたものである。 宿業とは、 宿世 (過去世) の行為とその報いという意味の言葉であるが、 現実の自己が限りない過去とつながっているという宗教的な見方を強調する言葉として用いられていた。 そこで ¬歎異抄¼ はこの言葉を用いて、 人間は自己の思いのままにすぐに善人になれるほど単純なものではなく、 縁にふれたらどのようなふるまいをするかもしれない存在であり、 自分でも手のつけようのない煩悩の深みをもつものであるという人間のありさまをあらわそうとしたのである。 こうして ¬歎異抄¼ の宿業説は、 「されば善きことも悪しきことも業報にさしまかせて、 ひとへに本願をたのみまゐらすればこそ他力にては候へ」 といわれるように、 法の深信と一つに組みあって自力無効と信知する機の深信の内容としてのみ用いられるものであった。
 この業、 宿業の語が、 仏教、 ことに浄土教において誤って用いられた例が多い。 「因果応報」 というような表現をもって固定的な因果論を説き、 現実社会の貧富、 身心の障害や病気、 災害や事故、 性別や身体の特徴までもが、 その人の前世の業の結果によるものと理解させ、 貴賎、 浄穢というような差別を助長し、 それによって一方ではそれぞれの時代の支配体制を正当化するとともに、 また一方で被差別、 不幸の責任をその人個人に転嫁してきた歴史がある。
 しかし、 現実の幸、 不幸の原因のすべてを個人の宿業のせいにし、 不幸をもたらしたさまざまな要因を正しく見とどけようとしないことは、 むしろ縁起の道理にそむく見解である。 歴史的・社会的につくられた矛盾や差別によってもたらされた不幸を、 被害者である本人に転嫁し、 その不幸をひきおこした本当の要因から目をそらせてしまうようなことがあってはならない。
まず 原文は、 「たとへば」 であり、 発端の語として 「まずもって」 の意味と解釈するのが普通であるが、 「具体的にいえば、 てっとり早くいえば」 の意味と解釈する見方もある。
すぐに殺すことができるはずだ 原文には、 「すなはちころすべし」 となっているが、 「べし」 については、 可能とする解釈や、 推量とする解釈もある。
しだいに 原文は、 「やうやうに」 であるが、 これについて、 「いろいろと、 様々に」 の意味とする解釈もある。
お書きになられましたのは 原文は、 「あそばされて候ふは」 であり、 普通は、 「あそばす」 を 「書く」 の敬語とみて、 親鸞聖人の御消息に同意の文があることを指しているとする。 これについて、 「あそばす」 は 「為す」 の敬語であり、 「ご注意になられましたのは」 の意味とする解釈もある。
誤った考えにとらわれているのをやめさせる 原文は、 「邪執をやめん」 であるが、 この 「邪執」 自体を、 「邪見と同じく、 間違った考えのこと」 として、 「誤った考えをやめさせる」 とする解釈もある。
信じることができるのなら 原文は、 「信ずべくは」 であるが、 「べし」 については、 当然とする解釈や、 推量とする解釈もある。
ほこり甘えることができる 原文は、 「ほこられ」 であるが、 「られ」 を自発の意味とする解釈もある。 本現代語訳においては、 可能の意味で訳しておいた。
しかるべき縁がはたらけば 原文には、 「さるべき業縁のもよほさば」 となっているが、 このなか、 「もよほさば」 について、 諸本には、 「もよほせば」 となっているものもある。
どのような行いもするものである 原文は、 「いかなるふるまひもすべし」 であるが、 このなか、 「べし」 について、 可能とする解釈と、 推量あるいは当然とする解釈とがある。
いかにも来世の…かのように思い 原文は、 「後世者ぶりして、 よからんものばかり念仏申すべきやうに」 であるが、 このなか、 「後世者ぶりして」 は 「よからんもの」 にかかるとして、 「いかにも来世の往生を願うように振る舞う善人だけが、 念仏することができるかのように思い」 と解釈する見方もある。
本願をほこる心が…と思われます 原文は、 「本願にほこるこころのあらんにつけてこそ、 他力をたのむ信心も決定しぬべきことにて候へ」 である。 これについて、 「本願にほこるこころ」 の有無により信心が決定しているかどうかが判断できるという意味ではなく、 「本願にほこるこころ」 の有無を信心が決定する原因理由ととらえ、 この箇所の意味を 「本願をほこり、 あまえる心があってこそ、 信心もたしかに定まるのである」 あるいは 「本願をほこるほどの心があるからこそ、 信心もおこるのである」 とする見方もある。
そのようにすでに仏になったものには 関連する部分を含めて原文を抜き出すと、

煩悩を断じなば、 すなはち仏に成り、 仏のためには、 五劫思惟の願、 その詮なくやましまさん。

となっている。 このなか、 「仏のためには」 について、 「阿弥陀仏にとっては」 と解釈する見方もある。 本現代語訳においては、 煩悩を断じてすでに仏になったのであれば、 往生成仏させようという阿弥陀仏の本願はもはや必要ないという意味であるとして、 「そのようにすでに仏になったものには」 と訳しておいた。
一回念仏すれば…罪が消え去って 原文は、 「一念申せば八十億劫の罪を滅し、 十念申せば十八十億劫の重罪を滅して」 であるが、 このなか、 「八十億劫の罪」 を十悪に、 「十八十億劫の重罪」 を五逆に配当する解釈もある。 親鸞聖人は ¬唯信鈔文意¼ に、 「ª具足十念 称南無無量寿仏 称仏名故 於念々中除八十億劫生死之罪º といふは、 五逆の罪人はその身に罪をもてること、 十八十億劫の罪をもてるゆゑに、 十念南無阿弥陀仏ととなふべしとすすめたまへるのりなり。 一念に十八十億劫の罪を消すまじきにはあらねども、 五逆の罪のおもきほどをしらせんがためなり」 と述べられている。
どれほど重いものであるか 原文は、 「軽重」 であるが、 これを 「(罪が) 軽いか重いか」 の意味とする解釈もある。 本現代語訳においては、 「軽重」 を 「(罪が) 重いこと」 とする解釈に従った。
わたしどもが信じるところ 原文は、 「われらが信ずるところ」 であるが、 これを 「他力の信心」 とする解釈や、 「わたしどもが信じている他力の念仏」 とする解釈などがある。
それは次のようなことによるのです 原文は、 「そのゆゑは」 であるが、 これがどこまでかかるかについて、 「…さとらしめたまふなり」 までとする解釈と、 この条の最後までとする解釈がある。 本現代語訳は後者の解釈に従った。
わたしどもは阿弥陀仏の光明に照らされて 関連する部分を含めて原文を抜き出すと、

そのゆゑは、 弥陀の光明に照らされまゐらするゆゑに、 一念発起するとき金剛の信心をたまはりぬれば、 すでに定聚の位にをさめしめたまひて、 命終すれば、 もろもろの煩悩・悪障を転じて、 無生忍をさとらしめたまふなり。

であるが、 このなか、 「弥陀の光明に照らされまゐらするゆゑに」 がどこにかかるかについて、 「…金剛の信心をたまはりぬれば」 までとする解釈と、 「…さとらしめたまふなり」 までとする解釈とがある。
いただくのですから 原文は、 「たまはりぬれば」 であるが、 これを 「いただいたなら、 かならず」 の意味とする解釈もある。
過去の世の行い…ものではない 原文は、 「業報かぎりある」 である。 「業報」 とは、 過去の世の行いの結果として受ける現世の果報のことであり、 「かぎりある」 とは、 その果報に制約があることを示している。
信心が定まった…本願のはたらき 原文は、 「信心決定の通故」 であるが、 このなか、 「通故」 の語について、 諸本には、 「道なるがゆゑ」 あるいは 「通ずるゆゑ」 となっているものもある。
まして、 戒律を…わたしどもであっても 原文には、 「いかにいはんや、 戒行・慧解ともになしといへども」 となっているが、 「いかにいはんや」 の語について、 その結びが示されていない。 本現代語訳においては、 この箇所を 「いかにいはんや戒行・慧解ともになきをや」 と一度読んで、 「しかして、 戒行・慧解ともになしといへども」 等と読むべきであるという解釈に従い、 「戒行・慧解ともになし」 を二重に読むことにより、 結びを設けて訳しておいた。
浄土の教えを…ことになるのです この箇所の解釈は種々に分れている。 原文は、 「如来に虚妄を申しつけまゐらせられ候ふなれ」 であるが、 このなか、 「如来」 が釈尊であるのか阿弥陀仏であるのか、 そして 「虚妄 (をいう)」 の主語は何か、 の二点について見方が分れ、 次のような解釈の違いがある。

一、 釈尊が嘘いつわりをいわれたと取りざたする。

二、 阿弥陀仏が嘘いつわりをいわれたと取りざたする。

三、 釈尊に対して嘘いつわりを申しあげる。

四、 阿弥陀仏に対して嘘いつわりを申しあげる。

 本現代語訳においては、 一の解釈に従い、 「浄土の教えをお説きくださった釈尊が嘘いつわりをいわれたと申しあげておられることになるのです」 と訳しておいた。
法然上人と同じく…いただかれている方 原文は、 「おなじくご信心のひと」 であるが、 これを 「同じ信心の人々」、 「正しい信心の人」 と解釈する見方もある。 本現代語訳においては、 「法然上人と信心を同じくする人」 の意味で訳しておいた。
意外なほどに 原文は 「もってのほかに」 であるが、 これを 「とんでもないことに」 と解釈する見方もある。
今でも、 同じ念仏の道を歩む人々の間で 原文は、 「当時の一向専修のひとびとのなかにも」 であるが、 このなか、 「当時」 について、 親鸞聖人在世のころ」 とする解釈もある。
同じことの繰り返し 原文は、 「繰り言」 であるが、 この語について、 著者が歎く 「異義」 に対して用いられたものか、 異義を歎く 「著者の言葉」 に対して用いられたものか、 解釈が分れている。
今は亡き親鸞聖人が…用いておられたお聖教 原文は、 「故聖人の御こころにあひかなひて御もちゐ候ふ御聖教ども」 であるが、 このなか、 「御もちゐ候ふ御聖教ども」 について、 「親鸞聖人が用いておられた聖教」 とする解釈と、 「著者が語りかけている御同朋たちが用いている聖教」 とする解釈とがある。
くれぐれも注意して 原文は、 「かまへてかまへて」 であるが、 これを 「必ず必ず」 の意味とする解釈もある。
大切な証拠の文となる…いただいたのです 原文は、 「大切の証文ども、 少々ぬきいでまゐらせ候うて、 目やすにしてこの書に添へまゐらせて候ふなり」 であるが、 このなか、 「大切の証文」 について解釈が分れている。 主なものをあげてみると、

一、 すでに散逸して存しない。

二、 第一条から第十条までの法語に当る。

三、 すぐ後に出てくる 「弥陀の五劫思惟の願…」 と 「善悪のふたつ…」 という二文に当てる。

四、 末尾の流罪記録が散逸した証文の残欠である。

などの所説がある。 本現代語訳においては、 二の説に従って訳しておいた。
それほどに重い罪 原文は、 「それほどの業」 であるが、 諸本には、 「そくばくの業」 となっているものもある。 その場合は、 「多くの罪」 という意味である。
善いとか悪いとか 原文は、 「よしあしといふこと」 であるが、 これを 「信心が善いか悪いかということ」 の意味とする解釈もある。
といえるからである。 しかしながら 関連する部分を含めて原文を抜き出すと、

聖人の仰せには、 「善悪のふたつ、 総じてもつて存知せざるなり。 そのゆゑは、 如来の御こころに善しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、 善きをしりたるにてもあらめ、 如来の悪しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、 悪しさをしりたるにてもあらめど、 煩悩具足の凡夫、 火宅無常の世界は、 よろづのこと、 みなもつてそらごとたはごと、 まことあることなきに、 ただ念仏のみぞまことにておはします」 とこそ仰せは候ひしか。

となっている。 この親鸞聖人の仰せのなか、 「あらめど」 の 「ど」 について、 清音 「と」 とする解釈もある。 その場合、 「と」 は引用の助詞であり、 聖人の仰せは、

善悪のふたつ、 総じてもつて存知せざるなり。 そのゆゑは、 如来の御こころに善しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、 善きをしりたるにてもあらめ、 如来の悪しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、 悪しさをしりたるにてもあらめ。

と、

煩悩具足の凡夫、 火宅無常の世界は、 よろづのこと、 みなもつてそらごとたはごと、 まことあることなきに、 ただ念仏のみぞまことにておはします。

の二つがあることになる。 ¬歎異抄¼ においてこのような例は、 他に第十三条 (例1例2) にも見られる。
これまで述べてきたこと 原文は、 「このむね」 であるが、 これが親鸞聖人の法語、 すなわち第十条までを指すとする解釈もある。
これら 原文は、 「これ」 であるが、 この語が何を指しているかについて、 一般には ¬歎異抄¼ の全体を指すと解釈するが、 異義について述べた後半八条を指すとする解釈や、 親鸞聖人の法語、 すなわち第十条までを指すとする解釈もある。
今は亡き親鸞聖人が 原文は、 「古親鸞の」 であるが、 これについて、 諸本には 「いにしへ親鸞の」 とするものもある。 その場合には、 「かつて親鸞聖人が」 という意味になる。
信心の異なることがないように 原文は、 「信心異なることなからんために」 であるが、 このなか、 「信心異なる」 について、 「親鸞聖人の信心と異なっている」 と解釈する見方もある。
後鳥羽上皇の…お書きになるのである この記録は、 承元の法難における法然上人とそのお弟子方の受けた処分について書かれたものである。 承元の法難についての詳しい事情は明らかではないが、 法然上人の専修念仏の教えに対する聖道門の人たちからの非難が、 事件のきっかけとなった。
 まず、 元久元年 (1204) 十月に、 比叡山延暦寺から、 念仏停止を迫られたが、 聖人が 「しちじょう制誡せいかい」 を定められたことにより、 さわぎは一応おさまった。 しかし、 翌元久二年十月には、 南都の興福寺から、 貞慶 (1155-1213) の起草したといわれる奏状が朝廷に出され、 専修念仏の停止を訴えられた。 そこには九箇条の罪状があげられ、 仏教を滅ぼし剋果を危うくするものとして厳しく非難されている。 その九箇条の罪状とは、

一、 新宗を立つる失

一、 新像を図する失

一、 釈迦を軽んずる失

一、 万善を妨ぐる失

一、 霊神に背く失

一、 浄土に暗き失

一、 念仏を誤る失

一、 釈衆を損ずる失

一、 国土を乱る失

というものである。 この興福寺の奏状をめぐって、 朝廷では慎重な審議が続けられたが、 風紀を乱したという無実の醜聞により、 建永二年 (承元元年・1207) の一月に、 突然、 念仏の一門に対する大弾圧事件にまで発展したのである。 これを承元の法難という。
¬歎異抄¼ の古写本には、 流罪記録が付せられていないものもあり、 この記録の有無によって二系統に大別できる。 流罪記録のあるものは、 蓮如上人書写本をはじめとして、 はしのぼう旧蔵の永正十六年本、 ごうしょう本、 こうとく本などである。 なぜこの記録が付せられたのかは明らかではないが、 ¬血脈文集¼ の末尾にも、 これに似た文章が掲載されている。 また、 この承元の法難について、 親鸞聖人は ¬顕浄土真実教行証文類¼ の後序に、

ここをもつて興福寺の学徒、 太上天皇 後鳥羽の院と号す、 諱尊成 今上 土御門の院と号す、 諱為仁 聖暦、 承元丁卯の歳、 仲春上旬の候に奏達す。 主上臣下、 法に背き義に違し、 忿りを成し怨みを結ぶ。 これによりて、 真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、 罪科を考へず、 猥りがはしく死罪に坐す。 あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。 予はその一つなり。 しかればすでに僧にあらず俗にあらず。 このゆゑに禿の字をもつて姓とす。 空師ならびに弟子等、 諸方の辺州に坐して五年の居諸を経たりき。

と述べられている。
仏の教えを聞く機縁が熟していないもの 原文は、 「無宿善の機」 である。 宿善とは、 「宿世の善因縁」 ということで、 信心をうるための過去の善き因縁という意味である。 蓮如上人が ¬蓮如上人御一代記聞書¼ に、 「宿善めでたしといふはわろし、 御一流には宿善ありがたしと申すがよく候ふ」 といわれたように、 宿善の体は如来のお育てのはたらきであるとあおぐべきである。 過去の世における行いを表すのに宿業の語を用いることがあるが、 宿善はもともと、 他力の信心をえた上で、 過去をふりかえって、 仏のお育てをよろこぶ言葉である。 すなわち、 ぎゃくしん以前になしたさまざまな行善は、 そのときは自力のつもりであったが、 ふりかえってみると、 他力の仏意に気づかせるための如来のお育てであったといただくものである。 これを宿善の当相は自力だが、 その体は他力であるといいならわしている。 しかしここでいう 「無宿善の機」、 すなわち宿善のないものとは、 真剣に法を聞く気のないものや、 真宗に敵対感情を持つもののことを意味する。 そうした人々がこの書を読めば、 真宗の教えを誤解するばかりか、 おそらくは念仏を誹謗し、 重大な罪をつくることになると恐れて、 蓮如上人は ¬歎異抄¼ を書写された時に、 この一文を添えられているのである。
易行の道 阿弥陀仏の本願力によって浄土に往生してさとりを開く他力の道。 易行は難行に対する語。
果遂の願 第二十願のこと。 果遂は 「はたしとげる」 ということで、 一つには化土往生を、 二つには第十八願への転入をはたしとげることをいう。
証拠となる文 親鸞聖人はそのしょうそくの中で法然ほうねんしょうにんに言及して 「ふみ沙汰ざたしてさかさかしきひとのまゐりたるをば、 おうじょうはいかがあらんずらんとたしかにうけたまはりき」 といわれている。
証拠となる文 源信げんしんしょう¬おうじょうようしゅう¼、 および法然上人の 「しちじょう制誡せいかい」 に引く文で、 ここは 「七箇条制誡」 を指す。 もとは ¬ほうしゃくきょう¼ のにみえる文。
本願ぼこり 本願にあまえてつけあがること。
真言密教 弘法こうぼうだい空海くうかい (774-835) によって大成された日本の密教。 大日だいにち如来の法身ほっしん説法を唱え、 即身成仏を実践の目的とする。
法華一乗 ¬法華ほけきょう¼ に説く一仏乗の教え、 つまり天台の教えを指す。
四安楽の行 ¬法華経¼ に説かれる四種の行法。 身安楽行・口安楽行・意安楽行と誓願安楽行の四をいう。 身口意のはたらきにおいてあやまちを離れ、 すべての衆生をさとりに導こうという慈悲の誓願をおこすこと。
観念 精神を統一して真理または仏のすがたや功徳などをあきらかに観ずること。
三十二相八十随形好 仏の身にそなわる三十二の大きな特徴と、 八十の微細で見えにくい特徴のこと。
教典に… ¬かんぎょう¼ の真身しんしんかんに 「仏身の高さ六十万億那由他恒河沙由旬なり」 とある。
教典に… 法然上人の ¬せんじゃくしゅう¼ に 「¬大集月蔵経¼ にのたまはく、 ª大念は大仏を見、 小念は小仏を見るº」 とある。
源空 法然上人のこと。 法然は房号である。
用いておられたお聖教 ¬唯信ゆいしんしょう¼ ¬りきりきのこと¼ ¬後世ごせものがたり¼ 等を指す。
後鳥羽上皇 後鳥羽天皇 (1180-1239) は1183年に即位し、 在位十五年で譲位して上皇となった。 1221年、 ほうじょう氏追討の院宣いんぜんを下したが失敗して隠岐おきに配流された (承久の乱)。
土佐の国 現在の高知県。
七十六歳 建永けんえい二年 (じょうげん元年・1207) は法然上人七十五歳であった。
越後の国 現在の新潟県。
備後の国 現在の広島県。
伯耆の国 現在の鳥取県。
伊豆の国 現在の静岡県。
佐渡の国 現在の新潟県佐渡。
無動寺 えいざんの東塔にあった寺。
二位の法印尊長 正二位権中納言いちじょう能保よしやすの子。 ほっしょう執行となった。 法印は法印だいしょう位の略で、 僧位の最高位。
外記庁 詔勅しょうちょくの起草・上奏文の記録などをつかさどる役所。