0921◎選せん択じゃく註ちゅう解げ鈔しょう第三だいさん

  ◎第八 三心章

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一 上の章しょうには、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃ摂取せっしゅの益やくにあづかる事ことを明あかし、 又また▲当とう章しょうには、 彼かの行ぎょう者じゃは三心さんしんを具ぐするゆへに、 摂取せっしゅにもあづかり往おう生じょうをもうべしと顕あらわすなり。 「▲必」 の字じは、 此この三心さんしんを具ぐせずは往おう生じょうすべからざる義ぎを示しめす也なり。

(91)

一 ▲所引しょいんの経きょう文もんは上じょう品ぼん上生じょうしょうの文もん也なり。 文もんは上じょう品ぼん上生じょうしょうに有あれども義ぎは九く品ぼんに通つうず。 其その義ぎ ¬疏しょ¼ の▲十じゅう一門いちもんの義ぎを見みるべし。

-「▲若有衆生」 と云いうは、 念仏ねんぶつ有う縁えんの義ぎなり。 されば釈しゃくには 「▲総◗て挙↢ぐ有縁之類↡を」 と釈しゃくせり。

-「▲願生彼国者」 と云いうは、 願がん求ぐ往おう生じょうの事ことを明あかすなり。

-「▲発三種心」 と云いうは、 信心しんじんに於おいて三種さんしゅの差別しゃべつある事ことを顕あらわすなり。

-「▲一には至誠心、 二には深心、 三には廻向発願心」 と云いうは、 正まさしく三心さんしんの名なを挙あぐるなり。

-「▲具↢ する三心↡を者必◗ず生↢ず彼◗の国↡に」 と云いうは、 三心さんしんに依よりて往おう生じょうを得うる事ことを説とけり。 △此この三心さんしんは ¬大だい経きょう¼ の十じゅう八はちの願がんに説とく所ところの三信さんしんなり。 即すなわち至し誠じょう心しんは至し心しん、 深心じんしんは信しん楽ぎょう、 廻え向こう発願ほつがん心しんは欲よく生しょうなり。

-「▲言↢は南無↡と者即◗ち是 れ帰命、 亦是 れ発願廻向之義。 言↢は阿弥陀仏↡と者即◗ち是 れ其◗の行0922。 なり以↢ ての斯◗の義↡を故◗に必◗ず得↢往生↡を」 (玄義分) と云いうが如ごときは、 帰き命みょうは至し誠じょう心しん・深心じんしんの義ぎなり、 発願ほつがん廻え向こうは即すなわち廻え向こう発願ほつがん心しんなり。 されば南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつの名みょう号ごうを唱となうる中なかに願がん行ぎょう具ぐ足そくせり。

-願がん行ぎょう具ぐ足そくの体たいは即すなわち三心さんしんなり。 此この三心さんしんはたゞ南无なもの一心いっしんなり。 然者しかれば能信のうしんの心しんに於おいて初しょ中ちゅう後ごの心しんを分わかつ時とき、 三種さんしゅの心しんを立たつと云いへども、 終ついには一心いっしんなり。 所謂いわゆる真実しんじつに帰き命みょうして虚仮こけの心しん無なきは至し誠じょう心しんなり。 機きをば常じょう没もつの凡ぼん夫ぶと知しり、 法ほうは此この凡ぼん夫ぶを摂せっする真実しんじつの法ほう也なりと信しんずるは深心じんしんなり。 此この信心しんじん、 往おう生じょうの為ためなるは廻え向こう発願ほつがん心しんなり。

-三心さんしん異ことなるに似にたれども、 只ただ一種いっしゅの信心しんじんなり。

(92)

一 「▲経云◗く一者至誠心」 と云いうは、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃには三心さんしん尤もっとも肝要かんようなるが故ゆえに、 慥たしかに 「経きょうに云いわ」く と引ひき載のせらるゝなり。

(93)

一 「▲欲↠す明↣ さんと一切衆生の身口意業の所修の解行、 必◗ず須もちゐ↢  んことを真実心◗の中なか◗に作な↡  し給ふを」 と云いうは、 凡ぼん夫ぶには真実しんじつの心しんなし、 弥陀みだの因いん中ちゅうに真実しんじつ心しん中ちゅうに作なし給たまいし他た力りきの行ぎょうを信しんぜよとなり。 其その他た力りきに望のぞむれば、 信心しんじんも又また真実しんじつに成なるなり。

(94)

一 「▲貪瞋・邪偽・奸詐百端 にして悪性難↠侵や。め 事じ同↢じ蛇蝎↡。 雖 ど↠も起↢ すと三業↡を名◗て為↢す雑毒之善↡と。 亦 た名↢く虚仮◗の行↡と。 不ざ↠る名なづ↢け真実◗の業↡と也」 と云いうは、 貪瞋とんじん具ぐ足そくの衆しゅ生じょうは悪あく性しょうやめがたければ、 凡ぼん夫ぶには真実しんじつの心しん有あるべからず。 されば三業さんごうに於おいて善ぜんを修しゅすといへども、 此この0923貪嗔とんじん・邪じゃ偽ぎの心しんに修しゅすれば、 三毒さんどくをまじふるが故ゆえ◗に雑毒ぞうどくの善ぜんと云いうはれて、 行ぎょう者じゃの自じ心しんには真実しんじつの心しん無なしと云いうなり。

-「▲若◗し作↢す如↠き此◗の安心・起行↡を者 の、は 縦使たとひ苦↢励 して身心↡を、 日夜十二時◗に急走急作、 して如↠ する灸はら↢ ふが頭燃↡を者 の、は 衆すべ◗て名↢く雑毒之の善↡と。 欲ほつ↧ する廻↢ して此◗の雑毒之行↡を、 求↦生 せんと彼◗の仏◗の浄土↥に者 の、は 此◗れ必◗ず不可也」 と云いうは、 所↠云いうところの三毒さんどく雑ぞう起きの自じ力りきの善ぜんをもて、 往おう生じょうを得うることは叶かなふべからざる事ことを釈しゃくするなり。

-「▲何◗を以◗の故。に 正 しく由↧ て也と彼◗の阿弥陀仏因中◗に行↢  たまひし菩薩行↡を時、 乃至一念一刹那も、 三業◗の所修、 皆 な是 れ真実心中◗に作な↥  し給しに」 と云いうは、 三毒さんどくをまじへざる弥陀みだの因いん行ぎょうを引ひきて、 凡ぼん夫ぶはそのまゝに成じょうじがたき事ことを顕あらわす也なり。 されば上かみに云いいつるが如ごとく、 弥陀みだの真実しんじつ心しん中ちゅう◗に作なし給たまいしを用もちいて、 真実しんじつに是これに帰きすれば、 他た力りきの徳とくとして其その心こころと成なるなり。 是これ至し誠じょう心しん也なり。

-問といて云いわ、く 弥陀みだ◗の因いん行ぎょうに三毒さんどくをまじへ給たまはざりし事こと、 其その説せつありや。

-答こたえて云いわく、 ¬大だい経きょう¼ の上じょうに見みえたり。 「▲不ず↠生↢ぜ欲覚・瞋覚↡を、 不ず↠起↢さ欲想・瞋想・害想↡を、 不ず↠著↢せ色・声・香・味・触・法↡に、 忍力成就 して不ず↠計↢ら衆苦↡を、 小欲知足 にして無↢し染・恚・痴↡。 三昧寂静 にして智恵無。 なり◆無↠し有↢ こと虚偽・諂曲◗の心しむ。 和顔愛語 にして先さき↠ にして意◗を承問。す ◆勇猛精進 にして志願無↠し倦う。 むこと◆専◗ら求↢ めて清白之法↡を、 以◗て恵↢利◗す群生↡を。 ◆恭↢敬◗し三宝↡を、 奉↢事◗す師長↡に。 以↢て大荘厳↡を具↢足◗し衆行↡を、 令し↢む諸◗の衆生 をして功徳成就↡せ」◗と等ら云いへる文もん是これ也なり。

(95)

一0924 「▲↓凡所↢施為・趣求↡、する 亦 た皆 な真実也」 と云いうは、 是これも如来にょらいの因いん行ぎょう、 利他りたの徳とくあることを顕あらわすなり。 衆しゅ生じょうに施ほどこし給たまふ所ところの法ほう、 併しかしながら菩ぼ提だいに趣しゅ求ぐせしめんが為ためなりと云いうなり。

(96)

一 「▲又真実◗に有↢り二種↡。 一◗に者は自利真実、 二◗に者は利他真実」 と標ひょうして、 而しかも自利じり真実しんじつばかりを釈しゃくして利他りた真実しんじつを釈しゃくせず。 是これは利他りた真実しんじつの釈しゃくは次上つぎかみの 「↑およそ施為せい・趣しゅ求ぐするところ、 亦また皆みな真実しんじつ也なり」 と云いへる釈しゃくに当あたるが故ゆえに別べっして釈しゃくせず。

-是これ則すなわち利他りたの徳とくは仏ぶつの功く徳どくなるべし。 凡ぼん夫ぶ自じ力りきには此この徳とく有あるべからざる事ことを示しめす也なり。

(97)

一 ▲自利じり真実しんじつを釈しゃくする中なかに総別そうべつの釈しゃくあり。 総そうに於おいて二に重じゅうの釈しゃくあり、 別べつに於おいて六ろく重じゅうの釈しゃくあり。 総そうの二に重じゅうの釈しゃくと云いうは、 一には廃悪はいあくを釈しゃくし、 二には修善しゅぜんを釈しゃくす。 別べつの六ろく重じゅうの釈しゃくと云いうは、 三業さんごうに於おいて各おのおの修善しゅぜん廃悪はいあくの義ぎを釈しゃくする也なり。

-「▲一には真実心中、に 制↢捨 して自他◗の諸悪及◗び穢国等↡を、 行住坐臥想をもう↧ なり同↣く一切菩薩◗の制↢捨 するに諸悪↡を、 我 れ◗も亦 た如ごと↞  くならんと是也」 と云いうは、 総そう釈しゃくの初しょ重じゅうの釈しゃく也なり、 廃悪はいあくの義ぎ◗を釈しゃくす。

-「◆二 には真実心中、に 勤↢修◗す自他凡聖等◗の善↡を」 と云いうは、 第だい二に重じゅうの釈しゃくなり、 修善しゅぜんの義ぎを釈しゃくす。

-「◆真実心中の口業◗に讃↢嘆◗す彼阿弥陀仏及◗び依正二報↡を」 と云いうは、 別べっ釈しゃくの初しょ重じゅうの釈しゃくなり、 修善しゅぜんの義ぎを釈しゃくす、 又また欣ごん求ぐの義ぎなり。

-「◆又 た真実心中の口業毀↢厭◗す三界・六道等◗の自他◗の依正二報苦悪之事↡を」 と云いうは、 同おなじき第だい二に重じゅうの釈しゃくなり、 廃悪はいあくの義ぎを釈しゃくす、 又また厭えん離りの義ぎ也なり。

-「◆亦讃↢嘆◗す一切衆生の三業所為◗の善↡を。 非0925↢ ずは善業↡に者敬つゝし んで而遠とをざか↠れ之、 亦不↢れ随喜↡せ」 と云いうは、 今いまの廃悪はいあく修善しゅぜんの義ぎを重かさねて述のぶる也なり。 所謂いわゆる上かみには自じ身しんに於おいて是これを釈しゃくし、 今いまは他た人にんに於おいて是これを釈しゃくするなり。

-「◆又真実心中◗の身業◗に合掌礼敬、し 四事等 もて供↢養◗す彼◗の阿弥陀仏及◗び依正二報↡を」 と云いうは、 第だい三さん重じゅうの釈しゃくなり、 修善しゅぜんの義ぎを釈しゃくす、 又また欣ごん求ぐの義ぎ也なり。

-「◆又真実心中◗の身業◗に軽↢慢厭↣捨◗す此◗の生死三界等◗の自他依正二報↡を」 と云いうは、 第だい四し重じゅうの釈しゃくなり、 廃悪はいあくの義ぎを釈しゃくす、 又また厭えん離りの義ぎなり。

-「◆又真実心中◗の意業◗に思↢想観↣察憶↤念 して彼阿弥陀仏及◗び依正二報↡を、 如↠ くにす現↢ ずるが目◗の前 へ↡に」 と云いうは、 第だい五ご重じゅうの釈しゃくなり、 修善しゅぜんの義ぎを釈しゃくす、 又また欣ごん求ぐの義ぎ也なり。

-「◆又真実心中◗の意業◗に軽↢賎厭↣捨◗す此◗の生死三界等◗の自他の依正二報↡を」 と云いうは、 第だい六ろく重じゅうの釈しゃくなり、 廃悪はいあくの義ぎを釈しゃくす、 又また厭えん離りの義ぎ也なり。

-「◆不善◗の三業 をば必◗ず須もちゐ↢よ真実心中◗に捨す。   てたまひしを若◗し起↢ さば善◗の三業↡を者、 必◗ず須もちゐ↢て真実心中◗に作な↡、  したまひしを不↠簡↢ば内外明闇↡を、 皆 な須↢る真実↡を。 故◗に名↢至誠心↡」 と云いうは、 総そうじて三業さんごうに渡わたりて廃悪はいあく修善しゅぜんの義ぎを釈しゃくし、 至し誠じょう心しんの相そうを結けっするなり。

(98)

一 「▲二者深心。 ◆言深心者則◗ち是 れ深信之心也」 と云いうは、 決けつ定じょうの信心しんじんの相そうを顕あらわす也なり。 故ゆえに此この心こころを釈しゃくする重々じゅうじゅうの釈しゃくに、 皆みな 「決けつ定じょう」 の言ことばを置おく也なり。

-是これに依よりて下しもの釈しゃくにも 「▲又深心深信◗と者は、 決定建↢立 して自心↡を、 順↠教修行、し 永◗く除↢ きて疑錯↡を、 不ず↧為↢に一切別解・別行・異学・異見・異執↡之、 所ら↦れ退失傾動↥せ」 と云いへり。

-「◆亦有↢り二種↡」 と云いうは、 機き法ほう二に種しゅの信心しんじん也なり0926。

-則すなわち 「◆一者決定深↢信◗す自身◗は現◗に是 れ罪悪生死◗の凡夫、 曠劫 より已来かた常◗に没◗し常◗に流転、 して無↟ しと有↢ こと出離之縁↡」 と云いうは、 自じ身しんの機き分ぶんを信しんずる心こころなり。 「常じょう没もつ」 と云いうは、 常つねに三さん塗ずに沈没ちんもつする也なり。 「常じょう流る転てん」 と云いうは、 常つねに六道ろくどうに輪りん廻ねする也なり。 地じ獄ごく・鬼き・畜ちくに趣おもむくと、 人天にんでんに生しょうずると、 少すこしの勝しょう劣れつにして有あれども、 但ただ流る転てんの報ほうなるが故ゆえに、 出しゅつ離りの縁えんなき身みと深信じんしんする也なり。

-「◆二◗に者は決定 して深↧信◗す彼阿弥陀仏、 四し十じゅう八はち願がん をもて摂↢受 して衆生↡を、 無↠疑◗ひ无↠く慮 ぱかり乗↢ じて彼◗の願力↡に定 め◗て得↦往生↥を」 と云いうは、 如来にょらいの願力がんりきを信しんずる心こころなり。 如此かくのごとく出しゅつ離りの縁えんなき衆しゅ生じょうを済さい度どし給たまうは此この仏ぶつの悲ひ願がんのみなりと、 一分いちぶんの疑ぎ慮りょも無なく信しんずるなり。

(99)

一 「▲又 た決定 して深↣信◗す釈迦仏説↢て此◗の 観かん経ぎょう◗の三福・九品・定散二善↡を、 証↢讃 して彼◗の仏◗の依正二報↡を、 ↓使し↦  めたまふと人◗を欣慕↥せ」 と云いうは、 上かみは ¬大だい経きょう¼ に於おいて弥陀みだの悲ひ願がんを信しんじ、 今いまは ¬観かん経ぎょう¼ に付つきて釈しゃ迦かの所説しょせつを信しんずる心こころなり。

(100)

一 「▲又 た決定 して深↣信◗す弥陀経◗の中、に 十方恒沙◗の諸仏証しよう↢勧くわん したまへりと一切◗の凡ぼん夫ぶ、 決定 して得↟と生 ずることを」 と云いうは、 ¬弥陀みだ経きょう¼ に依よりて諸仏しょぶつの証誠しょうじょうの虚むなしからざる事ことを信しんずるなり。

-問といて云いわ、く 今いま云いう所ところの深心じんしんと云いうは、 弥陀みだの一法いっぽうに於おいて深信じんしんする心こころなり。 而しかるに、 釈しゃ迦か及および諸仏しょぶつに亘わたりて深信じんしんすと云いうは、 弥陀みだに帰き命みょうする専心せんしんの信心しんじんにあらず、 如何いかん。

-答こたえて云いわ、く 弥陀みだを信しんずるは正まさしく所信しょしんの法体ほったいなり。 無有むう出しゅつ離り之し縁えんの機き、 此この願力がんりきにあらずは往おう生じょうすべ0927からずと信しんずる心こころ也なり。

-今いま釈しゃく尊そんは能説のうせつの教きょう主しゅとして↑使し人にん欣ごん慕ぼの益やくを施ほどこし給たまう事ことを信しんじ、 諸仏しょぶつは舌相ぜっそうをのべて証誠しょうじょうし給たまふことを信しんずるは、 皆みな弥陀みだを信しんずる心こころに帰きす。

-是これ則すなわち釈しゃく尊そんの所説しょせつに、 弥陀みだを讃嘆さんだんし給たまうことの慇懃おんごんなるを聞ききても、 愈いよいよ弥陀みだを信しんずる心こころ深ふかく、 諸仏しょぶつの同心どうしんに往おう生じょうの実まことなる事ことを証誠しょうじょうするを思おもうにも、 益ますます弥陀みだに帰きする心こころ深ふかきが故ゆえに、 釈しゃ迦か・諸仏しょぶつを信しんずるは弥陀みだに帰きする一心いっしんを本ほんとする也なり。

(101)

一 「▲又 た深心◗と者、 仰◗ぎ願 はくは一切◗の行者等とう、 一心◗に↓唯たゞ信↢ じて仏語↡を不ず↠顧↢み身命↡を決定依行、 して↓仏◗の遣し↠  めたまふ捨◗て者もの をば即◗ち捨、て ↓仏◗の遣↠ たまふ行◗ぜ者もの をば即◗ち行、じ ↓仏◗の遣↠ たまふ去ゆ◗か処◗に即◗ち去ゆ。け 是 れ◗を名↧く↓随↢順◗し仏教↡に↓随↦順 すと仏意↥に、 是◗を名↣く↓随↢順 すと仏願↡に。 是◗を↓名↢く真◗の仏弟子↡と」 と云いうは、 上かみに弥陀みだの本願ほんがん、 釈しゃ迦かの所説しょせつ、 諸仏しょぶつの証誠しょうじょうに於おいて深信じんしんすべき事ことを釈しゃくして、 今いま重かさねて其その深信じんしんの相そうを広こうするなり。

-「↑唯信仏語」 と云いうは、 釈しゃ迦かの説せつを信しんぜよと云いうなり。 此この仏ぶつ語ごに付つきて総別そうべつあり。

-総そうと云いうは、 五ご種しゅの説せつの中なかに仏ぶつ語ごを信しんぜよと也なり。 五ご種しゅの説せつと云いうは、 一には仏説ぶっせつ、 二には聖しょう弟子でし説せつ、 三には天仙てんせんの説せつ、 四には鬼き神じん説せつ、 五には変へん化げ説せつ也なり。

-別べつと云いうは名みょう号ごうなり。 何なにを以もてか知しるとならば、 ¬観かん経ぎょう¼ の流る通ずうに、 「▲持↢ てと是◗の語↡を者 ふ、は 即◗ち是 れ持↢ てと也無量寿仏◗の名↡を」 と説とくが故ゆえなり。

-「↑仏◗の遣↠ たまふ捨◗て者もの をば即◗ち捨◗よ」 と云いうは仏ぶつは釈しゃく尊そん也なり。 遣捨者すてしめたまうものは定じょう散さん也なり、 捨すてゝ付ふ属ぞくせざるが故ゆえなり。

-「↑仏◗の遣↠ たまふ をば行者即◗ち行 ぜよ」 と云いうは念仏ねんぶつ也なり、 釈しゃく尊そん凡ぼん地じの本ほん行ぎょうなるが故ゆえ0928也なり。 ¬弥陀みだ経きょう¼ に 「▲行↢ じて此◗の難事↡、 得う↢阿耨多羅三藐三菩提↡を」 と云いへる其その文もん也なり。

-「↑仏遣去処 には即去」 と云いうは、 是これ撥遣はっけんの意こころなり。 撥遣はっけんと云いうは、 娑しゃ婆ばを捨すて西方さいほうに指し向こうせしめ給たまう義ぎなり。

-「↑随順仏教」 と云いうは、 釈しゃ迦かの教きょうに随したがへとなり。 「↑随順仏意」 と云いうは、 仏ぶっ教きょうに順じゅんずれば仏ぶつ意いにも順じゅんずとなり。 是これも正まさしくは釈しゃ迦かの仏ぶつ意いに順じゅんずるなり、 兼かねては弥陀みだの仏ぶつ意いにも通つうずべし。 「↑随順仏願」 と云いうは、 弥陀みだの本願ほんがんに随したがへとなり。

-「↑名↢く真仏弟子↡と」 と云いうは、 釈しゃく尊そんの真しんの弟子でしなり。 「▲若◗し是 れ釈しゃ迦かの真◗の弟子、 ならば誓 ひて行↢ じて仏語↡を生↢ ぜよ安楽↡に」 (般舟讃) と云いへる此この意こころなり。

(102)

一 「▲又 た一切◗の行者↓但能◗く依↢て此◗の経↡に深信 する行者、 必◗ず不ず↠悞あやま↢た衆生↡を也」 と云いうは、 上かみに 「唯信仏語」 と云いいつるは四し種しゅの説せつを嫌きらい、て 仏説ぶっせつを取とれと云いう義ぎにては、 此この ¬経きょう¼ は仏ぶつの自じ説せつなれば深信じんしんせよと云いうなり。

-又また上かみの仏ぶつ語ごは別べっして論ろんずれば、 持じ無む量りょう寿じゅ仏ぶつ名みょうの一法いっぽうなりと意こころ得えつれば、 其その義ぎにては 「↑但ただ能よく此この経きょう◗に依よれ」 と云いうは、 念仏ねんぶつを深信じんしんせよと云いうなり。 念仏ねんぶつを深信じんしんするものは、 衆しゅ生じょうをあやまたずと云いう也なり。

(103)

一 「▲何◗を以 ての故。に 仏◗は是 れ満足大悲◗の人 なるが故◗に」 と云いうより 「不ず↠可↧ から信↢用 して菩薩等◗の不相応◗の教↡を、 以◗て抱惑はうわく自じ迷めい、し 廃↦失◗す往生之大益↥を▲」 と云いうに至いたるまでは、 正まさしく仏説ぶっせつの了経りょうきょうに依よりて、 菩ぼ薩さつ等とうの不ふ了教りょうきょうに依よるべからざるゆへを判はんず。

-其その中なかに 「▲仏ぶつは是これ満足まんぞく大悲だいひの人にん故なるがゆえに」 と云いうは、 大だい悲ひ0929は仏ぶつの不共ふぐの徳とくなるが故ゆえに、 真実しんじつの大だい悲ひをば仏ぶつのみ具ぐし給たまへるなり。 不共ふぐの徳とくと云いうは、 菩ぼ薩さつも慈悲じひを具ぐすれども、 仏ぶつの大だい悲ひには不及およばざるなり。

-「▲実語故」 と云いうは、 是これも菩ぼ薩さつ・二に乗じょう等らも、 聖しょう者じゃの語ごはいづれも虚こ妄もうならずと云いへども、 猶なお仏ぶつ語ごを以もて真実しんじつとするが故ゆえに如此かくのごとく云いう也なり。 「序分じょぶん義ぎ」 の釈しゃくに 「▲言◗は↢仏語↡と者、 此 れ明↧す如来◗は曠劫◗に已◗に除↢く口過↡を、 随◗て有↢ れば言説↡に一切◗の聞者◗の自然◗に生↞ ことを信◗を」 と云いへる此この意こころなり。

-「▲除↠ きて仏◗を已還◗は智行未↠だ満◗ぜ」 と云いうは、 菩ぼ薩さつ・二に乗じょうにも、 分々ぶんぶんに自じ乗じょうの位くらいに於おいて智ち行ぎょうの満まん・未み満まんは有あるべけれども、 究く竟きょうの満まんと云いう時ときは、 仏ぶつのみ満みたし給たまへりと云いう也なり。

-「▲在↢と其◗の学地◗に」 と云いうは、 是これも二に乗じょうの道どう位い、 皆みな有う学がく・无む学がくの位くらいあれども、 円満えんまん至し極ごくの無む学がくの位くらいは仏ぶつなり、 菩ぼ薩さつ・声しょう聞もん等とうは皆みな有う学がくの位くらいなりと云いう也なり。 「学がく地じ」 と云いうは有う学がくの位くらい也なり。

-「▲由↧る有↢正習二障↡未↞だ ザ ル除のぞこ◗ら」 と云いうは、 煩悩ぼんのうなり。 「正しょう」 と云いうは正しょう使じ也なり、 「習じゅう」 と云いうは習じっ気けなり。 是これも三さん乗じょうを対たい比ひするに、 声しょう聞もんを縁覚えんがくに比ひすれば、 声しょう聞もんは正しょう使じを断だんじ、 縁覚えんがくは習じっ気けを断だんず。 二に乗じょうを菩ぼ薩さつに対たいすれば、 声しょう聞もん・縁覚えんがくはともに正しょう使じを断だんじ、 菩ぼ薩さつは習じっ気けを断だんず。 されば各おのおの分々ぶんぶんに正習しょうじゅうを断だんずれども、 仏ぶつに対たいする時ときは、 三さん乗じょうみな正習しょうじゅう二に障しょうを尽つくさずと云いうなり。

-「▲果願未 ズ ↠だ円 かなら」 と云いうは、 三さん乗じょうの聖しょう者じゃは未いまだ極ごっ果かに至いたらず、 果か願がん未いま↠だ円まどかならざるなり。 四弘しぐ誓願ぜいがん未いまだ満まんせざれば、 願がん未いまだ円まどかならざるなり。

-已下いげの文言もんごん、 その意こころ見みやすし。

(104)

一0930 「▲又 た深心◗は深信◗と者は、 決定 して↓建↢立 して自心↡を、 ↓順↠ じて教修行、し 永◗く除↢ きて疑錯↡を不ず↧為↢に一切別解・別行・異学・異見・異執↡の之、 所ら↦れ退失傾動↥せ也」 と云いうは、 上かみに仏ぶつ語ごを信しんじて菩ぼ薩さつ等とうの説せつを用もちいるべからざる義ぎを釈しゃくして、 今いま重かさねて深信じんしんの義ぎを釈成しゃくじょうす。

-所謂いわゆる 「↑建↢立◗す自心↡を」 と云いうは、 仏ぶつ語ごに随したがいて疑ぎ心しんなきを云いう也なり。 則すなわち 「↑順↢ じて教◗に修行◗し永◗く除↢て疑錯↡を」 と云いへる是これ也なり。 如此かくのごとく自じ身しんを建こん立りゅうしぬれば、 別べつ解げ・別べつ行ぎょう等らの為ために退動たいどうせられずとなり。 是これ則すなわち深信じんしんの義ぎなり。

(105)

一 「▲問◗て曰◗く」 と云いうより下しも 「此 れ◗を名↢ くと就↠ きて人◗に立↟と信◗を也▲」 と云いうに至いたるまでに、 四し重じゅうの問答もんどうの意こころあり。 其その中なか、 今いまは初しょ重じゅうなり。 則すなわち解げ行ぎょう不ふ同どうの人ひとありて難なんを加くわへしとき、 答こたうべき様ようを判はんぜり。 是これは凡ぼん夫ぶの難なんを対たい治じするなり。 凡ぼん夫ぶの中なかに智ち人にんありて、 多おおく経きょう論ろんを引ひきて難なん破ぱせば、 如何いかんが彼かの難なん◗を防ふせがんと也なり。

-答こたえの意こころは四し種しゅの別べつ異いを以もて答こたへよと也なり。 今いまの釈しゃくに 「▲仏説↢ たまふ彼か◗の経↡を時、↓処別、↓時別、↓対機別、↓利益別なり」 と云いう是これ也なり。

-「↑処別」 と云いう、は 聖しょう道どうの諸しょ経きょうは多おおく耆ぎ闍しゃ崛山くっせん・祇ぎ園おん精しょう舎じゃ等ろうの寺てらにして是これを説とき給たまう。 今いまの ¬観かん経ぎょう¼ は王おう宮ぐにして是これを説とき給たまふ。 在ざい家け・出しゅっ家け各別かくべつなるが故ゆえに、 処別しょべつと云いう也なり。

-「↑時別」 と云いうは、 諸しょ教きょうは善ぜん時じ◗に説とき給たまう、 此この ¬経きょう¼ は逆ぎゃく時じに説とき給たまう。 逆ぎゃく時じと云いうは、 五ご逆ぎゃくの起おこる時ときなり。 善悪ぜんあくの時とき各別かくべつなるが故ゆえに、 時じ別べつと云いうなり。

-「↑対機別」 と云いうは、 諸しょ教きょうは三さん乗じょうに対たいして説とき給たまふ。 ¬観かん経ぎょう0931¼ は韋い提だい及および未み来らい世せの凡ぼん夫ぶの為ために説とき給たまふ。 凡ぼん聖しょう各別かくべつなるが故ゆえに、 対たい機き別べつと云いう也なり。

-「↑利益別」 と云いうは、 諸しょ経きょうは直じき至し成じょう仏ぶつの門もんを説とき給たまう、 此この ¬経きょう¼ は往おう生じょう浄じょう土どの道どうを説とき給たまう。 依え正しょうの所しょ求ぐ各別かくべつなるが故ゆえ、 利り益やく別べつと云いう也なり。 是これを四し種しゅの別べつ意いと名なづく。 如此かくのごとき条々じょうじょう各別かくべつの道どう理りある上うえは、 彼かれを以もて此これを難なんずべからず。 各おのおの有う縁えんの教きょうに依よりて修しゅ行ぎょうせば、 互たがいに利り益やくあるべしと也なり。

-「▲又行者更 ら◗に向 ひて言。へ 仁汝なんぢ善◗く聴。け 我 れ今 ま為↠に汝 ぢ◗が為◗に更◗に説↢ かん決定信◗の相↡を。 縦使たとひ地前◗の菩ぼ薩さつ・羅漢・辟支等」 と云いう已下いげは、 第だい二に重じゅうの問答もんどうなり。 三さん乗じょうの聖しょう者じゃを難者なんじゃとして其その難なんをも用もちいざれとなり。

-「羅漢」 は声しょう聞もんなり、 「辟支」 は縁覚えんがくなり、 「菩薩」 は地じ前ぜんの菩ぼ薩さつなり。 是これ三さん乗じょうなり。

-「▲又行者善◗く聴。け 縦使たとひ初地已上十地已来」 と云いう已下いげは、 第三だいさん重じゅうの問答もんどうなり。 是これは地じ上じょうの菩ぼ薩さつを難者なんじゃとして、 其それにも妨さまたげらるべからずと云いうなり。

-「▲又 た置↢く此事じ↡。をば 行者当↠に ベ シ知。る 縦使たとひ化仏・報仏」 と云いう已下いげは、 第だい四し重じゅうの問答もんどうなり。 是これは報ほう化けの諸仏しょぶつを難者なんじゃとして、 其それにも傾きょう動どうすべからざる義ぎを成じょうずるなり。

-此この四し重じゅうの中なかに、 初はじめの三さん重じゅうはみな因いん位になれば、 仏説ぶっせつに違いせば信しんずべからざる事こと、 其その謂いいあり。 第だい四し重じゅうは仏ぶつを以もて難者なんじゃとするが故ゆえに、 両りょう方ほう彼かれ此これ用捨ようしゃあるべからずと云いへども、 諸仏しょぶつ◗の願がん行ぎょう同おなじければ、 実じつの仏ぶつならば我わが所信しんずるところの仏説ぶっせつに違いすべからざる道どう理りに依よりて、 是これを信しんずべからずと云いう也なり。

-されば四し重じゅうの問答もんどうの中なかに、 初はじめの三さん重じゅうには難なん破ぱを受うけざるに0932付つきて、 次し第だいに深ふかく信心しんじんを増ぞう長じょうする義ぎを釈しゃくし、 第だい四し重じゅうには諸仏しょぶつの所説しょせつに相そう違いすべからざる義ぎに於おいて、 妨難ぼうなんの仏ぶつをば不ふ実じつと云いひ、 所説しょせつの仏説ぶっせつに於おいて疑うたがいを生しょうぜざるが故ゆえに 「▲畢竟 じて不じ↠起↢さ一念疑退心↡を」 と云いう也なり。

-「▲何なにを以もっての故ゆえに。 一仏いちぶつは一切いっさい仏ぶつ なれば」 と云いうは、 諸仏しょぶつ則すなわち一仏いちぶつなる事ことは ¬華け厳ごん経ぎょう¼ (晋訳巻五明難品意唐訳巻一三問明品意) に見みえたり。 「一切いっさい諸仏しょぶつの身しんは、 即すなわち是これ一仏いちぶつの身しん、 一心いっしん・一いち智恵ちえ・力りき・無畏むいも亦また然しかなり」 と云いへる是これ也なり。

-「▲如↢ きは前仏◗の制断↡の、 殺生・十悪等◗の罪つみ、 畢竟 じて不ず↠犯◗ぜ不ず↠行◗ぜ者、 即◗ち名↢く十善・十行↡と。 随↢順六度之義↡に。 若◗し有↢ りて後仏↡出世、 して豈可↧ けんや改↢ めて前◗の十善↡を令↞む行↢ぜ十悪↡を也」 と云いうは、 遮悪しゃあく・持じ善ぜんは七仏しちぶつの通戒つうかいなるが故ゆえに、 前仏ぜんぶつ・後ご仏ぶつの所制しょせいに違いすべからずと云いうなり。 是これ則すなわち念仏ねんぶつ往おう生じょうの得とく否ひにも諸仏しょぶつの言ことばは同おなじかるべし、 例れい知ちせんが為ため也なり。

-▲¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ を引ひくに取とりて文もんを分わかちて二に段だんとせり。 初はじめには釈しゃ迦かの所説しょせつに弥陀みだを念ねんじて往おう生じょうすとの給たまえるを引ひきて、 後のちは諸仏しょぶつ此この事ことを証誠しょうじょうし給たまう事ことを引ひくは、 彼此ひしの諸仏しょぶつの説せつ、 違い失しつせざる事ことを顕あらわして、 此この外ほかに何いかなる仏ぶつありて釈しゃ迦かの説せつは虚こ妄もうなりと説とき給たまうべきぞと云いうはんが為ため也なり。

-「▲此◗を名↢く就↠人立↟と信◗を也」 と云いうは、 上かみより以来このかた、 弥陀みだの本願ほんがんに帰きし、 釈しゃ迦かの所説しょせつを信しんじ、 諸仏しょぶつの証誠しょうじょうを仰あおぎつるは、 皆みな仏説ぶっせつを信しんずる也なり。 是これを妨さまたげつる凡ぼん聖しょうの説せつをば、 更さらに信しんぜずして自じ心しん◗を建こん立りゅうし、 弥いよいよ信心しんじんを増ぞう長じょうするは、 就人じゅにん立信りっしん也なりと信しんずる也なり。 「人にん」 と云いうは、 説人せつにんを信しんずる意こころなり。

(106)

一0933 「▲次◗に就↠て行◗に立↠と信◗を者は、 然◗も行◗に有↢り二に種しゅ↡。 一には正行、 二には雑行なり」 と云いうは、 深信じんしんに付つきて就人じゅにん立信りっしん、 就じゅ行ぎょう立信りっしんの二ふたつのこゝろあり。 就人じゅにん立信りっしんは上かみに云いうがごとし。

-就じゅ行ぎょう立信りっしんと云いうは、 往おう生じょうの行ぎょうに付つきて正行しょうぎょう・雑ぞう行ぎょうを分別ふんべつして、 其その中なかに雑ぞう行ぎょうを捨すてゝ正行しょうぎょうに帰きし、 助業じょごうを傍かたわらにして正しょう業ごうを専もっぱらにする、 就じゅ行ぎょう立信りっしんと云いう也なり。

(107)

一 註ちゅうに 「▲如↠き前◗の二行◗の之中◗に所↠引◗く」 と云いうは、 ▲第だい二にの正しょう雑ぞう二に行ぎょうの章しょうに引ひきしを指さす也なり。

(108)

一 「▲三者回向発願心」 と云いうより 「亦◗は名↢く廻向↡と也▲」 と云いうに至いたるまでは、 廻え向こう発願ほつがん心しんの釈しゃくなり。 此このなかに三種さんしゅの釈しゃくあり。

-「▲言↢は廻向発願心↡と者、 過去及以および今生の身口意業◗に所↠の↠修 する世・出世◗の善根、 及◗び随↢喜 して他◗の一切◗の凡聖◗の身口意業◗の所修◗の世・出世◗の善根↡を、 以↢て此◗の自他所修◗の善根↡を、 悉◗く皆 な真実◗の深信◗の心しむ中ちう◗に廻向、 して願↠ず生↢ ぜんと彼◗の国。に 故 へ◗に名↢廻向発願心↡と也」 といふは、 初しょ重じゅうの釈しゃくなり。 是これは廻え因いん向こう果かの廻え向こうなり。 所謂いわゆる自他じた・凡ぼん聖しょうの一切いっさいの善根ぜんごんを以もて浄じょう土どに廻え向こうして、 かの土どに生しょうぜんと願がんずるなり。

-「▲又 た廻向発願 して生 ずといふ者は、 必◗ず須↢ ゐて決定 して真実心中◗に廻向 したまへる願↡を、 作↢す得生◗の想さう↡を」 といふより 「常◗に作な↢し此◗の願↡を常◗に作↢せ此◗の想 もひ。を 故◗に名↢く廻向発願心↡と▲」 と云いうに至いたるまで七しち十じゅう余よ行ぎょうは、 第だい二に重じゅうの釈しゃくなり。 これは廻思えし向道こうどうの廻え向こうなり。 これは諸しょ行ぎょうを廻えして願力がんりきの道どうに向むかうなり。

-「▲又 た言↢は廻向↡と者、 生↢じ彼◗の国↡に已、 はりて還◗て起↢ して大悲↡を、 廻↢入 して正使↡に教↢化 するを衆生↡を亦 た名↢く廻向↡と也」 と云いうは、 廻え入にゅう向こう利りの廻え向こうなり。

(109)

一0934 「▲此◗の心深信 せること由なを◗し若↢ して金剛↡の」 といふは、 念仏ねんぶつの信心しんじんをさして金剛こんごうにたとふるなり。

-金剛こんごうに二ふたつの徳とくあり。 一には体たい堅けん固ごなり。 二には用ゆう利りなり。 体たい堅けん固ごなるがゆへに、 一切いっさいのために破はせられず。 用ゆう利りなるがゆへに、 一切いっさいをくだくなり。

-されば一切いっさいの異い見けん・異い学がくのために破壊はえせられざるは、 信心しんじんの体たいの堅けん固ごなるがゆへなり。 この信心しんじんによりて横おう超ちょう断だん四流しるの益やくをうるは、 用ゆうの利りなるがゆへなり。

-故ゆえに金剛こんごうをたとへとするなり。

(110)

一 「▲問◗て曰、く 若◗し有↢ りて解行不同◗の邪雑◗の人等 う来 りて相◗ひ惑乱、し 或◗は説↢く種々◗の疑難↡を。 噵↠不↠得↢往生↡を」◗と等ら云いうは、 衆しゅ生じょうの悪あくは曠劫こうごう◗より已来このかた久ひさしく積重しゃくじゅう◗して極きわめて重おもし。 念仏ねんぶつの修しゅ行ぎょうはわづかに一いっ生しょうなり。 能のう治じ・所しょ治じ相応そうおうせず。 いかでか滅罪めつざいしてたやすく往おう生じょうを得えんやと問とうなり。

-「▲十悪」 と云いうは、 一には殺せっ生しょう、 二には偸ちゅう盗とう、 三には邪淫じゃいん、 此この三みつは身業しんごうの悪あくなり。 四には妄もう語ご、 五には綺語きご、 六には悪あっ口く、 七には両りょう舌ぜつ、 此この四よつは口く業ごうの悪あくなり。 八には貪欲とんよく、 九には瞋しん恚に、 十には愚痴ぐち、 此この三みつは意い業ごうの悪あくなり。

-「▲五逆」 と云いうは、 一には殺せっ父ぷ、 二には殺せつ母も、 三には殺せつ羅ら漢かん、 四には破は和わ合僧ごうそう、 五には出しゅつ仏身ぶっしん血けつなり。

-「▲四重」 と云いうは、 十じゅう悪あくの中なかの初はじめの四よつを取とるなり。 所謂いわゆる殺せっ生しょう・偸ちゅう盗とう・邪淫じゃいん・妄もう語ごなり。 十じゅうの中なかに此この四よつことに重おもきがゆへに、 四し重じゅうと云いうなり。

-「▲謗法」 と云いうは、 仏法ぶっぽうを誹ひ謗ほうするなり。 「▲闡0935提」 と云いうは、 断善だんぜんの類たぐいなり。

-「▲破戒」 と云いうは、 受じゅ持じして後のちに破はすなり。 「▲破見」 と云いうは、 正しょう見けんを破はするなり。 是これ邪見じゃけんなり。

-此これ等らの罪つみは、 三界さんがい悪道あくどうに堕だする業ごうなり。 一いっ生しょう修福しゅふくの念仏ねんぶつ、 彼かれ等らの重じゅう罪ざいを滅めっすべからずと難なんずるなり。

-是これを答こたうるに水すい火か等とうの喩たとえを出いだし、 待対たいたいの法ほうなほし如此かくのごとしと対たい比ひして、 「▲何 か◗に況◗や仏法不思議◗の力豈◗に無↢ らんや種々益↡也」 と云いうは、 滅罪めつざいの有无うむには心こころを懸かくべからず、 たゞ仏法ぶっぽうの不ふ思議しぎ力りきにて往おう生じょうすと信しんずべき義ぎを顕あらわすなり。

-是これ則すなわち不ふ断だん煩悩ぼんのう得とく涅ね槃はん分ぶんなるが故ゆえに、 罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶながら報ほう土ど無む生しょうの益やくをうる上うえは、 滅罪めつざいして往おう生じょうせんと思おもうは猶なお是これ自じ力りきなり。 有う罪ざい・無む罪ざい・軽重きょうじゅう罪ざいを論ろんぜず、 即得そくとく往おう生じょうの益やくを得うる事ことは、 偏ひとえに他た力りきの引ひく所ところなり。 行ぎょう者じゃの計はからいにあらざる事ことを示しめす也なり。

(111)

一 「▲随 ひて出↢ づれば一門↡を者、 則◗ち出↢づ一煩悩◗の門↡を也なり。 随◗て入↢ れば一門↡に者、 則◗ち入↢る一解脱智恵◗の門↡に也」 と云いうは、 八万はちまん四し千せんの法門ほうもんは、 八万はちまん四し千せんの塵労じんろう門もんを治じせんが為ためなれば、 一いち煩悩ぼんのうの門もんを出いづるは、 一いち解げ脱だつ智恵ちえ門もんに入いるなりと云いう意こころなり。 何いずれも機きに随したがて、 其その益やく有あるべき事ことを顕あらわすなり。

(112)

一 「▲若◗し欲↠ はゞ学↠ せんと解、を 従↠り凡至 た↠り聖、に 乃至仏果、 まで一切無礙皆 な得↠よ学 する事を也。 若◗し欲↠ はゞ学↠ せんと行◗を者必◗ず藉よ↢れ有縁之法↡に」 と云いうは、 智解ちげを得えんと思おもはゞ、 広ひろく一切いっさいの仏法ぶっぽうを学がくせよ。 行ぎょう業ごうを0936修しゅせんと思おもわば、 所しょ楽ぎょうに随したがいて有う縁えんの行ぎょうを修しゅせよと云いうなり。

-「▲少用功労多得益」 と云いうは、 念仏ねんぶつの益やくを挙あぐる也なり。 是これ則すなわち ¬礼讃らいさん¼ に 「▲上 み在↢て一形↡に似↢如 れども少苦↡に、 前念◗に命終◗し後念◗に則◗ち生↢ず彼国↡に。 長時永劫受↢無為◗の法楽↡を。 乃至成仏 まで不ず↠逕へ↢生死↡を。 豈非↠快たのしみ◗に也」 と云いう意こころ也なり。

(113)

一 「▲又 た白↢す一切◗の往生人にん等とう。に 今 ま更 ら◗に め↢に行者↡の説↢ かん一◗の譬喩↡を」 と云いうよりは、 二河にがの譬喩ひゆなり。 又または守しゅ護ご心しんの釈しゃくと云いう、 「▲守↢護◗し信心↡を、 以◗て防ふせ↢ がん外邪異見之難↡を」 と云いうが故ゆえなり。 譬たとえの意こころ見みるべし。

(114)

一 合ごう喩ゆの中なかに、 「▲六根」 と云いうは、 眼げん・耳に・鼻び・舌ぜつ・身しん・意いなり。

-「▲六識」 と云いうは、 則すなわち此この六根ろっこんに具ぐする所ところの識しきなり。 所謂いわゆる眼識げんしき・耳に識しき・鼻び識しき・舌識ぜっしき・身識しんしき・意い識しきなり。 六根ろっこんを以もて六塵ろくじんに対たいする時とき、 六根ろっこんに随したがいて境きょうを分別ふんべつする識しきなり。

-「▲六塵」 と云いうは、 色しき・声しょう・香こう・味み・触そく・法ほうなり。 上かみの六根ろっこん・六識ろくしきが縁えんずる所ところの境きょうなり。 故ゆえに又または六ろっ境きょうと云いう也なり。

-「▲五陰」 と云いうは、 色しき・受じゅ・想そう・行ぎょう・識しきなり。 色しきと云いうは、 上かみの六根ろっこん・六ろっ境きょう等とうなり。 受じゅと云いうは、 苦く・楽らく・捨しゃの三受さんじゅなり。 想そうと云いうは、 男女なんにょ・長じょう短たん等とうの相そうを分別ふんべつする想そうなり。 行ぎょうと云いうは、 四し陰おんを除のぞきて外ほかの一切いっさいの有う縁えんの諸法しょほうなり。 識しきと云いうは、 心王しんのうなり。 此この五ご陰おんをば又または五ご薀うんと云いう、 聚じゅ集じゅうの義ぎ也なり。

-「▲四大」 と云いうは、 地ち・水すい・火か0937・風ふうなり。 此これ等らの諸法しょほうは皆みな我われ等らが形ぎょう体たいを造ぞう立りゅうし、 愛憎あいぞうの妄念もうねんをおこして正しょう使じに流る転てんせしむれば、 群賊ぐんぞく・悪あく獣じゅうに喩たとうるなり。

(115)

一 「▲言↢は中間◗の白道四五寸↡者、 則◗ち喩↣ふ衆生◗の貪瞋煩悩◗の中 か◗に能◗く生↢ ずる清浄願往生心↡を也」 と云いうは、 白びゃく道どうを以もて信心しんじんに喩たとうる也なり。 此この信心しんじんは、 行ぎょう者じゃの自じ力りきの信しんに非あらず、 如来にょらいの他た力りきより得うる所ところの信心しんじんなり。 故ゆえに清浄しょうじょうの信心しんじんと云いひ、 又また下しもにも仏ぶつの願力がんりきに喩たとうる也なり。

(116)

一 「▲言↢は或 ひ◗は行 こと一分二分 するに群賊等喚◗ひ廻かへ↡ すと者、 則喩↧ふ別解・別行・悪見人にん等ら、 妄みだり◗に説↢て見解↡を送 ひに相 ひ惑乱、し 及◗び自◗ら造↠ りて罪◗を退失↥ するに也」 と云いうは、 上かみには群賊ぐんぞく・悪あく獣じゅうをば六根ろっこん・六識ろくしき・六塵ろくじん・五ご陰おん・四し大だいに譬たとへつるを、 今いまは別べつ解げ・別べつ行ぎょう人にんに喩たとうるは何いかなる事ことぞと云いうに、 上かみは未いまだ浄じょう土どの教きょうにあはざる時じ分ぶん、 其その時ときは身みに随したがふ所ところの六根ろっこん・六ろっ境きょう等とうの悪因あくいん・悪あっ境きょう等とうを以もて群賊ぐんぞくのあひしたがふに、 今いまは浄じょう土どの教きょう門もんを得えたる後のちなり。

-此この時ときその行ぎょうを障しょうげせんがために、 喚よばい返かえすは別べつ解げ・別べつ行ぎょうの人ひと、 并ならびに又また自じ身しんにも造罪ぞうざいに依よりて己おのれと怯こう弱にゃくする心こころなり。 自みずからの造罪ぞうざいに依よりて退たいする心こころは、 則すなわち彼かの六ろっ境きょう等とうの所為なすところなり。 されば自じ身しんなれども他た人にんなりとも、 仏法ぶっぽうの修しゅ行ぎょうを防ぼうげする義ぎを以もて喩たとえとすれば、 相そう違いにあらざるなり。

(117)

一 問とう。 上かみの譬喩ひゆの中ちゅう間げんには、 東ひがしの岸きしの勧すすむる声こえと西にしの岸きしの喚よばう声こえとを聞ききて、 後のちに▲東ひがし0938の岸ききの群賊ぐんぞく等ら喚よばい廻かえすと云いう。 今いまの合ごう喩ゆの中なかには、 東ひがしの岸きしの勧すすむるこえをきゝて、 未いまだ西にしの岸きしのよばふ声こえをきかざる中ちゅう間げんに、 ▲群賊ぐんぞく等らよばひ返かえすと云いへり。 法ほう喩ゆ相そう違いせること如何いかん。

-答こたう。 法ほう喩ゆ前ぜん後ごして深じん義ぎある事ことを顕あらわす也なり。

-所謂いわゆる上かみはたゞ譬たとえの意こころを出いだすゆへに、 東ひがしに勧すすめ西にしに喚よばうを聞ききて、 その心こころ決けつ定じょうして進すすむべし。 進すすむを見みてよばひかへすべきゆへに、 其その次し第だいしかなり。

-合ごう喩ゆの中なかには、 東ひがしの岸きしの声こえは釈しゃ迦かの教きょう、 西にしの岸きしの声こえは弥陀みだの教きょうなり。 故ゆえに別べつ解げの人ひとも釈しゃ迦かの教きょうの分ぶんにて一旦いったんも障しょうげすべし。 弥陀みだの教きょうの前まえには悪見あくけん人にん等らの障しょうげ及およぶべからざる義ぎを顕あらわして、 岸きしの声こえよりさきに群賊ぐんぞくよばひ返かえすと云いうなり。

(118)

一 「▲又一切行者、 行住坐臥◗に三業◗の所修、 無↠く問↢ こと昼夜時節↡を、 常◗に作↢し此◗の観解↡を常◗に作↢せ此◗の想↡を。 故 がゆへに名↢く廻向発願心↡と」 と云いう、は 廻思えし向道こうどうの廻え向こうを結けっする也なり。

-意こころは、 今いまの二河にがの譬喩ひゆを心こころにかけて、 六根ろっこん・六ろっ境きょうに触ふれて仏法ぶっぽうに進すすまざらん意こころをも、 我われと慚ざん愧ぎして怯退こうたいの心こころなく、 別べつ解げ・別べつ行ぎょうの人ひと、 たとひ妨ぼうげを致いたすとも、 彼かの人ひとの語ことばに破はせられずして、 偏ひとえに願力がんりきの道どうに乗じょうじて往おう生じょうの大益だいやくを得うべしと云いう也なり。

(119)

一 「▲又 た言↢は廻向↡と者、 生↢じ彼◗の国↡に已、 りて還 りて起↢し大悲↡を、 廻↢入◗し生死↡に教↢化 するを衆生↡を亦名↢廻向↡と也」 と云いうは、 廻え入にゅう向こう利りの廻え向こうを明あかす也なり。

-上じょう下げ品ぼんの菩ぼ提だい心しんの釈しゃくには 「▲唯発↢ して一念↡を厭0939苦、 楽↢生 するは諸仏境界↡に、 速◗に満↢ てゝ菩薩◗の大悲願行↡を、 還↢り入◗て生死↡に、 普◗く度↢す衆生↡を」 (散善義) と云いひ、 ¬法ほう事じ讃さん¼ (巻下) の釈しゃくには 「▲誓ちか◗ふ到↢ りて弥陀安養界↡に、 還↢り来◗て穢国↡に度↢ せん人天↡を」 と判はんずる、 皆みな是この意こころなり。

-是これ則すなわち浄じょう土どの大だい菩ぼ提だい心しんなり。 聖しょう道どう門もんの修しゅ行ぎょうは、 衆しゅ生じょうを悉ことごとく度どして後のちに我われ成じょう仏ぶつせんと願がんず。 而しかるに娑しゃ婆ば世せ界かいには退縁たいえん・退たい境きょう多おおきが故ゆえ、 其その行ぎょうたやすく成じょうぜず。 難なん行ぎょうなるが故ゆえ也なり。 是これに依よりて浄じょう土ど宗しゅうは、 穢土えどにして自利じり利他りたの行ぎょう成じょうじがたければ、 先まず浄じょう土どに生しょうじ成じょう仏ぶつして後のちに穢土えどに還来げんらいして衆しゅ生じょうを度どせんと願がんずる心こころなり。

-曇鸞どんらんの ¬註ちゅう論ろん¼ には▲二に種しゅの廻え向こうを立たてゝ往相おうそう・還相げんそうと云いへり。 所謂いわゆる念仏ねんぶつして浄じょう土どに生しょうずるは、 往相おうそうの廻え向こうなり。 穢え国こくにかへりて衆しゅ生じょうを度どするは、 還相げんそうの廻え向こうなり。 今いまの釈しゃくもその意こころあり。 廻え因いん向こう果か・廻思えし向道こうどうは往相おうそうなり、 廻え入にゅう向こう利りは還相げんそう也なり。

(120)

一 「▲三心既 で◗に具、 すれば無↢し行 として不ず↟  と云こと成。 願行既 で◗に成 じて若◗し不ず↠ と云は生者、 無な↠し有 こと是◗の処ことはり」 と云いうは、 今いまの三心さんしんは念仏ねんぶつを信しんずる心こころなることを顕あらわす。 是これ則すなわち願がん行ぎょう具ぐ足そくの義ぎを明あかして、 必ひっ生しょう彼ひ国こくの益やくを示しめす也なり。

(121)

一 「▲又此三心亦 た通 じて摂↢す定散之義↡を」 と云いうは、 何いずれの法ほうを行ぎょうずるとも、 其その法ほうに於おいて真実しんじつの信しん等とうを起おこす義ぎは同おなじかるべければ、 総そうじて云いはゞ、 此この至し誠じょう等とうの心しんは念仏ねんぶつに限かぎらず、 定じょう善ぜんにも通つうずべしと云いうなり。 然しかれども、 別べっして云いはゞ、 念仏ねんぶつの信心しんじんなりと0940云いう意こころなり。

(122)

一 ▲¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ の文もんは、 上かみの ¬疏しょ¼ の文もんと其その意こころ是これおなじ也なり。

-「▲安心」 と云いうは三心さんしんなり、 その相そうくはしくは ¬疏しょ¼ の釈しゃくならびに今いまの文もんに見みえたり。

-「▲起行」 と云いうは五ご念門ねんもんなり、 その名みょう義ぎ同おなじく今いまの文もんに載のするが如ごとし。

-「▲作業」 と云いうは四し修しゅなり、 次下つぎしもの章しょうに明あかすがごとし。

(123)

一 「▲信↧知◗す自身◗は是 れ具足煩悩◗の凡夫、 ↓善根薄少 して流↢転 して三界↡に不↞と出↢で火宅↡を」 と云いうは、 深心じんしんの機き法ほう二に種しゅの信心しんじんのなかに、 機きを信しんずる相そうなり。

-而しかるに ¬疏しょ¼ の文もんには唯ただ 「▲罪悪生死凡夫」 と云いへり。 今いまの文もんには 「↑善根薄少」 の言ことばを加くわえたり。 是これ何いかなる義ぎぞと云いうに、 相そう違いにはあらず。 只ただ ¬疏しょ¼ に云いう所ところの義ぎ、 猶なおくはしく釈成しゃくじょうする也なり。

-煩悩ぼんのうを具ぐ足そくせる罪悪ざいあくの凡ぼん夫ぶなれば、 縦たとい、 善根ぜんごんを修しゅするとも、 其その自じ力りき薄はく少しょうの善根ぜんごんは、 煩悩ぼんのう賊ぞくの為ために奪うばはれて進道しんどうの資し糧りょうと成ならず。 故ゆえに三界さんがいに流る転てんすと云いう也なり。

(124)

一 私わたくしの釈しゃくの中、 「▲生死之家以疑為所止」 と云いうは、 「生死の家」 と云いうは六道ろくどうなり。 此この六道ろくどうに流る転てんすることは疑ぎ煩悩ぼんのうに依よりてなり。 凡およそ聖しょう道どうの教きょう門もんに、 欲界よくかいの煩悩ぼんのうを立たつる時とき、 多おおくの疑ぎ煩悩ぼんのうを出いだせり。 是これ根本こんぽんの煩悩ぼんのうとして生しょう死じの業因ごういんなるがゆへなり。 殊ことに念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃは、 疑ぎ煩悩ぼんのうを除のぞくべき。 疑うたがいのなき裏うらは信しんなり、 信しんのなきは疑うたがいなるがゆへ0941なり。

-されば ¬大だい経きょう¼ に仏ぶっ智ち疑ぎ惑わくの失しつを挙あげては胎たい生しょうを得うと云いひ、 ¬観かん経ぎょう¼ には地じ観かんの益やくを説とくとしては 「▲必◗ず生↢  ずること浄国↡に、 心しむ◗に得↠よ無↠ こと疑 がひ」 と云いへり。

-「▲涅槃之城 には以↠て信◗を為↢す能入↡と」 と云いうは、 「涅ね槃はんの城みやこ」 とは極楽ごくらくなり。 「▲極楽無為涅槃界」 (法事讃巻下) と云いへる是これ也なり。 此この極楽ごくらく国こくに生しょうずる事ことは、 只ただ一ひとつの信心しんじんに依よると也なり。

-¬大だい経きょう¼ (巻下意) には明みょう信しん仏ぶっ智ちの益やくを挙あげては 「▲化け生しょうを得う」 と云いい、 選せん択じゃく本願ほんがんの信心しんじんを説とくとしては 「▲至心信楽欲生」 (大経巻上) と云いい、 ¬観かん経ぎょう¼ には 「▲具↢ する三心↡を者 の必 ら◗ず生↢ず彼国↡に」 と説とき、 ¬小経しょうきょう¼ には 「▲一心しむ不ず↠ して乱、 ▲執↢持◗す名号↡を」 と述のべたり。

-和か尚しょうの所判しょはん (散善義) には、 或あるいは 「▲無疑無慮」 と云いい、 或あるいは 「▲唯信仏語」 と云いへる。 是これ皆みな信心しんじんを以もて往おう生じょうの正しょう因いんとする義ぎなり。

-浄じょう土どの教きょう文もんに限かぎらず、 諸しょ経きょう論ろんの中なかにも此この義ぎあり。 ¬涅ね槃はん経ぎょう¼ (北本巻三五迦葉品南本巻三二迦葉品) には 「阿あ耨のく菩ぼ提だいは信心しんじんを因いんと為す」 と説とき、 ¬大論だいろん¼ には 「仏法ぶっぽうの大海たいかいには信しんを能のう入にゅうと為す」 と云いへる等とう、 是これなり。

(125)

一 「▲明知、 善導之の意亦不ず↠出↢で此二門↡を也」 と云いうは、 初はじめに道どう綽しゃくの心こころにより ¬安楽あんらく集しゅう¼ を引ひきて、 聖しょう道どう・浄じょう土どの二に門もんを分別ふんべつし、 真しん宗しゅう一いっ家けの教きょう相そうとすることを明あかしおはりぬ。

-又また而しかるに浄じょう土ど宗しゅうの依え標ひょうとする所ところは、 殊ことに和か尚しょうの釈しゃくなるが故ゆえに、 今こん師しの釈しゃくに彼かの二に門もんの意こころみえずは教きょう相そう猶なお弱よわきが故ゆえに、 此この釈しゃくの中なかに二に門もんの意こころ有ある事ことを明あかすなり。 上来じょうらいの解げ釈しゃくを二に門もんと意こころ得うる事ことは、 上かみに▲四し種しゅ別べつ意いによりて釈しゃくせしを以もて知しるべきなり。

(126)

一0942 「▲此◗の三心◗は者総 じて而言↠ へば之、を 通↢ず諸◗の行法↡に。 別 して而言↠ へば之、を 在↢り往生◗の行↡に」 と云いうは、 「総そう」 といふは、 真実しんじつ心しん等とうの相そうは何いずれの法ほうを行ぎょうずとも此この心こころは有あるべし。 諸もろもろの聖教しょうぎょうに此この意こころ無なきに非あらず。 然しかれども、 別べっして是これを云いへば、 念仏ねんぶつの信心しんじんなり。 今いまの ¬経きょう¼ に明あかす所ところ是これなりと云いう意こころ也なり。

-「▲挙↠て通◗を摂↠す別。を 意 ろ即◗ち周◗し」 と云いうは、 「通つう」 と云いうは諸もろもろの行ぎょう法ほう也なり、 「別べつ」 と云いうは往おう生じょうの行ぎょうなり。

(127)

一 「▲行者能◗く用心、 して敢◗て勿↠れ令↢ こと忽諸↡せ」 と云いうは、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃに於おいて三心さんしんを以もて至し要ようとす。 必かならずこれを具ぐ足そくすべき義ぎを示しめすなり。

 

底本は龍谷大学蔵室町時代初期書写本。 ただし訓(ルビ)は対校註を参考に有国が大幅に補完し、 表記は現代仮名遣いとした。