0875せんじゃくちゅうしょう第一だいいち

一 題目だいもくは、 「せんじゃく本願ほんがん念仏ねんぶつしゅう」 というは、 じょうさん八万はちまんしょぎょうえらび念仏ねんぶついちぎょうえらびとるゆえに 「せんじゃく」 という

これすなわちせんじゃくことばまさしく ¬だい弥陀みだきょう¼ にいでたり。 かのきょうは ¬双巻そうかんぎょう¼ の同本どうほんやくなり。

このしょ第三だいさん本願ほんがんしょうせんじゃくしゃくすとして、 じゅうはちがんおいおのおのこのあるべきしゃくせり。 まず第一だいいちさん悪趣まくしゅだいきょう悪趣あくしゅ第三だいさん悉皆しっかい金色こんじきだい無有むう好醜こうしゅ、 この四箇しこがんやくしてせんじゃくしゃくして、 次下つぎしもだいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょうがんをあげて、 くわしせんじゃく釈成しゃくじょうす。 「今選↢捨てゝ布施・持戒乃至孝養父母等の諸行↡、 選↢取専称仏号↡。 故↢選択↡也」 とへる、 このこころなり。

まただいじゅうろくみょうごうぞくしょうに、 さんぎょうならびに ¬般舟はんじゅきょう¼ のこころにより、 しゃ弥陀みだおよび六方ろっぽう諸仏しょぶつにわたりて八種はっしゅせんじゃくしゃくせられたり。 かの八種はっしゅみなしょぎょうえらび念仏ねんぶつえらびとるいうあらわすなり。 しかればすなわちいま題目だいもくつきひろせんじゃくろんぜば、 八種はっしゅせんじゃくつうずべし。

りゃくしてようとらば、 だいじゅうはちせんじゃく本願ほんがんもっ肝心かんじんとす。 本願ほんがんいう念仏ねんぶつなり。 ゆえせんじゃく本願ほんがん念仏ねんぶつしゅういうなり。

しゅう」 というじゅなり。 念仏ねんぶつせんじゃく0876るにとり経釈きょうしゃく要文ようもんあつめて、 おうじょう大益だいやくじょうずるがゆえしゅういうなり。

さればこのしゅういちじゅうしかしなが念仏ねんぶついちぎょうもっおうじょうしょうごうとする釈成しゃくじょうすとこころべきなり。

一 「南無阿弥陀仏、 往生之業には念仏↠先」 というは、 まずみょうごうあぐことは、 かみ題目だいもく本願ほんがん念仏ねんぶつせんじゃくすとへども、 念仏ねんぶつことばは、 観念かんねんにもしょうにもつうじ、 諸仏しょぶつさつみょうごうにもわたるべきがゆへに、 たしかそのぎょうたいあらわして、 かの本願ほんがん念仏ねんぶついう南無なも弥陀みだぶつなりとしめすなり。

つぎに 「おうじょうごう念仏ねんぶつせん」 とへる、 まさしかみせんじゃく本願ほんがん南無なも弥陀みだぶつをもて、 おうじょうしょうごうとすといふなり。 これすなわち一往いちおうじょうさんしょぎょうともおうじょうぎょうえたれども、 かれみな能顕のうけん方便ほうべんはれ、 みょうごう一法いっぽうのみ所顕しょけん真実しんじつなりて、 こん最劣さいれつためには念仏ねんぶつひとりおうじょういんとなるあらわすなり。

  第一 教相章

一 標章ひょうしょうに 「道綽禅師立てゝ↢聖道・浄土二門↡而捨てゝ↢聖道↡正する↢浄土↡之文」 というは、 ¬安楽あんらくしゅう¼ をさすなり。

どうしゃくぜんもとはんしゅうひとなり。 しかるへいしゅうげんちゅうにして曇鸞どんらんしょうもんて、 たちまちはん広業こうごうをすてゝひとえじょうきょうもんいりたまへり。 それより以来このかたつねに ¬かんぎょう¼ をこうじてひとすすめたもうに、 へいしゅう晋陽しんよう大原たいげん汶水ぶんすい三県さんけんひとなな0877さいじょうはみなかのかんうけ念仏ねんぶつぎょうじ、 おうじょうとげたり。 善導ぜんどうしょうかの弟子でしなり。 さればじょうしゅうおい止事やんごとなき祖師そしなり。

そもそもこの ¬しゅう¼ におよそじゅうろくしょうだんありみなこれ経釈きょうしゃくみょうもんひき弥陀みだしょうすぐれたることあらわし、 みょうごう一法いっぽうぼんすくうべきどうあかせり。

そのなかこの ¬安楽あんらくしゅう¼ をひきはじめにおかるゝことは、 しょうどうじょうもんあかすことぶんみょうなるゆへに、 一代いちだいりょうけんもん分別ふんべつして、 まずいっしゅうきょうそうしめさんがためなり。 このゆえとうしょうをばきょうそうしょういうなり。

一 「、 一切衆生皆有↢仏性↡。 遠劫より已来応↠値↢多仏↡。 何、 至まで↠今仍自輪↢廻して生死るや↠出火宅」 というは、 といこころしゅじょうにはぶっしょうあり、 したがひて番々かわるがわるしゅっぶつにもさだめあいたてまつりけん。 しかるなんいままでじょうぶつせずしてしょうりんし、 しゃいでざるやとのといなり。

しゅじょうぶっしょうあり」 というは、 ¬はんぎょう¼ (北本巻二七師子吼品南本巻二五師子吼品) せつなり、 「一切衆生↢仏性↡、 如来常住にして↠有こと↢変易↡」 とへり。

しゃたくたとえるは ¬法華ほけきょう¼ (巻二譬喩品) せつなり、 「三界無↠安きこと、 猶↢火宅↡、 衆苦充満して、 甚↢怖畏↡」 とへり。

こたえなかに 「依↢大乗聖教」 というは、 しもひくところの ¬大集だいじっきょう¼ と ¬だいきょう」 とのこころさすなり。

一 「↧去こと↢大聖↡遥遠なるに」 というは、 「だいしょう」 はしゃ如来にょらいなり。 しゃくそんはんのちしょうぞう0878二時にじすぎ末法まっぽうありざいはるかあいへだたるがゆえに、 しょうどうしゅぎょうじょうじがたしというなり。

↢理深なるに」 というは、 「」 というは、 しょうどうしょしゅうみなかんもっさきとするがゆえに、 かのかんそのこころふかきよりて、 智慧ちえ浅深せんたんなるぼんさとりがたしというなり。

一 ¬だいじゅう月蔵がつぞう¼ のもんひくことは、 しょうどうしゅぎょうじょうがたきことをしょうするなり。 「我末法」 より 「↠有↢一人者↡」 というまでは、 ¬きょう¼ のこころなり。 「当今末法」 よりしもは、 どうしゃくわたくしのしゃくなり。

末法」 というは、 しゃくそんめつしょう像末ぞうまつさんあり、 そのぶんおいまたせつあり。 一説いっせつにはしょうぼう千年せんねん像法ぞうぼう千年せんねん末法まっぽう万年まんねんなり。 これは ¬だいきょう¼・¬しゃろん¼ とうせつなり。 一説いっせつには像法ぞうぼう末法まっぽうさきごとし、 しょうぼうひゃくねんなり。 これは ¬摩耶まやきょう¼ のせつなり。 しょしゅうにんこれせつつきおのおのようすることまちまちなり。 しかるどうしゃくぜん如来にょらいめつ一千いっせんろっぴゃくねんうちしゅっひとなるがゆえに、 そのざいさして 「当今末法」 とへるは、 しょうぼうひゃくねんせつよるきこえたり。

このなか末法まっぽうときには、 さんじょうしょうどうぎょうしゅせんにべからずとなり。 かの ¬きょう¼ (大集経巻五五月蔵分閻浮提品意) 五箇ごこひゃくねんときて、 「第一だいいちひゃくねんだつけんだいひゃくねんぜんじょうけん第三だいさんひゃくねんもんけんだいひゃくねんぞうけんだいひゃくねんとうじょうけんなり」 とへり。 このせつよるに、 かのざいぞうけんときあたれり。 いわんやそれよりのちとうじょうけんぶんおいてをや。 ゆえ0879に 「未有一人得者」 というなり。

といていはく、 「起行修道」 とへるはしょうどうじょうわかつことなし。 「未有みう一人いちにん得者とくしゃ」 とへる、 なんしょうどうかぎるべきや。

こたえていわく、 「ぎょう修道しゅどう」 とへる、 もっぱらりきしゅぎょうさんじょう修道しゅどうきこえたり。 これすなわち教行きょうぎょうしょうみつなかに、 末法まっぽうにはただきょうのみありその行証ぎょうしょうなきゆえなり。 じょうもんりき得道とくどうなれば、 かのぎょう修道しゅどう」 のことばなかにはせっすべからず。 したがい弥陀みだきょうぼうは、 末法まっぽう万年まんねんのち法滅ほうめつひゃくさいときまでやくほどこすべきものなり。 いわんや末法まっぽうもつ偏増へんぞうぶんなるがゆえに、 「唯有↢浄土一門のみ↡可↢通入↡路」 とへり。 これもっともどうかなへるものなり。

一 ¬だいきょう¼ のもんじゅうはちのがんこころなり。 これつきしんあり。 願文がんもんには 「十方衆生」 といひ、 いまは 「一生造悪の機」 というそう如何いかんいうに、 これ造悪ぞうあく二機にきわたるべきこと勿論もちろんなれども、 末法まっぽうにはしょうどうしゅぎょうりゅうがたく、 念仏ねんぶつ得益とくやくさかりなるべきことじょうずるがゆえに、 あくぼんしょうなることをあらわさんがためなり。 「縦令」 とへることばは、 悪人あくにんにかぎらざることしめすなり。

一 「↢大乗↡、 真如実相・第一義空↠措↠心」 というは、 真言しんごん天臺てんだいとうもろもろだいじょうきょうそう一往いちおうことなれども、 せんずるところ真如しんにょあらわすにあり。 真如しんにょいひ実相じっそういひ第一だいいちいうは、 みな一法いっぽうみょうなり。 この真如しんにょりょうすることぼんじょう0880がたきゆえに 「ぞう未措みそしん」 というなり。

一 「ぜば↢小乗↡、 修↢入見諦修道↡、 乃至那含・羅漢、 ↢五下↡除きて↢五上↡、 無自↡問こと↢道俗↡、 未↠有↢其分↡」 というは。 「小乗しょうじょう」 というは、 しょうもん縁覚えんがくじょうなり。

そのなかいま見諦修道」 といふは、 まずしょうもんしゅぎょうそうつきて、 ぼんわくだんどうしゅしてかのくらいのぼことかたしと云へり。 そのしょうもんくらいおいこう四果しかあり。 またそのこうわかち三道さんどうとす。

これ三界さんがい九地くじはちじゅうはっ使見惑けんわくはちじゅういちぼんわくだんずるくらいとり四果しか分別ふんべつし、 この四果しかまた三道さんどうわかつなり。

三界さんがいいう欲界よくかい色界しきかい色界しきかいなり。 この三界さんがいわかち九地くじとす。 九地くじいうは、 欲界よくかいしゅいちとし、 色界しきかいぜん四地しじとし、 色界しきかいくう四地しじとすれば九地くじなり。

見惑けんわくいう根本こんぽんじゅう煩悩ぼんのうなり。 一にはとん、 二にはしん、 三には、 四にはまん、 五には、 六には身見しんけん、 七には辺見へんけん、 八には邪見じゃけん、 九には見取けんしゅ、 十二は戒禁かいごんしゅなり。 このじゅう煩悩ぼんのうは、 たいまどいおこところわくなり。 しかるにたいした不具ふぐあり、 また三界さんがいうち有無うむどうなり。 これによりて、 欲界よくかいにはさんじゅう使色界しきかい色界しきかいとにはおのおのじゅうはっ使あるゆえに、 はちじゅうはっ使あるなり。

わくいうは、 九地くじおのおの上々じょうじょうぼんより下々げげぼんまでぼんあるゆへに、 九地くじにははちじゅういちぼんあるなり

四果しかいうは、 一にはしゅおん、 二には斯陀しだごん、 三には阿那あなごん、 四には阿羅あらかん0881なり。

三道さんどういうは、 一には見道けんどう、 二には修道しゅどう、 三には学道がくどうなり。

しゅおんいうは、 ここには預流よるいうはじめひじりながれあずかるゆへに、 預流よるいうなり。 このくらいたいかんじてさとりるに、 じゅう六心ろくしんあり。 そのなかおいて、 ぜんじゅうしん預流よるこういうこういうむかうこころなり、 これ見道けんどうなり。 このくらいそうじてとん三界さんがいはちじゅうはっ使見惑けんわくだんじて、 だいじゅう六心ろくしん預流よるしょうするなり。 これより修道しゅどうなり。

斯陀しだごんいうは、 ここには一来いちらいいふ欲界よくかいぼんわくうちぼんだんずるを一来いちらいこういい第六だいろくぼんだんずるを一来いちらいいうなりぼんうちのこるところ三品さんぼんわくよりて、 一度ひとたび欲界よくかいきたるがゆへに、 一来いちらいいうなり。

阿那あなごんいうは、 ここにはげんいうこれ欲界よくかいぼんわく断尽だんじんするくらいなり。 第七だいしち八品はちほんだんずるをげんこういいだいぼんだんずるをげんいうなり欲界よくかい煩悩ぼんのうことごとくつき欲界よくかいかえらざるがゆえに、 げんいうなり。

阿羅あらかんいうはここにはしょういう三界さんがい煩悩ぼんのう断尽だんじんして、 しょうとしてうくべきもなきゆえに、 しょういうなり色界しきかい初禅しょぜんぼん一品いちぼんよりはじめて、 色界しきかいそう非々ひひ想地そうしょぼんうち第八だいはちぼんいたるまで、 ななじゅう一品いちぼんだんずるを阿羅あら漢向かんこういうこれまでは修道しゅどうなり。 だいぼんだんずるを阿羅あらかんいうなり、 これすなわち学道がくどうなり。

さればいま見諦けんたい修道しゅどうしゅにゅうす」 というは、 こう四果しかさすなり。 そのなかに 「見諦けんたい」 という見道けんどうなりたいどうなるがゆえに、 見道けんどう0882見諦けんたいともいうなり。 これすなわちはじめこうなり。 「修道しゅどう」 というは、 しょこう二果にか三向さんこうさんこうまでなり。

ないごんかん」 というは、 いうところ四果しかうち第三だいさんだいなり。 この二果にかじょうなるがゆえに、 「見諦けんたい修道しゅどう」 というはじめし、 ごんかんいうは、 おわりをあげて、 こう四果しか三界さんがい見惑けんわくわくだんがたく、 けんしゅがく三道さんどういりどうしょうがたしいうなり。

五下ごげ」・「じょう」 という煩悩ぼんのうなり欲界よくかい煩悩ぼんのう五下ごげ分結ぶんけつひ、 しき色界しきかい煩悩ぼんのうじょう分結ぶんけついう欲界よくかいしゅ各別かくべつなれども、 ひとつさんなるがゆえそうじかいいひしきしきかいどうなれども、 ひとつじょうなるがゆえがっしてじょうかいいうかいにもじょうかいにもおのおのいつつ煩悩ぼんのうあれば、 五下ごげじょういうなり。 けついう煩悩ぼんのうなりじょう結縛けつばくしてしょうごくおくゆえけついうなり

五下ごげ分結ぶんけついうは、 一には身見しんけん我々ががしょしゅうするこころなり。 いうじょうなり、 しょいうこのたくするところなり。 すなわちけんなり。 二には戒禁かいごんしゅいんあらざるいんけいし、 どうあらざるどうけいするこころなり。 三には、 四にはとん、 五にはしんなり。 このいつつのなかに、 とんしんとのわくによりて欲界よくかいこえず。 たとひこえじょうかいしょうずれども、 身見しんけん戒禁かいごんしゅとのみつよりまたかえりくだるなり。 しゃ (玄奘訳巻二一睡眠品) に、 「↠二不↠超↠欲、 由↠三復還」 とへるはこのこころなり。 されば貪嗔とんじんをばしゅ獄率ごくそつたとへ、 のこりみつをばぼうにんたとうるなり

じょう0883分結ぶんけついうは、 一には色界しきかいとん、 二には色界しきかいとん、 三にはしきしきじょう、 四にはしきしきまん、 五にはしきしきみょうなりこのなかに、 とんまんとはつねごとし。 みょうなりじょう散乱さんらんなり。 しゅじょうみな五下ごげじょう煩悩ぼんのうより三界さんがいしゅつせざるなり。 しかれば、 これ煩悩ぼんのうだんじてごんかんいたことかながたしというなり

一 「とも↢人天果報↡、 皆為五戒・十善↡能↢此↡。 然なり」 というは、 にんちゅうしょうずることはかいちからるがゆえに、 たと三界さんがいいづるまではおもいよらずして人天にんでんしょうぜんとおもへども、 かいじゅうぜんたもたざればそれまたかないがたしというなり

かい」 というは、 一にはせっしょう、 二にはちゅうとう、 三には邪婬じゃいん、 四にはもう、 五には飲酒おんじゅなり。 「じゅうぜん」 は、 しもみょうごうぞくしょうみえたり。

一 「諸仏大慈、 勧めてせしめたまふ↢浄土↡」 というよりは、 念仏ねんぶつぎょうあらはす。

縦令一生造↠悪」 というは、 ¬かんぎょう¼ の三品さんぼんじょうもつぼんなり。 かゝる極悪ごくあくなれども、 みょう願力がんりきより滅罪めつざいとくしょうすとなり。

して↢思量↡都↢去心↡也」 というは、 しょうどうなんぎょうなるとじょうぎょうなるとを相対そうたいして、 いかで本願ほんがんおうじょうがんぜざらんというなり。

一 「↢有相宗↡、 立てゝ三時教↡而↢一代聖教↡。 所謂有空中是也」 というは、 「0884そうしゅう」 という法相ほっそうしゅうなり。 諸法しょほういん決判けっぱんして、 だいじょうしょうぞうじょうはんするがゆえに、 そうしゅういう

さんきょう」 というは、 一にはきょうごんとう小乗しょうじょうしょうもん縁覚えんがく断惑だんわくしょうどうあかきょうなり。 二にはくうきょうしょ般若はんにゃ諸法しょほう皆空かいくうきょうなり。 三にはちゅうどうきょう非有ひうくうちゅうどうあかせるきょうなり。 すなわち ¬ごん¼ とうしょだいじょうきょうなり。 如是かくのごとくくうちゅうだいすることは、 せつだいにはらず、 ただせっきょう浅深せんじんつきこれたつるなり。 一代いちだいしょきょうあまたにわかれたれども、 所説しょせつしゅいうこのみつでざるなり。

¬唯識ゆいしきろん¼ を本論ほんろんとせり。

一 「きは↢無相宗↡、 立てゝ↢二蔵教↡以↢一代聖教↡。 所謂菩薩蔵・声聞蔵是也」 という、 「そうしゅう」 という三論さんろんしゅうなり。 くうじゃくじんあかしてそうしょうかんしめすがゆえに、 そうしゅういふなり三論さんろんいう、 ¬ちゅうろn¼・¬ひゃくろん¼・¬じゅう門論もんろん¼ なり。

さつぞう」 というだいじょうなり。 「しょうもんぞう」 という小乗しょうじょうなり。 一代いちだいぶっきょうきょうそうまちまちなりへども、 だい小乗しょうじょういでざるなり。

一 「きは↢華厳宗↡、 立てゝ↢五教↡而↢一切仏教↡。 所謂小乗教・始教・終教・頓教・円経是也」 というは、 このしゅうしょほんぎょうつきたつるなり。

小乗しょうじょうきょう」 というは、 ごんとうのもろもろの小乗しょうじょうきょうなり。 またほうしょうもんきょういう。 「きょう」 といふは、 ¬深密じんみつ¼ とう0885しょだいじょうきょうなり。 「終教じゅうきょう」 というは、 ¬はんぎょう¼ とうなり。 「とんぎょう」 というは、 べっしていっきょうさすあらず。 しょだいじょうきょうなかに、 しゅじょうそくぶつ一念いちねんとんじょうむねあかせるをとんぎょうとす。 「えんぎょう」 というは、 ¬ごん¼・¬ほっ¼ なり。 だいしょう権実ごんじつきょうをもて、 きょうせっするなり。

一 「きは↢法華宗↡、 立てゝ↢四教五味↡以↢一代仏教↡。 四教者、 所謂蔵・通・別・円是也。 五味者、 所謂乳・酪・生・熟・醍醐是也」 という 天臺てんだいしゅうきょうそうなり。 しょきょうつきてはほっしゅういう

天臺てんだいいうやまなり。 しゃだい天臺てんだいさんにしてこのしゅうこうぜらる、 ゆえ天臺てんだいしゅういうなり

きょういうは、 ぞうつうべつえんこれなり」 というは、 ぞういう三蔵さんぞうきょう小乗しょうじょうなり、 界内かいないきょうなり。

三蔵さんぞういうは、 一にはしゅ多羅たらぞうまた素咀そた覧蔵らんぞういうじょうあかす、 これきょうなり。 二には毘尼びにぞうまた奈耶なやぞういうかいあかす、 これりつなり。 三には阿毘あび曇蔵どんぞうまた阿毘あびだつぞういうあかす、 これろんなり。

さればかいじょう三学さんがくあらわきょうなり。 これまさしくにはしょうもん縁覚えんがくためかたわらにはさつす。 しょうもんたいかんじて四果しかくらいしゅにゅうするなり。 たいいうは、 じゅうめつどうなり。 四果しかいうは、 さきするがごとし。 縁覚えんがくじゅう因縁いんねんかんじてじょうるなり。 さつろっ波羅ぱらみつぎょうじて八相はっそうじょうどうするなり。

つうきょういうは、 界内かいないきょうなり。 さんじょうつう0886じてしゅぎょうするゆえに、 つうきょういうなり。

べっきょういうは、 かいきょうなり。 たださつのみぎょうずるがゆえに、 べっきょういうなり。 じゅう二位にいみょうだんじ、 ちゅうどうしょうしてついじょうぶつするなり。

えんぎょういうは、 かいきょうなり。 一色いっしき一香いっこう無非むひちゅうどうだんじ、 煩悩ぼんのうそくだいしょうそくはんたっするなり。

このきょうなかに、 はじめひとつ小乗しょうじょうのちみつだいじょうなり。

五味ごみいうは、 にゅうらくしょうじゅくだいこれなり」 というは、 これなんしゅうきたより雪山せっせんいうやまあり、 そのやま忍辱にんにくそういうくさあり。 うしこれじきしてちちいだす。 そのあじだいてんず。 最初さいしょいだすをばにゅういうこれすぐれたるあじなり。 つぎいだすらくなり、 これぼんあじなり。 つぎいでるはしょうなり。 つぎいだすはじゅくなりこの四味しみは、 だいはじめあわく、 のちじゅくせり。 さいいでるをばだいいうそうじて一代いちだい五時ごじせっきょうたとえて、 五味ごみいうなり。

一にはごんべつえんきょうく、 にゅうあたる。 二にはごん三蔵さんぞうきょうらくあたる。 三には方等ほうどうきょうしょうあたる。 四には般若はんにゃつうべつえんさんきょうく、 じゅくあたる。 五にはほっはんこの二部にぶどうきょうなり、 だいあたるなり。

このなかに、 ほっにはただひとつえんきょうく、 はんにはまたきょうけども、 ともだい五時ごじきょうとしておなじだいなり。 一代いちだいせっきょうことなれども、 その所説しょせついうきょういでず、 化儀けぎいう五時ごじせっするなり。

0887 「んば↢真言宗↡、 立てゝ↢二教↡而↢一切↡。 所謂顕教・密教是也」 というは、 「けんぎょう」 はしゃ所説しょせつ一代いちだいけんしょきょうなり。 「みっきょう」 というは、 大日だいにち所説しょせつみつ神呪じんじゅとうこれなりだいしょう権実ごんじつ差別しゃべつありとへども、 みっきょうほかをばみなけんぎょうたつるによりて、 一切いっさいぶっきょう顕密けんみつきょういでざるなり。

一 「今此浄土宗、 若らば↢道綽禅師↡、 立てゝ↢二門↡而↢一切↡所謂聖道門・浄土門是也」 というは、 これまさししゅうしょりゅうなり。 かみしょしゅうりっきょうあげらるゝことは、 一代いちだい判属はんぞくすることいちじゅんならざることあらわして、 わがしゅうきょうそうりゅうするなり。

所謂いわゆるしょしゅう所談しょだんことなりとへども、 此土しど得道とくどうあかすはみなしょうどうもんなりこれはっしゅうしゅうとうこころなり。 他土たどとくしょうおしうるは 「じょうもん」 なり。 これいまの 「さんきょう」 のせつなり。

一 「、 夫ことは↢宗↡、 本在こと↢華厳・天臺等八宗・九宗↡、 未↠聞↧於↢浄土之家↡立ことをば↦其↥。 然るに今号するに↢浄土宗↡、 有↢何証拠↡也」 というは、 このといこころは、 ごん天臺てんだいとうしょしゅうあいならべじょうもんしゅうごうすべからずというなり。 こころしゅういうしょうなくは、 しょりゅうもんゆるがたしというなり。

しかるこたえこころは、 「浄土宗名、 其証非↠一」 といいさんしょうひけり。 がんぎょうごんしゅう祖師そしおん法相ほっそうしゅう祖師そしざい三論さんろんしゅう祖師そしなり。 しゅうにんしゃくひきて、 自家じけしゅうしょうするなり。

0888 「↢大乗↡雖↠有りと↢顕密・権実等不同↡、 今此、 唯存↢顕大及以権大↡。 故がゆへにれり↢歴劫迂廻之行↡。 じて↠之↠之、 応↠存↢密大及以実大↡。 然今真言・仏心・天臺・華厳・三論・法相・地論・摂論、 此八家之意在↠此」 という だいじょうつきけんだいじょうあり、 みつだいじょうあり、 ごんだいじょうあり、 じつだいじょうあり。 顕大けんだい密大みつだいとをたいするとき、 顕大けんだいはあさく密大みつだいはあふかし。 顕大けんだいなか権大ごんだい実大じつだいとをたいするとき、 権大ごんだいはあさく実大じつだいはふかし。

しかるにいまこの ¬安楽あんらくしゅう¼ にたつところもんなかに、 しょうどうもんへるは、 一往いちおうまずけんだいじょうごんだいじょうとなり。 これきょうこころは、 りゃっこう迂廻うえぎょうなるがゆえなり。 みつだいじょうじつだいじょうとは、 速疾そくしつ直往じきおうあかすがゆへに、 そのこころことなれば彼此かれこれとうじて一門いちもんとはせずとなり。 「今此意、 唯存↢顕大及以権大↡。 故れり↢歴劫迂廻之行」 とへる、 このこころなり

しかるに再往さいおうこれいうときは、 迂廻うえぎょう直往じきおうどうも、 ともりきぎょう此土しど得道とくどうなれば、 みなそうじてしょうどうもんことばせっすべしとなり。 「じて↠之ふに↠之、 応↠存↢密大及実大」 とへる、 このこころなり。

いまあぐるところのはっなかに、 真言しんごん密大みつだいなり、 しち顕大けんだいなり。 そのしちなかに、 仏心ぶっしん天臺てんだいごん実大じつだいなり、 三論さんろん法相ほっそうろんしょうろん権大ごんだいなり。 ただこれ天臺てんだいごんきょうそうよりこれわかてり。 三論さんろん法相ほっそうこころきょうおい権実ごんじつろんぜざるなり。

0889 「小乗、 総じて是小乗経・律・論之中↠明声聞・縁覚、 断惑証理、 入聖得果之道也」 というは、 「きょう」 というは、 ごんぎょうなり。 「りつ」 というは、 四部しぶりつじゅうじゅりつとうなり。 「ろん」 というは、 ¬しゃ¼・¬しゃ¼ とう緒論しょろんなり。

一 「聖道門大意↠論↢大乗及以小乗↡、 於↢此娑婆世界之中↡、 修して↢四乗↡得なり↢四乗果↡也。 四乗者三乗之外↢仏乗」 というは、 「さんじょう」 というしょうもん縁覚えんがくさつなり。 法相ほっそう三論さんろんにはたださんじょうたつなり

いまぶつじょうくわえて 「じょう」 とたつるは天臺てんだいこころなり。 あるいさんじょうといゝ、 あるいじょうたつれども、 みなこれこれしょうじゃつきどうろんずるがゆえに、 だいしょう権実ごんじつ顕密けんみつきょうぜんことなりといえども、 みなしょうどうもんなかなりというなり

しょうどう」 というしょうじゃどうなり。 こころは、 念仏ねんぶつおうじょうこのほかぼんしゅつどうなりはんためなり。

一 ¬十住じゅうじゅう毘婆びば娑論しゃろん¼ のもんけるなかに、 「五濁之世於無仏↡、 求阿毘跋致↡為↠難しと。 此↢多途↡。 粗言五三↡以↢義」 というは、 「じょく」 というは、 一にはこうじょく、 二にはしゅじょうじょく、 三にはけんじょく、 四には煩悩ぼんのうじょく、 五にはみょうじょくなり。

こうじょくいうは、 劫減こうげんときには諸悪しょあくぞうするがゆえに、 しゅじょうみのたけようやくたんしょうなり。 これこのじょくしるしなり。

しゅじょうじょくいうは、 劫末こうまつときしゅじょうじゅうあくいよいよさかんなるをいうすなわちしゅじょうじょくあくにしてじゃりゅうごとく0890なり

けんじょくいうは、 みずからあくをばぜんとし、 をばとするなりそのけんじゃなることきょくごとくなり。

煩悩ぼんのうじょくいうは、 劫末こうまつしゅじょうこころあくしょうにして、 貪嗔とんじんいよいよきおいおこるなり。

みょうじょくいうは、 けんのうの二じょくよりおお殺害せつがいぎょうずるゆえに、 ちゅうようしきりにきたりいのち短促たんそくなり。

このこと ¬かんぎょう¼ のだいならび¬ほうさん¼ のかんえたり。

ぶつとき」 というは、 前仏ぜんぶつはんのちぶつしゅっまえぶつちゅうげんさすなり。 このときしょうどうしゅぎょうして、 退たいくらいいたることかたしというなり。

阿毘あびばっ」 というは、 退たいくらいなり。

さん」 というは、 少々しょうしょういうことばなり。

一 「には者外道相善やぶ↢菩薩」 というは、 どう邪見じゃけんて、 さつしゅぎょうみだるなり。 鴦崛おうくつ摩羅まら千人せんにんがいせんとせしときごときのたぐいなり。

には 者声聞自利して障↢大慈悲」 というは、 しょうもん調ちょう自度じどぎょうたてて、 利他りたぎょうなきなり。 ¬しょう厳論ごんろん¼ (荘厳経論巻六随修品) には、 「↣恒すと↢地獄↡、 ↠障↢大菩提↡。 若すは↢自利↡、 是大菩提なり」 といい、 ¬かんぎょう¼ の第一だいいち (玄義分意) には、 「二乗狭劣にして、 闕↢利他大悲↡故」 とへる、 このこころなり

三には無顧悪人破↢他勝徳」 というは、 是非ぜひかえりみざるあくしょうにんだいじょうぎょうどうさうなりしん乞眼こつげん婆羅ばらもんあうて、 さつどう退たいせしがごとし。

四には顛倒善果能壊↢梵行」 というは、 人天にんでんぜんじゃくして仏法ぶっぽうしゅぎょうさまたぐるなり。 妙荘みょうしょう厳王ごんおうとくふけりて、 いちじょう0891ぎょうとくうしないしがごとし。

五には唯是自力にして無↢他力」 というは、 しょうどうしゅぎょう観念かんねん浅深せんじんあり、 ぎょうごうごうにゃくあれども、 みなりきはげみてぶつりきたのまざるがゆえに、 じょくにはりきしゅぎょうそのちからよわくしてじょうがたきなり。

↠是事、 触るゝに↠目皆是也」 というは、 この五箇ごこなんまさしくまえありいうこころなり。

一 「天臺・迦才同↠之」 というは、 天臺てんだいの ¬じゅう¼ にもざいの ¬じょうろん¼ にも、 おなじいまの ¬十住じゅうじゅう毘婆びば娑論しゃろん¼ のもんひきなんぎょうぎょう分別ふんべつするがゆえなり。

一 ¬西方さいほう要決ようけつ¼ のもんに、 「釈迦啓けて↠運↢有縁」 というは、 せっきょうせついたり、 しょえんじゅくしてえんしゅっし、 一代いちだいあいだひろくしゅじょうやくたまういうなり。

教闡↢随方↡並↢法潤」 というは、 ぶっきょうこんおうじて種々しゅじゅもうくれば、 いずれもぶんしたがいてもというこれまではそうじて一代いちだいどうをのぶるなり。

まのあたりものは↢聖化↡、 道悟↢三乗」 というは、 わくしょうこんじょうにしてしたしぶっこうぶるしょうじゃこんは、 さんじょうどういうなりこれすなわちしょうどうもんこころなり

福薄因疎ものをばめてしめたまふ↢浄土」 というは、 どく福分ふくぶんうすく善根ぜんごんしょういんおろそかなるものをば、 じょうすすめいるいうなりこのぼんなり。 これすなわちじょうもんこころなり

さればおんこころも、 しょうどうじょうもんあらはすというなり。

一 おなじきじょもんに 「れてして↢像季」 というは、 「ぞう」 は像法ぞうぼうなり、 「」 はすえなり。 おんみずからわが0892ざいさして、 像法ぞうぼうすえいうなり

こと↠聖なり」 というは、 だいしょうしゃくそんはんのちすでおおくねんおくれるこころなり。

道預とも↢三乗↡無のり↢契悟するに」 というは、 さんじょうきょうもんときたれども、 そのさとりることかなわずとなり。

人天の両位躁動して不↠安から」 という以下いげは、 しょうどうしゅぎょうたてて、 自利じり々他りたぎょうしゅせんには、 ひさしく人天にんでんしょしてそのぎょうたつべきなり。 しかるに 「人天にんでんりょう躁動そうどうして不↠安やすからずといふは、 ¬十住じゅうじゅう毘婆びば娑論しゃろん¼ にいだところ五箇ごこなんごとく、 様々さまざましょうおおくして、 しゅぎょう退たいしやすきなり。

ひろくこころひろじょうこんは、 ひさしくじょくしょしてぎょうどうしゅせんにべし。 しきおろかいんあさきこんは、 そのぎょうじょうぜずしてゆうおぼれぬべしというなり。 「ゆう」 というは、 さん悪道まくどうなり。

ゆえ如是かくのごときのしょうなんおおしゃをばとおざかり、 じょうがたりきしゅぎょうてゝはやじょうしょうじ、 仏力ぶつりきたすけられてすみやかじょうだいいたるべしとすすむるなり。

一 「せば↧彼曇鸞法師てゝ↢四論講説↡一向↢浄土↡、 道綽禅師きて↢涅槃広業↡偏めしが↦西方」 という らんろんしゅうがくしょうなり。

ろんいうは、 一には ¬ちゅうろん¼、 りゅうじゅさつぞうなり。 二には ¬ひゃくろん¼、 だいさつぞうなり。 三には ¬じゅう門論もんろん¼、 またりゅうじゅぞうなり。 これ三論さんろんなり。 これに ¬智度ちどろん¼ をくわえろんいうなり。 かのろんりゅうじゅぞうなり。

らんろん通達つうだつしてじんこうぜられしかども、 のちにはだい流支るし三蔵さんぞうすすめ0893より一向いっこうじょうし、 ¬おうじょうろん¼ のちゅうして五祖ごそじょうしゅたまへり。

どうしゃくぜんもとはんしゅうひとなり。 のちにはひとえ西方さいほうぎょうひろめられき。 くわしくかみろくするがごとし。

如此かくのごときじん碩徳せきとく、 なほしょうどうしゅぎょう当今とうこん不↢相応↡そうおうせずとて、 じょうもんせり。 いわんや、 末代まつだい無智むち道俗どうぞくじんなる。 しょきょうおいしょうがたければ、 りきおうじょうもんして称名しょうみょう念仏ねんぶつぎょうつとむべきものなり。

一 しょうどうけちみゃくひきて、 じょうしゅうにもけちみゃくあるべしやとといて、 あるべきしゃくせらるゝは、 念仏ねんぶつおうじょうもんおいことけちみゃくそうじょう大切たいせつなることあらわす。

ゆえは、 ¬経¼ (大経巻下) に 「もんみょうごう信心しんじんかん」 ともとき、 「もんみょうよくおうじょう皆悉かいしつとうこく」 ともいいて、 みょうごうきき信心しんじんしょうじ、 信心しんじんしょうずるときすなわちおうじょうけつじょうするは、 もっとそうじょうあるべきゆえ如此かくのごとく被挙あげらるるなり

  第二 二行章

一 このしょうは、 かみしょうしょうどうじょうもん分別ふんべつして、 そのなかしょうどうすてじょうえらびとるゆえに、 いましょうにはそのじょう一門いちもんおい正行しょうぎょうぞうぎょうわかちて、 そのなかぞうぎょうすて正行しょうぎょうえらびなり

一 「善道和尚立てゝ↢正雑二行↡、 捨てゝ↢雑行↡帰むる↢正行↡之文」 というは、 かんぎょうだいをさ0894すなり。

善道ぜんどうしょうは、 大唐だいとう相伝そうでんして弥陀みだ如来にょらいしんいうこれつねなり。 また ¬ごん¼・¬だいじゅう¼ のりょうかんに、 しゃくそん善導ぜんどうだいなりしゅじょうすべしととけもんあるがゆえに、 しゃ再誕さいたんともこころなりぶつもとより一仏いちぶつなれば、 いずれのそうなし。

その面授めんじゅたつときは、 どうしゃくぜん弟子でしなり。 しかれどもどうおいしょうことにもこえぼんおうじょうしゅうたつることこんでたるがゆえに、 ことこんしゃくいっしゅう規模きぼとするなり。

一 「↠行↠信、 然行有↢二種↡。 一つに正行、 二つに雑行」 という 三心さんしんなか深心じんしんしたに、 就人じゅにん立信りっしんじゅぎょう立信りっしんふたつ信心しんじんたてたり。

そのなか就人じゅにん立信りっしんいうは、 能説のうせつきょうしゅつきしんてんとしんずるなり所謂いわゆる仏説ぶっせつしんじてよのせつもちいざるなり。 そのつぶさしも三心さんしんしょうあるべし。

じゅぎょう立信りっしんいうは、 所説しょせつぎょうつきしんりゅうするなり。 すなわちいまもんこれなり。 正行しょうぎょうぞうぎょうしょうごう助業じょごう分別ふんべつもんあらわれやすし。

一 「¬疏¼ 、 今此 ¬観経¼ 中十声称仏、 則十願十行↡具足すること」 というは、 がんぎょうそくしておうじょうすべきことしゃくするもんなり

がん」 というぎょうじゃ信心しんじん、 「ぎょう」 という所修しょしゅぎょうなり。 しかるにがんぎょうわかとき各別かくべつなれども、 南无なも弥陀みだぶつろくしょうするにがんぎょうそくとくあるなり

すなわち↢南无是帰命、 亦是発願廻向之義。 言↢阿弥陀仏0895是其なり。 以↢斯↡故得↢往生」 とへる、 そのこころなり。 こころは、 「南无なも」 の二字にじがんなり、 「弥陀みだぶつ」 の四字しじぎょうなるがゆえに、 ろくなかがんぎょうそくしてかならずおうじょうすとなり

それとりいまじゅうがん十行じゅうぎょう」 という 一念いちねんなかひとつがんぎょうあれば、 じっしょうなかにはとおがんぎょうあるべしとなりこれじゅんじていわば、 ひゃくねんにはひゃくがんぎょう千念せんねんにはせんがんぎょうそくすべきなり

一 「、 是純↢極楽之行↡。 通↢於人天及以三乗↡、 亦通↢於十方浄土↡。 故↠雑也。 西方行者須↧捨てゝ↢雑行↡修↦正行↥也」 というは、 じょうさんしょぎょう極楽ごくらくしょういんにあらず。 あるい人天にんでん有漏うろかんずるごうたりあるいしょうもん縁覚えんがくうるいんたり、 あるいだいさっくらいのぼるべきぜんたり、 あるい十方じっぽうじょうしょうずべきぎょうなり。

ゆえかれしょためにはしょぎょうぎょうずべし、 西方さいほうおうじょうのぞま西方さいほう業因ごういんたる念仏ねんぶつしゅすべしとなり。

じょうぜん十方じっぽうじょう通因つういんなることは、 ¬かんぎょう¼ の序分じょぶんえたり。 通所つうしょに 「↠我たまへと↧無↢憂悩↡処」 としょうじて、 すなわちつうぎょうに 「やゝくは仏日、 教へて↠我ぜしめたまへ↢於正定業処」 としょうずるがゆえなり。

三福さんぷく散善さんぜんなかに、 きょうよう父母ぶもとうふくにんちゅうてんじょう福善ふくぜんなり。 じゅさんとう戒福かいふく小乗しょうじょう所修しょしゅぎょうごうなり。 ほつだいしん深信じんしんいん・読誦だいじょうとうぎょうふくさんじょう修因しゅいんならび十方じっぽうじょう通因つういんなり。 ゆえもっぱら西方さいほうしょういんあらず。 たと0896してしょうずるれども、 真因しんいんあらざるがゆえ如是かくのごとくしゃくするなり。

一 しょうぞうぎょうれいせんがためじゅんぞうもんたてたるに、 きょうろんしょうひく としていうところ八蔵はちぞうごんとうは、 一々いちいちみょうもくさいほんみえたり。

一 ¬おうじょう礼讃らいさんもんひくことは、 かみの ¬しょ¼ のもんひきしょうぞうぎょう差別しゃべつしゃくすとへども、 ぎょう得失とくしつはんずることいまの ¬礼讃らいさん¼ のもんぶんみょうなるがゆえに、 かさねこれひきせらるゝなり。

所謂いわゆる専修せんじゅものをば、 「じっそくじっしょうひゃくそくひゃくしょう」 としゃくし、 雑修ざっしゅものをば、 はじめには 「百時↢一二↡、 千↢五三」 とはんじ、 のちには 「せんちゅういち」 としゃくせらるゝ、 これなり

このなか専修せんじゅにはとくいだし、 雑修ざっしゅにはじゅうさんしつあげたり。

まず専修せんじゅとくさんずるに、 「して↢外雑縁↡得↢正念↡故」 というは、 じゃけんにんの、 ぞうぎょうしょうするえんなくして念仏ねんぶつしょうねんいうなり。

↢仏本願↡相応するが」 というは、 弥陀みだぶつ本願ほんがん相応そうおうするがゆえなり。 ¬だいきょう¼ にしょぎょうえらびすてて、 念仏ねんぶつおうじょう本願ほんがんとするがゆえなり。

るが↠違↠教」 というは、 しゃくそんきょうせずとなり。 ¬かんぎょう¼ にじょうさんしょぎょうぞくせず、 念仏ねんぶついちぎょうぞくするがゆへなり。

随↢順するが仏語」 というは、 しゃじょうせつおよび諸仏しょぶつ証誠しょうじょうじつずいじゅんすとなり。 ¬弥陀みだきょう¼ に 「汝等皆当信↢受語及諸仏所説」 ととくゆえなり

つぎ雑修ざっしゅしつあぐるに、 「↢雑縁乱動してするに↢正念↡故」 と、 「0897↢仏本願↡不るが↢相応↡故」 と、 「↠教相違するが」 と、 「るが↠順↢仏語↡故」 と、 このよつさき専修せんじゅとく翻対ほんたいしてしるべし。

つぎに 「係念不るが↢相続↡故」 と、 「憶想間断するが」 と、 「廻願不るが↢慇重真実なら↡故」 と、 「貪瞋諸見煩悩来りて間断するが」 と、 「↠有こと↢慚愧悔過↡故」 と、 「不↣相続念↢報彼仏恩↡故」 と、 「じて軽慢↡、 雖↠作すと↢業行↡常↢名利↡相応するが」 と、 「人我自ひて↣親↢近同行善知識↡故」 と、 「ひてきて↢雑縁↡、 自↢障々↣他するが往生正行↡故」 と、 このここのつしつは、 第一だいいちの 「↢雑縁乱動してするに↢正念↡故」 とへるなかよりこれかいせり。 大旨おおむねおなじことなれども、 分々ぶんぶん義理ぎりより種々しゅじゅしついだせるなり。 そのもんありみつべし。

一 「ての此日このごろ見↢聞するに諸方道俗↡、 解行不同にして、 専雑有↠異」 というより以下いげは、 まさし専雑せんぞうぎょう相対そうたいしておうじょうとく決判けっぱんするなり

」 というは、 しょうみずからわれしょうすることばなりわれ諸人しょにんしゅぎょうそう見聞けんもんするに、 あるい専修せんじゅぎょうじゃもあり、 あるひは雑修ざっしゅぎょうにんもあり。 そのなかに専修せんじゅのものはひゃくそく百生ひゃくしょうし、 雑修ざっしゅものせんちゅういちなりいうなり

一 「上在りて↢一形↡似↢如れども小苦」 という以下いげは、 かさね念仏ねんぶつすこしきなると、 おうじょうやくおおきなるとを相対そうたいして、 称名しょうみょう勧修かんしゅするなり

念仏ねんぶつ勧修かんしゅするは、 ぼんだい0898しんこころのぞむればしょうたれども、 おうじょう願望がんもうとぐるはぶんやくなりとしるべしとこころなり。

一 「乃至成仏して↠逕↢生死」 というは、 しょうしゅあり。 一には分段ぶんだんしょう、 二には変易へんやくしょうなり。 分段ぶんだんしょういうは、 六道ろくどうしょう死此しししょうほうなり。 変易へんやくしょういうは、 さつ地位じい増進ぞうしんなりいま分段ぶんだんしょうはなるゝをいうなり。

といいわく、 極楽ごくらくがんずるはぶっじょうぜんがためなり。 いましゃくごときは、 おうじょうじょうぶつにはあらざるしからばしょほんなきたり、 如何いかん

こたえいわ しょうどうじょうもん分別ふんべつするときしょうどうじょうぶつし、 じょうおうじょうがんず。 これなんぎょうぎょう差別しゃべつなり。

べつもんしゃくに、 「正報↠期。 一行雖↠精なりと。 依報↠求所以そ  へ一願之心のみ」 とへる、 このなり

しかれども穢土えどしゅぎょうごとくにじょうおんしゅぎょうもちいず、 彼土ひど無為むいはんかいなるがゆえに、 ねんしょう契当かいとうし、 速疾そくしつだいるなり。

¬礼讃らいさん¼ には 「十地願行自然はる」 と ¬般舟はんじゅさん¼ には 「道場妙果豈んやはるかなりと」 とへるしゃくすなわちこのあらわすなり

一 わたくししゃくつきしんあり。 ぜんしょしょうごときは、 所引しょいん本文ほんもんおいてしょうろんぜず、 一処いっしょこれをのせてまつわたくししゃくをばもうけたり。 しかるとうしょうには ¬しょ¼ のしゃくと ¬礼讃らいさん0899¼ のしゃく各別かくべつ引↠之これをひきてわたくししゃくちゅうげんへだてたるはなんこころぞというに、

これこころうるに、 ¬しょ¼ のもんしょうぞうぎょう分別ふんべつし、 しょうじょぎょうじょうはんするがゆえそのもんうけて、 はじめにはおうじょうぎょうそうあかし、 のちにはぎょう得失とくしつはんじおはりぬ。

そのなかいまの ¬礼讃らいさん¼ のもんかさねぎょう得失とくしつあげて、 ぶんみょうおうじょうとくとくしゃくあらわすがゆえに、 無智むち道俗どうぞくためようなかようなれば、 べつこれひき専修せんじゅすすむるなり。

こころどんこんやからこうもとめずしてりゃくねがはんときこころこのもんとどめて念仏ねんぶついちぎょうしゅせしめんがためなり

本云

嘉慶三年 己巳 □月六日書写了

応永廿二年五月廿九日、 以或本書之。 先老御草随尋得令悦之、 忝謹以写之。

 一交了

伝領光覚(花押)

記之

 

底本は龍谷大学蔵室町時代初期書写本。 ただし訓(ルビ)は対校註を参考に有国が補完したものˆ表記は現代仮名遣いにしているˇ。